ドイツは何回行っても興味深くて居心地がよく、親切で安全です。また、自然や
町の景観も美しく、それを維持している国民性に頭が下がります。
ドイツの町は、日本のように同じ場所で建て替えて発展するのではなく、殆どの
町がAlteStadt(旧市街地)を保存して、別に周囲に新しい都市を建設して発展して
います。 それでどこにでも旧市街地が残され、それぞれ特徴のある昔の雰囲気を
マルクト広場を中心に市庁舎・教会・木組みの建物などで形成し、オープンカフェ
で人々が憩っています。
そして所によっては、城・宮殿・修道院等も残され、旧市街地を囲む市壁・門・
塔・堀・土堤の防御施設も見受けられます。
ドイツの何かに興味をお持ちになり、訪れて見てはいかがでしょう。
ここでは「市壁」を見るドイツの観光を提案させていただきます。
ドイツの旧市街地での見どころは、古風な旧市庁舎・教会・博物館や石積みや木
組の街並等も要素ですが、私は市壁と門・塔が如何に残っているかを要点として、
ドイツの旅を提案したいと思います。
そこで、市壁や塔が多く残っている町を探して、「市壁と塔と見所」による私案
の順序付を行った「総合ランキング」をお知らせ致しますので、ぜひランクの高い
町を訪れて楽しんで頂きたいと思います。
興味のある方は、表中の町名をクリックすれば、町の歴史・見所・写真・市壁の
位置等について、ご覧いただけます。
ドイツの宿は各種あり、田舎でも清潔なベットを安く提供しています。交通マナー
もとても良く、最高速度は高速:無制限・郊外100km/h・市街地50km/hをよく守り、
運転しやすい国であり、休日には大型車が激減します。
市壁とは、中世の旧市街を守った壁で石や煉瓦で築かれていますが、現地に行っ
て見ますと、中世のまま残っているのは稀で、補修または復元されて屋根付き木造
防衛通路が復元されているものから、高さを切り取られたもの、撤去した跡に低い
石積みを置いたものまで、残っている状況は多様です。
補修・復元の年代も推測しかねますので、場所が市壁の位置にあり高さが1m程
度以上のものや家屋等の壁や基礎となっているものは、市壁とさせて頂きたいと思
います。なお、堀や土堤も、都市防御の大きな要素であり現存していますが、これ
らは市壁の範疇には含めないものとします。
市壁の材料も、玉石から切石の石材から、北ではレンガが使われ形状も多様です。
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メイエン | キィリッツ | グランゼー |
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ノルトハイム | ノイルッピン | ビュルゲ |
塔には、市壁の中にある防御見張塔と旧市街の出入りに使われた門塔があります。
塔もある程度の痕跡があれば数に入れます。紛らわしいのは、門塔が撤去され跡に
簡単なアーチを築いたものや後年に出入りのために市壁に穴を開けたものも有りま
すが、これらのうち名のあるものは門(Tor)に含めたいと思います。
Wiekhaeuser(壁間小屋)は、北独にしかない珍しい存在であり、ぜひ見てみたい。
なお、市壁を主体としたランキングですから教会や市庁舎の塔は範疇に含めない
ものとします。
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クサンテン | バッサーブルク | ノイブランデンブルク |
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フランクフルト | フィリンゲン | ランゲンブルク |
見所とは、町の古い建造物・広場・街並みや博物館等にある美術品などで、興味
深いものの多さと程度を感覚的に判断させて頂きます。
見所について、やたらと戦争.落雷.火災.老朽化などによる破壊、様式の改装.改
修.建替.増築などの変更、取壊し撤去などが行われ、その年号が記述されています。
これは、建設年の建物がそのまま残っているのでは無く、多くの人々の長年の維
持・改修の努力により今の姿が有る事の説明です。
また、当時の事情も、例えば市壁・塔はギルドが分担して築き守ったとか、市壁を
取崩して石材や跡地を町が売却して収入としたとか、バイエル皇帝命令で市壁が保全
されたとか、面白い話もあります。
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アルゼイ | シュトラルズンド | バンベルク |
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ブラウンシュバイク | フリッツラー | フレンスブルク |
市壁は残った長さ「市壁長」と残った割合「壁残率」をそれぞれ5段階で、塔は
残った基数を「塔の数」で5段階で、町の見所を「見所度」で5段階で、私見で勝手
に区分判定して、総合点は20点満点で比較しました。
単位は、市壁延長 km、壁残存率 割合、塔の数 基、見所度 D~S。
得点 | 市壁長 | 壁残率 | 塔の数 | 見所度 |
5 | 1.2ー | 0.95- | 15ー | S |
4 | 0.8ー | 0.7- | 10- | A |
3 | 0.5- | 0.4- | 6- | B |
2 | 0.2- | 0.1- | 3- | C |
1 | 0.01ー | 0.01- | 1- | D |
0 | 0 | 0 | 0 |
「残っている市壁の長さと割合・塔の数・見所の多さ」による総合点を、2018
年秋までの調査段階で纏めて表示しますので、これを参考にしてドイツ旅行をご検
討願います。
市壁のありそうな901の町を廻って、市壁のあった757の町について比較し
ました。ドイツには、まだ多数の市壁の残る町が有ると思いますので,お気づきの
町がありましたらお知らせ頂ければ追加致します。
各州別の総合得点の分布を次に示します。市壁のある町は、バイエルン州(25%)、
バーデンヴュルテンベルク(20%)、が多く、ヘッセン州(12%)、ノルトラインヴ
ェストファーレン州(10%)、ザクセン州(7%)、ラインラントプファルツ州(7%)、
ザクセンアンファルト州(6%)、チュービゲン州(6%)が続きます。
そして全体の分布は8点を中心として高得点側になだらかな曲線となっています。
総得点13点以上は壁のある町全体の1割、10点以上は全体の3割ですから貴重
です。この高得点の町へは、是非訪れて頂きたいと思います。
最上行の数字は総合得点、表中の数字は町の数です。
得点 | 2-3 | 4-5 | 6-7 | 8-9 | 10- | 12- | 14- | 16- | 18- | 合計 | 割合 | 壁無 | 総計 |
特市 | 1 | 1 | - | 1 | 2 | ||||||||
SH | 2 | 2 | - | 7 | 9 | ||||||||
MV | 6 | 3 | 3 | 5 | 0 | 2 | 19 | 3% | 0 | 19 | |||
BR | 5 | 6 | 5 | 5 | 7 | 2 | 30 | 4 | 6 | 36 | |||
SA | 11 | 14 | 9 | 8 | 4 | 5 | 51 | 7 | 5 | 56 | |||
S | 6 | 14 | 16 | 6 | 4 | 1 | 1 | 48 | 6 | 11 | 59 | ||
TH | 1 | 7 | 14 | 11 | 2 | 6 | 3 | 1 | 45 | 6 | 8 | 53 | |
NS | 8 | 10 | 6 | 4 | 3 | 31 | 4 | 8 | 39 | ||||
NW | 3 | 20 | 19 | 13 | 11 | 6 | 2 | 1 | 75 | 10 | 34 | 109 | |
HE | 3 | 13 | 28 | 24 | 9 | 6 | 3 | 1 | 87 | 12 | 15 | 102 | |
RP | 12 | 17 | 8 | 3 | 3 | 6 | 1 | 50 | 7 | 10 | 60 | ||
SL | 1 | 1 | 2 | - | 2 | 4 | |||||||
BW | 3 | 31 | 45 | 30 | 12 | 7 | 2 | 129 | 17 | 19 | 149 | ||
BY | 3 | 27 | 38 | 49 | 25 | 15 | 18 | 7 | 4 | 186 | 25 | 18 | 204 |
合計 | 19 | 155 | 212 | 166 | 88 | 58 | 43 | 12 | 4 | 757 | 100 | 144 | 901 |
割合 | 2% | 21 | 28 | 22 | 12 | 8 | 6 | 1% | - | 100 | % |
市壁の長い方からのランキングを表示します。(km)
「壁延長ランク50表」
長い方から1位ツエルプスト 3.96Km、2位ニュルンベルク 3.80km、3位バウツェン 3.70km、
と続き、3km以上の町が7(1%)、2~3km町が12(1.6%)、1.5~2kmの町が18(2%)、
1.0~1.5kmの町が58(8%)、0.7~1.0kmの町が63(8%)、ここまでで2割です、
0.5~0.7kmの町が75(10%)、0.1~0.5kmの町が332(44%)、0.01~0.1の町が
180(24%)であり、100mの市壁が残っていれば、立派な市壁の町と言えます。
市壁の残存率が高い町のランキングを表示します。
「壁残存率ランク50表」
市壁が残る割合は、1位1.00全周 ローテンブルク(3.20km)、ネルトリンゲン(2.60km)、ベルヒング
(1.40km)、ボルフラムスーエッシェンバッハ(0.90km)、ディルスベルク(0.73km)、ノイライニンゲン(0.70km)、
キリヒベルクJ(0.54km)、フェルベルク(0.39km)、ゼスラッハ(0.30km)、ベッセ(0.14km)、
11位0.99、クロイセン(0.68km)、12位0.98クサンテン(3.0km)、デュンケルスビュール(2.35km)、ノイブラン
デングブルク(2.38km)、アールバイラー(1.76)、メルケンドルフ(1.08km)、オルンバウ(0.77km)、プファルツェル
(0.63km)、フォルヒテンベルク(0.61)、20位0.97 ヴィッツストック(2.44km)、バードノイシュタット(1.42km)、
アウプ(1.2)、ゾーンス(1.10km)、フラデュンゲン(0.85)、アーッヒ(0.70km)と続きます。
市壁の残る割合1~0.95に34(5%)、0.94~0.80に44(6%)、0.79~0.50に118
(16%)、ここまでで2.5割、0.2~0.49に226(30%)、0.1~0.19に134(18%)、0.01
~0.09に199((26%)であり、2割の壁が残れば観光資源として通用します。
全周に市壁が残る町は、非常に珍しく、10の町しかありません。当然この町には
門塔も全て残され、中世のたたずまいが感じられます。
次に、塔が多く残る町を順にランキングします。
「塔数ランク50表」
やはり、塔の数の多いのもバイエルン州となりました。
1位ニュルンベルク71、2位バイセンブルク37、3位ローテンブルク35、4位デッターバッハ32、5位ブルクハウゼン25、
6位バート・ミュンスターアイフェル20、ズルツフェルト20、8位デュンケルスビュール19、ハイディングスフェルト19、10位
アッシャーレーベン18、オーパーベーゼル18、バート・ランゲンザルツア18、マインブラーンハイム18、と続きます。
塔の数20-71に7(1%)、10-19に34(5%)、5-9に113(15%)、ここまでで2割です、
3-4に168(22%)、2に146(19%)、1に206(27%)、塔0に150:これは市壁はあるが塔の
ない町です。逆に市壁はないが塔が多く残る町もあります。
Brauenfels9塔、Heidelberg6塔、BadUrach5塔、Postatt5塔、Muenchen4塔などは、
塔と町を見るために訪れるだけの価値があります。
次に、町の見所のランク別の分布は次の通りです。
結果的にS~Dの分布は、S(1%)、A(5%)、B(18%)、C(59%)、D(17%)であり、
見所がS・A・Bの町は全体の1/4に過ぎず、是非とも訪れてみたいと考えます。
地下は日本と同じ地下ですが、ドイツでは日本の1階は「地階」と言い、日本の2階が
ドイツでは1階となり、順次日本の3階はドイツの2階と数えます。
ドイツでは同じ地名が多くあり、近くの川の名前や町の名前を後ろに付けて区別してい
ます。同地名2はざらで、同地名3が29、同地名4が3、同地名5が5、同地名6が1で:
Salzbach、同地名8が2で:NeuenkiruchenとSteinbach、同地名17が1で:Neustadtとあ
ります。自動車のナビの入力には注意が必要です。
類似地名としては、Rotenburg2とRothenberg1とRothenburg3があります。Rotenburgは
an der Fulda HE 人口15千人と(Wuemme) NS 22千人、Rothenberg はOberzent市内 HE 0.9
千人、Rothenburgは ob der Tauber BY 11千人、/OberLausitz S 0.8千人、(Saale) SA
0.8千人がありますので、お間違いないように願います。
一般的に制限速度が市街部50km/h、地方部100km/hですが、市街部に入ったとたんにス
ピードメーターがあり、そこで50km/h以上であれば速度違反の罰金請求がしばらくして届
きます。市街部にはスピードを落として入れと言うことです。
高速道路は原則的に制限速度はないのですが、北東部の高速道路で120km/hの制限速度の
ある所のスピードメーターでも罰金請求が来ました。
レンタ―会社がクレジット引き落としで支払ってくれる所もありますが、直接日本に請
求されると銀行送金は高価になり、封筒に紙幣を入れて送ったら受取の返事が来ました。
駐車違反も5ユーロの反則切符がワイパーに付けられ、ドイツの銀行で手数料10ユーロを払って
支払いした事があります。
ドイツの立体駐車場は狭いです。走行路や駐車スペースがらの出し入れには小型車でも
腕が必要です。地下駐車場の料金精算は出口ではなく、料金精算機であらかじめ清算した駐
車券を出口バーに入れる方式です。駐車券紛失は3倍料金で清算可能でした。
路面駐車場も注意が必要で、住民のみ可の場所があり、そこに止めて帰って見たら車輪に
ワッカをハメられ、走って罰金を払い外してもらいました。
清算できない駐車券を渡されて、日曜日に窓口不在で地下駐車場に閉め込まれたこともあ
ります。
ドイツは高速道路発祥の地で、無料の高速道路と無料自動車専用国道が隅々まで張り巡
ぐらされ、各所で拡幅・改修工事が行われています。止まってしまう渋滞に会う機会はあま
りありませんでした。外側車線は90k/hの大型貨物が列をなし、内側車線は制限速度なしの乗
用車が、あっと言う間に後ろに付き、避けると150k/hの車をビュンと抜かして行きます。
高速道路の休日は大型・連結の貨物車が全く居ないため走行しやすく、長距離移動日に適し
しています。
ドイツの道路工事の迂回路は、高速を含め実に遠大な迂回で、しかも矢印だけで一つ見
落とすと戻れません。外国人には不親切です。ナビは交通止めの道路を示し、何回も行方不
明となりました。迂回路は恐怖です。
ロマンティック街道のノルトリンゲンでは、1803に不要となった市壁の取壊を始めたが、
1826バイエルン王ルードビッヒ1世は壁の解体禁止令を発して、取壊しを阻止し復元させた。そのため
今でも14-16cの市壁がほぼ完全に保存されている。完全な円形で銃眼付きの胸壁と屋根付き
壁上通路のある市壁2.6kmが中世の旧市街地を囲っている。町の中心の聖ゲオルグ教会の高さ89
mの塔からは全周が見渡される。また、市壁上の通路上は、一周できます。
東のザクセン州の町ベルゲルンは、エルベ川の南岸に位置し、北側から橋を渡って町に入るた
めには約20kmの遠回りとなるため、のどかな鋼渡し舟Gier Faehreが古くから運行している。
仕組は、川の中央にアンカーを打ちフロートを浮かべてワイヤーを渡し船と結び、ウィンチを動力として対
岸と行き来している。堤防を越えて川に入り流水部のみを8.41*30.51mの鋼台船に乗るので、
洪水時には撤収される。片道料金:小型車と運転手で3ユーロで、どかな風景に遭える。
エルベ川のフェリーは、下流のザクセンアンファルト州アケンの国道187号にもあります。
ドイツでは各所で、市庁舎の屋根・門や塔の上の高い所にコウノトリの巣台が置かれていて、
初夏の季節には巣の中の雛を、つがいで子育てしている様子が見られます。
ローマ帝国はラインとドナウを結んで548kmに土塁や柵のリーメスを構築して防衛
線とし、背後に市壁で囲んだ城塞を設けて守った。
その様子はクサンテンの北の遺跡公園やザールブルクに復元され、レーゲンスブルク・トリーア・ケルン・
フランクフルト等に痕跡がある。
城・教会・修道院の周辺に集落が発生し、または入植地を設けて次第に町に発展し市
壁で守られた。
はじめ木柵や土堤に堀の防御構造は、石積やレンガに移行し町の拡大に伴って外側に
より強固な市壁が築かれた。
神聖ローマ帝国には首都はなく、皇帝は領内の城を移動しながら統治を行い、東方
異民族の侵入を防いで東部境界にマイセン・クエトリンブルクなどの城塞を設けた。
12-13Jhには、ドイツでそれまでの40都市から小さな都市が多数建設され300都市に
達した。 これらの都市は市民の自治のもとに交易や手工業の発展をもたらせ、その経
済力がより強固な市壁を構築させた。
また諸侯は世襲化による独立性を高め、ドイツは300を超える領邦国家が形成された。
人口増加で東方植民が進められ東方には1、400の村と93の都市を築いた。
中世の市壁は少数の帝国直属都市と大多数の領邦都市に都市の防御のため構築された。
フス戦争(1419-36)で破壊が始まる。
マルチン・ルターの宗教改革がドイツに広まり、農民戦争(1524-25)・宗教戦争(1526-55)・
仏やスエーデンも加わった三十年戦争(1618-48)・プファルツ承継戦争(1689)で何度も略奪や
市壁破壊がなされ、疫病の流行もあって人口は激減した。
銃器の発明は要塞の更なる拡張を必要とし、ツインガーや半円壁塔を設け銃眼で対応した。
各領邦国家による破壊された町の再建が行われ、プロイセンが台頭して墺太利承継戦争
(1740-48)・七年戦争(1756-63)・仏革命(1792-95)・ナポレオン支配(1806-13)と
都市防御施設は仏に壊された。
仏の干渉で300余りの領邦国家は35の属主国と4の自治都市に統合整理された。
大砲の強力化に対応して新しい星形要塞と石積や土堤による補強が重要都市で行われ、
無力化した市壁は市域の拡大や交通の円滑化のために撤去も始まった。
19世紀には多くの市壁が撤去されて、敷地は公園や道路となり、石材や土砂は売却
され転用された。残された道路名で市壁の位置が判別できる。
バイエルン王ルードヴィッヒは、記念物保護に関心を持ち1826に全バイエルン王国に勅令を公布し
て、市門・塔を有する市壁の取り壊しを禁止した。例えばディンケルスビュールはそのため現在
の外観が守られた。
第1次大戦(1914-18)と特に第2次大戦(1939-48)の爆撃と砲撃で破壊された市壁も多
かった。
<以上>
各州の総得点12点以上の町 116について次に表示します。表中の町の名前
をクリックすると、町の歴史や見所、壁の位置、写真等がご覧いただけます。
下表を見ますと、皇帝命令で市壁の保全を図ったバイエルン州が、面積も広いで
すが、上位に来ています。特にロマンティック街道沿いには市壁の残る町が多く観
光ルートとして有名です。また、ビュルツブルク近郊にも市壁に囲まれた多くの町
が存在しています。
総得点12点以上の町は取り上げた町の15%に過ぎず、計画的に是非とも現地で
町の雰囲気を満喫頂きたいと存じます。
総得点12点以上の町116の内、38%の多くがバイエルン州にあります。表
中の数字は、総合得点です。
下表の「町の名前」をクリックすると、その町の歴史・市壁・門や塔・見所・写真・
略図についての説明が見られます。
上記表中の「町名」をクリックすると、その町の歴史・市壁・門や塔・見所・略図
・写真の説明内容が閲覧できます。
なお、総合得点が12点未満でも見栄えのある町がまだあります。市壁の点数は低いが
魅力ある町は沢山ありますので、特徴のある町をお選びいただき、現地にお運び頂けれ
ばと存じます。7点以上で 取りあげた町の7割となります。
2~6点の町は、市壁は少ないが魅力ある旧市街地が建物と共に残り、一見の価値の
ある町が多くあります。
ここには、ガイドブックに取り上げられている町も多く、見所は十分あり、わずか残
る市壁を探し出す喜びもあります。
6点未満の町は、取り上げた町の3割となります。
探しても市壁が見つからなかった町ですが144あります、どんな町か塔数や見所を
ご紹介いたします。
「市壁の無い町の全リスト」
なお、市壁はありませんが他の要素が高得点で、訪れたい町もあります。
次の町は得点7~4で、その訪れたい典型的な町です、町名をクリック願います。
次の町は市壁のない総合得点3のちょっとした町で27あります、町名をクリックす
ると、町の見所が分かります。
総合得点の根拠として、町に残された市壁や塔や見所の実数内訳は、ここに有ります。
「7点以上の町の市壁・塔・見所の内訳」
「2-6の町の市壁・塔・見所の内訳」
総得点の要素の実数内訳が見られます。
基本的には、各都市のホームページと現地配布のパンフレットを使用し、不足する
場合には、Wikipediaを使用しました。