ゾンダースハウゼン Sondershausen  <TH>

 
市庁舎
      

各町の歴史と見所

 表中の各町について、その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。

⑩ ヘッセン州 HE

戻る

 アルスフェルト Alsfeld HE1

1.歴史

 9-10c ヴァルギブス教会の祭壇に記述、   1069 最初の文書言及、
 1180-90 チューリンゲン方伯は城を築いた、  1222 町として証言された、
 1247 町はヘッセン方伯に属す、       1254 ライン都市同盟に参加、
 1395 ヘルマン2世は宮殿を建て時々王宮に、 1567 ヘッセン・マールブルクに属す、
 1604 ヘッセン・ダルムシュタットに属す、      1821-32 ヘッセン大公国に属す、
 1832-1972 町には地区事務所があった。

2.市壁  0.38km 0.27 

   14Cの市壁は通りの名前で判別できる。南のKloster Mauer Wegには、防御
    塔と共に市壁160+90mと、北のOberGasse付近に130mが残っている。

3.塔  0門1塔

  かっては4市門あったが、今は見られない。
 レオンハルト塔 Leonharder Turm (1886) 旧市街の南端に市壁と共に立っている7階建
   の円塔である。市壁に繋がる尖頭アーチの入口があり、地上階には天井か
   らしか入れない。頂上には胸壁高欄と小尖塔がある。碑文には1386の年号。

4.見所  C

   交易路で栄えた町で、美しいマルクト広場の周辺には古い木組みの建物が再建さ
  れている。
 市庁舎 Rathaus (1512-16) 石像の地階の上に木骨造2階建て、前面2小塔付の美
   しい建物で、地階部分は昔市場広場として使われた。2階は市長室や市議会、
   3階は旧法廷1604であった。
 婚礼の家 Hochzeits Haus (1565) 石造の角出窓付3階建ての建物で、初期ドイツ
   ルネッサンスの花網と渦巻の装飾が切妻壁に付いている。
 ワインの家 Weinhaus (1350) 町でも古い側面フレーム工法の木組みの家で、最も古い部
   分は1530である。1403.1464拡張や変換は部分的に壊して行われた。家の下に
   二つのパラレル・ボールト天井の地下室があり、切妻は町の創設時代からの物である。
 ヴァルギプス教会 Walpurgis Kirch (13c) 上記三つの建物の背後にある教会であり、
   内陣は1393に再建され、塔は1394に崩壊後に1540ルネッサンスで八角塔で再建され
   たが、1836には1階分短くされた。ゴシックの身廊は1472既存のバジリカの通路を
   高め拡大して修正した。
 トリニティ教会 Dreifatigkeits Kirche (14c) 市街の南端に在る旧アウグスチン会修道院の
   教会で、2身廊非対称のハレン教会として1435を中心に構築された。
 旧アウグスチン修道院 Ehem.Augustiner Kloster (13c) 市壁と教会の間に修道院が設立
   され、1533から病院として使われた。レンガの壁は、まだ修道院の配置を確
   認できる。
 地域博物館 Regional Museum (1897) 貴族の家のNeurathaus1688とMinning
   erodehaus1687に、古代からの町の歴史と文化を展示している。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
壁円塔 木組家

戻る

戻る

 アメーネブルク Amoeneburg HE2

1.歴史

  6c メロヴィング期に山上に砦が存在、  721 山上に要塞と小教会を築いて布教、
 732 城とミカエル教会が築かれた、     8c カロリング期に城の強化、9c城の衰退、
 1145 マインツ大司教と方伯は新城を築く、1165 チューリンゲン方伯が城を破壊 すぐ再建、
 1222 マインツ城代が城を占領、        1273 マインツ・アメーネブルクの廷史が管理、
 1427 ヘッセン方伯は飛び地の領土として所有、  17c 30年戦争で数回占領された、
 1621 ブランズヴィック軍が占領し要塞を強化、 1650-75 城は補強された、
 1762 ヘッセンと仏の激戦と休戦、       1803 ヘッセンとカッセルの統合、
 1866 プロイセンへ属した。

2.市壁  0.87km 0.61 

  小山の周囲には、大きく市壁が囲み南から東にかけて、半分以上の部分が良
   く残っている。市壁を楽しむためには、山腹のMauerRundwegから案内標識があり
   市壁が見上げられる。

3.塔  0門4塔

 ハイン塔 Hain Turm () 北東、円錐屋根の3階建の円塔。
 シュペンデン塔 Schwender Turm () 西、屋根のない円塔。
 円塔 Rund Turm () 北、円塔の切株が市壁の外に残っている。
 アメーネブルク塔 Amoeneburg Turm () 南、アメーネブルク城跡の外壁に2円塔がある。

4.見所  C

   山の上の市壁で囲まれた12haの広い旧市街地で、多くの木組の建物が修復され
  ている。山腹のMauerRundwegからの眺めは北側が良い。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1690) マルクト広場の北の3階建の木組の建物である。
 アメーネブルク城跡 Schloss Amoeneburg Ruhen (6c) 標高362m高台に、6cの砦・8c
   の要塞から城・1145マインツ大司教の城となり、その後も破壊と再建が繰返された。
   1839には城の建物は壊れた。今は建物の基礎と地下室、塔のある周壁の部分
   のみが残された。
 マルクト広場 Markt Platz 元の形状に従って、18cと1990-95に都市再生の一環
   として整備せれた。
 旧醸造所 Ehem.Brauerei () 今は市博物館と自然保護センターを収容している。
   地階には町の歴史と出土品が展示され、上階には1762の仏軍戦のジオラマがある。
 聖ヨハネ・パプティスト教会 St.Johannes der Taufer (14c) ネオゴシックの聖堂にバロック
   のドームを備えた教会塔がその北に立っている。
 城施設 BurgHof am Lintaur Tor (1543) 北に城の施設が建っている。
 マインツ館 Mainz Hof (14c) LanderTorの邸宅と納屋がある。
 プロテスタント礼拝堂 Ev.Kapele Amoeneburg () 東南の外れにある小さな礼拝堂。
 宗教法人学校聖ヨハネ Stiftsschule St.Johane () マルクトの南の大きな建物。
 教区施設聖ボニファチウス Pfarr heim St.bonifatius () 墓地の北に立つ。

5.写真

 
旧市庁舎 マルクト広場・教団学校
南市壁 西市壁
北市壁 西北市壁

戻る

戻る

 バーベンハウゼン Babenhausen HE3

1.歴史

 1176 ミュンフェンベルクのクノー1世はフルダ修道院からアルトドルフ修道院を購入して、
    城を建てたが30年戦争で破壊され再建されなかった。
 1211 エーベルバッハ修道院寄付文書に初言及、13c ハナウ・リヒテンベルク侯爵が水城を建接、
 1295 ンッソー王アドルフは都市権を授与、    1458 ハナウ・バーベンハウゼン郡となった、
 1445 市壁は更新強化され2門7塔を築く、  15c 城は東翼を建てその後も拡充、
 1638 鋳造権を有し一時硬貨鋳造、     17c 30年戦争で何回も占領された、
 1647 ハウナウ事務所は去りヘッセンカッセルに落ちた、  1736 ヘッセン・カッセルと紛争1771まで、
 18c 仏が3年間占領、フランクフルト大公国ヘッセン・ダルムシュタットへ、 1901歩兵第61師団駐屯。

2.市壁  0.59km 0.76 

   ナッサウ王アドルフにより1295都市権が与えられ、裁判権・防衛権も含まれたため市壁
   築かれた。15c中に更新・拡充された。1890から解体が始まったが8割は残る。

3.塔  0門3塔

 破壊塔 Bresch Turm (14c) 西、3階建の角塔で、30年戦争のカトリック軍の
   大砲弾によって砕かれた。
 魔女塔 hexen Turm (14c) 西南、3階建の四角錐屋根の殻塔で中世終りに
   監獄と拷問に使われた。魔女狩が1580-1680に行われたが、カトリックの町でなかっ
   たため少数に限られた。
 ハナウ塔 Hanauer Tor Rest (14c) その塔の跡にGasthaus Zum Hanauer Tor
   が2階建で1840に建てられた。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1605) 市庁舎には張出したアーケードがあり、その中で
   市場が開催された。1804に新築され、上階木組の建物となった。一次大戦の破
   壊の後に石造マンサード屋根2階建の建物となった。木曜日14-18時にマルクト広場に青
   市がたつ。今は観光案内所がある。
 市教会聖ニコライ Ev.Stadtkirche St.Nikolai (1262) 何百年も経過するうち
   に、度々拡張・改造されてきた。1383内陣空間、1472身廊、。中には、彫刻祭壇
   ・中世のフレスコ画・ハウナウ侯爵の信仰がある。2001-06ヘッセン州記念物保護局が修復した。
 旧薬局 Alte Apotheke (1774) 文化的記念碑として価値があり、木組の前
   面は薬用植物を彫刻した木製パネルが取付けられている。
 最古の木組の家 Altest Fachwerk Haus (1442) 。魔女塔の隣に、この町で
   最古の入口の上に1442の年号がある木組の家がある。1990修復されて、遺産修復
   作品賞を受賞した。
 裕福な家 Pateizier Haus (16c) 古い木組の家は裕福な市民が建てた。
   その後、FabrStr.24にGasthof ZumGalonenEngel、26にZumWeissenSchwan。
 城代の家 Burgmann Haus (13c) ネオゴシックの聖堂にバロック
   のドームを備えた教会塔がその北に立っている。
 市粉引所 Stadt Muehle (14c) 中世には既に製粉水車があった。19cの終
   に電力生産に換わった。今市粉引所は改築されて市民センターとなり、ビストロと牧歌的
   なビアガーデンもある。
 宮殿 Schloss (1188-89) 水城として造られ、最初の侯爵の住んだ宮殿であ
   った。今は私有で改築されて五つ星ホテルである。
 牧師館 Pfarr Haus(15c) 旧ワイン醸造所の跡に、1595に地階の上に見事な木
   組の上階を建て、侯爵の役人が住んだ。その後2牧師館になった。
 領土博物館 Territorial Museum (1555) 元役所の3階に250m2の展示場に、
   物語ギャラリーの領土博物館が開設され、研究図書館と朗読室も収容している。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
魔女塔 破壊塔

戻る

戻る

バート アロルぜン Bad Arolsen HE4

1.歴史

 1030 パデルポート司教に贈られた、  1131 領主未亡人がアウグスチナ女子修道院設立、
 1155 伯爵フォルクヴィン2世は修道院代官を継承、1526 修道院の廃止後伯爵フイリップ3世へ、
 16C ルネッサンスの翼を増設しバルデック侯爵家の王宮とした、 ビール醸造は修道院から継続、
 1622 30年戦争で城は要塞化された。  1634 要塞が完成し奇襲や略奪から守った、
 1668 伯爵ゲオルグ・フリードリッヒは宮殿建築、1677 古い宮殿を更新し伯爵家族が移った、
 1717 伯爵アントン・ウルリッヒは帝国侯爵に昇進、    1717 アロルゼン新市街に王宮を建築、
 1731 3市場開催の特権が授与された、1868 ヴァルデェック公国は同盟主権をプロイセンに、
 1871 ヴァルデック軍の兵舎が町に置かれ、    駐屯都市としての歴史が始まった、
 1929 ヴァルデック公国はプロイセンに併合、      1945 第2次大戦の被害は免れた。

2.市壁  0.0km 0.0 

   1634の記述によると市壁が築かれたように思えるが、今は全く見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   東のバート・アロルゼン・ヴァルティッツ公国の居城は、オランダ女王エマが生まれ、歴史的雰囲気
   に中で演奏会や展示会が開かれる。西の市教会までの町並みはバロックで纏まった町
   で、バロックフェアが開催される。スパ治療の街でもある。
 市庁舎 Rathaus (1914-15) 新庁舎として建てられ、1929ヴァルデック公国のプロイセン併合
   まで使われた。1929-34は国の郡会計事務所・高等建築事務所・郡学務課であった。
 王宮 Residenz Schloss (1710-1810) バロック3翼の宮殿で、侯爵フリードリッヒ・アントン・ウルリッヒが
   居城として建築し、未完の1720から使用された。資金不足で完成には100年を要した。
   2階には天井画のある大宴会場がある。宮殿の背後には白鳥の池のある公園施設
   が1770に形成された。
 新宮殿 Neues Schloss (1764-78) 侯爵クリスティの未亡人のために建てられ、中には、ロココ
   の家具調度がある。1852内装は古典主義に一新された。南の公園には、針葉樹が植
   えられ、果物と野菜の畑もある。1970の火災で内部は焼け、同年に南拡張から再
   建が始まり、1974ホテル新宮殿となり、1992耳鳴りクリシックを収容し、1998新館が建て
   られた。
 外陣 Vorhof 、新築の建物と一緒に歴史的な建物は、今は4星のホテルである。
   Orangere・Remisc(18c)伯爵時代の温室と馬車庫、
   Gaerrtuerhaus (1819-21) 侯爵ゲオルグ・ハインリッヒは時計塔付の庭師の家を造らせた。
   Alte KlosterSchenne 旧修道院の納屋は火事の後に1723と1824に再構築された。
Fuerstliche Reitbahn (1822-24) 侯爵乗馬学校は、今は劇場・演奏・祝賀会場。
 侯爵厩舎 Fuerstlicher Marstall (1749-58) 侯爵カールは入口の切妻に半円浮彫の3つの
   馬が付けられたが、資金不足で全体計画は完成しなかった。今博物館。
 市教会 Ev.Stadt Kirche (1749-58) 簡素なバロックで擬古主義も含まれる。教会の塔は
   宮殿からの見通しの終点に位置する。
 聖ヨハネ教会 Katholische Kirche St.Johannis (1896) 1897に聖別され、その更新されて
   いる。中には顕示台・キリストの絵画などがある。
 カウルバッハの家 Kaulbach Haus (1721) カウルバッハ家は1790に家と作業場を引取り今は、家具
   職人の作業場をそのまま見られる博物館である。
 旧郵便局 Ehem.Postamt (1905-07) バロックの代表的な建物で、今は健康と温泉の案内所で
   ある。
 大通り Grosse Allee 東西1.67kmの大通りに880本の樫の大木が6列に茂り緑の空間を提
   供している。1725に取払われた西のCharlotten宮殿と繋がっていた。
 クリスチャン・ダニエル・ラーハ美術館 Christian Daniel Rach Museum (2002) 侯爵厩舎
   町で生まれた彫刻家クリスチャン・ダニエル・ラーハの美術館が収容された。擬古派には、この
   の彫刻家達の貴重な彫刻の展示がある。

5.写真

市庁舎 宮殿

戻る

戻る

バート ヘルスフェルト Bad Hersfeld HE5

1.歴史

736 修道院の庵を建てた、  769 ベネディクト会修道院を設立、
 1142 市場の町、1170 都市として初言及、 1378 修道院と都市との権力闘争、
 1439 町の大部分は火事で焼失、     16c 修道院もヴェーザールネッサンスで再建、
 1525 農民戦争で町と修道院に被害    1648 ヴェストファーレン和平でヘッセ・カッセルへ、
 1761 7年戦争で修道院と大学教会が損傷、 1807 ナポレオン軍が占領、
 1945 平和的な占領が行われた、     1949 町の名前にBadの冠を付けた。

2.市壁  0.47km 0.23 

   中世の市壁は、北西に残され、西側の修道院壁に繋がっている。

3.塔  0門2塔

  中世の町には12塔あったが、北の1塔と修道院遺跡に四角のキャサリン鐘塔がある。
 クラウス塔 Klaus Turm (c) 北の3階建の円塔で当時は整備隊や刑務所として使か
   われた。1988塔は修復され帽子が付けられた。
 キャサリン塔 Katharinen Turm (16c) 修道院遺跡の東部に独立した鐘楼としてたて
   られた、塔には1038年の刻印があるドイツ最古のキャスト・ベルがあり、祭日に
   鳴らされる。

4.見所  C

    小山の上に修道院の広い遺跡があり、博物館が置かれている。その修道院遺
   跡の東に外周約1.7kmの大きな旧市街地が広がり多くの美しい木組の家がある。
 市庁舎 Rathaus (1371) ワイン街道の町のゴシックの市庁舎は、1612にヴェーザールネッサンス
   の4階建の建物となり、今でも市庁舎として使われている。市長や議員の
   事務室や市の人事・経理部門が建物内にある。
 市教会 St.Marien Kirche (11c) 旧市街地の真ん中に、防御塔のように大きな
   11cの四角い教会塔のある大きな教会である。16c半ばに今の姿になり、その
   後に拡張と改装がありロマネスクの教会になった。1760の大火事で元のゴシックの尖
   塔を失い、仮のバロックの屋根で長い間使われている。毎月第2と第4の水曜日の
   15時に定期的に222の階段を上って、頂上からの眺望を楽しめる。
 木組の家 Fachwerk Haus (16c) ドイツ木組の家街道の上の町であり、2000以上
   の木組の建物が修復されている。教会広場には、最も美しい木組のクラスター
   の家(1452)がある。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
北円塔 クラウス塔
西門 修道院塔
西市壁 木組の家

戻る

戻る

バート ホムブルク Bad Homburg HE6

1.歴史

  872 ロルシュ・コーデックスの文書に初言及、 12c ホムブルク城は今の城の中庭に建った、
 1330 町は市場権と都市権を得た、1335 バイエルン侯爵ルードリッヒ4世も町の特権を確認、
 1486 ゴードフリード10世はハウナウ侯爵フイリップ1世に売却、1504-21 一時ヘッセン方伯領に、
 17c 方伯フイリップ1世の死後ヘッセン・ダルムシュタット家へ、1622 ヘッセン・ホムブルク方伯家に、
 1866 ヘッセン・ダルムシュタット家から墺普戦争後にプロイセンへ、19c カジノを開いて有名スパに、
 1888 皇帝ヴィルヘルム2世は町を東の離宮とした、 1945 2次大戦の爆撃による被害。

2.市壁  0.41km 0.40 

   西端にある旧市街の北110m、西140mm、南160mに市壁が残る。

3.塔  0門3塔

 市庁舎塔 Rathaus Turm (10c) 最初の市庁舎に立ち、1820老朽化で壊さ
   れた中壁の一部を形成した。1824中世風の円錐屋根の円塔が再建された。
 切株塔 Stumpfer Turm (1824) 基礎下部の上に冠付円塔として再建された。
 白塔 Weisse Turm (14c) 宮殿に白色で全高48mの塔がある。下部に直径10m
   の狭間胸壁、上部に直結する5.6mの頭部がある。脚部掘り込みの場所に、
   中世の武具を付けたフリードリッヒ4世の砂岩立像がある。

4.見所  C

   世界的な温泉都市であり、クアハウス・クアパークに様々な噴水がある。西端に小さな古
   い木組みの家が密集した旧市街があり、木組みの家に囲まれたマルクトと宮殿は一見
   の価値がある。
 方伯宮殿 Landgrafen Schloss (1180) 1354城を拡張、1680-85ヘッセン・ホムブルク家が
   バロックの宮殿を建てた。1867プロイセン王ヴィルヘルム1世が城に滞在し、1888ヴィルヘルム2世
   は夏形での住居として家族と共に住み温泉街に出かけた。宮殿は120m*100mの長
   方二つの中庭を囲み、一部西側は開けそこに白塔が立っている。宮殿の区画の
   南北の入口には不似合な古代様式の門が二つある。1441広大な庭園に大きな池。
 エアレーザー教会 Erloeser Kirche 西側はイスタンブール風で、中に、新ビザンチン様式の大
   理石の壁・全モザイクの壁掛・宝石で飾られた祭壇十字架がある。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (1765) バロックのカソリック中央教会で、1808バロック高祭壇、
   1839オルガンを設置。
 宮殿教会 Schloss Kirche (1697) 新教の身廊ホール式教会で、2階建てギャラリィは聖書
   のモチーフで飾られている。
 英国教会 Englische Kirche (1868) 英国王エドワード7世を初め英国人の温泉治療が
   増えたため英国教教会が建てられ、後に博物館や演奏会場として使われた。
 ロシア教会 Russische Kirche (1896) ロシアの湯治客のためロシア正教会を建てた。
 城博物館 Schloss Museum 17-19cの芸術・宮殿・室内装飾と家具・フリードリッヒ2世の銀
   の脚などを展示。
 ゴシック館 Gotisches Haus (1818) 中に帽子博物館・雑貨博物館・貨幣博物館。
 クアハウス Kurhaus (1841) 町の中央に温泉治療の中心として建てられた大きな建物で、
   火事で焼失後1863新築し、1945空爆で壊され1952シンプルな形で再建された。
   その後1952赤い砂岩の正面を更新した。

5.写真

切株塔 マルクト広場
クアハウス 方伯宮殿

戻る

戻る

バート カールスハーヘン Bad Karlshafen HE7

1.歴史

 1699 ヘッセン方伯カールによってヴェザー川に港が造られた。1717 町はカールスハーフェンに改名、
 17c末 ユグノー教徒が移住し美しいバロックの街を築いた、     1730 塩水の発見、
 1835 塩水から塩の生産、           1838 塩水温泉の医療スパを設立、
 1955 町の名前にBadを冠した。

2.市壁  0.00km 0.0 

    見当たらない。

3.塔  0門1塔

 ユグノー塔 HUgenotten Turm (1913) 港の上の100m高い山の斜面に、3階建の円塔が
   建てられた。登ると町の眺望が素晴らしい。

4.見所  

    17c末に仏のユグノー教徒を受け入れてバロックの白亜の街並みが残されている。
   18c塩水が発見され温泉保養地になった。
 市庁舎 Rathaus (1715-18) 初め梱包と倉庫のために建てられた2階建バロックの建物で、
   2階には方伯の裁判所が置かれた広間がある。今は市庁舎として使われ2階は議
   会場である。鐘楼のカリオンは1日に4回異なる曲を奏でる。
 バロック都市計画 Barocke Stadtanlage 掘り込まれた港を囲むようにバロックの建物が120戸
   建てられ、幾何学的な美しさ呈している。
 傷病兵の家 Invaliden haus (1704-10) ヘッセン軍の元兵士のための老人ホームとして建てられ
   た。1708礼拝堂は、礼拝の場として3改革派教会を務め、今は神の家として新教
   徒の使われている。
 塩水と製塩所 Sole und Gralierwerk (2005) 200年前から塩水は汲み上げられて使われ
   ているが、今は深さ1150mから濃度23%の塩水を汲み上げて、46度の温水はスパで
   使われている。高さ8m長さ30mの滴下式エアゾル発生器で高湿度・豊塩粒子の空気が
   造られている。
 ドイツ・ユグノー博物館 Deutschs Hugenotten Museum (1989) かっての葉巻工場の中にユグノー
   教徒の移民の歴史と文化が展示され、2006に拡張された。

5.写真

 
市庁舎 白塔
木組の塔

戻る

戻る

バート ケーニッヒ Bad koenig HE8

1.歴史

 820-822 王の使用する浴室として言及、 12c 帝国所有から王国フルダ修道院へ、
 12c 町には事務所や裁判所を設置、   1477 町はコンラット・エアバッハに与えられた、
 16c エアバッハ伯は宮殿を中心に建設、   1747 役所はエアーバッハ・シェンブルクの所属に、
 1948 王は町を国家承認浴場と呼んだ、

2.市壁  0.15km 0.25 

   マルチン・ルター通に沿って250mの壁があるが市壁の位置とは思われない。その北に
  60mと南境界に90mが市壁であろう。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  

    宮殿広場に面して立つ高い建物達は、調和が取れて見事である。その南に
   バロック階段を上がると、堀が保たれている。
 新宮殿 Neues Schloss (1793) 旧宮殿の隣に2階建の新宮殿があり、1993までは町
   役場を務めた。後期バロックの砂岩造上塗の切妻の建物。
 旧宮殿 Altes Schloss (1559) 宮殿広場の南の高い側に、エアーバッハ・シェンブルク伯の3階建
   宮殿が置くの広場に面して建った。右壁は16cからの物で、18cには後トラスを更新
  した。上階は新しく塗られ、中側に1793の漆喰ガーデンルームがある。1929までエアーバ
   ッハ・シェンブルク伯が古城を使用し、その後住宅などに使われ、1990歴史的建造物とし
   て改修され、歴史博物館と市議会が使い、1993から市役所となった。
 プロテスタント教会 Ev.Kirche (1479) 旧宮殿の後ろにあり、最も古い部分は3階建の後期ゴ
   シックの塔で碑文によると1479の年号がある。身廊は1750-51の平らな天井の後期バ
   ロックのホールである。
 バロック階段 Barock Treppe (19c) バロック階段は、宮殿中庭と教会の後ろの「喜びの庭」
   を接続する鋳鉄製の手摺のある階段である。
 出納役事務所 Rentmmeisterei (1804) 宮殿広場を囲む偉大な風格の建物の内最も新
   しい2階建の建物で伯爵の厩舎であった。地階はアーチ入り口が強調され、1985に改
   装されて、催物会場となった。

5.写真

出納役事務所 新宮殿
プロテスタント教会 エリザベス通
南東壁 東南壁

戻る

戻る

バート ナウハイム Bad Nauheim HE9

1.歴史

 5c ケルトは塩源から塩を得た、     900 フランク族が移住し、修道院の建設、
 1489 塩のギルドが組織された、      16c 薪の高騰で塩の生産は困難に、
 1585 ハウナウ式製塩施設の導入、    18C初 濃縮製塩法を導入して利益増大、
 1733 ヘッセン・カッセル方伯が支配、           1848 温泉療養施設の設置、
 1900 スパ・リゾートの全盛期、ロシア・墺の皇后が滞在、アールヌーボーの建物が並ぶ。

2.市壁  0.0km 

   昔、町を囲んだ円形の市壁の位置を示す掲示板が、元墓地の跡の公園に立って
  いるが、市壁らしい構築物は見当たらなかった。

3.塔  1門0塔

 上小門 Ober Pforte 旧市街の西門である。

4.見所  B

   温泉保養地であり、城・旧市庁舎・教会のある小さな旧市街がある。温泉街の
  アールヌボーの建物と公園があり、塩水濃縮施設も復元されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1788) 木組みの市庁舎で1903まで使われた。
 ヴィルヘルム教会 Wilhelms Kirche (18c) 今は、新教の教区センターと礼拝所となっている。
 ラインハート教会 Reinhards Kirche (1732-33) まだ残っている古い教会で、今は、ロシア
   教会となっている。
  Burg 古い城壁の残りと古い城の穀物倉が残っている。
 ユーゲントシュティール Jugendstil (1902-12) ヘッセン大公エルンスト・ルードビッヒはユーゲントシュティールの建
   物や噴水・庭園などを、貴族等の療養者のために整えた。
    Sprundelhof1912、Kuahaus1862、Therme,Erstes Kur
   und Bad haus1835、Trinkkur Anlange1911.
 塩水濃縮装置 Gradier Bau (1788) 珍しい霧水流下式塩水濃縮施設が復元されてい
   る。設備としてはⅠからⅤまである。
 ケルト製塩所 Keltische Saline 5cのケルトの製塩所。
 中世製塩所 MIttelalteriche Saline 中世の製塩所。

5.写真

 
市壁表示板

戻る

戻る

バート オルプ Bad Orb HE10

1.歴史

 1059 フルダ修道院文書にヘンリーヒ4世の贈与、1064 ヘンリー4世はマインツの教会へ贈与、
 1244 町は都市権授与と硬貨鋳造、   13c マインツ選帝侯に属し市壁や門の建設、
 1428-1566 ハウナウ侯爵に町を入質、16c ハウナウ侯爵の改革はマインツ選帝侯に戻り解消、
 18c 市内の銅ヤカン製塩所は市外の流水濃縮へ、 19c 製塩は不採算化しスパ開設、
 1806 アッシャヘンブルク大公国へ、  1814 バイエルン王国へ、  1866 プロイセン王国へ。

2.市壁  0.52km 0.66 

  13cの市壁は、町の豊かさを示して高く強力な姿を今に止めている。1838の大
  火事の後に、市壁・壁塔・胸壁は解体された。市壁の一部は北から西と東北に残る。

3.塔  2門8塔

  3市門の内唯一OberTorが残り、UnterTorとTorsTorは取り壊されたが、Unter
  Torの基礎は確認できる。半円形の壁塔は19基の内8基の中間塔が残された。
 上門 Ober Tor (13c) 6階建の角塔でアーチ門。

4.見所  C

  17-18cに建てられた2-3階建の木組の家が、マルクトや主要道路に多く残される。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1770) 3階建の時計台付きの大きな建物。
   今は観光案内所。
 バートオルプ城p Burg Bad Orb (13c) 北西の貴族が建てた古い城。1981-82
   ゲストの家として一部復元。十分の一税倉庫は、市博物館となり、町の歴史と文
   化を展示している。
 聖マーチン教会 St.Martin Kirche (14c) ゴシックのハレン教会で、17-18cに拡張された。
   1983の火事で焼け、1984ネオゴシックのシンプルな建物にバロックの内装で再建。
 クアパーク Kur Park(2008-10)旧市街地の南に、木造建物と800m2のプール、
   ホテル、レストランが建てられた。2010広大な15haのクアパークが造られ、入口には1806の
   流下式塩水濃縮施設Gradierwerk155m×12m・H18mがある。

5.写真

市庁舎 マルクト
聖マーチン教会 流下式製塩
上門 南壁
北西壁 北壁
北東壁 東北壁

戻る

戻る

バート ゾーデン アレンドルフ BadSooden Allendorf HE11

1.歴史

  776-79 フランク王シャルマーニュのフルダ修道院への贈物の文書に初言及、
 1212-18 村には市場権があった、1218 町となり、市壁はあり後に塔を建てた、
 15c 生理的食塩水を藁に流下させて濃縮し焼成する食塩製法が行われた、
 1623 30年戦争で破壊回避のため、ティリー将軍に毎回金を支払った、
 1637 財源が底をつきクロアチア軍に侵略された。  17c 多くの大工が復興に集まり
    共通のトラス様式の木組の家が見られる、  1866 塩の専売廃止で生産低下、
 1881 塩水入浴療法が開始した、        1906 塩の生産は中止された、
 1794 塩の生産を始めた、           1929 ソーデンとアレンドルフの合併、
 1945 2次大戦の空爆で被害。

2.市壁  0.78km 0.53 

   13cには市壁は有ったが、ソーデンには位置が明らかにない。アレンドルフは北220m
   東290m、南150m、西120mの市壁が痕跡を留める。

3.塔  1門1塔

 石門 Stein Tor 南東の門で、両側の建物の間のアーチのみが残る。
 泥棒塔 Diebs Turm 6階建ての円塔で市壁が片側に付いている。

4.見所  C

   アレンドルフは1638-1906製塩業で、特に中世に繁栄し塩の取引者は裕福で壮大な
   木組みの館を建て残されている。貴族の木組みの家「ライオン」は最も美しい。
 市庁舎 Rathaus (17C) 4階建木組の建物で、四角い塔の上に円錐屋根が乗
   っている。周囲の3階建ての木組の家と共に、美しいマルクト広場を形成している。
 聖クルシス教会 St.Crucis Kirche (1218) チューリンゲンのルードリッヒ4世はアルテンドルフ
   Crucis教会を贈った。十字型の身廊は1386に完成し1424-76に塔は建てられた。
   1637帝国軍に破壊され、2身廊フラットオーク天井が設けられ、19c洗礼堂はラテン学校に
   なり、1906から結婚式場としても使われた。
 菩提樹 Linden Baum (1218) フランクフルとリューベックを結ぶ交易路の門にシナの木
   が植えられ、旅人に木陰を与えた。18c噴水が建てられ、シラーの詩にシューマンが曲を
   付けて有名になった。1827に馬が水を飲める噴水に変えられた。以前からの水
   鉢はそのまま残され、700歳の菩提樹は1912に新しく植え替えられ、小門は1997
   再建された。
 流下式製塩所 Gradier Werk 15cからの藁の流下式の塩水の濃縮場は1999-
   2000に取り壊され再建されている。
 国境博物館城教会 Grenz Museum Schifflersgrund (1991) ヘッセン州とチューリン
   ゲン州との間の国境にある博物館で、鉄条網と柵と見張台にヘリコプターがあり、国
   境管理小屋に歴史の展示がある。  塩博物館 Salz MUseum (1974) 製塩所のSoedertorに製塩1000年の歴史と
   1906に閉鎖後に保管られた機材や工法が説明されている。

5.写真

アレンボルフ市庁舎 ソーダー塔
アドルフ旧市街 流下式製塩

戻る

戻る

バート ゾーデン・ザルミュンスター Bad Sooden Salmuenster HE12

1.歴史

  888 マイセン大司教フルダ修道院のザルミュンスター教区の設立、
 1150-68 フルダ修道院コーデックスに初言及、    1319 ザルミュンスター教区の整備、
 1320 バイエル皇帝ルードビッヒは町に昇格させて帝国都市並みの特権を備えた、
 1400 一次市壁の完成、   16-17c 宗教改革・反宗教改革・疫病・戦災で衰退、
 1666 30年戦争で女性はハチの巣を置き町を守る、1691-94 フランシスコ会修道院建設、
 1802 フルダ修道院の世俗化でオラニエンに属す、1806 ナポレオンに抗して町は破られた、
 1810 フランクフルト大公国に引き継がれた、     1813 ウイーン会議でヘッセン選帝国、
 1822 ハウナウ公国は州になった。

2.市壁  0.17km 0.23 

    1400の市壁は、四角い形でその後再建されて所々に残る。2009にも復元。

3.塔  0門2塔

 魔女塔 Hexen Turm 。
 十分の一塔 Zehnt Turm 。

4.見所  C

    高速道路から北側の山腹に長方形の旧市街地があり、城や教会の大きな建
  物と17-18cの木組の住宅と貴族の家や商店などが中世の雰囲気をかもす。
 市庁舎 Rathaus (1846) 古典的3階建石造の建物で、鐘楼のカリオンは1日に3回9.05、
   13.05、16.05に鳴らされる。
 シュライフラス邸 Schleifras Hof (15c) 角にある階段塔と付属建物は15cの年号がる。1564
   マインツ選帝侯が荘園として購入、1805の世俗化で国の財産となり、営林署が置かれ
   た。今は町の財産で結婚式場・幼稚園などがある。
   周囲の3階建ての木組の家と共に、美しいマルクト広場を形成している。
 聖ペーターとパウロ教会 St.Peter und Paul (1737-45) 1319からの町の教会は30年戦争で
   荒廃した。1650の大修道院にフランシスコ会修道院と町の新教区教会が建てられた。
   られた。バロックの5祭壇・説教壇がある。
 菩提樹館 Hutten Hof (1400) 最古の建物として市壁に直接隣接して立つ。
 フランシスコ会修道院 Ehem.Franzisker Kloster (17) 修道院の最も古い部分は17cで、2005
   まで修道士が住んでいた。今は、歴史博物館である。
 地方裁判所 Amtshof (1562) ナッサウアーホフとも呼ばれ、ルードヴィッヒ・ハッテンが建てたハッテン城は、
   階段塔と長方形の建物があり、今は地方裁判所である。

5.写真

市庁舎 フランシスコ会修道院
シュライフラス邸 西北市壁塔
西南壁 北壁
東壁 東南壁

戻る

戻る

バート ヴィルデュンゲン Bad Wildungen HE13

1.歴史

  800 ハースフェルト修道院文書に小村と記載、1200 チューリンゲンの伯爵が城を構築、
 1242 旧村の反対側の丘に新市街を創設、  1258 都市権を得て新教会建設、
 1263 ヴォルディック伯が所有して発展、      1358 二つの町が言及された、
 1529-32 フイリップ4世が改革を導入、  1542 疫病で400人死亡、1552.1563も、
 1532-1664 魔女裁判で18人処刑、     1563 市庁舎の隣にワイン酒場開設、
 17c 30年戦争で各軍が略奪、   1696 最初の温泉とクアパーク建設、入浴治療、
 1706-14 城フリードリッヒシュタインの建設、      18c ユダヤ人コミュニティの成立、
 1940-90 スパの発展。

2.市壁  0.28km 0.32 

   13cの市壁は、西と南東に残っている。

3.塔  0門2塔

   3市門は大規模な内門と小さな外門がありツインガー壁でつなかっていたが、泉門
  1822、ベガー門1824、リンデン門1843に取除かれた。GrauerTurmは1787に除去、
 赤雄鶏塔 RoteHahn Turm(1300)町の南東に立つ5階建の円塔で、1846尖塔
   部を失ったが、1967風見鳥の尖塔が再建された。雄鶏は警戒のシンボルで
   ある。赤は公開処刑に際し赤旗を掲揚することを意味する。
 大円形防衛塔 Rondell(13c)西の巨大円形防壁が最古の遺跡に含まれている。
   主塔と4小側塔のある上部木組の部分は、1705に取り除かれた。今の
   展望台に登ると、遠くまで見られる。

4.見所  B

   広大なクアパークには、ヘルスリゾートがあり、文化的行事が行われ、旧市街の中心
  には木組の家並みが絵のように連なり、歴史的なヴィラも注目である。
 市庁舎 Rathaus (1259) 中世の木組の前市庁舎は1850に壊され、2.5階の新
   古典の建物に建て替わった。1997建物は改修され木組の建物と結合され
   て拡張された。
 市教会 Sadt kirche (13c) 町の最高地点の丘の上に建てられ、遠くからも
   見える。ヘッセンでも美しいホール教会であり、1403の祭壇画にはキリスト生誕が描
   かれている。
 フリードリッヒシュタイン宮殿 Schloss Friedrichstein (12c) 古いヴュルデュンゲンからの
   中世の城が1940まで存在した。ヴュルデュンゲン伯爵は城を建て貴族の居城とな
   った。1247伯爵夫人がマインツ大司教に城と町を戻した。マインツは、城と町をアドルフ
   ・ヴァルテックに誓った。1526-30フイリップ4世は城刑務所のある大きな丸い建物を
   たてた。1640スエーデン軍の本部となり、その後何回も30年戦争で破壊された。
   18c初ヴァルテック・ヨシア2世は丸塔のみを残し城址を整理してバロックの宮殿を建てた。
   1976-80に改装しヘッセ・カッセル博物館として、狩猟・ヘッセ軍の歴史と収集物を展示。
 旧温泉ホテル Ehem.BadeHotel (1900-25) 栄誉あるドームや音楽ホールのあるBade
   Hotelは壮大に建てられた。2次大戦中に破壊され1951に再建され、今はマルティム
   ホテルがある。
 旧ライオン薬局 Ehem.Loeben Apotheke (1551) 初め3階建の木組の家は住宅して
   建てられ、1630エリザベス・ヴァルディック伯爵夫人はライオン薬局を開業し1999まで
   営業された。
 領主ホテル Hotel Fuerstenhof (1902-03) この大きなホテルは、市を代表する高級
   ホテルで豪華な内装があり、100人のスパ入場が可能である。1911-12に改
   修され戦争中は軍病院で使われた。
 ハイナー館 Hainer Hof (1330) 3階建広々とした床の家と納屋を建てた。1832
   大統領に売却された。1870マイスターが所有し、故郷に貴重な知識をもたらし
   た。1903農場となり家や厩舎を建てた。
 レプストックの家 Haus Rebstock (1619) 片持ち張出軒構造の4階建の木組の家は、
   高さ2.5mの石積の上に25mの高さに建てられた。長さ19mの樫の梁が使わ
   れている。壮大で華麗な彫刻の外観がある。大工親方の名前が付けられた。
 クベレンホフ・ホテル Hotel Quellenhof (1930) ホテルを建てたが没収され軍病院のに改築
   された。1941解放され改装してホテルに戻した。数か月後再度没収されて終戦
   まで軍病院であった。戦後は精神病の療養所として使われ、1993に建物を
   購入して、再度ホテルを開業した。
 孤児院 Waisenhof (1695-1703) エリザベス・ヴァルディック伯爵夫人は孤児院として4階
   建木組の家を寄贈した。ドイツで2番目に古い孤児院は1830まで使われた。1849
   建物は私有となり、1877-81二つの部屋が幼稚園となり、1890建物の一部が
   シナゴークで使われた。
 ソース博物館 Wamdel halle () スパパークの中心にあり、水の重要性説明し、鉱泉
   の歴史と温泉街の発展を展示する博物館。

5.写真

市庁舎 市教会
リンデン通 キルヒ広場
ブルネン通 ロンデル
雄鶏塔 西市壁
南市壁 東市壁

戻る

戻る

バッテンベルク Battenberg(Eder) HE14

1.歴史

 1214 城が言及され、息子の名前とした、  1224 町として名乗った、
 1296 マインツ大司教はこの町を譲った、 1464 町と役所はヘッセンとなった、
 1624 町はヘッセン・ダルムシュタットに所属、     18C 幾つかの重要な建設、
 1821 帝国都市となった。

2.市壁  0.12km 0.22

    Auf der Mauer通に山腹の石積が残っている。

3.塔  0門0塔

    残っていない。

4.見所  D

    小さな旧市街は山頂に在り、城と市庁舎を中心に木組の家も見られる。
 旧市庁舎 AlteRathaus 17C建 木造建築、今は町博物館と町図書館。
 新教教会 Ev.Kirche 13C建、早期ゴシックのホール式教会。
 旧城 AlteBurg 1314までバッテンベルク伯家の本拠地であったが、1780に取壊され、18
  80に牧師館として再建され、今は地区公会堂。
 新城 NeuBurg 18Cに狩の館として建てられ、1971から町庁舎となった。
 行政所 AmtHaus 17C建、ルードビッヒ6世が行政所として建て、1983私有物。
 木組の家 FachwerkHaus Haupt通の両側には2~3階の古い木組家が残る。

5.写真

旧市庁舎 旧城
東壁 東壁

戻る

戻る

ベンスハイム Bensheim HE15

1.歴史

 765 ドルシュ修道院文書に初言及、    773 ベンスハイムのロルシュ修道院に所属、
 956 皇帝オットー1世は市場権を付与、1232 マインツ大司教はロルシュ修道院と町を所有、
 1301 ライン関税戦争で町は破壊、        1315 より強力な要塞を構築、
 1320 マインツ大司教は都市権を確認、 1461 大司教は町をパレティン選帝侯に入質、
 1504 方伯ヴィルヘルムの11日間包囲に耐えた、1644スエーデン・仏占領をバイエルンが解放、
 1650 マインツ大司教が町の質入を買戻し、 1802-03 世俗化でヘッセン・ダルクシュタトへ、
 1939 周辺の町を併合、        1945 米軍の進駐。

2.市壁  0.09km 0.10

   13cの市壁は14cに強化された。

3.塔  1門2塔

 水路門塔 Rinnen Torturm (14c) 西市門は、アーチ門の両側に塔があった南塔
   のみが残された。1885開口部を造るために壁を崩した。現存の砂岩塔は
   下半分正方形の上に八角形の塔が繋がっている。南側は市壁に繋がり北
   側は市壁の切断面が見える。東側には独立した階段がある。
 赤塔 Roter Turm (13c) 東側の胸壁付き防御塔で、1514砂岩に赤色が塗られ、
   この名前が付いた。1800からは刑務所として使われ、1837に市壁は取り
   払われた。21c初めには給水塔としても使われた。
 ダル山塔 Dalberger turm (13c) 南市壁に4階建の塔がある。

4.見所  B

    マルクト広場には多くの3-4階の美しい木組の建物に囲まれ、中世からの堂
   々とした建物も散在する。建物の風格に昔の繁栄が現れている。
 教区教会聖ゲオルク Pfarr Kirche St.Georg (8c) 町にある4カトリック教会の内最
   古の建物である。12cからの教会は1826に取壊され。1830古典様式でモーラー
   教会となった。1945空襲で西塔を除いて壊れ、1949-50に二つの東棟のあ
   る身廊と祭壇室が聖別され、1953二つの西塔で再建か終わった。
 病院教会聖ヨーゼフ HospitalKirche St.Joseph (817) 前身は817に言及され
   14cに精霊病院の教会として古い教会の場所に再建された。1500聖書の窓を
   持つ内陣が付けられた。1869建物は改装された。
 旧旅館 Ehem.Gasthof Zur Armbust (1615) 3.5階建寄棟根屋根の木組の建物
   で、円形張出には市民の紋章と説明碑文がある。戦後化粧漆喰をはがし
   木組が露出させられた。
 住家 Wohnhaus (1600) 幅の狭い3階建切妻屋根の木組の家で、1891靴屋の親
   方は土地・建物を買取り、2年後に開業した。
 マルクト広場の誇り ZumZierde des MarktPlatz (1682) 3階建切妻屋根の木組の
   建物で、その後木組で建て替えられた。
 ダルベルガー館 Dalberger Hof (1586)北西部の市壁と塔を建物に統合している。
   農場所有者のダルベルク家は15cからこの町で勢力を持ち、この建物は何回
   も建て替えられた。1866町の税関となり、1950にはレストランのなった。
 ヴァルダッファー館 Walderffer Hof (1395) 巨大な館の所有者は1580貴族に売却し
   た。1630所有権が争われたが、結局市民が買取った。1964町の所有となり
   今地階はレストラン、上階は家屋組合が使用している。
 ホ-ヘネッカー館 Hohenecker Hof (1756) マインツ大聖堂首席司祭は中庭造の宮殿を建て
   た。1884薬剤師の一家が所有し1900ネオゴシックで包括的に改修をおこなった。
   西に階段切妻の2階建、東に3階建の木組の家である。
 ヴァンボルター館 Wambelter Hof (1732-33) バロック2階建上階木組腰折屋根の館建て
   た。1945空襲で円形塔は破壊された。1919町は農場を購入し歩兵大隊の兵
   舎として使った。その後事務所とアパートになったが、1975-76根本的に改修し、
   地方行政の諮問事務所とカフェに使っている。
 旧聖堂参事会工館Ehem.DomKapital Faktorei (1732) マインツ大聖堂の章の大規模
   な工場として建てられ、1803世俗化で工場は放棄され、地区協議会が使い
   1868町が買収して高校となった。20c地方博物館や警察署が入り、1983-87
   改修して市図書館となったが、1999市民事務所と観光案内所に換わった。
 マリアの家 Marien Haus (1597) 宿屋:黒熊が3階建寄棟屋根上階木組で建てられ
   た。1679ハッペンハイムの醸造所が移って来た。1783宿屋:金のバラが開業した。
   1862病院となってマリエン・ハウスと呼ばれた。
 ヨストの家 Haus Jost (16c) 古い3階建の上階木組の建物で、18cに木組の部分は
   更新された。
 フレックの家 Haus Fleck (1504) 3階建上階木組の美しい建物で、1717イタリア商人が
   住んだ。1923木組の家は昔の姿に復元された。
 市博物館 Museum der Stadt Bensheim (1591) バロックの入口正面は、ルイ14世様式
   の開き戸が見立つ。1960博物館となり、古くからの町の歴史・手工業・農業・
   ブドウ栽培・家内経済などを展示している。

5.写真

市庁舎 マルクト広場南
聖ゲオルク教会 水路門塔
赤塔 教会アーチ門
ニューベルンゲン通 ハウプト通南
北壁 南壁

戻る

戻る

ベッセ Besse (Edermuende市内) HE16

1.歴史

 917 フルダ修道院の寄付メモに初言及、11c 旧市街の中心に要塞教会
 1081 カノニック僧院はベネディクト修道院へ、1457 地元の貴族は11cから継続、
 15c-1821 ヘッセ事務所が置かれた、  1821 フリッツラー郡に含まれた、
 1932 サークル・フリッツラーホムベルクへ、    1939 フリッツラーホムベルク郡に改名、
 1974 エーダーミュンデの町に併合。

2.市壁  0.14km 1.00

  町の中心の小山の上に昔の要塞教会があり、その山頂部に周壁が全周ある。
  山頂部を取り巻く集落の周壁は見当たらない。

3.塔  1門0塔

  教会の入口の教会門は、アーチ門に鉄扉がある。

4.見所  D

    山頂部の小さな集落は、教会を中心に古い木組の家が取り巻いている。
 新教教会 Ev.Kirche (11c) 1524の32mの高さの教会塔はゴシックの四角塔
  である。中には1517のキリスト像がある。19cに古典的なホールが建てられた。

5.写真

新教教会 南教会塔

戻る

戻る

ビショフスハイム Bischofsheim (Mainspitz) HE17

1.歴史

 1278 マインツ大聖堂本山に属した、  1288 教会代理人は町の財産をマインツ本山へ、
 1298 マインツのアグネス修道院は贈物受領、1597 マインツ裁判所はヘッセン・ダルクシュタトへ引渡、
 1806 ナポレオンは町をヘッセン大公国へ所属、1832-48 ヘッセン大公国のグロス・ゲラウサークルへ、
 1930-45 マインズに属した、         1945 爆撃を受け、戦後ヘッセン州へ。

2.市壁  0.01km 0.01

    堀の位置から市壁の場所は想定できる。その南東部にわずか市壁がある。

3.塔  0門1塔

    WasserTurm アールヌーボーの配水塔があり、今は使われていないが見学可能。

4.見所  D

    オペルの大工場があり、大きな町であるが、旧市街地は100×200mの楕
   円形で小さい。
 旧市庁舎 Altes Rathaus () 切妻屋根の2階建木組の建物で、今は郷土博物館で町
   の歴史と鉄道文化の展示がある。
 カトリック教会 Kath.ChristKoenigs Kirche () 初期のキリスト教会で1926近代的な教会と
   なった。
 新教教会 Ev.Kirche () バロック単塔の教会。
 木組の家 FachwerkHaus Gasthaus Zur Krone 町で最古の切妻2階建木組の建物。

   

5.写真

市庁舎 旧市庁舎
カトリック教区教会 北東壁

戻る

戻る

ブラウンフェルス Braunfels HE18

1.歴史

 1246 町と城を初言及、             1260 ゾルムス城を住居とした、
 1384 城は破壊され新城建設、ライン都市同盟、   14C城の周りの町を前城に守る、
 1607 都市権を授与された、        1618-1648 30年戦争で5回占領された、
 1679 大火で町とバロクの宮殿は焼失、        宮殿は今の建物に拡大再建、
 1679 町は前面に市壁を置いた、     17-18C 多くの木組の家が再建された、
 1803 プロシア領となった。

2.市壁 0 

   山の城壁の部分は350m残っている。南の谷と前谷は市壁の内側にあり、北と
  東の後方谷は市壁の外にあった。

3.塔数 6門2塔

 上城門 OberesSchlossTor 正門、城の正面入口、大きな丸天井の上に城教会を
   1501に建てた。
 新門 NeuesTor 1662建、城の西門、今は公文書館の書庫。
 下門 UnteralsPforte 1360建、マルクト広場の城の入口門、住居と衛兵食堂を含む。遅
   い時代のマルクト広場では最古の建物。
 中間門 MittelarerTorTurm 1460建、下門の上の中間門塔。
 鐘楼付門 TorForte mit Glockenturm 15C塔と16C鐘楼建、1678に頂部が焼け、1682
   にバロックの帽子を付けた。下門の上の上の中間門塔。
 駄馬門 KlepperーRitter-oderTeufelsTor 騎士門・悪魔門とも呼ばれ、1851建、城
   の北門、木門の所へ外の衛兵詰所のために建てられた。
 会計局塔 RenteiTurum 1451建、防御塔として建てられた。城下の事務建物の中の
   塔、1845に屋根裏部屋を造った、1869-1900会計事務所であった。
 後谷塔 HintertaelerTurm 東南の後谷の塔。

4.見所  B

   旧市街地には、豪華な装飾の木組の家、花に囲まれたマルクト広場、山頂に門
  や塔が立つ城などが、見所である。
  Schloss 城の外見は中心部の中世的17Cバロック改築が決めている。1880にはネオ
   ゴシックの改築も試みられた。城にはゾルムス家の800年にわたる多数の手工芸
   品・オランダ絵画・生活文化等がある。城には子孫が住み、伯爵家博物館と宮
   殿教会は見ることが出来る。
 マルクト広場 MarktPlatz 1700-20建、1679の大火の後に再建された13軒の木組の家々が
   見事な景観を示す。
    1717建:昔の宮廷薬局、1709建:ヴォルフ家1888小売店、1710建:宿屋三つ
   の丸天井、1591建:塔ホテル、ホテルレストラン等。
 木組家 HolzHaeuse 
    1601建:建築監督官家.1710役所、1580建:破風の家.1658-1878消火ポンプ
   製造、 1550建:農家.大屋根の下に住居・家畜小屋・倉庫、木組ビール工場、
   納屋.1668役所に改築.1804法務事務所.1900会計局、 1578建:乗馬所、
   1590建:旧約聖書銘刻の家、 1582建:校舎、 1472建:書記の家、貴族の
   館.彫刻飾り、 1582建:伯爵役員の住居。

5.写真

新門 破風の家
建築監督官の家 駐車場

戻る

戻る

ビュディンゲン Buedingen HE19

1.歴史

 1206 初めての文書言及、     1247 町の領主の男系が途絶え相続争い、
 1330 都市権を授与された、       1442 領主は伯爵に格上げとなった、
 1480-1510 伯爵は市壁を強化した、  1521 ルターは歓待された、
 1578 ルドルフ2世は祝賀市場を与えた、 1576.1632 ペスト流行、
 1590 町を大火が襲う、         1634 帝国軍がスエーデン軍を撃退、
 1532-1699 魔女狩りで485人が起訴、 1806 アイゼンブルク公国に併合された。

2.市壁  0.54km 0.95

  15Cの終わりに古い1350の市壁の前に強力な堤防を山側は堀込んで造った。
  1480-1510に伯爵は古い市壁の上に強力な壁の帯を築き、22の塔と半外皮を
  装備した。この壁は今もほぼ完全に保たれ、後期中世防御施設としてヘッセン
  のローテンブルクと呼ばれる。市壁は二重三重にあるので延長は測り難い。
   Kuechbachbasteiは、東側の市壁を台所川のそばで町の防衛をしている。

3.塔  2門11塔

 エルサレム門 JerusalemerTor 1530建、西 名前は伯爵の息子の巡礼旅行
    に負う。十字架橋とも呼ばれるのは、1755建の三つの十字架ホテルによる。
 上門 OberTor 東北から町に入る前に蛇行壁がある。この門の後ろに
    高い東門がある。なお、西門は交通障害で取壊された。
 粉引塔 MuehlTurm
 拷問塔 FolterTurm 16-17Cの魔女狩りの際、拷問が行われた。前に
    ある堀の側面にあり、近くの門の防御に役立っている。
 悪魔塔 TeufelsTurm 
 太い塔 DickerTurm 
 魔女塔 HexenTurm 市壁は4mの厚みがあり16大砲室と4階高さ20m塔。
    下の武器庫を通じて魔女牢に行ける。
 赤塔 RoteTurm 1500建、市壁を通じて台所川の足場を安全にする。
 緑塔 GrueneTurm 1500建、西側市壁の側面保護に役立っている。

4.見所  A

   市壁に囲まれた旧市街地には古い木造や石造の建物が多く並んでいる。
   宮殿・市庁舎や多くの博物館が興味深い。
 旧市庁舎 AltereRathaus 15C建、後期中世の木組の家。柱廊玄関と木
   組の多様な形の模様が描かれている。
 市庁舎 Rathaus 1458建、石造地下室付きで造られた。地階は売場、
   上階はブドウ室や宴会場がある。1490西階段破風が付けられた。
 マリエン教会 MarienKirche 1367建、1377石造でゴッシック前面建設、1476-91
   地元の工房で今の姿とした。
 レミギュウス教会 RemigiusKirche 9C建、初め領主の個人教会として建てら
   れ、11Cには後期ゴシックの壁画のあるホール式教会になり、15Cまでに墓地教
   会から母教会となった。
 宮殿 Schloss 16Cの外観を示している。公爵の家族はそこに住んでいる
   が、外の宮殿庭は自由に入れるし、博物館の部分は入場できる。
 宮殿博物館 SchlossMuseum 高いスレート屋根の建物は百年前に建てられた。
   窓上飾りのある破風と張出し窓が外側の飾りとなっている。宮殿の収集品
   が展示されている。
 ホイゾン博物館 HeusonMuseum in Rathaus 1458建の後期ゴシックの市庁舎に、
   1971に最初の地方博物館を開いた。KarlHeuson先生が1906に創立した収
   集物を基にしたため命名された。地階の大広間には、町と地方の歴史を
   展示。2階には、地域のローマ時代からの出土品や人々の生活を展示。3階は
   歴史的手工業を展示。
 肉屋博物館 MetzgerMuseum 14Cに町の南入口にある高い粉引水車出口に
   建てられた。1353の特権文書はこの施設を橋と閂で説明した。
 模型博物館 ModellbauMuseum in OberHof 船・トラック・自動車・ジオラマ等150以
   上の展示品がある。
 木組家 HolzHaus 旧市街地には何百年の古い木造家があり、主として
   1階は防火のため砂岩造りとなっている。
 15C建1593増築LuckischeHaus、15C建RektoratsHaus、1609建BurgmannenHaus、
    15C建LauterschesHaus、15C建HausWagner、17CHausPulver。
 石造家 SteinerHaus 1500建、もっとも古い全石造の家。守りに重要な
    角の橋頭堡であった。館の防御施設は、1544井戸.旧市壁に銃眼。
     Gasthaus zum Schwannen 1500建、古い内壁の上に建てられ、古い市門
    の残りが見られる。

5.写真

宮殿・西壁 宮殿北壁
南中壁 南西壁
南西橋 粉挽門
西外壁 北西壁
北西外壁 上門
北館博物館 北壁

戻る

戻る

ブッツバッハ Butzbach HE20

1.歴史

 773 最初の文書言及、       1321 都市権が与えられた、
 1321-68 市壁の建設、         1609-43 ヘッセン・ブッツバッハが支配、
 1644 ヘッセン・ダルムシュタットに併合された。

2.市壁  0.83km 0.63

  1550頃に、二重の円市壁.3堀と土堤.防衛生垣柵.多重安全化出入道に守られた。
  屋根付き壁上防衛路4箇所0.38kmが残っている。Mauer通では、市壁に持たせて
  178の建物が建てられ、約半数が住居として使われている。

3.塔  0門4塔

  門塔は3つとも壊されて残っていない。
   魔女塔 HexenTurm 14C建 見張円塔は監獄としても使われた。
    門背中の切石は城の再利用である。1500木組の側面は閉じられた。時計の
   ある屋根頭部は16C、門は落し格子で閉め、横の歩行門は1930に付けた。
 城塔 SchlossTrum 市壁の線上に建物の上に塔が立つ。
    LandgrafenSchloss 1603建、2つの円塔。
    SolmerSchloss 1481建、1つの角塔。

4.見所  B

  地階部分が石積で、その上に木組を重ねた16Cの家屋が多い。特にマルクト広場に
  は市庁舎など大きな4階の建物も木組で残っている。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1560建、3階建の美しい木組で切妻の上に張出塔
   がある。2002年まで市行政機関があった。1926-27に立派な前面はむき出
   しにされた。地階大広間には、ロマネスクの洗礼盤がある。
 方伯宮殿 LandgrafenSchloss 1200にはすでに城があった。その後宮殿
   に拡張され、ブッツバハ家の宮殿としては短く、後は兵舎になった。
   2002に建て直され今は市庁舎として使われている。
 マルクス教会 MarkusKirche 1321建、ゴシックのヘレン教会であり、1500に身廊と
   内陣を拡張した。
 聖ミカエル礼拝堂 St.MichaelisKapelle 1435建、後期ゴシックの破風付石造
   のカソリック礼拝堂である。1475後期ゴシックのフレスコ画がある。1907-91に郷土博
   物館が在ったが、今は博物館の書庫である。
 木組家 HolzHaus 旧市街地には、多くの4~5階建木組の建物が残って
   いる。18C.Haus der Familie Buff、16C.ZurEule、18C.WeidigHaus、1400.
   GsthausWerb、16C.FauerbacherHof。 特にマルクト広場は彩り良く圧巻である。
    1560.AlteRathaus、1600.AlterPost、1710.ZumGoldenenLoewen。

5.写真

 
旧市庁舎 魔女塔・北壁
聖ミカエル礼拝堂 北壁
南壁 ゾルムス館
西壁 西壁
西北壁 西北壁
北西壁

戻る

戻る

ダルムシュタット Darmstadt HE21

1.歴史

 11c  侯爵ジーゲボドが小さな村を所有、   1013 ヴュルツブルク司教の領地となった、
 13c  カッツェネルンボーゲン伯爵は水城と要塞化住宅を建設、
 1330 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権を授与、   14c 市壁は内側から建設を開始、
 15c中 までに何回も再構築された、 1479 カッツェネルンボーゲン家断絶でヘッセン方伯が支配、
 1518 市壁と城は戦争で壊された、 1547 防御を更新したが再び城と共に壊された、
 1567 ヘッセンは息子4人に分割され方伯ジョージがヘッセン・ダルムシュタットとなった、
 1585 ペスト流行で人口減、     1633-39 仏軍による占領とペスト流行で町は荒廃、
 1647 再び仏軍が占領、  1661-88 平和となり町は復活、1693 仏軍は市壁破壊、
 1806 方伯ルードヴィッヒ1世はヘッセン大公国として工業化を進めた、
 1940-45 空爆で町の99%が破壊された。    1946主要歴史的建造物の再建開始。

2.市壁  0.13km 0.03

   都市権の授与は、市壁の建設と市場開設など全ての権限を意味し、市壁は内側か
  ら始まり外側迄の完成には100年を要した。内側市壁は厚さ1.0m高さ8mまでの高
  さがあり、外側市壁は約半分の厚さと高さであった。両方の壁には多くの塔が在り、
  強固な町の防衛施設は16c終わりまでは有効であった。残るのは僅か。

3.塔  0門3塔

 ヘルンケル塔 Henkels Turm (14C) 残された市壁の中に在り、今は博物館。
 モーツアルト塔 Mozart Turm (1983) 駅近くの西側に円錐屋根のズングリした塔を建てた。元
   の名前はリヒトフォーヘン塔と呼ばれ、2次大戦後は展示場や演奏家場
   として使われている。
 結婚塔 SchlossTrum (1905) マチルダの丘にエルンスト・ルードヴィッヒ大公のご成婚を祝して建て
   られ、芸術村全体を見下ろしている。面白い形のユーゲントシュティールの塔。

4.見所  C

   ヘッセン方伯の居所として1919ヘッセン大公国の首都となって発展した町であるが、2次
  大戦で市街地は壊滅し、戦後は科学と文化の町として主要な建物は復元された。
 旧市庁舎 AlteRathaus (1598) 14cからのマルクトは商業の中心地で、今でも毎週・水・土は
   市が開かれている。1546からの広場には噴水があり1996に改修された。ラッツケラーで
   はビールが醸造され屋外ビヤガーデンがある。復元市庁舎には登記所がある。
 宮殿 Schloss (13c) カッツェネルンボーゲン家侯爵により水城が築かれ、1479ヘッセン方伯の手に移
   った。1546シュマルカルド戦争で大部分は焼失し、1567ルネッサンスの居住宮殿が建設された。
   これは大きな4翼の宮殿で資金不足で完成しない間に、1715大火で焼け、大きな規
   則正しいバロックの新宮殿が前面に建った。今は大学図書館・宮殿博物館などに使わ
   れている。
 ルイセン広場 Luisen Platz (19c) かっての首都の中央広場で、大公宮殿・州政府・国会の建
   物が並び、2次大戦まではヘッセン大国の政治の中心地であった。今は古い宮殿に市庁
   舎の一部が収容され、州政府の建物には大学本部が入っている。広場には全高39.5
   mルードヴィッヒ大公の大銅像が砂岩の柱の上に立つ。広場の北側の州政府の建物は、
   1777-1780に3階建で建てられ、1845-89東西の翼を建てた。
 科学会議場 Darmstadium 科学者のコンベンション・センターで、アイディアの交流・ 科学の知識・知的
   芸術品の中心的な場所。
 螺旋の森 Waldspiral (1998-2000) 高名な建築家フンデルト・バッサーの作品である森林スパイラル
   がある。カラフルで不規則な螺旋状のアパート群が自然に取り巻かれ緑豊か存在する作品で
   ある。
 マチルダの丘 MathildenHoehe (1899) エルンスト・ルードヴィッヒ大公は、この丘に芸術家村を建設
   し、ユーゲントシュティールの建築家・画家・彫刻家を住まわせた。ロシア風教会近くの住宅・アトリエ
   群は1901ドイツ芸術の花形であった。
 市礼拝堂 Stadt Kapelle (1995) 彫刻家トーマス・デュッテンドルファーによって、戦後50年の記念事
   業としてブロンズ像を、2次大戦で壊滅した墓地礼拝堂跡に設置して2次大戦の犠牲者
   への追悼とした。
 宮殿博物館 Schloss Museum 領主の公式馬車・家具・食器類などが展示絵画展示室には聖
   母子像がある。
 ヘッセン州立博物館 Hessisches Landes Museum 世界の祭壇画・美術工芸と宗教彫刻・フランドル
   .オランダの絵画・ドイツ絵画・地質学・古生学・ドイツ印象派を展示。

5.写真

旧市庁舎 東壁
東市壁博物館 東北壁
市教会 宮殿
ヘッセン州博物館 宮殿北門
宮殿

戻る

戻る

ディーブルク Dieburg HE22

1.歴史

  2c ローマ都市として栄えた、    260 アラマン族の侵攻でローマはライン右岸撤退、
 1169 ディーテリッヒ城が水城として言及、 1220 城と町を堀と壁で囲んだ、
 1239 ミュンツェンベルク伯が城を所有、1277 ハプスブルク家ルドルフに付与、既存憲章確認、
 1284-94 マインツ大司教は城や町を買った、1310 マインツ選定候の町として管理、
 1525 農民戦争で城・選帝侯倉庫を略奪、1527ブランデンブルク選帝侯は都市権取下げ、
 1582-86 新教市議会とカトリック司教の紛争、  1622 30年戦争と疫病で人口急減、
 1600-30 魔女狩りが行われた、    1806 仏ヘッセン公国の郡庁所在地、
 1977 ダルクシュタット郡と併合され郡庁になった。

2.市壁  0.19km 0.11

  1220に市壁は建立され、西北と西南に残っている。

3.塔  0門2塔

   塔は西北の角の防御塔と旧地方事務所の見張塔が残っている。
 防衛塔 Wehr Turm 市壁の北西角のに、円錐屋根付き5階建の円塔。
 工場塔 Muehle Turm 3階建の5角塔は旧西城の見張塔で、今は Muehle
   Turmと呼ばれている。

4.見所  B

  大きな町の北に堀で囲まれた小さな旧市街地があり、公の建物と16cからの古
   い木組の家が残されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1828) 旧グラッシュラーク市庁舎の敷地内に、大公建築家に
   よって1828に建てられた。次に旧地区事務所が834に建てられ、これが町
   役場の一部となり、その背後に近代的な庁舎が接続して建てられた。
 宮殿ヘッヘンバッハ Schloss Fechenbach (16c) バロックのウルナー城は、ヴェヘンバッハ家とな
   り、1861古典的に作り直された。今は博物館として修復され、地下の部屋
   に考古学・地階には16cの町の模型がある。
 アルビニ宮殿 Albini Schloss (1800) マインツ選帝侯フランツヨーゼフは単純対称形状の中世
   宮殿をが建てられ、1900郡庁の建物として拡張が行われた。20cには行政
   の近代的な建物が2棟建てられた。
 マインツ選帝侯事務所 Kur Mainzer Amthaus (1515) 豊かな装飾の3階建の木組建物
   で、マインツ選帝侯教皇の事務所が置かれた。
 市教区教会 Stadt Pfarr Kiruche (16c) 旧フランシスコ会修道院教会は町の教会とし
   て使われ、古い教会から南塔のみが残され1893ネオゴシックの教区教会となった。
 カプチン会修道院 Neuhaus Kapuziner Kloster (1860) カプチン会修道院が1822に解散
   され、刑務所として使われた。その後1860に修道院の新館が郊外に、装飾的
   要素のない構築物として建てた。
 巡礼教会 Wallfahrfs Kirche (12c) 初めローマ遺跡の東に3廊ロマネウクの聖堂が建て
   られ、1350教会のホールはゴシックで再建された。1498献堂後巡礼が始まった。
   1420からのピエタとパロックの祭壇は巡礼者の目標である。
 浴場 Badhaus (1579) 木造2階建の大規模な浴場が建てられ、入浴療法が行われ
   た。入浴室・炉・ボイラー室などの施設があった。
 ローマ都市 Roemischen Stadt (2c) ヘッヘンバッハ宮殿博物館に出土品がある。旧市
   街の東に位置し、ローマ壁の近くにローマの遺品が出土した。神々の寺院地区に
   皿・ランプ・等が出土し、展示されている。
   木組家 FachwerkHaus
     Zucker Str.4 (1384)2階建木組の建物で、代表的な前面と窓のあるフレーム構
     造である。4連結木製窓が、上階の幅全面を占めている。町で最古の保存
     木骨造の家である。
    Loewen Gasse6 (1516) 2階建の小さな木組の建物で、彩色が美しい。
    Marien Str.23 (1905) かっての宿屋:Zum Reichsadlerで、木組のアールヌーボー
     とヴィルヘルム様式の華やかな切妻を飾っている。

5.写真

市庁舎 教区教会
宮殿ヘッヘンバッハ 西北壁・工場塔
西壁 マルクト広場

戻る

戻る

ドライアイフェンハイン Dreieichenhain in Dreieich HE23

1.歴史

  950 皇帝は石造狩猟小屋を建てた、1080 領主は5階建の住宅塔を建てた、
 1180 ハーゲン・コインベルク家は居城を拡張、 1255 ハーナウの領主が1286まで城を所有、
 1256 町と呼ばれ都市権を授与された、 1350 郊外拡張に新市門・市壁で防備、
 1418 シュタイナー家の絶滅後1486ヴァン侯爵が城を獲得、1549 宗教改革導入、
 1710 ヴァン侯爵は城を解体、1783 要塞保全に困窮した町は中門と要塞を取壊し、
 1816 町はオッヘンバッハ・ヘッセン大公国に併合された。

2.市壁  0.68km 0.70

   1170城は今の大きさに拡張され、狭間胸壁のある城壁で保護された。1180城
  の南西にロマネスクの市門と市壁に囲まれた臣下たちの町が成立した。1350町は西の
  郊外にゴシックの市壁と上門を築いて手工業者と商人を住まわせた。北側の守りと
  して城塔からサーベル塔までの356mが繋がって、市壁の合計は1.025kmとなった。
   12cからのロマネスクの土堤は、1440-46マインツ大司教機密顧問の侯爵エディ゙ター1世の時
  代に堤防と堀と横柵となり、下門から南西方向は直ぐ見分けられる。

3.塔  2門2塔

    市門は西の下門が1180に、北東の上門は1350に建てられた。そのた不規則な
   間隔で小塔が南市壁にあり、今も保たれている。半円形の防御塔が市壁の西の
   角に、正方形の塔が南の角に在る。市壁の中の小さな木組みの壁上塔は、
   Wiekhausと呼ばれる。
 上門 Ober Tor (1350) ゴシックの市壁と4階建の上門は同時に建てられ、以前は
   財政上から内側は開いた防衛塔だった。後に欠けた壁は閉じられ、中は3
   階建ての美しい木組みが填められた。1460-1790上門には堀と市壁で囲まれ、
   道とは跳ね橋でつなっがた前防塁が置かれた。上門には三つの鐘が付いた。
 下門 Unter Tor (1450) ロマネスクの町は、領主ハーゲン・ミュンツェンブルクによる城の拡張
   と共に成立した。この町には中小門と呼ばれる西からの入口門しかなかっ
   た。3階建ての下門は、ゴシックの町の拡張した時に跳ね橋付の前衛門と共に
   ロマネスク市壁と一体に造られた。下門は元は印象的な建物であったが、今は元の
   特徴と魅力を失っている。1805に2階建ての木組み構造と尖った急勾配の寄棟
   屋根が建てられた。南側に在る木造上階の建物は守衛の住居として使われた。

4.見所  C

  池に浮かぶ城跡と、市壁に囲まれた木組みの古い家のある小さな町。
 旧市庁舎 AlteRathaus 西側の入口近くに木組の建物がる。
  Burg (1060-80) 領主ハーゲン・エーベルハルトは湿地の小島に城の複合施設を構築
   した。1180ハーゲン・コインベルクは居城として拡張し、住宅塔は新城壁に囲まれた。
   1486ゼン侯爵フイリップサイヒは城を解体した。1931城跡は歴史民俗協会に売却され、
   常設展示は2015に再開の予定である。城跡には、高さ22mの西壁と円型の住居
   棟の残骸が残り、町博物館と城教会が存在する。
 木組家 FachwerkHaus () 旧市街には、コーナーポストと持送り枠に挟まれた鑑賞図形
   のある組み込み格子が家を飾っている。上門の西のザールガッセには貴族の館
   ・病院管理人の家・トリアーの館があり、構造上の持ち送り突出梁がある。

5.写真

上門 上門内側
上門内側 北西壁・博物館入口
北西壁 下門
円塔 ローマ堤

戻る

戻る

エルティフィレ Eltville am Rhein (Stadt Wiesbaden) HE24

1.歴史

 7c フランク王国の館が置かれた、 973 マインツ大司教はオットー2世の寄付で領土に、
 11c マインツ大司教は別荘を設けて滞在、13-14c 皇帝の都市権を受け町は全盛期、
 1301 関税戦争で城は破壊された、  1312 町は市壁で守られた、
 1332 バイエルン皇帝ルードビッヒはフランクフルトの特権を町にも授与し防御を義務付けた、
 1344 全ラインガウ唯一の官庁所在地、  1525 農民戦争で軍に占領略奪された、
 17-18c 繰り返し戦争で被害を受けた、1666 ペスト大流行、
 1866 プロイセン王国に併合された。

2.市壁 0.31 0.35 

   1332の市壁は、LeerGasseにまだ全高で聳え、他の場所にも残る。市壁の前に
  は幅20m深さ5mの堀が付けられ、1689市壁上の防衛通路は壊され家が建てられた。

3.塔数 1門5塔

   1332の市壁には、約80m間隔で半円型の防御塔が造られた。Kliansringと
   Gelbenhausにまだ二つの半円形鞘塔が残っている。
 マーチン門 Martins Tor (14c) 唯一残った市門で、この門を通ってビール樽を積ん
   だ荷車がライン河畔に通った。
 セバスチャン塔 Sebastians Turum (14c) 町の守護聖人である聖セバスティアンの立像が
   立ち、町の南西角の守りを固めている。塔の周りは昔の漁村であった。
 市塔 Stadt Turm 町の東を守ったSuele門の一部で、1753から町の監獄として
   使われ、19cには塔はゴシックに改装された。今は、町の歴史の中心として
   市の公文書館となっている。

4.見所  B

    ヴィースバーデン市内の西ライン河畔の選帝侯城を中心に400年の歴史のある町で
   木組みの家や中世の防備施設なども残っている。
 最古の市庁舎 Altestes Rathaus (1511) 地階石積上階木組で町で最も古い市
   庁舎で、地階には1511の年号が掲げられている。この建物は1827まで市庁
   舎とし使われた。向かいに古い共同風呂小屋があり、1512に文書言及された。
 選帝侯城 Kurfuerstliche Burg (14c) 不規則な長方形の城は、市壁の南東角
   に位置し、ツインガーが深い堀と高い壁に西と北を囲んでいる。1301の税関戦
   争で壊された城跡に再建され、14-15cマインツ選帝侯大司教が住んだ。30年戦争
   で破壊され1682東翼は修正された形で再建された。中庭・庭園・堀にはバラを
   初め多くの花が咲いている。天守閣からの眺めはよい。
 聖ピーターとパウロ教会 Katholische PfarrKIrche St.Peter und Paul (10c)初め
   ロマネスクの建物は、1350-1440に後期ゴシックの聖堂となり、1420塔が追加され
   た。落雷による塔頂の破損は1686バロックのフードで修復された。中に、優れ
   たゴシックの絵画と彫刻・1405-10塔の東壁の裁判の描写などがある。
   クラス城 Burg Crass (14c) 市壁街の最も古い建物で、マインツのコーデンス家の住居で
   あった。30年戦争で焼かれカルロ侯爵がネオゴシックの城を築いた。1873クラス家が
   城を引き継ぎ高級レストランを開いた。
 木組家 Fachwerk Haeuse (1550-1850) 特に1700前後の木組みの家が多く残って
   いる。マルクト広場の東側の曲がりくねった道にバロックからの木組みの家並
   が見られる。
 古い学校 Alte Schule (16c) 教会の丘の上に教区学校が建てられ、地階は石
   積上階は木組みの建物である。マインツ大司教がラテン語教えたこともあり、1584
   以降は全学校長の名前を郡の図書に記載された。

5.写真

市庁舎 選帝侯城
城堀 セバスチアン塔
市塔 マナー塔
西北壁 西北壁
カソリック教会

戻る

戻る

エアバッハ Erbach HE25

1.歴史

  150 ローマ軍の国境防備の櫓砦を築く、 400 アラマン族が支配、 500 フランク族が所有、
  773 シャルマーニュはロッシュ修道院に国境の土地を与えた、 1095 ロッシュ修道院文書に言及、
 1200 ゲルハルト1世は天守閣のある水城を築く、        1321 城と町の初言及、
 1440 最初の堀と家屋に付いて言及、     1532 皇帝チャールズ5世は市壁で囲んだ、
 1545 市庁舎、1560 町の紋章、         1591 門と堀に架かる橋を造った、
 1618-48 30年戦争とペスト流行で人口減、スイスから移民、1667-68 仏ルイ14世の略奪、
 1672-79 仏軍占領、堀・壁・門・塔の修復、    1710 宮殿と公国オランジェリィの建設、
 1740-48 墺承継戦争で被害、        1775 侯爵フランツ1世は農畜産を振興、
 1806 ヘッセン大公国となり1852郡庁所在地、   1866 独墺戦争、1870プロイセン戦争、
 1945 2次大戦の空爆で被害。

2.市壁 0.06 0.01 

    16cの市壁はあったが、宮殿の裏のAm Schloss grabenには、堀の内側の位置に
  低い石積が見られる。

3.塔数 0門0塔

    1591に建てられた市門は、1834に取り壊された。

4.見所  D

    旧市街地には、古い木組の家と大きな城のある小さな町。マルクト広場には、宮殿・
   市庁舎など風格のある建物がある。
 エアーバッハ宮殿 Schloss Eberbach (12c) 初め、堀と壁が円型にあり、13cにゲルハルト1世は
   高さ67mの天守閣のある水城を建てた。16cにはルネッサンスの宮殿となり1736から改
   修され、1902ネオバロックの外観となった。ゴシックの尖頭は1497に置かれ、中庭は付属
   建物で囲まれ、向かいに1540Kanzeleibau.1550穀物倉.厩舎があり、アーチ広場に面
   する側に1571Archivbau.1593守衛詰所がある。
 宮殿博物館 Schloss Museum ネオバロックの城の中にエバーバッハ伯フランツ1世(1754-1823)のコレ
   クションがガイドツアーで見学できる。武器庫では細工のある銃器・刀・鎧・槍・南アジア.ギリシャ
   .ローマの陶磁器・伯爵一族の部屋が見られる。
 城壁 城の敷地内で閉じていて、町の周壁の中核を形成している。
 ハーババーマン城 Habermanns Burg (1427) 3階建てゴシック石造の城守家族の家で城の奥壁
   に接続している。
 城守ペビィ家 Burgmannen Haus Pevey (1427) 中世の城の家で北西の背中に置かれた
   石積の地階と木造の2階建ての建物。
 テンペルの家 Tempel Haus (1372) 3階建て階段破風付石造の騎士の家で、望楼を務め、
   窓は後に挿入された。
 グリュック工場 Grueks Fabrik コジオルはユニークなデザインを生み出し生活に高品質の製品を
   造りだした。コジオル博物館として、デザインの世界を提供している。
 独象牙博物館 Deutsches Elfenbein Museum (1966) 象牙彫刻美術品・作成プロセスの
   説明・象牙取引と加工の歴史を展示。

5.写真

 
旧市庁舎 エアーバッハ宮殿
ルスト公園 町教会
西壁

戻る

戻る

エシェヴェーゲ Eschwege HE26

1.歴史

 10-11cフランク族の王の宮殿が置かれた、   1000皇帝オットー2世の文書で妻の遺産に、
 11c 妻の娘は町に女子修道院を設立、 1188 市場権を授与、1249都市権を授与、
 1264 ヘッセン伯ハインリッヒ1世は相続戦争で町を取った、 1292 ナッサウ皇帝アドルフは領土に、
 1385 チューリンゲン方伯バルタザールは町に来た、   1386 方伯バルタザールは城を築いた、
 1433 再度ヘッセン方伯領となり宮殿を築いた、1627-32 退位方伯モーリッツの老後の場所、
 1632-55 ヘッセン・エッシェヴェーゲ方伯フリードリッヒの王宮、1637 クロアチア軍の略奪・火災で被害、
 1655 ヘッセン・ラインフェルト方伯エルンストが所有、  1731 ヘッセン・ベンスフェルトのクリスチャンは住んだ、
 1755 ヘッセン・ローテンブルク家へ移った、       1834 ヘッセン・カッセルの本家に戻った、

2.市壁 0 

  13cの市壁は、1867までは存在した。Botanには旧市壁の石が見られた。

3.塔数 0門3塔

 ヂュンチェバッハ塔Duenzebacher Turm (1322) 古い塔の場所に1531に施設が置かれ、30年
   戦争の後に今の姿になった。1659魔女が投獄され、18-19c町の刑務所として
   使われ、監獄塔とも呼ばれた。
 ニコライ塔 Nikolai Turm (1455) 昔はGodehardi教会の塔であったが、400年前に壊され
   た。塔の南側の碑文に年号がある。30年戦争で石積の上まで壊れ、1733・4階建
   の塔が再建された。1736防火の見張り塔として使われた。1969古い木の階段は
   鋼製に取り換えられた。
 ビスマルク塔 Bismarck Turm (1902) 東1.5km、ロイヒト山319mの頂上に、高さ26mの四角塔で
   ビスマルク・オットー侯爵に敬意を表して、古い見張り塔の形で建てられた。1階と頂上
   にプラットホームがあり、3-10月には登れる。

4.見所  C

  旧市街に、市庁舎をはじめ多くの装飾のある木組の家が、見事に並んでいる。
 市庁舎 Altes Rathaus (1578) 3階建ての木組みの家で、前面にはグロッケン・シュピールが20
   04に付けられ、10.15時から1時間毎に6回鳴る。今は結婚式場。
 方伯宮殿 Eschwege Landgrafen Schloss (1386) 初めの城は1433に3階建で北と南に
   翼のある宮殿に拡張された。1615-17建物の屋根の上の角塔には時計の下に町の
   シンボルとしてラッパを持つ像が立っている。1821地区事務所となり、北の下に町の
   の下に町の書館となった。
 聖ディオニイ市場教会 MarktKirche St.Dionys (1626) 侯爵の墓所としてヘッセン・カッセル方伯
   モーリックの求めで建てられた。方伯家は豪華な棺に埋葬されている。
 聖キャサリン教会 Ev.Kirche St.Katharina (1374-1509) 3身廊煉瓦造後期ゴシックのハレン教会
   で、マールブルクのエリザベス教会を模倣している。中には、ハインリッヒが寄進した石の説教
   壇がある
 錫模型陳列室 Zinn Figuren Kabinett Eschwege 1.2万の錫フィギャーと200のジオラマで、
   世界の大きな出来事を紹介している。ミニチュアの世界史・錫の文化史・世界最古のミニュチ
   ュアと最少の船のモデル1.2mmもある。
 資料センターと文化遺産博物館 Dokumentations Zentrum und Heimat MUseum ドイツ戦後の
   歴史のための資料センターにドキュメント・ビディオ・目撃証言を集めている。また、ドイツ
   の国境整備のモデル・町の歴史・水路の資料を展示している。
 市博物館 Stadt Museum 町の歴史と文化、1750の都市景観、古い町と工芸品、鉱物・地
   質と自然史を展示。近くに植物園。

5.写真

市庁舎 木組家
州宮殿 ヴェーラ川

戻る

戻る

フェルスブルク Felsburg HE27

1.歴史

 1090 マインツ大司教が支配、      1209 フラッツラー・パウロ財団のリストに記載、
 1286 ヘッセンが岩城を建て、マインツがハイリゲン城を築いた、13c 町は市壁で囲まれた。
 1455-88 錬金術師クラウス・アーバッハ岩城で実験、1807-13 ナポレオン王国の州都に、
 1945 二次大戦では駅が爆撃された。

2.市壁 0.31km 0.46

  13cの市壁は、南の岩山に180m、南の平地に点々と130mが残り、別に城壁が
   140mがある。

3.塔数 0門5塔

  山頂の外壁に、北東から小円・半円・大円・小円の4壁塔と、城天守(Butterfoss
  turm)が立っている。

4.見所  D

  この町は、高さ200mの玄武岩の上に岩城が残り、交易路を見下ろしている。
  その城の南の麓に小さな木組の集落がある。その他にAttenburgとHeilipenburg
  があり、三つの城の町と呼ばれている。
 市庁舎 Altes Rathaus (1578) 3階建ての木組みの家で、前面にはグロッケン・
   シュピールが2004に付けられ、10.15時から1時間毎に6回鳴る。今は結婚式場。
 フェルスブルク Felsburg (1060) 今の入口階段は14cの入口塔のアーチ門と北部
   ツインガーに繋がっている。周壁・30mの円塔・南壁の城礼拝堂が残っている。
   改革の後に、粉の保管に使われ、1544砲兵が駐留。2005ヘッセン州による改修が行
   夏季の13-17時に開場している。2007からは、結婚式やパーティ会場として使われ
   ている。

5.写真

フェルスブルク・市教会 市壁通
ウンターガッセ 南西壁
東壁 南壁

戻る

戻る

フランクフルト Frankfurt am Main HE28

1.歴史

 1c ローマ軍は大聖堂の丘に砦を築いた、 3c アレマン族の居住地となった、
  794 西フランク王国の王宮と大聖堂を築く、10c カロリング朝の王宮と要塞を築く、
 12c シュタウフェル朝は王宮を500m南に移した、1240 市場権、1337都市権の授与、
 13c中 帝国自由都市となった、   1356 金印勅書で国王選挙と戴冠式の町に、
 1480 レーマーで書籍見本市を開催、   1555 スペイン・オランダ・イタリアの新教徒受入、
 1631-35 30年戦争で何度も占領された、1714-19 二つの大火災で旧市街は壊滅、
 1759-63 ルイ14cの仏軍が占領、    1796-02.1806 仏革命軍の占領、
 1805-18 都市防御施設の解体で要塞は公園に、1860 フランクフルト大公国に、
 1866 墺プロイセン戦争でプロイセン領に、  1914-18 第1次大戦で空襲を受けた、
 1943-44 2次大戦の空爆で旧市街はほぼ瓦礫になった。

2.市壁 0.01km 0.01

   ①10c第1次市壁、カロリング朝の王宮を守る最古の要塞は発掘調査で判明。
   ②12c中第2次市壁、シュタウフェル朝は王宮を500m南に移し0.5haを市壁で囲んだ。
    シュタウフェル市壁は川沿いに見られる。③1343中世後期の市域は3倍に拡大し、
    第3次市壁が高さ6-8m厚さ頂上で2.5-3mで前面に堀を設けた。対岸のザクセン
    ハウゼンもドイツ騎士修道会を中心に市街地があり17cには市壁で囲まれた。
    16c市壁完成時には、既に時代遅れであったが、1552の包囲は守られた。
   ④ バロック要塞は1626-67に中世市壁の外に13星形要塞の大防衛施設を建設。
   ⑤19c仏軍の再占領1806の後に、防衛施設の撤去が始まり緑地が残された。
    2次大戦の爆撃でも破壊された。 残っているのは、2次の北東角に60mと
    北西に聖母教会の窓のない西壁40m、3次の北西60mと東60mである。

3.塔数 0門3塔

   2次市壁には、3市門と7小門があり、3次市壁には5市門と対岸に1市門と
   2小門があったが、今はない。 壁塔も42基あったが今は2塔しかない。
 エッシェンハイマー塔 Eschenheimer Turm (1428) 後期ゴシックの北門塔で小尖塔
   4と円錐屋根が塔頂にある。帝国自由都市の紋章があり、1階は暖炉付の守
   衛の部屋が見られる。
 レルテン塔 Rerten Turm (15c) マイン河畔の市壁沿いの建物に立つ円錐屋根
   の円塔である。
 白塔 Weisser Turm (1472) 後期ゴシックの2階建ての円塔で、頂上の胸
   壁に白い小尖塔が立っている。

4.見所  A

   旧市街は、2次大戦で壊滅したが、主要場所は復元されて、昔の雰囲気
   が感じられる。多くの博物館があり内容は充実している大都市である。
 レーマートレーマーベルク Roemer und Roemerberg (1405) ゴシック階段切妻の中世
   貴族の家を三つ繋いで市庁舎とした形を復元した。後にこの建物の2階皇
   帝の間で皇帝の選挙や戴冠式の祝賀会が行われた。レーマーの名前は、中央の
   のゴシックの建物の名前から付けられた。中庭にはルネッサンスの螺旋階段がある。
   レーマーベルクは、4階建て木組みの建物に囲まれ、正義の女神の噴水1543があ
   り、夏祭りやクリスマス市が開かれる。
 大聖堂 Dom Bartholomaeus Kirche (680) 初め礼拝堂があり、852に
   カロリング朝・後期ロマネスクのサルバトール大聖堂となり、1260今のゴシックの身廊と側廊
   を拡張し、1415西塔を構築した。戦後復旧として、95mの塔が復元され、
   4-10月には登れる。神聖ローマ帝国の国王選挙や戴冠式が行われた。
 聖パウル教会 St.Pauls Kirche (1833) 町のルーテル教会として建てられ、
   赤砂岩の大きな建物であった。1944空爆で全壊したが再建され、1948第1回
   民主議会が開かれた。1988-91に改修された。
 聖ニコライ教会 St.nikolai Kirche (1290) 宮廷の礼拝堂として建てられ
   戦災を免れた新教教会である。
 聖レオンハルト教会 St.Leonhards Kirche (13c) ロマネスクのバジリカは、16cに
   ゴシック化された。8角形の塔と彫刻家エンゲルト・ポーチの彫刻13cが残っている。
   後で二つの側廊が付けられ、内陣左手に聖母マリアの生涯を彫刻した祭壇と
   最後の晩餐1501の絵がある。
 聖母教会 LiebFrauen Kirche (14c) ゴシックのホール式教会として建てら
   れ、18c内部はロココに改装された。今はカプチン会修道院の教会となっている。
   南正面入口のタンパンのレリーフは三博士の礼拝である。
 古いオペラAlte Oper 後期イタリア・ルネッサンス風の建物は、パリのオペラ座を
   手本に建てられ、1944爆撃で廃墟となったが、市民の献金で2450席の大ホール
   と720席のモーツアルトホールが、1981には開演された。
 フランクフルト歌劇場 Oper Frankfurt 前面ガラス張の近代的な建物である。
 歴史博物館 Histrisches Museum 最初の集落から現在までの町の歴
   史を解説している。彫刻・磁器・ガラス・博物史上の物品・貨幣・版画・中世.大戦
   後.現在の都市模型などがある。その奥は皇帝の館の礼拝堂12cに通じる。
 シルン美術館 Kunsthalle Schirn 2千m2の空間で展示会が開催される。
 考古学博物館 Archaeologisches Museum 旧カルメル会修道院の復元され
   た教会に、旧石器時代からの考古学的研究の成果を展示している。
 ゲーテの家博物館 Goeth haus und Goethe Museum (17c) ゲーテの生家は
   爆撃で壊され復元された。居間・台所・客間にバロックの家具や装飾品ある。
   博物館には18-19c絵画や彫像・ゲーテの生涯や作品が展示されている。
 ドーム博物館 Dom Museum ゴシック回廊の残った場所に、中世やバロックの
   絢爛たる法衣や金細工が展示されている。
 モダアート美術館 Museum fuer Moderne Kunst 新築の4千m2の大きな建物
   にニューヨーク派の現代芸術家の作品が展示されている。
 ユダヤ博物館 Juedische Museum (1821) ロスチャイルド館に中世から現代の
   ユダヤ社会の歴史と日常生活を解説している。
博物館河岸(マイン川左岸)
 市立美術館 Staedtisches Galerie Liebieghaus (1909) リービック侯爵の
   館に文化史5千年の彫刻が世界から集められている。エジプト・ギリシャ・ローマ・極東
   からの作品が展示されている。
 シュテーデル美術館 Staedelsches Kunstinstitut/Staedtische Galerie
   銀行家の寄付で設立された絵画館である。中世から現代の独・伊・仏・蘭の絵画
   を広く集めている。ヂューラー.クラナッハ.ボッチィチェリ.アンジェリコ.ラファエロ.ルーベンス.レンブラント.
   フェルメール.ルノアール.モネ.クルーベなどの名画が見られる。
 コミュニケーション博物館 Museum fuer Kommuniketion (1958) 初め郵便博物館と
   して設立され、1990にコミュニケーション博物館となり、カンバン.電信.電話.ラジオ.テレビ.
   絵画.彫刻.写真.映像とうの収集・展示がある。
 ドイツ建築博物館 Deutsches Architektur Museum (1984) 1872と現代の
   建物を取り合わせて建築し、中には6階建ての「家の中の家」があり、建築図
   書や模型塔のコレクションがある。
 ドイツ映画博物館 Deutsches Film Museum 映画の初期の発明品・サイレントと
   トーキーの映画作成史、上映室の展示がある。
 世界文化博物館 Museum fuer Welt Kulturen/Galerie37 (1904) 世界の
   民族の歴史・民族史・写真・映画・多くの書類を有し、世界民族の文化を展示。
 応用工芸博物館 Museum fuer Angewandte Kunst (1877) デザイン.ブック
   アート.グラフィックアート.イスラム芸術.東南アジア芸術などについて展示。
 イコン博物館 Ikonen Museum (1988) 正教会のイコンを1千点以上保有し、ロシア
   からエチオピアにかけてのイコンを展示している。

5.写真

 

戻る

戻る

フランケンベルク Frankenberg(Eder) HE29

1.歴史

 1233 チューリンゲン伯が城と町を建て、間もなく強い市壁と25の門・塔で囲った、
 1335 町は北側に拡張され1556には旧市街地と統合された、
 1476.1507 大火で焼失、        1529-1611 ペスト流行、
 1618ー1648 30年戦争で町は損害甚大、  1655 町は再建した。
 1806 ヘッセン大公国。

2.市壁  0.01km 0.01

   東側に僅かの市壁の名残を残すのみである。

3.塔  0塔

   5つの市門塔と20の見張塔があったが、今は東側に13Cの塔が唯一残る。
 魔女塔 HexenTurm 13C建、僅か残る市壁の近くにある。壁厚3m、高さ
   10m、町の刑務所として使われ、魔女狩りの時代にこの名前が付いた。

4.見所  B

   旧市街地は尾根の上にあり、16Cの木組の町並みが多くみらる。
  特に、上マルクトと下マルクトの広場には見事な建物が残っており、木組の市庁舎は
  大きくて荘厳である。
 上マルクト OberMarkt
 市庁舎 Rathaus 1476に焼失後1509に復元されたゴシックの木造2階建で破風に小尖
   塔とカリオンが飾られている。圧倒的な存在感がある。
 旧醸造所 AltesBrauhaus 1538建、大規模な庇家。尖ったアーチの入口のある前面を
   残したホテルになっている。
 石の家 Steinhaus 1420建、1476の大火に焼け残った一番古くて大きい世俗的な
   建物。1975の改修で昔のゴシックの切妻を復元した。
 下マルクト UnterMarkt
 荒野の上 Auf der Heide 16C建、南側に石塔のある木組の家。
 太陽の家 DieSonne 16C建、繊細なレンガ建築で、今はホテル。
 聖母教会 RiebfrauenKirche 1286建、マールブルクのエリザベス教会を模してゴシックで造
   られた。1476の大火で焼失し、1963まで再建に要した。3千本のパイプのある
   パイプオルガンが置かれている。

5.写真

市庁舎 聖母教会
下マルクト 下マルクト

戻る

戻る

フリードベルク Friedberg HE30

1.歴史

  69-79 ローマキャンプの場所にローマ砦を再建、260 その後拡張されたが撤退で放棄、
 1171-80 フデリック・バルバロッサが城を築いた、 1216-19 ホーエンシュタウヘン家が町を計画、
 1252 帝国都市として布の製造で発展、 1332 市場の開催、14c中型の町に3千人、
 1307.1447 大火災に見舞われた、   1455 帝国自由都市になった、
 1618- 30年戦争・7年戦争・仏革命戦争で略奪された、1806 ヘッセン大公国に帰属、

2.市壁 0.71 0.38 

  小高い丘の上に町が有り、城の周囲と町の西に市壁の石積が残っている。

3.塔数 1門3塔

 北城門 NoerdlichBurg Tor 城の北の急坂の上の門。
 アドルフ塔 Adolf Turm (1347) 城の北側の高さ58mの天守閣。
 デブ塔 Dicher Turm () 城の下の市壁とのつなぎの太い防御円塔。
 赤塔 Roter Turm (1296) 東南の円塔で、赤砂岩造の尖頭アーチと胸壁の
   付いた塔で、市壁の一部として造られ、刑務所も務めた。

4.見所  C

   丘の上の町で中央を旧国道3号線が通り、旧市街地には木組の家も残
  っているが、北の城が見所である。
  Burg () 1808に城教会は建てられたプロテスタントの教会である。城庭は18c
   中から19c初の造られ、音楽演奏会が行われている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1737-40) 2階建てのスコッタの建物で、マンサード屋
   根に尖塔がある。2001に2階には音楽学校が入った。
 聖母教会 LiebFrauen Kirche (1260-1410) 町教会で、ゴシックのハレン教会。
 マリア教会 Marien Kirche 町の東南の角に立つ。
 町図書館 Burg () 古い修道院の建物に開設され、4万冊以上の本・ビディオ
   ・カセット・CDなどが収められている。

5.写真

太い塔
西壁 東壁
広場 聖母教会

戻る

戻る

フリッツラー Fritzler HE31

1.歴史

 724 最初の文書言及、        742 教区となり、782 修道院に昇格、
 919 国会議事堂となる、      1079.1232 町は破壊された、
 1238 要塞の強化、東側の壁を追加し7つの塔が建てられた、
 1483.1558.1611 ペストが猛威、  1621-48 30年戦争で占領され略奪された、
 1803 フリッツラー公国となる、     1945 アメリカ軍の砲撃で被害。

2.市壁  0.380km 0.72

  丘の上に、北側の円形と南側 の小さな四角がくっついた形に市壁があった。
  1184-96に最初の市壁が建てられ、新市街地は追加した角の壁に囲まれた。
  12-14Cに市壁と防御塔が強化された。今は、北東部分を除いて、ほぼ全周に
  残っている。

3.塔  0門15塔

   市門は、1823HospitalTor、1823WerkenTor、1834WerkenbornTor、
  1838HaddanarTorに、それぞれ19Cに取り壊された。
   23の塔の内10塔が残り、基礎のみ残るのは8塔である。
 グエーベン塔 GrebenTurm 北 12Cには馬蹄形の床で造られた。市壁の古い
   部分同様に玄武岩の瓦礫の下の部分にある。1232に基礎から円塔となる。
 バラ塔 RosenTurm 北 12Cには馬蹄形の床で造られ、上記塔と同様に円塔
    とされた。
 グレー塔 GrauerTurm 西 1274建、初めて大きな38mの塔を建てた。壁高は
   10.5m。19C末に大修繕がなされた。地下には1541以降監獄があった。
 女塔 FrauenTurm 西 1360建、塗装塔とも呼ばれた。外側の壁厚は1.2m
   あり、最上階はすべての方向に窓がある。塔の地下には、女刑務所があり
   この名前が付いた。
 冬塔 WinterTurm 西 高さ25mで、すべての階で別の方向に抜け穴がある。
   1397に円錐屋根が付けられ、1968に壊れた最上階は1984-86に改装され、
   壊れた窓が復元された。この門を通った南斜面はブドウ畑であったことか
   らこの名前が付いた。
 漂白塔 BleichenTurm 南 八面の錐体の屋根、塔の最上階は尖塔の窓と欄
   干として構成している。中世から2次大戦後まで洗濯物を漂白していたので、
   その名前が付いた。
 レギル塔 RegilTurm 南東 14Cの塔は、1883に円錐形の瓦屋根までほぼ完
   全に復元されている。抜け穴のアーチがある。
 ヨルダン塔 JordanTurm 東 1982に改修市壁の隣接部分と統合された。円塔。
 見張り台5 Warten 5   14C中に円形石造塔が7造られ内5が残っている。
   入口は地下深く、地上数mの高さで各方面を見張った。
   説教壇塔KanzelWarte西南、ObermoellrichenWarte、角線塔EckerichsWarte、
   晴塔 HellenWarte北、
基部又は柱部のみの塔 9
  パビリョン塔 PavillonTurm 西
  石下水塔 SteingossenTurm 南中
  針めど塔 NadeloehrTurm 南
  ペーター塔 PetersTurm 南
  古い塔 AlterTurm 北東
  カーラー塔 KalarsTurm 東
  短い外套 ZuckMantel
  2無名塔 ZweiNamenlosenTurm

4.見所  A

  西から町に近づくと、山上に多くの塔が林立している姿が遠望される。
  市街地には、15-18Cの古い木組の家屋が多く見られる。特に、マルクト.馬市場.
  Jestaedt広場は見事である。
 市庁舎 Rathaus 1109建、がっちりした石造地階の上に張出し木造建物を
   載せた長大な建物。マインツ大司教の役所として建てられ、11C末に町の所有と
   なった。1960-64に基礎の上に建て直され、東へ法王庁を包含し監督参事会
   員住居を拡張した。15C前半にその建物は火災で壊され、再建の際に拡張さ
   れ、多分1441には再建は終わっていた。この再建は古い石造は保たれ切妻と
   小角塔のあるゴシックの木組構造を載せた。地階には開かれた広間を加えた。
 フリッツラー大聖堂 FritzlarDom 1120-30建、723にオーク材礼拝堂があった。
   聖ペテロ大聖堂は2角塔の前面であり、ロマネスクの参事会教会であった。1232に
   ロビーを追加。2010-12内部の改修。
 ドーム宝物と美術館 DomSchatz&Museum ドームの回廊を通って内陣の右隣
   にある。典礼に使う道具や祭服を展示している。宝石をちりばめた十字架と
   12Cロマネスクの円盤聖遺物箱に注目。
 町教会 StadtMinoritenKirche 1237にフランシスコ会の修道院を作り始めた。
   14C初めに修道会は教会建設に着手し、1553宗教改革の時代に修道院は止
   められ、1619反宗教改革の後に立ち返った。ゴシックの教会はほっそりとし
   た姿の2身廊ハレン教会であった。17Cに内部はバロックに改装され、1844にフラン
   シスコ会修道士の死後に解体された。1817に教会は新教教団に引き渡された。
 ギルド館 GildeHaus 1475-80建、町で最も古い後期中世風の4階建木組の
   商館であり、ミヒャエル宗徒と遠方取引同業組合が使った。13C末にギルドは組織
   された。細長い建物は重々しい破風塔を持ち両隣の木組家を抜き出ている。
 ザイベル家 HausSeibel 1480建、マルクト広場の北側の家並みに、典型的な
   台造りの赤く塗られた木組の4階建の家である。家は参事会委員の貴族が
   住居目的のみならず経済活動のために作った。高い尖頭アーチ入口門で馬車
   で中の売場に行ける。上の階の幾つかの小さい店には通路が整備され、
   下の石造の丸天井の中に食堂もある。
 ラムバート家 HausLambert 18C初建、4階建青い窓枠木組の家。その場所に
   14Cには鋳造所があった。フリッツラー・ペニッヒ銀貨の有名な刻印がある。その出土地
   は中世にいかに遠くと通商関係に在ったかが分かる。
 HNA家 HNAーHaus 1276建、ヘッセンに僅か保たれた13Cの世俗建物である。
   フリッツラー貴族の石造住居はマルクト広場にある。1994にディーリッヒ企業が入手し、
   翌年に模範的に建て直された。1420-1700に建築上の変化があった。即ち、
   梁天井の平らな地階は、15C遅くに丸天井の地階に取替えられ、17Cの終りに
   今日の石造の上に木組の2階と屋根階を載せた。今、HNAの地方編集局。

5.写真

 
市庁舎 バラ塔
マルクト広場 ドーム
北西壁 西壁
南縦壁 南東壁
東壁 上南壁
堀塔 マルクト広場
木組み家

戻る

戻る

フルダ Fulda HE32

1.歴史

 744 ベネディクト会修道院の創設、聖ボニファーチウスの墓所として巡礼地となる、
 819 大聖堂が完成し職人や農民が定住、 1019 市場と鋳造貨幣、
 1162 町は市壁と5門12塔の要塞化、   1208 町に昇格、
 1315-20 領主は中心に第2の城を築く、 1525 農民戦争に参加、
 1640 30年戦争でスエーデン軍の攻撃、   1704 バロックの大聖堂と城を建設、
 1752 フルダの建国、         1806 一時 仏領となる、
 1815 ウイーン会議でプロイセンに帰属、    1944 2次大戦の爆撃で町の30%破壊。

2.市壁  0.17km 0.07

   旧市街地に市壁1.7kmの内、Psulus門の東側にオランジェリィの北側に宮殿公園ま
   でが残る。

3.塔  2門1塔

 軍門 HeerTor (1150) 宮殿の南側に門アーチのみ緑地に残る。市壁の町
   側に建てられた。
 パウロ門 PaulusTor (18c) この門は町の北側に、市ホールの側にある。
 ヘーゼン塔 HesenTurm ドームの南側にある西側壁塔。

4.見所  B

   旧市街地の中世の建物は、それほど残っていない。中心にはバロックの宮殿、
  鐘楼、大聖堂など、町はバロックに染まっている。
 旧市街地 AltStadt 中世の要塞の残りと木組の家に古い教会も見られる。
 大聖堂 Dom (1704) バロック教会の建設に着手。1752以降はフルダ教区の
   大聖堂となった。中央祭壇下のボスファーティウス霊廟は、巡礼者の目当であり、
   墓と祭壇がある。祭壇の台座には18Cの浮彫がある。正面は珍しく東向き
   で、2つの塔間隔が塔の高さに対して狭く、不安定な感じを受ける。
 ドーム博物館 DomMuseum 聖ボニフェーティウス聖骨箱と短剣の聖遺物、バロックの
   装飾、銀の祭壇、修道院の歴史を展示。
 ミヒャエル教会 MichaelsKirche (822) ベネディクト会修道院の墓地礼拝堂として
   建てられ、その後堂々とした四角形の塔を持ち丸屋根を取り囲んで建てた。
 市宮殿 StadtSchloss 西に開いたコの字型の建物で、中央で歴史的な部
   屋に入ることができる。テラスから宮殿庭に出られる。庭は広大で向かい側に
   オランジェリ1724が立つ。
 大聖堂 Vonderan Museum 文化史学的に石器時代から現代までのフルダを
   展示している。修道院の歴史が中心となり、自然史的な説明もある。地方の芸
   術家の絵画と彫刻も展示されている。

5.写真

宮殿 パウル塔
軍門 ドーム
北壁 北壁

戻る

戻る

ゲダーン Gedern  HE33

1.歴史

 780 初めての文書言及、    1356 都市権を持ち、ウイーン会議まで続いた、
 1852 Nidda郡に入った、   1874 Niddo郡が分解してSchotten郡となった。

2.市壁  0

   見当たらない。

3.塔  1門0塔

   石造の東門が残っている。

4.見所  D

   山の上に作られた町であるが、纏まった町並みは見当たらない。
 宮殿 SchlossGedern 17-18C建、宮殿の建物は壁基礎の上に建っている。最近は崩壊
   の恐れがあり、町の資金で復元された。今は、レストラン付きホテル、戸籍局
   、弁護士事務所と行政が入っている。
 宮殿博物館 KulturHistrischesMuseum 古い生活用具と城の歴史を展示し、観
   光案内も行っている。

5.写真

ゲデルン城門 ゲデルン城

戻る

戻る

ゲルンハウゼン Gelnhausen HE34

1.歴史

 1170 皇帝フリードリッヒ1世はホーエンシュタイン帝国の首都を創設、古い3集落を計画的拡張、
 1180 帝国議会を町で開催、       12c 皇帝広場のある支配施設を建設、
 13c 町はフランクフルトに対抗する資金力があり市民課税免除で多数の商人は裕福だった、
 1333 バイエルンのルードビッヒは特権を与え、町は屋根付市場を建てた、
、1496 ラインハルト4世は持参金で再取得権を置き換えた、16c木組の家並が形成され残る、
 1618-48 30年戦争で何回も免焼金を取られた、17-18c ホーエンシュタウエンの町で市壁あり、
 1803 ヘッセン・カッセルが終わり帝国直属になった、 1807-10 ハーナウ公国に属した、
 1810-13 町はフランクフルト大公国に含まれた、   1815 ヘッセン・カッセル選帝公国に併合、
 1866 プロシア領となった、          1945 新しいヘッセン州に属した。

2.市壁 1.85km 0.52 

  南東の王宮を囲んで12cの円壁と門塔が在り、城を囲む部分240mが残る。市街を
  囲む部分は中心に近い1220からの1次市壁とその外側の2次市壁があり、1次で北東
  360m+東南180m、2次で北東510m+東90m+南150m+西南240m+北西320mが残る。

3.塔数 4門5塔

    1220の石市壁には四角い殻塔で守られた。殻塔の外側は石造であるが、町
   側は木造で安く造られた。
 ハイツアー門 Heitzer Tor 東、3階建ての四角塔。
 マイン門 Main Tor 南東、四角の門塔であるが、地階部分がコの字型に残さ
   れるにみで、その上は失われた。
 魔女塔 Hexen Turm 東南、1447-79建、フス戦争の反省から建てられ、直径
   8mで高さ24m璧厚2.8m頂上に胸壁と小尖塔のある円塔で、入口の戸には地上4mの
   町側から木橋で達した。今の入口は19cに開けられた。1584-1633には魔女が投獄
   されたためにこの名前が付いた。地階と中庭には魔女迫害の歴史を展示。
 煉瓦塔 Ziegel Turm 南、6階建ての細長い角塔。
  Halb Monde 東北、外側二重半円塔。
 外木門 Ausseres holz Tor、北、3階建ての建物。
 内木門 Innnneres Holz Tor 北、煉瓦造4階建て四角塔に四角錐屋根が付い
   た建物で歩道のアーチがある。
 桶塔 Butten Turm 西、前面半円の4階建ての塔。
 船門塔 Schofftter Turm 南、6階建ての細長い四角の門塔で四角錘屋根。

4.見所  B

   日当たりの良い斜面の町で、上下二つのマルクトを古い建物が取り巻き、
   木組みの家も残されている。町は堡塁に囲まれている。
 市庁舎 Rathaus 上市場にある2階建ての四角い建物で、昔はロマネスクの商社。
 皇居 Kaiser Platz (10c) 壁に囲まれた内側に、宮殿のと皇帝の一次的な
   住居のある水城があり、12cには武器の発達に合わせて要塞は強化された。
   今は、城の入口の部分・柱列・礼拝堂・北棟外壁部分が残る。
 新教マリア教会 Ev.Marien Kirche (12c) 1151の元の建物は単身廊教会で、
   13cに3身廊で東塔のある十字型聖堂になり、15cゴシックの聖具室と礼拝堂が南東に
   ついかされた。1877と1945に主要な修復が行われ、1962にも改修された。
 聖ペテロ・カソリック教会 Katholische KIrche St.Peter (13c) 後期ロマネスクの3廊
   バジリカが建てられ、宗教改革でゼルボルト修道院は解散したが、聖ペトロ教会は町の
   所有となったが保全が行われず崩壊した。1830には商人に売却され、タバコ工場
   の中の建物として残された。1920カトリック教会として買収され、18年間で復元され
   た。1982-83全般的に改修された。入口翼廊南側に日時計がある。
 市博物館 Museum Gelnhausen 上マルクト北側ににある旧学校の建物に、町の
   歴史の全ての期間を展示している。
 グリマルスハウゼン博物館 Grimmelshausen Museum 町で生まれた作家ヨハン・ヤコブ・
   クリストフの人生と作品と生家を展示。
 塔時計博物館 Turmuher Museum (1990) 塔時計の歴史と1520からの塔時計
   ・部品・付属品・写真が展示されている。
   1590建:旧約聖書銘刻の家、1582建:校舎、1472建:書記の家、貴族の館.彫
   刻飾り、1582建:伯爵役員の住居。

5.写真

 
コウノトリ塔 マルクト広場
教会

戻る

戻る

グレーベンシュタイン Grebenstein HE35

1.歴史

 1265ルドルフ5世がフェルシュテンシュタイン城を建立、1297ヘッセン方伯ハインリッヒは城・裁判所を買収、
 13c 計画的集落を建設、      1356 旧市街と城の間の谷に新市街を建設、
 14c 市壁の迅速な完成のために12年免税、1370 両市街の統合、1370-85要塞完成、
 1637 クロアチア人の占領で略奪と放火、  17-18c 美しい木組の建物が建設された。

2.市壁 1.22km 0.85 

  14cの新市街と旧市街を統合した長方形の市壁は多くの部分で残されている。

3.塔数 1門6塔

  14cの市壁には13塔あったが、5塔と少なくとも2つの切株が残されている。
 乙女塔 Jung Frau Turm (1300) 西、高さ40m直径8.65m厚2.2mの八角屋根
   に人魚の風見がある円塔で、刑務所としても使われた。
 梟塔 Eulen Turm (13c) 北西、尖塔付き4階建ての円塔。
 火薬塔 Pulver Turm (13c) 東、胸壁付きの高さ28mの円塔で、1779町が所
   有し、Isenacker Turm と呼ばれた。
 城門塔 BurgTor Turm (13c) 南、4階建の円錐屋根の円塔。
 リンデン塔 Linden Turm (13c) 西南、梟塔と同様な円塔。
 異端者塔 Katzer Turn (13c) 北東隅、大円塔で屋根が低い。

4.見所  C

   新旧の市街を統合したため市壁延長は1.5kmに及ぶ大きな町となった。特に
   南側の旧市街には、古い木組の家が多く残されている。
 市庁舎 Rathaus (14c) 1637中世の市庁舎が壊れ、1672今の市庁舎が構築
   された。長さ30mと大きく、白く塗られた上階木組の2階建の建物で、地階は
   1.5階分と高い。1726バロックの正面入口が付けられた。1987-89に健全化された。
 城址 Burg Ruine Trebenstein (1265) 旧市街の南の丘の上に、37m×12m
   の城の外壁が見える。1341方伯ハインリヒ2世はヘッセンの領主の家系で、この城で生ま
   れた。17cに壊され、そのまま放置された。町を見下ろす展望は素晴らしい。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1322-40) 防衛塔のある3廊のハレン教会は、
   1526に宗教改革でプロテスタントとなった。1637塔の先端の帽子が付けられ、備品が
   バロック化された。その横に14cと15cの二つの聖具室があり、700の席を備えた。
 木組の家 Fachwerk Haus (17-18c) 多数の古い木組の家があり、中世の
   地下室を持つ家もある。
 都市農民博物館 Ackerbuerger Museum (1731) 都市農民の木組3階建の
   haus Leckを改修して、収集品を展示し農業博物館を開設した。
 旧農場 Alte Meierei(1780) ヘッセン方伯の旧農場で、入場無料。

5.写真

市庁舎 市教会
火薬塔 北西市壁角塔
フクロウ塔 ユングフォルム塔
リンデン塔 西南市壁

戻る

戻る

グロッス・アルメローデ Gross Almerode HE36

1.歴史

 12c 陶器の生産開始、              1386 最初の文書言及、
 1466 ガラスの生産開始、  1503 磁器の生産、  1537 ガラスメーカーの合併、
 1573 明礬の発掘、       1755 方伯フリードリッヒ2世は都市権を授与、
 1926 磁器生産の終了。

2.市壁 0km  

   見当たらない。

3.塔数 0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   マルクト広場を中心とした旧市街の形は、まとまりがなく市壁も見当たらない。
 市庁舎 Rathaus 北。
 教区教会 Pfarr Kirche (16c) ネオバロック・ネオゴシック・それ以降の要素も混在している。
   聖歌隊は1913-16にゴシックの教会塔に追加された。最古の碑文が壁上のアーチ天
   井に1497とあり、墓地の壁には1775とある。石碑の年号は1514が古い。
 木組の家 Fachwerk Haus  ベルリン通に目印の付いた木組の住宅がある。
 ガラス・陶器博物館 Glas und Keramik Museum 美しい3階建木組の建物内にガラス・陶
   器・磁器が展示されている。
 ビルスタイン塔 Museum Gelnhausen (1881)164mの山頂に見晴らしの良い展望塔と
   山の宿屋がある。1960に展望台は7m高くなって92の階段がある。

5.写真

 
コウノトリ塔 マルクト広場
教会

戻る

戻る

グリュンベルク Gruenberg HE37

1.歴史

 12c 方伯フリードリッヒ3世は、マインツ大司教に対する南の守りとして町に城を築いた、
 1195 マインツ軍に壊されたが拡張再建された、 1222 町の裁判所が置かれた。
 1230 町で鋳造、1254ライン都市同盟に参加、1272 ヘッセン方伯ハインリッヒ1世は都市権確認、
 1304 市壁の外に新市街成立、      1324 新市街を含む新市壁を築いた、
 1370.1391 大火災で町は焼け野原に、  1419 60mの深さから揚水して給水、
 1481 皇帝フリードリッヒ3世は8日間の恒例市を、1527 宗教改革で修道院の解散、
 1648 30年戦争とペストで人口半減で農業、 1945 2回の爆撃で多くの建物が壊れた
 1969 町は素晴らしい木組家を復元した。

2.市壁 0.10km 0.10

   町のHPには「古い城の下の道に沿って、旧市街の市壁が幾つかの場所で見
   る事ができる。」とある。

3.塔数 0門1塔

 泥棒塔 Diebs Turm (1300) 旧市街の市壁に在った唯一現存する円塔で後に
   監獄として使われたのでこの名前が付いた。1895-96給水塔となり、2次大
   戦中は弾薬庫となった。戦後に一部爆破された。復元の際に観測等に拡張
   され塔の中には塔の歴史の小展示がある。塔は高さ25mの壁塔で、昔は巡回
   用の壁上通路からのみ入られた。

4.見所  B

   曲がりくねった坂道の古い木組みの街並みは絵の様に美しい。1500からの古
  い木組みの家は修復され、片持ち床と半円形トラスパターンと彫刻ポータルの絵や文字で飾
  られている。
 市庁舎 Rathaus (1586-87) 代官ヘルマン・リューデガーが住居として建てた3階建て切妻付
   の木組みの建物で、1593市庁舎として2000タラーで町が買った。1822ルネッサンスの
   漆喰塗となり、2階を通して南張出窓が付けられ豊かな装飾が隠されたが、
   1932に再び露出させ、1966木組も目に見えるようになった。1980木組みと
   装飾と出窓の復元が行われた。
 参事会酒場 RatsSchenke (1720) 市庁舎の隣の美しい3階建て切妻付の木組の建
   物は、かっては方伯裁判所の役人の家であった。
 市公会堂 Stadthaus (1606) 元は二つの3階建て切妻付の木組の家を、1806一つ
   のマンサード屋根で統合した。古い方の建物は1606の町で最初の公共の薬局であ
   った。1979古典様式で公会堂になった。
 旧郵便局 AltePost (1668) 壮大なバロック前面の3階建ての郵便局であった。二つ
   の隣接する家はゴシックの木組みの家で、角の家は1529に建てられた。
 町教会 STadt Kirche (13c) 13c中にゴシックの教会が建てられ、1816まであった。
   1846-52今の市教会の場所に建てられ、1964-67の改装された。
 醸造所 Brauhaus (18c) 東のWinter広場に在る2階建て木組みの建物で、1921居住
   用に変換された。建物の前の噴水にはライオンがあり、旧市庁舎噴水のライオンのレプリカ
   である。
  Burg (1186) 東の玄武岩ドームの最高点は城が建てられた。1533その場所に方伯
   の行政機関が置かれた。1810ヘッセン国は城を市民い売った。1969最後の所有者は
   貴重な建物を取り壊した。昔の城の下側の小道に沿って、まだいくつかの場所
   に旧市壁が見られる。
 宮殿 Schloss (1557) アンソニー修道院の世俗化の後に、まだ多くの修道院時代の構造
   物を持ちながら宮殿に改装された。木造の部分は全て世俗化後の方伯ルードビッヒ
   4世の改築であり、宮殿は妻への寡婦相続分となった。1500からの厩舎もある。
 大学の建物 Universitaets Bau (16c) 北の斜面に上ヘッセン最高の2階建ての木組の建
   物で修道院の穀物庫として建てられ、1542マールブルク大学、1613ギーセン大学の宿泊
   施設として使われた。
 アンソニー修道院 Antonitor Kloster (1222) 北東に仏からの聖アンソニィー病院が1065に設
   立され、この町では1222にマクレンブルクの末修道院として設立した。東西の翼廊は
   かっての教会でストラット上の柱とゴシック聖具室の扉がある。
 洗足修道院 BarfuesserKloster (13c) フランシスコ修道士会のゴシックの建物は践足修
   道院とも言われた。1528修道院は世俗化され、修道士は他に移った。16c末までに殆
   どの建物が取り壊された。今は、修道院の残りと復元部分は、文化目的と結婚式に
   使われている。
 アウグスチーノ修道院 Augustinerinen Kloster (15c) 聖パウロ教会の近くに建てられ
   16cからは町の病院になった。今は、修道院の長い木組みの建物を2007に大規模改修
   して、町の病院博物館となっている。
 木組みの家並 Fachwerk Haeuser
   Schloss Gasse: 狭い通りの両側に1634からの貴重な木組みの家が並んでいる。
   Markt Gasse: 狭い通りの上空に教会の尖塔が見られ、両側に美しい木組みの家並。
   Rabe Gasse: ここには異なる時代の美しい木組みの家が混在している。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
宮殿 泥棒塔

戻る

戻る

グーデェンスベルク Gudensberg HE38

1.歴史

 1121 ヘッセン方伯ギッソ4世文書初言及、1122 ヘッセン方伯が山頂に城を建てた、
 1137 ギゾネンの絶滅で1147チューリンゲン方伯がきた、1232 マイセン軍の包囲は失敗、
 1254 都市権を得て繁栄、1270 初市壁の構築、1277 ヘッセ方伯はカッセルに転出、
 1324 再びヘッセンの拠点へ、1356新市街を設立、1385 マインツ軍は占領し焼払い、
 1587 都市火災が多発、     1640 30年戦争で占領され焼き払われた、
 1761 7年戦争で城は砲撃で大破、      1806 仏軍は城跡を徹底破壊、
 1807-13 ヴェストファーレン王国の行政中心のカントンだった、 1968 旧市街の健全化。
 1926 磁器生産の終了。

2.市壁 0.18km 0.22 

  Hinter deer MauerとObern burg等に散在する。別にObernburgの城壁が
  1280mある。

3.塔数 1門1塔

  中世の市壁には、5市門・5塔・6半円塔合わせつ16門塔があったが、交通の
  円滑化等の理由で1825までに取壊された。
 監獄塔 Gefangennen Turm (12c) 山上の2階建の円塔で監獄として地下牢
   が使われ修復された。中にはロマネスクの天井がある。
 城入口 Tor Eingang Obernburg (12c) 城への登り道のツインガー壁の内側に
   ある城への入口門である。上部の建物は崩れ落ち、城壁のアーチ門のみが
   残っている。

4.見所  B

  町の南側にある高さ306mの山頂に、Obernburgの遺跡があり、その西下の
  小さな丘の上にWenigenburgがある。山の市の四角い旧市街には、木組の建
  物と歴史的建造物がある。2015の火事でルネッサンスボーダーの大部分が焼失した。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1829) この疑古典3階建の建物は学校として建
   てられ、1829-44は学校として使われた。旧マルクトの市庁舎は付近の建
   物を使って間に合わせていたが、学校の建物と交換して改造し、1845から
   市庁舎として使った。1867屋根の中央に時計塔を付けた。1975北の新築の
   市庁舎に行政は移転し、残った建物には郡貯蓄銀行が入いった。
 市庁舎 Rathaus (1915) 近代的な市庁舎は、旧市街の北側に旧市壁に接し
   て建てられた。
 オーベルンブルク Obernburg (1122) 初めチューリンゲン方伯の領主が城と防壁を築い
   た。1384マインツ大司教軍の攻撃を城は防いだ。1413-54方伯ルードヴィッヒ1世
   は城を更新した。1500ツインガーの北城壁を建設。1651新武器庫を建設、
   1761の7年戦争の砲撃で大破、1806仏軍は城を全壊、1850城門を設置、
   1900プロイセンは城の周壁を更新、1987-90ツインガーと半円殻塔の保全。
 ベーニゲンブルク Wenigenburg (1272) 北西の丘に市壁につながる要塞が設けら
   れた。1600塔を付け1650塔守の家が建てられた。1878音楽学校が開設、
   1900-73宿舎が置かれた。
 旧役所 Ehem.Amtshaus (17c) 上階木組2階建の建物で、長い間主務官の住居
   であった。その後1821まで方伯役人の役所であった。
 旧牧師館 Ehem.Pfarrhaus (15c) 狭い旧市街地に3階建木組の牧師館があっ
   た。南西の正門の周壁には1488の年号が掲げられている。30年戦争で全
   壊し、1692堂々とした3階建の木組の建物が建てられた。
 旧会計事務所 Ehem.Rent Hof (15c) 30年戦争で以前の建物は崩壊し、同じ
   場所に2階建木組の建物が建てられた。
 旧マルクト広場 Alter Markt(15c)代表的な市民の2-3階建の木組の家と市教
   会の威力あるテラス壁がある。1657広場の中心に市庁舎が建てられ、新マルクト
   広場に新市庁舎が建てられ1844に移転した後も、校舎として使われた。
 市教会聖マルガレータ Stadtkirche St.Margarethen (13c) この場所は市壁の内側
   の避難場所であった。13c内陣・15c北側八角形の宝物保管所・1736バロック
   のフード・1851-55オルガン設置。
 聖クルシス礼拝堂 St.Crucis Kapelle zum Hl.Kreuz (15c) 市教会の南東に石造
   後期ゴシックの礼拝堂が建てられた。1527-1824ラテン語学校、市学校として
   使われ、1830-1970住居として使われ、今は個人所有である。
 病院 Hospital (1692) 長く伸びた2階建木組の建物でその後増改築された。
   1981市によって健全化され、公営住宅10戸となった。
 病院礼拝堂 Hospital Kapelle Zum Hl.Geist (1365) 旧施療院は町で最古
   の石造の建物で、旧城の家臣がこの建物を寄進した。15cには東に近接して
   礼拝堂が建てられた。
 旧都市農民の家 Altes Ackerbuergerhaus(1596)町の西病院礼拝堂の向に、
   この町で最古の木組の建物がある。入口の上の梁には、銘文があり1596
   の年号がある。市壁の外のこの建物は、1640の大火災から逃れた。

5.写真

 
市庁舎 市教会
古いマルクト 東市壁
東南市壁

戻る

戻る

ハナウ Hanau HE39

1.歴史

798 修道院への寄贈の記録、    1234 城の文書言及、   1243 ラインハルト1世が所有、
 1303 ハプスブルク王アルバートは都市権と市場権授与、1320バイエルン皇帝ルードビッヒは都市権授与、
 1338 最初の要塞の完成、             1425 マインツ大司教は城と町を購入、
 1528-31 強力な多角形システムの防御施設を設置、      1555-72 シュタインハイム城の拡張、
 1595 フイリップ2世が領主に、1601 新市街の建設、 1620-48 30年戦争で略奪された、
 1701-12 フィリップスルーエ宮殿の建設、                1756 仏軍の占領、
 1765 ウイリアム王子は新旧市街間の市壁を撤去、        1803-13 ナポレオンの占領、
 1866 プロイセンに帰属、                     1920 仏軍の占領、
 1944-95 2次大戦の爆撃で市街は壊滅。

2.市壁 0.11 0.05 

   旧市街の市壁がNordStrasse南端のバスセンターから80m、NordStrasseの北の緑地に2003
  に移転された30mがある。

3.塔数 1門0塔

 ニュルンベルク門 Nuernberger Tor 新市街の西門。

4.見所  B

    北側の木組みの家のあるアルテマルクトを中心とする旧市街と、南側のマルクトを中心とする
   4角に区画された新市街から成る。ブレーメンまでのメルヘン街道の始点であり、新旧市街に
   見所のある中都市である。
 旧市街市庁舎 Alt Staedt Rathaus (1537-92) 後期ルネッサンスの3階建木組の家で、オランダ金細工
   師の家(Gold Schmiede Haus)として建てられ、市庁舎で使われた後に学校や裁判所と
   してつかわれ、1770から金細工訓練所であり、1900市の博物館となり、1942金細工の
   家となった。1945爆撃で壊され、1958に復元された。
 新市街市庁舎 Neu Staedt Rathaus (1723-33) バロック3階建ての屋根裏窓のある赤砂岩の風
   格のある建物である。町の守護聖人が飾られた鋳鉄のバルコニィの完成の年号がある。南の
   新市街の中心のマルクトに建てられている。
 グリム兄弟の像 Brueder Grimm-National Denkmal (1896) グリム・ヤコブ・ヴィルヘルム兄弟の国立記
   念碑が1896に青銅でメルヘン街道の始点である新マルクトに設置された。
 マリア教会 Marien Kirche (1234) 旧市街の中心に立つ赤砂岩の建物で、1485-92には小さな礼
   拝堂で、後に拡大されて領主の墓が置かれ、その内陣は今も残されている。天井のゴシック
   ・リブボールトは美しい。身廊は1945の爆撃で破壊し、再建された。
 ワロン・オランダ教会 Wallon-NIederlaendische Kirche (1597) オランダの宗教難民の定住とワロン人
   のために建てられた。1608高い時計塔が付けられ、1945には壊された。元の姿でオランダ
   教会は復元されたがワロン教会は廃墟のままである。
 ヒリップスーエ宮殿 Schloss Philipruhe (1701) 領主がフランス風バロックの宮殿を建てた。中央部は2階
   建ての居住部分で、両側に1階建ての翼がある。その後拡張されて工場・馬小屋なども
   付けられ、1723公園・オランジェリィが造られた。1736ヘッセン・カッセル方伯に移り、公園は英国風
   に変えられた。1875-80ロココに改修された。今は、歴史博物館・紙の博物館・農場博物館
   になっている。
 シュタインハイム宮殿 Schloss Steinheim (1222) 領主は内壁を備えた宮殿を建てた。1425マインツ大
   司教が城と町を買い取った。教会は1802世俗化で失い、ヘッセン・ダルムシュタット大公が所有し
   た。いまは、歴史博物館となっている。

5.写真

市庁舎 マルクト
東市壁 東市壁
東南市壁 旧市庁舎

戻る

戻る

ヘッペンハイム Heppenheim HE40

1.歴史

 755 ロルシュ修道院のコーデックスに聖ペテロ教会初言及、   773ロルシュ帝国修道院が所有、
 1065 ロルシュ帝国修道院が城を建設、      1066 ロルシュ修道院は要塞を建てた、
 13c ロルシュ帝国修道院は終わった、         1229 マインツ大司教は城を獲得、
 1232 マインツ選帝侯の管理のためAmtshof設置、 1369 大火災で焼失、14cに再建、
 1461-1623 町はプファルツへ質入、1621スペイン・1630スエーデン・1635疫病・1645仏軍占領、
 1689.1693 仏軍の占領と放火、        1803 世俗化でヘッセン・ダルムシュタットへ、
 1806 ヘッセン大公国へ。

2.市壁  0.18km 0.24

   13cの市壁の大部分は、19c初めに壊され、西南と南東にいくらか残る。

3.塔  1門0塔

 ヴォルムス門 Wormser Tor () 歩行者専用の門として下門の位置に、2階建
   の塔が新たに付けられた。

4.見所  C

   マルクト広場は、2-3階建の1693火事以降の木組の建物で囲まれ、地階部が16c
  の建物もある。Markt Str.にも16-18cの木組の建物が往時の雰囲気を残して
  いる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1551) 1705-06正面大鐘楼付き3階建バロックの庁舎となっ
   た。1927-29南へ庁舎を拡張した。1958 上屋階は火災後復元されカリオンは一日
   に数回鳴らされた。2004 市庁舎の前面は美しく改良された。今は観光案内
   所として使わている。
 旧リービッヒ薬局 Ehem.Liebiig Apotheke (1708) 市庁舎の向かいの旅館の跡地に、3
   階建の木組の薬局が建てられた。1817-18に肉エキス・ミネラル肥料・ベーキングパウダーを
   発明し販売した。
 旅館:金の天使 Gasthaus Goldener Engel (1782) かっての服屋ギルドの跡地に建て
   られた切妻の美しい木組の建物。
 カソリック教区教会聖ペーター Kath.PfarrKirche St.Peter (755) 山道の大聖堂と呼ばれ、長
   さ51m幅31m高さ60mの前面双塔の堂々たる教会である。733-1232ロルシュ修道
   院僧院の監督下にあった。1698.1884に拡張改修が行われ、13cの北塔の6低層
   階は1900-04ネオゴシックの新教会に引き継がれた。
 マリーの家 Marien Haus (1908) 聖ペテロ教会の集会所で、旧市壁を含め歴史的様式で建
   てられた。
 マインツ選帝侯事務所 Kuermeinzer Amtshof(13c) 複合建物で、最古の部分は1369の選
   帝侯広間であり、1948主建物は礼拝堂や広間の連絡のためバロックドームの階段塔が
   が建てられた。中庭に1719のKeller Hausが中世の建物を構成している。1904ワイン
   協同組合を設立した。王宮厩舎(16c)はユースホステルであったが今は、地方の歴史・
   民俗・東独文化の歴史文化博物館と宴会場である。
 高床の家 Stelzen Haus (17c) この地区に、ロルシュ修道院の管理者が住んだ。この建物
   は地階に柱しかない上階木組の建物であり、雨でも馬を預ける事が出来た。奥の
   建物は鍛冶屋と言われている。
 宮殿学校 Schloss Schle (1700) 城伯と廷史男爵のための住居として2階建で建てら
   れ入口の上に紋章が掲げられている。18c町宮殿は4階建の西棟を建てた。1824
   町が取得し、1996-97に拡張して病院や小学校として使い1956-60に改修された。
 ワイナリー事務所 Amts Kellerei (1551) 建物の最古の部分は、マインツ選帝侯ワイナリィー事務所
   であった。その後私的に使われ、1821地方行政の場となった。
 小市場 Kleiner Markt () 旧市壁の外にあり、販売手数料なしで取引が行われた。
   KleinerMarkt5.には1804旅館:金のバラが木造で建てられた。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
上門 西壁
西壁 南壁
ケレライガッセ ケレライガッセ

戻る

戻る

ヘルボルン Herborn Hessen HE41

1.歴史

 1048 初文書言及、         12c ナッソー伯爵は城と要塞を建設、
 1251 ドイツ王は市場権と都市権を授与、  1231 ドイツ騎士団が集落を建設、
 14c 毛織物の生産と輸出、 15c ギルドの形成、 1324 最初の町役場の建設、
 1548 高校と大学の設立、          1626 火事で214戸焼失、
 1836 ヘッセ・ナッソーは関税同盟に参加、      1866 プロイセン王国に併合、
 1945 二次大戦の被害は大きくなかった。

2.市壁  0.17km 0.26

   町の境界に13cの市壁は建てられ、今は周囲に僅か散在する。

3.塔  2門5塔

 町門 Stadt Tor (1250) 東、13cの市壁の矩形の門で、古い。側面
   は市壁に接続していた。
 町新門 Stadt Neu Tor (1562) レオンハルト門と呼ばれ、古い入口。
 ハイン小門 hain Pforte (13c) 町の要塞の壁の一部で、城山の下に位置
   し市壁の後部領域に通じる。
 魔女塔 Hexen Turm (1251) 南東の角に位置する4階建の円塔で、重罪
   犯の拘置所であった。
 脂塔 Speck Turm (13c) 円形塔でラウンドアーチ型市壁の開口部を守る。
 市民塔 Buerger Turm (13c) 急な円錐屋根の円塔。
 ディル塔 Dill Turm (1343) 北西の角を守った最初の要塞の一部。
   1904の火災後に再演された。
 境界柱 Grenz Zaeule () ナッサウ公国の境界ポストで、ディル地区の領主の
   歴史を示している。

4.見所  B

   最古は1445から17-18cの、装飾の美しい木組の家が70戸以上保存されて
  いる。多くの広場や大通も、3階建木組の建物で囲まれている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus () 1584までの市庁舎は、1588伯爵が買取り
   1588-1817高等学校を設立して使用した。
 市庁舎 Rathaus (1589) ナッソーのヨハン6世により、1587旧バター工場に新市
   庁舎を建てた。1626の火災で焼失した地階石積の上に新しい木製床を付け、
   新バロック4階建とし、八角屋根の塔を付けた。1629入口と階段が設けられた。
 宮殿 Schloss (12c) 周囲に堀が12cに構築され、1251に城は更新され
   14cには閉鎖された。1584伯爵ヨハン6世が高等学校を建てたが、数年後には旧
   市庁舎に移転した。石造の宮殿の構築は、1500を中心に行われた。そのご住
   宅で使われ、1806空き家となって荒廃した。1929-31に改修されて、今は神
   学校「ヘッセンとナッソーの福音教会」が使っている。
 旧牧師館 Alter Pfarr Haus (17c) 2階建木組漆喰仕上の寄棟屋根の建
   物で1818まで牧師館として使われた。
 牧師館 Pfarrhus (1840) 2階建マンサード屋根の建物で、南に教区の納屋。
 新教教区教会 Ev.Pfarr Kirche (1219) 西の高い所に立ち、1219ドイツ
   騎士団がロモネスクの教会を寄付した。1598-1609に今の身廊は建てられ、1822に
   ロマネスクの両塔が建てられた。
 死刑執行人の家 Scharfrichter Haus (16c) 木組3階建の東の角に多角
   形の出窓のある特徴のある建物。
 コルフィン印刷所 Corvinsch Drackerei (16c) 木組の建物で階段塔には1606
   の年号がある。一時裁判所として使われ、軍事を担ったナッソーの貴族の居所で
   高等学校の印刷・出版が行われた。
 木組の家/em> Fachwerkhaus
   Korn Markt (1200) 穀物と木材の重要な取引所であった。周囲には多くの大
    規模な木組の建物が華やかに15戸立並んでいる。
   Haupt Str. (1609-18c) 3-4階建の美しい木組の家が17cを中心に34戸ある。
   Holz Markt  3戸。 Markt Platz  6戸。 MuehleGasse 10戸。
Otto Str.   4戸。

5.写真

市庁舎 宮殿

戻る

戻る

ヘルプスタイン Herbsteim HE42

1.歴史

 1258-71 城と防御施設の建設、   1262 都市権の授与、
 1540 大火災、            1804 ナッサウ公爵領、
 1810 ヘッセン領となった。

2.市壁  0.21km 0.51

   周囲を高さ5mの市壁で囲み、壁の内側に登れる。30年戦争による破壊
   の後にチロルから石工と積工が来て市壁を再建した。今でも市壁に登れる。

3.塔  1門2塔

 上門 OberTor 北 高さ15mの円塔に六角屋根。馬蹄形の門は幅1mし
   かない。前後の壁に登れる。南のUnterTorは1819に壊された。
 西塔 WestTurm 小門があり下に降りられる。 EelenTurmもある。

4.見所  D

   丘の上の小さな町であり、古い市壁と小さな塔が残っている。
 市庁舎 Rathaus 1910建、美しい3階建の木組建物。以前の市庁舎は1907
   の火災で焼失した。30年戦争の終わりまでは、ここに城があった。
 聖ヤコブ教会 St.JacobusKirche 14C建、最高地点に立つカソリックのハレン教会
   バロック風後期ゴシック。
 新教教会 KreuzherrnKloster 1210建、東南 病院、1480回廊式教会。
 新教教会 EvangelischeiKirche 1882建、北に新設。
 町博物館 StadtMuseum 市長部屋、薬局部屋、昔の歴史写真を展示
 祭博物館 FastnachtsMuseum 昔の簡易裁判所、祭りの衣装を展示。

5.写真

 
市庁舎 上門
上門 南壁
西塔 西塔
カソリック教会

戻る

戻る

ヘッシッシュ・リヒテナウ Hessisch Lichtenau HE43

1.歴史

 1283-89 ヘッセ伯ヘンリー1世は交易の要衝を確保、1289 都市の権利と管理権を所有、
 14c 堀と壁の周壁で守られた、 1490 ラインバッハ城の移転でヘッセ事務所となった、
 1637 30年戦争で占領・放火84戸焼失、1840-13 ヘッセン・カッセルに属した、
 1868 プロシア王国のヘッセ・ナッソー州へ、  1889 カッセル王国のヘッセン・リヒテナウと呼ばれた、
 1946 新設のヘッセン州に属した、     1936-38 空軍基地が置かれ兵舎建設。

2.市壁  0.35km 0.55

  14cに南北に長く、軸が東に傾いた長円の堀と壁が築かれた。今も高さの違う
   市壁が各所に残っている。

3.塔  0門2塔

 市壁円塔 Rund Turm (14c) 旧市壁の南西の入口の所に円錐屋根の円
   塔が残っている。
 城塔 Burg Turm () ユンカー館の屋根の上に、美しい色の木組の角塔が立つ。

4.見所  C

   メルフェン街道に位置し、旧市街地は小さな長円形である。大火事として
   1521(大部分)、1523(36戸)、1875(52戸)、1886(55戸)、
   1925があったので、比較的古い建物は少ない。
 市庁舎 City Council (20c)近代的な建物で、市行政と市民サービスを
   行ている。
 教区教会聖ヤコブ教会 Pfarr Kirche(14c)四角い単塔に祭壇のある高
   い身廊がある。
 ユンカー館 Junker Hof () マイセンブルク領主の元居所で、屋根の上には木組の
   塔がある。
 ホロイム Holleum (16c) 元市庁舎で、前面に小塔のある3階建の美しい建物。
 マリア礼拝堂 Marien Kapelle (1370-1410) 1889改修、1981改築。
 ウラウホル記念碑 Denkmal FrauHoll () フラウホル公国の記念碑。ホルおばさんの国
   への入口でドイツ・メルフェン街道にある。

5.写真

教会広場 教区教会
南円塔 西南市壁
南市壁 西南市壁
東南市壁

戻る

戻る

ヒルシュホルン Hirschhorn (Necker) HE44

1.歴史

773 ロルシュ修道院の文書に入植地の記載、 12c ヴォルムス教区に含れた、
 1391 王ヴァーツラフは壁の町を設け住民を移す、1404 王ルブレヒトは毎週市場権を授与
 1406 最初の町の紋章を文書化、カルメル会修道院の設立、1414 都市の最初の延長、
 11522-29 騎士団は新教に転換し、     1543 カルメル会修道院を閉鎖、
 1556 火災によって町は焼失、       1565 洪水で町は浸水、
 1618-48 30年戦争でスエーデン軍等の占領、  17c マインツ大司教の支配下に、
 1676 ヴェストファーレン侯爵ヴィルヘルムが支配、   1803 ヘッセン・ダルムシュタット大公国へ、
 1945 2次大戦の被害はなかった。

2.市壁  0.98km 0.92

   ネッカー川に沿った高い市壁・山の尾根から城を囲む市壁などで構成されている。
   市壁は殆ど残っている。

3.塔  2門1塔

 中門 MittelTor(1391)町の設立と共に建てられ、15cに都市防衛施
   設として拡張され、完全に保持されている。 外門は19cに取り壊されたが、
   中門はマルクト教会の鐘楼として残された。
 魚門 FischerTor (14c) 門は1875-76に取り壊されアーチのみとなったが、
   1497の洪水位が示された標識が市壁に残る。
 青塔 BrauenTurm 山と川の間の狭い空間を利用するため、市壁の上に家
   を青唐として築いた。

4.見所  C

   川沿いの山腹の市壁の中に、城・修道院・木組の民家が密集している。
 中世の市庁舎 mittelalterlisches Rathaus (14c) 旧地方裁判所の側に
   1786に拡張・改造された中世の市庁舎がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1594) 1860-1955に市庁舎として使われた。
   前面には1594の豊富な装飾トラスがあり、17cには砂岩基礎の上に角の部分を増築。
  Burg Hirschhorn (1250-60) ロマネスクの城が建てられ、14cに改造と増築
   が行われた。1591-15cに下の前城とツインガーの拡張が行われた。16c末にルネッサンス宮
   殿に改造更新が行われた。
 マルクト教会 Markt kirche (1628-30) プロテスタントの市教会としてフリードリッヒ・
   フォン・ハーシュフォンによって建てられた。
 カルメル会修道院と修道院教会 Karmeliter Kloster und Klosterkirche (1400)
   町の騎士はカルメル会修道院と修道院教会を建てた。1400騎士団に引き渡し、一門の
   墳墓教会として使われた。宗教改革中に売り払われたが、1635に買い戻され1803
   修道院の廃止までカルメル会の宗教活動が行われた。
 最も豊かな漁師の家 Haus des Reichsten Fischer (1620) 最も豊かな漁師
   が建てた伝統的な木組の家。
 美しい木組の家々 Schoenes FachwerkHaeuser (15-17c) Haupt Strasse
   に多く建ち並んでいる。
 バロックの市民の家 Rarockes Buergerhaus (1728) 町で唯一のバロックの民家。
 地方事務所と病院 Proviuzialat und Infiruerie (16c) 1556の大火災で町
   の背景の大部分は壊滅したが、一部1500の木組の家が残り1659カルメル会修道院が購
   入して地方事務所として使った。隣の家は1710に修道院が所有し病院として再建
   され、1860には救護所と幼稚園が設けられた。
 博物館 Museum (1606) 大公営林署として建てられた建物は、博物館と案内
   所を収容した。博物館には宿屋の主人カールライン・バインの自然史や古美術の取集物等
   を展示している。

5.写真

城・中央塔 南壁
東壁 東北壁
マルクト教会

戻る

戻る

ホッホシュタット Hochstadt (Maintal) HE45

1.歴史

  846 ホッホシュタットの名前が初言及、 1350町を囲む市壁の建設、1350 マインツ選帝
    侯が所有し世襲領主ハウナウに授けた、  1458 ハウナウ・ミュンツエンブルク侯爵領、
 15c 修道院(ロルシュ・フルダ・ハイナ).騎士団.貴族エスプタインなどが権利・財産を町に保持、
 16c初 主要産業は農業とワイン、        16c中 改革導入と反宗教改革、
 1736 ハウナウ家の断絶後ヘッセ・カッセル方伯が継承、     1806-10 ナポレオンが支配、
 1810 フランクフルト大公国の属した、          1821 ヘッセン選帝侯が支配、
 1974 マインタールに併合された。

2.市壁  0.44m 0.76

   1350の市壁半円壁塔は、南を除く多くの部分に残っている。

3.塔  1門3塔

 上門 OberTor (14c) 石造3階建四角錐屋根の角塔で、大きなアーチ通路が
   ある。北側に3mの市壁がある。
 半円壁塔 Halb Rund Mauer Turm (14c) 東に1基と北に2基ある。なお、西側
   に接して2階建木組の角塔があるが、市壁の外の木造であり、中世の塔で
   はないと判断した。

4.見所  D

   古い木組の家が残る特段の物の少ない小さな町で、残された市壁の割合は
  大きい。
 旧町庁舎 Altes Rathaus (17c) 2階建上階木組の切妻付きの建物で、
   南側に円塔がある。今は食堂として使われている。
 シティキリアン教会 Stikilian kirche (11c) 上門近くの要塞教会で、周壁で
   囲まれていた。元の鐘楼は存在せず、入口塔は4階建の角塔で六角錐尖塔が
   あり、鐘と時計の塔である。天井と壁は絵で飾られている。

5.写真

市庁舎 ハウプト通
シティキリアン教会 上門
西南壁・半円壁塔 皮脂壁・角塔
北西壁・半円塔 東北壁・半円塔

戻る

戻る

ホフガイスマー Hofgeismar HE46

1.歴史

 1082 マインツ大司教区が所有、         1210-23 町の憲章を受けた、
 1290 石の家と市庁舎1の建設、      1234 旧市街の南にノイシュタット設立、
 1387 市庁舎2の建設、        1401 ヘッセンとブランズウイックが町を包囲、
 1462 方伯ヘッセン・カッセルへ町は誓約、    1529 町は宗教改革の導入、
 1639-1866 治療温泉の発見と療養、   1686 ユグノー教徒の定着と基盤整備、
 1701 方伯の兵士は駐屯した、1790 郵便局開設、 1868 プロイセン・ポストへ移行、
 1821 ヘッセン選帝国の郡都へ、 1841 新兵舎に駐屯隊収容、1993 駐屯隊終了。

2.市壁  1.01m 0.72

  13cの市壁は、西南部を除いて多くの部分が残っている。1234の南方拡大は
   グラーベン通から南である。

3.塔  0門4塔

  市壁から張り出した塔が、西に大きな3階建の円塔と、大小含めて3か所の殻
  塔がある。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1387-90) 14cの市庁舎は1856に全焼後、住宅・学校・工場で
   使われ、1977に改修された。市庁舎の前のマルクト広場は装飾された木組の
   16-20cの建物で囲まれている。
 旧市街教会Alt Stadt kirche (12c) 始まりは大学の聖母教会であった。 ヘッセン
   州でも大きなホール教会で、ロマネスクの西塔のドアの引手はライオンの頭である。
   ゴシックポータルの年号は1330とある。1535旧市街のプロテスタント教会となった。
 石の家(薬局博物館) Stein haus (13c) 最古の保存建物で、1239迄は3階建
   の石室であり、地下には倉庫付きの居間があった。改修後、ドイツ独特の
   民間薬局博物館として、薬局施設・医薬品・製薬装置・研究文庫・ハーブ園を展示。
 市博物館 Stadt Museum (16c) 2階建の16cと19cの複合建物に、1875軍事目
   的に使われ、1990大博物館として使われ、14アーカイブへ国際的な部門を加え、
   展示を再編成している。
 聖ペテロ教会 St.Peter kirche (1897-98) 町の南門の前に、ネオゴシック・レンガ造の
   教会が、町と周辺のカトリック教徒のために新築された。
 シェーファーの家 Haus Schefer (1684) 3階建木組構造板張の建物で、裕福な都市
   農民が建て1684の年号がある。町と建物の宝物で、近年完全に復元。
 福音学長の家 Ev.Dekanat (1329) ゴシックのマーチン礼拝堂で、1329の年号がある。
   今の建物は石造の地階の上に、16cに木組の建物が再建された。アーチ天井
   のワインセラーがある。今は福音学長の家。
 結婚式場 Hochzeits Haus (1620) 市役所の隣に旧市町村ギルドと結婚式として
   建てられ、火事の後に19c構造的に変更された。石の建築装飾は風の家
   化で消滅した。後期ルネッサンスの文化遺産。
 市学校 Stadtschule (1891)3階建レンガ造の建物で、市特別学校として建
   てられた。
 マルツフェルトの家 haus Malzfeld (1684) 都市農民の2階建の木組の家。縦板
   張のバロック彫刻装飾の建物は、火事を免れ1684の年号が刻まれている。
 ホフマン・カフェ Cafe Hoffmann (1528) マルクトで最古の大きな建物。1928改修。
 市公会堂 Stadthalle () 3階建クリーム色に白の線の入った大きな建物。

5.写真

市庁舎 旧市教会
マルクト 西円塔
円塔 西市壁
西南市壁 北市壁

戻る

戻る

ホフハイム Hofheim am Taunus HE47

1.歴史

 1263 村の初文書言及、 1352 皇帝カール4世は都市権を授与し門・壁・橋を構築、
 1354 水城・裁判所・絞首台・毎週市場、  1364-66 マインツ大司教は町を取った、
 1478-1559 ケムニッヒシュタイン伯爵は町を所有、       1540 宗教改革の導入、
 1559 マインツ大司教は反宗教改革決定、    17c 30年戦争で度々略奪された、
 1717-19 マインツ大司教のワイナリィーの拡張、       1803 ナッソー・エージンゲンへ、
 1806 ナッソー・ヴァイルブへ、          1866 プロイセン公国はナッソーを併合、
 1945 エッセン州へ。

2.市壁  0.08m 0.11

    1352の都市権授与後に市壁が築かれ、戦争などによる破壊後に再建されな
  くなり、住民は切石として使った。北のMauerGasseに市壁は残っている。

3.塔  0門2塔

    14Cの市壁には上・下の2門があった。
 魔女塔 Hexen Turm (14c) 2階建の円塔で魔女が拘束されたのでこの名前が付けられ
   た。1810まで刑務所として使われ、1820ワイナリィの管理棟が建てられ塔はその一
   部地して組み込まれた。
 小塔 Turmchen (1352) 旧市壁の基礎上に建てられた半木造の構造物は壁塔の残り部
   分を取り込んだ。Buttel Turmとも呼ばれ、1983に隣接した木組の家屋とワイン
   ルームが開業した。

4.見所  C

    旧市街地には、多くの16cからの木組建物がある、古くからのワインの町。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1529) 百貨店として建てられ、1900切妻のある木組の建
   物に更新し市庁舎となった。1974市庁舎は移転し、今はAlteRathausCafeである。
   新市庁舎は、南東の町の外に中庭のある四角い建物にある

 教区教会聖ペーターとパウル Pfarr kirche St.Peter und Paul(1470-60) 初め後期ゴシック
   で建てられ、今日まで内陣と塔の大部分が残っている。1742拡張1742拡張され、
   1923塔先端はネオゴシックの帽子となった。
 市博物館 StadtMuseum Hofheim am Taunus (18c) 南西旧市街地内にあり、2つの部
   分から成り、18cマインツ選帝侯管理人の家とマインツ大司教の大きな倉庫付の博物館があ
   る、1993町の歴史・主要産業・考古学・表現主義・工芸品の展示がある。
 旧水城ホフハイム Altes Wasser Schloss Homheim (1356) ファアルケンシュタイン侯爵が、南側に堀と
   城壁で囲まれた水城を建てた。その後マインツ大司教の所有となり、1376フイリップ未亡人
   が所有した。1433マインツ選帝候の醸造所が建てられ、1560-70改修・拡張が行われ城ワイ
   ナリーの建物を建てた。1795仏革命軍に城は破壊され、1803-06世俗化によりナッサウ公国
   へ移された。1876-78城は町を購入。
 城の堀列 Burggrabenzeile mit Turmchchen (17c) 旧市壁の基盤の上に17c半木造住宅
   が建てられ、そこにBtelTurm 円塔があった。建物はシナゴークとして使われたが1938
   荒廃した。1980改装され、1983塔に隣接しでワイン酒場を開業した。
 エーリ邸 Hof Ehry (1881) 農家が醸造所の敷地に、倉庫と家畜小屋のある住居をたてた。
   1979町はその農家を買収した。
 醸造所棟 Kellerei Gebaeude (1717-19) マインツ選帝侯は旧水城の一部に醸造所管理棟を建
   てた。その後地方行政の場として使われた。1876町は建物を取得して学校とし、そ
   の後プロイセン歩兵、仏占領軍が使い、2010改修された。
 物置 Scheune in der Baerengassa (1618) 大門の上に年号が刻まれている。農家の実用
   建物で内に旧市壁を含んでいる。1981改修され芸術スタジオ・催物会場。
 旧旅館ランツベルク Ehem.Gasthof Landsberg (1584) 15cには旅館:Zum GoldenenHirschで
   あった。2階建木組の建物は、何度も立て直され、歴史的建造物として維持され、16
   48に30年戦争の終結交渉が行われた。1997改修された。
 フェルの家 Haus Foell (16c) 2階建木組の家は刃物師フエルが、1853から4世代にわたって居住
   した。記念建築物として1990に改修された。
 歴史的醸造所 Histrischekller Stephansberg (17c) 木造2階建の建物で、地下室があり醸
   造に使われた。

5.写真

旧市庁舎 教会聖ペーターとパウル
魔女塔・ワイナリィ 旧水城ホフハイム
北壁 北壁

戻る

戻る

ホムベルク Homberg(Efze) HE48

1.歴史

 1231 最初の文書言及、都市権の授与、上の古い町と下の新町とが在った。
 1356-1536 教会と行政の権利闘争があったが、市壁や建物は構築された、
 14C 火災で町は何度も焼失した、    1345 靴製造と皮鞣しのギルド、
 1404 桶造と車大工ノギルドの結成、    1428 亜麻布織工ギルドの結成、
 1536 上下の町は統合された、   1638.1640 30年戦争で城も町も破壊。

2.市壁  0.09m 0.09

   古い町の市壁は13Cに高さ6-8mで1.8km建てられた。14Cに厚さ2mまで状況
  に応じて高さ8-10mの地元産玄武岩の市壁で、統合された二つの町を囲んだ。
  二つの町は今も残る新門を通じて往来していた。
   市壁の残りは幹線道路の上にある。

3.塔  3門3塔

   14Cの門は上町3と下町1、防御塔は上町7と下町5を設けて守った。残って
  いるのは3門3塔である。
 上門 OberTor 役所に直結した角張った塔。
 木家門 HolzhaeuserTor 稜堡と門の構造物で強固にした。
 新門 NeueTor 
   建の角塔、1750に円塔を庭の家に改造した。
 西古里門 WestheimerTor 発掘調査で基礎が確認された。
  PulverTurm.TietenTurm.EhemaligenBachtenTurmが残る。

4.見所  C

   山頂に城の跡が残り、上ると町を一望の下に見下ろせる。町は城山の南斜
   面に広がる。多くの木組の家もあり、マルクトは水路が整備されて綺麗になった。
 町庁舎 Rathaus 1704建 15Cの建物は30年戦争で壊され、基礎壁の上に再
   建され、1767に塔を付け風見旗を立てた。1991にグロッケンシュピールを塔に付けた。
 聖マリエン教会 Stadtkirche St.Marien 13Cゴシックの大教会。
 木組の家 FachwerkHaus
   GotischesHaus1425建、最古の住家。EhgelApotheke1668建、大きな木組家
   で1701から薬局。Krone1480建、16C出窓増築、1721から宿屋。WeisserHof
   ルネッサンスの木組家、アンドレアス交差の装飾が注目。AltesSchulHaus1750建、
   ゴシック木組住家として建てられ、学校や兵舎として使用。HochzeitHaus
   1552建、木組4階建、火事の後市庁舎として役立ち、1952から博物館。

5.写真

市庁舎 バル通
新塔 南東壁
山頂壁跡 マリエン教会
山頂城門

戻る

戻る

ホムベルク Homberg(Ohm) HE49

1.歴史

 1065 最初の文書言及、            12C初 城があったと推論、
 1234 都市として言及、鋳造所が置かれ、すでに堅固な都市防衛施設があった、
 1554 都市権が与えられた、       1567 遺言によりマールグルクに属した、
 1587 地方事務所と地方裁判所を設置、      1607 ダルムシュタットに属した、
 1657 大火で殆ど焼失、   1635.1641.1646 30年戦争で町は破壊された。

2.市壁  0.04km 0.01

    BrauHausの前に、僅か残っている。

3.塔  0門1塔

 醸造塔 BrauTurm 13C建、市壁で唯一残った円塔で、今は博物館。

4.見所  D

    ホンベルク城の西に旧市街地があり、木組の家も見られる。
 町庁舎 Rathaus 1539建、石積の地階の上に2階の木組建物で屋根には小塔が付い
   ている。地階は広間で木の柱で形成され、参事宴会場・舞踏会場・同業組合部屋が
   あった。市庁舎は一時的に町と地方の裁判所だった。1554にワイン酒場を建て、
   1965に前面を改修して木組みを露出させた。
 ホンベルク城 SchlossHomberg 13C建、概略四角形の施設であり、周壁の出口にあり、
   大部分は昔の高さを保っている。ロマネスクの橋台のある尖頭アーチ城門がそこに厩と穀
   物倉庫がある。城は30年戦争で壊され、1648に部分的に再建され、1836に更新
   され、今は個人所有となっている。
 町教会 StadtKirche 1220建、3廊式ロマネスク支柱のバジリカ。単塔。
 墓地礼拝堂 FriedhofKapelle 1583建、後期ゴシックの1階石造の上に木組の礼拝堂。
 ホンベルク薬局 HombergerApotheke 16C建、後期ルネッサンス4階建木組の家、1715-
   1960に薬局として住んだ。
 旧ビール工場博物館 Museum in AltenBrauhaus 13Cに町防備の一部としての監視所
   を、1571ビ-ル工場に改造した。1581には新ビール工場に言及された。その建物は塔
   を含めて博物館に使われている。地階は中世の水道施設・バンの形成・写真用具を、3
   階は町の歴史を展示している。

5.写真

 
市庁舎 町教会
醸造所博物館 坂道
ホムベルク城

戻る

戻る

フンゲン Hungen HE50

1.歴史

 782 皇帝チャールズのハーフェルト修道院寄付で初言及、   1320 地区教会の設立、
 1361 皇帝チャールズ4世は都市権を授与、    1419 フンゲンはゾルムス伯爵に継承、
 1469 皇帝フリードルッヒ3世は市場権付与、    1602-78 フンゲンは独立した郡、
 1693 フンゲン事務所はゾルムス・ランゲンフェルスが統治、1700 フンゲン事務所は村を統合、
 1705-19 フンゲン事務所は農民調整、   1806 ヘッセン大公国ヘッセン・ダルムシュタットへ、
 1841-48 フリートベルク行政区へ、      1852 行政区を解体しサ-クルを再現。

2.市壁  0.02km 0.01

   中世の市壁は多くが建物に取り組まれれ、東南部で僅か見える。その他
  市教会の周辺の教会壁と、宮殿の周壁がある。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   古い木組の家が残る小さな町。
 旧郡庁舎 Rathaus (18c) マンサード屋根2階建漆喰塗の木組の建物。
 フンゲン城 Schloss Hungen (1383) 初めの城は15cに建て直され、その後数
   回補修・拡張された。1974市に取得され、各種用途に使われた。
 旧町教会 Ehem.StadtKirche (12c) この町で最古の建物であり、外観にはロマネス
   クとルネッサンスを兼ね備え、12cの内陣・身廊・塔に下部はロマネスクであり、上2階は
   初期ゴシックの要素がある、後期ゴシックの内陣は1518の献堂であり、ゾルムス・フン
   ゲン伯爵家の墓所を100年間務めた。本堂は1596-1608に延長された。19
   05-07修復されている。
 古い木組の家 Altes Fachwerkhaus
  Doppel wohnhaus (1465) 町で最古の木組の建物、2階建切妻屋根2009-13に
     復元。
  Amtshaus (1589) 2階建切妻屋根に木組の建物で、1938に解体られ野外博物館
     の管理棟として移築された。
  Gasthaus (1500) 近年の修繕でトラス構造が大幅に更新された。2階建切妻屋根に
     木組の建物で、今は食堂。
  Gasthaus Sterntaler (1661) 1763に更新された彫刻された梁の風格ある3階建
     の建物。
  Wohen haus (1604) 2階建の木組の建物。

5.写真

マルクト広場 フンゲン城
フンゲン城 西壁
町教会 東壁

戻る

戻る

イトスタイン Idstein HE51

1.歴史

 1102 最初の文書言及、       1238 ナッサウ伯が基盤整備し都市権授与、
 1480-1509 ナッサウの古いラインIdstein、      1634 城を拡張し再建した、
 1629-1721 ナッサウの若いラインIdstein、     1603-77 魔女狩りが行われた、
 1688 古い市街地を壁で囲み、外へ町は拡大、   1728 ナッサウはウスリンゲンへ、
 1728 町は首都の地位を失う、            1806 ライン同盟締結、
 1866 プロイセン公国が領有、    17Cの宮殿を学校にし城の下に新橋をした、
 18-19C 皮革産業が中心で栄えた。

2.市壁  0

   宮殿への堀割の石積は残っているが、市壁は見当たらない。
  鞣し革広場には、舗石で南北方向の壁の位置が示されている。マルクト広場に
  市壁があるとの記述があるが未確認。

3.塔  1門0塔

 説教壇門 KanzlerTor 1497建、昔の事務所の塔であり、町営の範囲であ
   る南部と、領主の区域である北部とを区分している。塔には警備.刑務
   所食堂.拷問部屋.穀物倉.職員宿舎が置かれた。
 魔女塔 HexenTurm 1497-1582建、現存する最古の建物。塔には1170.
   1240.1500.の各建設段階があり、幾つかの小さな改造や増築があって、
   今日の姿は1810のものである。この名前は17Cの魔女を捕まえたこと
   から来ている。

4.見所  B

   大きな石造の建物と古い木組3階建の家並みが、歩行者専用道路に混在し
  て見所が多い。
 市庁舎 Rathaus 1698建、この建物は橋建設と同時に領主の財政的支援で
   建てられた。アドルフ王広場の一段高い所に、門塔と並んで石造2階建てオレンジ
   色の建物で、消防ポンプ.粉計量器.見張食堂.拘置所.使用人住居.穀物倉に
   使用。1928に崖崩れで1947に火事の巻き添えで、建物は壊れた。
 宮殿 ResidenzSchloss 1634建 ナッサウ家の居住宮殿として、1614-34に
   ルネッサンス様式で旧建物を含め構成された宮殿。宮殿はナッサウ家が去った後、
   次々にナッサウ中央公文書館.療養所.予備病院.兵舎.地方学校.教育施設とし
   て使われ、戦後病院として改修された。1946からは上級学校となった。
 傾いた家 SchiefesHaus 1727建、市民兵の少佐が4階建の木組家を建てた。
   左の部分は1736-45は薬局として、その後商店と住居として使われた。
 キリングの家 KillingerHaus 1615建、裁判所書記キリング伯爵が建てた美しい
   ネオゴシックの豊かな彫刻装飾の木組の家、2・3階の中央出窓がポイント。今は
   観光案内所と市博物館がある。
 アドルフ王広場 KoenigAdolfPlatz 町の中央にありナッサウ家からドイツ王になった
   KoenigAdolf(1250-1298)から名付けられた。ここで召集の集合と裁判が
   なされた。広場を取囲んで木組みの破風が美しい。
 旧城建物群 GebaeudegruppeBurganlage 1565建、市庁舎に繋がる長く伸
   びた昔の城の建物群。大きな地下室の上に、木組の階は張り出しており、
   張出し窓と破風庇は装飾されている。
 旧簡易裁判所 AltesAmtsGereicht 1588建、木組の破風と階段塔の付いた
   大きな石造りの簡易裁判所は、地下室入口の上に年号が掲げられている。
 領主倉庫 HerrenSpeicher 1745建、この建物は伯爵の家畜飼育場の一部
   に建てられた。上方の両側の屋根裏に十分の一税が積上げられた。地階
   には王家の厩舎が置かれ、1977から青年音楽学校になった。
 消防団 AlteFeuerWehr 1927建、ホース塔のある最初の消防団機材庫の近くに
   、1927の再開発で木組の消防所が建てられ、2004から醸造所となった。
 ヘアー館 HoeerHof 1620建、宮殿建設業者が建てた。大規模な石台座の上に張
   出窓と南欧風帽子を持った木組館である。1992からホテル・レストランになった。
 印刷所 DuckereiGrandpierre 1612建、建物の南の部分の戸枠に年号があ
   る。ここは、1720まで料理屋「白鳩」であった。地階石造の上に木組が
   載っている。
 ストックハイム館 StockheimerHof 1599建、石地階の上に木組の2階建、ストックハイム
   家は14Cナッソウ城の人。2006から個人所有。
 鞣し皮の家 GerberHaus 1815建、30余もあった鞣し革屋の最後の建物。三
   段階屋根で吊して皮を干した。1920からガラス屋と家具製作所となっている。
 市博物館 StadtMuseum  1615建、キリングの家にある。民俗学.宗教.都市.産
   業.の歴史と絵画を展示している。

5.写真

市庁舎 門塔
アドルフ王広場 宮殿

戻る

戻る

イッメンハウゼン Immenhausen HE52

1.歴史

 1015 皇帝ハインリッヒ2世はイッメンハウゼンを支配、1123 城伯ドウドは城の廷史と認証、
 1298 都市権の授与、ヘッセン方伯は要塞を設けた、1363 要塞を更新し町を守る。
 15c 聖ジョージ教会を旧教会の跡に建てた。 19c 大火災で焼失、
 1909 町の病院に結核の発生、   20c、抗生物質で収まり肺クリニックになった、
 1996 ガラス工場の閉鎖。

2.市壁  0.44km 0.44

  13cの市壁は、保守が行われ一部では更新されている。1892西への市街地拡張
  のため梟塔と市公園との間の市壁を壊し、上駅通を置いた。

3.塔  3門2塔

 開口部 Mauer Bruck (20c) 1937の大洪水の後に、バッハ通の突き当りの
   壁を壊して通路とした。
 梟塔 Eulen Turm (13c) 4階建の角塔に四角錐屋根。
 馬蹄形塔 Hufeisen Turm (13c) 4階建の馬蹄形の塔は、2004に町の歴史に
   関するパネルが展示されている。
 旧人々の家門 Ehem.LeutenHaeuser Tor (13c) 周壁の一部として造られた
   3市門の一つで、1825-27に取り壊された。
 旧カッセル門 Ehem.Kasseler Tor (13c) 市壁と共に作られ狭い通路にアーチ門が
      置かれている。

4.見所  C

   町として700年以上の歴史があり、歴史的な旧市街地中心部には、美しく改装
  された家並がある。堂々としたゴシックのセイゲオルグ教会とバロックの市庁舎が焦点で、保
  全された建て物が多い。中世からガラス工芸品の生産が行われ、大きなガラス博物館は
  ドイツガラス美術館となっている。
 市庁舎 Rathaus (1354) 1385に火事で焼けて再建された。1631の火事で撤去され、
   1643病院の木材を使ってバロック3階建の木造庁舎を建てた。1662現在の外観
   に拡張し、両側屋外階段を設置した。1985-87隣接住宅Rodeと接続し、市
   庁舎内の展示場に、芸術家やアマチュアの作品を展示している。
 市教会聖ゲオルグ Stadt Kirche St.Georg (1100) 始めはロマネスク単廊の建物であった。
   1300解体され、3階建ゴシックの教会として新設された。戦争や火災で壊れ1409
   に再建され、15cに70の壁画を制作、1631内部火災、1848塔火災、1872根本
   的な改築、1967壁画の露出など大改修とインテリアの近代化が行われた。
 パッシェ城祉 Ruhin Pascheburg (13c) 13c方伯の城が建てられ、1385戦争の火災で
   壊された。1969に基礎と天蓋が発掘された。
   旧小学校 Ehem.Jungenschule (15c) 2連2階建の大きな建物で町と教区の学校であ
   った。1687この建物は少年の学校になった。今は私有財産で1941改修済み。
 教会聖クレメンス・マリア Kath.Kirche St.Clemens Maria (1952) 鐘楼付きの教会として建
   てられた。西側の大きなガラス窓は、この町でデザインされ寄贈された。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.ZehntScheune (1648) 領主の十分の一税倉庫として建てら
   れ、1839町は購入して教師の住居のある国民学校に改造した。1936住居と
   学校として根本的に改修した。
 ガラス博物館市庁舎 Glas Museum (1987) 旧発電所の建物を改造して中世から現代の
   ガラスの伝統と歴史を広く展示している。1890ガラス製品の開発と国際ガラスアート
   振興を図っている。

5.写真

 
市庁舎 聖ゲオルグ教会
ラッツケラー フクロウ塔
ロイテンハウゼン門 ファイセン塔と西壁
西北市壁

戻る

戻る

カッセル Kassel HE53

1.歴史

  811 カール大帝はザクセンのベヌイットに土地を与えた羊皮紙の証明書に署名した、
 1008 皇帝ハインリッヒ2世は夫人にカッセル王宮を譲渡、1019 ハインリッヒ2世は市場認可、
 1189 町は都市権を有し毎日市場開催、1277 方伯ハインリッヒ1世は新居城建てた、
 1466 ルードヴィッヒ2世は新宮殿を構築、1517ペスト流行、1523方伯は市壁に着手、
 1596 方伯モーリッツはオランダ織器技術導入、 1685方伯カールはオランダ宗教難民を受入、
 1767-90 軍は要塞を建設、 1767 ヘッセン・カッセル王子と娘の結婚式にプロセン王参列、
 1803 ヘッセン・カッセル方伯は選帝侯に、、    1806 ナポレオン軍侵攻で選帝侯亡命、
 1813 亡命の選帝侯は帰還ヴェストファーレン王国、     1866 プロイセンへの併合、
 1943 空爆で木造住宅など80%が破壊。

2.市壁  0.04km 0.01

   13cに中心部の狭い市壁が築かれ、1523方伯フイリップは拡張強化を初め、
  1648には対岸の橋頭保を含めた星形要塞が築かれた。旧市街の東のWeser-
  tor地区に旧市壁が残り、2012に公園として整備され、一部は夜間照明も
  付けられた。

3.塔  0門2塔

 ドルゼル塔 Drusel Turm (1415) 市壁の5階建ての円塔であり、刑務所として
   も使われた。
 ツベーレン塔 Zwehren Turm (1330) ゴシックのフランクフルト方向の石道の終わりに在る門塔
   であり、1709方伯カールは回転ドームの天文機器を装備した展望台が付けられ
   た。塔の下の部分は刑務所としても使われた。1554紋章と18cの日時計が
   付けられた。

4.見所  C

   旧市街は戦災を受け古い建物は少ない。町の西の山に向かって広大な
  公園に宮殿・滝・立像などがあり、一見の価値がある。
 町庁舎 Rathaus (1539-09) 3階建てのネオバロックの建物で、2次大戦の爆撃で大被
   害を受け、簡素な形で再建された。地階には市場、上階には祝祭会場と
   同業組合部屋があった。市庁舎は一時的に町と地方の裁判所だった。
 ルッター教会 Luther Kirche (1839-97) ルーテル教会は高さ76m高塔を持つ最後のゴシック
   として建てられ、1943の爆撃で身廊が壊され1949に応急復旧された。19
   70塔の近くに集会所のあるクラシックの新しい教会が建てられた。2006から塔
   は夜間照明されている。
 国立劇場 Staats Theater (1603-05) 方伯モーリッツが初めに建てた建物はフリードリッヒ
   2世によって1765-69に新オペラハウスとなった。1943空爆を受け、1956-59国
   立劇場が新築され、オペラ・オペレッタ・演劇・バレーが公演されている。
 ヘッセン州立博物館 Hessisches Landes Museum (1805) 門内に二つの中庭のある3
   階建て5翼の建物に、1913博物館となり、地階は先史時代・中2階に天文学.
   物理学.天文時計・2階にドイツ・タペストリィ600点と装飾芸術を展示。
 新美術館 Neue Galerie (1871-77) ネオルネッサンスの建物に、巨匠の絵画を収容して
   いたが、空爆でヴィルヘルムスヘーレ宮殿に移された。1976新たに18cからのドイツ
   画家の作品を展示している。
 グリム文学博物館 Brueder Grimm Museum (1714) バロックのベルヴューの館を改修して
   1992から兄弟の肖像画・手書き原稿・手紙・挿絵などで、大学教授の作品・業
   績・生涯が展示されている。
 自然史博物館 Natur Kunde Museum (16c) 方伯ウイルヘルム4世の収集品に始まり、後
   継者によって展開され、1771-99コレクションとなった。旧オットーネウムのの中に植物
   学・地質学・動物学の標本がある。
 市立博物館 Stadt Museum Kassel 改装され2013に再開されて、町の歴史と文化
   を展示。
 フリードリッヒ美術館 Kunsthalle Fridericianum (1769-79) 方伯フリーソリッヒ2世は6本柱
   列のある古典建築に、王立図書館を置き1779に宝物を一般公開した。ヨーダ
   ンスの絵画や現代芸術もある。
 ヴィルヘルムスヘーレ Wilhelmshoehe
  庭園 Park (1701-1800) 町の西側350haに広大なバロック庭園には、800種の樹木
    ・建物・構築物があり、その後イギリス庭園に改造された。最高地点に
    は、ヘラクレスの像があり大落水の始点となり町の展望は良い。
  ヴィルヘルムスヘーレ宮殿 Schloss Wilhelmshoehe (1803) ヴェストファーレン王ジュエローム・ポナ
    パルトは1807-13ここに住んだ。ルイ15世様式の家具や絵画は城博物館とし
    て見学できる。城博物館には国立カッサル美術コレクションも収められている。地
    階の古代部門にはギリシャ.ローマ.エジプトの文物があり、2階には初期ドイツや
    17cフランドルの絵画、3階にはブリューゲルまでの風景画、4階にはイタリア・スペイン
    ・フランスの絵画を展示している。
  獅子山 Loewenberg (1793-1801) ロマン主義的な館で、内部には武器・甲冑・骨董
    品を展示している。

5.写真

市庁舎 ヘrクレス城
フリードリッヒ美術館 レーベン城

戻る

戻る

ケニッヒスタイン Koenigstein HE54

1.歴史

 12C バルバロッサ皇帝は城を築き、フランクフルトとケルンを結ぶ重要交易路保護のため
  要塞を設けた、
 1215 最初の文書言及、     1239 最初の領主は貴族ハーゲンであった、
 1313 都市権の授与、            1581 マインツ郡に組み込まれた、
 17C初 大規模な城の拡張、      1796 革命戦争で仏軍は砦を壊した、
 1851 温泉保養地の開発、               1866 プロイセン領。

2.市壁  0km 

   山頂の城址にある城壁しか、見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   木組の家は旧市街地のあちこちにある。
 旧市庁舎 AlteRathaus 木造2階建ての旧市庁舎は、今、郷土博物館となっている。
   
 元城山 BurgRuine Koenigstein 山頂の城跡には、高い角塔と3階建の外壁があり、
   町を見下している。

5.写真

旧市庁舎 ケーニッヒシュタイン城址

戻る

戻る

コルバッハ Korbach HE55

1.歴史

 980 オットー2世の文書に言及、    1185 すでに都市権を持っていた、
 1377 南側の旧市街地は北側の新市街地を統合し、共用の市庁舎と二重の市壁
  の外側を築いた。         1505 防衛施設建設、
 1618-48 30年戦争・ペスト・大火災で町の豊かさは壊滅した、
 1893-1913 鉄道建設、       1908 タバコ工場の建設で復興。

2.市壁  1.65km 0.63

  北と東南部を除いて市壁は残っている。なお、二重壁のため、どちらか
  が残っていれば、市壁は有りとした。

3.塔  1門6塔

 エンザー門 EnserTor 南 1830-60に5つの二重門が取り払われた。
   前方の円塔に壁が付いている。
 毛織物塔 WollweberTurm 北西 1505建、羊毛織工同業組合が建てた円塔。
   1900に住居目的に窓を大きくして改造。
 ピレン塔 PylenTurm 南西 防御角塔、一時は刑務所。防御通路の残りが
   一部復元してある。
 赤塔 RoterTurm 西 死刑執行の赤旗から名前が付いた。1734-1850
    に刑務所として使われた。今は住宅となっている。
 円塔 Turm 南西 1936改修された円塔。FreilichtBuehneに野外劇場。
 円塔 Turm 北東と北西に 円塔がある。

4.見所  B

  壁の間の堀は埋まっているが、二重の市壁がここまで残っている町は珍しい。
  バロックの大きな建物の町並が残り、木組の家も彩り良く見れれる。
 聖キリアン教会 St.KilianKirche 1375-1450建、ロマネスク風ホール式教会。
 聖ニコライ教会 St.NikolaiKirche 1359-1450建、ヘッセン風ホール式教会。
 市庁舎 Rathaus 1377建、旧町と新町の境界に建てられた。北側の階段
   切妻は1664の火事で落ち、1930に代わりに塔をつけ、地階アーケード通路も
   取り付けられた。
 博物館 WolfgangBonhageMuseum 14Cの石の4貯蔵庫をまとめて、1924に
   市の博物館となった。1604には住居として使われ、1997に博物館拡張の
   ため新築された。町と教会の歴史、歴史的金山造り、出土化石等を展示。
 木組建物 FachwerkHaus 
   PatrizierHaus南1593建、3階建2面破風付木組家、1664の火事に生き残った。
   BunsenHaus西 3階建木組家、有名な外交官の生家。
   DiemelsaechsischesBauernHaus南1732建、2階建破風付木組家、今住家。
   StadtBuechcherei西17C建、貴族の家として建てられ、 結婚式場でもあった。
   HirschApotheke中1741創業、2階建木組家、1852高名外科医が生まれた。
   HartwigschesHaus中1720建、バロック前面の立派な木組家、正門や区切りは
   装飾で満たされている。

5.写真

市庁舎 南市壁
市図書館 ヴェルヴェーバー塔
南西壁 円塔
西南塔 西南壁
西南通路 西南壁

戻る

戻る

ランダウ Landau (Bad Arolsen市内) HE56

1.歴史

 13c ヴァルデッカー侯爵オットーは要塞都市を設立、1290 文書初言及、
 1294 小さな町は都市権を授与された、1397-1495 居住地が外側に置かれた、
 1550-97 ヴァルデッカー侯爵の居所がたてられた、16c-1933 ユダヤ人が居住、
 19c 町の全体像は変化しなかった、、 1974 アロルゼンに併合された。

2.市壁  0.25km 0.25

   小さな町は旧城複合体の市壁が1.75km全体であり、北と南の2か所に門が
   あった。また、別の壁で仕切られていた町と城との間は別の門があった。
   今は、市壁の西南・東南と城の後ろに残っている。

3.塔  3門0塔

 旧市街アーチ門2 Watter谷につながる東北と東南の二つの坂道に木製の
   屋根付きのアーチ門が造られている。東南門のたもとには元鍛冶屋の建物があり、
   魔女の家とも呼ばれ、尋問や拷問の刑務室が置かれた。
 城門 旧市街から城への入口に上階木組の2階建アーチ門を1563にヨハン・ラウダウ
   伯が建てた。守衛詰所何世紀にわたって努めたが、1750改修中に焼失した。
   上階は、ユースホステル、賃貸アパート、として使われた。

4.見所  D

   山の上の城の南側に半木造の町がる。木造のアーチ門は珍しい。
 市庁舎 Rathaus () 2階建の大きな木組の建物。
 ラッツケラー Ratskeller 淡いクリーム色の小さな2階建の建物で「Rathaus
   (Ratskeller)」の看板がある。旧市庁舎で今はレストランである。
 市教会 Stadt Kirche (13c) 初期ゴシックの教会で、伯爵家族の埋葬の礼拝堂であっ
   た。16cゴシックのホール教会が西側に建てられ、かっての礼拝堂は教会の内陣と
   なった。1550に塔が付けられた。2002-03に高さ34mで完全に復元された。
 ランダウ城 Schloss Landau (13c) 旧伯爵城は1330に再建され、1397-1495は使
   われた。1550-97はヴァルディック伯爵ランダウ家が新たに住んだ。城は16c-2012
   は、ヴァルディック高齢者住宅であった。今はホテル。

5.写真

市庁舎 ラッツケラー
市教会 南アーチ門
城門 城門内側
東市壁 西南市壁

戻る

戻る

ラウバッハ Laubzch HE57

1.歴史

789 フェルト修道院の所有帳に言及、   1052 城の隣に地区教会を言及、
 1341 城を買い1559までに防御施設を築く、1405 町として認められた、
 1418 城をゾルムス・ラウバッハ伯爵が取得し今も居住、1507皇帝マクシミリアン都市権授与、
 1548 ゾルムス・ラウバッハ帝国が成立、     1555 ラウバッハ図書館の設立、
 1609-11.1635 ペスト流行で人口半減、   1761-62 7年戦争で仏軍占領、
 1806 ゾルムス・ラウバッハ伯爵領の独立は終わり、ヘッセン大公国に統合たれた。
 19c 門・市庁舎・町醸造所は取り壊された、 1936 町は定評ある転地療養所に。

2.市壁  0.21km 0.18

   旧市街の上西部に残りが見られる。

3.塔  0門1塔

   下市門は1808に、上門は1865に取り壊され残っていない。
 耳飾り石塔 Klipstein Turm (15c) 4階建ての角塔で、旧市街唯一の見
   張塔で、木材部は1500からの物である。多くの内容のある博物館がある。

4.見所  D

    東側の宮殿や教会はやや高い所にあり、坂道は玄武岩の舗石で囲まれて
   ていた。狭い路地には16cからの古い木組みの家が残っている。1853旧市庁舎
   や町醸造所は取り壊されマルクトには残っていない。
 ラウバッハ宮殿 Schloss Laubach (13c) ゾルムス・ラウバッハ侯爵の豪勢な宮殿は13cに成立
   し、16.18cに拡張されて今の姿になった。18c宮殿群は英国風の宮殿庭園
   に囲まれた。公園は市壁の外にあるため、防衛のために7つの池を設けた。
   宮廷公園内には歴史的な氷室があり、宮殿には1721-1873醸造所があった。
 宮殿図書館 Privat Bibliothek in Schloss (16c) 宮殿の図書館には、1800アルンス
   ブルク修道院の図書など12万冊の貴重な図書があり、ヨーロッパでも有数の規
   模である。侯爵の家族法では、この図書館からの売却を禁止している。
 宮殿博物館 Schloss Museum (2003) 宮殿での昔の生活や宝物をゴシックの部屋に
   展示されている。
 町教会 Stadt Kirche (12c) 最も古い部分は、12cのものであり、18cに増築と
   内部装飾が行われた。バロックのオルガンは復元されている。
 下粉挽場 Unter Muhle (16c) 簡素なルネッサンス建物であり、1588-89の西側の切妻
   の切妻には、二つの紋章がある。
 フリードリシアヌム博物館 Museum Frdericianum (1980) ソルムス伯爵のかっての狩猟のロッジ
   で、2階建て寄棟屋根の建物である。30年前から博物館として、石器
   時代から戦後までの工芸品・民族・祭り等について展示されている。
 魅惑的人形の家 Faszinierrend Puppen Stuben 2011) 城の近くの木組の納屋に、
   魅惑的な人形やミニチュアで偉大な世界を現す貴重な人形のコレクションである。
 木組みの家 Fachwerk Hoeuser 木組みの家は1965-80に復元されている。
  Grener Meer1 (1450) 靴下製造工の家、2階建ての壁台枠造の最古の住宅。
       14(1667)彫刻のある枠台造の家。
       28 (1600) 枠構造の家。
       30 (1550)
  Markt Platz5 (1738) 3階建で切妻のある家。
        8 (1635) 3階建軒の続いた建物で、18c出窓を追加。
  Ober Gasse14 (1617) 年号が木材に付いている。
  OberLangGasse12(1500) 17.18cに改造された。
        6-8(1560) フクロウ旅館で、1651に増築された。
         26(1625) 軒樋のある家、年号がある。
  WildemannsGasse9 1969に解体され、未開人の男と女の角柱は7番地の
      家に転用された。

5.写真

 
マルクト広場 宮殿
北壁

戻る

戻る

ラウターバッハ Lauterbach HE58

1.歴史

 12c フルダ修道院の領土であり、世俗的管轄は執行官が行った、
 1266 都市権が授与され城と市壁が築かれた、その後繰返し入質された、
 1427 マインツ大司教と貴族ヴァルドウイックが1/2支配、15-16c 貴族クーデビルが支配、
 1684 独立した小さな国となる、       1806 ヘッセン大公国に属した、
 1852 郡庁所在地から共同体の発展、    1972 フォーゲルスベルク郡の中心に。

2.市壁  0.01km 0.01

   1266の都市権授与の後に、市壁は城と共に建てられた。市壁の場所は
  Am Grabenの内側と想定されるが、10mの石積しか見当たらない。

3.塔  0門1塔

 錨塔 Anker Turm (13c)市壁の防御塔として4階建円塔が階段の上にある。フー
   ドは木組の8角形になっている。一時的に刑務所として使われ今は料理屋
   :Zum Anker Turmである。

4.見所 B

   旧市街の街並には、多くの古い木組の建物が保存され、広場は木組で
  美しく飾られている。また、南側を流れるラウター川は常に一定の水量が確保
  され、ステップ石で川を渡る事ができる。
 市教会 Ev.Stadt Kirche (1768) バロックの外観とロココの内装の教会は、1768献堂さ
   れ、塔は1820に付けられた。1400のゴシックの教会からマドンナ像な度が置かれ
   ている。鐘楼には1699-1950の5鐘がある。
 ステップ石 Schritt Stein (1596) ステップ石は川の中の井戸に到達するために置かれ
   た。現在も水流の阻害減少のために置かれている。
 高い家 Hoh Haus (1769-73) ゲオルグ・ハイアットが町に建てたバロックの宮殿で、両翼の
   ある3翼の建物である。後期ゴシックのマリア祭壇のある広間は郷土博物館として
   使われている。
 町の工場 Stadt Muehle (1398) 石造2階建の陶芸家の工房であった。2004に観光
   案内所となった。
  Burg (1266) 壁に囲まれ中庭のある建物で、西に厩舎がある。1580-8117cの
   建物は拡脹されルネサンスのポータルがある。
 黄金のロバ Gueldener Esel (16c) 注目に値する木製の大きな建物で1530からレス
   トランが使っている。
 古い醸造所 Alte Brauhaus (1667) 醸造権を獲得し、古い木組の建物で、今でも
   伝統のある醸造所として「Lauterbach Pils」を醸造している。
 木組の家 Fachwerk Haus (1707) 貴族の家として建てられた、古い木組の4階建
   の切妻のある建物。今はカフェ・シュッテルを収容している。

5.写真

戻る

戻る

リッヒ Lich HE59

1.歴史

790 カロリング朝の入植地はロルシュ文書にある、9c ロルッシュ修道院はマインツ司教区へ、
 12c ハーゲン・ミュンツェンベルクの遺産ni,水城があった、1273フランンケンシュタインのヴェルナ1世に、
 1300 墺王アルブレヒト1世はファルケンシュタインの家来フイリップに昇格した町を管理させた、
 16c ラインハルト1世の下に町は今も残る姿に、1618-48 30年戦争での被害は些少、
 1945 2次大戦も大きな被害はなかった。

2.市壁  0.38km 0.31

   15cの市壁は、切れ切れにAmWallの南に180m、SchlossGasseの西に200m。
   西南の厩舎跡付近の市壁の上には更新された2階建ての宿泊施設がある。

3.塔  0門1塔

 市塔 Stadt Turm (16c) 町の紋章のある堂々たる高さ48mの角塔で、左右に
、    市壁が残り東側には車道のアーチがある。2010には新たに塔に上る階段が
   付けられ、町の歴史の展示と小劇場があり、頂上の展望は良い。

4.見所  C

   市壁と切妻のある木組みの家が残り、城は公開されていないが、中世の
   雰囲気の残る小さな町である。
 マリア修道院聖堂 Marien Stift Kirche (1316-17) フイリップ3世により創立され、
   1320聖母マリア・聖マルティン・聖エリザベスに献堂された。1510後期ゴシックの教会に
   変換され、ゴシック・リブヴォールトは1594に完成した。中には1333絵画・1500
   ルネッサンス十字架・1775彫刻説教壇・墓標がある。
 侯爵ゾルムス宮殿 Schloss der Fuerten zu Solms-Hohensolms Lich (13c) 初め
   長方形の宮殿と4塔が堀で囲まれていた。17cルネッサンスで再建され、18cには
   バロックに変換された。1836裁判所の前面と1911タペストリィが付けられた。宮
   殿には今でも侯爵の末裔が住み、公開されていない。
 旧アルンスブルク修道院 Ehem.Kloster Arnsburg (1097-1246) シトー会修道院の教会は
   ロマネスクからゴシックへ変遷し、南翼廊からの広い階段は聖具室や僧侶宿泊所へ
   繋がる。30年戦争後には礼拝のための教会として使用された。17c醸造所が
   建てられ、今ではレストランとなっている。
 ゼーアルシュ美術館 Galerie Seharsch 旧シトー会修道院に、画家ピーター・ゼーハルシュの作
   品を展示している。
 テクストアーの家 Textor haus (15c) 豪華な彫刻と碑文のある木組みの家で、初め
   保管庫として建てられた。19cには半分の長さになり、今は郷土博物館と
   なり、町の歴史を展示している。
 リッヒ醸造所 Licher Privat Brsuerei (1854) 最初からこの私設醸造所は人気
   があり、1960からは樽・缶・瓶に「ライヒ・ビール」として提供され、このブランド
   は国境を越えて流通した。1988ヘッセン州のビールブランドの第1位になった。
 木組の家 Fachwerk Haeuser
   街には多くの古い木組の家があり、特徴ある切妻と装飾で美しい景観がある。

5.写真

市庁舎 市塔
北西壁
北東壁 西壁
宮殿 上の町

戻る

戻る

リムブルク Limburg HE60

1.歴史

  760 浅瀬を守る城が築かれ入植地を開設、910王ルイは侯爵コンラッドに荘園を与え、
  940 聖ヨハネ修道院の開設、    1160 木橋の架設、1227 関税が掛けられた、
 1230 最初の市壁の建設、町は市場・紋章を持った、  1279 都市権の授与、
 1315 石造のラーン橋を建設、     1406 イーゼルブルク家断絶でクアテリィが領主に、
 1529 宗教改革の導入、     1631 スエーデン軍の略奪、1632 仏軍の占領、
 1635 帝国軍の占領、      1706 スペイン継承戦争でハノーハー大隊が占領、
 1721-28 ラーン川渡し船で司教区と争い、  1801 火災で木造家屋の7割焼失、
 1803 ナッソー・バイルブルク侯爵ヴィルヘルムは町を統治、1818 塔や市壁は解体のため販売、
 1827 リンブルク教区を設立し初司教即位、1886 郡庁所在地となった、
 1939-45 空爆で木造家屋150戸が壊れた。

2.市壁  0.29km 0.23

    13cの市壁は、1818から解体のため切り売りされ、DiezerTorも1871に解体
   を始めた。市壁が残されているのは、EschhoeferWegの北に140m、大聖堂の北
   の石積150mがある。

3.塔  0門2塔

 外橋塔 Aeussere Bruecken Turm レッヒ川橋の対岸にある外側橋塔で、道路を
   跨いで四角塔が立っている。
 猫塔 Katze Turm 石積の円塔で頂上に小円錐塔がある。市壁塔の一つで1623
   の文書に記載され、市公文書館が収容されている。猫塔に刑務所が移
  され、公文書は市庁舎に移動した。今は海洋博物館である。

4.見所  C

   小高い岩山の上に大聖堂と城が立ち、中腹からの旧市街には花網模様の木
  骨造りの美しい家が多く、中世の雰囲気の残る小さな町である。マルクトは小さ
  く、木組みの建物が囲んでいる。
 大聖堂 Dom (13c) 過渡期ゴシックの典型的な様式であり、外観はロマネスクのライン川
   沿いの大聖堂に似ている。内部は仏のラン大聖堂の影響を受けたゴシックの
   構造である。壁面は補修塗装を取り除いて当初の多彩装飾に修復した。
   聖堂北側斜面の中腹の墓地テラスからの展望は見下ろす角度が美しい。
 リムブルク城 Schloss Limburg (13C) 岩山の上にイーゼンブルクのゲルラッハによって建て
   られた。城壁の塔の残りであるHuttigも残っている。1712木材の水道管
   を敷設して配水した。1802城はナッソーの所有になり、1866プロイセンに移り、
   1883望易学校、1945ヘッセン卸売市場、1965工業学校、1995州は城を売却、
   2000市が引受け2003から市博物館として改修に着手した。
 カソリック教区教会と聖公会 Kztholische StadtKirche und Bischoefliches
Ordinariat 旧フランシクコ会修道院の重要な残基と修道院教会:聖
   セバスチャンには、ルネッサンスとバロックの墓碑銘や1686のオルガンがある。
 司教区博物館 Dioezesan Museum (1544) 10cビザンチンの真の十字架を収めた
   聖遺物箱は宗教芸術の至宝であり、1410キリストの死の哀悼の彫刻も有名。

5.写真

 
大聖堂 魚市場
穀物市場

戻る

戻る

リンデンフェルス Lindenfels HE61

1.歴史

 1077城は存在し、1123リンデンフェルス城と呼ばれた、1123ロルシュ修道院文書初言及、
 12-13c 所有者はシュタフなど何度も変わった、1277 プファルツ伯は城と町を購入、
 1336 ルードヴィッヒ4世は都市権・市場権を授与、14c 都市権で商人・職人の定住、
 1544 プロテスタントの初礼拝、        1563 大火災で多くの家が焼失、
 17c 30年戦争で要塞は生き残ったが重要性を失う、1648 飢餓と疫病で和平、
 1688-97 プファルツ承継戦争、1701-14 スペイン継承戦争、住民は北米に移住、
 1698 プファルツ選帝侯はローマカトリックへ反宗教改革、  1732 住民は81人残った、
 1803 世俗化でヘッセン・ダルムシュタットへ、     1820 ヘッセン大公国へ。

2.市壁  0.44km 0.80

    14cの城を守る部分と上の町を守る部分は、明らかに存在するが、下の
   町を守る部分は見当たらない。頂上の円形城壁130m、中腹の市壁310m、
   上町の市壁130mは残っている。

3.塔  3門1塔

 市民塔 Buerger Turm (14c) 東南隅の円塔で、市壁の列に組込まれ天守
   閣の機能を持っていた。高さ19m直径8m壁厚2m。1645に塔の帽子と
   して5小塔が側面に建てられた。保存の作業は100年間継続された。
 ツヴィンガー内側フルス門 Zwinger Inneres Fuerther Tor (14c) 最古の部分の
   ツヴィンガーにあり、狭められた連結路に介在する。内側門は瀝青流し掛
   け出梁にプファルツ・バイエルンの紋章が掲げられている。
 ツヴィンガー外側フルス門 Zwinger Ausseres Fuerther Tor (14c) 内側門の70m
      南西に外側門があり、魔よけの獣頭が付けられている。
 城門 Burg Tor (13c) 中腹に取るけられた城壁は取り崩されて、2階建の
   城門だけが建っている。

4.見所  C

   城は小山の頂上にあり城壁と城門で囲まれ見晴らしがよい。旧市街地は
   その東斜面にあり、博物館や古からの建物が城への登路に沿って立つ。
 市庁舎 Rathaus (18c) 代官ヨハン・フランツ・シュルンカードによって建てられ、1768
   プファルツの会計局に移行した。その後出先事務所となり、1802ヘッセンの行
   政機関も収容した。1953リヒテンフェルスは町を獲得して市庁舎として使った。
 プロテスタント教会 Ev.Kirche (16c) 古い教会の跡に今の教会が建てられた。
   ダルムシュタットの建築家が設計した簡素な建物で、1564の最初の宗
   教改革導入の時期と重なる。1837オルガンが付けられた。
 リンデンフェルス城 Burg Lindenfels (1080) ロッシュ修道院の僧院長がリンデンフェルス城を
   立した。城の支配者は貴族が続いた後、1277ヴィッテルスバッハ家のプファルツ伯
   ルードヴィッヒ2世が統治権を買戻し、600年間プファルツ選帝侯が所有した。1779
   老朽化で倒壊し、取払われた。1880修復が始まり、今は時代祭の会場。
 カソリック教会聖ペーターとパウル Kth.Kirche Peter und Paul (1745) 今は
残された最古の教会となった。城の礼拝堂はカトリック教徒の聖堂として
   使われ、四角形の身廊と5辺の後陣から成る。1757入口の上にオルガン設置。
 十分の一税倉庫 Zehentscheune (1781-84) リンデンフェルス郡の十分の一税収蔵
   のため城の資材を使かって建てられた。農産物や租税の収蔵庫ととし
   て使われ、1979市博物館として町の歴史・農業生活・手工業などを展示。
 防塁 Bollwerk (14c) 3辺の搭状の防塁は、市壁の増強施設である。
 ドラゴン博物館 Drachen Museum (18c) 牧師館として新設され、1872Baur家
   の住宅、幼稚園、養老院などとして使われ、今はドラゴン博物館。
 プファルツ選帝侯事務所 Kurpfaelzisches Amthaus (1723) 上城通で最古の建
   物で、1821-32リンデンフェルス郡庁、1852-74郡役場が置かれた。1873-1910
   教員検定準備と教員セミナーの研修施設。

5.写真

市庁舎 プロテスタント教会
上城壁 上城壁
ツヴィンガー内側フルス門 城門
下城壁 市民塔
南東壁 西北壁

戻る

戻る

マールブルク Marburg HE62

1.歴史

 700 堡塁の上に立つ守られた宮殿近くに入植、9-10C 城施設の最初の出土、
 1222 最初の言及、           1227 独立した最初の教区を認めた、
 1228 チュービンゲンのエリザベス伯爵夫人が、未亡人の居所として選んだ、
 1235 聖人となったエリザベスの教会建設を始めた、 1260 城壁の拡張完成、
 1248-1604 ヘッセン伯の王宮は、僅かな中断はあったが存続した、
 1527 プロステタント大学の創立、       1647 30年戦争での包囲と略奪、
 1773-76 城要塞の破壊、        1815-52 城は刑務所として使用。

2.市壁  0.51km 0.35

  1260年に、強い壁に囲まれた城の周りに、半円形の4つの市門をもった壁に拡張
  された。今は、西側のKalbsTorの前後、頂上付近、東側に、市壁が残っている。

3.塔  1門0塔

 子牛門 KalbsTor 1230-35建、西 幅3mの市壁の出入り口。
   この門は、30年戦争の1618-48は閉鎖されていた。

4.見所  B

   城山の南斜面の旧市街地には大学が置かれている。城山に上る道は急勾配
  であるが、見下ろす眺めは良い。エリザベス教会は旧市街地から離れて東にある。
  木組の古い家並が残っているのは、マルクト広場の高い方Obermarktだけである。
 市庁舎 Rathaus 1512-27建、ゴシック石造3階建破風付の建物で、1581にルネッサ
   ンスの時計付塔が付けられ、人形仕掛け時計は正時に鶏の声を聞ける。階段
   小塔の入口の上に、ヘッセンチューリンゲンの紋章を持つ聖エリザベスの彫刻がある。
 聖エリザベス教会 St.ElisabethKirche 1235-83建、ゴシックのホール式教会。
   聖エリザベスの埋葬場所であり、1235に巡礼教会になった。内部に、見るべき
   彫像.祭壇画.ステンドグラスがある。
 方伯城 LandgrafenSchloss 1493起工、この5階建の城は13-17Cにヘッセン
   方伯の居城であった。9Cの古い城の遺跡は西棟の地下にあろ。北には13Cの
   ゴシックのホールがある。中には、方伯執務室.ゴシック礼拝堂.騎士の間がある。
   15C翼棟には文化史博物館が置かれ、中世の盾や芸術品が見られる。
    東側のチャペルは1290に建てられた。
 砲郭 Kasematten 1478建、城の西側地下に17Cの砲床があり、最初の砲塔
   は刑務所として使われ、今、魔女の塔として知られている。

5.写真

市庁舎 マールブルク大学
マルクト広場
エリザベート教会 エリザベート教会隣の塔

戻る

戻る

メルズンゲン Melsungen HE63

1.歴史

 802 最初の集落の部bb所言及、 1189 市壁・門・塔のある小さな町と言及、
 1267 最古の町の紋章の制定、   1427 ヘッセ伯ルードヴィッヒは塩鉱山を開発、
 1550-57 城の建設、        1825-68 ヘッセン林業研究所を設置、
 17c 30年戦争と7年戦礎で町は衰退、1825-1974 独立郡庁として行政の中心。

2.市壁  0.09km 0.09

    古い町に中心は、タカサ8mの周壁が取り囲み、塔・門・銃眼・屋根のない壁上通路
  が見える。市壁の残りはいくらか見られ、部分的は建物に組込まれている。

3.塔  門2塔

 梟塔 Eulen Turm (1387) 南西の角にあり。尖塔のある元の高さで残る唯一の市
   壁塔である。17cには、刑務所として使われ、その際塔の上半分は住居であっ
   た。21c完全に修復された。
 円塔 Rund Turm (1400) 宮殿公園の南側に、帽子のない円塔がある。

4.見所  C

    木組の市庁舎を含むマルクト広場は美しい。宮殿も最上階木組で面白い。
 市庁舎 Rathaus (1562-68) 旧庁舎が大火事で焼けた後に、3.5階建で建てられ、今で
   はドイツで最も美しい木組の市庁舎の一つである。3つの飛び出した塔と多角形の
   コーナータレットを有し、全ての面が美しい。1928に改修時に古いフレームワークトと埋没して
   いたラッツケラーが再発見された。今は本部と人事部がこの庁舎に留まっている。
   12時と18時に市庁舎の塔にBartenWetzerga表示される。
 方伯宮殿 Land Schloss (1550-57) 方伯フイリップ・マグナニモスは狩猟宮殿を建てた。1627
   -32方伯モリッツ・ゲレセテンは居所として使った。1733-1825方伯ライターの守備隊が駐留
   し、1825-68ヘッセン林業アカデェミーを収容した。今は簡易裁判所と税務署として機能
   している。見所は、古い木・城の池・市壁のある宮殿庭園であり、夏にはビヤ
   ガーデンとなり、文化行事がある。
 王宮厩舎> Maarstall (1577) ヘセン・カッセル方伯ウイリアム4世が建てたが、30年戦争で一時的
   に50頭の馬を受け入れた。建物は色を取り除き、大きなヘッセンの紋章を掲げた。
   今は簡易裁判所である。
 市教会 Stadt Kirche (13c) ロマネスクの教会の下にあるゴシックの教会は段階的に建てられ
   た。1200最も古い部分のボザンチン様式とドイツ騎士団・1220身廊・1225塔の設立・13
   50聖歌隊・1400サイド屋根の交換が行われた。
 マルクト広場 Markt Platz (13c) 中世の交易の中心であるマルクト広場が置かれ、マルクとは歴
   史的な木組の市庁舎が支配し、復元された木組の店舗が囲んでいる。東側橋通の
   角には、マーケット・マスターの建物があり、柱彫刻が表示している。
 病院礼拝堂 Hospital Kapelle (1303) セイゲオルク礼拝堂は、町でも古い建物で、ロマネスク
   の塔のある木組の教会でである。礼拝堂は1967-68に完全に修復され今は教会の
   役割を果たしている。1789病院が建てられた。
 郷土博物館 Heimat Museum (1986) 橋の所にある旧発電所に博物館が置かれ、町の発
   展の様子を展示している。
 貴族の家 Patrizier Haus (1600) 堂々とした3階建の木組の建物で、建主の豊かさは
   共済なオーク材の梁に示されている。富と幸運の模様が建物を取巻いている。入口
   は豊富な木彫り彫刻で飾られている。
 最古の木組の家 Alsten Fachwerk Haus (1423)(1426) 町で最古の簡素な3階建の木組
   の建物で、家の間に軒高の台があり、中世の台枠床造りである。
 市民の家 Buergerhaus (1622) おびただしいバロックの彫刻で装飾されている。4階建の
   木組の家は、30年戦争の初期に建てられ、1722調教師が買取り、広く美しい玄
   関ドアを取り付けた。
 石造の家 Steines Haus (14c) Kemanate小部屋と言い、防御倉庫造であり町の中心で
   も古い頑丈な建物である。

5.写真

戻る

戻る

メンゲルスキルヘン Mengerskirchen HE64

1.歴史

 1307 町として初文書言及、  1321 都市権を授与され市場権も追加された、
 1313 メンゲルスキルヘン城が築かれた、  1481 皇帝フリードリッヒ3世は町で裁判を開催、
 1343-1561 町はナッソー・バイルシュタインの支配下に、14c 交易の拠点として税関設置、
 1771 ハマダー公国、    1806 ベルク公国、    1813 ドイツ連邦ナッソー公国、
 1867 北ドイツ連邦プロイセン王国、        1949 ドイツ連邦共和国ヘッセン州。

2.市壁  0.02km 0.01

   14cの市壁は、1973にハウプト通68.のZehntscheuneに道を作る際に、南側に壁を
  復元して保存した。その他リング通5.や城の周辺にも残る。

3.塔  0門1塔

   シュロス通に道路に張り出した建物と仕切りの壁が見られる。

4.見所  D

   小さな町で、木組の古い家もあるが、町の景観はそれ程でもない。
  Schloss (1312) デーレンブルク家が城を建て、住居とした。1628-35伯爵ナッソー・ハダマー
   は狩猟小屋に変換、1662北翼を建設、1711-1806オレンジ・ナッソーへ、1811-13城は
   兵舎に、1818町は城を買収、1819-1973城の建物を住宅へ、1983町役場に改
   造、1990塔は歴史博物館開設。
 カトリック教区教会聖マリア・マグダレナKath.Pfarr Kirche St.MariaMagdalena (1958)

5.写真

戻る

戻る

ミッシェルシュタット Michelstadt HE65

1.歴史

  741 フランケン候爵カーロマンは城と荘園をヴュルツブルク司教の贈った、初文書言及、
  791 侯爵の死後個人的な贈り物であったため、町はフランク王国に戻った、
  815 カール大帝は息子ルードビッヒに町を与えた、819 ルードビッヒはロッシュ修道院に遺贈、
  840 ルードビッヒの死後ロッシュ修道院に移った、 17c 市壁の外に初めて家が建った、
 1773 3番目の門が新設されたが19cに壊された、1806 ヘッセン大公国のエアバッハ郡に、
 1945 戦災は無かった、        2009 エアバッハと合併した。

2.市壁  0.38km 0.75

   14cの市壁は、攻撃に遭うことはなかったが、17cには大砲の発達で効用を
  失い、北から南にかけて東側が残され、西南部は欠けている。

3.塔  0門1塔

   3市門は、交通障害のため次第に全部壊されたが、壁塔の後は幾つか残る。
 泥棒塔 Diebs Turm (13c) 西側古い城の一部であり、5階建ての円塔に1798
   八角形の塔頂室が付けられた。塔の周囲に市壁上の通路が復元された。
   中世に刑務所として使われたためこの名前が付き、窓のない地階に囚
   人をロープで降ろした。

4.見所  B

    旧市街には3-4階の木組みの家が多く、中心のマルクト広場には面白い屋根の
   市庁舎が可愛い。戦災を免れて、中世の雰囲気の残る小さな町である。
 市庁舎 Rathaus (1484) 後期ゴシック2階建ての美しい木組みの建物で、地階は
   吹き抜けの市場として使われ、屋根は急傾斜で高く、切手にもなった。
   1743-1903は木皮葺き屋根であった。ブラジルのブルメナウにはドイツ移民が多く、
   1970この市庁舎のレプリカが建てられた。
  Burg Michelstadt (8c) 古くからの城の地に、10cロッシェ修道院長が石造の
   城を築いた。1307プファルツ伯ルドルフ1世との戦いで壊れた。13cワイン工場が増
   設され、14c城が再構築された。1517エアーバッハ伯ジョージ1世はルネッサンスの建物を
   新築した。16c南本館は市壁を背中に住居として使われた。16c西側倉庫が
   増築され、北側事務棟は数回1501.1549.1621再建された。1970市が買収し
   て改修して、オーデンの森とオモチャ博物館となっている。
 町教会 Stadt Kieche Michelstadt (1490) カロリング朝時代に町教会の代替とし
   て石造の教会を建てた。身廊と南・北の通路の壁の柱は1475に建てられ、
   内陣は1491にさかのぼる。鐘楼には貴重な図書がシュパイヤーから来た。
 オーデンの森とオモチャ博物館 Odenwald und Spielzeug MUseum (20c) オーデンの森の
   生活と文化と人形や紙製のオモチャの展示に加えて、地元20cフリッツ・クレーデルの
   グラフィック・デザインとイラストの収集物もある。
 工場博物館 MuseumsMuehle Michelstadt (1426) 歴史的な工場を展示。
 私立象牙博物館 Burg Michelstadt (8c) 象牙彫刻職人のウルリッヒ・ザイデル-ベルク
   が自身の作品や世界の象牙芸術品を展示している。

5.写真

市庁舎 泥棒塔
木組家 オモチャ博物館

戻る

戻る

ミュンツェンベルク Muenzenberg HE66

1.歴史

12c コンラッド2世はフルダ修道院から交換で土地を取得し,新しい城を建てた、
 12c 城と臣下・職人・商人の集落があった、1165 集落はミュンツエンベ゙ルクと呼ばれた、
 1244 町となり周囲に市壁を建設、 1255ミュンツエンベ゙ルク家の断絶でファンケンシュタイン伯へ、
 1304 ファンケンシュタイン伯はフランクフルト市内法を授与、1418 ファンケンシュタインの絶滅後ゾムス家へ、
 1500 城は最後の拡張が行われた、  1906-10 ヘッセン・ダムヌシュタット大公国に併合。

2.市壁  0.35km 0.78

   町の北部に、城壁と市壁が残されている。

3.塔  0門2塔

  市門は、交通障害のため19cに全部壊された。
 泥棒塔 Diebs Turm (13c) 北西の角に直径5mの円塔があり、一時刑務所
   であった。
 コウノトリ塔 Storchen Turm (13c) 町の東に直径6mの屋根なし円塔がある。

4.見所  C

  丘に聳えたつ城壁の迫力は大きい。旧市街地には17-18cの木組の家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1551-54) 細長いマルクトの南側に立つ切妻のある上階木組
   の建物で、屋根の上にコウノトリの巣台がある。中央のアーチ門には屋外階段がある。
  Burg Muenzenberg (1165) 12cのロマネスクの部分は、内輪壁・東天守閣・南
   部宮殿・外輪壁です。12cの宮殿東門は、ゴシック後期に再建された。13c中火事に
   会い部分的に破壊されたが再建され、西天守閣が建てられた。1255ミュンツエンベ゙ルク
   家の断絶で、13c終わりにハナウ1/6,ファルケンシュタイン5/6に分割された。1500までは最
   後の最後の拡張期で礼拝堂・台所・第2周壁がつくられた。ソルムス伯から城の南側
   に出て定住した。1806ヘッセン・ダルムシュタット大公国へ、1937ソルムズ伯からヘッセン州に所
   有者が変わった。
 プロテスタント教区教会 Ev.Pfarr Kieche (1490) 旧墓地の古い壁に
   囲まれた教会は、町の創成期からのロマネスクの建物であった。13c中に小さな礼拝
   堂は中世の塔と身廊が建てられた。13c洗礼盤・15cゴシックの十字架・バロックの説教
   壇が内部にある。
 木組の家 Fachwerk Haus(17-18c)火事で焼けて17-18cに再建が続いた。
   街並みは精巧な木組と漆喰仕上で美しく整備されている。

5.写真

市庁舎 プロテスタント教区教会
マルクト広場 ミュンツェンブルク城
城西塔 西殻塔
南壁 東壁

戻る

戻る

ナウムブルク Naumburg(Hessen) HE67

1.歴史

 1170 マインツ大司教の文書で初言及、     1207 地元の領主による城の建設、
 1260 都市権が授与され市壁を建設、1266公爵ポッポは城・町をマインツ大司教に売却、
 1384 レアテノングスハウゼンの騎士に町を契約、   1402 強力な要塞でロシア軍に抵抗、
 1544 短期間ヘッセン方伯によって新教に、 1588 マインツ大司教に返され再びカトリックへ、
 1626 ブランズウイック侯爵に征服され廃墟に、 1684 この世紀3度目の大火事で全焼、
 1807-13 ナポレオンのヴェストファーレン王国の中心に、      1866 プロイセンに帰属。

2.市壁  0.13km 0.15

   1260に都市権を得て市壁が建設された。市壁の南部の An der Mauerには、
  風格のある高さに保持されている。

3.塔  0門0塔

   市壁には、要塞3市門と5防御塔が在ったが、交通障害のため1825に市門と
  幾つかの防御塔がこわされ、今は見当たらない。

4.見所  C

    旧市街は1684の大火事の後に建てられた、彩り豊かな木組の家並みが良
   復元・保存されている小さな町である。
 市庁舎 Rathaus (1911) 町の自治の体現してマルクト広場に歴史的な市庁舎があった。そ
   の古い木組の建物は1883に取り壊され、1884守衛所付の消防用具置場がその
   敷地に建てられた。1911にカトリックの国民学校が新築された。1968学校制度の再
   編の後で、市庁舎は再び歴史的な場所に戻った。
 選帝侯会計局 Kuafuerstliche Rentei (1386) 教会と城門の間に、1386から自由市
   民会館があった。1517領主の前砦となった。1682ヴァルディック侯爵の所有となっ
   たが火災で失われた。1682選帝侯の会計局として3階建の建物が新築されたが
   2年後には焼失し、その後今の4階建で再建された。1773に城通りに門アーチが建
   てられた。1802マインツ大司教区の世俗化によって廃止され、その後簡易裁判所が
   収容された。
 カソリック司教区教会 Katholische Stadt Pfarr Kieche (14c) 建物の最も古い部分は14
   c初頭からの物がある。塔地下の外部石積みにはマインツ大司教の紋章と碑文があ
   る。1512に今のバロック様式となり、1684大火事の後に聖体拝領3身廊教区教会
   が建てられ、1692ネオゴシックへ改装、1992内部改装が行われた。内部には1340
   のマドンナ像が有名であり、1577まで埋葬された教会墓地には、16-17cの墓石
   が立っている。
 新教教会 Evangekisch Kieche (19c) 19c後半に新教徒が流入して、新教代理牧師
   教区を設立し、1879に単身廊の教会が建設された。
 郵便駅 Post Station (1903) 1870以来隣接都市との郵便が開設された。1875に運
   送店は郵便局3クラスに昇格した。1903帝国郵便局は新管理棟に移転し、1967施
   設は近代化された。1904狭軌鉄道の開通で駅馬車は終わった。
 木組の家々 Fachwerk Haeuser
  Unter Strasse 5 (1904) 道側に広い切妻を持ち屋根裏を含め3階建の角構造の建
    物で、1826にガストハウス・天使、その後ヘッセン・ホフで使われた。
  Unter Strasse 9 (1684) 交差梁を投影する3階建の建物は、1684の火災の後に建
    てられた。交差梁と隅柱には彫刻がある。
  Unter Strasse 29-35 (19c) この町の木組家の最も美しい手本である前世紀に建
    築の制限を示す木骨切妻の統一的な様式を良く保持している。
  Haeuser am RotenRain 絵の様に美しい路地に簡素な小市民ヤギ農家の家が並ぶ。
  Aelteste Haus (16c) 最も古い家。1684の火事を唯一生き延びた市壁の側の家。
  Burger strasse 20 (1836) ヘッセン選帝侯国は4階建の木造刑務所を建て1843側方に
    増築した。道路側の敷地の壁に元の城門の側の市壁にあった町の紋章のある石
    版がある。
  Burger strasse 18 (19c) 木組の建物は梁構造と窓群の明白な重要性があり、左右
    対称に積み重ねられている。この地方の19cの擬古主義木組造の非常に少ない
    手本である。一時的に市庁舎として使われた。
  Am Markt 5/em> (1687) マルクト広場に立つ3階建ての木組の家は、角の支柱に彫刻
    されたバロックの支柱があり、家の後部の倉庫造りの横切妻は19cに改良。
  Im Kloster 1 (1685) 1685の直後に3階建で建てられ、旧家畜小屋は地下階に在
    る。2翼の表玄関の扉のある彫刻はツタ状の実り豊かな象徴や太陽の車輪によ
    る民芸の模範である。19c天窓が填められ地階の窓は改造された。
  Kirche Strasse 11 (16c) 3階建木組の建物は、町の醸造所「石道」として1564に
    は初言及された。1819その建物が売られて住家となった。都市再開発の一環
    として側面の増築部分を外して、母屋は修復された。
  Kirche Strasse 美しい木組の家の多い地区で、支柱・垂木の頭・横梁に豊かな装飾
    文様や色付の彫物がある。

5.写真

 
市庁舎 南壁
南壁 クレッセンティウス教会
下通

戻る

戻る

ノイキルヘン(クニュル) Neu Kirchen im Knuell HE68

1.歴史

1124 ハースフェルト修道院の文書に初言及、  1254 村の教会はハイネア文書に言及、
14c中 伯爵ヨハンは事務所を開設、        1360 村から町に昇格の文書、
 1368 都市権が授与され、1396 市壁の完成、  1533 大火災で町の2/3が焼失、
 17c 30年戦争の略奪や火災で町は損傷、1807-13 ヴェストファーレン王国の州に属した、
 1971-74 周辺の町を併合。

2.市壁  0.31km 0.49

   1396市壁の完成。貿易と流入で市壁を越えて市街地は拡張した。町の粉引所
   は4ヵ所とも市壁の外にある。南半分に多く市壁が残る。

3.塔  0門1塔

   3市門は、交通障害のため19cに全部壊された。
 泥棒塔 WestTermerstuebchen (16c) ニコライ教会の4階建の四角い西塔は、高
   さ36mで132段の階段を上がると塔守の部屋があり、家族の生活が覗ける。この
   部屋の眺めは素晴らしく、この部屋での結婚式は100ユーロでできる。

4.見所  C

   赤ずきんちゃんの町として、おとぎ話の家もあり、まだ年配女性は民族衣装を
  着用している。マリクト広場とその周辺の歩行者ゾーンは美しく修復された木組の建物
  が立ち並んでいる。
 聖ニコライ教会 St.NikolaiKirche (1142) ハースフェルト修道院の文書に言及された。数年後
   に後陣が建てられ、1350頃都市権が授与されて、左右対称2身廊と塔の下に後
   陣が付けられた。1497に3階建ゴシックの拡張と再形成され、南戸の上に年号が
   刻まれている。1526ヘッセン改革導入以来強力な防衛塔が構築された。
 郷土博物館 Heimart Museum (1768)木組の旧ラテン語学校に、街の歴史・古い教
   室・先史収集物・製粉所・石工作業場・シュバルムの衣装等を展示。
 おとぎ話の家 Maerchen Haus (16c)3階建の木組の建物に150年前から、お
   とぎ話の場面やおもちゃを見せている。

5.写真

市庁舎 ニコライ教会
北市壁 東市壁
東南市壁 南市壁

戻る

戻る

ノイシュタット(ヘッセン) Neustadt (hessen) HE69

1.歴史

 1250 ツイハーゲン家ニーダ伯がノイシュタットを創設、  1270-71 ニーダ伯は城を建てた、
 14c この町はヘッセン方伯とツイーゲン伯爵領地の真中にマインツの飛地として横たわった、
 1294 ニーダ伯は城と町と事務所をマインツ大司教区へ、1464 町は質入れを拒否した、
 1500 オーバーヘッセンの領主の死後ニーダーヘッセン(ヘッセン・カッサル)へ統合、
 1802-03 町はヘッセン・カッセル方伯領となり、旧選帝侯領を統合した、
 1806-13 ヘッセン・カッセルに属しナポレオンのヴェストファーレン王国の行政の場であった、
 1866 プロイセンの一部となった。

2.市壁  0.06km 0.11

   中世の市壁は殆ど残っていない。

3.塔  0門1塔

 ユンケル・ハンセン塔 Junker Hansen Turm (1480) 2階建石造円塔の上2階は木造で、世界
   最大の木枠構造である。直径16m高さ50mの大きさで、外側に多くの小尖塔のあ
   る屋根が付いている。軍の建築家により、市壁の要塞塔として建てられた。
 旧モンベルク門 Ehem.Momberger Tor (13c) アルスフェルト方向の市門として付随す
   市壁があったが、1830門は取り壊された。

4.見所  C

   周囲500mばかりの小さな町で、木組の家が混在している。市庁舎と塔が有名
  である。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (13c) 町の創設時からの基礎の上に建てられた2階建の木
   組の建物で、1950まで市庁舎として使われた。
 市庁舎 Rathaus (1260) 元城として建てられ、16cには拡張された。豪華な修復が行
   われた3階建上階木組の建物は、1950から市庁舎に使われている。
 カトリック教区教会 Kath.Pfarr Kirche (1506) 焼けた聖ヨハネ教会の基礎の上に建てられた。
   宗教改革でカトリックとプロテスタントの双方の礼拝の場となった。戦災会い部分的に破壊
   されたが再建され、西天守閣が建てられた。
 ブルジック (1545) Reinhard Schenek Zu Schweinsbergの城跡に2-3階建石造上階木
   組の複合建物が建てられた。
 ブルジック・ラーヘナウ () 中央から来たヘッセンの貴族で3階建木組の建物を建て、ラーヘナウの城代
   が住んだ。
 リンシンゲン城 Burg Rinsingen () 元リンジンゲン家の城として2階建の木組の建物が建てら
   れ、その後他の貴族が住んだ。
 エルン・テヌスに家 Ern Tennes Haus (1700) 2階建木組の建物で、一つの屋根の下に居住区
   域と納屋区域が一体化されている。
 小学校 Schule (1890)この町で最初の大きなレンガ造の建物で、木組の建物が付けら
   れ、長年にわたって学校として使われた。

5.写真

市庁舎 旧市庁舎
教区教会 スンカーハンゼン塔
南市壁 北西市壁

戻る

戻る

ニッダ Nidda  HE70

1.歴史

 1104-1206 ニッダ伯爵の治世にフルダの代官となり城を築いた。
 1206-1450 ツイ-ゲンハイン伯爵の治世、    1273 ニッダは町として記述された、
 1311 ニッダの都市特権をツイ-ゲンハイン伯爵が確認、1450 伯爵の死後ヘッセン方伯領へ、
 1604 ニッダはヘッセン・ダルムシュタットへ、水城はルネッサンスの宮殿へ、
 1622 30年戦争で大被害、       1756-63 7年戦争で仏軍の占領被害、
 1806 ヘッセン・ニッダ大公国の創設、      1822 ニッダに郡庁舎が置かれた、
 1848-52 行政改革で短期間城に地区事務所、1852 ニッダ郡の新設、
 1870 ゼーリンゲン郡に併合された。

2.市壁  0.04km 0.07

   14cの市壁は北の市図書館の北に残るのみである。

3.塔  0門1塔

 ヨハニッター塔 Johanniter Turm (1491) 8cのヨハニッター騎士公管区の残りである。この塔
   はその後のヨハニッター教会のロマネスクの身廊に1491に建築された。塔には古くて美し
   い3つの鐘がある。1780教会は最終的に破壊された。

4.見所  C

   マルクト広場には、前面切妻木組の2-3階て美しい建物が並んでいる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1811) 3階建古典主義の寄棟屋根の飾り気のなのない鐘楼
   のある建物。地階には3アーチが並ぶ。1982新市庁舎が宮殿通に建てられ移転した。
   
 ニッダ宮殿 Schloss Nidda (1104) ニッダ侯爵ベルトルトは水城を築いた。1450ヘッセン方伯の
   所有となり、16c中にルネッサンスの城が建てられた。その後城は行政区や郡の事務
   所を務め、1874解散され、地方裁判所となり2010迄使われた。
 旧町の旅館 Ehem.Stadtwirtshaus [ZumSteru] (1632) マルクト広場にある印象的な3階
   建上階木組の切妻屋根の建物で、町のゲストハウスであった。隣の市庁舎が1811に古
   典主義で建て直され、1983迄使われた。今は旧市庁舎と旧町の旅館は歴史博物
   館となっている。
 市教会聖霊 StadtKirche Zum Heiligen Geist (1321) ヘッセン最古のホール教会は礼拝堂と
   して建てられ、1615-18にルネッサンスで建て直された。完成後まもなく、塔と教会の
   石工の部分は更新せざるを得なかった。
 古い病院 Altes Hospital (1680) バロックの豊かな装飾の全木組の2階建の大きな建物
   は、文化遺産である。
 住家 Wohnhaus (17c) 3階建切妻屋根全木組の美しい建物。

5.写真

旧市庁舎 市庁舎
マルクト広場 マルクト広場
市教会聖霊 北壁

戻る

戻る

ニーデンシュタイン Niedenstein  HE71

1.歴史

 1254 ニーデンスタイン城を初言及、        1259 ニーデンスタインの新町の設立、
 1554 400人87所帯が居住、1578方伯ヴィルヘルム4世は年2回の市場開催権を付与、
 1631 30年戦争の略奪と焼払い       1648 戦後住んだのは4人だった、
 1807-13 ナポレオンのヴェストファーレン王国に属す、    1834 住民は630人だった、
 1880 人口の22%はユダヤ人が住んだ、 1775-83 アメリカ独立戦争に兵士が参加、
 1816 ヘッセ・ナッソーはプロイセン王国に併合、           1939 住民630人。

2.市壁  0km 

   旧市街地を取り巻くWall通辺りに、防御施設が在ったと思われるが、
  見当たらない。土堤で守ったかも知れない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  B

   山腹の斜面に小さな町が静かに佇んでいる。自然探索の基地の町。
 市庁舎 Rathaus () 旧市街の外に立つ屋外両階段の高い石基礎の2階建木組の建
   物で、屋上にコウノトリの巣台がある。
プロテスタント市教会 Ev.Stadt Kirche (1777) 塔のある小さなネオゴシックのホール教会で、
   1830のオルガンがある。
 ニーデンスタイン城 Burg Niedenstein (1728) コンラッド2世が城を建て、1387マインツ大司教
   アドルフ2世は軍隊で城を破壊した。その後部分的に再建されされたが、放棄さ
   れ1631には完全に破壊され、何も残っていない。
 市博物館 Stadt Museum ()町の歴史的な発展経過を展示。

5.写真

市庁舎 市教会

戻る

戻る

オーバーウアゼル Oberursel  HE72

1.歴史

 791 ロルシュ修道院の文書に男爵寄付の言及、   1444 男爵は都市権を付与、
 1446 市壁の完成、1481 東市壁の拡張、 1535 シュトルベルク侯爵の支配下へ、
 1557 ヘンリックスが印刷会社を創立、  1581 マインツ選帝侯の郡となり反宗教改革、
 1622.45 30年戦争で2回の略奪と焼払い、 1803-06 世俗化でオーパーウルゼルへ、
 1866 プロイセンに併合された、1858 綿貿易工場の設立、1945 米軍占領ヘッセンへ、
 1837 住民は610人、 1880 人口の22%のユダヤが住んだ、 1939 住民630人、
 1975 旧市街の修復を開始。

2.市壁  0.13km 0.11

   1446の市壁完成後に町は発展し、1481東側の谷へ約3倍の広さを囲んで
  新市壁を設置した。古い市壁の部分にわずか残る。

3.塔  0門0塔

  見当たらない。

4.見所  B

   1970から崩壊しそうな建物の復元が行われ、絵のような中世の家並みが
  再現されている。毎年復元住宅の中で優秀な建物を選んで表彰している。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1479) 新市街のマルクトに面して、地階アーチ上階木組の市
   庁舎が建てられ、30年戦争で1622に焼失し再建したが、町と共に再び焼失
   した。1659縮小して再建され、階段の下には20人の拘置所が置かれた。17
   02日時計が付けられた。1933-24に修復され、評議員室は町の催物や結婚式
   場にも使われた。南東の市壁外に新市庁舎は1985に移転した。
 教区教会聖ウアゼル Pfarr Kirche St.Uraula (876) 聖アウルステ修道院が言及され、
   1160-80に教区教会を建てた。鐘楼には4つの鐘がある。
 病院教会 Hosoital Kirchen (1728) カトリック病院の教会は、マインツ大司教によって聖
   バーバラに奉献された。
 フェアタウヌス博物館 Vertaunus Museum (1500)ケルトの初期からの歴史として小城や砦
   を展示している。1500最古のアーチ天井のセラーがある。1705この不動産を購入し
   18cには長い建物が建てられ、19cには旅館や石鹸製造所に使われ、1826醸造
   所が中庭の南西部に建てた。1912町が購入し博物館にした。
 バロック宮殿 Pfeiff Barok Plais (1722) 石造腰折れ屋根建物の建物は裁判所評議員
   Pfeiffの家として建てられ、後にゲストハウス、今はレストランである。
 宿屋:鷲 Gasthaus Zum Adler 2階建・屋根に小切妻のある大きな建物。
 下工場 Unter Muekle (1538) 2階建の不規則な屋根の工場で、石工工場とも呼ば
   れ、1962まで稼働した。今は住宅。
 旧病院 Altes Hospital (1668) 2階建の木組の建物で、市民団体が建てた。1851
   増築され1976改装された。
 旧学長の家 Ehem.Rektonathaus (17c) 2階建木組の家で、1820まで学長の家と
   ラテン語学校であったが、今は住宅である。
 住宅と納屋 Wohnhaus und scheue (17c) 2階建切妻屋根の木組の家。
 館施設 Hof Anlage (1656) 30年戦争後に建てられ、その家族が所有した。家は
   18c以来大きな変化を受けていない。2013に改装された。
 ウルゼル川の水車 Muehlen am Urselbach () タウヌス山からフランクフルトのニーダ川までの
   11.4kmに42ヵ所の水車があり、今でも20基の水車小屋が建っている。
   この動力で各種産業が動いた。水車巡りのパンフレットがある。

5.写真

市庁舎 病院教会
マルクト広場 アッカー路地

戻る

戻る

オルテンベルク Ortenberg Oberhessen HE73

1.歴史

 10c グラウブルク辺境伯領のオルテンブルク裁判所設置、 1166 地元貴族の支配、
 13c 城が建てられ、都市権と市場権を付与、1266 市民が証明され、市壁建設、
 13c末 町は市壁と門・塔の完成、  裁判所の管区、  3人の領主の共同統治、
 1422 町の会計にKalteMarktが出現、  1601 共同統治から分裂した、
 1634 30年戦争で町と城は破壊された、1736 ハウナウ侯爵の死後ヘッセン・カッセルが継承、
 1622 30年戦争で大被害、     1756-63 7年戦争で仏軍の占領被害、
 1810 ヘッセン大公国に属し、1832ニッダ郡に含まれた、1842 門と架構は除去された。

2.市壁  0.53km 0.61

   13cの市壁は主として北東に残っている。

3.塔  1門0塔

 上門 Ober Tor(1266) ゴシック4階建四角錐屋根の角塔で北東の山頂に位
   置し、接して市壁がある。

4.見所  C

   山腹の斜面にまちがあり、最上部に城と教会がある。18cからの多くの木組
   の建物が旧市街地に存在する。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1500) 2階建上階木組切妻屋根の角鐘楼付きの
   建物が階段の上に立っている。1605-08に壊され、1980に復元された。
 オルテンベルク城 Burg Ortenberg (13c) 1624-27に城は再建されたが、30年戦
   争で壊され、1775に古典主義で再建された。
 新教教区教会聖マリア Ev.Pfarr Kirhe St.Marien (13-14c) ゴシック3廊のホール教会
   で、1368塔・1385-1450身廊に建てられた。花の天井画、15c3部構成の祭
   壇画(本物はダルムシュタット地方博物館に展示されている) 。

5.写真

市庁舎 旧市庁舎
マルクト 上門
円塔 南西壁
南東壁 東北壁
西壁 西壁

戻る

戻る

ラウシェンベルク Rauschenberg HE74

1.歴史

 1260 フルダ修道院の城を建てた、       1266 火事で集落はほぼ全焼、
 1266 ツイーゲンハイン伯爵は憲章を授与し町を再構築、 1450 ヘッセンの郡に含まれた、
 15c 城は狩猟用ロッジに拡張、      1594-97 伯爵の城となり拡張された、
 1639 30年戦争でスエーデン軍が略奪、             1649 城を破壊、
 1806-13 ナポレオンのヴェストファーレン王国の統治本部が置かれた、1932まで地方裁判所、
 1971 ヘッセン州の改革で町は合併。

2.市壁  0.19km 0.35

   古い連続背面アーチの高い市壁は、町の南西に残っている。

3.塔  2門0塔

 宮殿門 Schloss Tor 北、アーチの上に石造1階建が乗った簡素な門。
 クラフト門 Kraft Tor 裏側アーチの市壁に、出入りの門が開けられた。

4.見所  C

   市庁舎周辺の旧市街地には数百年前の多くの木組が立並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (14c) 3階建木組切妻の建物で、屋上に大きな鐘楼とコウノトリの巣
   台が乗っている。
 市教会 Stadt Kirche (13c) 最も古い部分は13cの西側の地下部分である。1450
   ゴシックの内陣を含めて延長された。ゴシックの祭壇画・15c北壁の三日月母子像
   は有名。
 大司教館 Metropolitanei (16c) 市教会の下の斜面に、3階建木組の大きな旧牧師
   館の建物がある。
 城家来の家 Burgmsnnen haus (16c) 18cまで城の家来の居住地であった。6窓軸
   の大きな建物でコーナーには、2-3階に出窓がある。裏側には2階建と3階建の建
   物が立っている。
 ラウヘンベルク城 Schloss Rauschenberg (11c) 1271伯爵の死後は未亡人が住んだ。14
   50ヘッセン方伯が所有し、狩猟ロッジとした。1594-97ヘッセ伯の城となり拡張された。
   1639スエーデンが占領し1646に破壊された。1830放置され、僅か建物の基礎が見
   える。
 旧林務官事務所 Alte OberFoerstorei () 2階建の木組の建物に納屋が付いている。
   

5.写真

市庁舎 市教会
林務事務所 宮殿門
クラフト門 西市壁
南西市壁 南市壁

戻る

戻る

ライシェルスハイム Reichelsheim  HE75

1.歴史

 817 入植地として初言及、           中世後期 ハウナウ貴族の支配、
 15c 堀・壁・塔で町は守られた、1566町はナッソーの飛地でヘッセンダルムシュタットに囲まれた、
 16c その後町はナッソー・バイルブルク伯爵領に属した、   17c 30年戦争で町は崩壊、
 1627 疫病が再流行、         1653-59 魔女裁判で58人が処刑された、
 1665 伯爵フリードリッヒは都市権を買取り、 1668新しい都市権を授与した、
 1787 ライフェルスハイム事務所が町に置かれた、   1866 ナッソーはプロイセンに併合された、
 19c 事務所はヘッセン大公国に追加され、ヘッセン・フライベルク郡に位置付けられた。

2.市壁  0.05km 0.06

   15cには町は市壁と堀に囲まれ、市門と7壁塔で守られた。今は殆ど市壁は
  は見当たらない。

3.塔  1門3塔

 西門 Westlische Tor(15c) 西に石積アーチ門があり、近接してコウノトリ塔がある。
 コウノトリ塔 Storchen Turm (15c) 西に石造4階建の大円塔で屋根がない。
 防御塔 Wehren Turm (15c) 東南隅に屋根のない円塔がある。
 魔女塔 Hexen Turm (15c) 東北隅の屋根のない円塔である。

4.見所  D

   木組の建物は残っているが、特徴のある家は見当たらない。
 市庁舎 Rathaus (1578) 2階建腰割れ屋根の建物で、6角形の階段塔がある。
 教区教会聖ラウレンティウス Ev.Pfarr Kirhe St.Laurentius ()

5.写真

教区教会聖ラウレンティウス 東北壁・魔女塔
防御塔 東壁

戻る

戻る

ロッケンベルク Rockenberg HE76

1.歴史

 1191 城中心の村を初言及、         1317 貴族ベルサーハイムは村を建設、
 15c 村が強化された後に城を拡充、 1525 ミュンツエンベ゙ルクからヴァルケンシュタインへ移る、
 1537 シュトルベルク伯爵のケニッヒシュタインへ所属、 1581 マインツ選帝侯にロッケンベルクは属した、
 17c まで城主は何回も変わった、城に詰所・馬小屋を増築、
 1803 ナポレオンはマリエン修道院を世俗化、   1806 町はヘッセン・ダルムシュタット大公国へ、
 19c 城にはヴィーセンフュッテン男爵が1915迄住んだ、 1811 元マリエン修道院は刑務所に、
 1945 3月空爆、4月米軍占領。

2.市壁  0km 

   道路網から旧市壁の位置は推定できない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus () 2階建腰折屋根の大きな石造の建物、地階アーチ門が左端にある。
 旧マリエン城修道院 Ehem.Marien Schloss Kloster (1338) 旧シトー派の修道院
   ロックとロココで再建された。マリエン教会と主門付の修道院で、女子修道院で、1749バ
   設立時の建物が残っている。
 牧師館 Pfarr Haus () 2階建。
 旧プロテスタント教会 Ehem.Ev.Kirche (1908) 旧墓地の教会で簡素な切妻の教会に、屋根
   の端の鐘楼がある。
 マリエン薬局 Marien Apothke () 2階建石造切妻屋根の建物。
 城と旧会計局Schloss und Ehem.Rentamt (1191) 1317住宅が建てられ、15c村の要塞
   を含め拡張、17c一時放棄されたが、18c改築して会計局となった。1719マインツ
   選帝侯のワイン醸造所が城の中に建てられた。
 旧旅館:星 Ehem.Gasthof Zum Stern () 中庭の大きなアーチ門の西に2階建切妻屋根の
   旅館がある。
 住居 Wohnhaus () 2階建の美しい切妻の木組の建物。
 カトリック教会聖ガルス Kath.Kirche St.Gallus (1754) 4小塔が乗った中世風な塔がある。

5.写真

 
市庁舎 城壁・旧会計局
教会

戻る

戻る

ロスドルフ Rossdorf Amoeneburg市内 HE77

1.歴史

 12c マインツ大司教は山に要塞を築いて周辺支配、  17c 30年戦争で数回略奪、
 1621 ヴォルフェンビュッテルが占領し防御修復、1640帝国軍が 1646 スエーデン軍が征服、
 1756-63 7年戦争で仏軍が占領支配、      1803 ヘッセン・カッセル郡となった、
 1866 プロイセンが併合。

2.市壁  0.17km 0.09

   教会を取巻く古い壁がある要塞の村であった。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   アメーネブルク市内の南西にある村であり、バロックのカトリック・マリア降誕教会が、創設
  275周年を迎えた。
 マリア降誕とヨハネ教区教会 Kath.Pfarrkirche MariaGeburt und Johanes der Faeufer
    (732) 教会の周囲は古い壁で囲まれ要塞教会であった。1732バロックに改装され
   た。1762仏は7年戦争で多くの墓を建てた。
 旧学校 Alte Schule (13c) 2005に再建された。24地区のカトリックの衣装のコレクションがあ
   る。

5.写真

戻る

戻る

ローテンブルク Rotenburg a. Fulda HE78

1.歴史

 769 ハースフェルト修道院にアボットが贈与、1074 ヘンリー4世はサウソン人に対し軍隊派遣、
 1150 山にローデンブルク城の建設、1180-30ルードビッヒ方伯は市場・鋳造・税関権を付与、
 1212 オットー4世は町を破壊、   1219 町は都市の全権利と義務を文書で言及、
 1290 町は市壁と門を更新、   1340 新しい町を独立した自治体として創立、
 1478 大火災で町・城は焼けた、1570 方伯ヴィルヘルム4世は宮殿に南翼・厩舎を増設、
 1601 堰を設けフルダに舟運開始、       1607 旧市壁と新市壁を結んだ、
 1627 30年戦争中に君主の住居となった、  1648 人口は男54人女18人に減少、
 1750 コンスタンチン方伯は宮殿をバロックで再建、    1859 637人の住民が住んだ、
 1945 鉄橋破壊、米軍進駐。

2.市壁  0.30km 0.50

   12-13cの市壁は 主として西と東側に残っている。

3.塔  0門2塔

   かっては4門6塔があったが、2塔は残っている。
 魔女塔 Hexen Turm (13c) 東、3階建五角錐屋根の円塔で、一時刑務所として
   使われた。1668塔の中に1年間最後の魔女が住んでいた。囚人は床の穴を
   通じてロープで降ろされた。
 市民塔 Buerger Turm (13c) 魔女塔と同じ構造で同じ用途に使われた。
 上門 Ober Tor (1200) 1290に改築されたが1830に壊され、今は市壁に説明
   板があるだけ。

4.見所  C

   古い市街地である北西部に対して、1340南側に新市街地が創設され、個別
  に統治された。1687双方が一体化された。フルダ川沿いの3階建の木組の建物は
  見事である。
 市庁舎 Rathaus (1597-98) 古い建物に代わって3階建の市庁舎が建てられた
   が30年戦争で完全に焼失し、1637木組切妻の庁舎が建てられた。その後
   ルネッサンスのポータルとなり、2重バロック階段が付けられた。
 ローテンブルク宮殿 Scholes Rotenburg (1470) 方伯ルードヴィッヒ2世はBurgの近くに
   ロマネスクの宮殿を建て、1478に焼けすぐ再建された。 1570-1607に新たに
   南翼と厩舎など付属建物と宮殿公園を建設した。1790には再構築された。
 聖エリザベスとメアリー教区教会 Pfarr Kirhe St.Elisabeth und Marien (1371)新市街
   のエリザベス病院に、1371-79の最初の教会から2合唱団・塔の下部・2身廊のベ
   ース壁が残っている。1484-1501の次の教会は3身廊の教会ホールがたてられた。
   1651の方伯の墓は北塔の1階にあった。1822-92に西の半円形後陣・高架南
   塔・ゴシックリバイバルの教会ホ-ルが建てられた。
 フルダ川の堰 Fulda Wehr und Schleuse (1600) ヘッセ・カッセル方伯モーリッツは堰と水門
   を構築して、1601からフルダへの舟運を開始した。発電所やロックもある。
 王宮厩舎 Marstall (1612) 1619には早くも木組の改築が行われた。簡素な
   2階建の砂岩ルネッサンスの門が付き、馬小屋・公爵事務所・職員住宅があった。
 宮廷薬局 HofApothke (1684) 3階建の大きな木組の薬局は、1776宮廷薬局と
   改名した。

5.写真

マルクト広場 教区教会
上門の壁 魔女塔
市民塔 西壁

戻る

戻る

リューデスハイム Ruedesheim am Rhain HE79

1.歴史

  983 ヴェロネ-ゼの寄付でマインツ大司教が支配、 1074 ブドウ栽培と木材ラフティング、
 14-15c 戦いが無くワイン販売と舟運で繁栄、 1803 マインツ選帝侯からナッソー公国へ、
 1818 都市権の授与、         1867 プロセンが併合して地区の中心へ、
 1877-83 山頂にニィーダーヴァルト記念碑建設、    1944、2次大戦の空爆で被害、
 1977 自治体改革により周辺を合併、      2002 ユネスコの世界遺産に認定。

2.市壁  0.06km 0.01

   15-16c円型の市壁の壁は、LoehrStrasseから西へSteinGasseに拡張された。
  西Klumkhards hofの東壁は古い市壁を使用。 北RingMauerに市壁の跡。

3.塔  0門1塔

 鷲塔 Adlerturm (15c) 後期ゴシックの旧市壁の角塔で高さは20.5mある。地下に牢が
   あり上部開口部からのみアクセス可能であった。前世紀には旅館「ツム・アドラー」と
   して使われ、ゲーテも宿泊した。

4.見所  B

   ワインの町リューデスハイムにはツグミ横丁に代表される賑やかなワイン酒場があり、
  山頂のニーサーヴァルト記念碑やロープウエイからのライン川の眺めは素晴らしい。
 リューデスハイム館 Rudesheim hof (19c) OberStrasseにはフランケンホフ・リッターホフ・ベッゼンハイマーホフ
   などの農場がある。貴族の屋敷として最も美しいのはBroemserHof(1292)であ
   り、ゴシックの礼拝堂や壮大なフレスコ画の広間がある。今は機械的楽器の博物館で
   多くの古い音楽機械がある。
 クルンクハーズ邸 Klunkhards Hof (16c) 美しい2階建の木組の家で、大規模な後壁は古
   い東市壁である。この建物は旧修道院長が、後にはクルンクハード家が所有し、この
   町の古い最高級の建物である。
 ブレムザー城 Broemaer Burg (10c) 以前はライン川近くに位置し、ライン中流で最古の城
   であった。12cマインツ大司教が取得し、2m以上の厚い壁とアーチで強い城を造った。
   1803大司教が売却し1937まで住居であった。1941町が買い取り、ラインガウ・ワイン
   博物館として豊富な収集物を展示している。
 ボーゼン城 Boosenburg (9c) ロマネスクのタカサ38mの四角い塔だけが残る。この城は個人
   所有のワインセラーで公開されていない。
 エーレンフェルス城跡 Burgruine Ehrenfels(1220) 町の南のワイン畑の中に、通行税を有利
   に取るためにマインツ大司教が建設し、1689に仏軍に破壊された。
 ネズミ塔 Maeuse Turm (10c) この町とビンゲンとの間の中洲にマインツ大司教によって
   築かれ、上流部を見張って通行税を徴収した。仏軍に破壊されたが、1855
   プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世が再建した。黄色いナズミ塔は1935まで舟航通
   信所所として使われた。
 ニーダーヴァルト記念碑 Niederwald Denkmal(1877-83) 皇帝ヴィルヘルム1世により独仏戦争
   (1870-71)後のドイツ帝国の再確立を象徴する記念碑を建てた。女神像は右
   手に帝国の王冠、左手にゲルマニア帝国の剣を持って頂上に立つ。
 カリヨン Glocken Spiel(1684) ドロッセルガッセ城の塔から毎時鐘が聞こえる。元のマイセン
   磁器の鐘は半時間毎に鳴らされる。
 聖ヨハネ教会 St Johannis Kirche (14c) マルクト広場にブレムガーによって構築された。19
   44空爆で全壊し、1953ライン地方ドライ石積で再建された。中には中世の貴族の墓石
   に肖像画がある。
 中世拷問博物館 Mitte;alterliches Foltermuseum 中世の法の歴史とドイツ魔女狩に
   付いての展示がある。
 つぐみ横丁 Drossel Gasse 144.5mしかない路地に、古風な家が軒を並べ、ワインの
   造り酒屋とレストランが連なり、大勢の人々で立て込んでいる。
 ホテル・リンデンヴァルト hotel lindenwirt (1610) 3階建でAmeselStrasseを跨いで建てら
   れ、中央の階上に時計がある。中にはワインの大樽で造られた部屋。

5.写真

ツグミ横丁 ホテル・リンデンバート
鷲塔 クルンクハーズ邸

戻る

戻る

ルンケル Runkel HE80

1.歴史

 1159 封土文書で貴族ジークフリート・ルンケル言及、      1230 城に礼拝堂を設立、
 1288 家族紛争の後に領地分割、           1440-48 ラーン橋の建設、
 1543 客としてヨハン4世を城に住まわせた、       1568 宗教改革の導入、
 1622 家族分裂で領土と城から弟を追放、   1634 30年戦争で町と城は破壊、
 1649 城の住宅棟を再建、          1791 最後のヴィート・リンケルの家系、
 1796 町に仏革命軍との戦いが及んだ、         1806 ベルク公国に帰属、
 1806 ウイーン会議でナッソー公国へ、        1824 ヴィート・ルンケル家の支配は終焉。

2.市壁  0.0km  0.0

   城壁は有るが、市壁は見当たらない。記録には:1270市壁の外に共用水車を
  建設したとあるので、市壁は1270以前に築かれたらしい。

3.塔  0門0塔

   市壁の門塔はないが、城門・城塔はある。新教教会の鐘楼は、昔の市壁の塔が
  使われている。

4.見所  C

   ラーン川を渡ると岩山に上に城がそそり立っている。坂を登ると小さな城広場が
  あり建物が取巻く、通りには17-18cの古い木組みの家が並んでいる小さな町。
 ルンケル城 Burg Runkel (12c) 14c拡張され、1634に30年戦争で壊されたが再建され、17
   18ヴィート侯爵の所有になった。城門は二つの円塔を繋いだ形で入口を固め、新教城
   教会の鐘楼は1634と1700に焼失し、1725に付けられた。
 市庁舎 Rathaus (1883-87) プロイセンの郡裁判所として建てられ、1966市庁舎となった。
 旧市庁舎 Alte Rathaus (1596) 城広場に、ヴィート・ルンケル伯ヴィルヘルム4世が建て後に宮廷医
   師の事務所となった。1634の火事の後1691に医師事務所が再建された。1787-19
   65町役場として使われ、今は個人所有である。
 十分の一税納屋 Zehnthaus (19c) 城広場に十分の一税の事務所と倉庫の大きな建物が
   のこり、今は消防署とクラブハウスがある。
 新教教会 Protestantische Kirche (1641) 1511の構築され、1634焼失し、その場所に
   新教の教会が建てられ、時計付の鐘楼は古い璧塔が使われた。

5.写真

ルンケル城 城壁

戻る

戻る

シャーフハイム schaafheim HE81

1.歴史

 817 フルダ修道院の品物リストに初言及、    中世 ハーゲン・ニュツエンベルク家が支配、
 1326 フルダ修道院長は村の一部を、世襲封土としてハウナウのウルリッヒ2世に授けた、
 1368 皇帝カール4世は町に都市権を授与、町は市壁で四角に守られた、
 1404 プファルツ王アルブレヒトは都市権を確認、  1458 ハウナウ領の分割でハウナウ伯爵領に、
 1618-48 30年戦争で略奪・破壊・疫病、          1648 都市権を喪失、
 1736 ハウナウ伯爵の断絶後、方伯フリードリッヒ1世相続、 1806-20 ヘッセン大公国に属した、
 1832-1938 クライス・ディーブルクへ、              1938 ディーブルク郡へ。

2.市壁  0.20km  0.28

   15-16cの市壁は、北の城の付近のシュロス・グラーベンと西のツルム・ガッセに抜け穴のあ
  る市壁があり、1991には一部復元された。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   旧市街地には、市庁舎を中心に多くの木組の建物がある。
 市庁舎 Rathaus (1684) 30年戦争で15cの市庁舎が焼失し、2階建上階木組の鐘楼付き
   の市庁舎に建て替えられた。
 旧プロテスタント教区教会 Ehem.Ev.PfarrKirche (1515) 地下部分はその前の1272の建物から
   来ている。1545宗教改革の導入。1570町で最初の学校として使われた。
 プロテスタント教区教会 Ev.Pfarr Haus (1839-41) 新古典派の簡素な建物である。
 シャーフハイム宮殿 Schloss Schaafheim (14c) 最初の城には裁判所と絞首台があった。1404
   拡張されハウナウ伯爵の住居となった。30年戦争で壊され1625迄は住んだが放棄された。
   城の遺跡は物見櫓や兵舎として使われた。19cに2塔と外壁が残った。刑務所と事
   務所として使われ、1820事務所の廃止で1825には取り壊された。
 旧聖歌隊管理者の家 alte Schalgushaus (1601) 高基礎の上の2階建木組の家で、切妻が
   美しい。
 夏の家 Garten Haus (17c) 2階建木組の建物で、前面に石積がある。
 農家 Bauern Haus (1500) この町で最古の建物で、2階建上階細かい木組の建物。
 農家 Bauern Haus (16c) 2階建マンサード屋根の全木組の建物。

5.写真

市庁舎 西市壁

戻る

戻る

シュリッツ Schlitz HE82

1.歴史

  812 ヘッセン・シュリッツの城として初言及、 1404 領主はフルダ僧院を設立、
 1546 宗教改革と30年戦争の後にフルダに、1677 帝国直属となり、1726帝国伯爵に、
 1806 セッセン・ダルムシュタットの領地になった、 1823 リネン産業は栄え176の織屋があった。

2.市壁  0.30km 0.57

   丘の上に、城・教会・市庁舎・貴族の館があり、石積が周囲を囲んでいる。昔の
  市壁は、壁上通路と稜堡を装備し、水を満たした外堀があった。町の住民は集落に
  分離され、集落は壁や包囲罠を配置していた。その後戦術の変更に伴い、防備施設
  の重要性を失って壊され、一方都市権に伴う市場の拡大が求められた。

3.塔  2門1塔

 上門 Ober Tor 城への正門として建てられ、この門は馬車や2頭立てでは通
   れなかった。門の側面端は市壁に造りこまれた。
 下門 Nieder Tor 南坂道の入口門で、今在る砂岩アーチは1930に造られた。1600
   には2つの張出部で守られたツインガーとした。内側ツインガー壁の上に1300醸造所が
   造られ、生産された。
 後塔 Hinter Turm (14c) 城の天守閣として高さ36mの塔が造られ、1906古い
   ひな形に沿って石に蔦を付けて修復された。17cからバロックの側面の蓋が付けられ、
   伯爵の衛兵が詰所として使った。塔はエレベーターで登れるため展望に人気がある。

4.見所  B

   塔のある城が崖の上に造られ、南に接して多くの木組みの家のある旧市街が丘
   の上にあり、ヘッセンのローテンブルクとも言われ、急坂の多い小さな町。
 市庁舎 Rathaus (16c) 16cの石造りの上に後期ゴシックの化粧仕上げの部分がある。
   3アーチの正門と1757のランタンのあるがっしりした屋上小屋がある。市庁舎には市長
   の執務室と大会議室と交通観光局がある。
 新教町教会 Ev.Stadt kirche (816) 昔の聖マルガレータ教会であり、3身廊のロマネスク柱バジ
   リカはフルダ僧院長が建て、マインツ大司教が812に聖別した。12c西の四重の船着入口は
   組み入れ、12c塔は嵩上げされ14c八角形になり、17cには30mの高さの塔の頂蓋は
   木製であった。13cシュタウヘン家の中央地下墓所と聖器保管室が造られた。
 前方城 Vorder Burg (1181) 6階建てロマネスク住居棟は、1181基礎が置かれ3階建て東翼
   と同じく中世に建てられた。1600西翼、1812バルコニィと階段塔が付けられた。両翼
   の細長い裏側の建物にルネッサンスの切妻がある。今は郷土博物館と町の大宴会場である。
 後方城 Hinterburg (1493) 元の城壁の一部であった。今の4階建ての建物は1561-65
   に建てられ、1647に改造された。ルネッサンス様式の建築集団が施工し、壮麗な破風と
   八角形の木組み構造の階段塔で飾った。この城は歴史の過程で多くの用途となっ
   たが中央の建物は1950までゲッツ伯爵財団の老人施設であった。
 後方城の住居棟 Wohnbau der Hinterburg (1553) 住居用建物は1553後方の階段塔と共
   に建てられた。1653木造の床は更新された。
 シャヒツ城 Schachtenburg (1557) ヘッセン軍事顧問の未亡人が建て、17c砂岩の地階に2階建
   の南棟が付けられた。
 オットー城 Ottoburg (1653) 中世の城壁の上に建てられたバロック前面の石造の建物で、昔の
   城壁は地下室に見分けられ、床に石の記念額があり、製造年と製作者が分かる。
 ハレ城宮殿 Schloss Hallenburg (16c) 侯爵が居住する2階建ての石造宮殿。耕地上の防
   備されたハレ荘園にあり、16cに拡張された。1706-12フランスの建築家による腰折屋根の
   バロック宮殿が建てられた。1755火災になり1800新しい階を乗せて改築された。1954
   オットー伯爵は城を町に贈った。
 貯蔵所 Benderhaus (1600) 領主の花床と貯蔵所として開設され、公課や農産物が貯蔵
   された。1820まで十分の一税を取り立て、2次大戦後には一部住居に改造された。
 醸造所 Brauerei Haus (1585) 1585設立のビール工場は門付の石造の地階に木組みの上階
   が乗る建物で、1788に改造された。1876に醸造長の住居になった。
 新教司教館宮殿 Ev.Pfarr haus (1610) 木組みの建物の西側が市壁の上に乗っている。
   建設者の教区長はフルダの反宗教改革時に3回も司教職を離れた。1647の穀物倉庫は、
   1926-27教区会館に改造され、1977には新教教区センターに改造された。
 赤いシリングの家 Rot-Schilling Haus (1772) 亜麻布織と通商で裕福な市民であるシリング
   家が建てた樫の木組み家で、コケラ葺き化粧付となっている。この豊かな家系は、赤・
   青・白の3系統で18-19cに存続した。
 大雷鳥醸造所 Auerhahn Brauerei (1725) 大雷鳥醸造所は1585別の場所で創立され1725
   に新しい中央醸造所を小川水車の跡に建てた。
 高い家 Hohes haus (17c) 居酒屋。

5.写真

 
市庁舎 フォルダー城
後塔 東壁
木組家

戻る

戻る

ゼリングスタット Selingstadt HE83

1.歴史

 815 アインハード修道院寄付証書に初言及、 1000 ベネディクト修道院は40の収入源、
 1028 カトリック教会が市場を開設、    1063 マインツ大司教アンリ4世が修道院を所有、
 13c 皇帝バルバロッサは都市権を与えた、   1346 9都市でマインツ新都市連盟設立、
 1527-28 大司教命令で自治体の解散・権利制限、1631 修道院は略奪・破壊された、
 1803 世俗化で修道院は解散し事務所はヘッセン・ダルムシュタト大公国へ、
 1832 ゼリンゲン・シュタット地区はオッフェンバッハ地区へ編入。

2.市壁  0.34km  0.33

   12cの市壁は、15cに拡脹強化された。Wallとmauer通に市壁の残りがある。
   19cに大部分の市壁は取り除かれた。他に修道院壁590m、墓地壁300mがある。

3.塔  1門3塔

   元は4市門、6壁塔あった。
 スタインハイマー門 SreinheimerTor (1600-04) 4門の内唯一の下門で、4階建アーチ門
   のある角塔で、町側にマインツ大司教の紋章が、外側には1605都市の紋章
   が付いている。
 火薬塔 PurverTurm (1462) 北の隅の2階建塔頂胸壁付きの円塔。
 防塁塔 Bollwerk (1462) 南東の隅の2階建尖塔付きの円塔で、墓地に建てら
   れた。
 切株塔 Stumpfaute (16c) 南西の町中のある。3階建円錐屋根の円塔。

4.見所  C

   旧市街地には、古くは15cからの多くの美しい木組の家がマルクト周辺をとり巻
   いている。
 市庁舎 Rathaus (1823) 新古典の2階建の建物え、大きな四角の鐘楼がある。
 アインハルト聖堂 Einhard Basilika (830) 修道院教会で、11cの初の建物の西双塔に、
   1240中核が建てられ、18c全半にバロック化された。
 旧ベネディクト僧院 Ehem.Benediktiner Abtei (11c) 最古の建設部分は11cの2翼の回
   廊がある。1200釣瓶井戸が庭にある。1730夏の修道院会堂に11cの部分が残
   る。11cの基礎の上の16cの病院、1685の集会所に1750の漆喰塗がある。
   1686旧僧院・1699新僧院・1547粉挽場があり、周囲には570mの周壁がある。
 パラティウム Palatium (1462) ウタウファー・プファルツの宮殿跡で、市壁が含まれる。
 初等国民学校校舎 Erstes Stsedtischs Schulhaus (1703) 3階建の頑丈な建物で
   あるが、床は木造である。学校として建てられた。

5.写真

市庁舎 下門

戻る

戻る

ゾントラ Sontra HE84

1.歴史

 775 フランクの管轄で初言及、      8c ゾントラは都市特権を受け1368に確認、
 1499-1950 銅・コバルトの採掘が行われた、1558 中世の町の中心部は大火事で焼失、
 1623 30年戦争と疫病流行で人口減、    1634 クロアチア人は町の半分を焼いた、
 1639 スエーデン軍、1647 帝国軍が略奪、          18c ユダヤ人が定住、
 1821 町の2/3が火事で焼けた、1936-38 古い銅頁岩採掘が復活し治金工場設置、
 1955 洪水で採算が悪化し治金会社は清算。

2.市壁  0km  

   通りの名前に、Hinter der MauerとかHinter der Waldmauerがあり、市壁
  で囲まれたと思われるが、市壁は見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   町の見所は、3階建木組の家が並んだ中心地と、12cからの市教会・1634再建
  の風格のある市庁舎である。
 市庁舎 Rathaus (14c) 1664に30年戦争で破壊された基礎の上に風格のある2階建
   の市庁舎が建てられた。市庁舎では市議会だけでなく、会議の開催、高等裁判
   所審理、一部学校事業などが行われた。
 プロテスタント市教会 Ev.Stadt Kirche (12c) 最初は守護聖人に因んで聖ジョージ教会と名
   付けられた。今は聖メアリー教会と呼ばれ、1483-93ゴシックのホール教会として再建さ
   れた。身廊は3つのアーチ型ヨークで構成され、合唱団は2つのヨークを持っている。
   外観は赤砂岩の切石で建てられ、力強い屋根を持ち、北側に大きく尖ったアーチ
   入口がある。

5.写真

市庁舎 市教会

戻る

戻る

スパンゲンベルク Spangenberg HE85

1.歴史

 1150 最古の教会を建設、    13c トレッフュートの貴族が支配、
 1235 城の建設開始、町と事務所は発展、  1261 町の指定、市庁舎の着工、
 1309 リップシュタット憲章の都市権付与。  1350 トレフューターは城と町をヘッセンに販売、
 1357 カルメル会修道院の設立、     1421 市庁舎の完成、15c 市庁舎建設、
 1530 ヘッセン・リヒテナウの役所を設置、17c 30年戦争の略奪・焼払、18cリネンの生産地、
 19c 製靴工場の発展、        1821 役所はメルズンゲン郡に含まれた、
 1945 空爆で火薬庫と城は破壊。

2.市壁  0.20km 0.21

   旧市街地は、門と塔が9基ある市壁で囲まれていた。

3.塔0門1塔

 梟塔 Eulen Turm (14c) 唯一残った防御塔は、根本的に改修された。
   木製の階段が付けられ、鍵を借りて眺めの良い展望台に登る事ができる。

4.見所  C

   中世の美しい3階建木組の建物が狭い通りに並んだ景観は見事である。い
   くつかの戸はルネッサンスとロココの網で注目される。
 市庁舎 Rathaus () 屋外階段のある、3階建の四角い建物である。
 スパンゲンブルク城 Schloss Spangenberg (1235) Tfeffurt騎士団は最初の城を北西
   の山頂に建て、1350ヘッセン方伯ヘンリー2世に渡した。ヘッセン方伯は狩猟ロッジとして
   250年にわたって増築した。30年戦争時に方伯ヴィルヘルム5世が完成し、7年戦
   争で仏軍が1回だけ占領した。要塞・戦争キャンプ・刑務所などに使われ、20cに
   は林業学校となった。19452次大戦の爆撃で破壊され、1960ヘッセン州が再建し
   た。今は私所有物として、ホテル・レストランを営業している。
 旧町宮殿 Alte Stadt Residens (1791) リネンの卸売業者ヨハン・ルーカス・シュレーダーが店
   舗兼住宅として建てた。1階はサロン付きポールルームで、2006-08階段改修した。
 教区教会聖ヨハネ Pfarr Kirche St.Johanne (13c) パプティスト・プロテスタント教区教
   会で、13-15cロマネスクからゴシックで建てられた。
 聖エリザベス病院と教会 Ev.Stadt Kirche (12c) 礼拝堂は十字架のフレスコ画が描
   かれ他ゴシックの教会である。守護聖人はチューリンゲンのエリザベスである。
 郷土博物館 Heimart Museum 博物館は城の二つの部屋に収容され、15室366
   m2 に方伯の生活・生活と仕事・鍛冶屋・大工・靴工房・洗濯室等で構成されて
   いる。

5.写真

市庁舎 聖ヨハネ教会
北壁 フクロウ塔
北市壁 教会通

戻る

戻る

スタイナウ  Steinau a.Strasse HE86

1.歴史

  

  900 シュタイナウ周辺はフルダ教会が管理、   1273 マインツ大司教はリーネフ伯に勝った、
 1290 ウルリッヒ1世は町に都市権を授与、    1339 マインツ大司教は世襲封土を主張、
 1458 ハナウ伯爵領となり、ミュンゼンベルク伯爵が支配、 1597 宗教改革の導入、
 1736 ハナウ伯の断絶で町はヘッセン・カッセル伯領に、 1806 ナポレオン軍政下に.1807-10ハナウ侯国に、
 1810 フランクフルト大公国ハナウ県に、       1813 ヘッセン選帝侯国に戻った、
 1866 独・墺戦争後にプロシア領に併合、   1945 2次大戦の空爆で被害。

2.市壁  1.14km 0.76

   14cハナウ領ウルリッヒ2世は、拠点となるシュタイナーのために市壁を建設した。15c急増大する人
   口を収容するため市壁を拡張した。残っているのは、1次市壁700m、残存率0.85と2次市
   壁1.140m、残存率0.76である。

3.塔  0門6塔

   14cの市壁の塔に加えて、1430外側警戒システムとして4Wartを設け、今も部分的に当
   時の姿が見られる。城門はあるが市門は残っていない。見張塔らしき塔が8基見られる。

4.見所  D

   木組みの市庁舎の前のグリム兄弟通りには、木組みの家並とグリムの家があり、丘の上
   の城(グリム博物館)とマリオネット劇場があり、見てみたい。
 シュタイナウ宮殿 Schloss Steinau (13c) 中世の城塞のあった丘の上に、16cイタリア風初期
   ルネッサンスの5角形の砦をフイリップ3世が建設を始めた。閉じられた八角形建物から南翼を開き、
   門塔が付けられた。1525-28西翼ホールや外部装飾・出窓を構築し、1551-53北と東翼は改築さ
   れた。1571階段塔が最後に建てられた。今は、内部はグリム博物館として公開されている。
 厩舎 Margtall (1557-59) 城の正面に在る王立厩舎は、1924人形劇場となり、グリム
   民話のマリオネット公演が行われている。
 グリム兄弟の家 Amt Steinau (1562) 地域行政本部として1642-85ハナウ郡、1685-1736
   ヘッセン・カッセルの郡としての行政と裁判が行われた。グリム兄弟の父は、1751-96この役所に勤務
   勤務し5人の子供を設けた。1998グリム兄弟の博物館が設立され、グリム兄弟の生い立ちから
   の生活と業績が展示されている。
 聖キャサリン教会 St.Katharinen Kieche (9c) 最初の奉献は886に行われ、1100頃2番目
   の石造の教会となり、1273塔は据えられた。3番目の教会は1290から既存の内陣を中心に
   より高くロマネスクで建てられた。4番目の教会は矩形の内陣を引き継ぎ初期ゴシック建築であっ
   た。5番目の教会は1481-1511に後期ゴシックで一部古い建物を使って再建され、南の通路が
   追加された。1965教会の機能は、新しく復元された教会に戻し、文化的な催しに使うため
   1981に改装された。
 ラインハルト教会 Reinhards Kirche (1725-31) ヨハン・ライハルト3世の時代に、砂岩で建てられた。
   1929に放棄され、倉庫として使われ、2次大戦で屋根や塔が破損し、1962-65に修復され、
   聖キャサリン教会に代わって再度教区教会となった。
 市博物館 Museum Steinau 旧Amtの穀物倉に、町の歴史・住んだ人・陶器製造・旅行道
   具などの展示が、グリム兄弟の家の隣に在る。

5.写真

 
市庁舎 宮殿
城門 グリム兄弟の家
マルクト

戻る

戻る

トレンデルブルク Trendelburg (kassel) HE87

1.歴史

 13c 城はヘッセン郡の国境をまもった、  1249-1311 コンラッド3世の建てた城には裁判所があった、
 1303 マインツ大司教コンラッドに援助要請文書、     1306パーダーボルン教区とヘッセン郡カッセルに属した、
 1443.1456 城と町は焼失し再建された、   1464 ヘッセン伯ルードビッヒ2世は城を有し都市権授与、
 1648 30年戦争の破壊とペスト流行で人口半減、   1676 方伯カールは城を拡張し狩りの館とした、
 1703 荘園を設立しシュトックハウゼン家が城に住んだ、  1756 北方戦争で仏軍との戦闘地になった、
 19c プロイセンの役所が城に置かれた、        1901 シュトックハウゼン家は城を買収して住んだ、

2.市壁  0.10km 0.20

   13cに城の正面の堀に二つの門があり、小さな尾根の東端に城は建ち城壁で囲まれた。
  城の城壁は残っており、市壁らしき構造物が南側に見られる。旧市街の建物は1868に殆ど
  壊されれたが町のレイアウトや市壁の跡は当時まま残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   丘の上に城と旧市街があり、城は良く保存されているが旧市街に残された古い建物は
  少ない。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1582) ゴシックの入口のある3階建ての木組みの建物は、今も市の行政
   の一部を担っている。2010から大幅な改修が行われた。
 福音協会 Ev.Kirche (14c) 旧聖マリア教会の創成期から左壁部は、1443と1456の火災にも残り、
   3廊ホール式教会として再建された。1789のランタンフードは2007に改装され、1889正面玄関は西
   に移された。聖具室はシュトックハウゼン家の金庫として使われた。2007改修で壁画が復元され床
   が直された。
 トンデンブルク城 Burg Trendelburg (13c) 最高の地点に城は建てられ、歴史に示すように城は変遷
   したが良く保存され、1949ホテルとレストランとして開業している。
 方伯ディーメル工場 Landgraflische Diemel Muehle (1455) 上と下の施設があり、パン工場が含ま
   れ、水車と配水で水を上に供給していた。今は郷土博物館とカフェに使われ、キャンプサイト
   でもある。

5.写真

マルクト 城壁

戻る

戻る

トレイザ Treysa im Schwalmstadt HE88

1.歴史

 1144 シーゲンハーゲン伯はこの地区を支配、 1186 伯爵の支配で強化、
 1230 方伯トレイザスは聖マーチン教会を設立、 1229-70 都市権を付与され市壁建設、
 1450 シーゲンハーゲン伯の断絶後ヘッセン方伯の領地となった、1640 大火事で被災。

2.市壁  0.54km 0.68

  13cの市壁は、東側を除いて丘の上に残っている。

3.塔  0門3塔

 魔女塔 Hexen Turm (14c) 町の北西の入口にほぼ完全に保存された唯一
   4階建の円塔がある。昔は1階が監獄、門の守衛所で使われた。19cの終わりまで、
   屋根が付けられた。
 円形塔 Rondell (13c) 町の北東のトッテン教会のの外側の市壁に大円塔があり、
   スタインガッセの門は昔上下の町を隔てていた。門の周りに16-17cの古い家がある。
 殻塔 Schalen Turm (13c) 町の西南部の市壁に半円形の殻塔の切株がある。

4.見所  C

   歴史的な構造物・博物館・木組の町・フェスティバル・周辺の自然などが見所の町。
 市庁舎 Rathaus (13c) 30年戦争のコロアチア軍の攻撃で、1640に2階建の市庁舎
   は火事で焼けた。アーチで装飾されたレンガ造の市庁舎が1651に完成した。その風見は
   町の紋章と完成年号を示している。
 旧教会遺跡 Toten Kirche (12c) 旧聖マーチン教会の遺跡は、ロマネスクからゴシックへ
   の過渡期に建てられ、修復後の堂々たる教会の骨格を示している。広々とした教会
   跡地は催物会場として使われている。すぐ後ろに12cの市壁があり、市壁の塔から
   東の展望が良い。
 精霊病院礼拝堂 Hospital Kapelle (1367) 聖霊教会は中世の貧困者と病人の
   ための施設として建てられ、その礼拝堂は小さな六角形の屋根のある単純な石造建
   物である。1560に病院の翼は閉じられた。今は催物や結婚式に使われている。
 プロトスタント市教会 Ev.Stadt Kirche (1906) プロテスタントの市教会は、修道院として
   奉献された旧聖マリアであった。旧ドミニコ修道院は教会の北西に広大な規模で存在した。

5.写真

市庁舎 市教会
旧マーチン教会跡 魔女塔
西市壁 西南市壁
東市壁 北市壁

戻る

戻る

フォルクマーゼン Volkmarsen HE89

1.歴史

 1155 コルフェイヤーのティースリストで初言及、        1200城と教会が建てられた、
 1233 教王グレゴリー7世の保証状で町へ、 1277 町は鋳造し市場権・管轄権を保有、
 1304 ケルン大司教は町を修道に贈った、 1507 町と城は修道院が買い戻し権を放、
  棄して、ヴェストファーレン公国に属した、  1632 町は30年戦争でヘッセ軍に焼かれた、
 1802 ヘッセン・ダルムシュタットはヴェストファーレンを占領、1807 ナポレオンが来てヴェストファーレン王国へ、
 1814 ウイーン会議後プロイセンへ、             1821 カトリック・フルダ教区へ、
 1945 ヘッセン州へ。

2.市壁  0km 

   13cの市壁は、今は通の名前として残るのみである。南西部には市壁の外側の
  堀の対岸の石積らしき物がある。

3.塔  0門1塔

 半円塔 Halb Rund Turm (13c) 北部の市壁の位置に3階建半円形の防衛塔が、木組
   の建物の中に組込まれている。

4.見所  D

 市庁舎 Rathaus () 町の中心の広場に向かって教会と共に立つ、石造2階建中央突出
   の建物で、時計塔・トコウノトリ巣台・片側屋外階段がある。
 聖マリア教会 Marien Kirche (1260) 石造単塔の教会で、その前に聖ロレンスにに捧げられ
   た教会があった。かって1499の教会礼拝堂の遺跡が残る。1632ヘッセン軍に教会は
   焼き払われた。1669市民の拠出で修復・再建は行われた。
 郷土博物館 Goschschts und Heimart Verein Museum () 地元の歴史と生産・ユダヤ
   人の生活等を展示。
 クーゲルス城 Kugelsburg (1200) 東の山頂に建てられ、7年戦争で破壊された。

5.写真

市庁舎 マリエン教会
半円塔 北西壁

戻る

戻る

ヴェヒターズバッハ Waechtersbach HE90

1.歴史

 1236 水城を帝国の森監視のため設置、1245 家来のチュビンゲン貴族は森を管理、
 1354 ドリンベルクのコンラートは礼拝堂を寄贈、 1404 ヨハニス2世は都市権を授与、
1458 イーゼンブルクのアールズ伯爵は城と町を所有、1564 魔女裁判が行われた、
 1687 イーゼンブルクのブーディンゲン伯爵はルネンサンス城を拡大再構築した。
 1578 城に醸造所を設置、      1787 エルツシュタット・マインツ大教区へ、
 1866 プロイセンに併合、       1945 2次大戦で宮殿や橋は壊された。

2.市壁  0.19km 0.36

   15-16cの市壁は、町の周囲に建てられたが、今は町の真ん中にあり町は
  大きく発展した。今は南の新墓地と東側の旧墓地の境界に残っている。

3.塔  0門2塔

 ベッツエン穴 Betzenloch (15c) 市壁には小さな円塔が残されている。
 鐘塔 Glocken Turm (1514) 。市壁にあった4階建の四角防御塔は、今は新
   教教会の時計塔として使われている。

4.見所  B

   小さな旧市街地の、中心に美しい木組の建物がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1495) 2階建切妻屋根の建物で高基礎の上にある。
   今は郷土博物館で、マルクトでは週市が開かれる。
 旧守衛衛詰め所 Ehem.Pfoertener Haus (16c) 2階建の守衛詰め所で、今
   は交通商工組合が使っている。
 旧イーゼンブルク・ビュディンゲン宮殿 Ehem.Ysenburg-Buedingen Schloss (1236)
   4翼3階建の大きな石造の建物で、両隅に円塔と入口がある。
 王女の家 Prinzessinner Haus (1745) 石造2階建腰折れ屋根の建物で天窓
   が付いている。
 王室厩舎 Marstall (1718) 背の高い平屋の建物。
 会計局 Rentkammer (1735-36) 2階建腰折れ屋根天窓付きの建物で時計塔
   がある。
 旧見張り所 Ehem.Waecher haus (1669) 2階建切妻屋根の木組の建物。
 プロテスタント教会 Ehem.Kirche (1354) 1519の見張塔を教会の時計塔として
   使い、身廊は木造構造である。
 郷土博物館 Heimart Museum (1495) 旧市庁舎に収容され、2005新家屋が
   建てられ、一部分離された。
 元病院 Ehem.Hospital (1537) 寄棟屋根の2階建の木組の建物。
 元裁判所薬局 Ehem.Hof Apothke (1821) 高基礎の上に切妻屋根の2階建
   大きな木組の建物。

5.写真

   
上門通 宮殿・マルクト
プロテスタント教会 西南壁
南東壁 南壁

戻る

戻る

バンフリード Wanfried HE91

1.歴史

  813 ヘッセンとチューリンゲンの国境に位置した、    1264 ヴェツライン・チューリンゲンに割当、
 1306ヘッセンのヘンリー1世はチューリンゲン方伯から購入、 14c 最終的にヘッセン方伯に渡った、
 1608 ヘッセン方伯は市場権を買い取った、 1626 町は貿易の主要中心地となった、
 1626 30年戦争で帝国軍の略奪と放火、 1667  ヘッセン・カッセル方伯の居所であった、
 1755 ハッセン・バンフリートに落ちた、            1834 再びヘッセン・カッセルへ、
 18c 交易の中心として壮大な建物が建てられたが、 舟運から鉄道へシフトして衰退、
 19c 商業都市から色褪せて、市壁塔は壊された。

2.市壁  0km 

   町の防衛施設は、旧市壁や木柵を補強強化して、1665に新市壁が完成した。
  19cには町は衰退して市壁や塔は取り壊された。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   美しい木組の建物が残る元貿易港があった町である。
 市庁舎 Rathaus (1550) 初め公開市場ホ-ルとして建てられ、17c中から町役場として
   使われた。1600警報ベル、1612時計が付けられた。1648旧市庁舎は応急修理
   された。1860商店を買取って新しい市庁舎を建て、風見鳥・時計・旧市庁舎か
   らの鐘を付け、旧市庁舎の跡地は販売された。新市庁舎は、3階建木組の美
   しい建物で、中庭を有しアーチ門があり、別館は上階木組の2階建の建物。
 宿:白鳥 Zum Swan (1655) アーチ型の地下室の上に、2階建で建てられ、30年戦争を
   生き延びた。400年前には市庁舎のホテルと呼ばれていたので、当時から泊まれた
   と思われる。今も旅館である。
 旧ポスト Alte Post (1650) この風格のある建物は、旅館・郵便局・郵便馬車駅として
   1634-1902に使われた。中庭で馬を変え各地へ走った。1904私有。
 方伯宮殿 Landgrahen Schloss (1015) 市内に残る古い中世の建物で、初め王家の
   財産であった。16cの宮殿は30年戦争で破壊されたが再建された。北端はホテルと
   して使われ、宮殿は1935から案内見学のみの博物館である。
 プロテルタント教会 Ev.Kirche (1884-88) 砂岩造ゴシックリバイバルの教会で、長さ37m幅25m
   身廊の高さ25m塔高52mである。装飾はキリスト教のシンボルのオーク・ツタ・ワイン・バラで統一
   的に飾られ、オークの木工品と調和している。
 カトリック教会 Kath.Kirche (1907-09) 南の町の外にネオゴシックの教会がある。
 貴族の家 Herrenhaus (1678) 港の近くの農場の邸宅で、30年戦争の後に建てられた
   木組の建物。
 貴族の家 Herrenhaus (17c) 代表的な木組の家で、控梁の下で充填剤の上に鉋の溝が
   あり、木材には彫刻がある。

5.写真

 
市庁舎 方伯宮殿
宿:白鳥

戻る

戻る

ヴァイルブルク Weilburg HE92

1.歴史

  906 要塞として初めて言及、        912 教会と僧院を設立、
 993-1062 全町をヴォルムス司教区に贈呈、1225 ヴォルムス司教はナッソー伯に質入、
 1295 同じ都市権をフランクフルト市に貸した、1355 ナッソー伯は宮殿と町防御を建設、
 1359 石橋をラーン川に架けた、     18C 宮殿拡張.公園整備.住宅更新、
 1866 プロシア領に併合、        1945 2次大戦で宮殿や橋は壊された。

2.市壁  1.00km 0.56

   市壁として地上部分は見当たらないが、山腹の石積は東側と西側の斜面に
  約1km残っている。

3.塔  1門2塔

 地方門 LandTor 14C建、南下の入口に、門上に円塔が立っている。
 町笛吹塔 StadtPfeiferTurm 宮殿入り口に立つ。
 町塔 StadtTurm 南のオランジェリの西に立つ塔。

4.見所  C

   ラーン川が湾曲した小山の上に旧市街地があり、古い町並と宮殿が見所である。
 宮殿 Schloss 1533-72建、ラーン川湾曲した小山の尾根に4翼から成るルネッサンス
   の宮殿が建てられた。18C初めに宮殿教会など多くの別棟を建てて堂々とした
   宮殿となり、バロックの庭園とオランジェリを南側に加えて完成した。
    北端はホテルとして使われ、宮殿は1935から案内見学のみの博物館である。
 採鉱と町博物館 Bergbau&StadtMuseum 18C建、宮殿の前の元高官の館、
   町の歴史.採鉱機械.中国の100の紙切芸術等を展示。
 船トンネル Schiffstunnel 1847建、ドイツで唯一の船トンネルが造られ
   ラーン川を短絡した。幅5.6m、高さ6.3m、長さ195mに3重水門が付いている。

5.写真

 
市庁舎・宮殿教会 宮殿
東壁

戻る

戻る

ヴァインハイム Weinheim HE93

1.歴史

  755 ロルッシュ修道院記録簿に初言及、     764 地元設立修道院が部分所有、
 790 ロルッシュ修道院に寄付され部分所有、1000 皇帝オットー3世はロルッシュ修道院に市場権、
 1100 東の山にウインデェック城を建て修道院を守った、 1232 マインツ大司教の支配下に、
 1250 プファルツ伯ルードヴィッヒは新市街を設立、 1262 仲裁で町と新市街はプファルツ伯へ、
 1454 旧市街と新市街を統合、         17c 30年戦争で町は破壊された、
 1676 仏軍が占領し城を破壊、  1698 プファルツ選帝侯ヴィルヘルムは一時この町に転居、
 1808 バーデン大公国に属した。

2.市壁  0.16km 0.24

  13-14cの市壁は、残されている塔をつなぐ線上に、いくつかの断片が残る。

3.塔  2門4塔

 宮殿門 Schloss Tor (14c) 東側の上門として建てられた。
 粉引の里門 Muehlheimer Tor (1604) 南側の市門の東側に、砂岩の銘板が置かれ
   ている。1882に取壊されたが、銘板とアーチは保存され、今は公園の入口を
   形成している。
 赤塔 Roter Turm (14c) 北に位置する円塔で頂上に胸壁がありその上にピラミット塔
   があり、この赤瓦から名前が付けられた。19cまで刑務所として使われた。
 魔女塔 Hexen Turm (13c) 南西角を流れるグルンデル川に位置し半分の高さが3階建
   に位置し、頂上に胸壁のある円塔である。
 青い帽子 Blauer Hut (1250-1300) 南西角に位置し、要塞の最も古い部分の円塔
   である。元はスレート屋根であったが今は青色の帽子が付いている。8mの市壁の
   上からしか入れないので、監獄として使われた。
 旧ユダヤ塔 Ehem.Juden Turm (14c) 北東の隅に位置し、ユダヤ通6の家の中庭に強大
   な四角塔の基礎がある。

4.見所  B

   古城街道にあり、プファルツ選帝侯の二つの城と歴史的な旧市街地が訪問者を引
  付けている。山の上の旧市街地は郡庁所在地としては意外と狭い。マルクト広場
  には、壮大な17c初めの3階建木組の建物で囲まれ、噴水とジャスティア像がある。
 旧宮殿・新市庁舎 Ehem.Schloss Heute Rathaus (1400) 異なる時代の建物で構
   成されている。1400の上家門は、17cには防御の効用を失い、1537から北に
   プファルツ選帝侯のルネッサンスの宮殿が建てられ、選帝侯の家族はここで長い時間
   を過ごした。1868ネオゴシックの塔が建てられ、19c後半にはベルクハイム家家によっ
   て再建され城の一部が継続して、市庁舎となっている。上門の南にウルナー・
   ディールパーク家によってバロックの宮殿が建てられ今はレストランとなっている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1557) 初め地階は開かれた広間として百貨店として建て
   られた。豊かなルネッサンスの絵画が市民広場に描かれ、前面の階段切妻に市の紋章
   と時計が飾られている。この建物は一次大戦から1752まで市庁舎として使わ
   れ、1861-62に階段切妻と木製バルコニィは元の姿で復元された。1997-2002抜
   本的にに修復され、2013観光案内所となった。
 プロテスタント市教会 Kath.Stadt Kirche (1731-36) 簡素なバロックの教会であるが古い
   教会に椅子が使われている。
 住家 Wohnhaus (19c) この角の建物に、教育者で作家のアルバート・ルードヴィッヒ・グリム
   が1818-38に住んで、白雪姫を独語で発刊した。2階には、18cの豊かな漆喰
   細工の「王子の部屋」がる。
 ナメシ川地区 Gerber Bach Viertel (16-19c) 小川に沿って木組のなめし皮屋が並ん
   でいる。曲がりくねった路地や2-3階建の古い木組の建物が、絵の様に美しい。
 ケルベの家 Kerwehaus (1559) 上階木組の3階建の建物は1970からKerwe協会が所有
   し山道でも大きい。
 ウルナー礼拝堂Ulner Kapelle (1350) ヒリデガルト病院の礼拝堂として建てられ、裏側か
   らは後陣・身廊・塔の先が見えるが、マルクト広場からは3階建の住宅や商店の入口
   しか見えない。
 ビューディンガー邸 Buedinger Hof (16c) この3階建木組の建物は、一時ナメシ革屋ギルド
   集会所であった。1512階段塔が建てられ施工主の名前が付けられた。
 旧ドイツ騎士団の家 Deutschordins Haus (1710) プファルツ高等ドイツ騎士団長が、豪華
   な団長の紋章に飾られた正面玄関の2階建の建物を建てた。今は市博物館となり、
   町の歴史・前史古代出土品・青銅の犬・13-14cのフレスコ画・城の歴史的模型を展示。
 モリトアの家 Molitorsches Haus (1344) ライン・マイン・ネッカーで最古の上階木組3階建の建物
   で、切妻に1344の年号がある。古い豊穣の館でウルナー家の所有であった。頑丈な
   下部構造と八角形の階段塔は1557-58に成立した。
 旧カルメル会修道院 Ehem.Karmeliter Kloster (1720) 旧カルメル会修道院の3階建の建物
   は1802の修道院の廃止後にカトリックの牧師館となった。

5.写真

市庁舎 旧市庁舎
宮殿門 市教会
赤塔 旧ユダヤ塔
下礼拝堂 北壁
西南壁 マルクト広場

戻る

戻る

ベッツラー Wetzlar HE94

1.歴史

 8C 町は成立していたらしい、   897 教会への文書が残る、
 1180 帝国自由都市、        1250 要塞の建設で長さ1.7kmの市壁。
 1350 中世の都市開発が概成、  1689 神聖ローマ帝国最高裁設置、
 1796 仏革命軍が占領、      1806 帝国の解体、
 1822 プロシア領となる、      1945 2次大戦の爆撃で大聖堂を除いて破壊。

2.市壁  0.60km 0.35

  1250-1300に町側の壁上に銃眼胸壁付きの防御通路のある延長1.7kmで
  高さ11mの市壁が建てられた。19Cには町の膨張で壁の一部が取壊された。
   今は、北側.西側.南側に、幾らかの市壁は残っている。また、旧橋南
  の1716の建物は、市壁の上に切妻を建てている。

3.塔  0門1塔

   市壁には、5門塔と幾つかの出入り口と、少なくとも9壁塔があった。
 雄豚塔 SaeuTurm 13C建、仕立屋組合がこの壁の部分を守るため建て
   たので、中世は仕立屋塔と呼ばれた。1745市壁外に豚の放牧がこの
   塔を通って行われた。1914に今日の飾らない形に改修された。

4.見所  B

   町は、川の東の丘の上に大聖堂を中心に壁に囲まれてある。古い木組
  の家並が坂道に繋がっている。勤めた最高裁判所や恋人ロッテの家など、
  ゲーテの昔も偲ばれる。
 大聖堂 Dom 10C創立、1170-1190外観をロマネスクに変えて再建し北塔が残っ
   ている。14Cにゴシックの赤砂岩の南塔のみ建てたが未完成。内陣と身
   廊はゴシックで見事、1561に落雷した塔頂はバロック屋根で補修した。
 下町教会 UntereStadtKirche 1300建、ゴシックの教会。
   1826再建、1877拡張。
 古ラーン橋 AlteLahnBruecke 13C建、1288には存在が言及されている。
   6経間の石橋。両方の岸に橋塔が在ったが、19C後半に壊された。
 市産業博物館 Stadt&IndustrieMuseum 1287建、ドイツ騎士団館。
   1976再建、町と騎士団の歴史.鉱業鉄鋼光学真空技術の展示。
 エルサレムの家文学記念館 JerusalemHaus 1987改修、歴史的な家屋と
   文学書類を展示。
 ロッテの家 LotteHaus 1863建、シャロッテ生家記念館、家具調度や「若き
   ヴェルテルの悩み」30箇国語の初版本を展示。
 帝国最高裁博物館 ReichskammergerichtsMuseum 18C建、アベマンシェの家
   神聖ローマ帝国最高裁判所博物館。法律古書や裁判記録.肖像等の展示。
 木組の家 FachwerkHaus
   鉄市場EisenMarkt:1599の木組宿屋.1500のゴシック3階建。
   シラー広場SchillerPlatz:1694のビンクラー家.1742の木組エルサレム家1826の教会。
   穀物市場KornMarkt:1769のバロック劇場.1767の飲屋ローマ王.1607飾窓の木組家。
   Brodschirm:1356の最も古く典型的な4階建の木組家。

5.写真

木組家 ハウザ緑地
北壁 北壁
南西壁 東南壁
南西壁 ゾイ塔
マルクト広場 公会堂
大聖堂 ロッテの家

戻る

戻る

ヴェッター  Wetter(Hessen) HE95

1.歴史

 1223 ヘッセンでも古い市場町となった、 1235 都市圏が授与され市裁判所設置、
 1372 マインツ軍は戦争で町を破壊、      1567 ヘッセン方伯の事務所を設置、
 1604-47 ヘッセン戦争でダルムシュタットとカッセルが争った、 1636 町はスエーデン軍が占領、
 1803 ヘッセン選帝侯の領地となった、      1807-14 仏ヴェストファーレン王国へ、
 1815 ドイツ連邦ヘッセン選挙区に、     1821 ドイツ連邦ヘッセン選挙区アールブルクへ、
 1866 プロイセン王国・ヘッセ・ナッソー・マールブルク地区へ、  1971 ヘッセン州改革で周辺統合。

2.市壁  0.25km 0.29

   それまで土堤と木柵で守られていた町は、14c末にやっと市壁が築かれた。
  今残っているのは、西南と南東である。

3.塔  1門2塔

   3市門・2小門・5塔が設けられたが、19cに門はMoenchTorの一部を残して全て
   取壊され、塔は泥棒塔と小門塔の2つが残った。
 僧門 Moench Tor (14c) 1529に改造され旧修道院の門にある。1823取壊され
   たが、その一部が北側に残された。
 上門 Ober Tor (1361) 南門は1759の7年戦争でプロイセンと仏軍の砲撃で壊され、
   1846塔が壊され、簡易裁判所が1846-48に建てられた。反対側の壁には
   この門の絵が描かれている。西側には守衛所1783があった。
 下門 Unter Tor (1361) 北門は1823に取払われた。
 南小門 Suede Pforte (1361) 19cに取払われた。
 グックス小門 Gux Pforte (1400) 畑に通じる小門で19c前半に取払われた。
 監獄塔 Diebs Turm (14c) 監獄として使われ、19cには軽犯罪者を上階に収容
   した。その後宿なしの避難所、市民の倉庫、19c屋根が壊れ、1916変圧器、
   1945に焼け2009塔は修復され小ドームが復元された。
 小門塔 Pforte Turm (1400) 19cの前半に部分的に壊された円塔が、子供の遊
   び場に残された。
 その他の塔 北のMarfs turm(1361-18c)、北西のMoench Turm(1400-1752)
     東南のTurm beim Bruch(1361-19c)。

4.見所  C

   丘の上の修道院教会が町の中心で、マルクト周辺には16cの木組の建物がある。
 市庁舎 Rathaus (1450) 1649の大火災で焼け、1680に同じ建物を建てて現在に
   至る。小さい上階木組の建物である。
 市民の家 Bruegerhaus (16c) マルクト広場の7と9番地の建物には、1525と1570の年
   号の碑文がある。
 会計事務所 AmtsRentereihaus (1768) 3階建の建物で税金を受け取った。1821
   解散後は薬局となった。
 ローマ広場Roemer Platz (1239) ここには、ギルド特権のある店舗が集まり、パン
   屋・毛皮屋・靴屋・肉屋・仕立屋・鍛冶屋・ビール店などが並んでいる。
 旧醸造所 Ehem。Brauerei (1502) 醸造権は中世では大きな特権であった。この
   町ではこの会社が全体を独占していた。
 カノン財団 Kanonissen Stift(1615)高貴な女性が共同生活をする修道院で入学
   時から高価な支払いを要した。この修道院は中世には100の農場を所有した。
   1528の宗教改革で修道院は解散となり、土地は騎士団に移された。丘は学校に。
 修道院の丘と古い学校 Stift Kirche (13c) 13c-15cラテン語学校があり、1550修道
   院の解散後学校が建てられた。16cに病院財団は貧困者に施設をたてた。
 大学教会 Staats Theater (1892-94) ロマネスクの前身の敷地内に4段階で建てられた。
   1240-80 東の内陣・身廊、16c高い100mの西塔が付けられた。中には13cの
   マタイ像・洗礼盤・木製の祭壇画、18cのオルガンがある。修道院の解散後に教会は、
   プロテスタントの礼拝の場となった。

5.写真

 
市庁舎 小門塔
僧門 泥棒塔
南西市壁 新市庁舎
南市壁

戻る

戻る

ヴィースバーデン Wiesbaden HE96

1.歴史

 1c ローマ駐屯地があり温泉が使われた、  370 ローマ皇帝が異教徒の壁を築いた、
  6c アラマン族に代わりフランク族が支配、  1170 侯爵ナッソーは帝国からこの地を獲得、
 1296 ナッソー王アドルフはクラレンタール修道院を寄付、 13c 町はナッソー・ヴィースバーデン家が支配、
 1567.61 古い建物の殆どは火災の後に建てられた、 1609-10 古い市庁舎建設、
 1744 ビーブリッヒ宮殿はナッソー家の主宮殿に、 1771 カジノ権を授与、1810カジノ開設、
 1806 ナッソー公国の首都となった、      1766 普・墺戦争後にプロイセンに併合、
 19c スパ・会議場・行政の場として新建築物、 1918大戦後仏は占領し賠償取り撤退、
 1925-30 英軍の占領、         1945 2次大戦の被害なしで米軍占領。

2.市壁  0.02km 0.01

   異教の壁はヴィースバーデンの市壁に含まれ、唯一の現存部分である。

3.塔  1門0塔

 ローマ門 Roemer Tor (1903) 異教徒の壁にトラヤヌス時代(103)屋根付木橋がローマ門として
   ローマ門としてアーチ門・木製の頂楼と共に建てられた、1979に谷側に階段が付けら
   れて野外博物館として整備された。2012木造部分は改装され、ローマ門の横にあ
   るコピィはローマ時代の石版でヴィースバーデンで発見された物である。

4.見所  C

   19cに世界湯治都市となり、王候貴族の社交場となり、ナッサウ公国の首都となった
  事と重なり、湯治施設・大街路・豪華な建物などが建設され今に残る大都市。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1609-10) 町で最古の建物で、地階は建設時の後期ルネッサンス、
   上階は1828ロマン歴史主義の様式になっている。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1886-87) ミュンフェン市庁舎を建てたゲオルク・ハウベッサーが建てたド
   イツ・ルネッサンスの建物で、張出窓とリザリートエプロンで構成されている。比較的簡単な造り
   で、砂岩による均整のとれた美しさがある。
 宮殿 Schloss (1837-41) かってのナッサウ侯爵家の宮殿で、簡素な擬古典主義で建てら
   れ、正門は斜の位置に在り円形の建物である。今は、ここにヘッセン州議会が置かれ
   ている。
 マルクト教会 Markt Kirche (19c) 煉瓦造の教会で、ベルリンノのリードリッヒスヴェルダー教会を手本
   として建てられた。仕掛け時計が、毎日9.12.17.時に動く。
 皇帝フリードリッヒ温泉 Kaiser Friedrich Bad (20c) ユーゲントシュティールの豪華な建物で、玄関ホー
   ルにはユーゲントシュティールのフレスコ画とマジョリカ焼きのタイルが見られる。
 熱温泉 Koch Brunen 15の鉱泉から成り、鉄分を含む塩水は、髪を赤く染めるのに用い
   られた。1854八角形のアズマ東屋が建てられた。
 クアハウス Kur haus (1967) 皇帝ヴィルヘルム2世が美しいと言った緑地帯・列柱廊・絢爛豪華な内
   装がある。
 国立劇場 Staats Theater (1892-94) ルネッサンスからロココの美しい建物。
 クアパーク KurPark (1852) 広大な庭園がクアハウスの背後の東に広がっている。

5.写真

 
旧市庁舎 新市庁舎
クアハウス

戻る

戻る

ヴィッツェンハウゼン Witzenhausen HE97

1.歴史

 1144 ヘンリー・ライオンの領地となった、 1152 ヴィッチェンベルク侯爵の手に落ちた、
 1180 チューリンゲン方伯が制御した、    1225 チューリンゲン方伯は市場権を授与、
 1232 チューリンゲン方伯はマインツの包囲に勝つ、1247 チューリンゲン方伯は都市権を授与、
 1263 ヘッセン方伯ハインリッヒ1世が所有、   1335 二重市壁化は80年を要して完成、
 1479 市庁舎を含む225戸が焼失、   1599 疫病流行900人死亡、人口半減、
 1627 30年戦争の略奪と疫病で人口流失、1821 ナポレオン支配後選帝侯行政改革、
 1744 ビーブリッヒ宮殿はナッソー家の主宮殿に、1771 カジノ権を授与、1810カジノ開設。
 19c 大学都市として800人の学生が居た。

2.市壁  0.30km 0.35

  13cの市壁は、14cに2重壁化された。主として西と南に市壁は残っている。

3.塔  0門3塔

  全体で12塔建てたが、3塔しか残っていない。
 殻塔 Schslen Turm (15c) 東、屋根なし半円形の殻塔がそのままの高さ
   で残っている。
 梟塔 Eulen Turm (15c) 南、屋根なしの円塔。
 泥棒塔 Diebes Turm (1413) 西、胸壁付の円塔で監獄として使われた。
   下部に登れる木製階段が付けられている。

4.見所  C

   珍しく4階建の大きな古い木組の建物や堂々たる公共の建物が建て並ぶ中
  都市で、昔の繁栄が偲ばれる。
 市庁舎 Rathaus (13-14c) 石造で1479と1809の火事の後に再建され、1993
   -97に健全化された。入口の上の紋章はヴェルツェル家の物である。中央に4階
   建六角形の塔がある。
 プロテスタント聖母教会 Ev.Liebfrauen Kirche (13c) 部分的には13cに遡り、1225
   に3廊になり後期ロマネスクバジリカに、15cゴシックにハレンキルヘに建て直され、2004に
   修復された。中には石造説教壇・墓石・1731オルガン・16cモーツ家の碑銘・がある。
 マルクトの全景 Rundblick ueber der Markt (16-17c) 広場の真ん中に市庁舎があ
   り左側は1809の火事を免れ、16-17cの華やかな4階建木組の市民の家で飾
   られている。
 赤い家 Rotes Haus (1600) 4階建切妻の木組の家で、赤く塗られた横梁があ
   るため、この名前が付いた。
 グラウの家 Grau'sches Haus (1606) 町長の娘のエリザベス・グラウが3階建切妻の木
   組の家を建てた。
 ドイツハウス Deutsches Haus (1480) 町で最古の3階建の木組の建物で、1478の火
   事の後にゴシックで建てられた。
 旅館:王冠 Gasthaus Zum Krone (1610) 4階建ルネッサンスの2つの切妻のある木組
   の建物で、旧郵便局としても使われた。
 ゾマーマンの家 Sommermann'sch Haus (1511) ヘッセンで最も優れて保全された3階
   建ゴシックの木組の建物で、石の台座の年号は1511であり、今は町の図書館。
 ペルシェの家 Persches Haus (1480) 2階建ゴシックの桁送り構造の木組の建物で、
   1959の火事で損傷し、1995-96に再建された。
 ヴェデェキント・マイハートの家 Wedekind Meinhard'sches Haus (1579)建築主は町長の
   娘の既婚者のマルガレーテで、3階建の木組の建物を建て貧困者へ贈物とした。
 旧ヴェルヘルム修道院 Ehem.Wilhelmiten Kloster (1275) 初めシトー派修道士が修道
   院を建て、1289から活動を始めた。1291ヴィルヘルムの修道士が来て、1527
   の宗教改革まで存続した。1898ドイツ植民学校が開設され、今はカッセル大学
   の農業経済生態学科が置かれている。
 民俗博物館 VolkerKunde Museum () 旧修道院カウフンゲンの農業住宅の中に旧
   ドイツ植民学校の学生の収集物の対展示があり、興味深い。

5.写真

市庁舎 聖母教会
泥棒塔外 泥棒塔内
フクロウ塔 西南市壁
南市壁 ウスパン市場

戻る

戻る

ヴェルファースハイム  Woelfersheim HE98

1.歴史

 11c マインツ大司教はこの地を所有、    1331 町の都市権は封印で確認した、
 14c ファルケンシュタイン・ミュンツエンブルクが所有、  1408 4門と市壁で町の防御施設完成、
 1418 ファルケンシュタイン家は断絶した、     1419 ヴォルムス家が後継者となった、
 1423 ブラウンズフェルス家は相続を分割、 1436 ブラウンズフェルス家は周辺を含め支配、
 1806 町は世俗化でヘッセン・ダルムシュタット大公国が管轄。

2.市壁  0.12km 0.25

   15cの市壁は、4haの市街地を800mの市壁と4門で守った。今西から南に残る。

3.塔  0門4塔

 白塔 Weisser Turm (1408) 高さ27m直径8.5m壁厚1.6-2.2mの円塔で尖塔が付
   いている。入口はタカサ10mの市壁の上となっている。上階の守衛詰所には古い
   暖炉がある。
 黒塔 Schwarzer Turm (14-15c) 正方形の5階建の塔で、今はバロックの帽子が付い
   ている。開いた背中には、木組の3階建の建物があり、19cから貧しい人の住
   宅となっている。
 教会塔 Kircher Turm (15c) 元要塞の塔は今は教会の塔として尖塔が付いている。
 愚者塔 Narren Turm (15c) 塔の切株が、納屋に囲まれて、部分的にしか見えない。

4.見所  D

   町の中心部には、歴史的な古い木組の家が並んでいる。
 地方自治体 Gemeinde Woelfersheim (20c) ウェルファースハイム共同体庁舎。
   プロテスタント教会 Ev.Kirche (1717-48) 大きなバロックのホール教会で、今の教会塔の基礎
   は中世の守備塔であった。教会らしくない四角い建物である。
 動力博物館 Energie MuseumHaus () 地域鉱業と発電所の展示。褐炭によル発電エネ
   ルギーの説明もある。

5.写真

プロテスタント教会 白塔
黒塔 西壁
南壁 南壁

戻る

戻る

ヴォルフハーゲン  Wolfhagen HE99

1.歴史

 7c アイルランドとスコットランド宣教師による布教、    752 エルツプリスター教会は中心地に、
 1200 北ヘッセンは貴族が勢力争い、    13c チューリンゲン方伯は境界の丘に町を創設、
 1264 町に都市権を授与、 1286 小学校の開設、 1302 町の防御施設の創設、
 1376 町の大部分は火事で焼失 1420 再度の大火事、 1464.65 パーダーボルンが攻撃、
 1527 宗教改革の導入、1576 ペストの流行、17c 30年戦争で370→81人(1646)、
 1699 仏ユグノー教徒の流入、1756 7年戦争で仏軍が占領、1807-13ヴェストファーレン王国、
 1821 ヘッセ・カッセル選帝侯領に、1866 プロイセン王国へ、 1945 ベルギー軍占領ヘッセン州へ。

2.市壁  0.02km 0.01

   14cの市壁は北東端にわずか20mが高さ0.5mで残っている。

3.塔  0門1塔

   18cには4門7壁塔あったが、今は唯一猫塔が残る。
 猫塔 Catten Turm (14c) 北東端に半円形の監視塔が残されている。南側入口は地上
   3mの市壁の上に位置する。最上階は中空の角塔にオフセットされ、以前の窓は今の
   パラペットである。市壁や門塔は武器の発達で無意味となって取払われ石材を建
   設資材として利用した。塔の鍵は市庁舎と観光案内所で借りる事ができる。

   

4.見所  C

   この町はドイツメルヘン街道とドイツ木組街道に属している。「狼と7匹の小鴨」噴
  水「グリム童話セラー」食堂がある。多くの美しく修復された木組の家が曲がりくね
  った路地に並んでいる。旧守衛所は今カフェである。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1657-59) 30年戦争後に中世の石造地階の上に市民がオーク
   材を提供して、併せて3階建寄棟屋根の木組の建物を建てた。地元の博物館には
   トラスの模型を見る事ができる。方伯モリッツの紋章石は、門塔が壊れて、市庁舎の壁
   に取り付けられた。1967城通33に市庁舎を移転して、内外装工事を行いホテルレスト
   ランとなった。2002丸天井の広間は、おとぎ話・子供劇・結婚式場に使われている。
   グリム兄弟はこの町で童話を集めた。
 市教会聖アンナ Stadt Kirche St.Anna (1235) パーダーボルン司教ベルハルトは、ゴシックの長さ
   51m幅22m高さ25mの教会を建てた。14c塔が付けられたが、1496と1533の落
   雷で1649に塔は高さ55mとなった。1957-58改修され、2009-11内装が更新さ
   れた。最初の教会の鐘は博物館に納められている。
 旧守衛室 Alte Wache (1667) 市壁の外に新しい墓地が設置され、守衛室が建てられ
   緊急時にはガードハウスとして使われた。1930地元の博物館として整備された。
   1981Cafe Alte Wacheとなった。
 病院礼拝堂 Hospital Kapelle (1332) 墓地の礼拝堂使われた。近くに病院が建てられ、
   その礼拝堂として使われた。砂岩ゴシックの単一身廊の建物で、1904-05に拡張
   され鐘楼が付けられた。1988-92修復が行われた。
 地方博物館 Regional Museum (1980) 博物館はウスラー広場に立つヴォルフハーゲン城のRenthof
   に収容されている。石器時代からの地域の歴史を示し、恐竜・鳥や鰐の先祖・町の
   模型・城エルマースハウゼンなどを展示。
 水城エルマースハウゼン Schloss Elmarshausen (1123) 14c貴族グーデンベルクに続いてマールスブルク
   は1563迄の城をルネッサンスで拡張した。1800改造され様式が混在する姿になった。
   ここで種馬の飼育が行われている。

5.写真

   
市庁舎 旧市庁舎
ミッテル通 聖アンナ教会
猫塔 北西市壁

戻る

戻る

ツィーゲンハイン  Ziegenhain im Schwalmstadt HE100

1.歴史

 1144 シーゲルハーゲン伯はこの地を支配、1274 町は都市憲章を授与された、
 1450 最後のシーゲルハーゲン伯の死後ヘッセン方伯ヨハン2世が所有、
 1470 ヘッセン方伯フイリップ1世は城を建設、1537-48 星形水要塞として城を強化。

2.市壁  0.18km 0.30

   水堀で囲まれた星型要塞の中に、An der StadtMauer の道路名があるので、
    そこに市壁が在ったと思われる。その東側には一部市壁が残る。北側には大きな
  刑務所が有るので昔の構造物は見当たらない。DrachenWegの入口には門塔が残り、
  その南側には市壁の上の19cからの建物が建っている。

3.塔  2門2塔

 武器庫門 Zeughof Tor (17c) パレード広場側は両端の石柱の上に木組の要塞が
   乘り、外側には石造のアーチ門がある。水要塞の3番目の通路に建てられ、今は
   個人所有の複合建築物である。
 リューダー門 Lueder Tor (1537) この門アーチは1537に新要塞建設に際し置換えられた。
   門には、最初の要塞司令官Luederの名前が付けられた。
 住居塔 Wohn Turm (1450) 伯爵ツイーゲンハインの旧城の南側に4階建の住居円塔があり、
   上2階は銅板で飾られている。
 リンゲン塔 Rangen Turm (17c) 中世の市壁で唯一残っている門塔である。

4.見所  B

   星形要塞の外堀はそのまま残り、県道が東西に中央を横切っている。その北
  半分に見所はあり、パレード広場の周囲に由緒ある構築物が並んでいる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1664) 旧市庁舎として建てられ今は肉屋Bochtel。
 新守衛所 Neuen Wache (1769) 平屋後期バロックの漆喰の建物は、入口の上にヘッセン
   方伯ハインリッヒ1世の紋章石が埋め込まれて、今は観光案内所である。
 旧宮殿 Ehem.Schloss (10c) 宮殿には、初め伯爵ツイーゲンハイン、後にヘッセン方伯が住ん
   だ。1824から刑務所となり、今はJVAシュバルムシュタットが使い、近づけない。宮殿の
   施設は不規則な五角形の後期ゴシックの建物で、中には10cからの住居塔がある。
   パレード広場側には3階建の総合翼が伸びている。
 市教会 Stadt Kirche (1665-67) 初めその場所にプロテスタント説教教会として建てられ
   た。それが駐屯軍と市民の教会となり、要塞司令官達の聖墓教会にも使われた。
 首席司祭の家 Dekanat (1650) ツイーゲンハインのメトロポリタンは、3階建木組の牧師館を建て
   た。1884からツイーゲンハインとホムベルク地域の地方監督事務所となった。今はツイーゲンハイン
   教会管理のDekanatである。
 公文書館 Artiv (1540) 2階建の建物は、旧ヘッセンの町公文書館であり、今のヘッセン国立
   公文書館の前身であった。要塞建設との関連で、1540に最初の貯蔵が行われた。
   1870公文書館は、マールブルクの新設された建物に移された。
 要塞調理所 Ehem.Festungs Kueche (16c) 大きな切石で建てられ、破風の所に14c
   の石のレリーフが置かれ、それは古い城教会に由来している。
 乗馬会館 Reithalle (1800) 仏占領兵の訓練のために建てられた。その建築上の特
   殊性は、広い間隔の片持ち屋根構造である。
 要塞薬局 Festungs Apotheke (1655) 彫刻飾りのある2階建木組の建物で、背後には
   旧市壁がある。その向かいには、旧土地登記所がある。
 穀物倉庫 Fruchtspeicher (1577-79) 大きなレンガ造2階建の建物で、要塞の新穀物倉
   庫として建てられた。長く伸びた北側には、建築主を示す紋章を付けている。
 ホテル:バラ庭 Hotel Restaurant Rosen Garten (1620) テント屋根の4階建木組の建物には、
   3階建のコーナーベイがある。1876からホテルとして使われている。
   間がある。1988-95に都市再開発され復元された。
 シュバルム博物館 Museum der Schwalm (1363) 城の財産として、Steinerne Hausを建て、
   城の住人が住んだ。1938 シュバルム博物館を収容した。

5.写真

         
侯爵宮殿 ホテル:バラの園
穀物倉庫 市教会
武器庫門 大物塔
ラング門塔 東壁

戻る

戻る

チィーレンベルク Zierenberg HE101

1.歴史

 1278 既にヘッセンの集落がああった、1293 市教会の塔広間の銘板に町の成立、
 1293 ヘッセン方伯ハイリッヒは市教会に着手、1293 町の防御の創設、
 1298 都市権の付与で町は中心地に  13-14c 周辺の住民は市壁の中に移住、
 14c ヘッセン方伯の敵はマインツ大司教の町・ダッセル侯爵の城・ヴェルデック公爵の町が在った、
 1436 聖霊降臨祭後に新教会身廊に着手、1530 エッシッシェベルク宮殿はマールスブルクの家。
 1538 大火事で町は全部焼け落ちた 1618-48 30年戦争で何回も焼け78人が残った、
 1707 大火事で焼け教会・石造の家だけが残った。

2.市壁  0.67km 0.67

  初め町は土堤と堀あるいは垣根・灌木の植込等の入れ込めない藪で防備を固め
   た。1293から市壁が建設され、狭い場所に市街が導かれ、大部分の家が木造で
   建てられ、藁とコケラ葺きの家が多く大火事が心配された。

3.塔  0門0塔

  昔は3門あったが、今は見当たらない。

4.見所  D

   標高600mの谷間に在り、木組の家が残る小さな町。
 市庁舎 Rathaus (1450) 後期ゴシックの木組の建物はヘッセンでも古く、入口の東
   切妻と隅の小塔が在る。19cに木組は化粧仕上とされ1925-28に修復されて美しさ
   が蘇った。
 市教会 Stadt Kirche (1293) 西塔のある大きなゴシックのハレン教会で、方伯
   ハインリッヒ1世により建設が始められた。教会の最も古い14c部分はコワヤと塔の下の部分
   で壁画が残されている。1430現存の本堂の建設が行われ、1738現存の塔が高さ
   45mで再建された。20-21cに改修された。
 石造の家 Sein haus (1300) 町で最古の建物で、石の会議所・石の穀物倉・石
   の工作所とも呼ばれ、1707大火事を生き延びた。家の開口部の窓は、市壁の完成
   前は町の防衛施設の一部であった事を示している。円天井の地下室の入口は中世
   のままである。
 最古の木組の家 Haus Mittelstrasse 39 (1369) 現存する最古の木組の家で
   1567古い建築用材で建て直された。襷十字の木材に日付けがあり、レストランの上に居
   間がある。1988-95に都市再開発され復元された。
 古い墓地 Alte Friedhof (1563) 1563までの墓地はKirchPlatzに在ったが、
   町の領主の命令で町に接した外側に、疫病で増えた死者を葬るため新しい墓地が設
   けられ、1876まで町の墓地であった。

5.写真

         
市庁舎 カッセル門跡
北壁 南東壁
南西壁 南壁
西壁 教会

戻る

戻る

ツヴィンゲンベルク Zwingenberg (BurgStrasse)HE102

1.歴史

 1012 ロルッシュ修道院の贈与狩猟地簿に、1138 カッツェネルンボーデンのハインリッヒが所有、
 1259 マインツ大聖堂区の許可で教会を建設、1274 王ルドルフは市場権・都市圏を授与、
 1330 バイエル皇帝はウイルヘルム公に都市権を確認、 1479町はヘッセン・ダルムシュタット方伯へ、
 16c 地域の上級事務所を置いた、  1611 ヘッセン方伯は市街地外に市場を新設、
 17c 30年戦争で略奪・破壊・疾病・飢餓に、    1693 仏軍は町を焼き払った、
1803 世俗化時にベンスハイムに併合された。     1806 ヘッセン大公国へ
 1938 古城街道に属した。

2.市壁  0.28km 0.45

  上の町の市壁は13cに、下の町と南西の城の市壁は17cに築かれた。西と南に多く
  残っている。

3.塔 0門1塔

 アウル塔 Aul Turm (1345-55) 上町の市壁の西北の角にある円塔で、瓦礫積
   みの2階建の上に、尖った円錐屋根がある。この塔の東のMauer der berg
   通には砂岩造のアーチ門がある。

4.見所  C

   山の奥の小さな町で、上の古い町と下の新しい町がある。木組の家もあるが、
  大きなものはない。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1838) 2階建寄棟屋根鐘楼付きの建物で、1969
   市図書館となった。
 宮殿 Schloss (1520) 南東の市壁の外に、堀に囲まれた宮殿が建てられ、
   1969市庁舎として使われている。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehenthaus (13c) 最高点の要塞基礎の上に建て
   られ、今はホテルになっている。
 山教会 Ev.Berg Kirche (1258) 旧市街地の中央の高台に立ち、砂岩漆喰
   塗り切妻屋根の簡素な教会で、正方形の塔に八角形の尖塔がある。1300後陣や
   身廊の拡張が行われ、15c西塔が付けられた。1693仏軍に破壊され、1701-06に
   再建された。

5.写真

       
市庁舎 旧市庁舎
西壁 ライオン旅館
南壁 東北壁/td>

戻る

ラインラント・プハルツ州 PR

戻る

アールヴァイラー Ahrweiler RP1

   この町は、Bad Neuenahr Ahrweilerの市内にあり、Ahrweilerは、Neuenahr
   よりもアール川の上流にある。

1.歴史

 1200 領主が証明され経済活動が行われた、  1228 最初の特権を受けた、
 1246 フリードリッヒ伯爵はケルン大司教管区に町を贈った、
 13C中 町はケルン大司教管区の南端にあり、今日の強固な防御施設を備えた。
   町は、深くて広い水堀.高さ8-12m長さ1.8km楕円形の市壁.5つの前門ある門.
   中通路.防御塔.跳ね橋で守られた。
 1277 町の自治の実証:議会は7参審員.8拡大参事会員.3騎士代議員で構成。
 1636 30年戦争でスエーデンに免焼金を払う、 1642-46 仏軍が占領、
 1814 プロイセン領となった。

2.市壁  1.76km 0.98 

  13C末建、市壁は殆ど残っている。1.8haの旧市街地は、頂厚1.0-1.5m基礎深
     0.8m約1.8kmの市壁と幅30mの水堀で楕円形に囲まれた。

3.塔  4門3塔

  4市門は、17Cから中通路と跳ね橋を持った前門が設けられた。その他3塔が
  残っている。
 アール門 AhrTor 南、4階建四角塔門の両外側に3階建の円塔を配置した。
   上階の前面には張出しがあり、右の外側には大砲がある。内側の右に1945
   再建の壁上通路あり、上ることができる。
 下門 NiederTor 東、4階建の四角塔門の外側右に2階建の円塔がある。
   門の右側には隠れ小戸が残る。内側の右に外側に到達できる壁付きの階段
   がある。塔は18Cに監獄としてとして使われた。塔の左に古いワイン酒場がある。
 アデンバッハ門 AdenbachTor 北、最も古いレンガ造2階建の四角塔門である。
   1689の火事で上階は焼け、1974に修復された。門を出た北側左右には囲堀
   の跡が公園として残っている。
 上門 OberTor 西、4階建の四角塔門である。塔上には4つの角塔を掲げ寄
   棟屋根でアーチ飾りがある。1477の包囲までは内側に開かれた3壁塔があった。
 大砲塔 KannonenTurm 南東、半円塔、1500に8門の大砲を備えていた。
   大砲は、長さ2.67m、口径6.7m、車輪付き。
 ビッツ塔 BitzenTurm 
 白塔 WeisseTurm 13C中の最古の建物、塔は4階建で1663にイタリア風のバロック
   塔頂となった。今は、町博物館として使用。

4.見所  B

   アール川の左岸に、全ての門と殆どの市壁が残り、古い木組の家も見られる雰
  囲気の良い町である。
 アーデンバハ城 BurgAdenbadh 1600建、騎士Kolf家の本宅で、長く延びた3階
   建の住家に8角の階段塔がある、この塔は、昔3つあった見張塔の一つで
   あるKolvenTurmがここにあり、1903に再建して狭間胸壁を付けた。
 ラウレ教会 LaurenKirch 1259-67建、今の教区教会は古いハレン教会で3廊2内陣
   であり、記念碑は1825に祭壇にはめ込まれている。
 市場水車 MarktMuehle 粉引き水車は、ブランカート家に貸付けられ、21Cまで
   稼働していた。今も、需要が在れば動いている。
 水車池 MuehlenTeich 歩行者専用道路の中央に水車への水の流れがある。
    1841までは、水路の蓋はなかった。
 木組の家 FachwerkHaus
   NiddehodeBackes:白壁2階建木組家、古いパン屋を取壊して新築した。
   HausHeinrichs:1730建、有力参事会員の3階建木組家で、町工場でもあった。
   HausWolff:1621に市参事会が買取って建換えた。2階にバロック八角出窓。
   HansKrenzberg:3~4階の繋ぎ合わされた木組家、ワイン酒場であった。

5.写真

北壁 アーデンバッハー門
アーデンバッハー城 北壁内
アール門 下門
上門 市壁

戻る

戻る

アルツァイ Alzey RP2

1.歴史

  360ー370 ローマによる築城、      1116-18 ホーエンシュタイン家の築城、
 1277 都市権の授与、            13C 市壁と7修道院の建設、
 15C 城を拡張して宮殿とした、      1689 仏軍は宮殿と町を破壊、
 18C 町の再建、          1816 ヘッセン・ダルムシュタット大公国に帰属、
 1835 郡庁所在地、          1945 第2次大戦の被害は免れた。

2.市壁  0.25km 0.05 

   北にKlosterStrasseの公園に高さ6m長さ0.10kmの市壁が、壁上木製通路と共に
  復元されている。南西A.D.Hexenの幼稚園に高さ7m長さ0.15kmの市壁が残さ
  れいる。また、Schlossの北西に門付き石壁があるが、市壁ではない様である。

3.塔  0門2塔

 鳩塔 TaubenTurm 13C建、北に残った市壁の場所に3階建角塔が残る。
 魔女塔 HexenTurm 13C建、西南の市壁の残りと共にあり、小魔女の像が置
   かれている。

4.見所  B

   旧市街地の中心に、木組の家に囲まれた雰囲気のある広場が幾つかある。
 アルツアイ城 AlzeySchloss 13C建、15-16Cに拡張されたが、王位継承戦争により破壊
   された。20C初に城跡に20m角4階建の城が再建された。今は、簡易裁判所や
   寄宿舎として使われている
 旧市庁舎 AlteRothaus 1586建、木組2階建の建物で多角形の階段塔には民衆像の
   グロッケンシュピールがある。
 ニコライ教会 NikoleiKirche 1350建、南に王宮の礼拝堂として建てられ、1420-99
   にカソリック教会、1556にルター派教会として改修され、1689仏軍に壊され、1844-48
   今の教会を建立、1984に徹底的に改修された。
 小教会 KleineKirche 1728-37建、ルター派教会であった、1822に新教教会として更
   新され、簡素なバロックのホール式教会となった。
 町博物館 StadtMuseum 1689仏軍に壊され、1748バロックで再建された元病院である。
   1966から市博物館として、歴史と風俗を展示。
 ローマ砦 RoemerKastell 南の小高い学校の中庭にローマ砦跡がある。436に破壊。164m
   ×159mの四角形の石積を堀と防御壁(H12m.B3m)で守った。

5.写真

市庁舎 南壁
魔女塔 北壁
城東壁 城西壁
ロスマルクト 市博物館

戻る

戻る

アンデアナハ Andernach RP3

1.歴史

 BC55 ドイツで最古のローマ集落、ローマがライン川に架橋した、
  260 ローマはライン川右岸を放棄し、この町も被害を受けたが防備を固めた、
  359 砦は、壁と5門・20円塔で守られていた、 570 メロヴィング朝の宮殿を建てた、
  870 神聖ドイツ帝国の一部となった、    1198 ケルン大司教が支配、
 1198 ローマ市壁から東に拡大した、 1632、30年戦争でスエーデン軍の占領略奪、
 1689 仏軍は略奪.放火、城や要塞を破壊、 1794 仏軍の占領と支配、
 1816 プロイセンに帰属、           1819 ライン川沿いの市壁は落ちた、
 1945 2次大戦の爆撃被害は軽微、

2.市壁  1.00km 0.56 

   359にローマの砦、12C終りに中世の市壁が造られた。東側は1689に仏軍が
  壊した。現存する市壁は、東.南.西南.北西に合わせて1.0kmが残っている。

3.塔  2門5塔

  ローマ砦には5門20円塔があった。中世には5門二重門.5小門.15塔があった。
   5二重門:ケルン門 西、教会門 南、羊門 南、城門 東跳ね橋、穀物門 北。
   5小門:シュパイヤー戸、メールス戸、新戸、魚戸、トーリア戸。
   15塔:城塔2、10半円形壁塔(嘆きの壁4、南壁6)、関税塔 北東角、市民塔
     東壁、円塔 1453北西角。
  現存するのは、次の2門5塔である。
 ライン門 RheinTor 1200建、北 穀物門の残り、後期ゴシックの石積長方形の
   3階建正門。18Cに守衛詰め所と大きな窓が付け加えられた。
 コブレンツ門 KoblenzerTor 南 城門の一部。
 円塔 RunderTurm 1440-53建、北西角に高さ33m直径15mの円塔。1448に
   八角形の3階を置いて高さ56mとなった、1689仏軍の爆破に耐えた。
 見張塔 HlmwartsTurm 西 兄弟塔。
 城塞塔 BollwekTurm 東 。
 古クレーン塔 AlterKrahnenTurm 東。
 ダーデン山塔 DadenbergTurm 西 半円形の学校の塔。

4.見所  B

   戦争被害は軽微であったが、旧市街地には新しい様式の建物が多い。
 聖母教会 FrauenKirche 1194建、1220に大聖堂の再建、1250に西
   塔の追加。1740-42再建、1983-84西正面の再建。
   の後に1519-23ゴシック廊が追加された。内部には1520のバロックの祭壇。
 歴史市庁舎 HistgeschichteRathaus 市議会の議場と浴場がある。
 市博物館 StadtMuseum 1590建、南 町の美術と歴史の展示。

5.写真

旧市庁舎 ライン塔
南壁 南壁
キリスト教会 城跡

戻る

戻る

バッハラハ Bachrach RP4

1.歴史

 11C 最初の文書言及、ケルン司教の所有、  1214 関税の収入を得る、
 1413 ワイン貿易が町に貢献、         1356 都市権の授与、
 1344-1400 市壁の建設、          1545 30年戦争で8回も占領された、
 1689 仏軍による城や壁の破壊、       1794 仏革命軍の占領、
 1815 プロイセンに帰属。

 

2.市壁  1.95km 0.87 

  14Cに市壁は建設され、殆ど残っている。欠けた部分には鉄道が通っている。

3.塔  1門5塔

 14Cの市壁には18塔在ったが、3塔(ZehnTurm.BrueckerTor.ZollTor)は失われた。
   1.HutTurm、2.SonnenTurm、3.KuehlbergTurm、4.HalbrundTurm、5.Auseichts
   Turm、6.LiebesTurm、7.SteegerTor(HolzTor)、8.PostenTurm、9.Spitzer
   Turm、10.DiebsTurm、11.MuenzTurm、12.KleinesStadtTor、13.MarktTorー
   Turm、14.KleinesStadtTor、15.KranenTor-Turm。

4.見所  

   線路の山側の細長い旧市街で、木組の家と大部分の門塔と市壁が残っている。
 スターレック城 BurgStahleck 12C建、1925からユースホステルになっている。
 聖ニコライ教会 St.NikolausKirche ZollHofにあるカソリックの教会。
 聖ペーター教会 St.PetersKirche 新教教会、身廊は最後のロマネスク、4層が
   積み重なった大アーケード、回廊に高窓。
 木組の家 FachwerkHaus
   AltesHaus 1368建、マルクトにある古い木組3階建の宿屋。
   HausUtsch 1585建、プファルツからの狩師の家。 PostHof 木組の家が囲む。
   HistorischeMuenze 14C中建、2階建の木組家。 Rathaus 2階建木組家。
   HausSickingen 13C建、3階建。

5.写真

クラナン門

戻る

戻る

バートベルクツァベルン BadBergzabern RP5

1.歴史

 1286 都市権が授与された、           1394 城や町の建設、
 1580-1579 城の南に拡張構築、      1522 温泉保養地として発展、
 1676 戦争で町の大部分破壊、    18C バロク様式の都市や住宅の再建、
 1792 仏共和国が領有、              1815 バイエルンに帰属、
 1945 2次大戦の爆撃で町の75%被害。

2.市壁  0.03km 0.02 

   13Cに町を囲んで市壁は造られた。北西のDickerTurmの東側に30m残る。

3.塔  0門2塔

 太い塔 DickerTurm 13C建、2階建直径6mの円塔、
 コウノトリ塔 StorcherTurm 13C建、円塔。

4.見所  C

   静かな温泉の田舎町。マルクト広場に見所は集中し、2塔が離れてある。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1705建、バロックの建物。1980まで市庁舎として使われた。
 市場教会 MarktKirche 1335-40建、祭壇と南の鐘楼が有名。1896にネオゴシック屋根
   に天窓が付いた。
 旧薬局 AlteApoteke 1741建、市役所の裏で、1990に取壊され古い様式で再建さ
   れた。
 公爵宮殿 GrafSchloss 1527-32建、農家を撤去して水城を建てた。二つの大きな
   円塔を両側に立て、間を南翼で繋いでいる。1571-79に東西と北の翼を築き、
   1676に焼かれ、1720-25に民間の手に渡り、フランス革命時に再建された。1909の
   火災の後に現在の外観へ改築を終えた。今は地方行政庁。
 錫像博物館 ZinnfigurenMuseum 2万の錫のフィギアで世界の歴史を表示。

5.写真

-tr>
マルクト教会 コウノトリ塔
太い塔

戻る

戻る

バート・デュルクハイム Bad Duerkheim RP6

1.歴史

  778 最初の文書言及、        1023 ベネディクト会リンブルク僧院を建設、
 1250 城を築き要塞で守った、  1360 都市権を授与され、1471に失った、
 1471 プハルツの勝利による被害、          1689 仏軍による破壊、
 1700 迅速な再建で都市権を再獲得、  1725 皇帝ヨーゼフ2世の居所となった、
 1794 塩の生産を始めた、           1816 バイエルンの所有となる、
 1848 温泉の開発、              1945 2次大戦の空爆被害。

2.市壁  0km  

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   SchutPlatz、StadtPlatz、OberMarktと広場が繋がる所が中心である。
 温泉会館 KurHaus Schlossを温泉会館として使っている。
 聖ヤコブ教会 St.LudwigsKirche (1828-29) カトリック教会。バイエルン王ルードビッヒの支援
   で建てられた。
 聖ヨハネ教会 St.JohannesKirche (13c) プロテスタントの宮殿教会。70mの塔は高い。
 城教会 BurgKirche (18c) 1945に空爆で壊され、その後再建された。今はプロテス
   タントの集会所、塔には1758鋳造の317kgの鐘が吊されている。

5.写真

市広場 シュート広場
クアハウス 聖ル-ドヴィッヒ教会

戻る

戻る

バート・ゾーベルンハイム  Bad Sobernheim RP7

1.歴史

 1074 マインツのジークフリート1世の修道院文書に初言及、1272 ナッソー王アドルフの都市権、
 1324 ルードヴィッヒはバイエルン都市権を授与、1330 トリアー大司教バルトウインの都市権施行、
 1259-1471 町はベッケンハイムが管理した、1689 仏軍により要塞と町は破壊された、
 1798 仏のライン・モーゼル郡に属した、  1815 プロイセン領となる。

2.市壁  0.28km 0.19 

   1330以降に市壁は構築され、1689仏軍により破壊された。その後17cに
  改造された形で再建された。 南側に残っている。

3.塔  0門1塔

 階段塔 Treppen Turm (1597) 貴族の館Adelshofに3階建ルネッサンスの階段塔
   が白く塗られて幼稚園に立っている。

4.見所  C

   公共的な大きな建物が多く残っている。
 市庁舎 Rathaus (1535) 代表的な後期ゴシックの前面と張出ベランダがある2階建
   の建物。1860鐘楼と2つの小塔が付けられるなどの改造が行われた。
 プロテスタント教区教会聖マティウス Ev.PfarrKirche St.Matthias (1400) 最初の部分
   は北塔基礎のロナネスク献堂教会である。後陣は初期ゴシック、身廊は1482-84に
   西塔は1500に建てられた。初めからの天使と絵画の祭壇・1739オルガンがある。
 ディジボンデン山礼拝堂> Disibodennerger Kapelle (1401) ゴシックの修道院礼拝
   堂は、1566改革後倉庫に改造され、アーチ型の地下室が設置された。
   1985修復作業が行われ文化施設となり、2013醸造所に改造。
 マルタ礼拝堂 Maruteser Kaprlle (1427) 後期ゴシックの礼拝堂は、聖ヨハネ騎士団と
   マルタ騎士団の教会として建てられた。後陣は1456・身廊は1465に完成した。
   1566改革後売却され荒廃した。1664カトリックが再導入され、礼拝堂は修
   復されカトリック教会として使われた。1837改修されて学校礼拝堂となった。
   1998-03に改修され、今はカトリックの出会いの場として使われている。
 カトリック教区教会聖マテウス教会 Kath.PfarrKirche Matthaeus (1898-99) 大司教教
   ミカエル・フリックス・コールムは新ゴシックの黄色砂岩3通路ホール教会を奉献した。1901-02
   オルガンが付けられ、教会の塔は59m、内装は2014-15に改装された。
 プロテスタント・フィリップス教会 Ev.Kirche Philipps (1737-41) ルッター派はバロックの荒石造
   単純なホール教会を建てた。1901レストランへ改造、1905ネオバロックのカイザー・ザール。
 小出窓の家 (Haus Klein Erder (1614) 豊かなルネッサンスの建物で小切妻と三角形
   の出窓のある前面砂岩の2階建ての建物で、なめし革ギルドの事務所であ
   った。内側にバロックの木製階段がある。
 ロシア邸 Russischer Hof (1597) 貴族の家として建てられた3階建の建物で円形
   階段塔がオリジナルで残っている。建物の名前はプロイセンのコサック兵から来ている。
 旧校舎 Ehem.Schulhaus (1750) 元学校体育館で、2階建ナオバロック・マンサード屋根
   の建物。1912バロックに改装去れ、今は地方裁判所である。
 郷土博物館 Heimart Museum PriorHof (1572-73) 16cの貴族の館で、1572
   に建てられた修道院マリエン小門に属した。今は市郷土博物館を収容している。

5.写真

市庁舎 教会聖マティウス
フィリップス教会 階段塔
北東壁 北西壁

戻る

戻る

バウムホルダー  Baumholder RP8

1.歴史

 1156 フェルデン司教の財産として初言及、 14c フェルデンツ伯爵の所有となる、
 1444 パラチネ・ツバイブリュッケンに属した、1490 ツバイブリュッケン公は準都市権を与えた、
 17c 仏支配下でビルケンフェルトの中心へ、  1816 ウイーン会議後ザクセン・コーブルクへ、
 1835 プロイセンのライン郡聖ヴェルデン地区へ、       1835 市に昇格した、
 1880 大火事で町の大部分が焼失、   1919 市はザールラントの郡庁所在地へ、
 1935 ザールラントはドイツ帝国へ戻った 、1938 軍事訓練場が市の北と東に開設、
 1951 大規模な米軍駐屯地の開放で拡大、

2.市壁  0.01km 0.01 

   16cの市壁は、Dicke Turmの取付け部にわずかに残る。

3.塔  1門1塔

 死体小門 Leichen Pfoertchen (16c) 北側の市壁に16cに開けられた支所を運び
   出す小門であり、20cまでこの小門を通って墓地へ死体が運ばれた。小門は
   1階建アーチ門のあるピラミット屋根の四角塔である。
 太い塔 Dicke Turm (16c) 北の3階建六角屋根の円形市壁塔で、1986-88に元の
   高さで再建された。今この塔は、結婚式場として使われている。

4.見所  D

   珍しく中央にマルクト広場が見当たらず、北に教会・南に新旧の市庁舎がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1840) 1880の大火事を生き残った数少ない建物で、19
   81迄使われた。3階建古典主義7窓列の建物で、屋根の上には大きな時計塔を
   乗せている。今でも旧市庁舎では、市長と議員の事務室・歴史美術館・公共図
   書館・コミュニティカレッジ・人形とおもちゃの博物館として使われている。
 市庁舎 Rathaus (1982) 旧市庁舎の東隣に新しい市庁舎を建て、旧市庁舎と分担
   しながら市政を行っている。
 プロテスタント教区教会 Ev.PfarrKirche (1748-50) シンプルなバロックのホール教会で身廊は後
   期ゴシックの西塔に付いている。創始者はツバイブリュッケン領主のクリスチャン4世であっ
   た。1950内装は近代化された。1980ステンドグラスの窓となり、塔には3つの鐘
   が付けられた。鐘は1340・1499・1954大。
 カトリック教区教会聖シモンとユーダス・タデス教会 Kath.PfarrKirche St.Simon und Tudas
   Thaddaeus (1882-85) ネオゴシックのホール教会で鐘楼には3つの鐘がある。
 洗濯小川 Wach Bach (19c) 元々洗濯物を洗うための深い水盤で、1988に発掘して
   修復した。
 鍛冶屋ビール Schmiede Bier (1840) 小さな鍛冶屋の建物で、器具がある
 郷土博物館 Heimart Museum () 軍事訓練区域の絶滅自治体の記念品・文書・写真と
   19cの主要な家具が展示されている。リネンの製造プロセス・1570-71の裁判記録・市
   内の歴史的建物の絵画等もある。

5.写真

戻る

戻る

ベルンカステル・クルス  Bernkastel-Kuls RP9

1.歴史

 4c ローマの砦が右岸側にあった、     1277 トーリア大司教は3番目の城を築いた、
 1291 ハプスブルク・ベルンカステルのルドルフ1世は都市権を授与、 1332 バイエルン皇帝の都市権、
 1401 クサヌスはモーゼル造船所で生れた、 1505 トリア-大司教は夏の離宮ランドシュ-ト城建設、
 1627 疫病流行で多数死亡、        1692 ランドシュ-ト城は仏軍により焼失、
 1794-1814 仏軍の支配下に、      1815 ウイーン会議でプロイセン王国に属した、
 1905 ベルンカステル市と佐岸のKuesが合併、 1945 数回爆撃と砲撃の後3月16日占領。

2.市壁  0km 

   1291の都市権の後に門や塔のある市壁が構築されたが、今は見当たらない。

3.塔  1門1塔

 グラーアッハー門 Graacher Turm (1300) 北の要塞門で、旧8通路の一つである。1689に門は
   仏ルイ14世によって破壊された。18cにアーチ門のある2階建の門を建て、1734刑務所が
   置かれ、その後は住居や浮浪者宿で使われた。1985歴史的・文化的な博物館を開設
   した。2002改修された。守護聖人聖ミカエルの絵がアーチにあった。
 聖ミカエル教会の塔 St.Michael Kirche Turm (13c) 市壁の塔を教会の塔に転用した。塔高56
   m、最上階の壁厚は1.75mであり、15c年号の屋根がある。

4.見所  B

   モーゼル川右岸にある旧市街地は、狭い道に沿って1416-17cの切妻付木組の家が立ち並
  び、中世の雰囲気のある町である。対岸(左岸)には広大なワイン畑が広がりリ-スリングワインを
  生産しワイン祭りでにぎわう。左岸から旧市街の眺めは、モーゼル川の向うに、教会と塔・大き
  なホテルの前面が美しい圧倒的な景観である。
 市庁舎 Rathaus (1608) ルネッサンスの2階建の建物。
 マルクト広場 MarktPlatz (17-18c) 傾斜した小さな広場を色とりどりの木組の家が取り巻いて
   いる。中央には聖ミカエルの噴水が立ち、市庁舎右のカール通には独特の尖った切妻の狭い3階
   建の木組の家が並んでいる。
 聖ミカエル教区教会 Pfarr Kirch St.Michael(1179) 1017にはカトリックの集落があった。今の教会
   は1386に建てられ、17cセバステャンの祭壇・1750聖マリア祭壇・1750ニコラウスの祭壇がある。1970の
   改修時には。1177の部分が発見された。
 ランフート城 Burg Landsfut (11c) 南東3kmに、トリアー大司教が夏の離宮として建てた。1692プファ
   ルツ承継戦争で廃城となった。今はモーゼル渓谷の見晴らしの良い展望台として機能して
   いる。

5.写真

市庁舎 聖ミカエル教会

戻る

戻る

ビンゲン  Bingen am Rhein RP10

1.歴史

 4c ローマ街道の拠点であった、  983 皇帝オットー2世はマインツ大司教に町を与えた、
 1105 教王と帝国の争い、    1174 ビンゲンのヒルデェガードは修道院を設立、
 12c  皇帝時代に主要都市リ-グに参加、 1301 シアルプレヒトの関税戦争で城は破壊、
 1403-90 町は大火事でほぼ全焼、  1419-38 マインツ大司教の章を取得18c迄、
   17c 30年戦争・仏軍による破壊、      1798-1814 仏軍の占領下に、
 1816 ヘッセン大公国からプロイセン王国へ。

2.市壁  0.02km 0.01 

   13cの市壁は、城山・ナー川・ライン川・東北塔・城山のルートに築かれたが、今は殆ど
  見当たらない。Loehr Turmの巨大な切株は内側から見られ、Enkers Pforteの
  残骸がある。

3.塔  0門3塔

 ねずみ塔 Binger Mause Turm (10c) ナーエ川合流部上流の中州に、税関塔として
   968にマインツ大司教からビンゲンの司教を経て建てられた。1298塔はオイレンフェルス城
   の関税システムに込みこまれた。1855仏軍は破壊したが、今は信号塔として使わ
   れている。16cのハット司教の伝説は、真偽が定かではない。
 クロップ城の角塔 Bergfried Burg Klopp (19c) 城の西南側の城壁に4階建四角の塔が
   石積で再建されている。ライン川の展望は素晴らしく、4-10月の8-18時に登るこ
   とができる。
 レーア塔 Loehr Turm (13c) 塔は内側から見られ、階段があって登れる。2017塔は記
   念碑として改修された。

4.見所  C

   旧市街地は城山に向かって急な登り坂であり、ナーエ側右岸以外は、建物が何
  回も建て替わって旧市街の面影は薄い。
 旧ビンゲン市庁舎 Rathaus () 2階建隅階段塔付きの石造建物で、破風と鐘楼が付けら
   れた。
 旧郡庁 Ehem.Anterhaus (1901-03) 旧大公庁領郡役所で税務の建物であった。今
   は記念物的な3-4階建の建物群で斑岩荒石・桂岩擁壁がある。
 鷲薬局Adler Apotheke (1710) 3階建バロック・マンサード屋根の建物で、1852上階を建て
   増した。
 ゲーテハウス Goethehaus (1665) 旧ガストハウス:白馬で、3階建漆喰塗り1830擬古主義の前
   面になり、1907改造された。
 クロップ城 Burg Klopp (1252) 城は建てられては壊された。1689には継承戦争で大き
   く破壊された。18cに裕福な商人が城跡に再建を始めた。1897城は町の所有と
   なり、市庁舎として使われることになった。二次大戦でも壊されたが修復され、
   今は町の美しいランドマークであり、見晴らしの良い展望の場所。
 聖マルチン大聖堂 Basilika St.Martin (783) ロッシュ修道院の寄付登録簿に初言された。
   883のロマネスクの教会は、1220破壊・再奉献された。1403火災で焼失し1416ゴシック
   の教会が再建され、1505教区教会として拡張された。戦乱で祭壇画や美術品が
   失われた。1930教王ピオ11世は大聖堂の称号を与えた。1944爆撃で身廊と祭壇
   の一部が破壊され、再建された。
 聖ラウレンチウス教会 Kapuziner Kirche St.Laurentius (1656-58) 旧カプチーナ教会聖ラウレンティ
   ウスは、今聖霊病院の所有のバロックのホール教会で1884に鐘を付けた。
 プロテスタント・ヨハネ教会 Ev.Johannis Kirche (1858-60) 砂岩切石造のホール教会で5階建の
   塔がある。
 古いクレーン Alte Kren (1487) 船の積降しに有料で使用され、町の収入源となった。
   1787木造部は更新された。1890川岸に土手が築かれ、2005-09に機能的に修復
   された。クレーンは人力で大きな二つの車輪を動かせた。
 歴史博物館 Histrisches Museum am Strom (1898) ネオゴシックの旧発電所で今はストロム歴
   史博物館。1910広間は拡張された。
 復元建物 Pestaurations Gboeude (1899-1900) 4階建後期歴史主義の部分敵に木組
   の美しい木組の建物。

5.写真

市庁舎 クロップ城
レーア塔 ライン川

戻る

戻る

ボッパルト Boppard RP11

1.歴史

  4C ラインの谷道のローマの砦、     643 最初の記述として宮廷の設置、
 1309 自由都市となる、        1327 トーリアの所有となる、
 1497 町は包囲された、        1632 30年戦争スエーデン軍占領、
 1689.1735 仏軍の侵攻、        1735 仏革命軍の占領、
 1815 プロイセン領となる。

2.市壁  0.40km 0.22 

  ローマ砦RoemerKastellは、4C中に308m×154mの四角形4.7エーカーの規模で、壁は
 高さ8m厚さ3mを示し、28の塔を備えていた。今はAngertStrasseの東西方向60m
 とBurgGasseの南北方向に50mの跡が残っている。
  中世の市壁は、ローマ壁を中世の壁の中に使用し、14Cに西と東へ拡大して塔の
 ある市壁で囲んだ。今は南側国道沿いの290mである。

3.塔  1門1塔

 ビンガー門 BingerTor 東 BingerGasseに崩れた塔の跡がある。
 ゼナーリンク塔 SaenerlingsTurm 西 HeerStrasseに塔が立っている。

4.見所  C

   この町はライン川沿いにある、国道との間の細長い町である。古いローマの壁
  も残り、川を眺める保養地になっている。
 旧城 AltBurg 2階建中央に4階建塔のある建物であり、今は市美術館。
 カルメル会教会> KarmeliterKirche 14-15C建、1265設立の旧修道院の教会
   であり、15Cの聖職者席と中世墓碑の彫刻がある。
 聖セヴェル教会 St.SchwellsKirche 1236建、ローマ浴場の上に構築された
   ロマネスク様式の白い5階建の西棟がある。

5.写真

旧城 ローマ城塞
南壁 南壁
城路地

戻る

戻る

ブレッツェンハイム  Bretzenheim RP12

1.歴史

 7c ケルン大司教は王家からの寄付で村を得た、 1054 ポーランド女王に一時貸与、
 1190-1789 伯爵達が町を管理した、 1456 村の法的条件は口頭で引継がれた、
 1542 村を防御の堀・壁を築く、 1664 皇帝レオポルド1世は村を帝国自由支配に、
 1789 帝国統治から帝国公国へ昇格、       1795 仏軍が占領し破壊、
 1815 プロイセン王国領となる。

2.市壁  0.21km 0.20 

  市壁の残りは、東のガルテン通にレンガ壁が80m+90mあり、南に古いレンガ壁が
  40mある。

3.塔  2門2塔

 アーチ門 Tor Bogen (17c) 旧フェーレン宮殿のガルテン通の入口に、レンガ造のアーチ門
   がある。その内部にも通路に通じるレンガ造のアーチ門がもう一つある。
 円塔 Rund Turm (17c) 旧フェーレン宮殿の南東の隅にレンガ造の崩れかかった円塔
   がある。
 旧配水塔 Alten Wasserturm () レンガ造6階建六角形の旧見張塔があり、配水
   塔としても使われた。

4.見所  C

   小さなワインの町であり、多くのワイナリィがある。
 旧役所 Altes Amtshaus (1592) ルネッサンス2階建の建物で八角形の階段塔が付い
   ている。ケルン大司教管区の境界石がある。今はワインと文化のセンター。
 旧フェーレン伯爵宮殿 Altes Schloss Der Grafen von Velen (17c) 円塔とアーチ
   門のあるレンガ壁のみが残る。
 ブレッツェンハウゼン宮殿 Schloss Bretenheim (1500) 1774に火事の後にバロックの
   宮殿に改造され管理事務所のある集会施設の館。1595階段塔ある領主
   の家。1600旧住居は1783に改造された。
 カトリック教区教会マリア生誕 Kath.PfarrKirche Mariae Gaburt (1789-91) 早期疑
   古典のホール教会で、バロックのヘルメット付きの中世風の塔がある。
 プレッテンベルク・プリセリ邸 Villa Plettenberg Puricelli (1847) 旧プリセリの館。
   2階建半の漆喰造りの後期擬古主義の広い住宅。木骨造の病院建築。
 木組の家 Fachwerkhaus (1712) バロック地階石造上階木組の建物。
 旅館:緑の木 Gasthaus Zum Gruenen Baum (17c) 地階石造上階木組の建
   物であり、1779に改装された。
 中庭の家 Hof Anlage (1677) バロック上階木組の3翼の館である。アーチ門には
   1754の年号がある。

5.写真

教区教会 東門
東市門内 東壁
東北壁 南壁

戻る

戻る

ダイデスハイム Deidesheim RP13

1.歴史

 9-10c ニーダーキルヘンの隣の集落、1057-86 ハインリッヒ4世はシュパイヤー本山に贈与、
 1100 寄付でジョン1世が所有しシシュパイヤー司教区、  1292 水城が建設された、
 1300 シュパイヤー修道院長の北西部の居所、 1360 付属権の授与で要塞の建設、
 14c 母教会の建設、         1395 シュパイヤー司教は都市権を授与、
 1396.1460.1525.1552 攻撃に対して戦った、 1621.31.39.89.93 町を占領、
 1689 仏軍に殆ど破壊・全焼された、   18c 仏革命による都市権の喪失、
 1794 プロイセンに属した、        1814 ウイーン会議でバイエルンに属した、
 1849 パランタインの反乱、          1918 第一次大戦後仏軍が占領。

2.市壁  0.04km 0.03 

 1360から要塞建設が始まり、建設資金としてシュパイヤー司教はワインの間接税
  を認めた。1395頃にヴィースバーデンのニコラウスが完成させた。要塞で夜盗団から
  は守られたが、戦争では数回占領され焼かれた。1731バロックの門が再建さ
  れたが、最早 軍事的には機能しなかった。1818以降殆どの部分で市壁は、
  解体され堀を囲む壁も水平になっていった。市壁は住宅としての塔と共に
  販売され、市壁を使って住宅が建てられた。今も連続した石積の自立市壁
  が見られる。Spital gasse21-23に20m、Stadtmauer gasse46に10m、
  Heumarkt str.20に10m。

3.塔  1門4塔

   市壁には、北のヴォルムス門と南のランダウアー門の2市門と14壁塔で守られてい
  たが、市壁は1820に取払われ、壁塔は5基がまだ残る。
 南門旧守衛所 Rest des Wachhaus (14c) 南、ランダウアー門守衛所の中核が、
   木組3階建で残っている。
 ローテン塔 Rothen Turm (1350) 2階建半円形の壁塔が3/4残っている。18cに
   住宅となった。
 ミュルテン塔 Muelten Turm (1350) 2階建漆喰塗の円塔でランタンが付いている。18c
   に住宅化され、家の屋根に接続している。
 火薬塔 Pulver Turm (1350) 2階建円錐屋根の塔。
 塔切株 Turm Rest (1350) 半円形2階建の塔壁が残っている。

4.見所  B

   中世の町の構造は、基本的に変わっていないが、17-18cの戦争被害で建て替
  えられた部分が多い。1991から歴史的中心地は保全地区として整備されている。
 市庁舎 Rathaus (1532) ワイン街道マルクト広場に、大きな屋外階段のあるバロック2階建
   がある。1689に焼失し18c初めに今の外観で再建された。1709に2階建の建
   物が取付けられた。今は、市長室・歴史的会議室・ワイン文化博物館であり、
   1986開設の博物館には、ワインとブドウ栽培の展示があり、1912評議会室には
   美しいテーブルと椅子が置かれている。
 ダイデスハウム城 Schloss Deidesheim (13c)オランダ王ウイリアムが建て、その後。シュパイヤー
   司教が所有した。1250スタウフのコンラッド4世はこの町を焼き払った。14-15c
   シュパイヤー聖公会の城は行政の場となった。1689仏軍が城の主翼を壊し、
   バロックで復旧された。1794採石場として解体されたが、1804-20現在の形
   で再建された。3アーチの石橋は以前から変わっていない。
 聖ウルリッヒ教区教会 PfarrKirche St.Ulrich (1362) 最初の教区教会が建てられ、
   1444-73後期ゴシックの3連柱状大聖堂となり、15cプファルツ唯一の生残り大聖
   堂である。赤砂岩の四角い西塔の高さは62.7mで、八角形の覆いは西に
   25cm傾いている。
 ダイデスハイム邸 Deidesheim Hof (18c) マルクト広場にあり、2軒のレストランがあるホテル
   の建物で、18cに新しいバロックの建物となった。中世にはシュパイヤーの王子司
   教が所有したが、仏革命後は仏スパーリングワイン会社が所有し、1901帝国評議
   会のヴィラであった。1920レストランとなり、ホテルの建物を追加した。2001五星
   ホテルとなり世界の要人が宿泊した。
 ディーンハイム邸 Dienheimer Hof (14c) 町の中心にあり、廷史が所有した。1744
   参事会議員が所有し、1803仏は競売に付しホテルになった。1999隣の所有者
   が買収しホテルとした。1806の門のある中庭付き2階建本館がある。
 ヨーゼフ・ビッファーワイン園 Weingut Josef Biffer (19c) ビッファー家は、19c市壁外に
   ワイナリィを建て、4代にわたって運営した。2013ワイナリィ・レストランを賃貸した。
   1879の農場の2階建赤砂岩の建物と隣接の別荘は、保護文化財である。
、  ディーツ・マッティワイン園 Weingut Dietz-Matti (1487) 市庁舎の向かいの旧ガストハウス
   の文化財である。2階建地階漆喰塗上階木組の2翼の建物で、木組の上階は
   1700に置換えられ、1992補修された。
   地中央西にあり、平らで地味な東向きの広間造り、バロック屋根の鐘楼。
 旅館:カネ Gasthaus Zum Kanne (12c) 斜め向かいに市庁舎がある。12cに
   はオイサータール修道院に属する宿泊所が建てられ、1374ホステル、1400最初の建物
   は最古の宿屋Zum Kanneとなった。1532ゲストハウスとなり、改革中に民営化
   された。1687最初の建物は戦争で破壊され、1710改修・1731再建された。
   1951Kanne教会が引継ぎ、2016レストランを開業した。石造後期バロック7軸の建物。

5.写真

マルクト広場 聖三位一体教会
シュピェヤー門 広場

戻る

戻る

デ゙ュクロート Duchroth  RP14

1.歴史

 1128 マインツ大司教文書に村の初言及、 1418 皇帝の息子ステファン公は村を振興、
 16c ラインラントプファルツ州で最古の町役場建設、 17-18c、住民は貧困から海外移住、
 18c クリスチャン4世が支配し郊外を開発、
 1798 地図の村は円形の堀と道路で囲まれ2門があった。
 1813 ウィーン会議でプファルツからバイエルンへ移り1945迄残った。

2.市壁  0.34km 0.54 

   ほぼ円形の市壁の痕跡は、前週のほぼ半分は残っている。

3.塔  0門0塔

   1798のEimanの地図には、南の下門と北の上門の2門あるが壁塔はなかった。
  今は、門塔は見当たらない。

4.見所  D

   古くからワイン生産が行われ、1979には59haのワイン畑と、36のワインセラーがあった。
  今でも小さな町に、35haのワイン畑と11のワイン醸造所あり、80%が白ワインである。
 市庁舎 Rathaus (16c) 後期ゴシックの鐘楼付きの2階建の建物。19cに通路側は再建さ
   れた。
 プロテスタント牧師館 Protestant PfarrKirche (1960) 別荘の様な屋根の田舎造の建物。
 教区教会プロット PfarrKirche Prot.Kirche(1808-1910)砂岩造のゴシック
   3階建のホール教会で時計塔がある。単塔の横に教会入口がある。
 シューマーハーの家 Haus Shurmscher (1790) バロック不完全な寄棟屋根の一部木造の建物。
 館の施設 Hof Anlage (17c) 農場の住宅で、1801周壁と19cの門扉。
 リンデマンの家 Haus Lindeman (1786) バロックのレンガ造2階建の家。
 住宅 Wohn Haus (18c) バロックの2階建上階木組の彩色された家。18c改造。で説明して
   いる。

5.写真

市庁舎 プロット教会

戻る

戻る

エッセンハイム Essenheim  RP15

1.歴史

 1023 皇帝ハインリッヒ4世はトリアー修道院の大農園を村に置いた、その後1062.1066.
   1140.1182に村の大農園は確認された、 1259 ベルナー4世は息子を代官に、
 1422 フェルデンツ公フリードリッヒ伯は娘の相続でこの村を領地に、
 1444 フリードリッヒ伯は息子にこの村を与えた、 1533 ツバイブリュッケンの新設教区に、
 16c  村は堀と壁に守られた教会に退避できた、1620 30年戦争で人口は1/5に、
 1666 疫病、1686町の破壊で村は消滅寸前、1733 ツバイブリュッケンの飛地して残る、
 1797-1815 仏の統治下に置かれた。 1816 ヘッセン大公国に属し村人は米国へ、
 19c 人口の1割のユダヤ人が住んだが1978に居住地は破壊された。

2.市壁  0.05km 0.04 

   街路名で市壁の位置は推定できるが、市壁の跡らしき構造物は西にわずか
  見られる。

3.塔  0門0塔

   門塔は見当たらない。

4.見所  C

   ハウプト通には、見栄えのする2階建の建物がある。
 市庁舎 Rathaus (1836) 以前は学校の建物であったが、市庁舎になった。石造古典主
   義の中央部3階建の細長い2階建の建物で、補修して使われている。
 プロテスタント教会 Ev.Kirche (15c) 以前は要塞化された中世の聖モーリシャス教会であり、ガシック
   の4つの部分から成る建物である。1630塔は修復され、1775身廊はバロックに改装
   された。1703の3つの鐘があり、18cのオルガンは1914に修復された。
 マインツ聖堂参事会十分の一税館 Zehnthof des Mainzer Domstift (14c) 14c中頃の建物
   に、18cバロックの改修が行われた石造2階建の大規模な建物である。
 館の施設 Hof Anlage (1700) 3階建のバロック上階木組の館。19cに車庫とレンガ造の倉庫
   が建てられた。
 館の施設 Hof Anlage (18c) 2階建上階木組の建物で、中央に中庭への入口がある。19
   cに馬屋とワイン絞り機が置かれた。
 住宅 Wohn Haus (18c) 後期バロックの上階木組2階建の家で、一部漆喰塗。
 料理屋 Gastwirtschaft (18c) 元料理屋:ゲオルク肉屋であった。2階建上階木組の美しい
   建物で、18c丸天井地下室のバロック入口が設けられ、1905に全般的に改修された。

   

5.写真

市庁舎 プロテスタント教会
西北壁 西南壁

戻る

 

戻る

フランケンタール Frankenthal RP16

1.歴史

 772 修道院の文書で最初の言及、   1119 聖アウグスチヌス修道院の設立、写本、
 1562 画家.金銀細工師.織物製造者を集めて繁栄、    1577 都市権を得た、
 17C 強い要塞となった、            1689 仏軍に殆ど破壊された、
 1718 要塞強化着手、            1770-73 要塞とスペイヤー門の建設、
 18C 工業と磁器製造で栄える、     1798-1815 仏の管理下に入り停滞、
 1815 バイエルン領となる、            20C初 狭すぎる壁は壊された、
 1943 空襲のため旧市街地の90%破壊。

2.市壁  0km  

   見当たらない。

3.塔  2門0塔

 ボルムス門 MormserTor 1770-72建、北 砂岩ブロック積みの三角屋根二つの凱旋
   門。
 スペイヤー門 SpeyererTor 1772-73建、南 砂岩の前面に2本柱でライオン像を階建上に
   置いた凱旋門。

4.見所  C

   2次大戦後の復元建物が殆どであり、古い建物は見当たらない。
 市庁舎 Rathaus 1952-53建、旧市街地の中心にあり、大きな出窓と彫刻で飾られ
   ている。1階部分には町のロココ磁器コレクションを展示。
 シュバレンベルク城 13C建、小山の上に造られた城は僅かの跡が残っている。1628そこに
   住宅用建物が建てられ、1913改修された。
 聖三位一体教区教会 PfarrKirche St.Dreifaltigkeit 1709建、新市街地中央西にあ
   り、平らで地味な東向きの広間造り、バロック屋根の鐘楼。
 エルケンバート博物館 ErkenbertMuseum 町の歴史を色々な模型.写真.記録等で説明して
   いる。

5.写真

マルクト広場 聖三位一体教会
シュピェヤー門 広場

戻る

戻る

フラインスハイム Freinsheim RP17

1.歴史

  773 修道院文書で最初の言及、修道院から発展した町で教会と騎士が所有、
 1471 プファルツ選帝侯は集落を集めて町の権利を受け、15Cに既存防衛施設を完成、
 1514 鉄の門の外側で市壁を完成、  1689 プファルツ承継戦争で壁.門塔を破壊、
 18C 再建され選帝侯の行政機能で経済飛躍、 1815 バイエルンに帰属、
 20C 2次大戦の被害はなかった、1979-1992に旧市街地の大改修がなされた。

2.市壁  1.250km 0.96  

  15Cに町を囲む赤い砂岩の市壁H7-8mが建設された。通路として5箇所切取
 られた以外は全部残ったいる。

3.塔  2門6塔

  19C初には、2つの門しか残っていなかった。
 鉄門 EisenTor 1514建 東北側の巨大な門で両側の大円塔の間にアーチ型
   の鉄扉が付いている。設立年号を示すエンブレムが付いており、ルードヴィッヒが
   強化したことが分かる。
 ハイン門塔 HeinTorTurm 高さ15mの長方形の塔で、風化した木製の扉が
   付いていた。1689に最上階を失い1819に改装復元され、塔と二つの床で
   50人を収容でき、集まりに使用される。
 公爵塔 HerzogTurm 南 18C建、4階立ての四角塔。公爵によって建て
   られたため名前が付いた。水道会社が使用。
 カジノ塔 CasinoTurm 壁外南 3階建四角塔、カジノ会社があったので名前
   が付いた。かって掘削供給温泉があった。

4.見所  C

   旧市街地は戦災に会わず、面積は非常に狭い。それを古い市壁と門塔が取り
  巻いている。
 歴史的市庁舎 HistrischesRathaus 1750建、1800までは選帝侯事務所、
   1973までは町の管理棟、今は観光案内所、高い手摺の階段を上がって、
   歴史的な会議室へ行ける。
 聖ペテロとパウロ教会 St.Petero&PauroKirche 1772-75建、カソリック教会で
   ホールは弁髪様式、内には淡黄色の砂岩のバロック祭壇がある。
 新教教会 Ev.Kirche 1470建、当初3廊式アーチ型ホールは廃墟となり、1689に
   平らな天井のホールで建てられ、ルネッサンスの螺旋階段がある。
 ブッシュの館 Von Busch Hof 18Cウイーンノブッシュ大使の名前を付けた。石畳の
   中庭は1981に復元され、古い納屋で催物が開かれる。
 ゴットフリード・ヴェーバーの家 GottfriedWeberHaus 1779生まれの弁護士で音
   楽家の生家。

5.写真

市庁舎 南壁塔
東壁塔 階段
インザー門 石門
北壁 南壁塔
西覆道 西壁
侯爵塔 ハインター門

戻る

戻る

ガウ アルゲスハイム Gau Algesheim RP18

1.歴史

 766 ロルシュ修道院の農場贈与文書言及、 983 皇帝オットー2世はマインツ大司教に管轄権、
 1333 バイエルン王ルードヴィッヒは都市権を授与、1444 ディトリッヒ大司教は城を堀で強化、
 1480 町はマインツ選帝侯領へ、     1631 30年戦争で略奪と破壊、
 1666 疫病で人口は1/3の207人に、  1691 仏軍は町を焼き払った、
 1726 ロータークランク大司教は町をバロックで復興、1733-34 ポーランド承継戦争で仏軍占領、
 1792 仏革命軍の占領、1803 町は仏領に、1812 ナポレオンは馬・馬車・食物を調達、
 1816 ウイーン会議でヘッセン・ダルムシュタット大公国ラインラント州となった。
 1945 第2次大戦の空爆で5戸被害、1946 ラインラントプファルツ州へ。

2.市壁  0.19km 0.20 

   14cの市壁は、19cの初めに多くが取壊された。

3.塔  0門1塔

   1812-19に、門・塔が取壊され、唯一Graul Turmが残された。
 グラウル塔 Graul Turm (1332) 東、ゴシック3階建円錐屋根の円塔で、市壁の防衛塔であっ
   た。その後郡刑務所として使われた。

4.見所  C

   町は仏軍に焼かれ、1726からバロックで復旧されたため、古い木組の建物は少ない。
  ランゲン・ガッセには、2階建上階木組の建物が並んでいる。
 歴史的市庁舎 Historisches Rathaus (14c) 初めの建物は30年戦争でスエーデン軍に破壊さ
   れ、1690マインツ選帝侯が再建した。バロックと後期ゴシックのコアのある2階建の地階は、
  オープンマーケットと法廷である。正義と知恵の刻印がある。
 アルデック宮殿 Schloss Ardeck (1112) 南にマインツ選帝侯の事務所が水城モーゼスブルクとして建
   てられた。1412土地所有者の事務所も務めたが中世は廷史の居所であった。15c選
   帝侯シェンクが宮殿の拡張を行い、16cにも整備され、1803守衛部が破壊された。今は
   町が所有し、地階にラインヘッセン自動車博物館・上階に宴会場・屋根裏にクラブ室がある。
 カトリック教区教会聖コスマスとダミアン kath.Pfarr Kirche St.Cosnas und Damian (11c)1000以前
   に退避塔のある教会が建てられ、塔の地下室には1406の石文字とトンネル通路・マリエンコワヤが
   ある。1677コスマストダミアンに奉献された。1887-89ゴシック3廊の教会となった。塔の高さは
   63mで鐘が付けられた。
 聖ラウレンジ教会 St.LaurenziKirche (6c) ラウレンベルクにある巡礼教会で、6c後半から19c初め
   のアイルランド中央教会の基礎の上に、1707-17バロックの巡礼教会が建てられた。1905-06
   に今の外観に改装された。
 カトリック牧師館 Kath.Pfarramt (1719) 城跡にバロックのカトリック牧師館が、選帝侯ロータークランクによっ
   て建てられた。
 プロテスタント・グスタフ・アドルフ教会 Gustav Adolf Kirche (1927)学校通りに、アールヌーボーの福音教会
      が建てられた。

5.写真

市庁舎 グラウル塔
食堂カステロ ラングガッセ
南西壁 南東壁

戻る

戻る

ガウ オルデルンハイム Gau Odernheim RP19

1.歴史

 496 フランコニア王室の下に城が建てられた、    600-1187 村はメッツ司教が所有、
 9c 巡礼の地となった、            850 ブドウ栽培によるワイン生産、
 1282迄 ボランダンの領主が村を所有、1315 マインツ選帝侯が支配、1407 プファルツへ、
 1574迄 ハプスブルクのルドルフが所有、   1797迄 パラチュート時代にマルゼイ行政区に所属、
 1826-28 町は解体された、           1898 Gau Odernheimと改名、
 1938 ライン・ヘッセン州へ。

2.市壁  0.06km 0.05 

   旧市街地の南西の角に、市壁の跡が見られる。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   中心のマルクトに隣接するWoermser Str.には16-18cの美しい多くの木組の家が並
  んでいる。オーパーマルクトには市庁舎・教会・商店などの大きな建物が並んでいる。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1609) ルネッサンスの2階建上階木組の建物で、砂岩の入口の上
   には1614の木製箱出窓が付けられた。今はHaus Sturmdeder で、インテリア器具
   がある。
 市庁舎 Rathaus (1828-29) 校舎として2階建簡素な石膏の建物が建てられ、今は地
   元管理・評議会・博物館になっている。
 同時教会聖ルーフス Simultam Kirche Rufus (14-15c) ゴシックのシムルタン教会は3区分で構成
   された。ルネッサンスの大聖堂とバロックのオルガンは福音教会として使われた。1892壁で
   聖歌隊が仕切られ、バロックの本祭壇と1773ノミュートオルガンはカトリック共同体が所有した。
   高さ56mの塔は、1344ゴシックの塔は1799倒壊し、1833-36に建直された。
 カトリック・牧師館 Kath.Pfarrhaus (1759) 後期バロックのマンサード屋根の建物。
 カトリック・コミュニティセンター Kath.Gemeindehaus (18c) 旧農家で古典主義的な住居は今はカトリ
   ックのコミュニティセンターである。
 プロテスタント・会館 Ev.Gemeindehaus (1744) 元改革派学校校舎、バロック平屋石膏塗りの
   建物で、今はプロテスタントの会館。
 貴族リートの家 Haus der Herren von Ried (1567) 貴族リート家が16-18cに住んだ2階建
   後期バロックの堂々たる石膏の建物。
 旅館:王冠 Gasthaus Zur Krone (1697) 2階建上階木組の前面が美しい旅館で、20
   cまで客室があった。
 住家 Wohn haus (1700) 2階建の木組の家で正面の木組は美しい。
 ヴァッシェンハイマー邸 Wachenheimer Hof (1731) バロックの門のある荘厳な農場で中庭にも3
   階建の建物がある。
 邸宅 Hof Anlage (1620) L字型の2階建上階木組の建物で、アーチ屋根の地下室がある。
 オーデルンハイム城 Burg Odernheim (13c) 中世の堂々たる円形天守閣のある城跡である。

 

5.写真

旧市庁舎 同時教会聖ルーフス
南壁

戻る

戻る

ゲミュンデン Gemuenden (Wohra) RP20

1.歴史

 1223 初文書言及、   1253 町はツーゲンハイン公の所有で都市権を付与された、
 1450 侯爵の死後ヘッセン郡に落ちた、16c町は発展し市庁舎・学校・木管水道を建設、
 17-18c 30年戦争.7年戦争・疫病で人口1/3に、1714 方伯カールは新教の教会建設、
 19c ナポレオン・ヴェストファーレン王国の中心、1866ドイツ戦争でプロイセンの一部ヘッセン.ナッソーへ、
 1933-43 地方裁判所の設置。

2.市壁  0.005km 0.01 

   1253都市権を授与され、石造の高い市壁の建設が始められた。新しい強力な
  兵器の発達で、16cには市壁・門・塔の効力はなくなったが、徘徊する強盗や浮浪
  者を防いだ。東の市壁の殆どは1818の火事の後に壊された。町は火事で壊滅し
  た建物の再建の石材として市壁を処分した。魔女塔の取付部に市壁の残骸がある。

3.塔  0門1塔

 魔女塔 Hexen Turm (13c) 旧市壁には4殻塔が見張りに使われたが、
  今は北西に唯一魔女塔の石積部分が残されている。一時的には監獄であった。

4.見所  D

   多くの美しい木組の建物が残る小さな町。ヴェーバー路地には、両側に木組の
  建物が並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (1456) 2階建木組の大きな建物で、1823に同じ場所に元のまま1456
   の原型で彩色して復元された。この場所で1834から新設の教区委員会と市議会の
   審議が行われた。市庁舎には、消火作業に必要な機器が備えられ大広間では結婚
   式が行われた。1931からは毎年舞踏会が開催されている。一時的にはビールとワイン
   の飲屋があった。1821から毎木曜日に裁判が行われた。今は市長室と一部の行
   政部署が置かれている。
 プロテスタント教会共同体 Ev.Kirchen Gemeinde(1431-85) 15c市教会として建てられ、18
   03-06板張りが壊れ、身廊は石造に改修された。1483後期ゴシックのハレン教会は擬古主
   義の広間造りとなり、高さ52mの単角塔が付けられた。1886に内部は改装され19
   52-53再び1806の状況に回復された。1521には3祭壇が置かれた。
 旧改革派牧師館 Ehem.Reformiert Pfarrhaus (16c) 砂岩の基礎の上に装飾的な出窓の
   ある立派な3階建の木組の建物は、1589の大火事の後に建てられた。町でも最古の
   建物と言われ牧師館に213年間住んだ。1838迄初等学校を収容。
 石道25の家 Haus Steinweg25 (1500) この建物の側面は、町でも古い構造物であり、
   1500に3階建の木組の家が建てられ、1583の大火事は焼け残り、構造的には殆ど変
   わっていない。
 地方貴族の館 Junker Hof (1266) 石造の地階の上に3階建の木組の家が建てられ、いく
   つかの建物と広い土地の中央に、製粉所があり、1602今の形に成立した。18cに所
   有者も変わり、1827老朽化した館と60haの土地を市民が買って、醸造所のあるホテル
   に改造した。

5.写真

戻る

戻る

ハッヘンブルク Hachenburg RP21

1.歴史

 1180 ヘンリー2世は城を使いザイン伯爵領を設立、   1212 ヘンリー3世は城を完成、
   町を郡行政の中心へ、1314 バイエルン王は都市権を授与、15c 城教会の建立、
 1654 火災で町の中心部は破壊された、  17c 伯爵は町と城をバロックで再構築、
 1756-63 7年戦争 1792-97 仏占領、 1799-1802 仏占領、
 1799 ヨハン伯爵の死後ザイン伯爵はナッソー・ヴァイルブルクの郡となった、
 1969 旧市街地はハッヘンブルク市に併合された。

2.市壁  0.02km 0.03 

   1292の市壁は、宮殿の北側にPoppen Turmと共にわずか残っている。17-18cの
  敵に市壁は対応できたが、1830に取壊された。

3.塔  0門1塔

 ポッペン塔 Poppen Turm (13c) 宮殿の北側に円塔がある。

4.見所  C

   旧市街地には歴史的な建物や古い木組の建物が中世的な風景を見せ、広大な宮
  殿も中世代官屋敷そのものである。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1692) バロック2階建寄棟屋根木組の建物で、今は観光案内所
   ・文化会館・市公文書館・市長室として使われている。17cの終わりに建てられた
   木組の建物で、古い丸天井の地下室がある。
 代官屋敷 VogtHofRathaus (1334) 飾りの多い木組の家で、後期中世風の代官屋敷で
   ある。領主の代理の役人として代官が、統治し裁いた。1439の火事の後に市場を
   設け、1626から19cまで市庁舎として使われ、1654の火事の後に今の姿になっ
   た。2011修復作業が行われ、市図書館・催物会場も収容した。
 カトリック・フランギスカーナ教会 Kath.Kirche Pranziskaner (1131) 14cカトリック礼拝堂17c旧フランシスコ
   会修道院の基礎の上にバロックのホール教会を建て、1729-39と1906-09に拡張された。
   
 旅館:王冠 Gasthaus Zur Krone (1461) ザイン伯爵はこの街に王宮を移し、アルター・マルクト
   の北側に3階建の石の家を取得した。この建物は美しいルネッサンス前面の切妻の建物で
   その後旅館となり、ドイツでも最古の石造の旅館である。
 プロテスタント・教区城教会 Ev.Pfsrr Schloss Kirche (1481) 後期ゴシックの内陣・南単角塔
   1775-76三廊の身廊に。
 木組の家 Fachwerk Haus
    Wohn und Geschaefthaus (19c) 新古典主義の3階建のレストラン。
    Wohn und Geschaefthaus (1700) 地階石積上階木組持出式3階建。
    Wohn und Geschaefthaus (16-18c) 地階石積上階木組3階建の家。
    Wohn und Geschaefthaus (16-18c) 風格のある3階建チューダー様式の家。

5.写真

魔女塔
建物 市場
教会

戻る

戻る

カステルアウン Kastellaun RP22

1.歴史

 1226 スポンヘイム伯爵は城を建てた、  1301 スポンハイムのサイモン2世が城に住んだ、
 1305 皇帝ヘンリー7世は町に地位を付与、   1309 トリアー大司教は市場権を授与、
 1340 スポンハイムのガルラムは居所をクロイツナッハへ移した、 1560 ツバイブリュッケンが支配、
 1594 バーデン辺境伯はこの町の城に避難、1618-48 30年戦争と疫病で人口減、
 1687 仏軍の占領でスポンハイムの支配終了、   1689 仏軍による町と城の破壊、
 1794 仏革命軍が征服し仏領となった、 1815 ウイーン会議でプロイセン公国ライン県へ、
 1884 町は市壁を改修した、  1946 町は新設のラインラントプファルツ州に含まれた、
 1969 再び都市権を受け1990-93城と壁が修復された。

2.市壁  0.06km 0.08 

   丘の上の城壁が260mあり、その城壁から東に向かって、斜面に60mの市壁が
  残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   丘の上の城の北東側に、小さな旧市街地があり、市庁舎を中心に17-18cの街
  並がある。
 市庁舎 Rathaus ()
 プロテシタント教区教会 Ev.Pfarrkirche (1318-58) 町で最古の建物は1689のパラティン戦争
   に生き残り、領主スポンハイム家の埋葬教会としてシモン2世と妻と息子の彫刻墓碑が
   ある。
 カトリック教区教会聖十字架 Kath.PfarrKirche St.Kreuz (1899) ネオゴシックの3廊大聖堂で
   丘の中腹にある。
 カステラウン城 Burg Kastellaun (13c) 町の南西にある高さ20mの丘の上に建てられ、堀
   によって守られた。13cゴシックの建物と天守閣の胴体部分がある。14c初め領主
   スポンハイムの数十年の邸宅となり、礼拝堂と広間が建てられた。16cの旧住宅棟と
   宮殿塔の遺跡がある。1687パラティン戦争で城は破壊され、スポンハイム家は終わった。
   1990-93城と城壁は改修され、1999一番目の建物が、2005に番目の建物が再
   建された。2007地域の歴史の家が設立された。
 歴史博物館 Haus Mmaull (1755) マルクト広場の東端に、2階建切妻屋根の建物が建て
   られ、樅ノ木で補強された。1850外科医の風格のある建物となり、その後相続
   者が使った。最後の所有者Rolf Maullは1976に死亡し、市が取得し改修して、
   2015都市歴史博物館が開館した。
 住居と商店 Wohn und Geschaefthaus (1780) トウルン・タクシスの郵便駅舎。
 住居と商店 Wohn und Geschaefthaus (1820) ユーゲントシュティールのコルディックの家で、今
   は観光案内所。
 住居と商店 Wohn und Geschaefthaus (1723) 砥石販売の店。
 住居と商店 Wohn und Geschaefthaus (1689) 旧宿屋:白鳥。
 住居 Wohnhaus (1689) ケルト研究者ハインリッヒ・ツイマーの生家。
 住居 Wohnhaus (1708) 教会歴史家フリードリッヒ・バックの家。
 学校 Gehaichnis (1485) 旧カトリック国民学校。
 住居 Wohnhaus (1300) 旧カトリック牧師館。
 バーデン醸造所 Badische Kellerey (1670) 旧バーデン醸造所の倉庫、今は美術館:農家。
 司教館 Sponheimer Amtshaus (1691) 今はカトリックの司教館。

5.写真

戻る

戻る

カウプ Kaub am Rhein RP23

  983 マインツ大司教文書にオットー2世の贈物、 1257 この町でラインの関税徴取、
 1275 防衛通路付市壁で囲む、1277 フイリップ2世はプファルツ伯に城・町・関税権を売却、
 1326-37 川中にプファルツシュタインベルク城を建て、町は関税徴税事務所に、
 15c バイエルン王ルードヴィッヒは都市権を授与し、市場とパン屋の地区も市壁で囲んだ、
 1485-87 南に位置する税関地区の守り強化、1504ヘッセン伯は城を包囲したが奪取失敗、
 1618-48 30年戦争で多数回略奪とペスト、 1663 プファルツは庁舎など大建築物の復興、
 1803 カルブ公国の終了、1804 ナッソー家の領土に、1806 ナッソー公国となりプロイセンに併合、
 1846.48.1910 火災で古い建物は焼失、  1876 大洪水と大地滑り。

2.市壁  0.15km 0.03 

   13-14cに旧市庁舎とマインツ門塔の間の小さな通路が保存されアーケードで覆われ
  た市壁の通路はまだ通れる。この通路には17-18c住宅建設が行われた。
   DickerTurmの所に昔の粘板岩採掘に坑口があり、壁で囲まれている。

3.塔  1門4塔

 マインツ門 Mainz Tor Turm (1275) 中心部は13cのままで数回改修されている。
   木骨造小塔冠付きの四角塔で、今はホテルのレストランとして使われている。
 泥棒塔 Diebs Turm (1485-87) どっしりした4階建ての円塔に十角屋根が付い
   ている。付近に、石屋と船の入る木組みの建物がある。
 教会塔 St.Trinitatis Kirche 聖トリニティ教会角の白色四角塔で、5階建の高さ
   に4角錐屋根が付いている。一時観測塔としても使われた。
 税関書記塔 Zoll Schreiberei Turm 3階建ての四角塔で中庭に立ち屋根はない。
   建物の前面には守りのための入口塔と3階建ての六角塔がある。
 水位計塔 Pegel Turm 白色の4階建て円形塔に尖塔が付いており、側面には
   過去の洪水位の表示板がある。

4.見所  C

   ライン川の右岸に位置し中島に城を設けて関税を取った。見所は上流側にある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (15c) 木組みの上階は30年戦争で全焼したが、
   1655-63に元の建物が復元された。
 グーテンフェルス城 Burg Gutenfels (13c) 1277フイリップ2世はプファルツ伯ルードヴィッヒに
   城を売却した。1504ヘッセン方伯は城を39日間包囲したが奪取に失敗した。
   2006までホテルとして使用された。
 三位一体教会 Dreifaltigkeits Kirche (12c) この教会と高さ27mの塔は市壁の
   一部であった。1440に身廊が再建された。1560から新教教会として使われ、
   1772聖ニコラスのカトリック教会として後期ロココ様式の改修を行った。
 税関署 Zoll Haus (1813-14) 木組みの2階建て小塔付の建物。
 税関書記所 Zoll Schreibeberei (1552) 旧市街に建てられ、1801までプファルツ州
   の事務室であり、その後個人所有となった。1485から伯爵の紋章が壁に在る。
 ブリュハー博物館 Bluecher Museum (18c) 1764からワイン商人が住んだ。

5.写真

市庁舎 太い塔
マインツ塔 関税記録事務所
聖ニコラス教会

戻る

戻る

キルヒべルク Kirchberg(Hunsrueck) RP24

1.歴史

 7c ローマの木造教会を受け取り新集落を、 995 ベゼリン伯爵が王の財産を管理、
 12c 分割で町はスポンハイム伯爵に落ちた、 12c スポンハイム家と相続人が町を振興、
 1259 都市権を授与し堀と土堤のある市壁を築く、13c 町に郡の事務所を設置、
 1437 スポンハイム家の断絶でプファルツ選帝侯に移った、1689 仏軍は町と要塞を破壊、
 1708 分割でキルヒハイム・バーデン選帝侯が所有、1898-1814 仏占領下でカントンが管轄、
 1816 プロイセン王国に属した、    1940 新設のラインラントプファルツ州に含まれた。

2.市壁  0.13km 0.17 

   13c後半に既に市壁は町を取巻いていた。1633スエーデン軍に壊されたが17c後半
  には再建された。1689更に壊され次第に弱体化し、1737にはいくつかの部分で
  取り崩され、石材は新しい建物に使われた。今は北西に2カ所、東に1カ所残る。

3.塔  0門1塔

 配水塔 Wasser Turm (1899) 町の南西に配水塔は建てられ、1900に水道の全施設
   を構築した。配水塔は高さ36m容量は120m3であった。2000に上水道は新設
   され配水塔は不要となり、町の水力発電所に使われている。

4.見所  C

   小さい町であるが、立派なマルクトと歴史的な建物が見所である。
 市庁舎 Rathaus (17c) 地階石造上階木組3階建のマンサード屋根の建物で、1746に再
   建され、1983に前面を改装した。隣には1698地階石造上階木組切妻の建物は
   Haus Weberであり、今は観光案内所として使われている。
 カトリック聖ミカエル教会 Kath.Kirche St.Michael (700) 初めの建物は後陣のある小さなる
   広間教会であった。2番目は850年2倍の大きさで建てられ、入口に洗礼所とギ
   ャラリィがあった。3番目1250半円形の後陣の3廊の大聖堂となった。現在の塔は、
   1200に建てられその後増築された。今の建物は1466-85に古い基礎の上に2倍
   の規模のゴシックホール教会が建てられた。1688同時教会としてミカエル教会が使用許可
   された。
 プロテスタント自由教会 Ev.Kirche Friedens (1965) 1km東に、コミュニティセンターと共に建てら
   れた。基礎石はミカエル教会の入口の壁から取られた。また、ミカエル教会の地下室の
   ローマの石で構成された洗礼盤がカトリック教会から贈られた。
 カトリック牧師館 Kath.Pfarrhaus (1765) バーデン辺境伯の旧領主の推進した修道院とし
   て建てられ、修道の内装として聖像と歴史的絵画が残されている。
 旧税関 Alte Zoll (18c) バーデン内膳事務所の古い税関で、平屋の小さな小屋。
 アイッヒ宮殿 Burg Haus von Eich (1578) 元貴族アイヒ家の3階建の宮殿で、階段塔があ
   る。
 白鳥薬局 Schwanen Apotheke (17c) 17cの典型的な木骨造の薬局で、1752にバー
   デン辺境伯の特権が付与された。この地方で最古の地階石造上階木組の薬局で、
   隣には2階建のガストハウス:JagerHofが1930に建てられ、今は薬局である。
 地方史博物館 Heimat Museum (1732) 2階建の木組の家で、郷土博物館。アルター・マルクト
   の北側に3階建の石の家を取得した。この建物は美しいルネッサンス前面の切妻の建物
   で、その後旅館となり、ドイツでも最古の石造の旅館である。
 バーデン林業事務所・地方治安警察 Badische Forsterei und Gendarmerei (1735) 2
   階建の建物は1904に改修された。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
聖ミカエル教会 郷土博物館
給水塔 西南壁
西壁

戻る

戻る

キルヒハイム ボーランデン Kirchheim Bolanden RP25

1.歴史

 774 キルヒハイムは初言及ボランデンが領主に、1368スポンハイム・ボランデンの居所の町に、
 15c フイリップ1世はナッソー家の終わりまで町を所有、1737 ナッソー家のアウグストは転入、
 1755 ナッソー家クリスチャンは歩兵連隊駐在、 1792 仏革命軍が占領し1797仏へ併合、
 1793 ナッソー家ヴィルヘルムは仏革命でバイロイトへ、 1798-1914 仏領の中心的な町に、
 1815 ウイーン会議でバイエルン公国へ、 1818 バイエルン・ライン地区の主要な町、
 1849 プファルツ蜂起後にプロイセンへ、1900 郡庁の町へ。

2.市壁  0.60km 0.70 

  1368建設が始まった直後に,上流のツインガーと堀を付加した。1431から北部郊
  外に周壁を建設した。1740-77に大部分が壊された。1971と77-78にGrauerTurm
  とAmWehrgangの間の西と南の広大な部分が高さ8mで修復・再建された。

3.塔  2門6塔

 上門 Oberes TorTurm (15c) StadthausTurmとも呼ばれドームとランタンの付
   いた4階建石膏塗りの角塔でゴシックのコアにバロック塗装があるアーチ門。一時刑務所。
 下門 Unter TorTurm (15c) VorstadtTurmとも呼ばれ、小さなバロックの
   ドームとランタンの付いた5階建の石膏仕上げの角塔でゴシックのコアにバロックの塗装が
   あるアーチ門。かっては、250m前にあった堀に跳ね橋の前門で正門を守った。
 赤塔 Roter Turm (15c) 南西通路アーチが片側に付いた中世の壁塔で、3階
   建六角屋根の円塔。一時殆ど壊され通路が広げられたが、18cには塔は復元さ
   れた。
 グレイ塔 Grauer Turm (15c) 西側市壁の中央にある3階建長方形のレンガ造
   の塔で、一時は旅館であった。塔に上ると展望がよい。木製屋根がある城壁
   通路を復元したので壁に上に上れる。
 監獄塔 Gefaengnis Turm (15c)西北の2階建の大きな円塔で窓がなく、
   この切株は監獄として使われた。死刑執行人が住んでいた。
 望楼 Wart Turm (1431) 西南の外れに立つ、旧見張り塔で切石造の胸壁
   付4階建の円塔。
 火薬塔 Pulver Turm (1899) 町の北西の角にある市壁の旧防御塔。

4.見所  C

  南向きの斜面に、16-19cの建物で構成され、主に18cバロックの建物が占める。
 旧市庁舎 Stadt Haus (1551) 建物には1551の銘板がある。19c初に3階建
   の建物が建てられた。
 聖パウル教会 St.Pauls Kirche (1739) プロテスタントの市教区教会は塔のない
   寄棟屋根造りの建物で、側面に建て増しされた。1745オルガンが行けられた。
 聖ピーター教会 St.Piter Kirche (12c) 12-17cプロテスタントの教区教会で、
   ロマネスクの内陣があり、コアはゴシックである。1932に塔上層階とヘルメットを付けた。
 旧カトリック牧師館 Ehem.Kath.Pfarrhaus (1753) 後期バロックの部分的に木造
゙    の漆喰塗。
 プロテスタント牧師館 Ev.Pfarrhaus (18c) 元プロテスタント長老の脇宮殿、1800か
   ら執事家が住んだ2階建部分木組の家。
 旧鋳造所 Ehem.Muenze (18c) バロック4翼複合建物で上階木組の漆喰仕上。
 白鳥薬局 Schwanen Apotheka (1725) 元王室薬局で1823から白鳥薬局と
   なった。堂々としたバロック石膏仕上の建物で、部分的に木骨が露出している。
 元役所 Ehem.Anthaus (16c) 2階部分に出窓が張り出した建物。
 元郵便局 Ehem.Posthalterei (1816) 古典的な石膏の建物。
 旧裁判所 Ehem.Amtsgericht (16c) 16-19cに裁判所二つの中核は後期
   バロックの部分的に木組の建物で、1830に古典主義に変更された。
   キャバリア邸 Kavaliers Haus (1777) マンサード屋根7軸ロココの建物。
 地獄の家 Hoellringlich (16c) ハンサムな3棟の不規則屋根建物で、1600延
   長され、1830円形階段塔、1981-82後部は部分的に木骨造となった。
 住宅 Wohnhaus (1600) 荘厳な2階建の建物で、18c前半に上階木組を更新
   した。元鍛冶屋の建物。
 旅館 Gasthaus Zum Donnersberg (1780) 後期バロックの2階建の旅館。
 住宅と商店 Wohnhaus und Geshuefthaus(1717)2階建上階木組の大き
   な角張ったバロックの建物。

5.写真

上門 上門外
下門 火薬塔
灰色塔 赤塔
西壁

戻る

戻る

クロスターシュタット ホルンバッハ Klosterstsdt Hornbach RP26

  

1.歴史

  741 聖ピルミンはホーンバッハに修道院を設立、 753 聖ピルミンはこの修道院に埋葬、
 8c 多くの巡礼者で長さ72m5塔の大聖堂へ、   865 聖遺物受領でさらに繁栄、
 1087 皇帝はシュパイヤー司教に支援指示、1230 皇帝ハインリッヒ5世は修道院に都市権授与、
 1237 市壁の建設、1352 ザールブリュッケン選帝侯と紛争 、1352 皇帝は都市権確認、
 1548 世俗化で修道院には修道士3人に、1559 ザールブリュッケン公は学校・高校・大学設置
 17-18c 30年戦戦争と仏戦で大被害、 1786-1931修道院はカトリック教会へ、

2.市壁  0.55km 0.95 

  1237の市壁は、上下2門と5塔ツインガー壁70mと修道院壁80mがある。全周の殆どの区
  間で巣壁は残されている。

3.塔  2門0塔

 旧上市門 Ehem.Oberes Stadt Tor (14c) 旧市街地の南側最高地点に上門
   がある。1785歩行者用門と新古典派アーチに置換えられた。戦後歩行者用門は除去さ
   アーチのみが残された。
   修道院門 Kloster Tor (13c) 下門から入って直ぐの修道院の壁に、修道院
   の中庭に入るアーチ門がある。

4.見所  B

   8cからの高名な修道院を中心に発展した町で、市壁の中には様々な時代の建て
   が含まれている。
 市庁舎 Rathaus (1580) ルネッサンスの入口の上に鐘楼のある2階建の建物は旧市民
   教会であった。1580収穫物市場として建てられ、1631改革派教会に変換し、1786-
   1931はカトリック教区教会、1948から町役場で、市議会は別の建物で行われている。
 旧市庁舎 Ehem.Rathaus (14c) 3階建赤く塗られた石造の建物で、上門の場所
   にある。
 プロテスタント修道院教会 Ev.KlosterKirche (1785-86)広間造りのプロテスタントの修道
   院教会で、塔が1844に付けられ、旧ロマネスク大聖堂に1895-96の牧師館を含め、全体の
   修道院の複合体である。
   ミカエル礼拝堂 Michael Kapelle (12c)外側の輪郭と東の壁の内側に12cの3後陣
   がある。二次大戦前は、農民の納屋で地下室があった。
 聖ファビアン施設 St.FabianStift(865) ファビアスの遺跡が古くからあり、1149には
   教会が存在した。1540王家の学校教会となった。今の教会は両宗派によって復元献
   堂された。
 スパイサー城 Steisser Hof Burg(12-13c) ツバイブリュッケンの城は南市壁に統合されて
   いる。
 モルンバッハ修道院 Kloster Mornbach (11c) 旧修道院の教会で、4つの身廊のアーケー
   ドの下部・回廊の一部・旧ベネディクト会修道院の更新で後期ゴシックの遺跡。
 学校の建物 Schulgebaeude (12c) 3階建の大きな建物。

5.写真

市庁舎 旧市庁舎
修道院 旧上門

戻る

戻る

コブレンツ Koblenz RP27

1.歴史

 1C ローマは要塞都市をここに建てた、     5C ローマ軍の撤退でフランク王国に、
  843 ヴェルダン条約でフランク王国分割、    1018 トーリア大司教に市場権を付与、
 1276-89 市壁の拡大、       1786 トーリア選帝侯の常住都市となった、
 1798 仏支配の中心都市、              1815 プロイセンに帰属、
 1890 戦争技術の発展で不要の要塞撤去、 19C 市壁を殆ど壊して定住圏拡大、
 1945 2次大戦の爆撃で町の87%壊滅。

2.市壁  0.08km 0.05 

   ローマ軍の駐屯地が在ったところへ中世の城が築かれ、後年拡張されてトーリア
  選帝侯の城館となった。聖母教会を中心とする旧市街地は、1276-89に拡張
  しイエズス教会は市内に入った。今も北東角の聖カストール司教座教会の北側に市
  壁らしき壁が残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  B

   AlteBurgStadtの北西に始まり、町は東に広がった。それそれの時代を象徴
  する建物が残っている。
 古い城 AlteBurg Balduin橋のすぐ下流右岸にローマ円形塔の上にロモアネスクの住宅を
   1185に建てた。1277に古い城を旧市街地に建て、1806に建物の中の住宅を
   に錫製品の工場を移転、1877に市に売却された。2次大戦の被害後に1962に
   今の姿に復元された。
 イエズス会広場 JesuitenPlatz 今のイエズス会の教会は1613-17に建てられ、ゴシックと
   ルネッサンスのポータルのバラ窓が見られる。1694-1701建のイエズス会学校は1895以降
   町役場として使われた。広場は学校の中庭であった。
 聖カストール教会 BasilikaSt.Kastor 817建、トーリア大司教は教会建設を始め今の建物は
   主として12Cに造られた。
 フローリン教会 FlorinsKirche 1100建、二つの塔を持つロマネスクの身廊を建設し、1350
   にゴシックの祭壇を置いた。1467に二つの塔の門を建て、1794仏軍の占領で
   物置となった。1820に新教の教会になった。
 聖母教会 LiebfrauenKirche 13C建、ロマネスクの建物に、15Cゴシックの内陣を付け加え、
   17Cにバロックの鐘楼が付けられた。旧市街地の中心にある。
 ドイチェ・エック DeutschesEck ラインとモーゼルの合流点に107段の台上に皇帝ヴィルヘルム1世の
   騎馬像があり、対岸のエーベンシュタイン要塞が眺められる。
 中部ライン博物館 MittelRheinMuseum 旧百貨店に中部ラインの歴史や文化.絵画を展示。

5.写真

北東壁 聖イエズス教会
聖カストア教会 聖母教会

戻る

戻る

キルブルク Kyllburg RP28

1.歴史

 1239 トリアー大司教は司教区北国境に城構築、 1256 トリアー大司教は城・町を囲った、
 1789 仏革命軍の侵攻、1797 皇帝フランク2世は左岸を仏領に、1798 ザールに属した、
 1956 ラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.27km 0.30 

   13cに城と集落の周壁が築かれ、部分的に市壁が残っている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   大きく蛇行するキル川に挟まれた山頂に旧大学と教区教会があり、18-19c山頂
  向かう道路の両側に商業施設と住居の集落がある。山の中の静かな町。
 市庁舎 Rathaus (20c) 町の北西側の外にある、近代的な2階建の建物。
 キルブルク城 Burg Kyllburg (1239) トーリア―大司教ディートリッヒは城を築いた。今は天守閣
   と東の見張り小屋が残っている。
 フライハイト教団 Stifts Freiheit (1279) 城の南の台地の上は教団の管理地で、ここに
   元聖マリア大学の施設・教区教会・管理棟がある。
 旧聖マリエン大学 Ehem.St.Marien Uni (13-14c)1296-1353にゴシックの教会は完成した。
   西と東の内陣は漆喰仕上、14c2階建の延伸、16c塔の鐘楼、1534硝子窓とオル
   ガン。今は教育と余暇の本部である。
 教団教会 Stiftskirche (1900) ネオルネッサンスの建物で1930に拡張と変換。

5.写真

戻る

戻る

ラーンシュタイン Lahnstein RP29

  369 ラーン川口にローマ軍の砦建設、      950 ヨハネ教会の建設、
 1018 トーリア大司教がローマ砦を支配、      1220 銀鉱山の開発、
 1256 トーリア大司教が町の管轄権を取得、 1298 国境の税関城の建設、
 1324 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは自治権を与え要塞を建設、1332町に憲章授与、
 1381-90 貨幣ラーンスタイナーの鋳造、   1408.36.39.57 選帝侯会議の開催、
 1462 コブレンツ・トリアーが町を攻撃、    1463-75 マインツ大司教が町に常駐、
 1542 ペストの流行、     1632-46 30年戦争で数回占領され町は衰退、
 1688 仏軍によるラーンエックの破壊、    1744 仏軍による町の破壊、
 1795-1800 墺.プロセン.ロシア.仏軍による占領、1803 ナッソー公国になる、
 1866 プロイセン公国へ併合、       1918-29 仏軍による占領、
 1944-45 5回の空爆で町はほぼ破壊、4月米軍・7月仏軍の占領。

2.市壁  0.35km 0.27 

   16の塔と1.28kmの市壁でほぼ長方形に囲み、高さ8mの市壁には屋根付通路と
  前面の堀があり、ツインガー部は低い壁であった。OberLahnstein駅の東に、
  市壁350mが残っている。

3.塔  1門5塔

  昔は跳ね橋と前門の在る6市門と16塔があったが、1門5塔しか残っていない。
 クラース門 Klhrs Tor (14c) 胸壁・タレット・階段のある粗石積の四角い塔で、唯一残っ
   た市門である。1882.1988の洪水位の印がある。1862鉄道の敷設時には市
   壁203mがライン川堤防上にあった。
 マーチン塔 Marthins Turm (1298) マーチン宮殿に在る高さ28mの古い塔は、旧市壁の塔
   であった。
 火薬塔 Pulver Turm (1411) 高さ26mの王冠付の円塔で西市壁に立つ。塔の入口
   は高い市壁の胸壁の上に梯子を掛けて入ることができた。塔の内側には十字
   架とマインツ大司教の砂岩のレリーフある。現在は個人所有でラーンシュタイン・ビール醸造所
   が使っている。
 魔女塔 Hexen Turm (1324) 旧市街の北東の角に高さ26m石積塔で、長さ97mの市
   壁で囲まれている。地階は町の刑務所として使われ、螺旋階段で2階の陪審
   員室に登れる。船乗組員の旧詰所は、今は市の行政と結婚式のために使われ、
   塔には古代.ローマからの町の歴史・遺物・紋章・古文書のある市博物館がある。

4.見所  C

   ライン川の右岸でラーン川の合流点の下流側にあるまちで、崖の上の城の下の平地に
  狭い旧市街あり、市壁や古い木組みの建物が多く残されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (15c) 地階のゴシック石造のホールにライン地方の木組の1-2階
   を乗せている。内部には中世とバロックのスコッタ絵の天井画維持されている。
   前面には古い火事に遭った鐘を飾ったバラックの尖塔がある。展示ホールでは
   絵画や王ヴァツラーフの遺物がある。
 ラーンエック城 Burg Lahneck (1245) マイン大司教の後期シュタウヘンの城はラーン川の河口を守
   るため山頂に築かれた。城は長方形の塔のある城壁で囲まれ、中に聖ウルッヒ
   専用礼拝堂がある。30年戦争でスエーデン軍と仏軍によって1689に破壊され、
   1774にはゲーテが廃墟に立った。1852-1937民間の手によってゴシックで再建さ
   れレストランとして使われている。
 ザール館 Salhof (937) 地階はアーチ広間の2階建ての建物で、市壁に囲まれたザールホフ
   広場に立つ、現在の建物の最古の部分は1150-70に造られ、1688拡張され
   バロックに変えられた。1969改装されて市の催物会場として使われ、壁に挿
   入されたタンバンのレリーフと12cからの石灰岩のレリーフがある。
 マーチン宮殿 Marthins Schloss (1298) マインツ大司教・選帝侯の宮殿は、14c北翼には
   胸壁と日付のある門壁があり、1498南翼が建てられた。聖バーソロミュー城教会は
   最初の新教教会である。今は、個人所有で南小塔のある4階建の角塔で、古い
   衣装や450のメタルが見られる。
 家の壁 Haeuser Msuer (1700) HinterMauer Gasseに、市壁に張り付いた2階建の
   建物と市壁上の部屋がある。住居として使われ1900年代には夫婦と8人の子供
   が住んでいた。その後夜警のための宿泊所を務め、今は市博物館と成っている。
 聖マーチン教会 St.Martinus Kirche (1190) 教会の最古の部分は、1190古代のバジリカ
   に属し、1332塔に隣接する後期ロマネスク内陣とゴシックの内陣は建てられ、1775-77
   2つの交差ヴォールト・身廊・ホールはバロックで建てられ、1896-99横の聖歌隊は追加さ
   れた。1742オルガンが付けられ、鐘楼では136t総重量の鐘が鳴る。

5.写真

旧市庁舎 魔女塔
火薬塔 クルース塔
北東壁 北西壁

戻る

戻る

ランダウ Landau in der Pfalz RP30

1.歴史

 1260 公爵エミッヒ4世は町創設し城を築く、1274 ハプスブルク都市権を授与し要塞化、
 1291 王は帝国都市とした、       1324 シュパイヤー司教の支援。
 1521 アルザス十都市同盟に参加、壁補強   1645 30年戦争と火災で人口6割に、
 1680 独領地の中の仏の飛び地、     1688-91 仏は近代的星型要塞を構築、
 1702 大規模土塁を築き星形要塞拡張、  1815 バイエルンの要塞となる、
 1816 八角形壁と堀に水を満たして守る、 1871 要塞を廃止して都市の拡大、
 1892 野砲連隊と歩兵連隊の兵舎建設、    一次二次大戦後に仏軍が占領、
 1911-27 最後に残った壁も破壊、 1945迄バイエルンに属した、 1999 独に復帰。

2.市壁  0km  

  

  中世の市壁と星形要塞があったが、残っていない。17c末の旧市街は、北東の
  DentschesTorから南西のFranzoesischesTorの範囲内であった。1688-91にベルフォール
  の要塞が郊外に造られ、市壁は不要となった。1700-1800に築かれた北西の大星形
  バロック要塞には、北と西と東に要塞の壁900mがある。

3.塔  2門1塔

 ドイツ門 DeutschesTor (1688-91) Vauban要塞の北側の門で、フランス門と同様
   な形態である。
 フランス門 FranzoesischesTor (1688-91) Vauban要塞の南西側の門で、中央壁
   の中で外側正面に凱旋門。門を通り向けて両側に二つの高い台座がある。
 ガレー船塔 GaleerenTurm (17c) 4階建角塔、多分1315に取壊された帝国城の塔、
   1688まで帝国都市市壁の北西門の塔、1732に軍事捕虜のための拘置所と
   して整備された。捕虜はガレー船で運ばれたので、この名前が付いた。

4.見所  C

   大きな町であり、交通量が多く、マルクト広場まで到着しにくい。大きなアールヌーボー
   や歴史主義の建物が多いい。
 新市庁舎 NeuesRathaus (1827) バイエルン軍の司令部として古典様式で
   建てられた。
 アウグスティン教会 Augustiner Kirche (15C) カソリックの教区教会、3身廊ゴシック
   バジリカで初は建てられた。1794の世俗化による修道士追放の後に演奏会や
   展示場で使われたが、1893に再びカソリックの教区教会となった。
 聖マリア教会 St.MariaKirche (1908-11) カソリック教会は後期ロマネスク・ゴシックで
   建てられ、2塔式前面のフランス式大聖堂である。
 教区教会 StiftsKirche (1281) プロテスタント教区教会、3廊式ゴシックバジリカ、
   1349に塔を付けた。1897に身廊室の窓に飾りと新しい丸天井を組み込んだ。
 旧市百貨店 Ehem.StaedtischesKaufhaus (1415) 中世と近代に百貨店とし
   て貿易取引の管理と課税を行った。1838-39に地下食堂付き演奏会や劇場
   の建物に改造された。
 市図書館 Stadt Bibliothek (1892-94) ネオゴシックの食肉、処理場に、1998
   に開設した。管理棟・水槽塔・処理広間などを、市図書館とした。
 歴史的市博物館 Historischer Stadtmuseum und Stadtarchiv (2009) 鉄道
   ポストをユーゲントスチールに改装し、市歴史博物館と市公文書館として公開した。
 市シトレシウス美術館 Stadtische Galrrie Villa Streccius (1892) ルネッサンス砂岩
   造の2階建の二つの部分からなる邸宅に、市の美術館を置いた。
 マウルベーバウムの家 Haus Zur Maulbeerbam (1488) 旧クリンゲン修道院は古く、中
   庭に17cバロック3階建のコアのの建物、レンガ積みの階段塔、道側翼があり、1888改修。
 カトリック礼拝堂 Kath.Kapelle (1344) 旧カトリックのゴシック広間造の教会で、1713か
   ら刑務所・枯草倉庫となり、1791ワイン商人が買取った。1872町は建物を取得して改
   修を行い、1960から福音ルーテル教会として使われている。
 フランク・レービュシュの家Frank Loebsches Haus (16-19c) 旧旅館:Zum Blumとして
   地階石積上階木組の3階建4翼の建物で、アーチには1602の年号がある。
 アウグスチン修道院 Augustiner Kloster (1827) 旧アウグスト修道院の後期バロックの
   複雑なマンサード屋根の建物で、15c後期ゴシックの回廊、1405-13ゴシック3廊の修道院教会
   と聖堂アーチ、1448宝石細工のある後期ゴシックの門、18cに拡張。
 事務所・地方裁判所 Amts und Landgericht (1900-03) 2翼ネオバロックのマンサード
   屋根2階建の堂々たる記念碑的な建物。
 元町会館 Altes Stadthaus (1742-68) 細長いバロックの寄棟屋根の建物で、
   1815と20cに拡張・改造。

5.写真

新市庁舎 旧市百貨店

戻る

戻る

リンツ アム ライン Linz am Rhein RP31

1.歴史

  874 リンツ女子修道院の文書で初言及、 1198 町の東部はオットー4世に壊された、
 1206 教区教会聖マーチンの建設、      1250 ケルン大司教管区でメヒトヒルトは成功、
 1320 町となり防衛施設の建設開始、   1365 都市権を得て税関・根城を築く、
 1391 町の1/3以上を焼失、        1462 市場広場に礼拝堂を奉献、
 1475 ノイス戦争で皇帝軍は町を包囲、    1543 ヘルマン大司教の下で宗教改革、
 1548 反宗教改革、1583ケルン戦争で占領、  1626 カプチン派の定住、1632スエーデン占領
 1796 仏軍占領、1803ナッサウ・ウージンゲン公国、 1815 プロイセンへ、
 1822 リンツ郡はノイヴィート郡に併合、     1861 町の防衛施設の取壊し開始、
 1945 町の南部は空爆で被災、米軍後に仏軍が占領。

2.市壁  0.24km 0.19 

  1320からの市壁は、主に北西部と西北部に見られる。

3.塔  2門1塔

 新門 Neu Tor (14c) 大火災後の1391に5階建角塔が言及された。門に続く
   ノイ通りには美しい木組の家並みがある。門アーチには、リンツの鳴子少年が青
   銅彫刻で描写されている。
 ライン門 Rhein Tor (1329) 天蓋の4隅に小塔のある4階建の角塔で、側に昔の税
   関がある。門には洪水位記録票とケルン選帝侯エルンスト1599の紋章がある。
 火薬塔 Pulver Turm (14c) 岸辺に沿った昔の西南側の防衛塔であった。バロック
   と擬古主義の外見をした3階建の胸壁付角塔である。

4.見所  B

   対岸の西側からの国道266は、橋ではなくフェリーとなっており、風情のある
  船上からのアプローチとなる。賑わいのある観光地であり、ライン川東岸の高台に旧市
  街が広がり、風格のある門塔・歴史的な建物に囲まれた広場・木組の家並がある。
 市庁舎 Rathaus (1517-27) 1401からの民家の跡に建てられた建物で、市長室と
   観光案内所がある。階段の間にはラッツケラーの時計がある。市庁舎の鐘は、
   12.15、15.15、18.15に毎日鳴らされる。
 マリア教会 Marien Kirche (15c) 内陣側壁に芸術的に優れた1463の3翼のマリア祭壇が
   あり、これは昔の町礼拝堂からの物である。15cケルンで描かれた後期ゴシックの宗
   教画は、1998に完全な修復が行われた。今の大きな建物は1967に完成された。
 聖マーチン教区教会 Pfarrkirche St.Martin (1206-14) 初のフランケンの教会として建てら
   れ、3身廊に柱聖歌隊席があり、後期ロマネスク・早期ゴシック・後期ゴシックの影響が合
   わせ見受けられる。1230の壁画が有名で、墓地には5cからの古い墓石がある。
 ゼルフィテス教会    フランシシスコ会女子修道士は新ゴシックの建物を建て、1983まで病院として使われ、
   今は市公文書館である。
 リンツ城 Burg Linz (1365) 税関と根城として建てられ、円型角塔と土台は建設当
   時からの物である。1984-85根本的な健全化と改装が行われた。今は拷問部
   屋・ローマ風ガラス制作所・騎士の広間・人形部屋などがある。
 ゲロリツ館 GeroltsHof (1747) モンレアムの封土の一部であったため、1475に壊され
   たレーエンの城を所有した。19c中にロールスハウゼンの領主が所有した。
 ジオンの家とインゼンブルク館 HausSion und IsenburgerHof (13c) 13cからシオン伯爵
   メヒットヒルトの所有であった。1628-29イーゼンブルクの参事会と町長が新築した。
   世俗化まで選帝王の役人が住んでいた。1727建物の左にバロックの切妻と
   代表的な階段施設が設けられた。1945爆撃で大破損した。
 市公会堂 Stadt Hall (1645) 1642-45にバロック木造ホール教会として建てられた。
   昔のカプチーナ教会は1817以降ギムナジュームの教会となった。最初から入口の上に
   三日月の上のマドンナがあった。この市公会堂の近くに、古いギムナジュームが在った
   が1891-93にそこにカプチィーナ会の修道院が建てられ、今は町の多目的ホールである。
 マルクト広場 Markt Platz (14c) 旧市街の中心で、市庁舎・マリア記念柱・町の噴水・
   があり、15cの家の冠が取り巻いている。
 バター市場 Butter markt (14c) 1642-1930この市場で売っていたおばさんの像の
   噴水がある。1853まで町を縦貫して流れていた水車用水路の跡に白い舗石が
   ある。貯蓄銀行の向かいにバロック木組の家があり、大型十字・ライン風装飾がある。
   近くのAuf der Donauには、1400の木組の家がある。
 城広場 Burg Platz (14c) 広場からのRhein通り・Muehle通りの眺めは良い。
   1500の重要な木組の家には、洪水時に脱出できる開口部が2階にある。

5.写真

市庁舎 ライン門外
リンツ城 北西壁
城広場 川から

戻る

戻る

マインツ Mainz RP32

 

38 ローマ軍団の砦を設置、 89 州都が500年続く、408 交易地、アラマン人の略奪、
  782 マインツは教区に昇格した、    11c マインツ大司教ヴィリギスはマイン大聖堂を建立、
 12c ザールブリュッケン大司教アルバート1世が市民特権を授与、12c皇帝フリードリッヒは市壁破壊、
 1212 皇帝フリードリッヒ2世はマインツ大聖堂で戴冠、1244ジークフリート3世は包括都市権を与えた、
 1462 アドルフ2世は特権を奪い自由都市は終焉、16c要塞は町を囲み、20cまでこの市域、
 17c 30年戦争で戦わずスーデン軍占領、 18c 新興バロックの建物が多く建てられた。
 1797 仏軍の占領で貴族は姿を消した、1816 ヘッセン大公国に帰属、
 1945 空爆で町の80%は破壊、仏軍が占領。

2.市壁  0.05km 0.01 

   150州都として後期ローマ時代に壁・門・塔のある町の防御施設があった。260リーメースの
  没落後町の周壁が築かれた。350市壁は拡大強化され、その後フランク時代は維持された。
  1160中世初期の防備施設は維持されなかった。1200都市防衛施設の再建許可。13c
  独立した郊外ゼレンホーヘンを統合して要塞化された都市防御を築いた。1655選帝候は
  町全体を近代化された仏式要塞で固めた。18c外側星形要塞はまだ残ったが、市
  壁は壊されて建物が建てられた。昔の市壁はまだ残されているが見付けるのは難
     しい。Schloss Gasse に50mは残っている。

3.塔  1門5塔

 風景門 Gau Tor (1462) 塔の強化によって作られた石壁の下の要塞の一部
   であった。選帝侯の防衛施設拡張の際に通路のある煉瓦造の水平壁が造られた。
     1896門と壁は壊され前の堀は埋められた。百年経過して復元され、1998には元の
   位置に移された。
 鉄塔 Eisen Turm (1240) 鉄市場への門からこの名前が付いた。15cロマネスク6階建の
   四角塔となった。18c軍刑務所として使われ、1905町は塔を取得し改修した。
   1945空襲で破壊され家と接続して再建された。川側にホーエンシュタインのライオン像がある。
 木塔 Holz Turm (15c) 木材市場への門から名前が付いた。ゴシック6階建ての四角塔
   はライン川への門で、屋根には4小塔が付いて、元の門のレベルは3m下であった。
   中世には刑務所として使われた。破損した塔は位置をずらして1961に復元された。
 石の家 Steinhaus (12c) WeinTor通りに立つ貴族の住宅棟である。市壁の一部を構
   成して壁厚は1.4mもある。今も何人かの個人がこの塔を所有して住んでいる。
 アレキサンダー塔 Alexander Turm (350) ローマ市壁の北西角の塔であった。15cに今の円錐
   屋根付円塔となり、19c火薬塔として使われ、1860アレクサンダー兵舎が建設され給水
   塔となった。今はアレクサンダー公園内となり近づけない。

4.見所  B

   選帝侯の司教座が置かれ1949州都となり行政の中心の中都市である。大聖堂を
   中心とした旧市街に古い木組みの建物があり、多くの博物館も見所である。
 市庁舎 Rathaus (1970-74) 1462旧市街に市庁舎は有ったが、2次大戦後には選帝
   侯宮殿に市庁舎は入った。ライン川沿いにショッピングモールと共に再開発された。
 城郭 Zutadelle (1050) ベニディクト会ヤコブ修道院として極わずかな城壁と囲み土堤
   の中で始まり、1620-27町の要塞の丘に変換された。1655選帝侯の町を囲む近
   代要塞の一環として今の姿になった。1793包囲攻撃でヤコブ修道院は破壊され、
   軍事用のみの使用となった。1914兵舎の建設、1次2次大戦では捕虜収容所にな
   った。1945-55は仏占領軍が接収した。今は、1990からMuseum Castellenとして
   ローマ駐屯陣地の歴史と文化と砦の部屋の展示がある。

 選帝侯宮殿 KUrfuerstlisches Schloss (1478-80) 初めの建物は1554に戦争で壊さ
   れルネッサンスで再建された。1580事務所と城教会を増築した。しかしナポレオンは道を
   造るために1798-1814に取り壊した。1627に4翼の新宮殿を建てたが、2次大戦
   で壊され大破したので1950北翼と東翼は復元され、ローマ・ゲルマン中央博物館を収
   容している。Roemisch-Germanisches-Museumは、地中海沿岸の諸文明・先史時
   代・未開部族などに関する膨大なコレクションが展示されている。
 大聖堂 Dom (4c) 複雑に入り組んだ建物の建設年は明らかでない。ロマネスクの巨大な建
   物には内陣が東西二つあり、ゴシックとバロックの要素が混じる18cの塔頂が付いてい
   る。2次大戦後に建て直されて居る。中には、ロマネスクの柱に取り付けられた大司
   教達の墓碑、地下にはマインツ大司教区の聖遺物を収めた金製の箱がある。内庭回
   廊がありマイスタージンガー・ハインリッヒの浅浮彫が見られる。
 旧市街 Alte STadt (17c) アウグスチーナ通・キルヒガルテンの周辺には、ほぼ無傷で木骨造の建
   物が残されている。
 聖イグナツ教会 Kirche St.Ignaz (1200) 市街の外東南に、聖イグナティウスの砂岩の彫像が
   前面にある教会がある。内装は何回も変えられ、古典主義とバロックの組合せの漆喰
   と聖イグナティウスの生と死に付いての絵画・キリスト磔刑の群像がある。
 聖シュテファン教会 St.Stephans Kirche (13c) 2次大戦で大破し13cゴシックで残るのは外壁と
   柱だけ。西側壁に接して中庭回廊があり、東内陣にはシャガールのステンドグラスがある。
 新武器庫 Neues Zeughaus (1738-40) 宮殿広場のバロック2階建ての建物で、地階にには
   武器の軍事装備が格納されていた。
 聖堂病院 HeiligGeist Spital (1236) 2階建て後期ロマネスクの礼拝堂病院33m*19mである。
   市門の閉鎖後も入院できた。1804仏が病院を廃止し、教育施設とした。1883醸
   造所がレストランをぁおせつしたが、1945空爆で被害を受け、1950ダンスバーだった。
 グーテンベルク博物館 Gutenberg Museum 地階は様々な印刷工房の複元が行われ、グーテン
   ベルクの手押印刷も可能である。2階には16-19cの本や出版物を展示し、3階には
   グーテンベルク聖書の初版本が金庫室に展示されている。4階には外国彩色木版画や
   印刷物を展示している。
 州立博物館 Lands museum 古代文物部門は、ラインラント文明の内マインツ地方文化が見
   られる。

5.写真

大聖堂 グーテンベルク博物館

戻る

戻る

マイエン Mayen RP33

1.歴史

 1041 最初の文書言及、       1280 城と壁.塔の建設、 
 1291 都市権の授与、      1689 仏軍は要塞を壊して焼き払う、
 1794 仏革命軍の占領、        1815 プロイセン領になる、
 1945 2次大戦の空爆で町の90%破壊。

2.市壁  0.53km 0.19 

  13Cに高さ12mの市壁に多数の半円形と円形の塔が組み入れられて町を
 守った。西南の城からHerzJesu教会の間0.35kmに高さ12mの壁と壁上通路は
 復元されている。その他は点在する塔に付随して市壁が僅か残っている。

3.塔  3門1塔

 ヴィットベンデ門 WittbendeTor 北 高さ7mの角塔が残る。
 壁塔 MauerTurm 北西 高さ6mの半円形塔が残る。
 本門 BuecherTor 東 高さ15m円錐屋根の3階建円塔。
 上門 Obertor 西 1326建、1902復元。今結婚式場として使っている。

4.見所  C

   広いマルクトに旧市庁舎が目立ち、西南の小高い丘に城があり登るとマルクトを
  見下ろせる。城から市壁上の通路に出て、HerzJesu教会で降りられる。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1717建、時計塔付き2階建、2次大戦に生き残った。
   前面のマルクト広場には、椅子とパラソルが並び、落ち着いて休める。
 ゲノフェーファー城 Genovevaburg 1280建、ゴシックの建物、1689仏軍略奪放火、
   1700バロックで再建、1830修復。西南に道路上の橋を渡った向こう側に城公
   園がある。城の今は、博物館。
 聖クレメンス教会 St.ClemensKirche 北東 1Cに木造礼拝堂、12Cにロネスクマ・
   バジリカ、15Cにゴシック教会、1976再建。捻れた塔が付いている。
   内部には重要な美術品があり、1752以降巡礼の聖マリアの順路とされた。
 心のイエス教会 HerzJesuKirche 西南 1911建、1945に爆撃により、内陣の
   の一部を除いて壊滅した。1259に高さ43mの双塔を持つバジリカが、長さ
   50m幅29m高さ15mの身廊に拡大された。
 聖ファイト礼拝堂 St.VaitKapelle 壁外東 9C建、小教会、1718に中世の改修、
   1953に礼拝堂の側に教区教会の建設。中に紫貝のバロック祭壇が美しい。
 城博物館 BrugMuseum 城の中に、博物館があり、Eifel文化、粘板岩地下
   鉱山の展示があり、エレベーターで地下の粘板岩掘削跡を見られる。
 オーブンと織物博物館 Ofen&TexteilMuseum 木組の家に、70のオーブン.家具.
   台所用具.歴史的な織物を展示。

5.写真

旧市庁舎 新市庁舎
円塔 円塔
西塔 南壁
壁上通路
北塔

戻る

戻る

マイセンハイム Meisenheim RP34

1.歴史

 1127 ナーエガウ伯爵親子は財産を共有、1154 ヴュデンツ伯爵は城を本部とした、
 1315 ルードヴィッヒ4世は都市権を授与・要塞の建設、1321 聖ヨハネ騎士団が来た、
 1479-1504 後期ゴシックの城建設、15c-1794 ヴィッテンバッハ家のツバイブリュッケン公国、
 1526-69 町は最初の全盛期となった、     17c 30年戦争で人口半減、
 1648 ヴェストファーエン和平で仏王国へ付与、 1697 リエヴィックの和平で仏から帰還、
 1798 仏革命軍の占領で仏共和国へ、    1804-14 ナポレオン帝国に属した、
 1815 ウイーン会議でバイエルンに帰属、1849プロイセン軍が占領、1871ドイツ帝国の創設、
 1945 3回の空爆と米軍の無血占領、その後仏軍が占領。

2.市壁  0.33km 0.32 

   1315に都市権を授与され、要塞の更新強化を行った。保存状況は良くな
  いが、建物となった市壁が各所に確認できる。

3.塔  1門4塔

   1315の市壁には3門と多くの壁塔があった。1822にOberTorとKlankerTor
  は取壊された。壁塔は刑務所として使われたBuergerTurmは残され、他は住
  居となっている。
 下門 UnterTor (1315)市壁と共に造られた3階建四角塔で、尖塔が付い塔の
   左側には階段があり最上階には門番が住み、夜中の来客は、市に連絡し
   て吊橋を下ろし小門を開けた。
 市民塔 BuergerTrum (14c) 4階建の大口径円塔で刑務所であった。
 住宅路地塔と TurmWohnweg (14c)3階建屋根付きの円塔で、2階建の建物に
   囲まれている。
 円塔 RundTurm (14c)3階建の円塔で倉庫に取込まれている。
 小口径塔 Turmchen (14c)その他少口径の塔がある。

4.見所  B

   グラン川沿いの古い壁に囲まれた小さな町。塔は5つしか残っていないが
  15-16Cの古い木組の家が今日でも多数見られる。
 市庁舎 Rathas (1508) 後期ゴシックの石造3階建の建物で、その姿は町の繁栄
   を示す。地階の大アーチの大広間はオープン市場として使われ、兵器・防
   火梯子・革バケツ・の保管場所であり、上階は評議会室であった。
   ルネッサンスの入口には1580の螺旋階段が置かれた。1934近隣の土地を取
   得して増築した。今も最上階は結婚式場として使われ、上階には市
   長室・会議室・公共図書館が、地階は催物会場がある。
 市場会館 Markt Halle (1550-60) 6二重窓列のある細長い2階建の美しい
   木組の建物は、商品貯蔵所として建てられた。1764守衛所・刑務所・
   アパ-トへ用途変更された。1939新しい砂岩の柱が付けられ、地階は店
   舗、上階は多目的室として使われている。
 カトリック聖アントニィ教区教会 Kath.Pfarr Kirch St.Antonius (1685-88) 教区
教会として建てられ、1902バロックの塔が付けられた。
 プロスタント城教会 Ev.Schloss Kirche (1479-1504) 旧城の唯一の残存遺跡であ
   る。3通路広間教会は、八角形の巨大な尖塔を持ち、正方形の後陣は埋
   葬礼拝室と2階聖所がある。初めは領主の埋葬と墓礼拝堂であったが、
   1523改革によりカトリック教徒が居なくなった。1766-70プロテスタント教会に再設計
   され、バロックの新説教壇とオルガンが付けられた。1962-68内外とも改修された。
 タインの家 Thayn'sche Haus (16c) 町でも美しい上階木組3階建の邸宅。タインは
   水銀と銀の抽出の専門家として、この町に来た。中庭側にはラセン階段塔
   がある。1775正面玄関が付けられ、1919町で最初のカフェを開店した。
   1939に改造して地下はレストラン、地上はパン屋とカフェとなった。
 黄色の家 Gelbers Haus (1497) 町で最も古い木組2階建の一つ。ヨハネ騎士団
   長は、修道士のために建て、ここで物品管理をした。1532改修後パラティン
   ・ツバイブリュッケン公国のルードヴィッヒ2世に寄贈され、土地登記所が収容された。
   18cヴェルザー家に売却され、城教会までの屋根付き廊下が付けられた。
 騎士の宿 Ritter hergerg (1580) 出窓付き上階木組の北半分2階建、南半
   分3階建の切妻のある建物で、おそらくは外国の貴族のための宿泊所
   であった。20cの終わりまで木組は石膏の下にあった。
 公爵ヴェルダー館 Fuersten Wartscher Hof (1672-1711) 公爵ヴェルダーが領主
   として所有したゴシックの建物。1855新古典の前面に改修され、亡命中に
   一時住んだ元ポーランド王マタニスラウスの備品や美しい内装がある。
 ヴァルデェックの館 Waldeck'scheHof von Boos (1400) ヴァルデェックのボーゼ家が
   1423-1806に所有した。1822再建では新しい階段のある3階建の北正面
   玄関がつくられた。今はイベントハウスと中庭蒸留所が使われている。
 モーレン薬局 Mohren Apotheke (1550-60) ルネッサンス石造の建物。
 木組の家 Fachwerk Haus
   RitterHerberge (1580) 最古の旅館、木造2階建て。
   ThaynischesHaus 3階建の美しい市民の家。
   MarktThalle (1550-60) 3階建ての市場広間。

5.写真

市民塔 北壁
下門内側 下門外側

戻る

戻る

モンタバウアー Montabaur VG  RP35

1.歴史

 959 トリアー大司教は聖ピーターとヨハネに教会を奉献、 1018コブレンツ・トリアー大司教区に、
 1227 大司教は町に城を築いて税金を管理、1291 ハプスブルク王ルドルフは憲章授与、
 13c 市場を囲む市壁が構築された、1359 市民が存在、1442市議会が置かれた、
 14-15c 川と布の貿易で豊かな町となった、  1359.1491.1534.1667 大火災、
 16c 魔女狩りが行われた、    1631 スエーデン軍が占領、その後何回も占領、
 1802 ナッソー公国へ、1866 プロイセンへ併合、   1945 戦後仏占領地域となった。

2.市壁  0.22km 0.12 

   13cに丘の麓の町役場に中央市場と小市場が開かれ、市壁で守られた。
  19cから市壁は次々に壊されたが、南に点々と残っている。

3.塔  0門2塔

   13cの市壁には多くの塔と13の門があったが、1491の大火で中世の建物や
  塔や門の殆どは破壊された。
 オオカミ塔 Wolfs Turm (13c) 城が見えるように高さ23m六角塔が建てられた。1491.1534
   の火災で損傷したが修復し、1628-31刑務所の一部として使われた。1774再度塔は
   補修されたが、1814崩壊の恐れがあり解体された。1970無かったクラウンの銃目を付加
   して復元して、世の批判を招いた。
 壁塔 Turm (13c) 東側の駐車場の所にある。

4.見所  D

   尾根の上に町が広がり、高い所に城がある小さな町。
 市庁舎 Rathas (1866-68) ネオゴシックの3階建ての建物で、前面に時計塔と小塔が並び、2階
   の張出台が突出した奇妙な形である。
 モンタバウアー城 Burg Montabaur (1227) 尾根の上に築かれ、1520大司教により4翼のルネッサンス
   の宮殿になり、1676-1711トーリア大司教が支配した。1687-1709に大司教の下で改造され、今の
   バロックの姿になった。今は4星ホテルであり、独の最高会議が開かれる。中庭の騎士のホールでは演
   奏会や催物が行われる。
 美術館 Galerie 元NATOの兵器庫が芸術と文化の中心となっている。現代美術の展示もあ
   る。
 聖ペテロ牧師事務所 St.Petorin Pfarramt カソリックの教区教会。

5.写真

市庁舎 城北面
城南面 オオカミ塔
市壁 木組家

戻る

戻る

ミュンスターマイフェルト Muenstermeifeld RP36

1.歴史

  580 トリアー大司教はマーチン大聖堂を置く、 956 イタリアの聖遺物を移して巡礼地、
  965 市場権を授与された、      13C 都市権の授与、
 13C中 市壁の建設開始、       14C 壁は拡張強化されて完成。

2.市壁  0.30km 0.22 

   建物の基礎とか壁体として残っている物も含めて、南東のOberTorと西の
  EulenTurmの周辺に市壁が残っている。

3.塔  1門1塔

  昔は11の門と塔があったが、今は1塔しか残っていない。
 下門跡 UnterTor 14C建、西北 西側側塔の地階部分の上に木組の
   小屋が載せて説明板がある。門とまでは言えない。
 梟塔 EulenTurm 14C建、西 3階建円錐屋根の細長い円塔。南側に
   市壁がある。

4.見所  D

   戦災に会わず古い家並みが残り、老朽化で崩れて更新の時期に来ている。
  木組の家は坂道のあちこちに見られる。
 聖マーチン大聖堂 St.Martin&SeverusMuenster 11-12C建、町で唯一の見所。
   ゴシック木彫りの黄金主祭壇、古代の壁画。
 郷土博物館 HeimartMuseum 2003建、1900-50の地元産業の展示。

5.写真

下門 北壁
フクロウ塔 南中壁
南中壁 古い城
南東壁 大聖堂

戻る

戻る

ノイライニンゲン Neuleiningen (Grunstadt市内) RP37

   

1.歴史

1238-41 ライニンゲン伯爵は城を築いた、1238-50 伯爵は町を設立し発展させた、
 1308 ヴォルムス教区の財産権はライニンゲン伯爵へ、14c 都市権付与・仏革命軍で失う、
 1525 農民戦争は無傷で過ぎた、   17c 30年戦争も生き延びた、
 1690 9年戦争仏軍の破壊、 1742 ヴォルムス王子司教に町所有権の半分を移した、
 1767 ライニンゲン伯爵は町・城をヴォルムス司教に売却、1794 仏革命軍が占領し城売却、
 1816-1945 町はバイエルンに含まれた、  1874 城は個人所有となり修繕された、
 1941 城は町の所有となった、     1946 ラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.70km 1.00 

  3市門と4塔を持つ市壁は、13cの城の後に建設され、15cに拡張・更新された。
  州でも保存状態のよい市壁で、ほぼ全周に残っている。

3.塔  1門7塔

 

 上門 Ober Tor () 西門、市壁のアーチ門で、上部は壊れている。
 泥棒塔 Diebs Turm () 南東の胸壁付き5階建の半円塔。
 鶴塔 Kranich Turm () 西の円塔で、今はワイナリィRudiRuettgerである。
 4城塔 4Burg Turm (13c) 旧城の4隅に崩れかけた大口径の円塔がある。
 東北塔 Ostnord Turm () 東北の隅に小さな円形がある。その東にも崩れ
      た塔の跡らしき形跡がある。

4.見所  B

   ワイン街道の丘の上の市壁に囲まれた小さな町があり、ドイツでも古い防御様式
   を示し、古い建物が残る。城の展望台からは、東のライン渓谷と西のプファルツの森
   の素晴らしい展望が眺められる。
 市庁舎 Rathaus (14-15c) この建物は、カルメル会の聖十字架修道院に教会
   と同様に属していた。宗教改革で修道院が溶解した。1902複合体の建物を町が
   取得し今の姿に改修した。
 ノイライニンゲン城 Burg Neuleiningen (1240) 伯爵フリードリッヒ3世が仏風の城を
   独の初期要塞城として建てた。1690の9年戦争で仏軍が破壊し石塔を閉じた。
   1767ヴォルムス司教に売却した。1803仏軍が競売に掛けて民間が所有。1941町が取
   得した。今は四隅に崩れた大きな円塔のある外壁のみが残る遺跡である。
 教区教会聖ニコラス PfarrKirche St.Ninikolaus (13c) 城礼拝堂として、
   城と共に荒石造で建てられた。聖マリア生誕祭のためのゴシックの像がある。15cに
   公人が拡張され塔が追加された。聖ニコラウスのバロックの彫像も加えられた。
 新教十字架教会 Ev.Kreuz Kirche (1555-82) 1555ルター派の教会たなり、
   1582-1902はシナゴークとして使われ、1957再度新教の所有となった。
 ワイナリィ Weingut Rudi Ruttger (16c) 町の南西の市壁の外に、半円形の塔
   を含め元ヴォルムス本山の醸造事務所であり、ルネッサンスの管理所(1594)と荒石造の
   schaffenhausがあり、今もワインを造っている。
 牧師館 Pfarrhaus (16c) 城の外辺の旧城守衛所の建物で、城の旧執事が
   詰めていた。
 木組の家 Fachwerk Haus (16-17c) 良く修復された木組の建物が、中心
   部の上・中・下の狭い通りにきれいに並んでいる。
    中通17.Wohn Haus (1567) 2部構成3階建の建物で、1733に改修。
    中通22.Wohn Haus (1600) 2階建バロックの前面の模様が美しい建物。
    中通30.Wohn Haus (15-16c) 3階建切妻の建物で最上階は木組の建物。
    中通32.Wohn Haus (16c) 3階建の住宅で、上階は木組で18cに更新。
    中通38.Wohn Haus (1565) 1505の地下室の上に建てられ16-18cの建物。
    上通11.Hofanlage (14-17c) 3階建の建物で19cに建て替えられた。
    教会通4.Hofanlage(1876) 後期バロックの2階建石膏塗りの建物。

5.写真

修道院教会 聖マリア教会

戻る

戻る

ノイシュタット Neustadt an der Weinstrasse RP38

1.歴史

  774 村への修道院文書初言及、   1155 ビンツィンガー城は既に存在、
 1275 都市権を授与、         1346 課税権や裁判権を得た、
 1578 大学の設立、     1600 古い木造家屋が壊され石造とした、
 1465-1515、1540-16C ハンザ同盟で繁栄、  1604 スペイン・オランダ軍占領、
 30年戦争で6回の占領、      1622スペイン.1631スエーデン.1635帝国軍、
 1638ワイマール.1639.1644仏、      1722 余計な北側市壁が壊された、
 1778 市壁と堀の競売、             1816 バイエルンに帰属、
 1945 2次大戦による被害は少なかった。

2.市壁  0km  

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   日本語HPあり。ワイン街道の中都市。古い町並みの旧市街地らしき所は見当
  たらない。
 司教区教会 StiftsKirche 1368建、1383ゴシックの内陣奉納、1489両塔完成。地
   元の赤と黄色の砂岩を使い、4階の角塔を西側に置き、天井や窓には絵画があ
   る。土曜日には57mの南塔に登ることができる。64mの北塔には皇帝の鏡が
   置かれる。創立者ルドルフ2世の墓がある、
 聖マリア教会 St.MarienKirche 1860-62建、カソリックのゴシック教会。1974身廊の窓を
   改造、北翼廊のベルンハルト祭壇。
 元大学 Cusimrianm 578に大学を開いて、ハイデルベルク大学のカルビン派の教授と学
   生を引受けた。
 ビラ・ベーム市博物館 StadtMuseumVillaBoehin 北 9の部屋に8百年の町の歴史
   を展示。
 オットー・ディル博物館 OttoDillMuseum 中 20C中頃の風景画家の芸術と生涯を、
   150の油彩画と水彩画を展示。

5.写真

修道院教会 聖マリア教会

戻る

戻る

ニーダー・インゲルハイム  Nieder Ingelheim RP39

1.歴史

  6-7C フランク族による占拠と定住、  Nieder-.OberーIngelheimの創設、
  788 カール大帝の帝国会議開催、最初のカイザー広場の建設、
  800 宮殿は建設された、  12C 宮殿は拡大され、城壁と4塔を建てた、
 1375 カール4世はプファルツの抵当にした、1488 皇居や王の住居として栄えた、
 1648 30年戦争で被害、           1802-14 仏軍による占領、
 1815 ヘッセン大公国領となる、       1945 2次大戦の被害を免れた。

2.市壁  0.05km 0.01 

   カロリング朝の宮殿から皇帝の城へ拡張され要塞化された。12Cに高さ10.5mの
  壁が築かれ、今は局部的に残っている。

3.塔  2門1塔

 野里門 HeidenheimerTor (12C) 780に脇道路と共に門として建てられたが、中世
   初期には防御壁になった。
 砂糖山門 ZuckerbergTor () 南側の防御壁にあり、要塞の出入口であった。防御壁
   には小さな建物が付いている。
 半円造碑 HalbkreisBau (14C) 半円形の宮殿の起源説明碑として、中世要塞の前通
   りの東側に立った。
 ボランダー塔 BolanderTurm (1160) この塔は皇居の南西の角に位置した四つの防御
   塔の一つである。

4.見所  C

   この場所は800頃に宮殿として建設され、中世後期には皇帝や王の居城となり、
  12Cにフリードリッヒが帝国の城に拡大した。1356からはプファルツのシャルル4世の宮殿となった。
  発掘調査と一部復元が行われ、宮殿.礼拝堂.防壁.塔等が見られる。
 アウラレジア Aularegia 宮殿ホール、8C後半-9C前半の装備が見られる。壁の北の端に説
   明板がある。
 教会広間 KircheSaal 900建、元パラタイン教会の東の部分、大鐘楼に1861の年号が
   ある。身廊は1964に元の基礎の上に再建された。

5.写真

戻る

戻る

ニーダー・オルム  Nieder Olm RP40

1.歴史

 899 マインツ大司教が集落を所有し皇帝の妻に不動産を与え、 994大司教に戻った、
 11c末 集落に聖ヨハネ教会を建てた。    12c、市壁・掘・4門の最初の要塞を建設、
 13c末 市壁内に貴族の城を建設、    15c この町にマインツの収容所が置かれた、
 1503 大司教ベルトホルトは城を火器に応じ増強し、 城はSt.Laureziburgと呼ばれた、
 1510 要塞と城は何回も壊された。        17c 30年戦争で略奪と破壊、
 1692 仏軍の占領略奪、 1792 マインツ自由共和国へ、 1798-1814 仏帝国の州都、
 1816 ヘッセン大公国ラインヘッセン州に属した、19c初 要塞は取払われたが墓地壁は残った、
 1919-29 仏軍占領、、             1946 ラインラントプファルツ州に属した。

2.市壁  0.34km 0.28 

   12cの市壁は、北側に墓地壁などとして残っている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1827) マルクト広場に南側に旧市庁舎と平和裁判所の新古典的な
   2階建の建物。マインツの地方建設長が建てた。
 新教聖グスタフ・アドルフ教会 Ev.Kirche St.Gustav Adorf (1861-65) 北側単塔前面アーチ門のホール
   教会。
 カトリック教区教会 Kath.Pfarr Kirche St.Johannis (12c) 騎士団がロマネスクの教会を12cに建て、
   1837のローマ式鐘楼。1400ゴシックのコアヤ礼拝堂。1778-79後期バロックの広間身廊を建てた。
 住居 Wohnhaus (1831-32) クラシックな2階建の青いホテル。1890-1900木製支柱のバルコンニィと、
   広大な庭園。
 住居 Wohnhaus (1810) ネオバロックの広いホテル所有地。2階建上階木組の建物。1910木組屋
   根の取換えた。
 住居 Wohnhaus (1817) 新古典主義の2階建上階木組の建物で、上階は1900に改修され
   た。大きな庭がある。
 牧師館 Ehem.Pfarrhaus (1765) 後期バロックの寄棟屋根2階建の大きな建物。

5.写真

カトリック教区教会 北東壁
墓地壁

戻る

戻る

オパー・インゲルハイム Ober Ingelheim RP41

1.歴史

  6-7C フランク族による占拠と定住、 Nieder-.OberーIngelheimの創設、
  788 カール大帝の帝国会議開催、   11c 自由都市となる。
 15c 市場を中心に堀と市壁に囲まれ、町の修復が行われた。
 1648 30年戦争で被害、         1802-14 仏軍による占領、
 1815 ヘッセン大公国領となる、     1945 2次大戦の被害を免れた。

2.市壁  0.53km 0.26 

   15cの市壁は、高さ8m厚さ2mの狭間付きの壁で、前面に堀を置いた。
  市壁には580mの壁上を通行できる。

3.塔  4門4塔

 ウッハフ門 Uffhab Tor () 南東にある石造2階建アーチ門で、名前は「巨大納屋」
   の方言か。
 スチ-ゲル道門 Stiegelgasser Tor ()2連の円塔の間を通路が通り、木製の
   扉材で開閉していた。
 牛川門 Rinderbach Tor () 中世の2連塔門の残骸が、19cの建物の中間の
   壁として残っている。
 オ-ヘン橋 Ohfen Bruecke (1381) 2連の半円塔の間を入口としている。ゴシック
   の門には石落が残っている。
 マラコフ塔 Malakoff Turm () 教会の周囲の壁の南西端に当たり、高さ19mの
   円塔で、名前はクリミア戦争時に付けられた。
 ホアランゲ塔 Vorlange Turm (15c) 石造2階建の円錐形白屋根の円塔。
 尖頭塔 Spitz Turm () 石造2階建の円錐形白屋根の円塔。市壁は残る。
 カタツムリ塔 Sehnbecke Turm (14c) 石造2階建の円錐形白屋根の円塔。

4.見所  D

    小高い丘の南西斜面に、マルクトを中心に建物が散在している。BurgKirche
   の南側は、市壁や門塔の復元作業が進んでいる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1608) 1828にケラーポータルの古典的様式で再建され、
   時計塔と破風屋根の組み合わせが見事である。1939の町村合併までは、
   裁判所として使われた。
 城教会 Burg Kirche (12c) 12cからのロマネスクとゴシック様式が混在し、様々な屋
   根の高さがあり、15c半分の外側が造られ、要塞化された西側が造られて
   完成した。城側はステンドグラスや装飾楔模様の壁画で飾られている。
 聖ミカエル教会 St.Michel Kirche (1721) バロックの内陣・屋根の天窓・3廊ホール教
   会として建設された。1964西に身廊を延長して新しく鐘楼をつけた。

5.写真

       
城門外 城教会
聖ニコラウス教会 城門
マラコフ塔 南東壁

戻る

戻る

オーパー・オルム  Ober Olm RP42

1.歴史

 994 マインツ大司教が裁判所を確認、  11-12c シスターシアン修道院が町の財産を所有、
 1370 オーパーベーゼル修道院が町の財産を所有、1446 教会による男子学校の運営、
 1582 火事で町の半分を焼き、翌年ほぼ全焼、  1790 仏革命伴う暴動は鎮圧、
 1792 マインツ共和国の発足、            1793 ゲーテはこの町に滞在、
 1816 ヘッセン・ダルムシュタット大公国に属した、          1945 米軍の侵攻。

2.市壁  0.04km 0.01 

   市壁は、ObergazsseとUntergassaの間にあったと思われるが、殆ど見当たらない。

3.塔  0門0塔

  見当たらない。

4.見所  C

   静かな小さな町で、細い道と古い建物がある。
 市庁舎 Rathaus (1550) 最初の建物は、建物学術調査で1550と判明した。小さく簡素な2階
   建バロックの外観は、1722に内装も新しくなった。2006-08に改修された。
 カトリック教会聖マーチン Kath.Kirche St.Martin (900) 教会の最古の部分は、塔の下の階のロマネスクの
   部分であり、15cに尖塔が付けられた。身廊は1879-81の新ゴシックであり、1899後陣と
   天井付き側廊を拡張した。墓地の古い部分は周壁が有った。教会庭の壁にはマインツ聖
   堂参事会の紋章石板が埋めてある。
 旧飲食店 Ehem.Wirtshaus (17c) この飲食店にヨハン・ヴォルフガング・ゲーテが1793.3.26に宿泊した。
   仏の包囲時には、プロイセンとオーストリアの軍が駐留した。
 旧町パン屋 Ehem.Gemeinde Backhaus () 言い伝えでは、古い町のパン屋の場所に決められ、
   職人の印として家の正面に「プレッツェルとシュビックヴェッツ」が置かれた。また、町の中心からパン
   屋までの道は「BackhausGasse」と名付けられた。今も石積に「プレッツェルとシュビックヴェッツ」
   の標識がある。
 旧牧師館 Altes Pfarrhaus (16c) 元も古い家の一つで、1870からカトリック牧師館として使われた。
   その後個人所有に移っている。
 旧十分の一税館 Ehem.Zehnt Hof(1810) マインツ聖堂参事会の旧十分の一税館は通り名は残るが、
   1803の世俗化で競売に付された。
 聖ヴァーレンチウス礼拝堂 St.Valentius Kapelle (1342) メロヴィング時代の中心地で、聖ヴァーレンチウスの
   巡礼教会とされた。今の建物は、1720にバロックで拡張され、1803の世俗化で溶解された。

5.写真

市庁舎 カトリック教会聖マーチン
北壁 東壁

戻る

戻る

オーパー・ヴェーゼル  Ober Wesel RP43

1.歴史

 5c 馬を替える駅として存在、 966 フランク国王は村をマグデブルク大司教に与えた。
 1237-1309 帝国都市となる、   1391 トリアー大司教の支配下に入った、
 14c中 市壁・2教会・2修道院の建設、1689 仏軍による破壊、1794 仏革命軍の占領、
 1815 プロイセン領となった。

2.市壁  1.84km 0.70 

  13-14cに市壁は造られた。所々欠けた部分はあるが7割は残されている。東側の
  AmPlanからSchaarPlatzまで580mは通行できる。ユネスコ文化遺産え保存状況は良い。

3.塔  3門15塔

 略図に示すように18の門塔が残り、失った塔は8ぐらいであろう。
    ①Zehner Turm(Eselstor)、②Haagus Turm(Roter Turm)、③Schoenburger Turm、
  ④Hospitalgassen Turm、⑤Steingassen Turm、⑥Katzen Turm、⑦Ochen Turm、
  ⑧Beckbomer Turm、⑨Koblenzer Turm、⑩Felsen Turm、⑪Niederburger Torturm、
  ⑫Koelner Turm、⑬Muehlen Turm、⑭Michelfeld TurmⅠ、⑮Michelfeld TurmⅡ、
  ⑯Kuhhirten Turm、⑰Purver Turm、⑱Gelber Turm(Villa Nova)。

4.見所  C

  ライン川左岸の川沿いの国道・鉄道・川側市壁と、山側のAmSchuetzenGraben・山側市壁と
  の間に旧市街が密集している。
 シェーンブルク城 Schoenburug (1149) 南側の木が茂った丘の上に、居城を建てた。1689
   仏軍が城を破壊したが、1885アメリカ人ラインランダーが城を復元した。1950町が所有し、ホテル
   とレストランとして使われている。門塔には塔博物館があり、700年の城の歴史と古い部屋
   があり、ラインの土産や騎士と乙女の本がある。塔頂からの渓谷の眺めは素晴らしく、
   4-12月の10-18時には塔に登れる。
 聖母教会 Liebfrauen Kirche (1213) 南の市壁外に1331-1375ゴシックの教会として
   新築した。赤砂岩の身廊は印象的な高さであり、中には3翼の壮大な黄金の祭壇・聖歌隊
   の巧妙なレットナー・中世の25の壁画・19cの大学教会としての19祭壇は1330マドンナ天蓋の下に
   ある。1515騎士夫妻の古い墓標。
 聖マーチン教会 St.Martin Kirche (1303) トリーア大司教は、ロマネスクの教会で共同財団を設立。
   1350に防御塔のあるゴシックの防御修道院教会に着手し1500まで要した。1802に仏軍に
   修道院が解散させられた。教会には15-16cの壁画とゴシックのマドンナがある。1962-68修復。
 母バラ礼拝堂 Mutter Rosa Kapelle(1300)市民の基盤として東の市壁近くに、精霊病
   院があり、14cに病人の施設が設けられた。1689ルイ14世の戦争で教会と病院は破壊され、
   1700内陣が礼拝堂としてバロックで再建された。。
 市博物館 Stadt Museum (19c) 資産家の邸宅に、ライン川での生活と町の歴史を展示。

5.写真

スタインガッセン塔

戻る

戻る

オッペンハイム Oppenheim RP44

1.歴史

 1152-54 シュタウヘン朝の皇帝城と臣下が町に、  1182 最初の市壁が築かれた、
 1225 フリードリッヒ2世は帝国自由都市とした、1278 侯爵エバーハート1世は町の代官、
 1291 代官はマインツ大司教の攻撃を阻止、    14c マインツ選帝侯は町を入質、
 1398 プハルツ選帝侯の領土に属した、  1688 仏軍はプファルツ承継戦争で占領、
 1689 仏軍は城と町を破壊、     1797 プファルツ選帝侯から仏オッペンハイムへ、
 1816 ヘッセン・ダルムシュタット大公国に帰属、   1945 ヘッセンからラインラントプファルツ州へ。

2.市壁  0.01km 0.01 

   12Cの市壁は、西のGau門の近くに残るのみ。

3.塔  1門2塔

 ガウ門 Gau Tor (1182) 市壁の西側のアーチ門で3階建の角塔がある。
 時計塔 Uhr Turm (13c) 白い塔とも呼ばれる円塔で、昔の市壁の角に立ち、1232税
   関としても使われた。13cの瓦礫石積13.2mと14cの紋章のある上部タワー18.1mで
   構成され、直径4.9m、璧厚0.7mである。時計のチャイムを鳴らし、洪水の警報を
   行い、消防署としても使われた。
 ルプレヒト塔 Ruprechts Turm (15c) 城址の北東の角に残る円塔と角塔を組合わされた
   石造の5階建の塔。

4.見所  C

   ライン川から線路を越えて山側の細長い町に、市壁に囲まれて古い町がある。
 聖母教会 Liebfrauenirche 1213建、初めは聖マリア修道院として建てられ、今の建
   物は1331-75にゴシックの教会として新築され、14Cの主祭壇、15Cの壁画が古い
   が美しい。
 聖マーチン教会 St.MartinsKirche 1322建、ロマネスクの前身に基づき、1350にゴシックの教
   会とした。1500の壁画がある。
 町博物館 StadtMuseum Kulturhausの中にあり、町の歴史文化を展示。

5.写真

市庁舎 ガウ門
マルクト西 聖カソリネン教会
ワイン生産博物館

戻る

戻る

オッターベルク Otterberg (Otterbach-Otterberg) RP45

1.歴史

 1145 今の城山にシスター派修道院を設立、   1169-1254 修道院教会の建設、
 1225 フリードリッヒ2世は帝国自由都市とした、1278 侯爵エバーハート1世は町の代官、
 1291 代官はマインツ大司教の攻撃を阻止、    14c マインツ選帝侯は町を入質、
 1504 ランツフート承継戦争で修道院を略奪、1556 改革の導入、1561 修道院は無人、
 1579 信仰の自由となりスペイン・オランダから宗教難民が流入、
 1581 プファルツ伯の都市権を授与されて成長、18c スイスからメノナイト家が来て定住、
 2014 合併してOtterbach-Otterbergとなった。

2.市壁  0.26km 0.21 

   12-13cの市壁は、Lauer str. Johannis str. Fabrik str.に修道院の壁とし
  て存在した物に、1520に拡張した。今残されているのは、家の擁壁として使わ
  れるか、道路の耐力壁に統合されている場合が多い。

3.塔  0門0塔

  見当たらない。

4.見所  C

   12cからの修道院の町であり、木組の建物が多く残されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1751) 後期バロックのこじんまりした四角い2階建のマンサード
   屋根の建物で、鐘楼と屋根裏部屋がある。部分的には元の16cの建物が残され
   ている。今は歴史博物館である。
 市庁舎 Rathaus (1886-90) いわゆる城で、元紡績と撚糸工場アロスト合資会社の支店管
   理棟であった。角塔のある3階建の四角い建物は、今は都市行政の行われる場
   である。
 修道院教会 Abtei Kirche Otterberg(1145) 修道院教会は、オッターベルク領主から周辺
   のシスター教徒への贈り物として建てられた元修道院の一部である。修道院教会
   は、1168-1254に後期ロマネスクの十字教会として建てられた。修道院は1340経済
   活動の頂点に達した。1556の宗教改革後、1561には修道院は無人となったが
   教会は引継がれた。
 シラー学校 Schiller Schule (1900) 旧地方裁判所で、赤砂岩の破風付きの大きな建
   物。
 旧薬局 Alte apotheke (1608) 3階建の美しい木組の建物。
 旅館:王冠 Gasthaus Zur Krone (1778) 細長い2階建バロックの美しい木組の建物。元農
   場の建物。
 木組の家 Fachwerkhaus (18c) 3階建バロックの美しい木組の別荘である。
 青い家 Blaues Haus (1612) 3階建前面木組の美しい建物で、1848改修。
 住宅 Wohnhaus (1773) バロック2階建の住家。  牧師館と集会所 Pfarrhaus und Kapitalsaal (12c) ロマネスクの騎士団の広間と1732バ
   ロック平屋建の牧師館。

5.写真

戻る

戻る

プファルツェル Pfalzel (Trier市内) RP46

1.歴史

 4c宮殿城の名前が地名となる、  7c 城内に尼僧院を建て1027に改装、
 11c トリアー大司教の城と尼僧院に、門屋・回廊・礼拝堂の建物を追加、
 12c モントルイユのアルベロ大司教は西のパラティナーデェ城を強化してトリアー大司教に対抗 
 13c 城の近くに農民集落を開発し市壁で守った、1346 都市権の授与、
 1539 要塞の完成 16c迄 城には裁判所・鋳造所・製粉所が壁に仕切られて存在、
 1673 仏ルイ14世はトリアーを占領しプファゼル要塞を破壊した、1815 プロイセンに属した、
 1969 プファゼルはトリアーに併合された。

2.市壁  0.63km 0.78 

  1530年代の市壁は、1674仏軍によって破壊されたが、1990-92修復された。
   二重市壁の間と外側には、今は庭園や墓地が多い。
 陵堡 Bastion
   町の西南部のモーゼル河畔に、張出した二重の石積が90mがある。

3.塔  0門7塔

  市壁の門や塔は、見当たらないが、北側ミュンフェン通の外壁と内壁に、それぞれ
  アーチ門がある。モーゼル要塞には大口径の砲台跡が6基ある。西門の跡の建物の中に
  1944に取壊された西門の残りがある。

4.見所  B

   4cからのプファゼルには、ローマ時代の宮殿城と修道院が建ち、町の核には古く
  からの居住地から税関と公の住居となった。
 プフェルゼル城 Burg Pfalzel (1131-52) アーチピスコパル城は、15cに再建された。
   16c初に火災に会い、1673-74に仏軍に破壊された。北西隅の多角形の階段塔の
   切株、3階建の四角い門塔、教会広場4の残りは、かっての宮殿の残りである。
 聖マリアとマーティン教区教会 Kath.Pfarr Kirch St.Maria und Msrtin (700)
   元大学教会で、ローマ時代の教会が改装された。教会の建物は十字架の形で、繰
   返し拡張され大きな教会となった。
 教区の家 Pfarr Heim (1773) 元カトリックの聖マーチン教区教会で、1894に西塔
   のあるホール棟は延長された。1962教区の家へ改造された。
 修道院居酒屋 Kloster Schenke (13c) 元修道院の建物で、荘厳な屋根付
   きの建物。地階は7回廊があり、16cの墓碑・平屋の農場もある。
 カトリック・マリエン礼拝堂 Kath.Marien Kapelle (1860) 前庭を持つ小さなサドル屋
   根構造の建物。19cバロックへ改装。
 十分の一税倉庫 Zehnt Scheune (1592) アーチーピスコパル城のかっての倉庫。
   19c西側を塀で囲まれた交差点のある建物に改造された。屋根は板石。
 トリアー選帝侯事務所 Kurtrieersches Amthaus (1544) 元トリアー選帝侯の事務
   所で、洗練された装飾のある堂々たる建物。1577八角形の階段塔を付けた。
 住宅 Wohnhaus (15c) 塔のような階段ポーチを備えた中世後期の建物。
 ロスポートの家 Rosportsches Haus (1579) 堂々たる大きな建物で、この町
   で最も古く最も保全状況のよい建物。
 住宅 Wohnhaus (17-18c) 1944に取崩された西市門の残りを持つ3軸
   バロックの建物で、西アーチがある。
 住宅 Wohnhaus (1587) 小さな長屋で、19cにマンサード屋根のバラックの建物
   に改装された。
 住宅 Wohnhaus (18c) 円塔のある平屋の建物。
 住宅 Wohnhaus (15c) 元修道院の建物で、ローマと中世後期の壁が残る2
   階建石造の建物。
 住宅 Wohnhaus (1561) ドイツでも最古の人が住んでいる石造の建物で、
   元大学の治療院で、石膏塗りの2階建の建物。
 住宅 Wohnhaus (1445) 部分的にレンガ造の2-3階建のゴシックの建物。
 鍛冶屋 (19c) 鍛冶屋の設備を備えた小さなサドル屋根の保全された建物。
   間と1732バロック平屋建の牧師館。

5.写真

市庁舎 ガウ門
マルクト西 聖カソリネン教会
ワイン生産博物館

戻る

戻る

プファダースハイム Pfeddersheim (Worms市内) RP47

    Worms市内の西にある

1.歴史

  753 修道院への献金で最初の文書言及、1300 ハプスブルク都市権を得て要塞、
 1302-08 帝国自由都市となり自治と裁判権を有した、
 1381 ライン川同盟に加入、水堀と市壁を設け3門.10全塔.幾つかの半塔を設けた、
 1465 プファルツ州へ、 1525 農民戦争で処刑、 1618-48 30年戦争で3回破壊、
 1689 継承戦争による破壊、 18C 仏革命とナポレオンによる仏占領。
 1815 ヘッセン大公国へ帰属、  1874 人口減少で都市権を棄権した、
 1969 ヴォルムスに併合。

2.市壁  0.08km 0.12 

  市壁は塔に付属して数カ所に僅か残っている。

3.塔  0門14塔

  全塔9と半塔5の14の塔が残っている。この内改修済みは円塔5と半塔3である。
 市民塔 BuergerTurm 南 1611建、1999復元、4階建六角屋根の円塔。
   キッチン.バス.ラウンジ付きで、2人までの宿泊可能。
 レンハート塔 LenhardsTurm 西 1500建、町長の名前からスプレガー塔とも言う。
   4階建六角頂塔の円塔。各階には人が住んでいたが、1997の再建以降北側
   の残った壁と繋いだ。
 隅塔 EckTurm 南東 市壁の角の四角塔。崩れていて上部はない。付近に
   幾らかの市壁が残っている。
 イナゴ塔 JohannisTurm 北 特徴ある2階建て防御塔、1525の農民戦争では
   重要な役割を演じた。市壁の中にあり壁上通路に接続。近く再建される。
 戸塔 TuerTurm 北 1500建、1983-84に天井を含めて改修された。後期
   ゴシックの2階建円塔。市壁が付いている。
 高塔 HohenTurm 北西 1500建、町の最高点にある2階建の角塔。両側の
   半塔に市壁で固めた。19Cに居住され、1995に改修された。
 セミ塔 Mauer mit HalbTurm 1500建、西 入口の西の市壁は1500に建てら
   れ木製の壁上通路のために町側の半円アーチ擁壁が見られる。半塔は上部が
   欠けている。
 赤塔 RoterTurm 東 1500建、市壁の隣接部分と共に2004-05に改修された。
 火薬塔 PulverTurm 北東 1554建、2階建円塔。中世の火薬庫であった。
   1996に復元された。
 アウル塔 AulTurm 北東角 3階建円塔、中世の防御塔で、監獄としても使わ
   れた。今日は人が住んでいる。

4.見所  C

   市壁の全長650mの小さな古い町である。多くの塔が立ち修復が進めら
  れている。
 市庁舎 Rathas 1760-70建、オーブ家の2階建事務所として建てられた。
   19C以降市庁舎として使用されている。
   改修、参事会宴会場には火事の銘板があり、今は結婚式場と博物館。
 非宗派別教会 SimultanKirche 西の部分は1708-21建、ゴシックの教会の身
   廊基礎の上に福音派の教会として建てられた。1789に内陣の東側は
   カソリックの祭壇が置かれた。
 学校博物館 ScluleMuseum 1900-1960は学校として使用され、1989に
   最初の学校博物館として古い教室を公開した。

5.写真

市庁舎 市民塔
半円塔 レンハード塔
ヨハネス塔 ホーハー塔
赤塔 西壁
東壁 教会

戻る

戻る

ラウネン Rhaunen RP48

1.歴史

  8c ロッシュ修道院が所有、         841 フルダ修道院の文書に言及、
 1271 教区となり1227聖マーチンに教会が捧げられた、14c ラウネン高等裁判所を設置、
 1560 改革の導入、 17c 30年戦争で人口減、 1685 仏占領でカトリック教会開設、
 1801 神聖ローマ帝国の終焉と共に  中世の行政単位であった高等裁判所の解散、
 1815 プロイセン王国へ属した、      1901 一次大戦後に地方裁判所を設置。

2.市壁  0km  

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   小さな旧市街地のマルクト広場でなく、その南の広場に町役場・地方事務所・大
  きな商店等が集まり、数多くの古い建物がある。
 町役場 Rathas (1723) 不完全な寄棟屋根の上階木組の3階建の建物。地階はオープ
   ンスペースで、鐘楼がある。
 旧郡庁 Ehem.Amtshaus (1901) 後期歴主主義の2階建切石造の建物。
 カトリック教区教会聖マーチン Kath.Pfarrkirche St.Martin (1887-88) フランシスコ会のホール教
   会。町の中心から東にある。
 新教教会 Ev.Kirche (1277) 初め聖マーチンに捧げられ、1560に改革が導入され、
   1888の同時教会を経て、2004新教ラウネン教区となった。荒石の広間教会は
   漆喰塗りで、13cの塔のある長さ19.6m幅16.1m高さ4.3mの教会で、15cに
   3面非対称の後陣、1700身廊が建てられた。南翼に後期ゴシックのフレスコ画が
   東には1772の多角形の木製説教壇がある。
 ヴィルトグレーフの家 Wildgraeflicher Hof (18c) マンサード屋根2階建化粧造の長い建物。
 地方裁判所 AmtsGericht (1899)
刑務所と庭を持つ、元王立地方裁判所。城
   のようなネオゴシック石造2階建の建物。
 校舎 Sclulehaus (1862) 元カトリック学校、円形アーチ型窓の2階建の建物。

5.写真

戻る

戻る

レンス Rhens RP49

1.歴史

 643 ケルン大司教は王ボ-ベルト1世からレンスを取得、874 ケルン・ボーベルトの財と言及、
 1174 ケルン大司教はレンスを伯爵に販売、  1272 ドイツ王選挙のために会議開催、
 1314 王ヘンリー7世の死後選挙人はレンスに集合、1338 ドイツ王選挙の帝国法を制定、
 1346 チャールズ4世はレンスで選挙された、    1370 レンスは都市権を授与された、
 1376 レンスに王の椅子を設置・保持を決めた、1400 ルプレッヒト3世をドイツ王に選出、
 1530-1620 自由帝国都市で比較的に平穏、1618-48 30年戦争は要塞で守った、
 1410 王ルプレヒトの次の選挙はフランクフルトに移り、アーヘン戴冠式の途中に椅子に座った。
 1486 レンスでは都市法の改定、     1575-1667 レンスで魔女狩りが行われた。
 1794-1801 仏軍の占領時代も町の地位は維持、1815 レンスはプロイセン帝国に割当、
 1830-1984 コミュニティの地位を持ち市法は適用されなかった。

2.市壁  0.91km 0.91 

   市壁は1400頃に町を台形で囲んだ。北東側・ライン川沿い・山側には大分部が残
  されている。

3.塔  5門9塔

   市壁には5市門9塔がある。
 ヴィーエ門 Vieh Tor (1396-1428) 南西の門で山側にあり、門の内側アーチと
   石ヒンジのみが残る。
 教会門 kirche Tor (15c) 南東門で外側に教会があり、市側は2重門で10
   mの高さの塔が昔はあった。今は門壁の跡が在るだけ。
 ライン門 Rhein Tor (18c) 北東門でライン川への下りの門と、中世の3階建の
   建物複合体である。昔は税関であった。
 ヨーゼフ門 Josefs Tor (18c) 北西門でライン川への通路である。川側の市壁
   の間に2階建のアーチ通路付きの角塔がある。
 コブレンツ門 Koblenzer Tor (15c) 北門は歩道アーチと基礎部のみがある。
 3隅円塔 3Wcke Rund Turm (15c) 市壁の北西、南東、南西の隅の大きな
   円塔が3基ある。
 6壁塔 6Mauer Turm (15c) 北側半円殻塔、西側中間塔、西南長方形小塔、
   西南半円塔、南東半円塔、南東上部張出塔。

4.見所  B

    ライン川の左岸に、川側と山側の市壁に囲まれた小さな市壁地があり、美しい
  木組の建物も残っている。山上には川側から移された歴史的な王の椅子がある。
 旧市庁舎とマルクト広場 Altes Rathaus (1500) 1500の地階部分に1600の切妻の
   上階が美しく構築された木組の建物で、1514から市庁舎として使われた。マルクト広
   場の西側にも17c美しい青色の木組の建物が修復されている。
 聖ディオニシウス教会 Kirche St.Dionysius (1200) 市壁の外の南に建てられた教
   区教会で、12cロマネスクの西塔、15c後期ゴシックの身廊と後陣、1700内装のバロック化。
 王の椅子 Koenigsstuhl (1598) 1273からドイツ王の選挙人がレンスに集まって議
   論を行い、1346-1400ドイツ王の選挙がレンスで行われた。1376の戴冠式の後に、王の椅
   子の屋敷を建てる事が決められ、その費用と維持のために関税特権が与えられた。
   1398の王の椅子は、1624ヘッセン方伯ゲオルク2世によって復元されたが、1795仏軍は、市
   民に石材として販売し、1806に取壊された。1826プロイセン王フレデェリック・ウイリアム4世の支援
   を受け、1843に再建された。1929王の椅子は、ライン川沿いから、ライン川を見下ろせる
   現在の場所に移設された。今の王の椅子は、八角形の基盤の上に、7つの外側アーチが
   付けられ、17段の階段の上に置かれ、ライン川が見下ろされる。ライン側の外壁には、神
   聖ローマ帝国の双頭の鷲の紋章がある。
 ドイツの家 Deutsches Haus (1566-1570) 3階建の木組の家で、川側市壁の
   上に建てられライン門に直接接している。見晴らしの良い部屋に19cに画家が住んだ。
 赤いライオン Dom (16c) 最古の木組の家の一つで、おおきな斜めの支柱が典型
   的な生んでいる。窓は殆ど元のままである。
 革なめし屋 Lohgerberhaus () 旧革ナメシ地区にある建物。

5.写真

旧市庁舎 ホーフ通
教会門 ピーエ門
隅円塔 ライン門
西北壁 西壁
西南壁 東壁

戻る

戻る

ロッケンハウゼン Rockenhausen RP50

1.歴史

 1332 都市権を授与された、    1457 ラウ伯爵の下でプフアルツ州に属した、
 17c 30年戦争で町はほぼ壊滅され、1792 仏革命軍が占領、1797 仏に併合、
 1798-1814 仏ドナーズパーク局の中心に、1815 ウイーン会議でバイエルン王国に属した、
 1818 バイエルン王国のキルヒハイム地区に割当、
 1945 終戦後仏占領下の新設のラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.04km 0.04 

   この町は、直径300mの円形の市壁で守られ、所々に市壁が残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1848-49) 簡素な後期古典主義の2階建の建物。1949屋根工事を
   行った。
 連合共同体事務所 Verband Gemeinde verwaltung (1901) 元地区事務所。今は共同体行
   政所。マンサード瓦屋根3階建のネオバロック砂岩切石造の建物。
 地方裁判所 AmtsGericht (1900) 地方裁判所は初め市庁舎にあったが1879用地を確保して
   1900建設。マンサード屋根のネオバロック切石造の建物。
 プロテスタント教区教会 Ev.Pfarr Kirche (1780-84) 後期バロックの建物に、バロックドームの4階建の角
   塔がある。1788のオルガン。
 カトリック教区教会聖セバスチャン Kath.Pfarrkirche St.Sebastian (1915-17) 3通路アールヌーボー砂岩バ
   ジリカに4階建の円塔。1900の火事で壊れ1917に再建。
 カトリック牧師館Kath.Pfarrhaus (1899) 元カトリックの牧師館で、バロックレンガ造のマンサード屋根の建物。
 商店 Geschaefts haus (1696) 年号が付いた2階建木組の建物で、木製の螺旋階段がある。
     商店 Geschaefts haus (1739) 装飾的なバロックマンサード屋根の木組の建物。
 革ナメシ工場 (1848-49) 年号表示のある一部木造の不揃いの建物。
 宮殿 Schloss Rocken Hausen (1234) 初めの水城に1399城代が住んだ。1504破壊され、
   1571選帝侯は住居円塔・螺旋階段・バロック寄棟2階建の建物を建てた。30年戦争で壊さ
   れ、1713-38地下室・納屋を含む複合建物を再建した。1797仏支配下で競売に付さ
   れ、1959町が取得して、市庁舎・図書館として使われ2000に改修された。
 塔時計博物館 Pfalzisches TurmUhren Museum (1979) 50の塔時計があり、最大で3mの大
   きい時計もある。その他、壁時計・天文時計・日時計・砂時計・小時計・等
   37,000の時計がある。
 北プファルツ遺産博物館 NordPfalz Heimat Museum (1904) 北プファルツの城・町・鉱山・昔の職人
   の鍛冶屋・靴屋・仕立屋・大工・石工等の生活を展示。

5.写真

戻る

戻る

ジマーン Simmern (Hunsruek) RP51

1.歴史

 1072 ローマ居留地遺跡を文書言及、  1323-30 ルクセンブツク郡からトリア大司教領へ、
 1330 バイルン皇帝ルードビッヒは都市権を授与、  14c 市場開設、市壁建設の実施、
 1377 ヴィッテルスバッハ家パラティーン伯が支配、 1410 プファルツ・ジマーン・ツバイブリュッケンが相続、
 1509-57 プファルツ・ジマーンのビジョン2世芸術振興、1585 ジマーン家からプファルツ選帝侯へ、
 1688 プファルツ承継戦争の仏軍は要塞破壊、 17c末 街の復興始まる19cにレンガ造、
 1789-1814 仏ラインモーゼル郡の郡都に    1815 ウイーン会議でプロイセン王国に割当、
 1930まで 一次大戦後仏が占領、 1945 米軍占領後仏支配、ラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.17km 0.15 

   14cの市壁は、1689に壊されが、北側ミューレン路地の南の崖に高い市壁が残さ
  れ、東側フェル通りにも石積がある。

3.塔  0門2塔

 シンダーハウネス塔 Schinderhaunes Turm (14c) 東側フール通り南側広場にレンガ造の円
   塔は1750にバロックの新しい円錐屋根が付けられた。火薬庫や刑務所として使
   われ、1799義賊を逮捕したが逃亡された。
 円壁塔 Rund Turm (14c) 北側シューレン路地の市壁端にある円塔で屋根はな所として
   使所として使に改修された。

4.見所  C

    1689仏軍による町の壊滅が行われ、再建は17c末から19cに行われたため、
   古い建物は少なく、その時期の建物が多い。
 プラテスタント聖ステファン教会 Ev.Kirche St.stephan (1486-1510) 伯爵ジョン1世の下でゴシック
   の教会を建てた。南側通路にはジマーン伯爵の葬儀用記念碑がある。1776オルガンが
   付けられた。教会の後には、旧市壁の北側に隣接する聖十字架礼拝堂があった。
 カトリック教区教会聖ヨーゼフ Kath.Pfarrkirche St.Josef (1749-52) プファルツ王の許可を得
   て、バロックのローマカトリックの教会が建てられた。前庭は1703に建てられた元カルメル会
   修道院と隣接している。天井フレスコ画は、マンハイム宮廷画家が描き、1753オルガンが付
   けられた。
 ジマーン城 Burg Simmern (1311) 初めの城は1358パラティーン伯爵に引渡された。1410
   パラティーン・ジンアン公爵の所有となり、1410-1588と1708-13に公爵が住んだ。1689
   に町と共に破壊された後に、中世の城は、1708-19オーパーアマトンの管理棟として建
   てられ、町に寄付された。今は、フンスリュック美術館である。
 フンスリュック美術館 Hunsrueck Museum (1921) 歴史博物館としてシンダーハウネス塔に開設され、
    1930新城に移設された。1966城の改修に合わせて展示内容は再設計された。歴
    史・文化・民間伝承・出土品などが展示されている。
 校舎 Schulhaus (1846) ロマネスク荒石造3階建の旧校舎。
 牧師館 Pfarrhaus (1704) 旧カルメル会修道院で、2階建8軸漆喰塗の建物で、中央のポータル
   に聖ヨウゼフ像がある。
 木組の家 Fachwerk Haus (17c) 歴史的な木骨造の建物で部分的に重建築。
 県政庁 Kreisverwaltung (1910) ネオバロック3翼マンサード屋根の建物。
 レーフェンスブルク修道院 Kloster Ravengiersburug (1094) 南西5kmにあり、初めアグネス修道
   院設立され、次いでマインツ大司教ジーク1世が承認し、1410新教公爵領のプファルツ・ジマーン
   に移された。修道院は大地主であったが、1564世俗化で修道院は解散された。
   今の身廊は1718-22にカール7世によって建てられた。1920大学設立。
 レストラン・シュバルツアドラー Gaststaette Schwarz Adler (19c) 1689の破壊を免れ町で最古の
   建物の一つである。

5.写真

聖ステファン教会 聖ヨーゼフ教会
マルクト通 フュル通
シンダーハウネス塔 北東壁
北西壁

戻る

戻る

シュペイヤー Speyer RP52

1.歴史

 BC58 ローマ軍の征服、                 496 フランコ王国の支配、
 964 都市権を授与された、             1493 ライン川同盟に参加、
 1525 農民戦争勃発、          1256-1629 帝国会議で宗教改革を、
 1530-1620 自由帝国都市で比較的に平穏、1618-48 30年戦争は要塞で守った、
 1689 仏軍の占領と破壊、         1792-1815 仏の支配下に在った、
 1815 バイエルンに帰属、           1945 2次大戦の爆撃により被害。

2.市壁  0km  

   10Cに造られた市壁は大聖堂の周りの狭い範囲で在ったが、12Cにはホーエンシュタウ
  ヘン期の北への拡張があり、14Cに北と西を南に拡張された。今市壁は見当
  たらない。

3.塔  1門0塔

 旧門 AltPoertel 1176建 12C市壁の西門であり高さ55m、1512-14に東の上階
   が追加され、1708に急な屋根とランタンが付けられた。1689の仏軍の破壊には生き
   残った。

4.見所  B

    とにかく大聖堂は必見である。そこから西にアルトペルテルまでの大通りに見所が
   並ぶ。
 大聖堂 Dom 1030創建、11C末に手直しされたロマネスクのバジリカ大会堂である。4塔と
   2つの丸屋根を持つ。1957の大修繕で後世の改造を多く除去して復元された。長さ
   134m、幅37.62m、高さ33mの大きさで、東塔71.2m、西塔65.6m高さがある。
   地下室も、東西の長さ35m、南北46m、高さ6.2-6.5mである。
    地下聖堂には、美しい最大の地下聖堂があり、4人の皇帝と4人の国王の石棺が
   ある。南の庭には、Olberg1502-12があり、かっての修道院内庭園回廊の中心で
   あった。
 ドーム博物館 Domschutzkammer ドーム地下霊廟の副葬品や豪華な祭服が見られる。
 三位一体教会 DreifaltigkeitsKirche 1701-17建、広大なバロック教会、内部には、2
   層の回廊に取囲まれ、欄干は絵で飾られている。祭壇と説教壇の上の木彫は見事
   である。
 プハルツ歴史博物館 HistorischesMuseum der Pfalz 12Cの金の帽子.美術品.工芸品
   .磁器等を展示。
 ユダヤ風呂 JudenBad  12C建、ユダヤの家の中庭に造られ、宗教上の沐浴に使われ
   た。
 旧造幣局 AlteMuenze 1748建、中世のコインを展示している。

5.写真

市庁舎 旧門
大聖堂 大聖堂

戻る

戻る

スタットエッケン Stadteken -Elsheim RP53

1.歴史

 12c スタットエッケン城の建設から名付た、      1276 楕円型集落の初言及、
 1301 城の保護の下に小さな村に発展、 1301 皇帝アルブレヒトは都市権を授与、
 1632.39.1725.35 略奪・破壊で村は廃棄、   1733 プファルツ選帝候が所有、
 1814 ヘッセン・ダルムシュタット大公国に、          1816-71 ドイツ帝国へ、
 19c末 町は経済発展、      1969 エルスハイムと合併、マインツ・ビンゲン地区に。

2.市壁  0km  

    楕円形の旧市街地の南城壁付近に、市壁らしき物があるが。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    城壁に囲まれたスタデェック城とその周辺が町の中心部で、市庁舎や教会がある。
 市庁舎 Rathaus (1771) 後期バロックの2階建寄棟屋根の広い石膏の建物で、城内の
   Amtshausとして再建され、今は市庁舎。
 スタデェック城 Burg Stadeck (12c) 18c初めに壊された部分は修復された。
   城郭:(1760)周壁と隅塔を有する大規模な2階建の本館。
   城倉庫:(18c)2階建寄棟屋根の大きな建物で、展示会・講演会・文化行事の拠
       点で、150人収容のホールがある。
   役所:(1771)今の会議場である古い建物と、寄棟屋根石膏の建物があり今は
      市庁舎。
 新教聖ペ-ター教会 Ev.Kirche St.Peter (1735) 後期バロックの建物は1735、西前面は
   1850、3階建の東角塔は1770。
 新教牧師館 Ev.Pfarrhaus (1732) バロック平屋マンサード屋根の建物。
 小納屋 Kleine Scheune (18c) 屋根裏部屋のある旧納屋で、改修されてクラブの保管
   庫や展示会に使われた。
 住家 Wohnhaus (18c) バロックの上階木組の2階建の大きな建物。
 アーチ門 Tor Bogen(1681)入口アーチ門はバロックで木の角と左側に紋章がある。

5.写真

聖ペ-ター教会 東城門
南城壁 北城壁
ランデン通

戻る

戻る

ザンクト・ゴアール Sankt.Goar RP54

1.歴史

  550 修道士が定住しホシピスや礼拝堂を建立、   573 修道士の死後墓が巡礼地、
  765 ベネディクト会プラム修道院を建立、  1190 カッツエフェルンボーゲン伯の保護管轄下に、
 1249 伯爵の死後ヘッセン・ザンクトゴアール方伯へ、      1567 ヘッセン・ラインフェルス方伯へ、
 1580 ペストで175人、1598に142人、1635に200人死亡、 1689 仏軍の包囲を撃退、
 1794 仏革命軍は城を爆破、仏は1813迄占領、  1815 ウイーン会議でプロイセンに割当、
 1918 一次大戦後仏軍が占領、1945 米軍占領仏管理、 1946 ラインラントプファルツ州へ。

2.市壁  0.17km 0.32

   14cの市壁は、旧市街地の北側の線路沿いに2壁塔と共にに残っている。

3.塔  1門2塔

   鉄道線路の山側に、2壁塔がある。今は何れも住居として使われている。
 魔女塔 Hexen Turm (14c) 3階建六角屋根の塔で、最上階は再建されている。東側に
   小塔が付いている。
 説教塔 Kanzelei Turm (14c) 3階建五角形屋根の多角形の塔で、屋根裏部屋の窓があ
   る。
 アーチ門 Bogen Tor (14c) 市壁の東端に下に降りるアーチ門がある。

4.見所  C

   ライン川と山との間の狭い旧市街地に多くの古い木組の家がある小さな町。
 市庁舎 Rathaus (1880) 高基礎の隅石積レンガ造2階建切妻のゴシックリバイバルとルネッサンスリバイ
   バルの混合様式。、
 ラインフェンス城 Burg Rheinfels (1245) カッツエフェルンボーゲン伯がザンクトゴアールの関税城築いた。ライ
   ンフェンス城は1255に完成し、行政の場として使った。ヘッセン方伯がルネッサンスの宮殿を拡張
   した。1796-97仏軍は外構と城を破壊した。1812競売に付された。
 カトリック教区教会聖エリザベス Kath.PfarrKirche St.Elisabeth (1887-91) ゴシックリバアイバルの
   切石造のバジリカ。1923バロックの鐘楼を付けた。
 住家 Wohnhaus (1682) 古い3階建の木組の建物。
 ホテル:銀のバラ Hotel:Silberne Rose (17c) 3階建木組の建物。

5.写真

市庁舎 聖エリザベス教会
南壁アーチ門 魔女塔
説教塔 ヘアー通
ラインフェンス城

戻る

戻る

トリアー Trier RP55

1.歴史

 BC16-13 アウグスト帝のローマ軍平坦地、1-3C 植民市に昇格した、
 314 大司教座聖堂が置かれた、  4C アルプス以北で最大都市285haとなった、
 459 フランク族が支配、       882 ヴァイキングの略奪で壊滅、
 958 市場権を得て8haを市壁で囲む、12C ローマ材を使って中世の市壁で囲む、
 15C 帝国自由都市となった、   1580 選帝侯の領有となった、
 17C 30年戦争と仏軍侵攻で衰退、 1815 プロイセン領となる、
 1944 2次大戦の空爆。

2.市壁  0.53km 0.11 

   4Cのローマ砦は、285haを壁を囲み、6万人の人口があった。12Cには、ローマ駐
  屯地の北西に100haを中世の壁4.7kmで囲み、今も一部530mが西南部に残り、
  北西部には射撃堀SchiessGrabenがある。

3.塔  1門4塔

 黒門 PortaNigra 2C後建、ローマ壁の北門として白い石で造られた。汚れ
   て黒くなったので中世には黒門と呼ばれた。2連のアーチ門の西側に4階建
   の塔が立っている。1階には守りのために窓がない。11Cに教会に改造
   されたが、1804に元の建物に戻された。
 フランケン塔 FrankenTurm 11C建、3階建の四角塔で、ローマ時代の典型的な疎石と
   レンガを交互に重ねた構造である。1308に建物は継ぎ足され三角の屋根
   が付けられ、2007に塔は改修された。
 エルサレム塔 JerusalemTurm 11C建、PaleiWalderdorffの中庭に、中世の要塞の
   塔がある。元は5階建だったが、今は3階しかない。今、登記所と老人
   事務所が置かれている。
 赤塔 RoterTurm 17C建、宮殿の北側に立っている。
 教会塔 St.GangolfKircheTurm 16C建、かっては見張り詰所であったが、教
   会の塔になっている。

4.見所  A

   ローマ時代と中世の見るべき遺跡が多くあり、中世の町とは、千年の差があり
  雰囲気が相当に違う。
 大聖堂 Dom 4C建、初期ロマネスクの重要な建物は中央部分で、11Cロマネスクの
   左右後陣が加えられ、18Cに丸屋根のバロック礼拝堂が付け加えられた。
 バジリカ Basilika 310建、皇帝のための宮殿の広間、19Cに創建当時の外観
   に戻った。1954に改修されて、新教の礼拝堂として使われている。
   バジリカに沿って17Cの選帝侯宮殿の主要部部が残り、今、役所や博物館。
 聖母教会 LiebfrauenKirche 1235-60建、中庭回廊でドームに繋がる最古の
   ゴッシック教会。ほぼ円形の建物の中央交差部に、1773まで大祭壇があった。
 司教座博物館 BischoeflichesMuseum 4Cのフレスコ画、聖母教会の西正面を
   飾っていた彫刻等を展示。
 中央市場 HauptMarkt 美しく古い広場の中央に市場の十字架が立ち、周囲
   にはルネッサンスやバロックの切妻屋根の4階建の建物が建っている。
 市博物館 StaedtischesMuseum ロマネスクの聖ジーメオン修道院の建物に、市の歴史
   収集物が展示されている。
 ラインラント博物館 RheinischesLandesMuseum 先史時代と古代ローマ部門が有名。
 円形闘技場 Amphitheater BC100頃造営、その後2-3百年で整備拡張され、
   長径75m短径50mの楕円形で3万人の収容能力があった。18Cには採石場。
 皇帝浴場 KaiserThermen 4C建、大規模なローマ浴場の跡、長さ360m幅140m。
 レーマー橋 ローマ時代に黒玄武岩の橋脚の上に木橋が架けられていた。1717に
   2本は取替えられたが、5本はローマ時代から残っていた。
 カール・マルクス館 KarlMarxHaus カール・マルクスの生家である。今は記念館になった。

5.写真

中央市場 フランケン塔
大聖堂 ポルタニグラ

戻る

戻る

ヴァッヘンハイム Wachenheim ad.Weinen Strasse RP56

1.歴史

 766 ロッシュ修道院の寄付文書初言及、1035 皇帝コンラット2世は新修道院を寄贈、
 1341 皇帝ルードヴィッヒはバイエルン都市権を授与、1436 王ルプレレヒットは硬貨を鋳造、
 1525 農民戦争や継承戦争では無傷、 17c 30年戦争で略奪と破壊、
 1688-97 継承戦争で町はほぼ壊滅、  18c 再建後仏革命軍の占領破壊、
 1794 仏軍の占領その後仏に併合、  1816 バイエルン王国に属し統治された、
 1870 仏墺戦争・一次大戦は無傷、   1918-30 一次大戦後仏が占領、
 1945 2次大戦の空爆で司令部は破壊、1946 仏占領下ラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.82km 0.68 

   1341都市権後に、1.2km高さ9m壁頂通路幅1.5mの市壁が造られた。今は
  市壁は殆ど建物に合体しており、部分的にしか見えない。

3.塔  0門3塔

 壁塔 Mauer Turm (14c) 南東の角の長方形の塔で、復元された頂上に
   木造屋根付き防衛通路がある。
 壁塔 Mauer Turm (14c) 東北の市壁塔は、外に壁の殻は切り離された。
 泥棒塔 Diebs Turm (1341) 北西角に位置する2階建の大口径の円塔で、
   建物の中に埋もれている。

4.見所  C

   ワイン街道の町で、西の外れの丘に城跡があり天守閣や円塔が残っている。
  市壁で囲まれた旧市街には、古い木組の建物・貴族の邸宅・教会などがある。
 城跡 Ruin Wachtenburg (12c) 15cに大部分が破壊され再建されたが、1689
   仏軍に半壊された。1984から遺跡の保全が始まり、城の居酒屋が再開。
 ヴァッヘンハイム宮殿 Schloss Wachenheim (1839) 英国風景観公園にある大規模
   な後期バロックの宮殿。1903-04に大広間を追加した。
 旧貴族の家 Ehem.Adelshof Dalberg (1717) 3翼の貴族の館で寄棟屋根12
   軸の長い建物。16cの地下室がある。
 鋳造所 Muenz Hof (16c) 元城の門と守衛の家。1754後期バロックの寄棟屋根
   の建物で、16cの核に18cの建物が上付けされている。
 旧ルーテル教会 Ehem.Pfarrkirch (1748) 旧ルーテル教区の鐘楼付き後期バロックの
   ホール教会。
 十分の一税館 Zehnt Hof (16c) 2翼の大邸宅、1595の扉、16cの絞り機18c
   に更新。
 ウルフ・葡萄園 Weingut Wolf (1845) ワイン農園の大邸宅と作業場。
  St.Georg Kirche (12c) 古い千鳥の絵がある。15c後期ゴシック
   の内陣、1441横礼拝堂、15c聖具室・ネオゴシックの身廊、1686-1712拡張され
   塔が付けられた。1861再拡張。
 カトリック教区司教館 Kath.Pfarrhaus (1736-38) 元カトリックの大きな教区の家。1818
   に改装。
 ワイン館 Weinzer Hof (1606) 元ワイナリィで主に平屋のスコッタ建物は、1782にバロック
   に改修された。

5.写真

聖ジョージ教会 壁塔

戻る

戻る

ヴェストホーフェン Westhofen  RP57

 1324 都市権が授与され市壁と堀を建設、16-18c上プファルツ・アルファイ選帝侯所属、
 18c 仏の占領下に置かれた、       1815 ウイーン会議でバイエルンへ割当、
 1816 ヘッセン大公国ラインヘッセン州に属した、 1835 ヴォルムス・サークルに1969迄属した。

2.市壁  0.03km 0.01 

   1354の市壁は南西のAn der Letze52に断片がある。

3.塔  0門1塔

 防衛塔 Wehr Turm (14c) 南西の角に防衛円塔がある。

4.見所  C

   787haのワイン畑があり、その70%が白ワインである。マルクト広場は木組の家や教会
  で美しく飾られている。
 市民の家 Buerger Haus (1755) 1588の元住宅で、1755にバロックで改修され市民の家
   となった。2階建10窓列の建物で、中央に中庭への入口がある。
 カトリック教区教会聖ペーターとパウル Kath.PfarrKirche St.Peter und Paul (1711) バロック
   のホール教会で、角塔が屋根に乗っている。
 新教教区教会 Ev.Pfarr Kirch (12c) 以前の聖ペーターとパウル教会で、核はゴシックの
   ホール教会。1574と1607に変換されている。1604北ポータルと4階建の角塔、1663
   -30と1701に再建、1864身廊の改修。
 住宅 Wohnhaus (1600) 町の中心にあるルネッサンスの建物は1756バロックで改装された。
 旧メッケンハイマー邸 Ehem.MeckenheimarHof (1554) 4翼の風格ある木組邸宅。
 聖母教会 Liebfrauen Kirche (14-15c) 元聖母教会でゴシックのホール教会。
   1851にアンナ・キャサリンの墓所となった。
 元旅館:鹿 Gasthaus Zun Hiesch (1750) 元旅館で、16cの階段塔と1750バロック石膏
   の建物。
 元旅館:ドイツハウス Ehem.Gasthaus Deutsche Haus (1600) 元旅館は1600のバロックの
   玄関のある2階の建物で、1579アーチ屋台の大きな木組の建物。
 学校 SchuelerHof (1580) 寄棟屋根の建物で、1592ルネッサンスの階段塔がある。1779に
   地下室とバロックの改装。
 住家 Hof Anlage (1567) 1567と1576の年号が刻まれている。ルネッサンスの一部木組の建
   物は、1708バロックに改装された。
 Kath.Pfarr Haus (1760)2階建上階木組の大きなバロックの建物。

5.写真

戻る

戻る

ヴォルムス Worms RP58

 2C ローマ都市があった、       6C フランク帝国の王宮の一つであった、
 1122 都市の憲法の制定、         1184 帝国自由都市となる、
 1495 マクシミリアン1世の永久ラント平和令、    1521 帝国会議でルターの追放、
 18C スエーデン軍・仏革命軍の占領、      1815 ヘッセン大公国となる、
 1945 2次大戦の空爆で町はほぼ破壊。

2.市壁  0.96km 0.31 

   ローマ市民のキヴィタスは、大聖堂を中心に南北1.3km東西0.5kmの楕円型であった。
     中世の市壁は大聖堂を中心に3.1kmあったが、今は960mが残っている。

3.塔  2門2塔

   昔は全部で24門塔があったが、4門塔しか残っていない。
 ラッシィ門 RaschiTor 唯一残る北東門。
 門塔 Torturm 東 公園の中に市壁と共に残る。
 市民塔 BuergerTurm 東。
  Mayfels 東 残った市壁の端の塔。

4.見所  A

   大聖堂を中心に古く大きい建物が多くある。
 聖ヘー゚ター大聖堂 DomSt.Peter 1000-25建、ヴォルムス大聖堂、後期ロマネスクは東塔
   65mと西塔58mが残っている。1125-1300のゴシックは西の身廊、1117-81
   は西の内陣、1300は南身廊の装飾品。15C後期ゴシックの回廊、1689バロック
   の祭壇の組合せである。聖堂は、長さ110m幅27m柱廊の高さ26mと大きく、
   主祭壇は豪華である。NikolausKapelle1280-1315は、大聖堂南側のゴシック
   の礼拝堂である。
 三位一体教会 DreifaltigkeitsKirche 18C建、元にまま残っているのはバロック
   の前面と塔だけである。内部にはルターの宗教改革の記念館がある。
 聖パウロ教会 KircheSt.Paulus 1002建、始め修道院として建てられ、ビザンチン
   様式である。1689に火事で壊され、1717に復元されバロックのホール教
   会となった。1880に一時博物館となり、1945に破壊され、1947に再建。
 ルター記念碑 LutherDenkmal 1868建、中央にルターの像が置かれ、周囲に宗教
   改革を進めた人々の像が置かれている。
 市博物館 StaedtischsMuseum 旧修道院に先史から有史の収集品が展示さ
   れている。
 ハイルスホフ美術館 KunsthausHeylshof 15C-19Cの絵画.ステンドグラス.磁器.クリスタル
   ガラス等を展示されている。

5.写真

市庁舎 西壁
西壁 西南壁
西南壁 ローマ通

戻る

戻る

ヴェアシュタット Woerrstadt RP59

 772 ロルシュ修道院へ農場・ブドウ園・森林の寄贈、  1150 村の堀を建設、
 1230 ワイン栽培の振興、二重壁と3門設置、  1587 大火事で130戸焼失、
 1590.1612 戦争と火災の後に教会再建、1639-49 皇帝軍の占領で荒廃、
 1748 ル-マニア・ブラジル・アメリカへ移住、    1798-1814 仏に併合された、
 1815 オーストリア・バイエルンの政権下に、      1817 ヘッセン大公国となる、
 1919-30 一次大戦後仏軍の占領。

2.市壁  0km  

   12cの市壁は、町の北側に形跡がある。

3.塔 0門1塔

 防衛塔Wehr Turm (1624)以前の墓地要塞の切石造の円塔。

4.見所  C

 町役場 Rathaus (1890) 2階建レンガ造の建物。
 カトリック聖ラウレンチウス教会 Kath.St.Laurentius (1835)新古典の簡素な建物。6階
   建の細長い四角塔。
 プロテスタント聖ラウレンチウス教会 Ev.St.Laurentius (12c)初めの後期ゴシックの建物を12
   26に復興し、コアの3身廊の聖堂を1530と1854に改修した。
 薬局 Apotheke (1718) バロック2階建ての漆喰塗りの建物で、1886上階木組は
   元の形で復元された。
 地方裁判所 Amtgericht (1840-50) 前地方裁判所、後期古典様式の2階建砂岩
   造の建物。
 プロテルタント牧師館 Ev.Pfarrant (18c) 堂々たるバロックの木製屋根。
 旅館:金獅子 Gasthaus zum GoldenenLoewem (1798) 後期バロックのマンサード屋
   根の建物。
 住宅 Wohnhaus (1589) 漆喰塗り2階建寄棟屋根の建物。
 アーチ入口 Potal und Torbogen (1609)後期ゴシックのアーチ入口。
 住宅 Wohnhaus (1609) 大規模な2階建半木造の漆喰塗り寄棟屋根のの建物。

5.写真

市庁舎 広場
北壁 北壁

戻る

戻る

 ツバイブリュッケン Zweibruecken RP60

1.歴史

 1170 最初文書言及、すでに市壁や市門があった、   1352 都市権の授与、
 1385 城や町をヴィッテルバッハ家へ売却、   1410 ツバイブリュッケン独立公国となる、
 1488 活版印刷機の導入、             1635 30年戦争の占領、
 1677 仏軍による町の破壊、          1698-1718 スエーデンの領地、
 1720-25 領主城の建設、1945に破壊、      1793-1814 仏軍の占領、
 1816 ウイーン会議でバイエルン領となる、   1945 2次大戦の空爆で町の90%破壊。

2.市壁  0km 0 

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   Schloss広場を中心に大きな建物が建ち、バラ公園が有名。戦災後の建物が殆
  どである。
 公爵宮殿> HerzogSchloss 1725建、ヴィッテルバッハ家のバロック宮殿、1867司教宮
   殿、1945空爆で破壊、再建され1965から高等裁判所。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1372建、1677仏軍の破壊、1699新しい建物で再建、
   1952から市庁舎。
 市塔 StatTor 1170に造られた城は壁や門で守られていた。バス発着所への入口
   に市門が立っている。
 カールス教会 KarlsKirche プロテスタント教会、1711に完全に改廃された。2次大戦で破壊
   され、1970元の設計に基づいて再奉献された。
 アレクサンダー教会 AlexandersKirche 1493建、後期ゴシックのプロテスタント教会、1806に新
   たに建設、1945に空爆でアレクサンダーの墓が壊され、2001にここに埋葬。
 バラ公園 RosenGarten 1539開園のバロック公園、ヨーロッパ最大のバラ園、季節には2千
   種6万本のバラの花を見られる。

5.写真

アレックス教会 宮殿

戻る

ザールラント州 SL

戻る

ブリースカステル Blieskastel SL1

1.歴史

 1098 初の文書言及、          1273 修道院Graefinthalの設立、
 1284 司教が城と支配権を持った、          1337 トーリアが領有、
 1522 トーリアとの争いで城は破壊された、   1661-64 新しく宮殿を建てた、
 1792 仏革命軍による占領、          1815 バイエルンに帰属した。
 1947 2次大戦後仏へ独立した、     1955 住民投票で独連邦に帰った。

2.市壁  0km  

   城壁は0.80kmあるが、その他は見当たらない。

3.塔  0門0塔

   門塔は見当たらない。

4.見所  C

   川の左岸沿いの下の町と、崖の上の城のある上の町とがある。
 旧城 EhemaligesSchloss 1661建、1793の仏革命時に破壊された。1953に
   古い城の上に女教師寮が建設された。今日は高等中学として使われている。
    まだ17Cの城壁が800m残っている。印象的な建物と高価な内装は1793
   の時代を示している。
 市庁舎 RathausⅢ 1726建、孤児院として建てられ、マンサード屋根の2階建長
   方形の建物で、南側に開口部があり、側面には高く聳える三角ペディ゙メントを
   有する。今は市庁舎となり、多くの芸術と歴史の展示と上映がある。
 新教教会 ProtestanischeKirche 1669建ハレン教会、1767-69廊の増設、1767
   四角塔が付けられた。
 修道院と十字架礼拝堂 Kloster&HeiligkreuzKapelle 1682-83建、修道院は
   丘の上に礼拝堂と共に建てられた。
 城教会> SchlossKirche 1776-81建、フランシスコ会修道院の教会は、城に取り込
   まれ、仏革命によって失われた。1806に聖セバスチャン教区教会となった。
    内部には広々とした広間、西正面はイタリア風バロックの壁柱がある。
 城山と職員住宅> Schlossberg&BoamtenHaeuser 1770-77建、コブレンツから
   ヴォンデア・ライエンが移動するために、役員と家族が入る職員住宅を建てた。
 オランジェリー Orangerie 1670建、かっての広大な宮殿の残りの部分、2階建の中
   世の城壁の背面として使われた建物。1956にバロックの庭園が造られた。

5.写真

ベンダー通 旧城

戻る

戻る

メットラッハ Mettlach SL2

1.歴史

  676 公爵フランクは修道院を設立、 990 アボット・リオフィンは創始者の墓教会建立、
 18c 今の修道院を建て、1801世俗使用され、会社の本部を収容、1921火災被害、
 1886 最初のザール川の橋が架けられ通行料を徴収、
 1930 橋は近代化された。  19362次大戦で破壊、  1951再架橋。

2.市壁  0km  

  見当たらない。

3.塔  0門1塔

 古い塔 AlterTurm (990-994) 最古の宗教的な建物で、オスマン帝国墓礼拝堂
   として建てられ、1247ゴシックの螺旋階段が付けられた。

4.見所  D

 教区教会 PfarrKirhe St.Lutrius。
 旧修道院 Villeroy und Boch Outlet (18c) 旧修道院の建物。

5.写真

ベンダー通 旧城

戻る

戻る

オットヴァイラー Ottweiler SL3 

1.歴史

  871 修道院の建設、    1260-80 修道院保護のためベイリー城を建設、
 1393 書面での最初の言及、      1550 カール5世から都市権の授与、
 1553 仏軍による略奪と破壊、      1634 30年戦争で仏軍の占領、
 1728 磁器工場の設立、町の再建、      1815 バイエルンに帰属した、
 1947 2次大戦後ザールラント州の郡庁所在地となった。

2.市壁  0.13km 0.18 

   15Cから中世の市壁が町を囲っていた。古い円形市壁の残りは、北のZwinger/
  Stadtmauerと西のAlteTurm付近である。

3.塔  0門2塔

 古い塔 AlteTurm 1410建、天守閣として建てられ、今は時計鐘楼や展望塔として
   使われた。
 門塔 NeuMuensterTorTurm 15C建、南のEngGassの町並みの中に、ノイミュンスター門の
   名残がある。

4.見所  D

   旧市街地の中心である城広場とマルクト広場に主要な建物があり、木組の家
  も残り市壁も見られる。
 ヘッセの家 HesseHaus 1590建、2階建破風付きルネッサンスの建物、伯爵の行政の本拠地とし
   て建てられ、後には住んだ商人の名前が付いた。
 旧市庁舎 AlteRothaus 1717建、木組3階建の建物で屋根上小屋がある。裏に、建物で
   囲まれた小さなフォルナール広場が隠れている。
 新教教会 Ev.Kirche 昔の礼拝堂は、1756に新教の教会に改修された。
 教区教会 PfarrKirche 1832-34建、古典的な四角形の広間教会であり、内陣は1898
   の火事の後に付け加えられた。
 町博物館 StadtMuseum 町の歴史や1550町の憲章授与.市民生活.修道院.教会塔の収
   集品を展示。。
 学校博物館 Schulmuseum ザールラント州体験博物館。1850-1910に使われた学校の家具
   や設備を3階に再現している。
 薬局博物館 MuseumsApotheke 1911建、昔の薬局のユーゲントシュティールの調度が保たれ、
   貴重な寄木象眼細工が見られる。

5.写真

市庁舎 ツインガー壁
ツインガー壁 西壁
古い塔 新教教会
北壁 市庁舎広場

戻る

戻る

ザールビュッケン  Saarbruecken SL4 

1.歴史

  999 皇帝オットー3世は城をメッツ司教に提供、 1171 ザール川沿の岩の上に城を再建、
 1321 伯爵ジョン1世は集落と漁村に都市権授与、1546 ザールブリュッケンと漁村間に架橋、
 1604-17 侯爵ルードヴィッヒはルネッサンスの新橋を架橋、 17c 戦争の略奪と破壊で人口減、
 1677 仏ルイ14世軍は町を焼き払った、     1741 鉄鉱石と石炭産出で発展、
 1745-54 バロックの宮殿・市庁舎・教会・邸宅の建設、 1793 仏革命軍の略奪と破壊、
 1797-1801 仏ザールブリュッケン郡となった、   1918 1次大戦後ザールラントは仏に併合、
 1945 2次大戦後町は壊滅、仏が併合支配、   1955 住民投票で独連邦に帰った。

2.市壁  0.07km 0.09 別に城壁0.40km 

   城壁は0.40kmあるが、川沿いでは壁が高い。

3.塔  0門0塔

   門塔は見当たらない。

4.見所  A

   左岸にある古いザールブリュッケンに加えて、右岸のザンクトヨハン地区にも都市の集積
  のある大きな都市である。左岸の宮殿付近を記述するが、2次大戦の傷は深い。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1748-50) ステンゲルのバロックの建物で、切妻には橋の紋章が
   ある。上階に冒険博物館があり、異民族と遠方諸国の展示がある。
 宮殿 Schloss (10c) 中世の城砦に続いて、17c南にルネッサンスの宮殿が建てられ、1738
   バロックの宮殿が新築された。戦災と老朽化で1982中央に近代的なガ
   ラスのパビリオンのある古典主義の3翼の宮殿たなった。
  ザール歴史博物館
    右翼の南にガラスと鉄鋼の新しい建物が建てられ、ザールの戦乱と生活を展示。
  宮殿広場
    色の異なる中央の敷石2146枚には、裏に全国のユダヤ人墓地の名前が刻まれて
   いる。北支部にはバロックの衛兵所を抽象化した建物がある。
  世子の館 (1760-66)
    宮殿の南側に3つの古い建物を改修して世子のための館を建てた。仏革命後
   鉱山監督庁・鉱山管理局・警察署などに使われ、今は市の諸機関が入っている。
 先史・初期史博物館 Museum fuer Vor und Fruegeschichte (18c) 宮殿広場の西に
   あるバロックの旧地方身分制議会の議事堂内にローマ時代からの展示がある。
 宮殿教会 Schloss Kirche (15c) 1683大火事の後に後期ゴシックで建て直され、1956-
   58二次大戦後の再建された。
 ルードヴィッヒ広場 Ludwigs Platz (1762-75) 広場の北・西・南をバロックから初期擬古主義
   の美しく壮大な8つの建物が囲んでいる。
 ルードヴィッヒ教会> Ludwigs Kirche (1775) バロック十字型の教会は豪華に建てられた。二
   次大戦の戦災は忠実に再現された。

5.写真

戻る

チューリンゲン州 TH

戻る

アルテンブルク Altenburg TH1

1.歴史

  976 王オットー2世の文書に言及、    1060 シュタウヘン王朝の皇帝の居城に、
 1163-88 王フリードリッヒ1世は6回滞在、   1192 新しいマルクトが造られ今に残る、
 1204 市壁は言及されニコライ塔が建つ、  1256 ハインリッヒによる都市権の確認、
 1356 王フリードリッヒ3世による都市権の更新、1430 大火災で町はほぼ焼失、
 1485 ライプチィヒ分割で城はエアフルトに、    1632-34 30年戦争・ペストで大部分死亡、
 1725 地方裁判所をバロックで建てた、   1810-18トランプの遊び方SkatSpiel発明、
 1832 ベヒシュタイン兄弟のトランプ工場設立、  1945 戦災を免れ、米軍戦利品搬出。

2.市壁  0.02km 0.01 

   12cの市壁は、東南のHussitenturmに僅か残っている。

3.塔  1門5塔

 フッシテン塔 Hussiten Turm (12c) 南、多数の市壁塔の一つで、3階建て四角
   塔は、帝国都市としての中世の壁を形成した。
 ニコライ塔 NIcolei Turm (1223) 南、16cに廃止された聖ニコラス教会の名残で1609
   火災で被害を受け、その後塔守の住居と回廊のある8角形塔となった。
 マントル塔 Mantel Turm (11c) 宮殿複合体の最古の部分の外装塔は形からビン
   とも呼ばれる。塔はロマネスクの住宅円塔の異形である。
 守衛塔 Hausmsnns Turm (12c) 宮殿の高さ32mの見張り塔で、螺旋階段で登
   れば眺めは良い。
 給水塔 Kunst Turm (1844) イタリア鐘楼風の7階建ての角塔で、古い給水塔に代
   わって噴水の塔として構築された。
 宮殿門 Schloss Tor (1744) 宮殿の外城門は、凱旋門の形でアーチ門を飾った壁
   が囲む。

4.見所  A

   戦災を免れたが、その後きわめて多くの建物が老朽化して、昔の家並みは失
   われていった。町は丘の斜面に在り坂道が多い。旧マルクトは北東にありブリュールと
   呼ばれ、旧市庁舎・バートロメーウス教会・ゼッケンドルフ宮殿に囲まれる。新マルクトは、広大
   で美しい家並みと、南に市庁舎・西に修道士教会が囲む見事な景観を呈する。
 市庁舎 Rathaus (1562-64) ルネッサンス二重丸屋根の八角形の階段状の塔が在り正面
   入り口は立体的な装飾が見られる。中には、建築当時の市参事会員の肖像
   画が並んでいる。
 修道士教会 Burder Kirshe (1905) マルクトの西側一番高い所に、中央前面のユーゲント
   シュティールのモザイクで飾られた教会が、古いフランシスコ教会が壊された後に建
   てられた。中は、ゴシックで装飾され、多くのフレスコ画がある。
 聖バトロメウス教会 St.Batholomaeus Kirche (12c) ブリュールの上に、町で最古の教会
   として建てられた。後期ゴシックの南側廊の下に、ロマネスクノクリプトがある。バロック
   の塔は塔守の部屋であり、塔頂からの眺めは良い。
 侯爵夫人アグネス記念教会 Herzogin Agnes Gedsechtnis Kirch (12c) 宮殿の庭の
   最高点に位置し、侯爵エルンスト1世は亡き妻のために教会を建立した。
 赤い尖塔 RoteSpitzen (1618) 煉瓦造の塔は皇帝フリードリッヒ1世のアウスティーノ会修道院
   教会の名残であり、1618バロックのドームとなった。
 アルテンブルク宮殿 Schloss Altenburg (1000) 町を見下ろす北東の丘の上に、9世紀
   にわたって建てられた建物は、半円形で大きな中庭を取り巻いている。初
   め皇居、次にザクセン選帝侯の一次的な住居、1603-73と1826-1818はザクセン・
   アルテンブルク侯爵の邸宅として使われた。1706-30に現在のバロックの宮殿となった。
 宮殿教会 Schloss Kirche (1444) 後期ゴシックの宮廷教会で豪華なバロックの内装
   と1738パイプオルガンがある。
 ツインガーと後門衛詰所 Zwinger und HinteresTorhaus (14-15c) 宮殿から南に、
   ツイガーと後門詰所を通じて外へ出られる。
 侯爵厩舎 Herzoglicher Marstall (1851) 宮殿には、50頭厩舎・乗馬トラック・宿舎
   などが在った。
 地区事務所 Landratsamt (1895) イタリア・ルネッサンス様式のザクセン・アルテンブルク公国の政
   庁として建てられた。今は地区の出先事務所になっている。
 ゼッケンドルフ宮殿 Seckendorftsches Palais (1724) ブリュールに元帥フリードリッヒ・
   ハインリッヒ・フォン・ゼッケンブルクが建てた宮殿で、今は劇場に所属している。
 地方裁判所 Amtsgericht (1725) Wall strasseの内側に、バロック3階建ての
   建物が建てられた。
 フリーメイソン支部 Freimauren Loge (1802-04) 古典主義の建物で、ドイツで最古の
   フリーメイソンの支部である。ナチスによって1935に禁止され、東ドイツでも禁止さ
   れていた。65年後にバー・ホールとして再開された。
 リンデナウ博物館 Lindenau Museum (1873-75) 3階建ての博物館で、ザクセンの政治家
   ・天文学者・美術収集家のベルンハルト・アウグスト・フォン・リンデナウのコレクションを収容するた
   めに建てられた。初期イタリアノ絵画・古代の陶磁器・16-18cの欧州絵画等を展示。
 マウリチアムス Mauritianum (1907-08) 宮廷公園の東に在りアールヌーボーの2階建で、地質
   学・鉱物学・古生物学・動物学の収集物のある自然史博物館である。
 宮殿とトランプ博物館 Schloss und Spielkarten Museum 宮殿の建設と様式の歴史
   ・1455皇太子の誘拐・兵器庫・時計・家具・5世紀のトランプ等の展示。
 宮殿絵画展示館 Schloss Bilder Galerie 宮殿所蔵の絵画を展示。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
修道士教会

戻る

戻る

アポルダ Apolda TH2

1.歴史

 1119 初文書言及:ウイッヒマン伯はエアフルトのマリア教会に寄付、 1260 鋳造を行った、
 1289 城下町として町の憲章を作成、    1440 教会の憲法が作成された、
 1593 靴下を5本の針で編むラビット編みを開発、    1714 市民権を掲載、
 1722 鐘鋳造工場を建て鐘を生産、1945 爆撃1回、4月米軍、7月赤軍占領。

2.市壁  0km 0.0 

    城壁は有るが市壁は見当たらない。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  B

    町は広いが旧市街は意外に狭い。旧市街には2-3階の急勾配屋根の木組みの家が
  残されている。鐘が有名で、町公会堂のカリオン・鐘の館のカリオン・鐘と町博物館のチャイム・ルー
  テル教会のカリオンが見られる。
 市庁舎 Rathaus (12c) 取引の中心のマルクトに建てられた。1558市場の中央の旧市庁舎は
   解体され、最上部により大きな市庁舎が新築された。1669時計塔と鐘が付けられ
   た。1673大火災で被害を受け、翌年ルネッサンスの22.7m*14.2mで地下室付き建物に、
   31mの塔と17.2mの高い屋根がついた。1890ラッツケラーの閉鎖。1895時計の更新、19
   17鐘楼の交換。
 宮殿 Schloss (12c) 丘の上に城壁に囲まれて立ち、16cと17c構造的な変更が行われた。
   17c音楽学校が開かれ、19cに2階には演奏会や結婚式場用のホールがある南翼が建て
   られ、20cには改装された。北翼は2008までに改修された。
 ルーテル教会> Luther Kirche (1890) 新教のネオゴシックの煉瓦造の教会で、カラフルなステンドグラス
   の窓がある。
 聖マーチン教会 St.Martins Kirche (12c) ロマネスクの古い教会であったが、17cに再建されバロ
   ックの塔が付いた。
 聖ボニファティウス教会 St.Bonifatius Kirche (1894) コトリックのゴシック教会。
 町公会堂 Stadthaus 1887に40のカリオンの鐘楼の鐘が、1897裏の18鐘のチャイムが付けられ、毎
   日3回鳴らされている。
 鐘と市博物館 Glocken und Stadt Museum (1854) 1924建物を市が買収し、1951市博物
   館として、町の歴史と文化・鐘の文化史・織りと編みの文化史などを展示。8鐘のカリオン
   があり鳴らすことができる。
 鐘の館 Glocken Hof 北アポルダのショッピングセンターには、20-30cmの13鐘のカリオンがある。1時間
   ごとに40曲を聴かせる。
 ルター教会 Luther Kirche 教会に7鐘のカリオンが置かれ、音を試す事ができる。

5.写真

市庁舎 市公会堂
城壁

戻る

戻る

アルンシュタット Arnstadt TH3

1.歴史

 702 チューリンゲン侯爵の教会贈与文書に言及、726 エヒターナッハ僧院はフェスフェルド僧院に、
  925 ハインリッヒ1世はハンガリーに対抗して防波堤、954 皇帝オットー1世は町で帝国議会開催、
 1108 ドイツ王にシュバーベンのフイリップ選出、1266フェスフェルド僧院の大修道院長が都市権授与、
 1306 シュバルツブルク侯爵が町を入手、   1330-32 市壁が町を囲んだ、
 1496 シュバルツブルク領有は町の統治とソンダーアウセン支配に分けた、1515 農民戦争の処刑、
 1538 ベネディクト会カルメン修道院の世俗化、 1581.1607 大火災、1582.1625ペスト流行、
 1618-48 30年戦争の破壊と略奪、  1703-07 ヨハン・セバスチャン・バッハが市教会に勤務、
   1945 空爆と砲撃による深刻な被害。

2.市壁  0.21km 0.09 

   1330-32に市壁は築かれ、1458シュバルツブルク侯爵によって会口調された。ツインガーと
   呼ばれる二重壁で囲まれ、1342エアフルトとマイセンの同盟軍に包囲されたが持ちこたえた。
   15cには周壁と市門を補強した。1817都市の膨張と交通障害から、市壁の一部は取
   り払われた。その後も市民から取り壊し許可の申請が多く、市議会で採決される事
   になった。例えば、1861宮廷左官屋神聖は許可され、リート門から羊飼いの家までの
   旧内壁が取り壊された。その他、1837人が住んだ南側のガチョウ塔や魔女塔も取り壊
   された。今も残るのは、西南RiedMauerに50mと南MarlittSteasseに二重壁160m。

3.塔  2門2塔

    1小門を含め6市門があったが、2門が残る。
 葦門 Ried Tor (1369) 南東、四角い6階建ての門で、1895に「小さい中国人」
   のあだなが付けられ、交通障害のため壊されそうになった。1897に4階まで4角で5階
   部分は八角形でその上に帽子を付けて再建され、新しい時計が付けられた。
 新門 Neues Tor (1431) 南、この位置にはまだ2重壁が残り、外門は市壁門の
     単純な形であったが、1448に八角形の上階と塔頂が付けられた。1787金色に塗られ
   他避雷針を付けた。この塔には火の番が20cまで配置された。1942塔の鐘は戦時に
   供出された。1980に塔の複元が行われ、後に風見のある塔頂となった。
 鞘塔 Schaln Turm (1430) Ried Mauerにある。
 壁塔 Mauer Turm (1429) 1676火薬庫として使われ、1912-13住宅に改造、
   今も住宅で使用。

4.見所  C

    町の中心となる市庁舎前広場は、小高くなっており、何本もの商店の並ぶ道が
   坂を下っている。ここに1703-07に住んだバッハの名前の付いた教会・博物館・像・ハウス・
   ケラー・一族の墓などがある。
 城遺跡 Ruine Neideck (1535-60) 町の北東にルネッサンスの水城が宮廷都市の栄光
   を失って衰退した。1998残った65mの塔に銅のヘルメットが付けられた。
 市庁舎 Rathaus (1582-86) 2階建てルネッサンスの建物で、切妻と多くの装飾のあ
   る前面は見事である。
 ボニファチウス教会 Bonifatius Kirche (1333) 1581の大火で焼け、1676までに取り
   壊され、聖ジェームス教会の資材を再利用して新教会が再建された。1703-07バッハがこの
   教会のオルガン奏者となったため、バッハ教会とも呼ばれる。
 聖母教会 Lieb Frauen Kirche (1360) シュバルツブルク伯の墓礼拝堂で、1590
   ルネッサンスの教会が建設され、1890一部が壊れた。
 バッハの家 Bach Haus (1581) 1687からバッハ一族の音楽家の住居であった。1998
   と2004に復元され、バッハ一族の歴史が展示されている。
 宮殿博物館 Schloss Museum (1729-31) バロックの宮殿は1931から博物館となり、
   町の歴史・人形・中国.日本.マイセンの磁器が展示されている。
 ドイツ・ソーセージ博物館 Deutsch Wurst Museum (2006) 世界最古のブラート・ヴュルストの
   情報・製造機械・記録文書などを展示している。
 鉄道博物館 Depot Arnstadt (1867) 8蒸気機関と8軌道ディーゼルが保存され
   ている。

5.写真

市庁舎 ナイデック城址
壁塔
東壁 南壁
新門塔 葦門
門バッハ教会 マルクト広場

戻る

戻る

バート・コールベルク ヘルドブルク Bad Colberg Heldburg TH4

1.歴史

 837 フルダ修道院の文書に初言及、 12c 山の上にヴィッテン家の大きな城が築かれた、
 1317 ヘンネブルク侯爵の子に移った、       1374 ヴィッテン家のニュルンベルクに落ちた、
 1394 都市権を得て 1396低裁判所保持、     16c 城は拡張され要塞化された、
 1522-1700 魔女狩りで5人を処刑、、      17c 30年戦争の略奪と破壊で衰退、
 1833 住民は1185人居たが多くが北米へ移住した。

2.市壁  0.10km 0.10 

    市壁は1402から建設され、北東・北西・南西の角に僅か残っている。

3.塔  1門5塔

    15cの市壁には、4市門と14壁塔があったが、残るのは下門と5壁塔のみ。
 下門 Unter Tor (16c) 3階建上階木組の鐘楼付きの門で、アーチ門は狭い。

4.見所  C

    旧市街地は600mの市壁で囲まれたライムの並木のある狭い町である。1537石造聖母
   教会と多くの趣のある修復された木組の建物が見所である。熱気球の町でもある。
 市庁舎 Rathaus (16c) 地階石積上階美しい木組の建物。
 聖母市教会 Unser Lieben Frauen Stadt Kirche (1502-37) 教会塔は1614完成、地下
   室には前の建物の跡が残る。1819-28構造と内装を再設計した。1848落雷で木造の
   塔が壊れ、1849高さ45mで再建された。1978-81大規模な内装改修が行われた。
 城砦ヘルドブルク Veste Heldburg (12c) 北東1kmの山頂にヴィッテンのアーネステン家が、深さ110
   mの井戸を掘って城を建てた。16cにフレデリックス2世が、拡張強化して要塞化した。
   30年戦争で破壊され、1874に侯爵ゲオルク2世が城を修復した。1954-82子供の家と
   して使われたが火災で放置された。1994東西統一後に、チューリンゲン州が取得して宮
   殿と庭園を修復してドイツ城博物館を設置し、城の歴史と構造を40室で展示している。
 古い鍛冶屋 Alte Schmide (1816) 下門の外に平屋の馬と馬車のための鍛冶屋があり、
   農機具も生産した。
 営林署 Forsthaus () 2階建木組の前面に六角形の4階建の塔を持つ珍しい建物。

5.写真

戻る

戻る

バート・フランケンハウゼン Bad Frankenhausen Kyffhaeusen TH5

1.歴史

9C フルダ修道院文書に初言及、   998 オットー3世文書に修道院へ寄付の記述、
 1215 フリードリッヒ・ベイリンゲンはシトー会修道院を寄贈、 1219 バイヒリンゲン伯は町へ昇格、
 1282 フランケンハウゼンの名前で町と言及、 1339 バイヒリンゲン伯はシュバルツブルクに町を売却、
 1525 農民戦争で農民軍の敗退、   1689 大火事で町はほぼ焼失、
 1701 最初のボタン工場が開業、    1818 最初のスパの建設と温泉治療、
 1927 町の名前にBadを冠することが認められた。

2.市壁  1.24km 0.69 

   市庁舎を囲む市壁と、クアパークを囲む市壁が残されているが、何れも南側の部
   部分が判然としない。

3.塔  0門2塔

 守衛塔 Hausmanns Turm (1380) 6cに簡単な木造小屋で塩泉を守った。
   1210厚さ3.5mの壁の刑務所が、小さな丘の上に新設され、深い堀と市壁で守りを
   固めた。1380シュバルツエンブルク伯のOberBurugが建てられ、直径9mの円塔と南西部の
   外壁が残されている。1560軍事的な価値を失い、火の見や見張の住居となり、こ
   の名前が付いた。1700市に引き継がれ、1998の外観は町の特殊切手に使われ、指
   定建造物として管理されている。
 傾いた塔 Schiefe Turm (1382) ロマネスクの教会の跡にゴシックの教会が建てられ
   高さ56mの塔が付けられた。1640塔の傾きが記録され、30年戦争の被害もあって、
   1724に回復した。1759都市火災の被害があり、1761バロックの建物の上に塔の建設が
   行われた。1908教会の傾斜が起こり、1911最初の傾斜措置が行われたが逆効果と
   なり、1926に閉鎖された。1935鉄リングで塔を引張った。1993安全対策で再使用し
   たが、2011に4.76度の傾斜に達し、教会の下にコンクリートを注入して安定させた。
   今でも3.97度の塔の傾斜があり、ドイツで最大に傾いた塔として有名である。

4.見所  B

   シュバルツブルク・ル-ドシュタット公国の居所として栄えた。
 市庁舎 Rathaus () 2階建石造の四角い建物で、屋根の中央には太い時計塔が
   立ちその上に鐘楼がある。
 パノラマ博物館 Panorama Museum (1983-87) 北側の山頂にあり、最上階が大
   きな円形の建物である。1525農民戦争の最後の決戦の場面を123m×360mのパノラマで再
   現している。ベルリン国立美術館にも縮尺1/10に模型がある。その他16cドイツ初期の市民
   革命の多様なシーンが表示されている。
 フランケンハウゼン宮殿 Schloss Frankenhausen (14c) 南側の市壁の水門のあった中世
   の小さな要塞は下部城と呼ばれた。14c末に城と町はシュバルツブルク伯・後にシュバルツブルク・
   ル-ドシュタット公国となって宮殿を建てた。1525農民戦争で城が壊され、1533-36に再建し
   たが、1689の火災で部分破壊された。1920から図書館と地方博物館が置かれ、町の歴
   史・地質・生理食塩水・真珠ボタン・スパの進展などを展示している。宮殿は、石造ルネッサンス3
   階建の白く塗られた建物であり、1973-75に改修された。
 上教会 Ober kirche (1382) ロマネスクの前の基盤の上にゴシックの聖堂が建てられた。
      最も古い古い部分は、身廊でゴシクの窓と扉が建物を飾っている。1525農民戦争で略奪
   された。1692に30年戦争後教会は荒廃したが、資金不足で1727に着工した。1759火災
   2007基礎強化で傾斜進行は止まったが、今の傾斜は5.42度であり、ピサの斜塔の3.97
   度よりも傾いている。
 下教会 Unter Kirche (1215) 南にシトー会修道院として建てられた。1536修道院
   の世俗化で教会は1689まで地区教会を務めた。1691-1702後陣と北側の下部を使って
   低い教会を再建した。上の教会の閉鎖時に、ゴシックの木製十字架・16cの葬儀具を収蔵。
 聖ペテロ教会 St.Petri Kirche (10c) 南のアルトシュタットのロマネスク石造旧村教会が1890
   に併合された。半円形の後陣・高い身廊・塔の下部は10cからの物で、30年戦争後に変換
   が行われた。19c終わりに向けて教会は修復され、1890に再開された。再度1993保全が
   行われ2002に完成した。
 製塩観察所 Schausiede Haus (16c) 白い金と言われる塩の生産は、16cには117
   箇所の沸騰所で毎日500タルントの塩を生産した。古い技術と30年戦争で、塩生産は崩壊し
   1793には塩精製も終わった。19cには医師が温泉療法を行い、1818スパが開業、1927Bad-
   が認められた。沸騰所が再建され、蒸発式濃縮装置と沸騰皿で中世の製塩の過程を示し
   実演が見られる。

5.写真

市庁舎 地域博物館
西北壁 北壁
東壁 西壁

戻る

戻る

バート・ランゲンザルツァ Bad Llangensalza TH6

1.歴史

 932 初文書言及  1212 皇帝オットー1世から都市権授与、 1268 町と呼ばれる、
 1300 市壁と4門の防御施設完成、    1346 チューリンゲン方伯とマインツ大司教の争い、
 1365 新旧市街地を含む市壁7門27壁塔建設、   1578 町は今の名前となった、
 1632 30年戦争の被害、 1704町は包囲された、    1711 壊滅的な大火災、
 1756-63 7年戦争で破壊された、          1866 ランゲンザアルツァの戦い、
 1990 旧市街地の大部分を回復。

2.市壁  1.47km 0.55 

   1300に旧市街地の一次市壁が完成し、1365に新旧市街地を含む二次市壁に拡
   張された。今は各所で市壁跡は公園や遊歩道になっている。

3.塔  2門16塔

 残るのは2門16塔であり、内4塔は一次市壁の壁塔である。
 クラーゲ門 Klage Tor (1382) 東市門で近くに日本庭園・バラ園・モクレン園・植物園。
 年市場門 Jahrmarkter Tor 南門。
 円塔 Rund Turm 北東。
 城塔 Burg Turm 北東。
 火薬庫塔 Pulver Turm 北東。
 助祭塔 Turm am Diakonat 東、第一次市壁の塔。
 負け塔 Wichihaus Turm  東、第一次市壁の塔。
 飾り塔 Zier Turm 東南角、第一次市壁の塔。
 バター塔 Butter Turm 南中。
 飢餓塔 Hunger Turm 南中。
 シナノ木塔 Lindenbuehl Turm 南。
 白塔 Weisser Turm 南。
 土塁塔 Schanz Turm 西。
 北塔 Nord Turm 北西。
 火薬塔 Purver Turm 北西。
 壁塔 Mauer Turm 北西。
 鋳物塔 Giess Turm 北。
 コウノトリ巣塔 Storokennet Turm (1212) 昔の「新市門」と言われた一次市壁の門
   塔で、1593に壁塔となった。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (13c) 1346と1711に火事に会い、その土地固有の建物であ
   ったが、1752今の形で3階建で建てられた。元の13cの木組の建物から塔が残された。
   入口の玄関の上に正義と平和の天使の女神があり、南側にはプロイセンの紋章がある。
   市庁舎の地階には肉屋が40件あった。正面には32鐘のグロッケンシュピールと14人の回り舞台
   があり、12.18時に実演がある。
 市場教会聖ボニファライ MarktKirch St.Bonifacii (13-16c) ルネッサンスとゴシックの様式が
   見られる。チューリンゲンで最高の73.6mの双塔と一本針の時計1612がある。内部には14c初
   期ゴシック広間・1734六角形の説教壇・19c祭壇・1430キリスト磔像の絵画がある。
 水の流路 Wasser Lauf () 水動力で多くの工場が動いていたが、今は動力が変
   化し街中の自然水路として名を残している。
 フリーデニケン小宮殿 Schlosschen Friedeniken (1748-51) ザクセン・ヴァイセンフェルス侯爵未
   亡人が市壁の外にロココで建てた。建物には、マナーハウス・結婚式場・演奏会場・ダイエット指導台
   所・会議場がある。
 アウグスティーノ修道院 Augustiner Kloster (1280) 旧市街地の外に、ギュンターが寄贈
   した。1539カトリック教会が閉鎖され、修道院が町を去った。世俗化後町の教会として18
   年間使われ、1774修道院の塔が火災で壊され、ゴシックの回廊と聖具室が残された。
   今は改修され、改修されて市博物館となり、鐘楼には登れる。
 ドリ城 Dryburg (12c) 領主の最古の城で何回も拡充された。昔北東の角に立っ
   た塔は、1899火災にい会い、1927市の所有となった。1949市の図書館になった。
   市壁の上に4階建で再改修され、今は商店や住居として使われている。
 墓地教会 Gottesacken kirche St.Trinitatis (1733-39) 葬儀の説教が行われ
   1741説教壇が寄付され、1869オルガンが置かれ、キリストの生涯の絵画が描かれた。

5.写真

市庁舎 クラーゲ門
東壁 西壁
南壁

戻る

戻る

バート・リーベンシュタイン Bad Liebenstein TH7

1.歴史

 1353 城が初言及、集落形成、          1610 ミネラル温泉治療の効用公表、
 1710 ザクセン・マイニンゲン侯爵家は夏の離宮を、1800 クアハウスを建て演劇が行われ保養地に、
 1913 クアパークは拡大整備され、ホワイエが造られた。

2.市壁  0.0km  

    見当たらない。 

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  D

    伝統温泉保養地で、胃腸機能効果が認められている。城公園と温泉施設が中心。
 パレ・ワイマール Palais Weimar (1804-06) マイニゲン侯爵家の夏の離宮であり、婚姻によりザクセン・ヴ
   ァイマール公国に移った。1837侯爵未亡人の死後、娘が承継した。1907ベルリンの商人が買い
   取ってスパとした。1914に眼科医の博士の所有となった。1945温泉リゾートとなり、Kur
   Bibbliothek・音楽堂・ドーム結婚ホール等が在る。
 リーベンシュタイン城 Burg Liebenstein (1360) 1567クルムバッハのヘンデルに城は壊された。17cから荒
   れて今は廃墟である。ここには、ゴシックの本丸の跡と防御壁の残りがある。1930展望塔
   の建立、1944心臓科・整形外科・神経科の温泉病院が置かれた。
 クア施設 Klassizistischen Kuranlange (1816) 擬古典主義のクア施設には、クアハウス・回廊・劇場
   ・温泉病院などが在る。1895フランケン木組様式の郵便局を建てた。1982この郵便局は東ド
   イツの切手になった。

5.写真

ヴァイマール館 クアハウス
旧郵便局

戻る

戻る

バート・ローベンシュタイン Bad Lobenstein TH8

1.歴史

 1250 ロープテ城の領主を初言及、    1278 領主はロイスの王子に城を遺贈、
 1309 自由都市となる、            1327 トーリアの所有となる、
 1543 宗教改革の導入、1550 ニュルンベルクが買収、     1620 ライプチッヒに、
 1632 30年戦争の略奪と疫病の猛威で人口減、1647-1824 小公国ロイスの首都、
 1714.1800.1862 町は大火で荒廃、    18c 鉱石の採掘と布の生産で繁栄、
 1839 温泉治療の振興、              1868 鉄泥風呂の開発。

2.市壁  0.14km 0.25 

    Graben通り沿いに120m+15mが建物の基礎として残る。 

3.塔  0門1塔

    市壁の門は残っていない。古い塔(Alten Turm)が旧城の高さ35mの円塔が残
   されている。

4.見所  C

    丘の上に旧城の円塔が残り、池との間に新宮殿と旧市街が広がり、池の対岸
   にクア施設がある。
 新宮殿 neues Schloss (1714-18) 16cからの古い宮殿は1711に火災で損傷し、市壁の外
   にバロックの複雑な宮殿を建て、1647-1824王子の住居であった。1746-48パビリオンが
   建てられた。1732.1800.1862.の火災で損傷し補修された。1996-97宮殿と公園は
   改修され、今は結婚式場・演奏会場・展示会場などに使われている。
 聖ミカエル教会> St.Michaelis Kirche () 焼け付け技法による祭壇と壁がある。
 地域博物館 Regional Museum (18c) 1714火災後に、3階建てのストリート屋根と漆喰の建物
   が建てられ、1985林業事務所と住居として使われた。今は地域の博物館。
 ローベンシュタイン城 Burg Lobenstein (950-1150) 城と防衛塔が建てられ、1601領主は宮殿を
   建てて住んだ。1632スエーデン軍に破壊された。

5.写真

市庁舎 古い塔

戻る

戻る

バート・ザルツンゲン Bad Salzungen TH9

1.歴史

  4C ラインの谷道のローマの砦、     643 最初の記述として宮廷の設置、
 1309 自由都市となる、             1327 トーリアの所有となる、
 1497 町は包囲された、           1632 30年戦争スエーデン軍占領、
 1689.1735 仏軍の侵攻、              1735 仏革命軍の占領、
 1815 プロイセン領となる。

2.市壁  0.05km 0.01 

    LindenTor通りの南側に古い石積があり、市壁ではなかろうか。
   南の湖側には、城壁が見られる。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

    旧市街は、マルクトを中心として狭い所に市庁舎・教会・城がある。
 市庁舎 Rathaus(1289)最初の建物が着工された。1583拡張され新評議室とラッツケラーを備え
   た。1640最初の建物が焼失し、段階的に建設されて1790地下保管庫付3階建マンサード
   屋根で完成した。
 町教会 Stadt Kirche(1112) 聖シンプリシウス教会は、宗教改革で新教教会となり、1786の火
   事に遭い、単純化されたバロックで再建された。
 シュネップ城 schnepf Burg (1160) ケルト人は生理食塩水の源を発見し要塞化した。その後フルダ
   修道院が1160に城を築き守った。城は町の要塞に組み込まれ南西の砦を形成した。
   ナッソー家のアドルフ王により攻め取られ、裁判所と刑務所も置かれた。1786の火災で一
   部焼け、地方裁判所が建てられた。
 市博物館・砲塔 Stadt Museum Tallet (16c) 駅の東北の広い緑地に、多くの木組の家に
   よる宗教改革時代のリゾートが復元されている。中央には1499チャペルがあり後に羊飼い
   の住居となっていた。修道院は1528に世俗化され、後に市庁舎としても使われ、19
   00時計塔となった。1935以来遺産博物館として木骨造の家並みは1320の温泉町の状
   況を復元した。

5.写真

市庁舎 シュネプフ城
市教会

戻る

戻る

バート・テンステット Bad Tennstadt TH10

1.歴史

 772 フルダ修道院の遺贈文書で初言及、13c町の憲章を持ち1419郊外のオストホーヘンを得た、
 1448-83 市壁と4門を建設.     17c 染料の藍を生産、
 1756-63 7年戦争の占領で疲弊、   1811 硫黄温泉の発見、1812公園とスパの開業、
 1816 医療施設や文化施設が多く建てられ、KurStrassaeに残っている。

2.市壁  0.25km 0.13 

  

   市壁の構築のために、テンスタット城の石が使われた。構築促進のため住民の軽犯罪には、
   一定区間の市壁造りが課せられ処罰とされた。1448-87の市壁完成時には、軍事
   的には時代遅れになったいた。残っているのは、東OsthoferTorから南に70m、
   西南山上ForveStrasse60m、西GothaerStrasse120mである。

3.塔  2門5塔

    壁には4市門と家畜放牧用の2小門があったが、今は2門の全部と一部が残る。
 東中門 Oesthoefer Tor (1448) 17cに建築上の変化はなかった。1991抜本的に
   健全化が図られた。
 橋門 Buchen Turm (1483) 砂岩の塔頂はゴシックだった。1850門は壊されて横門
   付門柱に置き換えられた。
 殻塔 SChalen Turm (15c) 異端者塔の近くにあり、外観から名前が付けられた。
   塔は外皮の様に造られた。
 牢獄塔 Fronvest (1465) 市壁の見張り塔であった。後に監獄となり、1993抜根
   的に改修された後に、今は町の博物館として町の発展の歴史を展示している。
 異端者塔 Ketzer Turm (1476) 円型の防衛塔で、異端者訴追の時代に使われ、
   1986改修された。
 火薬塔 Pulver Turm (1455) 円塔は南西の角にあった。見張りと火薬庫として
   建てられ、1992健全化され、展望塔と博物館になった。
 木の塔 Holtz Turm 木製の3階建ての塔が在る。

4.見所  D

    15cの市壁ヤや6cの街並みが見られ、教会・市庁舎・市壁・門などの塔が多く
   目立つ。町の北東にクア施設がある。
 市庁舎 Rathaus (14c) 古い建築集団の内、17c塔・19c東側が建てられた。1992まで
   は町の行政集合体であった。
 聖三位一体教会 Trinitatis Kirche (1418) 新教の先駆者であり、17c大火の後に
   大改造が行われ、内外ともバロックとなった。
 墓地ニコライ教会 GottesackerKirche St.Nicolai (1689) まず礼拝堂が立ち、1641鐘を
   つけ、大火の後に大建築作業が行われ、価値の高い子屋根となった。1993改修。
 パン屋 Backhaus (1836) パン屋は1966迄開業していた。1998忠実に復元され、定期
   的にパンやケーキが焼かれている。
 円蓋 Gewoelbe マルクトにあり、殆ど四角の部屋の残りに、16cには壁画で覆われていた。
   今、フレスコ画は復元されている。

5.写真

市庁舎 東中門
火薬塔 牢獄塔

戻る

戻る

ブライツンゲン Breitungen TH11

1.歴史

  933 王ヘンリーの文書に初言及、         1049 フルダ修道院へ土地を寄付、
 1112 プファルツ伯は王宮と砦を所有、   1114 皇帝ヘンリー5世は町に都市権を授与、
 1150 ハースヘルトノヘンリーアボットは修道院を構成、  1494 亜麻の栽培による衣服の製造、
 1525 農民戦争で修道院は破壊、           1613 魔女裁判の始まり、
 1634-40 30年戦争と大火災で町は衰退、  1654 手工業:仕立.製粉.織.肉.鍛冶.車、
 1757 ジャガイモの栽培始まる、          1756-63 7年戦争で略奪や占領、
 1866 オーストリアに勝ったプロイセンの領地に、 、   1945 4月米軍、7月赤軍の占領。

2.市壁  0.0km  

    城丘には発掘された壁の残存物があるが、市壁は見当たらない。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  D

    ロマンネスクの大聖堂とルネッサンスの宮殿が北東にあり、17cからの木組みの家がマルクトに
   見られる。
 宮殿 Schloss (16c) 城丘の上の中世のベネディクト会修道院の遺跡の上にポーポ公爵が住居宮
   殿を建てた。30年戦争の損傷とその後100年間衰退を重ねた。空居の後にライプチッヒの
   家族が2007に居住宮殿・穀物倉庫・家族棟・倉庫を含めた土地と建物を取得して改修
   した。所有者は美術商を営み、定期的に演奏会・展示会などを開催した。地下には
   地方農村の伝統活動の博物館、上階にも博物館の領域がある。
 ロマネスク・バジリカ Romanisch Basilika (1112) ベニディクト会修道院の教会として奉献され、長方
   形の身廊に木製の平らな天井があった。その後古い鐘の塔が付けられた。1640の大火
   で、翼廊・コワヤ・中央後陣・2横アプシスが残った。17cには本堂の側壁が修復された。1955
   改修工事が行われ、演奏・展示・結婚の会場として使われている。
 マリア教会 Marien Kirche (8c) マルクトのマリア教会は8cに今の礼拝堂配置になり、今の外観は16
   08-16にロマネスクの塔(1220)を取り込んで建てられた。

5.写真

市庁舎 宮殿

戻る

戻る

ビュルゲル Buergel TH12

1.歴史

 1133 初文書言及、1234 正方形のマルクトを中心に町として言及、
 1283 城と修道院が築かれ都市権が与えられた、15-17c 青と白の陶器産業で栄えた、
 1677 動物園の開設。

2.市壁  0.30km 0.27 

   旧市街の南Unter dem BaderTorに265m、東南An der Stadtmauerに35mの市壁。

3.塔  0門1塔

 薬師塔 Bader Tor 南西、市壁に繋がる石積の下り坂小門の上に木組の
   薬師の家がある。

4.見所  D

   小さな町で、ゴシックの教会とセラミック博物館以外は、特に何も見当たらない。
  17cからの青と白の陶器の歴史があり、毎年6月に陶器市が開かれる。
 市庁舎 Rathaus ()3階建て四角い石造の時計塔付の建物。
 修道院教会 Kloster Kirche (1133) ロマネスクのどっしりした単塔の聖堂で、ベェネ
   修道院付の教会であった。1978から毎年演奏会が開かれている。
 陶器博物館 Keramic Museum (18c) 古い学校の跡に17cからの町で生産した。陶
   器が2002から展示されている。毎年、陶器市が開かれ、博物館には:皿.カップ.ポット.ボ
   ール.水差.鉢などが展示されている。
 年貢倉庫博物館 Zins Speicher Museum 博物館には工芸品が展示され、パン窯
   もある。

5.写真

市庁舎 風呂屋塔
南壁 東壁

戻る

戻る

ブットシュテート Buttstaedt TH13

1.歴史

 780 ハスフェルト修道院の文書に初言及、              988 町の設立、
 1331 最初に町として言及、 1335 町は大火災、 1408 代官権による町の管理、
 1433 方伯フリードリヒは町に赦免状を実行、           1450 町は全焼した、
 1513 皇帝マクシミリアンは牛市場の建設を許可、         1529 市壁の建設開始、
 1596.1684.1685.1826.1827 町の火災、1597.1633.34.81.83.85.90 疫病の流行、
 1637 30年戦争の略奪。

2.市壁  0.20km 0.13 

   16cの市壁は南東に少し残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   町の中央のマルクト広場に、ゴシックの教会とルネッサンスの市庁舎があり、大通りには大
  きな建物が並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (1501-1606)ルネッサンス2階建の建物で裏にコの字型の建物が付いて
   いる。
 聖ミシャエル教会 St.MichaelieKirche (1501-51) 南には大きな塔、北と西の入口には装飾
   がある。身廊の中央部と内陣には1720木製パネルに聖書の絵がスコッタで描かれた。
 古い墓地 Campo Santo (16c) バロックとロココの古い160基の墓標がある。
 旧ゲライツの家 Ehem.Geleits Haus () 宿屋「Zum Golden Hufeisen」である。

5.写真

市庁舎 聖ミシャエル教会
西壁 南壁

戻る

戻る

クリンゲン Clingen TH14

1.歴史

 906 文書初言及、   1282 都市権を授与され、二つの教会の周りのつの集落成長、
 13c ホーエンシュタインの王子は城を建て執行人を置き支配、 1356 シュバルツブルクの伯爵が所有、
 1576 シュバルツブルクの城を再建、  1918まで シュバルツブルク・ソンダースハウゼン公国に属した。

2.市壁  0.21km 0.21 

    今は町の北東に市壁は残る。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    グロイセン市の西側のチューリンゲン盆地にある小さな町で、古い木組の家が多く修復さ
  れている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1856) 2階建中央突出の簡素な建物で、「ラッツケラー」と呼ばれ、
   旅館を営業している。大広間などは催物で使われる。
 聖グンバティ教会 Kirche St.Gumberti (1207) 広い西塔と多角形の後陣のある3身廊の教会
   で、ヘルメットの塔頂は1840に再建された。
 木組の家 Fachwerk Haus 多くの古い木組の家は補修されて各所に見られる。
 プラン学校 Plan Schule (1900) 2階建と屋根裏部屋のある美しいレンガ造の建物四つの教室
   がある。
 ドーメネ Domaene (1576) 城の本館で、上階の木組は美しく再建されている。もう一つの
   翼は幼稚園として使われていろ。

5.写真

    

戻る

戻る

クロイツブルク Creuzburg TH15

1.歴史

  508 古代の交易・軍事の要点でフランク族が定住、  724聖ボニファチウスは城丘に十字架建立、
  745 山上にベネディクト会修道院が落成、      973 オットー2世の文書に町を言及、
 1170 チューリンゲンのルードヴィッヒ2世は修道院を軍事施設、1213ヘルマン2世は防備された町を建て
 1213 都市権を授与した、      1222-27 宮殿が建てられ方伯夫人優先滞在地、
 1241 ヘルマン2世は地域の役所を置き町は特権保有、1247-64 チューリンゲン承継戦争で困窮、
 1347 ペスト、1620 ペスト、1813チフス流行、    1452 ヴィルヘルム3世は製塩所を設置、
 1765.1782.1869.1884 町を大火が襲う、    1815 塔と市壁の一部が壊された、
 1843 製塩所の廃止、1912 機械工場の設置、  1945 2次大戦の空爆で町の85%破壊、
 1849 東独の領土に、1962 幅5km立入禁止地帯、1972 町は禁止地帯を除くと70%減。

2.市壁  0.63km 0.35 

    町の東の平野には立派な土堤が残っている。市壁は、城を囲む300m、北東の
   平地に60m、西北の山中に140m、南西の城へ130mが見られる。

3.塔  1門0塔

 橋門 Bruecker Tor 東中央部の土堤に、門としては貧弱だが、小さな橋門が
   がある。

4.見所  C

   小さくて静かな町に、城だけが目立つ。
 クロイツブルク城 Burg Creuzburg (1170) チューリンゲンのルードビッヒ3世は340mの城壁上に2階
   建てを築き、城と居住棟を建てた。元宮殿の一部は1740バロックの侯爵の家に変え
   られ、今はホテルとなっている。方伯夫人エリザベスはこの城に住み・娘を出産しその
   後マールブルクに移り病院を設立した。1898城は売却され、1945国有化され学校や宿
   泊施設になり、今は博物館として、都市と城の歴史・エリザベスとうについて展示。
 聖ニコライ教会 St.Nicolai Kirche (1080) ロマネスクの教会は1215に古い聖アンドリュー教会
   の代わりに建てられ、塔は1428に付けられた。1786火災で塔と5鐘が壊され、
   1786に再建された。2次大戦でも被害を受け再建されている。
 旧市庁舎 Heimat Stuben 1898に設立された郷土博物館である。
 土堤門 Wall Tor 土堤を切り開いて手摺の付いた橋が架かっている。

5.写真

市庁舎 東土堤門
西南壁 西壁

戻る

戻る

ドルンブルク Dornburg TH16

1.歴史

  937 プファルツ皇帝オットー1世は町を3回訪問と言及、 1354ヴィッテン家ドルンブルク役所設置、
 1485-1512 戦争で廃墟の城跡に旧宮殿建設、1589 旧宮殿礼拝堂跡に聖ヤコブ教会を、
 1603 ザクセン・アルテンブルクの支配、1673ザクセン・イエナへ、     1690 ザクセン・アイゼナッハへ、
 1717 大火災で町の中心部はほぼ壊滅、         1736-67 ロココ宮殿の建設、
 1828 ゲーテはルネッサンス宮殿に滞在。

2.市壁  0.32km 0.35 

    北側のAltesSchlossの周辺に180m、南側のStadtGraben沿いに140m残る。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    小山の上の小さな古い町であるが、宮殿には見所がある。
 市庁舎 Rathaus (1360) 2階建ての今の姿は、1728に時計塔・参事会・厩舎が建て
   られた。ラッツケラーもある。
 旧宮殿 Altes Schloss (937) 皇帝オットー1世の皇居の古い城は、1451の内戦で大砲
   によって壊された。1485-1522旧宮殿は再建された。90mを見下ろす眺めは
   良い。
 ルネッサンス宮殿 Reneissance Schloss (1539-42) 塔は2階建ての宮殿で、今は、ゲーテ
   記念館となり、イングリッシュガーデンやカフェもある。
 ロココ宮殿 Rokoko Schloss (1736-47) 居住宮殿でバロックの庭園がある。
 教区司教館 Pfarrhaus (18c) 2階建て、1717大火後に教会と共に再建され、1978
   まで福音派の牧師が住んでいた。
 聖ヤコブ市教会 StadtKirche St.Jacobus (1589) 古い宮殿礼拝堂は基礎しか残ってい
   ない。1717大火災で被害を受け、1718から後期バロックで再建され、1820西の
   側廊とオルガンが付加された。1987-89改修され、今も後期バロックの説教壇や洗礼
   盤が見られる。
 聖ペーター教会 St.Patori Kirche () 1725の火災で壊され、1727から新教の教会として
   守護聖人ペトリの名前で再建された。元々は見張り塔であった中世の基礎の上に鐘
   楼は立つ。16cバロックの説教壇や木の洗礼盤があり、1817にオルガンが付けられた。
   1969-72天井画の修復、1997-98屋根材の更新、内装とステンドグラスの修復が行
   われた。
 車軸博物館 Oldtimer Hof 元の豚飼育所にヴァルトブルクの2輪車からスポーツカーまでの、
   1950-90の珍しい車軸が展示されている。

5.写真

市庁舎 旧宮殿
城壁 南東壁
南西壁

戻る

戻る

アイゼナハ Eisenach TH17

1.歴史

 1080 城の最初の言及、         12c 三つの市場集落に職人が流入、
 1180-89 チューリンゲン方伯ルードヴィッヒ1世が町を築く、1211ハンガリー王女エリザベスが花嫁、
 1226 エリザベスは貧しい人の病院を建てた。 1227 エリザベスは夫の死後マールブルクに、
 1247-64 承継戦争で町はヴィッテン家へ分割、 14c 火災や洪水で経済低下、
 1525 農民戦争で町は損傷、     1596 侯爵ヨハン。エルンスト・アイザナハは独立公国に、
 1751 侯爵の死後断絶しザクセン・ワイマールへ、  1810 仏軍輸送の爆発で被害、
 1816 ザクセン・ワイマールは公国に昇格、     20c スパを中心に多数のホテル建設、
 1944-45 2次大戦の爆撃で被害。

2.市壁  0.31km 0.12 

   12cには市壁が造られ、門塔・堀・土堤を備え、市壁の高さ8m・幅1.2-2.5m・
  長さ2.84kmであり、1832までは門の夜間閉門は維持された。19c市壁は取壊
  され、道路・工場・住居等が造られた。1970から市街は文化財として整備さ
  れた。残った市壁も徐々に修復された。

3.塔  1門3塔

   12cの市壁には、10登塔・7見張塔・5門塔があった。
 ニコライ門 Nikolai Tor (12c) 東門、ニコライ教会の塔に接して、唯一残った4階建
   の四角門塔が残っている。主塔を中心に両側に車道門と歩道門と3門が
   並んでいる。
 コウノトリ塔 Storchn TUrm (12c) 西、古い見張り塔で監獄としても使われた。
   今はレストランとユースホステルとして使われている。
 鐘楼 Grocken Turm (12c) 西南、ドーム通りに立つ。
 上昇塔 Aufsteiges Turm <12c> ゲーテ公園にある3階建て四角殻塔。

4.見所  B

   チューリンゲンの森の北西にあり、山上のヴァルトブルク城と平地の旧市街と中間の斜
  面に見所がある。
 市庁舎 Rathaus (1484) 旧市庁舎は聖ヨハネ教会の北側のマルクトに立っていたが1596
   侯爵ヨハン・エルンストは旧市庁舎の右に2番目の市庁舎が建てられ、1636の大火で
   焼け1641に再建された。1812には隣のRatWaageと接続し、1945の爆撃で損
   傷を受け、1978に再建された。1993-96修復されたが、塔はやや傾いている。
 ヴァルトブルク城 Wartburg (1067) 旧市街の南西の山上にバロックの城が建てられ騎士
   の歌合などのエピソードが語られている。中には、ロココの宴会場・ルターの部屋・
   チューリンゲン美術の陶磁器がある。城博物館にはクラナッハ父の絵画が数点ある。
 町宮殿 Stadt Schloss (1742) 侯爵エルンストは、多額の債務があったが、王宮が古く
   なったため、3階建の町宮殿を建てざるを得なかった。1931チューリンゲン博物館
   となっている。
 グロイツナッハの家 Creutznacher Haus (1539) マルクトにある美しい木組みの家で、よく
   修復された複合建物は、今住居として使われている。
 狭い家 Schwaler Haus (18c) ドイツでも狭い有人の木組の2階屋である。幅2.05m
   ・床面積20m2・高さ8.5mの寸法。1974今の所有者は宿泊に使ったが、2000復
   元して家の絵画・小さな彫刻・陶磁器・歴史的な家具などの展示を行っている。
 ルターの家 Luther haus (14c) マルチンルターは市場の近くの木組みの家に住み学校に通
   った。今はルターハウスとしての展示がある。
 バッハの家 Bach Haus (16c) 1685大バッハはこの町で生まれ、10歳まで学校に通っ
   た。生家をバッハハウスとしてバッハの生涯と作品を展示している。
 ヘレグレベン館 Hellgreven Hof (15c) 東のジョージ門の南西に、市壁に接して封建農
   園として石造の建物が建てられた。その後議会・旅館・住宅・裁判所などと
   して使われ、2002市立図書館となった。
 聖ニコライ教会 St.Nikorai Kirche (1180) 塔の高さは36mで、最後のロマネスクの教会で
   あった。1525旧ベネディクト会修道院の教区教会として3身廊の大聖堂になった。
   1525農民戦争でひどく壊され、1555福音礼拝で再開された。今の姿は1886
   -87の大改修の結果である。1898オルガンが構築された。
 ゲオルグ教会 Georgen Kirche (1180) 1221ここでチューリンゲン方伯ルードヴィッヒ1世とハンガリー
   王女エリザベス4歳は婚礼を上げた。1498-1501マルチン・ルターが居り、1685ヨハン・
   セバスチャン・バッハが洗礼を受けた。1898-1902今の高い塔を持った外観となった。
 アン教会 Annen Kirche (15c) 聖エリザベス・アンによって、設立された病院の教会と言
   われ、何回も作り直された。古いのは、ロマネスクの洗礼盤と後期ゴシックの十字架。
 伝道者教会 Prediger Kirche (1216) ドミニコ会修道院として設立されたゴシックの教会
   は、16cに世俗化された。1899元食堂に博物館を設立し、チューリンゲン中世彫刻を
   多く収集している。修道院は1544ラテン語学校、今ではマーチンルーサー高等学校である。
 歩行広間 Wandel Halle (1906) 英国風の庭園とホワイエ・野外ステージの観光施設。
 ロイター・ヴァグナー博物館 Reuter Wagner Museum (1866-68) 作家フリック・ローターは、ネオ・
   ルネッサンスのローマ時代のヴィラを模した建物を建て、1877まで暮らして低ドイツ語の
   作品を書いた。その暮らしと作品を展示している。
    ヴァーグナー博物館は、1987から開かれ作曲家の生涯と作品をたどっている。

5.写真

市庁舎 ニコライ門・ニコライ教会
ストルヘン塔 聖ゲオルク教会
バッハハウス 宮殿
ヴァルトブルク城

戻る

戻る

アイゼンブルク Eisenburg TH18

1.歴史

 1171 砦がありシトー派修道院の設立、  1274 町となりマイセン辺境伯が城を築く、
 1485 ザクセン選帝侯領となる、             1524 宗教改革を導入、
 1618-1707 ザクセン・アイゼンベルク公国の領地、      1686 魔女狩りの裁判、
 1919まで 郡庁であった、       1945 2-4月米軍機・4月米軍・7月赤軍、
 1989 東西独統一。

2.市壁  0km 0 

   市壁は1650の絵図にはあるが、今は見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   市庁舎と城が見所である。
 市庁舎 Rathaus (1576) 広場の西南に立つルネッサンスの建物で、16cに再構築され、1702-03には塔
   と出窓を改修した。1997の美しい市庁舎賞を授与された。
 クリスチャン城 Christians burg (1274) 1680-1707ザクセン・アイセンベルク公国の王都としてバロック3翼の宮殿
   が再設計された。今は地区事務所が入っている。城教会の聖トリニタティスは、東側に1680-92に
   チューリンゲン最大の規模のバロックで建てた。
 聖ペーター教会 St. Peter Kirche (1219) 広場の北に立つ修道院の礼拝堂を1494後期ゴシックの内陣と
   し、1585廊と鐘楼が建てられた。
 グロイツナッハの家 Creutznacher Haus (1539) マルクトにある美しい木組みの家で、よく修復された複合
   建物は、今住居として使われている。
 市博物館 Stadt Museum 実業家カール・フリードリッヒ・クレナーが建てた邸宅が1911に市の所有となり、1984
   に博物館となった。

5.写真

市庁舎 聖ペーター教会
石臼 市博物館

戻る

戻る

エアフルト Erfurt TH19

1.歴史

  742 交易の中心の入植地初言及、   9c 初期の町になり東フランク王も滞在、
 1000 マインツ大司教の支配下に、     1066 最初の1次市壁が築かれた、
 1168-96 市域133haを囲む8kmの2次市壁、12c 皇帝フリードリッヒが訪問、多くの教会建設、
 13c 大規模な大学の町となり自由獲得、 1306 町の慣習法を文書化、
 15c ハンザ同盟に加入し経済的に頂点、  1618-48 30年戦争被害、スエーデンが15年占領、
 18c マインツ選帝侯の努力するも町は困窮、、1802-06 プロイセンに帰属、
 1806 仏軍の占領で経済困窮、      1814 プロイセンに再び統合された、
 1851 市壁は町の拡大を阻害し排除された、1945 空爆で深刻な被害。

2.市壁  0.18km 0.04 

  1066に1次市壁、1162連続市壁の建設を開始したが、チューリンゲン方伯が破壊、1168
  1168-96に2次市壁、約8kmを建設。西北にあるペーターズベルク要塞は復元された。
  残っているのは、西南のブリュール公園に130mと北のヨハネスに50mである。

3.塔  0門5塔

  市壁の8市門と多くの壁塔は全く残っていない。中世には、21教区教会.15修道士
  礼拝堂.11修道院.4大学塔があったが、今は24が残っている。
 パウロ塔 Pauauls Turm (1216) 旧聖パウロ教会はほほ焼失し、1736-37塔は再建
   された。
 ニコライ塔 Nicolai Turm (1200) 旧ニコライ教会の塔である。
 ヨハネ塔 Johannes Turm (12c) ローマ教会として設立された。
 ゲオルク塔 Georgs Turm (1132) 聖ミカエル教会の塔で最古の鐘1380がある。
 バーソロミュー塔 Bartholomaeus Turm (1182) 聖バーソロミュー教会の塔で、60個
   の鐘がある。

4.見所  C

   大きな町であり、ペーター山上の星形要塞は良く保存されている。旧市街も広く
  古くからの大聖堂・教会が残り、15-16cの商家や古い町並みクレーマー橋も残っている。
 市庁舎 Rathaus (13c) 魚市場にネオゴシック旧市庁舎の建物複合体で何世紀にわ
   たって成長した。1865-66大広間を含む建物は塔を含めて建てられ、残りは1870に
   加えられた。1904-05には東翼が延長され、第2段階の市議会議室も建てられた。
   1934-35南棟に貯蓄銀行が建てられ複合体が整った。市庁舎の廊下や階段の絵は
   チューリンゲン首都の歴史をめぐる逸話を示す。
 ペーター山 Petersberg (1823) サンピエトロ大聖堂1103-47の遺跡のある丘に、1665
   -1707要塞が建設され、1868まで段階的に再構築されていた。1990には埋もれた壁
   や低くなった壁が小さなブドウ園を含め復元され、1999には情報センターが置かれた。
 キュリアス城 Criaksburg (1480-82) 1123に丘の上のベネディクト会修道院は市外の
   丘の上に移され、聖キュリアクの名前が与えられた。1478この修道院は解散され、代わ
   りに城が建てられた。19cには一部解体され、1995園芸博物館となり、一部再建と
   拡張が行われ、塔からの展望は良い。
 クレーマー橋 Kraemer Bruecke (1113) 1323石の橋となり、幅広い長さ79mの橋に
   32人が住み17-19cの店舗が並んでいる。
 聖マリア大聖堂 Dom St.Marien (725) 宿屋の主人が丘に邸宅を建てた。1154
   バジリカの建設が始まり、後期ロマネスクの教会は東に三身廊・翼廊と二つの塔から成っ
   ていた。1349東への拡長が始まり、1372に後期ゴシックの窓のあるホールに3身廊で完成
   した。1350には大聖堂学校があった。北平面玄関は彫像で飾られている。
 セベーリ教会 Severi Kirche (836) 大聖堂の丘の上の隣接した教会であり、
   ドイツでも数少ない5身廊のゴシック・ホール教会である。初めベネディクト修道院として建て
   られ、935参事会の聖セベーリ教会となった。1080に焼け1142再建された。14cの祭
   壇画・1467洗礼盤・1472塔が付けられた。
 アウグスティーノ会修道院 Augastiner Kloster (1277) 修道院教会は聖アウグスティネス
   の生涯のステンドグラス1340があり、ゴシックの回廊を通って1505-11マルチン・ルターが生活し
   た修道院へ行ける。
 商人教会 Kaufmanns Kirche (11c) 1291火事でロマネスクの教会が壊れ、1368
   ゴシックの新教会が奉献された。1521に新教教会となり、1522にはルターが説教した。
   1636-50スエーデン駐屯地の教会となった。1855-59と1863-65に大規模な改修が行わ
   れ、1945爆撃で壊れ、1955祭壇・1987-92説教壇・1994南塔・2001北塔・2008外装。
 ペーター教会 Peters Kirche (12c) ペータース山のベディクト会修道院の南東部に3身
   廊のロマネスク柱バジリカがある。1803修道院は世俗化され、1813プロイセンが砦を占領し
   た。仏軍の攻撃で修道院と教会は燃え、1993ロマネスクの修道院教会はコンクリート・アーチの
   芸術家博物館となった。
 アエギディン教会 Aegidien Kirche (1110) 橋教会ででクレーマー橋に接続している。
   東前面が美しい出窓で飾られ、町のパノラマカが塔から見られる。1293焼失し1324に
   は石造の教会となった。1472再び焼失し1582新築された。1827民間所有となり、
   1958-59復元されて再び教会となった。
 聖アンドリュー教会 St.Andreas Kirche (1216) 教区教会で1325に改修が行われ、
   1416一部焼失した。1484修道女のために聖別され1522ルター派教会となった。1633
   スエーデンはヘルメットを改造した1679-88説教壇と祭壇が造られた。1806仏軍キャンプの爆発
   で被害を受け1813武器庫となった。1836大修理で外部階段は外され塔に時計が付
   けられた。1945爆撃で屋根が壊れ1982-93と1998-2003大規模な改装が行われた。
 全聖人教会 Aller Heijigen Kirche (1125) 修道院の教会として設立され、
   1222焼失後に教区教会となった。13c末-14cゴシックの復興が行われ西塔は53mの高さ
   である。1487改修が行われた。
 アンガー美術館 Auger Museum (1706) バロックの建物に中世チューリンゲン美術を中心に
   祭壇衝立や石棺・18.19cのドイツ風景画・チューリンゲンの磁器などの展示がある。

5.写真

市庁舎 バートロメス塔
ドーム広場 マルクト通
魚市場 クレーマー橋

戻る

戻る

ゲーラ Gera TH20

1.歴史

  995 皇帝オットー3世はナウブルク司教に町の北部を与えた、
  999 皇帝オットー3世は妹でクエトリンブルク女子修道院長に町を与えた。
 1209 女子修道院長はヴァイグ知事に統治委託、     1237 町として指定いされた、
 14c 5市門と辺長350mの正方形市壁で防備、 1306女子修道院長は領主統治権を売る、
 1329 バイエル王ルードヴィッヒは知事に課税権貸与、     1358 町はマイセン辺境伯に所属、
 1450 ザクセン兄弟戦争で荒廃も早期回復、   1550領主絶滅、1560 プラウエンのロイス家に、
 1639 スエーデン軍の略奪と破壊、        1686 町の2/3焼失、1780町全体が灰、
 1806 ナポレオンが町に滞在、、          1918 ロイス侯爵が退位し人民共和国に、
 1920 新設チューリンゲン公国の一部に、       1945 2次大戦の空爆で町は大破壊。

2.市壁  0.04km 0.03 

   14cに350m四角の市壁が築かれたが、残るのは南StadtGrabenに高さ8m長さ40m。

3.塔  0門1塔

 フェーバー塔 Feber Turm (1874-75) 高さ21mの見張塔で町の南東からの眺めを提供し、
   商工会顧問で地質学者のFeber博士が構築し、市に寄贈した。

4.見所  C

   町の中心には、市庁舎・町薬局・教会などがあり、1780の火災や1945爆撃で壊さ
  れ、1990から歴史的建造物と周辺地区は復元された。
 市庁舎 Rathaus (1254) 最初の市庁舎は1450ザクセン兄弟戦争で壊され再建され1573-75
   現在の市庁舎はルネッサンスで建てられ、高さ53.6m八角塔や装飾された正門がる。高さ
   33.6mの展望デッキは見晴らしがよい。
 東石宮殿 Schloss Osterstein (12c) 昔からの砦の跡に、領主が石造の城を建てたが、14
   50のザクセン兄弟戦争で壊され、知事が修復し住んだ。1560ロイス家がルネッサンスの堂々たる
   宮殿を建て1802まで住んだ。1863からロイス公国の王宮であったが、1945空爆で破壊
   された。残った部分はレストランやカフェと観測塔として使われている。
 聖ヨハネス教会 St.Johannis Kirche (1881-84) 1780の大火で壊れ、ネオゴシック・リバイバル様式で
   町で最大の教会として再建された。1945空爆で損傷し、1972-75に改修された。中
   には1650の十字架が祭壇にある。
 聖マリア教会 St.marien Kirche (1193) この地区で最古の教会で、1440後期ゴシックの今の教
   会が建てられた。中には、貴重な後期ゴシックの祭壇には華やかな十字架や祭壇画があ
   る。
 聖ザルバトール教会 St.Salvator Kirche (1717-20) バロックの聖救世主教会で1725の新しいオル
   ガンは、ヨハンセバスチャン・バッハが検収した。塔は火災で2年後に焼失したが、1778忠実に
   復元された。1903内装はアールヌーボーで改装された。
 トリニティ教会 Torinitatis Kirche (1611) 聖三位一体教会はルネッサンスの埋葬教会として建てら
   れ、1868-69ゴシックに改装され、1899塔が付けられた。中には、1630最後の晩餐、
   1500後期ゴシックの外部説教壇がある。
 ウルスラ教会 Ursula Kirche (1200) 後期ロマネスクの教会で、1473の古い鐘もある。
 町薬局 Stadt Apotheke (1592) マルクトの角に3階建てルネッサンスの建物に1606の出窓が目立ち
   ロイスの紋章がある。1603-1847薬局は営業し、1998-2001建物は拡張された。
 町博物館 Stadt Museum (11724-39) 旧訓育孤児院として建てられ、1911-13市立博物館
   となった。2005大規模修復を経て再オープンした。チューリンゲンの文化的・歴史的な収集物が
   あり、ロイス国・ゲラの繊維・錫や磁器などの展示がある。
 自然史博物館 Natyr Kunde Museum (1686) 旧市街でも古い民家で、1716-1847シュライバー
   家が住んだ。その後裁判所や学校として使用され、1947からは博物館となり、1951-
   56改修された。景観生態学的な常設展示の他、果樹園・森林・平原・湿地・岩場などを鑑
   賞できる。美術館にはチューリンゲンの美術品・生物・地質学などを展示。
 美術館 Kunst Galeria (1748-49) 半円形のバロックの複合体は、ロイス王族の庭園にある2階
   建てのオランジェリィで、1957美術館となり、美術収集物を収容・展示した。
 オットーディックスの家 St.Johannis Kirche (1881-84) 3階建の建物は、美術館の第2展示場と
   して、オットーディックスの生活と作品を展示している。
 注目芸術博物館 Otto-Dix Museum (1760) 1765商人ヨハン・ゴルトフリート・ステンデルが、1844モーリ
   ッツ・ルドツフ・ファーバーが住んだ家に、1984現代の美術・工芸・写真・デザインを収めた美術館が
   開設された。

5.写真

市庁舎 ザルバトア教会
歩道の絵

戻る

戻る

ゴータ Gotha TH21

1.歴史

  775 初文書言及、            12c 都市権を獲得し貨幣を鋳造、
 12c 町は市壁と周堀で守られた、          14c 遠くから水を導水、
 1442 都市の住民の武装化、           16c 布・革・武器・錠前の製造、
 1545 大火災で町の半分を焼失、  1567 市域を拡大し防御壁と稜堡を築いた、
 1800 要塞の補強を行い外側に堀を強化した、
 1833 堀は埋められ稜堡と市壁は除かれた、1944 空爆で旧市街は被害を受けた。

2.市壁  0.0km 0.0 

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   平地に市庁舎と復元された旧市街が広がり、その南の丘に平和宮などのバロックの
  大きな建物には多くの博物館が置かれ、広い公園には池やオランジェリィがある。
 市庁舎 Rathas (1567) 中央マルクトに立つルネッサンス風の建物で、高さ35mの塔に高さ12mの展
   望台がある。
 平和宮殿 Schloss Friedenstein (1682) 丘の上に大きなバロック宮殿が公園にさ12mの展
   囲まれて立ち、今は博物館である。
 エクホフ劇場 Ekhof Theater (1687) バロック劇場で宮殿の舞踏会場。
 噴水 Wasser Kunst (1369) 広場の南、ポンプ付階段噴水、1995改修された。
 フリードリッヒスタール宮殿 Schloss Friedrichsthal (1711) 東に夏の離宮、1918州大臣館、今
   運輸専門学校。
 自然博物館 Museum der Natur (1879) 南、ルネッサンスの建物で、自然博物館設立後300年
   の収集物がある。昆虫・オオトカゲ・などを展示。
 温室 Orangerie (1742) 公園の東に温室を建てた。北館はハイネ図書館せある。
 城博物館 Schloss Museum 16c芸術として、絵画・銅版画・彫像・磁器・硬貨・ガラス・扇子
   とうの展示。

5.写真

市庁舎 宮殿
宮殿 マルガレータ教会

戻る

戻る

グロイセン Greussen TH22

1.歴史

  500 最初の入植地の遺跡を発見、   900 フルダ修道院の支配下で集落建設、
 1212 方伯は市場団地を建設、  1353 自治・市壁設置・市場・鋳造の特権を得た
 14c 通商路にあり手工業者が集る、 1620 30年戦争の略奪、1625 ペスト流行、
 1689 町は火災で深刻な損害、   1807-13 ナポレオン戦争で被害、
 1834 町のほぼ全体を焼失、市壁上部を再構築、 1871 再興して急速に工業化、
 1945 2次大戦の空爆で被災した。

2.市壁  0.90km 0.68 

    市壁の高さは9mあり、前面にツインガー壁1.5mが付いていた。部分的には低い
  物もあったが二重壁や犬小屋も残っている。堀は緑地になっているが、部分的に
  は小さな庭が並んでいる。1687の火災後市壁は資金不足で放置された。1834の火
  災の後に石は取り外されて建物に再利用された。今残るのは、南と東である。

3.塔  0門0塔

    中央門(上門)は、交通障害で1820に取り壊された。古い3市門は全部失わ
   れた。1834の火災後に次第に市壁の中の小塔も壊された。

4.見所  C

   田舎の小さな町であり、市壁がよく残っているが保存状態は良くない。
 市庁舎 Rathas (14c) 1491.1687.1834.の大火で焼けそれぞれ再建された。
   2006までに大規模な改修が終わった。
 聖マルチン教会 Ev.Kirche St.Marrtini (1279) 1687の大火の後にナイジン・塔・基
   礎部分を除いて今の姿になった。1894内陣外側の階段が内側に移された。
   2008数年かけた改修が終わった。
 聖ペトリ教会 DorfKirche St.Petri  1782の墓標が教会の壁にある。
 郷土博物館 Heimat Museum (2008) 市庁舎に開設され、ポールラーマンンのコレクション
   を基本に補完・拡充された。
 歴史的市場の建物 Histrische Markt Gebaeude
   1601 旅館「黒熊」1988まで旅館「金の錨」として営業された。
   1777 旅館「緑ライオン」後に「金ライオン」と呼ばれた。

5.写真

市庁舎
北壁 南壁

戻る

戻る

ハイルバード ハイリゲンシュタット Heilbad Heiligenstadt TH23

1.歴史

  973 皇帝オットー2世の文書で最言及、10c マインツ大司教の支配下で集落建設、
 1000 市場の町だった、1227 マインツ大司教ジークフリート2世は憲章を授与し市壁を築く
 1333 大火事で町は荒廃、       1335 包括的な自治体の法制を採択、
 1525 宗教改革の導入、        1575 イエズス会の反宗教改革、
 1611.1626.1682 ペスト流行で人口減、  1618-48 30年戦争で数回略奪された
 1739 2回目の大火事で深刻な損害、   1736 マインツ選帝侯が宮殿を置く、
 1802 プロイセン領となる、   1803-13 ナポレオンの占領、  1815再びプロイセンへ、
 1858 最初の葉巻工場設置、 1873 針工場の建設、1945 4月米軍7月赤軍占領、
 1945 チューリンゲン州となる、  1950 スパ開設、   1994 郡庁所在地となる。

2.市壁  2.39km 0.82 

    13cの市壁は、初め高さ4mで造られ、今も8割が残されている。市壁は、
   住宅用の基礎壁や側壁あるいは地下室としても残っている。

3.塔  0門5塔

    門や塔は見当たらない。小さな壁塔が、北に2角塔 西に1円塔 南に
   2円塔 合わせて5壁塔が残されている。

4.見所  C

   今も市壁に囲まれたマインツ大司教の町で、1739の大火事以降の建物が殆どで
   ある。旧市街の北東にクア・パークがある。

 旧市庁舎 AltesRathas (13c) ゴシックの建物で、ここで農民反乱の指導者
   トーマス・シュンツアーは旧権限の廃止を宣言した。今は戸籍局である。
 市庁舎 Rathas (1739) 1739の大火災の後にバロックで町のワインセラーの基礎の上
   に築かれた。今は観光案内所と運送協会が使っている。
 マインツ宮殿 Mainzer Schloss (1736-38) マインツ選帝侯がはバロックの宮殿を構築
   して、大司教の知事の役所と住居とした。見所は星形門・2バルコニー・オーク材の階段
   などがあり、ハインリッヒ・ハイネは学生時代に宮殿教会で洗礼した。今は地区事務所。
 クラウス粉挽所 Klaus muehle (1748) ひときは美しい2階建木組の建物で、聖
   ニコラス教会の近くにあったためその名前が付いた。ここで彫刻家リーメンシュナイダーが生
   まれ、ここからヴュルツブルクに後期ゴシックの芸術的価値を築いた。
 領主粉挽所 Herren Muehle (1318) 町に在る3粉挽きの最も古い建物で、
   水車を動力として粉を挽いていたが、1725の火事で焼け拡張して再建された。
   1960までは水の輪を介して操業した。今も水利権を有し操作可能である。粉挽
   所と穀物倉庫は国の記念物である。
 聖アエギデン教会 St.Aegidien (1739) 南の新市街に砂岩で造られ計画され
   た2塔は造られなかった。1333に火災で焼失し、同じ場所にゴシック3廊のホール教会
   が1370に建てられた。異なる世紀からの貴重な機器に飾られ、聖女マリアのレリーフ
   ・1691バロックの祭壇・1507青銅の洗礼盤がある。1990外観の修復と内部再装飾。
 聖マリア援助礼拝堂 St.Marien HilfeKapelle (1860-61) 女性礼拝堂で、聖
   アン教会をモデルに聖アエギディーン教会の水側に建てられた。内部には単純な形で、
   赤子イエスとマリアの像がある。
 聖マルチン教会 St.Martin Kirche (14c) 元大学教会でアクセスフェルダー母教会と
   して13c末に着手され山の最も古い集落に1487に完成した。プロイセン王の政令で
   1803に廃止され、新教の教区教会として引き渡された。
 聖マリア教会 Kirche St.Marien (14c) 1300年に着手され、幾度か改造さ
   れて3身廊の旧市街の教会は、町の繁栄の象徴となった。その後高さ55mと53m
   の双塔が付けられ町のランドマークとなった。20cに改修工事が行われた。
 聖アナ教会 St.Annen Kapelle (14c) 塔上の建物は聖マリア教会の向かいに位
   置し、16cの礼拝堂はゴシックの真珠と呼ばれ、ゴシックの印象的な特徴を備える。
   八角形の平面・ガーゴイル・1300マリア像がある。
 テオドール・ストーム文学館 Theodor Storm Museum (1988) 町の古い家に、文学
   者テオドール・ストームの博物館が、死後100年を記念して開設された。
 アイヒフェルダー歴史博物館 Eichsfelder Heimat Museum (1740) 元イエズス会の
   大学のバロックの建物に1932開館された博物館で、神聖と世俗・リーメンシュナイダー作品・
   巡礼と行列・アイヒフェルダーと町の歴史・鳥の展示がある。芸術ホール。バロック庭園。

5.写真

市庁舎 北壁
北壁 北東壁
東壁 南東壁
南壁 聖マリア教会

戻る

戻る

ヘルドルンゲン Heldringen TH24

1.歴史

  424 チューリンゲン王は集落を設立してゲアバタスを派遣しRoteHofにログハウスを建てた、
  777 Charlemagneの王冠領域として言及、   874 ヘルスフェルトのTitheリストに記載、
 1004 ホーエンシュタイン伯は町に昇格した、      1217 ハルトマンは石造の城を建てた、
 1512 マンスフェルト伯エルンスト2世は要塞を建てた、   1525 トーマス・ミュンツァーは要塞に投獄、
 1530 皇帝チャールス5世は都市権を授与、     1664.73.1723 都市権を再確認、
 1632.38.40.41.45 町を各軍が占領、   1664-68 ザクセン伯アウグストは城を再建、
 1688 クヴェアフュート公国へ、         1746.53.56.59.1846 干ばつで飢餓、
 18c 仏軍占領で要塞建設、  1815 プロイセンに落ちた、     1819 大火災。

2.市壁  0.02km 0.01 

    北と西側に市壁の痕跡があるが、道路からの確認は困難。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

 市庁舎 Rathas (1565) マルクト広場は無く、旧市庁舎は簡素な2階建の7窓列四角い建物
   であった。1900-02に2階建レンガ造鐘楼付きスレート屋根で交差点に建てられた。塔
   には時計があり、中には有名な階段・大会議室・ラッツケラーがある。
 聖ヴィグバート市教会 StadtKirche St.Wigbert (1680-96) 福音ルター派の低い単塔の小さ
   な教会。30年戦争で荒廃し古い教会の石材を使って、北に町教会を建てた。移転
   前の場所には、今はEv.Pfarramtが立っている。
 要塞 Wasserburg (1217) 砦は1217に始まり、城は1512-19にルネッサンスの水城をゴシック
   の4翼の建物を二重堀で囲んで建てた。1525農民戦争の指導者トーマス・ミュンツァーが幽閉
   された。1664-68に破壊され、18cに仏軍が要塞を建設し、これはドイツで唯一保存
   された仏要塞である。1970-1997に城壁の一部が復元された。
   2010には130ベットのユースホステルに改築された。

5.写真

市庁舎 ゴルガーテ教会
要塞入口 西壁

戻る

戻る

ヘリンゲン Heringen Helme TH25

1.歴史

 1155 フルダ修道院の文書で初言及   1172 川の交点に騎士団が水城を建てた、
 11260-1300 ホーエンシュタイン伯はバイヒンゲンの城を購入、1318-27 伯爵は町の防御強化、
 1327 町の憲章を授与された、    1406.1407 帝国軍が町を包囲したが失敗、
 1417 ホーエンシュタイン伯の死後相続を争った、    1539 シュバルツベルク伯が町を支配、
 1590 町は大火災でほぼ全焼、     1597-1658 シュバルツベルク伯未亡人が保有、
 1626 ペスト流行、            1730 横方向にバロックの大宮殿へ拡張、
 1815 ウイーン会議でプロイセン王国に落ちた。

2.市壁  0.74km 0.59 

    14cの市壁は多くの部分に残り、外壁と内壁が二重に残る所もある。
   チュウリンゲンでも最長の市壁が、北から東と南に残る。

3.塔  1門0塔

    見当たらない。東西の上門・下門は跳ね橋で外に通じていたが、今はない。
    南のリンデン門は、1590に追加され、簡素に復元されている。

4.見所  C

    歴史的建造物としては、宮殿・教会・大邸宅がある。
 市庁舎 Rathas () 2階建の簡素な建物で、屋根の中央に鐘楼がある。
 聖ミカエル教会 St.Michael Kirche () キルヒ広場に位置し、屋根部分は木造。
 ヘリンゲン宮殿 Schloss herimgen (1172) 騎士団が来て城を建てた。1260-1300に
   ホーエンシュタイン伯はバイヒンゲン伯からは城を買収し、1318-37城を拡張し町の守を
   強化した。1539 シュバルツベルク伯が町を相続し、1730バロックの大宮殿に拡張
   した。1815プロイセン王国が所有し、1945には国有化された。1949学校となり、
   1960一部解体されたが、2003-14外側市壁を含め改修され、2015図書館・
   博物館・人形館・等に使われている。

5.写真

市庁舎 ヘリンゲン宮殿
宮殿広場 リンデン門
南西壁 西南隅壁
北塔壁 北壁
東南壁

戻る

戻る

イェーナ Jena TH26

1.歴史

 1182 最初の文書言及、         1230 ローテンンブルク領主は市壁を設けた、
 1275 参事会の下で自治を確立、   1332 シュバルツ伯の所有となり都市権を授与、
 1365 下級裁判所の設置、ワインの生産、    1523-24 宗教改革の中心地となった、
 1547 ザクセン公国となった、      1548 高等学校が設立され10年後には大学、
 17c ドイツ最大の大学となり有名な教授が教えた、   1806 ナポレオン軍による戦災、
 1846 カールツアイスの光学機器の発展、            1945 空爆と砲撃で被災、
 1969-70 旧市街の古い建物の解体。

2.市壁  0.09km 0.05 

   14cの市壁の残りは、PulverTurmの北側に20+15m、LutherPlatzに10m、
  JohannisTorとPulverTurmの間に40mである。

3.塔  1門3塔

 ヨハネ塔 Johannis Tor ヨハネス広場に建つ3階建ての角塔に小尖塔を乗せる。
 火薬塔 Pulver Turm 北西の角に立つ。3階建ての円塔で大丈夫に王冠。
 解剖塔 Anatomie Turm 南、歩道に2.5-3.0mの円塔の1階部分のみが残る。
 円塔 Rund Turm 北、歩道に1.5mの円塔。

4.見所  C

   旧市街は意外と狭いが博物館は多い。
 市庁舎 Rathaus 地階はオープンのアーチがあり、茶色石造の2階建ての建物で三角屋根に白
   色時計塔がある。
 聖ミカエル教会( StadtKirche St.Michaelis (13c) 旧シトー派女子修道院付属教会は15cに大規
   模改修工事が行われゴシック様式になった。
 光学博物館 Optisches Museum (19c) カール・ツアイス500年の眼鏡・望遠鏡・顕微鏡レンズなど
   の展示。1866のツアイス工場の再現。眼鏡のコレクションは欧州最大。
 ゲーテ記念館 Goeth Gedenkstaette ゲーテの1817-22の記録と遺品を展示。
 シラーの家 Schillers Garten Haus シラーは10年間この町に住んだ。1797-99には家族と共
   にここで過ごした。シラーの使った品を展示している。
 ロマン主義館 Romantiker Haus 昔の哲学者の家はイエナ文学博物館であり、初期ロマン主義
   1785-1800の風土を表す。
 町博物館 Stadt Museum (15c) 街でも古く美しい建物に、5階にわたって創設以来の町
   の歴史を示している。町の文化と美術の展示もある。
 町の七不思議がある 1.聖ミカエル教会の祭壇の下、2.ハンスの頭(市博物館)、3.七首の竜、
   4.モンスの山(北の石灰岩の山)、5.古い石造のアーチ橋15c、6.キツネ塔、7.Weigeischeの家
   (1898取壊)。

5.写真

市庁舎 市博物館
アナテェミー塔 円塔
ヨハニス塔 火薬塔
北西角壁 市庁舎
ヨハン・フレデリック像(マルクト)

戻る

戻る

カーラ Kahla TH27

1.歴史

  876 最初の文書言及、       1140 ワイン製造、
 1283-1333 都市権を授与、      1345 戦争の火災で町は殆ど焼失、
 14c 敵に備え市壁の強化、      1347.1566 ペスト流行、
 1410 町は大火災で損傷、       1487 上級裁判所の開設、1613大洪水、
 1625 農民戦争勃発、         1632 30年戦争で略奪、その後要塞強化、
 1806-13 ナポレオン軍が占領、      1843 大きな二つの磁器工場が開設、
 1945 2次大戦による被害はなかった。

2.市壁  1.03km 0.90  

    1345領主は戦いの後に町の要塞を強化した。殆ど残っているが建物の陰で
   見えない部分もある。

3.門塔  1門2塔

    1345には3門6塔で市壁は構成された。
 ザール門 Saal Tor (14c) 中世要塞の唯一残る門であり、丘の上から下の道
   へは、地下道となっている。門にある町の紋章は女性の竜退治である。
 拷問塔 Marter Turm (1345) 戦いの後の要塞強化のために設けられた3門
   6塔の内の一つで、ほぼ完全に市壁と共に復元されている。
 麦芽塔と乾燥窯 Malz Turm und Darre (1345) 復元保存された二つ目の
   塔である。壁を越えて窯があり乾いたビール麦芽を棚に置いた。

4.見所  C

   丘の上に市壁で囲まれた中世の町がよく再構築され、中世の雰囲気を取り戻
   している。丘の下からの塔や壁を見上げる景観も良いが、広いマルクトは大きな建
   で囲まれ重々しい。
 市庁舎 Rathaus (1325)中世には狭い建物で地階のゴシックオープンアーチにパン屋
   と肉屋の屋台があり、2階には市長と町の事務所があった。1879-82大幅に建物
   が拡張されて3階建てとなった。珍しく時計は前面の壁に付けられた。
 角の家 Eckhaus (13c)旧市街でも古い木骨造の建物で復元されている。
   昔のヨハネス門の近くにあり、今はホテルとなっている。
 市場の門 Markt Pforte 生産市場の門は、川と道を基盤として新形成され
   た地区と歴史的地区を繋いだ。昔は食堂の建物を通って王子の地下室に繋いだ。
 旧地方裁判所 Historisches Amtgerichit (1898-99)旧地方裁判所の正方
   形の錬鉄製の門があり、その後、警察署・図書館・音楽学校として使われ、2010
   改修された。
 市民の家 BUrger hseuser (16c)ロス通り32番は馬車宿、6.7番は最古の石造
   の家であり中庭にアーケードがある。
 市教会聖マルガレータ StadtKirche St.Margarethen (1411-95) かっての城礼拝
   堂は、1791-93身廊を増して今の外形になった。1524ここでルターが説教している。
 聖ニコラス教会 Kirche St.Nikolaus (1486) かっての墓地礼拝堂は、1486に再
   建されたことは、病院の碑文に記述がある。1550から改築や修繕が行われ、1950
   カトリックの教会となった。
 市博物館 Stadt Museum (16c) 二つの家は大改修が行われ、16c集会所、
   1620-80は工芸と商人の家族が使った。最後の商人家族の名前は建物に付けられ
   MetzerneschesHausと呼ばれた。今はPorzel an werkesの収蔵所と町博物館。

5.写真

市庁舎 広間塔
拷問塔 東南壁

戻る

戻る

キンデルブリュック Kindelbruck TH28

1.歴史

  9c初 ハースフェルト修道院リストに初言及、1291 アルブレヒト2世は村にヴァイセン湖の権利、
 1372 毎日曜日に市場開催、     1426 市長と市庁舎の初言及、
 1508-38 市壁の建設、  1508-15 聖イグゲンの墓地と周壁に建設、
 1528 上町は大火災で60戸焼失、 1575:340人、1577:129人、1579:211人コレラ死亡、
 1585 大火事で117戸(3/4)焼失、  1597:124人、1610:502人、1638:半数死亡、
   1648 106戸、1761 全焼、      1815 ウイーン会議でプロイセン王国へ、
 1816 ヴァイセンゼー教区はサクセン州へ、   1945 4月米軍占領、7月赤軍占領。

2.市壁  1.35km 0.81  

    他の町よりも市壁の建設は後回しにされ、1508に始まった。まず聖イグゲン
   教会と墓地の周囲から始まり、その後町全体の長さ800×600mの長方形を囲んだ。
   今も多くの部分で無傷で残っている。

3.門塔  1門3塔

    16cの市壁には、4門と多数の塔があった。4市門には、それぞれ衛兵詰所
   として門塔上部が使われ、夜には閉じられた。今は西に市壁に開けられたアーチ門
   がある。塔としては、北西角に半円塔・南西角に大円塔に六角形の塔・南西に半
   円殻塔の3塔がある。

4.見所  C

   1761の大火事の後の建物が殆どである。
 市庁舎 Rathaus (1426)1761の火事で壊れた上階の床と前面が改修され、
   入口には後で階段が付けられた。基礎と地階の床は1501の物である。
   高基礎の上の2階建マンサード屋根のの建物で西に鐘楼のある簡素な建物。
 聖ウルリッヒ教会 Ev.Kirche St.Ulrich (1440)幾つかの段階を経て拡張され
   た。多角形の内陣が最古の部分であり、1501北側に特徴的な塔が付けられた。
   1761の火事の後に1784まで再建は遅れた。
 グリュンデル穴 Gruendeels Rock 1611) 町の西に、鍾乳洞から流出した水を
   貯めた22mの池がある。10度cで15600リットル/分の高石灰含有湧水は天然記念物で
   ある。
 郷土博物館 Heimart Museum () 町の歴史の証言を取集して展示している。

5.写真

市庁舎 聖ウルリッヒ教会
西小門 北東
南東壁 南西壁
西北壁 北壁

戻る

戻る

ケレダ Koelleda TH29

1.歴史

  786 ハースフェルト修道院リストに初言及、802 ハースフェルト修道院は村を受け取り支配、
 1265 バイヒリンゲン伯はシスタシアン修道院を新設、   1271 バイヒリンゲン伯は硬貨鋳造、
 1392 バイヒリンゲン伯は都市権を授与、 1482-1815 チューリンゲン方伯の死後ザクセンへ、
 1518 ペスト流行で500人死亡、1519 ヴァートハイムのハンスはバイヒリンゲン伯から町を取得、
 1525 農民戦争で修道院を略奪、         1536 大火災で126戸が焼失、
 1542 ヴァートハイムの領主は改革導入、 1547 シュマルカルデン戦争後ザクセン選帝侯が所有、
1556 修道院の世俗化、 1626 疫病で1000人死亡、  1634 30年戦争の略奪、
 1665 ザクセン・ヴァイセンフェルスの支配、     1706 スエーデン軍占領1年間で人口1/4、
 1735 火事で58戸焼失、 1746 ザクセン・ヴァイセンフェルスからザクセンへ、 1795 大火災、
1806 ザクセン王国へ、 1815 ウイーン会議でプロイセン王国へ、  1824 地区の町へ、
 1875 大火災、           1944 空爆で建物破壊。

2.市壁  0.69km 0.40  

    14cの市壁は北東と南西に残されている。

3.門塔  1門0塔

 バックレーバー門 Backleber Tor (1553)町の西北に位置し、2階建長方形の建
   物の中央にアーチ門がある。今は空軍とクレダ空軍基地の歴史を400枚の写真
   で時系列で展示している。空軍省の基地設立の決定から建設、1936軍隊
   投入1944大空襲、1946-47解体へと続いている。航空機の部品・工具・備品
   ・1944の飛行場・設備モデルなどがある。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1702)3番目の市庁舎は、3階建四角の建物の中央に太い
   六角形の塔がある。1538.1735の火災で壊され再建されている。
 市教会聖ヴィッパートウス StadtKirche St.Wippertus (1440)単塔ゴシックの教会
   で、旧聖具室の戸の上に1496と1542の碑文があり、1538の火事の後に
   再建されている。
 聖ヨハネ教会 St.Johannis Kirche (1266)ピーター・ポール教会が小さかったため、
   新しい修道院教会がヨハネに聖別された。1462教会の南の独立塔が建て
   られたが、1825新しく今の塔が付けられた。1393の記念碑はバイヒリンゲン
   伯夫人と2人の子供に捧げられた。
 古い守衛所 Alte Wache ()古い平屋の守衛所は1698の大火事を生き抜いた
   珍しい建物である。その後食べ物の屋台として使われ、1701市が購入し
   て秤を設置した。1792-1835はフス派の警備と拘留の場となり、その後は
   夜警の詰所に使われた。今は市の書庫。
 役所 Amtshaus ()3階建石造の四角い建物で、新教牧師補が住んだ。1540
   民間の所有となり、1698焼失し翌年に再建され、1795また焼け再建。
 郷土博物館 Heimart Museum (1797) 集会所として建てられた3階建の大きな
   建物で、1866-75詩人で公証人が住んでいた。1904ベーメ家の所有となり
   印刷所の改造された。1977市に寄付され、1990まで公文書館、1994に
   は歴史博物館となった。
 無線通信博物館 Funkwerk Museum (2003)元の校舎の長い2階建の建物で1735
   火災の後1743に再建され、1818時計工場となり、1947職業学校、1985大
   規模改修され、2003無線通信博物館となった。
 穀倉 Speicher (1266)初め修道院の司祭が所有したが、1566世俗化で市の所
   有となった。1641略奪と破壊に会い、1645-1945ヴィアートホルン所有となった。
 図書館と古文書館 StadtBibliotheke und Archiv (1913)元3階建ての浴場で、
   後に住宅として使われた。1992市の図書館と古文書館となった。
 ケレダ小学校 Grund Schule Koelleda (1879)旧郡庁舎の2階建中央に円塔のあ
   る建物で、その後貯蓄銀行として使われ、今は小学校である。
 射撃場 Schuetzen Haus (1800) 射撃クラブの建物で1837に建て直された。

5.写真

市庁舎 市教会
北東壁 東壁
南東壁 西南壁

戻る

戻る

マイニンゲン Meiningen TH30

1.歴史

  982 王オットー2世はアレキサンダー教団に町を、1008 王ハインリッヒは司教区に町使用権を、
 1230 町としての最初の文書言及、1344 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは帝国都市権を授与、
 1478 市民反乱でヴュルツブルク司教は町の権利制限、  1509-11司教ロレンツは城を再建、
 1525 農民戦争で町は農民側で敗戦、1542 ヘンネブルク伯爵はヴュルツブルク司教と町交換、
 1583 ヘンエブルク侯爵系統絶滅でヴィッテン家へ、1632 30年戦争の略奪とペストで人口半減、
 1660 町はザクセン・アルテンブルク公国へ、    1672 町はザクセン・ゴーダ公国へ、
 1680 ザクセン・ゴーダ公国の分割でザクセン・マイニンゲン公国へ、1866 摂政権はゲオルク2世へ、
 1874 旧市街の大部分を焼失、1880再建、1845 爆撃で一部破壊、4月米軍・7月赤軍、

2.市壁  0.35km 0.19 

   市壁は、東のBleich grabenと、西のMauer Gasse沿いに残っている。

3.門塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  B

   かっての居城都市で文化史と調和のとれた街並みがあり、歴史主義時代の広い
  並木道と広々とした庭園や大建築物と中世後期の華やかな木組みの家がある中都市。
 市教会聖マリア Stadtkirche St.Marien (1000) 聖マリアに捧げられた当社のロマネスクの教会
   は、北塔の基部とドアノッカーのみが残され、1443-45再建されて今に姿を留めている。
   高さ50mのロマネスクの双塔とゴシックの長方形の身廊に堂々とした方形の西前面のある
   ホール教会となった。1594階段塔のある北尖塔が建てられ、19cに南塔が追加され
   た。中には15c子を持つメアリ砂岩像・雪の聖母の絵画がある。1884-89改修時に身
   廊は今の姿に更新された。1945の空襲で全ての窓は破壊され、1962黙示録から
   のステンドブラスが付けられた。
 石造の家 Steineres Haus (13c) 13cからの木組みの家は、石の台座の上に当時貴
   重であった石造の建物とした。1571の年号が記されている。ローテンブルクの建築士
   が住んでいた。
 喉の家 Schlundhaus (1906) 16cからの宿屋ZumStaanの跡地に、古い家の出窓を印
   象的に利用し、黄金のユニコーンがある宿屋を建て、1989に改装された。
 古い郵便駅宿 AltePosthalterei (17c) 17cの木組みの家は1905-26に旧郵便局を務
   めていた。18c後半に漆喰塗となったが1909再び美しい木組の家に改修された。
   2005クンストハウスとなり展示・講演・朗読会・演奏会がおkなわれている。
 バウム・バッハの家 BaumBach haus (18c) 詩人ルドルフ・バウムが伊から帰国して亡くなる迄
   1885-1905に住んだ木組みの家であり、今は文学館で美術館である。
 宮殿エリザベス城 Schloss Elisabethenburg (1682-92) ザクセン・マイニンゲン侯爵の居城とし
   て侯爵ベルンハルトにより建てられ、1920まで住んだ。1509-11に建てられたヴュルツブルク
   司教の城の跡に壮大なバロックの宮殿が建てられ、北翼には古い建物が組込まれている。
   今は市の行政・州立公文書館などで使われている。17cの宮殿教会は古い説教壇を
   有し1982本来の色が復元され、今は演奏会場として使われている。
 演劇博物館 Theater Museum (1797) 石積の大きな建物は、かってマイニンゲン侯爵の乗馬
   学校で、1998-99演劇博物館として変換され、「風景の魔法の世界」が見られる。
 ヘンネベルガーの家 Hennenberger haus (1895) 中世の北門の場所に木骨様式で3階建の大
   きな建物が建てられ、今はゲストハウス・レストランとして使われ、地下のビヤガーデンも盛況。
 ザクセンの館 Saechsischer Hof (1798-1802) 元々は兵舎として建てられたが、著名来客
   の宿泊施設として使用され、1826.1900に増築され、今もロマンティックホテル「ザクセンの館」
   として、レストランも併設している。
 ハルツングの家 Hartungsches Haus (1603) 力強いチューリンゲントラスによる木骨造の建物で町で
   も古く美しい家。1986-88に広範囲に改修され、今は事務所として使われている。
 ビュッヒャーの家 Buechsches haus (1596) 布貿易で稼いだ富豪の町でも古い3階建ての木
   組みの家が中庭の奥に建てられ、1874旧市街の旧市街を殆ど焼失した火事にも生き
   延びた。
 小邸宅 Klein Palais (1821-23) マイニンゲン侯爵の王子のために古典様式の前面のに4本の
   イオニア柱廊のある2階建ての建物で、1945まで侯爵家が所有し、ブラームスも住んだ。
   1992-93包括的な補修が行われ、今は商業銀行が使っている。
 大又は皇太子邸宅 Gross oder Erbprinzliches Palais (1821) マイニンゲン侯爵家の皇太
   子のために古典様式の住宅として建てられた。1863今のゴシックの建物に拡張され、
   2009改修され、今は医療センターとなっている。
 マイニンゲン劇場 Meininger theater (1831) 南チューリンゲン州立劇場として、古い建物が1908
   に焼失した跡に、1909古典的な劇場が建てられた。前面に6本のコリント柱廊がある。
 蒸気機関工場 Dampflokwerk (1914) ドイツ鉄道の蒸気機関車製作所で、1998から歴史
   的な蒸気機関車の保安修理工場公開された。

5.写真

西壁 西壁
劇場門 宮殿
ゲオルク通 マルクト広場
市教会

戻る

戻る

ミュールハウセン Muehlhausen TH31

1.歴史

  967 オットー2世の文書に帝国農園として初言及、    11c 旧市街の成立、
 12c 旧市街の西にフリードリッヒ1世の新市街、1180 王ハインリッヒは町を帝国自由都市へ、
 1200 町49haを囲んだ市壁は2.7kmあった、  1220 最古の独語の都市権の記録、
 1241 町は関税権と鋳造権を得た、 1251 市参事会が自治、城との間に隔壁を、
 1418 ハンザ同盟に加入し海外へ交易、1422.1487 大火災、1438.52.85 ペスト流行、
 1524-25 農民戦争後はザクセンとヘッセンが保護、 1618-48 30年戦争で町は荒廃、
 1682-83 ペストで4617人死亡、1689 大火で568戸焼失、1756-63 7年戦争の宿営地、
 1803 プロイセン王国に帰属、      1807-16 仏ベストファーレン公国に組み入れ、
 1816-1944 再びプロイセンに属しザクセン県、  1944 チューリンゲン州に属す、
 1939-45 2次大戦を著しい損傷なく過ごした。

2.市壁  2.66km 0.90 

   13cの市壁は、大部分が残り、壁上通路を通行できる。

3.門塔  2門13塔

   13cの市壁には、7つの二重門と38の防衛と回転砲台があった。
  1.Freuen Tor(1655)西角門、2.Kirstan Tor Heimatmeseum西の出入り口。
  1.西北部5塔:RabenTurm(1350)円塔、HospitalTurm(14c)角殻塔、角壁塔3。
  2.北部5塔:角殻塔3、角壁塔2。 3.東北部1塔:HexenTurm角塔。
  4.南部3塔:角塔1、円壁塔2。

4.見所  B

   13cの市壁が珍しく無傷で大部分が残り壁上に登れる。町は1698の大火災後に
   再建された古い街並みは、ヘレン通り・ホルツ通り・シュタイン路地に残る。
 市庁舎 Rathaus (14c-20c) 長期間にいくつもの建物の集合体である。16cの
   メインの3階建ての建物に大会議室がある。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (1050-1900) 上の町の親教会で、14cの建物が
   今も残り、チューリンゲンで2番目に大きな教会(2番はエアフルト大聖堂)で、塔の高さは86m
   もある。外部には装飾が多く、切妻・軒蛇腹・吐水孔などが精巧に作られている。
   5廊式身廊の内側には、1530の祭壇画・十字交差西の大柱には16cの東方3博士礼拝
   の絵画がある。
 聖ブラジウス教会 St.Blasius Kirche (1235-60) 下の町の親教会で、14cに3身
   廊ゴシックのハレン教会に改造された。1707-08はバッハがオルガン奏者であった。内陣の14c
   ステンドグラスと後期ゴシックの中央祭壇が見所である。
 万聖節教会 Aller Heiligen Kirche (1287) 18cに改修され、絵画とグラフィック
   の展示がある。
 郷土博物館 Heimat Museum (1868-71) 旧小学校の建物に郷土博物館を開設。

5.写真

司教館 女門
病院塔
西壁
マリエン教会

戻る

戻る

ニーダーオルシェル Niederorchel TH32

1.歴史

  5-6c チューリンゲンの古い村として独立、 16c自治体はシャーヘンシュタイン事務所の一部、
 1221 ビューレン修道院の文書で初言及、   1525 農民蜂起の出発点となった、
 1563 裁判所設置、1802 世俗化後プロイセンに属す、マインツ選帝侯の領地契約終了、
 1807 仏ヴェストファーレン州に属した、1813 ウイーン会議でプロイセン王国ザクセン州となった、
 1847 4月米軍無血占領、7月赤軍占領地。

2.市壁  0km  

   市壁が建設されたとの記述はない。また地図上に市壁・堤・堀などの地名も
  残っていない。市壁らしき古い石積が、南東と南西に20mあるが確証がない。

3.門塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   マルクト広場には、18cの木組の家が立ち並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (1905) バロック2階建の美しい木組の建物。
 教区教会聖マリア Pfarr Kirche St.Marien (1685) イタリア建築家が建てた。
 カトリック教会事務所 Kath.Pfarramt (1694-96) フランコニア風木組の建物。
 郷土館 Heimartstube () マルクト広場にあり、町の歴史を展示。
 礼拝堂 kapelle () マルクト広場にある。

5.写真

市庁舎 聖マリエン教会
郷土館 南西壁

戻る

戻る

ノルトハウゼン Nordhausen1 TH33

1.歴史

  927 王ヘンリー1世の文書に初言及、929 クエトリンブルク王は妻マチルダに村を与えた、
  961 女王ユケッチは女子修道院を創設、962 オットー2世は市場・鋳造・税関から収入、
 1180 ヘンリー・ライオンによる攻撃で廃墟、1212皇帝オットー4世はノルトハウゼン王の娘と結婚、
 1220 女子修道院は大聖堂参事会教区へ権利変換して、帝国自由都市となった、
 1290 帝国から全権限を授与し帝国保護の町に、1349王は帝国都市特権を確認、
 1430-32 ハンザ同盟に参加、 1524 評議会による改革導入、1763 プロイセン占領、
 1717 ローラントを更新、1872 世俗化後プロイセンに属す、マインツ選帝侯の領地契約終了、
 1802 帝国自由都市の終焉、プロイセン支配、 1806-13 仏ヴェストファーレン州に属した、
 1813 ウイーン会議でプロイセン王国なった、 1882-1945 ノルトハウゼンは独自のサークル結成、
1945 空爆による建物被害、郡庁所在地。

2.市壁  0.71km 0.62 

   町の北から北東・西の山腹・南西の丘に、市壁が残っている。

3.門塔  2小門2塔

 小門 Nachtigullen Pforte () 北東の森の中の小門。
 小門 Pforte () 南西部の山腹にある下に降りる階段の小門。
 ペトリ塔 Petri Turm (1362) ペトリ教会の62mの塔は住居として使われ、
   教会は二次大戦で破壊された。1987塔に新しい尖つが付けられ、1994から監
   視塔となった。
 ツインガー塔 ZwingerTurm (12c) 直径19mの塔で壁厚が2.5mあり、攻撃用
   の兵を内部に置いた。地下倉庫が発見され、1994に地下の降りる螺旋階段が
   付けられ、路面上に直径19mの円が描かれている。

4.見所  A

   自由帝国都市として栄え、広大な旧市街地から、更に拡大している。
   町には歴史的な大きな建物から古い市組の家まで多くの遺産が散在している。
   市庁舎は特に豊かさがあふれて居る。
 市庁舎 Rathaus (1360) 1608-10にルネッサンスの建物になった。オープナーケード
   には1883窓が付けられた。1945の空爆で町の大部分が壊れた。1952市庁舎は
   再建され、鐘楼・アーケードの窓・町の紋章が特徴である。東の入口の上の石板は
   元はワインガー塔に付いていた。ラテン文字で、ローマ帝国テオドシウス2世によって410年
   に町は創設された伝説が伝えられている。
 ローラント Roland (1411) 中世から市庁舎の後ろに、自由と力の象徴として
   ローラント像が立っていた。1710の火災で顔が損傷し2年後に取り払われた。今の
   姿のローラント像は1717には存在していた。二次大戦は生き残り、1993エアフルトで修
   復され新市庁舎に収容されている。今市庁舎の南西に立つローラント像は木材と
   エポシキ樹脂で造られ、男の子とペリカンのある屋根が付けられている。
 地方事務所 Landratsamt (1867-68) 郡庁として独立したヴィラのように
   2階建で建てられ、金融機関としても使われた。次に2階建の小塔の多く付い
   た建物となり、1945の4月からは米軍司令部、7月に赤軍司令部が入った。
   1956再建され郡議会が移転した。1997-2001再度改修され地区管理者が入居。
 ブラジウス教会 Blasius Kirche (1234) 町で最大のプロテスタント教会で、
   1350には建て替えが行われた。1634落雷でフード付きランタンが修復された。1945
   空爆で被害を受け、1970年代に絶えず安全性確保の改修が行われた。2001に
   閉鎖されたが、2002からは修復が行われた。
 フラウエン教会山の聖マリア Frauenberg Kirche St.Maria dem Berg (1200)
   町でも古いロマネスク十字型礼拝堂である。シトー派修道院が勢力を失い、1525改革
   後は尼寺となった。1945身廊は破壊され、翼廊と後陣の形で教会は存続する。
 聖十字架大聖堂 Dom Zum Heiligen Kreutz (961) 女王マチルダが建て、
   女性修道院のの教会に始まる。ロマネスクの回廊の残り・塔の下の部分・地下聖堂・
   早期ゴシックの後陣がある。後陣に貴重な絵画あり、2017-18広範囲に修復。
 シリアシ礼拝堂 Cyriaci Kapelle und Sinckenhof (13c) シリアシ礼拝堂は、
   1284病院・養護施設に建てられ、1788退職者の家に拡張され、1806-15軍病院
   その後警察・刑務所にも使われた。1823礼拝堂は老朽化で壊され、1845-46そ
   の基礎の上に新ゴシックサドル屋根の建物が老人ホームで使われた。1991補修後、地
   区音楽学校が転入した。1997コンサーホ-ルのあるCyiaciChapelは使われている。
 司教館聖ブラッシ Pfarrhaus St.Blasii (1513) 町の入口にあり、昔の建
   物の土台の上に17132階建の装飾の多い木組の建物が建てられた。
 ヴァルケンリード館 Walkenrieder Hof (1292) 修道院ヴァルケンシートによって建
   物は買収された。1345建物は拡張され火災に関わらず外壁は存続した。1802
   から町の賃貸事務所として使われ、19c中から関税事務所・税務署・文書館と
   して使われ、今は博物館の管理棟である。
 スペンド墓地門舎 Torhaus Spendekirchhof (1667) 門のある上階木組の
   家で前面に装飾がある。1882までアパートとして使われた。2000-05改修後一時
   ワークショップとなり、今は住居である。
 赤粘土工場 Rothleim Muehle (14c) 市壁の外に木造で建てられ、1326
   .1641に襲撃や放火にあった。工場では油作物や穀物を挽いていた。1860工
   場敷地内にプールがおかれ、20cには作業を中止した。1989-90青年文化会館
   1990ユースホステルとなった。
 劇場 Theater (1917) 新古典主義の大きな建物で、可愛い正面を持っ
   ている。1945に破壊されたが、1949には再開された。
 孤児院 Weiserhaus (1717) 3階建レンガライニングの木組の建物で、1808に
   フリースクールと孤児院が置かれた。1928市議会として使われている。
 ノルトハウゼン博物館 Nordhausen Museum Flohburg () マルクト広場のFlohburu
   の古い建物に新しい建物を追加して、博物館として町の歴史・鉱物・考古学・
   古文書・コイン等を展示。
 ノルトホイザー伝統蒸留所 Echter Nordhaeser Troditions Braunerer (1507)
   伝統的な2階建の蒸留所に、100年の蒸留の歴史と技術・蒸留所・樽セラーを展示。
 フィンケンブルク Finkenburg (14c) ゴシック2階建木組の大きな建物はギルドホ-ル
   であった。1993建物は火事で損傷し1997復元され、地方手工業組合支所が使
   用している。1300の2本バレルアーチの地下室と1444の2階建木組の建物で1927に改
   修られた。
 タバコ倉庫博物館 Museum Tabak Speicher (18c) 19-20cにタバコ倉庫とし
   て使われ、大規模な修復の後に、手工業・貿易・産業・考古学の博物館が、二つ
   の木組の建物に1千m2の展示面積に展示され、穀物蒸留・紙タバコ生産の装置。

5.写真

市庁舎 ブラジウス教会
聖十字架大聖堂 北東小門
東壁 北東壁
北壁 北西階段
西南壁 南壁

戻る

戻る

オードルフ Ohrdruf TH34

1.歴史

  6c フランクの水城が建ち周囲に集落、  724-25 チューリンゲン最初の修道院設立、
 10c 皇帝オットー1世はペトリ修道院に滞在、  980 聖ペテロ教会を建設、1184焼失、
 1342 シュバルツブルク伯爵からベライヘン伯爵が所有、 1348 都市権を授与された、
 1550-90 エーレンシュタイン城を旧ペトリ修道院跡に建設、町は市壁で囲まれ、学校を開設、
   1631 ベライヘン家の絶滅後ホーエンローエ家の侯爵へ、1611.1625.1635 ペスト流行と略奪、
 1510.1753.1808 大火災で建物焼失、1945 爆弾で66人死亡。

2.市壁  1.16km 0.63 

   1574建設の市壁は、半分以上が残っている。

3.門塔  0門0塔

   市壁には、6門と5弦堰があったが、19cの前半に取り壊された。

4.見所  C

   ヨハン・セバスチャン・バッハは、10歳~15歳まで聖ミカエル教会のオルガニストであった兄の家に
   住み、聖歌隊で歌っていた。そのためこの小さな町には、バッハ広場・バッハ通り・
   バッハ記念碑・バッハ記念室などがある。しかしバッハの住んだ住居跡は定かでない。
 市庁舎 Rathaus (14c) 3階建て時計塔付の市庁舎は、1808の火事で焼けた後に
   再建された。
 エーレンシュタイン城 Schloss Ehrenstein (1550) 当初のルネッサンスの建物に1631から一時
   的にホーエンローエ家が住んだ。その後1870にゴーザ州に売られ、1957-72は学校、
   1973から老朽化の補修が2013までなされたが、2013の大火で焼けた。2015
   に外形の修復が行われ、今は博物館・バッハ室と図書館として使われている。
 聖ミカエル教会 St.Michael Kirche (8c) 1753と1808の大火事で焼け、1945の爆撃
   でも壊された。1998-99に高さ54mの塔がまず再構築された。
 聖トリニティ教会 St. Trinitatis Kirche (1708-14) バロック内装の教会が、南の城門
   の外に在る。1945の聖ミカエル教会の爆撃後、ここで演奏会が行われている。
 古い鞣し皮工場 Alte Gerberei (16c) 古い鞣し皮工場が残されている。

5.写真

市庁舎 宮殿
ユーゲントツェン塔 西南壁
西北壁 北西壁

戻る

戻る

ロンネブルク Ronneburg TH35

1.歴史

  800 ソルブの定住地が市街の西端にあった、   1209 ヴァイダの代官初文書言及、
 1244 その後プラウエンの代官が支配、       1304 都市権の授与があった、
 1327 プラウエンのハインリッヒ・ロイスは騎士の館を城に置く、1517 町をヴィルデンフェルスが支配、
 1529 マルクトの主要構築物の再建、        1548 ザクセン侯爵家が町を所有、
 1611 ペスト流行で人口半減、          1618-48 30年戦争の軍の略奪、
 1665 大火災で214家屋・市庁舎・教会を焼失、       1666 最初の鉱泉発見、
 1672 ザクセン・ゴーダへ、1680ザクセン・アイゼナッハへ、 1707 ザクセン・ゴーダ・アルテンブルクへ、
 1766 痛風・リュウマチ・動脈硬化の温泉治療開始    1826 ザクセン・アルテンブルク公国へ、
 1829 大火災で231家屋と32納屋を焼失、          1920 チュウリンゲン州に、
 1953 ウラン採鉱始まる。

2.市壁  0.06km 0.01 

   中世のしへきは、積層された瓦礫が用いられ、一部では市壁の上に建物が建
  てられた。北東のハインリッヒ・ハイネ通りとレーダー路地の建物は市壁の上に立つ。北東
  のレーダー路地には市壁が見される。

3.門塔  1門0塔

   市壁には、2門があったが、18cの後半に取り壊された。南小門がバッハ路地
  の突き当りにある。

4.見所  C

   高台の楕円形の市壁跡に囲まれた旧市街には、中世の住宅や商人の家が殆ど
  で、部分的に華やかな建物も建つ小さな町。
 市庁舎 Rathaus (1476) 初め南の部分に参事会の家があり、建物は購入や増築により
   1529に今の姿になった。1665に火事で焼失し、1674にやっと再建された。市庁
   舎の他に、FischerschHausを敷地を購入して1921に建て、長年存在した。1928
   -29市庁舎は改修され、2階建建物の地上階では1923迄町のワイン・ビール・食品を販売
   し、ラッツケラーもあった。
   宮殿 Schloss (900) 初め町の西南に小さな砦があり、1200頃拡張された城の複合
   体にヴァイダの代官が住み1209初言及された。騎士の間は最も古い部分であり、13
   27ここで「ロンネブルクの守備と攻撃的な同盟」が合意された。1772に騎士の間の除
   いて取り壊された。1896新しい宮殿の再建が行われ代官の住居となり、宮殿の複
   合体に地方裁判所が建てられた。1945学校を一時収容し、今は博物館・図書館・催
   し場として使われ、1995に復旧・復興がなされた。
 マリエン教会 St.Marien Kirche (1237) 初めの建物は1665の火事で焼失し、1666に大部
   分が建てられた。1987-89教会上部が壊れ八角形の上塔が復旧した。後期ゴシック
   の鐘楼は町のランドマークである。1992-93貴重な1879のラーデガストは復元された1999
   身廊・屋根・内装改修更新された。
 司教館 Pfarrhaus (1167) 古い建物の壁は古い市壁の一部であり、1665の大火で焼け
   た後に司教の公邸として、美しいフランコニア様式の木組建物で再建した。
 貴族の館 Patrizierhaus (1737) 上マルクトの市庁舎の向かいに3階建の特徴ある外観の建
   物で、用途も所有者も変遷し、今はヘアサロンとなっている。
 ガンプリヌスGanbrinus (1603) 2階建の建物はまず旅館として1662まで使われ、その後
   ブラックベアとして鉱泉浴場となり1665の大火で焼けた。すぐに再建されガストホフ「ブ
   ラックベア」として営業した。1870に経営者が変わり食堂カンプリヌヌとなり、1936に
   改修して営業を継続している。
 旧市街商店街 AltstadtPassage (1996) イレン路地が再開発で住宅商業ビルが併設され、
   古い木組の構造を維持強調して旧市街と一体となった。
 市民学校 Buerger Schule (1529) 初めは教会広場に立つ建物に男子校が創設され、16
   65に大火で焼失後は別の建物で学校は継続した。1890公立学校がレンガ造の建物で
   新設され、小学校・高校・高度工科学校などが置かれた。
 市博物館 Stadt Museum 城複合体の建物の中の塔に博物館が置かれ、農民の家・税関・
   標準民家・町の変遷などの展示がある。

5.写真

市庁舎 北壁
マリア市教会 宮殿博物館

戻る

戻る

ルードルシュタット Rudolstadt TH36

1.歴史

  776 ハースフェルト修道院へ寄付で初文書言及、      13c オアルシューデ伯爵が所有、
 1300.1334 シュバルツブルク公国の郡となる、    1264-1330 上の城と下の城の建設、
 14c 町は拡大しマルクト・旧門・市庁舎を建設、        1326 町の憲法を制定、
 1354 チューリンゲン戦争で被災、          1437 町は拡大し囲む市壁も拡張、
 17c 30年戦争後に新市街地を建設、 18-19c 文化が開花しシラー・ゲーテ・フィヒテ・フンボルト、
 1918 チューリンゲン州となり、磁器・合成繊維工場、 1945 2次大戦の空爆で165戸被災。

2.市壁  0.0km 

    見当たらない。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    大きな町であるが、宮殿とマルクトの他には賑やかな所は少ない。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1524) 後期ゴシックの建物で塔は1603に補充。18cに数回補修された。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1912) マルクトの北側に、飾りのない17c事務所ビルにルネッサンスの出窓と印象
   的な塔が付けられた。1992に再建された。
 市立図書館 Stadt Bibliothek (1609) 元学校に1896から図書が格納され、神学的作品を寄付金で
   集めた。1920州立図書館に蔵書が移管され、1996歴史的な建物を包括的に再建さ
   れた。
 手工業館 Handwerker Hof (1513) 主な建物は、1759高貴な女性を入居させた女修道院であった。
   1991-92火事で焼け、商工会の支援で拡張再建されクラフトセンターが追加された。工房・手
   工芸品販売所・展示場・中庭食堂などがある。
 シラーの家 Schilar haus シラーが1787に会ったシャーロットとキャロラインの家族の家で、2次大戦で壊され2005-
   09に18cの姿に復元された。
 ハイデックスブルク宮殿 Schloss Heidecksburg (1330) 丘の上の城は1439-48に3翼に拡張され、1573ルネッサンス
   の城が建てられた。1735今の大規模3翼バロックの宮殿が建てられた。この宮殿と
   庭園はシュバルツブルク・ルードシュタット家の居城として1918まで使われた。今は博物館とし
   て、宮殿・磁器・絵画・武器庫・町の歴史・自然史等を展示。
 市教会聖センドリュー StadtKirche St.Andolui (12c) 1463-75後期ゴシックのホール教会が建てられ、1634-36
   今の姿になり初期バロックに内装が変えられた。上部の鐘楼には1499の鐘が置かれ
   ている。
 チューリンゲン農民の家 Thueringener Bauern Haeuser ドイツ最古の野外博物館であり、1667の農家と17
   00の木組みの平屋を周辺から移設した。オリジナルの家具・機械・農民工芸・古い村
   の薬局などが置かれている。
 磁器製作所 Porzellen Manifakturen Alteste Volksfedter(1762)は近くの村から移され、18cに
   は貴族のための高品質な装飾的な磁器と市民の食器を生産した。20cには特別
   なモデルも開発し今も生産している。チューリンゲン磁器の道の会員が谷2社ある。

5.写真

新市庁舎 ハイデック城

戻る

戻る

ザールフェルト Saalfeld TH37

1.歴史

  899 初文書言及、     1012 皇帝ヘンリー2世はパラティーノ侯爵に町を与えた、
 1071 ケルン大司教はベネディクト会修道院を創設、1180 皇帝フリードリッヒ1世は薬局を建設、
 1208 シュバルツブルク侯爵は都市憲章を授与、  1250 フランシスコ会修道院の廃止、
 1517 大火災で町の半分を焼失、    1680-1745 侯爵の住居と地区事務所本部、
 1806 ナポレオン軍にプロイセン王子は殺された、  1920 チューリンゲン州に包含された、
 1845 2次大戦の空爆で重大な被害。

2.市壁  0.77km 0.62 

   12cに町が成立し要塞で守られた。その後、南と東に拡大し
  シュタウヘン期の北への拡張があり、14Cに北と西を南に拡張され、市壁が設けられた。
  現存する市壁は、14-15cのものであり、町側には木製の通路が設けられた。

3.塔  4門0塔

 ザール門 Saal Tor (1365) 東、ザーレ川に通じた貿易の門で、二重門の外側は
   やや低い守衛詰所があった。主塔は4階建て角塔に下がギザギザのある胸壁
   の下に寄棟屋根があり、側壁には攻撃に備えて小屋があった。1517大火災の
   後に復元された二つの7段破風の切妻屋根見らせる。
 上門 Ober Tor (1429) 南、4階建の細長い角塔で、寄棟屋根を付けた。前面
   の堀には橋があり、内側の胸壁や脇壁によって守られている。
 フランケンブルク門 Blankenburg Tor (1372) 北、古い貿易路の4階建て角塔門で前に
   礼拝堂とホスピス病院の支援があった。
 ダール門 Darr Tor (10C) 北東、旧マルクト門で、4階建角塔に胸壁の帽子が付られた。
   1484TahrGasseと呼ばれマルクト門に歩行者専用の側門が設けられている。

4.見所  B

    王宮や教会等の大建築物が林立し、木組みの家も多く見所もある。
 市庁舎 Rathaus (10c) 今の市庁舎は大火の後1529-37に後期ゴシックとルネッサンスを交
   えて建てられ、突出した階段塔を持つ3階建ての建物で、左右に対照的な窓
   を有し、前面と側面に破風がある。1998インテリアの改装と大広間の改修が行われた。
 聖ヨハネ教会 St.Johaneis Kirche (1380-1514) 新教のゴシック3身廊ホール教会で、二つ
   の塔は1889-93に今の姿になった。南西の角には屋外説教壇がある。中は、
   大きな柱が強調され、聖歌隊の広間には元日の草原が表されている。教会
   内の墓碑には1556の市長もあり、ステンドグラスはキリストの生涯を伝えている。
 旧聖ニコラス教会 Ehem.St.Nikolas Kirche (12c) 教区教会としてロマネスクで建てられ
   たが、15cには倉庫になり、その後町の穀物倉にもなり、倉庫に改造されて
   古い建物で今残っているのは、外壁の部分のみである。
 旧フランシクコ会修道院 Ehem.Franziskanner Kloster (1250) シュバルツブルク侯爵によって
   建てられ、1534宗教改革で解散した。1534ラテン学校・文法学校・訓練学校として
   使われ、1814町が買収した。1904町博物館となり、初めは東回廊80mに収容
   されたが、次第に広がり今は2、790m2全体で、町の歴史と文化・美術品を展示。
 旧市薬局 Ehem.Stadt Apotheke (1617-20) 後期ルネッサンスの公邸として建てられ、
   薬局として1747-1969に使われた。前面は帯模様のの飾りポータルや豊かな
   ZwerchHauser構造で飾られている。邸宅の中庭にはアーケードと補助的な建物
   で囲まれている。
 バスロッホ食堂 Gaststaette Bas Loch (1485) 古い市民の住居・パン屋の家であった。
   1830公共住宅と食堂になった。今は食堂で無くなり、前面のフレスコ画は今の
   所有者により1930に改修された。
 王宮 Residenz Schloss (1677) ゴーダの侯爵は旧ベネディクト会修道院を破棄しペーター
   宮殿を、対照的な仏様式で庭園の南に建てた。マナーハウス・オランジェリィなどを含め
   て保有されている。バロックの宮殿礼拝堂は、豊かな彫刻や絵画で飾られている。
 旧鋳造所 Alte Muenze (1602) 旅館として建てられ、1660-1735侯爵の宮殿として
   使われ、その後1845まで鋳造所となり、今は市庁舎博物館の一部として、
   硬貨の展示を独自に行っている。
 館と市場薬局 Hof oder Markt Apotheke (1180) ロマネスクの塔の家で、1681から代官
   が住んだ。1880に火事で焼け、1882通りの前面はロマネスクで再構築され薬局とし
   て開業した。
 ヘーンの家 Hoehnsches Haus (1609) ルネッサンスの前面を持つ3階建ての建物で、1911の火
   事で被災したが、再構築された。
 城跡 Burg Ruine Hoher Schwarm (1208) 1300には居住のための城が築かれたが、
   今は廃墟となり演奏・演劇に使われている。

5.写真

市庁舎 乾燥門
ブランケンブルク門 上門
南壁 南東壁
宮廷市場薬局

戻る

戻る

シュロイジンゲン Schleusingen TH38

1.歴史

 1226-32 伯爵ポッポ7世にヨルベルトルト城の建設、1274 ヘネブルク家の領土分割で王宮に、
 1353 シュイジンガー家は堀を設けた後に火災、 1412 町は都市権を授与された、
 1533 町は市場権を受取った、       1583 伯爵家は断絶し町はザクセンへ、
 1634 元帥はクロアチア人が壊した町を救う、1660 ザクセン分割でザクセン・ナウムブルク・ザイツへ、
 1679 マルクトの南の大火災発生、1718 ザクセン・ナウムブルク・ザイツの絶滅でザクセン選帝侯へ、
 1765 マルクトの南と北の火災、       1815 プロイセンが所有、
 1816-1946 郡庁所在地であった、1830 プロイセンの町市法により上と下の町は統合、
 1848 市民革命で人民会議を開催、     1866 普墺戦争の結果プロイセンに帰属、
 1945 4月米軍。7月ソ連軍が占領。

2.市壁  0.22km 0.20 

   西側の北と南の斜面に市壁の基礎が見受けられる。

3.塔  0門1塔

 ヘッケン塔 Hecken Turm 北側の斜面にある古い居酒屋の円塔。

4.見所  C

   町は山頂に在り、大きく堂々とした城と古い学校がある。
 市庁舎 Rathaus 中央突出塔付の切妻のある2階建ての建物。
 宮殿ベルソルト城 Schloss Bertheldsburg (1226-32) ヘネベルクのポッポ7世が西端に城
   を建て、1500今のルネッサンスの外観となり、1583ヘネブルク伯爵家の断絶でザクセンに、
   1657ザクセン・ザイツとなりザクセンの役所が1816まで置かれた。今はチューリンゲン財団
   が管理して、1934歴史博物館と1988自然史博物館として公開されている。
   城は4翼で中庭を囲み、中庭の南東隅にある天守閣1597は高さ38mで登れる。
   北側には城壁門1631-32がある。
 聖ゲオルク市教会 PfarrKirche St.Johannis (1235) かっての城教会は、1498新しい
   3身廊ゴシックホール教会が献堂された。1566ヘネベルク侯爵家の墓所が置かれ、1608
   塔は高さ44mに嵩上げされ、1725-29新しい身廊が建てられ内陣には古い教会
   の名残があり、1726オルガンが設置された。1989-91内装が2028塔が補修された。
 ヘネベルク高等学校 Hennenberugisches Gymnasium (1577) 寄宿舎学校ゲオルグ・エルンスト
   をラテン語高等学校として設立した。ドイツ最古の継続的運営の学校である。
   19cの建物は、1928本館南西翼を拡張した。
 ドイツ学校 Teutsche Schule (1681) ヘンネベルク・フランケン風の木骨造2階建て四方
   屋根の家。

5.写真

マルクト広場 北壁
城北入口 聖ヨハネ教会
ベアトルト城

戻る

戻る

シュマルカルデン Schmalkalden TH39

1.歴史

  874 別荘として初文書言及、     1180 チューリンゲン方伯は都市権を授与、
 1203 シュバーベン家とヴェルフ家の戦で町は破壊、1247 ヘンネフルクの伯爵が引き受けた
 1319 大学とアウグスチン修道院の設立、    1322 製鉄と鉄鋼製品の生産開始、
 1360 ヘンネフルク伯爵とヘッセン方伯で統治分割、 1419 旧マルクトの市庁舎で最初の議会、
 1546-47 シュマルカルデン戦争でハプスブルクのカール5世勝利、1583 ヘッセン方伯の単独所有、
 1585-90 ヘッセン方伯は夏と狩の館の宮殿建設、1618-48 30年戦争で鉄鋼生産衰退、
 1806 仏軍への抵抗運動で町は守られた、 1866 普墺戦争の結果プロイセンに帰属、
 1944-45 2度の空爆で大被害、      1945 チューリンゲン州に編入。

2.市壁  0.19km 0.28 

   14cの市壁が残っているのは、Weidebrunner Gasseに壁上通路と共に75m、
  Hinter der Stadt沿いに45m、その西に点々と低い壁が70mがある。別にヴィルヘルム
  城周辺に650mの城壁がある。

3.塔  1門4塔

 柳泉門 Weidebrunner Tor (14c) 北側のツインガーに立つ、塔で補強され
   た強力な市門施設がある。
 火薬塔 Pulver Turm (1335) 王宮厩舎の南角の、昔の内側市壁と城壁が交
   差する位置に立ち、昔の4階建ての防衛施設はその後火薬庫として使われた。
 2町裏塔 2Tuerme am Hinter der Stadt (14c) 通の左右に1塔づつ立つ。
 城塔 Schloss Turm (19c) 城の背後に立つ。

4.見所  C

   丘の上に宮殿があり、古いマルクトには,市庁舎・教会に加えて2-3階の木組みの家
   が並び見事な景観である。
 市庁舎 Rathaus (1419) 緑・白・黄の3つの3階建ての昔の富を思わせる建物の
   複合体である。平らな湾曲窓の後ろに1472の市庁舎ホールが隠されている。1530-43
   は連盟の審議場所であった。入口の戸の上の銘板には1525の農民を示している。
   中には、シュマルカルデン連盟に加入した国の紋章が飾られている。
 ヴィルヘルムブルク宮殿 Schloss Wilhelumsburg (1585-90) ヘッセン方伯ヴィルヘルム4世の
   別邸として丘の上に城と教会を含めドイツ・ルネッサンスで建ってられ、周囲は城壁で囲
   まれた。1820の屋根の全面的な改修で重要な建築様式の飾りは失われた。宮殿
   教会は1584-89のオルガンが垂直方向に配置されている。252本の木製パイプの個性的
   な音色は珍しい。今は博物館として、16cの町と宮廷文化と生活を展示している。
 聖ゲオルク市教会 StadtKirche St.Georg (1437-1509) ゴシックのハレン教会で古い
   ロマネスクの部分を含んでいる。時計のある2つの異なる塔を有する。
   元の法衣室はルターの部屋になっている。
 ルターの家 Luther Kirche (1525) 道側の美しい3階建ての建物は、建築様式上
   の特徴があったが、17cには変更された。裏の家は1370に建てられ16cに改装され
   た。樋の上の頭部コンソールには2ライオン・男女の頭部が残っている。マルチン・ルターはこの建物
   に1537に19日間滞在した。
 塩橋 Salz Bruecke (14c) 多くの3階建ての木組みの建物が立て込んでいる。
   活気のある6路地の交点であり、ここには古い製鉄所があり、鋼の鍛造で18cまで
   町を支えた。この平面の大部分は炉の燃えカスを満たしたものである。1番の建物
   は14cの風呂場の跡であり、広場の西側には12cの骨彫刻師の工房があった。19c迄
   ここに肉屋の屋台があった。
 旧市場の木組みの家 Fachwerk am Altmarkt
   改革派学校Reformierte Schule(1658-59)東、新教監督館Ev.Dekanat (1549)東、
   芸術館Kunst haus am Markt(1440)西南、 島 Insel(15c)西。

5.写真

市庁舎 ヴィルヘルムブルク宮殿
火薬塔 宮殿北壁
南壁 西南壁
北内壁 聖ゲオルク市教会

戻る

戻る

シュメルン Schmoelln TH40

1.歴史

  600 移動したスラブ族の集落、   1060 ベネディクト修道院の市場として初言及、
 1127 シトー派修道院の建立、ザクセン・アルテンブルクへ、13c 元修道院敷地内にマリエン教会、
 1324-29 ヘンリー2世の都市権を受け市壁を築く、     1398 ヴェッツディンが管理、
 1485 ライプチィッヒ条約でアーネスティン公国へ、     1525 農民戦争で修僧院の破壊、
 1528 舟教改革の導入、1603 ザクセン・アルテンブルクへ、 1618-48 軍隊が何度も通過、
 1672 ザクセン・ゴーダへ、 1680 ザクセン・ゴーダ・アルtンブククへ、 1633 ペストの流行、
 1772 大火災で市庁舎を含む228戸と70納屋焼失、  1861 ボタン産業開設と発展、
 1893 高さ30mの鋼鉄製観測塔設置、      1945 5月米軍、7月赤軍が占領。

2.市壁  0.04km 0.06 

   14cプラウエンのハインリッヒ・ロイスは修道院の土地と建物を高さ8m迄の市壁と高さ10m
  の木製の櫓で囲った。要塞の遺跡は復元され、今でもSchulStrasseで見られる。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   小さな町ではあるが広いマルクトが整備され、古い木組の家が多い。
 市庁舎 Rathaus (14c) 3階建の前面中央鐘楼付の市庁舎は、前片階段と3側窓がある。
   正面には剣が付けられ法的管轄権を示している。内部には小ギャラリーがある。ラッツケ
   ラーは2000に大規模修復がなされた。
 町教会 Stadt Kirche (15c) 市教会の聖ニコライは、1772の火災の犠牲となり塔の4大鐘
   も溶けた。1773から再建を始め、変更された塔のある後期ゴシック3身廊のホール教会
   となり、現存している。一次大戦の後1933に第3の鐘が鋳造された。
 地域博物館 Land museum (1997) ボタン産業が1861に始まるなど波乱に満ち町の歴史
   が展示されている。ボタン産業の機器や象牙・椰子の実・貝などのボタンも見られる。

   

5.写真

市庁舎 マルクト広場・聖ニコライ教会

戻る

戻る

ゼマーダ Soemmerda TH41

  876 フルダ修道院の十分の一税紛争で言及、918 王コンラッドは村をフルダ修道院へ、
 1369 チューリンゲンで最古の村、     14c ホーエンシュタイン家のハインリッヒ伯は都市権授与、
 1389 ヴェニンゲンゾマー門と塔の建設、商業と貿易で繁栄、1395 エアフルト門と6壁塔の建設、
 1533 4市門は強化された、   、  1589-97 市壁の拡大と1門6塔の追加、
 1621-31 30年戦争の略奪と火災で衰退、1684 サード市場の特権を取得、
 1737 大火災で下の町は大部分焼失、 1802 プロイセンが支配、その後ナポレオンが管理、
 1813-14 ナポレオンは破れ再びプロイセン領、1945 2次大戦の戦災は軽微、チューリンゲン州へ。

2.市壁  0.93km 0.70 

   14cに市壁が造られ、16c末に市壁は拡大された。4mの高さと0.95の厚さで1.3km
     の延長があった。主として国道沿いに市壁は見事に残る。

3.塔  1門8塔

 エアフルト門 Erfurt Tor (1395) 5市門の内唯一残る。3階建て(13.75m高)の角
   塔で、南欧風の屋根を載せ南に出窓がある。1993に改修された。今はKunst im
   Turmとして1977から芸術の展示を行っている。
 8円塔 Rund Turm 円錐屋根の小円塔が市壁中に8基ある。

4.見所  C

   1kmに及ぶ細長い町であり、市壁は良く保たれているが見所は少ない。
 市庁舎 Rathaus (1539) 前面に階段塔のある2階建てルネッサンスの建物。
    聖ボニファティウス教会 Ev.Kirche St.Bonifatius (1464-1562) 1149の高い塔の
   ある教会で、今の外観は1567ゴシックへの改装による。内陣の下には市長や司祭
   を埋葬した地下室がある。金箔や彫刻に飾られた祭壇やバロックオルガンもある。
 聖ペトロ教会 Ev.St.Petri Kirche (1308) 聖ペテロとパウロ教会の敷地内に、
   1682-85聖ペテロ教会が建てられた。外観は単純なバロックの教会で、1716にバロック
   の塔が付けられた。身廊の天井には塗装格間であり八角形の洗礼盤もある。
 聖フランシス教会 KatholischeKirche St.Franziskus (1860) 宗教改革で既存
   の二つの教会は新教となり16c中頃にカトリックの教会はエアフルトに行った。
   1860小さなカソリックの木の教会が造られ、1893赤レンガの教会が建てられた。
 教区司教館 Pfarrhaus (1589) 初め地階石造で上階木組みの事務所が建て
   られ、1792新教によって買収され、1993に改修された。

5.写真

市庁舎 エアフルト門
北壁 北東壁
東壁 東南壁

戻る

戻る

ゾンダースハウゼン Sondershausen  TH42

1.歴史

 8c フランク族の集落が置かれた、   1125 マインツ大司教の家臣が集落管理、
 1263 ホーエンシュタイン家が支配、      1356 ホーエンシュタイン家の断絶、
 14c 旧市街地は東へ拡張、      1300-49 ヨダヤ人の定住はペストで消滅、
 1539 改革導入で教会資産の販売、   1639 スエーデン軍の占領、1621 大洪水、
 15898.1611.26 疫病流行で人口半減、 1621 大火災で壊滅、 1691まで再建、
 1697 ゾンダーハウゼン公国を帝国王子格に、17c 町にバロックの建造物が建てられた、
 1814 硫黄泉が発見されスパを建設、  1840 旧市街地の西にカールシュタットを新設、
 1918 シュバルツブルク・ソンダースハウゼン公国の首都を終わり、チューリンゲン州へ、
 1920 プロイセンに帰属、         1945 終戦、チューリンゲン州に編入。

2.市壁  0.31km 0.31 

   13cの市壁の旧市街地は狭く、14cに東に、19cに西に拡張された。市壁は
   高さ5.5m厚さ1.5mで造られ、半円形の塔で守られていた。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  B

   帝国王子階級シュバルツブルク・ソンダースハウゼン公国の首都として、長く文化・経済的
  に栄え、1621の大火災は受けたが、歴史的石造の建物がバロック時代に建てられた。
 市庁舎 Rathaus (14c) 1366-70に2階建の市庁舎か建てられ、1525に修復
   された。1621の火災で焼失し簡素な建物で再建されたが、1658の火災で東側が
   焼けた。1744マルクト側の一部はラッツケラー入口が再設計され、1848上階木組は完全に
   建て替えられた。1856古典主義の前面となった。2017-19広く復元と近代化が
   行われた。
 宮殿 Schloss Sondarshausen (13c) シュバルツブルク・ソンダースハウゼン公国の数世
   紀にわたる居住地であった。丘の上の城から始まり、ルネッサンスの城となり不規則
   な4翼の建物に拡張された。1764-71の西翼は19cに古典主義にかいされ、中庭
   側はロココ装飾となった。庭園のオランジェリィは1945の爆撃で失われた。1925に宮殿
   博物館が開設され、先祖の肖像の間・音楽史・公国の歴史・自然史収集物・1710の
   ドイツ唯一の黄金の馬車等が見られる。宮殿食堂・宮殿塔・ブルーホールも見学できる。
 古い守衛所 Alte Wache (1836) 宮殿の東側の斜面に、ローマ要塞風な王の守
   衛所を建て、1836-39に使われた。1990旧警備隊が復活した。今は観光案内所。
 王子宮殿 Ehem.PrinzenPalais (1721-25) バロックの宮殿で、1835-51城の再
   建中には王子の居所として使われた。現在は地区事務所。
 ゴットシャルクの家 Gottschelcksch Haus (14c) 貴族の家として建てられた町
   でも古い建物である。1377シュバンチェンベルク侯爵が裁判所とした。1484農場は賃貸
   された。1621.1640火事に会い壊された。1654公国のヴィルヘルムによってバロック宮殿
   として再建された。1729ゴットシャルク家が所有してこの名前となった。1773解体と
   新築が行われ、ロココの建物となった。1945爆撃されたが、難民収容所となった。
   1979老朽化に王宮の屋根を付けて倉庫として使われた。2002マンサード屋根の元の
   姿で復元された。
 クルシス教会 Crucis Kirche (14c) 聖十字架教会は町でも古い建物で、基石に
   1392の年号がある。ゴシック砂岩の教会で、北にホスピスの建物が付いている。1463
   の大火事で焼け、ピウス2世は再建費用提供者には10年間無税とした。1570ホスピス
   もさいけんされた。1621の火事で聖トリニティ教会は大破したため、クルシス教会は屋根
   とバロック内装更新のみで再開された。1691までは主要教会として主要人物が埋葬
   された。1729孤児院が再建され後に刑務所となったため教会機能を失い、1884に
   プロテスタントの資産から外され、1886一部改修後カトリックの教会に使われた。1932教会
   としての使用が終り、町が倉庫で使った。2000塔展望台と遺跡墓地となった。
 トリニティ教会 Trinitatis kirche (1174) 初め礼拝堂があり、今の場所に
   アンドレアス教会が建てられたが1608には壊された。1620ニトリニティ教会が新設されたが
   1621の火事で壊され再建は17c後半となった。1870-91新ゴシック宮殿墓地礼拝堂が
   追加された。1890.1931.1987-97に改修が行われた。中には1620「マルティン・ルターは
   死のベットに」の祭壇画がある。
 八角形の家 Achteck Haus (1709) 貴族社会の娯楽のために建てられ、地下
   から直径14mの回転床が持ち上がる。壁と天井には金星の勝利の絵画がある。
   1950-57倉庫となったが、1960改修されコンサートホールとなった。

5.写真

市庁舎 宮殿
トリニティ教会 クルシス教会
北壁 北東壁
南西壁 南壁

戻る

戻る

スタットイルム Stadtilm TH43

 1114 ラインハルトブルン修道院の文書に初言及、1235 村の教会を奉献、
   1268 町として都市権を保有、13c 上流シュバルツエンブルク下流ビルトルバーガーが支配、
 1388 シュバルツエンブルクが伯爵未亡人から町を購入して統合支配、
 1447-51 ザクセンが町を包囲した、  1525 町では農民軍の戦闘はなかった、
 1571 シュバルツエンブルク家は4分割、  1519 シュバルツエンブルク・ルードシュタット公国が支配、
 1618-48 30年戦争で何回も略奪、  1675 火災で23戸26倉庫が焼けた、
 1780 大火災で全公共物と172/322戸が焼けた、1945 4月米軍、7月赤軍が占領。

2.市壁  0.07km 0.05 

   1362に、五角形380×500mの旧市街地を囲んで、高さ4-6m平均厚1.7m延長
  1.56kmの市壁が造られた。1991-93に家屋解体時に発見された市壁の一部が、
     B37沿いに再建されている。

3.塔  0門0塔

  14cの市壁は、4門と35半円塔で強化されたが、今は見当たらない。

4.見所  C

   

   大きなマルクト広場と珍しく修道院から宮殿を経た市庁舎がある。1780の火災
  後の建物が殆どである小さな町。
 市庁舎 Rathaus (1275) 今の市庁舎には長い歴史がある。最初の建物は
   ザールフェルト修道院がこの町に移転した時に建てられた物である。1287に修道院
   は、聖マリア・聖ニコラス・聖ベネディクトに奉献された。修道院はその後250年間存在し
   宗教改革で1533に溶解してシュバルツエンブルク公爵の所有となった。1628建物は城
   に改築され、1780には火事で損傷し直ぐ修復された。1897の火事で大部分が
   破損し、侯爵はSchloss Guthofとして再建した。1918市が購入して1920市庁
   舎として改修した。2階建西側に塔があり6破風を並べた特異な前面である。
   今は市歴史博物館でもあり、建物の最も古い部分は修道院教会の桟敷の下の
   暗部であり、そこにラッツケラーが置かれている。
 賃貸倉庫 Zinsboden (14c) 市庁舎の背後に修道院の3階建の大きな倉庫
   があったが、1350租税倉庫に変換され、その後一時チューリンゲン豚舎として豚を
   収容した。1890には刑務所になり、1989まで小麦倉庫でもあった。構造的な
   補強が行われ、今でも賃貸倉庫として使われている。
   マルクト広場 Markt Platz (1539) チューリンゲン最大の10,170m2、長辺204mの
   マルクト広場である。1834に舗装整備され、1885のオベリスクは市民歌手の記念碑。
 市教会聖マリア Stadt Kirche St.Marien (12c) 1235の塔のフレスコ画は注目
   である。1780の火事で損傷した双塔アーチの修復に1789迄要しバロック化された。
   教会の鐘とオルガンは、二つの大戦中にそれぞれ供出された。
 最高水位のアヒル Hochest Wasser Stand Ente (17c) 1613が最高洪水水位
   であり、その高さにアヒルが置かれていた。その建物が解体され、アヒルは1908から
   向かい側の熊の店に移された。この建物も1968に壊され、アヒルは郷土博物館へ
   納められた。

5.写真

市庁舎 マルクト広場

戻る

戻る

ズール Suhl  TH44

1.歴史

 1000 ヘネベルク侯爵が支配し鉱石の採掘加工、      1318 最初の文書言及、
 1425 12人の参事会、 1447町の紋章、 1470 山の裁判所設置、武器・防具生産、
 1527 侯爵ヴィルヘルム4世は既存憲章を適用、 1583 ヘネベルクの断絶でザクセン・ヴィッテンへ、
 1636 30年戦争で鉄や武器の生産困難、  1553-1699 魔女狩116裁判.74人処刑、
 1660 ザクセンの分割でザクセン・ザイツ公国に、 1690 ザクセン・ザイツの鉱山開発・高炉建設、
 1713 ヨハン・バッハは聖マリア教会のオルガン選考、1718 ザクセン・ザイツ絶滅でザクセン選帝侯へ、
 1753 大火災で町は殆ど焼失、      1815 プロイセンに帰属、
 1861 磁器生産開始 1930まで、     1945 終戦、チューリンゲン州に編入。

2.市壁  0.00km 0.00 

    市壁に関する記述は見当たらない。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  D

    細長い谷間に位置し、かっての鉱業と武器の町は、静かにたたずんでいる。
  ショッピングやコングレスセンターの近代的な大きな建物があり、中に日本料理店もある。
 市庁舎 Rathaus (1920) マルクト広場の新古典主義前面の時計付の四角い建物。
 中央教会聖マリア Hauptkirche St.Marien (1487-91) 市内で最初の教会で、ドイツのプロテ
   スタント教会のユニークな記念建物である。
 聖十字架教会 Kreuz Kirche (1731-39) この建物はドレスデンの宮廷教会の手本となった。
 乗り物博物館 Fahrzeug Museum (1896) 1100m2の空間に180の乗り物の展示があり、
   車両工学の歴史が分かる。
 武器博物館 Waffen Museum 7世紀からの武器の歴史が展示され、欧州でも有名な内容
   である。
 ハーバート・ロス展示場 Herbert Roth Ausstellung 木組みの長い建物に技術的な銃の展示。
 星の喜び Stern Freude 天文台やプロラネタリュウムがあり、星空を楽しめる。

5.写真

旧市庁舎 聖マリア教会
歩道

戻る

戻る

テマル Themar TH45

1.歴史

  796 フルダ修道院の贈り物文書に初言及、1200 ヘネベルク家は交易路の交点を整備、
 1268 代官居住地となり、1341に役所を言及、1303 町と呼ばれ裁判所が置かれた、
 1359 市場が置かれ、市場町として知られた、1439 ヘネベルク家が初要塞を柵で築いた
 1457 市壁を建設           、 1624 30年戦争で9回占領1634全壊、
 18-19c 農業の町から工業都市、      1583 ヘッセン方伯の単独所有、
   1585-90 ヘッセン方伯は夏と狩の館の宮殿建設、1618-48 30年戦争で鉄鋼生産衰退、
 1806 仏軍への抵抗運動で町は守られた、 1866 普墺戦争の結果プロイセンに帰属、
 1944-45 2度の空爆で大被害、      1945 チューリンゲン州に編入。

2.市壁  0.69km 0.40 

   15cの市壁は切れぎれに残っている、

3.塔  1門5塔

   かって、市壁には7塔と3円部があった。
 上町門 Oberstadt Tor
 魔女塔 Hexen Turm (1603) 17cに魔女の監獄に使われた。
 ベラバイセン塔 Werra weisen Turm
 草原門塔 Torwiesen Turm
 火薬塔 Pulver Turm
 城塔 Schloss Turm

4.見所  C

    小さな田舎町で、多くの塔と美しい木組みの家がある。
 市庁舎 Rathaus (1711) 石造3階建ての両切妻鐘楼付の堂々たる建物。
 役所の建物 Amtshaus ヘネベルクの記念額のある木組みの家で、美しい切妻付の2
   階建ての家。
 聖バーソロミュー市教区教会 StadtPfarrKirche St.Bartholomaeus (996) 町で最初の
   ロマネスクの教会は聖具室と塔の下から2階がまだ残され、ヘネベルク家は1488-1505
   後期ゴシックのホール教会を建設した。1544宗教改革で他の教会から彫像・祭壇を
   得た。その後何回も再建された。中には、1510祭壇・1629オルガンがある。
   1488の鐘がある塔には1950まで夜警の家族が住んだ。
 聖ヨハネ教会 Kirche St.Johannes (1492) 1588墓地教会となった。ゴシックの石積に
   シンプルな切妻屋根の古い教会。中には16cの祭壇があり葬儀が行われた。
 魔女塔の側の展示室 Ausstellungsraum am Hexenturm 塔に近接した塔見張人の
   部屋に展示室があり、色々な芸術様式の絵画・彫刻から特別な機械が展示して
   いる。

5.写真

市庁舎 ヴァッラ川壁
火薬塔 壁塔・南壁
魔女塔・北壁 ベラバイセン塔
役所

戻る

戻る

トレッフュート Treffurt TH46

1.歴史

  768 シャルルマーニュはホンブルク修道院の建設で言及、1104 マインツ大司教文書に言及、
 11c ノルマンシュタイン城は交易路保全で建設された、     1333 都市権の授与、
 1336 共同遺産相続人が数世紀所有し、マインツ選帝侯とヘッセン・カッセルが支配した、
 1532 チャールス皇帝は毎週土曜日の市場開催権を与え、St.Georgi・St.Simonに
    2見本市の権利を付与した、       1585-87 魔女狩が行われた、
 18c マインツ選帝侯一人が引き継いだ、    1807 仏ヴェストファーレン王国に属した、
 1815 プロイセのミュールハウゼン地区に属した、  1945チューリンゲン州となった、
 1990 ドイツ統一後に観光と産業が始まった。

2.市壁  0.13km 0.20 

   13cからの市壁は、いくつかの場所に残る。

3.塔  1門1塔

    市門は、見当たらない、Trottsch Hof の入口門は車道と歩道の二つの
   アーチ門が設けられている。
    ザクセン行政館は町の北西角にあり、市壁の防衛塔WehrTurmが残っている。

4.見所  B

    チューリンゲンとヘッセンの文化が入り混じる小さな中世の町であり木組の町とし
   て有名である。美しく修復された多くの木組の家を楽しむ事ができる。
    また山頂には12cからのノルマンシュタイン城があり、丸や四角の3つの塔などよく
   保存され、レストランもあり、眺めがよい。
 市庁舎 Rathaus (16-17c) ルネッサンスの美しい木組の庁舎である。階段入口の上
   に5階建ての四角塔が前面突出で立ち、2階建の庁舎の上に塔がそびえる、
   珍しい形の建物である。屋外階段の角柱には、紋章と彫刻がある。
 聖ボニアチウス教会 St.Bonifatous Kirche (13c) その平面は元の十字架のまま
   の後期ロマネスクであり、14cには上部木製の塔が付けられた。19cに西正面
   に塔と入口のある今の姿になった。中にゴシック両開き祭壇・碑銘・墓標がある。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (19c) 旧カトリック司教館が転出しため、カトリック教
   会として成立した。
 旧ザクセン行政館 Ehem.Saechsischer Amtshaus (1550) 市壁の所にザクセン行政
   館が木組で建てられた。北西には市壁の防衛塔が残っている。
    19cには、カトリックの司教館が転入した。
 市民の家 Buerger Haus (1880) 初め会社として建てられ、町の葉巻煙草の
   伝統を伝える。今は市民の家であり、観光案内所・自然公園の展示もある。
 トロットの館 Trottscher Hof () トロット家の中世の城の場所に、華やかな木組の
   複合施設が旧市壁に建てられた。今は児童館と郷土博物館を収容している。
 郷土博物館 Heimart Museum in Burgsteig () 旧市壁の上の木組の建物に
   町の歴史として、伝統的なパーラ陶器・名高いタバコ生産などの展示がある。
 オアーハイゲン邸 Ohrfeigen Haus (17c) 上階木組の建物は、1608の事件から名前
   が付いた。建築主のヘッセン代官ブレイがハデ好みの罰として平手打を課された。
 マインツ館 Mainzer Hof (1550) イルトマンスタイン泉の近くに建てられ、最初のミュールハウゼン
   郡庁に選ばれた。1816-39役所の東に公園を設けた。
 ファルケンシュタイン館 Flankenstein (1618) 代官フイリップ・ファルクは、市刑務所として2-3
   階建の印象的な木組の建物を建てた。地下室の厚い壁の向うに独房がある。
 プロテスタント司教館 Ev.Pfarr Haeuser (1566) 古い司教館は、町で2番目に古い
   建物であった。地階の一部はまだオリジナルで保たれている。1944新しい司教
   館が建てられ多くが移ったが、ここもまだ使われている。
 教会通31番の家 Haus KircheStrasse31 (1546) この町で最古の住宅で、部分的
   には健全化され、木組の装飾も再現した。地下室は早期のワイン酒場であった。
 聖ボニアチウス教会 Burg Normannstein (11c) 主としてロマネスクの城で、交易路を守るた
   めに建てられた。1337から3人の役人がここで働いた。町に役所が建てられ
   た後は、丸い塔が一時刑務所で使われた後は、使用されず衰退した。1894
   レストランを開業したが1971には閉鎖され、食堂付き青少年クラブとなった。1996
   大規模改修が行われ展望台が付けられた。2005外側円塔壁の保全が行われ、
   円塔城壁の中に、展示室・礼拝室・守衛室などが見学できる。

5.写真

市庁舎 聖ボニアチウス教会

戻る

戻る

ウッマースタット Ummerstadt TH47

1.歴史

 1140 フルダ修道院コーデックス文書に初言及、   1223 ヴュルテンブルク文書に言及、
 1394 ベルゲルン憲章を保持、        14c 町と呼ばれ都市権を所有、
 14c 聖アンドレアス教会のあるキルヒベルクは要塞化され、 堀・市壁・門塔が造られた、
 1632.43 大火で町の大部分を焼失、     18c 小さな町は陶器で繁栄、
 1952 GDRの国境に位置し人口減少、    1980 人口最小の町になった、
 1992 住民投票でこの町の独立に賛成 2016 人口474人で独で人口最小の町。

2.市壁  0.15km 0.18 

    旧市街地周辺には見当たらないが、聖アンドレアス教会に荒石の壁がある。

3.塔  1門1塔

    聖アンドレアス教会の南に荒石造の門と2階建の塔がある。

4.見所  C

    ドイツで最小人口474人の小さな町であるが、旧市街地には多くの美しい
   木組の家が修復されている。
 市庁舎 Rathaus (1559) マルクト広場の北側に、大きくて堂々とした木組の建物があ
   る。1929に表面の漆喰を除いて、450年前の装飾された梁が現れた。市庁舎西
   角の基礎壁には、1559の年号が切り込まれている。30年戦争の1632には町の
   主要建物は焼失した。1682市議会は新市庁舎再建を決めた。階段登り口の左
   右に二つの同業組合の銘板が1727に付けられ、高い地位を示した。1793大修
   復が行われた。
 聖アンドレアス教会 St.Andreas Kirche (890) この町の古い教会で、すでに8cには当
   時のフランク族支配の領域にアンドレアスの名前が付いた礼拝堂があった。何時この教
   会がここに移されたかは明らかでないが、この地域で最初の教会であり、初
   めは単塔要塞教会として設計され、墓地・農地を含めて門と塔のある壁と土堤
   で囲まれていた。
 聖バーソロミュー教区教会 Ev.PfarrKirche St.Bartholomaus () プロテスタントの単塔の石造
   教会。
 市醸造所 Stadt Brau haus () 町の南に、2階建のし醸造所がある。

5.写真

市庁舎 聖アンドレアス教会
木組家

戻る

戻る

ヴァハ Vacha TH48

1.歴史

  8c ケルトの丘に786ハースフェルト修道院の村があった、フルダ修道院に代わった、
 1186 ルードヴィッヒ3世は爵間取引で取得し都市権を授与、12c 城と市壁の建設、
 1400 修道院教会と農場の建設、   1455 アボット・ヘルマン2世は鋳造所を設置、
 1463 町は大火事でほぼ全焼、  1525 ヘッセ方伯フイリップは修道院財産を売却、
 17c 30年戦争で占領、  1648 ヘッセ方伯に町のシェアを売却、7年戦争で砲撃、
 1807 ナポレオンはヴェストファーレン王国で支配、1816洪水被害、1878 放火による火災、
 1945ソ連占領地に含まれ国境となる。

2.市壁  0.24km 0.26 

  12cの市壁は前面に堀を有し、市街地の周囲に構築された。市壁は北・西・東
  南に点々と残る。

3.塔  0門3塔

 コウノトリ塔 Storchen turm (12c) 東南にある4階建の円塔で小さな帽子
   が付いている。
 円門 Rund Turm (12c) 西南にある3階建の円塔で帽子はない。
 天守閣 Turm Aufsteig (12c) 北東にあるヴュルデルシュタイン城の天守閣。

4.見所  C

    南の古い建物で囲まれたカルクト広場と北東の城が見所の小さな町。
 市庁舎 Rathaus (1613) ヘッセ様式の4階建鐘楼付き上階木組の堂々たる建物
   はハンス・ウエーバー方伯の廷史の館として建てられ、1911から市庁舎と
   ラッツケラーとして使われている。1923美しく修復された。
 マルクト広場 Markt Platz () 南に向かって広がった広場には、ヘッセ様式の切妻
   のある木組の建物が並んでいる。Widmarckt家、旧鋳造所(1780)
   15cまで硬貨鋳造、ユニコーン薬局(1600)など。
 聖ヨハネ教会 St.Johane Kirche (1365) 1365の後陣に1467の身廊が繋がり、
   新古典のホール教会とロマネスクの西角塔は1822-24に再建された。
 ヴュルデルシュタイン城 Burg Werdelstein (12c) 旧市街の北端にあり、Werra橋の
   保護のために建てられた。今は博物館として、町に歴史と人形の収集品
   を展示している。

5.写真

市庁舎 旧鋳造所
コウノトリ塔 城門
北城壁 西壁

戻る

戻る

ヴァルタースハウゼン Waltershausen TH49

1.歴史

  9c フランク時代の集落、         1176 チューリンゲン・テネンブルク方伯の砦、
 1326 市壁のある安全な町として言及、    14c 自治による市場の開催、
 15c アーネス・ザクセン州に属す、        16c 醸造特権を得てビールの町に、
 17c 大火で町の大部分を焼失、    18c 亜麻布織工・石工・仕立工ギルド、
 19c 工業都市で消防ホース・ソーセージ・玩具制作。

2.市壁  0.03km 0.02 

    クラウス門の北側の家屋の中に市壁が曲線を描いて含まれる。

3.塔  1門0塔

 クラウス門 Klaus Tor (1390) 唯一残る市門で、初めNiederTorがあり、そ
   の外に1434KlausTorが建てられ、門衛が住んでいた。

4.見所  D

    1818からの人形の小さな町で、旧市街の外の山頂のテンエベルク城に人形博物
   館があり、町の人形の歴史が見られる。
 市庁舎 Rathaus (1441) 今の建物は1554の建られ1993-96の修復された。地階は
   石造の半地下でその上に後期ゴシック2階建ての木組みが乗る構造である。急勾配
   の切妻屋根と時計塔がある。地下室は柱列のあるアーチ天井があり、石の壁は1434
   から今も使われている。
 ルーテル市教会 StadtKirche Luther (1326) 中世に建てられた聖母教会はささやかな後
   期ゴシックのハレン教会であり、塔は1458に付けられた。1719-23に今のバロック円型
   教会となり、塔はそのまま残された。塔の帽子は数回壊れ、1865に今の形にな
   った。身廊の天井にはフレスコ画があり、石柱で支えられている。
   1992-96に大改修が行われた。
 テンネベルク城 Burg Tenneberg (1176) 旧市街の南西外の山上に在り、1929市立博物館
   となり、町の歴史・民族工芸・人形玩具などが展示されている。1390礼拝堂が設立
   され、1391に馬蹄形平面の旧城が建てられた。1542-71に補修が行われ、1612-22
   ルネッサンスに1721バロックに変換された。

5.写真

市庁舎 クラウス塔
市教会

戻る

戻る

ヴァズンゲン Wasungen TH50

1.歴史

  872 フルダ修道院の文書に初言及、        12c 市場の町となる、
 13c ヘンネベルクの郡となる、最初の教会、    1266 ウイルヘルム修道院の設立、
 1308 帝国自由都市となり城と町の拡張、1325 市壁で囲まれた町となった、
 16-17c 繊維・金属加工で経済・文化の繁栄、 1616-46 30年戦争で人口半減、
 18c 金属・革・紙・煙草の加工と貿易で栄えた。

2.市壁  0.98km 0.09 

    14cに市壁は170m×350mを囲み、2市門と10壁塔と住居内塔で守った。
  残っているのは西側で、北の修道院から8m、GrabenStrasse15m+5m、
  MuhlGasse75mである。

3.塔  0門1塔

 ユダヤ塔 Juden Tor (13c) 3階建て長方形の建物で角が石積の煉瓦造。

4.見所  C

   小さな町だが、16cからの歴史的な木組みの家が保存されている。マルクトは
  主要通路が広がった所にあり、木組みの建物で囲まれている。
 市庁舎 Rathaus (1532-34) 後期ゴシックの3階建ての建物で1998-2003に美しく改修
   された。建物の上部に非対称に配置された出窓は木造の床の両側に広がっ
   ている。中には、16cの羽目板と歴史的な議会の席がある。
 教区司教城 Pfarffenburg (1382) 1974に再構築。
 聖トリニティ教会> Kirche St.Trinitatis (13c) ロマネスクの建物に、1584身廊1596-1708
   塔、1680内陣、17c説教壇の内側。
 旧女子修道院 Ehem.Damen Stift (1596) 旧女子修道院は2階建で建てられ、建設主
   の紋章と華やかな漆喰の天井のある精巧なルネッサンスの木造ポータルに注目。今は、
   市博物館とカーニバル博物館となっている。
 出先の役所 Amts Hof (1606-07) ルネッサンスの2階建て役所の館で、一部木造の地階の上
   に木造の上階が乗っている。木骨造の最盛期に建てられ、華やかな天井と壁の絵
   画がある。歩行者門は1611のルネッサンスポーチである。
 旧ヴェエンの館 Ehem.Wasungen Haus (1630-32) 貴族の館は大規模な切妻壁と巧妙な
   木材加工の木組の家。内装はルネッサンスで天井は漆喰。2000-02に改修。
 マイン館 Main Hof (1576) 中世の守備を担った貴族の建てた邸宅であり、トラス構造の
   湾曲した珍しい形。
 町博物館 Stadt Museum (1596) 旧女子修道院の中に在り、1965町博物館として、
   町の文化と歴史・女子修道院の歴史・町の経済史などを展示。

5.写真

市庁舎 旧女修道院
ユダヤ塔 西壁
南壁 木組家北
木組内東 木組内東

戻る

戻る

ヴァイマール Weimar TH51

1.歴史

  899 最古の記録、946-1346ワイマール郡があった、1002 オットー3世はワイマールを包囲、
 1173-74 ルードヴィッヒ3世は町を破壊、   1212 早期に再建され防備を固めた、
 1245-49 市庁舎建設、1254教会の奉献、 1247 ルードヴィッヒ家の断絶、
 1365 ヴィッテン家に譲渡、         1410 やっと都市権を得た、
 1424 大火災で殆ど焼失、    1552 侯爵ヨハンフリードリッヒはワイマール公国の首都に、
 1775 ゲーテが宰相として赴任、      18-19cワイマールの全盛期で文化が栄えた、
 1817 王カールは国の憲法を与えた、     1918 首都と王宮を失った、
 1919 ワイマール憲法を制定して共和国に、  1933 ヒットラー帝国に併合
 1945 2次大戦の空爆で大被害。

2.市壁  0.07km 0.02 

   15c二つの輪の形の二重の市壁として、8-10mの高さで築かれ、10塔と多く
   の防衛塔施設で成立した。

3.塔  0門1塔

 会計塔 Kasse Turm (15c) 北西のゲーテ広場に残る角塔が残る。今はカフェと
   なっている。

4.見所  A

   16cにザクセン・wヴァイマール公国の首都として文化の中心地となり、クラナッハ・バッハ・
  シラー・リスト・ギェーテ・ヘルダー・ベックリン・クロゼウスなどが活躍した跡を辿ることができる。
  旧市街には昔の建物が見られ、博物館や美術館も多い。
 市庁舎 Rathaus (1500) 3階建で、玄関柱廊と鐘楼を持つ四角い木骨造の建
   物で、1895の全面改修された。
 城館 Stadt Schloss (15-20c) 何度も拡張されて4翼の大きな建物になり、
   東部分には古典様式の柱廊が付加され、西南部にはバロックの塔1729-32が
   立つ。城内には、1900国立美術館が置かれ、クラナッハなど中世からの作品
   が展示されている。
 寡婦宮殿 Wittums Palais (1767) 夫の死後アンナ・マアマーリア皇妃は、この2翼バ
   ロック宮殿に住み文化人のサロンとなった。今は啓蒙時代の思想家ヴィーラント
   の記念館として業績を展示している。
 クラナッハの家 Lucas cranach Haus (1549) マルクトにある渦巻き模様装飾の切妻
   のあるルネッサンスの建物で、クラナッハは晩年ここに住み4階にアトリエを置いた。
   今は、円天井の劇場となっている。
 候爵夫人図書館 Herzogin Anna Amalia Bibliothek (16-18c) 南のデモクラシー
   広場の緑の館は、本・アート・建築要素を収集したロココのホールである。
 旧王宮 Fuersten Haus (1770-1774) 今は、フランツ・リスト高等音楽学校の校舎と
   として使われている。
 シュタイン夫人の家Haus der Frau von Stein (18c) ゲーテは、1735皇妃の女官長
   シャルロッテ・フォン・スタィンに会って好意を持ち、この家は1776にゲーテの設計
   によって改造された。
 ゲーテの家 Goethe Haus (18c) 1809-32ゲーテは死亡するまで、このバロックの
   家に住み、内部はそのまま保存されている。居室・仕事部屋・図書室
   も見学できる。1913-35に別館はゲーテ資料館として宰相・詩人・科学者
   としての人物像が展示されている。
 シラーの家 Schiller Haus (18c) シラーは、1802にここに転居して来た。ヴィルヘルム
   ・テルはここで書かれた。シラー博物館はその北側にあり、3つの大展示
   場でシラーの人生と作品について展示している。
 ドイツ国立劇場 Deutsches national Theater (1779) バロックの劇場でシラーの戯
   曲やヴァーグナーの歌曲などが公演され、1907今の建物が再建された。
 ゲーテ園亭 Goethes Gartenhaus (18c) アウグスト大公が、ゲーテにこの園亭を贈
   り、1776-82執筆や休養のために使われた。
 リストの家 Franz List Haus (19c) 公園入口の管理人の家に、1869-89の夏に
   リストは住んでピアノのレッスンをした。地上階には常設展示があり、上階に
   はリストが住んだ居間・寝室・食堂・使用人室がある。
 ゲーテ・シラー公文書館 Goethe und Schiller Archv ゲーテとシラーを含め作家・学者
   ・哲学者・作曲家などの130以上の論文も含む作品の文書館である。
     聖ペータートとパウロ市教会 StadtKirche St.Peter und Paul (1254) 今は後期
   ゴシックのホール教会で、2次大戦でひどく損傷し1953に再献堂された。
   中には、1552クロナッハの3翼祭壇・王家の青銅や石の墓標がある。
 聖ヤコブ教会 St.Jakobs Kirche (1713) 老朽した建物の解体に続いて、単廊
   バロック教会が建てられた。1728城守教会となり、城の火事の後には城教
   会となった。ナポレオン軍は占領時に病院として使った。
   1806ゲーテの結婚式はここで行われた。
 バウハウス博物館 Bauhaus Museum 1919にヴァイマール・バウハウスは設立され、ここで
   初期の作品を紹介している。
 新ヴァイマール博物館 Neu Museum Weimar 旧大公博物館のネオルネッサンスの建物で、
   現代美術の展示とバウハウス大学のギャラリィでもある。
 市博物館 Stadt Museum Weimar 1990ヴァイマール共和国が開設した。町の歴史
   を展示。
 ヴァイマール芸術館 KunsutHalle Weimar 芸術と工芸のための旧大公博物館に、
   今は文化庁と市博物館が一緒に展示している。
 大古と先史博物館 Museum fuer Ur-und Fruehgeschicte 40万年前から
   チュービンゲンの古代生物の画像を人類の発展を中心に展示。
 ドイツ蜂博物館 Deutsches Bienen Museum 蜂の生態・文化・歴史・の展示と芸
   術的な蜂の巣が展示されている。
 公園横穴 Parkhoehle 侯爵カール・アウグストは、18cの末に公園内に地下ビール貯蔵
   装置を掘った。
 キルムス・クラッコウの家 Kirms-Krackow Haus 中庭に隣接するアーケードを持つ2つ建物
   から成る。400年以上の伝統的な都市農民の館である。
 銀杏博物館 Ginkgo Museum イチョウ博物館は、地上でもっとも古い木の魅力を
   体験できる。

5.写真

マルクト広場 国民劇場
ヴィルヘルム城 黄城
リストの家 ホテル・エレファント

戻る

戻る

ヴァイセンゼー Weissensee TH52

1.歴史

 1168 チューリンゲン方伯が城を所有    1174 ヴァイセンゼーとして初言及、
 1198.1265 町の市場権が付与、  1440 チューリンゲン方伯の死でザクセン侯爵領に、
 1446 憲法上の創立議会を招集、   1525 農民戦争は町の入口で防がれた、
 1656-1746 ザクセン公国に属した、   1709 侯爵は上部池を築ぎ耕地を開発、
 1815 ウイーン会議でプロイセン領となる。

2.市壁  1.44km 0.96 

   城の周囲を含めて、殆ど全周に保存状況は良くないが市壁が見られる。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   1434ビールの製造法を規定したヴァイセンゼー純度法が定められた文書があり、
   その後のドイツビール純粋法の先駆けとなった。小さな町はマルクトが北東にある。
 市庁舎 Rathaus (1200) チューリンゲンでも古い代表的なロマネスクの3階建て石
   造の建物で、小さな私的な醸造所があり、1434ビール純粋令の文書が発見され
   今でも醸造している。市庁舎の前面にはザクセン公国の紋章が飾られ、ここで
   Weissenseer Beer Festが開催される。
 ルンネ城 RunneBurg (1168) チューリンゲン方伯は、ロマネスク2階建ての宮殿に、
   5階建ての住居塔・城門・城壁を拡張した。1580-81新住居、1600門の家、
   1738キャッリジハウスを建設。1750ロマネスクの天守閣を除去、1820城は管理目的で
   再建され、1890プロイセンの事務所を建設、1952-95学校として使用され、今
   は、博物館やレストラン「方伯の居酒屋」がある。
 聖ペテロとパウロ教会 StadtKirche St.Peter und Paul (13c) ロマネスクの
   ハレン教会には1230聖ヨハネ騎士団が定住し、1300教会は修道院教会となった。
   2階建てゴシックの長方形のホールは、高い急勾配の巨大な屋根が西側にある。
   1673北側の内陣は改築され、仕切り席が取り付けられた。中の、14c祭壇
   1621説教壇・1584オルガンなどがある。

5.写真

市庁舎 ルンネ城
城壁 北壁
北壁

戻る

戻る

ヴィーエ Wiehe TH53

1.歴史

  786 ハーフフェルト修道院のリストに初言及、 933 王ヘンリー1世は土地を得て城を建築、
  998 オットー3世は修道院にブドウ園を寄付、1045 チューリンゲンのケパンブルク侯爵が支配、
 1227-1312 ラーベンスバルト・ヴィーエ侯爵が支配、    1231-1629 騎士団が占有、
 1320 都市法と市場法を有した、 14c 中世に発展した町は3門の市壁を築いた、
 1461 ウエルテル・ヴィーエ公爵に所有が定着、1659 大火災後に主要建物は再建された、
 1815 ウイーン会議でプロイセン領となる。

2.市壁  0.25km 0.21 

   14cの市壁は、東にいくらか残っている。

3.塔  0門3塔

 水道塔 Wasser Turm () 町の南の外れに、機械室と共に立つ、2階建石造の建物。
 円塔 Rund Turm () 町の南の外れに三角屋根の3階建石造の円塔があり、今は建物
   に組込まれている。
 工場角塔 Vier Eecke Turm im Brauerei() 町の西南の角にある工場の中に立つ4階
   建の木組の建物があるが、用途は不明。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus () 基礎の高い3階建の四角い建物で、中央に鐘楼が立っている。入
   口は、両側外階段から入る。
 プロテスタント市教会聖バルトロミュー Ev.StadtKirche St.Bartholomaeus (933) 現在の教会は
   4番目で1670の物である。最初の教会の銘板や1500キリスト像がある。市場側
   の記念銘板には、両世界大戦の行方不明兵士を記載している。
 聖ウワスラ教会 St.Uresula Kirche (1250) 前の建物は1659の大火事で全焼し、1742-
   50に今の建物が建てられた。1996-2003内外装を全改修した。1659から墓地教
   会として使われている。
 ヴィーエ城 Schloss Wiehe (1015) ヘンリー2世は、ヴィーエを帝国の所属に戻しヘンリー3世は10
   45にヴィーエ城を置き、1233-37アルベルト1世はラーベンスバルト城を建てヴィーエ城は部下に
   管理させた。1345チューリンゲン戦争の後にチューリンゲン方伯に所有権が移り1453-1945
   は家族が住んだ。1659大火事で焼失し、1664-66に今の城を建てた。1945城は
   接収されて、難民を収容した。2016一時学校となった。
 模型列車 ModellBahn Wiehe (1997) 世界最大の模型鉄道施設で12,000m2あり、年
   間20万人の来場者がある。①HOシステムチューリンギア、②LGB庭園鉄道ハルツ、③TTシステム・
   ヴュルツブルク-ハンブルク、④兵馬俑、⑤お金の旅、⑥LGB-庭園鉄道アメリカ、⑦イースター島。
 風車 Wind Muehle (1732) ランゲンローダに建設され、2001記念物として復旧され、使用
   可能である。
 郷土博物館 Heimart Museum () 2階建の古い学校の建物に、靴・仕立屋・農家・学校な
   どの古い物を展示。
 ランケ博物館 Ranke Museum (1994)町役場の小さな博物館を、ウイーン生まれの歴史家
   ランケの贈り物として、開館した。

5.写真

市庁舎 聖バルトロミュー教会
南東塔 給水塔
西壁 北東隅壁
東壁 南西壁

戻る

inserted by FC2 system