ライプハイム Leipheim 

ライプハイム宮殿

各町の歴史と見所

 表中の各町について、その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。

⑭ バイエルン州 BY

各町の歴史と見所

 表中の各町について、その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。

⑭ バイエルン州 BY

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アーベンベルク Abenberg BY1

1.歴史

 1045 アーベンベンベルク・バンベルクの貴族が城を建設、   1132 ハイルブロン修道院の基金、
 1184 伯爵フリードリヒ2世は3次十字軍に参加1200死、1236 ニュルンベルク城伯が結婚し来た、
 1296 アイヒシュタト司教は城と街を取得し壁を築いた、 1299 町は都市権を授与された、
 1356 アイヒシュテット養育事務所が置かれた、    1590 アイヒシュテット司教の魔女狩り処刑、
 16-17c 農民・シュマルカルデン・30年戦争で大被害、  17c レース織・製針・ガラス鏡の製造、
 1803 世俗化でアンスバッハ公国へ帰属、   1806 パリ条約でバイエルン王国へ組込まれた。

2.市壁  0.135km 0.27

   丘の上の12cの城の麓に集落が形成され、1292アイヒシュテット司教が取得し都市権を
  得て1297-1305にコンラット2世が城の円壁に接して瓦礫積みの市壁を築いた。市壁は
  補修や更新が行われたが、19c後半には相当部分が撤去された。

3.塔  2門7塔

 OberesTor上門 (1300)4階建て尖塔付きの砂岩切石造の門塔で、道路中央に
   立っている。
 Unterestor (1300)3階建て木造切妻屋根構造の砂岩切石門造の門塔で、尖塔
   アーチ通路のある門が道路中央に立っている。
 MauerTurm門塔 ①Jaegersteig4(1300)
    ②Judengasse13(1300)居住棟として建てられた。
    ③Kirchgasse6(1300)残り。
    ④Kirchleite2(1300)始め住居棟として建てられ17cに木造納屋になった。
    ⑤Kirchleite10(1300)今は直方体の漆喰塗の近代的な個人住宅。
    ⑥Winfsbacher(1488)壁塔は後に禁固室で年号付いている。
 BurgSuedwestTurm(1230-50)7階建て砂岩切石積の細長い塔で、小尖塔のある
   花冠がある。

4.見所 C

   丘の上に城壁に囲まれて聳えるアーベンベルク城の麓に、街道に沿って街並が続き
  街道の広がった場所がマルクトである。
 市庁舎 Rathaus (1743)元はアイヒシュテット司教の救護局本部として建てられた2階建て
   砂岩切石造マンサード寄棟屋根の堂々としたバロックの建物である。
 アーベンベルク城 Burg Abenberg(1040-59)伯爵アダルベルト2世は主として木造で最初の城を
   築いた。1130-40ラインポートは40×40m石造の城とした。1236ニュルンベルク城伯が来て部
   分的に増築した。その後2倍の大きさに増築して南東端に城門と周壁を築いた。
   1296アイヒシュタット大司教は正方形の高塔を建てた。1496東に新たな救護局を取り付
   けた。1799チャペルが壊れて荒廃した。1806世俗化で所有することとなったバイエルン
   王は城を販売した。1875ミュンヘンの美術商が取得して高さ33mの塔などを再建した。
   1982町が取得して改修し博物館・古城ホテル・催物会場である。
 聖ヤコブ教会 St.JakobusPfarkiirche (13c)13c前半に教区教会として建てられた。1294
    に塔が15cに内陣が建てられ、本堂は西に1624-27と1854-57に拡張された。塔は
    1769に今の形となった。
 レース博物館 Stadtmuseum(19c)地元産業である伝統的なレース織物の歴史と製品が城建
    物の中に展示されている。
 自転車博物館 Farad Museum(19c) 2世紀にわたる200台の自転車と付属品として健康
    ハンドル・アセチレンランプ・フェンダー・補助エンジンなどもある。ニュルンベルク製作所の歴史と製品
    の説明もある。

5.写真

 
市庁舎 マルクト広場
上門外 上門内
下門 南東壁

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アーベンスベルク Abensberg BY2

1.歴史

 1138 バーボ家がこの地を支配、     1134 最初の集落、1256 城の建設、
 1400 都市権を授与され市壁の建設、 1485 領主が断絶し町はバイエルンに落ちた、
 1296 アイヒシュタト司教は城と街を取得し壁を築いた、1299 町は都市権を授与された、
 17c 30年戦争で大被害、城も大破。

2.市壁  0.34km 0.53

  13-14cの市壁は17cの30年戦争で壊され、1820-70にも取り崩されたが、半数
  は残されている。

3.塔  1門2塔

  南西隅の城の要塞の接続して8隅塔と32壁塔が整備され、南側に壁塔が残る。
 RegensburgerTor (1399)北東にある3階建の中世風の市門、唯一残ってい
   る。レーゲンスブルク方向の入り口だった。
   Maderturm (13-14c)南西の隅に4階建ての円塔が設けられた。
 RunderTurm (13-14c)南に市壁と共に円塔がある。

4.見所 C

   旧カルメル会修道院を中心とした街で、城もあり南と西に市壁が残って、
  小さなマルクトのまとまった町である。
 市庁舎 Rathaus (17c)後期ゴシックの市庁舎は1926に再建・更新された。ルネッサンス
   の切妻とバロックの波天窓付きで、鐘楼にはごく最近の飾りがある。
 アーベンスベルク城 Burg Abensberg(1040-59)深い堀に囲まれた正方形の城がある。
   中央の核に古い役所の両切妻の建物がある。北と西にバロックの翼がある。北
   東の角に側面を守る塔がある。13-14cに南に後期ゴッシクの半円塔。30年戦争
   で30年戦争で円城壁・側面塔・ツインガーが残った。16-17cに南に寄棟屋根の建
   物・市堀・養魚場が作られた。
 市教区バルバラ教会 Stadtpfarrkirche(1380)建設が始めれた後に独立の教区に昇
   格し、1516三廊後期ゴシックのハレン教会が建てられた。1731ゴシックの塔は聖物保
   管庫と共に落雷で焼け、1762バロックの改修が城跡の石材で行われた。
 修道院教会と回廊 klosterkirche mit Kreuzgang (1389)バロックの三身廊柱聖堂で
   1710-11に元カルメル会修道院協会であった。カルメル会修道院はこの町の誇であり
   1389に設立された。1802世俗化により、修道院は強制的に溶解されられた。
   回廊は、儀式や催物に使われている。
 税関 Zollhaeus (1348)小さな3翼の建物で19cに改修された。碑文あり。
 ハッツェ家 Von Hazzi haus()ベルク大公国機密院会員と農業後継者の家。
 アフェンチウム Aventinum (1389-92)元カルメル会修道院の3階建ての建物で今は町の病院
   を収容している。後期ゴシックの複雑な中庭を15-17cの回廊が囲む。
 侯爵倉庫 HerzogKasten (15c)3階建ての堂々たる領主の両切妻の穀物蔵。1802
   の世俗化後は改修され、観光案内所と町の歴史と産業を展示する博物館。
 教区司教館 Pfarrhof(18c)入り口門のある両切妻の建物で、城壁の残りの部分
   を含み、二つの殻塔を組み込んでいる。
 宿屋と旧醸造所 Gasthof Ehem.Braurei(1861)細長い3階建の切妻の建物で1904
   にルネッサンスの醸造所に更新された。

5.写真

市庁舎 レーゲンスブルク門
西半円塔 マーダー塔
税関 南西円塔
南隅塔 南円塔

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アイッヒアッハ Aichach BY3

1.歴史

 1078 聖ウルリッヒとアフラ修道院文書に最初の教会を初言及、
 1115 ヴィッテンバッハ伯爵シェタルンは数世紀支配する城を置く、
 1180 皇帝バルバロッサはバイエルン領として封土し1918まで支配、
 1210 ルードヴィッヒ1世は町のドイツ騎士団に教会を贈呈、ドイツ騎士団は1806まで存続、
 1331 最初の市壁をマルクト周辺に置いた、1418バイエルン・インゴルシュタット伯は市壁を強化、
 1634 30年戦争で焼失、1704 スペイン承継戦争で城が壊された、
 1796 仏軍は町に宿営し司令官が住んだ。

2.市壁  0.13km 0.13

  市壁は1331に設置され、1418に更新され1.14kmとなった。19cには殆どが取崩
  され、残されているのは約1割である。

3.塔  1門2塔

  設置された10市壁塔のうち、半数は部分的に断片が残り、2市門も現存する。
 下門UnterTor (1311-47)1418に強化後中世要塞の一部であり、30年戦争の1634
   に壊され、1646に再建された外観を保持している。今はヴィッテンバッハ博物館
   として、ヴィッテルバッハ家の生い立ち、町の発展、城の発掘品などを4階まで
   に展示している。
 上門OberTor (1126) 既に1126には、プファルツ伯の城は町に建設され、防備が固めら
   れていたと思われる。町の発展に合わせて皇帝ルードビッヒは周構を改良しゴシック
   の門を建てた。1634スエーデン軍に壊されたが、銘板と砲弾を使ってバロックで再構
   築された。
 キツツキ塔 Specht Turm (1330) 元の市壁円塔の一つで、ホテル:キツツキの中庭にあり、錫
   の冠が残っていたが、1945の砲撃で錫冠は切り取られた。
 僧帽塔 Koegel Turm (1330) 市壁塔で1997に基礎から健全化された。地階には、
   30年戦争を示す錫の場面があり、他の部屋には美術品がある。
 オイアー塔Auer Turm (1330) Auer Turm (14c) 北西の市壁塔として造られゴシックの胸
   壁のある角塔で、30年戦争を生き残った。染物屋塔とも呼ばれ、
   1806に市民が購入して堀と共に庭園として使っている。

4.見所 C

   小さな特徴のない町であるが、門・塔が良く残されている。
 市庁舎 Rathaus (1291) 幅広い町広場の中央に立つ2階建の建物で、地階は市場
   ・肉屋台・消火機材・町計量所・小販売所を収容し、上階には市会議場・事務室
   などがあった。1634には街も市庁舎も焼け落ち、スペイン承継戦争後の1704
   にはバロックの今の姿で再建された。
 市教区教会マリア昇天 Stadtpfarrkirche Marae Himmelfert (1153) 1210にはルード
   ヴィッヒ・ケールハイム伯がロマネスクの教会をドイツ騎士団に贈った。1450には今の姿に
   改築された。1709-71に二つの小礼拝堂が付け加えれれ、バロック化られた。
   1961-63再びゴシックに直された。1906-08改装、1976-85補修。
 聖霊養老院教会 Heilig-Geist Spital kirch(1354) バロックの2身廊の教会が養老
   院と共に建てられ、今は老人ホームである。1418ヴィッテンバッハ伯爵は門と周壁で
   都市化した。1704高さ27mの塔が建てられた。
 ストイプの家 Steub Haus () 1812にルードヴィッヒ・ストイプがうまれた。ストイプは旅行作
   家あるいは文化歴史記述家として、アルプスやギリシャの事情に詳しい。

5.写真

市庁舎 下門
上門 僧帽塔
オイアー塔 マルクト広場

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アルトドルフ Altdorf bei Nuernberg BY4

1.歴史

 1129 初文書言及、 1281 地区はバイエルン帝国の管理下に、1299質入された、
 1360 ニュルンベルク城伯アルプレヒトは市場として販売、1387 都市権授与・堀や壁の建設、
 1504 ランツフート相続戦争で町はニュルンベルクに落ちて、 ニュルンベルクの救護局が置かれた。
 1552-52 本格的な街の復興、 1553 第2次辺境伯戦争でアルブレヒトは焼き払った、
 1631-32 テリー将軍の略奪、   1806 ニュルンベルクが独立を失いバイエルンとなった、
 1818 市壁の取り壊しが行われた、 1871 最後の大火事、
 1945-65 地区事務所が町に置かれた。

2.市壁  0.04km 0.04

  1387には堀の工事が始まり15cまで要した、市壁は1400には堀と共に作られた。
  上門の南の防御壁は破壊後に1449に復元された。砂岩の残基が見られる。

3.塔  2門1塔

 UnteresTor (15-16c)4階建て砂岩切石造の角塔。
 OberesTor (15-16c)西4階建て砂岩切石造の急な寄棟屋根の角塔。
 Stadtturm 市塔(15-16c)旧傭兵塔、中世町防備の市壁円塔で、大砲が据えられ
   火薬と軍事品が備えられた。上階は1747に砲台にされ、19cには町側に拡
   張された。

4.見所 B

   ニュルンベルクの東24kmにあり、マルクト・市庁舎・市教会・14-18cの木組みの家並み・城
  ・門塔など古い建物が維持されている。
 市庁舎 Rathaus (1565)幅広いマルクトの中央に立つ2階建てルネッサンスの砂岩の建
   物で、火災の後1565に新築され、1860に修復保全された。今は文化市
   庁舎である。
 聖ラウレンチウス市教会 Stadtkirche St.Laurentius(1387)3廊ゴシックバジリカが町昇格
   時に建てられ、内陣・塔の地下部分は今も残る。1753-55バロックで本堂を拡張
   ・再建し、新らしい塔も建てれれた。1527からは新教だった。
 元大学の建物 Wichernhaus(1754)ニュルンベルク貴族の学校として建てられ1623に大学
   となった。1909大学が終わり、1925病院に変換された。3翼勾配屋根の中央3
   階・両翼2階建ての砂岩造の建物に6階建ての時計塔がある。19cに再開さ
   れた植物園には、1656平屋切妻屋根の家がある。
 旧養護宮殿 Ehem.Pflogschloss Altdorf(1754)半寄棟屋根3階建て砂岩造で、1558
   からニュルンベルク擁護局が使用した。1808バイエルン地方裁判所、1945地区事務所、
   1972警察署を収容した。
 旧郡裁判所 Ehem.Amtgericht(1900)新ルネッサンスの演奏会場と大きな3階建てのバルム
   ダッハの建物で、今は市立図書館と市庁舎である。
 ローベンベルクの家 Robhenberger Haeusel(18c)マンサード屋根の細長い木組の建物は納骨
   堂として使われ、被写体として好まれる。これは市庁舎と市教会の間にあり、
   この小さな中世風の建物は、2010市の公文書館となった。
 旧皮革水車 Ehem.LederesMuehl(1604)上階木組み2階建て切妻屋根の家で、1817に
   部分的に更新された。
 宿屋 Gasthaus(1550-1600)3階建て切妻屋根砂岩切石造の建物。
 旧納屋 Ehem.scheune(18c)全木組み切妻の大きな納屋。
 旧宿屋 Ehem.Gasthof(17c)マンサードと半寄棟屋根の2階建木組の家。
 旧宿屋 Ehem.Gasthaus(17c)2階建の大きな木組の建物、19c切妻更新。
 都市農民の家 Ackerbauerhaus(18c)2階建木組切妻屋根床木組の家。
 新2教牧師館 Ev.2Pfarrhaus(18c)2階建て木組の建物。
 新教集会所 Ev.Gemeindehaus(1733)上階木組みの長い建物。
 住居 Wohnhaus(17c)2階建て切妻木組の家
 旧農家の家 Ehem.Bauernhaus(11390)中世の核に大きな木組みの切妻・屋根、1529
   屋根、1529再構築された。
 住居 Wohnhaus(1673)2階建て切妻屋根の木組みの家。
 旅館 Gasthof(18c)3階建上2階切妻木組の大きな建物。
 住居 Wohnhaus(1758)2階上階木組の建物。
 旅館 Gasthof(1553)2階建切妻木組の漆喰塗の建物。

5.写真

旧市庁舎 下マルクト広場
下門 上門
鍛冶屋通

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アムベルク Amberg BY5

1.歴史

 1034 バイエルン皇帝オンラット2世は市場権授与、1163 皇帝フリードリッヒは貿易権を授与、
 13c 都市となり鉄鉱石・塩・穀物を取引、1269 ヴィッテルバッハ家の領地となった、
 1294 都市権を確認した、    1326 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは市壁を外に拡張、
 1329 ヴィッテルバッハ家のプファルツに移管、 1474 プファルツ選帝候はルイ9世の娘と結婚、
 1628 プファルツ選帝候と争いバイエルン帰属、1945 第2次大戦の空襲からは免れた。

2.市壁  1.87km 0.80

 12cの市壁が町中のSpitalGrabenで見られる。
 1326中世後期の市壁は、西のゲオルグと東の病院を囲んで楕円形で拡張された。
 19c初めに要塞は撤去されたが、広い部分で市壁は残された。

3.塔  4門0塔

 14cの5門(Nabburger-、Ziegel-、Vils-、Georger-、Wingershofer-tor)の内、Georger
 門は17cに南のNeu門に置き換えられ、1870に取り払われた。
 Nabburger門 (1317)病院門として在ったが、1326に2次市街地拡大時に市門。
   二つの円塔を繋いだ形の門で、1576ルネッサンスの門衛詰所が付けられ、門の上に2階建
   の上部構造が構築され、塔は円塔の上に八角塔が5階建ての高さまで乗せられた。
 Wingershofer門 (1580)1458に城の拡張で南東角に移され、改築された町で
   一番小さいルネッサンスの塔。
 Vils門 (14c)角塔に外堡として3門の武器庫で、1575に補強され、プファルツ州
   と町の紋章で飾られている。跳ね橋のための木製のローラが見える。
 Ziegel門 (14c) ゴシックの塔は1581に嵩上げされた。二つの半円型の砲塔が隣に
   建てられ、1888には再度修理された。今は青年団が使っている。

4.見所 C

  窮屈な市壁に囲まれた旧市街には、通商で栄えた14-15cの邸宅が多く残っている。
   眼鏡橋として要塞橋が川面に映っている。
 市庁舎 Rathaus (1348)中心部は14cのゴシック旧礼拝堂による大広間である。
    16cには大規模な拡張が行わ、後に中二階に円天井の文書庫が成立した。
    19c南正面は改造で二階のバルコニィが取り付けられ、商業と産業の立像で全面は
    飾られた。1989に再改修が行われた。
 聖マーチン教会 St.Martin(14c)ロマネスクの建物を1421-52にゴシックの円天井が設置さ
    れ、1456-83に身廊は取り壊し後に再建された。1509塔は鐘楼の上に付けられた。
    長さ72m、幅28m、屋根の高さ40mは、バイルン北部で最大である。
    1869-74内装はバロックからネオゴシックに変えられた。
 聖ゲオルグ教区教会 St.Georg(1094)1359ロマネスクからゴシックのバジリカに置き換え
    られた。15c塔が取り除かれた。イエズス会の大学教会として移管され、聖マーチン教会
    が教区教会となった。選帝候マクシミリアン2世は1652バロック化した。1773イエズス会は解散
    したが、マルタ騎士団が1808の世俗化まで使い、1923に再度教区教会になった。
 町の眼鏡 StadtBrilla (1454)46mのヴィルス川上に架かる塔で、初め二つの
    塔柱の1階建ての建物が、1580に真中が2階建てとなり、1698に現在の一つの塔
    柱と3階建ての建物となった。
 選帝侯行政庁 Kurfurstliche Regierungskanzelei(1544-47)選帝侯フリードリッヒ
    2世は、3階建て切妻の砂岩の建物を法律事務所として建てた。1601に多角形の階
    段塔が付けられ、18c後半には拡張が行われた。今は地方裁判所として使用。
 選帝侯宮殿と武器庫 Kurfurstliches Schloss und Zeughaus(15c)選帝侯
    フリードリッヒ3世は1417から新宮殿を建て、1474には既存の「大きい部屋」に並行し
    て「アンベルクの結婚」の建物を建てた。1768古い部分を取り壊してバロックの公園を
    造った。今は地区事務所となっている。
     武器庫の東と北の翼は1512に建てられ、1607には南棟も完成した。
    1778には機能を失い、1945には大火災に遭遇した。1994大規模改修を行い、
    今は地区管理事務所となっている。

5.写真

市庁舎 フィルス門内側
フィルス門外側 東壁
ナップブルク門 北西壁
南東壁 町の眼鏡

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アモールバッハ Amorbach BY6

1.歴史

  734 ベネディクト会修道士による修道院、    1197 最初の文書言及、1200城の構築、
 1253 都市権の授与、1272マインツ大司教が取得、1525 農民戦争で修道院略奪と城全焼、
 1631-34 30年戦争でスエーデン軍の占領、   1660 僧院の設立、1724-29宮殿の建設、
 1742-47 修道院教会の建設、               17483-86 修道院の建設、
 1803 修道院の世俗化 大公家が継承、      1806 バーデン大公国に町は落ちた、
 1810 町はヘッセンに帰属、                   1816 バイエルンに帰属。

2.市壁 0

   見当たらない。

3.塔数 0

   見当たらない。

4.見所  C

   旧市街地は、木組の家が可愛いい。
 旧市庁舎 AltesRathaus(1479) 寄せ棟屋根・鐘楼付の2階建て木骨造の建物。
 旧ワイン醸造所 Alteskellerei(1485)短い翼を持つ漆喰の建物に階段塔と出窓。入口門と中庭
   があり、庭周壁と旧市壁の堀の残りがあり、今は博物館。
 騎士団の家 Templerhaus(1200-91) まず石の株構造があり、その上に木組の上部工が付
   けられ現存している。13cにはDuernの貴族が所有し、16cには市民の手に移った。
   1981には町が取得して復元された。
 聖ガンゴルト教会 Stadtkirch St.Gangolt(1751-53)二つの塔のある3身廊のホール教会。
 ライニング宮殿 LeiningischesSchloss(1751-53)かっての主事務所、1796三翼への変換と延長。
   二つの門と周壁のある庭園もある。
 ベネディクト会修道院教会 Ehem.BenediktinerAbteikirche(12c)正面に階段のある双塔の建物
   は、1745に3廊のバジリカとし前面はバロックに。1803からルーテル教会へ。
 旧僧院 Ehem.Abtei 1494南の納屋、1660西翼、1674南翼、1783東翼。
 旧宮殿工場 Ehem.Schlossmuehle(1448) 後期ゴシックの階段切妻の建物で、南側は中世修道
   院の壁のままである。
 十分の一税倉庫 ZehentScheuer(1488)マインツ選帝侯の貯蔵庫として建てられ1960大修復の後
   に映画館となり、1991にはキャバレーとなった。
 ジョーダン浴場 JordansBad(1833) 多くの疾病を治す浴場を開いた。
 ティーポット博物館 TeekannenMuseum(1994)現代美術と500のティーポットを展示。

5.写真

市庁舎 十分の一税倉庫
広場 緑の広間

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アンスバッハ Ansbach BY7

1.歴史

  748 ベネディクト会修道院の設立、          1050 聖Gumberusの墓所、
 1139 アンスバッハ教区の初言及、         1221 最初に町として言及された、
 1363 ホーエンツオーレルン家は水城を建設、    1415 城伯フリードリッヒ6世が、町を取得、
 1456 王室所有地となり帝国裁判所設置、  1486 フリードリッヒは辺境伯となった、
 1563 Gunbertus修道院世俗化、1685 ユグノー教徒移住、1736 プロイセンの支配、
 1806 バイエルン領となった、           1945 2次大戦を生き残った。

2.市壁  0.15km 0.08

   1314市壁が築かれ、15cアルブレヒト・アキレス辺境伯は町を拡大し市壁と門を南に移した。
  市壁は、北のKasperHauser Platzに80mと西StadtGrabenに65mに残っている。

3.塔  1門0塔

 ヘアリーダ門 HerriederTor (15c)古い基礎の上に1750バロックの六角塔が建てられた。
   時計と鐘楼があり、11時と17時に鳴る。

4.見所 B

   ホーエンツオーレルン家のフランケン系辺境伯の宮殿を中心に栄え、中世とバロックの佇まいが
  残っている。
 市庁舎 Rathaus(1623) 4階建ての入口アーチ上に紋章を並べた建物、その紋章はアンスバッハの
   歴史の段階を示している。その前の広場では土曜日に市場が立つ。
 辺境伯宮殿 MarkgraeflicheResidenz(14c) 前城塞をアンスバッハ辺境伯がバロック様式に(1705
   -50)増改築させた。27の豪華な広間は素晴らしい。中でも2800枚のアンスバッハ産のタイルで
   飾られた鏡の間、陶磁器の装飾品や金塗の木工細工のある鏡の間、居間にあるホーエン
   ツオーレルン家の肖像などが見られる。
 町の家 Radthaus(1532) 破風付3階建ての昔別荘で、その後皇帝の地方裁判所が置かれ、
   今は市長と市会議員が居る。
 聖グムバーツス教会 St.Gumbertus(748)11-18c中央教区教会、15cにゴシックに増築、18cバロック
   説教講堂へ、白鳥騎士団礼拝堂が見所、今は新教ルター派の修道院。
 聖ヨハネ教会 St.Johannis(15c)3廊階段広間、簡素な祭壇、外壁にプラムの雨のモチーフ。今は新
   教ルター派の教区教会。
 聖ルードヴィッヒ教会 St.Ludwigs(1834-43)カソリックのギリシャ風擬古主義の教会。17c末にユグノー派
   の亡命者のために計画された。
 辺境伯博物館 MarkgrafenMuseum 昔の防衛施設に、辺境伯時代の収集物を展示している。
 王宮庭園 HofGaruten 噴水の上のオランジェリィに向かって右側の道は500m。オランジェリィは1726-
   28にフランス風に建てられ、今は演奏会場として使われている。

5.写真

市庁舎 辺境伯宮殿門
ヘリダー門 辺境伯博物館
西壁 西壁
北壁 聖ヨハネ教会
市庁舎 宮殿

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アルベルク Arberg BY8

1.歴史

 1229 町はアイヒシュタットに遺産贈与、  1319-1512 アイヒシュタット司教は町の財産を取得、
 1454 町は市場を開催、           1500 町はフランク帝国サークルに属した、
 1602 町にアイヒシュタット司教の管理事務所設置、     1803 バイエルン王国に属した。

2.市壁  0.21km 0.37

   市壁は1300に作成され、14-15cに強化された。部分的には瓦礫で構成された。

3.塔  1門0塔

 ヘアリーダ門 HerriederTor (15c)古い基礎の上に1750バロックの六角塔が建てられた。
   時計と鐘楼があり、11時と17時に鳴る。

4.見所 D

   小さな町で目を見張るものはない。
 市庁舎 Rathaus(18c) 2階建の小さなバルム屋根の簡素な漆喰の建物。
 聖ブレイズ教区教会 Pfarrkirche(13c) 基本的には13C後半のゴシック広間教会。1709-10
   翼廊と内陣を新設し、1936-37玉ねぎドームを持つ西塔を付けた。
 アイヒシュタット営林局 Ehem.EichstaettischesForstamt(1794) 2階建て田舎風寄棟屋根の建
   物に1531の紋章石が付いている。
 旧学校 Ehem.Schule(1876)2階建て寄棟屋根の簡素な建物。
 旧司教館 Ehem.Pfarrhaus(1481)2階建て切妻屋根の建物は、17cに改造。
 教区納屋 PfarrRaum(17c)一部木造の切妻屋根の建物。

5.写真

市庁舎 ヘアリーダ門
北壁 北東壁
北西壁

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アルンスタイン Arnstein Unterfranken BY9

1.歴史

 1292 ヴュルツブルク司教はトリムベルク城を建て集落が形成、
 13c トリムベルク伯爵に属した、   1333 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権を授与、
 1585 王子司教ジュリアス・アウグストは宗教改革導入、17c ユダヤ人が住み貿易を主導、
 1803 世俗化しバイエルンへ、          1805 ヴュルツブルク大公国へ帰属、
 1814 バイエルン王国の支配下に。

2.市壁  0.18km 0.26

   13c後半に、城は160mの城壁を持ち、市壁はそれに接続して外側に位置した。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。門は18-19cに更新されたが、20cに取り払われた。

4.見所 C

   マルクト通りを中心にバロックの公共施設や裕福な市民の3階建ての建物が中庭を持って並
  び、南東の端にはバロックの病院がある。美しい木組みの住宅は少ない。
 市庁舎 Rathaus(1521) 古いゴシックの市庁舎は1521に建てられ、1745には入り口門
   上の紋章などが更新された。1945歴史的な庁舎が焼失し、1949-51に3階建て飾り
   の多い寄棟屋根の市庁舎を砂岩切石の玄関の漆喰塗で再建した。
 聖ニコラス教会 St.Nikolaus StadtKirche (1400)今の市教会は1722-31に建てられ、18
   c後半に新古典主義の内装とし、1904-12に改修された。
 アルンスタイン城 Burg Arnstein(1225) 1229にヴュルツブルク司教が取得し、廷史の座席を城に
   構築した。14c前半から城壁都市壁は存在した。1738には跳ね橋を設けた。1525
   農民戦争による破壊の後に1544に統治の城は再建された。1805の世俗化後は1912
   迄地方裁判所となった。その後は個人所有となり改修された。
 豚市場のチャイム Glockenspiel am Schweinemarkt 豚市場の銀行の前にある小さなチャイム
   は、8.12.14-17毎時に鳴らされる。
 看護師の家 Schwankernhaus(16-17c)2階建ての木組みの家で、現在は青少年施設が
   併設されている。
 バラ園 Rosengarten(1996)200m2の面積に美しいバラが咲く。

5.写真

市庁舎 聖ニコラス教会
アルンスタイン城 東壁
北壁

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アッシャヘンブルク Aschaffenburg BY10

1.歴史

 885 東フランク王ルードヴィッヒ3世未亡人は町を受取る、 975皇室文書に要塞化された集落、
 1144市場権、1155鋳造権、1157フリードリッヒ1世の関税地、1220築城と市壁・堀・門塔で守る、
 1304 市民は聖職者の家を略奪し課税を無視、 1321 市議会による町の憲法の導入、
 1447 皇帝フリードリッヒ3世は諸侯会議を招集、  1552 辺境伯アルブレヒトは町を占領した、
 1614 ルネッサンス様式のヨハニスブルク城を建設、    1631 スエーデン王グスタフに町は降伏、
 1743 墺継承戦争で仏軍を破った、      1803 アッシャフェンブルク公国が形成された、
 1814 バイエルンに帰属して王夫妻が滞在、    1818 バイエルン憲法を受けて公国は終結。
 1944 空爆で大損害、            1945 4月米軍が進駐。

2.市壁  0.50km 0.17

   12c一次市壁は、Landing通を西南にStiftsKircheで西に転じ、Loher通の北斜面に
  造られ、マイン川沿いの斜面上を城に向かった。14c二次市壁は、城から北西と西南側に
  Friedrich通まで拡大し、Schoentalとの境を南下しSandkircheを過ぎて西に、Brenー
  nofenGasseで一時市壁に合流した。その後、東のSchoental公園地域と南のKranenー
  Gasse区域が市壁で囲まれた。市壁が残っているのは、東Schoental公園の370mと南
  BrennofenGasseの130mである。

3.塔  0門1塔

   かっては9市門と多くの壁塔が在ったが、19cの都市計画で全ての市門とHexen塔
  ・Zent塔は取り除かれた。
 幽霊塔 GespenterTurn(14c) 東北隅の正方形3階建ての石塔で、上層階は
   警備員のための住居として使われ、そのため大きな窓が付いている。

4.見所 B 

   第一次市壁の範囲内は、歴史的建物が復元され殆ど歩行者専用地区となっている。
  城からマイン川を見下ろす景観は美しい。
 市庁舎 Rathaus(1958) 2次大戦後の7階建ての建物で、歴史・文化・都市開発の催
   物や展示会が開かれている。
 ヨハニスブルク城 Schloss Jahannisburg(1605-18) 赤砂岩造ルネッサンスの大きな四角の建物
   で正方形の中庭を囲む4階建てで四隅に防御塔が立っている。19cには古典様式
   に改修され、2次大戦で大被害を受け最初の城の外観が復元された。
    ・城教会には、ルネッサンスの祭壇・説教壇・マインツ大聖堂からの聖具がある。
    ・城博物館には、3階2000m2に多くの芸術品や工芸品やコルクの建築模型を展示。
    ・バイエルン州立美術館には、マインツ選帝侯の美術品クラナッハやルーベンスの絵画がある。
 ポムペヤーヌン Po mpejanum(1840-50) 城の北西の丘の上にローマヴィラの理想形をルード
   ヴィッヒ1世が造らせた。2次大戦で被害を受け1960に復元され1994からローマの芸術品
   が置かれている。
 協同教会 StiftsKirche (12c)主体の部分はロマネスクと初期ゴシックであり、12cの身廊
   アーケード、13cの回廊・翼廊・東後陣・西と北のポータル、15cの八角の塔。
    修道院美術館には、初期の教会歴史や宗教美術品の展示がある。
 教区の母教会 Mutter gottes PfarrKirche(12c) 聖母マリアの教会で八角形の塔は
   1768-75に再建され、最も古い部分は塔の北ポータルの三角小間である。バロックの
天井が二次大戦で壊され、1967に大天井のフレスコ画を修復した。
 砂の教会 SandKirche (1756)巡礼教会として建てられ、2次大戦を生き延びて
   ロココの調度が残っている。、
 町と修道院の公文書館 Stad und Stiffts Archiv Schoenborner家の館に歴史
    的・文化的な豊富な情報を収容し、自然史博物館もある。

5.写真

市庁舎 ヨハニスブルク
馬市場 修道院教会
ヨハニスブルク中庭

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アウプ Aub BY11

1.歴史

 803 集落に最初の命名、  1000 ベネディクトの司教は聖母大聖堂と修道院を築く、
 1009 皇帝ヘンリー2世はフランクフルト帝国教会領地に、1230 ホーエンローエ家が所有し城を守る。
 1136 今の教区教会は集落の中心にあった、 1325 バイエルン・ルードヴィッヒは市場権授与、
 1390 ホーエンローエ家ブラウンエック系は断絶、   1398 コンラッド・アンナは同盟者に町の半分売却、
 1403 ホーエンローエ・スチュワードは領土をヴュルツブルク本山に提供し自分は領主司教として働いた、
 1404 プファルツのドイツ王ルプレヒトは都市権授与、 1436 15塔・2門の市壁が完成、
 1470 ローゼンベルク家はトルシェゼスの所有権を買う、16c 騎士戦争と農民戦争で略奪破壊、
 1602 スチュワード家の断絶でヴュルテンブルが所有、1632 ローゼンベルク家断絶でビュルテンブルクへ、
 1673 仏ルイ14世軍が略奪、   1668-1805 ドイツ騎士団が町を所有、城はヴュルツブルク、
 1805 ヴュルツブルク大公国が支配、       1814 バイエルン王国の帰属。

2.市壁  1.20km 0.97

  旧市街は殆ど1404-36の瓦礫の石積による市壁で囲まれている。
  かっての市壁の高さは11m、幅は1.5mであった。

3.塔  1門11塔

  かっては15の門や塔が在ったが、1862に下門は取壊された。幾つかの半円殻塔も
  も含まれ、殆どは円形塔で木骨上層階が多かった。
 上門 Oberes Tor (15c) 中央門とも呼ばれ、1613バロック・ランタン付の長方形切石
   造で再建された。1841銃眼塔と半寄棟屋根扶壁柱構造に再構築された。1852
   東部2階建別館は崩壊した。
 下門 Unteres Tor (15c) ヴュルツブルク門とも呼ばれ、3階建ての角塔であり、
   二階には守衛が住んだ。1862取壊されて現存しない。
 円塔 Rund Turn (15c) 北側市壁の切石造円塔で、地階は豚小屋に貸した。
 牧人塔 Hirten Turn (15c) 北側角市壁の見張塔で、BadTurmとも呼ばれた。
   切石壁造の4階建正方形の切妻屋根木骨上屋の塔である。
 リムパッハ塔 Rimpach Turn (15c) 東北市壁の石造円塔。
 ゲイヤー天守塔 Geyer SchlossTurn (15c) 東のハールバッハ通にある城天守閣であっ
   た3階建の円塔で、昔は拷問室や刑務所として使われた。
 円塔 Rund Turn (15c) 東南市壁の石造円塔。
 円塔 Rund Turn (15c) 南東市壁の半円殻塔で、付属建築物によって改造され
   ている。
 円塔 Rund Turn (15c) 南西の城の中の石造円塔。
 半円塔 Halbrund Turn (15c) 西南にかって城の一部として建てられた円錐屋
   根の円塔で石造の上に漆喰が塗られている。
 殻塔跡 Rest Schalen Turn (15c) 西び殻塔の切株がある。
 円塔跡 Rest RundTurn (15c) 西に円塔の切株がある。
 円塔 Rund Turn (15c) 西北隅の3階建て見張り塔。

4.見所 B 

  殆ど市壁に囲まれ、多くの塔が残され、マルクトは切妻屋根の建物に囲まれている。
  16-18cの風格のある木組の建物がある。
 市庁舎 Rathaus (1482-89) マルクトに面したハルバー通の真中に建つ2階石積の上に
   木組の建物で、マルクト側に屋外階段がある。市庁舎は切妻屋根で覆われ、マルクト側に
   タレット鐘がある。1671後期ゴシック様式の広範囲な改築が行なわれた。19cにも改修。
 宮殿 Schloss (13c) ホーエンローエ家はロマネスクの城を築いた。1390ホーエンローエの絶滅で旧
   市街の土地が分割され、半分がワインスベルク、1/4がローゼンベルク、1/4がトルヒゼッセンに
   帰属した。1632ローゼンベルク家の絶滅によりヴュルツブルク司教座本山の所有となった。
   中央に最も古い部分があり、3階建で階段切妻屋根の建物である。1456-74に2階建魔
   女塔、1430北と東へ城を拡張、1624ルネッサンス建物を南へ、1595-1626北翼を建てた。
 病院教会 Spital Kirche (1355) ホーエンローエ・ブラウネックのゴットフリート2世が設立した。
   細長い身廊は別々の建物を繋いで、1595-1604に中世の内装に改装され、
   1862-64に再度変換された。
 聖ブルカード教区教会 PfarrKirche St.Burkard (13c) ヴュルツブルク教区教会で、
   1275-80にピラミット屋根の3身廊の教会が建てられ、1752身廊・西部ポータル・内陣
   塔を改修1951の戦災で壊れ改修された。
 教区司教館PfarrHaus (17c) ピッチ屋根の2階建石造L字型の建物で、北翼は高い
   台座の上に建てられている。
   芸術品が置かれている。
 旧税関 Ehem.Zollhaus (18c) 木組の上階のある2階建て不完全な寄棟屋根の建
   物で、その後文法学校となり、今は住居である。
 金の子ヤギ旅館 Gasthaus Goldenes Lamm (1493) 腰折れ寄棟屋根2階建の建物
   で、アーチは漆喰塗りである。17cに中心部分、1800に腰折れ寄棟屋根に改修され、
   20cに屋根はふき替えられた。
 フランク病院博物館 Frankisches Spital Museum Aub 元の病院教会の隣に博物館
   が整えられ、聖職者の生きた価値を印象深く展示している。
 住居 Wohn Gaeude (1581) 地階砂岩切石造、上階木組の寄棟屋根の2階建で、
   領主司教の紋章が付いている。18c上階木組部分は取り換えられた。、
 金の獅子旅館 Gasthof Goldenes Loeven (1568) ローゼンベルク家の建物で、後に
   ドイツ騎士団が入居した。19482次大戦後に再建された。今は宿屋で、サドル
   屋根の石造漆喰塗の2階建の建物である。

5.写真

市庁舎 上門
南西壁塔 北東隅塔
東南隅塔 ガイヤー天守閣
西南壁 南壁
西北壁 北壁
東南壁 ブルガート教会

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アウアーバッハ Auerbach i.d.Opf  BY12

1.歴史

 1007 町は書かれた歴史に参加した、  1314 バイエルン王ルードヴィッヒは町に格上、
 1390 独自の鋳造制作所を開設した、       1373 地方裁判所を設置した、
 1400 プファルツ王の軍が町を征服した、       1430 フス軍に町は破壊された、
 1520-56 宗教改革の導入、      1618-1648 30年戦争で繰り返し略奪、
 1634 ペストの大流行、                1904-87 鉄鉱石の採掘。

2.市壁  0.04km 0.03

   北東側のStadtGabenに20mと、その北側路地の西側に古い家壁20mがある。

3.塔  0門1塔

 シュベート塔 SchwedenTurm(16c) 中世の要塞の一部として建てられ昔は腐敗塔と呼
   ばれた。1796に競売され、まだ残っていた市壁の塔として所有者にちなんでシュベ
   ートと呼ばれた。今も町の東北に高さ8mの円塔が見られる。

 

4.見所 D

   市庁舎とヨハネ教会を中心に町並みがある小さな田舎町。
 市庁舎 Rathaus 幅広いOberMarktの中央に立ち、ピンク色の切妻付の3階建の建物。
   急傾斜の屋根の上に鐘楼がある。
 聖ヨハネ教会 PfarrKirche St.Johannes(1319)ゴシックの三身廊の教会として建てられ、
   1442-45に新しい塔が付けられた。1687-87にバロック教会として新築され町の彫刻
   家のアカンサス草飾りが付いた。
 修道院施設とミカエルの草原教会 Klosterange und KircheMichelfeld (1119) 初めベディクト
   派の修道院としてBambergから修道士が来て建立された。1690-95に教会はバロック
   一部ロココでアザムによって全て新築された。1803の世俗化で修道院は廃止され、司教
   館、学校、事務所として使われた。

5.写真

市庁舎 駐車場壁
東北壁 聖ヨハネ教会
スエーデン塔 東南壁

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アウグスブルク Augsburg BY13

1.歴史

 121 ローマ植民都市の州総督府が置かれた、  5C アルマン族の侵入、
 600 聖アフラの墓に巡礼、     955 司教ウルリッヒがローマ壁南半分の市壁建設、
 1251 課税権の授与、        1224 フドルフ王は独自法制定権の授与、
 1316 帝国自由都市、      1368 ギルド職人の蜂起とギルド憲法の制定、
 1555 宗教的平和都市として共存、   1632 スエーデンの侵攻と経済の衰退、
 1805 バイエルンの占領と1806バイエルン帰属、 1944 第2次大戦の空襲で大打撃。

2.市壁  0.60km 0.10

  ローマ市壁は、約2.9kmでドームから北で卵形(1.0km×0.6km)で造られた。
 中世後期の市壁は、6.3kmでローマ壁内の2/3を含んで、更に南と東に拡張された。
 市壁の位置は、WallとかGrabenとかMauerの通りの名前で判別できる。市壁が
 残っているのは、Rotertor、Jakobertor、Oblatterwallturm、SchwedenMauer
 等である。

3.塔  4門5塔

 赤い門 Rotentor 南16C 市壁の一部である二重の門塔で、二つの丸屋根と
   庭がある。1622に改修され、今は野外劇場である。
 鳥門 Vogeltor 東南
 ヤコブ門 Jakobertor 東中
 魚門 Fischertor 北
 Jakober wall turm 東中
 Fuenfgrat turm 東中
 Oblatter wall turm 東北
 Wehrturm 中
 Perlach turm 市庁舎の北角にロマネスクの見張塔が98mと高い。

4.見所 S 

   南北に走るHoherWegーMaximilianStrasseを中心とする大きな町である。
 市庁舎 Rathaus 1615-20建、ルネッサンスの大きな建物、丸屋根の八角塔。1944
   の空爆で壊滅。1947-62に復元。内部には黄金の門がある。
 大聖堂 Dom 10-11Cバジリカ風3身廊ロマネスクで建造。14Cにゴシック5身廊に改修さ
   れた。聖母マリアの生涯図とロマネスクのブロンズ像。
 聖堂 Muenster St.Urich&Afra 1500建、修道院付属教会の建物に直角に
   新教教会を継足した。バロックの。
 聖アンナ教会 St.AnnaKirche 1321建、旧カルメル会修道院、1487-97ゴシックで拡大
   修道院付属教会の建物に直角に新教教会を継足した。1616塔を建てた。
   フッガー家のチャペルが西端に1512-18独初のルネッサンス様式で追加された。
 フッゲライ Fuggerei 1519建、フッガー家が貧民のために造った66戸集合住宅。
   現在でも僅かな家賃で入居者が入っている。
 市立美術収集館 StaedtischeKunstsammlung 1769建、シェッツラー宮殿にドイツ
   バロックギャラリー、絵画館には15.16Cの絵画が充実。
 モーツアルト家 MozartHaus モーツアルトの父の生家が記念館になっている。

5.写真

市庁舎前広場 聖ウルリッヒ・アフラ教会

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バート・キッシゲン Bad Kissingen  BY14

1.歴史

  801 フルダ修道院の文書に初言及、  1057 シュバインフルト辺境伯が成婚で町を所有、
 1296 バイエルン王ルイス4世は町の憲章授与、  1317 ヴュルツブルク司教区も町を共有、
 15-16c 見本市・貿易で栄え裁判所を置く、  1520 鉱泉スパの開発と塩の生産、
1525 農民戦争で城や修道院の破壊、     1611 ペスト流行で人口は1/3に減少、
 1634-36 スウエーデ軍に金銭で町を守った、 1709-71 パン・石工・大工ナドギルド成立、
 1737 スパ施設の拡充で入場者数急増、       1806 ヴュルツブルク大公国へ、
 1814 バイエル王国へ、温泉治療に皇后・皇帝、     1945 戦災なく米軍占領。

2.市壁  0.065km 0.04

   13c後半から14c中旬に正方形の市壁が建設された。かなりの部分が19c前半に取
  払われた。北東部の市壁25mの前には、ピーター救いの塔がある。これは1645スエーデン
  軍に対して蜂の巣を投げつけて戦った故事の記念碑である。

3.塔  0門1塔

   13-14cの市壁には14の塔が在ったが、残るのは南東に立つ火事塔のみである。
 火の塔 Feuer Turm(14c) 旧市街の要塞の前の角に立つ4階建ての円錐屋根の円塔は
   砂岩の荒石壁造で、1850から火事監視塔として使われた。

4.見所 C

   古からの温泉町であり、正方形の旧市街は丘の上にある。
 市庁舎 Rathaus (1709) 貴族のバロックの宮殿として建てられた3階建ての建物で、当
   時の市長が町の取引の場所として取得し市庁舎とした。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1577) 鐘楼のある3階建ての建物で、マルクト広場に建てられた。
   今は観光情報を提供し、様々の展示が行われている。
 聖ヤコブ教会 St.Jakobs Kirche(18c)印象深いバロックの教会。
 心のイエス町教区教会 StadtPfarrkirche Herz Jesu (19c) 聖ジェームス教会が狭いため、第2
   の教会として建てられた。
 クアハウス Kurhaus bad (1972) 開設時は欧州でも最も近代的な浴場だった。今はセラピーセンター
   としてマッサージ・泥トリートメント・入浴を提供している。
 君主建築 Regenten bau (1911-13)町のランドマークであり、スパ・ガーデンの中に位置し、コン
   サートと集会が行われている。
 アーケードとクアガーデン Arkade und kurgarten 閲覧室・演奏会場・カフェがある。

5.写真

旧市庁舎 市庁舎
火の塔 東北壁
北壁 マルクト広場

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バート・ケーニッヒスホーフェン Bad Koenigshofen in Grabfeld BY15

1.歴史

  741 町は初文書言及、                  1314 都市権の付与、
 1200 ヘネンベルク家が所有し相続した、1354 ヴュルツブルク司教は一部を買取り要塞を築く、
 1631-35 30年戦争でスエーデン軍が占領、     1650 町は強力な要塞を拡充した、
 1803 世俗化に伴いバイエルンへ、      1805 和平でフェルナントのヴュルツブルク大公国へ、
 1814 ウイーン会議でバイエル王国へ、       1972 ケーニッヒス郡の溶解で近隣町と合併。

2.市壁  0.03km 0.01

   17-18cの市壁の遺跡がある。Maetin-rein-hard str.町の東の出口で裏壁、と
  Sparkassen str.外北門の柱が残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所 D

   長方形の旧市街は、18cの大火災で古い建ての物多くを焼失し、後に漆喰上塗り又は
   上塗りなしの木組みの2-3階建の建物が多く建てられた。
   マルクト広場は18-19cの中産階級の家に囲まれている。
 市庁舎 Rathaus (15c) 載冠角出窓のあるマンサード屋根の3階建ての上階漆喰塗ルネッサンスの建
   物で、中核は15c・南ウイング1563-64・本館1573-75で、18cに改修された。
 マリア昇天教会 StadtPfarrKirche Maria Himmelfaet(1302)最初は簡単な木造教会であ
   った。1302から聖ペテロ教会が構築され、1442-96後期ゴシックの3身廊切妻屋根の教区
   教会が建てられその碑文がポータルにある。1671-73ギャラリィが再建された。建物は25×
   50mの大きさで、塔の高さは63mある。1967-68改修が行われ、上塗りされていた
   ネオゴシックの装飾が削除された。
 旧兵舎 Ehem.Kaseme (1767-71) マンサード屋根の3翼の大きな建物である。
 都市在住農民の木組みの納屋 ackerbuerger Scheune (19c初) 2階建ての木組の納屋で、
   Julius str.4 Kellerei str.55 などにある。
 考古学博物館 Archaeologische Museum (1988) 旧修道院の穀物倉庫に開設された。ミュ
   ンフェンの州立考古学博物館の分館として、先史時代からのこの地方の、特にRhon
   の墓野原についての豊富な副葬品が展示されている。

5.写真

市庁舎 北壁
マルクト広場

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バート・ノイシュタット Bad Neustadt a.d.Saale  BY16

1.歴史

 741 フランク王チャールズの聖マーチン教会への贈物に言及、742-1000 東フランク王国の支配、
 1159 独でも大きい山上のザルツブルク城の言及、1200 最初の木製城壁の建設、
 1232 町として初言及と都市権の授与、   1525 農民戦争で農民側で鎮圧・処刑、
 1541 町に最初の宮殿を建設   、     1585 反宗教改革で町は再びカトリックへ、
 1631-34 30年戦争で飢餓や疫病、      1640 スエーデン軍に帝国軍が対抗、
 1680 1352からのカルメル会修道院は教会を設立、1805 世俗化の後にヴュッテンブルク大公国、
 1815 町はバイエル王国に帰属。

2.市壁  1.42km 0.97

   市壁は13cに造られ、16cに拡張・更新された。全体的に市壁は保たれているが、
   元の高さはない。ツインガーは北東角とKirchePfarteからSpoerleiesTorまで残る。

3.塔  4門6塔

 ホーン門 Hohn tor (1578-79) 西南 領主司教ユリウスの要望で建てられた6階
   建て高さ34mの白い両切妻屋根の角門塔で時計が付いている。門塔には旧管理棟・
   宿「ポスト」・宿「黄金獅子」の3つのバロックの建物が繋がっている。
 シュペーラインス門 Spoerleins tor 北東 門の場所に1846花瓶置き場的な2本の
   柱が建てられた。
 教会小門 Kirch Pforte 北 教会の東から外に出られるアーチ小門がある。
 塩小門 Salz Pforte 南 小門がある。
 円塔 Runde turm 西南 狭間擁壁のある屋根のない細長い円塔。
 円塔 Runder turm 西中 円錐屋根付の細長い円塔。
 円塔 Runder turm 西北 狭間胸壁と銃眼のある屋根なしの細長い円塔。
 円塔 Runder turm 北東 円錐屋根の細長い円塔。
 半円殻塔 HalbrunderSchaelen turm 東 外壁に半円の殻塔。
 円塔 Runder turm 東 ロスマルクト通りに円錐屋根の低い円塔。

4.見所 C

   ハート型の市壁は珍しい。広いマルクトには2つの泉があり、2-3階の切妻のある
   木組みに漆喰塗または石造の建物に囲まれている。
 市庁舎 Rathaus (1473) 意外に簡素な建物で、入口上の市の紋章で分かる。
 カルメル会修道院教会 Karmeliten KlosterKirche ()歴史的な宝物として、
   バロックの美しい木製祭壇と説教壇がある。1732のオルガンは今も維持されている。
   黒い聖母の礼拝堂と綺麗な漆喰の天井もある。
 町教区マリア昇天教会 StadtPfarr MariaHimmelfartKirche (1050)今の場所に
   建てられ、1352の補修されたゴシックの目の教会が在った。1798宮廷建築家によって
   28本のコリント円柱のある建物を計画したが、資金不足で1834までかかり、1836献堂
   はヴュルツブルクとフルダの司教によってなされた。
 塩城 Salzburg (1150) 1km東の山頂にプファルツ皇帝オットー3世はハンガリーの避難所
   を設け、1250には拡充強化された。450mの城壁に囲まれ、城門を入ると広々とし
   た中庭とかなりの建物が残されている。

5.写真

市庁舎 ホーン門
南東壁 塩小門
南壁 北壁
東壁 マルクト広場

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バート・ローダッハ Bad Rodach  BY17

1.歴史

  800 ローダッハはフランク族墓地の下地区に属す、 899王の館ローダッハの命名が初言及、
 1180 城とローダッハはヘネベルク家の領地に、  1300 市場町に自分の裁判所を創立、
 1310 シュバルツベルク侯爵の都市権授与、   1353 この町を含みヴィッテン家が取得、
 1362 マイセン辺境伯は町と市場権を確認、  1386 全体の集落は市壁で囲まれた、
 1525 農民戦争で城は廃墟となった、   1531 市壁は拡張され地方の要塞に、
 1632-38 30年戦争で略奪・焼払・疫病・飢餓、 1663-1734ザクセン・アルテンブルク公の繁栄、
 1748 フランツ・ヨーゼフ侯爵は狩猟ロッジを建てた、 1825 町が焼け市壁材料で建築、
 1826 ザクセン公国の統治下に、       1857コーブルク門と火薬塔間の市壁破壊、
 1866 バイエルン軍が町を占領。

2.市壁  0.30km 0.34

   14cからの市壁は塔と堀で構成され、西側の市壁は1825の火事で家の建材とし
   て取り壊して再利用された。北半分は殆ど現存し、南側は古い市壁の残片は建物
   の基礎として使われている。

3.塔  0門5塔

   銅塔 Kuper Turm(14c) 5階建ての角塔で寄棟屋根に屋根天窓がある。
  火薬塔 Pulver Turm(16c) 7階建ての殻角塔で四角錘屋根が付いている。
  円塔 Rund Turm(14c) 2階建ての円錐屋根の円塔。
  半円殻塔 Halbrund SchaelenTurm (14c) 2階建の半円殻塔で屋根はない。
  半円塔 Halbrund Turm (14c) 3階建て平屋根の半円塔。

4.見所 C

   上部フランケンの温泉スパの町で、旧市街には歴史的建築物やフランコニア木骨の家がある。
 市庁舎 Rathaus (1660) 2階建て両切妻屋根で、前面には屋根天窓がある。
   1903新ルネッサンスで再構築された。
 ゲオルゲン修道院 Kloster Georgenberg (1120)侯爵未亡人とその妹がバンベルク
   司教に寄贈し、1149聖ゲオルク修道院が聖別された。世俗化で私有化され、1542町は
   千ギルダーで買い取った。1550建物は取り壊され、建材は市壁に転用された。
 狩猟宮殿 Jogd Schloss (1748-49) フランツ・ヨジアスは侯爵狩猟宮殿として3階建て
   中央突起と両側の寄棟屋根の建物を建て、ゲストハウスで使った。その後小学校となり
   1982地元の歴史博物館となった。
 聖ヨハネ教区教会 Pfarrkirche St.Johannis (15c) 15cに建てられた塔と調度を
   使って、1755-58ホール教を建てた。
 旧郡裁判所 Ehem.Landgericht 2階建てルネッサンス切妻屋根の長い建物で、一時刑
   務所として使われ、1900切妻が強化された。
 旧郵便局 Ehem.Post (1690) 1690の年号を掲げているが、19cに再構築された
   2階建ての差掛け屋根の建物で、地階に田舎風玄関があり上階は木骨造の偽装。
 郷土博物館 Heimatmuseum SchlossPlatzにあり、地域の歴史だけでなく、
   地域の経済関する展示がある。
 木組みの家 Holz Haus
  古い学校 AlteSchule (1696) 市壁に跨った美しい切妻屋根の木組の建物。
  金のライオン GoldenerLoewen (17c) 上階屋根窓のある美しい模様の木組みの
    建物で通り側の切妻は堂々としている。1986までガストホフ「金のライオン」であり、
    その後住宅で使ったが、2014町が取得した。
  角の家 Eckhaus (1905) 角に立つ2.5階の石造と木造の混合建築物で歴史
    主義様式の角塔と切妻がある。
  階段屋根の家 Staffeldachhaus (17c) 上階木組の家で地下室の上に建つ。
  フリドリンの家 Fridolinhaus (1914) 中庭を囲んで美しい2-3階建の木組みの
    上階や塔がある。
  木組みの家 Fachwerkhaus (19c) 2階建て切妻屋根の木組みの家。
  木組みの家 Fachwerkhaus (18c) 中庭への入り口のある2階建て切妻屋根
    の木組みの家。

5.写真

市庁舎 銅塔
城広場・半円塔 東壁
北東壁 北壁
南壁 スタッテル屋根の家

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バート スタッフェルスタイン Bad Staffelstein BY18

1.歴史

  9c中 フルダ修道院が所有していた。     11c バンベルク司教が所有、
 1130 皇帝ローター3世は市場・関税権を授与、      1418 4門を建設、
 1422 バンベルク司教からアウフセス要塞の構築権を与えられた、
 1633 スエーデン軍の略奪と破壊、           1634 ペスト流行、
 1684 ほぼ全戸焼失する火災発生、      1719 修道院バンツの献堂、
 1722 聖フォーティーン大聖堂の完成、      1804 町はバイエルン王国に帰属、
 1975 50度Cの塩水が噴出、        1999 スパと製塩施設の開業。
 2001 町名にBadを付けた。

2.市壁  0.07km 0.08

   15-16cの市壁は砂岩疎石で壁塔が配置され、堀を伴っていた。
  市壁の上に家屋が建てられている。市壁は1880年代に取り壊された。
   今は、東から南にかけて残されている。

3.塔  1門0塔

   4市門の内バンベルク門塔のみが残されている。
 バンベルク門塔 Banberg TorTurm(1573) 16cに今の姿になり市塔とも呼ばれ
   た。5階建て砂岩造の正方形の塔で、マンサード屋根の帽子は18cのもので
   ある。

4.見所 C

   1684の大火災後の2階建てバロック切妻屋根の木組の建物が多い。
 市庁舎 Rathaus (1684-87)中世後期の地階を使用して切妻屋根の木組の上
   階を付けた3階建て鐘楼付きの美しい建物である。
 聖キリアンとゲオルク教区教会 Pfarrkirche St.Kilian und Georg(14-15c)単塔3
身廊の教区教会で、16c 18cに改造されている。
 聖アンナ礼拝堂 St.Anna Kapelle(15c) 1684の火災で焼失、1694に再建され
   た。天窓・引込内陣切妻屋根。
 聖ゲオルグ礼拝堂 St.Georg Kapelle(1727-29) 砂岩寄棟屋根の広間教会は
   漆喰塗。
 バンツ修道院 Kloster Banz(18c)対岸北の山頂にある大修道院。
 旅館アダム・リーゼ Gasthof Adm・Riese(17c) 2階建て上階木組の美しい建物。
   通り側は半寄棟。
 旧バンベルク大聖堂章の事務所 Ehem.Amtshaus des BanbergerDomkapitals
(1717-20)2階建て寄棟屋根砂岩造の建物。
 旅館黒熊と醸造所 Gasthof und Brauerrei Zum SchwarzenBaeren上階木組の
   2階建、美しい切妻と地下室のある建物。
 市博物館 StadtMseum (1870)切妻屋根の美しい元校舎に、市の歴史と文化
   の展示がある。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
バンベルク門塔 東壁
西壁 西壁
南西壁 東南壁

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バート ヴィンズハイム BadWindsheim BY19

1.歴史

  822 皇帝のヴュルツブルク司教への寄付文書に、      1234 市場として言及、
 1284 帝国都市の権利取得、     1295 司法権を得て最初の市壁を設けた、
 1360 町と住民は経済力をつけた、       1424 市壁を外に拡張させた、
 1525 自由帝国都市協議会による改革、  1596-97 魔女裁判で25人が焼かれた、
 1618-48 30年戦争による占領・略奪、   1730 大火災で町は廃墟、直ちに再建、
 1803 帝国自由都市時代の終わり、        1804-09 プロイセンが町を支配、
 1810 バイエルン王国に帰属、         1891 鉱泉の発見、1906スパの開業。

2.市壁  0

   13cの市壁は14cに存在し、1424-34に何回目かの市壁の拡張がなされた。
  1876-83に市壁や門塔の解体があった。

3.塔  0

   見当たらなかった。

4.見所 B

   円形の旧市街に、見るべき建築物が多く残っている中型の町である。
 市庁舎 Rathaus (1713-17)お城のようなバロックの建物。1730焼失、1732再建。
 新市庁舎 NeuesRathaus (1858-60)郡裁判所のために建てられ、1879売却。
 聖キリアン教会 Stadtkirche St.Kilian(1190-1216)伝統的な建物で、1730火災に遭
   い、1731-33に帝国からの寄付で再建された。1738-44北塔の建設。
 アウグスチン会修道院 AugustinerKloster(1291)寄付され1525解散されたが、教会
   内陣は維持された。1620市立図書館として改造された。
 礼拝堂 Bethaus (1710) 礼拝の施設として建てられ、1986に国際青年出会
   いの場として再建された。
 ビール醸造所 Bierbraueei(1765)かって30あったビール工場の内まだ現存する
   建物。
 武器庫  Zeughaus(1427)帝国都市の武器集積所と大砲鋳造所であり、1859
   -1950牢、1953-70学校の生徒寮であり、今は住居。
 市長住宅 Wohnhaus von Buergermeister 上級判事の家としても使われた。
 石造の家 Steinhaus(1210)町でもっとも古い市民の家。
 ロココの家 RokokoHaus(1743)豊かな装飾のあるロココの前面の建物。1997金の掛
   かる復元が行われた。
 海のマリア礼拝堂 Kapelle Maria am See(1402) 1986に改修、色瓦屋根は16c
   に戻した。リーメンシュナイダー12使徒像の複製がある。
 体育館 TurnHalle(1890) その横に1537の穀物蔵があり、今日では帝国都市
   博物館「雄牛館」として市の歴史と民俗学の収集物。
 精霊養老院 HeiligGeist Spital(1318) 初めは市壁の外にあったが外側に新市
   壁が建てられた。1997建直されて擁護所。
 工作所 Bauhof(1441-43) 大きくて綺麗なツィマーマンの工房。南独でも大きくて
   大胆な中世の木組みの建物。

5.写真

市庁舎 教会
湖のマリア礼拝堂 体育館

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ベルナウ Baernau in Oberpfalz BY20

1.歴史

 1133 市場伯ディーポルト3世はバルトザクセン修道院を設立、   1296 初文書言及、
 1350-1405 ボヘミアンプファルツ州に属した、1343 皇帝ルードヴィッヒは村を町に昇格、
 1351 カール4世は都市権を授与、         1351 市壁を強化した、
 1405-99 バイエルン侯爵の上プファルツに、 1499-1621 プファルツ選帝侯領となった、
 1621-1805 バイエルン侯爵領となり市壁の再建、 1806-1918 バイエルン王国領へ、
 1839・1969 市壁内の殆どを焼失した。

2.市壁  0.18km 0.23

    1343の町への昇格で市壁は建設され、1622に一部再建された。市壁の
  外側に堀の壁もある。

3.塔  0

    見当たらなかった。

4.見所 C

    1839の大火災後の2階建ての建物が多く残っている。
 市庁舎 Rathaus (1892)歴史主義2階建ての寄棟と切妻屋根のL型平面でバルコニ
   ィー・中央突起の入口のある石造建物。
 聖ニコラウス教区教会 Pfarrkirche St.Nikolaus (1733-1808)石造3身廊ホール教会で
   南の内陣に尖塔がある。1839-40と1872に火事の後の改修。
 カソリック牧師館 Kath.Pfarrhaus(1840)切妻屋根に狭いアーチの窓枠と石造漆喰塗2階
   建ての建物。
 住家 Wohnaus(1801)2階建て切妻屋根の石造漆喰仕上げの建物で、角円塔があ
   る。19cに再石膏作業。
 聖ミカエル礼拝堂 Kath.FriedhofKapelle St.Michael (1590)広間作りの石造の建物。
   1770の火事の後に構築され天窓のあるヒップ屋根がある。
 共同醸造所 Ehem.Kommunbraueei(1840)平屋切妻屋根の石造漆喰仕上げの建物で
   火事の後1840に屋根とアーチ窓が整備された。今は、ドイツボタン博物館であ
   る。
 カソリック礼拝堂 Kath.Kapelle MariaHilche(1834)3辺に切妻屋根と天窓のある建物。
 カソリック巡礼教会 Kath.WallfahrtsKirche Zum Gegoifalfen (1763-68)北に5㎞に広
   間造り凹んだ内陣の寄棟屋根の建物。1765の年号がある。西玄関・内陣・聖具
   室を拡張。1818-19石造に漆喰仕上げ。石山教会とも呼ばれる。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
西壁 北東壁

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バムベルク Bamberg BY21

1.歴史

  902 最初の文書言及、    973 皇帝オットー3世はバイエルン侯爵ラングラーに町を与えた、
 1007 ヘンリー2世は大聖堂を建て新教区を設立、1430 フス軍に町お占領され略奪された、
 1524-25 農民戦争で町は襲われた、       17c 30年戦争でスエーデン軍の占領、
 17c  7年戦争で仏軍に占領された、     18c 侯爵司教フランクはバロックで町を復興、
 1803 町は王宮を失いバイエルン州に帰属、   1945 2次大戦の爆撃被害は比較的軽微。

2.市壁 0

   マイン・ドナウ運河から西に、丘上の宮殿までを囲む市壁と水堀・門塔があったが、
  1083から壊された。1617の俯瞰図で位置は明確に分かる。

3.塔数 1

 魔女塔 HexenTurm(15c) 北西20kmのZeilに立つ5階建ての角塔。17cの魔女狩
    りの際の監獄として使われた。

4.見所  S

   小ベニスと言われた川沿いの平地と、西の丘の上の宮殿と大聖堂があり、中島に
  川を跨いで旧市庁舎がある。2次大戦の被害を免れて古い建物が多く残り、ロマネスク
  ・ゴシック・ルネッサンス・バロックの建物が並んでいる。
 旧市庁舎 AltesRathaus(15c) 初めゴシックで建てられ、18cにロココに改装された。伝説に
   よると司教が市庁舎の建設場所を許可しなかったため、川に杭を打って市庁舎を建て
   た。側面には見事なフレスコ画があり、中にはロココ広間とルードヴィッヒの収集物がある。
 大聖堂 Dom(1190-1237) ゴシックの聖堂には二つの後陣がある。二つの内陣を挟んで4
   本の塔が立っている。ドーム広場に面した君主の入口は美しい。東から西にロマネスクから
   ゴシックへの変遷が見られる。ロマネスクの東内陣の地下には3廊の地下聖堂がある。西内陣
   にはドイツゴシック彫刻の傑作が多く置かれている。
 司教区博物館 DioezesanMuseum(11c) 大聖堂を通り抜けて南西にあり、彫刻・聖堂の
   宝物・皇帝や皇后の衣装等が展示されている。
 旧宮殿 AlteHofhaltung(1007) 16cには皇帝・司教の宮殿でルネッサンスの前面切妻・張り出し
   窓・角塔がある。中庭が美しくゴシックの木組みの建物と回廊が囲んでいる。歴史博物館を
   収容し、川と町の歴史や100点の絵画塔を展示している。
 新宮殿 NeueResidenz(17c) 町で最大の4翼の建物は二段階で建てられた。1602後部を
   ルネッサンスで、1697-1703前部がバロックで建てた。40室以上あり壁画天井画で飾られ、東翼
   に州立図書館、2階にドイツ絵画の州立美術館がある。バラ園からからは東側の展望が
   良い。
 ゲイヤーベルト町宮殿 Rathaus Schloss Geyerswoerth(1585-87) 旧領主司教の町宮殿で、今
   は講演会場で、美しい塔の眺めは閉じられている。
 カルメル会修道院 KarmelitenKloster(12c) 13cからの後期ロマネスクの回廊が残る。1692-1701に
   バロックに改修、修道院の入口では修道院の製品を売っている。
 聖ミカエル修道院 kloster St Michael(1015) 旧ベネディクト会修道院は、1117の地震で壊れロマネス
   クテで再建され、更に1610の火災の後にゴシックで再建され、18cには修道院はバロック化さ
   れ。教会の中には、天の庭・花・薬草の天井画がある。バロックのテラス庭園や町の展望が
   素晴らしい。
 教区教会聖母マリア PfarrKirche zu unsrer LiebenFrau(1375) 唯一の純粋ゴシック外観の教
   会で、3身廊の内部はバロック装飾されている。不適切なバロックの補修で構造的な問題を生
   じている。
 聖ヤコブ教会 Kieche St.Jacob(12c) 初め列バジリカとして建てられ、1711にバロックの前面
   を得た。
 聖マーチン教会 Kirche St.Martin(14c) 町で唯一のバロック教会で、1693イエズス会の大学教会と
   して建替えられた。
 聖ステファン教会 St.Stephans Kirche(1020) 教皇ベネディクト8世に献堂された。17cにギリシャ十
   字の平面で今日の礼拝堂が建てられた。1628-29に後陣はバロックとなり、身廊はルネッサンス
   とバロックの部分が存在する。1808プロステタントの教会となった。
 自然史博物館 NaturkundeMuseum(1791) 大学の教室として1810使われ、1970劇場に改
   修され、2010復元され鳥の展示室となった。地質・鉱物・古生・動物・植物の20万点の標本が
   ある。
 バムベルク降誕博物館 Bamberger KrippenMuseum(1791) 世界のキリスト降誕のクリスマス飾りの展
   示。
 ビール醸造博物館 BrauereiMuseum(1742) フランケンビールの醸造施設内に古文書・醸造機器・ボトル
   ・氷室等1300点の展示がある。

5.写真

旧市庁舎 市庁舎
聖マーチン教会 大聖堂
大聖堂 旧宮殿

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バウナッハ Baunach BY22

1.歴史

  802 初文書言及、823 ヴュルツブルク司教は新教会奉献、  1220 スタウヘンブルクの建設、
 1244 アンデックス・ソラニアは城と町を取得       1260 侯爵トルヘン・ディンゲンは町を相続、
 1270 百戸区を認証しヴュルツブルク猟場監督長事務所、1328 バイエルン皇帝は都市権授与、
 1390 バウナハ百戸区はバンベルク司教の郡へ、  1435-48 バウナハはローテンハンに質入された、
 1447 領主司教ローテンハンは町に封印と横印授与、1525 農民戦争で城は略奪・焼払れた、
 1553 ブランデンブルク辺境伯は城を廃墟に、  1603 フルダ僧院は財産をバンベルクへ売却、
 1631 町は30年戦争で略奪された、    1689-93 スタウフェンベルクは倉庫の館を建設、
 1722 町の防備施設を新設、              1796 仏軍の侵攻と通過、
 1802 バウナハ役所をバイエルンに引渡し地方裁判所設置、 1939 マイン川は架橋で舟運終了。

2.市壁  0.12km 0.21

   1328にバイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権を授与し、市壁が築かれた。1722に町の
  防御施設が新築された。南西のAm stadtgrabenの内側に120mの市壁が残っている。

3.塔  0

   見当たらない。

4.見所 C

   16-18cの2階建ての木組みの家があり、マルクト広場は纏まっている。
 旧市庁舎 AltesRathaus(1742-46) ロココ2階建て隅切石柱腰折れ寄棟屋根の建物で鐘楼
   と天窓付きの漆喰仕上。1982市立図書館と郷土博物館を収容した。
 新市庁舎 NeuesRathaus(18c) 旧市庁舎の南隣の学校を改修して1982から市庁舎とし
   て使用した。
 聖オズヴァルト教区教会 Pfarrkirche St.Oswald (18c)最初の教会はアングロサクソン王の聖オズ
   ヴァルト捧げられて建てられた。1460残っている聖歌隊と4階建て尖塔が建てられ
   1810バロックの祭壇は世俗化を通じてバンベルクの聖ステファン教会から来1970-72再建さ
   れ、34レジスターのオルガンが付けられた。
 旅館オブレイ館 Gasthof Obley Hof (18c)大きな中庭のある美しい上階木組2階建の半寄
   棟屋根の建物。文節門入り口がある。
 元納骨堂と墓地礼拝堂 Ehem.Beinhaus und FriedhofKapelle(1543)2階建て上階木組
   の切妻屋根造後期ゴシックの建物。
 宿屋 鹿 Gasthaus Zum Hirsch(1800)大きな2階建ての寄棟屋根の建物は1800に更
   新された。
 旧司教の保管庫 Ehem.Bischoeflicher Kastenhof(1689)バロックの2階建て細長い切妻
   屋根の建物と3階建ての正方形の階段塔を、司教マルクアート・セバスチャンが建てた。1802上
   級事務所は溶解し、1838-1932地方裁判所を収容、1982まで工場で使われ、今は老
   人ホームとなっている。
 十分の一税納屋 Ehem.Zehntstadel(18c)王子司教の紋章が付いた切妻屋根の納屋で、
   十分の一税の物納を収容した。
 マグデーレン礼拝堂 Kath.Magdelen Kapelle(1431-35)砂岩ブロック支柱の内陣と広間構造
   の礼拝堂。前の広場には右屋外説教壇が置かれている。
 テレメル工場 Tremel Muele (14c)今の建物は1705-06に建設され1989まで操業ししてい
   た。2階建て切妻屋根の建物は、19c工場施設は博物館となっている。

5.写真

旧市庁舎 旅館オブレイ館
聖オズヴァルト教区教会 南西壁
南西壁 南壁

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バイロイト Bayreuth BY23

1.歴史

 1194 バムベルク司教オットー2世の文書に初言及、  1199 村として、1231町として言及、
 1200-30 町に都市権の授与、       1248 侯爵アンドレッセ・メラニーンが領主であった、
 1260 ホーエンツオーレルン家ニュルンベルク城伯が遺産引受、 1361 皇帝カール4世は鋳造権を城伯に、
 1430 フス軍は市庁舎や教会を焼き払った、1528 フランケン領主の指示で宗教改革を導入、
 1603 辺境伯クリスチャンはバイロイトへ王宮移転、    1605 大火災で建物の過半が被害、
 1620 ペスト、1621大火災、30年戦争で衰退、1683 辺境伯エルンストはトルコの包囲を解放、
 1735-63 町の最盛期でバロック・ロココ建築多数、 1769 アンスバッハ辺境伯が継いだが困窮、
 1791 プロイセンの州となった。        1806-10 仏の占領下で高額金を拠出、
 1903-33 ワイマール共和国に参加、        1945 2次大戦の空爆、4月米軍進駐。

2.市壁  0.10km 0.05

    市壁は1750に各所で壊された。
  市壁は、北部に100m残っている。

3.塔  0

    上門、下門、Muehl小門等は、交通阻害で18cに取り壊された。

4.見所 B

    18cに突然黄金期を迎えた町で、ブランデンブルク・バイエルン辺境伯の王宮が置かれて
  建てられたバロック・ロココの建築物が良く残っている。1872からヴァーグナーが住んで活躍。
 旧市庁舎 AltesRathaus(13c) 1430フス軍に壊された後再建、1605焼失、1679再建、1
   722-27に3階建てルネッサンスの建物に再構築、1916官公庁は新庁舎に移転、1921旧市庁
   舎は公共図書館を収容、1945-72新市庁舎の破壊で一時市庁舎として使用、1972-96
   バイエルン警察署、1996-99大規模な改修の後に美術館となった。
 辺境伯歌劇場 Markgraefliche Operhaus(1749-48) 美しいバロックの建物は世界遺産であ
   り、72mの舞台を3階の客席が取り巻く。
 新宮殿 NeuesSchloss(1753-54) 辺境伯フリードリッヒの宮殿で既存の建物を改造したり統合
   して造られた。居住棟はロココのスコッタで飾られ、鏡の間、日本の間、音楽の間等がある。
   北翼1階にはファイアンス焼き博物館がある。
 城教会と城塔 SchlossKirche und Schlossturm(1749-48)辺境伯フリードリッヒの埋葬のた
   めに明るいバラ色の塗装の単身廊のロココ教会を建てた。階上席の下に閉ざされた礼拝室
   があり、辺境伯や娘たちの墓所がある。1565八角形の大きな鐘塔は町のシンボルであ
   る。
 聖三位一体教会 StadtKirche Heilig Dreifaltigkeit(1437-1495) 二つの高さ50mの塔
   のある印象的な1668の建物で、塔はイタリア風フードに替えられた。北塔の地下室には1194
   に献堂された昔の建物がある。
 病院教会 Spital Kirche(1439) 初めのルネッサンスの教会はゴシックへの改修があり1577に奉
   献された。1748礎石、1750奉献の今の新しい建物が建てられた。
 祝祭歌劇場 FestSpielHaus(1872-76)ルードヴィッヒ2世がヴァーグナーのために世界最大のオペ
   ラハウスを建てた。木造で音響効果が良い。
 州立美術館 StaatGalelie(2007) 新宮殿に州立絵画コレクションの分館として開館された。
   後期バロックの100点の絵画がある。17cオランダ絵画、18c風景画。
 辺境伯と陶器博物館MarkgrafesPrankraeume und SammlungBaureutherFayance新宮
   殿の辺境伯と妻の個室が公開されている。また1階にはバイロイト陶器工場が1720-33に
   生産した陶器が展示されている。
 ヴィルヘルミーネ博物館 Museum Bayreut der Wilhelmine 新宮殿に、辺境伯の妻であるプロイ
   センの王女の文学・音楽・オペラの愛好家としての貢献の経緯を展示。
 考古学美術館 ArohaeologischesMuseum(1759-60) 新宮殿の庭に建てられたイタリア風
   の建物で、旧石器時代から新石器時代の豊富な展示物がある。
 歴史博物館 HistorischesMuseum(19c)1996に新築の博物館になった。34の展示室に
   町や地方の歴史・政治経済・文化生活・建築についての展示がある。
 美術館 KunstMuseum(1727) 1996に改修後に美術館となった。主として20cのネオリアリ
   ズムとシュールリリズムについての展示がある。
 上フランケン自然史博物館 Urbelt Museum Oberfranken 500万年間の生命の歴史の古生物学
   ・地盤学に関する情報と展示。
 フランツ・リスト博物館 FranzList Mudeum 音楽家フランツ・リストの人生と作品を展示。
 ジャンポール博物館 JeanPaul Museum 詩人>ジャンポールの人生と作品を展示。
 ドイツ・フリーメイソン博物館 DeutschesFreimauer Museum ドイツのフリーメイソン歴史と自然について
   の最大の研究成果を展示している。
 メイゼル醸造所と樽博物館 Msisel's Brauerei nmd Buettenerei Museum メイゼル醸造の建物
   は2400m2の正方形でビールの世界を収容する。ギネス登録の世界最大ビール博物館である。
   多くの種類の樽も展示されている。
 ドイツ・タイプライター博物館 Deutsches Schreibmachinen Mudeum 400台の歴史的なタイプライター
   の内約半数が展示されている。
 ヷルキリー磁器博物館 Walkuere Porzellan Museum 磁器工場ワルキーレの100年の歴史(1899-
   1999)を展示。
 リヒャルト・ヴァーグナー博物館 RichardWagner Museumリヒャルト・ワーグナーの生涯と作品。

5.写真

市庁舎 新宮殿
旧宮殿 旧宮殿塔
辺境伯歌劇場 祝祭劇場

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べルヒング Berching BY24

 

1.歴史

 883 皇帝カルロス3世文書に初言及、  912 アイヒシュタット司教が所有し事務所設置、
 1245 市場権を付与された、     1296 要塞化された場所となり1314町に、
 15c 要塞改修で4門13塔に市壁を拡張、1525 農民戦争は市壁で無傷で守られた、
 17c 30年戦争と疫病で人口減少、   1806 バイエルンの支配で事務所廃止・衰退、
 1808 ナポレオン戦争でアイヒシュタット司教支配は終焉、1822 穀物や牛の市場を開設。

2.市壁  1.4km 1.00

  1465から拡張された市壁と街並みは、そのまま維持された。市壁上通路は東側
  で部分的に通行できる。1685市壁の一部が破損したが、更新されて全延長が残る。

3.塔  4門13塔

  15cの門や塔は全て残されている。
 Mittleres Tor東門。北隣に16c美しい3階建片持ち木組・急勾配屋根の建物。
 Gredinger Tor西門。上門と呼ばれ13cに設置、15cに前門が付けられた。
 NeuMarkterTor北門。昔はKrapfenTorと呼ばれ、古い通商路のあった場所。
 BeilingerieserTor南門。昔はSiechenTorと呼ばれ、病室が置かれた。
 Bettelvegt Turm乞食監督塔。昔は監獄があった。市壁通路に登れる。 
 Dachsen Turm穴熊塔。
 Pulver Turm火薬塔。弾薬の貯蔵所であった。、コウノトリ塔とも呼ばれた。
 Chinwsen Turm支那塔。仏塔の屋根に似ている。隣に飲み屋が建った。 
 Frauen Turm北西角、悪女の晒し台があった。 
 Biersieder Turm西北、
 Schmidtweher Turm西、投石機を装備した円塔。
 Amtskneht Turm西南角、雇兵事務所塔、昔は監獄。外に二重堀、小門付き。
    Bildhauer Turm南、彫刻家塔。角塔。
 Pfeiffenschnider Turm仕立屋塔、角塔。
 Bad Turm南東角、風呂塔。円塔
 Schiess Turm東、射撃塔。
 Ziegel Turm東、レンガ円塔。

4.見所 A 

   門や塔のある市壁に完全に囲まれ、古い町並みが残され、建物群も色とりど
   りの漆喰が見事である。東側に中央に聖ロレンチィン教会のある一部市壁で囲まれた
   旧市街地が存在する。
 旧市庁舎 Ehem.Rathaus(1693) ワイン商人ゲオルグ・ペッテンコッハーが商館として
   建てた。3階建マンサード屋根の建物で入口の戸には家の紋章が残っている。1795
   から市庁舎として使われ、今は郷土博物館となっている。
 古市庁舎 Altes Rathaus(1693) 2階建のサドルルーフ構造の古い市庁舎は、
   改修され1785の梁がある。
 マリア昇天教区教会 PfarrKirche Mariae Himmelfahrt (1488) 美しく贅沢
   な建物。1519教会の改修が行われ、3つの新しい祭壇が奉献された。1755-60に
   北入口は明るい空間となり、中央高祭壇画は空の聖母マリア像である。1974外装、
   1992内装、2014屋根改修。
 旧フランシスコ修道院 Ehem.Franziskaner Kloster(1725-36) ベネディクト会と
   との競合があり時間を要した。天窓付き急傾斜屋根の広間教会で、聖トリニタスに
   の捧げられた。1802の世俗化後に旧病院となり、玩具博物館となって、ブリキの
   玩具・人形・錫フィギアー・人形部屋・模型等が飾られている。
 聖ロレンツ教会 St.Lorenz Kirch(1062) 13cの力強い内陣塔を持つ、古い記録
   によると883には礼拝堂が存在した。身廊の壁は11cに遡る。1519迄は教区教会
   であったが、今は教区の副教会である。30年戦争で破壊されたが、1680-85初期
   ゴシックで修復された。1980-81前面改修が行われた。
 プランクシュッテン修道院 Plankstetten Kloster (1129) ヒルシュベルクの伯爵によって
   司教修道院として設立された。15cに改革を実施し醸造所を設立したが、1525農
   民戦争・17c30年戦争で大部分を破壊された。17c終わりにバロックの再建が行われ
   たが、1806世俗化で解散され、1904再構築して農業学校を開設した。1925神学
   校・1959中学校・1978ベルヒング市が所有した。市の3km南にある。
 十分の一税倉庫 Zehentstadel(1464) 領主司教の十分の一税倉庫で、印象
   深い階段切妻がある。地租の穀物を収容した。
 郷土博物館 Heimat Museum (1979) 町の歴史・地域の手芸品・陶磁器・手
   工業品・農機具などを展示。

5.写真

南門 市教区教会
東門 北門
西壁 西門
南西壁 屋根付市壁
射撃塔 東壁
穴熊塔 雇兵事務所塔

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バイリングリース Beilingries BY25

1.歴史

 1007 教区アイヒシュタットの場所として初言及、1050 都市権と通行料徴収権を得た、
 1300 町は市壁と堀で守られた、      1525 農民戦争の被害は免れた、
 1623-25 魔女裁判で死刑判決、    1633 ヴァイマールのベルンハルト軍に戦わず降伏、
 1802 最後のアイヒシュタット司教退任しバイエルンへ、 1862 地方裁判所の開設、
 1939 郡バイブリングリースの成立。

2.市壁  0.32km 0.40

   1300-1407切石や瓦礫積の市壁が築かれ、1487.1559.1601.1725.1784に改修
  や拡大が行われた。18-19cに解体が行われた。1997-2007に市壁補修が行われた。

3.塔  0門10塔

   市壁と共に2門が築かれたが、1886と1887に取り払われた。1821-22には9壁
  塔が付けられた。残された塔は南4、南1、西4、北1である。
 BettelvogtTurm 乞食廷史塔(18c)東、中世後期の木骨造の塔、乞食を監督し、市内
   長期滞在の乞食を収容した。
 BadTurm 浴場塔(1524)東、中世後期の円塔で浴場をもうけたので、この名前がつけ
   られた。塔には無料宿泊など他都市の助産婦が使用した。
 SeelnonnerTurm 魂の修道女塔(18c)東、中世後期木造の塔に木製階段が付いてい
   る。多くの死んだ自治体使用人の女性住まいだった。
 FlurerTurm 耕地塔(16c)東、中世初期の木骨造の隅塔。森林や牧草地の使用違反や
   木材窃盗犯人を収容した。
 Turm 南、古い基盤の上に木組の塔上部工が建ち、18cに住居に変換。
 RossTurm 馬塔(1524)西、隅塔、司教ガブリエルに預けれれ、騎士の宿泊所として使
   われた。
 StrohbauernTurm 麦藁農家塔(15-16c)西、中世初期の木組の塔で、藁農家が使い
   ジュラスレート屋根であった。19c補修。
 WasserschoepfenTurm 水汲取塔(15-16c)西、この塔の近くに水汲家が有るので
   この名前となった。採水は自治体醸造所に供給された。この塔は15cの市壁
   に接続した。
 SauhueterTurm (1524)西、隅塔で4階建の四角錐屋根の角塔。この塔の所有者であ
   るアイヒシュテット司教ガブリレルの紋章があり、教状見張人を収容した。
 BuergerTurm 市民塔(17-18c)北、北東隅の四角塔で中世後期の基礎に17cの上部工
   か置かれ、民事制裁金の塔とも呼ばれ、市民の逮捕者が収容された。

4.見所 C 

   歴史的な市壁と市門はないが多くの塔が中世の姿を止めている。ロココ・バロックの
  建物群も見事であるが、木組の家は少ない。
 市庁舎 Rathaus(1740-42) バロックの市庁舎は、旧司教の地方管轄区庁として湾曲
   した切妻のある3階建マンサード屋根で建てられ、1802まで地方裁判所も市庁舎内
   に置かれた。町はセルシュタットに属したが、1972独立した市の行政を行うため、こ
   の市庁舎に引っ越した。
 聖バルブルカ教区教会 PfarrKirche St.Walberg(13c) ネオバロックの2階建急勾配屋根の
   ホール教会。北塔は最も古く13cからの物で16cに尖塔が付けられた。南塔は1911
   -13に建てられ印象的な双塔の姿になった。バロックの身廊は1912に建てられ、
   主祭壇と二つの前祭壇は旧教会から引き継がれた。
 旧フランシスコ修道院 Ehem.Franziskaner Kloster(1725-36) ベネディクト会ととの競合が
   あり時間を要した。天窓付き急傾斜屋根の広間教会で、聖トリニタスにの捧げられ
   た。1802の世俗化後に旧病院となり、玩具博物館となって、ブリキの玩具・人形
   ・錫フィギアー・人形部屋・模型等が飾られている。
 聖マリエン教会 St.Marien Kirche(1678) 聖母教会とも呼ばれた。寄棟屋根と2重天
   窓のある身廊で、1753-54に元の建物に基づいて再建された。
 カイザーベック家 Kaiserbeck haus(16c) 2階建ゴシック切妻屋根の建物で、4階建ブラインド
   アーケードリフト開口部のある裕福な市民の石造の建物。前面は美しい。
 ゲストハウス Haus des Gastes(1450) 2階建の急傾斜屋根に、17cの正面階段切妻を
   改造、1975内部を更新した。元は侯爵司教の穀物倉庫であったが、今は町
   のゲストハウスである。
 司教営林署 Bisschoefliches Forstamt(1751) バロックの正面入口の2階建寄棟屋根
   の建物。
 旅館ミリップ Gasthof Millipp(1458) 2階建の複雑な切妻の木組の家。16-17cに改
   修された。
 旅館王冠 Gasthof Krone (18c) 2階建の前段切妻と持送張出の建物で、18cに
   再建された。

5.写真

市庁舎 聖バルブルカ教会
魂の修道女塔 耕地塔
馬塔 水汲取塔
ザフュッター塔 市民塔
乞食廷史塔 東壁
南西壁 北西壁

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ブルック Bruck in der Oberpfalz BY26

1.歴史

 1140 ブルージュで最初の文書化、          1343 市場町として記録された、
 1345 ウルリッヒはプファルツ伯ルプレヒトに町を売却 、1396 ロイヒテンベルク方伯は町をローベンシュタインへ、
 1468 評議会・公共の権利・市場権の授与、 1470 ローベンシュタインはプファルツ伯に権利委任、
 1489 市壁建設権が授与された、      1527 プファルツ伯フリードリヒは市壁建設に着手、
 17c  スエーデン軍は町を完全に破壊、              1945 周辺の町を統合、
 1972 シュバンドルフ地区に含まれた。

2.市壁  0.15km 0.17

   15cからのマルクトの市壁は高さ15ftで作られ、1897の火災後に取払わられた。
  西南部と南にいくらか残る。

3.塔  0門3塔

   建設段階では3市門と12半円壁塔があったが、上門・浴場門・鍛冶屋門は壊され
  西南2基と南1基の半円塔が見られる。

4.見所 D

   狭い三角形のマルクト広場には市庁舎はないが、古い建物は残っている。
 聖エギディウス教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Aegdius(1140) エギルバート司教によって
   奉献され、14c前半から町教区教会となった。東の後陣・北の塔と聖杯の中核は
   ゴシックの複合体である。バットレスと塔の下部階のゴシックの壁は中世の建物から来てい
   る。身廊と倉庫は30年戦争の破壊の後に再建された。内装はバロックとゴシックであ
   る。西への拡張は1855-80にネオロマネスクで、36mの尖塔ヘルネットと共に行われた。
 旧養護局 Ehem.Pflegamt(14c)2階建ての上階木組の堂々とした建物で14cの中核
   と円形のアーチ通路があり、17Cの欄干付き裁判所木製階段もある。
 旧醸造所:桂馬旅館 Ehem.Brauhaus Gasthaus Roessel(1648)シンプルな石膏の二つ
   の2階建の建物路地で、1879繋がった通路入口を石畳とした。その後1852-1900
   は、Gasthus Zur Postとして郵便局であった。
 旧旅館太陽 Ehem.Gasthaus Zur Sonne(16c)円形アーチ入口のある石造2階建の建物。
 マッパハ博物館 Mappach Museum(1978)、マッパハの家に農民博物館が開設され、田舎
   と農民生活について展示している。1階には、ワゴン・放牧馬・ソリ・カート・チェスト・洗濯室と
   とどが置かれた。

5.写真

聖エギディウス教会 旧擁護局

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ブルクハウゼン Burghausen  BY27

1.歴史

788 カロリング朝は川の関税城を構築、  1025 帝国財産として最初の文書言及、
 1027 皇帝コンラッド2世はブルクハウゼン伯を置く、 1164 侯爵ハインリッヒは城と谷の町を所有、
 1255 ヴィッテルバッハ家は都市権を与え塩貿易、 1307 バイエルンン皇帝は都市法を法典化、
 1336-43 皇帝ルードヴィッヒは特権を授与、   15c16c 三代侯爵の下に最盛期、
1594 侯爵の塩の専売制創設で収入増、   1618-1745 30年戦争と承継戦争で荒廃、
 1807 首都の名前を剥奪された、      1891 守備隊の引揚で田舎町へ、
 1969-71 旧市街地の再開発と洪水防御。

2.市壁  1.70km 0.88

  市壁と城壁がくっ付いて町と城を守っている。北側にSalzach川とWoehr湖に達す
  る防御壁260mがあり、城の南端までは山頂の壁が両側1.00kmと、南側の市壁500mが
  ある。市壁の南端200mは残っていない。

3.塔  5門20塔

山上の6城郭に20の門と塔が残り、IndenGruebenの入口に2アーチ、湖の出入り口に
  2階建ての角塔、市街の西南角の山頂に大きな4階建ての円塔、その南に下った所に
  2階建ての角塔が見られる。

4.見所 C

城は山頂に、市街は山とSalzach川の間の平地に密集している。
  Burg(8c) 世界で最長1.051kmの城で、AusserBurghofからInnerSchloss
   hofまでに6区画に遮られている。初めは、侯爵の塩航路を守る砦であった。1164
   まではブルクハウゼン侯爵、1169城の拡張、1180ヴィッテルバッハ家の再拡張、13c下バイエルン
   侯爵による全新築、15c下バイエルン侯爵による主要建物の建設、1632スエーデン来襲に
   備えて防備強化、1801仏軍に外堡を壊された、1860再建が行われた1891改造、部
   分的に私有化。     いまは、市歴史博物館:市の歴史・周辺の考古学・城の統治・民芸・軍事・絵画・彫刻
   ・蝶の展示、美術館:美術の推移、国立城博物館:侯爵の住居・後期ゴシック美術品・展
   望台・城礼拝堂、写真博物館:写真と映像技術の進展・町の古写真、ドイツ写真家。
 町広場 StadtPlatz(16c)町の中心で4階建ての色とりどりのルネッサンス・バロック
   ・ロココの切妻建物が周囲を囲む美しくて大きい広場。
    市庁舎(1307)1788改修、女子英語学校(1687) 1771改築、煙の家(16c)1762
    ロココ切妻、塔が美しい。
 木組の家 Grueben(13c)大部分が後期ゴシックの木組みの建物が並ぶ細い
   路地で、職人が住んで工芸品を作ってきた。
 税関宮殿 MautnerSchloss(16c)選帝侯の宮殿で塩の関税を扱っていた、
   1912に改造され、1977に建て替えられた。今は市の教育と講演会場。ジャズケラー。
 聖ヤコブ教会 PfarrKirche St.Jakob(1140)1353の火事の後仮設で再建、
   1504の火事でも被害を受けた。塔は1470に基石が置かれ、1726に頭飾り付けら
   れた。1781円天井が置かれ、1815-55南身廊の倒壊後に再建。その後ネオゴシックの
   飾り付けとなった。
 学校教会ヨーゼフ StudienKirche St.Joseph(1630)昔のイエズス会修道院の
   教会で、後期バロックの美しい正面玄関がある。1781塔が付けられ、1863火事の後
   1874奉献された。本祭壇は1720元イエズス会愛大講堂から来ている。

5.写真

北壁 城塔
西南山頂塔 城西側
ザルツアッハ川橋 町広場
町広場 溝入口門

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ブルククンスタット BurgKunstadt  BY28

1.歴史

  830 城の山麓に小さな集落があった、    1059 最初の文書は城伯を言及、
 1160 バンベルク司教は交易路の城を確保、   1250 上の町は都市権を授与された、
 1323 市場権・都市権を文書で与えられた 、     14c  町の防備を強化した、
 1430 フス派来襲、1460バンエルク司教と辺境伯の争、1525 農民戦争で城・修道院略奪、
 1553 第2次辺境伯戦争で略奪・放火、   1312・1348・1448・1626・1634 ペスト流行、
 1632-35 スエーデン軍占領で荒廃、      1668-1880 醸造権を得てビール生産、
 1802-03 世俗化でバイエルン王国へ、      1885 靴生産を機械化し大工場へ。

2.市壁  0.40km 0.50

   14c初め上の町の周辺の市壁は部分的に存在した。城のある上の町は1584に、
  下の町は1640に焼失した。市壁は堀と土塁と共に約300m残り、2009には下の町北
  側100mを91万ユーロで補修し石積をコンクリートで覆った。

3.塔  0門0塔

   1816に東のPenzerTor・1872に南のLendTor・北東のKronachTorが取壊された。

4.見所 C

 市庁舎 Rathaus (15c) 11cの城ミシャェル礼拝堂の場所に砂岩3階建の天窓屋根の建物
   で、15c西翼と東翼の3階建住宅部、1689-90両切妻屋根の3階建装飾トラス。今の市庁
   舎は市壁の一部を成長させた。
 市教区教会:聖ハインリヒとカニグンデ Kath.Stadtpfarrkirche St.heinrich und Kanigunde
    (1292) 前面単塔引込み聖歌隊に中世のコア、1783-86砂岩切妻屋根身廊の建設、
   1812-13オルガン・内陣・身廊の整備。
 牧師館 Pfarrhof(17-18c)2階建切妻屋根、1723切石造で前面にスレート屋根屋根の階が
   ある。
 旧司教事務所員の家 Ehem.Amtsmannhaus(15c)3階建寄棟屋根2翼のスコッタの建物で、
   1695西へ砂岩ブロックの建物を拡張。
 住家 Wohnhaus (17-18c)2階建切妻屋根の木組の家で装飾的な木組切妻。
 住家 Wohnhaus(18c)2階建木組切妻屋根の家、前面切妻の木組が美しい。
 元廷史の家 Ehem.Fuerstbischoefliche Vogtei(1720)2階建寄棟屋根造りで、玄関
   に大きなアーチ門がある。1926に2階部分は更新された。
 旧染屋 Ehem.Faeberhaus (17c) 2階建の角の建物で、寄棟切妻屋根角付柱露出の
   木組の上階。
 旧城 Ehem.Altenburg (830) シュバインフルト伯爵は城を建設して家系の絶滅の1003まで
   所有した。1059バンベルク司教はこの城に廷史を置いて町を支配した。
   1525農民戦争で破壊され、その後再建され、今は下水道局。
 ドイツ靴職人博物館 DeuschesSchuster Museum 靴職人の製造の歴史と靴業界100年
   の歴史を展示。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
聖ハインリヒ教会 東城壁
西城壁

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ブルクレンゲンフェルト Burglengenfeld  BY29

1.歴史

 7c初 入植地と列状埋葬地が出土、    817 町の位置をアルメンホフ集落と呼んだ、
  900 今の名前となり城は侵攻された、        1091 城壁と上門が築かれた、
 1123 エンスドルフ修道院の文書に言及、    1270 決済市場に昇格して市街地拡大、
 1462 市場の2次形成と市壁の完成、    1542 町は都市権と紋章を授与された、
 1702 町の名前が今のブルクレンゲンフェルトに、  1937 行政改革でシュバンドルフ郡に、
 1972 ブルクレンゲンフェルト郡はバイエルンの上プファルツ県の一つの郡であった。

2.市壁  1.47km 0.57

   14cに市民の集落は高さ5mまでの防御施設を備えた。16c初めに屋根・壁上通路付
  の市壁が建てられ、正方形で突出した塔が市場を囲んだ。1462山頂の城と平地の旧
  市街を結ぶ斜面の市壁が築かれ、山腹を含めて市壁内となった。残っているのは、
  城壁・山腹・Stadtgraben沿いなどである。

3.塔  0門1塔

   かっては5門があり、昼間の旧市街への出入り口であったが、全て取除かれた。
  上門は、マルクト広場の南端にあった。橋門は、東の橋頭に在り塔内には守衛の住居が
  あったが、1857に道路の拡張で除かれた。水門は、北方にありシュパンドルへの通りで
  あった。クリンゲン門は、東南方向の城山への歩道に在った。エアディング門には、ナープ川
  へのケラー路地にあり税関の建物があった。
 エアトル塔 Oertl Turm (1505) 市壁の南西の角に在る見張塔で、マルクトの外側に拡
  張された場所に、プファルツ・ノイブルクの時代に建てられた。この塔は戦乱を生き残り、
   EUの資金で2009に復元された。その後催し物や町の展示に使われ、多数の記録や版
   画から建物の変遷が分かる。

4.見所 C

   1970からバイエルン州の資金を得て、記念碑的な主要な建造物は修復されている。
 市庁舎 Radhaus (15c) マルクトに建てられ、1585にルネッサンス様式で改造された。1424最古
   の釣鐘が付けられ、1483左の塔にフスの鐘がある。前面は二つの六角塔に挟まれ
   て3階建ての切妻がある。1542都市権の授与はノイブルクのプファルツ伯オットーハインリッヒに
   よって行われた。筒形円天井と16cフレスコ画にゴシックの残りが見られる。1990から
   全体的改修が行われて、外観は色鮮やかになった。
  Burg (10c) 城は10cに始まり、11c末にはハンガリーの亡命者が天守閣を付け加えた。
   1123-46ヴィッテルスバッハ・プファルツ伯オットーは大規模な城と宮殿の施設を拡充強化し今の
   姿を形成した。全体の敷地は2.38haとなり、高さ7mの円城壁で取巻いた。
 大事務局 Grosse Kanzlei (1255)バイエルン公爵家の遺産分配で、ドナウ左岸の広大な
   ヴッテンバッハの領地を管理するため、この町が事務局の所在地となった。1329の分
   割条約で、土地の分散を修復することが決まり、プファルツ・ノイブルク公国の組織が
   1505まで続いた。プファルツ・ノイブルク公爵夫人の下で、大事務局への改造が行われた。
   領主の会計局・地方裁判所・バイエルン王の役場・郡会事務局として使われた。
   1987から上プファルツ民俗学博物館となった。
 旧簡易裁判所 Ehem.Amtsgericht (16c)16cの重罪裁判のための裁判所は1803地方裁判
   所となった。1806バイエルン王立地方裁判所、1878-1918王立バイエルン簡易裁判所と呼ば
   れた。1911ユーゲントシュティールで新築された。2006町の所有となり、改造されて今は市
   営企業が使っている。
 アルメン館 Almenhof (9c)守り易い四角の館は817に初文書言及された。魅力的な木組の門
   造りと筋違があった。1799-1808選帝侯の銃の火打石工場が置かれた。左側の建物
   近郊の火打石の生産は、バイエルンの火打石式発火装置・ライター石の製造に繋がった。
 新教キリスト教会 EV.Christus Kirche(1706)カプチン派の定住で成立した。1717教会が奉献
   され、1720回廊と庭のある修道院となった。1765修道士は居酒屋のあるビール醸造
   所を建て、今でも修道院酒場として残っている。世俗化に際しては、20人の修道
   士と6人の本修士が去った。世俗化後の建物は貯蔵庫・消防器具庫・女性学校・眼鏡
   工場として使われ、1993町の駐車場となった。修道院教会は1959新教のキリスト
   教会になった。
 聖ヴィート教区教会 PfarrKirche St.Vitus (1315)城の下で成長した集落のためにゴシックの
   教会が建てられ、聖ヴィート・殉職者・14人救護聖人が守護聖人とされた。1537公爵フイリ
   ップは鐘を寄進し、今でも使われている。1542-1617新教の教区教会、1748バロック風
   に改装され、1891教会の塔は嵩上げされ、ロマネスクのポータルが造られた。

5.写真

市庁舎
エルトル塔 西壁
西北壁 西北壁
北壁 聖ヴィーツ教会

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カドルツブルク Cadolzburg BY30

1.歴史

 793 貴族が修道院を設立   、      1157 ヴュルツブルク司教庁の支配、
 1246 城伯は堀・市壁・門・塔で守った、      1293 ナッソーの王アドルフが滞在、
 1375 城伯は町の守りを強化、    1388 町は燃やされた、1460城の拡張、
 1450 城と市場を堀・市壁・柵で守った、 1473 皇帝フリードリッヒ3世が滞在、
 1527 新しい城を同じ場所に建設    1606 ペストの流行、1632-34町の破壊、
 1660 6年間の税免除で再建に努めた、 1792 プロシアのアンスバッハ公国へ、
 1796 仏革命軍から逃れた王子の住居、 1806 バイエルン王国に帰属、
 1945 第2次大戦は米軍の進攻で終わる。

2.市壁  0.66km 0.60

   城は堀込まれた城壁に囲まれており、宮殿は更に堀の橋を渡らなければ、
  到達できない。1300町は堀・市壁・門塔で守れれたが、1388と1449の戦いで
  焼き払われた。15c初めに市壁は再建した。城壁の部分580mと市壁の一部
  80mが残っている。

3.塔  2門1塔

 上門 OberTor(14c) 1388と1449の戦争で壊された。1475に新設された。この
   塔はBruselaと呼ばれ塔日時計の針は1本しかない。1824塔は交通障害で取り
   壊された。
 下門 Ehem.UnterTor(1490) 市民が塔を買って取り壊しを免れた。切通しを塞い
   で右の門が19cの初めまで見張り塔とともにあった。住居は免税で日や門を
   見張った。水飲み場と防火用水もあった。
 見張り塔 AussichtsTurm(1893) 町の高台に遠くからの目印となる高い塔が立っ
   ている。ミュンヒェン地方鉄道株式会社が果樹園の中に建てた。143段、143段、
   ゙25mの高さで見晴らしがよい。1924?夏のアガーデン。
 城門 BurgTor 城の入口にあり、紋章や碑文で城の成り立ちが見てとれる。

4.見所 C 

  城があるだけの小さな町。
 カドルツ城 Cadolzburg(1157) 最初は795に修道院が設立され、12cには城となっ
    た。15c辺境伯は王宮をアンスバッハに移し、ここは副王宮に留まり、狩りの
    館に使われた。それで、城は郡庁・倉庫・代官事務所であり、最後に税務
    署と簡易裁判所となり、1931解消され空いた空間は郷土博物館と青少年
    センターとなった。1945に砲撃で炎上した。1980州が再建した。
 郷土の家 HeimatHaus マルクトの旧市庁舎であった。15cには裁判所と
    役所として使われ、30年戦争で壊され1670-74に再建された。今は郷土
    の地学・近郊の先史・町と城の歴史を展示している。
 市庁舎 RatHaus(1910)初め校舎として建てられ、1988から市庁舎となった。
 辺境伯教会 MarkgrafenKirche(1750-51) 古い基礎壁の上の中世風教会である
    説教壇と祭壇のある東側面は豊かにかざれられている。
 新教教会 Ev.Kirche(1287) 聖ケシリアに奉献された。15cに北側に拡張され、婚
    礼入口を追加した。
 ピーゼンデル家 PisendelHaus 有名な音楽家ゲオルグ・ピーゼンデルが1755に生まれた
    2階建ての木組みの家。
 ランガウ郷土博物館 RangauHeimatHausu(1486)市庁舎として建てられ1522市民
    の舞踏場とも言われ、会計計量所があり、裁判所の官史が住んでいた。
    1632と34焼き払われた。1670-74に建て直され改造されて1988迄市庁舎
    として使われ、1992に建て直されて博物館になった。

5.写真

 
観測塔「鉛筆」 上門
城門 城庭
東堀 カドルツ城

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シャム Cham OberPfalz BY31

1.歴史

 739 ベネディクト修道院の建設、          976 皇帝の城の集落の成立、
 10c  国境警備の要塞の城下町となった、   12c 町は今の場所に移された、
 1204 領主の絶滅後ヴィッテルスバッハ家に、   13-14c 交通要衝で繁栄・税の減免、
 1429 ドイツ騎士団はフス派に勝利、     1489 バイエルン侯爵への貴族同盟締結、
 1657 町は大火災に見舞われた、      1705 スペイン継承戦争で占領された、
 1742 墺継承戦争の7日間の略奪と放火、  1945 空襲による損傷を受けた。

2.市壁 0.26km 0.17

 〇内側市壁は、1250に花崗岩切石で傾斜を付けて補強された。家と庭の基礎の領
  域にストラウビング通に露失している。断片としてはMeramWeg・SpitalPlatz・Stringer
  Str.にあり、SpitalKircheは1913に市壁の出入口を設置した。
 〇外側市壁は、1430に花崗岩切石で作られた。露出した断面としてはシュピタール通から
  北にヨハンブルナー通・ウンターレーゲン通にある。

3.塔数 1門5塔

 ビール門 BierTor (1430) 外壁の市門で車道と歩道の通路がある。2つの円錐
    屋根3階建の円塔の間を寄棟屋根の門での繋いでいる珍しい構造。
 雀塔 SpatzenTurm (1430)外壁の防衛塔で3階建円錐屋根の半円塔。
 グラッスル塔 GrasslTurm (1430) 外壁の防衛塔で3階建円錐屋根の殻塔で背面は開い
   ている。塔の所有者によって名付けられた。
 防衛塔 WehrTurm (1430)外壁の防衛塔で切石粗面造のテント屋根の円塔で18cに庭
   の家として改造された。
 コウノトリ塔 StraubingerTurm (13c)内切妻屋根の上にはコウノトリの巣台が乗っている。
   角切石粗面造。
 エーデン塔 OedenTurum(13c)13c初めの周壁のある中世の城の塔で、住居と見張の
   塔の残骸で花崗岩の切石造である。今でも壁厚3m高さ20mある。

4.見所  C

   マルクト広場を中心に旧市街地には18-19cの大きな3階建の建物が立ち並び、繁
  栄した19cの事が偲ばれる。木組みの家は殆どない。
 市庁舎 Rathaus(14-15) 2階建2翼の複合体で、最も古い東翼には聖ヤコブ市教区教会
   のゴシック内陣があり、1765.70に切妻と2階部分が改装され1873-75に再ゴシック化
   され1934-37に改修された。西翼は15cに増築され階段切妻と出窓に特徴があ
   る。1765-70に後期ゴシックに改装され、1875再ゴシック化されて東翼とアーチ通路で
   接合された。
 聖ヤコブ教区教会 Pfarrkirche St.Jakob (13c) 13cの基礎の上の塔、14cのゴシック
   内陣、1701-04壁柱造の身廊、1894-95改修された。
 旧フランジスカーナ教会 Ehem.Franziskaner Kirche (1635) 凸部聖歌隊、尖った切妻
   屋根とせいかたいエッジ塔、1866コアの更新、1913教会の延長。
 旧ヴァイスビール醸造所 Ehem.Weiss bier Brauerei(18c) 2階建隅棟屋根。
 住家・商店 Wohnhaus・Geschaeftshaus(1890) 2階建中折れ切妻屋根造の蛇腹構造
   の家。
 コードンの家 Cordonhaus (1530) 部分アーチの門入口、後期古典様式の2階建の建物で
   ライネンバッハ修道院の旧Prostei。
 アルメンの家 Armenhaus(16c) 内側壁に接して建てられた2階建切妻の後期ゴシックの大
   きな建物で、18cに修正修復された。1987-89に屋根を今の姿にした。今は博物
   館Spurである。
 精霊救貧院教会 SpitalKirche Hl.Gaist (1514) 尖った屋根と聖歌隊エッジ塔の建物
   で、1742ポーチによって拡張され凹部合唱団になった。1913寄棟屋根と庇ホ-ルの
   建物になった。
 旧塩蔵と穀物倉庫の階段塔Ehem.Treppenturm des Salzhaus und GetreideSpeichers
   (16c) テント屋根付の円形階段塔。
 旧ワインセラー Ehem.Brauereikeller(16c) 内側壁を含むゴシックのアーチ複合体。
 旧旅館王冠 Ehem.Gasthof Zur Krone(15c) 平らな切妻屋根に肩出窓の頭飾の3階
   建の家。
 旧マリエン薬局 Ehem.Marien Apoteke(1750) バロックの腰折屋根3階建の建物で、1934
   フレスコ画で今の目的に建物の様子を合わせた。

5.写真

市庁舎・聖ヤコブ教会 マルクト広場
ビール門 西南壁

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コーブルク Coburg BY32

1.歴史

 1056 ポーランド女王の贈与調書に初言及、   1217 町の教区権が確立された、
 1331 王ルドヴィッヒは都市権と管轄権を授与、1353 マイセン辺境伯継承ヴィッテン家支配、
 1524 町に宗教改革が導入された、     1542 侯爵エルンストは町に住み城拡張、
 1586-1633 王宮と首都とし公国の独立、   1601 侯爵カシミールはルネッサンス建築群建、
 1632-1648 30年戦争の略奪と破壊で半減  1680 侯爵アルブレヒトは再び王宮に、
 1699 侯爵アルブレヒトの死後王宮移転、    1735 再びコーブルク・ザルフェルト公国首都、
 1803 侯爵エルンスト1世は王宮・劇場・庭を拡張、1806-07 町は2回仏軍に占領された、
 1826 侯爵エルンスト1世ザクセン・ゴーダ公国受領、 1918侯爵の辞任で君主制の終了、
 1945 戦災で402戸全壊、639戸破損、4月米軍が占領。

2.市壁 0.05km 0.01

  13cの市壁はほぼ円形の内側と外側にあり、15cに追加変更された。Jugen
 GasseとErnstPlatzに旧市壁が残り、MelzgerGassaでは住宅の壁に使われている。

3.塔数 3門1塔

 病院門 SpitalTor 北 内側角門塔。
 若い門 JugenTor 西 内側四角4階建門塔。
 ケッチ船門 KetschenTor 南 内側角塔。
 石門 SteinTor 東 内側角塔は取り壊された。
 壁塔 MauerTurum 南KleineRosenGasseに円塔が残っている。

4.見所  C

   宮殿・モリッツ教会・マルクト広場に取り囲まれる町の中心部はヨハン・カシミール侯爵が
  1600年代に建てさせたルネッサンスの建物が多く残っている。大要塞も見所。
 コーブルク要塞 Veste Coburg(1225) ドイツでも最大でよく保存された要塞で町の
   176m上にある。初め12cに築かれ、17cはじめに3重の城壁で囲まれた大要塞
   に拡大された。高い屋根に小さな天窓の付いた城館が中庭を囲んでいる。
   領主館は贅沢な侯爵家の居間や装飾・クラナッハの絵・16c-18cの工芸芸術品・武器
   ・象嵌細工などが展示されている。
 市庁舎 Rathaus(1577) 3階建コーブルク出窓の長さ27m幅13mの大広間のある新庁舎
   が建てられ1750と1903に大規模改修が行われた。
 公会堂 Stadthaus(1601) マルクト広場の向かい側に侯爵カシミールがCantzleyとして建
   てた。
 エーレンブルク宮殿 SchlossEhrenburg(1543) 侯爵ヨハン・エルンストが礎石を置き、1623-29
   に侯爵カシミールがルネッサンスの宮殿に拡大した。西翼には1701にバロック宮殿教会が建
   てられ、19cに侯爵エルンスト1世は宮殿前面を英国風新ゴシックに直した。今は州立
   図書館と博物館を収容している。
 モリッツ教会 MorizKirche(1320-1586) 旧市街の最古の教会で町の中央教会である。
   教会の古い部分は1330に東の内陣である。14020には不揃いの西塔が付けられ、
   1530にはマルチンルターが説教した。
 聖アウグスティン教会 St.Augustin Kirche(1855-60) カソリックの町教区教会で州劇場の
   東にあるネオゴシックの礼拝堂で、王侯貴族の墓がある。

5.写真

市庁舎 ケッション門
病院門 ユダヤ門
壁塔 南西壁
市庁舎 市会館
エーレンベルク城 要塞門
マルクト広場 エーレンブルク城
塔門 要塞

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クロイセン Creussen BY33

1.歴史

 1003 最初の文書言及、後の皇帝ハインリッヒ2世とシュバインフュート辺境伯の紛争、
 1358 カール4世はニュルンベルク城伯の領土として町に昇格、1358-61市壁・市壁の完成、
 1430 スフ戦争、1618-48 30年戦争で町は荒廃した、 1791 辺境伯が町を売却、
 1791 町はプロイセンの所有となった、 1807-10 仏の支配の後にバイエルンへ引渡し、
 1893 町の大部分は燃やされた。

2.市壁  0.68km 0.79

  1358-61に市壁は築かれた。市壁は殆どの部分で残されている。

3.塔  3門2塔

 ヘフナー門 HoefnersTor(14c) 西南、
 ミュール小門 MuehlToerlein(1361) 西中、
 後門 HinteresTor 北西(14c) ビアマグ博物館を収容。石造や陶器の水差・
   ビアマグを多く展示している。
 マレフィッツ塔 MalefitzTurm(14c) HungerTurmとも呼ばれ、刑務所にもなった。
   円錐屋根の円塔。
 マルクス塔 MarkusTurm(1477) 

4.見所 C

   市壁に囲まれた旧市街地には小さいが、塔や古い建物が多く見られる。
 市庁舎 Rathaus(1360) フス戦争で壊された後に、1477に新築された。
   パン屋と肉屋の販売スタンドとして長い側石を使った。
 聖ヤコブ教会 PfarrKirche St.Jakobus フス戦争による破壊の後に、1447
   に再建された。1700に今の姿になり、室内装飾は大部分がバロックになった。
   教会の塔は、昔の城の天守閣の基礎の上に立っている。
 旧ラテン学校 Ehem.Lateeinschule 全盛期には町の外遠くまで名声が伝
   わった。
 司教館と旧公共醸造所 PfarrHaus und ehem.KommanBreuhaus マルクト
   広場の司教館と旧公共醸造所(1806-1957)今は新教の教区会館となっている。
 水差し博物館 KruegeMuseum 1950に後門の門衛の詰所に1950に開設さ
   れた。隣接する死刑執行人の家に拡大展示された。石造や陶器の水差・マグカップ
   が面白い。

5.写真

後門 陶工塔
マルフィッツ塔・後門 司祭館
東壁
聖ヤコブ教会 マルクト広場

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デッゲンドルフ Deggendorf BY34

1.歴史

 1002 王ヘンリー2世の文書で町の聖堂を言及、   12c 旧市街の北東部で市場を開催、
 1250 ヴィッテルバッハ家の侯爵が町に居住、     1316 オットウ3世未亡人の都市権で繁栄、
 1544 下級裁判所の設置、        1618 30年戦争、1701承継戦争で荒廃、
 1804 堀や壁は市民に販売された、         1822 大火災で町の1/4が焼失、
 1859 ドナウ川鉄橋の開通。

2.市壁  0.04km 0.01

    楕円形の市壁は、昔高さ14m幅3.5mで市街地を囲んでいた。19cの初めに防衛
  の意義を失い、町は市壁の一部をそのツインガーと共に新しい家や物置の建設のために
  売却した。残っている市壁の位置は、表面に保護吹付がしてあるため、市壁かどう
  か見分けにくい。WestlichZwingerGasseに、2か所20mは判別した。

3.塔  1門0塔

 病院門 SpitalTor 両側の建物をつないだ単なるアーチがある。

4.見所 C 

    中央の広い通りを中心に市壁跡で囲まれる小さな町。広い通りの中央には見事な
  市庁があり、南側には教会の高塔が張り出している。
 旧市庁舎 AltesRathaus(1535) 上町広場の中央にゴシックの塔のある切妻付2階建て
   の市庁舎がある。北階段切妻には中央小塔があり、南切妻には日時計と彫刻で飾
   られている。
 聖墓教会・聖ペーターとパウロ Hl.GrabKirche St.Peter unt Paul (1338-60)ゴシックの教会
   で、広場へはみ出して立つ高い6階建ての塔は1727に出現した。この塔は南独で
   も美しいバロックの塔として認められている。
 マリア昇天教区教会 PfarrKirche MariaeHimmelfahrt(1656-57) 1240に火事で失わ
   れたローマ教会の跡に、今の教会が17cに建てられた。バロックの壮大なバジリカとして
   新築され、中には1747にアイヒステートの彫刻家が地元の大聖堂のために制作した物
   を1891に購入した主祭壇の天蓋がある。
 カプチン納屋 KapuzinerStadl (1637) 1803までカプチン派修道院があり、教会の身廊
   のみが残っている。1990に文化の家となり公園や展覧会を開催。
 市博物館 StadtMuseum (1900) 元男子校の建物に収容されている。地域の歴史・文
   化・経済・社会の発展について展示している。伝統的な薬局が再現され、入植者・修道
   女・市民・市場・貿易が説明されている。
 工芸博物館 HandwerksMuseum 工芸教育の職人・徒弟・マイスター、木材職人とタンイング、音
   と写真の収集。

5.写真

旧市庁舎 西北壁
南東壁 市博物館

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デッテルバッハ Dettelbach BY35

1.歴史

  741 町の文書での初言及、   1484 領主・司教のヴルツブルクから都市権、
 1503 聖教区教会の完成、5門52塔のある市壁を築いた、
 1506 巡礼の始まりで通商が盛んとなる、 1618-1648 30年戦争、
 1803 ヴルツブルク大公国となる、      1814 バイエルンに帰属。

2.市壁 1.00km 0.5

  北0.2kmと東0.3kmと西0.5kmに残っている。南は19Cに道路のために破壊。

3.塔数 2門30塔

 昔5門と52塔があったが、今でも2門30塔が残っている。
   橋門 BrueckTor 北 四角2階建門塔、三角屋根。
  門 FulterTor 東北 四角4階建門塔、内に手工業博物館。
 その他壁塔 Turum 高いのや低い防御塔が多数残っている。

4.見所  C

   旧市街地は、多くの塔のある市壁に半ば囲まれ、古い装飾の木組の家、
  可愛い市庁舎や山頂の塔を繋いだ教会、などが見所の小さな町である。
 市庁舎 Rathaus 1484-1512建、後期ゴシックの3階建で小川の上に建つ。
   下階は図書館、上階は行政と学校、3階は大広間と市長室・市議会場に使用。
   1986外階段付きの玄関塔を改修した。
 聖アウグスティヌス教会 St.AugustinusKirche 1444建、騎士の館の跡に東
   内陣と四角塔を建てて教会とした。16Cに118段の階段を持つ細い円塔を建て、
   中空の木製の橋で四角塔と繋いだ珍しい景観がある。
 木組家 HolzHaeuse 
    多くの木組みの家が残っている。古いパン屋の前には見事な看板がある。

5.写真

市庁舎 蝶塔
北壁 南西壁
東壁 西壁
門塔 蝶門
パン屋 聖アウグスティヌス教会

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デートフュート Dietfurt a.d. Altmuehl  BY36

1.歴史

 1144 文書での初言及、 1305 セルシュベルナー侯爵家の絶滅後ヴィッテルバッハ家へ、
 1340 市場を開設した、  1450 侯爵アルブレヒトは門や塔のある市壁を建設、
 1479 交通の要衝として繁栄、        1540 独立した教区になった、
 1633 30年戦争でスエーデンと帝国軍侵攻、1666 フランシスコ会修道士の修道院建設、
 1703 スペイン継承戦争で略奪と放火、    1724 教区教会をやっと復元、
 18c 主として農家。

2.市壁 0.10km 0.19

   15c後半に石灰岩によろ市壁が築かれ、リングガッセ沿いに残る。

3.塔数 0門6塔

   バイエルン侯爵アルブレヒト3世が15c後半に築いた市壁には、2門10塔ががあった。
 鳥捕塔 VogelfaengerTurm (15c) 3階建切妻屋根の塔は1873販売、1925火
   事になり、そのご使われていない。
 ホレー塔 HollerTurm (15c) 5階建切妻屋根の正方形の塔。
 乞食代官塔 BettelVogtTurm (15c) 4階建階段切妻の塔で乞食を監督した代
   官が住んだ。
 亜鉛塔 ZinkTurm 1460)4階建切妻屋根の塔で、最後の住民にちなんで名付
   けられた。この塔は火薬塔として使われ、昔に姿で復元された。
 ゴッガー塔 GoggerTurm (15c)最も高い6階建の切妻屋根の塔は住居として
   使われた。名前は1851に住んだ芸能人の名前から来ている。その後 
   町の刑務所となり軽犯罪人を収容した。
 シャウアー塔 SchauerTurm (15c)3階建切妻屋根の塔でかっての所有者の名前が付
   けられた。

4.見所  D

   マインードナウ運河沿いの小さな町で、階段切妻屋根は多いが木組家は少ない。
 市庁舎 Rathaus (1479)町の中心にある2階建切妻屋根の鐘楼付の大きな建物
   で、1970-71に改修された。
 聖エギディウス市教区教会 Stadtpfarrkirche St.Aegidius (1144)1408に同じ所に
   ゴシックの新しい教会が建てられ、1732-34に現在のバロックの教会となったが、
   部分的には15cの建物が残された。主祭壇にバイエルンロココ彫刻がある。
 フランシスコ会修道院 FranziskanerKloster (1665)フランシスコ会修道院は2階建寄棟屋根
   4翼の建物で、1717フランシスコ教会、1767西に拡張、1775ネオロマネスク内装の再構築、
   1803世俗化で修道院は閉鎖され、町が改修して瞑想の家として使っている。
   中空の木製の橋で四角塔と繋いだ珍しい景観がある。
 町博物館 HollerHaus Museum (1989)町の博物館となり、地質・運河の歴史。
   農村生活の文化史などが展示されている。

5.写真

マルクト広場 ハウプト通
聖エギディウス市教会 亜鉛塔
ゴッガー塔 ホレー塔

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ディンゴルフィング Dingolfing  BY37

1.歴史

  833 エメラム修道院の領土として初言及、1200アギロフィング侯爵は聖ヨハネ教会を建設、
 1231 ヴィッテルスバッハ家侯爵オットー2世は上町を整備、1274 都市権を授与された、
 1425 バイエルンのシュトラウビィング公国に属した、 1447 バイエルン・ランツフートに属した、
 1503 ヴィテルバッハ家が支配、        17c 30年戦争でスエーデン軍占領、
 1742 オーストリア継承戦争で廃墟となり、市壁と4門中3門が壊された、
 1945 二次大戦の戦災は免れた。

2.市壁 0.27km 0.23

   歴史的旧市街と新市街はイザール川で分断され、1262に両方の市街と要塞は
  接合された。1350-1600町は交易と産業振興で栄えた。17cからは30年戦争・
  スペインとオーストリア承継戦争で荒廃した。14c以来砂利充填レンガ造の市壁は1422-
  68に石組みにされた。15cの終わりには大幅に拡張強化され、今は上町の東
  と西に残る。

3.塔数 1門3塔

 羊門 WollerTor (15c) マリエン広場東端にネオゴシック破風のある3階建
   の門と、その脇に歩行者通路がある。
 駄作塔 HollerTurm (13c) 4階建円錐屋根・中空レンガ造の塔。19c-
   1997は個人所有であったが、今は市の所有物である。
 コウノトリ塔 StorchenTurm (15c) 4階建漆喰レンガ造1815にコウノトリの巣と
   して復元、1862変更され1905テント屋根になった。
 高い橋 Hochbruecke (1612)アーゼン川に5アーチレンガ造の橋を架け、上
   町から南の下町に導いた。1966復元された。
 防衛塔 WehrTurm (13-14c)3階建の切妻屋根の狭い塔で、18-19c
   拡張され住居として使われた。

4.見所  B

 侯爵城 Herzogen Burg (1410)バイエルン侯爵の四半期の公邸として建
   てられ、1603-1956は民間所有であったが市が購入した。1959から市博物館
   を収容した。レンガ造矩形切妻建物は16cに西前面は装飾された。侯爵穀物蔵
   などの建物は1477-78に建てられ、博物館の一部として現存している。
 聖ヨハニス市教区教会 Stadtpfarrkirche St.Johannes (1522)1467礎石
   が置かれ、西塔のある3廊レンガ造の教会が1522完成した。1688塔の追加、
   1867星状10サイドチャペル、19c再ゴシック化。後期ゴシックの重要な建物。
 旧醸造所旅館:旧ポスト BrauereiGasthof AltePost (17-18c)2階建アーチ
   入口のある建物で、19c前面は高胸壁となった。18-19c中庭と厩舎追加。
 旅館料理屋 Ehem.GastWirtschaft (1643)後期ゴシックの小塔付階段切
   妻と床出窓の大きな建物。
 市民の家 BuergerHaus (16c)2階建切妻屋根の建物で、19cに3階部分
   と角出窓塔が付けられた。
 納屋 Stadel (1752) 火災後に切妻屋根で建てられた平屋の建物。
 皮革・製革 Ehem.Lederes・GerberHaus (17-18c) 2階建切妻屋根に
   ドーマー窓の建物で、19c軒造の外観になった。
 旧醸造旅館 Ehem.BrauereiGasthof Seethaler (1745) 2階建切妻
   屋根の横門のある角の家。2012改装され市図書館となった。
 住家 Wohnhaus (18c) 2階建テール切妻屋根の建物。
 旧貴族の家 Ehem.Adlshaus (17c) 地区事務所お一部で、今は簡素
   化された2階建切妻屋根の建物。19cバロックの全面に。
 旧簡易裁判所 Ehem.Amtsgericht (1904) 2階建テール切妻屋根新バロッ
   クの建物。
 旧救護局 Ehem.Pfleghof (18c) 2階建マンサード屋根の建物。
 旧簡易裁判所の建物 Ehem.AmtsgerichtsGebaeude (13-14c) 2階建
   軒造の建物で、1862セグメントアーチの窓、コウノトリ塔を塔を北に統合、1905ゴシクの
   テント屋根。
 旧箱役所 Ehem.Kastenamt (1400-20) 網目模様の前面と階段切妻
   屋根の建物。1954ゴシック2階建レンガ造切妻屋根の家は公爵の城と呼ばれる。
 住家 Wohnhaus (1420-21) ゴシク2階建高いサドル屋根レンガ造の建物。
   14c要塞の残りの部分が庭にある。1638屋根などを改造。
 旧肉屋台 Ehem.Fleischbank (16c) 地上階に3入口のある切妻屋根
   の貯蔵庫。13-14c市壁の残りがある。
 旧貴族の家 Ehem.Adelshaus (16c) 2階建軒造の建物で今は税務署。
   13-14c市壁の残りがある。
 住家 Wohnhaus (16c) 3階建ゴッシク横向き切妻の建物。13-14c市壁
   の残りがある。
 旧監獄独房 Ehem.Gefaengniszellen (17-18c) 地下刑務所の独房。
 旧橋の館砦 Ehem.BrueckenhofBastion (16c) 半円形の建物は16c
   要塞の残り。
 旧納室係の家 Ehem.Mesnerhaus (1744) 2階建片流屋根の建物は墓
   地の壁に接して不規則な平面。
 牧師館 Pfarrhaus (1729) バロック2階建寄棟屋根の建物。
 旧聖アナ聖職者の家 Ehem.St.AnnaBenefiziutenhaus (16c) 墓地の壁
   に接した3階建切妻屋根に小塔の付いた家。
 旧公爵穀物倉庫 Ehem.HerrzoglicherGetraideKasten (1497-98) 
   細長い大きな切妻屋根の建物、1892学校、1977-78改修して博物館の一部。

5.写真

北壁 南西壁
東壁 西壁
門塔 蝶門
パン屋 聖アウグスティヌス教会

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ディンケルスビュール Dinkelsbuhle BY38

1.歴史

 1030 貿易路を守る防備を持つ集落、1188 皇帝バルバロッサの寄付の文書に言及、
 1273 帝国都市特権を保持、     1372 市壁が拡大され、1450市壁の完成、
 14-15C 経済の絶頂期であった、   1534 市民の大半はプロテスタント宗派に参加、
 1616-48 30年戦争で8回占領された、 1632 スエーデン軍の略奪は子供の願で免れた、
 1802 バイエルン後にプロイセンの支配下に、 1806 再びバイエルン領となった、
 1826 ルードビッヒ王は壁と塔の解体禁止、1945 市壁と塔で囲まれた旧市街地は
  2次大戦を生き残った。

2.市壁  2.35km 0.98

  11Cの古い円形の市壁は、OntereSchmied-、Fohren-、Weth-Gasseで囲まれる。
  14-15Cに現存の市域への拡大、2.4km4門15塔で1450に市壁の完成。
   市壁には、道路による切れ目が5箇所ある以外は、今でも見られる。

3.塔  2門11塔

  4門は全て角塔、15塔は7円塔と8角塔で、全て残っている。
 ローテンブルク門 RothenburgerTor 北 2階建角塔の前門と破風屋根付4階建角塔
    の本門の二重門。
 ヴェルニッツ門 WoernitzTor 東 4階建角塔に3角屋根。側門付き。
 ネルトリンゲン門 NoedlingengerTor 南 3階建角塔に三角屋根、川側に要塞化さ
    れた水車小屋が、今は三次元博物館となっている。
 ゼークリンゲン門 SegringerTor 西 4階建て角塔にタマネギ屋根。
 7角塔 東南Henkers-、Baeuerlins-、南西Hagel-、Weisser-、Berlins-
    Waechters-、西Dreikoenigs-Turm。
 小要塞 KleineBastei 東 市壁の折れ曲がり角に2階建て角塔の小要塞。
 7円塔 東南Dreigangsー、南Salwarten-、Krugs-、Hertles-、Haymars-、
    Gruener-、Faul-Turm。

4.見所 B

   市壁に囲まれた旧市街地には古い木造や石造の建物が多く並んでいる。
   高い教会や博物館が興味深い。
 聖ゲオルグ教会 St.Georgskirch 1448-99建、後期ゴシックのヘレンキルヘであり、
   長さ77m、幅22.5m、高さ21.5mの大きな建物であり、塔からの眺めは美しい。
    内陣はゴシックの聖体安置所1480、説教壇、洗礼盤などは創建時のもの。
 歴史博物館 HistorischesMuseum 1280建、施薬院の建物に、町の歴史
   と美術品・工芸品・道具などを展示。
 木組家 HolzHaus 旧市街地には古い木造家がある。
   1440建 ドイチェハウス 前面にルネッサンスの装飾が美しい。3階建て切妻付き。今ホテル。
   15C建 ゴルデネ・ローゼ 2階建て切妻付き、今ホテル。
   15C建 バイセス・ロス 2階建て切妻付き。今ホテル。

5.写真

ヴェルニッツ門 ローテンブルク門
マルクト広場 ドイツハウス

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ドルンスタイン Dollnstein BY39

1.歴史

 1007 城と町の存在、       1200 アイヒシュタット司教が城に入り町を治める、
 1305 承継戦争でドルシュタイン侯爵は町を得た、     1360 町をハイデルクに販売、
 1387 市場権を授与された、        1401 最初の防御壁が言及された、
 1440 アイヒシュタットが城と町を取得、   1803 世俗化まで町の領主司教は残った、
 1806 バイエルン王国のアイヒシュタット郡となった、20c 両大戦の間に洪水に襲われて治水。

2.市壁  0.79km 0.89

   11cの市壁にライヒナウ司教が1490に川から半円形で囲んで建てた。東側は2重壁。
  北ガードからの木造の胸壁は、市壁の内側に再現された。

3.塔  1塔

 ペーター門塔 PetersTorTurm (15c)、北門として3階建角塔に四角錐屋根で建てられ、
   今は車道部にはアーチが作られ歩道に塔は立っている。
 橋門 BruevkeTor 南門塔は、1904に火事で焼け、1907に解体壊され、学校の建設
   に材料は使われた。

4.見所 C

   旧市街地は、川の北側に3角形の市壁に囲まれており、城・教会と町並みが
  ある小さな町である。
 ドルンスタイン城 Burg Dollnstein(9c) 初め岩山の上に堅固な城があった。10cには、
   下の城が中核となり、12cには東側の市壁の上に中庭のあるロマネスクの城が建てら
   れた。上の城は取り壊されて採石場となり、川沿いの城壁と城門は2004に改装
   されてアルトミュール川情報センターとなっている。
 聖ペテロとパウロ教会 PfarrKirche St.Peter und Paul (1063) アイヒスタット司教は小さ
   な後陣の単廊ロマネスクの教会を聖別した。1330にゴシックのフレスコ画で内装が行われ、
   1842に身廊は西に再び拡張された。中世の尖り帽子の頂部は落雷による火災の
   後1727にアッティカ・ヘルメットに置きかれられた。
 牧師館 PfarrHaus (1744)教会の南のバロックの建物は、アイヒスタット領主司教が建て
   た。2階建ての建物は、7軸二つの典型的な屋根裏寄棟屋根がある。入口の上
   には、王子司教の紋章がある。

5.写真

北門・ペーター塔 教区教会
北壁 北壁
南壁

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ドナウヴェルト Donauwoerth BY40

1.歴史

  970 ドナウ橋と道の崖上に築城、 1000 皇帝オットー1世は市場・鋳造・関税権を授与、
 1030 皇帝コンラート3世は父の授与確認、 1193 町はホーエンシュタウヘン単頭の鷲の紋章を得た、
 1218 ホーエンシュタウヘン家の周壁を形成、  1266 バイエルンのルードヴィッヒ侯は城と町を得た、
 1634-48 30年戦争で占領された、  1705-14 スペイン承継戦争で深刻な被害、
 1714-16 バイエルンの守備兵舎建設、  1718-43 墺承継戦争で仏軍占領、
 1945 2次大戦空爆で市街の半分を破壊、4月米軍が占領。

2.市壁  1.16km 0.61

 13C自由帝国となり市壁は構築さた、相当延長が壁塔と共に西と東側に残っている。

3.塔  1門5塔

 葦門 RieserTor 南 ドナウの橋の南側に赤煉瓦造の円塔門がある。
    1945に爆撃を受け1946に復元され、1983-86改装され、今は町の歴史の家。
 染物塔 FaeberTurm 元38あった壁塔の一つであり、四角な石造の塔
    の上に見張り小屋が乗った古風な趣のある建物は復元された。
 雄牛塔 OchsenTurm 東 円錐屋根の円塔。
 そのた塔 名前は分らないが、その他少なくとも3塔は在る。

4.見所 B

  船の積み荷に関税を掛け町は潤った。ライヒ通はその豊かさを象徴して、華麗な
  切妻の3-4階建ての家並みが並ぶ中都市である。
 市庁舎 Rathaus (1236-1308) 市庁舎で最も古い部分は、城からの
   切石で構築され、建物は14cに二度も火災に遭った。18cの終わりに床を置き
   換え現在のマンサード屋根が付けられた。現在のネオゴシックの前面には1853になった。
   戦後1975と1986に復元された。11時と16時に民謡からオペラまで聞こえる。
 聖十字架修道院建物 KlosterAnlange HeiligKreus(11c)1030に
   マンゴールト伯がビザンチン皇帝から贈られた聖遺物を旧ベネチディクト修道院に祀った。
   1125教会や修道院は今の位置に建てられた。教会1717-20、修道院1696-98、
   と塔が再建された。修道院最上階のフレスコの天井画18c、祭壇・説教壇・聖教席17
   -18c、修道院西翼の右祭壇のピエタ15cが置かれた。
 ドイツ修道院 DeutscherdenHaus (1212) ドイツ騎士団が古い橋の橋頭
   堡に礼拝堂を建て、1774に今の優美な塔の東側に修道院が建てられた。
 市税関 StadtZoll (1418) 市庁舎の右の角にゴシック切妻に出窓のある
   建物がある。地階は市税徴収課だったが、その後法律事務所、住居等に転用。
 聖母大聖堂 LiebfrauenMuenster (1444-67) 教区市教会、ゴシック煉瓦
   造の3身廊ホール教会。中には1503の祭壇・洗礼盤、1690の合唱団屋台、右祭壇の
   ピエタ像・マドンナ像がある。
 後ハイアー家 HinterHeierHaus (15c)ゴシック飾りのある漁師の小屋で、
   19cから郷土博物館となり、漁業・金属工芸・衣類・生活文化の展示がある。
 フッガーの家 FuggerHaus (1536) シュバーベンル・ネッサンスのフッガー家は、城の
   様な2階建てで急な切妻と配置された窓がある。今は庁として使われている。
 障碍者兵舎 (1715--16) 民間分宿の経費削減のために、400人の長い
   兵舎が造られ1805から病院となった。

5.写真

葦原門 北西塔
北東壁 北西壁
北西壁 東壁
南壁 ミュンスター
聖母教会

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ドルフェン Dorfen BY41

1.歴史

 1229 侯爵オットー2世は市場村を設立、  1374 村に紋章が与えられ堀と4門設置、
 1331 市民に自由と権利を与え下級裁判所設置、  15-16c初め 村は外観を獲得、
 1530 市場教会はバロックの塔を付け下門を補強、 1632と34 スエーデン軍占領で被害、
 1680 昇天教会巡礼が行われ市場は回復、        18c末 巡礼の最盛期、
 1808 自治体憲法による市場の村、         1972 人口増で町となった。

2.市壁  0

   小さな町に立派で大きな広場が4か所あり、市場が開かれた。UnterMarkt-、
  Marien-、Rathaus-、Kirche-Platz。道路名Grabenの位置で、1890には水堀と柵
  で町を囲んでいたが、市壁は残されていない。

3.塔  3門0塔

   中世には4市門があった。北Kirche-、東Unter-、南Haager-、西IsenーTor。
 下門 UnterTor 後期ゴシックで町で最古の構築物。中世の市場防御施設。Altoetting
   Torとも呼ばれた。
 教会門とイゼン門 KircheTor・IsenTor 建物と建物を繋ぐ紋章付アーチ。HaggerTorは、
   1879の火事で焼け1886に取り壊された。

4.見所 B

   ミュンフェンの北西30kmにある小さな町で、市場の開かれた4広場を囲んで2-3階の建
  物が取り囲み、中央にマルクト教会が立っている。
 市庁舎 Rathaus 市庁舎広場の西側に近代的な前面の奥に市庁舎があり会議室に16
   86-90の絵画がある。
 聖ヴィート教会 MarktKirche St.Viet (1390)下市場広場の中央にあった礼拝堂の跡に
   ゴシック様式で建てられた。昔は家畜市場が1684-1950に開催された。今日でもこ
   こで毎年11の商品市場が開かれている。
 マリア昇天教会 PfarrKirche Meria Himmelfahrt (1450) 町の北の丘の上にあるマリア
   昇天教区教会は、1679-1745に巡礼が盛んに行われた。
 ヤコブメイヤー文化館 Kulturzentrum Jakobmayer  破風付2階建ての建物、中には50席
   の映画館もあり、色々な催物や祝賀会が行われる。
 パンの家 BrotHaus 市場教会の向かい側に。市場の全てのパン屋の昔の共通の販売
   所があった。その家の南側には目立つ木製のバルコニーがある。
 バッハメイヤー醸造所 Brauerei Bachmayer (1847) ビール醸造所として運営され、ユーゲン
   トシュティールの建物は、1910ビール値上げによるビール戦争の騒動の目標となった。

5.写真

市場教会 教会門
下門 イーゼン門

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エーベルン Ebern  BY42

 

1.歴史

 1151 リュッツエーベルン(小エーベルン)が文書言及、1230 町は市壁・杭柵・塔で守られた、
 1232 町は独立した教区となった、   1335 バイエルン王ルードヴィッヒは都市権授与、
 1430 大火災で全焼失、郊外に拡張、    1631-34 30年戦争で町は壊された、
1814 ヴュルツブルク大公国からバイエルン王国へ、 1877 地方裁判所・税関・会計局設置、
 1963 新兵舎に連邦軍が入場、       1972 郡庁所在地の地位を失う。
 1980 町は750周年の祝賀会。

2.市壁  0.59km 0.73

   市壁は長方形で14-17c砂岩の切り石で築かれた。北側以外はほぼ残っている。

3.塔  0門6塔

19cに9塔の内3塔が壊され、4隅塔と1壁塔と南門が残された。
 グレー門塔 Grautor Turm (14c) バイエルンでも高い41.4mの南門塔で警備員
   の部屋から市内周辺の大パノラマが見える。タマネギドーム付の砂岩方石造の角塔には
   カリオンが゙付けられ、1584-85領主司教ユリアス・エクターの紋章が通路の上に掲げられた。
 ダチョウ塔 Gaens Turm (15c) 南西隅 グレー門塔からすぐ西に立つ玉ねぎ
   ドームのタカサ18mの角塔で、3方を荒石積・町方の1方は経済的理由で開かれていた。
   塔の上には3室の守衛室があり、長い梯子で登った。17cには改修され、消防ホース
   の乾燥塔として使われている。
 コウノトリ塔 Strchen Turm (15c) 北西隅 玉ねぎドームの砂岩切石の角塔。
 教区庭塔 Pfarrgarten Turm (15c) 北東隅 南欧風のフードの角塔で17c
   に改修された。
 泥棒塔 SchwedenTurm (15c) 南東隅 南欧風フードの高さ26.9mの角塔で
   砂岩切石造かっての刑務所の庭に立つ。高さ6mのハッチの背後には監獄の上部開
   部の恐怖の穴がある。17cに改修された。
 壁塔 MauerTurm (15c) 東 木骨造の町側階段塔の螺旋階段で上がり、更
   に上には木製の登り路があった。

4.見所 C

   市庁舎と教会を中心に長方形の市壁と塔に囲まれた小さな田舎町。
 市庁舎 Rathaus (1604) 見事な木組みの前面とルネッサンスの複合体の3階建て
   の建物で、地階は開かれたアーチで市場が置かれ、1690トラス切妻と上階を建てた。
   1835鐘楼が乗せられ、1986と2001に改装された。
 町教区教会聖ラウレンチウス StadtPfarrKirche St.Laurentius(13c)後期ゴシック
   のホール教会で15c高さ43mの塔が付けられた。1232単独教区に昇格した為拡張さ
   れて、後期ロマネスクと初期ゴシックの建物となった。1430大火災で焼け、1480-91今の
   姿で再建され、その後改修されている。
 納骨堂 Ossarium (1464) 町でも古い建物で、最後後の審判を描いた砂岩
   のレリーフがある。1803教区教会周辺に在った墓地の納骨堂として、1階に納骨所
   2階の礼拝堂で葬儀が行われた。1958戦争記念館になった。
 病院教会 Spital Kirche (1352) 北の市壁外に大聖堂参事会病院が寄贈さ
   れ、1613再構築、1754-56再建され、1989高齢者センターとなった。
 シューマッハーの家 Schumacherhaus (1704) 1710までは都市農民の家であったが、
   1736から納屋で使われ、前面にバロックの「三位一体による聖女戴冠」の絵がある。
   2008-11改修と修繕が行われ、古い機器の展示が行われている。
 郷土博物館 Heimatmuseum (1974) 簡素な市民の家に、町と周辺の歴史的な
   展示が豊富に見られる。民族衣装・寝具・食器・家具・学校教室・紋章・家畜ショー。
 牧師館 Pfarrhaus (1604) 教区教会牧師館を高いフランク屋根で2戸建てた。
   1700ヴュルツブルクの司教はこれらの建物を購入した。
 税務署 Finanzamt (1722) 後期バロックの2階建て旧領主司教の公邸で、後に
   会計局となり税務署になった。
 役所 AmterGebaeude (1700) 旧領主司教の事務所で、後に穀物倉庫・納屋・
   十分の一税倉庫を務めた。1979町行政の場、2007事務所ビルに再建された。

5.写真

市庁舎 灰色塔
泥棒塔・南壁 灰色門
東壁・教区庭園塔 南壁

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エバースブルク Ebersburg BY43

1.歴史

  880 伯爵ジークハルトはイノシシ狩りに来て礼拝堂と木造の城を築いた、
  933 侯爵エーベルハルトは城を拡張し壁で囲み、  934聖セバスチャン教会を建て巡礼地に、
  990 ベネディクト修道院を建て町は文化的・経済的に高い地位を得た、
 1045 皇帝ヘンリー3世の帝国修道院が置かれた、    14c 下級裁判所が置かれた、
 1595 修道院はイエズス会へ与えられ巡礼した、1618-48 30年戦争で修道院は荒廃、
 1773 イエズス会からマルタ騎士団に引継ぎ、   1808 修道院は世俗化され解散。

2.市壁 0

   市壁の跡も見当たらない。

3.塔数 0

   見当たらない。

4.見所  C

   旧市街地も判然とせず、ただ修道院跡があるのみ。
 市庁舎 Rathaus (1529) 元修道院の居酒屋の基礎壁の上に建てられ、中世で重要
   な世俗的な建物であり、1873以来市庁舎として使われた。1994から市庁舎展示
   場では常設展示や地元芸術家の展示会も開催される。
 聖セバスチャン教会 PfarrKirche St.Sebastian (990)初めのベネディクト会修道院は13
   05の大火の後に1472-1500にゴシックで再建された。1773の火災の後マルタ騎士団に
   引き継がれロココに一新されて1783に再建された。創始者の大理石墓は教会のロビ
   ーにあり美しい。修道院は世俗化され一部は民間に半分はバイエルン州が所有し今は
   税務署となっている。
 修道院建築の館 KlosterBauHof (1495) 元修道院の建築の館で、広い中庭があり
   大きな建物が取り巻いている。入口には紋章と年号が表示され、建物は:地方学
   校・音楽学校・アートギャラリィ・レストラン・バー使われ、町の建設部は旧牛舎
   に入っている。
 野原の十字架 FeldKreuze 様々な種類の46の十字架が町の畑に立てられ信仰されて
   いる。町では、この十字架の記録を集めて出版・展示している。
 町図書館 StadtBuecherei バエルン・ライブラリィの全ての本が借りされる。
 墓十字架博物館 GrabkreuzeMeseum 17-19cの鍛冶屋で作った墓十字架を140本集
   めて展示している。

5.写真

市庁舎 聖セバスチアン教会

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エッゲンフェルデン Eggenfelden BY44

1.歴史

 1120 侯爵が修道院へ永代借地で初言及、   1259 ヴィッテルバッハの侯爵が町を引継ぐ、
 1300 ヴィッテルバッハ家の下に市場を確立、古い集落の南に広い市場を開設、
 1341-65 税の払い戻しで市場は定着、   1492 裕福な市民は門・堀・教会を建設、
 1504 ランツフート承継戦争、1616-48 30年戦争、1705-スペイン承継戦争、1740-48墺承継、
    戦争で占領と軍の持ち込んだ疫病も重なって町は疲弊した。

2.市壁  0

   見当たらない。

3.塔  1門0塔

  墓マイヤー門 Grabmeier Tor(1345-65) 西 Vormarktにある3階建て四角塔で、昔の
   3門の内唯一残った。前面にフレスコ画や紋章が以前は有ったが、外観は15cまでに形
   成された。1812町は墓門を買って1901マイヤー塔と墓家は旧マルクトに移し建設された。
   1969郷土館を収容した。

4.見所 C

   町広場囲んだ小さな旧市街地には、珍しく市庁舎が無く、壁外の南にある。
 旧市庁舎 AltesRathaus (14c) この場所に古くから在ったが1700-01に親方ワイ
   ティンゲルがネオゴシックで再建し現存する。3階建て細長い頂部の中央軸に塔を据え、町
   広場に向かてアーケードがある。塔は1776-77に再建され、玉ねぎ頭が付けられた。
 市教区教会 StadtPfarrkirch(12c) 聖ミコラスとステファン教区教会は、15cに高さ76mの
   西塔を付けた。地域で最大の大きな建物であり、大聖堂と言われる。内装は芸
   術的に重要である。
 ハーバーラントの館 HaberlandHaus (1869-71) 町広場に立ち、階段切妻と切妻に置
   かれたマリアがあり、ゴシックの細工のある前面には目を見張る。
 町広場 StadtPlatz 古い集落の南で旧市街の中心の幅広い広場を、3-4階の建物が
   取り巻いている。建物の外観は百年の変化を経て壮観である。

5.写真

旧市庁舎 市広場
マイヤー墓門 教区教会

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アイベルシュタット Eibelstadt  BY45

1.歴史

  787 文書に町の創立の言及、   1260 ヴュルツブルク本山の聖堂参事会が支配、
 13c ワインの名産地に、       1309 ヴュルツブルク本山の地下貯蔵所を設置、
 1434 皇帝ジキスヘントが都市圏を授与、  1435-1580 楕円形の市壁を建設、
16c スフ戦争で市民は皇帝を支援、 1803世俗化後ヴュルツブルク支配は終わりバイエルンへ、
 1805 フェルナンド大公のヴュルツブルク大公国に、 1814 最終的にバイエルン王国に帰属、
 1818 バイエルンの布告で今日の自治体へ。

 

2.市壁  0.99km 0.84

  1434-1580市壁は建設され、東北の一部を除いて保存されている。

3.塔  3門13塔

    楕円形市壁の長軸側にヴュルツブルク門とオクセンフュート門が、直交する川側にマイン門
   と東北側に現存しない落下門が置かれた。防御塔として川側に6円塔と2半円殻
   塔があり、東北側に5円塔がある。時計回りに・・
  Wuerzburger tor (15-16c) 北側 アーチ門のある寄棟屋根の長方形の門塔。
  KereTurm (15-16c) 北東角 ベル型帽子付4階建て円塔。
  RundTurm (16c) 東北側 円塔の切株。
  KeesTurm (16c) 東北側 屋根なし3階建ての円塔。
  EulenTurm (16c) 東北側 円錐屋根の3階建ての円塔。
  DickerTurm (1562) 東北側 又はFederolfsturmのベル型帽子の3階建円塔。
  WeissenTurm (16c) 東北側 屋根のない3階建ての円塔。
  Ochsenfurter tor (16c) 南 アーチ通路のある寄棟屋根の2階建ての角塔。
  MauerTurm (16c) マイン側 屋根なしの3階建て円塔。
  MauerTurm (16c) マイン側 円塔。
  Main tor (16c) マイン側 両側に2階建ての円塔が在りその間をアーチで繋ぐ。
  MauerTurm (15-16c) マイン側 大口径の2階建て円塔。
  GasTurm (15-16c) マイン側 円錐屋根の3階建て円塔。
  Halbrunder SchaelenTurm (16c) 屋根のない大口径半円形の殻塔。
  Halbrunder SchaelenTurm (16c) 屋根のない大口径半円形の殻塔。
  HenkerknecktsTurm (16c) 屋根のない3階建ての円塔。
  MauerTurm (15-16c) 屋根のない2階建ての円塔。

4.見所 D

   ほとんど市壁と門塔に囲まれた小さな町で、旧市街に目立った物はない。
 市庁舎 Rathaus (1708) ヴュルツブルク大聖堂参事会は後期バロックの
   典型的な3階建ての事務所をたてた。この建物は後に市庁舎として
   使われた。建設時のスコッタ天井がある。
 町教区教会 StadtPfarrKirche (13c)最も古い部分は13cに遡り、
   マルクト広場の北側に建つ三身廊の教会は、1480-1525と1625に増築と改築が
   行われて今の姿になった。1515シュナイダー工房のゴシックの祭壇がある。
 町博物館 Stadtmuseum 飾られた古い木組みの夜明けミサの家に、
   地元の博物館がある。

5.写真

市庁舎 Kere塔
下門 フクロウ塔
アクセンフュート門 西壁
Kees塔

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アイヒステット Eichstaett BY46

1.歴史

 80-260 ローマのラエティア県に含まれた、    740 最初の文書言及、
 741 最初のアングロサクソン司教は大聖堂建設、  908 市場・鋳造・税・防備の権利、
 11c 最初の全盛期で2番目のロマネスク大聖堂、 1305伯爵の遺言で町の司教を後継に、
 14-15c 第2全盛期で3番目のゴシックの大聖堂、16c再カトリック化の中心都市として繁栄、
 1634 30年戦争で町は破壊、バロックで再建、  18c 最後の領主司教の全盛期、
 1802 世俗化の途中でバイエルンに落ちた、  1818-33 バイエルン支配下で教王が統治、
 1855 最終的にバイエルンに帰属、      1943 二次大戦は無傷で抜けた。

2.市壁  0.98km 0.37

    市壁は、北西、東、南の一部に残っている。

3.塔  0

    見当たらない。

4.見所 B

    30年戦争で壊滅的に破壊され、その後見事なバロックの建物が大聖堂を中心に
   立ち並んでいる。
 大聖堂 Dom (8c) 聖ヴィリバルトは最初から石造で、主に後期ゴシック期にに建設され
   1718バロック西正面完成。初期ゴシックの東西内陣、14cゴシックの身廊に塔や礼拝堂
   が組み込まれている。内部には、西内陣の祭壇に1514聖ヴィリバルト彫像、1297
   マドンナ、1489パッペンハイム祭壇彫刻、が有名。後期ゴシックの回廊は、北翼は古く、
   東・南翼は1460-70の再建である。
 ヴィリバルト城 WillibaldsBurg (1070) 西南の丘の古い要塞の上に1353に城が新築
   された。司教は420m.63mのルネッサンスの城に拡張し2門塔・守衛室・厩屋・火薬庫と
   5要塞が造られた。1634スエーデン軍に占領されたが、1636に奪還し補修強化し、
   1725司教は住居とした。1866民間に売却されたが、1829には買戻して兵舎と
   なり、1900からはバイエルン州のジュラ紀化石博物館(南翼)、先史時代と古代
   歴史博物館(北翼)となっている。
 旧修道院 Ehem.Kloster und Notedame de SacreCoeur (1712) 市壁と堀の外に、
   修道院は1712に修道院教会は1719-22に建てられた。中央ドームの3階建バロック
   の建物には左右対称の翼がある。中は初期ロココのスコッタで飾られ、ドーム頂部円
   形には4大陸のフレスコ画がある。修道院の世俗化後も教会は残り、1923には修
   復されて、自然公園情報センターとなっている。
 聖ヴァルブルク修道院と教会 Kloster und PfarrKirche St.Warburg (9c)初めから聖
   ヴァルブルクの墓を持ち、1035ウェネディクト派の修道院を併設し、17-18c広々とした
   修道院に、1629-31中世風基礎の上のバロック教会、1664豊かな内装、1746バロック
   の塔が建てられた。地下納骨礼拝堂もある。
 カプチン修道院の教会Kirche des KapuzinerKloster-HeiligesGrab Eichstaett(12c)
   12-15cはショッテン修道院は、17cからカプチン修道院で1623-25バロックの建物新築。
   1160にエルサレム の聖墳墓の正確な複製が作られ、何度も破壊と再建を繰り返
   した。墓は正方形の上に高さ4.1mの楕円形の石造であり、建物中に収容され
ている。
 守護天使教会 SchutzengelKirche(1617-20)旧イエズス会教会を建てたが1634スエーデン
   軍に破壊された。1661に再建、1717-39フレコク画など豊かな装飾、17-18cに教会
   の南にイエズス会の大学を建設。今は司教神学校。1982-83に再建された。
 司教領主宮殿 FuerstbischoflicheResidenz(1702-25)大聖堂の南にバロック3翼3
   階建ての王宮が居住用の建物としてたてられた。その後スタッコ細工による天井画で、
   る天井画で、西翼階段室は鏡で飾られた。1855地方裁判所となり、1976以降
   は地方事務所となった。
 夏宮殿 SommerResidenz (1735-37 東門の東にバロックの夏宮殿と庭園を司教領主が
   造った。1898兵舎になり、1899聖公会神学校として買い、1901-65州図書館や会
   議場を収容し、1974に復元された。
 教区博物館 Dioezesau Museum 12cからの教区の歴史と聖遺物を多くの部屋に展示
   している。

5.写真

東道路 南壁塔
東壁地下道 東北壁
旧領主司教宮殿

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エルファースハウゼン Elfershausen BY47

1.歴史

  780 フルダ修道院への贈物として初言及、  1562 下元城をエルタールのハインリッヒが構築、
 1600 エルタールの息子エノリークはロッジを建てた、  1747 クリストフは旧城を解体し新城構築、
 1803 ヴュルツブルク本山の世俗化でバイエルンに、1805エタール家の絶滅後グーテンホフが城を継承、
 1805-14 ヴュルツブルク大公国に帰属、      1814 バイエルン王国に最終的に帰属。

2.市壁  0.59km 0.86

   市壁は、殆ど全周に残っている。

3.塔  1

 館門 HofTor(18c)アウグスト・ウルリヒ通に面して大小二つのアーチ門がある。

4.見所 D

   マルクト広場のない小さな町だが、市壁はよく残っている。
 聖マリア教区教会 Pfarrkirche St.Maria (14c) 凹部内陣・南尖塔付塔のある広間
   造りの教会、14cの身廊と1866の歴史主義の内装。
 牧師館 Pfarrhaus (18c) 2階建半寄棟屋根で漆喰塗の建物。
 旧エルタール宮殿 Ehem.Schloss Erthal (1562) 1562と1600の核でU字型の2階建
   切石積切妻屋根複合体、東にかっての居城。1705-07屋根の改築、1747バロック
   マンサード屋根、1805エルタール家の絶滅で貴族グラーデンホフが城を継承、1905ヨダヤ人に
   売却、1988修復後に地方行政の場である。
 住家 Wohnhaus(1551)スクロール破風と切妻屋根の2階建木組の家。
 歴史的家具職人の家 Historische SchreinerschHaus(1448)バイエルンで最古の木組
   の家。

5.写真

市庁舎 アウグストウルリッヒ通
西南壁 西北壁
北東壁 東南壁

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エリンゲン Ellingen BY48

1.歴史

  899 貴族が病院を設立の記述で初言及、1216 ドイツ騎士修道会が城を構築、
 1378 皇帝カレル4世は都市権を授与し直ぐ取消した、16c ドイツ騎士団は改革で衰退、
 1633 30年戦争で住民は不在に、        18c 町をバロックで再構築した、
 1796 プロイセンが町を占有しドイツ騎士団は終結、 1806 町はバイエルン王国に帰属、
 1939 城はバイエルンに売却され博物館になった、1945 空爆で相当の損傷を受けた。

2.市壁  0.30km 0.67

   市壁は、16cに自然石と多くは荒石で構築され、再建された部分を含め残る。

3.塔  2門1塔

 プラインフェルダー門 PleinfelderTor(1660)北市門としてアーチ通路の両側に円塔が置
   かれ、上塔は8角形の3階建ての構造。
 白城門 WeissenburgerTor(1609)南市門として小要塞塔のある門の一部が残り、
   多くは1945に壊された。
 円塔 RundTurm(1594)市壁の南東の角に、小さな円塔がある。

4.見所 C

   18cにバロック化された多くの古い建物が王宮・官庁・市庁舎を中心に残る。
 市庁舎 Rathaus (18c) 中央突起を持つ2階建鐘楼のあるマンサード屋根の建物で、前
   面には豊富な彫刻がある。1860内側の変換、1950建物の再構築。
 エリンゲン王宮 ResidenzElingen (1711-71) 東側の記念碑的な4翼の建物は1718に完
   成し、乗馬学校は1749、塔は1751、城教会は1752、旧厩舎は1761、水車施設は
   1755、管理棟は1762、東城門は1771にそれぞれ完成。
 大公醸造所 SchrossBreuerei (1723) 巻毛の破風を持つ2階建建物の中央に3階建
   の正門があり、中にマンサード屋根平屋3翼の建物がある。
 旧会計局 Ehem.Rentamt (1570) 後期ゴシック2階建切妻屋根漆喰塗の建物で、1950
   に部分的に再構築された。
 市教区教会聖ゲオルグ StadtPfarrkirche St.Georg (1729-31) 広間造の教会で1945
   に北側廊が壊れ、1950に再建された。
 聖マリア救済礼拝堂 St.Mariahilf Kapelle (1731) バロクの湾曲した切妻ののある礼拝
   堂。大天使ミカエルの像がある。
 旧フランシスコ教会 Ehem.Franziskanerkirche (1738-40) 旧修道院の建物で2階建寄棟屋
   根の北面を保存し、19cに砂岩の柱を4本組込んだ。
 旧ラテン語学校 Ehem.LatenSchule (1738) 2階建鐘楼付寄棟屋根の建物、19cに一部
   補修。
 旧手工業の家 Ehem.Handwerkerhaus (1721) 2階建隅柱屋根で壁中構造の大きな建
   物。
 旧郡裁判所 Ehem.Amtsgericht(1761)2階建マンサード屋根2翼の建物で田舎風の堅固な
   アーチの正門。今は薬局。
 旧ドイツ騎士団事務所 Ehem.Amtshaus des DeutscheOrdens (1725) 2階建湾曲切妻
   屋根の建物で庇に年号がある。
 都市農民の家 AckerbuergerHaus (1720)2階建寄棟屋根の建物で、田舎風の玄関と
   中央突起のある家。
 エリザベート病院 ElthbertSpital (1705) バロック石造ポータル、田舎風壁柱と3階建工
   場は1753拡張、1708にエリザベス病院の広間教会。
 旧都市農民の家 Ehem.Ackerbuergerhaus (1560) 2階建の中庭入口で湾曲した切
   妻と田舎風隅壁柱の建物。隣にはアーチ入口農業経営者造付属建物。
 パレ・ランダウア Palais Landauer (1683) 壁柱構成の2階建マンサード屋根と豊かな窓と
   正面装飾、今はホテル:ローマ皇帝である。

5.写真

エリンゲン王宮 聖ゲオルグ教会
プラインフェルダー門 南東円塔
東壁 東南壁

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エルトマン Eltmann BY49

1.歴史

  753 ヴュルツブルク司教の事務所設立、 1335 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権授与、
 1271 丘の砦の最初の言及、      1500 ヴュルツブルク本山のフランコニア・サークルへ、
 1803 世俗化で町はバイエルン公国へ、       1805 町はヴュルツブルク大公国へ、
 1814 町は最終的にバイエルン王国に帰着。

2.市壁  0.09km 0.12

   市壁は、東側のAltemauer等に点々と崩れかけた玉石積が残っているが。何れ
  この町から市壁は消え去る状況にある。

3.塔  0門1塔

 隅塔 RundTurm(1660)北市門としてアーチ通路の両側に円塔が置かれ、上塔は8角
   形の3階建ての構造。
 白城門 WeissenburgerTor(14c)旧市街地の東南の隅に、市壁に接した円形の壁
   塔がある。

4.見所 D

   マイン川右岸の小さな町である。
 市庁舎 Rathaus (1879) 歴史主義の砂岩造2階建寄棟屋根・中央突起と観賞用切妻
   に玉ねぎドームの建物。
 旧住家 Ehem.Wohnhaus (1850) 古典主義砂岩造2階建切妻屋根の四角の建物で、
   今は市庁舎の一部となっている。
 旧教区教会聖ミカエルとヨハニス Pfarrkirche St.Mikael und Johannis (15c)塔の下部や多角
   形の聖具室は15cの後期ゴシック、砂岩ブロック切妻屋根のネオロマネスクの広間は1835-37に
   建てられた。
 旧宿屋郵便受け Gasthaus Zum PostHaltrer (1824) 壁柱と新古典主義の前面、2階
   建腰折屋根の建物。
 住家 Wohnhaus (1820) 砂岩の地階に木組の上階、後期バロック2階建寄棟屋根の建
   物。
 住家 Wohnhaus (1823) 上階木組のバロック2階建切妻屋根の建物で壁柱と中庭への入
   口がある。
 郷土博物館 Heimart Museum (1965) 町の歴史と産業の展示がある。

5.写真

市庁舎 東壁
東南壁 東南壁
南東壁 南壁

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エアディング Erding BY50

1.歴史

 742 修道院への寄贈文書に最初の言及、    1228 バイエルン王が都市権を授与、
 1503-09 バイエルン継承戦争で占領、      1632.34 30年戦争でスエーデン軍略奪、
 1648 戦争、ペスト、火災等で衰退、          1800 ナポレオン戦争で被害、
 1945 2次大戦の空爆被害。

2.市壁  0.10km 0.04

   1250頃に、町の防御施設は造られ、15Cに根本的に修復された。1789に大部分
  が取り払われた。残っているのは、東南の緑地との境にレンガ造の高い市壁が80m、
  北東の債務者刑務所跡に20mある。

3.塔  1門1塔

 領番門 LandshuterTor 1408建 後期ゴシックのレンガ造で東市門。30年戦争で大
   被害を受け、火事で寄せ棟屋根が焼け、1660-64にドーム形の帽子が置かれた。
 市塔 StadtTrum 1300建、教会塔から市塔となり、1651にバロク8階建て46m
   の高さにされ、6箇の鐘と時計が付けられ、見張りと火の見の櫓として1945
   まで監視者が上階に住んでいた。

4.見所 D 

   東門から市庁舎を通って突き当たりの聖ヨハネ教会までが見所である。
 市庁舎 Rathaus 17C建、伯爵の3階建の美しい宮殿であり、1825に市が建物
   を取得し、1866に新市庁舎として玄関と紋章を付け、博物館も収容した。
 聖霊教会Hl.GeistKirche 1444建、天窓と小ホールは古い。1688にバロックに改修。
 聖ヨハネ教会 St.JohannKirche 14C建、後期ゴシックの3廊式レンガ造、1410に本陣、
   1520身廊の完成、1464献堂された。1648の大火後1668-89にバロックで建て
   られ漆喰装飾に置き換えられた。1882-80ゴシックリバイバルでバロックのスコッタを削
   除してゴシックのアーチ天井装飾リブに戻し、バロックの祭壇や調度は博物館で見られ
   る。2次大戦後の応急修理を1948に行い、1976に外壁の修理を行った。

5.写真

市庁舎 東南壁・小門塔
東南壁 Landeshuter門

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エアランゲン Erlangen BY51

1.歴史

 1002 アンリ2世の証書に別荘として初言及、 1398 王ヴァーツラフは都市権を授与、
 1402 ニュルンベルク辺境伯、              1528 宗教改革始まる、
 1634 30年戦争で町は壊滅、     1686 ユグノー難民が来てバロック都市計画、
 1706 旧市街の建物は殆ど焼失、         1743 フレデリック大学の創設、
 1755 世界最古のビール祭りの誕生。

2.市壁  0.05km 0.04

   古い市壁は、市壁通りの浴場の隣に、1706の大火災の後に唯一残った。

3.塔  0

   見当らない。

4.見所 C

   方形に区画された大きな町に、バロックの建物が並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (1971) 14階建ての市庁舎は新らしく、行政とホールとコンベンション
   センターが入っている。
 辺境伯宮殿 MarkgrafenSchloss (1704) バロックの建物で、庭・オランジェリィ教会を含む
   自己完結型の宮殿である。19c初めまで王家の住居であった。1814火災を受け18
   25フリードリッヒ・アレクサンダー大学となった。
 辺境伯劇場 MarkgrafenThoater (18c) 外観はかなり控えめだが内部のバロック装飾
   は豪華である。ドイツ最古のバロック劇場。
 講義室 Kollegienhaus (1889) 大学は学生数の増に伴って研究や講義バロック装飾バ
   ロック装飾建て増築した。そして、正義・哲学・医学/神学の学科を設けた。
 オランジェリィ Orangerie (1705-6) 町城庭園にバロックのオランジリィを建てた。
 ツッターハイム宮殿 Palais StutterHeim (1728-30) バロックの3階建てで1810火災の後に
   辺境伯の未亡人が住んでいた。1836-1971は市庁舎として使われ、今は図書館・
   展示場・文化庁が収用されている。
 アッチェレスブルク城 Schloss Atzelsburg (14c) 1705今の形で再建された。今は商業的
   ・文化的な催物に使われている。
 旧市教会 AltStaedterKirche (1383) 旧トリニティ教会は30年戦争で焼かれ、1655再
   建された。1705また焼け、1709-21再建されて今の建物となった。祭壇や説教
   壇、西側の砂岩の彫像が見所。
 聖ノッテン教会 HugeNotten Kirche (1686-93)ユグノー教会はフランスからの教徒によって
   建てられた4階建て単塔の教会である。
 市博物館 StadtMuseum 町の中心のマルチンルター広場にあり、エアランゲン地方の歴史と人間
   生活とシーメンスの発達の過程を展示。

5.写真

北壁 ツッターハイム館
宮殿 宮殿

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エッシェンバッハ Eschenbach in der Oberpfalz BY52

1.歴史

 1150 最初に市場として言及された、 1353-1400 バイエルン・ヴィッテルスバッハ家が支配、
 1358 皇帝カール14世は都市権を授与、15c プファルツ伯の所有となりバイエルン選帝侯領に、
 15c バイエルンの会計局設置、裁判権を保持、1972 行政改革で地区統括事務所を失う。

2.市壁  0.21km 0.22

   14cの古い市壁は、北・西・南にいくらか残っている。

3.塔  0

   見当らない。

4.見所 C

   旧市街地の中心に、幅25m長さ300mの大きな中央広場があり、広場の中心の
  市庁舎と周辺の建物が景観を形成している。
 市庁舎 Rathaus(1570)2.5階建時計塔付切妻屋根の市庁舎は簡素で、広い中央広
   場の真ん中の傾斜地に立っている。19c初に部分的に改修された。
 教区教会聖ラウレンチウス Pfarrkirche St.Laurentius (14c) 14c終わりのロマネスクの部分があ
   り、南と東側に市壁の残りがある。1440-1608後期ゴシックのホール教会には1492-49
   正方形の塔、1541丸いルネッサンスの上層階、1576身廊ボールト、1560聖具室が建てら
   れた。1893西に延長した。元の長さは北部外壁パネルで分かる。
 旧救護宮殿 Ehem.Pflegschloss (15c) 1670の火災後に再建された3階建寄棟屋根の
   建物。
 住居 Wohnhaus (1607) 軒蛇腹や窓のある半寄棟屋根2階建装飾的な家。
 擬古的温浴場 Klassizistischer Warmbadhaus (1817) 背後の車庫造りの寄棟屋根
   の家は、14cの市壁を後壁に使っている。

5.写真

市庁舎 南市壁通
北壁 西壁

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オイアードルフ Euerdorf BY53

1.歴史

 716 村はフランコニア伯爵ヘルタン2世の所有、 788 村はフルダ修道院の財産に移った、
 1430 村は市場権を保有、     1586-89 ヴュルツブルク領主司教は市壁設置、
1802-04 会計局と地方裁判所の設置、 1803 世俗化でヴュルツブルクからバイエルンへ、
 1805 ヴュルツブルク大公国に属した、         1814 バイエルン王国へ帰属。

2.市壁  0.43km 0.57

   既に14cから防衛壁があり、点々と各所に残されいる。当時の村には領主の
  屋敷・十分の一税倉庫・教会などがあり、防備は固められた。1586-89ヴュルツブルク
  領主司教ユリウス・エクターは村の全てを一つの周壁で囲んだ。
   夜には村の夜警が1828迄定期的に巡回した。

3.塔  1門1塔

   昔は3門、2小塔、2大砲を備えた火薬塔、小川の流出口を守る砦があった。
 キッシンガー門 KissingerTor (15c) 北東の3階建階段切妻のどっしりと
   した石造尖塔アーチ通路の門。
 火薬塔 PulverTurm (18c) 南西の2階建の円塔で円錐屋根がある。

4.見所 C

   古くからのワインの生産地であり、古い木組の家もある。
 守衛詰所 Torhaus(1573-1617)キッシンガー門の階段切妻の建物に守衛の詰所が置
   かれていた。
 聖ヨハニス教区教会 Pfarrkirche St.Johanner der Taeufer (1602) 西側の丘の上
   に建てられ、1872に火災後にネオゴシック単塔3身廊の教会となった。1977-79
   拡張再設計されて修復された。
 聖ヴィルバラード礼拝堂 St.Willbrerds Kapelle (1494) 元修道院の墓地礼拝堂で
   あったが、1868の簡素な建物で巡礼の地となった。今は町が所有。
 牧師館 Pfarrhaus (1433)裕福な家族から寄贈され 1608・1668建替。
 旧十分の一税の家 Ehem.Zenthaus (16c) 守衛詰所の近くに在り、教会に物納さ
   れたワインや穀物の保管をした。今は住宅である。
 旧狩猟の家 Ehem.JagdScloss (1598)フルダ・ヴォレフス家の修道院長狩猟ロッジとし
   て、多角形の階段塔のある階段切妻石造2階建の建物を建てた。その後林
   業事務所として使われ、1973に町が取得し古生物学博物館「テラTriassica」
   となった。
 旅館:小羊 Gasthof Zum Lamm (1595) かっての町会館の地階に位置していた教
   区宿は、1781に民間に売却された。階段切妻3階建の旅館で最上階は木組であ
   る。中庭には納屋や厩舎がある。
 旧使役農場 Ehem.Fronhof (14c) 修道院オーラが町に保有した財産の一つで、15c
   ヴュルツブルク司教の財産となり、1564の廃止後国庫に納められた。18cに再建
   された切妻2階建木骨漆喰の建物は、司教の税務署であった。1803バイエルン
   に移り地方裁判所として使われた。
 旧農家 Ehem.Brauerhaus(17c-18c)2階建上階と切妻は木組の寄棟屋根の建物
   である。
 旧穀物倉庫 Kormspeicher(1552) 2階建切妻屋根石造漆喰の大倉庫。

5.写真

聖ヨハニス教会 シュバインヒュート通
火薬塔 キッシンガー門
北壁 東壁

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ホイヒトヴァンゲン Feuchtwangen BY54

1.歴史

  818 ベネディクト修道院文書初言及、           1241 帝国都市となった、
 1376 町と修道院はニュルンベルク城伯からアンスバッハ辺境伯へ質入れされ帝国特権は失った、
 1400 シュバイビッシュ都市同盟に対抗して市壁建設、      1533 宗教改革の導入、
 1618-48 30年戦争で略奪・破壊が繰り返された、1791 辺境伯は町をプロピセンに売却、
 1806 バイエルン王国に併合され地方裁判所設置、 19C 町は多くの市壁は取払われた、
 1845 二次大戦後引揚者よる町の復興。

2.市壁  0.54km 0.55

   切れ切れに約半分の市壁が残された。

3.塔  1門1塔

 上門 OberenTor (18c) 昔の3門の内唯一残されたバロック2階建の角塔
   に2段四角錐屋根がある。1930に交通障害で今の形になった。
 旧腐り塔 Ehem.FaulTurm

4.見所  C

   町は交易都市として栄え、マルクト広場には9c発祥の修道院教会・郵便局・裕福な商
  人の家が並んでいる。後期ロマネスクの13cの回廊は珍しい。
 市庁舎 Rathaus かっての林業事務所が市庁舎となっている。庭には小さな画廊
   KleineGalerieがある。
 回廊 Kreuzgang (13c) マルクト広場から階段で後期ロマネスクの回廊に至る。文化や演劇
   に使われている。
 修道院教会 StiftKirche 元は修道院の教会でロマネスクの建物である。内陣はゴシックで
   聖マリア祭壇は1484アルブレヒト・デュラーの作である。彫刻のある聖歌隊席は1500の作で
   ある。
 ヨハネ教会 St.JohannisKirche 旧教区教会で、1400聖歌隊席の円天井の絵画、1680
   バロックの祭壇、15c洗礼盤が有名。
 市公会堂 StadtHalle Kasten (1565)かって死者の骨を堆積する礼拝堂であった
   。その後修道院の納屋として半木造の美しい建物が建てられ、1952に市の公会
   堂になった。
 手工業の館 HandwerkenStuben 西翼には、菓子職人・陶芸家・染物屋・錫職人・靴屋
   ・織屋の昔の作業場を展示されている。
 フランケン博物館 FurankischesMuseum 民俗文化技術博物館として南ドイツ民俗文化の
   写真・ガラス・錫・衣装・宗教芸術・陶磁器の工房の展示が西翼にある。
 歌手博物館 SaengerMuseum 合唱団の博物館で、貴重な旗・優勝杯・メタル・手書きと
   印刷の文書等の展示がある。

5.写真

市庁舎 上門
北壁 北小門
西壁 南壁
東壁

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フラデュンゲン Fladungen  BY55

1.歴史

 789 フルダの聖ポニ修道院に遺贈の文書言及、 1217フラヅンゲン貴族がヘンリー文書に、
 1218 フリードリッヒ2世は市場を開設、     1335 バイエル王ルーデビッヒは都市権授与、
 1343-1435 ヴュルツブルク司教とフルダ修道院の争い、 1397 フランク都市連合に加盟、
 1398 市壁を建設、            1514 フラヅンゲン貴族断絶しザクセンへ、
 1635 スエーデン軍の放火で全滅、ペスト流行、  1760 フレデリックとオーストリアの戦争、
 1803 世俗化でバイエルンへ、1805 ヴュッテンブルク大公国へ、1814 バイエルン公国に帰属、
 1945 米軍が占領。

  

2.市壁  0.85km 0.97

  1335の市壁は、まだほとんど元の高さで強力な堀と共に町を囲んでいる。

3.塔  1門9塔

    市壁には5塔と16壁頂小塔があった。
 上門 Ober tor (1335) 北 MaulaffenTurmとも言う。鉾に階段塔が立つ長
   方形の4階建て門塔で、1560に改造されている。
 苛め塔 VexierTurm (14c) 北西角 3階建ての円塔で1601からフラスキーフード。
 テュルナー塔 ThuernersTurm (14c) 西 切妻屋根の4階建て正方形の塔。
 ヤコブ塔 JacobTurm (14c) 南 切妻屋根の3階建ての角塔。
 火薬塔 PulverTurm (14c) 南東 教区教会近くの3階建角塔。1595嵩上げ。
 下小門 UnterPforte 東 近くに壁の切れ目がある。
 5塔頂小塔 5ReiderTurm 市壁の頂部に小塔を乗せ、北5基・東1基・西1基。

4.見所 C

   小さな旧市街には17-18cの旧病院など漆喰塗や木組み形式の多くの切妻屋根
   の美しい建物があり、ヴュルツブルク本山の記念碑的な建物も存在する。
 市庁舎 Ehem.Zehnthaus(1601-26)旧十分の一税倉庫であり、4階建渦巻装
   飾切妻の2翼の大きなネオゴシックの建物は、今市庁舎とローン博物館となっている。
 聖キリアン教会 St.Killian kirche(14c)初めの教会は1440に焼失し、1488次
   の教会も落雷に遭い1582抜本的に構造変革した。1613-17新教会を再建したが、
   30年戦争で焼かれ、1656-59現存のロココ教会が建てられた。四角塔は教会から独立
   し、途中から八角形になっている。正面祭壇に4円塔が立ち両脇にも祭壇がある。
 上粉挽き所 OberMuehle (1708) 半寄棟屋根上階装飾トラスの水車付の建物。
 旧病院 Ehem.PfruendnerSpital(1770-74)装飾トラスの見える3階建てセミデタッチ
   ハウス。入口扉は1870のもの。
 宿屋ライオン Gast Zum Loeben (18c)上階木組みの切妻屋根の家。
 木組の家 Fachwerkhaus(17-18c)露出トラスの2階建切妻屋根の家。ドアは19c
 木組の家 Fachwerkhaus(17-18c)木組破風付2階建ての木骨造の家。
 切妻屋根の家 Staffeldachhaus(18c)木組み漆喰塗り2階建ての角家。
 半寄棟屋根の家 HalbWalmdach haus(1800)上階木組みに家。
 切妻屋根の家 Satteldach haus(17-18c)上階木組で枠は露出している。

5.写真

火薬塔 ヤクブ塔
Thuerners塔 Vexier塔
南小門 北壁
東壁 東壁
旧禄付聖職者養老院

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フォルヒハイム Forchheim BY56

1.歴史

 805 スラブ人との通商の文書に初言及、    849・858カール大帝の孫ルードヴィッヒが滞在、
  872 帝国議会の開催、            911 後継コンラット1世が選挙された、
 1007 ハインリッヒ2世はバンベルク司教区に町を贈与、1200-1300都市権・防御権・紋章を得た、
 1237 フリードリッヒ2デイは裁判所を置いた、  1377 オンリー司教は新水城を築いた、
 1430 フス戦争でアントン司教は市壁の後に避難、 1460 町の要塞はバイエルン侯爵の戦い、
 1552-53 防衛施設の拡張が始まる、    1631・32 30年戦争でスエーデン侵攻、
 1723 今の三教会通りに火薬庫を設置、   1796-1801 仏軍が占領、
 1802 バイエルンに帰属、           1945 二次大戦で米軍が進駐。

2.市壁  0.70km 0.31

 要塞St.VietBastion 西1553 イタリア風の要塞で砂岩の色から赤壁とも言われた。
   石は辺境伯の城から来ていると言われている。
 要塞ZwingerBastion 北1657 ヴァレンテー要塞とも言い、公園の中に高くそびえる。

3.塔  2門0塔

   1698に3番目のニュルンベルガー門が建てられ4門の内唯一残った、1745-46バンベルガー門
  とロイター門の外堡が成立。18c後半 最初の旧市街地の塔は崩壊した:1787Blauer塔、
  1767Battel塔、Steinger塔、Rote塔、Kroffen塔、Feil塔。1875-1888残りの壁塔・
  稜堡・2/3の市壁は取り払われた。城とSal門塔の要塞は国有財産として残存する。
 ニュルンベルガー門 NuernbergerTor (1698) 近世防御施設の残りで、南出口に
   風格ある姿で立っている。門の右に市壁も見られる。
 ザール門塔 SalTorTurm 中世のバンベルク司教による巨大な壁と堀による要塞
   都市の北西門で、3階建ての四角塔で馬蹄形の入口がある。

4.見所  C

   バロックと木組みの前面を持つ建物が多く残り、雰囲気のある中都市である。
 市庁舎 Rathaus (1472) 朱色が印象的な木組みの大きな建物は古い。周囲も
   木組で並んで立っている。内部には木組みの螺旋階段の付いた大小二つの
   会議室がある。
 旧領主司教指令所 Ehem.Fuerstbischoeflische Kommandantur (1743-47)南、
   後に林務局の事務所となった。建物は構造的に何度も変更されている。
 旧領主司教役所 Ehem.Fuerstbischoeflische Amthaus (1685) 南、領主司教
   が妹のキャサリンのために建て、1694からは領主司教の公邸になった。
 宮廷製粉所 KammerersMuehle (1698) 美しい木組みの建物で1910にはレヅトラン
   となり、この建物を楽しむことができる。
 塩貯蔵庫 SalzMagazin (1710) 領主司教の3階建て石造りの塩貯蔵庫が町の中
   にあり19c迄使かわれた。その後は住宅に改造された。
 古い醸造所 AlteBraurei 古い醸造所の煙突の上にコウノトリが巣を作り、4-6月に
   は子育てが見られる。
 聖アントン修道院 Kloster St.Anton (14c) 修道院は1649にフランシスコ会となり、
   1684バロックの修道院を建て、1722拡大された。1802世俗化され1830には
   使われなくなった。1848市は買収して兵舎や学校で使った。
 聖マーチン教会 St.MartinsKirche (12c) 王宮専用の教会として建てられ、大部分
   は再構築と拡大され外観も変わった。6階建ての単塔は高い。
 孤児院 Waisenhaus (17-18c) 木造であったが1730-33に漆喰の3階建て大きな
   建物となった。
 厚かましい家 Frechshaus (15c) 市庁舎の西隣にあり、3階建て上部が強く張
   り出した木組みの美しい建物である。
 ブラナウ郷土博物館 Branauer Heimat Museum (2001) 衣装・ブラナウの作品・地域の
   民俗信仰塔の展示。

5.写真

市庁舎 ザール門
ツインガー要塞 ケネル要塞

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フライジンク Freising BY57

1.歴史

  715 バイエルン公爵は城と大聖堂を設立、   798 ザルツブルク大司教が司教を支配、
  996 オットー3世は市場権・鋳造権・徴税権を授与、  1159 大火で都市は廃墟、
 1359 国内法による市議会を形成、     1474-95 トルコの脅威で市壁建立、
 1632 スエーデン王は3万ギルダーで町を取った、 1695-1727大聖堂はアザム兄弟が飾った、
 1802-3 世俗化で司教は廃止された、  1878 交通増で門は2門を残し壊された、
 1898 中世の5門の最後ZieglTorも破壊、 1943 二次大戦の空爆で224人死亡。

2.市壁  0.06km 0.04

   ドーム山の壁を除いて北側に僅かの市壁の名残を残すのみである。かっての市
  壁はBuergerTurmと博物館にある。

3.塔  2塔

   5つの市門塔があったが、19Cに壊されて残っていない。
 市民塔 BuergerTurm 1350建、防衛塔として市民が中心で建てられ、僅か残る市壁の
   近くに立つ。中には「フライジングの昔と今」の面白い展示がある。1693-60は火薬
   庫として、その後刑務所で使われ、1803から救貧院とされた。1913に老朽化に
   より取り壊され、1914から4階建で再建され消防見張塔。
 ドーム山塔 DombergerTurm 3階建の白い角塔、UnterDombergの坂道に立つ。

4.見所 A

   旧市街地は北斜面と南ドームベルクの間の谷間にあり、市庁舎を中心に町並みが
  あり、南のドームベルクの尾根の上には大聖堂の建物群があり、南側には壁もある。
 市庁舎 Rathaus 1904建、ルネッサンス風前面の三角屋根に5つの小塔と時計出窓のある3階
   建の建物。都市フライジングの紋章がアーチの上に見られる。
 大聖堂山 DomBerg 
   大聖堂の丘には、大聖堂と教区博物館塔の建物があり、860と1159の火事の後に再建されてい
   る。ロマネスクの建築物は何度も再整備されている。15Cの壮大な合唱席の屋台を残
   、17C全体の祭壇を整備、18Cアザム兄弟によるスコッタ装飾がなされた。スネッサンスの鐘
   は、1563.1564.1593に造られ、1947に再度据え付けられ2007に補充し改修され
   て8つの鐘が揃っている。
 大聖堂図書館 DomBiblothek 1857と1864に収集物の寄贈を受け、1870に丘の上の建
   物に開設された。歴史的作家の絵画や彫刻・コイン等を展示。
 聖ゲオルグ教会 StadtPfarrKircheSt.Georg 1440建、市役所の北に、13Cに大聖堂の丘
   から移転され、1440に後期ゴシックで建立された。84mの西塔は1689に足された。
   ネオゴシックの教区教会は、2003までに1497年の姿に復元された。
 旧醸造所 Weihenstephan 1040建、世界で最古の修道院ビールの醸造所。修道院は、
   旧市街地の西の山の上にある。
 町博物館 StadtMuseum 町の歴史と地勢・風景・模型、領主司教の宗教芸術・領主の宮廷
   ・学問、市民やギルドの寄贈品、19Cから現代の肖像の通路。

5.写真

市庁舎 北壁
西壁 下中央通
ド-ム山門 ドーム

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フレイシュタット Freystadt BY58

1.歴史

 1298 ニュルンベルクのMemorbuchに初言及、  1305 アイヒシュタット司教は教区教会を建設、
 1332 町の紋章と印章の制定、  1393 都市法制定・市場開設・下級裁判所設置、
 1504 承継戦争で町を包囲ニュルンベルクが征服、 1546 宗教改革の導入、
 1625 選帝候マクシミリアンは再カトリック化、    1603-05 ペスト流行で住民は半減、
 1632 30年戦争の略奪・飢餓・破壊・火災、 1662 都市憲章の再確認、
 1734 継承戦争でアーストリア軍の駐屯・課税・略奪、  1802 世俗化で修道院は溶解。

2.市壁  0.12km 0.11

   13cの市壁は、14cに2門7塔の市壁に強化れた。今は門の両脇に市壁が残る。

3.塔  2門1塔

 上門 OberesTor (13c)北西のゴシック5階建市門で、塔内に地元芸術家の絵画・彫
   刻・クラフトと1994の改修中に発見された15cのフレスコ画の展示がある。
 下門 UnteresTor (13c)南東のゴシック4階建市門で、寄棟屋根に変更され改築された
   客室でパーティができる。
 火薬塔 PulverTurm (13c)火薬庫の塔で半円形の塔壁が残されている。古い市壁の
   一部の残りがある。

4.見所 C

   広々としたマルクト広場の中央に市庁舎が立ち、高い上下両門が見通せる。広場の周囲には
  市庁舎と同様な切妻が立ち並び盛観である。旧市街地の建物は、30年戦争な
  どで全焼し、18cからの建物が殆どである。
 市庁舎 Rathaus(1598)幅25mの広いマルクトの中央に立ち、元の建物は30年戦争で壊され、
   1664に急傾斜屋根2階建の建物で再建された。1994-2000の修復では正面が復元
   され、トラスと古い木製天井は今でも見られる。
 聖ペーターとパウロ教区教会 Pfarrkirche St.Peter und Paul (1730) ゴシック東塔と身廊が
   建てられ、1863塔の先端の飾付け。
 旧病院 Ehem.Spital (1365) 1730に拡大新築された。旧病院の建物は壁柱と屋根天窓
   の中心に軸があり、18cからの三位一体病院教会は2階建長方形の広間教会構造で
   寄棟屋根を延長した。中庭には18cの2階建納屋がある。
 市民の家 Buergerhaus (17-18c)後壁は市壁の残りである。
 農民の家 Bauerhaus (18-19c)市壁の上に建てられた平屋の建物で、農民が住んだ。
   
 町の認証 Stadtbestaetigung (1400)旧市壁の壁上通路と胸壁。

5.写真

市庁舎 聖ペーターとパウロ教会
上門内 上門外
下門 北西屋根付壁
南東壁

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フリッケンハウゼン Frickenhausen am Main BY59

1.歴史

 9c 入植地はバーデンベルクの区域、   9c 贈物としてヴュルツブルク本山へ、
  903 バイエルン王王ルードビッヒの王室財産への贈与、1182 ルーカス3世は本山にビラを贈与、
 1276 司教ベルトルト2世は本山事務所を編入、 14c 本山は売却で借金を返済、
 1406 市場権を授与された、       1475 大聖堂参事会は大型ワイナリィを建設、
 15c 市壁が長方形で建設された、   16c ガウス教会と市庁舎は後期ゴシックで建設、
 1560-1806 フランク州に属した、     1803 司教は世俗化されバイエルン王国に帰属。

2.市壁  0.61km 0.59

  15-16cの市壁は長方形の旧市街を囲み、約半数が残されている。

3.塔  4門10塔

   4門と北側の5円塔・1半円殻塔、南側の4は半円塔がある。時計回りに・・
 下門 Unter tor(1518) 西門塔 アーチ通路付切妻屋根に渦巻切妻のある鐘楼
   付石造4階建て角塔であり、横の守衛の家は16-17cに上階木組の両切妻屋根の建
   物に漆喰塗し歩道が貫通している。今は体操とスポーツ教会が入っている。
 半円殻塔 HalbrunderschaelenTurm (16c) 西 半円形の切株。
 円塔 RunderTurm (16c) 北西の角 屋根なし1階建ての円塔。
 円塔 RunderTurm (16c) 北西 屋根なし2階建ての円塔。
 ヨアヒム塔 JoachimsTurm (16c) 北西 円錐屋根付4階建ての円塔。
 円塔 RunderTurm (16c) 北中 屋根なし2階建ての円塔。
 上門 Ober tor (1483) 東北 木骨造の上階の2階建て両切妻屋根の単純な
   正方形の構造で門塔アーチの左外側に1483の年号石版。1921自転車競技連盟が入居。
 粉挽門 Muehler tor (16c) 東門塔 切妻屋根4階建ての石積塔。以前の
   ルネッサンス渦巻飾りの切妻が在ったが1879に燃えた。1890.1898の火事で塔は渦巻模
   様失い、1963迄人は住まなかった。1899男声合唱団は増築して練習場とした。
 半円塔 HalbRunderTurm (16c) 南 屋根なし半円塔。
 半円塔 HalbRunderTurm (16c) 南 市壁屈折部の半円塔。
 マイン門 Main tor (1477) 南 3階建ての重建築の角塔で両切妻屋根と1784の
   洪水位と古い町の紋章ある階段切妻がある。通路アーチの外側の上にゴシック小文字の
   年号石版がある。
 円塔 RunderTurm (15-16c) 南 屋根なし2階建ての円塔。

4.見所 D

   古くからのワインの生産地の小さな町。殆どの市壁が残り木組みの家が見られる。
 市庁舎 Rathaus (1480) 後期ゴシックの2階建て勾配屋根の石造建物は1480に建
   建され、16c後半に改修された。美しい屋外階段と後期ゴシックの窓飾がある。上階
   には広々とした社交室があり色鮮やかな梁天井と回廊がある。側壁の上には領主
   の紋章が見える。1710ラッツケラーの前にはマリエン記念柱が建てられた。
 聖ガルス教区教会 PfarrKirche St.Gallus(1514)後期ゴシックの三身廊のハレン教
   会として建てられ、1605-16に改修された。1617ブレンク彫刻工房により3祭壇の調度
   は創作された。1750砂石洗礼盤には精巧な装飾が施されている。
 ブドウ農園 Weingut Maintzinger (1119) ヴュルツブルク聖堂参事会のワイン醸造所
   として建てられ、1715-16西にバロックで拡張された。今もワイン醸造所である。
 フッフナーゲルの家 Haus Hufennagel (1700) 2階建の建物で角壁柱玄関に階段壇
   とアーチ状カゴ隔壁がある。窓の下には2つのライオンが支えた庇がある。
 グレッサーの家 Gresser haus (18c)エレガントな2階建ての建物で、湾曲した天窓付
   のピラミット屋根があり入口の上には聖家族の群像がある。中には木造階段がある。
 侯爵の館 Fuersten hof () バロック2階建の建物で、中の階段と広い食堂があ
   り、外にはロマネスクの中庭とツルベ井戸がある。
 シュバルツェンベルク宮殿 Schwarzenberg Palais (19c) 優雅なバロックの建物で、
   きらびやかな前面にはマドンナ像が描かれている。土台の主要部分は古い。侯爵帽
   の錬鉄の塔は1992に付けられた。
 市参事会議事堂 Buergerhaus () ヴュルツブルク司教と聖堂参事会の視察の際に
   はここに宿泊した。大きな古い地下室は、今は市庁舎食堂と催物会場となり、
   1882町が入手し、1967迄校舎と先生の宿舎となった。上階の部屋には貴重な化粧
   漆喰としてブドウのモチーフと狩りの獲物が描かれている。

5.写真

市庁舎 下門
マイン門 粉挽門
ヨアヒム塔 下門外壁
西壁 北壁
北西壁塔

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フリトベルク Friedberg BY60

1.歴史

 1264 国境警備と関税保護の城建設、1383 壁を築き市場や裁判所置き都市権付与、
 1396 バイエルンとアウグスブルクの衝突、     1400 城から市壁で囲み新市街地建設、
 1599 ペストが猛威を振い人口大幅減、  1632 30年戦争で破壊されたが元に復元、
 1806 バイエルンに帰属、           19C 壁の多くと門塔は取り壊された、
 1845 二つの大戦による大きな被害はなかった。

2.市壁  0.28km 0.20

   西側の守りを重視して北の小山にあるWittelsbacherSchloss城壁と市壁を繋いだ。
  残っている市壁は、北西部280mである。

3.塔  0門0塔

   市門は、1793下門AugsburgTor、1812北門JaegerTor、1868上門MuenchnerTor
  5階建ても、すべて19Cに取り壊された。
   14の塔も取壊され、壁には半円形の基礎のみ残る。南西の角のWasserTurmは、17
  cに水道塔として再建され、1604-1888に通水した。南東の角塔は2003に再建の過程
  で程で崩壊した。

4.見所  C

   小山の上の木組の家が多く残る小さな町。
 市庁舎 Rathaus 1680建、風格あるルネッサンス様式でアウグスブルクの建築家エリアスホールの弟子によ
   って建てられ、市議会の会議室には格子天井にフレスコ画が保存されている。市庁舎の塔
   は1917に付加された。
 聖ヤコブ教会 St.JakobStadtKirche 1971-72建。
 ヴィッテルバッハー宮殿 WittelbacherSchloss 1257建、バイエルンの税関を守るためルードビッヒⅡ世
   によって建てられた。1409レンガ壁による防備と拡張、1541火事によりルネッサンス様式により
   再建、1568-75は公爵未忘人が城となった。
    城は堀で町から分離され、城壁で囲まれたいる。橋で東側から入り、13-15Cに天守閣の
   西南出口には防御塔がある。1982の補修後に博物館は14室で地域と都市の歴史を展示し、
   町で造られた時計や城で制作した磁器も見られる。

5.写真

宮殿 北西壁
マルクト 西壁
市庁舎 ヤコブ教会

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フロンテンハウゼン Frontenhausen BY61

1.歴史

 1100-80 郡庁所在地に城を建設、1226郡はバイエルン侯爵に移すが町は司教が支配、
 1386 ランツフート侯爵フレデリックは市場権を授与、        1423 周壁が完成、
 1536・1779 町は火災を経験、            1630 30年戦争に対抗。

2.市壁  0.04km 0.05

   1423に市壁は完成したが、Klostergasse北側に局部的にしか残っていない。

3.塔  0門0塔

   1903に最後の門が取壊された。

4.見所  C

   木組の見える家は殆どない。
 市庁舎 Rathaus (1737)2階建三角切妻のある長い建物で、19cに天窓。
 聖ヤコブ教区教会 Pfarrkirche St.Jakob(1370) 巡礼のための教会として献上され、
   1536の火災後に復元され後期ゴシック3廊レンガ造バジリカとなった。1536西部へ拡
   張、17-18c塔が付けられ、1864尖塔が付けられた。周壁がある。
 旅館:ポスト GasthofZur Post(17c)旧醸造所宿屋は1905ネオゴシック3階建マンサード屋根漆
   喰塗の大きな建物。
 旧麦芽製造所 Ehem.Maelzerei (1983)3階建レンガ造切妻屋根の大建物。
 マリア薬局 MarienApotheke (18c) 2階建寄棟屋根の家で2戸で構成。
 住家 Wohnhaus(19c) ネオゴシック2階建切妻屋根狭間胸壁の家。
 聖セバステャン礼拝堂 St.Sebastian Kapelle(1857) ネオロマネスクの広間教会。
 農家 Bauernhaus(1910) 2階建新古典寄棟屋根の家。周壁にアーチ門。
 農家 Bauernhaus(18c) 部分的ネオゴシック2階建の建物。
 二重家 Doppelhaus(1869) 2階建ベランダのある切妻屋根の家。
 住家 Wohnhaus(18c) 2階建切妻のある建物。

5.写真

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ヒュッセン Fuessen BY62

1.歴史

 9c アウグスブルク司教のベネディクト会修道院、    1286 町は都市権を授与された、
 1313 アウグスブルク司教が町と修道院を支配、 1486-1505 高い城を夏の離宮で建設、
 1618-48 30年戦争で町は荒廃、       1745 マクシミリアン3世は墺の相続権放棄、
 1803 世俗化で一時バイエルンに所属、     1806 バイエルンに帰属した。

2.市壁  0.56km 0.34

   14cに旧市街を囲む市壁が築かれ、町の中東南部120mに残る。18cに東側に拡大
  してフランシスコ会修道院の外側に見張り塔と市壁440mが残っている。

3.塔  0

   見当たらない。

4.見所  C

   町中の歩行者道では壁の絵画や彫刻に魅せられた多くの人で賑わっている。高
  い城のダマシ絵は見事に描かれている。
 高い城 HohesSchloss (1290) バイエルン侯爵ルードヴィッヒが構築した城を、アウグスブルク
   司教は購入して保護局を置いた。1498-1504アウグスブルク侯爵司教の夏の離宮と
   して今の形に拡張し、外壁にダマシ絵を描いた。6階建ての時計塔からの眺め
   よく、バイエルンになって税務署と博物館を収容し、1862-63には裁判所。
  州立美術館 StaatGalerie 見事に彫られた格間天井の大広間や皇帝マクシミリアン
      絵画が見られる。
  私立美術館 StaedtischeGemaeldeGalerie フランツグラーフ フォン ボッツイのコレクション。
 旧聖マング修道院 Ehem.Kloster St.Mang (760)ベネディクト会修道院が、ザンクトガレン
   修道院の支部として聖マングの庵の場所に建てられた。18cにバロックに改修され
   1803には世俗化された。以来修道院教会は教区教会となった。
 町教区教会 StadtpfarrKirche St.Mang (1701-17) バロックで新築され、化粧漆喰
   細工やフレスコ画で飾られ、中央階段前のロマネスク地下聖堂は1971に改修。
 聖アンナ礼拝堂 St.AnnaKapelle  教会の玄関ホールの手前にある。1600の、「死の舞
   踏」の絵とゴングの聖アンナ像を所蔵。
 フランシスコ会修道院 FranziskanerKloster (1629) 反宗教改革時に設立され、修道院
   には1763-65聖ステファン教会が設立され、南東側は市壁と見張り塔で
   囲まれた。1803世俗化され1836に再設立された。
   修道院の建物 (18c初) 渦巻模様の破風の正面は風格あるバロックの建物で、ヒュッセン
   市博物館として王侯の間・食堂・図書館・が見られる。また修道院の歴史やバイオリン
   制作の記録が展示されている。

5.写真

ホーエス城 城窓ダマシ絵

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ヒュース Furth im Wald BY63

1.歴史

 1086 皇帝ハインリッヒ4世の下に集落の初言及、 1301 関税ポストとして初言及、
 1332 公爵ハインリッヒ14世は町の権利を確認、 1360 最初の教会の建設、
 1426 フス派が町を破壊、         1514 バイエルン国境として境界設定、
 1633 30年戦争スエーデン軍で町は荒廃、   1703 スペイン継承戦争で町は荒廃、
 1727 カトリック教会の建設、          1764 ボヘミア・バイエルンの国境確定、
 1863 大都市火災で町の東半分が焼失、  1995 チェコとの国境運営同意調印。

2.市壁  0.11km 0.15

   何回か市壁の拡大がなされた形跡が地図上に示されている。東北50mと東南
  60mの建物裏に市壁らしき物が残っている。

3.塔  1門2塔

 浴場門 Bader tor (17c) 西の市門で、17cと19cに改造された。3階建切妻屋根
   の塔に円アーチの通路があり、3階建ての建物と繋がっている。
 市塔 Stadt turm (1863-67) ネオゴシック3階建・花崗岩造の門で胸壁と網目の窓がある。
   今は文化センターとして使われている。
 城広場アーチ SchlossplatzBogen 宮殿広場の入口に、薄いアーチ壁がある。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1924) 砂岩造・屋根天窓とタマネギドーム付き3階建寄棟屋根の建物
   で、前面には入口塔と両側ベランダの珍しい形である。
 聖マリア昇天教区教会 PfarrKirche St.MariaHimmelfahet (1725-27) 身廊と翼廊の
   十字型ホール教会。後期ゴシックの塔には正方形パネルとタマネギドーム。
 旧病院 Ehem.Stift(1880-81)2階建石灰岩造・切妻屋根の建物で、2枚の碑文板
   がある。今はドイツ凧博物館。
 旧簡易裁判所 Amtsgericht (1863) 扶壁柱配列のフラット湾・3階建寄棟屋根の建物。
 商店 Geschaefthaus (1863) ネオバロック石膏外装の3階建切妻屋根の建物
 旧旅館 Ehem.Gasthof (1863) 角にある3階建切妻屋根の建物。
 商店 Geschaefthaus (1900) 胸壁に尖った屋根の2階建の建物。

5.写真

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ゲミュンデン Gemuenden am Main BY64

1.歴史

 1243 リーネック侯爵はヴュルツブルク司教と契約し城と入植地の半分の2/3の宗主権獲得、
 1319 農業集落から町へ昇格、    1469 町は決定的にヴュルツブルク司教に属す、
 15c末 シュレンベルクは町の買戻でヴュルツブルク本山へのプファルツ・バイエルンの権利放棄を確定、
 1495-66 シュレンベルクはワイン貿易で町の最盛期に、1525 農民戦争の戦災はなかった、
 17c 30年戦争のスエーデン軍被害は甚大、    1803 世俗化で一時バイエルンに所属、
 19c 地域の木材が豊かで木組の家が多かった、1945 空爆で町の2/3破壊。

2.市壁  0.35km 0.56

   15-16cの市壁は3市門を有し町をほぼ正方形に囲んだ。30年戦争で一部の市壁
 が失われ、その後復元された。川側の擁壁の上には民家の後壁が乗っている。

3.塔  1門2塔

 粉挽き門 Muehl tor (13-14c) 北の市門で、アーチ通路と寄棟屋根のある
   3階建荒石積の四角塔で、昔の引落戸のための滑り溝と庇が前面にある。
   1945に寄棟屋根になった。
 魔女塔 Hexen turm (14-16c) 西の角の円塔で、片持ち式上階と尖塔を持つ
   1945円錐形の帽子を再構築された。
 フクロウ塔 Eulen turm (14-16c) 東南の角の円塔で、簡単な張出の上階尖塔を
   持つ、1945円錐形の帽子が再構築された。

4.見所  C

   マルクト広場の周りは市庁舎・教会の他復元された木組みの家が囲み魅力的な景観
  を与えている。ちょっと高いが旧城の中庭からはマイン川を見下ろす絶景がある。
 市庁舎 Rathaus (1980) 1585-96その時の魚市場にルネッサンス3階建ての市庁舎が
   建てられたが、2次大戦で全壊した。新しい建物の屋根はタレットと切妻ではあるが
   尖塔・柱・入口は再現されていないし、前面の大きな長方形の窓も飾り気がない。
 シェレンブルク城 Scherenburg (1243) リーネック侯爵が建てヴュルツブルクへ移行された。
   1469ヴュルツブルクの領主司教の名が付けられ、1598までは公式の事務所を務めた。
   18c末に放棄され1825から個人所有となった。残された円城壁に市壁が接続され
   南東部に城門と天守閣が残されている。1965から町が所有し、1990から中庭で
   祭りや野外劇場として使われている。
 聖ペーターとパウロ教会 Stadtpfarrkirche St.Peter und Paul(1488)1945の爆
   撃で古い聖ペテロ教会の壁と塔の一部が残され、1948八角形の尖塔と四隅の塔を持
   ち市の紋章と時計のある意図的にシンプルにされた本堂が再建された。
   中には三聖人の像がある。
 フッテン宮殿 HuttenSchloss (13c) 川の西に在り、1243宮殿はゲミュンデンから離れ、
   1317ゲミュンデンに戻り、1463-86アッシャヘンブルクに売却された。1711双塔が特徴の宮殿は
   リーネック侯爵の廷史によって建てられ、1726フランクの貴族の持物となった。入口の紋章
   で元の後主が分かる。1975のダム建設までは毎年洪水に浸かっていた。
   会計局・住宅・食堂・交通博物館などに使われ、1999改造されて今は映画・写真・音の
   博物館と自然公園の展示室となっている。
 ロンクラッツの庭 Ronkarz Garten (1830-45) 王室地方博物館の医師ロンクラッツ夫妻は
   OberTorStrasseに邸宅を購入した。ブドウ園であった家の裏斜面を赤砂岩の擁壁
   や階段を設けてルネッサンスの庭園とした。長年の経過で石積に亀裂が発生し、1989町
   が取得して2001から補強し記念物として保存公開している。

5.写真

魔女塔 粉挽塔
フクロウ塔 北壁
ミュール広場 北壁
聖ペーター・パウロ教会

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ゲロルツホーフェン Gerolzhofen BY65

1.歴史

  750-79 フルダ修道院の贈物証書に初言及、 1296 ゲロルド2世は町として要塞化、
 1345 ワイン市場が開設された、1357-59 バイエル王ルードヴィッヒの要請でユルツブルク司教都市、
 1397 町は長方形の市壁と2門で守られた、   15c後半 外側市壁が構築された、
 1525 農民戦争で大被害を被った、       1615-19 魔女裁判で261人を処刑、
 1618-48 30年戦争・火事・飢餓・ペストで人口1/4、 1796 帝国軍と仏革命軍との戦い、
 1805 世俗化でバイエルンに所属。

2.市壁  2.25km 0.71

    1397に旧市街の中心部を矩形に囲む市壁が築かれ、部分的に住宅内に残る。
   15c後半から四方に拡張して外側市壁が築かれた。略図のように多くの外壁が残
   されている。中心壁は残り810mで残存率0.68、外側壁は残り1.440m残存率0.73。

3.塔  0門15塔

    中心壁の2門は1871-77に取り除かれた。
 フクロウ塔 Eulen turm (14-16c) 西 1830まで教区監獄で魔女を拘束したため
   魔女塔とも呼ばれ、5階建ての角塔で玉ねぎ帽子が乗る。
 白い塔 Weisser turm (14-16c) 東 20mの高さの円塔に南欧風ズキンが乗る。
   1803まで監獄であった。古い北側入口は道路から5mの高さにある。
 中壁塔 Mauer turm (16c) 南西角の3階建て円錐屋根の円塔。
 中壁塔 Mauer turm (16c) 北西角の円塔の切株。
 八角塔 Achteckiger turm () 南 2階建ての白塔。
 ビブラ塔 Bibra turm () 西 紋章や碑文のある円塔。
 外壁塔 Mauer turm () 西南 円塔の切株。家に構築されている。
 外壁塔 Mauer turm () 西北 円塔で住宅に転換。
 外壁塔 Mauer turm () 西北角 円塔。
 外壁塔 Mauer turm (1489) 北西端 円錐屋根の円塔に3階建ての薄い住宅。
 3外壁塔 Mauer turm (15c) 北 円筒の切株が3基ある。
 シェレンベルク塔 Scherenberg turm (15c) 東北 円塔。
 南東塔 Suedost turm (15c) 南東角 円塔。火薬塔として使われた。
 外壁塔 Mauer turm (15c) 南東 円塔の切株。

4.見所  C

   二重の市壁と塔に囲まれた中都市で古い建物が残されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1475) 特殊なゴシック切妻の3階建で、1585南に裁判
   所と市参事会員の祝賀宴会場の建物が付けられた。地階には昔常設市場で、今は
   町の応接のための機器庫である。1984から市博物館であり、バイエルン学校博物館も
   併設している。
 市教区教会聖マリアとレギスビンド StadtpfarrKirche Hl.Maria vom Rossenkranz und
   Hl.Regiswindis (1436-79) 1600徹底的に更新、1899-1902拡張された。急な
   スレート屋根のゴシック3廊の大教会で、北壁にはリーメン・シュナイダー型の4mの高さの3ロザリオの
   マドンナ像がある。
 旧郡庁 Ekem.Oberamthaus (1580) 3階建てのルネッサンスの建物で、渦巻装飾の切妻が
   ある。1738食堂を増築した。ヴュルツブルク領主司教は1525農民戦争で焼けた城の
   館の跡に建物を建て、1732郡庁、1862地区事務所と地方裁判所、1936区庁、1979
   市庁舎と行政共同体を収容している。
 病院 Spital (1402)シュバインフュートの貴族が、貧しい人のために寄付した。
   1600領主司教が新築した。今は市立図書館・公文書館・ワイン食堂付市民病院。
 旧役所 Ehem.Amtshaus (1600) 渦巻き模様の切妻あるルネッサンス3階建ての
   階段塔付の建物代官事務所であり、後にヴュルツブルク司教の夏の離宮であった。
   1805バイエルン王国の会計局、1920税務署、1978国家営林局を収容している。
 木組みの家 Fachwerkhaus Teusch (1566) 隅に出窓小塔のある美しい木組の家で、
   聖アンドリューの十字架ギャラリィがある。1644代官屋敷、1768と1818市長の住家。
 市博物館 Stadt museum 縫製の歴史とミシン進化の展示とバイエルン学校博物館。

5.写真

市庁舎 フランキールング塔
フクロウ塔 白塔
北外壁 東外壁
南東隅塔
市教区教会

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グレーフェンベルク Graefenberg BY66

1.歴史

 1172 修道院からアボットへの文書に初言及、 1333 皇帝ルードビッヒは市場権を授与、
 1371 皇帝カール4世は町に都市権を授与、市壁に着手、1520 堀・壁・塔・4門の施設完成、
 1567 大火災で58戸が焼失、         1632 30年戦争で最悪の略奪と破壊、
 1778 雹による大災害、        1806 ニュルンベルクの自由都市はバイエルン王国へ。

2.市壁  0.10km 0.12

    1370都市権の授与から天然石の市壁が構築され、1520には完成した。
   場所によっては建物の一部として残されている。

3.塔  3門0塔

    4門の内3門が残るが、塔は見当たらない。
 ニュルンベルク門 Nurnberger tor (16c) 南市門は谷門とか下門とも呼ばれる。3階建寄棟
   屋根に狭い通路の門塔。
 ヒルポルトシュタイン門 Hilpoltstein tor (1545) 東市門は坊主門とか美しい野原門とも呼ば
   れた。3階建切妻屋根漆喰塗の門塔で、16152階建切妻屋根の建物が市壁に上に住
   宅として築かれた。
 エグロシュタイン門 Egloffstein tor (16c) 北市門は上門やバルク門とも呼ばれた。3階建切妻
   屋根の門塔で、17cに市壁の上に木造トラスの建物を置いた。

4.見所  C

   山中にポツンとある小さな町。
 市庁舎 Rathaus (1697) タマネギドームのある集会所として建てられた上階木組の2階建の
   建物は、1870に大規模な2階建切妻屋根の市庁舎になり、多角形の出窓が付けられ
   た。1965たいらな切妻屋根と鐘楼の屋根を更新した。
 聖トリニタス教区教会 PfarrKirche St.Trinitatis(1300)旧聖ピータース教会で、切石積切妻
 屋根ホール教会の正方形の塔の上にテント屋根の八角形の塔が乗っている。1462ゴシック
   の内陣、1725北へ拡大。
 牧師館 Pfarrhaus (1821-22) 砂岩切石造・2階建切石造のコーナー付ストリップ中央突起の建物。
 いわゆる市民の家 Sogenanntes Buergerhaus (1732)大きな3階建寄棟屋根の建物で、
   1877変更された漆喰塗の元学校である。
 旧浴場門の門衛所 Ehem.Torhaus des BadTors (1650) 大きな2階建寄棟屋根・片持トラス
   床の建物で製釘所として使われた。
 旅館:ブドウ Gasthof Zum Traube (1567) 2階建木造切妻屋根の漆喰塗の建物である。
 宿屋 Gasthaus (1754) 寄棟差掛屋根木組の建物は、宿屋とビール醸造所。
 商店 Geschaeffshaus (1567) 2階建寄棟差掛屋根の大きな木組の上階、17-18cに改修
   され1981木組を暴露した。
 旧なめし屋 Ehem.Gerberhaus (1645) 高い地階の上に漆喰切妻屋根2階建の建物で1915
   に2階建で建て替えられた。
 旧宿屋:赤い雄牛 Ehem. Gasthaus Zum Roter Ocsen (1567) 2階建半木造漆喰塗の家
   で、1626に改造され、今は商店になっている。
 旧駅馬車の駅 Ehem.Posthalterei (1567) 2階建切妻屋根木組上階漆喰塗の家で、その
   後Gasthof zum WeissenRoss となり、1927の改修され、今はホテル:AltePostとなっ
   ている。

5.写真

市庁舎 聖トリニタス教会
ヒルポルトシュタイン門 エグロシュタイン門
ニュルンベルク門 マルクト広場
北壁 南壁

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グラフィンク Grafing b.Muenchen BY67

 

1.歴史

 6-9c バイエルンの直列墓地、             1040 バイエルン町の初言及、
 13c 侯爵グラーフィングは二つの工場を設け市場を開発、  1376 市場権の授与、
 1632 スウエーデン軍による略奪と放火、        1766 町は大火災で焼失、
 1945 米軍の進駐。

2.市壁  0

  見当たらない。

3.塔  0

  見当たらない。

4.見所  C

  中央に家並みのあるマルクト広場には、市庁舎と教会がある小さな町で、旧市壁
   の痕跡もない。
 市庁舎 Rathaus (1632) 30年戦争でスエーデン軍に昔の市庁舎は焼失されたが、バイハ
   ーディング修道院の居酒屋跡を市が取得して、新市庁舎を建てた。その建物は1766
   の火災でまた全焼した。議場と記録保存所の大きな建物を含み、中には市場書記
   の仕事場・市場計量所・肉屋・守衛部屋・学習部屋・小住居も在った。1889市場の側
   に切妻が付けられた。1977構造の再構築と内装の近代化をした。
 聖レオンハルト分教会 Filia St.LeonhardKirche (1300) ゴシック最古の建物で1408日付の
   フレスコがある。30年戦争で半壊したが壁のフレスコ画の大部分は残った。1700教会は再
   建され、17cのバロック主祭壇・1720塔が付けられた。
 市場教会 MarktKirche zur Allerheiligten Dreifaltigkeit (1672) バロック教区教会は
   美術史の宝庫で、ツイマーマンの天井画やスコッタの作品が見られる。1743-48ミュンフェンの銀行
   家が教会の内装を飾った。1989外装を更新した。クリスマスには美しいキリスト降誕の像が
   展示される。
 教区教会聖アギディウス PfarrKirche St.Agidius (9c) 最古の教会は何も残されていな
   い。11-12cのロマネスクの教会は塔の基礎だけが残る。15cゴシックの教会は祭壇後ろ
   の立ち上がり壁が残る。30年戦争で壊され1692今の建物になった。1780大祭壇
   ・1787脇祭壇・1800説教壇・1902西側の拡張・1963建物の改修・2007内装。
 農場 WildBraeugebaeude (973) バイエルン侯爵ヘンリー2世は妻のために農場を設けた。
   その後異なる貴族の手を経て伍長の家とも呼ばれた。1499からは醸造所を持っ
   ていた。1745にバロック3階建ての今の家になった。
 リーパーディンガー家 Rieperdinger Haus (1871) 初め住宅として建てられ、外側の壁は
   凝灰岩で囲まれ、その後大工工場として使われた。1963町に贈られて今は博物館
   の本館である。
 市場家具屋 MarktKistler Haus (17c) 平らな両切妻屋根と角出窓の家は、1585に
   市場家具製作所を収容し、1771には更新された。

5.写真

マルクト広場 上等兵の家

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グラフェンヴェャー Grafenwoehr  BY68

1.歴史

 1274 前駆集落の初言及、             1361 皇帝カール4世は町に昇格、
 14c 侯爵ロイヒテンベ゙ルククは59年間に4回質入、      1362 郊外の建設を開始、
 1422 町を請出せなかったのでプファルツ選帝侯に所有権が移った、
 1535 宗教改革でルター派に、        1598 城・15家屋・19物置が火災焼失、
 1618-48 スウエーデン軍と帝国軍の略奪と放火、   1625 6回信仰変更してカソリックへ、
 1701-14 スペイン継承戦争1741-48墺継承戦争被害、1708-1880 6度の火災で廃墟、
 1756-63 7年戦争でプロイセン侵攻、            1796 仏軍による略奪、
 1806 バイエルン王国へ帰属、               1838 オーパープファルツに。

2.市壁  0.20 0.34

   14cの市壁は、東に狭く西に広がった形で、砂岩切石の空積みで築かれた。
  東北部と南西部に残っている。

3.塔  0

   見当たらない。

4.見所  C

   小さな町の中央に、矩形20m×140mの大きなマルクト広場がある。1870の大火
  事の後に広場の周囲は、殆どが2階建軒屋根で構成されている。装飾的には控え
  めな建物である。マルクト広場の中央には、15c3階建切妻屋根の市庁舎があり、南
  西隅には教区教会がある。
 市庁舎 Rathaus (1462) 後期ゴシック3階建切妻屋根の建物には、鐘楼とコウノトリの巣
   台がある。多くの用途を経験し、今は市長と市議会が使用している。西の前面
   は1920に修復され、1982-86完全に改装された。
 カソリック教区教会 Kath.Pfarrkirche (14c) 内陣と塔控壁・地下教会は14c、切妻屋根の
   広間教会尖塔とクロス塔。1820落雷による身廊の損傷。1830火災後にネオゴシックの
   身廊建設。
 旧牧師会館 Ehem.Pfarrhof (1559) 2階建寄棟屋根の建物。
 倉庫 Kasten haus (1532) 3階建急傾斜屋根切石造、丸アーチの入口。今は文化・軍事
   博物館である。エルビスプレスビーが軍人としてここに駐留した。
 町の家 Stadthaus (14c) 古い町の家。

5.写真

市庁舎 カソリック教区教会
マルクト広場 南壁
北東壁 北壁

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グレーディング Greding BY69

1.歴史

 1091 皇帝ヘンリー4世からアイヒシュタット司教への文書に初言及、
 1311 アイヒスタト司教が最終的に所有、     14c 領主司教は市壁と塔を強化、
 14c 領主司教は町を行政の拠点たした、         1503 町は大火災、
 1633 30年戦争でスエーデン軍侵攻、ペスト大流行、 1699 市庁舎・バロック宮殿を建設、
 1806 世俗化でアイヒスタット司教が終わりバイエルン王国に帰属した。

2.市壁  0.76km 0.61

   最初の市壁は14cに造られ、1535領主司教フリードリッヒ4世により3門3塔前堀な
  どで強化した。南東部をのぞいて多く残っている。

3.塔  3門3塔

 伯爵門 FuerstenTor 東、2階建て前門塔付の階段切妻付3階建て四角塔で紋章が
   あり、アイヒスタット王子司教が町の事務所訪問や狩猟で滞在した時にこの門を通った
   ためこの名前が付いた。
 ニュルンベルク門 NuerunbergTor 西、5階建ての四角塔で四角錘屋根が付いている。第1
   壁と共に構築され、17cに鐘楼が付けられた。外側には教区と領主の紋章がある。
 アイゼナッハ門 EichstaetterTor、南、2階建て前門付の階段切妻付3階建角塔で石の紋章
   が付いている。
 壁角塔 Turm 壁中の角塔が10塔ある。

4.見所  C

   三角形のマルクト広場を中心に、17cの家並みを市壁が囲んでいる小さな町。
 市庁舎 Rathaus (14c)旧市庁舎は30年戦争の1633にスエーデン軍に焼かれ、1699に
   再建された。正面には領主の紋章があり、三角屋根の2階建て鐘楼付の建物である。
 旧領主司教宮殿 Ehem.Fuerstbischoefliche Schloss (1696)南に六角塔の付いた3
   階建ての大きな建物は、領主司教の夏の別荘・狩猟の館として建てられた。1802
   世俗化により領主司教は退位し、今はアンティーク店である。
 旧領主司教営林署 Ehem.Fuerstbischoefliche FofstHaus (1741)狩猟小屋とも呼
   ばれる領主司教の納屋として2階建てで建てられ、正面入り口の上にフォンフライ4世
   の紋章がある。今はライフシゼン銀行である。
 聖マーチン教会 St.martin Kirche (11c) アイヒスタット司教の単塔ロマネスク教会で、今の聖堂は
   12cに建てられ、6アーチの入口は1965-67の改築の際に復元された。1480後期
   ゴシック主祭壇、15c本堂のフレスコ画、1780聖マリア絵・聖ヨハネ絵。
 聖ヤコブ教区教会 StadtpfarrKirche St.Jakob 1633に古い建物は焼失し1725-27再建
   しイエズス会聖ゼームス教会であったが、1735に教区のために買収された。1741側壁に
   はペストの絵、1875天井画、1951オルガン、1972-76改装。
 納骨堂 Karner (12c) 聖ミカエルであった旧礼拝堂の地下にロマネスクの納骨堂がある。14c
   に市壁内の墓地が不足したため、マーチン教会の敷地の中に設けられた。バイエルンに
   3つしか残されていない。2500人の遺骨が納められている。
 自然と人類の博物館 Museum Natur und Mensch 古い食堂・郵便局・醸造所であった
   古い建物に収容されている。1992開設、洞窟・化石・先史時代の歴史、日常生活
   ・工芸品・農業をテーマとして展示している。
 貯蓄銀行博物館 SparkassenMuseumu 古い貯蓄銀行のの事務室で、会計事務機・貨幣
   ・貯金箱等を展示。

5.写真

市庁舎 侯爵門
侯爵門外側 アイヒシュタット門
壁道
壁塔 旧領主司教宮殿

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グロスオストハイム Grossostheim  BY70

1.歴史

 780-799 フルダ修道院の文書にオストハイム初言及、 1278 マインツ選帝侯の支配下に、
 13c マインツ大司教のグロスオストハイム出先事務所設置、 1803 アッシャヘンブツク公国に帰属、
 1814 フランクフルト大公国に所属、      1816 パリ条約によりバイエルン王国へ、
 1862 アッシャヘンブツク地方事務所に含まれた。

2.市壁  0.23 0.19

   15-16cの不規則な切石積の市壁は、塔の前後と南の墓地壁の残る。

3.塔  1門3塔

 水車小門 Muel Pforte (15-16c) 旧市街を取巻く堀通りの西端に、
   狭い尖塔迫持の門扉がある。
 尖塔 Spitze Turm (15-16c) 堀通りの西南に、3階建の角塔が立ち、
   頂上部に胸壁と尖塔がある。
 切株塔 Stumpfer Turm (15-16c) 堀通りの西南端に、2階建の円塔があ
   り、塔の入口には1606の年号がある。
 魔女塔 Hexen Turm (15-16c) 堀通りの東北に、1階建胸壁のある円塔
   で、隣接して家が建てられている。

4.見所  C

   16-18c半木造の住宅は、マルクト広場・マルクト路地・ガンゼル通・ハール通の中心部に集中
  している。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1888) ネオルネッサンスの砂岩2階建切妻屋根の四角
   の建物で長方形の建物が付いている。
 聖ペテロとパウロ教区教会 PfarrkircheSt.Peter und paul (13c) 初め13cに
   建てられ、1446通路や柱状アーケード、15cほぼ正方形の後陣と西塔、1771身廊や
   ギャラリーの上部構造、1918塔の両側の補強、1935拡張。
 カソリック聖十字架教会 Kath.St.Heilig Kreuz Kirch (1513) 切石造屋上小
   塔のある教会。1743合唱団別棟によるハーフリーフ構成。
 醸造所 Brauhaus (1901) 3階建フラットリーフ構造で木組を露出した建物。
 ネーシッヒ館 Noethig hof (16-17c) 階段塔のある2つの3階建上階木組の建物
   で、不規則な4翼に1571.1624.1629の年号がある。
 都市農民の家 Ackeerbuerger haus (1567) マルクトに面した上階木組の2階建
   切妻屋根の建物、腕木に1567の年号がある。
 住家 Wohnhaus (1754) 2階建マンサード屋根の上階木組の建物で、中庭への
   アーチ門がある。
 住家 Wohnhaus (18c) 2階建切妻屋根で、高い基礎壁に勾配にある家。

5.写真

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ギュンツブルク Guenzburg  BY71

1.歴史

77 ドナウ南岸にローマ要塞があり、かなりの民間集落と重要な橋があった、
 5c アレマニア族の定住、 8c フランク族来襲、 1265 ドイツ王ハインリッヒ文書に初言及、
 1301 ハプスブルク家の所有に、  1307 ハプスブルク家は上の街を開発し市場開設、
 1418 町に高等裁判所・病院・ラテン語学校の設置、  1579-80 城と教会の建設、
 1609 辺境伯カールは宮殿を建て産業振興、    1625 30年戦争で町は破壊、
 1701-14 スペイン承継戦争で城と住宅を破壊、1740-80 マリアテレジアの下で全盛期、
 1780 町は駐屯地になった、       1805 ナポレオン軍による占領略奪、
 1806 ババリア王国へ帰属、        1872 町は帝国自由都市となった、
 1945 2次大戦の終期に重爆撃を受けた。

2.市壁  0.55 0.81

  14cの基礎の上に16c終わりに建てられた。多くの場所に構造物が残る。

3.塔  1門5塔

 下門 Unteres Tor (1436) 西門は市塔とも呼ばれ、下部は後期ゴシック
   石造正方形で、上の町で最も古いまだ目に見える構造物である。火の見櫓・
   詰所・住居などに使われ、上部は16cに再建され裕福な街の象徴として緑の尖
   塔が付けれた。
 牛塔 Kuh Turm (14c) 上の町の牧草地へ牛・豚・ガチョウを出入りさせる為
   に北側に設けられた。古い正方形の下部の上に八角形の上部とボンネット屋根が
   あり、1621の年号標識がある。
 ウルズラ塔 Ursula Turm (14-15c) 鳥塔とも呼ばれ、北西の角にある正方
   形の下部に17354階建マンサード屋根の上部が付けれた。
 魔女塔 Hexen Turm (15c) 梟塔とも呼ばれ、北東の隅に正方形下部の
   上に1735マンサード屋根の上部が付けれれた。
 角塔 Eck Turm (14-15c) 南西正方形の下部にテント屋根の上部がある。
 鉄の家 Eisen Haus (14-15c) 南東隅の大きな塔は、最初火薬庫であ
   った。18cに州刑務所となり、鉄の家と呼ばれた。1858新しい刑務所が建て
   られ、その後住居として使われた。

4.見所  B

 市庁舎 Rathaus (1764) ハプスブルク家の元鋳造所は、交通の便と水力
   発電からこの地に置かれ、銀のコインを主として鋳造した。1767スピンドル機を
   4基設置して、マリアテレサタール銀貨と銅コインを生産した。1805仏軍の進駐で終り、
   1809バイエルンに移って市庁舎として使われた。
 辺境伯宮殿 Markgrafen Schloss (1577) オーストリア大公フェルナンド2世はアウグ
   スブルクの豪商の娘と結婚し、息子のオールはこの町に宮殿を置いた。壮大なインテリア
   の宮殿は1703の火事や2次大戦の損傷で外観は変わった。今は税理士事務所・
   地方裁判所などを収容している。また、1579ルネッサンスの王宮教会があり、コリント
   柱列の様式で、1755から大学教会として使われた。
 税関 Zollhaus (14c) 舗装された道の維持費を徴収するため、低い門
   の小さな青い家である。料金は車と動物の数で増えた。
 旧宿屋:王冠 Ehem.Gasthaaus (1559) オーストリア皇帝ヨーゼフ2世とバイエルン王
   マックスが宿泊した宿屋で、中央窓の上に皇帝の碑文と金メッキのメタルを置いた。
 聖母教会 FrauenKirche (1532) 1735の大火災でゴシックの教会は塔の下
   の部分を除いて破壊した。1741ツインマーマンによる内陣が完成したが資金不足で
   奉献は1780となった。
 教育の家 Haus der Bildung (1780-81) 、 旧オーストリア兵舎で皇帝ヨヤフが
   この地を駐屯地と定め兵舎を建てた。1805仏軍と戦い、1809バイエルンの支配
   下となった。兵舎は1900高校、1979-2007小学校、2008教育の家となった。
 郷土博物館 Heimatmuseum (1755-57) 旧ピアリスト学院はマリアテレジアの男子
   教育のため建てられ、1978まで使われた。1982から620m2・14会場の博物館と
   なった。考古学・歴史・絵画・家具・民俗学・ハプスブルク家・玩具などを展示。

5.写真

マルクト広場 辺境伯宮殿・角塔
下門 ウルズラ塔
牛塔 魔女塔
鉄の家 聖母教会

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グンデルフィンゲン Gundelfingen a.d.Donau  BY72

1.歴史

 750 フルダ修道院への寄付調書に初言及、  1200 ホーエンスタウフェン朝による町昇格、
 1226 町は資金を得て3門の市壁建設、1268  コンラッドの遺産からビッテルスバッハへ、
 1462 アンスバッハ辺境伯は帝国軍の包囲に対抗、1505 ランツフート承継戦争でノイブル公、
 1777 町は再びバイエルンの属した、          1808 バイエルン王国に所属、
 1945 2次大戦でかなりの被害。

2.市壁  0.11 0.12

   13cの市壁の位置には、15cの住宅が上に建てられた。

3.塔  1門0塔

 下門 Unteres Tor (13c) 東門は大きな5階建の門塔で、13cの柱脚、17cの上階、
   18c四辺形頂塔に玉ねぎ帽子がある。18cに階段を増築。

4.見所  D

   旧市街の建物は主として16cト18cに建てられている。
 市庁舎 Rathaus (13c) 1677古い市庁舎が焼失し、地元の大工や石工によって立
   直された。1852第一次王政復古で改装され、2000に拡張された。
 バラの城 Rosen Schloss (12c) 1270に礼拝堂が建てられて文書言及された。城はエッシ
   ェンブルン大修道院長の下にあった。1462からの包囲に対抗した。1553と1560に
   栽培地と城が建設され、礼拝堂は1554に取り壊された。17cに切妻屋根の翼が
   建てられ、2001大改修で完成した。
 聖マルチン教区教会 Pfarrkirche St.Martin (7c) バイエルンでも最古の木製教会が建てられ
   た。8cに2番目の教会が長さ16.5m幅8.5mで建てられ、その後に祭壇が正方形
   の教区教会となった。12-13cにロマネスクの長さ29m幅15m単身廊西塔となった。
   宗教改革後15cに変換された。1679内陣、1682教会復元、1688塔損傷、1689
   バロクの上部工に再構築、1687-98塔の完成。
 聖母昇天教会 Kirche Maria Himmelfahrt (14c) 病院には初めから礼拝堂があった。
   1418教会を設置。1720ルーテル病院教会は取壊された。1723新花崗岩造教会が建
   られ、フレスコ画が描かれた。1945半壊したがそのご復元された。

5.写真

市庁舎 聖マルチン教会
下門内 下門外
東壁 東壁
南壁 北屋根付壁

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ハーンバッハ Hahnbach  BY73

1.歴史

 1121 バンベルク司教は市場を開設、  1189 皇帝フリードリッヒ1世に町を売った、
 1268 ホーエンシュタウヘン遺産としてルードヴィッヒへ、 1369 マーカートはハーンバッハへ領地売却、
 1375 皇帝カール4世はハーンバッハに帝国財産を授与、 1457 市場の上半分が焼失、
 1582 ペストの流行、     1626 16cの改革後・反宗教改革で再びカトリックへ、
 1632 町は30年戦争で崩壊、       1803 世俗化でバイエルン王国に帰属、
 1918 壊滅的な大火災。

2.市壁  0.0 0.0

   中世の市壁は、存在したような家の配置があるが、確認できない。

3.塔  2門0塔

 アムベルガー門 Amberger Tor (16c) 南門は砂岩切石造2階建寄棟屋根の門塔円アーチ通
   路と屋根の上のコウノトリの巣がある。毎年コウノトリが営巣している。
 上門 Oberes Tor (16c) 東門は1975に老朽化で取払われた。1990に交通に配慮し
   て道路上空を結んで再建。上門の前には1994Radltraeger記念碑。

4.見所  D

   旧市街の建物は、1819の火災後に再建された。2階建漆喰の建物が美しく、
  大きな旅館も多い。
 聖ヤコブ教区教会 Pfarrkirche St.Jakobus (1430-64) 1434内陣完成、1467南側廊
   がゴシックで建てられた教区教会である。1521西塔が付けられた。
 住家 Wohnhaus (18c) 2階建切妻屋根の漆喰石工。
 都市住民の家 AckerbuergerHaus (1800) 2階建切妻屋根の漆喰石工。
 都市住民の家 AckerbuergerHaus (1841) 2階建切妻屋根の漆喰石工。
 旧修道院 Ehem.KlosterGebaeude (1839) 西翼は2階建漆喰ヒップ屋根の石造の建物。
   1908東翼の完成。
 旧醸造所 Ehem.Bauerhaus (18c) 砂岩切石造2階建寄棟屋根の上階木組の木製レリーフ
   のある建物。

5.写真

聖ヤコブ教会 アムベルガー門

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ハメルブルク Hammelburg BY74

1.歴史

  716 交易路に侯爵領のハムロ要塞の初言及、741 聖マーチン教会はヴュルツブルクの教区に、
  777 フランク領土を聖ボニファース教団に贈った、 8c 宗教上はヴュルツブルク教区とフルダ修道院
  12c フルダはガートレック城を築いた、     1234 ヴュルツブルクはヘネブルクから奪った、
  13c 3門11塔の市壁と堀で守られた、   1303 王アルブレヒトは都市権を授与、
 1500 町は上ライン都市同盟に参加、     1604 新教徒追放の脅しでカソリックに戻った、
 1797-03 町はフルダ第2大隊の駐屯地、   1803-06 世俗化でオレンジ・ナッソウに、
 1806-10 ナポレオンの弟による仏支配下に、  1810 フランクフルト大公国に割り当て、
 1813-16 墺太利バイエルンに、        1816 バイエルン王国へ帰属ランドウエ大隊駐屯、
 1854 大火災で町の中心部は焼失、    1945 米軍が進駐。

2.市壁  0.99km 0.72

   1242最初の市壁が言及され、1256-60に完成された。市壁は厚さ1.5mまでの石積
   で構成され、堀の壁はかなり狭い。中世の市壁とツインガー壁は、特に南側で3列残る。

3.塔  0門3塔

   13cの市壁には3門と11塔があったが、西の池門・東の上門・北の下門とも残って
   いない。壁塔は下記の3塔と3塔の切株が見られる。
 修道士塔 Moenchs turm (1242-60) 南 鐘楼屋根の6階建て円塔。
 帽子塔 Hueter turm (1242-60) 南 4階建ての大きな四角塔で、1801マンサード屋
   根を付けた。
 風呂塔 Bader turm (1242-60) 北 5階建ての屋根のない円塔。

4.見所  C

  中世の町の中心部は1854の大火で失われ、殆どその後の建物である。
 市庁舎 Rathaus (1524-26) 町の最盛期にルネッサンスの建物が建てられ、1529か
   ら評議会が始まった。1854に火事の後、1859横の階段塔と地下室を残して
   ゴシックリバイバルで切妻3階建ての市庁舎となった。
 町教区教会聖洗礼者ヨハネJohannes der Tauefer (716) 1389-1461北に角塔の
   ある珍しい形の大教会で、15cの壁画が見られ、1854の火災の後、新しい
   床が建設された。
 旧市街修道院 Kloster Altstadt (1649) 聖マリア聖別修道院はチューリンゲンの聖
   エリザベスによって設立され、1655から病院も併設して世俗化を免れた。
   1926フランシスコ神学校を収容、1931警察学校、1980バイエルン音楽アカデェミーも使
   用した。修道院の隣にあるカルペリー礼拝堂は一見の価値がある。
 ザーレック城 Saaleck (1030) 町の外の山上に残る。13cに城の堀や城壁を強
   化したが、30年戦争で破壊された。16-17cに石造建築物を補修したが、
   1867に大部分が焼失した。城門と天守閣は残り、1964ワイナリィを建設して
   開業した。2011から市が管理している。
 ワイン醸造宮殿 kellerei Schloss (1726) 777に建てられた城やワイナリィの基礎
   の上に,大きな夏の離宮をフルダの司教アポントが建築した。
 市博物館「領主粉挽所」 Stadtmuseum"Herren muehle 西南 中世の評議
   会員が製粉工場を建てた。美しいバロックの前面の3階建ての建物に850m2の展
   示場を構築し、1階にはワインの町としてブドウの歴史トワイナリーの蒸留工程、2階に
   はパンの生成とザニレ谷の工場の歴史が展示されている。

5.写真

市庁舎 僧塔
風呂屋塔 番人塔
西壁 西南壁
南壁 南壁

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ハールブルク Harburg Schwaben BY75

1.歴史

 1093 城が建設された、           1150 ハインリッヒ・コンラッドの所有となる、
 1250 町は市場の開催権を得た。      1251 ホーエンシュタウフェンのコンラッド4世は所有、
 1407 ルードヴィッヒ・エッティンゲン侯爵が所有、       1525 農民戦争の被害は軽微、
 1576-47 シュマルカルデン戦争は中立、     1549 侯爵エッティンゲンは町に居住地を移す、
 17c 30年戦争による衰退、       1731 エッティンゲンはOberamt・Fronfest設立、
 1846 町はバイエルンに帰属、城に司法事務所と王侯ルール裁判所が置かれた。

2.市壁  0.0km 

   昔木製門が5基あり、夜は閉じられたため、泥棒・強盗・浮浪者などの不要な人が
  町に入れなかった。 家の壁で町がほぼ囲まれたため、市壁は不要であった。

3.塔  0門0塔

   城に通じるVestTor、橋のBruckTor、湖のEgelseeTor、NoerdlingerTor、Donau
  woeftherTorの5門は1500には存在し、1961-63にも全門があった。その後維持費を
  要するため解体されたが、元の位置に記念銘板が置かれている。

4.見所  B

   丘の上の城は保存状態が良く一見の価値があり、旧市街には古い木組の家がある。
 市庁舎 Rathaus (15c) 石造の地階の上にレンガ床・上2階木組切妻トラス建物で、その後数
   回の改装や拡張が行われた。1975-77に中庭のある3翼の建物を再使用の木材で新
   築した。一部は倉庫・刑務所等としても使われ、公共のサラシ台もあった。1928-34貯
   蓄銀行、1934公共図書館、1952建築学校となった。
 聖バルバラ福音教区教会 Ev.Pfarrkirche St.Barbara (1420) 侯爵フリドリッヒ3世の支援で城
   丘の麓に建てられた。1612今の教会は同じ敷地内に応急的に建てられ、1744侯爵フリー
   ドリッヒ・エッティンゲンはZinnebergに改装した。1947-52内装の改修。
 宿屋 Gasthaus (1584) 1957の国道トンエルの開通までは、ネルトリンガー通は交通渋滞がひどく、
   角の家にはトラックが突っ込む状態であった。1584この通8番地廷史が2階建の家を建て
   た。1748バロック化されコーヒーと菓子店となり、1926旅館になった。
 聖心教区教会 Pfarrkirche HerzJase (1900-03) 町は1539に新教となり、その後カトリック教
   会は存在しなかった。1926カトリック教徒の増加で聖心教会が献堂された。
 旧農家 Ehem.Bauernhaus (19c) 小さな農場の老朽化した塔を獲得して住家に改造した。
 ハールブルク城 Harburg (11c) 1295にエッティンゲン家が所有し、1731まで城は補修・拡張された。
   丘の上に13cの外構があり、6塔と城壁で守られ、18cには城・教会・地下礼拝堂・管理
   棟などが良く保存されている。
 旧郡庁 Ehem.Amtshaus (15c) この石造床と4階建切妻屋根の建物で、コアは15-16cのもの
   で後に福音牧師館として使われた。

5.写真

市庁舎 聖バルバラ聖教会

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ハスフュート Hassfurt BY76

1.歴史

 1230 初文書言及、     1235 ヴュルツブルク領主司教ベルマン1世は都市権を授与、
 1373 復活祭市場の継続、             1385-90 貨幣鋳造所を開設、
 1397-1400 町は短期間の帝国都市、  1399 領主司教ゲルハルト5世7週間包囲、
 1400 ゲルハルト5世に対する都市同盟に参加、       1525 農民戦争に参加、
 1611 ペスト流行に苦しむ、          1630 スエーデン軍は火災税を課した、
   1645 30年戦争の火災に見舞われた、  1745 2次シュレスビッヒ戦争で捕虜収容所、
 1756-63 7年戦争で宿営地となった、   1803 世俗化でバイエルン選帝侯に落ちた、
 1806 トスカーナ選帝侯国に属した、     1814 マックス・ヨーゼフ1世は王国事務所設置、
 1862 バイエルン地方郡庁舎都市、        1945 2次大戦で空爆があった。

2.市壁  0.19km 0.13

   14cからの煉瓦と砂岩と混合材料の市壁があり、北Promnade20m・東Hinter
  gasse50m・Ansfallsgraben20m・南Stadtmauer70mに見られる。

3.塔  3門1塔

 上門 Ober tor (1230) バンベルク門とも呼ばれ、ピラミット屋根の8階建て長方形の門塔
   で、1540歩行者用アーチが付けられた。
 橋門 Bruecken tor (1616) 旧マイン門で内側塔として建てられ、玉ねぎランタンの3階建
   の門塔で、市立公文書館が収容されている。
 下門 Unter tor (1230) ヴュルツブルク塔とも呼ばれ、ピラミット屋根の5階建てに154に
   嵩上げられた角塔で、歩行者通路が造られている。2002改修された。
 カエル塔 Froesch turm (1290) 2階建て中世風の円塔である。

4.見所  C

   多くの美しい木組みの家が並び中世の雰囲気のある町。
 旧市庁舎 Ehem.Rathaus (1514-16) ヴュルツブルク侯爵司教ロレンツの統治期に後期ゴシック
   石造の建物が完成した。18-19c四角形3階建ての建物に改築した。古典的な見
   張は西側に、広間は3階にある。ゴシック小尖塔で飾った切妻・東前面に侯爵の
   紋章・ハプスブルクの双頭の鷲・町の紋章がある。1994まで市庁舎、2004市民事
   務室・戸籍局・地階に大広間。
 市庁舎Rathaus (17c) 高等宗教財団の事務所の建物として建てられ、屋外階段の
   上に大きな玄関入口のある3階建ての建物で、アーチ頂部に領主司教ヨハン紋章が
   ある。1814バイエルン王室地方裁判所、1862バイエルン役所、1988まで郡会事務局、
   1994市庁舎となった。
 市公会堂 Stadthalle (15c) 旧領主司教セレンツの建てた十分の一税倉庫で・フイリップの
   階段切妻のある3階建ての建物である。1627フイリップ・アドルフは階を継ぎ足した。
   地方農業用貯蔵庫として3年間使われ、1988から市公会堂となった。
 郡会事務局 Landratsamt (1300)旧城、領主の館、ヴュルツブルク事務所であった。近
   年改装されて学校として使われ、西の部分は簡易裁判所・土地登記事務所とな
   った。
 町教区教会聖キリアン StadtpfarrKirche St.Killian (1350) 最初の地区教会は郊外に
   在ったが、1350にマルクト広場の北に移設された。1390古い教会の南塔の低層部
   と内陣を使って新教会を建て、1440古い塔を追加した。17cバロックの通路ギャラ
   リィが追加された。1884-90リバイバルゴシックの内装となり、1960-66にも内装は改
   装され、1990-92部分的に改修された。今は3身廊の疑似大聖堂で前面のみ白
   漆喰が塗られている。

5.写真

旧市庁舎 上門
橋門 下門
南壁 聖キリアン市教会

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ハイデック Heideck BY77

1.歴史

 1192 騎士ハイデックは尾根の北斜面に城を建設、  1287 町の南西に新城を建設、
 1288 谷に市街地が存在した、     1471 バイエルン・ランツフート侯爵は事務所設置、
 1505 プファルツ・ノイブルク公国へ所属、        1542-35 ニュルンベルクが町を管理、
 1800 町に7醸造所が存在、             1803 バイエルン王国に帰属、
 1880 市壁と市門の取り除き、    1898 大規模都市火災で古い家屋を失う。

2.市壁  0.03km 0.04

   14cの市壁は、15cに補強され、18c初めに二つの堀が埋められ円形道路が誕生
  した。市壁は7-8mの高さで壁厚1.8-1.9mであった。1880に殆ど解体され、二つ
  の断片を残すのみとなった。

3.塔  0門0塔

   東西に下門と上門があり、道路の両端に2門衛所があった。両門塔にはには後
  に前門が付けれて強化された。交通阻害で下門は1881に、上門は1886に取払われ
  れた。1420-30建てられた壁塔は、南西の隅に火薬塔、北東隅に四角塔、北西にも
  立っていたが何れも現存しない。

4.見所  C

   ホップの生産地として知られ、1800には町に7醸造所があった。1898に大火事
  となり歴史的な建物は減少したが、まだ古い石造や木組の建物も残っている。
 市庁舎 Rathaus (1481) ランツフートの穀物蔵として3階建切妻屋根の大きなを建物が建て
   られ十分の一税の物納を収容した。1860-61町が建物を買収し、1865役所や学
   校に改造した。1851にマルクト広場の旧市庁舎は使われなくなった。
 聖ヨハネス教区教会 Pfarrkirche St.Johannes (1457) ロマネスクの内陣とゴシックの鐘楼があり
   今の内部はロココである。ランツフート家は後期ゴシックのマドンナ像を寄贈。
 聖母礼拝堂 Liebfrau Kapelle (1419) 聖体拝領教会としてフリードリッヒ2世が建てた。建
   設時のフレスコ画がある。ゴシック砂岩の礼拝堂で2009に改修された。
 住家 Wohnhaus (15c) 2階建切妻の家で1421西に拡張した。1544・1585・1796に改
   造された。
 市民の家 Buergerhaus (15c)2階建で長く伸びた簡単な側翼のある漆喰仕上げの木組
   の家で16cにバロックの外装となった。
 旧養育庁 Ehem.Pflegerhaus (1759) 2階建寄棟屋根の高い台座の建物。
 市民の家 Buergerhaus (14c)2階建寄棟屋根上階木組で1384の木材を使用し、16-17
   c改装され、市壁の残りがある。
 牧師館 Pfarrhaus (1813) 2階建古典主義のテント屋根の家である。
 宿屋:ポスト Gasthaus Zur Post (18c) 2階建マンサード屋根の建物。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
西壁 北壁

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ハイディングスフェルト Heidingsfelt im Wurzburg BY78

1.歴史

779 チューリンゲンのヘダン侯爵文書に初言及、1367 町は都市権を授与された、
 1567 中ヴュルツブルクのユダヤ人定住地、    1630 30年戦争でスエーデン軍が占領、
 1811 ユダヤ人墓地の始まり、       1930 ヴュルツブルクに併合された、
 1803 世俗化後ヴュルツブルク大公国に、    1806 バイエルンに帰属した、
1945 2次大戦の空爆で町の85%が損傷した。

2.市壁  1.44km 0.92

   1368-15cの市壁は17cに補強され、土堤・水城・3門・16塔があり、ほぼ完全に
   保全されている。19cに塔や市壁の一部が壊され、土堤は浸食され水堀は埋め
   られた。1945の戦災で壊されたが、戦後1978-79に再建された。

3.塔  2門17塔

 ニコラス門 Nikolaus tor (1367) 西北の門塔 初めクラウス門とも呼ばれ、
   建物の間にアーイ通路がありその上に階段切妻が乗っている。19cに部分
   的に取壊され内壁が残った。
 クリンゲン門 Klingen tor (1367) 元南西の門で、今は帝国の鷲とボヘミアの
   紋章のみが立っている。
    ドル塔 Doll turm (14-15c) 西 ドル路地の側の2階建の大きな半円塔で
   昔は町の無宿者のための宿泊施設として使われた。塔の西に道路が
   開かれアーチ門が造られている。
 蓋塔 Doele turm (14-15c) 南中 防衛橋の上の木組みの橋家は、1795
   産婆の住居として改造された。
 ザルマン塔 Salmmans turm (14-15c) 南東角 かってソロモン塔とも呼ばれ、
   存続した部分は良く保たれた円錐屋根付の円塔。
 角塔 Eck turm 東北角 3階建ての隅円塔。
 小道塔 Stegen turm 4階建・円錐屋根の円塔で、博物館の計画がある。
 円塔 12Rund turm 円型の壁塔の残りが12基ある。

4.見所  C

   ヴュルツブルク市内の南部に在る中世の市壁と塔で囲まれた中都市で、
   戦災で古い建物は残されていない。
 市庁舎 Rathaus 両切妻屋根3階建ての窓の大きな建物で、今は市街区
   図書館を収容している。
 聖ラウレンチウス教会 St.Laurentius 切妻屋根の3身廊疑似大聖堂で時計塔と
   低い塔が在る。元は2塔の防衛教会であり、今も周壁と防衛塔が残っ
   ている。中には、ティルマン・リーメンシュナイダーの芸術品がある。
   ロマネスク大聖堂へ大規模な再構築が行われた。
 聖パウロ教会 St.Paul 切妻屋根の2身廊ホール式教会で前面に単塔が在る。
   2次大戦は奇跡的に生き延びたネオバロック風のユーゲントシュティール要素もある建物。
 ギオマウル Giomaul これは町の象徴で、市庁舎の側に1631スエーデンの不気味な
   奴の肖像画が掛けられた。
 軒先開口部 Speierloch 市壁と市壁の間の小川の上の防衛橋として建て
   られた。
 デューレンベルク Duerrenberg (1431)最も古い2階建ての市民の家で、13cに
   はすでに基礎は存在した。
 カエル粉挽所 Froschmuehle 昔ノカエル粉挽所の場所に古い石臼が見られる。
 恐ろしい頭 Schreck kopf 館の乗り入れ口に恐ろしい頭と松笠が
   1705に付けられた。このシンボルは家と中庭の災いを払うと言われている。

5.写真

市庁舎 北壁
北中壁 東壁
南壁

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ハイルスブロン Heilsbronn BY79

1.歴史

 1132 シトー派修道士は独で最古の教会建設、 1534 修道院学校の設立、
 1618-48 30年戦争で略奪された、        1791 プロイセン王国へ、
 1806 バイエルンに帰属、           1945 2次大戦による被害。

2.市壁  0.26km 0.34

   修道院は、1751町を含めて内壁と外壁を巡らせた。主として東側と
  西側に市壁は残っている。

3.塔  0門1塔

  1751の修道院の壁には、8壁塔が在った。
 カタリン塔 Katharien Turm (1332) 唯一の塔として残った。

4.見所  B

   大聖堂を中心に修道院の大きな建物が並び市壁で囲まれていた。市庁舎は
  珍しく西南の外れに位置し、町の成り立ちを伺わせる。
 市庁舎 Rathaus (1578-1700) 市民の20の住宅があり18cに元裁判官が建物を建
   てた。1806に町は買い取り、1901地方裁判所、1916からは市庁舎。
 大聖堂 Muenster (1132) 400年間は修道院教会として、後にルター派教会として使
   われた。13cにゴシックの東聖歌隊席を作った。14cは騎士団礼拝堂、フランク族貴
   族の墓所でもあった。15c(1414-33)後期ゴシックの埋葬所を構築、19cロマネスク
   大聖堂へ大規模な再構築が行われた。
 修道院集会所 KonventHaus 1719までは修道院の穀物蔵が立っていた。1720に壊さ
   れ1771貯蓄銀行が建てられた。1880-1929には古い税務署となり、1937から町
   の所有になり、修道院と町の歴史の博物館となった。
 修道士食堂 Refektorium (1240)修道士の食堂としてロマネスクの建物が建てられた。
   1436ゴシックの塔が付加された。1884に国立ゲルマン博物館として購入され拡張さ
   れた。1945爆撃に遭い補修された。1961新教の教会となった。
 病棟 Infimitorium (1472-74)病棟として建てられ、1554から使用人の宿舎となっ
   た。
 新僧院 Neu Abtei(13c)僧院の建物に1487南翼・1517西文書塔が付けられ、修道院
   長の住居となっている。
 修道院寮 Dormitorium (1582)寮は、大聖堂の廊から北翼廊に移され修道院付属
   学校になった。1736学校は解散し、今は宗教教育センターである。
 修道院厩舎 Marstall (1505)修道院の客の馬を洗う場所であった。納屋は、今
   食堂となった。
 修道院管理所 Kloster AmtsverwalterHaus 大きい正方形5階建の木造穀物蔵があ
   ったが、1621解体され、修道院管理人の家が建てられた。
 修道院食肉処理場 KlosterSchlachtHaus 西の外れの川向に造られた。
 修道院工場 KlosterMuehle (1336) 大聖堂の東に水車のある5階建の工場があり
   大工・研磨の場所がある。1380からはパン工場も含まれた。
 辺境伯の家 Castrum:Maekgrafen Haus 辺境伯の大きな住居であったが東翼と塔が
   壊され、今は新教の牧師館である。
 石の館 SteinHaus (16c) 石の館は、回廊の外に巡礼者のゲストハウスとして建てら
   れ、いまはパブです。石造の地階の上に1680木組みの建物が乗った
 病院礼拝堂 Spital Kapelle (1266)修道院のための礼拝堂は、病院の礼拝堂とな
   り、1708管理所となった。石造の地階の上に狭い木組の上階が乗っている。

5.写真

市庁舎
中央通 東壁
北東壁 キャサリン門
ミュンスター

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ヘマウ Hemau BY80

1.歴史

 1007-17 バンベルク司教が支配、     1109 ヴェネディクト修道院聖ゲオルクを創設、
 1138 バンベルク司教はヘマウのMeierhofを修道院へ、1294 ヘマウはヴィッテルスバッハ侯爵へ、
 1350 ブランデンブルク侯爵は都市権を授与、2門12塔の市壁と堀を築いた、
 1470 ヘマウは主要税関となった、       1508 プファルツ・ノイブルク公国に属した、
 1544 シュマルカルデン同盟に参加、    1615 バイエルン侯爵ウイリアム5世の勅令でカトリックへ、
 1633 30年戦争で破壊と略奪、   1637 ペスト流行、  1669 スペイン承継戦争、
 1779 大火事で家屋焼失、         1803 世俗化で修道院財産の売却、
 1808 プファルツ・ノイブルクは独立を失う、   1810 バイエルン皇太子との結婚でバイエルンへ、
 1945 2次大戦による被害は免れた。

2.市壁  0.11km 0.12

   1350以降に瓦礫の石積が作られた。西のクロップファール通に市壁が残る。

3.塔  0門0塔

   1350の市壁には、2門12塔があったが、今は見当たらない。

4.見所  C

   18c末の大火事で、古い建物は殆ど焼けたため、木組の家は見当たらない。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1471) 石灰飾板で覆われた3階建寄棟屋根に中央尖塔の
   アーチ玄関のある後期ゴシックの建物。1779の火事の後に復元された。
 市庁舎 Rathaus (1746-51) 元プレフェリンンガー修道院主席司教の所有する壁柱と列が
   玄関にある3階建寄棟屋根の建物で、18c半ばの周壁がある。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehentstadel (1615-17) 修道院プレフェリンングの十分の一
   税倉庫であり、2階建切妻屋根に鎧戸と修道院の紋章が付いている。
 旧醸造所 Ehem.Brauerei (17-18c) 平らな2階建切妻屋根の醸造所。
 旅館:城醸造所 Gasthaus Schlossbraei (18c)3階建中央突出切妻屋根の建物。
 新城 Neues Schloss (1600) バロック石造玄関のある寄棟屋根の建物で、中庭に壁が
   ある。今はデジタル測量事務所。
 聖ヨハネス教区教会 Pfarrkirche St.Johannes (1477)古い内陣は残され、1719-21横
   礼拝堂・ダマネギドーム、1729前面塔と会館建物・オルガン、1913鐘楼。
 旧牧師館 Alter Pfarrhof (1731) 2階建寄棟屋根の建物。
 宿屋 Gasthaus(1830) 3階建石膏破風・寄棟屋根の家、1929に増築。
 旧刑務所 Ehem.Gechaeftshaus (19c) ねじれた正面と傾斜した平面の2階建寄棟屋
   根の建物。
 旧消防署 Ehem.Feuerwehrhaus (1903) 階段切妻で庇のある家。
 旅館:ポスト Gasthof Post (19c) 2階建側翼と分節アーチ窓のある半寄棟屋根の建物。

5.写真

市庁舎 町広場
西壁 西北壁

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ヘリーデン Herrieden BY81

1.歴史

  782 シャルマーニュはベネディクト修道院を設立、888-1404 アイヒシュタット司教の荘園管理、
 1122 城の建設、      1238 多くの抜け穴のある高い市壁で町を囲む、
 1316 バイエルン王ルードヴィッヒが町を包囲、    1390 大火災で町は壊滅、
 1618 30年戦争中の司教一時避難所、 1806神聖ドイツ帝国消滅後バイエルン王国へ、

2.市壁  0.58km 0.66

   切石と疎石壁造りの市壁は、元の屋根を除いて保存されている。市壁は1340
  -44に新設され、15cに更新・強化された。ツインガーと堀の領域は判別でき、場所は
  保たれている。

3.塔  1門1塔

 コウノトリ塔 Storchen Turm (13c) 市場に繋がる南門で、1316にバイエルン王ルードビッヒ
   が破壊し、1340司教シェンクが3階建角塔で再建した。今の塔はいくつかの建物に
   つながり、まだコウノトリの巣ある。
 前砦 FronVeste (15c) 4階建の前面半円形の石造防衛施設で、大砲を据えて強化
   された前砦である。近世には監獄として1901まで使われた。

4.見所  B

   アイヒシュテットの教区として、古くから修道院が置かれ、交通の要衝として栄えた
  中都市である。市壁や歴史的な建物多く残り、コウノトリの営巣が見られる。
 市庁舎 Rathaus (1901) バイエルン王立簡易裁判所として2階建の建物が建てられ、
   1945から市庁舎で使われた。
 牧師館 Pfarrhaus () 1806の世俗化までは主席司教の宮殿であった、今は牧師館
   せある。
 旧市教会 Ehem.Stadtkirche (1071) アイヒシュタット司教グンデンカー2世は、聖ヴィーツと
聖ディオカーに献堂した。1490-1533拡張され後期ゴシックへ変わった。18c中には
   内装はバロック化された。2011教会は教皇のバジリカになった。
 旧司教座司教の役所 StadtBuecherei (1492) 司教座司教の役所と住居として建て
   られ、1988町は建物を入手して市図書館とした。
 聖母教会 Liebfrauen Kirche (1474)旧修道院教会の場所に初め木製で新築され
   た。1490火災で損傷し1493に再建された。1805世俗化で売られたが、1832には
   教区に戻った。1997-2000全般的に改修され、内装も復元された。
 ガブリエルの家 gabrielihaus (18c) 元は領主司教の3階建の役所で、この町の行政
   の中心であった。その後地方裁判所・簡易裁判所・公証人役場会計局等で使
   われ、1921迄は税務署であった。今は生活保護者の家である。
 市宮殿 Stadt schloss (1122)地元貴族の建てた宮殿は、1316バイエルン王によって壊
   されたが、1342に再建されて30年戦争中の司教の居所となったが、1633スエーデン
   軍に破壊された。1686醸造所が置かれ、1866には民営化され、1999まで存続
   した。
 旧養老院 Alte Spital (1476) 養老院として建てられたが、1490に焼失した。1840
   からコレラ検疫所となり、1884-1979町の病院であった。
 木組の家 Fachwerk haus() 市壁の基礎の上に小さな木組の家が建てられた。これ
   は、古い町の都市農民の状況を立証している。
 薬師 Bader (1900) この家は、この時代の様式を代表している。その家では、この
   町の薬師を営んでいた。
 町薬局 Stadt Apotheke (1635) 昔からここで薬局が営まれていた。1786から町薬
   局と呼ばれるようになった。
 パン屋 Brot Haus () 2階建ての今の姿は1752からで、それまでの姿に沿って建てら
   れ司教座司祭長の紋章がある。1835-1944町庁舎を収容していた。
 倉庫 Kasten(1532) 領主司教ガブリエルの時代に収納倉庫として建てられ、地租支払
   義務のある住民の納めた物納が収容管理された。世俗化後売却され
   たが、今は司教館である。
 アイヒシュタット司教区 Eichstaetter Bistum(1703) 領主司教は、ここでアイヒシュタット教区を
   治めた。世俗化後1983まで醸造旅館「鹿」であり、今は貯蓄銀行。

5.写真

旧市教会 コウノトリ塔門
南西壁 東壁
北壁 北西壁

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ヘースブリュック Hersbruck BY82

1.歴史

  976 侯爵未亡人はここに財産所有、 1000 バイエルン侯爵は架橋し通行料徴収、
 1003 最初の集落について記録、  1057 既に鋳造権・市場権・徴税権を得た。
 1297 プファルツ伯ルドルフは都市権を授与、  1313-29 町は壁や柵で守られた、
 1353-73 皇帝カレル4世は新ボヘミア形成、  1444 侯爵オットー5世は町の防衛力強化、
 1564 バイエルン承継戦後ニュルンベルクの領土へ、 1525 宗教改革の導入、
 1806 バイエルン王国に帰属、        1945 米軍の進駐。

2.市壁  0.30km 0.36

   14cに要塞化され、15c拡脹され市壁は3門と多くの塔で強化された。17cに再
  構築して存在した。市壁は高さ5-6m厚さ1.5m覆われた歩道付石灰岩切石造。

3.塔  3門2塔

 ニュルンベルク門 Nuernberger Tor (1444) 半寄棟屋根4階建の門塔で新
   たな市壁の完成時に西に構築された。19cに改修された。
 養老門 Spital Tor (1425) 半寄棟屋根5階建の東門塔で、17cに再建
   された。1932住宅のために拡張され、今は美術館を収容。
 水門 Wasser Tor (15c) 半寄棟屋根6階建の東南門塔で、1601-02に再
   再建され、1690からペグニッツ川の橋で税関が置かれた。
 フライシュ塔 Freisch Turm (15c) 両切妻屋根の上階は木組で3階建の塔で
   ある。2階に役人のアパートと死刑執行人の部屋がある。監獄として使われた。
 ゲンス塔 Gaens Turn (15c) 初め円塔として建てられ、ここで湧水を集
   めて1537-1875木製管路で市内6井戸に給水された。上階アパートは木骨造。

4.見所  B

 市庁舎 Rathaus (14c) 14c初めの中核は何回か再構築て来たが1945には焼失し
   た。1948-52に再建された建物には、町の紋章として16cからの鹿が付いてい
   る。
 聖エリザベス養老院教会 Spitalkirche St.Elisabeth (15c) 寝たきり患者会ロフトと上
   階に聖職録聖職者の住居がある。1440正面入り口にエリザベート像、1670砂時
   計、1688バロックの祭壇と段教壇、1730オルガン設置。
 旧税関 Ehem.Zollhaus (1191) 平屋マンサード屋根の木組の建物で、柱廊に1191の年号
   がある。
 ドイツ乙女学校 Deutsch Plaegdlein Schule (16c) 聖職者の朝の祈りの場であった
   が、1625からドイツ乙女学校となった。
 旧養育宮殿 Ehem.Pflegschloss (1000)架橋を守る為の要塞として南に建てられ、
   1360皇帝カレル4世が取得し、1517ニュルンベルク帝国自由都市によって城が新設され
   た。1616-22には塔と横翼を付け3翼2階建となった。
 旧宮殿醸造所 Ehem.SchlossBraeuerei (18c) 2階建急勾配屋根の地階石積上階と切
   妻は美しい木組の建物。1982西部再構築。今は図書館と会議室。
 旧牢獄 Ehem.Fronfest (1840)3階建砂岩造隅柱屋根。
 旧早期礼拝の家 Ehem.Fruehmesspfruendhaus (1616) 3階建切妻屋根上塗の建物で、
   1616の年号がある。今は地区の家庭裁判所である。
 牧師館 Pfarramt (1611) 2階建半隅棟屋根の横向の家で、後方は18cに増築された。
 住家と商店 Wohn und Geschaefthaus (18c) 2階建地階石積上階と切妻は美しい木組
   の建物。
 旧墓堀人の家 Ehem.Totengraeber haus(1533) 3階建切妻屋根の市壁基礎上の木組
   の家。
 旧骨格の家 Ehem.Gebein haus (1530) 町で最古の3階建上階木組の保存住宅。
 住家と商店 Wohn und Geschaefthaus (1665) 3階建軒のある木組の家で梁に年号が
   ある。1858横向きの家に変えられ、19c店の模様替え。
 旧館 Ehem.Hofanlage (1822) 主な建物は2階建寄棟屋根の上階木組の家で、今は郷
   土・羊飼博物館。
 納屋 Scheune(1576) 2階建切妻屋根上階木組の納屋。
 旧会計局 Ehem.Rentamt(18c) 市壁基礎の上の3階建寄棟屋根のマッシブな建物。1842
   改造された。今は学校。
 旧地方自治体羊飼の家 Ehem.Kommunales Hirtenhaus(1715) 市壁の上に2階建横
   向2軒連続の家が上階木組で建てられ、19-20cに拡張された。
 農場 Bauerhof(1587・1676) 2階建切妻屋根の建物で木材に年号がある。

5.写真

市庁舎 旧養育宮殿
ニュルンベルク門内 ニュルンベルク門外
水門 養老門
フライシュ塔 北東壁

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ヘルツオーゲンアウラッハ Herzogenaurach BY83

1.歴史

 1002 皇帝ハインリッヒ2世は教会財産を贈呈、 1021 皇帝はバンベルク司教区に贈物、
 1337 尼僧院長が司教館に来た、町には市壁と教会壁があった、
 1348 町として言及、14c 都市権の授与、 14-15c 司教座参事会へ町を質入、
 1488 バンベルク司教座本山に最終的に帰属、 1552 辺境伯は占領し免焼金を要求、
 1632 ペスト流行と30年戦争で町は衰退、1641-87 略奪・占領分担金・免焼金負担、
 1796-99 仏軍・墺太利軍の通過で損害、   1802 講和協定でバイエルン王国へ、
 1803 プロイセンへ、            1806 仏支配下でバイエルン王国に帰属。

2.市壁  0.26km 0.25

   1300に最初の市壁は堀と共に構築された。1409バンベルク司教は拡張し、1450
  第2の境界壁が形成された。戦争や略奪によって損傷したが、17cに再建された。
  1802上門と下門に取り付けられた。

3.塔  2門7塔

 下門 Fohn Turm (13c) 正方形高さ28m5階建の門塔で、13cのコアに防御タレット・テント
   屋根がある。内側の近くに低い塔がある。フエーン家の名が付けられ塔は一時監
   獄として使われ、1908市博物館になった。
 上門 Turmers Turm (1386) 見張人の塔で、内壁の上門側面擁護と跳橋で安全を図
   った。4見張小塔があり、広く見張る事を可能にした。1386の核にピラミット屋
   根の直方体で、1653の彫刻板がある。1724にボンネットが付けられた。
 ネズミ塔 Maus Turm (15c) 北西隅の角塔である。
 ラームベルク塔 Rahmberg Turm (15c) 北東隅の角塔である。
 豚飼塔 Schweinehirten Turn (15c) 西の市壁にある角塔である。
 封土塔 Lehens Turm (15c) 教会壁の西北隅にある角塔。
 浴場通塔 BadGasse Turm (15c) 市壁塔にピラミット屋根角塔で住居。
 市粉引塔 StadtMuehle Turm (15c) 西南の粉引通りの市壁にある。
 火薬塔 Pulver Turm (15c) 屋根のない円塔である。

4.見所  C

   13cに色と市庁舎を中心に旧市街が囲まれ、次いで聖マリア教会も教会壁で囲ま
  れた。15cには北・西・南西側に市壁が拡大され4門の町となった。この拡大期に
  職人の家や工場が建てられた。17-18cの木組の家が残されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1407) 2階建切妻屋根上階木組の建物で、1781バロックに
   改造され、1939-41屋根天窓の今の姿になった。
 役所宮殿 Amts Schloss (13c) 4翼の宮殿は、バンベルクの役人が使い、水堀と天守
   閣で守られた。侯爵司教は1720までにバロックで新築され、1967に修復された。
   今は市の行政・市図書館・市観光案内所で使われている。
 マリエン礼拝堂 Marien Kapele (1200) 天窓付き切妻屋根石造の礼拝堂で今は戦争記
   念館である。地階は旧墓地礼拝堂であった。ベート像、1670砂時計、
   1688バロックの祭壇と段教壇、1730オルガン設置。
 聖マグダレナ教区教会 Pfarrkirche St.Magdalena (1314) ゴシック砂岩切石造のホール塔
   と尖塔の教会で、1934-35バロック外観に改修された。
 旧少女校舎 Ehem.Maedchen Schulehaus (1840) 2階建砂岩切石造浅い寄棟屋根の
   中心投影背面2翼の建物。1625からドイツ乙女学校となった。1973からは音楽学校。
 旧魂の家 Ehem.Seelhaus (1457-58)切妻と半寄棟屋根の木組の家。善意の寄付に
   よって魂の家が成立し、中世には巡礼者の宿と街の貧困者のための宿泊所
   として使われた。
 聖職録病院 Pfrundner Spital (1508) 3階建の大きな半寄棟屋根の上階木組の建物
   で、町の老人や障害のある人のための宿泊所。今は市博物館。
 教区司祭館 Pfarrhaus (1843)2階建砂岩切石造寄棟屋根の家。
 宿屋 Gasthaus Zum Roten Ochen (17-18c) 2階建切妻屋根漆喰トラス造。
 牧師館 Pfarramt (1611) 2階建寄棟屋根の砂岩切石造の建物。
 住家 Wohn haus (15-16c) 2階建地階石積上階と切妻は木組の家。
 住家 Wohn haus (17c) 2階建地階石積上階と切妻は木組の家。
 薬局 Beyschlagsch Apotheke(1831) 町で最初の薬局で、1850から町の郵便宿と
   なり、1870電信局、1906電話局であった。
 最古の民家 Altestes Buergerhaus (1447-48) 町で最古の市民の家は、2階建上階
   木組で前面の木組み枠は湾曲している。1988正当な補修を実施。
 旅館:鯨 Gasthaus Zum Walfisch (14c) 堂々とした都市農民の家で、14cからの
   上階木組の家。

5.写真

旧市庁舎 市庁舎
役所宮殿 下門
上門 ラームベルク塔

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ヒルポルトスタイン Hilpoltstein BY84

1.歴史

 1280 貴族エスタイン家が創設し、ホーエンスタイン帝国の役員の地位を利用して町を拡張、
 1354 町の地位を得た、         1385 ヴィッテルバッハ侯爵の手に移った、
 1392 町は都市圏を授与された、   1505 ランツフート戦争でプファルツ公国ノイブルクへ、
 1542 ニュルンベルクにより帝国自由都市へ、1606 城の最後の居住者侯爵未亡人入場、
 1799 町はバイエルンに帰属、        1888 ヒルポルトスタイン郡庁舎が置かれた。

2.市壁  0.64km 0.48

   13cの市壁はあちこちで残されている。町の博物館「黒馬」には要塞化した回
  廊の一部が見られる。

3.塔  0門1塔

 Doederleins turm (13c) 8塔の内唯一残ったこの塔は、1957迄
    住宅で今は事務所で使われている。

4.見所  C

    千年の古い城の下に、魅力的な小さな町ががあり交易の経路で栄えた。郡庁所在地
  として市庁舎・教会・城・事務所の建物が並び、美しく改装された木組みの家も見られる。
 市庁舎 Rathaus (1417)商館として建てられ、中世には裁判所と最上階は協議室・宴
   会場として建物はも使われた。1870地階には郵便局や商店が並んだ。建物は1955
   -96に復元され、今の上階木組みの建物は市庁舎として使われる。
  Burg (10c) 城は高台にあり22mの高塔が今も立ち夏には登れる。1385バイエルン侯
   爵の重要拠点であった。1606最後の居住者の侯爵未亡人が入り、新しい階段塔な
   ど近代化を行った。1700居住者がなくなり、城の一部は取壊さされた。
 宮殿 Residenz (1618) 1619-24プファルツ伯は教会の隣に壮大なルネッサンスの邸宅を建て
   、漆喰の天井には神話からの絵画を描いた。今日では改修で全く塗装され隠さ
   れた。2011から観光部と市立図書館が収容された。
 穀物倉庫 GetreideKasten (1473) 風格のある3階建ての納屋として何世紀も機能
   した。1880-1972は地区事務所や郡庁であった。
 聖ヨハネ教会 St.Johannes Kirche (15c) ゴシックの内陣と塔の日付は1473で、身廊は
   1732となっている。内装はバロックで天井フレスコカ画はマリアの被昇天が描かれている。
   高い祭壇・1758の説教壇・祭壇の東側の1460のマドンナは有名。
 市立博物館「黒馬」 AnwesenSwarz Rross 木組みの平屋から2階建てが巧みに復
   元されている。胸壁の高い中世の市壁、16cの木組みの家もある。歴史的な醸
   造所宿「黒馬」で16cから醸造していた。博物館には、建築のための大工・石
   工・煉瓦工等の職人を展示し、町の千年の歴史を遡る、地下は醸造所の遺跡で
   1880に建てられた。
 聖堂参事会の家 ChorStifts Haus(1385)聖堂参事会はⅡとⅣの家を寄贈し住居と
   してきた。1491から町は聖堂参事会の6つの木造の家を立て直し細工工房の作業
   場が数年前まで入っていた。
 民家 Jahrsdorfer Haus(1523)ロマネスクの住宅として建てられ、個人所有として1980
   に復元された。

5.写真

市庁舎 デーデルライン塔
西壁・黒馬博物館 西壁
南壁 木組家

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ヒャシャウ Hirschau BY85

1.歴史

 1050 ヒルシュベルクの伯爵は水城を築く、 1205 婚姻で周辺のズルツバッハ郡を獲得、
 1329 ヴィッテルスバッハ家プファルツラインに落ちた、  1353 ノイバーミッシュの領土の一部へ、
 1367 都市権を授与された、      1373 ヴィッテルスバッハ家は町を買取った、
 1621 30年戦争で焼かれた、 1627 ペスト流行、1750 二度の火事で7割焼失、
 18c 町は戦乱の地となり疫病も重なって壊滅。

2.市壁  0.20km 0.22

    14cの市壁は、あちこちで住宅の基礎や外壁として残っている。

3.塔  0門0塔

    3門と半円形の壁塔があったが、今は見当たらない。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1490)階段切妻のある2階建切妻屋根の建物に鐘楼が付いている。
   地階にはパン屋と肉屋の屋台があり、肥料工場と養豚場の悪臭を放っていた。前面
   の両側に鉄の首輪のさらし台がある。
 養育宮殿 Pfleg Schloss (13c) 町の東部にあり、13cからの水城を1474の火災後に1478
   現在の姿に再建した。その後会議場・市議会の議場・醸造所などとて使われ、1987か
   らは旅館と食堂となった。
 修道院宮殿 Kloster (1845) 修道院に学校を開設し1883には新しい広間を増設した。
   1923幼い子供たちのための研究所、1942ナチスによって除去され、1945難民のため
   の補助病院となった。
 マーチン昇天 Himmelfaht Martins (15c) 15cの初めに建てられ、1753西塔、1848ネオゴシック
   再設計の身廊、1851オルガン、1910南側の聖マリアの列、1911北側にサルバトール列、1945
   空襲の被害を修復、1988外装を含め全面改修。
 宿屋:金の鹿 Gasthaus GoldenerHirsch (1360) 木製の旅館は1511には巡礼宿として
   記録されている。1730バロックで再構築され、鹿の看板が復元された。1840隣の建
   物を取得した。2010-1212建物を改修し宿泊に加えビヤホール・レストランを再開した。
 住家 Wohnhaus (14c) 紋章石板と窓枠のある建物で、中心部は16cの住居。

5.写真

市庁舎 昇天教会
南市壁ガッセ 北壁
西壁 西南壁

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ヘッヘシュタット Hoechstadt an der Aisch BY86

1.歴史

 1003 シュバインフュート伯爵エジロ5世は町をフルダ修道院へ贈った、
 1015 皇帝ヘルリッヒ2世は町を取り戻してバンベルク・ミシャエルベルク修道院に贈った、
 11c ポーエスラーテの伯爵は城山の上に城を築く、 1157 伯爵ヘルマンの未亡人は町を
    バンベルク司教に取換えた、    1346 二つの市門があり町と呼ばれた、
 1380 領主司教アンプレヒト5世は都市権と紋 章を授与し、木柵を水掘付市壁に換えた、
 1525 農民蜂起に町も加わり城は残った、 1553 辺境伯アルブレヒトは町に火を付けた、
 1633 スエーデン軍は略奪し虐殺した、  1710 ヨハンゲオルク5世はカプチン修道院とラウバー
    山の巡礼教会を町に贈った、 1713 領主司教が選帝候のバロック宮殿を建てた、
 1770-1820 町の防衛施設の一部は取壊された、 1806 町はバイエルンへ、修道院と巡
    礼教会は世俗化で廃止された。  1972 郡庁所在地となった。

2.市壁  0.75km 0.78

   13c城山下の集落の防衛から拡張され、14cには要塞都市となった。15cに拡張
  された市壁の一部がSpitalGasseに見られる。

3.塔  1門0塔

 シュラーク門 Schlag tor (14c) ニュルンベルク門とも呼ばれ、拡張の第2環状市壁に置かれた
  市門である。砂岩造の4階建角塔でアーチ門とバロックの帽子があった。町側に3碑文、
  東に2階建の前門を有し、北側に錬鉄の手摺の屋外階段がある。

4.見所  C

    歴史のある小さな町で、古い木組の家も見られる。ワインセラーとして砂岩に約2km
  のトンエルがあり、400年前からのワイン工場が24か所存在する。19cの靴業界は産業記念
  物として保存されている。
 旧市庁舎 Rathaus (1870)2階建石造の小さな建物で前面に4階建ての時計塔がある。
   新市庁舎 Rathaus (18c)旧会計局の2階建石造の大きな建物で、ピップ屋根のドルマー
   と力強い壁棚配列飾りがある。
 宮殿 Schloss (13c) 不規則な平面の北東に開かれた3翼の建物で、13c高い壁の南翼、
   14-15c西翼、1580入口と出窓のある東翼、1713-15バロックの改装。
 聖ゲオルク教区教会 St.Georg Pfarrkirche (13c)始めのバジリカは、14cの後半に南塔の低
   層部と3身廊に拡張され、1551-71バロック化され身廊は延長された。1728-30
   西の前面のヨーク設計で西に拡張された。
 教区司教館 Pfarr Amt (1884) 古典主義中心軸様式の大規模石造2階建寄棟屋根の建物。
 町粉挽所 Stadt Muehle (1775) 砂岩切石造の2階建で、角柱付けと文字列コースマンサード屋根
   の建物。
 旧刷毛工場 Elem.Pinsel Fabrik (19c) 記念物的な3階建の煉瓦外装の建物でネオクラシックの
   寄棟屋根・壁柱と中心投影の形である。後に靴工場となり産業記念物。
 旧宿屋王冠 Ehem.Gasthof Krone (18c) 2階建の木骨上屋の半寄棟屋の庇。その後部分
   的に近代化されている。
 旧醸造所 Ehem.Brauhaus (1771) 独立している砂岩切石造の2階建、広い寄棟屋根・壁柱
   と呼ばれる平らなフレーム・バロックの文節アーチ窓。
 旧地方裁判所 Ehem.Landgericht (1870)城山に在る後期古典様式の2階建寄棟屋根の建
   物。
 聖アンナ病院教会 St.Anna SpitalKirche (1512)小さな教会で1632と1668の火事の後に再
   建された。

5.写真

市庁舎 聖ゲオルク教会
要塞宮殿 シュラーク門
西南壁 西壁

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ホフハイム Hofheim in Unterfranken BY87

1.歴史

 780-900 カロリング朝の防衛施設のある行政中心で交通の要路、    1231城初言及、
 1298 コンラッド伯爵は城の半分をブンドルフに贈呈、   1343 城は男爵トルシュゼスが所有、
 1525 農民戦争でウィッテンブルク城は焼払われた、 1576 領主司教エリウス・エクターは町に昇格、
 1610 エルンスト・フックスの遺産はヴュルツブルク本山へ売却、 1704 ヴィットリンゲン裁判所の支配下、
 1803 全ドイツ宗教上の国は世俗化されバイエルンへ、 1806-14 町はヴュルツブルク大公国へ、
 1814 町はバイエルン王に帰属、   1862-1900 町は郡事務所になった。

2.市壁  0.66km 0.62

   市壁は1352の都市権授与により建設され、度々の戦争による破壊の後は再建さ
  れなかった。そして石材は住宅に使われた。残った市壁は1984-96に復元された。

3.塔  3門1塔

 上門 Oberes tor (1715-16) 王子司教フイリップは2階建寄棟屋根上階木組
   のアーチ門と守衛詰所を再建した。
 下門 Unteres tor (1713) 2階建寄棟屋根上階木組の門と守衛詰所を再建。
 礼拝堂門 Kapellen tor (1714) 王子司教フイリップは2階建寄棟屋根上階木組
    の門と守衛詰所を再建。
 壁塔 Mauer turm (18c) 18cの要塞塔で砂岩造テント屋根の円塔。

4.見所  C

    17-18c美しい模様の木組の家が多い。特にマルクト広場や地方裁判所通りは美
  しい。
 旧地方裁判所 Ehem.Amtsgericht (1832)古典主義3階建寄棟屋根の建物。
 聖ヨハネス教区教会 Pfarrkirche St.Johannes (14c)739-40に再建された後
   期ゴシックの広間教会に三角屋根と階段塔。1593の塔は近代化された。
 旅館:フランキッシャー館 Gasthaus FrankischerHof (1685) 3階建地階砂岩上階木
   組の大きなフラット屋根の建物。
 旅館:金の鹿 Gasthaus Zum Goldener kirschen (1706) 砂岩切石造の2階建
   上階木組の建物。
 旅館:王冠 Gasthaus Zum Krone (18c) 2階建腰折屋根上階木組の建物。
 住家 Wohnhaus (1700) 2階建切妻屋根上階木組の天窓付きの建物。
 住家 Wohnhaus (1690) 2階建腰折屋根上階木組の枠構造の家。1900補修。
 木組の家 Fachwerkhaus (1710)2階建切妻屋根全木組の建物。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
下門 上門
礼拝堂門 西壁・円塔
聖ヨハネス教会 東壁・円塔
東壁 南西壁

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インゴルシュタット Ingolstadt BY88

1.歴史

 806 帝国の分割証明書に記載された、 1200 都市権の付与により発展、
 1250 貨幣の鋳造権授与された、     1280 最初の市壁があった、
 1300 バイエルン公国の一部の首都となった、 1362 レンガ造の要塞を完成、
 1400 87塔の都市拡大を開始、      1472 バイエルン大学の設立、
 1537-65 要塞を拡大、         1632 スエーデン軍の包囲、その後も要塞強化、
 1799 仏革命軍は要塞を取り壊し、    1828 要塞の再建強化。

2.市壁  1.30km 0.56

 13cに周壁で囲まれ、1363に煉瓦の壁と87の胸壁王冠塔と補強された門が造られた。
  西側TaschenTurmとMuenzbergerTorの間は、市壁は中間壁塔を含め改造され、
  住宅となっている。

3.塔  1門6塔

 十字架門 KreuzTor (14C) 西、石灰岩の四角小塔に飾られた六角形の
   赤煉瓦塔を持つ市門。
  KavalierHepp 東、緑地にある元稜堡。
  KavalierHeysek
  KavalierEibrach 東北、緑地に立つ元稜堡
 口笛塔 PfeifTurm (14c) 中、マルクトにあるゴシックの旧見張り塔。
 袋塔 TaschenTurm (14c) 西南、中世市壁の外に追加。
 前要塞 FestungFronte79 西、堀の中島にある稜堡。

4.見所  B

   19Cには、欧州で最も強固な要塞都市の一つであった。要塞の跡は緑地となって
  町を囲んでいる。多くの博物館と宮殿・教会・市庁舎等が見所である。
 新宮殿 NeuesSchloss 東、15C建、軍事博物館となって数多くの火器がある。
 旧市庁舎 AltRathaus (14C) 1882にルネッサンス様式に4軒の家を改造し、今市
   長室がある。新市庁舎はすぐ東にある。
 聖母大聖堂 LiebfrauenMuenster 15建、ゴシックの2塔、屋根は3800本の丸太
   で組み立て、1572巨大祭壇に聖母マリア像。1572有名教授の肖像画もある。
 勝利の聖母教会 Maria de VietoriaKirch 西、バロックの側廊のない単純な
   身廊の礼拝堂。1732アーザム兄弟が改装、490m2の巨大天井フレスコ画。
 聖モリッツ教会 St.MoritzKirche 9C建、極細の金銀細工が内陣入口左にある。
 フランシス会教会 FranziskanerKirche 1472-1800建、ゴシックのフランシス会バジリカ、
   高位市民90人の墓標がある。
 バイエルン軍事博物館 BayerischesArmeeMuseum 東、バイエルンの軍事的歴史資料・
   オーストリア戦のジオラマ・火器・旗等を展示。
 バイエルン軍事博物館1次大戦部門BayerischesArmeeMuseum Abteilung1.Weltkrieg
   南対岸、世界大戦の歴史・コース・結果等を展示。
 市博物館 StadtMuseum 西北、1838-43要塞建、市の歴史・要塞模型・都市模
   型・大学遺物等を展示。
 玩具博物館 SpielzeugMuseum 西北、1900からの大規模な私的玩具収集物を
   1989から展示。
 ドイツ古医学博物館 DeutschesMedizinHistorischesMuseum 西南、古代から
   の外科・歯科・解剖学等の歴史を1973から展示。
   オーストリア戦のジオラマ等を展示。
 アウディ車博物館 AudiMuseumMobile 北西、50台の自動車・30台のエンジン・自転車
   等を展示。
 郷土博物館 HeimatMuseum 1472-1800のニーメス家の生活様式等を展示。
 農用具博物館BauerngeraeteMuseum 200年間の農業の変化を絵と用具で展示。
   オーストリア戦のジオラマ等を展示。
 ドナウ博物館 DonauMuseum 西北、ドナウの歴史と自然、ビーバー復活等を展示。
 具象芸術博物館 Museum fuer Konkrete Kunst 中、屋外彫刻等を展示。

5.写真

旧市庁舎 旧市庁舎
袋塔 ミュンツベルク門
西壁 西壁
南壁 十字門
博物館 新宮殿

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イポーフェン Iphofen BY89

1.歴史

 741 ヴユルツブルグ司教の文書に初言及、1293都市権を授与され、市壁があった、
 1421 防御施設として堀を加えた、   1611-32 ペスト流行、
 1620 30年戦争で占領され被害があった、1945 2次大戦の被害から免れた。

2.市壁  0.80km 0.99 

  道路のため2箇所約10m切れているが、その他は完全に保存されている。

3.塔  4門7塔

  RoedelseerTor 1455-66建、北 15Cには珍しく外側石積・内側木造の
   形の美しい門である。翼部には門が閉まった後に着いた人のための抜け
   穴がある。また、MittegsTurumと二重門になっている。
  MainbernheimerTor 1533-48建、西 門上に番人の住居があった。
  EinersheierTor 16C建、東 四隅に小塔を持つ角塔、外側にはタールや湯
   を注ぎかける出っ張りがある。
 ペスト門 PestTor mit ZentTurm 14C建、南 昔に黒死病の死体を運び出した。
   1596に壁で塞がれた。百戸区塔がある。
 昼塔 MittagsTurm 北 内門としての石造塔が跳ね橋と落下柵を備えている。
 市民塔 BuererTurm 1600再建、どっしりとした円塔に異国風の屋根が付き、
   最上階には中世風便所がある。
 梟塔 EulenTurm ほっそりした円塔に円錐屋根、見張り塔として建てられ、
   重罪人の終身拘束牢となった。
 死刑執行人塔 HenkersTurm 西 死刑執行人を隔離する住居であった。
 羊飼塔 HirtenTurm 西 
 百戸区塔 ZentTurm 南 
 鍬塔 HackerTurm 東 

4.見所  C

  国道から丸い市壁が見える小さな町。市壁と門塔が見所。
 市庁舎 Rathaus 1716-18建、中 バロックの建物、7月第2週にはワイン祭りがあ
   る。前面二重階段、司教像・紋章付き華麗な玄関、階段の左右に軽犯罪曝し窓。
 聖ヴィート教会 KircheSt.Veit 1297建、北 現存の建物は1360建、1414-1612
   の間の長期再建で各様式が混在する。リーメンシュナイダー作のゴシックのマドンナ・ヨハネ像。
 養老院教会 SpitalKirche 1338建、西 病院と共に建てられ、リーメンシュナイダー
   工房の彫像が2体ある。St.JohannBaptist:昔はカソリックだったが今はプロテスタント教会。
 ブルツ教会 BultsKirche 1329建、西 旧巡礼教会、ゴシックの主祭壇は1892に
   再建。リーメンシュナイダー工房の彫像がある。
 ツマミ博物館 KnaufMuseum 1688建、宿屋として建てられ、古い会計局として
   使われた建物に、主要な文化的時期の様々な展示物がある。
 十分之一税地下倉 ZehntKeller 1486建、今はホテル。広い地下室は司教の
   十分之一税のワインを置いたので、この名前が付いた。
 記念館 Vinothek 2階建、地下室付きの建物で聖バイト教会の納室係が住ん
   でいた。今は記念館となっている。

5.写真

市庁舎 ローデルゼアー門
水曜塔 市民塔
聖ヴィート教会 一位の家門
ヘンカース塔 十番塔
北門内側 北門外側

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カイスハイム Kaisheim BY90

1.歴史

 12c カイスハイムは上級廷史事務所であり、     帝国設立時カイスハイム修道院に属した、
 1133 伯爵ハインリッヒ3世と妻によって修道院は創立、1370 すでに帝国修道院であった、
 1656 修道院は帝国直属となった、       1722 大修道院の建物となった、
 1803 世俗化でバイエルンの地域になった、1818 バイエルン王国の改革で地方自治体成立、
 1934 地方自治体カイスハイムはマルクト・カイスハイムとなった、    1970 刑務所が置かれた。

2.市壁  0.0km  

   修道院の側面には550mの修道院壁があり、両側正面にも50mづつあり合わせる
  と600mとなる。

3.塔  1門0塔

 門塔 Tor turm (1700) 3階建矩形の門塔で、円形アーチ・天井通路・テント屋根・角に田舎風
   飾りがある。

4.見所  C

   帝国直属の修道院として栄え、1803の世俗化後もバイエルン王国からも保護された
  見事な建物群が見られる。
 市場 Markt Kaisheim (18c)
 修道院 Kloster Kaisheim (1133) シトー派の大修道院には、14cの教会は1716-22に120
   m×70mの二つの中庭を囲んで建てられ、中には壮大なカイザー・ホールはバロックからロココ
   の壁や天井のスコッタ仕上げが美しい。1803世俗化後、修道院本来の役割に兵舎や拘
   置所などに使われ、1965まで戦災復旧に使われた。
 聖母大聖堂 Muenster Unserer Liebfrau (1183) 修道院の北側にある3廊80m×28mで
   高さ24mのシトー派修道院教会であった。1183に献堂され、1286内陣の火災後改修
   されたが14cに取払われた。1387聖マリアの栄光に今の巨大な十字型バジリカが献堂さ
   れた。1459四角塔と部分的再構築、1798今の塔の姿になった。
 修道院醸造所 Kloster Brauerei (1706) 2階建切妻屋根の建物で1803世俗化後も1951ま
   で醸造業が営まれ、麦芽醸造は1980まで稼働した。今はガストハウス。
 旧兵舎 Ehem.Kaserne (1786) 正門と入口門切石造、隅棟屋根の建物で18112階建に変
   更した。
 旧兵舎 Ehem.Kaserne (1659) 切石造の平屋から、19c2階建切妻屋根漆喰装飾に改造。
   今はガストホフになっている。
 カソリック司教館 Kath.Pfarrhaus (18c) 2階建切妻屋根の建物。19cに改修。
 司法刑務所 Justiz Vollzugsanstalt (1803) 世俗化後に強制労働や刑務所の建物となり、
   その後拘置所、1972刑務所となった。
 住家 Wohnhaus (1711) 2階建切妻屋根の建物で修道院壁と一体である。
 住家 Wohnhaus (18c中) 堅固な入口門のある2階建隅棟屋根の建物である。

5.写真

北門塔 北壁

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カールシュタット Karlstadt BY91

1.歴史

 1198-1202 司教のコンラッド1世は町を創立、1225村で最初のブドウ栽培、
 1236 城と村はリーネッカーの不和で破壊、   1304 町は都市権を授与し防衛施設建設、
 1400 町は短期間司教の造幣所であった、 1409-93 町は大聖堂参事会に質入れ、
 1438 年4回の市場特権と毎週市場開催を確認、1475 ペストで700人死亡、
 1493 司教ルドルフは聖堂参事会の町の質入れを解消、1525 農民戦争で城破壊、
 1540 市民はルターの教えを大半が望んだ、 1579-00 司教ユリアス・エクターは反宗教改革を、
 1631-34スエーデン軍の占領、         1784 マイン側の大洪水、
 1802 世俗化で一時バイエルンに所属、    1806-14 新ヴュルツブルク大公国の一部に、
 1814 最終的にバイエルンに帰属した、    1839-93 要塞の多くが取り壊された、
 1945 米軍の砲撃で町は損傷、      1975 旧市街石膏の下に普及が開始された。

2.市壁  1.00km 0.78

    市壁は2段階に建設された。1次都心壁は、13c後半-1304に長方形で構築さ
   れた。2次の展開は14-17cに行われ、拡張された石の壁に門や塔が築かれた。
   19cに部分的に解体され、東側に堀や1544-58の堀の壁に沿って残されている。

3.塔  3門5塔

 上門塔 Obere torturm (1350) 南市門で猫塔とも呼ばれた。6階建砂岩
   の角塔で警備員の住居を最上階に置き小さなラント屋根を乗せている。壁面はカラフル
   な縁取りと壁画が描かれている。15c歩行者通路が付けられ、19cネオゴシックの2階
   建の守衛所が南に建てられた。
 前門 Foregate (1549) アーチ通路に上階住居の平たい構造で、砂岩に白
     い漆喰塗り壁で、18cには中折れ山屋根に改造された。
 下門 Unter tor () 北門の2本の柱が外側に立っている。
 マイン門 Main tor (1567) 西 高水マークと呼ばれる上階が張り出した円塔あ
   り、その横にアーチ門が開けられている。
 粉挽塔 Roter turm (13.15c) 南西角 テント屋根の3階建て円塔で、19cネオ・
   ゴシックで拡大された。粉挽き工場であった。
 赤塔 Roter Turm (13.16c) 北西角 尖塔付4階建ての角塔。
 半円塔 Halbrunder Turm (1544-55) 北東部に残された2階建て半円殻塔。
 殻塔 Schaelen turm (13.16c) 東 ピラメット屋根4階建て四角塔。

4.見所  B

  主要道路に沿って市庁舎や教区教会の歴史的な建物と裕福な16-17cの3階建て
  木骨造切妻の家が並び、持送床と豊かな装飾があり、バロック時の木組みは石膏の
  下に置かれている。旧市街の西部は職人や商人の家が多く雰囲気がよい。
 市庁舎 Rathaus (1422) 評議会と売買と舞踏の家として建てられた。
   地階に3廊の市場広間があり、上階には大きな市民広間があり、ドイツ市庁舎の
   原型を具現した。地階にはパン屋と肉屋の屋台があった。1486町の計量所を
   設けた。1669に2方向の外階段が設けられた。
 市教区教会聖アンドレアス StadtpfarrKirche (13c) この教会は小さな町の
   ドームとして位置付けられ、最も古い教会の部分は町の創立時まで遡る。
   この教会の中には、町の歴史の全ての世紀の宝物を隠している。例えば、
   1380コワヤに聳え立つ砂岩の救世主キリストの彫像、1512ティルマン・リーメンシュナイダーの聖
   ニコラス像、多くの祭壇画など。
 病院教会 Spital Krche (1438) 聖ヤコブに捧げて建てられた。1269の創立
   ら16cの末まで使われ、1612教会は改造され後期ゴシックの重厚な窓があり、小
   鐘楼・ルネッサンス入口門のある今の形となった。この病院は町の老人を看護した。
 領主司教ワイン事務所 Fuerstbischoflichen Amtskellerei (1717-1862)
バロックの建物は、ヴュルツブルクのBuelinhofの場所に建てられた。バイエルンに移され
   地方裁判所務め、その後地区事務所となった。領主司教ヨハン・フイリップの紋章と
   ロココの絵が入口頂点にある。
 ユダヤ人学校舎 Hasu zur Judenschule (1440) 古い旅館Schenkstattから
   複数の再構築で、双子のアーケードは道路線を越して伸び、罰金を払った。1559
   ヴュルツブルク司教のユダヤ人追放令があった。19cに新たに造られたユダヤ人社会の
   祈りの場所があった。
 アデルマン館 Adelmann haus (1721) 商人で市参事会員のアデルマンは3つの建
   物の跡に大規模な住宅兼商館を建てた。その後の所有者は、1930ワイナリィを経営
   し、1955貯蓄銀行に売却された。店の入り口の上に錬鉄製の彫像がある。
 領主司教事務所セラー主翼 HauptFluegel der Fuerstbischoflichen Amts-
   keller (13c) 聖公会行政事務所として建てた最古の初期ゴシックの建物の一つ
   である。地階は石造の建物は上階の暖炉のある建物に接続し、屋根は緊急時
   に建物を守るための銃眼胸壁で囲まれている。バイエルンへ移行後、王室の会計
   局と警察署として使われ、継続的に700年間官庁として使われた事になる。
 高い邸 Hohe Kemenate (1200) 初めは初期家塔造りの建物で南のOber
   tor付近の防衛の指揮を執ったヴュルツブルクの役人が住んでいた。1638仕立屋・
   肉屋などの職人が住んで外観も劣化した。今は3階建て矩形の石造の建物と
   なり、1994-99再構築されて市立図書館となった。
 木組の家 Fachwerk haus
   Fischer gasse4 (14c) 職人やワイン生産者が住んだ家は1603改修され
     ヴュルツブルクまでの定期就航権を持った人が所有した。
   Oehniger haus (1611) エーニンゲン家がマドンナ彫像を付けて建てた。角
     角柱と豊かな装飾木組みが見事である。
   Haupt strasse6 (1626) 北の主要道路沿いに17c裕福な家の美しい
     木組みの家があり奥には中庭が見える。2階の角柱に建築年号がある。
     大工WSの文字がこの建物を含め5つの建物に付けられている。
   Haupt strasse8 (1675) 1階の軒蛇腹に家主の紋章がある。台座の
     銘板に年号がある。
   Haupt strasse10 (1605) 小さな家であるが、付近の比較的簡素な
     構造トラスと対照的に高品質な装飾トラスが使われている。
   Ehem.DeuschSchule (1560) 上階の木骨構造は地階の古い墓地の壁
     の上に建てられている。ドイツの学校として18c終わりまで使われた。
 市歴史博物館 Stadtgesxhichtliches Museum (1627) 博物館の建物は
   隣の家と共に形成され、様々な紋章からこの建築複合体は貴族の所有であ
   ったことが分かる。町で最初のビールがここで醸造された。1861市は買収し
   て郡議員の宿舎とした。1985修繕後に市博物館とした。町の歴史・ワイン醸造
   の経過・昔に住宅・オモチャ・考古学的発掘品などを展示。
 ヨーロッパ配管工と銅細工博物館 Europseisches Klempner und Kupfer
   Schmlode Museum 配管の古い機械・配管の古い伝統や働き方、銅細工の工
   芸品などの展示。

5.写真

市庁舎 壁塔
上門 北東塔
粉挽塔 南壁
マイン門 ルイ塔

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カウフボイレン Kaufbeuren BY92

1.歴史

  740 バイエルン公国との国境に別荘建設、      1126 ホーエンシュタウフェンの文書言及、
 1266 ハプスブルクの帝国自由都市、1802まで、1327 ルードビッヒ4世によって都市権を保つ、
 1377 テック公爵、1388バイエルン公爵が包囲、      1648 30年戦争で殆ど町は壊滅、
 1802 バイエルンに帰属。

2.市壁  0.43m 0.28

   1200に1.5kmの市壁を建てた。1420に壁を高く増強し屋根付き城壁通路を備えた。
  市壁の残りは、西の山上と北に有り、多くは屋根付き城壁通路が付いている。

3.塔  0門6塔

   古くは3門と9防御塔があったが、5塔とMuenzTurmが残っている。
  SywollenTurm 1420建、円錐屋根の白い円塔は防御塔として建てられ、1249-1964
   はここに聖霊病院があった。
 鞣し屋塔 GerberTurm 1420建、防御塔として建てられ、鞣し革同業組合がこの部分の
   市壁を守備した。
 ブラシウス塔 BlasiusTurm 1420建、防御塔として建てられた。
 五ボタン塔 FuenfknopfTurm 1420建、町の象徴となる建造物、92階段で今日まだ居住す
   る塔内部屋に導かれる。第1次大戦の連合国の紋章が庇の上にある。
 魔女塔 HexenTurm 1420建、防御塔として建てられ、以前の1階はもっと高かった。
 ミュンツ塔 MuenzTurm 15C建、St.MartinsFridhofの門として造られ、15-16cは教会管理
   の倉庫であった。塔内には聖用具があり、取り決めの後参観できる。

4.見所  B

   塔や市壁を除いて、30年戦以降に建てられた市庁舎より古い建物はない。
  17c以降の建物が揃った中都市であり、中心地は賑やかである。
 市庁舎 Rathaus 1870ー1881建 新ルネッサンス様式の3階建で建てた。1960に鐘楼の火事
   の後に屋根と前面を改造した。階段室のガラス窓群と会議場の絵画が見所。
 聖マーチン教会 Kath. St.MartinsKirche  1112-67建、貴族の城の廃墟の跡にロマネスクの
   バジリカ(中央正門・洗礼盤)が建てられ、1403に68.25mの高塔が付けられ、1438
   -43にゴシックに改造された。1480に本祭壇の聖遺物。17世紀にバロック化され、1843
   -99にネオゴシックに聖堂は置き換えられた。
 クレセンティア修道院 CrescentiaKloster 1682-1764建、聖クレセンティアの聖遺物箱が修道院教会
   内にある。修道院山庭園・記念の修道院店がある。
 聖マーチン教区館 Kath.Pfarrhof St.Martin 1630建、この建物は1773までイエズス会邸宅と
   して使われた。
 三位一体教会 Evang.Luth.DreifaltigkeitsKirche 1604に昔のKaiserhausを教会に改
   造され、後期ゴシックの内装で飾った。1820-21に高さ44mの塔を建てた。
 木組の家 Zollhaeuschen 昔の場内の小部屋の入口であり、1921まで舗装通行税徴収
   係の住居であった。前門東側の角塔の基礎として保たれている。
 木組の家 Feuer wehr Museum 火事防備技術と今までに構想された火災防備体制形態
   の発達を展示。
 市博物館 StadtMuseum 1879にシュバーベン最初の博物館は創設された。1901にアルゴイの民
   族文化を収集し、1934に郷土博物館。1200からのアルゴイ木造彫刻、キリスト教十字架、
   ステンドグラスなどを展示。

5.写真

南壁 チボレン塔
南壁
ナメシ皮塔 聖マーチン教会

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ケールハイム Kelheim BY93

1.歴史

  860 最初の文書言及、             879 ケルスガウ伯爵が所有した、
 11c ヴィッテルスバッハ家の所有となる、    1181 バイエルン侯爵による都市権の付与、
 13c 3市塔と市壁による町の防備、    14c ワイン・塩・魚・牛・石材・木材の交易、
 1640 30年戦争で町は疲弊、         1705 スペイン承継戦争で墺が占領、
 1846 ドナウ・マイン運河の開通、       1945 2次大戦は米軍の占領で終えた。

2.市壁  0.13km 0.19

   13cの市壁は、北側と西側に点在するのみ。西南BuergerTurmに5m、西MitterTorに
  30m、西北の角に30m、北AltmuehleTorに30m、北東化角ErasmusTurmに30m、合計125m。

3.塔  3門3塔

 旧工場門 AltmhehleTor (13c) 4階建て角塔で、門前には1875まで守衛所があった。
   門の南側には町の紋章が飾られた。
 ドナウ門 DonauTor (13c) 5階建時計付の角塔で北側に最初1280の紋章がある。ここで15
   cから関税が徴収された。門近くの4小塔はもうない。1913に2体の獅子像は修理された。
 中央門 MitterTor (13c) 元々の切妻屋根は、1809に他の3塔と共に両切妻屋根となっ
   た。市門の内側の壁画は1705墺占領時の肉屋のクラウスが描かれている。
 研ぎ師塔 SchleiferTurm (1476) RoemerTurmとも呼ばれ、旧侯爵宮殿跡に建てられた
   市壁の外の要塞であり、名前はナイフ研磨工場から来ている。1931戦争記念塔となった。
 町召使塔 StadtknechtTurm (13c) 市壁の2階建て角塔で町の召使が住んだ。過ちを犯し
   た男の市民は相当期間を塔の拘置所で過ごさなければならなかった。
 エラスムス塔 ErasmusTurm (13) 北東、エラスムス教会が建てられ、市壁の塔が使われた。1803
   に教会は塔を含めて住宅に改造された。

4.見所  B

 旧市庁舎 AltesRathaus (1548)バロック2階建破風付ピンクの建物は17cに再建された。1824に
   解体復元されている。
 新市庁舎 NeuesRathaus (16c)市民の商館を1879買収して市庁舎とし、1912建物は今の
   階段切妻のある2階建てに復元された。
 聖ヨハネ教会 StadtpfarrKirche maria Himmelfuhrt (15c) ネオゴシックの建物で1877-86に新塔
   が付けられ内部も改装された。祭壇は彫刻で飾られ、左に大理石ピエタがある。
 ヴィッテルバッハ宮殿 Witterbacher Schloss (1050)昔のケールハイム城の跡に、ヴィッテルバッハ家の宮殿
   が建てられたが、ランツフートに1476移された。
 聖マチウス教会 ST.MathaeusKirche (1888)新教ルター派のStadtPfarrKircheで、美しいステンドグ
   ラスと絵画がある。昔ここには迎賓館別館があった。今は新教教区館。
 旧フランシスコ教会 Ehem.FranziskaerKirche (1461-1506)修道院のゴシックの教会であり、1802
   に修道院は世俗化され競売に付された。内陣には1490のバロックのフレスコ画が1953に発見さ
   れた。今はオルガン博物館となり歴史的な3つのオルガンが演奏可能。
 白ビール醸造所 Weissess BraeuHaus (1807)1838中央部分1901大ホールが火災に遭ったが
   すぐに再建された。今も醸造所の大きな建物では小麦ビールが醸造され、美しい中庭には
   ビアガーデンがある。
 オットー礼拝堂 Otto Kapelle (14c)殺害されたルードヴィッヒ侯爵の死の場所に礼拝堂が建てら
   れた。1490には病院も建てられ、1600には今の形の身廊が加わり、ロマネスクの病院教会
   に成った。
 考古学博物館 ArchaeologischeMuseum in HerzogKasten (1480) これは1850に市の
   所有となった後期ゴシックの侯爵の倉庫の中にある。1981地下階の考古学部門が開設さ
   れ古代からの周辺地域の歴史を紹介した。2階は川の町としての洪水・川運の展示が
   ある。中庭には元の遺跡とケルトの壁がある。

5.写真

新旧市庁舎 中門
考古学博物館 研師塔
旧シュール門内側 旧シュール門外側
エラスムス塔 北壁
西壁

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ケムナッハ Kemnath i.d.Oberpfalz BY94

1.歴史

 1008 前駆集落の初文書言及、      1008 皇帝ハインリッヒ2世はバンベルク教区へ贈与、
 1283 バイエルン侯爵はその場所を売却、  1329 プファルツ選帝侯ヴィッテルスバッハ家に落ちた、
 1354-75 町は都市権を授与された、   1623-28 バイエルン・ヴィッテルスバッハ家の支配下へ、
 1689-1801 バイエルンの拳銃製造工場、   1803 堀の水は排水され要塞は取壊し。

2.市壁  0.30km 0.45

   14c後半の市壁は、1572の火災後に再建された。町は門・塔と二重壁で囲まれ、市壁
  は部分的に住宅に取り込まれ、半分近くが判別出来る。

3.塔  1門2塔

   外門の前に堀があり跳ね橋で守られた。14c後半の殻塔は半円形の石積、元守衛の
  塔は瓦礫の石積、内壁の円塔や半円形の塔の切株、家に統合された円塔などの形で残
  されている。
 東門塔 Ostlich TorTurm (1849-51) カトリック教会の塔として東門の塔は使われ、アーチ門のあ
   る角塔の上に八角形のネオゴシック鐘楼がある。1923-24に尖塔は更新された。
 防護塔 Wehr Turm (14c) 南西市壁の防御角塔で円錐屋根が付いている。
 防護塔 Wehr Turm (14c) 南東市壁の防衛角塔で山形屋根がある。

4.見所  B

   旧市街地の多くの建物は16cに遡るが、市民の建物は1848と1854の大火事の後に
  多くが建てられた。中央のシュタット・プラッツには装飾的な前面の建物や噴水・像がある。
 古市庁舎 AltesRathaus (1855)住居として建てられた2階建砂岩造3葉ヒップ屋根の建物で、
   1898-1978の間市庁舎として使われた。今は市図書館。
 旧市庁舎 Ehem.Rathaus (1857-58)3階建石造の多角形狭間胸壁を冠とした前面壁に時計
   塔が最上部にある。1898からは地方裁判所。
 市庁舎 Rathaus (1823)今の市庁舎はシュタットプラッツからちょっと南に、大きな建物に取り付
   いた小さな建物。2階建勾配屋根で前面石積中央突起簡素な外観の建物。
 旧正面 Ehem.Frontveste (14c) 14cの市壁と石材漆喰壁で、17cに3階建高寄棟の建物。
 守衛詰所 Torhaus (1851)2階建切妻屋根の石積石膏仕上の建物。
 旅館:金の冠 Gasthof Zur GoldeneKrone (16-17c) 3階建切妻屋根石積石膏仕上の建物。18
   49に更新された。
 共同醸造所 Kommun Brauhaus (1574)町の紋章の石板がある勾配屋根の石積漆喰仕上の建
   物。1849に更新された。
 旧牧師館別館 Nebengebaeude des ehem.Pfarrhof (14c)半円形の塔と市壁を統合したテント
   屋根の建物は、18cに3階建切妻屋根石工漆喰仕上に拡張された。
 元選帝侯倉庫事務所 Ehem.KurFuerstliches Kastenamt (15c)2階建切妻屋根石積塗装の
   建物は、1572の火災後、3階建出窓付建物に1582に再建された。
 カトリック教区教会 kath.Pfarrkirche (1448) 後期ゴシック3廊サドル屋根石工石膏仕上の建物で、
   1697西廊、1849市壁の東門塔をネオゴシック八角塔高さ85mに改修し、1923尖塔部を更新。
   主祭壇は1644に更新され、1739にロココ化された。
 郷土とフェーダー郡博物館 Heimat und Ferderkreis Museum (1984)歴史的な刑務所の建物に
   小型武器博物館を開設した。バイエルン銃の工場を再現。近代ドイツの火器の開発と先史
   時代からの歴史や文化を展示。塔には鍛冶屋の設備が再現されている。

5.写真

旧市庁舎 東門
防護塔 マルクト広場
西北壁 東北壁

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ケムプテン Kempten BY95

1.歴史

  54 ローマの町の建設、        752 サンクトガレンの修道士が修道院設立、
940 ハンガリーの来襲で荒廃、            941 都市と修道院の復興、
 1213 国王フリードリッヒ2世は町に投資、 1289 ルドルフ王は帝国自由都市とした、
 1477 二つの製紙工場を設立、    1525 農民蜂起で大聖堂や修道院を略奪、
 16C 司教区と併存から独立のため都市を買収した、1635 30年戦争で都市破壊、
 1636 スエーデンとフランスに占領された。  1648 ヴェストファーレン平和条約で復興開始、
 1796 仏革命軍による占領、     1803 バイエルンに帰属、
 1944 2次世界大戦の被害は小。

2.市壁  0.218km 0.10

   HassenGasseとFreudenbergStrasseに市壁が残っている。その他旧市壁の位
  置は通りの名前で分かる。

3.塔  2門0塔

 イラー門 IllerTor 東南角 3階建て角塔。
 孤児門 WaisenTor 南 4階建て角塔。

4.見所  A

   北の宮殿Residenzから南の城Burghaldeまで600mもある。その間に市庁舎・教会
  があり見所は広い。
 町庁舎 Rathaus 1368建、初め木組建物であったが、1474に石造で再建され、前面壁画は
   有名住民の伝説を表現。1601に記名柱の泉を造った。
 宮殿 Residenz 1657-74建、バロックの広い庭園付きの大宮殿。豪華な広間や庭園の向う
   にはオランジェリ。
 トムシュタイン家 TumsteinHaus 1802建、美しい前面の市会議事堂。南市公園の芸術的な門扉、
   ローマ博物館を収容。
 ハイデ城 BurgHaide 1488建、南の丘の後期ローマの砦跡にゴシックの城塔と野外劇場がある。
 聖ロレンツ会堂 St.LorenzBasilika 1652建、大きく綺麗な前面の二つの塔と内陣の上の強
   大な円蓋ある大教会。内部は豊かな装飾と祭壇、彫刻のある聖職者席。
 聖マング教会 St.MangKirche 1426-28建、ゴシックの教会、高さ66mのロマネスクの双塔。広場に
   1905ユーゲントシュチールの泉、後ろに13-15Cの中世風家並がある。
 穀物倉庫 KornHaus 1700建、4階建渦巻破風の穀物会館、今はアルゴイ博物館。
 王室厩舎> Marstall 1730建、今アルプス博物館。太古から現代の山と人を展示。
 歩行者道 FischerStr.と北のKlosterSteigeに18-19Cの記念物的な住宅と商家の家並みが
   ある。ネオロココ前面の建物が目立つ。

5.写真

市庁舎 南西壁
南西壁 イッラー門
広場 南東壁
南東壁 南東壁
市庁舎広場 聖マング教会
南壁

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キッティンゲン Kitzingen BY96

1.歴史

 746 ベネディクト会修道院の創設、  1040 王ヘンリー3世は壁に守られた町に整備、
1057 帝政修道院をバンベルクの監督権へ、    1300 マイン川橋の町として言及、
1336-1406 ホーエンローエ伯爵が支配、   1443 アンスバッハ辺境伯が再償還権を取得、
 1469-96 外側の強化壁の一部構築、   1525 農民戦争で修道院を略奪・破壊、
 1629 司教は町をヴュルツブルク本山へ、 1631-34 スエーデン軍は町を占領、
 1683-92 旧ベネディクト修道院跡にウルフリン修道院建設、1792-1815仏軍の侵攻で被害、
 1802 バイエルンの地域になった、 1803 バイエルンに帰属、1806-14ヴュルツブルク大公国、
 1814 バイエルン王国に戻った 1936 駐屯地の町になった、1945 空爆で35%損傷。

2.市壁  0.09km 0.01

   13-14c長方形の内側市壁は、カプチナー通の上側に3円塔と共に60m残っている。
  15cに郊外に拡張された市壁は、塔を除いて殆ど残ってない。

3.塔  0門16塔

 13-14cの内側市壁の塔門
    ①西南角の屋根なし円塔。②その東側に市壁でつながる円錐屋根の小塔。
    ③その東側に市壁でつながる六角屋根の円塔。④マルクト通のマルクト塔は地下部分14c
     上階は1546に再建された壁塔。⑤南東に円錐屋根の壁塔。
 15cの外側市壁の塔
    ⑥FulterTurm南の国道沿い5階建タカサ2mの帽子のある監視塔。⑦北の円形の壁塔。
    ⑧北西の2階建の円塔。⑨北西に1496の2階建要塞角塔。⑩北西に階建要塞塔。
    ⑪南東に3階建角塔。⑫南西に3階建円形の要塞塔。⑬東に円形の要塞塔。⑭東に
    円形の要塞塔。⑮東南に3階建要塞円塔は建物の一部。⑯DeusterTurm(15c)ドイスター
    城にあったが1845の爆撃で破壊され、後に学校の中心に保存された。今は160種
    の展示会場。5階建ての角塔である。

4.見所  B

   1300には、古いマイン橋が石造で架けられ、交通の要衝としてヴュルツブルク本山の支配
   下で発展した。15cからの木組の家も旧市内に散在する。
 市庁舎 Rathaus (1561-63) ルネッサンスの市庁舎は、壁パネルのある歴史的な会議室を見所とし
   ている。隣に立つ高さ39mのが立ち、かっては見張塔・刑務所で使われた。
 ポガニーツの家 Poganietz Haus (16c) マルクト広場の古い木組の家で、RoesnerBackstubeの2階
   に、製菓博物館がある。1722-1937の菓子会社の工芸展示がある。
 古いマイン橋 Alte Main Brueke (1300) 中世初期の石造大橋梁で、内側の橋門は市壁の東門
   でもあった。12アーチの構造は、舟運の円滑化ののために1955改修された。
 旧シナゴーク Ehem.Synagoge (1882-83) かって重要なユダヤ人のコミュニティであった。1938水晶の
   夜に壊され、1991-92再建されて、文化・教育的な行事に使われている。
 ルイトポルトbau Luitpoldbau (1914) 豊かな食塩水が発見された後に、アールヌーヴォー2階建マンサード
   屋根の建物が建てられ、長い間浴場で会った。今は市立図書館・成人教育センターとし
   て使われている。
 聖ヨハネ教会 St.Johannes Kirche (1402-63) バイエルン北部で重要な後期ゴシックのホール教会であ
   る。豊かな石の彫刻で飾られた北と西の入口がある。1500リーメンシュナイダー工房のオリーブ山
   がある。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1686-97) バロックのホール教会は、初めウルスラ尼僧院教会として
   奉献された。1803世俗化で尼僧院は解散され、軍病院として使われ、1817に市教会と
   して再聖餐された。1945空爆で破壊され1950までに再建され三度目の奉献。
 市博物館 Stadt Museum (16c) 19cに設立され町の文化と経済の歴史を展示した2階には歴
   史的な薬局が再現されている。
 ドイツ・カーニバル博物館 Deutsche Festnacht Museum () ドイツ全土からの印象的なメディア・ショー
   や多数の伝統的な衣装がある。
 住家 Wohn Haus (1898) 角の3階建マンサード屋根のヴィルムヘルム様式のレンガ造建物。
 旧ベネディクト修道院 Ehem.Benediktinerinum Kloster (1582) 中庭の翼と階段塔のある3階
   建サドル屋根に一部トラス構造のある建物。アーチ下には1582の年号がある。今は地方事
   務所Landratsamtである。
 住家 Wohn Haus (1764) ロココ・スコッタの3階建マンサード屋根の大きな木組の家。
 住家 Wohn Haus (1525) 古い2階建サドルフーフの上階木組の家。
 住家 Wohn Haus (1484) 3階建急勾配マンサード屋根の建物で18cに一部改修。
 旧醸造所 Ehem.Brauerei (1800) 平屋マンサード屋根のある建物。大麦倉庫(1880)は石灰岩と
   レンガ造の建物。
 住家 Wohn Haus (16-17c) 装飾用のトラスを備えた4階建サドル屋根の家。
 住家 Wohn Haus (1559) 3階建サドル屋根上階木組の上階迫り持出の家
 住家 Wohn Haus (1588) 3階建屋根裏付きの家、入口上に年号がある。
 旧地方裁判所 Ehem.Antsgericht (1878) 旧ライデンホフに3階建で建てられた。今は土地調査庁
   として使われている。
 住家 Wohn Haus (1563) 2階建サイドサドル屋根の上階木組の漆喰仕上の可愛い家。
 宿屋 Gasthaus (16-17c) 2階建サドル屋根の上階木組みの装飾的な前面の家。

5.写真

市庁舎 聖ヨハネ教会

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クリンゲンベルク Klingenberg BY97

1.歴史

 1100 クリンゲベルクの貴族が支配、         1177 スタウフ家が建物を建設、
 1250 スタウフ家の家族が町に移動、       1276 リング壁と教会で町の初言及、
 15c末 ハーナウ・リヒテンベルク家が町に来た、      1504 町はマインツ選帝侯に落ちた、
 1552 辺境伯戦争で町はほぼ壊滅、       1803 アッシャヘンブルク公国へ所属、
 1814 バイエルン王国へ帰属。

2.市壁  0.15km 0.27  城壁0.29km 1.00

   旧市街は13cの市壁に囲まれて3門があり、15cには補修された。今では城と旧市街
  をつないで壁が残っている。

3.塔  1門0塔

 泉門 BrunenTor (15c)正方形の6階建フード付きの門塔で、15cの下部構造・ルネッサンスの床
   ・16cバロックの屋根・18c石積の漆喰。

4.見所  C

   城の下のブドウ畑を城壁が囲み、その下にある台形の旧市街地には、古い木組の家が多い。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1561) 美しい木組の市庁舎には、寄棟屋根と中央出窓は2001
   に復元され、今は観光案案内所となっている。
 クリンゲンブルク Clingenburg (1177) 1250からビッケンバッハー領主がこの城に住んだ。その後16c
   までは城居住執行官が居た。1871市は城遺跡を取得し、20cにはレストランと展望台を開業した。
 市宮殿 Stadt Schloss (1693) 1892までルネッサンスの宮殿に家族が住んでいたが、その後個
   人所有となり中庭には1741からバラ園やフランス風の茶室があり、夏にはコンサートが開催される。
 新教トニニチス教会 Ev.Trinitatis Kirche (1965) 三位一体教会。
 ワインと遺産博物館 Wein Museum (1934) ワイン生産の全プロセスを再現し、村の鍛冶屋機能を
   展示。3階には女性の役割を説明。
 聖パンクラス教会 St.Pankratius Kirche (1407) 礼拝堂は1467に建てられ、1617に塔は拡張
   され、1892に改築された。

5.写真

市庁舎 教区教会
教会通 泉門
南壁・城壁 路地門

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ケーニヒスベルク Koenigsberg BY98

1.歴史

 1168 王フリードヴィッヒ・バルバロッチの城建設、  1180 侯爵メラニエン・アンデシスは城に居住、
 1333 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権授与、  1358 自主裁判権と全都市権を保持、
 1523 宗教改革の導入、                   1584 ペスト流行、
 1632 テリィー将軍占領と130戸焼失の大火災、 1633 ペストで172人死亡、1640大火災、
 1648 30年戦争が終結し町は再建へ、    1675 チフス流行、
 1732 町はプロイセンへ、           1805 ナポレオンによる仏支配、
 1827 新領主エルンスト1世が町を訪問、    1918 ザクセン・コーブル・ゴーダ公国の飛地に、
 1920 バイエルン共和国に帰属した。

2.市壁  0.06km 0.01

    1343最初の市壁が築かれ、15cに拡大した郊外の柵壁も組み込まれた。
  Mauerwegと右側の上下の直線部には市壁が在ったと想定され、西南門付近と下直部
  の殻塔に市壁がある。

3.塔  3門0塔

 射撃門塔 Schuetsentor (1514) 西門は戦争で壊され、1710木造2階建門に全面改築
   した。1870小病院となった。
 未発見門塔 Unfindertor (1552) 1703の改築でアーチ石門の上に木組の上階がマンサード
   屋根で乗り、隣の楽長生誕の家と繋がった。
 ハスヒューター門塔 hassfurtertor (1715) 3階建ての守衛詰所・石造アーチ・木組上階がある。

4.見所  C

    17c後半から18cの木組みの家が多く残り、美しい模様や彫刻が楽しめる。
 市庁舎 Rathaus (1456) 地階・石積上階木組みの市庁舎は、30年戦争の1632に上階は
   焼け1668に再建された。1981には復元され、市庁舎の前には太っ腹のローラント像が
   1605授与の都市の権利の象徴として立っている。塔のカリオンは11.30と15.30にな
   る。
 聖マリア教会 Marien Kirche(1397-1432)3身廊ゴシックの教区教会で、高さ46mの塔は、
   1446に完成した。1640の火事で焼けたが、1420のマドンア像が残った。1898-1904
   改装され、2002-05に改修された。
 ヴォルフガング・カール・ブリーゲルス生誕の家 Geburtshaus Wolfgang Carl Briegels (16c) ダルム
   シュタットの楽長でバロック讃美歌の作曲をした。1604市長が建物を建て、息子が薬局を
   開き、1621市長の娘が薬剤師と結婚し薬局を継ぎ、この家の住人から作曲家が生
   まれた。
 塩市場 Salz markt 2-3階建ての美しい木組みの建物が並び、バイエルン皇帝の都市権に塩
   の特権を得て、塩市場を開いて交易を行った。
 テリィの宿舎 Quartier Tillys (16c) テリィ将軍は1632に30年戦争で町を占領し火事で残った
   上階木組のこの家を宿舎とした。
 時計職人の家 Uhrmacher haus (1733) 彫刻が美しい2階建ての木組みの家を時計職人
   が建てた。
 帝国城 Reichsburg (1168) 1525の農民戦争で破壊を免がれたが、30年戦争では壊され
   た。17c新たに城を建て要塞を強化した。1754ザクセン侯爵が所有し、1854個人に売
   却した。今、城跡は良い環境を提供している。

5.写真

市庁舎 未発見門
未発見門内側 西門
北壁 南壁
マルクト広場 ライヒス城
マリア教会 エドバルト通

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クロナッハ Kronach BY99

1.歴史

 1003 最初の文書言及、    1122 皇帝ヘンリー5世はバンベルク司教に町を与えた、
 1517 要塞ローゼンバークを強化した、1618-48 30年戦争で数回包囲されたが全て撃退、
 1945 無傷で2次大戦を乗り越えた。

2.市壁  0.49km 0.77

   逆三角形の市壁の西側の一部が失われている。

3.塔  0門1塔

 魔女塔 HexenTurm 1444建、市壁の北東の角にあり、4階建直方形の塔で
   17Cまで地下に刑務所が置かれた。

4.見所  C

   戦争の損害が軽微で歴史的な建物が多く残っている。
 市庁舎 AltRathaus 1583建、中に宴会場や屋内市場がある。
 聖ヨハネ教会 St.JohannesKirche 1634建 教会の北側にはフランケンゴシックの美し
   い入口がある。中には1498のヨハネ像がある。
 ローゼンベルク要塞 Rosenberg Fastun 1249建、バンベルク司教が初めに築いた23.6ha
   の五角形大要塞である。15cの望楼と城壁は30年戦争のスエーデン軍の攻撃に耐えた。
    要塞には、フランケン美術館(クラナッハの絵画)、ドイツ要塞博物館、フランケン森林博物館、
   石工博物館がある。

5.写真

市庁舎 北塔
南塔 東塔
南西壁 南壁
北西壁 マルクト広場
メルシアー・オットー広場 ローゼンブルク要塞
旧市庁舎 市庁舎
ロゼンブルク要塞 城門

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クルムバッハ Kulmbach BY100

1.歴史

 1003 皇帝ハインリッヒ2世はシュバインフルトを鎮圧、    1025 村の肉屋の小屋を初言及、
 1057 シュバインフルト伯爵の死後ディーセン伯爵に落ちた、     1200 要塞教会の建設、
 1231 町は都市権を授与され市壁で守られた、1248 チューリンゲン伯爵の支配下で要塞、
 1340 ツオーレルン城伯ニュルンベルクが支配、  1361 皇帝カール4世は城伯へ鋳造権を与えた、
 1430 フス派が破壊、  1528 宗教改革の導入、 1553 連邦身分戦争で町は破壊、
 1575 チフス、1602 ジフテリア、1616 ペスト流行、   1642 バイロイトへ移転、
 1792 辺境伯はプロイセン王に財産を残した、  1792-94 仏軍の捕虜収容所となった、
 1810 ツオーレルンの領域は新バイエルン王国へ、    1882 町に26の醸造所があった、
 1945 無傷で2次大戦を乗り越えた。

2.市壁  0.28km 0.28

   14cの市壁は、主として町の西南部に残されている。

3.塔  0門7塔

 白塔 Weisser Turm (14c) 北の5階建砂岩造の四角塔で1553に再建。
 防御塔 Wehr Turm (14c) 北の3階建の円塔で、上階に多角形の台がある。
 赤塔 Roter Turm (13c) 東の13cの要塞の一部である。5階建の角塔で最上部
   は木組である。16c半ばに赤い尖塔が付けられた。今は町の音楽家の住居である。
 牢獄塔 Fronfest Turm (14c) 4階建の四角塔で、尖った屋根を持つ。
 壁塔 Mauer Turm (17c) 市壁から突出した4階建ての角塔。
 神聖刀塔 Heiliing Schwert Turm (14c) 市壁から突出した半円形の殻塔
 鹿塔 Reh Turm (1498) 東南の山中の見張塔で、1891にタカサ30mに嵩上げ。

4.見所  A

   山頂から大きな城が見降ろし、旧市街地には大きな建物が並んでいる。ツオーレルン
  家の町として栄え、中世から近代までの各種建築様式の建物が存在している。
 プラーセン城 PlassenBurg (1135) アンデックスのディペルト伯が初め城を建てた。1340ホーエンツオーレルン
   のニュルンベルク城伯が城を取得し18c迄所有した。1553連邦身分戦争で全壊した。16c
   末にルネッサンスで再建された。1791プロイセンの一部となり、1810バイエルに帰属した。その
   後は戦争キャンプ・刑務所として使われ、1929に四博物館となった。
    ①景観博物館、②ドイツ錫人形博物館、③ホーエンツオーレルン博物館、④陸軍博物館。
 バイエルン醸造所とパン屋博物館 Byerisches Brauerei und Baeckerei Museum エジプトや
   ケルトの製法を含め、ビール醸造機器とビアグラスの博物館を開設し、2008からはパン
   屋博物館を併設した。
1.ロマネスク・ゴシック
 聖ペトロ教会 St.Peter Kirche (12c) 東の丘の上に立つ要塞教会で、砲台を尖塔として
   使った。1439フス派による破壊の後、1439後期ゴシックのホール教会として再建された。
   ホーエンツオーレルンの墓教会である。1878-80内側はゴシック・リバイバルとして再改装された。
 市壁と塔 Stadtmauer und Turm (14c) 約1㎞の市壁の内280mと5塔が残る。
2.ルネッサンス
 ルネッサンスの小宮殿 Renaissance Schlosslein (1571) 3階建切妻屋根の木造漆喰塗の建物。
 旅館 Gasthof WeisseRoss und Ratskller (16-17c) 2階建の木組の旅館。
 プラーセン城 PlassenBerg (16c) 山頂のドイツでも大規模なルネッサンスの城。
 風呂屋 Badhaus (1398) 初めの建物は1553-80に今の姿に拡張された。19cまで浴屋
   として使われ、1999に改修され浴場と美術館として開業した。
 住家 Wohnhaus (17c) 2階建切妻屋根上階木組の前面装飾の美しい家。
 城財産 Burggut (1587) 3階建切妻屋根の上階木組の角の家。
 旧城財産 Ehem.Burggut (1571) 2階建切妻屋根上階木組の屋根窓付の家。今はルター派
   の子供学校である。
 旧辺境伯夫人法律事務所 Ehem.Markgraeferich kanzelei (1562) 2階建軒付の中央
   突出出窓の建物。1913からは地区事務所になった。
3.バロック・ロココ
  Langheimer Amtshof (17c) この場所には礼拝堂があったが、1553の都市破壊で消滅
   した。シトー派修道会は財産を管理するためAmtshofを置いた。旧修道院の中庭
   には、今は職業訓練学校などの許育機関がある。
 病院教会 Spital Kirche (1738-39) 中世にはエリザベス病院の礼拝堂であった。1738に新
   教病院教会となった。天井画はキリストの昇天が描かれ、17cの祭壇や説教壇がある。
     市庁舎 Rathaus (1752) 1520-30に建てられた市庁舎は1533に壊された。3階建鐘楼
   付きの市庁舎で、ドーム状の曲がった破風のあるロココの前面で飾られ、
   アンデックス・マラニアー・ライオンとホーエンツオーレルンの紋章が飾られている。
 住家 Lohgerher haus (1750) 3階建片持ち上層階のあるなめし革屋。
 新教学長の家 Ev.Dekanat (1730) 2階建寄棟屋根砂岩造の大きな建物。
4.歴史主義・アールヌーボー
 市場噴水 Markt Burnnen (1896-99) アールヌーボーの噴水が置かれたが、1899に解体され
   1994に再建された。
 カソリック教区教会 Kath.Pfarr Kirche (1894) ネオゴシックで新設された。
 サントラー・ビラ Sandlers Villa (1889) 2階建アールヌーボー寄棟屋根出窓付の別荘で、1906-10
   に歴史化された切妻に改築された。
 クラブハウス Verienshaus (1884) マルクト広場に突出した2.5階建寄棟屋根の家。
 地方裁判所 Amtgericht (1900) 2階建寄棟屋根砂岩造2翼の大きな建物。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
聖ペトロ教会 学長の家
前要塞 牢獄塔
西壁 南壁

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ランデスベルク Landsberg BY101

1.歴史

 961 オットー大皇帝は修道院に1/10税を寄付、1156 デェートリッヒが権利を継承、
 1160-80 丘の上に中庭に礼拝堂のある新城を建設、1291、ブランデンブルク辺境伯が所有、
 1347 マイセン辺境伯が町を買戻した、      1509 帝国自由都市となる、
 1514 城の破壊、 1534 ビール醸造の開始、 1579 州都市憲章が年10ペンスで許可、
 1598 南に町を拡大し市庁舎の建設、    1618-48 30年戦争による略奪や放火、
 1806-13 フランス軍との戦い、         1815 プロイセンに帰属、
 1945 2次大戦爆撃の被害は些少。

2.市壁  1.29km 0.59 

  東側と南側に塔・ツインガー・堀と共に市壁が残っている。

3.塔  4門7塔

 砂州門 SandauerTor 北の市門、30年戦争時にルネッサンス様式に更新。
 バエルン門 BayerTor 1425建、東南の市門、改築当時のバイエルン領主の紋章のあ
   る飾られた代表的な建物。高さ36mのゴシックの大きな塔。
 パン屋門 BaeckerTor 東側の内門として建てられた。
 染め屋門 FaerberTor 東側の外門として建てられた。
 野鴉塔 DachlTurm 北東に防御塔として建てられ、ここに野ガラスの巣があっ
   たためこの名前が付いた。
 火薬塔 PulverTurm 北東の角に防御塔として建てられ、火薬庫にもなった。
 娘跳び塔 JungfernsprungTurm 南西の防御塔、30年戦争の残虐行為からこ
   の名前が付いた。
 修道女塔 NonnenTurm 南西の角の塔。
 脂塔 SchmalzTurm(SchoenerTurm) 15Cに改造、最も古い市壁の東門。
 魔女塔 HexenTorm(FronvestTurm) 最も古い市壁の角塔。
 母塔 MutterTurm 1884建、レッヒ川の対岸に凝灰岩の切石でアトリエとして建てた。
    伝統博物館がある。

4.見所  B

   旧市街地内への道路は車で混雑している。中世に交易の中心地として栄えた
   都市。旧市街の東側が高くなっており、川側の低地に石造の家並みが広がる。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1719建、ドミニクス・ティーマーマンによる化粧漆喰装飾の前
   面の4階建建物。絵画とフレスコ画で大宴会場は飾られている。
 市教区教会 StadtPfarrKirche 15C建、支柱バジリカとして建てられ、バロック
   の装飾。中には、1440マドンナ、後期ゴシックのステンドグラスがある。
 聖十字架教会 HeiligKreuzKirche 1752-54建、昔のイエズス会学院。フレスコ画。
 旧ウルスリン修道院 EhemaligesKloster der Ursulinen 色付きの前面のあるロココ
   の教会。
 ヨハネ教会 JohanisKirshe ドミニクス・ツイマーマン設計による後期ロココの教会。
 新町博物館 NeustadtMuseum 昔のイエズス会の高等中学校、地方山地芸術・
   町の歴史・レッヒ川とアマー湖の絵画等を展示。
 シュブ博物館 SchubMuseum 多くの地方や有名な人物の靴の収集品。
 染物館 FaeberHof 昔の町の染め物工場。 

5.写真

旧市庁舎 ベッカー門
ザンダウアー門 魔女塔
シュマルツ門 フェルバー門

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ランツフート Landshut BY102

1.歴史

 1204 バイエルン侯爵ルードヴィッヒ・ランツフートは城と町を築いた、  1250 町の一次拡大、
 1253 硬貨の鋳造、1280 町の二次拡大、 1320 三位一体広場に町の三次拡大、
 1338 町の第四次拡大 Freyungの町設立 新市壁はドミニコとフランシスコ修道院を守る、
 1340 町の第五次最後の拡大、   1342 大火で112戸焼失して 石造が増えた、
 1392 フラデリック侯爵が町に居住、    1536 侯爵ルードヴィッヒ10世は宮殿を建設、
 1632.34.48 スエーデン軍等の占領略奪、 1704-15ス ペイン承継戦争で墺の占領、
 1742-45 墺の支配下で墺継承戦争  1771 中世の市門撤去開始、Spital門解体、
 1802 世俗化にとる修道院の解散、  1809 ナポレオン敗北し墺が町を占領、
 1945 空爆による被害、米軍の進駐。

2.市壁  1.10km 0.35

  強力な防衛塔と頑丈な市壁と広い堀による要塞は、1232に記録が残っている。
  13cから拡張と増強を行ったが、17cの30年戦争以降に破壊が始まり18cから取崩
  された。市壁が残っているのは東側の山沿いである。

3.塔  2門1塔

   16cには、対岸の門を含め9門と30余の壁塔が在ったが、多くは破壊された。
 城家門 BurghauserTor (1209) 城の入口の南にあり東方向の2階建の角塔。
   塔の銘刻によると1209設立とあり、1447に装飾した記録もある。
 地方門 LaendTor (13c) 東への一次市壁の3階建の門である。1812拡張と
   運河開設で狭くなり門の側塔とツインガー壁は取り壊された。
 壁塔 RoecklTurm (13c) 5階建ての大角塔、イザール川に面した中世の市壁の前
   の要塞の一部であり、1990に修復され文学カフェとして使われる。

4.見所  B

   幅広い中心の歩行者専用道路Altstadtに市庁舎と聖マーチン教会があり、大きな
   建物が並ぶ地方中心都市である。
 市庁舎 Rathaus (1380) 市庁舎はゴシックの3つの尖った切妻が一つに纏まった前
   面を構成している。初めは中央の家を町の評議会が購入して使用したが、1452
   に角の家を、1503に3番目の家を購入した。角の家は1570に張出窓が整備され
   た。繰り返された改造の後に1860にネオゴシックの前面となった。今は事務所・展
   示場・2階の大会議室・地階の食堂がある。
 郡庁舎 Landschft Haus (1225) 前面に模様のある4階建ての建物で軒がある。
   1255-90に新しく組織された下バイエルンをここで統治した。1796と1971
   に前面塗装は再施工された。
 トラウスニッツ城 Burg Trausnitz (1204) ヴィッテルバッハ王家の家系発祥の城バイエルンの
   ルードヴィッヒ1世によって創立された。1255-1503はこの町が下バイエルン公国の中心
   であり、城は、宮殿と中央官庁所在地としての重要性があった。城の全盛期
   は16cであり、バイエルンのお世継ぎがこの町で成長した。
 聖マーチン StiftsBasilika St.Martin (1385) 町の教区と合議教団の教会聖マーチン
   は、ハレン教会として始まり、1500にゴシックの珍しい垂直的な建築様式の教会と
   して完成した。塔は130.6mと世界で最も高い煉瓦の塔である。
 精霊教会 Heiliggeist Kirche (1407) 後期ゴシックの壮大な3身廊ホール教会で、北
   側に塔、南側に2階建ての聖具室があり、1464西入口が完成した。
 聖十字架教会 HeiligKreuz Kirche (1698-1700) フランシスコ会の修道院教会として
   建てられ、世俗化で1802女子修道院は廃止され、大学や神学校と教会として
   教会として1999市が所有し、2002-04にバロックに復元された。今は、聖職者文
   化の展示と音楽・催物の大ホールがある。
 ロークス礼拝堂 Rochus Kapelle (1497) 後期ゴシックの単身廊煉瓦造の構造で、市民
   や商人の寄付で建てられた。15cに霊魂の家と天然痘の家が礼拝堂に建設され、
   前者は町の病院となり、後者は1808に民家になった。
 彫刻美術館 Skulpturen Museum in Hofberg (1998) 東側の市壁に面してあり、
   彫刻とアフリカ芸術等を展示。
 回廊博物館 Museum in Kreuzgang (1999) 旧フランシスコ会修道院が1803に世俗
   化の後、定期的に展覧会が開かれている。

5.写真

市庁舎 地方門
レッケル塔 西壁
Hofberg 旧市街
Trausnitz城 聖マーチン教会
Jesuiten教会

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 ランゲンツェン Langenzenn BY103

1.歴史

  954 町で帝国議会の開催、   1021 皇帝からの寄付でバンベルク大司教に、
 1248 ホーエンツオーレルン家が町を購入、        1329 市場権を授与された、
 1360 都市権を受け裁判所を置く、 1618-48 30年戦争で何回も占領された、
 1720 大火災で市庁舎も焼失、    1791 辺境伯は町をプロイセンに売却、
 1806 最終的にバイエルン王国に帰属、  1936 空襲、1945 数回の空襲で被害。

2.市壁  0.55km 0.46

   14Cに要塞が作られ、1875-91に一部分取り壊された。
  主として北側と西南側に半分近く残っている。

3.塔  0門1塔

   残った市壁の近くに、聖門・書記門・下門・上門・があり、菩提樹塔と共に
  1875-91に都市美化協会の諮問で全て取り払われた。1966には見張小塔また
  は狐小塔も取り払われた。
 菩提樹塔 LindenTurm (14c) 取り壊されたが、千年祝賀記念として復元され
   た。3階建て各屋根の円塔である。

4.見所  C

   修道院を中心として、木組みの家が残る細長い町。
 修道院 Kloster (1409) 1460軍の侵攻で破壊されたが8年で再建。1537修道院
   は世俗化された。1560-1801辺境伯の管理者事務所として使用され、1797-
   1806はプロイセンの兵舎になり、その後教区司教館と校舎として使用。
 町教会 Stadt Kirche (1369) フデリック4世が寄贈した。1409からはれ、1797-
   れ、1797-会となった。修道院回廊の南側に位置した。今は新教教会である。
 聖ゲオルク教会 St.GeorgsKirche (14C) 1407に文書言及された。1488に入口は改
   修され、ゴシックの尖頭アーチと内陣がある。1936に15cの壁画発見。15cの聖
   ゲオルク木像・1688の説教壇・1699の洗礼盤が有名。
 市庁舎 Rathaus (1727) 1720の火災で焼失後に砂岩の建物を建設。
 郷土博物館 HaimartMuseum (1622) 昔は旧墓地礼拝堂であった。1957からは
   博物館となり、石器時代からの町の歴史を展示。

5.写真

市庁舎 南壁
西壁 北西壁
北中壁 北東壁
ライム塔 市教会・郷土博物館

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ラウフェン Laufen BY104

1.歴史

  748 バイエルン侯爵はザルツブルク司教に町の財産を贈る、826ザルツッハ川の塩舟運、
 1050 ザルツブルク大司教は為替業務を町に、1160 大司教は町で教会会議開催、
 1166 皇帝フリードリッヒ1世は城中で裁判、     12c末 町は市壁で守られた、
 14c末 プッヒハイム大司教の船の拠点構築、  1417 全ての船27の権利を買収、
 18c末 9800tの塩が町を通じて出荷、  1813 ザルツッハ川はバイエルンの国境に、
 1866 鉄道の敷設で船は塩の運送を失う。

2.市壁  0.02km 0.01

    市壁は1251に言及されるが12c末には町を囲んでいた。凸凹のある市壁は
  上部で0.7m下部で1.5mの厚さで12-13mの高さがあった。市壁は戦争の時代
  に継続的に拡大強化されたが、今はAm Stadt Parkに僅か20mしかない。

3.塔  2門1塔

 上門 ObersTor (13c) ザルツブルク門とも呼ばれ、4階建四角塔で四角錐屋根の
   上に鐘楼がある。前面は2mの厚みがあり、前には堀と架橋を備えザルツブルク
   大司教の紋章がある。
 下門 UntersTor (13c)橋門とも呼ばれ3階建ての四角塔である。川側門で夜
   には閉めて唯一の鍵は市長が持っていた。門の左に1816の旧税関の建物があ
   る。今も右側に市壁の跡がある。
 牢獄塔 Fronfeste (13c)市壁の一部として4階建て角塔は町の防衛施設であっ
   た。17cには刑務所となり、1891-92に隣の建物は刑務所の容量不足で建てら
   れ1946女受刑者を収容した。1951宿泊施設に改造され、今は市公文書館にな
   っている。

4.見所  C

    サルツッハ川の湾曲して凸の場所にある小さな町で、宮殿から教区教会までの
   大通りの両側に2-3階建ての」大きな建物が並んでいる。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1474) 4階建尖塔付の建物で1564-66に漆喰の前面
   となり、1796に大規模な再構築が行われた。1862大規模改修が行われたが、
   1975には新市庁舎に移った。今は文化的行事や祝宴を開催。
 新市庁舎 NeuesRathaus (15c) 4階建てのハウンスペーパーの邸宅として建てられ、
   1700まで大司教の役所、1862裁判所後に地区事務所で使われ1975から新市
   庁舎になった。
 宮殿施設 Schloss Anlage (8c) 初め要塞化された建物として記述され、1478
   -1702はザルツブルク裁判所が置かれ、1702大司教の夏の離宮と狩猟館に4階建で
   再建された。1862-1930囚人収容所と短期兵舎になり、1970に改修されてアパ
   ート・オフィス・診療所・店舗として使用された。
 教区教会 Stifts Kirche (1330) 初めのロマネスクのバジリカから、塔だけを残して
   ゴシックの門と回廊アーケードを持つ教会に大改造された。1655主祭壇も1800に改
   装され、唯一翼祭壇のみ古い。教区の芸術収蔵物が置かれた。
 聖ミカエル礼拝堂 St.Michael Kapelle (14c) 東西の端が回廊で結ばれた地下納骨
   堂の礼拝堂で、バロックの大理石祭壇カが19cに置かれた。回廊は16c貴族の墓へ
   接続する後期ゴシックのアーチの柱廊として作られた。
 カプチン修道院 Kapuziner Kloster(1655) カプチン修道士は1647から活動し、1655
   に修道院の基石を置いた。1659聖ペテロ、1663修道院教会の奉献がなされた。
   1887火災後に再建され、一次軍に接収されたが戦後1945に返還された。19
   96からはバイエルン州の自然保護施設となり教育・宿泊施設となった。

5.写真

上市門 下市門
南西壁 南壁
Rupertus広場

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ラウフ Lauf i.d.Pegnitz BY105

1.歴史

 1243 エンゲルトハル修道院の文書で初言及、  1268 城と集落はバイエルンとなった、
 1275 市場の開催に言及、  1464 工場で4研削ミル・4製材所・12ハンマーが稼働、
 1353 皇帝カレル4世は町を購入、 1355 皇帝カレル4世は都市権を授与し要塞化、
 1360 皇帝カレル4世は城を再構築、  1375 ヴィッテルスバッハ家に所有権が移った、
 1504 ニュルンベルクの財産になった、   1553 2次辺境伯戦争で町は破壊、
 1806 再度バイエルン領となった、 1908 町は区役所から地区事務所となった。
 1945 2次大戦の大きな被害は免れた。

2.市壁  0.075km 0.12

   1430町と城との間の袖壁を構築、15-16cに砂岩切石積の市壁を建設。
  一部防衛通路を含めて残っている。

3.塔  2門1塔

 ニュルンベルク門 Nuernberger Tor (1526) 下門とも呼ばれ、2階建長方形の切妻屋
   根の砂岩切石造で、アーチ通路がある。
 ヘルスブッヒャー門 Hersbucher Tor (1476)上門とも呼ばれ、4階建の尖塔付き四角
   塔で、アーチ通路がある。
 砲台塔 Betterie Turm (15c)ユダヤ塔とも呼ばれ、15cの柱廊と寄棟屋根付半円
   3階建砂岩切石の塔で、3階部分は木組構造の屋根付き通路が付いている。

4.見所  B

    市壁・門・塔が残り、幅広く長いマルクト広場に面して、16cからの木組の上
   階や切妻が連なって見事である。
 旧市庁舎 AltesRathaus(1553) 細長い2階建の砂岩造の建物で、切妻屋根の上
   には鐘楼がある。1603に再建された。
 宮殿 Schloss (1356-60) 皇帝カール4世の下で切石造の建物は建てられた。16-17c
   に三角形中庭を囲んで2-3階建に増築され、1801北と東に新宮殿翼、西は旧
   建物、南には門塔が建てられた。
 聖ヨハニス教区教会 Pfarrkirche St.Johanis(1350-60) 14cの核に1550の拡張と5
   階建の塔の建設、1680八角形の塔とタマネギドーム、1689-1710内陣の更新。
 聖サルバドール墓地教会 Grabstaette St.Salvader (1658-59) ネオロマネスクの砂岩造天
   窓と尖塔のある建物。19c元霊安室を寄棟屋根とした。
 旧校舎 Ehem.Schlhaus(1911) バロックの浅い寄棟屋根と接続階建ての大規模2階
   建木造建物で正方形の塔を持つ本館は美しい。
 旧税関 Ehem.Zollhaus (18c) 平屋腰折屋根上階木組の大規模な建物。
 病院 GlockenGiesser Spital(16c) 1554-58の辺境伯戦争の後に再建された。17
   -18c拡張の2階建上階木組の建物。今は市公文書館。
 旧発電所 (16-19c) 発電所1(18c)2階建切妻屋根・上階木組の建物。発電所2
   (19c)2階建切妻屋根レンガ造の建物。旧ミル(1544)砂岩切石造2階建。
   元デュプレックス(1682)3階建基地妻屋根・上階木組の建物。
 宿屋 Gasthaus (17c) 幅広い前面の2階建切妻屋根砂岩造の建物。
 宿屋 Gasthaus (17c) 2階建切妻屋根・上階木組の建物。
 宿屋 Gasthaus (17c) 赤い牡牛と呼ばれ、2階建切妻屋根・上階木組の建物で、
   正面に1782の年号がある。
 宿屋 Gasthaus (1627) 2階建切妻屋根・地階砂岩上階と切妻木組の建物。ヴィルデ
   ィコンと呼ばれ、17-18c中庭を囲んで2階建でグループ化した。
 旧森林官の家 Ehem.ForsterHaus (15c) 城に壁を取付けられた平屋切妻屋根の
   家で、1800と1900に修復されれた。
 住居と商店 Wohn und GeschaeftHaus (1556) 急勾配屋根と切妻は木組の2階建
   の建物。梁に年号記入。18cに改造された。
 住居と商店 Wohn und GeschaeftHaus (16c) 2階建切妻屋根・上階は豊かな木組
   の建物。16-17cに改造された。
 住居と商店 Wohn und GeschaeftHaus (18c) 2階建切妻屋根砂岩造の広い前面の
   マッシブな建物。
 住居と商店 Wohn und GeschaeftHaus (18c) 2階建切妻屋根・横向のの家で上階
   は木組である。
 住居と商店 Wohn und GeschaeftHaus (17c) 2階建切妻屋根上階木組の家。19c
   に増築された。
 旧都市農民の家 Ehem.Ackerbuergerhaus (18c) 2階建切妻屋根・上階切妻の家に
   倉庫もある。
 旧鉄砲屋 Geweherhaus (17c) 2階建切妻屋根・大規模な床と切妻トラスの建物。
     手工業者の家 Handwerkerhaus (16c) 3階建切妻屋根の家。1812更新
 手工業者の家 Handwerkerhaus (17c) 2階建切妻屋根・上階木組の家。
 手工業者の家 Handwerkerhaus (18c) 2階建切妻屋根・上階木組の家。
 住居 Wohnhaus (1580) 狭い2階建切妻屋根・上階木組の家。
 住居 Wohnhaus (1799) 2階建腰折屋根・上階木組の家。
 住居 Wohnhaus (1553) 市壁の上の2階建切妻屋根・大規模な床トラスの家。1553の
   年号の梁がある。1660に2階建木組に家を延長した。
 住居 Wohnhaus (1625) 市壁の上に構築された2階建切妻屋根・上階木組の家。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
下門 上門
砲台塔 宮殿
北壁 南壁

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ラウインゲン Lauingen Donau BY106

1.歴史

  750.802 フルダ修道院寄付目録に言及、 1200 皇帝バルバロッサは新都市建設、
 1216 アウグスブルク司教は町に修道院を庇護、  1265 町をバイエルン侯爵に売却、
 1301 ハプスブルク国王は町を征服、  1325 バイエルン王ルードビッヒ4世は町を承認、
 1405 バイエルン・インゴルシュタト公は町を売却、1442皇帝フリードリッヒ3世は都市権を授与、
 1504 バイエルン・ミュンフェン公まちを占有、    1546 皇帝チャールズ5世は町を取得、
 1566 皇帝マクシミリアン2世は町の自由を確認、 1627 ペスト流行、1632スエーデン進駐、
 1634 帝国軍占領でカトリック復活、      1640スエーデン軍が奪還して要塞強化、
 1648 バイエルン軍が町を包囲、         1702バイエルン選帝侯は町を占領、
 1704 スペイン継承戦争で町は荒廃、  1742 墺継承戦争で仏軍・ハンガリー軍駐屯、
 1777 町はバイエルン選帝侯領となった、    1790 町を大火災が襲った、
 1806 バイエルン王国領となった。

2.市壁  0.35km 0.33

   スタウフ時代(1152-54)の市壁は、西南と東にかけて残されている。胸壁市壁
  100m、擁壁として50m。1307初めの拡張の市壁は、西南に擁壁として20m、東
  南に筋交いの繋がり20m、土台として100m、壁上通路付きで60m残っている。
  1413第2回目の市壁の拡張は沼沢地を含めて行われた。1867-76市門と市壁の
  除去が行われた。

3.塔  1門3塔

 飲物門 Trunk Tor (15c) 市壁の出入口として市壁と共に建設。
 シッメル塔 Schimmel Turm (1478)市庁舎前広場の西南に、9階建角塔の上に2階建
   の八角形塔更にその上に3階建南欧風ランタンが立つ全高54mの高塔
   った塔からの展望はすば2階の北側には、地区の紋章がある。
 壁塔 Mauer Turm (15c)市壁に立つ円塔。
 壁塔 Mauer Turm (15c)3階建レンガ造の塔。19cの後半に、軒蛇腹とである。登
   錫冠が付けられた。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus(1782) 火災の後に3階建新古典主義の新しい建物が建られ、
   中央門上の扁額に碑文がある。地階のガラス絵と高貴な階段で上階の祝宴会
   場へ至る。
 侯爵宮殿 HerzogSchloss (1492) 侯爵ルードヴィッヒ9世が建設を始め、息子の侯爵
   ジョージ・リッチが両側に円塔のある2翼の宮殿を完成させた。その後用途に応
   じて再構築され、1559-63は公爵パラティーノ・エリザベス未亡人が住んだ。18-19
   cに荒廃し、塩・穀物の貯蔵庫として使われた。1868に町が取得し客室・体
   育館・博物館となった。今はエリザベス財団が治療住宅・老人ホーム・ケアセンターとし
   て近代的な施設を備え、広域で使われている。
 聖アンドレアス教会 St.Andreas Kirche(1416) 30年戦争の損傷は町が修復した。
   1721-25内装のバロック化が行われた。教会は台形の本堂と三面内陣のアーチ
   がある。1921-25天井画と祭壇画が描かれた。
 病院教会 Spital Kirche (1270) 現在の建物は1869-70に建てられ、デューラーの贖
   罪の祭壇画がある。
 聖マーチン教区教会 Stadtpfarr Kirche St.Martin(16c) 1515-21古い建物の上に
   ゴシックのホール教会が建てられた。長方形のホールは長さ62m幅22mのの大きな身
   廊の建物で、1520の十字架、1768の西側フレスコ画、1881ネオゴシックの説教台、
   高さ56mの鐘楼もある。
 アウグスチン教会 Augstiner Kirche (1295) 修道院教会で聖ヴィラーノヴァ・トーマスの聖体
   拝領された。切妻のある今の建物は、1716古い基礎の上に建てられた。祭
   壇は古典的な様式で、1791天井フレスコ画が描かれた。
 郷土館 Heimathaus (1783) 聖アグネス修道院元副院長の建物であった。今は博物
   館として、地階には旧石器・新石器・青銅器・ローマ・アレマンの時代展示品があり、
   上階には近世の政治・民族芸術・屋根裏・工芸・農具などを展示。
 市博物館 Stadt museum (2002) 旧修道院宿舎に、更新して開業した。一般地質
   学・岩盤からの鉱物・川の収集物・氷河期の化石・石器時代の遺物等を展示。

5.写真

市庁舎 病院教会
シッメル塔 侯爵宮殿外壁
東壁 南壁

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ライプハイム Leipheim BY107

1.歴史

 1063 騎士ヴィプラヒトの贈与証書に初言及、   11c、城はドナウ渡河を守った、
 1225 法王ホメニウス3世はアイヒゲン修道院を所有、1270-1373 町をグエッセン家が支配、
 1330 バイエルン皇帝は都市権を授与し、上の町の市壁の建設を許可、
 1375 町はヴュルテンブルク伯爵に売られた、 1453ヴュルテンブルク伯爵は町をウルムに売却、
 1453-1802 帝国自由都市ウルムは町を350年支配、1525 農民戦争で制圧された、
 1566 皇帝マクシミリアン2世は町の自由を確認 、 1627 ペスト流行、1632スエーデン進駐、
 1634 30年戦争で帝国軍が占領、     1816-19 町を大飢餓が襲った、
 1818 行政改革の過程でバイエルンの自治体となった。

2.市壁  1.03km 0.94

    14-15cに造られた市壁は、今もほぼ全域に残されている。

3.塔  0門2塔

    門塔は全て壊され、南西と南東の隅塔が残っている。
     家無し塔 Hauserles Turm (14-17c) 南東隅の角塔で、今は配水塔として使われて
   いる。
 コウノトリ塔 Storchen Turm (14-17c)南西隅の角塔である。

4.見所 D 

    ドナウ川上流部の右岸にある小さな町で、市壁と市堀が良く残されて
   いるが、その他の見るべきものはあまりない。
 ライプハイム宮殿 Schloss Leipheim (1065) ホーエンシュタルフェン時代の建物は壊れ、1559今の姿
   で再建された。初め貴族が後にウルムの代官が住んで町を支配した。
 十分の一倉庫 Zehnt Stadel(1585) 中庭の端にあり、復元された建物は市民ホールと
   レストランになっている。
 博物館 Blaue Ente 30年戦争で破壊され、1647に部分的に再建された。1987博物館
   を併設して、郷土・農民戦争の博物館として町と農民戦争の展示がある。旧ビール
   醸造所はビール博物館として試飲ができる。
 プロテスタント牧師館 Ev.Pfarrhaus(1580) 木組の家。
 精霊病院 Spital Stift (1315) 市壁に直接に立つ木組の建物で、町の貴族が寄贈し
   た。
 助祭社交宿泊所 Diaconul Sozialistation 旧病院の中庭にある2階建の木組の建物。
   
 聖ファイト教会 St.Veit Kirche (1330) 1448に高さ45mの塔を添加して、ゴシックの教会
   は完成した。

5.写真

市庁舎 聖ファイト教会
ライプハイム宮殿 家無し塔
コウノトリ塔 東壁
西壁 北東壁
南東壁 南壁

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ロイタースハハウゼン Leutershausen BY108

1.歴史

 1000 皇帝の別荘として狩証書に初言及、      12-13c 町に昇格した、
 1318 城伯フレデリック4世に市壁の町を売却、 1407 フリードリッヒ6世は町に未亡人を、
 1450 辺境伯アルプレスト・アキレスは、       1555 大火災で町の大部分を焼失、
 1594 ほぼ150年間ゼクセンドルフ家が所有、 1627 ペスト流行、1629 略奪と占領、
 1688 仏軍の進駐で町は疲弊、   1791 最後の辺境伯フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世、
 1806 ホーエンツオーレルン家の終了でバイエルンへ、  1945 米空爆による深刻な被害。

2.市壁  0.45km 0.66

   1318市壁と二重堀を廻らせた楕円形の町を2門で守った。1407拡張され、外
  側は漁業の外堀で囲まれた。1739部分的に上部が付けられた。1945大戦後にも
  旧ツインガーのあるレンガ壁が残された。

3.塔  2門0塔

 上門 Oberes Tor (18c) 北門として切石の角塔で、腰折屋根。
 下門 Unteres Tor (1525)南門として古い門塔には2階建の門家が18cにに付けら
   れた。内側に中世風の丸いレンガ塔がある。1970に改修。

4.見所 C 

   歴史的な木組の家を市壁と2門塔で囲んでいる。マルクト広場は典型的なフランコニア
  の景観を提供している。ドイツ航空先駆者博物館は一見の価値がある。
 市庁舎 Rathaus (15c) 旧市庁舎は1555の火事で周辺の家屋と共に失れた。その後の
   建物は30年戦争を生き抜いたが、1785に取壊された。現在の市庁舎は地階に肉
   ・パンの屋台があり、2階は法廷と祝祭広間、3階には会議室があった。今は都市
   行政と街の古文書館となっている。
 航空博物館 Plan Museum (1624) まず地域の裁判所が建てられ、穀物倉庫として十分
   の一税が廃止となる1846まで使われた。1879バイエルンの終りまでは地方裁判所が
   置かれた。1902先生の住居と守衛の部屋があり、戦後は宿泊所となった。今は
   、航空先駆者グスタフ・ボ-ルトの博物館となっている。
 聖ペーター教会 St.Peters Kirche (14c) 初めの木造教会は14年間使われた。1432に砂岩
   の塔と身廊に着手し、1605には更新された。1606-07の最初のオルガンが置かれた。
   1719-21に2番目のオルガンに代わり、1807教会の大改修と共に今のオルガンになった。
 上市場路地 Ober Markt Gasse (1988) 旧市街地の上と下のマルクト路地は、都市再開発に
   伴い復元された。

5.写真

マルクト広場 上門
下門 下門外壁
南壁 北壁
西壁 東北壁

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リヒテンフェルス Lichtenfels Oberfranken BY109

1.歴史

 1142 シュバインフルトの伯爵はバンベルク教区に町を遺贈した、寄付文書で初言及、
 1231 アンデックス・メラニーアン公爵オットー1世は毎週市場権を授与、
 1248-60 公爵オットー2世は町を支配、      1260 バンベルクが町を支配、
 14c 3門5塔の市壁を建設、         1400 市庁舎と教会を建設、
 1525 農民戦争で略奪と破壊、   13c-1802 バンベルク司教は600年支配、
 1802 バイエルンに帰属。

2.市壁  0.29km 0.25

   14cに3門5塔の市壁が町を囲んでいた。17cに数回更新された市壁の多くは
  1844-45の鉄道建設などで取払われた。今は僅か修復されて残っている。

3.塔  2門1塔

   下門(バンベルク門)、上門(クロナッハ門)、石臼門(コーブルク門)の3門と5塔が在った
  が2門1塔しか残っていない。
 上門 ObersTor (15c) 高さ41mの塔は15cに完成したが、1551に上部が壊され、
   1802最上階と天蓋が新設され、地上階は監獄で使われた。1896まで上階に
   守衛が住んでいた。
 下門 UntersTor (14c)14c中に造られ、1618床や屋根は再建された。1830-31守
   衛詰所を解体し交通のために通路を拡幅した。
 赤塔 RoterTurm (13c)市壁の最高点に立ち、隣には市宮殿がある。1681市壁と
   胸壁は更新された。

4.見所  C

   小さな町であるが、平らで広いマルクトが旧市街の中心である。
 市庁舎 Rathaus (1400) 初めは木組の庁舎であったが、1740-45に今の姿で新築
   された。家築主バンベルク司教の紋章が正面に飾られ、中央門上には14cの古
   い町の紋章がある。
 市庁舎Ⅱ RathausⅡ (19c初) 旧税務署・警察署の建物は、1970に補修され、今は
   市会計課・市建築課・市財務課・市図書館を収容している。
 市宮殿 Stadt schloss (1555-56) 町のシルエットを形成する要素として高く目立つ場
   所に建てられた。最近の貴族の所有者は1602バンベルク司教に売った。30年戦
   争では兵舎として、後には穀物倉庫として使われた。1970町は市宮殿とし
   て建物を買い、修復で16cの絵画が露出された。市宮殿は、今は会議・セミナー・
   文化などの催し物に使われる。
 カソリック教区教会 Katholische Pfarrkirche (14c) Maria Hinmelfartとして、古い
   鐘楼の部分に1483-87ゴシックの内陣を構築した。16c初に身廊は延長された。
   内部は主として18c前半に整備された。
 聖ヤコブ礼拝堂 Kapelle St.Jakob (14c) 市壁外の山上の礼拝堂で、今はヤコブ巡礼
   の重要な地点であり、ヤコブの道のニュルンベルクへの出発点となる。
 病院教会 Spital Kirche (1395) カソリック病院の教会で、30年戦争で破壊はヤコブ巡礼
   後1653に再建された。
 旧営林署 Ehem.Forsthaus (1752-54) 旧営林署は3階建て砂岩切石造で建てられ、
   今は書店である。
 箱館 Kastenhof (16c) マルクトにある元市民の家で、その後基礎学校となり、1608か
   ら事務所、1804からは会計課で使われた。
 市博物館 Stadt Museum (1753-54) 旧バイエルンビール醸造所の赤レンガの別荘で、1962
   に市が取得し賃貸住宅となった。1998-99市博物館となり、市域・鉄道・
   バスケット取引・市の歴史・Schneyer磁器に付いての展示がある。

5.写真

市庁舎 赤塔
下門 上門
西北壁 南西壁
東壁 市宮殿
市教区教会 マルクト広場

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ローア Lohr am Main BY110

1.歴史

 1295 フランコニアに対する国境の城を初言及、 1333 バイエルン皇帝はリーネック侯爵を置く、
 1363リーネック侯爵ゲルハルトは病院を設置、 1525 農民戦に加担の罪で10年間権利停止、
 1559 リーネック家の断絶でマインツ・フイリップ3世へ、   16c マインツ選帝侯の町として繁栄、
 1603-18 市民は反宗教改革に反対、    1611-29 魔女裁判が行われた。
 1632 30年戦争でスエーデンが占領しペストも流行して、町の人口は半減した。
 1803 マインツを脱しアッシャヘンブルク・ダンベルク公国へ、1810ナポレオンは町をフランクフルト大公国へ、
 1814 バイエルン王国に帰属し地区事務所、    1875 旧マイン橋の開通、
 1945 戦災は免れ戦後急発展。

2.市壁  0.43km 0.43

   14-15Cに市民の町と教会の地区を含めて二重壁が築かれた。市壁は19cに壊
  され、北西 宮殿の裏や東南 教会の裏には残されている。

3.塔  1門0塔

 バイエルン門塔 Bayers Torturm (14c) 東南の角の門塔で、町塔とも呼ばれる。周囲
   42m高さ90mの石塔で、146段の階段で警備員の住居へ登れる。塔の役目は
   昼夜火災その他の危険を警告するために見張った。1979塔協会による毎年
   のバイエルン塔祭りの収益で、新しい階段を付けて塔に登れるようにしたので、
   夏の週末の午前中には美しい町の屋根と谷の景観が簡単に楽しめる。塔に
   は町の紋章と町の色の黄と赤の旗で飾られている。

4.見所  B

   三角形の市壁が残る小さな町であるが、歴史的な建物や美しい木組の家も
  よく保全され、落ち着いた雰囲気である。
 市庁舎 Rathaus (1599-02) 地階には開かれたアーチのある3階建の建物に6角形5階建
   の鐘楼がある。建設した石工の数は石のマークから21人と分かる。地階のオープン
   市場は、市場広場と共に町の経済発展に寄与した。市庁舎の東には砂岩の十
   字架が置かれている。1989市庁舎は移転んし、今は文化的な目的のために、
   音楽・講座・展示と図書館として使われている。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1985) 旧王室厩舎に在った地区刑務所の場所に3階建の
   木造の建物が建てられ、1989から市庁舎となった。
 宮殿 Schloss (1330-85) リーネック侯爵は、旧市街の北西の角に風格のある宮殿を建て
   た。かっては堀と城壁に囲まれていた。1559マインツ選帝侯の領地となり、選帝
   侯の役人が来た。1872その後地区事務所となり、今はシューペッサート博物館とし
   て多くの展示はスペッサー地方の人々の生活を表現している。鍛冶屋・陶芸家・
   大工・ガラス屋・鐘屋の工芸品が展示されている。
 旧市民の学校 Ehem.Buergerschule (1819) 2階建ての古典主義の家は市立学校とし
   て建てられ、女子学校となった。今は歌と音楽の学校とコミュニティ・カレッジとし
   てコンピューター講習などが行われている。
 旧マリア礼拝堂 Ehem.Marien Kapelle (14c) 教区教会の北の納骨堂で、1416から旧
   聖マリア礼拝堂であった。上層階に1544-1603ラテン語学校があり、最初のプロテスタ
   ントの牧師が居た。
 旧地裁 Ehem.Amtsgericht (1842) 現在は警察の建物であり、旧修道院の病院とし
   て古典的様式で建てられ、その直ぐ地裁として使われた。
 旧商業学校 Ehem.Human Gymnasium (1904) 1902この町に商業学校が置かれ、
   後期ゴシックの建物を建て、今ゲオルグ・ルードヴィッヒ・レックス実業学校。
 旧造林学校と森林局 Waldbauschule und Forstamt (16c) 城の敷地内に建てられ
   た2階建ての建物で、18cには造林学校と森林局として使われ、今は町の
   コミュニティ管理所がある。
 町教区教会聖ミカエル Stadt pfarrkirche St.Michael (11-12c) 古くからの東教区の
   教会で、一時墓地礼拝堂であった。13c聖マーチンに捧げられ、ロマネスクの建物から
   1460-1500後期ゴシックで再建され、高さ62mの塔が付き、1890-00に祭壇が
   置かれた。教会自体が領主リーネブック侯爵家の墓であった。
 木組みの家< /em> Fachwerk haus
 旧ワイナリィ納屋 Ehem.Kellerreidcheune () 地階石積上階木組みの古い建物で、今
    は私立美術館と観光案内所となっている。
  裕福な木組の家 Reiches Fachwerkhaus (1559) 地階はオープンな石積上階は手の
    込んだ木組みの美しい建物。
  二戸建の家 Spaetgotiisches Doppelhaus (1559-89) 後期ゴシックの二戸複合の
    珍しい古い木組みの家で、上層階は美しい装飾的な木組みで覆われて
    いる。
  ガストハウス王冠 Gasthaus Krone (1587) 船員・商人・旅人の溜まり場であった。地
    階は石積で王冠と呼ばれるブームがある、上階は美しい木骨造の切妻がある。
  画家の角 Maler Winkel () 旧市庁舎の南に角に立つ3階建の木骨造りの大きな
    建物で、宿屋「Zum Stern」を収容。
  飾り木組家 Zier Fachwerkhaus (1589) 地階石積の上に2階建ての綺麗な木組
    の上階がある。特にこの家は美しい。

5.写真

旧市庁舎 バイエル塔
西壁 東壁
南壁
ガストハウス「クローネ」西壁 宮殿

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マインベルンハイン Mainbernheim BY111

1.歴史

889 カロリング朝時代に入植地、1172 皇帝フリードリッヒ・バルバロッサは村に避難所、
 1382 皇帝ヴュンツェルは町に昇格し都市圏を授与し堀と壁で囲った、1431市場開設、
 1494 領主は町を何回も質入れされ騎士に略奪された、1525農民戦争時に売却、
 1618-1648 30年戦争で生き残った、17-18c政治安定でワイン・手工業・貿易で繁栄、
   1794 アンスバッハ辺境伯消滅でプロイセンへ、  1806 バイエルン王国へ所属、
 1810-14 ヴルツブルク大公国へ属した、   1814 最終的にバイエルンに帰属、
 1945 2次大戦の戦災は殆ど免れた。

 

2.市壁  0.75km 0.88

   1382の市壁はその後修正されたが、楕円形に近い長方形の市壁は、北東部
   の一部を除いて多くが残っている。

3.塔  2門16塔

   

   中世に2門27塔のうち、2門19塔が残された。
 下門 Unterestor (1400) 北西門 切妻屋根の切石積5階建ての外側と内
   側に門の付いた塔。16cに2階建ての前衛門、17cに町側に2階建て寄棟屋根の
   木造詰所が建てられた。
 上門 Oberestor (1400) 南東門 尖頭アーチの入口には昔跳ね橋があった。
   石積の角塔の上には八角形の塔とマンサード屋根が付いている。1648木製の梁に
   碑文があり、改造されている。1930歩行者のための通路が開かれた。
 火薬塔 Pulver turm (1400) 北東角 尖塔屋根の円塔で火薬庫として使
   われた。
 15壁塔 Mauer turm (1400) 東北1 屋根なし半円塔、東北2 尖塔屋根の
  3階建て円塔、東北3 尖塔屋根の3階建て円塔、東北4 屋根なし半円殻塔、
   東北5 円錐屋根付3階建て円塔。南東1 円錐屋根3階建て円塔、南東2 尖塔
   屋根3階建て円塔、南東3 四角錐屋根角塔。西南1-2 円錐屋根2階建円塔。
   西1 寄棟屋根2階建て角塔、西2 中折屋根角塔。北1-3 屋根なし半円塔。

4.見所  D

   田舎の市壁に囲まれた小さな町である。見るべき物は少ない。
 市庁舎 Rathaus (1548) ルネッサンス3階建て切妻付の建物で、地階にはアーチの
   オープン市場がある。1998地階の天井版は取り換えられた。
 町教会 Stadtkirche Mainbernheim (1104) 元の教会を取り壊して、1732
   基石に設置、1757祭壇が置かれた。身廊は寄棟屋根の長方形で簡素な前面と
   なっている。入口と塔は身廊の横西側にある。
 宿屋金冠 Goldene Krone (16c) 市庁舎の向かいあり、後の所有者である
   ワイン商人の名前ポール家となっている。中世には君主の泊まる宿であり、1742
   プロイセンのフリードリッヒ大王、1790プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世が宿泊した。
 工場代表の家 Stammhaus Lebbuchenfabric (1480) 旧市街でも古い建物は
   税関となり、自動車が道路使用のための納付金を受け付けた。1863フランケンで最
   初のジンジャーブレッド工場が、この建物で創業し1902まで操業した。
 修道院回廊 Klosterhof クロスター路地に目を引く紋章と入口があり、中には
   シトー派修道院エグラレハの院長が住んだ建物がある。美しい中庭への入口は別にあ
   い、中庭には階段塔もある。昔にはワイナリィがここに在った。
 旧消防署 Ehem.Feuerwehr haus (1721) 市壁の外に位置する上階木組の
   旧消防署で、今はクラブハウスとなっている。

5.写真

市庁舎・市教会 下門
火薬塔 上門
東壁 東壁
壁塔 南壁

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マルクトビバート Marktbibart BY112

1.歴史

  816 この村はトリューエンディンゲン家に所属、    1231 貴族ヘンネベルク家が支配、
 1297 ホーエンローエの伯爵が村の所有者に、   1390 ヴュルツブルク司教は市場を獲得、
 15c中 皇帝カール4世が町に市場権を授与、14-17c、ヴュルツブルク本山は何回も入質、
 1802 世俗化でバイエルンへ、一時プロイセンへ、   1810 再度バイエルン王国へ帰属、
 1794 アンスバッハ辺境伯消滅でプロイセンへ、           1806 バイエルンへ、
 1810-14 ヴルツブルク大公国へ属した、      1814 最終的にバイエルンに帰属、
 1862-79 行政と司法の場はシャインフェルトへ移された。

2.市壁  0.03km 0.02

   グラーベンなどの地名は、町の防衛施設の存在を思わせる。市壁らしき壁は
  南西の角に30m見られる。

3.塔  0門0塔

   上・下2門の場所には、説明板が置かれているが、門の姿はない。
 下門 Unterestor (14c) 下門の位置には、来客商売の「Zum Ross」まで含まれる。
   旅館の前の大きな砂岩の基礎が2001に発見された。この場所には13cにはヴュル
   ツブルク司教が城を置いた。
 上門 Oberestor (14c) 1864に市民の決定で取り除かれた。2014には、門の家は復
   元され記念物として維持されている。

4.見所  D

   17cの2階建切妻屋根の建物と18cの木造腰折屋根の建物が、街並みを決定
  している。近年リホームと新しい建物の出現で歴史的な景観が失われている。
 市庁舎 GemeindeRathaus () 新しい2階建の庁舎が建てられた。
 教区教会 Pfarrkirche (1614-16) 西階段円塔・ピラミット屋根の南側塔(高さ60m)・
   北側入口に尖ったアーチ窓・切妻屋根の身廊。1770のオルガンがある。
 旧会計局 Ehem.Rentamt (18c) 2階建腰折屋根切石造の建物は、その後地方裁
   判所として使われた。
 宿屋:馬 Gasthaus Zum Ross (1782) 2階建腰折屋根コーナー付け柱の建物。
 住家 Wohnhaus (1723) 2階建寄棟屋根上階木組みの家。
 住家 Wohnhaus (1723) 2階建切妻屋根木組フレームの家。

5.写真

市庁舎 教区教会
上門 ニュルンベルク通

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マルクトブライト Marktbreit BY112

1.歴史

 1266 初めての文書言及、    1496 簡単な防護壁が造られ始めた、
 1557 フェルナンド1世は市場権を与えた、1594 門・塔を備えた市壁で守られた
 1587-1600 市庁舎と市門を建設、  1806 バイルン王国へ数年後ヴルツブルク大公国へ
 1814 最終的にバイエルンに帰属、   1919 都市権を獲得。

2.市壁  1.10km 0.91

  16Cには、高さ6mの市壁1.2kmが4門と11塔と共に造られた。市街の一部は
  住宅の壁で構成される。通路以外の市壁は殆ど残っている。

3.塔  1門8塔

  1600建の4門は、1945の戦争で全て破壊された。
 マイン門 MainTor 北 1600建、1945に戦争で破壊されたが、1946-47に復元。
 白い塔 WeissenTurm 東 1601建、白い円塔に丸屋根。
 壁塔 防御円塔に茶色トンガリ屋根の同型、FluersTurm南、StegTurm、
   FallmeisterTurm、HenkersTurm西。

4.見所  B

  マイン川の南岸に中世の市壁に囲まれた小さな町である。古い町並みが残る。
 市庁舎 Rathaus 1581建、階段破風とルネッサンス円柱で飾られている。
 宮殿 SeinsheimerSchloss 1580建、17Cから領主の役所であった。
   入口はローマ凱旋門風、東南に四角い塔。今1階はカフェとワイン酒場、その他は町
   図書館・音楽学校・赤十字が使用。丘の上にそびえる。
 ライオン宿屋 HotelLoewen 16C建、バイエルンで2番目に古い宿屋。
 商店 WertheimerHaus1719 Haus zur Groe いずれもバロックの大商店。
 博物館 MuseumMalerwinkelHaus 1600建、1991改修後に博物館、
   ローマ人の部屋・女性の部屋等を展示。
 クレーン 1784の洪水後にライン河畔に再建、直径9.2m高さ16mの木製クレーン。

5.写真

市庁舎 マイン門

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マルクトハイデンフェルト Marktheidenfeld BY113

1.歴史

 855 フルダ修道院付属修道院が土地所有、  13c末 ホルツキツフェンが修道院を得て支配、
 1397 町と呼ばれ市場を開設、   15c中 市長の選定、16c初 市庁舎を建設、
 1522 ヴェルトハイム郡に宗教改革導入、      16c 町の黄金時代で商業の発展。
 1556 ヴェルトハイムの断絶後シュトルベルクが継承、 1612ヴュルツブルク司教による反宗教改革、
 1648-51 手工業・商業・建設業で町は回復、  1745 独初のスパーリング・ワインの生産、
 1803 ヴュルツブルク大司教の世俗化でバイエルンへ、     1806ヴュルツブルク大公国へ、
 1814 最終的にバイエルンに帰属、           1885 森林事務所の設置、
 1945 橋の解体と米軍の侵攻。

2.市壁  0.37km 0.33

    1420には市壁は築かれた。北部と南東部に残っている。

3.塔  0門0塔

    1846に上門、1860に中央門、1863に下門が 取壊された。

4.見所  C

    美しい木組の家が多く残されている。川沿いの街並みは、18cに市壁が取
  り除かれ、2-3階建の建物が見渡せる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1865-66) 16cからの古い市庁舎から、1866に聖ローレンス
   教会の校舎として建てられた建物に移され1960まで使われた。今はコミュニティ・カ
   レッジを収容している。
 聖ラウレンチウス教会 St.Laurentius Kirche (14c) 旧教区教会の建物は700年にわたり
   何度も立て直された。ロマネスク・ゴシック・バロックの様式を区分することができる。
   古い建物に時代の様式が調和して組込まれている。ヴュルツブルク司教は1614に
   新装された教会を奉献し、18cには身廊が拡張され、バロックの前面で完成した。
   1690には人口増で第2の聖ヨーゼフ・カトリック教区教会が建設され、1982-83には
   改装され祭壇や司教席が新しくなた。
 フランクの館 FrankHaus (1745) フランツ・バレンティ・フランク(1702-83)は、幅広い貿易とワイン
   生産者として裕福な市民で、この建物を建てた。建物の地階にはワインの生産貯
   蔵施設を中庭の周囲に配置し、上階は住居として使用した。建物の中央には
   アーチ門があり、中庭への入口であり、アーチの頂点にはライオンの像がある。1987
   に市が所有して改修し、文化の中心として宴会場・展示場・インターネットカフェ・住宅
   などに使わえている。
 旧鍛冶屋 Alte Schmied (14c) 旧市庁舎の裏にあり、今はコミュニティ・カレッジとして使わ
   れている。古い鍛冶屋で町の給水も行われた。
 観覧鍛冶屋 Schauschmiede (1707) フランクの家の後ろの2階建の建物に、歴史教会が
   常設展示している。旧納屋には古い鍛冶屋を再現している。
 軒あり家 Traufseithaus (1778) 門アーチのある2階建全木組の家。

5.写真

旧市庁舎 聖ラウレンチウス教会
下門通 北壁
北東壁 南壁
南壁 通路

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メルリッヒシュタット Mellrichstadt BY114

1.歴史

  12c カロリング王朝時のフランク王国であった、 1219 ヘネベルク侯爵は城を築いた。
  13c ヴュルツブルク司教が所有、  13c 楕円形の町を市壁が囲み木塔が立った、
 1273 町の最初の紋章に壁・塔・門を示す、 14-15c 今の市壁が構築された、
 1803 世俗化でヴュルツブルク本山の地方管理事務所はバイエルンに移った。
 1805 ビュルツブルク大公国に属した、  1814 最終的にバイルン王国に帰属した、
 1972 これまでの郡庁所在地で無くなった。

2.市壁  1.26km 0.81

  14-15Cの市壁は、東北部を除いて殆ど元の姿で残されている。

3.塔  1門8塔

  上下二つの二重市門は、19cに破壊された。
 旧下門 Ehem.UnteresTor (1340) 東南 市門は外側と内側の二重門で造
   られたが、1865道路拡張で壊され、それぞれの側に円型の塔の穴とアーチ
   門の残壁が見られる。門跡には1490と1607の領主司教の紋章が置かれた。
 市民塔 BuergerTurm (14-15c) 北東隅 3階建の見張塔で、1723木造上
   階とバロック玉ねぎ帽子付けられ、1985に改装された。
 殻塔 SaelenTurm (14-15c) 東南 壁塔の切株がある。
 泥地塔 SuhlesTurm (13-15c) 西南 外堀の壁に立つ見張り円塔で螺旋
   階段がある。13cには木造で15cには今の石造となった。
 半殻塔 HalbSchaelenTurm (14-15c) 西 半円の殻塔の切株が3基残る。
 見張塔 WacheTurm (14-15c) 北西隅 円錐屋根の見張り円塔。
 火薬塔 BuergerTurm (1356) 北 3階建ての円塔でかっては上門の一部
   であった。重大犯罪の刑務所であったが1817壊された。1821上門塔と
   ツインガー壁は取り払われた。

4.見所  C

  古い田舎の町で木組みの家並が残り、町の中央を狭い幹線道路が貫通する。
 古い宮殿 Altes Schloss (11c) 1230ヘネベルク侯爵の城となり、1512
   領主司教ロレンツが城を増築した。旧ヴュルツブルク本山の出先事務所となった。
   今は管理機関と地方裁判所押して使われている。
 城粉挽所 Burg Muehle (1303) 町で最古の粉挽所で、1780改築されて、
   今も稼働している。
 旧役務館 Ehem.Fronhof () 2階建て両切妻屋根の大きな住居で、城など
   で働く貴族達が住んだ。
 塩の家 Salz haus (1656) 塩はヴュルツブルク司教の重要な収入源であり、
   生理食塩水から生産された塩は十分の一税として徴収され、この十分の一税
   倉庫に保存された。1983博物館が置かれ、農業の町の生活と産業に付いて展
   示されている。3階に地元の工芸品があり、収穫・耕作・庭・厩舎・納屋を再現。
 教区教会聖キリアン Pfarrkirche St.Killian (1050) 初め教区教会として
   聖別されたが破壊され、1162ヴュルツブルク司教が3身廊の教会を建て聖キリアンに捧
   げられた。13二つの塔と内陣・3礼拝室が建設されたが、1496落雷で損傷、
   1624後期ゴシックへ、1710-16後期ゴッシクの改修。
 旧地区事務所 Ehem.Landrathaus (19c) 3階建ての大きな隅棟式屋根造
   の建物。
 旧病院 Ehem.Spital (1839) 2階建ての切妻屋根の建物で窓は半円が並
   んでいる。1990-91ギャラリィーに改修、今はサークルのギャラリィー。
 旧事務所宮殿 Ehem.Amtsschloss (1512) 3階建て2翼の東翼は階段切妻
   がある。壁の紋章の石版には1512の年号がある。寄棟屋根の西翼階段切妻
   は1712に建てられた。今は地方裁判所。
 住宅商館 Wohn und Geschaeffshaus (17-18c) 2-3階建ての上階木組の
   半寄棟屋根で美しい装飾トラス切妻も家である。
 切妻の家 Gieber haus (1839) 木床・木組みの美しい上階が乗っている。
 木組の住宅 Fachwerk Wohnhaus (16-17c) 2階建ての装飾的な切妻の木
   組の建物。周囲に多くの木組みの家が見られる。

5.写真

市庁舎
市庁舎

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メミンゲン Memmingen BY115

1.歴史

7c フランケンの宮廷が置かれ最初の教会が置かれた、1128 塩の街道の拠点に、
 1286 ドイツ王が都市権を授与、14-16c 帝国自由都市の全盛期で建設・文化・貿易が繁栄、
 1445 新市門と新4塔と市壁は拡張した市街を囲った、1632 30年戦争でスエーデンが占領、
 1702 バイエルン軍が町を包囲・占領、 1805 仏軍が町を包囲、 1806 バイルン王国へ、
 1945 2次大戦の空襲で町の30%が破壊された。

2.市壁  2.00km 0.70

   中世の市壁は2次大戦後も、北から西側に2kmの市壁が残された。
   また古い堀は公園や緑地として残されている。

3.塔  5門3塔

 ウルマー門 Ulmar Tor 北
 アインレッス門 Einless Tor 北東
 ケムター門 Kemter Tor 南
 リンダナー門 Lindaner Tor 西 (1371) 3階建て四角塔門方錐屋根、1647戦争で壊
   され、ガーデンスタイルで再建された。
 西門 Wester Tor 西
 物乞塔 Bettal Turm 北東 (1471) 3階建ての円塔で円錐屋根。
 魔女塔 Hoexen Turm 西南 。
 シュマルツ塔 Schmanz Turm 北西 。

4.見所  C

   町の市門・壁塔・市壁と建物の切妻は中世の町の雰囲気を提供している。15cゴシック
   のフラウエン教会の絵画と復元されたクロイッツヘレン教会のフレスコ画は見事である。
 市庁舎 Rathaus (1589) 1765にロココに改造され、正面には湾曲した切妻があり、
   細かい漆喰のエレガントな3塔のある設計となった。地方政府の中心として使われ、
   今は市長と市議会が使っている。
 税務署 Steuerhaus (17c) 開かれたアーケードの建物で、18cに1階分継足された。
   1906-09現在の豪華なロココの3階建ての水平方向の建物に歴史主義の絵画が描かれた。
 大ギルド GrossZunft (1347) 別々のギルドがマルクトの東に建物を建て、切妻付2階
   建ての大ギルドハウスがある。
 青ソール BlauSoul 前面持ち出しの一部4階建ての建物で、西方向の角は町のは七
   つのランドマークの一つである。
 ハーマンの家 Hermansbau (1766) ベネティアの富豪ベネディクトはバロックの宮殿をたてた。
   中庭を囲み4翼のハーマン造で、王や皇帝などの高位者を泊めた。今は市博物館。
 聖マーチン教会 St.Martins Kirche 1499ウルムの建築家による凝灰岩の内陣には美し
   い彫刻があり、南東の柱に作者の印が残る。八角形の塔頂部は1486に付けられた。
   四角塔の文字盤は1524シュトリーゲルのよって作成された。
 コロイッツヘレン教会 Kreuzherren Kirche (1210) 修道士が設立し14cには病院が開設
   された。1617先端が八角形の鐘楼には洗練された装飾がある。1803修道院が
   解散され修道院教会は1480-84に建てられフレスコカ画やスコッタが残されている。
 フッガーの家 FuggerBau 城の様な3階建てのフッガー家の大きな建物で30年戦争1630
   からバレンシュタイン将軍の本部となった。
 金獅子 Goldener Loewe (17c) 塩や穀物のカートには、町の最も古いワインハウスで、
   1階にワインバー「金獅子」が置かれた。古い内装とバーの様式が見られる。聳え
   立つ切妻には1647の大包囲戦の砲弾が残っている。
 七屋根の家 SiebendaecherHaus 3階建ての美しい木組みの建物で、ヒンジ付サイドハッチ
   の高い切妻は革の効果的な乾燥を可能とした。1945の爆撃で屋根に損傷を受けた。
 劇場Theater ネオバロックの前面のエレガントな建物は、かってのエルザベス修道院の建物
   である。宗教改革で世俗化され、武器庫などで使われ、19c州立劇場になった。
 織工ギルド Weber Zunft 町でも美しい木骨造の切妻付3階建ての建物で、良い織
   物を長年輸出した最強のギルドにより建てられた。このワイン広場には11ギルドが
   多くの会館を建てた。
 クレーマーギルド Kramer Zunft クレーマーは市壁内で商品は賞品販売を許された商人であ
   り、42取引者はギルドクレーマーに組織され、薬剤師から菓子職人までをこの建物に含めた。
 市博物館 Stadt Museum (1766) ハーマンの貴族ベネディクトの建てた宮殿に、1996から
   帝国の町の文化と歴史を展示している。
 MEWO市美術館 MEWO Stadt Galerie (2005) 旧王立バイエルン郵便局に750m2の空間に
   21世紀の美術品が展示されている。
 アントニー家博物館 Antonierhaus Museum (15c) アントニー家の建物に、1996町の図書館・
   博物館・広間・カフェを収容し、現代芸術が展示されている。2012シュトリーゲルの現代アート
   と視覚文化も展示した。

5.写真

マルクト広場 西門

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メルケンドルフ Merkendorf BY116

1.歴史

 1249 村は文書言及された、      14c中 シトー派修道院の所有、
 1398 ベンゼル王は防備を固め市場開催、  1506 皇帝マクシミリアン町を訪問、
 1524 新教の説教が初めて行われた、   1618-48 30年戦争の略奪と疫病、
 1640 8家族が生き残った、        1791 プロイセンとなり役所を競売、
 1806 バイエルン王国に帰属、        1862 役所と地方裁判所を設置、
 1928 野菜農民は協同組合設置、     1945 2次大戦の最後の戦闘で被害。

2.市壁  1.08km 0.98

  ベンガル王は1398に防衛権を与え、30年かけて町の防御施設は造られ、初めに
  市壁・堀・3門と9塔が建てられた。南東の角に、水堀とに円塔が立ち、絵の様に
  美しい。北西のわずかな部分を除き市壁は殆ど残っている。

3.塔  3門8塔

  3門9塔の内、今はまだ尖った兜の角ばった3つの角塔と尖がり屋根の5円塔
   と1半円塔が見られる。そのた基部のみ残る塔もある。
 上門 OberTor マンサード屋根の2階建四角塔、中心部は15cに元に戻され
   18cにはバロックに改装された。
 袋門 TaschenTor 平らな隅棟屋根の2階建四角塔で小さな窓がある。後
   期中世風の中心部は1766改造された。回転する重々しい扉には鉄の車輪が
   見られる。門の北には、以前守衛室と税関があった。
 下門 UnterTor (15c)門衛所と一緒に町の象徴として建てられた長方
   形の2階建て塔である。この門は1785に改造され、堀の背後の守衛所は、
   外来者から舗装税を支払わせるためにあった。一度壊れ1980-81に復元された。

4.見所  C

   アンスバッハの市域に含まれる小さな町であるが、リング通りの内側に市壁と門塔に
   囲まれ木組みの家の多い古い町がひっそりとある。
 市庁舎 Rathaus (15c) 最初の市長と参事会の会議が1479に行われた。
   1648焼失し1659-61に地階に薬局のある建物で再建されたが、町は穀物倉庫を国
   から買い改修して行政はそちらに移し、1856市庁舎は競売した。競売された建物
   は持ち主が点々としたが、町は1987に買戻し健全化して、1991に市庁舎として使
   用した。
 郷土博物館 HeimatMuseum (16c)旧十分の一税倉庫の建物に、1726に博
   物館が開設された。屋上小塔付の4階建ての頑丈な石造の建物で、16c復元したが
   1648焼失した。7つの展示室には、都市居住農民の町の昔の生活と仕事を展示。
   地階が開かれたアーケードの家。
 新教教会 Ev.StadtKirche Unser Lieben Frau (15c) 後期ゴシックの建物で
   1528の塔が在る。1648教会は焼き払われ、1655仮屋根で再開された。1709-10内
   陣・木製天井・聖歌隊席で身廊の拡張始め、礼拝堂の内装は1945簡素に直された。
   され、美しい彫刻のある聖歌隊席がある。
 司祭館 PfarrHaus (1897)昔の第二の2階建ての司教館は1996-97に改造
   され今は教会救済事業所である。
 旧役所 Ehm.AmtHaus マルクト広場の角地の家であり、1777-79 2階建ての寄
   棟屋根で建てられ、1789まで辺境伯代官の役所であった。
 旧パン屋 Ehem.ZinkenbueckerHaus (1747)赤い砂岩切石で飾られた2階
   建てで、北の切妻に銘板がありパン屋の標識と年号が記されている。

5.写真

上門 下門
東南壁塔 南西壁塔
西南壁塔 聖母市教会
郷土博物館

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ミルテンベルク Miltenberg BY117

1.歴史

 1226 マインツ大司教の所有物で初文書言及、 1237 ブロンバッハ修道院文書に町として、
 1240 マインツ大司教は都市を破壊、市民は城へ、        1300 町の門を拡張、
 1346 特別税を課して防備の建設促進、      1354マインツ選帝侯は鋳造権を付与、
 1367 皇帝チャールズ4世は市場権を付与、   1522 マインツ大司教は教区の改革を阻止、
 1525 市民は農民戦争に参加、          1614-29 魔女裁判で69人が処刑、
 1618-48 軍課金で町は破綻、       1631-34 スエーデン軍は疾病をもたらした、
 1640-48 繰返し略奪され町は荒れた、    1682.1784.大洪水で浸水被害、
 1803 町はライニンゲン大公家に来た、     1806 バーデン大公国、1810ヘッセン大公国へ、
 1816 バイルン王国に帰属、          1866 プロイセン兵士によるコレラ流行、
 1900 橋の開通、1909.1920 水害、    1945 マイン橋梁の破壊、1950 橋の再建。

2.市壁  1.0km 0.19

    南側の山腹に市壁が残されている。

3.塔  3門2塔

 マインツ塔 MainzerTor (1379)上部塔とも言われ、町の西端に建てられた角塔で、
   胸壁の上に四角錐屋根の2階建小塔が乗せられている。この東西の塔の間の長さ
   は2.5kmもある。
 刀鍛冶門 SchwertfegerTor()西の昔の入口塔の基部に塔を乗せた。塔の名前は甲冑
    師の遡る。今は公立図書館を収容。
 ヴュルツブルク門 EinlassTor (1379)町の東側の境界に建てられた5階建角塔。頂上には
   尖頭のほかに多くの飾りが付いている。
 ツュックマンテル門 ZuckmantelTor(1351)ヴュルツブルク門の南に位置した3階建の円塔南東部の
   町の守りを受け持った。
 マイン橋塔 MainBruecke Turm(1900)1898に橋の建設が始まり、1900に開通した。防壁
   を兼ねた立派な橋塔にこの塔が残されている。1945戦争最後の日に爆破された。

   

4.見所  B

   マイン川沿いの懐ろに多くの美しい木組みの家並みが残され、中世の雰囲気が感じ
  られる。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1379)砂岩の建物は当時の規模で建てられたが、狭くなり左
   右の建物を購入した。1979-83に改修され、今は催し会場である。
 新市庁舎 NeuesRathaus ()3階建ての新しく大きな建物で窓には花を飾る。
 巨人宿屋 Gasthaus zum Riesen (1590)石造地階の上に木組の上階が乗り美しい装飾
   がある。何世紀もの間ガストハウスとして王や選帝侯などの要人が泊まった。
 中央通り HauptStrasse 歩行者専用の長い町のメインストリートであり、様々な木組や石積の建
   物が並ぶ。通りの中ほどにマルクト広場があり、1583八角形の噴水を花を飾った木組の
   った木組みの美しい家が取り巻いている。
 ミルテンベルク Miltenberg (12c)最初の建物は12c末に建てられたが、30年戦争で大損傷を
   受け1730に居住した守備兵も町に移動して空いた。1803城はライニング家のの所有とな
   り、1979に町が取得・改修して、2000に博物館を計画し2011に開館した。
 聖ヨハネ教会  St.Johannes Kirche (1897)新教の教会として建てられ古い教会ではない
   が、良い建築のため町の文化財的になっている。
 聖ヤコブ教会 St.Jakobs Kirche(13c)町の創成期からの身廊に14cに支柱が加えられ、そ
   の後も繰り返し再建拡張が行われた。新古典主義の特徴は1830の塔で確定
   され、内部には14003王の群像・1527砂岩十字架等見るべき作品がある。
 フランシスコ会修道院教会 Franziskaner Kloster Kirche (1669) 市役所の向かいのエンジェル広
   場のガストハウス・ツム・エンジェル跡地に宮廷建築家が堂々とした教会を建てた。
   円アーチの中央入口・内部のバロック装飾は見事である。
 旧郡庁 Ehem.Oberamt (1679) 3階建ての貴族の館であった。塔は警備と火事の見張
   り人が置かれた。、
 旧ドーム・ケラーライ Alte Domkellerei (14c) 後期ゴシックの階段切妻付2階建ての建物は、マインツ
   のドームケラーの住宅として使われた。オリジナルの施設は市壁と堀で囲まれ、所有
   権は1420にマインツのドーム・カピタルに与えられた。
 町博物館 StadtMuseum (1541) マルクト広場に後期ゴシックの美しい木組みの家がある。
   1625にマインツの役人がワイナリィ事務所として購入した。今は町の博物館として、
   町と周辺地域の文化史を飾る豊かな収集物がある。

5.写真

旧市庁舎 ホテル ライゼン
新市庁舎 マイン橋門
中央通 マルクト広場
ミルテンベルク ヴュルツブルク門

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ミンデルハイム Mindelheim BY118

1.歴史

 1046 最初の文書言及、       1250 町への昇格に成功、
 1337 新たな市場や警察の権利をうけた、1413 ウルリッヒは領主として要塞都市の建設。
 1467 金不足で町をチロルの騎士に売った、 1616 バイエルン公爵マクシミリアンは町を占領、
 1636 30年戦争で占領された、     1705-14 英のマールボロ伯爵が支配、
 1714 バイエルンに帰属、         18C終 ナポレオン戦争で貢ぎ物を求められた。

2.市壁  0.31km 0.25

   旧市街地は東西400m南北200mと150mの長方形で小さく、主として東側に市壁が残
  っている。東南ImhofGasseには屋根付き市壁が復元されている。その他北側の入場
  門の脇にも高い壁が見られる。

3.塔  3門3塔

   市壁には、5門塔と幾つかの壁塔があったが、6門塔が残っている。
 上門 OberTor(HabernTor)1337建、東角塔、今の外形は1500に造られ、1870までは
   町の東側は半円形の砦と水を満たした堀で閉ざされていた。
 入場門 EinlassTor 北 1469建、角塔。門限後の市内への入場許可は入場料を払わ
   された。塔の前面は絵で飾られている。
 下門 UnteresTor(SchnaebelinsTor) 西 1263建、角塔、昔は火事の見張り塔であ
   り、今は教会塔として機能している。
 向こう見ず塔 MalefizTurm(GefaengnisTurm) 東南 1350建 円塔、監獄として独
   罪者を収監した。
 張り絵塔 CollagTurm 西北。
 聖ステファン塔 Turm der St.Stephan 1409建、北東 昔は町の防御塔であったが今は教区
   教会の塔となっている。角塔で最も高い。1851に帽子を付けた。

4.見所  B

   町は、東から見ると大要塞であるが、奥行き400mの小さな町である。
  門塔が多く残り綺麗に彩色が維持されている。東北に高い壁通路、東南に低い壁
  通路がある。
 市庁舎 Rathaus 1897建、石造の3階建で、出窓塔が付き前面には切り妻があり窓が
   多く複雑になっている。
 聖ステファン教会 PfarrKirche St.Stephan 1409建、古い町の東北の角に立ち高い塔を有
   する。1862以降地区教会として幾つかの変更で時代に順応した。今日では外
   観はバロックであり、ウルリヒと二人の妻の墓石が見事である。
 聖霊病院礼拝堂 ehe.Hl.GeistSpital 1448建、テックの公爵によって設立され、礼拝堂
   は古典的な前面にその後変更された。
 郷土博物館 HeimtMuseum 旧Kloster Hl.Kreuz1739建 聖十字架フランシスコ会修道院の南
   北翼に1948から入っている。貴族領主と町の歴史・町の文化・農村の生活を展示。
 塔時計博物館 TurmUhrenMuseum 旧市街地北西部のシルベスター教会は、公爵夫人が設立
   した。鐘楼は高さ48mのゴシックの四角塔であり、1977-79大改修の後にシュバーベン
   塔時計の博物館が塔の3階に設けられた。
 テキスタイル博物館 TexteilMuseum ehem.JesuitenKolleg1627建、旧イエズス会の教会と学校
   は1618-1773に使用され、1820に世俗化され民間に売却されたが、1890から町
   が所有しテキスタイルを展示した。
 降誕博物館 JesuitenKirche 1264建、後期バロックのイエズス会教会。壮大な祭壇とロココ調
   の礼拝所。最初は修道院教会として建てられ、1618にイエズス会が引継いだ。1626
   初期バロック、1722後期バロクの新築と装飾がなされた。1986に降誕博物館、1989
   に繊維博物館、1994に考古学博物館が併設された。
 英国学校 EnglischesInstitut 1701建、バイエルン公と妻が設立した修道院の教会はアウグ
   スブルク司教の聖体拝領の住居のような教会であった。今日では中学校・教会・修
   道院の寄宿舎として使われている。

5.写真

市庁舎 上門・東壁
壁塔 上門
南東壁 アインラス門
下門 東北壁

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ミッテンヴァルト Mittenwald BY119

1.歴史

 1-3c ローマ時代の街道と交易路に位置、         1096 初文書言及、
 1361 カレル4世による市場整備、       1407 町の紋章が付けられた、
 1487-1679 ボルツアーノ市場として繁栄、その後強力ベニス商人が独とベニスの取引、
 1679 ボルツアーノ市場を元の場所に戻したが、繁栄は戻らなかった。
 1684 マチアスクロッツがバイオリン制作技術を持ち帰った、   1803 バイエルンに帰属、
 1930 駐屯軍の訓練所を設置、         1945 2次大戦で米軍占領。

2.市壁  0

  見当たらない。

3.塔  0

  見当たらない。

4.見所  B

   中心のOberMarktは賑やかで、オープン・カフェや土産物屋が立ち並び、北の教会か
  ら南の銀行までの殆どの建物の壁面に宗教的・民芸的なフレスコ画が描かれ美しい。
 上市場 Ober markt 広い通りの両側に宗教色の強いフレスコ画で飾られた店舗が並び、
   歩行者専用となっていて安心して楽しめる。
 バイオリン制作博物館 GeigenbauMuseum (1685)北のマルクトでも古い建物に、マチアス
   クロッツ一族が住み、1684からのバイオリン制作の歴史と地元制作の200の楽器が展示
   されている。
 聖ペーターとパウロ教会 Kirche St.Peter und Paul (1315) 1713-49に多くの色鮮やか
   なフレスコ画で飾られて建て直された。中には1500のマドンナがある。教会の脇には、
   バイオリン制作の技術をもたらしたマチアスクロックの彫像が立っている。
  Lueftlnalerei Obermarktの南端東側にバロック農村生活のフレスコ画によるダマシ絵が前
   面の全部に描かれた2階建ての建物で、今はライヴァイゼン銀行と土産物屋である。

5.写真

上マルクト 聖ペーター・パウロ教会

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メンヒベルク  Moenchberg  BY120

1.歴史

 1215 城の設置を初言及、         1250 マインツ選帝侯に属した、
 1401 皇帝カール4世は独自の教区と教会を承認、15c マインツ大司教は町の憲章を授与、
 15c 町は市場権を得て市壁を築いた、     1803-10 アッシャヘンブルク公国へ、
 1810-13 フランク大公国へ、           1814-15 バイエル王国へ、
 1862 郡庁オーベルンベルクの下となった。

2.市壁  0.64km 0.69

   市場の権利を得た町は、14cに砂岩の市壁を築いた。多くの場所に補修され
  て残されている。

3.塔  1門

 市門 Stadt Tor () 東部のシュヴァイムパート通に簡素なアーチ門が再構築されてい
   る。片側は柱・もう一方は歩道のアーチ付きの壁で、屋根付きの形である。

4.見所  D

   旧市街では、主に17-18cの木骨造の建物を塗装している。静かな古い町。
  ハウプト通には、多くの木骨造の建物が立ち並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (1607) 3階建装飾的な木組の切妻前面の大規模な建物で、鐘楼は六角
   形。前面には1731の処刑台と十字架がある。
 聖ヨハニス教会 St.Johannes Kath.Kirche (1749-51) バロックの広間教会で、八角形の鐘楼
   は4階建で二重タマネギ・ドームが付ている。外壁は漆喰仕上である
   示されている。
 牧師館 Pfarramt (1768) 2階建寄棟屋根の納屋付きの建物。庭を砂岩の塀で囲み門が付
   いている。

5.写真

市庁舎 聖ヨハニス教会
西南壁 東壁
北壁 西壁

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モンハイム Monheim Schwaben BY121

1.歴史

 870 ベネディクト会修道院の設立、     1340 エッチンゲン侯爵は都市権を授与、
 1505 バイエルン侯爵支配し1808まで継続、   1523 町に地方裁判所を設置、
 16c中 救護局のために北東端に城を置いた、1750 プファルツ・ノイブルクの行政中心、
 1818 行政改革で今の町を形成、         1878 地区の地方裁判所。

2.市壁  0.14km 0.24

   14-15cの市壁は、東と北に残っている。

3.塔  2門0塔

 下門 Unteres Tor (14-15c) 北門で白塔とも呼ばれ、直接城に隣接し、地上階は
   切石積で寄棟屋根や矩形天窓付きの3階建である。1806に改修された。
 上門 Oberes Tor (15c) 南門でドナヴェルト門とも呼ばれ、階段破風の急勾配屋根長
   方形4階建の建物で核は15cである。19cに2階建のポーチが付いた。

4.見所  C

   南北2門の間の幅広いマルクト広場は、昔からのアウグスブルクとニュルンベルクを結ぶ交易
  要衝で、卵型の市壁で守られていた。都市農民は2階建の家に住み、18cからの収
  益性の高い工芸品の生産で切妻のある2階建漆喰の家を建てた。
 市庁舎 Rathaus (1714) 3階建の中央突出の外壁に水平の線の入ったすっきりした
   輪郭の建物で、旧ユダヤ人の住宅を改造し、1747から市庁舎として使われた。
 旧宮殿 Ehem.Schloss (1678)中央突出の上部切妻の3階建のL字型2翼の大きな建
   物で、入口は田舎風の壁柱とバルコニィがある。
 聖バルブルガ教区教会 PfarrKirche St.warburga (11c) 旧ベネディクト修道院の教会であ
   り、1500内陣と身廊の建設、1575塔の追加され、翼廊のある礼拝堂と3身廊
   の後期ゴシックの広間と八角形の塔がある。
 旧修道院 Ehem.Kloster (11c)ロマネスクの旧修道院の翼であり、16c初の後期ゴシックの
   2階建切妻屋根で、1574にベネディクト修道院は溶解され、残りの部分は地区センター
   となり、後に青少年センターとなった。
 旧宿屋 Ehem.Gasthaus (18c) 2階建寄棟屋根の建物は、19-20cに2階建木造漆喰仕
   上となり、21c解体して4翼に拡張された。
 宿屋 Gasthaus (18c)寄棟屋根と2階建て切妻屋根の建物で、18cに何回も改修され
   た。
 住家と商店 Wohnhaus und Geschaefthaus (1699)丸アーチ切石の玄関・帯・庇・切妻飾
   りは、中世の核であり、19cに新正面と2階建切妻屋根をまとった。
 住家と商店 Wohnhaus und Geschaefthaus (16c)3階建切妻屋根の建物で、南に昇
   降機の開口部とクレーン装置がある。

5.写真

マルクト広場 聖バルブルガ教会
下門 上門
東壁

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モースブルク Moosburg a.d.Isar BY122

1.歴史

 769 ベネディク会ト修道院の設立、      895 フライジング司教の所有権が確定、
 10c ハンガリーの侵略で修道院を破壊  1027 フライジング司教は漁師に事務所提供、
 1155 関税局の設置で都市開発、     1171 侯爵ヘンリーライオンは教会を設立、
 1212 Kastulus Kircheを復元して再奉献、    1311 要塞都市として表示、
 1331 町は都市権を授与された。    1632 30年戦争で町の半分が廃墟に、
 1702 大火事に仏革命軍進駐で損傷、        1865 火災で町は衰退、
 1930 工業化で人口増加、       1940-45 捕虜収容所に8万人を収容。

2.市壁  0.38km 0.26

   14cの市壁は、17cに拡張された。市壁は東と北東に残されている。

3.塔  0門4塔

   3市門は1867-99に全て取り払われた。
 防御塔 BefestigungsTurm (17c) 市壁の防御塔で、Auf dem Greis 23にある。
 火薬塔 PulverTurm (17c) 市壁の隅塔でRosenhof beg 6にある。
 塔跡 Turm Rest (17c) 市壁の塔の跡でStadt Graben 41と51にそれぞれ長方形と
   半円形の塔の基礎がある。

4.見所  C

   修道院の町で、宗教的な建物が多い。1702と1865に火災で中世の街並みに
  バロック化の影響を与えた。
 市庁舎 Rathaus (18c) 元百貨店のネオゴシック3階建の建物で、1867に時計塔が付けら
   れた。
 聖カスツルス教会 St.Kastulus Kirche (1170) ロマネスク3廊の回廊のある大聖堂1468後期ゴ
   シックの多角内陣、1862バロック化と西玄関。昔は参事会教会から今はカトリックの教
   会。
 旧中央教会評議会 Ehem.Stiftsherrenhaus (16c) 山形の前面であったものを、19
   49大改造して後期ゴシックの階段切妻とした。エレベータ・ハッチがある。
 旧中央教会評議会 Ehem.Stiftsherrenhaus (15c) 2階建ての角の家で切妻屋根と
   胸壁タレット階がある。17-18cに上階はスコッタ仕上げ天井となった。今は、市立
   図書館として使われている。
 旧簡易裁判所 Ehem.Amtsgericht (1207) 最初は公爵の城と呼ばれ、1207に建てら
   れた。1551に城トウルンと呼ばれた。19cに3階建急勾配切妻屋根の翼が建て
   られた。構内には切妻屋根の農場の建物がある。
 旧市薬局 Stadt Apotheke (17-18c) バロック2階建切妻屋根の建物で、1900ネオゴシック
   の鉄の手摺・ビーダーマイヤーの前扉・ポーチが付けられた。
 旧家 Ehem.Properater Haus (1530) 広い2階建の建物は、1860-70に延長された。
 旧水城アッシュ Ehem.WasserSchloss Asch (1541) 3階建寄棟屋根の建物。
 旅館・醸造所: Brauerei-Gasthof Kirchammer (18c) 前の建物は焼失した跡に、
   1838-40に2階建壁柱列スコッタ仕上げの細長い建物となった。
 十分の一税納屋 Ehem.Zentstadel (1702) 2階建半寄棟屋根の倉庫。
 市立市民の里 Staedtisches Buergerheim St.Elisabeth (1882) 3階建ネオバロック・マン
   サード屋根の建物は、かってのカプチン会ホスピスの代わりに建てた。

5.写真

市庁舎 町広場
教会広場 東壁
東北壁 北壁

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ミュールドルフ Muehldorf BY123

1.歴史

  935 ザルツブルク大司教の土地売却確認文書に最初の言及、
 1190 塩の権利はザルツブルクに取られた、初期城壁都市建設、   1285 大火災、
 1239 都市権の授与、市壁・門塔の建設、      1322 独・墺の決戦、
 1331 自由都市を目指し要塞の建設、  1364 バイエルンが町を包囲、銃器の使用、
 1522 ザルツブルク教会会議の開催、     1640 大火で300戸以上焼失、
 1648 スエーデン軍の占領、          1802 バイエルンへ帰属、
 1809 ナポレオン軍の占領、        1945 2次大戦の2階爆撃で町の40%破壊。

2.市壁  0.27km 0.20

    10cには既に町の防備施設があり、14cにはレンガ造の周壁となり、1532には
  多くの箇所で修復が行われた。1808大部分が取崩され、一部ではその上に建物
  が建てられた。
  HaberKastenにレンガ積みの市壁が40m、南の家の後に60m、西の家の後に70m、
  西北の敷地境の後方に100m残っている。

3.塔  2門0塔

 ミュンヘン門 MuenchenerTor (1218) 1998-2000に改修、昔製釘の手工業者は砦の
   防御を任せられたため、NagelschmiedTurmとも呼ばれた古い塔H29.55m。
 アルテッチング門 AltoettingerTor 以前高さ26mで、兵隊を塔に泊めていた。門躯体
   と外壁は変更されている。

4.見所  C

   4階建の建物に囲まれた中央のStadtPlatzは、幅15-35m長さ490mの
  11,000m2の大広場で、テラス席や青空市で賑わっている。
 市庁舎 Rathaus 15C建、地階は連続したアーチのアーケードがあり、広場に開かれ
   ている。魔女の部屋は、1750の最後の魔女裁判以来そのままです。2階には、
   1646イタリアルネッサンス調度の豪華な会議室がある。
 郷土博物館 HeimatMuseum 15C建、旧HaberKastenは大司教が徴税や土地管
   理のために建てた。1803からバイエルンの穀物倉庫であり、発電所でもあった。
   1996に大規模な改修の後に郷土博物館となり、町の歴史.生活様式等を展示。
 管理人城 PflegSchloss 1539建、領主マシューラングは管理のためのWellenburg
   を築いた。今は税務署として使われる。

5.写真

ミュンフェン門 聖ニコラウス市教会
アルテェフィンガー門 司祭館

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ミュンへン Muenchen BY124

1.歴史

 9C ベネディクト修道院のそばの集落が始まり、     1158 イザール川架橋で初文書言及、
 1175 都市権を授与され最初の要塞建設、      1240 ヴィッテルバッハ公爵の居住地、
 1328 ルードヴィヒ4世はローマドイツ皇帝となり居住して2番目の周壁を築いた、
 1429 市壁の外側の周壁を補強した、         1503 バイエルンの首都となった、
 1506 国を拡大し後期ゴシックの建物が建てられ、文化の黄金期となった、
 1632 スエーデン軍の占領で破壊を避けるため身代金を支払った、  その後ペストで人口2/3、
 1648 30年戦争の終了後すぐに都市は回復、    1789英国庭園を作り、中世の要塞、
 1806 王国に昇格、ライン連邦を結成、     1945第2次大戦空爆で旧市街地の90%破壊。

2.市壁  0.00km 0.00

   1175最初の市壁は卵形500×400m、1610中世の市壁は二重壁で西側に直径1.3km
  の半円形の拡大を行った。 市壁が残っているのは、不明。

3.塔  4門0塔

 イザール門 IsarTor 1337建、東側に4階建の八角塔を3アーチの2階通路で繋ぎその後ろに
   5階建の角塔が備えている。2次大戦で壊され、完全に復元された。
 カールス門 KarlsTor 14C建、西側に左右の3階建四角塔を高いアーチで繋いでいる
 使節門 SendlingerTor 1318建、西南の門で左右に3階建六角塔を高いアーチで繋いでい
   る。
 勝利門 SiegerTor 1813-15建、仏に対する解放戦争の勝利を思念して、バイルン軍の凱
   旋門として建てた。四角形で16本の柱の上に飾りが付いている。

4.見所  S

   バイエルン王国の遺産と各種博物館など見るべきものは多い。
  詳しくは、各ガイドブックにゆずる。
 新市庁舎 NeuesRathaus 1867-1908建、ネオゴシック4階建の大建築物。グロッケンシュピール
   は有名。高さ85mの塔にはエレベーターで登れる。1885に画家ヨーゼフ・ヴィンドマンの構想
   を基に1972-75に画は描かれた。北側にも破風に壁画があり柱廊と共に美しい。
 宮殿 Residennz 1385-建、ヴィッテルバッハ家の宮殿。中に、王宮博物館Residenz
   Muzeum、宝物館SchantzKammer、旧王宮劇場Altes ResidenzTheater、王宮礼拝堂
   HofKapelle等がある。
 聖母教会 FrauenKirche 1468-88建、後期ゴシックの大ホール教会、西側に99mと100m
   の塔が1525に建てられエレベーターで登れる。内部は白一色で大柱が立つ。1500の木
   彫りの像がある。
 ペーター教会 PetersKirche 13C建、ゴシックの3廊式バジリカ。18Cにバロック化。284段の階
   段を塔に上れる。
 古絵画館 AltePinakothek ルネッサンスの大建築物。14-18Cの絵画の宝庫。
 新絵画館 NeuPinakothek ポストモダンの砂岩造りの建物、19-20Cの絵画。
 ドイツ博術館DeutschesMuseum イザール川の中州にある各分野の広大な博物館。

5.写真

市庁舎 マリエン広場
ティアヂーナ教会 オディオン広場
王宮 ニンフェンブルク宮殿

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ミュナーシュタット Muennerstadt BY125

1.歴史

770 フルダ修道院へ遺贈された、    800 東フランクは地方裁判所を設置。
 1151 ヘルマン・シュターレックはシトー会修道院を設立、12c ハンスベルク侯爵は城を築き集落形成、
 1230 市壁と4門・市場、1272市庁舎を整備、1371ヘネベルクヴュルツブルクは半分に売った、
 1335 バイエルン王フリードリッヒは市場権を授与、 14c ヘネブルク侯爵は貿易・手工業を奨励、
 1525 農民戦争で修道院は燃やされた、  1552 アンスバッハ辺境伯は町を略奪した、
 1583 ハンスベルク家絶滅でザクセンの管理へ、  1631 30年戦争でスエーデン軍の占領、
 1903 ナポレオンの世俗化でバイエルンに属す、  1806 ヴルツブルク大公国へ
 1816 ウイーン会議で最終的にバイエルンに帰属、 1945 爆撃と砲撃で多くの建物は崩壊。

 

2.市壁  1.12km 0.72

   1251に粗石と切石を積んで築かれた市壁が、多くの場所で残されているが元の
   高さより低い。また建物の壁として使われている部分もある。

3.塔  2門1塔

 上門 Oberes Tor (13c) 南 6階建て高さ35mの角塔で方形石材が使われ、
   1380塔は住居となり、1570ルネッサンスの階段切妻が付けられた。
 下門 Unteres Tor (13c) 北 19452次大戦時に米軍の戦車通行のために爆破さ
   れ、現存しない。
 ユーゲン門 Joergen Tor (1250) 東 5階建ての門塔に1508-09木組みの塔頂が付
   られた。1380渦巻胸壁冠のある外門が残る。今はユースホステルとクラブを収容している。
 太い塔 Dicker Turm (1240) 北西 直方体の基礎に円錐屋根の円塔で、1521
   に門の入口が追加された。かっては刑務所で、そのご修道院・青少年センタ-。

4.見所  C

   多くの木組みの家と中世の街並みが残り、多くの保存された市壁に囲まれる。
 市庁舎 Rathaus (1469) 地階がオープン市場の2階建て木組みの建物で、旧領主
   紋章(ヘネベルク・ヴュルツブルク司教・バイエルン)が飾られ、入口玄関の北側に1820
   追加階をを購入した。
 ヘネンブルク博物館 Hennenberg haus (1250) 1621ボックス出窓と1611重量感のある
   入口と階段のある中庭は18cに改造され、演奏会・演劇・映画室が開設され、
   建物はヘネベルク博物館となった。博物館には、19cからの完全な薬局・セラミック・
   貿易・習慣など地域の歴史的な展示がある。
 聖マグダラノマリア教区教会 Pfarrkirche St.MagdelenaMaria (12-13c) ロマネスクの入
   口ら西に1420壮大なステンドグラスの窓、1430オリーブ、1424-46ゴシックの内陣、
   1490-92チィルマン・リーメシュナイダーマグダナの祭壇、1504キリアンの伝説による4パネルの絵
   などがある。
 地方裁判所 Landgericht (1349) バロックで建て替えられ1744-48ヴュルツブルク司教
   廷史の事務所となり、その後地方裁判所として1973まで使われた。
 ワイン醸造所 Kelterhaus (1469) 修道院のワイン蔵で、1351最初の旧町醸造所。
 十分の一税倉庫 Zehntscheune (1648) 3階建階段切妻の大きな十分一税
   倉庫。今は消防署・市の音楽学校・市の文書館である。
 早ミサの家 Fruehmesserhaus (1827) 上階木組みの角バルコニィーの家で、アダムとイブ
   の彫刻がある。

5.写真

市庁舎 イエーゲン門
上門
マルクト広場

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ナブベルク Nabburg BY126

1.歴史

 8C 初期の城の最古の痕跡がある、     10c カロリング重要拠点の大要塞の遺跡、
 1100 ディポルディンガー支配による最盛期、  1146 ザルツバッハ侯爵が短期間支配、
 1188 ヴィッテルバッハ家に属して帝国が所有、  1271 最初に都市として伝えられた、
 1296 ルドルフ侯爵は以前の全ての特権を確認し全ての特権を17条の特権証書として授与、
 1317 バイエルン皇帝が来て、町の特権を許容し、それを宣言した、
 1420 フス軍が来て略奪し要塞完成を急いだ、 1433 フス軍の包囲に要塞は耐えた、
 17-18c 30年戦争と7年戦争で町は衰退、  1945 第2次大戦空爆で郊外が破壊。

2.市壁  1.2km 0.82

   12cの市壁は15cに要塞として拡大強化され、1433のフス軍の包囲に耐えた。
  西側の一部を除いて、殆ど市壁が残されている。

3.塔  2門1塔

 メーン門 MaehnTor (14c) 狭間胸壁冠付全部建物のある5階建て長方形の
   塔である。外側の塔アーチに1532の建設年号がある。アーチ型の通路にはバロックの天井画
   「マリアの昇天」の残りがある。御者の高さには「十字架の上のキリスト」「マーン門」の
   の彫刻がある。1990交通量増大により大容量の通路を設けた。
   上門 OberTor 北東の市門で、アーチの上に3階建の8角塔が立つ。外側壁に
   落格子門の跡があり、その横に1565改造時点の年号がある。1913交通処理のため
   大通路が設けられた。1955の改造で塔内に事務室が設けられた。
 主席司祭塔 DechantTurm 南西角から2番目に残っている防御角塔で、市壁
   が付近にある。

4.見所  C

   歴史的な旧市街とメーン門・上門とほぼ完全に無傷の市壁が中世都市の重要なランド
   マークとなっている。
    市庁舎 Rathaus (1417) 16cにルネッサンスの正門・階段・アーケード廊下・時計付塔を
   付けた。中には小飲食店・町の標準秤・結婚式場がある。1995-98総健全化され、
   再び市長執務室と市の行政共同体を収容した。
 市民病院 BuergerSpital (1412)牧師は市民病院のための財団を設けた。
   今は市が引き継ぎ、1970に改修され9戸の公営住宅となった。
 保護宮殿 Pflegschloss (929)この場所に昔はナープ城があった。シュバインフート
   とティボルディングの統治が絶滅した後に、ヴィッテルバッハ家の地方管理人が管理事務
   所を置いて執行した。1750最後の改築が行われ、今は測量部が置かれている。
 ラウレンティウス教会 Raurentius Kirche (1489) 初めは城の礼拝堂であった。
   後期ゴシックの礼拝堂は、世俗化後に木材や石炭の貯蔵庫として使われた。1922
   プロテスタント教会は礼拝所として取得した。
 聖ヨハネ市教区教会 StadtPfarrKirche St.Johannes (1290-1349)ハイゴシックの
   教会で、1536落雷で片方の北塔が焼失した。ネオゴシックノサイダン・石の洗礼盤・1470
   三日月の上のマドンナ像が有名。
 市博物館 Stadt Museum Zehentstadel (1547) ケルト時代からの自然・文化・
   歴史を展示。
 絵画館 Museum im Schmidt haus (17c) 画家カール・シュミットの家にられの絵画
   が飾られている。
 肉門とツインガー周遊路 Fleischtoeel und Zwibg (1420) ここに3つの歩道入口
   の一つ「肉の門」があり、ここからツインガー道に達する。今でも現存の二重市壁は、
   1420に築かれ町は守られた。

5.写真

市庁舎 デハント塔
上門 メーン門
東壁 西壁

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ノイブルク Neuburg a.d.Donau BY127

1.歴史

 778-809 アウグスブルクの司教、その後パラティン伯の所有、
 1505 プファルツ・ノイブルク公国に属す、    1542 プファルツ伯爵は新教とした、
 1616-17 反宗教改革を行った、   1717-18 プファルツ選帝侯カール3世が居住、
 1742 プファルツ・ノイブルク家の絶滅、     1777-1808 プファルツ・ズルバッハ家へ。

2.市壁  0.22km 0.28

   15cからの市壁は南側の庭園の上に見張塔と共に残っている。

3.塔  2門3塔

 上門 OberTor (1530)門の南に円塔と切妻、梁の上にはオットーハインリッヒとフイリップ王
   子の紋章がある。
 下門 UnterTor (16c) 宮殿の北翼の前に紋章のある塔が在る。
 見張り塔 南東の角の見張り塔は四角で1990-92に再建され、中にクナイプ式の水浴装
   置1928がある。 その西に円塔が二つ市壁にある。

4.見所  B

   1505に設置されたプファルツ・ノイブルク公国の首都であり、ドナウ川沿いに遠く
  から見える2本の円塔のある壮大な王宮と一連の建物が見事である。
 市庁舎 Rathaus (1603-09)ルネッサンスの建物に、風格ある階段・豊穣の神ケーレスと正義
   の女神ユスティティア像のある入口玄関・その上に町の紋章。地階の広間には市の美
   術館がある。
 プファルツ・ノイブルク王宮宮殿 PfalzNeuburger ResidennzSloss (1530) 優れた早期ルネ
   ッサンスの重要な建物で、1530にプファルツ伯が建てた。王宮礼拝堂は最古の新教教
   会建築で1543のフレスコ画がある。二つの円塔のある記念碑的な東塔・北側の地階
   には1665-68バロックの洞窟・1575ルネッサンス広間の騎士の間には石灰岩の円柱と美し
   い木の床がある。
 厩舎 MarstallPfalzgraf PilippLudwigs (1594) リブヴォールトのある3身廊の大広
   間。
 宮廷聖母教会 Hof Kirche UnserLiebeFrau (1607-09)後期ルネッサンスのの建物でバロ
   ックの飾りつけがなされ、1624-27塔と西前面の完成。
 研究教会 Studien Kirche (1700-01)旧ウルスラ会修道院教会で、ニコラス・ペトラのスコッタ
   がある。隣接する旧修道院客室に展示がある。
 聖ペテロ教区教会 PfarrKirche St.Peter (7C) 最初の教区教会。740-804司教教
   会、1641-46現在の初期バロックの建物になった。祭壇彫像はフィッシャー
   の作で、ディリンゲンから持ち込まれた。
 鋳造所 Muenz (1200)先史時代とケルトの要塞・後期ローマの砦・1200代官の城・1462
   騎士の家・16c鋳造所と鋳物工場の跡。
 市博物館 WevelderHaus (1517)ヴェフェルド邸は貴族の邸宅で、地階はルネッサンスのフレ
   スコ画、上階はバロック、建て増しの3階は豪華なスコッタで飾られている。今は市
   博物館を収容。
 管区長図書館 ProvinzialBibiothek (1731-22) 昔のカソリックの市民集会所で、初
   期ロココの建物。1803上階のバロックの大広間に豪華な本棚のある管区長の図書館。

5.写真

市庁舎 上門
南壁 南西壁
下門・王宮

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ノイハウス Neuhaus a.d. Pegnitz BY128

1.歴史

 1240 司教ルドルフは農民の承認を文書言及、新しい教会を建て町の名前が発生、
 1348 王ルプレヒト3世は都市権を文書再認、  16c 豊かな町は再洗礼派になった、
 16c初 市壁と市門は良く残っていた、1537 ライン・ベファーゲンの代官は町教区を支配、
 1587 スペイン兵は、国境のこの町を略奪、 1590 スペイン軍の略奪・30年戦争でも、
 1731 マックスクレメンス運河の要港として飛躍、1803世俗化でバンベルク司教からバイエルンへ、
 1858 初の機械化機織り工場が操業、  1899 聖アナ教会はネオゴシックで象徴的新築。

2.市壁  0

   フェルデンシュタイン城の城壁は立派に保持されているが、市壁は見当たらない。

3.塔  0

   市壁の門や塔は見当たらない。 城壁の塔は大小合わせて11基ある。

4.見所  D

   堂々たる城壁と壁塔は見上げる小山の上にあり、宮殿や天守閣も維持されてい
  る。城以外には教会と醸造所ぐらいしかない、山中の小さな町。
 城フェルデンシュタイン Burg Veldenstein (1269)13c内側の城、1400-03基礎と内輪の円塔
   1476-79外側壁の6塔と高い胸壁、1502-03ツインガー壁、1863邸宅の再建。1268
   バンベルク司教の城居住が初言及。1708融雪による損傷、その他所有者の変更によ
   る改造があった。戦乱による被害はなかった。2017バイエルン州にによる大改修が
   行われた。
 聖ピーターとパウロ教区教会 Kath.Pfarrkirche St.peter und Psul (1494)初め身廊と
   コア、1765内陣と4階建の塔、18c教会取付けと石灰岩。
 皇帝醸造所 Keiser Brau (1615) 教会通を上がるとビール醸造所がある。
 旧粉引所 Ehem.Muehle (18c) 2階建L型木組・切妻漆喰の工場と住居。

5.写真

聖ピーターとパウロ教会 城フェルデンシュタイン
城壁 南城壁塔

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ノイマルクト Neumarkt i.d,OberPfalz BY129

1.歴史

 1130 長距離貿易路上の街として成立、    1146 ドナウ川架橋、市場は防備、
 1235 皇帝フリードリッヒ2世は取引免税状を発した、1239-1315 市庁舎と市場を周壁、
 1301 ヴィッテルバッハ家の領土となった、   1410 選帝侯ルプレヒト3世の息子は築城、
 1443-48 領主がデンマーク王となり役所設置、 1499 独立王国が終わり王宮を失う、
 1520-43 新たな市場と宮殿を建てた、    1556 フリードリッヒ2世の未亡人が居住、
 1628 バイエルン公国となった、       1806 バイエルン王国の帝国都市になった、
 1903 独立した都市となった、   1945 2回の空爆と砲撃で市街地の92%破壊。

2.市壁  0.15km 0.15

   市壁と堀の跡は、旧市街地の周囲の緑地として残されている。
  市壁が残っているのは、東側150mある。

3.塔  3門2塔

 上門 OberesTor (13c) 1871に取払われられ、白いアーチ門が置かれた。
 下門 UnteresTor (13C) 以前はニュルンベルク門とも言われた。塔は1825に取り払わ
   れ1859に再建され、1945爆破された。1989-90に再び再建され、今はそこに戸
   籍局と小会議室がある。
 修道院門 KlosterTor かってのカプチン派修道院への小さな市壁通路で、1858塔へ広
   げた。
 借金塔 SchuldTurm 一時的に刑務所として使われ、1945に壊された。
 火薬塔 PulverTurm (13c) 昔の防御施設の一部。

4.見所  B

   パラティーノ侯爵フリードリッヒ2世は1544バイエルン全体のための政府と行政の中心として
  この町で華やかな宮廷生活を送った。文化的な博物館が多く存在する。
 市庁舎 Rathaus (1430) 後期ゴシックの建物は1945に破壊され、1956-57に復元
   された。1999根本的に建て直された。
 聖ヨハネ町教区教会 StadtPfarr Kirche St.Johannis (1404-1434)後期ゴシックのハレン
   教会で、中に1230のロマネスク洗礼盤・後期ゴシックのマドンナ・バロックのキリスト像がある。塔
   は高さ72mでステンドグラスは1945空襲で壊され、1994に新デザイン。
 宮殿宴会場 Festzaal der Residenz 昔は宮殿の大宴会場が、その後厩舎となり、
   1983-86に改造され、今は展示と催物の場所になっている。
 プファルツ伯宮殿 Pfalzgrafen Schloss (1410-43) ゴシックの宮殿は1530に焼失し、
   1520-39ルネッサンスで再建された。
 乗馬物置 Reitstadel (15c) 武器庫として建てられ、1520に焼失。1530-35に
   再建、1851-1909駐屯軍の乗馬広間、1919から町の所有となり1945焼失。1980-
   81町の展示ホールや演奏会場となる文化センターとして再建された。
 宮廷教会 HofKirche Zum Unserer Frau (1418) 後期ゴシックの聖母教会。1701-04
   身廊となり、中には後期ゴシックの宝物・1499大理石の墓標・マドンナの石像。
 新教教会 Evang.Luth.Christus Kirche (1674-77) カプチン会の修道院教会。1855か
   ら新教の町教会となった。
 町博物館 Stsdt Museum 町の全盛期から2次大戦による廃墟そして再建を展示して
   いる。20c中からのモペットとオートバイも見られる。
 ロータルフィッシャー彫刻館 Museum Lother Fischer フィッシャーの人生と彫刻を展示。
 マイバッハ車博物館 Auto Museum Maybach 車の歴史的博物館で、古い車と2輪車が展
   示されている。
 町醸造博物館 Neumarkter Glossner Brauerei Museum 内側と外側の市壁の間に、
   1574以来の歴史的な醸造機器がある。
 バイエルン子牛の白ソーセージ博物館 DeutschesWeisseWurstMuseum 肉屋に、まだ動く精
   肉・挽肉・白ソーセージの製造機器と木製冷蔵庫がある。

5.写真

市庁舎 下門
修道院門 罪塔
西壁 西壁
聖母教会

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ノインブルク Neunburg vom Wald BY130

1.歴史

 900 新しい城を築き集落が発生、 1017 バンベルク司教は皇帝に教区を贈呈、
 1261 ヴィッテルバッハ家の侯爵が町を購入、1289 市場権と裁判権を町に授与、
 1322 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権を授与し、建設のために税金を8年間免除、
 1354 町は市長・市議会・裁判所の権限保持、15c プファルツ伯は新宮殿・市壁建設、
 1492.1641 大災害で中世の街並は変化、1634 スエーデン軍・帝国軍の戦災で人口減、
 1705 スペイン継承戦争で墺軍が占領、  1742 町で墺承継戦争の戦闘、
 1742.1746.1800.1876 大火災で町は焼失。

2.市壁  0.47km 0.38

   1322バイエルン皇帝ルードヴィッヒは、建設の費用として税金を8年間免除した。
  14cに東側の堀を大規模に堀1426に完成し、周壁・ツインガー・塔が建てられた。
  1634スエーデン軍が占領したように、17c初には要塞は維持されていなかった。
  1641には市壁は修復された。1936に西と北の15cの市壁は一部更新された。

3.塔  1門2塔

 城門 Burg Tor (15c) 上部工の目立つアーチ門で、北西の通路の隣に古い製釘所
   がある。
 鐙塔 Buegel Turm (15c) 後期ゴシックの防御壁塔である。5階建切妻屋根の角塔であ
   り、今は住居になっている。
 壁塔 Schiltenhilm (15c) 北東の2階建の市壁角塔である。

4.見所  B

   バイエルンのヴィッテルスバッハ家の支配下で栄え、町は大きな堀に囲まれた丘の上に
  堂々と聳える。この町には、風格のある大きな建物が多く存在する。
 市庁舎 Rathaus(1410-15) 後期ゴシックの2階建の頑丈な建物で、ハウプト通の歩道と車
   道にアーチ門がある。ゴシックの矩形窓があり、ヴィッテルスバッハ家の紋章が付いている。
  Burg (900) 新城は西側の三角形の岩盤の上に、市場・町と共に建てられた。最初
   の塔は見張塔と言われ、14-15c後期ゴシックの5階建四角切石造の塔で中世風の構
   造物である。16cに張り出している砂岩の上階が建てられ、1938西の角の記念
   物に市壁と共に記念物となった。
 旧宮殿 Altes Schloss (14-15c) 3階建の長い翼には、13254から100年間プファルツ・ヴィッ
   テルスバッハ侯爵とプファルツ伯の宮殿であった。後に役所の倉庫・地方と郡の裁判所、
   1857郡裁判所のためにシンゴシックに改造。今は博物館と宮廷広間のある音楽学
   校である。
 新宮殿 Neues Schloss (15-16c) 15c中ツインガーと殻塔、16c2階建切妻屋根の翼・宮殿
   中庭、1537領主の居所、「侯爵の階」はプファルツ伯フリードリッヒ2世が建てた。遅くに
   は、養育局と地方裁判官が使い、19-20c郡庁舎・群会事務局・教育事務所となっ
   た。
 旧聖ヨーゼフ教区教会 Pfarrkirche/Altbau (1433) カトリック聖ヨーゼフ教会は1967以前は聖ゲ
   オルク教会であり、旧城礼拝堂から成立した。15cプファルツ伯ヨハンの修道院付聖堂はフス
   派に勝利して3廊後期ゴシックバジリカを建てた。17c側廊に円蓋・聖ゲオルグと聖レオンハルト
   のフレスコ画・バロックの輝くマドンナ・聖餐の碑銘・記念額がある。古い塔は高さ38mであ
   る。
 新聖ヨーゼフ教区教会 Pfarrkirche/Neubau (1965) 1965に新築された二重教会として、
   鉄筋コンクリートテで拡張された。後期ゴシックの内陣を使いプファルツ伯ヨハンの墓所がある。
 精霊病院教会 Spitalkirche Zum Hl.Gaist (1398) プファルツ選帝侯ルウプレヒト3世が寄進
   した。単廊後期ゴシック砂岩造の教会。18c前面を変えた。1872-76古いカトリックの聖
   堂。
 聖ヤコブ教会 St.Jakob Kirche (1100) 町の最古の集落に立つ、町で最古の構造物。前
   期ロマネスクの内陣塔教会。中世の自衛教会であり「古い牧師館」と呼ばれた。1597
   まで墓地にあり、市民の墓銘板がある。中世の周壁が残る。
 白醸造所 Weisses Brauhaus (1354) プファルツ伯ルプレヒト2世が授与した醸造権のより選帝
   侯専用の修道院式早期醸造所が発足した。今の建物はバロック丸天井の旧麦芽工場
   であり、1945に新築された。
 修道院 Kloster (1722) 以前は乗馬兵舎があった。1722-1802フランシスコ会修道院が大教
   会と共に存在した。1802世俗化で修道院は溶解。1833修道会救貧保健師養成所
   設立。1927歴史主義様式の女子校。1934幼稚園設置。2002-08集会所補修。2007
   託児所・幼稚園・保育所となった。
 旅館:金の鹿 Gasthaus Zum Goldener Hirchen (17-18c) 半寄棟屋根と切妻蛇腹構造の
   2階建バロック窓枠とアーチ通路がある。

5.写真

市庁舎 旧聖ヨーゼフ教会
ハウプト通 バッサーガッセ
東壁 ラーム通

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ノインキルヘン Neunkirchen am Brand BY131

1.歴史

 1247 司教ルドルフは農民の承認を文書言及、新しい教会を建て町の名前が発生、
 1348 王ルプレヒト3世は都市権を文書再認、  16c 豊かな町は再洗礼派になった、
 16c初 市壁と市門は良く残っていた、1537 ライン・ベファーゲンの代官は町教区を支配、
 1587 スペイン兵は、国境のこの町を略奪、  1590 スペイン軍の略奪・30年戦争でも、
 1731 マックスクレメンス運河の要港として飛躍、1803世俗化でバンベルク司教からバイエルンへ、
 1858 初の機械化機織り工場が操業、  1899 聖アナ教会はネオゴシックで象徴的新築。

2.市壁  0.42km 0.24

   16cの市壁は、南に町が付加された形態で、珍しく凸凹が多い。主として
  南側に市壁は残されている。

3.塔  4門1塔

 エアランゲン門 Erlanger Tor 南門 2階建角塔で、東側に市壁が残る。
 エアラインホフ門 Eeleinhof Tor 西門 2階建四角錘屋根の角塔で上階は住居。
 ホルヒハイマー門 Forchheimer Tor 北門 2階建切妻屋根の角塔。
 修道院門 kloster Tor 中門 上階木組の修道院の建物の途中に通路が
   開けられている。

4.見所  D

   平地に門で囲まれた木組の家が残る、中世の雰囲気の残る小さな町。
 旧市庁舎 Alte Rathaus (1718)小さな2階建てバロックの石造の建物で、中マルクトにあ
   る。
 新市庁舎 Neue Rathaus (15c)古い修道院の学校に市庁舎を収容した。右の建物は
   修道院の中庭の門である。
 聖ミカエル教区教会 Pfarrkirche St.Michael (1615) 昔の修道院施設の一部であり、
   内部には古くからの美術品が収蔵されている。
 十分の一税倉庫 Zehnt Speicher (16c) 修道院の十分の一税の大きな収蔵庫であり
   15cに改修されて、文化・展示に使われ、2階はFolix Mueller博
   物館である。
 羊の家 Schafhaus 大きな古い建物。

5.写真

旧市庁舎 修道院門・新市庁舎
エアランク門 フェルヒハイム門
エアラインホフ門 北西壁
北中壁 西北壁
十分の一税倉庫 聖ミカエル教会

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ノイエッティンク Neuoettingen  BY132

1.歴史

  748 モントゼー修道院の財産として初言及、 788 シャルマーニュ侯爵フランク管理所が支配、
 9c 集落にカロリング朝の館を設置、  1200 税関の設置、中世交易路上の中心地、
 1231 町として初言及、          1240-81 バイエルン侯爵による鋳造、
 13c ヴィッテルスバッハ家による都市権の授与、       1316 都市権の再確認、
 1347 皇帝ルイの毎週市場権と塩取引権の授与、1450 侯爵ルードビッヒの塩取引停止、
 1637-49 ペスト流行、             1797 大火災で町の80%は焼失。

2.市壁  0.06km 0.05

    13cの市壁は、丘の上の旧市街地を囲んだ。

3.塔  4門0塔

 ランツフート門 Landshuter Tor (1230) 西市門は1949に崩壊し、今の姿で1953-59に
   再建された。通路アーチをまたいで4階建の住宅の建物は、13c初めの古い建物と
   塔の基部は組込まれている。
 城の家門 Burghauser Tor (1794) 東市門は、中世後期のアーチ通路に後期ゴシックの5階
   建寄棟屋根の門塔がある。
 女性小門 Frauen Pforte (16c) 南小門は女性通の終点に中世後期のアーチ門がある。
 有料小門 Maut Pforte (16c) 北小門は外階段につながるアーチ門である。

4.見所  C

    丘の上の細長い町で、中心に長さ450m幅30-40mのルードヴィッヒ通があり、バロ
  ックや古典主義の前面で軒高の揃った3-4階建建物が立ち並ぶ。
 市庁舎 Rathaus(16c) 現在の市庁舎の中核には16cからの部分があり、1797の火災
   後20c中に再建された。中世後期からの6階建の塔がある。東隣にTraidstedtと呼
   ばれる15c初めに建てられた市の旧穀物倉庫があり、16cの外観である。1967ルネッ
   サンスの前面を残し内部を改修して市庁舎として使った。
 聖ニコラス市教区教会 Stadtpfarrkirche St.Nikolaus (1410-1623) 後期ゴシック3身廊のホー
   ル教会で、聖具室は1876に建てられた。レンガ造のテント屋根の建物の西南の角に礼
   拝堂がある。
 ビッテルの家 Bittl Haus (15c) かっての商人の家で、中核は15cの建物で古典的な正面
   は1798-1912に修復された。楔石には1761の年号がある。
 修道院教会 Kloster Kirche (1715-17) ルネッサンスのフランシスコ会聖ペテロ修道院教会は、ホスピ
   スでもあった。1799に更新され、1845にはカプチン会修道院、1786地区センターと市
   図書館となった。
 旧関税の家 Ehem.Maut Haus (16c) 旧侯爵の関税の家。3階建寄棟屋根の家で、中
   庭と16cからの後ろ建物がある。
 市博物館 Stadt Museum (13c) Tans Bamburgの元修道院で2階建寄棟屋根の風格
   のある建物。南西外壁は市壁が含まれる。1996市博物館となった。
 食堂と醸造所 Ehem.Gasthof und Brauerei (16c) 4階建前方壁と寄棟屋根の建物で、
   1808取り囲まれた。
 旧旅館:王冠 Ehem.Gasthof Znm Post (16c) 3階建ネオクラシックのシコッタ前面。19c初めに
   切妻屋根になった。
 狭い家 Enger haus (16-17c) 3階建地上階アーケードの2窓の狭い建物。19cに前面は改
   装された。
 旧旅館:ポスト Ehem.Gasthof Znm Post (16c) 4階建地階アーケードの建物。

5.写真

ルードヴィッヒ通西 ルードヴィッヒ通東
西門 東門
階段小門

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ノイシュタット Neustadt a.d.Aisch BY133

1.歴史

 1191 ホーエンツオーレルン家のニュルンベルク伯爵エルプベックが町に来た、
 1285 ホーエンツオーレルン領主はアッシュの中心都市として町を育てた、
 1330 皇帝カール4世は硬貨を町で鋳造、1361-72 金貨も鋳造、
 1488 都市の拡張と整備が進んだ、 1553 辺境伯戦争で町は破壊した、
 1631-32 30年戦争で町は大損害、 1673 ブランデンブルク・クルムバッハ・バイロイト公国、
 1791 フランケン公国の郡委員会の席、 1806 プロイセン敗北後仏軍が支配、
 1810 バイエルン王国へ統合、     1900 町技術革新と伝統工芸の発展、
 1945 ズデーデン地方からの避難民の和解。

2.市壁  1.00km 0.80

   12cから市壁は何回か築かれ、15cに最終的な形になった。1450-90に長
   方形となったが、新市街地へ拡張されて今の姿になり、大部分で残った。

3.塔  1門7塔

全4門の家1門と全11壁塔の家7塔は残されている。
 ニュルンベルク門 Nuerunberger Tor (15c) 5階建ピラミット屋根にランタンの門塔で
   二つのアーチ門が並んでいる。1523石造2階建切妻屋根の側門が付けら
   れた。上階はレンガと木造で、南に守衛がある。
 マシケルス塔 Maschikels Turm (15c) 3階建円錐屋根に提灯のある円塔。19c
   アーチ窓となり、今は展覧会場である。
 雄豚塔 Sau Turm (15c) 市壁の外側に3階建ピラミット屋根の長方形塔。
 田畑塔 Flurer Turm (15c) 突出した2階建ピラミット屋根の塔で、石材と木
   組に漆喰仕上の構造となっている。
 土工塔 Schaufler Turm (15c) 2階建円塔に八角形の尖塔が付ている。
 火薬塔 Pulver Turm (15c) 突出した3階建の尖塔付きの円塔。抜穴付。
 漂白塔 Turm a.d.Bleiche (15c) 2階建八角形の尖塔付き円塔。
 羊飼塔 Hirten Turm (15c) 3階建平らなピラミット屋根の角塔。

4.見所  B

   長期間の交易路上の町であったため、3階建の歴史的な建物が多く残され
  ている。市壁や塔も残され、中世的な雰囲気が残されている。
 市庁舎 Rathaus(1711-15) 3階建砂岩切石の壁柱と寄棟屋根の建物で、
   地階は開口アーケードである。1947の火災後1949-51に再建された。
 地方裁判所 Amtsgericht (1840-42) 元監獄の3階建平らな寄棟屋根の四
   角い大きな建物。1968と1987-90に変換された。
 聖ヨハネ教区教会 Ev.Stadtpfarrkirche St.Johannes Baptista (15c)
   6階建の高い南西塔にランタンとタマネギドームがある。3廊切妻屋根の聖堂。
   1594通路、1604塔の追加があった。
 旅館:太陽 Gasthaus Zur Sonne (1568) 3階建サドル屋根上階木組の風格の
   ある家。
 旧宮殿 Altes Scloss (15c) 初め八角形の構築。15c階段塔と付属の事務
   棟。17c城と守衛詰所、今は博物館。
 新宮殿 Neues Schloss (18c) 1906八角形の塔を焼失。1915中央学校の建
   物としてアールヌーボーで再構築。

5.写真

市庁舎 聖ヨハネ市教会
旧宮殿 マシケルス塔
ニュルンベルク門 田畑塔
土工塔 雄豚塔
南屋根付市壁 西壁

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ノイスタット Neustadt a.d.Donau BY134

1.歴史

 11C 最古の文書言及、          1273 ルードヴィッヒ2世は町の憲章を授与、
 1275 ヴィッテルバッハ侯爵は計画的な町を形成、     1277 ブルゲンラント州から言及、
 15c 古いドナウ川沿いのWaerの町は中世貴族の本拠として土地登記所や銀行があった、
 18c 戦争と洪水で度々町は破壊されたがサービスセンターとして再建された、
 1945 第2次大戦でも破壊され、新しい建物で再建された。

2.市壁  0.14km 0.17

   四角な旧市街地は、土堤と散歩道の巨大な栗の木の緑に囲まれ、市壁も一部
  140mが主として東側に残っている。

3.塔  0門3塔

   三門は19cに取り壊され、3塔のみが残っている。
 円塔 Rund Turm 北西角 3階建て円塔に円錐屋根。
 望楼塔 Lugaus Turm 南東角 3階建四角塔に小塔付両流れ方形屋根。
 ザリガニ塔 Krebs Turm 西 4階建て白い6角形の塔に三角錐屋根。

4.見所  D

   侯爵ルードヴィッヒ2世は、1273ドナウ川の右岸に新しい四角の入植地を設け、
  都市権を付与して振興した。今も四角い区画がそのまま残っている。
 市庁舎 Rathaus (15c) ゴシック2階建て切妻付の大きな建物で、地階はアーチの回
   廊がある。1978に火災に遭った。
 ローレンス教区教会 PfarrKirche St.laurentius (15c) 町の中心に壮大な5階建の白
   い角塔のある黄色い教会。
 聖アナ礼拝堂 Kapelle St.Anna (1715) 教会の西に建てられたバロックの礼拝堂。

  

5.写真

市庁舎 西壁
東壁 南壁
土堤 聖ラウレンティウス教会

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ノイシュタット Neustadt a.d.Weiden BY135

1.歴史

 1217 オルデンブルクのヘンリー1世の都市権文書に初言及、
 1329 ヴィッテルバッハ家のプファルツ伯へ国土分割、 1357 バイエルン王でローマ皇帝カール4世へ売却、
 1575 町はロゴツヴィッツに売却され、それでバイエルンからボヘミアに組み込まれた、
 1641 皇帝直轄の町の領主はレーゲンスブルク帝国議会議決権を有する伯爵位を授与された、
 1806 最後のロゴツヴィッツ侯爵はバイエルン王国に町を売却した。

2.市壁  0.04km 0.03

   バロック庭園に僅か残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   昔の美しくカラフルな切妻の家と中世の旧市街が保存され、新旧宮殿の立つ広場には、
  破風付の多くの建物が見られる。
 市庁舎 Rathaus (1824) 2階建ての切妻付の小さな建物。
 旧宮殿 Altes Schloss (1532-1620) 町広場に3階建ての外壁の厚い白色の建物。
 新宮殿 Neues Schloss (1698-1720) 旧宮殿の隣に窓枠を白く塗った3階建の茶色の建
   物。
 聖ゲオルク教会 St.Georg (1689) 市庁舎の隣にある5階建て単鐘塔の小教会。
 バロック庭園 Barock Garten 旧宮殿の後ろにバロック庭園があり、中世の市壁の残りがある。
 町博物館 Stadt Museum 町広場に博物館はあり、町の歴史と文化を展示。

5.写真

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ノイシュタット Neustadt am Kulm BY136

1.歴史

 950 皇帝オットー1世は対ハンガリーの城を築いた、 1119 ベネディクト会修道院を村に設置、
 1281 ウリードリッヒ方伯は息子に誓約書、1370 皇帝カール4世は城伯に皇室都市の建設許可、
 1413 ニュルンベルク城伯ヨハン3世はカルメル会修道院設立、1498 バイロイト公国は要塞施設を構築、
 1527 ブランデンブルク辺境伯は改革導入、     1531 カルメル会修道院は溶解し焼失、
 1552-55 2次辺境伯戦争で建物被害その後市壁強化、1630-35 30年戦争で町は全滅、
 1650-60 アッパーオーストリアに組込まれた、      1676 ブランデンブルク辺境伯が支配、
 1778 バイロイト公国の廷史が支配、            1791 プロイセンへ主権移転、
 1803 バイルンへ帰属、1818自治体の勅令、1833.1836 大火災、 1945 空襲被害。

2.市壁  0.78km 0.63

   14c後半に市壁は建てられ、1430強化され3門が設けられた。砂岩切石の石積
  目地は水平積層が見られる。1839中世の市壁は一部除去。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   長さ360m幅34mのやや曲がった広大なマルクト広場を囲んで、18-19cの2階建軒有の
  建物が多く見られる。
 市庁舎 Rathaus (1581) マルクト広場の中央に立つ2階建切妻の建物。1920に旧下門の石板
   紋章が付けられた。
 旧旅館 Ehem.Gasthaus (18c) 装飾的な形と中心軸を強調した2階建寄棟屋根砂岩前面の
   建物。15cの市壁は東の納屋にある。
 旅館:太陽 Gasthof Zur Sonne (1802) 2階建砂岩切石造中心軸のある建物。居酒屋も併
   設。
 市教区教会 Stadtpfarrkirche (1414-15) 主体は後期ゴシックの建物で、内陣と柱基礎は
   1414-15、1708身廊天井は再設計。1846スコッタと塔頂を復元。
 新教ルター教区教会 Ev.Luth.Pfarrhaus (17c) 2階建寄棟屋根砂岩切石造の建物。18c窓枠
   改修、15cの市壁が含まれる。
 軒有家 traufseithaus (1833) 2階建砂岩切石造の建物。
 軒有家 traufseithaus (18c) 2階建砂岩切石造の装飾的な建物。北側に15cの市壁があ
   る。
 都市農民の家 Ackerbuerger haus (19c) 2階建砂岩切石造の前面。格間木製門納屋に
   は15cの市壁の部分がある。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
南壁 南西壁
西壁 北壁
北東壁 東壁

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ニッテナウ Nittenau BY137

1.歴史

 1007 バイエルン皇帝ヘンリー2世はバンベルク司教に大森林保有の新教区Nittauを与えた、
 1313-1816 旧ニッテナウ貴族がBurggutに居所を置いて治めた、
 1345 市場開催があった、1515 フス派の脅威に周囲の壁で対抗、1739 大火事で町は全滅、
 1805.1809 大火事。

2.市壁  0.02km 0.02

   北に広がった旧市街地に15cには市壁・堀・3市門が設けられた。今市壁が残さ
  れているのは、UnterTorWeg28に10mと12に5mのみと見られる。

3.塔  1門3塔

 下門 Unter Tor (1793) 2階建切妻屋根の旧下門南側面の建物で、出窓がある。1860
   と1950改造された。
 コウノトリ塔 Storchen Turm (15c) 旧教会を守る4階建の防衛塔で、通抜け道と階段切妻が
   ある。1779の火事で損傷を受けた。1805の火事の後に1808に3金物盾が付けられ
   た。
 スズメ塔 Spatzen Turm (15c) 3階建の旧市壁の塔で、今は受託に取込まれ、隣には融資
   壁が5mある。
 ツバメ塔 Schwalben Turm (15c) 旧市壁の塔で改造段階で1832の年号が付けられた。

4.見所  D

    木組の街並みは1832の計画に基づき建てられたが、多くは近代化などで消滅して
  来ている。
 市庁舎 Rathaus (1903) 旧地方裁判所のL字型の建物で、新バロック2階建マンサード屋根であ
   る。半寄棟屋根の付属建物もある。
 マリア降誕市教会 Stadtpfarrkirche MariaGeburt (15c) 古い教会は1799の火事で損壊し
   1782バロックの拡張が行われた。2次大戦でひどく壊され、古いゴシックの内陣を使い
   今の姿で再建された。1972-78に近代化された。
 ゲスト旅館 Haus des Gastes (14c) 1313-1816教会広場のBurggutに旧ニッテナウ貴族の居所
   であった。3階建寄棟屋根の建物は、1816学校となり、1959迄は市庁舎として使わ
   れた。1975改装されてゲストハウスとなり、催物や展示会に使われる。
 市博物館 Stadt Museum (17c) 教会広場に町の歴史を展示している。
 旧旅館 Ehem.Gasthof mit Austragshaus (17c) 配達家のある2階建切妻屋根漆喰仕上
   の建物。19cに増築された。

5.写真

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ネルトリンゲン Noerdlingen BY138

1.歴史

 898 レーゲンスブルク司教区の文書に最初の言及、
 1215 皇帝による都市権の授与で自由都市となり、最初の市壁が築かれた、
 1219 大市開催権が認められた。、  1238 火災で大部分を失うが交易で回復、
 1327 昔の壁を置き換えて拡大壁の開始、1589-98 魔女狩りで35人を処刑、
 1634 30年戦争の各国軍が通過し略奪、その後交易路が海に移り中世の町のまま残る。
 1802 バイエルン州に帰属、       1945 2次大戦の空襲で駅周辺のみ被害。

2.市壁  2.6km 1.00

  完全な円形で銃眼付きの胸壁と屋根付き壁上通路のある市壁2.6kmが中世の旧市
  街を囲っている。1803に不要となった市壁の取り壊しを始めたが、1826バイエルン王
  ルードビッヒ1世は壁の解体を禁止した。14-16cの壁がほぼ完全保存されている。
  市壁上の通路は一周できる。

3.塔  0門1塔

  5門と8塔・1要塞がある。新要塞は1808-26に中止された。
 ライムリンガー門 ReimlingerTor 14C建、東南 最古の市門塔、3階角塔。突出
   銃台と塔防御室を備え、後で守り易い外壁を付けた。
 バルディンガー門 BaldingerTor 1376建、北西 1階アーチ門に後で西側小入口を
   加えた。前門部は1430に付け加えられた。
 レプジンガー門 LoepsingerTor 1388建、北東 1592に6階建門塔に建て替え
   られた。1837に日時計を付けた。今日は美術館を収容。
 ダイニンガー門 DeiningerTor 東 LoepsingTorに似ているがややスリム。
   現在の構造と12アーチの窓や曲線屋根は30年戦争の後で得られた。
 山門 BergerTor 1436建、西南 1575に塔の上階を強化して今の姿になっ
   た。石積にカノン砲の弾丸が突き刺さっているのを今でも見られる。
 旧要塞 AlteBastei 1554-98建、南 防御要塞は2階に10門の大砲を収容で
   きる。今は野外劇場がある。
 売り塔 FeilTurm 14C建、4階塔。刑務所塔として使われた。
 獅子塔 LoewenTurm 1535建、西 4階建の砲兵塔。堀の大砲胸壁の間に据え
   付けられ、馬蹄形で町側に低い切妻を置き、外側に膨らんだ砲台である。
 上水塔 ObererWasserTurm 1469-71建、西 6階角塔。エーゲル川の流入地点を
   守り、堀へ水を配る給水塔。
 オーブン塔 BackofenTurm 5階建角塔で外壁に付けられている。名前はその特
   徴的な形から来ている。
 トンガリ塔 SpitzTurm 15C建、北 六角形の尖屋根からその名前が付いた。
 下水塔 UntererWasserTurm 15C建、北東 エガー川が町から離れる地点を
   守る下部水塔。
 引張塔 ReissTurm 1408建、東南 最初壁の外側に建てられ、1644に現在の
   姿となった。

4.見所  B

   隕石の落下によって生じた盆地の中央に、市壁に囲まれた淡い色調の家が並ん
  でいる。町の中心マルクトには市庁舎と教会が立ち、16-17Cの木組みの家が多く残さ
  れている。
 市庁舎 Rathaus 1313建、初めデパートとして使われていたが、1382に市が
   借りて市庁舎となった。1618にルネッサンスの階段を付け、大会議室には16Cの
   フレスコ画が描かれている。
 聖ゲオルグ教会 St.GeorgsKirche 1427-1505建、ゴシックの3身廊の長さ90mの
   広いホールである。高さ89mの高い塔に登れば見晴らしはよい。15Cの説教壇
   には優雅な階段がつき、本祭壇にはバロックの祭壇画がある。
 クレータ-博物館 RiesKraterMuseum 興味深い隕石クレーターの映像とアポロ14号の
   月の石の展示がある。
 町博物館 StadtMuseum 町の歴史、古代ローマの笛吹き像、後期ゴシックの祭壇
     1634ネルトリンゲン会戦のジオラマを展示。
 カザルメン Kasarmen 市壁の内側に直接屋根を架けて、兵士を収容する2階建
     の家を建てた。今も相当延長残っている。

5.写真

ドイチェハウス 聖ゲオルグ教会

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ニュルンベルク Nuernberg BY139

1.歴史

 1000-40 町を形成し城が築かれた、  1050 ハインリッヒ3世の証明書に言及、
 1190 新城で行政と裁判が行われた、   1219 帝国自由都市となり、両岸に市壁、
 1320-25 両岸は共通の壁で囲まれた、  1356 金印勅書が採択され帝国市議会開催、
 1427 ホーエンツオレルン家の東方進出でニュルンベルク伯城を市へ売却、1470-1520 経済的全盛期、
 1649 30年戦争は終わり市は守られたが、経済は弱体化した。
 1796-1806 プロイセンへ帰属、       1806 バイエルンへ帰属、
 1945 2次大戦で旧市街地の90%が破壊した。

2.市壁  3.80km 0.75

  最初の市壁は、11Cに、ペグニッツ川の両岸にそれぞれの市壁が築かれた。
  2番目の市壁は、1320-25に、両岸が壁で統合した。
  3番目の市壁は、1400-1452に、東にずれた平行四辺形で延長約5kmとし、4門塔
    を設けた。屋根付きの巡視路を持つ内側市壁の外に、もう一つの防壁
    (ツインガー壁)があり、その前には幅20m深さ12mの空堀を1452に完成した。
   市壁は、空爆に晒されたが戦後修復され、北と東の一部を除いて3/4が殆ど2重
   壁で残っている。

3.塔  11門67塔

  6門(Tiergaertner、Jakob、huebners、Kartaeuer、Faeber、Fuerther-Tor)が
  残り、7門(Marien、Kasemalten、West、Max、Ludwigs、Koenigs、Stern-Tor)は
  失われた。新4門(Laufer、Frauen、Spittler、Neu-Tor)と1小門(Tuerlein)
  城に繋がるVestnerTorを追加。防御塔は67残っているが、その内4は16Cの大塔
  DickeTurmであり、砲弾に耐えられるよう厚さは最大6mにも及ぶ。

4.見所  S

  中央を東西にベグニッツ川が流れ、延長5kmの市壁に囲まれた大きな町である。
   城が北の丘にあり、その下に市庁舎や教会など、北側に集中している。
  Burg 12C建、北 昔の城伯の城は1420に壊され、15-16Cにカイザーブルク
   が付け加わって現在の形となった。高さ30mの主塔、深さ53mの井戸、宮廷礼
   拝堂1170、国王宮廷、皇妃の間などがある。
 デューラーの家 DuererHaus 北 画家デューラーが1509-28に住んだ木骨家屋。
   複製絵と質素な家具が展示されている。
 新旧市庁舎 Neues&AltesRathaus 1332-40建、新旧の市庁舎の大複合建物。
   全部が2次大戦後の復元である。ゴシック・ルネサンスの部分も見られる。
 聖セバルドウス教会 Neues&AltesRathaus 13建、14Cに拡大されロマネスクの西正面
   となった。二重内陣のゴシック装飾は重厚である。
 聖母教会 FrauenKirche 1352-61建、ゴシックの宮廷礼拝堂として建てられ、
   殆ど正方形の広間に、1440の祭壇画がある。
 聖ローレンツ教会 St.LorenzKirche 13-14C建、南 ゴシックの西正面はバラ窓に飾
   られ15Cに付けられた内陣には16Cの木彫の天使の祝詞が置かれ、後陣に1487の
   ステンドグラスがある。
 町博物館 StadtMuseumFembohaus ルネッサンスの砂岩造の市民屋敷に、市の歴史や
   貴族の家庭生活を展示している。
 国立ドイツ博物館 GermanischesNationalMuseum 南 14Cの旧シャトル会修道院に
   設立された。広大な建物に13-16Cの彫刻・14-15Cの絵画・15-19Cの装飾芸術・古武
   具・銅版画・古楽器・民衆芸術等の展示。

5.写真

旧市庁舎 フラウエン教会
ジンベル塔 カザーブルク城
白塔 シュピトラー門
フェルト門 皇帝通り西門
ヘンゲル塔 南西壁教会
西壁外側 聖ロレンツ教会

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オーベルンベルク Obernberg am Main BY140

1.歴史

 1300 ビッケンバッハの領主はアッシャヘンブルクにオーベルンベルク村のadvocaciesを売却、
 1313 マインツ大司教は村を領土に、1317 皇帝ルードビッヒは村を含み都市権授与、
 14c 壁や門・塔の建設開始、      1342 洪水、 1350 黒死病流行、
 1140 大司教デートリッヒ・シェンクはワインの家や3門・5塔・1.1kmの市壁を建設、
 1508-14 選帝侯ウリルは市壁を5.5mの嵩上し木製壁上通路を設けた、
 1525 農民軍は宮殿と修道院を略奪、  1631スエーデン軍の略奪と賠償金強奪、
 1740-48 墺承継戦争で仏軍の強奪、        1796 ナポレオン軍の侵攻、
 1814 バイエルン王国に帰属、          1938 郡庁所在地となった。

2.市壁  0.10km 0.08

   最初の市壁は、14cの市壁は15-16cに再建強化されたが、1860-90に西側部分
  を取壊すなど、建築材料に転用した。そのため僅かしか市壁は残っていない。
  残るのは、西南角30m、北50m、北東角20mである。

3.塔  2門5塔

   3門の内、上門は残されたがマイン門と下門(1838)は壊された。壁塔は、4隅と
  西中央の5塔がポツンと残されている。
 下門 Unteres Tor (1845) 1838に長方形3階建アーチ通路に4角錐屋根の塔は、取払わ
   れたが、地方裁判所の命令で記念碑として1845に簡素にアーチで再構築された。
 上門 Oberes Tor (14c) 長方形の3階建のアーチ門にルネッサンスの窓や中世の矢間がある。
   西の市壁の内側にある階段で壁上通路に登れる。1586二重ステップドーム屋根
   のランタンが付けられた。
 カバン塔 Taschen Turm (14c) 西南隅、3階建長方形の塔で、頂上の胸壁はアーチフリーズ
   で飾られている。
 托鉢塔 Almosen Turm (14c) 南東隅、5階建長方形の胸壁付きの塔で、16cに上部
   塔が取付けられた。
 グムペン塔 Gumpen Turm (14.16c) 北東隅、2階建の壊れた長方形の塔。コウノトリ巣塔
   とも呼ばれた。
 魔女塔 Hexen Turm (14.16c) 北西隅、4階建長方形の塔で、頂部にアーチ型フリーズ胸
   壁がある。16cには守衛室が設置された。
 円塔 Runder Turm (14.16c) 北側の中央部に、4階建円形の塔がある。塔頂には円
   弧フリース胸壁がある。

4.見所  C

    マイン川の左岸に密集した街並みの中に、旧市街の境界として塔が孤立し
   ている。外見が木組の家は少なく、16-19cの漆喰仕上の建物が多い。
 市庁舎 Rathaus (15c) 前に傾いた段付き切妻アーチの2階建屋根窓のある瓦屋根の建
   物。17c後期ゴシックの砂岩と漆喰仕上となり、19cネオゴシックの上階木組漆喰仕上
   の古い階段塔の改修。
 守衛詰所 Torhaus (1606) 2階建切妻屋根の地階アーチ石積、上階木組の建物。
 アナ礼拝堂 Anna Kapelle (13c) 市壁の外の墓地の近くに建てられ、16cに拡張され
   た。1784の洪水で損傷したが改修した。
 聖ピーターとパウル教会 kath.St.Peter und Paul Kirche (16c) 砂岩漆喰仕上の建物
   で、7角形の計画を延長し、1964コンクリートの骨組みとなった。
 聖ヨハン教区教会 Kath.St.Johanne Kirche (1401) ゴシック砂岩漆喰仕上の正方形の
   教会。1748-50勾配屋根と身廊の東方拡張。1976寄棟屋根と広い翼廊に改
   修。

5.写真

市庁舎 上門
梟塔 魔女塔
托鉢塔 グムペン塔
円塔 木組の家

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オクゼンフュート Ochsenfurt BY141

1.歴史

740 キッジンガー女子修道院の小分館設立、1081 シュバーベン・ザクセン諸侯会議開催、
1103 マイン川の渡し船があった、      1133 マイン側に木橋を建設、
 1301 独立した自治体として議会が機能、  1313 ヴュルツブルク司教の市壁建設開始、
 14c 市域の拡大で東・南へ市壁建設、   1430-60 何度か町の入質・売却があった、
 1440 ブランデンブルク辺境伯が町を攻撃   1512-19 マイン川に石橋を建設、
 1525 農民戦争による損傷、        1612 ハプスブルク皇帝マティアスが在住、
 1627-28 魔女狩りが行われた、      1631 30年戦争でスエーデン軍が占領、
 1672 領主司教ヨハン・フィリップは市場権を付与、 1675-78 プロイセン軍が占領、
 1758 7年戦争で仏軍が砲撃、       1795 仏軍による略奪、
 1803 世俗化でバイエルンへ、1806 ヴュルツブルク大公国へ、1814 最終的にバイエル王国に、
 1866 プロセン・バイエルン戦争、         1945 マイン橋の破壊、1954新マイン橋建設、

2.市壁  1.13km 0.87

   14c歪み長方形(500*400m)の市壁が築かれ、その中に旧マイン橋もふくまれた。
   4門のうち3門と多くの壁塔が残され、18cに多くの修理がなされた。

3.塔  3門14塔

 上門 Ober Tor (14c) 東南 1567改修、古い落とし格子門の止め石のある
   どっしりとした角塔。
 下門 Unter Tor (1572) 北西 通路のある2階建ての上に、切妻と守衛詰所の
   木組み上屋が乗っている。
 クリンガー門 Klinger Tor (1307) 西 5階建て角塔で、塔頂には1598ドーム屋根の
   ある印象的な外形である。一時監獄があり、今ホステルで展示室もある。
 鳩塔 Tauben turm (15c) 北西 市壁に在る細身の円塔で、1617ド-ム型帽子付
   けられ、三重に保護された塔塁・防塁・歴史的鍛冶屋がある。
 セント塔 Cent oder Schinders turm (14-15c) 北東角 円錐屋根のほっそりし
   た円塔。1522床の改修。
 白塔 Weisser turm oder Hirtenhaus (14c) 東 2階建て石造角塔の上に切妻
   屋根木造壁塔で16c上階は改修された。羊飼の家とも呼ばれる。
 火薬塔 Pulver turm (14c) 南東角 四角錘屋根の角塔。旧弾薬庫や刑務所と
   して使われ、小円塔を前に置いている。
 ニコラス塔 Nikolaus turm (15-16c) 南西角 7年戦争の痕跡がある細身の円塔。
 太い塔 Dicker turm (17-18c) 南西角の外側の重砲を据えた大きな円塔。
 壁塔 Mauer turm (14c) 北 円錐屋根の円塔、北 円塔、北東角 外円塔、
    南 円型壁塔が6基あり、内3基は建物の中に取り込まれている。

4.見所  C

    正方形の市壁と多くの塔に囲まれた小さな町に、木組みの家が多い。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (14c) 3階建ての切妻付の建物で、サラシ台・日時計
   もある。以前は武器庫・常設市場として使われた。今は町図書館。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1515) ゴシック窓上飾りの屋外階段のある3階建の建
   物で、小塔・日時計のある芸術的な形。
   ヨーロッパ全土から5千人のメルセデスベンツクラブが集まり、古典的なメルセデスベンツ車
 町教区教会 StadtPfarrkirche St.Andress und Michaels Kapelle (14c)
   華やかなルネッサンス本祭壇とチィルマン・リーメンシュナイダーのニコラス像がある聖アンドレアス教会があ
   り、近くに15cの聖ミカエルの礼拝堂がある。
 十字架教会と記念館 KreuzKirche und Ehrenhof (1499) 旧病院教会テンパンに
   は聖エリザベスの描写がある。近くに記念館があり、木組みのアーケードに特徴がある。
 歴史的箱の館 Histerischer Kasutenhof () 旧穀物と農産物の木組みの倉庫
   で、今は中庭を含め商店と飲食店である。
 古マイン橋 Alte MainBruecke (1200-1350) 石橋脚に木製上部工の橋が架けられ
   1512-20石のアーチに架け替えられた。1945二次大戦の終りに中央径間が爆破された。
   1957船の運航のために橋脚を除去して復元された。2007コンクリート梁の解体が行われ、
   2010-12プレストレストコンクリートで歩行者と自動車の通行する橋として修復された。
 郷土博物館 Heimat Museum (13c) 外市壁に沿った小宮殿の中にあり、多くの
   洪水位の印がある。中には町の歴史・ギルド組織の変遷・歴史的ワイン生産の展示。
 衣装博物館 Trachten Museum (1717) ヴュルツブルクの建築家が建てた老人の家
   に衣装博物館がある。豪華な町の衣装の変化、花嫁の装飾品、洗濯手入れなど
   の展示がある。また、衣装の試着もできる。

5.写真

市庁舎 下門
太い塔・ニコラウス塔 クリンゲン門
火薬塔・東南壁 上門
セント塔 鳩塔
中央通

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エッティンゲン Oettingen BY142

1.歴史

 1141 町はバイエルンに属し、エッティンゲン侯爵は宮殿を建て定住し、市場を開催、
 13c 町は市壁で守られ首都として整備された、1242 ドイツ騎士団が拠点を置いた、
 1414 エッティンゲン家は2系統に分割、    1539 エッティンゲン家は宗教改革を半導入、
 1563 プロテスタント教区教会の設立、  1641-1782 イエズス会が聖セバスチャン教会を管理、
 18c 街並みはバロックの建物で支配された、1806 独自公国の首都からバイエルン王国へ。

2.市壁  0.52km 0.50

   シュタウフ時代の市壁はほぼ円形で、13cの終わりに拡張の工事を始め、16cの初
  めには強化され、壁上通路も置かれた。市壁は北側を除いて残されている。

3.塔  3門1塔

 13cからの市壁には3門があり。前面の堀には跳ね橋を架けた。
 王門 Koenigs Tor (13c) 下門とも言われ、南口で13cからの残骸を持つ。この門の外
   にも門があり、郊外があった。1594-96に6階建の新しい塔を構築。旧刑務所も
   見られる。
 小門 Torle (14c) 旧乗馬会館の脇の市壁に、小さな出入口がある。外堀には橋が架
   かっている。
 ツインガー Zwinger (13c) 旧土堤の前にある防御施設で、元ミドル門の直ぐ上流の外側ツイン
   ガー門が16cにはあったが、1815には除かれた。今はツインガーに建てられた建物の
   下を道が通抜けている。
 上門 Oberes Tor (17c) 新宮殿に含まれて建てられた。

4.見所  C

    南北に走る宮殿通りにマルクト広場があり、今でも金曜日に市が立っている。
  広場の東側のバロックの木組の切妻は重厚である。
 市庁舎 Rathaus (15c) 町役場は、シュバーベン有数の美しい木組の建物で、正面入口の
   上に銘板が置かれている。右の階は1431に置かれた。上層階と印象的な切妻の
   梁は1480に建てられ、販売所や備付け市場でもあった。1986-93の改修以来、
   隣の木組の家と構造的に接続した。今地階には観光案内所とジオパークセンターがあ
   る。
 聖セバスチャン教区教会 Pfarrkirche St.Sebstian (1467) 今のカトリック教区教会で、聖セバス
   チャンはペストに対する守護聖人である。伯爵クルリッヒが教会を拡張し礼拝室を建てた。
   1563反改革導入でカトリックの教会となった。19c身廊が老朽化し、再構築された。
   地下室には1470-80のゴシックのペストの絵画がある。
 ドイツ騎士団 Deutschen Ordens (1242) 城の東にドイツ騎士団の建物がありかなりの資
   産を保有していた。その後、年金受給者の税務署や裁判所として使われた。1945
   の空襲で大部分が壊され、今は跡地開発して、博物館がある。
 市民の家 Buergerhaus mit Storchennet (15c) コウノトリの巣のある家で、この町のコウノ
   トリは、100年来の営巣が確かめられている。
 旧ラテン学校 Ehem.Latein Schule (1724) アルプレヒト・エルンスト2世がラテン学校を設立し、1968
   までギムナジウムとして使われ、今は成人学校である。
 王宮宮殿 Residenz schloss (17c) 新宮殿とも呼ばれ、17cからカトリック派の宮殿とな
   った。豪華な祝宴会場がある。
 聖ヤコブ教会 St.Jakobs Kirche (18c) プロテスタントの教区教会で、漆喰のバロック装飾があ
   る。
 旧レブキュッヘンの家 Ehem.Lebkuechener haus (1670) 1727まで、家を建てた家族が住ん
   だ。細長い入口から家に入る。
 旧乗馬会館 Ehem.Reithalle (1680) 領主の乗馬会館として建てられ、1945の空襲で
   破壊された。

5.写真

市庁舎 シュロス通
王宮・北門 ツインガー門
王門内 王門外
西南壁 西壁

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オルンバウ Ornbau アンスバッハ市内 BY143

1.歴史

 838 最初の文書言及、
 1286 第1砦としてエッティンゲン家のアイヒシュタット司教は半円形に要塞化した、
 1317 第2砦として堀や堤が加えられた、1365-83 壁を補強して安全を図った、
 1470-90 壁や塔で第3砦として、今も見られるように建設。砦の基石には紋章や
      年号が残っている。

2.市壁  077km 0.98

  半円形の旧市街地には、全周の高い市壁が残っている。

3.塔  2門6塔

 上門 Ober Tor 2階建て3角屋根の後門のみ復元されている。
 下門 Unter Tor 2階建て3角屋根の前門のある3階建て角塔であるが、
   車の対向が出来るように、隣の壁が開けられている。
 泥棒塔 DiebsTurum 円錐屋根の円塔。泥棒塔は監獄として使われた。
    そのた、市壁には5以上の多くの円塔や角塔がある。

4.見所  C

  バイエルンで最も人口の少ない小さな町で、大教会には千年前の尖塔が残る。
   古い校舎の煙突には何世紀にわたるコウノトリの巣があり今も子育てが行われる。
   毎年ヨーロッパ全土から5千人のメルセデスベンツクラブが集まり、古典的なメルセデス
   ベンツ車500台のパレードがある。
   聖ヤコブ教会 PfarrKirche St.Jakobus 1053献堂、1967身廊の拡張さ
   れたが、ロマネスクの砂岩の塔とゴシック内陣は残された。1502幕屋・1500マドンナ像・
   1981バロックのピエタ像が礼拝堂から来た。2000祭壇の壁にガラス絵が飾られた。
 旧水車橋 AltMuehlBruecke Altmuehl川に架かる旧町への古い石橋。

5.写真

下門 上門
ゾンゲナンテ城 南東壁
南壁 東壁
東北壁

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パッペンハイム Pappeneim BY144

1.歴史

 802 ザンクトガレン修道院に貴婦人レギンジントの財産を遺贈した文書に初言及、
 9c 聖ガルス教会を城山の下に建設、           11c 最初の城の建設、
 1193 帝国相続元帥の権限を持つ男爵の領地、1288ハプスブルク王ルドルフは都市権授与、
 13c 市場と教会は市壁と門塔に囲まれた、   1372 アウグスチン会の修道院を建設、
 1623 30年戦争でスエーデン軍の占領、     1703-04 スペイン承継戦争で仏軍占領、
 1806 バイエルン領となった、19c 採石場・窯業・家具工場・精麦・醸造・ニット工場の開設。

2.市壁  0.65km 0.68

   城壁から東へ旧宮殿・市庁舎・新宮殿・修道院を囲んで北側まであった。

3.塔  1門0塔

 上門 OberTor (13c) 

4.見所  C

   歴史的な旧市街地は、大部分が無傷で残っている。中世の市壁の一部に囲ま
  れ、城の麓にロマネスクやバロックの教会や建物が中世の雰囲気を楽しませる。
 市庁舎 Rathaus (1594-98) 渦巻装飾のある3階建て切妻屋根の建物は、事務所ビルと
   して建てられ、1722に補修・改築が行われた。1812に町が購入して市庁舎とし、
   1982改装した。その裏面の路地に観光センターがある。
 旧宮殿 AltesSchloss (16c) 居住宮殿として建てられ、主宮殿は四隅に塔と円形の窓
   はルネッサンスを示している。今も領主の家族はここに住んでいる。
 新宮殿 NeuesSchloss (1819-22)古典的な前面の簡素な3目根の建物は数戸の民家を
   取り壊して建てられた。内装はネオクラシックで行われたれた。
 聖ガルス教会 St.Gallus kirche (9c) フランケン地方では古い教会で1060の壁の上部と塔
   に狭い窓がある。13cの壁画、1520祭壇がある。
 新教ルーテル市教会 Ev.Luthersche StadtKirche (1476) 華やかな屋根瓦の後期ゴシック
   の教会として、シナゴークの基礎の上に建てられ、1539-40宗教改革で新教のルーテル市教
   会となった。内装は簡素な心境のバロック教会である。
 アウグスチン修道院教会 Kirche des ehem.Augustiner Kloster (1372) 元帥ヘンリーによっ
   て修道院の教会として建立され、16cの宗教改革で修道院は解散され私有物とな
   った。1458内陣や墓の碑文は、私有のためガイドツアーでのみ訪問できる。
  Burg 11c初めに築かれ、1633スエーデン軍に町と城を征服された。1704仏軍に破壊
   され無人となった。1822再建された。植物園1300。
    歴史美術館は元武器庫に領主家族と城の歴史・武具・肖像画・調度品を展示。
    自然と狩猟博物館はライフルと猟銃用品や動物標本の展示。

5.写真

市庁舎 上門
下門 東壁
宮殿

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ペグニッツ Pegnitz BY145

1.歴史

 1119 バンバルク司教オットーはミフェルフェルト修道院で町を占有、   1313 村から市場に、
 1347-55 ロイヒテンベルク方伯は城を建設、     1355 皇帝カレル4世は都市権を授与、
 1357 ロイヒテンベルク方伯は新都市と要塞を販売、   1357-1402 ボヘミア王国へ属した、
 1402 ホーエンツオーレルン家の城伯ヨハン3世が所有、      1792 プロイセン王は町を承継、
 1807 フランスが支配、1810 バイエルン王国に属した、1876-1972 郡庁所在地であった。

2.市壁  0.03km 0.03

   14cロイヒテンベルク方伯は、新しい要塞都市を築いた。市壁は1347-57に築かれ、
  壊れた後に1553に新築された。今市壁が残っているには、唯一Haupt Str.14の
  建物の北側背面のみである。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   田舎の小さな旧市街地、ハウプト通の大きな建物と南のローゼン路地のささやかな職
  人の家は対比している。17-18cの切妻屋根の家と18-19cの軒有の家が混在。
 市庁舎 Rathaus (1844) 元地方事務所、砂岩切石造の2階建腰折屋根。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1347) 最初の建物は、1504ランツフート承継戦争で破壊された。
   1544に2階建切妻屋根の天窓付き木組で再建され、地階にはパン・肉の屋台があ
   った。1686木組の破風は補修された。1708と1867内装の更新。この建物は郵
   便局・消防機材倉庫・刑務所などに使われ、今は貯蓄銀行である。1929には徹底
   的な補修が行われ、破風の木組を露出した。
 聖バ-ソロエテス教区教会 Luth.Pfarrkirche Bartholomaeus (1899-00)ルネッサンスのホール教会
   で、内陣角に塔がある。バロックで内装補修。
 牧師館 Pfarr Haus (1870) 2階建寄棟屋根の砂岩造の建物。
 牧師館 Pfarr Haus (1825-29) 2階建半寄棟屋根の砂岩切石造の建物。
 旧学校 Ehem.Schule (1836) 聖歌隊指揮者の家、2階建寄棟屋根砂岩造。
 角の家 Eck Haus (18c) 2階建マンサード屋根片持トラス造の漆喰仕上の家。
 角の家 Eck Haus (17-18c) 2階建切妻屋根の家。
 小店 Laden (1702) 2階建切妻屋根の家。
 小店 Laden (1851) 2階建寄棟屋根の砂岩造の店舗。
 小店 Laden (18c) この建物の背後に、唯一の市壁の残りがある。

5.写真

旧市庁舎 聖バ-ソロエテス教会
東壁

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プファフェンホーフェン Pfaffenhofen BY146

1.歴史

 8C 町は存在し、12C 市場があった、         1140文書のよる最初の言及、
 1388 戦争で町は殆ど焼失、 1438 都市として認定、1.5kmの壁と4門17塔で守った、
 1632 30年戦争とペストで人口は40%に、     1745 オーストリア承継戦争でバイエルン敗北。

2.市壁  0.09km 0.06

   西南部等4箇所に、レンガの低い壁が残っている。

3.塔  0門2塔

 差押え塔 PfaenderTurm 15C建、空腹塔とも呼ばれる。3階建六角塔に六角
   錐の瓦屋根。かっては17塔あった塔の内、唯一この塔が立っている。
 瓶塔 FlaschTurum UnterStadtmauer通りの道路を跨いで建物があり、2階部
   分には住宅がある。

4.見所  C

   小さな町の割合には中央の広場は大きい。旧市街地には古い家並みが残る。
 市庁舎 Rathaus 中央塔は3階建ての石造建物。横40m縦300mのHauptPlatz
   の東に立っている。
 聖ヨハネ教会 StadtPfarrKirche St.Johannes 1393建、ロマネスクの教会は1388の
   火事で焼け、ゴシックで建て直された。1531に77mの高塔を建てたが、1768
   の落雷で燃えたが直ちに修復された。内部は1670-73にバロックになった。
  Haus der Begenung 広場の西にある3階建ての旧女子校。
 郷土博物館 HeimatMuseum 古い寺男の家に、宗教的な絵画・彫刻を展示。
 詩人博物館 DichterMuseum 詩人ヨーゼフ・マリア・ルッツの原稿・工芸品・書籍を展示。
 博物館車庫 MuseumsDepot HoissManning 農業機械・馬車・伝統工芸品を6部
   屋で1500を展示。

5.写真

市庁舎 西北壁
南門 西南壁
南壁 中央広場

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プファルキルフェン Pfarrkirchen BY147

1.歴史

 9C 町の文書初言及は、教区としてなされ、教会の名に因んで名付けられた、
 1262 ヴィッテルスバッハ家のニーダーバイエルン公国に属す、1317 ニーダーバイエルン公爵は都市権授与、
 1862 町に昇格。

2.市壁  0.59km 0.55

    1588の町の防御は、市壁・堀・郊壁・前庭から成り、北東115mの池もかっての堀
  である。近代兵器よる市壁の必要性が低下し、1803に365本の果樹の木を植え、1828
  ポプラが加えられ、1876栗の木をうえ、堀を埋めて高等農業学校が建てられた。
  今は北側260m、西側220m、南側110m、合わせて590mの市壁が残っている。

3.塔  0門1塔

    北西の角に2階建て正方形の塔が在る。

4.見所  C

    リング通りに囲まれた300m×300mの旧市街地は、中心に市庁舎や教会の塔が立ち
  景観を引き立てている。リングに沿って外にも構築物がある。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1500) 町広場の北西の角に立つ。ルネッサンス屋根・バロック8角形
   の鐘楼付のゴシックの建物である。1787バイエルン選帝侯の紋章が付けられた。今この
   建物は博物館として観光情報・宴会場・展示場・工芸品・美術品を展示。
 市庁舎Ⅰ RathausⅠ (1865) 町広場の中央のウイマー馬1966の前に3階建てクリーム色の四
   角い庁舎があり、中には市行政の一部が入っている。
 市庁舎Ⅱ RathausⅡ (1895) 旧市街の北にかっての男子校であった。建物は2000に
   3階建ての四角い庁舎となり、市行政の一部と大評議会場を収容。
 新教市教区教会 StadtPfarr Kirche Kath.(13C) 初めの単身廊のロマネスク教会は15cに3
身廊67mのほっそりした塔のある後期ゴシック教会に変換された。1970-73現座に姿に
   拡大改修された。主祭壇には銅銀細工の彫刻がある。1648南塔は火災に遭って取
   り外された。
 エラスムス礼拝堂 Erasmus kapelle (15c) 後期ゴシック8角形の3階建ての建物で初め教会墓
   地にあり、後に学校・修道院として使用され、今は商用に用いられた。

5.写真

旧市庁舎 市庁舎
北西壁 西南壁
市教区教会

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プレイシュタイン Plystein BY148

1.歴史

 1242 最初の集落は直立石英岩上の城の周りに存在し、初言及された、
 1391 西に市街地は拡張し楕円状の堀で囲む。1331 皇帝ルードビッヒは都市権を授与、
 1395 聖ジギスムンド教区の創立、        1400 町はパラティン軍に占領された、
 1420 町はスフ派の侵攻で3回破壊された、    1634 30年戦争クロアチア軍侵攻・疫病、
 1848 火事で55戸焼失、 1899 11戸と12棟を焼失、  1901 大火災で多くを焼失。

2.市壁  0.0

   14cの市壁は堀の後ろに造られたが、今は残っていない。

3.塔  0門0塔

   見当らない。

4.見所  D

 巡礼教会 Kath.Wallffahets Heiligkreuz Kirche (17c) 1738コロイツ山の鉱山トンネルと階段
   システムが造られた。1814に建てられた教会は1901に焼失し、1904に急傾斜屋根
   と半円形後陣のネオバロックのホール教会の細長い北塔がある。
 ザレジオ修道院 Salescaner Kloster (1901-03) 割目のある建物の複合体。
 聖ジギスムント教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Sibismund (19c) 3身廊の聖堂に五両面閉
   じである。
 司教館 Kath.Pfarr hof (1902) 騎士道と鳥居のある騎士団屋根の建物。
 軒有家 Traufseinhaus (19c) 2階建前面切石造で、木製アーチ扉の建物。

5.写真

聖十字架巡礼教会 聖ジグミスグント教会

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プフェッリンク Pfoerring BY149

1.歴史

 1007 ハインリッヒ2世はバンベルク司教座参事会へ贈呈、   1294 プフェリンク家が町を支配、
 1318 バイエルン王ルードビッヒはプフェリンク家に市場権授与、1367 ドナウ川を渡って橋渡し、
 15c 市場を守る防御施設を設けた、  1560 バンベルク司教はグムペンベルクに資産売却、
1784 洪水で町は浸水、       1838-57 ドナウ川を改修して2km遠くに移した、
 1858 バイエルの行政改革で自治体となった。

2.市壁  0.13km 0.13

   15cの市壁と塔は、RoemerGasseの南に高さは低いが130m残されている。

3.塔  0門1塔

 角塔 Eck Turm (15c) RoemerGasse28の2階建の角塔は、市壁から突出ている。そ
   のご改修されて住宅となり、更に20cに部分的に修復された。

4.見所  D

   ドナウ川の左岸にある古い市場町である。特徴のある建物は少ない。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1985-86) ミュンフェンのテオドール・フッゲスの古い計画で建てられ
   た。地階には、エットリンク採石場の奇麗な化石が展示されている。
 聖レオンハルト教区教会 Pfarrkirche St.leonhard (1180-96) 後期ロマネスクの2塔のあるカトリッ
   クの教会で、火災後の身廊は1554-57に再建された。その後1711-12と1903に
   拡張され、1896-97に塔保大きく更新された。
 聖セバスチャン礼拝堂 St.Sebastian Kapelle (1660) かっては小さな礼拝堂であったが、
   1660カトリックホール教会に更新され、1735拡張され勾配屋根になったが1842に廃止
   された。
 旅館 Gasthof (13C) 勾配屋根と切妻屋根の二つの建物。
 農家 Bauen Hof (18c) 切妻屋根にエレベータハッチのある2階建の建物で、納屋も2階建で
   ある。

5.写真

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プレッサート Pressath BY150

1.歴史

 10c バイエルの決済エリアとして開発、     1008 バンベルクの新教区として設置、
 1119 ロイヒテンベルク家の支配、      1283 ヴィッテルバッハ家バイエルの支配に移った、
 1290 鞭打修行者により市場は破壊、     1410 市場権を確認、フス派の略奪、
 1570 市場の周囲に3門3塔・市壁・堀建設、     1633 スエーデン軍の略奪と破壊、
 1676.1692.1722.1759.1782 大火災で損傷、1845 王ルードビッヒは市場から町へ。

2.市壁  0.04km 0.04

    1470-1583の市壁は、1759の火災後に復元された。今は僅か残っている。

3.塔  0門1塔

    3門3塔の内、唯一北東隅の魔女塔(Hexenturm)円錐屋根の円塔が建物に
   埋まって残る。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1554) 古い町役場は、1977に新しく建替えられた。
 聖ゲオルク教区教会 Pfarrkirche St.Georg (13c) 今の建物は1759にタマネギドームとラン
   タンの統合塔になり、西向き寄棟屋根の広間教会となった。1761-65に拡張。
 聖母礼拝堂 Unser lieben Frau Kapekke (18c) 勾配屋根付の広間教会は三方を
   開く。1754と1812の年号がある。
 牧師館 Pfarr haus (1858) 2階建寄棟屋根の四角い建物。
 旧学校 Alte Schule (16-17c) 2階建寄棟屋根に面取り窓枠のあるラテン語学校の建
   物は、19cの補修された。
 旧旅館 Gasthof (16-17C) 2階建寄棟屋根にアーチ門のある角の建物。18-19cの碑
   文付き花崗岩のキロ程柱がある。
 郷土館 Haus der Heimat (1900) 町牧師ラインベルトにより元女子学校として建てら
   れた。1973まで女子学校として使われ、1962在宅介護所併設され1989まで
   使われた。1989博物館を開設し町の歴史・宗教慣習・農業を展示。

5.写真

市庁舎 アルテシュールガッセ
西壁 北壁

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プリシェゼンスタット Prichsenstadt BY151

1.歴史

 1258 ホ-エンローエ貴族はヴュルュツブルク本山と争い、1266 戦後カステル伯爵ヘンリー2世が所有、
 1353 町は独立した教区となった、 1366 皇帝カール4世は村を買って城・市場を築く、
 1457 アンスバッハ辺境伯が所有者となった、  1463 アンスバッハ伯爵アルブレヒトが支配、
 1469 郊外を市壁と西門で囲み拡大、   1525 農民戦争で城は損傷、
1632 町はバーレンシュライン軍の略奪で荒廃、    1791-06 プロイセンが支配、
 1805-10 ナポレオンの兵士2,700人を泊めた、   1804.1815バイエルンに帰属した。

2.市壁  0.75km 0.88

   初め14cの市壁から15c東へ16c西へ郊外を取り込んで拡大された。一部建物の
   外壁として使われた部分もある。

3.塔  1門6塔

 西門 West Tor (1584-87) 尖塔アーチ通路と守衛詰所があり、門は二つの
   大きな円塔に尖った帽子が付けられた。西郊外の外側を囲み、郊外塔とも上門
   とも呼ばれた。1861まで門は閉じられて必要な場合のみ開かれた。門衛が1933
   まで運送業者や荷物から舗装税を徴収した。門に人が入居し、1895門は個人所
   有となった。1955改修が行われた。
 市塔 Stadt Turm (1419) 最初の市壁の西門として建てられ、西側への市壁
   拡張で町中に残された。塔頂にはテント屋根・ランタン・風見が付けられた。その後塔守
   に住居となった。1740塔の高さは47mに嵩上げされ、1881塔への入居は有料とな
   り、1945-50塔への個人入居も可能となった。2003外装の大改装が行われた。
 フクロウ塔 Eulen Turum (1597) 円錐屋根に疎石積円型防衛塔で、町の雇い兵
   の住居となり、塔の両側には市壁が残っている。17cには監獄となり腐った塔と
   も呼ばれた。塔の地下牢には上階からしか入ることはできなかった。
 畑塔 Plurevs Turm (15-16c) この塔は元々防衛壁塔であったが、1754畑見
   張りのための木組みの住居を上階に構築した。19c小不法行為の留置独房として
   使われ、後に羊飼いの住居として役立った。
 東壁塔 Oster Turm (14-16c) 東市壁の中の円塔で円錐屋根が付き、納屋が
   付けられている。
 2南壁塔 Sueder Turm (15-16c) 南に市壁の中に二つの円塔があり、住居塔
   となっている。

4.見所  C

    市壁で囲まれた田舎の小さな町で、美しい木組みの家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1488) 開かれた地階広間のある初めの市庁舎に、地元肉屋
   の屋台が置かれた。1682全体木組みの建物が建てられた。3階建て装飾木組みの
   三角両切妻屋根の建物になった。1876地階の二つの入口の後に消火装置を入れ
   た。1908ジーゼル発電機による電化を行い、1934-723階に町の書記の住居があり、
   1972-79二階の行政室の改造、1980-86西側に登記所と公文書館が増設された。
   2007-08主たる構造の健全化を行い、地階には開かれた応接広間が出現した。
 新教教会 Ev.Kirche (14c) 元々墓地の小さな礼拝堂があり、14-16c今の外観
   の町教会が成立した。教会の塔は元壁鐘楼である。1353カソリック母教会の教区に含
   れていた。1528ルッターの教えを引き受け、1546最初の新教の教区を受け取った。
   1709-10鐘楼を新設し、1725身廊を結合した。
 木組の家 Fachwerkhaus (1579) 上階が装飾的な木組み切妻の民家で、1579
   その建物は鞣し革工場になり、隣の家はワイン酒場であった。19c肉屋とワイン屋
   の持主が定住した。1958最近の小さな改築が行われた。
 旅館「古い鍛冶屋」 Alte Schmiede haus (1242) 2階建て切妻の木組の家で
   この町でも古い保全された家である。その敷地に立つ礼拝堂は、教会が有料で借
   りていた。16-17c市参事会員が住居とし、1705-1813商人の家、その後銅鍛冶屋、
   1869-1990蹄鉄工の作業場、1990鍛冶屋と隣の木組みの家を旅館に改造した。
 旧豪商の家 Ehem.Handelsherren (17c) 2階建て上階美しい木組み横長寄棟
   屋根の建物で、1658まで独自の醸造権を持つ公衆酒場であった。1840まで豪商の
   住家となり、1841-96二階に舞踏会広間のあるビール醸造所、1924料理屋「三王冠」
   1951までバイスビールの瓶ビール屋であった。
 旧ナメシ皮屋 Ehem.Gerber haus (1687) 参事会員は上階装飾木組みの鞣し皮屋
   を建てた。入口扉の上には鞣し皮ギルドの紋章が見られる。1744この建物で2人の
   鞣し皮マイスターが仕事をしていた。1917ワイン酒場のあるパン屋となった。今は革乾燥
   アーケードと鞣革作業場が残されている。
 湯屋 Bad haus (1749) この建物は薬局と外科医の湯屋として利用された。
   この建物は、町の所有で無く領主の領土としてブランデンブルクy・アンスバッハに属した。
 軒横の家 Trafseitingerhaus (17c) 上階綺麗な木組の2階建て両切妻屋根。
 宿屋「コウノトリ」 AltMuehlBruecke (1658) 昔の建物は、1713新構築され、
   1872旅館が開業し、1915大ビール醸造所が置かれた。1969旅館にワイン農園も併設。

5.写真

市庁舎 市塔
西門 耕地塔
フクロウ塔 南門
カールス広場 旧freihof

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レーゲンスブルク Regensburg BY152

1.歴史

  79 ローマの砦が置かれた、       179 軍団駐屯地の建設、
 7-8c バイエルン候の居住地となった、    826 フランク帝国の領土となった、
 9c 東フランク・カロリング朝の城郭都市となった、1135-46皇帝バルバロッサから橋特権を得た、
 12-13c 最盛期で東方貿易で栄えた、   1245 自由帝国都市となるが下降線、
 1542 宗教改革の導入、         1633 30年戦争で何回か占領された、
 1663 東フランク帝国の帝国会議を常設、   1806 市庁舎の帝国の間で帝国の終焉、
 1809 仏軍が侵攻、           1810 バイエルンへの統合、
 1943-45 第2次大戦 航空機工場が在ったため、20回も空爆された。

2.市壁  1.21km 0.22

   179:ほぼ正方形24haのローマ軍の城塞が完成、300:再度強化された周壁の跡は
  辿ることができる、北門・近衛門のアーチが東南角のローマ周壁の一部が見られる、920:
  バエルン大公アルヌルフは西に市壁を拡張した、13c:拡大し東と西の郊外が壁に囲まれた。

3.塔  4門2塔

 東門 Osten Tor(13c) 東に残されたゴシックの美しい塔で、5階建て門塔に
   3階建て八角形の脇塔が通っている。南側の壁に1330の碑文があるが、これは
   ツインガー壁の建設年である。
 ヤコブ門 Jakobs Tor (13c) 中世市壁の西門で、二つの円塔が道路の両側
   にある。ゴシックの胸壁と改装された赤茶色の外観を見せている。
 ヘレネ門 Helenen Tor (13c) 中世市壁の南門で、二つの角塔が道路の西側に
   立っている。
 ポルタプレトーリア門 Porta Praetoria (179) ローマ時代の城門と東塔。
 黄金塔 Golden Turm (13c) 中世に建てられた豊かな貴族の家がスティタスとし
   て高い塔を建てた。9階建ての住居塔で50mの高さがある。印象的な中庭には
   自由に入れる。
 ローマ塔 Roemer Turm(9c) 7階建ての高塔を持つカロリング朝の王宮から、988
   には大公宮廷とされ、12cには改築されてバイエルンの宮殿となった。上階には
     後期ロマネスクの美しい広間がある。

4.見所  A

   ローマ駐屯地時代から神聖ローマ帝国会議場であった2千年の歴史が感じられる美し
   い古都である。 聖ペテロ大聖堂の豊な装飾の西正面と南側面を見上げる角度が急
   で圧倒される。1135の石橋の門塔越しにドナウ川の対岸からの夕暮れの景色は美し
   い。見るべき歴史的な景観は多数に上る。
 旧市庁舎 AltesRathaus (13c)初めに中央市場として建てられ、多くの
   追加と変更の後に市庁舎となった。1250八階建ての塔が付けられた。皇帝の間を
   含む西側部分は1360の帝国広間造りである。正面は張出窓で飾られ、美しい玄関
   があろ。帝国議会博物館として、帝国の間には天蓋の下に皇帝の着座がみられ、
   地下には囚人の取調室や拷問室がある。
 聖ペテロ大聖堂 Dom St.Peter (1250) 3身廊ゴシックの大聖堂で翼廊の張出は
   ない。1525に双塔(19c)を除いて完成した。正面は彫像や模様で飾られている。
   内部には85m×32mの広い空間がある。13-14cのステンドグラスが美しい。必見。
 古い礼拝堂 Alte Kapelle (200) ローマ時代まで遡る、バイエルンで最も古い教
   会で、1014皇帝ヘンリー2世の戴冠式が行われた。1748にはロマネスクの身廊は後期
   ゴシックの大聖堂とロココの祭壇に変えられた。天井のフレスコ画が美しい。
 聖ヤコブ教会 Schotten Kirche St.Jakob (12c) かってのベネディクト会修道
   院のショッテン教会でロマネスクの建物は双塔を失っている。豊かなロマネスクの石細工模様。
 聖堂教区教会 Dom Pfarr Kirche Nieder Muenster (12c) かっての
   女子修道院の木造の建物は、ローマ時代の遺跡であったが12cに聖堂の火災で
   破壊され17-18cにバロックで再建された。
 聖ブラシウス教会 DominikanerKirche St.Blasius (13c) 古い托鉢会の質素
   な教会。
 聖エメラム会堂 Basilika St.Emmeram (8c) カロリング朝時代に建てられ、18c
   にバロック化された旧ベネディクト会修道院教会で、ゴシックの正門とロマネスクのポーチ
   12cを通って中庭に入る。入口の彫刻は古い11cものである。
 トウルン・タクシス城館 Schloss Thurn&Taxis (8C) 市街地の南端に壁に囲まれて
   トウルン・タクシス城館がある。旧ベネディクト会修道院の壮大な建物は、1810世俗化で
   郵便局のトウルン・タクシス家が所有し、今は博物館として城館・旧厩舎・回廊を見学できる。
 塩倉庫 Salz Stadel (1611-20) 石橋右岸東にクレーン付の4階建ての大きな
   塩倉庫がある。最近の改修で大きなオーク材の厚板と柱が使われ、今は宴会場。
 ゴリアテ館 Goliath Haus (1260) 貴族ゴリアテ家の4階建ての館で。ダビデの
   戦いに壁画が前面にある。ローマ砦の南の城壁の上に立っている。2階にレストラン。
 市博物館 Staedtisches Museum (13c) 旧フランシスコ会修道院に石器時代から
   の東バイルンの文化史・芸術史をたどる博物館を収容。179ローマ駐屯地の石版がある。

5.写真

市庁舎 東門
ローマ塔 ヤコブ塔
ヤコブ塔外 西中壁
東壁 ローマ壁
鋤路地 ポルタプレトリア東塔
黄金塔 大聖堂

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レナーツホーヘン Rennertshofen BY153

1.歴史

 1248 バイエルン侯爵はドナウ左岸に市場開設、1335 伯爵レッヒ・ゲミュンドに市場権付与、
 1342 バイエル王ルードビッヒはグライスバーへ移転、1818 バイルンの行政改革で自治体になる。

2.市壁  0.45km 0.34

   中世の市場は、よく守られていた。1864には、まだ堅固な周壁と4隅には防御
  塔を備えていた。その後取崩され1/3しか残されていない。

3.塔  2門2塔

 東門 Markt Tor (1620) 東に残された2階建切妻屋根の門塔で、後に変
   更されている。
 西門 Markt Tor (1620) スエーデン門とも呼ばれ、正面三角形の2階建勾配屋
   根の建物。
 市場防護塔 Markt Befesting (1620) 西側の教区庭にある、壁の一部を含
 む防御塔。
 市場防護塔 Markt Befesting (1620) 北側の防御塔で周辺の市壁を含む。

4.見所  C

   メインのマルクト通沿いの建物のアンサンブル・東と西の門塔・歴史的な市場の壁に特徴。
 市庁舎 Rathaus (1530)ルネッサンス2階建切妻屋根の建物で、北側に5階建多角
   形の塔がある。
 旧役所の建物 Ehem.Amthaus (1686) 2階建寄棟屋根の建物で、後に校舎に
   なった。
 聖ヨハネ教区教会 Kath.Pfarrkirhe St.Johannes der Toerfer (13-14c) 単
   尖塔の広間教会で、1707-19バロックで改装された。
 カトリック牧師館 Kath.Pfarrhaus (14c) 2階建切妻屋根の建物で、西に教区庭
   園があり小さな塔も立つ。
 旧聖職録受給者の家 Ehem.benefizaten Haus (17-18c) 2階建スクロール切妻に
   入口の上に出窓がある。

5.写真

市庁舎
西門 東門
市場防護塔 北壁
北東壁

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ロス Roth BY154

1.歴史

 1060 司教グンデッカー2世の教会奉献で貴族ロスを言及、12c 市場の拡張を実施、
 14c 有名な保養地に都市権を授与、1535 ブランデンブルク辺境伯は南西に城を建設、
 18c ホーエンツオーレルン家の辺境伯は多くの建築物を建てた。1791 プファルツの管理下に、
 1806 バイエル王国へ帰属、             1878 大火災。

2.市壁  0.37km 0.39

   14cの市壁は、約4割が各所に壁塔と共に残されている。

3.塔  0門5塔

   14cに多くの門や塔が建造され、1719に北の下門と南の上門は新築された
  が、19cに交通障害で取壊された。 5壁塔は残された。

4.見所  C

   16-19cに2階建切妻木組の家が建てられ、一部の地階は砂岩造であった。
  1878の大火災後には、バロック前面のマンサード屋根が建てられた。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1533)バロック2階建マンサード屋根の小さな建物で紋章が飾
   れれている。以前の古い1533からの建物にブランデンブルクの鷲が付けられてい
   る。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1758-59)ルネッサンス2階建切妻屋根・砂岩造の建物で、市民
   が建てた。1878の火災後再建して市庁舎となった。1902-04再構築された。
 ラッティボア城 Schloss Ratibor (1535-38) ブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯は、早期ルネッサンス
   の宮殿を構築した。1791最後の辺境伯の退位後に工場になり、1858-92地方
   裁判所、1942町の所有となって、博物館を収容した。旧厩舎は市図書館であ
   る。
 ゼッケンドルフ城 Schloss Seckendorf (1768) 郊外にゼッケンドルフの廷史が、ロココ3階建マン
   サード屋根の長い建物を建てた。1828市が購入、1856使用人病院、1884-1937
   市立病院、1980改修、1989成人教育センターとなった。
 市教会 Kath.Pfarrkirhe St.Johannes der Toerfer (1511-13) 後期ゴシックの身廊に
   ロマネスクの塔が立つ。1738辺境伯様式のホール教会になり、1837-38再構築された。
   1926戦争記念館を収容した。
 宿屋:ワイン酒場 Gasthaus Zur Weintraube (1529) ルネッサンス2階建切妻屋根の建物で、
   ワインの居酒屋を併設した。
 旅館 Gasthof (1536) 郊外の旅館で、1729にバロック2階建風格のあるマンサード屋根の
   建物である。
 旧聖職録受給者の家 Ehem.Riffelmacher (15c) 正面に小塔のある3階建切妻屋根の
   豊かな装飾トラスのある上階木組の家で、所有者は裕福な都市農民。
 工場博物館 FabrikMuseum (15c) 最古の工業団地にある製粉ハンマーと伸線の行われ
   る工場で、1901から発煙所もあった。建物アッパーミル4は工場博物館になった。
   

5.写真

ラッティボア城 ラッティボア城
ハウプト通 西北円塔
西南角塔 西中壁
東北壁 南壁

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ローテンブルク Rothenburg BY155

1.歴史

  870 ヴルツブルク司教が10番目に認定の地区教会、1070ローテンブルク城の構築、
 1170 マルクトと教会を中心に市壁で囲む、13C 古代都市壁、白塔・レーダー門・マルクス塔が残る
 1274 ハプスブルク帝国の自由特権を与えた、1352ヴルツブルグ司教を解約し帝国都市へ、
 1356 地震による城の崩壊、      1400 要塞強化と教会拡充、
 1430 フス派を恐れて壁溝の防衛強化、  1525 農民戦争加わったが敗れた、
 1544 宗教改革市長となり、      1559 新教の教会が生まれた、
 1618-48 30年戦争でスエーデン軍と仏軍の略奪とペストで町は衰退、
 1802 バイエルンに帰属、    1826市壁・塔と木組の家並みは保護された、
 1945 2次大戦の爆撃を受けたが、戦後復元された。

2.市壁 3.2km 1.00

  第1次(12C)周長1.4kmの円形で、白塔・マルクス塔・城路地に沿った南西側の市壁部分
    が残り、城公園の突出部にも門塔はないが700mの城壁が残る。
  第2次(13・14C)周長2.5kmに、北・西・南に拡張され現存する。
  第3次(15C)南の修道院を取り囲む形で0.4km突出し現存する。シュピタール門には1586
    の年号が残っている。市壁には、防衛通路があり歩くことができる。

3.塔数 10門24塔

  門塔が造られ門塔が残っている。
 1.市庁舎塔 RathausTurm 14C建、ゴシックの高さ60mの塔、塔には約200段の階段
    で登られ見晴らしがよい。
第1次市壁の塔
 2.マルクス門 MarkusTor 12C建、高さ27mの高塔、屋根は後から付けれれた。
   1844までは刑務所で使用され、南に昔の曝し台がある。
 3.レーダーアーチ RoederBogen 12C建の位置に、14Cに二重門が造られた。
 4.城門 BurgTor 14C建、1460-70塔部分、1555人一人がやっと通れる木製出入
   口を設けた。外門は紋章で飾られ見張小屋の側面の前にある。
 5.白塔 WeisserTurm 12C建、1945に焼失し、再建された。町で一番高い所に
   立っている、標高435mの地点に高さ33.5mの角塔。
第1次で無くなった塔
 青塔 BlauerTurm クリンガー路地との交点にあったが、1655に市域の拡大時に
   壊された。
 干し草塔 Heuluke ホイ路地にまだ塔の基礎を見られる。15C破壊。
 ヨハン門 JohannisTor ヨハン教会に隣接して名付けられたが、1393の教会建設の
   際に壊された。
旧城壁で無くなった塔
  PharamundsTurm 城突出部の南西の角にあったが、19Cの初めに破壊。
  MuesterTurm ブラシュウス礼拝堂の近くにあったが、1356の地震で崩れ、
   1425に撤去された。
第2次市壁の塔
 6.クリンガー門城 KlingenTorburg 13C建、15Cにヴォルフガング教会を東側に囲って
   前門塔を設けた。今の石橋は、当時木橋で上に引き上げていた。
    7.クリンガー門塔 KlingenTorTurm 1395-1400建、北 ランタン帽子の塔は旧市街地
   の拡大を示し、1504から銅製の大ヤカンを組込んで町への配水塔となった。
   守衛詰所と共に建てられ、高さ37mの角塔である。
 8.火薬塔 PulverTurm 1408建、北の角塔、火薬保管所。
 9.ヘンケルス塔 HenkersTurm 1408建、北の角塔、何度か火事に遭い1941に爆弾で
   壊され1945に再建された。
 10.悲しみ隅塔 KummerecksTurm 1330建、北東角、瓦礫とゴミの集積場の角
   にある。
 11.鵞鳥塔 GanserTurm 東北、市壁の側面の保護のための角塔、1618に火薬
   保管所として使われた。
 12.絞首台塔 GalgenTor 1388建、東北、近くに絞首台が在ったため命名。
   また、ビュルツブルガー門とも言われる。バイエルンの帝国都市として統治権のシンボル。
 13.トーマス塔 ThomasTurm 1340建、東中、絞首台塔と同型。
 14.女塔 WeiberTurm 1410建、東中 女性監獄。
 15.レーダー門城 RowderTorburg 14C建、15Cにヴォルフガング教会を東側に囲って
   前門塔を設けた。今の石橋は、当時木橋で上に引き上げていた。1945に部分的に
   壊され小さな変化で再建された。
    16.レーダー門塔 RoederTorTurm 1385-1390建、東中、二つの尖塔のある塔の
   後門となっており、可動橋と落し格子で守られていた。前橋の残骸は舗装の下
   にある。関税と見張小屋を備え、内外に銃眼を付けて前門の側面を守る。
   唯一の展望塔であり、2ユーロで登れる。中には2次大戦時の破壊状況を展示。
   守衛詰所と共に建てられ、高さ37mの角塔である。
 17.腐敗塔 FaulTurm 1385-1400建、東南 最重要罪人のための処刑塔。
 18.篩い塔 SiebersTurm 1385建、東南、小麦粉の篩い製造者からの名前。
   Spitalへの拡張で、塔から門になった。
 19.コボルツゼラー門 KoboldzellerTor 1360建、南東角、谷底に通じる門。
   増強のため長方型の前門を付けた。内側塔から防衛路で狭間胸壁のある見張
   台に達する。外側塔のアーチに防衛と関税の小屋が置かれ、外側には紋章を飾
   っている。
 20.小塔 FuerbringerTuermlein 16C、東中 クリンゲン塔と火薬塔の間の小塔。
 21.小塔 HohennersTurm 1385-1390建、東中、ローテンブルク一家の名前を付けた。
 22.小塔 SchwefelTurm 1340建、東、名無し塔とか小塔と呼ばれる。
 23.塔 RuckesserTurm 1390-1395建、南前面 帽子角防御で南前面に基礎が
第3次市壁の塔
 24.大きい星 GrosserStern 1410-15建、西南 又は青い星と呼ばれ要塞建
   設に必要。後から壁を付けた。
    25.小さい星 KleinerStern 1410-1415建、西南 上記と同様。
 26.病院門塔 SpitalTorTurm 1370-80建、南 シュピタール要塞とも言う3連門。
   8の字の形に8門、落し格子門と跳ね橋で守った。横に古い税関と見張小屋が
   ある。1631に焼かれ、1633に再建された。
 27.雄豚塔 SauTurm 1400-05建、南西角、登り坂にあり南西の角に立つ。
   跳び控えで結合した。
 29.門塔 StoeberleinsTurm 1375-80建、西南、昔の門塔であったのは、
   帝国と町の紋章で識別できる。
 30.石灰塔 KalkTurm 1390建、西南、昔の町営資材置き場との結合で立つ。
 31.魚塔 FischTurm 1390-1400建、西南、定期的に行われる魚市場から
   名前は来ている。
 32.キャベツ塔 KohlTurm 1385-90建、西南、コボルツェラー門との接点に立つ。
 33.沼地の基礎壁の塔 Turm am BruehlGrundmauer 基礎壁が見いだされる。
 34.二重橋塔 Turm auf Doppelbruecke 二重橋と共に作られたが、すぐ壊さ
   れ、西の橋端で塔の残骸が識別可能。
第3次で無くなった塔
 小塔 Turm vor Befestingung 北と東の外側に市壁に平行な前壁が残って
   いる。そこに小塔も安全のため付けられていた。
 冠毛塔 TopplerTurm 1404建、外側の新クロリゲン塔と呼ばれ、1573壊された。
 湖塔 SeeTurm 1404建、橋建設で塔の残りは保たれたが、1573に壊された。
 粘土穴塔 Turm bei Lehmgrube もはや存在しない。
 レーダー門の前門 Turm vor RoederTor レーダー門の前門は存在しない。
 前塔 Turm vorm Gebsattertor 何も残っていない。

4.見所  A

  珍しく全周で市壁が残り、多くの門塔や二重門が見られ、壁の内側の古い家並
  みと見事な看板が見上げられる。
   町庁舎 Rathaus 14C建、60mの塔と切妻のゴシックの部分が一番古い。東側の
   八角形の階段塔を含めた部分はルネッサンスで付加され、マルクト広場の北側に15C切妻の
   市会議員宴会場があり、一気のみ市長の仕掛け時計が正時には見られる。
 聖ヤコブ教会 St.JakobKirche 14建、東内陣から着工されたゴシックの教会。
   リーメン・シュナイダーの聖血の祭壇が西陣にある。
 フランシクコ教会 FranziskanarKirche 15-16C建、左壁雁の上にクレークリンゲンの1400
   の聖母像がある。
 病院 Spital 16-17建、町の南端に、市壁に囲まれて病院の建物があり、
   付近には美しい木組の家が多く見られる。
 城公園 BurgGarten 西の突出部には、皇帝と伯爵の城があったが、聖フラー
   ジウス礼拝堂が残っているだけで、公園となっている。
 中世犯罪博物館 MittelalterlischesKriminalMuseum 聖ヨハネ騎士団の館に、
   中世の犯罪の処刑道具や版画がある。
 帝国都市博物館 ReichsStadtMuseum 13-16C建、旧ドミニコ会女子修道院に、
   中世の生活や美術品がある。1616の市長ヌッシュの大盃を展示。

5.写真

市庁舎 市壁
クリンゲン門 ブルク門
レーダー門 ガルゲン門
ジーパー門

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レッティンゲン Roettingen BY157

1.歴史

 1103 文書初言及、           1275 町は都市権を得て市壁を作る、
 14c ヴュルツブルク領主司教による支配、    16c ワインによる町の経済発展、
 1328 ルードヴィヒ4世はローマドイツ皇帝となり居住して2番目の周壁を築いた、
 1618-48 30年戦争で占領や略奪、     1803-14 ナポレオン後のフランケン小国個人主義、
 1814 バイルン公国の融解、          1837 バイルン王国は上下フランケン分離した。

2.市壁  1.24km 0.92

   5か所の道路部分を除いて、ほぼ全周の市壁が残っている。

3.塔  2門5塔

   市壁には1640に16の塔があったが、今は7塔しか見られない。
 旧犬家門 AlterHundHeimer TorTurm 長方形の3階建門塔。屋根は木造。
 新犬家門 NeuerHundHeimer TorTurm 長方形の4階建門塔。屋根は木造。
 豚飼い塔 Schweinehirten Turm 細長い4階建て円筒塔に円錐屋根。
 ヤコブ塔 Jakobs Turm
 蝸牛塔 Schnecken Turm 
 粉挽塔 Muehlen Turm 
  Rippacher Turm

4.見所  C

   旧市街地には面白い木組みの家が並び、33種の様々な日時計が1984以降に設置
   されている。
 市庁舎 Rathaus (1750) バロックの3階建て入母屋屋根に鐘楼のある石造の
   建物であり、20c末に改装されている。
 バラティンスタイン宮殿 Schloss Brattenstein (1230) その後1345ホーエンローエ家に属
   し、12-13cに核の部分が造られ、その後領主により様々な建物が加えら、17cに
   大幅に変更された。初め城は市壁の外に建てられたが、その後市壁の一部となっ
   た。1971城の一部が崩壊し、町はその後数年間で復元し、1984からは中庭で演劇
   が見られる。地下には小さなワイン博物館がありワインの歴史が展示されている。
 聖キリアン教区教会 PfarrKirche St.kilian (14c) 後期ロマネスクの単塔教会で
   14c内陣の追加、1606-14改装、その後も変更があり、1923最後の拡張。
 高い建物 Hoher Bau (13c) その後15c木組みの上層階はドイツ騎士団が建て
   た。矩形4階建ての高い建物。
 ジュリアス・エヒター救貧館 Julius-Echter Stift (14c) 細長いルネッサンスの2連棟。
   今は老人ホーム。

5.写真

市庁舎 新Handsheim門
蝸牛塔 ヤーコブ塔
粉挽塔 東壁
北壁 博物館
太陽時計

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シャイフェルト Scheifeld BY158

1.歴史

 12c シュバルツエンベルク城の建設、       1258 シュバルツエンベルク城の文書言及、
 1415 皇帝ジギスハントは国内法と帝国自由都市の広範な権限を授与し市壁を築いた、
 1421 貴族エアキングは共用物の城を購入、1433 貴族は城名シュバルツエンベルクを名乗る、
 1525 改革でプロテスタントへ、  1627 反宗教改革でカトリックへ、
 1598 皇帝ルドルフは1414の権限を再確認、  1630-34 スエーデン軍の占領と略奪、
 1805 ナポレオン戦争後バイルン王国に帰属。

2.市壁  0.12km 0.14

   1415の市壁は瓦礫積で建てられ、3門を有したが、多くは19cに取崩された。
  南西部には内壁も在ったらしい。

3.塔  1門1塔

   3門の内1門が残され、西南部の医療塔が防衛塔として唯一残っている。
 上門 Oberes Tor (1462) アーチ通路のある正方形の塔で、テント屋根やランタンのある上層は
   木骨造の3階建である。1605-06に改造された。
 医療塔 Kranken Turm (15c) 2階建上階木骨造の円形塔。18-19c修復。

4.見所  B

    Haupt str,とKirche str.には、古くからの建物がある。
 旧市庁舎 Rathaus () 旧裁判所で領主シュバルツエンベルクの代官がいた。2階建ネオロマネスク一
   部切妻屋根の建物で、1860切妻などを改修して旧市庁舎に使った。
 市庁舎 Rathaus (1906) 新ルネッサンス3階建の地方評議会事務所として建てられ、今は市
   庁舎である。
 マリア昇天市教区教会 StadtpfarrKirche Mariae Himmelfert (1766-91) バロック単塔前
   面柱の教会で、内陣は円形。
 カトリック牧師館 Kath. Pfarr Haus (1570-80) ルネッサンス2階建切妻屋根上階木組のカトリック牧
   師館。
 シュバルツエンベルク宮殿 Schloss Schwarzenberg (1150) 東北1kmの山頂に建てられ、貴族
   エアキングが1405に城を取得し、シュバルツエンベルクを名乗って、1421シュバルツエンベルク小
   公国となった。城の守りは1516最新の設備を備え、1525農民軍をこの地方で
   唯一追い払った。1607火災で南翼を焼失した。1616城教会、1670高い46mの
   天守閣を築いた。17c南翼は元の状況に復元された。今は大部分専門学校。
 シュバルツエンベルク修道院 Kloster Schwarzenberg (14c) 宮殿の更に東400mに簡単な木製
   の礼拝堂から始まり、1687マリアヒルフェ修道院が設立され、1732-35に修道院教会が
   献堂られた。1960火災で屋根が破損したが、1962再構築された。

5.写真

市庁舎 マリア昇天市教会
ハウプト通 上門外
上門下 南壁

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シェスリッツ Schesslitz BY159

1.歴史

 1059 シュスリッツ教区はバンベルク教会会議記録に、 1178 マラコーン侯爵はフランケンを支配、
 1230 侯爵オットー8世は城を強化、    1260 侯爵トルヘンディンゲンが男系承継した、
 1421 貴族エアキングは共用物の城を購入、1433 貴族は城名シュバルツエンベルクを名乗る、
 1525 改革でプロテスタントへ、        1627 反宗教改革でカトリックへ、
 1598 皇帝ルドルフは1414の権限を再確認、   1630-34 スエーデン軍の占領と略奪、
 1805 ナポレオン戦争後バイルン王国に帰属。

2.市壁  0.29km 0.39

    14-15cの市壁は、主として南側に残っている。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    ハウプト通をちょっと広げて中心として、マルクト広場はない珍しい町。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (18c) ネオバロック2階建切妻屋根の建物で、1900に改修された。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1766) 旧Kastenhausとして建てられた2階建田舎風腰折
   屋根の大規模な建物で、南の庭に旧市壁の周壁がある。今は市庁舎。
 聖マリア教会 Kath.St.Marien Kirche (1880) ネオゴシック前面単塔の凹む内陣砂岩造の教会。
 聖キリアン教区教会 Kath. PfarrKirche St.kilian (14c) 後期ゴシック単棟塔3廊後退内陣の
   教会。16cに改修された。
 牧師館 Pfarr Haus (1776-80) 2階建マンサード屋根の内側壁柱・窓枠の多い砂岩の建物。
 旅館:金の錨 Gasthof Goldener Anker (1880) 2階建切妻屋根の建物で、19cに上階
   木組は改修された。
 醸造所:三つの王冠 Brauhaus Drei Kraun (1747) ロココ2階建の長い建物、後ろの醸造
   所は2階建木組漆喰仕上。
 住家 Wohnhaus (1716) 2階建半切妻屋根・上階木組の建物。
 住家 Wohnhaus (1731) 2階建切妻屋根・全木組の建物。

5.写真

 
市庁舎 聖キリアン教会
東壁 西南壁
南西壁

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シュリュッセルフェルト Schluesselfeld BY160

1.歴史

 1336 コンラット2世の集落設立証明書、   14c バイエルンのルードビッヒが権利行使、
 1347 創設者コンラットの死後司教に落ちた、 1396 市場シュレッセルフェルトは都市権を確保、
 1397 ヴュルツブルク司教は役所置いて支配、1480 ショーレンベルク司教は要塞町と見なす、
 1590 ジュリアスエクターは市壁と塔を置いた、 15-16c 地域の文化・経済の中心で繁栄、
 1631-38 30年戦争で多くの略奪と破壊、   1650 町は早くも復興期に入った、
 1803 世俗化されバイエルンに属した、  1805 プレスブルク和平でヴュルツブルク大公国へ、
 1810 バイエルン王国に再び帰属、   1886.1915 マルクトの南東部の火事で建物更新。

2.市壁  0.75km 0.90

    14cの市壁は、旧墓地を含めて築かれ、各所に多く残されている。

3.塔  2門2塔

 上門 Oberes Tor (1466-95) 15cの拡張時に西側に前門からツインガー壁後門につない
   で改修された。後門は腰折寄棟屋根を漆喰で固め2階建横長の門家の中央に
   アーチ門と15cの四角塔がある。1601と1654で前門に守衛所が付けられ1689-94
   塔の3階に守衛の住居が設けられた。1837最終の守衛が死亡し塔は使われな
   くなった。1998に改修された。
 南小門 Otzler Pforte (14c) 聖マリエン教会の西に狭い小門がある。
 北東隅塔 Nordaestlicher Turm (14c) 2階建円錐屋根付き円塔で、上階部分には壁が
   ない。
 北西隅塔 Nortwestlicher Turm (14c) 2階建円錐屋根付き円塔。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1723) 2階建寄棟屋根・天窓付砂岩造の建物で、前面は
   漆喰仕上であった。1948に火事に会い補修されて1963から博物館となりヨーロッパ
   の磁器の展示もある。
 市庁舎 Rathaus (1625-27) 切妻屋根の建物で最初は十分の一税倉庫であった。18c
   ヴュルツブルクの役所に改造され、今は市庁舎として使われている。
 マルクト広場 Markt Platz (1910) マルクト広場にはライムの大木が植樹され、緑豊かな景
   観を示す。
 聖ヨハネ教区教会 PfarrKirche St.Johannes der Tseufer (14c) ゴシックの教会の内部に
   は、ヴュルツブルク大学協会の祭壇がある。1702受胎告示の絵画とバロックの祭壇画置
   かれた。
 聖マーチン教会 Kath.kirche St.Martin (1484) バロックの教会は、1724に守護聖人「キリスト
   教徒のメアリ-・ヘルプ」に捧げられた。1948祭壇・説教壇・オルガンは、バロックの内装と
   共に完成した。
 旧郵便局 Ehem. Postamt (19c) 2階建寄棟屋根・漆喰仕上の大きな建物。
 旧校舎 Ehem.Schulhaus (1749) 2階建腰折寄棟屋根の建物。1983改修。後ろの醸造
   所は2階建木組漆喰仕上。
 牧師館 Pfarrhaus (1834-35) 古典的な2階建寄棟屋根漆喰仕上の建物。物置は1800
   の木組切妻屋根。

5.写真

市庁舎 聖ヨハネ教区教会
上門 北東隅塔
北西隅塔 南小門
西壁 南壁

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ションガウ Schongau BY161

1.歴史

 2C ローマ人が段丘に居住、       1060 名付けられた、
 1204 周壁で囲み都市権・鋳造権を得た、 1268 バイエルンの支配下に、
 14C バイエルン公の証書に都市権の古文書、 1405 有力な大市を開き経済は上昇、
 1490 行政上の中心となる、       1493 町の大火で壊滅的な損害、
 1589-92 魔女狩りで63婦人を処刑、   1632 30年戦争で被害、
 1704 戦争で15市塔の内9塔が破壊、   1800 ナポレオン戦争でチロルの反乱、
 1977 旧市街地の再建開始、     1983 市壁再建、 1985城広場再建、
 1987 マリエン広場再建、1989 BallenHaus・聖エラムス・博物館再建、1991修道院再建。

2.市壁  1.57km 0.96

  ドナウ以南の独語圏で唯一の、全長1.626kmの円形市壁がある。東側の駐車場から
 修道院までは壁上の屋根付き防御路を通れる。南のLochTor跡20mとKasslTurmの
 40mは、市壁が切れている。

3.塔  2門5塔

  昔3門と15塔があったが、2門と5塔が残る。
 婦人門 FrauenTor 1392建 西 1695までは雄牛塔KuhTorと呼ばれた。
   発掘された市壁は13Cのものだった。倒壊寸前の門塔は1695に取り払われた。
   1986簡単に再建。外側のマドンナの像は1699製、1985にワイン酒場が設置された。
 マックス門 MaxTor 1331建、西 城の前に昔の5階建て門塔、1704に壊され
   1808に再建された。
 旧レヒ門 ehem.LechTor 昔の3つの塔が1704に壊され、守りを固めて再建さ
   れた門も1877に撤去された。
 カッセル塔 KasselTurm 南東 対仏砲台。
 警察使用人塔 PolizeidienerTurm 南門 19Cからこの名前で呼ばれる。
   中世の歩行者の潜り戸であった。
 旧魔女塔 ehem.HexenTurm 南西角 1704に爆破された。5階建ての砲台付
   記念塔、1583から刑務所と地下牢で役立った。1589-92の魔女裁判で処刑。

4.見所  C

   小高い丘の殆ど全周に築かれた市壁が立っている。市門の多くは壊された
  ままか簡単なアーチが置かれている。旧市街地の主な建物は復元されている。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1515建、後期ゴシックの先例に沿った建物。
   最初宿屋として使われ、17Cは市民の館、1768天井画付きの礼拝堂。
   1984-85改造して建て直し。
 市庁舎 Rathaus 1926建、いわゆる郷土様式で建設された。
 ションガウ城 SchlossSchongau 14C 昔の公爵領の管理宮殿、15-16Cにヴィッテル
   バッハ家の支所、1490-93南前面に公爵のフレスコ画と宮殿建設。1771-72改造、
   1876宮殿礼拝所を取除き、1914拡張建設、1945郡庁とされ政治的に進展。
 聖霊病院教会 HeiliggeistKirche 1727-30建、昔のカルメル会教会聖アナであ
   り、1125「聖女アンナとその家族」を大祭壇に飾る。1720-25カルメル会集会場。
 舞踏会館 BallenHaus 1420建、昔の倉庫・参事会館、孤立した後期ゴシック
   の階段と破風の西屋根。1493に大火を受け1515に改修増築して、後期ゴシック
   の彫刻天井の大ホール。1989に改造と改修。
 町博物館 ehem.Spitalkirche St.Erasmus mit StadtMuseum 1491受難の
   連作、中世風床下暖房、町の歴史の良く備えた収集物、特別な貨幣収集。

5.写真

 
市庁舎 東門
南東壁 カッセル塔
警察本部塔
女門 女門
牢獄 北壁
東壁 北棟
マリア昇天教会

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シュローベンハウゼン Schrobenhausen BY162

1.歴史

 790 フライジング司教への寄付で最初の言及、 887 不動産の司教への寄付、
 12C 地方名門元帥の居住地、  1310 ヴィッテルバッハ伯がルードビッヒ4世へ売却、
 1330 バイエルン皇帝ルードビッヒ4世は市場・裁判・市民事務・計量の特権を与え掘り・塔
    を持つ最初の円型木製市壁を構築。
 1338アウグスブルク軍が町は破壊、
 1414 市街地と石造市壁・堀の拡大、 1447 バエルン・ランフート公の都市権授与、
 17-18C 戦争やペストで略奪や人口減、   1806 バイルン公国に帰属、
 19C 工芸品・製紙・エンジン・家具の生産、  1945 2次大戦の被害は些少。

2.市壁  0.61km 0.46

   全長1.44kmの土堤は全周が残り、市壁は半分近く主として西と東側に残る。

3.塔  0門3塔

   壁塔の名前は、町の住民名を連想させる。
 PflastererTurmr SeelweibTurm Bemalter turm

4.見所  C

   南北に長い長円型の旧市街地であり、切れ切れに東西に市壁が残っている。
  大通りは縦に1本の小さな町。
 郊外教会 VorstadtKirche 1437建、ゴシックの建物として郊外に聖サルバトール教会を建て
   た。18Cにバロックで拡張され大天井画が描かれた。
 新教市教会 LiebFrauenKirche 1409-16建、風格のある高い塔がある。1442に市民
   病院が付加され、18Cに教会は繰り返し変換された。
 町教区教会 StadtPfarrKirshe St.Jakob 15C建、教区教会の大きな塔はインゴルシュタット
   の大聖堂の影響力の元にあった。後期ゴシックのホール式公開には1461のフレスコ画の
   祭壇がある。
 教区教会聖ペーター PfarrKirche St.Peter 教区大聖堂はロココノ要素を持った後期バロック
   の教会である。祭壇はアザムによって造られ、美しい教会である。
 ザイゼルマイアー家 ZeiselmairHaus 1478建、中世の職責の木組の家、17c亜麻布織工の家
   族、19Cから靴屋の家族が入っていた。1990に大規模改修の後に博物館として展
   示されている。
 欧州アスパラ博物館 EuropaeischesSpargerMuseum 役所塔と呼ばれ、15-18cは看護所や
   地方裁判所として使われ、1985にアスパラガス博物館が開設され、1991に欧州アスパラガス
   博物館に拡大された。
 町博物館 Museum in PflegShuloss 16C建、看護所や地方裁判所の建物で20cに拡張
   された。2002に大改修の後に町の博物館となった。
 レーンバッハ教会 LenbachMuseum レーンバッハの故郷の美術館には多くの絵画が展示されて
   いる。

5.写真

市庁舎
西壁 北西壁
クロッペン塔
東壁 レンバッハ通

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シュヴァーバッハ Schwabach BY163

1.歴史

 1117 最初の文書言及、             1303 町で市場を開催、
 1375 町は都市権を授与された、       1470 新しい字体による印刷、
 1500 フランク王国のサークルへ、       1805 プロイセン公国のアンスバハ・バイロイトへ、
 1806 バイエルン王国に所属、            1934 騎兵隊の駐屯地に、
 1945 空爆による被災。

2.市壁  0.19km 0.21

   1365以来の4門と共に多くの防衛塔と胸壁を有する砂岩の市壁が一部残る。
  市壁とレンガ造塔の大部分は1870-80に取除かれた。

3.塔  0門4塔

 防衛塔 Wache Turm (17-18) 北、拡張して3階建寄棟屋根の住家となり、上層階
   は張出している。中世後期に切石部に着色された。
 防衛塔 Wache Turm (17-18) 南、2階建片流れ屋根、地階砂岩・上階木組の家になっ
   た。付近に古い市壁がある。
 防衛塔 Wache Turm (17-18) 南、拡張されて4階建寄棟屋根の家となり、砂岩切石造
   に着色されている。
 防衛塔 Wache Turm (18-19) 拡張されて3階建寄棟屋根の家となり、漆喰仕上げされ
   た。

4.見所  B

   長さ400m×幅400m広い旧市街の建物は、30年戦争などの戦乱で大きく破損され
  た後に、17-18cの様式で復興され、多くはバロック2階建切妻屋の木組の建物である。
 市庁舎 Rathaus (1528-29) 現在の市庁舎は、建てられた後に何度も拡張や改修が行
   われ、例えば北翼は装飾トラスを配置することにより、1901-04に木彫の模様が付
   けられた。2001-02の改修時には、市議会の二つの塔には黄金の屋根が付けられ
   た。2階大広間は1975の改修で黄金のホールとなり、更に2002に復元。
 聖ヨハネとマーチン市教区教会 Stadtkircche St.Johannes und St.Martin (1469-95)身廊の
    ゴシック3新教教会にはフランコニア守護聖人を奉り、町のランドマークである。後期ゴシック
   の祭壇の間があり、1500祭壇に金箔の絵画が描かれ、今も残る。
 病院教会 Soital Kirshe (1404) 病院の教会は、守護聖人聖アンソニーと聖エリザベスに捧げ
   られた。教会は何回か改修され再建された。1941の空爆で崩壊し、1953に復元
   され再奉献された。
 ユダヤ博物館 Juelisches Museum () ユダヤ人の生活・シナゴークの通り・仮庵・絵画のどの展
   示。
 フランス教会 Franzoesisch Kirche (1687) フランス宗教棄民ユグノーによって建てられた最初
   の教会であった。簡素なバロックの地味な建物で、1729二つのタペストリィが寄贈され
   た。今は改革派教区教会である。
 聖ゼバート教区教会 St.Sebald Kirche (1848-50) カトリック教徒の増加に伴いロマネスク・リバイ
   バル様式で建てられ、1926ネオバロックに改修された。2015大規模な改修
   が行われた。
 別邸 Villa (1899) 新ルネッサンスの角塔付きの別荘。
 破風の家 GiebelHaus (18c) 2階建木造漆喰仕上の建物で、後ろ壁は市壁に乗せてい
   る。
 旧パン屋 Baeckerei (1738) 破風のある2階建で角地に立つ家。
 旧醸造所 Ehem.Brauerei (1695) 3階建寄棟屋根の堂々とした建物で、骨格は木組で
   ある。
 旧税関 Ehem.Zollhaus (1744)
 旧鋳造所 Ehem.Muenze (1734) バロック役所造寄棟屋根砂岩切石積の建物。
 旧ビール醸造所 Ehem.Brauhaus (18c) 堂々たる後期中世風2階建切妻屋根の大きな建物
   で、1846に改修され活動写真劇場に談話室のある広間を増築した。
 旧染屋 Ehem.Fabhaus (1735) バロック3階建腰折屋根の建物。
 旧住居と商店 Ehem.Wohn-Geschaeftshaus (1506) 角の2階建地階石造上階木組で装飾
   トラスのある大きな建物。18c改築、1892前面の再設計。
 旧パン屋 Ehem.Baeckerei (1474) 2階建切妻屋根木組漆喰仕上の家。1727バルコニィ付の
   裏の別館を建築。
 旧世襲醸造所 Ehem.Erbbrauhaus (1525) 2階建上階木組寄棟屋根の建物。
 旧辺境伯穀物倉庫 Ehem.Margraflicher Getreidekunsten (17c) 細い急勾配の切妻屋
   根の倉庫は、19cに地階石積で更新された。
 旧会計局 Ehem.Rentamt (1737) 2階建2翼の寄棟屋根の前面切石積の建物。

5.写真

市庁舎 王広場
西壁 西壁
西南壁

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シュヴァンドルフ Schwandorf BY164

1.歴史

  610 スラブ族の占拠が始まり1000年にはナープ川の北からレーゲンスブルクに拡大、
 1234 公爵の役所が置かれ行政の中心地に、1285 市場の町として防衛が先行、
 1286 主席司教の居所と宗教上の中心地、  15c フス戦争に備え市壁を急ぎ建設、
 1433 フス戦争で敗北したが町の都市権は維持、  1451 町の交易は発展した、
 1505 ランツフート継承戦争後にプファルツ・ノイブルク公爵領に属した、1542 宗教改革導入、
 1617 公爵ヴォフローク・ヴィルヘルムは反宗教改革、   1796 仏墺戦争で仏軍が砲撃、
 1919 第1次世界大戦で火薬庫爆発、    1945 鉄道拠点は空爆を受けた。

2.市壁  0.11km 0.08

   13cの市壁は東北・西南などに点々と残されている。

3.塔  0門2塔

 ブラス塔 Blas Turm (1494) ピラミット屋根と頂上ランタンのある3階建の大きな正方形の
   塔で、市壁の最高地点に立ち見張塔でもあった。南には50mの市壁が繋がっ
   ている。入口の門は無く、守衛は市壁の後ろの部屋に住んだ。その後官舎と
   して使われ、取壊しを免れ1825ルードヴィッヒ1世により保護された。今は小さな
   博物館として使われている。
 四角塔 Vireck turm ワインバー通に白い四角錐屋根の付いた四角塔である。

4.見所  C

   東北の斜面に重要な建物は集中している。町は20cに大火事があり、古い建物は
  少ない。
 最初の市庁舎 Erste Rathaus (1447) 正方形に三角形のマルクトは1347に新設され周囲
   に市民が建物を建て1380には完成した。最初の市庁舎はこのマルクトの中に1447今
   はオープン建てられたが、1808に壊されその跡に1990カリオンが建てられた。
   カフェの傘で覆われている。
 旧市庁舎 Ehem.Rathaus (16c) 寄棟屋根の旧市庁舎は18cに他に移されその後1986
   思い切って改築され、博物館を収容した。
 古い市庁舎 Altes Rathaus (1857-2002) 歴史的な部分は旧救護所で、その後何度の
   拡張され、行政の複合的な場所であった。2002には、フロンベルク通の新市庁舎に行
   政の大部分は引き継がれた。
 救護所 Pfleghof (1508) 1410の城は1504に焼失し、その跡地に新しく救護所が建て
   られた。1857市の所有となり、1922-2002市庁舎や校舎に使われた。2012増改
   築され、成人教育センター・観光案内所で使われている。
 教区司教館 Pfarrhof (1491) 始めのゴシック牧師館の基盤の上に切妻付3階建の教区牧
   師館が建てられた。1569と1670に改修され、今の建築文字が描かれた。1991
   に復元され保育園として使われている。
 染物屋 Faerber Haus (1539) 町で最も古い建物と言われている。後期ゴシックの建物
   で染物屋が使っていた。1995崩壊の恐れがあり、1996市民が模範的な復元を
   行った。今はワイン酒場と住家である。
 ヤコブ教会 Jakob KIrche (1400) 町教区教会として初めゴシックで建てられた。前面と
   窓は後期ゴシックの要素を示している。1678筒形円天井に細分化交差リブアーチを組
   込んだ。1743バロック様式に改装、19c末に更新的改築が行われ、ゴシックの特徴が
   再び顕著になった。
 養老院教会 Spital Kirche (1657) 1443プファルツ伯ヨハンが臨終に際し創設した養老院に
   新しい教会が建てられた。1994養老院は新しい建物を建てて移って行った。
   1999-2003それまでの養老院の建物は市庁舎のために改造された。2001残され
   た養老院教会は世俗化され、、根本的に改修されて、今は催し物会場として使れ
   ている。
 町博物館 Stadt Museum (16c) このフライハウスの所有者は、1585以降知られていた。18
   34-45町で最初の薬局が定住した。1862市庁舎が移ってきた。1963小さな博物
   館となり、1986-89建物は完全に修復され、新しい展示がなされた。

5.写真

市庁舎 ブラス塔
四角塔 東壁
西南壁 聖ヤコブ教会

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シュヴァインフュート Schweinfurt BY165

1.歴史

  791 フルダ修道院の贈り物文書に初言及、1000 貴族ペーター・スティルンが所有、
 1003 ヘチィロス家が支配、         1057 ヘチィロス家男系断絶娘が継承、
 1112 男系子孫のアイヒスタット司教へ戻した  12c 皇帝フリードリッヒ1世は帝国城建設、
 1240-50 侯爵と司教の争いで町は破壊、 1254 オランダ王の手紙に町は帝国都市、
 1397 町は工場・ダム・橋の建設権を獲得、 1415 王ジギスムントは市場権を付与、
 1525 農民側で農民戦争を戦い町は破壊、 1554 2次辺境伯戦争で町は破壊、
1640 30年戦争で何度も占領され、スエーデン軍は要塞を造った、1802 バイエルンへ、
 1810-14 ヴュルツブルク大公国へ、      1814 バイエルンの支配下となる。
 1943-45 15回の空爆で町はひどく損傷。

2.市壁  0.42km 0.17

   11Cから市壁は造られ、拡張強化されてきた。17cにはスエーデン軍によって中
  島を含めて外側に星形要塞が造られた。その大半は19-20cに戦争と町の近代化
  のために失われた。1980から防御施設の残りを復元し始めた。北東部Oberwall
  と、東部のUnterwallとZwingerの二重壁が残った。

3.塔  0門7塔

 ビロード塔 Samt Turm (1564) 北東の角にある円塔。
 白塔 Weisser Turm (15c) 町の第2の荒廃の後に1563-64に再建されたが、1805に
   取り壊されて、今は基礎しか残っていない。
 草原見張塔 Wiesenhueter Turm (1564) 四角い塔の基礎が残っている。
 北火薬塔 Noerdlichen Pulver Turm (1554) 3階建て円錐屋根の円塔。町の破壊の
   後に1554に建設された。今はワイン居酒屋になっている。
 南火薬塔 suedlichen Pulver Turm (1554) 北火薬塔と同様。塔から町や市壁上に
   到達できる。
 散弾塔 Schrot Turm (1611-14) ルネッサンスの家に階段塔として建てられた。19cに散弾
   の生産に使われ、2次大戦で壊された後1988-90に旧市街地の再開発で8階建で安
   全を回復された。
 膨らみ塔 Bauschen Turm (1615) 町の医者が個人の家を建て、息子は1652そこで科
   学的医療アカデェミィを設立した。5階建階段塔はその家が壊れても残った。

4.見所  B

   13cからの帝国都市都市として、塔門・市壁・四角い旧市街地の建物等が残り、
  その後産業都市として文化施設も多く見所は多い。
 市庁舎 Rathaus (1570-72) 16cに百貨店のあった場所に後期ゴシック風世俗ルネッサンス市庁
   舎が建てられた。30年戦争や2次大戦でも生き延びたが、1959の大火災で上階の
   大部分が焼失し、1960に復元された。
 精霊教会 Heilig Geist Kirche (15c中) 精霊病院教会とし建てられたが、1554に
   全壊した。16c末にその場所にゴシックの教会が建てられ、1806-96カトリックの教区教会
   となり、1897-1902取り壊されて新しく建て直された。
 聖ヨハネ教会 St.Johannis kirche (12c) 15cにはゴシック後陣を備え、1542からは新教
   の教区教会となった。1554・1945の戦災後は速やかに再建され、中にはカトリック時
   代からの多くの芸術品が保存されている。
 馬市場倉庫 Schranne an Rossmarkt (1560) 切妻付2階建ての大きな建物倉庫として
   使われ、1935からは貯蓄銀行を収容している。
 武器庫 Zeug Haus (1589-91) 16c中迄馬の碾臼があったが1554に焼失し、兵器工廠と
   武器庫として2階建て切妻の大きな建物が建てられた。この建物の北と東側は3倍
   1.1mの厚い壁で攻撃時には防壁とされた。1940-2009は新聞社や編集事務所として
   使われた。
 博物館 次の博物館がある:Museum Georg Schaefer,Kunsthalle,
   Stadt geschichtliches Museum,Gunnar-Waster-Haus,NaturKundliche Sammlung,
   Kunstlerhof Oberndorf,Museum Otto schaefer,Museum Service MuSe,Foederer-
   der Kunst,Schueler Projektriearbeit,Schweinfurter Zeitzuengen Gespraeche.

5.写真

マルクト広場 精霊教会

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ゼスラッハ Sesslach BY166

1.歴史

800 フルダ修道院の文書に初言及、  837 アシス侯爵は町の所有地を贈物とした、
 1244 アンデックス・メラニーンとヴュルツグルク司教の争で町は破壊、1335バイエルン王は都市権を授与、
 1365 町は刑事裁判権を授与された、 1400 都市連合は司教軍にベルクハイム戦で敗北、
 1525 農民蜂起に同調して自治を強化、1632 30年戦争で町は荒廃、
 1803 世俗化でバイルンへ、1805 ヴュルツブルク大公国へ、1810 バエルン王国へ帰属、
 1905 町は大火災に襲われた。

2.市壁  0.30km 1.00

   1135市壁は、市の法律と領収書で明らかなように築かれた。1573市壁は堀と
   3門と共に、長さ300m高さ9-10mで砂岩ブロックで拡張された。1848の火事で
   ゲイヤースベルク方面の市壁の高さが削られたが復元され、全延長が残されている。

3.塔  3門8塔

3門と4壁塔6壁塔切株が残されている。
 禿鷹山門 GeiersbergerTor (1343) 南 4階建て砂岩造の角塔で、1551に再
   建され、18cにマンサード屋根が付けられた。
 ローテンブルク門 Rothenburger Tor (14c) 西 4階建てテント屋根の砂岩造の各塔
   で、1610に再建された。
 ハッター村門 Hattersdorfer Tor (15c) 北 5階建て中折れ屋根の砂岩角塔で、
   16cに再建された。
 小門 Pforte 上のツインガーに閉じられた防御用の周壁に閉じられた角塔の横
   に北東の小門がある。
  南 正方形の壁塔の切株、 西 ツインガーの下に在る円塔、
    西 3階建ての四角錘屋根の角塔、 東北 円錐屋根の円塔、
      東北 3階建て多角形の塔、    東 壁の高さ出来られた円塔、
    東 壁の高さ出来られた円塔。

4.見所  C

   門と市壁が完全に囲んでいる珍しい小さな町で、旧市街には17-18cの2-3階建
   バロックの木組みの建物が多く、司教の記念碑的な建物と共に町の風格を表す。
 市庁舎 Rathaus (16c) 半寄棟屋根小塔付も2階建ての木組みの家で。ラオイオン像
   のある屋外階段を有し中心部は16cの建物で、1796.1818改修されている。
   今は郷土博物館である。
 教区教会聖ヨハネ PfarrKirche St.Johannes (15-19c) 後期ゴシックノ3身廊梯形配置
   の教会で、4階建ての塔が在る。中には15-19cのバロックの調度があり、16c
   片流れ屋根のキリスト昇天の地オリーブ山礼拝堂がある。
 聖十字架礼拝堂 Hl.Kreuz Kapelle (1705-08) 昔の墓地教会の、引きこもった
   内陣のある小塔付の広間教会で、貴重な調度がある。
 角の家 Eckhaus (1906) 絵の様に一体化された2階建ての建物で、高い切妻や
   角張出窓が付いている。
 町粉挽所 Stadt Muehle (1574) 2階建て隅棟式屋根の木組上階は、18cに建て
   られた。
 旧領主司教役所倉庫 Ehem.Fuerstbischoefliches Amtmagasin und Schuett
   boden (1714) ハンサムな3階建両切妻屋根の役所倉庫と穀物倉で、周壁に円型
   門がある。今は図書館である。
 旧領主司教役所 Ehem.Fuerstbischoefliches Amtshaus (1620) しっかりした
   3階建砂岩両切妻屋根の建物で、18c階段切妻と後方の多角形階段塔が改修
   された。17cに南入口のある庭壁が付けられた。
 木組の家 Fachwerk haus
 宿屋「黄金の王冠」 Gasthof Zur GoldenerKrone (1906) 横切妻の2階建て
    マンサードと両切妻屋根の建物で、火事の後1906郷土様式で再建された。
 宿屋「赤い雄牛」 Gasthof Zum Roten Ochsen (16c) 上階が木組みの2階建
    建物で、半寄棟屋根で19cに改装された。
 住居と商館 Wohn und Geschaeffhaus (1905) 上階木組みの3階建て両切妻
    屋根と横切妻の郷土様式の面白い建物。
 両切妻屋根の家 Satteldach haus (1690) 木骨造2階建ての家で、中庭への
    通路がある。
 旧学校の家 Ehem.AltesSchulhaus (17c) 上階は斜材のある木組みの2階建
    で、18cに建て直された。
 半寄棟屋根の家 Halb Walmdach haus (1558) 上階木組の2階建ての建物で
    中庭への出入り口・横樋があり、屋外階段には16-18cの錬鉄の欄干がある。
 両切妻屋根の家 Satteldach haus (18c) 簡素な木組みの2階建ての家で、
    横樋と中にをへの入口が付いている。
 マンサード屋根の家 Mansarddach haus (1760) 木組切妻が美しい上階木組の
    3階建マンサード屋根の建物。
 いわゆる高級な家 Sogenannte Hoheshaus (1533) 風格のある上階木組3階
    建の両切妻屋根横樋の建物で、屋根は1533に造られ、梁に1640の年号がある。
 角の家 Eckhaus (18c) 上階木組みの2階建て斜材模様の美しい建物。
 両切妻の家 Satteldach haus (1906) 上階木組みの2階建で切妻が美しい。
 半寄棟屋根の家 Halb Walmdachhaus (1906) 2階建て木組みの建物で、
  木組模様が面白い。

5.写真

市庁舎 ローテンブルク門
ハッタースドルファー門 ガイラースベルク門
西壁 北壁
西南壁

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ゾマーハウゼン Sommerhausen BY167

1.歴史

 15C 中世にはマインで重要な集落、
 1630 ヴルツブルク司教の支配下を外れて、カソリックのマインフランケンの中の新教の飛び地、
 1814 バイエルンの支配下となる。

    

2.市壁  0.50km 0.95

  15C建設の市壁に殆ど囲まれ、堀の大部分には水がる。

3.塔  3門3塔

 ヴルツブルガー門 WurzbugerTor 北門 ドイツ最小の門塔劇場がある。
 オクセンヒュート門 OchsenfurterTor 南門 時計付きの四角門。
 マイン門 MainTor 西門 昔は川からの荷物で賑わい、関税があった。
   門に洪水水位表示がある。
 青塔 BlaueTurm 1607建、北東 スレート屋根の青色から名付けられた円塔。
   地下に監獄があった。
 赤塔 RoterTurm 東 屋根が赤レンガ。
 喧噪召使塔 RumorknechtsTurm 西 昔召使いが近くに住み賑やかだった。

4.見所  D

    Main側の右岸に全周を市壁で囲まれた旧市街地には、木組みの家屋が多く、
   門塔も残っている歴史的な雰囲気の静かな小さな町。
 昔町役場 AltOrtes 1558建、中央のマルクトに立つ階段切妻が前面の建物。
   地階は観光局、上階の会議室は深い窓のある簡素な部屋。市民広場では、
   ワインの試飲などの催物が開かれている。
 バーソロミュー教会 BatholomausKirche 1341建、1666-72に再建され、1739に
   身廊が崩壊して1740から建て直され、塔は1596に上層階と階段を拡張した。
   説教壇には1620の彫刻がある。
 宮殿 Schloss 1596建、伯爵所有の城で15Cの翼を持つ。1634に壊され
   近年改修された。切妻飾り六角塔が付いている。今はレストラン。
 木組み家 HolzHaus 旧市街地には多くの美しい木組みの家がある。

5.写真

市庁舎 東壁
ヴュルツブルク門 マイン門

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スパルト Spalt BY168

1.歴史

 810 聖サレバトール修道院の文書で初言及、    1031 ベネディクト修道院の地元ワイン、
 1494 アイイシュテット司教は町の代官権限獲得  1341 町のホップの文書言及、町となる、
 1366 堀のある最初の市壁を建設、            1422 2市門を完成、
 1450 ニュルンベルクの侵攻でアンスバッハに組込、  1545-1632 町にはペストが蔓延、
 1585.1598 魔女狩の処刑が行われた、   1632 30年戦争でスエーデン軍占領。

2.市壁  0.40km 0.42

   1297に市壁建設は始まり、14-15cに強化された。砂岩積の市壁は一部分で補修
  または更新された。18cには市壁上に小さな木組の家が建てられた。北と北西に多
  く、南と東に少し残っている。

3.塔  1門5塔

 上門 Oberes Tor (1422) 南西市門、6階建マンサード屋根の砂岩切石積の門と前門との
   間のツインガー壁が残っている。1767から住居が付けられ、18cに頭頂部は更新され
   た。1821町の所有となり、1974に改修され紅葉の部屋を収容した。
 上門 Diebs Turm (14c) 市壁の防衛角塔で、20cまでは刑務所として使われた。今は
   「郷土の部屋」としてクラブの部屋や民芸品の展示に使われている。
 輪塔 Reifen Turm (1446) 領主司教ヨハンが建てた4階建の砂岩円塔で円錐屋根がある。
   横に2階建の建物が付いている。
 悪者塔 Schaefer Turm (14c) 3階建急勾配切妻屋根の一方が半円形の塔。
 ロクロ工塔 Drechsler Turm (14c) 4階建テント屋根砂岩造の角塔。1862テント屋根は平らに
   された。長い間ロクロ工が働いていた。
 ヘルクレス博士塔 Dr.Herkeules Turm (1350) 3階建切妻屋根砂岩造の円塔は、1862に住
   居に増築改造された。ヘルクレスはパリアカデミー会員で、この町で死亡した。

4.見所  B

   多くの市壁・門や塔・中世の木造や石造の建物などは、歴史的な雰囲気を伝え
  ている。古くからのホップの伝統もこの町では生きている。
 市庁舎 Rathaus (1751-56)首席司祭のバロックの館として建てられ、1818-1932は会計
   局と税務署として使われ、1933から市庁舎となった。ワインの試飲などの催物が
   開かれている。
 旧二重参事会員聖職者の家 Ehem.Doppel Kanorikatschaus (1753-56) 聖ニコラスと聖
   エメラム双方の参事会員用の食堂等として建てられ、1981学校姉妹の修道院とな
   り、今は町の消防署である。
 穀物倉庫 Kornhaus (1457) アイヒシュテートの領主司教は十分の一税倉庫として長さ36m幅
   20m高さ13mの大きな建物を建てた。トラスの内部構造が印象的である。1862から町
   が所有し、1897-1924はホップの店とホップ記念館としてホップビールの醸造やホップの歴
   史などを説明している。
 聖ニコラウス St.Nikolaus (1294) 聖ニコラウス参事会員財団の建物が創立され、1302-13に
   聖ニコラウス旧修道院聖堂が建てられ、1767-71ドイツ騎士団建築マスターが、バロックの教
   会を新築した。1906世俗化でバイエルンの所有となったが、1863町に戻し1962-66に
   改修された。
 聖エメラム教区教会 Pfarrjirche St.Emmeram (12c) 教区教会はベネディクト修道院聖サルバ
   トーレに戻った。元々ロマネスクの大聖堂は16-17cにバロックに改装された。1976-82に
   教会は大改修された。
 カトリック司教館 Kath.Pfarrhof (1738) バロックの司教館が建てられ、1819迄使われた。
   1821町が所有し、1974改修され、今は手工業の作業場である。
 シュレンツガーの家 Schlenzgerhaus 西側市壁を巻込んだ奇形の2階建木組の家である。
 ホップ財団 Hoffen Gut (1746) ホップは昔からこの町の重要な商品であり、ホップ畑と
   巨大な木組の屋根裏部屋があり、ホップの乾燥作業が行われた。
 小税関 ZollHaeuschn (18c) 平屋の木組切妻の小さな建物が、市壁に接して建てら
   れた。

5.写真

市庁舎 ハウプト通
輪塔 上門
上門 ロクロ工塔
シュレンツガー家 西壁

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スタットラウリンゲン StadtLauringen BY169

1.歴史

 794 最初の文書言及、     1484 司教ルドルフ2世は町・市場の管轄権を授与、
 1520 町の紋章は憲章で定められた、          1563 市庁舎の新設。
 1613-17 町の市壁を新しく構築、   1818 都市権は返還したが市場権は維持。

2.市壁  0.34km 0.38

   1613-17cに新しい市壁が構築され、北西に残り、南西に断片が残る。

3.塔  1門1塔

   1615に地区防備の塔の切株と南東隅の旧ワイン醸造所、1765に旧ハイン門の門柱と
  接続の市壁がある。
 ハイン門柱 TorPfeiler des Ehem.HainTors (1765) 北西のハイン門の位置に、門柱が市壁
   に接続して立つ。
 ガチョウ塔 Gaens Turm (1615) 南東の隅の旧醸造事務所の前に円塔の切株があり、円錐
   屋根を付けて庭にある。

4.見所  C

   市庁舎をはじめ、16-18cの美しい木組の家が多く存在する。
 市庁舎 Rathaus (1563) 2階建切妻屋根木組の大きな建物に広間がある。17-18c2階
   建切妻屋根木組のベーカーハウスは、今は市庁舎の一部であり、1982に改修された。
 聖ヨハニス・パプティスト教区教会 Pfarrkirche St,Johannes d.Teufer (1600)後期ゴシック角
   塔が最初にあり、1731-32に身廊が付けられた。1972に拡張された。
 牧師館 Pfarramt (1604) 2階建のコアに、1906木組の上部を拡張し漆喰仕上の切妻屋
   根となった。
 元聖職録受領者住宅 Ehem.Benefizaten Haus (1322) 2階建寄棟屋根の太材枠組の
   四角い建物。
 旧公式ワイナリー管理事務所 Ehem.Kellerei Amthaus (1606) ヴュルツブルク司教の公式ワイン
   醸造所である。
    管理事務所(1606)2階建石造半腰折屋根の建物。
    十分一税倉庫(1606) 平屋切妻屋根の木組の大きな建物
    公爵の館(1628) 2階建切妻屋根の石造の建物。
    穀物蔵(1628) 3階建切妻屋根の細長い石造の建物。
 都市農民の家 Ackerburgerhaus (1614) 2階建寄棟屋根の上階木組の建物で、旧貯蓄
   銀行が使用した。
 住家 Wohnhaus (18c) 2階建切妻屋根装飾的な上階木組の家。
 市民の家 Buergerhaus(1686) 2階建切妻屋根に露出装飾トラスの上階木組の家。
   

5.写真

市庁舎 マルクト広場
聖ヨハニス教会 南西壁
南壁 南西壁

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スタットシュタイナッハ StadtSteinach BY170

1.歴史

 1151 司教エーベルハルトはヘンネベルク侯爵と土地を交換、14c 650年間の所属で発展、
 1430 フス派・1464辺境伯アキレスの侵攻、司教シャンバーフは10年間の土地税を免除、
 1525 農民戦争で城は破壊、町の公邸に住んで再建なし、1552 辺境伯の征服、
 1634 30年戦争による占領・略奪、     1783 高炉建設による鉄の生産、
 1798.1866 大火災が町を襲った、     1803 ドイツ神聖ローマ帝国の終焉、
 1616 町はバイエルン王国へ、        1972 大司教の地方事務所の存続、
 1973 クルムバッハと併合

2.市壁  0.40km 0.56

   13-14cの市壁は荒石造で半分程度残された。西側斜面は二重壁構造である。

3.塔  0門1塔

   中世の3門は、何れも19cに取り払われた。
 東南塔 OestSuedlich Turm (14-15c) 東南の隅の2階建円錐屋根の円塔。

4.見所  C

   北の旧要塞(16c)には宮殿と地方事務所、中央の四角いマルクトには商店と住宅
  南にはネオバロックの教会がある。山の尾根に小さくまとまった町である。
 旧市庁舎 AltesRathaus () 2階建腰折屋根木組の建物で、1821に砂岩に枠組の天窓
   付きに改造。
 市庁舎 Rathaus (18c) 2階建寄棟屋根・砂岩枠組の建物。かっては町の商店員のアパ
   ートであったが、今は改修されて市庁舎として使われている。
 聖マリア礼拝堂 St,Marien kapelle (13c) 切妻・天窓・後陣は13cで、1690に塔と砂岩
   枠組の身廊が付けられた。
 牧師館 Pfarrhof (1721-23) 2階建寄棟屋根の砂岩造の建物。
 住居 Wohnhaus (1322) 2階建寄棟屋根・上階木組の建物で、今は博物館。
 旧旅館:白馬 Ehem.Gasthof zum Weissen Ross (1737) 2階建寄棟屋根のL型砂岩
   枠組の建物。今は郵便局である。
 旧地方裁判所 Ehem.AmtsGerichtRathaus (16c) 北のFronfesteに属する3階建切妻
   屋根の大きな建物で、18cに砂岩枠組となり、元地方裁判所と刑務所今は警察署
   である。
 旧カントリーハウス Ehem.Stadthaus (1755) 2階建寄棟屋根・砂岩枠組造の建物。
 聖ミカエル教区教会 Stadt Pfarrkirche St,Micael () 古い部分を使用した砂岩造の建物。
   1904-05ロココ装飾と漆喰塗。
 旧役所 Amtshaus (1755) 2階建寄棟屋根の建物。1946からは郡会事務局となった。
   

5.写真

市庁舎 聖ミカエル教会
東南塔 西南壁
西南壁 南東壁

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ストラウビング Straubing BY171

1.歴史

  70 ローマの砦があった、港と倉庫の跡、  897 初文書言及、市壁と堀がある、
 1029 アウグスブルク大聖堂への贈り物、   1218 ヴィッテルバッハ家ケールハイム伯が新都市、
 1316 見張塔として町の塔を建設、    1353-1425 独立のヴィッテルスバッハ侯爵領、
 1536 侯爵の権利を市民に割譲、   1562・70 反宗教改革で新教市民の追放、
 1633-34 30年戦争でスエーデン軍占領、    1704-14 スペイン承継戦争で墺が占領、
 1778-79 バイエルン承継戦争で墺が占領、        1780 町を大火災が襲う、
 1805-10 市壁と市内の解体、市街地拡大、1944-45 空爆の大損害、米軍の進駐。

 

2.市壁  0.27km 0.12

   9cからの市壁を15cに拡大して手工業地区を囲んだ。北西110mと北160mに
  市壁が残っている。

3.塔  1門2塔

 病院門 Spital Tor (1628) 北の市街の門は、塔に王家の紋章とオリベスクのある早
   期ゴシックの前面が保存されている。その中にある市民病院にはゴシックの3広間が
   り、聖三位一体病院教会は大火の後1780に新古典主義で再建された。
 町塔 Stadt Turm (1316) 町の中心に、高さ68mの8階建の塔で火事と敵を見張り、
   16cまで塔に住んだ。塔からはドナウ川とバイエルンの森が見渡せる。塔には総重
   量2.1t・26鐘のカリオンがあり、300のメロディを10時と15時に鳴らされる。
 火薬塔 Pulver Turm (14c) 町の北西の角に力強い円塔があり、昔火薬庫として、
   今は世界大戦とナチス専制の犠牲者のための記念館となっている。

4.見所  C

   ドナウ川沿いの2千年の歴史ある町で、中世からの興味深い観光スポットがある。
  ゴシックの市庁舎と教会、マルクトの商人による壮大でカラフルな塗装邸宅を見られる。
 市庁舎 Rathaus (1382) 市民の建てた商館を市庁舎に改築した。3階建にゴシックの
   窓枠が特徴的で、ネオゴシックの階段切妻には
町の紋章があり、1893に小塔が付
   けられた。
 旧侯爵宮殿 Ehem.HerzogsSchloss (1356) 北東のドナウ川沿いに低バイエルンのストラウビンク-
   オランダ公国の居住宮殿として建てられ、何世紀にもわたって選帝侯の居住と町防
   御の砦として使われた。15cドナウ川沿いの騎士の広間は、ドイツで最大で華やかな
   祝宴が開かれた。今は税務署・図書館・文書館を収容している。
 聖ヤコブと聖ティブチウス教会 Kirch St.jakob und St.Tiburtius (14c) 後期ゴシックの3身
   廊ハレン教会で、西塔・礼拝堂花冠・回廊がある。教王のバジリカの内装は美術様式の
   手本である。中に後期ゴシックからネオゴシックの本祭壇・中世墓標がある。
 カrメル会教会 Karmeliten Kirche (1368) カルメル会修道士が町に来て、修道院と教会を
   建て初めた。力強い煉瓦ゴシックの3廊ハレン教会で、18cに修道院とイラクサ巡礼教会は
   上品にバロック化された。
 ウルスリ教会 Urslinen Kirche (1691) ウルスリ修道会は町に女子教育学院を設立した。1736
   -41にアザム兄弟は聖堂と修道院の改装し、建築術・彫刻・漆喰装飾・絵画・複合造
   形の特徴ある調和から、美いバロックの宝石と言われる。
 旧イエズス会教会 Ehem.Jasuiten kirche (1631) イエズス会は町に定住し、1683ゴシック
   の上門の聖母礼拝堂を白いバロックのスコッタ飾りの壁柱広間に改造した。
 博物館 Gaeuboden Museum (1845) 先史と古代の収集物があり、ローマ出土品・バイエルン
   宝石類等を展示。町の宗教芸術・歴史的文化的な展示。展示場は火薬塔から1908
   に今の場所に移り、1982に2つの民家を購入して展示を充実した。

5.写真

ステットハイマー門 上門
市塔 聖ヴィート教会
病院教会

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ズルツバッハ マイン Sulzbach am Main BY172

1.歴史

 1184 ルキウス3世の聖ペトロ修道院の記述、1456 選帝侯テオドリックはゾーデンの塩生産、
 1623 個別の地区名と二重表示、    1772 ナポレオン時代には役所が置かれた、
 1814 バイエルン王国に帰属、       1856 入浴療法の開始。

2.市壁  0.40km 0.45

   1500には約1kmの周壁が確認され、大砲の発達で市壁の有効性は低下したが、
  泥棒と乞食から町を守るために長年にわたって市壁は保たれた。1787新たに開口
  部が設けられ、1849からは市壁は壊され始めた。市壁の構造は、両側の砂岩石積
  みの間に小石が満たされていた。22012-15に北と東は元の高さで復元され、南も
  保存されている。

3.塔  2門2塔

  Tor (15c) 北西と南中の門に高さ45mの胸壁付半円塔で守られた前門があり、
   ツインガーで壁引込まれた奥に門扉があった。半円塔を含めツインガーには
   銃眼が設けられている。
  Turm (15c) 北門と南門に胸壁付の二つの円塔が立ち、南西の隅にも円塔がある。

4.見所  D

   古い教会・保存された市壁・門の半円塔等が注目点である。
 聖アンナ教区教会 PfarrKirch St.Anna (14-15c) 砂岩切妻屋根のホール教会。正方形正面
   に1789網目模様の窓付三角破風の側面塔を付けた。
 農場の門 Bauernhofes Tor (1368) 壁柱上の砂岩丸アーチ門。

5.写真

聖アンナ教区教会 南門
北門 北壁
北東壁 南壁

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ズルツバッハ ローゼンブルク Sulzbach Rosenburg BY173

1.歴史

 8c カロリング朝の貴族は城・要塞教会を築いた、  1015 伯爵ベルンザールの支配、
 1253 市場として初言及、1305-53 ヴィッテルスバッハ家の女性が町を承継しバイエルンへ、
 1348 鉱山の発掘を開始、都市権を授与、1353 皇帝カール4世は町を取得、
 1395 ヴィッテルスバッハ家のプファルツラインに移す、1425 フス派の略奪、 1436 ペスト流行、
 1505-1614 オットー・ハインリヒが城を築き住む、 1614-48 30年戦争と疫病で人口半減、
 1649 宗教改革導入、1656 反宗教改革、1742 墺承継戦争で仏軍が占領、
 1799 ヴィッテルスバッハ家ザルツバッハー公国消滅、1806 バイエルンへ所属、1810堀・堀壁売却、
1822 大火災で南半分焼失。

2.市壁  1.07km 0.65

  13cの後半には都市権を授与され、4門と市壁を建設し、14cに都市の拡大に対
  応、1420-30ほぼ五角形の市壁・壁塔・堀を確保した。

3.塔  1門10塔

    1867ホグ門、1868ベン門、1871ローズ門が取り壊され、ローゼンベルガー門は解体
  後1978に代替門が設けられた。
  Stiber Turm (1420-30) 半円形のツインガー塔。
  Zwinger Turm (1420-30) 五角形の上にテント屋根の塔。漆喰石工。
  Gruenthaker Turm (1500) 3階建寄棟屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
  Falken Turm (1500) 4階建切妻屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
  Deyerl Turm (1500) 4階建テント屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
  Thumann Turm (1500c) 3階建切妻屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
  Ehem.Bastei (1600) 半円形突出・切妻屋根の塔で殻塔として建設。
  Befestinger Turm (1500) 半円形の塔。
  Ehem.BasteiTurm (16c) 3.5階建切石漆喰塗の塔、前面が円形で丸い
   穴がある。19cに再開発され、東に広げて住宅と食堂になった。
  Pulver Turm (1388) 旧FlankierungsTurmで、円錐屋根の円塔。1822
   住居に改造。

 

4.見所  B

   ズルツバッハ公国の都として栄え、ゴシック地区区とバロック地区に豪華で美しい建
   物が多い。ローゼンベルク通にはバロック3階建切妻屋根の堂々とした建物が並ぶ。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (14c) ゴシック3階建寄棟屋根の漆喰石工。地階
   はオープンアーチの広間。
 市庁舎 Rathaus (1456-70) 旧市庁舎に接続して2階建で建てられ、地
   階には肉やパンの屋台が置かれ、上階には市議会や祝祭会場があった。
   ネオゴシックの破風のある全面は2004に復元されている。
 聖マリエン市教区教会 StadtPfarrKirch St.Marien (1355) 教区教会の後陣に
   1412-88 2階建家族礼拝堂を拡張し、広間と大聖堂の間の3身廊アーチの部屋
   を構築した。1526に3廊の西回廊に二つの螺旋階段を付けた。1692-96
   壊れた尖塔を建て、1710-11祭壇画と祭壇がアザムによって創られた。
 宮殿 Sulzbach Schloss (11c) カロリング朝時代の領主貴族が建てた城は、
   バイエルンでも古い物であった。1300年を中心に拡張され造形された。1582
   にズルツバッハ・ヴィッテルスバッハ家の居所となった。17c北部の翼が閉じられた。
 聖ヘディヴィック修道院教会 Klosterkirche St.Hedwig (1753-55) サレジオ会修道院
   の基石を伯爵プファルツ・ヨハン・クリスチャンが1753に置いた。修道院はかっての王宮の
   ボールハウスの領域に1755に完成した。修道院の教会は今の形で1762-65に建
   てられた。室内にはズルツバッハとローゼンブルクの二重の紋章が見られる。
 文学文書館 Liter Archiv (1905) 大きなネオルネッサンスの3階建の建物は、
   王室の地方裁判所として建てられ、1976解散後に文学アーカイブとなり、
   ドイツ語圏の戦後と現代の文学を揃えている。
 ヴァイセンベックの家 Weissenbeck haus (1487-88) 美しく保存された後期ゴシ
   ックの白い3階建石造漆喰仕上の建物である。
 聖エリザベス病院教会 Spitalkirche St.Elisabeth (1733-38) 病院教会聖
   エリザベスとして建てられ、単純な長方形の平らな身廊と曲がった内陣が
   あり、四角い2階建の塔はタマネギ帽子をかぶっている。
 ラテン語学校と高校 Latein Schule und Gymnasium Ellustre (13c) ラテン語
   学校は13cに建てられ、1616には体育館を併設し、重要な学校となった。
   今はカトリック教区センターを収容している。
 学部長室 Ev,Dekanat (1252) 最も古い部分は2階建寄棟屋根、1400に拡
   張され、1829にも増築。今は福音派のDeanery。
 旅館:金冠 Gasthof Zur Goldner Krone (1368) 2階建切妻屋根石膏仕上
   の建物には、有名人が多く泊まった。
 印刷所 Drukerei (1862) 町の印刷の伝統は1664までさかのぼる。全国的
   な出版社がここに印刷所を置いた。その後会計局となり、1939-70は
   地方事務所を収容した。
 中学校舎 Ehem.Realschule (1706) 4階建ヒップ屋根の石造建物。
 旧将校の家 Ehem.OffiziersGebaeude (1893) ネオバロック3階建切妻屋根の
   バルコニィのある漆喰塗の建物。

5.写真

市庁舎 聖マリエン市教区教会

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ズルツヘルド Sulzfeld am Main BY174

1.歴史

  915 町は中世後期の要塞を今の規模で構築。1075 初文書言及、
 1200 男爵ゲラーはラーフェンスブルク城を建設、 1525 宗教改革の導入、
 17c シュマルカンド戦争でスペイン軍は村を略奪、1632 30年戦争でテリー軍に全焼、
 17c スイスからの移民を受入れ、     1844-49 革命に参加。

2.市壁  0.82m 0.92

   15cの市壁は、16cの終わりに更新され、ほぼ完全な3門と18塔を持つ約
   0.8kmの市壁を維持している。

3.塔  3門17塔

 上マイン門 Oberer Main Tor (1573) 東上門 階段切妻屋根のある天窓付
   3階建の角塔。
 フリーズ門 Friesen Tor (15-16c) 東中門 半寄棟屋根と横家造の2階建て角塔
   で木製階段がある。
 エルラッハ門 Erlacher Tor (15-15c) 西南門 台形屋根の3階建て角塔で、橋に
   つながるアーチ門がある。
 東角塔 OstlicherEck turm (15-16c) 東角 狭間胸壁付の2階建て円塔で、
   住宅塔になっている。
 カッコウの巣塔 Kuckcknest turm (15-16c) 東上 木造寄棟屋根の部屋が円塔に
   乗っている構成で、要塞の2階建て塔。
 小塔 Kleiner turm (15-16c) 東中 段付き円錐屋根の円塔の切株。
 円塔 Ruender turm (15-16c) 東下 尖った高い円錐形の屋根の2階建円塔。
 南角塔 SuedicherEck turum (15-16c) 南東角 3階建て円錐屋根の円塔。
 円塔 Runder turm (15-16c) 南右 円筒の切株。
 ロシア塔 Russen Tuermel (15-16c) 南中 低い円錐屋根の2階建て円塔で、
   住宅塔に改築されている。
 壁塔 Mauer turm (15-16c) 南左 変形コーン屋根と横向家の3階建て多角形の
   塔で、住宅として使われている。
 ヨックラー塔 Jockler turm (15-16c) 西下 四角い部屋が円塔の上に乗った形。
 左官屋塔 Kleiber turm (15-16c) 西下 マンサード屋根の家が円塔に乗る。
 監獄塔 Gefangnis turm (15-16c) 西中 大型円塔で監獄として使われた。
 壁塔 Mauer turm (19c) 西中 円錐屋根の3階建の円塔で19cに追加された。
 夜警塔 Nachwaechter turm (15-16c) 西中 半寄棟屋根の正方形3階建住宅塔。
 壁塔 Mauer turm (15-16c) 西上 寄棟屋根の長方形3階建ての住宅塔。
 高い塔 Hocher turm (15-16c) 西上 円錐屋根に横家を付けた3階建の円塔。
 ニシン塔 Turm Herihg (15-16c) 北左 寄棟屋根の3階建て円塔。
 シェダー塔 Turm Scheder (15-16c) 北右 寄棟屋根の2階建て円塔

4.見所  D

   マイン川沿いの小さな町で、殆どの市壁と多くの塔が残っている。旧市街に特筆
   する建物は見当たらない。
 新市庁舎 Neues Rathaus (20c) 2階建の新市庁舎は20c中頃に建てられた。
   前の広場はブロンズ像が飾られ、新しい建物や店舗が囲んでいる。
 城ラ-フェンスブルク Burg Ravensburg (930) 1212に改築された城は、殆ど無傷で
   残り、今は丘の上の四角塔の城館と城壁があり、高級レストランとなっている。
 市民の家 Buergerhaus (1870) 旧学校の建物は、町博物館と現代芸術家の
   展示場になっている。

5.写真

市庁舎 フリーゼン門
上マイン門 高い塔
エルラッハ門 東南壁
北壁

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ティシェンロイテ Tirschenreuth BY175

1.歴史

 1134 Waldsassen修道院について初言及、1364 アボット・ジョン5世は都市権を付与
 16c 修道院の皇帝直属が失われた後、地域はプファルツ領主の支配下に入った、
 1623 バイエルン領となった、         1689 30年戦争でスエーデン軍の略奪、
 1814 町は大火災で壊滅した。

2.市壁  0.00km 0.00

   北側に市壁らしきものは有るが、確信が持てない。

3.塔  0門1塔

 クレッテン塔 Klettners Turm (1330) 南東に唯一残っている防御塔。修道院長アボッ
   ト・ヨハン4世によって、Waldsasse修道院は南指摘の端にこの塔を建て町はそれを
   防御塔として使った。町の治安判事はの命令で、1529に町は塔を2階分の継ぎ
   足して33mの高さとなり、火の見櫓としても使われた。名前の由来は1615から
   長い間塔に住んだ家族の名前から来た。1972からは人は住んでいない。

4.見所  D

   チェコ国境から数kmの距離にあり、森と湖の近くにある小さな町で、南に角塔が
  ポツンと立っている。
 町役場 Rathaus (1582-83) ルネッサンスの一部出窓付3階建で建てられた。長い間マルクト
   広場の中央に立っていたが、交通緩和のため広場の西の家並みに移された。
   1814大火時にルネッサンスの出窓のある主面だけ残り、1583市長の紋章が付けら
   れその後修道院とプファルツの紋章も加えられた。
 マリア昇天町教区教会 StadtPfarrKirche Maria Himmelfahrt (1299)大きなゴシック
   の教会で、1519の祭壇が有名である。1475・1814に火事と戦争で壊され再建
   され、1723に高さ46mの南塔が付けられた。未だにゴシックのコワヤであるが残り
   の建物はバロックになっている。
 ファティマ教会 Fatima Kirche(1855) 聖クニグント修道院の教会として建てられ、19
   57にナオゴシックに改装され、1987にオルガンを改修した。
 博物館 Museum Quartier (1938) 元修道院の建物に水関係の博物館として釣博
   物館・観光案内書・池と回廊庭園がある。博物館には、磁器・魚養殖・町の歴史・
   ベビーベット・池と庭・言語の6テーマの展示がある。

5.写真

市庁舎 クレットナー塔
マリア昇天市教会

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ティットモニンク Tittomoning BY176/h3>

1.歴史

  788 ザルツブルク州の商品記録簿に初言及、1234 ザルツブルク大司教は貿易特権付与
 14c バイエルンではなくザルツブルクの地域として裁判、15c 村は主として農産物の貿易、
 17-18c 彫刻・絵画・建築・作詞・ロウ細工等の芸術が栄えた、1810 バイエルンの支配下。

2.市壁  0.78km 0.80

   市壁は14-15cの構造を、ほぼ保持している。大きな等辺三角形は旧市街地と城
  を取り囲む。西側の頂点に城のある城山が位置し、途中の市壁は定かでない。

3.塔  2門3塔

 城家門 Burghauser Tor 北門 3階建てゴシックの角塔で、両側に歩道。
 走る門 LaufenerTor 南門 5階建て時計付きのゴシックの四角門。改修済。
 壁塔 角の四角塔や中間塔が3塔見られる。

4.見所  C

   広いStadtPlatzが中心にあり、門塔のある市壁で囲まれた小さな町で、丘の
  上の城には多くの興味ある博物館がある。
 市庁舎 Rathaus (15c) 1771にイタリア風の金の屋根状の出窓のある4階建鐘楼付の壮
   大な前面に、ローマ皇帝の胸像を飾った。
  Burg (12) 丘の上のかっての宮殿で西側からのみ跳ね橋で入れる。地元の貴族
   が建てて住んだが、ザルツブルク大司教が1234要塞の城を建て、裁判所と郡事務所
   を置いた。1324バイエルン王ルードヴィッヒによって占領され。3年後にザルツブルクが買い
   戻した。1611塩戦争で被害を受け、ザルツブルク大司教により礼拝堂を追加して再
   建された。1816バイエルン領となり、城は民間の手に渡ったが、1851にバイエルン州が
   買上げて1910歴史博物館となり、一時捕虜収容所となったが、1953博物館が再
   開され製革博物館とRuoertiwinkel博物館が加えられた。
 町広場 Stadt Platz (1234)長さ300mの台形の広場で、北側60.3m南側30mの
   幅がある。1571火災の後、イン・ザルツアッハ様式で再建された。17-19にバロックや新古
   典の前面が生じた。
 聖ラウレンティウス教区教会 StiftsPfarr Kirche St.Laurentius (1198) 初め女性修道院
   建てられ、ザルツブルク司教館の特権を得て維持された。1410定礎、1514内陣円
   天井、1534塔着工、1571火災後バロックで再建、1815内装と塔が焼け新古典で2
   脇祭壇を付けて新古典で再建された。
 万聖節教会 Kirche AllerHeiligen (1681) アウグスチン修道会の旧修道院教会でマックス
   ・ガンドルフ大司教がザルツブルク様式で建て、金・白・黒の色が支配的で院は1806に
   世俗化で解散され、兵舎・刑務所・国民学校となった。

5.写真

市庁舎 北門
南門 北壁
西北壁 南壁
南西壁 市広場

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テュンゲルスハイム Thuengersheim BY177/h3>

1.歴史

  530-700 最初のフランケンの集落、     1098 フランコニアワインの村として初言及、
 1154 ブドウの木の植付、            1614 教区教会聖ミカエルの完成、
 1803 町はフェルディナント大公国に属した、 1814 ヴュルツブルク大公国はバイエルン王国へ、
 1870 ワイン輸送は舟運から鉄道に移った、1930 ブドウ栽培農家55は協同組合結成。

2.市壁  0.22km 0.22

   市壁は16c後半に砂岩瓦礫を石工が築いた。今は北西・北東と南に見られる。

3.塔  3門0塔

    門塔は4基の内3基が残されている。
 羊飼門 Hirten Tor (1588) 南東門で、王の門とも呼ばれた。地階に歩道と車道の石
   積アーチ門があり、その上にL字型の木組上屋が乗っている。1984広範囲に改修が
   行われた。門塔は1982からカーニバルクラブが借りている。
 ヴュルツブルク門Wuerzburger Tor (1604) 南西門で、プラン門とも呼ばれた。2階建石造アーチ
   門にヒップ屋根がある。1723迄守衛所には鍛冶屋が同居していた。1751に更新
   され司教カール・フイリップの紋章が付けれれた。1965大きなトラックが門に引っかかった。
   上階にはワインの試飲室がある。
 レッツスタット門 Retzstadter Tor (1609) 北東門で十分の一門とも呼ばれた。地階石積アーチ
   の上に2階建切妻屋根木組の守衛詰所がある。司教ジュリアスの紋章が付けられ、近
   くに十分の一税倉庫がある。19c初めまで町がリースしていたが、今は民間の所有
   物である。

4.見所  C

    マイン川右岸の木組の家のある小さな町で、上階木組の門が珍しく残っている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1579-81) 2階建切妻屋根・上部木組の突出した建物で、地
   階広間はスコッタ天井や印象的な窓が特徴である。建物は1981迄市庁舎として使わ
   れ、その後幼稚園に一時使われ、今は蔵書3,400冊の図書館である。
 市庁舎 Rathaus (1697-99) 校舎として建てられ、1828に装飾で外観を整え、大幅に
   建物を延長した。1906学校は市壁外の新校舎に移転し、1981町は建物を大幅に
   改修して1982から市庁舎として使った。
 聖ミカエル教区教会 Pfarrkirche St.Micsel (13c) 1593-1603に、13cの身廊を地下室と
   し広い本堂を建て、尖塔を更新した。1696西内陣、1725内装とオルガン設置、1979
   -86翼廊の延長・東塔建設・祭壇献堂。
 旅館:熊 Gasthof Baeren (1729) 2階建寄棟屋根の上階木組の建物。
 宿屋:古い星 Gasthaus AlterStern (1617-66) 2階建不揃い寄棟屋根・上階木組トラス
   床の建物で、中庭へのアーチ門がある。
 旧司教館 Ehem.Pfarrhaus (1234) 2階建石造ヒップ屋根の建物。
 木組の家 Fachwerk Haus 修復され復元されて見事な木組の家が多い。

5.写真

市庁舎 >聖ミカエル教区教会
レッツスタット門 ヴュルツブルク門
羊飼門 北東壁
北西壁 南壁

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ウッフェンハイム Uffenheim BY178

1.歴史

  1103 初文書言及、1349 ホーエンローエ家の貴族は皇帝カール4世の都市権を保持、
  1378 ホーエンローエ家からニュルンベルクの城伯に売られた、 1792-1806プロイセン領、
  1806 バイエルン王国の支配下となる、         1945 2次大戦で被害。

2.市壁  0.71km 0.64

   市壁は、南と北西部以外で半分以上が残っている。1481堀に養魚場設置。

3.塔  2門5塔

 ヴルツブルガー門 Wurzbuger Tor 門塔は1696に頑丈な上階を完成させ屋根は
   スレーット覆いの5階建て前門付四角塔。通抜け門の上にツオーレルンの紋章と1583
   の年号のある銘版石がある。
 アンスバッハ門 Ansbach Tor 5階建ての四角塔。1746-47に拡張・更新され、新し
   い屋根を得た。
 市民塔 Buerger Turm 北に置かれ、高く細っそりした化粧のない切り石の円塔
   で、銃眼窓と円錐屋根がある。深い地下には牢があったが入れない。
 急速塔 Schneller Turm 南東、
 拷問塔 Folter Turm 東南、
 町長塔 Schuzen Turm 南西、軽い張出上階と風見鳥のある8角形の角錐屋根の
   荘厳な円塔。1909徹底的な改築。
 ハインリッヒ塔 Heinrichs Turm 北西角、ここの市壁はよく保たれ、要塞に地下牢が
   ある。1739壁に切れ目が造られ、壁に小さな家が並んでいる。

4.見所  C

   多くの門や塔のある市壁の一部が残り、旧市街地には多くの木組みまたは石造
  の多くの古い建物が残っている。
 市庁舎 Rathaus (18c) アンスバッハ建設事務所の設計に沿って建てられた市庁舎
   は、1945に全壊した。原型に複製され、50年間職業学校として50年間使われ、
   1974に町の行政共同体の場所となった。
 宮殿 Schloss ホーエンローエ家は元の水城の位置に大きい城を建て、1378にツオーレルン家
   の城伯に城を売った。1462焼け落ち次の年に再建された。1737-52に大規模
   な北翼の拡張が辺境伯アンスバッハ建設事務所の指揮下に行われた。
   今は税務署として使われている。
 病院教会 Spital Kirche (1360) ホーエンロー家が礼拝所のある病院を設立した。宗
   教改革でも病院の司教は、助祭として保持された。1691病院教会のそばの
   倒壊寸前の2つの塔は新しく取り換えられた。1881塔前面に切妻壁が付けら
   れた。1914大改修が行われた。中には、18c祭壇・1610説教壇・1720オルガン。
 鋏館 Scheren Hof (1571) 中フランケン風の木骨造りの家。近年改修された。
   切妻飾り六角塔が付いている。今はレストラン。
 郡事務所 OberAmts Kanzlei(1702) アンスバッハ辺境伯が行政の館としてたてた。
   今新しい部分には、Gollach Heimart museumを収容している。博物館に
   は、町と手工業の歴史を展示している。
 税関 Zoll Haus (1719) 1923まで舗装税を徴収していた。

5.写真

ヴュルツブルク門内側 ヴュルツブルク門外側
アンスバッハ門内側 アンスバッハ門外側
市民塔 西北小門
射撃塔 西南塔
拷問塔 西角塔
北壁 東壁

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フェルブルク Velburg BY179

1.歴史

 1117 城フェルブルクの初文書言及、    1217 ヴィッテルスバッハ家の所有、
 1217-1452 バイエルン公国へ割当、    1505 プファルツ・ノイブルク新公国へ割当、
 1507 帝国騎士ゲオルク・ヴィスペックは城と街を受領、
 1574-1808 プファルツ・ノイブルク公国のフェルブルク教区を設立、
 1410.1540.1533.1574.1644 大火災、 1564.1574.156-86.1713 疫病の流行、
 1803 退職庁後に税務署の設立、    1862 バイエルン州は地方事務所を設置。

2.市壁  0.26km 0.26

   13cの石灰岩や砂岩の市壁は、1410に更新された。東と北に壁は残る。

3.塔  1門1塔

 北の町門 Nordlicher turm (14c) 2階建寄棟屋根の門塔は地階にアーチ通路上階
   は守衛住居であった。14cの守衛詰め所があり、門の東西に2階建木組フランケン
   造の建物が配置されている。16cに前門が付けられた。
 守衛塔 Stadtwache Trum (13c) 3階建円錐屋根・壁スリットのある円塔。

4.見所  C

   森林の中にある歴史的な小さな町で、木組の家も漆喰が塗られ、火事の
  多さが影響している。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1863-65) 2階建切妻屋根の建物で、前面ギザギザの装
   飾的な模様がある。今は郷土博物館である。
 聖ヨハン・パプティスト教区教会 Pfarrkirche St.Johann baptist (13c) 1574ゴシックの塔
   と通路、1717-21石造右身廊が造られた。1754の火事の後に3身廊広間教会が
   再建され、タマネギドームと内陣が付けられた。
 旧奉行所の建物 Ehem.Magistrats Gebaeude (17c) バロック2階建切妻屋根の建物で
   中央にベイスタンドが付いている。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehentstadel (16-17c) 3階建切妻屋根の建物で、アーチ開
   口部がある。今は老人施設。
 市民の家 Buergerhaus (1651) 2階建切妻屋根の建物で、階段と床張出がある。碑
   文版が見られる。
 城跡 Burg Ruine (1127) ヴィッテルスバッハ家が城を建て、17c中から解体され、壁の一
   部・北門の基礎・天守閣の一部がある。
 都市農民の家 Acherbuerger Haus (18-19c) 2階建切妻屋根の建物で、バロック門の
   ある中庭の壁がある。
 旧薬局 Ehem.Apotheke (1876) 型ぐるしい2階建マンサード屋根の建物で石膏仕上で角
   突起がある。今は貯蓄銀行である。

5.写真

旧市庁舎 北の町門
守衛塔 南東壁
東壁 南西壁

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要塞リヒテナウ Veste Lichtenau(MittelFranken) BY180

1.歴史

 1406 帝国都市ニュルンベルクはフレデリック2世のリヒテナウ城を買って、前哨要塞とした、
 1449 1次辺境伯戦争でアルブレヒト・アクレスは城を奪った、   1453 取り戻した、
 1553 2次辺境伯戦争でアルブレヒト・アルシビアデスは明渡された城を完全破壊、
 1630 ニュルンベルクはその復旧に取掛ったが長期間要した、 1631 政府軍に明渡、
 1688 ルイ14世の仏軍に降伏したが要塞は破壊された、 1734 防衛施設建設、
 1806 バイエルン王国に属し、砦は刑務所となった。

2.市壁  0.09km 0.15

   要塞の南に市壁で囲まれた町があった。町の防衛施設は1734-36に自然石積
  で築かれた。両方の門は残され、ツインガーは部分的に上部工を備えた。

3.塔  2門2塔

 上門 Oberes Tor (1749) 南門。2階建腰折屋根の四角い構造である。
 下門 Unteres Tor (1763) 北門。両側に立柱のある2階建腰折屋根構造。
 西塔 West Turm (1724) 4階建の四角い西塔は、ルター教区教会に立つ。
 要塞塔 Festungs Turm (16-17c) 要塞近くに高い4階建の円塔。

4.見所  C

   要塞リヒテナウは、ルネッサンス建築の輝ける作品であり、要塞造り軍国主義の完成
  時点に相応しい。
 司教館 Pfarrhaus (1636) 2階建寄棟屋根ドッシリした自然石造の建物。
   18cに改造された。
 新教ルター教区教会 Ev.Lutherische Pfarrkirche (1724) 聖三位一体教会
   は、高い西塔のある広間造の建物で、クリトフの副室がある。
 宿屋 Gasthaus (1653) 2階建切妻屋根の大きな木組の家。
 住家 Wohnhaus (18c) 2階建腰折屋根の木骨造の家。
 要塞施設 Festung Anlange (1558-1630) 堀・前面傾斜面・高い円塔のあ
   る側翼宮殿・中庭を囲む3砲塔等が残る。

5.写真

ヴュルツブルク門内側 ヴュルツブルク門外側
アンスバッハ門内側 アンスバッハ門外側
市民塔 西北小門
射撃塔 西南塔
拷問塔 西角塔
北壁 東壁

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フィルスビブルク Vilsbiburg BY181

1.歴史

 1000 この村を初言及、 13c ヴィッテルスバッハ家は市街を整備・架橋・税関設置、
 1308 初めて市場町の権利を得た、   1340 橋前の市場は門と周壁で防御、
 14c後半.1504 大火災と戦争被害で壊滅、    1648 ペスト流行で人口減、
 1760 ガイゼンハセン救護局が移って来た、 1818 バイエルンの行政改革で自治体へ、
 1862 郡地方裁判所と公証人が置かれた、 1929 市場町は正式に町を宣言。

2.市壁  0.05km 0.08

   グロッセエイルス川の北の旧市街地にある15c馬蹄形の市壁は、上門の西に50m残る。

3.塔  1門0塔

 上門 Oberes Tor (15c) 旧市街地の北端に八角形の鐘楼を建てた。1540にフード
   やランタンをつけた。15cの四角い基盤の上に4階が継ぎ足された。

4.見所  C

   旧市街地の中心Stadtplatzには、主に16-17cの中世からバロックの3階建で
  あったが、1886-1914ネオバロックやネオゴシックの建物に建て替わっている。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1903) ネオルネッサンス3階建切妻屋根の建物で、1903-05は
   市民の家だったが、1968からは市庁舎となった。
 旧会計局 Ehem.Rentamt (11897-98) ネオバロック3階建寄棟屋根の左右対称の建物。
 市民の家 Buergerhaus (1683) バロック3階建木製バルコニィ付きの家。1717後期ゴシック・
   1890歴史主義に、前面を改修した。
 旧病院教会聖三位一体 Ehem.Spitalkirche Hl.Dreifaltigkeit (1400)後期ゴシック・の
   隅塔3ベイを備えた台形ホールの病院教会。1476-77に2階建切妻屋根1923-30内
   装改修。今は歴史博物館。
 旅館 Gasthof (18c) 2階建切妻屋根・角地の長い建物。1983に再建。
 マリア昇天教区教会 Pfarrkirche MariaeHimmelfahrt (1404) 広間教会で奇麗な屋根
   に西塔、内陣は古く後にバロック化した。1850塔にフードを付けた。奇麗な屋根は
   ゴシック化された。
 牧師館 Pfarrhaus (1718-20) バロックの高いテール切妻2階建切妻屋根の家。
 カプチン会修道院 Kapuziner Kloster (1827) 2階建切妻屋根の司教の家。1851両翼に
   個人礼拝堂。
 巡礼教会マリアヒルフ Wallfehrtkirche Mariahilf (1832-36) 階段の大聖堂、1870通路、
   1874階段テラス、1880-85塔、1897-98西に教会を拡張、大規模改修とネオロマネスク化。
 住家 Wohnhaus (1903) 3階建切妻屋根の円アーチ破風とスコッタ。
 市民の家 Pfarrhaus (16-17c) 2階建切妻屋根、1830-40前面扉。
 住家と商店 Wohn nd Gaeschaefts Haus (1903) マンサード屋根に歴史主義のファサード。
   

5.写真

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フィルゼック Vilseck BY182

1.歴史

 930 城の建設、              1104 皇帝ヘンリー4世は城を破壊、
 1185 最初の文書言及、     1188-1268 スタウフ家バンベルク司教は村を譲渡、
 1190 新城と町の建設と成長、1269町に、1269-1802 バンベルク司教は町を支配、
 1332-80 堀・周壁・3門・17塔と強化、  1380 バンベルク司教は町の紋章を授与、
 1512 城は略奪や攻撃後に燃やされた、     1552 市庁舎など多くが焼失、
 1620.1624.1634.1672 30年戦争の略奪、      1634 疫病で人工急減、
 1745-65 バンベルク代表司教は城に住んだ、  1803 世俗化によりバイエルン王国へ、
 1864 大火災で多くが焼け落ちた、      1909 大洪水で水没。

2.市壁  0.37km 0.38

   郊外は含まず。1332-1380に不規則な5角形の周壁は強化され、高さ9m・厚
  さ1.8m・940mの市壁と堀の前に13の塔と4門が設けられた。1430に市教区教会外
  側に墓地壁80mが設置され、16c西の外に郊外が設けられHafnerTorが置かれた。

3.塔 5門0塔

 上門 Oberes Tor (1375) 養魚池門とも呼ばれる旧正門、5階建塔ピラミット屋根
  ・石造漆喰塗で、バンベルク本山司教と司教ランバートの紋章が付られ、1436に町の
  養魚場が設置された。1740に3階建の擁護局事務所が門の北側に置かれた。
  1765-1802事務所は切妻屋根漆喰仕上で更新された。
 黒門 Schwarzes Tor (11c) 旧上門であった。その11cからの構造の残りは黒い塔
  と呼ばれ、1332-80の第1期防壁の位置にあり、新たな防衛施設に含まれた。
  1767までにラウレンティウス修道院が取付けられた。
 下門 Unteres Tor (1466) 鳥塔とも呼ばれ、5階建石工漆喰仕上半腰折屋根の市門
  として市壁に組込まれた。1568に2階建切妻屋根の前門が取付けられた。2000
  改修後ドイツ最初の「塔守博物館」となり、オーパープハルツの塔と塔守の歴史と文
  化を説明している。
 要塞塔 Wasion Turm (14c) 町の防衛施設の一部を形成し、1630迄塔に塔守の住居
  があった。塔の東側にはバンベルク領主司教とマインツ侯爵の紋章が掲げられ、今は
  紋章は塔守博物館に展示されている。1905交通障害で壊され、今は路上の
  印と門柱がある。
 ハフナー門 Hafner Tor (16c) 塔の名前は製陶所から来た、2階建切妻屋根の荒石石膏
  塗の塔で、東側に鍵と銃口がある。西側にバンベルク本山と選帝侯の紋章があ
  る。

4.見所  B

   広い旧市街地には、城・教会・門・塔・大きな建物など中世の面影が在るが、
  グラーベン通の近代的な施設は統一性に欠ける。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1380) 3階建切妻屋根の建物で、マルクト広場の中の北に広
  くなった所に建てられ、開催などで何度か立て直された。今の市庁舎は
  、マルクト広場中ほどの東に大きな窓で建直された。
Burg Dagestein (12c) 周壁で囲まれたロマネスクの要塞で、天守閣からの展望は素
  晴らしく、2階には絵画ある。今の建物は十分の一税倉庫と共に17cに改装さ
  れた。城は東フランンクの要塞の一つで、代表的な門システムがある。1803から町は
  バイエルン王国に属し城も所有したが、今は町の所有である。
 税関 Zoll haus (17c) 平屋寄棟屋根石造漆喰仕上の建物が、前例に従って建てた。
  関税手続は滞在を必要とし、近くに宿屋や食堂が置かれた。今でも「税関
  ホテル」や「税関カフェ」がある。
 城牧場 Baeren Hof (1591) 2階建切妻屋根と荒石漆喰造の旧城牧場であった。この
  牧場は1830迄特権を保った。
 市民病院 Buerger Spital (1475) 2階建ヒップ屋根の石工漆喰仕上の病院であった。
  1725に新しい病院の建物が建てられ、1858に改造され後ろ壁は旧市壁に取り
  付けられた。
 旅館:小鹿 Gasthof Zum Hirschen (1577) 前面は歴史的な絵画で飾られた2.5階建寄
  棟屋根建物で、十字陵丸天井が中にある。
 なめし皮工の家 Rotgerber Haus (1404) 都市在住農民の家には16-17cの年号がある。
  なめし革工は1531-1914にここで作業を行った。
 ヴュンネンベルクの家 Wuennenberg haus (1598) 2階建切妻屋根の映画館で、豊かなルネッサンス
  とバロックの豊かな前面装飾がある、18-19cの石工漆喰の建物にはロスナー家のバラ
  を模様化した紋章が付いている。1632にはスエーデン王グスタフ・アドルフがここに泊
  まった。
 パン屋:ミッシェル Baecker Michl haus (1603) パン屋ミッシェルは1698にハマー家の所有となった。
  見所は漆喰の窓枠・円アーチ入口・バロックの化粧漆喰。今エリザベス・ハマーは、5下宿
  を経営している。
 聖アギディウス市教区教会 StadtPfarrkirche St.Agidius (1407-12) 市教会はロマネスク
  の身廊にゴシックの塔とゴシックの内陣を持っていた。1520翼祭壇の木の浮彫・1752
  内陣のバロック化、この時代に身廊は新しい姿になった。2013大火災で焼け、
  2015再建された。
 旧司教館 Ehem.PfarrHof (15c) 建て増された聖堂付き牧師館は、1805から私的所
  有物になった。
 旧カプチン会修道院 Ehem.Kapuziner Kloster (18c) 1725-1803に修道院は存在した。
  1985の新築は、今も市図書館と公文書館である。
 旧オルガン奏者の家 Ehem.Organisten haus (16c) 旧パイプオルガン演奏家の家は、今も古
  い部分が残され、ゴシックの砂岩の建物は中世の市壁を取込んでいる。
 旧旅館 Ehem.Gasthof (17c) 旧旅館は1792に個人所有となり、帽子仕上屋が住んだ。
  バロック2階建砂岩造の家。
 染物屋 Faerberhaus (1825) 2階建の建物は、1948の火事の後に新しい屋根組となっ
  た。

5.写真

市庁舎 聖アギディウス市教会
下門(鳥塔) ハフナー門
フィルス塔 南外壁
南内壁 北東壁

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フィルスホーヘン Vilshofen a.d.Donau BY183

1.歴史

 776 修道院モントゼーに初言及、         1100 パッサウ司教区なった、
 1206 オルテンブルクのヘンリィ1世は町に昇格、 1236 町を整備、関税人・裁判官存在、
 1241 バイエルン公オットー2世は町を支配、1300 パッサウ司教の領地へ国境関税徴収、
 1320 ドナウ川の雪解け洪水、市壁の改修、1345 皇帝ルードヴィッヒは都市権授与、
 1470 市場の日を授与された、  1504 ランツフート承継戦争では町は守られた、
 1509 バイエルン公ヴォルフガングは市場権を確認、 1595 3.3mの最大雪解け洪水、
 1627-28.ペスト流行、1634 黒死病流行、   1643 カプチン会は修道院に定住、
 1745 墺承継戦争で町西部を焼失、     1794 旧市街地は大火災で損傷、
 1802 パッサウ司教座世俗化により国境消滅、   1813 旧市街地中心で火災。

2.市壁  0.37km 0.43

   ドナウ川の右岸に、東の12cからの最古の集落と西の1206上前町の二つ
  の旧市街地を市壁で囲み、二つの橋と橋頭保も守られた。
  残っているのは、東の集落の市壁のみで、北東と南西の内側壁である。

3.塔 0門1塔

 市塔 Stadt Turm (1644) かっては1329マルクト広場を守る西側の上門
   で、1543老朽化して1643-47に再建された。バロック9階建南欧風頭巾のミュンフェン
   聖母教会の石造漆喰塔の様式。2001防火上外部階段を鉄製にした以外は、
   床・壁とも原型に復元された。

4.見所  C

   1794の大火事の後に、建設または補修された家屋が殆どである。旧市街
   地には、3-4階建の大きな建物が立ち並んでいる。丘の上の大きな建物は、
   新しい大駐車場である。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (16c) 4階建隅棟屋根の建物で、1927火災後新たにアーチ
   通路が付けられた。
 市庁舎 Rathaus (14c) 1378に聖ヨハネス大学の事務所として建てられ、地上階に倉庫
   があった。1577建物を取得して旅館を開業、1586-90所有者は市長だった。
   1671梁に「金の鹿」を記入。1794建物の前面を改装。ゲストハウスとして繁盛し
   た。1987市が所有して改修し市立病院となり、2004更に改造して市庁舎に
   なった。
 商家 Geschaefts haus (16c) 3階建隅棟屋根の建物で、19cに前面のみ改修された。
 宿屋:金の牡羊 Gasthaus Zum GoldenRamm (16-19c) 3階建半寄棟屋根の建物で、
   1794前面と屋根を改修。
 ヴィッテルスバッハ税関 Wittelsbacher Zollhaus (16-17c) 大きな四辺形の建物は、19c
   に拡張された。東南と北西に3階建腰折屋根のZollhausがある。
 市教区教会 Stadt Pfarrkirche St.Johannes der Taeufer (13c) 初のロマネスク教会
   の塔基礎部が残る15cのゴシック教会は1794の火災で崩壊し、1803-04後期バロック
   レンガ造の簡素な今の教会となった。内装は派手なバロックで世俗化で廃止となっ
   た修道院から宗教画・彫刻・オルガンが持込まれた。
 旧市民病院 Buerger Spital (16c) 3階建寄棟屋根の東館から南翼を伸ばしてい
   る。南翼は3階建切妻屋根の建物で1794に補修された。

5.写真

市庁舎 町通
市塔 西壁
南壁 北東壁

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フォーブルク Vohburg a.d.Donau BY184

1.歴史

 895 城丘上の大きな要塞農場に言及、  911-1081 バイエルン貴族が城に常駐、
 1104 ドイツ帝国ハインリッヒ4世は城を破壊、   1204 ヴィッテルスバッハ家が町を整備、
 1316 バイエルン公の死後相続争いで城を破壊、 1414 バイエルン公エルンストは城を再建、
 1641 30年戦争で住民は森やインゴルシュタットに逃れた、1704-15 墺軍が町を占領、
 1809 ナポレオンが城に滞在。

2.市壁  0.06km 0.08

    城壁(13c)  ほぼ完全に470mが保全され、高さ8mの石灰岩切石積の城壁で、
  1986-90に改修された。市壁(15c) 今は、僅か跡石が残るのみ。北・西・南の3門
  は残った。

3.塔 3門0塔

 大ドナウ門 Gross Donau Tor (1471) 北に2階建切妻屋根の石造漆喰塗の門で19
   80バロクに改造。
 小ドナウ門 Klein Donau Tor (1471) 南に3階建切妻屋根の石造漆喰塗の門で、20
   08に改修されて町の文書館である。
 大雷鳥門 Auer Tor (15c) 西に3階建切妻屋根の門で。かっての周壁の第3要塞で
   あった。1627の落雷など何回か損傷を受け修復された。

4.見所  C

    小高い丘の上に城壁で囲まれた城が立ち、麓の北から東へ旧市街地が広が
   る。3門はあるが市壁の位置は分からない。
 城山 Burg Berge (10c) 小高い山頂に895迄守られた大きな農園があった。911
   から城が築かれ、損傷・拡張・再建繰り返した。
 旧養護宮殿 Ehem,Pfleger Schloss (1721) バロック2階建マンサード屋根石造漆喰塗の
   宮殿で、1799役所は解散された。1884フランシスコ会の病院に改造され、1959
   養老院になった。
  Burg Tor (13c) 2階建の玄関門で、15c再建された。1891の火災後屋根と切
   妻屋根の入口アーチを作った。1477にバイエルンの紋章が付けられた。
 聖ペター教区教会 Pfarrkirche St.Peter (1697-98) タマネギドームの細みの西塔のあが
   が広間教会である。1820-23内陣を拡張した。1980-83に補修されて、塔は
   4m・4m・高さ28mで鐘は4基ある。
 フンガー塔 Hunger Turm (13c) 12mの高さの円塔。
 給水塔 Wasser Turm (1959) 2009まで飲料水を配水していた。水槽は9m・9m・25m
   の大きさ。

5.写真

市庁舎 旧養護宮殿
ウルリッヒ・シュタイン広場 城壁
小ドナウ門外 小ドナウ門内

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フォーエンストラウス Vohenstrauss BY185

1.歴史

 1126 バンベルク司教オットーはこの地に教会聖別、 12c 伯爵スタウファーに属すした、
 1189 シュタウフ家の私有財産となった。        13c 初市場システムの設立、
 1212-42 一時ボヘミア王が所有、       1268-69 婚姻でニーダーバイエルンへ、
 1378 都市として初言及、 1503-05   ランツフート戦争後フォーヘンシュトラウス家に割当、
 1587 侯爵フレデリックの治世に町は繁栄、   1614 プファルツ・ズルツバッハの市場に、
 1777 バイエルンへ統合された、            1870 大火災が発生。

 

2.市壁  0.05km 0.03

    9cの市壁は殆どに残っていない。

3.塔 0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    広く長いマルクト広場があり、その周りには2階建の建物が並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (1909-11) 3.5階建・地階はアーチ窓で上階窓には緑のブラインド
   付いている。中央破風と時計が前面にあり、切妻屋根の頂上にはタマネギ頭
   の鐘楼とコウノトリの巣台がある。
 フリードリッヒ宮殿 Schloss Friedrichsburg (1586-93) プファルツ伯フリードリッヒが建て
   た風格あり美しいルネッサンスの宮殿である。4階建尖った円錐屋根の5円塔に
   囲まれた、3階建装飾的な切妻屋根の大きな宮殿である。
 聖ヨハネス教会 Ev.Kirche St.Johannes Baptist (1124) 13cにゴシックのコアは、南
   側に内陣と塔を引込めた。5階建の四角塔には時計がある。
 ルター市教区教会 Lutherische StadtPfarrkirche (15c) 1417には記録に記載が
   ある。宗教改革導入後のルター派は1542に教会とした。1515にローマカトリックの
   教会となり、30年戦争後1649には再びプロテスタントとなった。1652-1928
   は超教派教会として使われた。1703と1839に焼失し、1845に外見は元
   通りに再建された。カソリック派は1929新設のマリア教会へ移った。
 マリア・カソリック教区教会 Kath.Pfarrkirche Maria Immacelata (1927-29) 新しい
   カソリック教会が1929に献堂された。高さ44mの角塔にはタマネギ帽子が付けら
   れて完成した。
 郷土博物館 Haimat Museum 文化博物館として、昔の住居・作業所・ガラスと磁
   器・農機具などの展示。
 宝石博物館 Edelstein Museum  3000点の世界の宝石を展示。

5.写真

市庁舎 聖ヨハネス教会
マルクト広場 東南壁
南西壁

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フォルカッハ Volkach BY186

1.歴史

  903 フルダ修道院の進出、        906 王ルイ4世は入植地を開発しワイン生産、
 1254-58 皇帝は都市憲章を付与、 1258-1520 ヴュルツブルク司教とカステル伯爵の支配、
 1520 ヴュルツブルク司教の支配下に、     1525 農民戦争で町は略奪ちされた、
 1540-1600 豊かになり市壁を建設、     1631 30年戦争でスエーデン軍の占領、
 1806 ナポレオンの支配、               1814 バイエルン王国へ帰属。
 1945 2月空爆、4月占領。

2.市壁  0.18km 0.19

   14-15cツインガーと市壁の強化、16-17c市壁の補充・補強。西側に残り、下塔か
  らの市壁の保存は、時計回りに進められている。

3.塔  2門0塔

 上門 Oberes Tor (13c) 門塔は、1597に改築されツインガーと側面防御塔が備えられ
   たが1875に壊された。13cに塔は監獄として使われ、泥棒塔とも言われた。
   入口の上には領主司教ユリウス・エクターと町の紋章が掲げられた。1871 2階建の
   ツイガーは壊され、1911門衛所が建てられた。
 下門 Unteres Tor (13c) 高さ15mの角塔で16cに改築された。中アーチの上の砂岩版に
   は1579の年号と市長などの名前が記されている。左の洪水位の印は、1784.1.
   28の雪解け水で、1909.12.6までは最高洪水位であった。門の外には漁夫の集
   落があった。

4.見所  C

   マリクト・門塔・古い建物は、それぞれに見栄えのする雰囲気のある物が多い。
 市庁舎 Rathaus (1544) 今の建物は1544に建てらた、外階段に張出窓付の木組2階
   建の建物であり、評議会事務所・集会所・裁判所を収容し、地階は取引場所であ
   った。19cには学校としても使われ、1972建物近代化された。
 聖バルトローメス市教会 Stadtkirche St.Bartholomaeus (1413-1512)古い聖ゲオルグ教会
   に場所に1413内陣、1472中堂、1512高さ54mの塔、1559ルネッサンス洗礼盤などの
   内装、18cバロックの祭壇とロココのスコッタ、2006-08大改修が行われた。
 フランシスコ会修道院 Kloster der Franziskanerinnen (1858) カロリング朝の代官の館の上に
   フランシスコ会が建物を建て、1896-1942全寮制高等女子学校となり、1845少女実業
   学校として引き継がれた。
 旧ラテン語学校 Alte Latein Schule (15c) 木組み2階建の建物で、16cラテン語学校、19c
   中までは若者の宿泊施設となり、今は教会堂守の住居となった。
 会計局 Rentamt (16-17c) ルネッサンスの切妻の2階建で、昔はヴュルツブルク聖堂参事会の聖
   職者会議場と十分の一税ワイン貯蔵所であった。その後バイエルン王の会計局・警察署と
   なり、今は商店として使われている。
 旧ヴュルツブルク・ワイン事務所 (18c) ロココの領主司教のワイン事務所、19c王立郵便局となり、
   今は商店になっている。
 バロック大倉庫博物館 (1714) 2003人目を引くマンサード屋根の大倉庫で、博物館として、
   町の模型・町の歴史・ワイン醸造・1716からのフランケンワインの瓶・手すき紙の作業所等が
   在る。
 市民の家 BuergerHaeser (1574) ガストハウス・ベーリンガーとして建てられた美しい木組の
   3階建ての建物でマルクト広場に立ち、1892にガストハウスとして改築
   された。

5.写真

市庁舎 上門
下門 西南角塔
西壁 聖バールトローメ市教会
宿屋ベ-リンガー ソマーアッハー門

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ヴァルトキルフェン Waldkirchen BY187

1.歴史

 1203 村の存在を推測できる、1212 パッサウ司教が所有し町・市場を形成
 1460-70 領主司教は市壁を建設、    1492 大火災が町を襲った、
 1862 大火災で140戸を焼失、、      1945 砲撃で48戸を破壊。

2.市壁  0.33km 0.35

   領主司教ウルリッヒは、防備を進めさせ、1470には10防御塔・2市門・大砲
  を整備した市壁を完成した。1720の最古の絵画には、防衛強化のために
  部分的に再構築されている。今は西南と東北に市壁が残っている。

3.塔 2門6塔

 上門 Oberes Tor (15c) 市壁の最高点に立ち、1862の大火災で大障害物で
   ある事が証明され、1865に取壊され、所有者には1200グルテンの補償がな
   された。
 下門 Unteres Tor (15c) 1637には多色の石の紋章が、隣の家の側面に付けら
   れた。これが最古の町の紋章である。下門には塔守の住居と監獄があっ
   たが、1862の消火作業の大障害となり、その後分解された。
 カプラー塔 Kapler Turm (1460-70) 10の防衛塔の一つとして建てられた円塔で、
   1803から領主司教の市場裁判の監獄が、塔に設けられた。その後住居
   目的で多角形に改造された。
 円塔 Rathaus (15c) 円塔は住居目的で拡張され、上階は多角形。
 円塔 Rathaus (15c) 住宅目的で改造された。
 円塔 Rathaus (15c) 住宅目的で改造された。
 四角形塔 Rathaus (15c) 市壁の残りの部分を使って、1830に民家を拡張。
     円塔 Rathaus (15c) 住宅目的で改造された。

4.見所  C

   チェコとの国境に近い山間部の標高472mの小さな町で、1862と1945の
  火災で古い建物は少ない。
 市庁舎 Rathaus (1907) 旧修道院と女子学校校舎の3階建寄棟屋根北西に中央
   投影の建物を1985-86に新バロック市庁舎に改造。
 聖ペーターとパウロ教区教会 Pfarrkirche St.Peter und Paul (1586-93)ネオゴシックの
   3廊柱式聖堂と先細りの細身の塔がある。1945の戦災後に調度と共に再建
   された。
 カトリック教区司教館 Katholische Pfarr Zentrum (17c) 2階半の切妻屋根の建物
   で、19cの火災後に石膏仕上げで再建された。
 旧男爵の家 Ehem.baron Haus (19c) 2.5階建切妻屋根の建物で、中央門は擬
   古主義である。
 旧簡易裁判所 Ehem.Amtsgericht (1862) バイエルン司教となり、執行と裁判は分
   離され、この町に簡易裁判所が建てれた。1975に解消され、1977-86に
   は市庁舎として使われ、1986には労働代理店を収容した。
 外科医の家 Steinflger Chirung (18c) 1762にパッサウ生まれの外科医カスパーは薬
   師特権を与えられて招へいされた。1835まで弟子達が外科医としてここで
   働いた。肖像などは、博物館にある。
 駄馬の家 Steinglger Saemmer (18c)ここに18cまで山間地域に品物を運ぶ駄馬
   が居た。16cの金の小道の駄馬商売は、1200の駄馬が動き。上り荷は塩パッ
   サウへの帰荷は穀物であった。
 金の小道博物館 Museum Goldener Steig 防衛塔の中に博物館がある。バイエルン
   とボヘミヤ間の経済や文化の千年間の結付きを記録している。

5.写真

マルクト広場南 マルクト広場北
聖ペーターとパウロ教会 南門
外科医の家 東壁
西南壁 南壁
東北壁塔

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ヴァラースタイン Wallerstein BY188

1.歴史

 1238 昔はスタインハイムと言われ初言及、   断崖の上の城はフリードリッヒ1世の所有、
 1250 エッティンゲン家に所有が移った、   13-14c 大きく勢力を伸展させた、
 15c 断崖の下に宮殿を拡張し城をバラースタインと呼んだ、
 1500 皇帝マクシミリアン1世は市場権を付与、1648 城はスエーデンに占領破壊された、
 1774 エッティンゲン・ヴァーラースタイン伯は帝国侯爵へ昇進し、町も繁栄した、
 18c エッティンゲン・ヴァーラースタイン侯国は文化的な頂点に達した、
 1806 自治を失いバイエルン王国に編入された。

 

2.市壁  0.00km 0.00

   城壁と堀跡はあるが、市壁は見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   市壁の気配のないまとまりのない形の町と、城と宮殿だけの小さな町。
 宮殿/em> Schloss (15c) 1648宮殿がスエーデンに破壊された後に、住居塔をアーレン通
   りに建てた。ここがエッティンゲン・ヴァーラースタイン侯国の定住宮殿となった。今の堂々た。
   3翼の外見は1864から保たれている。ウイーン乗馬学校を1741-51に庭園の南に建て
   1835には聖アナ礼拝堂とオランジェリ(TeeHaus)を建てた。

5.写真

城壁
城壁

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ヴァッサーブルク Wasserburg BY189

1.歴史

 1085-88.1091-98 文書言及、          12c エンゲンベルト伯が居城とした、
 1245 コンラート伯爵は古い形式の自治、     1247 ルードヴィッヒ2世は包囲・征服して、
  ヴィッテルバッハ家の財産とした、        1252 第一市庁舎と町教会に建設、
 1291 町は市場と課税の権利を行使した、 1334 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権授与
 1415 市壁の拡張、1504 ランツフート承継戦争、         1634 疫病の流行、
 1800 ナポレオン戦争のホーエリンデンの戦いで敗北、      1885 最後の大都市火災、
 1984-86 旧市街地は洪水被害。

    

2.市壁  0.23km 0.14

    Ander Stadtmauerの市営墓地に沿って市壁が残っている。

3.塔  2門2塔

 橋門 Bruck Tor (14c) 入口の橋に立ち5階建て角塔は何度も再建され、1568前面
   の壁にバイルンの町の紋章と2人の戦士・木星・百合・雷・鷲が描かれている。西側に
   は精霊病院が1338から何回か建て直された。
 墓地門 Friedhof Tor (1544)旧市街地の市壁の間に墓地への装飾された門が立っ
   ている。1855貴重な古い大理石を使って復元された。
 赤塔 Roter Turm (14c) 残った市壁の西端に4階建ての角塔があり、壁上通路へ階段
   がある。昔は同様な塔がTaenkGasse・GerblGasse・BauhofsPlatzの端に立っていた。
 空腹塔 Hunger Turm イン川横市壁の北に立つ8階建ての角塔で、市壁の中でなく、町
   の債務者の刑務所であったため、債務者監獄とも言われた。

4.見所  C

   中世のイン川の塩等の舟運により町は栄えた。湾曲するイン川に囲まれた中に町
  はあり、南の橋塔の北側に平屋根と切妻壁の高い前面が生み出す眺望がある。
 市庁舎 Rathaus (1252) 3階建切妻付の建物で、地階には店があった。1339の火
   事の後で1457-59に後期ゴシックの建物となった。1970まで地階のパン屋は焼き菓子
   を地元の菓子屋すべてに提供していた。今はカフェが入っている。上階の評議会場
   には1806までバイエルンの郡庁があったが、今は祝宴会場である。1564のフレスコ画が天
   井に残っている。
   聖ミカエル教会 Doppel Kirche St.Michael(13c)旧市街地の後期ゴシックのミカエル礼拝聖
   堂で塔は世俗化で失しなわれた。旧墓地の地下室があり上階は不使用。
 聖ヤコブ教区教会 Pfarr Kirche St.jakob (1255) 最初の教会の敷地に1410-78に塔
   付きの教会が建てられた。内装はしばしば変更され、1634説教壇と外壁に多く
   の市民の墓標がある。
 フラウエン教会 Frauen kirche(1324) 現存する最古の教会である。ゴシックの要素は大き
   く除去された。1753のロココに改装された。1420聖マリア像がある。1974-75の復元
   時にバロックの様式が残された。65mの塔は昔の見張り塔であったため町の紋章
   が付いている。昔は2階に住居があった。
 城と城礼拝堂 Burg und BurgKapelle(1085) 古い水城で急な丘の斜面に深い溝を
   掘って守もられた。1415バイルン王ルードヴィッヒは町と城を要塞化した。1531-37城
   にドッカーレ宮殿が再建された。礼拝堂は15cに今の姿にされ、今は老人ホームとな
   っている。
 核の館 Kernhaus (1738) 市庁舎の向かいの貴族の家で、2つの建物を集約して
   美しい前面を付けた。1795には市が裁判所として買い取った。1965-68再建され、
   左は裁判所、右はホテルとして使われている。
 市博物館 Stadt Museum 芸術と文化史の多様な収集物がある。イン川と貿易・手工
   業・貿易・農村生活について、新石器時代から20cに至る歴史と文化。

5.写真

赤塔 橋塔外側
橋塔内側 自由門
北西壁 北西壁
聖母教会

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ヴァッサートリュディンゲン Wassertruedingen BY190

1.歴史

 836 ローマから帰った僧の旅行記に記述、 1053 アイヒシュテット司教贈与調書に記述、
 1242-1317 エッティンゲン侯爵が町を所有、  1362 アイヒシュタット司教の封土だった、
 1362 エッティンゲン侯爵が再度所有しホーエンローエへ売却、1371ニュルンベルク城伯が町を取得、
 1427 町はアンスバッハ辺境領となった、    1525 農民戦争の騒乱が起こった、
 1634 帝国軍は略奪し全焼された、   1806 町はナポレオン支援のバイエルンを受入。

2.市壁  0.47km 0.52

   13-14cの市壁は、切石造で築かれ半分程度残っている。市堀は部分的に埋め
  られたが、旧防衛堀はまだ見分けられ、水を満たした所もある。

3.塔  1門0塔

 上門 Oberes Tor (14c) 3市門の内唯一残った。元の構造に1752に1階
   分と鐘楼を建て増した。1600にアンスバッハ辺境伯は、鐘を鋳造し寄進した。

4.見所  C

   1634.8.24の大火災後は、小規模・その場しのぎの建物が多く、石造の大きな
  建物は1850以降のバイエルンが建てた。
 市庁舎 Rathaus (1850) 古い木組の町役場に代わって、黄色い砂岩の建物を1849-50
   に建てた。王ルードビッヒはミュンフェン様式を指示した。建物の費用は大部分をキルク付加
   税で賄われた。大会議室には漆喰の格間天井ある。1987に最後の改修が行われ
   た。今は近代的に改修されて市図書館となっている。
 旧水城 Alte Wasser Burg (12c)3階建の建物で2方建物で残り2方は城壁で囲み堀橋で
   入口に至る。アンスバッハ辺境伯の紋章があり、17cにはバロックで建替られた。19cに
   城は王室バイエル地方裁判所となり、今は身障者施設である。
 市教会 Stadt Kirche (15c) 1634の火災後教会が破壊され、30年戦争で再建出来なか
   った。1652-54にやっと300人規模の教会が建てられた。墺からの流入者が多く、
   1738-49にバロックの教会が建てられ、1755には720席に拡張された。1835には今
   の外観となった。
 日時計公園 Sonnen Uhr Park (2001) 1990に家具屋が西リングに商業地に移転した。そ
   の跡地は2001に再開発され、石造の構造物を補修して日時計公園とし、2013に
   再設計された。
 旧校舎 Altes SchulHaus () 2階建の建物で、当時の聖歌隊指揮者学校に比べ明るく
   て暖房付の先生の部屋を提供した。
 市粉引所 Stadt Muelhaus (1322) 古い部分は粉引場として使われ、1649に寄棟屋根
   の飾り気のない木組の建物になった。
 最古の教会ミカエル礼拝堂 Alteste Kirche Michaelis Kapelle () かっての礼拝堂の核
   は、中世初期からのもので、高い塔は火事の前からあった。旧礼拝堂は監獄と
   して使われ、その後住宅に改造された。
 旧穀物倉庫 Ehem.Schranne () 1864から町の穀物の取引と積替えの場所として使われ
   た。
 旧ルター主席司教管区 Ehem.Lutherichen Dekanat (1683)フランケン様式木組の家。

5.写真

市庁舎 旧水城
上門 西南壁
西北壁 北東壁

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ヴァイデン Weiden BY191

1.歴史

 1241 王コンラード4世の文書で牧草地の言及、   1366 町の放牧地ザールバッハ、
 1515 総人口2,140人、        1522 聖マイケル教区教会で新教の説教、
 1634 30年戦争でスエーデン侵攻と疫病、   1663 戦争と疫病で総人口530人、
 1863 鉄道建設で総人口3,059人、       1908 工業化で総人口9,959人、
 1945 12,000人の難民で総人口38,941人。

2.市壁  0.22km 0.22

   小川の上に古い町の防御の南西の部分は、中央壁・ツインガー壁・角の砦・鞘塔を備
  えている。皇帝カールス4世の命令書には、バイエルの市場を整備し防備を固めることを
  求めている。遅くともこの時点には町は最初の市壁は保有し、既存の市壁の嵩上
  や塔の改造で強化されたと思われる。南側の建物の外壁が市壁となっている。

3.塔  2門1塔

 上門 Oberes Tor (14c) 初めは2円塔の門で、1840までロータリーに面して半円を持
   っていた。通路を拡大するために取り壊され、1911に二重寄棟屋根で単純化さ
   れた形で再建された。門の左に大きな要塞の家があり、プファルツ伯フリードリッヒは要
   塞の家に1585-93に住んだ。
 下門 Unteres Tor (14c)1635の火災の後今の角塔になった。前門と下門を通っ
   てシュロアー広場に行く歩行者道路は、塔が米戦車で損傷した後に1955に作制された。
 田畑塔 Flurer Turm 古い郊外市壁の最後の証人である。一度この外壁は4門塔と二
   つの円塔(馬塔と田舎塔)があった。1634に町は包囲された時に砲撃緩衝地帯を
   必要とし、郊外壁は取り壊された。この塔は単独の要素として1694に再建され田
   舎塔と言われた。

4.見所  D

   小さな町に、上下市門を挟んで幅広いメインストリートがあり、その中央にルネッサンス切妻の
  市庁舎が立っている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1539-45) ルネッサンスの切妻の建物は1914-17に再建され、
   1983にカリオンカが寄贈され、11.35と16.35に鳴らされる。地階には1981から中世
   の様に店舗が置かれた。大会議室の天井梁に16cの手工業作品がある。旧市庁舎は
   早くから管理のみならず演劇や舞踏が行われた。今も市議会・結婚式・特別催物が
   行われている。
 聖ミカエル教会 St.Michael Kirche (1448) 初めの簡素なホール式ゴシック教会は、1536と15
   40の火災で後1561に円天井とされ、1627再宗教改革でバロック化された。塔は1759
   に崩壊し1761に新設された。1787説教壇・多くのロココの彫像がある。
 聖セバスチャン教会 St.Sebastian Kirche(1486) 新施産院礼拝堂が建てられ、落雷と戦争
   で破壊され、1692教会は新設され再び聖セバスチャンに奉献された。
 聖ヨゼフ教会 St.Jossef Kirche (1900-01) 中世以来レーゲンスブツク司教区で最大のカトリック教
   会をアールヌーボ様式で18箇月で構築した。
 音楽学校 Waldsassener Kasten (1739-42) 2階建の石造長大建築物で、1990に再構
   築され国際セラミック博物館として使われている。

5.写真

旧市庁舎 下門
上門 壁塔
南壁 マルクト広場
聖キカエル教会

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ヴァイルハイム Weilheim BY192

1.歴史

 1010 アンリ2世の文書に初言及、     1080-1321 エデルフライエン家の支配、
 1176 既に市場権を保有、           1224 公爵の住居建設、
 1238 城壁の最初の言及、        1314 最古の市壁に2門3塔建設、
 1368 都市権による町議会、        1382.1436 大火で建物焼失、
 1646 30年戦争でスエーデン軍侵攻、     1802世俗化でフランシスコ会の廃止、
 1808 バイエルン王国の勅令で評議会、    1810 大火災で大部分を破壊、
 1820 初めての病院の建設、     1870-74 市門の全てを取り払った、
 1914 第1次大戦出征者の死亡、     1945 2次大戦後に米軍が進駐。

2.市壁  0.36km 0.35

    市壁は、四方に切れ切れに残っている。壁上通路はアーチの上にある。

3.塔  0門0塔

    門塔は見当たらない。

4.見所  D

    円形の市壁の囲まれた小さな旧市街地であるが、古い建物も見られる。
 市庁舎 Rathaus 最後は1938に再建された3階建ての建物。建物の北側のフレスコ画、
   市紋章が見所。
 聖霊教会 HeiliggeistKirche 1200建、初めロマネスクの聖堂として造られ、14cにゴシック
   に改装され、1624に地区教会として全く新築された。
 教会 Kirche 1626建、バロックの教区教会、バロクのフレスコ画が天井にある。2004に改修
   された。
 町博物館 Stadt Museum 1538建、旧市庁舎の建物に1892移転された。絵画・彫刻・
   家具・工芸品・地域の歴史を展示。
 音楽学校 MusikSchule 1520建、

5.写真

市庁舎 市博物館・精霊教会
西北門 東南壁
南東壁 マリエン広場
北壁
北壁 東北壁
東北塔 東北内壁

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ヴァイスマイン Weismain BY193

1.歴史

 800 フルダ修道院の文書に初言及、   1190 今に残る形のマルクトを展開、
 1248 オットー8世の断絶後バンベルク司教へ、1313 町の課金により市壁建設、
 1410 ビール醸造販売の特権を取得、  1430 フス派の襲来で教会は被害、
 1543 修道院ラングハイムの構築、      15-16c 経済の活況を呈した、
 1632.41 30年戦争で町は荒廃、    1757 7年戦争で町は損傷した、
 1802 バンベルク司教は終わりバイエルンへ、 1804 地方裁判所・会計局を設置。

2.市壁  0.69km 0.80

    市壁は14cのコアに始まり、15.18cに砂岩切石による拡張・再建され、
  一部では壁上通路も残っている。1871北部の小範囲で門と市壁が取除
  かれた。

3.塔  1門2塔

 上門 Ober Tor (14c) 南市門として2階建寄棟屋根・砂岩造の建物で、中
   世後期の地下室があり、1885まで刑務所があった。18c後半に
   2階は改修された。
 上門塔 Ober Torturm (14-15c) 4階建テント屋根の四角い砂岩造の塔で門の北
   西に接して立つ。1516に閉じ1763-75に再建された。
 防衛塔 Wehr Turm (1515) 防御塔の砂岩円塔で、フードは18cに更新された。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1543) 豊かな市民の家として建られ高さ26m鐘楼がある。
   アーチ天井の部屋は織機・布・油・ワイン樽等の倉庫であった。1650修道院
   集会所として建物は買収され、1765から市庁舎になった。
 聖マーチン市教区教会 StadtPfarrKirche St.Martin (15c) 後期ゴシック単塔3身
   廊の大きな教会で、19c終わりに損傷が見つかり、全身廊を1891に
   新築した。2012総合的な改修が行われた。
 牧師館 Pfarr haus (1621-26) 19c初めに市壁の外に病院が移転する迄は墓
   地もあった。そこにカトリックの牧師館が建てられた。
 箱の館 Kastenhof (1479) バンベルクの税担当部署があり、今の建物は司教に
   よって1701-03に建てられ、狩の館として使われた。戦時中は労働者
   キャンプとなり、戦後は幼稚園と小学校に使われた。大改修後に公文書
   館・市図書館となった。
 私設醸造所 Privat Brauerei (1852) 下門の前に町で最初のビール醸造所が建
   てられ、1900にオーパープハルツへ売却された。醸造所は1997に閉鎖され、
   ビヤガーデンの宿となった。
 早期代官屋敷 FruheresVogtei Haus (1611) 2.5階建上階木組の美しい家で
   バンベルクの代官事務所であった。1868ビール醸造所がここで設立され
   た。1807木組部分は改修され宿屋:王冠になった。
 オルガン奏者の家 Kirchner und Organisten Haus (1798-00) パイプオルガン奏者
   の宿舎を建設したが、厩舎が追加され1802に終了した。その後女子
   のための学校となり、1862には個人所有となった。
 旧浴場 Ehem.Badehaus (18c) 2階建切妻屋根の家で、市壁と水堀の位置に便
   利に立地した。
 ディーチェンの家 Dietzen Haus (16c) 通りで最も美しい木組の2階建切妻屋根の
   家であり、町で最古の保存木組住宅である。今ホテル・アルトポストに属してい
   る。
 マルクトの家 Haus am Markt () 旧鍛冶屋の青いシャッター付きの家で、2003の修復
   され模範家屋として表彰された。
 羊番の家 Hirten Haus (18c) 2階建寄棟屋根・木組の家で、シンプルなフレームワークを
   構築して建てられた。
 住家 Wohnhaus (1731) バロック2階建寄棟屋根の建物で近代的。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
上門塔 南西壁
南東壁 北防衛塔
東壁 西壁

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ヴァイセンブルク Weissenburg BY194

1.歴史

2c中 3.1haの石積要塞を造った、    253 アラマン族に町を破壊された、
 7c メロヴィング朝に町と教会が建った、   1028 町は王室財産からホーエンスタウエン家へ、
 12c 市壁の建造、上門・病院門に年号、  1262 城はバイエルン侯爵との戦いで破壊、
 1296 城は再建され自由帝国都市となった、14c 皇帝は税特権と都市権1317を付与、
 14c 南に第2市壁と堀を建設、       1490 金融危機で町の建設計画は遅延、
 1530 宗教改革の導入、         1588-1610 アンスバッハ公国へ、大砲要塞、
 1610-47 30年戦争で何回も略奪された、  1688 城の再建、18cナポレオン戦争で占領、
 1804 プロイセンへ、1806最終的にバイエルン王国へ、   1863 地区事務所の廃止、
 19c 壁・塔の取崩し:1814市壁一部・1825SchrekerTurm・1874OberTor・1878FrauenTor、
 1945 2次大戦の空爆で被害、4月に米軍が戦いなしに進駐。

2.市壁  1.51km 0.82

  12-14cの市壁は、堀と共に殆ど残っている。12cの1次市壁は、14cに南に拡大し
  ているため、1次市壁と堀の位置に緑地も残っている。

3.塔  1門36塔

  4門の内3門が壊され、唯一Ellingen門が残り、その美しさから切手になった。
  数十の壁塔が在ったが、今は四角塔33、円形塔(リ-ド塔)1、五角塔1、計37塔。
 エリンガー門 Ellinger Tor (14c) 北西にある壮大な門で、前門と胸壁は
   15cに取り除かれた。高欄の網目模様ハルネッサンス、最初の都市の紋章は右側に、
   1481武器の紋章は左、頂上には小塔に双頭の鷲がある。
 リード塔 Lied Turm (14c)南、シャイプラー塔とも言われ、3階建ての円塔で
   長い間刑務所があった。南のFrauen門は1878に解体された。
 五角塔 Fuenfecker Turm 5階建の火薬塔で保存されたツインガー市壁に立つ。
 病院教会塔 SpitarKirche Turm (15c) 4階建ての時計付の角塔で、
   でなく、町の債務者の刑務所であったため、債務者監獄とも言われた。地階
   にはアーチ門があるが第1市壁の門であったのでは。

4.見所  A

   ローマからの歴史的な多くの門塔のある市壁と緑地に囲まれた四角い中都市である。
  風格のある旧市街には高い建物で埋められ見所も多い。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1430-40) 3階建破風付の石造建物で、頂塔は
   1567に付けられた。ここで貿易取引が行われ、評議会場や裁判所としても使わ
   れた。2002-04大改装が行われた。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1996-98) 17cにワイン酒場として建てられた。
   18cに薬局から金銀細工工場になり、1828にスラード家が館を新築し、1920に新市
   庁舎となり、1996-98に近代的な鉄骨ガラス造りの2階建農村納屋風になった。
 ヴュルツブルク要塞 Bast Wuelzburg (1588) 11cからのベネディクト会修道院を
   壊して、大砲要塞が築かれたが、30年戦争で略奪された。1882以来よく保存さ
   ているルネッサンスの要塞であり、町が所有している。20cには刑務所や収容所とし
   て使われ、1968からは国の文化財となった。
 ローマ砦 Roemisch Kastell 多くの大小の砦跡が散在している。西端の
   BiricanaKastellは1989から門や城壁が復元されている。
 聖アンドリュー教会 St.Andreas Kirche (700) 初め聖マルティン教会として建て
   られ、1182に壊された礼拝堂の基礎の上に1329聖アンドリュース教区教会が建てられ
   1425-65三身廊となり、1534宗教改革の間は荒廃した。1863に元の後期ゴシックの
   に戻された。塔の下の展示場には1995ガラスの宝物室があり、1185ローマ青銅祭壇・
   15c行列の布などの宝物がある。
 病院教会 Spital Kirche (1447) 第1市壁にあり1728-29にバロック化され
   た。ユリアとキリストの生涯の絵画・貧しい人々の聖書壁画1480・天井画1729がある。
 カルメル会修道院 Karumeliter Kloster (1325) カルメル会修道院のバロック教会
   は、今文化センターとして使われている。
 聖アウグスチヌス修道院 St.Augustiner Kloster (1238) 最古の修道院として
   市壁の外に設立され1262の戦争で大被害を受け、イーグル山に移転した。1536に市
   壁は拡大され町の中になったので、1331病院となりその後町の事務所が入った。
 ローマ博物館 Roemer Museum (1980) ローマ時代の発掘の成果を、1階に「ローマ
   ノーリメスと砦」「Birlcia他の軍事基地」「多くの砦」「Ellingen城」「大浴場」、
   2階に「ローマ神々の像」「埋葬品」「碑文」を展示。
 帝国都市博物館 ReichsStsdt Museum (1999) Koaden家の館に皇室と帝
   国都市の歴史と文化を豊富な展示品で説明している。また、音楽・科学・商業・教
   会・工芸品・ギルド・生活等を部屋別に展示している。
 薬局博物館 Apotheken Museum (1767) 後期バロックの建物の地階に19cの
   ウイリアム・コールの薬局が薬や器具と共に展示されている。回転錠剤や薬の形態・処方
   上のワイン・錬金術・ハーブの混合の説明。

5.写真

市庁舎 エリンガー門
病院教会鐘楼 南壁
西壁 北西壁
北東壁 聖アンドレアス教会

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ヴァイセンシュタット Weissenstadt BY195

1.歴史

 1133 村と白い教会はヴェルトボッセン修道院に属す、   1299 ヒルシュの領主が所有、
 1348 バイロイト辺境伯は町を取得・錫の採掘、   1429 フス派は城を放火後に破壊、
 1462 ボヘミヤ軍の侵攻、1525 宗教改革の導入、1581 墓地の前に古い要塞墓地、
 1618-47 30年戦争で町は衰退、1791 アンスバッハ・バイロイト家の断絶後プロイセンが支配、
 1806-10 仏軍の占領、   1810 バイエルンへ帰属、    1812 堀の水を配水、
 1823 大火災で町はほぼ焼失、195家屋・30納屋・75付属建物、
 1986 都市保存と都市の再生を開始。

2.市壁  0.07km 0.07

    中世の市壁は、わずか礼拝堂小路22-23、教区小路3-5、城小路4に残る。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    1828の大火事の後の石造2階建の建物が多い。
 市庁舎 Rathaus (1828) 2階建扶壁柱・隅柱配置・天窓付スレート屋根の建物。
 聖ッヤコブ市教会 Stadtkirche St.Jakobus (18c) 18c初めに再建され、火事の後に18
   23に復元された。ロマネスクの聖歌隊に後期ゴシックの長い身廊と4階建聖歌隊側塔
   のある建物。
 旧パン屋 Ehem.Baeckerei (1792) 2階建寄棟屋根の建物。
 古い学校 Alte Schule (1822) 石造2階建寄棟自由端側サドル屋根の建物で1866の火事
   の後に復元されている。
 住居 Wohenhaus (1825) バロック前面の2階建天窓付軒有造りの建物で、花崗岩の門アーチ
   がある。
 ルーテル牧師館 Ev.Pfarrhaus (1825-30) 上切妻中央突出前面と2階建寄棟屋根の建物。
   要塞の残りの部分がある。
 旧旅館:金獅子 Ehem.Gasthof Zum Golden Loewe (1826) 2階建軒有造の建物で、錬
   鉄製の宿看板がある。
 旅館 Gasthof (1696) 2階建半寄棟屋根・玄関アーチの建物で、1825改修されホテル・ポストで
   ある。
 林業庁ヴィラ Forstamt Villa (1906-09) 2階建T字型隅柱のある建物で、1906-08に
   半寄棟屋根にされた。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
南東壁 南東壁

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ヴェムディング Wemding BY196

1.歴史

 793 ゴスハイム伯爵から司教に4農場を贈与、  798 王チャールズ1世は修道院へ町を捧げた、
 917 ネルトリンゲン貴族の女性は病人や貧者のための病院を設立し、女性小修道院を建てた、
 935-1149 貴婦人の死後に町はドナヴェルトのベアド領主の所有地となった、
 975 レーゲンスブルク司教は捧げられた聖エッマーアム修道院から領土を分割所有した、
 1191-1305 ヒルシュベルクの伯爵はレーゲンスブルクの世襲封土として町を所有し騎士に管理させた
 1306 売却証書でエッティンゲンの伯爵は町の領主となった、    1318 防衛施設の建設、
 1449 町の温泉は初言及された、  1467 バイエルン帝国ルードヴィッヒ侯爵の所有となった、
 1468-1799 死刑囚の裁判権を有する、     1556 ギルド制の証明書類、
 1606 魔女狩りが始まった、         1632 30年戦争でスエーデン軍の包囲、
 1654 旧市街地の大火災、       1701 スペイン承継戦争で兵舎・軍事貯蔵所設置、
 1743 プロイセン王フリードリッヒ2世が滞在、   1808 自治を失い、アイヒシュタット州に含まれた、
 1817 防御施設の取崩しが始まり、材料は家や道路に使われた、
 1863 皇帝ルードヴィッヒは市壁や塔の取壊し禁止令を出した。

2.市壁  0.66km 0.58

   市壁延長は外壁で表示するが、内壁も280m残っている。1318エッティンゲン伯の下で周囲
  の防御施設を建設した。町の全周に高さ8-9mの市壁を壁上通路を含めて建設するのに
  約30年を要した。その間9万m3の土を掘り、4.3万m3の壁体を築き、煉瓦5千m3で門塔と
  壁上通路に要した。堀には開戦前に水を満たした。19c初めに高い維持費用と大砲の発
  達による軍事的重要性が減り、防御施設の取壊しが始まった。取外した材料は家や町
  の建設に使われ、堀の地面は分割して競売されたが、数年後には町は再取得して余暇
  と保全の平地として使った。

3.塔  1門4塔

   14cの市壁には3門と30壁塔があったが、アーマバッハ門のみがが残り十字架門は全体を
  ノルトリング門は西側側面を取り壊された。30壁塔も4塔しか残らなかった。
 アーマバッハ門 Amerbacher Tor (14c) 19cまでここにツインガーや連絡橋のある強力な門城が
   あったが、今では門塔が単独で市壁の前に立っている。
 男爵塔 Baron Turm (14c)6階建ての角塔で高さは23.7mある。その東には昔の主市壁
   の残骸が見られる。その西側の堀にはクナイプ式のペタル水浴施設がある。
 ホイトバッハ塔 Haeutbach Turm (14c) 高さは23.1mあり外観は男爵塔に似る。
 ノルディンガー塔 Noerdinger Turm (14c) 市門の内側の高さ32m・底面6.95*6.70の角塔のみ
   残っている。スペイン承継戦争での砲弾が3つも石積の中にある。
 拷問塔 Forter Turm (14c) 高さは10.3m幅10.2mの5角形の塔で、中には狭い部屋と通
   路がある。ここで中世の拷問が行われた。
 十字架門 Kreuz Tor (14c) 美しい塔だったが、1862に取り壊された。

4.見所  C

   周囲の緑地に内外二重の市壁が残され、中心部の広場は大建築物が並んでいる。
 歴史的市庁舎 Historisches Rathaus (1551-52) 最初の建物は今のマルクト広場の中に在
   ったが、今は北側に堂々としたルネッサンスの建物に小尖塔付の階段切妻で飾られてい
   る。急傾斜の屋根の上に細い尖ったカブトの小塔がある。2翼の入口門は屋外階段の
   上に紋章を付けて1610に置かれた。地階には西側アーケードに商店が並び上階には祝
   祭会場その上階には市参事会大会議室があった。
 行政庁舎 Verwaltungs Gebaeude (1551) 町の肉屋はヨハネ教会の取り壊された跡に建て
   られ1551に市庁の建物として改造された。1540東に拡張して旧ラテン学校を収容し
   た。下の階には、かっては非常時にパンと肉を配給場所だった。今は町の行政
   と行政協同体を収容している。
 市長の家 Buerger Meister Haeuser バロックの小さい別館のある二つの堂々とした館
   を建てた。富と力を表現した二つの建物に市長の家族が入った。
 宮殿屋敷 Schloss Hof 町の騎士は、集落でも古い館の場所に宮殿の領域を拡げ、宮
   殿・箱型の客の家・牢獄・納屋・小宮殿を強力な壁で囲ってを建てた。
 聖エメラム教会 PfarrKirche St.Emmeram (1030-60) マンゴールト1世はコンスタチノープルからの幸
   運な帰還の後に、教会を建設した。初めの3廊のバジリカは14cにゴシックの聖歌隊席
   を貫いて拡張された。1559の火災の後に南塔は補修され、1619に二度目の塔建設
   が始まり30年戦争の後に両塔とも新しくなった。1593-94二つの横の礼拝堂の建
   設で拡大された。聖堂は参観できる。
 教区館 Pfarr Hof (1611) 中世の教区館はきらびやかな建物で、通りの左側の建物
   は録受領者の家である。
 郷土博物館 Heimat Museum 客家Haus des Gastesの建物には町立図書館と郷土博物
   館があり、地階には町の模型が展示されている。この博物館は1821に煙突掃除夫
   の親方が初め、1957に町に移行された。手工業・日用品の説明。

5.写真

市庁舎 アメールバッハ門
バロン塔 ホイトバッハ塔
北壁 西壁
北外壁 聖エメラム教会

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ヴィンディシェンバッハ Windischenbach BY197

1.歴史

  950 僧侶による聖エメラム修道院の設立、 1230 ロヒテンベルク方伯の家臣の座席に、
 1509 3人のオランダ貴族が領地として所有、 1515 ヴァルドバッセン修道院の設置、
 1553 今も使う市の紋章を授与された、    1605 この場所は市場に昇格、
 1684 ハーディングのバロンズが領地を所有、 1777 バイエルンへヴァルトバッセンは属した、
 1818 行政改革の勅令でバイエルンの自治体になった。

2.市壁  0km

   市壁の跡は見当たらなかった。墓地の壁は町の東側の外にある。HofMauerの
  ある建物もある。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

 新市庁舎 Neues Rathaus ()
 カソリック聖エメラム教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Emmeram (15c) 後期ゴシックの3廊バジリカ
   で、5角形の閉じたコアヤ、尖った帽子のフランケン塔、急勾配屋根の教会。1848の火災
   後に再建された。1934側廊の増築と内装のゴシックリバイバル化。
 協同ビール醸造所 Kommum Brauhaus (1857) 平屋切妻屋根の建物で、一部は漆喰の
   寄棟屋根。1928に改装された。
 カトリック牧師館 Kath.Pfarrhof (1781) 北の中庭とラウンドアーチの通路と入口。1784に2階
   建マンサード屋根のがっしりした建物。
 三辺の館Dreiseit Hof (19c) 2階建寄棟屋根の建物。2階建付属建物を囲んでアーチ門と
   HofMauerがある。

5.写真

新市庁舎 聖エメラム教会

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ヴィンズバッハ Windsbach BY198

1.歴史

 1138 ニュルンベルクとウルムの交易の要点と言及、   1278 都市権を授与された、
 1292 ニュルンベルク城伯は町を領地とした、   1400 アンスバッハ辺境伯が所有した、
 1500 辺境伯はフランク帝国サークルに属した、 1777 バイエルンへヴァルトバッセンは属した、
 1806 バイエルン王国に帰属した。

2.市壁  0.13km 0.16

   13-14cの市壁800mは、一部に切石や荒石積の高さ3mで残っている。1818に
  市壁は内側の地主に売却された。織屋の市民は長さ70mの市壁を漂白のために
  使った。長年にわたり市壁は取崩され、今は市や市民が、市壁と取付いた木組
  の家の復元に務めている。

3.塔  2門1塔

   13-14cの市壁には、2門4塔が備えられていた。
 上門 Oberes Tor (13c) シュバーバッハ門ともよばれ、1728に今の姿になった。1817に
   最後の門衛が死亡し、1893に門は閉じた。2001改修され15分の鐘が付けられ、
   守衛詰所には歩行者階段があり、今は小博物館の展示がある。
 下門 Unteres Tor (19c) 2階建の厚さのない門が新設されている。
 市塔 Stadt Turm (13c) 旧ストラッセン城の望楼として中世には使用され、30年戦争後
   に上階が木組で建てられ、漆喰で覆われた。その後住居となったが、今は改
   修されて美術館で活用されている。

4.見所  C

   辺境伯の町として、中央の幅広い通りには、18cからの大きな建物や美し
  い木組の家がある。
 市庁舎 Rathaus (1748-52) 歴史的な町の中心に位置する3階建寄棟屋根建物で、入
   口の上に市の紋章とホーエンツオーレルン裁判所の紋章がある。
 市教会 Stadt Kirshe (900) アイヒシュテート司教は、木造町教会聖マルガレータ教会について、
   1182に墓地の要塞教会と記述した。1556に溶解し、現在の場所に新築して移さ
   れ、今は教会の壁に住宅が建てられて周囲を飾っている。教会はその後数回拡
   張され、1728に最後の大改装が行われた。
 旧大司教管区 Altes Dekanat (1801) この2階建のロッジは、その後50年間営林局が使
   かい、1968に買却された。
 ベースの家 Bess'n Haus (1593) 小さな2階建上階木組の建物で、上門近くの市壁の後
   に構築された。
 ダウショーの家 Dauser Haeuser (16c) 2階建の美しい破風の建物は、1675に宿屋の亭主
   が所有し、17-18cリキュール蒸留所を置き、その後レープクーヘン・ベ-カリィととなり、
   1935には宿屋があった。
 森の家 Forsthaus (1577) 狩場番人の家として2階建の家が建てられ、今は個人所有
   である。
 宿屋:太陽 Gasthaus Sonne (1688) 魅力的な破風を持つ2階建上階木組の大きな建物
   は、食堂・醸造所・宿屋として使われた。
 司教館 Pfarrhaus und Zehntscheune (1694-98) 教区司祭館であったが焼失し、2年
   半後に大倉庫の横に建て直された。1855教会の十分の一税廃止後
   に民間に売却された。1982まで消防署が使用し上の階に一時博物館を置いた。
 会計局 Rentamt (1736-39) 荒廃した城の解体後に建てられ、1808税務署の移転後に
   町が買収した。2階には医師が地階にはポストが1998迄使っていた。2004市の
   コミュニティセンターとなった。
 町薬局 Stadt Apotheke (17c) 30年戦争で焼失し、その後2戸住宅に再建再建された。

5.写真

市庁舎 市塔
上門 下門
会計局 屋根付市壁

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ヴォルフラムス・エッシェンバッハ Wolframs-Eschenbach BY199

1.歴史

8c 木造教会、10c 小さな石造教会、  1212 ドイル騎士修道会の設立、
 1250-1310 騎士団はゴシックの大聖堂を建立、1306 ニュルンベルク修道院の管理下になる、
 1322 エッシェンバッカはバイエルン王の都市権えた, 1451 市民は町を管理費し市庁舎建立、
 1632-33 30年戦争の疫病・飢餓・略奪、   1796 プロイセンがドイツ騎士団の支配終了、
 1806 バイエルンに帰属。

2.市壁  0.90km 1.00

  1332-1440に堀と塔と壁は成立した。16c初めには市壁の南横に塔を建てて強化
  された。全周の市壁が残り、西と南側は二重壁となっている。

3.塔  2門2塔

 上門 Oberer Tor (1361-75) 右にドイツ騎士団の紋章、左手にフイリップ
   の紋章を掲げ、1361-75にドイツ騎士団長の事務所があった。
 下門 Unter Turm (14c)1410焼失16c再建、外側の右手に1396-1416に
   ドイツで最高位の騎士団長コンラードの紋章、左手に1047-19フランケンの騎士団長の紋章
   が見える。
 空腹塔 Hunger Turm 
 市民塔 Buerger Turm。

4.見所  C

 市壁・門塔・古く大きな建物・木組みの家と、中世の雰囲気のある綺麗な中ぐらいの町。
 旧市庁舎 Altes Rathaus 3階建バロック木組造りで建てられた。地階には
   パン屋・肉屋・雑貨屋の常設市場があり、2階は集会・商売のための3広間、3階は
   市会事務室・町公文書館があった。1995から博物館が置かれ、著作家・文芸作品
   ・舞台詩人の展示がある。
 聖母大聖堂 LiebFrauen Muenster (1236) 1253最初の騎士団長が来て
   大きな騎士団と教区のための教会を建てた。1250-1310に3階建てのゴシックの塔
   が付けられた。1260-70初期ゴシックの内陣に、1270-1311身廊は変えられた。
   15cに塔は63mに嵩上げされた。1956今の色塗りがなされた。
 司教館 Pfarr Haus (1667) 西に移されて復元された。元の部分は
   早期バロックの正門とドイツ騎士団領主の紋章である。
 旧校舎 Alte Schulhaus (1598) この建物の配置は傑作である。西切
   妻は墓地壁の上に乗っている。1886東に拡張された後に南にも拡がった。
 中央通りの木組家 Haupt Strasse 破風が前に張出した木枠組造の建物
   が美しい塗装をして並んでいる。1686KocherHaus,1416LammueirtsHaus,1410
   StadtSchmiede,1410GasthausZurTraube,1410LexlHaus,1609Fuerstenherberg,
   1623BenefiziatenHaus,16cVogteiamt。
   マルクト広場の石造建物 Markt Platz 広場の立派な石造の建物が取巻く。
   1596-97Zehntscheure,1623DeutschOrdensSchloss、1687AltesRAthaus。
 高い家 HoheHaus (1439-40) エッシェンバッハ家の3階建ての木組みの家だが
   17cに1階分が減された。
 ドイツ騎士団宮殿 Deutsch Ordens Schloss (1623) 城の3階建の前面には
   他にない領主の紋章がある。建物はルネッサンス建築美術の傑作と言われる。1856に
   市庁舎が入り、1999-2001宮殿は十分の一税倉庫と共に、もう一度市庁舎とし
   て改造された。

5.写真

旧市庁舎 上門
南壁 西南壁
東北壁 北壁
北東壁 中央通

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ヴォルフラーツハウセン Wolfratshausen BY200

1.歴史

 1003 王ヘンリー2世の証書に初言及、    1116 アンディックス侯爵が山上に城を建てた、
 1280 市場の開設と地方裁判所の設置、  1632 30年戦争スエーデン1634スペイン軍破壊、
 1734 城の火薬塔に落雷して12tの火薬爆発、 城跡の石材はミュンフェン宮殿に使用された、
 1848 筏で石材をミュンフェンに運ぶ最盛期、  1870-71 プロイセン戦争で町は被害を受けた、
 1874 上市場が火災で焼失、        1945 2次大戦で米軍が戦いなしに進駐。

2.市壁  0km 

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   千年の歴史のある町に、4つのコースの標板があり、川の右岸の通りにある上下
  市場の間の特色ある職人の家、公共の建物の前面飾り、教会や礼拝堂の装飾、日本
  庭園などが楽しめる。
 市庁舎 Rathaus ルネッサンスの切妻のある3階建の建物で鐘楼がある。中庭には都市の
   紋章にある青銅のオオカミ像がある。
 聖アンドリュー教区教会 PfarrKirche St.Andreus (1484) カトリックの教区教会で町のランド
   マークの塔を持つ。1484と1626に火災の後に再建された。二重の西部ギャラリーのあ
   る3廊バジリカで、内部に1659-61華やかな工芸で飾られた高い祭壇。
 聖ミカエル教会 Kirche St.Michael (1908-09) ネオロマネスクの建物で、聖歌隊席は半円形
   と飾られたアーチ柱列に囲まれている。豊かな聖画はノイハウスが描いた。
 旧筏置場 Alte Floesslaende 19cに城の石材をミュンフェンに筏で運んだ筏の置場。
 日本庭園 Japanischer Garten 日本の姉妹都市入間市から贈られた水のある日本
   庭園。
 郷土博物館 Heimat Museum 千年の町の歴史とその住民の文化・習慣を展示して
   いる。1003の町の証書、城の設置が市場の重要性を示している。市民の豊かさ
   を示す工芸品・家具・宝石・楽器・地元絵画等を展示している。

5.写真

市庁舎 聖アンドレアス教会

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ヴェルス アム マイン Woerth am Main BY201

1.歴史

6c キリスト教布教の基地となった、     81-96 木柵の砦は石の砦に強化した、
 13c ブロイベルク貴族がマインツ大司教の下で町を建設、1291 町の初言及、市壁を築く、
 1513 木材交易の中心地となる、         1652 造船所が開設された、
 1784・1882 大洪水で洪水防壁を築く、    1803 マインツ大司教の治世が終わる、
 1806 バーデン大公国へ、同年ヘッセン大公国へ、     1816 バイエルン王国へ移行。

2.市壁  040km 0.39

   マイン川沿いに、小さな細長い市壁が砂岩瓦礫で築かれ、1/3程度残っている。

3.塔  1門2塔

 上門 Oberes Tor (1450) 西南部の市門で、アーチ型の通路に4階建ての石造角塔であ
   り、塔頂には木組の上屋がある。1573・1672・1751に補修された。
 樅塔 Tannen Tuem (1672) 市壁の北東隅の胸壁付角塔で、1738には刑務所となり
   魔女塔とも呼ばれ、1957に更新された。
 天守閣 Burgfried (1299) 大きく高い四角塔は城の天守閣として建てられ19c城跡が
   工場となって、天守閣のみが工場の中心に残された。

4.見所  D

    忘れられたようなマイン河畔の木組の家が多い小さな静かな町で、市壁と塔が
  佇んでいる。
 旧市庁舎 Fruer Rathaus (1600) 旧市街に、ルネッサンス・ポータルを持つ2階建て木組の建物
   で、今は市民の家である。1729-30ゴシックの塔を含め再構築された。
 市庁舎 Rathaus (1885) 旧市街の外の西に、2階建て長方形石造の建物で元の校舎に
   今の市庁舎が入っている。
 舟運と造船は木物館 Schifffahrts und Schiffbau Museum (15c) 旧聖ヴォルフガング
   教会と2階建て旧学校(1752)に収容され、1991博物館は開館した。

5.写真

市庁舎 上門
モミ塔 南西壁
北西壁 船博物館

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ヴンシーデル Wunsiedel BY202

1.歴史

 1163 陪臣アルブレヒトの居住地として初言及、 1285 ハプスブルク王は城伯に領土維持、
 1326 城伯フリードリッヒ4世は都市権を授与し、市壁が築かれた、
 1328 バイエルン皇帝ルイは町の憲章を確認、      1430 フス軍との戦いに敗れた、
 1250-1450 スズ鉱山とブリキ板・鍛造製品の生産で町は経済的に発展、
 15c 2次市壁が一部二重で築かれた、  1613 ブランデンブルク辺境伯は首都とした、
 1792-1801 プロイセン管理からナポレオン占領、        810 バイエルン王国に帰属、
 1476.1547.1607.1644.1646.1657.1731.1834に火事、
 1834 最後の大火で町の2/3が破壊し、町の復興で擬古典様式の都市景観を呈した。

2.市壁  0.10km 0.03

   14cに1次市壁が城から南東部で築かれた。1437-60に北と西に拡大され約4倍の
  面積になった。1467-75には西南端部が一部拡張されてコッペテン門が設けられた。
  市壁が残っているのは北に70m、西に10m+20mである。

3.塔  1門1塔

   15cの市壁は3門14塔1稜堡があった。今は1門1稜堡が残る。
 コッペテン門 Koppeten Tor (1471) 市壁の拡大に伴って建てられ、4階建上部八角形
   の塔で時計が付いている。
 防塞塔 Turm in der Wahr(15c)防壁のある火薬塔であり円塔には砲弾のみならず
   敵への威嚇に使われた。その面立ちは重々しく見える。

4.見所  D

   旧市街地は、1834の大火の後に一斉に建てられた擬古典様式の建物が多く残さ
  れている。
 市庁舎 Rathaus (1853-37) 3階建時計付の石造建物には、3つの重々しい表門あり、
   1834の大火の後に建てられた。窓の縁取りと戸の枠は、地元の花崗岩が使われた。
   1975と2007に表面の露出と改修が行われた。
 ヴァィト町教会 StadtKirche St.Veit (1326) この場所には城礼拝堂があったが聖マーチン
   教会となり、その後聖ヴァイトに奉献され、1326から町教会となった。1476と1731
   に火災に遭い内陣を除いて焼失し、辺境伯様式で更新され、1769に塔はやっと完
   成した。1903落雷があったが、1904-06に再建された。
 聖マリエン教会 SpitalKirche St.Marien (15c) 養老院複合体の要素として教会が建てら
   れ、1731の火災ではゴシックの円天井は壊された。1785錫の十字架の銘が見事であ
   る。
 博物館 Fichtelgebirgs Museum (1451-68) この建物は養老院員財団のジグムンド・バ
   ンが平修道士の家として建てさせた。1840から北翼は女性の家として使われ、19
   64からはバイエルン地方博物館となり、一見の価値のある広範囲な展示。

5.写真

市庁舎 コッペフェン門
北壁 北西壁
北西壁 西壁
フィヒテル山脈博物館 聖ヴィート市教会

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ヴユルツブルク Wuerzburg BY203

1.歴史

 704 文書による最初の言及、           788 最初の大聖堂建設、
 1156 フリードリッヒ1世の結婚、         1525 農民戦争で襲われたが撃退、
 1626-30 魔女裁判、          1631 30年戦争でスエーデン軍の占領、
 1650-1750 シェーンボルン家の町造り、          1814 バイエルンに帰属、
 1945 2次大戦の爆撃で町の90%破壊、    1970 旧市街地の大部分は再建。

2.市壁  0.12km 0.15

   マリエンベルク要塞の左岸側には公園内に城壁が残されている。マイン川の右岸側にも
  かって旧市街を囲む稜堡があったが、今では通りの名前にRinngで位置が示
  されるだけで、宮殿公園内にのみ僅かに残されている。

3.塔  3門0塔

   マリエンベルク要塞内には、本城への入口としてシェレンベルク門ScherenbergerTorがある。
 また、外側の要塞入口には、新門とシェーンボルン門がある。

4.見所  C

   西側の丘の上のマリエンベルク要塞から古いマイン橋を渡って東の平地にある市庁舎・教会
  を見て東のレジデンツまで約1.5kmの大きな町であり、見所も多い。
 市庁舎 Rathaus 13C建の古いロマネスクの四角塔に、1659ルネッサンスの赤い建物が西側に付けら
   れている。西前面は彩色されている。
 マリエンベルク要塞 FestungMarienberg 13C建、16Cにはルネッサンス様式に改造された。長方形の
   中庭には円型の主塔と深さ104mの井戸がある。中庭の右手のマインフランケン博物館1702
   -12元武器庫には、民芸・手工業・リーメンシュナイダー彫刻の展示。領主館博物館には市
   の歴史・領主の礼服・金銀細工等がある。高低差があり登るのは大変だが、要塞内
   の見所と展望はすばらしい。
 古いマイン橋 AlteMainBruecke 1473-1543建、橋の欄干に戦後再建された12の聖人像が立
   つ。
 新大聖堂 NeuMuenster 1710-16建、バロックの西前面は堂々としている。18Cに丸屋根が
   付けられ、中にはリーメンシュナイダーの聖母像がある。
 聖キリアン大聖堂 Dom St.Killian 11-13C建、1945に復元された。翼廊の右手には、1516家
   使途の祭壇の3体の彫刻、12-17Cの司教墓標、北の翼廊にはシェーンボルンの墓標が集
   められている。
 レジデンツ Residenz 1720-1744建、バロックの壮麗な大きな館。司教は要塞から移り住んだ。
   正面階段の間には、丸天井に大きなノイマンのフレスコ画が描かれている。

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5.写真

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市庁舎 レジデンツ
ドーム ノイミュンスター
要塞 要塞門

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ツァイル Zeil am Main BY204

1.歴史

 1018 ヘンリー2世が買収してバンベルクのミッシェル修道院に与えた、
 1250 城が築かれ礼拝堂と住居は存在した、   1379 都市権を得て市壁を構築、
 1397 王から市場権を得た、          1400 公共施設や市壁が築かれた、
 1554 第2辺境戦争で城は放棄された、   1616-31 魔女裁判で400人が焼かれた、
 1631 30年戦争でスエーデン軍の略奪、     1650-89 ルネッサンス木造住宅を多く建設、
 1705 バロックに狩猟宮殿が建てられた、        1790 フランス革命軍との戦闘、
 1803 世俗化でヴィッテルバッハ家のバイエルンへ、       1806.1813< 仏軍の占領、
 1814 バイエルン王国に帰属、        1945 2次大戦の空爆で町の70%被災。

2.市壁  0.22km 0.36

    三角形の旧市街地に1425-38造られ、特に南西に半円殻塔と共に残っている。

3.塔  1門6塔

 上 門 Ober Tor (1425-38) 5階建ての砂岩四角塔で玉ねぎドームがある。
 半円殻塔 Halbrund Schalen Turum (1425-38) 南西の市壁に6基の半円殻塔
   が在り、一番北の塔には円錐屋根が付いている。

4.見所  C

    マルクト市場を中心とした、木組みの家の多い、美しい小さな町。
 市庁舎 Rathaus (1543) 早期ゴシックの3階建て両切妻屋根上階木組の建物。
 聖ミカエル教区教会 StadtpfarrKIrche St.Michael (1379) 最も古い部分はゴシックの4階建
   塔と内陣で、16c塔頂は付替えられ、本堂は1713-32建てられた。1713聖具室は
   洗礼翼に改造され、ゴシックのフレスコ画が残る。1761天井画が描かれ、1957改装さ
   れた。
 旧城 Ehem.Fuerstbischoflich Bamberger Schloss (1695-1710) 初期のバロック狩猟
   ロッジに代えて3翼の比較的単純な寄せ峰屋根2階建ての建物を砂岩で建てた。19c
   中庭に階段塔が建てられた。今は税務署で使われている。
 旧州修道院会館 Ehem.Prostenhof (1706) 上ファルツ州の修道院ミッシェルフェルトの祝祭会館で
   、バロック2階建ての中央突起3広間の特徴ある前面である。今は住宅。
 イエルク・ホフマンの家 Jaerg Hofman Haus (1689) バロックの豪華に装飾された木組の家で、
   欄干にはグロテスクな顔と馬が飾られている。
 写真美術館 Foto museum (1993) 250m2の展示場に、写真の歴史・700以上のカメラ・
   2,500以上の写真が展示されている。
 魔女資料館 Zeil Witch Hunt (2011) 塔とFron hausに、魔女狩りに関する取調記録・
   写真・文献などを展示している。

5.写真

市庁舎 上門
北壁 西壁外
西壁内 西壁・宮殿
西南壁 東北壁
聖ミカエル教区教会

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