ぜひとも訪れたい ドイツの貴重な町

       ==[そのまま 少しお待ち願います]==


     ドイツの町を訪れたくなる要素としては、やはり中世からの旧市街地
  (アルテシュッタット)を、生活の中で美しく維持し続けて来た国民性が、他の欧
  州の国に比べて優れているからではないでしょうか。
   それで中世的な雰囲気を醸し出す要素として、町の防御設備としての市
  壁に注目し、その残延長・残存割合・門や塔の数の大きい町を、訪れるべ
  き貴重な町として、市壁のある町825の中から上位50程度をリストアップ
  しますので、これらの貴重な町をぜひ訪れて見て頂きたいと存じます。
   それ以下の点数の町でも、近所を通るついでに寄って見れば、それなり
  の満足が得られるのは間違いありません。

[戻る①得点]

記載町名順(得点)

ブランデンブルク州

  1.Brandenburg(14), 2.Burnau Berlin(13), 3.Dahme Mark(12),
  4.Fuerstenwerde(14), 5.Jueterbog(9), 6.Muencheberg(11),7.Neuruppin(10),
  8.Prenzlau(13), 9.Templin(13), 10.Wittstock Dosse(15)

バーデン・ヴュルテンベルク州

  1.Aach Hegau (10), 2.Dilsburg Neckergemuend(10), 3.Forchtenberg(13),
  4.Hohentweil Siegen(9), 5.Kirchberg Jagst(10), 6.Moeckmuehl(11),
  7.Oehringen(14), 8.Offenburg(12), 9.Ravensburg(13), 10.Uberlingen(13),
    11.Ulm(13), 12.Vellberg(13), 13.Waldenburg(14)

 

バイエルン州

  1.Abenberg(8), 2.Amberg(13), 3.Aub(17), 4.Augsburg(10), 5.Bad Neustadt Saale(16),
  6.Beilingries(11), 7.Berching(19), 8.Burghausen(11), 9.Burglengenfeld(16),
  10.Creussen(12), 11.Dettelbach(14), 12.Dinkelsbuehl(17), 13.Eibelstadt(14),
  14.Fladungen(15), 15.Frickenhausen(12), 16.Gerolzhofen(16), 17.Heidingsfeld(16),
  18.Herzogenauerach(9), 19.Ingolstadt(14), 20.Ipohen(14), 21.Karlstadt(14),
  22.Kitzingen(10), 23.Landsberg(14), 24.Leipheim(10), 25.Marktbreit(14),
  26.Meinbernheim(13), 27.Mellrichstadt(14), 28.Memmingen(14), 29.Merkendorf(15),
  30.Nabburg(14), 31.Neustadt Aisch(14), 32.Noerdringen(17), 33.Nuernberg(19),
  34.Ornbau(13), 35.Regensburg(14), 36.Roettingen(14), 37.Rothenburg(18),
  38.Sulzfeld Main(14), 39.Schlusselfeld(11), 40.Schongau(15), 41.Sesslach(13),
  42.Sommerhausen(12), 43.Sulzbach-Rossenberg(14), 45.Weissenburg(18)
  46.WolframsEschenbach(13),

 

ヘッセン州

  1.Bad Olb(12), 2.Besse Edermuende(8), 3.Buedingen(15),4.Fritzlar(16),
  5.Gernhausen(14), 6.Grebenstein(14),7.hirschhorn Neckar(12), 8.Korbach(13)

 

メクレンブルク・フォアポンメルン州

  1.NeuBrandenburg(15), 2.Rostock(14)

 

ニーダーザクセン州

  1.Goslar(13), 2.Nordhausen(12),

 

ノルトライン・ヴェストファーレン州

  1.Bad Muenstereifel(14), 2.Burg Wupper(10), 3.Juelich(12), 4.Kempen(13),
  5.Luegde(13), 6.Rees(10), 7.Ruethen(12), 8.Soest(13), 9.StadtBrankenberg(12),
  10.Xanten(16), 11.Zons,

 

ラインラント・プファルツ州

  1.Ahrweiler(15), 2.Andernach(12), 3.Bachrach(14),4.Dausenau BadEms-Nassau(13),
  5.Freinsheim(15), 6.Klosterstadt Hornbach(12),7.Neuleingen(14), 8.Oberwesel(16),
  9.Pfalzel Trier(14), 10.Pfedersheim(8)、11.Rhens(15)

 

ザクセン州

  1.Bautzen (17)

 

ザクセン・アンファルト州

  1.Aken(12), 2.Aschersleben(14), 3.Barby(12), 4.Haldensleben(15),
  5.Quedlinburg(14), 6.Salzwedel(13), 7.Tangermuende(15), 8.Zelbst(15)

 

チューリンゲン州

  1.BadLangensalza(15), 2.Heilbad Heiligenstadt(14), 3.Kahla(12),
  4.Kindelbrueck(13), 5.Muelhausen(17), 6.Sommerda(13), 7.Weissensee(12),

[戻る①得点]

 ブランデンブルク州 BR

ブランデンブルク Brandenburg BR1

1.歴史

948 オットー1世による教区の初言及、  983 スラブ族は侵入して170年間支配、
 1150 城の近くにプレモントレ修道会が定住、1157 アルバート・ベアはブランデンブルク辺境伯へ、
 1165 プレモントレ修道会後に大聖堂を建設、1170 西旧市街地 1196東新市街地の言及、
 1314 ハンザ同盟に加入、        1474 町の権利と自由のシンボルのロウラント像立、
 1521 選帝侯ヨアヒム1世は州と首都を確認、1565 司教座聖堂参事会は世俗の財団へ、
 1618-48 30年戦争で人口は1/3に、   1715 王ウイリアム1世は二つの町を合併した、
 1806-08 仏軍の占領、     1816 特別地方都市の地位を失い西ハベルラント州へ、
 1945 3月の空襲と4月の戦闘で 産業の7割 家と橋の15%を失った。

2.市壁  1.66km 0.42

  14-15cの石造りの市壁は、堀と共に新旧二つの町をそれぞれ守った。30年戦争で
  市壁は壊されたが、税の導入で市壁の必要性を取戻した。19c初めに、交通量の増加
  で門や市壁は一部壊された。残るのは旧市街560m0.29と新市街1.100m0.56である。

3.塔  4門0塔

 石門 Stein Tor (1380) 新市街最大の南門で高さ28.5m璧厚2.3-3.5m径11m
   の円塔で塔頂には円錐帽子と胸壁がある。塔は見張りと監獄として使われた。1886
   .1925.1951.1965.1995と改修は繰返し行われた。1886歴史協会が塔内に展示する
   権利を1923まで使用し、今は博物館の分館として水路の水運と船舶の展示がある。
 風車門 Muehlen Tor (1411) 新市街の北門で、高さ24mの4階建で、煉瓦造の
   八角塔で、塔は監獄に使われ、入口は最上階の胸壁にあった。
 火薬門 Pulver Tor (15c) 旧市街の南門で高さ17mの丸い切株であった。
   1928-29塔には 今の姿の胸壁と小尖塔の外観となった。
 ローテノヴアー門 Rothenower Tor (14c) 旧市街の北東の門で、高さ28mの四角塔は
   2000屋根が付けられ改造された。塔の入口は壁上の防衛通路からであったが1910
   に付けられた。

4.見所  A

   旧市街・新市街・大聖堂の3つの島に、それぞれ歴史的な北独煉瓦ゴシックの建造物
  が建っている。1千年前からの教会・聖堂・市壁・門塔・ローラント像などが在る大きな町。
 旧市庁舎 Altestsedtische Rathaus (15c) ゴシックの煉瓦造の建物で、最初に
   参事会場と書記室が造られ、1470-80には塔のある主建物が建てられた。新旧市街
   合併の1715までは旧市街の中心であった。その後建物はコール天布工場・商品倉庫・市
   場・穀物倉庫を収容し、1819に拡大されて裁判所となった。1863売却され、衣服庫
   拘置室として使われた。1904荒廃して放棄されたが、1912今の姿で復元された。
   2006-07再改修され、市庁舎になった。
 ローラント像 Roland (1474) ブランデンブルクのローラントは中世特権の象徴として立つ。
   若々しい姿で高さ5.35mの砂岩造りの綺麗な人物像である。1716フリードリッヒ・ヴィルヘルム
   1世は新市庁舎の前に建てた。1945新市庁舎は戦災に遭ったが像は生き残り、旧市
   庁舎前に移された。
 聖ペーター・パウロ大聖堂 St.Peter und Paul Dom (13c) 初めはロマネスク2塔の十字
   ホール教会であり、15cに拡張・ゴシック化され、17c木造塔は石の塔に置換えられた。
   1705貴族学校を併設し、1871西翼に学校が建てられた。1836大規模な修復が行わ
   れ、1960多くの基礎杭が打たれて強化された。大聖堂博物館や修道院図書館には
   貴重な宝物や資料がある。
 聖カトリーナ教会 St.Katharinen Kirche (14c) 新市街の煉瓦造教区教会で、聖
   カタリーナと聖アマリベルガに捧げられた。1395野石の教会を壊して、1401塔高さ72.5m屋
   根高さ38mの大きな建物を建てカトリーナ教会とした。豊かな装飾が特徴で、南にシェッペ
   の礼拝堂がある。1582西塔が崩れ10年後に8角ドームで再建された。中には、1474祭
   壇画、1440八角形青銅洗礼盤。
 聖ゴットハルト教会 St.Gotthardt Kirche (1140) 旧市街の石造教区教会で、入
   植地のプレモンス僧のために建てられた。初めに司教座聖堂付参事会が使い、1165に
   ドーム島に移転された。15cに野石の建物は取り壊され、今の後期ゴシック3廊ハレン教会
   となった。1623織屋ギルドは砂岩の説教壇を寄贈し、1767塔頂はバロックの帽子にな
   った。1904包括的な改修で、煉瓦西入口・アーチの窓と壁を露出させた。
 聖パウリ教会 St.Pauri Kirche (14c) 戦災で破損した旧ドミニコ会修道院の聖
   パウリ教会が、2007に復元された。ゴシック3身廊石造教会で屋根の高さ17mで800m2の
   大空間で様々な用途に使われた。2008から考古学博物館として、ブランデンブルクの
   文化史を教会の歴史と共に展示されている。
 聖ニコライ教会 St.Nikolai Kirche (1173) 初め煉瓦造3身廊バジリカで、商業団
   地の教会であった。旧市街と商業団地が合併して荒廃した。1467更新の後に宗教
   改革まで維持した。1712病院や捕虜収容所となり、1945戦災で塔や屋根が壊され
   修復されたが、1975には放棄された。1992三位一体カソリック教会の礼拝に使った。
 トリグラフ聖域と聖マリア教会 Triglaf-Heiligtum und St.Marien Kirche (13c)
   丘の上に聖域が在ったが、1136礼拝堂は撤退した。新たに聖マリア教会が建てられ
   1435-1557プレストレ修道院の礼拝堂も隣に建立。建物の遺跡は1722-24に撤去。
 聖ペトリ礼拝堂 St.Petri Kapelle (1849-51) 聖三位一体教会は、カトリックの教
   区教会・司祭館・教区ホール・幼稚園等の中心である。1945戦災で破壊され、1947-49
   簡素化して再建した。1972-73教会内部を改装した。
 聖ヤコブ礼拝堂 St.Jacobs Kapelle (1320) 後期ゴシックの煉瓦造礼拝堂で、聖
   ヤコブ病院の正面に位置していたが、道路の拡張で礼拝堂は西に11m移された。
 市立博物館 Stadt Museum  地域と都市の文化と歴史を展示。
 産業博物館 Indastrie Museum  1914-2000に使われた平炉をメンティナンスし・ケア
   し・プレゼンテェションしている。
 州立考古学博物館 Archaeologisches Landes Museum パウリ修道院の54年の長
   い文化の歴史とブランデンスルクの文化史を展示。
 フレイハウス美術館 Museum in Freyhaus (1723) バロック・マンサード屋根の木組と石造の
   建物で囲まれた石畳の中庭ある建物群は、ヴィルヘルム1世によって建てられ、歩兵連隊
   司令官が住んだ。た。1912にフレイハウスは玩具メーカーが買い取り歴史協会を収容し、1939
   には市立博物館になった。
 スラブ村 Slawen Dorf 568-1150のスラブ民族の歴史と文化を展示。11cの住居跡
   やスラブ板船の復元。
 東文物博物館 Ostalgie Museum 米国大使が集めた東ドイツ時代の文物を展示。
 トラム博物館 Strassen Bahn Museum 路面電車の歴史を展示。

5.写真

旧市庁舎 聖礼拝堂
石門・車博物館 火薬門
ローテノヴアー門 粉挽塔
南市壁・新市街 西市壁
東市壁・旧市街 南市壁
船着場

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

ベルナウ Bernau bei Belin BR2

1.歴史

 1140 アルブレヒト・ベアが狩りで発見の伝説、   1232 町の創設の伝え、
 1292 最初の文書言及、学長が王子の婚礼の立会人、14c 防備権を得て3門・市壁・堀、
 14-15c 選帝侯フリードリッヒ1世は町に醸造権を与え、町には146のビール醸造所があった。
 1406 火事で藁屋根と木造家屋は全焼、    1483.1486 にも火災で町は大被害、
 1432 フス軍は町を包囲した、1539 住民は殆どルター派となった、1597-1638ペスト流行、
 1617-21 魔女狩りで16人を処刑、       1651 地方裁判所の開設、
 1627-1632 30年戦争で略奪と破壊、人口は1/4、1698鷲薬局にフリードリッヒ1世が特権付与
 1699 ブランデンブルク勅令でユグノー教徒が仏から移住、 1713 帝国郵便局を開設、
 1879 皇室の地方裁判所が置かれ1902まであった。

2.市壁  1.45km 0.91

  13-14cの市壁は、長さ450m高さ2.5m厚さ1.5mで、3門・2円塔・42WieckHaeuser・
   堀・土堤が置かれ、1402ポメラニア・1432フス軍の包囲に対抗した。17cには軍事的意義を
   失い堀や壁は貸与され、19cには緑地にされた。
    Wiekhaeuser(Lughaeuser)は半円型4・四角型38木製の防御家を外壁に建て、
   射撃の銃眼を有し、石や煮え湯を投下して戦った。

3.塔  1門1塔

 石門 Stein Tor (13-14c) 東、3門の内唯一残った門、元は3塔の複合施設
    で2防御塔と接続し、その高さ28mの監獄塔には深さ8mの監獄があった。1751塔は
    バロック屋根を持った。1882郷土博物館が収容し、刑務所跡・武器・職人生活を展示。
  ベルリン門 Berliner Tor (1223) 西、ベルリーナ通の舗装に門の位置が印が表示
     されている。前門の木材の日付で建設年が判明。18c末に荒廃し撤去された。
 火薬塔 Pulver Trum (13c) 高さ28cの見張り円塔で入口は階段の上にあり、
    17c土堤が崩されて雄牛が放牧され、雄牛塔と呼ばれ後に火薬が置かれた。

4.見所 B

   町はベルリンの北東10kmにある丘の上の半円形の小さな町で、30年戦争で壊され
   たがユグノー教徒を受け入れて産業を興し郡庁となって栄えた。木組みの家は1980年
   代に多くが建て替えられた。
 市庁舎 Rathaus (1805) 5番目の市庁舎として簡素な2階建古典的様式で建て
   られた。地方政府や裁判所としても使われた。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (1519) 初めのロマネスクに教会は野石造ゴシックに変
   えられ、4身廊の煉瓦造ハレン教会になった。今の建物は54.5×30mの大教会で、双塔
   は1846に高さ57.4mに置き換えられた。中には14cノマリア祭壇画が有名である。
 聖心教会 Herz Jesu Kirche (1907-08) ゴシック煉瓦造カトリック教会で、中には珍
   しい絵画がある。
 旧帝国郵便局 Altes Keiserliches Postamt(1904-06)電報・電話のある1等
   郵便局として建てられた。2階建ての角塔のあるコンクリート造の建物で、1993-94に改造
   されたが、数年後には使われなくなった。
 裁判所 Amtsgericht(1903)1809-1903hは裁判所は市庁舎にあり常に狭くて
   問題となり、ネオゴシック煉瓦造破風付2階建ての建物で、王室地区裁判所と相対した。
   それで市政と地方裁判所との長年の紛争は解決した。2003裁判所を拡張した。
 旧学校 Alte Schule (1879)新しい学校建築による3階建ての建物で、小学校
   となり、1945-46ソ連軍の病院、1946高校と小学校、1980特殊学校となった。
 鷲薬局 Adler Apotheke (1755) 1698がら特権を持つ薬局を1722に買収して、
   薬局と材料貿易を行う建物を建てた。この家族は6代に亘って薬局を経営し、1900
   古くなった建物を新築し、1995には。包括的に復元した。
 歴史的ビール醸造所 Brau Keller (13c) 貯蓄銀行の建設時に、13cの民家の地
   下醸造所が発見され、新しい建物の中に埋め込まれた。13cには360の民家の内146
   の民家でビールが醸造されていた。そのビールは暗褐色の辛口で強く有名となった。
 市民の家 Buerger Haus (18c) 職人の家で1930にはチョコレート工場とコーヒー会社が
   あった。前面はアールヌーボーで中庭側は古い木組となっている。1997に復元され今は
   ギャラリィ・ベルナウと町の観光案内所になっている。
 木組みの家 Fachwerk Haus (16-18c) 20cの初めには、多くの木組の家もあり
   ブランデンブルクのローテンブルクと言われ、今も多くの木組の家が残る。
   in Brauer Str. (17c) ビール醸造や貴重な大麦汁の貯蔵に使われた、美しい木組
      のアーチ天井のワインセラーである。
   in der Breiten Str.(18c) 通り抜けの家で、中には厩屋や作業所があり、表の建
      物は木組みの複合住宅と商店である。
   in der Kirche Gasse (18c) 元は純粋な木製トラス構造の家で、1781オルガニストの職務
      室と助祭の住居であり、1883に拡大し説教師の職務室ともなった。1999個人
      の所有となり愛情を持って復元された。
   Henker haus (1650) 市壁を壁として2つの木組みの家が建てられ、19cまで死刑
      執行人が居住した。19cに拡張して長屋となり、1976解体の危機に在ったが
      郷土博物館の一部となって残り、1992-97に抜本的に再建された。
   kantor haus (1582-83) 現存最古の木組みの住宅棟は2つの小屋から成り何世紀
      も聖歌隊指揮者やオルガン奏者が住み、1981-83家は高価に復元された。
   Katzenellen Bogen (17-18c) 殆ど市壁につながるように木組みの家がある。古
      典的なヴィルムヘルム方式とアールヌーボの前面が特徴である。
 聖ゲオルグ病院 St.Georgen Hospital (1328) 町の綿布屋のギルトが建て、1432
   フス軍に壊された後15cに礼拝堂が再建され、1738病院が建てられ、1809大規模な切
   妻壁が付けられた。2002-05に包括的に改修された。
 ラテン語学校 Latein schule Haus (16c) 市内最古の校舎であり、0.65-0.90の
   壁のある大きな建物で、1990-96改修された。
 郷土博物館 heimat Museum
   Henker haus 1976から博物館の一部の展示。
   Stein tor 上段通路、武器庫、職人の生活と生産、監獄を展示。
   StadtArchiv 市立図書館と博物館の管理。
 ウルフ・カーレン美術館 Wolf Kahlen Museum インター・メディアアート美術館。芸術の遺跡。

5.写真

聖マリア教会 火薬塔
石門 南東壁
南東壁 北壁
東壁

5.町の略図

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

ダーメ Dahme /Mark BR3

1.歴史

 1186 城区の中心地として初言及、マグデブルク大司教ビッヒマンは町を取得した、
 1150-1300 ベルリンの南にフラマン族が移住して、村や町を設立した、
 1265 町としての証書に鉄の壁と言及、 1638 プラハ和平で町はザクセン選帝侯に帰属、
 1456 王室所有地となり帝国裁判所設置、1486 フリードリッヒは辺境伯となった、
 1815 ウイーン会議でプロイセンの支配下になり、ブランデンブルク州に含まれた。

2.市壁  3.31km 0.73

  1265旧市街は湿原鉄と野石で築かれた市壁で囲まれ、それは鉄壁といわれた。
   北垣根の市壁は、2004-05に建て直された。

3.塔  0門1塔

 鳥門 Vogel Turm (13c) 西側の2塔の内で北の塔が残され、1563の大火災で
   大きく破損し、1892再建された。瀕死の石工を鳥が門塔の石を集めて助けたとの故
   事からこの名前が付けられた。

4.見所 C

  湿原鉄の鉄市壁も含め市壁は良く残っている。おとぎの城のような高塔のある煉
  瓦造の市庁舎は美しく、木組みの家屋も多く残り、KornSpeicherは大きな4階建ての
  倉庫で、昔のままに残っている。
 市庁舎 Rathaus (1893) ネオルネッサンスの装飾過多の切妻のある煉瓦造2階建ての建
   物で、高さ47mで119段の階段・時計・鐘楼のある円塔に特徴がある。
 宮殿跡 Schloss Ruine (12c) 水城の跡で、領主の中世の城を、1711-14中央
   に突起のあるバロックの宮殿に変換され、その後2つの翼が付けられた。1957廃墟とな
   って放棄され、1994-2008ドイツ記念物保護連合を通して補修され、今は結構式や催
   物に使われている。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (13c) 1666に何回かの火事で焼け、1670から
   バロックで再建された。1678オルガンを付けた。
 修道院教会 Kloster Kirche (1300) カルメル会の旧修道院は1732に老人ホームとな
   った。1923火災の後に教会となった。1999-2000外装は修復され、2011から展覧会
   や催物会場である。
 ヴィクトリア教団 Viktoria Stift (1894-1909)ヴィクトリア会は未亡人と孤児のため
   の2つの破風付2階建ての建物を建てた。
 侯爵穀物倉 Herzogliches Kornhaus (1724)木骨造3階建て巨大な建物で、
   農民の税の穀物を収容した。1813仏軍は捕虜3千人をここに収容した。
 町郷土博物館 Dahme Heimat Museum (1760) 木造の建物に1905に開設され、
   1978市博物館として、町の歴史を展示している。18c田舎の生活を習慣を含めて衣
   装・家具・工芸品を含めて展示している。
 マリア邸宅 Villa Maria (1900) 町で唯一のユーゲンスティールの建物。

5.写真

市庁舎 宮殿跡
侯爵穀物倉 鳥塔
北西壁 北壁
東壁 南壁

5.町の略図

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

1.フュルステンヴァルデ Fuerstenwalde BR4

ブランデンブルク州 <BR> 人口30千人

1.歴史

 1225 東方拡張の一環として、スプレー川舟運の終点に積替と倉庫の町を設立、
 1348 ルードヴィッヒ・フュルステンヴァルデは町を征服して、古い特権を確認した、
 1385 皇帝の承認を得て、ブランデンブルク大聖堂都市となり司教が200年間支配、
 1446 フス派の放火の後 市庁舎・大聖堂の再建、 1557 宗教改革の導入、
 1613.1625.1656 ペストで大学転入、1624 市庁舎の監視塔追加と要塞の更新、
 1668 運河の開通で積替は不要に、1837 シュプレーミューレンの建設で荷動が増えた、
 19c 産業の立地で工業都市となった、1945 2次大戦で市街地は大被害。

2.市壁  120m 0.09

  15cの市壁は、1624に更新され荒石積の市壁は高さ4mとなった。市壁が残っ
 ているのは西と南西である。

3.塔  0門1塔

  市門は19cまでに取り壊された。北西部に防衛塔が唯一残る。
 青塔 Brau turm(15c)3階建レンガ造の円塔で、頭頂部には胸壁と円錐
    尖塔がある。

4.見所  C

  旧市街地には17-18cの織工が住んだバロックの狭い木骨造の家が残る。
 旧市庁舎 Altes Rathaus(1500) 2階建レンガ造ゴシックの市庁舎に、
    1624に高い各塔が追加された。1945に破壊されたが再建され、今は
    醸造博物館を収容している。
 聖マーチン大聖堂 Ev.Dom St.Martin (1446-75) レプス旧教区の主教会と
    して大聖堂は建てられ、1945崩壊し1995に新しく後期ゴシックのレンガ造
    の聖堂が建てられ、後にバロックの塔が加えられた。
    内部には、1517の高さ12.5mの後期ゴシックの聖秘跡が収められている。
 福音ルーテル教会 Ev.Lutherische Kirche (1883) 塔のないネオゴシックの
    レンガ造の建物で、牧師館と一体で建てられた。二次大戦を生き延びた
    唯一の教会である。
 司教宮殿 Bischofs Schloss (14c) 司教の宮殿としてレプス司教が
    が建て、16cの火事の後に城のような部分のみ残され、司教城とも呼ば
    れた。
 狩猟宮殿 Jagdschloss (1700) フリードリッヒ3世は簡素なバロックの宮殿を
    建てた。1750フリードリッヒ2世は、軍用穀倉に改造し、1993からは城の倉庫
    となった。
 旧醸造所 Ehem.Brauerei (1777) ルードヴィッヒモート家が2階建の醸造所と
    して建て、木造の中庭は注目に値する。子孫が博物館とビアガーデンレストラン
    を経営している。1891.1905の補修・改造で今の姿になった。
 市博物館 Stadt Museum 古代からの寝具の歴史と欧州最大の寝具コレクション。
    ドーム広場と町の歴史の展示。

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る④門塔]

ユーターボク Jueterbog BR5

1.歴史

 1007 メルセブルク司教の文書に初言及、   1174 マグデブルク法の憲章を授与、
 1200-1300 聖母教会と3門の市壁建設、 14cブランデンブルク州で2番目の都市権授与、
 1478 大火災後マグデブルク大司教が再建、 1540 宗教改革の導入、
 1626 バーレンスタイン将軍が町に滞在、    1635 ザクセンに属した、
 1756 プロイセン皇帝フリードリッヒ2世の7年戦争、 1815 プロイセンに帰属、
 1832 駐屯都市となった。        1945 空爆で被災、赤軍の占領。

2.市壁  0.45m 0.22

   1300頃から造られ1335には言及された。市壁は高さ6mで3門と2つのツインガーを
  持った。1478大火災で損傷し1487に修復完了。30年戦争で跳ね橋が落ち、1678
  火事で市壁の一部が壊れたが、物品税のために再建された。1813ロシアの攻撃を防
  衛した。1819物品税が廃止されて堀や市壁は平らにされ初め、1826騒動で一部
  は壊された。1839から1906に大部分が除かれた。
   残っているのは、北西50m、北50m+190m、南西160m、合計450m。

3.塔  3門6塔

 チィナー門 Zinnaer Tor (1300) 北、内側門は正方形塔と円型塔の両方が残っ
   ている。円塔は下部を石で1480-90にレンガで上部が建てられた。四角塔は
   後期ゴシックでアーチは交通障害で1886に取り壊され1889に高くして再建された。
   門衛の家は1928に取り壊された。前門とツインガーは現存しない
 新市場門 Neu Markt Tor (1300) 東、円型塔のみが残っている。1300に北門と
   共に造られ、1480-90に拡大され1901に再建された。正方形の塔は交通障
   害でアーチが1839に取り壊され、1909に撤去された。15cの前門はまだ残り、
   1984から交通はこの門を迂回している。門衛室やツインガーは残っていない。
 堤防門 Damm Tor (1300) 古くはFrauenTorと呼ばれた。他の門と同様に外門
   ・ツインガー・内門を備えていたが、その断片しか残っていない。内側門の円塔
   は高さ32.3m直径7.35mで、基礎石の上にレンガ積となっており、塔は刑務所と
   武器弾薬庫で使われた。内アーチは1851に撤去された。
 6壁塔  Hinter der Mauer1 南西角塔、赤い四角錐屋根の角塔に小屋が付いている。
    Pulver Turm 南、大きなアーチ門にもう1階乗っている角塔。
    Pulver Turm 南、4階建ての角塔。
    EierTurm 南東、復元された防衛塔の一つ、卵型平面の塔。
    Schliefen Turm 西、円塔で入口は元に市壁の高さにある。
    Wurst Hof 北、1480建、市壁の上に家の屋根が付いている。

4.見所  C

   千年の歴史のある古い町で、数多くの塔・3市門・教会が立ち並ぶ。フランシスコ会・
  シトー会・シトー修道女の3修道院には、壁画・祭壇などの見所がある。
 市庁舎 Rathaus(1480)マルクトの南中に立ち、屋根に塔が付けれれ1480-90にその
   塔に鐘が付けられた。1510まで拡張と改造が繰り返された。1801尖塔が壊れ
   除去された。1813傷病軍人の病院となり、1816に市庁舎と裁判所が収容され
   た。1849-50大改造で、上階は事務室としてバロックの階段は除去された。1945か
   ら改修が行われ、1992東切妻・1993西切妻が復元された。39×16.5m煉瓦造切妻。
 聖ニコライ教会 St.Nikolai Kirche (1221) 71×23m ゴシック3身廊の教会で、西面に
   大きな塔頂の異なる5階建ての双塔複合体がある。14c身廊は1径間拡張、15c
   南側を建増し、1617北塔の帽子完成。改修は1834-77、1934-36、1974屋根、
   1986内装、に行われた。
 聖母教会 LiebFrauen Kirche (1161) マグデブルク大司教が3身廊煉瓦造バジリカ
   を設立した。1179損傷し1183には献堂され1225女子修道院の2祭壇の後陣を
   増築した。1282シトー派女子修道院「聖十字架」を聖母教会の中に包含した。
   1557修道院の解散後、新教の教会になった。鐘楼は1537木造で更新された。
   1890-91に大規模でステンドグラス窓が付けられた。1936-38復旧と木製天井の絵画
   2000-05外装の改修。1710バロック祭壇に、1418のオルガンは1737バロックオルガン置換た。
 僧侶教会 Moenchen Kirche (15c) ブランデンブルク大司教の許しでフランシスコ会は煉瓦
   造3身廊の修道院を建てた。まず後陣が建てられ,1484祭壇の寄付,1490-1500
   本堂の完成。1534新教の教会となる。修道院は1560に解散された。1711バロック
   の祭壇が置かれ、1812-13軍の倉庫となり内部は損傷したが、1822には
   回復した。1914市の所有となり、1920まで礼拝が行われた。1970建物が危険
   となり倉庫とされた。1980から建物は復元され、図書館・劇場・演奏会に使用。
 ヘドヴィック教会 Hedwigs Kirche (1893) ヘドヴィックが守護聖人シレジアを祀った
   カトリック教会を設立し、1863から礼拝堂は在ったが教会を建てた。1955礼拝堂
   と教会が構造的に一体化され、1980改装されて今の姿になった。
 修道院長館 Abts Hof (1480) 後期ゴシックの煉瓦層の建物は、その後町の邸宅
   として使われ、僧院博物館が開設されるまでは。地域博物館として、町
   や地域の歴Sの展示が収容されていた。
 僧院博物館 Museum in Moenchen Kloster (1500-30) 旧サンフランシコ会修道院の
   東翼に修道院と町の歴史と文化を展示し、修道院の保存エリアを見られる。

5.写真

市庁舎 ダム門
ダム前門 見張塔・西壁
火薬塔 卵塔
新市場塔 チィナー門

5.町の略図

[戻る④門塔]

ミュンヒベルク Muecheberg  BR6

1.歴史

 1225 ヴィロッツワクのシトー派修道士は修道院を設立、1272 王ヘンリーの文書に初言及、
 1233 教王の寄付文書で言及、       1245 ポルスラフ侯爵の市場権を授与、
 1319 2門と高さ7mの市壁を建設開始、    14-15c 重要な市場町の地を確立、
 1348-62 二つの税関が設けられた、     1432 フス派は門・教会などを破壊、
 1472-1639 貴族プフェエルは町を所有、     17c30年戦争・疫病・火災で人工1/3、
 17c アルンスタインの絶滅後ブランデンブルク選帝侯が所有、1688 ブランデンブルク軍の駐屯地に、
 17c後半 町は回復し郵便の主要駅へ、    1699 仏移住者が40世帯転入、
 1787 火事で町の2/3焼失後、フリードリッヒ・ウイリアム2世が1803に単一の都市計画で再構築、
 1945 2次大戦で旧市街地は殆ど破壊。

2.市壁  1.48km 0.84

   14cの市壁は、まだ高さ7mのままで、南東部を除いて約8割が残っている。

3.塔  2門0塔

   各門は、跳ね橋と前門を備え、市壁と堀を巡らせたシステムで町を守った。
 ベルリン門 Berliner Tor (1319) 初期に火薬庫と刑務所として使われたため
   火薬塔とも呼ばれた。地下室の壁厚は1.8mある。20cには車道と歩道の
   アーチ門が付けられた。
 クストリアー門 Kustrier Tor (14c) 塔頂にコウノトリの巣があり、コウノトリ門とも呼ば
   れた。円塔型で石の基礎に上にレンガの円塔が立ち、円錐屋根を付けている。
   防御塔と刑務所として使われた。

4.見所  D

   町は市壁で囲まれているが、二次大戦の戦災で見るべき建物は少ない。
 市庁舎 Rathaus (1692) 1641の火災後に1692市庁舎は再建された。二次大
   戦の後に、2階建L字型の建物が建てられた。
 聖マリア市教区教会 StadtPfarrKirche St.Marien (13c) 中世からのゴシックの
   建物で、二次大戦で塔も壊され、1992ささやかな回復を行い、1997再建
   された。50mの西塔の展望台からの眺めは素晴らしい。
 ジャンスフェルド宮殿 Schloss Jahnsfelde (15c) 貴族プスエルは1449-1945にここ
   に住んだ。建物は2階建木組石膏塗りで、部分的には1680丸天井の部屋
   もある。1831新古典の砂岩の学校は、入り口部分がやや中央突出ている。
 ジャンスフェルド宮殿教会 Schlosskirche Jahnsfelde (13c) 中世の中核となる
   建物で、西塔のある長方形の石造建築である。1999-92総合的な修復、
   窓の改造西側門の設置が行われた。

5.写真

市教会 聖マリア教会

5.町の略図

[戻る②壁長]

ノイルッピン Neuruppin BR7

1.歴史

 1215 アルバート・ベアはアルトルッピンに城を構築、 1238 アルトルッピンとして文書初言及、
 1246 アルンスタインはドミニコ会修道院を設立、  1256 アルンスタインはシュタンデール都市法を授与、
 13c 町の防御は柵と外堀によって行われた、14c 市壁・24Wiekhauser・2高塔で強化、
 1524 アルンスタインの絶滅後ブランデンブルク選帝侯が所有、1688 ブランデンブルク軍の駐屯地に、
 1787 火事で町の2/3焼失後、フリードリッヒ・ウイリアム2世が1803に単一の都市計画で再構築、
 1945 2次大戦は殆ど無傷で赤軍が10年間駐留した。

2.市壁  2.12km 0.62

   12c木柵、13c防備された市壁、15c中世市壁の完成。中世の町は約2.0×0.7km
   の長方形で、東南にルッピン湖に接している。

3.塔  0門0塔

   北・東・南に3門あったが、今は残っていない。

4.見所  C

   小説家テオドール・ホンターネの出生地で生家がある。1787の大火の後に煉瓦造の建物が
  計画的に建てられた。2次大戦を生き延び1990から歴史的建物の改修を行っている。
 教区教会 Pfarr Kirche (1801-06) 以前の教会は1787の火災で焼け、取り壊して
   新築され1806に奉献された。建物の構造問題で1991-2002に大改修が行われ、
   今は文化センターとして、1787の火災の説明・会議場・祝祭場・演奏会等に使用。
 聖三位一体修道院教会 KlosterKirche St.Trinitaetis (1246) ドミニコ会修道院
   ルッピンの教会であり、他の部分は存在しない。19cに教会の再建が行われ、
   塔も1900-07に建てられ、登ると湖が見渡せる。教会は礼拝が行われている。
 古い学校 Altes Gimnssium (1790) 旧市街の中心的な建物で、古いグラマースクール
   はバロックの宮殿の複合体の間取りを持ち、ネオゴシックの外観を持つ。古い体育
   館は地域の知識センターとして使用されている。
 フォンターネの生家 Fontane Haus (18c) 科学者テオドール・フォターネは、1819にここで生まれ
   た。両親はベルリンから来て薬局を購入し2階に住んだ。1826父が賭けで負け
   薬局は売却され、家族は近くのアパートに移った。今も生家は3階建ての薬局。
 説教者未亡人の家 Prediger Witwen Haus (1735) この町で死亡した聖職者の
   夫人や子供の家で、家族の生計のために設けられた。復元された3階建て
   の木組みの家である。
 市博物館 Museum Neuruppin (1790) 市長の邸宅として建てられ、新古典主義
   2階建ての建物に市博物館が置かれ、先史と初期の歴史・町の歴史・フレデリック
   2世・シンケル・フォンターネ・漫画新聞・19cの芸術家・アートとクラシック等を展示。

5.写真

フォンタネハウス 教区教会
北壁 北東壁
南西壁 南東壁

5.町の略図

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

プレンツラウ Prenzlau BR8

1.歴史

 1187 最初の文書言及、        1234 ポメラニア侯爵は都市権を授与、
 1250 ブランデンブルク選帝侯はライデン条約で全ウッカーマルクを与えられ、壁・柵・堀を建設、
 1287 町は防護権を得て、高さ8-9mの石造市壁を2.6km築いた、
 1426 最終的にヴィッテンブルク領へ、     1465 町はウッカーマルクの首都になった、
 1495-96 ローラント像がマルクトに建てられた、  1539 宗教改革の導入、
 1618-48 30年戦争の略奪・破壊で人口14%に,1867 駐屯地の町となった、
 1687 仏ユグノー教徒が移住、        1724 新庁舎一年遅れ警察署建設、
 1806 ナポレオン軍にプロイセン兵は降伏、    1945 第2次大戦で町の85%破壊。

2.市壁  1.77km 0.58

  13cの市壁は広範囲に野石の上にレンガで改装されている、

3.塔  4門3塔

 石門 Stein Tor 南、SchwedterTorとも展望台ともよばれる。
 黒鷲 Blindower Tor 北東、
 中門 Mittel Tor 西、
 水小門 Wasser Pforte 西南、
 魔女塔 Hexen Turm 東北、
 火薬塔 Pulver Turm 東、
 壁間小屋 WiekHaeuser。

4.見所  C

   下ウッカー湖の北に、縦長の市壁で囲まれた町が有り、2次大戦では大部分が
  破壊されて、主要な建物は復元されている。
 聖ザビーネ教会 St.Sabinen Kiche (1250) 町で最古の教会で1291から
   ベネディクト会修道院が含まれた。1543教会は改修され、修道院は世俗化され
   1861町の財産となり修道院は完全に消えた。
 旧聖ニコライ教会 Ehem.St.Nikolai Kirche (13c) 町で最古の教区教会で
   入植地の教会であった。30人戦争の宗教的理由で1626に放置された、後に
   砂漠の教会と言われ、西翼の門塔のみが残る。
 聖ヤコブ教会 St.Jakobi Kirche (13c) 農業入植地に2番目に古い教会
   として建てられた。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (1235) 広い西塔を持つ3身廊のホール教会
   として始まり、1289-1340ゴシック煉瓦造の中央教会を建て教会本部となった。
   14-15c礼拝堂が拡張され、16cから北塔68m、18cから南塔64mが付けられた。
   1945-70に改修された。
 旧フランシスコ会修道院 Ehem.Franzikaner Kloster (13c) 修道院は1240-50
   と1536-50に世俗化され、1735に取り壊された。教会は13cに建設を開始し、
   14cに円天井が付けられた。1774荒廃のために販売された。
 旧ドミイニコ会修道院 Ehem.Dominikaner Kloster (1275) 初めに教会の建
   設が始まり、1343に献堂された。1544世俗化後に、貧しい人のための病院と
   して町に引き渡された。1577ニコライ教会が教区教会となり、旧修道院は大部分が
   保存されて、2000文化センター・文化史博物館・図書館・公文書館・美術館になった。
 聖マリアマグダレナ教会 St.MariaMagdarena Kirche (1892) ナオゴシックのカトリック教
   会で、1945に戦災で破壊され1954に再建された。
 聖霊礼拝堂 Heiligegeist Kapelle (1320) 門の前にある病院の礼拝堂と
   して建てられ、17cに住居用に改造された2階建ての建物で、その後礼拝には使
   用されていない。
 旧ニコライ教会 Ehem.NIkolei Kirche 旧兵舎と住宅に囲まれて、中庭の中央
   に旧ニコライ教会が再建された。

5.写真

市庁舎・石門 ブリンドウア門
門塔・聖マグダナのマリア教会 北壁東
北壁西 南壁
聖マリア教会

5.町の略図

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

テムプリン Templin BR9

1.歴史

 1270 ブランデンブルク司教・アスカニアン侯爵の文書に初言及、1287 オットー4世村から文書、
 1314 初めて町と呼ばれた、      1317 テンプリン条約でブランデンブルクは失権、
 1397 広域強盗に対抗し都市連合に加入、1479 プランサラウの和平で町はブランデンブルクへ、
 1539 宗教改革の導入、        1574 町で深さ2mの洪水被害、
 1618 大火災で町は殆ど焼失、     1626 ペスト流行、1627 30年戦争の略奪、
 1643 30年戦争で413家族→30家族に、  1735 最後の大火災、1817 郡庁所在地、
 1944 空爆で町の66%が破壊。

2.市壁  1.64km 0.94

   古い木柵から1300の市壁は高さ7m延長1.7kmの石積とし、死角を無くすために
   楕円形とし、20-30m間隔に54のWiekhaeuserを築いた。市壁は氷河の石を集めて
   構築材料とした。 1990から市壁は修復されている。

3.塔  3門2塔

   1300の市壁には3門があり、その他の門は後の時代に設けられた。15c前門側
   にツインガー壁が延ばされた。1866夜間閉門が無くなり、1960交通障害で市壁が開け
   られた。2010の改修後に、門と前門との間はそれぞれ市博物館が収容された。
 ベルリン門 Berliner Tor (1300) ゴシック煉瓦造4階建ての門塔で一部石積も見
   られる。4階には自然博物館が入り、遺跡・自然保護区・生物保護区・湖の美しい
   環境や貴重な生息地が展示されている。
 プレンズラウアーベルク門 Prenzlauerberg Tor (1300) ゴシック煉瓦造切妻付大アーチ
   で前面の模様は美しい。前門とツインガーと塔の両側には歩道が在る。1953から
   ウオッカーメルク民俗博物館が設立され、農業の発展についての展示がある。
 粉挽門 Muehlen Tor (1300) ゴシック煉瓦造3階建て帯状の棕櫚の葉の飾りを
   付けた切妻に小塔が8本立った塔で、北側の市壁は道路で切れている。
 火薬塔 Pulver Turm (15c) 火薬の貯蔵のためにWiekhaeusは拡張強化され
   て円錐屋根の円塔である。
 梟塔 Eeulen Turm (1300) 野石で造られた円塔で監獄として使われ、民間
   ではHunngerTurumとも呼ばれた。高さ6mに戸があり、絵画が飾られている。

4.見所  C

  楕円形の小さな町で、高さ7mで3門と多くのWiekhausのある市壁が保存されて
  いる。3門が前門とツインガーを含め良く保存され、それぞれ博物館になっている。
 市庁舎 Rathaus (14c) 古いワインセラーから古い市庁舎が在った事が分かる。
   1735の火事でか焼かれ、1746-48にバロックで再建され、精巧な漆喰の前面の3階
   建ての大規模な建物になった。1855巡回裁判所で時々使われ、1944空爆で左
   半分が破壊され、1963-66<元の姿に復元された。1998近代化と修復、2007内装
   改修され、今は登記所・高齢者センター・地下に観光案内所を収容。
 マグダナのマリア教会 MariaMagdalenen Kirche (14c) この場所に在った最古
   の教会は1492の火事で焼かれ、その後再建された。現在の建物は中世の古い基
   盤の上に建てられ、1735火事で塔上部と聖具保管室が焼失し、1749までかかっ
   て元のゴシック身廊を残して再び聖別された。1994のオルガンで定期演奏会を開催。
 聖ゲオルグ礼拝堂 St.Georgen Kapelle (14c) ベルリン門の近くの最古の基礎
   上にゴシック煉瓦造の小礼拝堂で、竜との戦いを描いた大きな木彫がある。15c建
   てられた病院の建物はまだ残っている。1735の大火も奇跡的に免れた。
 マールトロック Mahltrog 後期青銅時代BC2000-800年の歴史的な石であり。
   その石は穀物の手加工に使われた。
 関税の家 Akzise Haus (1768) 旧塔書記の小屋で、19cに通行税が廃止さ
   れた後に、住宅として1990まで使われ、1994観光案内所となり、今は工芸品
   として提供。
 町歴史博物館 Museum fuer Stadt Geschichte Templin 町の歴史的と
   文化的な展示。
 梟塔画廊 Galerie am EulenTurm 梟塔に絵画芸術の展示。
 ベルリン門生活部屋 LebensRaeume in BerlinerTor 生活の部屋の展示。
 多文化会館 MultiKulturelles Centrum プレンツラウアー門の前に展示。

5.写真

市庁舎 ベルリン門
マールトロク アクティーゼ・ハウス
火薬塔 プレンズラウ門
南壁 東壁
東壁

5.町の略図

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

ヴィットストック Wittstock BR10

1.歴史

946 スラブの入植地として成立し、教区ハーベルベルクの教区証書に初言及、
 1248 司教ハインリッヒ1世はステンダラー都市権授与、1271-1548 スラブ砦の上に城を建立、
 1410 地震、1495大火災、町の大部分を破壊、1523 最初の町の規則を公布、
 1548 最後の城の司教の死亡、 1550 宗教改革後もハーベルベルク司教の支配継続、
 1636 30年戦争の戦場となった、     1638 ペストの流行で人口半減、
 1716 大火災で町の1/3を再度失う、    1812 ナポレオン戦争中に星形要塞設置、
 1945 2次大戦での空爆被害は少ない。

2.市壁  2.435km 0.97 

  1244煉瓦の市壁が修道院の形式で造られた。長さは、北側の小さな台座を除
  いて、市街1999m+建物の壁264m+城172m=2435m、高さ9-11mであった。
  市壁には約50m間隔で矩形または半円形のwiekhausが、ほぼ40あった。国の刑務
  所の診療所を造るため1/3が壊されたが、1990-96に市壁は高さ4-8mで、4か所の
  切れ目を除いて全て復元された。

3.塔 1門2塔

 グレーバー門 Groeper Tor (14c) 旧3門の内唯一残された煉瓦積5階建
   の角塔の市門で東側に道路が付けられた。1503四角錐屋根を上げ、1867まで
   門扉は夜間閉鎖された。
 ダーバー塔 Daber Turm (14c) 煉瓦積4階建ての円塔で円錐屋根がある。
   Daber Bachの庭園内にあり、塔内にはパン焼き窯が展示され、パンが焼ける。
 役所塔 Amts Turm (13c) 昔の司教城のの一部で1271-1548に司教が住
   居として使った。元は5階建ての角塔だったが、後で2階分と屋根が付け足さ
   れ、32mの高さとなった。今は30年戦争の博物館である。

4.見所  B

   復元された新しい煉瓦の市壁で囲まれた町で、煉瓦造の40ものWiekhaus
   が見られる珍しい町である。北門から縦に旧司教城の見所と木組家がある。
 市庁舎 Rathaus (1274) 建物は多くの改造や再建が行われたが、1905-06
   ゴシックリバイバルで再建された。裁判玄関・地下アーチ・北破風は以前の物が使われ、
   それで15cからの痕跡が遡れる。1997-97修復で古い美しさとなり、本会議場
   の絵画を復元・古い太陽時計・玄関のスコッタが見られる。
 旧司教の城 Alte Bischofsburg (1271) 司教がこの町に住居を移し、城
   を拡大した。1995-98に全体を復元再構築された。1957地区博物館が城の塔に
   移され、逐次拡充されて、町と地域の歴史・文化・産業の展示に加え、30年戦
   争博物館として「平和のための7戒」がある。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (13c) ゴシック3身廊煉瓦造ホール教会で、塔と
   身廊は13cの物で、1704に高さ68mの高塔にバロックの天蓋が付けられた。中には
   1558祭壇・バロックの木製洗礼盤・マドンナ彫像がある。
 聖霊教会 Heilig-Geist Kirche (1300) 2身廊煉瓦造の建物で、中世の
   商人や旅行者の礼拝のために使われた。1549旧フランシスコ会修道士が初めて新旧
   両方の礼拝を可能とした。1716火災で損傷し1730の復元され、塔は今の姿に
   なった。1996大改修の後に精霊教会になった。
 新教教区会館 Ev.Gemeinde Haus (1581) 1711にそれまでの建物が老朽
   化し、1720新しい教区事務所を建てた。1785には農場の作業や商業のために
   1839監督者事務所に、1996に集会所としても使われた。
 繊維工場 Tuch Fabrik (1324) 何世紀にもわたって町の呉服屋であり、
   ウールが提供された。1845には服地の会社がここに設立され、1749第2織物工場が
   近くのRosenwinkl通りに建てた。1870-1905工場は市外に移転された。
 ローターの家 Rothersches Haus (1726) 大火災の後に再建され、1848所有者
   ハーマン・ローターは拡張して2階建て石造のファッション・ビルを建てた。
 最後の切妻家 Letztes Giebel Haus (17c) 古い切妻のある木組みの家は
   300年間の町の火災を生き延びた。
 テルショウの家 Telschowsches Haus (1566) 代表的な木柱式の古い事務所で、
   1681最初の郵便局になった。
 鷲薬局 Adjer Apotheke (16c) 町で最初の薬局で、1570からは今の場所に
   在り1598薬局特権が確認された。1716火災で破損後に買収された。
 スエーデン岩 Schweden Stein (1636) 30年戦争のウイットストックの戦いの勝者であ
   るヨハン・バーナーを記念して、大きな石の前で感謝の行事が行われている。

5.写真

市庁舎 グレッパー門
役所塔 市民通小門
東北壁 東南壁
西壁 南壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

バーデンヴュルテンブルク州 BW

アーハ Aach im Hegau BW1

1.歴史

 1100 初文書言及、         1283 王ルドルフ1世は町の憲章を授与、
 1465 ハプスブルク家はネレンブルク全体を獲得、 1499 シュバーベン戦争でスイスと戦った、
 1525 農民戦争でヘガウの貴族は敗北、   1799 ナポレオン戦争で敗北、
 1805 町はヴュルテンブルク州に帰属、     1806 バーデン大公国になった、
 1973 地区改革でコンスタンツ地区となった。

2.市壁  0.70km 0.97

   旧市街は小山の上に在り、市壁が周囲を廻り、多くが残されている。

3.塔  0門0塔

 下門 Unteres Tor (1150) 市壁の南端にあり、3階建角塔・壁・アーチ門・ツインガー
   ・門衛所から構成され、一時刑務所として使われた。門衛所には門衛
   が住んだ。1525農民戦争で壊され、1559市議会決議で市長が門の鍵
   を持った1668-78改築され、1987街路が舗装された。
 上門 Oberes Tor (12c) ツインガーの成立で西壁の前に深井戸が在った。1494
   ユダヤ人学校を収容した。射撃小屋のあるツイガー・市民防衛隊の練兵場。
   1945爆弾で被害を被った。

4.見所  D

   山頂の旧市街は、人は住んでいるが静かに古い建物が並んでいる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1306) 市議会が設置され最古の紋章が定められた。
   1461評議会室で裁判の実施。1457市長の最初の言及。1488ハプスブルク家
   の皇帝フリードリヒ3世が滞在。1559皇帝フェルナンド1世は全権を有する都市憲
   章を授与。1750ハプスブルクの女帝マリア・テレジアは町の権限を確認した。1924
   新市庁舎を建設。1945一部は住家で使われた。
 礼拝堂付牧師館 Kaplanei (1581) 町には二つの十字架・聖キャサリン礼拝所があり、
   それぞれに祭壇とPruendeを持っていた。ボイアロン修道院から取得した
   クリンゲンベルクのグート1750がある。1868建物を取り壊して今の牧師館を建
   て、高位聖職者の家と呼ばれた。
 始めの校舎 Erster Schulhaus (1543) 不動産管理の校舎と先生の住居。1700
   町の代官は不規則な就学に苦言。1763最初の実績のある先生が来た。
   1902-03四角い校舎が新築された。1972まで幼稚園。
 ブドウ圧縮機 Torkel (1458) 15cワインガーデンの言及。1542販売文書にブドウ圧縮
   機の記載が証明された。1787の記録ではブドウ絞り器は醸造所の鴨井の上
   にあった。1884町の大火でブドウ絞り器は醸造所と共に焼失した。
 ポンプ室 Burnnen Haus (17c) 1756までは桶とか盥による水の供給であった。
   1756泉から上泉水小屋まで249mの堤防を築いた。1924自治体水道の試
   運転により上泉水小屋の退役。

5.写真

 
旧市庁舎 上門
下門 南東壁
古い塔掲示板

戻る

5.町の略図

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

ディールスベルク Dilsberg BW2

  Neckergemundの市内の町

1.歴史

   988 オットー3世はヴォルムス教区の森を所有、 11c ラウフェンの伯爵が代官として城構築、
 12c ネッカー川の舟運が発展し居住地に、  1156 城の古い部分を強い壁で固めた、
 1206 ディールスベルク城の完成、1219 領主はデュルンへ、 1310-40 プファルツ選帝侯へ、
 1347 選帝侯ルプレヒト1世は町を設け市壁を築く、 1360 城の拡張と近代化、
 1401 プファルツの複事務所として機能、     1412 市長と議会のある町を保証、
 17c 30年戦争と仏革命軍に城は生き残る、 17c 仏軍は拘置所として使った、
 1822 石材が取られ城の解体が始まる、  1895 城の部分的回復、
 1914-45 4千人以上の住民を収容、  1945 仏軍の占領、市街地は南西に拡大、
 1967 歴史的な建物と街並の再生。

2.市壁  0.73km 1.00

    城の六角形の階段を上がると高さ16mの高い城壁が東部と南部に残る。全
   長230m。市壁は全長730mが残されている。

3.塔  1門1塔

   町の市門は当初からの1門か残っている。城には高い天守閣が聳えている。
 市門 Stadt Tor (14c) 町への唯一の入口の角塔。上屋部分は木造四角錐
   屋根である。
 天守閣 BurgFried (14c) やや傾いた形の六角の高塔。

4.見所  D

    山頂の城を囲む旧市街地を市壁が完全に囲んである。市壁内の旧市街地
   は美しく再生されている。城からのネッカー川畔の眺めは素晴らしい。
 ディルスブルク城 Dilsburg Burg (1209) 1360拡張と近代化。厩舎・果物店・司令
   官の家・中庭のアーチ天井・トンネル地下道等が在る。
 聖バーソロミュー教会 (1380) 背後に円塔が在る。

5.写真

市門 城跡
西壁 教会
上通

戻る

5.町の略図

[戻る③壁率]

ホーヒテンベルク Forchtenberg BW3

1.歴史

 771 Vuelfingenとして初言及、 1042 コツファーガウ侯爵がVuelfingenを支配、
 1210 城と城下の集落と壁の建設、     1234 コンラッド・デューンは城を完成、
 14c Duern侯爵家継続でホーエンローエに移された、  1399 城と町は入質された、
 1438 アルプレヒト1世未亡人は城を居城に、 1500 ホーエンローエは帝国評議会に加入、
 1806 ヴェルテンベルク王国のエーリンゲン地区へ含まれた、
 1770-1816 飢饉があり1852墺に1875米国へ強制移住、1945 空爆で1/3が破壊。

2.市壁  0.61km 0.98

   13cからの市壁は、改修されたり保存されたりして、今も殆ど残されて
   いる。

3.塔  2門2塔

 ヴュルツブルク門 Wuerzburger Tor () 北の門で東側が欠けている切妻
   の3階建の門である。
 泉門 Brunnen Tor (1724-25) 西の門で新しい門とも呼ばれる。北側が
   欠けた3階建の切妻付の門。北外側にも家屋がある。井戸が置かれていて、
   1891に門と門衛詰所は取り壊された。
 市民塔 Buerger Turm () 南西の隅の角塔で4階建の高い殻塔である。
 泥棒塔 Diebs Turm (16c) 北西の角に立つ角塔で、地下室に泥棒や犯
   罪人を拘置してこの名前が付いた。1774大規模な改修が行われ、良く保存
   され、1922ユースホステルとして4年間使われた。1949からは博物館を収容。

4.見所  B

    コッハー川南岸の小さな町である。旧市街地には多数の木組の家があり、
    保存あるいは再構築された市壁・門・塔と市壁上の家屋が、1300と1587を中
    心に建てられ、往時が偲ばれる。北部に元石膏鉱山があった。

 市庁舎 Rathaus (17c) 地階に連続アーチのある3階建の建物。
 市教会 Ev.StadtKirche (1300) 聖ミカエル教会は、デューンの侯爵から贈与
   された。最初の教会には内陣の上にタレットがあった。1648の最古の鐘は屋根の
   タレットに架かっている。1688の現在の塔にはタマネギドームが付いている。教会全
   体は数回改修されてきたが、1934には解体・再構築された。
 ケアンの家 Kern Haus (1470) 1691迄芸術一家ケアンの木組住居であった。
   そのご石工で彫刻家のツーリッショラブが住み、背面には工芸品・農機・家庭品の歴
   史博物館がある。
 旧パン焼き場 Back Haeus (15c) 2階建木組切妻の家で、町の時計塔と
   して、時計を掲げた。
 パン焼き家 Fachwerk Haus (1838) 西側の市壁の外に、1463から古い公
   共井戸があり、1606に時計塔が建てられた。1831時計付の家が建てられ、18
   38火災防止のためパン焼場が建った。補修され時計の家・パン焼き場は現存。
 フォルヒテンベルク城跡 Ruin Forchtenberg (1234) Duern家のコンラートが建て、
   14c初めにはホーエンローエ・ヴァイカースハイムの王宮となり、その後は未亡人や廷史が住
   んだ。長さ92m幅50mのドイツでも大きな城であった。30年戦争ではスエーデンが
   要塞として使い、1655まだ十分の一税の大きなワイン樽が地下室にあり、1680
   に樽の拡大が行われた。城の遺跡は1850に販売され、石採り場として崩され
   た。1937マイスターが取得して保全を図り外壁と地下室が残された。1996中庭に
   展望塔が建てられた、。
 旧石膏鉱山 (1600) 町の地下には石膏鉱床があり、1600頃から採掘が
   が行われた。住宅や市壁が採掘の被害を被ったため、1900年に中断された。
   1933長く深いトンネルを掘って建設資材や肥料を生産したが、1948に終了した。

5.写真

市庁舎 ハウプト通
市民塔・北壁 ヴュルツブルク門
西壁

戻る

5.町の略図

[戻る③壁率]

62.ホーヘントヴァイル ジーゲン  Hohentweil Siegen BW4

バーデンヴュルテンベルク州 <BW> 人口48千人

1.歴史

 987 聖ガレン修道院の文書に初言及、1170-80 領主がホーエンフリーディゲン城を築いた、
 1466 フーラッハ、1518 フリンゲンベルクが町を支配、1530-71 領主ボドマンが一時オーストリアに売却、
 1300 オットー1世が町を取得した、1363 オットー2世は郡をヴュルテンベルク伯へ売却、
 1607 リスコネが領主に、1632 オアーストリアが支配、1655 ジンゲン・ミュールハウゼンが支配した、
 1805 ヴュルテンベルク王国に 1810 バーデン大公国へ、1810 ジンゲンはコンスタンツ地方事務所、
 1944-45 町の中心部は爆撃で大被害。

2.要塞(Festung Hohenweil) 600m 0.19

    ジンゲンの西2kmの標高260mの山に、970修道院の設立、1005修道院の移転、
    914シュバーベン公が城を建設、12-13c騎士の一族が住む、1521ヴュルテンベルクに属す、
    1553ウルリッヒは城を含む要塞を築いた、16c州の要塞へ、1627-34ヴュルテンベルク要塞強
    化、1653.1700.1735に拡張・強化、18c州の刑務所、1800-01仏軍破壊、1821以降
    何回か再建が検討された、1849縮小案で再建、1945仏軍戦車の砲撃、1735時点
    最大の要塞は9.92ha、内上部要塞2.18ha下部要塞は2.12haであった。
     1974-2009に476万ユーロが投入され、年万10万人の観光客が来ている。

3.門塔 0門1塔

   見当たらない。

4.見所 C

町の西2kmにある標高260mの山頂に、大きな中世からの要塞の遺跡がある。
 市庁舎 Rathaus (1960) 新しい古典的なアルミ窓の近代的な建物。会議室には大
    きなフレスコ画「戦争と平和」がある。
 上城 Ober Schloss (1869-1910) マンサード屋根正方形の建物で、エンツベルクによっ
    て建てられた。今は考古学博物館「ヘガウ博物館」となり、地下室には化石・鉱
    物・蝶のコレクションがある。
 聖ピータートパウル教会 St.Peter und Paul Kirche (1778-81) 古い部分が組み込ま
    れたカトリックの教会。
 聖トーマス教会 Alte Kath.St.Thomas Kirche (1863) 古いプロテスタント教会で、今は
    古カトリックの教会。
 ヘーガー塔 Hegau Tower (2008) 再開発された鉄とコンクリートとガラスの近代的な巨大
    な構造物。高さ67.5m:18階建で、床面積は高層639m2低層779m2もある。

5.町の略図

[戻る③壁率]

キルヘベルク Kirchberg a.d.Jagst BW5

1.歴史

1263 キルヒベルク最初のズルツ城を建設、1313ホーエンローエ・クラフト2世にヴュルツブルク封土で渡す、
 1373 皇帝カール4世は町に特権を授与、1384 ホーエンローエ侯爵ウルリッヒは抵当で町を与えた、
 1398 町を帝国都市へ売って強化、       1525 農民の蜂起で城は燃えた、
 1546 皇帝カール5世はシュマルカルデン戦争中に宿泊、  1551 3年間の市場保持権を授与、
 1562 ホーエンローエ伯爵ルードビッヒは町を買戻す、  1590 中世の城はルネッサンスに拡張改修、
 1650 ホーエンローエ伯爵アルブレヒトは王宮に選択、 1675 アルブレヒトの死後ランゲンブルクに戻る、
 1701 侯爵エーベルフェルトは城を相続居住しバロック化、1737侯爵カール・アウグストは宮殿バロック化、
 1767 侯爵カールは町を拡張・施設建築、1806 バイエルンに帰属、1810 ヴュンネンベルク州へ、
 1996 国の修復プログラムで市壁内の復元。

2.市壁 0.540km 1.00

  14cからの丘の上の市壁は1455に完成し、要塞は1489に完成した。

3.塔  1門1塔

 市門 Stadt Tor (1477) バロックの市門は、クリステチャン・フリードリッヒ・カールによって
   建てられた。旧聖具室後の住居は、今はレストランになっている。
 市塔 Stadt Turm (1400) 高さ45mの円塔は監獄となり、17cの鐘がある。

4.見所  C

   ヤクート川沿いの丘の上に、周囲を市壁で囲まれた小さな町があり、ホーエンローエ・
  キルヘンベルクの王宮があった。
 市庁舎 Rathaus (1800) 3階建の大きな建物で、かっては王侯の未亡人の館Witwenban
   として使われた。
 穀物蔵 Kornhaus (1494-96) 大きく高い木組切妻の構築物で、当時の町の所有者であっ
   た帝国都市の穀物倉庫と寝室で構成されている。
 旧ラテン語学校 Latein Schule (1748) バロック3階建の建物で、碑文板がある。その後小学
   校となり、1973市博物館となった。
 市教会 Stadt Kirche (1610-11) 初めの小さな教会の代わりに。北西の隅に1731バロック
   の教会が建てられた。1929火事で全面が焼けアールヌーボ-で再建された。中にはバロック
   説教壇・祭壇、ステンドグラスがあり、平らな屋根の下にはホーエンローエ王室の墓が30棺ある。
 馬粉引場 Ross Muehle () 2階建の大きな建物が市壁の外に建てられた。
 旧ポスト Alte Post (1914) 旧郵便局で、3階建で中央部張出室のある建物。
 牧師館 Pfarrhaus (1615) 3階建木組切妻のアーチ門のある建物。
 教会山 Kircheberg (1200) 初め貴族がキルヘベルク城を築き、14cに強化・拡張され、城は要
   塞に組込まれた。1562ホーエンローエ家が買取り強化された。1590-97ルネッサンスの城を再建
   し、1650王宮になった。1738-45王宮の拡大で、新未亡人の家・王宮厩舎・ガードハウス
   が建てられた。1865までホーエンローエ・キルヒベルク家が使用した。1945まで博物館、1945
   -46学校となり、1988改修された。
 旧宮殿薬局 Ehem.SchlossApotheke (1806) 町役場と同時期に2階建で建てられた。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
市教会 市塔
市門外 市門内

戻る

5.町の略図

[戻る③壁率]

メックミュール Moeckmuehl BW6

1.歴史

  2-3c ローマの入植地、       750-779 フルダ修道院の文書で初言及、
  8c末 フルダ修道院は資産として所有、13c ヴュルツブルクの世襲封土をデュンが所有、
 1250 デュンのコンラッドは都市権を授与、町は城の前の守りを固めた、
 1287 城と町はホーエンローエの領主に所属した、1445プファルツ選帝侯が町を買った。
 1470 強い市壁が町を囲み城も守られた、 1504侯爵ウルリッヒは6日包囲し町を強奪、
 1519 シュバーベン同盟に対し鉄腕ゲッツがウルリッヒの城代として城を守った、
 1542 町と役所は新設された、      1635 ペスト流行で人口の8割が死亡、
 1667 魔女裁判で火あぶり、       1808 メックミュール郡の解消、
 1945 2次大戦の被害は免れた、     1970 旧市街の大規模な健全化開始。

2.市壁  0.62km 0.66

   15cの市壁は、高さ7.8mで壁面上の連続フリースで飾られ5つの門が在った。
  1831Jagst門は交通障害で取り壊された。壁上通路のある市壁は、今もかなり
  な場所で見られる。一部、下路地の駐車場付近は、1978に復元された。

3.塔  1門8塔

 上門 OberTor (15c) 干草と収穫物の車の通行に非常に障害となり、1843に壊さ
   れた。
 ルッヘゼネナー門塔 Ruchsener TorTurm (15c) 唯一残された市門で、1473に初言及され
   た。30年戦争の間は守備要員の不足で壁で塞いだ。1894門塔は焼け落ち、そ
   の後市壁に付き出した住居が取り付けられた。1988全建物を取り壊した後
   1990門と門塔が建て直された。
 皮剥ぎ塔 SchinnersTurm (15c) 切株が残っていたが、1978に再び5階建円塔が復元
   された。その名前は皮剥ぎ親方によっている。皮剥ぎ親方は16c塔取り除き
   責任者であり、同時に死刑執行人でもあった。
 風呂塔 BadTurm (15c) 1499の中世の浴場が言及されている。上階は1911に焼けて、
   今の3階建角塔は再建された。
 司祭塔 PfarrersTurm (15c) 司祭塔は3階建の角塔で、その背後に16c司祭館が建て
   られた。今その塔は新設の地方銀行と結合している。
 バッツエン小塔 BatzenTuermle (15c) 1598エルク・バッツエンの住居の側の小塔として言及され
   た。1838に取り払われた旧Seckach Torの所で通りが横切り、そこにバツエン塔
   が建てられた。それは外側の半円が突出し中は開いている殻塔。
 粉挽塔 MuehlTurm (15c) この塔には昔コウノトリが巣を作った。1655に魔女が監禁され
   た。1818部分的な損傷のため倒壊寸前の塔は、今見られる断片まで取り払わ
   れた。
 魔女塔 HexenTurm (15c) 昔はWegtuermleと呼ばれ、19cにはBuergerTurmとも呼ばれ
   た。1838-80木組の階には市民の拘置所が在った。1655魔女裁判の容疑者が収
   容されたため、19cになってこの塔の呼び名になった。有罪判決者のために設
   けられた深さ5mの地下牢は埋められたが、1981郷土誌家によって発掘された。
   出土品は郷土博物館に展示されている。
 ゲッツ塔 GoetzenTurm (13c) 城の東の最も古い部分に天守閣があり、今はゲッツ塔と呼
   ばれている。高さ25m、直径10mの円塔である。
 主席司祭塔 UnterTurm (13c) 城山の主席司祭館は最も古い建物で、昔は司祭長の住
   居であった。その後外側ツインガー市壁に沿ってこの塔がてられ、居住可能な塔室
   が在った。今は主席司祭館に属し、真夏の野外公演が行われれる。

4.見所  C

  山上の城の下に市壁に囲まれた小さな旧市街が在り、古い木組の家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1589-92) 技巧豊かに構成された記念碑的な建物は、ハイブロンの彫
   刻家ヤコブ・ミューラーが創造した。1979町の1200年の式典に優れたカリオンはコピーに
   変えられた。中央入口の左に首枷のある晒台がある。地階には肉とパン屋の
   屋台が置かれ、商品の販売と塩の小売も行われた。武器庫と共に町計量所も
   収容した。2階には評議会と裁判所の広間が有り、3階には舞踏会場と調理場
   置かれ、結婚式や洗礼式に1グルテンで借りられた。1989-92市庁舎は改修され、
   隣の建物を購入して拡張した。
  Die Burg (13c) 始め領主デュンが城を建て、1287-1445ホーエンローエの領主が所有した。
   1445プハルツ選帝侯ルードヴィッヒ4世が買った。1470プファルツ選帝侯フリードリッヒ1世は
   防衛力のある下幅3.5mの城壁を築き、新たに町の防備を行った。1519の木造
   部分は塔防衛の住居である。今の城は入口の上に同盟の紋章があり個人の所有
   である。
 郡庁 Ober Amtei (18c) ここには初め町長の家族が住んでいた。1783役所が置かれ、
   1808から郡庁舎となった。1885-1927町の幹部が居て、町と市民の繁栄に配慮し
   た。
 古い司教館 Alter Pfarrhaus (18c) 1750に改築され1760ヴュルテンベクルク公爵き受けた。
   1805-34司教の老人が生活した。今は公証人役場と公文
   書館。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (754) 聖マーチンに奉献された教会は、その後ボニファティウス
   に移された。17cまでの古い伝統として塔のラッパ吹きは行われた。1898古い
   ゴシックの教会は焼け落ち、後陣の後期ゴシックのフレスコ画のみ残され、1900同じ
   場所に5回目の今の教会がネオゴシックで建てられた。1973-74に改修された。
 エルゼッサーの家 Haus Elsaesser (1610) 装飾された木組の家で、1637-69に司祭の親の
   家が住んだ。その後1671まで主席司祭が住んだ。家の紋章は織物鋏で職業の象
   徴を占めす。
 染物屋 Faeberhaus (1783) 19c初めに染物屋が住家と仕事場を置いた。
 桶屋の家 Kuefer haus (1700) 1832まで麻織り人の住居、1925から桶屋の住居と仕事
   場となり、2008から自転車乗りの店になった。
 旧ブドウ絞り器 Ehem.Kelter (15c) 建物には1732の洪水位が標されている1872上階
   が焼失したが、1892教師の住家と小さな学校に改造された。今は上階は町の幼
   稚園として全て使われ、地階は1985にブドウ絞りの営業が始まった。
 郷土博物館 Heimat Museum (17c) 市民の木組の家を1985に町が取得し1988から、
   博物館として町の歴史と文化発展を展示した。2012に改修された。

5.写真

旧市庁舎 市長舎
風呂塔 皮剥ぎ塔・東壁
南壁 新教教会・助祭の家
エルゼサーの家 南壁

5.町の略図

[戻る④門塔]

エーリンゲン Oeringen BW7

1.歴史

  155 ローマは砦を改築し千人の兵を置いた、 260 アラマン族が侵略、
 1037 初文書言及シュタウフェン時代の集落、  1240 市壁のある町になった、
 1253-1806 ホーエンローエ家が支配した、1525 農民戦争が勃発、1556 修道院の廃止、
 1625-34 30年戦争の略奪とペストで困窮、 17c 王の居住地となった。
 1677 住宅が建設され城は拡張強化した、1782 カール王子は市域を拡大し宅地開発、
 1806 ヴュルテンブルク公国に属した、、   1945 2次大戦で被災、
 1972 バーデンヴュルテンブルク州に統合。

2.市壁  0.87km 0.72

    シュタウヘン時代の1240に市壁は築かれた。多くの部分の市壁が、塔・壁上通路・
   銃眼・ピッチ流し口、周溝と共に残っている。市壁は、山頂の旧市街と、シュタウヘン
   時代の町とそれぞれ独立して囲っており、Altstadt Brueckeで繋がっている。

3.塔  2門7塔

 上門 Ober Tor 壊れた門の代わりの1792の鉄の門には東側の銘板には
   侯爵の紋章がある。1835に鉄の門は削除され、1955歩行者通路として西に造ら
   れた。1955.1991全体門は改装された。
 カール門 Karl Tor Karls VorStadtとの境界にあり、柵の上に半円額を
   掲げている。
 市民塔 Buerger Turm (1600) 北西の角に立つ2階建ての四角塔。
 ローマ・リーメス見張塔 Roemischer Limeswach Turm 北の外側に再建された4.8×
   4.8mの角塔である。
 ブラス塔 Blas Turm 5階建ての見張塔と鐘楼を兼ねて、StiftKircheの前に
   立った。1991塔博物館となり、多数の展示がある。
 ガチョウ塔 Gaens Turm 円型塔の木造床、円錐屋根。
 養老院公文書塔 SpitalArchiv Turm 木造3階建て正方形の塔で腰折れ屋根
 コウノトリ巣塔 Storchsnet Turm 正方形の銃眼付壁角塔で鉄皮であった。
 ムコウミズ塔 Malefiz Turm 円型、ムコウミズの犯罪の償いの場所。ロマネスクの円
   形装飾帯があり壁厚1.1mで円錐屋根の形は、現代に修復された。
 湯沸・雄鶏塔 Kessler oder Goeckels Turm 基礎壁は復元された角塔、
   銅細工組合から名前が付いた。ここで罪人は監禁された。

4.見所  B

    上り詰めた山頂に市壁に囲まれた小さな町があり、古い建物が多く残って
   いる。休日でも観光案内所で観光案内書を取れる。
 旧市庁舎 Altees Rathaus (1504) 昔の市庁舎の場所に建てられ、ゴシック
   の正門を入ると元の市場がある。2階はダンス会場、3階はルネッサンス装飾の参事会
   場がある。1603豪華に飾られた正門と格間天井が加えられた。1992-93改修さ
   れ、1994から市と郷土の図書館が入った。
 ホーエンローエ居住宮殿 Hohenlohisches Residenz schloss (1611-16) 古い教
   階参事会員の家の場所に、初めのルネッサンス宮殿が建てられ、ホーエンローエ家の未亡人
   が住んだ。その後居住宮殿として増改築され、1961町は庭園を含めて取得し
   1975行政のため内部の広範な更新が行われた。
 宮殿庭園 HofGarten (1712) 領主フリードリッヒ2世は、市壁との間を買って
   バロックの庭園を設計・建設した。1787英国風庭園に改造された。1961町の所有
   となり、南の端に竹・紅葉・ツツジが植えられた日本庭園がある。
 司教区教会 Stifts Kirche (1020) エーリンゲン侯爵家は教区教会建てて、
   レーゲンスブルク司教区に譲渡した。今日の後期ゴシックの建物は、1451地下室、1454
   聖歌隊席・1465両塔・1485-1500身廊は階段付3廊、1860今日の祭壇・洗礼盤・説
   教壇を仕上げた。Blas塔は教会塔と見張塔と公文書塔を兼ねた。
 ホーエンローエ家衛兵所 Hohenroh Wach 大きな宮殿には100人以上の雇い人が居
   り、加えて100人の軽騎兵と選抜歩兵が居た。
 小宮殿 Palais 領主の建物は、夏の離宮としてバルコニィの手摺に紋章を付け
   別館と公園施設と共に建てられた。
 ホフイエーガー館 Hofjaeger haus (1578) 美しい3階建ての木組みの家は、
   ホフイエーガー王家の一時的な住居であり、1986の改修された。
 古い町 Alt Rtadt (14c) ホーエンローエ養老院は1370に円型の壁と楕円形の通路
   のある郊外地として成立した。中には、1370養老院・1376養老院教会・14c病院が
   あり、周壁には5塔が立つ。
 車博物館 Motor Museum 1948-60の車とバイクのコレクションを展示。
 海事博物館 Meere Museum 1981からの個人コレクションを基に、美しい紫貝
   ・サンゴ・蝸牛・カニなど2千点の色や形が見られる。
 塔博物館 Turm Museum (1991) 元見張塔と記録塔に塔の歴史と生活を展示。

5.写真

旧市庁舎 上門
市民塔 東壁
北壁 西壁
南壁 穀物庫
宮殿 市庁舎
木組家 中門
宮殿 宮殿

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る④門塔]

オッフェンブルク Offenburg BW8

1.歴史

 1148初文書言及シュタウヘンの集落、1240皇帝フリードリッヒ2世は帝国都市とし市壁を築く、
 1530 カトリックの皇帝に服従、   1632-35 スエーデン軍は要塞を破壊、 
 1689 仏軍による破壊、1803 バーデン大公国に編入され自由帝国都市特権を失う、

2.市壁 1.58km 0.71

   旧市街を取り巻く緑地に、7割の市壁が残る。

3.塔  1門1塔

  古くは4門有ったが、東門.エスリンゲン門.下門は壊された。
 ヴィンゼンチウス家門 Vinzentiushaus Tor 18cの門で1903に取り壊され再建。
 ニィネ塔 Nine Turm 内側市壁の塔が残っている。

4.見所  C

   大きな町の中に緑地に取り囲まれた旧市街があり、ハウプト通りを中心に2階建
   のバロックの建物が並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (1741) バロックの建物で窓は彫刻で飾られている。1989に
   電子制御のカリオンが付いている。
 旧マルクト広場 Alter Markt Platz 一角獣薬局(1720)3階建バロック、ペックシェーの
   家(1760)3階建バロック、イエラパイン金物屋(1896)3階建半木造、パッタニィの家(1793)。
 魚市場 Fisch Markt シカ薬局(1898)、鏡の館(1786)、ライオン噴水(1599)。
 騎士団の家 Ritterhaus (1784) 3階建て古典的な建物で、赤砂岩製の螺旋
   階段がある。今は博物館として使われ、地域の動植物や町の歴史を展示する。
 旧王室管理棟 Ehem.Koenigs Hof (1714-17) 3階建の前面は歯飾りが付け
   られている。
 旧カプチン会修道院 Altes Kapuziner Kloster (1641-47) 教会には木製祭壇
   がある。1822説教壇とオルガンが付けられた。木製の中庭回廊が美しい。1980年代
   の初めに建物は改装された。
 フランシスコ会修道院 Fraziskaner Kloster (1689) 1689の火災の後にバロックで
   再建られた。1968から学校も併設された。
 聖十字架教会 St.Kroeutz Kirche (13c) 13cの建物は1689にに焼失し、
   その後今の建物が建てられた。教会には3階建ての塔と3身廊があり、ゴシックの
   内陣には古い壁が残る。祭壇は1731に作成され、1521ルネッサンスの十字架がある。
 聖アンドリュー教会 St.Andreas Kirche (1300) 病院の教会で1731に簡素な礼
   をゴシックの内陣とした。元病院は、1870-1956は消防署として、1956-81は商業
   ビルとして使われた。

5.写真

市庁舎 西壁
西壁 南壁
東壁 東北壁

5.町の略図

[戻る②壁長]

ラーヴェンスブルク Ravensburg BW9

1.歴史

 1050 最初の城を築いた、        1188 帝国自由都市となる1803迄、
 1273 城は帝国が所有した、     1330-70 都市を拡張して下の町を囲った、
 1634 30年戦争でスエーデン軍に城を壊された、  1803 バイエルンに授与、
 1816 ヴィッテンブルク州に帰属、        1945 2次大戦の被害は免れた。

2.市壁  0.93km 0.40

   11Cに上の町の市壁を建設し、1230-70に下の町の要塞を築き上下の町の間
  の市壁を取り壊した。19Cに鉄道駅のために市壁は使われた。今は北側から西側
  など各所に市壁が残されている。

3.塔  4門7塔

   多くの中世の門と塔が残っている。
 女門塔 FrauenTorTurm 北門、1982に燃え落ちたが再建。
 ケストリウスウ門 KaestliusTor 1350建、南門、1942に取り壊された。
 上門 OberTor 1431-32建、東門、上町の最古の門、高さ42mの四角塔に
   山形屋根。時計は1618に取り付けた。
 下門 UnterTor 1363建、西門、下町の門、高さ30mの四角塔に山形屋根。
 塗装塔 GemalterTurm 15C建、北西隅、手の込んだ装飾絵画。1986改修。
 緑塔 GruenerTurm 15C建、東、下町の北東角、建物で北門と繋がる。緑
   色の屋根タイルから名前が付いた。
 計量所と泡塔 Waaghaus&BlaserTurm 14C中建、計量所と51mの塔は、町
   が下町に拡大する前の市壁の塔であった。中央塔として残されたが倒壊
   し、1553-56にルネッサンスの塔を新築した。
 シュリンゲン山塔 SchellingenTurum 14C建、上町の東角の塔、落雷や火災が
     続き一部壊れている。17Cに廃墟となった。猫女塔とも呼ばれる。
 円塔 RunderTurm 14C建、市壁の中にある円塔。
 粉袋塔  1425建、南、高さ51mの細長い白い円塔。市民が丘の上の城を見
   張るために築いた。夏の10-14時に登れる。
 病院塔 SpitalTurm 14C建、西、豚塔SauTurmとも言う。下町の南西角の
   高さ44mの四角塔。病院が近いためこの名前が付いた。1993に改修。

4.見所  B

    塔が林立する長四角い壁跡に囲まれた広く古い町であり、中心のマルクトには市
   庁舎と泡塔からなる一連の古い建物が見える。
 市庁舎 Rathaus 1386建、市民の家として建てられ、1581から市長執務室
   となった。
 聖母教会 LiebFrauenKirche 14C建、有名な15C聖母像が右側の脇祭壇に
   ある。像の本物はベルリンの美術館に保存。今の建物は全く建て直されている。
 町教会 Stadtkirche 1360建、南 塔は1844に付加。
 カソリック教会 KatholischeKirche 14C建、北 15Cに拡大。
 古い家 LederHaus 1513-14建、1574にルネッサンスに改築。靴屋.馬具職人.
  毛皮商人の同業組合が使った。前面は1907と1970に補修された。
 穀物会館 KornHaus 1452建、南 穀物会館として建てられた。
 バーク館 WaagHaus 1498建、中 繊維取引所として建てられた。

5.写真

市庁舎 緑塔
女門塔 吹奏塔・計量所
上塔 小麦粉袋
下門 病院塔
塗装屋塔 北壁・塔
東壁・塔 南西壁
西南壁 東南壁

5.町の略図

[戻る④門塔]

ユーバーリンゲン Ueberlingen BW10

1.歴史

  770 最初の文書言及、      1180 バルバロッサ帝は町の大建設を行った、
 1211 都市権を授与された、      1050 町は堀下げ堀と壁で囲まれた、
 13C末 帝国自由都市となった、13C-16C 町の繁栄は最盛期、アルゴイ農産物輸出
 1632スエーデン軍の包囲、市場衰退、1802ナポレオン戦争で自由都市を失いバーデンへ
 1918 バーデン共和国となる、     1945 2次大戦の爆撃はあった。

2.市壁  1.450km 0.50

  StadtBefestingungsLagen西~北の掘下げ式で、1250壁は部分的に異なる
  ギルドの負担で造られ、1300内壁は旧市街地を囲んだ。820m残。
   StadtMauer北~東 1450-1630に外壁は造られた。630m残。

3.塔  2門4塔

 上教会門 AufkircherTor 小さな村の上教会の名前になった。
   1802の帝国自由都市の終わりまで町の北の防衛境界線であった。
 フランシスコ門 FranziskanerTor 1495建、北 美しいゴシックの塔である。この
   塔は皇帝フリードリッヒ1世が1180に創立した古い中心地の北側に位置する。
 バグザウト塔 WagsauterTurm 北側の防衛前線の北角に1950に新設された円塔。
 ゲラー塔 GellerTurm 16C建、深い堀の上に塔は聳えている。ロマン風の
   華やかな円塔は西側堀の内側にある。
 聖ヨハン塔 St.JohanTurm 1522-23建、東の防衛戦に円塔を建てた。1632
   に戦争が近づき、今の高さ37mに2階分を継ぎ足した。1634スエーデン軍包囲の中に、
   町側砲兵隊の拠点であった。
 ローゼンオーベル塔 RosenobelTurm 最も北の防衛戦の支えとして円塔を建てた。
   1657に今の姿に改造され強固な円塔になった。

4.見所  B

   町中が交通混雑しているやや広い町である。堀は広くて深く要害である。
  中心のミュンスター広場は、ゴシック大聖堂.ゴシック市庁舎北面.ルネッサンス市尚書局等
  の建物が並んで見事である。
 市庁舎 Rathaus 14-15C建、切石化粧板のペニッヒ貨幣塔、古い市庁舎ホール
   木版彫刻の帯状アーケード、その都度3-4人の神聖ローマ帝国代表者の小彫像
   (41人)等がある。今でも、市民ホールは議場として使われている。
 ニコラウス大聖堂 MuensterSt.Nikolaus 1350-1562建、後期ゴシックの大きな
   象徴的な建造物。5身のバジリカで、広大な内部空間と豪華な正祭壇がある。
 フランシスコ教会 FranziskanerKirche 14-15C建、18C中にバロック化された。
   化粧漆喰の入口、著名な彫刻室がある。
 新教教会 Ev.AuferstehumgsKirche 1868建、早期ゴシックの教会。
 ヨドック礼拝堂 JodokKapelle 15C建、質素な後期ゴシックの建物で、興味深い
   フレスコ画の壁がある。
 町事務局 StadtArchiv 昔の町の行政事務局として市民ホールの入口に建て
   られた。美しいルネッサンスの前面と、破風に町の紋章の大きな石のレリーフがある。
 市博物館 StaedtischMuseum 1462建、中世後期の美しい宮殿建築贅沢な家。
   田舎風切石で前面化粧張りは、早期フレンチェ風ルネッサンスである。広間はきらび
   やかなバロック宴会場であった。今は郷土博物館として先史以降の歴史の収蔵
   品・絵画・彫刻・バロックのキリスト降誕像・ルネサンス-ユーゲントスティールの歴史的人形。

5.写真

市庁舎
ガラー門 教会上門
フランジスカー塔 ローゼノーベル塔
教会

5.町の略図

[戻る②壁長]

ウルム Ulm BW11

1.歴史

  854 王宮所在地のして最初の文書言及、10C ザクセン王の時は所在地を外れた、
 1027 コンラート2世は再び王宮とした、    1079 シュタウヘン朝はシュバーベンの中心地、
 1131 戦争で町は焼失、         1140 シュタウヘン朝は町を拡張し再建した、
 1181 町の周辺を統合し1184帝国自由都市、1274 ハプスブルク家は都市権を授与、
 1316 都市を拡大し新防御施設設置、   1348 南西部の市壁を築いた、
 1376 シュバーベン都市同盟14都市で設立、  1480 川の流れの中に新壁を築く、
 16C 町の最盛期、        1616-4830年戦争、1701-14スペイン戦争で衰退、
 1803 バイエルンに帰属、          1810 ビュルテンブルク王国へ、
 1945 2次大戦で旧市街地の81%は壊滅。

2.市壁  古市壁1.580km 0.46、新市壁2.21km 0.12

   1480にドナウの中に市壁は立てられ、その後要塞は構築され、今900mの川沿い
  に旧市壁が残る。また、1610に北側のGraben通沿いに市壁は警備員の宿舎と
  共に建てられ、後にオランダ式による新防衛施設が造られ、古い市壁は取り込ま
  れた。漁業地区にも1150に王宮を守った市壁が残っている。
   連邦の新要塞は、1838-59に連邦政府が市壁・砦を、北側の山中から南の
  ノイウルムまで築いた。今も南の市壁と砦の部分は、殆ど残っている。

3.塔  0門4塔

 肉屋塔 MetzgerTurm 1345建、市壁の一部として造られた高さ36.1m
   の塔であるが、北西へ3.3度傾いたいるためSchiefeTurmとも呼ばれる。
 鵞鳥塔 GaensTurm 1360建、市壁の一部として造られ1445に今の
   高さにされた。
 ゼール塔 SeelTurm 14C建、北。
 メミンゲン塔 MemmingerTurm 17C建、西南。

4.見所  B

   大きな町の中心に、高さ世界一の大ドームが聳える。漁業地区の古い木組
  の家やドナウ河畔の散歩道は一見の価値がある。
 市庁舎 1370建、初めデパートとして建てられ、1419から市庁舎となった。
   1944に燃えて倒れたので、内装を含め再建された。1533の東側窓のカイザー
   ベループ、1520の東破風の天文時計、1539の北翼ルネッサンスのアーケードは古い。
 司教座大聖堂 Dom 1397建、高さ161.53mの世界一の塔へは、768段の階段
   で登れる。起工式から500年後の1890に完成式が行われた。ゴシックの身廊は
   高さ41.6m.幅48.8m.長さ123.56mと非常に大きく、2次大戦の戦災は免れた。
   14-15Cの内陣のステンドグラスは美しい。
 三位一体教会 DreiFaltigkeitsKirche 1321建、昔の修道院教会の上に
   1617-21に建てられ昔のゴシックの内陣が存続している。1944に焼失し、大きく変
   更されて再建された。
 パウロ教会 PaulusKirche 1908-10建、アールヌーボー様式の鉄筋コンクリート造
   で建てられた。1964に連邦が買収して修復した。
 聖ゲオルグ教会 St.GeorgsKirche 1904建、カソリックの駐留軍教会は、教区教会
   となり、1978-82にゴシックリバイバル様式の内装で復元された。
 漁師地区 FischerViertel 漁師広場から肉屋塔まで、傾いた家など切妻の
   付いた古い木組みの家が並んでいる。
 武器庫 ZeugHaus 1594建、旧帝国首都武器庫。
 穀物倉庫 KornHaus 1594建、穀物倉庫の長い建物で、今は催物会場とし
   て使われている。
 ウルム美術館 UlmMuseum 町の有力者の館に設けられた美術館で、絵画・彫刻
   が興味深い。
 パン博物館 BrotMuseum 1592建、昔の塩倉庫に設けられ、6千年のパンの
   文化や社会史が展示されている。
 旧連邦要塞 EhemaligenBundesfestung 1838-59建、砦と市壁をこの時代
   に築いている。大きいものから示す。砦の数字は地図の番号。
  
   1.Wilhelmsburg 大市壁の北の大きな砦 WerkⅩⅡ 600×500m。
     3.Safrnberg FortAlbeck 北西の山の上 400×200m。
   4.FortObererEsslsberg 北の外れ。
     2.FortUntererKuhberg ドナウの北西 300×200m。
   5.FortUntererEselsburg 北 1.の西。
   6.FortLudwigsVorfeste 南。
   7.FortSchwaigHofen 南東。
   9.FortObererKuhberg 西。
   12.FortFriedrichsau 東。
   8.FortPrittwitz 1.の北。
   10.FortIllerKanal 南。
   13.FortNebenWerk Eselsbergのすぐ南。
   11.FortSafranBerg 東。
   14.FortSoefringerTuermele 西北。
   16.FortMitlengerKuhberg 西南。
   15.FortSchwedenturm 1.の東。
  市壁の残り 合計2.21km
   1.北のWilhelmsburgのすぐ南:東へ400m、西へ500m。
   2.OberDonauBastion:250m。
   3.NeuUlm MemmingerTurm:260m。
   4.KollannsPark:800m土堤付き。

5.写真

市庁舎 大聖堂
大聖堂広場 肉屋塔
市壁の上
Fort Satranberg Fort Albeck南
Fort Albeck南入口 Fort Albeck西
漁師地区

5.町の略図

[戻る②壁長]

フェルベルク Vellberg BW12

1.歴史

  741 ステックの城の文書に初言及、  974 礼拝堂の基礎を置く、
 1076-86 フェルベルク城の建設、    1188 ホーエンシュタウヘン家が所有、
 1370 ヴュルツベルクとブランデンブルクはワインの1/10税を受取る、1466 塔と南壁の建設、
 1481 騎士団は休戦協定、、    1500 皇帝マクシミリアンは市場権を付与、
 1506 裁判権と自治権を授与、   1523 シュバーベンリーグは城を破壊、1546再建、
 1563 大火災でAltDorfは半壊、   1592 最後の騎士の死で帝国都市が相続、
 1634 ペストの流行で人口は1/3に、  1803 ヴュルテンベルク公国へ、
 1901.1902 再度大火災が町を襲った、1937 塔や壁を再建する建設会社を設立、
 1945 2次大戦でアルトドルフは壊された、1972 中世の構造を維持しながら再構築。

2.市壁  0.39km 1.00

  城と町はそれぞれ石積で囲まれ、橋で繋がっている。町の壁は0.39mである。

3.塔  3門5塔

 市門塔 Stadttor turm (1466-89) 最も高い5階建て矩形の塔でゴシック
   の通路がある。木製屋根付の階段が北側にある。入口の上には紋章と1466の
   年号のある銘板がある。地下通路に接続して地下に古い牢獄がある。1844に
   町は205ギルダーで門塔を買取り2009に改修された。
 火薬塔 Pulver Turm (1489) 市壁の上に3階建で市門塔と同様な外観と
   成っている。1901の火事で上部工が燃えて改造された。1989に城ホテルの一部
   として民間使用である。
 兵隊塔 Kraft Turm (15c) 円錐屋根で銃眼が見える円塔である。1989
   改修され城ホテルとして使われたが今は民間住宅である。
 下ツインガー塔 Unteres Zuinger tor (1499) 市壁の外側の門で、小門塔
   の後ろにある。この門は1700まで谷から直接城に入る荷車を通した。
 事務塔 Kanzlei Turm (15c) 円錐屋根の円塔で3階建ての住宅棟であり
   下への階段がある。1985に全般的な改修が行われ週末住宅として使用。
 ジクシス塔 Sixischer Turm (15c) 円錐屋根の円塔で3階建ての住宅棟で
   あり、下へは階段があり、ここ20年間はホテルとして使われた。
 旧砲塔 Ehem.Geschuets turm (15c) 円塔で1979に改修され住宅塔に。
 ポンペル門 Poempeles Tor (15c) 1700まではツウインガーの迂回路として造
   られ、角ばった門塔で15cから併設されていた。1979整備され、20年間は警
   察の詰所であった。
 大砲塔 Kanonen Turm (15c) 大砲を塔頂に据えた円塔で、城の庭の前
   に立つ。中には銃の為の防弾室と発射室が上下にある。

4.見所  B

   出張った丘の上に、深い堀を橋で渡って市壁と堀で囲まれた旧市街に入
   ると多くの木組みの家が並び、更に奥の橋を渡ると堅固な下の城がある。
 下城館 Unteres Schloss (1076-86) 1523シュバーベン連合に破壊され、
   1543-46に再建された。建物は不均一なルネッサンスの破風を持っていた。城の
   一番古い部分は、フレスコ画のある礼拝堂である。地階は元の武器庫であり、
   上階の騎士の間には狩りの場面の壁がある。1969-2004は3階に行政事務所
   を収容し、2004私有となりホテルとして使われた。
 上城館 Oberes Schloss (1531) 旧軍の兵舎として建てられ、1581-83
   西に拡張し階を建て増した。19-20cにパン屋と住居として使われた。
   2004行政事務所となった。上の城館の西側に1520旧兵庫が建てられ3階建て
   に増築され、1983町が購入し1984改装されてホテルとなった。
 宿屋「雄牛」博物館 Museum Gasthof Ochsen (15c) アレマン風の木組み
   2.5階建ての大きな家で、天窓と巻軸塗装のある玄関・バロックの階段手摺・ネオ
   ゴシックの地下室の扉などがある。町で最古の宿屋で、終始個人所有だった。
 旧十分之一納屋 Ehem.Zehntscheune 中世の十分の一税を収容した。
   1902に焼失し宿屋雄牛の納屋として復元され、ワインパブとなっている。
 フィービッヒの家 Haus Fiebich (1635) 寄棟屋根の2階建ての木組の家で、
   町が所有し1987改装して商店と住居として使われた。
 共同遺産相続人の家 Ganerben Haus Kammmerer (1514) 3階建ての木組
   の家で、1970に町が購入し1996改築され、個人のホテルとなった。
 自然と郷土博物館 Natur und Heimart Museum  Sixische塔の外側の
   堀の南側にある元靴屋の2階建ての建物で、1981資料を収集し、1986自然と
   と文化遺産の博物館となった。
 古い役所 Altes Amtshaus (1508) 3階建ての木組みの建物で、1819林
   業事務所、1978町に買収され第二市庁舎、2004橋で陸橋で上の城の建物と
   結ばれた。

5.写真

市塔門 市門・フィーブリッヒ家
事務局塔 ジクシス塔
下宮殿 旧事務局
入口門

5.町の略図

[戻る③壁率]

ヴァルデンブルク Waldenburg BW13

1.歴史

1143 ホーエンシュタウヘン・フレデェリック1世はレムゼ修道院の開設と、1165-72 城の建設、
 1199 ヴァルデェンブルク・フューゴは本宅として交易路確保、    1254 町の設立、
 1378 遺産でシェーンブルクの貴族が所有、 1388 フリードリッヒ6世は陶工ギルドに指示、
 1430 フス派は城と町を燃やす、1473 民家を購入し市庁舎に、1531市庁舎建設、
 1482 旧市街地の火事で陶器場移転、1576 ペストで200人、1633ペストで400人死亡、
 1580 大火事で市庁舎・教会・60民家焼失、    1618-48 略奪と疫病で衰退、
 1680 ペスト再流行、1756-63 7年戦争で軍が町に分宿、1844 大公は教員養成、
 1848 城の消失、1853 城の再建、 1945 町は戦災でかなりの損傷があった。

2.市壁  0.95km 0.96

    15c高い見張塔のある約1kmの市壁が町を囲み今も残る。1495まで熊
   堀の向う側に外堡として立壁・塔・防衛通路・砲塔と新港施設が造られた。

3.塔  3門3塔

 マインツ門 Mainzer Tor (15c) マルクト広場の南から西へ下る階段の門で、
   17cには既に見捨てられていた。
 噴水小門 Brunnen Toerle (15c) 南東から外への小門で、1901までこの
   地区の唯一の生活用水の井戸に、248の階段で連絡している。
 羊小門 Schaf Toerle (15c) 東中の外への階段の門で、羊の放牧に使われた。
 夜見張塔 Nachtwaechter Turm (1500) 入口右の2階建円錐屋根の円塔で
   左の堡塁と連携して町への侵入を遮断した。
 高見張塔 Lachners Turm (13c) 町の象徴となる高さ33mの角塔で、町と城
   の防衛のために使われた。今は展望台であり、登る事ができる。
 堡塁 Bastei (1500) 火器の発達の後に防衛目的で造られた。

4.見所  C

    山の上の尾根に町は築かれ、城と町は市壁と塔に囲まれている。何回か
   の火事と戦災で壊されたが、復元されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1731) 初めは1473民家を買って市庁舎とした。
   1528-11に次の市庁舎が建てられ、1731に2階建の市庁舎が建てられ、1945戦後に
   再建された。1952には仕上調整された。
 宮殿 Schloss (1172) ホーエンローエ・ヴュルテンブルク公爵の宮殿は1165-72に建てられ、
   1430総合施設を拡張し、1536-67ルネッサンス二重ロックシステムを導入、1755-79フロント城に
   改築、1858火災後宮殿を再建、1909-12宮殿の改修。
 宮殿教会 Schloss Kirche (1793) 後期ロココと早期古典主義の複合様式で完
   成された。戦後に再建された。
 封印博物館 Siegel Museum () ドイツでも唯一の封印の博物館で、800もの封印が
   展示されている。最も美しいと言われる侯爵フリードリッヒ・カールの封印の複製も展示
   されている。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1594) ルネッサンスの広間教会で建てられ、度々
   改修された。バロックの告白祭壇がある。
 外堡 Schanz (15c) 強大な外堡は15cに建てられ、18cに上部住居が建てられた。

5.写真

市庁舎 新教市教会
宮殿 夜見張塔
シャンツ 堡塁
高見張塔 マルクト西
西壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

 バイエルン州 BY

アーベンベルク Abenberg BY1

1.歴史

 1045 アーベンベンベルク・バンベルクの貴族が城を建設、   1132 ハイルブロン修道院の基金、
 1184 伯爵フリードリヒ2世は3次十字軍に参加1200死、1236 ニュルンベルク城伯が結婚し来た、
 1296 アイヒシュタト司教は城と街を取得し壁を築いた、 1299 町は都市権を授与された、
 1356 アイヒシュテット養育事務所が置かれた、    1590 アイヒシュテット司教の魔女狩り処刑、
 16-17c 農民・シュマルカルデン・30年戦争で大被害、  17c レース織・製針・ガラス鏡の製造、
 1803 世俗化でアンスバッハ公国へ帰属、   1806 パリ条約でバイエルン王国へ組込まれた。

2.市壁  0.135km 0.27

   丘の上の12cの城の麓に集落が形成され、1292アイヒシュテット司教が取得し都市権を
  得て1297-1305にコンラット2世が城の円壁に接して瓦礫積みの市壁を築いた。市壁は
  補修や更新が行われたが、19c後半には相当部分が撤去された。

3.塔  2門7塔

 OberesTor上門 (1300)4階建て尖塔付きの砂岩切石造の門塔で、道路中央に
   立っている。
 Unterestor (1300)3階建て木造切妻屋根構造の砂岩切石門造の門塔で、尖塔
   アーチ通路のある門が道路中央に立っている。
 MauerTurm門塔 ①Jaegersteig4(1300)
    ②Judengasse13(1300)居住棟として建てられた。
    ③Kirchgasse6(1300)残り。
    ④Kirchleite2(1300)始め住居棟として建てられ17cに木造納屋になった。
    ⑤Kirchleite10(1300)今は直方体の漆喰塗の近代的な個人住宅。
    ⑥Winfsbacher(1488)壁塔は後に禁固室で年号付いている。
 BurgSuedwestTurm(1230-50)7階建て砂岩切石積の細長い塔で、小尖塔のある
   花冠がある。

4.見所 C

   丘の上に城壁に囲まれて聳えるアーベンベルク城の麓に、街道に沿って街並が続き
  街道の広がった場所がマルクトである。
 市庁舎 Rathaus (1743)元はアイヒシュテット司教の救護局本部として建てられた2階建て
   砂岩切石造マンサード寄棟屋根の堂々としたバロックの建物である。
 アーベンベルク城 Burg Abenberg(1040-59)伯爵アダルベルト2世は主として木造で最初の城を
   築いた。1130-40ラインポートは40×40m石造の城とした。1236ニュルンベルク城伯が来て部
   分的に増築した。その後2倍の大きさに増築して南東端に城門と周壁を築いた。
   1296アイヒシュタット大司教は正方形の高塔を建てた。1496東に新たな救護局を取り付
   けた。1799チャペルが壊れて荒廃した。1806世俗化で所有することとなったバイエルン
   王は城を販売した。1875ミュンヘンの美術商が取得して高さ33mの塔などを再建した。
   1982町が取得して改修し博物館・古城ホテル・催物会場である。
 聖ヤコブ教会 St.JakobusPfarkiirche (13c)13c前半に教区教会として建てられた。1294
    に塔が15cに内陣が建てられ、本堂は西に1624-27と1854-57に拡張された。塔は
    1769に今の形となった。
 レース博物館 Stadtmuseum(19c)地元産業である伝統的なレース織物の歴史と製品が城建
    物の中に展示されている。
 自転車博物館 Farad Museum(19c) 2世紀にわたる200台の自転車と付属品として健康
    ハンドル・アセチレンランプ・フェンダー・補助エンジンなどもある。ニュルンベルク製作所の歴史と製品
    の説明もある。

5.写真

 
市庁舎 マルクト広場
上門外 上門内
下門 南東壁

5.町の略図

[戻る④門塔]

アムベルク Amberg BY2

1.歴史

 1034 バイエルン皇帝オンラット2世は市場権授与、1163 皇帝フリードリッヒは貿易権を授与、
 13c 都市となり鉄鉱石・塩・穀物を取引、1269 ヴィッテルバッハ家の領地となった、
 1294 都市権を確認した、    1326 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは市壁を外に拡張、
 1329 ヴィッテルバッハ家のプファルツに移管、 1474 プファルツ選帝候はルイ9世の娘と結婚、
 1628 プファルツ選帝候と争いバイエルン帰属、1945 第2次大戦の空襲からは免れた。

2.市壁  1.87km 0.80

 12cの市壁が町中のSpitalGrabenで見られる。
 1326中世後期の市壁は、西のゲオルグと東の病院を囲んで楕円形で拡張された。
 19c初めに要塞は撤去されたが、広い部分で市壁は残された。

3.塔  4門0塔

 14cの5門(Nabburger-、Ziegel-、Vils-、Georger-、Wingershofer-tor)の内、Georger
 門は17cに南のNeu門に置き換えられ、1870に取り払われた。
 Nabburger門 (1317)病院門として在ったが、1326に2次市街地拡大時に市門。
   二つの円塔を繋いだ形の門で、1576ルネッサンスの門衛詰所が付けられ、門の上に2階建
   の上部構造が構築され、塔は円塔の上に八角塔が5階建ての高さまで乗せられた。
 Wingershofer門 (1580)1458に城の拡張で南東角に移され、改築された町で
   一番小さいルネッサンスの塔。
 Vils門 (14c)角塔に外堡として3門の武器庫で、1575に補強され、プファルツ州
   と町の紋章で飾られている。跳ね橋のための木製のローラが見える。
 Ziegel門 (14c) ゴシックの塔は1581に嵩上げされた。二つの半円型の砲塔が隣に
   建てられ、1888には再度修理された。今は青年団が使っている。

4.見所 C

  窮屈な市壁に囲まれた旧市街には、通商で栄えた14-15cの邸宅が多く残っている。
   眼鏡橋として要塞橋が川面に映っている。
 市庁舎 Rathaus (1348)中心部は14cのゴシック旧礼拝堂による大広間である。
    16cには大規模な拡張が行わ、後に中二階に円天井の文書庫が成立した。
    19c南正面は改造で二階のバルコニィが取り付けられ、商業と産業の立像で全面は
    飾られた。1989に再改修が行われた。
 聖マーチン教会 St.Martin(14c)ロマネスクの建物を1421-52にゴシックの円天井が設置さ
    れ、1456-83に身廊は取り壊し後に再建された。1509塔は鐘楼の上に付けられた。
    長さ72m、幅28m、屋根の高さ40mは、バイルン北部で最大である。
    1869-74内装はバロックからネオゴシックに変えられた。
 聖ゲオルグ教区教会 St.Georg(1094)1359ロマネスクからゴシックのバジリカに置き換え
    られた。15c塔が取り除かれた。イエズス会の大学教会として移管され、聖マーチン教会
    が教区教会となった。選帝候マクシミリアン2世は1652バロック化した。1773イエズス会は解散
    したが、マルタ騎士団が1808の世俗化まで使い、1923に再度教区教会になった。
 町の眼鏡 StadtBrilla (1454)46mのヴィルス川上に架かる塔で、初め二つの
    塔柱の1階建ての建物が、1580に真中が2階建てとなり、1698に現在の一つの塔
    柱と3階建ての建物となった。
 選帝侯行政庁 Kurfurstliche Regierungskanzelei(1544-47)選帝侯フリードリッヒ
    2世は、3階建て切妻の砂岩の建物を法律事務所として建てた。1601に多角形の階
    段塔が付けられ、18c後半には拡張が行われた。今は地方裁判所として使用。
 選帝侯宮殿と武器庫 Kurfurstliches Schloss und Zeughaus(15c)選帝侯
    フリードリッヒ3世は1417から新宮殿を建て、1474には既存の「大きい部屋」に並行し
    て「アンベルクの結婚」の建物を建てた。1768古い部分を取り壊してバロックの公園を
    造った。今は地区事務所となっている。
     武器庫の東と北の翼は1512に建てられ、1607には南棟も完成した。
    1778には機能を失い、1945には大火災に遭遇した。1994大規模改修を行い、
    今は地区管理事務所となっている。

5.写真

市庁舎 フィルス門内側
フィルス門外側 東壁
ナップブルク門 北西壁
南東壁 町の眼鏡

5.町の略図

[戻る②壁長]

アウプ Aub BY3

1.歴史

 803 集落に最初の命名、  1000 ベネディクトの司教は聖母大聖堂と修道院を築く、
 1009 皇帝ヘンリー2世はフランクフルト帝国教会領地に、1230 ホーエンローエ家が所有し城を守る。
 1136 今の教区教会は集落の中心にあった、 1325 バイエルン・ルードヴィッヒは市場権授与、
 1390 ホーエンローエ家ブラウンエック系は断絶、   1398 コンラッド・アンナは同盟者に町の半分売却、
 1403 ホーエンローエ・スチュワードは領土をヴュルツブルク本山に提供し自分は領主司教として働いた、
 1404 プファルツのドイツ王ルプレヒトは都市権授与、 1436 15塔・2門の市壁が完成、
 1470 ローゼンベルク家はトルシェゼスの所有権を買う、16c 騎士戦争と農民戦争で略奪破壊、
 1602 スチュワード家の断絶でヴュルテンブルが所有、1632 ローゼンベルク家断絶でビュルテンブルクへ、
 1673 仏ルイ14世軍が略奪、   1668-1805 ドイツ騎士団が町を所有、城はヴュルツブルク、
 1805 ヴュルツブルク大公国が支配、       1814 バイエルン王国の帰属。

2.市壁  1.20km 0.97

   旧市街は殆ど1404-36の瓦礫の石積による市壁で囲まれている。
  かっての市壁の高さは11m、幅は1.5mであった。

3.塔  1門11塔

   かっては15の門や塔が在ったが、1862に下門は取壊された。幾つかの半円殻塔も
  も含まれ、殆どは円形塔で木骨上層階が多かった。
 上門 Oberes Tor (15c) 中央門とも呼ばれ、1613バロック・ランタン付の長方形切石
   造で再建された。1841銃眼塔と半寄棟屋根扶壁柱構造に再構築された。1852
   東部2階建別館は崩壊した。
 下門 Unteres Tor (15c) ヴュルツブルク門とも呼ばれ、3階建ての角塔であり、
   二階には守衛が住んだ。1862取壊されて現存しない。
 円塔 Rund Turn (15c) 北側市壁の切石造円塔で、地階は豚小屋に貸した。
 牧人塔 Hirten Turn (15c) 北側角市壁の見張塔で、BadTurmとも呼ばれた。
   切石壁造の4階建正方形の切妻屋根木骨上屋の塔である。
 リムパッハ塔 Rimpach Turn (15c) 東北市壁の石造円塔。
 ゲイヤー天守塔 Geyer SchlossTurn (15c) 東のハールバッハ通にある城天守閣であっ
   た3階建の円塔で、昔は拷問室や刑務所として使われた。
 円塔 Rund Turn (15c) 東南市壁の石造円塔。
 円塔 Rund Turn (15c) 南東市壁の半円殻塔で、付属建築物によって改造され
   ている。
 円塔 Rund Turn (15c) 南西の城の中の石造円塔。
 半円塔 Halbrund Turn (15c) 西南にかって城の一部として建てられた円錐屋
   根の円塔で石造の上に漆喰が塗られている。
 殻塔跡 Rest Schalen Turn (15c) 西び殻塔の切株がある。
 円塔跡 Rest RundTurn (15c) 西に円塔の切株がある。
 円塔 Rund Turn (15c) 西北隅の3階建て見張り塔。

4.見所 B 

   殆ど市壁に囲まれ、多くの塔が残され、マルクトは切妻屋根の建物に囲まれている。
  16-18cの風格のある木組の建物がある。
 市庁舎 Rathaus (1482-89) マルクトに面したハルバー通の真中に建つ2階石積の上に
   木組の建物で、マルクト側に屋外階段がある。市庁舎は切妻屋根で覆われ、マルクト側に
   タレット鐘がある。1671後期ゴシック様式の広範囲な改築が行なわれた。19cにも改修。
 宮殿 Schloss (13c) ホーエンローエ家はロマネスクの城を築いた。1390ホーエンローエの絶滅で旧
   市街の土地が分割され、半分がワインスベルク、1/4がローゼンベルク、1/4がトルヒゼッセンに
   帰属した。1632ローゼンベルク家の絶滅によりヴュルツブルク司教座本山の所有となった。
   中央に最も古い部分があり、3階建で階段切妻屋根の建物である。1456-74に2階建魔
   女塔、1430北と東へ城を拡張、1624ルネッサンス建物を南へ、1595-1626北翼を建てた。
 病院教会 Spital Kirche (1355) ホーエンローエ・ブラウネックのゴットフリート2世が設立した。
   細長い身廊は別々の建物を繋いで、1595-1604に中世の内装に改装され、
   1862-64に再度変換された。
 聖ブルカード教区教会 PfarrKirche St.Burkard (13c) ヴュルツブルク教区教会で、
   1275-80にピラミット屋根の3身廊の教会が建てられ、1752身廊・西部ポータル・内陣
   塔を改修1951の戦災で壊れ改修された。
 教区司教館PfarrHaus (17c) ピッチ屋根の2階建石造L字型の建物で、北翼は高い
   台座の上に建てられている。
   芸術品が置かれている。
 旧税関 Ehem.Zollhaus (18c) 木組の上階のある2階建て不完全な寄棟屋根の建
   物で、その後文法学校となり、今は住居である。
 金の子ヤギ旅館 Gasthaus Goldenes Lamm (1493) 腰折れ寄棟屋根2階建の建物
   で、アーチは漆喰塗りである。17cに中心部分、1800に腰折れ寄棟屋根に改修され、
   20cに屋根はふき替えられた。
 フランク病院博物館 Frankisches Spital Museum Aub 元の病院教会の隣に博物館
   が整えられ、聖職者の生きた価値を印象深く展示している。
 住居 Wohn Gaeude (1581) 地階砂岩切石造、上階木組の寄棟屋根の2階建で、
   領主司教の紋章が付いている。18c上階木組部分は取り換えられた。
 金の獅子旅館 Gasthof Goldenes Loeven (1568) ローゼンベルク家の建物で、後に
   ドイツ騎士団が入居した。19482次大戦後に再建された。今は宿屋で、サドル屋根
   の石造漆喰塗の2階建の建物である。

5.写真

市庁舎 上門
南西壁塔 北東隅塔
東南隅塔 ガイヤー天守閣
西南壁 南壁
西北壁 北壁
東南壁 ブルガート教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

アウグスブルク Augsburg BY4

1.歴史

 121 ローマ植民都市の州総督府が置かれた、  5C アルマン族の侵入、
 600 聖アフラの墓に巡礼、     955 司教ウルリッヒがローマ壁南半分の市壁建設、
 1251 課税権の授与、        1224 フドルフ王は独自法制定権の授与、
 1316 帝国自由都市、      1368 ギルド職人の蜂起とギルド憲法の制定、
 1555 宗教的平和都市として共存、   1632 スエーデンの侵攻と経済の衰退、
 1805 バイエルンの占領と1806バイエルン帰属、 1944 第2次大戦の空襲で大打撃。

2.市壁  0.60km 0.10

  ローマ市壁は、約2.9kmでドームから北で卵形(1.0km×0.6km)で造られた。
 中世後期の市壁は、6.3kmでローマ壁内の2/3を含んで、更に南と東に拡張された。
 市壁の位置は、WallとかGrabenとかMauerの通りの名前で判別できる。市壁が
 残っているのは、Rotertor、Jakobertor、Oblatterwallturm、SchwedenMauer
 等である。

3.塔  4門5塔

 赤い門 Rotentor 南16C 市壁の一部である二重の門塔で、二つの丸屋根と
   庭がある。1622に改修され、今は野外劇場である。
 鳥門 Vogeltor 東南
 ヤコブ門 Jakobertor 東中
 魚門 Fischertor 北
 Jakober wall turm 東中
 Fuenfgrat turm 東中
 Oblatter wall turm 東北
 Wehrturm 中
 Perlach turm 市庁舎の北角にロマネスクの見張塔が98mと高い。

4.見所 S 

   南北に走るHoherWegーMaximilianStrasseを中心とする大きな町である。
 市庁舎 Rathaus 1615-20建、ルネッサンスの大きな建物、丸屋根の八角塔。1944
   の空爆で壊滅。1947-62に復元。内部には黄金の門がある。
 大聖堂 Dom 10-11Cバジリカ風3身廊ロマネスクで建造。14Cにゴシック5身廊に改修さ
   れた。聖母マリアの生涯図とロマネスクのブロンズ像。
 聖堂 Muenster St.Urich&Afra 1500建、修道院付属教会の建物に直角に
   新教教会を継足した。バロックの。
 聖アンナ教会 St.AnnaKirche 1321建、旧カルメル会修道院、1487-97ゴシックで拡大
   修道院付属教会の建物に直角に新教教会を継足した。1616塔を建てた。
   フッガー家のチャペルが西端に1512-18独初のルネッサンス様式で追加された。
 フッゲライ Fuggerei 1519建、フッガー家が貧民のために造った66戸集合住宅。
   現在でも僅かな家賃で入居者が入っている。
 市立美術収集館 StaedtischeKunstsammlung 1769建、シェッツラー宮殿にドイツ
   バロックギャラリー、絵画館には15.16Cの絵画が充実。
 モーツアルト家 MozartHaus モーツアルトの父の生家が記念館になっている。

5.写真

市庁舎前広場 聖ウルリッヒ・アフラ教会

5.町の略図

[戻る④門塔]

バート・ノイシュタット Bad Neustadt a.d.Saale  BY5

1.歴史

 741 フランク王チャールズの聖マーチン教会への贈物に言及、742-1000 東フランク王国の支配、
 1159 独でも大きい山上のザルツブルク城の言及、1200 最初の木製城壁の建設、
 1232 町として初言及と都市権の授与、   1525 農民戦争で農民側で鎮圧・処刑、
 1541 町に最初の宮殿を建設   、     1585 反宗教改革で町は再びカトリックへ、
 1631-34 30年戦争で飢餓や疫病、      1640 スエーデン軍に帝国軍が対抗、
 1680 1352からのカルメル会修道院は教会を設立、1805 世俗化の後にヴュッテンブルク大公国、
 1815 町はバイエル王国に帰属。

2.市壁  1.42km 0.97

   市壁は13cに造られ、16cに拡張・更新された。全体的に市壁は保たれているが、
   元の高さはない。ツインガーは北東角とKirchePfarteからSpoerleiesTorまで残る。

3.塔  4門6塔

 ホーン門 Hohn tor (1578-79) 西南 領主司教ユリウスの要望で建てられた6階
   建て高さ34mの白い両切妻屋根の角門塔で時計が付いている。門塔には旧管理棟・
   宿「ポスト」・宿「黄金獅子」の3つのバロックの建物が繋がっている。
 シュペーラインス門 Spoerleins tor 北東 門の場所に1846花瓶置き場的な2本の
   柱が建てられた。
 教会小門 Kirch Pforte 北 教会の東から外に出られるアーチ小門がある。
 塩小門 Salz Pforte 南 小門がある。
 円塔 Runde turm 西南 狭間擁壁のある屋根のない細長い円塔。
 円塔 Runder turm 西中 円錐屋根付の細長い円塔。
 円塔 Runder turm 西北 狭間胸壁と銃眼のある屋根なしの細長い円塔。
 円塔 Runder turm 北東 円錐屋根の細長い円塔。
 半円殻塔 HalbrunderSchaelen turm 東 外壁に半円の殻塔。
 円塔 Runder turm 東 ロスマルクト通りに円錐屋根の低い円塔。

4.見所 C

   ハート型の市壁は珍しい。広いマルクトには2つの泉があり、2-3階の切妻のある
   木組みに漆喰塗または石造の建物に囲まれている。
 市庁舎 Rathaus (1473) 意外に簡素な建物で、入口上の市の紋章で分かる。
 カルメル会修道院教会 Karmeliten KlosterKirche ()歴史的な宝物として、
   バロックの美しい木製祭壇と説教壇がある。1732のオルガンは今も維持されている。
   黒い聖母の礼拝堂と綺麗な漆喰の天井もある。
 町教区マリア昇天教会 StadtPfarr MariaHimmelfartKirche (1050)今の場所に
   建てられ、1352の補修されたゴシックの目の教会が在った。1798宮廷建築家によって
   28本のコリント円柱のある建物を計画したが、資金不足で1834までかかり、1836献堂
   はヴュルツブルクとフルダの司教によってなされた。
 塩城 Salzburg (1150) 1km東の山頂にプファルツ皇帝オットー3世はハンガリーの避難所
   を設け、1250には拡充強化された。450mの城壁に囲まれ、城門を入ると広々とし
   た中庭とかなりの建物が残されている。

5.写真

市庁舎 ホーン門
南東壁 塩小門
南壁 北壁
東壁 マルクト広場

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

バイリングリース Beilingries BY6

1.歴史

 1007 教区アイヒシュタットの場所として初言及、1050 都市権と通行料徴収権を得た、
 1300 町は市壁と堀で守られた、      1525 農民戦争の被害は免れた、
 1623-25 魔女裁判で死刑判決、    1633 ヴァイマールのベルンハルト軍に戦わず降伏、
 1802 最後のアイヒシュタット司教退任しバイエルンへ、 1862 地方裁判所の開設、
 1939 郡バイブリングリースの成立。

2.市壁  0.32km 0.40

   1300-1407切石や瓦礫積の市壁が築かれ、1487.1559.1601.1725.1784に改修
  や拡大が行われた。18-19cに解体が行われた。1997-2007に市壁補修が行われた。

3.塔  0門10塔

   市壁と共に2門が築かれたが、1886と1887に取り払われた。1821-22には9壁
  塔が付けられた。残された塔は南4、南1、西4、北1である。
 BettelvogtTurm 乞食廷史塔(18c)東、中世後期の木骨造の塔、乞食を監督し、市内
   長期滞在の乞食を収容した。
 BadTurm 浴場塔(1524)東、中世後期の円塔で浴場をもうけたので、この名前がつけ
   られた。塔には無料宿泊など他都市の助産婦が使用した。
 SeelnonnerTurm 魂の修道女塔(18c)東、中世後期木造の塔に木製階段が付いてい
   る。多くの死んだ自治体使用人の女性住まいだった。
 FlurerTurm 耕地塔(16c)東、中世初期の木骨造の隅塔。森林や牧草地の使用違反や
   木材窃盗犯人を収容した。
 Turm 南、古い基盤の上に木組の塔上部工が建ち、18cに住居に変換。
 RossTurm 馬塔(1524)西、隅塔、司教ガブリエルに預けれれ、騎士の宿泊所として使
   われた。
 StrohbauernTurm 麦藁農家塔(15-16c)西、中世初期の木組の塔で、藁農家が使い
   ジュラスレート屋根であった。19c補修。
 WasserschoepfenTurm 水汲取塔(15-16c)西、この塔の近くに水汲家が有るので
   この名前となった。採水は自治体醸造所に供給された。この塔は15cの市壁
   に接続した。
 SauhueterTurm (1524)西、隅塔で4階建の四角錐屋根の角塔。この塔の所有者であ
   るアイヒシュテット司教ガブリレルの紋章があり、教状見張人を収容した。
 BuergerTurm 市民塔(17-18c)北、北東隅の四角塔で中世後期の基礎に17cの上部工
   か置かれ、民事制裁金の塔とも呼ばれ、市民の逮捕者が収容された。

4.見所 C 

   歴史的な市壁と市門はないが多くの塔が中世の姿を止めている。ロココ・バロックの
  建物群も見事であるが、木組の家は少ない。
 市庁舎 Rathaus(1740-42) バロックの市庁舎は、旧司教の地方管轄区庁として湾曲
   した切妻のある3階建マンサード屋根で建てられ、1802まで地方裁判所も市庁舎内
   に置かれた。町はセルシュタットに属したが、1972独立した市の行政を行うため、こ
   の市庁舎に引っ越した。
 聖バルブルカ教区教会 PfarrKirche St.Walberg(13c) ネオバロックの2階建急勾配屋根の
   ホール教会。北塔は最も古く13cからの物で16cに尖塔が付けられた。南塔は1911
   -13に建てられ印象的な双塔の姿になった。バロックの身廊は1912に建てられ、
   主祭壇と二つの前祭壇は旧教会から引き継がれた。
 旧フランシスコ修道院 Ehem.Franziskaner Kloster(1725-36) ベネディクト会ととの競合が
   あり時間を要した。天窓付き急傾斜屋根の広間教会で、聖トリニタスにの捧げられ
   た。1802の世俗化後に旧病院となり、玩具博物館となって、ブリキの玩具・人形
   ・錫フィギアー・人形部屋・模型等が飾られている。
 聖マリエン教会 St.Marien Kirche(1678) 聖母教会とも呼ばれた。寄棟屋根と2重天
   窓のある身廊で、1753-54に元の建物に基づいて再建された。
 カイザーベック家 Kaiserbeck haus(16c) 2階建ゴシック切妻屋根の建物で、4階建ブラインド
   アーケードリフト開口部のある裕福な市民の石造の建物。前面は美しい。
 ゲストハウス Haus des Gastes(1450) 2階建の急傾斜屋根に、17cの正面階段切妻を
   改造、1975内部を更新した。元は侯爵司教の穀物倉庫であったが、今は町
   のゲストハウスである。
 司教営林署 Bisschoefliches Forstamt(1751) バロックの正面入口の2階建寄棟屋根
   の建物。
 旅館ミリップ Gasthof Millipp(1458) 2階建の複雑な切妻の木組の家。16-17cに改
   修された。
 旅館王冠 Gasthof Krone (18c) 2階建の前段切妻と持送張出の建物で、18cに
   再建された。

5.写真

市庁舎 聖バルブルカ教会
魂の修道女塔 耕地塔
馬塔 水汲取塔
ザフュッター塔 市民塔
乞食廷史塔 東壁
南西壁 北西壁

5.町の略図

[戻る④門塔]

戻る

べルヒング Berching BY7

1.歴史

 883 皇帝カルロス3世文書に初言及、  912 アイヒシュタット司教が所有し事務所設置、
 1245 市場権を付与された、     1296 要塞化された場所となり1314町に、
 15c 要塞改修で4門13塔に市壁を拡張、1525 農民戦争は市壁で無傷で守られた、
 17c 30年戦争と疫病で人口減少、   1806 バイエルンの支配で事務所廃止・衰退、
 1808 ナポレオン戦争でアイヒシュタット司教支配は終焉、1822 穀物や牛の市場を開設。

2.市壁  1.4km 1.00

   1465から拡張された市壁と街並みは、そのまま維持された。市壁上通路は東側
  で部分的に通行できる。1685市壁の一部が破損したが、更新されて全延長が残る。

3.塔  4門13塔

   15cの門や塔は全て残されている。
 Mittleres Tor東門。北隣に16c美しい3階建片持ち木組・急勾配屋根の建物。
 Gredinger Tor西門。上門と呼ばれ13cに設置、15cに前門が付けられた。
 NeuMarkterTor北門。昔はKrapfenTorと呼ばれ、古い通商路のあった場所。
 BeilingerieserTor南門。昔はSiechenTorと呼ばれ、病室が置かれた。
 Bettelvegt Turm乞食監督塔。昔は監獄があった。市壁通路に登れる。
 Dachsen Turm穴熊塔。
 Pulver Turm火薬塔。弾薬の貯蔵所であった。、コウノトリ塔とも呼ばれた。
 Chinwsen Turm支那塔。仏塔の屋根に似ている。隣に飲み屋が建った。
 Frauen Turm北西角、悪女の晒し台があった。
 Biersieder Turm西北、
 Schmidtweher Turm西、投石機を装備した円塔。
 Amtskneht Turm西南角、雇兵事務所塔、昔は監獄。外に二重堀、小門付き。
   Bildhauer Turm南、彫刻家塔。角塔。
 Pfeiffenschnider Turm仕立屋塔、角塔。
 Bad Turm南東角、風呂塔。円塔
 Schiess Turm東、射撃塔。
 Ziegel Turm東、レンガ円塔。

4.見所 A 

    門や塔のある市壁に完全に囲まれ、古い町並みが残され、建物群も色とりど
   りの漆喰が見事である。東側に中央に聖ロレンチィン教会のある一部市壁で囲まれた
   旧市街地が存在する。
 旧市庁舎 Ehem.Rathaus(1693) ワイン商人ゲオルグ・ペッテンコッハーが商館として
   建てた。3階建マンサード屋根の建物で入口の戸には家の紋章が残っている。1795
   から市庁舎として使われ、今は郷土博物館となっている。
 古市庁舎 Altes Rathaus(1693) 2階建のサドルルーフ構造の古い市庁舎は、
   改修され1785の梁がある。
 マリア昇天教区教会 PfarrKirche Mariae Himmelfahrt (1488) 美しく贅沢
   な建物。1519教会の改修が行われ、3つの新しい祭壇が奉献された。1755-60に
   北入口は明るい空間となり、中央高祭壇画は空の聖母マリア像である。1974外装、
   1992内装、2014屋根改修。
 旧フランシスコ修道院 Ehem.Franziskaner Kloster(1725-36) ベネディクト会と
   との競合があり時間を要した。天窓付き急傾斜屋根の広間教会で、聖トリニタスに
   の捧げられた。1802の世俗化後に旧病院となり、玩具博物館となって、ブリキの
   玩具・人形・錫フィギアー・人形部屋・模型等が飾られている。
 聖ロレンツ教会 St.Lorenz Kirch(1062) 13cの力強い内陣塔を持つ、古い記録
   によると883には礼拝堂が存在した。身廊の壁は11cに遡る。1519迄は教区教会
   であったが、今は教区の副教会である。30年戦争で破壊されたが、1680-85初期
   ゴシックで修復された。1980-81前面改修が行われた。
 プランクシュッテン修道院 Plankstetten Kloster (1129) ヒルシュベルクの伯爵によって
   司教修道院として設立された。15cに改革を実施し醸造所を設立したが、1525農
   民戦争・17c30年戦争で大部分を破壊された。17c終わりにバロックの再建が行われ
   たが、1806世俗化で解散され、1904再構築して農業学校を開設した。1925神学
   校・1959中学校・1978ベルヒング市が所有した。市の3km南にある。
 十分の一税倉庫 Zehentstadel(1464) 領主司教の十分の一税倉庫で、印象
   深い階段切妻がある。地租の穀物を収容した。
 郷土博物館 Heimat Museum (1979) 町の歴史・地域の手芸品・陶磁器・手
   工業品・農機具などを展示。

5.写真

南門 市教区教会
東門 北門
西壁 西門
南西壁 屋根付市壁
射撃塔 東壁
穴熊塔 雇兵事務所塔

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

ブルクハウゼン Burghausen  BY8

1.歴史

  788 カロリング朝は川の関税城を構築、   1025 帝国財産として最初の文書言及、
 1027 皇帝コンラッド2世はブルクハウゼン伯を置く、 1164 侯爵ハインリッヒは城と谷の町を所有、
 1255 ヴィッテルバッハ家は都市権を与え塩貿易、 1307 バイエルンン皇帝は都市法を法典化、
 1336-43 皇帝ルードヴィッヒは特権を授与、   15c16c 三代侯爵の下に最盛期、
 1594 侯爵の塩の専売制創設で収入増、   1618-1745 30年戦争と承継戦争で荒廃、
 1807 首都の名前を剥奪された、      1891 守備隊の引揚で田舎町へ、
 1969-71 旧市街地の再開発と洪水防御。

2.市壁  1.70km 0.88

   市壁と城壁がくっ付いて町と城を守っている。北側にSalzach川とWoehr湖に達す
  る防御壁260mがあり、城の南端までは山頂の壁が両側1.00kmと、南側の市壁500mが
  ある。市壁の南端200mは残っていない。

3.塔  5門20塔

  山上の6城郭に20の門と塔が残り、IndenGruebenの入口に2アーチ、湖の出入り口に
  2階建ての角塔、市街の西南角の山頂に大きな4階建ての円塔、その南に下った所に
  2階建ての角塔が見られる。

4.見所 C

城は山頂に、市街は山とSalzach川の間の平地に密集している。
  Burg(8c) 世界で最長1.051kmの城で、AusserBurghofからInnerSchloss
   hofまでに6区画に遮られている。初めは、侯爵の塩航路を守る砦であった。1164
   まではブルクハウゼン侯爵、1169城の拡張、1180ヴィッテルバッハ家の再拡張、13c下バイエルン
   侯爵による全新築、15c下バイエルン侯爵による主要建物の建設、1632スエーデン来襲に
   備えて防備強化、1801仏軍に外堡を壊された、1860再建が行われた1891改造、部
   分的に私有化。
    今は、市歴史博物館:市の歴史・周辺の考古学・城の統治・民芸・軍事・絵画・彫刻
   ・蝶の展示、美術館:美術の推移、国立城博物館:侯爵の住居・後期ゴシック美術品・展
   望台・城礼拝堂、写真博物館:写真と映像技術の進展・町の古写真、ドイツ写真家。
 町広場 StadtPlatz(16c)町の中心で4階建ての色とりどりのルネッサンス・バロック
   ・ロココの切妻建物が周囲を囲む美しくて大きい広場。
    市庁舎(1307)1788改修、女子英語学校(1687) 1771改築、煙の家(16c)1762
    ロココ切妻、塔が美しい。
 木組の家 Grueben(13c)大部分が後期ゴシックの木組みの建物が並ぶ細い
   路地で、職人が住んで工芸品を作ってきた。
 税関宮殿 MautnerSchloss(16c)選帝侯の宮殿で塩の関税を扱っていた、
   1912に改造され、1977に建て替えられた。今は市の教育と講演会場。ジャズケラー。
 聖ヤコブ教会 PfarrKirche St.Jakob(1140)1353の火事の後仮設で再建、
   1504の火事でも被害を受けた。塔は1470に基石が置かれ、1726に頭飾り付けら
   れた。1781円天井が置かれ、1815-55南身廊の倒壊後に再建。その後ネオゴシックの
   飾り付けとなった。
 学校教会ヨーゼフ StudienKirche St.Joseph(1630)昔のイエズス会修道院の
   教会で、後期バロックの美しい正面玄関がある。1781塔が付けられ、1863火事の後
   1874奉献された。本祭壇は1720元イエズス会愛大講堂から来ている。

5.写真

北壁 城塔
西南山頂塔 城西側
ザルツアッハ川橋 町広場
町広場 溝入口門

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る④門塔]

ブルクレンゲンフェルト Burglengenfeld  BY9

1.歴史

 7c初 入植地と列状埋葬地が出土、    817 町の位置をアルメンホフ集落と呼んだ、
  900 今の名前となり城は侵攻された、        1091 城壁と上門が築かれた、
 1123 エンスドルフ修道院の文書に言及、    1270 決済市場に昇格して市街地拡大、
 1462 市場の2次形成と市壁の完成、    1542 町は都市権と紋章を授与された、
 1702 町の名前が今のブルクレンゲンフェルトに、  1937 行政改革でシュバンドルフ郡に、
 1972 ブルクレンゲンフェルト郡はバイエルンの上プファルツ県の一つの郡であった。

2.市壁  1.47km 0.57

   14cに市民の集落は高さ5mまでの防御施設を備えた。16c初めに屋根・壁上通路付
  の市壁が建てられ、正方形で突出した塔が市場を囲んだ。1462山頂の城と平地の旧
  市街を結ぶ斜面の市壁が築かれ、山腹を含めて市壁内となった。残っているのは、
  城壁・山腹・Stadtgraben沿いなどである。

3.塔  0門1塔

   かっては5門があり、昼間の旧市街への出入り口であったが、全て取除かれた。
  上門は、マルクト広場の南端にあった。橋門は、東の橋頭に在り塔内には守衛の住居が
  あったが、1857に道路の拡張で除かれた。水門は、北方にありシュパンドルへの通りで
  あった。クリンゲン門は、東南方向の城山への歩道に在った。エアディング門には、ナープ川
  へのケラー路地にあり税関の建物があった。
 エアトル塔 Oertl Turm (1505) 市壁の南西の角に在る見張塔で、マルクトの外側に拡
  張された場所に、プファルツ・ノイブルクの時代に建てられた。この塔は戦乱を生き残り、
   EUの資金で2009に復元された。その後催し物や町の展示に使われ、多数の記録や版
   画から建物の変遷が分かる。

4.見所 C

   1970からバイエルン州の資金を得て、記念碑的な主要な建造物は修復されている。
 市庁舎 Radhaus (15c) マルクトに建てられ、1585にルネッサンス様式で改造された。1424最古
   の釣鐘が付けられ、1483左の塔にフスの鐘がある。前面は二つの六角塔に挟まれ
   て3階建ての切妻がある。1542都市権の授与はノイブルクのプファルツ伯オットーハインリッヒに
   よって行われた。筒形円天井と16cフレスコ画にゴシックの残りが見られる。1990から
   全体的改修が行われて、外観は色鮮やかになった。
  Burg (10c) 城は10cに始まり、11c末にはハンガリーの亡命者が天守閣を付け加えた。
   1123-46ヴィッテルスバッハ・プファルツ伯オットーは大規模な城と宮殿の施設を拡充強化し今の
   姿を形成した。全体の敷地は2.38haとなり、高さ7mの円城壁で取巻いた。
 大事務局 Grosse Kanzlei (1255)バイエルン公爵家の遺産分配で、ドナウ左岸の広大な
   ヴッテンバッハの領地を管理するため、この町が事務局の所在地となった。1329の分
   割条約で、土地の分散を修復することが決まり、プファルツ・ノイブルク公国の組織が
   1505まで続いた。プファルツ・ノイブルク公爵夫人の下で、大事務局への改造が行われた。
   領主の会計局・地方裁判所・バイエルン王の役場・郡会事務局として使われた。
   1987から上プファルツ民俗学博物館となった。
 旧簡易裁判所 Ehem.Amtsgericht (16c)16cの重罪裁判のための裁判所は1803地方裁判
   所となった。1806バイエルン王立地方裁判所、1878-1918王立バイエルン簡易裁判所と呼ば
   れた。1911ユーゲントシュティールで新築された。2006町の所有となり、改造されて今は市
   営企業が使っている。
 アルメン館 Almenhof (9c)守り易い四角の館は817に初文書言及された。魅力的な木組の門
   造りと筋違があった。1799-1808選帝侯の銃の火打石工場が置かれた。左側の建物
   近郊の火打石の生産は、バイエルンの火打石式発火装置・ライター石の製造に繋がった。
 新教キリスト教会 EV.Christus Kirche(1706)カプチン派の定住で成立した。1717教会が奉献
   され、1720回廊と庭のある修道院となった。1765修道士は居酒屋のあるビール醸造
   所を建て、今でも修道院酒場として残っている。世俗化に際しては、20人の修道
   士と6人の本修士が去った。世俗化後の建物は貯蔵庫・消防器具庫・女性学校・眼鏡
   工場として使われ、1993町の駐車場となった。修道院教会は1959新教のキリスト
   教会になった。
 聖ヴィート教区教会 PfarrKirche St.Vitus (1315)城の下で成長した集落のためにゴシックの
   教会が建てられ、聖ヴィート・殉職者・14人救護聖人が守護聖人とされた。1537公爵フイリ
   ップは鐘を寄進し、今でも使われている。1542-1617新教の教区教会、1748バロック風
   に改装され、1891教会の塔は嵩上げされ、ロマネスクのポータルが造られた。

5.写真

市庁舎
エルトル塔 西壁
西北壁 西北壁
北壁 聖ヴィーツ教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

クロイセン Creussen BY10

1.歴史

 1003 最初の文書言及、後の皇帝ハインリッヒ2世とシュバインフュート辺境伯の紛争、
 1358 カール4世はニュルンベルク城伯の領土として町に昇格、1358-61市壁・市壁の完成、
 1430 スフ戦争、1618-48 30年戦争で町は荒廃した、 1791 辺境伯が町を売却、
 1791 町はプロイセンの所有となった、 1807-10 仏の支配の後にバイエルンへ引渡し、
 1893 町の大部分は燃やされた。

2.市壁  0.68km 0.99

  1358-61に市壁は築かれた。市壁は殆どの部分で残されている。

3.塔  3門2塔

 ヘフナー門 HoefnersTor(14c) 西南、
 ミュール小門 MuehlToerlein(1361) 西中、
 後門 HinteresTor 北西(14c) ビアマグ博物館を収容。石造や陶器の水差・
   ビアマグを多く展示している。
 マレフィッツ塔 MalefitzTurm(14c) HungerTurmとも呼ばれ、刑務所にもなった。
   円錐屋根の円塔。
 マルクス塔 MarkusTurm(1477)

4.見所 C

   市壁に囲まれた旧市街地には小さいが、塔や古い建物が多く見られる。
 市庁舎 Rathaus(1360) フス戦争で壊された後に、1477に新築された。
   パン屋と肉屋の販売スタンドとして長い側石を使った。
 聖ヤコブ教会 PfarrKirche St.Jakobus フス戦争による破壊の後に、1447
   に再建された。1700に今の姿になり、室内装飾は大部分がバロックになった。
   教会の塔は、昔の城の天守閣の基礎の上に立っている。
 旧ラテン学校 Ehem.Lateeinschule 全盛期には町の外遠くまで名声が伝
   わった。
 司教館と旧公共醸造所 PfarrHaus und ehem.KommanBreuhaus マルクト
   広場の司教館と旧公共醸造所(1806-1957)今は新教の教区会館となっている。
 水差し博物館 KruegeMuseum 1950に後門の門衛の詰所に1950に開設さ
   れた。隣接する死刑執行人の家に拡大展示された。石造や陶器の水差・マグカップ
   が面白い。

5.写真

後門 陶工塔
マルフィッツ塔・後門 司祭館
東壁
聖ヤコブ教会 マルクト広場

5.町の略図

[戻る③壁率]

デッテルバッハ Dettelbach BY11

1.歴史

  741 町の文書での初言及、   1484 領主・司教のヴルツブルクから都市権、
 1503 聖教区教会の完成、5門52塔のある市壁を築いた、
 1506 巡礼の始まりで通商が盛んとなる、 1618-1648 30年戦争、
 1803 ヴルツブルク大公国となる、      1814 バイエルンに帰属。

2.市壁 1.00km 0.5

  北0.2kmと東0.3kmと西0.5kmに残っている。南は19Cに道路のために破壊。

3.塔数 2門30塔

 昔5門と52塔があったが、今でも2門30塔が残っている。
 橋門 BrueckTor 北 四角2階建門塔、三角屋根。
  門 FulterTor 東北 四角4階建門塔、内に手工業博物館。
 その他壁塔 Turum 高いのや低い防御塔が多数残っている。

4.見所  C

   旧市街地は、多くの塔のある市壁に半ば囲まれ、古い装飾の木組の家、
  可愛い市庁舎や山頂の塔を繋いだ教会、などが見所の小さな町である。
 市庁舎 Rathaus 1484-1512建、後期ゴシックの3階建で小川の上に建つ。
   下階は図書館、上階は行政と学校、3階は大広間と市長室・市議会場に使用。
   1986外階段付きの玄関塔を改修した。
 聖アウグスティヌス教会 St.AugustinusKirche 1444建、騎士の館の跡に東
   内陣と四角塔を建てて教会とした。16Cに118段の階段を持つ細い円塔を建て、
   中空の木製の橋で四角塔と繋いだ珍しい景観がある。
 木組家 HolzHaeuse 
    多くの木組みの家が残っている。古いパン屋の前には見事な看板がある。

5.写真

市庁舎 蝶塔
北壁 南西壁
東壁 西壁
門塔 蝶門
パン屋 聖アウグスティヌス教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る④門塔]

戻る

ディンケルスビュール Dinkelsbuhle BY12

1.歴史

 1030 貿易路を守る防備を持つ集落、1188 皇帝バルバロッサの寄付の文書に言及、
 1273 帝国都市特権を保持、     1372 市壁が拡大され、1450市壁の完成、
 14-15C 経済の絶頂期であった、   1534 市民の大半はプロテスタント宗派に参加、
 1616-48 30年戦争で8回占領された、 1632 スエーデン軍の略奪は子供の願で免れた、
 1802 バイエルン後にプロイセンの支配下に、 1806 再びバイエルン領となった、
 1826 ルードビッヒ王は壁と塔の解体禁止、1945 市壁と塔で囲まれた旧市街地は
  2次大戦を生き残った。

2.市壁  2.35km 0.98

   11Cの古い円形の市壁は、OntereSchmied-、Fohren-、Weth-Gasseで囲まれる。
  14-15Cに現存の市域への拡大、2.4km4門15塔で1450に市壁の完成。
   市壁には、道路による切れ目が5箇所ある以外は、今でも見られる。

3.塔  2門11塔

  4門は全て角塔、15塔は7円塔と8角塔で、全て残っている。
 ローテンブルク門 RothenburgerTor 北 2階建角塔の前門と破風屋根付4階建角塔
    の本門の二重門。
 ヴェルニッツ門 WoernitzTor 東 4階建角塔に3角屋根。側門付き。
 ネルトリンゲン門 NoedlingengerTor 南 3階建角塔に三角屋根、川側に要塞化さ
    れた水車小屋が、今は三次元博物館となっている。
 ゼークリンゲン門 SegringerTor 西 4階建て角塔にタマネギ屋根。
 7角塔 東南Henkers-、Baeuerlins-、南西Hagel-、Weisser-、Berlins-
    Waechters-、西Dreikoenigs-Turm。
 小要塞 KleineBastei 東 市壁の折れ曲がり角に2階建て角塔の小要塞。
 7円塔 東南Dreigangsー、南Salwarten-、Krugs-、Hertles-、Haymars-、
    Gruener-、Faul-Turm。

4.見所 B

    市壁に囲まれた旧市街地には古い木造や石造の建物が多く並んでいる。
   高い教会や博物館が興味深い。
 聖ゲオルグ教会 St.Georgskirch 1448-99建、後期ゴシックのヘレンキルヘであり、
   長さ77m、幅22.5m、高さ21.5mの大きな建物であり、塔からの眺めは美しい。
    内陣はゴシックの聖体安置所1480、説教壇、洗礼盤などは創建時のもの。
 歴史博物館 HistorischesMuseum 1280建、施薬院の建物に、町の歴史
   と美術品・工芸品・道具などを展示。
 木組家 HolzHaus 旧市街地には古い木造家がある。
   1440建 ドイチェハウス 前面にルネッサンスの装飾が美しい。3階建て切妻付き。今ホテル。
   15C建 ゴルデネ・ローゼ 2階建て切妻付き、今ホテル。
   15C建 バイセス・ロス 2階建て切妻付き。今ホテル。

5.写真

ヴェルニッツ門 ローテンブルク門
マルクト広場 ドイツハウス

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

アイベルシュタット Eibelstadt  BY13

1.歴史

  787 文書に町の創立の言及、   1260 ヴュルツブルク本山の聖堂参事会が支配、
 13c ワインの名産地に、       1309 ヴュルツブルク本山の地下貯蔵所を設置、
 1434 皇帝ジキスヘントが都市圏を授与、  1435-1580 楕円形の市壁を建設、
 16c スフ戦争で市民は皇帝を支援、 1803世俗化後ヴュルツブルク支配は終わりバイエルンへ、
 1805 フェルナンド大公のヴュルツブルク大公国に、 1814 最終的にバイエルン王国に帰属、
 1818 バイエルンの布告で今日の自治体へ。

2.市壁  0.99km 0.84

  1434-1580市壁は建設され、東北の一部を除いて保存されている。

3.塔  3門13塔

    楕円形市壁の長軸側にヴュルツブルク門とオクセンフュート門が、直交する川側にマイン門
   と東北側に現存しない落下門が置かれた。防御塔として川側に6円塔と2半円殻
   塔があり、東北側に5円塔がある。時計回りに・・
  Wuerzburger tor (15-16c) 北側 アーチ門のある寄棟屋根の長方形の門塔。
  KereTurm (15-16c) 北東角 ベル型帽子付4階建て円塔。
  RundTurm (16c) 東北側 円塔の切株。
  KeesTurm (16c) 東北側 屋根なし3階建ての円塔。
  EulenTurm (16c) 東北側 円錐屋根の3階建ての円塔。
  DickerTurm (1562) 東北側 又はFederolfsturmのベル型帽子の3階建円塔。
  WeissenTurm (16c) 東北側 屋根のない3階建ての円塔。
  Ochsenfurter tor (16c) 南 アーチ通路のある寄棟屋根の2階建ての角塔。
  MauerTurm (16c) マイン側 屋根なしの3階建て円塔。
  MauerTurm (16c) マイン側 円塔。
  Main tor (16c) マイン側 両側に2階建ての円塔が在りその間をアーチで繋ぐ。
  MauerTurm (15-16c) マイン側 大口径の2階建て円塔。
  GasTurm (15-16c) マイン側 円錐屋根の3階建て円塔。
  Halbrunder SchaelenTurm (16c) 屋根のない大口径半円形の殻塔。
  Halbrunder SchaelenTurm (16c) 屋根のない大口径半円形の殻塔。
  HenkerknecktsTurm (16c) 屋根のない3階建ての円塔。
  MauerTurm (15-16c) 屋根のない2階建ての円塔。

4.見所 D

   ほとんど市壁と門塔に囲まれた小さな町で、旧市街に目立った物はない。
 市庁舎 Rathaus (1708) ヴュルツブルク大聖堂参事会は後期バロックの
   典型的な3階建ての事務所をたてた。この建物は後に市庁舎として
   使われた。建設時のスコッタ天井がある。
 町教区教会 StadtPfarrKirche (13c)最も古い部分は13cに遡り、
   マルクト広場の北側に建つ三身廊の教会は、1480-1525と1625に増築と改築が
   行われて今の姿になった。1515シュナイダー工房のゴシックの祭壇がある。
 町博物館 Stadtmuseum 飾られた古い木組みの夜明けミサの家に、
   地元の博物館がある。

5.写真

市庁舎 Kere塔
下門 フクロウ塔
アクセンフュート門 西壁
Kees塔

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る④門塔]

フラデュンゲン Fladungen  BY14

1.歴史

 789 フルダの聖ポニ修道院に遺贈の文書言及、 1217フラヅンゲン貴族がヘンリー文書に、
 1218 フリードリッヒ2世は市場を開設、     1335 バイエル王ルーデビッヒは都市権授与、
 1343-1435 ヴュルツブルク司教とフルダ修道院の争い、 1397 フランク都市連合に加盟、
 1398 市壁を建設、            1514 フラヅンゲン貴族断絶しザクセンへ、
 1635 スエーデン軍の放火で全滅、ペスト流行、  1760 フレデリックとオーストリアの戦争、
 1803 世俗化でバイエルンへ、1805 ヴュッテンブルク大公国へ、1814 バイエルン公国に帰属、
 1945 米軍が占領。

2.市壁  0.85km 0.97

   1335の市壁は、まだほとんど元の高さで強力な堀と共に町を囲んでいる。

3.塔  1門9塔

    市壁には5塔と16壁頂小塔があった。
 上門 Ober tor (1335) 北 MaulaffenTurmとも言う。鉾に階段塔が立つ長
   方形の4階建て門塔で、1560に改造されている。
 苛め塔 VexierTurm (14c) 北西角 3階建ての円塔で1601からフラスキーフード。
 テュルナー塔 ThuernersTurm (14c) 西 切妻屋根の4階建て正方形の塔。
 ヤコブ塔 JacobTurm (14c) 南 切妻屋根の3階建ての角塔。
 火薬塔 PulverTurm (14c) 南東 教区教会近くの3階建角塔。1595嵩上げ。
 下小門 UnterPforte 東 近くに壁の切れ目がある。
 5塔頂小塔 5ReiderTurm 市壁の頂部に小塔を乗せ、北5基・東1基・西1基。

4.見所 C

    小さな旧市街には17-18cの旧病院など漆喰塗や木組み形式の多くの切妻屋根
   の美しい建物があり、ヴュルツブルク本山の記念碑的な建物も存在する。
 市庁舎 Ehem.Zehnthaus(1601-26)旧十分の一税倉庫であり、4階建渦巻装
   飾切妻の2翼の大きなネオゴシックの建物は、今市庁舎とローン博物館となっている。
 聖キリアン教会 St.Killian kirche(14c)初めの教会は1440に焼失し、1488次
   の教会も落雷に遭い1582抜本的に構造変革した。1613-17新教会を再建したが、
   30年戦争で焼かれ、1656-59現存のロココ教会が建てられた。四角塔は教会から独立
   し、途中から八角形になっている。正面祭壇に4円塔が立ち両脇にも祭壇がある。
 上粉挽き所 OberMuehle (1708) 半寄棟屋根上階装飾トラスの水車付の建物。
 旧病院 Ehem.PfruendnerSpital(1770-74)装飾トラスの見える3階建てセミデタッチ
   ハウス。入口扉は1870のもの。
 宿屋ライオン Gast Zum Loeben (18c)上階木組みの切妻屋根の家。
 木組の家 Fachwerkhaus(17-18c)露出トラスの2階建切妻屋根の家。ドアは19c
 木組の家 Fachwerkhaus(17-18c)木組破風付2階建ての木骨造の家。
 切妻屋根の家 Staffeldachhaus(18c)木組み漆喰塗り2階建ての角家。
 半寄棟屋根の家 HalbWalmdach haus(1800)上階木組みに家。
 切妻屋根の家 Satteldach haus(17-18c)上階木組で枠は露出している。

5.写真

火薬塔 ヤクブ塔
Thuerners塔 Vexier塔
南小門 北壁
東壁 東壁
旧禄付聖職者養老院

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

フリッケンハウゼン Frickenhausen am Main BY15

1.歴史

 9c 入植地はバーデンベルクの区域、   9c 贈物としてヴュルツブルク本山へ、
  903 バイエルン王王ルードビッヒの王室財産への贈与、1182 ルーカス3世は本山にビラを贈与、
 1276 司教ベルトルト2世は本山事務所を編入、 14c 本山は売却で借金を返済、
 1406 市場権を授与された、       1475 大聖堂参事会は大型ワイナリィを建設、
 15c 市壁が長方形で建設された、   16c ガウス教会と市庁舎は後期ゴシックで建設、
 1560-1806 フランク州に属した、     1803 司教は世俗化されバイエルン王国に帰属。

2.市壁  0.61km 0.59

  15-16cの市壁は長方形の旧市街を囲み、約半数が残されている。

3.塔  4門10塔

   4門と北側の5円塔・1半円殻塔、南側の4は半円塔がある。時計回りに・・
 下門 Unter tor(1518) 西門塔 アーチ通路付切妻屋根に渦巻切妻のある鐘楼
   付石造4階建て角塔であり、横の守衛の家は16-17cに上階木組の両切妻屋根の建
   物に漆喰塗し歩道が貫通している。今は体操とスポーツ教会が入っている。
 半円殻塔 HalbrunderschaelenTurm (16c) 西 半円形の切株。
 円塔 RunderTurm (16c) 北西の角 屋根なし1階建ての円塔。
 円塔 RunderTurm (16c) 北西 屋根なし2階建ての円塔。
 ヨアヒム塔 JoachimsTurm (16c) 北西 円錐屋根付4階建ての円塔。
 円塔 RunderTurm (16c) 北中 屋根なし2階建ての円塔。
 上門 Ober tor (1483) 東北 木骨造の上階の2階建て両切妻屋根の単純な
   正方形の構造で門塔アーチの左外側に1483の年号石版。1921自転車競技連盟が入居。
 粉挽門 Muehler tor (16c) 東門塔 切妻屋根4階建ての石積塔。以前の
   ルネッサンス渦巻飾りの切妻が在ったが1879に燃えた。1890.1898の火事で塔は渦巻模
   様失い、1963迄人は住まなかった。1899男声合唱団は増築して練習場とした。
 半円塔 HalbRunderTurm (16c) 南 屋根なし半円塔。
 半円塔 HalbRunderTurm (16c) 南 市壁屈折部の半円塔。
 マイン門 Main tor (1477) 南 3階建ての重建築の角塔で両切妻屋根と1784の
   洪水位と古い町の紋章ある階段切妻がある。通路アーチの外側の上にゴシック小文字の
   年号石版がある。
 円塔 RunderTurm (15-16c) 南 屋根なし2階建ての円塔。

4.見所 D

   古くからのワインの生産地の小さな町。殆どの市壁が残り木組みの家が見られる。
 市庁舎 Rathaus (1480) 後期ゴシックの2階建て勾配屋根の石造建物は1480に建
   建され、16c後半に改修された。美しい屋外階段と後期ゴシックの窓飾がある。上階
   には広々とした社交室があり色鮮やかな梁天井と回廊がある。側壁の上には領主
   の紋章が見える。1710ラッツケラーの前にはマリエン記念柱が建てられた。
 聖ガルス教区教会 PfarrKirche St.Gallus(1514)後期ゴシックの三身廊のハレン教
   会として建てられ、1605-16に改修された。1617ブレンク彫刻工房により3祭壇の調度
   は創作された。1750砂石洗礼盤には精巧な装飾が施されている。
 ブドウ農園 Weingut Maintzinger (1119) ヴュルツブルク聖堂参事会のワイン醸造所
   として建てられ、1715-16西にバロックで拡張された。今もワイン醸造所である。
 フッフナーゲルの家 Haus Hufennagel (1700) 2階建の建物で角壁柱玄関に階段壇
   とアーチ状カゴ隔壁がある。窓の下には2つのライオンが支えた庇がある。
 グレッサーの家 Gresser haus (18c)エレガントな2階建ての建物で、湾曲した天窓付
   のピラミット屋根があり入口の上には聖家族の群像がある。中には木造階段がある。
 侯爵の館 Fuersten hof () バロック2階建の建物で、中の階段と広い食堂があ
   り、外にはロマネスクの中庭とツルベ井戸がある。
 シュバルツェンベルク宮殿 Schwarzenberg Palais (19c) 優雅なバロックの建物で、
   きらびやかな前面にはマドンナ像が描かれている。土台の主要部分は古い。侯爵帽
   の錬鉄の塔は1992に付けられた。
 市参事会議事堂 Buergerhaus () ヴュルツブルク司教と聖堂参事会の視察の際に
   はここに宿泊した。大きな古い地下室は、今は市庁舎食堂と催物会場となり、
   1882町が入手し、1967迄校舎と先生の宿舎となった。上階の部屋には貴重な化粧
   漆喰としてブドウのモチーフと狩りの獲物が描かれている。

5.写真

市庁舎 下門
マイン門 粉挽門
ヨアヒム塔 下門外壁
西壁 北壁
北西壁塔

5.町の略図

[戻る④門塔]

ゲロルツホーフェン Gerolzhofen BY16

1.歴史

  750-79 フルダ修道院の贈物証書に初言及、 1296 ゲロルド2世は町として要塞化、
 1345 ワイン市場が開設された、1357-59 バイエル王ルードヴィッヒの要請でユルツブルク司教都市、
 1397 町は長方形の市壁と2門で守られた、   15c後半 外側市壁が構築された、
 1525 農民戦争で大被害を被った、       1615-19 魔女裁判で261人を処刑、
 1618-48 30年戦争・火事・飢餓・ペストで人口1/4、 1796 帝国軍と仏革命軍との戦い、
 1805 世俗化でバイエルンに所属。

2.市壁  2.25km 0.71

    1397に旧市街の中心部を矩形に囲む市壁が築かれ、部分的に住宅内に残る。
   15c後半から四方に拡張して外側市壁が築かれた。略図のように多くの外壁が残
   されている。中心壁は残り810mで残存率0.68、外側壁は残り1.440m残存率0.73。

3.塔  0門15塔

    中心壁の2門は1871-77に取り除かれた。
 フクロウ塔 Eulen turm (14-16c) 西 1830まで教区監獄で魔女を拘束したため
   魔女塔とも呼ばれ、5階建ての角塔で玉ねぎ帽子が乗る。
 白い塔 Weisser turm (14-16c) 東 20mの高さの円塔に南欧風ズキンが乗る。
   1803まで監獄であった。古い北側入口は道路から5mの高さにある。
 中壁塔 Mauer turm (16c) 南西角の3階建て円錐屋根の円塔。
 中壁塔 Mauer turm (16c) 北西角の円塔の切株。
 八角塔 Achteckiger turm () 南 2階建ての白塔。
 ビブラ塔 Bibra turm () 西 紋章や碑文のある円塔。
 外壁塔 Mauer turm () 西南 円塔の切株。家に構築されている。
 外壁塔 Mauer turm () 西北 円塔で住宅に転換。
 外壁塔 Mauer turm () 西北角 円塔。
 外壁塔 Mauer turm (1489) 北西端 円錐屋根の円塔に3階建ての薄い住宅。
 3外壁塔 Mauer turm (15c) 北 円筒の切株が3基ある。
 シェレンベルク塔 Scherenberg turm (15c) 東北 円塔。
 南東塔 Suedost turm (15c) 南東角 円塔。火薬塔として使われた。
 外壁塔 Mauer turm (15c) 南東 円塔の切株。

4.見所  C

   二重の市壁と塔に囲まれた中都市で古い建物が残されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1475) 特殊なゴシック切妻の3階建で、1585南に裁判
   所と市参事会員の祝賀宴会場の建物が付けられた。地階には昔常設市場で、今は
   町の応接のための機器庫である。1984から市博物館であり、バイエルン学校博物館も
   併設している。
 市教区教会聖マリアとレギスビンド StadtpfarrKirche Hl.Maria vom Rossenkranz und
   Hl.Regiswindis (1436-79) 1600徹底的に更新、1899-1902拡張された。急な
   スレート屋根のゴシック3廊の大教会で、北壁にはリーメン・シュナイダー型の4mの高さの3ロザリオの
   マドンナ像がある。
 旧郡庁 Ekem.Oberamthaus (1580) 3階建てのルネッサンスの建物で、渦巻装飾の切妻が
   ある。1738食堂を増築した。ヴュルツブルク領主司教は1525農民戦争で焼けた城の
   館の跡に建物を建て、1732郡庁、1862地区事務所と地方裁判所、1936区庁、1979
   市庁舎と行政共同体を収容している。
 病院 Spital (1402)シュバインフュートの貴族が、貧しい人のために寄付した。
   1600領主司教が新築した。今は市立図書館・公文書館・ワイン食堂付市民病院。
 旧役所 Ehem.Amtshaus (1600) 渦巻き模様の切妻あるルネッサンス3階建ての
   階段塔付の建物代官事務所であり、後にヴュルツブルク司教の夏の離宮であった。
   1805バイエルン王国の会計局、1920税務署、1978国家営林局を収容している。
 木組みの家 Fachwerkhaus Teusch (1566) 隅に出窓小塔のある美しい木組の家で、
   聖アンドリューの十字架ギャラリィがある。1644代官屋敷、1768と1818市長の住家。
 市博物館 Stadt museum 縫製の歴史とミシン進化の展示とバイエルン学校博物館。

5.写真

市庁舎 フランキールング塔
フクロウ塔 白塔
北外壁 東外壁
南東隅塔
市教区教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る④門塔]

ハイディングスフェルト Heidingsfelt im Wurzburg BY17

1.歴史

  779 チューリンゲンのヘダン侯爵文書に初言及、1367 町は都市権を授与された、
 1567 中ヴュルツブルクのユダヤ人定住地、    1630 30年戦争でスエーデン軍が占領、
 1811 ユダヤ人墓地の始まり、       1930 ヴュルツブルクに併合された、
 1803 世俗化後ヴュルツブルク大公国に、    1806 バイエルンに帰属した、
1945 2次大戦の空爆で町の85%が損傷した。

2.市壁  1.44km 0.92

   1368-15cの市壁は17cに補強され、土堤・水城・3門・16塔があり、ほぼ完全に
   保全されている。19cに塔や市壁の一部が壊され、土堤は浸食され水堀は埋め
   られた。1945の戦災で壊されたが、戦後1978-79に再建された。

3.塔  2門17塔

 ニコラス門 Nikolaus tor (1367) 西北の門塔 初めクラウス門とも呼ばれ、
   建物の間にアーイ通路がありその上に階段切妻が乗っている。19cに部分
   的に取壊され内壁が残った。
 クリンゲン門 Klingen tor (1367) 元南西の門で、今は帝国の鷲とボヘミアの
   紋章のみが立っている。
 ドル塔 Doll turm (14-15c) 西 ドル路地の側の2階建の大きな半円塔で
   昔は町の無宿者のための宿泊施設として使われた。塔の西に道路が
   開かれアーチ門が造られている。
 蓋塔 Doele turm (14-15c) 南中 防衛橋の上の木組みの橋家は、1795
   産婆の住居として改造された。
 ザルマン塔 Salmmans turm (14-15c) 南東角 かってソロモン塔とも呼ばれ、
   存続した部分は良く保たれた円錐屋根付の円塔。
 角塔 Eck turm 東北角 3階建ての隅円塔。
 小道塔 Stegen turm 4階建・円錐屋根の円塔で、博物館の計画がある。
 円塔 12Rund turm 円型の壁塔の残りが12基ある。

4.見所  C

   ヴュルツブルク市内の南部に在る中世の市壁と塔で囲まれた中都市で、
   戦災で古い建物は残されていない。
 市庁舎 Rathaus 両切妻屋根3階建ての窓の大きな建物で、今は市街区
   図書館を収容している。
 聖ラウレンチウス教会 St.Laurentius 切妻屋根の3身廊疑似大聖堂で時計塔と
   低い塔が在る。元は2塔の防衛教会であり、今も周壁と防衛塔が残っ
   ている。中には、ティルマン・リーメンシュナイダーの芸術品がある。
   ロマネスク大聖堂へ大規模な再構築が行われた。
 聖パウロ教会 St.Paul 切妻屋根の2身廊ホール式教会で前面に単塔が在る。
   2次大戦は奇跡的に生き延びたネオバロック風のユーゲントシュティール要素もある建物。
 ギオマウル Giomaul これは町の象徴で、市庁舎の側に1631スエーデンの不気味な
   奴の肖像画が掛けられた。
 軒先開口部 Speierloch 市壁と市壁の間の小川の上の防衛橋として建て
   られた。
 デューレンベルク Duerrenberg (1431)最も古い2階建ての市民の家で、13cに
   はすでに基礎は存在した。
 カエル粉挽所 Froschmuehle 昔ノカエル粉挽所の場所に古い石臼が見られる。
 恐ろしい頭 Schreck kopf 館の乗り入れ口に恐ろしい頭と松笠が
   1705に付けられた。このシンボルは家と中庭の災いを払うと言われている。

5.写真

市庁舎 北壁
北中壁 東壁
南壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

ヘルツオーゲンアウラッハ Herzogenaurach BY18

1.歴史

 1002 皇帝ハインリッヒ2世は教会財産を贈呈、 1021 皇帝はバンベルク司教区に贈物、
 1337 尼僧院長が司教館に来た、町には市壁と教会壁があった、
 1348 町として言及、14c 都市権の授与、 14-15c 司教座参事会へ町を質入、
 1488 バンベルク司教座本山に最終的に帰属、 1552 辺境伯は占領し免焼金を要求、
 1632 ペスト流行と30年戦争で町は衰退、1641-87 略奪・占領分担金・免焼金負担、
 1796-99 仏軍・墺太利軍の通過で損害、   1802 講和協定でバイエルン王国へ、
 1803 プロイセンへ、            1806 仏支配下でバイエルン王国に帰属。

2.市壁  0.26km 0.25

   1300に最初の市壁は堀と共に構築された。1409バンベルク司教は拡張し、1450
  第2の境界壁が形成された。戦争や略奪によって損傷したが、17cに再建された。
  1802上門と下門に取り付けられた。

3.塔  2門7塔

 下門 Fohn Turm (13c) 正方形高さ28m5階建の門塔で、13cのコアに防御タレット・テント
   屋根がある。内側の近くに低い塔がある。フエーン家の名が付けられ塔は一時監
   獄として使われ、1908市博物館になった。
 上門 Turmers Turm (1386) 見張人の塔で、内壁の上門側面擁護と跳橋で安全を図
   った。4見張小塔があり、広く見張る事を可能にした。1386の核にピラミット屋
   根の直方体で、1653の彫刻板がある。1724にボンネットが付けられた。
 ネズミ塔 Maus Turm (15c) 北西隅の角塔である。
 ラームベルク塔 Rahmberg Turm (15c) 北東隅の角塔である。
 豚飼塔 Schweinehirten Turn (15c) 西の市壁にある角塔である。
 封土塔 Lehens Turm (15c) 教会壁の西北隅にある角塔。
 浴場通塔 BadGasse Turm (15c) 市壁塔にピラミット屋根角塔で住居。
 市粉引塔 StadtMuehle Turm (15c) 西南の粉引通りの市壁にある。
 火薬塔 Pulver Turm (15c) 屋根のない円塔である。

4.見所  C

   13cに色と市庁舎を中心に旧市街が囲まれ、次いで聖マリア教会も教会壁で囲ま
  れた。15cには北・西・南西側に市壁が拡大され4門の町となった。この拡大期に
  職人の家や工場が建てられた。17-18cの木組の家が残されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1407) 2階建切妻屋根上階木組の建物で、1781バロックに
   改造され、1939-41屋根天窓の今の姿になった。
 役所宮殿 Amts Schloss (13c) 4翼の宮殿は、バンベルクの役人が使い、水堀と天守
   閣で守られた。侯爵司教は1720までにバロックで新築され、1967に修復された。
   今は市の行政・市図書館・市観光案内所で使われている。
 マリエン礼拝堂 Marien Kapele (1200) 天窓付き切妻屋根石造の礼拝堂で今は戦争記
   念館である。地階は旧墓地礼拝堂であった。ベート像、1670砂時計、
   1688バロックの祭壇と段教壇、1730オルガン設置。
 聖マグダレナ教区教会 Pfarrkirche St.Magdalena (1314) ゴシック砂岩切石造のホール塔
   と尖塔の教会で、1934-35バロック外観に改修された。
 旧少女校舎 Ehem.Maedchen Schulehaus (1840) 2階建砂岩切石造浅い寄棟屋根の
   中心投影背面2翼の建物。1625からドイツ乙女学校となった。1973からは音楽学校。
 旧魂の家 Ehem.Seelhaus (1457-58)切妻と半寄棟屋根の木組の家。善意の寄付に
   よって魂の家が成立し、中世には巡礼者の宿と街の貧困者のための宿泊所
   として使われた。
 聖職録病院 Pfrundner Spital (1508) 3階建の大きな半寄棟屋根の上階木組の建物
   で、町の老人や障害のある人のための宿泊所。今は市博物館。
 教区司祭館 Pfarrhaus (1843)2階建砂岩切石造寄棟屋根の家。
 宿屋 Gasthaus Zum Roten Ochen (17-18c) 2階建切妻屋根漆喰トラス造。
 牧師館 Pfarramt (1611) 2階建寄棟屋根の砂岩切石造の建物。
 住家 Wohn haus (15-16c) 2階建地階石積上階と切妻は木組の家。
 住家 Wohn haus (17c) 2階建地階石積上階と切妻は木組の家。
 薬局 Beyschlagsch Apotheke(1831) 町で最初の薬局で、1850から町の郵便宿と
   なり、1870電信局、1906電話局であった。
 最古の民家 Altestes Buergerhaus (1447-48) 町で最古の市民の家は、2階建上階
   木組で前面の木組み枠は湾曲している。1988正当な補修を実施。
 旅館:鯨 Gasthaus Zum Walfisch (14c) 堂々とした都市農民の家で、14cからの
   上階木組の家。

5.写真

旧市庁舎 市庁舎
役所宮殿 下門
上門 ラームベルク塔

5.町の略図

[戻る④門塔]

インゴルシュタット Ingolstadt BY19

1.歴史

 806 帝国の分割証明書に記載された、 1200 都市権の付与により発展、
 1250 貨幣の鋳造権授与された、     1280 最初の市壁があった、
 1300 バイエルン公国の一部の首都となった、 1362 レンガ造の要塞を完成、
 1400 87塔の都市拡大を開始、      1472 バイエルン大学の設立、
 1537-65 要塞を拡大、         1632 スエーデン軍の包囲、その後も要塞強化、
 1799 仏革命軍は要塞を取り壊し、    1828 要塞の再建強化。

2.市壁  1.30km 0.56

 13cに周壁で囲まれ、1363に煉瓦の壁と87の胸壁王冠塔と補強された門が造られた。
  西側TaschenTurmとMuenzbergerTorの間は、市壁は中間壁塔を含め改造され、
  住宅となっている。

3.塔  1門6塔

 十字架門 KreuzTor (14C) 西、石灰岩の四角小塔に飾られた六角形の
   赤煉瓦塔を持つ市門。
  KavalierHepp 東、緑地にある元稜堡。
  KavalierHeysek
  KavalierEibrach 東北、緑地に立つ元稜堡
 口笛塔 PfeifTurm (14c) 中、マルクトにあるゴシックの旧見張り塔。
 袋塔 TaschenTurm (14c) 西南、中世市壁の外に追加。
 前要塞 FestungFronte79 西、堀の中島にある稜堡。

4.見所  B

   19Cには、欧州で最も強固な要塞都市の一つであった。要塞の跡は緑地となって
  町を囲んでいる。多くの博物館と宮殿・教会・市庁舎等が見所である。
 新宮殿 NeuesSchloss 東、15C建、軍事博物館となって数多くの火器がある。
 旧市庁舎 AltRathaus (14C) 1882にルネッサンス様式に4軒の家を改造し、今市
   長室がある。新市庁舎はすぐ東にある。
 聖母大聖堂 LiebfrauenMuenster 15建、ゴシックの2塔、屋根は3800本の丸太
   で組み立て、1572巨大祭壇に聖母マリア像。1572有名教授の肖像画もある。
 勝利の聖母教会 Maria de VietoriaKirch 西、バロックの側廊のない単純な
   身廊の礼拝堂。1732アーザム兄弟が改装、490m2の巨大天井フレスコ画。
 聖モリッツ教会 St.MoritzKirche 9C建、極細の金銀細工が内陣入口左にある。
 フランシス会教会 FranziskanerKirche 1472-1800建、ゴシックのフランシス会バジリカ、
   高位市民90人の墓標がある。
 バイエルン軍事博物館 BayerischesArmeeMuseum 東、バイエルンの軍事的歴史資料・
   オーストリア戦のジオラマ・火器・旗等を展示。
 バイエルン軍事博物館1次大戦部門BayerischesArmeeMuseum Abteilung1.Weltkrieg
   南対岸、世界大戦の歴史・コース・結果等を展示。
 市博物館 StadtMuseum 西北、1838-43要塞建、市の歴史・要塞模型・都市模
   型・大学遺物等を展示。
 玩具博物館 SpielzeugMuseum 西北、1900からの大規模な私的玩具収集物を
   1989から展示。
 ドイツ古医学博物館 DeutschesMedizinHistorischesMuseum 西南、古代から
   の外科・歯科・解剖学等の歴史を1973から展示。
   オーストリア戦のジオラマ等を展示。
 アウディ車博物館 AudiMuseumMobile 北西、50台の自動車・30台のエンジン・自転車
   等を展示。
 郷土博物館 HeimatMuseum 1472-1800のニーメス家の生活様式等を展示。
 農用具博物館BauerngeraeteMuseum 200年間の農業の変化を絵と用具で展示。
   オーストリア戦のジオラマ等を展示。
 ドナウ博物館 DonauMuseum 西北、ドナウの歴史と自然、ビーバー復活等を展示。
 具象芸術博物館 Museum fuer Konkrete Kunst 中、屋外彫刻等を展示。

5.写真

旧市庁舎 旧市庁舎
袋塔 ミュンツベルク門
西壁 西壁
南壁 十字門
博物館 新宮殿

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

イポーフェン Iphofen BY20

1.歴史

 741 ヴユルツブルグ司教の文書に初言及、1293都市権を授与され、市壁があった、
 1421 防御施設として堀を加えた、   1611-32 ペスト流行、
 1620 30年戦争で占領され被害があった、1945 2次大戦の被害から免れた。

2.市壁  0.80km 0.99 

  道路のため2箇所約10m切れているが、その他は完全に保存されている。

3.塔  4門7塔

  RoedelseerTor 1455-66建、北 15Cには珍しく外側石積・内側木造の
   形の美しい門である。翼部には門が閉まった後に着いた人のための抜け
   穴がある。また、MittegsTurumと二重門になっている。
  MainbernheimerTor 1533-48建、西 門上に番人の住居があった。
  EinersheierTor 16C建、東 四隅に小塔を持つ角塔、外側にはタールや湯
   を注ぎかける出っ張りがある。
 ペスト門 PestTor mit ZentTurm 14C建、南 昔に黒死病の死体を運び出した。
   1596に壁で塞がれた。百戸区塔がある。
 昼塔 MittagsTurm 北 内門としての石造塔が跳ね橋と落下柵を備えている。
 市民塔 BuererTurm 1600再建、どっしりとした円塔に異国風の屋根が付き、
   最上階には中世風便所がある。
 梟塔 EulenTurm ほっそりした円塔に円錐屋根、見張り塔として建てられ、
   重罪人の終身拘束牢となった。
 死刑執行人塔 HenkersTurm 西 死刑執行人を隔離する住居であった。
 羊飼塔 HirtenTurm 西。
 百戸区塔 ZentTurm 南。
 鍬塔 HackerTurm 東。

4.見所  C

  国道から丸い市壁が見える小さな町。市壁と門塔が見所。
 市庁舎 Rathaus 1716-18建、中 バロックの建物、7月第2週にはワイン祭りがあ
   る。前面二重階段、司教像・紋章付き華麗な玄関、階段の左右に軽犯罪曝し窓。
 聖ヴィート教会 KircheSt.Veit 1297建、北 現存の建物は1360建、1414-1612
   の間の長期再建で各様式が混在する。リーメンシュナイダー作のゴシックのマドンナ・ヨハネ像。
 養老院教会 SpitalKirche 1338建、西 病院と共に建てられ、リーメンシュナイダー
   工房の彫像が2体ある。St.JohannBaptist:昔はカソリックだったが今はプロテスタント教会。
 ブルツ教会 BultsKirche 1329建、西 旧巡礼教会、ゴシックの主祭壇は1892に
   再建。リーメンシュナイダー工房の彫像がある。
 ツマミ博物館 KnaufMuseum 1688建、宿屋として建てられ、古い会計局として
   使われた建物に、主要な文化的時期の様々な展示物がある。
 十分之一税地下倉 ZehntKeller 1486建、今はホテル。広い地下室は司教の
   十分之一税のワインを置いたので、この名前が付いた。
 記念館 Vinothek 2階建、地下室付きの建物で聖バイト教会の納室係が住ん
   でいた。今は記念館となっている。

5.写真

市庁舎 ローデルゼアー門
水曜塔 市民塔
聖ヴィート教会 一位の家門
ヘンカース塔 十番塔
北門内側 北門外側

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

カールシュタット Karlstadt BY21

1.歴史

 1198-1202 司教のコンラッド1世は町を創立、1225村で最初のブドウ栽培、
 1236 城と村はリーネッカーの不和で破壊、   1304 町は都市権を授与し防衛施設建設、
 1400 町は短期間司教の造幣所であった、 1409-93 町は大聖堂参事会に質入れ、
 1438 年4回の市場特権と毎週市場開催を確認、1475 ペストで700人死亡、
 1493 司教ルドルフは聖堂参事会の町の質入れを解消、1525 農民戦争で城破壊、
 1540 市民はルターの教えを大半が望んだ、 1579-00 司教ユリアス・エクターは反宗教改革を、
 1631-34スエーデン軍の占領、         1784 マイン側の大洪水、
 1802 世俗化で一時バイエルンに所属、    1806-14 新ヴュルツブルク大公国の一部に、
 1814 最終的にバイエルンに帰属した、    1839-93 要塞の多くが取り壊された、
 1945 米軍の砲撃で町は損傷、      1975 旧市街石膏の下に普及が開始された。

2.市壁  1.00km 0.78

    市壁は2段階に建設された。1次都心壁は、13c後半-1304に長方形で構築さ
   れた。2次の展開は14-17cに行われ、拡張された石の壁に門や塔が築かれた。
   19cに部分的に解体され、東側に堀や1544-58の堀の壁に沿って残されている。

3.塔  3門5塔

 上門塔 Obere torturm (1350) 南市門で猫塔とも呼ばれた。6階建砂岩
   の角塔で警備員の住居を最上階に置き小さなラント屋根を乗せている。壁面はカラフル
   な縁取りと壁画が描かれている。15c歩行者通路が付けられ、19cネオゴシックの2階
   建の守衛所が南に建てられた。
 前門 Foregate (1549) アーチ通路に上階住居の平たい構造で、砂岩に白
     い漆喰塗り壁で、18cには中折れ山屋根に改造された。
 下門 Unter tor () 北門の2本の柱が外側に立っている。
 マイン門 Main tor (1567) 西 高水マークと呼ばれる上階が張り出した円塔あ
   り、その横にアーチ門が開けられている。
 粉挽塔 Roter turm (13.15c) 南西角 テント屋根の3階建て円塔で、19cネオ・
   ゴシックで拡大された。粉挽き工場であった。
 赤塔 Roter Turm (13.16c) 北西角 尖塔付4階建ての角塔。
 半円塔 Halbrunder Turm (1544-55) 北東部に残された2階建て半円殻塔。
 殻塔 Schaelen turm (13.16c) 東 ピラメット屋根4階建て四角塔。

4.見所  B

  主要道路に沿って市庁舎や教区教会の歴史的な建物と裕福な16-17cの3階建て
  木骨造切妻の家が並び、持送床と豊かな装飾があり、バロック時の木組みは石膏の
  下に置かれている。旧市街の西部は職人や商人の家が多く雰囲気がよい。
 市庁舎 Rathaus (1422) 評議会と売買と舞踏の家として建てられた。
   地階に3廊の市場広間があり、上階には大きな市民広間があり、ドイツ市庁舎の
   原型を具現した。地階にはパン屋と肉屋の屋台があった。1486町の計量所を
   設けた。1669に2方向の外階段が設けられた。
 市教区教会聖アンドレアス StadtpfarrKirche (13c) この教会は小さな町の
   ドームとして位置付けられ、最も古い教会の部分は町の創立時まで遡る。
   この教会の中には、町の歴史の全ての世紀の宝物を隠している。例えば、
   1380コワヤに聳え立つ砂岩の救世主キリストの彫像、1512ティルマン・リーメンシュナイダーの聖
   ニコラス像、多くの祭壇画など。
 病院教会 Spital Krche (1438) 聖ヤコブに捧げて建てられた。1269の創立
   ら16cの末まで使われ、1612教会は改造され後期ゴシックの重厚な窓があり、小
   鐘楼・ルネッサンス入口門のある今の形となった。この病院は町の老人を看護した。
 領主司教ワイン事務所 Fuerstbischoflichen Amtskellerei (1717-1862)
バロックの建物は、ヴュルツブルクのBuelinhofの場所に建てられた。バイエルンに移され
   地方裁判所務め、その後地区事務所となった。領主司教ヨハン・フイリップの紋章と
   ロココの絵が入口頂点にある。
 ユダヤ人学校舎 Hasu zur Judenschule (1440) 古い旅館Schenkstattから
   複数の再構築で、双子のアーケードは道路線を越して伸び、罰金を払った。1559
   ヴュルツブルク司教のユダヤ人追放令があった。19cに新たに造られたユダヤ人社会の
   祈りの場所があった。
 アデルマン館 Adelmann haus (1721) 商人で市参事会員のアデルマンは3つの建
   物の跡に大規模な住宅兼商館を建てた。その後の所有者は、1930ワイナリィを経営
   し、1955貯蓄銀行に売却された。店の入り口の上に錬鉄製の彫像がある。
 領主司教事務所セラー主翼 HauptFluegel der Fuerstbischoflichen Amts-
   keller (13c) 聖公会行政事務所として建てた最古の初期ゴシックの建物の一つ
   である。地階は石造の建物は上階の暖炉のある建物に接続し、屋根は緊急時
   に建物を守るための銃眼胸壁で囲まれている。バイエルンへ移行後、王室の会計
   局と警察署として使われ、継続的に700年間官庁として使われた事になる。
 高い邸 Hohe Kemenate (1200) 初めは初期家塔造りの建物で南のOber
   tor付近の防衛の指揮を執ったヴュルツブルクの役人が住んでいた。1638仕立屋・
   肉屋などの職人が住んで外観も劣化した。今は3階建て矩形の石造の建物と
   なり、1994-99再構築されて市立図書館となった。
 木組の家 Fachwerk haus
   Fischer gasse4 (14c) 職人やワイン生産者が住んだ家は1603改修され
     ヴュルツブルクまでの定期就航権を持った人が所有した。
   Oehniger haus (1611) エーニンゲン家がマドンナ彫像を付けて建てた。角
     角柱と豊かな装飾木組みが見事である。
   Haupt strasse6 (1626) 北の主要道路沿いに17c裕福な家の美しい
     木組みの家があり奥には中庭が見える。2階の角柱に建築年号がある。
     大工WSの文字がこの建物を含め5つの建物に付けられている。
   Haupt strasse8 (1675) 1階の軒蛇腹に家主の紋章がある。台座の
     銘板に年号がある。
   Haupt strasse10 (1605) 小さな家であるが、付近の比較的簡素な
     構造トラスと対照的に高品質な装飾トラスが使われている。
   Ehem.DeuschSchule (1560) 上階の木骨構造は地階の古い墓地の壁
     の上に建てられている。ドイツの学校として18c終わりまで使われた。
 市歴史博物館 Stadtgesxhichtliches Museum (1627) 博物館の建物は
   隣の家と共に形成され、様々な紋章からこの建築複合体は貴族の所有であ
   ったことが分かる。町で最初のビールがここで醸造された。1861市は買収し
   て郡議員の宿舎とした。1985修繕後に市博物館とした。町の歴史・ワイン醸造
   の経過・昔に住宅・オモチャ・考古学的発掘品などを展示。
 ヨーロッパ配管工と銅細工博物館 Europseisches Klempner und Kupfer
   Schmlode Museum 配管の古い機械・配管の古い伝統や働き方、銅細工の工
   芸品などの展示。

5.写真

市庁舎 壁塔
上門 北東塔
粉挽塔 南壁
マイン門 ルイ塔

5.町の略図

[戻る①得点]

キッティンゲン Kitzingen BY22

1.歴史

 746 ベネディクト会修道院の創設、  1040 王ヘンリー3世は壁に守られた町に整備、
 1057 帝政修道院をバンベルクの監督権へ、    1300 マイン川橋の町として言及、
1336-1406 ホーエンローエ伯爵が支配、   1443 アンスバッハ辺境伯が再償還権を取得、
 1469-96 外側の強化壁の一部構築、   1525 農民戦争で修道院を略奪・破壊、
 1629 司教は町をヴュルツブルク本山へ、 1631-34 スエーデン軍は町を占領、
 1683-92 旧ベネディクト修道院跡にウルフリン修道院建設、1792-1815仏軍の侵攻で被害、
 1802 バイエルンの地域になった、 1803 バイエルンに帰属、1806-14ヴュルツブルク大公国、
 1814 バイエルン王国に戻った 1936 駐屯地の町になった、1945 空爆で35%損傷。

2.市壁  0.09km 0.01

   13-14c長方形の内側市壁は、カプチナー通の上側に3円塔と共に60m残っている。
  15cに郊外に拡張された市壁は、塔を除いて殆ど残ってない。

3.塔  0門16塔

 13-14cの内側市壁の塔門
    ①西南角の屋根なし円塔。②その東側に市壁でつながる円錐屋根の小塔。
    ③その東側に市壁でつながる六角屋根の円塔。④マルクト通のマルクト塔は地下部分14c
     上階は1546に再建された壁塔。⑤南東に円錐屋根の壁塔。
 15cの外側市壁の塔
    ⑥FulterTurm南の国道沿い5階建タカサ2mの帽子のある監視塔。⑦北の円形の壁塔。
    ⑧北西の2階建の円塔。⑨北西に1496の2階建要塞角塔。⑩北西に階建要塞塔。
    ⑪南東に3階建角塔。⑫南西に3階建円形の要塞塔。⑬東に円形の要塞塔。⑭東に
    円形の要塞塔。⑮東南に3階建要塞円塔は建物の一部。⑯DeusterTurm(15c)ドイスター
    城にあったが1845の爆撃で破壊され、後に学校の中心に保存された。今は160種
    の展示会場。5階建ての角塔である。

4.見所  B

    1300には、古いマイン橋が石造で架けられ、交通の要衝としてヴュルツブルク本山の支配
   下で発展した。15cからの木組の家も旧市内に散在する。
 市庁舎 Rathaus (1561-63) ルネッサンスの市庁舎は、壁パネルのある歴史的な会議室を見所とし
   ている。隣に立つ高さ39mのが立ち、かっては見張塔・刑務所で使われた。
 ポガニーツの家 Poganietz Haus (16c) マルクト広場の古い木組の家で、RoesnerBackstubeの2階
   に、製菓博物館がある。1722-1937の菓子会社の工芸展示がある。
 古いマイン橋 Alte Main Brueke (1300) 中世初期の石造大橋梁で、内側の橋門は市壁の東門
   でもあった。12アーチの構造は、舟運の円滑化ののために1955改修された。
 旧シナゴーク Ehem.Synagoge (1882-83) かって重要なユダヤ人のコミュニティであった。1938水晶の
   夜に壊され、1991-92再建されて、文化・教育的な行事に使われている。
 ルイトポルトbau Luitpoldbau (1914) 豊かな食塩水が発見された後に、アールヌーヴォー2階建マンサード
   屋根の建物が建てられ、長い間浴場で会った。今は市立図書館・成人教育センターとし
   て使われている。
 聖ヨハネ教会 St.Johannes Kirche (1402-63) バイエルン北部で重要な後期ゴシックのホール教会であ
   る。豊かな石の彫刻で飾られた北と西の入口がある。1500リーメンシュナイダー工房のオリーブ山
   がある。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1686-97) バロックのホール教会は、初めウルスラ尼僧院教会として
   奉献された。1803世俗化で尼僧院は解散され、軍病院として使われ、1817に市教会と
   して再聖餐された。1945空爆で破壊され1950までに再建され三度目の奉献。
 市博物館 Stadt Museum (16c) 19cに設立され町の文化と経済の歴史を展示した2階には歴
   史的な薬局が再現されている。
 ドイツ・カーニバル博物館 Deutsche Festnacht Museum () ドイツ全土からの印象的なメディア・ショー
   や多数の伝統的な衣装がある。
 住家 Wohn Haus (1898) 角の3階建マンサード屋根のヴィルムヘルム様式のレンガ造建物。
 旧ベネディクト修道院 Ehem.Benediktinerinum Kloster (1582) 中庭の翼と階段塔のある3階
   建サドル屋根に一部トラス構造のある建物。アーチ下には1582の年号がある。今は地方事
   務所Landratsamtである。
 住家 Wohn Haus (1764) ロココ・スコッタの3階建マンサード屋根の大きな木組の家。
 住家 Wohn Haus (1525) 古い2階建サドルフーフの上階木組の家。
 住家 Wohn Haus (1484) 3階建急勾配マンサード屋根の建物で18cに一部改修。
 旧醸造所 Ehem.Brauerei (1800) 平屋マンサード屋根のある建物。大麦倉庫(1880)は石灰岩と
   レンガ造の建物。
 住家 Wohn Haus (16-17c) 装飾用のトラスを備えた4階建サドル屋根の家。
 住家 Wohn Haus (1559) 3階建サドル屋根上階木組の上階迫り持出の家。
 住家 Wohn Haus (1588) 3階建屋根裏付きの家、入口上に年号がある。
 旧地方裁判所 Ehem.Antsgericht (1878) 旧ライデンホフに3階建で建てられた。今は土地調査庁
   として使われている。
 住家 Wohn Haus (1563) 2階建サイドサドル屋根の上階木組の漆喰仕上の可愛い家。
 宿屋 Gasthaus (16-17c) 2階建サドル屋根の上階木組みの装飾的な前面の家。

5.写真

市庁舎 聖ヨハネ教会

5.町の略図

[戻る④門塔]

ランデスベルク Landsberg BY23

1.歴史

 961 オットー大皇帝は修道院に1/10税を寄付、1156 デェートリッヒが権利を継承、
 1160-80 丘の上に中庭に礼拝堂のある新城を建設、1291、ブランデンブルク辺境伯が所有、
 1347 マイセン辺境伯が町を買戻した、      1509 帝国自由都市となる、
 1514 城の破壊、 1534 ビール醸造の開始、 1579 州都市憲章が年10ペンスで許可、
 1598 南に町を拡大し市庁舎の建設、    1618-48 30年戦争による略奪や放火、
 1806-13 フランス軍との戦い、         1815 プロイセンに帰属、
 1945 2次大戦爆撃の被害は些少。

2.市壁  1.29km 0.59 

  東側と南側に塔・ツインガー・堀と共に市壁が残っている。

3.塔  4門7塔

 砂州門 SandauerTor 北の市門、30年戦争時にルネッサンス様式に更新。
 バエルン門 BayerTor 1425建、東南の市門、改築当時のバイエルン領主の紋章のあ
   る飾られた代表的な建物。高さ36mのゴシックの大きな塔。
 パン屋門 BaeckerTor 東側の内門として建てられた。
 染め屋門 FaerberTor 東側の外門として建てられた。
 野鴉塔 DachlTurm 北東に防御塔として建てられ、ここに野ガラスの巣があっ
   たためこの名前が付いた。
 火薬塔 PulverTurm 北東の角に防御塔として建てられ、火薬庫にもなった。
 娘跳び塔 JungfernsprungTurm 南西の防御塔、30年戦争の残虐行為からこ
   の名前が付いた。
 修道女塔 NonnenTurm 南西の角の塔。
 脂塔 SchmalzTurm(SchoenerTurm) 15Cに改造、最も古い市壁の東門。
 魔女塔 HexenTorm(FronvestTurm) 最も古い市壁の角塔。
 母塔 MutterTurm 1884建、レッヒ川の対岸に凝灰岩の切石でアトリエとして建てた。
    伝統博物館がある。

4.見所  B

   旧市街地内への道路は車で混雑している。中世に交易の中心地として栄えた
   都市。旧市街の東側が高くなっており、川側の低地に石造の家並みが広がる。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1719建、ドミニクス・ティーマーマンによる化粧漆喰装飾の前
   面の4階建建物。絵画とフレスコ画で大宴会場は飾られている。
 市教区教会 StadtPfarrKirche 15C建、支柱バジリカとして建てられ、バロック
   の装飾。中には、1440マドンナ、後期ゴシックのステンドグラスがある。
 聖十字架教会 HeiligKreuzKirche 1752-54建、昔のイエズス会学院。フレスコ画。
 旧ウルスリン修道院 EhemaligesKloster der Ursulinen 色付きの前面のあるロココ
   の教会。
 ヨハネ教会 JohanisKirshe ドミニクス・ツイマーマン設計による後期ロココの教会。
 新町博物館 NeustadtMuseum 昔のイエズス会の高等中学校、地方山地芸術・
   町の歴史・レッヒ川とアマー湖の絵画等を展示。
 シュブ博物館 SchubMuseum 多くの地方や有名な人物の靴の収集品。
 染物館 FaeberHof 昔の町の染め物工場。

5.写真

旧市庁舎 ベッカー門
ザンダウアー門 魔女塔
シュマルツ門 フェルバー門

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る④門塔]

ライプハイム Leipheim BY24

1.歴史

 1063 騎士ヴィプラヒトの贈与証書に初言及、   11c、城はドナウ渡河を守った、
 1225 法王ホメニウス3世はアイヒゲン修道院を所有、1270-1373 町をグエッセン家が支配、
 1330 バイエルン皇帝は都市権を授与し、上の町の市壁の建設を許可、
 1375 町はヴュルテンブルク伯爵に売られた、 1453ヴュルテンブルク伯爵は町をウルムに売却、
 1453-1802 帝国自由都市ウルムは町を350年支配、1525 農民戦争で制圧された、
 1566 皇帝マクシミリアン2世は町の自由を確認 、 1627 ペスト流行、1632スエーデン進駐、
 1634 30年戦争で帝国軍が占領、     1816-19 町を大飢餓が襲った、
 1818 行政改革の過程でバイエルンの自治体となった。

2.市壁  1.03km 0.94

    14-15cに造られた市壁は、今もほぼ全域に残されている。

3.塔  0門2塔

    門塔は全て壊され、南西と南東の隅塔が残っている。
 家無し塔 Hauserles Turm (14-17c) 南東隅の角塔で、今は配水塔として使われて
   いる。
 コウノトリ塔 Storchen Turm (14-17c)南西隅の角塔である。

4.見所 D 

    ドナウ川上流部の右岸にある小さな町で、市壁と市堀が良く残されて
   いるが、その他の見るべきものはあまりない。
 ライプハイム宮殿 Schloss Leipheim (1065) ホーエンシュタルフェン時代の建物は壊れ、1559今の姿
   で再建された。初め貴族が後にウルムの代官が住んで町を支配した。
 十分の一倉庫 Zehnt Stadel(1585) 中庭の端にあり、復元された建物は市民ホールと
   レストランになっている。
 博物館 Blaue Ente 30年戦争で破壊され、1647に部分的に再建された。1987博物館
   を併設して、郷土・農民戦争の博物館として町と農民戦争の展示がある。旧ビール
   醸造所はビール博物館として試飲ができる。
 プロテスタント牧師館 Ev.Pfarrhaus(1580) 木組の家。
 精霊病院 Spital Stift (1315) 市壁に直接に立つ木組の建物で、町の貴族が寄贈し
   た。
 助祭社交宿泊所 Diaconul Sozialistation 旧病院の中庭にある2階建の木組の建物。
   
 聖ファイト教会 St.Veit Kirche (1330) 1448に高さ45mの塔を添加して、ゴシックの教会
   は完成した。

5.写真

市庁舎 聖ファイト教会
ライプハイム宮殿 家無し塔
コウノトリ塔 東壁
西壁 北東壁
南東壁 南壁

5.町の略図

[戻る③壁率]

マインベルンハイン Mainbernheim BY25

1.歴史

  889 カロリング朝時代に入植地、1172 皇帝フリードリッヒ・バルバロッサは村に避難所、
 1382 皇帝ヴュンツェルは町に昇格し都市圏を授与し堀と壁で囲った、1431市場開設、
 1494 領主は町を何回も質入れされ騎士に略奪された、1525農民戦争時に売却、
 1618-1648 30年戦争で生き残った、17-18c政治安定でワイン・手工業・貿易で繁栄、
 1794 アンスバッハ辺境伯消滅でプロイセンへ、  1806 バイエルン王国へ所属、
 1810-14 ヴルツブルク大公国へ属した、   1814 最終的にバイエルンに帰属、
 1945 2次大戦の戦災は殆ど免れた。

2.市壁  0.75km 0.88

    1382の市壁はその後修正されたが、楕円形に近い長方形の市壁は、北東部
   の一部を除いて多くが残っている。

3.塔  2門16塔

   中世に2門27塔のうち、2門19塔が残された。
 下門 Unterestor (1400) 北西門 切妻屋根の切石積5階建ての外側と内
   側に門の付いた塔。16cに2階建ての前衛門、17cに町側に2階建て寄棟屋根の
   木造詰所が建てられた。
 上門 Oberestor (1400) 南東門 尖頭アーチの入口には昔跳ね橋があった。
   石積の角塔の上には八角形の塔とマンサード屋根が付いている。1648木製の梁に
   碑文があり、改造されている。1930歩行者のための通路が開かれた。
 火薬塔 Pulver turm (1400) 北東角 尖塔屋根の円塔で火薬庫として使
   われた。
 15壁塔 Mauer turm (1400) 東北1 屋根なし半円塔、東北2 尖塔屋根の
  3階建て円塔、東北3 尖塔屋根の3階建て円塔、東北4 屋根なし半円殻塔、
   東北5 円錐屋根付3階建て円塔。南東1 円錐屋根3階建て円塔、南東2 尖塔
   屋根3階建て円塔、南東3 四角錐屋根角塔。西南1-2 円錐屋根2階建円塔。
   西1 寄棟屋根2階建て角塔、西2 中折屋根角塔。北1-3 屋根なし半円塔。

4.見所  D

   田舎の市壁に囲まれた小さな町である。見るべき物は少ない。
 市庁舎 Rathaus (1548) ルネッサンス3階建て切妻付の建物で、地階にはアーチの
   オープン市場がある。1998地階の天井版は取り換えられた。
 町教会 Stadtkirche Mainbernheim (1104) 元の教会を取り壊して、1732
   基石に設置、1757祭壇が置かれた。身廊は寄棟屋根の長方形で簡素な前面と
   なっている。入口と塔は身廊の横西側にある。
 宿屋金冠 Goldene Krone (16c) 市庁舎の向かいあり、後の所有者である
   ワイン商人の名前ポール家となっている。中世には君主の泊まる宿であり、1742
   プロイセンのフリードリッヒ大王、1790プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世が宿泊した。
 工場代表の家 Stammhaus Lebbuchenfabric (1480) 旧市街でも古い建物は
   税関となり、自動車が道路使用のための納付金を受け付けた。1863フランケンで最
   初のジンジャーブレッド工場が、この建物で創業し1902まで操業した。
 修道院回廊 Klosterhof クロスター路地に目を引く紋章と入口があり、中には
   シトー派修道院エグラレハの院長が住んだ建物がある。美しい中庭への入口は別にあ
   い、中庭には階段塔もある。昔にはワイナリィがここに在った。
 旧消防署 Ehem.Feuerwehr haus (1721) 市壁の外に位置する上階木組の
   旧消防署で、今はクラブハウスとなっている。

5.写真

市庁舎・市教会 下門
火薬塔 上門
東壁 東壁
壁塔 南壁

5.町の略図

[戻る④門塔]

マルクトブライト Marktbreit BY26

1.歴史

 1266 初めての文書言及、    1496 簡単な防護壁が造られ始めた、
 1557 フェルナンド1世は市場権を与えた、1594 門・塔を備えた市壁で守られた、
 1587-1600 市庁舎と市門を建設、  1806 バイルン王国へ数年後ヴルツブルク大公国へ
 1814 最終的にバイエルンに帰属、   1919 都市権を獲得。

2.市壁  1.10km 0.91

   16Cには、高さ6mの市壁1.2kmが4門と11塔と共に造られた。市街の一部は
  住宅の壁で構成される。通路以外の市壁は殆ど残っている。

3.塔  1門8塔

   1600建の4門は、1945の戦争で全て破壊された。
 マイン門 MainTor 北 1600建、1945に戦争で破壊されたが、1946-47に復元。
 白い塔 WeissenTurm 東 1601建、白い円塔に丸屋根。
 壁塔 防御円塔に茶色トンガリ屋根の同型、FluersTurm南、StegTurm、
   FallmeisterTurm、HenkersTurm西。

4.見所  B

   マイン川の南岸に中世の市壁に囲まれた小さな町である。古い町並みが残る。
 市庁舎 Rathaus 1581建、階段破風とルネッサンス円柱で飾られている。
 宮殿 SeinsheimerSchloss 1580建、17Cから領主の役所であった。
   入口はローマ凱旋門風、東南に四角い塔。今1階はカフェとワイン酒場、その他は町
   図書館・音楽学校・赤十字が使用。丘の上にそびえる。
 ライオン宿屋 HotelLoewen 16C建、バイエルンで2番目に古い宿屋。
 商店 WertheimerHaus1719 Haus zur Groe いずれもバロックの大商店。
 博物館 MuseumMalerwinkelHaus 1600建、1991改修後に博物館、
   ローマ人の部屋・女性の部屋等を展示。
 クレーン 1784の洪水後にライン河畔に再建、直径9.2m高さ16mの木製クレーン。

5.写真

市庁舎 マイン門

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

メルリッヒシュタット Mellrichstadt BY27

1.歴史

  12c カロリング王朝時のフランク王国であった、 1219 ヘネベルク侯爵は城を築いた。
  13c ヴュルツブルク司教が所有、  13c 楕円形の町を市壁が囲み木塔が立った、
 1273 町の最初の紋章に壁・塔・門を示す、 14-15c 今の市壁が構築された、
 1803 世俗化でヴュルツブルク本山の地方管理事務所はバイエルンに移った。
 1805 ビュルツブルク大公国に属した、  1814 最終的にバイルン王国に帰属した、
 1972 これまでの郡庁所在地で無くなった。

2.市壁  1.26km 0.81

  14-15Cの市壁は、東北部を除いて殆ど元の姿で残されている。

3.塔  1門8塔

  上下二つの二重市門は、19cに破壊された。
 旧下門 Ehem.UnteresTor (1340) 東南 市門は外側と内側の二重門で造
   られたが、1865道路拡張で壊され、それぞれの側に円型の塔の穴とアーチ
   門の残壁が見られる。門跡には1490と1607の領主司教の紋章が置かれた。
 市民塔 BuergerTurm (14-15c) 北東隅 3階建の見張塔で、1723木造上
   階とバロック玉ねぎ帽子付けられ、1985に改装された。
 殻塔 SaelenTurm (14-15c) 東南 壁塔の切株がある。
 泥地塔 SuhlesTurm (13-15c) 西南 外堀の壁に立つ見張り円塔で螺旋
   階段がある。13cには木造で15cには今の石造となった。
 半殻塔 HalbSchaelenTurm (14-15c) 西 半円の殻塔の切株が3基残る。
 見張塔 WacheTurm (14-15c) 北西隅 円錐屋根の見張り円塔。
 火薬塔 BuergerTurm (1356) 北 3階建ての円塔でかっては上門の一部
   であった。重大犯罪の刑務所であったが1817壊された。1821上門塔と
   ツインガー壁は取り払われた。

4.見所  C

  古い田舎の町で木組みの家並が残り、町の中央を狭い幹線道路が貫通する。
 古い宮殿 Altes Schloss (11c) 1230ヘネベルク侯爵の城となり、1512
   領主司教ロレンツが城を増築した。旧ヴュルツブルク本山の出先事務所となった。
   今は管理機関と地方裁判所押して使われている。
 城粉挽所 Burg Muehle (1303) 町で最古の粉挽所で、1780改築されて、
   今も稼働している。
 旧役務館 Ehem.Fronhof () 2階建て両切妻屋根の大きな住居で、城など
   で働く貴族達が住んだ。
 塩の家 Salz haus (1656) 塩はヴュルツブルク司教の重要な収入源であり、
   生理食塩水から生産された塩は十分の一税として徴収され、この十分の一税
   倉庫に保存された。1983博物館が置かれ、農業の町の生活と産業に付いて展
   示されている。3階に地元の工芸品があり、収穫・耕作・庭・厩舎・納屋を再現。
 教区教会聖キリアン Pfarrkirche St.Killian (1050) 初め教区教会として
   聖別されたが破壊され、1162ヴュルツブルク司教が3身廊の教会を建て聖キリアンに捧
   げられた。13二つの塔と内陣・3礼拝室が建設されたが、1496落雷で損傷、
   1624後期ゴシックへ、1710-16後期ゴッシクの改修。
 旧地区事務所 Ehem.Landrathaus (19c) 3階建ての大きな隅棟式屋根造
   の建物。
 旧病院 Ehem.Spital (1839) 2階建ての切妻屋根の建物で窓は半円が並
   んでいる。1990-91ギャラリィーに改修、今はサークルのギャラリィー。
 旧事務所宮殿 Ehem.Amtsschloss (1512) 3階建て2翼の東翼は階段切妻
   がある。壁の紋章の石版には1512の年号がある。寄棟屋根の西翼階段切妻
   は1712に建てられた。今は地方裁判所。
 住宅商館 Wohn und Geschaeffshaus (17-18c) 2-3階建ての上階木組の
   半寄棟屋根で美しい装飾トラス切妻も家である。
 切妻の家 Gieber haus (1839) 木床・木組みの美しい上階が乗っている。
 木組の住宅 Fachwerk Wohnhaus (16-17c) 2階建ての装飾的な切妻の木
   組の建物。周囲に多くの木組みの家が見られる。

5.写真

市庁舎
市庁舎

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る④門塔]

メミンゲン Memmingen BY28

1.歴史

7c フランケンの宮廷が置かれ最初の教会が置かれた、1128 塩の街道の拠点に、
 1286 ドイツ王が都市権を授与、14-16c 帝国自由都市の全盛期で建設・文化・貿易が繁栄、
 1445 新市門と新4塔と市壁は拡張した市街を囲った、1632 30年戦争でスエーデンが占領、
 1702 バイエルン軍が町を包囲・占領、 1805 仏軍が町を包囲、 1806 バイルン王国へ、
 1945 2次大戦の空襲で町の30%が破壊された。

2.市壁  2.00km 0.70

   中世の市壁は2次大戦後も、北から西側に2kmの市壁が残された。
   また古い堀は公園や緑地として残されている。

3.塔  5門3塔

 ウルマー門 Ulmar Tor 北
 アインレッス門 Einless Tor 北東
 ケムター門 Kemter Tor 南
 リンダナー門 Lindaner Tor 西 (1371) 3階建て四角塔門方錐屋根、1647戦争で壊
   され、ガーデンスタイルで再建された。
 西門 Wester Tor 西 。
 物乞塔 Bettal Turm 北東 (1471) 3階建ての円塔で円錐屋根。
 魔女塔 Hoexen Turm 西南 。
 シュマルツ塔 Schmanz Turm 北西 。

4.見所  C

   町の市門・壁塔・市壁と建物の切妻は中世の町の雰囲気を提供している。15cゴシック
   のフラウエン教会の絵画と復元されたクロイッツヘレン教会のフレスコ画は見事である。
 市庁舎 Rathaus (1589) 1765にロココに改造され、正面には湾曲した切妻があり、
   細かい漆喰のエレガントな3塔のある設計となった。地方政府の中心として使われ、
   今は市長と市議会が使っている。
 税務署 Steuerhaus (17c) 開かれたアーケードの建物で、18cに1階分継足された。
   1906-09現在の豪華なロココの3階建ての水平方向の建物に歴史主義の絵画が描かれた。
 大ギルド GrossZunft (1347) 別々のギルドがマルクトの東に建物を建て、切妻付2階
   建ての大ギルドハウスがある。
 青ソール BlauSoul 前面持ち出しの一部4階建ての建物で、西方向の角は町のは七
   つのランドマークの一つである。
 ハーマンの家 Hermansbau (1766) ベネティアの富豪ベネディクトはバロックの宮殿をたてた。
   中庭を囲み4翼のハーマン造で、王や皇帝などの高位者を泊めた。今は市博物館。
 聖マーチン教会 St.Martins Kirche 1499ウルムの建築家による凝灰岩の内陣には美し
   い彫刻があり、南東の柱に作者の印が残る。八角形の塔頂部は1486に付けられた。
   四角塔の文字盤は1524シュトリーゲルのよって作成された。
 コロイッツヘレン教会 Kreuzherren Kirche (1210) 修道士が設立し14cには病院が開設
   された。1617先端が八角形の鐘楼には洗練された装飾がある。1803修道院が
   解散され修道院教会は1480-84に建てられフレスコカ画やスコッタが残されている。
 フッガーの家 FuggerBau 城の様な3階建てのフッガー家の大きな建物で30年戦争1630
   からバレンシュタイン将軍の本部となった。
 金獅子 Goldener Loewe (17c) 塩や穀物のカートには、町の最も古いワインハウスで、
   1階にワインバー「金獅子」が置かれた。古い内装とバーの様式が見られる。聳え
   立つ切妻には1647の大包囲戦の砲弾が残っている。
 七屋根の家 SiebendaecherHaus 3階建ての美しい木組みの建物で、ヒンジ付サイドハッチ
   の高い切妻は革の効果的な乾燥を可能とした。1945の爆撃で屋根に損傷を受けた。
 劇場Theater ネオバロックの前面のエレガントな建物は、かってのエルザベス修道院の建物
   である。宗教改革で世俗化され、武器庫などで使われ、19c州立劇場になった。
 織工ギルド Weber Zunft 町でも美しい木骨造の切妻付3階建ての建物で、良い織
   物を長年輸出した最強のギルドにより建てられた。このワイン広場には11ギルドが
   多くの会館を建てた。
 クレーマーギルド Kramer Zunft クレーマーは市壁内で商品は賞品販売を許された商人であ
   り、42取引者はギルドクレーマーに組織され、薬剤師から菓子職人までをこの建物に含めた。
 市博物館 Stadt Museum (1766) ハーマンの貴族ベネディクトの建てた宮殿に、1996から
   帝国の町の文化と歴史を展示している。
 MEWO市美術館 MEWO Stadt Galerie (2005) 旧王立バイエルン郵便局に750m2の空間に
   21世紀の美術品が展示されている。
 アントニー家博物館 Antonierhaus Museum (15c) アントニー家の建物に、1996町の図書館・
   博物館・広間・カフェを収容し、現代芸術が展示されている。2012シュトリーゲルの現代アート
   と視覚文化も展示した。

5.写真

マルクト広場 西門

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

メルケンドルフ Merkendorf BY29

1.歴史

 1249 村は文書言及された、      14c中 シトー派修道院の所有、
 1398 ベンゼル王は防備を固め市場開催、  1506 皇帝マクシミリアン町を訪問、
 1524 新教の説教が初めて行われた、   1618-48 30年戦争の略奪と疫病、
 1640 8家族が生き残った、        1791 プロイセンとなり役所を競売、
 1806 バイエルン王国に帰属、        1862 役所と地方裁判所を設置、
 1928 野菜農民は協同組合設置、     1945 2次大戦の最後の戦闘で被害。

2.市壁  1.08km 0.98

   ベンガル王は1398に防衛権を与え、30年かけて町の防御施設は造られ、初めに
  市壁・堀・3門と9塔が建てられた。南東の角に、水堀とに円塔が立ち、絵の様に
  美しい。北西のわずかな部分を除き市壁は殆ど残っている。

3.塔  3門8塔

    3門9塔の内、今はまだ尖った兜の角ばった3つの角塔と尖がり屋根の5円塔
   と1半円塔が見られる。そのた基部のみ残る塔もある。
 上門 OberTor マンサード屋根の2階建四角塔、中心部は15cに元に戻され
   18cにはバロックに改装された。
 袋門 TaschenTor 平らな隅棟屋根の2階建四角塔で小さな窓がある。後
   期中世風の中心部は1766改造された。回転する重々しい扉には鉄の車輪が
   見られる。門の北には、以前守衛室と税関があった。
 下門 UnterTor (15c)門衛所と一緒に町の象徴として建てられた長方
   形の2階建て塔である。この門は1785に改造され、堀の背後の守衛所は、
   外来者から舗装税を支払わせるためにあった。一度壊れ1980-81に復元された。

4.見所  C

    アンスバッハの市域に含まれる小さな町であるが、リング通りの内側に市壁と門塔に
   囲まれ木組みの家の多い古い町がひっそりとある。
 市庁舎 Rathaus (15c) 最初の市長と参事会の会議が1479に行われた。
   1648焼失し1659-61に地階に薬局のある建物で再建されたが、町は穀物倉庫を国
   から買い改修して行政はそちらに移し、1856市庁舎は競売した。競売された建物
   は持ち主が点々としたが、町は1987に買戻し健全化して、1991に市庁舎として使
   用した。
 郷土博物館 HeimatMuseum (16c)旧十分の一税倉庫の建物に、1726に博
   物館が開設された。屋上小塔付の4階建ての頑丈な石造の建物で、16c復元したが
   1648焼失した。7つの展示室には、都市居住農民の町の昔の生活と仕事を展示。
   地階が開かれたアーケードの家。
 新教教会 Ev.StadtKirche Unser Lieben Frau (15c) 後期ゴシックの建物で
   1528の塔が在る。1648教会は焼き払われ、1655仮屋根で再開された。1709-10内
   陣・木製天井・聖歌隊席で身廊の拡張始め、礼拝堂の内装は1945簡素に直された。
   され、美しい彫刻のある聖歌隊席がある。
 司祭館 PfarrHaus (1897)昔の第二の2階建ての司教館は1996-97に改造
   され今は教会救済事業所である。
 旧役所 Ehm.AmtHaus マルクト広場の角地の家であり、1777-79 2階建ての寄
   棟屋根で建てられ、1789まで辺境伯代官の役所であった。
 旧パン屋 Ehem.ZinkenbueckerHaus (1747)赤い砂岩切石で飾られた2階
   建てで、北の切妻に銘板がありパン屋の標識と年号が記されている。

5.写真

上門 下門
東南壁塔 南西壁塔
西南壁塔 聖母市教会
郷土博物館

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

ナブブルク Nabburg BY30

1.歴史

 8C 初期の城の最古の痕跡がある、     10c カロリング重要拠点の大要塞の遺跡、
 1100 ディポルディンガー支配による最盛期、  1146 ザルツバッハ侯爵が短期間支配、
 1188 ヴィッテルバッハ家に属して帝国が所有、  1271 最初に都市として伝えられた、
 1296 ルドルフ侯爵は以前の全ての特権を確認し全ての特権を17条の特権証書として授与、
 1317 バイエルン皇帝が来て、町の特権を許容し、それを宣言した、
 1420 フス軍が来て略奪し要塞完成を急いだ、 1433 フス軍の包囲に要塞は耐えた、
 17-18c 30年戦争と7年戦争で町は衰退、  1945 第2次大戦空爆で郊外が破壊。

2.市壁  1.2km 0.82

   12cの市壁は15cに要塞として拡大強化され、1433のフス軍の包囲に耐えた。
  西側の一部を除いて、殆ど市壁が残されている。

3.塔  2門1塔

 メーン門 MaehnTor (14c) 狭間胸壁冠付全部建物のある5階建て長方形の
   塔である。外側の塔アーチに1532の建設年号がある。アーチ型の通路にはバロックの天井画
   「マリアの昇天」の残りがある。御者の高さには「十字架の上のキリスト」「マーン門」の
   の彫刻がある。1990交通量増大により大容量の通路を設けた。
 上門 OberTor 北東の市門で、アーチの上に3階建の8角塔が立つ。外側壁に
   落格子門の跡があり、その横に1565改造時点の年号がある。1913交通処理のため
   大通路が設けられた。1955の改造で塔内に事務室が設けられた。
 主席司祭塔 DechantTurm 南西角から2番目に残っている防御角塔で、市壁
   が付近にある。

4.見所  C

   歴史的な旧市街とメーン門・上門とほぼ完全に無傷の市壁が中世都市の重要なランド
   マークとなっている。
 市庁舎 Rathaus (1417) 16cにルネッサンスの正門・階段・アーケード廊下・時計付塔を
   付けた。中には小飲食店・町の標準秤・結婚式場がある。1995-98総健全化され、
   再び市長執務室と市の行政共同体を収容した。
 市民病院 BuergerSpital (1412)牧師は市民病院のための財団を設けた。
   今は市が引き継ぎ、1970に改修され9戸の公営住宅となった。
 保護宮殿 Pflegschloss (929)この場所に昔はナープ城があった。シュバインフート
   とティボルディングの統治が絶滅した後に、ヴィッテルバッハ家の地方管理人が管理事務
   所を置いて執行した。1750最後の改築が行われ、今は測量部が置かれている。
 ラウレンティウス教会 Raurentius Kirche (1489) 初めは城の礼拝堂であった。
   後期ゴシックの礼拝堂は、世俗化後に木材や石炭の貯蔵庫として使われた。1922
   プロテスタント教会は礼拝所として取得した。
 聖ヨハネ市教区教会 StadtPfarrKirche St.Johannes (1290-1349)ハイゴシックの
   教会で、1536落雷で片方の北塔が焼失した。ネオゴシックノサイダン・石の洗礼盤・1470
   三日月の上のマドンナ像が有名。
 市博物館 Stadt Museum Zehentstadel (1547) ケルト時代からの自然・文化・
   歴史を展示。
 絵画館 Museum im Schmidt haus (17c) 画家カール・シュミットの家にられの絵画
   が飾られている。
 肉門とツインガー周遊路 Fleischtoeel und Zwibg (1420) ここに3つの歩道入口
   の一つ「肉の門」があり、ここからツインガー道に達する。今でも現存の二重市壁は、
   1420に築かれ町は守られた。

5.写真

市庁舎 デハント塔
上門 メーン門
東壁 西壁

5.町の略図

[戻る①得点]

ノイシュタット Neustadt a.d.Aisch BY31

1.歴史

 1191 ホーエンツオーレルン家のニュルンベルク伯爵エルプベックが町に来た、
 1285 ホーエンツオーレルン領主はアッシュの中心都市として町を育てた、
 1330 皇帝カール4世は硬貨を町で鋳造、1361-72 金貨も鋳造、
 1488 都市の拡張と整備が進んだ、 1553 辺境伯戦争で町は破壊した、
 1631-32 30年戦争で町は大損害、 1673 ブランデンブルク・クルムバッハ・バイロイト公国、
 1791 フランケン公国の郡委員会の席、 1806 プロイセン敗北後仏軍が支配、
 1810 バイエルン王国へ統合、     1900 町技術革新と伝統工芸の発展、
 1945 ズデーデン地方からの避難民の和解。

2.市壁  1.00km 0.80

   12cから市壁は何回か築かれ、15cに最終的な形になった。1450-90に長
   方形となったが、新市街地へ拡張されて今の姿になり、大部分で残った。

3.塔  1門7塔

全4門の家1門と全11壁塔の家7塔は残されている。
 ニュルンベルク門 Nuerunberger Tor (15c) 5階建ピラミット屋根にランタンの門塔で
   二つのアーチ門が並んでいる。1523石造2階建切妻屋根の側門が付けら
   れた。上階はレンガと木造で、南に守衛がある。
 マシケルス塔 Maschikels Turm (15c) 3階建円錐屋根に提灯のある円塔。19c
   アーチ窓となり、今は展覧会場である。
 雄豚塔 Sau Turm (15c) 市壁の外側に3階建ピラミット屋根の長方形塔。
 田畑塔 Flurer Turm (15c) 突出した2階建ピラミット屋根の塔で、石材と木
   組に漆喰仕上の構造となっている。
 土工塔 Schaufler Turm (15c) 2階建円塔に八角形の尖塔が付ている。
 火薬塔 Pulver Turm (15c) 突出した3階建の尖塔付きの円塔。抜穴付。
 漂白塔 Turm a.d.Bleiche (15c) 2階建八角形の尖塔付き円塔。
 羊飼塔 Hirten Turm (15c) 3階建平らなピラミット屋根の角塔。

4.見所  B

   長期間の交易路上の町であったため、3階建の歴史的な建物が多く残され
  ている。市壁や塔も残され、中世的な雰囲気が残されている。
 市庁舎 Rathaus(1711-15) 3階建砂岩切石の壁柱と寄棟屋根の建物で、
   地階は開口アーケードである。1947の火災後1949-51に再建された。
 地方裁判所 Amtsgericht (1840-42) 元監獄の3階建平らな寄棟屋根の四
   角い大きな建物。1968と1987-90に変換された。
 聖ヨハネ教区教会 Ev.Stadtpfarrkirche St.Johannes Baptista (15c)
   6階建の高い南西塔にランタンとタマネギドームがある。3廊切妻屋根の聖堂。
   1594通路、1604塔の追加があった。
 旅館:太陽 Gasthaus Zur Sonne (1568) 3階建サドル屋根上階木組の風格の
   ある家。
 旧宮殿 Altes Scloss (15c) 初め八角形の構築。15c階段塔と付属の事務
   棟。17c城と守衛詰所、今は博物館。
 新宮殿 Neues Schloss (18c) 1906八角形の塔を焼失。1915中央学校の建
   物としてアールヌーボーで再構築。

5.写真

市庁舎 聖ヨハネ市教会
旧宮殿 マシケルス塔
ニュルンベルク門 田畑塔
土工塔 雄豚塔
南屋根付市壁 西壁

5.町の略図

[戻る①得点]

ネルトリンゲン Noerdlingen BY32

1.歴史

 898 レーゲンスブルク司教区の文書に最初の言及、
 1215 皇帝による都市権の授与で自由都市となり、最初の市壁が築かれた、
 1219 大市開催権が認められた。、  1238 火災で大部分を失うが交易で回復、
 1327 昔の壁を置き換えて拡大壁の開始、1589-98 魔女狩りで35人を処刑、
 1634 30年戦争の各国軍が通過し略奪、その後交易路が海に移り中世の町のまま残る。
 1802 バイエルン州に帰属、       1945 2次大戦の空襲で駅周辺のみ被害。

2.市壁  2.6km 1.00

   完全な円形で銃眼付きの胸壁と屋根付き壁上通路のある市壁2.6kmが中世の旧市
  街を囲っている。1803に不要となった市壁の取り壊しを始めたが、1826バイエルン王
  ルードビッヒ1世は壁の解体を禁止した。14-16cの壁がほぼ完全保存されている。
  市壁上の通路は一周できる。

3.塔  0門1塔

  5門と8塔・1要塞がある。新要塞は1808-26に中止された。
 ライムリンガー門 ReimlingerTor 14C建、東南 最古の市門塔、3階角塔。突出
   銃台と塔防御室を備え、後で守り易い外壁を付けた。
 バルディンガー門 BaldingerTor 1376建、北西 1階アーチ門に後で西側小入口を
   加えた。前門部は1430に付け加えられた。
 レプジンガー門 LoepsingerTor 1388建、北東 1592に6階建門塔に建て替え
   られた。1837に日時計を付けた。今日は美術館を収容。
 ダイニンガー門 DeiningerTor 東 LoepsingTorに似ているがややスリム。
   現在の構造と12アーチの窓や曲線屋根は30年戦争の後で得られた。
 山門 BergerTor 1436建、西南 1575に塔の上階を強化して今の姿になっ
   た。石積にカノン砲の弾丸が突き刺さっているのを今でも見られる。
 旧要塞 AlteBastei 1554-98建、南 防御要塞は2階に10門の大砲を収容で
   きる。今は野外劇場がある。
 売り塔 FeilTurm 14C建、4階塔。刑務所塔として使われた。
 獅子塔 LoewenTurm 1535建、西 4階建の砲兵塔。堀の大砲胸壁の間に据え
   付けられ、馬蹄形で町側に低い切妻を置き、外側に膨らんだ砲台である。
 上水塔 ObererWasserTurm 1469-71建、西 6階角塔。エーゲル川の流入地点を
   守り、堀へ水を配る給水塔。
 オーブン塔 BackofenTurm 5階建角塔で外壁に付けられている。名前はその特
   徴的な形から来ている。
 トンガリ塔 SpitzTurm 15C建、北 六角形の尖屋根からその名前が付いた。
 下水塔 UntererWasserTurm 15C建、北東 エガー川が町から離れる地点を
   守る下部水塔。
 引張塔 ReissTurm 1408建、東南 最初壁の外側に建てられ、1644に現在の
   姿となった。

4.見所  B

    隕石の落下によって生じた盆地の中央に、市壁に囲まれた淡い色調の家が並ん
  でいる。町の中心マルクトには市庁舎と教会が立ち、16-17Cの木組みの家が多く残さ
  れている。
 市庁舎 Rathaus 1313建、初めデパートとして使われていたが、1382に市が
   借りて市庁舎となった。1618にルネッサンスの階段を付け、大会議室には16Cの
   フレスコ画が描かれている。
 聖ゲオルグ教会 St.GeorgsKirche 1427-1505建、ゴシックの3身廊の長さ90mの
   広いホールである。高さ89mの高い塔に登れば見晴らしはよい。15Cの説教壇
   には優雅な階段がつき、本祭壇にはバロックの祭壇画がある。
 クレータ-博物館 RiesKraterMuseum 興味深い隕石クレーターの映像とアポロ14号の
   月の石の展示がある。
 町博物館 StadtMuseum 町の歴史、古代ローマの笛吹き像、後期ゴシックの祭壇
     1634ネルトリンゲン会戦のジオラマを展示。
 カザルメン Kasarmen 市壁の内側に直接屋根を架けて、兵士を収容する2階建
     の家を建てた。今も相当延長残っている。

5.写真

ドイチェハウス 聖ゲオルグ教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

ニュルンベルク Nuernberg BY33

1.歴史

 1000-40 町を形成し城が築かれた、  1050 ハインリッヒ3世の証明書に言及、
 1190 新城で行政と裁判が行われた、   1219 帝国自由都市となり、両岸に市壁、
 1320-25 両岸は共通の壁で囲まれた、  1356 金印勅書が採択され帝国市議会開催、
 1427 ホーエンツオレルン家の東方進出でニュルンベルク伯城を市へ売却、1470-1520 経済的全盛期、
 1649 30年戦争は終わり市は守られたが、経済は弱体化した。
 1796-1806 プロイセンへ帰属、       1806 バイエルンへ帰属、
 1945 2次大戦で旧市街地の90%が破壊した。

2.市壁  3.80km 0.75

  最初の市壁は、11Cに、ペグニッツ川の両岸にそれぞれの市壁が築かれた。
  2番目の市壁は、1320-25に、両岸が壁で統合した。
  3番目の市壁は、1400-1452に、東にずれた平行四辺形で延長約5kmとし、4門塔
    を設けた。屋根付きの巡視路を持つ内側市壁の外に、もう一つの防壁
    (ツインガー壁)があり、その前には幅20m深さ12mの空堀を1452に完成した。
   市壁は、空爆に晒されたが戦後修復され、北と東の一部を除いて3/4が殆ど2重
   壁で残っている。

3.塔  11門67塔

  6門(Tiergaertner、Jakob、huebners、Kartaeuer、Faeber、Fuerther-Tor)が
  残り、7門(Marien、Kasemalten、West、Max、Ludwigs、Koenigs、Stern-Tor)は
  失われた。新4門(Laufer、Frauen、Spittler、Neu-Tor)と1小門(Tuerlein)
  城に繋がるVestnerTorを追加。防御塔は67残っているが、その内4は16Cの大塔
  DickeTurmであり、砲弾に耐えられるよう厚さは最大6mにも及ぶ。

4.見所  S

  中央を東西にベグニッツ川が流れ、延長5kmの市壁に囲まれた大きな町である。
   城が北の丘にあり、その下に市庁舎や教会など、北側に集中している。
  Burg 12C建、北 昔の城伯の城は1420に壊され、15-16Cにカイザーブルク
   が付け加わって現在の形となった。高さ30mの主塔、深さ53mの井戸、宮廷礼
   拝堂1170、国王宮廷、皇妃の間などがある。
 デューラーの家 DuererHaus 北 画家デューラーが1509-28に住んだ木骨家屋。
   複製絵と質素な家具が展示されている。
 新旧市庁舎 Neues&AltesRathaus 1332-40建、新旧の市庁舎の大複合建物。
   全部が2次大戦後の復元である。ゴシック・ルネサンスの部分も見られる。
 聖セバルドウス教会 Neues&AltesRathaus 13建、14Cに拡大されロマネスクの西正面
   となった。二重内陣のゴシック装飾は重厚である。
 聖母教会 FrauenKirche 1352-61建、ゴシックの宮廷礼拝堂として建てられ、
   殆ど正方形の広間に、1440の祭壇画がある。
 聖ローレンツ教会 St.LorenzKirche 13-14C建、南 ゴシックの西正面はバラ窓に飾
   られ15Cに付けられた内陣には16Cの木彫の天使の祝詞が置かれ、後陣に1487の
   ステンドグラスがある。
 町博物館 StadtMuseumFembohaus ルネッサンスの砂岩造の市民屋敷に、市の歴史や
   貴族の家庭生活を展示している。
 国立ドイツ博物館 GermanischesNationalMuseum 南 14Cの旧シャトル会修道院に
   設立された。広大な建物に13-16Cの彫刻・14-15Cの絵画・15-19Cの装飾芸術・古武
   具・銅版画・古楽器・民衆芸術等の展示。

5.写真

旧市庁舎 フラウエン教会
ジンベル塔 カザーブルク城
白塔 シュピトラー門
フェルト門 皇帝通り西門
ヘンゲル塔 南西壁教会
西壁外側 聖ロレンツ教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る④門塔]

オルンバウ Ornbau アンスバッハ市内 BY34

1.歴史

 838 最初の文書言及、
 1286 第1砦としてエッティンゲン家のアイヒシュタット司教は半円形に要塞化した、
 1317 第2砦として堀や堤が加えられた、1365-83 壁を補強して安全を図った、
 1470-90 壁や塔で第3砦として、今も見られるように建設。砦の基石には紋章や
      年号が残っている。

2.市壁  077km 0.98

  半円形の旧市街地には、全周の高い市壁が残っている。

3.塔  2門6塔

 上門 Ober Tor 2階建て3角屋根の後門のみ復元されている。
 下門 Unter Tor 2階建て3角屋根の前門のある3階建て角塔であるが、
   車の対向が出来るように、隣の壁が開けられている。
 泥棒塔 DiebsTurum 円錐屋根の円塔。泥棒塔は監獄として使われた。
    そのた、市壁には5以上の多くの円塔や角塔がある。

4.見所  C

  バイエルンで最も人口の少ない小さな町で、大教会には千年前の尖塔が残る。
   古い校舎の煙突には何世紀にわたるコウノトリの巣があり今も子育てが行われる。
   毎年ヨーロッパ全土から5千人のメルセデスベンツクラブが集まり、古典的なメルセデス
   ベンツ車500台のパレードがある。
 聖ヤコブ教会 PfarrKirche St.Jakobus 1053献堂、1967身廊の拡張さ
   れたが、ロマネスクの砂岩の塔とゴシック内陣は残された。1502幕屋・1500マドンナ像・
   1981バロックのピエタ像が礼拝堂から来た。2000祭壇の壁にガラス絵が飾られた。
 旧水車橋 AltMuehlBruecke Altmuehl川に架かる旧町への古い石橋。

5.写真

下門 上門
ゾンゲナンテ城 南東壁
南壁 東壁
東北壁

5.町の略図

[戻る③壁率]

レーゲンスブルク Regensburg BY35

1.歴史

  79 ローマの砦が置かれた、       179 軍団駐屯地の建設、
 7-8c バイエルン候の居住地となった、    826 フランク帝国の領土となった、
 9c 東フランク・カロリング朝の城郭都市となった、1135-46皇帝バルバロッサから橋特権を得た、
 12-13c 最盛期で東方貿易で栄えた、   1245 自由帝国都市となるが下降線、
 1542 宗教改革の導入、         1633 30年戦争で何回か占領された、
 1663 東フランク帝国の帝国会議を常設、   1806 市庁舎の帝国の間で帝国の終焉、
 1809 仏軍が侵攻、           1810 バイエルンへの統合、
 1943-45 第2次大戦 航空機工場が在ったため、20回も空爆された。

2.市壁  1.21km 0.22

   179:ほぼ正方形24haのローマ軍の城塞が完成、300:再度強化された周壁の跡は
  辿ることができる、北門・近衛門のアーチが東南角のローマ周壁の一部が見られる、920:
  バエルン大公アルヌルフは西に市壁を拡張した、13c:拡大し東と西の郊外が壁に囲まれた。

3.塔  4門2塔

 東門 Osten Tor(13c) 東に残されたゴシックの美しい塔で、5階建て門塔に
   3階建て八角形の脇塔が通っている。南側の壁に1330の碑文があるが、これは
   ツインガー壁の建設年である。
 ヤコブ門 Jakobs Tor (13c) 中世市壁の西門で、二つの円塔が道路の両側
   にある。ゴシックの胸壁と改装された赤茶色の外観を見せている。
 ヘレネ門 Helenen Tor (13c) 中世市壁の南門で、二つの角塔が道路の西側に
   立っている。
 ポルタプレトーリア門 Porta Praetoria (179) ローマ時代の城門と東塔。
 黄金塔 Golden Turm (13c) 中世に建てられた豊かな貴族の家がスティタスとし
   て高い塔を建てた。9階建ての住居塔で50mの高さがある。印象的な中庭には
   自由に入れる。
 ローマ塔 Roemer Turm(9c) 7階建ての高塔を持つカロリング朝の王宮から、988
   には大公宮廷とされ、12cには改築されてバイエルンの宮殿となった。上階には
   後期ロマネスクの美しい広間がある。

4.見所  A

   ローマ駐屯地時代から神聖ローマ帝国会議場であった2千年の歴史が感じられる美し
   い古都である。 聖ペテロ大聖堂の豊な装飾の西正面と南側面を見上げる角度が急
   で圧倒される。1135の石橋の門塔越しにドナウ川の対岸からの夕暮れの景色は美し
   い。見るべき歴史的な景観は多数に上る。
 旧市庁舎 AltesRathaus (13c)初めに中央市場として建てられ、多くの
   追加と変更の後に市庁舎となった。1250八階建ての塔が付けられた。皇帝の間を
   含む西側部分は1360の帝国広間造りである。正面は張出窓で飾られ、美しい玄関
   があろ。帝国議会博物館として、帝国の間には天蓋の下に皇帝の着座がみられ、
   地下には囚人の取調室や拷問室がある。
 聖ペテロ大聖堂 Dom St.Peter (1250) 3身廊ゴシックの大聖堂で翼廊の張出は
   ない。1525に双塔(19c)を除いて完成した。正面は彫像や模様で飾られている。
   内部には85m×32mの広い空間がある。13-14cのステンドグラスが美しい。必見。
 古い礼拝堂 Alte Kapelle (200) ローマ時代まで遡る、バイエルンで最も古い教
   会で、1014皇帝ヘンリー2世の戴冠式が行われた。1748にはロマネスクの身廊は後期
   ゴシックの大聖堂とロココの祭壇に変えられた。天井のフレスコ画が美しい。
 聖ヤコブ教会 Schotten Kirche St.Jakob (12c) かってのベネディクト会修道
   院のショッテン教会でロマネスクの建物は双塔を失っている。豊かなロマネスクの石細工模様。
 聖堂教区教会 Dom Pfarr Kirche Nieder Muenster (12c) かっての
   女子修道院の木造の建物は、ローマ時代の遺跡であったが12cに聖堂の火災で
   破壊され17-18cにバロックで再建された。
 聖ブラシウス教会 DominikanerKirche St.Blasius (13c) 古い托鉢会の質素
   な教会。
 聖エメラム会堂 Basilika St.Emmeram (8c) カロリング朝時代に建てられ、18c
   にバロック化された旧ベネディクト会修道院教会で、ゴシックの正門とロマネスクのポーチ
   12cを通って中庭に入る。入口の彫刻は古い11cものである。
 トウルン・タクシス城館 Schloss Thurn&Taxis (8C) 市街地の南端に壁に囲まれて
   トウルン・タクシス城館がある。旧ベネディクト会修道院の壮大な建物は、1810世俗化で
   郵便局のトウルン・タクシス家が所有し、今は博物館として城館・旧厩舎・回廊を見学できる。
 塩倉庫 Salz Stadel (1611-20) 石橋右岸東にクレーン付の4階建ての大きな
   塩倉庫がある。最近の改修で大きなオーク材の厚板と柱が使われ、今は宴会場。
 ゴリアテ館 Goliath Haus (1260) 貴族ゴリアテ家の4階建ての館で。ダビデの
   戦いに壁画が前面にある。ローマ砦の南の城壁の上に立っている。2階にレストラン。
 市博物館 Staedtisches Museum (13c) 旧フランシスコ会修道院に石器時代から
   の東バイルンの文化史・芸術史をたどる博物館を収容。179ローマ駐屯地の石版がある。

5.写真

市庁舎 東門
ローマ塔 ヤコブ塔
ヤコブ塔外 西中壁
東壁 ローマ壁
鋤路地 ポルタプレトリア東塔
黄金塔 大聖堂

5.町の略図

[戻る①得点]

レッティンゲン Roettingen BY36

1.歴史

 1103 文書初言及、           1275 町は都市権を得て市壁を作る、
 14c ヴュルツブルク領主司教による支配、    16c ワインによる町の経済発展、
 1328 ルードヴィヒ4世はローマドイツ皇帝となり居住して2番目の周壁を築いた、
 1618-48 30年戦争で占領や略奪、     1803-14 ナポレオン後のフランケン小国個人主義、
 1814 バイルン公国の融解、          1837 バイルン王国は上下フランケン分離した。

2.市壁  1.24km 0.92

   5か所の道路部分を除いて、ほぼ全周の市壁が残っている。

3.塔  2門5塔

   市壁には1640に16の塔があったが、今は7塔しか見られない。
 旧犬家門 AlterHundHeimer TorTurm 長方形の3階建門塔。屋根は木造。
 新犬家門 NeuerHundHeimer TorTurm 長方形の4階建門塔。屋根は木造。
 豚飼い塔 Schweinehirten Turm 細長い4階建て円筒塔に円錐屋根。
 ヤコブ塔 Jakobs Turm
 蝸牛塔 Schnecken Turm 
 粉挽塔 Muehlen Turm 
  Rippacher Turm

4.見所  C

   旧市街地には面白い木組みの家が並び、33種の様々な日時計が1984以降に設置
   されている。
 市庁舎 Rathaus (1750) バロックの3階建て入母屋屋根に鐘楼のある石造の
   建物であり、20c末に改装されている。
 バラティンスタイン宮殿 Schloss Brattenstein (1230) その後1345ホーエンローエ家に属
   し、12-13cに核の部分が造られ、その後領主により様々な建物が加えら、17cに
   大幅に変更された。初め城は市壁の外に建てられたが、その後市壁の一部となっ
   た。1971城の一部が崩壊し、町はその後数年間で復元し、1984からは中庭で演劇
   が見られる。地下には小さなワイン博物館がありワインの歴史が展示されている。
 聖キリアン教区教会 PfarrKirche St.kilian (14c) 後期ロマネスクの単塔教会で
   14c内陣の追加、1606-14改装、その後も変更があり、1923最後の拡張。
 高い建物 Hoher Bau (13c) その後15c木組みの上層階はドイツ騎士団が建て
   た。矩形4階建ての高い建物。
 ジュリアス・エヒター救貧館 Julius-Echter Stift (14c) 細長いルネッサンスの2連棟。
   今は老人ホーム。

5.写真

市庁舎 新Handsheim門
蝸牛塔 ヤーコブ塔
粉挽塔 東壁
北壁 博物館
太陽時計

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

ローテンブルク Rothenburg BY37

1.歴史

  870 ヴルツブルク司教が10番目に認定の地区教会、1070ローテンブルク城の構築、
 1170 マルクトと教会を中心に市壁で囲む、13C 古代都市壁、白塔・レーダー門・マルクス塔が残る
 1274 ハプスブルク帝国の自由特権を与えた、1352ヴルツブルグ司教を解約し帝国都市へ、
 1356 地震による城の崩壊、      1400 要塞強化と教会拡充、
 1430 フス派を恐れて壁溝の防衛強化、  1525 農民戦争加わったが敗れた、
 1544 宗教改革市長となり、      1559 新教の教会が生まれた、
 1618-48 30年戦争でスエーデン軍と仏軍の略奪とペストで町は衰退、
 1802 バイエルンに帰属、    1826市壁・塔と木組の家並みは保護された、
 1945 2次大戦の爆撃を受けたが、戦後復元された。

2.市壁 3.2km 1.00

  第1次(12C)周長1.4kmの円形で、白塔・マルクス塔・城路地に沿った南西側の市壁部分
    が残り、城公園の突出部にも門塔はないが700mの城壁が残る。
  第2次(13・14C)周長2.5kmに、北・西・南に拡張され現存する。
  第3次(15C)南の修道院を取り囲む形で0.4km突出し現存する。シュピタール門には1586
    の年号が残っている。市壁には、防衛通路があり歩くことができる。

3.塔数 10門24塔

  門塔が造られ門塔が残っている。
 1.市庁舎塔 RathausTurm 14C建、ゴシックの高さ60mの塔、塔には約200段の階段
    で登られ見晴らしがよい。
第1次市壁の塔
 2.マルクス門 MarkusTor 12C建、高さ27mの高塔、屋根は後から付けれれた。
   1844までは刑務所で使用され、南に昔の曝し台がある。
 3.レーダーアーチ RoederBogen 12C建の位置に、14Cに二重門が造られた。
 4.城門 BurgTor 14C建、1460-70塔部分、1555人一人がやっと通れる木製出入
   口を設けた。外門は紋章で飾られ見張小屋の側面の前にある。
 5.白塔 WeisserTurm 12C建、1945に焼失し、再建された。町で一番高い所に
   立っている、標高435mの地点に高さ33.5mの角塔。
第1次で無くなった塔
 青塔 BlauerTurm クリンガー路地との交点にあったが、1655に市域の拡大時に
   壊された。
 干し草塔 Heuluke ホイ路地にまだ塔の基礎を見られる。15C破壊。
 ヨハン門 JohannisTor ヨハン教会に隣接して名付けられたが、1393の教会建設の
   際に壊された。
旧城壁で無くなった塔
  PharamundsTurm 城突出部の南西の角にあったが、19Cの初めに破壊。
  MuesterTurm ブラシュウス礼拝堂の近くにあったが、1356の地震で崩れ、
   1425に撤去された。
第2次市壁の塔
 6.クリンガー門城 KlingenTorburg 13C建、15Cにヴォルフガング教会を東側に囲って
   前門塔を設けた。今の石橋は、当時木橋で上に引き上げていた。
 7.クリンガー門塔 KlingenTorTurm 1395-1400建、北 ランタン帽子の塔は旧市街地
   の拡大を示し、1504から銅製の大ヤカンを組込んで町への配水塔となった。
   守衛詰所と共に建てられ、高さ37mの角塔である。
 8.火薬塔 PulverTurm 1408建、北の角塔、火薬保管所。
 9.ヘンケルス塔 HenkersTurm 1408建、北の角塔、何度か火事に遭い1941に爆弾で
   壊され1945に再建された。
 10.悲しみ隅塔 KummerecksTurm 1330建、北東角、瓦礫とゴミの集積場の角
   にある。
 11.鵞鳥塔 GanserTurm 東北、市壁の側面の保護のための角塔、1618に火薬
   保管所として使われた。
 12.絞首台塔 GalgenTor 1388建、東北、近くに絞首台が在ったため命名。
   また、ビュルツブルガー門とも言われる。バイエルンの帝国都市として統治権のシンボル。
 13.トーマス塔 ThomasTurm 1340建、東中、絞首台塔と同型。
 14.女塔 WeiberTurm 1410建、東中 女性監獄。
 15.レーダー門城 RowderTorburg 14C建、15Cにヴォルフガング教会を東側に囲って
   前門塔を設けた。今の石橋は、当時木橋で上に引き上げていた。1945に部分的に
   壊され小さな変化で再建された。
 16.レーダー門塔 RoederTorTurm 1385-1390建、東中、二つの尖塔のある塔の
   後門となっており、可動橋と落し格子で守られていた。前橋の残骸は舗装の下
   にある。関税と見張小屋を備え、内外に銃眼を付けて前門の側面を守る。
   唯一の展望塔であり、2ユーロで登れる。中には2次大戦時の破壊状況を展示。
   守衛詰所と共に建てられ、高さ37mの角塔である。
 17.腐敗塔 FaulTurm 1385-1400建、東南 最重要罪人のための処刑塔。
 18.篩い塔 SiebersTurm 1385建、東南、小麦粉の篩い製造者からの名前。
   Spitalへの拡張で、塔から門になった。
 19.コボルツゼラー門 KoboldzellerTor 1360建、南東角、谷底に通じる門。
   増強のため長方型の前門を付けた。内側塔から防衛路で狭間胸壁のある見張
   台に達する。外側塔のアーチに防衛と関税の小屋が置かれ、外側には紋章を飾
   っている。
 20.小塔 FuerbringerTuermlein 16C、東中 クリンゲン塔と火薬塔の間の小塔。
 21.小塔 HohennersTurm 1385-1390建、東中、ローテンブルク一家の名前を付けた。
 22.小塔 SchwefelTurm 1340建、東、名無し塔とか小塔と呼ばれる。
 23.塔 RuckesserTurm 1390-1395建、南前面 帽子角防御で南前面に基礎が
第3次市壁の塔
 24.大きい星 GrosserStern 1410-15建、西南 又は青い星と呼ばれ要塞建
   設に必要。後から壁を付けた。
 25.小さい星 KleinerStern 1410-1415建、西南 上記と同様。
 26.病院門塔 SpitalTorTurm 1370-80建、南 シュピタール要塞とも言う3連門。
   8の字の形に8門、落し格子門と跳ね橋で守った。横に古い税関と見張小屋が
   ある。1631に焼かれ、1633に再建された。
 27.雄豚塔 SauTurm 1400-05建、南西角、登り坂にあり南西の角に立つ。
   跳び控えで結合した。
 29.門塔 StoeberleinsTurm 1375-80建、西南、昔の門塔であったのは、
   帝国と町の紋章で識別できる。
 30.石灰塔 KalkTurm 1390建、西南、昔の町営資材置き場との結合で立つ。
 31.魚塔 FischTurm 1390-1400建、西南、定期的に行われる魚市場から
   名前は来ている。
 32.キャベツ塔 KohlTurm 1385-90建、西南、コボルツェラー門との接点に立つ。
 33.沼地の基礎壁の塔 Turm am BruehlGrundmauer 基礎壁が見いだされる。
 34.二重橋塔 Turm auf Doppelbruecke 二重橋と共に作られたが、すぐ壊さ
   れ、西の橋端で塔の残骸が識別可能。
第3次で無くなった塔
 小塔 Turm vor Befestingung 北と東の外側に市壁に平行な前壁が残って
   いる。そこに小塔も安全のため付けられていた。
 冠毛塔 TopplerTurm 1404建、外側の新クロリゲン塔と呼ばれ、1573壊された。
 湖塔 SeeTurm 1404建、橋建設で塔の残りは保たれたが、1573に壊された。
 粘土穴塔 Turm bei Lehmgrube もはや存在しない。
 レーダー門の前門 Turm vor RoederTor レーダー門の前門は存在しない。
 前塔 Turm vorm Gebsattertor 何も残っていない。

4.見所  A

  珍しく全周で市壁が残り、多くの門塔や二重門が見られ、壁の内側の古い家並
  みと見事な看板が見上げられる。
 町庁舎 Rathaus 14C建、60mの塔と切妻のゴシックの部分が一番古い。東側の
   八角形の階段塔を含めた部分はルネッサンスで付加され、マルクト広場の北側に15C切妻の
   市会議員宴会場があり、一気のみ市長の仕掛け時計が正時には見られる。
 聖ヤコブ教会 St.JakobKirche 14建、東内陣から着工されたゴシックの教会。
   リーメン・シュナイダーの聖血の祭壇が西陣にある。
 フランシクコ教会 FranziskanarKirche 15-16C建、左壁雁の上にクレークリンゲンの1400
   の聖母像がある。
 病院 Spital 16-17建、町の南端に、市壁に囲まれて病院の建物があり、
   付近には美しい木組の家が多く見られる。
 城公園 BurgGarten 西の突出部には、皇帝と伯爵の城があったが、聖フラー
   ジウス礼拝堂が残っているだけで、公園となっている。
 中世犯罪博物館 MittelalterlischesKriminalMuseum 聖ヨハネ騎士団の館に、
   中世の犯罪の処刑道具や版画がある。
 帝国都市博物館 ReichsStadtMuseum 13-16C建、旧ドミニコ会女子修道院に、
   中世の生活や美術品がある。1616の市長ヌッシュの大盃を展示。

5.写真

市庁舎 市壁
クリンゲン門 ブルク門
レーダー門 ガルゲン門
ジーパー門

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

シュリュッセルフェルト Schluesselfeld BY38

1.歴史

 1336 コンラット2世の集落設立証明書、   14c バイエルンのルードビッヒが権利行使、
 1347 創設者コンラットの死後司教に落ちた、 1396 市場シュレッセルフェルトは都市権を確保、
 1397 ヴュルツブルク司教は役所置いて支配、1480 ショーレンベルク司教は要塞町と見なす、
 1590 ジュリアスエクターは市壁と塔を置いた、 15-16c 地域の文化・経済の中心で繁栄、
 1631-38 30年戦争で多くの略奪と破壊、   1650 町は早くも復興期に入った、
 1803 世俗化されバイエルンに属した、  1805 プレスブルク和平でヴュルツブルク大公国へ、
 1810 バイエルン王国に再び帰属、   1886.1915 マルクトの南東部の火事で建物更新。

2.市壁  0.75km 0.90

    14cの市壁は、旧墓地を含めて築かれ、各所に多く残されている。

3.塔  2門2塔

 上門 Oberes Tor (1466-95) 15cの拡張時に西側に前門からツインガー壁後門につない
   で改修された。後門は腰折寄棟屋根を漆喰で固め2階建横長の門家の中央に
   アーチ門と15cの四角塔がある。1601と1654で前門に守衛所が付けられ1689-94
   塔の3階に守衛の住居が設けられた。1837最終の守衛が死亡し塔は使われな
   くなった。1998に改修された。
 南小門 Otzler Pforte (14c) 聖マリエン教会の西に狭い小門がある。
 北東隅塔 Nordaestlicher Turm (14c) 2階建円錐屋根付き円塔で、上階部分には壁が
   ない。
 北西隅塔 Nortwestlicher Turm (14c) 2階建円錐屋根付き円塔。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1723) 2階建寄棟屋根・天窓付砂岩造の建物で、前面は
   漆喰仕上であった。1948に火事に会い補修されて1963から博物館となりヨーロッパ
   の磁器の展示もある。
 市庁舎 Rathaus (1625-27) 切妻屋根の建物で最初は十分の一税倉庫であった。18c
   ヴュルツブルクの役所に改造され、今は市庁舎として使われている。
 マルクト広場 Markt Platz (1910) マルクト広場にはライムの大木が植樹され、緑豊かな景
   観を示す。
 聖ヨハネ教区教会 PfarrKirche St.Johannes der Tseufer (14c) ゴシックの教会の内部に
   は、ヴュルツブルク大学協会の祭壇がある。1702受胎告示の絵画とバロックの祭壇画置
   かれた。
 聖マーチン教会 Kath.kirche St.Martin (1484) バロックの教会は、1724に守護聖人「キリスト
   教徒のメアリ-・ヘルプ」に捧げられた。1948祭壇・説教壇・オルガンは、バロックの内装と
   共に完成した。
 旧郵便局 Ehem. Postamt (19c) 2階建寄棟屋根・漆喰仕上の大きな建物。
 旧校舎 Ehem.Schulhaus (1749) 2階建腰折寄棟屋根の建物。1983改修。後ろの醸造
   所は2階建木組漆喰仕上。
 牧師館 Pfarrhaus (1834-35) 古典的な2階建寄棟屋根漆喰仕上の建物。物置は1800
   の木組切妻屋根。

5.写真

市庁舎 聖ヨハネ教区教会
上門 北東隅塔
北西隅塔 南小門
西壁 南壁

5.町の略図

[戻る④門塔]

ションガウ Schongau BY39

1.歴史

 2C ローマ人が段丘に居住、       1060 名付けられた、
 1204 周壁で囲み都市権・鋳造権を得た、 1268 バイエルンの支配下に、
 14C バイエルン公の証書に都市権の古文書、 1405 有力な大市を開き経済は上昇、
 1490 行政上の中心となる、       1493 町の大火で壊滅的な損害、
 1589-92 魔女狩りで63婦人を処刑、   1632 30年戦争で被害、
 1704 戦争で15市塔の内9塔が破壊、   1800 ナポレオン戦争でチロルの反乱、
 1977 旧市街地の再建開始、     1983 市壁再建、 1985城広場再建、
 1987 マリエン広場再建、1989 BallenHaus・聖エラムス・博物館再建、1991修道院再建。

2.市壁  1.57km 0.96

  ドナウ以南の独語圏で唯一の、全長1.626kmの円形市壁がある。東側の駐車場から
 修道院までは壁上の屋根付き防御路を通れる。南のLochTor跡20mとKasslTurmの
 40mは、市壁が切れている。

3.塔  2門5塔

  昔3門と15塔があったが、2門と5塔が残る。
 婦人門 FrauenTor 1392建 西 1695までは雄牛塔KuhTorと呼ばれた。
   発掘された市壁は13Cのものだった。倒壊寸前の門塔は1695に取り払われた。
   1986簡単に再建。外側のマドンナの像は1699製、1985にワイン酒場が設置された。
 マックス門 MaxTor 1331建、西 城の前に昔の5階建て門塔、1704に壊され
   1808に再建された。
 旧レヒ門 ehem.LechTor 昔の3つの塔が1704に壊され、守りを固めて再建さ
   れた門も1877に撤去された。
 カッセル塔 KasselTurm 南東 対仏砲台。
 警察使用人塔 PolizeidienerTurm 南門 19Cからこの名前で呼ばれる。
   中世の歩行者の潜り戸であった。
 旧魔女塔 ehem.HexenTurm 南西角 1704に爆破された。5階建ての砲台付
   記念塔、1583から刑務所と地下牢で役立った。1589-92の魔女裁判で処刑。

4.見所  C

   小高い丘の殆ど全周に築かれた市壁が立っている。市門の多くは壊された
  ままか簡単なアーチが置かれている。旧市街地の主な建物は復元されている。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1515建、後期ゴシックの先例に沿った建物。
   最初宿屋として使われ、17Cは市民の館、1768天井画付きの礼拝堂。
   1984-85改造して建て直し。
 市庁舎 Rathaus 1926建、いわゆる郷土様式で建設された。
 ションガウ城 SchlossSchongau 14C 昔の公爵領の管理宮殿、15-16Cにヴィッテル
   バッハ家の支所、1490-93南前面に公爵のフレスコ画と宮殿建設。1771-72改造、
   1876宮殿礼拝所を取除き、1914拡張建設、1945郡庁とされ政治的に進展。
 聖霊病院教会 HeiliggeistKirche 1727-30建、昔のカルメル会教会聖アナであ
   り、1125「聖女アンナとその家族」を大祭壇に飾る。1720-25カルメル会集会場。
 舞踏会館 BallenHaus 1420建、昔の倉庫・参事会館、孤立した後期ゴシック
   の階段と破風の西屋根。1493に大火を受け1515に改修増築して、後期ゴシック
   の彫刻天井の大ホール。1989に改造と改修。
 町博物館 ehem.Spitalkirche St.Erasmus mit StadtMuseum 1491受難の
   連作、中世風床下暖房、町の歴史の良く備えた収集物、特別な貨幣収集。

5.写真

 
市庁舎 東門
南東壁 カッセル塔
警察本部塔
女門 女門
牢獄 北壁
東壁 北棟
マリア昇天教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

ゼスラッハ Sesslach BY40

1.歴史

  800 フルダ修道院の文書に初言及、  837 アシス侯爵は町の所有地を贈物とした、
 1244 アンデックス・メラニーンとヴュルツグルク司教の争で町は破壊、1335バイエルン王は都市権を授与、
 1365 町は刑事裁判権を授与された、 1400 都市連合は司教軍にベルクハイム戦で敗北、
 1525 農民蜂起に同調して自治を強化、1632 30年戦争で町は荒廃、
 1803 世俗化でバイルンへ、1805 ヴュルツブルク大公国へ、1810 バエルン王国へ帰属、
 1905 町は大火災に襲われた。

2.市壁  0.30km 1.00

    1135市壁は、市の法律と領収書で明らかなように築かれた。1573市壁は堀と
   3門と共に、長さ300m高さ9-10mで砂岩ブロックで拡張された。1848の火事で
   ゲイヤースベルク方面の市壁の高さが削られたが復元され、全延長が残されている。

3.塔  3門8塔

3門と4壁塔6壁塔切株が残されている。
 禿鷹山門 GeiersbergerTor (1343) 南 4階建て砂岩造の角塔で、1551に再
   建され、18cにマンサード屋根が付けられた。
 ローテンブルク門 Rothenburger Tor (14c) 西 4階建てテント屋根の砂岩造の各塔
   で、1610に再建された。
 ハッター村門 Hattersdorfer Tor (15c) 北 5階建て中折れ屋根の砂岩角塔で、
   16cに再建された。
 小門 Pforte 上のツインガーに閉じられた防御用の周壁に閉じられた角塔の横
   に北東の小門がある。
  南 正方形の壁塔の切株、 西 ツインガーの下に在る円塔、
    西 3階建ての四角錘屋根の角塔、 東北 円錐屋根の円塔、
    東北 3階建て多角形の塔、    東 壁の高さ出来られた円塔、
    東 壁の高さ出来られた円塔。

4.見所  C

    門と市壁が完全に囲んでいる珍しい小さな町で、旧市街には17-18cの2-3階建
   バロックの木組みの建物が多く、司教の記念碑的な建物と共に町の風格を表す。
 市庁舎 Rathaus (16c) 半寄棟屋根小塔付も2階建ての木組みの家で。ラオイオン像
   のある屋外階段を有し中心部は16cの建物で、1796.1818改修されている。
   今は郷土博物館である。
 教区教会聖ヨハネ PfarrKirche St.Johannes (15-19c) 後期ゴシックノ3身廊梯形配置
   の教会で、4階建ての塔が在る。中には15-19cのバロックの調度があり、16c
   片流れ屋根のキリスト昇天の地オリーブ山礼拝堂がある。
 聖十字架礼拝堂 Hl.Kreuz Kapelle (1705-08) 昔の墓地教会の、引きこもった
   内陣のある小塔付の広間教会で、貴重な調度がある。
 角の家 Eckhaus (1906) 絵の様に一体化された2階建ての建物で、高い切妻や
   角張出窓が付いている。
 町粉挽所 Stadt Muehle (1574) 2階建て隅棟式屋根の木組上階は、18cに建て
   られた。
 旧領主司教役所倉庫 Ehem.Fuerstbischoefliches Amtmagasin und Schuett
   boden (1714) ハンサムな3階建両切妻屋根の役所倉庫と穀物倉で、周壁に円型
   門がある。今は図書館である。
 旧領主司教役所 Ehem.Fuerstbischoefliches Amtshaus (1620) しっかりした
   3階建砂岩両切妻屋根の建物で、18c階段切妻と後方の多角形階段塔が改修
   された。17cに南入口のある庭壁が付けられた。
 木組の家 Fachwerk haus
 宿屋「黄金の王冠」 Gasthof Zur GoldenerKrone (1906) 横切妻の2階建て
    マンサードと両切妻屋根の建物で、火事の後1906郷土様式で再建された。
 宿屋「赤い雄牛」 Gasthof Zum Roten Ochsen (16c) 上階が木組みの2階建
    建物で、半寄棟屋根で19cに改装された。
 住居と商館 Wohn und Geschaeffhaus (1905) 上階木組みの3階建て両切妻
    屋根と横切妻の郷土様式の面白い建物。
 両切妻屋根の家 Satteldach haus (1690) 木骨造2階建ての家で、中庭への
    通路がある。
 旧学校の家 Ehem.AltesSchulhaus (17c) 上階は斜材のある木組みの2階建
    で、18cに建て直された。
 半寄棟屋根の家 Halb Walmdach haus (1558) 上階木組の2階建ての建物で
    中庭への出入り口・横樋があり、屋外階段には16-18cの錬鉄の欄干がある。
 両切妻屋根の家 Satteldach haus (18c) 簡素な木組みの2階建ての家で、
    横樋と中にをへの入口が付いている。
 マンサード屋根の家 Mansarddach haus (1760) 木組切妻が美しい上階木組の
    3階建マンサード屋根の建物。
 いわゆる高級な家 Sogenannte Hoheshaus (1533) 風格のある上階木組3階
    建の両切妻屋根横樋の建物で、屋根は1533に造られ、梁に1640の年号がある。
 角の家 Eckhaus (18c) 上階木組みの2階建て斜材模様の美しい建物。
 両切妻の家 Satteldach haus (1906) 上階木組みの2階建で切妻が美しい。
 半寄棟屋根の家 Halb Walmdachhaus (1906) 2階建て木組みの建物で、
  木組模様が面白い。

5.写真

市庁舎 ローテンブルク門
ハッタースドルファー門 ガイラースベルク門
西壁 北壁
西南壁

5.町の略図

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

ゾマーハウゼン Sommerhausen BY41

1.歴史

 15C 中世にはマインで重要な集落、
 1630 ヴルツブルク司教の支配下を外れて、カソリックのマインフランケンの中の新教の飛び地、
 1814 バイエルンの支配下となる。

2.市壁  0.50km 0.95

  15C建設の市壁に殆ど囲まれ、堀の大部分には水がる。

3.塔  3門3塔

 ヴルツブルガー門 WurzbugerTor 北門 ドイツ最小の門塔劇場がある。
 オクセンヒュート門 OchsenfurterTor 南門 時計付きの四角門。
 マイン門 MainTor 西門 昔は川からの荷物で賑わい、関税があった。
   門に洪水水位表示がある。
 青塔 BlaueTurm 1607建、北東 スレート屋根の青色から名付けられた円塔。
   地下に監獄があった。
 赤塔 RoterTurm 東 屋根が赤レンガ。
 喧噪召使塔 RumorknechtsTurm 西 昔召使いが近くに住み賑やかだった。

4.見所  D

    Main側の右岸に全周を市壁で囲まれた旧市街地には、木組みの家屋が多く、
   門塔も残っている歴史的な雰囲気の静かな小さな町。
 昔町役場 AltOrtes 1558建、中央のマルクトに立つ階段切妻が前面の建物。
   地階は観光局、上階の会議室は深い窓のある簡素な部屋。市民広場では、
   ワインの試飲などの催物が開かれている。
 バーソロミュー教会 BatholomausKirche 1341建、1666-72に再建され、1739に
   身廊が崩壊して1740から建て直され、塔は1596に上層階と階段を拡張した。
   説教壇には1620の彫刻がある。
 宮殿 Schloss 1596建、伯爵所有の城で15Cの翼を持つ。1634に壊され
   近年改修された。切妻飾り六角塔が付いている。今はレストラン。
 木組み家 HolzHaus 旧市街地には多くの美しい木組みの家がある。

5.写真

市庁舎 東壁
ヴュルツブルク門 マイン門

5.町の略図

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

ズルツヘルド Sulzfeld am Main BY42

1.歴史

  915 町は中世後期の要塞を今の規模で構築。1075 初文書言及、
 1200 男爵ゲラーはラーフェンスブルク城を建設、 1525 宗教改革の導入、
 17c シュマルカンド戦争でスペイン軍は村を略奪、1632 30年戦争でテリー軍に全焼、
 17c スイスからの移民を受入れ、     1844-49 革命に参加。

2.市壁  0.82m 0.92

    15cの市壁は、16cの終わりに更新され、ほぼ完全な3門と18塔を持つ約
   0.8kmの市壁を維持している。

3.塔  3門17塔

 上マイン門 Oberer Main Tor (1573) 東上門 階段切妻屋根のある天窓付
   3階建の角塔。
 フリーズ門 Friesen Tor (15-16c) 東中門 半寄棟屋根と横家造の2階建て角塔
   で木製階段がある。
 エルラッハ門 Erlacher Tor (15-15c) 西南門 台形屋根の3階建て角塔で、橋に
   つながるアーチ門がある。
 東角塔 OstlicherEck turm (15-16c) 東角 狭間胸壁付の2階建て円塔で、
   住宅塔になっている。
 カッコウの巣塔 Kuckcknest turm (15-16c) 東上 木造寄棟屋根の部屋が円塔に
   乗っている構成で、要塞の2階建て塔。
 小塔 Kleiner turm (15-16c) 東中 段付き円錐屋根の円塔の切株。
 円塔 Ruender turm (15-16c) 東下 尖った高い円錐形の屋根の2階建円塔。
 南角塔 SuedicherEck turum (15-16c) 南東角 3階建て円錐屋根の円塔。
 円塔 Runder turm (15-16c) 南右 円筒の切株。
 ロシア塔 Russen Tuermel (15-16c) 南中 低い円錐屋根の2階建て円塔で、
   住宅塔に改築されている。
 壁塔 Mauer turm (15-16c) 南左 変形コーン屋根と横向家の3階建て多角形の
   塔で、住宅として使われている。
 ヨックラー塔 Jockler turm (15-16c) 西下 四角い部屋が円塔の上に乗った形。
 左官屋塔 Kleiber turm (15-16c) 西下 マンサード屋根の家が円塔に乗る。
 監獄塔 Gefangnis turm (15-16c) 西中 大型円塔で監獄として使われた。
 壁塔 Mauer turm (19c) 西中 円錐屋根の3階建の円塔で19cに追加された。
 夜警塔 Nachwaechter turm (15-16c) 西中 半寄棟屋根の正方形3階建住宅塔。
 壁塔 Mauer turm (15-16c) 西上 寄棟屋根の長方形3階建ての住宅塔。
 高い塔 Hocher turm (15-16c) 西上 円錐屋根に横家を付けた3階建の円塔。
 ニシン塔 Turm Herihg (15-16c) 北左 寄棟屋根の3階建て円塔。
 シェダー塔 Turm Scheder (15-16c) 北右 寄棟屋根の2階建て円塔

4.見所  D

    マイン川沿いの小さな町で、殆どの市壁と多くの塔が残っている。旧市街に特筆
   する建物は見当たらない。
 新市庁舎 Neues Rathaus (20c) 2階建の新市庁舎は20c中頃に建てられた。
   前の広場はブロンズ像が飾られ、新しい建物や店舗が囲んでいる。
 城ラ-フェンスブルク Burg Ravensburg (930) 1212に改築された城は、殆ど無傷で
   残り、今は丘の上の四角塔の城館と城壁があり、高級レストランとなっている。
 市民の家 Buergerhaus (1870) 旧学校の建物は、町博物館と現代芸術家の
   展示場になっている。

5.写真

市庁舎 フリーゼン門
上マイン門 高い塔
エルラッハ門 東南壁
北壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

ズルツバッハ ローゼンブルク Sulzbach Rosenburg BY43

1.歴史

 8c カロリング朝の貴族は城・要塞教会を築いた、  1015 伯爵ベルンザールの支配、
 1253 市場として初言及、1305-53 ヴィッテルスバッハ家の女性が町を承継しバイエルンへ、
 1348 鉱山の発掘を開始、都市権を授与、1353 皇帝カール4世は町を取得、
 1395 ヴィッテルスバッハ家のプファルツラインに移す、1425 フス派の略奪、 1436 ペスト流行、
 1505-1614 オットー・ハインリヒが城を築き住む、 1614-48 30年戦争と疫病で人口半減、
 1649 宗教改革導入、1656 反宗教改革、1742 墺承継戦争で仏軍が占領、
 1799 ヴィッテルスバッハ家ザルツバッハー公国消滅、1806 バイエルンへ所属、1810堀・堀壁売却、
 1822 大火災で南半分焼失。

2.市壁  1.07km 0.65

   13cの後半には都市権を授与され、4門と市壁を建設し、14cに都市の拡大に対
  応、1420-30ほぼ五角形の市壁・壁塔・堀を確保した。

3.塔  1門10塔

    1867ホグ門、1868ベン門、1871ローズ門が取り壊され、ローゼンベルガー門は解体
  後1978に代替門が設けられた。
  Stiber Turm (1420-30) 半円形のツインガー塔。
  Zwinger Turm (1420-30) 五角形の上にテント屋根の塔。漆喰石工。
  Gruenthaker Turm (1500) 3階建寄棟屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
  Falken Turm (1500) 4階建切妻屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
  Deyerl Turm (1500) 4階建テント屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
  Thumann Turm (1500c) 3階建切妻屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
  Ehem.Bastei (1600) 半円形突出・切妻屋根の塔で殻塔として建設。
  Befestinger Turm (1500) 半円形の塔。
  Ehem.BasteiTurm (16c) 3.5階建切石漆喰塗の塔、前面が円形で丸い
   穴がある。19cに再開発され、東に広げて住宅と食堂になった。
  Pulver Turm (1388) 旧FlankierungsTurmで、円錐屋根の円塔。1822
   住居に改造。

4.見所  B

    ズルツバッハ公国の都として栄え、ゴシック地区区とバロック地区に豪華で美しい建
   物が多い。ローゼンベルク通にはバロック3階建切妻屋根の堂々とした建物が並ぶ。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (14c) ゴシック3階建寄棟屋根の漆喰石工。地階
   はオープンアーチの広間。
 市庁舎 Rathaus (1456-70) 旧市庁舎に接続して2階建で建てられ、地
   階には肉やパンの屋台が置かれ、上階には市議会や祝祭会場があった。
   ネオゴシックの破風のある全面は2004に復元されている。
 聖マリエン市教区教会 StadtPfarrKirch St.Marien (1355) 教区教会の後陣に
   1412-88 2階建家族礼拝堂を拡張し、広間と大聖堂の間の3身廊アーチの部屋
   を構築した。1526に3廊の西回廊に二つの螺旋階段を付けた。1692-96
   壊れた尖塔を建て、1710-11祭壇画と祭壇がアザムによって創られた。
 宮殿 Sulzbach Schloss (11c) カロリング朝時代の領主貴族が建てた城は、
   バイエルンでも古い物であった。1300年を中心に拡張され造形された。1582
   にズルツバッハ・ヴィッテルスバッハ家の居所となった。17c北部の翼が閉じられた。
 聖ヘディヴィック修道院教会 Klosterkirche St.Hedwig (1753-55) サレジオ会修道院
   の基石を伯爵プファルツ・ヨハン・クリスチャンが1753に置いた。修道院はかっての王宮の
   ボールハウスの領域に1755に完成した。修道院の教会は今の形で1762-65に建
   てられた。室内にはズルツバッハとローゼンブルクの二重の紋章が見られる。
 文学文書館 Liter Archiv (1905) 大きなネオルネッサンスの3階建の建物は、
   王室の地方裁判所として建てられ、1976解散後に文学アーカイブとなり、
   ドイツ語圏の戦後と現代の文学を揃えている。
 ヴァイセンベックの家 Weissenbeck haus (1487-88) 美しく保存された後期ゴシ
   ックの白い3階建石造漆喰仕上の建物である。
 聖エリザベス病院教会 Spitalkirche St.Elisabeth (1733-38) 病院教会聖
   エリザベスとして建てられ、単純な長方形の平らな身廊と曲がった内陣が
   あり、四角い2階建の塔はタマネギ帽子をかぶっている。
 ラテン語学校と高校 Latein Schule und Gymnasium Ellustre (13c) ラテン語
   学校は13cに建てられ、1616には体育館を併設し、重要な学校となった。
   今はカトリック教区センターを収容している。
 学部長室 Ev,Dekanat (1252) 最も古い部分は2階建寄棟屋根、1400に拡
   張され、1829にも増築。今は福音派のDeanery。
 旅館:金冠 Gasthof Zur Goldner Krone (1368) 2階建切妻屋根石膏仕上
   の建物には、有名人が多く泊まった。
 印刷所 Drukerei (1862) 町の印刷の伝統は1664までさかのぼる。全国的
   な出版社がここに印刷所を置いた。その後会計局となり、1939-70は
   地方事務所を収容した。
 中学校舎 Ehem.Realschule (1706) 4階建ヒップ屋根の石造建物。
 旧将校の家 Ehem.OffiziersGebaeude (1893) ネオバロック3階建切妻屋根の
   バルコニィのある漆喰塗の建物。

5.写真

市庁舎 聖マリエン市教区教会
通り

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る④門塔]

ヴァイセンブルク Weissenburg BY44

1.歴史

  2c中 3.1haの石積要塞を造った、    253 アラマン族に町を破壊された、
 7c メロヴィング朝に町と教会が建った、   1028 町は王室財産からホーエンスタウエン家へ、
 12c 市壁の建造、上門・病院門に年号、  1262 城はバイエルン侯爵との戦いで破壊、
 1296 城は再建され自由帝国都市となった、14c 皇帝は税特権と都市権1317を付与、
 14c 南に第2市壁と堀を建設、       1490 金融危機で町の建設計画は遅延、
 1530 宗教改革の導入、         1588-1610 アンスバッハ公国へ、大砲要塞、
 1610-47 30年戦争で何回も略奪された、  1688 城の再建、18cナポレオン戦争で占領、
 1804 プロイセンへ、1806最終的にバイエルン王国へ、   1863 地区事務所の廃止、
 19c 壁・塔の取崩し:1814市壁一部・1825SchrekerTurm・1874OberTor・1878FrauenTor、
 1945 2次大戦の空爆で被害、4月に米軍が戦いなしに進駐。

2.市壁  1.51km 0.82

  12-14cの市壁は、堀と共に殆ど残っている。12cの1次市壁は、14cに南に拡大し
  ているため、1次市壁と堀の位置に緑地も残っている。

3.塔  1門36塔

  4門の内3門が壊され、唯一Ellingen門が残り、その美しさから切手になった。
  数十の壁塔が在ったが、今は四角塔33、円形塔(リ-ド塔)1、五角塔1、計37塔。
 エリンガー門 Ellinger Tor (14c) 北西にある壮大な門で、前門と胸壁は
   15cに取り除かれた。高欄の網目模様ハルネッサンス、最初の都市の紋章は右側に、
   1481武器の紋章は左、頂上には小塔に双頭の鷲がある。
 リード塔 Lied Turm (14c)南、シャイプラー塔とも言われ、3階建ての円塔で
   長い間刑務所があった。南のFrauen門は1878に解体された。
 五角塔 Fuenfecker Turm 5階建の火薬塔で保存されたツインガー市壁に立つ。
 病院教会塔 SpitarKirche Turm (15c) 4階建ての時計付の角塔で、
   でなく、町の債務者の刑務所であったため、債務者監獄とも言われた。地階
   にはアーチ門があるが第1市壁の門であったのでは。

4.見所  A

   ローマからの歴史的な多くの門塔のある市壁と緑地に囲まれた四角い中都市である。
  風格のある旧市街には高い建物で埋められ見所も多い。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1430-40) 3階建破風付の石造建物で、頂塔は
   1567に付けられた。ここで貿易取引が行われ、評議会場や裁判所としても使わ
   れた。2002-04大改装が行われた。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1996-98) 17cにワイン酒場として建てられた。
   18cに薬局から金銀細工工場になり、1828にスラード家が館を新築し、1920に新市
   庁舎となり、1996-98に近代的な鉄骨ガラス造りの2階建農村納屋風になった。
 ヴュルツブルク要塞 Bast Wuelzburg (1588) 11cからのベネディクト会修道院を
   壊して、大砲要塞が築かれたが、30年戦争で略奪された。1882以来よく保存さ
   ているルネッサンスの要塞であり、町が所有している。20cには刑務所や収容所とし
   て使われ、1968からは国の文化財となった。
 ローマ砦 Roemisch Kastell 多くの大小の砦跡が散在している。西端の
   BiricanaKastellは1989から門や城壁が復元されている。
 聖アンドリュー教会 St.Andreas Kirche (700) 初め聖マルティン教会として建て
   られ、1182に壊された礼拝堂の基礎の上に1329聖アンドリュース教区教会が建てられ
   1425-65三身廊となり、1534宗教改革の間は荒廃した。1863に元の後期ゴシックの
   に戻された。塔の下の展示場には1995ガラスの宝物室があり、1185ローマ青銅祭壇・
   15c行列の布などの宝物がある。
 病院教会 Spital Kirche (1447) 第1市壁にあり1728-29にバロック化され
   た。ユリアとキリストの生涯の絵画・貧しい人々の聖書壁画1480・天井画1729がある。
 カルメル会修道院 Karumeliter Kloster (1325) カルメル会修道院のバロック教会
   は、今文化センターとして使われている。
 聖アウグスチヌス修道院 St.Augustiner Kloster (1238) 最古の修道院として
   市壁の外に設立され1262の戦争で大被害を受け、イーグル山に移転した。1536に市
   壁は拡大され町の中になったので、1331病院となりその後町の事務所が入った。
 ローマ博物館 Roemer Museum (1980) ローマ時代の発掘の成果を、1階に「ローマ
   ノーリメスと砦」「Birlcia他の軍事基地」「多くの砦」「Ellingen城」「大浴場」、
   2階に「ローマ神々の像」「埋葬品」「碑文」を展示。
 帝国都市博物館 ReichsStsdt Museum (1999) Koaden家の館に皇室と帝
   国都市の歴史と文化を豊富な展示品で説明している。また、音楽・科学・商業・教
   会・工芸品・ギルド・生活等を部屋別に展示している。
 薬局博物館 Apotheken Museum (1767) 後期バロックの建物の地階に19cの
   ウイリアム・コールの薬局が薬や器具と共に展示されている。回転錠剤や薬の形態・処方
   上のワイン・錬金術・ハーブの混合の説明。

5.写真

市庁舎 エリンガー門
病院教会鐘楼 南壁
西壁 北西壁
北東壁 聖アンドレアス教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る④門塔]

ヴォルフラムス・エッシェンバッハ Wolframs-Eschenbach BY45

1.歴史

8c 木造教会、10c 小さな石造教会、  1212 ドイル騎士修道会の設立、
 1250-1310 騎士団はゴシックの大聖堂を建立、1306 ニュルンベルク修道院の管理下になる、
 1322 エッシェンバッカはバイエルン王の都市権えた, 1451 市民は町を管理費し市庁舎建立、
 1632-33 30年戦争の疫病・飢餓・略奪、   1796 プロイセンがドイツ騎士団の支配終了、
 1806 バイエルンに帰属。

2.市壁  0.90km 1.00

  1332-1440に堀と塔と壁は成立した。16c初めには市壁の南横に塔を建てて強化
  された。全周の市壁が残り、西と南側は二重壁となっている。

3.塔  2門2塔

 上門 Oberer Tor (1361-75) 右にドイツ騎士団の紋章、左手にフイリップ
   の紋章を掲げ、1361-75にドイツ騎士団長の事務所があった。
 下門 Unter Turm (14c)1410焼失16c再建、外側の右手に1396-1416に
   ドイツで最高位の騎士団長コンラードの紋章、左手に1047-19フランケンの騎士団長の紋章
   が見える。
 空腹塔 Hunger Turm 
 市民塔 Buerger Turm。

4.見所  C

 市壁・門塔・古く大きな建物・木組みの家と、中世の雰囲気のある綺麗な中ぐらいの町。
 旧市庁舎 Altes Rathaus 3階建バロック木組造りで建てられた。地階には
   パン屋・肉屋・雑貨屋の常設市場があり、2階は集会・商売のための3広間、3階は
   市会事務室・町公文書館があった。1995から博物館が置かれ、著作家・文芸作品
   ・舞台詩人の展示がある。
 聖母大聖堂 LiebFrauen Muenster (1236) 1253最初の騎士団長が来て
   大きな騎士団と教区のための教会を建てた。1250-1310に3階建てのゴシックの塔
   が付けられた。1260-70初期ゴシックの内陣に、1270-1311身廊は変えられた。
   15cに塔は63mに嵩上げされた。1956今の色塗りがなされた。
 司教館 Pfarr Haus (1667) 西に移されて復元された。元の部分は
   早期バロックの正門とドイツ騎士団領主の紋章である。
 旧校舎 Alte Schulhaus (1598) この建物の配置は傑作である。西切
   妻は墓地壁の上に乗っている。1886東に拡張された後に南にも拡がった。
 中央通りの木組家 Haupt Strasse 破風が前に張出した木枠組造の建物
   が美しい塗装をして並んでいる。1686KocherHaus,1416LammueirtsHaus,1410
   StadtSchmiede,1410GasthausZurTraube,1410LexlHaus,1609Fuerstenherberg,
   1623BenefiziatenHaus,16cVogteiamt。
 マルクト広場の石造建物 Markt Platz 広場の立派な石造の建物が取巻く。
   1596-97Zehntscheure,1623DeutschOrdensSchloss、1687AltesRAthaus。
 高い家 HoheHaus (1439-40) エッシェンバッハ家の3階建ての木組みの家だが
   17cに1階分が減された。
 ドイツ騎士団宮殿 Deutsch Ordens Schloss (1623) 城の3階建の前面には
   他にない領主の紋章がある。建物はルネッサンス建築美術の傑作と言われる。1856に
   市庁舎が入り、1999-2001宮殿は十分の一税倉庫と共に、もう一度市庁舎とし
   て改造された。

5.写真

旧市庁舎 上門
南壁 西南壁
東北壁 北壁
北東壁 中央通

5.町の略図

[戻る③壁率]

 ヘッセン州 HE

バート オルプ Bad Orb HE1

1.歴史

 1059 フルダ修道院文書にヘンリーヒ4世の贈与、1064 ヘンリー4世はマインツの教会へ贈与、
 1244 町は都市権授与と硬貨鋳造、   13c マインツ選帝侯に属し市壁や門の建設、
 1428-1566 ハウナウ侯爵に町を入質、16c ハウナウ侯爵の改革はマインツ選帝侯に戻り解消、
 18c 市内の銅ヤカン製塩所は市外の流水濃縮へ、 19c 製塩は不採算化しスパ開設、
 1806 アッシャヘンブルク大公国へ、  1814 バイエルン王国へ、  1866 プロイセン王国へ。

2.市壁  0.52km 0.66 

   13cの市壁は、町の豊かさを示して高く強力な姿を今に止めている。1838の大
  火事の後に、市壁・壁塔・胸壁は解体された。市壁の一部は北から西と東北に残る。

3.塔  2門8塔

   3市門の内唯一OberTorが残り、UnterTorとTorsTorは取り壊されたが、Unter
  Torの基礎は確認できる。半円形の壁塔は19基の内8基の中間塔が残された。
 上門 Ober Tor (13c) 6階建の角塔でアーチ門。

4.見所  C

   17-18cに建てられた2-3階建の木組の家が、マルクトや主要道路に多く残される。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1770) 3階建の時計台付きの大きな建物。
   今は観光案内所。
 バートオルプ城p Burg Bad Orb (13c) 北西の貴族が建てた古い城。1981-82
   ゲストの家として一部復元。十分の一税倉庫は、市博物館となり、町の歴史と文
   化を展示している。
 聖マーチン教会 St.Martin Kirche (14c) ゴシックのハレン教会で、17-18cに拡張された。
   1983の火事で焼け、1984ネオゴシックのシンプルな建物にバロックの内装で再建。
 クアパーク Kur Park(2008-10)旧市街地の南に、木造建物と800m2のプール、
   ホテル、レストランが建てられた。2010広大な15haのクアパークが造られ、入口には1806の
   流下式塩水濃縮施設Gradierwerk155m×12m・H18mがある。

5.写真

市庁舎 マルクト
聖マーチン教会 流下式製塩
上門 南壁
北西壁 北壁
北東壁 東北壁

5.町の略図

[戻る④門塔]

ベッセ Besse (Edermuende市内) HE2

1.歴史

 917 フルダ修道院の寄付メモに初言及、11c 旧市街の中心に要塞教会
 1081 カノニック僧院はベネディクト修道院へ、1457 地元の貴族は11cから継続、
 15c-1821 ヘッセ事務所が置かれた、  1821 フリッツラー郡に含まれた、
 1932 サークル・フリッツラーホムベルクへ、    1939 フリッツラーホムベルク郡に改名、
 1974 エーダーミュンデの町に併合。

2.市壁  0.14km 1.00

  町の中心の小山の上に昔の要塞教会があり、その山頂部に周壁が全周ある。
  山頂部を取り巻く集落の周壁は見当たらない。

3.塔  1門0塔

  教会の入口の教会門は、アーチ門に鉄扉がある。

4.見所  D

    山頂部の小さな集落は、教会を中心に古い木組の家が取り巻いている。
 新教教会 Ev.Kirche (11c) 1524の32mの高さの教会塔はゴシックの四角塔
  である。中には1517のキリスト像がある。19cに古典的なホールが建てられた。

5.写真

新教教会 南教会塔

5.町の略図

[戻る③壁率]

ビュディンゲン Buedingen HE3

1.歴史

 1206 初めての文書言及、     1247 町の領主の男系が途絶え相続争い、
 1330 都市権を授与された、       1442 領主は伯爵に格上げとなった、
 1480-1510 伯爵は市壁を強化した、  1521 ルターは歓待された、
 1578 ルドルフ2世は祝賀市場を与えた、 1576.1632 ペスト流行、
 1590 町を大火が襲う、         1634 帝国軍がスエーデン軍を撃退、
 1532-1699 魔女狩りで485人が起訴、 1806 アイゼンブルク公国に併合された。

2.市壁  0.54km 0.95

    15Cの終わりに古い1350の市壁の前に強力な堤防を山側は堀込んで造った。
  1480-1510に伯爵は古い市壁の上に強力な壁の帯を築き、22の塔と半外皮を
  装備した。この壁は今もほぼ完全に保たれ、後期中世防御施設としてヘッセン
  のローテンブルクと呼ばれる。市壁は二重三重にあるので延長は測り難い。
   Kuechbachbasteiは、東側の市壁を台所川のそばで町の防衛をしている。

3.塔  2門11塔

 エルサレム門 JerusalemerTor 1530建、西 名前は伯爵の息子の巡礼旅行
    に負う。十字架橋とも呼ばれるのは、1755建の三つの十字架ホテルによる。
 上門 OberTor 東北から町に入る前に蛇行壁がある。この門の後ろに
    高い東門がある。なお、西門は交通障害で取壊された。
 粉引塔 MuehlTurm
 拷問塔 FolterTurm 16-17Cの魔女狩りの際、拷問が行われた。前に
    ある堀の側面にあり、近くの門の防御に役立っている。
 悪魔塔 TeufelsTurm 
 太い塔 DickerTurm 
 魔女塔 HexenTurm 市壁は4mの厚みがあり16大砲室と4階高さ20m塔。
    下の武器庫を通じて魔女牢に行ける。
 赤塔 RoteTurm 1500建、市壁を通じて台所川の足場を安全にする。
 緑塔 GrueneTurm 1500建、西側市壁の側面保護に役立っている。

4.見所  A

     市壁に囲まれた旧市街地には古い木造や石造の建物が多く並んでいる。
   宮殿・市庁舎や多くの博物館が興味深い。
 旧市庁舎 AltereRathaus 15C建、後期中世の木組の家。柱廊玄関と木
   組の多様な形の模様が描かれている。
 市庁舎 Rathaus 1458建、石造地下室付きで造られた。地階は売場、
   上階はブドウ室や宴会場がある。1490西階段破風が付けられた。
 マリエン教会 MarienKirche 1367建、1377石造でゴッシック前面建設、1476-91
   地元の工房で今の姿とした。
 レミギュウス教会 RemigiusKirche 9C建、初め領主の個人教会として建てら
   れ、11Cには後期ゴシックの壁画のあるホール式教会になり、15Cまでに墓地教
   会から母教会となった。
 宮殿 Schloss 16Cの外観を示している。公爵の家族はそこに住んでいる
   が、外の宮殿庭は自由に入れるし、博物館の部分は入場できる。
 宮殿博物館 SchlossMuseum 高いスレート屋根の建物は百年前に建てられた。
   窓上飾りのある破風と張出し窓が外側の飾りとなっている。宮殿の収集品
   が展示されている。
 ホイゾン博物館 HeusonMuseum in Rathaus 1458建の後期ゴシックの市庁舎に、
   1971に最初の地方博物館を開いた。KarlHeuson先生が1906に創立した収
   集物を基にしたため命名された。地階の大広間には、町と地方の歴史を
   展示。2階には、地域のローマ時代からの出土品や人々の生活を展示。3階は
   歴史的手工業を展示。
 肉屋博物館 MetzgerMuseum 14Cに町の南入口にある高い粉引水車出口に
   建てられた。1353の特権文書はこの施設を橋と閂で説明した。
 模型博物館 ModellbauMuseum in OberHof 船・トラック・自動車・ジオラマ等150以
   上の展示品がある。
 木組家 HolzHaus 旧市街地には何百年の古い木造家があり、主として
   1階は防火のため砂岩造りとなっている。
 15C建1593増築LuckischeHaus、15C建RektoratsHaus、1609建BurgmannenHaus、
    15C建LauterschesHaus、15C建HausWagner、17CHausPulver。
 石造家 SteinerHaus 1500建、もっとも古い全石造の家。守りに重要な
    角の橋頭堡であった。館の防御施設は、1544井戸.旧市壁に銃眼。
     Gasthaus zum Schwannen 1500建、古い内壁の上に建てられ、古い市門
    の残りが見られる。

5.写真

宮殿・西壁 宮殿北壁
南中壁 南西壁
南西橋 粉挽門
西外壁 北西壁
北西外壁 上門
北館博物館 北壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

フリッツラー Fritzler HE4

1.歴史

 724 最初の文書言及、        742 教区となり、782 修道院に昇格、
 919 国会議事堂となる、      1079.1232 町は破壊された、
 1238 要塞の強化、東側の壁を追加し7つの塔が建てられた、
 1483.1558.1611 ペストが猛威、  1621-48 30年戦争で占領され略奪された、
 1803 フリッツラー公国となる、     1945 アメリカ軍の砲撃で被害。

2.市壁  0.380km 0.72

   丘の上に、北側の円形と南側 の小さな四角がくっついた形に市壁があった。
  1184-96に最初の市壁が建てられ、新市街地は追加した角の壁に囲まれた。
  12-14Cに市壁と防御塔が強化された。今は、北東部分を除いて、ほぼ全周に
  残っている。

3.塔  0門15塔

   市門は、1823HospitalTor、1823WerkenTor、1834WerkenbornTor、
  1838HaddanarTorに、それぞれ19Cに取り壊された。
   23の塔の内10塔が残り、基礎のみ残るのは8塔である。
 グエーベン塔 GrebenTurm 北 12Cには馬蹄形の床で造られた。市壁の古い
   部分同様に玄武岩の瓦礫の下の部分にある。1232に基礎から円塔となる。
 バラ塔 RosenTurm 北 12Cには馬蹄形の床で造られ、上記塔と同様に円塔
    とされた。
 グレー塔 GrauerTurm 西 1274建、初めて大きな38mの塔を建てた。壁高は
   10.5m。19C末に大修繕がなされた。地下には1541以降監獄があった。
 女塔 FrauenTurm 西 1360建、塗装塔とも呼ばれた。外側の壁厚は1.2m
   あり、最上階はすべての方向に窓がある。塔の地下には、女刑務所があり
   この名前が付いた。
 冬塔 WinterTurm 西 高さ25mで、すべての階で別の方向に抜け穴がある。
   1397に円錐屋根が付けられ、1968に壊れた最上階は1984-86に改装され、
   壊れた窓が復元された。この門を通った南斜面はブドウ畑であったことか
   らこの名前が付いた。
 漂白塔 BleichenTurm 南 八面の錐体の屋根、塔の最上階は尖塔の窓と欄
   干として構成している。中世から2次大戦後まで洗濯物を漂白していたので、
   その名前が付いた。
 レギル塔 RegilTurm 南東 14Cの塔は、1883に円錐形の瓦屋根までほぼ完
   全に復元されている。抜け穴のアーチがある。
 ヨルダン塔 JordanTurm 東 1982に改修市壁の隣接部分と統合された。円塔。
 見張り台5 Warten 5   14C中に円形石造塔が7造られ内5が残っている。
   入口は地下深く、地上数mの高さで各方面を見張った。
   説教壇塔KanzelWarte西南、ObermoellrichenWarte、角線塔EckerichsWarte、
   晴塔 HellenWarte北、
基部又は柱部のみの塔 9
  パビリョン塔 PavillonTurm 西
  石下水塔 SteingossenTurm 南中
  針めど塔 NadeloehrTurm 南
  ペーター塔 PetersTurm 南
  古い塔 AlterTurm 北東
  カーラー塔 KalarsTurm 東
  短い外套 ZuckMantel
  2無名塔 ZweiNamenlosenTurm

4.見所  A

   西から町に近づくと、山上に多くの塔が林立している姿が遠望される。
  市街地には、15-18Cの古い木組の家屋が多く見られる。特に、マルクト.馬市場.
  Jestaedt広場は見事である。
 市庁舎 Rathaus 1109建、がっちりした石造地階の上に張出し木造建物を
   載せた長大な建物。マインツ大司教の役所として建てられ、11C末に町の所有と
   なった。1960-64に基礎の上に建て直され、東へ法王庁を包含し監督参事会
   員住居を拡張した。15C前半にその建物は火災で壊され、再建の際に拡張さ
   れ、多分1441には再建は終わっていた。この再建は古い石造は保たれ切妻と
   小角塔のあるゴシックの木組構造を載せた。地階には開かれた広間を加えた。
 フリッツラー大聖堂 FritzlarDom 1120-30建、723にオーク材礼拝堂があった。
   聖ペテロ大聖堂は2角塔の前面であり、ロマネスクの参事会教会であった。1232に
   ロビーを追加。2010-12内部の改修。
 ドーム宝物と美術館 DomSchatz&Museum ドームの回廊を通って内陣の右隣
   にある。典礼に使う道具や祭服を展示している。宝石をちりばめた十字架と
   12Cロマネスクの円盤聖遺物箱に注目。
 町教会 StadtMinoritenKirche 1237にフランシスコ会の修道院を作り始めた。
   14C初めに修道会は教会建設に着手し、1553宗教改革の時代に修道院は止
   められ、1619反宗教改革の後に立ち返った。ゴシックの教会はほっそりとし
   た姿の2身廊ハレン教会であった。17Cに内部はバロックに改装され、1844にフラン
   シスコ会修道士の死後に解体された。1817に教会は新教教団に引き渡された。
 ギルド館 GildeHaus 1475-80建、町で最も古い後期中世風の4階建木組の
   商館であり、ミヒャエル宗徒と遠方取引同業組合が使った。13C末にギルドは組織
   された。細長い建物は重々しい破風塔を持ち両隣の木組家を抜き出ている。
 ザイベル家 HausSeibel 1480建、マルクト広場の北側の家並みに、典型的な
   台造りの赤く塗られた木組の4階建の家である。家は参事会委員の貴族が
   住居目的のみならず経済活動のために作った。高い尖頭アーチ入口門で馬車
   で中の売場に行ける。上の階の幾つかの小さい店には通路が整備され、
   下の石造の丸天井の中に食堂もある。
 ラムバート家 HausLambert 18C初建、4階建青い窓枠木組の家。その場所に
   14Cには鋳造所があった。フリッツラー・ペニッヒ銀貨の有名な刻印がある。その出土地
   は中世にいかに遠くと通商関係に在ったかが分かる。
 HNA家 HNAーHaus 1276建、ヘッセンに僅か保たれた13Cの世俗建物である。
   フリッツラー貴族の石造住居はマルクト広場にある。1994にディーリッヒ企業が入手し、
   翌年に模範的に建て直された。1420-1700に建築上の変化があった。即ち、
   梁天井の平らな地階は、15C遅くに丸天井の地階に取替えられ、17Cの終りに
   今日の石造の上に木組の2階と屋根階を載せた。今、HNAの地方編集局。

5.写真

 
市庁舎 バラ塔
マルクト広場 ドーム
北西壁 西壁
南縦壁 南東壁
東壁 上南壁
堀塔 マルクト広場
木組み家

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る④門塔]

ゲルンハウゼン Gelnhausen HE5

1.歴史

 1170 皇帝フリードリッヒ1世はホーエンシュタイン帝国の首都を創設、古い3集落を計画的拡張、
 1180 帝国議会を町で開催、       12c 皇帝広場のある支配施設を建設、
 13c 町はフランクフルトに対抗する資金力があり市民課税免除で多数の商人は裕福だった、
 1333 バイエルンのルードビッヒは特権を与え、町は屋根付市場を建てた、
、1496 ラインハルト4世は持参金で再取得権を置き換えた、16c木組の家並が形成され残る、
 1618-48 30年戦争で何回も免焼金を取られた、17-18c ホーエンシュタウエンの町で市壁あり、
 1803 ヘッセン・カッセルが終わり帝国直属になった、 1807-10 ハーナウ公国に属した、
 1810-13 町はフランクフルト大公国に含まれた、   1815 ヘッセン・カッセル選帝公国に併合、
 1866 プロシア領となった、          1945 新しいヘッセン州に属した。

2.市壁 1.85km 0.52 

   南東の王宮を囲んで12cの円壁と門塔が在り、城を囲む部分240mが残る。市街を
  囲む部分は中心に近い1220からの1次市壁とその外側の2次市壁があり、1次で北東
  360m+東南180m、2次で北東510m+東90m+南150m+西南240m+北西320mが残る。

3.塔数 4門5塔

    1220の石市壁には四角い殻塔で守られた。殻塔の外側は石造であるが、町
   側は木造で安く造られた。
 ハイツアー門 Heitzer Tor 東、3階建ての四角塔。
 マイン門 Main Tor 南東、四角の門塔であるが、地階部分がコの字型に残さ
   れるにみで、その上は失われた。
 魔女塔 Hexen Turm 東南、1447-79建、フス戦争の反省から建てられ、直径
   8mで高さ24m璧厚2.8m頂上に胸壁と小尖塔のある円塔で、入口の戸には地上4mの
   町側から木橋で達した。今の入口は19cに開けられた。1584-1633には魔女が投獄
   されたためにこの名前が付いた。地階と中庭には魔女迫害の歴史を展示。
 煉瓦塔 Ziegel Turm 南、6階建ての細長い角塔。
  Halb Monde 東北、外側二重半円塔。
 外木門 Ausseres holz Tor、北、3階建ての建物。
 内木門 Innnneres Holz Tor 北、煉瓦造4階建て四角塔に四角錐屋根が付い
   た建物で歩道のアーチがある。
 桶塔 Butten Turm 西、前面半円の4階建ての塔。
 船門塔 Schofftter Turm 南、6階建ての細長い四角の門塔で四角錘屋根。

4.見所  B

    日当たりの良い斜面の町で、上下二つのマルクトを古い建物が取り巻き、
   木組みの家も残されている。町は堡塁に囲まれている。
 市庁舎 Rathaus 上市場にある2階建ての四角い建物で、昔はロマネスクの商社。
 皇居 Kaiser Platz (10c) 壁に囲まれた内側に、宮殿のと皇帝の一次的な
   住居のある水城があり、12cには武器の発達に合わせて要塞は強化された。
   今は、城の入口の部分・柱列・礼拝堂・北棟外壁部分が残る。
 新教マリア教会 Ev.Marien Kirche (12c) 1151の元の建物は単身廊教会で、
   13cに3身廊で東塔のある十字型聖堂になり、15cゴシックの聖具室と礼拝堂が南東に
   ついかされた。1877と1945に主要な修復が行われ、1962にも改修された。
 聖ペテロ・カソリック教会 Katholische KIrche St.Peter (13c) 後期ロマネスクの3廊
   バジリカが建てられ、宗教改革でゼルボルト修道院は解散したが、聖ペトロ教会は町の
   所有となったが保全が行われず崩壊した。1830には商人に売却され、タバコ工場
   の中の建物として残された。1920カトリック教会として買収され、18年間で復元され
   た。1982-83全般的に改修された。入口翼廊南側に日時計がある。
 市博物館 Museum Gelnhausen 上マルクト北側ににある旧学校の建物に、町の
   歴史の全ての期間を展示している。
 グリマルスハウゼン博物館 Grimmelshausen Museum 町で生まれた作家ヨハン・ヤコブ・
   クリストフの人生と作品と生家を展示。
 塔時計博物館 Turmuher Museum (1990) 塔時計の歴史と1520からの塔時計
   ・部品・付属品・写真が展示されている。
   1590建:旧約聖書銘刻の家、1582建:校舎、1472建:書記の家、貴族の館.彫
   刻飾り、1582建:伯爵役員の住居。

5.写真

 
コウノトリ塔 マルクト広場
教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る④門塔]

グレーベンシュタイン Grebenstein HE6

1.歴史

 1265ルドルフ5世がフェルシュテンシュタイン城を建立、1297ヘッセン方伯ハインリッヒは城・裁判所を買収、
 13c 計画的集落を建設、      1356 旧市街と城の間の谷に新市街を建設、
 14c 市壁の迅速な完成のために12年免税、1370 両市街の統合、1370-85要塞完成、
 1637 クロアチア人の占領で略奪と放火、  17-18c 美しい木組の建物が建設された。

2.市壁 1.22km 0.85 

  14cの新市街と旧市街を統合した長方形の市壁は多くの部分で残されている。

3.塔数 1門6塔

  14cの市壁には13塔あったが、5塔と少なくとも2つの切株が残されている。
 乙女塔 Jung Frau Turm (1300) 西、高さ40m直径8.65m厚2.2mの八角屋根
   に人魚の風見がある円塔で、刑務所としても使われた。
 梟塔 Eulen Turm (13c) 北西、尖塔付き4階建ての円塔。
 火薬塔 Pulver Turm (13c) 東、胸壁付きの高さ28mの円塔で、1779町が所
   有し、Isenacker Turm と呼ばれた。
 城門塔 BurgTor Turm (13c) 南、4階建の円錐屋根の円塔。
 リンデン塔 Linden Turm (13c) 西南、梟塔と同様な円塔。
 異端者塔 Katzer Turn (13c) 北東隅、大円塔で屋根が低い。

4.見所  C

   新旧の市街を統合したため市壁延長は1.5kmに及ぶ大きな町となった。特に
   南側の旧市街には、古い木組の家が多く残されている。
 市庁舎 Rathaus (14c) 1637中世の市庁舎が壊れ、1672今の市庁舎が構築
   された。長さ30mと大きく、白く塗られた上階木組の2階建の建物で、地階は
   1.5階分と高い。1726バロックの正面入口が付けられた。1987-89に健全化された。
 城址 Burg Ruine Trebenstein (1265) 旧市街の南の丘の上に、37m×12m
   の城の外壁が見える。1341方伯ハインリヒ2世はヘッセンの領主の家系で、この城で生ま
   れた。17cに壊され、そのまま放置された。町を見下ろす展望は素晴らしい。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1322-40) 防衛塔のある3廊のハレン教会は、
   1526に宗教改革でプロテスタントとなった。1637塔の先端の帽子が付けられ、備品が
   バロック化された。その横に14cと15cの二つの聖具室があり、700の席を備えた。
 木組の家 Fachwerk Haus (17-18c) 多数の古い木組の家があり、中世の
   地下室を持つ家もある。
 都市農民博物館 Ackerbuerger Museum (1731) 都市農民の木組3階建の
   haus Leckを改修して、収集品を展示し農業博物館を開設した。
 旧農場 Alte Meierei(1780) ヘッセン方伯の旧農場で、入場無料。

5.写真

市庁舎 市教会
火薬塔 北西市壁角塔
フクロウ塔 ユングフォルム塔
リンデン塔 西南市壁

5.町の略図

[戻る①得点]

ヒルシュホルン Hirschhorn (Necker) HE7

1.歴史

773 ロルシュ修道院の文書に入植地の記載、 12c ヴォルムス教区に含れた、
 1391 王ヴァーツラフは壁の町を設け住民を移す、1404 王ルブレヒトは毎週市場権を授与
 1406 最初の町の紋章を文書化、カルメル会修道院の設立、1414 都市の最初の延長、
 11522-29 騎士団は新教に転換し、     1543 カルメル会修道院を閉鎖、
 1556 火災によって町は焼失、       1565 洪水で町は浸水、
 1618-48 30年戦争でスエーデン軍等の占領、  17c マインツ大司教の支配下に、
 1676 ヴェストファーレン侯爵ヴィルヘルムが支配、   1803 ヘッセン・ダルムシュタット大公国へ、
 1945 2次大戦の被害はなかった。

2.市壁  0.98km 0.92

   ネッカー川に沿った高い市壁・山の尾根から城を囲む市壁などで構成されている。
   市壁は殆ど残っている。

3.塔  2門1塔

 中門 MittelTor(1391)町の設立と共に建てられ、15cに都市防衛施
   設として拡張され、完全に保持されている。 外門は19cに取り壊されたが、
   中門はマルクト教会の鐘楼として残された。
 魚門 FischerTor (14c) 門は1875-76に取り壊されアーチのみとなったが、
   1497の洪水位が示された標識が市壁に残る。
 青塔 BrauenTurm 山と川の間の狭い空間を利用するため、市壁の上に家
   を青唐として築いた。

4.見所  C

   川沿いの山腹の市壁の中に、城・修道院・木組の民家が密集している。
 中世の市庁舎 mittelalterlisches Rathaus (14c) 旧地方裁判所の側に
   1786に拡張・改造された中世の市庁舎がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1594) 1860-1955に市庁舎として使われた。
   前面には1594の豊富な装飾トラスがあり、17cには砂岩基礎の上に角の部分を増築。
  Burg Hirschhorn (1250-60) ロマネスクの城が建てられ、14cに改造と増築
   が行われた。1591-15cに下の前城とツインガーの拡張が行われた。16c末にルネッサンス宮
   殿に改造更新が行われた。
 マルクト教会 Markt kirche (1628-30) プロテスタントの市教会としてフリードリッヒ・
   フォン・ハーシュフォンによって建てられた。
 カルメル会修道院と修道院教会 Karmeliter Kloster und Klosterkirche (1400)
   町の騎士はカルメル会修道院と修道院教会を建てた。1400騎士団に引き渡し、一門の
   墳墓教会として使われた。宗教改革中に売り払われたが、1635に買い戻され1803
   修道院の廃止までカルメル会の宗教活動が行われた。
 最も豊かな漁師の家 Haus des Reichsten Fischer (1620) 最も豊かな漁師
   が建てた伝統的な木組の家。
 美しい木組の家々 Schoenes FachwerkHaeuser (15-17c) Haupt Strasse
   に多く建ち並んでいる。
 バロックの市民の家 Rarockes Buergerhaus (1728) 町で唯一のバロックの民家。
 地方事務所と病院 Proviuzialat und Infiruerie (16c) 1556の大火災で町
   の背景の大部分は壊滅したが、一部1500の木組の家が残り1659カルメル会修道院が購
   入して地方事務所として使った。隣の家は1710に修道院が所有し病院として再建
   され、1860には救護所と幼稚園が設けられた。
 博物館 Museum (1606) 大公営林署として建てられた建物は、博物館と案内
   所を収容した。博物館には宿屋の主人カールライン・バインの自然史や古美術の取集物等
   を展示している。

5.写真

城・中央塔 南壁
東壁 東北壁
マルクト教会

5.町の略図

[戻る③壁率]

コルバッハ Korbach HE8

1.歴史

 980 オットー2世の文書に言及、    1185 すでに都市権を持っていた、
 1377 南側の旧市街地は北側の新市街地を統合し、共用の市庁舎と二重の市壁
  の外側を築いた。         1505 防衛施設建設、
 1618-48 30年戦争・ペスト・大火災で町の豊かさは壊滅した、
 1893-1913 鉄道建設、       1908 タバコ工場の建設で復興。

2.市壁  1.65km 0.63

  北と東南部を除いて市壁は残っている。なお、二重壁のため、どちらか
  が残っていれば、市壁は有りとした。

3.塔  1門6塔

 エンザー門 EnserTor 南 1830-60に5つの二重門が取り払われた。
   前方の円塔に壁が付いている。
 毛織物塔 WollweberTurm 北西 1505建、羊毛織工同業組合が建てた円塔。
   1900に住居目的に窓を大きくして改造。
 ピレン塔 PylenTurm 南西 防御角塔、一時は刑務所。防御通路の残りが
   一部復元してある。
 赤塔 RoterTurm 西 死刑執行の赤旗から名前が付いた。1734-1850
    に刑務所として使われた。今は住宅となっている。
 円塔 Turm 南西 1936改修された円塔。FreilichtBuehneに野外劇場。
 円塔 Turm 北東と北西に 円塔がある。

4.見所  B

  壁の間の堀は埋まっているが、二重の市壁がここまで残っている町は珍しい。
  バロックの大きな建物の町並が残り、木組の家も彩り良く見れれる。
 聖キリアン教会 St.KilianKirche 1375-1450建、ロマネスク風ホール式教会。
 聖ニコライ教会 St.NikolaiKirche 1359-1450建、ヘッセン風ホール式教会。
 市庁舎 Rathaus 1377建、旧町と新町の境界に建てられた。北側の階段
   切妻は1664の火事で落ち、1930に代わりに塔をつけ、地階アーケード通路も
   取り付けられた。
 博物館 WolfgangBonhageMuseum 14Cの石の4貯蔵庫をまとめて、1924に
   市の博物館となった。1604には住居として使われ、1997に博物館拡張の
   ため新築された。町と教会の歴史、歴史的金山造り、出土化石等を展示。
 木組建物 FachwerkHaus 
   PatrizierHaus南1593建、3階建2面破風付木組家、1664の火事に生き残った。
   BunsenHaus西 3階建木組家、有名な外交官の生家。
   DiemelsaechsischesBauernHaus南1732建、2階建破風付木組家、今住家。
   StadtBuechcherei西17C建、貴族の家として建てられ、 結婚式場でもあった。
   HirschApotheke中1741創業、2階建木組家、1852高名外科医が生まれた。
   HartwigschesHaus中1720建、バロック前面の立派な木組家、正門や区切りは
   装飾で満たされている。

5.写真

市庁舎 南市壁
市図書館 ヴェルヴェーバー塔
南西壁 円塔
西南塔 西南壁
西南通路 西南壁

5.町の略図

[戻る②壁長]

 メクレンブルク・フォアポンメルン州 MV

ノイブランデンブルク Neubrandenburg MV1

1.歴史

 1240 プレモントレ修道会が修道院建設、1248 ブランデンブルク辺境伯ヨハン1世は入植者の町を構築、
 1250 フランシスコ会修道院建設開始、   1292 町は、結婚によってメクレンブルクの領地となった。
 1300 石造防御施設建設、市壁・門塔、 14-15c メクレンブルク・スタルガルト侯爵の居住地として繁栄、
 1627 30年戦争で帝国軍の略奪と虐殺、1671 町は戦災と過重債務で破産した、
 1676 大火災で殆ど焼失、       18c 町にメクレンブルク・ストレリッツ侯爵の夏の宮殿、
 1775 マルクトに侯爵の都市宮殿を建設、 1850 市壁を越えて都市拡大が始まる、
 1863 門と関税障壁は廃止された、  1945 2次大戦の空爆は町の8割を破壊した、
 1952 旧市街地の再建が始まった。

2.市壁  2.33km 0.98

   14cの市壁は殆ど残れれている。1248町が構築され、その後防御のための木柵・フェンスが建
  てれれ、1300町の経済力向上で石の堀・高さ7.5m長さ2.3kmの市壁・門塔・壁間小屋が築かれた。
  19c末まで市壁は完全に閉じ4門以外からは入れなかった。1864鉄道開通時にも壁は破れなか
  った。土堤と堀は、市壁の外20-30mに在ったが埋め立てれれ今は緑地になっている。

3.塔  4門2塔

  14c初めにまず木製の戸で遮られ、4ギルドにより4門が煉瓦造の門に置き換えられた。18c
  メクレンブルク・ストレーリッツ公国は徴税と衛兵所を合わせた木組みの建物を門に建てた。ゴシックの4門は
  戦災を免れ、前門のある堂々たる切妻付市門として貴重な存在である。
   Wiekhaeuser(壁間小屋)は、北独にしかない珍しい存在であり、ぜひ見てみたい。
  Wiekhaeuserは、14c初め30m間隔で57のWiekhaeuserが町側から 市壁の上に木造で付加され、
  眼前の敵を攻撃した。30年戦争後にその有効性を失い、防御を諦め宿泊所等で使われた。
  1965まで小屋の幾つかは残っていた。市は23のWiekhaeuserと2塔を復元し、今はクラブ・
  バー・レストラン・店舗・集会所等で使われている。
 フリートレンガー門 Friedlsender Tor (1300) 最大で複雑な古い門で前門との間は88mも
   ある。内側の高さ20mの切妻付のある門で1300に建てられ、高さ8mの市壁につながる。14c
   前半に前門が造られた。両門はツインガーを形成する壁によって連結された。今は造形センター
   となり、町の文化・芸術の中心である。1970に元関税の家が復元され、今はカフェである。
 新門 Neue Tor (1450) 4番目の門として交通緩和のため設けられた。1852には前門
   は老朽化して取り払われた。内側の8切妻のニッチはテラコッタの装飾がある。今はフリツロイター学会教
   会が入って、文学の催物が行われる。
 スダガルト門 Stargarder Tor (1310) 2番目に造られた門で、町の南入口である。高
   さ24mの町側の門と高さ18mの前門が建てられ、長さ40mのツインガー壁で両門は繋がれ、税関
   の建物がある。前門はゴシック煉瓦造の華麗な2階建てで、西側にLohMuehleナメシ革工場があり
   保護壁で守れられている。内側の門には、漆喰・煉瓦・石積・9つのステラコッタがある。
 トレップトウ門 Treptower Tor (1400) 町側の高さ32mの切妻のある門から半分の高さの
   前門が見渡せる。1873門塔は州で最古の市立博物館となり、今も町の先史時代と初期の歴
   史の展示がある。ツインガーは34mで18c南部壁に守衛の木組みの家と関税が置かれ、1856には
   第1通信事務所が建てられた。
 見張り塔 Ausichts Turm (1905) 高さ34mの角塔で階段を111段上るとTollenseSee
   を見渡せる。2次大戦後は軍用地で立ち入りできなかったが、1995改装され登れる。
 捕獲塔 Fangel Turm 北側の壁中に立つ3階建ての円塔。

4.見所 B

   旧市街地は、ほぼ完全に残る丸い市壁と緑地に囲まれ、縦横に街路が区画されている。
  4門は前門が残る規模の大きい物もあり、破風が建てられて見事である。また市壁の上の木製
  Wiekhaeuserも珍しく、再建されている。また市庁舎は西側の市壁外に在り、マルクトには文化教
  育センターがある。
聖マリア教会 St.Marien Kirche (13c) 町で最大のゴシック煉瓦造の教会で東切妻は見事で
   ある。1298ハーベルベルク司教によって祭壇が奉献された。何度も火災に遭い、1832-41に復元が
   なされた。2次大戦では廃墟となり1980に再構築され、コンサートホールになった。鐘楼の鐘は2007
   に奉献され、塔には教会の歴史が常設展示されている。
 フランシスコ会修道院 Franziskaner Kloster (1250-60) 町の北部に広大な建築複合体を
   形成し、16cの宗教改革時に修道院は廃止され、元修道院教の聖ヨハネ・西翼・北翼・東翼が残さ
   れた。教会と西翼は聖ヨハネ教会と地区行政機関によって使われ、北翼の石造食堂とレンガ造広
   間は2013改修後に町と教会の歴史を展示し、東翼は17cの火災後再建されなかった。
 聖ヨハネ教会 St.Johannis(1250)修道院内の石造の教会で14cに今の本堂が建てられた。
   16cに修道院は解散され、町は教会を引き継いだ。中には、1598精巧な石灰岩の説教壇・1730
   豪華なバロックの祭壇・1700錫や真鍮のシャンデリアなどがある。戦争や火災で幾度か修復された。
    定期的に聖歌隊やオルガンの演奏が行われている。
 聖ゲオルグ礼拝堂 Kapelle St.Georg (1308) 中世には町外れの街道に3礼拝堂があり、
   市門の閉鎖後に旅行者や巡礼者に食事や宿泊所を提供していた。1631ブランデンブルク軍の包囲
   時に、他は破壊されたが、聖ゲオルグは十字軍守護聖人に因んで名付られて生き残った。
   トレップトウ門の外に初期ゴシックの四角い中央塔の煉瓦造の建物は病院の礼拝堂でもあった。
   1994改修後に使用可能となり、音楽・講演会・結婚式場・展示会等に使われている。
 四輪水車 Vierrade Muehle(1271)トレップトウ門の前に煉瓦造4階建ての建物と古い3階建
   木組みの工場がある。四輪水車の粉挽場は、860mの水路を介して動作した。1925から電気動
   力となり、今は施設内見学と文化機関・サービス・教育の分野が入っている。
 地域博物館 Landes Museum
   Treptwer Tor(1873) 塔の5階に地域の先史時代と初期の歴史を展示。
   Vierrad Muehle(2004) 古い水車・昔の町の歴史・市民生活の工芸品・農業・ピアノの展示。
   Franziskaner Kloster 歴史的な都市の断面と修道院の歴史を展示。
 芝居家 Schauspiel Haus (1775)侯爵アドルフ・フリードリッヒ4世は夏の館を建て、1780に
   劇場を構築した。1792侯爵の死後、経済状況から劇場は解散された。1825改修され公園が
   再開された。1848病院となり、1894医師が買って運動治療機関とした。2次大戦では病院と
   なり、奇跡的に戦禍を免れ1945から放置され、1994に180人の劇場として復活した。

5.写真

トレップトヴェア前門 トレップトヴェア後門
トレップトヴェア後門内側 新門
ムクドリ衛兵門 自由州門
Wiekhaus・東壁 Wiekhaus・北壁
聖マリア教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

戻る

ロストック Rostock MV2

1.歴史

 12c ワルノー川右岸の低地入植地に、スラブ領主の城が建てられた。
 1160 サクソン侯爵ハインリッヒは侯爵ニクロードに勝つ、 1167 ハインリッヒは西メクレンブルクを支配、
 1218 ハインリッヒ・ボアピン1世は都市権を確認、  1254 西に4番目の独立入植地を建設、
 1262-65 町は要塞で統一され庁舎・議場建設、1283 ハンザ同盟の設立、
 1325 町はハインリッヒ2世の貨幣鋳造権を授与、  1358 全管轄権を獲得して自由都市へ
 15-16c 町議会への反乱が繰り返された、  16c 切妻の家800と醸造所300で繁栄、
 1618-48 30年戦争の被害は少なかった、   1688 大火災で町の1/3は焼失、
 1700-21 北方戦争でデンマーク・スエーデンが略奪、 1758-62 7年戦争でブランデンブルクが占領
 1806-13 ナポレオン軍が占領、         1813 メクレンブルク公国に戻った、
 1866 メクレンブルク公国は北独関税同盟に参加、 1940+42 空爆で町の48%破壊。

2.市壁  1.450km 0.39

  町は、13cに高さ7m面積1km2厚さ1mの市壁を築き、必要に応じ幅3mの木製歩道が
  付けられ、22門の内半分ドックに繋がった。1830中世の市壁の外へ初めて市街を拡張
  し、町の防衛施設は大部分取り払われた。堀は17cに埋め立てられ土手道が残った。
   市壁にはWiekhaeuserがはめ込まれ、一部には木製の壁上通路がある。1218都市
  権確認の銘板が市壁に埋め込まれている。17cにも補強が行われた市壁は、主とし
  て爆撃で破壊された。1930石門と雄牛門の間の市壁は、復元された。

3.塔  4門1塔

 クレッペリン門 Kroepeliner Tor (1265) 西、レンガ造の角塔で、内には市立
   歴史博物館であったが、考古クラブが入っている。
 石門 Stein Tor (1456) 南、今は道路の中央に立ち、町側には紋章と銘板
   があり、3階建ての角塔に大きな尖塔が付いている。前門は1949に除却された。
 僧門 Moenchen Tor (1316) 北、ゴシックの沿岸門は16cにルネッサンスで再建され
   1806に古典的様式2階建て各塔に置き換えられた。上階は住居で使われ、1990-92
   に改修された。
 雄牛門 Kuh Tor (1262) 南東、ゴシックの4階建て幅8.9m厚2mの角塔で、16c
   一次破壊されたが、石門で再建され、1621に住居となり1942爆撃で破壊され、
   1984にレンガで復元された。1985からクラブが収容された。
 ラーゲブッシュ塔 Lagebusch Turm (1456) 市壁で唯一残った6角塔である。
   ランゲン塔とも言われ、今の塔は1577オランダ・ルネッサンスの防御塔で、19c迄刑務所とし
   て使われた。

4.見所  B

   恵まれた地形に早くから港が置かれ、13cハンザ同盟加入しメクレンブルクの領主から
   の独立を試みた。その繁栄の地位から、30年戦争や北方戦争では北欧に、その後
   ナポレオンにも占領された。町には有名な市庁舎・教会・博物館・切妻の家並みが美し
   いクレーペリン通等がある。
 市庁舎 Rathaus (1270-90) アーチ天井の2階建ての建物で、地階は商取引に使
   われ、2階は宴会場・議会場があった。1484に7つの小塔を屋根に付けた3階建の建
   物が新築された。1727バロックのアーケードや前面や祝祭会場が付けられた。2002改修。
 聖マリア教会 St.Mrien Kirche (13c) 最初の完成直前の建物は1398に倒壊し
   15cに西側に壁塔のある十字型バジリカが建てられた。中には、1290青銅の洗礼盤・
   1472天文時計・1720高い祭壇・1577説教壇・1791オルガンがあり、1992-2008大改修。
 聖ペトリ教会 St.Petri Kirche (1252) 3廊石造の建物に塔は二重であった
   が、14cには煉瓦造3廊バジリカとなり、1500に123mの高塔を付けたが1543落雷で
   破損し高さ117mで再建され船の目標となった。1942の空襲で大損害を受け、暫定
   改修で礼拝は行われた。1991塔が再建され45mまで登れる。
 聖ニコライ教会 St.Nikolai Kirche (1257-1312) 初め野石基礎上にレンガで3身
   廊の教会が建てられたが、15c大きな正方形の塔と石の身廊を伸ばした。1945の
   空襲で塔と身廊が破壊され、1948仮に後陣が献堂された。1996に再建が始まり、
   1971にオルガンが置かれた。今は宗教や文化の集会や演奏会に使われている。
 聖十字架修道院 Kloster Heiliges Kreuz (1270) デンマークのシトー会によって
   設立された修道院で、宗教改革を1584まで生き延びたが、その後女性修道院に変
   換した。今は文化史博物館となり、教会は大学に属し演奏会に使われている。
 カソリック修道会 Kathorien Stift (1223) フランシスコ会修道士はここに落着いた。
   教育と工業学校として、後に孤児院として使われ、1807-08は仏軍病院となり、
   1920からキャサリン修道会や介護ホームとなった。2001再開され地方音楽と演劇大学に。
 州会館 Staende Haus (1893) メクレンブルク公国の州事務所として建てた。
   歴史主義の赤レンガの3階建ての建物で、中庭・階段・会議室など一見の価値はある。
   今は、州の上訴裁判所の本部である。
 樹木の家 Haus Baumhaus 残り少ない後期ゴシックの樹木状の家で、1階は柱間
   隔の広い樹木状の木組構造で、この通りは特に美しい切妻建築が並んでいる。
 大学広場 Universitaets Plstz (1419) 3角形の広場には1419から大学が
   置かれ、1870には大学本館が建てられた。この広場には1742にこの町で生まれた
   ナポレオン戦争の英雄ゲブハルト・レバーエヒラトの記念碑がある。バロックの旧大公宮殿1750は
   ハンザ都市へのメクレンブルク侯爵の滞在を思い起こさせる。反対側の5切妻の建物1986
   は調和をとって建てられた。
 文化歴史博物館 Kultur Histrische Museum (1270) 聖十字架修道院の歴史
   的な建物に、1859に収容された。オランダ絵画・セラミック・工芸品・貨幣・玩具・軍用品等
   文化と芸術の収集物と伝統的なハンザ同盟都市の歴史と文化の展示がある。
 BSTU記念所 Gedenk Staette des BSTU (1960) オフィスビルに囲まれた家の中
   庭にスタージの刑務所1958があり、110人が投獄された。1998州の犠牲者のための
   資料センターとなった。
 海事博物館 Societaet Rostock Maritin e.V. (1857) ハンザ同盟時代の港
   湾施設・多種船模型・造船を展示し、屋上には再軍の潜水艦・魚雷・掃海艇を展示、
   地下にはヘルメット・ダイバーがある。

5.写真

市庁舎・新マルクト 裁判所
石門 療養門
南壁
東南壁 ニコライ教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

⑧ ニーダー・ザクセン州 NS

ゴスラー Goslar NS1

1.歴史

  979 オットー2世の文書に城の初言及、 10c 銅・銀の鉱山を開発、
 1009 ヘンリー2世の神聖ローマ帝国皇室会議、 1025 コンラット2世は皇居建設と貿易権確認、
 1045 ヘンリー3世ゴスラー大聖堂と協同教会建設、1075要塞・5教区7教会・大学のある都市、
 1219 フリードリッヒ2世は最後に帝国会議、  1219 町は権利拡大し1330都市法成文化、
 1290 自由帝国都市となる、      1267-1566 ハンザ同盟に加入して交易、
 1460 ランメルスベルク鉱山の収入で建物のゴシック化と要塞の構築が行われた、
 1519 強盗の横行に備え要塞の完成、  1552 鉱山収入はボルヘンヴュッテル公国へ、
 1632-35 スエーデン軍が占領し略奪と徴発、 1728.80 大都市火災、
 1802 プロイセンが占領し512年間の自由都市は終了、1806 ヴェストファーレン王国へ併合、
 1816 プロイセンに帰属、       1945 第2次大戦の空爆を受けた。

2.市壁  0.78km 0.18

    16cに旧市街地を土堤と堀と市壁が取り巻いていた。火薬の発達で有効性を失い
   殆ど18-19cに取り壊されて、緑地になっている。
   今は、東から南にかけてと北に、僅かに残されている。

3.塔  2門7塔

 バラ門 Rosen Tor 北、
 蜂の巣塔 Waber Turm 北、薄い壁のような6階建ての塔で、3階部分に木製
   の防御通路が付いている。
 悪魔塔 Teufels Turm 北、
 広い門 Breites Tor (15c) 東、二重門の構造で、16cに拡大強されて、前
   門の円塔と門の家・門衛所のある市門が残されている。
 下水穴 UntersWasserloch 東南、
 円錐塔 Kegelworth Turm 東南、
 ツインガー Zinger (1517) 東南、外側市壁を守るため直径26m高さ20m璧厚6.5m
   の大きな円形要塞であり、攻撃された場合には4階に1千人収容した。
   Museum im Zingerには、中世後期の武器・包囲道具・武具甲冑・拷問道具等が展示
   され、塔頂からの眺めは良い。
 仕立て屋塔 Schneider Turm 南西、
 守備隊長塔 Wochtmeister Turm 北西、

4.見所  A

    美しい木組みの家と文化財としての貴重な建物が多くあり、ラメルスベルク鉱山の
   富で15-16cに町は最盛期を迎え、16C中に鉱山の権利をボルフェンビュッテル公国に取ら
   れて衰退したため、古い物が残されている。
 市庁舎 Rathaus (15c) 東翼は市場に開いたアーチのアーケード広間があり、南側
   の墺が居階段を上がると2階に大広間「栄誉の間」がある。屋根の下端に小さな
   飾り切妻が付けられている。今でも市長室があり、「忠節の間」1505-20が後期
   ゴシックの参事室として建てられ、天井と壁に絵画がある。500年前の自由帝国都市
   の豪華な参事室には入室できる。扉の後ろの小礼拝堂にはキリスト受難の壁画がある。
 皇帝ヴォース Kaiser Worth (1494)市庁舎の隣に、張出小塔のある後期ゴシック
   の仕立屋ギルドの会館がある。その前面は何世紀にもわたって建設された。外壁
   の狭い凹みにはバロックの諸皇帝の像が立っているため名付けられた。今はホテル。
 靴の館 Schu Hof (16C) 広場を風格のある木組みの家と靴屋ギルドのアーケード
   が取り巻いている。
 パン屋ギルドハウス Baecker Gildehaus (1501) 古い石積の地階の上に1557張り
   出した木組みの上階と大屋根を乗せた。無冠のゴスラー鷲とパン屋の紋章が飾られて
   いる。美しい出窓と屋根は市民階級の向上と繁栄を示している。
 ブルストタッヘ Brusttuch (1521) ゴスラーでも美しい邸宅で、石造の地階の上に木
   組の2階と大屋根が乗っている。前面に古代神話の動物や模様が掘込まれている。
   今はホテルやレストランとして使われている。
 鞣し革水車 Lohmuehle (16c) 昔は40以上の水車があったが、今は唯一復元
   された100年来の水車が廻っている。昔は鞣すための樹皮酸を生産していた。
 大聖十字架 Grosses Heiliges Kurz (1254) 町の貧困者救済と巡礼者の宿泊
   のために設立された。小さな庭の付いたゴシックの切妻のある建物で、今は高齢者の
   住宅と職人の製造販売店がある。
 小聖十字架 Kleines Heiliges kurz 木組み3階建ての町の貧困者の救済のた
   めに設けられ、今は市の所有となり老人ホームの他日曜礼拝と小集会にも使われる。
 皇居 Kaiser Pfalz (1040-50) 神聖ローマ皇帝ハインリッヒ3世によって建てられ、そ
   の後荒廃したが、1868-79今の建物が再建された。2階にある巨大な「帝国の間」
   の歴史画は、ゴスラーに皇居が置かれた時代の歴史的事件が描かれている。南に聖
   ウルリッヒ宮中礼拝堂12cがあり、下の階はギリシャ十字・上階は八角形で、中にはハインリッヒ
   3世の横臥像があり、その台座に皇帝の心臓が納められている。
 ジーメンスの家 Siemens Haus (1693) 有名なベルリンの会社創設者ジーメンスの先祖が
   建てた。この町で最大で保存状態の良い、堂々として美しい木組の家であり、美し
   いタイル張りの入口の間と中庭が見事である。住居に加えて家族の商用スペースもある。
 レーバーの東屋 Kemenate Roever (1500) 都市農民が建てた木組みの2階建ての
   建物で、作家ハンス・ヨアヒム・ローバーが買収した。今美術展示場として使われる催物会場。
 ノイベルク修道院教会 KlosterKirche Neuwerk (12-13c) 元シトー派女子修道院の教
   会で庭に立ち、多角形の正面の塔はロマネスクの優美な形であり、中央後陣の外装は手が
   込んでいる。パイプオルガンのある2階の欄干には6つの漆喰レリーフがある。
 ペーターとパウロ教会 PfarrKirche Peter und Paul (12c) 鉱夫が住んでいた町の
   西外れに在る教会であり、何回も改築されバロックの塔は18cのものである。中は、西
   側の尼僧の桟敷席が見所で,アーケードはアカンサス葉飾りの頭柱と網縄模様の小柱の上に乗
   っている。北壁と南壁には13cの大壁画が残っている。
 ドーム入口の間 Dom Vorhalle (11c) ロマネスクの礼拝堂は、皇帝ハインリッヒ3世によって
   建てられ、1822取壊された大聖堂から、唯一残された部分である。内部には11cの皇
   帝の椅子がある。
 僧侶の家博物館 Moenche Haus (1523) 古い木組みの家の中には、モダンアート美
   術館があり、庭には彫刻が並んでいる。
 ゴスラー博物館 Goslarer Museum (1514) 残された大邸宅に、町と技術の歴史と
   地域の地質・鉱物学の展示がある。17-18c住まいの文化・美術工芸品・ドームに在った
   12c祭壇・13cゴスラー福音書・1477水差し・16cキリスト磔像・中世からの貨幣などの展示。
 ラメルスベルク鉱山博物館 Rammelsberger Bergbau Museum 町の南西の鉱山の跡に
   1千年にわたって鉛・錫・銅・銀を採掘した歴史を展示。坑道も見学できる。

5.写真

マルクト広場 ブライス門
カイザーボルト 皇帝宮殿
鉱夫の仕掛時計

5.町の略図

[戻る④門塔]

ノルトハウゼン Nordhausen2 NS2

1.歴史

  910 王は城を築く、929 クヴェトリンブルク王ヘンリー1世は妻マチルダに町の収益を与えた、
  961 女王マチルダは未亡人の修道院を設立、 962 オットー3世は市場権・鋳造権を授与、
 1158 皇帝フリードリッヒは財産を女性修道院に、1180 皇帝フリードリッヒとザクセン公の戦争、
 1220 町は自由帝国都市に、女子修道院は大聖堂に、1290ハプスブルク王ルドルフ権利確認、
 14c 自由帝国都市の全盛期、       1430-32 ハンザ同盟に加入、
 1524 町に宗教改革を導入、     1612 町は大火災、1630 30年戦争で衰退、
 1703 ブランデンブルク・プロイセン軍が占領、   1757 7年戦争で仏軍が占領、
 1802 プロイセン王国に併合、        1807-13 ヴェストファーレン王国へ、仏軍占領、
 1816 プロイセン州のエアフルトの地区へ、    1943 ロケットV1とV2を製造、
 1945 第2次大戦の爆撃で建物の74%破壊し人口の21%が死亡。

2.市壁  1.79km 0.59

  半分以上の市壁が丘の斜面に残っている。老朽化した石積は更新されている。

3.塔  0門1塔

 ペトリ塔 Petri Turm (1362) ペトリ教会の一部として62mの高塔が建てられ、
   1731塔の下の部分に警備員を置いた。1945教会は破壊され、1987新しい帽子を付
   け、見張り塔として使われている。

4.見所  A

   市庁舎にはローラント像がある。ブラジウス教会の尖塔は1634の火災で壊れ左右不均等
   に修復された。木組みの家・市壁がよく保存されている。
 市庁舎 Rathaus (1360) 3階建ての市庁舎は1945爆撃で焼失し、1952に再建
   された。中央にゴシックの鐘楼が立ち、5アーケードの窓が前面に目立つ。東部の入口の
   上に紋章と碑文が置かれている。碑文には「410年ローマ皇帝による都市の創設」。
 谷間の聖マリア教会 AltenDorfer Kirche St.Maria in Tale (1294) 元は3身廊
   ゴシックの尖塔付の教会で、修道院教会として建てられた。1639西側廊が除かれ、
   後に塔と北通路が造られ1697に再奉納された。この時から西壁に木製ギャラリーや
   オルガンのロフトが置かれた。18c半ばから北の祭壇や説教壇が付けられた。
 ブラジウス教会 Blssii Kirche (1234) 市内で最大の新教教会で、1350改修が
   行われ、1634に南棟に落雷があった。1945爆撃で壊れ、1970年代に修復された。
   2002抜本的な改修がなされた。中には、1592説教壇がある。
 キュリアシ礼拝堂と施療院 Cyriaci Kapelle und SiechenHof (13c) 1284礼拝堂
   は病院に建てられた。1788病院は老人ホームに拡張され、1815まで使用された。一時
   刑務所にもなり、1823礼拝堂は老朽化して取り壊された。1845-46漆喰2階建木造
   の広間が古い基礎の上に造られて老人施設で使われ、1991音楽学校になった。
 聖十字架大聖堂 Dom zum Heiligen Kreuz (961) 旧城の敷地内に、ゴシック3身廊
   ハレン教会が建てられ、13cシトー派女子修道院となった。1813-44身廊と塔は
   大規模補修が行われた。1945歴史的な屋根が焼失し、1964ゴシックの急勾配の屋根
   が修復された。
 山の上の聖マリア教会 Frauenberg Kirche St.Maria auf dem Berg (1200) ロマネスク
   3身廊の十字型柱バジリカで古い教会である。1536改革後に学校となり、1557
   修道院の廃止の後に市立女子学校になった。1945身廊が壊され、翼廊と聖歌隊の
   みの今の姿になった。
 聖ブラジ牧師館市庁舎 PfarrHaus St.Blasii (1544) 美しく芸術的な木組の
   建物であり、1713に2階建て長方形の木組の家として屋根からの装飾で飾られ建替
   られた。1706-26牧師が住んでいた。
 真の北の家 Echter Nordhaeuser (1360) 伝統的な蒸留所が設立され、1907-08
   今の場所に蒸留所を設けた。リキュールは試飲も購入もできる。
 IFAモーター博物館 IFA Motorenwerke 2011にIFAの製品を実演・展示した産業
   博物館を設立した。ディゼルエンジン・トラクターなどが展示されている。
 ヴァルケンリーダー館 Walkanrieder (1292) 初め穀物倉庫として建てられ、修道院
   に買収された。1345拡張され何回か火事に遭ったが外壁は維持された。1540.1712
   の火事の際に窓の形状が変化した。19c税関・税務署・市図書館として使われ、今は
   博物館の保管・修理場所。
 ノミ城博物館 Museum Flohburg (1330) ローマ時代の地下室を持つゴシック3階建木組
   の建物は、元は騎士団の家であった。1789-1815町の劇場を収容し、1905避難所と
   なり、1968改装して子供の図書館「ノミの城」となり、2000古い町の博物館となった。
 タバコ店博物館 Museum Tabakspeicher (18c) 2階建ての木組の家は、20c葉巻・
   タバコの倉庫となり、1994「煙草の家」は工芸・商業・産業・考古学の博物館となった。
 フィンケ博物館 Finkenburg (1444) ゴシック2階建木組みの家はギルドハウスとして建て
   られ、1993放火で焼失し、1997復元された。今は郡手工業組合の事務所である。

5.写真

市庁舎 西北壁
西壁 南壁
ブラジ教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

 ノルトラインヴェストファーレン州 NRW

バート・ミュンスターアイフェル Bad Muenstereifel NW1

1.歴史

 880 ベネディクト会はノイミュンスター修道院を設立、 844ローマ聖人遺物を所有し巡礼地、
 854 修道院に住宅と農園を言及、  898修道院は市場.鋳造.関税の権利授与、
 1265 ユーリッヒ伯爵の領土となった、  1299 初めて要塞の場所と呼ばれた、
 1317 城が始めた言及された、    1416 大洪水、1451ペストの被害、
 1625 イエズス会修道士はギムナジュウムを設立、1689 仏軍に城は破壊された、
 1784 仏革命軍はライン川の左岸を占領、1815 プロシア領となる。

2.市壁  1.00km 0.63

  12Cの終わり頃と14Cの初めに領主ユーリッヒは城施設と1.60kmの市壁を4門と
  18防御塔と共に建設した。市壁はエルフト川が貫通した町を取り囲み、外堀は埋
  められている。町周囲の守りと市門は完全に復元されている。城壁通路220m
  に登れる。

3.塔  4門16塔

  Werther tor(北)3階建ての四角塔、最も古いフランケン入植地の名前
   を付けた。今日塔では、自然と 境保護の勉強が出来る。
  Johannis tor(東)3階建ての四角塔、教区教会の跡で教会の名前を付
   けた。以前は、跳ね橋.落し格子.門翼の施設が整っていた。
  Orchheimer tor(南)3階建ての四角塔、塔は画家のスタジオ。
  Heisterbach tor(西)3階建ての四角塔、塔は今化石や鉱物の博物館。

4.見所  C

   町の中を川が流れ、大通りには古い木組の家屋が多く見られる。
   Orchheimer通りの町並みは、1644頃の木組の家屋が美しい。
 修道院付属礼拝堂 StiftsKirch(830)。初め小さな修道院礼拝堂を設立、
   12C-13Cに今の3廊の西3塔、翼廊の支柱バジリカとなった。守護聖人の遺物。
 イエズス会教会 JesuitenKirche(1668) 1659-1668修道士が建てた。
   隣の黄色い建物は1659-1724ギムナジュウムである。
 市庁舎 Rathaus 初めに呉服屋として使われた。1476市庁舎とされた。
    1551にアーケードで西翼を建てた。1818の洪水の後に建物は売られて、
   長い間ビール貯蔵庫と麦芽製造所となった。ここ30年間は市庁舎となった。
   前面に曝し台がある。

5.写真

Stift教会 マルクト
オルヒハイム門 市壁
ヨハネス門 ハイスターバッハ門
ウエルター門 市壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る④門塔]

ブルグ ヴュッパー Burg a.d.Wupper NW2

ゾーリンゲン市内

1.歴史

 1133 ベルク伯アドルフ2世は居城建設、 1218-25 狩猟宮殿としても使用、
 1225 アイゼンブルクのフレデリックの死で承継戦争、1288 伯爵アドルフ5世の居住地、
 1385 デュッセルドルフ・ベルク公国の狩猟宮に、1509 城結婚式でユーリッヒ・ベルク公国、
 1632 スエーデン軍が町を破壊、      1700  公爵の居所は部分的改修、
 1807 宮殿から公爵の退去、      1849 宮殿は全焼で廃墟に、
 1889 城建設協会による復元運動、   1890-1914 城の復元作業開始。
 1920 城の火災、1922から城の再建、  1952 最初のケーブルカー設置。

2.市壁  0.51km 0.90

  宮殿を囲んで城壁が築かれている。

3.塔  2門0塔

  宮殿門 Schloss Tor アーチ門がある。
  溝門 Graben Tor 城の建物にアーチ門が開けられている。

4.見所  C

   山頂に復元された宮殿と周辺の建物や公園を見る。
 宮殿 Schloss Burg 塔のホール、祖先のギャリイ、東屋、礼拝宮、
   博物館がある。
 聖マルチヌス教会 St.Martinus Soringen Burg。
 見張城 Schloss Aussicht Burg 。

5.写真

宮殿 宮殿門

5.町の略図

[戻る③壁率]

ユーリッヒ Juelich NRW3

1.歴史

 4c ローマ街道に位置し要塞が築かれた、 5c 町はフランク族の手に落ちた、
 1328 ユーリッヒ公国となった、     1239 ケルン大司教に町は破壊された、
 14c 市壁と門塔で町を守った、   1416 ユーリッヒ・ゲレデルン公は自己金融、
 1547 大火災でほぼ全滅、     1609公爵家の断絶後町はノイブルクへ、
 1685 プファルツへ、1777 バイエルンへ、1794-1814 仏の領土へ、ナポレオンの橋頭保、
 1815 プロイセンに属し要塞拡充、郡庁、1860 要塞は取壊され、守備隊は残った、
 1882-1912 仏・ベルギーはラインラント占領、 1944 空爆で町はほぼ全滅、
 1949-56 市街地は再建された、   1990 シタデルの修復。

2.要塞  2.20km 0.4

   独でも保存状態のよい要塞で、同時代のベルリン・シュパンダウ要塞とは多くの
   類似点がある。イタリアの建築家により1543-50に構築された。4シタデルは約400m
   円周で周辺の土地から5-10m高く設計されている。
 外堡:多くの遺跡がまだ存在している。①前衛Ⅲ北西溝に沿って壁や墓が残る。
   ②前衛Ⅱ北東溝の前に壁がある。③半月堡Ⅰ東部分的に東kurtineに前に避
   難所。④半月堡Ⅱ北の壁。⑤半月堡Ⅲ西の土堤。⑥半月堡Ⅳ東側守衛詰所
   ⑦石積 町の堀の西の壁。⑧南東隅の南壁。
 建築物:武器庫、兵舎、城、侯爵住宅宮殿、礼拝堂、庭園。1944空爆1964復元。

3.塔  2門1塔

 アーヘン門 Aachener Tor (1548) この門はラインラントで最初のルネッサンスの門
   であり、外側のアーチ門のみが残っている。内側のアーチ門屋は1860に築かれた。
   堀が埋められる前には、幅30m深さ4.5m長さ115mの堀が前面にあった。
 ルーア門 Rur Tor (14c) 魔女塔とも呼ばれる。ケルン大司教が占領し
   て町の古い市壁を破壊した1278の後にこの市門は建てられた。今は小さな
   壁の断片が中庭に残っている。
 魔女塔 Hexen Turm (14c) 市壁の解体後刑務所や拷問室として使われ
   魔女も囚われていた。今は市歴史博物館として資料を展示している。

4.見所  B

   1944の空爆でほぼ全壊したため、重要な構造物もその後再建されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1953-54) 空爆後3階建バロックの前身の建物が
   再現されたが、時計等とホール窓枠には差異があた。1972市の再編のため、評
   議会と一部行政は白鳥湖の新庁舎に移転した。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1972) かっての要塞の外に白鳥湖があり、
   養魚場・馬の水飲場・洗濯場として使われていた。1952プロイセンの地方事務所が
   壊され、その敷地にユーリッヒ郡の事務所が構築された。
 プロプスタイ教会 Propstei Kirche (945) ローマ砦の輪郭上に、身廊と聖所壁
   が残る。ユーリッヒ公は、1147教会の前で十字軍に参加し、1219にエジプトで戦
   死した。教会の遺跡としては、12cロマネスクのポーチ・塔ホール・ロモネスクのキュウポラなど。
 新教教会 Ev.Kirche (1637) 都市の前にプロテスタント教会が建てられ、戦災後
   1950に再建された。1743教会の前の墓地に入口門が建てられた。
 宮殿礼拝堂 Schloss Kapelle (16c) かなりの部分が戦災生き延び、
   イタリアルネッサンスの豊かな装飾が見られる。1768の火事でロココの西側前面の改修が
   行われた。
 宮殿要塞 Schloss Festung Zitell (1545) イタリアで開発された三角形
   で矢型のドイツで初めて町の北に建てられた。要塞は9haあり、旧市街地より
   わずか小さい。外堀の角の一辺は360m・壁厚34-48m・堀33m・高さ12.3m・
   全長2.2kmである。その中央に16cオランダ風の宮殿が建てられた。
 要塞聖ヤコブ Bastion St.Jakob (16c) 旧市街地の南端に、唯一残され
   た旧市街の要塞である。側壁と地下室がある。
 ナポレオン橋頭堡 Napoleonischer Bruecker Kopf (18c) 仏が1754から占領
   し、ユーリッヒは仏独国境に位置し、重要要塞としてEllebachの北岸に橋頭堡
   を築き、1804ナポレオンも建設現場を訪れた。1806自立式火薬庫が置かれた。
   1998には、長さ800m幅300mの強大な橋頭堡が修復された。
 町ホテル・クラツ Stadthotel Kratz (1948) クラッツ家のための3階建のホテルが、
   ユーリッヒハウスの再現を目指して建てられ、歴史的な街並みを再現した。

5.写真

シタデル南 シタデル中
マルクト 魔女塔外
魔女塔内 西市外要塞
西市外要塞

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

ケムペン Kempen NW4

1.歴史

 1006 ケルン大司教の農村集落、        1186 最初の文書言及、
 1290 要塞都市となる、           1294 都市権の文書、
 1372 市場権を授与された、         1396-40 城と町が建設、
 15C 中世後期は経済繁栄、          1579 ペストで人口半減、
 1642 ヘッセン軍占領、 1794-1814仏革命軍占領、 1815 プロイセン領、
 1945 空爆による都市破壊、         1966 旧市街地の再建。

2.市壁  1.32km 0.72

  最初は堀で守られた土塁であったが、1270-1320塔と市壁を建設した。
  ほぼ楕円の全長1.83kmの市壁と門塔を、現場焼のレンガで築いた。

3.塔  1門3塔

  初め4門4塔であった。4門は、北KuhTor、東EngerTor、南PeterTor、西
  EllenTorの内北門のみが残る。塔には円形の塔が14追加され風車の塔も
  1つ加わって21塔となったが、今は1門3塔しか見られない。
 雌牛門 KuhTurm 1350建、3階建て門塔、3階の上にゴシックの尖塔が乗
   っていたが、1898に現在の三角錐の屋根になった。
 ペテロ塔 PeterTurm 南からこの塔を通って堀の橋を渡りペーター門へ続く
   二重門の外門であった。1989に取壊された塔の基礎上に4階建で再建。
 庭塔 GartenHaus 西のMoehtenWallに1773-76建、農園として払い下げ
   られた堀に2階建の夏の家を建てた。
 風車塔 TurmMuelen 1481建、西南の市壁に直径8.7m3階建ての製粉
   風車。

4.見所  C

   旧市街地中心の聖マリア教会周辺と木組の建物が見所である。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1926) 旧市街地の東の外の駅前に、石基礎と
   高いヒップ屋根の2階建レンガ造の建物で、5窓列が中央に集中している。
 聖マリア教会 St.MarienKirche (1200) グラッドバッハ修道院の後援で建てられ、
   1240ヴォールト大聖堂に再建された。1400身廊が建てられ、丸天井となった。15c
   に疑似大聖堂から3廊ホール教会となって再建された。1854-76包括的な修復が行
   われた。1942爆撃・1945砲撃で屋根・丸天井・窓ガラス・外壁が壊され、1945応急
   屋根が付けられた。1948-59丸天井・窓ガラスが修復された。1990-93内装修復。
    中には、3つのアントワープの祭壇画と歴史的な彫刻がある。
 ケルン州城 KurKoelnischeLandesburg (1400) ケルン大司教は石造の建物を
   建てて貴族の執事を置き行政を行わせた。1634に中世の城として大きな
   窓と両側の二つの円塔をを持つ3階建とした。
 旧フランシスコ会修道院 Ehe.FranziskanerKloster (1627-30)修道院建、1640
   大ホールを追加。1746-48老朽化により修道院は拡大改築。1802仏軍病院
   1863教区大学、1912税務署や市博物館、11987市美術館・博物館。
 古い家 
  広間の家 HausHall 1764建、最古のローソク工場、ロココの入口扉は見事。
  ニーヴェンハイムの家 HausNievenheim 1524建、破風付3階建ゴシックの石造建物。
  ルードビッヒの家 HausLudowig 1789建、レンガ造の仏商人の家、大戸は重い荷
    物の馬車が出入りした。ロココの窓の上に飾り止め石印がある。

5.写真

市庁舎 風車塔
東壁 南壁
西壁 西壁
ペーター塔 ランデス塔

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

リュクデ Luegde NW5

1.歴史

  774 フランクの資料に記録、 1036 パーダーボルン司教はブスドルフ修道院を設立、
 1195 ゴットシャーク伯爵の硬貨は都市権を推測、 12c 市壁・堀・塔・土堤の要塞、
 1246 リッペ3道路モデルの町造り、    13c ピルモンテ郡の主要都市であった、
 1255 ピルモーテの伯爵は町の半分をケルン大司教に譲渡、   1583 改革の導入、
 1624 30年戦争でカトリックになった。      1668 ヴィルモント郡の紛争解決、
    バーダーボルン皇太子は町を受取り住民は抗議、1756-63 7年戦争で被害、
 15c-18c 19回の火災発生し2回は全焼、1797 248/315戸焼失・200戸は復元、
 1862 プロイセン軍は町を占領、    1806 仏に占領でヴェストファーレン王国へ、
 1813 プロイセン王国に帰属、1945米軍占領、1946 最大の洪水で市壁を超えた。

2.市壁  1.42km 0.94

   13cの市壁は、殆ど堀・土堤と共に残されている。洪水対策で長さ1.5kmの
  市壁は歴史的な旧市街地を囲んで全部残っている。

3.塔  0門2塔

 防衛塔 Wehrturm am BrueckenTor (13c) 7塔の内2塔が
    残され、橋門の側にあり、町の守りのために使われた。
 隅の防衛塔 WehrTurm in Winkel (13c) 1797の火事の後に、塔は軍の
   住居に使われた。

4.見所  B

   市壁と塔が残り、1997の大火事の後に、木組の建物の多くは、保全作業
   が行われ、この州でも美しい歴史的な市街地となっている。
 市庁舎 Rathaus (12c) 火事で何度も焼け再建されたが、以前の建物の
   外観は知られていない。1548に建替えられた市庁舎は、近隣の市庁舎と同様
   にルネッサンスで建てられたが、1790大火事の犠牲となった。1799古典主義の木組
   の新市庁舎を再建した。ラッツケラーは1965に新しい建物に移った。
 聖マリア教会 Kath.PfarrKirche St.Marien (13c) 市壁の外にキリアン教会が
   あったが、13cに都市教会が建設された。1797の火事で壊れ、1894荒廃し、
   同じ場所に古い部分も使ってネオゴシックの教会になった。19c教会は再建された。
   中には、1520の祭壇・1877に14枚の絵画などがある。1987-90改修・再塗装。
 聖キリアン教会 St.Kilians Kirche (1150) 町の南の旧要塞に正方形の後
   陣とその北に広がりを持つ教会が、初めに建てられた。今の教会は、ロマネスク
   の十字が高く中央身廊に円形後陣がある。1494シュバレンベルク家の最後の埋葬地
   となった。墓地と共に高い塀で囲まれている。
 旧フランシスコ会修道院 Ehem.Franzikaneer Kloster (1749-56) イエズス会が
   1739バーダーボルン王子司教の承認を受けた後に、フランシスコ会に移り、1749基石を
   置き1752に修道院は完成し、1753-56バロックの教会が建てられた。1812ナポレオン
   の兄弟に引き継がれ売却された。カトリック教会は購入し1860に病院を開設し、
   1958まで継続された。1974カトリック教会の聖マリエン教区幼稚園となった。
 市郷土博物館 Stadt Heimat Museum (1799) 典型的な都市農民の家で
   1797の火事の後に、4列の木組の家が建てられ、3家族211人が住んだ。
   1987からは郷土歴史博物館となった。
 聖ヨハニス教会 Ev.Kirche St.Johaneis (1864) プロテスタント・ルター教区が建てた。
   宗教儀式の建物はハインリッヒ・ルターの聖歌隊の壁画が有名である。
 最も古い家々 Die altesten Hauser (16c) HinterStr.に町で最古の木組
   の家々が、1797の大火事を切り抜けて存在する。
 町のレリーフ Stadt Relief () リッペ国で典型的な3道路方式の町に、大きな
   倉庫門とデュール広間に特徴のある建物があり、町のブロンズのレリーフが歴史を張り
   付けている。

5.写真

市庁舎 マリエン教会
橋塔 ヴィンケル塔
西南市壁 西市壁
北東市壁 東北市壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

レース Rees NW6

1.歴史

  695ー739 、     1228 ケルン大司教が下ラインで最初の町を置いた、
 1289 町の壁を築き始めた、      1350 市壁の完成、
 1578 スペイン軍の占領、         1614 ブランデンブルク領に、
 1616-25 オランダ軍の占領と要塞建設、1816 ベーゼルに帰属、
 1945 第2次大戦の空爆で大被害。

2.市壁  0.40km 0.65 

  ケルン大司教が1289から建設、ライン・プロムナードの東半分以外で65%が残る。

3.塔  6門5塔

  基礎部が残っているものも含めて多くの塔が見られる。
 ライン門 RheinTor 1407南 外壁に建てられ、1594のスペイン守備隊への国軍の
   砲撃で破壊。1600にレンガで再建されたが1945第2次大戦で破壊。跡がある。
 ラインヴィッカー門 RheinwikeTurm 1328西 石造りの塔門であり19C初めに交通
   の障害となり崩された。円塔の基礎が見られる。
 水門 WasserTor 1417南 水路塔として階段昇降口を持つ、船乗りと漁夫
   はこの塔を通って税関所を建てた。
 起重機門 KranTor 1540南 壁の外に積卸起重機が立つ。1945まで市立博
   物館として使われた。
 落下門 FallTor 1393東 ライン堤防に沿う二重壁に兜付塔が建てられた。
   17CからFallTorと呼ばれ、19C初めこの塔は交通の円滑化に寄与した。
 窪地門 DellTor 1393北 二重塔設備を市壁に置いた。市壁の本塔の前に
   、外壁に二つの前面塔が置かれた。18Cから火薬塔として使われた。1835
   陸地側市壁は取壊された。
 関税塔 ZollTurm 南 中世に関税を徴収した。
 風車塔 MuehlenTurm 1470東南 玄武岩の円塔で、護岸は凍結したライン川
   の圧力に耐えなめし皮粉を挽いた。無料で塔に登れる。
 白塔 WeisserTurm 西南。
 見張小塔 WachterTurmchen 西南 壁中の小塔。
 見張小塔 WachterTurmchen 北東 壁中の小塔。

4.見所  D

   ライン川右岸沿いの小さな町であり、市壁とライン河畔の眺めが楽しめる。
 聖ヴィネーネチウス教会 St.Vineenetius 11C カトリック教会、12C塔を追加、1447
   ゴシックの新しい側廊、1782鐘楼を追加、1951-63新しい身廊と天蓋を
   完成し今の外観となった。1988オランダ製のオルガンが掛けられた。
 新教教会 Ev.Kirche 1623建、1959レンガで再建された。
 町博物館 StadtMuseum 北 町の歴史と文化を展示。

5.写真

市庁舎 ラインヴィッカー門跡
東壁 西壁
ライン河畔 カエル大王

5.町の略図

[戻る④門塔]

リューテン Ruethen NW7

1.歴史

 1072 修道院文書で最初の言及、ケルン大司教の管理に属した、
 1200 ケルン大司教が都市に格上げ、   1375 ハンザ同盟に加入し通商で栄えた、
 1573-1660 宗教裁判で104人が魔女とされた。

2.市壁  3.13km 0.90 

   初回1270建、全周約3km、幅1.2-1.4m、高さ3-3.5mの石造市壁を築いた。
  北~東部など市壁前面の地形が高い所には、掘り込んで空堀を設けている。
   空堀には墓地もあるが、大木が茂っている所もあり管理は良くない。
  崖上の市壁には、通路の前や後に石積があり、全部が揃ってない所もある。

3.塔  2門2塔

  全4門の内で門塔が残っているのは1つしかない。
 ハッハ門 HachTor 14C建、北 石造3階建て四角錐屋根四角塔。百年以
   上も外来犯罪人の牢で使われた。
 城門 BurgTor 14C建、西 この市門は、以前の城への連絡路である。
   今はただ基礎が残っているだけである。
 魔女塔 HexenTurm 西 唯一残された都市防御施設の防衛塔である。
   17Cには、捕えた魔法使いと魔女を収容した。今塔内に魔女裁判の展示物。
 配水塔 WasserTurm 上の町の最も高い地点386mに36mの配水塔が立つ。

4.見所  C

   この町は丘の上にあり中世の守りに有効だった。都市防御施設の保全に
   取組めば、もっと魅力のある街になる。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1726-30建、バロックで建てられ、円階段を備え、
   保存された大市民広間には文化的に優れた装飾がある。
 旧城 Ehe.Burg 1200建、1217にケルンの郡城、1370に放棄され、1622焼払わ
   れた。1826城跡に墓地を置き、入口に昔の城教会のバロック入口門がある。
 ヨハネ教会> JohannesKirche 1737建、カソリック礼拝堂で、1872にネオゴシックの
   3廊ハレン教会となった。赤砂岩のマリア像がある。
 ニコラウス教会 NikolausKirche 1300建、1700ロマネスクの塔とバロックの小円蓋
   のあるハレン教会。
 ブークの家 HausBuuck 1609建 印象的な木組みの家。最も古い典型的な
   3階建ての商人の家である。

5.写真

市庁舎 北東壁
北壁 ハッハ門
北西壁 西北壁
南西壁 南西壁
西南壁

5.町の略図

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

ゾースト Soest NW8

1.歴史

 780 聖ペトリザクセンの教会設立、960-65 ケルン大司教は教会の横に居住地を設置、
 1144 転送市場権を得る、遠くロシアと貿易、 1180 町は102haに拡大した、
 1180 10門と3.8km市壁に囲まれた、1253 ハンザ同盟の主要都市で貿易の促進、
 1500 ケルン大司教の地位低下で町は衰退した、
 1648 30年戦争で被害、        1669 ブランデンブルク選帝侯の支配下、
 1751 プロイセン領となる、        1945 第2次大戦で町の65%は破壊。

2.市壁  2.62km 0.69 

  1180に102haの旧市街地は3.8kmの市壁で囲まれていた。今日でも北側を除く
  2.62kmの市壁が残っている。市壁の外にめぐらした堀の跡は、深さ3mの緑地
  公園となっている。

3.塔  1門1塔

  現存する1門1塔の他に、門の跡が判別できる。
 東農門 OstHofenTor 東 4階建出窓付方形塔が1523-2に再建されて
   いる。今は歴史博物館となっている。
 門跡 門跡には土堤から石積が高く張出している。東南GrandwegerTor、
   南UlricherTor、西南JakobiTor、西NottenTor、北西BruederTor。
 カッテン塔 KattenTurm 1230建、西南 半円塔H12mがあり、小さい穴が
   多く空いている。壁の防御塔の最後の一つである。

4.見所  A

   多くの木組の家の並ぶ路地や市壁・土堤に見るべきものがある。
 木組の家 HolzHaus 
   バラの家 Haus zur Rosen 多彩なモチーフで飾られた家。
   野人の宿 Gasthaus im WildenMann 二重切妻造りの宿屋。
 市庁舎 Rathas 1713-16建、バロックの建物で、西の1階には9のアーチが連
   なる、正面3階には町の守護聖人:聖パトロクロスの像が飾られている。建物の裏
   には旧小学校であった市庁舎の拡張部分が見られる。
 聖パトロクロス大聖堂 St.PatrokliDom 11-12C建、ロマネスクの建物で西側部分
   と四角の塔が興味深い。塔は塞がれたバラ窓という地味な形で、塔の上部を
   くり抜く二重アーケードが方形の基礎の二重装飾アーケードと対比している。
   ロマネスクの壁画で戦災を免れたのは十字交差部北側廊の内陣だけである。
 ニコライ教会 NicolaiKirche 12C建、二つの身廊を持つ礼拝堂の内陣には
   船員や旅行者の守護聖人:聖ニコライの祭壇画15Cがある。
 野の聖母教会 WiesenKirche 1313建、後期ゴシックのホール式教会で、身廊
   は長さと幅と高さが等しい。北側入り口の上には、最後の晩餐のステンドグラス
   1520があり、この地方の特産物が描かれている。
 ホーネ教会 HohneKirche 12C建、ロマネスクから13Cホール式に改修されたが、平
   たい平面と非対称な小後陣がある。内部には全てフレスコ画で飾られ、1280に追
   加された内陣には天使のロンド像が安置されている。
 町博物館 BurghofMuseum 1559建、この町の歴史と芸術の展示がある。
   博物館の中庭には1200の古いロマネスクの建物がある。

5.写真

市庁舎 オストホーフェン門
東壁 東ホーフェン門
南壁 グランドヴェーガー門
南西壁 マルクト広場
カッフェン塔

5.町の略図

[戻る②壁長]

32. スタットブランケンベルク Stadt Blankenberg Hennef市内

ノストラインヴェストファーレン州 NW9 人口6千人

1.歴史

1171 ケルン大司教はケルンのマリア修道院へ集落を通知、1150-80 ブランデンベルク城を建設
 1245 ハインリイヒ3世から都市権を授与され市壁建設、13c ハインリヒ・ハインスベルクは城を取得、
 1363 城と町はベルク公爵へ所有権が移った。15c ベルク公国で最大の事務所となった、
 1450 ベルク公爵は町を大司教区へ売却、1469 町を売却を取消す契約に合意、
 1583 アドルフ・ノイエナール伯爵軍が町を征服、17c スエーデン軍が数年間占領し破壊した、
 1805 独立都市からベルク大公国へ属した、1812 ウイーン会議でプロイセン王国に属した、
 1829 ワイナリーのため廃城と周辺を買収、 1913 葡萄園は個人に売却された、
 1934 町はHennefに統合された、 1953 BlankenbergはStadtBlankenbergに改名。

2.市壁 990m 1.00

  13cの市壁は旧市街地の周囲に残り、南側は2重の市壁がある。

3.門塔 0門2塔

 キャサニエン塔 Kathninen Turm (13c) 東門で、5階建の角塔の間にアーチ門山形ヘルメット
    がある。門の内側に木製門扉のスリットが見られる。塔は郷土博物館を収容している。
 堀塔 Graben Turm (13c) 北の入り口に市壁に接続して長方形塔で東門と同様な
    山形ヘルメットが付いている。

4.見所  C

  城址と市壁に囲まれた旧市街地は、1987記念物地区として保護下に置れ、木組の街並
  は歴史的文化景観として修復されている。14-15cの中心部広場には、家屋が並んでいた。
  最古の木組の家は1679であるが、多くの木組の家は18cに建てれた。
 ブランケンブルク城 Burg Blankenberg (1150-80) ザイン伯の兄弟は、城を強奪して居住
    した。1363城と町はベルク伯の所有となった。30年戦争では数年間もスエーデンが占領を
    続けその後は廃墟となった。1829ワイナリーのために城址と町の一部は買収された。
    1913ワイナリーはグリュンベルクのリチャードに売却された。1934上の城と中の城には4塔と市壁が
    残され、町が買収した。1985記念物に指定され、2006までに復元が行われた。協会
    は城跡を公園とハープガーデンとして管理している。
 聖カタリナ教会 St.Katharina Kirche (1245) 女修道院の教会として建てられ、シトー
    派の女性が使用した。1248教区教会として独立し、30年戦争で破壊され17cに再建
    された。2次大戦の終わりに火事となり、1950屋根と窓を修復した。1983火事で塔
    は屋根に焼け落ちたが、1987に再建された。1746のオルガンも焼け1987に新設された。
      ハンビッツアーの家 Haus Hambitzer (1679)町で最古の木組の家であり、2階建上階持
    ち出しの木組の家である。

5.町の略図

[戻る③壁率]

クサンテン Xanten NW10

1.歴史

 110 コロニアUlpiatraianaの建設、   275 フランク族による破壊、
  310 周辺に再建、426 コロニア放棄、   590 コロニアの南の墓に礼拝堂を建てた
  752 カロリング朝の教会と修道院の設置、  953 ケルン大司教の支配下、
 1036-1260 硬貨の鋳造、        1389 町25haを長方形で市壁で囲んだ、
 1430-41 最古のラインの巡礼地、     1598.1614スペイン軍、1614ヘッセン軍侵攻、
 1672.1794 仏軍の占領と破壊、     1815 プロイセン領、市壁は再建、
 1821 MarsTor取壊し、         1825 ScharnTorと多くの市壁を破壊、
 1945 第2次大戦の空爆と砲撃による破壊。

2.市壁  3.0km 0.98 

   14Cに60年をかけて全長約3km高さ8mの市壁が造られた、その後壊されたが
   現状では市壁の跡に高さ1~4mの塀が建てられている。古い壁も北側と西側と
   東側の一部に残っている。

3.塔  2門8塔

   昔は4二重門と18の塔または小塔門があったが、2門MarsTorとScharnTorは19C
   中に取り壊された。壁塔6と風車塔2が残っている。
 クレヴァー門 KleverTor 1393建、北 以前は堀に架かる橋であった、4階建
   の角塔で1階のアーチが道路。一次大戦後に再建。塔頂の2門塔はフクロウ塔と呼ばれる。
   中は住居に改造され、町に申し込めば宿泊できる。
 中門 MittelTor 1392建、内南 ケルンが町の南北を区切って建てた。
   これも一次大戦後に再建された。
 円塔 RundTurm 1820建、北 追加された塔、この塔の所には元の市壁と
   防御通路が未だある。個人が庭小屋として造った。
 豚塔 SchweineTurm 14C建、 元の防御塔で外側に円塔が見られる。
   住居として使われ、16Cには庭園の小屋。今は個人の住居である。
 壁塔 MauerTurm 1500建、 築城後に拡大建設された塔。17Cに庭園小屋
   に変換された。
 海塔 MeerTurm 14C建、西 名前は西側の湿地Meerから付いた。西の入口
   を守った。17CにはKurTorとも呼ばれた。
 丸塔 RundTurm 14C建、西。
 レマー塔 RemanischerTurm 11C建、南 ロマネスク様式の修道院の角塔であった。
   今は学校の一部として使われている。
 クリームヒルト風車 KriemhildMuehle 17C建、30年戦争後に市壁は再建され、壁
   の上に塔が付けられ夜警の宿舎として使われ、1778に売却されて庭小屋となり、
   1804に粉引風車が付けられた。
 ジークフリート風車 SiegfriedMuehle 19C建、西壁外 クリームヒルトと同型の風車で
   最近完全に改装された。

4.見所  A

    マルクトを中心に市壁と多くの塔に囲まれた旧市街地があり大聖堂に見所がある。
   北にローマ駐屯地の遺跡公園が整備されている。
 大聖堂 Dom St.Viktor 1190-1530建、聖ヴィクトルの聖遺物を納めるゴシック
   のドームである。1240に内陣の座席、1546に修道院回廊。
 聖堂博物館 Ehe.BischofhausMuseum 都市の歴史と大聖堂の発掘物を展示。
 コロニア  ローマ駐屯地跡を整備して、広大な駐屯地に隔壁、円形劇場、神殿等
   が見られる。また北西にローマ浴場もある。

5.写真

  
市庁舎 市壁
北壁 司教城
南壁
聖ヴィート大聖堂 市壁
クレーバー門外側 考古学公園
クレーバー門内側

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

ゾーンス Zons NW11

   Dormagenの行政区画内

1.歴史

 11C終 文書で最初の言及、     12C中 ケルン大司教の農園が置かれた
 1372 ケルン大司教がNeussから税関を移す、1373 市壁と堀による防備を固めた、
 15C 玄武岩の補強壁で囲って関税要塞、 17C 30年戦争やペストで人口減、
 1794 仏領となった、         1815 プロイセン帝国に併合された。

2.市壁  1.10km 0.97 

  13Cの中頃に防御施設が設けられ、1373に市壁と堀により守りが固められた。
  15Cには計画通りの要塞が完成した。7.1haの四角形300×260mで上辺が10m広い。
   殆ど全周の市壁が残っている。北側には堀が残り、壁上には3衛兵所と小門が
  ある。西壁の北には、上部の壁の一部は市壁に沿った家を建てるために削除され
  た。南側には二重の壁があり、南東に城跡がある。北側の壁の内側から見ると、
  石積の上にレンガアーチが乗った形である。

3.塔  0門1塔

  市壁の角には異なった設計の塔がある。
 梟塔 EulenTurm 14C建、東南 中世都市防御の残り、円形の躯体部分に
   屋根を付けて食堂となっている。

4.見所  D

   狭い壁内に教会と多くの建物が残っている。
 聖ペーター教会 St.PetersKirche 1860建、フランシクコ派の騎士修道院であった。
   教区教会として建てられた礼拝堂で、1896から修道院となった。
 聖マーチン教会 St.MartinKirche 1875建、西 ネオゴシックのホール教会。
 博物館 RandMuseum 2階建ての大邸宅を1972から県博物館とした。
 鉄の碇 EisenAnker 東北角の壁に1620の火事を免れた最古の家がある。

5.写真

 
外門 ライン門内側
ライン門外側 聖マルチヌス教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

ラインラント・プハルツ州 PR

アールヴァイラー Ahrweiler RP1

   この町は、Bad Neuenahr Ahrweilerの市内にあり、Ahrweilerは、Neuenahr
   よりもアール川の上流にある。

1.歴史

 1200 領主が証明され経済活動が行われた、  1228 最初の特権を受けた、
 1246 フリードリッヒ伯爵はケルン大司教管区に町を贈った、
 13C中 町はケルン大司教管区の南端にあり、今日の強固な防御施設を備えた。
   町は、深くて広い水堀.高さ8-12m長さ1.8km楕円形の市壁.5つの前門ある門.
   中通路.防御塔.跳ね橋で守られた。
 1277 町の自治の実証:議会は7参審員.8拡大参事会員.3騎士代議員で構成。
 1636 30年戦争でスエーデンに免焼金を払う、 1642-46 仏軍が占領、
 1814 プロイセン領となった。

2.市壁  1.76km 0.98 

  13C末建、市壁は殆ど残っている。1.8haの旧市街地は、頂厚1.0-1.5m基礎深
  0.8m約1.8kmの市壁と幅30mの水堀で楕円形に囲まれた。

3.塔  4門3塔

  4市門は、17Cから中通路と跳ね橋を持った前門が設けられた。その他3塔が
  残っている。
 アール門 AhrTor 南、4階建四角塔門の両外側に3階建の円塔を配置した。
   上階の前面には張出しがあり、右の外側には大砲がある。内側の右に1945
   再建の壁上通路あり、上ることができる。
 下門 NiederTor 東、4階建の四角塔門の外側右に2階建の円塔がある。
   門の右側には隠れ小戸が残る。内側の右に外側に到達できる壁付きの階段
   がある。塔は18Cに監獄としてとして使われた。塔の左に古いワイン酒場がある。
 アデンバッハ門 AdenbachTor 北、最も古いレンガ造2階建の四角塔門である。
   1689の火事で上階は焼け、1974に修復された。門を出た北側左右には囲堀
   の跡が公園として残っている。
 上門 OberTor 西、4階建の四角塔門である。塔上には4つの角塔を掲げ寄
   棟屋根でアーチ飾りがある。1477の包囲までは内側に開かれた3壁塔があった。
 大砲塔 KannonenTurm 南東、半円塔、1500に8門の大砲を備えていた。
   大砲は、長さ2.67m、口径6.7m、車輪付き。
 ビッツ塔 BitzenTurm 
 白塔 WeisseTurm 13C中の最古の建物、塔は4階建で1663にイタリア風のバロック
   塔頂となった。今は、町博物館として使用。

4.見所  B

   アール川の左岸に、全ての門と殆どの市壁が残り、古い木組の家も見られる雰
  囲気の良い町である。
 アーデンバハ城 BurgAdenbadh 1600建、騎士Kolf家の本宅で、長く延びた3階
   建の住家に8角の階段塔がある、この塔は、昔3つあった見張塔の一つで
   あるKolvenTurmがここにあり、1903に再建して狭間胸壁を付けた。
 ラウレ教会 LaurenKirch 1259-67建、今の教区教会は古いハレン教会で3廊2内陣
   であり、記念碑は1825に祭壇にはめ込まれている。
 市場水車 MarktMuehle 粉引き水車は、ブランカート家に貸付けられ、21Cまで
   稼働していた。今も、需要が在れば動いている。
 水車池 MuehlenTeich 歩行者専用道路の中央に水車への水の流れがある。
    1841までは、水路の蓋はなかった。
 木組の家 FachwerkHaus
   NiddehodeBackes:白壁2階建木組家、古いパン屋を取壊して新築した。
   HausHeinrichs:1730建、有力参事会員の3階建木組家で、町工場でもあった。
   HausWolff:1621に市参事会が買取って建換えた。2階にバロック八角出窓。
   HansKrenzberg:3~4階の繋ぎ合わされた木組家、ワイン酒場であった。

5.写真

北壁 アーデンバッハー門
アーデンバッハー城 北壁内
アール門 下門
上門 市壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

アンデアナハ Andernach RP2

1.歴史

 BC55 ドイツで最古のローマ集落、ローマがライン川に架橋した、
  260 ローマはライン川右岸を放棄し、この町も被害を受けたが防備を固めた、
  359 砦は、壁と5門・20円塔で守られていた、 570 メロヴィング朝の宮殿を建てた、
  870 神聖ドイツ帝国の一部となった、    1198 ケルン大司教が支配、
 1198 ローマ市壁から東に拡大した、 1632、30年戦争でスエーデン軍の占領略奪、
 1689 仏軍は略奪.放火、城や要塞を破壊、 1794 仏軍の占領と支配、
 1816 プロイセンに帰属、           1819 ライン川沿いの市壁は落ちた、
 1945 2次大戦の爆撃被害は軽微、

2.市壁  1.00km 0.56 

   359にローマの砦、12C終りに中世の市壁が造られた。東側は1689に仏軍が
  壊した。現存する市壁は、東.南.西南.北西に合わせて1.0kmが残っている。

3.塔  2門10塔

  ローマ砦には5門20円塔があった。中世には5門二重門.5小門.15塔があった。
   5二重門:ケルン門 西、教会門 南、羊門 南、城門 東跳ね橋、穀物門 北。
   5小門:シュパイヤー戸、メールス戸、新戸、魚戸、トーリア戸。
   15塔:城塔2、10半円形壁塔(嘆きの壁4、南壁6)、関税塔 北東角、市民塔
     東壁、円塔 1453北西角。
 ライン門 RheinTor 1200建、北 穀物門の残り、後期ゴシックの石積長方形の
   3階建正門。18Cに守衛詰め所と大きな窓が付け加えられた。
 コブレンツ門 KoblenzerTor 南 城門の一部。
 円塔 RunderTurm 1440-53建、北西角に高さ33m直径15mの円塔。1448に
   八角形の3階を置いて高さ56mとなった、1689仏軍の爆破に耐えた。
 見張塔 HlmwartsTurm 西 兄弟塔。
 城塞塔 BollwekTurm 東。
 古クレーン塔 AlterKrahnenTurm 東。
 ダーデン山塔 DadenbergTurm 西 半円形の学校の塔。

4.見所  B

   戦争被害は軽微であったが、旧市街地には新しい様式の建物が多い。
 聖母教会 FrauenKirche 1194建、1220に大聖堂の再建、1250に西
   塔の追加。1740-42再建、1983-84西正面の再建。
   の後に1519-23ゴシック廊が追加された。内部には1520のバロックの祭壇。
 歴史市庁舎 HistgeschichteRathaus 市議会の議場と浴場がある。
 市博物館 StadtMuseum 1590建、南 町の美術と歴史の展示。

5.写真

旧市庁舎 ライン塔
南壁 南壁
キリスト教会 城跡

5.町の略図

[戻る④門塔]

バッハラハ Bachrach RP3

1.歴史

 11C 最初の文書言及、ケルン司教の所有、  1214 関税の収入を得る、
 1413 ワイン貿易が町に貢献、         1356 都市権の授与、
 1344-1400 市壁の建設、          1545 30年戦争で8回も占領された、
 1689 仏軍による城や壁の破壊、       1794 仏革命軍の占領、
 1815 プロイセンに帰属。

2.市壁  1.95km 0.87 

  14Cに市壁は建設され、殆ど残っている。欠けた部分には鉄道が通っている。

3.塔  1門5塔

 14Cの市壁には18塔在ったが、3塔(ZehnTurm.BrueckerTor.ZollTor)は失われた。
   1.HutTurm、2.SonnenTurm、3.KuehlbergTurm、4.HalbrundTurm、5.Auseichts
   Turm、6.LiebesTurm、7.SteegerTor(HolzTor)、8.PostenTurm、9.Spitzer
   Turm、10.DiebsTurm、11.MuenzTurm、12.KleinesStadtTor、13.MarktTorー
   Turm、14.KleinesStadtTor、15.KranenTor-Turm。

4.見所  

   線路の山側の細長い旧市街で、木組の家と大部分の門塔と市壁が残っている。
 スターレック城 BurgStahleck 12C建、1925からユースホステルになっている。
 聖ニコライ教会 St.NikolausKirche ZollHofにあるカソリックの教会。
 聖ペーター教会 St.PetersKirche 新教教会、身廊は最後のロマネスク、4層が
   積み重なった大アーケード、回廊に高窓。
 木組の家 FachwerkHaus
   AltesHaus 1368建、マルクトにある古い木組3階建の宿屋。
   HausUtsch 1585建、プファルツからの狩師の家。 PostHof 木組の家が囲む。
   HistorischeMuenze 14C中建、2階建の木組家。 Rathaus 2階建木組家。
   HausSickingen 13C建、3階建。

5.写真

クラナン門

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る④門塔]

47. ダウゼナウ Dausenau Bad Ems-Nassau市内

ラインラントプファルツ州 RP4 人口1.0千人

1.歴史

 1179 村の教会の設立、1400 エムス教区へ独立、1234 ナッソー家の所有として初言及、
1348 都市権を得たが後に失う、1324 要塞の言及、1490 市立病院の設立、
1541 宗教改革の導入、1651 ラーン川フェリー開設、1776 北西部焼失後4門6塔の市壁強化、
 1708 銅精錬所の建設、1806 新設のナッソー公国へ属した、1902 対岸架橋で左岸へ拡張。

2.市壁 900m 0.90

   1348ナッソー家の伯爵は都市権を得て、14c後半に市壁を築き、1776に4要塞門6塔に強化
   した。建物の上の斜面に一部低い部分もあるが、ほぼ残っている。市壁が防衛機能を失
   った後は、石材が他の建物に転用される事もあったが、20cには改修が行われた。

3.門塔 1門6塔

   1門と6塔は切株も含め残されている。
 西門 Wesdlicher Torturm (14c) 元の高さ18.3mを維持している唯一の門塔であり、
    スレート砕石と1384の木材が使われていた。1929の屋根は維持するために、その上に設置
    された。アーチ門の上に4階建の角塔があり、最上階には四方に見張り室がある。
    南側に2階建の木造の建物があり、ラーン川に張り出している。
 レーニング塔 Leaning Turm (1359) 東端に立つ高さ25mの八角形の塔であったが、19cに
    川側に傾斜し始め、1928に屋根を付けたが傾斜が加速し、1850屋根を除去し塔は17.5m
    に切り下げられた。その後は傾斜の進行は無いが、斜度5.2度で先端が2.46m傾いており
    ピサの斜塔の斜度3.97よりも大きいが、廃塔であるとしてギネスには登録されていない。
 アッカー塔と小門 Ackers Turm und Ackers Pforte(14c) 西側の小門塔で、ラーン川沿いの
    の道路が開通するまでは、洪水に阻害されない唯一の入口であった。塔の一部が残って
    いるが、簡素な壁門で市壁から突出した塔が守ていた。塔の地下にある丸天井の部屋は、
    麻の乾燥に使われた。北側市壁と共に復元されている。
 ドレッハイス塔 Dreher Turm (14c) 4階建の角塔で近くの住民の名前が付けられた。この塔
    の市壁は、1990-91に改修された。
 クリスチャン塔 Christians Turm (14c) 東中間の町側に開いた馬蹄形の塔で木構造で塞がれ
    ていた。玄関や梁天井のレンガ支承部が残っている。
 猫塔 Katzen Turm (14c) 当初3/4の円形塔で木材で閉いでいたが、後に円形の塔となっ
    た。2013に改修されたが、屋根は付いていない。
 フアース塔 Fuhrs Turm (14c) 1988に改修されて、ツタが取り除かれた。
    ている。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1432-34) 石造の地階の上に簡単な木組の上階と大きな屋
    根がある。ドイツで2番目に古い後期ゴシックの木組の市庁舎である。一時的に刑務所として使
    われ、1980新市庁舎となり、1981-85に復元された。今は地下に公文書館があり、会議室や
    大ホールなどが利用できる。
 市庁舎 Rathaus (1830) 学校として建てられた風格のある四角い古典主義の2階建であり、
    1980には改造されて市庁舎となった」。
 聖カスター教会 St.Kaster Kirche (12c) 最古の部分は、1139の後期ロマネスクの塔で、1312-19
    に短い3通路のホール教会が建られた。1470後期ガシックの翼のある祭壇とマリアの生涯のパネル絵画、
    14cからの後陣の絵画は19-20cに改修されている。1841オルガン設置。
 木組の家 Fachwerkhaus (16-17c)
KirchGasse5 (1554) 地階石積上階と切妻は単純な木組の家。
LangGasse12 (1600) 高基礎の上に2階建の切妻のある木組の家。
LangGasse16 (1625) 地階石積上階木組の小さな家。
LahnStr.8/10 (16c) 地階石積上階美しい切妻のホールハウス。
LahnStr.9  (17c) 西門塔の北側に立つ上階と切妻木組の美しい建物。

5.町の略図

[戻る③壁率]

フラインスハイム Freinsheim RP5

1.歴史

  773 修道院文書で最初の言及、修道院から発展した町で教会と騎士が所有、
 1471 プファルツ選帝侯は集落を集めて町の権利を受け、15Cに既存防衛施設を完成、
 1514 鉄の門の外側で市壁を完成、  1689 プファルツ承継戦争で壁.門塔を破壊、
 18C 再建され選帝侯の行政機能で経済飛躍、 1815 バイエルンに帰属、
 20C 2次大戦の被害はなかった、1979-1992に旧市街地の大改修がなされた。

2.市壁  1.250km 0.96  

  15Cに町を囲む赤い砂岩の市壁H7-8mが建設された。通路として5箇所切取
 られた以外は全部残ったいる。

3.塔  2門6塔

  19C初には、2つの門しか残っていなかった。
 鉄門 EisenTor 1514建 東北側の巨大な門で両側の大円塔の間にアーチ型
   の鉄扉が付いている。設立年号を示すエンブレムが付いており、ルードヴィッヒが
   強化したことが分かる。
 ハイン門塔 HeinTorTurm 高さ15mの長方形の塔で、風化した木製の扉が
   付いていた。1689に最上階を失い1819に改装復元され、塔と二つの床で
   50人を収容でき、集まりに使用される。
 公爵塔 HerzogTurm 南 18C建、4階立ての四角塔。公爵によって建て
   られたため名前が付いた。水道会社が使用。
 カジノ塔 CasinoTurm 壁外南 3階建四角塔、カジノ会社があったので名前
   が付いた。かって掘削供給温泉があった。

4.見所  C

   旧市街地は戦災に会わず、面積は非常に狭い。それを古い市壁と門塔が取り
  巻いている。
 歴史的市庁舎 HistrischesRathaus 1750建、1800までは選帝侯事務所、
   1973までは町の管理棟、今は観光案内所、高い手摺の階段を上がって、
   歴史的な会議室へ行ける。
 聖ペテロとパウロ教会 St.Petero&PauroKirche 1772-75建、カソリック教会で
   ホールは弁髪様式、内には淡黄色の砂岩のバロック祭壇がある。
 新教教会 Ev.Kirche 1470建、当初3廊式アーチ型ホールは廃墟となり、1689に
   平らな天井のホールで建てられ、ルネッサンスの螺旋階段がある。
 ブッシュの館 Von Busch Hof 18Cウイーンノブッシュ大使の名前を付けた。石畳の
   中庭は1981に復元され、古い納屋で催物が開かれる。
 ゴットフリード・ヴェーバーの家 GottfriedWeberHaus 1779生まれの弁護士で音
   楽家の生家。

5.写真

市庁舎 南壁塔
東壁塔 階段
インザー門 石門
北壁 南壁塔
西覆道 西壁
侯爵塔 ハインター門

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

クロスターシュタット ホルンバッハ Klosterstsdt Hornbach RP6

1.歴史

  741 聖ピルミンはホーンバッハに修道院を設立、 753 聖ピルミンはこの修道院に埋葬、
 8c 多くの巡礼者で長さ72m5塔の大聖堂へ、   865 聖遺物受領でさらに繁栄、
 1087 皇帝はシュパイヤー司教に支援指示、1230 皇帝ハインリッヒ5世は修道院に都市権授与、
 1237 市壁の建設、1352 ザールブリュッケン選帝侯と紛争 、1352 皇帝は都市権確認、
 1548 世俗化で修道院には修道士3人に、1559 ザールブリュッケン公は学校・高校・大学設置
 17-18c 30年戦戦争と仏戦で大被害、 1786-1931修道院はカトリック教会へ、

2.市壁  0.55km 0.95 

  1237の市壁は、上下2門と5塔ツインガー壁70mと修道院壁80mがある。全周の殆どの区
  間で巣壁は残されている。

3.塔  2門0塔

 旧上市門 Ehem.Oberes Stadt Tor (14c) 旧市街地の南側最高地点に上門
   がある。1785歩行者用門と新古典派アーチに置換えられた。戦後歩行者用門は除去さ
   アーチのみが残された。
 修道院門 Kloster Tor (13c) 下門から入って直ぐの修道院の壁に、修道院
   の中庭に入るアーチ門がある。

4.見所  B

   8cからの高名な修道院を中心に発展した町で、市壁の中には様々な時代の建て
   が含まれている。
 市庁舎 Rathaus (1580) ルネッサンスの入口の上に鐘楼のある2階建の建物は旧市民
   教会であった。1580収穫物市場として建てられ、1631改革派教会に変換し、1786-
   1931はカトリック教区教会、1948から町役場で、市議会は別の建物で行われている。
 旧市庁舎 Ehem.Rathaus (14c) 3階建赤く塗られた石造の建物で、上門の場所
   にある。
 プロテスタント修道院教会 Ev.KlosterKirche (1785-86)広間造りのプロテスタントの修道
   院教会で、塔が1844に付けられ、旧ロマネスク大聖堂に1895-96の牧師館を含め、全体の
   修道院の複合体である。
 ミカエル礼拝堂 Michael Kapelle (12c)外側の輪郭と東の壁の内側に12cの3後陣
   がある。二次大戦前は、農民の納屋で地下室があった。
 聖ファビアン施設 St.FabianStift(865) ファビアスの遺跡が古くからあり、1149には
   教会が存在した。1540王家の学校教会となった。今の教会は両宗派によって復元献
   堂された。
 スパイサー城 Steisser Hof Burg(12-13c) ツバイブリュッケンの城は南市壁に統合されて
   いる。
 モルンバッハ修道院 Kloster Mornbach (11c) 旧修道院の教会で、4つの身廊のアーケー
   ドの下部・回廊の一部・旧ベネディクト会修道院の更新で後期ゴシックの遺跡。
 学校の建物 Schulgebaeude (12c) 3階建の大きな建物。

5.写真

市庁舎 旧市庁舎
修道院 旧上門

5.町の略図

[戻る③壁率]

ノイライニンゲン Neuleiningen (Grunstadt市内) RP7

 

1.歴史

1238-41 ライニンゲン伯爵は城を築いた、1238-50 伯爵は町を設立し発展させた、
 1308 ヴォルムス教区の財産権はライニンゲン伯爵へ、14c 都市権付与・仏革命軍で失う、
 1525 農民戦争は無傷で過ぎた、   17c 30年戦争も生き延びた、
 1690 9年戦争仏軍の破壊、 1742 ヴォルムス王子司教に町所有権の半分を移した、
 1767 ライニンゲン伯爵は町・城をヴォルムス司教に売却、1794 仏革命軍が占領し城売却、
 1816-1945 町はバイエルンに含まれた、  1874 城は個人所有となり修繕された、
 1941 城は町の所有となった、     1946 ラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.70km 1.00 

  3市門と4塔を持つ市壁は、13cの城の後に建設され、15cに拡張・更新された。
  州でも保存状態のよい市壁で、ほぼ全周に残っている。

3.塔  1門7塔

 上門 Ober Tor () 西門、市壁のアーチ門で、上部は壊れている。
 泥棒塔 Diebs Turm () 南東の胸壁付き5階建の半円塔。
 鶴塔 Kranich Turm () 西の円塔で、今はワイナリィRudiRuettgerである。
 4城塔 4Burg Turm (13c) 旧城の4隅に崩れかけた大口径の円塔がある。
 東北塔 Ostnord Turm () 東北の隅に小さな円形がある。その東にも崩れ
     た塔の跡らしき形跡がある。

4.見所  B

   ワイン街道の丘の上の市壁に囲まれた小さな町があり、ドイツでも古い防御様式
   を示し、古い建物が残る。城の展望台からは、東のライン渓谷と西のプファルツの森
   の素晴らしい展望が眺められる。
 市庁舎 Rathaus (14-15c) この建物は、カルメル会の聖十字架修道院に教会
   と同様に属していた。宗教改革で修道院が溶解した。1902複合体の建物を町が
   取得し今の姿に改修した。
 ノイライニンゲン城 Burg Neuleiningen (1240) 伯爵フリードリッヒ3世が仏風の城を
   独の初期要塞城として建てた。1690の9年戦争で仏軍が破壊し石塔を閉じた。
   1767ヴォルムス司教に売却した。1803仏軍が競売に掛けて民間が所有。1941町が取
   得した。今は四隅に崩れた大きな円塔のある外壁のみが残る遺跡である。
 教区教会聖ニコラス PfarrKirche St.Ninikolaus (13c) 城礼拝堂として、
   城と共に荒石造で建てられた。聖マリア生誕祭のためのゴシックの像がある。15cに
   公人が拡張され塔が追加された。聖ニコラウスのバロックの彫像も加えられた。
 新教十字架教会 Ev.Kreuz Kirche (1555-82) 1555ルター派の教会たなり、
   1582-1902はシナゴークとして使われ、1957再度新教の所有となった。
 ワイナリィ Weingut Rudi Ruttger (16c) 町の南西の市壁の外に、半円形の塔
   を含め元ヴォルムス本山の醸造事務所であり、ルネッサンスの管理所(1594)と荒石造の
   schaffenhausがあり、今もワインを造っている。
 牧師館 Pfarrhaus (16c) 城の外辺の旧城守衛所の建物で、城の旧執事が
   詰めていた。
 木組の家 Fachwerk Haus (16-17c) 良く修復された木組の建物が、中心
   部の上・中・下の狭い通りにきれいに並んでいる。
    中通17.Wohn Haus (1567) 2部構成3階建の建物で、1733に改修。
    中通22.Wohn Haus (1600) 2階建バロックの前面の模様が美しい建物。
    中通30.Wohn Haus (15-16c) 3階建切妻の建物で最上階は木組の建物。
    中通32.Wohn Haus (16c) 3階建の住宅で、上階は木組で18cに更新。
    中通38.Wohn Haus (1565) 1505の地下室の上に建てられ16-18cの建物。
    上通11.Hofanlage (14-17c) 3階建の建物で19cに建て替えられた。
    教会通4.Hofanlage(1876) 後期バロックの2階建石膏塗りの建物。

5.写真

修道院教会 聖マリア教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

オーパー・ヴェーゼル  Ober Wesel RP7

1.歴史

 5c 馬を替える駅として存在、 966 フランク国王は村をマグデブルク大司教に与えた。
 1237-1309 帝国都市となる、   1391 トリアー大司教の支配下に入った、
 14c中 市壁・2教会・2修道院の建設、1689 仏軍による破壊、1794 仏革命軍の占領、
 1815 プロイセン領となった。

2.市壁  1.84km 0.70 

   13-14cに市壁は造られた。所々欠けた部分はあるが7割は残されている。東側の
  AmPlanからSchaarPlatzまで580mは通行できる。ユネスコ文化遺産え保存状況は良い。

3.塔  3門15塔

 略図に示すように18の門塔が残り、失った塔は8ぐらいであろう。
  ①Zehner Turm(Eselstor)、②Haagus Turm(Roter Turm)、③Schoenburger Turm、
  ④Hospitalgassen Turm、⑤Steingassen Turm、⑥Katzen Turm、⑦Ochen Turm、
  ⑧Beckbomer Turm、⑨Koblenzer Turm、⑩Felsen Turm、⑪Niederburger Torturm、
  ⑫Koelner Turm、⑬Muehlen Turm、⑭Michelfeld TurmⅠ、⑮Michelfeld TurmⅡ、
  ⑯Kuhhirten Turm、⑰Purver Turm、⑱Gelber Turm(Villa Nova)。

4.見所  C

   ライン川左岸の川沿いの国道・鉄道・川側市壁と、山側のAmSchuetzenGraben・山側市壁と
  の間に旧市街が密集している。
 シェーンブルク城 Schoenburug (1149) 南側の木が茂った丘の上に、居城を建てた。1689
   仏軍が城を破壊したが、1885アメリカ人ラインランダーが城を復元した。1950町が所有し、ホテル
   とレストランとして使われている。門塔には塔博物館があり、700年の城の歴史と古い部屋
   があり、ラインの土産や騎士と乙女の本がある。塔頂からの渓谷の眺めは素晴らしく、
   4-12月の10-18時には塔に登れる。
 聖母教会 Liebfrauen Kirche (1213) 南の市壁外に1331-1375ゴシックの教会として
   新築した。赤砂岩の身廊は印象的な高さであり、中には3翼の壮大な黄金の祭壇・聖歌隊
   の巧妙なレットナー・中世の25の壁画・19cの大学教会としての19祭壇は1330マドンナ天蓋の下に
   ある。1515騎士夫妻の古い墓標。
 聖マーチン教会 St.Martin Kirche (1303) トリーア大司教は、ロマネスクの教会で共同財団を設立。
   1350に防御塔のあるゴシックの防御修道院教会に着手し1500まで要した。1802に仏軍に
   修道院が解散させられた。教会には15-16cの壁画とゴシックのマドンナがある。1962-68修復。
 母バラ礼拝堂 Mutter Rosa Kapelle(1300)市民の基盤として東の市壁近くに、精霊病
   院があり、14cに病人の施設が設けられた。1689ルイ14世の戦争で教会と病院は破壊され、
   1700内陣が礼拝堂としてバロックで再建された。。
 市博物館 Stadt Museum (19c) 資産家の邸宅に、ライン川での生活と町の歴史を展示。

5.写真

スタインガッセン塔

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る④門塔]

プファルツェル Pfalzel (Trier市内) RP9

1.歴史

 4c宮殿城の名前が地名となる、  7c 城内に尼僧院を建て1027に改装、
 11c トリアー大司教の城と尼僧院に、門屋・回廊・礼拝堂の建物を追加、
 12c モントルイユのアルベロ大司教は西のパラティナーデェ城を強化してトリアー大司教に対抗 
 13c 城の近くに農民集落を開発し市壁で守った、1346 都市権の授与、
 1539 要塞の完成 16c迄 城には裁判所・鋳造所・製粉所が壁に仕切られて存在、
 1673 仏ルイ14世はトリアーを占領しプファゼル要塞を破壊した、1815 プロイセンに属した、
 1969 プファゼルはトリアーに併合された。

2.市壁  0.63km 0.78 

  1530年代の市壁は、1674仏軍によって破壊されたが、1990-92修復された。
   二重市壁の間と外側には、今は庭園や墓地が多い。
 陵堡 Bastion
   町の西南部のモーゼル河畔に、張出した二重の石積が90mがある。

3.塔  0門7塔

  市壁の門や塔は、見当たらないが、北側ミュンフェン通の外壁と内壁に、それぞれ
  アーチ門がある。モーゼル要塞には大口径の砲台跡が6基ある。西門の跡の建物の中に
  1944に取壊された西門の残りがある。

4.見所  B

   4cからのプファゼルには、ローマ時代の宮殿城と修道院が建ち、町の核には古く
  からの居住地から税関と公の住居となった。
 プフェルゼル城 Burg Pfalzel (1131-52) アーチピスコパル城は、15cに再建された。
   16c初に火災に会い、1673-74に仏軍に破壊された。北西隅の多角形の階段塔の
   切株、3階建の四角い門塔、教会広場4の残りは、かっての宮殿の残りである。
 聖マリアとマーティン教区教会 Kath.Pfarr Kirch St.Maria und Msrtin (700)
   元大学教会で、ローマ時代の教会が改装された。教会の建物は十字架の形で、繰
   返し拡張され大きな教会となった。
 教区の家 Pfarr Heim (1773) 元カトリックの聖マーチン教区教会で、1894に西塔
   のあるホール棟は延長された。1962教区の家へ改造された。
 修道院居酒屋 Kloster Schenke (13c) 元修道院の建物で、荘厳な屋根付
   きの建物。地階は7回廊があり、16cの墓碑・平屋の農場もある。
 カトリック・マリエン礼拝堂 Kath.Marien Kapelle (1860) 前庭を持つ小さなサドル屋
   根構造の建物。19cバロックへ改装。
 十分の一税倉庫 Zehnt Scheune (1592) アーチーピスコパル城のかっての倉庫。
   19c西側を塀で囲まれた交差点のある建物に改造された。屋根は板石。
 トリアー選帝侯事務所 Kurtrieersches Amthaus (1544) 元トリアー選帝侯の事務
   所で、洗練された装飾のある堂々たる建物。1577八角形の階段塔を付けた。
 住宅 Wohnhaus (15c) 塔のような階段ポーチを備えた中世後期の建物。
 ロスポートの家 Rosportsches Haus (1579) 堂々たる大きな建物で、この町
   で最も古く最も保全状況のよい建物。
 住宅 Wohnhaus (17-18c) 1944に取崩された西市門の残りを持つ3軸
   バロックの建物で、西アーチがある。
 住宅 Wohnhaus (1587) 小さな長屋で、19cにマンサード屋根のバラックの建物
   に改装された。
 住宅 Wohnhaus (18c) 円塔のある平屋の建物。
 住宅 Wohnhaus (15c) 元修道院の建物で、ローマと中世後期の壁が残る2
   階建石造の建物。
 住宅 Wohnhaus (1561) ドイツでも最古の人が住んでいる石造の建物で、
   元大学の治療院で、石膏塗りの2階建の建物。
 住宅 Wohnhaus (1445) 部分的にレンガ造の2-3階建のゴシックの建物。
 鍛冶屋 (19c) 鍛冶屋の設備を備えた小さなサドル屋根の保全された建物。
   間と1732バロック平屋建の牧師館。

5.写真

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

プファダースハイム Pfeddersheim (Worms市内) RP10

    Worms市内の西にある

1.歴史

  753 修道院への献金で最初の文書言及、1300 ハプスブルク都市権を得て要塞、
 1302-08 帝国自由都市となり自治と裁判権を有した、
 1381 ライン川同盟に加入、水堀と市壁を設け3門.10全塔.幾つかの半塔を設けた、
 1465 プファルツ州へ、 1525 農民戦争で処刑、 1618-48 30年戦争で3回破壊、
 1689 継承戦争による破壊、 18C 仏革命とナポレオンによる仏占領。
 1815 ヘッセン大公国へ帰属、  1874 人口減少で都市権を棄権した、
 1969 ヴォルムスに併合。

2.市壁  0.08km 0.12 

  市壁は塔に付属して数カ所に僅か残っている。

3.塔  0門14塔

  全塔9と半塔5の14の塔が残っている。この内改修済みは円塔5と半塔3である。
 市民塔 BuergerTurm 南 1611建、1999復元、4階建六角屋根の円塔。
   キッチン.バス.ラウンジ付きで、2人までの宿泊可能。
 レンハート塔 LenhardsTurm 西 1500建、町長の名前からスプレガー塔とも言う。
   4階建六角頂塔の円塔。各階には人が住んでいたが、1997の再建以降北側
   の残った壁と繋いだ。
 隅塔 EckTurm 南東 市壁の角の四角塔。崩れていて上部はない。付近に
   幾らかの市壁が残っている。
 イナゴ塔 JohannisTurm 北 特徴ある2階建て防御塔、1525の農民戦争では
   重要な役割を演じた。市壁の中にあり壁上通路に接続。近く再建される。
 戸塔 TuerTurm 北 1500建、1983-84に天井を含めて改修された。後期
   ゴシックの2階建円塔。市壁が付いている。
 高塔 HohenTurm 北西 1500建、町の最高点にある2階建の角塔。両側の
   半塔に市壁で固めた。19Cに居住され、1995に改修された。
 セミ塔 Mauer mit HalbTurm 1500建、西 入口の西の市壁は1500に建てら
   れ木製の壁上通路のために町側の半円アーチ擁壁が見られる。半塔は上部が
   欠けている。
 赤塔 RoterTurm 東 1500建、市壁の隣接部分と共に2004-05に改修された。
 火薬塔 PulverTurm 北東 1554建、2階建円塔。中世の火薬庫であった。
   1996に復元された。
 アウル塔 AulTurm 北東角 3階建円塔、中世の防御塔で、監獄としても使わ
   れた。今日は人が住んでいる。

4.見所  C

   市壁の全長650mの小さな古い町である。多くの塔が立ち修復が進めら
  れている。
 市庁舎 Rathas 1760-70建、オーブ家の2階建事務所として建てられた。
   19C以降市庁舎として使用されている。
   改修、参事会宴会場には火事の銘板があり、今は結婚式場と博物館。
 非宗派別教会 SimultanKirche 西の部分は1708-21建、ゴシックの教会の身
   廊基礎の上に福音派の教会として建てられた。1789に内陣の東側は
   カソリックの祭壇が置かれた。
 学校博物館 ScluleMuseum 1900-1960は学校として使用され、1989に
   最初の学校博物館として古い教室を公開した。

5.写真

市庁舎 市民塔
半円塔 レンハード塔
ヨハネス塔 ホーハー塔
赤塔 西壁
東壁 教会

5.町の略図

[戻る④門塔]

レンス Rhens RP11

1.歴史

 643 ケルン大司教は王ボ-ベルト1世からレンスを取得、874 ケルン・ボーベルトの財と言及、
 1174 ケルン大司教はレンスを伯爵に販売、  1272 ドイツ王選挙のために会議開催、
 1314 王ヘンリー7世の死後選挙人はレンスに集合、1338 ドイツ王選挙の帝国法を制定、
 1346 チャールズ4世はレンスで選挙された、    1370 レンスは都市権を授与された、
 1376 レンスに王の椅子を設置・保持を決めた、1400 ルプレッヒト3世をドイツ王に選出、
 1530-1620 自由帝国都市で比較的に平穏、1618-48 30年戦争は要塞で守った、
 1410 王ルプレヒトの次の選挙はフランクフルトに移り、アーヘン戴冠式の途中に椅子に座った。
 1486 レンスでは都市法の改定、     1575-1667 レンスで魔女狩りが行われた。
 1794-1801 仏軍の占領時代も町の地位は維持、1815 レンスはプロイセン帝国に割当、
 1830-1984 コミュニティの地位を持ち市法は適用されなかった。

2.市壁  0.91km 0.91 

   市壁は1400頃に町を台形で囲んだ。北東側・ライン川沿い・山側には大分部が残
  されている。

3.塔  5門9塔

   市壁には5市門9塔がある。
 ヴィーエ門 Vieh Tor (1396-1428) 南西の門で山側にあり、門の内側アーチと
   石ヒンジのみが残る。
 教会門 kirche Tor (15c) 南東門で外側に教会があり、市側は2重門で10
   mの高さの塔が昔はあった。今は門壁の跡が在るだけ。
 ライン門 Rhein Tor (18c) 北東門でライン川への下りの門と、中世の3階建の
   建物複合体である。昔は税関であった。
 ヨーゼフ門 Josefs Tor (18c) 北西門でライン川への通路である。川側の市壁
   の間に2階建のアーチ通路付きの角塔がある。
 コブレンツ門 Koblenzer Tor (15c) 北門は歩道アーチと基礎部のみがある。
 3隅円塔 3Wcke Rund Turm (15c) 市壁の北西、南東、南西の隅の大きな
   円塔が3基ある。
 6壁塔 6Mauer Turm (15c) 北側半円殻塔、西側中間塔、西南長方形小塔、
   西南半円塔、南東半円塔、南東上部張出塔。

4.見所  B

    ライン川の左岸に、川側と山側の市壁に囲まれた小さな市壁地があり、美しい
  木組の建物も残っている。山上には川側から移された歴史的な王の椅子がある。
 旧市庁舎とマルクト広場 Altes Rathaus (1500) 1500の地階部分に1600の切妻の
   上階が美しく構築された木組の建物で、1514から市庁舎として使われた。マルクト広
   場の西側にも17c美しい青色の木組の建物が修復されている。
 聖ディオニシウス教会 Kirche St.Dionysius (1200) 市壁の外の南に建てられた教
   区教会で、12cロマネスクの西塔、15c後期ゴシックの身廊と後陣、1700内装のバロック化。
 王の椅子 Koenigsstuhl (1598) 1273からドイツ王の選挙人がレンスに集まって議
   論を行い、1346-1400ドイツ王の選挙がレンスで行われた。1376の戴冠式の後に、王の椅
   子の屋敷を建てる事が決められ、その費用と維持のために関税特権が与えられた。
   1398の王の椅子は、1624ヘッセン方伯ゲオルク2世によって復元されたが、1795仏軍は、市
   民に石材として販売し、1806に取壊された。1826プロイセン王フレデェリック・ウイリアム4世の支援
   を受け、1843に再建された。1929王の椅子は、ライン川沿いから、ライン川を見下ろせる
   現在の場所に移設された。今の王の椅子は、八角形の基盤の上に、7つの外側アーチが
   付けられ、17段の階段の上に置かれ、ライン川が見下ろされる。ライン側の外壁には、神
   聖ローマ帝国の双頭の鷲の紋章がある。
 ドイツの家 Deutsches Haus (1566-1570) 3階建の木組の家で、川側市壁の
   上に建てられライン門に直接接している。見晴らしの良い部屋に19cに画家が住んだ。
 赤いライオン Dom (16c) 最古の木組の家の一つで、おおきな斜めの支柱が典型
   的な景観を生んでいる。窓は殆ど元のままである。
 革なめし屋 Lohgerberhaus () 旧革ナメシ地区にある建物。

5.写真

旧市庁舎 ホーフ通
教会門 ピーエ門
隅円塔 ライン門
西北壁 西壁
西南壁 東壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

 ザクセン州 S

バウツェン Bautzen S1

1.歴史

 1002 Budusinとして初文書言及、  1018 ポーランドとのヴァウツェン和平条約締結、
 1158-1223 ボヘミア王が支配、    1240 都市権の授与、1250 自由都市となる、
 1346 6都市同盟で盗賊対策、      1429-31 フス戦争で包囲されたが守った、
 1525-30 宗教改革、          1618-48 30年戦争による破壊、
 1620.1634 大火災の被害、       1635 ニーダーサクセンに帰属、
 1707.1720 大火災に遭遇、       1813 ナポレオン軍を追撃、
 1945 2次大戦の砲撃で町は破壊。

2.市壁  3.70km 0.63

   15c初に内側市壁:城から北のSchueler塔、東Reichen塔、南Lauen塔を結ぶ
  約1.8kmの壁を築き、東南を除いて1.18kmが残る。
   15c末に外側市壁:Wallの付いた通りの緑地の内側に、北から東から南へ半円形
  に約2km築かれ、1859-91に高さを削られて1.51kmが各所に残る。

3.塔  4門12塔

 ラウエン門塔 Lauen Turm (0400-03) ボヘミアのライオン紋章に因んで命名された
   角塔である。用いられた石材は市議会の指示で城天守閣の物を転用した。1543
   犯罪者の刑務所となった。1720の火事で壊され、1739にバロックの天蓋で再構築さ
   れた。1827前門は取壊され、1913ザクセン王アルバートの騎馬像が置かれた。1958-59
   と1990-91に大規模な修復が行われた。
 漁夫の砦 Roehrscheidt Bastei (1469) 漁港を守るために築かれた。1639
   スエーデン軍によって壊され、1676円塔に円錐屋根で更新された。1867塔はレストラン所
   有者の庭に移された。
 漁夫の小門 Fischer Pforte (1500) 小門は漁港の入口で、要塞と市壁の間
   に入口を守るために守衛所が設けられた。漁港は1870に無くなった。
 僧要塞 Moenchs bastei (西) 内壁の7要塞の内の一つであり、フランシスコ会修道
   院の近くに立つ長方形の塔は、戦時は修道士によって守られた。1813病院となり、
   1868-71と1905に塔は改修され、今は住居と集会所となっている。
 水塔 Wasser Turm (1878) この給水塔は、修道院教会跡の西端に上部木枠で
   安価に造られた。1979給水施設は廃止された。
 工場塔 Muehl Turm (1500) Eselsbergに建てられ、1606ロバによる小麦粉や穀
   物を谷の粉挽き場から運ぶために再建された。坂道途中に2階建て花崗岩角塔にアーチ
   門が空いている。元の衛兵室はクラブ部室として使われている。
 工場要塞 Muehl Bastei (1468) 突出した円塔で、1684守備の砦として屋根を
   改修した。1830-40体育館として使われ、1847織物製造業者が取得して倉庫として
   使った。1945内部の木構造物が壊された。
 城水塔 Burg Wasser Turm (1400) 城に水を供給するために建てられた。1535
   給水は行われなくなり守備塔となった。1740-1900塔と中庭の間の建物は監獄とな
   った。1945戦争で屋根と内装が壊された。
 マテアス塔 Mathias Turm (1225) 初めマイセン司教は2階建ての塔を城の礼拝堂とし
   て建てた。1483-86新しい礼拝堂の入口に門塔が造られ、30年戦争で焼失し再建さ
   れた。正面にハンガリア王の砂岩の記念碑がつけられた。
 ニコライ塔Nicolei Turm (1532) 北東部市壁にツインガーの門塔として建てられた。
   初め木製であった上部は石の門塔と置き替えられた。1614落雷で燃え、1678再建さ
   れ1775今の円錐屋根となった。ニコライ門は町の出入口の元の姿を唯一保っている。
 火薬塔 Pulver Turm (1500) 1634の火事で壊れ、1674に新築された。塔の上
   部は1776に取り壊された。塔跡の半円形部分に、両世界大戦の追悼碑文がある。
 鞣し革要塞 Gerber Bastei (1503) 5階建の円塔は璧厚3.5mで、ツインガーの下
   鞣し革屋を守るために要塞として建てられた。30年戦争では1620と1634に壊され
   たが、1703に再建された。塔はペット病院として使われ、1913兵舎と体育館へ。
 生徒塔 Schueler Turm (1400) ツインガーと町の入口を守る角塔を建てた。北側
   に古い磔群像の砂岩レリーフがある。1515の修理の後に1634に30年戦争で上部工は焼失
   し、1673に4切妻で再構築された。1833落雷で壊れた後に屋根は今の姿になった。
 ベンデル塔 Wendlscher turm (1490-92) この門塔は、ラウエン塔と同時にヴェンデル
   門を守るために構築された。1566大きな木製頂冠は嵐で壊された。1663町の債務者
   拘置所が塔に設けれれた。1841塔の破壊計画は防止され、1842-44兵舎の拡張に包
   含された。1992塔の外観修復が行われた。
 境界塔 Reichen Turm (1490-92) 15c内側市壁を拡張する際に、塔の下部は成
   立した。1620.1635.1686.1709四回の火災・破壊の後に、1715-18バロック石造塔が造ら
   れた。1747塔の傾きが見付けられ、1953基礎の補強、1991-93包括的な復元。
 旧噴水塔 Altes Wasser Kunst (1558) 水道の技術的な博物館で、47mの高い
   展望塔とポンプの歴史的展示がある。

4.見所  A

    シュプレー川の湾曲点に、6cからスラブ系ソルビア人が伝統を守って住んでいる。町は
   中央マルクト・城・聖堂・入り組んだ路地・古い噴水の懐かしい風景が見られる。
 市庁舎 Rathaus (1213) マルクトの中央に、ボヘミア王オットカース1世の命令で建てられ
   た。1489-93塔が付けられ、1582上階を付け足し、石の回廊を付けられた。1634火
   災で壊され再建されたが、1704三切妻が崩壊した。1705バロックで再建され3階建て
   の塔には冠が付けられた。1728-32拡張と改修が行われて今に姿になり、北側に
   バロックの階段塔が付けられた。
 町公会堂 Stadt Haus (1333) 法律顧問の家または警察署として知られる家
   が建てられた。1514の火災の後再建され、ザクセン連邦政府の集会の場所、1625町の
   法律顧問の家、1799-1816小学校副校長の家、1880-84貯蓄銀行、1884-95改築され
   中央税務署となった。
 オーテン城 Orten burg (958) 600から存在した砦をハインリッヒ1世が国境の城として
   拡張した。1401.1441火事で壊れ、1483-84ハンガリー王マテアスは後期ゴシックで新築した。
   1621-39に30年戦争でひどく壊され、1698三つのルネッサンスの切妻が付けられた。1782
   新塔と倉庫、1869巡回裁判所が新築された。1971ソルブ語の博物館が置かれ、1945
   戦争で牢獄と倉庫が破損し、1979包括的な修復が行われた。
 バウツェン別荘 Bautzen LandHaus (1667-68) 1664大火災の焼跡に、上ラウジッツの
   ステンデが住宅を建て、それをBautzen LandHausと呼んだ。1910銀行家が所有したが
   1918軍の刑務所となり、1947労働局、1956市図書館となった。
 聖ペトリ大聖堂 Dom St.Petori (1213-21) 最初の教会1000が建っていた所に、
   聖ペトリ大聖堂教団により最初の大聖堂が建立され、1430に今の姿になった。1456-63
   第4の南身廊が建てられ、1492-97後期ゴシックのハレン教会となった。1634火災の後に復
   元され内部はバロックに改装され、1882-85.1950-53修復が行われた。
 僧教会跡 Moenches Kirche ruin (1240) フランシスコ会修道院あったが、1401焼失
   し再建された。1441屋根が壊れ、1598修道院と教会は焼失し、今は初期ゴシックのアーチ
   窓や玄関の遺跡が残る。1894その後建てた家屋も焼失し、1878給水塔を建てた。
 聖ミカエル教会 Kirche St.Michaelis (1429) 大天使ミカエルに捧げられ、1493拡張
   し塔を付け、1523円天井を再建した。1618-48殆ど無傷で過ぎ、1964-76大規模修復
   工事が行われ、15cの天井画が発見された。
 ニコライ教会跡 Nicolai Kirch ruin (1444) 1407に墓地とされた場所に、後期
   ゴシックの2廊の教会を建てた。1634に30年戦争で壊され、その後廃墟となった。
 聖母教会 Liebfrauen Kirche (1293) 塩市場に建てられ、1318-65墓地教会
   であった。1431フス戦争で壊され1443再建され、1620.1634.1686戦争や火災で壊さ
   れ、1690石造となった。1848教会は再建され、内部は改装された。1897.1936.
   1972-73修復が繰返された。
 ハルトマンの家 Hartmannsches Haus (1720-24) ザクセンバロックの大邸宅で、12煙突
   52室・365窓の宮殿のような4階建ての建物である。玄関にはこの世と神の2つの女
   神像がある。
 モンゼ出版所 Monsa Verlag Haus (1552) 最初の印刷所として4階建で建てら
   れた。1574最初のソルブ語の讃美歌を印刷した。
 旧兵舎 Alte Kaserne (1842-44) 建物は350人兵士が駐屯する兵舎で、ヴェンド
   塔と旧市街の市壁にある。1933税務署となった。
 市立博物館 Museum Bautzen (1869) 旧校舎に市博物館が開設された。1880
   民家に移り、1884新築の建物に移り、1910-12穀物市場に新築して再度移転した。

5.写真

市庁舎 オツテン城
ヴェンド塔 ライヘ塔
鞣し屋稜堡 マティウス塔
粉挽塔 粉挽門
ラウエン塔 外市壁
外市壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る④門塔]

 ザアクセン・アンハルト州 SA

戻る

アケン Aken SA1

1.歴史

 12c 城が初言及されたが1121焼失、1270 直角に区画された方形の町とした、
 1300 30haの方形の町を 4市門・14塔のある市壁で囲んだ、
 1355 ザクセン公爵ルドルフは ドイツ騎士団長の館を設立し1717まで存在した、
 1541 宗教改革の導入、       1680 ブランデンブルク公国の帝国直属都市に、
 1701 プロイセン公国に属した、     1790 プロイセン軍の駐屯地になった、
 1806 ナポレオン軍に敗れ、1807エルベ以西はヴェストファーレン王国としてナポレオンの弟が支配、
 1815 ウイーン会議でプロイセンに帰属、   1881 舟運で栄えた、1889-91港湾整備、
 1945 第2次大戦の空襲からは免れた。

2.市壁  2.04km 0.69

  珍しく四角な町を、それまで守って来た木柵に換えて、1300-12に市壁が築かれ
  堀と土堤で守った。19c初めに撤去されたが、約7割の市壁は残された。

3.塔  3門0塔

  14cの4門は夏10時冬9時にオーク材の扉が閉じられた。その後通用扉を開けるために
  は、15ペニーを払わなければならなかった。
 デッサウ門 Dessauer Tor (1608) 東、8m角・壁厚1.65m・4階建ての門塔。塔頂に
   コウノトリの営巣が見らえる。
 ケーテン門 Koethener Tor (1288) 南、1551から今の姿になった。1960塔の両側
   に時計が付けられた。下の部分は中世からの部分で、その後上の部分がルネッサンスで
   継ぎ足された。
 城門 Burg Tor (1288) 現在の4階建て角塔の姿は1500からの物で、3塔と
   も1994-96に大規模修復が行われた。

4.見所 C

  エルベ川の南岸に、まだ多くの市壁に囲まれた町が有り、木組みの家が残っている。
  対岸からは林立する門・市庁舎・教会の塔が見られる。
 市庁舎 Rathaus (13c) 古い市庁舎は大火災はで1485に破壊された。1490に
   実用的で頑丈な2階建ての建物を新築した。1609更新、1907拡張され、直交する
   2面に切妻のある屋根。
 聖ニコライ教会 St.Nikolai Kirche (1265) 当初通商路の礼拝堂として設立され
   1270参事会教会となった。1316エルベ川の洪水被害後、1317-35拡張修復した。その
   後ゴシックの聖歌隊・3階建て双塔が付けられ、3廊の天井はゴシックとなった。
   1884-92ネオゴシックに改装、1945から構造劣化で1983閉鎖された。その後新教教会とし
   て修復された。
 聖マリア教会 St.Mrien Kirche (1188) 1484大火で焼失し豪華な内装で再建され
   た。市民・商人・職人の教会で、1540改革後プロテスタント教会となった。1975に使用を断
   念され、1992から改修された。
 古い木組みの家
   Nieman Haus (1584) Koethen str.41 大邸宅で入口に年号と所有者の碑文がある
    美術館で入口扉飾りと真鍮製のノッカーが見られる。
   Haus (16c) Koethen str.30 木製の切妻は草の模様で埋められ、リビングには16c
    の漆喰がある。門扉はバロック。
 遺産博物館 Museum 舟運と港湾の歴史・町と地域の先史時代からの歴史、屋外
   段塔が付けられ、18c後半には拡張が行われた。今は地方裁判所として使用。

5.写真

市庁舎 デッサウ塔
ケーテン門 西壁
西壁 ニコライ教会
フェリー

5.町の略図

[戻る②壁長]

アッシャースレーべン Aschersleben SA2

1.歴史

 753 フルダ修道院の贈り物の文書に初言及、 11c アルブレヒトは町を行政・司法の中心に、
 1266 ヘンリー2世は都市の憲章を授与、    1322 オットー2世は市壁の建設許可、
 14c 町は市壁と堀と門塔で守られた、   1326 商業的利益からクエトリンブルクと同盟、
 1446-70 現存の市壁が築かれ、16cに補強、1426 ハンザ同盟に加入、1518まで、
 1525 農民戦争が始まる、        1528.1566.1625 ペスト流行、
 1618-48 30年戦争でスエーデン軍の略奪、   1760 仏軍の占領と略奪、1792プロイセンへ、
 1807 ナポレオン軍が占領、         1813 プロイセンのザクセン州となった、
 1940-45 航空機工場と町が空爆大被害、  1945 4月米軍のち英軍、7月赤軍へ。

2.市壁 0.52km 0.25 

    14-15cの市壁は、全周2.1kmあり、リングに沿って緑地がある。市壁は高さ8m・厚さ
   1m、堀幅は22-26mで4-6mの水深がある。壁には2.5m間隔で様々な形の銃眼がある。
   木製の壁上通路は僅かしか見られない。戦時には市民は防御に動員され、加えて武
   装した雇い兵を町の隊長の下へ提供しなければならない。火器の発達により、市壁
   の防御機能は失われ、交通障害の増大もあり、18-19cに部分的に取り壊された。

3.塔数 18

    初めは51塔あったが、まだ15塔が様々な形で残され、5門のうちヨハネ門の内門のみと
   その他2が残っている。
 ヨハネ門 Johannis Tor (1380) 北、高さ42m側門付きの角塔で、屋根には4小塔が
   立つ。前門は1571に建てられ1861に取除かれた。堀橋の外側にあった区分門も
   1850に壊された。
 ハインロッヒ細塔 Turm Schmaler Heinrich (1442) 北、ヨハネ門の近くの高さ32mの角塔。
 ヨハネ遊歩道塔 Turm in der Johannis Promnenade (1442) 北西、昔32mの高さは
   今11mの角塔で、屋根には4小塔が付いている。
 カラス塔 Raben Turm (1442) 北西、高さ31mの角塔で、登頂には胸壁と帽子が付い
   ている。保存状態は良く、名前は絞首台の近いために付けられた。
 大円型塔 Rondel (1507-83) 南、高さ23m直径17m厚さ3.5-4mの大砲が装備され
   た円塔で、木材の床はギルドによって1846に作られた。
 愛妄想塔 Lieben Wshnscher Turm (1442) 東、高さ27.5mの角塔、高さ13mの門
   は1437に造られ1811にこわされ、高さ23mの前門は1767に壊された。
 ロンデルの西の塔 Turm Westlich des Rondels (1443) 高さ30mの角塔。
 エリザベート・ツインガー側の殻 Schale am Elisabeth Zwinger (1441) 高さ7mの半円形、
   エリザベス歩道に沿った殻。
 火星原前塔 Turm vor dem Marsfeld (1443) 北東、高さ26.5mの角塔。
 麦芽工場防備 Befestigte Malzmuehle (1419) 西南、高さ8mの町の防備のため
   の施設でもあり、水を引いて2階建ての粉挽水車と麦芽工場があった。
 高い靴下塔 Hoher Stumpfer Turm (1440) 西南、高さ23mの角塔で地下に牢獄。
 麦芽工場東殻 Schale Oestrich der Malzmuehle (1440) 西南、高さ11.5mの円塔
 麦芽工場西四角殻 VierEckige Schale Westlich Malzmuekle (1440) 昔は32m、
   今は高さ11mの角塔。
 麦芽工場西四角殻 Rund Schale Westlich Malzmuekle (1366) 西南、高さ10m。
 裁判所側の先端要塞 Spitze Bastion beim Gericht (1436) 西、高さ10mの
   ツインガー前面要塞の小門。
 裁判所側の大殻 Grosse Schale beim Gericht (1436) 西、高さ12mのツインガー前
   面の4/5円塔殻。
 ルイゼン遊歩道ツインガー Zwinger in der Luisen Promenade (1461) 西、高さ10mの
   円型の張出し。
 ルイセン遊歩道の四角殻 VierEckige Schale in der Luisen (1461)西、かって32m
   の角塔。

4.見所  A

   観光歩行者誘導の3ルート(建築物・町の防衛・公園)が石碑・パネルで表示されている。
  15cのゴシックの建物がおおく、1市門15塔2稜堡と市壁、19cに堀を埋めた公園もある。
 市庁舎 Rathaus (13c) 古い市庁舎は教会広場にあり1511に爆発、1798に取り
   壊された。1715-18新しい市庁舎が建てられ、その後に主塔が付けられた。1730に
   黄色に塗られた新しい窓が付けられた。1885周辺の土地を町が購入し2階建て別館を
   増設し、1935市場側に拡張した。南側の階段塔は4つの床に伸び、西に時計塔がある。
 灰色の館 Grauer Hof (1309) 最も古い世俗的な建物で、中庭には灰色の服を着
   た僧侶が常駐していた。修道院の農園として管理され、主な建物は石造であるが、西
   側に市壁のある不規則な木造の上部工の2階建ての建物もある。外側の門は2アーチで内側
   の尖頭アーチにつながる。今は町の文化施設として使用されている。
 クルマンの家 Krukmannsches Haus (1572) 商人の家で、ルネッサンス上層木製の3階建て
   主門のアーチをを通って中庭に入る。角は円形の出窓で飾られ、中庭からのみ見える16c
   初の塔には階段がある。
 ビアハウスレデラー Bier Haus (1512) 古いルネッサンスの宿の建物で、1774-1802
   に詩人が住んだ。
 聖ステファン教会 St.Stephani Kirche (15c) ゴシックのホール教会。1406-1469高さ82mの
   塔、1480-1507身廊。当初は2つの塔が在ったが、砂基礎のため北塔は中断され、南塔
   は定期的に傾きを確認している。
 聖マルガレーテ教会 St.Margarethen Kirche (1250) 30年戦争で教会が破壊された
   後で、1715に再建された。
 フランシスコ会修道院教会 Franziskaner Kloster Kirche (1280) マルクトのフランシスコ会修道
   院の教会を、新教の聖十字架教会として使われている。
 水車 Wasser Muehle (1357) ロンデアルのある堀の南のWasserVorstadtにあり、橋桁
   の壁で守られ、今は1992-93に改装され、若者のクラブとして使われている。
 肉屋台 Schafl (17c) 聖ステファン教会につながる小さな路地に、2つの古典的な柱廊
   があり、ここで1724肉の屋台が置かれ、19c肉屋が自社製品を展示販売した。名前は、
   中高独語で肉屋屋台の意味である。
 市博物館 Stadt Museum 町の歴史(創設・要塞・中世の遺物・農民戦争・手工業・
   工業化)、先史(新石器時代・青銅器・鉄器時代)、古生物(化石・4mの竜魚)。
 犯罪ロウ人形館 Kriminal Panoptikum (1896) 1982まで旧市街の刑務所で使われ、
   その後20年間空いていたが、2003に再構築して、市内の犯罪ロウ人形館と共に、犯罪
   博物館となった。凶器・拷問道具・歴史的刑務所施設・調査道具・ヘルメット等多くの珍しい
   物が見られる。

5.写真

市庁舎 鳥の井戸市場
円型塔 カラス塔
聖ヨハネス塔

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る④門塔]

バービィ Barby Elbe SA3

1.歴史

 961 皇帝オットー1世の文書に初言及、 古高独語で名は木のある川の曲る村の意味、
 13c 町は5市門の市壁で囲まれた、 1497 帝国の郡となりバービィ伯爵に属した、
 1540 ルターの改革を導入した、    1659 最後のバービィ伯爵死亡バイセンフェルス公へ、
 1637-1715 息子ヘンリィは城を建設、  1660 魔女裁判が行われた、
 1747 新教説教神学校を開設、    1806 仏軍はバービィでエルベ川を渡った。

2.市壁  1.57km 0.65

  市壁の2003に改修されたエルベ川側の部分は洪水対策として役立っている。
  南や西側にも市壁は点在している。

3.塔  1門2塔

 広い門 Breite Tor (13c) 南東門の跡に、石積みの壁が復元され、門の
   絵を描いた説明板がある。
 小公子塔 Prinzesschen Turm (1570) 木製の塔を備えた北端の要塞塔であ
   った。バロックのドームとランタンがある八角形の茶室のがあり、ロココの色彩豊かな壁画
   と天井画がある。
 丸塔 Rund Turm (15c) 町の南西端の川沿いに6角錐屋根の円塔がある。

4.見所 C

 市庁舎 Rathaus (12c) 何回も改修や拡張が行われ、今は高基礎の2階
   建の建物で、地階に屋外両階段があり、正面にベランダがある。町の紋章付きの
   三角屋根の上にはコウノトリの巣台がある。
 聖ヨハネ教会 St.Johannis Kirche (1264) フランシクコ会修道院教会として、長さ
   40m幅10m石造ゴシックの町で最古の教会である。北側に回廊があったため東端に一
   つの窓しかない。南側の前面には地上3mの12のアーチ窓がある。14cに火事で損傷し
   たが領主グンター2世によって修復された。改革導入で修道院が解散され、1659教会
   に転換された。1886と1937に修復された。1994屋根を改修。内部には1271からの
   墓碑・14石造のキリスト像・1570木製のマドンナ・1588-1820重要牧師絵画がある。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (13c) 初期ゴシックの細長い42.5m×9.7mの建物
   が初めに建てられた。1505正方形の西塔が付けられたが、50年後に崩壊し1565-
   71に高さ49mで再建された。1683通路と東聖具室が加えられ、1719屋根の修復、
   1990天井倒壊で閉鎖、1995大改修。
 バ-ビィ宮殿 Schloss Barby (10c) 初め国境の要塞があり、961皇帝オットー2世
   は女子修道院長の姉マチルダに与え、バービィ家に城をゆだねた。1880バービィ家の断絶
   後バイセンフェルスのハインリッヒ伯に移り、1687バロック3葉の新宮殿を建てた。1739南翼は焼失
   し再建されなかった。1746バイセンフェルスの断絶後、ボヘミアが城を取得して神学校とし
   て使った。仏ヴェストファレン王国時代に軍病院となり、1815プロイセンの穀物倉庫、1855
   教員養成大学になった。1945ソ連軍病院、1959-79外国移住者寮、1979ザクセン・アン
   ファルト州土地登記簿収蔵。2006改修改造された。
 エルベザール病院 Elbe Saale Klinik (1995) 大規模な施設を備えたリハビリテーショ
   ンクリニックが建てられた。

5.写真

市庁舎 聖ヨハネ教会
マグデブルク通 橋門
広い門 東南壁
東壁

5.町の略図

[戻る②壁長]

ハルデンスレーベン Haldensleben SA4

1.歴史

 966 皇帝オットーの投資文書に初言及、 1150 市場権を城商人居住地へ付与、
 1181 マグデブルク大司教は占領後破壊、1215 マグデブルク大司教所有、
 1223 町の再建開始、        1228 アルブレヒト大司教はシトーは修道院創設、
 1526 市場権を再度授与、      1541 宗教改革の導入、
 1636 疾病の流行、1661 大火災、  1680-1807マグデブルクのプロイセン公国に直属、
 1810 ヴェストファーレン王国へ属し修道院廃止、1816 ウイーン会議でプロイセンのザクセン州へ、
 1945 4月米軍、6月英軍、7月赤軍進駐。

2.市壁  1.36m 0.96

   中世の二重の内側市壁は、ほぼ完全移保全され、高さ2.1m幅1.2mの石積。
   北から西側には外側の市壁も残っている。

3.塔  3門0塔

 ベルストリンガー門塔 Baelstringer TorTurm (1250-60) 西北の市門で、
   瓦礫積みで造られた。塔は高さ13mであり、入口は2階の壁上にあった。1858
   塔は段なしで再建され、今のヴェール時計に置き換えられた。塔は刑務所として
   後に羊のペンとして使われた。1986塔内部が改装され町の歴史の展示がある。
 ステンダー門塔 Stender TorTurm (13-14c) ステンダー方向の市門で、MuehlenTor
   とも呼ばれた。9.1×6.45mの長方形の平面で1.4m厚の壁厚がある。19cに
   は刑務所となり、20cの初めにPfannen Walmdachとなった。1998に塔と市壁が
   改修された。
 ハーゲン門 Hagen Tor (1238) 南西部の市門で、17cに門塔が短縮され、
   バロックのフードが付けられた。1862片側が崩壊し、門は放棄された。残りの
   部分は1870-80に歴史主義で再設計された。

4.見所  B

  王ヘンリー・ライオンの都市計画は、円形の1.4kmの市壁に囲まれた中心のマルクトで直交
  する街路網で実現された。1991から中心部の改装に取り組んでいる。市庁舎の前
  には、都市と市場の権利を象徴する15cからのロ-ラント騎馬像が立つ。古い門塔・そ
  れぞれの時代の歴史的な建物・16c木組の建物などが残っている。
 市庁舎 Rathaus (1579) マルクトの東の前の建物跡に、2階建3軸の中央部が
   突出した入口の上に、紋章とレリーフを取り込んだ。1701-03にバロックの建物は建設
   された。1815-23古典主義で再建され、1910東側に庁舎は延長された。2000市
   庁舎の北側の1662木組2階建の住宅を組み込んだ。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (12c) 古い教会の基礎の上に建てられた教
   会は、1181マグデブルク大司教の軍隊に破壊された。1223新しい教会が建てられ、
   1375ゴシック3廊の教会建設がが始まった。1661大火事で大部分が壊され、1675今
   の20mの塔のある教会が完成した。1808南塔に加え北の塔も壊れ、1812から新
   塔が建てられた。17cからのオルガンは1878に今のオルガンに置き換えられた。
 聖アンナ礼拝堂 St.Anna Kapelle (1112) 古い石積みの上に木製屋根の礼拝
   堂が修道女に与えられた。17cに今の半木造の建物となった。1810修道院に売却
   された。
 騎士団の家 Templar Haus (13c) 北部の旧城遺跡に、14cに壊されたテンプル
   騎士団の跡がある。また、町にも地下を含めテンプル騎士団の遺跡がある。
 ローラント Roland (1419) 市庁舎の正面に、欧州唯一の乗馬ローラント像が町の権
   利の象徴として立っている。1526市場特権と関連して取り換えられ、1927-28
  風化したため、2.4mの石灰岩造と置換えられ、オリジナルは市博物館に収容された。
 クーネの家 Kuehnsches Haus (1592) 町で最も美しい3階建の建物で二つの
張り出した床がある。30年戦争と1661に火事を免れた。宝石商が1875に購入し
   大幅に修復した。美しく装飾された三角の木材の表面に標語と彫刻のある梁は
   塗装を取り除いて明らかとなった。1923後継者が改造修復を行った。
 レプスの家 Repssches Haus (16c) 30年戦争前に建てられ市内でも古い2階
   建の木組の家で、通りに軒先のある家の骨組みは特徴的である。中庭への通路
   が建物内にある。1766レプス家が所有し、家族は市議会で1932まで働いた。20c
   初めには居酒屋となり、1936画家が改築して通り側の木組が露出された。
 市博物館 Stadt Musem (1910) 1865-66に建てられた古典主義の石膏の建
   物に収容された。ヤコブとウイルヘルム・グリムの資料が展示されている。
 フンテスブルク宮殿 Schloss Hundisburg (1196-1202) 南の丘の上に大司教ルド
   ルフが城を築き、1452アルフェンスレーベン家が所有し、16cにルネサンスに改装し、30年戦争
   で破壊された。1693バロクの壮大な宮殿と庭園に拡張した。1811起業家が購入。
   1945ソ連軍が使用したが火事で壊れた。2001-12ザクセンアンファルト州が再建した。

5.写真

市庁舎 聖マリア教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

クヴェトリンブルク Quedlinburg SA5

1.歴史

  922 ザクセン公ハインリッヒ1世に関する文書に言及、 936 宮殿でハインリッヒ1世死去、
  936 女王マチルダは貴族の娘の修業の場として女子修道院を設立、
  994 皇帝オットー3世は市場権・鋳造権・課税権を授与、1164-80 近郊で戦争勃発、
 1180 獅子王ハインリッヒが新市街を設立、       1327 新旧市街の合併、
 1426-77 ハンザ同盟に加入、 1477 市民は修道院との武力闘争で政治特権獲得、
 1539 宗教改革導入、    1802 修道会は解散し、城はプロイセンが所有、
 1862-82 修道院教会を修復し南塔を新設、  1869 破損1477のローラント像を再建、
 1936 修道院教会の拡張、         1945 米軍の砲撃で被害。

2.市壁  1.96km 0.55

  10cに市場と市場教会の周辺に定住地を形成し、12cに営農住民の多い新市街
  が聖ニコライ教会周辺に設置され、それぞれが市壁で囲まれた。1327には新旧市街
  を統合して一つの市壁を築いた。 市壁は全周に切れ切れに残っている。

3.塔  0門4塔

 新市街の市壁の東側に3つの望楼が残っている。
   羊飼いの塔は、後ろの家に組み込まれて住宅として使われている。
   ガチョウ飼育塔は、4階建て角塔で、殆ど元の状態を保っている。
   Turm OpinTittenPlanha, 1900に改修された。
 恐ろしい塔 Schreckeens Turm 市壁塔の一つで、中世には刑務所として
   使われた。開殻塔の市街側は木製トラスが付けられている。

4.見所  A

  城と修道院教会のある岩山の北側に広がるこの町は、古い木組みの家が立ち
   並び狭い街路が多く17cの町の雰囲気を忠実に伝えている。マルクトは市庁舎をは
   じめ17-18cの建物が立ち並んでいる。
[Alte Stadt]
 市庁舎 Rathaus 1310) 1616-19に紋章付ルネッサンスの建物になり、1889-01
   に南翼に拡張や補修が行われた。議会会議場の壁面内装は一見の価値がある。
    市庁舎の前のローラント像は、1477に破壊され、1869にドイツで2番目に小さな像で
   再建された。
 聖ベネディクト市教会 Markt Kirche St.benedikti (11c) 後期ゴシッくの教
   会で、前のロマネスクの西前面が残されている。雷で壊された塔の一部は残ってい
   る。内部はバロックで飾られているが、南通路にはゴシックの祭壇がある。
 エギディ教会 Agidi kirche (12c) 元は村の教区教会であった。ロマネスクの
   部も残るゴシックの教会は、白と金の美しいバロックの装飾がある。市壁に近接し
   て立つ風格のある塔には、軍事的な目的もあった。
 聖ブラジウス教会 St.Blasius Kirche (10c) 今の建物は1715に全く新しい
   ロマネスクの塔と八角形の本堂の建物を建てた。内部はバロックのホール教会で、内装は
   白と黄金色であり、唯一赤バロックの祭壇を目立たせている。
 市参事会計量所 Rats Waage (1690) 穀物市場に在る木造の建物で、
   1850には市参事会が入った。
 ザルファード家の宮殿 Palais und Wohnhaus den Familie Salderd (1737)
   穀物市場に評議会財務のRoetger・Salfeldが大きな砂岩の前面と漆喰天井の宮
   殿を建てた。1745-07にロココに改装されて、居住宮殿のほか一部は地方裁判所
   となった。財団が二つの建物を購入し改装して、催物会場として使った。
 ハーゲンの館 Hagensches Freihaus (1564) ハーゲン男爵が新旧市街の間の町
   の城を、ルネッサンスの荘厳な宮殿とした。格子天井の広間にルネッサンスの木彫りの扉
   がある。今はホテルに改装されている。
[Neu Stadt]
 聖ニコライ教会 St.nikolai Kirche (12c) 農民の教区教会であった。以前
   のロマネスクの部分を残したゴシックの教会が建てられ、内装は殆どバロックである。
   72mの高塔は、羊飼が野原で見つけた宝物による。
 柱造り博物館 Staeaender Bau Museum (14c) 1300を超える古い木骨造
   の家が存在するドイツでも大きい中世の町であった。基礎から屋根まで柱を
   通し、二つの床の梁が付けられている木造の古い形である。家は博物館とし
   1965修復された。枠組みの進展の歴史・木材の関節の方法・大工道具塔展示し
   た。1997焼失し修復して再開された。
 ステンドグラス工芸博物館 Museum fuer Glaskunst & Kunst Handwerk (17c)
   歴史的な木組みの建物は、博物館として復元された。ステンドグラスの光や色につ
   いてワークショップと意義や歴史について展示されている。
[Schlossberg]
 聖セルバチウス教会 Stift Kirche St.Servatius (1070-1139) 司教区教会。
   9c創設の教会の跡に建つ現在のバジリカ会堂はラテン十字形をしており1129献堂
   された。内陣の下に3廊の地下聖堂1320には、最初の独王ハインリッヒ1世と王妃マチ
   ルダの墓があり936に埋葬された。1936後陣の内装はロマネスクに復元され、両塔は
   19cに修復された。1945米軍の砲撃で尖塔が壊され今の平らな屋根となった。
 修道院の建物 StiftsGebaeude 女子修道院の住宅には城の博物館がる。
   何世紀にもわたってロマネスクの要素はバロック的に多数の変更や拡張がなされた。
    城博物館には、16-17cのイタリア絵画・女子修道院長応接室・女子修道院の生活
   ・王座の間を展示している。
 城館 Schloss (16-17c) 修道院として使われた不規則な建物。
[Muenzenberg]
 コイン博物館 Muenzen Museum (16c) 廃棄された聖メアリ修道院に手を入れて
   16c終わりに鋏研磨機が置かれた。その後コイン博物館を置き、コインの変遷や聖
   メアリ修道院の建築史を展示している。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
ゲンシィルト塔 東壁
南西壁 広場
聖セルバティウス教会入口 聖セルバティウス教会
西塔

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

ザルツヴェーデル Salzwedel SA6

1.歴史

  800 塩の道の入植地に城を築く、 1112 城に初言及、1134アルバート・ベアが取得、
 1233 アルバート家が町を築いた、      仕立屋のギルドが布貿易権を得た、
 1247 旧市街の北東に新町を建設、 1263-1518 ハンザ同盟ゴットランド島の取引権保有、
 1314 旧市街は都市権を獲得、   1315 侯爵の減税による市壁の建設、
 1470 新市街の市門が完成、    1488 反乱で諸権利を失い、ビール戦争に敗れた、
 1642 30年戦争で破壊され拠出金を取られた、1713 新旧の町は合併された、
 1816 町は郡庁所在地となった、
 1945 第2次大戦の被災はなかったが、その後多くの古民家が失われた。

2.市壁  1.63km 0.59

  14cの市壁は高さ5m長さ2.9kmで新旧市街を守った。今の市壁の高さは3.5m以下
  で、1.63kmが残っている。

3.塔  2門3塔

  このハンザ都市には、かって10市門があった。
 新パーファー門 Neuperver Tor (1460-70) 新市街の正門であり、元の内側の門が
   残っている。簡素な2階建ての切妻付の煉瓦門塔である。
 石門 Stein Tor (1530) この塔はかって刑務所として使われた。三角形の切
   妻は後期ゴシックの装飾で両側を飾れれている。
 城塔 Burg Turm (17c) 城は塩の道を守るため9cに建てられ、1112に言及さ
   れた。13cには直径220mの水城となった。1899爆破されて放棄された。
   今でも高さ27mの天守閣が残る。
 配水塔 Wasser Turm (1903) 高さ43.7mのネオゴシックの高架水槽であり、1981ま
   で使用された。この塔により木製給水から鉄管に置き換えられた。
 空腹塔 Hunger Turm (15c) 南西の公園に立つ監獄塔である。

  

4.見所  B

   旧市街の北に城がありその北に新市街がある大きな町である。市壁が多く残さ
   れ、多くの古い木組の建物もあり、両マルクトも賑やかである。
 旧新市街庁舎 Ehem.Neustaedter Rathaus (16c) ルネッサンスの八角塔で、1703
   嵐で損傷を受け新市街の市庁舎・地下レストランとして再修復された。1801上部床は
   降ろされゴシックで建てられた。1820町は市庁舎・地下レストランを売ってその場所に塔
   と黒鷲の建物が残された。
 旧旧市街庁舎 Ehem.Altstaedter Rathaus (16c) 2階建煉瓦造の建物に多く
   くの階段切妻が付いている。今は、地方裁判所に使われている。
 僧教会 Monchs Kirche (13c) フランシスコ会修道院の2廊の教会として建てられ
   た。14-15cに構造上の変更後に今の姿になった。1541宗教改革後にラテン学校にな
   り、19c高等中学、1895市庁舎、20c駐屯地教会として使われた。
 聖ロレンツ教会 St.Lorenz Kirche (13c) 初めロマネスクの大聖堂としてレンガで造ら
   れ、円型の入口の上には切妻がある。1692塩の倉庫として使われ、南側通路と塔
   が取り除かれた。1997から掘削調査が行われた。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (12c) 初め野石積の建物であったが、15cゴシック
   5身廊の翼廊と交差空間のある煉瓦積大聖堂に再構築された。高さ86mの八角形
   の塔は西翼造られ教会の中になったが、やや傾いている。中には、16cの8*6mの
   美しい彫刻・14-16c壁画・ステンドグラス・洗礼盤・説教壇がある。
 聖カサーン教会 St.Kathannen Kirche (14c) 新市街の翼廊のない二重ダイヤフラム
   切妻で飾れれた煉瓦造のバジリカである。豊かな教会には、ユニコーンの祭壇・3彫像・
   後期ゴシックの壁画・木製の説教壇・聖堂の洗礼盤・小さな絵画がある。
 ジェニー・マルクスの家 Jenny Marx Haus (1737) 市長のための住居として単純な
   後期バロックの建物が造られた。1809-16副知事が住み、カール・マルクスの妻となるジェニー
   を産んだ。1969-87マルクス家族の博物館になり、2005音楽学校として使われた。
 高い場所の家 Hoch Staeder Haus (15c) 木組みで最古の旧醸造所である。
   16c西の前面は垂直の部材が強調されている。
 旧鋳造所 Alte Muenze (15c) ここでは1314から硬貨が鋳造された。右側の
   2階建て煉瓦造の建物はリューネブルクの商人の家をモデルとし、左半分は木組の2階建て
   の建物である。今は商工会議所が使っている。
 ラテン学校 Latein Schule (16-18c) 木組みの建物の一群は、元新市街のラテン
   語学校であった。その後16c煉瓦積に漆喰塗の地階に、木組みの床と階段塔を置
   き、塔室に17c花の絵がある。
 賑やかな通り Reiche Strasse  川に沿って美しい木組みの家並みが続い
   でいる。復元された1586の商店もある。
 ダネル博物館 Dannel Museum (1578) この建物は、壮大な出窓の3階建ての木
   製の旧厩舎であった。校長で歴史学者のダネルが住んで郡博物館と名付けた。ハンザ
   都市として栄えた町と地方の文化的・歴史的展示がある。

5.写真

新旧市庁舎 簡易裁判所
石門 新ペルファー門
西壁 東壁
東南壁 教会

5.町の略図

[戻る②壁長]

タンガーミュンデ Tangermuende SA7

1.歴史

  800 エルベ川左岸の台地に城を建設、1009 町に市壁を築きメルセブルク司教年代記に
 1276 ホーエンベルクはカルメル会修道院に町を寄付、1280 新しい町は壁で囲まれた、
 13c 旧市場町を開発、エルベの関税地、 1373-78 皇帝チャールズ4世の第2の宮殿へ、
 1415 ホーエンツオーレルン皇帝はこの町に住んだ、15c ハンザ都市の全盛期、
 1488 反乱で町は失われ宮殿はコリンに移った、1617 大火で焼失し木組の家で再建、
 17c 30年戦争で交易の中心地から田舎町に、1807-13 和平でヴェストファーレン公国へ、
 19c 町の北に新しい住宅や工場地、  1945 砲撃は受けたが被害は少なかった。

2.市壁  1.24km 0.74

   1300の市壁は、新市街地が北側に別個に作られ、川側の市壁は堤防を兼ねて
   機能したため18-19cに大規模な改修が行われて、今も多くの部分で残っている。

3.塔  2門6塔

 新町門 Neustaedter Tor (1300) 西、有名な中世の複雑な門。長方形の
   塔は1300に、高い円塔と中央角塔は1450に建てられた。1897門入口の上の漆喰壁
   には描いた紋章が掲げられた。左から、プロイセン王家の鷲・ホーエンツオーレルン帝国の鷲・
   タンガーミュンデの鷲・神聖ローマ帝国の鷲・ブランデンブルクの鷲が並んでいる。
 巨人村門 Huenerdorfer Tor 1300) 東、元の二重門の施設は、中央門の防
   衛塔24mのみである。この塔の下部は1300に建てられた。1460-70八角形の塔が継
   ぎ足され、衛兵の部屋となった。この塔は梟塔とも呼ばれ、2重門の内側門塔で
   あり、外側門は1871に取壊された。
 プチン塔 Putinnen 30m離れて壁上に2つの塔が在る。西塔は町への階段を保
   護し東塔は監獄として使用された。1819-33最も古い度量衡検定局が置かれた。
 坂山 Steigberg この階段は上に登れば町に達する。防衛塔で守られ、川
   に下る主要な道であった。
 馬道エルベ門 Rossfurt mit ElbTor 馬道はエルベ門から町への登坂が、市壁を
   潜って高い壁で囲まれた長さ100mの切通しである。15cエルベ門は建てられ、エルベ
   川から町への唯一の馬車道であった。アーチ道の左側には何世紀かにわたる最高水
   位が記録された計測棒がある。
 監獄塔 Gefaengnis Turm (1480) 城の追加安全対策として塔は建てられた。
   18cに監獄となりこの名前が付けられた。1912円錐屋根が付けられた。
 司教座参事塔 Kapital Turm (14c) 天守閣は城の再建時に建てられ、底辺は
   9.8×6.7m高さは50mの赤レンガの塔である。16-18cはベルリン司教座聖堂付参事会の
   穀物倉庫となり、この塔の名前となった。2003大改修工事の後に展望塔となった。
 散弾塔 Schrot Turm 町の防御円塔であり、1825高さは47mに嵩上げされた。
   19c迄ここで散弾が製造された。

4.見所  B

    ザクセン・アンハルト州アルトマルクの北端のエルベ川沿いの小さな町で、千年の歴史のある
   煉瓦造の建物・市門・城があり、木組みの家も多く、中世の市壁に囲まれている。
 市庁舎 Rathaus (1300) ゴシック煉瓦造の建物で、高さ24mの飾り前面は見事で
   ある。約50年後に、裁判所ポーチは柱構造が継ぎ足された。最上階には祝祭広場があ
   り、結婚式に使われている。1階と地下は博物館として使われている。
 宮殿 Schloss (1700) 14c皇帝カレル4世は城を建てた。1640その城はスエーデン軍に
   壊され、今の宮殿はプロイセン王フリードリッヒ1世によって建てられた。
 旧事務所 Ehem.Kanzlei (14c) 唯一現存する城の建物で、一時舞踏場となり、
   17cには書記室が置かれた。
 宮殿博物館 scloss Museum (15c) このSchloss Freiheit通りは宮殿の従者の
   家があり、この5番地の建物は町で一番古い木組みの建物である。1階は1453からの
   もので、2階は17cに建てられた。1998宮殿博物館が収容された。
 聖ステファン教会 St.Stephan Kirche (15c) 煉瓦造のハレン教会で、中世に12回の
   拡張・再建があった。1617元の教会は焼失し、内装品は残らなかった。ゴシックの塔は
   市内で最高である。1624の有名なオルガンは1997の大改修時に再生された。
   火事で身廊が壊れ1655に再建され、塔は1486-91に後期ゴシックで建てられた。
 聖ニコライ教会St.Nikolei Kirche (1200) 商人や貿易来訪者の守護聖人に捧げら
   れた。ロマネスクの野石造りの建物は16cからは日常の目的のために使われた。
 エリザベス礼拝堂 Elisabeth Kappelle (1456) 礼拝堂は辺境伯ヨハン1世が設立し
   同じ名前の病院に属し、1617の火災で焼失した。17-19cに塩の貯蔵に使用され、
   塩教会とも呼ばれた。1997改修後催物会場になった。
 ドミニスコ会修道院跡 Ruine Dominikaner Kloster (1438) ドミニコ会修道院は1434
   に設立され、宗教改革の後に解散された。
 防波堤頭 Buhnen Kopf (17c) 通りに上に行くほど突出した木組みの建物が建
   てられ、その姿が防波堤頭と呼ばれた。
 旧製糖工場 Ehem.Zuckersiederei (17c) この木組みの家に1836製糖工場が設
   立された。それから発展して近代的な製糖工場とチョコレート工場となった。
   ここで有名な「Feodora」が制作された。
 木組みの家 Fahwerk Haeuser (17c) 教会通りには、主に17cの木組みの家が
   残され、それぞれ美しい木組みと豊富な彫刻を見せている。特に東側23番地の家
   は彫刻が面白い。

5.写真

市庁舎 聖ステファン教会
ノイステュダー門 散弾塔
プティネン塔 馬車道・登山
フュナードルフ門 西壁
東壁

5.町の略図

[戻る①得点]

ツェルブスト Zerbst SA8

1.歴史

  948 オットー1世の司教区設立文書に初言及、1008 要塞化された入植地に言及、
 13C 最初の都市の防衛、市壁の前駆、   1209 城下町と市場町として成長、
 1253 ブランデンブルク辺境伯は支配権を獲得、1259 リチャード3世の関税自由権を得た、
 1294 町は貨幣鋳造特権を得た、      1307 伯爵アレブレヒト1世は領主となる、
 1397 壁塔Kiekinpottを建設、       1430-35 5門と4.2km市壁を建設、
 1506 大火災で町の1/3を焼失、    1603-1795 アンハァルト-ツェルブスト公国の首都、
 1795 アンハァルト-デッサウ公国の一部に、     1945 2次大戦の空爆で町の8割破壊。

2.市壁  3.96km 0.95

   15cの市壁は、主として1945の空爆による破壊は復元され、ほぼ全周で残さ
  れている。壁上通路と胸壁の木造部分は、短区間しか復元されていない。聖マリア小
  門の東側にWiekhausや胸壁と銃眼付の市壁が復元されている。

3.塔 0門1塔

   以前の市壁には、50を超える防御塔・火薬塔・小屋や壁上通路があったが、今
  は、ほんの僅かしか復元されていない。
 ハイデ門 Heide Tor (15c) 北東、大きく綺麗な外観の市門で、今は中心の角
   塔の両側に道路が設けられている。門は石積と煉瓦造で年代が判別できる。
 広い通り門 Breitestrassen Tor 西、四角塔の左右に通路があり、塔頂は
   今はイタリア風フードや木製鐘楼は外され単純な四角錘屋根になっている。
   西の市壁の上にはZuckerhutがあり、名前は高く尖った屋根から来ており、視覚
   的には非常に高い。
 見張小屋 Wachhaeuschen (Ehem.Akensches Tor) 南、橋の側のAkensches
   門のあった場所の西側に見張り小屋が残っている。その外側に砂岩の銘板があり
   市塔の場所を示している。
 女門跡 Rest des Frauen Tor 西南、多くの改造がなされ、違ったものに
   なっているが、まだ識別できる。今は歩行者道となっているアーチもある。
 でぶ塔 Dicker Turm 南西、聖バートロメ教会の近くに独立しているドッシリした
   四角い時計塔である。
 マリア小門 Marien Pforte mit Wiekhaus 南東、1912に造られた切通しで木橋
   で町の内側にすぐ到達できる。この小門を通り抜けた左に、壁上通路のある市壁
   とWiekhausの美しい眺めが見られる。

4.見所  B

   水堀の向こうに市壁に囲まれた町が聳える。2次大戦で町の80%が壊されたの
   で、元の姿に復元された建物は少ない。
 市公会堂 Barocke Zerbster Stadthalle 公園の中の旧領主のバロックの乗馬
   会館であり、戦災で大被害を受けたが復旧され、今は市公会堂として催物・
   会議・展示会・演奏会等に使われている。
 旧領主の居城 Ehem.Fuerstelichen Residenz (1681) 領主の居城として3翼
   3階建てで建てられた。西翼1703-11、東翼1744-47ニロココで建てられた。
   1945空爆で東翼が破壊された。
 偉大なカタリーナのコレクション Sammlung zu Katharina der Grossen 古い本体にバロ
   ックで改築された美しい2階建ての貴族の館であり、その後高位官僚の住家として
   使われ、1945の空爆で損傷し1958-60に復元されて、今は行政や裁判の部分と
   ドイツで唯一の偉大なロシア皇帝カテリーナのコレクションの博物館の部分がある。
 旧フランシスコ会修道院 Ehem.Franziskaner Kloster (1235) 町で最古の修道院
   であるが、美しい回廊や中庭を含めて保存されている。今ではドイツで3番目に
   に古い高等学校・歴史的フランシスコ図書館・町の博物館・ワインハウスがある。
 聖トリニティ教会 Kirche St.Trinitatis (1683-96) バロックのギリシャ十字の教会が
   建てられたが、1945破壊された。1953再度新築され2004-05前面が塗装された。
 聖ニコライ教会 Kirche St.Nicolai 後期ゴシックの3廊の大ホール教会として豊かな
   内装で建てられた。1945空爆後に、南北2塔と外構を除いて取り壊され、2007北
   鐘楼に重さ5tの大鐘が付けられ、2007-8に現状保存工事が行われた。
 旧アウグスティーノ修道院跡 Reste des einstigen Augustiner Kloster (15c)
   1522マルチン・ルッターがここで説教した。アンハルトで最初の改革導入した町となった。
   建物の外の砂岩の碑には、変動の時代が記述されている。歴史的な修道院の広間
   には素晴らしい絵画がある。
 聖バーソロミュー教会 Kirche St.Bartholomaei (1215) 初めのロマネスクのバジリカは
   15cに3身廊ホール教会に、16cにルネッサンスに変換された。1945破壊され、内陣と翼廊を
   再建し新教教区教会としてとして使用された。中には、領主の家族の墓碑・フレスコ
   画・ルーカス・コラナッハのキリストの洗礼の絵画額がある。
 旧シトー派修道院 Ehem.Zisterzinserinnen Klosters St.Marien (12c) 小修
   道院の中庭と建物・大修道院の中庭と建物があり、今大修道跡は学校施設群の中
   に入っている。
 ローラント像 Roland (1385) 自由都市のシンボルとして、マルクトに木製のローラント像が
   立てられた。1445に9mの砂岩の像となり、その後鉄のフェンスで守られた。1945に
   壊され1980に復元された。
 バラ路地 Rosen Winkel 聖バーソルミュー教会の南側の路地に小さな木組の家並
   とガス灯があり、かっては野生のバラの生垣が美しい路地であったため、この名
   前が付いた。今も静かな中世の雰囲気を保っている。
 美しい木組みの家並み Breite mit einer Schoenen Fachwerk Zeile ブライト
   通りの北側にギルドハウスがあり、ここからMuehlenburuecke通りへの間の家並みは
   古く美しい木組みの家並みが見られる。
 再建されなかった建物 Breite mit einer Schoenen Fachwerk Zeile 1945
   の空爆で多くの木組やルネサンスの建物が破壊され、次の建物は復元されなかった。
    15c煉瓦積のルネッサンスの市庁舎・1534-45ルネッサンスとゴシックの百貨店・木組みやバロック切
    妻の殆どの町家・1610木組みの中央薬局・宮殿の馬車庫と厩舎・1714オランジェリィ。

5.写真

聖バートロメ教会 ローラント像・聖ニコライ教会
荒野門 ワイン小屋
広い通り門 太い門
女門 北壁
北壁 南壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

チューリンゲン州 TH

バート・ランゲンザルツァ Bad Llangensalza TH1

1.歴史

 932 初文書言及  1212 皇帝オットー1世から都市権授与、 1268 町と呼ばれる、
 1300 市壁と4門の防御施設完成、    1346 チューリンゲン方伯とマインツ大司教の争い、
 1365 新旧市街地を含む市壁7門27壁塔建設、   1578 町は今の名前となった、
 1632 30年戦争の被害、 1704町は包囲された、    1711 壊滅的な大火災、
 1756-63 7年戦争で破壊された、          1866 ランゲンザアルツァの戦い、
 1990 旧市街地の大部分を回復。

2.市壁  1.47km 0.55 

   1300に旧市街地の一次市壁が完成し、1365に新旧市街地を含む二次市壁に拡
   張された。今は各所で市壁跡は公園や遊歩道になっている。

3.塔  2門16塔

 残るのは2門16塔であり、内4塔は一次市壁の壁塔である。
 クラーゲ門 Klage Tor (1382) 東市門で近くに日本庭園・バラ園・モクレン園・植物園。
 年市場門 Jahrmarkter Tor 南門。
 円塔 Rund Turm 北東。
 城塔 Burg Turm 北東。
 火薬庫塔 Pulver Turm 北東。
 助祭塔 Turm am Diakonat 東、第一次市壁の塔。
 負け塔 Wichihaus Turm  東、第一次市壁の塔。
 飾り塔 Zier Turm 東南角、第一次市壁の塔。
 バター塔 Butter Turm 南中。
 飢餓塔 Hunger Turm 南中。
 シナノ木塔 Lindenbuehl Turm 南。
 白塔 Weisser Turm 南。
 土塁塔 Schanz Turm 西。
 北塔 Nord Turm 北西。
 火薬塔 Purver Turm 北西。
 壁塔 Mauer Turm 北西。
 鋳物塔 Giess Turm 北。
 コウノトリ巣塔 Storokennet Turm (1212) 昔の「新市門」と言われた一次市壁の門
   塔で、1593に壁塔となった。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (13c) 1346と1711に火事に会い、その土地固有の建物であ
   ったが、1752今の形で3階建で建てられた。元の13cの木組の建物から塔が残された。
   入口の玄関の上に正義と平和の天使の女神があり、南側にはプロイセンの紋章がある。
   市庁舎の地階には肉屋が40件あった。正面には32鐘のグロッケンシュピールと14人の回り舞台
   があり、12.18時に実演がある。
 市場教会聖ボニファライ MarktKirch St.Bonifacii (13-16c) ルネッサンスとゴシックの様式が
   見られる。チューリンゲンで最高の73.6mの双塔と一本針の時計1612がある。内部には14c初
   期ゴシック広間・1734六角形の説教壇・19c祭壇・1430キリスト磔像の絵画がある。
 水の流路 Wasser Lauf () 水動力で多くの工場が動いていたが、今は動力が変
   化し街中の自然水路として名を残している。
 フリーデニケン小宮殿 Schlosschen Friedeniken (1748-51) ザクセン・ヴァイセンフェルス侯爵未
   亡人が市壁の外にロココで建てた。建物には、マナーハウス・結婚式場・演奏会場・ダイエット指導台
   所・会議場がある。
 アウグスティーノ修道院 Augustiner Kloster (1280) 旧市街地の外に、ギュンターが寄贈
   した。1539カトリック教会が閉鎖され、修道院が町を去った。世俗化後町の教会として18
   年間使われ、1774修道院の塔が火災で壊され、ゴシックの回廊と聖具室が残された。
   今は改修され、改修されて市博物館となり、鐘楼には登れる。
 ドリ城 Dryburg (12c) 領主の最古の城で何回も拡充された。昔北東の角に立っ
   た塔は、1899火災にい会い、1927市の所有となった。1949市の図書館になった。
   市壁の上に4階建で再改修され、今は商店や住居として使われている。
 墓地教会 Gottesacken kirche St.Trinitatis (1733-39) 葬儀の説教が行われ
   1741説教壇が寄付され、1869オルガンが置かれ、キリストの生涯の絵画が描かれた。

5.写真

市庁舎 クラーゲ門
東壁 西壁
南壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る④門塔]

ハイルバード ハイリゲンシュタット Heilbad Heiligenstadt TH2

1.歴史

  973 皇帝オットー2世の文書で最言及、10c マインツ大司教の支配下で集落建設、
 1000 市場の町だった、1227 マインツ大司教ジークフリート2世は憲章を授与し市壁を築く
 1333 大火事で町は荒廃、       1335 包括的な自治体の法制を採択、
 1525 宗教改革の導入、        1575 イエズス会の反宗教改革、
 1611.1626.1682 ペスト流行で人口減、  1618-48 30年戦争で数回略奪された
 1739 2回目の大火事で深刻な損害、   1736 マインツ選帝侯が宮殿を置く、
 1802 プロイセン領となる、   1803-13 ナポレオンの占領、  1815再びプロイセンへ、
 1858 最初の葉巻工場設置、 1873 針工場の建設、1945 4月米軍7月赤軍占領、
 1945 チューリンゲン州となる、  1950 スパ開設、   1994 郡庁所在地となる。

2.市壁  2.39km 0.82 

    13cの市壁は、初め高さ4mで造られ、今も8割が残されている。市壁は、
   住宅用の基礎壁や側壁あるいは地下室としても残っている。

3.塔  0門5塔

    門や塔は見当たらない。小さな壁塔が、北に2角塔 西に1円塔 南に
   2円塔 合わせて5壁塔が残されている。

4.見所  C

   今も市壁に囲まれたマインツ大司教の町で、1739の大火事以降の建物が殆どで
   ある。旧市街の北東にクア・パークがある。

 旧市庁舎 AltesRathas (13c) ゴシックの建物で、ここで農民反乱の指導者
   トーマス・シュンツアーは旧権限の廃止を宣言した。今は戸籍局である。
 市庁舎 Rathas (1739) 1739の大火災の後にバロックで町のワインセラーの基礎の上
   に築かれた。今は観光案内所と運送協会が使っている。
 マインツ宮殿 Mainzer Schloss (1736-38) マインツ選帝侯がはバロックの宮殿を構築
   して、大司教の知事の役所と住居とした。見所は星形門・2バルコニー・オーク材の階段
   などがあり、ハインリッヒ・ハイネは学生時代に宮殿教会で洗礼した。今は地区事務所。
 クラウス粉挽所 Klaus muehle (1748) ひときは美しい2階建木組の建物で、聖
   ニコラス教会の近くにあったためその名前が付いた。ここで彫刻家リーメンシュナイダーが生
   まれ、ここからヴュルツブルクに後期ゴシックの芸術的価値を築いた。
 領主粉挽所 Herren Muehle (1318) 町に在る3粉挽きの最も古い建物で、
   水車を動力として粉を挽いていたが、1725の火事で焼け拡張して再建された。
   1960までは水の輪を介して操業した。今も水利権を有し操作可能である。粉挽
   所と穀物倉庫は国の記念物である。
 聖アエギデン教会 St.Aegidien (1739) 南の新市街に砂岩で造られ計画され
   た2塔は造られなかった。1333に火災で焼失し、同じ場所にゴシック3廊のホール教会
   が1370に建てられた。異なる世紀からの貴重な機器に飾られ、聖女マリアのレリーフ
   ・1691バロックの祭壇・1507青銅の洗礼盤がある。1990外観の修復と内部再装飾。
 聖マリア援助礼拝堂 St.Marien HilfeKapelle (1860-61) 女性礼拝堂で、聖
   アン教会をモデルに聖アエギディーン教会の水側に建てられた。内部には単純な形で、
   赤子イエスとマリアの像がある。
 聖マルチン教会 St.Martin Kirche (14c) 元大学教会でアクセスフェルダー母教会と
   して13c末に着手され山の最も古い集落に1487に完成した。プロイセン王の政令で
   1803に廃止され、新教の教区教会として引き渡された。
 聖マリア教会 Kirche St.Marien (14c) 1300年に着手され、幾度か改造さ
   れて3身廊の旧市街の教会は、町の繁栄の象徴となった。その後高さ55mと53m
   の双塔が付けられ町のランドマークとなった。20cに改修工事が行われた。
 聖アナ教会 St.Annen Kapelle (14c) 塔上の建物は聖マリア教会の向かいに位
   置し、16cの礼拝堂はゴシックの真珠と呼ばれ、ゴシックの印象的な特徴を備える。
   八角形の平面・ガーゴイル・1300マリア像がある。
 テオドール・ストーム文学館 Theodor Storm Museum (1988) 町の古い家に、文学
   者テオドール・ストームの博物館が、死後100年を記念して開設された。
 アイヒフェルダー歴史博物館 Eichsfelder Heimat Museum (1740) 元イエズス会の
   大学のバロックの建物に1932開館された博物館で、神聖と世俗・リーメンシュナイダー作品・
   巡礼と行列・アイヒフェルダーと町の歴史・鳥の展示がある。芸術ホール。バロック庭園。

5.写真

市庁舎 北壁
北壁 北東壁
東壁 南東壁
南壁 聖マリア教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

カーラ Kahla TH3

1.歴史

  876 最初の文書言及、       1140 ワイン製造、
 1283-1333 都市権を授与、      1345 戦争の火災で町は殆ど焼失、
 14c 敵に備え市壁の強化、      1347.1566 ペスト流行、
 1410 町は大火災で損傷、       1487 上級裁判所の開設、1613大洪水、
 1625 農民戦争勃発、         1632 30年戦争で略奪、その後要塞強化、
 1806-13 ナポレオン軍が占領、      1843 大きな二つの磁器工場が開設、
 1945 2次大戦による被害はなかった。

2.市壁  1.03km 0.90  

    1345領主は戦いの後に町の要塞を強化した。殆ど残っているが建物の陰で
   見えない部分もある。

3.門塔  1門2塔

    1345には3門6塔で市壁は構成された。
 ザール門 Saal Tor (14c) 中世要塞の唯一残る門であり、丘の上から下の道
   へは、地下道となっている。門にある町の紋章は女性の竜退治である。
 拷問塔 Marter Turm (1345) 戦いの後の要塞強化のために設けられた3門
   6塔の内の一つで、ほぼ完全に市壁と共に復元されている。
 麦芽塔と乾燥窯 Malz Turm und Darre (1345) 復元保存された二つ目の
   塔である。壁を越えて窯があり乾いたビール麦芽を棚に置いた。

4.見所  C

   丘の上に市壁で囲まれた中世の町がよく再構築され、中世の雰囲気を取り戻
   している。丘の下からの塔や壁を見上げる景観も良いが、広いマルクトは大きな建
   で囲まれ重々しい。
 市庁舎 Rathaus (1325)中世には狭い建物で地階のゴシックオープンアーチにパン屋
   と肉屋の屋台があり、2階には市長と町の事務所があった。1879-82大幅に建物
   が拡張されて3階建てとなった。珍しく時計は前面の壁に付けられた。
 角の家 Eckhaus (13c)旧市街でも古い木骨造の建物で復元されている。
   昔のヨハネス門の近くにあり、今はホテルとなっている。
 市場の門 Markt Pforte 生産市場の門は、川と道を基盤として新形成され
   た地区と歴史的地区を繋いだ。昔は食堂の建物を通って王子の地下室に繋いだ。
 旧地方裁判所 Historisches Amtgerichit (1898-99)旧地方裁判所の正方
   形の錬鉄製の門があり、その後、警察署・図書館・音楽学校として使われ、2010
   改修された。
 市民の家 BUrger hseuser (16c)ロス通り32番は馬車宿、6.7番は最古の石造
   の家であり中庭にアーケードがある。
 市教会聖マルガレータ StadtKirche St.Margarethen (1411-95) かっての城礼拝
   堂は、1791-93身廊を増して今の外形になった。1524ここでルターが説教している。
 聖ニコラス教会 Kirche St.Nikolaus (1486) かっての墓地礼拝堂は、1486に再
   建されたことは、病院の碑文に記述がある。1550から改築や修繕が行われ、1950
   カトリックの教会となった。
 市博物館 Stadt Museum (16c) 二つの家は大改修が行われ、16c集会所、
   1620-80は工芸と商人の家族が使った。最後の商人家族の名前は建物に付けられ
   MetzerneschesHausと呼ばれた。今はPorzel an werkesの収蔵所と町博物館。

5.写真

市庁舎 広間塔
拷問塔 東南壁

5.町の略図

[戻る③壁率]

キンデルブリュック Kindelbruck TH4

1.歴史

  9c初 ハースフェルト修道院リストに初言及、1291 アルブレヒト2世は村にヴァイセン湖の権利、
 1372 毎日曜日に市場開催、     1426 市長と市庁舎の初言及、
 1508-38 市壁の建設、  1508-15 聖イグゲンの墓地と周壁に建設、
 1528 上町は大火災で60戸焼失、 1575:340人、1577:129人、1579:211人コレラ死亡、
 1585 大火事で117戸(3/4)焼失、  1597:124人、1610:502人、1638:半数死亡、
 1648 106戸、1761 全焼、      1815 ウイーン会議でプロイセン王国へ、
 1816 ヴァイセンゼー教区はサクセン州へ、   1945 4月米軍占領、7月赤軍占領。

2.市壁  1.35km 0.81  

    他の町よりも市壁の建設は後回しにされ、1508に始まった。まず聖イグゲン
   教会と墓地の周囲から始まり、その後町全体の長さ800×600mの長方形を囲んだ。
   今も多くの部分で無傷で残っている。

3.門塔  1門3塔

    16cの市壁には、4門と多数の塔があった。4市門には、それぞれ衛兵詰所
   として門塔上部が使われ、夜には閉じられた。今は西に市壁に開けられたアーチ門
   がある。塔としては、北西角に半円塔・南西角に大円塔に六角形の塔・南西に半
   円殻塔の3塔がある。

4.見所  C

   1761の大火事の後の建物が殆どである。
 市庁舎 Rathaus (1426)1761の火事で壊れた上階の床と前面が改修され、
   入口には後で階段が付けられた。基礎と地階の床は1501の物である。
   高基礎の上の2階建マンサード屋根のの建物で西に鐘楼のある簡素な建物。
 聖ウルリッヒ教会 Ev.Kirche St.Ulrich (1440)幾つかの段階を経て拡張され
   た。多角形の内陣が最古の部分であり、1501北側に特徴的な塔が付けられた。
   1761の火事の後に1784まで再建は遅れた。
 グリュンデル穴 Gruendeels Rock 1611) 町の西に、鍾乳洞から流出した水を
   貯めた22mの池がある。10度cで15600リットル/分の高石灰含有湧水は天然記念物で
   ある。
 郷土博物館 Heimart Museum () 町の歴史の証言を取集して展示している。

5.写真

市庁舎 聖ウルリッヒ教会
西小門 北東
南東壁 南西壁
西北壁 北壁

5.町の略図

[戻る②壁長]

ミュールハウセン Muehlhausen TH5

1.歴史

  967 オットー2世の文書に帝国農園として初言及、    11c 旧市街の成立、
 12c 旧市街の西にフリードリッヒ1世の新市街、1180 王ハインリッヒは町を帝国自由都市へ、
 1200 町49haを囲んだ市壁は2.7kmあった、  1220 最古の独語の都市権の記録、
 1241 町は関税権と鋳造権を得た、 1251 市参事会が自治、城との間に隔壁を、
 1418 ハンザ同盟に加入し海外へ交易、1422.1487 大火災、1438.52.85 ペスト流行、
 1524-25 農民戦争後はザクセンとヘッセンが保護、 1618-48 30年戦争で町は荒廃、
 1682-83 ペストで4617人死亡、1689 大火で568戸焼失、1756-63 7年戦争の宿営地、
 1803 プロイセン王国に帰属、      1807-16 仏ベストファーレン公国に組み入れ、
 1816-1944 再びプロイセンに属しザクセン県、  1944 チューリンゲン州に属す、
 1939-45 2次大戦を著しい損傷なく過ごした。

2.市壁  2.66km 0.90 

   13cの市壁は、大部分が残り、壁上通路を通行できる。

3.門塔  2門13塔

   13cの市壁には、7つの二重門と38の防衛と回転砲台があった。
  1.Freuen Tor(1655)西角門、2.Kirstan Tor Heimatmeseum西の出入り口。
  1.西北部5塔:RabenTurm(1350)円塔、HospitalTurm(14c)角殻塔、角壁塔3。
  2.北部5塔:角殻塔3、角壁塔2。 3.東北部1塔:HexenTurm角塔。
  4.南部3塔:角塔1、円壁塔2。

4.見所  B

    13cの市壁が珍しく無傷で大部分が残り壁上に登れる。町は1698の大火災後に
   再建された古い街並みは、ヘレン通り・ホルツ通り・シュタイン路地に残る。
 市庁舎 Rathaus (14c-20c) 長期間にいくつもの建物の集合体である。16cの
   メインの3階建ての建物に大会議室がある。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (1050-1900) 上の町の親教会で、14cの建物が
   今も残り、チューリンゲンで2番目に大きな教会(2番はエアフルト大聖堂)で、塔の高さは86m
   もある。外部には装飾が多く、切妻・軒蛇腹・吐水孔などが精巧に作られている。
   5廊式身廊の内側には、1530の祭壇画・十字交差西の大柱には16cの東方3博士礼拝
   の絵画がある。
 聖ブラジウス教会 St.Blasius Kirche (1235-60) 下の町の親教会で、14cに3身
   廊ゴシックのハレン教会に改造された。1707-08はバッハがオルガン奏者であった。内陣の14c
   ステンドグラスと後期ゴシックの中央祭壇が見所である。
 万聖節教会 Aller Heiligen Kirche (1287) 18cに改修され、絵画とグラフィック
   の展示がある。
 郷土博物館 Heimat Museum (1868-71) 旧小学校の建物に郷土博物館を開設。

5.写真

司教館 女門
病院塔
西壁
マリエン教会

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

[戻る④門塔]

ゼマーダ Soemmerda TH6

  876 フルダ修道院の十分の一税紛争で言及、918 王コンラッドは村をフルダ修道院へ、
 1369 チューリンゲンで最古の村、     14c ホーエンシュタイン家のハインリッヒ伯は都市権授与、
 1389 ヴェニンゲンゾマー門と塔の建設、商業と貿易で繁栄、1395 エアフルト門と6壁塔の建設、
 1533 4市門は強化された、   、  1589-97 市壁の拡大と1門6塔の追加、
 1621-31 30年戦争の略奪と火災で衰退、1684 サード市場の特権を取得、
 1737 大火災で下の町は大部分焼失、 1802 プロイセンが支配、その後ナポレオンが管理、
 1813-14 ナポレオンは破れ再びプロイセン領、1945 2次大戦の戦災は軽微、チューリンゲン州へ。

2.市壁  0.93km 0.70 

   14cに市壁が造られ、16c末に市壁は拡大された。4mの高さと0.95の厚さで1.3km
  の延長があった。主として国道沿いに市壁は見事に残る。

3.塔  1門8塔

 エアフルト門 Erfurt Tor (1395) 5市門の内唯一残る。3階建て(13.75m高)の角
   塔で、南欧風の屋根を載せ南に出窓がある。1993に改修された。今はKunst im
   Turmとして1977から芸術の展示を行っている。
 8円塔 Rund Turm 円錐屋根の小円塔が市壁中に8基ある。

4.見所  C

   1kmに及ぶ細長い町であり、市壁は良く保たれているが見所は少ない。
 市庁舎 Rathaus (1539) 前面に階段塔のある2階建てルネッサンスの建物。
 聖ボニファティウス教会 Ev.Kirche St.Bonifatius (1464-1562) 1149の高い塔の
   ある教会で、今の外観は1567ゴシックへの改装による。内陣の下には市長や司祭
   を埋葬した地下室がある。金箔や彫刻に飾られた祭壇やバロックオルガンもある。
 聖ペトロ教会 Ev.St.Petri Kirche (1308) 聖ペテロとパウロ教会の敷地内に、
   1682-85聖ペテロ教会が建てられた。外観は単純なバロックの教会で、1716にバロック
   の塔が付けられた。身廊の天井には塗装格間であり八角形の洗礼盤もある。
 聖フランシス教会 KatholischeKirche St.Franziskus (1860) 宗教改革で既存
   の二つの教会は新教となり16c中頃にカトリックの教会はエアフルトに行った。
   1860小さなカソリックの木の教会が造られ、1893赤レンガの教会が建てられた。
 教区司教館 Pfarrhaus (1589) 初め地階石造で上階木組みの事務所が建て
   られ、1792新教によって買収され、1993に改修された。

5.写真

市庁舎 エアフルト門
北壁 北東壁
東壁 東南壁

5.町の略図

[戻る④門塔]

ヴァイセンゼー Weissensee TH7

1.歴史

 1168 チューリンゲン方伯が城を所有    1174 ヴァイセンゼーとして初言及、
 1198.1265 町の市場権が付与、  1440 チューリンゲン方伯の死でザクセン侯爵領に、
 1446 憲法上の創立議会を招集、   1525 農民戦争は町の入口で防がれた、
 1656-1746 ザクセン公国に属した、   1709 侯爵は上部池を築ぎ耕地を開発、
 1815 ウイーン会議でプロイセン領となる。

2.市壁  1.44km 0.96 

   城の周囲を含めて、殆ど全周に保存状況は良くないが市壁が見られる。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   1434ビールの製造法を規定したヴァイセンゼー純度法が定められた文書があり、
   その後のドイツビール純粋法の先駆けとなった。小さな町はマルクトが北東にある。
 市庁舎 Rathaus (1200) チューリンゲンでも古い代表的なロマネスクの3階建て石
   造の建物で、小さな私的な醸造所があり、1434ビール純粋令の文書が発見され
   今でも醸造している。市庁舎の前面にはザクセン公国の紋章が飾られ、ここで
   Weissenseer Beer Festが開催される。
 ルンネ城 RunneBurg (1168) チューリンゲン方伯は、ロマネスク2階建ての宮殿に、
   5階建ての住居塔・城門・城壁を拡張した。1580-81新住居、1600門の家、
   1738キャッリジハウスを建設。1750ロマネスクの天守閣を除去、1820城は管理目的で
   再建され、1890プロイセンの事務所を建設、1952-95学校として使用され、今
   は、博物館やレストラン「方伯の居酒屋」がある。
 聖ペテロとパウロ教会 StadtKirche St.Peter und Paul (13c) ロマネスクの
   ハレン教会には1230聖ヨハネ騎士団が定住し、1300教会は修道院教会となった。
   2階建てゴシックの長方形のホールは、高い急勾配の巨大な屋根が西側にある。
   1673北側の内陣は改築され、仕切り席が取り付けられた。中の、14c祭壇
   1621説教壇・1584オルガンなどがある。

5.写真

市庁舎 ルンネ城
城壁 北壁
北壁

5.町の略図

[戻る①得点]

[戻る②壁長]

[戻る③壁率]

「トップに戻る」

inserted by FC2 system