ドイツの市壁のある町

州別リスト

                               
ファイル 州名 州数 小計 市壁無
bd1GS 大都市 g1-5 +1
BR ブランデンブルク b1-42 +4
BWバーデン・ビュルテンブルク v1-50 97 +14
bd2 BWバーデン・ビュルテンブルク v51-w68 116
bd3 BYバイエルン x1-99 99
bd4 BYバイエルン y1-z17 116 +14
bd5 HEヘッセン h1-i12 111 +10
bd6 MVメルケンブルクVP m1-32
NS ニーダーザクセン n1-49 81 +5
bd7 NWノルトライン・ヴェストファーレン o1-101 101 +25
bd8 RP ラインラント・プファルツ r1-76 +3
SLザールラント l1-4 80 +2
bd9S ザクセン s1-54 +9
SAザクセン・アンファルト a1-62 116 +2
bd10 SH シュレスヴィヒ・ホルシュタイン k1-4 +7
THチュービンゲン t1-60 64 +8
合計 981 +104

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ドイツの市壁のある町2

 表中の各町について、 その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。

① バーデンビュルテンベルク州② 

 

Baden Wurrttemberg② 51-166
v1-98. w1-68

グレッティンゲン Groetzgen Aichtal V51

写真

市庁舎 旧市役所
学校 東市壁

1.歴史

 1075 ヘンリー4世文書でヒルサウ修道院に属す、13c貴族グレッティンゲンが水城を建設、
 1275 ハプスブルク王の騎士ディーボルトは壁の町を設立、1304都市へ1375教区設立、
 1337 町はヴュルテンベルクのルドルフ伯へ売却、  14-16cグレッティンゲンは主事務所へ、
   1634-35 町の破壊と被病で人口1/3に、 18c中 住民は北米へ移住を強行、
 1845 大火事で町の中心部は全焼、 1975 周辺を統合してグレッティンゲン市へ、
 1978 統合された町の抗議で名称にAichtalが追加去れた。

2.市壁  0.05km (0.06)

  ハプスブルクの王ルドルフの騎士ディーボルトは、ヴェルテンベルク伯爵に対抗して堀のあ
    る市壁を築いた、市壁は、直立の厚さ2mの壁に、屋根付きの壁上通路
    や2門と12壁塔が付けられた。19cの初めに市壁のおおくは取壊され、
    東側の火薬塔と周辺の一部の市壁が残された。

3.塔  0門1塔

 火薬塔 PulverTurm (1275) 石造長方形8m×5mの塔に四角錐屋
    根がある。

4.見所  D

 町は、大きな破壊を免れてきたため、15-16cの古い木組みの家が多く保全
   さ<れている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus () ラットハウスガッセの南側にある、凸凹のある外
   形の2階建の建物。
 新教市教会 Ev.Kirche (9c) 13cの身廊の下には9cの基礎がある。
1460に塔は画は大部分が壊された。
 市幼稚園Stadtsch Kindergarten () 高基礎2階建の石造の建物で、
   入り口部分に3階建て部分があり、窓には両開きの雨戸がある。

5.町の略図

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グロスボットヴァー Grossbottwar v52

写真

市庁舎 マルクト広場
粉引小門 南壁
南東壁

1.歴史

 779 伯爵のフルダ修道院への贈物書に言及、13cリヒテンベルク領主は町を設立、
 1357 ヴュルテンブルク侯爵に市壁の町を売却、  15c 郡庁所在地であった、
 1525 農民戦争に大きな役割を担う、17c30年戦争と仏軍の略奪で人口減、
 1816.17 凶年で多くの家族が町外に移住。

2.市壁  0.23km 0.53

  1279に初めて市壁が言及された。リヒテンベルクの領主は市壁と塔を築いて
    市場を守った。14cの市壁のあった位置は意外と内側である。北西部
    のFelerGasseの北側には市壁の荒石積が残る。1830からは塔や壁の大
    部分は壊され、石材として使われた。 

3.塔  1門0塔

   1828木組のに取壊された上門・教会通りのTuelinstorturm・下門・西の
    隅の小さなKarzerturmの4門塔は取壊され、唯一Muehltoerleが残って
    いる。
 粉引小門 Muehltoerle (13c) 市民の粉引場の側に、3つの小さな
    避難門があり、火災時には速やかに市壁の外に避難できた。

4.見所  B

   旧市街地には、多くの15-17cの木組の家が多く残り、中世の雰囲気
    を醸している。マルクトは大きな木組の美しい建物に圧倒的に囲まれて
    いる。
 市庁舎 Rathaus (1553-56) 老朽化し2回目の建物として、今の美
    しい庁舎が建てられた。地階はオープン・アーケードの市場であり、2階は町
    の祝祭会場3階は市議会場と裁判所であった。1776前面の美しい切妻
    が更新され、市の紋章のコウノトリが描かれた。1984-86建物は復元され
    ている。
 マーチン教会 Matin Kirche (13c) 木造の元の建物教会に代わって、
    1270単塔の幅広い後陣の塔が建てられた。14953階建長方形の塔には
    八角形の鐘楼と等幅の身廊に変換された。1791-92広範な補修が行わ
    れたが外形が変わっていない。
 旧湯屋 Ehem.Badhaus (15c) 3階建で偉大な木組の複合体は、1458
    銭湯として以前のミュールガッセから移ってマルクト広場に形成された。
    1718宿屋:アドラーとして再建され、1754には完全に建物は更新された。
    後にポスト馬車の中継所になった。
 市民の家 Buergerhaus (15c) 木組3階建の有名な市民の家で、1525
    農民戦争で市民は家から出た。1550パン屋を設置した。今は高級料理
    店に。
 町の酒場 Stadtschanke (1434) 地区で最古の全木組3階建の建物
    で、過去500年以上の火災や戦争を生き延びた。上階枠組持出工法で
    造られた。12cmの壁厚にする工法が複雑なため高価な建物になって
    いる。最初の持主は聖職者であった。
 旧新教教区会館 Ev.Gemeindehaus (18c) 18c後半の代表的な大型木
    組の建物で、元建物で、元墓場の場所に農場と共に建てられた。その
    後、食料雑貨商店付き住居・商館・電信局付き郵便局・化学洗浄所・ラジオ
    テレビ商店として使われた。1992-93全般的に改築され、新教の教区会館
    となった。
 旧修道院収穫物倉庫 Ehem.FruchtKasten () 修道院の持物で3階建収
    穫物の収納蔵であった。19c初めに世俗化され、ヘンダーリンが住んでいた。
    大きな建物の西側はかっての市場の上に立っている。
 旧僧院長収穫物収容所 Ehem.FruchtKasten () 元僧院長館の収穫物
    の木組2階建の納屋であり、その後、宿屋:グンネポストに属し食料品の収
    納スペースとなった。
 代官の家 Vogthaus (14c) これは領主に任命された代官の住居と行
    政の場であった。リヒテンベルクの小さな領土を1357に販売した後、この町
    の役所が創設された。1807町は役所の資格を失いバイルシュタイン郡となり、
    1810マールバッハ郡に割当てられた。
 アウラッハの家 AuracherHaus (16c) 地階石積上階木組の3階建の建物で
    アウラッハの名前は18cにある貴族が名づけた。後に町の裕福な市民が住ん
    だ。今なお見る人に家の巨大さを示し、近くでブドウ栽培している。
 旧パン焼屋 Ehem.Backhaus (1988) この家は、各家でのパン焼きを
    職人を雇って焼き、品質を確保確保した。建物の後方に市壁の断片
    が見られる。二次大戦後にパン焼き屋は解体されたが、1988市教会に
    よって再検査れた。
 修道院長シュプレーゲ館 Apt Spflege Hof (1578) 長老の名前を付けた
    3階建大規模複合建物は、ワインの製造貯蔵を行っていた。修道院は大き
    なブドウ畑を保有し、収益性の高いワインを管理していた。
 捩れた家 SchiefesHaus (1542) 地階石積の上の上階木組は右に相
    当傾いているが外観は美しい。16cの代表的なワインガルトナーである。梁に
    年号ある。
 宿屋:バラ Gasthaus:Rose (16c) 市壁の外にあり、旧Murnhardter修
    道院の木組の建物であった。16cの木組家に18cの旅館鉄看板を付けた。
 高貴な家 Adelshaus (16c) マルクトの南にあるこの建物は、他の建物
    とは全く様式が異なる。1771宿屋:王冠であったが、1903の大火事で
    周囲の建物が焼け新しくなった。
 ベギン会の家 Beginen Haus (1500) ペギン会は医療を提供し高齢者
    の世話をした。建物の年号はこの建物のコアが古いことを示している。
 城水車 BurgerMuehle (1545) かって小麦粉や油を提供した水車は、
    30年戦争で破壊された。1764に3石臼とナメシ装置を含む今の建物は、
    市壁の東南の角に置かれた。1787水車は民間に売却された。その購
    入条件として市壁・水車・通路・歩道等の管理を求められた。1979町が
    取得し、1992から公共図書館車・通路・車・通路・クラブになった。
 司教館 Pfarrhaeuser (14c) 旧ムールハルト修道院の納屋があり、17cに
    聖職者が住んだ。1702助産師住居、1980廃止され今の建物になった。

5.町の略図

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 グンデルスハイム Gundelsheim Wuertemburg v53

写真

  
市庁舎 旧市庁舎
ホーネック城 豪華門
騎士団跡 門屋入口
旧旅館子羊

1.歴史

 767 ロッシュ修道院の財産リストに初言及、       12c ホーネック城の建設、
 1250 ホーネック家のコンラッドは町をドイツ騎士団に寄付、14cドイツ騎士団は全を所有、
 1378 カール4世は都市権を授与した、14c 町は堀・市壁・門塔によって守られた、
 1398 王ヴェンゼルは都市権を確認し延長、14c2年次市場と毎週市場の開催権取得、
 1525 農民戦争で破壊・騎士団が1533再建、1611ペスト流行、1646スエーデン軍略奪、
 1688-1815 相続争い・ナポレオン戦争で町は瓦礫化、1805 ヴュルテンベルクに属した、
 1829 町は大火災で半焼、           1945 米軍が町を占領。

2.市壁  0.37km (0.55)

 別に城壁260mがある。

  14cの古い市壁は城の南側に市教会まで囲んだ。主に南西と北東に残る。

3.塔  4塔

   宮殿の西側に防御塔が4基残っている。

4.見所  C

   古い木組の家が多く残っている。
 最古の市庁舎 Rathaus (1541) 石造の地階には、門を通って古い病院
    があり、上2階建は木骨造で1860までは町長・市評議会・事務局を含んで
    いた。1837-1920は学校、その後町の幼稚園、1945から難民用の住宅と
    なった。地階は、19cまでは消防機材倉庫として使われ今は郡貯蓄銀行。
 旧市庁舎 Rathaus (1829) 2階建ての四角い建物は1860-1979に市庁舎
    として使われ、前面の紋章は公共の建物の特徴を示している。今は旧市
    街の外の東に建てられた新市庁舎に移転し、この建物は、ホーネック城のトラン
    シルバニア博物館が管理している。18,000点の文物を収蔵し、トランシルバニアの歴
    史と文化を説明している。
 聖ニコラウス市教会 Kath.StadtPfarrKirch St.Nikolaus (1500-15) 中世の
    聖アンナ礼拝堂を含んで、後期ゴシックの新教区教会をドイツ騎士団が建てた。
    1701後陣に分離された祈りの場を増設した。1720-37バロックで身廊と後陣
    を改装した。1922-23西と北に拡張、1976-77更新された元西塔は現在の
    教会の中央に立っ手いる。2008-09碑銘・祭壇・彫像・フレスコ画が改修された。
 聖エリザベス薬局 St.Elisabeth Apotheke (16c) 出窓のあるルネッサンスの建
    物で、1730-1815はドイツ騎士団病院の聖職者の分室、1815聖職者は病院を
    売り1827市民がワインセラーとして購入した。1877出窓の近くに聖エリザベスのバ
    ロック彫像が建てられ、1832薬局が建物を購入して市薬局とした。
 トランシルバニア学院 Siebenbuergen Institut (1639) 2階建上階木骨造の建
    物には、年号があり、元はパン屋とワイン酒場であった。今はハイデルベルク大
    学のトランシルバニア学
    院がある。1777前面左の高い石台座の上に、素朴なマリア像がある。
 ホーネッカー宮殿Ⅰ Schloss Hornek Ⅰ (12c) ホーネック家のコンラードは、1255城を
    ドイツ騎士団へ寄贈した。1525農民戦争で城は壊されたが、その廃墟の上
    に、1533ドイツ騎士団はルネッサンスの宮殿を再建し、1724にはバロックに改造した。
    1805ヴュルテンベルクが所有し、兵舎として使い、その後売却した。一時サナトリウム
    として使われ、1944-57は戦時病院となり、1960まではトランシルバニア郷土館、
    その後は老人邸宅となった。
 ホーネッカー宮殿Ⅱ Schloss Hornek Ⅱ (1724) ドイツ騎士団がバロック宮殿とし
    て建設した。祝祭広間への紋章のある入り口門がある。今はトランシルバニア図
    書館とトランシルバニア博物館を収容している。
 外側宮殿門 Ausseres Schloss Tor (1728-59) 代表的なバロックのドイツ騎士
    団長王冠を掲げた宮殿正門の入り口である。外側には騎士団長・高位騎士
    達のワッペンがあり、内側にはドイツ騎士団長の十字架・金のユリの十字架
    が埋め込まれている。
 ドイツマイスター広間 Deusch Meister Halle (16c) ドイツ騎士団地下貯
    蔵庫は、ブドウ栽培家の十分の一税の収納場所であった。1986関税広間が
    改築され、マイスター広間となった。
 新教教区会館 Ev.Gemeinde Zentram (1895-96) ネオコシックで建てられ、1982
    広範に改修され、2013外装を直された。1895近くには新教の学校も建てら
    れた。
     旅館 子羊 Gasthaus Lamm (1692)上階木骨造2階建の古い建物。

5.町の略図

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ハスラッハ Haslach V54

写真

市庁舎 市教会

1.歴史

  74 ローマ軍事道路上の軍事駅だった、1100-1200ウアーリンゲン領主は銀鉱の町、
 1241 シュタウエン帝国の支配と行政の中心、1250フェルステンブルクのハインリッヒ伯爵に所属、
 1313 鉱業区の市場町として全盛期、 1630-47 30年戦争で15回も略奪、
 1704 スペイン戦争で町は瓦礫と化した、1803 バーデン大公国へ、バロック木組家、
 1945 3強制労働所の解放。

2.市壁  0.08km 0.09

   13cの古い市壁の断片がInneren Graben に少なくとも10mは残る。

3.塔  0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   ドイツ木組み家街道の会員であり、旧市街地の中央通りには、2-3階建
   の木組の家並みが保存され残されている。
 市庁舎 Rathaus (13c) 2階建で、地階にアーチ開口部のある建物で壁に
    は絵画がある。1704壊され1732再建され、1806バーデン風に改装された。
 聖アーボガスト教会 St.Arbogast Kirche (1240)カソリック教区教会の西塔は遠
    くからも見える。バロックの部分は1341に設けられた。今の外見は1906-07
    に増築を終えて基本的に形成された。
 修道院教会 Kloster Kirche (17c) カプチン派の修道院は1630-32に建て
    られ簡単な装飾の建築様式はカプチン会の厳格な規定によるバロック時代の模
    範である。
 シュバルツバルト衣装博物館 Schwarzwaelder Trachten Museum 多様な美しい
    シュバルツバルトの衣装・日常やお祭りや農村行事の展示も、古いバロックのカプチン
    派修道院の建物に収用されている。
 ハンス・ヤコブ博物館 Hans Jakob Mueumm ハンスヤコブの収集物を収容し、19cの
    シュバルツバルトの生活と活動も展示されている。

5.町の略図

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ハインゲン Hayingen v55

写真

市庁舎南 市庁舎北
帽子塔 帽子塔内側
西南壁

1.歴史

  785 ロッシュ修道院の文書に初言及、854聖ガレン修道院はコンスタンツ司教が所有、
 1100 ツバイファルテン修道院が土地を取得、1241グンデルフィンゲンの騎士が基盤整備、
 1285 町として認定、13c市場権を得た、 1303 拡張し壁と門のある町へ、
 1546 相続で町はヘルフェンスタイン家へ、  1676 結婚でフェルステンベルガー家に移った、
 17c 町でオルガンが制作された、 1789 地図によれば26の手工業者がいた、
 1806 ヴュルテンブルク王国へ帰属した。

2.市壁  0.055km 0.18

   13cの古い市壁の断片が西と南側に残っている。

3.塔  0門1塔

 帽子塔 Kappen Turm (13c) 市壁が残る町の西南の隅に、2階建円
    塔があり、出入口がある。

4.見所  C

  マルクト広場のない小さな町であるが、古い木組の家並みが保存されている。
 市庁舎 Rathaus (1600) 2階建木組の建物が、広く輸出していた手工
    業製品の館として建てられた。19cの市庁舎では町の管理の役割だけで
    なくパン焼場・浴場・学校授業・消防機庫を収容していた。
 聖フィーツ教会 St.Vitus Kirche (13c) 最も古い部分は13cに遡る。塔の
    下部には要塞教会の名残が見える。30年戦争で破壊された後に、17cに
    タマネギドームのバロック・ホール教会に再構築された。
 元病院 Ehem.Spital (1536) グンデルフィルボン家の男爵によって設立され
    た病院で町で一番古い石積の上に木組を乗せた建物で、1985大規模改修
    が行われた。
 居酒屋:ワシ Gast Stute Adler (17c) 北のカールス広場に美しい窓の木組の
    建物があり、かっての城の居酒屋として市壁に建てた。18cにバロックに更
    新された。
 古い手工業の家 Altes Handwerk Haus (16c) 市庁舎の側に古い手工業
    者の家がある。町の支配者グンデルフィンゲン家の男爵が所有していた。
 職人組合室 Zunft Stube (16c) 地階石積オープンアーチ上階木組の建物は、
    周辺地域のマイスターのためのギルドの館であり、バロックの木組様式を示す。
 穀物蔵 Frucht Kasten (17c) バロックの4階建全石造の大きな建物で、
    設置時の十分の一税の物納がなくなり使われなくなった。町が購入して
    19cに学校となり、今は住宅で使われている。

5.町の略図

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ヘッヒンゲン Hechingen v56

写真

市庁舎 新旧宮殿
聖ヤコブ教区教会 地方博物館

1.歴史

 6-7c アレマン族の集落が創立、 786ザンクトガレン修道院贈物証書に初言及、
 1061 ツオーレルン家が支配、 1225 ホーエンツオーレルン城の証書で都市権の保持に言及、
 1401 大火事、1423 城の破壊  1576 遺産分割でハッヒンゲン郡へ、
 19cまで 伯爵領の中心に発展、1632スエーデン軍侵攻、1634ヴュルテンベルクへ引渡、
 1635 バイエルン軍が占領、1782-83参事会教会を南に新築、1850プロイセンが支配、
 1945 2次大戦後仏の占領下に、1952 バーデン・ヴュルテンベルク州へ。

2.市壁  0.03km (0.03)

  新宮殿の北東角の東側に20mの旧市壁を組み込んだ壁がある。また、
   UnterTorの南側に10mの旧市壁の形を残した建物の外壁がある。

3.塔  1門0塔

    15cの市壁の門と塔の内、唯一下門が残る。
下門 Unter Tor (1579) アイテル・フリードリッヒ伯爵は、町を守るため市門
    を建設した。この門は拘置所としても使われた。

4.見所  D

 市庁舎 Rathaus (1510) 1958にネオルネッサンスで5回目の建替えが行わ
    れた。1510はゴシック、1886はルネッサンスの庁舎だった。
 新宮殿 Neu Schloss (1571-95) ホーエンツオーレルン家の擬古典主義の新宮
    殿。
     ホーエンツオーレルン城 Altes Burg (1850-67) 町のランドマークのネオゴシックの建
    物で、山頂にある。今はホーエンツオーレルン宮殿博物館として、領内の歴史
    や文化を展示している。
 聖ヤコブ教区教会 St.Jakobus Stifts Kirche (1780-83) 始めは後期
    ロマネスクのニコラウス礼拝堂が何回も再建された。1621-22に北に拡張され、
    1668カラフルなセラミックのドーム備えた塔となった。
 新教パウルス教会 Ev.Pauls Kirche (17c) 擬古典主義の重要な建物。

5.町の略図

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ハイデンハイム Heidenheim Brenz v57

写真

市庁舎 ヘレンシュタイン城
地方博物館 中央城門北

1.歴史

  85 ローマの砦に千人以上の兵士が駐屯、260 ローマの砦は放棄された、
 1130-45ヘレンシュタイン城の建設と周辺集落形成、1190・1420城下町に市壁建設、
 1356皇帝チャールズ4世が都市権授与、1448ヘルフェンシュタイン伯のヴュルテンベルク統治、
 1462-1504 一時的にバイエルンに属す、1504ヴュルテンベルク公国へ事務所設置、
 1806 新設のライン連合に参加、1938ハイデンハイム地区の上級事務所となった。

2.市壁  0.07km (0.08)

  14cの古い市壁は、ヘレンシュタイン城の城壁820mから、南側に分岐し
   て旧市街地を囲む。残るのは70m

3.塔  0門2塔

    14cの市壁には、4市門と6壁塔が設けられたが、今は市民塔と
     旧恥塔の基部が残る。
   市民塔 Buerger Turm (14c) 14cの市壁の東部に1400に挿入され
     た。 レンガ造の塔には18cまでの半円錐形に変わって、現存の木
     製の上部に変更となった。塔の部屋には市文化協会の展示品。
 恥塔跡 Ehm.Schand Turm (1417) 市壁の西側の監視塔として造
     られ、晩年は刑務所として使われ、18c終わりに解体された。
     残りの基礎は住宅の基礎となっている。
 旧中門 Ehem.Mitters Tor (13c) 旧旅館「ツム・プフルク」の東の通
 りの明るい石灰石の舗石で旧中門の位置を示している。下門は
     中世以来町の東の入り口で、市壁と共に建てられた。1780に老
     朽化で解体され、跡に1781外側に国にの紋章内側に町の紋章を
     埋め込んだアーチが建てられたが1828には撤去された。
 旧下門 Ehem.Unterres Tor (1333) Haupt Strasseの南端に明る
     い舗装ブロック舗装が下門の位置を示している。1519-1609にレ
     ンガ造となり、1773-74に改装されて時計が付けららた。1838に
     下門は解体されて資材は販売された。東6mにある噴水は、昔
     の南部市街地内の井戸だった。

4.見所  B

   町の西の丘の上にヘレンハイム城が聳え、その東側に細長い旧市街地が
    市壁に囲まれてある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1846) 昔からの市庁舎の位置に、ハイ
    デンハイム採石場のジュラ紀の石灰岩を使って、2階に美しいバルコニィがあ
    り、かって鐘楼として使われた屋根のタレットのあるシンプルな建物
    が建てられた。東部の切妻壁には紋章の下に1864の年号がある。
    1972に東の新市庁舎に移転の後は、文化ンターとなり観光情報は
    ここにある。建物の名前は1957-69に市長だったエルマードックだった。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1972) デザインは38人の建築家のコンペ
    でシュットガルトの建築家グループが描いた。すべての市の部門が集めら
    れ大きな建物となり、市庁舎正面の角には直径2.4mのピアスリングが
    2001の彫刻シンポジュームに際して付けられた。
 ヘレンシュタイン宮殿 Schloss Hellenstein (1600) 町のランドマ
    ークのヘレンシュタイン宮殿は、標高560の岩盤の上にそびえる。元のストーファー
    城は1130-45に建てられ、1530の火災でほぼ全焼し、騎士の館の外
    壁遺構のみが残る。ヴュルテンベルク伯フリードリッヒ1世は東側に2-3階建の
    ルネッサンスの宮殿を建てた。
    今は宮殿博物館として使われている。
 ヘレンシュタイン宮殿宮殿博物館 Museum Schloss Hellenstein
    入口の武器庫には町の歴史の展示がある。西の城教会は、前面ゴ
    シックの古い新教のホール教会で、トスカーナ風の柱があり、北の2階建コアラに
    はスコッタの丸天井があり、教会の部屋による教会の芸術が展示され
後期ゴシックとバロックの彫像と絵画がある。
 馬車博物館 Museum Kutschn Chaisen Karren () 南西の倉庫には
馬車・長椅子・カートが納められ、19898のドイツ最古のタクシーモーターコーチ)も
ある。約80台の車両を使用した陸上輸送の歴史を展示している。
 聖ミヒャエル教会 St.Michaels Kirche (1898) 始めは後期ロマネスク
    のニコラウス礼拝堂が何回も再建された。1621-22に北に拡張され、1668
    カラフルなセラミックのドーム備えた塔となった。
 新教パウルス教会 Ev.Pauls Kirche (17c) 新市庁舎東の森のような
    公園の中に、歴史主義でレンガ造の大教会が建てられた。塔の高さ
    は75mである。
 宮殿薬局 Schloss Apotheke (18c) 横型の屋根の建物と大通に面
    した印象的な出窓のある現在の外見は、1900に改装された。1680に
    建てられた隣の建物は、1982に改修された上層の木組が露出され、
    2階には面白いアールヌーボーのバルコニィ・グリルがある。
   旧上郵便局 Ehem.Oberamtei (15c) 市壁の上西部に町で最古の石
    造Oberamteiがあった。1448までは厩舎として、その後穀物倉庫・財
    務事務所・下級廷史の宿舎として使用された。今はギャラリーLittleBug
    として展示が行われている。
 旧旅館「王冠」と旧郵便局 Ehem.Gasthoh Krone und PostStation
    (15c) 1-2階にはバロックの窓が並ぶ長さ30mの建物で、元々は15cと16
    cの二つの木骨造の建物で、ガストハウスと郵便局であった。1749郵便馬
    車トルンタクシスの駅もここに設置された。
 旧度量衡検定所/em> Altes Eichamt (1688) 古い度量衡検定所は印象的
    な建物で、1821までは町の書記室として使用されていた。1834には
    高等裁判所が置かれ、1874からは100年間度量衡検定所であった。
    1978-80に建物は全面的に改修されて市民の集会の場となった。印
    象的な東門、壮大な見事な木組の前面などを見せている。
    このヒンターガッセは、店舗・食堂・住家などの歴史的な景観がある。

5.町の略図

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ハイルブロン Heilbronn v58

写真

 
市庁舎 ゲッツ塔
防壁塔 港市場塔
キリアン教会 マルクト広場

1.歴史

  471 フランク王国の町が初言及、 1281 皇帝ルドルフは都市権を授与、
 1333 ネッカー川の自由航行権を付与、港湾整備、1530 農民戦争で損害、
 1401 大火、1423城破壊、その後伯爵領の中心として発展した、
 1618-48 30年戦争で略奪され数回焼かれた、18c後半文化経済の繁栄、
 1802 ヴュルテンベルク州へ帰属、       19c 工業都市として繁栄、
   1944 2次大戦で町の80%は破壊。

2.市壁  0.04km 0.03

    西南の隅に20+20mの市壁の残址がある。

3.塔  0門3塔

 ゲッツ塔 Goetzen Turm (1329) 市壁の南西の角の細長い角塔
で、1519にゲッツが囚人としてこの塔に1泊しので名付けられた。
1985棒上でバランスを取る男の像が、塔の上に付けられている。
   防壁塔 Bollwerks Turm (1292) 市壁の北東の角の5階建ての円
    塔。
 港市場塔 Hafenmarkt Turm (1314) かってのフランスコ会修道院の
    ゴシックの名残の塔で1688仏軍が破壊したが、1698-1727市民の寄付
    で再建された。1964に修復され2次大戦復興の象徴とされ、11時
    と19時20分に民謡が聞こえる。

4.見所  C

    2次大戦で都市は壊滅し、その後新し建物が建てられたため、
復元された塔が目立つ程度である。
 市庁舎 Rathaus (1417) 初めゴシックで建てられ、16cルネッサンスで拡
    張され1539-80シャフハウゼンの天文時計が付けられ、1944爆撃で壊され
    た。1950-53に堂々とした建物で再建された。前の広場では週3回
    市場が開かれる。
 キリアン教会 Kiliansns Kirche (15c) 八角形の初期ルネッサンスの塔は
    美しい。中には、後期期ゴシックの彫刻や1498木彫傑作祭壇は鉱山
    の坑道で戦争を逃れた。
 ニコライ教会 Nikolei Kirche (1351) 1525新教の教会となり、17c
    軍病院や武器庫として使われ、1848体育館となった。1851初期
    ゴシックの建物を改修して再び教会として使った。1944戦災で破壊
    され1950-51に教会は新築された。
 ドイツ館 Deutsch Hof (1417) フランケンドイツ騎士団の館で、19c兵舎
    1944に戦災で破壊され後に再建された。今は、博物館と文化センター
    して使われる。ロマネスクの鐘楼の下の建物に碑文があり、ドイツ騎士
    団の聖マリア礼拝堂(1250)であり町で最古の建物である。
 ケーテ館 Kaethchen Hof (14c) マルクトにあり、隅に出窓の飾りがあ
    る石造の建物である。ハインリッヒ・フォン・クライストの戯曲「ハイブロンのケーテ」の
    ヒロインの名前が付いた。
 肉の館 Fleisch Hof (1598-00) 2階建てルネッサンスの石造アーケードの
    建物で1879-2008は肉屋であった。2次大戦で被災後1996-97大規
    模改修をして自然史博物館となった。

5.町の略図

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ヘレンベルク Herrenberg v59

写真

旧市庁舎 北壁
東壁 南壁

1.歴史

 13C 町が成立した。、   1287 最初の文書言及、教会建設開始、
 1382 ビュルテンブルクに売られ事務所設置、1466火事で殆ど焼失.その後再建、
 1525 農民戦争による略奪、ペスト流行。  1635 大火.30年戦争で破壊、
 1806 町事務所は郡庁に格上げ、    1820から門や壁塔が壊された。

2.市壁  0.620km 0.30

   1203の町の創立時に市壁は造られた。全長1126mの市壁は旧市街
地の幾つかの場所に残っている。その内250mは壁上通路.狭間胸
    壁.前門の防衛施設はAuf dem Grabenに再建され、市壁の上に木組
    の家が建っている。またマルクト広場は小山の上にあり、そのまだ上
    の城址まで市壁が残っている。

3.塔  0門0塔

  地名が、北NutringerTor、西南BronnTor、南TuebingerTorと3ある。

4.見所  C

  多くの木組の家のある高低差の大きい町。マルクトに上るのも大変。
 切妻の家 GiebelHaus 
   シュッツトガルト通 15C 狭い通りの両側に2~3階建の切妻屋根の木組家。
   チュウビンゲン通   市民の家が多いが最古の旅館もある。
     マルクト広場  1276 1635の大火後に建てられた木組の家で囲まれる。
            1806建の3階建て市庁舎がある。
   上事務所OberAmt  1655建の美しい3階建の建物で、1635に代官屋敷
          とワイン醸造所は焼落ち、1654に領主のワイナリーと農産物
          倉庫として再建された。代官屋敷は1759から郡庁舎。
 聖母教会 Ev.Stiftskirche St.MarienKirche 13C中建、1493に
    後期ゴシックのホール式教会となった。西前面に塔が一つあり、ゴシックの
    バラ窓と三段の棚が正面にあり時計を置き、頂上に鐘楼がある。
    内陣は1293に聖体拝領した。1990から鐘美術館が置かれた。
 病院教会 SpitalKirche 1400建、病院と共に建てられ、1635の
    火災後に再建された。木製の説教台や装飾が残っている。
 元城山 Ehem.SchlossBerg 1807に取壊された。1957城跡の古い
    火薬庫の位置に展望台が造られた。

5.町の略図

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ヒルスバッハ Hilsbach in Sinsheim v60

写真

旧市庁舎 聖ミカエル教会
メッテンガッセ 南壁
南壁階段

1.歴史

 798 ロルシュ修道院の寄付文書に初言及、13c最初谷に次に丘に集落構築、
 1310 町となり250m×200mを市壁で囲む、1361プファルツ選帝侯の城代が支配、
 1521選帝侯ルードヴィッヒ5世はワイナリィー建設、1525 農民戦争で教会・ワイナリィー破壊、
 17c 30年戦争で略奪・破壊、1641大火災、17c後半仏・スイスの入植者で回復、
 1732-33 バロックの大ワイナリィー建設、    1744 ドイツ騎士団の牧師館を建設、
 1803 バーデン公国に帰属、        1806 2門塔と5壁塔があった、
 1813 ライニンゲン役所の設立、     1841 ジンスハイム地区事務所の管轄下に。

2.市壁  0km 

   1310に250m×200mの旧市街地を市壁で囲んだが19cに取払われた。

3.塔  0門1塔

   1806には、2門塔5壁塔があったが、1822上門など取払われ、唯一
集落は集落は南東隅のZentTurmは住居となって残った。

4.見所  C

   Sinsbach市内の丘の上の小さな町であるが、1998年には旧地域事
務所の町として1200周年を祝った。ワイン街道にあるワイン産地である。
 市庁舎 Rathaus (1893) 古く老朽化した市庁舎はレンガで建替た。
    1957鐘楼が付けられた。1982には新教教区会館になった。
 聖ミカエル教会 St.Michaels Kirche (1300-67) ボルムスの司教に属し
    た、ゴシックの教会が構築され、1509西ポータルを新設、1667-85内陣を
    除いて再建され、同時に旧墓地は市壁の東側に移転した。1686ロフト
    が作成され、1705同時教会として内陣はカトリックとし身廊は新教が使
    用した。1951新マリエン教会の建設後は新教教会となった。
 ワイン醸造所事務所 AmtsKellerei (1732-33) バロックの新ワイナリィー建設、
    1808 ライニンゲン会計局が所有。1840町へ売却後校舎、1982クラブの部屋。
 守衛室 Wachthaus (1808) 1808には「丸太小屋」と表記された。
    1823柱列のある今の姿に改造された。旧上門に接して夜警が使い、
    後に道路通行税や税金の徴収を行った。後に警察官住所・地元銀行
    ・警察署であった。
 プファルツ選帝侯ワイン醸造所 Kurpfaelzische Kellerei (1521) プファルツ
    は1516-17町にワイナリィーを持った後、1521地下室や階段塔を持った
    ワイナリィーを新設し、周辺地域からのブドウも集め醸造した。後には
    十分の一税倉庫として使われた。
 改革派教区学校 Refornietas Schlhaus (16c) 岩の上に建てら
    れた4階建の建物は、16c後半から使用された。1708カトリック司教の
    家となり、1843カトリック司教館が建てられそちらに移った。
 新教牧師館 Refornietas Pfarrhaus (1744) ドイツ騎士団は十分
    の一税の収入を持ち、牧師館を建てた。1821新教の牧師が住んだ。
    1906-07新牧師館をマルクト通に建てて移った。
 新マリエン教会 Marien Kirche (1951) 新しいカトリック教会は角形の南
    塔のある大きな建物で、同時教会からカトリックが移った。

5.町の略図

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ホルプ Horb an der Necker v61

写真

市庁舎 ガイス門塔
悪者搭 水門
地下貯蔵所 市壁
防御塔 ルケファー市門

1.歴史

 1090 コーデックス・ヒアザウギーエンスに初言及、12c中チュービンゲンのパラティーヌが所有、
 1228 パラティーヌ伯が入植の権利付与、1277市場開設、1305迄パラティーヌ伯所有、
   1381 ハプスブルク家が支配、   15c 町は織物・手工業・ワインの交易で繁栄、
 1498 マクシミリアン皇帝のホバー条約で政治の中心へ、1556大火事・30年戦争衰退、
 1806 ナポレオンのヴュルテンブルク公国に属し近代化、1818-24黒い森サークルに割当。

2.市壁  0.06km (0.06)

 1273に長方形の1次市壁が山の上に築かれた。15c谷の円形市壁が西門
    4円塔・4半円塔で強化されて築かれ、18-19cにも市壁は強化され
    た。西門の北20mと南40mに市壁の残りが認められる。

3.塔  2門6塔

 ルシファー門 Luzifer Tor (1273) 一次市壁の西門で、3階建四角
    錐屋根の角塔は長方形の町を守った。門塔の2階上部の小窓の後ろ
    に、魔女の拘置所があった。1980から門塔にレストランが収容された。
 西門の南斜面切り株 GrabenBacher Tor (1394) アルトハイマー門のグラ
    ーベンバッハの市壁の南斜面に円塔の切り株が残っている。
 水門 Wasser Tor (1347) 3水門の内、ミュール運河につながる水門が
    唯一残っている。かっての市壁で囲まれた水の出入口であり、石
    造3階建の角塔の上に木組みの上階が乗っている。
 外側周壁塔 Ausser Ringmauer Turum (15c) 西門の西側山腹の斜
    面にある外側市壁にある防衛塔である。2階建て円錐屋根の円塔で
    下の西門に向かって市壁は残っている。
 内側周壁塔 Innerer Ringmauer Turum (1480) 内側周壁の北側斜
    面に中央防御塔が4階建て円塔で建てられた。 町側に向いた乗馬
    の絵画は1968に更新された。
     今は 軍事歴史博物館を収容している。
 悪者塔 Schurken Turum (18-19c) ハプテスト後期の市塔で、7階建高
    さ26mの強力な角塔は西側を守った。18cから刑務所として使用さ
    れ、悪者の名前が付いた。1822に4刑務所と看守の宿舎を設置し、
    木製の屋根はテント屋根に張り替えられた。今はシュバーベン・アルプ協会の
    ハイキングホームがある。
 シュッテ塔 Schuette Turum (1422) 西の山に監視塔として建てられ、
    1900に更新され3つのホルパークラブが見張塔として使っている。
 ゾマーハルデン塔 Sommer Harden Turum (1347) 要塞の古い部分で、3
    階建ての塔の堅固な切り株は塔を含めた大きな角の複合構造物を
    示している。

4.見所  A

   谷から尾根にかけて、木組を含め多くの建物が段々に建てられ、
    古い建物の多くが残されている。
 市庁舎 Rathaus (1420) 地階には3アーチのオープン市場のある、石造3
    階切妻のある建物であり、ストリートマルルクトの北側に立つ。1725の大火事
    の後、1733-65に再建され、1860近隣建物を買収して拘置所と守衛
    所とした。1925-27前面に絵画が描かれ1998と2000に文化博物館協
    会によって前面の絵は修復された。
 ヨハネス教会 Johannes Kirche (1896) オーストリアからヴェルテンベルク
    王国に支配権が移り、プロテスタントが増加したため、ネオゴシシックの東に塔
    のある教会が建てられた。教会の外壁にヨハネスの石造がある。
 黒い森の大聖堂 Kathdral des Schwarzwald (13C) キリスト降誕教会
    は数年前に大改装された大きな教会であるため黒い森大聖堂と呼
    ばれている。1450の有名なアルタイマーバームロバがある。
 聖母礼拝堂 Lieb Frauen Kapelle (1280) ベネディクト会修道院が南
    の市壁の外に礼拝堂を建設した。1367市民は礼拝堂に身廊と強大
    な塔を建てて教会とした。聖母礼拝堂の身廊と塔の強大な柱は17c
    に補強されたものである。30年戦争後フランシスコ会は修道院教会とし
    て140年間使用した。
 オッテエリン礼拝堂 Ottilien Kapelle (1431) 目で苦しむ人のための
    巡礼地であり、礼拝堂は聖オッテエリンをたたえて建てられた。1788教会
    によって閉鎖されたが、購入者が居なかったため老朽化し、1851
    に改装された。
 聖十字架教会 Stifts Kirche Heirig Kreutz(13c) 1381-1806は
    カノン修道院で、1728-55にバロックで再建された。旧市街地の最高地点
    にある最古の教会である。当時は教区支部であったが1389には教
    区教会となり14-15cにゴシックの教会に拡張されたが、1725の大火
    事で焼失した。1728-55にバロックで身廊と塔が再建され1806ヴュルテン
    ベルク王は教会に宝物を贈った。
 地方裁判所 AmtGericht (1845) 1822塔に設置された刑務所が18
    30の法務省の規定を満たさなくなり、新しく裁判所刑務所を建設
    して、単独房と警備者宿舎も収容した。1964に閉鎖され住宅に改築
    された。
 ホーエンディーセン城址 Burgruin Hoendiessen (12c) 西8kmにあるかって
    の荘園の城で、城壁と城の外壁が残っている。16cの農民戦争で壊
    され、1965から村が所有。城址ではイベントを開催。
 ドミニカ修道院 Dominikanerinen Kloster (1261-1806) 修道院の建
    物は1725の大火事で焼け、1726-27塔を含む8棟の複合体として再
    建された。修道院の礼拝堂は東ウイングにある。現在この建物に
    は税務署と市資料館が入っている。
 旧旅館「白鳥」 Ehem.Gasthaus Schwanen (1861) 1854までは煉
    瓦工のギルドホステルであり、醸造所が追加されて1年後に「白鳥」と
    呼ばれた、1944白鳥醸造所は閉鎖され、2002には撤去された。
 フランシスコ会内修道院 Franziskanerinnen Kloster (1408) 1293から
    町のあったフランシスコ会のコレクションは、商人の家に置かれた。1780帝国
    によって修道院が閉鎖された後に、醸造レストラン「リッター」が南翼に開
    設された。1906に全焼して、リンデンと栗の並木の教会広場の空きス
    ペースとなった。
 フランシスコ会修道院/em> Franziskaner Kloster (1656) 修道院に病院が置
    かれホーリー病院は1787買収して近代的病院となり、数拾年の間継続
    されたが、2013に閉館して今は医療センタ-とリハビリ病院を収容して
    いる。
 穀物倉庫 Fruchtkasten (1619) オーストリア皇帝からヴュルテンベル
    ク王国に支配が移った後にラインバッハ修道院の跡地に建てられた。その
    後地区事務所としてつかわれたが、1980に大改修されて警察署とな
    った。
 谷の飼料庫 Futterhaus im Tal (15c) 堂々とした上階木組みの
    切妻のあるアレマン風の建物は、1550病院として売却され、1980解体を
    検討されたが、個人が取得して住宅に改造した。
 ゲスラーの武器庫 Gesslersche Zughaus (1561) 布地商ケスラーの3階
    建木組の大きな建物には、丸アーチの入り口に家の紋章がある。17-
    19cは布の製造と販売で栄えた。
 ブスの家 Haus am Buss (1439) 高地階で上階木組の木の梁と板
    壁の家は、周囲の家の屋根のはるか上にそびえている。
 高切妻 HocherGiebel (17c) ガルフ家の商社「高切妻」の家は、
    地階の石積が高く上階木組はの豪華な切妻へ高く伸びている。紋
    章は1622の建物の入り口肩の上25mに飾られている。2次大戦後市
    が購入し1954-55に大改修して青少年音楽学校として使用している。
 穀物倉庫 Kornhaus (1418) オーストリア侯爵は1415百貨店の建築を許
    可したが、1418完成した時は穀物倉庫であった。大火事で焼失後
    1725学校と評議会の会議場として再建された。
 レオンハルト教会 Leonhards Kirche (1471) 渓谷の聖レオンハルトに2階建の
    教会が捧げられた。ヴュルテンベルク王国への移管後、レオンハルト礼拝堂は、
    1806に閉鎖されて住宅に改造された。
 自然保護の家 Naturschtz Haus (1837) ピルテシンガー門の石材で
    窓の少ない平屋の納屋が地下室付きでたたられた。1897からドイツ
    自然保護協会によって、資源保護の家として使われている。
 首席司祭 Propstel (1387) 1387設立のカノン修道院の教区は、
    1688に再建され、1725の大火災の後に、カノン教区は大学を主宰
    し居住義務を守らなければならなかった。世俗化の過程で修道
    院はヴュルテンベルク王国の所有となり、1936に教区は建物を所有して、
    牧師館と幼稚園として使用している。
 ラインバッハ館 Reichenbacher Hof (1220) ベネディクト会修道院の老人
    ホームは、1363に別に移し、1445にシャフライホフと交換した。
 石の家 Steinhaus (1507) 新しい病院の倉庫として、階段切妻
    の2階建で建てられた。大きな丸アーチの地下室の上に巨大なオーク
    材で構成されている。カトリック教区は、1972-74に石の家を再建して
    カレッジの集会所とした。
 門番の家 Torwaerter haehschen (1662) 西門の門番の家は、
    1836まで使われた。高さ23mの門塔の前にあり、西に切妻のある
    小さな家は門前のツインガーを構成している。1662門番の家の基礎の
    上に木組の上階が建てられ1836まで使われた。1864市門は取払わ
    れた。

5.町の略図

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イルスホーフェン Ilshofen V62

写真

市公会堂 ハレ門
聖ペトロネラ教会

1.歴史

  938 既にウルスホーフェンが所有される、  1288 フリューゲラウ伯爵が所有、
 1330 皇帝ウルスホーヘンは都市権を授与、 周壁を設けて毎週の市を保持、
 1401 大火、1423城破壊、   その後伯爵領の中心として発展した、
 1449 戦争で町の周辺は破壊され、 農民戦争と30年戦争で町は衰退、
 1562 ヴュルテンベルク州に統合  1945 2次大戦の空爆で町の70%が破壊。

2.市壁  0.03km 0.02

   Haller Torturmに沿って西側の市公会堂に30mの市壁が残る。

3.塔  1門0塔

 ハラー門塔 Haller Torturum (1609) かっての要塞の一部であ
    り4階建て高さ25.5mの角塔の上に、独特の階段切妻がある。地階
    にはアーチ状の通路があり、塔に隣接してもう一つのアーチがある。塔
    には美術館を収容した。

4.見所  D

 聖ペテロネブ教会 St.Petolineb Kirche (1890) 2次大戦の戦災
    に遭ったが、1949に修復された。
 レオフェルス城址 Leofels Burgruin (1230) 皇帝の城として建ててら
    れ、後にVellbergの領主に属していた。1707.1864.落雷で焼失し
    た。全ての動かせる物は、競売で掛けられ石積と地下室のみが残
    された。夏に演劇やキャンプ・ファイヤーが行われる。
 イルスホーヘン博物館 Kultur MUseum 文化協会はハーラー門塔を再構築し
    て、1999町の歴史文化を展示している。

5.町の略図

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イズニイ Isny im Allgaeu v63

写真

市庁舎 バルザー塔
エスパン門 泥棒塔・南壁
ハウルファギウス家

1.歴史

 1096 ヒルザウ修道院の設立が初文書言及、  1235 市場権の付与、
 1284・1401 町や修道院は火災で破壊、      1365 無料市場、
 1376 シュバーベン都市連合に参加、    1507 貨幣の鋳造権を得る、
 1631 30年戦争で380の家屋と2修道院を失う、1806ヴルテンベルク王国に帰属。

2.市壁  0.30km 0.63

  町の北側と南側に半分以上の市壁が残る。

3.塔  2門6塔

 水門 WasserTor (1337) 北 角塔で塔に登れる。中に消防や
靴屋の展示がある。
 エスパン門 EspanTor (13C)西北 周壁と共に造られ、5階建ての白
い角塔。今は展示場として使われる。
 火薬塔 PulverTurm 東 古い市壁の元門塔で修道院の領域に
    ある。壊れているが低いアーチがの一部が見られる。
 泥棒塔 DiebsTurm 南 市壁の中の塔、地下室は監獄として
    使われた。
 船溜り塔 HafendeckelTurm 1773建、西 花輪の平らな屋根。
 粉引き塔 MuehlTurm 16C建、西 近隣の粉引き小屋と共に
    博物館。
 倉庫塔 SpeicherTurm 西 小川の堀への出口を守った。貯蔵
    塔として建てられ、地下には監獄。
 吹奏塔 BlaserTurm 中 マルクト広場にある昼夜の見張り塔で、
    危険時にはホルンを吹いて知らせた。元織物会館と繋がっている。
    8階の四角の上に2階の八角鐘楼付き塔が立ち、タマネギ屋根が付い
    ている。

4.見所  B

   中世の小さな町であり、市庁舎・教会と古い市壁・門塔が残る。
 市庁舎 Rathaus 1689建、バロックで建てられた3つの貴族館を
    繋いで、1733から市庁舎となった。
 ニコライ教会 NikolaiKirche 1284建、北 プロテスタント教区教会と
    して建てられ1631の大火で焼失、1972タマネギ屋根で再建され、塔
    に説教師図書館がある。
 新教教会 OelbergKirche 1480建、北 墓地教会として建て
    られ、1631の大火に生き残った。
 新教教会 KircheSt.Georg&Jakobus 北に1631の大火後にカソリッ
    ク教区教会として建設された。
 マリア礼拝堂 MarienKappele (1390) 1645に再建、48人の修道院
    長の肖像画。
 宮殿 Schloss (1096) バロック修道院として建てられ1803宮殿に
    転用された。
    1966に市民が獲得して文化ホールや絵画館として使われている。

5.町の略図

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ケンジンゲン Kenzingen v64

写真

市庁舎 シュバーベン門
シュバーベン門

1.歴史

  772 町の初文書言及、 773 別の文書にワイン造りの仕様を発見、
 1242 ユーゼンベルク領主はアントラウ修道院の資産保護、1249 ルドルフ2世は町を
    ユーゼンベルクへ、1352 ユーゼンベルク家はハーバーベルク辺境伯に町を売却、
 1369 オーストリアが町の行政を継続、1415 オーストリアとの同盟条約の後に
ブライスガウnの町は帝国直属の都市の地位を得た、
 1500-1806 町は貧困と苦難の状況に、  1805 バーデン領となった。

2.市壁  0

   見当たらない。

3.塔  1門0塔

 シュバーベン門 Schwaben Tor (19c) 現存する古い小さな通路
    を拡張してこの塔は建てられた。1958南の隣地の木組みの家は
    修復された。1968この門は東向きの一方通行の門となり、塔は
    道化師組合の部屋として使われた。

4.見所  D

   旧市街地は堀に囲まれた、こじんまりした町である。
 市庁舎 Rathaus (1520) 中央通りのゴシックの窓帯のある石造建
    物で、大きな戦禍の後に再建され、1965-67に拡張された。
 聖ラウレンチウス教会 St.Laurentius kirche (1275) 初め旧市街の中
    心に二重塔で東に合わせて芸術性はない建物で、両塔の下に地
    下室がある。20世紀にも鐘突堂として使われている。1730-33に
    3身廊ゴシックのハレン教会はバロックに改装された。
 フランシスコ修道院 Fraziskaner Kloster (1659-62) 中世後期から
    存在記録があるが、17cに今の建物が建てられた。1892の世俗化
    の後に町の所有となり、1889.982は町の病1院を収容した。17c
    に建てられた修道院教にには16cからの十字架があり、1891新教
    の礼拝堂として使われている。
 聖ヨハネ修道院 St.Johanniter Kloster (15c) この修道院は15c
    を起源として1806まで存在した。この修道院の敷地には刑務所
    が建てられた。
 郷土博物館 Heimat Museum 町の歴史や文化を展示。
 上ライン道化師展覧 Ober Rheinische Narrenschau アレマン地方の
    祭りの体験・道化師の人形を展示。

5.町の略図

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キルヘベルク Kirchberg a.d.Jagst v65

写真

市庁舎 マルクト広場
市教会 市塔
市門外 市門内

1.歴史

1263 キルヒベルク最初のズルツ城を建設 、1313ホーエンローエ・クラフト2世に封土、
 1373 皇帝カール4世は町に特権を授与、1384 ホーエンローエ侯爵は抵当とした、
 1398 町を帝国都市へ売って強化、 1525 農民の蜂起で城は燃えた、
 1546 皇帝カール5世はシュマルカルデン戦争中に宿泊、 1551 市場持権を授与、
 1562 ホーエンローエ伯爵ルードビッヒは町を買戻す、1590城をルネッサンスに拡張改修、
 1650 ホーエンローエ伯爵アルブレヒトは王宮に選択、1675アルブレヒトの死後ランゲンブルク
に、 1701 侯爵エーベルフェルトは城を相続居住しバロック化、 1737侯爵
    カール・アウグストは宮殿をバロック化、1767 侯爵カールは町を拡張・建築、
 1806 バイエルンに帰属、1810 ヴュンネンベルク州へ、1996 国の修復プログラム
    で市壁内の復元。

2.市壁 0.540km 1.00

  14cからの丘の上の市壁は1455に完成し、要塞は1489に完成した。

3.塔  1門1塔

 市門 Stadt Tor (1477) バロックの市門は、クリステチャン・フリードリッヒ・
    カールによって建てられた。旧聖具室後の住居は、今はレストランになっ
    ている。
 市塔 Stadt Turm (1400) 高さ45mの円塔は監獄となり、17cの鐘
    がある。

4.見所  C

   ヤクート川沿いの丘の上に、周囲を市壁で囲まれた小さな町があり、
    ホーエンローエ・キルヘンベルクの王宮があった。
 市庁舎 Rathaus (1800) 3階建の大きな建物で、かっては王侯の
    未亡人の館Witwenbanとして使われた。
 穀物蔵 Kornhaus (1494-96) 大きく高い木組切妻の構築物で、
    当時の町の所有者であった帝国都市の穀物倉庫と寝室で構成され
    てた。
 旧ラテン語学校 Latein Schule (1748) バロック3階建の建物で、碑文
    板がある。その後小学校となり、1973市博物館となった。
 市教会 Stadt Kirche (1610-11) 初めの小さな教会の代わりに。
    北西の隅に1731バロックの教会が建てられた。1929火事で全面が焼け
    アールヌーボ-で再建された。中にはバロック説教壇・祭壇、ステンドグラスがあ
    り平らな屋根の下にはホーエンローエ王室の墓が30棺ある。
 馬粉引場 Ross Muehle () 2階建の大きな建物が市壁の外に建て
    られた。
 旧ポスト Alte Post (1914) 旧郵便局で、3階建で中央部張出室の
    ある建物。
 牧師館 Pfarrhaus (1615) 3階建木組切妻のアーチ門のある建物。
 教会山 Kircheberg (1200) 初め貴族がキルヘベルク城を築き、14cに
    強化・拡張され、城は要塞に組込まれた。1562ホーエンローエ家が買取り
    強化された。1590-97ルネッサンスの城を再建し、1650王宮になった。
    1738-45王宮の拡大で、新未亡人の家・王宮厩舎・ガードハウスが建て
    られた。1865までホーエンローエ・キルヒベルク家が使用した。1945まで博物
    館、1945-46学校となり、1988改修された。
 旧宮殿薬局 Ehem.SchlossApotheke (1806) 町役場と同時期に2
    階建で建てられた。

5.町の略図

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キルヒハイム Kirchheim unter Teck v66

写真

 
旧市庁舎テック城
マーチン教会 木組の家

1.歴史

  960 王オットー1世所有とマーチン教会文書に、1059王ヘンリー4世は市場権授与、
 1060 テック侯爵家が360年間町を支配、 1220-30テック侯爵は市場権を授与、
 1293 町に市壁の存在を確認、 1387 テック侯爵は町をヴュルテンブルクへ売却、
 1529 農民戦争で城は焼失、  1534侯爵ウルリッヒは町を拡張・要塞を築く、
 1630 30年戦争とペスト流行で町は衰退、1690大火事で市壁内はほぼ焼失、
 19c 羊毛繊維産業で栄えた。

2.市壁 0.230km 0.27

   1293には市壁の存在が証明されている。1534侯爵ウルリヒの復帰後に要
    塞として強化された。1543Vogthausは市壁に沿って建てられた。16c
    に8要塞で市壁‎を強化。

3.塔  0門0塔

   かって4門あったが、今は見当たらない。

 

4.見所  C

  旧市街地は、1690の大火災で殆ど焼失し、その後再建され230年経過
    している。見所は町の北と東に偏っている。
 市庁舎 Rathaus (1722-24) 美しい3階建木組の建物は焼けた民家
    の場所に建てられた。木組の外観は時代遅れとして漆喰塗がおこな
    われた。20cの初めに技巧豊かな木組は再び露出された。頭巾をか
    ぶった遠くの見える塔がある。
   マーチン教会 Martin Kirche (7c) 7cにはこの場所に木造の教会があ
    り、早い時期に石造となった。12cには3廊バジリカに拡張され、14-
    15cには今の姿になった。1690の火事で損傷し内陣の丸屋根は残さ
    れた。ほぼ従来通りの外観で再建された。
 病院 Spital (1360) テック侯爵フリードリッヒは、病院を寄贈し多くの寄
    付で豊かな病院になった。昔の複合体の中心は1690からの建物で、
    18-20cに学校として使われ1974に成人学校になった。
 ドミニコ会修道院 Dominikanerhnen Kloster (1235) テック伯爵コンラッド1
    世は市壁の外に修道院を設立した。宗教改革で修道院は廃止され、
    町の防衛方針で1539に修道院教会と集会場は壊された。17c初め残
    された修道院の建物は焼失した。その場所に今は3階建の税務署と
    駐車場ある。
     修道院近くの砦 Bastion Beim Kloster (16c) 旧市街の北東の隅
    の砦は、16c当時の町の防衛を担った。幅広の高座は大砲が据付け
    られた。今は丸天井の遺産が残り集会場に使われている。
 教区会館 Dekantsgebaeude (1692) 豪華な3階建の木組の建物は、
    1690の大火後に北側は市壁の上に乗せて建てられた。19cに根本的
    に改修され、新教教区管理の人を収容している。
   火事通り Brand Strasse (17c) 1690の大火災をここで止めた。
    旧市街で残ったのは、マーチン教会の内陣と外壁・マックス・エイスの家・十分の
    一税倉庫・宮殿のみであった。今でも北側は信用金庫の入った建物
    のみであり、その建物の壁には1690大火事の浮彫があり、大火事の
    状況を伝えている。
 旧牧師館 Altes Pfarrhaus (17c) 1690大火事の後に、マーチン教会の
    執事のために大きな3階建の木組の家を建てた。監督業務分岐後に
    新教町牧師は牧師館とした。今は地階には教会信者団の広間、上階
    は金庫と市会計課が入っている。
 代官の家 Vofthaus (1543) 市壁に建てられた建物は、その後ヴュ
    ルテンブルク侯爵の代官の家になり、次にキルヒハイム上級代官のための家とし
    て取得された。1852からヴュルテンブルク侯爵ヘンリート養老院の一部としてヘン
    リート女子救貧院を収容した。
 マックス・エイス生家 Mox Eyth Haus (1540) 詩人で牧師のマックスエイスの生誕
    の2階建上階木組の家で1540-1909ラテン語学校として使われ、1960の大
    火事を生き延びた。今は文学博物館と町の案内所である。
 穀物蔵 Kornhaus (16c) 町が包囲された場合の兵士の必要品を貯
    蔵した。地元産砂岩の外壁材料は火事に耐えた。蔵は1960の大火事
    で焼失したが、1696には今の姿で再建され、今は町の博物館と美術
    館である。
 宮殿 Schloss (1538-60) ヴュルテンブルク侯爵ウルリッヒとクリストフ下で最初の
    要塞が建てらはヴュルテンブルク家の滞在や後に未亡人の居所であった。
    1811侯爵ルーデヴィッヒが家族と共に入った。1817から40年間は未亡人が
    住んだ。今は教育専門研究
    所。
 旧営林署 Altes Forstamt (1600) 火事で焼け1693営林署は2階建
    上階木組で再建された。侯爵ワイン醸造所として使われ、その後城の
    管理人と高位職員が住んだ。20cから2006まで国の営林署として使
    われ、その後は個人所有となった。
 守衛詰所 WachtHaus (1829) 4市門の衛兵詰所の内、南入口の旧
    上門のみが残されている。1829新設され、塔見張り人・監獄守の住
    居で使われ、20cには警察官の場所1975高級料理店となり、夏には
    ビヤガーデンが開かれる。
 古い家 Altes Haus (1538) 町でも大きくて豪華な3階建木組の建
    物で、上門の外に個人が建てた。次の150年間は宿屋として、次の
    250年間は20c初めまで森林管理事務所であった。1902学校となり、
    贅沢な木組のよく復元された家は個人所有である。

5.町の略図

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コンスタンツ Konstanz v67

写真

市庁舎 フッセン通

1.歴史

 3C末コンスタンティウスⅠ世(292-306)町を築く、585司教マクシムスが後期ローマ砦を建、
 1192帝国自由都市とされ市壁を築く、1414-18コンスタンツ宗教会議で法王統一、
 1548自由都市の地位を失いハプスブルグが支配、163330年戦争スエーデン軍包囲、
 1806 バーデン大公国に帰属、   1862 景気回復の人口増で市壁は破壊、
 1952 バーデンビュルテンブルクに帰属。

2.市壁  0.01km 0.01

  12-13Cの市壁は1862に殆ど取り壊され、僅かにライン塔付近に壁は残る。

3.塔  2門1塔

 ライン門塔 RheinTorTurm 北 ライン橋の袂にある。5階建ての
    四角錐屋根の角塔、側面は石造で裏面は木組。
 シュネッツ門 SchnetzTor 南 5階建て角塔、側面は石造で内面は
    木組。ヤン・フスの家が、門の内側2軒目にある。
 火薬庫塔 PulverTurm 北角 火薬庫として使われた角塔。

4.見所  B

   ボーデン湖のスイス国境にあり、港の風景と大聖堂・市庁舎の景観が見事
    である。
 大聖堂 Muenster 1052-89建、14C礼拝堂、1856塔が追加された
様式の統一性のない建物。玄関の扉には1470キリストの生涯の浮彫り、
玄関右の階段を上がると教会塔の展望台に上がれる。ロマネスク教会の
    アーチの上に17Cの円天井が載っている。地下聖堂には、11-13Cの四つ
    の金メッキの銅版画がある。
 市庁舎 Rathaus ルネッサンスの建物の前面には、町の歴史を表した
    絵で飾られている。中庭には16Cの母屋が両側の円塔の間に立って
    いる。
 ロスガルテン博物館 RosgartenMuseum 昔のギルド会館が郷土
    博物館となっており、宗教会議の様子や古代からの町の歴史が展
    示されている。
 公会議建物 KonzilGebaeude 1388建、倉庫として建てられた
    が、1417の宗教会議の教皇選挙会場に使われた。見学不可。

5.町の略図

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クンゼルザウ Kuenzelsau v68

写真

旧市庁舎 ハウプト通
バルティナウ宮殿 モルスバッハ門
モルスバッハ門外 東壁

1.歴史

 11c フランク族の貴族の領地、 1098 コムブルクの聖ニコラウス教会に贈与言及、
 1100-1300 城と修道院の建設 1328ホーエンローエ家は買収して息子を領主に、
 1483 ホーエンローエ家とシュテッテンとの紛争、 1493マインツ大司教は休戦協定を締結、
 1500所有率はシュテッテン25%.ホーエンローエ20%.マインツ10%.ヴュルツブルク10%で交易の中心、
 1519.32 町は大火災に遭遇、1598 ホーエンローエは城の単独所有者となった、
 1618-48 30年戦争で略奪、1695最初の石橋を架橋、1767-86市壁で囲む、
 1806 ヴュルテンベルク王国に、    1871 ホーエンローエは町をヴュルテンベルクに売却、
 1873 城は教員養成のカレッジへ、1939-45 1次2次大戦の砲撃で一部破壊。

2.市壁  0.04km 0.02

   1500に、北500m・東300mの木製柵と堀、南の上門・東のモールスバッハ門
    で囲み1767-86に市壁になった。西側AnderStadtMauerに20+20mに市
    壁が残る。

3.塔  1門1塔

 モルスバッハ門 Morsbach Tor (1525) 3市門の唯一残った市門で、
    3階建て木造で1822から数年間牢獄として使われた。
 物見櫓 Wart Turm (1488) 町の南東のWartbergに物見櫓があり、
    市民によって建てられたと伝えられている。シュッテンとホーエンローエとの武
    力紛争から町を守るために役立った。

4.見所  C

   小さな町ではあるが、美しい木組みの旧市庁舎や家並みが良く保
    存され中世の雰囲気がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1522) 建物は数度改装や再建され、
    1989に今の姿になった。今は市図書館となり会議室は借りること
    が出来る。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1989) 新しい3階建の建物に塔がある。
 バルティナウ宮殿 Schloss Bartenau (13c) 中世以来、地元貴族の館
    があったが、1678ホーエンローエ家は4階建に建て替えた。1873教師セミナー
    が行われ、以降教育機関とされ、今は高等学校になっている。
 ヨハネ教会 Johannes Kirche (12c) 次第に増築され、中には1617
    説教壇1704勝利の十字架・パイプオルガンがある。
 木組みの家 Fachwerk Haus
    マインツの家 Mainzer Haus (1596-97)大きな市民の家であり、後には
    マインツ大司教がすむ。側面が美しい3階建の木組みの家。
 ヨハネ薬局 Johane Apotheke 貿易で財を成した市民の家で、見事な彫
    刻が多用されている。

5.町の略図

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クッペンハイム Kuppenheim BW69

1.歴史

写真

 
旧市庁舎 北壁
北東壁 メヒティケ小門゙

 1095最初の文書言及、 1283伯爵は盛りの過ぎた町をバーデン伯に売却、
 1300都市権を得て市壁と門塔の建設開始、1535 22の村の中心で繫栄、
 1689プファルツ承継戦争で町は焼失、18C初 元の市壁の上に町は急回復、
 19C初 防御施設の残りは取壊され,市壁は一部しか残らなかった、
 1849 バーデン革命の戦場となった、1945第2次大戦の被害は軽かった。

2.市壁  0.225km 0.21

   1300から造られた昔の市壁は各所で修復されている。
  北に50m、北東に100m、東に20m、南東に35m、南西に20mが残る。

3.塔  0門1塔

 魔女塔 HexenTurm 円形の基礎が残るだけ。

4.見所  D

   小さな町だが中心のマルクトは雰囲気はよい。
 旧町庁舎 AltesRathaus 1730-31建、石造2階建てのずんぐ
    りした建物で屋根の上に小さな円塔が載っている。
 聖セバスチャン教会 Pfarrkirche St.SebastianKirche ネオゴシックの
    大きな教会であり、内には1530の祭壇がある。1902-05に20mの時
    計塔を付けた。
 トランクと郷土博物館 Koffer&HeimartMuseum スーツケースと郷土博物
    館で、ケース.図面.カタログと都市の歴史項目を展示。

5.町の略図

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ラーデンブルク Ladenburg v70

写真

市庁舎 博物館
マルクト広場 新ヘラーの家
マーチン門 魔女搭
聖ガウス教会 市壁
市壁の家

1.歴史

  74 ローマ軍はケルトの集落に宿営地設置、220  BWで最大36haのローマの町、
  260 アラマン族の侵入、454 ローマ支配の終焉、469メロヴィング・ラーデンベルク設立、
  9c最初の中世市壁の建設、1011ヴォルムス大聖堂聖公会印を与え1705迄支配、
 1200 外側市壁の建設、   1455 司教ヨハン・ダルパークの下で町は栄えた、
 1564 カトリックと改革派の抗争で教会破壊、 1622 30年戦争で略奪と破壊、
 1705町はプファルツ選帝侯の所有へ、1799仏軍が占領しマンハイム地区事務所管轄、
 1803 カールスルーエのバーデン大公国に帰属、1863 マンハイムの地区事務所に組込み、
 1945 第2次大戦の爆撃は免れ、米軍に無血開城した。

2.市壁  0.720km 0.34

   3cのローマ市壁と中世の市壁が残っている。

3.塔  1門2塔

 マーチン門 MartinsTor (13c) 北西部ヴォルムス通の4階建四角塔であり、
   外側マントル部分に聖マーチンの彫刻がある。
 魔女塔 HexenTurm (13c) 北西隅に突出した5階建の六角屋根の円
    塔。下部に擁壁が付いている。
 坊主塔 PfaffenTurm (13c) 西側に円塔の切株がある。

4.見所  C

   この町には、ローマ時代からの大きな市場大聖堂など古くからの由緒あ
    る建物が残されている。
 市庁舎 Rathaus () 市庁舎の前部は元Domhofの場所に立つ、旧アルデ
    ルスホフがドームホフとなり、1423ヴォルムスの司教達が所有していた。この建物
    は1962に焼失した。
 聖ガ゙ウス教会 St.Gallus kirche (13-15c) ローマ時代からの市場大聖
    堂と前身の教会の跡に、1299から建てられた教区教会である。1385
    ヴォルムスの司教は町を統治し、1556の改革導入後もガルス教会を同時使
    用としたが、1590以降は改革派のみが使用した。30年戦争を生き残
    り、1693には仏軍の指示でカトリックが使用した。1863-69教会は西に拡
    張され前面は更新された。
     1976改装、2010-14改修、ゴシック3身廊5ベイの大教会で、後陣に左右
    に正方形四階塔以上八角形のが塔あり、東には1770の時計塔がある。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1715-20) 初めタマネギドームのバロック・
    ホール教会で建てられたが、1874荒廃し取り壊された。1876-78今のネ
    オゴシックの単塔広間教会で建て直された。1959オルガンが付けられ1988
    補修された。
 聖セバステャン礼拝堂 St.Sebastian Kapelle (13c) 13cの身廊と塔に15c
    の後陣が付けられ、1565カトリックの教区教会となり、1693には改革派教
    会として使われた。1874内装はバロック化され、1878まで改革派教会と
    して使わその後新改革派教会建てられた後には、またカトリック教会とな
    った。1960-82れ、礼拝堂が復元されたが、2006老朽化で閉鎖され、
    その後修繕されて町の所有となった。
 新ヘラーの家 Rathaus () マルクト広場に立つ3階建木組切妻のある堂々
    とした大きな建物。
 旧司教裁判所 Ehem.Bischshof (12c) 現在はロブデンガウ博物館であ
    り、考古学・地域の歴史・民俗・文化を展示している。重要なローマの神
    々の47の頭部が展示されている。
 後期ローマ要塞 Spaetromischer Burgs (1c) 後期ローマの港湾要塞の遺
    跡。
 住居と最初の車庫 Wohnhaus und Erste Garage 車の制作者カール・
    ベンツの住居と最初の車庫は、今は自動車博物館として、100年前の
    自動車工場に自動車のコレクションとエンジン発展の歴史が展示されている。

5.町の略図

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ラール Lahr v71

写真

市庁舎 南西壁
コウノトリ塔 西壁
北壁

1.歴史

 1215 集落の名前は貴族ハインリクスと結びつけて言われた、
 1220 町は領主のTiefBurgが中心、       1278 町に昇格した、
 1377 自由都市の基礎となる都市権は、帝国の終わ()りまで更新された、
 1426まで 支配権は領主の所有に残った、
 1629まで 町は周囲を管理する役所となった、
 1648 30年戦争による人口減、    1803 バーデンバーデンの管理下に、

2.市壁  0.045km 0.04

   小さな村は北の方向に発展した。1278に壁を囲んだ。壁の外側
    に多くの記号で建設時期を示している。1320に市壁は2次拡張さ
    れた。1470に南に向かって3次拡張がなされた。

3.塔  0門2塔

 コウノトリ塔 StorchenTurm 1218-20建、昔のTiefburgの最後の
    残りである。18c中の城址の取壊しを生き残り、1859まで監獄と
    して使われた。中には、城の建設の歴史やコウノトリ塔の情報が展示
    されている。
 防御塔 WehrTurum  町中に半分崩れて市壁と共に立つ円塔。

4.見所  C

   町は、次第に南に拡大した経緯が残った壁に銅版画で示されて
    いる。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1500建、今の姿は大部分17Cの改造の
    結果である。地階は外に開いていたが、1608に閉じられ今日の形
    になった。1933まで市庁舎として使われ、今は文化局と案内所と
    なっている。
 新市庁舎 NeuRathaus 1807建、タバコ工場の南ウイングの一部が
    1926から市庁舎となった。
 聖ペーターとパウル教会 Kirche St.Peter&Paul 1844-49建、カトリック
    教会は二つの塔を持つ。1989-92の復元を経て今の姿となった。
    元の家具や装飾も部分的にはっている。
 修道院教会 StiftsKirche 1259建、修道院教会に1259に返
    された。身廊は元の初期ゴシックの姿を残している。1879に今の塔
    は造られた。1485-92は市教会となっていた。
 城付き教会 BurgHeimerKirche 1035建、この場所の元に教
    会は7C初に上ラインで初めての石造教会であった。今の教会は1035
    にロマネスク教会となり、1580に内部の壁画が描かれた。15C末まで
    市教会であった。

5.町の略図

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ランゲンブルク Langenburg v72

写真

旧市庁舎 市教会
木組家 西壁

1.歴史

 1226ヴュルツブルク司教文書に城と家を初言及 1253貴族が後にホーエンローエ家が支配、
 1499-1502 クラフト4世最初の礼拝堂建設、 1507 ショッテンシュタインによる城の銃撃、
   1568 伯爵ヴォルフガングは公国の王宮都市へ、 1576 ホーエンローエによる郡の統合、
 1610 伯爵フイリップ・エルンストは市壁門塔と都市建設、17c30年戦争で政府軍の破壊、
 1500-1806 町はフランク王国地区に属した、1945第2次大戦による被害は免れた。

2.市壁  0.29km 0.55 別に城壁0.17km

   ホーエンローエ家の伯爵フイリップ・エルンストは、17cに市壁と門・塔を建設し、市壁は
   ほぼ残されいる。

3.塔  1門3塔

 市門 Stadttor(17c) 石造のアーチのある地階の上に木組構造の上階が
乗る簡素な市門があり、隣接して6階建ての円塔が立っている。また、外側
には道路を跨いで4階建ての大きな建物がある珍しい構成となっている。
 市壁塔 Stadtmauerturm(17c) 市壁の北側に基礎から積上げられた石造
の角塔が3基あり、今は私的に住居などとして使われている。最も東側の隅
    塔は17c伯爵ルードビッヒが寄付した貧者のための病院の一部として使われた。

4.見所  B

   高い山頂にルネッサンスの城が聳え、その西側の尾根の上に木組みの家の多い城
    下町が伸びている。中央道りには美しい家が並び、バロック城公園や多くの
    博物館がある。
 旧市庁舎 AlteRathaus(16c) 町は哲学者カール・ジュリアス・ウエーバーの弟から、
    1819地階石造上階木組の切妻の建物を購入した。この建物の屋根裏には
    カール・ジュリアス・ウエーバーの記念室があり、彼の家具などが置かれ、広間は結婚
    式の会場である。
 宮殿 SchlossLangenburg (12c) 城の起源は12cに遡り、その後ホーエンローエ
    家が所有して増改築された。1574伯爵ヴォルフガングが城を整備して居住した
    が、ヴァイカースハイムへ転居した。1611伯爵フイリップ・エルンストは中世の城からルネッサンス
    の宮殿に建て替えて住んだ。1960城博物館として公開され、城礼拝堂・バ
    ロック城公園・ルネッサンスの中庭・バロックの部屋で、内装・家具・タペストリィ・防具・磁器
    を見られる。
 石の家 Steinhaus (1583) 大きな石造の家で、ホーエンローエ家未亡人の家と
    呼ばれ、1776にラテン語学校を収容した。今は銀行が建物を所有している。
 評議員の家 Hofratshaus (17c) かっては城の評議員が常駐した。建物
    はまだ城が所有し、最上階にはホーエンローエ芸術協会が入っている。展示会は
    毎月更新されている。
 <em>白カフェ
Schloss cafe (1950) 領主ゴットフリートが建てたかフェ
    は1950に開業した。その後窓や同屋根が付けられ、1983今のテラスに拡張し
    た。カフェの展望は良い。
 市教会 StadtKirche (1499) 伯爵クラフト4世は今の教会の元となる最初の
    礼拝所を建てた。1556の宗教改革時に教区教会に変換された。1610-80今
    の建物に拡張され、伯爵家の墓が置かれた。1906改修でフレスコカ画の壁が再
    現された。
 ドイツ自動車博物館 Deutsches Automuseum (17c) かっての城の馬車庫に
    1972.77に自動車博物館が開設され、2,000m2の空間に80台を超える自動
    車が展示されている。
 郷土博物館 Heimat museum (1596) 自然と文化遺産博物館には、地域の
    動稙物分布の洞察を得る。またかっての靴屋の家を訪問できる。また、
    1930から鍛冶屋をガイド付きで見学できる。

5.町の略図

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ラウヒハイム Lauchheim v73

写真

市庁舎 郷土博物館
カッペン城 市壁
上門 防御塔

1.歴史

 1235-1485 グロムベルク家は、城を建てて支配、   14c エルバンゲン修道院、
 1364 ドイツ騎士団が地域を取得しこの町を中心に支配、1397要塞の建設開始、
   1402 市場の権利を獲得、1431都市権を授与、1645仏軍が占領して焼払った、
 1806 ヴュルテンベルク王国に編入、1945 米軍の占領区域でバーデンヴュルテンベルク州へ、
 1972 レッティンゲン市を併合。

2.市壁  0.08km (0.01) </h4>

   1397に市壁を建設する権利を得て、建設に着手した。30年戦争の初め
   には要塞を備え、二つの市門が築かれ、石積みも改良された。1935道路
   の拡張によって上門は残されたが、下門と市壁の多くは姿を消した。

3.塔  1門1塔

 上門 Oberes Tor (14c) 3階建て八角形にタマネギドームの上門は、
    1935に2車線と2歩道に、両側の建物を切り抜いて通路が拡張された。
 ラウッフハイム塔 Turm von Lauchheim (14c) 上門の南200mに旧市街の要
    塞の遺物として、3階建て六角錐屋根の円塔が立っている。

4.見所  D

 市庁舎 Rathaus (15c) 古い市庁舎は、Haupt strasse南側に広が
    る下市場の中央に立っていた。古い市庁舎の解体後には噴水が置かれ
    た。1793に向かいに建てられたKommende Kapte nburgのゲストハウス
    があり、1988から市庁舎として使われている。
 バーバラ礼拝堂 Barbara Kapelle (1390) 1620に根本的に再建られ、
    新しいルネッサンスのポータルやフレスコ画がある。
 聖ペテロとパウロ教区教会 Kath.Pfarr kirche St.Peter und Paul (14c)
    古い教会は1869-70に鐘楼として西塔を残し、教会は別途再建された。
    1972-73に内装は更新された。
 カプフェンブルク城 Kapfenburg (14c) 北の丘の上にホーヘンシュタウヘンの砦があ
    り、その後1364にドイツ騎士団が来て城を維持したが、1806に城は放棄
    された。1999に国際音楽アカデェミーが拡張改修して、120名の学生が生活
    している。今はシナップス蒸留所を設置している。
 門塔博物館 Torturm Museum (1907) 2016にはHauptStr.1の厩舎にも
    展示を拡張して、先史時代からの町の歴史と地域の産業について展示
している。

5.町の略図

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ラウダ・ケーニッヒスホーヘン Lauda-Koenigshofen v74

写真

市庁舎 市壁
西南壁 西南壁
南西壁 南西壁

1.歴史

 1135 貴族セックスダイブの支配、1344 バイエルン王ルードヴィッヒは都市権を授与、
 1506 ヴュルツブルク公国の公式地区であった、  1803 ライニンゲン公国に所属、
 1806 バーデン大公国に属した、     1921-1935 隣接のケーニッヒに統合。

2.市壁  0.15km 0.25 

   14cの市壁は、西南と南西に残っている。

3.塔  1門3塔

 上門 Oberes Tor (1496) 西門であり、3階部分は木造である。
 火薬塔 Pulver Turm (14c) 中世の市壁塔の唯一の残りで、火薬
    塔として使われた。旧市壁の取付け部が見られる。

4.見所  C

   印象的な木組の家が残り、歴史的な教会のある町。
 旧市庁舎 Ehem.Lauda Rathaus (16c) 2階建木組の建物。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1979-80) 地階はオープンで、2-3階は木組
    の変形建物。
 聖ヤコブ・カソリック市教区教会 Kath.Stadtpfarr kirche St.Jakobus
    (1698)多様な歴史と多くの美術的特徴を持つカトリックの教会。王子司
    教ジュリアス・エクターがゴシックの教会を建て、1953に身廊が拡張された。
 マリエン教会 Marien Kirche (1613) 1542からの市壁外の古い墓地の
    基盤の上に、王子司教ジュリアス・エクターによって1613に後期ゴシックの教会
    が建てられ、今はロココの豪華な内装になっている。
 湯屋 Bad Stube (1551) 湯屋は1747に再構築された。

 郷土博物館 Heimat Museum (1571) 旧ワイン農家の建物に、17cから
    歴史博物館となっている。
 旧教区会館 Ehem.Pfarr Hof (1721-78) 教区の強大なワインセラーと納
    屋。今はカトリック教区センター。
 旧十分の一税倉庫 Ehem. Zehnthaus (1552) 旧十分の一税倉庫で、
    1740バロックで再構築された。

5.町の略図

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ラウフェン Lauffen am Necker v75

写真

 
ハイルブロン門 旧ハイルブロン門
北壁 南壁
南壁 ラウフェン城
レギスヴィンド教会

1.歴史

  823左岸丘の上に教会があり王室領地と言及、1003左岸の城は終わった、
 1099 右岸は修道院の農地になった、1150ネッカー川の中州に城が建てられた。
    1274 工芸の村として市壁はあった、1365右岸の村には3門と堀と棘の垣根、
 1434 ヴュルテンブルク領となった、  1474石橋を築き城と町は平坦地に移転、
 1534 ラウフェンの戦いでヴュルテンベルクはオーストリアに勝った、1772市壁と東門の建設、
 1938 ハイブロン市に併合、    1945 空爆の被害は些少、戦後仏軍占領。

2.市壁  0.64km 0.60

   1772の市壁は東側を除いて山腹に残っている。

3.塔  2門0塔

 古ハイルブロン門 Alt Heiburonner Tor (13c) 3階建て角塔の南門で、
    塔は中世に監獄となり、18cに新市壁建設で南門は市壁を外れ残った。
 新ハイルブロン門 Neu Heiburonner Tor (1772) 3階建て角塔の東門で塔
    上には門衛が住んだ。高低差のない入り口になった。

4.見所  C

   ネッカー川の対岸に、中州の城と市壁で囲まれた山上の旧市街が古い木
    組の家と共に静かに残っている。
 宮殿 Schloss Lauffen (11c) 領主の居住地として中州に建てられ、
    次第に拡張された。1818市庁舎になり、2006美術品と昔の生活様式を
    展示。
 古いワインの家 Alt Wein Haus (1568) 侯爵が建てた宮殿の翼であった。
    2階建ての大木造建築物で、個人所有で地下にワインセラーがある。
 ベイの家 Bei Haus (1651) 古風な趣のある玄関の3階建ての美しい木
    組の家で、1576には二つの建物であった。
 対岸の丘に立つ
    Regiswindis Kirche (742) 初め木造のマルチン教会として建てられ、1050-
    1150にヴュルツブルク司教はロマネスク化し、1227-1300再建、1564火事で焼け内
    陣だけ残り、1567に再建された。REgiswindis Kapelle かっては聖アンナ
    教会の墓地納骨堂であり、1882礼拝堂になった。

5.町の略図

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ライメン Leimen v76

写真

市庁舎 モーリシャス教会
フランゼン塔 北西壁
南東壁 南東壁

1.歴史

  791 ロッシュ修道院とヴォルムス司教が共有、 1351 プファルツに最終的に属した、
 1525 農民戦争の被害を免れた、 1579集落は自治権と歳の市を与えられた、
 1595 町となり市場町と呼ばれた、    1674 オランダ戦争中に一部焼失、
 1689 パラナイト戦争で全壊した、17c 30年戦争で町は壊滅、1674 市場再建、
 18c  戦争で町は荒廃、選帝侯はスイス移民を定住させた、
 1803 バーデン・ハイデルベルク大公国へ、       1881 ライメンは市となった、
 1945 空爆の被害はなかった。

2.市壁  0.17km 0.20

   14cはの市壁は、多くが19cに解体された。ヨハネス通には、市壁の残りと
  説明板・舗石の印がある。

3.塔  0門1塔

 フランゼン塔 Franzens Turm (14c) 19cに取崩された14c要塞の遺跡。

4.見所  C

   旧市街中心部の建物の多くは、復元された木組の家があり、中世の街
    並みが再現されている。
 市庁舎 Rathaus () 元エアラス・ゼリグマンの宮殿で、鏡の間があり町でも代
    表的な建物である。
 新教モーリシャス教会 Ev.Mauritius Kirche (13c) 市壁の中心に位置する単
    塔の教会で1303ヴォルムスに売却された。1496には聖モーリシャスと呼ばれた。
    1556プファルツ選帝侯オットー・ハインリッヒによって改革を導入、1679オランダ戦争で仏
    軍に焼かれ、1684バロックの身廊で再建され、1783・1922に建物は拡張・改
    修された。
 カトリック聖心教会 Kath.HerzJesu Kirche (1914) カトリック教徒の増加で、
    新い教会が建てられた。
 民族大学 Volks Hochschule () 2階建マンサード屋根の建物で、マルクト広
    場に立つ。
 塔学校ライメン Turmschule Leimen () 3階建マンサード屋根の窓が並んだ大
    きな学校の建物。屋根には鐘楼がある。

5.町の略図

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レオンベルグ Leonberg v77

写真

旧市庁舎 南壁

1.歴史

 1248 ヴィッテンブルクのウルリッヒⅠ世は町に、国境のLevinberchの町を創設した、
 1277 修道院に大学を設立した  1312-16帝国都市となり減税と市長選挙、
 1383 帝国都市に失敗しヴィッテンブルクに属す 1457ヴィッテンブルク州議会の文書に、
 1470 小さな市壁で壁の外に家があった、1534宗教改革で消極的プロテスタント、
 1560-65 城の建設、1615城庭園の建設、1635 30年戦争とペストで人工半減、
 1786 堀が埋められ、門は壊され町は拡大、1806ヴィッテンブルクの郡庁を設置、
 1895 大火で主要建物や住宅が焼けた.1945第2次大戦の爆撃による被害小。

2.市壁  0.080km 0.10

   南東側に昔の防御施設が残っている。市壁に沿って家を貫いて城
    壁通路が通り、小さな屋根の下に銃眼が見える。前面には円形塔が
    出張り、外側に第二壁があって距離を取っていた。

3.塔  0門1塔

 黒鷲 Schwarz Alder 1351建、中世には市壁の上門の上に石
    の家を造った。州
   議会の会場としても使われた。16-18Cは地区管理者の家であった。

4.見所  D

   マルクトを中心とした小さな町で、木組の家が多く見られる。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1460-80建、切妻の木組の家であり、行
    政や裁判貿易ホール、祝祭ホール、野菜市として使われた。1849に体育協
    会が創立され体操室や洗濯乾燥場として使われ今は市民課がある。
 宮殿 SchlossLeonberg 13C建、1960-65に現在の形に再建され
    た。1765に城を町が買おうとしたが町の財政難で中止。まだ国の所
    有であり、今は地方裁判所と税務署として使われている。
 新教教会 Ev.StadtKirche 13C建、初め聖体拝領教会として
    バジリカのある部分が建てられた。内部にはルネッサンス時代からの市民の
    墓碑の彫刻がある。
 修道院跡 Rest des FranziskanerKloster 1467建、旧フランシスコ会修
    道院跡。1811に病院学校を開設。高齢者と貧しい人の病院がある。

5.町の略図

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ロイトキルフェン Leutkirche im Allgaeu v78

写真

旧市庁舎 ボック博物館・塔
十分の一税倉庫 穀物会館
西壁 北壁
北西壁

1.歴史

 766 中心をニーベルガウスに移し初言及、1200 定住地が成立し市場権を授与、
 1239 市壁と塔が存在、旧原始村落は農民郊外地を市壁の外に置いた、
 1293 ナッサウ王アドルフは都市権を授与した、1336 裁判権、1348 関税権を得た、
 1397 高等裁判権など自由帝国都市の全特権保持、1506 200以上の織場が存在
 1546 宗教改革の導入、      1632 30年戦争とペストで人工半減、
 17-18c 多くの戦争・他国軍の宿営・占領負担金・亜麻布織場の減少で町は衰退、
 1803 帝国自由都市が終わり町はバイエルンへ、 1810 ヴュルテンブルクの郡庁都市に、
 1838 郡庁は廃止され新バンゲン郡に含まれた。

2.市壁  0.20km 0.26

   13cの市壁は、北西と北西に残され、北東には壁上通路も付いている。
  第二壁があって距離を取っていた。

3.塔  0門31塔

 十分の一税蔵塔 Zehntstadel Turm () 6階建の角塔で、外側への
   抜穴につながる。
 火薬塔 Pulver Turm () 3階建円錐屋根の円塔で風見が付いている。
 雄塔 Bock Turm () 9階建の高い角塔で三角屋根の印象的な見張塔で
   塔守の家族が住んだ。

4.見所  C

 旧市庁舎 Historisches Rthaus (1740-41) 1407の最初の市庁舎の
    代りに、帝国自由都市を象徴する建物として建てられた。バロック3階建
    の赤い建物で壁柱に漆喰塗窓を設け、バルコニィには双頭の鷲と自由都市
    のロゴがある。地階オープンホールから階段が上階に繋がり、シンプルな漆喰天
    井が見える。
 聖マーチン司教区教会 Stadtpfarr Kirche St.Martin (48) 町の起源の
    古くから存在し、1519今の教会はゴシックのアーチ窓と丸天井のホール教会で
    建てられた。1935ステンドグラスとフレスコ画が付けられた。
 穀物倉庫 Korhhaus (1533) 使われたホウヒの木は1508-09に伐採され
    た事が測定された。都市憲章では、穀物の貿易は倉庫を経由して行
    うことになっていた。1960年代以降は自治体の建物となり、1976図書
    館になった。1986-88に改修されている。地階は新聞・新刊書、上階は
    子供の本がある。
 ゴシックの家 Gotischs Hhaus (1740-41) 中世後期に建てられ、16cに
    小売店になり、1890市に買取られた。今は観光と成人教育の機関を収
    容している。
 肉屋 Metzig () 地階石積、上階木組の2階建の建物で、元町の食肉
    処理場で、開かれた小川は飾られた木組の下を導いた。
 十分の一税納屋 Zehntstadel () 2階建の大きな木組の建物に、小門
    と塔が建物に作られた。
 ボック博物館 Bock Museum (1740-41) 都市と人の歴史を展示している。
   ワークショップとして靴職人・鍛冶屋・リネン織・ドールハウスなどがある。
 ギャラリィ:門の家 Galerie Torhaus () 旧守衛詰め所に美術品の展示。

5.町の略図

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レッヒガウ Loechgau v79

写真

市庁舎 十分の一税倉庫
旧ブドウ絞り所 旧鍛冶屋

1.歴史

 1147 シュパイヤー司教は聖ペテロ教会設立、  1244 教会はシュパイヤー大聖堂に所属、
 1484 ヴュルテンブルク公爵が来て所有、 1506 ヴュルテンブルク公爵ウルリッヒが村を支配、
 1529 バーデン辺境伯フイリップは村の半分を購入、 1530 堀と3市門の市壁の記載、
 1534 宗教改革の導入、 1595 ヴュルテンブルクのフリードリッヒは村の残り半分を購入、
 1602 2階建木組の市庁舎を建設、       1618-48 30年戦争で町は全滅、
 1650 町はビーテッヒハイムに属し税を支払、     1799 オーストリア軍が仏軍を撃退、

2.市壁  0.11km 0.21

   1530にDorf um Mauerungは初言及された。大規模の要塞の村は、木製柵
    や生垣で囲まれていたが、都市部には市壁が築かれた。南側に点々と残
    っている。

3.塔  0門0塔

   ビジッヒハイマー門は1820に取払われ、門や塔は残っていない。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1602) 地階石造上2階木組の建物で、地階には市場
    広間があった。1988市庁舎は別館で拡張された。
 聖ペテロ教会 St.Peter Kirche (1147) 13-14cの古い部分もあるが、1756
    -76に改修され単塔が更新された。現在のオルガンは1959に付けられた。
 新教牧師館 Ev.Pfarrhaus (1746) 建物のボールトに年号がある。背後にあ
    る納税倉庫 Zehnthaus(1570)は1604迄教区の納屋を務めた。
 古い絞り器 Alte Kelter (1407) 大きな建物で1980に改装された。今は
    レストランを併設している。
 旅館:王冠 Gasthof Krone () 村の壁の上に構築された。その宿屋とな
    る家を持つ家主は利益をえた。
 校舎 Schul Gebeude (1682) 最初の校舎は1852に建て直され、学校とし
    て1950まで使われた。

5.町の略図

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レッヒンゲン Loeffingen v80

写真

市庁舎 市庁舎広場
聖ミカエル教会 マイロイター塔
古井戸小屋 南壁

1.歴史

  819 村はフランク王国聖マーチン教会文書言及、  1000 ツェーリンゲン侯爵バールが所有、
 1218 ツェーリンゲン家ウラッハは市場と税関を設置、 1270 ヴェネディクト僧院管理所設置、
 1250-1806 フェルステンブルク家の居所であった、  1318 穀物取引急増毎週市開催、
 1342 サンクトガレン修道院は聖ミカエル教会建設、 1439 宿屋太陽の地下に鉱泉浴場、
 1525 農民戦争で石造の教会が燃えた、   1535.1571 町を大火災が襲った、
 1618 30年戦争でスペイン軍がプファルツに侵攻  1632 スエーデン軍と共に帝国軍排除、
 1635 魔女狩で女27人男6人を処刑、      1652 戦争と疫病で人工半減、
 1714 仏軍は町を焼払った、    1791-1817 墺・仏・露の進軍で略奪と破壊、
 1806 フェルステンブルク公国はバーデン大公国に併合、 1845 空爆で多くの建物破壊。

2.市壁  0.05km 0.10

    町を市壁で守る事が、重要な町の特権の一つであった。この町は円形
  の配置図で立案され、旧市街地は卵型の建物配置が航空写真で明らかである。
  南側、聖ミカエル修道院の北側に市壁が残る。

3.塔  0門1塔上門は1819に取払われ、下門は1887に崩壊し、唯一1塔が残る。
 上塔 Oberes Tor (13c) 1270言及の広大な市門があり、上門・市塔・門
    塔・牢獄などと呼ばれた。狭い通路が障害となり1819取り払われた。
 下門 Unteres Tor (13c) 門アーチはがっちりした厚さ1.0mの壁造りで、
    屋根は5階に嵩上げされた。1796ライ病院を外側に設けたが焼け、1804に3
    階建の町病院が収容された。1887に門は崩壊した。
 マイロイター塔 Mailaeuder Turm (1580) 唯一残された塔で、1921の火災後
    に再建され1993道化師達は、ここにギルド部屋を開設した。

4.見所  C

 町行政の場と学校 StadtVerwartung・Schule (16c) すでに16cから
    ロッフィンゲンの学校があった。1832新しく建て直し、市場・学校・町の行政・
    市長の法律事務所・大会議場・町の参事会場・市民広場が収容された。
 穀物市場庁舎 Rthaus in Kornmarkt (1318) 穀物市場にロッフィンゲンの計
    量所が置かれ、百貨店と評議会を含めた建物となった。1832今の建物
    に建替えられた。
 旧入植地 Alter Siedlungsort () その地区は既に紀元前に定住し、
    埋葬地であった。町の歴史は、550アラマン族のレッファー門で始まり、1265
    ロッフィンゲン侯爵の円形計画は中断し、フェルステンブルク侯爵が町を創設した
 役所 Amtshaus (18c) 堂々とした建物は、1739切除され、1806迄高
    等役人はフェルステンブルクの代理人として住んだ。
 宿屋の家 Wirtshaeuser () 巡礼と穀物市場は多くの訪問客をもたら
    しその宿屋となる家を持つ家主は利益をえた。
 博物館協力会 Museumsgesekkschaft (1846) 48人の興味のある人々が、
    博物館協力会をこの建物で創立した。1週間に2回の団欒で語り合った。
 農産物蔵 Furcht Kasten (14c) 堂々とした農産物収納庫はフェルステンブルク
    の倉庫として一世紀使われた。この倉庫には、物納の農産物だけでなく
    領主の家財道具も入れられた。
 旧教区館 Altes Pfarrhaus (18c) バロック様式の大きな建物は、1788には
    知られ、豊富な寄付と教区収入を使って贅沢に作られた。1945爆撃の損
    傷を修復した後に、再建され学校となり、その後住家に改造された。
 聖ミカエル教会 St.Michel Kirche (1342) 初めザクトガレン修道院が建て
    1713-15今のバロックの姿に建て直され、1855身廊の西側に55mの高塔が付け
    られた。豪華なバロックの祭壇がある。
 古い井戸室 Alte Brunenstube () ここから町の3泉に豊富な水を提供
    した。この井戸小屋の近くに、浴場のある飲食店が開業し、この水で鉱
    泉治療効果が16cに認められた。
 十分の一税倉庫 ZehentScheuer (1776) 現在の十分の一税倉庫は、二
    つの建物の集合体である。
 マイヤー館 Mayerhof St.Blesien () この古い屋敷は、聖ブレジン修道院の
    中心の財産であった。この屋敷から地域の修道院を管理した。

5.町の略図

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レーヴェンシュタイン Loewenstein v81

写真

市庁舎 旧絞り所
自由の家博物館 下門塔

1.歴史

 1090 カルプの公爵は城を建て城下に集落、1277 ヴュルツブルク司教は城を購入、
 1281 ハプスブルク王ルドルフは郡を取得し、町は息子のアルブレヒトに与えた、
 1387 ハプスブルク王は都市権を授与、 1421ヴィッテルスバッハ家プファルツ選帝侯町を取得、
 1504 ヴュルテンブルク侯爵ウルリッヒが町を征服、 1510ヴュルテンブルクのルードヴィッヒ2世支配、
 1525 農民戦争で石造の教会が燃えた、   1535.1571 町を大火災が襲った、
 1570 新しい城の建設        1618 30年戦争と疫病流行で町は衰退、
 18c  ワイン産業とスパ温泉の振興、 1815 ウイーン条約でヴュルテンベ゙ルク王国に帰属、
 1816 郡庁が置かれた、          1945 空爆で建物の70%が破壊、

2.市壁  0.13km 0.24

    14cの市壁は、北西と北東と南に残る。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    尾根の先端にある小さな町で、古くからのワインと自然探索の町である。
  山頂のローフェンシュタイン城跡の麓に小さな旧市街がある。
 市庁舎 Rathaus (1539) 旧市庁舎が壊された後1952に、2階建の鐘楼付
    の大きな屋根の新市庁舎が建てられた。マルクト広場の噴水の上にライオンが座
    っている。
 ローフェンシュタイン城 Burg Loewenstein (1318) カルプの侯爵が築城し、1441
    プファルツ選帝侯は要塞を強化した。16cヴュルテンベルクに移り戦乱で荒廃した。
    1968-72町が城壁・守衛詰め所・階段塔を復元した。
 新教市教会 Ev.StadtKirche (1090) 尖塔は最初からの物で、1760-63
    に更新されバロックの西正面と5身廊の本堂となった。戦災の後に、1946-
    53にバロックで再建された。教会の背面には城への階段と擁壁がある。
 自由の家博物館 Frei Haus (14c) この町で最古の建物で、既存の市
    壁の上に3階建の木組の家が建てられた。おそらくは自由農民住んだと
    思われる。入口の年号1609で建て替えられ、1655領主が買取って寡婦
    の住居とした。1776まだ住居として使われ、1976町の店員が買取った。
    1979町の所有の自由の家となり、1985-93木組の外観で再建され、作家
    で詩人のマンフレッド・キーパー博物館となった。
 旧絞り所 Alte Keiter (1500) 1848までワインを製造し、その後は納屋・
    事務所・酒税徴収所・酒蔵となり、1997修復されて宴会場・催物会場。

5.町の略図

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ルードヴィッヒスブルク Ludwigsburg v82

写真

市庁舎 宮殿
市教会 三位一体教会

1.歴史

 17C 鹿狩りの館は仏軍が1693焼き、その後小さな城が再建された、
 1704-33 ヴュッテンベルク侯爵エーベルハルト・ルードビッヒは「喜びの宮殿」を建設、
 1709 宮殿を移してヴュッテンベルク公国となり周辺に入植地が成立、
 1713-28 狩猟と楽しみの宮殿の建設、     1718 都市権の授与、
 1764-68 潮宮殿モンレポスの建設、1800ナポレオンは占領し仏との同盟を強制、
 1806-71 ナポレオンはヴュッテンベルク国に、  1871 ドイツ国ヴュッテンベルク王国に、
 1918 ドイツ国ヴィッテンベルク共和国に、  1933-45 ドイツ国ヴュッテンベルクに、
 1945 空爆で140戸全壊、戦後 ドイツ連邦バーデンビュルテンブルク州に帰属。

2.市壁  0.05km 0.01

   町の防御施設の建設は、1732に始まったが、侯爵エーベルトハルト・ルードヴィッヒ
    の死後1733に中断された。侯爵カール・オイゲンは1758に工事を再開し5年後に
    完成した。長さ6.4km高さ3.5m以下で、関税の徴収を可能とし・兵の脱走
    と外敵の侵入を防ぐため、町の出入口にバロックの門衛詰所Torhaeuserが
    6箇所置かれた。19c末には殆どの市壁は取崩された。東Schorndorfer
    TorHausの南に50m残る。

3.塔  6門0塔

   門塔はないが守衛詰所が1769に6箇所在り、1817市の所有となり、2004
    大規模改修を経て、名前を付けて美術館・公文書館・公会堂などに使用。
 AldingerTorhaus (南東) 2階建長方形の建物で子供向け映画館である。
 AspergerTorhaus (西北) 2階建長方形の建物で地階には柱廊がある。
      ルードビッヒ駐屯地の履歴を常設展示してる。
 HeilbronnerTorhaus (北) 2階建四角い建物でローマ風入口がある。
    「生命」をテーマとした展示と企画展示が行われている。
 PflugfelderTorhaus (西南) 2階建長方形の建物で、町の西部の経済
    史が常設展示され、土地利用の変化が分かる。
 SchorndorferTorhaus (東) 2階建長方形の建物で地階には柱廊がある、
   ルードヴィッヒスブルクの研修結果が展示され、国家社会主義犯罪の紹介がある。
 StuttgerterTorhaus (南) 2建階長方形の建物でKuhlaendlerの記録がある

4.見所  C

   18cバロックの新しい町で、直交する広い通りとパステルカラーの2階建ての建物が特
  徴であり、マルクト広場・宮殿と庭園が見事である。
 王宮 Residenz Schloss (1704-33) 452の客室と18の建物に3つの中庭が
    あり、ドイツで最大のバロック宮殿であり、まず南に中庭のある3翼の建物が建
    てられ、1715に中央の本館が建てられた。
  Baroock galerie:17-18cのドイツとイタリアの絵画150点がありバロック絵画が見られる。
  Schloss Theater:バロックの宮廷劇場で1758から毎年オペラ・フェスティバルが開催される。
  Karmik Museum:2千m2の展示場に、マイセン・ニンフェンベルク・ベルリン・ウイーン工場の磁器・
   陶器・セラミックの製品を展示している。
  Mode Museum:750m2の展示場に、18cの衣装やアクセサリィを時系列的に展示。
  Schloss Kapelle:宮殿礼拝堂には、多くの侯爵の家族の墓がある。
 楽しみ宮殿 Schloss Fevorite (1717-23) 北の丘に夏の離宮と狩りの館と
    して新古典主義で建てられた。1806には動物園となり、内部は古典的な様式
    で改装された。1980から復元され、1983州立の宮殿と庭園として管理されて
    いる。
 モンレポス湖宮殿 SeeSchloss (1764-68) 北西3kmに長方形の湖とバロックの宮殿の
    建設に着手したが中断した。1804英国庭園風に変更し宮殿が建てられ、1829
    から公開されている。
 グラベニッツ宮殿 Graevenitz Palais (1727-28) グラベニッツの帝国侯爵ヴィルヘルムが
    住んだ。今はルードヴィッヒスブルク宮殿フェスティバルと州国際フェスティバル協会が入った。
 シャウホウゼーン Schfhofseen (1356) 池は魚養殖のためにテーレス川の内に取付け
    られ、侯爵エバーハート・ルードヴィッヒの猟場に属していた。町の発展や住宅建設の
    ためこの池は埋め立てられた。1907迄、最後の池は火事池として役立った。
 ヨメリの家 Jommelli Haus (1760) 侯爵カール・オイゲンの宮中礼拝堂司祭が住んだ。
   いまは、バーデン・ヴィルテンベルク州の芸術アカデミーが管理している。
 マルクト広場 Markt Platz (1714) 大きな長方形の広場は教会に挟まれている。
   Stadt Kirche (1718-26) 広場の西にあり、2塔の新教教会である。
  Katholische Dreieinignigkeits Kirche (1721-27) 広場の東に在り、単塔のカソリック
   三位一体教会である。
 フィルムとメディアセンター Film und Medien Zentrum (1881-91) ラインハルト兵舎は補給
   兵舎として建てられ、1934最後のプロイセン陸軍大臣ラインハルトの名前を付けられた。
   今は、多くのフィルムのある創造的な活動のできる場所となった。

5.町の略図

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マルターディンゲン Malterdingen v83

写真

市庁舎 ハウプト通
北門の内側 北門の外側

1.歴史

 1016皇帝ハインリッヒ2世の寄付証書に初言及、 1297フェリンゲン伯爵は兄弟に財産を売却、
 13c シトー派修道士はブドウ栽培を始めた、中世 バーデン・ハッホベルク辺境伯領に属した、
 1418 ベルンハルト1世の場所は市場権・塩権・鋳造権を持った。

2.市壁  0。025 0.02

    旧市街地の北側の門の家の左右に、いくらかの市壁の跡が見られる。

3.塔  0門1塔

 門の家 Tor Haus () 2階建木組の門の家は、町の象徴の建物である。

4.見所  D

    旧市街の中心や市壁の位置がはっきりしない町である。中世からの改装
    建物が多くある。
 市庁舎 Rathaus () 2階建の四角い建物で、屋根の上には鐘楼とコノトリの巣
    台がある。
 ヤコブ教会 Jakobs Kirche () 種々の建築様式を並列させた内陣と脇礼拝堂、
    今日の形態の日付けは1517である。ゴシックの塔は1808に改造され、それ以来
    典型的なピラミット屋根であった。高さ53.5mの塔は町で一番高い構築物である。

5.町の略図

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マールバッハ Marbach am Necker v84

5.写真

市庁舎 上門
市民塔 南入口
西北壁 西壁
北東壁 マルクト通り

1.歴史

  85 ローマはライン川からネッカー川に達しペニンゲンの砦を築く、 55-260 ローマ東の守り、
  259 アレマン族の侵入、8-9c フランク族の集落が創設、972 シュペーヤー教区贈与証書初言及、
 1009 ハインリッヒ2世は市場権を認可、    12c バーデン辺境伯は町に入植地を設けた、
 1302 ヴュルテンブルク伯爵は町を完全所有、   1311 ヴァインスベルクノコンラッドは町を破壊、
 1463-1504 ヴュルテンブルクのプファルツ封土、   1525 農民戦争の拡大阻止の6都市代表、
 1546 シュマルカルデン戦争で略奪された、    1634-48 30年戦争で大被害、
 1693 仏軍の占領し火事で大被害、    1759 フリードリッヒ・シラーが町で生まれた、
 1812まで ナポレオンの下にマールバッハ郡庁を建設、 1945 二次大戦の戦災はなかった。

2.市壁  0.73km 0.78

   12c末に最初の市壁が造られ、13cにはツインガー・外壁・堀と共に完成したが、東
    と南は保護されていなかった。更新と補修は中世後期まで続けられた。内側
    市壁は東側をを除いてほぼ完全に保たれ、外側市壁は僅かな残余と円型塔の
    断片しかない。

 

3.塔  1門1塔

 上門 Oberer Tor (13c) 東側の旧市門で、3門の内唯一残る5階建の角塔
    で高さ40mの頂上に登れる。今は博物館として使われている。1290に殻塔とし
    て初文書言及。1717-18に門塔は修復された。1736化粧張りと塗装を行った。
    1793の大火災で最上階の木製部分は燃えたが門は残された。18c終わりに門の
    機能を失い、他の2門は壊されたが、上門は見張りとしての安全確保のため存
    続された。
 市民塔 Buerger Turm (13c) 市壁の前に尖塔付の円塔が、かっての堀に立ち
    今は地上に抜け穴が開けられている。

4.見所  B

    市壁で囲まれた旧市街には、かっての豊かな町を象徴する風格のある建物
    が多く見られる。3本のホルダー路地には、木組の街並みがある。
 市庁舎 Rathaus (1760-63) アーケード付の3階建の建物で、1987-89に根底から更
    新された。1997に市庁舎の鐘楼には、13の鐘が付けられ、10.02、15.02、17.02
    に曲が流れる。
 城広場 Burg Platz 旧城は最も古い統治区域に在り、多年の州記念物事務所
    の発掘により、重要な中世の歴史が解明された。1989に城広場は整備さえた。
 ホルダー路地 Holder Gassen かっては、ワイン園や農園の主人が好んで木組の家
    に住んだ。3つの並行して延びる小さく狭い路地には、向かい合った通りの側
    に付属納屋を多く持った木組の家並みが続く。今日もまだワインの木が家に在る。
    この歴史的な地区は18cの雰囲気を伝えている。
 アレクサンダー教会 Alexander Kirche (1450) 壁に囲まれた後期ゴシックのホール教会で
    1996-2005に抜本的な建直し更新した。シラーの鐘は、塔の上にフリードリッヒ・シラーの生
    誕100年を記念して、1859にドイツ系モスクワ市民から贈られた。その鐘はシラーの誕生
    日と命日に鳴らされる。1997調和のとれた5つの鐘が付け加えられた。
 ヴェンデリン礼拝堂 Wendelins Kapelle (1433) 後期ゴシックの礼拝堂は、四角形の
    ゴシック窓上飾りと内陣飾り窓と孤立した供肋のある特異な礼拝堂である。1433初
    文書言及。1693火事に遭い屋根は倒壊し1721新屋根を着けた。1978完全復元。
 シラー生誕の家 Schiller Geburtshaus (18c初) この家でクリストファー・フリードリッヒ・シラー
    は1759に生まれた。19cシラーの生家に収集品を形成して寄付した。
 シラー国民博物館 Schiller National museum (1895) シュバーベン・シラー協会の設立後
    1901-03に博物館を建てた。
 現代文学博物館 Literatur museum der Moderne (2006) 現代文芸博物館の開
    設で、3つの特別な観点からシラーの頂点を保った。20cと現在の独文学記録文書か
    ら及第した文学書を600m2の書架に集めている。
 トビアス・マイヤー博物館 Tobias Mayer Museum (19c) トビアス・マイヤー1723-1762は、独学
    者・数学教授・ゲッチンゲン天文台長であり、地理学と天文学の研究で高名である。

5.町の略図

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マルクドルフ Markdorf v85

5.写真

市庁舎 上門外
上門内 下門
魔女塔 ニコライ教会
司教宮殿

1.歴史

   817 ザンクトガレン修道院の贈与調書に初言及、1134-1354マークドルフ男爵 町を創設、
 13c 町を拡張し市場・鋳造・関税・裁判の権限獲得、1236 市場、1250 都市権の付与、
 1268 オピトムと呼ばれ市壁が在った、  1278 地方裁判所記録文書でStadtの承認、
 1354-56 町はワイン税徴収権・裁判権を得た、1356 マークドルフ家の断絶後ホンブルクの男爵、
 1414-1802 コンスタンツ司教座本部が統治、  15-16c ワインの生産販売税で町の全盛期、
 1525 農民戦争で町は両側に付いた、    1618-48 30年戦争・ペスト・飢餓で衰退、
 1650 アルペン地方からの移民が始まる、  1652-1803 カプチン修道院設立と世俗化、
 18c コンスタンツ聖公会の統治の経済低迷、 1792-1815 仏革命軍とナポレオン軍の通行料、
 1842 町の半分が火災で焼失、               1945 仏軍が占領。

2.市壁  0.06km 0.05

   13cの市壁の遺跡が、Am Stadtgrabenにある。

3.塔  2門1塔

 上門 Oberer Tor (1250) 18cの門アーチと木組の部分があり、今はギルド集
    会所と軽食堂がある。門の内側の前に、1488石造のScheublinstischがある。
    門の外側の上には、16-17cの岩石像がある。大砲場では祝砲を続けた。丘の
    上に立つ門からの見晴らしは、ボーデン湖とアルペンを見渡せてよい。
 下門 Unterer Tor (13c) 最も古い建造物で、ロマネスクの門アーチと四角塔の頂部
    には階段切妻を頂く。門の外側の広場には、1998の彫刻と2002のエステルガイデル
    の噴水がある。
 魔女塔 Hexen Turm (13c) 市壁の角の四角塔で下門と姿が似ている。旧監
    獄を収容した。今はオブジェクト博物館として昔の手工業・プレゼンの文書化を展示。

4.見所  D

   国道沿いの斜面にある小さな旧市街には静けさがある。
  く見られる。3本のホルダー路地には、木組の街並みがある。
 市庁舎 Rathaus () 3階建ての四角い建物。
 教区教会聖ニコラウス Pfarr Kirche St.Nikolaus (1300) 教会の塔は1300からの
    物で、高さは68mある。1842に火災に遭い、1966に3身廊の古い形で再建され
    た。中には1486からバロック・マドンナがある。1803迄12人の司祭参事会があった。
 新教教会 Ev. Kirche (1896)町の南東に位置し、旧市街の角の基礎の上に
    建てられた。
 司教城 Bischof Schloss(14c)倉庫もあるは、バロックの前面が長い建物と早
    期の倉庫もある居住棟で形成された。100年後にコンスタンツ司教は領主となり、
    1510にホーエンランデルベルクが修復し、コンスタンツ司教は夏の離宮として使った。1983改
    修し今ホテルである。
 町絵画館 Stadt museum この町と地域の芸術家の移り変りを展示している。

5.町の略図

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マークグレニンゲン Markgroeningen v86

写真

上門 西壁
東壁 マルクト広場

1.歴史

 779 フルダ修道院の贈物証書に最初の言及、1243シュタウヘン朝皇帝から教会授与、
 1253 城と城下町に市壁を建設、     1299-1316 帝国自由都市となる、
 1322 コンラッドは城と町を封土された、15C 町の最盛期で大建築物が造られた、
 1435 十分の一税倉庫、 1467-68 地方農産物箱家、 1491 ブドウ絞り所、
 1634-50 30年戦争で町の破壊と人口減、1833-45 城壁・堀は除かれ町は拡大、
 1930ー70 歴史的建物の近代化。      1945 2次大戦で被害を受けた。

2.市壁  0.170km 0.17

   13Cに通路のある市壁.堀.土堤は入植地と北西の帝国城を囲んだ。
    1833から市壁は取壊され、北側を除いて切れ切れに残る。

3.塔  0門1塔

   古くは4門有ったが、東門.エスリンゲン門.下門は壊された。
 上門 OberesTor 1555再建、5階角塔。屋上に2階建の建物が乗る。

4.見所  C

   やや多きな町、マルクトに面して旧市役所と教会があり、教会周辺が賑やか。
 市庁舎 Rathaus 1440-41 複合建物であり地階では塩・肉・パンが販
    売され、2階は羊毛市場、3階は裁判所.事務室.祝祭場。1755裁判室のバ
    ロック化。小さな破風にはカリオンと時計が飾られている。今は事務所と会場
    である。
 教会 Kirche 1270-80建、ロマネスクのバジリカ。西正面は1340-46に建てた。
    後期ゴシックの内陣には1469の聖人の絵画で飾られている。
 養老院教会 SpitalKirche 1300建、塔と聖物保管庫は1512に建てられ
    た。宗教改革以降寂れて、1800からカソリック教会として改装された。
 最も古い住家 AltestesWohnGebaeude 1347建、軒の部分が最も古い3階
    建木組の館。1670に東側切妻を拡張。
 地方農産物箱家 LandesTruchtKasten 1467-68建、納税穀物の倉庫。
 上ブドウ絞り所 OberKelter 1491建、城のワイン絞り所と倉庫である。
    1987から学校として使われた。
 ヴィンペリン館 WimpelinHof 1630建、3階建出窓付木組の家。Wimpelin家
    の構築納屋。

5.町の略図

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メールスブルク Meersburg v87

写真

市庁舎 上門
旧城 新城

1.歴史

  988 城の記述が最初の言及、            1260 市壁を建設、
 1299 市場権の付与、湖の埋立拡大で大きな市場となった。1505 旧城の拡張、
 1519 帝国自由都市とされた、      1618-48 30年戦争でスエーデン軍の略奪、
 1635-36 ペスト流行で人口は1/6に、    1750-1803 海城が司教の住居となる、
 1803-07 上湖公国の首都となる、     1820-45 市壁の一部が破壊された、
 1945 2次大戦の被害は少なく、美しい旧市街地が残る。 

2.市壁  0.32km 0.31

  中世の市壁は、1300に上と下の町を保護し、市壁と堀の組合せで敵を防い
    だ。上門の両側に市壁にくっつけて家が建てられている。カトリック教会の塔
    から半円形の線で壁と堀が走った。今は全周にわたって切れ切れに市壁
    が残る。

3.塔  2門0塔

 上門 OberTor 1300建、中世の市壁の一部として造られた。前の
    堀にあった橋は1838に壊された。
 下門 UnterTor 下の町の大通の西端にある。
   なお、下の町の東港にあった湖裏門HintereSeeTorは、1832に壊された。

4.見所  B

  山の斜面の旧市街地と湖を埋立てた新市街地があり、それぞれに散策に値
    する町並みがある。新旧の城と市庁舎は中を見たい。
 旧城 AltesSchloss 7C建、外観は15C、内部は17Cにバロックに改修され
    た。内部は博物館として28室が公開されている。深さ30mの井戸・中世の
    台所・騎士の間が見られる。
 新城 NeuesSchloss 1712-62建、バロック18Cの司教公の居城。内部には
   航空材製造者ドルニエの博物館がある。
 市庁舎 Rathaus 1551建、1583に会議室の追加。1739-40にバロックの市
   庁舎となった。1784に上層階の広間再建。1936からワインセラーが始まった。
    現在は結婚式場で使われている。
 カトリック教会 PfarrKirche 1827-29建、町の最高地点に立つ教会で、塔
    は昔の市壁の塔であった。
 町博物館 StadtMuseum ドミニコ会修道院の元院長室を1858に市が買取
    り博物館として町の歴史と文化を展示。1986-88に復元した所に監事室
   と図書館がある。
 グレート館 GretHaus 港に近く大きな建物。若者の芸術センターである。

5.町の略図

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メンゲン Mengen v88

1.歴史

写真

市庁舎 ハウプト通
マーチン教会 北西壁
西南壁

  819 皇帝ルイは修道院ブッハウの領土を残す、  1170バルバロッサは市場・裁判の日決定、
 1276 ハプスブルク王ルドルフは都市農業を授与、    1632 スエーデン軍が町を占領・略奪、
 1519 帝国自由都市とされた、       1618-48 30年戦争でスエーデン軍の略奪、
 1806 ヴュルテンベルク王国の一部となる、     1819 旧市街地が火災で破壊された。

2.市壁  0.065km 0.03

   アブラッハ川からの水で堀は満たされた。市壁延長は1,150m高さ8m二重壁で1200に
  築かれた。ツインガーの狭い通路は全周に付けられた。市壁の石灰岩は遠くHeudorfか
  ら供給された。1819の火災後に市壁は徐々に取崩された。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   1859の大火事の後に建てられた家が多い。古い木組の家の復元作業も行われて
  いる。
 市庁舎 Rathaus (1821) 1907と2008に補修された。
 マーチン教会 Martin Kirche (11c) 初めは後援者のためのプライベートの早期ゴシックの
    教会であり、1275教区教会になった。1806修道院解散により教会は国に渡り塩
    倉庫として使われた。1819の大火事の後住民が建物を保存した。初期の塔に
    バロックの身廊となり、歴史主義の内陣改修が行われた。2011には内装や壁画が
    修復された。
 聖母教会 Liebfrauen kirche (9c) マーチン教会からそう遠くない第2のカトリック教会
    で、1290初言及・1343焼失・女子修道院長は教会を建て聖母に捧げた。1625塔が
    崩壊し外壁と内陣を壊した。1628には塔を含め再建された。
 旧ウィルヘルミット修道院 Ehem.Wilhelmiten Kloster (1120) ベネディクト会が設立し、
    1282構築された。1725皇帝の要求で、聖ブレイズとなり、1732今の形に更新され
    た。修道院教会は1741-44にバロックで再建された。1810火事で損傷した。1806修
    道院は世俗され、財産は競売に掛けられて塩倉庫になった。1820小学校となり
    体育館も建てられた。
 カゼデ Kazede (1238) 旧市街の北東の角に、東の壁に隣接して、市内で最も
    古い3階建の建物がある。出発点はローマ砦の望楼であった。入口にある高さ9mの
    急な階段があり、言い伝えでは逃げ道があった。塔はその後刑務所を務め、今
    は公証人が使っている。
 古い狐 Alter Fuchs (1276) ハプスブルク王ルドルフの長男が個人の財産として、壁
    の南東隅の高さ8mの3階建の石造の上に木組のトラスが乗っている建物を建てた。
    1527-32ヴェストステッテン家が所有し、1560には町が所有した。1760住居になり、今は
    公共図書館と老人・成人の集会所である。
 郷土博物館 Heimat Museum (17c) 旧トウレン・タクシス郵便宿駅の木組の建物に、博
    物館として町の歴史と文化を展示している。

5.町の略図

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メスキルヘ Messkirch v89

写真

市庁舎 聖マーチン市教会

1.歴史

 1080 聖ハイメナードの伝記に初言及、     1200  ザンクトガレン修道院が町造り、
 1241 市場が開かれ、 1261 町と呼ばれた、 1300 別の城から地元領主が来た、
 1354 ツイメルン領主が後に来た、1594 ヘルフェンシュタイン伯爵、 1627 フェルステンベルク方伯が来た、
 1718 方伯は伯爵に昇格、 1744 フェルステンベルク家のメスキルヘ系が断絶しドナウエッシンゲンへ、
 1800 仏墺戦争、 1806 バーデン大公国に帰属、1936迄 地区事務所所在地だった。

2.市壁  0.17km 0.25

   丘の上の城・教会・街道を囲む一次市壁と、グラーベンバッハ通で囲まれた13cの
    二次市壁があった。一次市壁の東側の擁壁を兼ねた部分と、西側の円塔付き
    の部分が残っている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。
  旧フラウエン門(1295)ナメシ皮塔とも呼ばれ、下門と共に19cに取壊された。そこには大司
    教コンラッド・グレーバーの生家がある。

4.見所  C

   中世後期の木組の旧市街と丘の上のルネッサンスの城・バロックの教会がそびえる歴史
    的な町である。
 市庁舎 Rathaus (1899) 新ルネッサンスの3階建石造の建物で、中には格間天井の
    参事会大広間と16-17cの紋章石がある。
 市場の家 Haus am Markt (1455) 最初の町役場として建てられ、地階石積上
    2階木組の横梁に特徴のある建物。
 下の館 Unterer hof (1378) 領主の未亡人の居所として建てられ、その後
    1660-68ウルズルナー修道院、18cフェルステンブルク郡庁、19c学校と役所、今は市建設局・
    郷土博物館・旅行案内所である。
 小さなフェルデの家 KleinFelder Haus (1456) 以前の所有者が名づけた。小さ
    なドイツ美術史として家を見る。
 聖マーチン市教区教会 Stadtpfarrkirche St.Martin (1526) 初めゴシックの教会は
    1769-73にバロック化され、今は大きな後期ロココの教会である。1732-39祭壇を増設
    し、内部はアザム兄弟によって飾り付けられた。
 メスキルヒ宮殿 Schloss Meesskirch (10c) 要塞をきっかけに1344から部屋数を
    増やし、1557-63に現在の形になった。これはアルプス以北の最も初期のルネサンスの
    建物であった。1627フェルステンベルク・メスキルヘ方伯が在住した。1744家系の断絶後、
    ドナウエエッシンゲンに宮殿は移った。1808迄は未亡人の居所であった。1961町は1マルク
    で買収し、1985から改修を行い、博物館に使った。
 メスキルヘ博物館 Messkirch Museum
    円形美術館:宮殿の南翼の3階のに中世後期からの美術品を展示。
    マーチン・ハイデガー博物館:宮殿の東翼地階の3部屋に、ハイデガー親子の作品を展示。
    Oldtimer Freund:かっての厩舎に、電動式の宝物、地階に1923-63の自動車、
    上階には1913-50のオートバイが展示されている。
 ロレッテ礼拝堂 Lorette Kapelle (1676) 旧カプチーナ修道院がアドラー広場に建てられ
    た。1883修道院の取壊しを逃れて、今の場所に移された。
 白い城 Weisserburg (1550) 二つの丸天井の領主の穀物蔵で、1648に張り出
    し窓が付けられた。

5.町の略図

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メックミュール Moeckmuehl v90

写真

が が
旧市庁舎 市長舎
風呂塔 皮剥ぎ塔・東壁
南壁 新教教会・助祭の家
エルゼサーの家 南壁

1.歴史

  2-3c ローマの入植地、       750-779 フルダ修道院の文書で初言及、
  8c末 フルダ修道院は資産として所有、13c ヴュルツブルクの世襲封土をデュンが所有、
 1250 デュンのコンラッドは都市権を授与、町は城の前の守りを固めた、
 1287 城と町はホーエンローエの領主に所属した、1445プファルツ選帝侯が町を買った。
   1470 強い市壁が町を囲み城も守られた、 1504侯爵ウルリッヒは6日包囲し町を強奪、
 1519 シュバーベン同盟に対し鉄腕ゲッツがウルリッヒの城代として城を守った、
 1542 町と役所は新設された、      1635 ペスト流行で人口の8割が死亡、
 1667 魔女裁判で火あぶり、       1808 メックミュール郡の解消、
 1945 2次大戦の被害は免れた、     1970 旧市街の大規模な健全化開始。

2.市壁  0.62km 0.66

   15cの市壁は、高さ7.8mで壁面上の連続フリースで飾られ5つの門が在った。
  1831Jagst門は交通障害で取り壊された。壁上通路のある市壁は、今もかなり
  な場所で見られる。一部、下路地の駐車場付近は、1978に復元された。

3.塔  1門8塔

 上門 OberTor (15c) 干草と収穫物の車の通行に非常に障害となり、
    1843に壊された。
 ルッヘゼネナー門塔 Ruchsener TorTurm (15c) 唯一残された市門で、1473に初
    言及された。30年戦争の間は守備要員の不足で壁で塞いだ。1894門塔は焼
    け落ち、その後市壁に付き出した住居が取り付けられた。1988全建物を取
    り壊した後1990門と門塔が建て直された。
 皮剥ぎ塔 SchinnersTurm (15c) 切株が残っていたが、1978に再び5階建
    円塔が復元された。その名前は皮剥ぎ親方によっている。皮剥ぎ親方は16
    c塔取り除き責任者であり、同時に死刑執行人でもあった。
 風呂塔 BadTurm (15c) 1499の中世の浴場が言及されている。上階は1911
    に焼けて、今の3階建角塔は再建された。
 司祭塔 PfarrersTurm (15c) 司祭塔は3階建の角塔で、その背後に16c司
    祭館が建てられた。今その塔は新設の地方銀行と結合している。
 バッツエン小塔 BatzenTuermle (15c) 1598エルク・バッツエンの住居の側の小塔とし
    て言及された。1838に取り払われた旧Seckach Torの所で通りが横切り、そ
    こにバツエン塔が建てられた。それは外側の半円が突出し中は開いている殻塔。
 粉挽塔 MuehlTurm (15c) この塔には昔コウノトリが巣を作った。1655に魔女が
    監禁された。1818部分的な損傷のため倒壊寸前の塔は、今見られる断片ま
    で取り払われた。
 魔女塔 HexenTurm (15c) 昔はWegtuermleと呼ばれ、19cにはBuergerTurm
    とも呼ばれた。1838-80木組の階には市民の拘置所が在った。1655魔女裁判
    の容疑者が収容されたため、19cになってこの塔の呼び名になった。有罪判
    決者のために設けられた深さ5mの地下牢は埋められたが、1981郷土誌家に
    よって発掘された。出土品は郷土博物館に展示されている。
 ゲッツ塔 GoetzenTurm (13c) 城の東の最も古い部分に天守閣があり、今は
    ゲッツ塔と呼ばれている。高さ25m、直径10mの円塔である。
 主席司祭塔 UnterTurm (13c) 城山の主席司祭館は最も古い建物で、昔は
    司祭長の住居であった。その後外側ツインガー市壁に沿ってこの塔がてられ、
    居住可能な塔室が在った。今は主席司祭館に属し、真夏の野外公演が行わ
    れれる。

4.見所  C

  山上の城の下に市壁に囲まれた小さな旧市街が在り、古い木組の家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1589-92) 技巧豊かに構成された記念碑的な建物は、
    ハイブロンの彫刻家ヤコブ・ミューラーが創造した。1979町の1200年の式典に優れたカリオン
    はコピーに変えられた。中央入口の左に首枷のある晒台がある。地階には
    肉とパン屋の屋台が置かれ、商品の販売と塩の小売も行われた。武器庫と共
    に町計量所も収容した。2階には評議会と裁判所の広間が有り、3階には舞
    踏会場と調理場置かれ、結婚式や洗礼式に1グルテンで借りられた。1989-92市
    庁舎は改修され、隣の建物を購入して拡張した。
  Die Burg (13c) 始め領主デュンが城を建て、1287-1445ホーエンローエの領主が
    所有した。1445プハルツ選帝侯ルードヴィッヒ4世が買った。1470プファルツ選帝侯フリード
    リッヒ1世は防衛力のある下幅3.5mの城壁を築き、新たに町の防備を行った。
    1519の木造部分は塔防衛の住居である。今の城は入口の上に同盟の紋章が
    あり個人の所有である。
 郡庁 Ober Amtei (18c) ここには初め町長の家族が住んでいた。1783役
    所が置かれ、1808から郡庁舎となった。1885-1927町の幹部が居て、町と市
    民の繁栄に配慮した。
 古い司教館 Alter Pfarrhaus (18c) 1750に改築され1760ヴュルテンベクルク公爵
    き受けた。1805-34司教の老人が生活した。今は公証人役場と公文書館。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (754) 聖マーチンに奉献された教会は、その後
    ボニファティウスに移された。17cまでの古い伝統として塔のラッパ吹きは行われた。
    1898古いゴシックの教会は焼け落ち、後陣の後期ゴシックのフレスコ画のみ残され、
    1900同じ場所に5回目の今の教会がネオゴシックで建てられた。1973-74に改修さ
    れた。
 エルゼッサーの家 Haus Elsaesser (1610) 装飾された木組の家で、1637-69に司
    祭の親の家が住んだ。その後1671まで主席司祭が住んだ。家の紋章は織物鋏
    で職業の象徴を占めす。
 染物屋 Faeberhaus (1783) 19c初めに染物屋が住家と仕事場を置いた。
 桶屋の家 Kuefer haus (1700) 1832まで麻織り人の住居、1925から桶屋の
    住居と仕事場となり、2008から自転車乗りの店になった。
 旧ブドウ絞り器 Ehem.Kelter (15c) 建物には1732の洪水位が標されている
    1872上階が焼失したが、1892教師の住家と小さな学校に改造された。今は上
    階は町の幼稚園として全て使われ、地階は1985にブドウ絞りの営業が始まった。
 郷土博物館 Heimat Museum (17c) 市民の木組の家を1985に町が取得し1988
    から、博物館として町の歴史と文化発展を展示した。2012に改修された。

5.町の略図

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モスバッハ Mosbach v91

1.歴史

写真

市庁舎 中央通
参事教会 南東壁
南西壁 西壁

  826 修道院の入植地を初言及、     1241 自由帝国都市の権利を授与、
   1291 市壁と塔で防備された都市に、1362 プファルツ伯ルプレヒトはラインプファルツを併合、
 1348-49 ペストの流行とユダヤの追放、 1410 プファルツ伯ルプレヒトはは王宮を築いた、
 1499 プファルツ・モスバッハ家断絶後選帝侯家に戻る、   17c 30年戦争で町は荒廃、
 1688-97 9年戦争で直接被害は免れた、1723 大火災で150戸焼失し損傷も多数、
 1806 バーデン大公国に属し事務所を設置、1832 郡庁を・1878地方裁判所を設置、
 1913 温泉ヘルスリゾートを計画、         1945 2次大戦の戦災は免れた。

2.市壁  0.21km 0.18

  13Cの市壁は南側に一部残る。

3.塔  0門0塔

 上門 OberTor (14c-1825) 時計と全天候屋根のある上門は、隣に塔屋
   と門衛小屋があり、橋門は4階建ての堂々とした建物で梯子と門扉はウインチで引
   揚げられていた。1825門塔・橋塔・市壁は取払われた。

4.見所  B

   小さな町だが見事な木組みの家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1554-58) 聖セシリア教会の跡に、3階建てルネッサンスの建物が建
    てられ、地階は屋内市場で、パン屋や肉屋の屋台が在った。塔は旧教会の
    物で34mの高さがある。この塔上からの展望は良い。
 参事会教会 Rathaus (1554-58) ベネディクト会修道院に、14c後半に聖ユリアナ教
    会として単塔のシンプルな教会が建てられた。カトリックとプロテスタントが同時に使える
    ように1708仕切り板が付けられた。中には、フレスコ画があり、墓石には1312か
    らの年号があり、1444プファルツ伯のブロンズレリーフもある。
 聖セシリア教会 Kirche St.Caecilia (1935) 聖ユリアナ教会の共用部分にカソリックの
    十分なスペースが無かったため、新しいカトリックの教会として、前面が黄色と赤砂
    岩の建物が新築された。
 ヴェーゼン醸造所 Brauerei Wesen (1878) 旧市壁の跡地に建てられた元醸造
    所で1980には閉鎖された。当時、町内には13のビール工場があった。
 ヒュブナー館 Villa Huebner (1900-02) 典型的な19cの富豪の歴史主義様式の
    3階建の邸宅で、1980に売却されて今はショッピングセンターである。
 旧モルツ工場 Alte Maelzerei (1908) 旧モルト工場で、地下と地上階は砂岩で
    造られに塗装されて文化センターとなっている。
 モスバッハ宮殿 Mosbacher Schloss (14c) プファルツ伯オットー1世はここで1390に生
    られ、1997まれ、1410に再びここに戻った。子供のオットー2世は1430にこの宮
    殿を去り、建物
   はそのまま残った。1898にロマネスクの出窓・木組に変換されて今の姿になった。
 私営企業 Stadtwerke (1891) 左岸の壁と塔のある工業用建物である。
 キッケルハイン家 Haus Kickelhain (18c) ドイツでも少ない自立木組の家であり
    3階で52m2しかなく窮屈な生活であった。最後の家族の名前が付き、今は
    市博物館の一部である。
 旧病院 Altes HOspital (15c) 木工芸術の傑作である古い建物で、石造
    地階の上に木組の2階が乗っている。病人・老人・貧困者のための施設であ
    ったが、1978-79復元され市図書館・市博物館を収容している。
 パルム家 Palm'sches Haus (1610) 美しい彫刻や絵画が飾られた木組の家
    で裕福な
   プファルツ選帝侯の幹部が建てた。石造の地階の上に3階建の木組が乗り、角
   の出窓も見事である。
 塩の家 Salz haus (1450) プファルツ伯オットー1世の治世中に塩倉庫として建て
    られた古い木組の家である。
 プファルツ伯財団 Pfalegrafen Stift プファルツ伯が建てた木組の高齢者施設は
    1957-98の都市再生のプロジェクトとして復元された。

5.町の略図

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ミュールハイム Muehlheim a.d.Donau v92

5.写真

市庁舎 礼拝堂
前方の城 北小門
西市門 北壁

1.歴史

 790 ライッヒナウ修道院の寄付記録に最初の言及、  13c中 4門と要塞の町になった、
 1268 町の水車を指定、         1409 領主は百年間の町の発展を推進、
 1511 町は都市権を得て手工業・貿易の発展、 1632 30年戦争スエーデン略奪と疫病、
 1729-33 市 街地の賑わい、               1796 仏軍の占領、
 1800 ビュルテンブルク州に主権移行、     1971 ドナウに沿った独立共同体を設立。

2.市壁  0.27km 0.30

   ドナウ川の湾曲部の尾根に、旧市街が築かれ周壁で囲まれた。1964から市壁
の復元が市民の手によって行われている。東側の市壁の上には建物がある。

3.塔  2門0塔

 西向き門 Westliches Tor () 唯一残る。2階建四角錐屋根の角塔にアーチ
    の通路がある。外右側には地階石積上2階木組のHochwachがあり、今は旅館。
 北小門 Nordliches Pforte () 市庁舎からの北向きの下り坂に、抜け穴的
    小門がある。

4.見所  D

   町は、小さな丘の上にあり、古い木組の家が多い、静かな所。
 市庁舎 Rathaus 1200建、創立年代は記念柱で示されている。市庁舎が
    初めて言及されたのは1512である。水飲み場の向こう側に開いたアーケードの
    ゴシックの木組の市庁舎は、町で最も古い建物に属する。1928に記念建築物の
    目録に載せられた。
  Schloss 1200建、この城は、町の創立時に建てられた。1751-53に
    施設の改築が行われ、城は強化されて今の姿となった。今もなお、Enzberg
    家の住居であり、参観することは出来ない。
 前方の城 VorderSchloss これは、居住城と市庁舎の間の右側にある。
    17c中に大改造が行われ今の姿になった。1987に町が購入して修繕した。地
    階には文化と観光の部署が入っている。2階と屋根裏は博物館である。
 ガルス教会 GallusKirche 10-11C建、ロマネスクの教会であり、14-15Cのフレスコ
    画がある。建物本体は、石灰岩や凝灰岩の石積みあり、南壁はオットー王朝時
    代に戻された。
 マグダラの聖マリア教会 PfarrKirche St.MariaMagdalena 1275建、ロマネスクの
    塔であり、このオットー王朝の小教会は最初はキリスト教の礼拝堂ではなかった。
    1466と1718に改修され、1794に再建された白塗りの建物。
 ヴァレンブルクの家 HausWallenburg 領主の夏の家。市庁舎の裏の木組の
    家。
 木組の家 EachwerkHausBurg 1559建、南にある古い木組の大きな家。
 高い見張 HochW acht 西門の外南に、出窓付き木組み3階建があり、
    見張として使われた。今は、ガストホフとなっている。

5.町の略図

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ミュンデンキンゲン Munndenkingen v93

写真

市庁舎 聖ディオニシス教会
ホテルガルニ ドナウ通り

1.歴史

 792 ザンクトガレン修道院の寄付調書に初言及、 8cフランク帝国の領土になった、
 1230 エマーキンゲンの領主が都市権を授与、13c末ハプスブルク家が買収しドナウ都市同盟へ、
 1680 オーストリアの直接支配下に置かれた、15-16c 畜産・農業の集積地として栄え
    石造建物を建設、 1618-48 30年戦争で町は衰退した、
 1805 ヴュルテンベルク王国に属し、町は近代化、 1830 畜産物と農産物の市場拡大、
 1971 ビュルテンブルク州の統合に反対して小コミュニティを採った、
 1945 米軍が占領後仏の占領地になった。

2.市壁  0.20km (0.32)

   16cに、町はドナウ川の大きく湾曲した突出部の先端と市壁をツインガー壁で切り
    離して、旧市街を守った。東側の市壁は2重の石壁と広い堀で囲み、北側は
    川沿いに、西側は橋から100mの地点に南北方向に建設された。残っている
    のは東南部分のツインガー壁の外側部分100mには半円形の突出部分がある。北側
    部分の端から西へ100mには市壁の上に建物が建てられているため、残った。

3.塔  0門0塔

  17cには、北・東・西の3門と壁塔が4基あったが、現存しない。
   南の上門は、二重の市を超えて前門が作られたが、1830スペイン戦争で仏軍に
   壊され、堀とツインガーしかない。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1563) マルクト広場に切妻のある石造の3階建の
    市庁舎が建てられた。グロッケンシュピールは11.30・15.30・17.30に鳴らされる。
    マルクト広場には、1531のMarktBurnenがあり、木樋で水が供給された。
 聖ディオニス市教区教会 StadtPfarrkirche St.Dionysius (1275) 町の中央の
    最高地点に立ち、ゴシック・ルネッサンス・ゴシックの要素が見受けられる。
 始めマルフタール修道院に組み込まれていた。1500-10今の身廊はゴシックで建てられ
    後に内装はバロック化された。後陣はバロックで再建された。塔は3つの階に盲
    目のニッチと柱があり、その上に後期バロックのフードが置かれた八角形である。
   牧師館 Pfarr Hof (1706-07) 修道院長の住居として建てられた風格のあ
    る建物は、プレモントン修道会修道院の夏の離宮としても機能した。3階建てバロック
    の建物で切妻は3部分に分かれて渦巻の装飾がある。1680に建てられた教区の
    納屋も残っている。
 精霊病院 Spital zur Heiligeen Geist (1563) 高い階段切妻の旧救済病院
    は同時に建てられた市庁舎と相似形をしている。今は市立博物館になった。
 マーチンの噴水 Martins Brunnen (1891) 町の2番目の噴水で、その名前は近
    くにあったマーチンス礼拝堂に由来している。噴水の柱に年号が入っている。
 デオニスの噴水 Dionis Brunen (19c) 教区教会の前にあり、今はマリア像が飾ら
    れている。今は場所を変えて1995に再建されている。

5.町の略図

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ムッルハロト Murrharod V94

写真

市庁舎 東壁
東壁 東壁
西北壁

1.歴史

  730 ライッヒナウ島修道院の年代記に教会の初言及、    788 町の初文書言及、
  816-17 皇帝の息子はベネディクト会修道院を設立、   1200 町は市場権を保持、
 1388 都市権を授与された、        1525 農民軍が侵入して町を破壊、
 1534 ヴュッテンベルク州として宗教改革、17c 30年戦争の破壊・飢餓・疫病で人口1/3、
 1698 仏軍の占領と破壊、      1765 大火災で120戸被災、再建は1790頃、
 1806 修道院は世俗化され、工芸品生産と貿易で人口増。

2.市壁  0.16km 0.19

   1500頃の市壁は、東Graben通55m、西Sonn路地に建物の壁として20m、
  西KlosterHofの外壁に85m残っている。

3.塔  0門1塔

 魔女塔 Hexen Turm (1500) 修道院の領域の西側の周壁に塔はある。
   初めの表示は泥棒塔であり、地下牢のある見張り塔であった。

4.見所  B

   修道院を中心として発展した小さな町で、多くの木組の家が旧市街多い。
 市庁舎 Rathaus (1558) 前に倣って造られた市庁舎は、1765に大火で壊
    れ、3階建鐘楼付き屋根の建物は1784に着工された。鋳鉄のバルコニィの欄干は
 新教市教会 Ev.StadtKirche (820-45) 1130ロマネスクの2つの東塔が付けられ、
    1330内装が行われた。1430-50ゴシックの平面と外観を得て今も残る。宗教改
    革までは、今日の市教会は修道院教会であった。1770には西側に教区司教
    館も建てられた。修道院の敷地には、広大な庭園・厩舎・教会・礼拝堂・墓地
    ・住居・学校があった。マルクトの西側には修道院の守衛詰所・薬局が置かれた。
 ヴァルターリッヒ礼拝堂 Walterrichs Kapelle (1200-30) 上記新教市教会の北東
    の端に付けられ、修道院の固有礼拝堂である。
 ヴァルターリッヒ教会 Walterrichs Kirche (150) 丘の上に太陽神ミトラスを祀った
    ローマ風の聖堂があった。今の姿は簡素なゴシックの調和した姿である。この教
    会には聖ヴァルターリッヒの墓が祀られ、巡礼が殺到した。墓の門にはローマの石が
    置かれていたが、今は博物館内に展示されている。
 カール・シュバイツアー博物館 Carl-Schweizer Museum (1931) 自然・石器時代・リーメス
    ・中世の展示がある。
 新教司教館と公会堂 Ev.Pfarrhaus und Gemeindehaus (1770.1728) 高位
    聖職者と牧師の納屋として建てられ、前面は見事で、高価な造りである。
 旧食堂 Ehem.Rofektorium いわゆる領主造りで、一時営林署となったが
    今は新教教区が入っている。
 十分の一税倉庫 Ehem.Zhentscheuer (1530-40) 修道院の領域の最も南が
    今は新教が今は新教十分の一倉庫として使われた。消防団機器倉庫と公文
    書館として使われている。
 木組の家 Fachwerk haus (1766) MittelGasseの南端に建てられ、直ぐに
    火事で焼け、市壁上に再建された。木組みの飾りが見事である。
 古い学校 Alte Schule (1770) 東側の市壁に塀の校舎は建てられた。
 旧男子学校 Ehem.Knahen Schule (1814) 旧市街の西の境界に位置し、男
   子学校の建物は、町で見られる簡素な木組台構造が見られる。

5.町の略図

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ナゴルド Nagold v95

写真

街並 マルクト木組の家
ホテル・ポスト 旧市教会の古い塔

1.歴史

  786 聖ガレン修道院の財産証書に初言及、1078 伯爵フューゴ3世の本拠地は
    ナゴルドからチュービンゲンへ移転、 11cナゴルドの城に拠って支配を守った、
 1170 町は市壁で囲まれた、     1300 オットー1世はナゴルドの町を取得。
 1363 オットー2世は郡をヴュルテンベルク公爵へ売却、17c 30年戦争・その後の戦争や
    疫病で町は荒廃、   1759 郡事務所の所在地になった、
 1800 ヴュルテンベルク王国として10年間安定、 1945 二次大戦後仏占領地域へ、
 1947 新設のヴュルテンベルク・ホーエンツオーレルン州へ、1952バーデン・ヴュルテンベルク州連邦国へ、

  

2.市壁  0.02km (0.01)

   12cの市壁は、西北部UntereMuehleの東にわずか20m復元されている。

3.塔  0門1塔

 古い塔 Alter Turm (1360) 聖母マリアの礼拝堂の塔として建てられ、
    1401市教会となり内陣と塔が拡張された。1877には塔のみが残された。
    旧教会の平面は、歩道の色で判別できる。

4.見所  B

   マルクト広場を中心に、旧市街地には古い木組みの建物が保全されている。
 市庁舎 Rathaus (1500) 建物のアーケードは、昔のマルクトに向いています。
    1756-58に2階建の建物は嵩上げされて3階となり、ロココに改装された。
    1990改造されて、3つの建物に拡張された。
 聖レミギュウス教会 St.Lemigius kirche (775) 南西600mの墓地にあり、最
    古の教会として680には存在していた。773に今の教会がゴシックで建てら
    れ、拡張されてロマネスクになった。教会の建設に使用されたローマの柱は合唱
    団のアーチに残っている。内部には1320-25のイエスの生涯のフレスココ画がある。
    1555にプロテスタントとなった。1965に大改修され教区教会として再び使用さ
    れた。
 町教会 Ev.Stadtkirche (1360) 始め聖母マリア礼拝堂が市壁内に建てら
    れた。1401に拡張されて内陣と塔を備えた聖ヨハネ教会に昇格された。
    狭小化と老朽化で1876-77に古い塔を残して解体された。新しい市教会
    は、1870-74に北東にネオゴシックの新築された。1968-70に内装は改装され
    てネオゴシックの要素は取り除かれた。
 ホーエン・ナゴールトールト城址 Burg Ruine HoenNagold (1100) 西の標高530mの
    山頂に宮中伯ナゴルドが城を建てて、1153-62に大幅に拡張して城複合施
      設にした。13c中に伯爵ホーエンベルクに渡り、14c宮殿に拡張した。1363宮殿
    はヴュルテンベルク伯に売却され、15cにはツインガー部が強化された。1645-46に
    30年戦争で破壊され、今は建物基礎・外壁・高さ25mの塔が残る。
 古い学校 Alte Schule (1706) 地階3アーチの石造、上階は広い切妻のあ
    る木組の3階建建物である。1828までは国民学校とラテン語学校として
    使われ、1826に個人所有となった。
 石の家 Stein Haus (1258) 最古の石造の2階建前面持出の住宅で
    ナゴルドの騎士が住んだ。18-19cには住宅と倉庫、1989からは市立文書
    館と市立博物館を収容した。
 町の湯屋 Stad Badhaus (15c) 町の浴場として建てられ、社交の場
    と衛生と医術のの中心となった。1841からは個人が住み、1905に市の
    会計局となった。
 ツエラー薬局 Zeller’sch Apotheke (18c) 博士ハインリッヒ・ツエラーの生家で
    あり薬局である。切妻のある上階木組の美しい建物である。彼は薬局主
    ・自然研究者・記述家であった。
 新教執事の家 Ev.Diakonat Haus (1716) 切妻のある上階木組の装飾さ
    れた建物で、1738-1961は新教の町の牧師が住み、その後は個人所有に
    なった。
 古い代官屋敷 Alte Vogte (1425) 地下室付きの石造の3階建ての建物
    で、17cに代官屋敷になった。1665からは下級官吏の事務所と住居で使
    われ、1751に個人所有となった。
 旧郡事務所 Altes Oberamt (1523) ヴュルテンベルク伯爵が十分の一税倉庫
    として建てた。1645城破壊の後に郡庁が起これた。1806-37は郡行政事
    務所となり、1953から警察署。
 ホテル「ポスト」 Hotel Post (1697) 上階木組みマンサード屋根の建物で、
    1807から郵便馬車駅として使われた。1916ユーゲントシュチュールに改装された。
    ヴュルテンベルク王もここに泊まった。
 ザウターの家 Haus Sauter (1777) 角にある上階木組みの4階建ての大き
    な建物。
 大男の家 haus Saur (1080) 前面の異なる二つの細長い建物を継ぎ合
    わせた珍しい建物で、1981に木組みの木材を露出させた。

5.町の略図

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ネッカースルム Neckarsulm v96

写真

市庁舎 北東円塔
泥棒塔 北門
北東壁
西壁 西壁

1.歴史

  771 ロルシュ修道院の財産遺贈証書に言及、   1200 スタウファー家が町を所有、
 1264 葡萄園の領主が城を築いた。 14c 市場権が授与され市壁が築かれた、
 1484 マインツ大司教の交換を通じドイツ騎士団が来て、1805までいた、
 1525 農民戦争で城を焼かれた、16c 市壁が再構築され市庁舎・教会を建てた、
 17-18c 連続の戦争と疫病で町は衰退、   1807 ヴュルテンベルクの郡庁都市に、
 1945 空爆で大被害を受けた。

2.市壁  0.295km 0.27

   17cの旧市街は350×250mの長方形の市壁で囲まれていた。今は、主に西と
   北に残されている。

3.塔  0門3塔

   14cには、2門10塔あったが、部分的の物を含め3塔が残っている。南西の
   隅に泥棒塔があり、円形の壁塔が北西と北東にある。

4.見所  C

   1945の空爆で、古い建物は殆ど破壊されたが、幾つかは生き延びた。
 市庁舎 Rathaus (1781-82) 3階建石造ロココの正面で18c再建された。
    1945の空爆で壊れれ、1946の元の姿で復元された。1983-85大通りに沿っ
    て拡張。
 ドイツ騎士団宮殿 Deutschordensschloss (13c) 市内で最も古い建物の一
    つであり、ドイツ騎士団によって拡張・改修が行われた。1956ドイツ二輪と
    NSU博物館となり、ドイツで最大の350台が展示されている。この城複合体
    の中に、城礼拝堂(今レストランとセレモニィホール)と城ブドウ圧縮所がある。
 旧宿屋:バラ Ehem.Gasthof Zum Rose (16c)今の姿の3階建木組の建物は
    1548に建てられ、市内でも古い宿屋であった。市庁舎の隣に位置し大
    規模である事から、ドイツ騎士団が建てたと思われる。1793ここに醸造所
    が置かれた。1967歴史的な砂岩の正面は壊された。1983改装され宿屋か
    ら小売店のなった。町はこの建物を購入し、2006-09歴史的な砂岩の前
    面を復元した。地階は小売店、3階は2009から町の公文書館となった。
 大絞り場 Grosse Keiter (1567) マルクト広場の北東の角に建てられた2
    階建高いサドル屋根の大酒蔵で、1930迄使われた。1984貯蓄銀行を収容。
 聖ディオニシウス市教区教会 StadtPfarrkirche St.Dionysis (1757) 旧市街
    の北に建てられ、1945の空爆で完全に破壊されたが、1946-99に再建さ
    れた。
 修道院教会 Kloster Kirche (1664) カプチン会修道院は市壁の南外にあ
    る。19cに世俗化され、1811-92は教会として使われた。中には芸術歴史
    的に重要なゴシックのマドンナがある。19c末に教会は修復された。
 市博物館 Stadt Museum (2006) 2階建木組の建物で、400m2に町の歴史
    を展示している。

5.町の略図

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ネッカーゲミュンド Neckergemuend v97

写真

市壁 ウルリッヒ教会
カールス市門 木組街並

1.歴史

  988 開拓地として初言及、1230 王ヘンリーは開拓地を帝国自由都市に昇格、
 1330 皇帝ルードリッヒは町を宮中伯へ与えた、1346 宮中伯は町に宮廷を移した、
 1395 プファルツ領に組込まれ自由都市の地位を失う、1466町は市場権を取得した、
 1544 町は拡張した、 1566 宗教改革を導入、17c 30年戦争等で町は荒廃、
 18c プファルツ承継戦争で仏軍が占領、1779仏革命軍が占領、1814-19露軍が占領、
 1831 バーデン市法適用で旧帝国特権を失う、   1945 二次大戦で空爆被害。

2.市壁  0.10km (0.12)

   18cに城門と市壁の多くが取り壊された後も、旧市街の裏側を走る狭い
   KlepperGasseに沿って、狭い木骨造の軒先の家が市壁に沿って配置された。

3.門塔  1門0塔

 カールス門 Karls Tor (1788) 市民は選帝侯カールス・テオドールに敬意を表し
    て、初期古典主義の中央アーチ門と両脇通路のあるこの門を建てた。ラテ
    ン語の碑文は「町の安全のためではなく、プファルツ選帝侯カールス・テオドールの
    栄光のために建てられた」とある。

4.見所  C

   古い構造の建物が多く残る旧市街地の路地が面白い。
 旧ルーテル教会 Ehem.Ev.Kirche (1770-71) ルーテル教会は古典的な様式で建て
    られた。バーデンにプロテスタント教会を建てるため、1821にルーテル教会とプロテスタント
    教会の連合が発効した。その後ルーテル教会の建物は市に売却されて、市
    庁舎として1984まで使われた。
     この町は、1964から1939に解散するまでまでハイデルベルク地方事務所に所
    属した。現在は旧市庁舎博物館と市立図書館を収容している。博物館で
    は、市の歴史・民俗学の収集物・ネッカー川の舟運に関する展示がある。
 聖ユハネ・ネネポムックのカトリック教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Johannes Nepomuk
  この町のカトリック教会は、1735以来聖ユハネ・ネネポムックと呼ばれた。カトリックの現在
    の教会は、1894-96にネオロマネスクの3通路の教会が建てられた。教会の100周年
    を記念して改装が更新された。
 新教教区教会 Ev.Pfarr Kirche (11c) 漁師と船頭の守護聖人の聖ウル
    リッヒに奉献された旧教会は、ネッカー川の畔に後期ゴシック単身廊の
    教会は12-13cに旧教会の基盤壁の上にたてられた。1520に身廊が建てら
    れ、1770-71には西に拡張された。1854,1898,1963-64に改修され、
    1990-96にも大改修が行われた。
 市場広場 Marktplatz (13c) かってここに市庁舎があり、1707-19c終
    わりまではカトリック教会として使用されていた。現在は旧市街地の中
    心広場として賑わい、毎水曜日・土曜日に仮設市場が開かれている。
 ガストハウス:ドルケン Gasthaus Zum Dorken () 切妻付き木骨造の大きな木
    組の美しい2階建の建物で、独自の醸造所を持った町でも有名な旅館で
    あった。
 旧旅館:ラム Ehm.Gasthaus Zum Ram (1507) 彫刻のある切妻付きの2階
    建ての木組みの建物。
 衛士詰所 Schilder Haeuschen (1569) フランコニア様式の半木造の
    建物で、上階の木組みは張り出して傾斜している。
    旅館:騎士 Ehem.Hote Zum Ritter (1579) 中庭のある大きな3階建
    のルネッサンス半木造のホテルである。門アーチの入り口には1579の年号があ
    る。今はホテルKredellである。

5.町の略図

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ネーレスハイム Neresheim v98

写真

市庁舎・博物館 市庁舎
南壁 南東壁
福音教会 南壁
修道院

1.歴史

 1095 ディリンゲンの領主が修道院の建設、1190 ロマネスクの修道院教会の完成、
 1290 エッチンゲン方伯が町を引継いだ、         1343 市場を開催、
 1405 大火、都市要塞の再構築、 163430年戦争で260人を残して町を放棄、
 1694-1720 バロックの新修道院の建設、       1776.96 仏軍が占領、
 1802 修道院の世俗化、             1806 バイエルン領となる、
 1810 ヴィッテンベルク王国に、       1966 荒廃の修道院教会の改修。

2.市壁  0.12km 0.14

   ネッカースハイムの旧市街は、190m×120mの右肩下がりの楕円形の市壁で囲ま
    れていた。北側には、3か所で100mと、南の駐車場に僅か5+2+10=20m
    の銘板を付けた市壁が残っている。

3.門塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   東の丘の上に大修道院が立ち、麓の旧市街は狭く静かな町である。
 市庁舎 Rathaus (15c) 箱の家として建てられ、後に郡長の公邸と
    なり1531火事で壊れ、1628に新築され事務所として使われた。
    1760市庁舎として修復され、丸天井と地下牢の入口のある元の姿に見
    事に復元された。
 教区教会 Pfarr Kirche (1465) バロック化され、1717ツインマーマンの記念碑
    的な祭壇が有名である。  修道院 Kloster Neresheim (1095) ベネディクト会修道院はHaertsfeld
    の丘の上に1694-1720バロックの修道院を再建した。修道院教会はノイマンの
    設計で1792に完成した。教会内のフレスコ画はキリストの生涯をチロルの画家ノーラー
    によって明るく描かれている。
 ヘーツヘルド博物館 Haertsfeld Museum (1531) 市庁舎の隣に伯爵の公邸
    として建てられ、1628火災後に再建された。1766建物を改修し1806民
    間に売却されロープ工場となった。1970博物館になり、屋根裏部屋には
    農家・2階には子供部屋・アラマン族からの歴史・地階に台所や寝室の生活文
    化・地下には19cの薬局が展示されている。

5.町の略図

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ノイブラッハ Neubulach W1

写真

旧市庁舎 マルクト広場
カルバー門 泥棒塔
西壁 南壁
東南壁 北壁

1.歴史

 700 村やAltbulachの出現、  1100 チュービンゲン侯爵パラチーノは銀鉱業を開始、
 1220 Bulachは町の憲章を授与・鉱工業最盛期、1235-73 ホーエンベルク侯爵が取得、
 1326 大火災の発生、  1440 プファルツ伯ルブレヒトはヴュルテンベルク伯爵に町を売却、
 1525 農民戦争で鉱業は停止、1558 侯爵クリストファーはヒルザウ修道院から町を取得、
 1601 低収益な鉱山は放棄。 1927 鉱山は閉鎖された。

2.市壁  0.45km 0.82

   市壁は、1220-1312に建設され、今でも南部分を除いて残されている。

3.門塔  1門1塔

 カルバー門 Calwer Tor (13c) シルアー門とも呼ばれる西市門で、4階建の
    四角塔
   の最上階は見張所であり、登れば素晴らしい展望が見られる。
 泥棒塔 Diebs Turm (13c) 西北の最高地点に立ち、昔は兵器庫であっ
    たと思われ
   るが、農産物泥棒の監獄となったため、この名が付いた。1525農民戦争の
   指導者は捕らえられ、ここに数週間収容された。

4.見所  D

    川を渡って山に登り、山の上にある昔鉱山があった小さな町である。
 旧市庁舎Altes Rathaus (1604) 2階建木組の家で、2005まで市庁舎と
    して使われた。2006からは上階は市図書館、地階は催物や展示会場・カフェ:
    旧市庁舎として使われている。
 市教会 Stadt Kirche (1275) 初め聖メアリ教会として建てられ、30年戦
    争が終わった時の牧師の妻が寄付した1648の十字架が1954の祭壇の上に
    飾られている。
 旧城 Ehem.Burg (15c) 市街で一番高い所に立ち、ロマネスクの入口と二つ
    の建物の基礎が残っている。1562-70はヴュルテンブルクの代官が住んだ。今の
    木組の建物は、火災後18cに建てられた物で個人所有である。
 石の家 Steinhaus (15c) 1505の大火事に生き残った石造建築で、今は
    靴屋のワークショップと小さな博物館を収容している。
 城代官 Burg Vogtei (15c) 3階建木組の建物で、今は鉱山と黒い森の
    ミネラル博物館になっている。
 鉱山訪問 Besucher Bergwerk () 旧市街の南東にある鉱山跡の地下400
    mにある銀鉱山坑道が5時間で見学できる。

5.町の略図

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ノイデナウ Neudenau W2

写真

市庁舎 南東壁
南西壁 南壁・聖ローレンス教会

1.歴史

 1251 ノイデナウの初文書言及、           13c 市壁が築かれた、
 1263 Stadtと呼ばれた、        1300 ワインスベルクのコンラッドが所有、
 1364 マインツ大司教が買収し1802まで所有、 1640 30年戦争の軍駐留で被害、
 1803 ナポレオンの世俗化でヴェンツェル伯爵が受け取った、
 1806 バーデン大公国の支配下となりモースバッハ地区の田舎町となった。

2.市壁  0.21km 0.25

   12c中頃に町は強い市壁で囲まれ、土堤と濠をめぐらせ7塔で守った。
  市壁はまだ南側に残り、旧看護の家の近くに市壁塔の基部がある。1840
  に市門・塔・市壁の大部分は交通の円滑化のために取除かれた。今は市壁を
  潜って外のプラスティックの張出台に出ることが出来、外側から市壁が見られる。

3.門塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   南向けの斜面に築かれた小さな町で、15cの古い木組の家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1587) 正方形のマルクトの北側に、地階石積みで上2階
はルネッサンス木組の建物が修復されてある。その周囲に1631の高い木組の建
    物が並んでいる。マルクトの噴水は1828と1911に改装され水を湛えている。
 教区教会・聖ラウレンチウス Pfarr Kirche St.Laurentius (1741) カトリックの教
    区教会で後期ゴシックで建てられた。塔はゴシックの先行建築を取り込んで
    いる。
    西側の円形階段塔は1898に付け足された。2012に外装が更新された。
 ノイデナウ城 Burg Neudenau (13c) 始めに塔は丘に築かれ、1802マインツ選
    帝候国は、都に郡庁を置いた。1803-69ライニンゲンのベンチェルの息子は、城
    を伯爵の宮殿に改改造した。その男やもめはハイデルベルクのウイルヘルム・ヴァイ
    ラッハ城を売った。相続後1871に宮殿は町に買われ、1961まで校舎とし
    て使われた。今1961から郷土博物館として町の歴史文化と鍛冶屋工房
    が展示されている。

5.町の略図

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ノイエンシュタット Neuenstadt am Kocher W3

写真

マルクト広場 役所
上門 宮殿
上門外

1.歴史

  797 元の集落はプレタッハ川の氾濫原にあった、14c 集落は尾根に移動、
 1392 ワインバーグの領主は新都市を所有・構築、1504 ヴュテンベルク侯爵が征服、
 1558 城と市壁を拡大、        1617-31 侯爵の邸宅が置かれた、
 1634 30年戦争で略奪があった、    1649 ヴュルテベルク・ノイシュタットが居住、
 1831 町を大火災が襲った、      1945 二次大戦で町の8割が破壊。

2.市壁  0.09km 0.15

   14cの市壁は、東に広がる台形で、2門・塔・堀・ツインガーを配置して建設
    された。西側の北隅に城が築かれて強化された。1762の地図には台形
    の内側市壁の位置が良く分かる。

3.門塔  1門0塔

 上門 Oberes Tor (1300) 8.45mの正方形基礎の上に、高さ37.5m
    の高塔が壁厚1.3mで立っている。初めの塔は1683に倒壊したが、30年
    戦争後の財政難で再建できなかった。ヴュルテンベルク州のアッパーオフイスの援助
    で1703に2番目の塔が守衛の住居と共に再建された。1831大火事で焼け
    、その後に住居を除いて再建された。1945戦災には生き残り、1956歩
    道が付けられた。今、塔上部には小博物館が置かれ、旧監獄・小塔室
    ・古い道具がある。

4.見所  C

   ヨーロッパには、ノイシュタットという町が37もあり、内ドイツには25もある。
 市庁舎 Rathaus (14c) 旧市庁舎はマルクト広場に立っていたが、1945
    戦災で崩壊し撤去された。新市庁舎は西の市壁外に新設された。
 宮殿 Schloss (1392) 今の宮殿の最古の部分は1559-65の3階建石
    造の北翼でその東側にルネッサンスの入口部がある。東翼は17c石造3階建
    である。1618-1781はヴュルテンブルク・ノイシュタット家がこの城に居住した。そ
    の後穀物蔵や兵舎として使われ、1945戦災で東翼の上階が壊されそ
    の跡に木製のギャラリィを付けられた。
 役所 Amthaus (1488) この役所の北側に市壁から突出した形で防
    備をを固めた。今は営林署・警察署・音楽学校である。
 市教会 Ev.Stadt Kirche (1300) 城の礼拝堂から1481聖ニコラス教会
    として成立し、1596には正方形から延長された。1650-1781ヴュルテン
    ベルク・ノイブルク家の多数の人々が、聖具室と内陣の下に埋葬されてい
    る。1891の改修後は1945被災迄は変化なかった。1950に被災後の内
    陣修復が終わった。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehntscheuer (17c) 1945被災後に後側
    の南市壁の部分のみが放置されている。
 メーリケ薬局 Moericke Apotheke (1707) 薬剤師メリーケは市薬剤師とし
    て成功し、息子は血液浄化丸薬を生産して豊かになった。マルクト広場
    の南側に風格のある大きな薬局と住居を建てた。1910には所有者が
    変わった。
 木組の家 Fachwerkhaus  1945の戦災を生き延びた歴史的な木組
    の家:修道院シェーンタール(1488)、教区司教館(1749)、メーリケ薬局(1707)。
 羊小屋市博物館 Stadt Museum in Schafstall (1991) 町の歴史と
    メーリケ家の資料が展示されている。

5.町の略図

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ノイエンシュタイン Neuenstein W4

写真

市庁舎 ノイエンシュタイン宮殿
守衛詰所 市民塔
南壁 北壁

1.歴史

 1200ノインシュタイン城の建設で初言及、1230ノイエンシュタインはシェンタール修道院の証人、
 1351 ホエンローエ・ヴァイカースハイム家クラフト3世は皇帝カール4世の許可を得て町に都市権を
   授け、市壁・堀を築き、市場を開設し宮廷を設置し1553まで所有した、
 1553 ホエンローエ家の分割で ホーエンローエ・ノイエンシュタイン家が町を所有、
 1698 ノイエンシュタイン家の断絶でホーエンローエ・エーリン家に属す、1806ヴュルツブルク公国へ、
 1885 町の大火災。

2.市壁  0.36km 0.64

   1351皇帝カール4世は町の防備を行う権利を与え、旧市街の北側市壁は
    高さ7mであり、1543北東と南に外側市壁を築き強化した。162030年
    戦争の早い時期に、ホエンローエ・ノイエンシュタインは市壁を更新した。19c後半に
    は2門と市壁の損傷部分は取り除かれた。

3.門塔  0門3塔

 市民塔 Buerger Turm (1547) ホーエンローエのアルブレヒト3世は、1543に市
    壁の北東隅に円塔を建てて強化した。1620ノイシュタイン家は3階建の円塔を
    嵩上げして、碑文と紋章を付けた。1911老朽化した塔は補修費用が無
    いので、ホーエンローエ・エーリン家に手渡した。
 フランス塔 Franzosen Turm (1620) 町の市壁を改造し、南側第2境界壁
    の南東の角に1階建の塔が置かれた。1988には改修された。
 泥棒塔 Diebs Turm (1547) 高さ29m幅6mの塔は丘の上にあり、崩壊
    危険性からの1791に市壁の高さまで壊され、19c終わりに除去された。

4.見所  C

    ホーエンローエ・ノイエンシュタイン家の宮廷都市であったが、旧市街は意外と小さ
    い。古くからの建物は改修されながら多く存在する。
 市庁舎 Rathaus (16c) 初めの3階建木組の家は1743焼失し、1744に
    新築された。床の追加・マンサード屋根・鐘楼が付けられた。地階と上階の
    美しい木製トラスは1926に露出された。玄関ドアには、町とホーエンローエの紋
    章がある。右ドアの上の碑文は1782に付けられその後市長が修正した。
    1978-91完全に改修され隣接する二つの建物に拡大した。
 ノイエンシュタイン宮殿 Schloss Neuenstein(1200) 初めは砂岩の上に堀城が
    建てられ、貴族の本拠地として使われ、その東に集落が形成された。
    331皇帝カール4世は町に都市権を与え町を整備された。1556-64ホーエンローエ・
    ノイシュタイン家はルネッサンスの宮殿を宮廷として建てた。1648ホーエンローエ・エーリンゲン
    家に移り、1773王子に信託したが、1806ヴュルツブルク公国が所有した。
    1878ホーエンローエ家の博物館が宮殿に開設された。1906-14宮殿は再建され
    新しいフリントロックを増加した。1963ホーエンローエ・エーリンゲン家の王室は新しい
    フリントロックに所在した。
 市教会 Stadt Kirche (15c) 1499エーリンゲン教区から独立して、15c
    ゴシックの教会が建てられた。1609-11内陣が組入れられた。
    ゲオルク・カーンの家 Wohnhaus Georg Kern (1618) アーチ屋根の地下室の上
    に3階建の住宅が建てられ、1780には7分割された。1850-56町がすべ
    ての家を購入救貧院として使ったが、1857には放棄された。2000再
    び住宅となった。
 ピストリウスの家 Haus Pistorius (1672) この3階建の建物は、市長な
    どが使用し、18-19cにはパン屋が所有した。
 防御宿屋:鷲 Schildwirtschaft Zum Adler (1625) 1672からは宿屋
    になった。1743馬小屋で火事を起こしたが、再建された。1983-84再
    開発の一環として改装され、古いトラスを回復した。
 旧病院 Alte Spital (1474) ルネッサンスのマナーハウスとして建てられ、改革
    後は官邸となった。18c住宅となり、1883町が買収し地区病院とした。
    老朽化した建物は1922住宅となり、1997改装された。
 料理屋宿:獅子 Gastwirschaft Zum Loewen (1625) ゲートと呼ばれる
    宿が建てられた。1712隣接して風格のある宿に建て直され、入口の
    上には碑文とライオンと年号がある。
 旅館:金の太陽 Gathas Zur Goldener Sonne (1786) 郊外の2階建木
    組の家で、二つのクロス破風とマンサード屋根のある美しい建物。
 郊外広場 Alte Spital (1474) 1841に上門の外へ最初の拡張が行
    われた。この広場の周囲には商用ビルや住宅がたてられ、毎週市が
    立った。2016広場は再開発された。
 役所薬局 Amthaus Apotheke (16c) 風格のある大きな2階建の漆喰
    木骨造建物で、公式荘園の職員住居やホーエンローエの事務所であった。
    1812薬剤師が購入して薬局になった。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehent scheuer (1558) 古い2階建上階木
    組の旧十分の一税倉庫で、地下には2,092hlのワイン樽がある。1812市
    民が所有し、1908ホーエンローエ・エーリンの会社が購入しバロックに転換、1920に
    は教区が所有した。1960ルネッサンスの建物は完全に壊され、プロテスタントの
    集会所が建てられた。
 娘建物 Fraeuleinsbau (1574) 16cから行政の場や農家として使
    われたルネッサンスの建物である。1781住宅として市民に売却され、1958
    醸造所になった。
 元湯屋 Ehem.Badhaus (1357) 古い建物が立っている。ここで入浴
    と理髪・外科・創傷・骨折を処理した。
 守衛詰所 Walkhaus (1774) 3階建上階木組の守衛詰所は、王室か
    ら市民に売却され 特定の時間には門を閉めることを義務付けた。
    1906ホーエンローエ・エーリンの会社が購入しルネッサンスに再構築した。
 研磨工場 Schleifmuehle (1669) フランス塔の南に1669の粉ひき所があ
    り1709粉砕ミルとなり、1911バックガライドミルになった。2011-13粉砕ミルに住
    居と付属建物を再建した。
 旧学校 Alte Schule (1620) 2階建木組の建物は、教師の住居と校
    舎であった。1878幼児学校が開設され1954まであった。

5.町の略図

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ノイフェン Neuffen W5

写真

市庁舎 新教マーチン教会
ハウプト通 市壁柱
南東壁 東南壁

1.歴史

 1100 ツバイファルテン修道院の文書に初言及 、1232 町は都市権を授与された、
 1300 シュタウフェン朝終焉後ヴュルテンブルク侯爵が支配、14-16c 町の最盛期3門8m市壁、
 1500 ホーエンノイフェン城はヴュルテンベルクの要塞へ、   1634 30年戦争で町は破壊、
 1700 ペスト流行で人工は1/3に、 18c 旧市街中心部の発展と壁や門の解体。

2.市壁  0.16km 0.32

   13c胸壁を含め高さ8mの市壁が築かれ、貴族は市壁の上に建物を建て防
  備を強化した。前面の堀に3市門があったが1840には堀と門は解体された。
  西・南西・東南で市壁が建物に組込まれている。

3.門塔  1門0塔

 ルードヴィッヒ小塔 LudwigsToerle () 新しい学校や新しい住宅地への
接続のために、石工が壁に穴を開けた。
 下門 UnterTor (1232) 高さ8mの市壁と衛兵詰所と共に建てられ、
    1840に解体された。
 ワイン山門 Weinberg Tor () ワイン園への直接の出入り口として造られ、
    1840に除去された。

4.見所  B

 市庁舎 Rathaus (17c) 3階建木組の家で、地階はアーケードで市場が
    開かれていた。2階は会議や祝祭のための広間があり、3階は市長と市
    の行政の場で、屋根裏は穀物倉庫や乾燥空間であった。30年戦争中に
    破壊されためらいなく新構築された。
 新教マーチン教会 Ev.Martin Kirche (1504) 木製の教会はフランク時代に構
    築された。貴族の墓のためにロマネスクの教会が建てられ、後期ゴシックの教
    会建設は帝国都市の時代に行われた。宗教改革時に多くの祭壇画奪わ
    れた。火事で本堂と塔が壊れ、内陣のみ残されたが、好況時に再建さ
    れた。
 大穀物倉庫 Gross Frucht Kasten () 収穫物物納のために使われ、
    大きなアーチ天井にワイン樽があった。火災後再建され度量衡が収納された。
 新教牧師館 Ev.Pfarr Haus () 以前の建物の基礎の上に入口ルネッサンス
    2階建の建物を建てた。
 チューダー様式の家 Fachwerk Haus (18c) 装飾用トラスのある2階建木組の
    住居。
 チューダー様式の家 Fachwerk Haus (18c) 上門の場所に、大火事の後に
    風格のある家が再構築された。
大きい又はシリングの家 Gross oder Schillingsches Haus (1270) 市壁
    の上に構築された3階建の黄土色の建物で、住んだ家族の名前が付け
    られ、30年戦争の略奪を生残った。市が復元し図書館・博物館・文化行
    事に使用。
 メルヒオール・イエーガーの家 Meelchior/Jaeger Haus (1582) ヴュルテンベルク公爵
   ルードヴィッヒの代官が2階建の家を建てた。1590井戸や付属建物を追加した。
   廷氏の公邸として使われ、町が買収し復元した。
 領主の紋章 Wappen der Herren von Neuffen () 皇帝フリードリッヒ2世の
    息子から町の紋章を授与され、下門の所に壁を作って紋章を表示した。
 代官の家 Vogt Haus (16c) 城代の息子が市壁の上に邸宅を建て、
    その後公証人・1834教師・アパートで使われ、今は町の住宅。。
 市壁の上の家 Haus aud den Mauer () 市壁の上の3階建の木組の家
    で外階段が付いていた。年号の古い梁や木製の窓に特徴がある。
 旧銅鍛冶と十分の一税倉庫 Ehem.Kupferschmiede und Zehentscheune
   (17c)広々とした木組の家で、その後ユダヤ人が所有して近隣の木組建
   物と共に改装された。
 町の絞り場 Stadt Kelter (17c) この町にはブドウ畑が70haあったが
    今は20haしかない。ブドウ絞り機は町に4ヵ所あったあったが、30年戦
    争で壊され、新しい2つの絞り機が設けられ、リースや町のワイン協同組合に
    よって再構築されている。

5.町の略図

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ニーデルンハル Niedernhall W6

写真

市庁舎 ハウプト通
南塔 牡豚塔
北壁 マレフィッツ塔・東壁
西南壁 北壁

1.歴史

 1037 公爵コンコルト2世募金証書に言及、1356 ホーエンローエ公爵とマインツ選帝侯が支配、
 1356 皇帝カレル4世は町に昇格させた、   1363 市壁・2門・塔で町を守った、
 16-18c 宗教改革・ペスト・30年戦争・仏革命・ナポレオン戦争を多くの建物が生き残る。

2.市壁  0.48km 0.77

   1363皇帝カレル4世は市壁を建設し、現在でも3/4は残っている。

3.門塔  1門2塔

 塩門 Salz Tor (14c) 新しい学校や新しい住宅地への接続のため
   に、石工が壁に穴を開けた。
 マレフィッツ塔 Malefiz Turm () 高さ8mの市壁と衛兵詰所と共に建てられ、
   1840に解体された。
 牡豚塔 Saeu Turm () ワイン園への直接の出入り口として造られ、
   1840に除去された。

4.見所  B

    小さな町は何世紀を通じてほとんど無傷で、1983から町全体の保全
    を行って、その文化的・歴史的な宝物を維持しており、中世雰囲気は濃
    厚である。
 市庁舎 Rathaus (1477-90) 2階建切妻付の白い漆喰装飾の建物で、
    大規模なオーク材の柱や梁のある天井があり、地階に郷土博物館が古い広
    間にある。
 聖ラウレンテュース教会 St.Laurentius Kirche (1200) 豊かに飾られた正面
    のロマネスクの建物。
 歴史的絞り機 Historische Kelter () 旧市街の市庁舎の西南に大き
    なワイン工場が残っている。
 ゲッチェンの家 Goetzen Haus () 入口の美しい塗装の木組石膏塗りの家
    からゲーツ・フォン・ベルリヒンゲンは学校に通った。
 町公会堂 Stadthalle () 旧市街の西北の角にある巨大な建物。

5.町の略図

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ニーダーシュテッテン Niederstetten W7

写真

市庁舎 鐘楼
狐塔 湖塔
ラッペン塔 北壁
東壁 南壁

1.歴史

  780.830 ヴュルツブルク司教とフルダ修道院の十分の一税論争の記述で初言及、
 1340 領主は町をバイエルンへ売却、   14c 町は市場権と裁判権を得た、
 1322 コンラッドは城と町を封土された、15C 町の最盛期で大建築物が造られた
 1367 皇帝は都市権を更新し、町は市壁と堀で囲まれ門や塔が立てられた、
 1416 城は建てられ、ホーエンローエ家は16-17cに何回も拡張・改築された、
 1803 ホーエンローエ家が町を承継、     1806 ヴュルツブルク王国へ、
 1945 2次大戦の空爆で町の半分は被害を受けた。

2.市壁  0.32km 0.36

  14cの市壁は、主として東側に断続的に高い壁が残っている。

3.塔  0門5塔

 白馬塔 Schimmel Turm 北 高さ15.5mの白い円塔で昔は見張塔。
 湖塔 See Turm 東南角 1988に再建された3階建て円塔。
 黒馬塔 Rappen Turm 西南 2階建て円塔。
 狐塔 Fuchs Turm 東北角 3階建て円塔に円錐屋根。
 鐘楼 Glocken Turm 東北 教区教会の鐘楼で5階建角塔に時計付。

4.見所  C

   美しい木骨造の家屋と高い塔に囲まれた趣のある小さな町。
 市庁舎 Stadthaus 地階は石造で前面は開かれ、上階に木組の建物
    が乗っている大きな建物。鐘楼が付いており、隣接して白色の円塔が
    立つ。
 聖ヤコブ教区教会 Ev.Pfarr Kirche St.Jakobus 5階建ての角塔を持つ
    教会で、近くに大きな教区会館Gemeindehausもある。
 ハルテンベルクーステッテン宮殿 Schloss Haltenberg-Stetten 山上の宮殿には、
    バロックの教会と旧守衛詰所もある。
 アルバート・ザムト・ツェッピェリン博物館 Albert-Sammt-Zeppelin Museum 1889生
    まれのアルバートは、ツェッピェリン飛行船の最後の船長であり、飛行船の歴史
    と大西洋横断や世界一周の説明が展示されている。
 郷土博物館 Heimat Museum 20cまでの生活状況を、保存状況の良い
    家と庭で示している。
 ブドウとワイン博物館絞り所 Kelter und Weinbau Museum 1803からの元
   ワイン製作所に開設された博物館で、200以上のワイン製造機器が展示され、
   ブドウの生育・分布に付いての説明もある。
 旧十分の一倉庫 Ehem.Zehntscheuer
 子豚市場 Schweinechen Markt 月曜日の10時から子豚の市が昔のよ
   うに開かれる。

5.町の略図

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ニュルティンゲン Nuertingen W8

写真

市庁舎 リーガの家
ブロック搭 聖ラウレンチウス市教会

1.歴史

  1046 王ヘンリー3世のシュペイヤー大聖堂贈与文書に初言及、 1335 ヴュルテンベルク
   公爵ウルリヒ3世は町に昇格させ役所を置き市壁建設・法廷の権利を与えた、
 1421から17c 城にヴュルテンベルクの未亡人が住む、 1526 裕福な病院の設立、
 1302 最初の学生の五月祭、 1634 30年戦争で町は荒廃、ペストで人口減、
 1750 大火災で町は壊滅その復興の姿が今の外観、1783 最初の中学設立、
 1783-84 ラテン語学校にヘンダーリンとシュリングが訪問、  1816 工業化の始まり。

2.市壁  0.02km 0.02

   14-15cの市壁は、町の納税者の資金で、砂岩切石で築かれ、健常男
    性が守り・修復しなければならなかった。堀は1329に言及され、4市
    門と高さ8mの壁は内側市壁であった。高さ6ft幅1.5-1.6ftの壁・6ツインガ
    ー中庭・幅12ft深さ8ftの前堀のある外側市壁も造られた。今は殆ど残
    っていない。

3.塔  0門1塔

 ブロック塔 Block Turm (1430-35) 町の東南の角を守った塔は、高
    さ16.9m・外径23m・内径12.86mの大きさで、壁上通路と地上階段に通じ
    ている。1568貿易塔となり、後に刑務所であった。1920-56は緊急宿
    泊所。

4.見所  C

   美しい旧市街は、ゴシックの教会・木組の家など丁寧に復元された建物な
     ど、一見の価値がある。
 市庁舎 Stadthaus (1476-77)完璧に左右対称の建物で、古典的な改
    造が行われている。中世の町役場は、1987-91に近代的な大きな窓の日
    当りの良い拡張が行われた。古い建物の中には強力な木造構造が判明。
 聖ローレンス市教会 Stadt Kirche St.Laurentius (15c) 現在の3身廊の教
    会は3番目の物で、1500年以上も旧市街地の屋根の上に聳えた。教会と
    塔の中には、
   町の重要文化財を収容している。四角い高さ48mの塔は、189段高さ36m
   まで登れる。昔は塔守が住んで見張をしていた。塔守の住宅は43m2で、
   1949まで人が住んでいた。
 聖十字架教会 St.Kreuz Kirche (1455) 墓地教会として、市壁の外
    に建てられ、1980年代に再建された。
 聖ヨハネ教会 St.Johannnus Kirche (1950) 芸術的な教会は、芸術家
    オットー・ハーパー・ハエックの初期と後期の作品は収納されている。
 ザレム館 Salemer Hof (13c) 印象的な木組の建物で、シトー派修道士の
    救護所として建てられた。ザレムからの修道士は大規模な団地をこの町
    に設けた。1483-84救護所の木組のトラスは1984-89復元の際に露出された。
 ラテン学校 Latein Schule (1481) 後期バロックの2階建の建物で、学校は
    高い評価を得て、ヘンダーリンとシュリングが学んだ。町の書記室・郡庁・ラテン語
    学校の公共建物群は評価されている。

5.町の略図

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オーパーキルヘ Oberkirche W9

写真

旧市庁舎 上町門
南壁 東壁

1.歴史

 1007 皇帝ヘンリー2世はバンベルク司教に与えた、1218 バーデンの領地になった、
 1225 ストラスブルク司教の教区礼拝堂へ、 1326都市権が授与され市壁で囲まれた、
 1525 農民戦争、          1592-1664 ヴィリアンブルク侯爵が支配、
 1689 30年戦争で全ての家屋が破壊、1803 再びバーデン領に役所設置1936迄、
 1918 1次大戦で被災し仏軍が占領、    945 2次大戦で被害を受けた。

2.市壁  0.06km 0.04

    二つの水濠と二重壁があった。1820から市壁は家の壁などに使われ、
  LoewenGasseに20mとSuedringに40mが説明版付で残っている。

3.塔  0門0塔

   古くは外壁に2門と12円塔があったが、全く見当たらない。
 上門 Oberes Tor 5階建ての角塔で昔は前門と跳ね橋があり、塔は
    刑務所やイルカ薬局があったが、今は何もない。
 上門 Unteres Tor 1822に市壁の大部分は壊され、1890まで小型の
    衛兵所があったが、今はない。

4.見所  C

   小さな旧市街の町には、木組みの家の中に大きな石造の建物が混在
    する。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1802) 狭い側の中央窓の上に小屋根が付
    き、屋根の上に鐘楼のあるライトストーンで造られた建物で、今、地階は市
    図書館、上階は市市博物館として市の歴史と工芸品・バロックの詩人
    グリンメルスハウゼンの人生を展示。
 旧市宮殿Ehem.Stsdt Schloss (1743) この宮殿はバロックの市公会堂
    として建てられ、主入口は二重階段でバルコニィの下に繋がり、錬鉄製
    の手摺や窓飾がある。
 カソリック教会 Katholische Kirche (1863-66) 古い教会は13cに狭くな
    って壊され、1866にロマネスクリバイバルで再建された。1871に火災で塔の下
    の部分しか残っていない。
 公邸 Amtshaus (1704) 石造のおきな建物が建てられ、1758-72ストラス
    ブールの王子の司教領主の館であり、入口の上には領主に紋章がある。
 旧修道院建物 Probstei Gebeude (1689) 1684の破壊の後に古典様式
    で建てられた大きな石造建築である。1797火災に遭い簡素な形で再建
    された。地下室階段の入口上の飾りは旧修道院を示している。カソリック
    教区や学校として使用された。
 鞣し革工場建物 Gerberei Gaeude  (1707) 内側市壁の上に木組み
    の家が建てられ不規則な間取りとなっている。
 小川沿いの家 Haeuser in der Bachanlange (1689-1803) 元肉屋が入
    っていた2階建の木組みの家。

5.町の略図

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エーリンゲン Oeringen w10

写真

旧市庁舎 上門
市民塔 東壁
北壁 西壁
南壁 穀物庫
宮殿 市庁舎
木組家 中門
宮殿 宮殿

1.歴史

  155 ローマは砦を改築し千人の兵を置いた、  260 アラマン族が侵略、
 1037 初文書言及シュタウフェン時代の集落、  1240 市壁のある町になった、
 1253-1806 ホーエンローエ家が支配、1525 農民戦争勃発、1556 修道院廃止、
 1625-34 30年戦争の略奪とペストで困窮、 17c 王の居住地となった。
 1677 住宅が建設され城は拡張強化、1782カール王子は市域を拡大した、
 1806 ヴュルテンブルク公国に属した、、     1945 2次大戦で被災、
 1972 バーデンヴュルテンブルク州に統合。

2.市壁  0.87km 0.72

   シュタウヘン時代の1240に市壁は築かれた。多くの部分の市壁が、塔・壁上
    通路・銃眼・ピッチ流し口、周溝と共に残っている。市壁は、山頂の旧市
    街と、シュタウヘン時代の町とそれぞれ独立して囲っており、Altstadt
    Brueckeで繋がっている。

3.塔  2門7塔

 上門 Ober Tor 壊れた門の代わりの1792の鉄の門には東側の銘
    板には侯爵の紋章がある。1835に鉄の門は削除され、1955歩行者通路
    として西に造られた。1955.1991全体門は改装された。
 カール門 Karl Tor Karls VorStadtとの境界にあり、柵の上に半円額
    を掲げている。
 市民塔 Buerger Turm (1600) 北西の角に立つ2階建ての四角塔。
 ローマ・リーメス見張塔 Roemischer Limeswach Turm 北の外側に再建され
    た4.8×4.8mの角塔である。
 ブラス塔 Blas Turm 5階建ての見張塔と鐘楼を兼ねて、StiftKirche
    の前に立った。1991塔博物館となり、多数の展示がある。
 ガチョウ塔 Gaens Turm 円型塔の木造床、円錐屋根。
 養老院公文書塔 SpitalArchiv Turm 木造3階建て正方形の塔で腰
    折れ屋根。
 コウノトリ巣塔 Storchsnet Turm正方形の銃眼付壁角塔で鉄皮だった。
 ムコウミズ塔 Malefiz Turm 円型、ムコウミズの犯罪の償いの場所。
    ロマネスクの円形装飾帯があり壁厚1.1mで円錐屋根の形は、現代に修復。
   湯沸・雄鶏塔 Kessler oder Goeckels Turm 基礎壁は復元された
    角塔、銅細工組合から名前が付いた。ここで罪人は監禁された。

4.見所  B

   上り詰めた山頂に市壁に囲まれた小さな町があり、古い建物が多く
    残っている。休日でも観光案内所で観光案内書を取れる。
 旧市庁舎 Altees Rathaus (1504) 昔の市庁舎の場所に建てられ、
    ゴシックの正門を入ると元の市場がある。2階はダンス会場、3階はルネッサンス
    装飾の参事会場がある。1603豪華に飾られた正門と格間天井が加え
    られた。1992-93改修され、1994から市と郷土の図書館が入った。
 ホーエンローエ居住宮殿 Hohenlohisches Residenz schloss (1611-16) 古
    い教階参事会員の家の場所に、初めのルネッサンス宮殿が建てられ、
    ホーエンローエ家の未亡人が住んだ。その後居住宮殿として増改築され、
    1961町は庭園を含めて取得し1975行政のため内部の広範な更新が行
    われた。
 宮殿庭園 HofGarten (1712) 領主フリードリッヒ2世は、市壁との間を買
    ってバロックの庭園を設計・建設した。1787英国風庭園に改造された。
    1961町の所有となり、南の端に竹・紅葉・ツツジが植えられた日本庭園
    がある。
 司教区教会 Stifts Kirche (1020) エーリンゲン侯爵家は教区教会建て
    て、レーゲンスブルク司教区に譲渡した。今日の後期ゴシックの建物は、1451
    地下室、1454聖歌隊席・1465両塔・1485-1500身廊は階段付3廊、1860今
    日の祭壇・洗礼盤・説教壇を仕上げた。Blas塔は教会塔と見張塔と公
    文書塔を兼ねた。
 ホーエンローエ家衛兵所 Hohenroh Wach 大きな宮殿には100人以上の雇い
    人が居り、加えて100人の軽騎兵と選抜歩兵が居た。
 小宮殿 Palais 領主の建物は、夏の離宮としてバルコニィの手摺に紋
    章を付け別館と公園施設と共に建てられた。
 ホフイエーガー館 Hofjaeger haus (1578) 美しい3階建ての木組みの家
    は、ホフイエーガー王家の一時的な住居であり、1986の改修された。
 古い町 Alt Rtadt (14c) ホーエンローエ養老院は1370に円型の壁と楕円
    形の通路のある郊外地として成立した。中には、1370養老院・1376
    養老院教会・14c病院があり、周壁には5塔が立つ。  車博物館 Motor Museum 1948-60の車とバイクのコレクションを展示。
 海事博物館 Meere Museum 1981からの個人コレクションを基に、美し
    い紫貝・サンゴ・蝸牛・カニなど2千点の色や形が見られる。
 塔博物館 Turm Museum (1991) 元見張塔と記録塔に塔の歴史と
    生活を展示。

5.町の略図

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オッフェンブルク Offenburg W11

写真

市庁舎 西壁
西壁 南壁
東壁 東北壁

1.歴史

 1148初文書言及シュタウヘンの集落、1240 皇帝フリードリッヒ2世は帝国都市とし
  市壁を築く、1530カトリックの皇帝に服従、1632-35スエーデン軍は要塞を破壊、
 1689 仏軍による破壊、1803 バーデン大公国に編入されて自由帝国都市の
    特権を失う、

2.市壁 1.58km 0.71

   旧市街を取り巻く緑地に、7割の市壁が残る。

3.塔  1門1塔

  古くは4門有ったが、東門.エスリンゲン門.下門は壊された。
 ヴィンゼンチウス家門 Vinzentiushaus Tor 18cの門で1903に取り壊され
    再建。
 ニィネ塔 Nine Turm 内側市壁の塔が残っている。

4.見所  C

   大きな町の中に緑地に取り囲まれた旧市街があり、ハウプト通りを中
    心に2階建のバロックの建物が並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (1741) バロックの建物で窓は彫刻で飾られている。
    1989に電子制御のカリオンが付いている。
 旧マルクト広場 Alter Markt Platz 一角獣薬局(1720)3階建バロック、
    ペックシェーの家(1760)3階建バロック、イエラパイン金物屋(1896)3階建半木造、
    パッタニィの家(1793)。
 魚市場 Fisch Markt シカ薬局(1898)、鏡の館(1786)、ライオン噴水
    (1599)。
 騎士団の家 Ritterhaus (1784) 3階建て古典的な建物で、赤砂
    岩製の螺旋階段がある。今は博物館として使われ、地域の動植物
    や町の歴史を展示する。
 旧王室管理棟 Ehem.Koenigs Hof (1714-17) 3階建の前面は歯飾
    りが付けられている。
 旧カプチン会修道院 Altes Kapuziner Kloster (1641-47) 教会には
    木製祭壇がある。1822説教壇とオルガンが付けられた。木製の中庭回
    廊が美しい。1980年代の初めに建物は改装された。
 フランシスコ会修道院 Fraziskaner Kloster (1689) 1689の火災の後に
    バロックで再建られた。1968から学校も併設された。
 聖十字架教会 St.Kroeutz Kirche (13c) 13cの建物は1689にに焼
    失し、その後今の建物が建てられた。教会には3階建ての塔と3身
    廊があり、ゴシックの内陣には古い壁が残る。祭壇は1731に作成され
    1521ルネッサンスの十字架がある。
 聖アンドリュー教会 St.Andreas Kirche (1300) 病院の教会で1731に
    簡素な礼をゴシックの内陣とした。元病院は、1870-1956は消防署と
    して、1956-81は商業ビルとして使われた。

5.町の略図

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プフォルツハイム Pforzheim w12

写真

ライトガスト塔 北壁
南壁

1.歴史

 1067 この集落は皇帝ヘンリー4世の文書に言及、 80 市場権の授与、
 1150 900m西に新町を築いた、  1200 旧・新町を含む都市権の文書、
 1220 新町に宮殿の建設、    13-14C 市壁.市門.塔による防御、
 14-15C 活発な金融活動で最盛期、 1535-65 バーデン辺境伯の居住地、
 1618-48 30年戦争で旧町は壊滅、 1677-89 仏軍に3回も占領で略奪、
 1718 金.銀.宝石.時計の産業が興る、    1767 宝石工場の開設、
 1803 バーデン大公国の支配、 1945 第2次大戦の爆撃で町の98%壊滅。

2.市壁  0.10km 0.05

   市壁が残るのは、城山のLeitgast塔・城教会公園50m・白家広場・
    市劇場の南10mの4箇所である。

3.塔  0門1塔

  LeitgastTurm (13-14c)城教会の南西に立っている。
    この最後の塔は中世の 城と町を守るために見張り塔として建て
    られた。13-14Cのスタウヘン時代に最初は町側が開いた鉄板張り塔で
    あった。戦後の早期に居住塔に改造された。

4.見所  B

   1945の爆撃後に歴史的建造物で復元されたのは、城教会・工事監
    督聖歌隊席・塔・公文書館の4箇所である。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1471建、初めはデパートを市庁舎とし
    たが、1945に全壊し、マルクト広場に1911-12に新市庁舎を建てて旧市
    庁舎と主張した。
 公文書館 Archivbau 18C以降に少しずつ造られた施設は、隣
    接する王宮から離れて一つの建物の残りとして城教会の北に再建
    された。2階の搭上には駐在員事務所があり、地階には城教会の
    再建につての説明がある。
 城と司教区教会 Schloss&StiftsKirche 12c建、宮殿の聖ミカエル
    教会は、歴史的な記念碑であり現在の建物は複雑な歴史を持って
    おり、西の建物の最古の部分は12cでありアーチ型の門はロマネスクである。
 聖マーチン教会 AltStadtKirche St.Maritin 6-7C建、古い新教の
    教会、古いフランク時代の教会はローマの建物を基礎としている。今の外
    観は1948-53の再建であり、塔は単一の6階建であり、ネオクラシックのホー
    ル教会の中には古い建物の痕跡が見られる。
 工事監督教会 BarfuesserKirche 1280建、城の西にあり初期
    ゴシックに1945-57に修復された。1280に建てられたフランシスコ教会に始ま
    り、1689に大々的に改修され18Cに残っていた内陣はフランス改革派の
    ものである。後でカソリックの教会に改修されても使われた。
 城址 BurgruineLiebeneck 12C建、城址へは急傾斜の登り坂の
    後に谷を屈曲して達する。城址は、城の突出部の上に森に隠され
    て起立している。1263の城はバーデン辺境伯に属した。1692に戦争
    で燃え尽き、その際に貴重なプフォルツハイム公文書は焼失した。防御
    施設は二重壁の八角形である。
 宝石博物館 SchmuckMuseum 5千年のオリジナルと西洋の宝石の歴
    史を展示。
 町博物館 StadtMuseum 11Cの新町の誕生から、破壊の1945ま
    でを展示。
 燕の館 VillaRustica ハーゲン射撃の北西に、1966-75に取囲む
    壁の基礎とローマ宿屋湯屋を取除いて復元した。見物は無料で近づ
    き易い。

5.町の略図

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プフレンドルフ Pfullendorf w13

写真

上門 中央通
マルクト広場 郷土博物館

1.歴史

 11C末 領主に最初の言及、     1220 フリードリッヒ2世は町に昇格、
 1383 ギルド憲章を定めた、1803迄続く、1415 評議会は最高裁を置く、
 1328-37 未亡人の居住場所、        1339 都市として言及、
 17-18C 農民一揆.39年戦争.仏革命.ペストに、代償を払って破壊を防ぐ、
 1803 バーデン大公国となり1936まで郡庁、     1936 ユーバーリンゲン、
 1973ジグマリンゲン、         1944-45 2次大戦での空爆被害大。

2.市壁  0km 

   見当たらない。

3.塔 1門0塔

 上門 OberesTor 美しい白色の二重門。前門は2円塔をアーチ
    で繋ぎ、正門塔は高さ38mの展望台となっている。

4.見所  D

   斜面に広がる小さな町、坂の道に木組の町並がある。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1524建、帝国都市の高い尖塔のある
    建物、会議室は初期ルネッサンスのガラス絵で飾られている。
 聖ヤコブ教会 St.JakobusKirche 1480-81建、ゴシックの聖堂、
    1750にバロックに改装。内部の漆喰塗りの壁が美しい。
 町図書館 StadtBuecherai 1515建、研磨石で造られた3階建
    ての建物、今は、町の公共図書館。
 郷土博物館 HeimatMuseum 1499建、Bindhausは地階石積の上
    に3階建の木組が載っている。中には田舎の生活と手工芸美術の
    展示があり、昔の人の働きかたと住み方が分かる。
 古ライオンギャラリー Galarie AlterLoewen 元ビール醸造所であり、今
    は町立のギャラリーとして芸術の展示会がある。

5.町の略図

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ラドルフツェル Radolfzell am Bodensee w14

写真

市庁舎 地獄塔
防衛塔 北壁
東北壁 東南壁
南壁 聖母大聖堂

1.歴史

  826 ライフェナウ修道院の司教が礼拝堂と住居を設けた、1100 ラウヒェナウの
    アプト・ウルリッヒはハプスブルクの賛同を得て特権のある交易の町を建設、
 1267 アプト・アルブレヒトは市場・防衛・自治権を授与、1300大郡庁所在地の特権維持、
 1415 法王ヨハネス13世はコンスタンツからここに逃れた、1455 ハプスブルクの再支配下に、
 1506 王マクシミリアン1世は重罰裁判権を与えた、1525 農民軍は1万人で攻込んだ、
 1563 ハプスブルク皇帝フェルディナント1世が滞在、 1609 地主貴族ハンスは建物を贈った、
 1805まで その建物は集会と行政管理の場となった、1826 町の特産品はワイン、
 1870 ワイン畑は28haに及んだ。

2.市壁  0.17km 0.10

   14cに4市門のある市壁が建設された。今は東北の隅と東南の隅に残る。

3.塔 1門3塔

 上門 OberesTor (13c) 東側に4小塔付の尖塔を持つ高さ14mの角塔で
    1870に改修された。
 火薬塔 Purver Turm (13c) 東南の公園内にある円塔で1860の鉄道建設
    に生き残った。円錐屋根に3銃眼がある。塔壁には鉄環があり、昔はボート
    を係留。
 地獄塔 Hoell Turm (13c) 東北の角に立つテント屋根の大きな円塔で、
    1896醸造所になり、地獄が設立された。1984ショッピングセンターが開設された。
 防御塔 Schuetzen Turm (17c) おそれくは石壁の外側に、トレイ塔として
    1683-85に建てられた。塔の町側はオープンで階段や床が見えていたが、そ
の後木製の壁が
   取り付けられた。18c末までは刑務所として使われた。1958からは地階は道路
   として使われている。

4.見所  C

   ボーデン湖北岸の小さな旧市街で、東側の緑地沿いに中世の防御施設が残る。
      町の中心には、大聖堂・市庁舎・宮殿などの重厚な建物がならぶ。
 市庁舎 Rathaus (1421) 古い市庁舎は1848に3階建に建て換えた。市庁舎
    には郡裁判所や市役所市場としても使われた。地階には昔ジャガイモと穀物の
    市場としてオープンアーチがあったが、今は窓になっている。
 聖母大聖堂 Muenster Unserer Lieben Frau (826) ラードルフ司教ベローナによっ
    て創建された。後期ロマネスクのバジリカを引き継いで、今の後期ゴシックの建物は
    1550に完成された。聖職者の教区教会としてだけでなく、建築様式上も象
    徴的な公共建物である。
 騎士の家 Ritterschafts Haus (1427) 多くの貴族は、この町が良く防備
    を固めていたため、第2の住所として選んだ。町は優遇し、1557から常設の
    会議場所を設け、シュバーベン騎士の徴兵区の中心であった。今は簡易裁判所
    である。
 オーストリア小宮殿 Oesterreishisches Schlosschen (1619) マルクト広場に孤立し
    た抜群の建物であり、文化遺産として記念保護の観点でも意義がある。
    オーストリア侯爵レオポルド5世が1619に建て始めたが18cまで未完成で、果物穀物倉
    ・ワイン貯蔵庫・倉庫を収容した。1734には市庁舎としても使われ、1980までは
    校舎であり、今町の図書館である。
 鍛冶屋路地 Schmieden gasse (12c) 1100-1267に実施された町の拡張で、
    周壁で囲まれて町の中心部に含められた。この通りには木組の家が多く幅
    の狭い家が並んでおり、7戸の鍛冶屋が定住していたために名前がついた。
 町博物館 Stadt Museum inder Alten Stadt Apotheke (18c) 古い薬局の建
    物は、ビダーマイヤー時に造られた薬剤室で、桜材と柘植材で仕上げられ美しい。
    1906に町の博物館が創立され、2006からは、古い町の薬局に移された。

5.町の略図

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ラーヴェンスブルク Ravensburg w15

写真

市庁舎 緑塔
女門塔 吹奏塔・計量所
上塔 小麦粉袋
下門 病院塔
塗装屋塔 北壁・塔
東壁・塔 南西壁
西南壁 東南壁

1.歴史

 1050 最初の城を築いた、       1188 帝国自由都市となる1803迄、
 1273 城は帝国が所有した、    1330-70 都市を拡張して下の町を囲った、
 1634 30年戦争でスエーデン軍に城を壊された、  1803 バイエルンに授与、
 1816 ヴィッテンブルク州に帰属、        1945 2次大戦の被害は免れた。

2.市壁  0.93km 0.40

  11Cに上の町の市壁を建設し、1230-70に下の町の要塞を築き上下の町の間
   の市壁を取り壊した。19Cに鉄道駅のために市壁は使われた。今は北側から
   西など各所に市壁が残されている。

3.塔  4門7塔

  多くの中世の門と塔が残っている。
 女門塔 FrauenTorTurm 北門、1982に燃え落ちたが再建。
 ケストリウスウ門 KaestliusTor 1350建、南門、1942に取り壊された。
 上門 OberTor 1431-32建、東門、上町の最古の門、高さ42mの四角塔
    に山形屋根。時計は1618に取り付けた。
 下門 UnterTor 1363建、下町の西門、高さ30mの四角塔に山形屋根。
 塗装塔 GemalterTurm 15C建、北西隅、緻密な装飾絵画。1986改修。
 緑塔 GruenerTurm 15C建、東、下町の北東角、建物で北門と繋がる。
    緑色の屋根タイルから名前が付いた。
 計量所と泡塔 Waaghaus&BlaserTurm 14C中建、計量所と51mの塔は、
    町が下町に拡大する前の市壁の塔であった。中央塔として残されたが倒
    壊し、1553-56にルネッサンスの塔を新築した。
 シュリンゲン山塔 SchellingenTurum 14C建、上町の東角の塔、落雷や火災
    が続き一部壊れている。17Cに廃墟となった。猫女塔とも呼ばれる。
 円塔 RunderTurm 14C建、市壁の中にある円塔。
 粉袋塔  1425建、南、高さ51mの細長い白い円塔。市民が丘の上の城
    を見張るために築いた。夏の10-14時に登れる。
 病院塔 SpitalTurm 14C建、西、豚塔SauTurmとも言う。下町の南西角
    の高さ44mの四角塔。病院が近いためこの名前が付いた。1993に改修。

4.見所  B

   塔が林立する長四角い壁跡に囲まれた広く古い町であり、中心のマルクトに
    は市庁舎と泡塔からなる一連の古い建物が見える。
 市庁舎 Rathaus 1386建、市民の家として建てられ、1581から市長執
    務室となった。
 聖母教会 LiebFrauenKirche 14C建、有名な15C聖母像が右側の脇祭壇
    にある。像の本物はベルリンの美術館に保存。今の建物は全く建直された。
 町教会 Stadtkirche 1360建、南 塔は1844に付加。
 カソリック教会 KatholischeKirche 14C建、北 15Cに拡大。
 古い家 LederHaus 1513-14建、1574にルネッサンスに改築。靴屋.馬具職人.
  毛皮商人の同業組合が使った。前面は1907と1970に補修された。
 穀物会館 KornHaus 1452建、南 穀物会館として建てられた。
 バーク館 WaagHaus 1498建、中 繊維取引所として建てられた。

5.町の略図

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ロイトリンゲン Reutlingen w16

写真

チューリンゲン門 庭門
アイス塔 カッセル塔
東南壁 東南壁
南西壁 マリエン教会

1.歴史

 1030 エギノ伯爵は丘の上に城を築く、 1089 ツバーハルテン修道院契約文書に初言及、
 1180 皇帝バルバロッサは市場権を授与、1220-40 フリードリッヒ2世は壁・堀・塔で町を守る、
 1247 国王ラスペは町を包囲したが撤退、 1262 自由帝国都市の地位から排除され、
 1262 ヴェルテンブルク伯爵ウルリッヒに入質、   1337 皇帝ルードビッヒ4世は上級裁判権を、
 1343 帝国都市の憲法で手工業者は決議権を得た、1377伯爵ウルリッヒの騎士団が勝利、
 14-15c 帝国自由都市として周辺を統治、1505 ヴュテンブルクの51年間保護条約締結、
 1519 公爵ウルリッヒは町を奇襲して占領、  1524 宗教改革の導入、
 1618-48 30年戦争の略奪と宿営で被害、 1726 大火事で3日間燃え続けた、
 1802 ナポレオン戦争で自由帝国都市を失い、ヴュルテンブルクのロイトリンゲン郡に属した、
 1939-45 4回の空爆で3460戸が破壊された。

2.市壁  0.28km 0.11

   13c初に砂岩を使って背中切石積立工法で建てられ、市壁の前面には水で満
    された堀で守られ、壁上通路があった。市壁はオーク材の木枠の上に浮かせて、
    高さ8m厚さ1.5m全長1.32kmだった。19c初から市域が拡張して破壊された。

3.塔  2門2塔

   始めの市壁には、上下2市門と7防御塔があった。
 庭門 Garten tor (1392) 3階建ての角塔で、門は閉じられていた。
   1822以降、庭への通路の出入り口となった。
 チュービンゲン門 Tuebinger Tor (13c) 唯一残された市門で、木組の上部工は
   1330に付けられた。外側の第3間道に後期ゴシックの磔刑の群像がある。
 氷塔 Eis Turm (1874) ツインガー壁の円塔で、1874町の氷室として建てた。
 カッセル塔 Kassel turm (13c) ツインガー部の主壁にある円塔で見張に使った。

4.見所  C

   旧市街には、帝国自由都市の石造の大きな建物と古い木組の建物が混在
   している。ギネスブック登録の世界で最も狭い通り(幅31cm)がある。
 市庁舎 Rathaus (1962-66) 二つの行政翼を同じ主翼に添えて、市庁舎複
   合体の建物を構成している。町を象徴する彫像が1972-86に建てられた。
 聖マリエン教会 St.Marien Kirche (1247) 1249包囲を凌いだ感謝として、
   市民はマリエン教会を建てた。ゴシックのバジリカであるが後陣は後期ロマネスクである。
   1343の高さ71mの西塔には、天使の金メッキ彫像がある。1726の大火災で損傷し
   した。1893-1901ネオゴシックシックの再建が行われた。1988この教会は文化遺産に。
 聖ニコライ教会 St.Nikolai kirche (1358) 礼拝堂として奉献された。1914
   守護聖人の彫像が内陣にある。
 町使用人の家 Stadtmanner haeuser (18c) Jos-Weip通りに沿って
   ツヴィンガー壁を家の壁に組込んでいる。
 ツヴィンガー Zwinger (13c) 中世の要塞の一部として、市壁と上流のツヴィン
   ガー壁との間の自遊空間である。ここでは1818の取壊しの後に、見張塔のある
   主壁と共に円塔のあるツヴィガー壁が残されている。
 世界で最も狭い通り Eugste Strasse der Welt (1726) シュプロイヤー・ホフ通り
   は、2007ギネスブックに世界で最も狭い通りとして登録された。最も狭い地点で
   は僅か31cmの幅である。1726の大火災後に建設された。通りの名前シュプロイヤー
   ・ホフは病院のための穀物倉庫である。
 郷土博物館 Heimat museum 旧修道院の看護所と中世の牧師館に収容され
   ている。13c石造の家と16c木組の家は18cに一つの大きな切妻屋根に統合され
   た。19cにはヴュルテンブルクの郡庁の場所であった。1939に郷土博物館となった。
   1996に再開された庭園には、石碑と後期ゴシックの礼拝堂がある。

5.町の略図

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リートリンゲン Riedlingen w17

写真

市庁舎
聖ゲオルク教会
旧聖霊養老院教会 通り

1.歴史

  835 この場所の初文書言及、 1255 伯爵ヴェルハラートが創設し町と呼ばれた、
 1291 リーディンゲン伯爵はハプスブルクに売った、その後3回入質された。
 1384-1680 バルトブルクの従者の頭に入質、 この入質で町の特権は侵害された、
 1585-1604 魔女裁判により3名が処刑された、  1680 入質から町を解放し、
 1680 ハプスブルク家が直接管理下に置いた、  1938 町はザウルガウ郡に属した、
 1973 郡の再編でビ゙ーバーアッハ郡になった。

2.市壁  0.28km 0.50

   14c二重の市壁は北と東を守っていた。今は西側のガルテン通トヴァイラー門通と、
   東側ののツバイファルター門通付近に残っている。

3.塔  1門1塔

  かっての市壁には、3市門と12壁塔と内部戸があった。
 ツヴィーファルター門 Zwiefalter tor (1363) 聖ミカエル教会と納骨堂は元々は墓地
    の礼拝堂であったが、1787に墓地と共に町の外に移転し1804大火の後に新
    しい道が貫通した。
 独房塔 Zellemees Turm (15c) 中世の防御円塔で、かっては刑務所とし
    て使われた。

4.見所  D

   ドナウ川沿いの小さな町で、バロックの木組の家が多く残っている。
 市庁舎 Rathaus (1520) 階段切妻造で建てられ、旧穀物市場と百貨店で
    あり、貯蔵と取引に使われた。1812から市庁舎として使われた。
 旧聖霊養老院 Ehem.Spital zum Hl.Geist (1378) 主な建物は15cに建てら
    れ、釣鐘切妻・執務室・1378寄付の旧管理所がある。19c中までは養老院・病
    院・擁護所として使われ、今は町の美術館だる。
 聖ゲオルク教会 St.Georgs kirche (1300) 最も古い建物の部分は1300であり
    1486に拡張された。内陣は多くの改造が行われ、1960にも改修された。
 町の溝 Stadt graben (14c) 二重切妻と精霊養老院の鐘楼が眺められ、
    創設の町と独立農家との接合部に円塔が在る。塔のある市壁は14cに建設
    された。
 ヴァイラー門道 Weilertor weg (13c) 角の家は昔は死刑執行人の借家だっ
    た。14cの市壁があり、この道はカエルの水たまりに導く。
 木組の家 Fachwerkhaus zum Greifon (17c) 混合アレマン・フランコニアの木組の家
    は、場として使われた。地階は石造、上2階は木造で切妻のある建物。18c
    に酒はあ所有者の紋章が付けられた。
 美しい小道博物館 Museum Schoenestiege (1556) 外側に階段のある角
    の市民の家、今は町の博物館。

5.町の略図

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ローゼンフェルト Rosenfeld  w18

写真

市壁 通り
旧薬局 マルクト
郡庁 市壁

1.歴史

 13C 貴族テックは町を創設し市場と壁を設けた、   1255最初の文書言及、
 1317 町の所有はテックからビュルテンブルクの侯爵へ、 1317-1808上級代官所設置、
 14C 町は強力な要塞に拡大された、  1499 エルンスト伯と結婚したウイスラ生誕、
 1534 州内はプロテスタントであった       1618-48 30年戦争で人口半減、
 1534 仏軍の占領で帝国自由都市の終了、    1815 プロイセン王国に帰属、
 1868 大火で45戸も焼失、         1938 1次大戦は無傷で過ぎた。

2.市壁  0.003km 0.01

    街の北側の旧薬局AlteApothekeの西に3Mの市壁が銘板付きで残る。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  D

    小高い丘の上の小さな町であり、古い木組の家が見られる。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1687建、会議室は今結婚式の宴会場である。
 市庁舎 Rathaus 16C建、町の中心にある美しい木造の建物。1976か
    ら都市行政が行われている。ローマ浴場の跡が出土して、見られる。
 新教町教会 Ev.StadtKirche 15C建、前庭の噴水が特徴的、町の入口
    にありホール式教会で、2階建の玄関ホールがある。
 簡易郵便局戸口 PostagenTur 町の東の入口南にある。
 ビッケル博物館 HeinrichBickleMuseum 1581建の緊急時に備えた大穀物
    倉庫FrachtKastenの中に博物館があり、130のストーブの蓋を展示。
 旧薬局 AlteApotheke 1244建、南ドイツに現存する最古の石造薬局
 旧鞣し屋 AlteGerbe 北 鋳鉄製の噴水のある特徴的な建物。

5.町の略図

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ロッテンブルク Rottenburg am Neckar w19

写真

市庁舎 北壁
東北内壁 ガイスホルツ塔
東南壁 東南壁
北壁塔

1.歴史

 260 ローマはアルマン族に敗れた。   1170 ホーエンベルクは塔と城を築き記録された、
 1276 ホーエンベルクはカルメル会修道院に町を寄付、 1280 新しい町は壁で囲まれた、
 1381 ホーエンベルク伯は墺に町を売った、 1618-48 30年戦争の略奪と疫病で衰退、
 1644 大火で556戸焼失、        1735 大火で464戸焼失、
 1792-95 仏革命軍と戦う、       1806 ヴィッテンブルク州の郡となった、
 1835 ホップ生産増、地元ビ-ル醸造所増、  1938 テュービンゲンの一部となる、
 1945 2次大戦の被害は少なかった。

2.市壁  0.24km 0.19

   三角形の旧市街地の東側StadtGrabenに190mと、西北側BurgGrabenに50mの
  市壁が残っている。

3.塔  2門3塔

 カルクバイラー門 KalkweilerTor 14C建、郊外の病院建設の際に造られ、
この
   門は通れる。5階建ての門の外装や木材は補修されている。隣の塔迄壁上
   通路を持ち、1968迄人が住んでいた。
 カペティナー門 KapezinerTor 14C建、南西の門の内側は木組である。1617に
   カプチン会の修道院がが創立される前はジュピター門と呼ばれた。
 ガイスホルツ>門 GaisholzTurm 東。
 火薬塔 PulverTurm 南。
 円ツインガー塔 RundZwingerTurm 14C建、死刑執行人の住居となっていた。

4.見所  B

   北西が高く南に低い旧市街地であり、中央部の低いところに川が流れる。
昔は川の南まで市壁で囲まれていたが、見所は川の北側です。
 市庁舎 Rathaus 1427-28建、最初の建物はその後建て直され、大火の
    後4回目の市庁舎として1735にバロックの微細な建物となった。 マルクトの噴水
    は、1487にゴシックで造られ、1911に今のものが造られ、古いものは聖モーリッツ
    教会で保管している。その他市内各所に特徴のある噴水がある。
 聖マーチン大聖堂 Dom St.Martin 12C建、初めは聖母礼拝堂として建てら
    れ15C末に教区教会聖マーチンとなり、1828からは司教教会堂となった。1644に
    は火事で身廊が壊れ1655に再建され、塔は1486-91に後期ゴシックで再建。
 聖モーリッツ教会 Kath.St.MorizKirche 1300-1433建、初めの聖モーリッツ修道院
    教会へ1433に塔が置かれ、内部に14Cのゴシックフレスコ壁画、ホーエンベルク家墓碑。
 教区博物館 DiozosanMuseum 1281建、1644と1735の火災後再建されて、
    1806神学校として使われた。中世とバロックの宗教美術と金銀製品・ガラス・など
    の貴重な織物が展示されている。
 ローマ町博物館 RomStadtMuseum 古代都市Sumelecennasの出土品の展示。
   ローマ時代の日常生活と公衆便所の復元が見られる。
 十分の一穀物倉文化館 KulturVereinZentscheuer 1645建、墺の十分の
    一税の穀物倉庫であったが、修復後1983から博物館。現代美術.写真.民俗
    学の展示、音楽ホールとして使われている。
 司教宮殿 BischoeflichesPalais 1657-58建、ホーエンブルク男爵が造った。
    1661-1773にギムナジュウムのあるキリスト教カレッジ、1806からビュッテンブルクの当局が使
    用、1821には司教区の行政庁となった。
 聖霊病院 Spital zum Hl.Gaist 1361建、1560-61に建て替えられた。
    上層階は1735の火災後に再建され、老人養護施設として使われている。

5.町の略図

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ロットヴァイル Rottweil w20

写真

旧市庁舎 マルクト広場
シュバルツ門 火薬塔
高塔 水塔

1.歴史

  73 バーデンビュ゙ルテンブルクで唯一のローマ都市、 771 行政の中心都市として言及、
 1190 ホーエンシュタウヘンは旧市街地を設立、      1320 ゴシック礼拝堂教会の設立、
 1378 ギルドの代表を市長に選出、          1334 帝国都市の開発、
 1463 スイス連邦に参加、          1633 ヴィッテンベルクは包囲して征服、
 1759 帝国自由都市、         1802 ヴィッテンベルクは帝国都市を占領、
 1824 塔門の解体、                1945 空爆による被害。

2.市壁  0.140km 0.08

    旧市壁は、町の北東の角PulverTurmの北側70m、東側に35m+35mが残る。

3.塔  1門2塔

    高い塔・火薬塔・説教塔の一部・黒い塔が残り、高橋塔とFloettlins塔は
     1824に壊された。
 黒い門 SchwarzTor 1230建、西 門塔の下の部分は浮彫の切石で、ホーエン
    シュタウヘンの防御施設として建てられた。1600に3階部分を上にのせた。上階に
    は囚人の小部屋があった。塔の外側の前面には、時計・市紋章・4つの樋矢の
    ライオンがある。
 火薬塔 PulverTurm 13C建、北東 市壁の半円塔、火薬を製造した町の
    製粉所の貯蔵庫として帝国自由都市時代に使われた。
 高い門 HochTurm 13C建、西 町の最高点に見張りと監獄の塔として建
    てられた。西の最も危険な町を守るための防衛三角形の頂点を形成してい
    る。1556に高さ30.8mで幅9.2mの四角塔となり、外側の壁厚は3.5mであった。
    その後、塔は継ぎ足され高さは54mに伸びた。

4.見所  B

    賑やかなHaupt通りには立派な建物が並び、パラソルと椅子が随所に置
    かれている。旧市街に四つも教会が集まっている。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1321建、1521に後期ゴシックの6列窓の正面にな
    った。円アーチの入口の上に縁取り窓とキリスト教の博愛と市民の公共心の象徴
    がある。中には石造の天蓋がある裁判部屋、1521の格間天井の参事会広間
    1.62mの陶製ストーブ、描かれた窓ガラス、出窓の上に重々しいアーチが
    ある。
 聖十字架大聖堂 HeiligKreuzMuenster 12C建、後期ロマネスクのバジリカは帝
    国自由都市時代に着工され、1230に3階建てとなり、1810から半円アーチの入
    口のある傾いた塔が付いた。この大聖堂は町の自然の傾斜に合わせて修正
    された。15cにゴシックに改築され、1430聖器室と内陣、1497-1513に三身廊を
    建設、17cにバロク化され1843に再ゴシック化された。
 礼拝堂教会 KappellenKirche 1320建、巡礼教会の場所に建てられ、
    1727-33にバッロク化され、1993に改修された。塔は12m×12mの側面階段付き
    の4階建だったが、1473に二つの八角の上階が8mずつ後期ゴシックで継足され
    70mの高さとなった。
 ロレンツ礼拝堂 LorenzKapelle 1580建、後期ゴシックの墓地礼拝堂として建
    てられ、1832迄墓地教会が続き、1851に後期ゴシックの木彫り木彫りと絵画を
    集め、1992から石工芸術の博物館となった。
 ドミニカン教会 DominikanerKirche 1268建、ゴシックの托鉢修道会教会とし
    て建られた。1802に市壁と教会の間に修道院が造られ、1827からカソリックの
    国民学校で使われた。
 ドミニカン博物館 DominikanerMuseum ローマ時代、中世宗教芸術、現代芸術
    の三部門で成っている。
 町博物館 StadtMuseum 町の歴史やキリスト生誕図を展示。来ている。

5.町の略図

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シェアー Scheer w21

写真

市庁舎 シェアー城
城壁 西壁

1.歴史

 11c 城が築かれ集落が発生、1181 皇帝ルドルフはプファルツ伯の下に司教を領主へ、
 1267 ルドルフ3世は町を引継いだ、      1289 皇帝ルドルフは都市権を確認、
 1425 町はヴァルデブルク家に落ち、居所と郡行政の中心になった、
 1447-52 騎士スタインが城の領主へ、     1485-96 城は今の形に再建された、
 16-17c 農民戦争や30年戦争で混乱、 1612-52 スチュワート・ウイリアム・ヘンリーが町を管理、
 1786 トウルン・タクシス侯爵カール・アンカレクが郡を引き継ぎ発展させた、
 1806 町はヴィッテンベルク州に帰属した。

2.市壁  0.26km 0.37

   ドナウ川沿いに突出した山脈の頂上にある城と教会の下に、小さな集落が
    あり230m×130mの長方形の市壁で囲まれていた。
    市壁は、南西斜面・西山頂・西北斜面にいくらか残っている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

 市庁舎 Rathaus () 国道32号が東から南に直角に曲がる角に、国道に
接してL字型の大きな建物。
 シェアー城 Schloss Scheer (15c) ゾネンベルク家のアントレアスは山の上に城を築いた。
    1452バルデブルク家が支配し、1505城は南下堀と跳橋で守れらた。1561-65
    ヴァルデブルク家のヴィルヘルムは北翼を西側に拡張し、衛兵所や刑務所とした。
    1786トウルン・タクシム家のカール・アンセルムに売却した。1805ヴュルテンベルク王国の支配となっ
    たが、トウルン・タクシム家は1967まで城を所有した。
 ニコラス教会 Nikolaus Kirche (14c) ゴシックの教会は、14cニドナウ川の広いル
    ープ内の高台に建てられ、18cにロココ風に改装された。1707-75漆喰塗とフレスコ
    画が描かれた。2009塔内の鐘は6鐘に更新された。
 旧ヴァルトブルク事務所 Ehem.Waldburg Amt (1659) ドナウ川の東北の対岸にあ
    るヴァルトブルク家の役所で、4階建木造漆喰の建物で、アーチ天井のセラーがある。
    1854地下醸造所の貯蔵庫に改造され、20c後半迄使われた。2014町が購入。

5.町の略図

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シェルキンゲン Schelkingen w22

写真

市庁舎 市博物館
聖心イエス教会 旧精霊病院外壁
西壁

1.歴史

 1127 城・修道院・村を兄弟が相続、1200 ベルク伯エッヒンゲンが買収 市場権獲得、
 1234 町として認められた、   1343 ベルク伯は領土を墺アルブレヒト2世に売却、
 1346 墺公爵の資金不足でほとんどの期間質入れされた、
 1806 ヴュルテンベルク大公国の所有となった、門塔と市壁は取崩された
 1806 修道院シュタインゲデレは世俗化、 1995 米軍に開放され仏軍が管理した。

2.市壁  0.09km 0.10

   13c最初の市壁が築かれたが、19cには取崩された。市壁のオリジナル部分を
    家の外壁として残された部分や城近くに全高が残る部分や精霊病院近く
    に再建された部分が見られる。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D


   静かな小さな町で、古い建物が多く残されている。北東部から再開発
    が始まって更新されている。
 市庁舎 Rathaus (20c) 2階建木組地階オープンの古い姿であるが、ガラス多
    用の新しい建物である。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1450) 広いマルクト広場の中に、2階建の古い建
    物があり、1996から市立図書館になっている。
 聖心イエス教区教会 Pfarrkirche Herz Jesu (12c) 後期ゴシックの旧聖具室
    に1934新築された。教会塔は5階建四角塔の上に2階建の八角塔が立って
    いる。タマネギ帽子は1905に付けられた。
 聖アフラ礼拝堂 St.Afra Kapelle (1375) 旧市街地の端にある木造の教会
    で木札には1262の年号もある。聖アフラの壁画があり、古いのは1330-40、
    新しいのは16cに描かれた。
 旧精霊病院 Ehem.Heilige Gaist Spital (14c) ヴェルナウ領主の病院とし
    て建てられ、貧困者や病人のために使われた。1698町が所有して、老人
    ホームとなり、1989町の再開発に伴い東側は市壁として復元された。建物
    は町の歴史博物となった。地階は陶器・地階と2階は古生代からの地質学
    を含む町の歴史、3階となった。
 宿屋:太陽 Gasthaus Zur Sonne (14c) 最古の居酒屋と旅館、1724大改
    造と新築が行われた。

5.町の略図

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シルタッハ Schiltach w23

写真

キンジッヒ川 ゲルバー通

1.歴史

 1275 町を守るため市壁で囲った、    1271 ウスリンゲン公が町に来た、
 1194 ウスリンゲン公は町と城をヴルテンブルク伯に売却、1519-34帝都ロットバイルが占領、
 1810 までヴルテンブルク家が続いた。

2.市壁  0.04km 0.05

   HauptStrasseの木組の家の後ろは旧市街地の壁の上に配置されMuehlen
  GasseとSpitalStrasseの裏側も古い市壁の残りが見える。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   旧市街地のマルクト広場には市庁舎を中心に美しい12-3階の木組の家屋が
    並んでいる。また、城山通の坂や小川通にもきれいな木組みが続く。
 市庁舎 Rathaus 1593建、3階建ての石積の建物で、破風は2006に
    改修、地階は開かれたアーチとなっている。
 マルクト博物館 Museum am Markt 木組の3階建、13Cからの町の歴史と
    木材業について展示。
 薬局博物館 ApothekenMuseum 1985まで薬局として使われ、3階建
    木組の建物でビーダーマイヤー様式を示している。

5.町の略図

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ショプフハイム Schopfheim w24

写真

市庁舎 聖ミkセル市教会
市博物館 中央通り

1.歴史

807 ザンクトガレン修道院の寄付調書に初言及、1250 ロッテルンの領主は町とし
    市壁建設、1316 ソーゼンベルク辺境伯領へ、 1503 バーデン辺境伯へ、
 1530 次にバーデン大公国へ、 1556 宗教改革の導入、
 17c 30年戦争で城と町は破壊、19c初 市壁・門・塔は破壊か放棄された、
 1835 工業化が始まった、 1975 町は近隣の町と合併。

2.市壁  0.018km (0.01)

  1250頃に堀の内側に建設された市壁は、19c始めに壊されるか放置され
    た。今残っているのは、Entegst Str.9の家屋の後壁として機能する
    18mの部分のみである。

3.塔  1門0塔

  13cの市壁には、跳ね橋のある東西2市門と4要塞塔が在ったが、昔の
    ままでは残っていない。
 西門 Westes Tor (1933)13cの市門は19cの初めには取り壊された。
    1933に四角通路のある5階建ての角塔が再建された。右側には、かっ
    ての中世の複合施設が取り付けられ、現在はZum Hams Sacksがある。
 聖者塔 (1240) 現存する聖ミカエル町教会の聖者塔は、壁塔の一つが
    残された可能性がある。matiha 

4.見所  B

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1562) 15585-1822の間市庁舎として使
    われた。19cに住宅となる前は、隣の建物と共に病院として使われた。
    今は民家として使われ、改修中に上階でルネッサンスの天井画が見つかった。
 市庁舎 Rathaus (1822-26) マルクト広場を特徴付けるワインブレーナー様式で
    建てられた。1848にバーデン革命の指導者はこの建物に捕らわれた。
    階段の吹き抜けにはガラス窓があり、階段の左右に芸術品が置かれ、
    廊下にはレリーフ画が飾られている。
 部屋の家 Haus der stube (1772) 辺境伯から町への贈り物とされ、
    町は1538まで市庁舎として使った。16cに男爵ロゲンバッハ家に売却され、
    19c初めまで所有した。1856にGasthaus Sonneとなった。
 旧市穀物蔵 Ehem.Staedtisch Korn Speicher (16c) 大きな2階建ての
    建物は、1890にクラフト靴工場の労働者住宅として使われた。1986に博物館
    として貴族や金持生活に関する貴重なコレクションが、ロゲンバッハ家や上
    流社会のサークルから来ている。
 聖ミカエル古教会 Altekirche St.Michaeru (7c) 教会の床にアレマンの長方形
    石箱の墓がある。メロヴィング朝時代の石造教会が1922に発見された。
    10-11cには初期ロマネスクのホール教会となり、1,240後陣の代わりに合唱
    隊の塔が建てられた。1300合唱隊のフレスコ画が描かれた。1482網目天井の
    後期ゴシックの身廊を付けた。
 旧塩庫のある領主穀物蔵 Ehem.Herrschaftlocher Korn Speivher mit
  Salz Magazin(15c) 領主への税はこの建物に保管された。最初は、
    ロッテルン・次にハッハベルク・ソーゼンブルク・1503バーデンの領主が使った。1473に辺境
    伯ルドルフ4世に与えられた塩の独占を負って塩生を購入した。この建物
    は、1830-75私立絵画学校・1842-93高等市民学校・1864-1940専門学校・
    1893-1908中等学校・1968特別学校として使われた。
 旧地方裁判所の建物 Ehem.Altes Amtgerichts Geboeude (1866) 幼稚
    園と市庁舎の間にあり、前面にはバーデン大公国の紋章がある。
    地裁は1866に市内に移転した。今は市の文書館と財務局が使っている。
 旧地区事務所 Ehem.Bezirksamt (19c) 1826-1938みにバーデン大公国の
    地区事務所として使われ、1938地区事務所が統合されてこの町を去り、
    警察署となり、その後市が使った。
 市壁の残り Stadtmauer Rest バラ通りに19cの取壊しを逃れて家の後壁
    として残された。1980取壊Amtgerichtsしの後で整備されて市壁の残りは
    保存された。
 市博物館 Stadt Museum (1350) 昔のラテン学校は、1634火事で壊れ.1650
    地階石造2階木組みの今の建物になった。1938市博物館となり、地学・
    ローマ出土品・中世ギルド制・磁器・1769市庁舎での裁判室などの展示。
 旅館クローネ Gasthaus Krone(17c)1706で旅館をやめ1844-1930は読書会。
 ピカードの家 Picard Haus (1634) 店舗は1908に再建され、1940まで
    ピカードの布商人が住んだ。

5.町の略図

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ショルンドルフ Schorndorf w25

写真

市庁舎 上マルクト
新教市教会 市壁塔
バラ通 東壁

1.歴史

2-3c ローマ占領時代の入植地、    8-9c アレマン人の集落があった、
 1120-50 シュタウフェン家の支配、      1235 初文書言及、
 1250 ヴィッテンベルク家は町を拡張、 1262 防備を固めた町として初言及、
 14c 町をウッフデアザンド村へ拡大、  1634 帝国軍の砲撃で多くが焼失、
 1688 女達が要塞の降伏を防いだ、1-80土堤と市壁は殆ど取払らわれた、
 1834 発明家ダイムラーは小型ガソリンエンジンを発明。

  

2.市壁  0.095km 0.10

   1250に上の町は市壁が造られたが、下の町と教区教会は14c中に市
    壁に含まれた。市壁が残っているのは、主として南側に点々と、時
    には建物の外壁として残っている。

3.塔  0門2塔

   最初の市壁には18塔が在った。
 アルカー市壁塔 Stadtmauer Turm (14c) 当時の都市拡大時代の証人で
    ある。2階が張出し、住居として使われた。
 旧防衛塔 Ehem.Wehr Turm (14c) 昔は張出と呼ばれた。要塞建設
    後軍事的には不要となり、個人に貸され住居として使われた。

4.見所  B

   小さな旧市街には、上下マルクトを囲んで3階建ての木組みの立派な建
    物が立ち並んで見事である。
 市庁舎 Rathaus (1726-30) マルクトの中央に3階建てドイツバロックの建物
    で、屋根の上に鐘楼が乗っている。玄関の上に市の紋章と銘板があ
    り、「この建物は神に捧げられショルンドルフの市庁舎は灰から92年後に
    立ち上がった」とある。
 旧狩の館 Ehem.Jagdschloss (1555) 代官事務所としても使われた。
    この農場は1634の大火にも残り、1775東翼は税務官の事務所として
    機能し、1810フリードリッヒは狩りの館として使い、1817営林署に貸した。
    今は税務署である。
 城塞 Burg Schloss (1538) 初めは堂々とした4円塔の水城だった。
    その後多額の出費で要塞が建てられ、1634の大火にも残った。塔の
    紋章と銘板・中央入口の紋章と瀝青流し出し口には注目。18cには放
    牧場だった。1834-35抜本的な改造をされて今は簡易裁判所である。
 城稜堡 Schloss Bastion 昔の稜堡の基礎が残っている。
 旧施療院 Ehem.Spital (1430) 初め養老院と孤児院が設立され、
    1558今の建物が建てられ、1529に更新された。酪農場Meiereiは1440
    に建てられ、大火の後1685-88に再建された。18cMeiereiの標識が掲
    げられた。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1477) 3身廊のハレン教会として二つの
    内陣と一つの塔で構想され、1488塔が1501全体が完成した。1634大火
    で主内陣とマリエン内陣のみが残された。1651塔が1660身廊が改造された。
 壁の上の家 Haus auf der Mauer (1730) 魅力的な非対称の家で斜め
    に立ち、後壁は市壁の上に置かれた。2005漫画博物館ピッコロとなり、
    1950-70発行の漫画が置かれている。
 市壁の残り Stadtmauer Rest バラ通りに19cの取壊しを逃れて家の
    後壁ととして残された。1980取壊しの後で整備されて市壁の残りは
    保存された。
 市博物館 Stadt Museum (1350) 昔のラテン学校は、1634火事で壊れ、
    1650地階石造2階木組みの今の建物になった。1938市博物館となり、
    地学・ローマ出土品・中世ギルド制・磁器・1769市庁舎での裁判室等の展示。
 上マルクト広場 OberMarkt Platz :17cの立派な木組みの家が並ぶ。
 旧パン亭 Ehem.Brot Laube (1660) 地階でパンが売られていた。
    1977に取り壊され、新築された。木組みの前面は古い木彫の木組
    みを再利用した。
 ガウプッシュ薬局 Gaupp'sch Apotheke (1663) 1634火事の後に1530の
    基礎の上に新築された裕福な市民の町屋として建てられ、1689薬
    局に貸出された。
    後期ゴシックも窓枠はまだ見られる。1793拡張し改造された。
    パルム薬局 Palm'sche Apotheke (1660) 1533の地階の上に、魅力の
    ある木組みの角地の家がまず建てられ、1696横の家が建てられ一体
    化された。1976-79全体的に老朽化し、木造構造を前面に使用して
    新築された。
 旧市長の家 Ehem.Wohnhaus der barbara Walch-Kuenkelin (1650)
   後に市長となった商人Kuenklinの住居。

5.町の略図

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シュべービィシュゲミュント SchwaebischGmuend w26

写真

市庁舎 五ボタン塔
王塔 牛川門
水塔 シュヴィート塔
腐塔

1.歴史

  782 アレマニア公国の修道院所有地の言及、1138-52 都市権を有した、
 1265 税関を守る城を築いた、      1396 町は火事で焼失、
 1599 疫病が大流行した、   1630 30年戦争でスエーデン軍が2度占領、
 17c ギルドの金銀工芸品・鎌の生産販売、 1730-70 都市文化の開花、
 1808 ヴュルテンブルクの領地で帝国自由都市終焉、19452次大戦の戦災は免れた。

2.市壁  0.13km 0.07

   中世の外側市壁は1350に築かれ、1396前面に堀を設け、1546外側市壁
を更新した。19c町の近代化のために、多くの塔と壁は壊された。

3.塔  1門5塔

   中世には外側市壁に6門23塔が在ったが、今は6基が残り、塔裏は木
    張り。
 牛小川門 RinderBacher TorTurm (1410-20) 東南の外側の門塔で高
    さは35.5mあり、1601守衛詰所と石橋が付加された。正面の明るい石
    は1546の戦争での砲弾の跡である。1960に塔は修復された。
 五ノブ塔 EuenfKnopf Turm (15c) 西の外壁の高さ27mの塔で、1425
    内側のはめ込みと屋根トラスが造られ、屋根の上にノブのような小塔が
    付けられた。火事の警備員が1918まで住んでいた。
 王塔 Koenigs Turm (1405-07) 南東の外壁の39.9mの高塔で、1502
    に名付けられた。地下室は17-18cに魔女を含め女子の刑務所であっ
    た。
 水塔 Wasser Turm (1350) 東南の外壁の高さ26.8mの角塔で、最初
    の部分は1399-1400に補修され、1479-80屋根の建設が行われた.
    Hhoferdes Bacherは水塔のアーチを通って市内へ流れ込んでいる。
 スミード塔 Schmied Turm (1350) 東北の外壁の高さ32mの塔で、1498
    に地下室を備えた。1983-85に塔は東側に復元された。
 怪しい塔 Faul Turm (15c) 北の外壁の高さ20.3mの角塔で、1968
    に焼けて、1975に再建された。1952から聖ジョージのスカウトが使用。

4.見所  C

   伝統的に貴金属加工の大きな町で、大きなマルクト広場を中心に多くの
    高塔が在るバロックの街が広がる。
 市庁舎 Rathaus (1523) マルクトの南に立ち、今の市庁舎は邸宅から
    生まれ1783-85に再建された。
 骨の家 Graet (1536) 市庁舎と並んで立つ古い木組みの家で、市
    庁舎・市長の座・百貨店と使われた。1536の地階と上階の上の木組の
    部分は新しい。
 行政事務所 Amtshaus 中世の病院であり、石造の地階の上にアラマン
    風木組の上階に切妻の3階が乗っていて事務所で使われた。今は町
    の図書館である。
 粉挽き病院 Spital Muehle (16c) 木組3階建の病院の跡で今は集
    会所。
 金銀細工専門学校 Arenhaus (1793) 石造3階建ての建物は、金銀
    細工のデザイン・装飾・設備などの専門学校で、作品は常設展示され、
    細工が出来る。
 聖ヨハネ教会 St.Johannis Kirche (1220-50) マルクトに立ツ教会で、高
    さ45mの塔があり、天国の階段と言われる階段を上がると展望が開
    ける。
 アウグスチン教会 Augustius Kirche (1284-85) 大聖堂の西に立ち、後
    期ゴシックが1756バロックに改装された。天井画に聖アウグスチヌスの生涯5場面
    が描かれた。
 聖十字架大聖堂 Heilig-Kurz Muenster (1315-21) ロマネスクで建てら
    れた古い広間教会で、ゴシックからバロックに1756に改装された。中に、
    1350墓標・1510洗礼堂祭壇・1497ロマネスクの双塔が崩れずんぐりした単塔
    に置き換えられた。
 フランシスコ教会 Franziskaner Kirche (13c) 修道院教会として建てら
    れ、1750にバロックに改装された。フランシシスコのフレスコカ画が描かれている。
 フッゲライ Fuggerei (1601) アントン・フッガー住んだので名付けられた。
    ローマ壁の遺跡があり、古い地階が石造の2階建て木組の家である。
    火災後1980に復元され、今は食堂として使われている。
 穀物倉庫 Kornhaus (1507) 大規模な3階建ての木骨造の倉庫。
 オットー・パウザー工場 Ott-Pausersche Fabrik 銀器・宝石博物館。銀
    器製造の装置が見学できる工場で、研削・研磨・圧延伸線の機械が
    ある。
 伝道師博物館 Museum Prediger (1294) ドミニコ会修道院の建物は
    1972文化センターとなり、伝道書美術館・工芸博物館・歴史博物館・宗教
    博物館を収容した。

5.町の略図

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シュベービッシュハル Schwaebischhall w27

写真

市庁舎 ミヒャエル教会
マルクト広場 ヘンカース橋
市街南面 屋根付木橋

1.歴史

  5C 塩の生産で知られていた、1156 聖ミカエル教会の奉献憲章に言及、
 1204 最初の町が市壁を伴って造られた、13C初 銀貨と塩が流通した、
 1280 ハプスブルク家との紛争期、北側市街地を1028mの市壁で囲んだ、
 1324 人口増で北の町を壁で囲んだ、  1340-1802 バエルンの帝国都市、
 1638 30年戦争で仏とスエーデンの占領、  1638 病気と飢餓で人口は1/5、
 1680.1728に大火災で町は何度も燃えた、  1802 ヴィッテンベルクに併合。

2.市壁  0.38km 0.14

   13Cに市壁が設けられ、14Cまでは有効であった。18Cには防御の役
    に立たなくな1808のビュルテンベルクの占拠の後に少しずつ壊された。
    19C中に東側市壁の壁塔は倒壊した。今残っているのは、南側の160
    mとヨーゼン塔・泥棒塔・赤い小橋・ワイラー門のそれぞれ左右に僅かある。

3.塔  3門2塔

 ワイラー門 WeilerTor 1330建、対岸にあり、1570に補強、第2の
    門として維持された。門塔のほかに角塔が外に立っている。
 ズルファー門 SulferTor 南製塩所の角塔、未決勾留所として使用。
 クライルスハイム門 CrailsheimTor 1530建、クライルスハイム方面の隅を守った
    角塔。LangenfelderTorとも呼ばれ市壁が両側に残っている。
 泥棒塔 DiebsTurm 川沿いの角を守る塔で両側に市壁が残る。
 ヨーゼン塔 JosenTurm 1686建、木組の塔頂飾り付きの4階建、最
    初はSt.Jodokuskapelleの塔として建てられ、温泉小門の近くの見
    張塔として、市壁補強のために使われた。

4.見所  B

   斜面のマルクト広場に立つ聖ミカエル教会が特徴的であり、南側の市壁と
    塔の姿や、コッヒャー川の中洲や対岸からの眺めも結構である。
 市庁舎 Rathaus 1728建、バロック後期の優雅な建物で゙1728の大
    火の後に建てられ、1955に復元された。
 聖ミカエル教会 St.MichaelKirche ロマネスクの塔にルネッサンスの塔頂飾り
    がある。15Cにゴシックのホールに改造され、16Cには後期ゴシックノの祭壇
    が追加され、1990に内外とも改修された。
 祝祭ホール Neubau 500年前の祝祭ホール。最も高い石造の建物。
    今は演劇上演・演奏会・講演会などに使われる。
 尖った家 Graeterhaus 1605建、北の町外れにある精巧な装
    飾の木組家。1970に改修された。
 赤い小橋 RoterStag 対岸から中洲への橋、塔の左右は市壁
    で塞がれている。木橋には屋根がある。
 博物館 Hallisch-FraenkischesMuseum 中世に大きな粉引
    き所が市壁の外にあり、町の角の守りも固めていた。
    ロマネスクの高い住居塔屋に地方博物館が設立され、製塩業と貨幣
    打刻の歴史遺産と地方芸術が展示されている。

5.町の略図

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シュヴァイゲルン Schwaigern w28

写真

市庁舎 魔女塔
東壁 旧市絞り場
南壁 西壁

1.歴史

 766ロルシュ修道院の文書で初言及、12c地元貴族はロルシュ修道院へ寄付金、
 13c 地元領主は最初の教会を建設、15c第2の旧市街は市壁で囲まれた、
 1486 都市権を授与され町を管理、1630 30年戦争と数回の罹病で荒廃、
 1690 プファルツ承継戦争で城は焼失、   1702 城をネオゴシックで再建した、
 1806 ビュルテンベルク州に帰属、  20c 幾つかの大火事で中心部は破損。

2.市壁  0.38km 0.40

   15cには東西2門と1.2kmの市壁が設けられたが、今は南側にいく
         らか残っている。2016町は寄贈を受けて、17枚の説明板を市壁に
    掲げ、歴史的な説明を行った。

3.塔  0門1塔

 魔女塔 Hexen Turm (1461) 旧市街の南東隅に地階石積の上
    に上階木造の塔が立ち、後に刑務所で使われた。1713魔女を投獄
    したためこの名前が付いた。ナイベルク家の銀婚式に町からの贈物と
    された。1986町に戻され、包括的な改修が行われた。すぐ北に、
    もう一つの要塞の遺跡があり、多角形の木組の家の基礎に使われ
    ている。

4.見所  C

   優れたワインの産地であり、市教会・魔女塔・伯爵城・古い木組の家な
    ど印象的な見所がある。
 市庁舎 Rathaus (1906) 1905の大火事の後に、巨大なアールヌーボ-
    の建物で特に南東の張出しや入口部でアールヌーボ-が示されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (20c) 市庁舎の向かいに、周囲の木
    組の家を含めて更新された。今はレストランやホテルである。
 ナイベルク伯爵城 Graeflich Neipperg'sches Sloss (12-13c) 最古
    の城は1690に壊され、1702新築され南翼は19cに成立した。1871
    城の中庭に魅力ある城礼拝堂が完成した。ナイベルクの伯爵は13cか
    らここに定住し、19cまで土地支配権を行使した。城は居住地で
    あり、ワイン農園であった。15Cにゴシックのホールに改造され、16Cには
    後期ゴシックノの祭壇が追加された。  聖ヨハネ市教会 Ev.Stadtkirche St.Johannes (13c) 1514ナイペック伯
    爵は新教会の建設に着手し、1519広いゴシックの身廊と細長い東内
    陣を追加して完成した。1581西前面のルネッサンス化、1520後期ゴシック
    の網状ヴォールト・悲しみの男の彫像・主祭壇・聖典を備え全て完成した。
 旧町絞り所 Ehem.Stsdt Kelter (1659) 木組の家はナイペルク伯爵
    の酒蔵として建てられ、1852市が所有し市のブドウ絞り所として
    1970迄操業した。その後スーパーマーケットとなり、2011市の図書館と郷
    土博物館になった。
 コウノトリの巣 Stochen Net (15-16c) 最古の残された建物は風格
    のある農家の一部であり、1980に全面的に改修された。上階は
    部分的に元のアレマン風の木組様式を示し屋根の上には毎年コウノトリが
    営巣している。
 フリッツ会館 Friz Halle (1887) 1869エルンスト・フリッツが遺贈し1887建て
    られた。独特の木造塔と広間があり、体育館・会議室・機能ホールと
    して使われている。
 聖マーチン教会 Kath.Kirche St.Martinus (1964) 現代的な建物で、
    1990年代に改装された。いくつかの歴史的な宝物がなかにある。
 旅館: Gasthaus Zum Lemm (18c) 1838-82は郵便局と郵便馬車
    乗換駅であった。正面入口にはバロックの高価な表玄関ドアがあり、
    1779の年号がある。子ヤギの飾り・居酒屋の酒飲み守り神はワイン
    グラスを掲げている。

5.町の略図

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ジーゲン Siegen Hohentwiel w29

写真

市庁舎 ニフティ教会
上城館 魔女搭

1.歴史

 987ザンクトガレン修道院の所有、1170-80 ホーエンフリーディンゲン城を領主が建設、
 1461 領主が継続して支配、 1466 フーラッハ 1518 フリンゲンベルク が支配、
 1530-71 一時オーストリアに売却、1607 リスコネが領主に 1632 オーストリアが支配、
 1655 ジンゲン・ミュールハウゼンが支配、1805ベルデテンブルクへ、1810バーデン大公国へ、
 1810 コンスタンツ地方事務局に属した、1944-45 町の中心部は爆撃で大破損。

2.要塞 Festung Hohenntwiel 600m (0.090)

 914 ジンゲンの西2kmの標高260mの山頂に城を建設、970 修道院の建設、
  1005 修道院は移転、12-13c騎士の一族が住んだ、13cトラールガウ家が所有、
  1521 ヴュルテンブルクに属した、1553-54城要塞を建設、1627-34要塞の強化、
  1735 要塞の拡張強化、18c 州刑務所で使用、1800-01 仏軍が占領破壊、
  1821 要塞の再建を検討、1849 縮小案で再建、1945 仏軍が砲撃破壊、
  1735の要塞最大時には9.92haであり 上部要塞2.18ha 下部要塞2.12ha、
  1974-2009に476万ユーロを投入して修復され年間10万人の観光客が訪れる。

4.見所  C

   町の西2kmの山頂に、大きな要塞が修復されている。

 市庁舎 Rathaus (1960) 古典主義のアルミ窓の近代建築である。
    会議室には、大きなフレスコ画「戦争と平和」がある。
 上城 Ober Schloss (1869) マンサード屋根正方形の建物で、今は考
    古学博物館であり、地下室には化石・鉱物・蝶のコレクションがある。
 聖ピーターとポール教会 St.Peter und Paul Kirch(1778-81)古い部
    分カトリック教会である。
 ハーガー塔 Hegau Turm (2008) 鉄とコンクリ-とガラスの18階
    (67.5m)の建物で床面積は高層639m2低層779m2の大きな建物。
 聖トーマス教会 Kath.Kirche St.Thomas (1863) 古いプルテスタントの教会
    は、今はカトリックの教会になっている。

5.町の略図

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ジグマリンゲン Sigmaringen w30

写真

市庁舎
教会

1.歴史

 11c 最初の城が築かれた、   1077 シュバーベン王ルドルフは城を包囲、
 1250 町として都市権を授与、1275 初代牧師ライツの管区は15教区在った、
 1325 ヴュッテンブルク侯爵ウルリッヒ3世が購入、1460-1500城は宮殿に変換された、
 1535 ホーエンツーレルン貴族が町を受取、1540ホーエンツオーレルン家分割でチャールズ1世が来た
 1632 30年戦争でスエーデンが占領、1801-06ナポレオン夫婦との関係で仏と友好、
 1806-49 ホーエンツオーレルン・シュタイン公国を保持、1850プロイセンに併合され事務所設置、
 1494-45 仏ヴィッシー政府が置かれた、19452次大戦で仏軍が占領し住民避難。

2.市壁  0.21km 0.26

   15cの市壁は宮殿と南の旧市街を小さく囲み、19c初めまでは存在
    した。市壁が残っているのは、宮殿の北に200mと南西角の円塔の所
    に10mである。

3.塔  0門1塔

 円塔 Rund Turm (15c) 最初の町に拡張に伴い古い市壁西南角
    の防御塔として建てられた。塔は30年戦争で破壊され、その後住宅
    棟として再建された。2階部分は円塔で3階は八角形で、今は郷土博
    物館である。

4.見所  C

    岩山の上に城郭が聳え、その南に小さな市街がある。ホーエンツオーレルン
    ・ジグマリンゲン
  大公国の首都であるが、非常に小さな町である。
 市庁舎 Rathaus (1247) 今の本館は1925-27に建てられた。
 ジグマリンゲン宮殿 Schloss Gigmaringen (1077) 初め城として建て
    られ、1460-1500宮殿に変換され、1535ホーエンツオーレルン家が来て宮殿は拡
    充され、1908に今の姿になった。中に、壮大な広間・豪華な内装の
    客間・王室の絵画.磁器.時計等のコレクション・タペストリィ・厩舎・馬車などが
    見られる。大公博物館が1867に開設された。
 聖ヨハネ教区教会 Pfarrkirche St.Johanis (1247) 初め城礼拝堂と
    して建てられ、1583教会に建て替えられ、1756-63北壁と塔を残し
    て壊れ、バロックの教会で再建された。中には、漆喰作業を含めて当
    時の芸術家の作品で飾られている。1856左の通路にFidelisKapelle
    が付けられた。
 王子の館 Prinzen Bau (1822-25) カール通りの古い建物は、庭園と
    共に建替えられ、1842-48バロックの要素と欧州で最初の温水暖房施
    設付で新築された。
 身分制議会場 Staendehaus (1846-48) 身分制議会広場と上層身
    分代表会議場として計画したためこの名前が付いた。1833の憲法
    は上層身分代表を意図した。ホーエンツオーレルン・シュタイン公国は1850にプロイセン
    に併合され、今は地方銀行が入っている。
 ビルハルツ薬局 Bilharz Apotheke (19c) セオドリアとアルフォンスの兄弟医学
    博士の生家である。兄はカイロ大学で住血吸虫の病原菌を発見し、弟
    は地元病院の医療長だった
 古い学校 Alte Schule (1785-79) 新古典主義の校舎は、1975ま
    で使われた。1988に大規模改修され、市立図書館・市立音楽学校・
    催し会場となった。
 マッター・ツンドップ博物館 Matter Zuendoff Museum 2階建て700m2の博
    物館に、2輪・3輪、4輪の100以上の展示がある。オートバイZuendoffの
    世界最大の展示である。
 郷土博物館 Heimat Museum RundTurm (1970) 町の歴史に関する
    多くの展示がある。1972個人取集の絵画・文書・写真を加えて充実
    した。
 別荘 Landhaus (19c) ネオクラシックの建物で、州協会はカール王子の病
    院・鉄道の文化財的.経済的な保守などを担当している。

5.町の略図

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ジンドリンゲン Sindringen in Forchtenberg w31

写真

聖十字架教会
市粉挽所

1.歴史

 1037 エーリンゲン創立文書に初言及、1322葡萄園の領主に町の憲章を授与、
 1328 ホーエンローエの領主が所有した、16c ホーエンローエ・ヴュルツブルクに落ちカトリックへ、
 1744 ホーエンローエ・バルテスタインはグレゴリオ歴でイースターを祝った、
 18c アンスバッハ辺境伯軍が占領して駐屯、 1945 空襲で町の1/3を破壊、
 1972 フォルヒテンベルクに併合された。

2.市壁  0.20km 0.34

    14cの市壁は北側に残されている。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    古くて小さな町であるが、部分的に再構成された市壁と中世の
街並があり、2003「私達の町は美しいコンテスト」で優勝している。
 市庁舎 Rathaus () 2次大戦で破壊された後は、牧師館に置か
れた。
 ジントリンゲン宮殿 Schloss Sindringen (1094)かっての貴族の居
城で、1348ホーエンローエ家がきた。1553ホーエンローエ・ノイシュタイン家に落ちた。
    1806ヴュルテンベルク州の一部となり、城はリースされた。1813に売却さ
    れ、1919老朽化して、1975フォルヒテンベルク市は購入して、城の復元
    と5アパートの建設を行った。
 聖十字架教会 Kirche Heilig Kreuz (1100) 今の教会の主な
    部分は13cに遡り何回か再建された。1600までに3廊ロマネスクの聖堂
    と高さ38mの高塔は2段階に分け後で建設され中には、14cフレスコ画
    がある。1890内装と窓を改修し、北と南の入口を更新した。
 旧町の粉引き所 Stadt Muehle (1998) 町の歴史博物館として
    考古学・工芸品・古い薬局などを展示し、粉砕工場設備も回復し
    ている。

5.町の略図

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シュタインバッハ Steinbach w32

写真

西壁 東北壁
東壁 東南壁

1.歴史

 1070 最初の文書言及、修道院へ山林を贈る、1258都市権と市場権
    を授与、 13C 2門のある市壁を維持、1333 ストラスブルク軍は城
    ・館を破壊、1352 役所の建物を建てた、1523 農民戦争でも
    町は救われた、1528 33人が魔女狩りで火あぶりされた、
 1643 30年戦争で仏軍の略奪・破壊、1675 独仏戦争で町は寄付金支
    払で免れた 、     1689 プハルツ承継戦争で略奪・破壊、
 1696-98 戦後の再建が行われた、1810交通障害で市門の取り壊し、
 1836-38 国民学校を建てた、  1906-07 バロックから新ゴシック教会、
 1960-61 新教教会の建設、   1972 バーデンバーデン市に併合。

2.市壁  0.337km 0.75

   何時市壁を造ったかは分からないが、1300には在ったかもし
    れない。壁は、ほぼ四角形で1.5haを囲んでいる。市壁の長さ
    は全長450mの内337mが残る。 壁の厚さは1.3-1.5mで、高さは
    7.2mが最大である。市壁は、堀が囲んで通りの名前で位置が分
    かる。1812の文書では、一つの太い市壁と二重の堀が取囲んで
    いる。今は、堀の大部分は埋められ緑地で使われている。

3.塔  0門1塔

   町の入口は、BuehlertorとBadenertorの2門で守られていたが、
    1810に大公行政所命令で交通円滑化のため崩された。
 ビューラー塔 BuelerTurm 今のワイン畑博物館(1352昔の役所)
    の隣に立ち外観が保たれている。4つの刑務所の一つとして使
    われた。

4.見所  D

   壁に囲まれた小さな静かな町である。
 カトリック教区教会 KatholischePfarrkirche 8Cのライン上流平地
    のキリスト教化の時代のは教会はあった。最初の教会の基礎や後
    から建てられた塔の基礎が、丘の上で発掘されている。1070
    には教会は建っていた。1460にゴシックノ教会を建てが、1689の
    戦争で壊された。1700には内陣を組み込んだバロックの建物が
    建てられ、1907にゴシックの内陣を生かしてネオゴシックの礼拝堂が
    落成した。
 新教教会 EvangelischeKirche 1961に大通りの外れに落
    成した。教区大広間と塔がある。

5.町の略図

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シュトッカッハ Stockach w33

写真

聖オズバルド教会 宮殿
ホーエンヘルス城跡

1.歴史

 1150 尾根城の麓の集落を言及、1250 伯爵マンゴールト3世は丘の上
    に町を設立、1283 ネレンブルク方伯の行政拠点となった、
    1462 ハプスブルク家は郡を買収、 1499 スイス・シュバーベン戦争で包囲、
  16c 欧州駅馬車の宿が置かれた、 1524-25.1618-48 農民戦争・
    30年戦争で大被害、   1704 スペイン承継戦争で町は全焼、
  1770 マリーアントワネットが婚礼の旅で訪門、1799仏軍がオーストリア軍に勝利、
  1805 バーデン・ヴュルテンブルク大公國の管理本部設置、1891 織物機械
     産業の繁栄。 1939 郡庁が置かれ地方行政の中心地。

2.市壁  0.10km 0.15

   13cの市壁は尾根の上に町を守ったが、今は建物の基礎とし
    て残るだけ。

3.塔  市壁0門0塔

   1808下市門は取除かれた。壁塔も見当たらない。

4.見所  C

   旧市街は尾根の山上に築かれ、南側は15%の急勾配である。
    行政の中心地であったため、旧市街には大きな建物が連なっ
    ている。1770マリー・アントワネットが婚礼の旅で通っている。
 市庁舎 Rathaus () 旧市街地外れた北西のAmtgerihtの奥の
    山中にある。
 聖オズヴァルト教区教会 Kath.Pfarrkirhe St.Osweld (13c) 今
    の建物は1932-33バロックの聖マリア教会(1708)の代わりに建てら
    れた。独立した塔は下の部分は13cで、1733八角塔とタマネギ帽
    子となった。1631の墓所と今日のオズヴァルト礼拝堂にある1402
    の銘がある墓石が後期ゴシックの上の市教会を証明した。本祭
    壇の近くに守護聖人オズヴァルトのバロック像がある。
 カプチン会修道院 Kapuzinner Kloster (1719) 1809の世俗化
    の後にカプチン会修道院は製糖会社に改築され、1844火事で焼
    失した。1847旅館となりホテルになった。
 聖メランチェソン教会 Ev.Meranchthon Kirche (1883-84) 建てら
    れた後に、町で最大の新教の教区を集めた。内祭壇と木製
    格間天井があり、入口扉には新教の4つの彫刻がある。
 古い森林事務所 Altes Forstamt (1705-06) 旧フロント・オーストリア
    の会計局で、まず公爵の武器庫、次にネレンブルクの酒蔵で、2階
    に彩色の形跡のある豪華な覆いがある。1842森林事務所の所
    用地となり、2002市図書館付き文化センター・市博物館になった。
 ザルマン管理所 Salmanns Weilar Hof (14c) ザーレム修道院の管
    理事務所でありされた。玄関の上にザーレム修道院長の紋章が
    ある。シュピタールと長屋は世俗化後には出版社となり、1972ま
    で税務署として使われた。この建物の西南の角は昔の市壁
    の上に置かれている。入口の左に銘板がある。
 裏面の家 Rueckseite Haus (17c) 旧市壁の上に家が建て
    られた。外壁の下の部分に1615の国境紋章が埋め込まれた。
 昔の地方代官所 Alte Land Vogtei (15c) フロント・オーストリア統治
    の1805まで、皇帝にして国王の郡庁の場所であった。1600か
    ら行政の場であった同じ場所に1706新建築された。1830-
    1977は町の行政の場となった。中央入口の上には、1756の
    町の紋章がある。
 教会紋章 Granz Wappen (16c) 1586の教会紋章が、フロント・
    オーストリアのネレンブルク方伯領域とザーレム修道院所有ノマーダッハ郡との
    境界に付けられた。
 宿屋:王冠 Gasthaus Zur Krone (1615) この町で最古の
    旅館:王冠であったが、1732今の飾り気のない家が建てら
    れた。
 民家:鷲ポスト Buergerhaus AdlerPost (1618) 1505ドイツで
    も古い郵便馬車停留所があり、郵便局に向かい合って、宿
    屋鷲が建てられた。1904火事の後に新たに再建された。
    1980改築され改装されてホテルになった。今は民間催物会場
    である。
 教会傾斜面 Kirchhalde 上町の中央通り下門があった
    が1809に壊された。この下門の取付け勾配は15%の急勾配
    で、バーデン大公国で最も危険な道路。

5.町の略図

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スチューリンゲン Stuehlingen w34

写真

市庁舎 ホーエンルッペ城

1.歴史

 5-6c メロヴィング朝時代に古い集落が拡張、1252 ルプツエン家が領
    主となった、     1262 伯爵の下で都市権を得た、
14c 市場と裁判所を有し経済は発展、1436 ルプツエン家の断絶後
    ハプスブルク家に属した、  1499 スイス戦争で町と城は破壊、
 1524 農民戦争で反乱、   1605 シューリンゲン家は1723まで居住、
 1633 30年戦争で軍が何回も通過、    1723 シューリンゲン家は
    ドナウエッシンゲンへ移転、1864 シューリンゲンの司教管轄区は解散。

2.市壁  0.08km (0.16)

   1273cの市壁はヴーターハ渓谷の高台に楕円形の旧市街を、2市
    門を備えたハプスブルク家のモデルで堀と共に建設された。
    今でも残骸は見ることができる。

3.塔  市壁0門0塔

   1524の上門の時計と鐘は、市庁舎に移されたが、1904に市
    庁舎も全焼して壊された。1828に旅館ZuSchwarzen Adlerの
    火災で下門も崩壊し、1846には交通障害で上門も取り払わ
    れた。 下門の跡には碑文が残されている。

4.見所  D

   旧市街は外周500mの小さな山頂の町であり、南側に職人の
    町が北側には裕福な市民の家が庭付きで連なっている。
 市庁舎 Rathaus (13c) 2階建の階段破風と鐘楼付きの市
    庁舎が噴水のあるマルクト広場の前にある。
 聖十字架市教会 Heilig-kreuz-Stadt -Kirche (1787) 古
    い教区教と会に跡に、珍しい帝政様式で建てられ、3つの
    祭壇がある。
   ホーエンルッペン城 Schloss Hohenlupfen (14c) 旧市街の西1.5
    kmに古い砦と周壁・堀のある城要塞があったが、1499のスイス
    戦争や1524の農民戦争で壊された。現在の要塞の形は、
    1619-24にマクシミリアン・バッヘンハイムによって建てられた。
    1639にヒュルステンベルク所有となり、2011にはスイスの農家に売
    却された。

5.町の略図

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シュツットガルト Stuttgart w35

写真

市庁舎 シュティフッツ教会
旧宮殿 新宮殿
宮殿広場

1.歴史

  926-948 馬飼育農場を設立し農業入植地に移行、 945 シュバーベン
    侯爵が馬繁殖地、1219馬場隣の入植地はバーデン選帝侯が所有、
1251 バーデンのマチルダの持参金として町はヴュッテベルク侯爵へ、
 1292 エバーハルト1世は水城を建設、1317伯爵宮殿の防衛施設を強化構築、
   14c 市壁外の最初の郊外が南西に成立、15cウルリッヒ1世は北西に郊外を、
1495 町は侯爵の王宮へ、1565 侯爵クリストフは郊外を含めた新市壁構築、
 1618-48 30年戦争で壊滅的被害、  1637 疫病大流行し人口激減、
   1688 9年戦争で仏軍が占領、1718公爵エバーハルト・ルードヴィッヒは王宮移転、
1746 侯爵カール・オイゲンは新宮殿建設、 1806 ナポレオン戦争で町は地位向上、
 1815 ウイーン会議でヴィッテンベルク国の承認、1887 ダイムラーは自動車工場設立、
 1918 ヴィッテンベルク国が終り共和国憲法、   1933 ナチスの第三帝国へ、
 1945 53回の空爆で工場75%住宅68%破壊。

2.市壁  0.10km 0.02

   14c初に、1次市壁が旧市街の中心部に築かれた。市壁の外に新
    郊外が成立し、1565侯爵クリストフは郊外を含む2次市壁の構築を行い
    1634の図面には、内側と外側の市壁と堀が存在する。19c初めか
    ら防衛施設の取壊しが行われ、1888全門失われた。市壁の残り
    は、Schellern塔に10m、Mannen通りに90mにある。

3.塔  市壁1門1塔

   1782-1870に9市門は全て取壊された。石積の2階建て円塔の上に
    木組の3階部分がある。
 カステレライ塔 Katsthellerei Turm (1564) 市壁の南端に立ち、19c
    に2階建の住居として使われ、1811に補修が行われた。1906更に補
    修されたが1944戦災で大破し、1906の形に戻された。1980市民が
    修繕資金を集めて補修し、ワインバーSchellenturmとして記念財団が
    運営している。
 門塔泉 TorTurm Brunen (1989)赤い砂岩の旧塔は1968に地下
    トンネル工事で壊された。半円形の石積の中央に噴水があるモニュメントに
    なって立っている。

4.見所  A

   2次大戦で大被害を受けたが、重要な建物は復元されている。旧
    城館・参事会教会のあるシラー広場のみは昔の雰囲気があり、宮殿公
    園は広大である。
 市庁舎 Rathaus (1456) 最初の市庁舎は侯爵ウルリッヒが承認した。
    狭くなり1894デザイン調査、1905クエファー通りに拡張して開業した。
    1944空襲で壊れ、1956に再建され2004には建て直され、今は22機関
    270人が入っている。
 旧宮殿 Ajtes Schloss (10c) 初め水城だったが、14cヴィッテンベルク
    の侯爵が本拠を移して宮殿に拡張した。1550侯爵クリストフは壮大な
    ルネッサンス宮殿をアーケードの長方形の中庭を囲んだ4翼の構造で建てた。
    1562城教会が一つの翼に入った。1746侯爵カール・オイゲンの希望で新宮
    殿を建て、旧宮殿の最盛期は終わった。1931火事で二つの塔は壊
    れ、1944の空爆で壊滅的な被害を受けた。1963ルネッサンス中庭の復元
    1967ヴィッテンベルク州立博物館、2010子供博物館を併設した。
 新宮殿 Neues Schloss (1746-1807) 侯爵カールオイゲンはベルサイユを参
    考に3翼の宮殿を建てた。2次大戦で破壊されたが再建され、今は
    州政府の財務と教育の部門が収容されて居る。
 ソリチュード城館 Schloss Solitude (1764-69) 侯爵カールオイゲンは、西
    に10kmの郊外の高台に狩猟の館として広大な庭園と共に建設した。
    高台からルードビッヒスブルクへの13kmの直線的な展望が開ける。丸屋根
    の楕円形の館とその両側の翼棟が堂々と聳え、その向かいに円弧
    を描く付属建物が配置されている。
 ヴィルヘルム宮殿 Wilhelms Palais (1834-40) 最後のヴュルテンベルク王
    ヴィルヘルム2世の宮殿でイタリア建築家の指導の下に古典的な様式で建て
    られた。1918の革命の後展示場として使われ、1944戦災で壊れた
    が1961-65に再建された。
 場内市場 Markt Hale (1864) アールヌーボーの屋内市場は3,500m2も
    あり、新鮮な花・魚・肉・野菜・果物・スパイス・が並び、家具・食器もあ
    った。1944戦災で壊れ仮普及の後、1953本復旧された。1993火災
    の後に内装は改修された。
 クレスターレ Kloesterle (1463) 木造2階建てゴシックの礼拝堂で、マルクト
    の近くにある町でも古い建物でペギン会の女性が慈善運動を行っ
    ていた。1983復元され市博物館としてこの地区の歴史を展示し
    ている。
 農産物庫 Frucht Kasten (1596) 尖った切妻を持つ後期ゴシック
    の石造2階建の建物で、穀物を貯蔵していた。1954-56に復元さ
    れヴィッテンベルク州立博物館の楽器コレクションが見られる。
 ヘーゲル家 Hegel Haus (18c) 哲学者ヘーゲルの生誕の地で、1770-
    85ここに住んだ。2次大戦の戦災を生き残り、アンティーク店や店舗什
    器の店として使われた。今は、ヘーゲルの生涯・原稿・書籍・写真な
    どが展示されている。
 参事会教会 StiftsKieche (15c) 西の塔(1490-1531)は多角形
    2層の塔頂飾が印象深い。2次大戦で壊された後に再建され、身
    廊と旧身廊を合わせて漆喰塗で一つの身 廊とし、内陣左側に
    は歴代ヴィッテンベルク侯爵の碑銘がある。
 リンデン博物館 Linden Museum (1884) 民族博物館として、世界
    の民俗資料が豊富に集められ、日本の茶室・漆器工房・日本間も
    見られる。
 国立美術館 Staats Gsierie 中世から印象派の絵画が展示さ
    れ、14-16cのドイツ絵画や14cのイタリア・オランダ絵画が充実。
 ヴィッテンベルク・ランデック州立博物館 WittenbergischesLandes Muse
    um (1967) ケルトの墓・宗教彫像・フランク.アラマン族の副葬品・王冠・楽器・
    時計などを展示。
 シュツットガルト美術館 Galerie der Stdt Stuttgalt 特に二度の大
    戦の間の絵画が有名である。
 獅子塔博物館 Museum am Loewntor ハイブロン通りで町を北に出
    た所に、化石・琥珀など地球の記録を展示している。
 メルセデス・ベンツ博物館 Mercsdes Benz Museum (10c) シラー通りで町
    を東に出るメルセデス・ベンツ中央工場の南に100台の実車とビディオで展
    示し、エンジンと自動車・レーシングカーの歴史を説明している。

5.町の略図

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ズルツブルク Sulzburg w36

写真

市庁舎 宮殿
聖エギュディウス市教会 地方博物館

1.歴史

  847 ロルシュ修道院寄付調書で初言及、1008 王ハインリッヒ2世は市場権を授与、
 1008-1523 ベネディクト会聖ブレイス修道院が維持、  1280市の権利を取得、 
1500 ユダヤ人に永住権、 1503 バーデン辺境伯クリストフ1世は領主の城を建て、
 1503 バーデン・オ-バラントを支配、  1535 息子は城を移転、
 1599-1604 バーデン辺境伯サブエリアの居所に、1550 バーデンに宗教改革を導入、
 17c 30年戦争で疲弊、人口は1/4に減少、1821-22 シナゴークが建てられ現存、
 1864 人口の31%416人のユダヤ人が居住した。

2.市壁  0.065km (0.09)

    川沿いの平地に、16cに辺境伯は二重の堀と市壁に囲まれた市
    街地を建設した。中央大通りの南側の中央に宮殿を配置し、その
    東に城教会と庭園を置いた。市壁は西門の南北と宮殿跡の南に残る。

3.塔  1門2塔

    東・西・東北の3門があったが、残るのは西門のみである。塔は市
    公園の南西隅と旧宮殿の南東の隅に屋根付きの塔が残る。
 西門Sulzburger Stadt Tor (16c) 正方形の2階建てのアーチ門二重屋
    根がついている。一時刑務所として使われた。

4.見所  C

  市庁舎 Rathaus (1831) ワイン商人が1831に旧宮殿敷地を買い
    取って、広い庭園のある大邸宅を1831-35に建てて住んだ。1962に
    市が取得して、1995-99に改修し市庁舎として使った。
 旧市宮殿 Altes Stadt Schloss (1527) 旧市街の南側中央に建
    てられ、1599-1604拡張され東と西に翼が追加された。17cの戦争
    で宮殿は破壊された。1820-31にワイン商人のクリスト・フリードリッヒは古い宮
    殿と堀のエリアを購入して、1831-35に荘園の家を建てて住んだ。
    1934に市は宮殿跡地を取得して、大規模な改修を行い、カウフオークション
    ハウスは2000に旧ホールを移転した。
 聖キリアク修道院教会 Klosterkirche St.Cyriak (11c) 小さな修道
    会の塔は11cに建てられ、ドイツ南西部で最古の教会塔とされている。
    木片の年代調査では996年冬に伐採されたと特定された。独自の周
    壁で囲まれ、市壁の建設よりも早かった。教会はオットー朝時代の建
    築と推定され、珍しく古いの教会である。ロマネスクの丸いアーチ・シンプ
    ルな柱・1309の前庭・1510の木製天井・抑制された装飾画、古いフレ
    スコ画の残骸がある。1955-64に修復され音楽イベントなどに使われ
    ている
。  州立鉱業博物館 Landesberg Bau museum (1836) 辺境伯宮殿の
    旧教会(1600-10)に、地域でかって重要であった鉱業についての
    展示がある。地階には、ドイツ南部の岩塩採掘と脈石採掘に関す
    る展示があり、中世から現代に至る鉱山労働者の労働環境や鉱石
    や鉱物のコレクションもある。
   エルンスト・ライツ ハウス Ernst-Leitz-Haus (1770) クロスター広場に建てられ
    1864に東に増築された。1770以前は旧動員学校に含まれ、1769の
    火事で焼失した。1年後建物は再建されて学校として使われた。
    2018にはこの建物はDormitoriumとして使われた。
 旧シナゴーク/em> Ehem.Synagoge (1821-22) シナゴークとして建てられた新
    古典の建物はその後も補修して使われ、1980に復元された後は
    博物館となった。

5.町の略図

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タウバービショッフハイム Tauberbischofshaim w37

写真

市庁舎 北壁
塔・マインツ選帝侯宮殿 聖リオベ教会

1.歴史

  836 聖リオバ伝記に女子修道院を初言及、1237皇帝フリードリッヒ2世は都
    市権を授与、1240 マインツ選帝侯は城を築き役所を置いた、
 1346-1527 マインツ選帝侯都市同盟を形成、19c町を統合して今の名前に
 1803 ライニンゲン公国に属し事務所を設置、1806 バーデン大公国となり地
    方事務所に、1866 普墺戦争でプロイセンは勝利、
 1952 バーデン・ヴュルテンベルク州に。

2.市壁  0.20km 0.20

    13cの市壁は、北東の公園に180mと南のHungerTurm・水車用水
    路と共に20m残る。

3.塔  0門1塔

 チュアマス塔 Tuermers Turm (13c) 古い5階建ての円塔で、
    バロックの帽子付。

4.見所  D

    楕円形のGrabenWegに囲まれたフランケンワインの町である。
 市庁舎 Rathaus (1865) ネオゴシックの前面に角塔のある3階建ての
    建物で、地階は開かれたアーケードになっている。マルクト広場には3階
    建ての木組の建物多く美しい。
 マインツ選帝侯宮殿 Kurmainzisches Schloss (1280) マインツ選帝侯
    の一部木組の宮殿で前に円塔チュアマス塔がある。1970タウバーフランク地方
    の歴史博物館となった。
 聖リオバ教会 St.Lioba KIrche (1476) 1735にバロック教会となり、
    1823にフランシスコ会修道院の世俗化で、修道院教会が残された。
 聖マーチン市教会 Stadtkirche St.Martin (1910) ネオゴシックの新教教
    会で、塔頂にはバロックの帽子がある。
 ペーター礼拝堂 Peters Kapelle (1180) 町で最古の建物で、1856
    に墓地礼拝堂で無くなった。
 セバスチャン礼拝堂/em> Sebastianus Kapelle (1474) 2階建ての教会で、
    下の階は納骨堂で礼拝堂は上の階にある。今は記念の地である。

5.町の略図

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テンゲン Tengen Hinterburgを含む w38

5.写真

聖ミカエル教区教会

1.歴史

  877 コンスタンツ司教ソロモン2世に属し初言及、12cテンゲン領主はスタウヘン時代
     に都市権を得た、1275 ヒンターブルクはハプスブルク家に売却され、
     最終的にドイツ騎士団のマイナウ騎士団が所有した、
 1442-57 シュバーベン都市同盟の軍によってヒンターブルクは破壊された、
 1519 ヒンターブルクは完全に焼失、 16c ヒンターブルクの城は取壊された、
1850 採石場とされ、7×7mの天守閣のみが高さ20mで残った。

2.市壁  0.04km (0.10)

    TengenとHinterburgは、長さ360m幅60-90mの山の岩盤の上に
    あり、二つの町の間には、市壁と堀があり、今でも市壁の跡が認
    められる。堀の上にはアーチ橋があり城へつながる。
     Tengenの町は200mの長さで、基本的に市場広場で構成されアーチ橋
    を渡って市門をくぐって市場広場に入った。市門には市庁舎と校
    舎があった。
        一軒の家が家並みから突出しているが、これはテンゲンの知事
    の席であった。何世紀にもわたって1291以降10月の最後の週末に
    は、見本市が開かれている。
 Hinterburgの町にも市門があり、Tengenとの間には市壁が建てら
    れた。1150に城が建てられ、1275に城と町はハプスブルク家に売却され
    た。入口がTengenからの一本しかなく、南市門の外は渓谷へのロバ
    道しかなかった。1876には町として独立し、当時45人の住民がいた。

3.塔  1門1塔

 北市門 Tengen Stadt Tor (12c) アーチ橋を北から渡った所に2階
    建の門がある。通路は1車線と狭く、地階は石積構造であるが、上
    階は木骨造であり屋根には鐘楼と時計がある。
     当時は、市庁舎と学校があった。
   ヒンターテンゲン城の主塔 Burg Hintertenngen BurgFried (13c) シュバーベン
    同盟軍に1442ち1457に破壊され、16cには取り壊された。7×7mの高
    さ20mの主塔が残っている。

4.見所  D

 聖ゲオルク礼拝堂 Kath.Kirche St.Gerge (14c) 城の礼拝堂として
    建てられ、バロックに改装された。

5.町の略図

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テットナング Tettnang w39

写真

市庁舎(旧宮殿) 新宮殿
市博物館(市門) 旅館(王冠)

1.歴史

  882 ザンクトガレン修道院の譲渡調書に初言及、1112-54 城が建てられ郡の
    中心に、12c モントフォート伯ヒューゴが所有した、12c末 交通の要衝であり
    市場権が与えられた、1297 ナッソー王アドルフは都市権を授与した、
1298 ハプスブルク家がナッソーに勝って都市権を確認した、1322 ハプスブルクのレオポルド
侯爵に破壊された、 1330 ルードヴィヒ皇帝は要塞復元特権を与え再建、
 1379 市民がより特権の多い町に逃げるので特権を増やした、
 14c後半 一時的に都市連合に参加、1780 伯爵は町をオーストリアに譲渡した、
1805 ヴレスブルクの和平でバイエルン王国へ、1810 国境条約でヴュルテンベルク公国へ、
 1945 仏占領地区となった。1952 バーデン・ヴュルテンベルク州に。

2.市壁  0.05km (0.07)

    13cの市壁は、北側のMontfort Str.とSchul Str.を含む1次区域で、
その後拡張された中心街の区域は南側に拡張されてGraben Str.を含ん
    だ面積は約2倍となった。1322ハプスブルク家によって町は破壊された後に
    2門のある市壁が建設された。その一部が門の東側に残っている。

3.塔  1門0塔

 門宮殿 Tor Schloss (1330) 門の最古の部分は、市壁の一部とし
て建てられ、侯爵ウルリッヒは1464に市門を拡張して、その前に門塔
を建てた。1569に門屋を建て替えて上層階は半木造となった。16cに
門屋と門塔の屋根に日付けを入れた。聖十字架礼拝堂部分は1518に
    増築されて豊かに装飾られた。1629TorSchlossを買い戻して拡張した。
    18cにはレンガ造の古い部分は更新され3階建ての大きな建物となった。
    1783皇帝ヨーゼフ2世は義務教育を導入して門屋は小学校となった。
     その後アパート・ギルド室・市古文書館・博物館などとしても使われた。

4.見所  B

 市庁舎 Rathaus (1667) ヨハン5世の頃に、旧宮殿AlteSchlossとし
    て建てられ、1904に市庁舎となった。30年戦争で町と宮殿はすべて
    破壊され、ヒューゴ伯爵ヨハン6世は1667に簡素な3階建の宮殿を建てて住
    んだ。1720に新宮殿の建設後に、旧宮殿は事務所・住居・十分の一税
    倉庫・ホップ乾燥蔵などとして使われ、1903に市が購入して1904-05に
    改装して市役所として使った。
 新宮殿 Neues Schloss (1712-20) 当初の建物は1752に焼失し、
    1755-70に再建された。1779にオーストリア領となり、宮殿は管理棟となっ
    た。今は地方裁判所・公証人事務所・宮殿博物館として使われている。
 宮殿礼拝堂 Schloss Kapelle (1712-20) モントフート伯は礼拝堂に多額
    の費用を費やした。宮殿と共に建てられ1753にに全焼し1755に再建
    された。1854からはプロテスタント教会で使われている。
旧射撃場 Ehem.Schiephaus (1736) 1735に全焼した庭の家の代わ
    りに、庭園の西壁沿って射撃場がたてられ、1736から使用された細
    長い建物。
 聖ガルス市教区教会 StadtPfarrKirch St.Gallus (1469) 最初の小さ
    な木造の教会は1246に言及され、その場所にゴシックの教会が1400に新
    築された。1705タマネギ帽子のバロックの八角塔が設置された。1858に老朽
    化した小さな教会は取壊され、塔だけは残され1860にネオロマネスクの新教
    会が奉献された。1944の空爆で壊され1947-56に根本的に改修された。
 聖ゲオルグ礼拝堂 St.Georgs Kapelle (1416) 初めの建物は1488と
    1633に戦争で破壊され、1682に伯爵ヨハン10世は今の礼拝堂を建てた。
    高祭壇は1828に宮殿礼拝堂から来た。
 聖十字架礼拝堂 Heilig-Kreuz Kapelle (1577-78) TorSchlossの所
    有者ロイトホールトによって建てられた印象的な白い礼拝堂である。修復中
    に1578の壁画や後陣の窓の上の建設年号が発見された。1784には刑務
    所として使われた。今は結婚式場として使われている。
 旧モンテホール事務所 Ehem. Montforttisches Amtshaus (1688) 古
    い城と類似した2階建ての伯爵の紋章のある建物で、1837からブエブル
    家が所有している。
 デットナング最初の校舎 Erste Tettnanger Schulhaus (1570) 1570-1578
    に上2階は校舎で、地階は教師の住居であった。1730にはオルガン奏
    者の住居が増設された。
 醸造所・ガストホフ「クローネ」 Brauerei Gasuhof Krone (1780) 伯爵アントン
    4世が建てた。その後500年に渡って1787までモントフォート伯爵家が住んだ。
    1847からタウシャー家が所有し、ガストホフとなった。
 ホテル「車輪」 Hotel Rad (1587) 旧市街の外の東に、上階木組みの
    3階建て7×6窓列の大きなホテルが建てられた。1585にGoldenRadの宿、
    1680-1858はトルンタクシスの郵便宿となり、駅馬車の馬を交換した。1974の
    火事に遭ったが再建され1975にはホテルは再開した。
 ホテル「熊」 Hotel Baeren (1580) 始めSchwaebisch Zum Boerenとして
    開業した6窓列の2階建て漆喰仕上げの建物だった。
 電子博物館 Electronics Museum Tettnang 50年近く電子工業の学校
    があり、その屋内にエレクトニクスの発展の歴史を展示している。

5.町の略図

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ティーンゲン Tiengen w40

写真

市家 ショルヘン塔
中央通 新宮殿
Fahr-gasse東 市壁

1.歴史

  858 初めての文書言及、  1112 市壁で囲まれた市場集落となった、
 1146ベルンハルトは町教会に十字軍遠征要請、1251ハインリッヒ伯が焼いたが拡大再建、
 1415 ウスリンゲン侯爵の傭兵は撃退、 1463 スイス戦争でシャフハウゼンが8年間占領、
 1482-87 デュルツ伯爵が所有し中心地へ、1499スイスが破壊後外壁付き拡張再建、
 1632-48 30年戦争で城は破壊され再建、1687-1806シュバルツエンベルク候の支配下、
 1806 バーデン大公国に帰属、      1837-42 上下の市門が壊された、
 1848 ドイツ国民会議の会議場に選ばれた、  1945 空爆後、仏軍が占領。

2.市壁  0.03km 0.02

   13Cに市壁が造られ、16C初にさらに外壁を造った。
  西南のStorchenTurmの東に20m、南に10mの市壁が残っている。

3.塔  0門1塔

 コウノトリ塔 StorchenTurm 1300建、西南の角塔であり、刑務所の
   一部として使われた。1859に塔頂フードには、コウノトリの巣が作られていた。

4.見所  C

   宮殿広場が町の中心であり、マルクト広場には何もない。
 市庁舎 Rathaus 16C建、3階建後期ゴシック。前面は1827に改修され
    窓飾りが美しい。
 旧宮殿 AltesSchloss 元居住棟が残っている。
 新宮殿 NeuesSchloss 16C中 後期ゴシックとルネッサンスを兼ねた様式で
    3階建の方伯の宮殿。
 小宮殿 KleinesSchloss 1600建、宮殿の中庭に宮廷礼拝堂付き牧
    師館あり、30年戦争で焼失したが昔の形で再建された。
 聖母被昇天教会 Kath.PfarrkircheSt.MariaHimmelfahrt 1753建、
    バロックの教会であり、塔はゴシックで古い。
 鹿宿屋 ZumHirschen 1146建、町で最古の宿屋であったが、1499
    に焼失し後期ゴシックの石造で再建された。聖人の壁画が絵が描かれて
    いる。
 デーベルシィッツ家 Haus DoebeleーSchuez 1587建、後期ゴシックの格調高
    い市民の家。出窓が美しい。
 旧魚館 Ehe.FischerHaus 1552建、後期ゴシックの市民の家。特徴あ
    るゴシックの窓がある。
 シュニッツ家 HausSchnitzer 1503建、後期ゴシックの大邸宅。1499のスイス
    軍の戦争の壁画が大きく描かれている。
 古い油水車 AlteOelmuehle 17C建、水車で胡桃やケシから油を取る
    工場。1995-99に復元された。

5.町の略図

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トロヒテルフィンゲン Trochtelfingen W41

写真

市庁舎 マルクト通
下門石柱 火薬塔
高塔 宮殿
西壁 北壁

1.歴史

  760 ロッシュ修道院に村製品提供、800皇帝属州を確立、後にアッカルム侯爵領、
 1161 十分の一税の紛争町に波及、1182-1219 プファルツ伯ルドルフ・ビンケンが所有、
 1220 ホーエンベルク伯爵が13c終りまで所有、  1310 ヴュルテンベルク家が町を所有、
 1316 ヴュルテンベルク家ハインリッヒは娘の持参金として町を与え領主の家を設立、
 1534 ヴュルテンベルク家の絶滅後ヒュルステンベルクの王子が所有、
 1726 火事の後木組の家が建てられた、 1806 町はホーエンツオーレルンの支配下に、
 1850 プロイセン領となった、     1861まで 郡庁所在地であった、
 1951 町の憲章は再び授与された、 1972まで ジグマリンゲン9地区に属した、
 1972 ロイトリンゲンの地区となった、

2.市壁  0.23km 0.39

   3重の市壁が築かれ、北西・東・南西・西北に残っている。

3.塔  0門2塔

 高い塔 Hoher Turm () 市壁に西南の隅にある大きな円塔で、観
    測ポストでもあった。高さ48m直径28m底厚2.8mである。
 火薬塔 Pulver Turm () 都市再開発もより再建され、6階建円錐屋根
    の大きな円塔で、今はクラブの集会所として使われている。

4.見所  C

   高低差のある小さな町で、木組の家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1450) 1920に焼失し1938再建された。今は市政の中
    央管理所として使われている。
 聖マーチン教区教会 Pfarrkirche St.Martin (1200) 1320の基部と塔は残
    り、1451本堂が完成し、内部には貴重なフレスコ画やあ彫刻がある。1501大
    学教会としても使われた。
 宮殿 Schloss (1450) ヴュルテンベルク伯爵は3階建階段塔付きの宮殿を建て
    た。1534まではフュルステンブルク皇太子が所有し、その事務所を収容した。
    1806-61プロイセンの郡庁都市となり、学校や市庁舎として使われた。1869町
    が買収し、2012修復され、今は小学校として使われている。
、  旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehnt Scheuer () 平屋の徴税倉庫であり、今
    は、州貯蓄銀行が入っている。
 旧会計局事務所 Ehem.Rentamtskanzlei () 2階建の会計事務所は、法
    は、州貯蓄は、州貯蓄1950迄郵便局であった。今は民家。
 教区倉庫 Pfarr Scheuer (1838) 教区の収穫物倉庫で、2階建木組の建
    物で、1980再開発に伴い改修された。
 市粉引場倉庫 Scheuer der Stadtmuehle (1883) 水車の厩舎と下働の住
    居で、長さ40mの平屋木組の家である。南の長手方向は市壁である。
 市粉引場 Stadt Muehle (1500) 水車の動力に加え、1872から蒸気機関
    を設置した。
 食堂:牡牛 Restrant Ochsen () 地階石積の上階木組の建物で、昔は宿
   「金の冠」であった。1977の改修時に美しい木組が現れ復元された。
 郷土博物館 Heimat Museum () 町の歴史・民俗・生活・民芸の展示の場。

5.町の略図

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チューリンゲン Tuebeingen W42

写真

市庁舎
ガラー門 教会上門
フランジスカー塔 ローゼノーベル塔
教会

1.歴史

  7c アラマン族の入植地、          1078 王ヘンリーは城を包囲した、
 12c中 シュバーベン大公の宮中伯の下で村から町になった、 1204 管轄権と絞首
    台があった、        1231 都市権が与えられ、市壁もあった、
1342 ホーエンシュタイン家からヴュルテンブルク家へ売却、1495ヴュルテンベルク公国の二番目の都に
 1514 チュービンゲン条約によって自由は束縛、1520-34オーストリアの支配下に置かれた、
 1534 ヴュルテンブルク侯爵ウルリッヒは宗教改革導入、17C 戦争で町は衰退、仏が占領、
 1781-94侯爵カールオイゲンはシュットガルトへ大学統合、1945-52ヴュルテンブルク・ホーエンツオーレルン州都
 1952 バ-デン・ヴュルテンブルク州へ、 1955  仏占領法の廃止、
 1992 ドイツで最も学生密度が高い市となった。

2.市壁  0.45km 0.30

  13cの市壁は、地形上ネッカー川沿いのNeckarMauer150mと東側のMuehlStrasse
  沿いの山沿いの市壁130mと城の下の谷の市壁などが残っている。
   

3.塔  1門2塔

  市壁の門・塔は見当たらないが、城には門や塔がある。
  城門 Schloss Tor (16c) 下門(入り口門)2階建ての塔門と飾り立てら
    れた宮殿の馬車道と歩道の2階建て入り口門がある。
 2城塔 二つの大きな円塔がある。
ヘンダーリン塔 Hoenderlin Turm (13c) ネッカー川岸の中世の市壁の基部の上に
   家屋は17c塔は18cに建てられた。1807に大工が買収し、詩人ヘンダーリンが36年
   間住んだ。  1874に靴職人が購入し拡張したが1875に全焼し、新しく丸
   い塔のある3階建の建てて、ヘンダーリン塔と名付けた。

4.見所  C

   旧市街には、木骨造の古い建物が、狭い路地に多く残っている。
 市庁舎 Rathaus (1435-37)初めの市庁舎は、マククトの民家を取得解体
    して2階建アレマン風半木造で建てられた。1458-1805市庁舎前で裁判が行われ
    た。15083階部分が嵩上げられた。1511に天文時計が取り付けられた。地
    階には病院.地階には刑務所・パン屋・肉屋の屋台があり、1548には塩屋が
    追加されて西に拡張された。1979-83市庁舎は取壊されてその場所に今の
    建物が建てられた。2010から改修が行われた。
 エバーハルト・カール大学 Eberhard・Karks Universtet(1477) 大学の長い伝統
    の中で11人のノーベル賞受賞者が存在し、27千人の学生が在籍している。
    1534に全焼し1777に拡張再建された。古い集会所(1547)大学病院(1478)
    は現在も古い建物が使われている。  ホーエン・チュービンゲン城 Schloss Hohen Tuebingen (1037)トリアー大司教は
    1078に城を包囲した。1342宮中伯は城と町を伯爵に売却し、後にヴュルテンブルク
    侯爵が買い取った。侯爵ウルリッヒは中世の城を取り除き、1509から侯爵不在の
    1519-29は中断したが、4砲塔を備え中庭を囲む4翼の宮殿を建設した。
    17c初めフリードリッヒ1世は宮殿を拡張し要塞化した。 1634にプロテスタント軍は
    ネルトリンゲンの戦いで敗北し、宮殿は戦いなしで仏軍に引き渡された。
    1647に再び仏軍が砲撃して塔を破壊し占領した。今はチュービンゲン大学MUT博
    物館、1997古代文化博物館を収容している。
 大学MUT博物館 Museum der Universtaet Tuebibgen 世界遺産登録の
    工芸品がある。  大学教会 Stiftskirche zu St.Georg (12C)1188に礼拝堂として建て
    られ、後に聖ゲオルグとマリアに奉献された教会は、カノン修道院がチュービンゲン教区
    教会に移された後に1476に大学教会に昇格した。現在に教会は1470に建て
    られ、塔は前の教会から来ている。後陣には歴代の侯爵が埋葬されている。
 ヤコブ教会 Jakobu Kirhe (1337) 元は礼拝堂であり、改革後に病院に
    接続され、ロマネスクの教会が建てられた。16cにゴシックに変換された。。
 フランシスコ会修道院 Franziskaner Kloster (1272) 1559の改革後は、侯爵
    きゅうていかっこくに、1594-76は高等学校、1596-88は騎士大学として使
    われ、今はWilhelmssiftである。  尼僧院 Nonnen Haus (1488) 旧市街地で最大の木骨造の建物である。
    改革後尼僧院は廃止され、1534に植物学者が住み、薬用植物が栽培され
    て植物園の起源になった。2008中世の建物に復元されて、アパートと店舗と
    して使われてぃる。2階部分に珍しい張り出しがられる。
 市立美術館 Kunsthalle (1971) 町の北端に天窓付きの平屋の建物が
    建てられ、モダニズムの画家の絵画がある。
 ゲーテハウス Goethe Hauschen (1961)城山の上の2階建の八角形の庭のあ
    る家。
 市立博物館 StaedtischMuseum(1890)最初は市庁舎で展示され、そ
    の後城の南棟に移され、1992に木造3階建ての穀物蔵に収容された。
    地階は企画展会場、2階は光と影の世界、3階には先史以降の市の歴史を
    収蔵している。

5.町の略図

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ユーバーリンゲン Ueberlingen W43

写真

市庁舎
ガラー門 教会上門
教会

1.歴史

  770 最初の文書言及、   1180 バルバロッサ帝は町の大建設を行った、
 1211 都市権を授与された、    1050 町は堀下げ堀と壁で囲まれた、
 13C末 帝国自由都市となった、13C-16C町の繁栄は最盛期、アルゴイ農産物輸出
 1632スエーデン軍の包囲、市場衰退、 1802ナポレオン戦争で自由都市を失いバーデンへ
 1918 バーデン共和国となる、      1945 2次大戦の爆撃はあった。

2.市壁  1.450km 0.50

  StadtBefestingungsLagen西~北の掘下げ式で、1250壁は部分的に異な
    るギルドの負担で造られ、1300内壁は旧市街地を囲んだ。820m残。
    StadtMauer北~東 1450-1630に外壁は造られた。630m残。

3.塔  2門4塔

   

 上教会門 AufkircherTor 小さな村の上教会の名前になった。
    1802の帝国自由都市の終わりまで町の北の防衛境界線であった。
 フランシスコ門 FranziskanerTor 1495建、北の美しいゴシックの塔である。
    この塔は皇帝フリードリッヒ1世が1180に創立した古い中心地の北側に位置
    する。
 バグザウト塔 WagsauterTurm 北側の防衛前線の北角に1950に新設
    された円塔。
   ゲラー塔 GellerTurm 16C建、深い堀の上に塔は聳えている。ロマン
    風の華やかな円塔は西側堀の内側にある。
 聖ヨハン塔 St.JohanTurm 1522-23建、東の防衛戦に円塔を建てた
    1632に戦争が近づき、今の高さ37mに2階分を継ぎ足した。
    1634スエーデン軍包囲の中に、町側砲兵隊の拠点であった。
 ローゼンオーベル塔 RosenobelTurm 最も北の防衛戦の支えとして円塔
    を建てた。1657に今の姿に改造され強固な円塔になった。

4.見所  B

   町中が交通混雑しているやや広い町である。堀は広くて深く要害
    である。中心のミュンスター広場は、ゴシック大聖堂.ゴシック市庁舎北面.ルネッサンス
    市尚書局等の建物が並んで見事である。
 市庁舎 Rathaus 14-15C建、切石化粧板のペニッヒ貨幣塔、古い市
    庁舎ホール木版彫刻の帯状アーケード、その都度3-4人の神聖ローマ帝国代表者
    の小彫像(41人)等がある。今でも市民ホールは議場として使われる。
 ニコラウス大聖堂 MuensterSt.Nikolaus 1350-1562建、後期ゴシックの
    大きな象徴的な建造物。5身のバジリカで、広大な内部空間と豪華な
    正祭壇がある。
 フランシスコ教会 FranziskanerKirche 14-15C建、18C中にバロック化さ
    れた。化粧漆喰の入口、著名な彫刻室がある。
 新教教会Ev.AuferstehumgsKirche 1868建、早期ゴシックの教会。
 ヨドック礼拝堂 JodokKapelle 15C建、質素な後期ゴシックの建物で
    興味深いフレスコ画の壁がある。
 町事務局 StadtArchiv 昔の町の行政事務局として市民ホールの
    入口に建てられた。美しいルネッサンスの前面と、破風に町の紋章の大
    きな石のレリーフがある。
 市博物館 StaedtischMuseum 1462建、中世後期の美しい宮殿
    建築贅沢な家。田舎風切石で前面化粧張りは、早期フレンチェ風ルネッサンス
    である。広間はきらびやかなバロック宴会場であった。今は郷土博物
    館として先史以降の歴史の収蔵品・絵画・彫刻・バロックのキリスト降誕像・
    ルネサンス-ユーゲントスティールの歴史的人形。

5.町の略図

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ウルム Ulm w44

写真

市庁舎 大聖堂
大聖堂広場 肉屋塔
市壁の上
Fort Satranberg Fort Albeck南
Fort Albeck南入口 Fort Albeck西
漁師地区

1.歴史

  854王宮所在地の最初の文書言及、10Cザクセン王の時は所在地を外れた、
 1027 コンラート2世は再び王宮とした、 1079 シュタウヘン朝はシュバーベンの中心地、
 1131 戦争で町は焼失、     1140 シュタウヘン朝は町を拡張し再建した、
 1181 町の周辺を統合、1184帝国自由都市、1274ハプスブルク家は都市権授与、
 1316 都市を拡大し新防御施設設置、   1348 南西部の市壁を築いた、
 1376 シュバーベン都市同盟14都市で設立、1480 川の流れの中に新壁を築く、
 16C 町の最盛期、     1616-4830年戦争、1701-14スペイン戦争で衰退、
 1803 バイエルンに帰属、           1810 ビュルテンブルク王国へ、
 1945 2次大戦で旧市街地の81%は壊滅。

2.市壁  古市壁1.580km 0.46、新市壁2.21km 0.12

  1480にドナウの中に市壁は立てられ、その後要塞は構築され、今900m
の川沿に旧市壁が残る。また、1610に北側のGraben通沿いに市壁は
    警備員の宿舎と共に建てられ、後にオランダ式による新防衛施設が造
    られ、古い市壁は取り込まれた。漁業地区にも1150に王宮を守った
    市壁が残っている。連邦の新要塞は、1838-59に連邦政府が市壁・砦
    を、北側の山中から南のノイウルムまで築いた。今も南の市壁と砦の部
    分は、殆ど残っている。

3.塔  0門4塔

 肉屋塔 MetzgerTurm 1345建、市壁の一部として造られた高
    さ36.1mの塔であるが、北西へ3.3度傾いたいるためSchiefeTurmとも
    呼ばれる。
 鵞鳥塔 GaensTurm 1360建、市壁の一部として造られ1445に今
    の高さにされた。
 ゼール塔 SeelTurm 14C建、北。
 メミンゲン塔 MemmingerTurm 17C建、西南。

4.見所  B

   大きな町の中心に、高さ世界一の大ドームが聳える。漁業地区の古い
    木組の家やドナウ河畔の散歩道は一見の価値がある。
 市庁舎 1370建、初めデパートとして建てられ、1419から市庁舎と
    なった。1944に燃えて倒れたので、内装を含め再建された。1533の
    東側窓のカイザーベループ、1520の東破風の天文時計、1539の北翼ルネッサンス
    のアーケードは古い。
 司教座大聖堂 Dom 1397建、高さ161.53mの世界一の塔へは、768
    段の階段で登れる。起工式から500年後の1890に完成式が行われた。
    ゴシックの身廊は高さ41.6m.幅48.8m.長さ123.56mと非常に大きく、2次
    大戦の戦災は免れた。14-15Cの内陣のステンドグラスは美しい。
 三位一体教会 DreiFaltigkeitsKirche 1321建、昔の修道院教会
    の上に1617-21に建てられ昔のゴシックの内陣が存続している。1944に
    焼失し、大きく変更されて再建された。
 パウロ教会 PaulusKirche 1908-10建、アールヌーボー様式の鉄筋コンク
    リート造で建てられた。1964に連邦が買収して修復した。
 聖ゲオルグ教会 St.GeorgsKirche 1904建、カソリックの駐留軍教会は、
    教区教会となり、1978-82にゴシックリバイバル様式の内装で復元された。
 漁師地区 FischerViertel 漁師広場から肉屋塔まで、傾いた家
    など切妻の付いた古い木組みの家が並んでいる。
 武器庫 ZeugHaus 1594建、旧帝国首都武器庫。
 穀物倉庫 KornHaus 1594建、穀物倉庫の長い建物で、今は催物
    会場として使われている。
 ウルム美術館 UlmMuseum 町の有力者の館に設けられた美術館で、
    絵画・彫刻が興味深い。
 パン博物館 BrotMuseum 1592建、昔の塩倉庫に設けられ、6千年
    のパンの文化や社会史が展示されている。
 旧連邦要塞 EhemaligenBundesfestung 1838-59建、砦と市壁をこ
    の時代に築いている。大きいものから示す。砦の数字は地図の番号。
  
   1.Wilhelmsburg 大市壁の北の大きな砦 WerkⅩⅡ 600×500m。
     3.Safrnberg FortAlbeck 北西の山の上 400×200m。
   4.FortObererEsslsberg 北の外れ。
     2.FortUntererKuhberg ドナウの北西 300×200m。
   5.FortUntererEselsburg 北 1.の西。
   6.FortLudwigsVorfeste 南。
   7.FortSchwaigHofen 南東。
   9.FortObererKuhberg 西。
   12.FortFriedrichsau 東。
   8.FortPrittwitz 1.の北。
   10.FortIllerKanal 南。
   13.FortNebenWerk Eselsbergのすぐ南。
   11.FortSafranBerg 東。
   14.FortSoefringerTuermele 西北。
   16.FortMitlengerKuhberg 西南。
   15.FortSchwedenturm 1.の東。
  市壁の残り 合計2.21km
   1.北のWilhelmsburgのすぐ南:東へ400m、西へ500m。
   2.OberDonauBastion:250m。
   3.NeuUlm MemmingerTurm:260m。
   4.KollannsPark:800m土堤付き。

5.町の略図

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ファイヒンゲン Vaihingen a.d.Enz w45

写真

 
市庁舎 公会堂
クルテンシュタイン城 ハスペル搭
火薬塔 マルクト広場

1.歴史

  779 フルダ修道院の寄付文書に初言及、  1096 城と村が言及された、
 1230 伯爵ゴットフリートは村を整備、1252 伯爵コンラット2世は相続者婚姻で領主に、
 1291 大火災の後伯爵は財産を売却、 1334 バーデン辺境伯は町と城を支配、
 1339 ヴュルテンベルク伯爵に移り管轄町、1519 皇帝カール5は弟フェルナントに町を割譲、
 1534 侯爵ウルリッヒは町に戻り改革導入、1546-47 シュマルカルデン戦争でスペイン占領、
 1618-48 30年戦争・1635ペスト・1688-97九年戦争・1693大火災・1701-14スペイン
  承継戦争・1756-63七年戦争・1792-1815ナポレオン戦争で大被害 1817から回復、
 1752 地区管轄都市に、             1938マウロブロン地区と合併。

2.市壁  0.09km 0.13

    13-14cの市壁は、エンツ川に近いBaeder路地に残され、家の上階の
小道は洪水時の避難路として市壁の上に導いている。丘の上の
    カルテンシュタイン城から下に向かっての城壁が50mと80m残されている。

3.塔  0門2塔

 巻上機塔 Haspel turm (15c初) 泥棒塔とも呼ばれ、市壁の東
    の角の町で最も古い円錐屋根付きの円塔である。7階建の塔頂には
    ロマネスク半円のフリースがある。2階部分には、巻上機があり、囚人を8m下
    の監獄へ降ろした。
 火薬塔 Pulver Turm (1492) 市壁の南の角に立つ壁厚3mのどっし
    りした円塔で円錐屋根が乗っている。火薬を保存し、刑務所、浮
    浪者収容所畜肉処理場として使われた。1819-44には刑事上の監獄
    であった。

4.見所  C

    町の西北の小山の上の城が町を見降ろしている。マルクト広場は3階
    建木組の大きな建物が囲み、美しい。古い木組の家も多く残る。
 市庁舎 Rathaus (14c) 今の市庁舎は、市議会とヴュルテンブルク侯爵の
    管理との長年の紛争の後に、1720から1693焼失の敷地内に建て直さ
    れた。正面の絵は1901-51に描かれ、窓にはステンドグラスがある。地階
    はかって大部分が開かれており中には肉屋・パン屋・塩の屋台が置か
    れた。2階には祝祭会場と布・手工業販売、3階は民事裁判所と住居、
    屋根裏は収穫物倉庫として使われた。
 冷石城 Schloss Kaltstein (1096) 町の北西の小山の上に建てら
    れた城で16cと18cに再建され、今は若者の村として使われている。
    町の象徴となる城で、昔は方伯の居所であった。南壁に浮き彫り装
    飾の切石がある。16の拡張の後に公爵カール・アレクサンダーは、1734更新し
    て守りを強化した。その後駐屯地や軍病院となり、1842救護院にな
    った。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1339) 1449から女性の礼拝堂があり
    1513拡張・再建、1618焼失して再建、1693大火事で崩壊、1697-1701今
    の姿で再建された。1892-93教会内部を改装した。
 ペーター教会 Peters Kirche (9c) 町で最も古い教会で、10c.12c.13c.
    1490.1607に改築と拡張を行った。1840墓地教会として使われ、今は
    市博物館と展示会場を収容する。珍しく角塔の最上階は木製である。
 旧アイリッシャー門の場所 Ort des Ehem.Auricher Tor (1421) 女性塔とも
    呼ばれ門と塔があり、1643マリアの銅版画を付けた。1815に壊れ1870に
    撤去された。
 旧ラテン語学校 Ehem.Latein Schule (1380) この町には1380すでに
    ラテン語学校があった。1693旧校舎が焼け、1743今の建物が建てられた。
    1963この建物の地階に郷土博物館を収容した。
 旧領主アルプ養護館 Ehem.Herren alber Pfleghof () 昔のベルンハルト礼
    拝堂が今も存在する。
 町の図書館 Stadt Buechelei () イーレナルプ修道院が穀物倉庫として
    この建物を建て、今も存在する。1617と1693に火事で損傷し、1760
    根本的に更新された。町の牧羊場と
   農業事務所を収容した。

5.町の略図

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フェルベルク Vellberg w46

写真

 
市塔門 市門・フィーブリッヒ家
事務局塔 ジクシス塔
下宮殿 旧事務局
入口門

1.歴史

  741 ステックの城の文書に初言及、    974 礼拝堂の基礎を置く、
 1076-86 フェルベルク城の建設、       1188 ホーエンシュタウヘン家が所有、
 1370ヴュルツベルクとブランデンブルクはワインの1/10税を受る、1466塔と南壁を建設、
 1481 騎士団は休戦協定、、   1500 皇帝マクシミリアンは市場権を付与、
 1506 裁判権と自治権を授与、1523シュバーベンリーグは城を破壊、1546再建、
 1563 大火災でAltDorfは半壊、1592 最後の騎士の死で帝国都市が相続、
 1634 ペストの流行で人口は1/3に、      1803 ヴュルテンベルク公国へ、
 1901.1902 再度大火災が襲う、1937塔や壁を再建する建設会社を設立、
 1945 2次大戦でアルトドルフは破壊、 1972 中世の構造を維持して再構築。

2.市壁  0.39km 1.00

  城と町はそれぞれ石積で囲まれ、橋で繋がっている。町の壁は0.39m
    である。

3.塔  3門5塔

 市門塔 Stadttor turm (1466-89) 最も高い5階建て矩形の塔で
    ゴシックの通路がある。木製屋根付の階段が北側にある。入口の上に
    は紋章と1466の年号のある銘板がある。地下通路に接続して地下に
    古い牢獄がある。1844に町は205ギルダーで門塔を買取り2009に改修さ
    れた。
 火薬塔 Pulver Turm (1489) 市壁の上に3階建で市門塔と同様な外
    観と成っている。1901の火事で上部工が燃えて改造された。1989に
    城ホテルの一部として民間使用である。
 兵隊塔 Kraft Turm (15c) 円錐屋根で銃眼が見える円塔である。
    1989改修され城ホテルとして使われたが今は民間住宅である。
 下ツインガー塔 Unteres Zuinger tor (1499) 市壁の外側の門で、小
    門塔の後ろにある。この門は1700まで谷から直接城に入る荷車を通
    した。
 事務塔 Kanzlei Turm (15c) 円錐屋根の円塔で3階建ての住宅棟で
    あり下への階段がある。1985に全般的な改修が行われ週末住宅とし
    て使用。
 ジクシス塔 Sixischer Turm (15c) 円錐屋根の円塔で3階建ての住宅棟
    であり、下へは階段があり、ここ20年間はホテルとして使われた。
 旧砲塔 Ehem.Geschuets turm (15c) 円塔で1979に改修され住宅塔
    になった。
 ポンペル門 Poempeles Tor (15c) 1700まではツウインガーの迂回路として
    造られ、角ばった門塔で15cから併設されていた。1979整備され、20
    年間は警察の詰所であった。
 大砲塔 Kanonen Turm (15c) 大砲を塔頂に据えた円塔で、城の庭
    の前に立つ。中には銃の為の防弾室と発射室が上下にある。

4.見所  B

   出張った丘の上に、深い堀を橋で渡って市壁と堀で囲まれた旧市街
    に入ると多くの木組みの家が並び、更に奥の橋を渡ると堅固な下の
    城がある。
 下城館 Unteres Schloss (1076-86) 1523シュバーベン連合に破壊され、
    1543-46に再建された。建物は不均一なルネッサンスの破風を持っていた。
    城の一番古い部分は、フレスコ画のある礼拝堂である。地階は元の武器
    庫であり、上階の騎士の間には狩りの場面の壁がある。1969-2004は
    3階に行政事務所を収容し、2004私有となりホテルとして使われた。
 上城館 Oberes Schloss (1531) 旧軍の兵舎として建てられ、1581
    -83西に拡張し階を建て増した。19-20cにパン屋と住居として使われ
    た。2004行政事務所となった。上の城館の西側に1520旧兵庫が建て
    られ3階建に増築され、1983町が購入し1984改装されてホテルとなった。
 宿屋「雄牛」博物館 Museum Gasthof Ochsen (15c) アレマン風の木組
    2.5階建ての大きな家で、天窓と巻軸塗装のある玄関・バロックの階段手
    摺・ネオゴシックの地下室の扉などがある。町で最古の宿屋で、終始個人
    所有だった。
 旧十分之一納屋 Ehem.Zehntscheune 中世の十分の一税を収容した。
、     1902に焼失し宿屋雄牛の納屋として復元され、ワインパブとなっている。
 フィービッヒの家 Haus Fiebich (1635) 寄棟屋根の2階建ての木組の家
    で、町が所有し1987改装して商店と住居として使われた。
 共同遺産相続人の家 Ganerben Haus Kammmerer (1514) 3階建の木
    組の家で、1970に町が購入し1996改築され、個人のホテルとなった。
 自然と郷土博物館 Natur und Heimart Museum  Sixische塔の外
    側の堀の南側にある元靴屋の2階建ての建物で、1981資料を収集し
    1986自然とと文化遺産の博物館となった。
 古い役所 Altes Amtshaus (1508) 3階建ての木組みの建物で、
    1819林業事務所、1978町に買収され第二市庁舎、2004橋で陸橋で
    上の城の建物と結ばれた。

5.町の略図

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フェリンゲンシュタット Veringenstadt w47

写真

旧市庁舎 聖ニコラウス市教会
フェリンゲン城跡

1.歴史

  786 古代集落の存在に言及、  12c フェリンゲン城と礼拝堂の建設、
 1250 修道院を集めて町を建設、  1291 ハプスブルクのフェリンゲン郡を獲得、
 1291-1806 オーストリアに統治された、1313 ヴュルテンベルク伯爵が担当し常駐、
 1535オーストリアはホーエンツオーレルン・カールカール1世に委託、1650 30年戦後に農民を募集、
 1750 ハプスブルク帝国への移住者が多数。

2.市壁  0.39km 1.00

    城壁は山頂に150mと山腹に100mある。山腹城壁があったら、
    市壁もあったはずだが、見当たらない。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  D

   シュバーベン高原のラウレルト川に囲まれた山腹に、木組の家が並ぶ小さな町。
 市庁舎 Rathaus (1415) ホーエンツオーレルン時代に構築され、19cに復元さ
    れて 3階建木組の建物は漆喰仕上となった。地階にはオープンマーケトの広
    間があり、上階ではトーモロコシなど穀物交換が行われた。1966に2階に郷
    土博物館を収容。
 聖ニコラウス教区教会 Pfarrkirche St.Nikolaus (1316) ロマネスクの入口玄
    関と正面に、1862-71身廊・内陣・鐘楼上部が更新された。教会には
    ゴシックとバロックの彫刻がある。
 フェリンゲン城跡 Veringen Burg Rest (1100-30) 北側の山の上に建て
    られ今は外側と内側の塔の切石積が残っている。遺跡の隣にピーター礼
    拝堂があり10-11cのフレスコ画と15cの十字架がある。
 居間の家 Stueb Haus(1500)元画家の家族の家で、2階建切妻上
    階木組の家。現在は中世絵画の美術館である。

5.町の略図

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ビリンゲン Villingen Schwenningen w48

写真

マルクト広場 ビッケン塔
上門 リート門

1.歴史

  817 フランク王国の文書に最初の言及、999 皇帝から市場権.鋳造権.関税権、
 1218 ハプスブク家の所有となり自由都市の権利を失う、1324ギルド憲章の承諾、
 1326 墺に売られ、1805まで 墺に属した、     1349 ペストで人口半減、
 1438 2度目の城の完成、    1565-81 イタリア技師が2度目の要塞を造った、
   1524-25 農民戦争は 墺側で活躍、   1633-34 30年戦争でスエーデンが包囲、
 1704 スペイン継承戦争で仏軍が包囲、1805ビュッテンブルクへ、1806バーデン大公国へ、
 1846 交通障害のため外壁.ニーダー門取壊し、  1848 ドイツ革命軍が占領、
 1868 市門はすべての前門を取壊した。

2.市壁  0.71km 0.31

  主として東側と西南側に断続的に市壁が残っている。土堤と堀と外壁と
    内壁があったが、19Cに土堤と外壁は壊され堀が埋められ、周辺の緑地
    となった。

3.塔  3門5塔

  4門の内3門が残されている。しかし、前門.中門の出張部は、1840上門、
  1843リート門、1844ニーダー門、1868ビック門と、それぞれ取壊された。
  そして、ニーダー門は1846に全部取り払われた。また、塔は幾らか残っている。
 ビック門 BickenTor 1349建、東 3階建で時計付きの角塔。
 リート門 RietTor 1360建、西 刑務所への階段道がある。
 上門 OberesTor 北 他の門よりも新しい。
  RomaeusTurm 13C建、6階建て角塔。元監獄塔であり、聖ミシャエル
    塔とも呼ばれた。地元の英雄がここに投獄され、その姿が塔の北側を
    飾っている
  KaiserTurm 1372建、元なめし革塔であり、一時的にウズラ塔と
    かクチバシ塔とも呼ばれた。1992-94に改修された。
 エリザベス塔 ElisabethenTurm 昔の壁の見張り塔。
 火薬塔 PulverTuermle 昔の壁の火薬塔の円形部。
 鐘楼塔 GlockenHiisle 昔の壁の火薬円形部、住居目的に改造。
 稜堡 Bastion 

4.見所  C

   旧市街地を掘跡の緑地と切れ切れに残る市壁が囲み、中には広く歩
    行者道路が設けられている中都市である。大聖堂広場は壮大で博物
    館も門塔も多い。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1306建、1537に後期ゴシックで改築。歴史的
    な評議会場がある。1876古代コレクションの拷問部屋。
 聖母大聖堂 MuensterUnsererLiebenFrau 12-13C建、初期ゴシックの
    教会1530まで大衆教会で、中には14Cの十字架.15Cの説教壇.18Cバロック
    内装.1980にオルガンと青銅の正面入口。
 ベネディクト教会 BenediktinerKirche 1688建、バロックの大教会。1536
    聖ゲオルグ修道院が来た。ジルバーマンのオルガンがある。
 ヨハネ教会 JohannesKirche 13C建、聖ヨハネ騎士団が来た。1584から聖
    ヨハネ教会になった。1838にオルガン新設。
 旧市庁舎博物館 MuseumAltesRathaus 13C建、16Cに改修して今の
    姿になった。19Cに博物館を開設し、古代からの歴史と文化を展示。
 フランシスコ博物館 FranziskanerMuseum 時計の展示。1575の時計塔、
    シュバルツバルトの時計.家具.陶磁器.ガラス絵、6Cのケルト王の墓もある。

5.町の略図

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ヴァイブリンゲン Waiblingen W49

写真

市庁舎 高見張塔
高見張塔 バインスタイナー門
西壁 南壁
東壁上通路 北壁

1.歴史

  8c カロリング朝からスタウヘル朝が所有、885 皇帝チャールズ3世の王宮として言及、
 1250 ヴィッテンベルクは都市権を授与、      1291 都市の紋章を初制定、
 1291-93 レルム戦争に敗れエスリンゲンに落ちた 1315 ヴュルテンベルクの所有に戻った、
 1634 30年戦争中にヴァイブリンゲンの王都は焼けた、 17c 町の復興はバロックで、
 1771.1784.町は大火事に遭遇      1938 郡庁所在地に。

2.市壁  0.56km 0.62

   13c後半から14c終わりまでに拡大し、ミカエル教会は市壁の外であった。
1492ヴュルテンベルク伯爵エーベルハルト1世が外市壁や門を建設し、紋章が掲げ
    られた。今でもあちこちに市壁の跡が見られる。

3.塔  2門2塔

 バインスタイナー門塔 Beinsteiner Torturm () 中世の門で、刑務所と
    して使われたため解体を猶予されている間に、市街地の壁外への拡
    張・門衛の解除もあり、出入口の増加で交通量に対応して、最終的に
    この門は残った。その他の門は1832-38に取除けられた。門塔の外側
    に、1491彫刻で飾られた砂岩の伯爵エーベルハルト1世の紋章がある。
 浴場小門 Baeder Toerle (13c) 浴場の所の小さな出入口である。
    この門を抜け水車水路を渡ると、島に行ける。市壁の内側にはニコラス
    教会がありバインスタイン門までは今でも木製壁上通路を通行できる。
 高い見張塔 Hochwacht Turm (12c) 地形的な高所に、高さ84mの望
    楼がある。7m正方形の基礎には1250の年号もあり、早期シュタウヘン朝の
    構築である。1663の火事の後に、切妻屋根になった。この望楼には
    101段の階段を登り、素晴らしい展望を見る事ができる。
 門衛の家 Torwart Haus (1826) 1834に取除かれたフェルバッハ門の前に
    伯爵ウルリヒ5世の紋章のある門衛の家が建てられ、保存された。通抜け
    るとツインガーにに行け、そこは前壁と後壁との間の敷地である。

4.見所  B

    シュツットガルトの東北役10kmにある、大きな郡庁舎在地である。マルクト広
    場は美しく復元され、旧市庁舎や木組の建物に囲まれ、歴史的な雰囲
    気が残っている。対称的に、新市庁舎とマルクトディライエックは近代的な建築
    物である。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (13c) この場所で市庁舎は幾多の変化を
    して来た。1476に言及され、1597の紋章石はその後の建物にも使用さ
    れた。1875までは市庁舎として使われた。1870には3階建で、地階は
    開かれた石造、上階はバロク木組構造の建物であった。1876から小学
    校、1902商業学校、で使われ、1920には木造トラスが露出された。今は
    上階はレストランである。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1959) 長大な近代的な3階建の管理棟は、
    かっての城を整地した上に建てられ、1990に横に拡張され、2002改修
    された。
 マルクト・ドライエック Markt Dreieck (1976) 新市庁舎の向かいには、建築家
    ヴァルフリート・ベック・エアラングが近代的対話を古い町の地質と行って、奇抜な形
    の巨大な建物を建てた。
 ニコラス教会 Nikolaus Kirche (1269) 1485後期ゴシックの教会となり、1634
    の火災で木製の天井が焼け、1677バロックで再建され、漆喰と一部金の豪
    華な説教壇が置かれた。バロック壁画の上に塗られたが、1904-05に部分的
    に回復された。1973改修してギリシャ盛況にリースされ、2001に販売された。
 ミカエル教会 Michaels Kirche (1463) 市壁の外に建てられ、総教区は周
    辺の村を含めた「母教区」として中世から大教会であった。周辺の墓地
    とブラント小塔は要塞として構築されていた。今の3廊ホール教会はロマネスクから
    ゴシックに転換し、1989外観と内装の大部分は改修された。
 ノネン教会 Nonnen Kirche (1503) 30年戦争で破壊され、小さな礼拝堂
    が墓地に建っている。1967-88ゴシックの納骨堂と小さな教会となった。
 官房事務所 Kameral Amt (1658) 印象的な木組の家はアデンベルク修道院
    として1658再建された。その後郡庁の金融の場所として官房事務所と
    なり、1808-89行政局、1977個人所有、1983市が購入して改修。
    今はアート・スタジオやギャラリィとして使われている。
 木組の家 Fachwerk Haus (1690) マルクト広場の北側に立つ3階建の木組の
    家で、華やかな出窓とバロクの装飾がある。地階には1794-1819王立上級
    地方裁判所が入った。1824-42住居として使われ1910商業ビルとなった。
 歴史の館 Haus der Stadtgeschchte (1550) この町最古の3階建木組
    の建物で、ナメシ革屋として北市壁外に建てられた。1634には壊され、そ
    の後建て直された。今は歴史の館として、現代芸術美術館と芸術学校で
    ある。
 市民粉挽場 Buerger Muehle (1574) 町の南の市壁外に13cには2つの粉
    挽場があった。側に市民粉挽場が新設され、1634の大火を潜り抜けて
    1921まで稼働した。

5.町の略図

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ヴァルデンブッフ Waldenbuch w50

写真

市庁舎 旧市庁舎
マルクト広場 市教会
南壁 南壁
南壁 北西壁

1.歴史

 1007 集落は地方伯爵領であった、  12c ホーエンベルク公爵ブルクハルト2世が所有、
 1296 エスリンゲン修道院に寄付された牧草地、    1362 町として言及される、
 1363 ヴュルテンベルク州に移行、都市権を得た。  1381 ヴュルテンベルク州会員に記載、
 15c 公爵ウルリッヒに森林監視館を売却、  1477チュービンゲン大学の寄付金でハプスブルク
    家の買戻権を解消し永続的にヴュルテンベルク州の所有となった、
 1496 公爵夫人が城に住んだ、   1566 クリストファーはルネッサンスの狩猟宮殿を建て、
 1890 狩猟宮殿は南と西の翼を完成、           1721 町の大火事。

2.市壁  0.17km 0.37

    1363ホーエンベルク家からヴュルテンベルク州への移行期には市壁が存在した。
  今はUnter der Mauerに残されている。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    丘の上の小さな町で、古くからの建物が多く残されている。この町の
    見所は、22枚の説明板で700年の歴史を知る事ができる。歩行時間45分。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1575) 地階石造上階木組のこの建物は、
    ガストハウス・ツムラッペンとして建てられた。1781廷氏クラインが買収し、その後市庁舎
    となった。その前の市庁舎はマルクト広場に面して立っていたが取り壊された。
    扉の上に碑文石がある。6月15日は聖ヴィートの日で、かって裁判が開かれた。
 ヴィーダー本家 Stammhaus Wider (1750) この3階建木組の建物は、裁判所
    の狩猟宴会のためのゲストハウスであった。1754商人ダニエルが買収し、彼の子孫
    はここに住んだ。
 市教会 Stadt Kirche (1607) 公爵フレディックの下に新教会が発足した。前
    の教会は1360には独立した教区をもった。塔の西に在った旧身廊は、塔の
    東に1605-07ルネッサンスで新構築された。1988-89完全に改装された。古い塔は
    15cの古い教会の内陣に当たる。塔壁の年号には1437の年号がある。1707
    塔の高さは38mとなった。鐘楼の5鐘は1300.1458.1950.1962.2008。
 宮殿 Schloss (1381) ヴュルテンブルク侯爵カール・オイゲンの狩猟宮殿であった。
    1381には東翼はあり、階段塔には螺旋階段があった。1687-80西翼、1717
    -19南翼が構築された。1989には文化博物館になった。
 森林監視官の事務所 Sitz des Waldvogts (16c) 森林監視官1562-83と
    森林事務所1883-1975で使われた。
 旧牧師館 Altes Pfarrhaus (16c) 最古の教区司教館は巡礼者を支援し
    1720今の2階建の建物が建てられ、1786.1874牧師館は新しい集会所に改修
    され、1990音楽学校になった。
 羊の館 Schaf Hof () 3階建木組の建物で多くの場所に羊牧場があり、
    ここで羊毛の原料を提供した。
 小門 Kleines Toerlin (1524) 市壁に開けられた穴で、記録が残され地
    下への階段で城からの脱出に使われた。
 市粉引場 Stadt Muehle (1785) 市の粉引城は、その後キール・マイヤー家が所有
    した。
 旧十分の一税倉庫 Alte Zehntscheuer (1575) 地区教区の徴税倉庫で
    ホーリィコロス修道院の司祭がが管理した。ほぼ正方形の平屋の石造構造である
    が屋根は木造であった。1755今の木造切妻が付けられた。
 旧パン屋 Altes Backhaus (1847) 2階建上階木組の建物は、パン屋と洗
    濯場として建てられ、上階は教室があった。
 旧農家 Ehem.Bauernhaus (1585) 2階建木組の古い建物は、農家であった
    が、後に食堂となった。

5.町の略図

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ヴァルデンブルク Waldenburg w51

写真

市庁舎 新教市教会
宮殿 夜見張塔
シャンツ 堡塁
高見張塔 マルクト西
西壁

1.歴史

1143 ホーエンシュタウヘン・フレデェリック1世はレムゼ修道院の開設と、 1165-72 城の建設、
 1199 ヴァルデェンブルク・フューゴは本宅として交易路確保、    1254 町の設立、
 1378 遺産でシェーンブルクの貴族が所有、 1388 フリードリッヒ6世は陶工ギルドに指示、
 1430 フス派は城と町を燃やす、1473 民家を購入し市庁舎、1531 市庁舎建設、
 1482 旧市街地の火事で陶器場移転、1576 ペストで200人、1633ペストで400人死亡、
 1580 大火事で市庁舎・教会・60民家焼失、    1618-48 略奪と疫病で衰退、
 1680 ペスト再流行、1756-63 7年戦争で軍が町に分宿、1844 大公は教員養成、
    1848 城の消失、1853 城の再建、 1945 町は戦災でかなりの損傷があった。

2.市壁  0.95km 0.96

    15c高い見張塔のある約1kmの市壁が町を囲み今も残る。1495まで外
   堀の向う側に外堡として立壁・塔・防衛通路・砲塔と新港施設が造られた。

3.塔  3門3塔

 マインツ門 Mainzer Tor (15c) マルクト広場の南から西へ下る階段の門で、
    17cには既に見捨てられていた。
 噴水小門 Brunnen Toerle (15c) 南東から外への小門で、1901までこの
    地区の唯一の生活用水の井戸に、248の階段で連絡している。
 羊小門 Schaf Toerle (15c) 東中の外への階段の門で、羊の放牧の出入
    りに使われた。
 夜見張塔 Nachtwaechter Turm (1500) 入口右の2階建円錐屋根の円塔で
    左の堡塁と連携して町への侵入を遮断した。
 高見張塔 Lachners Turm (13c) 町の象徴となる高さ33mの角塔で、町と
    城の防衛のために使われた。今は展望台であり、登る事ができる。
 堡塁 Bastei (1500) 火器の発達の後に防衛目的で造られた。

4.見所  C

    山の上の尾根に町は築かれ、城と町は市壁と塔に囲まれている。何回
    かの火事と戦災で壊されたが、復元されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1731) 初めは1473民家を買って市庁舎とした。
    1528-11に次の市庁舎が建てられ、1731に2階建の市庁舎が建てられ、
    1945戦後に再建された。1952には仕上調整された。
 宮殿 Schloss (1172) ホーエンローエ・ヴュルテンブルク公爵の宮殿は1165-72に建て
    られ、1430総合施設を拡張し、1536-67ルネッサンス二重ロックシステムを導入、1755-
    79フロント城改築、1858火災後宮殿を再建、1909-12宮殿の改修。
 宮殿教会 Schloss Kirche (1793) 後期ロココと早期古典主義の複合様式
    で完成された。戦後に再建された。
 封印博物館 Siegel Museum () ドイツでも唯一の封印の博物館で、800も
    の封印が展示されている。最も美しいと言われる侯爵フリードリッヒ・カールの封
    印の複製も展示されている。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1594) ルネッサンスの広間教会で建てられ、
    度々改修された。バロックの告白祭壇がある。
 外堡 Schanz (15c) 強大な外堡は15cに建てられ、18cに上部住居が
    建てられた。

5.町の略図

  

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ヴァルトキルヒ Waldkirch w52

写真

 
市庁舎 聖ペーター・ハウル市教会
博物館

1.歴史

  918 聖マルガレーテン修道院の創設、1250町の設立、1300集落は市壁で守りを強化、
 1300 シュバルツエンベルクの市憲章を認定。1567オーストリアのフェルナンド大公がシュバルツエンベルクを
   購入、1805 バ-デン大公国に属した、1945 2次大戦は無傷で生き延びた。

   

2.市壁  0.01km (0.01)

 1250に設立された町の北部に、1300には市壁と運河が建設された。1450は強
    には2番目の市壁が10-20m外側に作られ、隅角に円塔が設けられて、守り
    は強化された。1705スペイン継承戦争で、仏軍は市壁を殆ど解体した。19cに
    も堀は埋められ、市壁は壊された。Damen Str.2には、1705に壊された市壁
    の10mが埋まっている。近年市壁復元の動きもある。

3.塔  0門1塔

   残っていた上門と下門も1796に解体された。唯一Elz Str.9aに2次市壁の
    円塔の基部が見える。

4.見所  B

   戦災を免れて、昔の古い建物が多く残ている。
    市庁舎 Rathaus(1567)14cの裁判所と市場のアーチを含む市庁舎は、1567
    に後期ルネッサンス庁舎に建て替えられが、1638の大火事で焼け、1654に再建され
    た。1753外壁のアーケードは閉鎖されて玄関が設置された。1871に今の姿で再建
    され、1988に大規模改修と拡張が行われ、2016にも改修された。
 キュフェル城 Kyffelburg(1771)1300にシュバルツエンベルク家の城として建てれられ
    1490に道院が購入して、管理者の住居として使用した。1771に大きなアーチ屋
    根の地下室のある今の建物を新築。
 修道院納屋 Stifts Scheuer (1732-33) 聖マーチン修道院の納屋は、地下に樽
    型の金庫室を備えている。1950-52に集会所に改造され、今は聖マルガレータ教区
    の集会所である。
 聖マルガレータ教会 St.Margarethe Kirche (918) 王オットー3世の修道院が設立され
    た。994には帝国修道院に昇格し、1431に正教会の修道院に改造された。現在
    の教会は1732-34にバロックで建設されたもので、今はカトリックの都市教会である。
 聖マルガレータ修道院Propstei des chorherren Stifts St.Margarethe (1753-55)
   漆喰仕上げで、上部には聖マルガレレーテの砂岩の像がある。用途は軍病院、綿織物
   工場、ホテル、学校として使われ、1983には博物館となった。
 ガストハウス「王冠」 Gasthaus Zum Krone (1453) 1320には旅館Zur Lachum
    と呼ばれ、1553には大ギルドのホステルであった。切妻前面には、1996の仏軍
    の砲弾がある。
 浴場 Bad Stube (1287) 市壁の外に2階建ての浴場が建てられ、1523に市が
    買い取り、理髪師と外科医が浴場で仕事をした。1750に入浴は終わり、鞣し皮
    工場になった。
 旧地区事務所 Ehem.Obervogtei (1763-64) と書きその2階建ての建物で、地
    方事務所として建てられ、一部は旧市街の堀に建っている。1936まで地区事
    務所として使われ、今は警察署になっている。
 市薬局 Stadt Apotheke (1650) かっての3階建ての床屋の家を1667に裕福
    な市民が買い取って改装して住んだ。1971に市薬局はこの建物を使用し、現
    在も所有者は変わったが薬局として継続している。
 旅館「天使」 Gasthaus Zum Engel (1698) パン屋・靴屋・大工のギルド所有の
    ホステルから旅館になったが1965に営業は終えた。1971の改修で漆喰が剝が
    されて美しい木組みが現れた。
 カステル城 Kastel Burg (1250-60) シュバルツエンブルクの領主は、聖マルガレータ修
    道院を守るため山上に城と建てた。オーストリア支配下には刑務所として使われ、
    1634帝国軍は城を破壊して、廃墟となっている。
 市礼拝堂 Stadt Kapelle (1332) 聖母市礼拝堂は、市で最古のシンプルな建
    物で、後陣は1929に付けられた。2000に復元された。
 牧師の家 Kaplanei Haus (1779) 2階建て9窓列の大きな建物は、大学の牧
    師・教師・職員のための建物で、今でもカトリック教区の職員が利用している。

5.町の略図

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ヴァンゲン Wangen im Allgaeu w53

写真

市庁舎 北壁
火薬塔 フラウエン門
聖マーチン門外側 聖マーチン門内側

1.歴史

 815 ザンクトガレン修道院文書に初言及、     10C 修道院財産の拡張、
 12C 市場外貿易や職人がいた、   13C 壁や堀に囲まれ門塔も建てられた、
   1286 ハプスブルク帝国の自由都市、   14C 壁内は建物で溢れ市外農地を買収、
 1526 最初のプロテスタントの牧師、      1531 自由な説教の承認、
 1622-47 30年戦争・ペストで人口半減、  1802 帝都でなくなりバイエルンに帰属、
 1810 領土の交換でビュッテンブルク公国へ。

2.市壁  0.230km 0.23

   北部に高い屋根付きの銃眼のある市壁があり、登ることができる。
  市壁の外側に堀や公園があり、水汲みの像がたつ。

3.塔  2門1塔

 婦人門 FrauenTor 1472建、北西の市壁の間にあり、1608に今の姿
    ルネッサンスの絵画に飾られた5階建ての角塔。1988に改修。
 聖マーチン門 St.MartinsTor 1347建、西に門のみが残る。1608に今の姿
    になった。ゴシックの絵画で飾られた5階建ての四角塔。
 火薬塔 PulverTurm 15C建、北東角 染め物塔として建てられた白色
    の六角塔。そのご火薬塔として使われ、1596-1611に今の形で再建された。
    1985に補修された。

4.見所  C

   町の中を小川が流れ、大きな建物は小川の北側に立ち並んでいる。東の
   旧市街地には古い木組の家屋が多く見られる。
 市庁舎 Rathaus 13C建、古い部分はシュタウヘン時代の最初の市壁の一部。
    15Cに拡大再建され、1721にバロックの前面を付け、地方の絵画装飾がなされ
    た。屋根裏部屋は1980-83に改修された。
 騎士の家 RitterHaus 1789建、3階建の建物で、地域の事務所として
    建てられ、今は市の所有で都市財政部が使っている。
 穀物倉 KorunHaus 1602建、穀物の館として綺麗に建てられ、今は図
    建てらして使われる。
 聖マーチン教会 St.MartinsKirche 13C建、塔の部分は最古の建物。中央
    部東側切妻壁はロマネスク。1386ゴシックの聖歌隊席、1468ゴシックの今の形になった。
 病院教会 SpitalKirche 1723建 東 バロックの病院教会,祭壇のマドンナ彫刻。
 ロバ粉引博物館 EselMuehleMuseum 1589建、市壁に接続された建物に、
    16Cロバの製粉所・美術館・乳製品博物館・文学記録・中世の銭湯がある。

5.町の略図

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ヴァイカースハイム Weikersheim w54

写真

市庁舎 ヴャイカースハイム城
ゲンス搭 博物館

1.歴史

837 フルダ修道院文書でヴュルツブルクのヴィツハルデスハイムの所有として言及、
 1153 ホーエンローエ家が領主として初登場、    12c コンブルク修道院に寄贈された、
 1244 ホーエンローエ家の本部の一つになった、 1313 町は都市権を得て市壁を建設、
 1345 フルダ修道院の領地となった、   1392 ヴュルツブルク教区の領地になった、
 1585 ホーエンローエ家の伯爵が町を相続、1610 侯爵は移籍金を出して農奴制を解消、
 17c 30年戦争中ホーエンローエ家はスエーデンと同盟、 1637皇帝の命でドイツ騎士団が来た、
 1648 ヴェストファーレン条約でホーエンローエ家に戻った、  1710-12その前の広場の再設計、
 1756 ヴュルテンベルク王国に移された、1945 米国の占領地で゙ーデンヴュルテンブルク州へ。

2.市壁  0.61km (0.96)別に城壁がある。

  1313の市壁は、多くの地域で残され、既存の建物の裏壁として機能している。

3.塔  1門1塔

 下門 Unteres Tor (1320) ガチョウ塔とも呼ばれる中世の市門、石灰
    岩と砂岩で造られ、時計塔付きの帽子のある4階建の漆喰塗りの両脇に歩道
    のある門塔である。1594に改修され、1721に部分的に改造して帽子と前面
    バルコニィが付けられた。1952に修復され2002に塔は再建された。
   青い帽子 Blaue Kappe (14c) 4階建ての正方形の塔で、西側に螺旋階段
    があり、最上部は半木造で造られている。塔は殆ど原形を止め刑務所を受
    け継いでいる。1600に再建され、1935に壊れた部分を補修した。

4.見所  B

 市庁舎 Rathaus (1711) 2階建ての漆喰の建物で、寄棟屋根とドーマー窓
    が並んでいる。丸アーチ切妻・碑文・紋章を備えた壮大なポータルを備えた9軸の幅
    広い建物。1711に三者住宅として建てられ、1976に市庁舎に改造された。
    2001に大規模修復が行われ、後部階段が交換された。
 聖ゲオルグ教会 St.Georg Kirche (1429) 3通路5ベイのホール教会として建てら
    れ、1600に八角形の西塔が付けられた。1615-16のゴシックの後陣は新しく置き
    換えられた。1714にバロックフードと尖塔は改修され、1972に内部改修、1987外
    部改修、2002東部塔は修理された。
 旧収穫物蔵 Ehem.Fruchtkasten (1582) 巨大な地下室と貯蔵床を備えた
    2階建ての建物で上層階と後部切妻は木骨造で建てられ、広く高い貯蔵屋根
    と北側には1580の丸い地下室屋根がある。1712に切妻のある芸術的な大き
    な前面が付けられ、1962に外部木造骨組の改修、1973-75博物館へ改修され
    た。今はTauberlannder Dorf Museumである。
   ドイツ男の部屋 Hotel 「Deutsch Herren Stuben」(18c初め) 2階建寄棟屋
   根の大きな建物で、前面は漆喰である。1965に外装改修、1978に後部延長。
 ガストホフ「緑の館」 Gasthof (1804) 上階木骨造のマンサード屋根ドーマー列のあ
    る2階建の建物で、1804に近代的に改修された。
 ヴャイカースハイム城 Schloss Weikersheim (16-17c) ホーエンローエ家の領主は、堀の
    ある城を築いたが、16c末には砦の一部と遺構を残す状態になった。1595-
    98に騎士の間と城礼拝堂を備えた翼を建設した。1708-12にルネッサンス様式の大
    きな高さのある屋根で覆われた。18cにはバロックの公園が南の外側に作られ
    た。1756から城は放棄され、1967に国有の公園に含まれた。
 旧病院 Ehem.Spital (1745) 2階建て寄棟屋根の頑丈な建物で、中央に
    バロックのポータルと時計のある塔が配置されている。1969外装の補修後、1983
    には図書館となった。
 店舗のある住宅 Wohnhaus mit Ladenlokal(1546) 2階建て上階木骨造の
    漆喰仕上げの切妻種の建物で、1564の年号がある。19cに改修された。
 ガストハウス「王冠」 Gashaus Zur Krone (1732) 3面に切妻のある3階建て
    の建物。1990に外組と会談を補修した。
 ガストハウス「宮殿庭園」 Gasthaus Schlossgarten (1605) 2階建上階木骨
    造の建物で、18-20cに改修が行われた。
 ガストホフ「太陽」 Gasthof Zur Sonne (1564) 地階と上階に石造の窓があ
    り。彫刻が施されたロココ調の戸がある。1996に一部保存して大規模改修
    が行われた。

5.町の略図

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ヴァイル デア シュタット Weil der Stadt w55

写真

市庁舎 ケプラー博物館
市壁 内壁

1.歴史

 1075 アンリ4世の皇帝文書に初言及、  1181 ホーエンシュタウフェン家の所有となる、
 1223-42 の間に都市権の授与、      1275 帝国自由都市として発展、
 1373 皇帝との関税法の制定、      1388 戦争敗北で町は被害、
 1519 貴族と地元の間の闘争激化、  1615-29 魔女裁判で拷問と38人焼刑、
 1648 30年戦争で仏軍の略奪と放火、   1803 ヴェルテンベルクに帰属。

2.市壁  0.65km 0.46

  市壁は、西と北東と南東に、門や塔と共に残っている。

3.塔  3門4塔

   北に1門と西に2門があり、北東と南東に防御塔が4塔残っている。
 アントニウス門 AntoniusTor 西 1926建、郷土研究者アントン・ガルのキッカケで
    ステュットガルト方面の駅への門として造られた。簡単な屋根付き門。
 ユダヤ門 JudenTor 西 唯一残った市塔。1534に初めに呼ばれた。
    外側は、町紋章の写しが昔の上塔にあり、中世のユダヤ共同体があった
    が1349の  ペストで壊滅した。アーチの石積み門の上に、四角錐屋根2階
    建て木組の塔が置かれている。
 王門 KoenigTor 北 北側市壁取壊しの際、石造の出入口の部分
    が残された。ヴルテンベルクのウイルヘルム1世を敬って名付けられた。
 コウノトリ塔 StorchenTurm 15C建、レンイング郊外を守る施設の一部。初
    めは見張塔、遅くは貧困者住宅。コウノトリ塔と赤塔の間は、良く維持さ
    れた古い城壁通路がある。
 赤塔 RoterTurm 15Cには泥棒塔とも呼ばれた。塔は地下牢として
    使われた。4階建の円塔に赤い円錐屋根が付いている。
 カラス塔 RabenTurm 昔の防御塔、中は木組みで塞がれていた。最上
    階は1893に焼けた。
 縄塔 SeilerTurm 15Cに刑務所として使われた。郊外の全塔は殻塔
    であり、石積みの町側は開かれていた。

4.見所  C

   やはり、マルクト広場が中心であり、スタウフェンの1241に設立され、1648の大火
   壊滅の後に今日の建物は建てられた。市庁舎.ケプラー記念碑1650再建、帝都
   のライオン噴水1603建.カール5世噴水1537建1987更新.ガル市中長の家1793建.旧市
   庁舎.町博物館.市庁舎などが取巻いている。古い木組みの家や周囲に塔と
   市壁もある小さな町。
 市庁舎 Rathaus 1532建、火災後1664に再建。丸アーチの柱廊玄関は、
    以前常設市場であった。帝国の紋章は西に、町の紋章は南の前面にある。
 旧市庁舎 AlterRathaus 中世風石造で1479に町が貴族の住居を買った。
 大聖堂 Kath.StadtPfarrKircheSt.Peter&Paul 12C建、1648に身廊は
    壊れ1869に再建の後期ゴシックのホール式教会。13C後期ロマネスクの東塔に、14C遅
    くに西塔は付け足された。中には、1460-70の後期ゴシック磔刑の群像.
    1611ルネッサンスの聖典室.1700バロックの本祭壇.1742ロココの説教壇等が見られる。
 病院礼拝堂 SpitalKapelle 1358建、1364奉納の後期ゴシックの礼拝堂。
    1747改築、1978改装。14C後期ゴシックの彫刻祭壇.1480の聖家族.1750の使徒.
   14Cキリストのフレスコ画、17C後ろの壁にテラコッタのロザリオロケット.祭壇画がある。
 旧病院 Eme.Spital 14C中に聖母病院は町寄付された。15C病院の資
    産は大きく成長した。600年間老人介護と貧困者寮はあり、1477の主建
    物は火事で壊され、2000に再建された。

 旧鞣し皮屋 Eme.GerberHaus 1648の大火の前の建物。裏側は表面の
    乾燥のために木を変えている。
 町博物館 StadtMuseum 歴史と美術の展示。中世の鍛冶屋の再現。
 ケプラー博物館 KeplerMuseum ケプラーの生涯.学説.天体模型の展示。
 道化師博物館 NarrenMuseum 謝肉祭の仮面と衣装を展示。

5.町の略図

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ヴァイルハイム Weilhein a.d. Teck w56

市庁舎 ピーター教会
市壁断面 北壁
南壁 北壁

1.歴史

  769 ロッシュ修道院文書に初言及、1050-70 ツエーリンゲン家は城と集落を造った、
 1275 公爵アイヘルベルクは町を行政の中心に、      1319 町に昇格された、
 1334 ヴュルテンベルクに帰属し都市権を授与、 1461 市場繁栄するも大火災発生、
 1634-38 ペストえ1505人死亡、30年戦争の略奪、17c 農業・ワイン・工芸品の生産、
 1822 Unteramtの廃止、機械織など工業化。

2.市壁  0.0765km 0.13

   アイヘルベルク侯爵ウルリッヒは、1319町へ昇格された後に市壁を建設した。

3.塔  1門0塔

   市壁には、上と下の二つの正門があったが、上門1821・下門1828に壊さ
     れた。
 僧侶小門 Moenchs Toerlein () この小門は、ミカエル礼拝堂を壊した宗教
    改革の後に開かれ、1828に壊された。

4.見所  C

   この町で興味深いのは、マルクト広場周辺の魅力的な木組の家と公共の建物、
  15cからの壁画と歴史的な市庁舎1777・ピーター教会1089・復元されたカプチン会の
  家などである。
 市庁舎 Rathaus (1777) 公爵カール・オイゲンの地方建設所の計画に基づき、
    崩壊寸前の旧市庁舎の代わりに、2階建鐘楼付きの建物を建てた。三角
    切妻と町の紋章には1829の年号がある。2006-08前面の復元と増築が行わ
    れた。
 ピーター教会 Peters Kirche (1089) 公爵ベルトルド2世は最初の教会を奉献し
    た。1409-1522後期ゴシックの大聖堂を新築し、3身廊に拡張した。1601新教
    説教教会への改修、1765内壁と祭壇のバロック化、1982-85全面改修の実施。
 カプチン会の家 Kapuziner Haus (1565) 風格のある2階建木造切妻の建物
    は役所書記と語学学校教師のために建てられた。1589個人所有、1884町
    が取得し、2000-01町の図書館に改造。
 旧先生の家 Altes Lehrer Haus (1803) 南側堀に石鹸製造人の建物と
    して建てられた。1869町はこの建物を買って先生の住宅不足をを補っ
    た。1985根本的な改修と地階は商工業に使うために改造された。
 飾り木組の家 Zierfachwerk Haus (1581) 切妻常置の都市農民の家に
    は飾られた木組合わせられている。部分的に残され2階南面の厚板張り
    の部屋がある。1986新しさを合わせ古きを守って、根本的な改装が行わ
    れた。
 白い家 Weiss'sches Haus (1749) 町書記に後には代官のために建てら
    れた。1810遺産として相続され、1858町の商人バイスが購入し、個人銀行
    を設立した。
 旧執事の家 Ehem.Diaconat Haus (1557) 二人の町の牧師のために、執
    事の住宅として3階建木組の家を建てた。そのご教区教会聖カリクストの牧師
    達の牧師館であった。1980町が取得して、改修と拡張が行われたが、今
    は民家である。
 司教館 Pfarrhaus (1733) シュバルツバルト修道院聖ペーターの委託で、北市壁
    の上に聖ペーター教会の貴族が建てた。市壁の上には防衛通路や穀物蔵が
    ある。
 農民の家 Bauern Haus (1500) 納屋・脱穀場・家畜小屋・住居翼のある農
    家が建てられた。1461の大火の後に建てられ、1992に改修された。この
    町で確認された最古の建物である。
 町の城 Stadt Schloss (1469) 町の北東の角にアイヘルベルク公爵が建てた。
    担保所有者としてベルナウの貴族が15cに住んだ。1709売却され、1747ガスト
    ハウス:ライオンになった、1895取壊されてガストハウスが新築され、2008に取払われ
    た。城の3階建厚板張りの部屋が残され、1634からは穀物倉庫として使
    われた。
 シュッペン Schupfen (17c) 3階建木組漆喰の建物が建てられた。

5.町の略図

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バインハイム Weinheim w57

写真

マルクト広場 聖ラウレント教会
青い帽子

1.歴史

  755 ロルッシュ・ローデックスの証書帳に言及、790 侯爵ラフォルトはロルッシュ修道院に寄付、
 1000 皇帝オットー3世は市場権を授与、     1065 アンリ4世は鋳造権を授与、
 1100 ロッシュ修道院長は修道院財産を守るためヴィンデック城を築いた、
 1232 ロッシュ修道院のマインツ大司教とプファルツ伯の抗争、1250プファルツ伯は新市街建設、
 1264 旧市街と城はマインツ大司教、新市街はプファルツ伯が支配、1454新旧市街統合、
 1537 宮殿建設、1557百貨店建設後に市庁舎、 1621-34 各国に占領された、
 1674 仏軍に占領され破壊された、 1698 プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムは常駐、
 1803 町はバーデン大公国へ、         1936 町は城と城公園を買収。

2.市壁  0.05km 0.02

   13cの市壁が残っているのは、南のBlauerHutから西北側に50m見られる。
  別に城壁は大部分残っている。

3.塔  2門4塔

 上門 Ober Tor (14c) 城の南側に3階建て角塔がある。
 ミュールハイマー門 Muellheimer Tor (1608) 東の市門であり、1882取壊され今
    は砂岩のレリーフが再建されている。その碑文のある門アーチは城公園の入口に
    立っている。
 赤塔 Roter Turm (14c) 西北、5階建ての円塔で胸壁の上に昔は赤瓦屋
    根が在ったためその名前が付いた。19c中までは刑務所として使われた。
 青い帽子 Blauer Hat (1250-1300) 南西、最も古い時代の防衛施設で5
    階建ての円塔である。名前は古いスレート屋根の青色帽子から来ている。防
    衛通路からしか塔に入れない塔には地下牢がある。市壁とツインガーもある。
 魔女塔 Hexen Turm (13c) 南、半円の塔で半分の高さの通路跡がある。
 ユダヤ塔 Juden Turm (14c) 北東、かって大きな隅塔が在ったが、今は四
    角い基礎が残るのみ。

4.見所  D

  城跡の下に円形の緑で囲まれた小さな旧市街があり、古い木組の家もある。
 古い市庁舎 Alte Rathaus (1557) 初め3階建ての百貨店として建てられ、
    地階は開かれた市場であった。上階の大広間には豊かなルネッサンスの絵画があ
    る。 1752-1914市庁舎として使われ、1861-62切妻と木製バルコニィは取換えら
    れ、1968-97と2002に改修されている。
 今の市庁舎 Heute Rathaus (1400) かっての城は、異なる時代の建築部
    分で構成されている。1400からの最も古い建物は、上門塔の通路に属して
    いる。17c末の改造で要塞的な要素は失われた。1535北の部分はプファルツ選帝
    侯のルネッサンス建築に接続した。1868ネオゴシックの塔と城の一部を変換した。1725
    上門の南側のバロックの宮殿はディーブルクのウルナー家が建てた。城公園のイングリシュ
    ・ガーデンもある。
 市教会 Stadt KIrche (1731-36) 旧町教会は中央通理の町中に在り、
    1731が置かれ1736に聖別された。面白い鐘楼が屋根に立つ。
 聖ラウレント教会 St.Laurentius Kirche (14c) 14cの古い教会の壁画が残って
    いる。13-18cの多くの墓石があり、1730の高い主祭壇と横祭壇があり、
    1850座と塔が構築された。教会は1911-13新築された。
 鞣し川地区 Gerberbach Viertel 狭い路地に木組の家並みがある。
    ここに多くの鞣し皮屋の家が残っている。
 市博物館 Stadt Weinheim (1710) プファルツが建てた旧ドイツ修道院は、
    1949町の博物館となり、町の歴史・13-14cフラスコ画・城のビダーマイヤー家具を展示。
 ヴィンデック城跡 BurgRuin Windeck (1100) ロルシェ修道院の保護要塞として建
    てられ、17cに仏軍によって壊され、城壁と建物の壁が残されている。
    1978から市が所有し、今はレストランがある。
 クレーヴェの家 Kerwe Haus (1559) 木組みの家に1970から郷土祭クラブが入居
    し市が所有月初めの祭りを開催している。

5.町の略図

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ヴァインスベルク Weinsberg w58

写真

市庁舎 北壁・城址
見張塔 南壁
ヨハネ教会

1.歴史

  778 ロルシュ修道院がぶどう畑を所有、 1140 シュタウヘンのコンラッド3世の城となる、
 1200 ブドウ畑を城壁で囲んだ、     1240 帝国自由都市へ、
 1420 都市同盟を作るってコンラッド4世に対抗 1450 城と町はプファルツ選帝侯所有、
 1525 農民戦争で町と城は荒廃、    1646シュマルカルデン戦争1512チャールズ5世占領、
 1571.1585.1957.1612ペスト流行、    1634 30年戦争で略奪された、
 1707 大火災で町の2/3を焼失、    1755-1926 ヴァインスベルク郡庁があった、
 1945 4月に空爆を受けた。

2.市壁  0.20km 0.15

  13c初に町の設立後すぐに、砂岩切り石の市壁が築かれた。円形の市壁には
  屋根付の壁上通路があり、前面には土堤と水堀が置かれた。高さ8m幅1.5mの市
  壁の延長は1.327kmであった。1525農民戦争で城と町が破壊された後、市壁と
  塔の再建は財政上出来なかった。1803-05残っていた市壁は町の拡張に伴い徐
  々に取壊された。1811-45道路のために市壁は取除かれた。市壁の遺跡は旧市
  街の北と北東と南に僅かのこる。

3.塔  0門2塔

  昔市壁には、西南の下門と東の上門の他6塔が設けられた。
 オオカミ塔 Wolf turm (13c) 町の北西の角に在る角塔。
  Wachturm (1200-10) 町の南の防衛施設として切石で造られた
   4階建ての角塔である。町でも最古の建物で町側は木製の壁で塞がれた。
   1707大火後も塔は残り、1784貧しい人のための宿泊施設として使われた。
   1853焼失するが夜警の部屋として再建され1857まで使われた。その後刑務
   所・貧しい人の宿・宿屋などとして使われた。最上階には鐘楼が置かれた。
   1986-87塔は大規模改修の後にクラブ集会所や郷土館となっている。

4.見所  C

   北側が高く南に下がって行く斜面の町であり、古い建物は北の部分に
    集中している。
 旧市庁舎 Ehem.Rathaus (13c) 旧市庁舎は1525の農民戦争で焼失し、
    その場所に1541再建されて現存する。1550-1926はラテンコ語学校を収容した。
    1794-95仏革命軍に対抗するアーストリア軍の病院として使われた。1929までは
    実業学校が入り、その後個人所有となった。
 市庁舎 Rathaus (1718) 1697-1707に助祭の家がここにあった。地下室
    には大きな丸天井の食堂があり、上階には主席司祭の事務室があった。
   1707の火事で建物は崩壊した。1714-18その敷地の上に新市庁舎が建
   設された。1945空爆で破壊したが、1952-53に今の市庁舎が建てられ、
   1970-80に増築された。今は1988から町の歴史博物館となっている。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehntscheuer (1528) 領主の十分の一税を公課
    として貯蔵するために使われた。1707の大火事で焼失し1711再建された。
    倉庫の長さは202m、幅16.4mで地下1階を含め5つの床がある。1853迄国の
    所有であったが、その後個人所有となった。1945の爆撃で焼失し、その
    場所に小学校が建てられた。今でも地下にはワイン食堂がある。
 ヨハネ教会 Johannes kirche (1200-25) 最初の身廊は後期ロマネスクで建てた。
    1240-50八角の東塔が付けられ、東内陣の増築と今の聖器保管庫は早期
    ゴシックとなった。1525農民戦争で教会は燃え尽き再建された。1707の大火
    事と1945の爆撃は生き延びた。
 聖十字架聖職者の家 HeiligKreuz Pfrundhaus (1526) 1525農民戦争で
    焼失した。家屋の跡に聖職者の家が建てられた。1771老朽化で崩壊し、
    1774に再建された。1547までは牧師の家として使われ、1547-1554町の書
    記室に貸し1560-1823助祭・ラテン学校教員の宿舎だった。1823-50実業学校、
    1850-1929小学校であったが、今は個人所有となった。
 主席司祭教区/代官屋敷 Dekanat/Vogtei (1619) ヴュルテンベルク公爵クリストファ-
    の治世に、始めはワイン醸造事務所の建物として建てられた。1669ヴュルテンベルク
    のシュツットガルトとノイエンシュタットが購入して、共同の代官所として使った。1707大
    火事で焼失し、城に似たような形で再建された。1750ヴュルテンベルクのヴァインス
    ベルク・ワイン醸造所の事務所、1807-97ヴァインスベルク郡の伝道事務所、1897から
    新教主席司祭教区の所在地であった。今は小城と呼ばれている。
 旧行財政事務所 Ehem.Kameralamt (1708) 1707大火事の後に、砂岩で
    3階建の大きな(22.9m×13m)建物を建て、1742-1897新教教会監督職、
    1987-1926ヴァインスベルク郡監督職管理所、1927ヴュッテンベルク国家財政管理事務
    所と住居に改造した。1945爆撃で破壊され再建されなかった。
 病院 Spital (14c) 1354初文書言及、ヴァインスブルク修道院は病院・救貧院
    ・養老院を併設した。北に修道院教会があり、背後に大きな門がある。
    南には市壁がある。1525農民戦争で焼失し、1542までに再建された。
    1546-47シュマルカルデン戦争でも壊され、1707大火事の後1714までは町の行政
    を収容した。18c終修道院は経済的基礎を解消のため、個々の建物毎に
    町民に競売した。
 郡役所庁舎 oberamtsgebaeude (1908-09) ヴァインスブルク郡の庁舎として
    建てられた。1926郡が解消され、貸家となった。1940町が購入し高等中
    学校、1945ハイルボルン爆撃で郡行政の役所、1945-49町行政の役場、1974ま
    で再び高等中学校、その後警察署となった。
 町粉挽所 StadtMuehle (1420) ヴァインスベルクの町民が建て、1525の農民
    戦争で壊されたが1528までには再建された。その建物には水車を回すた
    めの水路があり、1.5km先の水車池から水が供給された。20c初は製材所
    として経営され1905タバコ工場が住家に改造した。用水路の残余は今も識
    別できる。
 ケルナーの家 Kernerhaus (19c) コスティヌス・ケルナー教会が、1907家を買って、
    翌年整備して公開した。1985-86改造して、1階にケルナーの生涯と交友関係
    2階に家族の居間が展示されている。庭には幽霊塔が立っている。
 ヴァイバー城跡 Burg Weiber Ruin (11c) 旧市街北西のワイン畑の丘に、皇
    帝の城址がある。1504ランツフート戦争、1525農民戦争で壊され放置された。

5.町の略図

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ヴァイセンホルン  Weissenhorn w59

写真

市庁舎 エストヘクシュ・プロムナード
上門 下門
泥棒塔 南壁

1.歴史

 1160 ヴィラ・ヴィツェンホロンの文書に初言及、  13c ノウフェン家が領主になった、
 1342 バイエルン侯爵が町を所有し他者に貸与、 1473 公爵ゲオルクが市壁を築く、
 1504 ランツフート承継戦争で皇帝マクシミリアンの手に、1507 マクシミリアンは主権は墺に残し、
   所有権はヤコブ・フッガーに譲渡、町はフッガー家の支援で商業都市として栄えた、
 1525 農民戦争では市民が町を守った、  1805 プレスブルクの和平でバイエルンへ、
 1862 地区事務所の設置、        1872 市壁と塔の残りを撤去した、
 1945 町は無傷で米軍に降伏。

2.市壁  0.07km 0.10

   1473の市壁は、下門に5mと城の外壁として40m+20mがわずかに見られる。

3.塔  2門1塔

   残された3門塔は、何れも2013に復元されている。
 上門 Oberes Tor (1470-80) 公爵ゲオルクは町の防衛の門を建てた。両円
    塔の間に角塔が立つ珍しい形状で、角塔の前面のフレスコ画は画家アントン・ビショップ
    が1923に修復した。フレスコ画は町の歴史の一場面として:市長のディポルト・シュ
   バツが農民指導者エルク・エプナーと1505年4月1日の交渉場面を描いた。
 下門 Unteres Tor (1476-80) 50年後の1527に2階を嵩上げした。塔の北
    側のバイエルン侯爵ルードビッヒが町に憲章を授与する場面のフレスコ画は1937画家
    アントン・ビショップが修復した。
 泥棒塔 Diebs turm (15c) 北西の市壁に円錐屋根の円塔が、こん棒塔と
    も呼ばれて残っている。円筒形の上部に銃眼を備え、小横破風付き瓦屋根
    の尖った屋根がある。

4.見所  B

   旧市街は、古くからの木組の家並みが残り、19cの大きな建物と対照的な
    姿を示している。
 旧城 Alte Scgloss (1460-70) レッヒベルクのイエルクは15cに城山の上に旧城を
    建て1989都市計画上の健全化で、一部潤井ツインガー壁を再建した。
 新城 Neue Schloss (1513-14) ヤーコブ・フッカーが旧城の隣に新城を建てた。
    1565階段破風の付いたビール醸造所が建てられ、1700バロックの前面に改装さ
    れた。
 貯蔵庫 Schranne (1390) 後期中世の建物は、百貨店として言及された。
    地階に常設市場を納め、2階には大きな祝祭場と市会事務室、屋根裏には
    穀物を貯蔵した。
 マリア昇天市教区教会 Stadt Pfarrkirche Maria Himmelfart (1865-68)
    カソリックのマクシミリアン様式で建てられた。
 カソリック聖霊教会 Kath.Kirche Zum Hl.Gaeist (1470) 付属養老院を有し、
    1720-30にバロック化された。1837今の入口は養老院の横に増設された。
 オーストリア散歩 Oestliche Promenade (19c) 19cの終わりに行政のために置
    かれ、1891まで住家と事務所としてハイレレ家が所有した。1922前面塗装。
 歴史的劇場 Histishe Theater () フッガー家の旧十分の一税倉庫であっ
    た。町が1850に取得し消防機材倉庫に改造し、1810整備されて町の劇場
    となった。
 郷土博物館 Heimat Museum (1908) 町の歴史を展示するために設置さ
    れた。地域の歴史と芸術文化の展示を行い、1992-96展示は更新された。

5.町の略図

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ヴェントリンゲン Wendlingen am Necker W60

写真

 
市庁舎 城搭
市美術館 市壁

1.歴史

 1132 文書初言及、     1230 アイフェンベルク伯エジェノは都市権を授与、
 1276 ミュールカナルからの水力で製粉所を設置、 1390 領土の交換を通じてヴェルナウの
ハンスが領主へ、 1545 ウルフはヴュルテンブルク公ウルリッヒに町を売却、
19c 補強された市壁と堀に囲まれ拡張阻害、 19c初 3門は取除かれ市壁は
崩され堀は埋めれれた、  1805 憲章を失いヴュルテンベルク王国へ、
 1940 ヴェントリンゲン アム ネッカーとして統合された、  1964 都市に指定された。

2.市壁  0.02km (0.01)

   13cの要塞は、市壁と堀で守られ4門を有したが、19c初めに町を拡大す
るために、 3門は取除かれ市壁は崩され堀は埋めれれ、市壁はほとんど
残らなかった。 1983に市壁の一部は市民によって、Pfauhauser Str.の
歴史的な場所にオリジナルの石を使って再建された。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

   

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1959) 近代的な3階建ての長い建物。
 オイゼブルス教会 Euseblus Kirche (1448) 後期ゴシックのホール教会で、身廊と
後陣は1448に、塔は1511に建てられた。1501の古い鐘も使われている。
    教会の南側には、1779に建てられた木骨造の牧師館がある。
 下ボイヒンゲン城 Schloss UnterBoihingen (12c) 水城で庭園や農場があ
    り古い城壁に囲まれて美しいパビリオンがある。
 市立塔博物館 Stadt Museum (2004) 旧市街の中心に1807に建てられた
    旧評議会と学校の建物と、1753に建てられた聖コロンバン教会と後期
    バロックの旧牧師館があり、現在は市立博物館になっている。1593の教会
    の塔は、2002に外観は改装された。古い牧師館の隣にには、教区の納屋
    (1752)中世3番目の納屋(1458)パン屋と洗面所(1811)がある。
    2005に市博物館は「模範的な郷土博物館」として選定された。
 ヨハネス・ホーラム Johannes Forum (21c) 既存の教会の集会所が統合されて、
    新しいコミュニティセンターが建てられた。

5.町の略図

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ヴェアートハイム Wertheim  w61

写真

 
オルダー搭 モッズ門
市壁 尖塔
マイン市門 腐塔
白塔

1.歴史

 779 最初の文書言及、     1009 ヘンリー2世による市場権のに授与、
  1103 ヴェルトハイム郡へ、 12c 城の建設開始、1306 都市権が付与された、
  1367-1806 硬貨の鋳造、        16c ブドウ栽培が主要産業に、
  1556 最後のウェルトハイム伯の死後シュトルベルク伯が所有、   1598 レーベンシュタイン・
     ベルトハイム伯が所有、   1634 城は破壊され以後は廃墟となった、
  1806 バーデン大公国に属した、1913 工業地域との統合。

2.市壁  240m 0.38<  /h4>

   13-15cに市壁は築かれた。タウバー川沿いには所々に市壁の残骸がある。
    一方マイン川沿いには門塔は残るが建物が建てられて市壁の跡は見つから
    ない。城の周辺には城壁が幾重にも取り巻いている。

3.門塔 3門3塔

   かっては14門塔があった。
 正門 Stadt Tor (1200-1400) 赤砂岩の4階建正方形の北市門で、1991
    に外装を改修した。
 マイン門 Main Tor (1200-1400) 赤砂岩の4階建正方形の北西市門で、
    塔頂部には胸壁が有り、南正面と通路側は漆喰が塗られている。1991外
    装の改修が行われた。
 税関門 Zoll Tor (1200-1400) 赤砂岩の3階建正方形の北西市門で、上
    階に窓がある。19cと20cに上階は変更された。マイン河畔と旧市街を結ぶ幹
    線にあった。
 尖塔 SpitzerTurm (1180-1400) 川が合流する先端にあり、丸い下部は
    1180に建てられたが、上部は傾きを調整して、1450に建てられた。塔に
    は「酔払い」と「喧嘩好き女」の留置場があった。
砂岩のコーナーブロック
    の上に突出した部屋が置かれ、八角錐の尖塔を乗せている。塔高は36.5m
    ある。高さ10mの入口へは梯子で登った。
 高塔 Hoher Turm (1180-1450) かっては白い塔と呼ばれ、丸くて頑丈な
    5階建の漆喰の円塔に低い円錐形の屋根が付いている。12cの市壁の南西
    の角に位置し、小さな門を入った奥に建っている。2階建の周囲の建物は
    1838に建てられた。
 腐塔 Faul Turm (1500-1620) 4階建の漆喰の円塔で低い円錐屋根が付
    いている。同名の門が接続し、上に市壁が残っている。1964隣接の住宅
    と改修された。

4.見所 B

12-13cから城下町として定住地が形成され、15-19cにかけて旧市街地が
    広がった。16-19cの保全された木組やレンガ造の建物が歴史的な景観を醸
    している。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1540) 東の商人の家と南の教区会館は、2-3
    階建の漆喰の建物で1540に建てられ、中間に円形の階段塔が付けれれ、
    1562/65-1988に市庁舎として使われた。2000改造されて伯爵領博物館と
    なった。
 伯爵領博物館 Grafschaft Museum (2000) 伯爵領時代の歴史と文化を展
    示。
 ヴェルトハイム城址BurgRuine Wertheim (12c) 山頂の赤い砂岩三つのテラスに建
    てられ、13cには多数の塔と塹壕のある城に、宮殿や教会も備え、16cには
    拡張されたが、直ぐに壊された。17cに城壁・門・塔が強化され、設備も整
    備されたが16194火薬庫爆発・1634三十年戦争で壊れ、1962廃城として保全
    されている。
 プロテスタント聖マリエン教会 Ev.Stiftkirche St.Marien (1384) 伯爵ヨハン1世は、
    以前の二つのロマネスク教区教会に基礎の上に教会を建て、1481に大学教会に
    昇格し、ヴェルトハイム家の墓所となった。15c南通路にある日時計と高さ51mの
    塔が付けられた。
 カトリック聖ベンナントウム教会 Kath.St.Wenantium (1841) バーデン大公国のカトリック
    教徒からの寄付と太公国の支援で、1840基石が置かれ1842に奉献された。
    赤砂岩のシンプルナ構造で中央に塔が置かれた。1900-14内部の改装、1950-60
    補修が行われた。
 青い家 Blaue Haus (1593) 地階石積上階木組の切妻付の3階建の建物で
    上階から切妻にかけての木組にはスコルトブルーに1593と1597に塗られて、向か
    いの側の市庁舎に対抗した。
 住宅 Wohnhaus (1550) 地階と1階は石積みで3階と切妻は装飾のある木
    組の建物で1900に木組の部分は改修されている。
 旧ガストハウス「王冠」 Gasthaus Zum Krone (16c) 3階建の漆喰塗り切妻屋
    根の堅固な建物で、16cの中頃には改修された。今は住宅と店舗となって
    いる。
 住宅と店舗 Wohnhaus und Geeschaftshaus (16c) 地階石造上階木組の2
    階建の漆喰が塗られよく保存されている。
 住宅と店舗 Wohnhaus und Geeschaftshaus (1500) 地階と上階は石造で
    3階部分は装飾的な木組トラスで飾られている。1951-2003に前面の改修が行
    われ、腐敗した木材は取り換えられた。

5.町の略図

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ヴィースロッホ Wiesloch w62

写真

 
市庁舎 壁搭
市壁 城塔

1.歴史

 801 ロシュ修道院の贈物調書に記載、9c後半 大きな陶器を広く販売、
 10c 鉛・銀を表面から採取、956オットー大帝は市場権を授与、1030 市教会を建設、
 13c ハイデルブルクのプファルツ伯に属した、1276.88ハイデルベルクの火事でパラティーヌ伯が居住、
 1288 パラティーヌ伯ルードヴィッヒは町に昇格・市壁を建設、1301 町を砲撃、1313 城再建、
 15-16c 町は相当繁栄した、17c 30年戦争で人口は半減したが建物被害は軽微、
 1689 7年戦争で仏軍は町を破壊、18c 町は人口急増で市壁を壊して拡張、
 1806 バーデン大公国マンハイム地区に属した、1945空爆と砲撃を受けたが被害は限定的。

2.市壁  120m 0.10

   14cの市壁は、17cに壊されはじめ、19cには崩壊した。南側に残る部分が
    ある。

3.門塔 0門3塔

 下門 Oberes Tor (15c) 下市門は1831までは立っていた。今はレーベン
    薬局のプラーグが記念している。
 上門 Unteres Tor (15c) 上市門の場所は舗装の色で表示されている。
    東の門で17-18cには刑務所として使われ、1842に解体された。
 ドルンデル Doerndel (14c) 市壁の3階建の防衛角塔で、1557に刑務所とし
    て使われた。その後塔上部は取り払わられ、四角錐屋根が付けられた。
    塔には3拘置室が有り、19cには警官が住んだ。1978までは地元の歴史館が
    あり、1985市博物館が開館した。
 ザウアーミルク塔 Sauer Millich Faffe (14c中) 市壁と共に残っている。包囲
    中に塔は冷蔵庫の役割をしていた。屋根はない。
 円形塔 Rund Turm (14c中) 円塔がレストランTurmstubenの建物に取込まれる。

4.見所 C

旧市庁舎 Altes Rathaus (1479) 最初の市庁舎は仏軍によって1538に
    破壊され、新しい建物となったが、1689再び仏軍によって7年戦争の犠牲
    となった。1713今の市庁舎が階段は木の板で再建された。1821.1885の再建
    案は周囲の壁の一部と玄関の古典的な柱だけが残されて、新築された。
    カレルフロンの噴水は新旧市庁舎の角に、市の700年の記念に1988に造られた。
 プロテスタント市教会 Ev.Stadt Kirche (1061) 新市教会は聖ラウレンティウスに奉献
    され、1877にハインリッヒ皇帝はラインフェルデンのルドルフ王が戦い教会に100人以上を閉
    じ込めて焼き払った。塔はほぼ11cの物で、教会も規模はほぼ今と同等だ
    った。15cには南側の玄関、14-16c様ざまな墓石がある。1707教区教会は
    改革派に与えられた。1773に拡張して今の大きさになった。
 聖ラウレンティウス教会St.Laurentius Kirche (1738) 選帝侯カール・フイリップはアウグス
    チヌス会へ修道院・教会・ホスピス建設の許可を与え、1745-50に修道院と教会は
    建てられた。1803修道院は世俗化され、カトリックは教会を取得して聖ラウレンティウ
    スに捧げた。内装は後期バロックの豪華なものであろ。
 ヴィースロッホ城 Burg Alte Wiesloch (14c) 古い城の遺跡は、4階建の高塔と
    地下ワイン倉のある使用人の宿舎の遺跡が残されており、今は警察が使用し
    ている。城は正方形の平面に壁とツインガーが有り、西と北には深い堀がある
    1689仏軍に破壊され、19cに塹壕は埋められ壁は取り除かれた。
 郵便局 Post Haltei (1746) スタージス広場には、1741双頭の鷲のキーストーンのア
    ーチ道があり、中庭に通じている、トウルンタクシス王子郵便局の馬車郵便局への入
    口であった。
 フライホフ Frei Hof (14c) この町で最古の現存住宅で、印象的な切妻のあ
    る建物は14cに要塞化された貴族の館であった。今はレストランで上下二つの
    地下室がある。

5.町の略図

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ヴィネンデン Winnenden w63

写真

 
旧市庁舎 聖ベルソリード市教会
市壁 シュヴァイクハイム市門
泥棒塔

1.歴史

 850王ルードヴィッヒはヴェンデン部族を定住化、1181シャウエンブルクの貴族が城を建てた、
 1412 城の周辺に集落形成、1325城下町をヴュルツブルクに売却、事務所を置き統治、
 1519 農民戦争でシュバーベン同盟は降参、1638.1643 30年戦争で占領・略奪、
 1625 町にドイツ騎士団が来た、 1673 仏軍の砲撃で町は全壊、
 1808 ヴュルテンベルク王国のヴァイブリンゲン郡に属す、1945 町は人口急増で市壁を壊し
    て拡張、           1806 バーデン大公国マンハイム地区に属した、
 1945 米軍占領、バーデンヴュルテンベルク州へ。

2.市壁  190m 0.26

   市壁で囲まれた旧市街は意外と狭く、市門から南へ泥棒塔にかけて市壁
    が残り、北側ブルネン通りには屋根付きの市壁がある。他の市壁は壊され、
    19cに塹壕は埋められ壁は取り除かれた。

3.門塔 1門1塔

 シュヴァイクハイム門 Schweikheimer Tor (14c) 西側の主要な入口で、石積
    4階建の角門塔に尖塔が付いた門は市壁と共に現存する最古の建物である。
    1693の火事で木製の床が焼け15年後に復旧された。塔は刑務所として使
    われ、今は市博物館である。最上階にはゲートパーラーがあり、市民は借用で
    きる。
 泥棒塔 Diebs Turm (14c) 旧市街地の南西の隅の3階建の防衛塔で、円
    錐屋根が付いている。死刑に直面した罪人の拘置所として使われた。1904
    火災時に市壁が一部壊されて内外の通行が可能となった。

4.見所 C

    バロックや木骨造の街並みが残っている。
旧市庁舎 Altes Rathaus (17c) 1693の火事の後に再建された。錬鉄製の
    支柱で支えられたバルコニーは1827に追加された。市議会場と会議室に加えて
    地階には屋台があり毎週全国の穀物が取引された。1988修復に合わせ成人
    教育・都市アーカイブが収容された。
 プロテスタント市教会 Ev.Stadt Kirche () 初期ゴシックの礼拝堂として建てられ
    宗教改革後に建替えられた。1693.1945にも建て直されている。
    聖ベルナール教会の塔は、中世領主の避難所であったが、1693に教会の塔とな
    った。
 宮殿ヴィンネンタール Schloss Winnental (1423) ドイツ騎士団の指揮官が使用し
    た。1665ヴュルテンベルクへ売却され、16803階建の兵舎が建てられた。その後精
    神病院の療養所が開設され、近代化されて州立精神病院となっている。
 宮殿教会 Schloss Kirche (14c) 城の近くに在りドイル騎士団が使用した。
    その場所にあった幾つかの古い教会の後に、ゴシックの教区教会が建てられ
    た。内陣には1520のジェイコブスの高祭壇がある。
      コウノトリの家 Storchen Haus (1730) 3階建バロックの高い切妻のある建物で
    マルクト通りに、市長の同僚のヨハン・ハウバーの家として建てられた。古い正面玄
    関の紋章はハウバー家の物である。
   ザーターの家 Sator Haus (1748) マルクト通りにある3階建バロックの建物で、
    2階中央の窓の下に紋章がある。

5.町の略図

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ザフェルシュタイン Zavelstein im Bad Teinach Zavelstain w64

写真

ザフェルシュタイン城 旧市庁舎

1.歴史

 1230 ヴィッヒンゲン伯が城と住宅のある要塞を建設、 1284最小の町として言及、
 13cカルフ伯が所有した、1284カルフ伯の最後の娘は未亡人の年金として町を所有し城で
    死亡、    1345 ザフェルシュタインは5千ポンドでヴュルテンベルクのウルリッヒに戻った、
    ヴュルテンベルク伯エバハルト2世は城を所有し市の権利を与えた、
 1367 フュービンゲン伯ウイルヘルムはヴュルテンベルク軍に要塞使用許可、
 1461 町はヴュルテンベルクの公式の都市に、  17c初 城主は城をルネッサンス後期に改造、
 1692 仏軍が城と町を破壊した、 1693 住民は家を建直したが、城は今も廃墟、
 1710  エバーハルト・ルードヴィッヒ侯爵は夏の離宮を建設、
 1975 市政改革までは全国で最小の町だった、
   1975 近郊の町と合併してBad Teinach Zavelstainを形成した、
 17-18c ヴュルテンベルク侯爵のお気に入りの温泉であった、

2.市壁  0.31km (0.40)

   13cに城と町は市壁で守られた。尾根の町の市壁は南に残っている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

   

4.見所  D

ザヴェルス城の遺跡 Burg Zavels Ruin (1200) 13cに建てられ、1303に初言及
    された。ザベルシュタインの騎士リチェリンが1280から城に住み、1311にはヴュルテンベルク伯が
    所有した。1342ネルトリンゲンのポールは城の領地をチュービンゲンのゲッツ伯に売却した。
    3年後に相続人なしで死亡してヴュルテンベルクに戻り、1365にエーインゲン家に与えられ、
    1552まで財産権を保持した。1554-89にブライテンバッハは城の複合施設を改修した。
    1593未亡人アグネスは住み続け1612に亡くなり、領地はヴュルテンベルク公によってヴァルフ
    ロート家の男爵に移され、1630まで大規模な建設工事が行われた。
     1634に城は30年戦争で略奪され、1635-86男爵の息子が財産を引き継いだ。
    1692仏軍が城を破壊した。1710にヴュルテンベルクに売却されたが再建されなかった。
    現存するのは、2つの堀切・門・宮殿の廃壁・地下室・盾の壁の一部・周壁とツインガー
    の残骸・高さ48mの主塔であり、主塔からは素晴らしいパノラマが眺められる。

5.町の略図

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ツェル Zell am Harmersbach  W65

写真

   
ハウプト通 ハウプト通
コウノトリ塔外 コウノトリ塔内
鹿塔 西壁

1.歴史

 1075 ゲンゲンバッハ修道院の入植地があった、  1139 教皇イノセント2世が所有、
 1287 まだ農民の入植地であった、  1325 ゲンゲンバッハ修道院は町の創立推進、
 1330 バイエルン皇帝は帝国都市の地位承認、         1362 市壁の建設、
 1366 皇帝カール4世は都市憲章を授与、 1545チャールズ5世は自由・権利・義務を確認、
 1643 仏は町教会と首位を燃やした、         1794 磁器工場の開設、
 1803 帝国都市の終了、1805 バーデン大公国に町は落ちた、 1899.1904大火事、
 1975 バーデン・ヴュルテンベルク州に帰属。

2.市壁  0.115km 0.22

   14cの市壁は、北西・東南・南中に残り、北西には壁上通路の屋根付き部分
   15mある。

3.塔  0門2塔

 鹿塔 Hirsch Turm (1330) 町の東南の角に3階建円錐屋根の円塔。市
    壁と防衛通路に囲まれた小公園がある。
 コウノトリ塔 Schorchen Turm (1330) 町の南側の開口部を守った。高さ25mの
    塔には108段の階段で登れる。1462の年号のある神聖ローマ帝国の黒鷲の
    紋章が外側にあり、帝国自由都市としての町のステイタスを表している。中世
    には監獄となり、19cには正方形の塔を残して壊された。この塔の名前は
    以前巣を掛けコウノトリから来ている。1900火事を生き延び、1991補修され、
    1960博物館となった。

   

4.見所  C

   14-19cは帝国自由都市であった。町には古い木組の建物に加え、1899の
  大火事の後のバロックの前面の建物とのコントラストのある家並みが見られる。
 市庁舎 Rathaus () 鐘楼付きの2階建の建物。
 聖シムフォリアン教区教会 Pfarrkirche St.Sympforian (1206) 教区の最初の
    教会はストラスブールの司教が設立した。30年戦争で焼失後1657一時的に木造
    塔で再建された。1722石造西塔を建てた。1793身廊の再構築。
 コウノトリ塔博物館 Storchenturm Museum (1960) 古い塔の守衛詰所800m2に
    町の歴史と手工業の展示が3,500点もある。機械楽器・時計・コイン・人形・陶
    器など、珍しい製品と工房がある。
 セラミック丸炉 Keramik Rundofen (1842-1942) ツェルの磁器は3階建地下1階
    の建物で、450人を使って生産された。1942二次大戦中に操業を停止し、
    再開はされなかった。
 陶芸美術館 Zeller Keranik () ツェル・セラミック・生産会社が、カップ・皿・水差・
    ケトルなどの鳥装飾陶器を1794から生産して来た歴史・1950年代の製造過程・
    製品を展示して、販売した。自分で色付けしたカップを造ってもらえる。
 現代美術館 Villa Haiss () 元工場の建物に、写真・絵画・彫刻・グラフィック
    デザインなどの1997年以降の作品が展示されている。
 公爵山館 Museum Fuerstenberger Hof () 黒い森の農家の50年・100年30
    0年前の生活を展示している。

5.町の略図

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ズルツ Zulz am Neckar W66

写真

市庁舎 水城
Ev教会

1.歴史

 BC500 ケルトの多数の古墳から在住を確認、74 周壁で囲まれたローマ軍の砦建設、
 260 アレマン人の墳墓が分布、6cフランコニア人入植、790 ザンクトガレン修道院の遺贈調書に
    初言及、 910 ズルツ伯アルヴィッヒが町を支配、1064 皇帝ハインリッヒは塩の生産許可、
  1095 アルヴィック公ズルツ2世アルビスバッハ修道院を町に寄付、1270領主ジュロルドセックは城を建設、
1284 ハプスブルク王ルドルフから町の憲章を授与された、 1473 ヴュルテンベルク家が町を所有
して塩を生産、1534宗教改革を導入、1581大火事で112戸の住宅と納屋を消失、
 17c 30年戦争で何回も略奪された、 1688 プファルツ承継戦争で仏軍は城を破壊、
 1794 大火事で市壁内は全焼し計画的に再建された、1803 効率的な製塩が始まり
    町の製塩は衰退、1817 冷害で飢餓発生、1945 仏軍の占領区域に。

2.市壁  0.02km (0.01)

   14cの市壁や門塔は、1499に再建され、殆どが壊されたが1540には再建され
    た。高さ6m厚さ2mの市壁には屋根付きの通路があった。1974の大火事で損
    傷し重要性を失って取り壊された。現存するのは、西側に10mと東側の中庭
    に10mのみである。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

   

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (18c) 最初は裕福な商人によって建てられ、1819から
    高等地方裁判所となり、1890から市庁舎の建物として使われた。古典主義の
    建物の中には、保存状態の良い壁パネルと寄木細工の床がある。
 新教市教会 Ev.Stadt kirche (1513-17) 教会はファビアンとセバステャンに捧げら
    れ、切石造4階建ての角塔と時計付きの教会設立された。前の教会から悪魔
    から身を守るための場が来ており、昔の人の碑文がある。
 マルクト広場 MarktPlatz (18c) 1764までは最後の塩田があったが、1794の大
    火事の後の新都市計画に基ずいて菱型の噴水のある広場が設けられた。毎
    週木曜日には仮設市場が開かれる。  旧地区管理所 Ehem.Oberamt (1818) 3階建ての大きな建物の両翼のポータル
    にはヴュルテンベルク家の紋章が飾られている。この建物は1938まで地区の管理所
    として使われ、2001までは営林署庁舎となり、今は市政の事務所である。
 地区管理所廷史の家 Haus des OperAmtmanne (18c) ゲオルク・ヤーコブ・シェルハーは
    この家に住み、1787に強盗ハンケルを逮捕し、仲間と共に処刑した。
 旧市薬局 Ehem.Stadt Apotheke (18c) 旧市薬局は1794の大火事で焼け、
    3階建で再建された。1848にはこの家で有名な東洋画家グスタフ・バウエンファインド
    が生まれた。
 バルドホーン橋 Waldhorn Brurcke (1740-42) 木造の橋は1739の洪水で破壊さ
    れ、新しい石橋が架けられた。橋幅は5.9mであったが、1905と1985に拡幅
    された。
 看護の館 Pfleg Hof (15c) 市内で最古の建物の一つで、ウッカー川側の市壁
    に3階建で建てられた。1727高位聖職者で国会議員の息子が生まれ、1740ま
    で住んだ。
 元刑務所 Ehem.Gefaengnis (18C) 建物は18-19cの刑務所の様子を伝えて
    いる。上階に独房が9室あり、刑務所の職員は1階に住んだ。
 旧浴室 Altes Badhaus (1499) 古くから浴場はあった。1794の大火事の
    後に、元の場所に浴場は再建された。
 旧校舎 Altes Schulhaus (18c) 3階建の四角い大きな建物で、短期間シルク
    工場として使われ、市はその後小学校とラテン語学校として使われた。
    今は市立図書館・市文書館・食料店がある。

5.町の略図

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バード カンスタット Bad Cannstadt Stuttgart市内 W67

写真

市庁舎 市壁

1.歴史

  90 ローマ時代には地域の首都として大砦が置かれた、  259 アレマン族の
   侵入でローマは撤退、      700 ザンクトガレン修道院の寄付証書で初言及、
 746 カールマンクはアレマン族首領を殺害、 1330 バイエルンのルードヴィッヒ4世は都市とした、
 1557 皇帝カール5世はハイルブロンとの和平を行う、1713 ネッカー川の航行が可能に、
 18-19cヴュルテンブルク王国時代は健康リゾートとして栄えた、1905シュッツトガルト市に併合。

2.市壁  0.11km (0.14)

   中世の市壁の残骸が町の南側に残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

   

4.見所  C

  戦争による被害が軽微であるため、旧市街地に多くの歴史的な建物が残さ
    れている。
 市庁舎 Rathaus (1491) 歴史的な切妻と鐘楼付きの3階建の建物は、
    1872に入口ポータルが追加された。2013に完全に改装された。
 市教会 Ev.Stadt kirche (1471-1506) 9cの教会は、16c初めに後期
    ゴシックの3通路の教会になった。  旧新旧教監督所 Alte Dekanat (1585) マルクト広場で注目すべき木骨造
    の建物。

 旅館クローネ Gasthof Crone (1489) マルクト通で古い建物で、戦争で破壊
    され1957に再建。
 最古の家 Alteste Haus (1350) ブレーレス・ガッセ.21にある最古の家。
 クレスターレ Kloesterle (1463) マルクト通の後期ゴシック木骨造2階建の建物。
 大クアザール Grosse Kursaal (19c) スパ公園に古典主義で建てられ、20c
    にはアールヌーボーで建て直された。ヴィルヘルム1世の騎馬像がある。
 メルセデス・ベンツ博物館 Mersedes-Benz Museum (1923) 南東2.5kmにあり、
    125年間の自動車の歴史を見ることが出来る。
 市博物館 Stadt Museum (1959) 1968に修道院の納屋に移転して、町
    の歴史と文化を展示している。

5.町の略図

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バイブリンゲン Baiblingen W68

写真

     
市庁舎 市壁
市壁 市壁
市壁 ケーレン
十分の一税倉庫 ゾーレン宮殿

1.歴史

 8c カロリング家の所有となり皇帝カール3世の王宮を創設、 889 法廷を開設、
 10c シュタウフェン朝の下でも王朝があった、1122ホーエンシュタウフェンのフリードリッヒ1世が生誕、
1250 都市権が付与さえた、  1291 ヴュルテンブルク伯に対する戦争で陥落した、
  1315 ヴュルテンブルクに戻って宮廷の町となった、 15c 市街地は拡張し市壁外に
ミカエル教会を建設、 1491 市門は高くなりバインシュタイン門塔に紋章がついた、
 1634 30年戦争で町は放火略奪された、 1638-46 廃墟の再建が行われた、
1771.84 大火事で多くの建物が焼失、 1832 市壁の大部分がこわされた、
 1832シュミデナー門 1838クエルバッハ門の取り壊し、 1877 レンガ工場の拡張、その後絹
    織物・工作機械・革製品産業の発展、1945 米軍の占領区域となり、
    新設のヴュウテンブルク・バーデン州に属した。

2.市壁  0.35km (0.39)

   1250から市壁の建設が始まり、完成に30年を要した。
    現存するのは、西側に110m、南東側に木製壁上通路付きで130m、東
    側に壁上木製通路付きで110mが、建物と一体の部分も含めてある。

3.門と塔  4門

 高い見張り塔 Hochwacht torturm (13c) 塔の基礎は1250の物で
    あり、上部のレンガ造は1580に建てられ、1863の火災後に切妻屋根が付
    けられた。7m×7mの平面に高さ45mの塔が建てられ、1263段の階段
    がある。 高さ21.5mのテラスに欄干が付けられ展望台として使われた。
    塔内には歴史展示室や結婚式場がある。
 バインシュタイン門 Beinsteiner torturm (1491) 現存する唯一の門塔であ
    る。レンガ造木製床5階建の長方形の塔で最上階は木骨造である。この塔
    は刑務所として使われ、1864にかろうじて取り壊しを免れたが、他の2
    市門は1832と1828に取り壊された。1970に改修されて2012-13に屋根と
    外壁の漆喰を補修し躯体の一部を更新した。高さは37.3m、平面は8.8
    m×8.6mで、1667に小さな鐘を付けた。
 浴場小門 Baeder Toele (13c) 東側の木製屋根付き壁上通路の下の
    市壁部分に小さなアーチ門が開けられている。
 歴史的市壁通路 Historischer StadtMauer (13c) 市壁にアーチ門が開け
    られている。

   

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (18c) 地階はオープンアーケード、上階木骨造
    の建物で1597に建てられ、1634の火災で焼失し、1725に再建された。
    1875まで市庁舎で使われ、1876から小学校・専門学校.成人センターとして
    使われ、1976から模範的復元がなされ、1978にレストランとして開業された。
 新教ミヒャエル教会 Ev.St.Michael kirche (1225) 教会は旧市街地の外側
    に1225に初言及されている。1440-50の後陣に、1470-80の3身廊が建て
    られ、1462に塔が付けられた。
    1990に500周年を記念して身廊と塔の外装が修復された。
 市歴史館 Stadt Geschichte (1549-53) なめし革工場として木骨造
    で建てられ、1992に修復されて市歴史博物館として使用されている。
 聖ニコラウス教会 St.Nikolaus Kirch (1269) 1488にゴシックで再建された。
    1634の火事の後、1674に再建され、1682に奉献された。1904からこの
    教会は洗礼式と結婚式のみに使用されていた。1970にギリシャ正教会
    に譲渡された。

5.町の略図

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