ノイブラッハ Neubulach <BW>

 
マルクト広場
    

各町の歴史と見所

 表中の各町について、その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。

バーデンヴュルテンブルク州 BW

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アーハ Aach im Hegau BW1

1.歴史

 1100 初文書言及、         1283 王ルドルフ1世は町の憲章を授与、
 1465 ハプスブルク家はネレンブルク全体を獲得、 1499 シュバーベン戦争でスイスと戦った、
 1525 農民戦争でヘガウの貴族は敗北、   1799 ナポレオン戦争で敗北、
 1805 町はヴュルテンブルク州に帰属、     1806 バーデン大公国になった、
 1973 地区改革でコンスタンツ地区となった。

2.市壁  0.70km 0.97

   旧市街は小山の上に在り、市壁が周囲を廻り、多くが残されている。

3.塔  0門0塔

 下門 Unteres Tor (1150) 市壁の南端にあり、3階建角塔・壁・アーチ門・ツインガー
   ・門衛所から構成され、一時刑務所として使われた。門衛所には門衛
   が住んだ。1525農民戦争で壊され、1559市議会決議で市長が門の鍵
   を持った1668-78改築され、1987街路が舗装された。
 上門 Oberes Tor (12c) ツインガーの成立で西壁の前に深井戸が在った。1494
   ユダヤ人学校を収容した。射撃小屋のあるツイガー・市民防衛隊の練兵場。
   1945爆弾で被害を被った。

4.見所  D

   山頂の旧市街は、人は住んでいるが静かに古い建物が並んでいる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1306) 市議会が設置され最古の紋章が定められた。
   1461評議会室で裁判の実施。1457市長の最初の言及。1488ハプスブルク家
   の皇帝フリードリヒ3世が滞在。1559皇帝フェルナンド1世は全権を有する都市憲
   章を授与。1750ハプスブルクの女帝マリア・テレジアは町の権限を確認した。1924
   新市庁舎を建設。1945一部は住家で使われた。
 礼拝堂付牧師館 Kaplanei (1581) 町には二つの十字架・聖キャサリン礼拝所があり、
   それぞれに祭壇とPruendeを持っていた。ボイアロン修道院から取得した
   クリンゲンベルクのグート1750がある。1868建物を取り壊して今の牧師館を建
   て、高位聖職者の家と呼ばれた。
 始めの校舎 Erster Schulhaus (1543) 不動産管理の校舎と先生の住居。1700
   町の代官は不規則な就学に苦言。1763最初の実績のある先生が来た。
   1902-03四角い校舎が新築された。1972まで幼稚園。
 ブドウ圧縮機 Torkel (1458) 15cワインガーデンの言及。1542販売文書にブドウ圧縮
   機の記載が証明された。1787の記録ではブドウ絞り器は醸造所の鴨井の上
   にあった。1884町の大火でブドウ絞り器は醸造所と共に焼失した。
 ポンプ室 Burnnen Haus (17c) 1756までは桶とか盥による水の供給であった。
   1756泉から上泉水小屋まで249mの堤防を築いた。1924自治体水道の試
   運転により上泉水小屋の退役。

5.写真

 
旧市庁舎 上門
下門 南東壁
古い塔掲示板

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アーレン Aalen BW2

1.歴史

 839 フルダ修道院の財産として記述、      1136 初めて村として言及、
 1300 町として言及、1360 皇帝カール4世は自由都市を造りヴュルテンブルク戦に勝利、
 1377 シュバーベン都市連合に参加、         1400 ゲミュンド門の建設、
 1558 鉄鉱石の製錬を開始、        1593 Wasseralfngen城の再建、
 1672 火災で破壊の公共建造物の再建        1796 仏軍による略奪、
 1802 ヴュルテンブルク軍が町を取得、 1803 帝国自由都市の終了ヴュルテンブルク州へ、
 1806 バイエルン州に落ちた、 1809 毎週市場の確立、1810 再びヴュルテンブルク州へ、
 1812 要塞の解体開始。

2.市壁  0.02km 0.01

   高さ6m厚さ1.5-1.6m長さ990mの市壁が造られ、5.9haの旧市街地を囲んだ。
  市壁の前面は二つの堀が置かれた。1320の市壁の残りは家の裏側に僅か見える。

3.塔  0門0塔

   見当らない。

4.見所  C

   大きな町だけど多くの市庁舎が残る旧市街地は狭い。
 市庁舎 Rathaus (1995) 旧市街地の南西に、市の規模に相応しく大きな建てられ、
   前面に帝国自由都市1360-1803の泉がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1907-95) 旧高級宿泊所:王冠ポスト(1575)は、歴史的
   に著名な来客を泊め、ナポレオンの窓は1805にフランス皇帝が滞在した名残である。
   外壁には1664からの市の紋章がある。1851までトウルン・タクシスの郵便局であった
   が、1907に改修されて市庁舎になり1995迄使われた。今は、町の劇場・芸術
   カフェ・町の美術協会を収容している。
 歴史的市庁舎 Historisches Rathaus (14c) この建物は1674の大火災後の再建時に
   友好帝国都市ニュルンベルは多くの芸術品を寄付した。1884の再度の火災後には「
   アーレンの密偵の頭部」しかなくなった。1907まで市庁舎として使われ、今は観
   光案内所と原始世界博物館となっている。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1340) 1634火災で焼失後、同じ場所に急いで再建
   され、1685に塔を付けた。1767バロックの新しい教会となった。
 シューバートの家 Schubart haus (17c) シューバート家の2階建質素な木組の家は、詩人で
   音楽家のダニエル・シューバートが住んだ。
 市民病院 Buerger Spital (1702) 高齢者介護施設として建てられた。地階石積の
   上に3階建木組の見事な建物で1873迄使われた。1980消防器具置場
 アイスリンガーの家 Haus Aisslinger (14c) 町で最古の家であり、赤白の外観の3階建
   の大きな建物で、居間・納屋を含む都市在住農民の典型的な様式である。1949
   火災で一部が損傷したが、元の形で復元した。
 原始世界博物館 Urwelt Museum (1977) 州で最大の地質学・古生動物の博物館で、密
   偵塔のある歴史的市庁舎に収容されている。鉄鉱石鉱山があった事から研究
   が進められ、珍しい化石が見られる。
 リーメス博物館 Limes Museum (2016) 考古学国立博物館の分館として、ドイツ最大のローマ
   博物館である。かってアルプス以北の最大のローマ騎兵砦の敷地内
   に立地している。

5.写真

歴史的市庁舎 旧市庁舎
市庁舎前市壁 マルクト広場
南壁 南壁内側

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バーデンバーデン Badenbaden BW3

1.歴史

  80 ローマの集落に温泉があった、  260 アラマン族の領域に、  8c フランク族が支配、
  12c 侯爵ハーマン家は周辺を買収しバーデン辺境伯となる、 1250 町に都市権を授与、
 1306 辺境伯フリードリッヒ2世は温泉を使用、  1535 バーデン分割後も居城であった、
 1689 プハルツ承継戦争で仏軍に焼払われた、 1705 ヴィルヘルムは王宮をラシュタットに移す、
 18C エレガントなスパとして欧州の夏の首都と言われた、 1811カジノ、1824クアハウス新設、
 1858 国際競馬の開催、 1863 町とプールの建設、   1945 仏軍占領本部設置、
 1981 バーデンヴュルテンブルク州となる、           1995 仏軍の撤退完了。

2.市壁  0km 

   見当たらなかった。

3.塔  0門0塔

   見当たらなかった。

4.見所  C

   谷合のローマ時代からの世界的な温泉保養地であり、公衆温泉施設としてカラカラ浴
  場がある。
 温泉会館と鉱泉飲場 Kurhaus und Trinkhalle (19c) 白いコリント式列柱のクアハウスには多
   くの部屋があり、カジノ・ダンスホール・コンサートホールなどがある。鉱泉飲場にはバーデンバー
   デンの伝説の壁画が描かれている。温泉公園には遊歩道がある。
 ホーエン・バーデン城 Burg Hohen Baden (1100) 辺境伯ヘルマンは山上に城を築いた。14-15
   cに城は拡大され、100室を有した。1479下の町の新宮殿に王宮は移され、1599
   火災で壊れ、1830廃墟となった。
 新宮殿 Neues Schloss (1370) 古い基礎の上に宮殿が築かれ、1479辺境伯クリストフ1世
   が居住した。1529新宮殿にバーデン辺境伯の政府が収容された。スペイン承継戦争で
   仏軍に宮殿は破壊され、1705辺境伯ルードビッヒ・ヴィルヘルムは王宮をラシュタットに移した。
   18c新宮殿は夏の離宮として再建され、1843-47レオポルド大公は歴史主義ルネッサンス様
   式で改装した。1919新宮殿はバーデン家の私有財産となり、1946博物館となった
   が、2003バーデン家はクエート資本に売却し、今はホテルになっている。
 参事会教会 Stifts Kirche (15c) ロマネスクのバジリカは、後期ゴシックに改造され18cに今の塔
   となり、内装はバロックに改修された。今の外観は1867再ゴシック化によもので、身廊
   の追加と新しい屋根を得た。1967内部の改修があった。内陣には1754辺境伯ルード
   ヴィッヒ・ヴェルヘルムの墓碑がある。
 ローマ浴場 Roemische Badruinen (1c) ローマ広場の地下を発掘調査した結果、ローマ時代の浴
   場の遺跡が発見され、床下暖房が確認された。
 ロシア教会 Russische Kirche (1881-82) ロシア北部の様式で、砂岩のギリシャ十字の身廊に金
   色の塔ドームの在る教会を、ロシアの貴族が建てた。
 市博物館 Stadt Museum (2004) ローマ時代からの町の歴史・19cの華やかな世界のスパとコ
   イン・マダル・ボヘミナングラス・ガラス・石のモニュメント・彫刻などを展示している。
 フリーダー・ブルダ美術館 Museum Frieder Burda (2004) 市立美術館に隣接して立ち、新現
   代美術ピカソ等850作品が展示されている。
 ファベルゲ美術館 Faberge Museum (2004) ロシア皇帝の作品等をロシア美術のコレクターが展示して
   いる。

5.写真

 
トリンクハレ 新宮殿
参事会教会

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 バート・メルゲントハイム Bad Mergentheim BW4

1.歴史

 1058 初文書言及、           12末 聖ヨハネ騎士団が町に来た、
 1219 町にドイツ騎士団とドミニコ会がきた、 1340 バイエルン皇帝ルードヴィッヒが町に昇格、
 1355 皇帝カール4世はドイツ騎士団に醸造権付与、1525 町はドイツ騎士団長の住居に、
 1568-1628 ゴシックの水城はルネッサンスの王宮へ、1628 カプチン会修道院を建て1631焼失、
 1635-37 カプチン会修道院の再建、     1809 ナポレオンの命令で無名の田舎町に、
 1826 温泉源の発見、1926 町名にBadを付けた、1996 笛吹市石和と友好都市に。

2.市壁  0.41km 0.24

    旧市街はMauer通りとGraben通りで囲まれている。壁らしきものは、西の
   UnterGrabenに50m、南のMittlerGrabenに180m、東の城の前に180mに見られる。

3.塔  0門1塔

 メンゲルハイム望楼 Mergentheim Turm (14c) カイザー通り南に1.0kmの丘の上に
   立つ見張り塔で、要塞化された前哨基地の一つであった。高さ17.3m、内径3.1m、
   璧厚1.2mの円塔で、地上5.8mの出入り口に引き込み式の梯子が置かれている。
   市壁の主望楼である城塔には、この望楼方向への開口部があり、バスケット・旗・松
   明を使って信号を送っていた。1738落雷で屋根が焼け1850には修復された。

4.見所  C

   ロマンティック街道の町であり、消化器の疾患に効く鉱泉治療とドイツ騎士団が有名。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1562-64) 独特のルネッサンスの切妻付の3階建ての建物で、ドイツ
   騎士団の依頼で建てられた。1838騎士団から町が買取り3年間かけて改装した。
   1997-99に屋根・内装を改修した。
 聖ヨハネ大聖堂 Muenster St.Johannes (1270-90) 市民の教会としてヨハネ騎士団が設立に
   関与していた。元の形で残されているのは通路や聖教院で、1584に身廊のアーチは
   改修され、聖教院の北側には創設者の墓があり、2階には教会の宝物が見られる。
 聖マリア教会 Marien Kirche (1320) ドミニコ会によって設立され、14cからの聖具室・合唱
   ・回廊のフレスコ画が見られる。リーメン・シュナイダーの聖母マリアのあるネオゴシックの主祭壇
   ・1543騎士団長の墓がある。
 ドイツ騎士団長宮殿 Deutsch Ordens Schloss (12c) ホーエンローの領主は、ここに水城を建
   て、1219ドイツ騎士団に寄付し、1525-1809ドイツ騎士団長の本部居城であった。今
   ではドイツ騎士団長博物館になっている。
 カプチン会修道院教会 Kapuziner Kirche mit Kloster (1780) カプチン会修道院はドイツ騎士
   団長が建設したが、1631スエーデン軍に焼き払われ、1636-37新たに修道院が建てら
   れた。単純なパラレルアーチ型教会で、1640聖母戴冠の聖壇画がある。
 宮殿教会 Schloss Kirche 1730-34) 明るい直接窓の天井の高い単身廊の教会で2階の
   貴賓室にはドイツ騎士団長の城から行くことが出来た。
 双子の家 Zwillings Haeuser (1780) 旧市庁舎の反対側に立ち、初期の古典的様式で
   建てられた二つの似た3階建ての建物ある。右側の建物は裁判所薬局で、左側の
   建物は現在カトリック教会の集会場である。
 精霊病院 Spital zum Hl.Geist (1340) ドイツ騎士団長ヴォルフガングは、病院の創始者であ
   り西正面のの小さな石碑に名前がある。1411北翼と礼拝堂が拡張され1772に改修
   された。今は病院と老人ホームである。
 リセウム Lyceum (1700-02) ドイツ騎士団長フランズ・ルードヴィッヒが建てた小学校であるが、1753
   -55基礎の損傷で壊され、1770に新築された。
 ドイツ騎士団博物館 Deutschordens (1996) 1527-1809ドイツ騎士団長の居城であり、そこに
   ドイツ騎士団博物館として、1190創立以来のドイツ騎士団の歴史を展示。
 ドイツマイスター博物館 Deutsch Meister Museum ドイツのマイスターの300年間の伝統と制服・記章・
   制度などの資料で、旧武器庫に開設している。

5.写真

市庁舎 騎士団城

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バートゼッキンゲン Bad Saeckingen BW5

1.歴史

  60 ローマはライン右岸に集落を設ける、   260 アラマン族右岸進出、454左岸にも、
  496 フランク王アラマン族を破る、       878 ライン中州に教会と2修道院を設立、
  970 温泉の言及、     12-13C 教会の聖体拝領・市場の発展・裁判所の設置、
 1270 木製の橋を設置、                1272 大火で殆ど焼失、
 1316 自由都市となる、      1343 ゴシック大聖堂の基石を置き塔を建てる、
 1364 温泉の開発、1408 氷で橋は破損し再建した、1480 洪水で橋は流された、
 1638 30年戦争で町は略奪された、1796 仏革命軍の占領、 1805バーデン領となる、
 1830 中州のドイツ側を埋立て橋と石門塔は撤去、 1854 ザッキンゲンのトランペッター出版、
 1939 郡庁所在地になった、         1945-50 仏軍の占領下にあった。

2.市壁 0.01km 0.01

   GallusTurm付近に僅かな跡がある。

3.塔数 1門2塔

   市門は塔のある東西の二方向と南農地への川中島門があった。1門2塔が残る。
 川中島門 AuTorまたはSteinTor 中世市壁の南農地への出入口。昔の同業組合と市
   庁舎が隣り合って門にある。
 カルス塔 CallusTurm 1343建、2階建円塔6角屋根、洪水の後に防波堤と防御を兼ねて
   島の北側に建てられた。1974まで道化師同業組合があった。
 泥棒塔 DiebsTurm 14C建、中世市壁の南外側に立つ3階建角塔で監獄としても使わ
   れた。1864ネオゴシックに改修、1979に再改修され結婚式場となった。

4.見所  C

   ライン川には木橋があり、徒歩でスイスへ渡れる。町には大聖堂を中心に古い建物
  が狭い通りから見上げられる。
 市庁舎 Rathaus (19C初) 男爵が建て、1850改造され町庁舎と学校で使われ、1977に
   拡張されて今の町庁舎となった。
 司教座大聖堂 Muenter (1343-60)ゴシックの本体を建設、1678火事で被災、1968-1740
   に早期バロックに改修された。1751火災、正面入口の造形はドイツ騎士団が造った。
   19Cに改修されている。
 古いカソリック教会 Alt Katholische Kirche (19c) 墓地に立つモダンな教会。
 木橋 HolzBruecke (1270) 欧州最長の屋根付き木橋、1408・1480に落橋の記録がある。
   石造の橋脚は、16Cに造られ20Cに更新された。木構造は18Cに1960-63と1989-
   90に改修されている。スイス国境であるが、歩行者と自転車は自由に越えられる。
 古い館 Alter Hof (13c) 修道院の建物で、14cに領主がカロリング風の屋敷に改修した。16
   c改造、1975全体の修復。南にネコ像のある噴水がある。
 シェナウ宮殿 Schloss Schoenau (1430) シェナウ公の居城、1660水城に改修、多角形の塔と
   両切妻屋根の典型的な領主の館。1740戦争で大被害、1908工場主が補修し、1929
   町所有となり、1985外装を改修。今は、二つの博物館として使用、高ライン博物館、
   トランペット博物館。
 僧院建物 Abtei Gebaeude (1565-75)後期ゴシック館建設、1806大公の役所、1973まで
   郡税務課、1973から街路建設局。
 高ライン博物館 Hoch Rhein Museum 地方文化・考古学・農民部屋・時計の展示。
 トランペット博物館 Trampete Museum ここ4世紀のトランペットを展示。1854から「ザッキンゲンの
  トランペッター」の本がシュツフェルによって書かれ、劇や映画で公演された。

5.写真

教会 木橋

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バートザルガウ Bad Salgau BW6

1.歴史

  819 皇帝ルードヴィッヒの長男カールは 上町の王農場と教会をブッシャウ女修道院へ贈与、
 1239 シュタウフ皇帝フリードリッヒ2世が町に昇格、 1288 ルドルフ1世はリンダウ都市権を授与、
 1299 ハプスブルク家は町を千マルク銀で買取り、 上シュバーベンの支配権は1806まで継続、
 1400 町は外側の資産を取得、 1406-1680 ハプスブルク家は従者頭バルトブルクに入質、
 1518-1684 魔女狩が行われた、        1611 ペスト流行で町の人口半減、
 1632-34 30年戦争でスエーデン軍の宿営町、 1806 ナポレオンはヴュルテンブルク王国に割当、
 1935 大地震で町の建物は大損害。

2.市壁 0.07km 0.17

   変形した四角形の市壁が13cに築かれ、北中と南東に残され、北東は市壁の上
  に建物がある。

3.塔数 0門1塔

 猫小塔 Katzen Tuermle (13c) 北側に残る市壁の中に、3階建三角屋根の角塔が唯
   一残っている。以前は軽犯罪の留置所であり、危険な犯罪人や魔女の監獄は市
   門塔等が使われた。

4.見所  C

   今の大きな市街地の中で、旧市街は一辺400mの狭い四角形で、美しい木組の建
  物が多く保全され、マルクト広場周辺には裕福な市民の風格ある石造の建物があり、歴
  史的な建造物も散見される。
 市庁舎 Rathaus (1784) 今の市庁舎の場所に、1387修道院が設立された。1698-1702
   フランジス会修道院は拡張され、1764-65構内に3階建の建物を構築した。1784に販売
   されて以来市庁舎として使われた。1806修道院の世俗化後、町はヴュルテンブルクの郡庁
   所在地となり、マルクトに新築して移転した。1975には再度以前の市庁舎に戻った。
 聖ヨハネ市教区教会 Stadtpfarrkirche St.Johannes (814) 皇帝ルイが最初の教会を設立し
   12cロマネスク柱聖堂の遺跡もある。1270-80拡張され、15c初めに今の外観となった。
   1984-85現代的様式に改装された。中には中世の絵画・彫刻がある。
 角の小店 Ecklaedele (1581) 3階建上階木組・アレマン風の美しい建物。1978-81再構築され
   たが殆どオリジナルの木組である。今は2階は市庁舎広間、3階は美術館。
 マルクトの家 Haus am Marckt (1400) 中世の宝石と言われ、アレマン・トラス構造で、木製の釘で
   固定され、木材の関節は目板で繋がれたトラスである。
 チューダー様式の家 Haus in KrenzGasse2 (15c) 古い木骨造の家で、大部分フレマン木組を使
   っている。
 ジーペナーの家 Siepener Haus (1251) 市庁舎の向かいにあるジーセン修道院の初めからの建
   物で、市壁の一部として13cに建てられ、文献で最初の市民の家である。都市農民
   の農場の建物は女子修道院として使われた。1803世俗化でトールン・タクシス家にジーセン
   修道院と共に渡ったが、1808から私的所有とされた。
 宿屋:カラス Gasthaus Zum Raben (17c) 印象的な木組の建物で、宿屋・食堂として使わ
   れた。
 ブシャウ修道院事務所 Buchauner Amtshaus (1384) 直接市壁の上に立ち、特権を与えら
   れた地位にあった。古い建物は1408-68に改造され今の姿になった。
 元守衛詰所 Ehem.Garde Haus (13c) 中央通りの歩行者ゾーンに、2階建前面塗装の元守
   衛詰所がある。ここで門の守衛と税の徴収を行い、地元の逮捕者を留置した。1827
   迄はここに町で最も高い上門塔があった。
 旧修道院バートザウルガウ Ehem,Kloster Baad Saulgau (17c) ブッシャウ女子修道院長がフランシスコ
   会修道院の設立を計画し、1650-64に建物を建設した。1811修道院の解散後市は病
   院管理のため修道院の建物を買った。最近改修して、老人施設・展示館・市図書館・
   音楽学校を収容した。

5.写真

市庁舎 聖ヨハネ市教会
宿屋:カラス 北壁
南壁

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 バート・ウラッハ Bad Urach BW7

1.歴史

 12C初 町が始まった、       1265 ハインリッヒ伯はヴュルテンブルク家のウルリッヒ伯へ
 1265 城と多くの財産を売った、1442-48ヴュルテンブルク家の分裂時にも宮殿はあった、
 18C 要塞は取壊された、       1885 国家承認された気候健康リゾート。

2.市壁  0km 

   見当たらなかった。

3.塔  2門3塔

 動物園門 Tiergarten Tor (1603) 織物郊外の入口門とした公爵が建てた、ブラン
   デンブルク侯爵の紋章の頭飾りがある。1771から侯爵動物園の入口塔として使われ、
   1875に移され、1963取壊され、1992再現して新築された。
 下門 UnteresTor (1528)南の町外れの上橋の側に下門があった。重要な二つの市門
   として塔と門は1528移転拡大して建てられ、1815と1842に壊された。
 太い塔 DickerTurm 2階建円錐屋根、織物郊外の家並の間にある。堀を補い郊外の安全
   を保った。
 泥棒塔 DiebsTurm 1840まで市壁に埋め込まれていた。部分的には市壁と共に取壊さ
   れた。改造された塔基部は、郡監獄として1903まで使われた。
 武器庫塔 ZeugHausTurm (15C) 中世都市防御の5階建の角塔。増築の建物翼は1914-
   59に取り壊された。

4.見所  C

   小高い丘の上にかなり見所のある町があり、15-16Cの木組の家も多く見られる。
 旧市庁舎 Alte Rathaus (1440) 1562拡張、1907-08改修。19C中まで開かれた地階に
   はパン屋と肉屋が入っていた。その後1939まで農産物市場だった。参事会ホール
   は16C建、1907-08紋章を並べたアーケードが造られた。
 聖アマンデュス教会 StiftsKirche St.Amandus (1500) シュバーベン後期ゴシックの重要な教会建
   築であり、内装装飾は見事である。1988-90に改修された。
 新宮殿 Neues Schloss (1443) ヴュルテンブルク家領土分割の間1442-832は宮殿として使
   われ、歴史的な内装(椰子の間・黄金の間・白い間)がある。今日は宮殿博物館
   である。
 旧修道院水車 Ehe.Kloster Muhle (1454) 1876に焼け残り、再建後さらに穀物粉引
   として1958まで使われ、1990から町博物館で蓄音器が200台ある。
 宮殿水車 Schloss Muehle (15C) 宮殿の西南の角に領主の粉引として造られ、1918
   粉引小屋は焼かれ、続いて部分的に再建された。
 山林監視人の家 Jaeger Haus (1774)バロックの建物は市壁を含んで営林署長が建てた。
   1838ここで織糸作業が整えられ織物工業の基礎となった。

5.写真

市庁舎 武器庫塔
太い塔 動物園塔

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 バート・ヴァルトゼー Bad Waldsee BW8

1.歴史

  926 ハンガリー来襲の破壊記録に初言及、   10c 教会・領地は再建し地元貴族が管理
 1171 皇帝ヘンリィ・ライオンは築城し住民に課税、  1298 ハプスブルク家は都市権授与した、
 1289 ハプスブルク家は帝国自由都市とした、 13c バルトゼー貴族は墺侯爵に町を売却、
 1386 町はバルトブルクに担保とされた 、  1406 近隣町と共にバルトブルクに新担保に、
 1424 領主の死亡で町は不安定に、      1525 農民戦争はゲオルク3世が鎮めた、
 1530 スイス再洗礼派の大虐殺、             17c 戦争と疫病で町は荒廃、
 1703 町は借金を背負い湖と漁業権を アウグスチン参事会に売却せざるを得なかった、
 1788 修道院解散時に多くの田畑はヴュルツブルクに買われた。1807 郡庁都市だが貧困、
 1811 市壁の撤去が町の発展の先駆けとなった。

2.市壁  0.16km 0.12

   中心部の市壁は、1283に建設が始まり、1400拡張され門や塔で強化された。
  1811市壁の解体が始まり、1832-33本格的に門・塔・市壁を取壊し、石材は再利用
  された。東南部に市壁の残りが見られる。

3.塔  1門1塔

 ヴェルザッハ門 Wuzacherer Tor (1400) 市壁の拡張に伴い門が建てられた。その後数回
   焼失し門塔は再建された。主として農業の町であり、門は通行税を払う関税であ
   り、門衛が守っていた。
 フェティシュ塔 Voetschen Turm (1528) 1403の内側市壁の壁塔は、VoetschenHausと
   して1528に記述されている。Voetsch家は15cに入って来た家族で、16cには町
   役場の長になった。

4.見所  C

   古い木組の家や歴史的な建物が多数あり、中世の余韻がある。
 市庁舎 Rathaus (1426) ゴシックの壮大な3階建の小塔付き階段破風の建物で、1586に
   は17人の魔女が磔の判決を出された。バルコニィには死刑囚の鉄鐶があり、前面に
   町の正義のスケールを飾り、オーストリアと町の紋章がある。
 穀物蔵 Kornhaus (1500) ゴシック2階建の大きな蔵で、主食のトウモロコシを貯蔵した。1492
   から1945まで穀物蔵で使われた。1972町の博物館(1913)が移設され、町の歴
   史と美術の展示が行われている。
 バルトゼー城 Schloss Waldsee (1386) 墺侯爵レオポルドは、ヴァルテンブルクのスチュワード・ハンスに
   町を担保として与えた。1488今の城をヴァルテンブルクのジョージ3世が建てた。城は市壁
   の外にあり、城の橋で接続した。
 聖ペーター教区教会 Stiftkirche St.Peter (11c) アウグスチン修道会により、聖ペテロ教会が建て
   られ、1579ゴシックからバロック3廊バジリカに教会の内外を改造した。1788には西に身
   廊を延長し60mの二つの高塔と壮大な前面を得た。1712ドミニク・ツイバロックの祭壇が
   設けられた。
 精霊病院 Spital Zur Heilige Gaist (13c) 町でも古い施設で、1300病院教会が言及さ
   れている。1659建物は再構築され、病院は農場・森林・乳製品・パン屋屋等を備え自
   活した。1978ネオゴシックの鐘楼が復元された。
 旧フランシスコ修道院 Ehem.Franzikan Kloster (1650) 修道院の建物は1806に世俗化され、
   今は警察署が入っている。

5.写真

市庁舎> 精霊病院
ヴェルザッハ門 東壁

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バート・ヴィッペン Bad Wimpfen BW9

1.歴史

  85 ローマが侵攻し砦を設けた、   965 皇帝オットー1世は最初の教会設立、
 1269 ゴシックの参事会教会の復興、   13c 市壁と裁判権のある市場町に、
 1300 自由帝国都市に、   1622 30年戦争で町は衰退し宮殿と市壁は採石場、
 1803 ヘッセン州へ、           1835 塩水の活用としてのスパ、
 1951 バーデンヴュルテンブルク州へ、     1945 空爆からは免れた。

2.市壁 0.80km 0.67 

  現在見られる中世の市壁は、西南部を除いておおむね残っている。

3.塔数 0門3塔

 赤の塔 Roter Turm (1200) 旧皇居の東側の塔で、最後の避難所とし
   て使われ立派な暖炉やトイレがある。
 青の塔 Blauer Turm (1200) 旧皇居の西側に立ち、19cまで望楼として
   使われ、塔上から町を一望でき、塔上から時を知らせている。
 ホーエンシュタイン門 Hohenstaufen Tor (1250) 皇居の入口の門で市壁に繋がる

4.見所  B

  下の古い町には木組みの家並みが美しく、上の町はホーエンシュタウフェン家のフリードリッヒ
  1世が皇居を置いて栄え、名残の建物が連なっている。
   市庁舎 Rathaus (1836) 新古典主義の3階建ての石造の建物で、中は木造
   建築物である。昔は旧帝国の町評議会場と法廷として使われた。
 石の家 Stein Haus (1200)
   災、1968-1740に早期バロックに改修された。1751火災、正面入口の造形は
   ドイツ騎士団が造った。19Cに改修されている。
 木組の家 Fach Werk Haeuser
  木の家 Holz Haus (1580) 南入口近くの木組みの家で、かってユダヤ人の祈りの
   部屋があった。
  ロマネスクの家Romanisches Haus (13c) 南入口近くの小さなロマネスクの木組みの家で、
   石造り地階の上に木組みの2階建てが乗っている。
  市民の鉄の小家 Buerger Eisen Hauschen 市内で最もは幅の狭い木骨造2階建。
  フランク風木骨造家 Fraenkischer Fachwerkbau 装飾的なフランコニアの木骨造の家。
  アラマン風木骨造家 Aramannischer Fachwerkbau (1500) アラマン風の木骨造の家。
  昔の居酒屋 Ehem.Gasthaus Zur Krone 古い居酒屋の木組の家で今はアイスクリーム屋。
  大きな家 Reisen Haus アラマン風からフランケン風の木組みの家で、地階は石造の3階建
   切妻付の大きな家。
  エーレンベルク館 Stadhaus Ehrenberg (1451)貴族のタウンハウス、木組みの3階建。
 新教教会 Evanglisch StadtKirche (13-16c) 新教教区教会で、壁画な
     ど内部装飾が美しい。
 ボルムス館 Wormser Hof (13c) ヴォルムス司教の代表の事務所で、13cロマネスクの
   北側、16c中庭、西側のヴォルムス裁判所の位置に十分の一税穀物倉庫があった。
 防塁 Boll Werk (16c) 市壁南端の砲兵隊の砲塔であった。

5.写真

石の家 ホッヘンシュタウヘン塔
赤塔 青塔
南壁 北壁

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バリンゲン Balingen BW10

1.歴史

 12c 貴族が領主となり城もあった、  1162 州ハイゲルロッシュからホーエンベルク伯へ、
 13c 隣接のゾーラ伯へ移行、      1255 フリードリッヒ・イラストは都市権を授与、
 1288 約200上流にバリンゲンの町は設立、1403 ヴュルテンブルク侯爵が購入し居住、
 1546.1607.1672.011724.1809 大火災、  1806 ヴュルテンブルク王国の設立、
 1810-1818 黒い森サークルへ、          1918 ヴュルテンブルク州にあった、

2.市壁 0.16km 0.15

    13cから市壁は建設され、南東に幾らか残る。

3.塔数 0門2塔

 水塔 Wasser Turm (1483) 町の南西の角にあり、木組の円塔である。1825-
   1911はバリンゲン地裁の拘置所であった。
 洪水記念塔 HochWasser Turm (19c) 1895の洪水を記念して、花崗岩のオリベスク
   に碑文を記している。エッケンヒルダー通の橋のたもとに立つ。

4.見所  C

    南東のゾラー城がランドマークであり、四角に拡張されたマルクト広場には、東南に
   市庁舎西に強大な塔を持つ市教会が配置されている。
 市庁舎 Rathaus (1811) 3階建の漆喰の大きな建物で、北の正面に2段の階段があ
   る高い台座。北sン核の切妻と屋根の尾根のある屋根。に1703-10基盤の上に
   建てられた。
 市教会 Stadt kirche (16c) 後期ゴシックのプロテスタント教会は、聖ニコラスの礼拝堂を16cに
   建て直された。マルクト広場に向かって強大な塔が立ち、ツオレルン家の墓がある。
 ゾラー宮殿 Zollern Schloss (1370) ゾラー・シャルクスブルク伯の代官は13cの小城の基盤の
   上に宮殿を建てた。1403ヴュルテンブルクが買収し、州上級廷氏の住居となった。
   1920市が購入し1937部分的に古い部分を使用して復元し、計量博物館を収容
   している。石積2階の上に大屋根の木組1階が乗っている。
 騎士の家 Reiter Haus (16c) 宮殿の使用人の家として建てられ、1649に再建され
   た。通りの正面は木骨造の切妻で木組が露出しているが、その他の面は漆喰仕
   上である。1921からはユースホステルとして使われている。
   を取得して変換した。
 聖霊教会 Heiliggeistkirche (1897-99)ネオゴシックの多角形の聖歌隊の長身廊の教会で、
   1964北向きの拡張が終わり、内部には1998現代芸術のマドンナの木彫りのコピーが
   ある。
 硫黄井戸 (1724) 豊富な硫黄噴出があり、ほとりに風呂や医療施設が設けられた。
   1835井戸の石噴出口と受け皿が置かれた。1850内陣がユースセンターとなり、1955隣
   接する牧師館も廃止された。

5.写真

市庁舎 市教会塔
東南水塔 東南壁
南壁 マルクト広場

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バイルスタイン Beilstein BW11

1.歴史

 1070-80 小山の上にホーエンバイルシュタイン城を建立、   1150-1200 周壁の建設、
 1234 フライヒンゲン侯爵の死後バーデン辺境伯が所有、 1250 辺境伯の治世で整備、
 1304 町に昇格、1340 ヴュルテンブルク侯爵が所有、1361 皇帝チャールズ4世の都市権、
 13-14c 市壁と門・塔の建設、    1504 九年戦争でローヴェンシュタインは町を獲得、
 1634 ネルトリンゲンの戦に敗北し町は破壊、    1642 仏・スエーデン軍の略奪と破壊、
 1688.1693 仏軍の侵攻と破壊、1803-06 郡庁所在地、1810 マールバッハの下に、
 1840 町の発展で市壁・門の解体が始まる。

2.市壁 0.33km 0.25

   13c後半カラ14c初めに市壁は建設され、1840に門から解体が始まった。
  ホーエンバイルシュタイン城の周辺・斜面を下へ降りる部分・街中のStadtgrabenに残る。
  別に城壁500m。

3.塔数 0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   城の下の町は、シュタウファー期に整備され、脚の市壁を介して接続されている。
  中世からの町であり、ヴュルツブルクの地方事務所が置かれた。中世の城壁・市壁
  ・城・教会・建物・いくつかのワインセラーが残る。
 市庁舎 Rathaus (14c) バロックの3階建の木組の建物で、1693の大火災後に1703-
   10基盤の上に建てられた。
 聖アナ教会 St.Anna kirche (1470) 市壁の外の墓地に1362にはニコラウス礼た。1470
   に聖アナ教会が構築された。1616教区教会から城山の小さ拝堂があっなマグダラ
   教会とリリースした。聖アナ教会には鐘楼がなく、1617・1786に鐘付きで再建され
   た。1800教区教会となり、1988と1990最終の改修が行われた。教会としては
   単純なホール教会で、東に隣接して内陣がある。
 城ホーエンバイルシュタイン Burg Hohenbeilstein (11c) バーデン辺境伯は13cに城をたて、現
   存する城壁は13cの物である。その後チュービンゲン・アスベルクを経て、1340ヴュルテン
   ブルクの侯爵が所有した。14c包囲や破壊、1525農民戦争、1688-97九年戦争の
   仏軍に破壊された。1836ヴュルツブルクから民間人が600ギルダーで城を取得した。
   1898ロバート・フェルナラーが城と周囲の物件を購入し、旧管理棟の基礎の上に1908下
   宮殿を別荘として築いた。
 下宮殿 unteres Schloss (1906-08) ロバート・フェルナラは歴史主義の別荘に住み1911に
   死亡し、娘のエリザベスは1957まで住んだ。1959地域の教会が建物を取得して
   変換した。
 マグダレナ教会 Magdalana Kirche ()後期ロマネスク教会には領主の墓が置かれたが、18
   05教区教会としては放棄され、病院や弾薬庫で使われ崩壊した。1850内陣が
   ユースセンターとなり、1955隣接する牧師館も廃止された。
 旧ブドウ絞り所 Alte Kelter (1698) 2階建の木組の建物は、1970にブドウ絞りが行
   われた。1980改築後ワインが貯蔵されている。
 手工業の家 HandWerker Haus (18c) 後期バロックの変わった外観の2階建の建物。
 旧牧師館 Ehem.Ev.Pfarrhaus (1669) 1693の火事を生き残った。

5.写真

市庁舎 城ホーエンバイルシュタイン
東南壁 南壁

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ベジッヒハイム Besigheim BW12

1.歴史

 1062 皇帝アグヴィスはエアスタイン修道院に町を委託、1153 バーデン辺境伯に女子修
    道院を委託、1220 町に昇格し市場権・都市権を授与され防御施設を建設、
 1231 執行官が城に居住した、       15c ワイン産業の振興による繁栄、
 1504 ヴュルテンブルク侯爵が町を征服、 1595 ヴュルテンブルクは町をバーデンから買収、
 1556 宗教改革の導入、17cの30年戦争・ペスト流行・1688仏軍占領で破壊・人口減、
 1634 ネルトリンゲンの戦に敗北し町は破壊、  1642 仏・スエーデン軍の略奪と破壊、
 1688.1693 仏軍の侵攻と破壊、1803-06 郡庁所在地、1810 マールバッハの下に、
 1810 地区管轄都市へ、1822 地方裁判所の設置、1938ルーデヴィッヒブルクへ併合。

2.市壁 0.72km 0.75

   バーデン辺境伯ヘルマンは、1220に約100m延長し二つの要塞を築いた。一つの施
  設は、南の町の出口でショッヘン塔と石の建物で城の側を守り、もう一方の北側は
  流れの渡河を制御した。狩ラッパ塔は17cに壊れ、取壊れた下宮殿を思起させる。

3.塔数 0門4塔

 狩ラッパ塔 Waldhorn Turm (1220) 下宮殿の一部として建てられ、29m高さ
   がある基部は4mの直径がある。名前は近接の宿屋から名付けられた。
   5階の丸天井・ロマネスクの暖炉・便所の張出があり、4階には元の入口や石工
   の雑多な記号のある切石が見られる。
 火薬塔 Pulver Turm (1220) 旧内側市壁の西の角塔で、少なくとも1643まで
   は、円錐形の頭巾を装備していた。中には火薬を貯蔵した。
 北西壁塔 Nordwestmauer Turm (1220) 北西角市壁の防衛塔。
 ショッヘン塔 Schochen Turm (1220) 高さ31mの上塔は、塔見張り人によって命
   名された。バーデン辺境伯ヘルマンは上城の一部として建てた。16c塔冠には見
   張人が住んでいた。

4.見所  C

   ネッカー川にエンツ川が合流する平地に、ブドウの段々畑に囲まれて市壁のある中
  世の細長い旧市街があり、多くの古い木組の家がある。
 市庁舎 Rathaus (1459) バーデン辺境伯カールが、計量器・裁判所席・収穫物蔵の
   ある3階建木組の百貨店を建てた。地階は市場として使われ、2階はブドウ
   会館と宴会場、3階は市場管理所であった。1750漆喰天井、1977大規模
   改修後1989から市庁舎になった。
 市公会堂 Stadt Halle (1470) 古いブドウ絞り所でもあった。建物は17c九年
   戦争で仏軍に破壊された下城の農場の建物で、1938-73町のブドウ園組合
   が使った。1972町の岩山園ワイナリーにベジッシハイムブドウ園組合が合併して、
   ワイン造りを行った。中には27,480リットルの木製の大樽がある。1986-89広場
   が再構築され地下5階の駐車場が造られた。
 簡易裁判所 AmtsGericht (15c) 周囲を囲まれ。領主の農場・館への入口・住居・管
   理棟がある。1571-1683若干の改造がおこなわれ、1683宗教上の管理所、
   1756-74司祭館、1815-19校舎、18221地方管轄裁判所、今は簡易裁判所。
 新教市教会 Ev.Stadtkirche (1382) 神聖なマーチン・ニコラウス・キャシャニャを奉た。住居・住
   居身廊が建てられ、1484守護聖人聖キリアクスを奉った。1520高さ15mの菩
   提樹の祭壇・聖具保管所・礼拝所、1545と1601新教改造と増築、1847と
   1966更新。町の重要な芸術品は米人為飾られている。
 旧牧師館 Altes Pfarrhaus (1774) プハルツの元領主がブドウ醸造所として建て、
   1964まで町の牧師たちの住居と第2の役所であった。1967町が取得し、
   1982-83に住居に改造した。
 旧皇帝の館 Ehem.Koenigliches Oberamt (12c) 中世領主の館として、管理
   事務棟のある貴族の本拠地である。13-14c城は上級代官の居所であり、
   15-17cは貴族家族の個人所有となった。1630ヴュルテンブルク侯爵の所有とな
   り、1810新設の上級官僚の居所となった。1908旧城を取壊して今の建物
   となり、1938地区管轄役所は終了した。
 石の家 Steinhaus (1220) 上城の住居として1413に言及され、バーデン辺境伯
   陪臣の居所であった。19-20cは穀物蔵・刑務所事務所であった。今は市立
   音楽学校で使われている。
 焼き場 Backhaus (1820) 火災安全上の理由で、レンガ造の家が外れに建てら
   れ、毎年春にブドウの枝の束を燃やした。今でも3か所残され、まだ操業
   している。
 ベンガーターの家 Wengerter Haus (1500) 郊外にある典型的な家で、内外市壁
   の間にある。2階建破風のある木組の家で、丸アーチの地下室門・丸天井の
   地下室・持ち送り突出部・木製架台がある。九年戦争の仏軍に破壊さ
   れた。1836ヴュルツブルクから民間人が600ギルダーで城を合体
 町薬局 Stadt Apotheke (1494) 非常に複雑な木組の家で、3戸の家の集
   である。1628二つの建物を一つの大きな商社に改造し、1661薬局と薬味
   の調合装置を備えた。1685-1858所有者の移り変わりに応じて改築された。
 三切妻の家 Dreigiebel haus (1486-1501) 町で最古の三つの破風を建てた
   木組の家で、1610今の形に改造されて店舗開設。1699多数の所有者が分
   割、1986-89今の姿になった。
 プファール路地10の家 Gebaeude PfarrGasse10 (1461) 2階建木組の家で、上階に
   厚板室・壁画がある。牧師館としてバーデン教区の僧会員が使用した。1596
   バーデン辺境伯官僚が交換し、1763-1938ベンガーターの家、1928住居と店舗。
 市書記室 StadtSchreiberei (16c) 美しい3階建木組の家で、16cに町の書
   記が住んだので、この名前が付いた。17cに助祭、19cに市民が使った。
 記念物 Denkmalgeschuefztes Fachwerkhaus (1600) 2階建の木組の家は、
   堂々とした土台に地下室入口があり、奇形の隅様式やねがある。
   最も古い所有者は有名な外科医であった。
 市壁の上 Auf der Mauer (1532) 漆喰仕上の木組みの家で、1532市長が建
   て、1534-51に在職した。飾りの多いバルコニィにはイニシャルの「MY」がある。

5.写真

市庁舎 旧皇帝の館
町薬局 ショッヘン塔
キルヒ通 市教会
狩ラッパ塔 東壁
西壁 旧牧師館

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ビーバーアッハ Biberach BW13

1.歴史

 1083 文書による最初の言及、 1170 バルバロッサ皇帝は領主の所有地を入手、
 1180 皇帝の鋳造地となった、     1190 バルバロッサ皇帝は町に昇格させた、
 1239 土地を取得して病院設立、   1281 帝国都市となる。、
 1343 ギルドの台頭、1374ギルド憲章、 1365 町を東に拡大、
 1484 白塔完成、市壁には25の門塔、 1450 綿リネンの輸出で町は繁栄、
 1516 大火で106戸を焼失、      1548 教会の宗派共同使用の初め、
 1618-48 30年戦争でスエーデン・仏軍占領、1635 ペストの流行、
 1703-04 スペイン承継戦争で仏軍来襲  1796-1800 仏墺戦争、
 1802 バーデン大公国へ、 1806ヴェルテングルク州へ、 1945空襲と仏軍の占領。

2.市壁  0.24km 0.14

  西南の山上に190m、北に10m+30m、東12mとに、市壁の残りがある。

3.塔  1門2塔

 Ulmer tor 1365建 最後に残った市門、4階建前屋根付塔。1820に
    自立の鐘楼。鐘は鵞鳥の夜の追込みに使った。
 Gigel turm 14C建、見張塔として建てられ、1788に高さ39mで再建し
    展望塔と住居として使われた。火事と嵐の警報を出していた。
 Weisser turm 1484建、防衛塔で高さ41m径10m、30年戦争で壊され、
    1978改修してボーイスカウトの家、ガイドツアーで塔中を見せる。

4.見所  B

   マルクトには、美しい木組の切妻が並んでいる。水と土曜日には市が立つ。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1432建、後期中世の木組の家。地階の開い
   ている所は肉屋の販売所であった。上階には事務室と参事会議室がある。
 新市庁舎 NeuRathaus 1497-1503建、アーケードには食料品やパン屋が
   並んでいた。上階には会議室や織物展示場がある。
 聖マーチン教会 PfarrKircheSt.Martin 14C ゴシック様式の教会、バロックの
   天井画1748、上シュバーベンのバロック街道の駅、1548から両宗派が共同使用。
 ビバーアッハ博物館 MuseumBiberach 1516建、聖霊病院は1258に創立さ
   れ、大火災後今の形になった。市内最大の複合体に博物館が入っている。
   自然史・考古学・町の歴史・芸術の展示。
 牡牛館 OchsenhauserHof 1775建、修道院Ochsenhausの建物であり1903
   からラテン語学校。1978高齢者出会の場。石造地階の上に豪華な木造3階建。
 下囲い UnterSchranke 16C建、倉庫やショールームとして建てられ、1824
   穀物倉庫、ヴュッテンブルク最大の穀物取引の中心、地階石造の上に木組破風が
   乗っている。

5.写真

市庁舎 ギーゲル塔
東壁 ウルム門
北壁 白塔

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ビーティッヒハイム Bietigheim BW14

1.歴史

 789 文書で最初の言及、       1360 ヴュルテンブルク伯の所有となった、
 1364 都市権をえて、市壁を建てた、  15-16C ブドウ園や貿易で町は最盛期、
 1634-50 30年戦争でスエーデン軍占領、  1689 仏軍による町の破壊、
 1849 プロイセン軍進出。

2.市壁  0.214km 0.22

   市壁は1364に造られ、前面の堀と壁上防衛路で守られたが、一部は19Cに壊
  された。残りの壁は、Bemalter塔に20m、Unters門に4m、西Graben通に50m
  これは1984復元、東Pulver塔に20m、南Zuinger通に120mと切れ切れにある。

3.塔  1門2塔

 Unteres tor 14C末建 昔の4市門の内唯一残された。門背中の切石
    は城の再利用である。1500木組の側面は閉じられた。時計のある屋根頭
   部は16C、門は落し格子で閉め、横の歩行門は1930に付けた。
 Pulver turm 15C建、北東角の防衛塔で鉄板張塔として町側は開かれ1821
    に塔は住居と共に売られた。1950に子孫が買い戻した。市壁もある。
 Bemalter turm 南に上部構造を付けた四角形の塔基部、1587にルネッサンス
    様式の彩色がされた。

4.見所  C

   地階部分が石積で、その上に木組を重ねた16Cの家屋が多い。市庁舎など大
  きな建物も木組で残っている。
 市庁舎 Rathaus 1507建、3階建の木組で張出塔・美術時計・屋内階段がある。
   1564に文書塔を付け、1602-08現代風とした。1780に化粧仕上で描いた。
   地階は公開の市場、2階は大宴会場、3階は裁判所と参事会室とした。
   今日は行政の事務所として市長がいる。1926と1981に建て直された。
 ホルンモールドの家 HornmoldHaus 1536建、代官で教区の委員管理者の住宅。曲が
   った×型十字の木組である。地階は広くルネッサンス壁画が飾られている。1625
   -26現代的な台所と玄関を増築、1679-86に建て直され今は町の博物館
 宮殿 BietigheimerSchloss 1542建、ヴュッテンブルク家の役所である。1506に
   代官の所在地となった時に南西の古い宮殿が建てられ、1542に今の大
   きさに拡張され倉庫・管理棟・ワイン醸造所として使われた。1707に火事に
   会い1707-12に再建された。19Cから1999までは税務署として使われ、
   2000-03に建て直されて公民館として使われている。
 新教市教会 Ev.StadtKirche 1400建、初めは城礼拝堂として建てられ、北に
   隣接した城天守閣が時計塔として残されている。1542の城塔の倒壊により教
   会は部分的に壊され、その後に身廊は拡張された。1544-47塔が立ち、1507
   後期ゴシックの説教壇の足がある。
 ブドウ絞り所 Kelter 1542建、町の中央に領主のKelterがある。1542に今日の
   大きさに拡大された。1762に落雷の火事で壊れ、トラスフレームの寄棟
   屋根と四つのワイン絞り器を備えた。
 焼き場 BackHaus 1830建、北側市壁の所に焼き場を建てた。板石屋根と石造
   雨樋。農婦はまだこの焼き場を使っている。
 焼き場 BackHaus 1828建、南側の乞食門にある。王の命令が1808に発せられ、
  町中の公共焼き場を、危なくない周辺部に配置して建てられた。1828の火事
  の前にこの町は命令に従って、この焼き場を建てた。二つの公共と二つの私
  の焼き場があり、使用料を払って焼かなければならなかった。

5.写真

市庁舎 火薬塔
東壁 下門
市壁

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ブラウボイレン Blaubeuren BW15

1.歴史

 1085 僧院の設立、湧水「青い壺」、          1267 市場権の授与、
 1447 ヴュッテンブルク州に売却、      1534-35 宗教改革の実施で修道院廃止、
 1608 追加の市場で塩と鉄の貿易を独占、 1635 30年戦争で墺による一部破壊、
 1648 ビュルテンブルク公国へ返された、   1806 神聖ローマ帝国が終わり郡庁となる、
 19C 中世の城郭の外に南に町を拡大。

2.市壁  0.08km 0.09

   修道院と丸い旧市街地の両方に市壁があり守られてきたが、1830に多くは壊さ
  れた。今では家に取り込まれた壁と修道院近くに一部屋根付き市壁が残され階段
  で登れる。

3.塔  0塔

   全く見当たらない。修道院の周壁には裏口の木戸がある。

4.見所  D

   旧市街地には、木組みの家屋が多く、歴史的な町の鍛冶屋がある。噴水も。
 修道院 Kloster (1085) ゴシックの大回廊教会であり、後期ゴシックの美しい祭壇がある。
   修道院は1524改修された。今は神学校として使われている。中庭にBrunen
   Kapelleの湧水井戸がある。
 湧水「青い壺」 BlauTopf 修道院の北に、深さ21mで湧水量32000l/sの泉があり、
   地下には石灰岩の長大洞窟がある。
 原始時代史博物館 UrgeSchichlichesMueumm 有史以来のネアンデルタール人の生活を展示。

5.写真

裏門 修道院
壁跡

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ベニッヒハイム Boennigheim BW16

1.歴史

 793 教区の修道女がロルシュ修道院に遺贈文書 、 1188 スタウフェン時代に城の存在、
 1276 ロスバックはアウリッヒに城・牧草地を売却、 1284 王ルドルフは町に都市権を授与、
 1286 正方形の旧市街地は市壁・門・塔で防御、1291 王ルドルフは息子に町を贈与、
 1291 その後400年間町は相続された、  1750 伯爵フリードリヒは町全体を買った、
 1750 そのため共同遺産相続人制度は終った 、1756 素晴らしい宮殿を建てた、
 1785 ヴュルテンブルク侯爵カールが町を買収、1785 ヴュルテンブルクは町を地区管轄都市に、
 1938 ルードヴィッヒスブルク郡に編入。

2.市壁  0.11km 0.10

    13cの正方形の旧市街は1.15kmの市壁で守られた。胸壁部は高さ9.1m厚さ
  1.6mで壁上通路は木製屋根で覆われた。隅々には防御塔が立ち、今でも北東と
  北西の角には残骸がある。市壁の残りは南西部と西側に点在。

3.門・塔  2門1塔

 上門 Oberes Tor (1286) 7階建の殻塔で内側のアーチ通路上と最上階は木製で、
   スイング門と跳ね橋で守られていた。夜には門は閉じられ、塔には守衛が住
   み通行料を徴収していた。1772屋根は火災後にバロックに置き換えられた。
   1984前面は修復された。
 下門 Unteres Tor (1286) 市壁と共に建られ、1605火災後更新された。1812塔
   が取払われた。残されたのは、二つの門柱へ町の紋章と半月に車輪をを乗せ
   ている。
 泥棒塔 Diebs Turm (1458) 市壁の前面に突出した半円塔で、防衛通路出入口の
   上には「1458バルトザール」の飾り文字があり、町で最古の建設年次でである。
   法律を破る人は、塔の地下室に閉込まれた。

4.見所  B

   8cからのワインの町で、多くのワイン酒場がある。また多くの興味深い建物があ
  り、町では興味深い50の建物をルートに沿って説明している。
 会議室 Ratstuebe (2000) マルクト広場にあった1456の美しい木組の市庁舎は、1549
   に壊され1765に再建されて使われていたが、1945仏軍の侵攻の際に燃やされ
   た。2000に3階建木組トラスで再建されたが、歴史的な復元ではない。
 共同遺産相続人の城 GanerbenBurg (1085) 皇帝バルバロッサ所有し、市壁の北西の隅
   に当たり、後に共同以段相続人に渡された。1525農民戦争で壊され、1546に
   再構築したが1679大部分が壊された。1979城は改修された。
 協同組合ブドウ絞り所 Genossen Schafts Kelter (1188) 市内4地区の協同組合の
   ワイナリィの建物で、正面に時計と4地区の紋章を掲げた。
 住民焼場 Orts Backhaus (1828) 市内のオーブンによる火災の危険性を排除するため
   市民焼場が建てられた。まだブドウの枝等を焼却している。1929
   の火事の後に更新され、1984にも改修された。
 石の家 Stein Haus (1295) 1.3mの厚い壁の石造2階建の建物で、ゴシックの窓とロマネスク
   の入口がある。農場の住居・穀物やワイン倉庫を務めた。1993シュバーベン・シュナップス
   博物館となった。
 農場 Meierei Hof (1462) 農場の中央管理棟・使用人棟・酒蔵・厩舎・納屋が残ってい
   る。裁判所としても使われた。
 十分の一税倉庫 Zehnt Scheuer (1480) 西にある大きな倉庫で、2008に十分の一税
   倉庫として完全に復元された。
 共同遺産相続人の代理人事務所 Sachsenheimer Amthaus (1620) 各共同遺産相続人
   の代理人の席で、1370の共同遺産分割で成立した。ザクセンハイム領主の紋章が玄
   関ドアにあり、この制度は1750に終了した。1995に改造された。
 ゲミンゲン・ブドウ絞り所 Gemminger Kelter (1085) 地階石造屋根木組の建物で、
   1地下室と3花床を有し、南側にゲミンゲン領主の紋章がある。
 家人の館 Bebenhauser Hof (1085) 1103ブドウ畑を持っていた修道院の中庭に、
   2階建木組の建物が建てられた。階段塔は木組の碑文で飾られた。1983改
   装されてホテルに変換された。
 聖キリアクス教会 St.Cyriakus Kirche (1085) 1100に言及され、1280の最も古い塔の
   部分が残されている。1350を中心に3廊の聖堂が構築され、1864二つの通路
   はネオゴシックで更新。1400内陣1500本祭壇はヴュルツブルクに固有の物である。
 鋤の柄の家 Stelzen Haus (1085) 2階部分を片持支柱支持で張り出した珍らしい
   家で、税金が地面の面積で課税されたために考えられた。
 旧宿屋:金の鹿 Ehem.Gasthof Goldener Hirsch (1563) 16cの典型的な装飾トラスの
   裕福な市民の家で、1984に更新された。
 宮殿 Schloss (1756) 侯爵フリードリッヒ・シュタディオンは1750この町を買収し、娘ゾフィーラが
   城に住み、小説を書いて出版した。その後キリスト教青年村ドイツが使い、1878-88
   林業部門が、1996博物館「シャーロットザンダーのナイーブアートとアール・プリュット」が
   使った。

5.写真

旧市庁舎 共同遺産相続人城
宮殿 上門
西壁 南西

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ボップフィンゲン Bopfingen BW17

1.歴史

 775.850 ベネディクト会修道院の記述、1138 シュタウフェン皇帝コンラッドは城を領主へ、
 1150 シュタウフェンはフロヒベルクの戦い勝利、 1188 皇帝バルバロッサは町として経済振興、
 1241 帝国税リストにより帝国都市へ、1348-49黒死病・ペストの蔓延、1400市壁拡大、
 1489 完全な帝国自由都市となった、 1525 農民戦争、 1538 銃眼を設けた、
 1545-46 プロテスタント同盟に参加 、1604 町は栄え市庁舎・学校・病院・市壁の建設、
 1618-48 戦争の略奪・破壊・疫病。 1648 和平でヴェストファーレン州へ、平和金支払、
 1796 仏革命軍の進駐、      1802 和平で帝国都市消滅、バイエルンへ所属、
 1803-65 町の要塞は取壊された、 1810 ヴュルテンブルク王国に帰属。

    

2.市壁  0.21km 0.05

   最初の市壁は12cに造られ、1400頃に拡張された。多角形の市壁跡見わけ
  られる。西側に120mの市壁には1985に説明板が付けられた。東南にも通路屋
  根付きの市壁50mがある。

3.門・塔  0門1塔

 ヘンレス塔 Haenles Turm (1400) 北端にあり4階建円錐屋根の円塔で、拡張建設時
   の2門6塔の内唯一残っている。1830刑務所として使われて、19cの解体を免
   れ、1991に改修された。

 

4.見所  B

   16c帝国自由都市の最盛期からの多くの木組の建物が残され、歴史的な街並
  とシュバーベン高原の自然に囲まれた小さな町である。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1585-86) ルネッサンスの印象的な破風の市庁舎は、晒し台・時
   計・クレスト・螺旋階段塔があり、地階は穀物と肉の屋台として使われ、上階は会議
   室や宴会広場であった。1604に商店風に再建された別館を事務棟として、1875
   に統合して拡張した。2011内部を近代化し、2007-09旧学校を改造して追加し
   た。2011ガラスの建物を建てて三つの建物のアクセスを提供し、印象的な統合を果た
   した。屋根裏部屋には市庁舎の鐘がある。
 聖ブラジス市教会 Stadt Kirche St.Blasius (650) 最初の建物は木造であり、8cに石
   造の建物になった。1100領主によって取払われ、ロマネスクの教会が新築された。
   1299聖なる巡礼地となり、1300内陣はゴシックで建てられ、次の100年間に拡張
   されて今の姿になった。鐘は時を打ち、908の大火にも鳴らされた。塔は1911
   に壊れ、1612-13に再建された。
 アグネス修道院 Agnes Kloster (1264) スタウヘンの宦官マルガードリッターは修道院を設立した。
   その後町農場やゲストハウスとして使われ、1272アウグスブルク司教ハルトマンの許可を得て
   売却された。今は住宅や食堂として使われている。
 市教区司教館 Ev.Stadt Pfarrhaus (16c) ドミニコ会修道院の古い回廊の敷地に建てら
   れた。1606には今の位置にあった。1991建物の内装や改造を実施。
 病院 Spital (1731) 教区司教の許しを得て、市壁外に建てられた。1388戦争で壊さ
   れ、1395アウグスブルク司教により再構築された。1808礼拝堂と共に買却された。
   1911病院は再建され、礼拝堂は1961に解体された。
 山の粉挽場 Berg Mueller Haus (17c) 大規模で豪華な前面切妻の木組3階建典型的な
   民家で、1990古い木組の家は復元された。
 石の家 Stein Haus (13c) 領主が所有した風格のある建物は、1283エッケンバードの領主
   に販売した。後にネーレスハイムの修道院が所有し、町の農場として使われた。1566
   市が買取り市庁舎とした。市庁舎がマルクト広場に移転後は、市長に売却され、今
   も個人所有である。
 薬局の家 Apotheker Haus (1901) 前面は職業を表現しており、絵画は地域の魔物で
   ある。2007建築家が購入し、前面の絵画を含め解体復元した。
 下の銭湯 Unter BadsTube (1336) 初め銭湯は騎士団が所有し、15cの終わ上と下の二
   つの銭湯が存在した。1615町は下の銭湯を買って整備した。18c初め上の銭湯、
   1724まで下の銭湯は営業した。その後は住宅として使われた。
 魂の家 Seelhaus (1505) 木組の家は初め貧しい人を収容した。二次大戦後はアパート
   になり、1987大規模な改修の後に町博物館となった。地階には地質から町の歴
   史を表示し、上階には帝国の小さな町の起源と発展過程、町の特産品の経緯を
   展示している。
 鍛冶屋 Schmiede () 古い鍛冶屋の建物は、1984伝統的な木組の様式に改造され、今
   は食堂である。
 古い学校 Alte Schule (1546) 町の最初の校長は1336に言及されている。1546宗教改
   革の中に校舎は建てられ、1814生徒の増加で校舎は建て替えられ、1982改修さ
   れた。今は社会的な目的に使われている。
 故郷の部屋トロヒテルフィンゲン Heimat Stuben Trochtelfingen (1999) 旧市庁舎内に博物館
   は収容された。地階は歴史と田舎の生活、上階は工芸品、屋根裏は農業活動の
   一年を伝える。

5.写真

旧市庁舎 聖ブラジス市教会
マルクト広場 ハウプト通
ヘンレス塔 屋根付市壁
西南壁 西南壁

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ブラッケンハイム Brackenheim BW18

1.歴史

 788 ロルシュ修道院の文書に記述、  1246 ツアイゾルフはヒルザウアーに物品寄付で言及、
 1279 町には長方形の市壁と堀があった、1280 ハプスブルク王は帝国都市特権授与、
 1301 市壁が完成し門が備えられた、 14c 町の支配権は継承・販売等で変化した、
 17c 30年戦争・承継戦争で略奪・破壊、1691 大災害で町は壊滅、再構築は18cへ、
 1806 ヴュルテンブルク王国の地区を管轄、 1938 地区管轄都市を外れハオブロン地区へ、
 1945 二次大戦最後の日に爆撃被害。

    

2.市壁  0.10km 0.14

    12-13cに造られた市壁は、旧市街地の南西の角の城の周辺に残っている。

3.門・塔  0門1塔

    旧市街の西南の角に円塔が残っている。

4.見所  C

    州最大741haのブドウ畑があるワインの町。
 市庁舎 Rathaus (1424) 1691火事で焼失し、市庁舎は旧浴場に移転した。1774-76
   ロココ2階建鐘楼付きの市庁舎を再建し、1954完全の改修された。
 聖ヤコブ市教会 Stadt Kirche St.Jakobus (1200) 初期ゴシックの内陣と木製バレルボールド覆
   の身廊で、改革後16cに市教会に昇格した。中には後期ゴシックの墓石と初期バロック
   の説教壇がある。
 ブラッケンハイム宮殿 Schloss Brackenheim (1559) 旧市街の南西に、モーゲンハイム貴族の古い
   城の代わりに、1556-59伯爵クリストが3翼の建物を建てた。1670火災後1657に西翼
   1685に北翼を再建され、代官と本部が入った。今は地方裁判所。
 上門の家 Obertor haus (1828) 1907-1968地方管区刑務所であった。2000テオドールハイ
   ス博物館になった。
 旧地区管轄事務所 Ehem.Oberamt() 3階建木組漆喰塗の建物は地区管轄事務所のため
   建てられ、その後パン屋・住宅・商店として使われた。
 風呂場 Badhaus () 1400-1530町浴場として使われ、1576改修された。1691の火災
   後1776まで市庁舎として使われた。その後商業ビルとなった。
 古い学校Altes Schule(1608-10) 華やかな3階建木組の家で、1896迄学校として使わ
   れ、その後1804までラテン語学校だった。今は事務所ビル。
 木組の家 Fachwerk Haus 多数の歴史的な木組の家がある。
    Pfruendner Haus(1461)
    Bad Haus(1580)
    BandHaus,SchlossKeelerei(1600)

5.写真

市庁舎 宮殿北
宮殿南 西南壁

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ブラウンリンゲン Braunlingen BW19

1.歴史

 799 ライフェナウのボットワルドは教区財団設立、 802 ライフェナウ修道院への寄付で言及、
 1100 この町の貴族の存在を証明、   1203 ツェーリンゲン侯爵は周壁・4門を建設、
 1305 町となり墺の飛び地へ、    1313 町はディーセンホッカー法制を授与された、
 1301 侯爵ルドルフは市場権・都市権を授与、 1415 帝国自由都市に、墺連邦脱退、
 1450 墺侯爵は町の全特権を保証、     1444 フェルステンブルク侯爵は町を入質、
 1492 町は再び墺の手に渡った、     1565 火事の後農業市民を町に定住、
 1685 フェルステンブルクに対抗し墺連隊駐留、   1740 墺承継戦争で町は宿営地に、
 1806 ヴュルテンブルク王国の領域に。

2.市壁  0.08km 0.08

    1203の町の防備は、市壁・4門・堀・土堤で守られた。内側と外側の市壁の
   間には13-18mの堀があった。

3.門・塔  3門0塔

    旧市街の4門は、1203市壁と共に建てられ、1842Gupfen門、1850上門・教
   会門は壊された。
 下門 Unteres Tor (1203) 粉挽門とも呼ばれ、最後の1門として残った。
 小門 Pforte () 北東と北中の市壁に抜け穴が設けられた。

4.見所  C

    旧市街地は変形五角形で、内側市壁を後壁とした建物で囲まれている。
   漆喰仕上が主体で、木組が露出した建物は少ない。
市庁舎 Rathaus (1590) 助役のハンス・リ-トミラーが建て、1669から町は市庁舎と裁判所とし
   て使い、1820-40はバーデン司令部となり、1978に改修された。
 旧ストック城 Ehem.Stockburg (1505) ステーヘリン家の城付き領地であり、周壁と一つの塔を
   備えていた。1667その時代の様式に改装された。
 町長の家 Schultheissen Haus (1733-85) 町長の住居として使われた。1820-40に
   はバーデン司令部が市庁舎を使ったために、ここに市庁舎が移された。
聖レミギウス教会 St.Remigius kirche (11c) 地域の母教会で、1694迄は町教会であった。
   古いアラマン族の墳墓の側に建てられ、元も古い部分は塔の基部で1450に内陣で、
   1680火災後の改修、1859身廊が今の姿になった。1993-99改修。
 旧宮殿 Altes Schloss () 以前のシェレンブルク城内に1393無税で貴族事務署を設け、16-17
   cシェレンブルク男爵が所有した。1917火災で破壊され、1923今の形で再建された。
 ケルンの館 Kelnhof (9c) 皇帝の所有地にライヘナウ修道院が早期中世風の建物を所有し、修道
   院財産の管理人が使用した。1922までは宿屋「仔馬」となり、1988からは
   博物館である。
 ブックの側の家 Haeuser"Am Buck”(12c) 旧城入口付近にある中世風建物群であり、16
   73まではここに12cに建てられた城ニコラウス礼拝堂があった。
 ヨハン・パプティスト・ツッチーネ生誕の家 Gebertshaus Johan Bapiist Tutine (1838)カールスルーエの
   画家の生誕の家で、その作品は、Kelnhof博物館に納められている。
市聖母教会 Unsere Liebe Frau (1881-89) 1520と1694に礼拝堂が建てられ、19c末
   に教会が建てられ、1972と2009に修復された。

5.写真

     
市庁舎 市聖母教会
下門外 下門内
アーチ門

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ブライザッハ Breisach BW20

1.歴史

 13c 町は都市権と舗装権を与られた、 1273 ハプスブルク王ルドルフは自由帝国都市、
 1331 西部の宗教・文化の中心地となる、 1500 皇帝マクシミリアンは要塞と市場を整備、
 1639 仏60年占領、対ハプスブルク防衛線構築、  1697 和平でハプスブルクに戻った、
 1741-45 要塞の解体、          1793 仏革命軍により町は殆ど焼失、
 1806 バーデン大公国になる、       1871 独仏戦争、
 1945 2次大戦で町の85%を破壊、     1997 仏軍の駐留。

2.市壁 0.78km 0.58

  山頂の旧市街の南側に640m北側に140mが見られる。ライン橋の前後にも壁がある。

3.塔数 4門3塔

   山頂近くの、大聖堂への南登り口にHagenbach Turm、北側のKapf Tor、北東
   のTulla Turm,中のRadBrunnen Turmがあり、山の下の、北東にRhein Tor,東に
   Kupfer Tor,南にGutgesellen Torがある。
 馬飲場塔Rad Brunnen Turm (1189) 41mの古井戸、塔は拷問部屋・中世の市庁舎・
   裁判所として使われた。1983以来塔は展示会と講演会場として使われる。

4.見所  D

   急坂を上がって大聖堂と市庁舎のある山上に見所は集まっている。
 青の家 Blaues Haus (1691) 1829から聖ペテロ大聖堂のゲストハウス。1829ユダヤ協会が購
   入して、集会場・学校・病院として使った。一時中断したが2003再購入して
   ユダヤ教会が使っている。
 聖シュテファン大聖堂 Muenster St.Stephen (12c) 塔が不均等で、古い角塔はゴシックの網目
   窓、西側の建物は後期ゴシックで。3身廊はロマネスクである。主祭壇は1526に造られ彫
   刻で飾られている。大聖堂の内部は芸術の宝庫であり、1491壁画・1597ルネッサンス
   の豪華の説教壇・1967通路や玄関のステンドグラスなどが在る。
 市歴史博物館 Rhein Tor Museum (1678) 仏軍によって建立されたライン門は1991市歴
   史博物館となり、石器時代からの市の歴史を展示している。

5.写真

市庁舎 ミュンスター
門塔 銅門
良い仲間門 ライン門
銅門 北門
ツッラー塔 西壁
ハーゲンバッハ塔 東北壁
北西壁 聖シュテファンミュンスター

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ブレッテン Bretten BW21

1.歴史

 767 ロッシュ修道院の文書に初言及、    1120 ライヘン伯爵クライッヒガウは市場町に、
 1158 エバーシュタイン伯爵が集落に、         1254 都市として最初に言及、
 1283 シュパイヤーの教区になった、   1492 プファルツ伯フイリップは4年間市場権授与、
 1500 プファルツ選帝侯は帝国の郡の一部へ、 1504 ヴュルテンブルクのウルリッヒは町を包囲、
 1556 宗教改革の導入、          1689 プファルツ承継戦争で町は損傷、
 1803-06 バーデン大公国へ所属、      1821 バーデン大公国の地区事務所へ。

2.市壁 0.09km 0.11

    旧市街は13c中に南西に拡張し14c後半に市壁で囲まれた。今は南東部と北東
  部に僅か残された。

3.塔数 0門2塔

 笛吹塔 Pfeifer Turm (13c) 北側の見張塔として、高さ26mの角塔で、塔頂には切
   妻屋根と窓があり、1645メリアン彫刻がある。数回ひどく壊れて再構築された。15
   04には包囲中に壊され、1689町の刑務所となり、最終的に郡庁になった。その
   後展望塔となり、使用中に焼失した。1830ヘルメットなしとなった。
 シッメル塔 Simmel Turm (14c) 南東の角隅の円塔で、付近に市壁が残る。

4.見所  C

    マルクト広場は、2-3階建の切妻付の美しい木組の建物で囲まれている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (13c) それまでの栄光と称賛の壮大な建物は、1669に破壊
   された。1689一時的な建物を建て、1787の改修も控えめのものであった。1888
   に拡張され、ドイツルネッサンスの立派な現在の市庁舎になった。
 ホテル:クローネ Gasthoh Krone (1550) マルクト広場に立ち、皇帝カール5世・学者などの有名人が
   宿泊した。この中世の宿の敷地内に、今のホテル・クローネが建てられた。1689火災後に
   復元されている。
 聖十字架教会 St.Kreuz Kirche (1697-02) バロックの新教教会で、1821バーデン新教教会
   の改革派とルター派を統一した。以来聖十字架教会の典礼使用は参事会教会へ移った。
 地方管轄区 Amtshaus (14c) 宮中伯地方管轄区とその後のバーデン地方事務所を通じて
   行政の中心として600年以上あった。その伝統を持つ古典的な建物である。町の
   役所建物に近接して1796に再建され、1887地方裁判所が加わり、1936地方事
   務所の廃止後、営林署・警察署・税務署等として使われた。
 メランヒトの家 Melancht Haus (1897)フィリップ・メランヒトの生誕400年に生家の敷地内に建てら
   れた大きな記念館である。神学者の部屋・紋章・コインメタル94・原稿と出版物の展示。
 スイス裁判所 Schweizer Haus (1707) 中世に、裕福な修道院の十分の一税の館に位置し
   た。1997-01に老朽化し改修され、力強い3階建木組の倉庫が蘇った。2002町と
   地域の歴史博物館となり、上層階にレストランと共に収容された。
 鞣し屋 Gerber haus (1585) 馬具や製靴のための2階建の家で、1689の火事に生き残
   った数少ない古い建物である。市壁を後ろ壁とした木組の家で、居住空間と作業
   空間が分かれている。1991-94市民が改修した。
 協同教会 StiftsKirch (13c) 一部ロマネスク部分的にゴシックで、塔は身廊の軸に立っていな
   い。1709二つの宗派のための分離壁がが設計されて、1936-38にカトリックの独自教
   会が建設された。1936-37に教会は改修された。

5.写真

旧市庁舎 市庁舎
マルクト広場 メランヒト家
協同教会 笛吹塔
北東壁 南東壁

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ブルッフザール Bruchsal BW22

1.歴史

 976 ゲント聖ハーフ修道院文書で言及、    1056 皇帝ヘンリー3世はシュパイアー司教に与えた、
 1248 文書で町と呼ばれた、              1502 農民戦争で反乱に失敗、
 1622 30年戦争で町は荒廃、        1676.1689 プファルツ承継戦争で町は破壊、
 1722 新王宮の建設開始、             1742 バロック聖ペテロ教会建設開始、
 1796 仏軍の占領、、      1803 バーデン辺境伯の所有となり王宮の地位を失う、
 1806 バーデン伯爵アマリーは未亡人に宮殿を付与、  1945 2次大戦の空爆で町の80%破壊。

2.市壁 0.0km 

    1689の絵には市壁があるが、今市壁は見当たらない。

3.塔数 0門1塔

 天守閣 BergFried (1356) 高さ32m璧厚3mの天守閣は、旧城の最後の名残である。一
   辺9.3mの四角塔で町で最も古い建物である。1986-87新設の公民館に統合された。
   新フードが付けられ、塔内には無料で町の歴史が展示されている。

4.見所  C

    50以上の建物のあるバロックの宮殿とバロックの聖ペテロ教会があり、宮殿にはジューク
  博物館として17cからのドイツ機械楽器を500以上展示し3階には市博物館もある。
 市庁舎 Rathaus am Markt (1952-54) 2次大戦後の建物で、StadtKircheSt.Frauen
   (1268)と共にマルクトに立つ。
 ブルッフザール宮殿 Schloss Bruchsal (1722-43) 王子司教ダミアン・フーゴが50以上の建物で構
   成された宮殿に着工し、死亡した年に完成した。1721の噴水や彫刻がある。1945
   に破壊され1950-75に再建され、Badischen Landes Museumとして多くの機械や
   機器が展示されている。
 ペトロ教会 Peters Kirche (1742-47) バルタール・ノイマンの作品でバロックの宮殿で、高さ22mのド
   ームの下に4王子司教の墓がある。内装は何度も改装され1999に今の祭壇となった。
 カプチン会僧院 Kapziner Abtei (1669) 僧院は1880に廃止、2005再建された。
 市博物館 Stadt Museum 宮殿の3階に、先史時代からの町の拡張や歴史とコインを展示して
   いる。
 幼稚園博物館 Kindergarten Museum (1908) ネオバロックのSancta Maria私立大学の建物の
   別館に、ドイツ幼稚園博物館があり、1970年代の幼稚園と教育者のための展示がある。

   

5.写真

マルクト広場 ペーター教会
宮殿 宮殿

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ブッフホルン Buchhorn (Friedrichshafen) BW23

1.歴史

  839 貴族が城に君臨し行政と裁判を実施、    1085 ベネディクト修道院の設立、
 1200 フリードリッヒ2世は町を新設、1213-16 町に市場はなく経済的な発展はなかった、
 1241 市壁で町を囲んだ、1274 最初の都市権、 1275 王ルドルフは自由帝国都市に、
 1291 コウンスタンツの攻撃で略奪と焼払い、      1376 シュバーベン都市連合に加盟、
 1525 農民戦争、   1634 30年戦争スエーデン占領、   1796 仏革命軍の駐留、
 1755-71 スイスへの塩の輸出拠点になった、 1802 帝国自由都市を解消しバイエルンへ、
 1810 パリ条約でヴュルテンブルク王国へ、          1944 空爆による町の破壊。

2.市壁 0.05km 0.11

    1241若い町の周囲を台形の市壁で囲んだ。1643絵画にも殆ど代わりない市壁の
  状態を示している。西南部には下門があり病院が置かれた。北の教会にある北門か
  ら火薬塔に向かって市壁は置かれた。南側の市壁は1853には存在したが、空襲後の
  復興期に殆ど除去された。

3.塔数 0門0塔

    門・塔は、1813下門、1842上門、1845火薬庫塔と海門が、それぞれ壊された。

4.見所  D

    港の雰囲気はあるが、1944町は空爆を受け、古い建物は少ない。
 旧市庁舎 Rathaus (1906-07) 1828からの市庁舎の位置に、20c初め旧市庁舎が建てら
   れた。地階には市場広間と警察署が置かれた。1944空襲で壊され、1949道路拡張
   のため残骸は取り払われた。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1954-56) 旧市街中心部に、空爆による破壊の後の設計コンペ
   に優勝したシュツットガルト建築家の計画に沿って、新市庁舎が建られた。
 聖ニコラウス教会 St.Nikolaos Kirche (1431) 最初、墓地にミコラウs礼拝堂が建てられた。1437
   -94後期ゴシックの内陣と塔を備えた教会として新設された。16c単身廊となり、17
   45-46外装を変化、1940近代化、1944空爆で破壊、1946-49再建して献堂され、19
   60.1984に今の姿になった。
 旧牧師館 Ehem.Pfarrhaus (1427) 修道院が家を取得し、1519・1587に更新された。18
   05-17国が所有。1944空爆で損傷し2年間は住めなかった。1951-81再度牧師館と
   して使われた。1983販売され、1986旅館「病院地下室」になった。
 旧病院 Ehem.Spital (1427) 精霊病院は1584と1738の火事の後に、2階建切妻屋根で再
   建された。1871老人ホームとなり、1949に破壊され、1985-87商業施設として新築さ
   れた。
 旧倉庫 Ehem.Gred Haus (1387) 陸上と海上の輸送のための倉庫として1811政府機関の
   管理棟となり、1829宿舎として販売された。1897ヴュルテンブルクの税関となり、1906
   郵便局の電信所、1944破壊されて、商業・住宅ビルとして再建された。
 旧塩倉庫 Ehem.Salz Stadel (1755) 長さ95mの長い切妻屋根の建物で、1810物品倉庫、
   1827通関倉庫、1851鉄道駅の半分に、1933店舗、1964取払われて、新
   しい店舗。
 ツェッペリン博物館 Zeppelin Museum 飛行船>ツェッペリンL21-2130まで実際に使用した部品な
   どが展示されている。

5.写真

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ブルクハイム Burkheim BW24

  Kaiserstuhlの市内の町

1.歴史

  762 ストラスブールの文書に初言及、      1231 城が文書に初言及された、
 1348 都市権が授与された、        1525 農民戦争で城も破壊された、
 1561 ラザロ・シュベンディが領主となった、  1572 領主は城をルネッサンスの宮殿に変換、
 1648 30年戦争で町は荒廃、            1672 仏軍は宮殿を破壊、
 1797-1803 モデナ公国に、 1905バーデン公国に、      1937 仏軍の占領、
 1945 仏軍の占領、市街地は南西に拡大。

2.市壁  0.06km 0.01

   16cの市壁は旧市街を囲んでいたが、外壁は南に拡大された。西端の城下の石
  積は高い。壁が見えるのはこの部分である。

3.塔  1門0塔

   町の市門は当初4基あったが、今は1門しか残っていない。
 ライン門 Rhein Tor 3階建ての角塔、内側両側に木組みの2階屋がある。

4.見所  D

   旧市街地には、木組みの家屋が多く、石畳の道・井戸・菩提樹が雰囲気を高める。
 市庁舎 Rathaus (1604) ルネッサンスの建物。
 ブルクハイム城 Burkheimer Burg (763) 初めストラスブールの砦として建てられ、1525農民戦争で
   破壊され、1572領主シュベンティはルネッサンスの宮殿に拡張し防護壁で囲んだ。1672仏軍が
   破壊し、その後再建はされなかった。1901外壁の残る城の遺跡はワイナリィーに。
 聖パンタラス教会 (11c) カトリックの教会で、16cの壁画・バロックの祭壇がある。1742再建され塔
   はゴシック。
 コルク・スクリュー博物館 18cからのコルク栓抜きを1千個集め、その一部を展示。

5.写真

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カルヴ Calw BW25

1.歴史

  10c アウレリウス財団はHirsau修道院を支援、 1075 カルヴ侯爵は南に城・新修道院設立、
 1256 市長が自治証明、1260 カルヴ貴族断絶、1300 工芸品・革・織物生産と交易で活況、
 1308-45 ヴュルテンブルク伯爵が所有、   1362 ヒルガウ修道院はスタムハイムを手中に納めた、
 1400 現存のニコラウス橋を構築、  1454 ヴュルテンブルク伯爵は都市権を授与し市場を整備、
 1525 農民戦争で修道院は略奪された、 1590 羊毛製品の海外輸出、1616玩具盛況、
 1634 栄えた交易都市も30年戦争で壊滅、  1685-97 9年戦争で仏軍の略奪と破壊、
 1851 大洪水で建物被災。

2.市壁  0.08km 0.12

   13cに要塞があったと思われ、1523に言及されている。16cの市壁は門・塔・高
  い壁があり、外側にはツインガーが配置されている。19cの初めには殆どの壁が壊さ
  れた。今残るのは、ツインガー通の右側とザルツ路地の南に厚1.5-1.8m壁と壁上通路。

3.塔  1門1塔

 外門 Aeuseres Tor (16c) 切妻付の二つの建物の間に旧外門があり、SchaufelTor
   とも呼ばれた。19c初に市壁の大部分とこの門塔も壊された。
 長い塔 Lange Turm (13c)元要塞の唯一生き残った塔は、刑務所の塔となった。右下
   に昔は刑務所の建物があった。全塔の最高の塔であったため、この名前となっ
   た。夏には塔に登れる。上階木組の小さな建物は守衛の住居であった。今は、
   小さな博物館で、旧要塞の資料・刑務所の様子を提供している。

4.見所  B

   ナゲルド川の河岸段丘の上にある町で、ヘルマンヘッセの生誕地である。中世の富の象徴
  としての大きな美しい木組の家が多数残されている。
 市庁舎 Rathaus (1454) 初めの役場は1634に壊され、再建された石造の市庁舎の地階
   では穀物が販売された。1673の市庁舎では、肉屋・パン屋の屋台が地階に置かれた。
   1692には再度焼失し石造階のみが残り、上層階は1726-30に再建された。1929には
   改修され、18cの窓枠は取り換えられた。前面にはヴュルテンブルクと町の紋章を掲げた。
   マルクト広場は、かっての裕福な商人や起業家の大きな木組の家で囲まれている。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1262) 初め聖ピーターとポール教会は1634の大火で破損し再建
   されたが、1692にも焼失したが、急いで15cの内陣を使って再建された。19c中には
   新築が求められ、1888に一部古い部分を活用して、ネオゴシックの新教会が献堂された。
   中には1655の十字架や1627の碑文がある。
 ゲオルゲン・オイム Georgen aeum (1879) 創設者オランダ総領事が、町の教育機関として1871に発
   足させた。3階建の大きな建物で図書館・大ホール・読書室を整え、後には女性労働学校
   も追加された。背後には広い市公園が配置されている。
 ニコラス礼拝堂 Nikolaus Kapelle (1400) ナゴルト川に架かる石橋の上の礼拝堂に海の守護聖人
   ニコラウスが奉られた。1926の改修時に、町の産業としての布と木材の記号がくわえられ、
   窓には町の紋章が入れられら。1970礼拝堂の場所は、マツクト橋が完成して、歩行者
   専用の空間になった。
 ホマーの家 Haus Hommer (1692) 火事で焼けた隣地を買い求めて、3階建の大きな木組の家
   が建てられた。一時鉱山会社が所有し、後に市民が再建させた。
 旧ラテン語学校 Alte Laten Schule (1696) 階段塔付き2階建上階木組の建物に、初めはラテン
   語とドイツ語の学校学校が入ったが、その後ラテン語学校のみとなり、化学などの高等教
   育が行われた。1980市が購入し、1987から地元のコミュニティカレッジとなった。
 ジュルダンの家 Haus Jourdan (1693) 2階建切妻屋根上階木組の建物は理髪師のシンボルを掲
   げた。旅館:ツム・ラッペンとして100年間使われ、1875から肉屋になった。
 シュナウファーの家 Haus Schnahfer (1694) 1751木組の大きな家は歯科から売られ、磁器の生
   産を試みたが5年後に放棄され、その後ワイナリィーになった。1962の大火の2年後に、玩
   具会社の家族のために、風格と美しさのある3階建木組のAltDeutscheHausが高い技
   術で建てられた。
 塩倉庫 Salz Kasten (1696) 15cから1807までは、ヴュルテンブルクの町は塩を供給する義務
   があり、塩倉庫を建てた。その後民間会社が塩の特権を有してバイエルンから購入した。
 石の家 Stein Haus (1694) 1692の大火事の後に、石の耐火室と石造の家を建てた。ヘルマン
   ・ヘッセは、ひんぱんにこの家の客となった。
 シェーバレの家 Haus Schaeberle (1500) この石造の家は、町で最古の建物で主として住居
   として使われ、17cの町の破壊を生き延びた。19cには肉屋となり、1862にシェーバレが
   取得してこの名が付いた。
 シャーバーの家 Haus Schaber (1697) ヘルマンヘッセの家族は、1874-81この3階建木組の家に住
   み、1877ヘッセはここで没した。この家でヘッセは幼少期と青年期を過ごした。
 シュッツの家 Haus Schuez (1813-14) 医師は宮廷建築家に依頼して住居を建てた。ここに
   ヘルマン・ヘッセ博物館が置かれ、作家の人生と作品が展示されている。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
新教市教会 南壁
南壁 西南壁

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クライルスハイム Crailsheim BW26

1.歴史

 1136 初文書言及、 1289 アウグスブルク・サンモリッツ教団は権利と利益をエッチンゲン侯爵に販売、
 1314 ホーエンローエ・クラルスハイムの叙任、           1316 町に市場権を付与した、
 1338 皇帝ルードヴィッヒは都市権を授与、   1379-80 帝国都市ローテンブルクによる包囲、
 1399 ホーエンツオーレルン家はニュルンベルク子爵へ販売、     1411 壁や病院礼拝堂の建設、
 1441 城の丘への巡礼開始、1497 石の橋の構築、1556 アンスバッハ家の管区事務所設置、
 1607 都市特権の新都市憲法制定、          1622 最初の町役場の取得、
 1791-92 アンスバッハ辺境伯の退位、  1806 ナポレオン戦争後のバイエルン・ヴュルテンブルクの支配、
 1812 市壁と市門の解体開始、1866 プロイセン軍の占領、1945 空襲・地上戦で8割破壊。

2.市壁  0.29km 0.47

   14cの市壁には、1大門・3入口・4塔があった。今は泥棒塔の南側に僅か残る。

3.塔  0門3塔

   市門の取壊しは、1812下門から始まり、1822下門のDurchGang、1825病院門、
   1835頭部、1847レンク門と、全て壊された。
 泥棒塔 Diebs Turm (14c) スタウフ時代のオリジナル市壁の最後の塔であり、水城の
   表玄関でもあり、市壁の北東の隅に立つ。その後監獄を務めた。
 市塔 Stadt Turm (1717)改革の200周年記念に建てられ、世界で最高の宗教
   改革記念碑とされている。
 武器庫塔 Zeughaus Turm 武器庫に塔があり、新壁塔の最後である。

4.見所  D

   二次大戦で戦略的に重要な鉄道の結節点であったため爆撃目標となり、町の
  8割が破壊され、古い建物は少ない。
 市庁舎 Rathaus (14c) 地方貴族が百貨店として建てた建物を、1824まで市庁舎
   として使った。戦後に建てられた庁舎とL字型につながった。側に市塔がある。
 聖母礼拝堂 Frauen Kapelle (1893) 聖母礼拝堂は大戦を生き延びた。
 聖ヨハネス教会 St.Johannes Kirche (1398-1440) 聖ヨハネ教会は、終戦後に歴史的
   建造物として、1400の高さ57.5mの塔を内蔵して、復元された。
 宮殿 Schloss (1400) 初め地方の貴族が建て、その後方伯の王宮となり、皇帝
   などが住んだ。1945破壊された後、1956行政の建物が建てられた。

5.写真

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クレグリンゲン Creglingen BW27

1.歴史

 1045 バンベルク司教文書に旅行先で言及、       1088 コムブルクの修道院が来た、
 13c 村はホーエンローエ家のブルクブラネットの財産へ、   1349 ゴットフリートは町の憲章を授与、
 1338 皇帝ルードヴィッヒは都市権を授与、    1379-80 帝国都市ローテンブルクによる包囲、
 1389 コンラート4世は教会を設立、       1505 ディルマン・リーメンシュナイダーの祭壇彫刻、
 1390 系統の断絶後ホーエンローエ家ブラウネックが支配、1791 町はヴュルテンブルクその後バイエルンへ、
 1836 プロイセンが所有し1810メンゲルトハイム郡に、          1973 マイン・タウバー郡へ。

2.市壁  0.08km 0.11

    中世後期の市壁は、西に残っている。

3.塔  0門2塔

 リンドライン塔 Lindlein Turm (16c) 中世後期の都市防衛施設の軍事望楼であった。1795
   その後の所有者が石壁の上に木製トラス構造の住居を置き、2部屋・台所・便所がある。
   1993市が塔を買収し整備し、1999から観光客に開放している。
 ファウル塔 Faul Turm ()5階建ての角塔で長方形をしている。塔に家屋と市壁が付いて、
   2階への外側階段付いている。

4.見所  D

   ロマンチック街道上の町で、ティルマン・リーメンシュナイダー作の木彫のマリア祭壇のあるヘルゴット教会
  が有名である。
 旧市庁舎 Altes Rathaus () 石造2階建の建物。
 市庁舎 Rathaus () 3階建の旧学校で、大きな石造の建物。
 ヘルゴット教会 Herrgotts Kirche (16c) 南約1kmのゴシックの教会の中に、1505のティルマン・リーメン
   シュナイダー作の木彫のマリア祭壇がある。
 新教教会 Ev.Kirche (12c) 数回の建替えの後にバロックで再建され、1180の後期ゴシックの聖
   堂が残され高い尖塔が付けられた。中には後期ゴシックの幕屋と16c説教台。
 ローマ風 Romschloessle (1) 1992-94に西南部の葡萄園の家を、根本的に改修し、2階建木
   組の家と3階建木組の塔のある建物と庭園のある文化施設になった。市図書館・市音
   楽学校・陶器の収集・美術展と演奏会の開催などに使われる。
 旧薬局 Alte Apotheke () マルクト広場の角に、2-3階建木組切妻屋根の建物があり隅に張出室
   のあり目立つ。
 指貫博物館 Fingerhurt Museum () 世界の縫製付属品を指貫など3500点を展示している。
 ユダヤ博物館 Juelisches Museum () ユダヤ人の昔の生活を展示している。

5.写真

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ディールスベルク Dilsberg BW28

  Neckergemundの市内の町

1.歴史

   988 オットー3世はヴォルムス教区の森を所有、 11c ラウフェンの伯爵が代官として城構築、
 12c ネッカー川の舟運が発展し居住地に、  1156 城の古い部分を強い壁で固めた、
 1206 ディールスベルク城の完成、1219 領主はデュルンへ、 1310-40 プファルツ選帝侯へ、
 1347 選帝侯ルプレヒト1世は町を設け市壁を築く、 1360 城の拡張と近代化、
 1401 プファルツの複事務所として機能、     1412 市長と議会のある町を保証、
 17c 30年戦争と仏革命軍に城は生き残る、 17c 仏軍は拘置所として使った、
 1822 石材が取られ城の解体が始まる、  1895 城の部分的回復、
 1914-45 4千人以上の住民を収容、  1945 仏軍の占領、市街地は南西に拡大、
 1967 歴史的な建物と街並の再生。

2.市壁  0.73km 1.00

    城の六角形の階段を上がると高さ16mの高い城壁が東部と南部に残る。全
   長230m。市壁は全長730mが残されている。

3.塔  1門1塔

   町の市門は当初からの1門か残っている。城には高い天守閣が聳えている。
 市門 Stadt Tor (14c) 町への唯一の入口の角塔。上屋部分は木造四角錐
   屋根である。
 天守閣 BurgFried (14c) やや傾いた形の六角の高塔。

4.見所  D

    山頂の城を囲む旧市街地を市壁が完全に囲んである。市壁内の旧市街地
   は美しく再生されている。城からのネッカー川畔の眺めは素晴らしい。
 ディルスブルク城 Dilsburg Burg (1209) 1360拡張と近代化。厩舎・果物店・司令
   官の家・中庭のアーチ天井・トンネル地下道等が在る。
 聖バーソロミュー教会 (1380) 背後に円塔が在る。

5.写真

市門 城跡
西壁 教会
上通

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デューラッハ Durlach BW29

  Karlsruheの市内の町

1.歴史

 1161 村だった、1196 スタウヘンの町だった、  1219-34 バーデン辺境伯の個人財産、
 1418 2年間の毎週市場開催権の授与、 1525 農民戦争に門を開き修道院は略奪、
 1565 辺境伯カール2世はプファルツハイムから住居を移し、市壁の拡張と更新、経済は発展、
 16c カール2世は市壁外の東にカールスブルクを建設、     1586 大学の地位を獲得、
 1648-88 30年戦争の荒廃を克服して繁栄、 1689 9年戦争の仏軍による焼払い、
 1715 政府と大学はカールスルーエに移転、農業の町へ、 1743 町の中心部で15戸焼失、
 1786 ブドウ栽培農場の展開、  1810-32 バーデン大公国の組織変更で郡庁設置、
 1833 カールスブルク城は兵舎に。

2.市壁  0.11km 0.20

   13cの市壁は辺境伯カール2世の遷都に伴い16cに市壁は拡張・更新された。
  東南の刑務所は1843-46に旧市壁の上に建てられ、1872-73連邦最高裁判所の
  青年拘置所と未決拘置所を新設した。

3.塔  1門0塔

 バスラー門 Stadt Tor (14c) 14cの4市門の内唯一残った市門で、昔はバーゼルか
   らの入口門であり、そこに辺境伯は副宮殿を持っていた。
 牡牛門 Ochsen Tor (14c) 4市門は1689の火事の後に1753に再建され、1845に
   壊された。東にまだツインガーが見られ、火事の後に市壁も再建された。

4.見所  B

   一次市壁の旧市街地から、宮殿の移転に伴う拡張が行われ、不規則な形状
  に発展している。町の規模は中程度である。
 市庁舎 (1718) プファルツ承継戦争1689の破壊後に、1715-18ヨハン・ハインリッヒ・シュ
   バルツの再建が行われ、次にヤコブ・ホッホステターによるバロック前面の今の階段切妻にな
   った。内側の化粧板には、町の飢餓の絵が描かれている。
 新教市教会 Ev.Stsdtkirche (12c) 1255に初言及、それは聖ステファンに捧げ
   られた教会で1192には成立していた。1689大火災後に1700に今も姿の新しい教
   会が再建された。
 聖ピーターとパウル教会 St.Peter und Paul Kirche (1900) 1565の宗教改革
   導入からこの町には新教の教会しかなかった。旧教徒は少数であり、1809から
   礼拝はカールスブルクの祝祭場で行われた。1898-00にカトリック教会として建てられた。
 聖ニコラウス礼拝堂 St.Nikolaus Kapelle (16c) まず市教会の側に墓地があり
   16cに墓地は市壁の外に移され1900迄使われた。1535聖ニコラウス祭壇が市教会の側
   にあり、1689に焼失したが1712に再建された。
 イクスキュルシュ宮殿 Uexkuellsches Palais (1714) ニコラウス・ニッダが建て、その後
   の所有者は王子たちの教育者とイクスキュール宮の宮中顧問であった。
 カールスブルク宮殿 Karlsburg (1565) 旧狩猟の宮殿で、辺境伯カール2世がプファル
   ツハイムからこの町に宮殿を移すに際して拡張された。1689プファルツ承継戦争で損傷
   され、1715までに礼拝堂と王宮厩舎と共に西翼が建てられた。
 町で一番古い家 Eones der Aeltesten Haeuser Durlachs (15c) 1689の大
   火災を免れてわずかの家が残り、当時の2階建切妻木組の様式を今に伝ている。
 豚肉処理場 Schlachthaus (1574) 30年戦争で壊され、1659-66に町が再建
   した。1689の火事の後1788に王宮復旧し、1749-50に新設され、1930までここで
   屠殺された。1989には建物は更新された。
 オルガン工場 Orgel Fabrik (18c) 1770からこの建物はオルガン制作の家族が所
   有し稼働した。この町の経済発展を表し、今は文化や芸術の催物に使われる。
 高等中学校 Gymnasium Illustre(16c) 1586設立。1689の火事で焼け、1715
   王宮の移転後ギムナジュウムとなり、1724カールスルーエに移転した。町には教育高等学校が
   残された。

5.写真

市庁舎・市教会 新教市教会
バスラー門 南壁

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エバーバッハ Eberbach BW30

1.歴史

12c ボルムス教区のエバーバッハ城が存在、     1196 エバーバッハに貴族領主、
 1227 ハインリッヒ7世はホーエンシュタウヘン家の領土へ、1321 城近くの町が初言及された、
 1330 城と町はラインプハルツ伯へ質入れ、   1361 プファルツ選帝侯支配への移行、
 1402 城はヒルシュホルンのハンスによって破壊、  1528-55 ハイデルベルク大学はペストで移動、
 16c プファルツ選定国として宗教改革導入、 17c 30年戦争の被害は少なかった、
 1803 町はライニンゲン公国に落ちた、    1806 バーデンに帰属した、
 1845-55 欧州農業恐慌に苦しんだ、   1925 町は地区事務所を失った、
 1945 空爆で旧市街の一部は破壊された。

2.市壁  0.30km 0.35

   1227市壁を建設するための資金を得て、新市街地を含め川沿いを長方形に
  囲み、4隅に市門が造られた。東北隅のバラ門塔には魔除けの市壁が10mあり、
  西北の火薬塔から南の青帽子の川沿いに建物の外壁を兼ねた市壁260m、青帽
  子から北に外壁を兼ねた市壁が30mある。

3.塔  0門4塔

 火薬塔 Pulver Turm (13c) 市壁の北西の角に立つL型の5階建ての角塔であり、
   1766時計、1870大砲が付けられた。今は自然公園ネッカー谷・オーデンの森がここに
   置かれている。塔に登ると見晴らしが良い。
 青帽子 Blauer Hut (14c) 市壁の南角に立つ、一番小さくてエレガントな青いスレート屋根
   の角塔である。一時的に町の監獄として使われた。
 ウインチ塔 Haspel Turm (14c) 市壁の北の角のリンデン広場に立つ角塔で、町の監獄とし
   て使われ光のない地下室にウインチで囚人を降ろした。今は5階にミニチュアの展示場
   がある。
 バラ塔 Rosen Turm (13c) 市壁の東北の角にある直径6.5m璧厚2.0mの最古で砂岩の
   唯一の円塔である。昔の馬の飲み場の近くにあり、バラ井戸とも呼ばれた。市
   壁とロマネスクの門の跡がある。

4.見所  C

   市壁の塔が4基残り、塔内には様々な展示もあって面白い。歴史的な木組の家も
  多い。噴水には様々な像が立つ。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (13c) 最初の市庁舎1480に取り壊され、2番目の庁舎は1814
   に老朽化で壊され、1823今の古典主義の3階建ての市庁舎になった。1990から町
   の博物館となっている。
 ミカエル教会 Michaels Kirche (15c) かって礼拝堂があった所に、1836建てられた新教
   の教会で、広間玄関壁西には1426の年号が見られる。
 聖ヨハネ・ンエポムスク教会 St.Johannes Nepomusk Kirche (1884-87) イタリアルネッサンス3身廊の
   建物でカソリックの教区教会である。
 タールハイムの家 Thalheim'sche Haus (15c) 最古の石造の建物で、プハルツ選帝候の事務所
   として使われた。その後ライニンガー侯爵の狩りの館になり、町役場ともなった。
   今は、ネッカー谷情報センターとなっている。
  Hof (1470) 完全に残っている最古の木組みの建物である。
 浴場 Badhaus (15c) 州で最も保存状況の良い中世の浴場で、建物は8砂岩列柱の上に
   3身廊のゴシック・ボールトが架けられ温水浴場があった。今は、ホテルやレストランに
   なっている。
 スガフィットの絵 Sgrafitto Malereien スガフィットは多色の石膏材料を用いる手法で旧市街
   の各所で作品が見られる。
  鯉ホテル:1934旧マルクトにあるにある3階建てホテルの前面に14フレームで町の歴史を描いた。
  宿屋カニの石:町の職業が3階建の建物に描かれている。
 桶製造博物館 Kueferei Museum ワイナリーの設備として桶製造の設備の整った工房がある。
 市博物館 Stadt Museum (1990) 1227からの町の歴史・ネッカー川の交易・森林と人・地質
   と風景・石の活用などを展示。
 スズミニュチュア展示館 Zinnfiguren Kabinett (2012) ウインチ塔に開設されたミニィチュアの展示室で
   あり、恐竜時代・石器時代・ケルト時代・ケルン・ドーム・ドレスデン聖母教会塔の精密模型が展
   示されている。

5.写真

市庁舎 ミカエル教会
広場

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エーインゲン Ehingen BW31

1.歴史

 981 シュバルツ(バーデン)修道院文書に、    1230 城の領主が上の町を開発、
 1346 バーガー侯爵家の断絶で墺に落ちた、 14c 財政弱体のハプスブルク家は貴族に
     町を質入れした、          1500 皇帝マクシミリアンは町に滞在、
 1645 30年戦争の終了後シュバーベンは墺の定期会議場となった、
 1688.1740 町を大火災が襲った、1805 プレスブルク和平でヴュルテンブルク王国の郡都に。

2.市壁  0.27km 0.18

   町の創成期に、1230先ず上町の周壁が築かれ、1343下町の円壁が得られた。
  市壁の高さ6.5m厚さ2.3mで瓦屋根の壁上通路を備えていた。今は家畜市場の領
   域で市壁は再建されている。あちこちに残され一部復元されている。

3.塔  1門1塔

   町の入口は、東はニコラウスとヴレーマー門、西はリー、ディンガー門、加えて近くの塔
   の入口やパン屋塔がある。
 ニコラウス門 Nikolaus Tor (1310) 上町とウルム郊外地の間の小さな石積が昔のニコラウス門
   の場所を示している。すでに消えている前面堀には跳ね橋が架けられていた。
   5階建門塔の2階には、ニコラウス礼拝堂があった。この門は町の門の最後とし
   て1881に取壊された。
 パン屋塔 Pfister Turm (1300) 町の北東側面の地形上の弱点を強化するためパン
   屋の近くに角柱円塔が建てられた。遅くには砲台塔として強化された。今の
   木組の上部工は19cのものである。

4.見所  B

   ビール文化都市として4醸造所と43ビール店がある。1688と1740の大火事の影響
  が街並みに現れている。
 市庁舎 Rathaus (1713) 1688仏軍の侵攻で、それまでのゴシックの建物が壊され、今
   の3階建の建物となった。1890の再度の火事の後に、歴史主義で修復された。
   この時代からの広い参事会広間が維持されている。最後に2010-11に外側を更
   新した。南に接続して建て増された部分には、1975と2003の年号がある。
 エレンバッハ館 Ellenbacher Hof (1527) エーレンバッハ領主の邸宅として建てられ1688の火災
   で壊され3階建バロックの漆喰仕上で再建された。地階は神話のモチーフで後期古典主
   義の絵画で飾られた。
 旧身分代表議会 Ehem.Staendehaus (1750) 30年戦争の後に、この町はシュバービッシュ・
   オーストリア上級階級代表貴族協議会の会場となった。1749の火事で焼けた薬局の場
   所に今の3階建の建物を建てた。1769購入によって1805まで身分協議会場であ
   った。3階大会議場には1711のロココスコッタ仕上がある。今は簡易裁判所。
 高い家 Hoch Haus (1400) 元礼拝堂の聖エリザベスは、2階の石積の上に2階建の木組が
   ある印象的な建物で、領主シュタインが建た。1499プレモントル修道会の帝国僧院マルヒタール
   が取得した。今は世俗化され、17cから僧院の館になり、繰返し賃貸され1801私
   人に買取られた。
 騎士の館 Ritter Haus (1692) シュバーベン帝国騎士は、騎士の館を宿泊所として建てた。
   3階建の建物には、バロックの渦巻き模様・張出と壁柱玄関が前面にそびえる。今
   は簡易裁判所の支所を収容する。
 スペタッシャー館 Spethscher Hof (1520) 市壁の上に建てられた中世のラテン語学校を継承し、
   1686ギムナジュウムとして使われた。1718スペス家の所有となり、今は町の近代芸術
   美術館として使われている。
 聖ブラスルス市教区教会 Stadt Pfarrkirche St.Blaslus (14c) ゴシックの教会は最初14cに
   建てられ、聖ブラシウスは織屋の守護聖人として崇められた。何度も身廊の拡張後
   1736バロック化が始まり1763-66ドイツ騎士団の建築マイスターが更新した。
 旧精霊病院 Ehem.Heilig Geist Spital (1340) 市民の慈善として病院が設立され、
   1493に後期ゴシックの病院礼拝堂が建てられた。1532新しい木組の家が建てられた。
   に、今建物は博物館として使われている。
 ザレム修道院 SalemerbKloster Hof (1586) ボーデン湖の側のシトー会の修道院は、ゲンス山
   上の養護所を建てて管理した。1746新しい家庭礼拝堂を建て、聖ベルトハレトに捧
   げた。
 代官屋敷 Vogtei (1689) 貴族の家をドナウ帝国騎士区の法律顧問の為に取得し、1775
   に今の姿に改造され、入口玄関にドナウ騎士区の紋章がある。
 ベストヴェスタン・ビール文化ホテル Best Western Bierkultur Hotel (21c) 客室の片側の壁に
   市壁が取込まれ、上階から地階へ階段で降りる珍しい客室がある。

5.写真

マルクト広場 旧身分代表議会
西南壁 旧精霊病院
西南壁 東南壁
プヒスター塔 北屋根付市壁

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エルバンゲン Ellwangen BW32

1.歴史

  764 ベネッディクト会修道院設立、        9c 王室の支援を受けて町を拡大、
 1122 火災後修道院を再構築、       1182 修道院の南に市街地を形成、
 1525 農民戦争中に宗教改革失敗、   1626-35 30年戦争でスエーデン占領とペスト、
 18c 貴族はバロックの住居や教会建設、     1803 世俗化、ヴィッテンブルク公国へ、
 1945 2次大戦で被害。

2.市壁  0.04km 0.02

    南東部に市壁20m+20mが、建物の壁や塀として見られる。

3.塔  0門1塔

 市塔 Stadt turm (14c) 中世の塔の家は1984に2階建て円塔として復元され武器と市
   民警備隊の詰所となっている。市民警備隊は1756に設立されて19c末に解散され
   1958には再設立された。

4.見所  D

    大聖堂を中心とした中都市で、建物は石造が多く丘の上に城がある。
 市庁舎 Rathaus (1335) 旧精霊病院や療養施設から1486市庁舎に転用された。1612-
   1752拡張再建され、1749-52にバロックの外観になった。
 聖ヴィート修道院 Basilika St.Viet (764) 十字型の聖堂は1182-1233にシュバーベンの円天井
   を持つロマネスクのバジリカとなったが、ロマネウクの装飾は西ポーチ・聖ミカエル礼拝堂・地下室の3
   部屋しか残っていない。1468-73ゴシックの回廊が付けられその29の窓には少しづ
   つ異なる浮袋型装飾の細工がある。中には、1737-40内装バロック化・1517右通路に
   大修道院長と領主の肖像画がある。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche 旧イエズス会の教会に、1724-29華美なバロックの前面が聖
   堂の西側に追加された。美しいポーチの格子の内側や天井の絵画は壮観である。
   1802新教の教会となった。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (1427) 集落の中心に建てられ、1724-29バロックで再建
   され、ロココの壁画と天井画がある。内陣に大きな1748銀の祭壇。
 アデルマン宮殿 Palais Adelmann (1688) 大きなバロックの切妻付の建物で、今は、市図書
   館と文化行事に使われている。
 チィメレ家 Haus Zimmerle (1550) 元コーチング旅館であったが、その後郵便局となり、今
   は破風付3階建ての薬局である。
 旧貧救院 Ehem.Stifts (1748-50) マルクトの旧市庁舎の上に、バロックの建物を建て、バル
   コニィの凝った手摺が見られる。1812-17神学教師のために使われ、後に地方裁
   判所となった。
 エルヴァンゲン宮殿 Schloss Ellwangen (14c) 山頂に在った中世の城は、1603-08ルネッサ
   ンスのシャトーに改造され、1720バロックへの改修が行われ1726ダブル階段・礼拝堂・玉
   座の部屋が造られ、大規模な宮殿複合体に成長した。今は博物館として、領主
   の生活を9つの展示室で見せ、バロックのキリスト降誕の絵画や人形も展示されている。
 アラマン族博物館 Alamannen Museum (2001) 5-8cのアラマン植民地の様子を、アラマンの織
   物・木工品・金と銀・キリッスト教の布教などの展示で説明している。
 タクト自然史博物館 Naturkunde und Tagd (1991) 市役所の1階に自然と狩猟の様子を
   展示している。

5.写真

市庁舎 南東壁
南東壁 聖ヴィート教会
旧市街

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エルザッハ Elzach BW33

1.歴史

 1178 教皇アレクサンドル3世証書で城と修道院を言及、 1239 地元貴族ハインリッヒを記載、
 1290 都市圏を付与、           1293 町を守る市壁と市門は存在、
 1347 祖先が付与の都市権を再確認、  1490 大火災で町は焼失し再建を優遇、
 1522 後期ゴシックの教区教会の建設、   1525 農民軍が攻撃、 1583 大火災、
 1631 30年戦争の略奪とペスト流行、  1669 墺カール大公は都市と市場の特権確認、
 1756 女帝が7ギルドを認めた、          1805 バーデン大公国に帰属、
 1909-12 ゴシックの市庁舎を建てた。

2.市壁  0.02km 0.02

   市壁として、教会の南側に30mの石積が見られる。

3.塔  0塔

  全く見当たらない。

4.見所  D

   狭く車は信号で交互交通のハウプト通り沿いに、2-3階建ての木組みの家屋が並ぶ。
 郷土博物館 Heimat Mueumm (16c) 2階建ての紋章付の建物に、地域の歴史・生活・宗教
   美術品・カーニバル衣装・絵画や彫刻などを展示。

5.写真

市庁舎 市教会

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エンディンゲン Endingen BW34

  Kaiserstuhlの市内

1.歴史

  862 砦の存在で初文書言及、  1285-86 都市権を付与され市壁設置、
 1318 市場権の授与、         1379 ハプスブルク家の支配下に、
 15c 自由帝国都市の地位を保つ、        1581 町の門の更新、
 1615 涙の母への巡礼、              1751 魔女裁判、
 1806 バーデン大公国へ。

2.市壁  0.05km 0.02

   1285-86に市壁は造られ、北側のRempert通りに20+30mの市壁が小塔と共に
  見られる。

3.塔  1門0塔

 ケーニッヒシャフハウゼン門 (1286) 4市門の内唯一残る西門として、1319に初言及された。
     1581に3階建ての四角塔に改造され現存する。今、塔の中の監獄は、博物館と町の
   道化師同業組合の集会所になっている。

4.見所  D

   街並みを外れた畑の中の斜面に、小さな市壁で囲まれた集落があり、町の構成
  要素は一通り揃っている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (14c) 1527に2階建で再建され、玄関には1528の14の紋
   章が飾られている。
 市庁舎 Rathaus (1617) 巧みな石細工3階建て切妻のある穀物倉庫として建てられ、
   1973から市庁舎になった。この建物には後期ゴシックにルネッサンスもある
 聖マーチン教会 St.Martin Kirche (1200) 元は修道院教会としてルネッサンスで建てられ、14
   55教区権を授けられ、拡張して教区教会を新築したが間もなく壊され、1471後
   期ゴシック尖塔方式で拡大新築された。3階建ての塔は高さ39mで5つの鐘がある。
 カニの家 Haus Krebs (1775) 美しいバロックの住家として建てられ、どっしりした玄関
   と芸術的なバルコニィの手摺がある。
 チーズ博物館 Kaeserei Museum (1901) 百年間のミルク・バター・チーズの製造工程を展示して
   いる。
 前オーストリア博物館 Vorderoesterreich Museum (15c) 木組みの家にブライスガウにおける
   オーストリアの歴史を展示する。
 カイザーシュチュール郷土博物館 Kaiserstuehler Heimat Museum (1527) 旧市庁舎に、家財
   道具・同業組合の標識・チィンパニィ・鐘・境界石などを展示。

5.写真

市庁舎
北壁 北西壁

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エンゲン Engen BW35

1.歴史

 700 古い町に聖マーチン教会が設立、   1050-86 領主ヘーベンは最初の城を建設、
 1170 エンゲンの領主は城を強に構築、 12c マルクトの北に最古の着色の建物を建築、
 1489 初めて町と呼ばれた、         1404ルップフェン方伯の所有となった、
 1582 伯爵元帥コンラットは統治権を封土とした、        1635 ペストの流行、
 1639-60 フェルステンブルク公国の一部へ、  1640 反帝国軍兵士に焼け野原にされた、
 1796 仏軍による略奪と焼払い、     1800 仏軍が墺軍との戦争に勝利、
 1806 バーデン大公国に移行、         1915 大火事で32戸焼失、
 1975 全旧市街の健全化を始めた。

2.市壁  0.41km 0.39

   小山の上の旧市街地を12cに市壁が囲んでいた。主として西側に市壁は残る。

3.塔  0塔1塔

  市壁の東北の隅に見張り円塔がある。下の駐車場から上の旧市街に上る
   エレベーターがある。

4.見所  B

   小山の尾根に旧市街があり、小さいが南独で最も保存状態の良い中世都市
   が復元されている。
 市庁舎 Rathaus () 元々二つの後期中世的な建物が今の市庁舎を構成してる。1486
   には2階の大会議室が言及された。中央入口に五つの星の町の紋章がある。上
   階の歴史的な会議広間で、今でも町議会や委員会が開催され、中には、美し
   い梁天井と精巧な16cの暖炉がある。
 高い衛兵詰所 Hoch Wacht () 町の防衛施設の重要拠点として、高い衛兵詰所がスペ
   ンド路地の東にある。
 穀物倉庫 Kornhaus () オート麦倉庫とも言い、1世紀に渡り十分の一税倉庫として、
   その後町の穀物倉庫として使われた。巨大な正面には階段切妻があり道側は
   4階建その他は3階建である。1570北東の角に目立つだまし絵の張出しがある。
   19cに建物はビール工場の大麦貯蔵庫となった。
 クレンキング城 Krenkingeer Schloss () 起源はスタウヘン時代であり、1200には存在した。
   1640の火災の後に、1892-93バーデン風の役所に拡張改築され、中心に円形階
   段塔付きの2翼の建物が置かれた。
 浴場 Badstube () 旧町浴場はルーフェン通にあり、1440に言及された。当時の定めでは、
   浴場は流水の上に建てねばならず、衛生的な観点で使われた。その後時代
   の流れで、社会的・文化的な生活のための出会いの場となった。
 聖ヴォルフガング修道院 Kloster St.Wolfgang () 旧ドミニコ修道院は、1300ペギン会の
   定住地として建てられ、女性共同体を形成して、修道会規則に沿って生活した。
   1725ドミニコ騎士団につながれた。1629修道院教会が建てられ、
   1802世俗化後廃止された修道院にそれでも住んだ。1841建物群の一部は学校
   に使われ、教会の領域は監獄となった。今は町の博物館と美術館である。
 ザムルング路地 Sammlungs Gasse () 典型的な中世の町の建て方が、この細長い路地
   の通りに面して姿を見せている。昔ここには、聖職者や裕福な市民が住み、
   家は裏側を市壁上に乗せ、2-10番地には後期ゴシック2階建が立つ。
 郊外の民家 Buergerhaus in der Vorstadt () 北の郊外に、1558領主の代官ペーター
   ・ハウクによって建てられた。1620の紋章銘板は天使を示し、1831町の拡大で
   郊外地が含まれ、郊外地はマルクトの軽減のため街路市場として使われた。郊外
   地区の家々は市壁の上に前面と背面を置いている。
 町薬局 Stadt Apotheke (15c) 1827からこの建物に町薬局が収容された。1872の
   火事の後、今の状況に二つの構造体を結合した。
 マリア昇天市教会 Stadtkirche Maria Hmmelfahrt () 今の鐘楼は昔防衛塔として建
   てられた高塔であり、正面入口の後期ロマネスク装飾は見事である。教会の建設
   は1200-1250であり、15cゴシックとなり、1746-47バロック化された。1295か
   らの墓碑があり、伯爵ルッペンやパッペンハイムが埋葬された。
 パッペンハイムの家 Haus Pappenheimer (15c) マルクト広場のすぐ北側に堂々たる建物が
   領主の紋章付きで建てられた。文書には「領主の館」として記述さ
   れている。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
マリア昇天市教会 見張円塔
円塔
東北壁 東壁

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エッピンゲン Eppingen BW36

1.歴史

 985 オットー3世の寄付記録に初言及、 11c ザリエル朝、 12c ホーエンシュタウヘン朝の財産、
 1188 守られた郊外の新市場を言及、    1192 皇帝ハインリッヒ6世が町に昇格、
 1219 フリードリヒ2世はバーデン辺境伯に質入れ、1364-72 森林官はミュールバッハを購入、
 1479 選帝侯パラティーノは年2階市場開催許可、   1525毎週の市場開催権授与。、
 15-16c 町は経済と文化の全盛期を迎えた、16c 町は西に拡張し郊外に市壁を、
 17c 多くの戦争で町は衰退、    1803 帝国代理支配者終業でバーデンへ、
 1807 町に司令部役所設置、        1813 町にバーデン地方事務所設置、
 19c 町は管理機能で発展、建築ブームで市壁は取崩された。

2.市壁  0.15km 0.15

   12-13cに東側の楕円形の市壁が築かれ、多くは建物の基礎として残され
  ている。西側郊外部は15-16cに築かれ、同様に建物の基礎使われている。

3.塔  0塔1塔

 笛吹塔 PfeifferTurm (13c) 望楼として建てられ正方形6.9m高さ32m壁厚2mの町
   で最古の構造物である。階段112段で登る第6上階は、木製の住宅から見張所に
   なった。19c初めに門は終了し、1850-59刑務所となった。

 

4.見所  B

   旧市街の貴重な壁画や15-16cからの120の風格ある露出した木組の家があり、
  当時の町の経済力がうかがえる。後期ゴシックの教区教会も荘厳な内装がある。
 市庁舎 Rathaus (1823-24) 古典主義で建てられ、建物の前面は中央突出・バルコニィ・目
   立つ4本の門柱で構成され、小塔部には元レオンハルト礼拝堂にあった14cの鐘がある。
   2006-07市庁舎は西に近代的に増築された。
 教区教会 Pfarrkirhe (14c) カトリックの旧市街の聖母に捧げられた教会で、基石には
   1435の年号がある。内陣の塔は以前の古い教会から来ている。2階建のポーチの
   の上に1986の49鐘のカリオンが設置され毎時メロディを鳴らしている。内部の壁面に
   は多くの宗教美術作品があり、内陣塔にキリストと12使徒の場面が1320からある。
 カサリネン礼拝堂 KKatharinenn Kapelle (1450) 教会近くの旧墓地に聖カタリナ礼拝堂が建
   てられた。1805内陣は壊されたが、かっての礼拝堂の空間は、後期コシックのクロズ
   ボードは保存され、文法学校の広間・男子学校として使用され、1882-1973は福
   音幼稚園を収容した。
 旧郵便局 AltePost (16c) マンサード屋根フランクトラスの木骨造の家で、1515-88にカフェを営業
   した。1903砂岩ネオゴシックの建物となり、1904アールヌーボ-様式になった。
 商店 Kaufmanns Haus (1552) 旧市街の西への拡大に伴い3階建木組の建物が建てられ
   た。戸口の梁に1552の年号がある。今も元の木組の店で営業し、ルネッサンスの美しい
   彫刻が入口にある。
 都市在住農民の家 Ackerbuerger Haus (15c) ルネッサンスへの移行期の3階建木組切妻屋根
   の家で、木組間隔は狭く斜材が多い。
 市酒場 Rats schaenke (1483) 中世後期の2階建木組の典型的な形で、地下室と急傾
   斜の切妻屋根を持っていた。19c後半に屋根と上部木組の崩壊で除去され、あ
   らたに新築された。
 キツツキの家 Spechtsches Haus (1582) 隅柱の上に山背結節角材が立ち、木造控え支柱
   構造で窓が小さい。
 旧大学 Alte Universitaet (1494-95) 切妻幅12m軒幅16.5m高さ22.5mは、町で最大・
   最高の木組の建物である。初め百貨店として建てられ、地階の広間には肉屋の
   屋台が9台も並んでいた。2階は結婚式や公共のスペース、3階は穀物とワインの保存
   に使われた。1564-1465ペストで、ハイデルベルク大学の宿舎と芸術学部に使われた。
 パン屋 Baecher Haus (1412) この地区で最古の3階建木組の家で、中世の短く細い
   木組の外壁構造である。
 建設者の家 Baaumann'sches Haus (16c) 町でも美しい地階石積上階木組の3階建の
   家である。木組の模様が美しい豊富な彫刻があり、上階持出し・三段張出の切妻
   がある。
 浮かぶ切妻の家 Schwebegiebel Haus (1450) フローティング切妻が構成され、微細な構造
   の3階切妻がある。この家は復元されている。
 手工業者の家 Handwerker Haus (16c) 数年前に、漆喰を剥いで枠組みを露出させた。
 役所 Amtshaus (1781-84) 西市門の前に、バロック2階建石造の家が建てられ、1813-
   1924に役所として使われた。今は地方勤労局。
 旧養老院 Alte Spital(18c) 上階木組の建物に貧困層の養老院があった。1895迄使わ
   れ、その後町の病院施設となった。
 デルフィンの家 Delfine Haus (16c) 3階建上階木組の建物で、想像上の動物である二
   つのデルフィンの彫刻がある。

5.写真

市庁舎 市教会
笛吹塔 笛吹塔
木組家 北西壁

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エスリンゲン Esslingen BW37

1.歴史

 6C アレマン族がフランク王国の下で支配、   777 修道院に贈呈、巡礼が行われた、
 800 市場権が授与され、          866 文書で市場と町の拡大を確認、
 1213 多くの大建築物が建てられた、1284都市権を授与、貴族とギルドの共同管理
 1448-54 関税紛争が起こり、           1408 国会が開催された、
 1526 最初のプロテスタントの牧師、            1531 自由な説教の承認
 1618-48 30年戦争・洪水・ペストで人口半減、 1688 仏軍の占領、
 1701 大火で200戸が焼失。          1803 ヴィッテンベルクに帰属、
 1805-11 市壁や門の多くと聖カタリーナ病院を取壊した、
 1945 2次大戦の被害は少なかった。

2.市壁  0.210km 0.12

   1220に最初の壁で市場が囲まれた。1281に谷へ新しい壁で封鎖。1330上門
  郊外は含まれ28門50塔となった。1519-31に要塞は拡大された。18C末に市壁
  は取壊された。1850に残っていた外壁と塔を破壊した。
   北部の城山のBurgStaffel城階段に壁が残り、塔や屋根も付いている。城は
  貴族の居城だったが要塞の北部を形成した。1519-31壁・塔・屋根を強化。

3.塔  2門3塔

 Wolfs tor 1220建、町で最古の3階建ての塔、東の貿易路を守った。
   名前は外観から来ており、シュタウフェンのライオンよりもオオカミに類似性がある。
 Schelz tor 町の北西角の門塔であり、1993に復元され、今はアイスクリーム店。
   塔には矢が突き刺さり、その上に人形が乗って、時と共に動いている。
 PliensauTurm 1228建、古い石橋は16-18cに何度も修復された。
   中世の橋は南から内径13mの5アーチが残っている。この橋の中間塔は1819
   に、市側は1844に、外側は1837にそれぞれ壊された。この塔は1980に
   復元された。
 DickerTurm 1527 市壁の一部として建設され、尖塔は1887に配置され
   塔や基礎は1977に改修され、今はレストランが入っている。
 HochWacht 1527建、城階段の西斜面上の四角塔。

4.見所  B

  町の中を小川が流れ、大きな建物は小川の北側に立ち並んでいる。東の旧
   市街地には古い木組の家屋が多く見られる。
 内橋 InnereBruecke シュタウヘン朝から維持され、貿易のルートを構成した。
   橋の上には店が並んでいる。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1420建、美しい切妻の木造建物、1586-89時計
   塔と切妻面をルネッサンス風とした。1591稼働の天文時計がまだ動いている。
   1926に24のカリオンが寄贈され、1976にカリオンは補強されて200曲を奏でる。
 新市庁舎 NeuesRathaus 1748-51建、ゴットリープ男爵の宮殿として建てら
   れた。1841から市の所有となった。
 聖母教会 FrauenKirch 1321建、古いゴシックの3身廊ホール式教会でシュパイヤーに
   属した。1516に高さ72mの塔を付加。1330のステンドグラス、最後の審判のポータル。
 新教教会 Ev.FranziskanerKirche 1237設立、1300本陣を建て、聖書の
   ステンドグラスを付け、1390南壁に絵画を描いた。宗教改革後市の所有となった。
   1668に一部壊された。1840本堂のバジリカを壊し、今では内陣と修道院の両翼は
   1908-12に改修された。1999-2004改装された。
 聖パウロ大聖堂 MuensteSt.Paul 1233建、初期ゴシックの旧ドミニカ修道院の壁
   内に大聖堂建設を開始した。1268主祭壇ともう二つの祭壇を完成した。
 ニコライ礼拝堂 NikolausKapelle 1350建、最初の文書記述、16Cに閉鎖、
   1822-48工場を収容、1956戦争犠牲者の記念碑として再建された。
 聖ディオニス教会 StadtKirchSt.Dionys 13C建、8Cの身廊教会があり、今日
   の教会はゴシックの身廊に1272北棟、1310南塔、頂上を繋いだ2角塔の教会。
   内陣窓にゴシックのルード画のステンドグラス、後期ロマネスクの柱。地下は1960-63発
   掘の出土品。

5.写真

市庁舎 プリーンザウ塔
太い塔 シェル門

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エッテェンハイム Ettenheim BW38

1.歴史

 712 町の創立者はストラスブルク大司教、   810 ザンクトガレン修道院の文書言及、
 12C 大司教から市場権を授与された、 1302-04 アルブレヒト王から都市権授与、
 15C 町の経済の最盛期であった、    1452 今日の旧市街地の病院建設、
 1637 スエーデンや仏との戦いで町を全焼 、  1716 新しいギルド制度を取得、
 1803 バーデン大公国になる、        1848-49 バーデン革命軍の拠点、
 1849 暴動後プロイセン軍の占領2年間、   1945 2次大戦後に仏軍が進駐。

2.市壁  0.04km 0.01

   内壁はGartenhausの西側の基礎となった。OberTorの外側には円壁の延長が
  あり、その上に幾つかの建物がある。

3.塔  2門0塔

 上門 OberTor 壮大な塔は無くなり、1778から前門しかない。前門のアーチの上
   にストラスブルクの紋章がある。
 下門 UnterTor この門の昔の塔は、刑務所として使われ、1844に塔は壊された。
     門の前面にはストラスブルク教区とエッテンハイム町の紋章が飾られている。

4.見所  C

    ストラスブール大司教の支配を百年受けた小さな町であるが、古い木組家屋.教会
  等見所がある。
 市庁舎 Rathaus 1757 マルクトに面して破風付3階建で、多くの時代に改造された。
   アーチのアーケードが付けられ19Cに拡張された。正面には町の創設者の像と町の紋章
   が飾られている。今日、穀物広場は改造され市民の集会場。
 管理人宿舎 AmtsSchaffnerei 木組の管理人宿舎であり、死後ObereApothekeと
   なった。
 旧管理人宿舎 AlteSchaffnerei 1619建、領主は昔の管理人宿舎の中に十分の一税
   ワインを収め修道院へ供出した。尖塔上の紋章で建設主が示される。
 ロハン邸 PalaisRohan 1560 石造2階建の館、貴重なカーペットのタペストリーは2階の会議
   室に飾られている。
 刑務所 Gefaengnis レンガ造5階建、大きな穀物とワインの倉庫で市壁の背後に十分の
   一税を収めたが、1843-1927に1/3が刑務所となった。今は市立図書館とレストラン
   と市民の集会場として使われている。
 庭小屋 GartenHaeuschen 1877建、昔の内側の市壁がその建物の西側の基礎とし
   て使われた。その物置小屋は1877から牧師館の庭の角に立つ。
 博物館 EttenheimMuseum 以前の刑務所が穀物倉庫にあった後に、博物館が入っ
   ている。アーチ型の地下室に、町の歴史や芸術が展示されている。

5.写真

市庁舎 下門
上門 聖バルトムス教会

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エットリンゲン Ettlingen BW39

1.歴史

 788 ヴァイセンブルク修道院の寄付証書に初言及、965 皇帝オットーは市場権授与、
 1192 皇帝ヘンリー4世は市場で徴税・市壁着手、 1219 バーデン辺境伯ヘルマンが領主、
 1462 バーデン辺境伯ヤーコブ1世は製紙工場建設、 1689 プファルツ承継戦争で全焼、
 1727 辺境伯夫人は城をバロックで再建、     1805.09 ナポレオンが城に滞在、
 1836 紡績工場を建設。

2.市壁  0.55km 0.49

   12cアルプ川から南の旧市街地は、二重の堀システムで守られ、北側の旧市街
  は簡素な防備システムであったが角の見張塔で守られた。堀と壁の機能の保持
  に町の財政は困窮した。1689の仏軍による市壁の破断で、壁の防備効果は
  失われた。18cに、堀は排水されて牧草地になり、今は大通りにもなった。
  高さ7mの市壁は、中世の町の周囲を囲んだが、19cに大部分が壊された。

3.塔  0門1塔

 見張塔 Lauer Turm (12c) 北西の角に立つ円塔で唯一残された。
   塔の外側に14cからの紋章が飾られている。

4.見所  C

   1689プファルツ承継戦争で仏軍により町は全焼させられ、復興に30年を要
   したため、古い建物は少ない。

 市庁舎 Rathaus (1738) 1689の火事で前庁舎が焼けた後に、バロックの市庁舎が建て
   られた。五軸の造形の対称的な建物で、渦巻模様の切妻と町の紋章を掲げる。
   2階バルコニィには、バーデン辺境伯の紋章がある。1892西に拡張され、1963に3階
   の上の切妻に色付きガラス窓が付けられた。2階の窓には1689火災後の場面
   が描写られている。
 宮殿 Schloss (1727) 城の成立と発展の歴史は、中庭への通路の図にある。1803
   世俗化後、1845から礼拝堂は新教住民に使われた。紡績・機織工場が設立さ
   れ、1836技能工が移って来たので、アザム広間はセイネポヌックの生涯が天井画に
   アザムによって描かれた。17870-1911士官学校として、1884四つの会社に
   使われた。1936ラインラント兵舎となり、1927城に博物館が開設された。
 マーチン教会 Martins Kirche (1733) 教会の西正面は守護聖人の姿で支配されている。
   1689戦災の後に今の姿に構築され、1733に完成した。
 木組住宅 Fachwerk Haeuser (18c) 1689に木組の家は焼け、18cその基礎の上に
   再建された。
 バーデン館 Badischer Hof (15c) 旧役所今のバーデン館は、大きな建物でゴシックの入
   口に地下室があった。元十分の一税の農産品倉庫で、建物の壁の凹みには、
   15c砂岩のマドンナと子の像がある。
 イエズス会学院 Jesuiten Kolleg (17c) イエズス会学院はティアティアリウム卒業生の教育に使わ
   れた。1783イエズス教団の解散で、教師のセミナーが1836迄行われた。
   1926には税務署が入っている。
 木組の家 Fachwerk Haus () 昔の収税所の場所に建てられた木組の家は、1980年
   代の旧市街地健全化の中で復元された。

5.写真

マルクト広場 宮殿
マーチン教会 市壁柱
見張塔 北西壁
西壁 南西壁

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ホーヒテンベルク Forchtenberg BW40

1.歴史

 771 Vuelfingenとして初言及、 1042 コツファーガウ侯爵がVuelfingenを支配、
 1210 城と城下の集落と壁の建設、     1234 コンラッド・デューンは城を完成、
 14c Duern侯爵家継続でホーエンローエに移された、  1399 城と町は入質された、
 1438 アルプレヒト1世未亡人は城を居城に、 1500 ホーエンローエは帝国評議会に加入、
 1806 ヴェルテンベルク王国のエーリンゲン地区へ含まれた、
 1770-1816 飢饉があり1852墺に1875米国へ強制移住、1945 空爆で1/3が破壊。

2.市壁  0.61km 0.98

   13cからの市壁は、改修されたり保存されたりして、今も殆ど残されて
   いる。

3.塔  2門2塔

 ヴュルツブルク門 Wuerzburger Tor () 北の門で東側が欠けている切妻
   の3階建の門である。
 泉門 Brunnen Tor (1724-25) 西の門で新しい門とも呼ばれる。北側が
   欠けた3階建の切妻付の門。北外側にも家屋がある。井戸が置かれていて、
   1891に門と門衛詰所は取り壊された。
 市民塔 Buerger Turm () 南西の隅の角塔で4階建の高い殻塔である。
 泥棒塔 Diebs Turm (16c) 北西の角に立つ角塔で、地下室に泥棒や犯
   罪人を拘置してこの名前が付いた。1774大規模な改修が行われ、良く保存
   され、1922ユースホステルとして4年間使われた。1949からは博物館を収容。

4.見所  B

    コッハー川南岸の小さな町である。旧市街地には多数の木組の家があり、
    保存あるいは再構築された市壁・門・塔と市壁上の家屋が、1300と1587を中
    心に建てられ、往時が偲ばれる。北部に元石膏鉱山があった。

 市庁舎 Rathaus (17c) 地階に連続アーチのある3階建の建物。
 市教会 Ev.StadtKirche (1300) 聖ミカエル教会は、デューンの侯爵から贈与
   された。最初の教会には内陣の上にタレットがあった。1648の最古の鐘は屋根の
   タレットに架かっている。1688の現在の塔にはタマネギドームが付いている。教会全
   体は数回改修されてきたが、1934には解体・再構築された。
 ケアンの家 Kern Haus (1470) 1691迄芸術一家ケアンの木組住居であった。
   そのご石工で彫刻家のツーリッショラブが住み、背面には工芸品・農機・家庭品の歴
   史博物館がある。
 旧パン焼き場 Back Haeus (15c) 2階建木組切妻の家で、町の時計塔と
   して、時計を掲げた。
 パン焼き家 Fachwerk Haus (1838) 西側の市壁の外に、1463から古い公
   共井戸があり、1606に時計塔が建てられた。1831時計付の家が建てられ、18
   38火災防止のためパン焼場が建った。補修され時計の家・パン焼き場は現存。
 フォルヒテンベルク城跡 Ruin Forchtenberg (1234) Duern家のコンラートが建て、
   14c初めにはホーエンローエ・ヴァイカースハイムの王宮となり、その後は未亡人や廷史が住
   んだ。長さ92m幅50mのドイツでも大きな城であった。30年戦争ではスエーデンが
   要塞として使い、1655まだ十分の一税の大きなワイン樽が地下室にあり、1680
   に樽の拡大が行われた。城の遺跡は1850に販売され、石採り場として崩され
   た。1937マイスターが取得して保全を図り外壁と地下室が残された。1996中庭に
   展望塔が建てられた、。
 旧石膏鉱山 (1600) 町の地下には石膏鉱床があり、1600頃から採掘が
   が行われた。住宅や市壁が採掘の被害を被ったため、1900年に中断された。
   1933長く深いトンネルを掘って建設資材や肥料を生産したが、1948に終了した。

5.写真

市庁舎 ハウプト通
市民塔・北壁 ヴュルツブルク門
西壁

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フライブルク Freiburg BW41

1.歴史

 1008 入植地の初文書言及、    1091 ツオーリング侯爵はレオポルド城を構築、
 1120 市場権と都市権を貸与、       12c コンラッド1世による都市の造成、
 1200 銀鉱山の収入で大聖堂を建設、 1218 ツオーリング家の断絶後ウーラッハ伯家が支配
 1368 金で市民権を買いハプスブルクの保護を求めた、1515 農民戦争で占拠された、
 1632-44 スエーデンとバイルンに占領された、   1677.1713.1744.1796 仏軍の占領、
 1815 ウイーン会議でバーデン大公国へ帰属、1914 1次大戦仏空軍の爆撃、アルザスを失う
 1944 空爆被害、1945仏軍の占領、   1951 バーデン・ヴュルテンブルク州に統合。

2.市壁  0.02km 0.01

   13cの市壁は,宿屋赤熊の市壁を切開いた車庫の入口に市壁全高が見られる。
  1677仏軍は市壁を破壊して、旧市壁の周囲に8要塞を着工し、ハプスブルク家が完
  成させた。1745仏軍は撤退時に要塞を徹底的に破壊した。

3.塔  3門0塔

   中世の5門の内3門が残り、Christoffels Tor(-1704)、Lehoner Tor(-1713)
  Prediger Tor(-1866)は壊された。その後町は郊外に拡張し2市門が補われ、
  そのうち1門が残り、Schnocken Tor(1314-1842)は壊された。
 Martins Tor(1238)4階建て角塔は、数回再建され、17cには聖マーチンの肖像画が飾
   られ、1851何回目かの描き直しが行われた。1901門塔の隣に3階建ての塔
   を付けて車を通した。塔の西に付けられた守衛詰所は今マクドナルド店である。
 Schwaben Tor(1250) 中世にはOber tor と呼ばれ、5階建ての角塔で、1572
   階段塔が付けられ、1900北ドイツ風階段切妻の門が東側に付けられた。
   1903町の守護聖人の像が追加された。1954塔は部分的に元の姿に近
   づけた。1969私立博物館が置かれ、農民戦争などのジオラマがある。
 Breisacher Tor(1677)仏軍要塞の残りで1745の破壊を逃れた。2階建の建物は
   19cに建てられ、その後学校として使われ1903東翼が壊され、2次大戦
   でも壊れ、1950-51復元されて2007まで保険事務所が入っていた。

4.見所  A

   町の中を水路が走り、爽やかな町である。ロープウエイで城山に登ると、大聖堂
  市庁舎・大学・修道院などが眼下に眺められる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (13c) 町の行政のためフランス広場に細長い建物を取得
   し、1559から事務を執り、1578隣家を購入し拡張した。1944に空爆で
   破壊され、1999-2002に改修されされた。
 新市庁舎 Neues Rathaus (16c) フライブルク大学で使われていた二つの市民の
   家を、1901地階部分をアーケードで繋ぎ、1944市庁舎が移転した。
   ルネッサンスの張出窓には、一角獣の浮彫が見える。
 古い守衛所 Altes Wache (1733) 元中央守衛所は、1830衛兵が民間となり、
   1883-79診療所、1888美術館となり、今はバーデン・ワインの家である。
 大司教館 Erzbischoeffisches Palais (1756) ブライスガウの騎士のために建て
   られ、その後国民議会の集合場所、1806大公の宮廷として使われた。
   1824大司教に移され、大司教の宮殿として1832まで使われた。。
 旧商館 Historisches Kaufhaus (1376) 自治体百貨店は背面を拡大して1532
   に今の規模になった。1550バルコニィが付けられ、1744戦災の後に再建さ
   れ、1814前面改修、1884建物を昔風に改装、1988大規模修繕、1947-51
   バーデン連邦の議場として使われた。赤いゴシックの建物で、尖った屋根の
   張出と見事な瓦屋根を持ち、地階はアーケード造りとなっている。
 宿屋赤熊 Gasthaus zum Roten Baeren (1120) ドイツで最古の宿屋で、その壁
   は市の創立以来の基盤の上に立っている。1744仏軍は撤退時に要塞を
   破壊した影響で、ロマネスク・アーチの家は大部分が崩れ、現在の堂々とした
   バロックの建物が建てられた。1957前面に紋章と建物の歴史が描かれた。
 大聖堂 Muenster (1200) 壮大な後期ロマネスク・ゴシックの教会で、翼廊と八角形の
   雄鶏の塔は未だに残っている。西に向かって工事が進められゴシック化の
   経緯が見られる。1330に高さ116mの正面塔が完成し153段の階段で登れ
   る1354新しい大規模内陣の工事が始められ1513にやっと完成した。身廊
   には2列の優雅な柱列があり高いリブアーチがある。内陣には1512-16中央祭
   壇に聖母戴冠の絵画がある。
 マーチン教会 Martins Kirche (13c) フランシス会の町の中心の礼拝堂で、1262-1350
   修道院が建てられた。教会の中は1713-14にバロック化された。1944空襲で
   教会や修道院は壊されて、通路と西切妻の外壁のみが残り、1949に教会
   は修復を始めた。1955古い集会室のある牧師館の修復した。
 ヴェンツインガーの家 Wentzinger Haus (1761) 画家で彫刻家のクリスティアン
   ・ヴェンティンガーが建てた住居で、大聖堂広場の南側にバロックの階段吹き抜け
   が保存され、市歴史博物館が収容されている。

5.写真

市庁舎 ブライザッハ塔
百貨店 石積

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フロイデンシュタット Freudenstadt BW42

1.歴史

 1599 ヴュッテンベルク公のルネッサンスの都市計画、    1601 人口3.5千人を目指す、
 1632 火事で町の半分を失う、    1634 30年戦争で町は荒廃、ペスト流行、
 1667 町の防御施設の建設開始、      1670 新都市を再編成して建設、
 1674 城壁の完成、                  1868 城門の破壊、
 1877 市長は標高の高い有名リゾートを目指した、
 1945 2次大戦の仏軍砲撃で95%破壊。

2.市壁  0

   見当たらない。

3.塔  1門1塔

   見当たらない。

4.見所  C

   ルネッサンス都市計画の四角街路の様子は見て取れる。中央広場の規模が大きい。
 マルクト広場 MarktPlatz 1599 219m×216mのドイツで最大の広場は建物で囲まれ、
   50の噴水のあるん流れる水面をは1999に造られた。
 町役場 Rathaus 1953 北 市役所の会場中は43mの塔に登れる。市長の肖像
   画のギャラリィがある。
 町公会堂 StadtHaus 1945-54建、戦災復興時に建設された。今郷土博物館で町
   の歴史.手工業と旅行案内の展示がある。町の図書館も併設。
 新教教会 Ev.StadtKirche 1601-08 角が鍵型のルネッサンス教会、1945破壊され原型
   に合わせて再建された。石の洗礼盤、ロマネスクの聖書台、ゴシックのキリスト十字架像、ゴシ
   ックの尖った窓がある。鐘楼には大きな鐘2と小さな鐘5と時計がある。
 木組の家屋 ReichSchtrasse 1871に王国にちなんで付けられ、歩行者専用道路と
   して屋外カフェと商店が並んでいる。

5.写真

市庁舎 下マルクト広場
市教会

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フリディンゲン Fridingen BW43

1.歴史

  861 ザンクトガレン修道院文書に言及、  1372町に昇格し墺大公から町憲章を得た、
 1381 墺ホーエンベルク伯爵領とした、    1536 墺イフリンガーは城と町を買戻し封土、
 1793 墺イフリンガー家は自分の財産とした、     1806 ヴュルテンブルク州となった。

2.市壁  0.20km 0.21

   閉じられた壁の中には、農家.手工業者.貴族の住家として機能的は木組家が
  つくられた。壁の中にあるイフリンガー宮殿はホーエンベルク家の管理者であった。
  市壁は、市壁の上に造られた墺双頭の鷲の紋章のある風格ある十分の一税倉庫と
  教会通りの家々の基礎に見られる。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   木組の家がある以外には、見るべきもののすくない、小さくて静かな町。
 市庁舎 Rathaus (14c) 古いゴシックの町役場があり、1876-77に今の古典的な様式の
   庁舎に建て直された。ここに市議会と地方行政連合ドナウ・ホイベルクが置かれた。庁
   舎と旧墓地との間に小さな修道院があったが1851に廃止され、塔には町の拘置
   所があったが、何れも1914に焼失した。
 聖マーチン教会 StadtPfarrKircheSt.Martin (15c) ゴシックの塔のある教会を、1851-53に
   西塔とネオロマネスクの凝灰岩造とした。1971-73教会は完全に改修された。なかには、
   1420の祭壇・側壁画・彫刻がある。
 イッフリンガー宮殿 Ifflinger Schloss (1330) ホーエンベルクのハインリッヒは堀・塔・住居のある城を建
   て、中庭には農場建物・使用人住居等が建てられた。1381オーストリアのホーエンベルクに買
   却され、1793迄その家族が所有した。1793町は城を取得し、救貧院・学校・工場・
   クラブ室等に使った。火事で3階が壊れ、1977改修をはじめ1963町図書館、1974博
   物館を収容した。
 リッツェンベルク Litsschenberg (15c) 町で最も古い部分で、その建物は15cに遡る。東の
   壁には最大1.8mの市壁が組込まれている。
 宿屋:シャーフェック Gasthaus Scharfeck (1554) 上門があった近くに、保存状態の良い木
   組の建物がある。1860から宿屋である。
 古い司教館 Altes Pfarrhaus (1670) 司祭館は、1928個人所有となり、1973建物は
   美しい切妻の木組の家を地区貯蓄銀行が建てた。
 十分の一税倉庫 zehntscheuer (1381) 穀物の十分の一を納税した風格のある倉庫で
   1764にオーストリアの双頭の鷲を掲げている。1381-1806はオーストリアに属した。この建
   物は、1887救急病院に、1890学校として使われた。

5.写真

市庁舎・聖マーチン教会 南壁
南東壁 東壁

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ガイルドルフ Gaildorf BW44

1.歴史

 1260 シェンク・バルターの証書に初言及、   1280 王ルドルフはリンブルクの衝突で勝利、
 1286 ラーベノルデはコンブルク修道院へ贈与、   1374 ラーベノルデはこの村の城を所有、
 1399 コッファー川木材運送関税条約に記載、1404王ルプレヒトは市場・町防衛の権利付与、
 1482 シェンク・アルブレヒト3世は王宮を建てて定住、   その後250年間王宮があった、
 1690 シェンク家の断絶後ブランデンブルク選帝侯が占領、  1778リンブルク侯爵が宮殿建設、
 1806 ドイツ帝国解散後ブランデンブルクの郡庁、1868 大火災で城・教会・46建物が焼失、
 1806 戦災で城・教会の再度の破壊。

2.市壁  0.13km 0.21

   1404-80シェンク家のフリードリッヒ3世は市壁・隅塔・屋根付き壁上通路の建設を始め、
  息子のコンラート4世が完成させた。今は、川沿いに断片が残る。

3.塔  1門1塔

 ブランデンブルク小門 Brandenburg Toerle (15c) 市壁の一部にある小さな通路で、17
   13の断絶後のブランデンブルク選帝侯の占領があり、その後子の正門にはその名前が
   付いた。3市門は残っていない。
 隅塔 Eck Turm (1520) 四隅の塔は10-12mの高さで、石の基礎の上に木製の塔が立っ
   ていたが、木の部分は1790に取外された。塔は、守衛所や刑務所と
   しても使われた。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (14c) マルクト広場に立つ3階建の木組の建物は、1814迄まで
   庁舎として地階は市場・上階は評議会室であった。1813-1967市庁舎は旧宮殿に
   移された。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1846) 今は新宮殿西の別荘へ再移転している。この建物は
   1846に別荘として建てられ、1880.1896に拡張された後、新宮殿は夏の離宮とし
   てヴュルツブルク・リムブルクの所有であった。2次大戦中に分宿を免れたが1945米軍に接
   収された。1954に町は宮殿と公園を取得し、1946老人ホーム、1967市庁舎となった。
 旧宮殿 Altes Schloss (14c) 要塞の場所に1399シェンク家のフリードリッヒ・リムブルクが宮殿を建て
   繰返し拡張・建て直された来た。1464北東の隅の木組の建物、1482旧西壁の門家
   が建てられ、1482シェンク家のアルブレヒト3世は王宮とし1713迄使用された。その後1757
   まではシェンク家の夏の離宮として子孫が使った。今は市博物館や催物会場である。
 新宮殿 Neues Schloss (1778) 川の北側に、新しく風格のある宮殿をビュックラー・リムブルク
   が建設した。
 聖ファイト市教会 StadtKirche St.Veit (1417) ホーエンローエ・シェンク・フレデェリック3世未亡人エリザベート
   がマリエン礼拝堂として建て、息子コンラッドが寄進し、その後後期ゴシックの大教会とな
   った。1868に大火事で焼け、1870ネオゴシックで再建された。1945砲火で破壊され19
   49ネオゴシックで再建献堂された。
 湯屋 Bad Stube (1503) キルヒ通の終点ブランデンブルク小門に、2浴場があり、蒸留窯で沸か
   された。今は存在しない。
 旧穀物蔵 Alter Speicher (1490) 2階建木組の建物は、最初十分の一税倉庫と穀物倉庫
   として使われた。その後醸造所としてリムブルクルクの居酒屋を務めた。ゲストハウスと醸造所
   :鹿と獅子を結ぶ地下トンネル網がある。
 城代官館 Burghof VegteigebaeudeGasthaus Scharfeck () 裏中庭は町の経済の中心地
   であり、農民からの納税生産物は、1967に取壊されたKameral amtに収容された。

5.写真

旧市庁舎 旧宮殿
北壁 北壁

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ゲンゲンバッハ Gengenbach BW45

1.歴史

 8C アレマン公国にあり修道院が置かれた、 1007 ハインリッヒⅡの統治、
 1287 最初の言及、教会の周囲に集落、 1358 都市権の授与、市壁と堀で守る、
 1366 帝国自由都市となった、       1374 バンベルクの領主司教となる、
 1384 町の壁は拡大し改善された、    1555-56 ペスト蔓延、
 1632 30年戦争スエーデン軍を退けた、   1643 3門は焼かれ2塔は爆破、
 1678.1689 仏軍の占領、          1713-90 比較的平和な時代、
 1803 バーデン大公国となる、修道院の廃止。

2.市壁  0.26m 0.31

   最初の市壁は12C中に建てられ、東南部にある最初の市壁は、ツインガ-.水堀.
  土堤のある二重壁で補強された。100年後も屋根付き壁上通路が残っている。
  1991から市壁の復元を行っている。主として東半分の市壁が残っている。
  EngelGasseでは市壁の残りが家の奥の壁として使われており、同じくFaeber
  Hausでも市壁を奥の壁としている。

3.塔  2門3塔

フレデェリック

   14-16Cの防御塔が5つ残っている。
 上門塔 OberTorTurm 4階建角塔で2階に屋根付きの置き場が張り出す。
   この門には今も垂直の落し格子がある。1689に四角の上に八角の尖塔が
   つけられた。1816に町側に時計と紋章が付けられた。
 キンティッヒ門塔 KinzigTorTurm 帝国自由都市の再重要の入り口、夜警・消防
   時間発声に使われた。4階建角塔であり、2階部に部屋が張り出す。1991に
   改修が行われ落し格子も再補修された。今は博物館となっている。
 高位聖職者塔 PraelatenTurm 大聖堂の後部を強化して塔を築いた。3階
   建の角塔、1750に円塔を庭の家に改造した。
 ニゲル塔 NiggelTurm 1582建、14Cに基礎工事16Cに八角塔が四角の上に立
   った。見張と刑務所として使われた。この地域は1789に焼失したが、孤立し
   て残った。隣にある1747の木組の家は、染物の家で材料を乾燥させた屋根裏
   部屋が今も見られる。
 スエーデン塔 SchwedenTurm 町側に開いた半円型の塔に鉄の階段が付けられ
   ているので登れる。

4.見所  C

   中世の雰囲気のある建物が道に並んでいる。多くの木組の家もあり、
  色々な博物館も面白い。
 旧町庁舎 AlteRathaus 1784建 前面はロココ的で窓が多く、屋根中央の
   三角破風がアクセントとなっている。
 穀物倉庫 KornHaus 昔の売場と穀物倉庫で、町の十分の一税の徴収と
   保管が行われた。1689の火災で焼失後に1696ルネッサンスの前面で再建された。
 ライオン山荘 PalaisLoewenberg 18Cから町の名士が住んでいた。陸軍元帥
   が有名。今は博物館。
 ヨハネ教会 JohannesKirche(1263) 聖ヨハネ騎士団が教会と修道院を建てた。
   1770にバロックの新教会として建て1777に側廊を拡張。中には15C二人のマドンナ。
 天使横町 EngelGasse 上の階がせり出した木組の2階建が連なっている。
   また、すべての家は通りから出入り出来るワイン庫がある。
 聖マリエン教会 StadtKircheSt.Marien 12C建、元ベネディクト会の修道院で
   ありバロックの塔がある。1896に明るいバロックで再建された。
 博物館 WahrGeschichtlicheMuseum(KinzigTurm) 軍事史博物館
        NarrenMuseum(NiggelTurm) 馬鹿博物館。

5.写真

上門 南東壁
東壁 西壁
開墾塔 下門

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ゲルンスバッハ Gernsbach BW46

1.歴史

 12C末 シュパイヤー司教は入植地を開いた、  1219 最初の文書言及、
 1219 すでに、市場や教会は壁で囲まれた、1272 郡の中心地として開発された、
 1488 木材業や製材業が興る、       1660 バーデンとシュパイヤー司教が競合、
 1787.1798 町は大火で焼かれた、     1803 バーデンvユルテンブルク州に帰属、
 1849 革命軍と連邦軍の戦いで町を破壊、1872郡庁舎はラシュタットに移り寂れた。

2.市壁  0.64km 0.52

   13c中に、小高い丘の上に市壁は建てられ、西側は山に深い空堀を設けて二
   つの塔で守った。市壁は、西側は塔を繋いで南側は殆ど繋がって残っている。

3.塔  0門1塔

   昔4門あったが、19Cの始めに交通のため壊され残っていない。
 コウノトリ塔 StorchenTurm 1449建、片側の高い市壁は切り取られた。1915まで
   コウノトリが巣を作ったので名付けられた。中には82段の階段がある。

4.見所  C

   丘の上に古い木組みの建物が坂道の両側に幾つか残されている。
 旧町庁舎 AlteRathaus 1618建、バーデンフッガー辺境伯が息子のために建てた邸宅、
   切石造り3階建、北入口は大きな出窓と窓飾り、壮大な前面、バルコニーに二
   つの日時計が付いている。正面は非対称、西側は木造で対照的拡張の計画
   はあった。1715-1936市庁舎として使われた、市は鐘楼塔を増設。
 カソリック教会 1388建、初め礼拝堂があった所へ、聖母教会は15Cに市壁の防御塔に
   身廊を取付けた。1970-71に広く改造されネオゴシックの部分をゴシック
   に戻した。
 百戸倉 ZehntScheuer 16C建、十分の一税の穀物倉であり、1784に再建
 マルクト広場 MarktPlatz 木組の家が並んでいる。

5.写真

市庁舎 南壁
西壁 コウノトリ門

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ギーンゲン Giengen an der Brenz BW47

1.歴史

 6c 最初の集落とキリスト教教会があった、    1078 最初の町としての言及、
 1391 シュタウフェン皇帝フリードリッヒ1世は町に市場権、1395 町はシュバーベン同盟に参加、
 1603 プロテスタント連合に参加、帝国自由都市として全盛期へ、工芸品・農業・交通、
 1634 30年戦争で町は大火で全焼、      1802 ヴュルテンブルク王国に帰属、
 1809 上部ハイゲンハム事務所に属した、      1872 町は今の区域になった、
 1999 バーデンヴュルテンブルク州の町となった。

2.市壁  0.17km 0.10

   旧市街の右端の山頂に旧市壁が100m残っている。西南のフレンツ川沿いの3半
  円殻塔を含む新市壁が70m残っている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

 市庁舎 Rathaus (1667-71)
 市教会 Stadt Kirche (13c) 不揃いの塔のある町の象徴的な建物で、片側の塔は
   シュタウヘン時代の防御施設の存続したもので、隣の礼拝堂と教会塔を含めて拡張
   ・ゴシックで新設された。1634に30年戦争で壊され、1655に補修された。17
   11にはバロックで再建された。
 市博物館 Stadt Museum () Huerbenの旧市庁舎に、一つの重点として旧石器時
   代からの人類分類学を形成し、珍しい古代鐘型壺の展示もある。帝国自由都
   市時代の優れた手工業・錫・時計等の作品や作業場がある。
 スタイフ博物館 Seiff Museum () テディベア製造のシュタイフ社の工場が旧市街の西にある。
   円筒形の博物館が開設され、シュタイフの国・時代別製品・蛇の滑り台・売店・
   ビストロなど多彩な内容である。夏9.30-19時、冬10-18時に開場。

5.写真

市庁舎 マルクト通
市教会 織物館・マルクト通
要塞 要塞

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グロスボットヴァー Grossbottwar BW48

1.歴史

 779 伯爵のフルダ修道院への贈物書に言及、 13c リヒテンベルク領主は町を設立、
 1357 ヴュルテンブルク侯爵に市壁の町を売却、   15c 郡庁所在地であった、
 1525 農民戦争に大きな役割を担う、17c 30年戦争と仏軍の略奪で人工激減、
 1816.17 凶年で多くの家族が町外に移住。

2.市壁  0.23km 0.53

   1279に初めて市壁が言及された。リヒテンベルクの領主は市壁と塔を築いて市
  場を守った。14cの市壁のあった位置は意外と内寄りである。北西部のFeler
  Gasseの北側には市壁の荒石積が残る。1830からは塔や壁の大部分は壊され、
  石材として使われた。 

3.塔  1門0塔

   1828木組のに取壊された上門・教会通りのTuelinstorturm・下門・西の隅の
   小さなKarzerturmの4門塔は取壊され、唯一Muehltoerleが残っている。
 粉引小門 Muehltoerle (13c) 市民の粉引場の側に、3つの小さな避難門があり、
   火災時には速やかに市壁の外に避難できた。

4.見所  B

   旧市街地には、多くの15-17cの木組の家が多く残り、中世の雰囲気を醸
   している。マルクトは、大きな木組の美しい建物に圧倒的に囲まれている。
 市庁舎 Rathaus (1553-56) 老朽化し2回目の建物として、今の美しい庁舎が建て
   られた。地階はオープン・アーケードの市場であり、2階は町の祝祭会場3階は市議
   会場と裁判所であった。1776前面の美しい切妻が更新され、市の紋章のコウ
   ノトリが描かれた。1984-86建物は復元されている。
 マーチン教会 Matin Kirche (13c) 木造の元の建物教会に代わって、1270単塔の幅広
   い後陣の塔が建てられた。14953階建長方形の塔には八角形の鐘楼と塔幅の
     身廊に変換された。1791-92広範な補修が行われたが外形は変わっていない。
 旧湯屋 Ehem.Badhaus (15c) 3階建で偉大な木組の複合体は、1458銭湯として以前
   のミュールガッセから移ってマルクト広場に形成された。1718宿屋:アドラーとして再建さ
   れ、1754にはほぼ完全に建物は更新された。後にポスト馬車の中継所になった。
 市民の家 Buergerhaus (15c) 木組3階建の有名な市民の家で、1525農民戦争で市民
   は家から出た。1550パン屋を設置した。今でも高級料理店である。
 町の酒場 Stadtschanke (1434) 地区で最古の全木組3階建の建物で、過去500年以
   上の火災や戦争を生き延びた。上階枠組持出工法で造られた。12cmの壁厚に
   する工法が複雑なため高価な建物になっている。最初の持主は聖職者であっ
   た。
 旧新教教区会館 Ev.Gemeindehaus (18c) 18c後半の代表的な大型木組の建物で、元
   建物で、元墓場の場所に農場と共に建てられた。その後、食料雑貨商店付き
   住居・商館・電信局付き郵便局・化学洗浄所・ラジオテレビ商店として使われた。
   1992-93全般的に改築され、新教の教区会館となった。
 旧修道院収穫物倉庫 Ehem.FruchtKasten () 修道院の持物で3階建収穫物の収納蔵
   であった。19c初めに世俗化され、ヘンダーリンが住んでいた。大きな建物の西側
   はかっての市場の上に立っている。
 旧僧院長収穫物収容所 Ehem.FruchtKasten () 元僧院長館の収穫物の木組2階建の
   納屋であり、その後、宿屋:グンネポストの属し、食料品の収納スペース。
 代官の家 Vogthaus (14c) これは領主に任命された代官の住居と行政の場であった。
   リヒテンベルクの小さな領土を1357に販売した後、この町の役所が創設された。1807
   町は役所の資格を失いバイルシュタイン郡となり、1810マールバッハ郡に割当てられた。
 アウラッハの家 AuracherHaus (16c) 地階石積上階木組の3階建の建物で、アウラッハの名前は
   18cにある貴族が名づけた。後に町の裕福な市民が住んだ。今なお、見る人に
   家の巨大さを示している。近くでブドウ栽培している。
 旧パン焼屋 Ehem.Backhaus (1988) この家は、各家でのパン焼きを職人を雇って焼
   き、品質を確保確保した。建物の後方に市壁の断片が見られる。二次大戦
   後にパン焼き屋は解体されたが、1988市協会によって再建された。
 修道院長シュプレーゲ館 Apt Spflege Hof (1578) 長老の名前を付けた3階建大規模複
   合建物は、ワインの製造貯蔵を行っていた。修道院は大きなブドウ畑を保有し、
   収益性の高いワインを管理していた。
 捩れた家 SchiefesHaus (1542) 地階石積の上の上階木組は右に相当傾いているが
   外観は美しい。16cの代表的なワインガルトナーである。梁に年号あり。
 宿屋:バラ Gasthaus:Rose (16c) 市壁の外にあり、かってのMurnhardter修道院の木
   組の建物であった。16cの木組家に18cの鉄の旅館看板が付いた。
 高貴な家 Adelshaus (16c) マルクトの南にあるこの建物は、他の建物とは全く様式が
   異なる。1771宿屋:王冠であったが、1903の大火事で周囲の建物が焼け新しく
   なった。
 ベギン会の家 Beginen Haus (1500) ペギン会は医療を提供し高齢者の世話をした。
   建物の年号はこの建物のコアが古いことを示している。
 城水車 BurgerMuehle (1545) かって小麦粉や油を提供した水車は、30年戦争で破
   壊された。1764に3石臼とナメシ装置を含む今の建物は、市壁の東南の角に置か
   れた。1787水車は民間に売却された。その購入条件として市壁・水車・通路・
   歩道等の管理を求められた。1979町が取得し、1992から公共図書館車・通路・
   車・通路・クラブになった。
 司教館 Pfarrhaeuser (14c) 旧ムールハルト修道院の納屋があり、17cに聖職者が住ん
   だ。1702助産師住居、1980廃止され今の建物になった。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
粉引小門 南壁
南東壁

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ハスラッハ Haslach BW49

1.歴史

  74 ローマ軍事道路上の軍事駅であった、    1100-1200 ウアーリンゲン領主は銀鉱の町、
 1241 シュタウエン帝国の統制と行政の中心地に、 1250 フェルステンブルクのハインリッヒ伯爵に所属、
 1313 鉱業区の市場町として全盛期、   1630-47 30年戦争で15回も占領された、
 1704 スペイン戦争で町は瓦礫と化した、     1803 バーデン大公国へ、バロック木組家、
 1945 3強制労働所の解放。

2.市壁  0.08km 0.09

   13cの古い市壁の断片がInneren Graben に少なくとも10mは残っている。

3.塔  0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   ドイツ木組み家街道の会員であり、旧市街地の中央通りには、2-3階建ての木組
  の家並みが保存され残されている。
 市庁舎 Rathaus (13c) 2階建で、地階にアーチ開口部のある建物で壁には絵画がある。
   1704壊され1732再建され、1806バーデン風に改装された。
 聖アーボガスト教会 St.Arbogast Kirche (1240)カソリック教区教会の西塔は遠くからも見え
   る。バロックの部分は1341に設けられた。今の外見は1906-07に増築を終えて基本
   的に形成された。
 修道院教会 Kloster Kirche (17c) カプチン派の修道院は1630-32に建てられ簡単な装
   飾の建築様式はカプチン会の厳格な規定によるバロック時代の模範である。
 シュバルツバルト衣装博物館 Schwarzwaelder Trachten Museum 多様な美しいシュバルツバルト
   の衣装・日常やお祭りや農村行事の展示も、古いバロックのカプチン派修道院の建物に
   収容されている。
 ハンス・ヤコブ博物館 Hans Jakob Mueumm ハンスヤコブの収集物を収容し、19cのシュバルツバルト
   の生活と活動も展示されている。

5.写真

市庁舎 市教会

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ハインゲン Hayingen BW50

1.歴史

  785 ロッシュ修道院の文書に初言及、   854 聖ガレン修道院はコンスタンツ司教所有へ、
 1100 ツバイファルテン修道院が土地を取得、  1241 グンデルフィンゲンの騎士は基盤整備、
 1285 町として認定、13c 市場権を得た、1303 拡張し壁と門のある町となった、
 1546 相続で町はヘルフェンスタイン家へ、     1676 結婚でフェルステンベルガー家に移った、
 17c 町でオルガンが制作された、     1789 地図によれば26の手工業者がいた、
 1806 ヴュルテンブルク王国へ帰属した。

2.市壁  0.055km 0.18

   13cの古い市壁の断片が西と南側に残っている。

3.塔  0門1塔

 帽子塔 Kappen Turm (13c) 市壁が残る町の西南の隅に、2階建円塔があり、出入口
   がある。

4.見所  C

   マルクト広場のない小さな町であるが、古い木組の家並みが保存され残っている。
 市庁舎 Rathaus (1600) 2階建木組の建物が、広く輸出していた手工業製品の館とし
   て建てられた。19cの市庁舎では町の管理の役割だけでなく、パン焼場・浴場・学
   校授業・消防機庫を収容していた。
 聖フィーツ教会 St.Vitus Kirche (13c) 最も古い部分は13cに遡る。塔の下部には要塞教
   会の名残が見える。30年戦争で破壊された後に、17cにタマネギドームの
   バロック・ホール教会に再構築された。
 元病院 Ehem.Spital (1536) グンデルフィルボン家の男爵によって設立された病院で町で一
   番古い石積の上に木組を乗せた建物で、1985大規模改修が行われた。
 居酒屋:ワシ Gast Stute Adler (17c) 北のカールス広場に美しい窓の木組の建物があり、か
   っての城の居酒屋として市壁に建てた。18cにバロックに更新された。
 古い手工業の家 Altes Handwerk Haus (16c) 市庁舎の側に古い手工業者の家がある。
   町の支配者グンデルフィンゲン家の男爵が所有していた。
 職人組合室 Zunft Stube (16c) 地階石積オープンアーチ上階木組の建物は、周辺地域のマイスター
   のためのギルドの館であり、バロックの木組様式を示している。
 穀物蔵 Frucht Kasten (17c) バロックの4階建全石造の大きな建物で、設置時の十分の一
   税の物納がなくなり使われなくなった。町が購入して19cに学校となり、今は住
   宅で使われている。

5.写真

市庁舎南 市庁舎北
帽子塔 帽子塔内側
西南壁

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ヘッヒンゲン Hechingen BW51

1.歴史

 6-7C アレマン族の集落として創立、 786 ザンクトガレン修道院文書に最初の言及、
 1061 ツホーレルン家が支配、     1225 ホーエンツホーレルン家文書で都市権は保持、
 1401 大火、      1423城破壊、その後伯爵領の中心として発展した、
 1632 バイエルン軍、 1632スエーデン軍、   1634ヴィッテンブルク軍、それぞれ侵攻、
 1780-81 参事会教会の新建物とともに、町は南側へ拡大した、
 1850 プロイセンへの移行、             1945 戦後仏軍の占領、
 1952 バーデンビュルテンブルク州に帰属。

2.市壁  0

   見当たらない。

3.塔  1門0塔

 下門 UnterTor 1579建、昔の町の防御施設の一部であり、Eitelfriedrich
   伯爵によって建てられた。

4.見所  D

   こじんまりした町である。
 市庁舎 Rathaus (1510) 建替えの5回目は1958、泉に浮彫りの町の歴史が見られる。
 新宮殿 NeuSchloss (1577-95) ホーエンツホーレルン家が、取壊されたフリードリッヒブルクの跡に、
   ルネッサンス様式で新築された宮殿。
 古い宮殿 (18c) 今はホーエンツホーレルン州立博物館。ホーエンツホーレルン領の先史以来の歴史と絵
   画・彫刻を展示。
 聖ヤコブ教会 StiftKirche ST.Jakobus 1783建、シュバーベンで重要な擬古典主義の
   宗教建築物であり、伯爵が建てた。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
下門 下門

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ハイデルベルク Heidelberg BW52

1.歴史

  870 ロルシュ修道院の創設、    1196 シェーナウ修道院文書でオーデンバルトに初言及、
 1214 皇帝フリードリッヒ2世はヴィッテルスバッハ家に授与、1225 上の城に付いて文書言及、
 1386 選帝侯ルプレヒト1世は最古の大学開設、1392 ルプレヒト2世は西に市街地を拡張、
 1400-10 ルプレヒト3世は独王として支配、1556選帝侯オットーハインリッヒは宗教改革を導入、
 1622 30年戦争で包囲・攻撃、    1689.1693 プファルツ承継戦争で仏軍が破壊、
 1720 フイリップ王子はプファルツ王宮をマンハイムに移す、1742-64 城の復旧は落雷で中止、
 1784 木橋は氷で壊れ1786-88石橋に、1803 プファルツはライン右岸を放棄しバーデンへ、
 1945 戦災は無く、米軍本部が置かれた。

2.市壁  0

   見当たらない。第1次市壁は、1220矩形の市街が形成され。遅くとも1235に
  は市壁で囲まれていた。市門は主要路の両端とSteinGasseにあった。ネッカー川の
  架橋は1284に言及された。第2次市壁は1392にGrabenGasseからBismarkPlatz
  まで伸ばして市域を倍増した。30年戦争の被害は限られたが、1688-97プファルツ
  承継戦争で仏軍の占領下でひどく壊された。18Cに建物はバロックで再建されたが、
  市壁は取り払われた。

3.塔  3門3塔

 峡谷門 Klingen Tor (13c) 3階建ての門塔であり、今は小学生の交通安全のために、
   車の通行は禁止されている。
 橋門 Bruecken Tor (1284) 屋根付の木橋は1784の氷洪水で流され、選帝候カール・テオド
   ールが長径間の石橋を高い所に架けた。終戦時独軍が爆破したが、1947募金で復
   元された。橋門は要塞の一部として造られ、洪水を生き延びた。守衛所と刑務
   所も務め1788尖った円錐形の屋根はバロックの塔頂に変えられた。
 カール門 Karls Tor (1775-81) 町を東西に貫く中央通りの東端に凱旋門風の堂々たる門
   が建てられた。選帝侯カール・テオドールの通商促進の都市権には喜んだが、建設費に
   は悲鳴を上げた。門の上には東に2頭のライオンと紋章、西に選帝侯と妻の肖像画
   が置かれている。
 魔女塔 Hxen Turm (13c) 中世の市壁の唯一残された4階建ての壁塔で、泥棒塔とも
   呼ばれ、新大学の中庭に残されている。強盗などの犯罪人がこの塔に収監され
   た。市壁は訴訟や苦情のために取り除かれた。
 堀石塔 Roden Steiner Turm (13c) 大学広場の西の緑地中庭に2階建ての6角形の
   砲塔が残る。
 城門塔 Tor Turm (13c) 城の南正面入り口の門塔で、堀の橋を渡って城に入る。
   

4.見所  B

    高台にある崩れかけた宮殿からの見下ろす展望は良い。町は18cにバロックで
  再建されているが、華々しさは無く大学の町としての落ち着きが見られる。
 市庁舎 Rathaus (14c) プファルツ承継戦争で破壊され、バロック3階建で1701-03に再建
   された。北翼は188-90に延長され、1908の火事の後にネオバロックで改装された。
   2階にはネオルネッサンスの広間があり、壁画やステンドグラスがある。中世には、刑務所
   ・裁判所・劇場などを収容した。26鐘のカリオンが毎日3回鳴る。
 宮殿 Schloss (1225) 最初の城はバイエルン公ルードビッヒによって建てられ、1303城は占
   領された。1400要塞に東部の塔と住居棟が建ち、1537落雷で焼失、1544新し
   く宮殿が建てられ、1549-1620北の宮殿はゴシックからルネッサンスへ移行期で1612-19
   選帝侯フリードリッヒ5世の宮殿と庭園が造られた。1688.1693仏軍の占領と防御施設
   の爆破、1720プファルツ王宮をマンハイムに移転、1742選帝侯カール・テオドールは宮殿を再建
   開始。1764落雷で再建中断、1900現状の修復と保全が始まった。建物として、
   フリードリッヒ翼棟・鏡の間・オットーハインリッヒ翼棟・図書館・アルターン見晴台があり、22万リットル
   の大樽・薬学博物館・庭園もある。
 厩舎 Narstall (1510) 選帝侯ルードヴィッヒ5世はネッカー川に沿って135m北側の二つの円塔
   と壁で要塞化した武器庫建てた。1590プファルツ公は厩舎を構築した。
 干草納屋 Heuscheuer (16c) 厩舎の東に粗石積の要塞に組み込まれた大きな建物が、
   中世の市壁の北西の角のFrauenTurmの立っていた場所にある。1693破壊の後
   に1824までは干草納屋であり、その後町の倉庫となった。1963-65大学の講
   義室に改造された。
 大公宮殿 Gross Herzoglisches Pslais (1717-19) バロックの宮殿は、厳密な対象形で
   前面にアーケードがあり、広い中庭がある。裁判所として使われ、1920科学アカデェミ
   ーが入った。
 ヴォルムス館 Wormser Hof (14c) ヴォルムス司教のルネッサンスの邸宅として建てられ1409改修さ
   れ、1610選帝侯フリードリッヒ5世が取得した。19c読書室・図書館を収容し、隣接のバ
   ロックの建物を壊して1959に劇場空間を作成した。
 国際会議場 Kongress Haus Stadt Halle (1803) 町は大学改革100年を記念して権威
   ある文化的会議室を建てた。設置オルガン演奏会や国際会議場となる。
 モラス宮殿 Palais Morass (1712) バロックの貴族の館で、バルコニィ付の玄関がある。1778改
   修され、1900町の美術コレクションとプファルツ博物館となった。シュナイダーの十二使徒祭壇
   画・町と城を描いたオレクションがある。
 騎士の家 Haus zum Ritter (1592) 壮麗な豪商の家で、渦巻の切妻壁を飾る聖ゲオルグ
   の騎士像から名前が付いた。ルネッサンス末期の建物はユグノー商人のために建てられ、唯
   一残る家である。
 旧大学 Alte Universitaet (1712-35) 選帝侯ルプレヒト1世によって、大学は1386に創設
   され、1803バーデン大公カール・フリードリッヒによって改組された独最古の大学である。旧
   大学の建物は1712-35に建てられ、西翼の講堂は1886に500年記念としてネオルネッ
   サンスで建てられた。
 新大学 Neue Universitaet (1931-34) カール・グルパーによって建てられた控え目な建物で
   中庭には中世の魔女塔立っている。
 精霊病院 Heiliggeist Kirche (1238) 選帝侯ルプレヒチ1世が、現在の建物の基礎を築き14
   10後陣のホール、1411身廊、1508塔が造られた。
 イエズス教会 Jesuiten Kirche (18c) バロックの教会は、ローマのイエズス会教会をモデルとして建
   てられた。正面はプファルツ宮廷建築家の作品で、3廊の身廊の内部にロココの柱で支え
   られている。この教会を通って、宗教美術館・典礼博物館があり、17-19c宗教美
   術品や宝物が展示されている。
 聖ペテロ教会 Peter Kirche (18c) 部分改造されたバロックとネオゴシックの教会は元大学教会で
   教授達の墓がある。
 天命教会 Provirenz Kirche (1689-91) ルーテル教会として建てられ、1885-86に改修され
   て今の姿になった。

5.写真

城北面 城中庭
城西面 城門
宮殿

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ハイルブロン Heilbronn BW53

1.歴史

  471 フランク王国の町が初言及、      1281 皇帝ルドルフは都市権を授与、
 1333 ネッカー川の自由航行権を付与、港湾整備、  1530 農民戦争で損害、
 1401 大火、1423城破壊、その後伯爵領の中心として発展した、
 1618-48 30年戦争で略奪され、数回焼かれた、18c後半 文化経済の繁栄、
 1802 ヴュルテンベルク州へ帰属、          19c 工業都市として繁栄、
 1944 2次大戦で町の80%は破壊。

2.市壁  0.04km 0.03

    西南の隅に20+20mの市壁の残址がある。

3.塔  0門3塔

 ゲッツ塔 Goetzen Turm (1329) 市壁の南西の角の細長い角塔で、1519にゲッツが
   囚人としてこの塔に1泊したため、名付けられた。1985棒上でバランスを取る
   男の像が、塔の上に付けられている。
 防壁塔 Bollwerks Turm (1292) 市壁の北東の角の5階建ての円塔。
 港市場塔 Hafenmarkt Turm (1314) かってのフランスコ会修道院のゴシックの名残の塔で
   1688仏軍が破壊したが、1698-1727市民の寄付で再建された。1964に修復
   され2次大戦復興の象徴とされ、11時と19.20に民謡が聞こえる。

4.見所  C

    2次大戦で都市は壊滅し、その後新し建物が建てられたため、復元された
  塔が目立つ程度である。
 市庁舎 Rathaus (1417) 初めゴシックで建てられ、16cルネッサンスで拡張され、1539-80
   シャフハウゼンの天文時計が付けられ、1944爆撃で壊された。1950-53に堂々とした
   建物で再建された。前の広場では週3回市場が開かれる。
 キリアン教会 Kiliansns Kirche (15c) 八角形の初期ルネッサンスの塔は美しい。中には、後期
   期ゴシックの彫刻や1498木彫傑作祭壇は鉱山の坑道で戦争を逃れた。
 ニコライ教会 Nikolei Kirche (1351) 1525新教の教会となり、17c軍病院や武器庫とし
   て使われ、1848体育館となった。1851初期ゴシックの建物を改修して再び教会と
   して使った。1944戦災で破壊され1950-51に教会は新築された。
 ドイツ館 Deutsch Hof (1417) フランケンドイツ騎士団の館で、19c兵舎、1944に戦災で破
   壊され後に再建された。今は、博物館と文化センターとして使われる。ロマネスクの鐘楼
   の下の建物に碑文があり、ドイツ騎士団の聖マリア礼拝堂(1250)であり町で最古
   の建物である。
 ケーテ館 Kaethchen Hof (14c) マルクトにあり、隅に出窓の飾りがある石造の建物である。
   ハインリッヒ・フォン・クライストの戯曲「ハイブロンのケーテ」のヒロインの名前が付いた。
 肉の館 Fleisch Hof (1598-00) 2階建てルネッサンスの石造アーケードの建物で、1879-2008
   は肉屋であった。2次大戦で被災後1996-97大規模改修をして自然史博物館とな
   った。

5.写真

市庁舎 ゲッツ塔
防壁塔 港市場塔
キリアン教会 マルクト広場

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ヘレンベルク Herrenberg BW54

1.歴史

 13C 町が成立した。、       1287 最初の文書言及、教会建設開始、
 1382 ビュルテンブルクに売られ事務所設置、 1466 火事で殆ど焼失、その後再建、
 1525 農民戦争による略奪、ペスト流行。     1635 大火、30年戦争で破壊、
 1806 町事務所は郡庁に格上げ、       1820から門や壁塔が壊された。

2.市壁  0.620km 0.30

   1203の町の創立時に市壁は造られた。全長1126mの市壁は旧市街地の幾つ
  かの場所に残っている。その内250mは壁上通路.狭間胸壁.前門の防衛施設は
  Auf dem Grabenに再建され、市壁の上に木組の家が建っている。また、マルクト
  広場は小山の上にあり、そのまだ上の城址まで市壁が残っている。

3.塔  0門0塔

  地名として、北NutringerTor、西南BronnTor、南TuebingerTorと3ある。

4.見所  C

   多くの木組みの家のある高低差の大きい町。マルクトに歩いて上るのも大変。
 切妻の家 GiebelHaus 
   シュッツトガルト通 15C 狭い通りの両側に2~3階建の切妻屋根の木組の家が
   チュウビンゲン通    並んでいる。市民の家が多いが最古の旅館もある。
   マルクト広場  1276 1635の大火後に建てられた木組の家で囲まれる。
            1806建の3階建て市庁舎がある。
   上事務所OberAmt  1655建の美しい3階建の建物で、1635に代官屋敷と
            ワイン醸造所は焼落ち、1654に領主のワイナリーと農産物倉
            庫として再建された。代官屋敷は1759から郡庁舎。
 聖母教会 Ev.Stiftskirche St.MarienKirche 13C中建、1493に後期ゴシックの
   ホール式教会となった。西前面に塔が一つあり、ゴシックのバラ窓と三段の棚が
   正面にあり時計を置き、頂上に鐘楼がある。内陣は1293に聖体拝領し
   た。1990から鐘美術館が置かれた。
 病院教会 SpitalKirche 1400建、病院と共に建てられ、1635の火災後に再
   建された。木製の説教台や装飾が残っている。
 元城山 Ehem.SchlossBerg 1807に取壊された。1957城跡の古い火薬庫の
   位置に展望台が造られた。

5.写真

旧市庁舎 北壁
東壁 南壁

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ヒルスバッハ Hilsbach in Sinsbach BW55

1.歴史

 798 ロルシュ修道院の寄付文書に初言及、  13c 集落は最初谷に次に丘に構築、
 1310 町となり250m×200mを市壁で囲む、1361 プファルツ選帝侯の城代が支配、
 1521 選帝侯ルードヴィッヒ5世はワイナリィー建設、 1525 農民戦争で教会・ワイナリィー破壊、
 17c 30年戦争で略奪・破壊、1641大火災、  17c後半 仏・スイスの入植者で回復、
 1732-33 バロックの大ワイナリィー建設、      1744 ドイツ騎士団の牧師館を建設、
 1803 バーデン公国に帰属、           1806 2門塔と5壁塔があった、
 1813 ライニンゲン役所の設立、       1841 ジンスハイム地区事務所の管轄下に。

2.市壁  0km 

   1310に250m×200mの旧市街地を、市壁で囲んだが、19cには取払われた。

3.塔  0門1塔

   1806には、2門塔5壁塔があったが、1822上門など取払われ、唯一南東隅
  のZentTurmは住居となって残った。

4.見所  C

   Sinsbach市内の丘の上の小さな町であるが、1998年には旧地域事務所の
   町として1200周年を祝った。ワイン街道に位置しワインの産地である。
 市庁舎 Rathaus (1893) 古く老朽化した市庁舎をレンガ造で置替えた。1957鐘楼が
   付けられた。1982には新教教区会館になった。
 聖ミカエル教会 St.Michaels Kirche (1300-67) ボルムスの司教に属したゴシックの教
   会が構築され、1509西ポータルを新設、1667-85内陣を除いて再建され、同時
   に旧墓地は市壁の東側に移転した。1686ロフトが作成され、1705同時教会と
   して内陣はカトリックとし身廊は新教が使用した。1951新マリエン教会の建設後は
   新教教会となった。
 ワイン醸造所事務所 AmtsKellerei (1732-33) バロックの新ワイナリィー建設、1808ライニンゲン
   会計局が所有。1840町へ売却後校舎、1982クラブの部屋。
 守衛室 Wachthaus (1808) 1808には「丸太小屋」と表記された。1823柱列の
   ある今の姿に改造された。旧上門に接して夜警が使い、後に道路通行税
   や税金の徴収を行った。後に警察官住所・地元銀行・警察署。
 プファルツ選帝侯ワイン醸造所 Kurpfaelzische Kellerei (1521) プファルツは1516-17
   町にワイナリィーを持った後、1521地下室や階段塔を持ったワイナリィーを新設し、周
   辺地域からのブドウも集め醸造した。後には十分の一税倉庫と
   して使われた。
 改革派教区学校 Refornietas Schlhaus (16c) 岩の上に建てられた4階建の建
   物は、16c後半から使用された。1708カトリック司教の家となり、1843カトリック
   司教館が建てられそちらに移った。
 新教牧師館 Refornietas Pfarrhaus (1744) ドイツ騎士団は十分の一税の収入を
   持ち、牧師館を建てた。1821新教の牧師が住んだ。1906-07新牧師館をマル
   クト通に建てて移った。
 新マリエン教会 Marien Kirche (1951) 新しいカトリック教会は角形の南塔のある大き
   な建物で、同時教会からカトリックが移った。

5.写真

旧市庁舎 聖ミカエル教会
メッテンガッセ 南壁
南壁階段

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イルスホーフェン Ilshofen BW56

1.歴史

  938 既にウルスホーフェンが所有される、   1288 フリューゲラウ伯爵が所有、
 1330 皇帝ウルスホーヘンは都市権を授与、  周壁を設けて毎週の市を保持、
 1401 大火、1423城破壊、 その後伯爵領の中心として発展した、
 1449 戦争で町の周辺は破壊され、 農民戦争と30年戦争で町は衰退、
 1562 ヴュルテンベルク州に統合、1945 2次大戦の空爆で町の70%が破壊。

2.市壁  0.03km 0.02

   Haller Torturmに沿って西側の市公会堂に30mの市壁がみられる。

3.塔  1門0塔

 ハラー門塔 Haller Torturum (1609) かっての要塞の一部であり、4階建て高さ
   25.5mの角塔の上に、独特の階段切妻がある。地階にはアーチ状の通路があり、
   塔に隣接してもう一つのアーチがある。塔には美術館を収容した。

4.見所  D

 聖ペテロネブ教会 St.Petolineb Kirche (1890) 2次大戦の戦災に遭ったが、1949に修復
   された。
 レオフェルス城址 Leofels Burgruin (1230) 皇帝の城として建ててられ、後にVellbergの領
   主に属していた。1707.1864.落雷で焼失した。全ての動かせる物は、競売で掛け
   られ石積と地下室のみが残された。夏に演劇やキャンプ・ファイヤー。
 イルスホーヘン博物館 Kultur MUseum 文化協会はハーラー門塔を再構築して、1999町の歴史文
   化を展示している。

5.写真

市公会堂 ハレ門
聖ペトロネラ教会

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イズニイ Isny im Allgaeu BW57

1.歴史

 1096 ヒルザウ修道院の設立が初文書言及、      1235 市場権の付与、
 1284・1401 町や修道院は火災で破壊、         1365 無料市場、
 1376 シュバーベン都市連合に参加、       1507 貨幣の鋳造権を得る、
 1631 30年戦争で380の家屋と2修道院を失う、1806 ヴルテンベルク王国に帰属。

2.市壁  0.30km 0.63

  町の北側と南側に半分以上の市壁が残る。

3.塔  2門6塔

 水門 WasserTor (1337) 北 角塔で塔に登れる。中に消防や靴屋の
   展示がある。
 エスパン門 EspanTor (13C)西北 周壁と共に造られ、5階建ての白い角塔。
   今は展示場として使われる。
 火薬塔 PulverTurm 東 古い市壁の元門塔で修道院の領域にある。
   壊れているが低いアーチがの一部が見られる。
 泥棒塔 DiebsTurm 南 市壁の中の塔、地下室は監獄として使われた。
 船溜まり塔 HafendeckelTurm 1773建、西 花輪の平らな屋根。
 粉引き塔 MuehlTurm 16C建、西 近隣の粉引き小屋と共に博物館。
 倉庫塔 SpeicherTurm 西 小川の堀への出口を守った。貯蔵塔として建
   てられ、地下には監獄。
 吹奏塔 BlaserTurm 中 マルクト広場にある昼夜の見張り塔で、危険時にはホルンを
   吹いて知らせた。元織物会館と繋がっている。8階の四角の上に2階の八角
   鐘楼付き塔が立ち、タマネギ屋根が付いている。

4.見所  B

   中世の小さな町であり、市庁舎・教会と古い市壁・門塔が残る。
 市庁舎 Rathaus 1689建、バロックで建てられた3つの貴族館を繋いで、1733
   から市庁舎となった。
 ニコライ教会 NikolaiKirche 1284建、北 プロテスタント教区教会として建てられ
   1631の大火で焼失、1972タマネギ屋根で再建され、塔に説教師図書館がある。
 新教教会 OelbergKirche 1480建、北 墓地教会として建てられ、1631の
   大火に生き残った。
 新教教会 KircheSt.Georg&Jakobus 北に1631の大火後にカソリック教区教会と
   して建設された。
 マリア礼拝堂 MarienKappele (1390) 1645に再建、48人の修道院長の肖像画。
 宮殿 Schloss (1096) バロック修道院として建てられ1803宮殿に転用された。
   1966に市民が獲得して文化ホールや絵画館として使われている。

5.写真

市庁舎 バルザー塔
エスパン門 泥棒塔・南壁
ハウルファギウス家

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カールスルーエ Karlsruhe BW58

1.歴史

 1094 Durlachに城とベネディクト会修道院が置かれた、
 1565 辺境伯チャールズ2世は住居をプハルツハイムからDurlachに移し栄えた、
 17c 30年戦争で破壊された、         17c プファルツ承継戦争で仏軍の被害、
 1715 バーデン・デュアラッハ辺境伯カール・ヴィルフルムは、  新カールスルーエの建設を宮殿から始めた、
 1772 辺境伯は自由憲章を授け外国人誘致、1768-73北のFasanenGartenni壁を構築、
 1806 バーデン大公国の首都に、新古典の花が咲く、 1817男爵は自転車の前身を発明、
 1818 リベラルなバーデン憲法の調印、       1822 最初の独立した国会議事堂を、
 1849 革命軍敗退後、プロイセン軍が町に入り、 レオポルド大公は町に戻った、
 1870-1871 普仏戦争、     1942-45 空爆で大被害、1845 仏軍の砲撃被害。

2.市壁  0

   新しい町であり、町の形からしても、市壁は築かれなかった。円形のAhaweg
  北東のAn der Fasanen Garten Mauerに1767-73建設の300mの庭の壁がある。

3.塔  0門0塔

   地図上には、カイザー通の東にDurfackerTor・西にMuehlburgerTor,南クリーゲ通の
  KarlsTorとEttingerTorの地名が地図に在るが、門は見当たらない。

4.見所  C

   北の城館を中心とした円型の公園と南の放射状市街地があり、1715の新しい町
  は戦災を受けたが再建されているので、古さはない。
 市庁舎 Rathaus (1729) 1811に市庁舎は壊され、1805-25財政難で段階的に建てら
   れた。1944戦災で破壊され1948-55に再建された。新古典主義建物は向かい側の
   市教会と類似し、塔の中に高さ18mのマーキュリィ像がある。
 ピラミット Pyramide (1823) マルクト広場に、市の創立者の辺境伯カール・ヴィルヘルムが埋葬された
   KorkordienKircheが1807に取り壊されCrytとして石のピラミットが置かれた。16本
   の石が鉄の鎖で繋がれ碑文が飾られている。
 カールスルーエ城館 Schloss Karlsruhe (1715-18) 公園の中心に城館の六角塔が位置し、32
   本の放射状の通りに繋がるバロックの王宮で、1918まで侯爵とバーデン大公が住んだ。
   直径900m円形のAhewegが王宮を取り巻いた。1746一部木造部分が石造となり、
   1770大きな窓と扉と両翼の間の2パビリオンを設けた。1944空爆で壊され、1955-
   66にバーデン地方博物館として復元された。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1807-16) ギリシャ神殿風の古典的様式で建てられ、62m
   の鐘楼には5鐘がある。
 議会記念館 Erinnerungs Sttaette Staende Haus (1993) 第一ドイツ議会の建物で、19
   93までバーデン州議会場であったが、1944空爆で壊れ、1993市図書館や記念館が入
   る建物が建てられた。
 市場博物館 Museum beim Markt (1993) マルクトにあった出版社バーデン最新ニュースの建物で、
   1993から応用美術の博物館となり、城の収集物も展示。
 バーデン州立博物館 Badisches Landes Museum (1929) 宮殿の中に、バーデン州の文化・歴
   史・芸術を展示する文化史博物館が開設され、城のコレクションとしてのトルコ戦利品に、19
   36貨幣コレクションが加えられた。
 プリンツ・マックス宮殿市博物館 Stadt MUseum im Prinz Max Palais (1881) 800m2の展示場
   に町の住宅・生活環境・都市建設の経緯・有名人の紹介の展示がある。
 マジョリカ博物館 Rathaus (1729) Museum in der Majolika (1901) マジョリカ陶器工場の管理
   棟に、州立博物館の分館がある。マジョリカ陶器の歴史・作品と近代芸術。
 州立自然史博物館 Staatlisches Museum fuer Naturkunde (18c) エキゾチィックな植物や動物
   の飼育と自然史の展示。
 州立カールスルーエ美術館 Staatlische Kunst Karlruhe (1846) 初期のドイツの美術館と図書館を
   収容し、本館とオランジェリィには中世後期からの800点の美術品を展示。
 国営鋳造所 Staadt Muenz (1827) 5国立鋳造所の一つで今はユーロ硬貨を鋳造。
 芸術とメディア・センター Zenturm fuer Kunst und Medientechnologic (1997) 現代美術・博
   物館メディア・映像メディア・音楽と音響の研究と展示。

5.写真

市庁舎 カールスルーエ城館

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ケール Kehl BW59

1.歴史

 1038 漁村と教会で初言及、 1333-38 最初の橋が架けられ、ストラスブール防衛の前線、
 1437 集落の半分はバーデン辺境伯が支配、       1678 ルイ14世の仏軍が占領、
 1683-98 仏軍が橋頭保砦を建設、     1771 再びバーデン辺境伯の所有に戻った、
 1774 内陸要塞に選帝侯は都市権を授与、1792 ナポレオン戦争で仏軍は破壊し橋頭保に、
 1814 パリ条約でバーデンに戻る。           1815 要塞の再建が行われた、
 1870-71 独仏戦争で略奪破壊されたが再強化、  1919-30 1次大戦で仏軍が占領、
 1945 戦後仏軍は占領し要塞は破壊された、    1953 バーデンビュルテンブルク州に帰属。

2.市壁  0

   要塞は、歴史に在るように、何回も築かれそして壊された。最終的は、2次大戦
   後の仏占領時に完全に壊され、今は見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   2次大戦で町は殆ど壊された。
 市庁舎 Rathaus (1817) 現在の市庁舎は、初め2階建ての兵庫を建て、同じ年に3階部分
   を継ぎ足した。1869鉄道橋が見えないと言う防衛技術上の理由から、3階部分は削除
   された。1870-71軍事的意義を失って、1872医院や学校になった。1910独立した統
   合自治体の市庁舎になった。1921-23再び3階建建てとなり、新古典主義の建物に拡
   張し、4本柱の柱廊とサイドウインドウ付けられた。
 平和教会 Friedens KIrche (1817) 要塞のために1993教会が壊された後に、カトリックとプロテ
   スタントのための一時的な教会として設立された。1919ネオムカの聖ヨハネ教区教会が完成して
   、カソリックの教会になった。
 聖ヨハネ・ネポムク教会 St.Johannis Nepomuk Kirche (1911) 新しいプロテスタント教会。
 シュミット邸 Villa Schmidt (1914) 20世紀の上級階級のパルプ工場の取締役の一人の豪華な2
   階建ての住宅で、かっての要塞の基礎の上に建てられ1944まで使われた。1945-92
   仏軍の政治本部となり、今はレストランになっている。
 バラ庭園 Rose Garten 古ラインの北端に造られた小さな公園で、昔の城の庭園風に設計され
   ている。
 市歴史博物館 STadt Geschichtlisches Museum (1891) 旧ハーナウ博物館を引き継いで町の
   歴史を展示している。
 ヴァイプタウネン塔 Weiptaunen Turm (2003) 旧ラインの南端に高さ44mの展望塔が造れた。

5.写真

フリーデンス教会 聖ヨハンネポルク教会

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ケンジンゲン Kenzingen BW60

1.歴史

  772 町の初文書言及、     773 別の文書にここでのワイン造りの仕様を発見、
 1242 ユーゼンベルク領主はアントラウ修道院の資産保護、1249 ルドルフ2世は町をユーゼンベルクに、
 1352 ユーゼンベルク家はハーバーベルク辺境伯に町を売却、 1369 オーストリアが町の行政を継続、
 1415 オーストリアとの同盟条約の後にブライスガウの町は   帝国直属の都市の地位を得た、
 1500-1806 町は貧困と苦難の状況に置かれた、      1805 バーデン領となった。

2.市壁  0

   見当たらない。

3.塔  1門0塔

 シュバーベン門 Schwaben Tor (19c) 現存する古い小さな通路を拡張してこの塔は建
   てられた。1958南の隣地の木組みの家は修復された。1968この門は東向きの一方
   通行の門となり、塔は道化師組合の部屋として使われた。

4.見所  D

   旧市街地は堀に囲まれた、こじんまりした町である。
 市庁舎 Rathaus (1520) 中央通りのゴシックの窓帯のある石造建物で、大きな戦禍の後に
   再建され、1965-67に拡張された。
 聖ラウレンチウス教会 St.Laurentius kirche (1275) 初め旧市街の中心に二重塔で東に合わせ
   て芸術性はない建物で、両塔の下に地下室がある。20世紀にも鐘突堂として使わ
   れている。1730-33に3身廊ゴシックのハレン教会はバロックに改装された。
 フランシスコ修道院 Fraziskaner Kloster (1659-62) 中世後期から存在記録があるが、17cに
   今の建物が建てられた。1892の世俗化の後に町の所有となり、1889.982は町の病
   1院を収容した。17cに建てられた修道院教会には16cからの十字架があり、1891新
   教の礼拝堂として使われている。
 聖ヨハネ修道院 St.Johanniter Kloster (15c) この修道院は15cを起源として1806まで存
   在した。この修道院の敷地には刑務所が建てられている。
 郷土博物館 Heimat Museum 町の歴史や文化を展示。
 上ライン道化師展覧 Ober Rheinische Narrenschau アレマン地方の祭りの体験・道化師の人形
   を展示。

5.写真

市庁舎 シュバーベン門
シュバーベン門

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キルヘベルク Kirchberg a.d.Jagst BW61

1.歴史

1263 キルヒベルク最初のズルツ城を建設、1313ホーエンローエ・クラフト2世にヴュルツブルク封土で渡す、
 1373 皇帝カール4世は町に特権を授与、1384 ホーエンローエ侯爵ウルリッヒは抵当で町を与えた、
 1398 町を帝国都市へ売って強化、       1525 農民の蜂起で城は燃えた、
 1546 皇帝カール5世はシュマルカルデン戦争中に宿泊、  1551 3年間の市場保持権を授与、
 1562 ホーエンローエ伯爵ルードビッヒは町を買戻す、  1590 中世の城はルネッサンスに拡張改修、
 1650 ホーエンローエ伯爵アルブレヒトは王宮に選択、 1675 アルブレヒトの死後ランゲンブルクに戻る、
 1701 侯爵エーベルフェルトは城を相続居住しバロック化、1737侯爵カール・アウグストは宮殿バロック化、
 1767 侯爵カールは町を拡張・施設建築、1806 バイエルンに帰属、1810 ヴュンネンベルク州へ、
   1996 国の修復プログラムで市壁内の復元。

2.市壁 0.540km 1.00

  14cからの丘の上の市壁は1455に完成し、要塞は1489に完成した。

3.塔  1門1塔

 市門 Stadt Tor (1477) バロックの市門は、クリステチャン・フリードリッヒ・カールによって
   建てられた。旧聖具室後の住居は、今はレストランになっている。
 市塔 Stadt Turm (1400) 高さ45mの円塔は監獄となり、17cの鐘がある。

4.見所  C

   ヤクート川沿いの丘の上に、周囲を市壁で囲まれた小さな町があり、ホーエンローエ・
  キルヘンベルクの王宮があった。
 市庁舎 Rathaus (1800) 3階建の大きな建物で、かっては王侯の未亡人の館Witwenban
   として使われた。
 穀物蔵 Kornhaus (1494-96) 大きく高い木組切妻の構築物で、当時の町の所有者であっ
   た帝国都市の穀物倉庫と寝室で構成されている。
 旧ラテン語学校 Latein Schule (1748) バロック3階建の建物で、碑文板がある。その後小学
   校となり、1973市博物館となった。
 市教会 Stadt Kirche (1610-11) 初めの小さな教会の代わりに。北西の隅に1731バロック
   の教会が建てられた。1929火事で全面が焼けアールヌーボ-で再建された。中にはバロック
   説教壇・祭壇、ステンドグラスがあり、平らな屋根の下にはホーエンローエ王室の墓が30棺ある。
 馬粉引場 Ross Muehle () 2階建の大きな建物が市壁の外に建てられた。
 旧ポスト Alte Post (1914) 旧郵便局で、3階建で中央部張出室のある建物。
 牧師館 Pfarrhaus (1615) 3階建木組切妻のアーチ門のある建物。
 教会山 Kircheberg (1200) 初め貴族がキルヘベルク城を築き、14cに強化・拡張され、城は要
   塞に組込まれた。1562ホーエンローエ家が買取り強化された。1590-97ルネッサンスの城を再建
   し、1650王宮になった。1738-45王宮の拡大で、新未亡人の家・王宮厩舎・ガードハウス
   が建てられた。1865までホーエンローエ・キルヒベルク家が使用した。1945まで博物館、1945
   -46学校となり、1988改修された。
 旧宮殿薬局 Ehem.SchlossApotheke (1806) 町役場と同時期に2階建で建てられた。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
市教会 市塔
市門外 市門内

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キルヒハイム Kirchheim unter Teck BW62

1.歴史

  960 王オットー1世の所有とマーチン教会文書に言及、  1059 王ヘンリー4世は市場権授与、
 1060 テック侯爵家が360年間町を支配、 1220-30 テック侯爵は市場権を新たに授与、
 1293 町に市壁の存在を確認、      1387 テック侯爵は町をヴュルテンブルクへ売却、
 1529 農民戦争で城は焼け落ちた、   1534 侯爵ウルリッヒは町を拡張・要塞を築く、
 1630 30年戦争とペスト流行で町は衰退、    1690 大火事で市壁内は殆ど焼失、
 19c 羊毛繊維産業で栄えた。

2.市壁 0.230km 0.27

   1293には市壁の存在が証明されている。1534侯爵ウルリヒの復帰後に要塞として強化
  された。1543Vogthausは市壁に沿って建てられた。16cに8要塞で市壁を強化。

3.塔  0門0塔

   かって4門あったが、今は見当たらない。

4.見所  C

   旧市街地は、1690の大火災で殆ど焼失し、その後再建され230年経過している。
  見所は町の北と東に偏っている。
 市庁舎 Rathaus (1722-24) 美しい3階建木組の建物は焼けた民家の場所に建てられた。
   木組の外観は時代遅れとして漆喰塗がおこなわれた。20cの初めに技巧豊かな木組
   は再び露出された。頭巾をかぶった遠くの見える塔がある。
 マーチン教会 Martin Kirche (7c) 7cにはこの場所に木造の教会があり、早い時期に石造と
   なった。12cには3廊バジリカに拡張され、14-15cには今の姿になった。1690の火
   事で損傷し内陣の丸屋根は残された。ほぼ従来通りの外観で再建された。
 病院 Spital (1360) テック侯爵フリードリッヒは、病院を寄贈し多くの寄付で豊かな病院になっ
   た。昔の複合体の中心は1690からの建物で、18-20cに学校として使われ1974に
   成人学校になった。
 ドミニコ会修道院 Dominikanerhnen Kloster (1235) テック伯爵コンラッド1世は市壁の外に修
   道院を設立した。宗教改革で修道院は廃止され、町の防衛方針で1539に修道院教
   会と集会場は壊された。17c初め残された修道院の建物は焼失した。その場所に今
   は3階建の税務署と駐車場ある。
 修道院近くの砦 Bastion Beim Kloster (16c) 旧市街の北東の隅の砦は、16c当時の町の
   防衛を担った。幅広の高座は大砲が据付けられた。今は丸天井の遺産が残り集会場
   に使われている。
 教区会館 Dekantsgebaeude (1692) 豪華な3階建の木組の建物は、1690の大火後に北
   側は市壁の上に乗せて建てられた。19cに根本的に改修され、新教教区管理の人を収
   容している。
 火事通り Brand Strasse (17c) 1690の大火災をここで止めた。旧市街で残ったのは、マー
   チン教会の内陣と外壁・マックス・エイスの家・十分の一税倉庫・宮殿のみであった。今でも北側
   は信用金庫の入った建物のみであり、その建物の壁には1690大火事の浮彫があり、
   大火事の状況を伝えている。
 旧牧師館 Altes Pfarrhaus (17c) 1690大火事の後に、マーチン教会の執事のために大きな3
   階建の木組の家を建てた。監督業務分岐後に新教町牧師は牧師館とした。今は地階に
   は教会信者団の広間、上階は金庫と市会計課が入っている。
 代官の家 Vofthaus (1543) 市壁に建てられた建物は、その後ヴュルテンブルク侯爵の代官の家
   になり、次にキルヒハイム上級代官のための家として取得された。1852からヴュルテンブルク侯
   爵ヘンリート養老院の一部としてヘンリート女子救貧院を収容した。
 マックス・エイス生家 Mox Eyth Haus (1540) 詩人で牧師のマックスエイスの生誕の2階建上階木組の家
   で1540-1909ラテン語学校として使われ、1960の大火事を生き延びた。今は文学博物館
   と町の案内所である。
 穀物蔵 Kornhaus (16c) 町が包囲された場合の兵士の必要品を貯蔵した。地元産砂岩の外
   壁材料は火事に耐えた。蔵は1960の大火事で焼失したが、1696には今の姿で再建さ
   れ、今は町の博物館と美術館である。
 宮殿 Schloss (1538-60) ヴュルテンブルク侯爵ウルリッヒとクリストフ下で最初の要塞が建てらはヴュルテンブ
   ルク家の滞在や後に未亡人の居所であった。1811侯爵ルーデヴィッヒが家族と共に入った。
   1817から40年間は未亡人が住んだ。今は教育専門研究所。
 旧営林署 Altes Forstamt (1600) 火事で焼け1693営林署は2階建上階木組で再建された。
   侯爵ワイン醸造所として使われ、その後城の管理人と高位職員が住んだ。20cから2006
   まで国の営林署として使われ、その後は個人所有となった。
 守衛詰所 WachtHaus (1829) 4市門の衛兵詰所の内、南入口の旧上門のみが残されている。
   1829新設され、塔見張り人・監獄守の住居で使われ、20cには警察官の場所1975高級
   料理店となり、夏にはビヤガーデンが開かれる。
 古い家 Altes Haus (1538) 町でも大きくて豪華な3階建木組の建物で、上門の外に個人が
   建てた。次の150年間は宿屋として、次の250年間は20c初めまで森林管理事務所であ
   った。1902学校となり、贅沢な木組のよく復元された家は個人所有である。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
旧牧師館 修道院砦
代官の家 西南壁

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コンスタンツ Konstanz BW63

1.歴史

 3C末 コンスタンティウスⅠ世(292-306)町を築く、 585 司教マクシムスが後期ローマ砦を建、
 1192 帝国自由都市とされ市壁を築いた、1414-18コンスタンツ宗教会議で法王統一、
 1548 自由都市の地位を失いハプスブルグが支配、1633 30年戦争スエーデン軍包囲、
 1806 バーデン大公国に帰属、     1862 景気回復の人口増で市壁は破壊、
 1952 バーデンビュルテンブルクに帰属。

2.市壁  0.01km 0.01

  12-13Cの市壁は1862に殆ど取り壊された。僅かにライン塔付近に壁は残る。

3.塔  2門1塔

 ライン門塔 RheinTorTurm 北 ライン橋の袂にある。5階建ての四角錐屋根
    の角塔、側面は石造で裏面は木組。
 シュネッツ門 SchnetzTor 南 5階建て角塔、側面は石造で内面は木組。ヤン・フス
    の家が、門の内側2軒目にある。
 火薬庫塔 PulverTurm 北角 火薬庫として使われた角塔。

4.見所  B

   ボーデン湖のスイス国境にあり、港の風景と大聖堂・市庁舎の景観が見事である。
 大聖堂 Muenster 1052-89建、14C礼拝堂、1856塔が追加された。様式の統一
   性のない建物。玄関の扉には1470キリストの生涯の浮彫り、玄関右の階段を
   上がると教会塔の展望台に上がれる。ロマネスク教会のアーチの上に17Cの円天
   井が載っている。地下聖堂には、11-13Cの四つの金メッキの銅版画が
   ある。
 市庁舎 Rathaus ルネッサンスの建物の前面には、町の歴史を表した絵で飾られて
   いる。中庭には16Cの母屋が両側の円塔の間に立っている
 ロスガルテン博物館 RosgartenMuseum 昔のギルド会館が郷土博物館となって
   おり、宗教会議の様子や古代からの町の歴史が展示されている。
 公会議建物 KonzilGebaeude 1388建、倉庫として建てられたが、1417の宗教
   会議の教皇選挙会場に使われた。見学不可。

5.写真

市庁舎 フッセン通

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クンゼルザウ Kuenzelsau BW64

1.歴史

 11c フランク族の貴族の領地、    1098 コムブルクの聖ニコラウス教会に贈与言及、
 1100-1300 城と修道院の建設、  1328 ホーエンローエ家は買収して息子を領主に、
 1483 ホーエンローエ家とシュテッテンとの紛争、1493 マインツ大司教は休戦協定を締結させた
 1500 所有率はシュテッテン25%.ホーエンローエ20%.マインツ10%.ヴュルツブルク10%で交易の中心地、
 1519.32 町は大火災に遭遇、   1598 ホーエンローエは城の単独所有者となった、
 1618-48 30年戦争で略奪や殺人 、1695最初の石橋を架橋、1767-86市壁で囲む
 1806 ヴュルテンベルク王国に、      1871 ホーエンローエは町をヴュルテンベルクに売却、
 1873 城は教員養成のカレッジへ、   1939-45 1次2次大戦の砲撃で一部破壊。

2.市壁  0.04km 0.02

   1500に、北500m・東300mの木製柵と堀、南の上門・東のモールスバッハ門で囲み
  1767-86に市壁になった。西側AnderStadtMauerに20+20mに市壁が残る。

3.塔  1門1塔

 モルスバッハ門 Morsbach Tor (1525) 3市門の唯一残った市門で、3階建
   て木造で1822から数年間牢獄として使われた。
 物見櫓 Wart Turm (1488) 町の南東のWartbergに物見櫓があり、市民に
   よって建てられたと伝えられている。シュッテンとホーエンローエとの武力紛争から町を
   守るために役立った。

4.見所  C

   小さな町ではあるが、美しい木組みの旧市庁舎や家並みが良く保存され、
  中世の雰囲気がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1522) 建物は数度改装や再建され、1989に今
   の姿になった。今は市図書館となり会議室は借りることが出来る。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1989) 新しい3階建ての建物に塔がある。
 バルティナウ宮殿 Schloss Bartenau (13c) 中世以来、地元貴族の館があった
   が、1678ホーエンローエ家は4階建に建て替えた。1873教師セミナーが行われ、
   以降教育機関とされ、今は高等学校になっている。
 ヨハネ教会 Johannes Kirche (12c) 次第に増築され、中には1617説教壇・
   1704勝利の十字架・パイプオルガンがある。
 木組みの家 Fachwerk Haus
   マインツの家 Mainzer Haus (1596-97)大きな市民の家であり、後にはマインツ大司
     側面が美しい3階建の木組みの家。
   ヨハネ薬局 Johane Apotheke 貿易で財を成した市民の家で、見事な彫刻が多
     用されている。

5.写真

旧市庁舎 ハウプト通
バルティナウ宮殿 モルスバッハ門
モルスバッハ門外 東壁

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クッペンハイム Kuppenheim BW65

1.歴史

 1095 最初の文書言及、    1283 伯爵は盛りの過ぎた町をバーデン伯に売却、
 1300 都市権を得て市壁と門塔の建設開始、1535 22の村の中心地として栄えた、
 1689 プファルツ承継戦争で町は焼失、    18C初 元の市壁の上に町は急速に回復、
 19C初 防御施設の残りは取壊され、  市壁は一部しか残らなかった、
 1849 バーデン革命の戦場となった、     1945 第2次大戦の被害は軽かった。

2.市壁  0.225km 0.21

   1300から造られた昔の市壁は各所で修復されている。
  北に50m、北東に100m、東に20m、南東に35m、南西に20mが残っている。

3.塔  0門1塔

 魔女塔 HexenTurm 円形の基礎が残るだけ。

4.見所  D

   小さな町だが中心のマルクトは雰囲気はよい。
 旧町庁舎> AltesRathaus 1730-31建、石造2階建てのずんぐりした建物で屋根
   の上に小さな円塔が載っている。
 聖セバスチャン教会 Pfarrkirche St.SebastianKirche ネオゴシックの大きな教会であり、
   内には1530の祭壇がある。1902-05に20mの時計塔を付けた。
 トランクと郷土博物館 Koffer&HeimartMuseum スーツケースと郷土博物館で、ケース.図面.
   カタログと都市の歴史項目を展示。

5.写真

旧市庁舎 北壁
北東壁 メヒティケ小門゙

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ラーデンブルク Ladenburg BW66

1.歴史

  74 ローマ軍はケルトの集落に宿営地設置、  220  BWで最大36haのローマの町、
  260 アラマン族の侵入、454 ローマ支配の終焉、 469 メロヴィング・ラーデンベルク設立、
  9c 最初の中世市壁の建設、1011 ヴォルムス大聖堂聖公会印を与え1705迄支配、
 1200 外側市壁の建設、     1455 司教ヨハン・ダルパークの下で町は栄えた、
 1564 カトリックと改革派の抗争で教会破壊、   1622 30年戦争で略奪と破壊、
 1705 町はプファルツ選帝侯の所有へ、1799 仏軍が占領しマンハイム地区事務所管轄、
 1803 カールスルーエのバーデン大公国に帰属、  1863 マンハイムの地区事務所に組込み、
 1945 第2次大戦の爆撃は免れ、米軍に無血開城した。

2.市壁  0.720km 0.34

   3cのローマ市壁と中世の市壁が残っている。

3.塔  1門2塔

 マーチン門 MartinsTor (13c) 北西部ヴォルムス通の4階建四角塔であり、
   外側マントル部分に聖マーチンの彫刻がある。
 魔女塔 HexenTurm (13c) 北西隅に突出した5階建の六角屋根の円塔。
   下部に擁壁が付いている。
 坊主塔 PfaffenTurm (13c) 西側に円塔の切株がある。

4.見所  C

   この町には、ローマ時代からの大きな市場大聖堂など古くからの由緒ある
  建物が残されている。
 市庁舎 Rathaus () 市庁舎の前部は元Domhofの場所に立つ、旧アルデルス
   ホフがドームホフとなり、1423ヴォルムスの司教達が所有していた。この建物は1962
   に焼失した。
 聖ガ゙ウス教会 St.Gallus kirche (13-15c) ローマ時代からの市場大聖堂
   と前身の教会の跡に、1299から建てられた教区教会である。1385ヴォルムスの
   司教は町を統治し、1556の改革導入後もガルス教会を同時使用としたが、
   1590以降は改革派のみが使用した。30年戦争を生き残り、1693には仏軍の
   指示でカトリックが使用した。1863-69教会は西に拡張され前面は更新された。
   1976改装、2010-14改修、ゴシック3身廊5ベイの大教会で、後陣に左右に正方形
   四階塔以上八角形のが塔あり、東には1770の時計塔がある。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1715-20) 初めタマネギドームのバロック・ホール
   教会で建てられたが、1874荒廃し取り壊された。1876-78今のネオゴシックの単
   塔広間教会で建て直された。1959オルガンが付けられ1988補修された。
 聖セバステャン礼拝堂 St.Sebastian Kapelle (13c) 13cの身廊と塔に15c
   の後陣が付けられ、1565カトリックの教区教会となり、1693には改革派教会と
   して使われた。1874内装はバロック化され、1878まで改革派教会として使わ
   その後新改革派教会建てられた後には、またカトリック教会となった。1960-82
   れ、礼拝堂が復元されたが、2006老朽化で閉鎖され、その後修繕されて町
   の所有となった。
 新ヘラーの家 Rathaus () マルクト広場に立つ3階建木組切妻のある堂々と
   した大きな建物。
 旧司教裁判所 Ehem.Bischshof (12c) 現在はロブデンガウ博物館であり、
   考古学・地域の歴史・民俗・文化を展示している。重要なローマの神々の47の頭
   部が展示されている。
 後期ローマ要塞 Spaetromischer Burgs (1c) 後期ローマの港湾要塞の遺跡。
 住居と最初の車庫 Wohnhaus und Erste Garage 車の制作者カール・ベンツ
   の住居と最初の車庫は、今は自動車博物館として、100年前の自動車工場に
   自動車のコレクションとエンジン発展の歴史が展示されている。

5.写真

市庁舎 聖ガウス教会

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ラール Lahr BW67

1.歴史

 1215 集落の名前は貴族ハインリクスと結びつけて言われた、
 1220 町は領主のTiefBurgが中心、       1278 町に昇格した、
 1377 自由都市の基礎となる都市権は、帝国の終わ()りまで更新された、
 1426まで 支配権は領主の所有に残った、
 1629まで 町は周囲を管理する役所となった、
 1648 30年戦争による人口減、    1803 バーデンバーデンの管理下に、

2.市壁  0.045km 0.04

   小さな村は北の方向に発展した。1278に壁を囲んだ。壁の外側に多く
  の記号で建設時期を示している。1320に市壁は2次拡張された。1470に
  南に向かって3次拡張がなされた。

3.塔  0門2塔

 コウノトリ塔 StorchenTurm 1218-20建、昔のTiefburgの最後の残りである。18
   c中の城址の取壊しを生き残り、1859まで監獄として使われた。中には、城
   の建設の歴史やコウノトリ塔の情報が展示されている。
 防御塔 WehrTurum  町中に、半分崩れて市壁と共に立つ円塔。

4.見所  C

   町は、次第に南に拡大した経緯が、残った壁に銅版画で示されている。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1500建、今の姿は大部分17Cの改造の結果である。地階
   は外に開いていたが、1608に閉じられ今日の形になった。1933まで市庁舎と
   して使われ、今は文化局と案内所となっている。
 新市庁舎 NeuRathaus 1807建、タバコ工場の南ウイングの一部が1926から市庁舎とな
   った。
 聖ペーターとパウル教会 Kirche St.Peter&Paul 1844-49建、カトリック教会は二つの塔を持
   つ。1989-92の復元を経て今の姿となった。元の家具や装飾も部分的には残
   っている。
 修道院教会 StiftsKirche 1259建、修道院教会に1259に返された。身廊は元の初
   期ゴシックの姿を残している。1879に今の塔は造られた。1485-92は市教会と
   なっていた。
 城付き教会 BurgHeimerKirche 1035建、この場所の元に教会は7C初に上ラインで初
   めての石造教会であった。今の教会は1035にロマネスク教会となり、1580に内部の
   壁画が描かれた。15C末まで市教会であった。

5.写真

市庁舎 南西壁
コウノトリ塔 西壁
北壁

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ランゲンブルク Langenburg BW68

1.歴史

 1226 ヴュルツブルク司教の文書に城と家を初言及、 1253貴族が後にホーエンローエ家が支配、
 1499-1502 クラフト4世最初の礼拝堂建設、   1507 ショッテンシュタインによる城の銃撃、
 1568 伯爵ヴォルフガングは公国の王宮都市へ、   1576 ホーエンローエによる郡の統合、
 1610 伯爵フイリップ・エルンストは市壁門塔と都市建設、 17c 30年戦争で政府軍の破壊、
 1500-1806 町はフランク王国地区に属した、 1945 第2次大戦による被害は免れた。

2.市壁  0.29km 0.55 別に城壁0.17km

   ホーエンローエ家の伯爵フイリップ・エルンストは、17cに市壁と門・塔を建設し、市壁は
  ほぼ残されいる。

3.塔  1門3塔

 市門 Stadttor(17c) 石造のアーチのある地階の上に木組構造の上階が乗る簡素な
   市門があり、隣接して6階建ての円塔が立っている。また、外側には道路を跨
   いで4階建ての大きな建物がある珍しい構成となっている。
 市壁塔 Stadtmauerturm(17c) 市壁の北側に基礎から積上げられた石造の角塔
   が3基あり、今は私的に住居などとして使われている。最も東側の隅塔は17
   c伯爵ルードビッヒが寄付した貧者のための病院の一部として使われた。

4.見所  B

   高い山頂にルネッサンスの城が聳え、その西側の尾根の上に木組みの家の多い城下町
  が伸びている。中央道りには美しい家が並び、バロック城公園や多くの博物館がある。
 旧市庁舎 AlteRathaus(16c) 町は哲学者カール・ジュリアス・ウエーバーの弟から、1819地階石造
   上階木組の切妻の建物を購入した。この建物の屋根裏にはカール・ジュリアス・ウエーバーの
   記念室があり、彼の家具などが置かれ、広間は結婚式の会場である。
 宮殿 SchlossLangenburg (12c) 城の起源は12cに遡り、その後ホーエンローエ家が所有し
   て増改築された。1574伯爵ヴォルフガングが城を整備して居住したが、ヴァイカースハイム
   へ転居した。1611伯爵フイリップ・エルンストは中世の城からルネッサンスの宮殿に建て替えて
   住んだ。1960城博物館として公開され、城礼拝堂・バロック城公園・ルネッサンスの中庭
   ・バロックの部屋で、内装・家具・タペストリィ・防具・磁器を見られる。
 石の家 Steinhaus (1583) 大きな石造の家で、ホーエンローエ家未亡人の家と呼ばれ、1776
   にラテン語学校を収容した。今は銀行が建物を所有している。
 評議員の家 Hofratshaus (17c) かっては城の評議員が常駐した。建物はまだ城が所
   有し、最上階にはホーエンローエ芸術協会が入っている。展示会は毎月更新されている。
 城カフェ Schloss cafe (1950) 領主ゴットフリートが建てたカフェは1950に開業した。その後窓
   や銅屋根が付けられ、1983今のテラスに拡張した。カフェの展望は良い。
 市教会 StadtKirche (1499) 伯爵クラフト4世は今の教会の元となる最初の礼拝所を建て
   た。1556の宗教改革時に教区教会に変換された。1610-80今の建物に拡張され、
   伯爵家の墓が置かれた。1906改修でフレスコカ画の壁が再現された。
 ドイツ自動車博物館 Deutsches Automuseum (17c) かっての城の馬車庫に、1972.77
   に自動車博物館が開設され、2,000m2の空間に80台を超える自動車が展示さ
   れている。
 郷土博物館 Heimat museum (1596) 自然と文化遺産博物館には、地域の動稙物分布の
   洞察を得る。またかっての靴屋の家を訪問できる。また、1930から鍛冶屋をガイド
   付きで見学できる。

5.写真

旧市庁舎 市教会
木組家 西壁

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ラウダ・ケーニッヒスホーヘン Lauda-Koenigshofen BW69

1.歴史

 1135 貴族セックスダイブの支配、  1344 バイエルン王ルードヴィッヒは都市権を授与、
 1506 ヴュルツブルク公国の公式地区であった、    1803 ライニンゲン公国に所属、
 1806 バーデン大公国に属した、       1921-1935 隣接のケーニッヒに統合。

2.市壁  0.15km 0.25 

   14の市壁は、西南と南西に残っている。

3.塔  1門3塔

 上門 Oberes Tor (1496) 西門であり、3階部分は木造である。
 火薬塔 Pulver Turm (14c) 中世の市壁塔の唯一の残りで、火薬塔として使われた。
   旧市壁の取付け部が見られる。

4.見所  C

   印象的な木組の家が残り、歴史的な教会のある町。
 旧市庁舎 Ehem.Lauda Rathaus (16c) 2階建木組の建物。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1979-80) 地階はオープンで、2-3階は木組の変形建物。
 聖ヤコブ・カソリック市教区教会 Kath.Stadtpfarr kirche St.Jakobus (1698)多様な歴史
   と多くの美術的特徴を持つカトリックの教会。王子司教ジュリアス・エクターがゴシックの教会
   を建て、1953に身廊が拡張された。
 マリエン教会 Marien Kirche (1613) 1542からの市壁外の古い墓地の基盤の上に、王子
   司教ジュリアス・エクターによって1613に後期ゴシックの教会がたてられ、今はロココの豪
   華な内装になっている。
 湯屋 Bad Stube (1551) 湯屋は1747に再構築された。
 郷土博物館 Heimat Museum (1571) 旧ワイン農家の建物に、17cから歴史博物館となっ
   ている。
 旧教区会館 Ehem.Pfarr Hof (1721-78) 教区の強大なワインセラーと納屋。今はカトリック教
   区センター。
 旧十分の一税倉庫 Ehem. Zehnthaus (1552) 旧十分の一税倉庫で、1740バロックで再
   構築された。

5.写真

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ラウフェン Lauffen Heibronn市内 BW70

1.歴史

  823 左岸丘の上に教会があり王室領地と言及、1003 左岸の城は終わった、
 1099 右岸は修道院の農地になった、 1150 ネッカー川の中州に城が建てられた。
 1274 工芸の村として市壁はあった、1365 右岸の村には3門と堀と棘の垣根、
 1434 ヴュルテンブルク領となった、    1474石橋を築き城と町は平坦地に移転、
 1534 ラウフェンの戦いでヴュルテンベルクはオーストリアに勝った、1772 市壁と東門の建設、
 1938 ハイブロン市に併合、      1945 空爆の被害は些少、戦後仏軍占領。

2.市壁  0.64km 0.60

   1772の市壁は東側を除いて山腹に残っている。

3.塔  2門0塔

 古ハイルブロン門 Alt Heiburonner Tor (13c) 3階建て角塔の南門で、塔は
   中世に監獄となり、18cに新市壁建設で南門は市壁を外れ残った。
 新ハイルブロン門 Neu Heiburonner Tor (1772) 3階建て角塔の東門で塔上に
   は門衛が住んだ。高低差のない入り口になった。

4.見所  C

   ネッカー川の対岸に、中州の城と市壁で囲まれた山上の旧市街が古い木組の
  家と共に静かに残っている。
 宮殿 Schloss Lauffen (11c) 領主の居住地として中州に建てられ、次
   第に拡張された。1818市庁舎になり、2006美術品と昔の生活様式を展示。
 古いワインの家 Alt Wein Haus (1568) 侯爵が建てた宮殿の翼であった。
   2階建ての大木造建築物で、個人所有で地下にワインセラーがある。
 ベイの家 Bei Haus (1651) 古風な趣のある玄関の3階建ての美しい木組
   の家で、1576には二つの建物であった。
 対岸の丘に立つ
  Regiswindis Kirche (742) 初め木造のマルチン教会として建てられ、1050-1150に
   ヴュルツブルク司教はロマネスク化し、1227-1300再建、1564火事で焼け内陣だけ残り、
   1567に再建された。
REgiswindis Kapelle かっては聖アンナ教会の墓地納骨堂であり、1882礼拝堂に
なった。

5.写真

ハイルブロン門 旧ハイルブロン門
北壁 南壁
南壁 ラウフェン城
レギスヴィンド教会

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ライメン Leimen BW71

1.歴史

  791 ロッシュ修道院とヴォルムス司教が共有、   1351 プファルツに最終的に属した、
 1525 農民戦争の被害を免れた、 1579 集落は自治権と歳の市を与えられた、
 1595 町となり市場町と呼ばれた、      1674 オランダ戦争中に一部焼失、
 1689 パラナイト戦争で全壊した、 17c 30年戦争で町は壊滅、1674 市場再建、
 18c  戦争で町は荒廃、選帝侯はスイス移民を定住させた、
 1803 バーデン・ハイデルベルク大公国へ、       1881 ライメンは市となった、
 1945 空爆の被害はなかった。

2.市壁  0.17km 0.20

   14cはの市壁は、多くが19cに解体された。ヨハネス通には、市壁の残りと
  説明板・舗石の印がある。

3.塔  0門1塔

 フランゼン塔 Franzens Turm (14c) 19cに取崩された14c要塞の遺跡。

4.見所  C

   旧市街中心部の建物の多くは、復元された木組の家があり、中世の街並みが
  再現されている。
 市庁舎 Rathaus () 元エアラス・ゼリグマンの宮殿で、鏡の間があり町でも代表的な建物
   である。
 新教モーリシャス教会 Ev.Mauritius Kirche (13c) 市壁の中心に位置する単塔の教会で
   1303ヴォルムスに売却された。1496には聖モーリシャスと呼ばれた。1556プファルツ選
   帝侯オットー・ハインリッヒによって改革を導入、1679オランダ戦争で仏軍に焼かれ、
   1684バロックの身廊で再建され、1783・1922に建物は拡張・改修された。
 カトリック聖心教会 Kath.HerzJesu Kirche (1914) カトリック教徒の増加で、新い教会が
   建てられた。
 民族大学 Volks Hochschule () 2階建マンサード屋根の建物で、マルクト広場に立つ。
 塔学校ライメン Turmschule Leimen () 3階建マンサード屋根の窓が並んだ大きな学校の
   建物。屋根には鐘楼がある。

5.写真

市庁舎 モーリシャス教会
フランゼン塔 北西壁
南東壁 南東壁

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レオンベルグ Leonberg BW72

1.歴史

 1248 ヴィッテンブルクのウルリッヒⅠ世は町に、   国境のLevinberchの町を創設した、
 1277 修道院に大学を設立した、   1312-16 帝国都市となり減税と市長選挙、
 1383 帝国都市に失敗しヴィッテンブルクに属した、 1457ヴィッテンブルク州議会の文書に、
 1470 小さな市壁で壁の外に家があった、  1534 宗教改革で消極的プロテスタント、
 1560-65 城の建設、 1615 城庭園の建設、1635 30年戦争とペストで人工半減、
 1786 堀が埋められ、門は壊され町は拡大、 1806ヴィッテンブルクの郡庁が置かれた、
 1895 大火で主要建物や住宅が焼けた、  1945 第2次大戦の爆撃による被害小。

2.市壁  0.080km 0.10

   南東側に昔の防御施設が残っている。市壁に沿って家を貫いて城壁通路が通
  り、小さな屋根の下に銃眼が見える。前面には円形塔が出張ってあり、外側に
  第二壁があって距離を取っていた。

3.塔  0門1塔

 黒鷲 Schwarz Alder 1351建、中世には市壁の上門の上に石の家を造った。州
   議会の会場としても使われた。16-18Cは地区管理者の家であった。

4.見所  D

   マルクトを中心とした小さな町で、木組の家が多く見られる。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1460-80建、切妻の木組の家であり、行政や裁判貿易ホール、
   祝祭ホール、野菜市として使われた。1849に体育協会の創立により体操室や洗
   濯乾燥場として使われ、今は市民課がある。
 宮殿 SchlossLeonberg 13C建、1960-65に現在の形に再建された。1765に城を
   町が買おうとしたが町の財政難で中止。まだ国の所有であり、今は地方裁判所
   と税務署として使われている。
 新教教会 Ev.StadtKirche 13C建、初め聖体拝領教会としてバジリカのある部分が建
   てられた。内部にはルネッサンス時代からの市民の墓碑の彫刻がある。
 修道院跡 Rest des FranziskanerKloster 1467建、旧フランシスコ会修道院跡。1811に
   病院学校を開設。高齢者と貧しい人のための病院がある。

5.写真

旧市庁舎 南壁

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ロイトキルフェン Leutkirche im Allgaeu BW73

1.歴史

 766 中心をニーベルガウスに移し初言及、1200 定住地が成立し市場権を授与、
 1239 市壁と塔が存在、旧原始村落は農民郊外地を市壁の外に置いた、
 1293 ナッサウ王アドルフは都市権を授与した、1336 裁判権、1348 関税権を得た、
 1397 高等裁判権など自由帝国都市の全特権保持、1506 200以上の織場が存在
 1546 宗教改革の導入、      1632 30年戦争とペストで人工半減、
 17-18c 多くの戦争・他国軍の宿営・占領負担金・亜麻布織場の減少で町は衰退、
 1803 帝国自由都市が終わり町はバイエルンへ、 1810 ヴュルテンブルクの郡庁都市に、
 1838 郡庁は廃止され新バンゲン郡に含まれた。

2.市壁  0.20km 0.26

   13cの市壁は、北西と北西に残され、北東には壁上通路も付いている。
  第二壁があって距離を取っていた。

3.塔  0門31塔

 十分の一税蔵塔 Zehntstadel Turm () 6階建の角塔で、外側への
   抜穴につながる。
 火薬塔 Pulver Turm () 3階建円錐屋根の円塔で風見が付いている。
 雄塔 Bock Turm () 9階建の高い角塔で三角屋根の印象的な見張塔で
   塔守の家族が住んだ。

4.見所  C

 旧市庁舎 Historisches Rthaus (1740-41) 1407の最初の市庁舎の代
   りに、帝国自由都市を象徴する建物として建てられた。バロック3階建の赤い
   建物で壁柱に漆喰塗窓を設け、バルコニィには双頭の鷲と自由都市のロゴがあ
   る。地階オープンホールから階段が上階に繋がり、シンプルな漆喰天井が見える。
 聖マーチン司教区教会 Stadtpfarr Kirche St.Martin (48) 町の起源の
   古くから存在し、1519今の教会はゴシックのアーチ窓と丸天井のホール教会で建て
   られた。1935ステンドグラスとフレスコ画が付けられた。
 穀物倉庫 Korhhaus (1533) 使われたホウヒの木は1508-09に伐採された
   事が測定された。都市憲章では、穀物の貿易は倉庫を経由して行うことに
   なっていた。1960年代以降は自治体の建物となり、1976図書館になった。
   1986-88に改修されている。地階は新聞・新刊書、上階は子供の本がある。
 ゴシックの家 Gotischs Hhaus (1740-41) 中世後期に建てられ、16cに小
   売店になり、1890市に買取られた。今は観光と成人教育の機関を収容。
 肉屋 Metzig () 地階石積、上階木組の2階建の建物で、元町の食肉処
   理場で、開かれた小川は飾られた木組の下を導いた。
 十分の一税納屋 Zehntstadel () 2階建の大きな木組の建物に、小門と
   塔が建物に作られた。
 ボック博物館 Bock Museum (1740-41) 都市と人の歴史を展示している。
   ワークショップとして靴職人・鍛冶屋・リネン織・ドールハウスなどがある。
 ギャラリィ:門の家 Galerie Torhaus () 旧守衛詰め所に美術品の展示。

5.写真

旧市庁舎 ボック博物館・塔
十分の一税倉庫 穀物会館
西壁 北壁
北西壁

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リヒテナウ Lichtenau Baden BW74

1.歴史

 1154 ウルムシュバルツ・フローンホフ修道院が所有、 1300 王アルブレヒト1世は都市権付与、
 1298-1313 ストラスブール司教は町と要塞構築、1335-90 侯爵リヒテンブルクの個人住宅、
 1480 リヒテンベルク支配終りハーナウ・フイリップ1世へ、16-17c農民・30年戦争で略奪破壊、
 1736 ヘッセン・ダルムシュタット方伯に落ちた、  1802 バーデン大公国の一部になった、
 1805 バーデンの方針で市壁・塔は壊された、      1935 町の憲章を失う、
 1945 空爆で多くの建物が破壊された。

2.市壁  0.00km 

   14cの市壁は、壊されて見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

 市庁舎 Rthaus () 2階建の近代的な市庁舎。
 新教教会 Ev.Kirche () 単塔の教会。

5.写真

市教会 新教教会

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リンダウ Lindau im Bodensee BW75

1.歴史

 882 ザンクトガレンの文書に修道院の存在、  950 市場権を得て本土に市場開設、
 1079 島に市場を移した。、        1180 教区教会の聖シュテファンを建設、
 1225 フランシスコ会修道院設立、       1274 都市権の授与、伊と遠隔貿易、
 1496-97 今の旧市外壁は庁舎で国会議事を行う、      16C ペストの流行、
 1646-47 包囲したスエーデン軍を橋を壊して撃退、1728 大火で焼かれバロックで再建、
 1806 バイエルンに帰属、           1945第2次大戦の戦後も仏軍が占領。

2.市壁  0.70km 0.24

   古く、島の本土側に前島を置き防御壁を築き、島には堡塁Schanzeを築いた。
  帝国都市時代には、島に内外二重の市壁を巡らし、外壁は湖岸に沿って島を
  囲い塔や塁堡で補強された。内壁は旧市街地そのものを囲んでいたが、今は
  北側のAufDerMauerだけが跡を示している。

3.塔  0門3塔9堡塁

 泥棒塔 DiebsTrum 1380建、4階建の円塔で八角形の屋根に小塔が付いて
   いる。市壁の西南の防御塔は、泥棒塔と呼ばれ牢獄として使われた。
 マング塔 MangenTurm 13C建、旧灯台の5階建円錐屋根の四角塔。灯火を灯す
   広間の天井は、ミラノとヴェネティヤのシンボルの竜とライオンが描かれている。
   1979の落雷後屋根は再建された。
 火薬塔 PulverTurm 1508建、島の西端にある火薬庫塔。16Cの囲壁と共に
   建てられた。
 塁堡 Schanze 海岸線を守る外壁の堡塁が9箇所残っており、昔外側には
   ブドウ園.農地や墓地があった。

4.見所  B

   ボーデン湖の中の島であり、水面を渡って島に渡る。旧市街地に古い建物が
  残り、南側の港では出入りの遊覧船で賑わう。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1422-36建、最初ゴシックで建てられ、1576に美しい
   階段・破風付きのルネッサンス風に換えられた。正面破風の見事な装飾
   画は1885に画家ヨーゼフ・ヴィンドマンの構想を基に1972-75に描かれた。北側
   にも破風に壁画があり柱廊と共に美しい。
 新市庁舎 NeuesRathaus 旧市庁舎のすぐ近くに立つ、グロッケンシュピーゲルが11
   時45分に聞こえる。
 ステファン教会 StephanKirche 1180建、三廊ロマネスク教区教会。1781-83にロココに
   改修された。
 聖母大聖堂 Muenster UnsererLiebenFrau 810建、起源はStiftskircheMaria
   Himmelfahrtであり、1728の大火後1748-52にバロックの教会となった。
   1987に身廊が壊れて改修された。
 ペーター教会 PetersKirche 1000建、FischerKircheとも呼ばれ漁師の守護聖
   人。身廊の北側の壁には、16Cのフレスコ画が残っている。1180までは
   町の教区教会であった。1927以降は戦争記念塔。
 町博術館 StadtischeKunstSammlungen HausZumCavazzenが焼失後1729-30
   に再建したバロック3階建の美しい石造建物。内部に絵画・彫刻・磁器・
   時計・楽器と民俗芸術・宗教美術を展示。

5.写真

旧市庁舎 カヴァッツエンの家
ディープス塔 マング塔
港のライオン マクミシラン通

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レッヒガウ Loechgau BW76

1.歴史

 1147 シュパイヤー司教は聖ペテロ教会設立、  1244 教会はシュパイヤー大聖堂に所属、
 1484 ヴュルテンブルク公爵が来て所有、 1506 ヴュルテンブルク公爵ウルリッヒが村を支配、
 1529 バーデン辺境伯フイリップは村の半分を購入、 1530 堀と3市門の市壁の記載、
 1534 宗教改革の導入、 1595 ヴュルテンブルクのフリードリッヒは村の残り半分を購入、
 1602 2階建木組の市庁舎を建設、       1618-48 30年戦争で町は全滅、
 1650 町はビーテッヒハイムに属し税を支払、     1799 オーストリア軍が仏軍を撃退、

2.市壁  0.11km 0.21

   1530にDorf um Mauerungは初言及された。大規模の要塞の村は、木製柵や
  生垣で囲まれていたが、都市部には市壁が築かれた。南側に点々と残っている。

3.塔  0門0塔

   ビジッヒハイマー門は1820に取払われ、門や塔は残っていない。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1602) 地階石造上2階木組の建物で、地階には市場広間があった。
   1988市庁舎は別館で拡張された。
 聖ペテロ教会 St.Peter Kirche (1147) 13-14cの古い部分もあるが、1756-76に改修
   され単塔が更新された。現在のオルガンは1959に付けられた。
 新教牧師館 Ev.Pfarrhaus (1746) 建物のボールトに年号がある。背後にある納税倉庫
   Zehnthaus(1570)は1604迄教区の納屋を務めた。
 古い絞り器 Alte Kelter (1407) 大きな建物で1980に改装された。今はレストランを併設
   している。
 旅館:王冠 Gasthof Krone () 村の壁の上に構築された。その宿屋となる家を持つ家
   主は利益をえた。
 校舎 Schul Gebeude (1682) 最初の校舎は1852に建て直され、学校として1950
   まで使われた。

5.写真

市庁舎 聖ペテロ教会

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レッヒンゲン Loeffingen BW77

1.歴史

  819 村はフランク王国聖マーチン教会文書言及、  1000 ツェーリンゲン侯爵バールが所有、
 1218 ツェーリンゲン家ウラッハは市場と税関を設置、 1270 ヴェネディクト僧院管理所設置、
 1250-1806 フェルステンブルク家の居所であった、  1318 穀物取引急増毎週市開催、
 1342 サンクトガレン修道院は聖ミカエル教会建設、 1439 宿屋太陽の地下に鉱泉浴場、
 1525 農民戦争で石造の教会が燃えた、   1535.1571 町を大火災が襲った、
 1618 30年戦争でスペイン軍がプファルツに侵攻  1632 スエーデン軍と共に帝国軍排除、
 1635 魔女狩で女27人男6人を処刑、      1652 戦争と疫病で人工半減、
 1714 仏軍は町を焼払った、    1791-1817 墺・仏・露の進軍で略奪と破壊、
 1806 フェルステンブルク公国はバーデン大公国に併合、 1845 空爆で多くの建物破壊。

2.市壁  0.05km 0.10

    町を市壁で守る事が、重要な町の特権の一つであった。この町は円形の
  配置図で立案され、旧市街地は卵型の建物配置が航空写真で明らかである。
  南側、聖ミカエル修道院の北側に市壁が残る。

3.塔  0門1塔

   上門は1819に取払われ、下門は1887に崩壊した。唯一1塔が残る。
 上塔 Oberes Tor (13c) 1270言及の広大な市門があり、上門・市塔・門塔・牢獄な
   どと呼ばれた。狭い通路が障害となり1819取り払われた。
 下門 Unteres Tor (13c) 門アーチはがっちりした厚さ1.0mの壁造りで、屋根は5階
   に嵩上げされた。1796ライ病院を外側に設けたが焼け、1804に3階建の町病院
   が収容された。1887に門は崩壊した。
 マイロイター塔 Mailaeuder Turm (1580) 唯一残された塔で、1921の火災後に再建され
   1993道化師達は、ここにギルド部屋を開設した。

4.見所  C

 町行政の場と学校 StadtVerwartung・Schule (16c) すでに16cからロッフィンゲンの学
   校があった。1832新しく建て直し、市場・学校・町の行政・市長の法律事務所
   ・大会議場・町の参事会場・市民広場が収容された。
 穀物市場庁舎 Rthaus in Kornmarkt (1318) 穀物市場にロッフィンゲンの計量所が置か
   れ、百貨店と評議会を含めた建物となった。1832今の建物に建替えられた。
 旧入植地 Alter Siedlungsort () その地区は既に紀元前に定住し、埋葬地であっ
   た。町の歴史は、550アラマン族のレッファー門で始まり、1265ロッフィンゲン侯爵の円形計
   画は中断し、フェルステンブルク侯爵が町を創設した
 役所 Amtshaus (18c) 堂々とした建物は、1739切除され、1806迄高等役人はフェルス
   テンブルクの代理人として住んだ。
 宿屋の家 Wirtshaeuser () 巡礼と穀物市場は多くの訪問客をもたらしその宿屋と
   なる家を持つ家主は利益をえた。
 博物館協力会 Museumsgesekkschaft (1846) 48人の興味のある人々が、博物館協
   力会をこの建物で創立した。1週間に2回の団欒で、語り合った。
 農産物蔵 Furcht Kasten (14c) 堂々とした農産物収納庫はフェルステンブルクの倉庫とし
   て一世紀使われた。この倉庫には、物納の農産物だけでなく領主の家財道具も
   入れられた。
 旧教区館 Altes Pfarrhaus (18c) バロック様式の大きな建物は、1788には知られ、
   豊富な寄付と教区収入を使って贅沢に作られた。1945爆撃の損傷を修復した
   後に、再建され学校となり、その後住家に改造された。
 聖ミカエル教会 St.Michel Kirche (1342) 初めザクトガレン修道院が建て1713-15今
   のバロックの姿に建て直され、1855身廊の西側に55mの高塔が付けられた。豪華
   なバロックの祭壇がある。
 古い井戸室 Alte Brunenstube () ここから町の3泉に豊富な水を提供した。この井
   戸小屋の近くに、浴場のある飲食店が開業し、この水で鉱泉治療効果が16c
   に認められた。
 十分の一税倉庫 ZehentScheuer (1776) 現在の十分の一税倉庫は、二つの建物の
   集合体である。
 マイヤー館 Mayerhof St.Blesien () この古い屋敷は、聖ブレジン修道院の中心の財産で
   あった。この屋敷から地域の修道院を管理した。

5.写真

市庁舎 市庁舎広場
聖ミカエル教会 マイロイター塔
古井戸小屋 南壁

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レーヴェンシュタイン Loewenstein BW78

1.歴史

 1090 カルプの公爵は城を建て城下に集落、 1277 ヴュルツブルク司教は城を購入、
 1281 ハプスブルク王ルドルフは郡を取得し、町は息子のアルブレヒトに与えた、
 1387 ハプスブルク王は都市権を授与、 1421ヴィッテルスバッハ家プファルツ選帝侯町を取得、
 1504 ヴュルテンブルク侯爵ウルリッヒが町を征服、1510ヴュルテンブルクのルードヴィッヒ2世支配、
 1525 農民戦争で石造の教会が燃えた、   1535.1571 町を大火災が襲った、
 1570 新しい城の建設        1618 30年戦争と疫病流行で町は衰退、
 18c  ワイン産業とスパ温泉の振興、 1815 ウイーン条約でヴュルテンベ゙ルク王国に帰属、
 1816 郡庁が置かれた、          1945 空爆で建物の70%が破壊、

2.市壁  0.13km 0.24

    14cの市壁は、北西と北東と南に残る。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    尾根の先端にある小さな町で、古くからのワインと自然探索の町である。
  山頂のローフェンシュタイン城跡の麓に小さな旧市街がある。
 市庁舎 Rathaus (1539) 旧市庁舎が壊された後1952に、2階建の鐘楼付の大きな
   屋根の新市庁舎が建てられた。マルクト広場の噴水の上にライオンが座っている。
 ローフェンシュタイン城 Burg Loewenstein (1318) カルプの侯爵が築城し、1441プファルツ選帝
   侯は要塞を強化した。16cヴュルテンベルクに移り戦乱で荒廃した。1968-72
   町が城壁・守衛詰め所・階段塔を復元した。
 新教市教会 Ev.StadtKirche (1090) 尖塔は最初からの物で、1760-63に更新され
   バロックの西正面と5身廊の本堂となった。戦災の後に、1946-53バロックで再建
   された。教会の背面には城への階段と擁壁がある。
 自由の家博物館 Frei Haus (14c) この町で最古の建物で、既存の市壁の上に3階
   建の木組の家が建てられた。おそらくは自由農民住んだと思われる。入口の
   年号1609で建て替えられ、1655領主が買取って寡婦の住居とした。1776
   まだ住居として使われ、1976町の店員が買取った。1979町の所有の自由の
   家となり、1985-93木組の外観で再建され、作家で詩人のマンフレッド・キーパー博
   物館となった。
 旧絞り所 Alte Keiter (1500) 1848までワインを製造し、その後は納屋・事務所・酒
   税徴収所・酒蔵となり、1997修復されて宴会場・催物会場。

5.写真

市庁舎 旧絞り所
自由の家博物館 東壁

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ルードヴィッヒスブルク Ludwigsburg BW79

1.歴史

 17C 鹿狩りの館は仏軍が1693焼き、その後小さな城が再建された、
 1704-33 ヴュッテンベルク侯爵エーベルハルト・ルードビッヒは「喜びの宮殿」を建設、
 1709 宮殿を移してヴュッテンベルク公国となり周辺に入植地が成立、
 1713-28 狩猟と楽しみの宮殿の建設、  1718 都市権の授与、
 1764-68 潮宮殿モンレポスの建設、1800 ナポレオンは占領して仏との同盟を強制、
 1806-71 ナポレオンはヴュッテンベルク国に、   1871 ドイツ国ヴュッテンベルク王国に、
 1918 ドイツ国ヴィッテンベルク共和国に、   1933-45 ドイツ国ヴュッテンベルクに、
 1945 空爆で140戸全壊、戦後 ドイツ連邦バーデンビュルテンブルク州に帰属。

2.市壁  0.05km 0.01

   町の防御施設の建設は、1732に始まったが、侯爵エーベルトハルト・ルードヴィッヒの
  死後1733に中断された。侯爵カール・オイゲンは1758に工事を再開し5年後に完成し
  た。長さ6.4km高さ3.5m以下で、関税の徴収を可能とし・兵の脱走と外敵の侵
  入を防ぐため、町の出入口にバロックの門衛詰所Torhaeuserが6箇所置かれた。
  19c末には殆どの市壁は取崩された。東SchorndorferTorHausの南に50m残る。

3.塔  6門0塔

   門塔はないが守衛詰所が1769に6箇所在り、1817市の所有となり、2004大
  規模改修を経て、名前を付けて美術館・公文書館・公会堂などに使われている。
 AldingerTorhaus (南東) 2階建長方形の建物で子供向け映画館である。
 AspergerTorhaus (西北) 2階建長方形の建物で地階には柱廊がある。
   ルードビッヒ駐屯地の履歴を常設展示してる。
 HeilbronnerTorhaus (北) 2階建四角い建物でローマ風入口がある。「生命」
   をテーマとした展示と企画展示が行われている。
 PflugfelderTorhaus (西南) 2階建長方形の建物で、町の西部の経済史が
   常設展示され、土地利用の変化が分かる。
 SchorndorferTorhaus (東) 2階建長方形の建物で地階には柱廊がある、
   ルードヴィッヒスブルクの研修結果が展示され、国家社会主義犯罪の紹介がある。
 StuttgerterTorhaus (南) 2建階長方形の建物でKuhlaendlerの記録がある

4.見所  C

   18cバロックの新しい町で、直交する広い通りとパステルカラーの2階建ての建物が特
  徴であり、マルクト広場・宮殿と庭園が見事である。
 王宮 Residenz Schloss (1704-33) 452の客室と18の建物に3つの中庭があり、
   ドイツで最大のバロック宮殿であり、まず南に中庭のある3翼の建物が建てら
   れ、1715に中央の本館が建てられた。
  Baroock galerie:17-18cのドイツとイタリアの絵画150点がありバロック絵画が見られる。
  Schloss Theater:バロックの宮廷劇場で1758から毎年オペラ・フェスティバルが開催される。
  Karmik Museum:2千m2の展示場に、マイセン・ニンフェンベルク・ベルリン・ウイーン工場の磁器・
   陶器・セラミックの製品を展示している。
  Mode Museum:750m2の展示場に、18cの衣装やアクセサリィを時系列的に展示。
  Schloss Kapelle:宮殿礼拝堂には、多くの侯爵の家族の墓がある。
 楽しみ宮殿 Schloss Fevorite (1717-23) 北の丘に夏の離宮と狩りの館として新
   古典主義で建てられた。1806には動物園となり、内部は古典的な様式で改
   装された。1980から復元され、1983州立の宮殿と庭園として管理されている。
 モンレポス湖宮殿 SeeSchloss (1764-68) 北西3kmに長方形の湖とバロックの宮殿の建
   設に着手したが中断した。1804英国庭園風に変更し宮殿が建てられ、1829
   から公開されている。
 グラベニッツ宮殿 Graevenitz Palais (1727-28) グラベニッツの帝国侯爵ヴィルヘルムが住
   んだ。今はルードヴィッヒスブルク宮殿フェスティバルと州国際フェスティバル協会が入った。
 シャウホウゼーン Schfhofseen (1356) 池は魚養殖のためにテーレス川の内に取付けられ、
   侯爵エバーハート・ルードヴィッヒの猟場に属していた。町の発展や住宅建設のため
   この池は埋め立てられた。1907迄、最後の池は火事池として役立った。
 ヨメリの家 Jommelli Haus (1760) 侯爵カール・オイゲンの宮中礼拝堂司祭が住んだ。
   いまは、バーデン・ヴィルテンベルク州の芸術アカデミーが管理している。
 マルクト広場 Markt Platz (1714) 大きな長方形の広場は教会に挟まれている。
   Stadt Kirche (1718-26) 広場の西にあり、2塔の新教教会である。
  Katholische Dreieinignigkeits Kirche (1721-27) 広場の東に在り、単塔のカソリック
   三位一体教会である。
 フィルムとメディアセンター Film und Medien Zentrum (1881-91) ラインハルト兵舎は補給
   兵舎として建てられ、1934最後のプロイセン陸軍大臣ラインハルトの名前を付けられた。
   今は、多くのフィルムのある創造的な活動のできる場所となった。

5.写真

市庁舎 宮殿
市教会 三位一体教会

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マンハイム Mannheim BW80

1.歴史

  766 ロルーシ修道院文書に初言及、    1284 漁村はヴィテルスバッハ家プファルツ伯に落ちた、
 1349 今のリンデンホフの場所に関税城を築いた、1415-19 皇帝シーギスムントは元法王を投獄、
 1462 バーデン・プファルツの戦いで選帝侯フリードリッヒが勝利、1607フリードリッヒ4世は都市権授与、
 17c プファルツ選帝侯フリードリッヒ4世は要塞を築き接続して格子状の市民の町を計画した、
 1622 30年戦争で略奪を受けた、  1649 プファルツの商業活動と戦場を外れ再建された、
 1689 仏軍の砲撃と占領で大被害、1720選帝侯カール・フィリップは王宮をハイデルベルクから移す、
 1760 王宮と教会を同時完成、   1778 選帝侯カール・テオドールは王宮をミュンフェンへ移した、
 1795 仏軍その後オーストリア軍による再占領、 1803 町はバーデンに落ち要塞を壊して拡張、
 1945 空爆でほぼ全滅、米軍占領下で復興。

2.市壁  0

   17cにプファルツの星形要塞が建設されたが、30年戦争と仏軍の砲撃と占領で荒廃し
  た。1720選帝候カール・フィリップの遷都により、町全体を星形要塞で囲んだ大きな格子型
  街路の在る市街地が計画して築かれた。19cになると要塞は取り壊され、格子状市
  街地は北側に半円形に拡張された。

3.塔  0門2塔

 給水塔 Wasser Turm (1889) 町の東側に高さ60mの給水塔がネオバロックで建てられ3.5mの
   像を乗せている。1903アールヌーボーの噴水が付けられ、2次大戦の後に速や化に修復され
   た。
 旧天文台 Sternwarte (1772-74) 選帝侯の天文台として高さ33mの塔が建てられ、天文
   学者や物理学者の天文観測が行われた。

4.見所  B

   都心部は碁盤上に並んだ144の街区からなる大きな町である。2次大戦の戦災で
  壊滅し、復元された城館と給水塔が見所である。
 城館 Schloss (1720-60) ドイツでも大きなバロックの宮殿で、400以上の部屋と2000以上の
   窓がある。主棟と左右翼が大きな中庭を囲み、両翼の先には更に主棟に並行して伸
   び、城教会と城図書館の建物がある。2次大戦で大被害を受け、1968簡素に建直さ
   れ、大学が入っている。正面階段からはネッカー川までの市街地が見通せる。天井画は
   アーザムのもので復元された。ロココの城図書館は緑とピンクで飾られた。
 イエズス会教会 Jesusten Kirche (1733-60) バロックのどっしりした教会で、正面は古典主義
   の柱で構成された居る。中は、大理石風のスコッタ装飾が壁面を埋め、銀の聖女が左側に
   在り、ドイツ最大の8000笛のオルガンがある。
 市公会堂 Stadthaus (18c) 練兵場の右に在る昔の百貨店で18cには市公会堂であった。今
   は、レストラン・カフェと市図書館となっている。
 旧市公会堂 Alte Stadthaus (18c初) 最も古い選帝侯時代の建物で、高さ57mの塔からは
   カリオンの鐘の音が聞こえる。
 聖セバスチャン教会 Pfarrkirche St.Sebastian 教区教会と繋がり、中には、テオドールの祭壇・ペ
   -ター・アントンの説教壇・マリア像などがある。
 ダルベルクの家 Dalberg Haus (1733) 堂々たるバロックの宮殿で、国立劇場の初代所長が優雅
   な社交界のサロンを開いていた。2次大戦で壊されたが、1961昔の壮大な前面が復元さ
   れた。今は、児童図書館や演奏会等に使われている。
 ブロッテンハイム宮殿 Plais Brotzenheim (18c) ルイ16世様式の貴族の建物で、ここでモーツアルトは
   選帝侯の娘を教えた。
 ライス・エンゲルホルン博物館 Reiss-Engelhorn Museum (1730) 侯爵カール・フィリップスが設立し、選帝
   侯カール・テオドールが拡充した。11300m2の展示場に120万点の考古学・芸術と文化史の展
   示が、4つの建物に収められている。
 市美術館 Stadt Galerie 市民芸術の展示場。
 船博物館 Museums Siff (1929) ネッカー川に係留されている側外車汽船に、川運の歴史を展
   示し、船内では機関室と食堂が面白い。
 マンハイム美術館 Kunst Halle Mannheim (1907) ユーゲントシュチュールの建物に19.20cの芸術が展示
   されている。
 バロック宮殿博物館 Barock Schloss Museum 復元後のバロック宮殿に歴史的な家具・絵画・硬貨・
   自然史収集物などが展示されている。

5.写真

王宮 給水塔

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マルターディンゲン Malterdingen BW81

1.歴史

 1016皇帝ハインリッヒ2世の寄付証書に初言及、 1297 フェリンゲン伯爵は兄弟に財産を売却、
 13c シトー派修道士はブドウ栽培を始めた、 中世 バーデン・ハッホベルク辺境伯領に属した、
 1418 ベルンハルト1世の場所は市場権・塩権・鋳造権を持った。

2.市壁  0。025 0.02

    旧市街地の北側の門の家の左右に、いくらかの市壁の跡が見られる。

3.塔  0門1塔

 門の家 Tor Haus () 2階建木組の門の家は、町の象徴の建物である。

4.見所  D

    旧市街の中心や市壁の位置がはっきりしない町である。中世からの改装建物が
   多くある。
 市庁舎 Rathaus () 2階建の四角い建物で、屋根の上には鐘楼とコノトリの巣台がある。
 ヤコブ教会 Jakobs Kirche () 種々の建築様式を並列させた内陣と脇礼拝堂、今日の形態
   の日付けは1517である。ゴシックの塔は1808に改造され、それ以来典型的なピラミット
   屋根であった。高さ53.5mの塔は町で一番高い構築物である。

5.写真

市庁舎 ハウプト通
北門の家内 北門の家外

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マールバッハ Marbach am Necker BW82

1.歴史

  85 ローマはライン川からネッカー川に達しペニンゲンの砦を築く、  155-260 ローマ東の守り、
  259 アレマン族の侵入、8-9c フランク族の集落が創設、972 シュペーヤー教区贈与証書初言及、
 1009 ハインリッヒ2世は市場権を認可、    12c バーデン辺境伯は町に入植地を設けた、
 1302 ヴュルテンブルク伯爵は町を完全所有、   1311 ヴァインスベルクノコンラッドは町を破壊、
 1463-1504 ヴュルテンブルクのプファルツ封土、  1525 農民戦争の拡大阻止の6都市代表、
 1546 シュマルカルデン戦争で略奪された、    1634-48 30年戦争で大被害、
 1693 仏軍の占領し火事で大被害、    1759 フリードリッヒ・シラーが町で生まれた、
 1812まで ナポレオンの下にマールバッハ郡庁を建設、 1945 二次大戦の戦災はなかった。

2.市壁  0.73km 0.78

   12c末に最初の市壁が造られ、13cにはツインガー・外壁・堀と共に完成したが、東と
  南は保護されていなかった。更新と補修は中世後期まで続けられた。内側市壁は東
  側をを除いてほぼ完全に保たれ、外側市壁は僅かな残余と円型塔の断片しかない。

 

3.塔  1門1塔

 上門 Oberer Tor (13c) 東側の旧市門で、3門の内唯一残る5階建の角塔で高さ40mの
   頂上に登れる。今は博物館として使われている。1290に殻塔として初文書言及。
   1717-18に門塔は修復された。1736化粧張りと塗装を行った。1793の大火災で最
   上階の木製部分は燃えたが門は残された。18c終わりに門の機能を失い、他の2門
   は壊されたが、上門は見張りとしての安全確保のため存続された。
 市民塔 Buerger Turm (13c) 市壁の前に尖塔付の円塔が、かっての堀に立ち今は地上
   に抜け穴が開けられている。

4.見所  B

    市壁で囲まれた旧市街には、かっての豊かな町を象徴する風格のある建物が多
   く見られる。3本のホルダー路地には、木組の街並みがある。
 市庁舎 Rathaus (1760-63) アーケード付の3階建の建物で、1987-89に根底から更新された。
   1997に市庁舎の鐘楼には、13の鐘が付けられ、10.02、15.02、17.02に曲が流れる。
 城広場 Burg Platz 旧城は最も古い統治区域に在り、多年の州記念物事務所の発掘によ
   り、重要な中世の歴史が解明された。1989に城広場は整備さえた。
 ホルダー路地 Holder Gassen かっては、ワイン園や農園の主人が好んで木組の家に住んだ。3
   つの並行して延びる小さく狭い路地には、向かい合った通りの側に付属納屋を多く
   持った木組の家並みが続く。今日もまだワインの木が家に在る。この歴史的な地区は
   18cの雰囲気を伝えている。
 アレクサンダー教会 Alexander Kirche (1450) 壁に囲まれた後期ゴシックのホール教会で1996-2005
   に抜本的な建直し更新した。シラーの鐘は、塔の上にフリードリッヒ・シラーの生誕100年を記
   念して、1859にドイツ系モスクワ市民から贈られた。その鐘はシラーの誕生日と命日に鳴ら
   される。1997調和のとれた5つの鐘が付け加えられた。
 ヴェンデリン礼拝堂 Wendelins Kapelle (1433) 後期ゴシックの礼拝堂は、四角形のゴシック窓上
   飾りと内陣飾り窓と孤立した供肋のある特異な礼拝堂である。1433初文書言及。
   1693火事に遭い屋根は倒壊し1721新しい屋根を着けた。1978完全復元。
 シラー生誕の家 Schiller Geburtshaus (18c初) この家でクリストファー・フリードリッヒ・シラーは1759に生
   まれた。19cシラーの生家に収集品を形成して寄付した。
 シラー国民博物館 Schiller National museum (1895) シュバーベン・シラー協会の設立後1901-03
   に博物館を建てた。
 現代文学博物館 Literatur museum der Moderne (2006) 現代文芸博物館の開設で、3
   つの特別な観点からシラーの頂点を保った。20cと現在の独文学記録文書から
   及第した文学書を600m2の書架に集めている。
 トビアス・マイヤー博物館 Tobias Mayer Museum (19c) トビアス・マイヤー1723-1762は、独学者・数
   学教授・ゲッチンゲン天文台長であり、地理学と天文学の研究で高名である。

5.写真

市庁舎 上門
市民塔 南入口
西北壁 西壁
北東壁 マルクト通り

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マルクドルフ Markdorf BW83

1.歴史

   817 ザンクトガレン修道院の贈与調書に初言及、1134-1354 マークドルフ男爵 町を創設、
 13c 町を拡張し市場・鋳造・関税・裁判の権限獲得、1236 市場、1250 都市権の付与、
 1268 オピトムと呼ばれ市壁が在った、  1278 地方裁判所記録文書でStadtの承認、
 1354-56 町はワイン税徴収権・裁判権を得た、1356 マークドルフ家の断絶後ホンブルクの男爵、
 1414-1802 コンスタンツ司教座本部が統治、  15-16c ワインの生産販売税で町の全盛期、
 1525 農民戦争で町は両側に付いた、    1618-48 30年戦争・ペスト・飢餓で衰退、
 1650 アルペン地方からの移民が始まる、   1652-1803 カプチン修道院設立と世俗化、
 18c コンスタンツ聖公会の統治の経済低迷、1792-1815 仏革命軍とナポレオン軍の通行料、
 1842 町の半分が火災で焼失、               1945 仏軍が占領。

2.市壁  0.06km 0.05

   13cの市壁の遺跡が、Am Stadtgrabenにある。

3.塔  2門1塔

 上門 Oberer Tor (1250) 18cの門アーチと木組の部分があり、今はギルド集会所と軽食堂
   がある。門の内側の前に、1488石造のScheublinstischがある。門の外側の上に
   は、16-17cの岩石像がある。大砲場では祝砲を続けた。丘の上に立つ門からの
   見晴らしは、ボーデン湖とアルペンを見渡せてよい。
 下門 Unterer Tor (13c) 最も古い建造物で、ロマネスクの門アーチと四角塔の頂部には階段切
   妻を頂く。門の外側の広場には、1998の彫刻と2002のエステルガイデルの噴水がある。
 魔女塔 Hexen Turm (13c) 市壁の角の四角塔で、下門と姿が似ている。旧監獄を収容
   した。今はオブジェクト博物館として昔の手工業・プレゼンの文書化を展示。

4.見所  D

   国道沿いの斜面にある小さな旧市街には静けさがある。
  く見られる。3本のホルダー路地には、木組の街並みがある。
 市庁舎 Rathaus () 3階建ての四角い建物。
 教区教会聖ニコラウス Pfarr Kirche St.Nikolaus (1300) 教会の塔は1300からの物で、高さ
   は68mある。1842に火災に遭い、1966に3身廊の古い形で再建された。中には14
   86からのバロック・マドンナがある。1803迄12人の司祭参事会があった。
 新教教会 Ev. Kirche (1896)町の南東に位置し、旧市街の角の基礎の上に建てられた。
 司教城 Bischof Schloss(14c)倉庫もあるは、バロックの前面が長い建物と早期の倉庫も
   ある居住棟で形成された。100年後にコンスタンツ司教は領主となり、1510にホーエンランデル
   ベルクが修復し、コンスタンツ司教は夏の離宮として使った。1983改修し今ホテル。
 町絵画館 Stadt museum この町と地域の芸術家の移り変りを展示している。

5.写真

市庁舎 上門外
上門内 下門
魔女塔 ニコライ教会
司教宮殿

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マークグレニンゲン Markgroeningen BW84

1.歴史

 779 フルダ修道院の贈物証書に最初の言及、 1243シュタウヘン朝皇帝から教会授与、
 1253 城と城下町に市壁を建設、     1299-1316 帝国自由都市となる、
 1322 コンラッドは城と町を封土された、 15C 町の最盛期で大建築物が造られた、
 1435 十分の一税倉庫、 1467-68 地方農産物箱家、 1491 ブドウ絞り所、
 1634-50 30年戦争で町の破壊と人口減、1833-45 城壁・堀は除かれ町は拡大、
 1930ー70 歴史的建物の近代化。      1945 2次大戦で被害を受けた。

2.市壁  0.170km 0.17

   13Cに通路のある市壁.堀.土堤は入植地と北西の帝国城を囲んだ。1833か
  ら市壁は取壊され、北側を除いて切れ切れに残る。

3.塔  0門1塔

   古くは4門有ったが、東門.エスリンゲン門.下門は壊された。
 上門 OberesTor 1555再建、5階角塔。屋上に2階建の建物が乗っている。

4.見所  C

   やや多きな町、マルクトに面して旧市役所と教会があり、教会の周辺が賑やか。
 市庁舎 Rathaus 1440-41 複合建物であり地階では塩・肉・パンが販売され、2階は
   羊毛市場、3階は裁判所.事務室.祝祭場。1755裁判室のバロック化。小さな破風
   にはカリオンと時計が飾られている。今は事務所と会場である。
 教会 Kirche 1270-80建、ロマネスクのバジリカ。西正面は1340-46に建てた。後期ゴシックの
   内陣には1469の聖人の絵画で飾られている。
 養老院教会 SpitalKirche 1300建、塔と聖物保管庫は1512に建てられた。宗教改革以
   降寂れて、1800からカソリック教会として改装された。
 最も古い住家 AltestesWohnGebaeude 1347建、軒の部分が最も古い3階建木組の館。
   1670に東側切妻を拡張。
 地方農産物箱家 LandesTruchtKasten 1467-68建、納税穀物の倉庫。
 上ブドウ絞り所 OberKelter 1491建、城のワイン絞り所と倉庫である。1987から学校と
   して使われた。
 ヴィンペリン館 WimpelinHof 1630建、3階建出窓付木組の家。Wimpelin家の構築納屋。
   

5.写真

上門 西壁
東壁 マルクト広場

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マウロブロン Maulbronn  BW85

1.歴史

 11c ベネディクト会の修道院があった、  1147シュパイヤー司教の寄付で聖公会領地、
 12c 修道院は地域の経済・政治の中心へ、1534 宗教改革で世俗化され学校に、
 1555 ヴュルテンブルクの監督者が置かれた、     1838 修道院周辺に町が存在、
 1886 ヴュンネンベルク王国のマウブロンは町となった、 1935 地区管轄都市となった。

2.市壁  0km 

   別に、修道院の周壁が630mある。

3.塔  1門0塔

   修道院周壁の西南の角に修道院の入口門がある。

4.見所  C

   ドイツ・シトー派の修道院であり、周壁の中に付属建築物を含めて僧院全体が良く
  保存されている。1993ユネスコの世界遺産となり、修道院だけでなく人口釣り池・
  ブドウ畑もあり、有名なワインを産する。
 市庁舎 Rathaus () 入口広場の北側にある製粉所の建物は、今市庁舎として使われ
   ている。
 教会 Kirche (1178) 回廊の南にあり、正面ポーチの天国は初期ゴシックの物である。身
   廊と右側廊の網ボールトは、15cに追加された。 14c聖母像・1473キリスト像が飾られ
   ている。
 中庭回廊 Kreuzgang (13c) 回廊からは静かな中庭と隣接する多くの広間が見える。
   東に14cの修道院総会場・談話室、北に13cの神父達の食堂・暖房休憩所・調理場
   があり、中庭に向かっては1350の手洗の泉があり、西側には修道士の食堂・食
   料貯蔵室がある。
 付属建物 西側に鍛冶屋、南側に桶屋・井戸の家がある。東の裏には、新教セミナーの高
   い建物がある。

5.写真

市庁舎 修道院門
西壁 北西塔
修道院 南西壁上路

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メールスブルク Meersburg BW86

1.歴史

  988 城の記述が最初の言及、             1260 市壁を建設、
 1299 市場権の付与、湖の埋立拡大で大きな市場となった。 1505 旧城の拡張、
 1519 帝国自由都市とされた、      1618-48 30年戦争でスエーデン軍の略奪、
 1635-36 ペスト流行で人口は1/6に、    1750-1803 海城が司教の住居となる、
 1803-07 上湖公国の首都となる、     1820-45 市壁の一部が破壊された、
 1945 2次大戦の被害は少なく、美しい旧市街地が残る。 

2.市壁  0.32km 0.31

  中世の市壁は、1300に上と下の町を保護し、市壁と堀の組合せで的を防いだ。
  上門の両側に市壁にくっつけて家が建てられている。カトリック教会の塔から半円
  形の線で壁と堀が走った。今は全周にわたって切れ切れに市壁が残る。

3.塔  2門0塔

 上門 OberTor 1300建、中世の市壁の一部として造られた。前の堀
   にあった橋は1838に壊された。
 下門 UnterTor 下の町の大通の西端にある。
   なお、下の町の東港にあった湖裏門HintereSeeTorは、1832に壊された。

4.見所  B

  山の斜面の旧市街地と湖を埋立てた新市街地があり、それぞれに散策に値す
   る町並みがある。新旧の城と市庁舎は中を見たい。
 旧城 AltesSchloss 7C建、外観は15C、内部は17Cにバロックに改修された。
   内部は博物館として28室が公開されている。深さ30mの井戸・中世の台所・
   騎士の間が見られる。
 新城 NeuesSchloss 1712-62建、バロック18Cの司教公の居城。内部には
   航空材製造者ドルニエの博物館がある。
 市庁舎 Rathaus 1551建、1583に会議室の追加。1739-40にバロックの市
   庁舎となった。1784に上層階の広間再建。1936からワインセラーが始まった。
    現在は結婚式場で使われている。
 カトリック教会 PfarrKirche 1827-29建、町の最高地点に立つ教会で、塔は
   昔の市壁の塔であった。
 町博物館 StadtMuseum ドミニコ会修道院の元院長室を1858に市が買取り
   博物館として町の歴史と文化を展示。1986-88に復元した所に監事室
   と図書館がある。
 グレート館 GretHaus 港に近く大きな建物。若者の芸術センター本部である。

5.写真

市庁舎 上門
旧城 新城

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メンゲン Mengen BW87

1.歴史

  819 皇帝ルイは修道院ブッハウの領土を残す、   1170バルバロッサは市場・裁判の日決定、
 1276 ハプスブルク王ルドルフは都市農業を授与、    1632 スエーデン軍が町を占領・略奪、
 1519 帝国自由都市とされた、       1618-48 30年戦争でスエーデン軍の略奪、
 1806 ヴュルテンベルク王国の一部となる、     1819 旧市街地が火災で破壊された。

2.市壁  0.065km 0.03

   アブラッハ川からの水で堀は満たされた。市壁延長は1,150m高さ8m二重壁で1200に
  築かれた。ツインガーの狭い通路は全周に付けられた。市壁の石灰岩は遠くHeudorfか
  ら供給された。1819の火災後に市壁は徐々に取崩された。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   1859の大火事の後に建てられた家が多い。古い木組の家の復元作業も行われて
  いる。
 市庁舎 Rathaus (1821) 1907と2008に補修された。
 マーチン教会 Martin Kirche (11c) 初めは後援者のためのプライベートの早期ゴシックの教会で
   あり、1275教区教会になった。1806修道院解散により教会は国に渡り塩倉庫と
   して使われた。1819の大火事の後住民が建物を保存した。初期の塔にバロックの身
   廊となり、歴史主義の内陣改修が行われた。2011には内装や壁画が修復された。
 聖母教会 Liebfrauen kirche (9c) マーチン教会からそう遠くない第2のカトリック教会で、12
   90初言及・1343焼失・女子修道院長は教会を建て聖母に捧げた。1625塔が崩壊し
   外壁と内陣を壊した。1628には塔を含め再建された。
 旧ウィルヘルミット修道院 Ehem.Wilhelmiten Kloster (1120) ベネディクト会が設立し、1282構
   築された。1725皇帝の要求で、聖ブレイズとなり、1732今の形に更新された。修
   道院教会は1741-44にバロックで再建された。1810火事で損傷した。1806修道院は
   世俗され、財産は競売に掛けられて塩倉庫になった。1820小学校となり、体育館
   も建てられた。
 カゼデ Kazede (1238) 旧市街の北東の角に、東の壁に隣接して、市内で最も古い3階
   建の建物がある。出発点はローマ砦の望楼であった。入口にある高さ9mの急な階段
   があり、言い伝えでは逃げ道があった。塔はその後刑務所を務め、今は公証人
   が使っている。
 古い狐 Alter Fuchs (1276) ハプスブルク王ルドルフの長男が個人の財産として、壁の南東隅
   の高さ8mの3階建の石造の上に木組のトラスが乗っている建物を建てた。1527-32ヴ
   ェストステッテン家が所有し、1560には町が所有した。1760住居になり、今は公共図書館
   と老人・成人の集会所である。
 郷土博物館 Heimat Museum (17c) 旧トウレン・タクシス郵便宿駅の木組の建物に、博物館として
   町の歴史と文化を展示している。

5.写真

市庁舎 ハウプト通
マーチン教会 北西壁
西南壁

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メスキルヘ Messkirch BW88

1.歴史

 1080 聖ハイメナードの伝記に初言及、        1200  ザンクトガレン修道院が町造り、
 1241 市場が開かれ、 1261 町と呼ばれた、 1300 別の城から地元領主が来た、
 1354 ツイメルン領主が後に来た、1594 ヘルフェンシュタイン伯爵、 1627 フェルステンベルク方伯が来た、
 1718 方伯は伯爵に昇格、 1744 フェルステンベルク家のメスキルヘ系が断絶しドナウエッシンゲンへ、
 1800 仏墺戦争、 1806 バーデン大公国に帰属、1936迄 地区事務所所在地だった。

2.市壁  0.17km 0.25

   丘の上の城・教会・街道を囲む一次市壁と、グラーベンバッハ通で囲まれた13cの二次
  市壁があった。一次市壁の東側の擁壁を兼ねた部分と、西側の円塔付きの部分が残
  っている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。
  旧フラウエン門(1295)ナメシ皮塔とも呼ばれ、下門と共に19cに取壊された。そこには大司教
  コンラッド・グレーバーの生家がある。

4.見所  C

   中世後期の木組の旧市街と丘の上のルネッサンスの城・バロックの教会がそびえる歴史的
  な町である。
 市庁舎 Rathaus (1899) 新ルネッサンスの3階建石造の建物で、中には格間天井の参事会大広
   間と16-17cの紋章石がある。
 市場の家 Haus am Markt (1455) 最初の町役場として建てられ、地階石積上2階木組の
   横梁に特徴のある建物。
 下の館 Unterer hof (1378) 領主の未亡人の居所として建てられ、その後1660-68ウルズル
   ナー修道院、18cフェルステンブルク郡庁、19c学校と役所、今は市建設局・郷土博物館・旅行
   案内所である。
 小さなフェルデの家 KleinFelder Haus (1456) 以前の所有者が名づけた。小さなドイツ美術
   史として家を見る。
 聖マーチン市教区教会 Stadtpfarrkirche St.Martin (1526) 初めゴシックの教会は、1769-73
   にバロック化され、今は大きな後期ロココの教会である。1732-39祭壇を増設し、内部は
   アザム兄弟によって飾り付けられた。
 メスキルヒ宮殿 Schloss Meesskirch (10c) 要塞をきっかけに1344から部屋数を増やし、15
   57-63に現在の形になった。これはアルプス以北の最も初期のルネサンスの建物であった。
   1627フェルステンベルク・メスキルヘ方伯が在住した。1744家系の断絶後、ドナウエエッシンゲンに宮殿
   は移った。1808迄は未亡人の居所であった。1961町は1マルクで買収し、1985から改
   修を行い、博物館に使った。
 メスキルヘ博物館 Messkirch Museum
   円形美術館:宮殿の南翼の3階のに中世後期からの美術品を展示。
   マーチン・ハイデガー博物館:宮殿の東翼地階の3部屋に、ハイデガー親子の作品を展示。
   Oldtimer Freund:かっての厩舎に、電動式の宝物、地階に1923-63の自動車、
   上階には1913-50のオートバイが展示されている。
 ロレッテ礼拝堂 Lorette Kapelle (1676) 旧カプチーナ修道院がアドラー広場に建てられた。1883
   修道院の取壊しを逃れて、今の場所に移された。
 白い城 Weisserburg (1550) 二つの丸天井の領主の穀物蔵で、1648に張り出し窓が付
   けられた。

5.写真

市庁舎 聖マーチン市教会

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メックミュール Moeckmuehl BW89

1.歴史

  2-3c ローマの入植地、       750-779 フルダ修道院の文書で初言及、
  8c末 フルダ修道院は資産として所有、13c ヴュルツブルクの世襲封土をデュンが所有、
 1250 デュンのコンラッドは都市権を授与、町は城の前の守りを固めた、
 1287 城と町はホーエンローエの領主に所属した、1445プファルツ選帝侯が町を買った。
 1470 強い市壁が町を囲み城も守られた、 1504侯爵ウルリッヒは6日包囲し町を強奪、
 1519 シュバーベン同盟に対し鉄腕ゲッツがウルリッヒの城代として城を守った、
 1542 町と役所は新設された、      1635 ペスト流行で人口の8割が死亡、
 1667 魔女裁判で火あぶり、       1808 メックミュール郡の解消、
 1945 2次大戦の被害は免れた、     1970 旧市街の大規模な健全化開始。

2.市壁  0.62km 0.66

   15cの市壁は、高さ7.8mで壁面上の連続フリースで飾られ5つの門が在った。
  1831Jagst門は交通障害で取り壊された。壁上通路のある市壁は、今もかなり
  な場所で見られる。一部、下路地の駐車場付近は、1978に復元された。

3.塔  1門8塔

 上門 OberTor (15c) 干草と収穫物の車の通行に非常に障害となり、1843に壊さ
   れた。
 ルッヘゼネナー門塔 Ruchsener TorTurm (15c) 唯一残された市門で、1473に初言及され
   た。30年戦争の間は守備要員の不足で壁で塞いだ。1894門塔は焼け落ち、そ
   の後市壁に付き出した住居が取り付けられた。1988全建物を取り壊した後
   1990門と門塔が建て直された。
 皮剥ぎ塔 SchinnersTurm (15c) 切株が残っていたが、1978に再び5階建円塔が復元
   された。その名前は皮剥ぎ親方によっている。皮剥ぎ親方は16c塔取り除き
   責任者であり、同時に死刑執行人でもあった。
 風呂塔 BadTurm (15c) 1499の中世の浴場が言及されている。上階は1911に焼けて、
   今の3階建角塔は再建された。
 司祭塔 PfarrersTurm (15c) 司祭塔は3階建の角塔で、その背後に16c司祭館が建て
   られた。今その塔は新設の地方銀行と結合している。
 バッツエン小塔 BatzenTuermle (15c) 1598エルク・バッツエンの住居の側の小塔として言及され
   た。1838に取り払われた旧Seckach Torの所で通りが横切り、そこにバツエン塔
   が建てられた。それは外側の半円が突出し中は開いている殻塔。
 粉挽塔 MuehlTurm (15c) この塔には昔コウノトリが巣を作った。1655に魔女が監禁され
   た。1818部分的な損傷のため倒壊寸前の塔は、今見られる断片まで取り払わ
   れた。
 魔女塔 HexenTurm (15c) 昔はWegtuermleと呼ばれ、19cにはBuergerTurmとも呼ばれ
   た。1838-80木組の階には市民の拘置所が在った。1655魔女裁判の容疑者が収
   容されたため、19cになってこの塔の呼び名になった。有罪判決者のために設
   けられた深さ5mの地下牢は埋められたが、1981郷土誌家によって発掘された。
   出土品は郷土博物館に展示されている。
 ゲッツ塔 GoetzenTurm (13c) 城の東の最も古い部分に天守閣があり、今はゲッツ塔と呼
   ばれている。高さ25m、直径10mの円塔である。
 主席司祭塔 UnterTurm (13c) 城山の主席司祭館は最も古い建物で、昔は司祭長の住
   居であった。その後外側ツインガー市壁に沿ってこの塔がてられ、居住可能な塔室
   が在った。今は主席司祭館に属し、真夏の野外公演が行われれる。

4.見所  C

  山上の城の下に市壁に囲まれた小さな旧市街が在り、古い木組の家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1589-92) 技巧豊かに構成された記念碑的な建物は、ハイブロンの彫
   刻家ヤコブ・ミューラーが創造した。1979町の1200年の式典に優れたカリオンはコピーに
   変えられた。中央入口の左に首枷のある晒台がある。地階には肉とパン屋の
   屋台が置かれ、商品の販売と塩の小売も行われた。武器庫と共に町計量所も
   収容した。2階には評議会と裁判所の広間が有り、3階には舞踏会場と調理場
   置かれ、結婚式や洗礼式に1グルテンで借りられた。1989-92市庁舎は改修され、
   隣の建物を購入して拡張した。
  Die Burg (13c) 始め領主デュンが城を建て、1287-1445ホーエンローエの領主が所有した。
   1445プハルツ選帝侯ルードヴィッヒ4世が買った。1470プファルツ選帝侯フリードリッヒ1世は
   防衛力のある下幅3.5mの城壁を築き、新たに町の防備を行った。1519の木造
   部分は塔防衛の住居である。今の城は入口の上に同盟の紋章があり個人の所有
   である。
 郡庁 Ober Amtei (18c) ここには初め町長の家族が住んでいた。1783役所が置かれ、
   1808から郡庁舎となった。1885-1927町の幹部が居て、町と市民の繁栄に配慮し
   た。
 古い司教館 Alter Pfarrhaus (18c) 1750に改築され1760ヴュルテンベクルク公爵き受けた。
   1805-34司教の老人が生活した。今は公証人役場と公文
   書館。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (754) 聖マーチンに奉献された教会は、その後ボニファティウス
   に移された。17cまでの古い伝統として塔のラッパ吹きは行われた。1898古い
   ゴシックの教会は焼け落ち、後陣の後期ゴシックのフレスコ画のみ残され、1900同じ
   場所に5回目の今の教会がネオゴシックで建てられた。1973-74に改修された。
 エルゼッサーの家 Haus Elsaesser (1610) 装飾された木組の家で、1637-69に司祭の親の
   家が住んだ。その後1671まで主席司祭が住んだ。家の紋章は織物鋏で職業の象
   徴を占めす。
 染物屋 Faeberhaus (1783) 19c初めに染物屋が住家と仕事場を置いた。
 桶屋の家 Kuefer haus (1700) 1832まで麻織り人の住居、1925から桶屋の住居と仕事
   場となり、2008から自転車乗りの店になった。  旧ブドウ絞り器 Ehem.Kelter (15c) 建物には1732の洪水位が標されている1872上階
   が焼失したが、1892教師の住家と小さな学校に改造された。今は上階は町の幼
   稚園として全て使われ、地階は1985にブドウ絞りの営業が始まった。
 郷土博物館 Heimat Museum (17c) 市民の木組の家を1985に町が取得し1988から、
   博物館として町の歴史と文化発展を展示した。2012に改修された。

5.写真

が が
旧市庁舎 市長舎
風呂塔 皮剥ぎ塔・東壁
南壁 新教教会・助祭の家
エルゼサーの家 南壁

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モスバッハ Mosbach BW90

1.歴史

  826 修道院の入植地を初言及、     1241 自由帝国都市の権利を授与、
   1291 市壁と塔で防備された都市に、1362 プファルツ伯ルプレヒトはラインプファルツを併合、
 1348-49 ペストの流行とユダヤの追放、 1410 プファルツ伯ルプレヒトはは王宮を築いた、
 1499 プファルツ・モスバッハ家断絶後選帝侯家に戻る、   17c 30年戦争で町は荒廃、
 1688-97 9年戦争で直接被害は免れた、1723 大火災で150戸焼失し損傷も多数、
 1806 バーデン大公国に属し事務所を設置、1832 郡庁を・1878地方裁判所を設置、
 1913 温泉ヘルスリゾートを計画、         1945 2次大戦の戦災は免れた。

2.市壁  0.21km 0.18

  13Cの市壁は南側に一部残る。

3.塔  0門0塔

 上門 OberTor (14c-1825) 時計と全天候屋根のある上門は、隣に塔屋
   と門衛小屋があり、橋門は4階建ての堂々とした建物で梯子と門扉はウインチで引
   揚げられていた。1825門塔・橋塔・市壁は取払われた。

4.見所  B

   小さな町だが見事な木組みの家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1554-58) 聖セシリア教会の跡に、3階建てルネッサンスの建物が建てられ、地
   階は屋内市場で、パン屋や肉屋の屋台が在った。塔は旧教会の物で34mの高さ
   がある。この塔上からの展望は良い。
 参事会教会 Rathaus (1554-58) ベネディクト会修道院に、14c後半に聖ユリアナ教会として単
   塔のシンプルな教会が建てられた。カトリックとプロテスタントが同時に使えるように1708仕
   切り板が付けられた。中には、フレスコ画があり、墓石には1312からの年号があり、
   1444プファルツ伯のブロンズレリーフもある。
 聖セシリア教会 Kirche St.Caecilia (1935) 聖ユリアナ教会の共用部分にカソリックの十分なスペース
   が無かったため、新しいカトリックの教会として、前面が黄色と赤砂岩の建物が新
   築された。
 ヴェーゼン醸造所 Brauerei Wesen (1878) 旧市壁の跡地に建てられた元醸造所で1980に
   は閉鎖された。当時、町内には13のビール工場があった。
 ヒュブナー館 Villa Huebner (1900-02) 典型的な19cの富豪の歴史主義様式の3階建の邸
   宅で、1980に売却されて今はショッピングセンターである。
 旧モルツ工場 Alte Maelzerei (1908) 旧モルト工場で、地下と地上階は砂岩で造られ
   に塗装されて文化センターとなっている。
 モスバッハ宮殿 Mosbacher Schloss (14c) プファルツ伯オットー1世はここで1390に生られ、1997
   まれ、1410に再びここに戻った。子供のオットー2世は1430にこの宮殿を去り、建物
   はそのまま残った。1898にロマネスクの出窓・木組に変換されて今の姿になった。
 私営企業 Stadtwerke (1891) 左岸の壁と塔のある工業用建物である。
 キッケルハイン家 Haus Kickelhain (18c) ドイツでも少ない自立木組の家であり、3階で52m2
   しかなく窮屈な生活であった。最後の家族の名前が付き、今は市博物館の一部
   である。
 旧病院 Altes HOspital (15c) 木工芸術の傑作である古い建物で、石造地階の上に木
   組の2階が乗っている。病人・老人・貧困者のための施設であったが、1978-79復
   元され市図書館・市博物館を収容している。
 パルム家 Palm'sches Haus (1610) 美しい彫刻や絵画が飾られた木組の家で裕福な
   プファルツ選帝侯の幹部が建てた。石造の地階の上に3階建の木組が乗り、角
   の出窓も見事である。
 塩の家 Salz haus (1450) プファルツ伯オットー1世の治世中に塩倉庫として建てられた古い木
   組の家である。
 プファルツ伯財団 Pfalegrafen Stift プファルツ伯が建てた木組の高齢者施設は、1957-98
   の都市再生のプロジェクトとして復元された。

5.写真

市庁舎 中央通
参事教会 南東壁
南西壁 西壁

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ミュールハイム Muehlheim a.d.Donau BW91

1.歴史

 790 ライッヒナウ修道院の寄付記録に最初の言及、   13c中 4門と要塞の町になった、
 1268 町の水車を指定、         1409 領主は百年間の町の発展を推進、
 1511 町は都市権を得て手工業・貿易の発展、 1632 30年戦争スエーデン略奪と疫病、
 1729-33 市街地の賑わい、                1796 仏軍の占領、
 1800 ビュッテンブルク州に主権移行、     1971 ドナウに沿った独立共同体を設立。

2.市壁  0.27km 0.30

   ドナウ川の湾曲部の尾根に、旧市街が築かれ周壁で囲まれた。1964から市壁の復
  元が市民の手によって行われている。東側の市壁の上には建物がある。

3.塔  2門0塔

 西向き門 Westliches Tor () 唯一残る。2階建四角錐屋根の角塔にアーチの通路があ
   る。外右側には地階石積上2階木組のHochwachがあり、今は旅館。
 北小門 Nordliches Pforte () 市庁舎からの北向きの下り坂に、抜け穴的小門があ
   る。

4.見所  D

   町は、小さな丘の上にあり、古い木組の家が多い、静かな所。
 市庁舎 Rathaus 1200建、創立年代は記念柱で示されている。市庁舎が初めて
   言及されたのは1512である。水飲み場の向こう側に開いたアーケードのゴシックの
   木組の市庁舎は、町で最も古い建物に属する。1928に記念建築物の目録に載
   せられた。
  Schloss 1200建、この城は、町の創立時に建てられた。1751-53に施設の改
   築が行われ、城は強化されて今の姿となった。今もなお、Enzberg家の住居で
   あり、参観することは出来ない。
 前方の城 VorderSchloss これは、居住城と市庁舎の間の右側にある。17c中に
   大改造が行われ今の姿になった。1987に町が購入して修繕した。地階には文
   化と観光の部署が入っている。2階と屋根裏は博物館である。
 ガルス教会 GallusKirche 10-11C建、ロマネスクの教会であり、14-15Cのフレスコ画があ
   る。建物本体は、石灰岩や凝灰岩の石積みあり、南壁はオットー王朝時代に戻さ
   れた。
 マグダラの聖マリア教会 PfarrKirche St.MariaMagdalena 1275建、ロマネスクの塔であり、
   このオットー王朝の小教会は最初はキリスト教の礼拝堂ではなかった。1466と1718
   に改修され、1794に再建された白塗りの建物。
 ヴァレンブルクの家 HausWallenburg 領主の夏の家。市庁舎の裏の木組の家。
 木組の家 EachwerkHausBurg 1559建、南にある古い木組の大きな家。
 高い見張 HochWacht 西門の外南に、出窓付き木組み3階建があり、見張として
   使われた。今は、ガストホフとなっている。

5.写真

市庁舎 礼拝堂
前方の城 北小門
西市門 北壁

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ムッルハロト Murrharod BW92

1.歴史

  730 ライッヒナウ島修道院の年代記に教会の初言及、    788 町の初文書言及、
  816-17 皇帝の息子はベネディクト会修道院を設立、   1200 町は市場権を保持、
 1388 都市権を授与された、        1525 農民軍が侵入して町を破壊、
 1534 ヴュッテンベルク州として宗教改革、17c 30年戦争の破壊・飢餓・疫病で人口1/3、
 1698 仏軍の占領と破壊、      1765 大火災で120戸被災、再建は1790頃、
 1806 修道院は世俗化され、工芸品生産と貿易で人口増。

2.市壁  0.16km 0.19

   1500頃の市壁は、東Graben通55m、西Sonn路地に建物の壁として20m、
  西KlosterHofの外壁に85m残っている。

3.塔  0門1塔

 魔女塔 Hexen Turm (1500) 修道院の領域の西側の周壁に塔はある。
   初めの表示は泥棒塔であり、地下牢のある見張り塔であった。

4.見所  B

   修道院を中心として発展した小さな町で、多くの木組の家が旧市街多い。
 市庁舎 Rathaus (1558) 前に倣って造られた市庁舎は、1765に大火で壊れ、3階
   建鐘楼付き屋根の建物は1784に着工された。鋳鉄のバルコニィの欄干は、1849に
   付けられて、マルクトの南に立つ。
 新教市教会 Ev.StadtKirche (820-45) 1130ロマネスクの2つの東塔が付けられ、1330
   内装が行われた。1430-50ゴシックの平面と外観を得て今も残る。宗教改革まで
   は、今日の市教会は修道院教会であった。1770には西側に教区司教館も建て
   られた。修道院の敷地には、広大な庭園・厩舎・教会・礼拝堂・墓地・住居・学
   校があった。マルクトの西側には修道院の守衛詰所・薬局が置かれた。
 ヴァルターリッヒ礼拝堂 Walterrichs Kapelle (1200-30) 上記新教市教会の北東の端に
   付けられ、修道院の固有礼拝堂である。
 ヴァルターリッヒ教会 Walterrichs Kirche (150) 丘の上に太陽神ミトラスを祀ったローマ風の
   聖堂があった。今の姿は簡素なゴシックの調和した姿である。この教会には聖
   ヴァルターリッヒの墓が祀られ、巡礼が殺到した。墓の門にはローマの石が置かれてい
   たが、今は博物館内に展示されている。
 カール・シュバイツアー博物館 Carl-Schweizer Museum (1931) 自然・石器時代・リーメス・中世の
   展示がある。
 新教司教館と公会堂 Ev.Pfarrhaus und Gemeindehaus (1770.1728) 高位聖職者と
   牧師の納屋として建てられ、前面は見事で、高価な造りである。
 旧食堂 Ehem.Rofektorium いわゆる領主造りで、一時営林署となったが今は新教
   教区が入っている。
 十分の一税倉庫 Ehem.Zhentscheuer (1530-40) 修道院の領域の最も南が今は新教
   が今は新教十分の一倉庫として使われた。消防団機器倉庫と公文書館として
   使われている。
 木組の家 Fachwerk haus (1766) MittelGasseの南端に建てられ、直ぐに火事で焼
   け、市壁上に再建された。木組みの飾りが見事である。
 古い学校 Alte Schule (1770) 東側の市壁に塀の校舎は建てられた。
 旧男子学校 Ehem.Knahen Schule (1814) 旧市街の西の境界に位置し、男子学校
   の建物は、町で見られる簡素な木組台構造が見られる。

5.写真

市庁舎 東壁
東壁 東壁
西北壁

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ネッカースルム Neckarsulm BW93

1.歴史

  771 ロルシュ修道院の財産遺贈証書に言及、    1200 スタウファー家が町を所有、
 1264 葡萄園の領主が城を築いた。  14c 市場権が授与され市壁が築かれた、
 1484 マインツ大司教の交換を通じドイツ騎士団が来て、1805までいた、
 1525 農民戦争で城を焼かれた、16c 市壁が再構築され市庁舎・教会を建てた、
 17-18c 連続の戦争と疫病で町は衰退、   1807 ヴュルテンベルクの郡庁都市に、
 1945 空爆で大被害を受けた。

2.市壁  0.295km 0.27

   17cの旧市街は350×250mの長方形の市壁で囲まれていた。今は、主に西と
   北に残されている。

3.塔  0門3塔

   14cには、2門10塔あったが、部分的の物を含め3塔が残っている。南西の
   隅に泥棒塔があり、円形の壁塔が北西と北東にある。

4.見所  C

   1945の空爆で、古い建物は殆ど破壊されたが、幾つかは生き延びた。
 市庁舎 Rathaus (1781-82) 3階建石造ロココの正面で18c再建された。1945の空
   爆で壊れれ、1946の元の姿で復元された。1983-85大通りに沿って拡張。
 ドイツ騎士団宮殿 Deutschordensschloss (13c) 市内で最も古い建物の一つで
   あり、ドイツ騎士団によって拡張・改修が行われた。1956ドイツ二輪とNSU博物
   館となり、ドイツで最大の350台が展示されている。この城複合体の中に、
   城礼拝堂(今レストランとセレモニィホール)と城ブドウ圧縮所がある。
 旧宿屋:バラ Ehem.Gasthof Zum Rose (16c)今の姿の3階建木組の建物は1548に
   建てられ、市内でも古い宿屋であった。市庁舎の隣に位置し大規模である
   事から、ドイツ騎士団が建てたと思われる。1793ここに醸造所が置かれた。
   1967歴史的な砂岩の正面は壊された。1983改装され宿屋から小売店のなっ
   た。町はこの建物を購入し、2006-09歴史的な砂岩の前面を復元した。地階
   は小売店、3階は2009から町の公文書館となった。
 大絞り場 Grosse Keiter (1567) マルクト広場の北東の角に建てられた2階建高い
   サドル屋根の大酒蔵で、1930迄使われた。1984貯蓄銀行を収容した。
 聖ディオニシウス市教区教会 StadtPfarrkirche St.Dionysis (1757) 旧市街の北に
   建てられ、1945の空爆で完全に破壊されたが、1946-99に再建された。
 修道院教会 Kloster Kirche (1664) カプチン会修道院は市壁の南外にある。19cに
   世俗化され、1811-92は教会として使われた。中には芸術歴史的に重要な
   ゴシックのマドンナがある。19c末に教会は修復された。
 市博物館 Stadt Museum (2006) 2階建木組の建物で、400m2に町の歴史を展示
   している。

5.写真

市庁舎 北東円塔
泥棒塔 北門
北東壁
西壁 西壁

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ネーレスハイム Neresheim BW94

1.歴史

 1095 ディリンゲンの領主が修道院の建設、   1190 ロマネスクの修道院教会の完成、
 1290 エッチンゲン方伯が町を引継いだ、          1343 市場を開催、
 1405 大火、都市要塞の再構築、 1634 30年戦争で260人を残して町を放棄、
 1694-1720 バロックの新修道院の建設、        1776.96 仏軍が占領、
 1802 修道院の世俗化、              1806 バイエルン領となる、
 1810 ヴィッテンベルク王国に、         1966 荒廃の修道院教会の改修。

2.市壁  0.12km 0.14

   ネッカースハイムの旧市街は、190m×120mの右肩下がりの楕円形の市壁で囲まれ
  ていた。北側には、3か所で100mと、南の駐車場に僅か5+2+10=20mの銘
  板を付けた市壁が残っている。

3.門塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   東の丘の上に大修道院が立ち、麓の旧市街は狭く静かな町である。
 市庁舎 Rathaus (15c) 箱の家として建てられ、後に郡長の公邸となり1531火事
   で壊れ、1628に新築され事務所として使われた。1760市庁舎として修復さ
   れ、丸天井と地下牢の入口のある元の姿に見事に復元された。
 教区教会 Pfarr Kirche (1465) バロック化され、1717ツインマーマンの記念碑的な祭壇が
   有名である。
 修道院 Kloster Neresheim (1095) ベネディクト会修道院はHaertsfeldの丘の上に16
   94-1720バロックの修道院を再建した。修道院教会はノイマンの設計で1792に完成
   した。教会内のフレスコ画はキリストの生涯をチロルの画家ノーラーによって
   明るく描かれている。
 ヘーツヘルド博物館 Haertsfeld Museum (1531) 市庁舎の隣に伯爵の公邸として建て
   られ、1628火災後に再建された。1766建物を改修し1806民間に売却されロー
   プ工場となった。1970博物館になり、屋根裏部屋には農家・2階には子供部屋
   ・アラマン族からの歴史・地階に台所や寝室の生活文化・地下には19cの薬局が展示
   されている。

5.写真

市庁舎・博物館 市庁舎
南壁 南東壁
福音教会 南壁
修道院

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ノイブラッハ Neubulach BW95

1.歴史

 700 村やAltbulachの出現、  1100 チュービンゲン侯爵パラチーノは銀鉱業を開始、
 1220 Bulachは町の憲章を授与・鉱工業最盛期、1235-73 ホーエンベルク侯爵が取得、
 1326 大火災の発生、  1440 プファルツ伯ルブレヒトはヴュルテンベルク伯爵に町を売却、
 1525 農民戦争で鉱業は停止、1558 侯爵クリストファーはヒルザウ修道院から町を取得、
 1601 低収益な鉱山は放棄。 1927 鉱山は閉鎖された。

2.市壁  0.45km 0.82

   市壁は、1220-1312に建設され、今でも南部分を除いて残されている。

3.門塔  1門1塔

 カルバー門 Calwer Tor (13c) シルアー門とも呼ばれる西市門で、4階建の四角塔
   の最上階は見張所であり、登れば素晴らしい展望が見られる。
 泥棒塔 Diebs Turm (13c) 西北の最高地点に立ち、昔は兵器庫であったと思われ
   るが、農産物泥棒の監獄となったため、この名が付いた。1525農民戦争の
   指導者は捕らえられ、ここに数週間収容された。

4.見所  D

    川を渡って山に登り、山の上にある昔鉱山があった小さな町である。
 旧市庁舎Altes Rathaus (1604) 2階建木組の家で、2005まで市庁舎として使
   われた。2006からは上階は市図書館、地階は催物や展示会場・カフェ:旧市庁
   舎として使われている。
 市教会 Stadt Kirche (1275) 初め聖メアリ教会として建てられ、30年戦争が終わ
   った時の牧師の妻が寄付した1648の十字架が1954の祭壇の上に飾られて
   いる。
 旧城 Ehem.Burg (15c) 市街で一番高い所に立ち、ロマネスクの入口と二つの建物
   の基礎が残っている。1562-70はヴュルテンブルクの代官が住んだ。今の木組の
   建物は、火災後18cに建てられた物で個人所有である。
 石の家 Steinhaus (15c) 1505の大火事に生き残った石造建築で、今は靴屋の
   ワークショップと小さな博物館を収容している。
 城代官 Burg Vogtei (15c) 3階建木組の建物で、今は鉱山と黒い森のミネラル博物
   館になっている。
 鉱山訪問 Besucher Bergwerk () 旧市街の南東にある鉱山跡の地下400mにあ
   る銀鉱山坑道が5時間で見学できる。

5.写真

旧市庁舎 マルクト広場
カルバー門 泥棒塔
西壁 南壁
東南壁 北壁

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ノイデナウ Neudenau BW96

1.歴史

 1251 ノイデナウの初文書言及、           13c 市壁が築かれた、
 1263 Stadtと呼ばれた、        1300 ワインスベルクのコンラッドが所有、
 1364 マインツ大司教が買収し1802まで所有、 1640 30年戦争の軍駐留で被害、
 1803 ナポレオンの世俗化でヴェンツェル伯爵が受け取った、
 1806 バーデン大公国の支配下となりモースバッハ地区の田舎町となった。

2.市壁  0.21km 0.25

   12c中頃に町は強い市壁で囲まれ、土堤と濠をめぐらせ7塔で守った。
  市壁はまだ南側に残り、旧看護の家の近くに市壁塔の基部がある。1840
  に市門・塔・市壁の大部分は交通の円滑化のために取除かれた。今は市壁を
  潜って外のプラスティックの張出台に出ることが出来、外側から市壁が見られる。

3.門塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   南向けの斜面に築かれた小さな町で、15cの古い木組の家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1587) 正方形のマルクトの北側に、地階石積みで上2階はルネッサンス木
   組の建物が修復されてある。その周囲に1631の高い木組の建物が並んでい
   る。マルクトの噴水は1828と1911に改装され水を湛えている。
 教区教会・聖ラウレンチウス Pfarr Kirche St.Laurentius (1741) カトリックの教区教会で後期
   ゴシックで建てられた。塔はゴシックの先行建築を取り込んでいる。西側の円形階
   段塔は1898に付け足された。2012に外装が更新された。
 ノイデナウ城 Burg Neudenau (13c) 始めに塔は丘に築かれ、1802マインツ選帝候国は、
   城に郡庁を置いた。1803-69ライニンゲンのベンチェルの息子は、城を伯爵の宮殿に改
   改造した。その男やもめはハイデルベルクのウイルヘルム・ヴァイラッハ城を売った。相続後18
   71に宮殿は町に買われ、1961まで校舎として使われた。今1961から郷土博物
   館として町の歴史文化と鍛冶屋工房が展示されている。

5.写真

市庁舎 南東壁
南西壁 南壁・聖ローレンス教会

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ノイエンシュタット Neuenstadt am Kocher BW97

1.歴史

  797 元の集落はプレタッハ川の氾濫原にあった、   14c 集落は尾根に移動、
 1392 ワインバーグの領主は新都市を所有・構築、 1504 ヴュテンベルク侯爵が征服、
 1558 城と市壁を拡大、         1617-31 侯爵の邸宅が置かれた、
 1634 30年戦争で略奪があった、      1649 ヴュルテベルク・ノイシュタットが居住、
 1831 町を大火災が襲った、       1945 二次大戦で町の8割が破壊。

2.市壁  0.09km 0.15

   14cの市壁は、東に広がる台形で、2門・塔・堀・ツインガーを配置して建設さ
  れた。西側の北隅に城が築かれて強化された。1762の地図には台形の内側
  市壁の位置が良く分かる。

3.門塔  1門0塔

 上門 Oberes Tor (1300) 8.45mの正方形基礎の上に、高さ37.5mの高塔が壁
   厚1.3mで立っている。初めの塔は1683に倒壊したが、30年戦争後の財政
   難で再建できなかった。ヴュルテンベルク州のアッパーオフイスの援助で1703に2番目の
   塔が守衛の住居と共に再建された。1831大火事で焼け、その後に住居を除
   いて再建された。1945戦災には生き残り、1956歩道が付けられた。今、塔
   上部には小博物館が置かれ、旧監獄・小塔室・古い道具がある。

4.見所  C

   ヨーロッパには、ノイシュタットという町が37もあり、内ドイツには25もある。
 市庁舎 Rathaus (14c) 旧市庁舎はマルクト広場に立っていたが、1945戦災で崩壊し
   撤去された。新市庁舎は西の市壁外に新設された。
 宮殿 Schloss (1392) 今の宮殿の最古の部分は1559-65の3階建石造の北翼でそ
   の東側にルネッサンスの入口部がある。東翼は17c石造3階建である。1618-1781
   はヴュルテンブルク・ノイシュタット家がこの城に居住した。その後穀物蔵や兵舎として
   使われ、1945戦災で東翼の上階が壊されその跡に木製のギャラリィを
 役所 Amthaus (1488) この役所の北側に市壁から突出した形で防備をを固めた。
   今は営林署・警察署・音楽学校である。
 市教会 Ev.Stadt Kirche (1300) 城の礼拝堂から1481聖ニコラス教会として成立し、
   1596には正方形から延長された。1650-1781ヴュルテンベルク・ノイブルク家の多数の
   人々が、聖具室と内陣の下に埋葬されている。1891の改修後は1945被災迄
   は変化なかった。1950に被災後の内陣修復が終わった。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehntscheuer (17c) 1945被災後に後側の南市壁の部分
   のみが放置されている。
 メーリケ薬局 Moericke Apotheke (1707) 薬剤師メリーケは市薬剤師として成功し、息子
   は血液浄化丸薬を生産して豊かになった。マルクト広場の南側に風格のある大き
   な薬局と住居を建てた。1910には所有者が変わった。
 木組の家 Fachwerkhaus  1945の戦災を生き延びた歴史的な木組の家:修道院
   シェーンタール(1488)、教区司教館(1749)、メーリケ薬局(1707)。
 羊小屋市博物館 Stadt Museum in Schafstall (1991) 町の歴史とメーリケ家の資料が
   展示されている。

5.写真

マルクト広場 役所
上門 宮殿
上門外

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ノイエンシュタイン Neuenstein BW98

1.歴史

 1200 ノインシュタイン城の建設で初言及、1230 ノイエンシュタインはシェンタール修道院の証人、
 1351 ホエンローエ・ヴァイカースハイム家クラフト3世は皇帝カール4世の許可を得て町に都市権を
   授け、市壁・堀を築き、市場を開設し、宮廷を設置し、1553まで所有した、
 1553 ホエンローエ家の分割で ホーエンローエ・ノイエンシュタイン家が町を所有、
 1698 ノイエンシュタイン家の断絶でホーエンローエ・エーリン家に属す、1806 ヴュルツブルク公国へ、
 1885 町の大火災。

2.市壁  0.36km 0.64

   1351皇帝カール4世は町の防備を行う権利を与え、旧市街の北側市壁は高さ
  7mであり、1543北東と南に外側市壁を築き強化した。162030年戦争の早い
  時期に、ホエンローエ・ノイエンシュタインは市壁を更新した。19c後半には2門と市壁の損
  傷部分は取り除かれた。

3.門塔  0門3塔

 市民塔 Buerger Turm (1547) ホーエンローエのアルブレヒト3世は、1543に市壁の北東隅
   に円塔を建てて強化した。1620ノイシュタイン家は3階建の円塔を嵩上げして、碑
   文と紋章を付けた。1911老朽化した塔は補修費用が無いので、ホーエンローエ・
   エーリン家に手渡した。
 フランス塔 Franzosen Turm (1620) 町の市壁を改造し、南側第2境界壁の南東の角
   に1階建の塔が置かれた。1988には改修された。
 泥棒塔 Diebs Turm (1547) 高さ29m幅6mの塔は丘の上にあり、崩壊危険性から
   の1791に市壁の高さまで壊され、19c終わりに除去された。

4.見所  C

    ホーエンローエ・ノイエンシュタイン家の宮廷都市であったが、旧市街は意外と小さい。古くか
   らの建物は改修されながら多く存在する。
 市庁舎 Rathaus (16c) 初めの3階建木組の家は1743焼失し、1744に新築された。
   床の追加・マンサード屋根・鐘楼が付けられた。地階と上階の美しい木製トラスは
   1926に露出された。玄関ドアには、町とホーエンローエの紋章がある。右ドアの上の
   碑文は1782に付けられ、その後市長が修正した。1978-91完全に改修され隣
   接する二つの建物に拡大した。
 ノイエンシュタイン宮殿 Schloss Neuenstein(1200) 初めは砂岩の上に堀城が建てられ、
   貴族の本拠地として使われ、その東に集落が形成された。1331皇帝カール4世
   は町に都市権を与え町を整備された。1556-64ホーエンローエ・ノイシュタイン家はルネッサンス
   の宮殿を宮廷として建てた。1648ホーエンローエ・エーリンゲン家に移り、1773王子に
   信託したが、1806ヴュルツブルク公国が所有した。1878ホーエンローエ家の博物館が宮
   殿に開設された。1906-14宮殿は再建され新しいフリントロックを増加した。1963
   ホーエンローエ・エーリンゲン家の王室は新しいフリントロックに所在した。
 市教会 Stadt Kirche (15c) 1499エーリンゲン教区から独立して、15cゴシックの教会が
   建てられた。1609-11内陣が組入れられた。
 ゲオルク・カーンの家 Wohnhaus Georg Kern (1618) アーチ屋根の地下室の上に3階建の
   住宅が建てられ、1780には7分割された。1850-56町がすべての家を購入
   救貧院として使ったが、1857には放棄された。2000再び住宅となった。
 ピストリウスの家 Haus Pistorius (1672) この3階建の建物は、市長などが使用し、
   18-19cにはパン屋が所有した。
 防御宿屋:鷲 Schildwirtschaft Zum Adler (1625) 1672からは宿屋になった。
   1743馬小屋で火事を起こしたが、再建された。1983-84再開発の一環とし
   て改装され、古いトラスを回復した。
 旧病院 Alte Spital (1474) ルネッサンスのマナーハウスとして建てられ、改革後は官邸と
   なった。18c住宅となり、1883町が買収し地区病院とした。老朽化した建
   物は1922住宅となり、1997改装された。
 料理屋宿:獅子 Gastwirschaft Zum Loewen (1625) ゲートと呼ばれる宿が建て
   られた。1712隣接して風格のある宿に建て直され、入口の上には碑文と
   ライオンと年号がある。
 旅館:金の太陽 Gathas Zur Goldener Sonne (1786) 郊外の2階建木組の家で、
   二つのクロス破風とマンサード屋根のある美しい建物。
 郊外広場 Alte Spital (1474) 1841に上門の外へ最初の拡張が行われた。この
   広場の周囲には商用ビルや住宅がたてられ、毎週市が立った。2016広場は
   再開発された。
 役所薬局 Amthaus Apotheke (16c) 風格のある大きな2階建の漆喰木骨造建物で、
   公式荘園の職員住居やホーエンローエの事務所であった。1812薬剤師が購入して薬
   局になった。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehent scheuer (1558) 古い2階建上階木組の旧十分の
   一税倉庫で、地下には2,092hlのワイン樽がある。1812市民が所有し、1908ホーエ
   ンローエ・エーリンの会社が購入しバロックに転換、1920には教区が所有した。1960ルネッ
   サンスの建物は完全に壊され、プロテスタントの集会所が建てられた。
 娘建物 Fraeuleinsbau (1574) 16cから行政の場や農家として使われたルネッサンス
   の建物である。1781住宅として市民に売却され、1958醸造所に。
 元湯屋 Ehem.Badhaus (1357) 古い建物が立っている。ここで入浴と理髪・外科・
   創傷・骨折を処理した。
 守衛詰所 Walkhaus (1774) 3階建上階木組の守衛詰所は、王室から市民に売却
   され 特定の時間には門を閉めることを義務付けた。1906ホーエンローエ・エーリンの会
   社が購入しルネッサンスに再構築した。
 研磨工場 Schleifmuehle (1669) フランス塔の南に1669の粉ひき所があり1709粉砕
   ミルとなり、1911バックガライドミルになった。2011-13粉砕ミルに住居と付属建物を
   再建した。
 旧学校 Alte Schule (1620) 2階建木組の建物は、教師の住居と校舎であった。
   1878幼児学校が開設され1954まであった。

5.写真

市庁舎 ノイエンシュタイン宮殿
守衛詰所 市民塔
南壁 北壁

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ノイフェン Neuffen BW99

1.歴史

 1100 ツバイファルテン修道院の文書に初言及 、1232 町は都市権を授与された、
 1300 シュタウフェン朝終焉後ヴュルテンブルク侯爵が支配、14-16c 町の最盛期3門8m市壁、
 1500 ホーエンノイフェン城はヴュルテンベルクの要塞へ、   1634 30年戦争で町は破壊、
 1700 ペスト流行で人工は1/3に、 18c 旧市街中心部の発展と壁や門の解体。

2.市壁  0.16km 0.32

   13c胸壁を含め高さ8mの市壁が築かれ、貴族は市壁の上に建物を建て防
  備を強化した。前面の堀に3市門があったが1840には堀と門は解体された。
  西・南西・東南で市壁が建物に組込まれている。

3.門塔  1門0塔

 ルードヴィッヒ小塔 LudwigsToerle () 新しい学校や新しい住宅地への接続の
   ために、石工が壁に穴を開けた。
 下門 UnterTor (1232) 高さ8mの市壁と衛兵詰所と共に建てられ、1840に解
   体された。
 ワイン山門 Weinberg Tor () ワイン園への直接の出入り口として造られ、1840に
   除去された。

4.見所  B

 市庁舎 Rathaus (17c) 3階建木組の家で、地階はアーケードで市場が開かれて
   いた。2階は会議や祝祭のための広間があり、3階は市長と市の行政の
   場で、屋根裏は穀物倉庫や乾燥空間であった。30年戦争中に破壊され
   、ためらいなく新構築された。
 新教マーチン教会 Ev.Martin Kirche (1504) 木製の教会はフランク時代に構築され
   た。貴族の墓のためにロマネスクの教会が建てられ、後期ゴシックの教会建設
   は帝国都市の時代に行われた。宗教改革時に多くの祭壇画奪われた。
   火事で本堂と塔が壊れ、内陣のみ残されたが、好況時に再建された。
 大穀物倉庫 Gross Frucht Kasten () 収穫物物納のために使われ、大きな
   アーチ天井にワイン樽があった。火災後再建され、度量衡が収納された。
 新教牧師館 Ev.Pfarr Haus () 以前の建物の基礎の上に入口ルネッサンス2階建
   の建物を建てた。
 チューダー様式の家 Fachwerk Haus (18c) 装飾用トラスのある2階建木組の住居。
 チューダー様式の家 Fachwerk Haus (18c) 上門の場所に、大火事の後に風格の
   ある家が再構築された。
大きい又はシリングの家 Gross oder Schillingsches Haus (1270) 市壁の上に
   構築された3階建の黄土色の建物で、住んだ家族の名前が付けられ、30
   年戦争の略奪を生残った。市が復元し図書館・博物館・文化行事に使用。
 メルヒオール・イエーガーの家 Meelchior/Jaeger Haus (1582) ヴュルテンベルク公爵
   ルードヴィッヒの代官が2階建の家を建てた。1590井戸や付属建物を追加した。
   廷氏の公邸として使われ、町が買収し復元した。
 領主の紋章 Wappen der Herren von Neuffen () 皇帝フリードリッヒ2世の息子か
   ら、町の紋章を授与され、下門の所に壁を作って紋章を表示した。
 代官の家 Vogt Haus (16c) 城代の息子が市壁の上に邸宅を建て、その後公
   証人・1834教師・アパートで使われ、今は町の住宅。。
 市壁の上の家 Haus aud den Mauer () 市壁の上の3階建の木組の家で外階
   段が付いていた。年号の古い梁や木製の窓に特徴がある。
 旧銅鍛冶と十分の一税倉庫 Ehem.Kupferschmiede und Zehentscheune
   (17c)広々とした木組の家で、その後ユダヤ人が所有して近隣の木組建
   物と共に改装された。
 町の絞り場 Stadt Kelter (17c) この町にはブドウ畑が70haあったが今は20
   haしかない。ブドウ絞り機は町に4ヵ所あったあったが、30年戦争で
   壊され、新しい2つの絞り機が設けられ、リースや町のワイン協同組合によ
   って再構築されている。

5.写真

市庁舎 新教マーチン教会
ハウプト通 市壁柱
南東壁 東南壁

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ニーデルンハル Niedernhall BW100

1.歴史

 1037 公爵コンコルト2世募金証書に言及、1356 ホーエンローエ公爵とマインツ選帝侯が支配、
 1356 皇帝カレル4世は町に昇格させた、   1363 市壁・2門・塔で町を守った、
 16-18c 宗教改革・ペスト・30年戦争・仏革命・ナポレオン戦争を多くの建物が生き残る。

2.市壁  0.48km 0.77

   1363皇帝カレル4世は市壁を建設し、現在でも3/4は残っている。

3.門塔  1門2塔

 塩門 Salz Tor (14c) 新しい学校や新しい住宅地への接続のため
   に、石工が壁に穴を開けた。
 マレフィッツ塔 Malefiz Turm () 高さ8mの市壁と衛兵詰所と共に建てられ、
   1840に解体された。
 牡豚塔 Saeu Turm () ワイン園への直接の出入り口として造られ、
   1840に除去された。

4.見所  B

    小さな町は何世紀を通じてほとんど無傷で、1983から町全体の保全を行
   って、その文化的・歴史的な宝物を維持しており、中世雰囲気は濃厚である。
 市庁舎 Rathaus (1477-90) 2階建切妻付の白い漆喰装飾の建物で、大規模な
   オーク材の柱や梁のある天井があり、地階に郷土博物館が古い広間にある。
 聖ラウレンテュース教会 St.Laurentius Kirche (1200) 豊かに飾られた正面のロマネスク
   の建物。
 歴史的絞り機 Historische Kelter () 旧市街の市庁舎の西南に大きなワイン工
   場が残っている。
 ゲッチェンの家 Goetzen Haus () 入口の美しい塗装の木組石膏塗りの家からゲーツ
   ・フォン・ベルリヒンゲンは学校に通った。
 町公会堂 Stadthalle () 旧市街の西北の角にある巨大な建物。

5.写真

市庁舎 ハウプト通
南塔 牡豚塔
北壁 マレフィッツ塔・東壁
西南壁 北壁

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ニーダーシュテッテン Niederstetten BW101

1.歴史

  780.830 ヴュルツブルク司教とフルダ修道院の十分の一税論争の記述で初言及、
 1340 領主は町をバイエルンへ売却、   14c 町は市場権と裁判権を得た、
 1322 コンラッドは城と町を封土された、 15C 町の最盛期で大建築物が造られた
 1367 皇帝は都市権を更新し、町は市壁と堀で囲まれ門や塔が立てられた、
 1416 城は建てられ、ホーエンローエ家は16-17cに何回も拡張・改築された、
 1803 ホーエンローエ家が町を承継、     1806 ヴュルツブルク王国へ、
 1945 2次大戦の空爆で町の半分は被害を受けた。

2.市壁  0.32km 0.36

  14cの市壁は、主として東側に断続的に高い壁が残っている。

3.塔  0門5塔

 白馬塔 Schimmel Turm 北 高さ15.5mの白い円塔で、昔は見張塔。
 湖塔 See Turm 東南角 1988に再建された3階建て円塔。
 黒馬塔 Rappen Turm 西南 2階建て円塔。
 狐塔 Fuchs Turm 東北角 3階建て円塔に円錐屋根。
 鐘楼 Glocken Turm 東北 教区教会の鐘楼で5階建角塔に時計付。

4.見所  C

   美しい木骨造の家屋と高い塔に囲まれた趣のある小さな町。
 市庁舎 Stadthaus 地階は石造で前面は開かれ、上階に木組の建物が乗って
   いる大きな建物。鐘楼が付いており、隣接して白色の円塔が立つ。
 聖ヤコブ教区教会 Ev.Pfarr Kirche St.Jakobus 5階建ての角塔を持つ
   教会で、近くに大きな教区会館Gemeindehausもある。
 ハルテンベルクーステッテン宮殿 Schloss Haltenberg-Stetten 山上の宮殿には、
   バロックの教会と旧守衛詰所もある。
 アルバート・ザムト・ツェッピェリン博物館 Albert-Sammt-Zeppelin Museum 1889生ま
   れのアルバートは、ツェッピェリン飛行船の最後の船長であり、飛行船の歴史
   と大西洋横断や世界一周の説明が展示されている。
 郷土博物館 Heimat Museum 20cまでの生活状況を、保存状況の良い家
   と庭で示している。
 ブドウとワイン博物館絞り所 Kelter und Weinbau Museum 1803からの元
   ワイン製作所に開設された博物館で、200以上のワイン製造機器が展示され、
   ブドウの生育・分布に付いての説明もある。
 旧十分の一倉庫 Ehem.Zehntscheuer
 子豚市場 Schweinechen Markt 月曜日の10時から子豚の市が昔のよう
   に開かれる。

5.写真

市庁舎 鐘楼
狐塔 湖塔
ラッペン塔 北壁
東壁 南壁

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ニュルティンゲン Nuertingen BW102

1.歴史

  1046 王ヘンリー3世のシュペイヤー大聖堂贈与文書に初言及、 1335 ヴュルテンベルク
   公爵ウルリヒ3世は町に昇格させ役所を置き市壁建設・法廷の権利を与えた、
 1421から17c 城にヴュルテンベルクの未亡人が住む、 1526 裕福な病院の設立、
 1302 最初の学生の五月祭、 1634 30年戦争で町は荒廃、ペストで人口減、
 1750 大火災で町は壊滅その復興の姿が今の外観、1783 最初の中学設立、
 1783-84 ラテン語学校にヘンダーリンとシュリングが訪問、  1816 工業化の始まり。

2.市壁  0.02km 0.02

   14-15cの市壁は、町の納税者の資金で、砂岩切石で築かれ、健常男性が
  守り・修復しなければならなかった。堀は1329に言及され、4市門と高さ
  8mの壁は内側市壁であった。高さ6ft幅1.5-1.6ftの壁・6ツインガー中庭・幅12ft
  深さ8ftの前堀のある外側市壁も造られた。今は殆ど残っていない。

3.塔  0門1塔

 ブロック塔 Block Turm (1430-35) 町の東南の角を守った塔は、高さ16.9m・外
   径23m・内径12.86mの大きさで、壁上通路と地上階段に通じている。1568
   貿易塔となり、後に刑務所であった。1920-56は緊急宿泊所。

4.見所  C

   美しい旧市街は、ゴシックの教会・木組の家など丁寧に復元された建物な
  ど、一見の価値がある。
 市庁舎 Stadthaus (1476-77)完璧に左右対称の建物で、古典的な改造が行われ
   ている。中世の町役場は、1987-91に近代的な大きな窓の日当りの良い拡
   張が行われた。古い建物の中には、強力な木造構造が判明。
 聖ローレンス市教会 Stadt Kirche St.Laurentius (15c) 現在の3身廊の教会は3番目
   の物で、1500年以上も旧市街地の屋根の上に聳えた。教会と塔の中には、
   町の重要文化財を収容している。四角い高さ48mの塔は、189段高さ36m
   まで登れる。昔は塔守が住んで見張をしていた。塔守の住宅は43m2で、
   1949まで人が住んでいた。
 聖十字架教会 St.Kreuz Kirche (1455) 墓地教会として、市壁の外に建てられ、
   1980年代に再建された。
 聖ヨハネ教会 St.Johannnus Kirche (1950) 芸術的な教会は、芸術家オットー・ハーパー
   ・ハエックの初期と後期の作品は収納されている。
 ザレム館 Salemer Hof (13c) 印象的な木組の建物で、シトー派修道士の救護所とし
   て建てられた。ザレムからの修道士は大規模な団地をこの町に設けた。14
   83-84救護所の木組のトラスは、1984-89復元の際に露出された。
 ラテン学校 Latein Schule (1481) 後期バロックの2階建の建物で、学校は高い評価を
   得て、ヘンダーリンとシュリングが学んだ。町の書記室・郡庁・ラテン語学校の公共建物
   群は評価されている。

5.写真

聖十字架教会 ブロック塔

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オーパーキルヘ Oberkirche BW103

1.歴史

 1007 皇帝ヘンリー2世はバンベルク司教に与えた、   1218 バーデンの領地になった、
 1225 ストラスブルク司教の教区の礼拝堂へ、 1326 都市権が授与され市壁で囲まれた、
 1525 農民戦争、             1592-1664 ヴィリアンブルク侯爵が支配、
 1689 30年戦争で全ての家屋が破壊された、1803 再びバーデン領に役所設置1936迄、
 1918 1次大戦で被災し仏軍が占領、       945 2次大戦で被害を受けた。

2.市壁  0.06km 0.04

    二つの水濠と二重壁があった。1820から市壁は家の壁などに使われ、
  LoewenGasseに20mとSuedringに40mが説明版付で残っている。

3.塔  0門0塔

   古くは外壁に2門と12円塔があったが、全く見当たらない。
 上門 Oberes Tor 5階建ての角塔で昔は前門と跳ね橋があり、塔は刑務所やイルカ薬
   局があったが、今は何もない。
 上門 Unteres Tor 1822に市壁の大部分は壊され、1890まで小型の衛兵所があった
   が、今はない。

4.見所  C

   小さな旧市街の町には、木組みの家の中に大きな石造の建物が混在する。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1802) 狭い側の中央窓の上に小屋根が付き、屋根の上に
   鐘楼のあるライトストーンで造られた建物で、今、地階は市図書館、上階は市市博物館
   として市の歴史と工芸品・バロックの詩人グリンメルスハウゼンの人生を展示。
 旧市宮殿Ehem.Stsdt Schloss (1743) この宮殿はバロックの市公会堂として建てられ、
   主入口は二重階段でバルコニィの下に繋がり、錬鉄製の手摺や窓飾がある。
 カソリック教会 Katholische Kirche (1863-66) 古い教会は13cに狭くなって壊され、18
   66にロマネスクリバイバルで再建された。1871に火災で塔の下の部分しか残っていない。
 公邸 Amtshaus (1704) 石造のおきな建物が建てられ、1758-72ストラスブールの王子の司
   教領主の館であり、入口の上には領主に紋章がある。
 旧修道院建物 Probstei Gebeude (1689) 1684の破壊の後に古典様式で建てられた大
   きな石造建築である。1797火災に遭い簡素な形で再建された。地下室階段の入口
   上の飾りは旧修道院を示している。カソリック教区や学校として使用。
 鞣し革工場建物 Gerberei Gaeude (1707) 内側市壁の上に木組みの家が建てられ不規
   則な間取りとなっている。
 小川沿いの家 Haeuser in der Bachanlange (1689-1803) 元肉屋が入っていた2階建
   の木組みの家。

5.写真

旧市庁舎 上町門
南壁 東壁

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オッフェンブルク Offenburg BW104

1.歴史

 1148初文書言及シュタウヘンの集落、1240皇帝フリードリッヒ2世は帝国都市とし市壁を築く、
 1530 カトリックの皇帝に服従、   1632-35 スエーデン軍は要塞を破壊、 
 1689 仏軍による破壊、1803 バーデン大公国に編入され自由帝国都市特権を失う、

2.市壁 1.58km 0.71

   旧市街を取り巻く緑地に、7割の市壁が残る。

3.塔  1門1塔

  古くは4門有ったが、東門.エスリンゲン門.下門は壊された。
 ヴィンゼンチウス家門 Vinzentiushaus Tor 18cの門で1903に取り壊され再建。
 ニィネ塔 Nine Turm 内側市壁の塔が残っている。

4.見所  C

   大きな町の中に緑地に取り囲まれた旧市街があり、ハウプト通りを中心に2階建
   のバロックの建物が並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (1741) バロックの建物で窓は彫刻で飾られている。1989に
   電子制御のカリオンが付いている。
 旧マルクト広場 Alter Markt Platz 一角獣薬局(1720)3階建バロック、ペックシェーの
   家(1760)3階建バロック、イエラパイン金物屋(1896)3階建半木造、パッタニィの家(1793)。
 魚市場 Fisch Markt シカ薬局(1898)、鏡の館(1786)、ライオン噴水(1599)。
 騎士団の家 Ritterhaus (1784) 3階建て古典的な建物で、赤砂岩製の螺旋
   階段がある。今は博物館として使われ、地域の動植物や町の歴史を展示する。
 旧王室管理棟 Ehem.Koenigs Hof (1714-17) 3階建の前面は歯飾りが付け
   られている。
 旧カプチン会修道院 Altes Kapuziner Kloster (1641-47) 教会には木製祭壇
   がある。1822説教壇とオルガンが付けられた。木製の中庭回廊が美しい。1980年代
   の初めに建物は改装された。
 フランシスコ会修道院 Fraziskaner Kloster (1689) 1689の火災の後にバロックで
   再建られた。1968から学校も併設された。
 聖十字架教会 St.Kroeutz Kirche (13c) 13cの建物は1689にに焼失し、
   その後今の建物が建てられた。教会には3階建ての塔と3身廊があり、ゴシックの
   内陣には古い壁が残る。祭壇は1731に作成され、1521ルネッサンスの十字架がある。
 聖アンドリュー教会 St.Andreas Kirche (1300) 病院の教会で1731に簡素な礼
   をゴシックの内陣とした。元病院は、1870-1956は消防署として、1956-81は商業
   ビルとして使われた。

5.写真

市庁舎 西壁
西壁 南壁
東壁 東北壁

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エーリンゲン Oeringen BW105

1.歴史

  155 ローマは砦を改築し千人の兵を置いた、 260 アラマン族が侵略、
 1037 初文書言及シュタウフェン時代の集落、  1240 市壁のある町になった、
 1253-1806 ホーエンローエ家が支配した、1525 農民戦争が勃発、1556 修道院の廃止、
 1625-34 30年戦争の略奪とペストで困窮、 17c 王の居住地となった。
 1677 住宅が建設され城は拡張強化した、1782 カール王子は市域を拡大し宅地開発、
 1806 ヴュルテンブルク公国に属した、、   1945 2次大戦で被災、
 1972 バーデンヴュルテンブルク州に統合。

2.市壁  0.87km 0.72

   シュタウヘン時代の1240に市壁は築かれた。多くの部分の市壁が、塔・壁上通路・
   銃眼・ピッチ流し口、周溝と共に残っている。市壁は、山頂の旧市街と、シュタウヘン
   時代の町とそれぞれ独立して囲っており、Altstadt Brueckeで繋がっている。

3.塔  2門7塔

 上門 Ober Tor 壊れた門の代わりの1792の鉄の門には東側の銘板には
   侯爵の紋章がある。1835に鉄の門は削除され、1955歩行者通路として西に造ら
   れた。1955.1991全体門は改装された。
 カール門 Karl Tor Karls VorStadtとの境界にあり、柵の上に半円額を
   掲げている。
 市民塔 Buerger Turm (1600) 北西の角に立つ2階建ての四角塔。
 ローマ・リーメス見張塔 Roemischer Limeswach Turm 北の外側に再建された4.8×
   4.8mの角塔である。
 ブラス塔 Blas Turm 5階建ての見張塔と鐘楼を兼ねて、StiftKircheの前に
   立った。1991塔博物館となり、多数の展示がある。
 ガチョウ塔 Gaens Turm 円型塔の木造床、円錐屋根。
 養老院公文書塔 SpitalArchiv Turm 木造3階建て正方形の塔で腰折れ屋根
 コウノトリ巣塔 Storchsnet Turm 正方形の銃眼付壁角塔で鉄皮であった。
 ムコウミズ塔 Malefiz Turm 円型、ムコウミズの犯罪の償いの場所。ロマネスクの円
   形装飾帯があり壁厚1.1mで円錐屋根の形は、現代に修復された。
 湯沸・雄鶏塔 Kessler oder Goeckels Turm 基礎壁は復元された角塔、
   銅細工組合から名前が付いた。ここで罪人は監禁された。

4.見所  B

   上り詰めた山頂に市壁に囲まれた小さな町があり、古い建物が多く残って
   いる。休日でも観光案内所で観光案内書を取れる。
 旧市庁舎 Altees Rathaus (1504) 昔の市庁舎の場所に建てられ、ゴシック
   の正門を入ると元の市場がある。2階はダンス会場、3階はルネッサンス装飾の参事会
   場がある。1603豪華に飾られた正門と格間天井が加えられた。1992-93改修さ
   れ、1994から市と郷土の図書館が入った。
 ホーエンローエ居住宮殿 Hohenlohisches Residenz schloss (1611-16) 古い教
   階参事会員の家の場所に、初めのルネッサンス宮殿が建てられ、ホーエンローエ家の未亡人
   が住んだ。その後居住宮殿として増改築され、1961町は庭園を含めて取得し
   1975行政のため内部の広範な更新が行われた。
 宮殿庭園 HofGarten (1712) 領主フリードリッヒ2世は、市壁との間を買って
   バロックの庭園を設計・建設した。1787英国風庭園に改造された。1961町の所有
   となり、南の端に竹・紅葉・ツツジが植えられた日本庭園がある。
 司教区教会 Stifts Kirche (1020) エーリンゲン侯爵家は教区教会建てて、
   レーゲンスブルク司教区に譲渡した。今日の後期ゴシックの建物は、1451地下室、1454
   聖歌隊席・1465両塔・1485-1500身廊は階段付3廊、1860今日の祭壇・洗礼盤・説
   教壇を仕上げた。Blas塔は教会塔と見張塔と公文書塔を兼ねた。
 ホーエンローエ家衛兵所 Hohenroh Wach 大きな宮殿には100人以上の雇い人が居
   り、加えて100人の軽騎兵と選抜歩兵が居た。
 小宮殿 Palais 領主の建物は、夏の離宮としてバルコニィの手摺に紋章を付け
   別館と公園施設と共に建てられた。
 ホフイエーガー館 Hofjaeger haus (1578) 美しい3階建ての木組みの家は、
   ホフイエーガー王家の一時的な住居であり、1986の改修された。
 古い町 Alt Rtadt (14c) ホーエンローエ養老院は1370に円型の壁と楕円形の通路
   のある郊外地として成立した。中には、1370養老院・1376養老院教会・14c病院が
   あり、周壁には5塔が立つ。  車博物館 Motor Museum 1948-60の車とバイクのコレクションを展示。
 海事博物館 Meere Museum 1981からの個人コレクションを基に、美しい紫貝
   ・サンゴ・蝸牛・カニなど2千点の色や形が見られる。
 塔博物館 Turm Museum (1991) 元見張塔と記録塔に塔の歴史と生活を展示。

5.写真

旧市庁舎 上門
市民塔 東壁
北壁 西壁
南壁 穀物庫
宮殿 市庁舎
木組家 中門
宮殿 宮殿

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オットーボイレン Ottobeuren BW106

1.歴史

  550 村に修道院の設立、        476 ベネディクト・オットーボイレン修道院の設立、
  972 オットー1世はオットー帝国修道院に格上、   1152 修道院は火災後に再建された、
 1365 修道院は独立性を失いアウグスブルク教区へ、 1558 ロマネスクからルネッサンスの教会へ、
 17c  30年戦争で略奪その後帝国直属となり、   1711 バロック修道院の建設開始、
 1737-66 大規模な大聖堂を建てた、 1802 世俗化で修道院はバイエルンへ移り存続、
 1834 ルードヴィッヒ1世の下でアウグスブルク聖シュテファン修道院の分院となった、
 1918 修道院は独立して元の地位を回復、       1964 大改修が行われた、
   市場町オットーボイレンの歴史は、修道院に連動した。 世俗化で市場の教区とした後
   教区教会聖ペテロは閉鎖された。

2.市壁 

   町を守る市壁はないが、修道院を囲むKlosterMauerは1.54kmもある。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  A

   アルゴイの山々を背景に、ドイツバロックの頂点にある大聖堂が丘の上に聳える。
 修道院大聖堂 (1746) ドイツ最大の身廊の高さ90m、塔の高さ82m、翼廊の高さ90
   m幅60mに達する規模である。双塔の北側からの入口を入った内部空間は、驚
   くほど明るく、色彩は調和がとれたハーフトーンである。内陣には12cのキリスト像
   が安置され、主祭壇は三位一体の栄光に捧られた。1764クルミの木で作られ
   た聖職者席は、1766内陣のオルガンと調和している。
 修道院の建物 (1711-31) 修道院長館には、皇帝の間など豪華な広間があり、壮麗
   な図書館と劇場がある。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
ヴェネディクト修道院 北入口
東北壁 東北壁

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プフォルツハイム Pforzheim BW107

1.歴史

 1067 この集落は皇帝ヘンリー4世の文書に言及、    1080 市場権の授与、
 1150 900m西に新町を築いた、     1200 旧・新町を含む都市権の文書、
 1220 新町に宮殿の建設、       13-14C 市壁.市門.塔による防御、
 14-15C 活発な金融活動で最盛期、    1535-65 バーデン辺境伯の居住地、
 1618-48 30年戦争で旧町は壊滅、    1677-89 仏軍に3回も占領で略奪、
 1718 金.銀.宝石.時計の産業が興る、       1767 宝石工場の開設、
 1803 バーデン大公国の支配、    1945 第2次大戦の爆撃で町の98%壊滅。

2.市壁  0.10km 0.05

   市壁が残るのは、城山のLeitgast塔・城教会公園50m・白家広場・市劇場の
  南10mの4箇所である。

3.塔  0門1塔

  LeitgastTurm (13-14c)城教会の南西に立っている。この最後の塔は中世の
   城と町を守るために見張り塔として建てられた。
    13-14Cのスタウヘン時代に最初は町側が開いた鉄板張り塔であった。
   戦後の早期に居住塔に改造された。

4.見所  B

   1945の爆撃後に歴史的建造物で復元されたのは、城教会・工事監督聖歌隊席・塔・
  公文書館の4箇所である。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1471建、初めはデパートを市庁舎としたが、1945に全壊
   し、マルクト広場に1911-12に新市庁舎を建てて旧市庁舎と主張した。
 公文書館 Archivbau 18C以降に少しずつ造られた施設は、隣接する王宮から離れ
   て一つの建物の残りとして城教会の北に再建された。2階の搭上には駐在員事務
   所があり、地階には城教会の再建につての説明がある。
 城と司教区教会 Schloss&StiftsKirche 12c建、宮殿の聖ミカエル教会は、歴史的な記
   念碑であり現在の建物は複雑な歴史を持っており、西の建物の最古の部分は12c
   でありアーチ型の門はロマネスクである。
 聖マーチン教会 AltStadtKirche St.Maritin 6-7C建、古い新教の教会、古いフランク時代
   の教会はローマの建物を基礎としている。今の外観は1948-53の再建であり、塔は
   単一の6階建であり、ネオクラシックのホール教会の中には古い建物の痕跡が見られる。
 工事監督教会 BarfuesserKirche 1280建、城の西にあり初期ゴシックに1945-57に
   修復された。1280に建てられたフランシスコ教会に始まり、1689に大々的に改修され
   18Cに残っていた内陣はフランス改革派のものである。後でカソリックの教会に改修され
   ても使われた。
 城址 BurgruineLiebeneck 12C建、城址へは急傾斜の登り坂の後に谷を屈曲して
   達する。城址は、城の突出部の上に森に隠されて起立している。1263の城は
   バーデン辺境伯に属した。1692に戦争で燃え尽き、その際に貴重なプフォルツハイム公
   文書は焼失した。防御施設は二重壁の八角形である。
 宝石博物館 SchmuckMuseum 5千年のオリジナルと西洋の宝石の歴史を展示。
 町博物館 StadtMuseum 11Cの新町の誕生から、破壊の1945までを展示。
 燕の館 VillaRustica ハーゲン射撃の北西に、1966-75に取囲む壁の基礎とローマ宿屋
   湯屋を取除いて復元した。見物は無料で近づき易い。

5.写真

ライトガスト塔 北壁
南壁

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プフレンドルフ Pfullendorf BW108

1.歴史

 11C末 領主に最初の言及、          1220 フリードリッヒ2世は町に昇格、
 1383 ギルド憲章を定めた、1803迄続く、     1415 評議会は最高裁を置く、
 1328-37 未亡人の居住場所、             1339 都市として言及、
 17-18C 農民一揆.39年戦争.仏革命.ペストがあり、   代償を払って破壊は防いだ、
 1803 バーデン大公国となり1936まで郡庁、1936 ユーバーリンゲン、1973ジグマリンゲン、
 1944-45 2次大戦での空爆被害大。

2.市壁  0km 

   見当たらない。

3.塔 1門0塔

 上門 OberesTor 美しい白色の二重門。前門は2円塔をアーチで繋ぎ、正門塔は高
   さ38mの展望台となっている。

4.見所  D

   斜面に広がる小さな町、坂の道に木組の町並がある。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1524建、帝国都市の高い尖塔のある建物、会議室は初
   期ルネッサンスのガラス絵で飾られている。
 聖ヤコブ教会 St.JakobusKirche 1480-81建、ゴシックの聖堂、1750にバロックに改装。
   内部の漆喰塗りの壁が美しい。
 町図書館 StadtBuecherai 1515建、研磨石で造られた3階建ての建物、今は、町
   の公共図書館。
 郷土博物館 HeimatMuseum 1499建、Bindhausは地階石積の上に3階建の木組が
   載っている。中には田舎の生活と手工芸美術の展示があり、昔の人がどのように
   働きどのように住んだかが分かる。
 古ライオンギャラリー Galarie AlterLoewen 元ビール醸造所であり、今は町立のギャラリーとして
   芸術の展示会がある。

5.写真

上門 中央通
マルクト広場 郷土博物館

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ラドルフツェル Radolfzell BW109

1.歴史

  826 ライフェナウ修道院の司教が礼拝堂と住居を設けた、1100 ラウヒェナウのアプト・
    ウルリッヒはハプスブルクの賛同を得て、特権のある交易の町を建設した、
 1267 アプト・アルブレヒトは市場・防衛・自治権を授与、1300大郡庁所在地の特権維持、
 1415 法王ヨハネス13世はコンスタンツからここに逃れた、1455 ハプスブルクの再支配下に、
 1506 王マクシミリアン1世は重罰裁判権を与えた、1525 農民軍は1万人で攻込んだ、
 1563 ハプスブルク皇帝フェルディナント1世が滞在、 1609 地主貴族ハンスは建物を贈った、
 1805まで その建物は集会と行政管理の場となった、1826 町の特産品はワイン、
 1870 ワイン畑は28haに及んだ。

2.市壁  0.17km 0.10

   14cに4市門のある市壁が建設された。今は東北の隅と東南の隅に残る。

3.塔 1門3塔

 上門 OberesTor (13c) 東側に4小塔付の尖塔を持つ高さ14mの角塔で1870に改修
   された。
 火薬塔 Purver Turm (13c) 東南の公園内にある円塔で1860の鉄道建設に生き残っ
   た。円錐屋根に3銃眼がある。塔壁には鉄環があり、昔はボートを係留。
 地獄塔 Hoell Turm (13c) 東北の角に立つテント屋根の大きな円塔で、1896醸造所に
   なり、地獄が設立された。1984ショッピングセンターが開設された。
 防御塔 Schuetzen Turm (17c) おそれくは石壁の外側に、トレイ塔として1683-85に
   建てられた。塔の町側はオープンで階段や床が見えていたが、その後木製の壁が
   取り付けられた。18c末までは刑務所として使われた。1958からは地階は道路
   として使われている。

4.見所  C

   ボーデン湖北岸の小さな旧市街で、東側の緑地沿いに中世の防御施設が残る。
  町の中心には、大聖堂・市庁舎・宮殿などの重厚な建物がならぶ。
 市庁舎 Rathaus (1421) 古い市庁舎は1848に3階建に建て換えた。市庁舎には郡裁
   判所や市役所市場としても使われた。地階には昔ジャガイモと穀物の市場として
   オープンアーチがあったが、今は窓になっている。
 聖母大聖堂 Muenster Unserer Lieben Frau (826) ラードルフ司教ベローナによって創建さ
   れた。後期ロマネスクのバジリカを引き継いで、今の後期ゴシックの建物は1550に完成さ
   れた。聖職者の教区教会としてだけでなく、建築様式上も象徴的な公共建物で
   ある。
 騎士の家 Ritterschafts Haus (1427) 多くの貴族は、この町が良く防備を固めてい
   たため、第2の住所として選んだ。町は優遇し、1557から常設の会議場所を設
   け、シュバーベン騎士の徴兵区の中心であった。今は簡易裁判所である。
 オーストリア小宮殿 Oesterreishisches Schlosschen (1619) マルクト広場に孤立した抜群の
   建物であり、文化遺産として記念保護の観点でも意義がある。オーストリア侯爵レオポルド
   5世が1619に建て始めたが18cまで未完成で、果物穀物倉・ワイン貯蔵庫・倉庫を収
   容した。1734には市庁舎としても使われ、1980までは校舎であり、今町の図書
   館である。
 鍛冶屋路地 Schmieden gasse (12c) 1100-1267に実施された町の拡張で、周壁で
   囲まれて町の中心部に含められた。この通りには木組の家が多く幅の狭い家
   が並んでおり、7戸の鍛冶屋が定住していたためにこの名前がついた。
 町博物館 Stadt Museum inder Alten Stadt Apotheke (18c) 古い薬局の建物は、
   ビダーマイヤー時に造られた薬剤室で、桜材と柘植材で仕上げられ美しい。1906
   に町の博物館が創立され、2006からは、古い町の薬局に移された。

5.写真

市庁舎 地獄塔
防衛塔 北壁
東北壁 東南壁
南壁 聖母大聖堂

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ラスタット Rastatt BW110

1.歴史

 1084 ヒルザウ修道院文書に初言及、 14c 仏の侵略に対抗しラスタットに移り要塞化、
 1404 王ルプレヒトは市場の町へ昇格、  1689 プファルツ承継戦争で仏軍が町を破壊、
 1697 辺境伯ルードヴィッヒ・ヴィルヘルムは町を再建、      1699 狩の館を建設、
 1700 町は都市権を授与された、   1714 ラスタット和平でスペイン承継戦争の終結、
 1771 バーデン・バーデン辺境伯の王宮は残った、1773バーデン・デウアラッハへ領地は承継、
 1797-99 町で仏・墺・普の和平会談、1832 地区事務所は中ライン州に属し1847迄、
 1842-90 連邦要塞の建設、        1849 バーデンのラスタット駐屯地の反乱、
 1863 ラスタット地区事務所はバーデンバーデン郡に来て1938解消、1919 要塞の取壊し、
 1945 町は仏軍に降伏。

2.市壁  0.km  

   1842-90に連邦要塞の建設が行われ、堀に取囲まれた広大な近代要塞が出現
  した。1919堀や市壁の多くは取壊され石材は住宅に転用された。
   今日まで残されている要塞は、カールスルーエ門・ケラー門・軍病院・穀物倉庫・砲台・外側
  砦・リュネッツ42である。
 防弾病院 Garnisonszavett (1848-54) 連邦要塞の防弾病院として3階建て2翼の建
   物を建てた。1919軍用を終え、1939機動隊・老人ホーム、1940俘虜収容所、1945
   仏軍は外人労働者収容、1972難民・移民センター、1999州考古学博物館。
 穀物倉庫 Koerner Magasin (1854-57) 兵舎に3つの建物を穀物倉庫を建てた。19
   19軍用を終え、1958パン屋、1945仏軍が使用、1947仏軍のパン屋、食品庫、
   1997町が取得。
 ロッターベルク外側砦 Ausserfort am RoettererBerg (19c) ルードヴィッヒ砦のBの領域に属
   し、屋根の上の覆土はカムフラージュと砲撃保護を務めた。建物の上の碑文とレリーフは
   連邦要塞の歴史を示している。
 オーパーロイテ外側砦 Ausserfort am Oberreuth (19c) 旧ライン川に近い東の橋頭保だった。
 砲台 Kasematten (1845) 砲台は地下の守られた空間に置かれている。1849プロイセン
   軍はラスタット要塞を砲撃した際に、住民の避難場所になった。
 扇状稜堡 Luenette42 (1875) ロッターベルク要塞のこの建物は、30cmの厚い覆いの火薬
   庫として建てられ、1896改造して壁の中に火薬工場を造った。1909町は建物を
   買って、1957文化財に指定した。1982修復を行って障碍者学校を収容した。
 防衛施設 Basten27 (19c) カールスルーエ門の近くにあり、地下防御施設を見学できる。

3.塔  4門1塔

   要塞の2主門(カールスルーエ・ケール)は今も残っている。副門としての3門(北・西・
  南東)は残っていない。
 カールスルーエ門 Karlsurher Tor (19c) 北東 旧要塞の主要門で方形三連の塔で、中央が通
   路となっている。ネオゴシックの狭間胸壁と小塔が上部にある。
 ケール門 Kehler Tor (19c) 南 同上。
 博物館門 Museum Tor (1705) ロッシ門とも呼ばれ、市街と宮廷庭園との間に立つ。中
   央の通路の両側に窓付きの壁がある。
 旧ライン門 Ehem.Rein Tor (19c) 1849ここから今のラインナウの方向に、包囲された革命家
   は脱走を企てた。
 配水塔 Wasser turm (1901) 高さ22m・容量700m3の給水塔で町の目印。

4.見所  B

   バーデン辺境伯ルードヴィッヒは、18c初めルイ14世に対抗してラスタットの町を要塞化し
  城を築いて転居した。バロックの王宮は見事である。
 市庁舎 Rathaus (1716-21) 1750後方への増築を行った。5軸の広い切妻は広場に
   向けられ、地階はアーケードで開かれた広間があったが壁が付けられた。1899新し
   い市庁舎別館が造られ、1979建物内部の改造が行われた。
 バロックの王宮 Barock Residenz (1699) バーデン辺境伯ルードヴィッヒ・ヴィルヘルムは伊の建築
   家を使ってヴェルサイユ宮殿を目指してバロック大宮殿を建設し、1705未完成部はあっ
   たが家族を居住させた。19c要塞司令部が宮殿に置かれた。今はドイツ史・軍事
   博物館とバーデン戦争・自由博物館となり、内部は復元されて素晴らしい。
   中には、オスマン軍戦勝記念品・先祖の壁画などがある。
 お気に入り宮殿 Schloss Favorite (1710-11) 夏の離宮として印象的な前面は花崗
   岩の模様で飾られ、中はバロックの贅沢な輝きに満ちている。貴重な中国と欧州
   の磁器や陶器・チェコグラスなどのコレクションが見られる。
 宮殿教会 schloss Kirche (1719-23) ミカエル・ルードヴィッヒ・ローラ辺境伯夫人の墓を置くた
   め聖十字架教会を建てた。1771バーデン家の絶滅後、教会学校
   なった。
 パゴダ城 Pagoden burg (1722) ミカエル・ルードヴィッヒ・ローラ辺境伯夫人は、ニンフェンブルク公
   園パゴダ城をまねて建て、辺境伯家族のティーハウスとして使われた。今は郷土芸術
   家の展示会場になっている。
 果物会館 Frucht halle (1852-58) 機能的な倉庫として建てられ、1945バーデン芸術
   の町の展示場であり、地上階にはアイスクリームパーラーがある。
 聖ベルンハルト教会 St.Bernhardus Kirche (1207) 古いゴシックの教区教会で17cの戦乱で
   損傷を受け老朽化した。1771バーデン辺境伯ベルンハルトによる改修の後に19cまで
   墓地礼拝堂として使われた。
 聖アレクサンダー市教会 Stadt Kirche St.Alexander (1756-64) カトリック教会の基礎の上に市
   民によって建てられた。教会の前庭にヨハン・ペーター・エルンスト・ローラの墓碑がある。赤砂
   岩で造られ単棟の簡素な前面を持つ。
 新教市教会 Ev.Stadt KIrche (1702-14) 旧フランシスコ会修道院の教会であり基石には17
   02の年号があり、1717にはマリア無原罪憶胎教会が奉献された。1805世俗化され
   修道院教会は競売に付された。1866事務所、旧修道院の建物管理を行い、1907
   新教の教区教会となった。バロックの華麗な装飾の十字架がある。
 町博物館 Stadt Museum 旧貴族の家Kavaliers Hausは鳥の家と呼ばれた。地方と町の
   歴史・特別な王宮の時代・改革の時代の収集物を展示。

5.写真

パゴデン城 王宮

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ラーヴェンスブルク Ravensburg BW111

1.歴史

 1050 最初の城を築いた、        1188 帝国自由都市となる1803迄、
 1273 城は帝国が所有した、     1330-70 都市を拡張して下の町を囲った、
 1634 30年戦争でスエーデン軍に城を壊された、  1803 バイエルンに授与、
 1816 ヴィッテンブルク州に帰属、        1945 2次大戦の被害は免れた。

2.市壁  0.93km 0.40

  11Cに上の町の市壁を建設し、1230-70に下の町の要塞を築き上下の町の間
  の市壁を取り壊した。19Cに鉄道駅のために市壁は使われた。今は北側から西側
  など各所に市壁が残されている。

3.塔  4門7塔

  多くの中世の門と塔が残っている。
 女門塔 FrauenTorTurm 北門、1982に燃え落ちたが再建。
 ケストリウスウ門 KaestliusTor 1350建、南門、1942に取り壊された。
 上門 OberTor 1431-32建、東門、上町の最古の門、高さ42mの四角塔に
   山形屋根。時計は1618に取り付けた。
 下門 UnterTor 1363建、西門、下町の門、高さ30mの四角塔に山形屋根。
 塗装塔 GemalterTurm 15C建、北西隅、手の込んだ装飾絵画。1986改修。
 緑塔 GruenerTurm 15C建、東、下町の北東角、建物で北門と繋がる。緑
   色の屋根タイルから名前が付いた。
 計量所と泡塔 Waaghaus&BlaserTurm 14C中建、計量所と51mの塔は、町
   が下町に拡大する前の市壁の塔であった。中央塔として残されたが倒壊
   し、1553-56にルネッサンスの塔を新築した。
 シュリンゲン山塔 SchellingenTurum 14C建、上町の東角の塔、落雷や火災が
     続き一部壊れている。17Cに廃墟となった。猫女塔とも呼ばれる。
 円塔 RunderTurm 14C建、市壁の中にある円塔。
 粉袋塔  1425建、南、高さ51mの細長い白い円塔。市民が丘の上の城を見
   張るために築いた。夏の10-14時に登れる。
 病院塔 SpitalTurm 14C建、西、豚塔SauTurmとも言う。下町の南西角の
   高さ44mの四角塔。病院が近いためこの名前が付いた。1993に改修。

4.見所  B

   塔が林立する長四角い壁跡に囲まれた広く古い町であり、中心のマルクトには市
   庁舎と泡塔からなる一連の古い建物が見える。
 市庁舎 Rathaus 1386建、市民の家として建てられ、1581から市長執務室
   となった。
 聖母教会 LiebFrauenKirche 14C建、有名な15C聖母像が右側の脇祭壇に
   ある。像の本物はベルリンの美術館に保存。今の建物は全く建て直されている。
 町教会 Stadtkirche 1360建、南 塔は1844に付加。
 カソリック教会 KatholischeKirche 14C建、北 15Cに拡大。
 古い家 LederHaus 1513-14建、1574にルネッサンスに改築。靴屋.馬具職人.
  毛皮商人の同業組合が使った。前面は1907と1970に補修された。
 穀物会館 KornHaus 1452建、南 穀物会館として建てられた。
 バーク館 WaagHaus 1498建、中 繊維取引所として建てられた。

5.写真

市庁舎 緑塔
女門塔 吹奏塔・計量所
市庁舎 緑塔
上塔 小麦粉袋
下門 病院塔
塗装屋塔 北壁・塔
東壁・塔 南西壁
西南壁 東南壁

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ロイトリンゲン Reutlingen BW112

1.歴史

 1030 エギノ伯爵は丘の上に城を築く、 1089 ツバーハルテン修道院契約文書に初言及、
 1180 皇帝バルバロッサは市場権を授与、1220-40 フリードリッヒ2世は壁・堀・塔で町を守る、
 1247 国王ラスペは町を包囲したが撤退、 1262 自由帝国都市の地位から排除され、
 1262 ヴェルテンブルク伯爵ウルリッヒに入質、   1337 皇帝ルードビッヒ4世は上級裁判権を、
 1343 帝国都市の憲法で手工業者は決議権を得た、1377伯爵ウルリッヒの騎士団が勝利、
 14-15c 帝国自由都市として周辺を統治、1505 ヴュテンブルクの51年間保護条約締結、
 1519 公爵ウルリッヒは町を奇襲して占領、  1524 宗教改革の導入、
 1618-48 30年戦争の略奪と宿営で被害、 1726 大火事で3日間燃え続けた、
 1802 ナポレオン戦争で自由帝国都市を失い、ヴュルテンブルクのロイトリンゲン郡に属した、
 1939-45 4回の空爆で3460戸が破壊された。

2.市壁  0.28km 0.11

   13c初に砂岩を使って背中切石積立工法で建てられ、市壁の前面には水で満た
  された堀で守られ、壁上通路があった。市壁はオーク材の木枠の上に浮かせて、高
  さ8m厚さ1.5m全長1.32kmであった。19c初から拡張する市域の犠牲になった。

3.塔  2門2塔

   始めの市壁には、上下2市門と7防御塔があった。
 庭門 Garten tor (1392) 3階建ての角塔で、門は閉じられていた。
   1822以降、庭への通路の出入り口となった。
 チュービンゲン門 Tuebinger Tor (13c) 唯一残された市門で、木組の上部工は
   1330に付けられた。外側の第3間道に後期ゴシックの磔刑の群像がある。
 氷塔 Eis Turm (1874) ツインガー壁の円塔で、1874町の氷室として建てた。
 カッセル塔 Kassel turm (13c) ツインガー部の主壁にある円塔で見張に使った。

4.見所  C

   旧市街には、帝国自由都市の石造の大きな建物と古い木組の建物が混在
   している。ギネスブック登録の世界で最も狭い通り(幅31cm)がある。
 市庁舎 Rathaus (1962-66) 二つの行政翼を同じ主翼に添えて、市庁舎複
   合体の建物を構成している。町を象徴する彫像が1972-86に建てられた。
 聖マリエン教会 St.Marien Kirche (1247) 1249包囲を凌いだ感謝として、
   市民はマリエン教会を建てた。ゴシックのバジリカであるが後陣は後期ロマネスクである。
   1343の高さ71mの西塔には、天使の金メッキ彫像がある。1726の大火災で損傷し
   した。1893-1901ネオゴシックシックの再建が行われた。1988この教会は文化遺産に。
 聖ニコライ教会 St.Nikolai kirche (1358) 礼拝堂として奉献された。1914
   守護聖人の彫像が内陣にある。
 町使用人の家 Stadtmanner haeuser (18c) Jos-Weip通りに沿って
   ツヴィンガー壁を家の壁に組込んでいる。
 ツヴィンガー Zwinger (13c) 中世の要塞の一部として、市壁と上流のツヴィン
   ガー壁との間の自遊空間である。ここでは1818の取壊しの後に、見張塔のある
   主壁と共に円塔のあるツヴィガー壁が残されている。
 世界で最も狭い通り Eugste Strasse der Welt (1726) シュプロイヤー・ホフ通り
   は、2007ギネスブックに世界で最も狭い通りとして登録された。最も狭い地点で
   は僅か31cmの幅である。1726の大火災後に建設された。通りの名前シュプロイヤー
   ・ホフは病院のための穀物倉庫である。
 郷土博物館 Heimat museum 旧修道院の看護所と中世の牧師館に収容され
   ている。13c石造の家と16c木組の家は18cに一つの大きな切妻屋根に統合され
   た。19cにはヴュルテンブルクの郡庁の場所であった。1939に郷土博物館となった。
   1996に再開された庭園には、石碑と後期ゴシックの礼拝堂がある。

5.写真

チューリンゲン門 庭門
アイス塔 カッセル塔
東南壁 東南壁
南西壁 マリエン教会

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リートリンゲン Riedlingen BW113

1.歴史

  835 この場所の初文書言及、 1255 伯爵ヴェルハラートが創設し町と呼ばれた、
 1291 リーディンゲン伯爵はハプスブルクに売った、その後3回入質された。
 1384-1680 バルトブルクの従者の頭に入質、 この入質で町の特権は侵害された、
 1585-1604 魔女裁判により3名が処刑された、  1680 入質から町を解放し、
 1680 ハプスブルク家が直接管理下に置いた、  1938 町はザウルガウ郡に属した、
 1973 郡の再編でビ゙ーバーアッハ郡になった。

2.市壁  0.28km 0.50

   14c二重の市壁は北と東を守っていた。今は西側のガルテン通トヴァイラー門通と、
  東側ののツバイファルター門通付近に残っている。

3.塔  1門1塔

  かっての市壁には、3市門と12壁塔と内部戸があった。
 ツヴィーファルター門 Zwiefalter tor (1363) 聖ミカエル教会と納骨堂は元々は墓地の礼拝
   堂であったが、1787に墓地と共に町の外に移転し1804大火の後に新しい
   道が貫通した。
 独房塔 Zellemees Turm (15c) 中世の防御円塔で、かっては刑務所として使わ
   れた。

4.見所  D

   ドナウ川沿いの小さな町で、バロックの木組の家が多く残っている。
 市庁舎 Rathaus (1520) 階段切妻造で建てられ、旧穀物市場と百貨店であり、
   貯蔵と取引に使われた。1812から市庁舎として使われた。
 旧聖霊養老院 Ehem.Spital zum Hl.Geist (1378) 主な建物は15cに建てられ、
   釣鐘切妻・執務室・1378寄付の旧管理所がある。19c中までは養老院・病院・
   擁護所として使われ、今は町の美術館だる。
 聖ゲオルク教会 St.Georgs kirche (1300) 最も古い建物の部分は1300であり
   1486に拡張された。内陣は多くの改造が行われ、1960にも改修された。
 町の溝 Stadt graben (14c) 二重切妻と精霊養老院の鐘楼が眺められ、創設の
   町と独立農家との接合部に円塔が在る。塔のある市壁は14cに建設された。
 ヴァイラー門道 Weilertor weg (13c) 角の家は昔は死刑執行人の借家だった。14c
   の市壁があり、この道はカエルの水たまりに導く。
 木組の家 Fachwerkhaus zum Greifon (17c) 混合アレマン・フランコニアの木組の家は、
   場として使われた。地階は石造、上2階は木造で切妻のある建物。18cに
   酒はあ所有者の紋章が付けられた。
 美しい小道博物館 Museum Schoenestiege (1556) 外側に階段のある角の市
   民の家、今は町の博物館。

5.写真

市庁舎
門塔 聖ゲオルク教会

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ローゼンフェルト Rosenfeld  BW114

1.歴史

 13C 貴族テックは町を創設し市場と壁を設けた、    1255最初の文書言及、
 1317 町の所有はテックからビュルテンブルクの侯爵へ、 1317-1808上級代官所設置、
 14C 町は強力な要塞に拡大された、  1499 エルンスト伯と結婚したウイスラ生誕、
 1534 州内はプロテスタントであった       1618-48 30年戦争で人口半減、
 1534 仏軍の占領で帝国自由都市の終了、    1815 プロイセン王国に帰属、
 1868 大火で45戸も焼失、         1938 1次大戦は無傷で過ぎた。

2.市壁  0.003km 0.01

  街の北側の旧薬局AlteApothekeの西に、3Mの市壁が銘板付きで残されている。

3.塔  0門0塔

 見当たらない。

4.見所  D

   小高い丘の上の小さな町であり、古い木組の家が見られる。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1687建、会議室は今結婚式の宴会場である。
 市庁舎 Rathaus 16C建、町の中心にある美しい木造の建物。1976から都市行政が
   行われている。ローマ浴場の跡が出土して、見られる。
 新教町教会 Ev.StadtKirche 15C建、前庭の噴水が特徴的、町の入口にありホール式
   教会で、2階建の玄関ホールがある。
 簡易郵便局戸口 PostagenTur 町の東の入口南にある。
 ビッケル博物館 HeinrichBickleMuseum 1581建の緊急時に備えた大穀物倉庫FrachtKa
   stenの中に博物館があり、130のストーブの蓋が展示されている。
 旧薬局 AlteApotheke 1244建、南ドイツに現存する最古の石造薬局
 旧鞣し屋 AlteGerbe 北 鋳鉄製の噴水のある特徴的な建物。

5.写真

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ロッテンブルク Rottenburg BW115

1.歴史

 260 ローマはアルマン族に敗れた。   1170 ホーエンベルクは塔と城を築き記録された、
 1276 ホーエンベルクはカルメル会修道院に町を寄付、 1280 新しい町は壁で囲まれた、
 1381 ホーエンベルク伯は墺に町を売った、 1618-48 30年戦争の略奪と疫病で衰退、
 1644 大火で556戸焼失、        1735 大火で464戸焼失、
 1792-95 仏革命軍と戦う、       1806 ヴィッテンブルク州の郡となった、
 1835 ホップ生産増、地元ビ-ル醸造所増、  1938 テュービンゲンの一部となる、
 1945 2次大戦の被害は少なかった。

2.市壁  0.24km 0.19

   三角形の旧市街地の東側StadtGrabenに190mと、西北側BurgGrabenに50mの
  市壁が残っている。

3.塔  2門3塔

 カルクバイラー門 KalkweilerTor 14C建、郊外の病院建設の際に造られ、この
   門は通れる。5階建ての門の外装や木材は補修されている。隣の塔迄壁上
   通路を持ち、1968迄人が住んでいた。
 カペティナー門 KapezinerTor 14C建、南西の門の内側は木組である。1617に
   カプチン会の修道院がが創立される前はジュピター門と呼ばれた。
 ガイスホルツ>門 GaisholzTurm 東。
 火薬塔 PulverTurm 南。
 円ツインガー塔 RundZwingerTurm 14C建、死刑執行人の住居となっていた。

4.見所  B

   北西が高く南に低い旧市街地であり、中央部の低いところに川が流れる。昔
  は川の南まで市壁で囲まれていたが、見所は川の北側です。
 市庁舎 Rathaus 1427-28建、最初の建物はその後建て直され、大火の後
   4回目の市庁舎として1735にバロックの微細な建物となった。 マルクトの噴水は、
   1487にゴシックで造られ、1911に今のものが造られ、古いものは聖モーリッツ教会
   で保管している。その他市内各所に特徴のある噴水がある。
 聖マーチン大聖堂 Dom St.Martin 12C建、初めは聖母礼拝堂として建てられ15
   C末に教区教会聖マーチンとなり、1828からは司教教会堂となった。1644には
   火事で身廊が壊れ1655に再建され、塔は1486-91に後期ゴシックで建てられた。
 聖モーリッツ教会 Kath.St.MorizKirche 1300-1433建、初めの聖モーリッツ修道院教
   会へ1433に塔が置かれ、内部に14Cのゴシックフレスコ壁画、ホーエンベルク家墓碑。
 教区博物館 DiozosanMuseum 1281建、1644と1735の火災後再建されて、
   1806神学校として使われた。中世とバロックの宗教美術と金銀製品・ガラス・
   貴重な織物が展示されている。
 ローマ町博物館 RomStadtMuseum 古代都市Sumelecennasの出土品の展示。
   ローマ時代の日常生活と公衆便所の復元が見られる。
 十分の一穀物倉文化館 KulturVereinZentscheuer 1645建、墺の十分の一
   税の穀物倉庫であったが、修復後1983から博物館。現代美術.写真.民俗
   学の展示、音楽ホールとして使われている。
 司教宮殿 BischoeflichesPalais 1657-58建、ホーエンブルク男爵が造った。1661
   -1773にギムナジュウムのあるキリスト教カレッジ、1806からビュッテンブルクの当局が使
   用、1821には司教区の行政庁となった。
 聖霊病院 Spital zum Hl.Gaist 1361建、1560-61に建て替えられた。上層
   階は1735の火災後に再建され、老人養護施設として使われている。

5.写真

市庁舎 北壁
東北内壁 ガイスホルツ塔
東南壁 東南壁
北壁塔

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ロットヴァイル Rottweil BW116

1.歴史

  73 バーデンビュ゙ルテンブルクで唯一のローマ都市、   771 行政の中心都市として言及、
 1190 ホーエンシュタウヘンは旧市街地を設立、       1320 ゴシック礼拝堂教会の設立、
 1378 ギルドの代表を市長に選出、           1334 帝国都市の開発、
 1463 スイス連邦に参加、           1633 ヴィッテンベルクは包囲して征服、
 1759 帝国自由都市、          1802 ヴィッテンベルクは帝国都市を占領、
 1824 塔門の解体、                 1945 空爆による被害。

2.市壁  0.140km 0.08

    旧市壁は、町の北東の角PulverTurmの北側70m、東側に35m+35mが残る。

3.塔  1門2塔

    高い塔・火薬塔・説教塔の一部・黒い塔が残り、高橋塔とFloettlins塔は1824に
  壊された。
 黒い門 SchwarzTor 1230建、西 門塔の下の部分は浮彫の切石で、ホーエンシュタウヘンの
   防御施設として建てられた。1600に3階部分を上にのせた。上階には囚人の小部屋
   があった。塔の外側の前面には、時計・市紋章・4つの樋矢のライオンがある。
 火薬塔 PulverTurm 13C建、北東 市壁の半円塔、火薬を製造した町の製粉所の貯
   蔵庫として帝国自由都市時代に使われた。
 高い門 HochTurm 13C建、西 町の最高点に見張りと監獄の塔として建てられた。
   西の最も危険な町を守るための防衛三角形の頂点を形成している。1556に高さ30.
   8mで幅9.2mの四角塔となり、外側の壁厚は3.5mであった。その後、塔は継ぎ足さ
   れ高さは54mに伸びた。

4.見所  B

    賑やかなHaupt通りには立派な建物が並び、パラソルと椅子が随所に置かれ
   ている。旧市街に四つも教会が集まっている。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1321建、1521に後期ゴシックの6列窓の正面になった。円アーチ
   の入口の上に縁取り窓とキリスト教の博愛と市民の公共心の象徴がある。中には石造の
   天蓋がある裁判部屋、1521の格間天井の参事会広間、1.62mの陶製ストーブ、描か
   れた窓ガラス、出窓の上の重々しいアーチがある。
 聖十字架大聖堂 HeiligKreuzMuenster 12C建、後期ロマネスクのバジリカは帝国自由都市
   時代に着工され、1230に3階建てとなり、1810から半円アーチの入口のある傾いた
   塔が付いた。この大聖堂は町の自然の傾斜に合わせて修正された。15cにゴシックに
   改築され、1430聖器室と内陣、1497-1513に三身廊を建設、17cにバロク化され1843
   に再ゴシック化された。
 礼拝堂教会 KappellenKirche 1320建、巡礼教会の場所に建てられ、1727-33にバッロ
   ク化され、1993に改修された。塔は12m×12mの側面階段付きの4階建だったが、1
   473に二つの八角の上階が8mずつ後期ゴシックで継足され70mの高さとなった。
 ロレンツ礼拝堂 LorenzKapelle 1580建、後期ゴシックの墓地礼拝堂として建てられ、1832
   迄墓地教会が続き、1851に後期ゴシックの木彫り木彫りと絵画を集め、1992から石工
   芸術の博物館となった。
 ドミニカン教会 DominikanerKirche 1268建、ゴシックの托鉢修道会教会として建られた。
   1802に市壁と教会の間に修道院が造られ、1827からカソリックの国民学校で使われた。
   
 ドミニカン博物館 DominikanerMuseum ローマ時代、中世宗教芸術、現代芸術の三部門で成
   っている。
 町博物館 StadtMuseum 町の歴史やキリスト生誕図を展示。来ている。

5.写真

旧市庁舎 マルクト広場
シュバルツ門 火薬塔
高塔 水塔

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シェアー Scheer BW117

1.歴史

 11c 城が築かれ集落が発生、 1181 皇帝ルドルフはプファルツ伯の下に司教を領主へ、
 1267 ルドルフ3世は町を引継いだ、      1289 皇帝ルドルフは都市権を確認、
 1425 町はヴァルデブルク家に落ち、居所と郡行政の中心になった、
 1447-52 騎士スタインが城の領主へ、     1485-96 城は今の形に再建された、
 16-17c 農民戦争や30年戦争で混乱、 1612-52 スチュワート・ウイリアム・ヘンリーが町を管理、
 1786 トウルン・タクシス侯爵カール・アンカレクが郡を引き継ぎ発展させた、
 1806 町はヴィッテンベルク州に帰属した。

2.市壁  0.26km 0.37

   ドナウ川沿いに突出した山脈の頂上にある城と教会の下に、小さな集落があ
  り230m×130mの長方形の市壁で囲まれていた。
  市壁は、南西斜面・西山頂・西北斜面にいくらか残っている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

 市庁舎 Rathaus () 国道32号が東から南に直角に曲がる角に、国道に接してL字
   型の大きな建物。
 シェアー城 Schloss Scheer (15c) ゾネンベルク家のアントレアスは山の上に城を築いた。1452バ
   ルデブルク家が支配し、1505城は南下堀と跳橋で守れらた。1561-65ヴァルデブルク
   家のヴィルヘルムは北翼を西側に拡張し、衛兵所や刑務所とした。1786トウルン・タクシム
   家のカール・アンセルムに売却した。1805ヴュルテンベルク王国の支配となったが、トウルン
   ・タクシム家は1967まで城を所有した。
 ニコラス教会 Nikolaus Kirche (14c) ゴシックの教会は、14cニドナウ川の広いループ内の高
   台に建てられ、18cにロココ風に改装された。1707-75漆喰塗とフレスコ画が描かれた。
   2009塔内の鐘は6鐘に更新された。
 旧ヴァルトブルク事務所 Ehem.Waldburg Amt (1659) ドナウ川の東北の対岸にあるヴァルト
   ブルク家の役所で、4階建木造漆喰の建物で、アーチ天井のセラーがある。1854地下醸
   造所の貯蔵庫に改造され、20c後半迄使われた。2014町が購入。

5.写真

市庁舎 シェアー城
城壁 西壁

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シェルキンゲン Schelkingen BW118

1.歴史

 1127 城・修道院・村を兄弟が相続、  1200 ベルク伯エッヒンゲンが買収 市場権獲得、
 1234 町として認められた、   1343 ベルク伯は領土を墺アルブレヒト2世に売却、
 1346 墺公爵の資金不足でほとんどの期間質入れされた、
 1806 ヴュルテンベルク大公国の所有となった、門塔と市壁は取崩された
 1806 修道院シュタインゲデレは世俗化、  1995 米軍に開放され仏軍が管理した。

2.市壁  0.09km 0.10

   13c最初の市壁が築かれたが、19cには取崩された。市壁のオリジナル部分を家
  の外壁として残された部分や城近くに全高が残る部分や精霊病院近くに再建さ
  れた部分が見られる。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   静かな小さな町で、古い建物が多く残されている。北東部から再開発が始ま
  って更新されている。
 市庁舎 Rathaus (20c) 2階建木組地階オープンの古い姿であるが、ガラス多用の新しい
   建物である。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1450) 広いマルクト広場の中に、2階建の古い建物があり、19
   96から市立図書館になっている。
 聖心イエス教区教会 Pfarrkirche Herz Jesu (12c) 後期ゴシックの旧聖具室に1934新築さ
   れた。教会塔は5階建四角塔の上に2階建の八角塔が立っている。タマネギ帽子
   は1905に付けられた。
 聖アフラ礼拝堂 St.Afra Kapelle (1375) 旧市街地の端にある木造の教会で木札には12
   62の年号もある。聖アフラの壁画があり、古いのは1330-40、新しいのは16cに描
   かれた。
 旧精霊病院 Ehem.Heilige Gaist Spital (14c) ヴェルナウ領主の病院として建てられ、
   貧困者や病人のために使われた。1698町が所有して、老人ホームとなり、1989町
   の再開発に伴い東側は市壁として復元された。建物は町の歴史博物となった。
   地階は陶器・地階と2階は古生代からの地質学を含む町の歴史、3階となった。
   となった。4階は市民の集会場である。
 宿屋:太陽 Gasthaus Zur Sonne (14c) 最古の居酒屋と旅館、1724大改造と新築が
   行われた。

5.写真

市庁舎 市博物館
聖心イエス教会 旧精霊病院外壁
西壁

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シルタッハ Schiltach BW119

1.歴史

 1275 町を守るため市壁で囲った、     1271 ウスリンゲン公が町に来た、
 1194 ウスリンゲン公は町と城をヴルテンブルク伯に売却、1519-34帝都ロットバイルが占領、
 1810 までヴルテンブルク家が続いた。

2.市壁  0.04km 0.05

   HauptStrasseの木組の家の後ろは旧市街地の壁の上に配置されMuehlen
  GasseとSpitalStrasseの裏側も古い市壁の残りが見える。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   旧市街地のマルクト広場には市庁舎を中心に美しい12-3階の木組の家屋が並
  んでいる。また、城山通の坂や小川通にもきれいな木組みが続く。
 市庁舎 Rathaus 1593建、3階建ての石積の建物で、破風は2006に改修、地
   階は開かれたアーチとなっている。
 マルクト博物館 Museum am Markt 木組の3階建、13Cからの町の歴史と木材業
   について展示。
 薬局博物館 ApothekenMuseum 1985まで薬局として使われ、3階建木組の
   建物でビーダーマイヤー様式を示している。

5.写真

キンジッヒ川 ゲルバー通

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ショルンドルフ Schorndorf BW120

1.歴史

2-3c ローマ占領時代の入植地、     8-9c アレマン人の集落があった、
 1120-50 シュタウフェン家の支配、      1235 初文書言及、
 1250 ヴィッテンベルク家は町を拡張、    1262 防備を固めた町として初言及、
 14c 町をウッフデアザンド村へ拡大、    1634 帝国軍の砲撃で多くが焼失、
 1688 女達が要塞の降伏を防いだ、   1811-80土堤と市壁は殆ど取払らわれた、
 1834 発明家ダイムラーは小型ガソリンエンジンを発明。

2.市壁  0.095km 0.10

  1250に上の町は市壁が造られたが、下の町と教区教会は14c中に市壁に含ま
   れた。市壁が残っているのは、主として南側に点々と、時には建物の外壁と
   して残っている。

3.塔  0門2塔

   最初の市壁には18塔が在った。
 アルカー市壁塔 Stadtmauer Turm (14c) 当時の都市拡大時代の証人である。
   2階が張出し、住居として使われた。
 旧防衛塔 Ehem.Wehr Turm (14c) 昔は張出と呼ばれた。要塞建設後軍事
   的には不要となり、個人に貸され住居として使われた。

4.見所  B

   小さな旧市街には、上下マルクトを囲んで3階建ての木組みの立派な建物が立ち
   並んで見事である。
 市庁舎 Rathaus (1726-30) マルクトの中央に3階建てドイツバロックの建物で、屋
   根の上に鐘楼が乗っている。玄関の上に市の紋章と銘板があり、「この建物は
   神に捧げられショルンドルフの市庁舎は灰から92年後に立ち上がった」とある。
 旧狩の館 Ehem.Jagdschloss (1555) 代官事務所としても使われた。この
   農場は1634の大火にも残り、1775東翼は税務官の事務所として機能し、1810
   フリードリッヒは狩りの館として使い、1817営林署に貸した。今は税務署である。
 城塞 Burg Schloss (1538) 初めは堂々とした4円塔の水城であった。
   その後多額の出費で要塞が建てられ、1634の大火にも残った。塔の紋章と銘板
   ・中央入口の紋章と瀝青流し出し口には注目。18cには放牧場だった。
   1834-35 抜本的な改造をされて、今は簡易裁判所である。
 城稜堡 Schloss Bastion 昔の稜堡の基礎が残っている。
 旧施療院 Ehem.Spital (1430) 初め養老院と孤児院が設立され、1558今の
   建物が建てられ、1529に更新された。酪農場Meiereiは1440に建てられ、大火の
   後1685-88に再建された。18cMeiereiの標識が掲げられた。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1477) 3身廊のハレン教会として二つの内陣と一
   つの塔で構想され、1488塔が1501全体が完成した。1634大火で主内陣とマリエン内
   陣のみが残された。1651塔が1660身廊が改造された。
 壁の上の家 Haus auf der Mauer (1730) 魅力的な非対称の家で斜めに立
   ち、後壁は市壁の上に置かれた。2005漫画博物館ピッコロとなり、1950-70発行の
   漫画が置かれている。
 市壁の残り Stadtmauer Rest バラ通りに19cの取壊しを逃れて家の後壁と
   として残された。1980取壊しの後で整備されて市壁の残りは保存された。
 市博物館 Stadt Museum (1350) 昔のラテン学校は、1634火事で壊れ、1650
   地階石造2階木組みの今の建物になった。1938市博物館となり、地学・ローマ出土
   品・中世ギルド制・磁器・1769市庁舎での裁判室などの展示。
 上マルクト広場 OberMarkt Platz :17cの立派な木組みの家が並ぶ。
  旧パン亭 Ehem.Brot Laube (1660) 地階でパンが売られていた。1977に
   取り壊され、新築された。木組みの前面は古い木彫の木組みを再利用した。
  ガウプッシュ薬局 Gaupp'sch Apotheke (1663) 1634火事の後に1530の基礎
   の上に新築された裕福な市民の町屋として建てられ、1689薬局に貸された。
   後期ゴシックも窓枠はまだ見られる。1793拡張し改造された。
     パルム薬局 Palm'sche Apotheke (1660) 1533の地階の上に、魅力のある
   木組みの角地の家がまず建てられ、1696横の家が建てられ一体化された。
   1976-79全体的に老朽化し、木造構造を前面に使用して新築された。
  旧市長の家 Ehem.Wohnhaus der barbara Walch-Kuenkelin (1650)
   後に市長となった商人Kuenklinの住居。

5.写真

市庁舎 上マルクト
新教市教会 市壁塔
バラ通 東壁

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シュべービィシュゲミュント SchwaebischGmuend BW121

1.歴史

  782 アレマニア公国の修道院所有地の言及、1138-52 都市権を有した、
 1265 税関を守る城を築いた、      1396 町は火事で焼失、
 1599 疫病が大流行した、      1630 30年戦争でスエーデン軍が2度占領、
 17c ギルドの金銀工芸品・鎌の生産販売、  1730-70 都市文化の開花、
 1808 ヴュルテンブルクの領地で帝国自由都市終焉、1945 2次大戦の戦災は免れた。

2.市壁  0.13km 0.07

  中世の外側市壁は1350に築かれ、1396前面に堀を設け、1546外側市壁を更新
  した。19c町の近代化のために、多くの塔と壁は壊された。

3.塔  1門5塔

   中世には外側市壁に6門23塔が在ったが、今は6基が残り、塔裏は木張り。
 牛小川門 RinderBacher TorTurm (1410-20) 東南の外側の門塔で高さは35.5m
   あり、1601守衛詰所と石橋が付加された。正面の明るい石は1546の戦争
   での砲弾の跡である。1960に塔は修復された。
 五ノブ塔 EuenfKnopf Turm (15c) 西の外壁の高さ27mの塔で、1425内側
   のはめ込みと屋根トラスが造られ、屋根の上にノブのような小塔が付けられた。
   火事の警備員が1918まで住んでいた。
 王塔 Koenigs Turm (1405-07) 南東の外壁の39.9mの高塔で、1502に名
   付けられた。地下室は17-18cに魔女を含め女子の刑務所であった。
 水塔 Wasser Turm (1350) 東南の外壁の高さ26.8mの角塔で、最初の部分は
   1399-1400に補修され、1479-80屋根の建設が行われた.Hhoferdes Bacher
   は水塔のアーチを通って市内へ流れ込んでいる。
 スミード塔 Schmied Turm (1350) 東北の外壁の高さ32mの塔で、1498に地
   下室を備えた。1983-85に塔は東側に復元された。
 怪しい塔 Faul Turm (15c) 北の外壁の高さ20.3mの角塔で、1968に焼
   けて、1975に再建された。1952から聖ジョージのスカウトが使用している。

4.見所  C

   伝統的に貴金属加工の大きな町で、大きなマルクト広場を中心に多くの高塔が
   在るバロックの街が広がる。
 市庁舎 Rathaus (1523) マルクトの南に立ち、今の市庁舎は邸宅から生まれ
   1783-85に再建された。
 骨の家 Graet (1536) 市庁舎と並んで立つ古い木組みの家で、市庁舎・
   市長の座・百貨店と使われた。1536の地階と上階の上の木組の部分は新しい。
 行政事務所 Amtshaus 中世の病院であり、石造の地階の上にアラマン風木組
   の上階に切妻の3階が乗っていて事務所で使われた。今は町の図書館である。
 粉挽き病院 Spital Muehle (16c) 木組3階建の病院の跡で今は集会所。
 金銀細工専門学校 Arenhaus (1793) 石造3階建ての建物は、金銀細工の
   デザイン・装飾・設備などの専門学校で、作品は常設展示され、細工が出来る。
 聖ヨハネ教会 St.Johannis Kirche (1220-50) マルクトに立ツ教会で、高さ45m
   の塔があり、天国の階段と言われる階段を上がると展望が開ける。
 アウグスチン教会 Augustius Kirche (1284-85) 大聖堂の西に立ち、後期ゴシ
   ックが1756バロックに改装された。天井画に聖アウグスチヌスの生涯5場面が描かれた。
 聖十字架大聖堂 Heilig-Kurz Muenster (1315-21) ロマネスクで建てられた古い
   広間教会で、ゴシックからバロックに1756に改装された。中に、1350墓標・1510
   洗礼堂祭壇・1497ロマネスクの双塔が崩れずんぐりした単塔に置き換えられた。
 フランシスコ教会 Franziskaner Kirche (13c) 修道院教会として建てられ、
   1750にバロックに改装された。フランシシスコのフレスコカ画が描かれている。
 フッゲライ Fuggerei (1601) アントン・フッガー住んだので名付けられた。ローマ壁の遺跡
   があり、古い地階が石造の2階建て木組の家である。火災後1980に復元さ
   れ、今は食堂として使われている。
 穀物倉庫 Kornhaus (1507) 大規模な3階建ての木骨造の倉庫。
 オットー・パウザー工場 Ott-Pausersche Fabrik 銀器・宝石博物館。銀器製造の
   装置が見学できる工場で、研削・研磨・圧延伸線の機械がある。
 伝道師博物館 Museum Prediger (1294) ドミニコ会修道院の建物は、1972文化
   センターとなり、伝道書美術館・工芸博物館・歴史博物館・宗教博物館を収容した。

5.写真

市庁舎 五ボタン塔
王塔 牛川門
水塔 シュヴィート塔
腐塔

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シュベービッシュハル Schwaebischhall BW122

1.歴史

  5C 塩の生産で知られていた、   1156 聖ミカエル教会の奉献憲章に言及、
 1204 最初の町が市壁を伴って造られた、  13C初 銀貨と塩が流通した、
 1280 ハプスブルク家との紛争期、北側市街地を1028mの市壁で囲んだ、
 1324 人口増で北の町を壁で囲んだ、    1340-1802 バエルンの帝国都市、
 1638 30年戦争で仏とスエーデンの占領、   1638 病気と飢餓で人口は1/5、
 1680.1728に大火災で町は何度も燃えた  1802 ヴィッテンベルクに併合。

2.市壁  0.38km 0.14

   13Cに市壁が設けられ、14Cまでは有効であった。18Cには防御の役に立た
  なくな1808のビュルテンベルクの占拠の後に少しずつ壊された。19C中に東側市壁
  の壁塔は倒壊した。今残っているのは、南側の160mとヨーゼン塔・泥棒塔・赤い
  小橋・ワイラー門のそれぞれ左右に僅かずつである。

3.塔  3門2塔

 ワイラー門 WeilerTor 1330建、対岸にあり、1570に補強、第2の門として
   維持された。門塔のほかに角塔が外に立っている。
 ズルファー門 SulferTor 南 製塩所の角塔、未決勾留所として使用。
 クライルスハイム門 CrailsheimTor 1530建、クライルスハイム方面の隅を守った角塔。
   LangenfelderTorとも呼ばれ市壁が両側に残っている。
 泥棒塔 DiebsTurm 川沿いの角を守る塔で両側に市壁が残っている。
 ヨーゼン塔 JosenTurm 1686建、木組の塔頂飾り付きの4階建、最初はSt.
   Jodokuskapelleの塔として建てられ、温泉小門の近くの見張り塔として、
   市壁補強のために使われた。

4.見所  B

   斜面のマルクト広場に立つ聖ミカエル教会が特徴的であり、南側の市壁と塔の
  姿や、コッヒャー川の中洲や対岸からの眺めも結構である。
 市庁舎 Rathaus 1728建、バロック後期の優雅な建物で゙1728の大火の後に建
   てられ、1955に復元された。
 聖ミカエル教会 St.MichaelKirche ロマネスクの塔にルネッサンスの塔頂飾りがある。15C
   にゴシックのホールに改造され、16Cには後期ゴシックノの祭壇が追加され、
   1990に内外とも改修された。
 祝祭ホール Neubau 500年前の祝祭ホール。最も高い石造の建物。今は演劇上演・
   演奏会・講演会などに使われる。
 尖った家 Graeterhaus 1605建、北の町外れにある精巧な装飾の木組家。
   1970に改修された。
 赤い小橋 RoterStag 対岸から中洲への橋、塔の左右は市壁で塞がれてい
   る。木橋には屋根がある。
 博物館 Hallisch-FraenkischesMuseum 中世に大きな粉引き所が市壁の外
     にあり、町の角の守りも固めていた。ロマネスクの高い住居塔屋に地方博
   物館が設立され、製塩業と貨幣打刻の歴史遺産と地方芸術が展示され
ている。

5.写真

市庁舎 ミヒャエル教会
マルクト広場 ヘンカース橋
市街南面 屋根付木橋

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シュヴァイゲルン Schwaigern BW123

1.歴史

 766 ロルシュ修道院の文書で初言及、   12c 地元貴族はロルシュ修道院へ寄付金、
 13c 地元領主は最初の教会を建設、   15c 第2の旧市街は市壁で囲まれた、
 1486 都市権を授与され町を管理、   1630 30年戦争と数回の罹病で荒廃、
 1690 プファルツ承継戦争で城は焼失、      1702 城をネオゴシックで再建した、
 1806 ビュルテンベルク州に帰属、    19.20c 幾つかの大火事で中心部は破損。

2.市壁  0.38km 0.40

   15cには東西2門と1.2kmの市壁が設けられたが、今は南側にいくらか残って
  いる。2016町は寄贈を受けて、17枚の説明板を市壁に掲げ、歴史的な説明を行
  った。

3.塔  0門1塔

 魔女塔 Hexen Turm (1461) 旧市街の南東隅に地階石積の上に上階木造の塔が立
   ち、後に刑務所で使われた。1713魔女を投獄したためこの名前が付いた。
   ナイベルク家の銀婚式に町からの贈物とされた。1986町に戻され、包括的な改修が
   行われた。すぐ北に、もう一つの要塞の遺跡があり、多角形の木組の家の基礎
   に使われている。

4.見所  C

   優れたワインの産地であり、市教会・魔女塔・伯爵城・古い木組の家など印象的な見所
  がある。
 市庁舎 Rathaus (1906) 1905の大火事の後に、巨大なアールヌーボ-の建物で特に南東
   の張出しや入口部でアールヌーボ-が示されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (20c) 市庁舎の向かいに、周囲の木組の家を含めて更新
   された。今はレストランやホテルである。
 ナイベルク伯爵城 Graeflich Neipperg'sches Sloss (12-13c) 最古の城は1690に壊さ
   れ、1702新築され南翼は19cに成立した。1871城の中庭に魅力ある城礼拝堂
   が完成した。ナイベルクの伯爵は13cからここに定住し、19cまで土地支配権を行
   使した。城は居住地であり、ワイン農園であった。15Cにゴシックのホールに改造さ
   れ、16Cには後期ゴシックノの祭壇が追加され、
 聖ヨハネ市教会 Ev.Stadtkirche St.Johannes (13c) 1514ナイペック伯爵は新教会の建設
   に着手し、1519広いゴシックの身廊と細長い東内陣を追加して完成した。1581
   西前面のルネッサンス化、1520後期ゴシックの網状ヴォールト・悲しみの男の彫像・主祭壇
   ・聖典の家は全て完成した。
 旧町絞り所 Ehem.Stsdt Kelter (1659) 木組の家はナイペルク伯爵の酒蔵として建て
   られ、1852市が所有し市のブドウ絞り所として1970迄操業した。その後スーパー
   マーケットとなり、2011市の図書館と郷土博物館になった。
 コウノトリの巣 Stochen Net (15-16c) 最古の残された建物は風格のある農家の一部で
   あり、1980に全面的に改修された。上階は部分的に元のアレマン風の木組様式を
   示し屋根の上には毎年コウノトリが営巣している。
 フリッツ会館 Friz Halle (1887) 1869エルンスト・フリッツが遺贈し1887建てられた。独特の木
   造塔と広間があり、体育館・会議室・機能ホールとして使われている。
 聖マーチン教会 Kath.Kirche St.Martinus (1964) 現代的な建物で、1990年代に改装
   された。いくつかの歴史的な宝物がなかにある。
 旅館: Gasthaus Zum Lemm (18c) 1838-82は郵便局と郵便馬車乗換駅であった。
     正面入口にはバロックの高価な表玄関ドアがあり、1779の年号がある。子ヤギの飾
   り・居酒屋の酒飲み守り神はワイングラスを掲げている。

5.写真

市庁舎 魔女塔
東壁 南東壁
南壁 西壁

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ジグマリンゲン Sigmaringen BW124

1.歴史

 11c 最初の城が築かれた、         1077 シュバーベン王ルドルフは城を包囲、
 1250 町として都市権を授与された、  1275 初代牧師ライツの管区は15教区在った、
 1325 ヴュッテンブルク侯爵ウルリッヒ3世が購入、    1460-1500 城は宮殿に変換された、
 1535 ホーエンツーレルン貴族が町を受取った、 1540 ホーエンツオーレルン家分割でチャールズ1世が来た
 1632 30年戦争でスエーデンが占領、    1801-06 ナポレオン夫婦との関係で仏と友好、
 1806-49 ホーエンツオーレルン・シュタイン公国を保持、 1850 プロイセンに併合され、事務所を設置、
 1494-45 仏ヴィッシー政府が置かれた、   1945 2次大戦で仏軍が占領し住民避難。

2.市壁  0.21km 0.26

   15cの市壁は宮殿と南の旧市街を小さく囲み、19c初めまでは存在した。
  市壁が残っているのは、宮殿の北に200mと南西角の円塔の所に10mである。

3.塔  0門1塔

 円塔 Rund Turm (15c) 最初の町に拡張に伴い古い市壁西南角の防御塔として建て
   られた。塔は30年戦争で破壊され、その後住宅棟として再建された。2階部分は
   円塔で3階は八角形で、今は郷土博物館である。

4.見所  C

    岩山の上に城郭が聳え、その南に小さな市街がある。ホーエンツオーレルン・ジグマリンゲン
  大公国の首都であるが、非常に小さな町である。
 市庁舎 Rathaus (1247) 今の本館は1925-27に建てられた。
 ジグマリンゲン宮殿 Schloss Gigmaringen (1077) 初め城として建てられ、1460-1500宮
   殿に変換され、1535ホーエンツオーレルン家が来て宮殿は拡充され、1908に今の姿になった。
   中に、壮大な広間・豪華な内装の客間・王室の絵画.磁器.時計等のコレクション・タペストリィ・
   厩舎・馬車などが見られる。大公博物館が1867に開設された。
 聖ヨハネ教区教会 Pfarrkirche St.Johanis (1247) 初め城礼拝堂として建てられ、1583
   教会に建て替えられ、1756-63北壁と塔を残して壊れ、バロックの教会で再建された。
   中には、漆喰作業を含めて当時の芸術家の作品で飾られている。1856左の通路
   にFidelisKapelleが付けられた。
 王子の館 Prinzen Bau (1822-25) カール通りの古い建物は、庭園と共に建替えられ、1842
   -48バロックの要素と欧州で最初の温水暖房施設付で新築された。
 身分制議会場 Staendehaus (1846-48) 身分制議会広場と上層身分代表会議場として計
   画したためこの名前が付いた。1833の憲法は上層身分代表を意図した。ホーエンツオーレルン
   ・シュタイン公国は1850にプロイセンに併合され、今は地方銀行が入っている。
 ビルハルツ薬局 Bilharz Apotheke (19c) セオドリアとアルフォンスの兄弟医学博士の生家である。兄
   はカイロ大学で住血吸虫の病原菌を発見し、弟は地元病院の医療長だった
 古い学校 Alte Schule (1785-79) 新古典主義の校舎は、1975まで使われた。1988に大規
   模改修され、市立図書館・市立音楽学校・催し会場となった。
 マッター・ツンドップ博物館 Matter Zuendoff Museum 2階建て700m2の博物館に、2輪・3輪、4輪
   の100以上の展示がある。オートバイZuendoffの世界最大の展示である。
 郷土博物館 Heimat Museum RundTurm (1970) 町の歴史に関する多くの展示がある。
   1972個人取集の絵画・文書・写真を加えて充実した。
 別荘 Landhaus (19c) ネオクラシックの建物で、州協会はカール王子の病院・鉄道の文化財的.経済
   的な保守などを担当している。

5.写真

市庁舎
教会

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ジンドリンゲン Sindringen in Forchtenberg BW125

1.歴史

 1037 エーリンゲン創立文書に初言及、  1322 葡萄園の領主に町の憲章を授与、
 1328 ホーエンローエの領主が所有した、  16c ホーエンローエ・ヴュルツブルクに落ちカトリックへ、
 1744 ホーエンローエ・バルテスタインはグレゴリオ歴でイースターを祝った、
 18c アンスバッハ辺境伯軍が占領して駐屯、    1945 空襲で町の1/3を破壊、
 1972 フォルヒテンベルクに併合された。

2.市壁  0.20km 0.34

    14cの市壁は北側に残されている。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    古くて小さな町であるが、部分的に再構成された市壁と中世の街並があり、
  2003「私達の町は美しいコンテスト」で優勝している。
 市庁舎 Rathaus () 2次大戦で破壊された後は、牧師館に置かれた。
 ジントリンゲン宮殿 Schloss Sindringen (1094)かっての貴族の居城で、1348ホーエンローエ家が
   きた。1553ホーエンローエ・ノイシュタイン家に落ちた。1806ヴュルテンベルク州の一部となり、城はリー
   スされた。1813に売却され、1919老朽化して、1975フォルヒテンベルク市は購入して、城の
   復元と5アパートの建設を行った。
 聖十字架教会 Kirche Heilig Kreuz (1100) 今の教会の主な部分は13cに遡り何回か再建
   された。1600までに3廊ロマネスクの聖堂と高さ38mの高塔は2段階に分け後で建設され
   中には、14cフレスコ画がある。1890内装と窓を改修し、北と南の入口を更新した。
 旧町の粉引き所 Stadt Muehle (1998) 町の歴史博物館として、考古学・工芸品・古い薬局
   などを展示し、粉砕工場設備も回復している。

5.写真

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シュタインバッハ Steinbach BW126

1.歴史

 1070 最初の文書言及、修道院へ山林を贈る、 1258 都市権と市場権を授与、
 13C 2門のある市壁を維持、         1333 ストラスブルク軍は城・館を破壊、
 1352 役所の建物を建てた、       1523 農民戦争でも町は救われた、
 1528 33人が魔女狩りで火あぶりされた、 1643 30年戦争で仏軍の略奪・破壊、
 1675 独仏戦争で町は寄付金支払で免れた 、1689 プハルツ承継戦争で略奪・破壊、
 1696-98 戦後の再建が行われた、      1810 交通障害で市門の取り壊し、
 1836-38 国民学校を建てた、        1906-07 バロックから新ゴシック教会、
 1960-61 新教教会の建設、         1972 バーデンバーデン市に併合。

2.市壁  0.337km 0.75

   何時市壁を造ったかは分からないが、1300には在ったかもしれない。壁は、
  ほぼ四角形で1.5haを囲んでいる。市壁の長さは全長450mの内337mが残る。
  壁の厚さは1.3-1.5mで、高さは7.2mが最大である。市壁は、堀が囲んで通
  りの名前で位置が分かる。1812の文書では、一つの太い市壁と二重の堀が
  取囲んでいる。今は、堀の大部分は埋められ緑地で使われている。

3.塔  0門1塔

   町の入口は、BuehlertorとBadenertorの2門で守られていたが、1810に
  大公行政所命令で交通円滑化のため崩された。
 ビューラー塔 BuelerTurm 今のワイン畑博物館(1352昔の役所)の隣に立ち
   外観が保たれている。4つの刑務所の一つとして使われた。

4.見所  D

   壁に囲まれた小さな静かな町である。
 カトリック教区教会 KatholischePfarrkirche 8Cのライン上流平地のキリスト教化の
   時代のは教会はあった。最初の教会の基礎や後から建てられた塔の基
   礎が、丘の上で発掘されている。1070には教会は建っていた。1460に
   ゴシックノ教会を建てが、1689の戦争で壊された。1700には内陣を組み込
   んだバロックノ建物が建てられ、1907にゴシックの内陣を生かしてネオゴシックの
   礼拝堂が落成した。
 新教教会 EvangelischeKirche 1961に大通りの外れに落成した。
   教区大広間と塔がある。

5.写真

西壁 東北壁
東壁 東南壁

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シュトッカッハ Stockach BW127

1.歴史

 1150 尾根城の麓の集落を言及、   1250 伯爵マンゴールト3世は丘の上に町を設立、
 1283 ネレンブルク方伯の行政拠点となった、      1462 ハプスブルク家は郡を買収、
 1499 スイス・シュバーベン戦争で包囲された、     16c 欧州駅馬車の宿が置かれた、
 1524-25.1618-48 農民戦争・30年戦争で大被害、1704 スペイン承継戦争で町は全焼、
 1770 マリーアントワネットが婚礼の旅で訪れた、     1799 仏軍がオーストリア軍に勝利した、
 1805 バーデン・ヴュルテンブルク大公國の管理本部設置、   1891 織物機械産業の繁栄。
 1939 郡庁が置かれ地方行政の中心地。

2.市壁  0.10km 0.15

   13cの市壁は尾根の上に町を守ったが、今は建物の基礎として残るだけ。

3.塔  市壁0門0塔

   1808下市門は取除かれた。壁塔も見当たらない。

4.見所  C

   旧市街は尾根の山上に築かれ、南側は15%の急勾配である。行政の中心地で
  あったため、旧市街には大きな建物が連なっている。1770マリー・アントワネットが婚礼の
  旅で通っている。
 市庁舎 Rathaus () 旧市街地外れた北西のAmtgerihtの奥の山中にある。
 聖オズヴァルト教区教会 Kath.Pfarrkirhe St.Osweld (13c) 今の建物は1932-33バロックの聖
   マリア教会(1708)の代わりに建てられた。独立した塔は下の部分は13cで、1733八
   角塔とタマネギ帽子となった。1631の墓所と今日のオズヴァルト礼拝堂にある1402の銘
   がある墓石が後期ゴシックの上の市教会を証明した。本祭壇の近くに守護聖人オズヴ
   ァルトのバロック像がある。
 カプチン会修道院 Kapuzinner Kloster (1719) 1809の世俗化の後にカプチン会修道院は製糖
   会社に改築され、1844火事で焼失した。1847旅館となりホテルになった。
 聖メランチェソン教会 Ev.Meranchthon Kirche (1883-84) 建てられた後に、町で最大の新教
   の教区を集めた。内祭壇と木製格間天井があり、入口扉には新教の4つの彫刻が
   ある。
 古い森林事務所 Altes Forstamt (1705-06) 旧フロント・オーストリアの会計局で、まず公爵の武
   器庫、次にネレンブルクの酒蔵で、2階に彩色の形跡のある豪華な覆いがある。1842森
   林事務所の所用地となり、2002市図書館付き文化センター・市博物館に。
 ザルマン管理所 Salmanns Weilar Hof (14c) ザーレム修道院の管理事務所でありされた。玄
   関の上にザーレム修道院長の紋章がある。シュピタールと長屋は世俗化後には出版社とな
   り、1972まで税務署として使われた。この建物の西南の角は昔の市壁の上に置か
   れている。入口の左に銘板がある。
 裏面の家 Rueckseite Haus (17c) 旧市壁の上に家が建てられた。外壁の下の部分に16
   15の国境の紋章が埋め込まれている。
 昔の地方代官所 Alte Land Vogtei (15c) フロント・オーストリア統治の1805まで、皇帝にして国
   王の郡庁の場所であった。1600から行政の場であった同じ場所に1706新建築され
   た。1830-1977は町の行政の場となった。中央入口の上には、1756の
   町の紋章がある。
 教会紋章 Granz Wappen (16c) 1586の教会紋章が、フロント・オーストリアのネレンブルク方伯領域と
   ザーレム修道院所有ノマーダッハ郡との境界に付けられた。
 宿屋:王冠 Gasthaus Zur Krone (1615) この町で最古の旅館:王冠であったが、1732今
   の飾り気のない家が建てられた。
 民家:鷲ポスト Buergerhaus AdlerPost (1618) 1505ドイツでも古い郵便馬車停留所があり、
   郵便局に向かい合って、宿屋鷲が建てられた。1904火事の後に新たに再建され
   た。1980改築され改装されてホテルになった。今は民間催物会場である。
 教会傾斜面 Kirchhalde 上町の中央通り下門があったが1809に壊された。この下門の
   取付け勾配は15%の急勾配で、バーデン大公国で最も危険な道路。

5.写真

マルクト広場 聖オズヴァルト教会

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シュツットガルト Stuttgart BW128

1.歴史

  926-948 馬飼育農場を設立し農業入植地に移行、 945 シュバーベン侯爵が馬繁殖地、
 1219 馬場近くの入植地はバーデン選帝侯が所有、 1251 バーデンのマチルダの持参金と
   して町はヴュッテベルク侯爵へ、       1292 エバーハルト1世は水城を建設、
 1317 伯爵の宮殿の防衛施設を強化構築、14c 市壁の外の最初の郊外が南西に成立、
 15c ウルリッヒ1世は北西に郊外を造った、    1495 町は侯爵の王宮になった、
 1565 侯爵クリストフは郊外を含めた新市壁構築、 1618-48 30年戦争で壊滅的被害、
 1637 疫病大流行し人口激減、       1688 9年戦争で仏軍が占領、
 1718 侯爵エバーハルト・ルードヴィッヒは王宮を移した、 1746 侯爵カール・オイゲンは新宮殿建設、
1806 ナポレオン戦争で町は地位を向上、    1815 ウイーン会議でヴィッテンベルク国の承認、
 1887 ダイムラーは自動車工場を設立、     1918 ヴィッテンベルク国が終り共和国憲法、
 1933 ナチスの第三帝国へ、      1945 53回の空爆で工場75%住宅68%破壊。

2.市壁  0.10km 0.02

   14c初に、1次市壁が旧市街の中心部に築かれた。市壁の外に新郊外が成立し、
  1565侯爵クリストフは郊外を含む2次市壁の構築を行い、1634の図面には、内側と外側
  の市壁と堀が存在する。19c初めから防衛施設の取壊しが行われ、1888全門失われ
  た。市壁の残りは、Schellern塔に10m、Mannen通りニ90mにある。

3.塔  市壁1門1塔

   1782-1870に9市門は全て取壊された。石積の2階建て円塔の上に木組の3階部
  分がある。
 カステレライ塔 Katsthellerei Turm (1564) 市壁の南端に立ち、19cに2階建の住居とし
   て使われ、1811に補修が行われた。1906更に補修されたが1944戦災で大破し、
   1906の形に戻された。1980市民が修繕資金を集めて補修し、ワインバーSchellenturm
   として記念財団が運営している。
 門塔泉 TorTurm Brunen (1989)赤い砂岩の旧塔は1968に地下トンネル工事で壊された。
   半円形の石積の中央に噴水があるモニュメントになって立っている。

4.見所  A

   2次大戦で大被害を受けたが、重要な建物は復元されている。旧城館・参事会教会の
  あるシラー広場のみは昔の雰囲気があり、宮殿公園は広大である。
 市庁舎 Rathaus (1456) 最初の市庁舎は侯爵ウルリッヒが承認した。狭くなり1894デザ
   イン調査、1905クエファー通りに拡張して開業した。1944空襲で壊れ、1956に再建さ
   れ2004には建て直され、今は22機関270人が入っている。
 旧宮殿 Ajtes Schloss (10c) 初め水城だったが、14cヴィッテンベルクの侯爵が本拠を移し
   て宮殿に拡張した。1550侯爵クリストフは壮大なルネッサンス宮殿をアーケードの長方形の中庭
   を囲んだ4翼の構造で建てた。1562城教会が一つの翼に入った。1746侯爵カール・
   オイゲンの希望で新宮殿を建て、旧宮殿の最盛期は終わった。1931火事で二つの塔
   は壊れ、1944の空爆で壊滅的な被害を受けた。1963ルネッサンス中庭の復元1967
   ヴィッテンベルク州立博物館、2010子供博物館を併設した。
 新宮殿 Neues Schloss (1746-1807) 侯爵カールオイゲンはベルサイユを参考に3翼の宮殿を建
   てた。2次大戦で破壊されたが再建され、今は州政府の財務と教育の部門が収
   容されて居る。
 ソリチュード城館 Schloss Solitude (1764-69) 侯爵カールオイゲンは、西に10kmの郊外の高
   台に狩猟の館として広大な庭園と共に建設した。高台からルードビッヒスブルクへの
   13kmの直線的な展望が開ける。丸屋根の楕円形の館とその両側の翼棟が堂々と
   聳え、その向かいに円弧を描く付属建物が配置されている。
 ヴィルヘルム宮殿 Wilhelms Palais (1834-40) 最後のヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世の宮殿で
   イタリア建築家の指導の下に古典的な様式で建てられた。1918の革命の後展示場と
   して使われ、1944戦災で壊れたが1961-65に再建された。
 場内市場 Markt Hale (1864) アールヌーボーの屋内市場は3,500m2もあり、新鮮な花・魚・
   肉・野菜・果物・スパイス・が並び、家具・食器もあった。1944戦災で壊れ仮普及の後、
   1953本復旧された。1993火災の後に内装は改修された。
 クレスターレ Kloesterle (1463) 木造2階建てゴシックの礼拝堂で、マルクトの近くにある町でも
   古い建物でペギン会の女性が慈善運動を行っていた。1983復元され市博物館とし
   てこの地区の歴史を展示している。
 農産物庫 Frucht Kasten (1596) 尖った切妻を持つ後期ゴシックの石造2階建の建物で、
   穀物を貯蔵していた。1954-56に復元サレヴィッテンベルク州立博物館の楽器コレクションが
   見られる。
 ヘーゲル家 Hegel Haus (18c) 哲学者ヘーゲルの生誕の地で、1770-85ここに住んだ。2次
   大戦の戦災を生き残り、アンティーク店や店舗什器の店として使われた。今は、ヘーゲル
   の生涯・原稿・書籍・写真などが展示されている。
 参事会教会 StiftsKieche (15c) 西の塔(1490-1531)は多角形2層の塔頂飾が印象深い。
   2次大戦で壊された後に再建され、身廊と旧身廊を合わせて漆喰塗で一つの身
   廊とし、内陣左側には歴代ヴィッテンベルク侯爵の碑銘がある。
 リンデン博物館 Linden Museum (1884) 民族博物館として、世界の民俗資料が豊富に集
   められ、日本の茶室・漆器工房・日本間も見られる。
 国立美術館 Staats Gsierie 中世から印象派の絵画が展示され、14-16cのドイツ絵画や
   14cのイタリア・オランダ絵画が充実。
 ヴィッテンベルク・ランデック州立博物館 WittenbergischesLandes Museum (1967) ケルトの墓・宗
   教彫像・フランク.アラマン族の副葬品・王冠・楽器・時計などを展示。
 シュツットガルト美術館 Galerie der Stdt Stuttgalt 特に二度の大戦の間の絵画が有名
   である。
 獅子塔博物館 Museum am Loewntor ハイブロン通りで町を北に出た所に、化石・琥珀な
ど地球の記録を展示している。
 メルセデス・ベンツ博物館 Mercsdes Benz Museum (10c) シラー通りで町を東に出るメルセデス・
   ベンツ中央工場の南に100台の実車とビディオで展示し、エンジンと自動車・レーシングカーの歴
   史を説明している。

5.写真

市庁舎 シュティフッツ教会
旧宮殿 新宮殿
宮殿広場

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タウバービショッフハイム Tauberbischofshaim BW129

1.歴史

  836 聖リオバ伝記に女子修道院を初言及、   1237皇帝フリードリッヒ2世は都市権を授与、
 1240 マインツ選帝侯は城を築き役所を置いた、1346-1527 マインツ選帝侯都市同盟を形成、
 19c 町を統合して今の名前になった、    1803 ライニンゲン公国に属し事務所を設置、
 1806 バーデン大公国となり地方事務所に、     1866 普墺戦争でプロイセンは勝利、
 1952 バーデン・ヴュルテンベルク州に。

2.市壁  0.20km 0.20

    13cの市壁は、北東の公園に180mと南のHungerTurm・水車用水路と共に20m残る。

3.塔  0門1塔

 チュアマス塔 Tuermers Turm (13c) 古い5階建ての円塔で、バロックの帽子付。

4.見所  D

    楕円形のGrabenWegに囲まれたフランケンワインの町である。
 市庁舎 Rathaus (1865) ネオゴシックの前面に角塔のある3階建ての建物で、地階は開かれた
   アーケードになっている。マルクト広場には3階建ての木組の建物多く美しい。
 マインツ選帝侯宮殿 Kurmainzisches Schloss (1280) マインツ選帝侯の一部木組の宮殿で前に円
   塔チュアマス塔がある。1970タウバーフランク地方の歴史博物館となった。
 聖リオバ教会 St.Lioba KIrche (1476) 1735にバロック教会となり、1823にフランシスコ会修道院
   の世俗化で、修道院教会が残された。
 聖マーチン市教会 Stadtkirche St.Martin (1910) ネオゴシックの新教教会で、塔頂にはバロックの帽
   子がある。
 ペーター礼拝堂 Peters Kapelle (1180) 町で最古の建物で、1856に墓地礼拝堂で無くなった。
   
 セバスチャン礼拝堂/em> Sebastianus Kapelle (1474) 2階建ての教会で、下の階は納骨堂で、
   礼拝堂は上の階にある。今は記念の地である。

5.写真

市庁舎 北壁
塔・マインツ選帝侯宮殿 聖リオベ教会

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ティーンゲン Tiengen BW130

1.歴史

  858 初めての文書言及、      1112 市壁で囲まれた市場集落となった、
 1146 ベルンハルトは町教会に十字軍遠征要請、   1251ハインリッヒ伯が焼いたが拡大再建、
 1415 ウスリンゲン侯爵の傭兵は撃退、    1463 スイス戦争でシャフハウゼンが8年間占領、
 1482-87 デュルツ伯爵が所有し中心地となる、1499スイスが破壊後、外壁付き拡張再建、
 1632-48 30年戦争で城は破壊され再建、 1687-1806シュバルツエンベルク候の支配下、
 1806 バーデン大公国に帰属、         1837-42 上下の市門が壊された、
 1848 ドイツ国民会議の会議場に選ばれた、     1945 空爆後、仏軍が占領。

2.市壁  0.03km 0.02

   13Cに市壁が造られ、16C初にさらに外壁を造った。
  西南のStorchenTurmの東に20m、南に10mの市壁が残っている。

3.塔  0門1塔

 コウノトリ塔 StorchenTurm 1300建、西南の角塔であり、刑務所の一部と
   して使われた。1859に塔頂フードには、コウノトリの巣が作られていた。

4.見所  C

   宮殿広場が町の中心であり、マルクト広場には何もない。
 市庁舎 Rathaus 16C建、3階建後期ゴシック。前面は1827に改修され、窓飾り
   が美しい。
 旧宮殿 AltesSchloss 元居住棟が残っている。
 新宮殿 NeuesSchloss 16C中 後期ゴシックとルネッサンスを兼ねた様式で、3階建の
   方伯の宮殿。
 小宮殿 KleinesSchloss 1600建、宮殿の中庭に宮廷礼拝堂付き牧師館あり、
   30年戦争で焼失したが昔の形で再建された。
 聖母被昇天教会 Kath.PfarrkircheSt.MariaHimmelfahrt 1753建、バロックの
   教会であり、塔はゴシックで古い。
 鹿宿屋 ZumHirschen 1146建、町で最古の宿屋であったが、1499に焼失し
   後期ゴシックの石造で再建された。聖人の壁画が絵が描かれている。
 デーベルシィッツ家 Haus DoebeleーSchuez 1587建、後期ゴシックの格調高い市民の
   家。出窓が美しい。
 旧魚館 Ehe.FischerHaus 1552建、後期ゴシックの市民の家。特徴あるゴシックの
   窓がある。
 シュニッツ家 HausSchnitzer 1503建、後期ゴシックの大邸宅。1499のスイス軍の戦争
   の壁画が大きく描かれている。
 古い油水車 AlteOelmuehle 17C建、水車で胡桃やケシから油を取る工場。
   1995-99に復元された。

5.写真

市家 ショルヘン塔
中央通 新宮殿
Fahr-gasse東 市壁

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トロヒテルフィンゲン Trochtelfingen BW131/h3>

1.歴史

  760 ロッシュ修道院に村製品提供、 800 皇帝属州を確立、後にアッカルム侯爵領、
 1161 十分の一税の紛争町に波及、 1182-1219 プファルツ伯ルドルフ・ビンケンが所有、
 1220 ホーエンベルク伯爵が13c終りまで所有、   1310 ヴュルテンベルク家が町を所有、
 1316 ヴュルテンベルク家ハインリッヒは娘の持参金として町を与え領主の家を設立、
 1534 ヴュルテンベルク家の絶滅後ヒュルステンベルクの王子が所有、
 1726 火事の後木組の家が建てられた、   1806 町はホーエンツオーレルンの支配下に、
 1850 プロイセン領となった、      1861まで 郡庁所在地であった、
 1951 町の憲章は再び授与された、  1972まで ジグマリンゲン9地区に属した、
 1972 ロイトリンゲンの地区となった、

2.市壁  0.23km 0.39

   3重の市壁が築かれ、北西・東・南西・西北に残っている。

3.塔  0門2塔

 高い塔 Hoher Turm () 市壁に西南の隅にある大きな円塔で、観測ポストでも
   あった。高さ48m直径28m底厚2.8mである。
 火薬塔 Pulver Turm () 都市再開発もより再建され、6階建円錐屋根の大きな円
   塔で、今はクラブの集会所として使われている。

4.見所  C

   高低差のある小さな町で、木組の家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1450) 1920に焼失し1938再建された。今は市政の中央管理所と
   して使われている。
 聖マーチン教区教会 Pfarrkirche St.Martin (1200) 1320の基部と塔は残り、1451本
   堂が完成し、内部には貴重なフレスコ画やあ彫刻がある。1501大学教会として
   も使われた。
 宮殿 Schloss (1450) ヴュルテンベルク伯爵は3階建階段塔付きの宮殿を建てた。1534
   まではフュルステンブルク皇太子が所有し、その事務所を収容した。1806-61
   プロイセンの郡庁都市となり、学校や市庁舎として使われた。1869町が
   買収し、2012修復され、今は小学校として使われている。
、  旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehnt Scheuer () 平屋の徴税倉庫であり、今は、州貯蓄
   銀行が入っている。
 旧会計局事務所 Ehem.Rentamtskanzlei () 2階建の会計事務所は、法は、州貯蓄
   は、州貯蓄1950迄郵便局であった。今は民家。
 教区倉庫 Pfarr Scheuer (1838) 教区の収穫物倉庫で、2階建木組の建物で、1980
   再開発に伴い改修された。
 市粉引場倉庫 Scheuer der Stadtmuehle (1883) 水車の厩舎と下働の住居で、長さ
   40mの平屋木組の家である。南の長手方向は市壁である。
 市粉引場 Stadt Muehle (1500) 水車の動力に加え、1872から蒸気機関を設置し
   た。
 食堂:牡牛 Restrant Ochsen () 地階石積の上階木組の建物で、昔は宿
   「金の冠」であった。1977の改修時に美しい木組が現れ復元された。
 郷土博物館 Heimat Museum () 町の歴史・民俗・生活・民芸の展示の場。

5.写真

市庁舎 マルクト通
下門石柱 火薬塔
高塔 宮殿
西壁 北壁

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ユーバーリンゲン Ueberlingen BW132

1.歴史

  770 最初の文書言及、      1180 バルバロッサ帝は町の大建設を行った、
 1211 都市権を授与された、      1050 町は堀下げ堀と壁で囲まれた、
 13C末 帝国自由都市となった、13C-16C 町の繁栄は最盛期、アルゴイ農産物輸出
 1632スエーデン軍の包囲、市場衰退、1802ナポレオン戦争で自由都市を失いバーデンへ
 1918 バーデン共和国となる、     1945 2次大戦の爆撃はあった。

2.市壁  1.450km 0.50

  StadtBefestingungsLagen西~北の掘下げ式で、1250壁は部分的に異なる
  ギルドの負担で造られ、1300内壁は旧市街地を囲んだ。820m残。
   StadtMauer北~東 1450-1630に外壁は造られた。630m残。

3.塔  2門4塔

 上教会門 AufkircherTor 小さな村の上教会の名前になった。
   1802の帝国自由都市の終わりまで町の北の防衛境界線であった。
 フランシスコ門 FranziskanerTor 1495建、北 美しいゴシックの塔である。この
   塔は皇帝フリードリッヒ1世が1180に創立した古い中心地の北側に位置する。
 バグザウト塔 WagsauterTurm 北側の防衛前線の北角に1950に新設された円塔。
   ゲラー塔 GellerTurm 16C建、深い堀の上に塔は聳えている。ロマン風の
   華やかな円塔は西側堀の内側にある。
 聖ヨハン塔 St.JohanTurm 1522-23建、東の防衛戦に円塔を建てた。1632
   に戦争が近づき、今の高さ37mに2階分を継ぎ足した。1634スエーデン軍包囲の中に、
   町側砲兵隊の拠点であった。
 ローゼンオーベル塔 RosenobelTurm 最も北の防衛戦の支えとして円塔を建てた。
   1657に今の姿に改造され強固な円塔になった。

4.見所  B

   町中が交通混雑しているやや広い町である。堀は広くて深く要害である。
  中心のミュンスター広場は、ゴシック大聖堂.ゴシック市庁舎北面.ルネッサンス市尚書局等
  の建物が並んで見事である。
 市庁舎 Rathaus 14-15C建、切石化粧板のペニッヒ貨幣塔、古い市庁舎ホール
   木版彫刻の帯状アーケード、その都度3-4人の神聖ローマ帝国代表者の小彫像
   (41人)等がある。今でも、市民ホールは議場として使われている。
 ニコラウス大聖堂 MuensterSt.Nikolaus 1350-1562建、後期ゴシックの大きな
   象徴的な建造物。5身のバジリカで、広大な内部空間と豪華な正祭壇がある。
 フランシスコ教会 FranziskanerKirche 14-15C建、18C中にバロック化された。
   化粧漆喰の入口、著名な彫刻室がある。
 新教教会 Ev.AuferstehumgsKirche 1868建、早期ゴシックの教会。
 ヨドック礼拝堂 JodokKapelle 15C建、質素な後期ゴシックの建物で、興味深い
   フレスコ画の壁がある。
 町事務局 StadtArchiv 昔の町の行政事務局として市民ホールの入口に建て
   られた。美しいルネッサンスの前面と、破風に町の紋章の大きな石のレリーフがある。
 市博物館 StaedtischMuseum 1462建、中世後期の美しい宮殿建築贅沢な家。
   田舎風切石で前面化粧張りは、早期フレンチェ風ルネッサンスである。広間はきらび
   やかなバロック宴会場であった。今は郷土博物館として先史以降の歴史の収蔵
   品・絵画・彫刻・バロックのキリスト降誕像・ルネサンス-ユーゲントスティールの歴史的人形。

5.写真

市庁舎
ガラー門 教会上門
フランジスカー塔 ローゼノーベル塔
教会

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ウルム Ulm BW133

1.歴史

  854 王宮所在地のして最初の文書言及、10C ザクセン王の時は所在地を外れた、
 1027 コンラート2世は再び王宮とした、    1079 シュタウヘン朝はシュバーベンの中心地、
 1131 戦争で町は焼失、         1140 シュタウヘン朝は町を拡張し再建した、
 1181 町の周辺を統合し1184帝国自由都市、1274 ハプスブルク家は都市権を授与、
 1316 都市を拡大し新防御施設設置、   1348 南西部の市壁を築いた、
 1376 シュバーベン都市同盟14都市で設立、  1480 川の流れの中に新壁を築く、
 16C 町の最盛期、        1616-4830年戦争、1701-14スペイン戦争で衰退、
 1803 バイエルンに帰属、          1810 ビュルテンブルク王国へ、
 1945 2次大戦で旧市街地の81%は壊滅。

2.市壁  古市壁1.580km 0.46、新市壁2.21km 0.12

   1480にドナウの中に市壁は立てられ、その後要塞は構築され、今900mの川沿い
  に旧市壁が残る。また、1610に北側のGraben通沿いに市壁は警備員の宿舎と
  共に建てられ、後にオランダ式による新防衛施設が造られ、古い市壁は取り込ま
  れた。漁業地区にも1150に王宮を守った市壁が残っている。
   連邦の新要塞は、1838-59に連邦政府が市壁・砦を、北側の山中から南の
  ノイウルムまで築いた。今も南の市壁と砦の部分は、殆ど残っている。

3.塔  0門4塔

 肉屋塔 MetzgerTurm 1345建、市壁の一部として造られた高さ36.1m
   の塔であるが、北西へ3.3度傾いたいるためSchiefeTurmとも呼ばれる。
 鵞鳥塔 GaensTurm 1360建、市壁の一部として造られ1445に今の
   高さにされた。
 ゼール塔 SeelTurm 14C建、北。
 メミンゲン塔 MemmingerTurm 17C建、西南。

4.見所  B

   大きな町の中心に、高さ世界一の大ドームが聳える。漁業地区の古い木組
  の家やドナウ河畔の散歩道は一見の価値がある。
 市庁舎 1370建、初めデパートとして建てられ、1419から市庁舎となった。
   1944に燃えて倒れたので、内装を含め再建された。1533の東側窓のカイザー
   ベループ、1520の東破風の天文時計、1539の北翼ルネッサンスのアーケードは古い。
 司教座大聖堂 Dom 1397建、高さ161.53mの世界一の塔へは、768段の階段
   で登れる。起工式から500年後の1890に完成式が行われた。ゴシックの身廊は
   高さ41.6m.幅48.8m.長さ123.56mと非常に大きく、2次大戦の戦災は免れた。
   14-15Cの内陣のステンドグラスは美しい。
 三位一体教会 DreiFaltigkeitsKirche 1321建、昔の修道院教会の上に
   1617-21に建てられ昔のゴシックの内陣が存続している。1944に焼失し、大きく変
   更されて再建された。
 パウロ教会 PaulusKirche 1908-10建、アールヌーボー様式の鉄筋コンクリート造
   で建てられた。1964に連邦が買収して修復した。
 聖ゲオルグ教会 St.GeorgsKirche 1904建、カソリックの駐留軍教会は、教区教会
   となり、1978-82にゴシックリバイバル様式の内装で復元された。
 漁師地区 FischerViertel 漁師広場から肉屋塔まで、傾いた家など切妻の
   付いた古い木組みの家が並んでいる。
 武器庫 ZeugHaus 1594建、旧帝国首都武器庫。
 穀物倉庫 KornHaus 1594建、穀物倉庫の長い建物で、今は催物会場とし
   て使われている。
 ウルム美術館 UlmMuseum 町の有力者の館に設けられた美術館で、絵画・彫刻
   が興味深い。
 パン博物館 BrotMuseum 1592建、昔の塩倉庫に設けられ、6千年のパンの
   文化や社会史が展示されている。
 旧連邦要塞 EhemaligenBundesfestung 1838-59建、砦と市壁をこの時代
   に築いている。大きいものから示す。砦の数字は地図の番号。
  
   1.Wilhelmsburg 大市壁の北の大きな砦 WerkⅩⅡ 600×500m。
     3.Safrnberg FortAlbeck 北西の山の上 400×200m。
   4.FortObererEsslsberg 北の外れ。
     2.FortUntererKuhberg ドナウの北西 300×200m。
   5.FortUntererEselsburg 北 1.の西。
   6.FortLudwigsVorfeste 南。
   7.FortSchwaigHofen 南東。
   9.FortObererKuhberg 西。
   12.FortFriedrichsau 東。
   8.FortPrittwitz 1.の北。
   10.FortIllerKanal 南。
   13.FortNebenWerk Eselsbergのすぐ南。
   11.FortSafranBerg 東。
   14.FortSoefringerTuermele 西北。
   16.FortMitlengerKuhberg 西南。
   15.FortSchwedenturm 1.の東。
  市壁の残り 合計2.21km
   1.北のWilhelmsburgのすぐ南:東へ400m、西へ500m。
   2.OberDonauBastion:250m。
   3.NeuUlm MemmingerTurm:260m。
   4.KollannsPark:800m土堤付き。

5.写真

市庁舎 大聖堂
大聖堂広場 肉屋塔
市壁の上
Fort Satranberg Fort Albeck南
Fort Albeck南入口 Fort Albeck西
漁師地区

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ファイヒンゲン Vaihingen a.d.Enz BW134

1.歴史

  779 フルダ修道院の寄付文書に初言及、      1096 城と村が言及された、
 1230 伯爵ゴットフリートは村を整備した、1252 伯爵コンラット2世は相続者婚姻で領主に、
 1291 大火災の後伯爵は財産を売却、  1334 バーデン辺境伯に町と城は移った、
 1339 ヴュルテンベルク伯爵に移り管轄町、  1519 皇帝カール5は弟フェルナントに町を割譲、
 1534 侯爵ウルリッヒは町に戻り改革導入、 1546-47 シュマルカルデン戦争でスペイン軍占領、
 1618-48 30年戦争・1635ペスト・1688-97九年戦争・1693大火災・1701-14スペイン
  承継戦争・1756-63七年戦争・1792-1815ナポレオン戦争で大被害、 1817から回復、
 1752 地区管轄都市に、               1938マウロブロン地区と合併。

2.市壁  0.09km 0.13

    13-14cの市壁は、エンツ川に近いBaeder路地に残され、家の上階の小道は洪水
  時の避難路として市壁の上に導いている。丘の上のカルテンシュタイン城から下に向かって
  の城壁が50mと80m残されている。

3.塔  0門2塔

 巻上機塔 Haspel turm (15c初) 泥棒塔とも呼ばれ、市壁の東の角の町で最も古い
   円錐屋根付きの円塔である。7階建の塔頂にはロマネスク半円のフリースがある。2階部
   分には、巻上機があり、囚人を8m下の監獄へ降ろした。
 火薬塔 Pulver Turm (1492) 市壁の南の角に立つ壁厚3mのどっしりした円塔で円
   錐屋根が乗っている。火薬を保存し、刑務所、浮浪者収容所畜肉処理場として
   使われた。1819-44には刑事上の監獄であった。

4.見所  C

    町の西北の小山の上の城が町を見降ろしている。マルクト広場は3階建木組の大き
  な建物が囲み、美しい。古い木組の家も多く残る。
 市庁舎 Rathaus (14c) 今の市庁舎は、市議会とヴュルテンブルク侯爵の管理との長年の紛
   争の後に、1720から1693焼失の敷地内に建て直された。正面の絵は1901-51
   に描かれ、窓にはステンドグラスがある。地階はかって大部分が開かれており中には
   肉屋・パン屋・塩の屋台が置かれた。2階には祝祭会場と布・手工業販売、3階は民
   事裁判所と住居、屋根裏は収穫物倉庫として使われた。
 冷石城 Schloss Kaltstein (1096) 町の北西の小山の上に建てられた城で16cと18cに
   再建され、今は若者の村として使われている。町の象徴となる城で、昔は方伯の
   居所であった。南壁に浮き彫り装飾の切石がある。16の拡張の後に公爵カール・アレク
   サンダーは、1734更新して守りを強化した。その後駐屯地や軍病院となり、1842
   救護院になった。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1339) 1449から女性の礼拝堂があり、1513拡張・再建、
   1618焼失して再建、1693大火事で崩壊、1697-1701今の姿で再建された。1892
   -93教会内部を改装した。
 ペーター教会 Peters Kirche (9c) 町で最も古い教会で、10c.12c.13c.1490.1607に改築
   と拡張を行った。1840墓地教会として使われ、今は市博物館と展示会場を収容す
   る。珍しく角塔の最上階は木製である。
 旧アイリッシャー門の場所 Ort des Ehem.Auricher Tor (1421) 女性塔とも呼ばれ門と塔があ
   り、1643マリアの銅版画を付けた。1815に壊れ1870に撤去された。
 旧ラテン語学校 Ehem.Latein Schule (1380) この町には1380すでにラテン語学校があった。
   1693旧校舎が焼け、1743今の建物が建てられた。1963この建物の地階に郷土博
   物館を収容した。
 旧領主アルプ養護館 Ehem.Herren alber Pfleghof () 昔のベルンハルト礼拝堂が今も存在する。
 町の図書館 Stadt Buechelei () イーレナルプ修道院が穀物倉庫としてこの建物を建て、今も
   存在する。1617と1693に火事で損傷し、1760根本的に更新された。町の牧羊場と
   農業事務所を収容した。

5.写真

 
市庁舎 マルクト広場
火薬塔 巻上機塔
ペーターガッセ 南東壁

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フェルベルク Vellberg BW135

1.歴史

  741 ステックの城の文書に初言及、  974 礼拝堂の基礎を置く、
 1076-86 フェルベルク城の建設、    1188 ホーエンシュタウヘン家が所有、
 1370 ヴュルツベルクとブランデンブルクはワインの1/10税を受取る、1466 塔と南壁の建設、
 1481 騎士団は休戦協定、、    1500 皇帝マクシミリアンは市場権を付与、
 1506 裁判権と自治権を授与、   1523 シュバーベンリーグは城を破壊、1546再建、
 1563 大火災でAltDorfは半壊、   1592 最後の騎士の死で帝国都市が相続、
 1634 ペストの流行で人口は1/3に、  1803 ヴュルテンベルク公国へ、
 1901.1902 再度大火災が町を襲った、1937 塔や壁を再建する建設会社を設立、
 1945 2次大戦でアルトドルフは壊された、1972 中世の構造を維持しながら再構築。

2.市壁  0.39km 1.00

  城と町はそれぞれ石積で囲まれ、橋で繋がっている。町の壁は0.39mである。

3.塔  3門5塔

 市門塔 Stadttor turm (1466-89) 最も高い5階建て矩形の塔でゴシック
   の通路がある。木製屋根付の階段が北側にある。入口の上には紋章と1466の
   年号のある銘板がある。地下通路に接続して地下に古い牢獄がある。1844に
   町は205ギルダーで門塔を買取り2009に改修された。
 火薬塔 Pulver Turm (1489) 市壁の上に3階建で市門塔と同様な外観と
   成っている。1901の火事で上部工が燃えて改造された。1989に城ホテルの一部
   として民間使用である。
 兵隊塔 Kraft Turm (15c) 円錐屋根で銃眼が見える円塔である。1989
   改修され城ホテルとして使われたが今は民間住宅である。
 下ツインガー塔 Unteres Zuinger tor (1499) 市壁の外側の門で、小門塔
   の後ろにある。この門は1700まで谷から直接城に入る荷車を通した。
 事務塔 Kanzlei Turm (15c) 円錐屋根の円塔で3階建ての住宅棟であり
   下への階段がある。1985に全般的な改修が行われ週末住宅として使用。
 ジクシス塔 Sixischer Turm (15c) 円錐屋根の円塔で3階建ての住宅棟で
   あり、下へは階段があり、ここ20年間はホテルとして使われた。
 旧砲塔 Ehem.Geschuets turm (15c) 円塔で1979に改修され住宅塔に。
 ポンペル門 Poempeles Tor (15c) 1700まではツウインガーの迂回路として造
   られ、角ばった門塔で15cから併設されていた。1979整備され、20年間は警
   察の詰所であった。
 大砲塔 Kanonen Turm (15c) 大砲を塔頂に据えた円塔で、城の庭の前
   に立つ。中には銃の為の防弾室と発射室が上下にある。

4.見所  B

   出張った丘の上に、深い堀を橋で渡って市壁と堀で囲まれた旧市街に入
   ると多くの木組みの家が並び、更に奥の橋を渡ると堅固な下の城がある。
 下城館 Unteres Schloss (1076-86) 1523シュバーベン連合に破壊され、
   1543-46に再建された。建物は不均一なルネッサンスの破風を持っていた。城の
   一番古い部分は、フレスコ画のある礼拝堂である。地階は元の武器庫であり、
   上階の騎士の間には狩りの場面の壁がある。1969-2004は3階に行政事務所
   を収容し、2004私有となりホテルとして使われた。
 上城館 Oberes Schloss (1531) 旧軍の兵舎として建てられ、1581-83
   西に拡張し階を建て増した。19-20cにパン屋と住居として使われた。
   2004行政事務所となった。上の城館の西側に1520旧兵庫が建てられ3階建て
   に増築され、1983町が購入し1984改装されてホテルとなった。
 宿屋「雄牛」博物館 Museum Gasthof Ochsen (15c) アレマン風の木組み
   2.5階建ての大きな家で、天窓と巻軸塗装のある玄関・バロックの階段手摺・ネオ
   ゴシックの地下室の扉などがある。町で最古の宿屋で、終始個人所有だった。
 旧十分之一納屋 Ehem.Zehntscheune 中世の十分の一税を収容した。
、    1902に焼失し宿屋雄牛の納屋として復元され、ワインパブとなっている。
 フィービッヒの家 Haus Fiebich (1635) 寄棟屋根の2階建ての木組の家で、
   町が所有し1987改装して商店と住居として使われた。
 共同遺産相続人の家 Ganerben Haus Kammmerer (1514) 3階建ての木組
   の家で、1970に町が購入し1996改築され、個人のホテルとなった。
 自然と郷土博物館 Natur und Heimart Museum  Sixische塔の外側の
   堀の南側にある元靴屋の2階建ての建物で、1981資料を収集し、1986自然と
   と文化遺産の博物館となった。
 古い役所 Altes Amtshaus (1508) 3階建ての木組みの建物で、1819林
   業事務所、1978町に買収され第二市庁舎、2004橋で陸橋で上の城の建物と
   結ばれた。

5.写真

市塔門 市門・フィーブリッヒ家
事務局塔 ジクシス塔
下宮殿 旧事務局
入口門

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フェリンゲンシュタット Veringenstsdt BW136

1.歴史

  786 古代集落の存在に言及、       12c フェリンゲン城と礼拝堂の建設、
 1250 修道院を集めて町を建設、     1291 ハプスブルクのフェリンゲン郡を獲得、
 1291-1806 オーストリア当地の下にあった、  1313 ヴュルテンベルク伯爵が担当し常駐、
 1535 オーストリアはホーエンツオーレルン・カールカール1世に委託、1650 30年戦争後に農民を募集、
 1750 ハプスブルク帝国への移住者が多数。

2.市壁  0.39km 1.00

    城壁は山頂に150mと山腹に100mある。山腹城壁があったら、市壁もあ
   ったはずだが、見当たらない。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  D

    シュバーベン高原のラウレルト川に囲まれた山腹に、木組の家が並ぶ小さな町。
 市庁舎 Rathaus (1415) ホーエンツオーレルン時代に構築され、19cに復元されて3階建木組
   の建物は漆喰仕上となった。地階にはオープンマーケトの広間があり、上階ではトーモロ
   コシなど穀物の交換が行われた。1966に2階に郷土博物館を収容。
 聖ニコラウス教区教会 Pfarrkirche St.Nikolaus (1316) ロマネスクの入口玄関と正面に、18
   62-71身廊・内陣・鐘楼上部が更新された。教会にはゴシックとバロックの彫刻がある。
 フェリンゲン城跡 Veringen Burg Rest (1100-30) 北側の山の上に建てられ今は外側と
   内側の塔の切石積が残っている。遺跡の隣にピーター礼拝堂があり10-11cのフレスコ
   画と15cの十字架がある。
 居間の家 Stueb Haus(1500)元画家の家族の家で、2階建切妻上階木組の家。現
   在は中世絵画の美術館である。

5.写真

市庁舎 聖ニコラウス教会

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ビリンゲン Villingen BW137

1.歴史

  817 フランク王国の文書に最初の言及、 999 皇帝から市場権.鋳造権.関税権、
 1218 ハプスブク家の所有となり自由都市の権利を失う、1324 ギルド憲章の承諾、
 1326 墺に売られ、1805まで 墺に属した、      1349 ペストで人口半減、
 1438 2度目の城の完成、     1565-81 イタリア技師が2度目の要塞を造った、
 1524-25 農民戦争は 墺側で活躍、    1633-34 30年戦争でスエーデンが包囲、
 1704 スペイン継承戦争で仏軍が包囲、  1805ビュッテンブルクへ、1806バーデン大公国へ
 1846 交通障害のため外壁.ニーダー門取壊し、  1848 ドイツ革命軍が占領、
 1868 市門はすべての前門を取壊した。

2.市壁  0.71km 0.31

  主として東側と西南側に断続的に市壁が残っている。土堤と堀と外壁と内壁
 があったが、19Cに土堤と外壁は壊され堀が埋められ、周辺の緑地となった。

3.塔  3門5塔

  4門の内3門が残されている。しかし、前門.中門の出っ張り部は、1840上門、
  1843リート門、1844ニーダー門、1868ビック門と、それぞれ取壊された。
  そして、ニーダー門は1846に全部取り払われた。また、塔は幾らか残っている。
 ビック門 BickenTor 1349建、東 3階建で時計付きの角塔。
 リート門 RietTor 1360建、西 刑務所への階段道がある。
 上門 OberesTor 北 他の門よりも新しい。
  RomaeusTurm 13C建、6階建て角塔。元監獄塔であり、聖ミシャエル塔とも
   呼ばれた。地元の英雄がここに投獄され、その姿が塔の北側を飾っている
  KaiserTurm 1372建、元なめし革塔であり、一時的にウズラ塔とか
   クチバシ塔とも呼ばれた。1992-94に改修された。
 エリザベス塔 ElisabethenTurm 昔の壁の見張り塔。
 火薬塔 PulverTuermle 昔の壁の火薬塔の円形部。
 鐘楼塔 GlockenHiisle 昔の壁の火薬円形部、住居目的に改造。
 稜堡 Bastion 

4.見所  C

   旧市街地を掘跡の緑地と切れ切れに残る市壁が囲み、中には広く歩行者道
 路が設けられている中都市である。大聖堂広場は壮大で博物館も門塔も多い。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1306建、1537に後期ゴシックで改築。歴史的な
   評議会場がある。1876古代コレクションの拷問部屋。
 聖母大聖堂 MuensterUnsererLiebenFrau 12-13C建、初期ゴシックの教会
   1530まで大衆教会で、中には14Cの十字架.15Cの説教壇.18Cバロック内装.
   1980にオルガンと青銅の正面入口。
 ベネディクト教会 BenediktinerKirche 1688建、バロックの大教会。1536聖
   ゲオルグ修道院が来た。ジルバーマンのオルガンがある。
 ヨハネ教会 JohannesKirche 13C建、聖ヨハネ騎士団が来た。1584から聖ヨハネ
      教会になった。1838にオルガン新設。
 旧市庁舎博物館 MuseumAltesRathaus 13C建、16Cに改修して今の姿に
   なった。19Cに博物館を開設し、古代からの歴史と文化を展示。
 フランシスコ博物館 FranziskanerMuseum 時計の展示。1575の時計塔、シュバ
   ルツバルトの時計.家具.陶磁器.ガラス絵、6Cのケルト王の墓もある。

5.写真

マルクト広場 ビッケン塔
上門 リート門

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ヴァイブリンゲン Waiblingen BW138

1.歴史

  8c カロリング朝からスタウヘル朝が所有、  885 皇帝チャールズ3世の王宮として言及、
 1250 ヴィッテンベルクは都市権を授与、       1291 都市の紋章を初制定、
 1291-93 レルム戦争に敗れエスリンゲンに落ちた  1315 ヴュルテンベルクの所有に戻った、
 1634 30年戦争中にヴァイブリンゲンの王都は焼けた、  17c 町の復興はバロックで、
 1771.1784.町は大火事に遭遇     1938 郡庁所在地に。

2.市壁  0.56km 0.62

   13c後半から14c終わりまでに拡大し、ミカエル教会は市壁の外であった。1492
  ヴュルテンベルク伯爵エーベルハルト1世が外市壁や門を建設し、紋章が掲げられた。今で
  もあちこちに市壁の跡が見られる。

3.塔  2門2塔

 バインスタイナー門塔 Beinsteiner Torturm () 中世の門で、刑務所として
   使われたため解体を猶予されている間に、市街地の壁外への拡張・門衛の解除
   もあり、出入口の増加で交通量に対応して、最終的にこの門は残った。
    その他の門は1832-38に取除けられた。門塔の外側に、1491彫刻で飾られた
   砂岩の伯爵エーベルハルト1世の紋章がある。
 浴場小門 Baeder Toerle (13c) 浴場の所の小さな出入口である。この
   門を抜け水車水路を渡ると、島に行ける。市壁の内側には、ニコラス教会があり
   バインスタイン門までは今でも木製壁上通路を通行できる。
 高い見張塔 Hochwacht Turm (12c) 地形的な高所に、高さ84mの望楼が
   ある。7m正方形の基礎には1250の年号もあり、早期シュタウヘン朝の構築である。
   1663の火事の後に、切妻屋根になった。この望楼には101段の階段を登り、
   素晴らしい展望を見る事ができる。
 門衛の家 Torwart Haus (1826) 1834に取除かれたフェルバッハ門の前に伯爵
   ウルリヒ5世の紋章のある門衛の家が建てられ、保存された。通抜けるとツインガーに
   に行け、そこは前壁と後壁との間の敷地である。

4.見所  B

    シュツットガルトの東北役10kmにある、大きな郡庁舎在地である。マルクト広場は
  美しく復元され、旧市庁舎や木組の建物に囲まれ、歴史的な雰囲気が残ってい
  る。対称的に、新市庁舎とマルクトディライエックは近代的な建築物である。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (13c) この場所で市庁舎は幾多の変化をして
   来た。1476に言及され、1597の紋章石はその後の建物にも使用された。1875
   までは市庁舎として使われた。1870には3階建で、地階は開かれた石造、上
   階はバロク木組構造の建物であった。1876から小学校、1902商業学校、で使わ
   れ、1920には木造トラスが露出された。今は上階はレストランである。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1959) 長大な近代的な3階建の管理棟は、か
   っての城を整地した上に建てられ、1990に横に拡張され、2002改修された。
 マルクト・ドライエック Markt Dreieck (1976) 新市庁舎の向かいには、建築家
   ヴァルフリート・ベック・エアラングが近代的対話を古い町の地質と行って、奇抜な形の巨
   大な建物を建てた。
 ニコラス教会 Nikolaus Kirche (1269) 1485後期ゴシックの教会となり、1634
   の火災で木製の天井が焼け、1677バロックで再建され、漆喰と一部金の豪華な
   説教壇が置かれた。バロック壁画の上に塗られたが、1904-05に部分的に回復
   された。1973改修してギリシャ盛況にリースされ、2001には販売された。
 ミカエル教会 Michaels Kirche (1463) 市壁の外に建てられ、総教区は周辺
   の村を含めた「母教区」として中世から大教会であった。周辺の墓地とブラント
   小塔は要塞として構築されていた。今の3廊ホール教会はロマネスクからゴシックに転換
   し、1989外観と内装の大部分は改修された。
 ノネン教会 Nonnen Kirche (1503) 30年戦争で破壊され、小さな礼拝堂が
   墓地に建っている。1967-88ゴシックの納骨堂と小さな教会となった。
 官房事務所 Kameral Amt (1658) 印象的な木組の家はアデンベルク修道院
   として1658再建された。その後郡庁の金融の場所として官房事務所となり、
   1808-89行政局、1977個人所有、1983市が購入して改修。今はアート・スタジオや
   ギャラリィとして使われている。
 木組の家 Fachwerk Haus (1690) マルクト広場の北側に立つ3階建の木組の家
   で、華やかな出窓とバロクの装飾がある。地階には1794-1819王立上級地方裁判
   所が入った。1824-42住居として使われ、1910商業ビルとなった。
 歴史の館 Haus der Stadtgeschchte (1550) この町最古の3階建木組の建
   物で、ナメシ革屋として北市壁外に建てられた。1634には壊され、その後建て直
   された。今は歴史の館として、現代芸術美術館と芸術学校である。
 市民粉挽場 Buerger Muehle (1574) 町の南の市壁外に13cには2つの粉挽
   場があった。側に市民粉挽場が新設され、1634の大火を潜り抜けて1921まで稼
   働した。

5.写真

市庁舎 高見張塔
高見張塔 バインスタイナー門
西壁 南壁
東壁上通路 北壁

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ヴァルデンブッフ Waldenbuch BW139

1.歴史

 1007 集落は地方伯爵領であった、   12c ホーエンベルク公爵ブルクハルト2世が所有、
 1296 エスリンゲン修道院に寄付された牧草地、    1362 町として言及される、
 1363 ヴュルテンベルク州に移行、都市権を得た。  1381 ヴュルテンベルク州会員に記載、
 15c 公爵ウルリッヒに森林監視館を売却、  1477チュービンゲン大学の寄付金でハプスブルク
    家の買戻権を解消し永続的にヴュルテンベルク州の所有となった、
 1496 公爵夫人が城に住んだ、   1566 クリストファーはルネッサンスの狩猟宮殿を建て、
 1890 狩猟宮殿は南と西の翼を完成、           1721 町の大火事。

2.市壁  0.17km 0.37

    1363ホーエンベルク家からヴュルテンベルク州への移行期には市壁が存在した。
  今はUnter der Mauerに残されている。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    丘の上の小さな町で、古くからの建物が多く残されている。この町の見所
  は、22枚の説明板によって700年の歴史を知る事ができる。歩行時間45分。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1575) 地階石造上階木組のこの建物は、ガストハウス・ツムラッ
   ペンとして建てられた。1781廷氏クラインが買収し、その後市庁舎となった。その
   前の市庁舎はマルクト広場に面して立っていたが取り壊された。扉の上に碑文石
   がある。6月15日は聖ヴィートの日で、かって裁判が開かれた。
 ヴィーダー本家 Stammhaus Wider (1750) この3階建木組の建物は、裁判所の狩猟宴
   会のためのゲストハウスであった。1754商人ダニエルが買収し、彼の子孫はここに住ん
   だ。
 市教会 Stadt Kirche (1607) 公爵フレディックの下に新教会が発足した。前の教会は
   1360には独立した教区をもった。塔の西に在った旧身廊は、塔の東に1605-
   07ルネッサンスで新構築された。1988-89完全に改装された。古い塔は15cの古い教
   会の内陣に当たる。塔壁の年号には1437の年号がある。1707塔の高さは38m
   となった。鐘楼の5鐘は1300.1458.1950.1962.2008。
 宮殿 Schloss (1381) ヴュルテンブルク侯爵カール・オイゲンの狩猟宮殿であった。1381には東
   翼はあり、階段塔には螺旋階段があった。1687-80西翼、1717-19南翼が構築
   された。1989には文化博物館になった。
 森林監視官の事務所 Sitz des Waldvogts (16c) 森林監視官1562-83と森林事務所
   1883-1975で使われた。
 旧牧師館 Altes Pfarrhaus (16c) 最古の教区司教館は巡礼者を支援し1720今の2
   階建の建物が建てられ、1786.1874牧師館は新しい集会所に改修され、1990
   音楽学校になった。
 羊の館 Schaf Hof () 3階建木組の建物で多くの場所に羊牧場があり、ここで羊毛
   の原料を提供した。
 小門 Kleines Toerlin (1524) 市壁に開けられた穴で、記録が残され地下への階段
   で城からの脱出に使われた。
 市粉引場 Stadt Muehle (1785) 市の粉引城は、その後キール・マイヤー家が所有した。
 旧十分の一税倉庫 Alte Zehntscheuer (1575) 地区教区の徴税倉庫でホーリィコロス修道
   院の司祭がが管理した。ほぼ正方形の平屋の石造構造であるが屋根は木造であ
   った。1755今の木造切妻が付けられた。
 旧パン屋 Altes Backhaus (1847) 2階建上階木組の建物は、パン屋と洗濯場として
   建てられ、上階は教室があった。
 旧農家 Ehem.Bauernhaus (1585) 2階建木組の古い建物は、農家であったが、後に
   食堂となった。

5.写真

市庁舎 旧市庁舎
マルクト広場 市教会
南壁 南壁
南壁 北西壁

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ヴァルデンブルク Waldenburg BW140

1.歴史

1143 ホーエンシュタウヘン・フレデェリック1世はレムゼ修道院の開設と、1165-72 城の建設、
 1199 ヴァルデェンブルク・フューゴは本宅として交易路確保、    1254 町の設立、
 1378 遺産でシェーンブルクの貴族が所有、 1388 フリードリッヒ6世は陶工ギルドに指示、
 1430 フス派は城と町を燃やす、1473 民家を購入し市庁舎に、1531市庁舎建設、
 1482 旧市街地の火事で陶器場移転、1576 ペストで200人、1633ペストで400人死亡、
 1580 大火事で市庁舎・教会・60民家焼失、    1618-48 略奪と疫病で衰退、
 1680 ペスト再流行、1756-63 7年戦争で軍が町に分宿、1844 大公は教員養成、
 1848 城の消失、1853 城の再建、 1945 町は戦災でかなりの損傷があった。

2.市壁  0.95km 0.96

    15c高い見張塔のある約1kmの市壁が町を囲み今も残る。1495まで熊
   堀の向う側に外堡として立壁・塔・防衛通路・砲塔と新港施設が造られた。

3.塔  3門3塔

 マインツ門 Mainzer Tor (15c) マルクト広場の南から西へ下る階段の門で、
   17cには既に見捨てられていた。
 噴水小門 Brunnen Toerle (15c) 南東から外への小門で、1901までこの
   地区の唯一の生活用水の井戸に、248の階段で連絡している。
 羊小門 Schaf Toerle (15c) 東中の外への階段の門で、羊の放牧に使われた。
 夜見張塔 Nachtwaechter Turm (1500) 入口右の2階建円錐屋根の円塔で
   左の堡塁と連携して町への侵入を遮断した。
 高見張塔 Lachners Turm (13c) 町の象徴となる高さ33mの角塔で、町と城
   の防衛のために使われた。今は展望台であり、登る事ができる。
 堡塁 Bastei (1500) 火器の発達の後に防衛目的で造られた。

4.見所  C

    山の上の尾根に町は築かれ、城と町は市壁と塔に囲まれている。何回か
   の火事と戦災で壊されたが、復元されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1731) 初めは1473民家を買って市庁舎とした。
   1528-11に次の市庁舎が建てられ、1731に2階建の市庁舎が建てられ、1945戦後に
   再建された。1952には仕上調整された。
 宮殿 Schloss (1172) ホーエンローエ・ヴュルテンブルク公爵の宮殿は1165-72に建てられ、
   1430総合施設を拡張し、1536-67ルネッサンス二重ロックシステムを導入、1755-79フロント城に
   改築、1858火災後宮殿を再建、1909-12宮殿の改修。
 宮殿教会 Schloss Kirche (1793) 後期ロココと早期古典主義の複合様式で完
   成された。戦後に再建された。
 封印博物館 Siegel Museum () ドイツでも唯一の封印の博物館で、800もの封印が
   展示されている。最も美しいと言われる侯爵フリードリッヒ・カールの封印の複製も展示
   されている。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1594) ルネッサンスの広間教会で建てられ、度々
   改修された。バロックの告白祭壇がある。
 外堡 Schanz (15c) 強大な外堡は15cに建てられ、18cに上部住居が建てられた。

5.写真

市庁舎 新教市教会
宮殿 夜見張塔
シャンツ 堡塁
高見張塔 マルクト西
西壁

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ヴァルトシュート Waldshut BW141

1.歴史

 1108 最初はWalzhuetと呼ばれた、        1249 多分 町の設立、
 1273 ハプスブルクによる教会建設        1444 Armagnakenの占領、
 1468 同盟者による包囲、撃退、         1496 ブルゴーニュの支配、
 1524 宗教改革を導入したが再洗礼、    1526 教会の古い秩序の再建、
 1611 ペストで1000人3/4が死亡、    1633.1634.1638 スエーデン軍の占領、
 1639-48 仏の支配、              1745 大火事で44戸焼失、
 1806 新設のバーデン大公国に帰属、      1848 ヘッカーの義勇軍に参加、
 1931 上塔のそばの橋を改造、          1945 仏軍が占領した。

2.市壁  0km 

   見当たらない。

3.塔  2門1塔

 上門 OberesTor 13C建、7階建塔で町側に時計が付き、門に接して4階建の建
   物が並ぶ。ライン川と町を監視する見張りが上の階にある。1864から監獄とし
   て使われた。SchaffhauserTorとも呼ばれた。
 下塔 UnteresTor 13C建、6階建塔でロマネスクの要素を持つ。1689に弔鐘。1468
   にスイスが包囲して町の外から砲弾が着地。
 魔女塔 HexenTurm 家並みに囲まれた5階建の円塔。背教者のための刑務所と
   して使われた。

4.見所  C

   ライン川沿いの町で、中央にKeiser通が4階の建物に囲まれ、中央を小川が貫いて流
  れている。1869に3つの泉を除去した後に川の位置が動き、1988から歩行者専用道
  となり、賑わいを増した。
 市庁舎 Rathaus 13C建、1726の大火で焼けた。1766に美しいバロクの4階建で森林
   監督署として新築された。
 森林代官屋敷 WaldVogtei 1610建、ハプブルクの森林代官屋敷、1775主要な部分は
   ドイツ・オーデンの建設技師の計画で再構築された。
 聖母教会 Katholische StadtPfarrKirche Liebfrau 1804建、古い様式で建てられ、
   13Cゴシックの内陣は昔の地区教会のものを取り込んだ。
 病院礼拝堂 SpitalKapelle 1420建、病院に所属していた2階建の礼拝堂は、1468
   に職人のギルドによって復元され、一般に開かれた。
 旧病院 Ehe.Spitalareal 1411建、病院は市民によって建てられ、1857まで使われ
   た。
 旧肉屋 AltMetzig 1877まで町立食肉解体場、ゴシックの窓とルネッサンスの前面。下水道
   としての町の小川と丸天井の掛け金がある。今、上階は博物館
 穀物倉庫 StadtischesKornHaus 町穀物市場倉庫。ギルド集会所「殿方の居間」。
   1726に焼失、再建後1768まで市庁舎であった。

5.写真

上門外側 上門内側
魔女塔 下門

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ヴァンゲン Wangen im Allgaeu BY142

1.歴史

 815 ザンクトガレン修道院文書に初言及、          10C 修道院財産の拡張、
 12C 市場外貿易や職人がいた、     13C 壁や堀に囲まれ門塔も建てられた、
 1286 ハプスブルク帝国の自由都市、    14C 壁内は建物で溢れ市外農地を買収、
 1526 最初のプロテスタントの牧師、           1531 自由な説教の承認
 1622-47 30年戦争・ペストで人口半減、  1802 帝都でなくなりバイエルンに帰属、
 1810 領土の交換でビュッテンブルク公国へ。

2.市壁  0.230km 0.23

   北部に高い屋根付きの銃眼のある市壁があり、登ることができる。
  市壁の外側に堀や公園があり、水汲みの像がたつ。

3.塔  2門1塔

 婦人門 FrauenTor 1472建、北西の市壁の間にあり、1608に今の姿になった。
   ルネッサンスの絵画に飾られた5階建ての角塔。1988に改修。
 聖マーチン門 St.MartinsTor 1347建、西に門のみが残る。1608に今の姿になった。
   ゴシックの絵画で飾られた5階建ての四角塔。
 火薬塔 PulverTurm 15C建、北東角 染め物塔として建てられた白色の六角塔。
   そのご火薬塔として使われ、1596-1611に今の形で再建された。1985
   に補修された。

4.見所  C

   町の中を小川が流れ、大きな建物は小川の北側に立ち並んでいる。東の旧市街
  地には古い木組の家屋が多く見られる。
 市庁舎 Rathaus 13C建、古い部分はシュタウヘン時代の最初の市壁の一部。15Cに拡大
   再建され、1721にバロックの前面を付け、地方の絵画装飾がなされた。屋根裏部屋
   は1980-83に改修された。
 騎士の家 RitterHaus 1789建、3階建の建物で、地域の事務所として建てられ、今
   は市の所有で都市財政部が使っている。
 穀物倉 KorunHaus 1602建、穀物の館として綺麗に建てられ、今は図建てらして
   使われる。
 聖マーチン教会 St.MartinsKirche 13C建、塔の部分は最古の建物。中央部東側切妻壁
   はロマネスク。1386ゴシックの聖歌隊席、1468ゴシックの今の形になった。
 病院教会 SpitalKirche 1723建 東 バロックの病院教会,祭壇のマドンナ彫刻。
 ロバ粉引博物館 EselMuehleMuseum 1589建、市壁に接続された建物に、16Cロバ
   の製粉所・美術館・乳製品博物館・文学記録・中世の銭湯がある。

5.写真

市庁舎 北壁
火薬塔 フラウエン門
聖マーチン門外側 聖マーチン門内側

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ヴァイル デア シュタット Weil der Stadt BW143

1.歴史

 1075 アンリ4世の皇帝文書に初言及、  1181 ホーエンシュタウフェン家の所有となる、
 1223-42 の間に都市権の授与、    1275 帝国自由都市として発展、
 1373 皇帝との関税法の制定、    1388 戦争敗北で町は被害、
 1519 貴族と地元の間の闘争激化、  1615-29 魔女裁判で拷問と38人焼刑、
 1648 30年戦争で仏軍の略奪と放火、 1803 ヴェルテンベルクに帰属。

2.市壁  0.65km 0.46

  市壁は、西と北東と南東に、門や塔と共に残っている。

3.塔  3門4塔

   北に1門と西に2門があり、北東と南東に防御塔が4塔残っている。
 アントニウス門 AntoniusTor 西 1926建、郷土研究者アントン・ガルのキッカケでステュット
   ガルト方面の駅への門として造られた。簡単な屋根付き門。
 ユダヤ門 JudenTor 西 唯一残った市塔。1534に初めに呼ばれた。外側は、
   町紋章の写しが昔の上塔にあり、中世のユダヤ共同体があったが1349の
   ペストで壊滅した。アーチの石積み門の上に、四角錐屋根2階建て木組
   の塔が置かれている。
 王門 KoenigTor 北 北側市壁取壊しの際、石造の出入口の部分が残され
   た。ヴルテンベルクのウイルヘルム1世を敬って名付けられた。
 コウノトリ塔 StorchenTurm 15C建、レンイング郊外を守る施設の一部。初めは見張
   塔、遅くは貧困者住宅。コウノトリ塔と赤塔の間は、良く維持された古い
   城壁通路がある。
 赤塔 RoterTurm 15Cには泥棒塔とも呼ばれた。塔は地下牢として使われた。
   4階建の円塔に赤い円錐屋根が付いている。
 カラス塔 RabenTurm 昔の防御塔、中は木組みで塞がれていた。最上階は189
   3に焼けた。
 縄塔 SeilerTurm 15Cに刑務所として使われた。郊外の全塔は殻塔であり、
   石積みの町側は開かれていた。

4.見所  C

   やはり、マルクト広場が中心であり、スタウフェンの1241に設立され、1648の大火
  壊滅の後に今日の建物は建てられた。市庁舎.ケプラー記念碑1650再建、帝都
  のライオン噴水1603建.カール5世噴水1537建1987更新.ガル市中長の家1793建.旧市
  庁舎.町博物館.市庁舎などが取巻いている。古い木組みの家や周囲に塔と
  市壁もある小さな町。
 市庁舎 Rathaus 1532建、火災後1664に再建。丸アーチの柱廊玄関は、以前常設
   市場であった。帝国の紋章は西に、町の紋章は南の前面にある。
 旧市庁舎 AlterRathaus 中世風石造で1479に町が貴族の住居を買った。
 大聖堂 Kath.StadtPfarrKircheSt.Peter&Paul 12C建、1648に身廊は壊れ
   1869に再建の後期ゴシックのホール式教会。13C後期ロマネスクの東塔に、14C遅
   くに西塔は付け足された。中には、1460-70の後期ゴシック磔刑の群像.
   1611ルネッサンスの聖典室.1700バロックの本祭壇.1742ロココの説教壇等が見られる。
 病院礼拝堂 SpitalKapelle 1358建、1364奉納の後期ゴシックの礼拝堂。1747改
   築、1978改装。14C後期ゴシックの彫刻祭壇.1480の聖家族.1750の使徒.
   14Cキリストのフレスコ画、17C後ろの壁にテラコッタのロザリオロケット.祭壇画がある。
 旧病院 Eme.Spital 14C中に聖母病院は町寄付された。15C病院の資産は大き
   く成長した。600年間老人介護と貧困者寮はあり、1477の主建物は火
   事で壊され、2000に再建された。
 旧鞣し皮屋 Eme.GerberHaus 1648の大火の前の建物。裏側は表面の乾燥のた
   めに木を変えている。
 町博物館 StadtMuseum 歴史と美術の展示。中世の鍛冶屋の再現。
 ケプラー博物館 KeplerMuseum ケプラーの生涯.学説.天体模型の展示。
 道化師博物館 NarrenMuseum 謝肉祭の仮面と衣装を展示。

5.写真

市庁舎 市壁

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ヴァイルハイム Weilhein a.d. Teck BW144

1.歴史

  769 ロッシュ修道院文書に初言及、  1050-70 ツエーリンゲン家は城と集落を造った、
 1275 公爵アイヘルベルクは町を行政の中心に、      1319 町に昇格された、
 1334 ヴュルテンベルクに帰属し都市権を授与、 1461 市場繁栄するも大火災発生、
 1634-38 ペストえ1505人死亡、30年戦争の略奪、17c 農業・ワイン・工芸品の生産、
 1822 Unteramtの廃止、機械織など工業化。

2.市壁  0.0765km 0.13

   アイヘルベルク侯爵ウルリッヒは、1319町へ昇格された後に市壁を建設した。

3.塔  1門0塔

   市壁には、上と下の二つの正門があったが、上門1821・下門1828に壊さ
  れた。
 僧侶小門 Moenchs Toerlein () この小門は、ミカエル礼拝堂を壊した宗教改革
   の後に開かれ、1828に壊された。

4.見所  C

   この町で興味深いのは、マルクト広場周辺の魅力的な木組の家と公共の建物、
  15cからの壁画と歴史的な市庁舎1777・ピーター教会1089・復元されたカプチン会の
  家などである。
 市庁舎 Rathaus (1777) 公爵カール・オイゲンの地方建設所の計画に基づき、崩壊寸前
   の旧市庁舎の代わりに、2階建鐘楼付きの建物を建てた。三角切妻と町の紋
   章には1829の年号がある。2006-08前面の復元と増築が行われた。
 ピーター教会 Peters Kirche (1089) 公爵ベルトルド2世は最初の教会を奉献した。14
   09-1522後期ゴシックの大聖堂を新築し、3身廊に拡張した。1601新教説教教
   会への改修、1765内壁と祭壇のバロック化、1982-85全面改修の実施。
 カプチン会の家 Kapuziner Haus (1565) 風格のある2階建木造切妻の建物は役所書
   記と語学学校教師のために建てられた。1589個人所有、1884町が取得し、
   2000-01町の図書館に改造。
 旧先生の家 Altes Lehrer Haus (1803) 南側堀に石鹸製造人の建物として建てら
   れた。1869町はこの建物を買って先生の住宅不足をを補った。1985根本的
   な改修と地階は商工業に使うために改造された。
 飾り木組の家 Zierfachwerk Haus (1581) 切妻常置の都市農民の家には飾られた
   木組合わせられている。部分的に残され2階南面の厚板張りの部屋がある。
   1986新しさを合わせ古きを守って、根本的な改装が行われた。
 白い家 Weiss'sches Haus (1749) 町書記に後には代官のために建てられた。18
   10遺産として相続され、1858町の商人バイスが購入し、個人銀行を設立した。
 旧執事の家 Ehem.Diaconat Haus (1557) 二人の町の牧師のために、執事の住宅
   として3階建木組の家を建てた。そのご教区教会聖カリクストの牧師達の牧師館で
   あった。1980町が取得して、改修と拡張が行われたが、今は民家である。
 司教館 Pfarrhaus (1733) シュバルツバルト修道院聖ペーターの委託で、北市壁の上に聖
   ペーター教会の貴族が建てた。市壁の上には防衛通路や穀物蔵がある。
 農民の家 Bauern Haus (1500) 納屋・脱穀場・家畜小屋・住居翼のある農家が建て
   られた。1461の大火の後に建てられ、1992に改修された。この町で確認さ
   れた最古の建物である。
 町の城 Stadt Schloss (1469) 町の北東の角に、アイヘルベルク公爵が建てた。担保所
   有者としてベルナウの貴族が15cに住んだ。1709売却され、1747ガストハウス:ライオン
   になった、1895取壊されてガストハウスが新築され、2008に取払われた。城の3
   階建厚板張りの部屋が残され、1634からは穀物倉庫として使われた。
 シュッペン Schupfen (17c) 3階建木組漆喰の建物が建てられた。

5.写真

市庁舎 ピーター教会
市壁断面 北壁
南壁 北壁

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ヴァインガルテン Weingarten BW145

1.歴史

 5-8c 町の領域にアラマン人の集落、      800 ヴェルフ家は山頂に王宮を建てた、
  935 ヴェルテュ家は女修道院を設立、    1053 ヴェルフ家は南に王宮を移した、
 1056 ヴェルフ4世はベネディクト修道院設立、 1094ヴェルフ4世妻は修道院に聖遺物寄贈、
 1124-82 ロマネスクの大修道院教会建立、    1377 皇帝カール4世は市場権を授与、
 1525 連邦軍と農民の条約で戦争回避、   1555 皇帝カール5世から憲章を授与、
 1618-48 30年戦争とペストで925→72人、1803 世俗化でヴァインガルテン修道院廃止、
 1806 ヴュルテンブルク王国の一部となった、 1865 ヴァインガルテンと呼ばれる町に昇格、
 1868 第2歩兵連隊の入場で駐屯地へ、     1939-45 ラーフェンスブルクに一時併合、
 1945 兵舎が爆撃された、        1974 人口2万人超で大郡庁所在地に、
 1975 州憲法裁判所判決で独立を守る。

2.市壁  0.0km 0.0

   市壁は、1377に廃止されている。

3.塔  0門0塔

   見当らない。

4.見所  C

   マーチン山の上に最大級のバロックのバジリカが聳え、その南西に小さな旧市街地
  がある。
 市庁舎 Rathaus () 小さな石造の2階建の建物。
 バジリカ Basilika (11c) マーチン山にドイツ最大のバロック・バジリカがあり、シュバーベン・聖
   ペータが高く聳える。ローマのペター教会のほぼ半分の規模の教会から、その名
   前が来ている。このバジリカは1715-24に修道院長が建てた。壮大な前面は
   イタリア建築家に遡り、内部にはバロック修道院教会の多くの貴重品がある。美
   しいバロックの有名なガブラーオルガンや巡礼の対象となったキリストの聖遺物などが
   ある。バジリカのきらびやかさはかっての領主司教の権力と富を象徴してい
   る。1056からのヴェルフ家に基礎を置くベネディクト会修道士は教会の南の会議
   室で2010まで生活した。旧高位聖職者は宮殿造の建物に住んだ。
 収穫物倉庫 Fruchtkasten (1688) バロック破風の代表的な建物で、修道院中庭に穀
   物倉庫とワイン地下貯蔵所として建てられた。1.1百万リッターのワインが貯蔵可能であ
   り、修道院の地階にも18cは貯蔵された。ボーデン湖と南チロルからの多量のワイン
   が運び込まれた。2000には新しいブドウ園を再建し、建物は大学の図書館に
   なっている。
 穀物倉庫 Kornhaus (1621) ある市場の中心に中心に建てられ、旧名のアルトドルフの
   市場権は1377に授与され、今も週市が水曜日の午前中に開かれ、町の生活の
   要素となっている。2010周囲が再開発され、カール通りとライオン広場はお祭りや
   催し物の中心地となった。
 シュレッスレ Schloessle (1550) オーストリア行政本部の建物群はルネッサンスで建てられた。18c
   には、帝国裁判官の住宅となった。1730ロココ様式で美しい漆喰装飾に改造され
   た。赤と白の窓覆いで目印となる。2001市博物館を収容し、町と修道院の歴
   史を展示している。中庭にはルネッサンスの庭園があり、演劇や演奏の会場となって
   いる。2008アルメリアン博物館が併設された。

5.写真

市庁舎 マルケン山の大聖堂
穀物倉

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バインハイム Weinheim BW146

1.歴史

  755 ロルッシュ・ローデックスの証書帳に言及、 790 侯爵ラフォルトはロルッシュ修道院に寄付、
 1000 皇帝オットー3世は市場権を授与、     1065 アンリ4世は鋳造権を授与、
 1100 ロッシュ修道院長は修道院財産を守るためヴィンデック城を築いた、
 1232 ロッシュ修道院のマインツ大司教とプファルツ伯の抗争、1250プファルツ伯は新市街建設、
 1264 旧市街と城はマインツ大司教、新市街はプファルツ伯が支配、1454新旧市街統合、
 1537 宮殿建設、1557百貨店建設後に市庁舎、 1621-34 各国に占領された、
 1674 仏軍に占領され破壊された、 1698 プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムは常駐、
 1803 町はバーデン大公国へ、         1936 町は城と城公園を買収。

2.市壁  0.05km 0.02

   13cの市壁が残っているのは、南のBlauerHutから西北側に50m見られる。
  別に城壁は大部分残っている。

3.塔  2門4塔

 上門 Ober Tor (14c) 城の南側に3階建て角塔がある。
 ミュールハイマー門 Muellheimer Tor (1608) 東の市門であり、1882取壊され今は砂岩の
   レリーフが再建されている。その碑文のある門アーチは城公園の入口に立っている。
 赤塔 Roter Turm (14c) 西北、5階建ての円塔で胸壁の上に昔は赤瓦屋根が在った
   ためその名前が付いた。19c中までは刑務所として使われた。
 青い帽子 Blauer Hat (1250-1300) 南西、最も古い時代の防衛施設で5階建ての円
   塔である。名前は古いスレート屋根の青色帽子から来ている。防衛通路からしか塔
   に入れない塔には地下牢がある。市壁とツインガーもある。
 魔女塔 Hexen Turm (13c) 南、半円の塔で半分の高さの通路跡がある。
 ユダヤ塔 Juden Turm (14c) 北東、かって大きな隅塔が在ったが、今は四角い基礎が
   残るのみ。

4.見所  D

   城跡の下に円形の緑で囲まれた小さな旧市街があり、古い木組の家もある。
 古い市庁舎 Alte Rathaus (1557) 初め3階建ての百貨店として建てられ、地階は開か
   れた市場であった。上階の大広間には豊かなルネッサンスの絵画がある。 1752-1914
   市庁舎として使われ、1861-62切妻と木製バルコニィは取換えられ、1968-97と2002
   に改修されている。
 今の市庁舎 Heute Rathaus (1400) かっての城は、異なる時代の建築部分で構成され
   ている。1400からの最も古い建物は、上門塔の通路に属している。17c末の改造
   で要塞的な要素は失われた。1535北の部分はプファルツ選帝侯のルネッサンス建築に接続
   した。1868ネオゴシックの塔と城の一部を変換した。1725上門の南側のバロックの宮殿
   はディーブルクのウルナー家が建てた。城公園のイングリシュ・ガーデンもある。
 市教会 Stadt KIrche (1731-36) 旧町教会は中央通理の町中に在り、1731が置かれ17
   36に聖別された。面白い鐘楼が屋根に立つ。
 聖ラウレント教会 St.Laurentius Kirche (14c) 14cの古い教会の壁画が残っている。13-18
   cの多くの墓石があり、1730の高い主祭壇と横祭壇があり、1850座と塔が構築さ
   れた。教会は1911-13新築された。
 鞣し川地区 Gerberbach Viertel 狭い路地に木組の家並みがある。ここに多くの鞣し皮
   屋の家が残っている。
 市博物館 Stadt Weinheim (1710) プファルツが建てた旧ドイツ修道院は、1949町の博物館
   となり、町の歴史・13-14cフラスコ画・城のビダーマイヤー家具を展示。
 ヴィンデック城跡 BurgRuin Windeck (1100) ロルシェ修道院の保護要塞として建てられ、17c
   に仏軍によって壊され、城壁と建物の壁が残されている。1978から市が所有し、
   今はレストランがある。
 クレーヴェの家 Kerwe Haus (1559) 木組みの家に1970から郷土祭クラブが入居し市が所有
   月初めの祭りを開催している。

5.写真

マルクト広場 聖ラウレント教会

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ヴァインスベルク Weinsberg BW147

1.歴史

  778 ロルシュ修道院がぶどう畑を所有、 1140 シュタウヘンのコンラッド3世の城となる、
 1200 ブドウ畑を城壁で囲んだ、     1240 帝国自由都市へ、
 1420 都市同盟を作るってコンラッド4世に対抗 1450 城と町はプファルツ選帝侯所有、
 1525 農民戦争で町と城は荒廃、    1646シュマルカルデン戦争1512チャールズ5世占領、
 1571.1585.1957.1612ペスト流行、    1634 30年戦争で略奪された、
 1707 大火災で町の2/3を焼失、    1755-1926 ヴァインスベルク郡庁があった、
 1945 4月に空爆を受けた。

2.市壁  0.20km 0.15

  13c初に町の設立後すぐに、砂岩切り石の市壁が築かれた。円形の市壁には
  屋根付の壁上通路があり、前面には土堤と水堀が置かれた。高さ8m幅1.5mの市
  壁の延長は1.327kmであった。1525農民戦争で城と町が破壊された後、市壁と
  塔の再建は財政上出来なかった。1803-05残っていた市壁は町の拡張に伴い徐
  々に取壊された。1811-45道路のために市壁は取除かれた。市壁の遺跡は旧市
  街の北と北東と南に僅かのこる。

3.塔  0門2塔

  昔市壁には、西南の下門と東の上門の他6塔が設けられた。
 オオカミ塔 Wolf turm (13c) 町の北西の角に在る角塔。
  Wachturm (1200-10) 町の南の防衛施設として切石で造られた
   4階建ての角塔である。町でも最古の建物で町側は木製の壁で塞がれた。
   1707大火後も塔は残り、1784貧しい人のための宿泊施設として使われた。
   1853焼失するが夜警の部屋として再建され1857まで使われた。その後刑務
   所・貧しい人の宿・宿屋などとして使われた。最上階には鐘楼が置かれた。
   1986-87塔は大規模改修の後にクラブ集会所や郷土館となっている。

4.見所  C

   北側が高く南に下がって行く斜面の町であり、古い建物は北の部分に
  集中している。
 旧市庁舎 Ehem.Rathaus (13c) 旧市庁舎は1525の農民戦争で焼失し、その
   場所に1541再建されて現存する。1550-1926はラテンコ語学校を収容した。
  、1794-95仏革命軍に対抗するアーストリア軍の病院として使われた。1929ま
   では実業学校が入り、その後個人所有となった。
 市庁舎 Rathaus (1718) 1697-1707に助祭の家がここにあった。地下室には
   大きな丸天井の食堂があり、上階には主席司祭の事務室があった。
   1707の火事で建物は崩壊した。1714-18その敷地の上に新市庁舎が建
   設された。1945空爆で破壊したが、1952-53に今の市庁舎が建てられ、
   1970-80に増築された。今は1988から町の歴史博物館となっている。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehntscheuer (1528) 領主の十分の一税を公課とし
   て貯蔵するために使われた。1707の大火事で焼失し1711再建された。倉
   庫の長さは202m、幅16.4mで地下1階を含め5つの床がある。1853迄国の
   所有であったが、その後個人所有となった。1945の爆撃で焼失し、その
   場所に小学校が建てられた。今でも地下にはワイン食堂がある。
 ヨハネ教会 Johannes kirche (1200-25) 最初の身廊は後期ロマネスクで建てた。1240
   -50八角の東塔が付けられ、東内陣の増築と今の聖器保管庫は早期ゴシック
   となった。1525農民戦争で教会は燃え尽き再建された。1707の大火事と
   1945の爆撃は生き延びた。
 聖十字架聖職者の家 HeiligKreuz Pfrundhaus (1526) 1525農民戦争で焼失した
   家屋の跡に聖職者の家が建てられた。1771老朽化で崩壊し、1774に再建さ
   れた。1547までは牧師の家として使われ、1547-1554町の書記室に貸し1560
   -1823助祭・ラテン学校教員の宿舎だった。1823-50実業学校、1850-1929小学
   校であったが、今は個人所有となった。
 主席司祭教区/代官屋敷 Dekanat/Vogtei (1619) ヴュルテンベルク公爵クリストファ-の治世
   に、始めはワイン醸造事務所の建物として建てられた。1669ヴュルテンベルクーの
   シュツットガルトとノイエンシュタットが購入して、共同の代官所として使った。1707大火
   事で焼失し、城に似たような形で再建された。1750ヴュルテンベルクのヴァインスベ
   ルク・ワイン醸造所の事務所、1807-97ヴァインスベルク郡の伝道事務所、1897から新
   教主席司祭教区の所在地であった。今は小城と呼ばれている。
 旧行財政事務所 Ehem.Kameralamt (1708) 1707大火事の後に、砂岩で3階建の大
   きな(22.9m×13m)建物を建て、1742-1897新教教会監督職、1987-1926
   ヴァインスベルク郡監督職管理所、1927ヴュッテンベルク国家財政管理事務所と住居
   に改造した。1945爆撃で破壊され再建されなかった。
 病院 Spital (14c) 1354初文書言及、ヴァインスブルク修道院は病院・救貧院・養老院
   を併設した。北に修道院教会があり、背後に大きな門がある。南には市
   壁がある。1525農民戦争で焼失し、1542までに再建された。1546-47シュマ
   ルカルデン戦争でも壊され、1707大火事の後1714までは町の行政を収容した。
   18c終修道院は経済的基礎を解消のため、個々の建物毎に町民に競売した。
 郡役所庁舎 oberamtsgebaeude (1908-09) ヴァインスブルク郡の庁舎として建てられ
   た。1926郡が解消され、貸家となった。1940町が購入し高等中学校、1945
   ハイルボルン爆撃で郡行政の役所、1945-49町行政の役場、1974まで再び高等中
   学校、その後警察署となった。
 町粉挽所 StadtMuehle (1420) ヴァインスベルクの町民が建て、1525の農民戦争で壊
   されたが1528までには再建された。その建物には水車を回すための水路
   があり、1.5km先の水車池から水が供給された。20c初は製材所として経
   営され1905タバコ工場が住家に改造した。用水路の残余は今も識別できる。
 ケルナーの家 Kernerhaus (19c) コスティヌス・ケルナー教会が、1907家を買って、翌年整備
   して公開した。1985-86改造して、1階にケルナーの生涯と交友関係、2階に家
   族の居間が展示されている。庭には幽霊塔が立っている。
 ヴァイバー城跡 Burg Weiber Ruin (11c) 旧市街北西のワイン畑の丘に、皇帝の城址
   がある。1504ランツフート戦争、1525農民戦争で壊され放置された。

5.写真

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市庁舎 北壁・城址
見張塔 南壁
ヨハネ教会

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ヴァイセンホルン  Weissenhorn BW148

1.歴史

 1160 ヴィラ・ヴィツェンホロンの文書に初言及、   13c ノウフェン家が領主になった、
 1342 バイエルン侯爵が町を所有し他者に貸与、 1473 公爵ゲオルクが市壁を築く、
 1504 ランツフート承継戦争で皇帝マクシミリアンの手に、1507 マクシミリアンは主権は墺に残し、
   所有権はヤコブ・フッガーに譲渡、町はフッガー家の支援で商業都市として栄えた、
 1525 農民戦争では市民が町を守った、  1805 プレスブルクの和平でバイエルンへ、
 1862 地区事務所の設置、        1872 市壁と塔の残りを撤去した、
 1945 町は無傷で米軍に降伏。

2.市壁  0.07km 0.10

   1473の市壁は、下門に5mと城の外壁として40m+20mがわずかに見られる。

3.塔  2門1塔

   残された3門塔は、何れも2013に復元されている。
 上門 Oberes Tor (1470-80) 公爵ゲオルクは町の防衛の門を建てた。両円塔の間
   に角塔が立つ珍しい形状で、角塔の前面のフレスコ画は画家アントン・ビショップが
   1923に修復した。フレスコ画は町の歴史の一場面として:市長のディポルト・シュ
   バツが農民指導者エルク・エプナーと1505年4月1日の交渉場面を描いた。
 下門 Unteres Tor (1476-80) 50年後の1527に2階を嵩上げした。塔の北側の
   バイエルン侯爵ルードビッヒが町に憲章を授与する場面のフレスコ画は1937画家
   アントン・ビショップが修復した。
 泥棒塔 Diebs turm (15c) 北西の市壁に円錐屋根の円塔が、こん棒塔とも呼ば
   れて残っている。円筒形の上部に銃眼を備え、小横破風付き瓦屋根の尖
   った屋根がある。

4.見所  B

   旧市街は、古くからの木組の家並みが残り、19cの大きな建物と対照的な姿た。
  を示している。
 旧城 Alte Scgloss (1460-70) レッヒベルクのイエルクは15cに城山の上に旧城を建て
   1989都市計画上の健全化で、一部潤井ツインガー壁を再建した。
 新城 Neue Schloss (1513-14) ヤーコブ・フッカーが旧城の隣に新城を建てた。1565階
   段破風の付いたビール醸造所が建てられ、1700バロックの前面に改装された。
 貯蔵庫 Schranne (1390) 後期中世の建物は、百貨店として言及された。地階に
   常設市場を納め、2階には大きな祝祭場と市会事務室、屋根裏には穀物を貯
   蔵した。
 マリア昇天市教区教会 Stadt Pfarrkirche Maria Himmelfart (1865-68) カソリックの
   マクシミリアン様式で建てられた。
 カソリック聖霊教会 Kath.Kirche Zum Hl.Gaeist (1470) 付属養老院を有し、1720
   -30にバロック化された。1837今の入口は養老院の横に増設された。
 オーストリア散歩 Oestliche Promenade (19c) 19cの終わりに行政のために置かれ、
   1891まで住家と事務所としてハイレレ家が所有した。1922前面塗装。
 歴史的劇場 Histishe Theater () フッガー家の旧十分の一税倉庫であった。町が
   1850に取得し消防機材倉庫に改造し、1810整備されて町の劇場となった。
 郷土博物館 Heimat Museum (1908) 町の歴史を展示するために設置された。
   地域の歴史と芸術文化の展示を行い、1992-96展示は更新された。

5.写真

市庁舎 エストヘクシュ・プロムナード
上門 下門
泥棒塔 南壁

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ツェル Zell am Harmersbach BW149

1.歴史

 1075 ゲンゲンバッハ修道院の入植地があった、   1139 教皇イノセント2世が所有、
 1287 まだ農民の入植地であった、  1325 ゲンゲンバッハ修道院は町の創立推進、
 1330 バイエルン皇帝は帝国都市の地位承認、         1362 市壁の建設、
 1366 皇帝カール4世は都市憲章を授与、 1545チャールズ5世は自由・権利・義務を確認、
 1643 仏は町教会と首位を燃やした、         1794 磁器工場の開設、
 1803 帝国都市の終了、1805 バーデン大公国に町は落ちた、 1899.1904大火事、
 1975 バーデン・ヴュルテンベルク州に帰属。

2.市壁  0.115km 0.22

   14cの市壁は、北西・東南・南中に残り、北西には壁上通路の屋根付き部分が
  15mある。

3.塔  0門2塔

 鹿塔 Hirsch Turm (1330) 町の東南の角に3階建円錐屋根の円塔。市壁と防衛通
   路に囲まれた小公園がある。
 コウノトリ塔 Schorchen Turm (1330) 町の南側の開口部を守った。高さ25mの塔に
   は108段の階段で登れる。1462の年号のある神聖ローマ帝国の黒鷲の紋章が外側に
   あり、帝国自由都市としての町のステイタスを表している。中世には監獄となり、19c
   には正方形の塔を残して壊された。この塔の名前は以前巣を掛けコウノトリから来てい
   る。1900火事を生き延び、1991補修され、1960博物館となった。

   

4.見所  C

   14-19cは帝国自由都市であった。町には古い木組の建物に加え、1899の
  大火事の後のバロックの前面の建物とのコントラストのある家並みが見られる。
 市庁舎 Rathaus () 鐘楼付きの2階建の建物。
 聖シムフォリアン教区教会 Pfarrkirche St.Sympforian (1206) 教区の最初の教会はスト
   ラスブールの司教が設立した。30年戦争で焼失後1657一時的に木造塔で再建さ
   れた。1722石造西塔を建てた。1793身廊の再構築。
 コウノトリ塔博物館 Storchenturm Museum (1960) 古い塔の守衛詰所800m2に町の
   歴史と手工業の展示が3,500点もある。機械楽器・時計・コイン・人形・陶器など、
   珍しい製品と工房がある。
 セラミック丸炉 Keramik Rundofen (1842-1942) ツェルの磁器は3階建地下1階の建物
   で、450人を使って生産された。1942二次大戦中に操業を停止し、再開はされ
   なかった。
 陶芸美術館 Zeller Keranik () ツェル・セラミック・生産会社が、カップ・皿・水差・ケトルなどの
   鳥装飾陶器を1794から生産して来た歴史・1950年代の製造過程・製品を展示
   して、販売した。自分で色付けしたカップを造ってもらえる。
 現代美術館 Villa Haiss () 元工場の建物に、写真・絵画・彫刻・グラフィックデザインなど
   の1997年以降の作品が展示されている。
 公爵山館 Museum Fuerstenberger Hof () 黒い森の農家の50年・100年300年前
   の生活を展示している。

5.写真

   
ハウプト通 ハウプト通
コウノトリ塔外 コウノトリ塔内
鹿塔 西壁

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