デューレン Dueren <NRW>

聖アンナ教会

各町の歴史と見所

 表中の各町について、その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。

⑨ ノルトラインヴェストファーレン州 NRW

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アーヘン Aachen NRW1

1.歴史

 1C  ローマ共同浴場を整備、     5C  フランク王国の支配、
 765  文書による最初の言及、     768  カール大帝即位、
 800  西ローマ帝国となりカール大帝居住、 936  大聖堂で独王国皇帝の即位式、
 10C  フリードリッヒ1世から都市権を授与、 1166 帝国都市となり1172市壁に着手、
 1257-1357 外側市壁と4門の建設、  16C-17C 30年戦争で衰退、1656大火、
 1796-1814 仏軍による占領、     1815 ウイーン会議でプロイセン領、
 1919-29  1次大戦 ベルギー占領、  1941-44 2次大戦の空爆で65%が戦災、

2.市壁  20m 0.01

  1172初めての市壁に着手grabenの位置で2.43km厚さ1.5-2.5m、1257-1357
 百年かけて外壁alleeの位置で5.3km高さ8-10m厚さ2-5mを築いた。1419-53町を
 守るため幅24-28m深さ7-12mの堀を加えた。1841始めて外壁外に住宅が建てら
 れた。カイザー広場・ボント通に旧市壁が残っている。

3.塔  2門5塔

  当初の市壁には10門と10塔があり、外市壁には4正門7追加門23塔があった
 が、今では2門5塔しか残っていない。
 Pont tor(北)前門があり、13C後半に外市壁に造られた。
 Margchier tor(南)1257建、1960復元、3階建の長円塔で三角屋根に尖塔
   がついている。物置や避難所。
 Langer turm(西)5階建長方形の火薬塔、最も高い塔で見張や消防に使用。
 Pfaffen turum(西)2階建円塔。
 Marien turm(北)1512建、円筒、市壁も残る。
 Granus turm(中)788建、1050と1883の火事に会い1978改修、8.85mの
   長方形で20mの高さ、市庁舎の角に立つ。
 KleineAdolberts turm(中)カイザープラッツに立つ円塔。
 LavenStein ボックス グラーベンの塔

4.見所  S

 大聖堂 Dom(8C)カール大帝は八角形丸屋根のローマ風バジリカの建設を開始した。
  内陣は1355にゴシック様式で起工し1414に献堂となった。17Cカロリング式八角堂
  のリブ付丸屋根を中心に多くの礼拝堂が取り巻いている。内部は11CハインリッヒⅡ
  世の説教壇や後陣の13Cカール大帝の聖遺物箱、大帝の聖堂が収められてた。
 宝物殿 DomschatzKommer 地下室に990ロータルの十字架、カール大帝の胸像、
  聖遺物。
 市庁舎 Rathaus(14C) 昔のカール大帝の宮殿跡に建てられた。宮殿の名残は
  クレーマー通り角のグラス塔GranusTurmにある。アーヘンで戴冠した皇帝や国王の胸
  像で飾れれ、広間には神聖ローマ帝国の至宝レプリカが見られる。
 クヴァン博物館 CouvanMuseum 館内には中産階級の住まいの文化展示と
  アドラー薬局を収納している。
 ジュールモント・ルートヴィッヒ美術館 SuermondtLudwigMuseum 現代から15世紀の
   欧州絵画・ガラス彩色画や彫刻を展示。

5.写真

市庁舎 大聖堂
大聖堂

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アハウス Ahaus NRW2

1.歴史

 1120  ローマ共同浴場を整備、            1391 都市権の授与、
 1406 ミュンスターの王子が司教に、      1569 オランダ独立戦争で攻撃された、
 1618-48 30年戦争で破壊・略奪、       1653-57 ドイツ最初の陶器工場、
 1688 古城の解体1609バロックの水城完成、       1757 仏軍の占領略奪、
 1767 城の近代化と庭園の拡張、    1789-1803、1806-13 仏革命軍占領、
 1813 プロイセン領となる、          1819 タバコ工場の設立、1863大火、
 1883 ジュート紡績工場の稼働、        1945 2次大戦の空爆で町は破壊、

2.市壁  

   見当たらない。

3.塔数 

   見当たらない。

4.見所  D

 アハウス城 Schross Ahaus(1690建)バロックの水城、宮殿の外見は何回も変わった。
   2次大戦までタバコ工場があった。1945空爆で破壊、1949町で城を買収し
   て再建のリブ付丸屋根を中心に多くの礼拝堂が取り巻いている。内部は11c
   ハインリッヒⅡ世の説教壇や後陣の13Cカール大帝の聖遺物箱、大帝の聖堂が収めら
   れた。
 聖マリア教会 KircheSt.Maria 教区教会、中世からの塔は立つが、1966にネオゴシック
   の塔に新しい建物を付けて改修された。ステンドグラスが見事。
 城守衛所博物館 歴史的な多くの文書・写真・図面・工芸品を展示。

5.写真

市庁舎 宮殿

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アーレン Ahlen NRW3

1.歴史

  772-804 先住ザクセン人を征服し布教、  804-09 ミュンスター司教は洗礼院を設立、
 1139 ヴェルナー司教は洗礼院を修道院に編入、1212 堀・土塁のある要塞を言及、
 1214 市場権を授与され尺度を制定、    1224 町となり 自治権の授与、
 1271 5市門と塔のある市壁を建設、    1287 全ミュンスター教区の免税認定、
 1349-51 ペスト流行、1505 ペスト再流行、     14-16c ハンザ同盟に加入、
 1480 落雷による火災で町の1/3焼失、   1533 改革の導入と再カトリック化、
 1551 疫病の流行、             1563 ブラウンシュバイク軍の包囲、
 1618-42 30年戦争で17回破壊・略奪、       1633-42 スエーデン軍が占領、
 1668 大火災で100戸焼失、        1713 スペイン承継戦争で仏軍占領、
 1765 要塞撤去開始、                1803 プロイセン軍占領、
 1809 仏革命軍占領、1809-13ベルク大公国に属す、 1815 プロイセン王国となる、
 1929 最後の要塞が消滅。

2.市壁  0km

   13cの市壁は、道路名MauerとWallにあったが、1765ー1929に取崩された。

3.塔数  0門1塔

   1554西門塔建設、1562南門要塞拡充、1587北門要塞拡充、1595西門要塞
  拡充。風車塔Windmuehlen Turm 町の東南に円形風車塔と粉引工場がある。

4.見所  C

   大きな旧市街地であるが、度重なる戦争と1668.1744の火災で、古い建物
  を残せなかった。
 旧市庁舎 Altes Rthaus () 今はFolksHochSchuleである。
 市庁舎 Rthaus () 今の近代的な市庁舎は、西の外れにあり、市民会館や市図書
   館と共にある。
 聖バルトロメ教会 Kath.Kirche St.Bartholomew (9c) カトリックの教区教会ミュンスターランド
   で最古のパプテスト教会で、1480建設の既存の建物は、4ヨークと多角形の後陣
   を備えた後期ゴシックの教会である。1815-19崩壊後バロックフード付きの西塔は
 再建された。紋章で飾られた碑文には1724の年号がある。
 聖マリア教会 Kath.Kirche St.Marien (1285) カトリックの教区教会で、1283-89に聖
   マリア教区を設立し、初期ゴシックの教会を建設した。1775教会は閉鎖した。
   1902-09に現在のネオゴシックの身廊は古い建物の敷地に建てられ、南側では
   ゴシックのポータルを再使用した。前の建物から引き継がれたのは豊富な16cの
   パプテスマのフォントである。
 住宅 Wohnhaus (18c) 1668.1744の火災の後に木組・マンサード屋根のシンプルな建
   物が建てられた。
 ビショピンクの館 BischopinkHof (17c) 2階建・木組の家で今は食堂。
 最古の家 Altest haus (16c) 古い木組の家で、今は歴史博物館として使われ
   町・周辺の歴史・考古学・農業・鉱業について展示している。
 美術館 Kunst museum (1993) 20cの芸術を展示している。2005に死亡した
   起業家の収集物を基本に博物館を増強した。
 金の鍛冶屋博物館 Museum im Golschmiede haus (1984) 太陽時計・機械時計
   など、1595からの時間計測のための歴史的資料を展示。その他キリスト教の
   金属加工・家庭生活の道具・多宗教の紹介などがある。

5.写真

市庁舎 旧市庁舎と聖バーソロュウ教会
聖マリエン教会

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アルンスベルク Arnsberg NRW4

1.歴史

 789 修道院と耕地で最初の言及      1102 城の建設、1114町は要塞化、
 1238 新しく壁で囲んだ、 、         1621 町は拡大、魔女狩り、
 1762 7年戦争の砲撃で町も市壁も破壊、1794 仏軍の進行にケルン大司教逃亡、
 1816 プロイセン領となり新都市の建設、  1847 大火で旧市街地壊滅後再建。

2.市壁  50m 0.05

   城址の下に古い都市壁の残りがある。StadtmauerStrasse。

3.塔  1門3塔

 Hirschberger tor(東)1753鹿狩りの彫像が門の上にある。狩猟の正門。
 Glocken turm(中) 白い角塔でバロクの円蓋、Schloss通りを跨いで立つ。
   半円形の皮だけ残った塔がすぐ近くにある。
 Limps turm(北) 角塔で古い市壁に生き残った。
 Gruener turm(北) 円塔で円錐屋根、古い市壁の角に立つ。

4.見所  S

   丘の上の小さな町であり、古い木組みの家屋が多く見られる。
 聖セントローレンス教会 St.Laurentius(1273)旧修道院の聖具室・礼拝堂がある。後陣に13c
   のステンドグラス、バロックの説教壇、回廊やフレスコ画。教区長教会
 聖ゲオルグ教会 St.GeorgKirche(14C) ゴシック様式のホール教会。
 ザウラント博物館 LanzbergerHof 館内に歴史と文化の展示。
 ノイマルクト広場 NeuMarkt 1816プロイセン領となり行政施設が広場の周囲に建てられた。
   福音派教会・古典主義の官庁建物が見られる。
 アルターマルクト広場 AlterMarkt 周囲に1710旧市庁舎、鐘楼、1779マクシミリアンの噴水、木
   組みの家屋がある。

5.写真

青塔

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バートベアレブルグ Bad Berleburg NRW5

1.歴史

 1258 修道院の文書で最初の言及、城は伯爵と修道院代官の伯爵に移った、
 1322 この町の二重統治は終了       1488.1522 大火で町は全滅、
 18C  町は市壁が囲み2門が整っていた、    1825 大火その後再建、

2.市壁  0

   見当たらない。

3.塔  0

   見当たらない。

4.見所  D

 宮殿 SchlossBerleburg(16C) 16Cに新築。1733までに拡大。バロック様式
   の宮殿。宮殿博物館には伯爵の歴史と遺物を展示。国際音楽祭が開催さ
   れる。
 町博物館 StadtMuseum 歴史的な店舗の設備、ストーブ等の展示。

5.写真

ベアレブルク宮殿

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バート・ドリブルク Bad Driburg NRW6

1.歴史

 8c バーダーボルン司教は城に聖ペテロ教会を建てた、  868 城にヘーセ修道院、
 1189 バーダーボルン司教は騎士の城に粉引き所設置、1290 都市憲章を授与、
 1345 バーダーボルン司教は全権利を確認、 1532 ガラス工場設立と林業振興、
 1802 バーダーボルン司教の支配が終わりプロイセンへ、    1815 スパの開設、
 1807-13 ヴェストファーレン王国、   1813 プロイセン王国の統治区域に含まれた。

2.市壁  0.05km 0.09

   荒廃した市壁は、Muehlen Pforte辺りで修復されている。

3.塔  0塔

  見当たらない。

4.見所  D

   中心部には、18-19cの建物は半分も残っていない。都市再生の一環
  として、古い病院・郵便局・商店等は解体されたので、モニュメントは少ない。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1550) kigumi 2階建木組の建物は、後に住宅に改
   造された。地階は大規模に更新され、地下は1330の丸天井のままである。
   建物全体は2002-04に修復され、今はアート展・日曜カフェ等に使用。
 教区教会・聖ペテロとパウロ Kath.Pfarrkirche St.Peter und Paul (1894-97)
   ネオゴシック3廊のホール教会で、内部に祭壇・説教壇・オルガンがある。1909絵画は
   バロックで描かれた、以前の教会からロマネスク・フロント、1676の守護聖人、1463
   の墓石などを搬入した。
 ガラス博物館 Gras Mueumm 500年の歴史のあるガラス残って生産と製錬を説明
   し、ガラス製造機械と歴史の展示。歴史的ユーティリティガラスもあり、ガラス吹きの
   デモンストレーションをしている。

5.写真

市庁舎 ランゲン通
聖ペーターとパウル教会 南東市壁
南東市壁 ランゲン通中心

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バート・ラースペ Bad Laasphe NRW7

1.歴史

 780 最初の文書の言及、  13C ヴィトゲンシュタイン領の一部、
 1277 都市権を得た、町は2門6塔を備えた市壁を整備、
 1788 プロイセンの統治区域に含まれ、プロイセン国鉄の運行区間に接続、

2.市壁  0未確認

   13Cに2門塔6壁塔を備えた市壁を築いたが、19Cの初めに僅かの断片
  を除いて取り払われた。

3.塔  0塔

   なし。

4.見所  D

   小さな長円形の町であり、古い木組みの家屋が多く見られる。
 国際ラジオ博物館 InternationalesRadioMuseum 歴史的な
   3,000台のラジオを収集し、1,000台が交代で展示されている。
 郷土博物館 HeimatMueumm ヴィッテゲンシュタイン国の文化と歴史の
   展示。

5.写真

ヴィッテゲンシュタイン教会 旧市街

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バート・ミュンスターアイフェル Bad Muenstereifel NRW8

1.歴史

 880 ベネディクト会はノイミュンスター修道院を設立、 844ローマ聖人遺物を所有し巡礼地、
 854 修道院に住宅と農園を言及、  898修道院は市場.鋳造.関税の権利授与、
 1265 ユーリッヒ伯爵の領土となった、  1299 初めて要塞の場所と呼ばれた、
 1317 城が始めた言及された、    1416 大洪水、1451ペストの被害、
 1625 イエズス会修道士はギムナジュウムを設立、1689 仏軍に城は破壊された、
 1784 仏革命軍はライン川の左岸を占領、1815 プロシア領となる。

2.市壁  1.60km 1.00

  12Cの終わり頃と14Cの初めに領主ユーリッヒは城施設と1.60kmの市壁を4門と
  18防御塔と共に建設した。市壁はエルフト川が貫通した町を取り囲み、外堀は埋
  められている。町周囲の守りと市門は完全に復元されている。城壁通路220m
  に登れる。

3.塔  4門16塔

  Werther tor(北)3階建ての四角塔、最も古いフランケン入植地の名前
   を付けた。今日塔では、自然と 境保護の勉強が出来る。
  Johannis tor(東)3階建ての四角塔、教区教会の跡で教会の名前を付
   けた。以前は、跳ね橋.落し格子.門翼の施設が整っていた。
  Orchheimer tor(南)3階建ての四角塔、塔は画家のスタジオ。
  Heisterbach tor(西)3階建ての四角塔、塔は今化石や鉱物の博物館。

4.見所  C

   町の中を川が流れ、大通りには古い木組の家屋が多く見られる。
   Orchheimer通りの町並みは、1644頃の木組の家屋が美しい。
 修道院付属礼拝堂 StiftsKirch(830)。初め小さな修道院礼拝堂を設立、
   12C-13Cに今の3廊の西3塔、翼廊の支柱バジリカとなった。守護聖人の遺物。
 イエズス会教会 JesuitenKirche(1668) 1659-1668修道士が建てた。
   隣の黄色い建物は1659-1724ギムナジュウムである。
 市庁舎 Rathaus 初めに呉服屋として使われた。1476市庁舎とされた。
    1551にアーケードで西翼を建てた。1818の洪水の後に建物は売られて、
   長い間ビール貯蔵庫と麦芽製造所となった。ここ30年間は市庁舎となった。
   前面に曝し台がある。

5.写真

Stift教会 マルクト
オルヒハイム門 市壁
ヨハネス門 ハイスターバッハ門
ウエルター門 市壁

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バート・ヴュンネンベルク Bad Wuennenberg NRW9

1.歴史

 14c 貴族ヴュンネベルクが城を築いた、   1306 町となり都市権の授与、
 14c 市壁と堀で町を囲み単市門で守る、 1348.1356.1360.1371 疫病、
 1379 ヴェストファレンの君主が277年間支配、    1430 大火災で半分焼失、
 1564 大火災で64戸焼失、        1621 30年戦争で占領略奪、
 1656 バーダーボルン王子司教の支配下へ、 1678 大火災後新計画で再建、
 1756-63 7年戦争の占領で苦しむ、       1759 仏軍が再び占領、
 1802 プロイセン王国の統治区域に、  1807-23 ナポレオンのヴェストファーレン王国、
 1825 再びプロイセンで町造りが進んだ。

2.市壁  0.13km 0.17

   14cの市壁は、戦争と火事で、次第に取り除かれた。1725の大火事
  の後に都市建設のための採石場となって殆ど消滅した。

3.塔  0門1塔

 防備塔 Wehr Turm (13c) 1725火事の後採石場となり20cには消滅した。
   地元の同好者と州の基金で2001に再建された。円錐屋根付きの大
   円塔で市壁が付いている。

4.見所  D

   山の上の周囲700mの小さな長円形の町であり、1725の大火事で
  古い建物は少ない。
 地方事務所 KreisPaderborn der Landrat () 旧市街地外北東に市庁舎と
   観光案内所がある。
 小鉢の家 Haus Kump () 旧市街地の中央に、四方流れ屋根の平屋の小
   さな木組の建物があり、今は集会所。
 古い倉庫 Hist.Speicher () 簡素な屋根の高い平屋の木組の家で、前庭さな
   さなは青銅の山羊が立っている。
 教区教会聖アントニウス Pfarrkirche St.Antnius (850) 半木組の教会は、1677
   の大火事で町と共に焼失した。1678-79に切石で再建された。漆喰
   のホール棟は3面閉鎖で高い西塔はフード付きで十字架と風見がある。聖
   具室は1929に付けられ、教会は1997北に延伸された。パーダーボルン王
   子司教の紋章が飾られ、1720聖人アントニウスの木像がある。
 ヴェストファーレン家フュルステンベルク宮殿 Schloss (1783) 狩猟用ロッジで、大きな複合
   宮殿が広大な森の中に立っている。

5.写真

防御塔 東市壁
南西市壁 南西市壁

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ベックム Beckum NRW10

1.歴史

 1134 パロシア・バイク家文書に初言及、1224 3本川の合流点に町が存在、
 13c 町と一部農地を市壁で囲み、4市門22塔で補強された、
 1433 交易路の要点に位置し多くの商人が定住し町は栄えた、
 1598 スペイン軍に略奪され、300年戦争で何回も占領され町は衰退、
 1635 ペスト流行、1655.1657.1734 大火事で貧しい町に、
 1872 セメント工場建設、19cストロンチアン鉱業、1945空襲を逃れ、無血降伏。

2.市壁  0.21km 0.13

  13Cの市壁は、二重土堤と共に作られ、Suedwallに残っている。

3.塔  0門1塔

  初め4市門22防御塔が設けられたが、今は唯一3階建の防衛角塔の
  BuddenTurmが町の西に残り、今は郷土博物館になっている。
   町の南のHoexbergには、1853風力発電風車(Windmuehle)と
  見張り塔(SoestWarte)6階建の2塔が別にある。

4.見所  C

   3回の大火事で1734よりも古い建物は殆ど見当たらない。
 旧市庁舎 Altes Rathaus(13c) 今の建物には1441の核があり、
   1879横向きの破風と尖ったアーチアーケードが付けられた。1937ネオゴシック
   で単純化された。市場側入り口には聖スティーブンと聖セバスチャンの石彫
   像のコピィが置いてある。市庁舎には、裁判所・銀行・消防署・警察署
   などが置かれた。1986市博物館となり、石灰生産・セメント生産・中世
   ハンザ都市の役割・フランクの集落などを展示。年4回の現代美術展も。
 市庁舎 Rathaus(1985) 町の西にある元郡庁に接続の建物を
   合わせ、それまで各所に散在していた市の行政を集めた。
 旧ステファノとセバスチャン教会 Kath.PropsteiKirche St.Stephan
   und Sebastian (13c) 町で最大の教会で、1188ミュンスター以外で最古
   の教区として言及されている。1230からの建物で、初め守護聖人
   に捧げられ、1881殉教者ブルデンチア建物が移された。1250の洗礼盤
   13c石のレリーフ・14c木製の救済礼拝・14cゴシックの聖杯等がある。
 旧アウグスティヌス修道院(1451)町の西の外れにあったが1451に
   市内に移転され、1463礼拝堂は聖別された。1657の火事で全焼し
   1814修道院は廃止された。2007-09改装されアーカイブとして使った。
 都市農民の家 AckerbuergerHaus(17c)珍しく火事を生き
   抜いた建物である。
 セメント博物館 Zement Museum この地域の産業であるセメントの
   仕組から生産までの説明と原材料の採掘と製造の過程を示してい
   る。中心のセメント研究所では、セメントの品質管理を明確にしている。

5.写真

市庁舎 聖ステファン・セバスチャン教会
マルクト 北通
防御塔(博物館) 南土堤

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ビーレフェルト Bielefeld NRW11

1.歴史

 9c スルヴァイ修道院が農地を所有、  1214 ラーフェンスベルク伯爵が守りの町を創設、
 1240 シュパレンブルク城の建設と新市街の開設、      1293 ノイシュタットの成立、
 1346 ラーベンスブルク家の後にユーリヒベルク家へ、   14c ハンザ同盟加入で富を増大、
 1511 フランシスコ会修道院の奉献、郡はクレーヴェ家に落ちた、1520 新旧市街の統一、
 1550 改革の導入、17c オランダ・スペイン・スエーデン・フランス軍が占領、1636 ペスト流行、
 1830 機械生産織布の輸入でリンネル衰退、米国へ移民、 1860 タバコ産業の発展、
 1945 空爆被害、米軍無血占領。

2.市壁  0.006km 0.01

   13cの市壁の跡は、Walkhausによりたどる事ができる。かってのGretscher
  Hofは、市壁の跡に建てられた。14cからの新市街の市壁はKeselStrasseの建
  物の中庭に塔の基部がある。大砲の発達で、新旧市街地を囲む市壁には1539
  -45に多くの円塔が付けられた。KreuzStrasse38の裏には、長さ6mの市壁基部
  が僅か残っている。

3.塔  0門1塔

 オストマン塔 工場建物の一部であり、7階建の塔は学生寮として使われている。

   

4.見所  B

    大きな町であるが、二次大戦の空爆で中世からの古い建物は焼失した。
 旧市街の市庁舎 Rathaus im Altestadt(13c) 旧市街地の北側に旧市市場劇場が
   あり、この1階に旧市街地の市庁舎の一部が残されている。旧市街の市庁舎
   は、1424初言及され1535-69拡張・新築工事が行われ、高い基礎の上に3階
   建の後期ゴシックの階段切妻があった。1820-21切妻が取り除かれ古典主義に
   改装した。1984旧市庁舎の建設後は、市図書館などで使われ、1944爆撃で
   破壊された。1949から簡素な3階建化粧漆喰塗寄棟造の建物となり、1955
   改修されワイン貯蔵庫となった。
 旧市庁舎 Altes Rathaust(1904) 正面には、破風のある4階建ゴシックとルネッサンスの
   要素が強い建物で、市長の主要な儀式会場として使われ、実務は隣の新市
   庁舎で行われている。
 市立劇場 Stadt Theater (1904) 正面はユゲントシュティールの旧市庁舎と一体となった
   建物で、2005近代化された。
 旧ラーフェンスベルガー紡績工場 Ehem.Ravensberger Fabrikat (1855-57) 19c当時ヨー
   ロッパ最大のリンネル紡績工場であった。今は市民大学・歴史博物館・市メディアセンター
   を収容している。前面は屋外ステージのある公園である。
 芸術会館 Kunst Halle (1966-68) 主として20-21cの現代美術を収蔵している。
   1955ヒューマン博物館は、陶磁器・装飾品・学術品など工芸品の美術館である。
 自然文化財博物館 Neturkunde Museum 地殻構造・化石などを収蔵。
 聖ニコライ教会 St.Nicolai Kirche (11c) 旧市街地で最古の教会で、元はゴシック3廊
   広間教会であったが、14c初め市民向けに拡張された。1日4回カリオンが鳴る。
   1944塔の下部以外は破壊され、元に倣って新築された。中には小博物館
   がある。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (1293) 新市街にある双塔ゴシックホ-ル教会で、塔
   は16cゴシクの塔頂となったが、嵐で壊れバロックで修復された。1487に13
   の絵画のある両開きのマリア祭壇がある。1553改革導入。
 ズスター教会 Suester Kirche (16c) 1491アウグスティーノ女子修道院が創設され、病人
   や貧困者に奉仕したが経営難で市が所有した。旧市街の北側に創設された
   改革派の教会である。旧修道院の3階建の建物は牧師館。
 聖ヨドクス教会 St.Jodokus kirche (1511) 1498のフランシスコ会修道院は1507水の供
   給が困難となり放棄されて遺跡となった。教会は教区教会として残りグロス
   ター広場に移転され、カトリックの教区教会となった。中には、1220の黒い聖
   母、1480の聖ヨドウス木造、1926のイコンの壁がある。
 ミューラーの家 Haus Muller (1485) 最古の3階建の木組住宅である。1592の大改
   修で豊かな装飾のある破風が付けられた。1991-93改修と増築が行われ
   た。
 グリューベルの家 Gruewell Haus (1530) 後期ゴシックの階段破風はミュンスター圏の特
   徴で、2階建の建物。
 住家 WohnHaus (16c初) 中世後期の半寄棟の簡素な2階建建物。
 ワルトシャー館 WaldschHof (116c) 19-20cに何度改修された。後方の部分は主と
   建物で中庭には多角形の階段塔がある。
 シュピーゲルス館 SpiegelsHof (11540) 3階建化粧漆器の石造ヴェーザールネッサンスの建
   物。奥行側は丸みのある破風で飾れれ、1682階段室が付けられた。今は
   自然文化博物館が収容されている。
 グレストシャー館 GrestscheHof (16c) 豪華なファサードが残され、周壁の塔の基礎上
   にルネッサンスで建てられた。1870学校の北翼として使われた。
 マインダース館 Meinsers Hof (16c) 3階建化粧漆喰の長い建物。1669バロックの玄
   関が付けられた。地階の内部には、1670の暖炉とバロック化粧漆喰天井が
   ある。
 シュバレン城 Sparren Burg (1200) 旧市街の南側に、高さ37mの塔と地下通路が
   残されている。4-10月の10-18時には、塔は見学できる。

5.写真

新旧市庁舎 マルクト劇場
ニコライ教会 旧マルクト

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ビラーベック Billerbeck NRW12

   この町は、Coesfeldの市内にある。

1.歴史

 780 石像建物の存在が発掘調査で明らかに、     11C教区教会を設立、
 1217 行政役所の記録がある、     13C都市権の授与、城や要塞の建設、
 1382 ペストの流行による町の放棄、16C 宗教改革、1548再洗礼派の強圧、
 1589 スペイン戦争によるオランダ軍の略奪 、  1618-48 30年戦争の略奪、
 1658 聖ヨハネ教会の中庭に学校建設、      1667大火で町は大部分破壊、
 1802-15 仏軍の占領、              1815プロイセン領となる。

2.市壁  0

   市壁の跡は、街路名で3/5が判定できる。市壁らしき壁は見当たらない。

3.塔  0

   門も塔もなし。

4.見所  D

   小さな町で有るが、古い家屋.大聖堂.教会等見所が多い。
 市庁舎 Rathaus(1891) ネオゴシック様式の砂岩ブロック積み。1949改修。今は観光案
   内書所。
 ルドガー大聖堂 LudgerusDom(805) 南塔はカール大帝が805に最初のミュンスター大司
   教に指名した聖ルドガーの埋葬礼拝所。バロックの聖ルドガーの胸像1735がドームにあ
   る。北塔は、ドームの五つの鐘が付いている。1897-98にネオゴシックのバシリカとして
   建設された。教会建物は中世ゴシック様式であり、窓ガラスは戦災を免れた。
 聖ヨハネ教会 St.Johnniskirche(1714) 後期ロマネスク様式の教区教会。ロマネスクの装飾を
   されて美しい。現在の建物の基礎は1234であり、ゴシック様式の復興1425は窓の
   開口部にみられる。内部は、1480マドンナ、1611マグダラのマリアの祭壇、1609聖パ
   ウロ祭壇塔がある。
 ベッケの家 Beckhaus(1560) ルネッサンス様式のレンガ積みの美しい外観。3階建。
 コルヴェンブルク Kolvenburg(15C-16C) 上流階級の典型的な住居。今展示場。
 リッヒトホフ Richthof(1820) 1217役所があり、15Cには城が造られた。今は塔と円天
   井の残りがある。今の建物1820は色彩に富んでいる。

5.写真

ルドルガー大聖堂 マルクト

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ブロムベルク Blomberg NRW13

1.歴史

 1180-90 Lemgoの所有、       1255 Lippstadtの町として成立、
 1447 ゾースターの争いで町は完全に破壊、その回復は巡礼が盛んとなり助長、
 1460-62 チャペルの建設、 1468 アウグスチーノ修道院は巡礼で有名となった。
 1536 宗教改革で巡礼は終わり修道院は解散、修道院教会は改革教会へ、
 17C 小手工業と商業の町、靴屋のマイスターが百人もいて遠くまで出荷、

2.市壁  370m 0.30

  町の西側に残っている。

3.塔  1門1塔

  Niedern tor(南) 1520-30建、唯一残った市門。
  Martin turm(中) マルクト広場に重々しく立つ。

4.見所  C

   第2次大戦に無傷で残り、美しい木組みの家屋.歴史的な町役場.中世の城.
   市壁が見られる。
 町役場 Rathaus(1587) マルクト広場の北側に目立つ3つの大きな木組み破風。
   左に中世の罪人の見せしめの曝し柱が置かれた。
 アルヘイド泉 AlheydBrunnrn(1460) 記念すべき事件を思い起こさせ、その
   奇蹟で巡礼を起こした。
 ブロムベルク城 BurgBlomberg(1511) 伯爵の城として建てられ、今はレストラン。
 アムトハウス Amthaus(1572) 城の出入口に領主の代官の住居として建てられた。
 板張の家 dielenhus(1627) 大きな板張の家、1978の火災後彫刻を全面復旧。
 町図書館 StadtBibliothek 金具付の後期ルナッサンスの前面と絵入彫刻は1985
   改修。
 木組みの家屋 FachwerkHaeser(17C) 手工業者.都市在住農民.商人の17Cの
   住家が残っている。特に美しい建物は東側のGrossStadtmauerStrasseに
   見られる。

5.写真

マルクト 市壁
アーチ 壁塔
市壁 北壁
西壁 西壁
下門

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ボッホルト Bocholt NRW14

1.歴史

 9c 教区の初言及、         1222 ミュンスター司教は都市権を授与、
 14c 町の防御が強化され教会の建設、  1598-99 スペイン軍は七月間占領、
 17c 30年戦争で町は衰退、        1635-50 ヘッセン軍が町を占領、
 18c 7年戦争とナポレオン軍の被害、   1803 ミュンスター王子司教は事務署設置、
 1813 プロイセンの占領、        1815 ウイーン会議でプロイセン王国に属す、
 1945 空爆で町の85%破壊、英軍の占領、1947 ノストライン・ヴェストファーレン州設立。

2.市壁  0km 

   13cからの市壁は、地図上にMauerの名前があるが、見当たらない。

 ベルリンの壁崩壊記念碑 Denkmal Berliner Mauer (1995) 1961-81GDRがベルリン
   に建てた壁が1995に撤去され、新市庁舎の前に2.5mのパネル2枚を置いて
   記念碑とした。2014にパネルが50年を経過して劣化し、今の位置に移して
   保全した。

3.塔  0門2塔

   市壁の門や塔は、見当たらない。
  石積の煙突 Mauerwerks Schrn Stein (1875) 今は商店街の近くの産業記念
   碑である。高さ32m正方形の基礎の上に、鉄の帯のある八角形で建てられ
   ている。
  オベリスク Obelisk (1985) 戦後都市開発の象徴であるベルリン広場ににあるプロイセン
   のマイルストーンのレプリカであり、位置はベルリンまで470kmである。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1350) 1423に同じ場所に控えめに再建された。
   その後も何回か再建され、1606スペイン戦争の回復期に再建が計画されたが30
   年戦争で遅れ、1619切妻付階建の地階オープンアーチの外構が建てられ、1624
   内装が終わった。1786修理が重荷となり、19cには衰退し、1827裁判所と
   して改修されたが、1945空爆で破損した。1977新市庁舎は、文化の中心で
   ある対岸の人工島に建てられ移転した。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1977) 文化センターと劇場を含む近代的4階建の大きな市
   庁舎が中島に新築された。
 聖ゲオルグ教会 St.Georg Kirche (1415) ヴェストファーレン州で最大の規模のロマネスク教会
   は40年経っても完成しなかった。1486前の基礎の上にゴッシクの教会が建1958
   に再てられたが、1945の空爆で破壊された。1946瓦礫整理が始まり、構築
   は完了した。1910聖具室・芸術スペース追加。
 聖アグネス教会 St.Agnes Kirche (1484-89) 後期ゴシックの礼拝堂はかってのアウグス
   ティヌス女子修道院の修道院教会であった。1819-1901にはプロテスタント教会と
   なり、1945空爆で破壊し1952-53に修復された。
 聖母教会 Kath.Pfarrkirche Liebfrau (1785) カトリック教区教会でかってのミノリテ
   修道院の教会であった。1310市内第2の教区教会とされ1316には使用さ
   れた。 1912-13教会は拡張された。
 市博物館 Stadt Museum () 地域の歴史と文化・地質学・先史時代・美術品・民族
   芸術・舞台芸術などの展示。
 ヴォルト邸 Mansion Woord (1792-95) 2階建てのマナーハウスは、石とレンガ造で、19
   34に拡張された。戦災後に古い形の大邸宅が復元された。
 アートハウス Kunst haus Bcholt (1996) 2階建と屋根裏を含め、科学・文化・環境保
   護の推進のため、ルネッサンスの別荘にアートハウスを置いた。
 市民の家 Buerger Haus (1900) アールヌーボーの建物に実業学校がある。
 テクスタイル工場 Textilserk (2011) 歴史的モデルに基づいた織物工場で煙突・発電所・
   小屋の屋根・工房・倉庫・門・門衛・線路・ボイラーがある。
 学校博物館 Schulmuseum () 聖ゲオルク体育館の200年にわたる歴史を描写し、
   古典的な自然科学・物理・化学・生物・地理の分野の発展を記録した科学部門
   が有名である。

5.写真

旧市庁舎 聖アグネス教会
聖ゲオルグ教会

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ボン Bonn NRW15

1.歴史

 BC12 ローマ軍駐屯地      9C フランク王国が教会.修道院の建設、
 1243 完全な市民権の授与、          1244入植地を守る壁の設置、
 1265 ケルン大司教座の所在地、       1288ケルン選帝侯の宮殿を居住地、
 1314-46 ボン大聖堂で戴冠式、     1601 ケルン選帝侯の領政庁の所在地、
 1673.1689.1703 包囲され破壊された、         1794仏軍の占領、
 1815 プロイセンに帰属、       1945第2次大戦の空爆で建物の30%破壊、

2.市壁  80m 0.03

   ローマ駐屯地跡は、500m北にあり一辺500mの正方形の砦であった。
  中世の市壁は13C全長2.30km、ライン川北(ベートーベンハレ)から中央駅まで行
  き、ライン川南(旧税関)に戻る。20C初めに市壁と2門が都市開発で壊され、
  旧税関AlterZollと星塔門付近に市壁は僅か残る。

3.塔  2門0塔

 Stern tor(南)13C建、塔は1898に取壊され、南壁1245に移動して組込ま
   れ、1900に円筒が再現された。聖母の画像が埋め込まれている。
 Koblenzer tor(南)宮殿の翼の一部として建設され、天使マイケルの像が飾られ
   ている。外側通路は税関を守るため使われた。

4.見所  A

   旧市街地の大聖堂.ベートーベンの生家.マルクト広場.ライン州立博物館が見所である。
 大聖堂 Muenster(11C) 古代ローマの墓の跡に三身廊のバジリカが建てられ、
   1239火災後に後期ロマネスクの聖堂が建てられた。中央方形部に八角の塔が
   聳える翼廊を半月形の後陣で纏めている。
 ベートーベンの家 BeethovenHaus ベートーベンが生まれ幼少期を過ごした。1889
   から博物館としてゆかりの品が展示されている。
 旧市庁舎 AlteRathaus(1738) 1689に古いゴシックの建物が砲撃で破壊され2連
   の屋外階段を持つロココの3階建石造バラ色とグレーの色彩で新設された。1944空襲
   で破壊されたが1950に復元された。マルクト広場に立つ。
 ライン州立博物館 RheinschesLandesmuseum 先史時代から現代までの下流ラインの
   歴史.文化.芸術を展示。
 選帝侯の居城 KurfuerstlicheResidenz(1693-1725) バロックの宮殿は1818以降
   は大学として使われている。
 古い税関 AlterZoll 旧市街地の東南の端に位置する要塞で市壁も少し残る。
   中世は税関として使われた。

5.写真

市庁舎 市壁
ボン大学 ミュンスター広場

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ボルゲントライッヒ Borgentreich NRW16

1.歴史

 1280 バーダーボルン司教はケルン大司教から町の強化の許可を得た、
 14c 創設以来ザクセン公国に属し、バーダーボルン教区の世俗的支配下にあった、
 16c 低ライン・ヴェストファーレンケルン帝国圏のバーダーボルン郡に属した、
 1802 プロイセン王国が占領、   1807 ナポレオン時代はヴェストファーレン王国、
 1815 プロイセン王国に帰属、         1871 ドイツ帝国の一部、
 1846 ノルトラインヴェストファーレン州へ、         1945 英軍が占領。

2.市壁  0km 

    12Cの市壁は北から西北へMauerStrasseがあるが市壁は見当たらない。

3.塔  0門1塔

    市壁には7つの砲塔があったが、北に唯一残る。
 バルケン塔 Balken Turm () 4階建て胸壁付き円塔で屋根はない。バルケンの家族が所有
   してこの名が付いた。

4.見所  D

 旧市庁舎 AlteRathaus (17c) 屋外階段のある3階建の大きな建物で、1980-2009は
   ドイツ初のオルガン博物館を収容した。今の市庁舎は北40mにある。
 石の家 Steiner Haus (12C) 町で最古の建物で、アーチ天井の地下室は12cからの部分で
   ある。1405-1800はシスター派修道院の納屋として使われた。1848プロイセンが買収した。
   1920-52学校として使われ、1977までは一部住宅であった。1985歴史的建造物と
   なり、1999改修され地元で使われた。
 カトリック聖ヨハネ教会 Kath.St.Johannis Kirche (1295) 1833-36昔の北のポータル使用して身
   廊を建て替えネオゴシックのホール教会となった。13cのヨハネ像もあり、ドイツで最古のネオゴシッ
   クの教会であった。両塔は1280に四角の高塔が建てられ、火事の後に1680にフードは
   取り換えられた。1730鐘が付けられた。

5.写真

旧市庁舎 バルケン塔
聖ヨハネ教会教会

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ボルケン Borken NRW17

1.歴史

 800 最初の文書の言及、       1220 礼拝堂の建設、
 1226 都市権を得た、        1250 ハンザ同盟に加入、
 1391 市壁と塔による町の防御に言及、 1404 聖霊教会の完成、
 1576-89 ペスト流行、          1803ザルム公国 仏領、
 1815 プロイセン領となる、   1945 2次大戦による町の80%破壊、
 1978 残っていた歴史的建造物も壊された。

2.市壁  60m 0.04

   14Cからの古い市壁による町の防御は16Cに完成された。旧市壁跡の柵があ
  るが新しい。風車塔の北側に市壁H5mの残り30mがある、その北に古い材質
  の壁が10m残っている。HolkensTurmの再建にはH7mの市壁を10m復元した。
  DiebesTurmには、まだ古い市壁H8-9mの残りが20m残り、控え壁で補強。

3.塔  0門7塔

 泥棒塔Diebes turm 1433建、第2次大戦で壊され古い形で1976に復元。
   壁厚2.2m、円径5.7m、高さH16mのレンガ造円錐屋根。一時刑務所となった。
 Kuhm turm 16C初建 壁厚1m、円径6.1m、高さ16mレンガ造。1913復元。
   会議室として使用。
 Wedemhobe Turm16C初建 壁厚1m、円径6.0m、高さ15m、階段塔付。
   展示場や会議場で使われる。
 熊塔Baer Turm1434建のVennerTorであり、駐車場のために1976に壊され
   外壁の一部となっている。古いレンガ造りの長方形。
 風車塔Windmuehlen Turm1434建16C再建 壁厚1.6m、円径6.2m、高さ
   15m。17Cに風車に改造したが1869の竜巻で破壊され、1902に風車は除去。
 Holkens Turm1434と16C建 壁厚1.9m、円径6.2m、高さ12m。1945の
   戦災でネオゴシックの塔は破壊され、1988レンガ造屋根なしで再建された。
 市粉引塔Stadt Muehle1393建 穀物の粉引のためミュンスター大司教が設置。

4.見所  C

   町の建物は殆ど第2次大戦で壊され、現存するのは殆ど復元された物であ
   るが、中世の雰囲気は残されている。
 旧町庁舎 AlteRathaus(1953) マルクト広場北側の旧町庁舎1500は、戦後再
   建され、1987から町博物館として、町の歴史と美術品を展示している。
 旧聖霊教会 Heilig-Geist-Kirche(1952) マルクト広場北側の救貧院設立の
   ため1390建てられた。2次大戦で焼け落ち、外観を保って再建され1966
   から町博物館となった
 レミギウス教会 RemigiusKirche(東)フランク式の木製礼拝堂1160として建てられ、
   今はゴシックのハレン教会となっている。中に1200ローマ風洗礼盤、15Cピエタ像。
 ヨハネ教会 JohannesKirche(1263) 聖ヨハネ騎士団が教会と修道院を建てた。
   1770にバロックの新教会として建て1777に側廊を拡張。中に15C二人のマドンナ。
 穀物広場 KornMarkt(南) 面して16C三段破風の家、1684ルネッサンスの家。

5.写真

風車塔 市壁
聖レミギュウス教会 ホルケン塔

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ブラッケル Brakel NRW18

1.歴史

 836 ベネディクト派修道院によって初言及、1213 ブラサールのヘルマンは収入を献金、
 13c ブラケルは小貿易都市へ発展、13c パダーボルン司教支配下でハンザ同盟加入、
 1350 4門10塔の市壁で町を防御、   14-15 バルト海でブラケル硬貨が流通、
 17c 30年戦争で的は衰退、      1803 世俗化でプロイセンが町を引継ぎ、
 1807 一次的に仏支配下で地区の町、  1832 ヘクスターに統合された 、
 1945 米軍が無血占領。

2.市壁  0.65m 0.70

  1350の市壁は、まだ多くの部分で残され、堀もオープンスペースとして存在する。

3.塔  1門1塔

 王門 Koenigs Tor (1329) 4市門の一つで北東に位置し、前門の跡には
   古い鍛冶屋がある。
 モーデックス見張塔 Modexer Turm (1385) この円塔は、市壁から外側のいわゆ
   るLandwehrという中世要塞に一部である。2-3階の塔の上に警備員が
   配置された前哨基地で、敵を発見したら塔の上に閉じこもり、狼煙
   で町に伝えた。この塔名はファッション・ブティックの名前であり、12.6mの高
   さの円塔は展望台として使われている。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1250) 初めゴシックの中央部分が建てられ、1410マルクト
   広場の中に階段切妻の市庁舎を建て、南の入口に1573の年号がある。
   マルクト広場にあるローランサテールは、1385に高さ5.45mの像を建て、ブラケルの
   市場権を示している。
 旧計量所 Alte Waage (1350) マルクト広場に面してモデックス騎士団の家として
   ゴシックの階段切妻で建てられた。1479に町に抵当権が与えられ、1553に
   は不動産となった。1840町の計量所となり、1868に建物は修復され、穀
   物蔵から住居へ改造された。1980から会議室・公文書館・展示室となった。
 来客の家 Haus des Gastes (14c) マルクト広場に元鋳造所かも知れない古典
   的な前面の建物で、18cには都市旧農民の家となり、今は観光案内所・
   市博物館となった。
 教区教会聖ミカエル PfarrKirche St.Michael (99c) 初めての教会は9cから存在
   し、1160矢型バジリカとなり、1350東内陣、1517焼失、南通路再建1846
   今の70mの塔を付けた。中に1335十字架、1622説教壇、1748石の祭壇。
 カプチン会教会 Kapuziner Kirche(1715-18) 1645カプチン会が町に来て、初め
   病院教会で礼拝していたが、18cにバロックの簡素な教会を建てた。入口
   の上には司教の紋章がある。
 旧カプチン会修道院 Ehem.Kapuziner Kloster (1304) 旧精霊病院が建てられ
   た場所に、簡素なバロック3翼の修道院建物が建てられた。今は教区事務
   局である。
 塔守の家 Torwachter Haus (1306-1803) ハネカンプ市門にある守衛所。
 王通り Koenig Strasse (19c) 大きな建物が並ぶ。
    夏の家:Haus Sommer (1836) 2階建の木組の家で地方取引業者が住む。
    穀物蔵:Speicher Haus (1821) Hanaの家屋の裏に建てられた。
    中粉引所:Mittel Muehle (1338) 後に市の粉引所。

5.写真

市庁舎 聖ミカエル教会
マルクト Thy石
北市壁 東市壁
南東市壁 南市壁
西南市壁 西市壁

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ブレッカーフェルド Breckerfeld NRW19

1.歴史

 1184 シーブルク修道院の文書で初言及、   1396 ディートリッヒ伯爵は都市権授与、
 14c 町を市壁で囲み射手を維持、   1418 裁判所の設置、1464パン屋ギルド、
 1468 ハンザ同盟加入、1499関税権付与、     15c 鉄鉱床採掘・製鉄・鉄加工、
 1520.1557.1628.1655.1711.1727火災頻発、17c 水力発電のハンマー加工に移行、
 1808 仏ベルク大公国は自治体再編、            1816 プロシアに帰属。

2.市壁  0.39m 0.27

   旧市街地は中世後期の市壁と堀で囲まれ、市壁は二重で3門・壁塔があった。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

  町の中心では、聖ヤコブ教会を建物が取り囲んでいるのが珍しい。
 市庁舎 Rathaus () 東南の市壁の外に市庁舎を新築した。
 プロテスタント聖ヤコビ教会 Ev.St.Jakobus kirche (1390-1430) 旧市街の中心にあり、
   教会の中庭と建物に囲まれ、ヴェストファーレン州で唯一の後期ゴシックの大聖堂であ
   り、単一の聖歌隊席を持つ。内部にはオーク材の彫刻翼のある祭壇、1740バロック
   の説教壇がある。
 カトリック聖ヤコブ教会 kath.kirche St.Jakobus (1728) 1727の大火災の後にプロテスタント
   のコミュニティ教会として建てられたが、1844カトリック教徒に引継がれた。1728から
   の塔のあるシンプルなホール教会である。
 地方歴史博物館 Heimart Museum (20c) 歴史的建物に鍛冶屋のワークショップは、鍛冶
   屋フリック・シュミッツが1993まで練習していた様々な製品のプレゼンテーションを行っている。
   2014からハンザ同盟都市登記所では、結婚式場として使われている。
 ベフィングの家 Haus Boevihg (1728) 2階建の石積の家。

5.写真

市庁舎 聖ヤコビ教会

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ブリロン Brilon NRW20

1.歴史

 973 オットーⅡ世の文書に鉱石を言及、    後にPader教会に渡されて発展、
 1220 ケルン大司教が町を獲得した、      町を整備して都市権を与えた、
 1444 侯爵領ベストファーレンの首都となった、 17-18C 戦争の略奪と大火で衰退、
 1802 プロイセン領となる、         1945 2次大戦の空爆で町は壊滅。

2.市壁  0.14m 0.08

   13Cからの古い市壁は、二重の広い堀と4門8壁塔で守られた。市壁の残り
  は、まだOberenMauer.DerkernMauer.NiederenMauerの通りに見られる。

3.塔  1門0塔

 デルカー塔Derker turm 南の入り口であり、市壁の跡を示す道路の中に唯一残さ
   れている。この塔は老朽して1750に再建された。2階建ての角塔。

4.見所  C

   古い木組みの建物が幾つか残されている。
 古い木組の家 SchultenHaus(steinweg)1767木組造玄関ホール,1962-65にすべ
   て更新された。HovenerHaus(markt)1804マンサード屋根と古典的玄関の傾いた木
   組家、古い部分が保存されている。DielenHaus(NiedersSt.)1792木組のホール造
   り、門梁碑文には1791の大火の記録がある。BruchHaus(Schulgasse)1431切
   出し石造り2階建、1659.1720に木組造で拡張した。
 町庁舎 Rathaus(13C中) 同業者組合の建物として建てられた2階建。1755にバロック
   の切妻となった。
 聖パウロ・アンドレ教会 PropsteiSt.Petrus&AndressKirche1220-1350早期ゴシック火事の
   後に31mの塔頂はバロックで置き換えられた。
 聖ニコライ教会 St.NikolaiKirche 1772-82 チャペルの跡にバロックの回廊教会を建てた。
 町博物館 StadtMusum 恐竜骨格、鋳物工場、町の歴史。
 ペトロ泉 PetrusBurunnen マルクトにペテロ像が立つ泉、今の形は1726更新。

5.写真

市庁舎 マルクト広場
聖プロプスタイ教会 市街
西壁 西南壁
南市壁 東壁

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ビューレン Bueren NRW21

1.歴史

 1095 最初に文書に言及された、   1150貴族領主が城を合流点に建てた、
 1195 paderbornの司教と貴族領主との契約で、司教は要塞経費を負担した、
 1220 道路.町庁舎.教会等を整備し、少しづつ壁で囲い9塔を作って守った、
 1238 リップシュタットの都市権を基本として、都市法を制定し市壁を築いた、
 1568 最初に泉に水が配られた、    1661水道水が各戸に配られた、
 1728 城を1717-28に取壊して、跡にイエズス会学院をバロックのコ形建物で建てた。

2.市壁  0.34km 0.30

   13Cに0.9kmの市壁が築かれたが、1728には北側部分が無くなり、
   今は東西にMauerの名前の付いた道路の下側に石積みが残っている。

3.塔  0門2塔

  フクロウ塔 EulenTurm 東南に円錐屋根の円塔がある。
  北東塔 NertostTurum 北東の外れに円塔の市塔、茶色の尖塔。

4.見所  C

   特に魅力あるものはない。
 聖ニコライ教会 PfarrKirche St.Nikolaus 1220十字型のバジリカ教会で
   西塔がある。1774バロックのオルガン、19Cに改修された。
 マリア教会 JesuitenKircheMaria 1719-28イエズス会学院のバロックの教会。
   中庭に通じるアーチには1661の年号がある。
 古い木組の家 マルクト広場に木組み板張りの寄棟屋根の家があり、入り
   口の角材に1608の年号がある。
 郡博物館 KreisMuseum paderborn王の中世の城の歴史を展示。
 学校博物館 SchlnMusum 南の学校センターにある学校博物館。
 水車博物館 MuehlenMuseum 西下の再建された中央水車にある。

5.写真

マルクト 東壁
東壁 フクロウ塔
西壁 西壁

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ブルグ ヴュッパー Burg a.d.Wupper NRW22

ゾーリンゲン市内

1.歴史

 1133 ベルク伯アドルフ2世は居城建設、 1218-25 狩猟宮殿としても使用、
 1225 アイゼンブルクのフレデリックの死で承継戦争、1288 伯爵アドルフ5世の居住地、
 1385 デュッセルドルフ・ベルク公国の狩猟宮に、1509 城結婚式でユーリッヒ・ベルク公国、
 1632 スエーデン軍が町を破壊、      1700  公爵の居所は部分的改修、
 1807 宮殿から公爵の退去、      1849 宮殿は全焼で廃墟に、
 1889 城建設協会による復元運動、   1890-1914 城の復元作業開始。
 1920 城の火災、1922から城の再建、  1952 最初のケーブルカー設置。

2.市壁  0.51km 0.90

  宮殿を囲んで城壁が築かれている。

3.塔  2門0塔

  宮殿門 Schloss Tor アーチ門がある。
  溝門 Graben Tor 城の建物にアーチ門が開けられている。

4.見所  C

   山頂に復元された宮殿と周辺の建物や公園を見る。
 宮殿 Schloss Burg 塔のホール、祖先のギャリイ、東屋、礼拝宮、
   博物館がある。
 聖マルチヌス教会 St.Martinus Soringen Burg。
 見張城 Schloss Aussicht Burg 。

5.写真

宮殿 宮殿門

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ブルグスタインフュート スタインフュート市内 Burgsteinfurt NRW23

1.歴史

  890 市街集落の初言及、         9-12c 農場と住宅の集落、
 1155 貴族ルドルフ2世は水城を建てた、 1421 城はベンスハイム伯爵が相続、
 14c 貴族は市場を開設し町を発展、  1558 伯爵ヴァールブツクは城修復、
 1558 伯爵アーノルト3世は体育館設立、  1591-93 アーノルド4世は高校構想、
 1623 30年戦争の略奪・破壊・疫病、   1648 司教クリストフ・ベルンハルトは占領、
 17c 町を駐屯地を60年間維持、     18c 城や市壁は平坦して払下、
 1945 町の半分は空爆で破壊、英軍が占領。

2.市壁  0km 

   地図上には、Stadtmauer・Wallなどの道路名が残るが、市壁は見当た
  らない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   水城と大きな城下町が一体としてある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1561) 砂岩漆喰塗の2階建の建物で、丸窓と二
   つの尖ったアーチ窓で構成され独特な切妻である。正面に3軸アーケード入口
   があり、‌鐘楼には展望ギャラリィが付けられた。ミュンスター・モデルにに倣って作
   られ、1922までは地下に肉屋・警備員室・刑務所があった。今でも登記
   所が置かれ、観光案内所となっている。
 ブルグシュタインフュート宮殿 Schloss Burgsteinfurt (1129) 領主ルドルフ2世は、堰で
   川を止めた水城に、正方形の塔のある城を築いた。次に別の人工島に
   強力な要塞塔と管理棟を建てた。1164に城は破壊されたが直ぐに再建
   された。12cには城の礼拝堂が追加された。13c住宅棟が改修され広間
   がゴシックで造られた。2つの島は共通の防衛壁で囲まれ統合された。13
   c城の外に納屋・馬小屋・倉庫など農場の建物と城人の家も建てられた。
   1421男系が途絶えて、ベンスハイム伯爵の所有となり、居所とならなかった
   ため衰退した。1558修復されたが、30年戦争やバイエルン軍の占領を経て
   1662修復が始まり1723-29バロックの建物で更新された。1773-79防衛塔
   が取り壊して石材を活用した。1898補修が行われた。今もベントハイム・
   シュタインフュート家の住居として使われている。
 大教会 Grosse Kirche (9c) 旧市街の外に木造の教会があり、1222聖ヨハネ騎
   士団が来た時には、今のロマネスクの石造の教会となった。1648説教壇とオ
   ルガンが付けられた。1990の嵐で壊れ、再建された。
 小教会 Kleine Kirche (14c) 市民により貧弱な礼拝堂と家が建てられた。
   1430隣接地に木造で建て替えられた。1472-77後期ゴシックの八角塔の
   ある砂岩造の教会が建てられた。1945爆撃で全焼したが再建された。
 聖ヨハネ・ネポムク教会 St.Johnnes Nepomuk kirche (1721-24) 古いバロックのホー
   ル教会は、1883-85にロマネスク・リバイバルの十字架教会に拡張された。18cか
   らの祭壇画とオルガンがある。

5.写真

旧市庁舎 宮殿
大教会 小教会

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コエスフェルト Coesfeld NRW24

1.歴史

 809 最初の文書による言及、   1197 町を南に移し都市権の一部授与、
 1244 シトー会修道院が移動してきた、17C 30年戦争で数回外国軍隊が占領、
 1761 経済の衰退、                1803 仏軍の侵攻、
 1815 ウイーン会議でプロイセン領となった、 1945 第2次大戦の爆撃による破壊。

2.市壁  10m 0.01

   全周を土堤と緑地が取り巻き、東から南にかけて堀が残る。
  東のWalkenbrueckenTorの周辺に市壁は僅かに残る。

3.塔  1門2塔

 門塔 (東)WalkenbrueckenTor 14Cの要塞の残り、第2次大戦で壊され
    1945に外観は復元。車道と両歩道の3アーチの長方形レンガ造、西側に建物
    が連り美術館として使用。
 火薬塔 PulverTurum 14C市壁の円塔でレンガ造円錐屋根。
 塔家跡 TorHausRuine 守衛詰所の上部が保護されている。17C中にルドガー
   の城を作らせたが完成せず、後に壊されかけた。

4.見所  C

   旧市街地の中心にあるマルクト広場には、石造の大型で高い建物が取り巻き、
  教会の高い塔もあって、見事である。
 旧町庁舎 Rathaus 古いゴシックの市庁舎は2次大戦で破壊後、広場の東側に1955
   移設された。レンガ造りの簡素な建物。入口の上に牛の頭部の紋章が飾られ、
   1階は観光案内所となっている。
 聖ランバート教会 St.LanbertiKirche 広場の東北にロマネスクからゴシックに教会は拡張さ
   れていたが、戦後に再建された。1703前面の5階建てのバロックの塔は1945に
   爆弾で破壊され、忠実に復元された。内部に聖十字架の遺物。
 福音教会 Ev.Kirche プロテスタントの教会は1692にイエズス会の教会として建てられ、
   1945の爆撃で破壊され1955に再建された。1969に福音派の教会。
 切妻の家 GiebelHaus 広場の西に入母屋2階建てレンガ造1955改造や石積み破風
   の家1744の再建がある。
 元城 Ehe.Schloss 1666初めはイエズス会の大学であった。戦後に修道院として再
   建され、1977に市が買い取った。

5.写真

市庁舎 塔守跡
バルケン橋門 火薬塔
火薬塔 旧城

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デトモルト Detmold NRW25

1.歴史

 783 最初の文書による言及ザクセン領、 1265 市場で町は発展した、
 14C 城は領主の代官に管理された、  1305 堀.土塁.市壁で町を守った
 1515 帝国自由都市、         1557 宮殿はヴェザールネッサンス造りで完成、
 1616 郵便の駅を設けた、       1625-37 ペスト流行、
 1648 30年戦争終了、壁の中に9百人、 1701市壁を壊して南に新市街地を設置、
 1720 運河のために土塁と堀を撤去、  1780 市壁と壁塔が取り払われた、
 1818 NRW州に帰属。

2.市壁  0.76km 0.49

   市壁は、直径500mの円形であり、まだ市壁は南側の各所に残されている。

3.塔  0門0塔

   昔は東西南北に4門があった。(東)BuergerTor 壁の裏側は沼沢地。
    (西)BruchPforte 家畜が牧草地に行くために開けた。(南)HornTor
    (北)LemgoischenTor 二重門。

4.見所  C

   旧市街地には、350の木組みの歴史的な建物が見られる。
   特に、ランゲン通.クルメン通.マイアー通は見事である。
 領主王宮宮殿 FuerstlicheResidenzSchloss ヴェザールネッサンスの華やかな宮殿
   1366初めの宮殿、1447戦争で壊され城壁で補強して1511再建、1549ヴェザー
   ルネッサンスの堂々とした建物とした。1780宮殿の庭のため城壁を取り壊した。
    赤い部屋:1882古代神話の天井画.肖像画.磁器飾られ、後期バロックの広間
    先祖の間:16Cダークオーク材で囲まれた先祖の肖像画が飾られた荘厳な広間。
    王の部屋:アレクサンダー大王のタペストリィのある、後期バロックのプロイセン王の部屋。
 地域博物館 LandesMuseum 地方の文化.歴史.民族学.歴史の豊かな展示。
 民族屋外博物館 Lwl-FreilichtMuseum 100haの広大な木組の家の田園風景
   と歴史的な内装が見られる。製粉.鍛造.陶器の古い工芸品を展示。

5.写真

市庁舎 ランゲ通
侯爵宮殿 市公会堂

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 ドルステン Dorsten NRW26

1.歴史

 BC7-11 ローマ駐屯地の遺跡を発掘、         8C キリスト教化始まる、
 13C 水運による貿易拠点として栄えた、  1251 ケルン大司教から都市権を授与、
 1260 堀.土堤.柵.市壁による3.5haの防御、1334 長方形11.8haを壁で囲った、
 14C ハンザ同盟に加入し低水路料金で、        1588 魔女狩りの文書化、
 1641 30年戦争で占領され荒廃、   1633 円形防備に星形要塞を付けて強化、
 18C初 ハンザ同盟の最盛期で経済回復、 1945第2次大戦の爆撃で町の80%破壊。

2.市壁  30m 0.03

   昔の市壁の位置に低い石やレンガの柵が置かれている所がある。
  西南東のGraben通に、僅かに市壁が残る。西側水路に昔の星形要塞跡が
  見られる。

3.塔  0門2塔

   2つの丸い防御塔が西南側の緑地に立つ。その一つは30年戦争から第2次大
  戦の戦死者の記念碑となっている。RecklinghaeuserTorは基礎だけ見られる。

4.見所  C

   木組みの家は見るべき物がある他は、小さな旧市街地の中に旧市庁舎
  (郷土博物館)と聖アガサ教会に囲まれたマルクトがあるだけである。
旧町庁舎> AlteRathaus 1567建、ルネッサンスの建物は1797までに玄関ホールが設けら
   れ市営計量所として使われ、1902までは市庁舎として使われた。1935から郷
   土博物館となり、古い武器屋.羊飼いのフルート.町の歴史を展示。
 聖アガサ教会 St.AgathaKirche 中世の教会はゴシックのホール教会であるが、1945に連合
   国の560発の爆弾を受け主塔3階だけ残った。今日の教会は1951に基石
   を置き1952にバジリカ様式で落成した。内部はマグダリアのマリアの祭壇、ロマネス
   クの洗礼盤、13Cの3つの鐘がある。
 ユダヤ博物館 JuedischesMuseumWestfalen 州内のユダヤの歴史と文化を展示。
   

5.写真

旧市庁舎 西壁
西南壁塔

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 ドレンスタインフュート Drensteinfurt NRW27

1.歴史

 851 アレキサンダー旅行記に浅瀬を記述、  14c シュタインフートの館の町に教区設立、
 15C 定住人口増で4市門の市壁建設、    16c 町の市門と市壁を強化、
 16-17c 戦乱は免れた、       18c 都市拡張・公共施設・農場の形成、
 19c 家畜・農産物・ストロンチアン鉱石の鉄道輸送。

2.市壁  0.11km 0.11

   15-16cの市壁は南東部に一部残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   第二次大戦の破壊にも関わらず、古い木組みの家は残されている。
 旧郵便局 Alte Post (1647) 2階建の11柱列の本館と4柱列の突出した分館が
   一体となった三角屋根の木組の家で、上階は持ち出している。地下アーチに
   は1647の年号がある。通路で入った中庭には、倉庫・事務室・炉のある土
   間等に使われた。その後馬車や馬の留置場所となり、アルテ・ポストと呼ばれ
   た。1976町が建物を取得して改修し、1980市議会・委員会・文化行事に使
   われている。
 シュタインフュート宮殿 Schloss Schteinfurt () ヴェーザー川と堀で囲まれた町の北側に、
   宮殿複合体がある。邸宅・二つの別荘・中庭の左右の門・水車公園などで構
   成されている。中心の大邸宅は1907-09に建てられた2階建レンガ造左右
   対称の建物で、前面に軽い突出の横翼がある。最古の部分は1585-91の
   門衛の部分にあり、ルネッサンスのレンガ造である。
 ロレート礼拝堂 Loreto Kapelle (1726) 1666聖ヨハネ礼拝堂の跡に3方に開かれたレン
   ガ造の礼拝堂が建てられ、入口の上には砂岩のナザレ家の告知がある。1730
   -79には聖巡礼が行われた。
 聖レジーナ教会 St.Regina Kirche (1137) カトリックの教区教会で、主としてレンガで造
   られた。最初はロマネスクの小教会であったが1783には取壊された。1787-90
   に既存の土台の上に、西塔・長方形後陣・2階建の聖職者の家から成り、木製
   の天井は石灰で飾られた。1890に2通路を追加し、1895木製天井の置き換
   え、19c広大な絵画が描かれた。
 蜂博物館 Bienen Museum () 数十年ミツバチを飼い、平屋の建物でハチの必要性を説
   明している。蜂蜜の効用・蜂蜜コロニィの研究発表もある。
 ミルと機器博物館 Muehlen Museum () 工場・装備品の博物館であり、機械がスローモー
   ションで作動する。1935時代の技術が理解できる。
 古い家 Alt Haus (1550) 古い木組の家で、1982に改修された。
 カフェ・プレーニ Kafe pureni (18c) 不規則な屋根の木組の家。
 カソリック教区館 kath.Pfarrgemeinde 新バロックのレンガ造の建物、1912修復。
 古い木組の家 Alt Fachwerk haus (16c) 軒柱持ち送りの2階建の可愛い家で、18
   06ウルリヒが追加された。内部には塗装された木梁が残っている。
 古い木組の家 Alt Fachwerk haus (16c) 不規則な屋根の2階建木組の家で、二次
   大戦の戦災は1958に復元された。
 ビスプティング館 Haus Bisping (15c) ガレン家が16c以降水域を所有し、1651に再編
   され、入口門のみが残った。2階建ての門の家は地階砂岩上階木組で区画
   レンガで囲まれている。

5.写真

聖レジーナ教会 マルクト広場
南壁 市壁案内図

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デュイスブルク Duisburg NRW28

1.歴史

  420 ローマの遺構が存在、        883 ノルマン人の遠征、
  929 町は拡大し 宗教会議を開催、  1120 要塞の建設 川沿いに古い石積、
 1195 ハンボルン修道院の設立、      1290 帝国都市となった。
 13C  レンガ市壁の建設その跡が現存、 1316 サルバータ教会をゴシックで建設
 1407 ハンザ同盟の復活、         1655 大学の設置、
 1756 市壁外へ最初の家建設、     1815ー1833 中世の町の全4市門を解体、
 1945 重工業地帯のため空襲311回、全2.4kmの市壁の80%を破壊、
 1960 Kuhl壁の補修再構築された、  2010 Spring壁も再構築中。

2.市壁  0.84km 0.35

   13cに2.4kmの市壁が築かれ、第2次大戦後80%が残っていたが今は35%
   しか残っていない。1960にはKuhl壁を解体し古い破片を使って再構築した。

3.塔  0門4塔

  地名で残っている4門Torは全て壊され、防御塔は21の内4塔ご残る。
 アーヘン塔 AachenerTurm Unter通 12C居住塔、14C都市防御に組み込ま
   れ、今日高さ4mの半円塔が歩道上にある。
 羊塔 SchaefenTurum OberMauer通 。
 塔跡 TurmRuine 歴史博物館の東側地下に円塔の基礎が掘ってある。
 コブレンツ塔 KoblenzerTurum 川沿いの公園の中に立つ、かっては高さ21
   mの見張り塔。今は周囲21mで高さ10mの半円塔で屋根が付いている。

4.見所  B

   町は旧市街地から東へ拡がっている。旧市街地の建物は戦後の建物である。
 市庁舎 Rathaus 1926小さかった市庁舎を含む一帯を再開発して裁判所.市
   劇場.ホテルも建てた。市庁舎は石灰岩と凝灰岩の縦方向を強調した建物。
 サルバトーア教会 SalvatorKirche 宮廷の敷地内の9Cの建物は火事に会い、1415
   に再建されたが1467にまた火災に会い1515に復元された。1898-1907
   にゴシックに改築され、大戦で屋根と保管庫が壊され1960修復されたが、
   尖塔は再建されていない
 古い木組の家 DreigiebelHausu 1536建、現存する最古の家。建物は中央
   部は1536に建てられ旧シトー派修道院の家であった。1823高等女子学校と
   なり、1906民会の手に渡ったが、老朽化し1961に市が購入して復元した。
 旧郵便局 AltePost 1571ドイツ騎士団の建物だったが、1818からプロイセン時
   代の郵便局。レンガと赤い砂岩で作られた細長い建物。ポストホルンの標識。
 市歴史博物館 StadtHistorischesMusum 1979文化と歴史の博物館。1902
   から古代博物館があり、戦災後に下ライン博物館として再開した。

5.写真

北西壁 北西壁塔跡
北壁 北壁塔跡
北壁塔 北東壁

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デューレン Duelmen NRW29

1.歴史

  889 修道院税登録で初言及、         1115 領主は城を建設、
 1229 村を焼かれ、市壁と堀を築く、1311 ミュンスターから市場権・自治権授与、
 14c 門のある石の要塞が建てられた、 1328-1808 町は自治を行い栄えた、
 1470 ハンザ同盟に加入、       1583 スペイン・オランダ戦争で要塞強化、
 1623 30年戦争の占領、1623 魔女2名処刑、1629 大火災で町の1/3焼失、
 1670 123の荒廃家屋に79人が住んだ、   1752 穀物貯留所を建設、
 1761 7年戦争で占領の仏軍が市壁補強、  1803 王子司教ミュンスターの廃止、
 1811 ミュンスターランドは仏に編入、   1816 プロイセンとなりヴェストファーレン州へ、
 1945 空爆で町の9割が破壊。

2.市壁  0.04km 0.01

   14-16cの市壁は、殆ど残っていない。北と東に僅か残る。

3.塔  1門2塔

   5門と6塔以上があったが、東に1門1塔、北に1塔が残る。他の4塔は地名
  やレストラン名で残されている。
 リューディングハウゼン門 Luedinghasen Tor (14c) 二つの円錐屋根のレンガ造円塔の高
   い位置を屋根付きのバルトメントで連結している。1908の創立600年記念事業と
   して改装されこの時に連結された。で補修されている。
 尼僧塔 Nonnen Turum (14c) 4階建の四角塔で、南側には市壁がある。
 ローレンケン塔 Lorenken Turum (14c) 4階建円錐屋根の円塔。

4.見所  C

   二次大戦終結直前の1945.3.21に連合軍の空爆があり、町の9割は破壊
  され、1200戸の集積は殆ど失われた。しかし馬の町として知られ、歴史的
  な町のツアーでは興味深い話がが知らされる。
 市庁舎 Rathaus (15c)建物は幾度かの増改築を経て、1945の破滅の直前に徹底
   的な改修が行われたが、戦災は免れなかった。1954飾り気のない3階建の
   長い今の建物で再建された。
 聖ビクター教会 St.Victer Kirche (740)小さな木組の教会は、1074石造のロマネスク
   のホール教会となり、1323ルーデヴィッヒ司教は教区教会を建て1811まで建物は使わ
   れた。1601にゴシクの後陣と正方形の塔が完成した。1945崩壊後1949-51塔の
   ヘルメットを着用して再建された。
 旧宮殿 Ehem.Schloss (1844) クロー侯爵は、1803郡庁を取得し1815ナポレオン戦争後
   はプロイセン王国の公務員となった。1834-44市壁を超えて宮殿を建てた。1861
   美しい庭園に改装した。二次大戦の被害は再建されない。
 十字架礼拝堂 Kreuz kapelle (14c) ハンセン病の病院として建てられ、15cに十字
   架礼拝堂が建てられた。30年戦争後1696礼拝堂は再建され、7年戦争で壊さ
   れ、1765に今の建物になった。
 教区教会聖十字架 Pfarr kirch Heilig Kreuz (1938) 人口増で第2のの教会が求
   められ、1938ミュンスターの司教によって奉献された。1945の被害は1952-54
   に再建された。
 オストホフの家 Haus Osuthoff (18c) 1727に買収されたバロックの建物は、2次大戦後
   1968まで民家として使われ、2002デザイン会社の本部となり、2016歴史的建
   造物に指定され、美しい庭と高基礎の2階建の建物がある。
 ミューズ邸 Villa Mues (1913) クラシック様式の幾何学的に単純化された2階建の建物。

   

5.写真

市庁舎 聖ビクター教会
マルクト ローティングハウゼン門
尼僧塔 ローレンケン塔

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デューレン Dueren NRW30

1.歴史

  747 初言及、帝国議会開催、       774 カール大帝は王宮に滞在、
 1184 都市要塞が築かれ18cまで強化、1241-46 フレデリックは帝国自由都市に、
 1356 ユーリッヒ伯爵の領地へ16cまで、 1501 マインツからアンナ聖遺物を盗み置く、
 1506 戦いの後ユリウス2世は聖遺物を残す、  1543 被災し9割の家が壊れた、
 17c 30年戦争や仏軍占領で人口減、 1815 ウイーン会議でプロイセンへ帰属、
 1816 アーヘン地区の管理都市へ、    1944 空爆で町の9割が破壊。

2.市壁  0.24km 0.11

    12cの市壁は、南のAltenteichの東に5m、西に180m、その北のWallstrasse
  に40m、東Hohenzollen strasseの10m残っている。

3.塔  0門4塔

    大口径のレンガ造の塔が4基残されている。
 ピーツ塔 Pietzer Turm (1355) 東の市壁に直径15mの5階建レンガ造円塔
   で補修されている。
 槍塔 Spiessen Turum (14c) 東の市壁に直径40m4階建の塔で、一次
   刑務所として使われ、下部は補修されている。
 太った塔 DickenTurum (14c) 南のAltenteichの東側に5階建レンガ造の
   大塔で1909に修繕された。
 グレーセン塔 Groenjans Turm (14c) 南西のAltenteichの西側にあり、塔
   の下にはローマ将軍マーカステェリウスの石碑がある。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1956)以前は家畜市場にあったが、1889から皇帝広
   場に移った。1891皇帝ウイルヘルム1世の立像が建てられたが1944壊れた。
   1956皇帝広場は、同時に市の行政の場になった。10階建の中央塔を
   中心に4階建の建物が連なり、各種用途に使われている。
 ブルガウ宮殿 Schloss Burgau(1532) 南の森に水城があり、住居棟は、1532
   にルネッサンスで再建された古い塔である。外構は1600に周囲に建てた。
 地方裁判所 Amtsgericht (1940) 地方裁判所の3階建の建物が建てられた。
   戦災を無傷で生き残った、数少ない建物である。
 ラスの家 Haus Rath (16c) 東にある水城で。宮殿と前城は戦災後1956から
   修復された。厳格幾何学的な庭園は1793のパビリオンしか残っていない。
 アンナ教会 Anna Kirche (12c) 1501マインツの聖シュテファン教会のアンナ聖遺物を持ち
   出して、デューレンの聖アンナ教会に奉り、重要な巡礼となった。
 マリエン教会 Marien Kirch (1459) フランシスコ会は、今の位置に1459修道院を開
   設し、1832新しい教会が開設された。1944戦災で破壊され、戦後
   再建された。
 紙の博物館 Papier Museumf (1980) 町の製糸業の生産額と独特の歴史と
   文化を博物館に展示した。
 レオポルト・ボーゼ博物館 Leopold Hoech Mueum (1905) 創設者の名前を冠した
   博物館には、広く芸術や絵画のコレクションで知られている。ネオバロックの建物
   は幸運にも戦災を免れた。

5.写真

市庁舎 聖アンナ教会
マリア教会 ディッケン塔
グレーンャンス塔 プレツアー塔
シュピーセン塔 西南市壁
西市壁

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デュッセルドルフ Duesseldorf NRW31

1.歴史

 1135 文書初言及   1288 ケルン大司教に勝った侯爵アドルフ5世は都市権を授与、
 1380 ブルク公国はライン河畔に住居と行政の地を、1384-94 町は大幅に拡張された、
 1423 侯爵アドルフ7世はベルク資金公国を確保、 1538-43 ベルク資金公国の首都に、
 1609 承継戦争の後にヴィッテルバッハ家の落ちた、    1757 7年戦争で仏が占領、
 1795 仏革命軍の降伏で仏支配を解消、   1801 プファルツ・ツバイブリュッケンが支配、
 1806-13 ナポレオン同盟国のベルク大公国の首都、       1813 プロイセンに帰属、
 1947 ドイツ連邦NRW州の州都。

2.市壁  0m 

   12-13Cに市街を土堤や木柵で囲んだ町が創設された。14c町は大幅に拡大され
  石の市壁に置き換えて3.8haの町を長さ800mの市壁で囲んだ。16cには要塞によ
  って強化された。1734シタデル要塞の強化、1757七年戦争で破壊、1784-87星形要
  塞は解体、1801仏軍の占領後に全要塞は爆破され瓦礫の山が築かれた。旧十字軍
  教会の南側に舗装に埋め込まれた市壁の印がある。

3.塔  0門1塔

 城の塔 Schloss Turm (15c) 円塔の上に八角塔を乗せた5階建ての大きな塔で、ユーリッ
   ヒ・クレーフェ・ベルク侯爵のバロック宮殿は1872に塔を残して焼失し、1888宮殿の遺跡も
   撤去された。

4.見所  A

   ルール工業地帯の中心地であり、1806-15仏が支配して「小パリ」の雰囲気があ
  った。ロベルト・シューマンが市音楽団長を務めた。旧市街のライン川沿いは居酒屋が並ん
  でおり、ボルカー通の仕立て屋ヴィッベルの路地には、頓智屋ヴィッベルのグロケンシュピール
  が11.13.15.21時に演じられる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1570-73) 三つの3階建の建物の複合体として、北側の旧市
   庁舎、中の古い市立劇場の跡地の1875ヴェルヘミーネ建築、西側のグルッペロ家から成る。
   家から成る。1747ベランダやバルコンニーの追加があり、1856-61改修された。
 聖ランパート聖堂 St.Lambertus Basilika (1206) 下ラインの煉瓦ゴシックの3身廊ハレン教会で72
   mの高塔がある。1288-1394拡張され、1629までは選帝候家の墓所であり、内
   装は主としてバロックで、南壁には15cの壁画がある。
 旧十字軍修道院教会 Ehem.Kreuzherren-KlosterKirche (1443-80) 下ライン煉瓦ゴシック
   の二重内陣のホール教会である。1803世俗化の後に、馬屋・武器庫・税務署文書庫と
   して使われ、西側に舗装に埋め込まれた旧市壁跡の印がある。
 旧ベルク教会 AlteBerger Kirche (1683-87) 煉瓦造のホール教会で、選帝侯ベレムは身内の
   宗教行事をここで行った。しかし新教の教会は当時直接道路に面する事ができ
   なかったため、18番地の家の入口を通って、小さな庭の向こうの教会に達する。
 聖マルガレーテ教会 St.Margarete Basirika (1236) 下ライン初期ゴシックの八角塔のある3身廊
   柱バジリカで、シュタイフェン朝の良く保存された教会である。中には、貴重な宗教作品
   が多くある。
 美術宮殿博物館 Museum Kunstpalast 17cのオランダヤドイツの絵画・ローマからのガラス品・20
   cの現代美術の作品を展示。
 市博物館 Stadt Museum 3階建ての市博物館と海洋博物館に先史時代から地域と町の
   発展の歴史が展示されている。
 水族館とレッボック博物館 Aquazoo Loebboche Museum 魚類の水槽・動物ショー・ 昆虫・軟
   体動物などの標本などを有する。
 演劇博物館 Theater Museum 町の演劇の歴史をホフガルテンハウス400m2に展示。
 映画博物館 Film Museum 3万以上のタイトルのフイルムを所蔵する。
 ハインリッヒ・ハイネ研究所 Heinrich Heine Institut この町に生まれた詩人の生涯と作品を展
   示する。

5.写真

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エアケレンツ Erkelenz NRW32

1.歴史

 996 オットー大王の寄付文書に初言及、   1118 古い交易路の交点で発展、
 1326 ゲルデンのライナルト伯は都市権を授与、  1416 ライナルト4世は要塞を建設、
 1425 町はエグモントのアーノルトに落ちた、 1500 4市門14防衛塔の市壁で守る、
 1580 疫病の流行、       1607 オランダ軍が占領、1674仏軍が破壊、
 1713 プロイセン軍が占領、 1714ユーリッヒ公国に落ちた、1794 仏軍が占領支配、
 1815 プロイセン王国に属し地区の町となる、 1944 2次大戦の爆撃による破壊。

2.市壁  0.05km 0.01

   1339に軽い市壁があったが、1416レンガ造の市壁建設が行われた。1514
  4門14防衛塔の1.4kmの市壁となった。1674に2門が崩壊、1818-19プロイセン
  王国は廃墟の市門と市壁を破壊して、プロムナードとした。今は北東部に、
  市壁は僅かに残る。1950市壁の一部復元。

3.塔  0門1塔

   4門は何れも残っていない。
  MaarTor内門(1416)外門(1459)、OeratherTor内門(1420)外門
  (1454)、BruckeTor(1945)、KoelunerTor(1514)、に壊された。
  これらの門は、レンガ造で巨大な土台・閉鎖されたツインガー庭・30-40m前にある前
  門を含み門城を構成した。内側には詰所や住居もあり、屋根付きの市壁につ
  ながっていた。今はブロンズの説明板が置かれている。
 防衛塔 14防衛塔の内、唯一北側に2階建で四角いレンガ塔がある。防衛塔は市
   壁の延長70m毎にレンガ造の壁塔を建て、両側の塔で死角なく射撃ができた。
   塔は13mの正方形で、高さは23mあった。

4.見所  C

   古くから交易で栄えた小さな町。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1326) 初めの市庁舎は、市場の家と呼ばれ、亜麻取
   引・組合・行政の場で、重量・徴税など都市特権を監視した。1540火災で
   焼失し、1546ゴシックの煉瓦造2階建の4隅タレットの庁舎となった。地階はオープ
   アーケードで上階は審議室や倉庫であった。1756手狭になり、地階に壁を立
   てて警察署と留置場を内蔵した。1918新市庁舎に移転し、一次大戦後ベ
   ルギー占領軍本部となり、1920歴史と古美術協会なり、1930改修を行うが
   1944空襲で破損し、1948-51再建が行われた。
 聖ランベリティウス区教会 PfarrKirche St.Lambertus(11c)初め広間教会で1418
   ロマネスクで長さ方向に延長された。1458高さ83mの塔がフランダース風に建てら
   れた。1944空爆で大破し1952-54にネオロマネスクで再建された。
 レオンハルト礼拝堂 Leonhards Kapelle (1540) 貧困者の病院や宿泊所もあり、18
   07仏軍が接収して小宮殿になった。1989-12修復して文化行事が行われ
   ている。
 スピースの家 Haus Spiess(1806)後期バロック2階建3翼の館が建てられた。スピース
   は、仏ルイ16世の役人で、この町にレンタル・マイスターとして滞在した。1978市が
   所有し補修して、結婚式や展示会に使われている。

5.写真

旧市庁舎 ランバトース教会
マルクト エルケレンツ城
北東市壁 北東市壁

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オイスキルヘン Euskirchen NRW33

1.歴史

 870 氾濫原の上の教会を初言及、1151 聖マーチン教会拡張とホーフ教会建設、
 1270 堀と壁で町を守った、    1280-1300 都市の拡大、
 1302 ヴァルラム8世はモンシャウ・ファルケンブルクを授与、1325 3門7塔1.45km市壁で守る、
 1945 米軍が占領。

2.市壁  0.59km 0.41

   1302町が堀と壁だけで守られた後に、1355から大規模な町の要塞が造ら
  れた。1世紀後には、高さ7m長さ1.45kmの市壁が完成した。1702要塞は
  仏軍が取壊し、1906町の発展の阻害から取り壊される事になった。

3.塔  0門4塔


 14cの市壁には、初めの3市門に、南東にNeutorが追加されたが、今は
   門は残っていない。  北のKessenicherTorは1702仏軍に爆破された。
   西南のRuedesheimeTorは1823まで門前で家畜(豚・山羊・羊・子牛)が取
   引され、1842に取り払われた。南のDisternicherTorからは川が流れ込
   んでいたが、1746門は廃止され、1810爆破され、1851取り払われた。
   南東のNeuToraは1809に壁の穴が開けられたもので、市壁除去と共に消
   えた。高さ20mに及ぶ壁塔が7基建てられたが、1702仏軍に屋根を爆破さ
   れた。マル〇印の4塔は、現存する。
  ○太い塔 DikerTurm (14c) 北西の古い塔で直径11.3m壁厚2.6m
    1950屋根再建、1992-2010市博物館に一部を収容。
  〇半塔 HalbTurm (14c) 北の半円塔で屋根はない。
  〇カーレン塔 KallenTurm (14c) 北の塔でプロイセンの決定で残った、
    1992屋根を再建しボーイスカウトが使った。
  〇食物塔 FressenTurm (14c) 南側で唯一の円塔。下に抜け穴。
  アナ塔 AnnaTurm (14c) 教会壁の高さで立っていたが1857解体。
  ピッチェ塔 PitschnTurm (14c) 北の半円塔で18cに家に統合。
  捕虜塔 FangenTurm (14c)塔は刑務所をつとめた。1908聖心教会
    建設のために取り除かれた。

4.見所  C

    14cのアルターマルクトを中心とした町で、マルクトでは穀物・牛・羊毛が取引され
   た。1606噴水が建てられ、代表的な建物が周囲を囲んだ。1970商業ビル
   に建て替えられた。旧市庁舎・7cからの教会・城・ローマ水路などの見所があ
   る。この町には12の城跡がありそれぞれに歴史と文化がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (14c) 1533に大火事で全焼し、ルネッサンスで再建
   された。1734戦災の後もロココで修復した。1900特徴的な鐘楼が付けら
   れ、1945戦災で破壊され、1952古いモデルで復元された。1970市庁
   舎はケルン通りに移転された。
 聖マーチン教会 St.Martins Kirche (7c) 町で最古の建物で、今の教会は12c
   にローマ時代の基盤の上に、西に角塔東に後陣のある大聖堂に建替えら
   れた。1951に地震があり、それで尖塔は傾いた。
 聖心教会 Kirche St.HerzJesu (1906-08) 旧市壁と捕獲塔の近くに建て
   られた。1924教区教会となり、1944戦災で損傷し再建された。長さ
   62m幅24mの大きさで33.9×11.7mの身廊に高さ70.2mの塔がある。
 市博物館 Stadt Museum (2012) ローマ時代からの町の歴史を展示し、美術
   館のスペースもある。1992-2010は太い塔に置かれていた。
 ライン産業博物館会 Rheinisches Indasrie Museume (20c) ミューラー毛織物工
   場の、20cからの古い布工場を1961に改修して博物館とした。

5.写真

旧市庁舎 聖マーチン教会

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ガンゲルト Gangelt NRW34

1.歴史

 828 王宮の所有物足して初言及、  その後ハインスベルクの領主に属した、
 1243 市街地が設立された、     1301 町と呼ばれた、
 1364 城が建設された、       1420 町は3市門の市壁に囲まれた、
 1472 ユーリッヒ公国に属した、      1643 ヘッセンが町を占領、
 1765 仏軍が占領、         18c 終りに都市権を失た、
 1870 町は火事で被害。

2.市壁  0.26m 0.14

  15cの市壁は、周囲にいくらか残っている。

3.塔  2門3塔

   旧4市門の内2前門が残り、SittarderTorは1615に取り崩された。
 ブルッヒ門 Bruch Tor (15c) 2階建の角塔にアーチ門があるが、今車道
   は門塔の西側に迂回している。
 ハインスバーク門 heinsberger Tor (15c) 2階建の角塔にアーチ通路がある。
 3火薬塔 3Pulver Turm (15c) 大径の円塔で、北に2箇所と西に1箇
    所に市壁と共に残っている。

4.見所  C

 旧市庁舎 AltesRathaus () 町の中央の聖ニコラス教会の北にある。
 共同行政所 Gemeinde Verwaltung Gangelt () 市街地の南の外れに、
   大きな近代的な建物が建てられた。
 ガンゲルト城 Burg Gangelt (1365) 町の南西の1250要塞に建てられた。
   1511に建てられた城は、シェークスベルク伯爵が要塞と共に所有した。ブルゴーニュ人
   による破壊の後、拡張再建された。1791に15cからの5階建の住居棟を除い
   て取り壊された。1945堀は瓦礫で埋められた。1986-88建物は修復された。
 教区教会聖ニコラス Kath.Pfarrkirche St.Nikolaus (14c) ゴシック3通路の
   大聖堂は大部分はレンガで、14cの塔は4階建正方形の石灰岩で造られた。
   15c身廊、16c西側の建物が建てられた。1860現在の外観は修復によって特
   徴つけられた。二次大戦の被害は、1951までに修復された。
 旧校舎 Ehem.Volksschle (1902-03) 14cから学校があり、16cからは高
   校であった。1826プロイセンの教育制度の小学校が、2階建てレンガ造漆喰塗で建
   てられた。
 館施設 Hofanlage (1608) 4翼中庭付き2階建レンガ造の建物群である。
 旧旅館 Ehem.Gasthaus (1813) 鋭角の角に立つGasthausBijtrautche
   は2階建の不規則な窓軸のサドル屋根で化粧シックイが施されている。
 住宅 Wohnhaaus (1708) レンガ造2階建4軸の門のある家で、戸や窓に
   ブルーストーンが使われている。
 住宅 Wohnhaaus (1608) 古い住宅。

5.写真

旧市庁舎 ニコラウス教会
ガンゲルト城 ブルッヒ門
ハインスベルマー門 火薬塔東
火薬塔北東 火薬塔北西
東市壁 南東市壁

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ゲルデルン Geldern NRW35

1.歴史

 812 城前の集落を最初に言及、    1229都市権を得て土堤と壁で防御、
 1237 城はMuehlenBegにあった、  1300都市計画の完成で市壁1.8kmと3門、
 1347 ゲルダン侯爵の首都が終わる、 1578 スペイン.オランダ.プロイセン.フランスが占領、
 1764 2つの堀と7つの稜塁のある要塞であったが、取壊され家が建てられた、
 1863 ケルン鉄道の開通により都市開発、1944-45 第2次大戦の爆撃による破壊。

2.市壁  0m 

   13Cに土塁、堀、市壁を強化した。1764までに堀や稜塁は住宅とキャンプハウスの
  ため取壊され、残りの市壁も第2次大戦の爆撃により破壊された。

3.塔  1門0塔

 風車塔 Alt MuehlenTurm (1546) 小高い丘の上の円筒型のレンガ造の塔で、旧市
   街の市壁に建てられていた。1643に円錐型に改造され風車が置かれた。4
   階までは観察デッキになっている。

4.見所  D

   マルクトを中心とした小さな町で3つの教会があるだけ。
 マグダラのマリア教区教会 St.MariaMagdalenaKirche 1400) ゴシックのホール教会、第2次世
   界大戦で破壊され1952に再建され2003-4に改修され内装は
   一新された。
 カプチン教会 CapuchinsKirche (1628) レンガ廟と小塔、18Cの碑文がある。1999に民間
   に売却。
 福音教会 Ev.Kirche (1740) プロイセン風のバロック様式で建てられた。

5.写真

マルクト広場 北土堤
粉挽塔 街角の像

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ゴッホ Goch NRW36

1.歴史

 1261 最初の言及、        13C都市権を得て、土塁で町を囲んだ、
 1341 侯爵は町に土地を贈った、     1350 最初の円形防護市壁の完成、
 1458 町は原野を平坦化し羊毛紡績、 1540 ハンザ同盟に参加、
 16C  資金不足で古い要塞のまま、1620 200年間オランダ.スペイン.フランスが占領
 1815 プロイセンに帰属、     1945第2次大戦の爆撃と砲撃で建物の81%破壊。

2.市壁  0.09km 0.04

  14Cに2.2kmの市壁が築かれたが、今は南側に3か所90mが残る。

3.塔  1門0塔

  14Cには4門と19塔を備えていたが、今は唯一SteinTorのみ残る。
 石門 SteinTor 14Cの北側石門、丸型の二つの側塔を持つ堂々たる
   4階建門塔である。1919南中央部が崩れ復元された。19Cは刑務所、
   戦後は警察署、今はカーニバル博物館として使われている。

4.見所  C

   マルクトから北側に大きな建物が並び、古い建物も残っている。
 市庁舎 Rathaus 
 テアチアリン修道院 TertiarinnenKloster (1651)レンガ積の旧聖ヨハネ修道院の翼が
   残され1848に病院に寄贈され、今は市立図書館になっている。その他の
   建物は19C中に取り壊された。
 聖マリアマグダネラ教会 St.MariaMagdalenaPfarrKirche (14-16C) 古い部分
   は1323教会文書館として建てられ、1628オランダ軍による閉鎖の後に破壊
   され、本堂は1945-59に復元された。塔は1993に崩壊し2003に再建した。
 新教教会 Ev.Kirche (1570) 1701大規模な改修、1889バロックの漆喰、
   1942前面はレンガライニングとした、1945爆撃で外壁のみ残った、1958屋根
   が付けられ、1973白い建物、1997に復元された。
 女性の家 FrauenHaus (16C) 貧しい女性の2階建の家、
 男性の家 MaennerHaus (16C)
 五つのリングの家 Haus zuden FuenfRing (1550) 3階建レンガ積破風付の家。
   1945爆撃で前面のみ残り、戦後再建された。1825ワイン販売、1850ビール醸造。
 ゴッホ博物館 GochMuseum 旧地方裁判所の復元建物。1991創立、
   町の美術品と歴史的な展示。

5.写真

市庁舎 西南壁
西南壁 西壁
西壁裏 表示板
石門

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ハレンベルク Hallenberg NRW37

1.歴史

 1231 ケルン大司教コンラートは町建設の領地を得て城砦を築き、街道・領地を守る、
 1240 ケルン選帝侯の将軍は防衛施設建設、    1271 市の印章が授けられた、
 1272 城代エーレンは町を統治、 1288 リムブルク継承戦争でヴァルデック伯が町を破壊、
 1300 ケルン選帝侯の将軍は教会や城砦を復旧、 1396 都市の特権が確認された、
 1400 大火災で町は破壊された、     1480.1540-42 ペストが繰返し流行、
 1519 町は再び大火災で破壊された、 1537 ケルン大司教とヘッセン方伯は境界確定、
 1621.32.33.43.46 略奪で市民逃亡、    1591-1717 魔女裁判で46人処刑、
 1760 7年戦争債務支払で疲弊、          1781 僅か195戸に減少、
 1816 プロイセン王国へ帰属、           1833 大火災で大部分が焼失、
 1945 第2次大戦の米軍無血占領。

2.市壁  0.01m 0.01

   1300に建設された市壁は、1811に取り払われた。1288ヴァルディック伯オットー1世
  は町を破壊した。1372ケルン元帥ヨハン1世は教会や城砦を復興し、ケルン選帝侯領地の
  国境警備のため周壁・外堀・城・2二重門・6塔を置いた。ヘッセン・ダルムシュタットの統治下
  の1810に命令で門と市壁は取り壊された。市壁の残りは1955まで鉄の帽子のパ
  ン焼き小屋の後ろ壁として残っていた。道路拡張に伴い建物は撤去されたが、
  土地所有者が市壁の部分を残し、銘板が付けられた。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   町の中心には、珍しく周囲を壁で囲まれた教区教会があり、その東がマルクト広
  場、西が市庁舎広場となっており、広場は傾斜が付いている。17-18cの木組の
  家が残っている。
 市庁舎 Rsthaus (1843) 今の市庁舎は、4自治体のために、校舎として1843に建て
   られ、1943の火事の後に西翼を拡張して4番目の市庁舎となった。第1の市庁
   舎は1424-1829マルクト広場にあり、火災で壊れた。第2の市庁舎は、いわゆる
   Amtshausとして南西のPefueStrasseにあり、1974に壊れ、3番目の市庁舎は
   南東の貯蓄銀行の部屋に行政の場があった。
 教区教会聖ヘリパート Pfarrkirche St.Heribert(13c) この教会は13cの最も東のハレン
   教会の手本であった。その3身廊の広間は8角のランタンのある四辺形の屋上小塔の
   冠をかぶった。内部には1558ルネッサンスのフレスコ画・バロックの3祭壇がある。教会の
   右には1806迄埋葬された墓地がある。1708-09古い台座の上に全高50mの塔
   が建てられた。
 8014救護者礼拝堂 Vierzehn-Nothelser Kapelle (1722) 言い伝えでは百年前から有
   る倒壊寸前の前の建物の場所に、1722小さな礼拝堂が建てられた。
 クンプの家 Haus Kump des Quartals Burg () 3階建上階木組の隅入口の上に6角形の
   塔がある美しい建物。1909建物の改修で今の姿になり、2004-06健全化が行わ
   れ地域の情報センタートなった。
 パン焼小屋 Back Haus des Quartals Burg (1600) 石造壁に屋根組は木材の平屋の家
   で、1984記念建物として保全された。
 巡礼教会聖マリア昇天 Kath.Wallfahrts Kirche MariaHimmelfaht (11c) 南の下門の外に
   古くからあった。1002ベネディクト僧院が建てられ贈呈された。
木組の家Fachwerkhaeuser
 Ort Str.4 (18c) 2度の持ち出しのある3階建の木組の家で、前面切妻と銘文で飾ら
   れている。1818に健全化されたが、全新設ではなかった。1883の火災は生き延び
   た。
 Petrus Str.6 (18c) 堂々とした切妻の2階ての木組の家で、基礎で傾斜をを均し2回持
   ち出しで建てた。家の起源は16cに遡り1883の火事は生き延びた。
 Petrus Str.8 (17c) 3階建の木組の家で、付加された前面に飾りがある。それは建物の
   変更を物語り、第2の床部にはラテン語の碑文がある。
 Merkling Str.15 (1755) 豊かに飾られた切妻の正面は、屋根に風見が掲げられている。
   切石台座上2階建の木組の家は、市長の家・料理屋・毛皮商・靴屋の作業所・歯科
   診察室等に使われ、今は雑貨屋事務所である。
 Merkling Str.19 (1659) この切妻のある木組の家は、今は店舗と住居を収容し、碑文
   に1659の年号が大きく書かれている。この年号は30年戦争11年後であり、1883
   の大火災は生き延びた。切妻は彫刻や着色で飾られている。

5.写真

市庁舎 聖ヘリバー教会
マルクト ペーター通
ペーター通 南市壁

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ハルテルン Haltern am See NRW38

1.歴史

 1169 以前からの司教の役所が存続、 1289 ミュンスター司教から都市権を授与、
 13C 町は高い周壁.防御塔.市門で防御、 1554-1611 ハンザ同盟に属して繁栄、
 1815 ナポレオン戦争後、プロイセン領となる、 1929 Reckinghausenの影響下へ
 1930.1985 二つの大きなダムが造られた。合わせて3千万m3の水量。

2.市壁  0.017km 0.001

   16cからの市壁の残りが、西側のTurm通の塔に17m付いているだけである。
  第2次大戦で市壁は壊され、市壁の位置は通りの名前で想定される。

3.塔  0門1塔

   古くは4門Tor有ったが、全て壊され、ブロンズの説明銘板しか残っていない。
  防御塔も「7人の悪魔の塔」が唯一残るだけ。
   RekumerTor 北西 17Cには、ここで毎年1回森林木材審判が行われた。
   MerschTor 南西 1652建、古い門の壁の基礎が見られる。
   MuehlenTor 北東 門の近くにある粉引所は、1339に町の所有に移った。
   LippTor 南東 1570にリップと命名、近くにある積込クレーンが1597に言及された。
 7人の悪魔塔 SiebenteufelsTurum 1502建、円筒に円錐屋根ノレンガ造。
   この名前の由来は明らかでない。1996から秋ー冬に照明が付く。

4.見所  C

   小さな旧市街地だが、マルクトに面して旧市役所と教会があり、泉と記念碑が
  多く落ち着く町である。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1575-77ルネッサンスの切妻屋根で作られたが、2次大戦で
   破壊され1948-52単純な形で再建され、1998に現在の姿に再構築された。
   小さな破風にはカリオンと時計が飾られた。今は事務所と会場として使われる。
 聖シスト教会 St.SixtusKirche 1897建、ゴシック レンガ造の中央教会。
   内部には、16Cのアントワープ祭壇画、1330の十字架がある。
 古い牧師館 AltesPastorat 18世紀からの古い牧師館は、今日は地方の歴史
   を証明する記念建築物である。
 市図書館 StadtBibuliothek 1984から図書館が置かれ、本と印刷工芸の博
   物館を併設し、ベストファーレンの本と印刷工芸を展示。

5.写真

市庁舎 七岩塔

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ハム Hamm NRW39

1.歴史

 1226アドルフ1世は新しい町を創設し都市権を授与し市壁を築かせた、
    ハムはマーク郡を統括し、事務的経済的な権力を有した。
 1444-49 ゾースト紛争があったが、大きな影響は受けなかった。
 1531 ペストと内戦で経済に打撃  1549 ハンザ同盟で主要都市として活躍、
 1553 町に改革が到達、             1557 町に飢餓が襲来、
 1587 スペイン・オランダ戦争で武力紛争、1648 30年戦争終結後ブランデンブルクに、
 1701 ブランデンブルク公爵はプロイセン王国へ、   1741 大火災で346戸焼失、
 1756-637年戦争で町は破壊され、要塞の強化を求められた。
 1806 ナポレオン軍が占領し仏へ統合、   1813 プロイセン王国へ、経済回復、
 1943-44 何回かの空爆で被害、          1945 米軍に占領。

2.市壁  0.01 0.01km 

   堀で守られたが、柵や市壁で守りは強化された。1741大火災後市壁は
  石材として建築に使われた。中世の市壁は、町の北部で道路下から発掘
  され復元された。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  B

    古くから交易の要衝として栄えた大きな町であるが、1741の大火事
  と1944の空爆によって、多くの歴史的な建物が破損した。後期バロックの町
  屋・旧高等地方裁判所(今市庁舎)そして楕円形の旧市街地は今でも判別
  できる。修復された教会とグスタフ・リューベ博物館にハム歴史を表している。
  高さ35mのガラスの像・ヨーロッパ最大のヒンズー教会・二つの城は再建されている。
 市庁舎 Rathaus (1894) ネオルネッサンスの3階建の建物で旧高裁として建1957まで
   市庁舎で使われた。二次大戦で壊され再建されたが、狭隘となり1958に
   新しく建てられた地方裁判所の建物に移転し、1959から市庁舎として使
   われている。
 旧市庁舎 Historisch Rathaus (15c) マルクト3にある今はStadtSparkasseである。
   1760アーケードと階段切妻が付けられた。1741の大火事で上層階と切妻が
   壊され、バロックで再建された。19c中に狭くなり市場の民家を借り、次
   に1885に新しい市庁舎を建て移転した。1944には旧市庁舎・新市庁舎・
   タウンハウス共に破壊された。1945兵舎に市庁舎は移されたが、1959旧高裁
   の建物を75万DMで購入し、100万DMで改修して市庁舎は移転。
 オーパーヴェリエス宮殿 Schloss Oberwerries (1284) 1464にベアーフォルデが購入した。
   マンサード屋根に大きな煙突とベル型の付いたパビリオンタワーがある。中庭には
   バロックの宮殿厩舎がある。周辺は牧歌的な雰囲気である。
 ヘッセン宮殿 Schross Hessen (1760) フォルマースタイン家はオーク材を使って宮殿を建て
   た。1905-08に15cの形状で復元された。階段状ゲーブルが30mの塔に繋
   がっている。菱形文様のレンガ倉庫には、四角い隅塔がある。今は学校の
   寮である。
 パウル教会 Ev.Paulus Kirche (1226) 度重なる火災で建物は大きく変わってき
   た。14cの高さ80mの塔と5アメスレートの身廊が建てられ、1961新しい尖塔
   が付けられた。内部は円柱で3舟に別れている。1944の空爆で壊され、
   復元されていない。
 マーチンルーサー教会 Martin Luthar Kirche (1734-39) 町のルーサー会のために、小さ
   な福音協会が建てられた。1912にこの名前となった。その後大き
   く改修されて、ユダヤ教会となった。
 聖アグネス教会 St.Augnes Kirche (1515) カトリックの教会で、フランシスコ会修道院は
   1507に建設が始まり教会は1515に献堂された。教会の床にはゲルハルト侯
   爵の棺が納められた。1944には東外壁を残して崩壊した。
 ヒンズー教寺院 Hindu Temple (1987) Sri Kamedchi Ampel Templeスリランカの少
   数民族タミル人はシンハラ人との戦いが激化した1983に、スリランカを脱出し、独
   に6万人が移住した。2002欧州最大の700m2の寺院で儀式が行われた。
 マクシミリアン公園 Maximilian Park (1984) 以前のマクシミリアン炭鉱跡地に開設され
   た。州がガーデンショーの際に整備したランドマークである。高さ35mのガラス象が
   置かれている。砂丘・登山ネット・水辺のある子供の楽園。
 オルトリンク庭園記念館 Ostrings Garten Denkmal (1986) 熊の噴水・バンドスタンド
   がある。公園の中心には、楕円形のパビリオンにコンクリート柱7本の上に独特
   のド-ムがある。
 マルクト広場 Markt Platz (14c) 1km以上の歩行者専用道路の中心にマルクト広場と
   聖パウル教会がある。市場権や鋳造権を得て、貿易を伸ばし1469ハンザ同
   盟に参加した。1944の空爆ではほぼ全壊し、旧市庁舎は1950-51に歴
   史的様式で再建され、今は貯蓄銀行の本部になっている。
 モニュメント中央駅 HauputBanhof (1847) 鉄道の開通時に建てられ、1860-61に
   中央駅ビルとなった。1912貨物のトラックへの移行で衰退し、1944空爆され
   た。ネオバロックの駅は美しいもので、修復後夜間照明されてヨーロッパ記念建築
   物協会に証書が授与された。
 就学前の家 Haus Vorschulze (18c) 後期バロック2階建の民家は、町でも美しい
   建物で、その後市長が住んで上流階級の内装を施した。二次大戦の被害を
   免れ、今は市の所有となり結婚式場などに使われている。
 貴族の邸宅 Herren haeusen
    Gut Dredhen(1900)12cから領主の農場で、1900にルネッサンス2階建の
     邸宅が建てられ、邸宅の道に木の橋が架かり、堀や林の遺跡もある。
    Haus Stuniken (18c) バロック2階建の邸宅で、北ドイツ商人の家を模倣し
     た。1944の空襲を免れたが老朽し1973修復された。クラブで保全活動
     を継続し輝いている。
    Gut Kump (13c) ヴェストファーレン州でも大きな建物で、1298シトー会修道院が
     取得し、ヴィラ風の邸宅は1885古典主義2階建に建てかえた。中庭に
     は1832木組倉庫・1800木組納屋もあり、ホテルには33室・会議室がある。
    Haus Groeneberg (1735) 2階建本館持つ中庭があり、中世後期の騎士
     邸宅であり、1735装飾的な要素を継承して建て替えられた。

5.写真

市庁舎 聖パウロ教会
アグネス教会 オスト通
東北市壁

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ハービックスベック Havixbeck NRW40

  Coesfeld市内

1.歴史

  890 僧院成立の記録にGeldrikeと呼ばれ、この場所は1137から改名された、
  900 ミュンスター大聖堂は、寄付を通じて この地に出先庁を持った。
 1040 大司教が別の出先庁をその上流に設け、それを基盤として村を作った、
 1137 教区Havixbeckを初めて言及、  1142町から4kmに修道院を建設、
 14-16C しばしば所有者が変わった。     1601Twikel家の所有となる。
 1975 Coesfoldに併合された。

2.市壁  0km 

   市壁は残っておらず、その位置も定かではない。

3.塔  1門0塔

   St.Dionysiusの近くのTorBogenが唯一残る。角塔に三角屋根、アーチ門が
  開いている。

4.見所  C

   St.DionysiusKircheは立派であるが、まとまりのある広場がない。
 領主の館 HausHavixbeck ルネッサンスの階段塔付の領主の館。1601からツビッケル家が
   所有し今でも住んでいる。大規模な水城の城郭であり、1651の騎士の間が美
   しい。
 聖ディオニシュウス教会 PfarrKircheSt.Dionysius 教区の象徴的な大教会、14cの3廊式
   のホール教会。オリジナルの壁画が聖歌席にある。丸くて大きな西塔のロマネスクのアーチ
   は12Cロマネスク教会の名残であり、1450には後期ゴシックの装飾がされた。
 新教教会 Ev.KircheHavixbeck カリオンの時計塔が維持されている
 砂岩博物館 BaumbergerSandsteinMuseum 砂岩の採石場の歴史と石彫刻の展示
   がある。
 放送博物館 RundfunkMusum ラジオ・テレビ・衛星技術の展示。

5.写真

門アーチ 聖ヂオニスツス教会

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ハインスベルク  Heinsberg NRW41

1.歴史

  11c ハインスベルクの領主は木造の城を建て住んだ、 1164 リンブルクは城を破壊、
 12c ハインスベルク・フイリップはケルンの城を築く、 1255 都市権を授与され要塞建設、
 1484 ユーリッヒの廷氏が城に住んだ、     1538 近代的な要塞に拡張強化、
 1543 ゲンデン継承戦争で一部破壊、        17c 仏軍は要塞を破壊、
 1815 ウイーン会議でプロイセンに所属、         1944 空爆でほぼ全滅、
 1972 近隣の町を併合した。

2.市壁  0km 

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   丘の上の町の中心では、城跡・公園・教会などが集まっている。市内には、
  5か所の風車がある。
 市庁舎 Rathaus (1969) 近代的な建物が建てられ、1996入口周辺を改修し今の外
   観となった。Stadthalleは出会いの場に改造された。
 聖ガンゴルフ教会 St.Gangolf der Selbst-konrolle(15c)町で最も高い城山にあり町
   のランドマークとなっている。良く補修され、元ロマネスクの大学教会の地下室には聖ヘン
   ドウィックの遺跡がある。
 美術館 Begas Haus () 美術館と地域歴史博物館として、町の中心にある。考古学
   的展示として歴史的な文書、中世からの様々な時代の貴重な遺産の展示があ
   る。美術館にはベガスのコレクションとロマン派ビーダーマイヤーの絵画・彫刻ある。

5.写真

市庁舎 聖ガンゴルフ教会

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ヘルホート Herford NRW42

1.歴史

 13C  長距離貿易を行いハンザ同盟加入、   1220 参事会リストに町の有力者、
 1256 町と大修道院長との協定で、町は経済と政治の発展を達成した、
 13C 町は、6門14塔を持ち、前面に土堤と堀を備えた3.5kmの市壁で守られた。

2.市壁  0.21km 0.06

  13Cに3.5kmの市壁が築かれ、今は遊歩道としてAufdenStadtWallが全長歩け
  る。市壁が残っているのは、東北に210mのみである。

3.塔  0門0塔

  全く残っていない。

4.見所  B

   町は広く、MuensterPlatz.AlterMarkt.NeuerMarkt、GanzeMarktと特徴ある広
  場があり、古い木組みの家や記念碑も多い。
 市庁舎 Rathaus 宮殿のようなネオバロックノ市庁舎には屋内市場がある。1913-17にかっ
   ての侯爵修道院の敷地に建てられた。
 大聖堂 Muenster 帝国直属の女子修道院があり最初の聖堂区教会である。1220から
   後期ロマネスクのホール式教会であったが、後期ゴシックの司教教会の規模に増築された。
   側廊は身廊と同じ高さで印象的な空間効果を生じている。
 聖ヤコブ教会 St.JakobiKirche 13-14C建、中世ヤコブ巡礼の宿駅。1590から教区教会と
   して使われ、壁画と統一的装飾のあるゴシックのハレン教会である。
 聖ヨハン教会 St.JohannisKirche 1220創立、新市街地の教区教会。1414-1810はディオ
   ニュソス神学校教会でもあった。16-17Cからの内容豊富な装備がある。
 古い木組の家 Elisabeth通に17Cの高位の人が住んだ二階建ての木組の家が美しく並ん
   でいる。
 古いマルクト広場 AlteMarkt 旧市街地の中心にあり、16Cにルネッサンスで拡大され1878まで
   に周囲に建物が立った。
 新マルクト広場 NeuMarkt 木組の家やルネッサンスの建物による美しい広場であり、昔の独立
   した新市街地の市庁舎が1634に中世風の石造破風で建てられた。
   1860にWulfertHausを商人の自尊心の表れとなるルネッサンス破風付の家とした。
 市博物館 StaedtischeMuseum DanielPoppelmannHausで1874建。1941から市博物
   館となった。地元生まれのバロック建築と美術同好会の展示。

5.写真

市庁舎 Munster
Werrem 北壁

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ホルン・バートマインベルク HornーBad Meinberg NRW43

1.歴史

 1248 都市として創立され初文書言及、1348 貴族リッペは城と館を建てた、
 1404-09 ホンジュラス紛争に関わった、     1444-49 町は戦争に参加、
 16c 経済全盛期で人口増、ヴェーザールネッサンスの美しい建物が建てられた、
 1618-48 人口急減し町は荒廃、     1767 マインベルクをCurortni任命、
 1770 バロックのクアパークとスパが建てられた、 1864 火災で中心部60戸焼失、
 1970 周辺の18の町を統合。

2.市壁  0.32km 0.32

  14cの市壁は、南側のHinter der Mauerと北のMauerStrasseに残る。

3.塔  0門1塔

   14cの市壁には4門7塔があり、その後12塔追加された。1864の大火事で市
   壁が壊れた。南のフクロウ塔のみが残っている。
 フクロウ塔 Eulen Turm (1500) 円錐屋根と銃眼のある3階建の円塔で、直径8.5m
   高さ17.5m壁厚1.8-2.5m。18-19cには麦芽室として使われた。

4.見所  C

   貴族リッペが創立した古い町で、リッペ国の王冠と呼ばれた。市壁と復元され
   た木組の家によって昔の雰囲気が楽しめる。
 市庁舎 Rathaus (1865-66) 2年前の火事で壊された跡に、ネオゴシックの石造の市庁
   舎が建てられた。東北前面に多角形の塔のある8窓列の建物で、中央上部
   には二つの3角形屋根がある。
 プロテスタント教会 Ev.Kirche Horn (1248) 町の創設時にはロマネスクの教会があった。塔
   の下部には1200以前の部分がある。1480西塔とゴシックの3廊まで拡張され
   た。1819雷が落ち塔の屋根と鐘を変えた。1860本堂と後陣の屋根を更新。
 ホーン城 Burg Horn (1248) 旧市街の北端の標高230mにあり、14cに市壁が付けら
   れ、1348城は完成した。城はリッペの住宅と軍の複合体として使われた。城
   は数回戦争に巻き込まれ、1605城主が不在となり、リエージュの長老が取得し
   1656-59リッペのヘルマン・アドルフが再建した。18c城が荒廃し塔・住宅の一部が壊れた。
   1983-89広範囲に復元された。今は警察署・城博物館・ホテルなどに使われている。
 ホテル・ベイロン Kotzenbergscher Hof (1616) 2階建石造の大建築物で、北側31×12m、
   西側25×11mの2つの並置された翼から成っている。1679-81バロック・ポータルと
   暖炉が変換され醸造所と蒸留所が設立された。1880Vialon家はホテルとしとて
   2006迄使った。その後 Kotzenbergscher家に所属してホテル・バイロンとなった。
 地方裁判所 Amtsgericht (1756) 中央通67にある町の記念建築物は1970に地方
   裁判所となった。バロックの巨大切妻のある木組の建物で、3つの中心的な
   軸の頭は強調されている。
 古い木組の家 Alte Fachwerkhaus (1731) 側板を備えた平屋の木組の家。
 元市民の家 Ehem.Buergerhaus (18c) 正面と背面に2階建の部屋がある家。

5.写真

市庁舎 ホルン城
新門 東南市壁
南東市壁 南市壁
南西市壁 西北市壁

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ホルストマー Horstmar NRW44

1.歴史

 9c  城が建てられた、            11c 旧修道院の文書に初言及、
 1092 貴族ホルストマーの支店としての町を建てた、 1251 町はベアトリクスが受取った、
 1256 城と町をミュンスター修道院へ売却、  ミュンスター王子司教が1802まで支配した、
 14c 都市権や特権で町は拡張し郡庁が置かれた、 1635 30年戦争で城は崩壊、
 1802 プロイセンの独立した自治体へ、繊維産業、      1969レーアの町を統合。

2.市壁  0km 

   11c創設16c再建のBurgmammshofは、城の南20mにかっての記念碑として、
  一辺420mの正方形の城壁都市が残っている。中心には市庁舎と教会が置かれ、
  四方に幹線道路が走り門に繋がっている。中心近くに市街地を、周辺部に8貴族
  の館や農場配置された。4隅には円形の見張り塔、外周には二つの堀と内外の
  市壁で守った。今は堀や壁は平準化されている。

3.塔  0門1塔

 宮殿塔 Schloss Tor (16c) 唯一残された西側の市門で、2階建両流れ屋根のアーチ
   通路のある小さな門。

4.見所  C

    町は広く、MuensterPlatz.AlterMarkt.NeuerMarkt、GanzeMarktと特徴あ
  る広場で形成されている。
 旧市庁舎 AAltes Rathaus (1572) 以前の荒石の高基礎を地階として、戸や窓を付
   けて上階はレンガ積みで建てた。床は地階の天井梁に架かっている。中央上階の
   出窓は、石積のコンソールに架かっている。1912内部に改造が行われ、市庁舎とな
   った。1963市庁舎の移転後に役員会会議室と結婚式場で使われた。
 聖ゲイトルーデ教会 St.Gertrude Kirche (14c) 同じ屋根の下に身廊と通路がある。典
   型的なゴシックのホール教会である。14cに前の教会が解体された跡に、今の教会が
   平らな木の天井で建てられた。3階建の四角い防衛塔は円形の階段塔を介して
   アクセスできる。1982教会は改修された。
 アントニュウス礼拝堂 Antonius Kapelle (1770) 田園地帯にある平屋の小さなシンプルな建
   物。
 ミュンスター館 Muenster Hof (1550) 東の門の内側にある2階建の大きな建物で、ミュンスター
   の貴族が建てた農場。東側が市壁に掛かっている。
 ゼンデン館 Senden Hof (16c) 市壁門につながった建物で、道路脇には石積がある。
 メアファイダー館 Merveider Hof (1561) 2階建2翼の建物で、ベルギーとオランダ風に建てら
   た。
 ボルヒファスター館 Borchhoster Hof () 南西を守った。全長にわたって高い壁がある。貴
   族の名前の付いた2階建ての建物がある。
 市博物館 Haus ALst (1624) オランダルネッサンス風の赤レンガと黄色砂岩の建物で30年戦争
   で壊された後に、男爵ヴェスター・ホルトが建てた。

5.写真

市庁舎 宮殿塔

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ヘクスター Hoexter NRW45

1.歴史

  822 ルードビッヒ王から新設のCorvey僧院に集落の土地と共に与えれた、
 1150 市壁とその前の土堤が築かれた、 1250 都市権を授与された、
 1295 ハンザ同盟に加入、    1634 30年戦争で包囲攻撃の後に略奪と殺人、
 1803-06 町はNassauーOranien家が所有、1807ヴェストファーレン、1813-46プロイセン、
 1865 鉄道開通で市壁の南を破壊、    1945第2次大戦の被災はない。

2.市壁  1.11km 0.47

  1150に築かれた市壁とその前の土堤は、南側の鉄道部を除いて47%が残る。
  市壁の上には一部防御通路があり、東の市壁の外のペトリ土塁には見張塔で
  ある赤い塔があり、その前に射撃施設がある。

3.塔  1門1塔

  17Cには5門20塔があった。今はRotenTurmとPetriTorしか見られない。
 赤い塔 RotenTurm ブレンツ家の後期中世風国境見張塔
 ペトリ門 PetriTor 市公会堂StadtHausに隣接して立つ。

4.見所  B

   旧市街地には、多くの見るべき古い木組の建物もあり、マルクトも見事である。
 市庁舎 Rathaus 1250建、地下室は中世風石造であり、1608ヴェーザー
   ルネッサンスで改築された。1613外階段付のルネッサンス表玄関、1889-1906ネオ
   ルネッサンスで今日の外観に改築。別棟の塔に観光案内所がある。
 聖キリアン教会 St.KilianiKirche 1075建、最古のバジリカの教会。塔は45m
   と48mの2塔であり、北入口はロマネスクであった。1597芸術的な説教壇、
   1710バロックのパイプオルガン。
 ニコライ教会 St.NicolaiKirche 1157建 ニコライ塔のある広場にあり、1766に
   取り壊され、am Marktにバロックで新築された。
 聖マリア教会 St.MarienKirche 1283建、旧ミノリテン修道院の聖堂、中には
   二つの部分からなる石の内陣格子がある。
 古い木組の家 WesterBach通に1537-1610の市民の住宅があり、Rosen通や
  Nagelschmied通には後期ゴシックの家がある。
  TillyHaus 1582建、4階建代表的な木組家、30年戦争のティリー元帥の名前。
  Aden und Eva-Haus 1572建、家の前面にリンゴの木とアダムとイブを描いた
  Dechanei 13C建のアメルンクセン家の貴族の館があり、1561にヴェーザールネッサンス
    の美しい木組の家を建てた。この破風のある前面は60以上の棕櫚の
    葉模様が描かれて美しい。

5.写真

市庁舎 西南壁
赤塔 西壁
西北壁 北東壁
市庁舎 コルヴェイ城
木組家 木組家

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ユーリッヒ Juelich NRW46

1.歴史

 4c ローマ街道に位置し要塞が築かれた、 5c 町はフランク族の手に落ちた、
 1328 ユーリッヒ公国となった、     1239 ケルン大司教に町は破壊された、
 14c 市壁と門塔で町を守った、   1416 ユーリッヒ・ゲレデルン公は自己金融、
 1547 大火災でほぼ全滅、     1609公爵家の断絶後町はノイブルクへ、
 1685 プファルツへ、1777 バイエルンへ、1794-1814 仏の領土へ、ナポレオンの橋頭保、
 1815 プロイセンに属し要塞拡充、郡庁、1860 要塞は取壊され、守備隊は残った、
 1882-1912 仏・ベルギーはラインラント占領、 1944 空爆で町はほぼ全滅、
 1949-56 市街地は再建された、   1990 シタデルの修復。

2.要塞  2.20km 0.4

   独でも保存状態のよい要塞で、同時代のベルリン・シュパンダウ要塞とは多くの
   類似点がある。イタリアの建築家により1543-50に構築された。4シタデルは約400m
   円周で周辺の土地から5-10m高く設計されている。
 外堡:多くの遺跡がまだ存在している。①前衛Ⅲ北西溝に沿って壁や墓が残る。
   ②前衛Ⅱ北東溝の前に壁がある。③半月堡Ⅰ東部分的に東kurtineに前に避
   難所。④半月堡Ⅱ北の壁。⑤半月堡Ⅲ西の土堤。⑥半月堡Ⅳ東側守衛詰所
   ⑦石積 町の堀の西の壁。⑧南東隅の南壁。
 建築物:武器庫、兵舎、城、侯爵住宅宮殿、礼拝堂、庭園。1944空爆1964復元。

3.塔  2門0塔

 アーヘン門 Aachener Tor (1548) この門はラインラントで最初のルネッサンスの門
   であり、外側のアーチ門のみが残っている。内側のアーチ門屋は1860に築かれた。
   堀が埋められる前には、幅30m深さ4.5m長さ115mの堀が前面にあった。
 ルーア門 Rur Tor (14c) 魔女塔とも呼ばれる。ケルン大司教が占領し
   て町の古い市壁を破壊した1278の後にこの市門は建てられた。今は小さな
   壁の断片が中庭に残っている。
 魔女塔 Hexen Turm (14c) 市壁の解体後刑務所や拷問室として使われ
   魔女も囚われていた。今は市歴史博物館として資料を展示している。

4.見所  B

   1944の空爆でほぼ全壊したため、重要な構造物もその後再建されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1953-54) 空爆後3階建バロックの前身の建物が
   再現されたが、時計等とホール窓枠には差異があた。1972市の再編のため、評
   議会と一部行政は白鳥湖の新庁舎に移転した。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1972) かっての要塞の外に白鳥湖があり、
   養魚場・馬の水飲場・洗濯場として使われていた。1952プロイセンの地方事務所が
   壊され、その敷地にユーリッヒ郡の事務所が構築された。
 プロプスタイ教会 Propstei Kirche (945) ローマ砦の輪郭上に、身廊と聖所壁
   が残る。ユーリッヒ公は、1147教会の前で十字軍に参加し、1219にエジプトで戦
   死した。教会の遺跡としては、12cロマネスクのポーチ・塔ホール・ロモネスクのキュウポラなど。
 新教教会 Ev.Kirche (1637) 都市の前にプロテスタント教会が建てられ、戦災後
   1950に再建された。1743教会の前の墓地に入口門が建てられた。
 宮殿礼拝堂 Schloss Kapelle (16c) かなりの部分が戦災生き延び、
   イタリアルネッサンスの豊かな装飾が見られる。1768の火事でロココの西側前面の改修が
   行われた。
 宮殿要塞 Schloss Festung Zitell (1545) イタリアで開発された三角形
   で矢型のドイツで初めて町の北に建てられた。要塞は9haあり、旧市街地より
   わずか小さい。外堀の角の一辺は360m・壁厚34-48m・堀33m・高さ12.3m・
   全長2.2kmである。その中央に16cオランダ風の宮殿が建てられた。
 要塞聖ヤコブ Bastion St.Jakob (16c) 旧市街地の南端に、唯一残され
   た旧市街の要塞である。側壁と地下室がある。
 ナポレオン橋頭堡 Napoleonischer Bruecker Kopf (18c) 仏が1754から占領
   し、ユーリッヒは仏独国境に位置し、重要要塞としてEllebachの北岸に橋頭堡
   を築き、1804ナポレオンも建設現場を訪れた。1806自立式火薬庫が置かれた。
   1998には、長さ800m幅300mの強大な橋頭堡が修復された。
 町ホテル・クラツ Stadthotel Kratz (1948) クラッツ家のための3階建のホテルが、
   ユーリッヒハウスの再現を目指して建てられ、歴史的な街並みを再現した。

5.写真

シタデル南 シタデル中
マルクト 魔女塔外
魔女塔内 西市外要塞
西市外要塞

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カルカー Kalker NRW47

1.歴史

 1230 ライン川の沖積層の北麓に新都市を置き、幅400m長さ1Kmの堀で守られた、
 1242 都市権の授与、             1380 西半分への入植開始、
 14-15C 中世には堀に加え壁や塔で強化、 1450大建物は終わり道.広場を整備、
 1540-72 ハンザ同盟し羊毛と穀物貿易で繁栄、16C末から火災.戦争.ペストで衰退、
 1656 シタデルを建設したが1674取り壊し、       1815 プロイセン領となる。
 1945 第2次大戦の爆撃で一部家屋破壊。

2.市壁  0.02km 0.01

    中世の町は、今も残る水堀に囲まれ市壁と塔で守られ、1575の風景画に見
  える。北に、1440に建ったハト塔のある市壁の残りが再構成されてある。

3.塔  0門2塔

    16Cには4門18塔があった。門は唯一残っていたHanselaerTorの上部が1770
  に取壊され、残りは1828に取壊された。今はハト塔と風車塔しか見られない。
 HanselaerTor東 堂々とした二重門であり、前門.後門とも2円塔の5階建であった。
 AltKalkarerTor西 5階建で平らな屋根の塔。
 MonreTor南 二重門で、外側に二円塔の前門があり、内側に5階建の方形塔。
 KesselTor北 6階建の正方形門塔で先細りのテント屋根であり防衛詰所があった。
 ハト塔 TaubeTurm 一時的に刑務所としても使われ、中世からは塔の下の丸い部分し
   かない。上の六角部分とボンネットは18Cの初めに付けられた。背後には、
   緑と壁があり散策路となっている。
 風車塔 MuehlenTurm HanselaerTorが取り壊された石材を使って、近くの風車塔
   が造られた。その風車は皮をなめすためのオークの皮を潰した。1800から100年
   間は、穀物の製粉とその貯蔵に使われた。1910ネオゴシックに改造され、1990に
   粉引き施設は完全に復元された。別にAlteMuehleの基礎がKesselTorの近く
   に見られる。

4.見所  C

    ライン川の砂州にある平坦な石造の街並みで、特徴のある建物が見られる。
 市庁舎 Rathaus 1446建、マルクトにあるゴシックの6角塔付の3階レンガ造り、中世には裁判
   所であった。
 聖ニコライ教会 St.NicolaiKirche 1450建、ケルン大司教が造り、内には貴重な美術財宝が
   ある。古い祭壇が8つも残っている。
 新教教会 Ev.Kirche 1697建、石造の2階建、塔は1898に追加、バロックのホール教会、貴
   重なオルガンと木製の祭壇がある。
 階段破風の家 TreppenGiebelHaus 中世の破風の館は、昔商館であった。
 破風付の家 GiebelHaus 1500建、後期ゴシックの家、大金を投じて再建。
 市博物館 StaedtischeMuseum レンガ造破風付4階建元商社、前面も室内も原型を留め
   ていない。町の歴史を示す絵画や彫刻を展示。近代の美術も。
 風車博物館 復元された風車塔と風車関連展示。3階は機能の見学と展望。

5.写真

市庁舎 風車
聖ニコライ教会

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カスター Kaster NRW47

  Bedburg町内の北東

1.歴史

 1148 最初文書ケルン大司教の城買収、   1273 領主ユッリッヒ侯爵死亡、
 1278-79 ハプスブルク家の城再建、市場開設、 1315 関税の場所として言及、
 1328-37 未亡人の居住場所、      1339 都市として言及、
 1542 ブルゴーニュ戦争で町破壊、    1642 大火により壊滅、再建の家現存、
 1648 30年戦争で城は破壊、      1700 四隅の防備補強、
 1794-1801仏革命軍の占領、       1821 市壁は殆ど存在、

2.市壁  0.40km 0.90

  小さい町だが、殆どの古い市壁は市門と共に現存している。ただ、南東の
   隅は壁の痕跡がぼやけている。

3.塔 3門1塔

  今は、4門の内3門が残っている。AgathaTor西、ErftTor東、EulenTor北が
  残り、前2門はアーチ通路付レンガ造2階建角塔で三角屋根がある。残りの梟塔は
  1階建門戸で横に古い木が立ち8羽の梟の彫刻があり、近くに梟塔が立つ。
 フクロウ塔 EulenTurm レンガ造の3階円塔、屋根はチューリップ型。

4.見所  B

   ドイツで二番目に小さな町、壁の中は全て中世の街並と路地がある。
 旧市庁舎 AlteRathaus マルクトの北に1692旅館TappenMannchenで建られ、
   1912ガストホフ、1972旧市庁舎、1985PfannkuchenHaus今はパンケーキの家。
 聖ジョージ教会 St.GeorgKirche マルクトの北奥に、1363最初の礼拝堂の建設、
   1542破壊、1551最初の地区教会を礼拝堂の基礎の上に建設、1624火災
   後に再建、1783古い塔は守って後期ゴシックのレンガ造広間式単廊の教会
   を今日の姿で建設。1978大補修。
 城の廃墟 BurgRuiner 1278-79建、1648に30年戦争で破壊、
   今は旧市街地の北東の丘にレンガ造の基礎や壁の残骸が見られる。

5.写真

西入口南壁 アガータ門外側
アガータ門内側 エルフト門
<フクロウ門/td> フクロウ門内側
北壁 西壁

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ケムペン Kempen NRW49

1.歴史

 1006 ケルン大司教の農村集落、        1186 最初の文書言及、
 1290 要塞都市となる、           1294 都市権の文書、
 1372 市場権を授与された、         1396-40 城と町が建設、
 15C 中世後期は経済繁栄、          1579 ペストで人口半減、
 1642 ヘッセン軍占領、 1794-1814仏革命軍占領、 1815 プロイセン領、
 1945 空爆による都市破壊、         1966 旧市街地の再建。

2.市壁  1.32km 0.72

  最初は堀で守られた土塁であったが、1270-1320塔と市壁を建設した。
  ほぼ楕円の全長1.83kmの市壁と門塔を、現場焼のレンガで築いた。

3.塔  1門3塔

  初め4門4塔であった。4門は、北KuhTor、東EngerTor、南PeterTor、西
  EllenTorの内北門のみが残る。塔には円形の塔が14追加され風車の塔も
  1つ加わって21塔となったが、今は1門3塔しか見られない。
 雌牛門 KuhTurm 1350建、3階建て門塔、3階の上にゴシックの尖塔が乗
   っていたが、1898に現在の三角錐の屋根になった。
 ペテロ塔 PeterTurm 南からこの塔を通って堀の橋を渡りペーター門へ続く
   二重門の外門であった。1989に取壊された塔の基礎上に4階建で再建。
 庭塔 GartenHaus 西のMoehtenWallに1773-76建、農園として払い下げ
   られた堀に2階建の夏の家を建てた。
 風車塔 TurmMuelen 1481建、西南の市壁に直径8.7m3階建ての製粉
   風車。

4.見所  C

   旧市街地中心の聖マリア教会周辺と木組の建物が見所である。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1926) 旧市街地の東の外の駅前に、石基礎と
   高いヒップ屋根の2階建レンガ造の建物で、5窓列が中央に集中している。
 聖マリア教会 St.MarienKirche (1200) グラッドバッハ修道院の後援で建てられ、
   1240ヴォールト大聖堂に再建された。1400身廊が建てられ、丸天井となった。15c
   に疑似大聖堂から3廊ホール教会となって再建された。1854-76包括的な修復が行
   われた。1942爆撃・1945砲撃で屋根・丸天井・窓ガラス・外壁が壊され、1945応急
   屋根が付けられた。1948-59丸天井・窓ガラスが修復された。1990-93内装修復。
    中には、3つのアントワープの祭壇画と歴史的な彫刻がある。
 ケルン州城 KurKoelnischeLandesburg (1400) ケルン大司教は石造の建物を
   建てて貴族の執事を置き行政を行わせた。1634に中世の城として大きな
   窓と両側の二つの円塔をを持つ3階建とした。
 旧フランシスコ会修道院 Ehe.FranziskanerKloster (1627-30)修道院建、1640
   大ホールを追加。1746-48老朽化により修道院は拡大改築。1802仏軍病院
   1863教区大学、1912税務署や市博物館、11987市美術館・博物館。
 古い家 
  広間の家 HausHall 1764建、最古のローソク工場、ロココの入口扉は見事。
  ニーヴェンハイムの家 HausNievenheim 1524建、破風付3階建ゴシックの石造建物。
  ルードビッヒの家 HausLudowig 1789建、レンガ造の仏商人の家、大戸は重い荷
    物の馬車が出入りした。ロココの窓の上に飾り止め石印がある。

5.写真

市庁舎 風車塔
東壁 南壁
西壁 西壁
ペーター塔 ランデス塔

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ケルン Koeln  NRW50

1.歴史

  50 最初の市壁を築き入稙させた、  80 植民地コロニアとしてローマ市壁と水道、
  5C フランク王国に支配される、    9C 大司教区に昇格、
  11C 盛んに教会堂が建設された、  1180-1225自治権を得て新市壁建設、
 1259 集散権の授与、1288帝国自由都市、1618-48 30年戦争は金払で無傷、
 1794 仏軍の占領で帝国自由都市の終了、1815 プロイセン王国に帰属、
 19C末 旧市街地の壁は取壊された、  1943二次大戦で旧市街地の90%破壊。

2.市壁  0.18km 0.02

 ローマ市壁 80年にタキトウスの要塞は、一辺1kmの凹んだ四角形に高さ8mの市壁
   を持ち9門21塔が築かれた。川側は2-3Cに完成または変更された。
    次に北門から西部分は253-268であり、北西の角のあるローマ塔の上層部
   は3世紀、壁内面積は、約100haであり。北側市壁13mが残る。
 中世1次 950-960 ローマ市壁の東側の大部分を取壊して、ラインの古いローマ
   北壁と南壁を延長。ライン側の25haがローマの正方形に加えられ壁内は122ha。
 中世2次 1106 人口増加で市壁の拡大が行われ、また6門も追加した。
   北へ52ha、南へ34ha、西へ15haが加えられ壁内は223haとなった。
 中世3次 1182-1259 西へ1180延長9km半月形401haの拡大を開始し、新し
   い堀と土堤で守られた。1191盛上げた土堤の上に市壁を築き始め、壁と
   12門52壁塔も1259には完成した。
 近 世 19C プロイセンの要塞は、ラインの右岸を含め市壁の前面に星型の出張
   りと堀を設け、その前に20の出島砦を設けた。1881から都市の拡大と道路
   建設のために市壁は取壊されたが、まだ一部の壁と門・塔が残っている。
   壁が残っているのは、北西角GereonsWall、西南KathaeuserWall、南東
   Bottmuehleである。

3.塔  4門3塔

  数多くの門や塔の内、現存しているのは12門の内4門と、3塔である。
 自分石門 EigelSteinTor 北 5階建二重半円塔。
 雄鶏門 HahnenTor 西 上記塔と同様にはめ込まれた半円塔。
 ウルレ小門 UlrePforte 南西 小2塔門、14C壁で塞がれた。
 ゼベリンス門 SeverinsTor 南 7階建の六角中心塔と外側に狭間胸壁回廊。
 ローマ塔 RoemerTor ローマ市壁の西北の角に立つ。
 ローマ北門塔 RoemischenNordToresTurm 駅前に復元された昔のローマ北門。
 ボット風車 BottMuehle 1587木製風車が建てられ、1678石造塔となった。

4.見所  S

   旧市街地は広く、大聖堂を中心に多くの見るべき建物や広場がある。
 旧市庁舎 AlterRathaus 14C建、地下室は中世風石造であり、1608ヴェーザー
   ルネッサンスで改築された。1613外階段付のルネッサンス表玄関、1889-1906ネオルネッ
   サンスで今日の外観に改築。別棟の塔に観光案内所がある。
 大聖堂 St.PeteroDom 1258-1880建、ゴシックの壮大な大聖堂であり、前面
   には密度の濃い線が束となって157mの塔の先端を眼指している。身廊の
   高さは43.5m長さ144mの広大な空間である。内陣には、1320中央祭壇、
   東方3博士の聖遺物、16Cのステンドグラスがある。
 ゲルマン博物館 RoemischGermanischesMuseum 発掘されたローマモザイク、ローマ
   将校の墓標、ローマガラス製品などローマ時代の文化財の展示。
 ヴァルラフ・リヒャルツ博物館 WallrafRichartzMuseum 15C祭壇画、14-19C欧州絵
   画併設のルードビッヒ美術館では近世の幅広い芸術品を展示。
 ロマネスク教会 RomanischeKirche 10-13Cに旧市街地に建てられた12の教会が
   残っている。第2次大戦後、ほぼ完全に修復されている。
    聖マーチン大教会Gross St.Martin東、聖マリア・リース教会St.MariaLysKirche東、
    聖ゲオルク教会St.GeoggKirche中南、聖セヴェリヌス教会St.SeverinKirche南、
    聖クーニベルト教会St.KunibertKirche北東、聖ウルズラ教会St.UrsuleKirche北中、
    聖パンタレーオン教会St.PantaleonKirche南西、聖アポステル教会St.Aposteln
    Kirche西中、 聖ゲーレオン教会St.GeteonsKir.西北、聖アンドレアース教会 西北。
    聖マリエン教会St.MarienKirche東南、聖コルムバ教会St.KolumbaKirche中。

5.写真

旧市庁舎 大聖堂
聖マーチン教会

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クレーヴェ Klev NRW51

1.歴史

 1092城と町に言及、1242都市権の授与、  1275-1305 評議会選挙特権を授与、
 1341 町の拡張による市壁の移動、       1368.1528 大火災が町を襲う、
 1439 古い城の崩壊、         1635 スペイン占領・ペスト流行で人口1/3に、
 1641 帝国軍が略奪、 1742 温泉入浴治療開始、     1794 仏軍の占領、
 1815 プロイセン領、1893-97.1909-14 白鳥城の復元、1944第二次大戦空爆で被害、
 1953 白鳥城の復元完了。

2.市壁  0.20km 0.09

    中世の市壁が残っているのは、西HeidebergerMauerに0.2kmのみ。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    白鳥城が見所、中心の歩行者道路には、多勢の人が歩いている。
 市博物館 MuseumKoekkoek 1834建、旧市壁の遺跡は庭の背面にある。第2次大戦
   を生き残り市庁舎としても使われたが、1997市博物館となり市の歴史や美
   術品等を展示している。
 白鳥城 SchwanenBerg 900-1000建、最初は細長い楕円形の土塁に囲まれていた。
   12cに宮殿を建設、1439古い塔が壊れて1440-1448白鳥の塔完成、1663バロック
   に改修、1893-97.1909-14白鳥城が復元、1944空爆で破壊、1950塔の復元。
   1953城の復元完了、今は博物館を併設し美術品と地質学を展示
 ミノリテン教会 MinolitenKirche 1445建 修道院は1300年には存在し、現在の教会は
   1425-45に建てられ美術品の展示もある。
 湯治保養所博物館 MuseumKurhausKleve 1845-72建、旧市街地から北西に離れ
   ている。段階的に建てられ円形劇場もある。一次大戦後に荒廃したが、新しい
   建物で再建され、1997から絵画彫刻の美術館が開かれた。

5.写真

市庁舎 西北壁
西壁 給水塔
ミノルテン教会

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クラネンブルク Krannenburg NRW52

1.歴史

 1270 クレファー家のディートリヒが設立、 1294 都市権が授与された、
 1308 奇跡的な十字架が発見され巡礼 14c 最初の要塞があった、
 15c初 新城と2門9塔と石の市壁建設、15c 繁栄してゴシック大教会を建てた、
 1609 ベルギー・クレフェ・ユーリッヒ家の断絶でクレーフェ公国へ、1789 火事で中心部焼失、
 18c 仏占領併合時にカントンの座席、  1800 老朽化した市門の取崩、
 1802 MartinstiftとKath.Konventは世俗化、1815 ウイーン会議後に市民連合、
 1945 米軍は戦闘後占領、      1969 州の再編で周辺と合併。

2.市壁  0.38km 0.54

  1400の市壁がまだ一部に残る。WanderStrasseの市壁は修復されている。

3.塔  0門4塔

  15c初めの2市門(Klever-、Niemeyer-Tor)は取払われ、9塔の内4塔は残
  っている。西壁の屋根なし半円塔があり。南には2階建の塔が建物に取込ま
  れて残っている。
 粉引塔 Muehlen Turm(1400) 製粉業者が所有し、老朽化に取壊し時に、7人
   の市民が1922に買い取った。1932に博物館として建物と塔を再建した。
   1948戦災を修復して美術館が再開された。1970巡礼博物館としても使わ
   われた。1999大規模な修復作業が行われ、2004に再開された。1階には
   「風車からランドマークまで」、上階には芸術作品、塔の下には「先史時代
   からの町の歴史」が展示されている。

4.見所  C

   小さな台形の市街地が堀と修復された市壁の中にある。古い木組の家は
   見当たらない。
 市納屋 Stadt Scheune (18c) 旧農場の名残の古い建物である。今は修復
   され、工芸博物館となっている。長方形の屋根付のレンガ造の建物で、
   古い工芸道具やバター装置・農具を収容している。市壁内に30もあった
   農場の名残である。靴屋の道具を備えた作業場もある。
聖ペテロとパウロ教会と巡礼教会 Kath.Kirche St.Peter und Paul (15c)
1290に都市権を授与され、既に教区教会聖マーチンは存在した。今の教
   会は15c前半に、有名な建築家によって建てられた。奇跡的な1308
   十字架が発見され巡礼地となったため、教会は拡大された。1802の
   世俗化後に教区教会聖ペテロとパウロとなった。
 教区教会クレーベ Ev.kirche St.kleve (1723) 小さくシンプルなホール教会である。
   1903の塔は戦後屋根棟に置換えられた。1622の説教壇と近代的な
   ガラス窓がある。
 カタリネンホフ博物館 Museum Katharinen Hof (1446) Klever修道院の別館として
   2階建の長い建物が置かれ、聖キャサリンの後援の下にあったアウグスチヌス修道
   院とした使われた。1961にカタリネンホフ博物館として開館以来、中世から
   現代までの芸術作品や宗教芸術作品が展示されている。

5.写真

聖ペテロとパウロ教会 粉引塔
南市壁 南市壁

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レムゴ Lemgo NRW53

1.歴史

 11C初 この地域はLimgauweとかLimgaと呼ばれ、入植地拡大の文書がある、
 1190 Brake城は建てられていた、北西の乾いた土地に町を育成した、
 1231 町のPadarborn司教区は、副司教の所在地となった、
 1245 都市権の授与、    1265新都市の拡大、  1324ハンザ同盟に加入、
 1365 両方の都市は共同の壁と堀で統合、   1583 宗教改革が町に及んだ、
 18-19C 防御施設は取り壊された。

2.市壁  0.155km 0.05

    市壁は一部に僅かに残る。
   北東Hirten通25m、南Langenbrueker塔10m、東Rembken120m、計155m。
   南側HoherWall通とLindenWall通には高さ10mの土堤と前後の堀が残る。
   東側KastanienWall通:1990(市800年祭)で稜堡が復元された。
   1900年以前に南側以外の土堤は平らにされた。

3.塔  0門2塔

 火薬塔 PulverTurm東 唯一立っている塔。
 高い門 HoheTurm東。部分的に再建された。
   OsterTor東北は、30mの高さがあったが1863に取壊された。RegensTor東南
   は1876に壊された。

4.見所  C

    旧市街地には、15-19Cの小さな木組の家が百戸もある。商家には後期
   ゴシックやルネッサンスの立派な家屋もある。
 市庁舎 Rathaus 13C建、古い部分は広間造り、1480-90中央の建物部分は
   ゴシック、15-16Cにヴェーザールネッサンスとなった。
 聖マリエン教会 St.MarienKirche 12-13C建。
 聖ヨハネ教会 St.JohannKirche 塔には古い日付の鐘がある。
 古い僧院 AlteAbtei 16C建、18Cに改修。
 魔女市長の家 HexenbuergermeisterHaus 1571建、ヴェーザールネッサンスの美し
   い前面の破風付2階建木組の家。異例の名前は17cのゴッツマン市長から来て
   いる。

5.写真

市庁舎 南壁
北土堤 南西土堤

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レネップ  Lennep NRW54

 Romscheidの市内

1.歴史

  12C 小川のフロンホフはベルク伯爵が所有、  13c ケルン修道院聖クミベルトに贈呈、
 13c 要塞教会を形成、   1259-76 ベルギッシュでも早期に都市権を授与、
 1276 ベルギッシュラント裁判所の設置、 13c ハンザ同盟に加入し交易所を維持、
 13c 二つの出撃門を持つ要塞壁が存在   14c 布産業は輸出されて発展、
 1371 鋳造権と関税権を獲得、    1563 大火事で枚の大部分が焼失、
 1575 ヴィルヘルム侯爵の免税によって町を新しく設計した、
 1746 町は全焼して繁栄は終わり住民は移住した。 1808仏併合下カントンに、
 1815 ウイーン会議でプロイセンに割当、    1857 プロイセンの都市の権利を授与。

2.市壁  0.04km 0.01

   13cの市壁は、南に僅かに残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   旧市街地は、ほぼ円形でかっての市壁には南西ケルン門と北東シュベルメール
  門と南に粉引門の3市壁は門があった。市壁はWallStrasseの位置に堀・
  土堤と共に周囲を取り巻いていた。中世の建物は1746の大火事でほぼ
  全焼し残っていない。建物の多くは、18c後半のベルギッシュ・バロックである。
 郡庁舎 Kreishaus Lennep (1889) 3階建円形階段塔のある建物。
 修道院教会 KlosterKirch Lennep (1677) 新しく修道院の一部として建て
   られた。1980年代に改装され、今は文化センターと食堂の「Kloster 
   Schaenke]となった。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (13c) 教区教会は聖ヨハネに捧げられメインの祭壇に
   加えて聖ニコラスに捧げられた。1540改革が導入され1746には火災で焼失
   した。1756にベルギッシュ・バロック説教教会として8×8m高さ51mの塔を付け
   た。2次大戦では無傷であった。
 ドイツ・レントゲン博物館 Deutsvhes Roentgen Museum () X線の発見者レントゲンの
   歴史的・技術的な概要が、ノーベル賞と共に展示されている。建物は2006
   に再建された。向かい側に布博物館がある。
 布博物館 Tuch Museum Lennep (1987) 織物工場の歴史と装置を展示してい
   る。

5.写真

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リヒテナウ Lichtenau (Westtaleu) NRW55

1.歴史

 1233 ザクセン公国バーダーホルン教区に創設以来属した、
 1233-1273 今の教区教会の建設、  14c 王子司教バーダーホルン領土形成、
 1326 ドイツ騎士団の町を創設し移住、  1394 司教の新城建設集落形成、
 1411-15 町は王子司教反対者が支配, 1474ヴァルディックとバ-ダーホルンの抗争、
 1545 火災・戦災・ペストで町は衰退、   18c 七年戦争で仏軍にが占領、
 1802 プロイセン王国が占領、    1806 ナポレオンのヴェストファーレン王国の一部、
 1809 2つの市門が取払われた、        1815 プロイセン王国へ帰属、
 1871 ドイツ帝国へ、            1831.42.85.90.03 火災発生、
 1945 米軍占領、英軍へ移管、            1949 英軍撤退。

2.市壁  0km 

   市壁は見当たらない。

3.塔  0門1塔

 エルケン塔 Elken Turm () 北西の角に、まだ痕跡がある。

4.見所  D

   旧市街地の中央を国道68号が珍しく走る。小さな町の中心に公共施設
  は集まっている。
 教区教会聖キリアン Pfarrkirche St.Kilian (1323) ゴシックのホール教会で、リブ付の
   丸い柱で支えられた金庫室がある。1670改装工事の際に南の入口にバー
   ダーホルン王子司教の紋章が付けられた。1624アラバスター高祭壇・1749祭壇画
   がなかにある。
 リヒテナウ城 Burg Lichtenau (1326) 4階建の大きな建物で、町の創設時から保護
   の城として非常時に住民を収容した。地下室は丸天井、地階には騎士の間
   ・倉庫・牛舎・武器庫がある。初めパーダーボルン王子司教の拠点として行政が
   行われ、17c貴族ドロスタの管理事務所、1710更新され、1813拡張された。

5.写真

市庁舎 南壁
北土堤 南西土堤

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リードベルク  Liedberg NRW56

  Korschen braichの市内

1.歴史

 1100 領主貴族の城の言及、  12c ケルン選帝侯の廷史が城に住んだ、
 1642 ヘッセ大戦で占領された、  1673 オランダ戦争で城は破壊された、
 1680 教会はバロックの塔で再建、 1815 ウイーン会議でプロイセン王国へ所属、
 1935 ゲーレンに併合、   1975 Korschen braichに組み入れられた。

2.市壁  0km 

   見当たらない。

3.塔  0門1塔

 粉引塔 Muehlen Turm (13c) 城にある7階建の円塔で、1572風車に改造され
   た。1660.1706の戦争で壊されたが再建された。1776収益性の悪い風
   車は競売に掛けられ、1794仏は製粉所として1836迄使った。1836に嵐
   で屋根トラス・車軸受け・櫛歯を壊され、製粉所は終了した。

4.見所  D

 リートベルク宮殿 Schloss Liedberg(11c)13c宮殿は大きな堀に囲まれていた。
   1270中央塔が建てられ、門塔と刑務所はあった。1350にケルン大司教が建
   物を追加した。1707堀の外に新しい宮殿礼拝堂が建られた。14cの大き
   な4階建の中央塔は砂岩で、1673バロックの屋根が完成し、アーチ門は中庭に
   通じている。塔の隣には、階段切妻のレンガ造の建物がある。
 砂造の館 SandBauen Hof (18c) 木組の農場であり、1977-80に復元された。
   木造2.5階建の建物は、マルクト市場の記念碑的な建物群であり、市が所有
   して文化的な行事に使われている。
 聖ゲオルク教会 Kath.Pfarrkirche St.Georg (1913) 個別の教区はなかったが、11
   00には領主が礼拝堂を建て、1654にも新しい礼拝堂を建てた。1915教区
   教会として聖ゲオルク教会を祝った。1944空爆で一部損傷。1945鐘。
 ヒェルト家 Haus Fuerth (15c) 州で唯一の水城の生き残りで、何度か拡張され、19
   58-64にも改修された。Spee家が所有し居住している。2階建の邸宅は十字
   型の平面図で側面の翼は木造である。

5.写真

宮殿 粉引塔

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リップシュタット Lippstadt NRW57

1.歴史

 1120 領主が水城を北西に建てた、 1184 ベルンファルトⅡ伯は計画都市を創設、
 1194 土堤と堀に木と土の防護柵で守った、   1220 最初の都市権を得た、
 1260-92 市壁を建て市民都市と農地を区分、13C中 鋳造を行い貨幣を流通、
 1618-48 30年戦争で度々占領された、     1669 防御施設を補強した、
 1800 平和になって防衛施設は全て壊された、  1945 空爆されが被害は少。

2.市壁  0km 

   1260-92最初の市壁、1450市壁の補強、1623市壁の外側に堀と出島設けた。
  1680堀の外側をギザギザとし強化、1763二重外溝とし強力防御都市となった。
  1800堀を埋め市壁を壊した。

3.塔  2門1塔

 南門 SuederTor 後期中世の市壁は5市門と共に1450にはあった。Lange通の延
   長上に位置していた。1680に戦略上の防衛施設の拡張があり、南門は西に70
   m移動された。
 リッペ塔 LippenTor Tivoli島への北東市門である。
 太い防御塔 DickeWehrTurm Jakobi教会の側に防御塔があり、教会は避難所とし
   て役立った。

4.見所  C

   旧市街地中心のマルクト広場と周辺の木組家屋が見所である。市民は石造が高価な
  ため木組の家を建てた。市役所通りには、よく保たれた木組の家が並び前面の角
  材に模様や年号が彫り込まれている。
 市庁舎 Rathaus 1185建、1775古い様式で新設された。一時留置所付警察署とし
   ても使われた。2階建前面に階段付き入口があり、その上に破風があり、屋根の
   上には時計塔がある。
 聖母教会 MarienKirche 1185創立、1240ロマネスクの階段玄関、1250塔H65m追加、
   1478-1506後期ゴシックのハレン回廊内陣、1682バロックの頭巾が付いた。
 聖ニコライ教会 St.NicolaiKirche 1150創立、1177火事で燃え、1193-1205早期ゴシック
   で新設、1873今日の新ゴシックのハーレン教会になった、1979覆をスレート瓦に取り換えら
   れた。
 ヤコブ教会 JakobiKirche 13C中に小さなゴッシクのハーレン教会が建ち、ヤコブ巡礼路の礼拝
   堂となった。注目すべきは教会広間南西の深い井戸である。1755新塔のボンネット設
   置。2007改修された。
 兄弟教会 BruederKirche 1542建、アウグスチーノ会修道士の修道院が造られ、古いゴシック
   の修道院教会は14C中に完成した。1身廊の両側に3屋根と切妻を繋いだ形となって
   いる。1718-30に司教館が南に木組で建てられた。
 市郷土博物館 StaedtischesHeimaatMuseum 1656建、火事の後に切妻のある木組の
   家をヴェストファーレンロココで市民の住家として建てた。1929博物館が置かれ、町の模型や生
   活様式が展示されている。

5.写真

市庁舎 ヤコブ教会
木組家 マリエン教会

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リューデンシャイト Luedenscheid NRW58

1.歴史

 1067 ケルン大司教に属し初言及、      1114 皇帝ヘンリー5世の城を築く、
 1268 都市権を授与された、           13c 堀と壁が築かれた、
 1288 ヴェリンゲン戦の後ケルンの支配弱化、    1462 ドルトムント方式の自治完成、
 1549 宗教改革の導入、               16c ハンザ同盟に加入、
 1530.1578.1589.1656.1681.1723大火災、木造茅葺屋根の工場は市壁外へ、
 1609 ブランデンブルクとプファルツの共同支配、      1720 茅葺屋根の禁止、
 1756-63 仏が5年間占領、       1806-13 ナポレオン支配下でグルク公国、
 1813 プロイセンの再統一、        1945 米軍の無血占領 イギリス支配。

2.市壁  0.023km 0.01

   西のRingmauerとCornelius Str.の間の中世市壁の残りは1980年代
  の初めには消滅した。塔のように見え基石で覆われた半円形の部分で、
  新たに擁壁が20m建てられた。
   北のLuisenStr.13 1723の火事の後存在していたつながり再建され
  た。地下室の長さ3.8m高さ2.1mの構造物があり、地下室の南側には直
  径6.8mの井戸がある。この地下室と井戸は市の記念物に指定された。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

   大きな町であり度重なる火災のため、石造の大きな建物が建てられた。
 旧市庁舎 Alte Rathaus (1872) 3階建イタリアルネッサンスの丸型アーチ窓のある建物で、
   以前は高貴なヒューメン家の伯爵邸宅であり、1816-72は市庁舎として使われ
   た。1973文化事務所、1979市立美術館、今は成人文化センター。
 ノイエンホフ宮殿 Schloss Neuenhof (1326) 貴族ノイエンホフの城で、アルバート伯爵が住ん
   でいるので、見学できない。本館は長方形の2階建で、中庭側に2つの塔
   が並び周辺い庭がある。元は要塞城で堀の断片がある。1643本館が再建
   されたが、1695火事の後外壁を再利用して復旧された。1808北部の外棟
   が建設された。1830に記念建築物となった。
 地方裁判所 Amtgericht (1844) 地方裁判所の2階建の建物は、農業裁判所と
   なり、1907にネオルネッサンスの3階建の建物になった。
 市歴史博物館 Stadtgeschchts Museum (1988) ツタのある2階建の建物に産業・
   技術の歴史を説明し、電車・蒸気発電機・ボタン・地図の展示。
 市図書館 Stadt Buecherei (1850) 都心の東部にある4階建の新しい建物で、
   1980に拡張された。
 貯蓄銀行 Sparkasse Luedenschail (1844) 1984に歴史的記念物に指定された。
   4階建の帝国中央銀行の建物は、今も銀行として使われ続
   けている。
 救世主教会 Ertoeser Kirche (1072) 聖Medardiusとして言及され12cロマネスク大
   聖堂として建てられた。1822に荒廃して取り壊された。1826ヴァルデン修道
   院長の設計で残っていた11cの四角塔を含めて再建された。

5.写真

旧市庁舎 北市壁

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リューディングハウゼン  Luedinghausen NRW59

1.歴史

  800 裁判所の文書で初言及、  974 ヴェルデン修道院周辺集落に市場権取得、
 1309 リューディングハウゼンとウルフによって自治権付与、 1380 リューディングハウゼンの紋章、
 1443 ホッチスター・ミュンスターが支配、    1499 事務所と町はミュンスター大聖堂に返却、
1507 フェリティタス教会の砂岩柱列建設、          1592-1607 大火災発生、
 1624 魔女狩りが行われた、      1632-52 30年戦争の略奪・疫病・火災、
 1804 新しく形成された地区の町へ、       1832 都心部は火事で全焼、
 1882.1883 火事の後に自主消防隊を設置。

2.市壁  0km 

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   水城のリューディングハウゼン城とフィッシュリンク城と市内のヴォルフスベルク城が有名。
 市庁舎 Rathaus (1844-45) 市庁舎・地方裁判所として建てられた2階建レンガ造の
   建物。
 リューディングハウゼン城 Burg Luedinghausen (12c) 貴族の本部として建てられ、16c
   下ミュンスター司教によって、ルネッサンスの水城が再建された。塔と西翼は19cのもので
   ある。1624には魔女裁判が城で行われた。今は市の所有で、2016に大改修が
   行われた。
 フィッシュリンク城 Burg Vischering (13c) ミュンスター司教によって城が建てられた。その後
   14cにフィッシュリンクのドロステ家が使用し、1521の火事で崩壊後1580に西にルネッサンス2
   階建の城で再建され、階段塔の北棟と前島には農場の建物がある。1690ドロステ
   家は移転して使われなくなった。二次大戦後1970-80に修理され、文化行事に
   使われ、1972ミュンスターラント博物館となった。
 ヴォルフスベルク城 Burg Vischerig (1270) 初めウルフ・ルディングハウゼン家の所有であった。
   1337再建され、1537ヴォルフスベルク家となった。1549ヘッセン家は結婚で城を取得
   した。今の3階建寄棟屋根の外観は18cのものである。
 聖フェリケタス教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Felizites (800) ミュンスター最初の司教は木製
   の教会を建て、彼が創設したヴェルデン修道院に遺贈した。1037にミュンスター司教は
   新しい石造の教会とした。1507-58今の教会が建てられ、1875にゴシックで高さ
   70mの塔や屋根を改修した。1909南側に礼拝堂が建てられ、1979教会は改修
   され、新しい祭壇が置かれた。
 ルーテル教会 Luth.Kirche Luedinguhausen (1857-59) ミュンスターラント初期のプロテスタント教会
   である。ネオゴシックの漆喰ホール・4ヨーク・四角4階建の西塔がある。
 ハケの家 Hake Haus (19c) 元貧困層の半木造の家。今は学生用の家。
 グルーベ館 Hof Grube (1337) 最古の農家で、グルべ農場の名前が付いている。32m
   の本館を中心に、4本柱構造の半木造の建物である。
 水門の家 水場公園の北に、2階建長方形の水門の家がある。

5.写真

市庁舎 フェリチタス教会
マルクト ロック
南市壁 市図書館

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リュクデ Luegde NRW60

1.歴史

  774 フランクの資料に記録、 1036 パーダーボルン司教はブスドルフ修道院を設立、
 1195 ゴットシャーク伯爵の硬貨は都市権を推測、 12c 市壁・堀・塔・土堤の要塞、
 1246 リッペ3道路モデルの町造り、    13c ピルモンテ郡の主要都市であった、
 1255 ピルモーテの伯爵は町の半分をケルン大司教に譲渡、   1583 改革の導入、
 1624 30年戦争でカトリックになった。      1668 ヴィルモント郡の紛争解決、
    バーダーボルン皇太子は町を受取り住民は抗議、1756-63 7年戦争で被害、
 15c-18c 19回の火災発生し2回は全焼、1797 248/315戸焼失・200戸は復元、
 1862 プロイセン軍は町を占領、    1806 仏に占領でヴェストファーレン王国へ、
 1813 プロイセン王国に帰属、1945米軍占領、1946 最大の洪水で市壁を超えた。

2.市壁  1.42km 0.94

   13cの市壁は、殆ど堀・土堤と共に残されている。洪水対策で長さ1.5kmの
  市壁は歴史的な旧市街地を囲んで全部残っている。

3.塔  0門2塔

 防衛塔 Wehrturm am BrueckenTor (13c) 7塔の内2塔が
    残され、橋門の側にあり、町の守りのために使われた。
 隅の防衛塔 WehrTurm in Winkel (13c) 1797の火事の後に、塔は軍の
   住居に使われた。

4.見所  B

   市壁と塔が残り、1997の大火事の後に、木組の建物の多くは、保全作業
   が行われ、この州でも美しい歴史的な市街地となっている。
 市庁舎 Rathaus (12c) 火事で何度も焼け再建されたが、以前の建物の
   外観は知られていない。1548に建替えられた市庁舎は、近隣の市庁舎と同様
   にルネッサンスで建てられたが、1790大火事の犠牲となった。1799古典主義の木組
   の新市庁舎を再建した。ラッツケラーは1965に新しい建物に移った。
 聖マリア教会 Kath.PfarrKirche St.Marien (13c) 市壁の外にキリアン教会が
   あったが、13cに都市教会が建設された。1797の火事で壊れ、1894荒廃し、
   同じ場所に古い部分も使ってネオゴシックの教会になった。19c教会は再建された。
   中には、1520の祭壇・1877に14枚の絵画などがある。1987-90改修・再塗装。
 聖キリアン教会 St.Kilians Kirche (1150) 町の南の旧要塞に正方形の後
   陣とその北に広がりを持つ教会が、初めに建てられた。今の教会は、ロマネスク
   の十字が高く中央身廊に円形後陣がある。1494シュバレンベルク家の最後の埋葬地
   となった。墓地と共に高い塀で囲まれている。
 旧フランシスコ会修道院 Ehem.Franzikaneer Kloster (1749-56) イエズス会が
   1739バーダーボルン王子司教の承認を受けた後に、フランシスコ会に移り、1749基石を
   置き1752に修道院は完成し、1753-56バロックの教会が建てられた。1812ナポレオン
   の兄弟に引き継がれ売却された。カトリック教会は購入し1860に病院を開設し、
   1958まで継続された。1974カトリック教会の聖マリエン教区幼稚園となった。
 市郷土博物館 Stadt Heimat Museum (1799) 典型的な都市農民の家で
   1797の火事の後に、4列の木組の家が建てられ、3家族211人が住んだ。
   1987からは郷土歴史博物館となった。
 聖ヨハニス教会 Ev.Kirche St.Johaneis (1864) プロテスタント・ルター教区が建てた。
   宗教儀式の建物はハインリッヒ・ルターの聖歌隊の壁画が有名である。
 最も古い家々 Die altesten Hauser (16c) HinterStr.に町で最古の木組
   の家々が、1797の大火事を切り抜けて存在する。
 町のレリーフ Stadt Relief () リッペ国で典型的な3道路方式の町に、大きな
   倉庫門とデュール広間に特徴のある建物があり、町のブロンズのレリーフが歴史を張り
   付けている。

5.写真

市庁舎 マリエン教会
橋塔 ヴィンケル塔
西南市壁 西市壁
北東市壁 東北市壁

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マールスベルク Marsberg-Ober NRW61

1.歴史

  772 カール大帝のザクセン出兵で征服、     785 修道院建、キリスト教化の初め、
  900 鋳造権を保有、            1150 僧院は金属の掘削と加工、
 1220 王位紛争で上の町は避難場所、       1550 宗教改革が到来、
 1624 司教が反宗教改革、       1645 30年戦争でスエーデン軍の破壊、
 1646 破壊で町の重要性が減り、防御施設は壊され、古い形状のままとなった。

2.市壁  0.01km 0.02

   東側の教会の近くに壁が残る。西側のAufDerMauerの下に石積みがある。

3.塔  0門2塔

   古い防御施設には6塔があったが、2塔がまだ残っている。
 桶門 ButtenTurm 北、監視塔として有効であった、地下牢でも使用。
 水塔 WasserTurm 南、守りと同時に水の供給に役立った。僅かの残
   りが見られる。

4.見所  D

   市街地中心を離れた西北の山の上に、忘れられた上の町が在る。
 旧市庁舎 AlteRathaus 石造2階建がマルクト広場にある。
 聖ペーター・パウロ教会 StiftKircheSt.PeterUndPaul 修道院付聖堂。785カール大帝
   が石造のバシリカを建て、1250-1410に何度も改築された。30年戦争の破壊
   の後1670にバロックの円蓋先端の塔を持ち、1817落雷火災に会い、1829今
   の八面体の角錐先端が存続した。
 ニコライ教会 NikolaiKirche 1229-47中世の美しい聖堂が建てられた。1877徹底
   的な改新がなされ、塔は今日の姿となった。ゴシックのピエタ像。
 曝し台 Pranger 町の裁判権の何百年もの古さの目印として、今日も見られる。
   最初の記録は1619で、昔は木製の曝し柱に鉄製の首輪が付いていたが、後
   には石造の曝し台となった。マルクト広場旧市庁舎の前にあり、この曝し台使用
   の最後の判決は1805に執行された。
 ローラント像゙ RolandStatue 1600にルネッサンスの石灰岩の石像が立ち、市場権のシンボル
   であった。1757に台座の更新がなされた。

5.写真

ニコライ教会 Stijt教会
Butten塔 北壁

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メーデバッハ Medebach NRW62

1.歴史

 1144 ケルン大司教の文書に教会奉献初言及、 1165 ケルン大司教は市場権授与、
 1179 ケルン大司教とヴェストファーレン伯の戦闘、  1220 ケルン大司教は都市権を授与、
 1303 防衛権を得て市壁拡張3門で強化、1341現存最古のアンドレアス礼拝堂建設、
 1450 ゾースト損害賠償税を課す権を得た、   15c ハンザ同盟向けの輸出好調、
 1584 パルチザンがヴェストファーレンを征服      1584 バイエルン州の新選挙区の町、
 1636.40.43 略奪で住民は森に逃げた、     1644 228人が市民権所有、
 1802 ヘッセ・ダルムシュタットが町を占領、       1816 ナポレオン後プロイセンに属す、
 1817 プロイセン・ヴェストファーレン州の郡都、       1884 大火災で141戸焼失、
 1880 多くの住居がボーフムに移住、          1945 米軍が無血占領。

2.市壁  0km 

   14cの市壁は見当たらない。Wallの地名があり、その内側を探すがない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。町の西南のSuedWall内側に、高さ0.40mの石の基礎がある
  が、塔の跡の確証がない。

4.見所  D

   1844の大火災で多くの建物が焼失し、散在する木組の家もその後の物。
 市庁舎 Rathaus (19c) 前面の1階と2階に4本の柱を建てた新しい建物。
 聖ペテロ教会 St.Petrus Kirche (12c) 1144に教会奉献の行事が行われた。1342
   ケルン大司教はグリンフェルト修道院を寄贈した。1844の大火事で全焼したが再建
   され、1857再奉献された。最古の部分は、3列丸天井の聖堂で43mの長さ
   があった。1565北と南の通路が壊れ、南側に新築された。1565西塔は高
   さ50mで付けられた。1844大火事の後に1857同じ場所にハレン教会で再建
   された。西塔は高さ63mで十字架と風見が付けられ、3面に時計が付けら
   れた。
 聖アンドレアス礼拝堂 StadtKapelle St.Andreas (1341) グリントフェフェルト修道院に建て
   られた。初期ゴシックの丸天井の広間で、17c後半にバロックの内装となり1670
   -80の祭壇がある。
 新教教会 Ev. Kirche (1839-40) 1804世俗化後にプロテスタントのための教会が建て
   られ、1842-44オルガンが付けられた。1844の大火事は免れ1862高さ23mの
   塔が建てられ金メッキの十字架が付けられた。
 地方裁判所 Amtsgericht Medebach (1853) 2階建中央入口のシンプルな建物。こ
   の地方の約360km2を管轄している。
 市博物館 Stadt Museum (1959) 18c木組2階建の民家に、町の発展の歴史が展
   示されている。

5.写真

聖ペテロ教会 南西基礎

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メンデン  Menden Sauerland NRW63

1.歴史

  818 ヴェルデン修道院文書に初言及、   9c ケルン大聖堂の章は農場を所有、
 1072 新設された修道院は郡で重要、   12-13c 近所にアルテナ・リムブルク伯爵邸、
 1249 メンデンを占領しケルン大司教が所有、 1301 城はマークによって砲撃された、
 1344 町は3門12塔の市壁で守った、  1437ヴェストファーレン公国の農業協会加入、
 1592-1631 魔女狩りが行われた、 1634 30年戦争で31回占領 1662疫病、
 1637.52 火災で被害、        1802 ナポレオン・ヘッセンはヴェストファーレン占領、
 1816 ナポレオンルールの終わり、      1941-45 空爆で被害甚大、
 1946 ノルトライン・ヴェストファーレン州に属した。

2.市壁  0.015km 0.01

   1344の市壁は、1790-1813に取り壊された。Anderstadtmauer3-5の家の間
  の孤立した部分のみが残る。

3.塔  0門3塔

   3門12塔の内3塔がまだ残っている。
 悪魔塔 Teufels Turm (1344) 14cの要塞塔で4階建角塔。その後刑務所で使
   われ、隣の3階建の木組の家と共に1981からカーニバル会社がヴェストファーレン
   カーニバル博物館として使用し、歴史・発展・今日のカーニバルを展示している。
 ポエニゲ塔 Poenige Turm (1344) 町の中心にある要塞塔で、ケルン大司教ボルラム
   が建てた。魔女狩りで犠牲者が投獄された。
 会計書記塔 Rentschreiben Turm (1344) 旧選帝侯宮殿の後に建てられた。

4.見所  B

   市街地は、中世からの木組の家・バロックの邸宅・アールヌーボーの市庁舎・旧ユダヤ
  人の百貨店など色々な建物がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1912) ケルンのカール・モーリッツがアールヌーボーで建てた。砂岩
   紋章の銘板・中世を手本とした塔やアーケードがある。1989市公文書館と市
   図書館となった。
 寄生虫の家 Schmaratzerhaus (17c) 中世の市壁を側壁として利用した家で
   あるため、この名前が付いた。2階建木組の建物で漆喰仕上である。1840
   博物館の分館として、貧しい人の生活状況を展示している。
 聖ヴィンチェンツ教会 Kath.PfarrKirche St.Vincenz (1344) ゴシックの広間教会とし
   て建てられ、1868-71強大な西塔が構築され、四角い身廊と後陣が拡張
   された。中には15cマドンナ・15c勝利の十字架・16cの聖職者席がある。
 都市文化史博物館 Stadt Museum () バロックの壮大な商人の家に収容され、
   屋根のコレクション・ブルジョアビーダーマイヤーのファッションとジュエリー・豊かな市民の都市
   生活を体験できる。
 産業博物館 Indestrie Museum (1807) 有名な貴族の住居であったRoeding
   hausenは1807に建てられた古典主義の地下室の高い2階建の木組の家
   である。南ヴェストファーレンの産業の発展経緯を展示している。
 精霊教会 Ev.Hl.Geist Kirche (1834) 1861-64市壁の外にネオゴシック・ハレン教
   会が建てられ、1834小さなプロテスタント教会が形成された。
 最古の宿泊所 Altes Hospiz「Zum Heiligen Geist」(1300) この町で最
   古の建物で、近隣の養護所であった。今は町の音楽学校である。
 古い牧師館 Altes Pastorat (1666) 早期バロックのレンガ造の家で、1970-02
   に補修され、今は教区の中心である。
 市場薬局 Alte Markt Apotheke (1710) バロックの貴族の家、1710商人によ
   って拡張され、1785この町で最初の薬局になった。
 シュミットマンの家 Schmittmannhaus (1571) バロックの貴族の家として建てられ
   1864-86は市庁舎として使われ、2006修復された。
 市民の家旧市庁舎 Buerger Haus (1864) 後期古典派の市立高等学校とし
   て建てられ、1886-1912市庁舎として使われ、1913-58簡易裁判所、
   1939-73監査室となり、その後青少年センターであった。

5.写真

旧市庁舎 聖ビンテェンツ教会
ペニィーゲ塔 トイフェル塔
北東市壁 聖霊教会

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ミンデン Minden NRW64

1.歴史

  798 フランケン国年史に最初の言及、         800 ミンデン司教区の創立
  977 市場・鋳造・関税権を授けた、      1294 全市民を新教とする布告、
 1552 ヴェーザー川の自由航行権を得た、  1627 貨物集散権を授けられ繁栄、
 1634 30年戦争でスエーデン軍占領、         1650まで 国王軍が駐屯、
 1723 プロイセンの北方行政の中心地、   1759 プロイセン連合軍が仏軍を破った、
 1806 仏に占領され1810仏王国に属した、  1813 プロイセンが取返し防衛強化、
 1816 プロイセンの行政区域に、               1873 要塞の廃止、
 1915 中央運河とヴェーザー川水運の交点    1943-45 空爆で旧市街地は被害。

2.市壁  0.02km 0.01

   13Cには、市壁の外に大きな郊外団地地域があったが、町の防御線に含め
  られた。1553にSt.MarienとSt.Simeonを郊外に残して町を壁で囲った。
   北に漁業の町が有り、ここに古い要塞に属していた旧市街地の市壁も一部分
  0.5kmがまだ在る。未確認。

3.塔  0門0塔

   見当たらない

4.見所  B

   旧市街地中心の大聖堂と市庁舎周辺と木組の建物が見所である。
 市庁舎 Rathaus 1260ゴシックの市庁舎は、通りに面した地階はアーケードが造られて
   いる。1659-62にルネッサンスへ変換され、18Cには時計塔が付けられた。2次大戦
   で被害を受け、1978に補修された旧市庁舎と新築市庁舎とが設続された。
 大聖堂 MindenerDoms 8Cには簡素な塔のないホール式教会であった。12cに今の
   姿になった。13にロマネスクの西正面と内陣、ゴシック装飾窓の大広間、第2次大戦で
   破壊され大部分は復元された。内陣祭壇には1480キリスト架刑祭壇画、十字交差
   部右の袖廊には1250使徒たちのフリーズがある。
 大聖堂宝物室 Domschatzkammer 西正面の右の迫持の下。中には11Cミンデンの
   キリスト磔刑像、1250マエスタの聖母像、1070ペテロの聖遺物箱、典礼具。
 聖マリア教会 St.MarienKirche 1022建設開始され次第に拡大された。12Cロマネスク化、
   14C聖具室、身廊教会のホール再建、1811世俗化され、修道院は軍事用に、
   教会は教区教会に使われた。1945破損し修復。
 ミンデン歴史博物館 MindenerMuseum fuerGeschichteLandesUndVolkskunde考古
   学.地方民族衣装.復元職人工房.軍事史として1759ミンデンの戦のジオラマ。コーヒー博物館
   や人形博物館も付属している。
 水路交差 Wasserstrassenkreutz 北へ、ミッテラント運河が375mの橋で14m低いヴェーザー
   川の上を通る。運河橋により、ミュンスターとハノーハー間211kmの運河には閘門がない。

5.写真

市庁舎 教会
街並

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ミュンヘングラードバッハ Moenchengladbach NRW65

1.歴史

  974 ケルン大司教がこの町に聖堂を設立、 1366 都市権の授与、市壁の建設
 1684 教会と市壁の破壊、          1794 仏革命軍の占領 、
 1801 左岸は仏領となる、      1815 プロイセンに帰属、織物産業の振興、
 1940-45 空爆により都市の65%破壊。

2.市壁  0.62km 0.38

   壁が今見られるのは、Steige塔、Neu通、Gasutohaus通、Gere公園、
  MuseumとApteiの庭である。Gere公園の市壁には、市壁変遷の説明銅版がある。
  Hindenburg通とWall通の交差点には、市壁の位置が着色舗装で表示される。

3.塔  0門1塔

  門塔は残っていない。
 太い塔 DickerTurm 西側の市壁の中にあり、太い円塔に円錐屋根。

4.見所  C

   丘の上に市壁で囲まれAlteMarkt広場を中心とした旧市街地が見所である。
 私立博物館 MuseumApteiberg 1982市立博物館の新館が建築賞を受賞
   した。マンレイの写真作品が有名。庭には緑の中に彫刻が配置されている。
 司教座大聖堂 Muenster 1180建、ロマネスクの大聖堂だが、小聖堂と聖教壇
   席はゴシックである。1180三つの身廊に成長、1260窓の聖書ステンドグラス。
 聖ヴィース St.Vith 修道院の前のガストハウスは、17Cの建設され、今は食堂。
   破風3階建。
 新教中央教会 Ev.HauptKirchePheydt 1770バロックの塔、ロマネスクの身廊、
   内部の装飾はロココ様式に改造。
 元武器庫 AlteZeughaus 2002元武器庫に、カーニバル博物館を開設。

5.写真

ゲロ公園の壁 ゲロ公園の壁
アプタイ山の壁 アプタイ山の壁
市庁舎通石積 聖ヴィート教会
市壁塔 西壁

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モンハイム Monheim am Rhein NRW66

1.歴史

 1157 ケルン司教区の土地交換文書に初言及、   1257 税関、1262市場設置、
 1275 ベルク公爵アドルフ6世が支配、  1390-1408 自治権を制約して支配、
 1415 アドルフ8世が町を受け取り要塞建設、1806 ナポレオンが支配し事務所解散、
 1815 ウイーン会議でプロイセン王国に属した、1929 新設のライン・ヴェッパー郡に属す、
 1960 周辺町村を統合、         1994 モンハイム アム ラインとなった。

2.市壁  0km 

   見当たらない。

3.塔  1門0塔

 ならず者塔 Schelmen Turm (1425) 市壁の東門で、16-17cには、町の刑務所と
   して使われ、1972に改装して文化行事と登記所となった。4階建26mの主塔
   に、長さ5.75m幅4.25mのアーチ門が南に付いている。

4.見所  D

   ライン川右岸の古い小さな町。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1787) 石造2階建のシンプルな建物として、当初ゲストハウス
   として建てられた。1867-1938に市庁舎として使われ、1984に記念建物に
   登録された。
 聖ゲレオン教会 St。Cereon Kirche (1223) カトリックの教区教会で、3身廊柱教会がケルン・
   ゲレオン教区の自己教会から始まり、11c石塔が追加された。1300のロマネスクの塔
   が現存している。再建されたロマネスクの教会は、二次大戦で破壊され
   1952に再建された。
 古いプロテスタント学校 Alte Ev.Schule () 2階建5窓列の建物。
 古い税関 Alten Zollhaus (1760) 2.5階建石造の建物で、隅階段塔がある。
 マリエンブルク公園 Marienburg Park (1880) 1879-80に建てられたマリエンブルク城の公園
   は個人所有である。
 料理屋 Gaststuette Zum Drue'e () 今は醸造所で、石造2階建の高基礎の建物。
 図書館 Buechrei (1760) 古い2階建の木組の家。

5.写真

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ミュンスター Muenster NRW67

1.歴史

  793 修道院の建設、         805 最初に来た司教に大聖堂建設命令、
  850 最初の大聖堂の完成、      1050 新教区教会の建設、
 1178-78 憲章・防衛権の授与、要塞建設、 1221 大聖堂や多くの家屋が焼失、
 1227 ハンザ同盟加入、        14C 市壁は外側の壁と2番目の堀で強化、
 1454 職人組合の権利をギルト法に定める、1534 再洗礼派王国となりギルト廃止、
 1553 都市に関わる自由と権利の授与:選挙・司法・防衛・法務・徴税等。
 1618-48 30年戦争に強要塞で守った、 1678要塞を強化し西側に星形要塞付加、
 1764-67 更に都市の防御強化、  1803プロイセン、1806ー13ナポレオンの仏軍が占領、
 1815 プロイセンに帰属し内堀を埋めた、 1903 西側の星形を除いて外堀を埋めた
 1941-45 2次大戦の爆撃で旧市街地の91%、市全体の63%が破壊された。

2.市壁  0km 

  1173-78 高さ10mの市壁約4.0kmで104haを囲み、8上流堀、10門6塔で守った。
 14C 外側の市壁と2番目の堀を加えて強化。突出星形要塞を付加。
 1678 強大な要塞は西側に拡張され、2重の星形要塞を付加。
 1815 市壁が壊され内堀が埋められた。
 1903 両側の星形を除いて、外堀を埋めた。遊歩道4.5kmと公園が残された。

3.塔  0門2塔

   古い防御施設には6塔があったが、2塔がまだ残っている。
 要塞砲塔 ZwingerTurm 16C東 強力な要塞と砲塔として建設され、威力を発揮し
   た。その後、要塞の塔、火薬庫、刑務所、美術スタジオ等に使われた。
 ブッデン塔 BuddenTurm 1200建、北 旧市壁の名残であり、壁の解体後1878に給水
   塔として再建された。1945以降に白い円塔と古い円錐屋根の形式で補修された。

   

4.見所  S

   市街地は丘の上に在り、戦後ゴシックからルネッサンスの建物が、数多く復元され、
  昔の魅力を取り戻している。
 市庁舎 Rathaus 14C 切妻のある正面は美しく小尖塔の有るゴシックの建物であり、
   平和の門の飾り板は戦災を逃れた保存されていた。和平条約に署名した国々の君王が壁
   に描かれ、1720のシャンデリアがある。
 大聖堂 Dom 13C建、ヴェストファーレン様式の二つの角塔と二つの内陣を持つ。16c南側玄関
   から入り内側には13Cの彫像が飾られ、後陣周歩道には1540天文時計があり、
   自動人形が鐘を打ち、礼拝堂は調度品で飾られている。
 宝物館 DomKammer 13C建、中庭回廊を通って入る。11C聖遺物、13C聖立像、15c
   聖ハネ祭壇画塔を展示。
 ランベルト教会 LambertKirche 14C建、ゴッシクのホール式教会。1535再洗礼派の曝場となり、
   今でも鉄格子の檻が両塔にある。19Cに搭上に尖塔99mを付加。
 城館 かって選帝侯の居城であったが、今は大学として使われている。三つの翼棟を持つ
   赤レンガに砂岩張りのゴシックの建物である。
 州美術館 WestfalischesMuseum ゴシックの彫像、ステンドグラス、祭壇画、30年戦争記録等
   の展示。
 主人市場 PrinzipalMarkt ルネッサンス切妻の富裕な商人の館が簡素に復元されている。

5.写真

市庁舎
大聖堂

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ノイス Neuss NRW68

1.歴史

 1-3c ローマ軍団の大砦が置かれた、 5c フランク族が支配、9c ベネディクト会修道院、
 1190 ヘンリー4世により都市に指定された、  1200 5門の大市壁が構築された、
 1474-75 侯爵チャールズはブルゴーニュ公の1年の包囲戦に耐え、関税特権・自治権を得た、
 16c ケルン戦争で占領された、       1586 大火災で町の2/3を破壊、
 1612-51 フランス・ヘッセンと同盟し、ルイ14世の戦争税や債務負担増で町は疲弊、
 1794-1814 仏軍が占領しライン河畔に大砲を設置、1816 プロイセンに帰属、
 1913 郡程度の町があった、  1942-44 2次大戦の空爆で旧市街は壊滅、

2.市壁  0.17km 0.20

   1200市壁が構築され、壁には小石が充填された。13c町は拡張され、市壁は
   煉瓦アーチに石の層積を埋めて造られた。14c強化のために一部二重壁とした。
   19cには取り壊しが始まった。今は、西HamtorPlatzに170+40m、南Ober
   Torに40m、南西BulfTurmに20mに市壁が見られる。

3.塔  1門2塔

 上門 Ober Tor (1200) 中世市壁の6市門の内、唯一残された南門である。
   左右の石を埋め込んだ円塔の間に四角の門塔が在る。
 血の塔 Bult Turm (1200) 半円塔で西側の市壁から突出している。塔の名前
   は監獄として使われた名残である。地下には拷問用の鉄リングがある。
 風車塔 Windmuehlen Turm (13c) 町で最古の風車塔で、1477の木版画に
     描かれた。中世には監獄でも使われ、1849給水塔に改造され1903まで
   使われた。

4.見所  C

    大聖堂と武器庫を中心に街並みが蘇り、西に市壁の残る緑地があり、南に
   には門塔や風車が見られる。
 クヴィリナス大聖堂 Quirinus Muenster (1209-30) 後期ロマネスクの回廊大聖堂は1741
   火災後に東塔は守護聖人の聖クヴィリナスの立像のあるバロックドームを付けた。
   この聖堂は、ケルン大聖堂の小聖堂の称号を与えられた12の聖堂の一つである。
   この称号指定は、教皇によって重要な教会に付与されている。
 武器庫 Zeug Haus (1637) 1637-1802には、フランシスコ会の教会や修道院として使
   われ、1803市が所有し1826-64プロイセンの軍事武器庫になった。1923劇場・
   講演会場として修復した。教会の隣の旧修道院は中等学校を収容し、1852
   -75ロイヤルカレッジになった。1923改修後レストランとなった。1999には改修された。
 宿屋「代官」 Gasthaus Vogthaus 小さな切妻付の4階建ての建物で、グロッケン
   ・シュピールがあって、11.15.17.時に鳴らされる。
 クレメンス・セルズ博物館 Clemens Sels Museum ギュンスターモロー等の絵画・ライン川表現芸
   術・モダンアートを収集。地域の歴史や風俗を展示。
 文化会館「古郵便局」 KulturForum AltePost (1989) 都市のギャラリー・芸術や
   演劇の学校・ビジネスや教育のサービス。

5.写真

市庁舎 西壁
クヴィリニス教会 教会

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ニーハイム Nieheim NRW69

1.歴史

 1036 Busdorfの証明書に初言及、 11c バーダーホルンのバインベルク司教に引継、
 13c ケルン選帝侯に王子司教が対抗、  1230 裁判権・市場権・鋳造権を授与、
 13c 王子司教は事務所・裁判官を置く、       14c ハンザ同盟に加入、
 1802、世俗化され所有権はプロイセンへ、  1807 ナポレオンのヴェストファーレン王国へ、
 1813 プロイセン領となる、   1815 ヴェストファーレン州を設立、事務所ニーハイムの席、
 1970 ニーハイムは周辺を統合。

2.市壁  0.10km 0.11 

    上と下のStadtmauer Str.があり、その位置に市壁があったと思われる。
  市壁は、町の西北と東にわずか残る。西南部の石積は市壁から除外。

3.塔  0門1塔

 ホルスター塔 Holster Turm (14c) ホルスター山近くの高所にあり、ニーハイムの見張と呼
   ばれる円塔で、今は観測塔として使われ、塔頂からは素晴らしい景観が
   見られる。

4.見所  C

    バーダーホルン司教による支配は、1802まで続いた。チーズ市は毎年9月の第一
  週末に盛大に行われ、数万人が集まる。
 市庁舎 Rathaus (1610) ヴェーザールネッサンスの石造高基礎2階建の建物。
 市居酒屋 Ratskrug (1712) 堂々とした木組の家で2016に焼失した。
 教区教会聖ニコラウス Kath.PfarrKirche St.Nikolaus (1262) 12cに西の広間から始
   まり、14cに内陣が続き、その後ヘルメット付の西塔が付けられた。1497内陣の
   延長、1591再建、1969北に拡張、1991-92内装の改修。13cの祭壇には新
   ゴシックの彫刻がある。
 聖十字架教会 Ev.Kirche St.Kreuz (1868-69) ゴシックリバイバルで建設。
 袋博物館 Sack Museum (1908) 商人が建てた古い穀物倉に、袋の全てを集めて
   いた。1998に買収し改修して博物館とした。小から大の袋に色んな物を入れ
   て運んだ。
 ヴェストファーレン・クリナリウム博物館 Westfaln Culinarium (2006)4つの博物館の複合体で
   ある。①ドイツ・チーズ博物館。②パンのヴェストファーレン博物館。③ハムのヴェストファーレン博
   物館。④ビールのヴェストファーレン博物館。入口のチーズ博物館は古い木組の家に入っ
   ている。

5.写真

市庁舎 ニコラス教会
市居酒屋 北西市壁
東市壁 東南市壁

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ノッツルン Nottuln NRW70

1.歴史

  9C 教区教会の建設、    860 女修道院建、聖人崇拝の棺を教会に展示、
 1195 ミュンスター司教は女修道院司祭を認可、 1493 ローマ法王は女修道院を承認、
 1748、大火災後に教会バロック再建、     町の中心部ではバロックの都市計画、
 1803 プロイセン領となり修道院解散、  1811仏軍占領中に元修道院財産の売却、
 20C 農業から繊維加工・リネン織物が起こった。

2.市壁  0km 

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   今も残る中心部の雰囲気の良いバロックの都市計画に落ち着いて身を置ける。
 旧郡庁舎 AlteAmtmannei 1748地階建、1784大屋根で2階部分拡張、今は
   バロックの町の中心で、地域の文化センター。
 聖マルチン教会 St.MartinKirche 1748の大火後ゴシックのホール式教会で再建。1750
   に新しい屋根が置かれバロックの玉ねぎ帽子が乗った。
 女子修道院長室 AebtissinnerZimmer 石造2階建、橋や階段の手摺が美しい。
   今は商工会議所や会議場や結婚式場として使われる。

5.写真

旧市庁舎 ダルパー礼拝堂

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オクトルップ Ochtrup NRW71

1.歴史

 1143 修道院クラーホルツの文書に初言及、     1203 初めて教区と呼ばれた、
 1593-94 市壁・広い堀・3市門の防御施設建設、  1597 市場権を得て町に昇格、
 1595.1598 スペイン軍の攻撃で被害、      1618-48 30年戦争で略奪・破壊、
 1820 市門の取崩、18c末 市壁の除去、      19c初 20以上の陶器工場、
 19c中 自動織機の導入。

2.市壁  0.03km 0.01

    市壁は1593-94に建てられ、1850頃に除去された。地図にはWallの名前があ
  るが 、市壁は西の北部にStuewwankoppと共に30m再建されている。

3.塔  0門1塔

    1593の3市門と壁塔は1820に取り除かれた。Styewwenkoppの小塔はある。

4.見所  C

    旧市街は、小さな縦長の形で、Wall通で囲まれている。
 旧役所 Ehem.Amtshaus (1898) オランダ様式の建物で、今は社会福祉事務所である。
 市庁舎 Rathaus () 旧行政貯蓄銀行の建物が、市庁舎になっている。
 ランベルツ教会 Kath.PfarrKirche St.Lanbertus (13c) ロマネスクの古い教会は13cにさ
   かのぼり、30年戦争後に拡張された。1862教会建設資金が繊維産業発展で集
   められ、1866基石が置かれ1873奉献された。塔高は75mある。
 聖マリア昇天教会 St.Marien Himmelfart Kirche (1951-53) 平らな傾斜屋根の下に
   広がる身廊に北西部の塔に設続され、礼拝堂の役割をしている。
 ヴィラヴィンケル Villa Winkel (1899) オランダルネッサンス様式の建物は、ローレンツ家の住居のみ
   でなく企業活動の場となり、公園で囲まれた。1969市が購入し、レクレーッション
   センターとした。
 オランダ風車 Nederlandes Windmuehle (1848) 町の西に建てられた。
 都市農民の家 Ackerbuerger Haus (16c) 町の中心に建つ都市農民の典型的な2階
   建の建物である。

5.写真

市庁舎 北市壁

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オルペ Olpe NRW72

1.歴史

 1220 学部長を初めての言及、    1222 ケルンはシュネレンブルク城を建設、
 1311 大司教はヴィルネブルク伯爵へ都市権付与し、防御のため要塞化を行う、
 1373 大司教は火災復興促進権授与、1505 町は通行税徴収の権利を得た、
 1554 ハンザ同盟加入、          1560-1609 スペイン・オランダ戦争、
 1587-1697 魔女狩りが行われた、      1637 大火災と疫病流行、
 1701-13 スペイン承継戦争、1756-63 7年戦争、1795 火災で町の83%焼失、
 1796 仏軍の略奪、       1816 プロイセンはヴェストファーレン公国を併合、
、1945 空爆で破壊された。

2.市壁  0.20km 0.24

  1311に町に昇格し、遅くとも1373から市壁は構築された。市壁には3大
  門2小門と幾つかの壁塔で構成された。市壁の遺跡は、旧市街地の南東側に
  丸や四角の壁塔と共に残されている。

3.塔  0門3塔

  残された14cの市壁には、2円塔と1角塔とがあり、円錐屋根の円塔は
  北東が魔女塔(HexenTurm)、南西は天使塔(EngelsTurm)と呼ばれる。
  四角錐屋根の角塔は南西側の大木の下にある。

4.見所  C

   1795の大火事の後に、新たに計画された直角3軸の都市計画に従って、
  マルクト広場を中心に整形された街区に、新しい建物が建てられた。残った家
  の地下室を持つ建物も多い。
 市庁舎 Rathaus () 近代的な市庁舎は、旧市街地の西側の外に新築。
 聖マーチン教会 St.Martin Kirche (800) 最初の教会は1907に放火で焼失し、
   1907-09後翼廊と61mの聳える前面のネオゴシック3廊バジリカが再建された。
   1945空爆で塔の一つが破損し安全のために取り除かれた。1958改修。
 福音協会 Ev.Kirche (1897-98) 市内で最古の教会で、ネオロマネスクのホール
   があり、前面にレンガが使われた。
 旧校舎 Ehem.Schule (1895-97) 2階建の旧校舎は、今は行政のために
   使われている。
 邸宅 Villa (19c) 2階建のゲストハウス。

5.写真

市庁舎 聖マーチン教会

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オルゾイ Orzoy NRW73

Rheinbergの区画内

1.歴史

 1139 初めての言及、         1222 修道院の設立、
 1273 都市権と通関場権を付与され、防御のため市壁と市門を建設、
 1347.1351 火災で貧困、       1419 ラインの税関はクレーブから戻った、
 1438 2度目の城の完成、     1565-81 イタリア技師が2度目の要塞を建造、
 1586 スペイン軍は町と要塞を破壊、1632-40オランダ占領で3度目のフランドル式要塞、
 1660 ブランデンブルクの管理下に、 1672 仏軍占領で外側の市壁を残して取壊、
 18C 布産業の振興、       1818 火災で布産業は衰退、
 1851 タバコ工場で葉巻を生産、1945 両軍の攻撃でKuh門と教会を破壊。

2.市壁  0.60km 0.30

   1139ー1273城壁都市の農村部の形態。1273-1438市壁と市門の円形固定都
  市。1565-81新イタリア式5要塞をレンガ造基礎、1632-40初期オレンダ風の要塞、5島
  要塞と5角要塞との間を堀り不規則5角形の町を囲った。関税の島はライン川の
  中に造った。1672仏軍に壊され、今残っているのは、RheinPromenadeの外側
  の残骸と、昔の5防壁の一つが東北の外に残り、北東と南部に古い石積が残る

3.塔  0門1塔

   門は、最後まで残った西のKurTorも2次大戦の独軍砲撃で壊され残ってない。
  1640の4門と四隅の4角塔に守られたが、1937高水敷防護門RheinTorは破壊
  し南西隅のレンガに青塗した青塔の基盤と南西部のPulverTurm(1550)が残る。

4.見所  D

   ラインベルク市内の小さな町であり、残った市壁・塔とラインプロムナードをみる。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1600建、1586スペインによる破壊の後に新築。
   中側には古い監獄が保存されている。
 新教教会 Ev.Kirche 古い教会に1450改造や拡張が行われ、後期ゴシック
   のレンガ造段付きハレン教会であり、1632に改造された。
 カソリック墓地 KatholischerFriedhof 昔の防壁の上にカソリックの墓地がある。
   1565-1650に近代要塞があった。

5.写真

ライン門 東北土堤外側
北壁 東壁
火薬塔

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パーダーボルン Paderborn NRW74

1.歴史

  300-600 民族大移動にも例外的に破壊をまぬがれ集落があった、
  7C 北部のザクセン族がこの町に、777 カール大帝は帝国議会と宗教会議を開催、
  806 大司教はドームを拡大し、初めてドーム近くに住み石積壁で防御を行った、
 836 聖リビリュスの聖遺骨が到着、895 ヴェストファーレンで最初の司教座を設置、
 1000 大火で居城とド-ムは被災、1146 外側防御施設は今日の楕円型に拡大、
 1254-95 ハンザ同盟に加入  1340 町は大火、
 1648 30年戦争は終わったが、16回も包囲され破壊と略奪が行われた、
 1651 防御施設は補修された、1806ナポレオンの占領で市民軍は禁止された、
 1880 ウイルヘルムⅠ世は市壁を無料で市へ払い下げたため、壁の廃止が進む。

2.市壁  0.60km 0.20

  9Cに最初の市壁が築かれる。1146に市壁は拡大され今日の規模になった。
  市壁は、東側と南側に僅かに残り、通りの名前に名残を残す。

3.塔  0門2塔

  防御塔2塔がまだ残っている。
 防御塔 WehrTurm der Stadtmauer 北のPaderhalleの監視塔。
   窓なしの円塔。もう一つ南JesuitenMauerにも円塔がある。

4.見所  B

   大きな旧市街地であり中心地は賑やか、市壁内の南に寿司屋があった2010。
 市庁舎 Rathaus 1616三つの切妻を持つ大きな建物、角のある渦巻き模様
   はヴェーザー川流域の様式である。
 大聖堂 Dom 現在の建物の主要部分は13Cのものであり、ロマネスクの大窓のある
   頑丈な塔が聳えている。正面玄関では、諸聖人と司教達の像が玄関柱の
   の聖母を取り巻いている。内部では、西側のロマネスクから東側のゴシックへ変
   化する高いホールがある。
 聖バルトロメウス教会 BartholomaeusKirche 1017建の礼拝堂。大聖堂外の北側
   にロマネスクのホール式礼拝堂が建てられた。ビザンチンの石工による細い柱の柱
   頭装飾はコリント様式である。
 司教区博物館 DioezesanMuseum 10-20Cの宗教美術品を展示。
   イマートの聖母像1050が美しい。
 パデア泉 PaderQuellen 大聖堂の側に200か所もの湧水が出ており、
   それらの水が集まった川で水車が回っている。

5.写真

市庁舎 イエズス会教会
大聖堂 カイザー広場
東壁 東壁
西壁 木組家
南市壁と塔

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ラエスフェルト Raesfeld NRW75 

1.歴史

  889 最初の文書での言及、 1166城へ最初の言及、領主が教区教会を建立、
 1380 城を再新築した、              1615 スペイン軍の占領、
 1560 火災で町の大部分を失う、      1643 ヘッセン軍が城を包囲した。

2.市壁  0km 

   市壁が造られたとの記録はない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   宮殿以外には、取り立てて言うものはない。
 ラエスフェルト水城 WasserschlossRaesfeld 1380町の西2kmに二つの塔を持った城を建
   てた。1585には貴族フェーレンが増築した。アレクサンドルⅡ世は1643-58に壮大な宮殿
   建て、占星師塔(StermdeuterTrum)は52.5mあり州内で最高。
 宮殿博物館 Museum am Schloss 戦時中の市民の様々な経験を、写真・文書・によ
   って説明されている。
 宮殿教会 SchlossKapelle 1658建、バロックの祭壇、「鉛色の心」は右側の祭壇に有
   る、1962に地下聖堂が発見された。
 聖マーチン教会 KatholischKirche St.Martin 最初の領主によって教区教会として建てら
   れ、消失した塔はレンガ造で再建され、1516二つの鐘。

5.写真

聖マーチン教会 交差点

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ラッティンゲン Ratingen NRW76

1.歴史

  849 最初の文書言及、      1276 都市権授与、関税権・課税権も、
 1276 防衛塔・市壁・8mの堀の建設、  1362 ナイフ・ハサミの鍛造品の生産販売、
 1641 30年戦争で市壁は破壊、     1783 最初の紡績工場の設置、
 1815 プロイセン領となった、         1945 第2次大戦の爆撃で被害、

2.市壁  0.55km 0.47

  1469建、全周1.17kmの内、北に230m東に50m西に270mの市壁が残ってい
  る。北にはH13m・B3.5mの市壁と深い堀、東にはH10m・B1.7mの古い市壁、西
  に壁上通路も見られる。Ev.Kirche北東角の古い石積みは市壁ではない。

3.塔  0門3塔

  古い防御施設には4門15塔があったが、4塔しか残っていない。
 太い塔 DickTurm 1464建、北 ずんぐりした防護塔、高さ13m・幅12m。
   2008に地元の郷土クラブが改修した。
 蝙蝠塔 KornsTurm 1464建、東 円錐トンガリ屋根の2階建石造円塔、
   穀物倉庫として使われた。
 トリンセン塔 TrinsenTurm 1474建、東 兵器格納庫として使われた2階建の
   角塔。
 豚飼い塔 VerkeschiedenTurm 豚飼いの出入りした門、Muhleimer通の
   近くでこの塔の基礎が見つかった。

4.見所  C

   木組の家や市壁や堀に見るべきものがある。Ober通には古い木組の家が並
   んでいる。市庁舎は新しい様式の建物。
 古い石の家 16C建、最古の石造の家、厚さ1mの壁があり東玄関が開いている。
   1986復元され、今はビールレストラン。古い井戸が残っている。
 三王の宿 Gasthaus DreiKoenigen 1443建、古い市民の家。三人の王の像が
   ある。
 参事会会議場 BuergerHaus 1751建、2階建石造に変えられた。地区裁判所、
   博物館、図書館として使われ、今はレストラン。
 聖ペテロとパウロ教会 PfarrKirche St.Peter und Paul 8C建、ゴッシクのホール式教会。
   11Cに拡大され三塔のあるロマネスクの大聖堂となった。1774の嵐で屋根を
   飛ばされた。三つの歴史的な大鐘、1300(2960p)1523(3926p)1498。
 ミノリト修道院 MinoritenKloster 1362建、フランシスコ修道会が設立。1656-1725
   修道院教会。1834カトリック学校、1884-1973市庁舎として使用。
 新教教会 Ev.Kirche 1684建、三身廊のホール式教会でコーラルニッチなしで建て
   られ、塔は1856に付け加えられた。
 旧ルッター教会 Ehe.LutherKirch 1685建、民家を献堂し、1765に塔を付けた。
   1820塔が壊れ、1826教会と牧師館が新設された。
 町美術館 StadtMuseum 町と地域の歴史と磁器コレクションの展示。

5.写真

市壁 珍外壁
西壁と防衛路地 西壁
市壁 太い塔
市壁 北壁
塔通 冠塔・東壁

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レッキングハウゼン Reckinghausen NRW77

1.歴史

 1017 最初の文書言及、       1150 町の中心には地域行政機関設置、
 1179 最初の都市の防衛施設建設、   1236 完全な都市権を得た、
 1296 リンクの破壊と1345再建、     1316-1618 ハンザ同盟加入、
 1469・1500・1507・1646・1686・1890大火災、1500-08 旧マルクトに2回目の市庁舎、
 1514-1706魔女狩りが行われた、   1583-84・1598-99・1588-89戦争被害大、
 1901 都市の市壁外への拡張、     1945 第2次大戦の爆撃被害は軽微。

2.市壁  0.20km 0.10 

  1179初回、1296破壊後に拡大して1345に2回目2.13kmが築かれたが、1839
  以降に少しずつ取り壊された。今は、北西部HorzogsWallに約200mが二つ
  の塔と共に残っている。市壁の裏側は土堤がありホテルの庭となっている。

3.塔  0門2塔

  中世には5門17塔があったが、今は北西の市壁に2防衛塔しか残っていない。
 シュテプァン塔 StephansTurm 北西 ホテルの一部に取り込まれて残る。
   円塔に円錐屋根。
 防衛塔 WehrTurm 円塔の半割部分が補修されて残っている。

4.見所  B

   戦争被害は軽微であったが、旧市街地には新しい様式の建物が多く、僅
   かに小規模な木組の家が残る。市壁跡の円形道路沿いが賑やかである。
 木組の家 ①1558建 Kuniberti通の梁に日付けがある。
     ②1800建 Breite通の古い薬局は破風付漆喰木梁造。
 エンゲルス城 EngelsBurg 1701建、石造バロックの宮殿、審判官のために
   建てられた。今はホテルとして使われている。
 市庁舎 Rathaus 1908建、南の円形道路の外に建てられ、入り口に階段
   上にローランド像が立っている。
 ゲスト教会 GastKirche 1360建、泊りを提供した貧しい人のための場所
   にあるカトリックの最小の教会。祭壇が美しい。
 聖ペター教会 St.PeterKirche 1200建、ケルン大司教の基盤として母教会
   となった。1247の火災後に美しい後期ロマネスクの建物となり、更に二つの火
   事の後に1519-23ゴシック廊が追加された。内部には1520のバロックの祭壇。
 郵便歴史博物館 PostgeschichtilicheMuseum ドイツポストの歴史の展示。
   イコン博物館が併設され、東欧教会美術が見られる。
 ベスティッシュ博物館 VestischesMuseum 町と地方の美術と歴史の展示。

5.写真

市庁舎 西壁塔
西壁外側 西壁内側

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リース Rees NRW78

1.歴史

  695ー739 、     1228 ケルン大司教が下ラインで最初の町を置いた、
 1289 町の壁を築き始めた、      1350 市壁の完成、
 1578 スペイン軍の占領、         1614 ブランデンブルク領に、
 1616-25 オランダ軍の占領と要塞建設、1816 ベーゼルに帰属、
 1945 第2次大戦の空爆で大被害。

2.市壁  0.40km 0.65 

  ケルン大司教が1289から建設、ライン・プロムナードの東半分以外で65%が残る。

3.塔  6門5塔

  基礎部が残っているものも含めて多くの塔が見られる。
 ライン門 RheinTor 1407南 外壁に建てられ、1594のスペイン守備隊への国軍の
   砲撃で破壊。1600にレンガで再建されたが1945第2次大戦で破壊。跡がある。
 ラインヴィッカー門 RheinwikeTurm 1328西 石造りの塔門であり19C初めに交通
   の障害となり崩された。円塔の基礎が見られる。
 水門 WasserTor 1417南 水路塔として階段昇降口を持つ、船乗りと漁夫
   はこの塔を通って税関所を建てた。
 起重機門 KranTor 1540南 壁の外に積卸起重機が立つ。1945まで市立博
   物館として使われた。
 落下門 FallTor 1393東 ライン堤防に沿う二重壁に兜付塔が建てられた。
   17CからFallTorと呼ばれ、19C初めこの塔は交通の円滑化に寄与した。
 窪地門 DellTor 1393北 二重塔設備を市壁に置いた。市壁の本塔の前に
   、外壁に二つの前面塔が置かれた。18Cから火薬塔として使われた。1835
   陸地側市壁は取壊された。
 関税塔 ZollTurm 南 中世に関税を徴収した。
 風車塔 MuehlenTurm 1470東南 玄武岩の円塔で、護岸は凍結したライン川
   の圧力に耐えなめし皮粉を挽いた。無料で塔に登れる。
 白塔 WeisserTurm 西南 
 見張小塔 WachterTurmchen 西南 壁中の小塔。
 見張小塔 WachterTurmchen 北東 壁中の小塔。

4.見所  D

   ライン川右岸沿いの小さな町であり、市壁とライン河畔の眺めが楽しめる。
 聖ヴィネーネチウス教会 St.Vineenetius 11C カトリック教会、12C塔を追加、1447
   ゴシックの新しい側廊、1782鐘楼を追加、1951-63新しい身廊と天蓋を
   完成し今の外観となった。1988オランダ製のオルガンが掛けられた。
 新教教会 Ev.Kirche 1623建、1959レンガで再建された。
 町博物館 StadtMuseum 北 町の歴史と文化を展示。

5.写真

市庁舎 ラインヴィッカー門跡
東壁 西壁
ライン河畔 カエル大王

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レムシャイト Remscheid NRW79

1.歴史

 1173 山と谷で町には不向きと言及、   12c、ベルクの伯爵は財産をレムシャイトへ、
 1806 ナポレオンの支配時に集落はロンスドルフ・カントンに属した、1808ベルク公国に属した、
 1808 都市憲章を授与されて人口増、    1815 プロイセンに併合ネレップ地区へ、
 1888 レネップ地区を去り郡レベルの町になった、    1923-24 仏軍の占領、
 1929 ライン・ヴェストファーレン州の再編で都市へ、  1943-45 都市は空爆でほぼ全滅。

2.市壁  0km 

    市街地形成が18c以降であり、市壁の存在価値は無かったかも知れない。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  D

    東のマルクト広場から幅広いアレー通を西に、大市庁舎までが町の中心。
 市庁舎 Rathaus (1906) 尾根の高い地点に1808の都市創立以来の市長の家で、行
   政も行われたが、1839に木組の市庁舎が建てられた。1906に装飾のある高さ
   62mの塔が付けられた。二次大戦中に壊され、近代的な3階建で再建された。
   市庁舎の48mの塔は町の中心部が唯一の歴史的建造物である。市庁舎の東側に
   は100店舗・事務所・医療機関等がある複合施設と連結されている。
 プロテスタント市教会 Ev. Stadt Kirche (1000) まず小さな四角い後陣のフロンホフ礼拝堂が
   建てられ、1189にベルクのエンゲル1世は自身の教会たした。12c後半3廊のロマネスク
   の大聖堂となった。1548宗教改革が行われ、1723の火災でロマネスクの教会は壊
   され、1726から4階建の塔のある新しい教会となった。1945 空爆で破壊され
   1954-55に4階建角塔のある簡素な形で再建された。
   1979-80改修が行われた。
 旧地方裁判所 Ehem.Amtsgericht (893) 1464に旧地方裁判所は土地所有権と刑事
   裁判を担当していた。1843連邦裁判所がエルバーフェルダー通の旧市庁舎に設立され、
   1893に新しい建物に移ったが、狭くて1924に再移転した。
 クレフの家 Cleff Hof (1778-79) 高基礎2階建マンサード屋根ロココの美しい建物で、商人・
   市長・市庁舎として使われた。

5.写真

市庁舎 市教会

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ラインバッハ Rheinbach NRW80

1.歴史

  762 フランク王のプラム修道院寄贈で初言及、  892 バイキング来襲、
 13C中 ラインバッハ公が城と町を造った、  1298 町は壁で守られ市場権を得た、
 14C中 町はケルン大司教管区の所有、  1678 王子の軍が町を略奪し放火、
 1815 プロイセン領となった、          1820 要塞の解体を始めた、
 1945 第2次大戦の爆撃で破損、

2.市壁  0.40km 0.33 

  14Cに造られたときは、全周1.2kmの市壁があった。一例として、修道院の僧
  であり市民であった人が市壁の一部73mを造った記録がある。
   1636の記録によると、水堀が囲み、高い市壁、2市門、1小門、7高塔、2小
  塔と2教会塔で、遠くからも大きな町に見えた。近代の戦争技術で中世の防
  御施設はその機能を失い、堀と建造物は一つづつ取り除かれた。
   市壁が残っているのは、南と南東の隅の城の囲りである。残っている壁の
  高さ0.4mも含めると33%、2m以上とすると21%である。

3.塔  1門5塔

  古い防御施設には3門9塔があったが、1門5塔しか残っていない。
 新い門 NeuTor 1983建、南 前の門の基礎の上に再建された。
   南にある領地への出入り口であった。
 魔女塔 HexenTurm 13C建、城の中に直径9m高さ34.5mの4階建円塔であり、
   一番下の階を魔女狩りの時代に牢獄として使ったため、この名前となった。
 風車塔 WindMuehlenTurm 南 左右にいくらかの市壁がある。直径6m
   高さ12mの円塔であり、塔に上る階段が付いている。
 台塔 BecksTurm 南 高さ4mが残っている円塔。
 バッセム塔 WasemTurm 南西角 12C建、3階建円塔、現代のフード付切石造、
   後付けの壁通路は防御塔の上に導く、昔は刑務所と警察署として使われた。
 楔塔 KellenTurm 北西 13C初め縦8.8m横5.9mの3階建角塔として建てられ
   1852にレンガ造で4m拡大し1回継ぎ足して4階建とした。19C中まで刑務所や
   警察署として使われ、1960大改修してボーイスカウトの寮となった。2009も改修。

4.見所  D

   小さな旧市街で、南の市壁沿いと、中心のHaupt通が賑やかである。
 市庁舎 Rathaus (1902) 旧地区事務所として建てられ、1912拡張された
   2階建の小さな建物。
  Burg (12c中) 13C拡大再建、高い壁で囲まれ幾つかの塔で守られ
   水で満たされた堀も囲む。1951城の敷地内に学校を建て今の小学校となる。
 聖マーチン教会 Kirche St.Martin 943建、最初は市壁の外の古い墓地に
   立ち、1320壁で参拝が妨げられたため壁内に分教会を建てた。1789落雷で
   古い教会は焼け落ち、分教会を地区教会へ格上げした。2次大戦で塔と身
   廊の屋根が壊れ、1950に再建され1983-85に現在の姿に外観と内装を更新。
 グラス博物館 Glas Museum (1968) 歴史的なボヘミヤの中空ガラスを生産
   したが、同時に市庁舎に協会のガラス博物館を設置した。1980市に引き継がれ
   連邦政府の協力も得て、3世代のコレクションを増やした。1989改装された農場の
   HimmeroderHofの部屋に収容され、ガラス生産も見学できる。
 木組の家 Fachwerkhaus (18c) 初の3階建木組の建物は、1963-64に美
   しく大きく改装された。
 地方裁判所 Amtsgericht (1878) 3階建自己塔のある石造の建物。
 農場レイフ Hof Rauf (18c) 大きな4翼の木組の建物。
   今はFreunde des Ardivs。

5.写真

カレン塔 粉挽塔
ヴェーセマー塔 ヤギ塔
魔女塔

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ラインベルク Rheinberg NRW81

1.歴史

 1233 ケルン大司教の都市権を得て都市基盤を整備した、
 1290-1359 町は昔の外堀が囲んだ、  1585 町を拡大し2番目の防御円建設、
 1606 3番目の防衛円は堀を超えて拡大し、オランダ式要塞を建設、
 1648 30年戦争後に再び戦場となった、      1702要塞施設は壊された、
 1815 プロイセン領となった、         1939 第2次大戦中に高射砲部隊、
 1945 爆撃被害、戦後捕虜収容所設置、川への接続がなく静かな田舎となった。

2.市壁  0km  

  1290-1359最初の防御円、ケルンの出城として火薬塔を含んで堅固。
  1585-2番目の防御円は外に拡大し、9防塁付主壁、外側に10半月堡付堀。
  1606-3番目の防御円は、オランダ工法で外側に低い壁と斜堤のある道を設け
    た。今でも土塁として造られた施設は北西部から東部に見られるが、
    市壁はない。一部に盛土の擁壁と塔の下の石積みは見られる。

3.塔  0門1塔

   壁上の塔としては、ただ一つ残っている。
 火薬塔 PulverTurm(ZollTurm) 1293-1298建、北東 ライン川に接して建てられ
   た。この塔は直径16m高さ23m厚さ4mで灰色玄武岩が使われた。城の破壊と
   共に塔も被害を受けたが再建された。1636に落雷で壊され、1703-14プロイ
   セン時代には火薬庫として使われ、今では高さを7mに削られた。

4.見所  C

   18Cのまま残された静かな田舎町。戦後、老朽化した建物を多く復元した。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1449建、古いゴシックの建物。1638.1790.1854-90に改造がな
   され構造が変わった。昔の釣鐘アグネスの使いは今も市庁舎に掛けられている。
 聖ペテロ教会 St.PeterKirche 1106建、ロマネスクのカソリック教会。1200再建、1392ゴシック
   の内陣、1429身廊を増やし、ゴシックのアーチ天井を吊った。
 木材市場広場 HoltzMarkt 広場に16C市民の3軒の家がある。1560建の大桶屋は19
   99に再建された。
 カンパー館 KamperHof 1235建、シトー派の僧院は市庁舎・礼拝堂・ホスピスとして使われた。
 下山塔 UnterBergTurm 1232-88建、カブチン会修道会に建てられた。塔の部分は53m
   に高くされた。
 新教教会 Ev.Kirche 18C建、礼拝堂として建てられ、1883塔と玄関大広間が拡張さ
   れた。
 旧ケルン支庁 AlteKellnerei 1573建、ケルン地方庁の厩として建てられ、1994音楽学校
   や市公文書館として使われた。

5.写真

市庁舎

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ラインダーレン Rheindahlen NRW82

    Moenchengladbachの市内

1.歴史

 9-10c 集落から村になり、カロリング朝の不動産として存在した、
 1188 ケルン大司教の購入リストに記述、   1197 ケルン大司教アドレフ1世は寄付した、
 1352 ヴィルヘルム辺境伯の都市権授与、     1354 城は包囲され破壊された、
 1452-1583 市壁と3市門の要塞建設、1448 町は全焼した、1568スペイン軍占領、
 1780-92 市壁と門を壊された、           1797 仏の占領と支配、
 1814 プロイセン領となった、         1921 メンヘングラドバッハに併合された、
 1945 空爆、米軍占領。

2.市壁  0km  

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   セレナ教会が町の中心にある小さな町。
 カトリック教区教会聖ヘレナ Kath.PfarrKirche St.Herena (11c) ゴシック3廊4島の教会は繰返
   し補修が行われた。12cロマネスクの塔が付けられ、1515フランシクカン修道院によって使
   用された。1647の火事の後は荒廃した。1910-15八角形の塔がある新しい教会
   が建てられ、12cからのロマネスクの西塔は残された。1945空爆で破壊後に再建され
   ている。

5.写真

聖ペーター通 聖ヘレナ教会

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リートベルク Rietberg NRW83

1.歴史

 11c 境界要塞の建設、       1237 リートベルク家の城の建設後集落発生、
 13c リートベルク伯爵の小さな国の首都に、  1803 城は廃止され取り払われた、
 1807 独自の法律と通貨を持ち活動した州が終る、  1807-13ナポレオンに屈した、
 1815 郡はプロイセン王国へ割当、 1843 ヴェストファーレン州に含まれ都市の地位消失、
 1875 プロイセン修道院法で修道院の廃止、       1945 米軍が占領・支配。

2.市壁  0km  

   堀を巡らし、市壁でなく、土堤上の板と柵で町を守っていた。今も長さ3km
  の美しい並木道が2002・2006に復元され散歩道となっている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  B

   旧市街地の4本の大通りには、多くの修復された美しい切妻の木組の建物が
  見事に並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (1800) 3階建て木組の屋根裏部屋付きの建物で、1915に屋根付
   きの前面階段が付けられた。1977に建物は壊され、古い形で再建された。
 リートベルクの故郷 Heimarthaus Rietberg (1645) 典型的な都市農民の2階建木組の
   家で、1989の開業以来、田舎のライフスタイルの典型を見せている。
 バプチスト・聖ヨハネ教会 St.Johannis Baptist Kirche (1896) 教会の身廊は1896に建
   てられ、内部には1720のメアリとヨハネが描かれた高祭壇・1515洗礼式
   の壺・1838オルガンがある。
 旧フランシスコ会修道院教会 Ehem.Franziskaner Kloster (1629) フランシスコ会は、1629に
   教会、1726に修道院を建てて使用していたが、1979修道院は解散した。教会
   は2007に修復されている。
 プロテスタント教区教会 Ev.Pfarr Kirche (17c) 堂々とした木組の建物は、初め法廷関係
   者が住み、その後醸造所・旅館・郵便局となり、1903教会として再建された。
 旧ラテン学校 Altes Progymnasium (1743) 印象的な3棟の建物は、州で最古の文法学
   校がある。
 鋳造所 HerrSchaftliches Haus Muenze (1744-46) バロック石造3階建の建物は、郡
   の出先を収容した。前の建物には伯爵醸造所があったためこの名前が付いた。
 住居と商店 Wohn und Speicher Haus (1553) 狭い木組の建物で、後部が古く前面
   は1692に造られている。
 旧裁判所 AlteGericht (1806) 地元の裁判所を1932まで収容していた。
 市文化会館 Kunsthaus Rietberg Museum Wilfriet Koch () 芸術家で博士のヴィルフィ
   ード・コッホの人生の作品を収めている。文化行事にも使われる。
 ドロステンの家と庭 Rietberger Drestengarten und Drostenhaus (2008) 広い庭園は
   バロックで2008に整備され、17cに郡の最高高官が住んだ堂々とした木組の邸宅が
   ある。
 伝統的オルガン製作所スピース Traditiomsreiche Orgel bauwerk Staett Speith (17c)
    17cの風格のある木組の建物に、有名なオルガン製造会社が収容されている。

5.写真

  
市庁舎

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リンテルン Rinteln NRW84

1.歴史

 1150 昔の集落はヴェーザー川の北岸500m西にあったがペストのため捨てられた、
 1235 今日の町が南岸に計画的に造られた、1239 都市権を受け、石壁の建設、
 14C 橋による交通の便と通行税の課税特権で町は発展した、
 17C 橋は壊され1713に舟橋を代用し、   1847に石材による橋を再建した、
 1807 ナポレオンは要塞施設を取り壊した。

2.市壁  0.60km 0.27 

  堀は南から西側を囲み、西北部に広い土堤が公園となって残っている。
  市壁が残るのは、北東の200mと南西の堀の上の低い石積み400mである。

3.塔  0門1塔

  ライン川沿いの旧港近くに、唯一防御塔がある。
 防御塔 WehrTurm 東北 円塔が再建されている。

4.見所  C

   木組の家や市壁や土堤に見るべきものがある。1530-1620のヴェーザー
   ルネッサンスの張出窓.切妻.装飾がある木組みの家が随所にある。
 木組の家 HolzHaus 
   市民の家 BuergerHaus 1750建、昔はバロック石造1階建であったが、
     要塞の破壊後に木造建築となった。裁判所.郵便局.刑務所として使
     われ、今は旅行案内.文書保管所として使われている。
   公園館 ParkHof 18C建、大きな3翼の3階建木造建築。司令官が建てた。
   壁の裏通 Hinter der Mauer 再建された塔の市壁の裏通に面して、小
     さな木造の家が密集している。
 聖ニコライ教会 St.NikolaiKirche 1238建、マルクト広場にあり、1795 3廊
   式ホール式教会に後期バロックの単塔付で建てられた。。
 聖ヤコブ教会 St.JakobiKirche 13C建、西 旧女子修道院礼拝堂、1621
   に大学へ引き継がれた。1875に改修された。
 聖ストアミウス教会 St.SturmiusKirche 1847建、北東 カトリックの教会。
   新ゴシックの礼拝堂で1888に献堂。
 町美術館 MuseumRinteln 16C建Eulenburgの歴史的な建物。1651-19c
   にヘッセンの行政庁と州議会場として使われ、今博物館として「町と要塞」
   「大学の歴史」「魔女狩り」等のテーマで展示がある。

5.写真

旧市庁舎 聖ヤコブ教会
防御塔 北東壁
南西壁 南壁

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リューテン Ruethen NRW85

1.歴史

 1072 修道院文書で最初の言及、ケルン大司教の管理に属した、
 1200 ケルン大司教が都市に格上げ、   1375 ハンザ同盟に加入し通商で栄えた、
 1573-1660 宗教裁判で104人が魔女とされた。

2.市壁  3.13km 0.90 

   初回1270建、全周約3km、幅1.2-1.4m、高さ3-3.5mの石造市壁を築いた。
  北~東部など市壁前面の地形が高い所には、掘り込んで空堀を設けている。
   空堀には墓地もあるが、大木が茂っている所もあり管理は良くない。
  崖上の市壁には、通路の前や後に石積があり、全部が揃ってない所もある。

3.塔  2門2塔

  全4門の内で門塔が残っているのは1つしかない。
 ハッハ門 HachTor 14C建、北 石造3階建て四角錐屋根四角塔。百年以
   上も外来犯罪人の牢で使われた。
 城門 BurgTor 14C建、西 この市門は、以前の城への連絡路である。
   今はただ基礎が残っているだけである。
 魔女塔 HexenTurm 西 唯一残された都市防御施設の防衛塔である。
   17Cには、捕えた魔法使いと魔女を収容した。今塔内に魔女裁判の展示物。
 配水塔 WasserTurm 上の町の最も高い地点386mに36mの配水塔が立つ。

4.見所  C

   この町は丘の上にあり中世の守りに有効だった。都市防御施設の保全に
   取組めば、もっと魅力のある街になる。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1726-30建、バロックで建てられ、円階段を備え、
   保存された大市民広間には文化的に優れた装飾がある。
 旧城 Ehe.Burg 1200建、1217にケルンの郡城、1370に放棄され、1622焼払わ
   れた。1826城跡に墓地を置き、入口に昔の城教会のバロック入口門がある。
 ヨハネ教会> JohannesKirche 1737建、カソリック礼拝堂で、1872にネオゴシックの
   3廊ハレン教会となった。赤砂岩のマリア像がある。
 ニコラウス教会 NikolausKirche 1300建、1700ロマネスクの塔とバロックの小円蓋
   のあるハレン教会。
 ブークの家 HausBuuck 1609建 印象的な木組みの家。最も古い典型的な
   3階建ての商人の家である。

5.写真

市庁舎 北東壁
北壁 ハッハ門
北西壁 西北壁
南西壁 南西壁
西南壁

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ザルツコッテン Salzkotten NRW86

1.歴史

 1160 バーデハウセン修道院に塩沸場を贈与、 1247 司教ジモン1世は都市権授与、
 1256-94 ケルンとバーダーボルン両司教の共同支配、   1340 大火災でほぼ全焼、
 1633 30年戦争で略奪と破壊、      17c 塩貿易と経済は早期に回復、
 1758-1803 技術的改善で塩生産はピークに、  1975 周辺の町を併合。

2.市壁  0.14km 0.16 

  町の防衛施設の強化の試みは、ケルン大司教の抵抗で1160に失敗した。バーダー
  ボルン司教シモンは1254に強化に成功した。1655市壁全体が石灰とクエイト石の混
  合物で完成した。18c後半に要塞の必要性が低下し徐々に壊れた。市壁と
  堀は壊さて平準化し、市街地は市壁の外へ拡脹した。

3.塔  1門2塔

 西門 Wester Tor (13c) 1254迄に建てられ、20cに再建された。発掘
   調査で外門の基礎が発見され、建設時期は15c後半と判定された。
 魔女塔 Hexen Turm (13c) 東側の塔で、刑務所として使われ、魔女も収
   容した。近年再建された。
 市民塔 Buerger Turm (1247) 防衛塔として建てられ、1982に記念碑と
   して改修された。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (17c) 中世後半の市庁舎は1852に荒廃し、市民に販売
   されすぐ解体された。1976-97新しい4階建の市庁舎が建設された。その
   後、図書館と警察署は外に移された。
 聖ヨハネ大聖堂教会 Pfarrkirche St.Johannnis (1256-70) 初期ゴシック3廊ヴェスト
   ファーレン広間教会で尖頭アーチの窓がある。内装は1968に再設計され、1751
   からのバロックの祭壇画が有名である。1664に24腕の青銅大燭台を寄贈。
 司教館 Pfarrhaus und Deckerei (1747) 聖ヨハネ教会の隣にたてられ、現在
   プーン教会学長の住居である。
 遺産の家 Heimart Haus (1819) 教区教会の陰にあり、教師の住居である。
   1965まで教師アパートとして使われ、1973改修されて展示会・会議室と
   なり一部博物館となった。15cの教会の時計と旧市庁舎の資料を収納。
 旧司祭館 Ehem.Pfarrhaus (1785) 1921Vikarsの住居、今は個人所有。
 ドイツ警察博物館 Deutsches Polizei Museum (1849) 旧駅にドイツと他の
   国の警察の歴史と展示品を、連邦国境警備隊と鉄道警察を含め収集した。
 都市農民の家 Ackerbuergerhaus (1707) バロック・ルネッサンスの2階建切妻木組
   の建物で、17cの木彫りのアダムとイブがある。
 ドレック城 Dreck Burg (1350) 町の東側のB1の南側には巨大な塔の城がある。
   司教座聖堂司祭長オットー・ベントハイムによって礼拝堂と建てられた。1434の文
   所ではバーダーボルン教区の城と呼ばれた。1580には大砲が備えられた。
   バーダーボルン家の騎士の席として引き継がれた。
 噴水の家 Burnenhaus (1554) 古い地盤の所にポンプ室が造られ、部分的に補
   修された。
 搾油所 Oelmuehle (16c) 16c後半の古い搾油所は、1767に粉引と搾油で1838
   には搾油所として、1863まで働き、住居目的で貸し出された。
 懸下式流下装置 Gradierwerk (1997)市の750周年の記念事業として、高さ8m
   長さ50mの塩分濃度を高める懸下式流下装置を開設した。古い装置は
   1908岩塩の出現で閉鎖され、1920-21に解体されていた。

5.写真

聖ヨハネ教会 魔女塔
市民塔 北西市壁
湧水の家 西北壁
北東壁

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シュバレンベルク Schwalenberg NRW87

1.歴史

 1231 伯爵は町を認め、城を宮殿とした、  要塞の特徴は明確でない、
 1258-60 都市権を受け、市民の評議会を設けた、
 1538 宗教改革で大多数は新教であった、
 17C 橋は壊され1713に舟橋を代用し、1847に石材による橋を再建した、
 1807 ナポレオンは要塞施設を取り壊した。

2.市壁  0km  

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   坂の上に木組の家が多く保存されている。特にMarkt通やBrauergilde通は
  見事な木組みの建物で囲まれている。
 市庁舎 Rathaus 1579建、開けた木廊玄関を持ち、地階に広間が入り、3階建の立
   派な木造建築である。1907に建物の右側を拡張した。窓下の厚板張に扇状のバラ
   飾りの絵入りの模様がある。
 シュバレンベルク城 13C建、小山の上に造られた城は僅かの跡が残っている。1628そこに
   住宅用建物が建てられ、1913改修された。
 新教地区教会 EvangelishPfarrKirche 1307に火事の後に高い段丘の北西隅にホール式
   教会を建てた。その内部には1489後期ゴシック聖典の壁龕、12c彫刻付の聖歌隊席
   がある。
 住宅用建築物 Wohnbauten 今もまだ、町にはおびただしい16cの木組の家が存在し
   ている。多くはヴェーザールネッサンスの典型的な薄い砂岩の屋根を持つ。

5.写真

市庁舎 木組家
木組家 Glashuetel

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シュヴェルム Schwelm NRW88

1.歴史

 9c 南の水辺に集落があり、 1400村として言及、 1070ケルン大司教区の財産へ、
 14c初 水城を建ててまもった、      1443 マルク伯爵の所有地となった、
 1496 都市権が授与され市壁が築かれた、      1581.1636 疫病が流行、
 1618-48 30年戦争で町は略奪破壊された、   1722 大火事で町はほぼ全焼、
 1790 温泉療養施設が建てられた、、     1827 大火事で40戸が焼けた、
 1815-87 町はハーゲン郡に属し郡庁が置かれた、1945 空爆で大被害、米軍占領。

2.市壁  0km  

  15cの市壁は、Mauer通にあったと思われるが、見当たらない。

3.塔  0門0塔

  15cの市壁には、4市門・11壁塔があったが、1815には壊され見当たらない。

4.見所  C

   この町では、1970年代に木組の古い家は老朽化し、多くが新しい建物に置
  換えられ、残った古い木組の建物は歴史的建造物として登録されている。
 市庁舎 Rathaus () ハウプト通の西300mに、新しい市庁舎がある。
 プロテスタント・クリストス教会 Ev.Christus Kirche (1842) 町の中心に建つ前任の教会は、百
   年前の教会であった。プロイセンのフレデリック・ウイリアム4世は砂岩切石造の教会を1849
   に奉献した。
 マルトフェルト邸 Haus Martfeld () 北500mに、中世の水城から丸と四角の塔が立つ騎士団
   の邸宅となった。1962地域と町の歴史博物館を収容し、南棟には市の文書館と
   図書館がある。
 リーツの家 Riez'sche Haus (18c) 古典主義の2階建の建物に、18cにはホフラート・ビルトマイスター
   が住んだ。18cの火事を免れ、醸造所の管理用建物として使われた。その西北に
   は、大きなレンガ造のビール工場がある。
 鷲薬局 Adler Apotheke () 3階建の木組の建物。

5.写真

市庁舎 木組家

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シュヴェルテ Schwerte NRW89

1.歴史

 962 ヴェルデン修道院の教授が初言及、       1243 マーク郡に含まれた。
 1391 マークのディートリヒ1世は鋳造権を与えた、   1397 都市権を授与された、
 1406 堀を広げ市門で通行税を徴収、        1419 ハンザ同盟に加入、
 1609 最後のマーク伯爵の死亡で、プロイセン王国のブランデンブルクに属した、
 17C ハンザ同盟崩壊と30年戦争で町は衰退、 1818 火災危険性で藁屋根禁止、
 1869 ニッケル精錬所設置とニッケル硬貨製造、   1940 駅を空爆、1943 町を空爆、
 1945 4月米軍占領、6月英軍支配。

2.市壁  0km  

   Nordwallに石積はあるが、市壁は見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   今の町の規模は、1975に地区の町としてウナサークルとなった時からである。
 旧市庁舎 Altrs Rathaus (1550) ゴシック2階建の市場館のある市庁舎は1933ルール谷
   博物館となり、1996スポンサー協会設立。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1913-14) 町の北西の外れに、2階建鐘楼付きの建物
   で地階にはアーチ窓がある。歩道上のアーチ・アーケードもある。
 聖ヴィクター教会 St.Victer (1032) コッペレブルクのレイモンドがヴィクター財団に農場を寄付し
   1050修道院教会として建てられた。13cロマネスクの大聖堂に拡張された。15c
   ハンザ都市として繁栄し教会塔のある3廊のゴシックのホール教会へ拡張された。中
   には1523祭壇画・1310十字架のフレスコ画・1666バロックの説教壇。
 旧町ワインハウス Ehem.StadtWeinhaus (14c) 市民や商人の憩いの場として建てられ、
   1656改革後ジョンス教会に変換された。1953-55に再建され、今はカルバンハウスと
   して、プロテスタント教区で使用されている。
 ドースの家 Doerthsches Haus (19c) 2階建木組の住宅。
 住宅 Wohnhaus (1829) 上階を継ぎ足した3階建木組の家。
 住宅 Wohnhaus (1828) ベルギー風クラシカルな2階建の牧師の家。
 旅館 Gast Stuette (19c) 今はレストランPferdekaemperである。
 旧農場ブッケン Wuchen Hof (16c) 2階建の木組の家で、19cに再建された。今は市
   文化事務所。

5.写真

市庁舎 聖ビクター教会
マルクト 北西市壁
北東市壁

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ゼンデェンホルスト Sendenhorst NRW90

    Warendorfの行政区画内

1.歴史

 12C 伯爵の城の厚さ1mの基礎を町の中心で発見。 教区教会周辺に集落、
 1300 教会は都市の地位を高め、周壁と4市門を備えた、
 1315 都市として名乗り都市権を授与、 1350-51ペストの流行で人口大幅減、
 16C 壁と堀による安全を求めたが戦争で苦しんだ、 18Cロープ制作が行われた、
 1802 プロイセン領有により短い繁栄、1806大火で半分の住宅と全公共施設を失う、
 19C 市庁舎.教会.広い道路などの整備。

2.市壁  0km  

   なし。市壁や堀の跡は、PromenadeやGrabenの道路名で、遊歩道として残る。

3.塔  0門0塔

   なし。東西南北に市門が有ったが、残っていない。

4.見所  D

   木組の家がいくらかあるだけで、古い建物はすくない。
 市庁舎 Rathaus 1911建 石造3階建で、教会に面して立つ。1090に以前の市庁
   舎は解体され、同じ場所に建て直された。
 聖マーチン教会 St.MatinKirche 1854-65建、1806の火事でロマネスクの教会は損傷し、ネオ
   ゴシックのレンガ造の堂々たる建物が建てられた。1950-60の改修で多くのネオゴシック
   の装飾がなくなった。
 市参事会議事堂 BuergerHaus 美しい木組の建物。
 ホテル・リッダー HoRidder-Lewe 1830建 旅館Fryeの所有するTappは、1886蒸留所
   を併設して、ホテル・リッダーをを開業した。2階には150人収容の大ホールがあった。19
   38映画館を設立、ホテル背後の納屋を350人のホールに改造。1967解体され、1968貯
   蓄銀行支店と4戸のアパート建設、2012貯蓄銀行の再建。
 シュレックマンの家 HausSLekmann 前後をレンガ造で中間は木造の大倉庫。
 古い木組の家
    Schleiten Str.10:古い平屋の三角屋根の中央入口の木組の家、正面片側のみ
       筋交いが入り、戸口は凹んでいる。
    Nordgraben.36:古い平屋の三角屋根の中央入口の木組の家、正面入り口の
       上にはアーチ形の梁がある。

5.写真

市庁舎 聖マーチン教会
北市壁

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ジークブルク Siegburg NRW91

1.歴史

 1064 ケルン大司教はヴェネディクト会ミヒャエル修道院を丘の上に設立、
 1069 ヘンリー4世は市場・税関・鋳造の特権を授与、1182 修道院集落に都市権授与
 1403 修道院と周辺住民の争い、       15-16c 陶器の輸出で繁栄、
 1636-38 魔女狩りが行われた、        1676 ベルク公国へ、
 1741-42 仏軍が占領、          1816 ライン・ジークブルクKreisの郡都、
 1944 空爆で被害。

2.市壁  0.22km 0.2 

  木と土で構築された古い防御施設に代わって、13cに高さ6-7m厚さ0.7-0.8m
  の市壁が造られた。1865から市壁は徐々に取り壊された。

3.塔  0門2塔

 魔女塔 Hexen Turm (13c) 山道にある城壁の一部で、半円の形で
   見張塔を努めた。
 ヨハニス小塔 Johannis Turmchen (13c) 丘の上の城壁の南側の端に小さな
   防衛塔がある。

4.見所  C

   大きな町であるが、丘の上にある旧修道院と旧市街地は狭い。
 市庁舎 Rathaus () 5階建の近代的な建物で、郡庁でもあった。
 市博物館 Stadt Museum (1826) 元の元の建物は、1826市立高校が中世
   の市庁舎の地下室の上に建てられ1909使われ、1930から地方裁判所になり、
   そのご税務署となった。1988から博物館への改修が行われた。3階建の建物
   には、修道院と町の初期から終戦迄の経緯とセラミックの歴史が展示されている。
 聖ミカエル修道院 Abtei St.Michsel (1064) 1632-35スエーデン軍が占領して
   要塞強化。1649-67バロックでの改修。1670ユーリッヒ・ベルク公が勝って破壊。1736.
   62.72.火事で損傷。1803プロイセンによる世俗化で修道院廃止。1816-20地区管
   理者が使用、1829プロテスタント教区教会へ、1879-1914刑務所としても使われ、
   1914オランダ・ベネディクト会による病院、1944空爆で被害、1952修道院の再建。
 教区教会聖ザルファチウス Pfrrkirche St.Servatius (12-13c) 修道院の前
   に建てられ、2棟の大聖堂へと拡張された。後期ロマネスクやゴシックの宝物が納め
   られている。
 武器庫 Zeughaus (1830) 郡庁所在地となって、武器庫が強固な2階建
   で建てられた。1848に使われなくなり、今は、1999設立の音楽会社がある。
 アルケンの家> Haus auf der Arken (13c) 食堂Haus zum Vinterが石造平屋で建
   てられた。 Haus auf der Arkenは、1517に最初に言及され、建物は多くの
   改修を経て、東側の塗られた切妻以外は新しくなった。1699 Zum Tannen
   Baumとなり、1970大きな木骨造の内部は改装された。

5.写真

魔女塔 北西市壁

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ジーゲン Siegen NRW92

1.歴史

 1079 最初の文書による言及、  1224 新設の町として言及された、
 1303 ソーストの都市権を得た、   16C 防御のため3市門16塔付の壁で囲った、
 1592.1695 町は大火に遭った、   1944 2次大戦の爆撃で被害を受けた。

2.市壁  1.20km 0.57 

  丘を市壁で囲った。今は東のOberSchloss・西のUnterSchloss城壁部分・北の
  駐車場・南の坂道沿いに、市壁が残っている。

3.塔  0門1塔

  昔、3門16塔があったが、1塔しか残っていない。
 太い塔 DicksTurm 西 下宮殿の上り口に鐘楼を備えた塔がある。

4.見所  B

   旧市街地は1944の爆撃で破壊されたが、中世のなめし皮と肉屋の同業組合
   の粘板岩で覆われた木組の建物が残った。上下宮殿と教会が見所である。
 ニコライ教会 NikolaiKirche 13Cナッソー家の墓礼拝堂と古い町教会は六角形
   で建てられ、歴史的市庁舎も近くにある。
 上宮殿 OberSchloss 1224建、東 町の成立時にはすでに山上の城が
   あった。18Cには上の宮殿と呼ばれナッソー家が住んでいた。今は博物館と町を
   見下ろす公園がある。
 下宮殿 UnterSchloss 1695-1720建、 三翼の宮殿はナッソー家の皇太子
   のために築かれた。2001から現代芸術美術館となった。
 マーチン教会 MartiniKirche 残っている最も古い宗教建築であり、今の
   姿は1512-17に再建されたもの。
 聖母教会 MarienKirche 1702-25建、1695の大火ので破壊された回廊
   教会の跡に、バロックの教会として建てられた。

5.写真

実業学校 上宮殿門
上宮殿 上宮殿周壁
上宮殿南壁 ニコライ教会
下宮殿北壁 下宮殿南壁
マリエン教会 南壁
東壁 北壁

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ゾースト Soest NRW93

1.歴史

 780 聖ペトリザクセンの教会設立、960-65 ケルン大司教は教会の横に居住地を設置、
 1144 転送市場権を得る、遠くロシアと貿易、 1180 町は102haに拡大した、
 1180 10門と3.8km市壁に囲まれた、1253 ハンザ同盟の主要都市で貿易の促進、
 1500 ケルン大司教の地位低下で町は衰退した、
 1648 30年戦争で被害、        1669 ブランデンブルク選帝侯の支配下、
 1751 プロイセン領となる、        1945 第2次大戦で町の65%は破壊。

2.市壁  2.62km 0.69 

  1180に102haの旧市街地は3.8kmの市壁で囲まれていた。今日でも北側を除く
  2.62kmの市壁が残っている。市壁の外にめぐらした堀の跡は、深さ3mの緑地
  公園となっている。

3.塔  1門1塔

  現存する1門1塔の他に、門の跡が判別できる。
 東農門 OstHofenTor 東 4階建出窓付方形塔が1523-2に再建されて
   いる。今は歴史博物館となっている。
 門跡 門跡には土堤から石積が高く張出している。東南GrandwegerTor、
   南UlricherTor、西南JakobiTor、西NottenTor、北西BruederTor。
 カッテン塔 KattenTurm 1230建、西南 半円塔H12mがあり、小さい穴が
   多く空いている。壁の防御塔の最後の一つである。

4.見所  A

   多くの木組の家の並ぶ路地や市壁・土堤に見るべきものがある。
 木組の家 HolzHaus 
   バラの家 Haus zur Rosen 多彩なモチーフで飾られた家。
   野人の宿 Gasthaus im WildenMann 二重切妻造りの宿屋。
 市庁舎 Rathas 1713-16建、バロックの建物で、西の1階には9のアーチが連
   なる、正面3階には町の守護聖人:聖パトロクロスの像が飾られている。建物の裏
   には旧小学校であった市庁舎の拡張部分が見られる。
 聖パトロクロス大聖堂 St.PatrokliDom 11-12C建、ロマネスクの建物で西側部分
   と四角の塔が興味深い。塔は塞がれたバラ窓という地味な形で、塔の上部を
   くり抜く二重アーケードが方形の基礎の二重装飾アーケードと対比している。
   ロマネスクの壁画で戦災を免れたのは十字交差部北側廊の内陣だけである。
 ニコライ教会 NicolaiKirche 12C建、二つの身廊を持つ礼拝堂の内陣には
   船員や旅行者の守護聖人:聖ニコライの祭壇画15Cがある。
 野の聖母教会 WiesenKirche 1313建、後期ゴシックのホール式教会で、身廊
   は長さと幅と高さが等しい。北側入り口の上には、最後の晩餐のステンドグラス
   1520があり、この地方の特産物が描かれている。
 ホーネ教会 HohneKirche 12C建、ロマネスクから13Cホール式に改修されたが、平
   たい平面と非対称な小後陣がある。内部には全てフレスコ画で飾られ、1280に追
   加された内陣には天使のロンド像が安置されている。
 町博物館 BurghofMuseum 1559建、この町の歴史と芸術の展示がある。
   博物館の中庭には1200の古いロマネスクの建物がある。

5.写真

市庁舎 オストホーフェン門
東壁 東ホーフェン門
南壁 グランドヴェーガー門
南西壁 マルクト広場
カッフェン塔

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スタットハーゲン Stadthagen NRW94

1.歴史

 1224 入植団地を創立した、         1378 町の名前が確定した、
 1344 都市権を得る、        1400 石造の都市防御施設が築かれた、
 1501-1961 石炭の発掘、          1534-38 今の宮殿を建てた、
 1553 当時の上塔へ官庁出入口、           1825 上水道の敷設、
 18C末 土塁を壊して駐車場に、   1945 2次大戦の爆撃被害は少なかった。

2.市壁  0.03km 0.04 

    中世の防御施設は、市壁、塔が少し残り、土塁は町を囲んで残っている。

3.塔  0門1塔

    現存するのは1塔のみ。
 家畜市場塔 Turm am Viehmarkt 1423建、円塔で中世防御施設の残り。

4.見所  C

    多くの木組の家があり、2~3階建三角屋根で前面に飾り装飾のある木組
   も点在する。石造の市庁舎・教会等もヴェーザールネッサンス様式が見事である。
   広いマルクト広場を囲んで見事な建物が建っている。
 市庁舎 Rathas 16Cからあり、1595-1602にヴェーザールネッサンスの2階建て破風付新庁舎
   を建てた。今は戸籍局・旅行案内所・大宴会場として使われる。
 聖マルチン教会 St.MartiniKirche 1230ロマネスクのバジリカで今も塔が残る。1318にゴシックの
   ホール式教会として新築され、1559に改修された。
 聖ヨハネ教会 St.JohannisKapelle 1312建、市壁の外にある小さなゴシックの礼拝堂であ
   る。
 フランジスカン修道院 FranziskannerKloster 1486-1500建、托鉢会修道院。内陣に美しい
   壁が残っている。修道院の敷地内には1810-18204学科の高等中学校が置かれた。

     宮殿 Schloss 1222建、ヴェーザールネッサンスの古い宮殿施設があった。1534-44に中世風の
   石造階段塔付近代的住居宮殿とした。今は博物館。

5.写真

緑地塔 ヴィッヒマルクトの塔
マルクト広場 聖マーチン教会

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スタインハイム Steinheim NRW95

1.歴史

 11c Correy修道院財産献金に記載、    1160 十字架聖堂が建てられた、
 1273 町は副司教の所在地となった、 1275 バーダーボルン司教は都市権を授与、
 1325 司教は貴族ヴェムトへ町を与えた、   1539 大洪水とペスト流行で飢餓へ、
 1580 大火災で多くの塔が崩壊、       1585 亜麻布織工のギルド結成、
 1618 ペストで998人死亡、        1622 ブラウンズウイック・1639スエーデン占領、
 1694.1729 大火事で多くの家が焼失、  1802 世俗化でプロイセン支配に移った、
 1806 ナポレオンのヴェストファーレン王国へ、        1815 プロイセン王国へ帰属、
 1903 12の家具工場が工業生産、   1945 ノストファーレン・ヴェストファーレン州に属した、
 1972 都心部の再開発が始まった。

2.市壁  0.18km 0.19 

   バーダーボルン司教は、1275町に都市権を授与し市壁建設を許可し、1280には完
  成した。1765からは次第に崩され、今は僅かしか残っていない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   19c初めまで長期にわたってパーダーボルン司教の支配下にあり、落ち着いた
  街並みを形成している。
 市庁舎 Rathas (1835) 旧男子学校の敷地内に高基礎2階建の両側階段付の市庁舎が
   建てられた。古典主義の単純構造の建物で、唯一の装飾は高い階段とメインポータル
   の紋章である。市庁舎には、女子校の教師宿舎・1969まで刑務所1902まで消防
   器具庫として使われ、何度も改造された。1949大規模改修で今の事務棟が加
   えられた。1984-86に更なる拡張が行われた。
 教区教会聖マリア Kath.PfarrKirche St.Marien (1160) 10c石の広間教会の後に1160
   十字架聖堂が建てられた。何回かの段階でハレン教会に拡張された。1481北身廊
   の東湾と内陣・1665南通路と北通路・1877西湾にはロマネスクの部分が残り、翼廊と
   入口が建てられた。
 プロテスタント教会 Ev.Kirche (1897-99) プロテスタントの増加に伴い拡張されて来たが、1899
   に3湾の幅広いトランセプトと5/8の合唱団で構成された教会が建てられた。
 小鉢 Kump (1855) マルクト広場の中央の昔の市庁舎の前に、最初の水道管につながった
   噴水が置かれた。クンプは標高142m・直径7m・深さ2.9mであった。1933まで水汲
   み場としても使われた。今は広場の中央に花壇とベンチに囲まれている。
 カトリック牧師館 Kath.Pfarrhaus (1729) 1319から教区は修道院マリエン・ミュンスターに接続し、
   1729火事で焼失した。牧師館として、1729立派な2階建の木組の建物で再建され
   た。
 パラティ館 Paradies Hof (1729) 1729の火災の後、バーダーボルン司教は2階建の大きな建
   物で再建した。一時的に司教会計局長公邸として使われ、1803司教事務所の閉鎖
   に伴い、プロイセンが所有した。1839ユダヤ商人が買収し蒸留所を設けた。1861農家が
   所有し農場と醸造所を経営。市が購入し1995修復後幼稚園となった。
 商業ビル Geschaefthaus (1729) 火災後4階建の農家として建てられ、1800商業用に変
   更されカクフマン家が保有した。1950シモン兄弟が来て拡張し道路側は全ガラスとした。19
   69商人シュバウガウが取得し元の形に復元した。
 元市浴場 Ehem.Staedt Badecansfalt (1905) ネオロマネスク・レンガ造の建物は、発電所と共に
   1905に建設され、発電所の湯で浴場を営業した。1921発電所と共に閉鎖され、売
   却された。
 旧修道院 Alte Kloster (1850) カトリック教区は木造2階建の建物を購入して、修道女を住ま
   わせた。その後拡張されて病棟となった。1870軍病院となり、1892新病院が設置
   され、不要となり売却された。
 旧地方裁判所 Ehem.Amtsgericht (1835) 簡素な形に装飾的な切石積みで建てられた。
   1978地方裁判所の解散で不要となり、1984貯蓄銀行に売却され、外側を残して再
   設計された。
 住宅と商店 Wohn und Geschaeftshaus (1906) ネオバロックとアールヌーボーの細い3軸の装飾の
   多い木組の家に美容院が開業した。1980家具メーカーの所有となり、地階を改装し1983
   外装を更新した。

5.写真

市庁舎 聖マーチン教会
マルクト通 西北市壁
西北市壁市庁舎 南市壁
東市壁 北市壁

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ストレーレン Straelen NRW96

1.歴史

 10c 石のホール教会の建設、 1063 ヘンバッハとアスベル伯爵夫人は家主法を守った。
 1096 ケルン大司教は家主を修道院に移した、1118 シュトレーレン・ゲルダース家が専用、
 1342 最初に町と呼ばれた、     1395 ウイリアム侯爵は町に特権を与えた、
 1399 市場開設、1406 4市門の内3門は存在、1425 アーノルト侯爵は都市権譲与、
 1543 ゲルダン王国は独立を失いスペイン・ハプスブルクへ、1635 占領され要塞破壊、
 1713 ユトレイト和平でプロイセンへ、           1794 ナポレオン軍の占領、
 1802 修道院支配の終焉、仏へ併合、   1815 ウイーン会議でプロイセン王国へ、
 1763 7年戦争後に市壁は壊された、     1969 ノストライン・ヴェストファーレン州へ。

2.市壁  0km  

   見あたらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   マルクト広場と教会広場を中心とした小さな町。貴族の館は町を離れて農場
  にあった。
 市庁舎 Rathaus () 近代的な3階建の大きな市庁舎は旧市街地の西の外に建てら
   れている。
 教区教会聖ペテロとポール Kath.Pfarrkirche St.Peter und Paul (13c) 前の建物は
   1386の火災で全焼したため、1387に3列の柱のあるホール教会が建てられ、
   1498に拡張された。中には15cの合唱団、1200ロマネスクの洗礼盤。
 カーンの館 Haus Csen (1451) 水城として建てられ、1544カーンに売却された。15
   80断絶して、16-17cには多くの家が館を所有した。1666ヴォロ家によってフラ
   ンス・パビリオン様式で再設計された。1830-40周辺は英国方式で公園は整備され
   た。建物は今も個人所有である。
 クールの館 Haus Coull (1406) 聖ミカエル修道院の個人財産であった。その後所有者
   は変遷し、19cに北翼がゴシックリバイバルで形成され、階段状の切妻が設けら
   れた。1943の爆撃で南翼は破壊された。個人所有の北と東翼のある2階建
   の建物は英国庭園で囲まれている。
 アイルの館 Haus Eyll (15c) 中庭を囲む2階建レンガ造の3棟の建物で構成され堀に
   囲まれている。1860歴史主義の建物となった。
 フラスラフの館 Haus Vlassrath (14c) 騎士の要塞として建てられ、農場として経営
   された。多くの所有者を経て、1999-2006大幅に修復され、マナーハウスとなっ
   ている。
 大砲 Kanone (1591) 16-17cにスペイン軍に何度も攻撃された。1591オランダ・ハプ
   スブルク家は東堀の土手に大砲を置いて去った。1935その場所を掘り下げて
   確認した。
 ヨーロッパ翻訳学院 Europa Schleiber (1978) 文学振興の翻訳を目的として、275
   の言語と方言で、35,000の百科事典・辞書参考図書を含めて125,000世界
   最大の専門図書がある。
 旧粉引き市門 Ehem.Muehle StadtTor (15c)15c最古の地図には、2堀・4市門・
   市壁の強力な防衛力が示されている。1672に市壁は壊れ、1828に市門は
   消え始めた。1970年代に旧粉引市門の基礎が発掘された。

5.写真

聖ペーターとパウル教会 マルクト
メイポール 門アーチ
旧シューレン塔跡 砲台跡

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テルクテ Telgte NRW97

1.歴史

 800 古くからの木造教会設立、通商路の交点、1100 最初の入植地の命名、
 1255 都市権の授与、            1370 奇蹟の聖母像の起源、
 1385-92 司教の城の言及、    1469 ハンザ同盟都市として貿易の促進、
 1500 大火で大きく焼失、           1590-91 オランダ軍の略奪、
 1599 ペスト流行で人口半減、   1618-48 30年戦争の占領・分担金で衰退、
 1654 聖母への巡礼が始まった、     1738 大火で町の大部分が崩壊、
 1763 7年戦争後に市壁は壊された、 1806-13 仏軍占領、その後プロイセン領、
 1814 1400人のコサック兵が宿営。

2.市壁  0km  

   見当たらない。位置は堀と垣根で示され、北東部はEms川で囲まれ、西
  半分には堀が見られる。

3.塔  0門0塔

   地名で門名は残っているが門も塔も見当たらない。

4.見所  D

   小さな町でマルクト広場に見所は集中、巡礼に係る礼拝堂・教会・博物館もある。
 巡礼礼拝堂 WallfahrtsKapelle 1654建、バロック礼拝堂。八角形2階建の上にドーム
   を乗せ更に鐘楼が立っている。中には1370ポプラ彫の聖母像が巡礼の対
   象となっている。
 管区聖クレメンス教会 PropstaiSt.ClemensKirche 13C建ロマネスク教会が焼けた後に、15
   22に後期ゴシック教会を着工し塔は1865壊され1876再建された。1460壁に10人
   の使徒の像がある。
 キリスト降誕博物館 KrippenMuseum 1995建、3階建砂岩造に銅屋根。
 ミュンスターラント郷土博物館 MuseumHeimathausMuensterland 1934建、牧師の納屋、
   1937美術館、巡礼の歴史の展示。
 穀物酒造博物館 1900建 醸造所の進化を展示、ここで1979まで生産、地下室では
   試飲できる。

5.写真

巡礼礼拝堂 西の川

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ウエーデム Uedem NRW98

1.歴史

 1236 初文書言及、             1200 聖ローレンス教会の建設、
 14c 4門の市壁が建設された、        1359 都市権が授与された、
 1798 仏軍が占領して都市権を失った,      1815 プロイセンに属した、
 1945 近くで戦闘が行われた。

2.市壁  0km  

   14cの前半に、4市門のある市壁で防御を強化した。1732-34の地図にある
  Wallの位置が外壁にあたる。内壁はTurm-、Graf-、Agatha-、Burgwallのコース
  である。門の位置には青銅の彫刻板が置かれている。今市壁は見あたらない。

3.塔  0門2塔

 高い風車 Hohe Muehle (14c) 丘の上に古い石積の風車がある。塔の中には工芸
   の文化と歴史の展示がある。集会所・カフェ・展望台として修復された。
 市塔 峡谷 Stadt Turm Schlueferei (14c) 3階建四角塔のある館は、城壁内に建
   てられ農場を管理した。一持的に別の建物に移されたが、1685の火災後にこ
   の館に戻った。1713の行政改革で仕事は物品税管理局へ移された。

4.見所  D

   田舎の小さな町でマルクト広場に見所はある。

 市庁舎 Rathaus () 赤煉瓦の地階ピロッティのある3階建の近代的な建物に壁画がある。
 コルク館 Haus Kolk (14c) 騎士の館として建てられ、1531結婚の持参金となった。
   1609最後の公爵の死後、Hertefeld家の住居として2001に修復された。
 聖ローレンス教会 St.Laurentius (12c) ロマネスクの小さな教会は13cから教区教会であった。
   1886赤煉瓦双塔の大聖堂に建て替えられた。1945戦災にあい、塔は直ちに修
   復され、1960その他の部分が再建された。

5.写真

市庁舎 風車

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ウエーディンゲン Uerdingen NRW99

   Krefeldの市内

1.歴史

 732 トリアーのプファルツエル修道院へ農場付与、  809-14 集落の存在を言及、
 1253 ホッチスターデン大司教は都市権を授与、   1255 最古のビ-ル醸造に記録、
 1284 旧市街は洪水で放棄され西に新市街、  1285 独立した教区へ、
 1290 新市街に都市権を授与、        1297 執行史が事務所を開設、
 13c ライン川最北端の関税所の町、    1333 市壁が強化され川側に城、
 1424 ヨーク侯爵に1470ミュンスター司教に誓約、  1463 ケルン大司教はビール醸造許可、
1583 略奪と放火、1585都市火災、   1625 30年戦争の占領1642帝国領に、
 1701-15 スペイン承継戦争、       1794仏革命軍占領、1802仏国に併合、
  1814 プロイセンに属した、           1817.19.24.25 ライン川の洪水、
 1929 イレーフェルトと合併。

2.市壁  0.45km 0.26 

 14cの市壁は町の南東のライン川沿いと、南東と、南西と、北西に残っている。

3.塔  0門4塔

  4門は全て1877までにすべて取崩された。壁塔は4基残されている。
 梟塔 Eulen Turm (1323-30) 南西の6階建レンガ造の円塔で、外側に長方
   形の建物があり市壁に接属している。
 城塔 Burg Turm (1333) 南東の3階建角塔で南東の角に突出している。
 庭塔 Garten Turm (14c) 北西角2階建円塔の上に6角の上屋が乗る。
 教会塔 Kirche Turm (14c) 北中の8階建時計付きで礼拝堂が接続。

4.見所  C

  旧市街には70戸の記念物の建物があり、何世紀にわたる建物が見られる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus(1722-25) 2階建の中央入口5窓列の建物であり、
   今は市図書館と市民事務所。
 市庁舎 Rathaus (1832) 3階建古典様式の3連のヘアバート兄弟の家が建てられ、
   その後市庁舎・薬局・地方裁判所として使われた。
 新しい館 Haus Neuhof (1778) 2階建のバロックの邸宅で、腰折れ屋根の四角
   い建物。
 ウアーディング城 Uerdingen Burg (14c) 旧市街地の南東の角に建てられ1838
   -39に増改築された。
 ライン小塔 Rhein Schloesschen (1908) 旧市街地の南東の外のライン川沿いに
   建てられた。
 ライン水門 Rhein Tor (14c) 閉鎖された水門の大きな円塔が残っている。
 カトリック教区教会聖ペテロ教会 Kath.Pfarrkirche St.Peter (1285) ローマカトリックの
   大司教が独立教区として1381-82に礼拝堂から教会へ拡張した。ゴシック
   の塔はこの時期からの物である。1463火災・1627暴風雨・1799洪水1943
   爆発等の損傷で再建に至った。1914北への町の拡張の後に、聖ハインリッヒ
   教会が建てられた。
 プロテスタント聖ミカエル教会 Ev.Kirche St.Michaels (1964) プロテスタント教徒の増加に
   伴い、1862最初の教会が建てられ、1961に解体して今の聖ミカエルの場所
   に6階建の塔の礼拝堂と離れてテント屋根の教会を建てた。
 関税 Zollamt (1852) 中央3列突出の破風入口のある2階建の建物。
 宿屋:王冠 Zum KroneRathaus (1704) バロックの2階建の宿屋。
 ブレムプター館 Brempter Hof () 2階建の裁判所として建てられ、幾度も
   増改築された。ゴシックの門塔のある中庭への入口がある。

5.写真

市庁舎 聖バース教会とマルクト
ライン門 ライン川
教会塔 梟塔
東南市壁 南市壁

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ウナ Unna NRW100

1.歴史

 1032 ケルン大司教の文書に教会移転先、1288 都市権・市場権・下級裁判権
 1290 最古の都市印、門・塔・壁で固めた、 1324 ケルンの攻撃に防備を固めた、
 1347 硬貨の鋳造、          15C 工芸家と商人の同業組合設立、
 1465-1515、1540-16C ハンザ同盟で繁栄、 1604 スペイン・オランダ軍占領、
 1648 30年戦争で被害、        1666 プロイセン領、
 1673 仏軍の攻撃で220戸破壊、    1944-45 第2次大戦による破壊。

2.市壁  0.62km 0.42 

  東側に160mと西南側460mの市壁が残っている。

3.塔  0門1塔

  昔は5門あったが残っていない。唯一、梟塔が見られる。
 梟塔 EulenTurm 14C建、東南 中世都市防御の残り、円形の躯体部
   分に屋根を付けて食堂となっている。

4.見所  C

   町の古い地域には、16-19Cの美しい木組の家があちこちに見られる。
 木組の家 HolzHaus 
   マルクト広場: 西側3階建切妻の木組の家が並び、北側には1823建アーケードの
        市庁舎、南側にはチョコレートの家Husselがある。
   Massener通: 16C建の化粧仕上げの木組の家、1587の3階建切妻で扇状
        バラ飾り。
 ウナ城 UnnaSchloss 町で2番目に古いマーク伯爵の城は、1936Hellweg博物
   館となっており、絵画等の美術品を展示している。
 聖カサリン大聖堂 St.KatharinenKirche 1848カソリックの教区教会の小さな教会
   の跡に、1934に建てられ2006に改修された。緑の砂岩が使われ南塔には
   古いロバの浮彫がある。
 町教会 StadtKirche 1322建、町で最古のプロテスタントのゴシックのロビー教会で
   1396の祭壇、1597に塔が建てられ、落雷後1863にヘルメットが再建された。
 旧アウグスチン修道院 Ehem.AugustinaKloster 1459建、世俗化後、教会建物
   は全体的な改修された。

5.写真

 
マルクト 東門
東壁の外側 東壁外
東壁外 西壁
フクロウ塔 聖カソリン教会

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フェルデン Verden an der Aller NRW101

1.歴史

 782 シャルマーニュ文書にザクセン戦争に初言及、 850 バーデンの教区に含まれた、
 10c 町は市庁舎・大聖堂を中心に発展、11c-1648 王子司教が領主であった、
 1259 町は都市権・裁判権を認められた、 15c 町は自由帝国都市となった、
 1517-1683 魔女裁判は59人に、   1648 ヴェストファーレン和平でスエーデン王国へ、
 1667 戦争に敗れスエーデン領に残った、 1719 デンマークが買収後ブルンズヴィックへ、
 1810 ヴェストファーレン王国へ、その後仏王国に併合、   1814 ハノーファー王国へ、
 1816 州としてプロイセンに併合。

2.市壁  0.03km 0.01 

    1210の北の町の市壁はレンガ造、1351の南の町の市壁は石造で北まで達し
  ている。18c中から市壁は売られ、1800には市壁の解体は、ほぼ終わった。

3.塔  0門1塔

    市庁舎を中心に発達した北の町は、4市門があり、1651南の町と合併の後
   も南門は二つの町間の税関門として残り3防衛塔があった。
    大聖堂を中心とする教区の南町は、1667スエーデン王によって北の町と合併さ
   れた。
 旧防衛塔 Alte WekrenTurm (13c) 唯一残された北壁塔で、1838刑務所
   となり魔女も収監された。後にウナイプ式水浴療法がここで行われた。

4.見所  C

    アーラー川の右岸に、二つの町の中心のある大きな旧市街地が南北に伸びて
  いる。
 旧市庁舎 Altes Rathas (18c) 庁舎は18cからのバロックの建物で、1903-05にネオバロ
   ック塔が付けられた。
 大聖堂 Dom zu Verden (12c) 北ドイツでも古い後期ロマネスクのレンガの塔に13cと15c
   のゴシックの3廊の教会である。
 聖アンドルー教会 St.Andreas Kirche (1200) 後期ロマネスクレンガ造の教会で、Yso司教の
   墓がある。
 聖ヨハネ教会 St.Johannis Kirche (1150)北ドイツでも古いレンガ造の教会でゴシックの通
路は14cに追加された。ロマネスクの塔に1697バロックのフードが付けられた。
 都市農民の家 Ackerbuerger Haus (1527) 3階建木組の装飾の多い建物。
 歴史博物館 Dom Herren Haus (1708) 漁業地区の上端にある農場の一部に、人
   類進歩の歴史を展示した、最古の木造の建物がある。
 ベルマン馬の博物館 Deutsches Pferde Museum () ホルツマルクトにある2階建のレンガ造の
   大きな建物に、馬の文化的・歴史的な展示がある。

5.写真

旧市庁舎 北壁塔
大聖堂 マルクト広場

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ヴァルトフォイヒト Waldfaucht NRW102

1.歴史

 1227 オランダのホーリーハートに属し市場権を保有、 13c 2市門・市壁・堀の要塞、
 1327 陪審裁判所の設置、    1484 ユーリッヒ公国に属しMillen事務所に、
 1345 町の紋章が定められた、   1815 ユーリッヒ公国はプロイセン王国へ編入、
   1935 ヴァルトフォイヒ事務所を構成、   1945 2次大戦で市門は破壊された。

2.市壁  0km  

  土堤はあるが、市壁は残されていない。

3.塔  1門0塔

   かっての2市門は2次大戦で壊されたが、下門の基礎は高さ1m程度の石積
  として残っている。

4.見所  C

   30年戦争以降の建物が残され、レンガ造の建物が多いが、木組漆喰塗の建物
  も散見される。
  Burg (17c) 2階建9軸のシンプルなレンガ造の水城は、北西の隅にあり今は市庁
   舎として使われている。
 教区教会聖ランバーツス Pfarrkirche St.Lambertus (15c) ゴシックのレンガ造の大聖堂
   で、4階建の大きな角塔に身廊がつながり、大きな軸のずれのある後陣を
   持っている。調度はゴシックとネオゴシック。
 風車 Windmuehle (1590) 最初は市内に市粉引場として建てられ、1897町の外
   にレンガ造で建てられ、今も製粉業者が穀物を挽いている。
 旧学校 Ehem.Schule (1938) 前面に付属の階段がある典型的なレンガ造2階建の
   建物。
 館の施設 Hof Anlalange (17c) 2階建切妻の館が建てられ、中庭側は木組であっ
   た。19cに白スレートレンガ造の建物で通路側はふさがれた。
 館の施設 Hof Anlalange (18c) オランダ国境方向にあり、元の国境の前に税関を建
   てた。

5.写真

市庁舎 ランバーチウス教会
下門跡 土堤説明板

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ヴァールブルク Warburg NRW103

1.歴史

 1010 最初の文書による言及、    1020 城はドディコス伯爵所有に、
 1020 城は拡大し防備は強化された、  1168-87 古い町は入植・建築を推進、
 1228 北の新しい町を大司教が支援、  1256 古い町は都市権を得た、
 1260 町は統合して市壁を築いた、   1363 ハンザ同盟に加入し経済発展、
 1436 大司教の反対で城の支配は失敗、 1621 30年戦争で町は破壊され貧困、
 1802 城の伯爵はプロイセン軍に敗れた。  1815 プロイセンに帰属。
 1945 2次大戦で2度の爆撃があったが被害は軽かった。

2.市壁  0.45km 0.84 

  14Cに造られた市壁は、上下二つの町をそれぞれ囲み、随所に残っている。

3.塔  2門5塔

  市壁には、下町に5、上町に4、合わせて9の市門が有ったが、1801-40に2門
  を残して壊された。SackTorとRetriTorは二重門であったが前門は失われた。
 袋門 SackTor 1300建 西 城への西側の入口付近の脇門である。
 袋塔 SackTrum 1443建、西 円塔に六角屋根を置き大きくて高い塔。
       1446刑務所としても使われた。
 ヨハニス門塔 JohannisTorTurm 1290-1350 西南 正方形の輪郭に四角
       の屋根覆い。
 フランケン塔 FrankenTurm 北東 1350 4階建角塔。
 ビール男塔 BiermannTurm 15C 南 円塔に六角屋根。
  ChatterTurm 城墓地の南の開いた壁端にある円塔。

4.見所  C

   上の町のHaupt通・Stern通と下の町のMarktが中心である。
   多数の古くて美しい木組の家が今日でも見られる。
 木組の家 FachwerkHaus 
   Eckmaenneken 1471 パン屋同業組合会館、州で最も古い日付の木組の家。
   AlteMarkt 3階建の大きな土間に板張の家が見られ、構造はゴシックで装飾
        の形にはルネッサンスの影響が見られる。
 市庁舎 Rathas 1404建、火事の後にゴシックの建物、1970ネオゴシックへ
   改修、参事会宴会場には火事の銘板があり、今は結婚式場と博物館。
 聖ヨハネ教区教会 PfarrKirche St.Johannes Baptist 1430建、77mの高塔、
   1430の芸術作品で飾られた内陣。
 教区教会 PfarrKirche 13C建、下の町の教区教会、3身廊の建物。
 新教聖マリア教会 Ev.KircheSt.マリア 1628建、旧ドミニコ会修道院、1862解散、
   1874ギムナジュウム。
 町博物館 StadtMuseum 中世の貴族の館HausStemに1968設立、古代・町・
   経済・文化の歴史を展示。

5.写真

フランケン塔 北壁
西壁 市壁
南旧壁 マーチン塔
ザック塔 ザック通
西壁 南壁

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ヴァーレンドルフ Warendorf NRW104

1.歴史

 1197-1201 町となり2番目の教区、      1224 最初の文書による言及
 1255 町は豊かに発展し、追剥から商人を守るためのライン治安同盟に加入、
 1404 大火で殆ど焼失、           1533 町の教会へ巡礼者が来た、
 1534 司教による占領、都市権を失う、  1556 再び都市権を得て評議会選挙、
 1627-32 30年戦争での被害、     1741 大火で聖マリア教会と332戸が焼失、

2.市壁  0.01km 0.01 

    北側にEms川と周囲に土堤があり、土堤に木が茂って遊歩道となっている。
  市壁はBentheimer塔にある。

3.塔  3門1塔

    昔は、4門あったが、残っているのは2門であり、塔の残っているのは1塔。
 エムス門 EmsTor 北 エムス川の浅瀬に有り、渡河も可能な地点。
 ミュンスター門 MuensterTor 西 バロック門支柱はプロイセン王の贈り物、門は付属の
       門家を持つ。
 ベントハイム塔 BentheimTurm 東 円錐屋根の3階建円塔。
 東門の門家 Torhaus am Osttor 西南 東門の跡に有り町の書記の仕事場。

     

4.見所  B

    マルクトを囲んでSchweineMarkt、HeuMarkt、KrickMarktが昔の専門市場と
  して、豚、馬草、馬具を商品とした。馬の置物がやたらと在る。
 木組の家 FachwerkHaus 
   東通 OstStrasse 多くのバロックの切妻屋根の家並みが続く。
 市庁舎 Rathas 1404建、火事の後にゴシックの建物、1970ネオゴシックへ改修、参事会宴
   会場には火事の銘板があり、今は結婚式場と博物館。
 聖ラウレンチウス教会 St.LaurentiusKirche 1404-71建、ゴシックのハレン式教会、内部には重
   要な美術品があり、1752以降巡礼の聖マリアの順路とされた。
 フランジスカン教会 FranziskanerKirche 1628カソリックの信仰を再び拡めた。1652に修道院
   の基石を置き、2008修道会は修道院を捨て、修道院は住宅に改造。
 水車館 Muehlenhof 1781建、元の司教役所であったが、後に水車小作人の住家と
   なった。
 分散町博物館 DezentralesStadtMuseum 
   HausBispinck 1903 歴史的市民造りの工場主の住家。
   Buergerhaus 1812-15 市民の家。
   Stadtpalais  擬古典主義の市民の家、中にはフランスの手書の壁画。
   TorSchreiberhaus 1822 塔書記の家。
   Gadem 17C中 1925の二つの家族の居住状況。

5.写真

 
市庁舎 エムス門
聖ラウレンチウス教会 マルクト広場

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ヴェーゼル Wesel NRW105

1.歴史

 8c 修道院の設立、          1065 王ヘンリー4世は修道院へ文書、
 1242 町に昇格し都市権の授与、    1407 町はハンザ同盟参加し繁栄、
 1434 東の牧草地は市壁で囲まれた、  1540 改革導入でオランダ移民増加、
 1609 ブランデンブルク選帝侯は町を支配、    1629 スペイン軍が町を占領、
 1680まで 仏軍が占領、17c 要塞化されハンザ時代の13市門は4門になった、
 16-19c プロイセンと仏による要塞強化、1805 ナポレオン占領、1806 仏要塞化、
 1815 プロイセンに属し要塞化と駐屯、      1816 ライン県リース・サークルに属す、
 1842 ヴェーゼル・サークルに。

2.市壁  0 

   見当たらない。

3.塔  2門0塔

 城砦ヴェーゼル ZitadelWesel (1688-1722) フリードリッヒ・ヴィルフェルム城砦の建設が命
   じられ、5つの要塞のある城砦が造られた。1718正門が建てられ18c中ま
   で南と東側が補強された。1805-14仏占領位時に2階建レンガ造の建物が追
   加された。1919-20第一次大戦後のラインラント非武装化により、殆どの施設が
   壊された。残ったのはニーダーライン博物館・音楽と芸術学校・紙の修復工房のあ
   る市博物館として使われている。
 ベルリン門 BerlinerTrum (1718-22) ヴェーゼル城砦に唯一残された東門である。18
   90と二次大戦でひどく壊され、1974レプリカとして、置物と装飾を省いて復
   元された。

4.見所  D

   オランダ国境の旧城砦都市であり、二次大戦時の破壊が大きかった。
 旧市庁舎 Altes Rathas (1456) 初めの建物は、1698-1700に拡張されてゴシックの
   市庁舎となった。二次大戦で破壊され、2011前面が再建されて、低ライン後期
   ゴシックのランドマークとなった。
 ヴィリブローディ大聖堂 Dom Willibrordi (800) 初めは小さな教会であったが、修
   道院の教会として何回も再構築された。クサンテンのヴィクトリアス大聖堂後に低ライン
   の主要中世教会として、壮大なインテリアの大聖堂が建てられた。ハンザ同盟都
   市としてクレーヴェ公国の首都であった。1883-96プロイセンの支配下で、改装さ
   れた。1945の爆撃で大破し、1947-1994に1日に4回鳴るカリオンを含めて再
   建した。

5.写真

旧市庁舎 ベルリン門

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ヴィーダーブリュック Wiederbrueck NRW106

1.歴史

 758 最初の教会St.Aegidos創立、  952 オットーⅠは市場・鋳造・課税の権利授与、
 1225 町は豊かに発展した、       1231 参事会が裁判員に選ばれた、
 1249 新市街地が造られた、          1462 町の憲法が成立した、
 1543 宗教改革された、       1565 この町は圧倒的にルター派であった、
 1580 ペスト流行、              1624 反宗教改革が始まった、
 1626 30年戦争でデンマーク軍占領、    1627 帝国軍が駆逐、町は経費負担、
 1628 司教は反宗教改革を推進、  1647 スエーデン軍は占領し防御施設を取払、
 1664 町は再建され防備を固めた、 1726公爵は城を更新し住居と役所を建築、
 1803 ナポレオンの支配。

2.市壁  0km  

   町には、中世から市壁とツインガーに囲まれていた。いまだ保たれている周り
  の流れもエム川と共に昔の防御施設に属していた。堀や土堤は残っているが、
  市壁は見当たらない。

3.塔  0門1塔

   残っているのは1塔であり、MuehlenWallにPulverTurmがある。それは半円
  形の外覆で低い切込みのあるレンガ造の塔で、16C初めは火縄銃の助けで防いだ。

4.見所  D

   水路に囲まれた小さな町であり、中心のマルクトには美しい木組の建物がある。
  各所に美しい16Cの木組家屋があり、絵と文字で彩られ、種々の扇型の上空飾
  も多く、三線星形の魔除けも見られる。
 市庁舎 Rathas 1619再建、木造の美しい前面がある。改修、参事会宴会場に
   は火事の銘板があり、今は結婚式場と博物館。
 聖ラウレンチウス教会 St.AegiusKirche 758に最初の建設が行われ、1502に今の建
   物の建設が始まった。

5.写真

教会 南塔
教会
南壁

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クサンテン Xanten NRW107

1.歴史

 110 コロニアUlpiatraianaの建設、   275 フランク族による破壊、
  310 周辺に再建、426 コロニア放棄、   590 コロニアの南の墓に礼拝堂を建てた
  752 カロリング朝の教会と修道院の設置、  953 ケルン大司教の支配下、
 1036-1260 硬貨の鋳造、        1389 町25haを長方形で市壁で囲んだ、
 1430-41 最古のラインの巡礼地、     1598.1614スペイン軍、1614ヘッセン軍侵攻、
 1672.1794 仏軍の占領と破壊、     1815 プロイセン領、市壁は再建、
 1821 MarsTor取壊し、         1825 ScharnTorと多くの市壁を破壊、
 1945 第2次大戦の空爆と砲撃による破壊。

2.市壁  3.0km 0.98 

  14Cに60年をかけて全長約3km高さ8mの市壁が造られた、その後壊されたが
   現状では市壁の跡に高さ1~4mの塀が建てられている。古い壁も北側と西側と
   東側の一部に残っている。

3.塔  2門8塔

  昔は4二重門と18の塔または小塔門があったが、2門MarsTorとScharnTorは19C
   中に取り壊された。壁塔6と風車塔2が残っている。
 クレヴァー門 KleverTor 1393建、北 以前は堀に架かる橋であった、4階建
   の角塔で1階のアーチが道路。一次大戦後に再建。塔頂の2門塔はフクロウ塔と呼ばれる。
   中は住居に改造され、町に申し込めば宿泊できる。
 中門 MittelTor 1392建、内南 ケルンが町の南北を区切って建てた。
   これも一次大戦後に再建された。
 円塔 RundTurm 1820建、北 追加された塔、この塔の所には元の市壁と
   防御通路が未だある。個人が庭小屋として造った。
 豚塔 SchweineTurm 14C建、 元の防御塔で外側に円塔が見られる。
   住居として使われ、16Cには庭園の小屋。今は個人の住居である。
 壁塔 MauerTurm 1500建、 築城後に拡大建設された塔。17Cに庭園小屋
   に変換された。
 海塔 MeerTurm 14C建、西 名前は西側の湿地Meerから付いた。西の入口
   を守った。17CにはKurTorとも呼ばれた。
 丸塔 RundTurm 14C建、西。
 レマー塔 RemanischerTurm 11C建、南 ロマネスク様式の修道院の角塔であった。
   今は学校の一部として使われている。
 クリームヒルト風車 KriemhildMuehle 17C建、30年戦争後に市壁は再建され、壁
   の上に塔が付けられ夜警の宿舎として使われ、1778に売却されて庭小屋となり、
   1804に粉引風車が付けられた。
 ジークフリート風車 SiegfriedMuehle 19C建、西壁外 クリームヒルトと同型の風車で
   最近完全に改装された。

4.見所  A

   マルクトを中心に市壁と多くの塔に囲まれた旧市街地があり大聖堂に見所がある。
   北にローマ駐屯地の遺跡公園が整備されている。
 大聖堂 Dom St.Viktor 1190-1530建、聖ヴィクトルの聖遺物を納めるゴシック
   のドームである。1240に内陣の座席、1546に修道院回廊。
 聖堂博物館 Ehe.BischofhausMuseum 都市の歴史と大聖堂の発掘物を展示。
 コロニア  ローマ駐屯地跡を整備して、広大な駐屯地に隔壁、円形劇場、神殿等
   が見られる。また北西にローマ浴場もある。

5.写真

  
市庁舎 市壁
北壁 司教城
南壁
聖ヴィート大聖堂 市壁
クレーバー門外側 考古学公園
クレーバー門内側

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ゾーンス Zons NRW108

   Dormagenの行政区画内

1.歴史

 11C終 文書で最初の言及、     12C中 ケルン大司教の農園が置かれた
 1372 ケルン大司教がNeussから税関を移す、1373 市壁と堀による防備を固めた、
 15C 玄武岩の補強壁で囲って関税要塞、 17C 30年戦争やペストで人口減、
 1794 仏領となった、         1815 プロイセン帝国に併合された。

2.市壁  1.10km 0.97 

  13Cの中頃に防御施設が設けられ、1373に市壁と堀により守りが固められた。
  15Cには計画通りの要塞が完成した。7.1haの四角形300×260mで上辺が10m広い。
   殆ど全周の市壁が残っている。北側には堀が残り、壁上には3衛兵所と小門が
  ある。西壁の北には、上部の壁の一部は市壁に沿った家を建てるために削除され
  た。南側には二重の壁があり、南東に城跡がある。北側の壁の内側から見ると、
  石積の上にレンガアーチが乗った形である。

3.塔  0門1塔

  市壁の角には異なった設計の塔がある。
 梟塔 EulenTurm 14C建、東南 中世都市防御の残り、円形の躯体部分に
   屋根を付けて食堂となっている。

4.見所  D

   狭い壁内に教会と多くの建物が残っている。
 聖ペーター教会 St.PetersKirche 1860建、フランシクコ派の騎士修道院であった。
   教区教会として建てられた礼拝堂で、1896から修道院となった。
 聖マーチン教会 St.MartinKirche 1875建、西 ネオゴシックのホール教会。
 博物館 RandMuseum 2階建ての大邸宅を1972から県博物館とした。
 鉄の碇 EisenAnker 東北角の壁に1620の火事を免れた最古の家がある。

5.写真

 
外門 ライン門内側
ライン門外側 聖マルチヌス教会

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チュルピッチ Zuelpich NRW109

1.歴史

 2c ローマ街道の町に浴場建設、   4c 周壁で守られた、496 カロリング朝が支配、
 881 ヴァイキング来襲で町は破壊、       925 東フランク帝国ヘンリー1世が占領、
 1278-85 ケルン大司教は町に都市権を授与、   1288 ユーリッヒの伯爵は町を破壊、
 1395 ケルン選帝侯は町を再建、     15c 城・市壁・市門などの防衛施設完成、
 1798 仏占領時に州都となった、        1944 空襲で町は大きく破壊、
 1953-67 褐炭の露天掘りが行われた。

2.市壁  0.49km 0.69 

  14cの市壁は、4門があり、部分的にはローマの壁の跡の上に立っている。

3.塔  4門1塔

 ケルン門 Koern Tor (14c) 東に、前門・ツインガー庭・内門のある二重門とし
   て建設された。1886拡大されアーチ門はより高くなった。交通量の増大で南側の
   市壁が壊され、門を迂回して通行する事となった。二次大戦時には戦車柵が設
   けられ、今でもコンクリ-トが見られる。二次大戦の被害があり、1949-53修復され
   門の中に警備所が置かれた。
 ベッハー門 Beche Tor (1393) 北に、二重門が建てられ、1946交通量の増加
   で西側の市壁を壊して交通は迂回させた。
 ワイアー門 Weier Tor (14c) 西に、美しい二重門として建てられ、交通量の
   増加により道路は北側に迂回した。爆撃で大破し左の円塔が残った、1974右の
   塔が再建されたが、長方形の正門はない。
 ミュンスター門 Munster Tor (1357) 南に、角塔が初めに建てられた。1746から
   中世の彫刻が2円塔側面に描かれた。西側の市壁を取除いて交通を迂回させた。
   戦災を受けたが1976に修復にされた。2012完成のロータリーに二重門の基礎がある。
 市庁舎塔 Rathaus Turm (1772-25) 後期ゴシックの市庁舎塔には、評議員か
   らガラス窓が寄付された。市庁舎が壊された後はイタリアン・レストランとなった。

4.見所  C

   17-19cの多くの木組の建物が残っている。
 市庁舎 Rathaus ()中世の市庁舎は、塔を除いて破壊された。1950に新しい市庁舎
   の基石はマルクト広場に置かれ1952には完成した。狭小となり、1982現在の近
   代的な建物となった。
 聖ペトロ教会 St.Petoro Kirche (848) 初めの教会は、何回も拡張再建され、1944の
   空爆で完全に破壊された後に、再建された。
 聖マーチン教会 St.Martin Kirche (12c) ローマの墓が近くにあった。1279ジークフリート大司教
   が取壊して再建した。1802世俗化後には、倉庫住有居として利用され、1952
   に完全に焼けた。1997再建された。
 ビルトヒェン礼拝堂 Kapelle zum Bildchen () 市壁の北西に位置する礼拝堂。
 ローマ浴場 Roman Bad () 製粉所の丘の上に聖ペテロ教会のすぐ近くに、2cのローマ風呂が
   ある。アルプス以北で最も保存状態の良い遺跡であり、入浴文化博物館に統合
   されている。
 ユーリッヒ城 Schloss Juelich (9c) 四塔のある城で、ローマ時代の要塞の基礎の上に、14c
   にフリードリッヒ大司教が城を建てた。30年戦争とルイ9世の略奪で被害を受け、再建さ
   れたが数世紀で崩壊した。1741個人所有となり維持されたが、1944空爆を受け
   二次大戦後、中世の外壁を使って工場が建てられたが1970売却された。21世紀
   初めに、個人が取得して商業スペースの改修をした。歴史協会も使用。

5.写真

市庁舎 ケルン門

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