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ドイツの市壁のある町

州別リスト

                               
ファイル 州名 州数 小計 市壁無
bd1GS 大都市 g1-5 +1
BR ブランデンブルク b1-42 +4
BWバーデン・ビュルテンブルク v1-50 97 +14
bd2 BWバーデン・ビュルテンブルク v51-w67 116
bd3 BYバイエルン x1-99 99
bd4 BYバイエルン y1-z17 116 +14
bd5 HEヘッセン h1-i12 111 +10
bd6 MVメルケンブルクVP m1-32
NS ニーダーザクセン n1-49 81 +5
bd7 NWノルトライン・ヴェストファーレン o1-101 101 +25
bd8 RP ラインラント・プファルツ r1-77 +3
SLザールラント l1-4 80 +2
bd9S ザクセン s1-54 +9
SAザクセン・アンファルト a1-62 116 +2
bd10 SH シュレスヴィヒ・ホルシュタイン k1-4 +7
THチュービンゲン t1-60 64 +8
合計 981 +104

各町の歴史と見所

 表中の各町について、その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。

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ラインラント・プハルツ州 PR

アールヴァイラー Ahrweiler  r1

   この町は、Bad Neuenahr Ahrweilerの市内にあり、Ahrweilerは、Neuenahr
   よりもアール川の上流にある。

写真

北壁 アーデンバッハー門
アーデンバッハー城 北壁内
アール門 下門
上門 市壁

1.歴史

 1200 領主が証明され経済活動が行われた、  1228 最初の特権を受けた、
 1246 フリードリッヒ伯爵はケルン大司教管区に町を贈った、
 13C中 町はケルン大司教管区の南端にあり、今日の強固な防御施設を備えた。
   町は、深くて広い水堀.高さ8-12m長さ1.8km楕円形の市壁.5つの前門ある門.
   中通路.防御塔.跳ね橋で守られた。
 1277 町の自治の実証:議会は7参審員.8拡大参事会員.3騎士代議員で構成。
 1636 30年戦争でスエーデンに免焼金を払う、 1642-46 仏軍が占領、
 1814 プロイセン領となった。

2.市壁  1.76km 0.98 

  13C末建、市壁は殆ど残っている。1.8haの旧市街地は、頂厚1.0-1.5m基礎深
     0.8m約1.8kmの市壁と幅30mの水堀で楕円形に囲まれた。

3.塔  4門3塔

  4市門は、17Cから中通路と跳ね橋を持った前門が設けられた。その他3塔が
  残っている。
 アール門 AhrTor 南、4階建四角塔門の両外側に3階建の円塔を配置した。
   上階の前面には張出しがあり、右の外側には大砲がある。内側の右に1945
   再建の壁上通路あり、上ることができる。
 下門 NiederTor 東、4階建の四角塔門の外側右に2階建の円塔がある。
   門の右側には隠れ小戸が残る。内側の右に外側に到達できる壁付きの階段
   がある。塔は18Cに監獄としてとして使われた。塔の左に古いワイン酒場がある。
 アデンバッハ門 AdenbachTor 北、最も古いレンガ造2階建の四角塔門である。
   1689の火事で上階は焼け、1974に修復された。門を出た北側左右には囲堀
   の跡が公園として残っている。
 上門 OberTor 西、4階建の四角塔門である。塔上には4つの角塔を掲げ寄
   棟屋根でアーチ飾りがある。1477の包囲までは内側に開かれた3壁塔があった。
 大砲塔 KannonenTurm 南東、半円塔、1500に8門の大砲を備えていた。
   大砲は、長さ2.67m、口径6.7m、車輪付き。
 ビッツ塔 BitzenTurm 
 白塔 WeisseTurm 13C中の最古の建物、塔は4階建で1663にイタリア風のバロック
   塔頂となった。今は、町博物館として使用。

4.見所  B

   アール川の左岸に、全ての門と殆どの市壁が残り、古い木組の家も見られる雰
  囲気の良い町である。
 アーデンバハ城 BurgAdenbadh 1600建、騎士Kolf家の本宅で、長く延びた3階
   建の住家に8角の階段塔がある、この塔は、昔3つあった見張塔の一つで
   あるKolvenTurmがここにあり、1903に再建して狭間胸壁を付けた。
 ラウレ教会 LaurenKirch 1259-67建、今の教区教会は古いハレン教会で3廊2内陣
   であり、記念碑は1825に祭壇にはめ込まれている。
 市場水車 MarktMuehle 粉引き水車は、ブランカート家に貸付けられ、21Cまで
   稼働していた。今も、需要が在れば動いている。
 水車池 MuehlenTeich 歩行者専用道路の中央に水車への水の流れがある。
    1841までは、水路の蓋はなかった。
 木組の家 FachwerkHaus
   NiddehodeBackes:白壁2階建木組家、古いパン屋を取壊して新築した。
   HausHeinrichs:1730建、有力参事会員の3階建木組家で、町工場でもあった。
   HausWolff:1621に市参事会が買取って建換えた。2階にバロック八角出窓。
   HansKrenzberg:3~4階の繋ぎ合わされた木組家、ワイン酒場であった。

5.町の略図

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アルケン  Alken  UnterMosal  r2

写真

旧市庁舎
正門 守衛所
市壁 城跡

1.歴史

 1200 ハイデルベルクのプファルツ伯はトウラント城を建設、1248 トリアーとケルンは和平で両選帝侯が町を共有、
 13c 町の市壁は関せして城につながる、      トリアー大司教と選帝侯は共同の特権を町に授与、
 1332 バイエルン王ルードビッヒはフランクフルトと同様の特権と自由を町に授与、 
 1346 皇帝チャールズ4世はこれらの権利と自由を確認した、 1684 城はプファルツ承継戦争で仏軍が破壊、

2.市壁  0.05km 0.08 

  1200頃にモーゼル川沿いに、150m×200mの狭い市壁を建設した。市壁の跡らしき痕跡がPallerPort
  の北側に見られる。

3.塔  2門1塔

 正門 FallerPort (1256) 元市壁の小門で、3階建の上部は木造の構造で、かっては落下
   扉と跳ね橋が付いていた。 この門から市壁に上ることができる。
 防御塔 Erhaltener Werturm (1256) 旧市壁の生き残りの3階建円錐屋根の防御円塔で、
   かっては信号塔として船の運航を管理していた。プファルツ伯時代にはここで船員は通行税を支払った。
   今は Turm Gasthausに組込まれている。
 アーチ門 Bogen Tor (14c) 要塞のアーチ門が道路脇に単独にに残されている。

4.見所  C

 トウラウント城 Burg Trurant(1200)プファルツ伯が建て、1246にケルン・トリアーに攻撃された。1248に
   はケルン・トリアーの共有となった。1543にウインドバークの領主は城を砕石場として、ウイルバート城を麓に建てた。
   1689にプファルツ承継戦争で破壊されて最終的に廃墟となった。1911にロバート・アルマーズが購入して、
   1915-16に門を含め一部を再建した。1973からsルマーズトウルフの家族が所有している。城には一部住宅
   があり、トリア^城とケルン城跡に円塔が残る。
 ウイルトバーク城 Wiltberg Schloss(1350)トリアー大司教の宮殿でウイルトバーク家に引き渡され、拡張され
   居住した。1700の地下室は通りの下にまで在り、ワイナリィとして使われている。1845に個人所有となり、
   1889の火事で焼けた。
 古いミカエルス教会    陣のフレスコ画、1500の身廊のフレスコ画、14cのゴシックのマリアがあり、1849まで教区教会であった。
 新ミカエルス教区教会 Stadt PfarrKirche St.Michaels(1849)旧市街地の西の外れに広々とし
   たネオゴシックのホール教会が新設された。1883に旧ミカエルス教会の高祭壇が移され、1931バロックの高祭壇が
   設置され、1952オルガンが寄贈された。1984-87に改装された。
 マルテザーの邸宅 Malteser Haus(1093)町で最古の2階建木組赤漆喰塗りの建物で、かってはアルケン
   に本拠を置く裁判官一家の邸宅であった。その後マルタ騎士団の病院として使用され、後に市庁舎と
   しても使われた。今は個人所有となり、1922まではこの建物の通りの側には全面壁で窓がなかった。
中庭には石造ラセン階段がある。
 ギャラリィ・プリーベ Galerie Priebe(14c)昔は警備員の詰所であった。1861-84は市庁舎として使わ
   れ、今はギャラリィとなっている。
 ライチャー館 Laacher Hof (1093)ラーチ修道院の邸宅として建てられた町で最古の建物。1248ケルン大司
   教の行政管理所(Zhent Hof)であった。今はワイナリィである。
 歴史的な木組の家 Fachwerk haus
    Ober Str.7 (1767)石積の上階が古い木組みの家。
    Ober Str.9 (17c) 上階木組のアーチ門のある漆喰の家。

5.町の略図

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アルツァイ  Alzey  r3

写真

市庁舎 南壁
魔女塔 北壁
城東壁 城西壁
ロスマルクト 市博物館

1.歴史

  360ー370 ローマによる築城、      1116-18 ホーエンシュタイン家の築城、
 1277 都市権の授与、            13C 市壁と7修道院の建設、
 15C 城を拡張して宮殿とした、      1689 仏軍は宮殿と町を破壊、
 18C 町の再建、          1816 ヘッセン・ダルムシュタット大公国に帰属、
 1835 郡庁所在地、          1945 第2次大戦の被害は免れた。

2.市壁  0.25km 0.05 

   北にKlosterStrasseの公園に高さ6m長さ0.10kmの市壁が、壁上木製通路と共に
  復元されている。南西A.D.Hexenの幼稚園に高さ7m長さ0.15kmの市壁が残さ
  れいる。また、Schlossの北西に門付き石壁があるが、市壁ではない様である。

3.塔  0門2塔

 鳩塔 TaubenTurm 13C建、北に残った市壁の場所に3階建角塔が残る。
 魔女塔 HexenTurm 13C建、西南の市壁の残りと共にあり、小魔女の像が置
   かれている。

4.見所  B

   旧市街地の中心に、木組の家に囲まれた雰囲気のある広場が幾つかある。
 アルツアイ城 AlzeySchloss 13C建、15-16Cに拡張されたが、王位継承戦争により破壊
   された。20C初に城跡に20m角4階建の城が再建された。今は、簡易裁判所や
   寄宿舎として使われている
 旧市庁舎 AlteRothaus 1586建、木組2階建の建物で多角形の階段塔には民衆像の
   グロッケンシュピールがある。
 ニコライ教会 NikoleiKirche 1350建、南に王宮の礼拝堂として建てられ、1420-99
   にカソリック教会、1556にルター派教会として改修され、1689仏軍に壊され、1844-48
   今の教会を建立、1984に徹底的に改修された。
 小教会 KleineKirche 1728-37建、ルター派教会であった、1822に新教教会として更
   新され、簡素なバロックのホール式教会となった。
 町博物館 StadtMuseum 1689仏軍に壊され、1748バロックで再建された元病院である。
   1966から市博物館として、歴史と風俗を展示。
 ローマ砦 RoemerKastell 南の小高い学校の中庭にローマ砦跡がある。436に破壊。164m
   ×159mの四角形の石積を堀と防御壁(H12m.B3m)で守った。

5.町の略図

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アンデアナハ  Andernach  r4

写真

旧市庁舎 ライン塔
南壁 南壁
キリスト教会 城跡

1.歴史

 BC55 ドイツで最古のローマ集落、ローマがライン川に架橋した、
  260 ローマはライン川右岸を放棄し、この町も被害を受けたが防備を固めた、
  359 砦は、壁と5門・20円塔で守られていた、 570 メロヴィング朝の宮殿を建てた、
  870 神聖ドイツ帝国の一部となった、    1198 ケルン大司教が支配、
 1198 ローマ市壁から東に拡大した、 1632、30年戦争でスエーデン軍の占領略奪、
 1689 仏軍は略奪.放火、城や要塞を破壊、 1794 仏軍の占領と支配、
 1816 プロイセンに帰属、           1819 ライン川沿いの市壁は落ちた、
 1945 2次大戦の爆撃被害は軽微、

2.市壁  1.00km 0.56 

   359にローマの砦、12C終りに中世の市壁が造られた。東側は1689に仏軍が
  壊した。現存する市壁は、東.南.西南.北西に合わせて1.0kmが残っている。

3.塔  2門5塔

  ローマ砦には5門20円塔があった。中世には5門二重門.5小門.15塔があった。
   5二重門:ケルン門 西、教会門 南、羊門 南、城門 東跳ね橋、穀物門 北。
   5小門:シュパイヤー戸、メールス戸、新戸、魚戸、トーリア戸。
   15塔:城塔2、10半円形壁塔(嘆きの壁4、南壁6)、関税塔 北東角、市民塔
     東壁、円塔 1453北西角。
  現存するのは、次の2門5塔である。
 ライン門 RheinTor 1200建、北 穀物門の残り、後期ゴシックの石積長方形の
   3階建正門。18Cに守衛詰め所と大きな窓が付け加えられた。
 コブレンツ門 KoblenzerTor 南 城門の一部。
 円塔 RunderTurm 1440-53建、北西角に高さ33m直径15mの円塔。1448に
   八角形の3階を置いて高さ56mとなった、1689仏軍の爆破に耐えた。
 見張塔 HlmwartsTurm 西 兄弟塔。
 城塞塔 BollwekTurm 東 。
 古クレーン塔 AlterKrahnenTurm 東。
 ダーデン山塔 DadenbergTurm 西 半円形の学校の塔。

4.見所  B

   戦争被害は軽微であったが、旧市街地には新しい様式の建物が多い。
 聖母教会 FrauenKirche 1194建、1220に大聖堂の再建、1250に西
   塔の追加。1740-42再建、1983-84西正面の再建。
   の後に1519-23ゴシック廊が追加された。内部には1520のバロックの祭壇。
 歴史市庁舎 HistgeschichteRathaus 市議会の議場と浴場がある。
 市博物館 StadtMuseum 1590建、南 町の美術と歴史の展示。

5.町の略図

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バッハラハ  Bachrach  r5

写真

線路沿 マルウト搭

1.歴史

 11C 最初の文書言及、ケルン司教の所有、  1214 関税の収入を得る、
 1413 ワイン貿易が町に貢献、         1356 都市権の授与、
 1344-1400 市壁の建設、          1545 30年戦争で8回も占領された、
 1689 仏軍による城や壁の破壊、       1794 仏革命軍の占領、
 1815 プロイセンに帰属。

 

2.市壁  1.95km 0.87 

  14Cに市壁は建設され、殆ど残っている。欠けた部分には鉄道が通っている。

3.塔  1門5塔

 14Cの市壁には18塔在ったが、3塔(ZehnTurm.BrueckerTor.ZollTor)は失われた。
   1.HutTurm、2.SonnenTurm、3.KuehlbergTurm、4.HalbrundTurm、5.Auseichts
   Turm、6.LiebesTurm、7.SteegerTor(HolzTor)、8.PostenTurm、9.Spitzer
   Turm、10.DiebsTurm、11.MuenzTurm、12.KleinesStadtTor、13.MarktTorー
   Turm、14.KleinesStadtTor、15.KranenTor-Turm。

4.見所  

   線路の山側の細長い旧市街で、木組の家と大部分の門塔と市壁が残っている。
 スターレック城 BurgStahleck 12C建、1925からユースホステルになっている。
 聖ニコライ教会 St.NikolausKirche ZollHofにあるカソリックの教会。
 聖ペーター教会 St.PetersKirche 新教教会、身廊は最後のロマネスク、4層が
   積み重なった大アーケード、回廊に高窓。
 木組の家 FachwerkHaus
   AltesHaus 1368建、マルクトにある古い木組3階建の宿屋。
   HausUtsch 1585建、プファルツからの狩師の家。 PostHof 木組の家が囲む。
   HistorischeMuenze 14C中建、2階建の木組家。 Rathaus 2階建木組家。
   HausSickingen 13C建、3階建。

5.町の略図

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バートベルクツァベルン  Bad Bergzabern  r6

写真

マルクト教会 コウノトリ塔
太い塔

1.歴史

 1286 都市権が授与された、           1394 城や町の建設、
 1580-1579 城の南に拡張構築、      1522 温泉保養地として発展、
 1676 戦争で町の大部分破壊、    18C バロク様式の都市や住宅の再建、
 1792 仏共和国が領有、              1815 バイエルンに帰属、
 1945 2次大戦の爆撃で町の75%被害。

2.市壁  0.03km 0.02 

   13Cに町を囲んで市壁は造られた。北西のDickerTurmの東側に30m残る。

3.塔  0門2塔

 太い塔 DickerTurm 13C建、2階建直径6mの円塔、
 コウノトリ塔 StorcherTurm 13C建、円塔。

4.見所  C

   静かな温泉の田舎町。マルクト広場に見所は集中し、2塔が離れてある。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1705建、バロックの建物。1980まで市庁舎として使われた。
 市場教会 MarktKirche 1335-40建、祭壇と南の鐘楼が有名。1896にネオゴシック屋根
   に天窓が付いた。
 旧薬局 AlteApoteke 1741建、市役所の裏で、1990に取壊され古い様式で再建さ
   れた。
 公爵宮殿 GrafSchloss 1527-32建、農家を撤去して水城を建てた。二つの大きな
   円塔を両側に立て、間を南翼で繋いでいる。1571-79に東西と北の翼を築き、
   1676に焼かれ、1720-25に民間の手に渡り、フランス革命時に再建された。1909の
   火災の後に現在の外観へ改築を終えた。今は地方行政庁。
 錫像博物館 ZinnfigurenMuseum 2万の錫のフィギアで世界の歴史を表示。

5.町の略図

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バート・デュルクハイム Bad Duerkheim  r7

写真

市広場 シュート広場
クアハウス 聖ル-ドヴィッヒ教会

1.歴史

  778 最初の文書言及、        1023 ベネディクト会リンブルク僧院を建設、
 1250 城を築き要塞で守った、  1360 都市権を授与され、1471に失った、
 1471 プハルツの勝利による被害、          1689 仏軍による破壊、
 1700 迅速な再建で都市権を再獲得、  1725 皇帝ヨーゼフ2世の居所となった、
 1794 塩の生産を始めた、           1816 バイエルンの所有となる、
 1848 温泉の開発、              1945 2次大戦の空爆被害。

2.市壁  0km  

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   SchutPlatz、StadtPlatz、OberMarktと広場が繋がる所が中心である。
 温泉会館 KurHaus Schlossを温泉会館として使っている。
 聖ヤコブ教会 St.LudwigsKirche (1828-29) カトリック教会。バイエルン王ルードビッヒの支援
   で建てられた。
 聖ヨハネ教会 St.JohannesKirche (13c) プロテスタントの宮殿教会。70mの塔は高い。
 城教会 BurgKirche (18c) 1945に空爆で壊され、その後再建された。今はプロテス
   タントの集会所、塔には1758鋳造の317kgの鐘が吊されている。

5.町の略図

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バート・クロイツナッハ  Bad Kreuznach  r8

写真

市公会堂 聖ニコラウス教会
旧ナーエ橋上家 流下式製塩
市壁 南市壁

1.歴史

 BC 200 ケルト人定住の村があった、 1-4c ローマ帝国ライン国境線後の砦や別荘が建てられた、
 6-8c フランク時代にローマ砦は王宮に改築、   12c 町の中心は旧市街から西の新市街に移った、
   13-15c スポンハイム伯が支配、 1206 ノイシュタットにカウゼンブルクを建設、 1250 ニコラウス教会の建設、
 1300 2本の腕に石柱の橋を架設、 1311-32 島にパウルス教会を建設、 15c スポンハイム家の断絶、
 1618-48 スペインとスエーデン軍が占領、 1689 仏軍は城と町を破壊、 18cパラティン伯夫人が支配、
 1723 塩鍋を建設し塩を生産、 1798-1814 仏領となった、 1815-1945 プロイセン王国に属す、
   1817 塩泉の温泉療法で国際スパへ、 1920-30と1945-50に仏の占領下に、 1945 空爆で被災、
1950-2000 7千人の米軍が駐屯。

2.市壁  0.08km (0.04)

 旧市街 1247の旧市街地はほぼ正方形で、北市門は1877に解体され、南東市門は
    1860に解体された。また、この地区は2次大戦の1945に空爆で大破された。
     市壁は西南部の50mが高等学校の西に残っている。
  新市街 1206のカウゼンブルク建設後に市街地が形成された。北西門は1837に取壊された。
     市壁は南側エラー川沿いに30m残っている。

3.塔  0門2塔

  アーチ橋のWilhelms Brueckeの北端に、3階建・直径5mの Fischer Turmと1階建・直径2mの
    橋門Bruecken Turmがある。

4.見所  A

 

  旧ナーエ橋 Alte Nahe Bruecke (1480) 1300に架けられた3径間のアーチ橋であり、
   その橋脚の上に大きく張り出して柱で支持した木組3階建ての建物がある。夜に照明で照らされると幻
   想的に見える。町が市壁を超えて拡張する中で、橋の上にも1480-1600に徐々に建物が建てられた。
    橋要塞の火薬庫は橋上家屋の地下室となっている。砲塔は橋上家屋の表面を向いている。
 カウゼン城 Kuzen Burg (1206) スポンハイム伯が西に城を建て、新しい町がその周辺に成長し
   た。1689にルイ14世の仏軍が城を破壊したが、その後再建拡張をされ、1972に今の外観となり、パノ
   ラマ風景を望むホテル・レストランとなっている。歴史的なアーチ天井の地下室では、騎士の食事が演劇を伴って
   体験できる。
   聖ニコラス教会> St.Nickolaus Kirche (1266) 町に現存する最古の建物で、1266にス
   ポンハイム伯が礼拝堂を建て、その後数拾年間で教会に拡大され、漁師・商人・肉屋の守護聖人の聖
   ニコラウスに捧げられた。教会はカルメル会修道院のクロイツナーハ修道院に属した。16c中に修道院は世俗化
   で修道院は解散され、教会は教区教会として役割を果たした。中には1501の高さ40mの十字架の聖
   遺物箱が有名。
 パウルス教会 Ev.Paulus Kirche (1311) ヨハン・スポンハイム伯が教区教会として3聖堂ゴシック
   の教会を建て、1332に聖母マリアと聖キリアンに奉献された。1558改革派の教会となり、1689ルイ14世の
   仏軍に破壊された。1780に高さ61mのバロックの塔がたてられ、1781に再建で今の姿になった。19c中に
   老朽化して東内陣が英国スパ客の礼拝堂となった。
 宮殿公園美術館 Schloss Park Museum (19c中) 騎士グットバンガードの邸宅に都市
   と芸術の歴史のコレクションが納められている。邸宅の歴史は騎士の時代から中産階級の宮殿への変化が
   地元出身カウアー家の彫刻は一見の価値がある。19-20c町と地域の風景を描いた絵画・水彩画・ドロー
   インクで美しく飾られている。
 塩市場 Salz Markt () 新市街地の中心に塩市場があり、19cまで塩取引が行われていた。
   市は都市再開発の過程で老朽化した建物を壊して、歴史的なモデルに従って再建した。この広場には市
   で最初の宿屋クローネを含む美食の中心である。
 穀物市場 Korn Markt () 200年以上にわたる穀物市場には、1975の噴水がある。火曜日
   と金曜日には生鮮食料品と最大60の屋台並ぶ郷土料理の伝統的な市場が開かれている。
 スパハウス Baeder Haus (1912) プラインバスと吸入室を備えた、外来治療のための新しい治療
   センターとして。吹き抜けが正面にある国際的な建物が建設された。一次大戦前のブームを示している。
 クアハウス Kur Haus (1904) ラドン治療が発見された後に、国際的な施設として1913に4棟の
   ホテル複合体がバロック風に建てられた。スパ庭園からの眺めは印象的で、125の客室とスイートを備えた市で
   最大のホテルである。 1958のドゴールトアデナウアーの会談や1984のミッテランとコールの会談はここで行われた。

5.町の略図

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バート・ゾーベルンハイム  Bad Sobernheim  r9

写真

市庁舎 教会聖マティウス
フィリップス教会 階段塔
北東壁 北西壁

1.歴史

 1074 マインツのジークフリート1世の修道院文書に初言及、1272 ナッソー王アドルフの都市権、
 1324 ルードヴィッヒはバイエルン都市権を授与、1330 トリアー大司教バルトウインの都市権施行、
 1259-1471 町はベッケンハイムが管理した、1689 仏軍により要塞と町は破壊された、
 1798 仏のライン・モーゼル郡に属した、  1815 プロイセン領となる。

2.市壁  0.28km 0.19 

   1330以降に市壁は構築され、1689仏軍により破壊された。その後17cに
  改造された形で再建された。 南側に残っている。

3.塔  0門1塔

 階段塔 Treppen Turm (1597) 貴族の館Adelshofに3階建ルネッサンスの階段塔
   が白く塗られて幼稚園に立っている。

4.見所  C

   公共的な大きな建物が多く残っている。
 市庁舎 Rathaus (1535) 代表的な後期ゴシックの前面と張出ベランダがある2階建
   の建物。1860鐘楼と2つの小塔が付けられるなどの改造が行われた。
 プロテスタント教区教会聖マティウス Ev.PfarrKirche St.Matthias (1400) 最初の部分
   は北塔基礎のロナネスク献堂教会である。後陣は初期ゴシック、身廊は1482-84に
   西塔は1500に建てられた。初めからの天使と絵画の祭壇・1739オルガンがある。
 ディジボンデン山礼拝堂> Disibodennerger Kapelle (1401) ゴシックの修道院礼拝
   堂は、1566改革後倉庫に改造され、アーチ型の地下室が設置された。
   1985修復作業が行われ文化施設となり、2013醸造所に改造。
 マルタ礼拝堂 Maruteser Kaprlle (1427) 後期ゴシックの礼拝堂は、聖ヨハネ騎士団と
   マルタ騎士団の教会として建てられた。後陣は1456・身廊は1465に完成した。
   1566改革後売却され荒廃した。1664カトリックが再導入され、礼拝堂は修
   復されカトリック教会として使われた。1837改修されて学校礼拝堂となった。
   1998-03に改修され、今はカトリックの出会いの場として使われている。
 カトリック教区教会聖マテウス教会 Kath.PfarrKirche Matthaeus (1898-99) 大司教教
   ミカエル・フリックス・コールムは新ゴシックの黄色砂岩3通路ホール教会を奉献した。1901-02
   オルガンが付けられ、教会の塔は59m、内装は2014-15に改装された。
 プロテスタント・フィリップス教会 Ev.Kirche Philipps (1737-41) ルッター派はバロックの荒石造
   単純なホール教会を建てた。1901レストランへ改造、1905ネオバロックのカイザー・ザール。
 小出窓の家 (Haus Klein Erder (1614) 豊かなルネッサンスの建物で小切妻と三角形
   の出窓のある前面砂岩の2階建ての建物で、なめし革ギルドの事務所であ
   った。内側にバロックの木製階段がある。
 ロシア邸 Russischer Hof (1597) 貴族の家として建てられた3階建の建物で円形
   階段塔がオリジナルで残っている。建物の名前はプロイセンのコサック兵から来ている。
 旧校舎 Ehem.Schulhaus (1750) 元学校体育館で、2階建ナオバロック・マンサード屋根
   の建物。1912バロックに改装去れ、今は地方裁判所である。
 郷土博物館 Heimart Museum PriorHof (1572-73) 16cの貴族の館で、1572
   に建てられた修道院マリエン小門に属した。今は市郷土博物館を収容している。

5.町の略図

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バウムホルダー   Baumholder  r10

写真

市庁舎 太い塔

1.歴史

 1156 フェルデン司教の財産として初言及、 14c フェルデンツ伯爵の所有となる、
 1444 パラチネ・ツバイブリュッケンに属した、1490 ツバイブリュッケン公は準都市権を与えた、
 17c 仏支配下でビルケンフェルトの中心へ、  1816 ウイーン会議後ザクセン・コーブルクへ、
 1835 プロイセンのライン郡聖ヴェルデン地区へ、       1835 市に昇格した、
 1880 大火事で町の大部分が焼失、   1919 市はザールラントの郡庁所在地へ、
 1935 ザールラントはドイツ帝国へ戻った 、1938 軍事訓練場が市の北と東に開設、
 1951 大規模な米軍駐屯地の開放で拡大、

2.市壁  0.01km 0.01 

   16cの市壁は、Dicke Turmの取付け部にわずかに残る。

3.塔  1門1塔

 死体小門 Leichen Pfoertchen (16c) 北側の市壁に16cに開けられた支所を運び
   出す小門であり、20cまでこの小門を通って墓地へ死体が運ばれた。小門は
   1階建アーチ門のあるピラミット屋根の四角塔である。
 太い塔 Dicke Turm (16c) 北の3階建六角屋根の円形市壁塔で、1986-88に元の
   高さで再建された。今この塔は、結婚式場として使われている。

4.見所  D

   珍しく中央にマルクト広場が見当たらず、北に教会・南に新旧の市庁舎がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1840) 1880の大火事を生き残った数少ない建物で、19
   81迄使われた。3階建古典主義7窓列の建物で、屋根の上には大きな時計塔を
   乗せている。今でも旧市庁舎では、市長と議員の事務室・歴史美術館・公共図
   書館・コミュニティカレッジ・人形とおもちゃの博物館として使われている。
 市庁舎 Rathaus (1982) 旧市庁舎の東隣に新しい市庁舎を建て、旧市庁舎と分担
   しながら市政を行っている。
 プロテスタント教区教会 Ev.PfarrKirche (1748-50) シンプルなバロックのホール教会で身廊は後
   期ゴシックの西塔に付いている。創始者はツバイブリュッケン領主のクリスチャン4世であっ
   た。1950内装は近代化された。1980ステンドグラスの窓となり、塔には3つの鐘
   が付けられた。鐘は1340・1499・1954大。
 カトリック教区教会聖シモンとユーダス・タデス教会 Kath.PfarrKirche St.Simon und Tudas
   Thaddaeus (1882-85) ネオゴシックのホール教会で鐘楼には3つの鐘がある。
 洗濯小川 Wach Bach (19c) 元々洗濯物を洗うための深い水盤で、1988に発掘して
   修復した。
 鍛冶屋ビール Schmiede Bier (1840) 小さな鍛冶屋の建物で、器具がある
 郷土博物館 Heimart Museum () 軍事訓練区域の絶滅自治体の記念品・文書・写真と
   19cの主要な家具が展示されている。リネンの製造プロセス・1570-71の裁判記録・市
   内の歴史的建物の絵画等もある。

5.町の略図

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ベルンカステル・クルス  Bernkastel-Kuls  r11

写真

旧市庁舎 アドラー薬局

1.歴史

 4c ローマの砦が右岸側にあった、     1277 トーリア大司教は3番目の城を築いた、
 1291 ハプスブルク・ベルンカステルのルドルフ1世は都市権を授与、 1332 バイエルン皇帝の都市権、
 1401 クサヌスはモーゼル造船所で生れた、 1505 トリア-大司教は夏の離宮ランドシュ-ト城建設、
 1627 疫病流行で多数死亡、        1692 ランドシュ-ト城は仏軍により焼失、
 1794-1814 仏軍の支配下に、      1815 ウイーン会議でプロイセン王国に属した、
 1905 ベルンカステル市と佐岸のKuesが合併、 1945 数回爆撃と砲撃の後3月16日占領。

2.市壁  0km 

   1291の都市権の後に門や塔のある市壁が構築されたが、今は見当たらない。

3.塔  1門1塔

 グラーアッハー門 Graacher Turm (1300) 北の要塞門で、旧8通路の一つである。1689に門は
   仏ルイ14世によって破壊された。18cにアーチ門のある2階建の門を建て、1734刑務所が
   置かれ、その後は住居や浮浪者宿で使われた。1985歴史的・文化的な博物館を開設
   した。2002改修された。守護聖人聖ミカエルの絵がアーチにあった。
 聖ミカエル教会の塔 St.Michael Kirche Turm (13c) 市壁の塔を教会の塔に転用した。塔高56
   m、最上階の壁厚は1.75mであり、15c年号の屋根がある。

4.見所  B

   モーゼル川右岸にある旧市街地は、狭い道に沿って1416-17cの切妻付木組の家が立ち並
  び、中世の雰囲気のある町である。対岸(左岸)には広大なワイン畑が広がりリ-スリングワインを
  生産しワイン祭りでにぎわう。左岸から旧市街の眺めは、モーゼル川の向うに、教会と塔・大き
  なホテルの前面が美しい圧倒的な景観である。
 市庁舎 Rathaus (1608) ルネッサンスの2階建の建物。
 マルクト広場 MarktPlatz (17-18c) 傾斜した小さな広場を色とりどりの木組の家が取り巻いて
   いる。中央には聖ミカエルの噴水が立ち、市庁舎右のカール通には独特の尖った切妻の狭い3階
   建の木組の家が並んでいる。
 聖ミカエル教区教会 Pfarr Kirch St.Michael(1179) 1017にはカトリックの集落があった。今の教会
   は1386に建てられ、17cセバステャンの祭壇・1750聖マリア祭壇・1750ニコラウスの祭壇がある。1970の
   改修時には。1177の部分が発見された。
 ランフート城 Burg Landsfut (11c) 南東3kmに、トリアー大司教が夏の離宮として建てた。1692プファ
   ルツ承継戦争で廃城となった。今はモーゼル渓谷の見晴らしの良い展望台として機能して
   いる。

5.町の略図

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ビンゲン  Bingen am Rhein  r12

写真

市庁舎 クロップ城
レーア塔 ライン川

1.歴史

 4c ローマ街道の拠点であった、  983 皇帝オットー2世はマインツ大司教に町を与えた、
 1105 教王と帝国の争い、    1174 ビンゲンのヒルデェガードは修道院を設立、
 12c  皇帝時代に主要都市リ-グに参加、 1301 シアルプレヒトの関税戦争で城は破壊、
 1403-90 町は大火事でほぼ全焼、  1419-38 マインツ大司教の章を取得18c迄、
   17c 30年戦争・仏軍による破壊、      1798-1814 仏軍の占領下に、
 1816 ヘッセン大公国からプロイセン王国へ。

2.市壁  0.02km 0.01 

   13cの市壁は、城山・ナー川・ライン川・東北塔・城山のルートに築かれたが、今は殆ど
  見当たらない。Loehr Turmの巨大な切株は内側から見られ、Enkers Pforteの
  残骸がある。

3.塔  0門3塔

 ねずみ塔 Binger Mause Turm (10c) ナーエ川合流部上流の中州に、税関塔として
   968にマインツ大司教からビンゲンの司教を経て建てられた。1298塔はオイレンフェルス城
   の関税システムに込みこまれた。1855仏軍は破壊したが、今は信号塔として使わ
   れている。16cのハット司教の伝説は、真偽が定かではない。
 クロップ城の角塔 Bergfried Burg Klopp (19c) 城の西南側の城壁に4階建四角の塔が
   石積で再建されている。ライン川の展望は素晴らしく、4-10月の8-18時に登るこ
   とができる。
 レーア塔 Loehr Turm (13c) 塔は内側から見られ、階段があって登れる。2017塔は記
   念碑として改修された。

4.見所  C

   旧市街地は城山に向かって急な登り坂であり、ナーエ側右岸以外は、建物が何
  回も建て替わって旧市街の面影は薄い。
 旧ビンゲン市庁舎 Rathaus () 2階建隅階段塔付きの石造建物で、破風と鐘楼が付けら
   れた。
 旧郡庁 Ehem.Anterhaus (1901-03) 旧大公庁領郡役所で税務の建物であった。今
   は記念物的な3-4階建の建物群で斑岩荒石・桂岩擁壁がある。
 鷲薬局Adler Apotheke (1710) 3階建バロック・マンサード屋根の建物で、1852上階を建て
   増した。
 ゲーテハウス Goethehaus (1665) 旧ガストハウス:白馬で、3階建漆喰塗り1830擬古主義の前
   面になり、1907改造された。
 クロップ城 Burg Klopp (1252) 城は建てられては壊された。1689には継承戦争で大き
   く破壊された。18cに裕福な商人が城跡に再建を始めた。1897城は町の所有と
   なり、市庁舎として使われることになった。二次大戦でも壊されたが修復され、
   今は町の美しいランドマークであり、見晴らしの良い展望の場所。
 聖マルチン大聖堂 Basilika St.Martin (783) ロッシュ修道院の寄付登録簿に初言された。
   883のロマネスクの教会は、1220破壊・再奉献された。1403火災で焼失し1416ゴシック
   の教会が再建され、1505教区教会として拡張された。戦乱で祭壇画や美術品が
   失われた。1930教王ピオ11世は大聖堂の称号を与えた。1944爆撃で身廊と祭壇
   の一部が破壊され、再建された。
 聖ラウレンチウス教会 Kapuziner Kirche St.Laurentius (1656-58) 旧カプチーナ教会聖ラウレンティ
   ウスは、今聖霊病院の所有のバロックのホール教会で1884に鐘を付けた。
 プロテスタント・ヨハネ教会 Ev.Johannis Kirche (1858-60) 砂岩切石造のホール教会で5階建の
   塔がある。
 古いクレーン Alte Kren (1487) 船の積降しに有料で使用され、町の収入源となった。
   1787木造部は更新された。1890川岸に土手が築かれ、2005-09に機能的に修復
   された。クレーンは人力で大きな二つの車輪を動かせた。
 歴史博物館 Histrisches Museum am Strom (1898) ネオゴシックの旧発電所で今はストロム歴
   史博物館。1910広間は拡張された。
 復元建物 Pestaurations Gboeude (1899-1900) 4階建後期歴史主義の部分敵に木組
   の美しい木組の建物。

5.町の略図

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ボッパルト  Boppard  r13

写真

旧城 ローマ城塞
南壁 南壁
城路地

1.歴史

  4C ラインの谷道のローマの砦、     643 最初の記述として宮廷の設置、
 1309 自由都市となる、        1327 トーリアの所有となる、
 1497 町は包囲された、        1632 30年戦争スエーデン軍占領、
 1689.1735 仏軍の侵攻、        1735 仏革命軍の占領、
 1815 プロイセン領となる。

2.市壁  0.40km 0.22 

  ローマ砦RoemerKastellは、4C中に308m×154mの四角形4.7エーカーの規模で、壁は
 高さ8m厚さ3mを示し、28の塔を備えていた。今はAngertStrasseの東西方向60m
 とBurgGasseの南北方向に50mの跡が残っている。
  中世の市壁は、ローマ壁を中世の壁の中に使用し、14Cに西と東へ拡大して塔の
 ある市壁で囲んだ。今は南側国道沿いの290mである。

3.塔  1門1塔

 ビンガー門 BingerTor 東 BingerGasseに崩れた塔の跡がある。
 ゼナーリンク塔 SaenerlingsTurm 西 HeerStrasseに塔が立っている。

4.見所  C

   この町はライン川沿いにある、国道との間の細長い町である。古いローマの壁
  も残り、川を眺める保養地になっている。
 旧城 AltBurg 2階建中央に4階建塔のある建物であり、今は市美術館。
 カルメル会教会> KarmeliterKirche 14-15C建、1265設立の旧修道院の教会
   であり、15Cの聖職者席と中世墓碑の彫刻がある。
 聖セヴェル教会 St.SchwellsKirche 1236建、ローマ浴場の上に構築された
   ロマネスク様式の白い5階建の西棟がある。

5.町の略図

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ブラウバッハ  Braubach  r14

写真

 
市長舎 壁搭
市壁 下並木道

1.歴史

  692 ライン川右岸のブドウ栽培の記録、    1231 マルクスブルク城の建設と城下に集落の形成、
 1276 ハプスブルク王は都市権を授与した、         1283 カッチェルボーゲン伯が領主になった、
 1479 ヘッセンのヘンリー3世の墓所へ、1527 宗教改革の導入、 1567ヘッセッン遺産分割でヘッセン・ラインヘルスへ、
 1567-70 フイリップ2世は南にフイリップスブルクを建設、 1602カッセル・マールブルク・ダルムシュタットが1/3を分割統治
 1651 ダルムシュタットが支配、 1816 ウイーン会議でナッソ-公国に属した、 1866 プロオイセンはナッソーを併合、
 1815-29 一次大戦後仏軍が占領、 1945 二次大戦後仏軍が占領、 ラインラントプファルツ州へ。

2.市壁  0.09km (0.10) 

  13c後半の市壁は、Hahn weg2 とKarl Str1の背後に20mと、Burg Str1-9に70mが残る。

3.塔  1門5塔

 

 上門 Ober Tor 北西の門塔は正方形の基礎の上に八角形の塔があり、その西の
    ウンター・アレー通りにアーチ門が残っている。
 壁塔 市壁の北西端に市壁に直接建てられた。
 壁塔 ボルグ通13の山側に北角塔の切株がある。
   壁塔 バーン通2の山側に見張塔があり、裏面は木造の殻塔である。
 壁塔 フリードリッヒ通28にParkgrafenTurmは3階建の円塔。
 壁塔 カール通1にSchaelenturmの切株がある。

4.見所  B

   この町は山頂にマークス城があり、南端にフイリプス城がある。山裾の北西から南東にかけて
   16-18cの多くの木組の家が残る旧市街地が張り付いている。
 市庁舎 Rathaus (1898-90) レンガ造のネオルネッサンスの建物で、旧市街地の西の外れに建てら
   れている。
 マルクス城 Markus Burg (1231) 中部ラインを守る城として山頂に建てられた。 中流部唯一
   の破壊されていない城で、城礼拝堂の守護聖人であるマルクスにちなんで名付けられた。
   1900にドイツブルゲンウェルエニング教会が所有している。
フイリップス城 Phlipps Burg (1568-71) フイリップ2世は旧市街地の南東端に城を建てて町を
   支配した。今はヨーロッパ城研究所が城歴史図書館を開設して使っている。細長い3翼の建物で、
   1861に改築された居る。木組の門とかっての厩舎がある。
 バーバラ教会 Babara Kirche (1276) 市壁に直接して旧教区教会として建てられた。
   市壁の北西の塔は後に教会の鐘楼に拡張された。1988に印象的な屋根と4ドーマー屋根のあ
   る塔ドームが付けられた。1526の宗教改革より教区教会となり1901まで使用された。今は塔
   と内陣が保存され福音集会所としてつかわれている。
マルクス教会 Ev.Markus Kirche (1898-1902) 石造ゴシックの2通路の広間教会であり、1870
   -80にレンガ造の牧師館が建てられた。
 ガストハウス白鳥 Gasthaus Zum Weissen Schwanen (1625-30) 風格のある高基礎の木組
   の建物で、スレート屋根に小さな切妻がある。
住居 Wohnhaus (16-17c)
    (1588)一部破風のある2階建の多くの木組で構成された古い建物。
    (1597)幅の狭い2階建の木組の美しい建物。
    (1608)マルクト広場の風格のある細かな骨組の小さな破風のある2階建の建物。
    (1610)マルクト広場の風格のある細かな骨組の小さな破風のある2階建の建物。
    (1614)石造高基礎の上の美しい装飾木組の2階建の建物。
    (17c)市壁の上部の装飾トラスが覗いている。市壁をくりぬいたガラス窓がある。
    (17c)マルクト広場の風格のある細かな骨組の2階建の建物。

5.町の略図

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ブレッツェンハイム  Bretzenheim  r15

写真

教区教会 東門
東市門内 東壁
東北壁 南壁

1.歴史

 7c ケルン大司教は王家からの寄付で村を得た、 1054 ポーランド女王に一時貸与、
 1190-1789 伯爵達が町を管理した、 1456 村の法的条件は口頭で引継がれた、
 1542 村を防御の堀・壁を築く、 1664 皇帝レオポルド1世は村を帝国自由支配に、
 1789 帝国統治から帝国公国へ昇格、       1795 仏軍が占領し破壊、
 1815 プロイセン王国領となる。

2.市壁  0.21km 0.20 

  市壁の残りは、東のガルテン通にレンガ壁が80m+90mあり、南に古いレンガ壁が
  40mある。

3.塔  2門2塔

 アーチ門 Tor Bogen (17c) 旧フェーレン宮殿のガルテン通の入口に、レンガ造のアーチ門
   がある。その内部にも通路に通じるレンガ造のアーチ門がもう一つある。
 円塔 Rund Turm (17c) 旧フェーレン宮殿の南東の隅にレンガ造の崩れかかった円塔
   がある。
 旧配水塔 Alten Wasserturm () レンガ造6階建六角形の旧見張塔があり、配水
   塔としても使われた。

4.見所  C

   小さなワインの町であり、多くのワイナリィがある。
 旧役所 Altes Amtshaus (1592) ルネッサンス2階建の建物で八角形の階段塔が付い
   ている。ケルン大司教管区の境界石がある。今はワインと文化のセンター。
 旧フェーレン伯爵宮殿 Altes Schloss Der Grafen von Velen (17c) 円塔とアーチ
   門のあるレンガ壁のみが残る。
 ブレッツェンハウゼン宮殿 Schloss Bretenheim (1500) 1774に火事の後にバロックの
   宮殿に改造され管理事務所のある集会施設の館。1595階段塔ある領主
   の家。1600旧住居は1783に改造された。
 カトリック教区教会マリア生誕 Kath.PfarrKirche Mariae Gaburt (1789-91) 早期疑
   古典のホール教会で、バロックのヘルメット付きの中世風の塔がある。
 プレッテンベルク・プリセリ邸 Villa Plettenberg Puricelli (1847) 旧プリセリの館。
   2階建半の漆喰造りの後期擬古主義の広い住宅。木骨造の病院建築。
 木組の家 Fachwerkhaus (1712) バロック地階石造上階木組の建物。
 旅館:緑の木 Gasthaus Zum Gruenen Baum (17c) 地階石造上階木組の建
   物であり、1779に改装された。
 中庭の家 Hof Anlage (1677) バロック上階木組の3翼の館である。アーチ門には
   1754の年号がある。

5.町の略図

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コッヘム  Cochem  r16

写真

教区教会 東門
東市門内 東壁
橋梁 マーチン門

1.歴史

  886 帝国の所有地として初文書言及、 1294 ナッソー家ノのドツフはトリアー大司教区へ渡した、
 1294 仏が占領するまでトリアー選帝侯の領土であった、     1332 都市権を得て市壁を建設、
 1423-25 ペスト流行、  1623 カプチン修道院を設立、  17c 30年戦争で占領はなかった、
 1699 仏ルイ14世軍は城と町を破壊、 1794 仏革命軍が占領、 1815 ウイーン会議でプロイセンへ、
 1945 2次大戦の空爆で旧市街地と橋を破壊、 1946 新設のラインラント・プファルツ州へ。

2.市壁  0.17km (0.16) 

  市壁の建設は1332に始まり、1625に強化された。
   残骸としては、かっての門衛宿舎のあるEnder Tor、Balduinstorのある防御塔、胸壁のある
  Martinstor、Fusswege zur Reichsbergにある。

3.塔  4門0塔

 エンダート門 Endert Tor (1332) 北門であり、ポートウイン選帝侯によって建てられ、
   駅馬車の出発点であった。古くからの4階建の門塔と3階建の門衛の家が古色蒼然と立っている。
    北に隣接して、地階石積上階木骨造の1620「Hotel Alte Thorschenke」があり、ナポレオン
   やゲーテが宿泊した。
 市壁塔 Stadtmauer Tor (14c) 東門であり。東側のモーゼル川沿いの市壁の建物の
   地階のアーチ門にKirche Gasseの通りに繋がっている。
 バルドウインス門 Balduins Tor (14c) 東西方向の古い市壁の一部であり、門屋は2
   階建で、左右に市壁が残っている。
   マーチン門 Martins Tor (17c) 南門であり、ボードウイン選帝侯によって建てられ、料金所
   や税関の門として使われた。税関チェーンは対岸との間に敷設されていた。門の左右には市壁が築か
   れ、小塔は後に氷室として使われた。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1739) マルクト広場の北側に立つ、2階建マンサード屋根の建物で、
   1689に再建されたが壊され、1739に再建された。切石の上に木造漆喰仕上の長方形17.5×12
   .4mの建物で、入口の上に石造の出窓がある。
 聖マーチン教会 Kath.Martin Kirche (1456-1503) 後期ゴシックの後陣のあるホール教
   会、1950-51にタマネギドームの石造の塔が付けられ、1955-63に修復された。
 プロテスタント教会 Ev.kirche (1892-93) ネオゴシックのホール教会に、4階建の尖塔付きの
   角塔。
 ヴィネンブルク城址 Rhuine Winenburg (1789-91) ヴィネンブルク領主が城を建て、何
   世紀にもわたって拡張された。1637に領主が断絶してメッテルニッヒ家が所有した。1689にプファルツ継
   承戦争で破壊され、その後再建されなかった。 1932に市が取得した。
 カプチン修道院 Kapuziner Kloster Cochem (1623) トーリアー選帝侯の主導で修道
   院教会と診療所と東棟が建てられ、1635に修道院教会が奉献された。1753に水車施設とゲスト
   棟が追加された。1689仏軍が破壊し、1805仏占領下で競売に付された。1810に病院となり、
   1923-23に修復されて、文化センターとなった。
 聖レマクルス教会 Kath.Kirche St.Remaclus (1965-68) 切石造の多角形の建物。
 住居 Wohnhaus (1704) 切妻のある上階木組の2階建の建物。
 住居 Wohnhaus (17c) 切妻のある上階木組の3階建の建物。

5.町の略図

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ダウセナウ  Dausenau  r17

写真

旧市庁舎 教会
西門 傾斜搭
ラーン川沿い市壁 ラーン川沿い宿屋

1.歴史

 1179 村の教会設立、 1234 ナッソー家所有の初文書言及、 1255ナッソー家の分裂で所有権分割、
 1324 要塞の言及、    1348 市の権利を受けたが後に失う、    1490 市立病院の建設、
 1544 宗教改革導入、 1651 ラーン川フェリー開設、 1708 銅精錬所開設、 1718専門ギルド設立、
 1776 北西部焼失後に4要塞門6搭の市壁を強化、 1806 新設のナッソー公国に属した。
 1902 対岸への架橋で右岸に市域拡大、 1946 新設のラインラント・プファルツ州へ。

2.市壁  0.90km (0.90) 

  約1kmの市壁は、1348にナッソー伯が都市権を与えた後に、14c後半に建設され、1776に4門6搭で強化
   された。旧市街地の建物の上の斜面に、部分的に低い場所もあるが、ほぼ市壁は残されている。18cに
   市壁が防衛的機能を失った後に市壁の石材は建築資材として転用されたが、20cには改修も行われた。

3.塔  1門6塔

 西門 Westlicher Tor (14c) 元の高さ18.9m」を維持している唯一の塔であり、スレート・
   砕石・1384の木材が使用されている。1929の屋根は門塔を保全するために設けられた。アーチ通路の上に4
   階建角塔があり、最上階には四方の見張室がある。南側に隣接して2階建木造のたてものがあり、ラーン川へ
   張出している。
 レーニング搭 Leaning Turm (1359) 東端に立つ高さ25mの八角形の塔であったが、20cには川
   側に傾斜し、1929に屋根を付けたため傾きが増加した。1950に屋根と高さを7.5m取り除いた。その後高さ
   17.5mの塔に動きはない。傾斜は先端で2.46mで5.2度傾いており、ピサの斜塔の3.97度よりも傾きは
   大きいが、廃塔であるとしてギネスには登録されていない。川側の広場には、門塔の切株が再建再建されて
   いる。これは東門Beuls Pforteの跡である。
 アッカー塔と小門 Ackers Turm und AckersPforte (14c) 西側の小門でラーン川沿いの道路
   が開通するまでは、洪水の無い唯一の入り口であった。塔の一部がの残っているが、シンプルな壁門で、前門と
   して市壁から突出した塔で守られていた。塔の地下にある丸天井の部屋は麻の乾燥に使われていた。北側市
   壁と共に復元されている。
 ドレッハー搭 Dreher Turm (14c) 4階建の角塔で、近くの住民の名前が付けられた。この塔の市
   壁は1990-91に修復された。
 クリステャン塔 Christians Turm (14c) 東側中間の町側に開いた馬蹄形の塔で、町側は木造で
   ふさがれていた。玄関や梁天井の一部が残っている。 
   階建で、左右に市壁が残っている。
   猫塔 Katzen Turm (14c) 当初3/4が石造で残りの部分は、木材で閉じていたが、後に円塔と
   なった。2013に修復済みであるが天井はない。
 フアース塔 Fuhrs Turm (14c) ツタカが取り除かれ1988の修復された。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1432-34) 石造の地階の上に簡単な木造の上階と大きな屋
   根がある。ドイツで2番1981-85に目に古い後期ゴシック 木造の市庁舎である。一時刑務所として使われ、
   1980に新市庁舎を建てて移転した。1981-85に再建されたが、木製トラス部分は取り除かれれ保存された。
   今は、地下には公文書館があり、会議室・大広間などは利用されている。
  市庁舎 Rathaus (1830) 学校として建てらた四角い風格のある古典主義の2階建の建物で
   1980に改造されて新市庁舎になった。
 聖カスター教会 St.Kaster Kirche (12c) 最古の部分は、1179の後期ロマネスクの塔で、1321-
   19に短い3通路のホール教会が建てられた。1470後期ゴシックの後部翼のある祭壇とマリア生誕のパネル絵画、14
   cからの後陣の壁画は、19-20cに修復されている。
 古い木組の住宅 Wohnhaus
   Kirche Gasse5 (1554) 地階石積、上階切妻木組の華やかな建物。
Lang Gasse12 (1600) 石積高基礎の上に切妻付木組の建物。
Lang Gassd16 (1625) 地階石積み上階木組の小さな家。
Lahn Strasse8/10 (16c) 地階石積上階は美しいきりつまの建物。
Lahn Strasse9 (17c) 西門の北に立つ、地階石積上階美しい切妻の建物。

5.町の略図

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ダイデスハイム  Deidesheim  r18

写真

市庁舎 ホイマルクト市壁
シュピタール通市壁 南西角搭
火薬搭 ムルテン搭

1.歴史

 9-10c ニーダーキルヘンの隣の集落、1057-86 ハインリッヒ4世はシュパイヤー本山に贈与、
 1100 寄付でジョン1世が所有しシシュパイヤー司教区、  1292 水城が建設された、
 1300 シュパイヤー修道院長の北西部の居所、 1360 付属権の授与で要塞の建設、
 14c 母教会の建設、         1395 シュパイヤー司教は都市権を授与、
 1396.1460.1525.1552 攻撃に対して戦った、 1621.31.39.89.93 町を占領、
 1689 仏軍に殆ど破壊・全焼された、   18c 仏革命による都市権の喪失、
 1794 プロイセンに属した、        1814 ウイーン会議でバイエルンに属した、
 1849 パランタインの反乱、          1918 第一次大戦後仏軍が占領。

2.市壁  0.04km 0.03 

 1360から要塞建設が始まり、建設資金としてシュパイヤー司教はワインの間接税
  を認めた。1395頃にヴィースバーデンのニコラウスが完成させた。要塞で夜盗団から
  は守られたが、戦争では数回占領され焼かれた。1731バロックの門が再建さ
  れたが、最早 軍事的には機能しなかった。1818以降殆どの部分で市壁は、
  解体され堀を囲む壁も水平になっていった。市壁は住宅としての塔と共に
  販売され、市壁を使って住宅が建てられた。今も連続した石積の自立市壁
  が見られる。Spital gasse21-23に20m、Stadtmauer gasse46に10m、
  Heumarkt str.20に10m。

3.塔  1門4塔

   市壁には、北のヴォルムス門と南のランダウアー門の2市門と14壁塔で守られてい
  たが、市壁は1820に取払われ、壁塔は5基がまだ残る。
 南門旧守衛所 Rest des Wachhaus (14c) 南、ランダウアー門守衛所の中核が、
   木組3階建で残っている。
 ローテン塔 Rothen Turm (1350) 2階建半円形の壁塔が3/4残っている。18cに
   住宅となった。
 ミュルテン塔 Muelten Turm (1350) 2階建漆喰塗の円塔でランタンが付いている。18c
   に住宅化され、家の屋根に接続している。
 火薬塔 Pulver Turm (1350) 2階建円錐屋根の塔。
 塔切株 Turm Rest (1350) 半円形2階建の塔壁が残っている。

4.見所  B

   中世の町の構造は、基本的に変わっていないが、17-18cの戦争被害で建て替
  えられた部分が多い。1991から歴史的中心地は保全地区として整備されている。
 市庁舎 Rathaus (1532) ワイン街道マルクト広場に、大きな屋外階段のあるバロック2階建
   がある。1689に焼失し18c初めに今の外観で再建された。1709に2階建の建
   物が取付けられた。今は、市長室・歴史的会議室・ワイン文化博物館であり、
   1986開設の博物館には、ワインとブドウ栽培の展示があり、1912評議会室には
   美しいテーブルと椅子が置かれている。
 ダイデスハウム城 Schloss Deidesheim (13c)オランダ王ウイリアムが建て、その後。シュパイヤー
   司教が所有した。1250スタウフのコンラッド4世はこの町を焼き払った。14-15c
   シュパイヤー聖公会の城は行政の場となった。1689仏軍が城の主翼を壊し、
   バロックで復旧された。1794採石場として解体されたが、1804-20現在の形
   で再建された。3アーチの石橋は以前から変わっていない。
 聖ウルリッヒ教区教会 PfarrKirche St.Ulrich (1362) 最初の教区教会が建てられ、
   1444-73後期ゴシックの3連柱状大聖堂となり、15cプファルツ唯一の生残り大聖
   堂である。赤砂岩の四角い西塔の高さは62.7mで、八角形の覆いは西に
   25cm傾いている。
 ダイデスハイム邸 Deidesheim Hof (18c) マルクト広場にあり、2軒のレストランがあるホテル
   の建物で、18cに新しいバロックの建物となった。中世にはシュパイヤーの王子司
   教が所有したが、仏革命後は仏スパーリングワイン会社が所有し、1901帝国評議
   会のヴィラであった。1920レストランとなり、ホテルの建物を追加した。2001五星
   ホテルとなり世界の要人が宿泊した。
 ディーンハイム邸 Dienheimer Hof (14c) 町の中心にあり、廷史が所有した。1744
   参事会議員が所有し、1803仏は競売に付しホテルになった。1999隣の所有者
   が買収しホテルとした。1806の門のある中庭付き2階建本館がある。
 ヨーゼフ・ビッファーワイン園 Weingut Josef Biffer (19c) ビッファー家は、19c市壁外に
   ワイナリィを建て、4代にわたって運営した。2013ワイナリィ・レストランを賃貸した。
   1879の農場の2階建赤砂岩の建物と隣接の別荘は、保護文化財である。
、  ディーツ・マッティワイン園 Weingut Dietz-Matti (1487) 市庁舎の向かいの旧ガストハウス
   の文化財である。2階建地階漆喰塗上階木組の2翼の建物で、木組の上階は
   1700に置換えられ、1992補修された。
   地中央西にあり、平らで地味な東向きの広間造り、バロック屋根の鐘楼。
 旅館:カネ Gasthaus Zum Kanne (12c) 斜め向かいに市庁舎がある。12cに
   はオイサータール修道院に属する宿泊所が建てられ、1374ホステル、1400最初の建物
   は最古の宿屋Zum Kanneとなった。1532ゲストハウスとなり、改革中に民営化
   された。1687最初の建物は戦争で破壊され、1710改修・1731再建された。
   1951Kanne教会が引継ぎ、2016レストランを開業した。石造後期バロック7軸の建物。

5.町の略図

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ディーツ   Diez   r19

写真

         
市庁舎 旧市庁舎
マルクト 市壁

1.歴史

  790 プリューム修道院の所有物として初言及、 1073 ディツ伯が城を建設、
 1289 ゲルハルト4世伯は城の麓に修道院を設立、 1386 バイエルン王から都市権を授与され5門の市壁建設、
 1386 ディエス伯家の消滅、 1479 ヘッセン家ヘンリー3世方伯は郡を承継、 17-18c ナッサウ・ディーツ家が支配、
 1796 墺と仏が交互に支配、 1866 プロイセンがドイツ戦争でナッサウ公国を併合。

2.市壁  0.02km (0.01) 

   1239の4門切石造の市壁は、その上に胸壁を持っていたが、19cに取壊された。市壁の残骸は、北の
   Oranien Steiner Str.2a に市壁を取り込んだ家の前面に僅かに残る。 別に、ディーツ城の城壁は
   全周残っている。

3.塔  0門1塔

  旧門塔跡 Ehem.Ruhine Tor (1675) かっての北門の門塔の跡が残っている。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1610) 地階石積上階木骨造の3階建の屋外階段付の建
   物で、今は食堂になっている。
 聖心カトリック教区教会 Kath.PfarrKirche Herz Jesu (1706-07) 3階建ての塔のある石
   造の旧聖ボニファティウス教会で、1832に聖ボニファティウスに奉献され、1887に後陣と西の建物・1900に高さ32
   mの高塔が付けられた。
 司教区教会聖マリア Ev.StiftKirche St.Maria(1289)領主のゲルハルト4世が建て、1564
   までは教区の中心であった。翼廊のない3棟の石造ゴシックのホール教会であり、寄棟屋根の堅固な教会であ
   る。
 エバーハード小宮殿 Schloeschen Eberhard (1250) アーチ形の地階と脇宮殿のある本館で
   中庭と庭園で構成される。1482.1552.1588に再建あるは拡張された。漆喰とスレートの3階建ての建物。
 庭園宮殿ディーツ Garten Schloss Diez (11c) 主塔は11cの下部工にゴシック後期の上部
   工、旧宮殿は14c、 丸い塔の切株は13c、中庭の建物は16-18c、門屋は1581、旧礼拝堂12c、
   など多くの建物の複合体。
 十分の一税倉庫 Zehnt Scheune (18c) 広い寄棟屋根の2階建ての建物は、漆喰とスレートで
   造られた。
 旧ラテン語学校 Ehem.Lattein Schule (15c) 元ラテン語学校は地階石積上階木組の3階建
   の大きな建物で、17cに木骨造横翼が付けられた。
 住宅 Wohn Haus (15c) 2階建の傾いた木骨造の大きな建物。
 住宅 Wohn Haus (16c) 3階建の地階石積に漆喰で上階木骨造の豪華な建物。
 住宅 Wohn Haus (1654) 風格のある地階石積み上階木骨造の3階建の建物で年号がある。

5.町の略図

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デ゙ュクロート  Duchroth   r20

写真

市庁舎 デュクロス教会

1.歴史

 1128 マインツ大司教文書に村の初言及、 1418 皇帝の息子ステファン公は村を振興、
 16c ラインラントプファルツ州で最古の町役場建設、 17-18c、住民は貧困から海外移住、
 18c クリスチャン4世が支配し郊外を開発、
 1798 地図の村は円形の堀と道路で囲まれ2門があった。
 1813 ウィーン会議でプファルツからバイエルンへ移り1945迄残った。

2.市壁  0.34km (0.54) 

   ほぼ円形の市壁の痕跡は、全周のほぼ半分は残っている。

3.塔  0門0塔

   1798のEimanの地図には、南の下門と北の上門の2門あるが壁塔はなかった。
  今は、門塔は見当たらない。

4.見所  D

   古くからワイン生産が行われ、1979には59haのワイン畑と、36のワインセラーがあった。
  今でも小さな町に、35haのワイン畑と11のワイン醸造所あり、80%が白ワインである。
 市庁舎 Rathaus (16c) 後期ゴシックの鐘楼付きの2階建の建物。19cに通路側は再建さ
   れた。
 プロテスタント牧師館 Protestant PfarrKirche (1960) 別荘の様な屋根の田舎造の建物。
 教区教会プロット PfarrKirche Prot.Kirche(1808-1910)砂岩造のゴシック
   3階建のホール教会で時計塔がある。単塔の横に教会入口がある。
 シューマーハーの家 Haus Shurmscher (1790) バロック不完全な寄棟屋根の一部木造の建物。
 館の施設 Hof Anlage (17c) 農場の住宅で、1801周壁と19cの門扉。
 リンデマンの家 Haus Lindeman (1786) バロックのレンガ造2階建の家。
 住宅 Wohn Haus (18c) バロックの2階建上階木組の彩色された家。18c改造。で説明して
   いる。

5.町の略図

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エンゲルス  Engers  Neuweid市内  r21

写真

市庁舎 エンガース城

1.歴史

 BC55 ローマによる架橋が近くで行われた、  4c ローマの砦が建設されローマ居住地であった、
  773 ロルシュ修道院のコーデックスに言及、    1357 皇帝チャールズ4世は都市権を授与、
 1372 ファンケルシュタイン大司教は関税駅とした、   1378 グレー塔から半円形の市壁を建設、
   1632 30年戦争スエーデン軍の占領、 1636 帝国軍の占領、  1662 ペスト流行5家族残、
 1474 仏革命軍が占領、  1806 ナッソー公国へ属す、   1815 プロイセン王国に属した、
 1863 城に戦術学校が置かれた、 1926 仏軍が占領、  1945 連合軍の空襲で被災、
 1870 ノイウィート市へ併合。

2.市壁  0.06km (0.07)

   1371からの市壁は17cには無傷でライン川から半円形に市街を囲んでいた。今でも各所に
   に残っている。東側のグリューネヴァール通.ファルクスガッセ.アルテンシュロス通に沿って立ち、ライン川沿いの
   市壁も家屋によって失われ少数の残骸が存在する。

3.塔  0門3塔

 灰色塔 Grau Turm (1370) ライン川沿いの東に3階建胸壁付きの円塔と切石
  造の砦跡がある。14cにはラインの税関塔としても機能した。
 デュクシュ Duckeje (1370) ライン川沿い西のクロスター通りに、要塞の一部が2階建の塔
   が今円錐型の屋根を付けて残っている。
 防衛塔 Wehr Turm (1376) ヤコブ通に台形の3階建切石造の防衛塔がある。

4.見所  C

   230×130mに狭い旧市街地にいろいろ面白いものが残っている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1642) 切妻付き2階建の部分的に木組のハーフヒップ
   屋根構造の建物。
 カトリック聖マーチン教会 Kath.PfarrKirche St.Martin (1897-98) レンガと凝灰岩
   のネオロマネスクのバシリカ。
 福音教区教会プロット EV.PfarrKirche (1900-02)後期ゴシックの西塔の目立つ教
   会。
 エンガース城 Schloss Engers (1759-64) ヴァルタードルフ大司教と選帝侯トーリア司教
   ワームはライン川の畔に3階建の狩猟と夏の離宮を建てた。
 城居酒屋 Schloss Schenke (1621) 旧市街の中心にあり、今でもホテルとして使
   われている。
 古い木骨造の家 Haus Heinrich (1617) この町で最古の木造の家で、二つの構造
   物で構成される3階建の住宅。地下室に1370の市壁と市壁の塔が基礎部分の遺跡がある。
   17cには、木組の部分の一部は更新されている。

5.町の略図

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エアペル  Erpel am Rhein   r22

写真

市庁舎 壁搭

1.歴史

 1072 町を大司教アンノ2世はグラフシャフト修道院へ譲渡、 1130 ケルン大司教区からケルン大聖堂支部へ、
 1420 町は市場の権利を取得、    1493 町は司法権を行使、   1670 町は124戸で構成、
 1803 ケルン大聖堂支部はナッサウ・ウジンゲン公国に割り当て、 1806 ナッサウ公国のリンツの管理下に置かれた、
 1813 ウィーン会議でプロイセン王国へ割当、 1945 エルベ川レマーゲン道路端と鉄道橋の破壊。

2.市壁  0.37km (0.25) 

   1420に町はライン川側に要塞の壁を陸側に堀が造られた。町は南北方向に拡張し周壁が設けられた。
   市壁が残っているのは、ライン川沿いのライン門周辺と、北西の新門周辺である。

3.塔  2門0塔

 新門 NeuTor (1420) 寄棟屋根3階建て切石造の四角い門屋で、15cの要塞の4門内
   唯一残った門である。
 フロンホフ Rhein Tor (15c) ラインホフはライン門の上に1725に2階建で建てられた。

4.見所  D

 市庁舎 Rathaus (1624) 石造マンサード屋根と小尖塔のあるバロックの庁舎が建てられた。
   1780に7軸マンサード屋根に二つアーチ門のある建物になり。1803-1966には教区が所有し、1816-22は地
   区管理者の住居となった。1930.1976.1990に改修された。
 聖セヴェリン・カトリック教区教会 Kath.PfarrKirche St.Severin (1230) 初期のロマネスクとゴ
   シックの組合の教会で、塔は10cの古い教会からのもので、1388の鐘がある。内陣のステンドグラスは15cに
   拡張され18cに変更された。
 フロンホフ Fron Hof(15c) ケルン大聖堂支部が細長いスレート切妻の頑丈な建物を建てた。1725に
   市壁のライン門の上に7軸の地階石造上階木骨造の大きな管理棟を建てた。
 住家 Wohnhaus (1706) 2階建切妻付き木骨造の建物。建物に年号がある。
 ガストハウス Gasthaus Zum Alten Deutschen (1692) 風格のある2階建の木骨造の建物。

5.町の略図

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エッセンハイム  Essenheim   r23

写真

市庁舎 プロテスタント教会
西北壁 西南壁

1.歴史

 1023 皇帝ハインリッヒ4世はトリアー修道院の大農園を村に設置、1062.1066.1140.1182に大農園を
  確認、 1259 ベルナー4世は息子を代官に、1422 フェルデンツ公フリードリッヒ伯は娘の相続で村を取得、
 1444 フリードリッヒ伯は息子にこの村を与えた、         1533 ツバイブリュッケンの新設教区に、
 16c  村は堀と壁に守られた教会に退避できた、        1620 30年戦争で人口は1/5に、
 1666 疫病、1686町の破壊で村は消滅寸前、       1733 ツバイブリュッケンの飛地して残る、
 1797-1815 仏の統治下に置かれた。        1816 ヘッセン大公国に属し村人は米国へ、
 19c 人口の1割のユダヤ人が住んだが1978に居住地は破壊された。

2.市壁  0.05km 0.04 

   街路名で市壁の位置は推定できるが、市壁の跡らしき構造物は西にわずか
  見られる。

3.塔  0門0塔

   門塔は見当たらない。

4.見所  C

   ハウプト通には、見栄えのする2階建の建物がある。
 市庁舎 Rathaus (1836) 以前は学校の建物であったが、市庁舎になった。石造古典主
   義の中央部3階建の細長い2階建の建物で、補修して使われている。
 プロテスタント教会 Ev.Kirche (15c) 以前は要塞化された中世の聖モーリシャス教会であり、ガシック
   の4つの部分から成る建物である。1630塔は修復され、1775身廊はバロックに改装
   された。1703の3つの鐘があり、18cのオルガンは1914に修復された。
 マインツ聖堂参事会十分の一税館 Zehnthof des Mainzer Domstift (14c) 14c中頃の建物
   に、18cバロックの改修が行われた石造2階建の大規模な建物である。
 館の施設 Hof Anlage (1700) 3階建のバロック上階木組の館。19cに車庫とレンガ造の倉庫
   が建てられた。
 館の施設 Hof Anlage (18c) 2階建上階木組の建物で、中央に中庭への入口がある。19
   cに馬屋とワイン絞り機が置かれた。
 住宅 Wohn Haus (18c) 後期バロックの上階木組2階建の家で、一部漆喰塗。
 料理屋 Gastwirtschaft (18c) 元料理屋:ゲオルク肉屋であった。2階建上階木組の美しい
   建物で、18c丸天井地下室のバロック入口が設けられ、1905に全般的に改修された。

   

5.町の略図

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フランケンタール  Frankenthal  r24

写真


マルクト広場 聖三位一体教会
シュピェヤー門 広場

1.歴史

 

 772 ロルシュ修道院の寄付調書で初言及、 1119聖アウグスチヌス修道院の設立、1125女性修道院設立、
 13c 修道院写本室で聖書写本作成、    1562 画家.金銀細工師.織物製造者を集めて繁栄、
 1577 都市権を得て、堀・壁・門で囲む、 1584 居住者の大流入でギルド結成、 17C 強い要塞へ、
 1623 スペイン軍が占領、   1689 仏軍が殆ど破壊、    1770-73 要塞とスペイヤー門の建設、
 18C プファルツ選帝侯の首都へ、工業と磁器製造で栄える、   1798-1815 仏の管理下に入り停滞、
 1815 バイエルン領となる、 20C初 狭すぎる壁は壊された、 1943  空襲のため旧市街地の90%破壊。

2.市壁  0.08km (0.04) 

  1577の市壁は、 18cに拡張強化された。現存する市壁は、文化財リストによれば、西の Am Kanalに
   1718に建てられた雑石造の市壁が80m残っている。

3.塔  2門0塔

 ボルムス門 wormserTor (1770-72)北 砂岩ブロック積みの三角屋根二つの凱旋門。
 スペイヤー門 SpeyererTor (1772-73) 南 砂岩の前面に2本柱でライオン像を階建上に置いた
   凱旋門。

4.見所  C

   2次大戦でほぼ破壊されたが、その後の復興時に、美しく復元されている。
 市庁舎 Rathaus (1952-53) 旧市街地の中心にあり、大きな出窓と彫刻で飾られている。
   1階部分には、アーケンバート博物館があり、町のロココ磁器コレクションを展示。
 シュバレンベルク城 (13C) 小山の上に造られた城は僅かの跡が残っている。1628そこに住宅用建
物が建てられ、1913改修された。
 聖三位一体教区教会 PfarrKirche St.Dreifaltigkeit (1709) 新市街地中央西
   にあり、平らで地味な東向きの広間造り、バロック屋根の鐘楼。
 プロテスタント十二使徒教会 Prot.ZwolfApostal Kirche (1820-23) 前面に4本柱のあ
   る古典的なホール教会。ロマネスクの旧市教区の内陣・側塔のある建物に、1845ネオロマネスクの鐘楼が付けられた。
 エルケンバート博物館 ErkenbertMuseum(1912)町の歴史を色々な模型.写真.記録等で説
   明している。エルケンバート城跡公園には、野外映画・イベントなどに使われている。
 パーゼハルの家 Parseval Haus (1815) 飛行船開発者パーゼハルの家で、寄棟屋根の新古
   典2階建ての建物。
 住家 Wohnhaus (1765) 最古の住宅で、砂岩造マンサード屋根の漆喰の2階建建物で、最近
   外観が修理された。

5.町の略図

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フラインスハイム Freinsheim Pfalz  r25

写真

市庁舎 南壁塔
東壁塔 階段
インザー門 石門
北壁 南壁塔
西覆道 西壁
侯爵塔 ハインター門

1.歴史

  773 修道院文書で最初の言及、修道院から発展した町で教会と騎士が所有、
 1471 プファルツ選帝侯は集落を集めて町の権利を受け、15Cに既存防衛施設を完成、
 1514 鉄の門の外側で市壁を完成、  1689 プファルツ承継戦争で壁.門塔を破壊、
 18C 再建され選帝侯の行政機能で経済飛躍、 1815 バイエルンに帰属、
 20C 2次大戦の被害はなかった、1979-1992に旧市街地の大改修がなされた。

2.市壁  1.250km 0.96  

  15Cに町を囲む赤い砂岩の市壁H7-8mが建設された。通路として5箇所切取
 られた以外は全部残ったいる。

3.塔  2門6塔

  19C初には、2つの門しか残っていなかった。
 鉄門 EisenTor 1514建 東北側の巨大な門で両側の大円塔の間にアーチ型
   の鉄扉が付いている。設立年号を示すエンブレムが付いており、ルードヴィッヒが
   強化したことが分かる。
 ハイン門塔 HeinTorTurm 高さ15mの長方形の塔で、風化した木製の扉が
   付いていた。1689に最上階を失い1819に改装復元され、塔と二つの床で
   50人を収容でき、集まりに使用される。
 公爵塔 HerzogTurm 南 18C建、4階立ての四角塔。公爵によって建て
   られたため名前が付いた。水道会社が使用。
 カジノ塔 CasinoTurm 壁外南 3階建四角塔、カジノ会社があったので名前
   が付いた。かって掘削供給温泉があった。

4.見所  C

   旧市街地は戦災に会わず、面積は非常に狭い。それを古い市壁と門塔が取り
  巻いている。
 歴史的市庁舎 HistrischesRathaus 1750建、1800までは選帝侯事務所、
   1973までは町の管理棟、今は観光案内所、高い手摺の階段を上がって、
   歴史的な会議室へ行ける。
 聖ペテロとパウロ教会 St.Petero&PauroKirche 1772-75建、カソリック教会で
   ホールは弁髪様式、内には淡黄色の砂岩のバロック祭壇がある。
 新教教会 Ev.Kirche 1470建、当初3廊式アーチ型ホールは廃墟となり、1689に
   平らな天井のホールで建てられ、ルネッサンスの螺旋階段がある。
 ブッシュの館 Von Busch Hof 18Cウイーンノブッシュ大使の名前を付けた。石畳の
   中庭は1981に復元され、古い納屋で催物が開かれる。
 ゴットフリード・ヴェーバーの家 GottfriedWeberHaus 1779生まれの弁護士で音
   楽家の生家。

5.町の略図

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ガウ アルゲスハイム  Gau Algesheim  r26

写真

市庁舎 グラウル塔
食堂カステロ ラングガッセ
南西壁 南東壁

1.歴史

 766 ロルシュ修道院の農場贈与文書言及、 983 皇帝オットー2世はマインツ大司教に管轄権、
 1333 バイエルン王ルードヴィッヒは都市権を授与、1444 ディトリッヒ大司教は城を堀で強化、
 1480 町はマインツ選帝侯領へ、     1631 30年戦争で略奪と破壊、
 1666 疫病で人口は1/3の207人に、  1691 仏軍は町を焼き払った、
 1726 ロータークランク大司教は町をバロックで復興、1733-34 ポーランド承継戦争で仏軍占領、
 1792 仏革命軍の占領、1803 町は仏領に、1812 ナポレオンは馬・馬車・食物を調達、
 1816 ウイーン会議でヘッセン・ダルムシュタット大公国ラインラント州となった。
 1945 第2次大戦の空爆で5戸被害、1946 ラインラントプファルツ州へ。

2.市壁  0.19km 0.20 

   14cの市壁は、19cの初めに多くが取壊された。

3.塔  0門1塔

   1812-19に、門・塔が取壊され、唯一Graul Turmが残された。
 グラウル塔 Graul Turm (1332) 東、ゴシック3階建円錐屋根の円塔で、市壁の防衛塔であっ
   た。その後郡刑務所として使われた。

4.見所  C

   町は仏軍に焼かれ、1726からバロックで復旧されたため、古い木組の建物は少ない。
  ランゲン・ガッセには、2階建上階木組の建物が並んでいる。
 歴史的市庁舎 Historisches Rathaus (14c) 初めの建物は30年戦争でスエーデン軍に破壊さ
   れ、1690マインツ選帝侯が再建した。バロックと後期ゴシックのコアのある2階建の地階は、
  オープンマーケットと法廷である。正義と知恵の刻印がある。
 アルデック宮殿 Schloss Ardeck (1112) 南にマインツ選帝侯の事務所が水城モーゼスブルクとして建
   てられた。1412土地所有者の事務所も務めたが中世は廷史の居所であった。15c選
   帝侯シェンクが宮殿の拡張を行い、16cにも整備され、1803守衛部が破壊された。今は
   町が所有し、地階にラインヘッセン自動車博物館・上階に宴会場・屋根裏にクラブ室がある。
 カトリック教区教会聖コスマスとダミアン kath.Pfarr Kirche St.Cosnas und Damian (11c)1000以前
   に退避塔のある教会が建てられ、塔の地下室には1406の石文字とトンネル通路・マリエンコワヤが
   ある。1677コスマストダミアンに奉献された。1887-89ゴシック3廊の教会となった。塔の高さは
   63mで鐘が付けられた。
 聖ラウレンジ教会 St.LaurenziKirche (6c) ラウレンベルクにある巡礼教会で、6c後半から19c初め
   のアイルランド中央教会の基礎の上に、1707-17バロックの巡礼教会が建てられた。1905-06
   に今の外観に改装された。
 カトリック牧師館 Kath.Pfarramt (1719) 城跡にバロックのカトリック牧師館が、選帝侯ロータークランクによっ
   て建てられた。
 プロテスタント・グスタフ・アドルフ教会 Gustav Adolf Kirche (1927)学校通りに、アールヌーボーの福音教会
      が建てられた。

5.町の略図

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ガウ オルデルンハイム  Gau Odernheim r27

写真

旧市庁舎 同時教会聖ルーフス
南壁

1.歴史

 496 フランコニア王室の下に城が建てられた、    600-1187 村はメッツ司教が所有、
 9c 巡礼の地となった、            850 ブドウ栽培によるワイン生産、
 1282迄 ボランダンの領主が村を所有、1315 マインツ選帝侯が支配、1407 プファルツへ、
 1574迄 ハプスブルクのルドルフが所有、   1797迄 パラチュート時代にマルゼイ行政区に所属、
 1826-28 町は解体された、           1898 Gau Odernheimと改名、
 1938 ライン・ヘッセン州へ。

2.市壁  0.06km 0.05 

   旧市街地の南西の角に、市壁の跡が見られる。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   中心のマルクトに隣接するWoermser Str.には16-18cの美しい多くの木組の家が並
  んでいる。オーパーマルクトには市庁舎・教会・商店などの大きな建物が並んでいる。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1609) ルネッサンスの2階建上階木組の建物で、砂岩の入口の上
   には1614の木製箱出窓が付けられた。今はHaus Sturmdeder で、インテリア器具
   がある。
 市庁舎 Rathaus (1828-29) 校舎として2階建簡素な石膏の建物が建てられ、今は地
   元管理・評議会・博物館になっている。
 同時教会聖ルーフス Simultam Kirche Rufus (14-15c) ゴシックのシムルタン教会は3区分で構成
   された。ルネッサンスの大聖堂とバロックのオルガンは福音教会として使われた。1892壁で
   聖歌隊が仕切られ、バロックの本祭壇と1773ノミュートオルガンはカトリック共同体が所有した。
   高さ56mの塔は、1344ゴシックの塔は1799倒壊し、1833-36に建直された。
 カトリック・牧師館 Kath.Pfarrhaus (1759) 後期バロックのマンサード屋根の建物。
 カトリック・コミュニティセンター Kath.Gemeindehaus (18c) 旧農家で古典主義的な住居は今はカトリ
   ックのコミュニティセンターである。
 プロテスタント・会館 Ev.Gemeindehaus (1744) 元改革派学校校舎、バロック平屋石膏塗りの
   建物で、今はプロテスタントの会館。
 貴族リートの家 Haus der Herren von Ried (1567) 貴族リート家が16-18cに住んだ2階建
   後期バロックの堂々たる石膏の建物。
 旅館:王冠 Gasthaus Zur Krone (1697) 2階建上階木組の前面が美しい旅館で、20
   cまで客室があった。
 住家 Wohn haus (1700) 2階建の木組の家で正面の木組は美しい。
 ヴァッシェンハイマー邸 Wachenheimer Hof (1731) バロックの門のある荘厳な農場で中庭にも3
   階建の建物がある。
 邸宅 Hof Anlage (1620) L字型の2階建上階木組の建物で、アーチ屋根の地下室がある。
 オーデルンハイム城 Burg Odernheim (13c) 中世の堂々たる円形天守閣のある城跡である。

 

5.町の略図

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ゲミュンデン  Gemuenden (Wohra)  r28

写真

魔女塔
建物 市場
教会

1.歴史

 1223 初文書言及、   1253 町はツーゲンハイン公の所有で都市権を付与された、
 1450 侯爵の死後ヘッセン郡に落ちた、16c町は発展し市庁舎・学校・木管水道を建設、
 17-18c 30年戦争.7年戦争・疫病で人口1/3に、1714 方伯カールは新教の教会建設、
 19c ナポレオン・ヴェストファーレン王国の中心、1866ドイツ戦争でプロイセンの一部ヘッセン.ナッソーへ、
 1933-43 地方裁判所の設置。

2.市壁  0.005km 0.01 

   1253都市権を授与され、石造の高い市壁の建設が始められた。新しい強力な
  兵器の発達で、16cには市壁・門・塔の効力はなくなったが、徘徊する強盗や浮浪
  者を防いだ。東の市壁の殆どは1818の火事の後に壊された。町は火事で壊滅し
  た建物の再建の石材として市壁を処分した。魔女塔の取付部に市壁の残骸がある。

3.塔  0門1塔

 魔女塔 Hexen Turm (13c) 旧市壁には4殻塔が見張りに使われたが、
  今は北西に唯一魔女塔の石積部分が残されている。一時的には監獄であった。

4.見所  D

   多くの美しい木組の建物が残る小さな町。ヴェーバー路地には、両側に木組の
  建物が並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (1456) 2階建木組の大きな建物で、1823に同じ場所に元のまま1456
   の原型で彩色して復元された。この場所で1834から新設の教区委員会と市議会の
   審議が行われた。市庁舎には、消火作業に必要な機器が備えられ大広間では結婚
   式が行われた。1931からは毎年舞踏会が開催されている。一時的にはビールとワイン
   の飲屋があった。1821から毎木曜日に裁判が行われた。今は市長室と一部の行
   政部署が置かれている。
 プロテスタント教会共同体 Ev.Kirchen Gemeinde(1431-85) 15c市教会として建てられ、18
   03-06板張りが壊れ、身廊は石造に改修された。1483後期ゴシックのハレン教会は擬古主
   義の広間造りとなり、高さ52mの単角塔が付けられた。1886に内部は改装され19
   52-53再び1806の状況に回復された。1521には3祭壇が置かれた。
 旧改革派牧師館 Ehem.Reformiert Pfarrhaus (16c) 砂岩の基礎の上に装飾的な出窓の
   ある立派な3階建の木組の建物は、1589の大火事の後に建てられた。町でも最古の
   建物と言われ牧師館に213年間住んだ。1838迄初等学校を収容。
 石道25の家 Haus Steinweg25 (1500) この建物の側面は、町でも古い構造物であり、
   1500に3階建の木組の家が建てられ、1583の大火事は焼け残り、構造的には殆ど変
   わっていない。
 地方貴族の館 Junker Hof (1266) 石造の地階の上に3階建の木組の家が建てられ、いく
   つかの建物と広い土地の中央に、製粉所があり、1602今の形に成立した。18cに所
   有者も変わり、1827老朽化した館と60haの土地を市民が買って、醸造所のあるホテル
   に改造した。

5.町の略図

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ゲルメルスハイム  Germersheim   r29

写真

ルードヴィッヒ門 バイセンブルク門
ホフ門 フロンテバウアー要塞

1.歴史

 1090 皇帝コンラート2世はライン川の高い岸辺に城を建てた、 1276 王ルドルフは都市権を授与、
 1325 ルードヴィヒ4世はパラタイン伯に町を抵当に入れ、 1329 パラタイン伯ルドルフ2世は、町を領土へ、
 14c 官僚の執行する町へ、 1556 改革導入で修道院閉鎖、 17c 疾病と30年戦争で衰退、
 1674 仏蘭戦争で町は焼き払われた、    1697 選帝侯ヨハン・ヴィルムヘルムは再カトリック化した、
 1798 仏革命軍は占領後新要塞を建設、  1797-1814 仏に属しモントネール県の一部となった、
 1816 バイエルンに属し強力な要塞が建てられた、 1834-55 要塞外への住宅建設禁止で過密に、
 1921 ウェルサイユ条約で要塞は取壊し仏軍が占領、   1945 米軍が駐留して基地の町になった。

2.要塞  0.19km 0.02 

   この要塞は対仏の防御を固めるため、バイエルン王室が1834-55,トンネル部分は1816まで建設
  された。ベルサイユ条約で1920-22に防御部分は取壊された。多角形の要塞は市壁に加えて6の前面
  に分かれ、10の防御部はライン川右岸に南から北へ配置された。西側には3突出Werdeがあり、堀に
  囲まれて古風な要塞部分であった。 元々の兵舎は4と幹部兵舎3があり、防御機能を備えて
  北防御のフランシスカ-ナ兵舎もあった。その後非防御の兵舎3が建てられ、併せて7となった。
  いた。 防御兵舎は長さ220mで中央で225度曲がり、発砲線が異なるようにしていた。
  ゲルマースハイム要塞の残存部分は記念碑として保存されている。

3.門塔  3門0塔

 ヴァイセンブルガー門 Weissenburger Tor 南東の2階建門で、手前に堀を渡る橋
    がある。
   ルードヴィッヒ門 Ludwigs Tor 北の門で2階建の大きなレンガ造の建物に馬蹄形の通路
    が通っている。
 フロントビッカー門 FronteBeckers Tor 南西の市壁の中央部にある門塔で、矢型の防御
    施設・武器庫・堀がある。

4.見所  B

 

 旧市庁舎 Altes Rathaus () マルクト通の西にある2階建の小さな木組の建物。
 税務署 Amthaus (18c) 元地区事務所で細長いレンガ造の建物。
 町公会堂 Stadthaus (16c) 市内で最古の建物の一つで、1674に破壊され地方事
   務所の管理棟として1740に再建され、1792に役割を終え、1815から駐屯地指令所であった。
   1862には市庁舎になったがマルクト通の市庁舎と区別するためにStadthausと呼んだ。
 市と要塞の博物館 Stadt und Wehe Museum () 町の要塞や守備隊などの歴史と
   地元産業について展示している。
 ドイツ街道博物館 DeuschesSthrassen Museum (1989) 道路建設業者が設立し
   た道路の構造や建設工法について展示している。昔の馬車ローラー(1800)等がある。
 聖ヤコブ教会 St.Jakobus Kirche (1325-36) 城の礼拝堂は1280に言及され、
   1286-91ここにセルフテン修道院を設立した。3廊ゴシックの大聖堂は、1325-30に建てられた。
   1525改革で世俗化され、1556には放棄された。1563まではルター派、1577までは改
   革派が管理し、1680にカトリックが共用することになり、1793仏革命軍によってフランシスコ会
   修道院が再び設立され、今は教区の教会である。 教会は15cに大幅に拡張され、
   1480に塔も追加された。1674プハルツ承継戦争で破壊され、1682-97仏のルイ14世によっ
   て再建された。教会は1976-77に完全に修復された。
 和解教会 Versoehmungs Kirche (1772-84) 教会は1818にルター派と改革派教
   区が統合して、教会の役割を果たして来た。2009に登記上の一義として和解教会と
   いう名前を受け入れた。
 現存する要塞の部分
  ダムマイストレイ Ehem.Schlossiges Wachhaus 要塞の北東の川辺にある平屋の番屋。
  セイセル防御兵舎 Seyssel Difensions Kaserne 長さ282mのレンガ造の建物。今は
     大学が使っている。
  幹の防護兵舎 Stengel Difiensions Kaserne 西北のクロスター通りにある、長さ220
     mの2階建レンガ造の建物。
  堀バリアー Graben Sperr werk 東北の大きな堀に三角の突起がある。
  プロビアント Proviant amt 東の大きな折れ曲がった2階建の建物。
  病院・市内兵舎 Lazarett Stadt Kaserne Front Diezの東側の2階建の軍病院
     と兵舎。
  堀の遮断壁 Graben Sperr Mauer 東へ堀の向う側の遮断壁。
  フロンテラモッテ Fronte Lamotte 東南の先に先のとがった平屋の武器庫がある。
  拘留施設 Arrestgebaeude ブロック状の3階建寄棟屋根の建物。今はクラブ。
  カルノー壁 Carnot'sch Mauer 武器庫と二つの建物を繋ぐ市壁190m、アーチ状の
     高い壁で途中の建物で折れ曲がっている。
  武器庫 ZeugHaus 武器庫の大きな建物で、正面入り口から、今はドイツ街道
     博物館である。

5.町の略図

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グロス ヴィンターハイム  Gross Winternheim (Ingelheim am Rhein)  r30

写真

オーベントラウト館 ザルツタウドーム

1.歴史

  900 インゲルハイム皇帝の所有物で監視塔を建設、  1257 ライングレーヴヴェルスの所有地へ、
 1314-66 村はマインツ大司教が支配した、農場を買収した、   1375 プファルツ選帝侯が所有、
 15-16c 村には貴族の農場が多く定住した、        1666 ペスト流行で人口激減、
 18c シュパイヤー大司教の支部に移った、       18c 仏軍が包囲したが破壊は免れた、
 1816 ヘッセン大公国に属した、 1872 インゲルハイムに統合された。

2.市壁  0.02km (0.02) 

   14c2初めに市壁と堀で強化され、柱の残骸は今も存在し、旧市街の市壁は古い家屋に組
  込まれている。文化財リストには、Ertheker Str.26に高い周壁と堀がある。

3.塔  0門1塔

   かっては3門あったが、今は見当たらない。

4.見所  D

 聖ヨハネ福音伝道者教会 Kath.Kirch StJohannes Evangelist (1662) ルネッ
   サンスの前面・ロマネスクの塔・1764の後期バロックのホール教会。
 旧福音教区教会 Ehem.Ev.Pfaar Kirche (1740-47) バロックのホール教会で1888に
   廃止された。今は消防署となり屋根の上にはコウノトリの巣台がある。
 福音教区教会 Ev.Pfarr Kirche (1887-88) Selztal Domとも呼ばれ、ネオロマネスク
   のホール教会でゼルツ渓谷の上の村の郊外に建てられた。南の広間で身廊と翼廊が短く、
北側前面には丸い階段ついている。1969に絵画は修復された。
 中庭のある館 Hof O1772) 寄棟屋根のバロックの年号付きの家屋と納屋ががある。
 オーベルントラウトの館 Hof Kibentraht (1609) ルネッサンスの強力な階段切妻の建物で19c
   に改修された。
 ワイナリィ Weingut (16-19)元貴族の館、中庭のある16cノルネッサンスの建物で、16cの後半
   には階段切妻のある十分の一税倉庫であり、1861の厩舎もある。
   アルデルス館 Aldes Hof (16-19c) エルサル貴族の寄棟屋根の館、町でも古い構造物であり、
   紋章付きのルエッサンスのアーチ門と1574の建物がある。
 ワルブルンの館 Wallbrun Hof (1788) 城のような後期バロック寄棟マンサード屋根の建物。
 中庭のある館 Hof (1562-86) 風格のある館で、19cの地階石積上階木組で漆喰塗り
   の建物。納屋もある。

5.町の略図

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ハッヘンブルク  Hachenburg  r31

写真

市庁舎 ウエーバー通
マルクト

1.歴史

 1180 ヘンリー2世は城を使いザイン伯爵領を設立、   1212 ヘンリー3世は城を完成、
   町を郡行政の中心へ、1314 バイエルン王は都市権を授与、15c 城教会の建立、
 1654 火災で町の中心部は破壊された、  17c 伯爵は町と城をバロックで再構築、
 1756-63 7年戦争 1792-97 仏占領、 1799-1802 仏占領、
 1799 ヨハン伯爵の死後ザイン伯爵はナッソー・ヴァイルブルクの郡となった、
 1969 旧市街地はハッヘンブルク市に併合された。

2.市壁  0.02km 0.03 

   1292の市壁は、宮殿の北側にPoppen Turmと共にわずか残っている。17-18cの
  敵に市壁は対応できたが、1830に取壊された。

3.塔  0門1塔

 ポッペン塔 Poppen Turm (13c) 宮殿の北側に円塔がある。

4.見所  C

   旧市街地には歴史的な建物や古い木組の建物が中世的な風景を見せ、広大な宮
  殿も中世代官屋敷そのものである。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1692) バロック2階建寄棟屋根木組の建物で、今は観光案内所
   ・文化会館・市公文書館・市長室として使われている。17cの終わりに建てられた
   木組の建物で、古い丸天井の地下室がある。
 代官屋敷 VogtHofRathaus (1334) 飾りの多い木組の家で、後期中世風の代官屋敷で
   ある。領主の代理の役人として代官が、統治し裁いた。1439の火事の後に市場を
   設け、1626から19cまで市庁舎として使われ、1654の火事の後に今の姿になっ
   た。2011修復作業が行われ、市図書館・催物会場も収容した。
 カトリック・フランギスカーナ教会 Kath.Kirche Pranziskaner (1131) 14cカトリック礼拝堂17c旧フランシスコ
   会修道院の基礎の上にバロックのホール教会を建て、1729-39と1906-09に拡張された。
   
 旅館:王冠 Gasthaus Zur Krone (1461) ザイン伯爵はこの街に王宮を移し、アルター・マルクト
   の北側に3階建の石の家を取得した。この建物は美しいルネッサンス前面の切妻の建物で
   その後旅館となり、ドイツでも最古の石造の旅館である。
 プロテスタント・教区城教会 Ev.Pfsrr Schloss Kirche (1481) 後期ゴシックの内陣・南単角塔
   1775-76三廊の身廊に。
 木組の家 Fachwerk Haus
    Wohn und Geschaefthaus (19c) 新古典主義の3階建のレストラン。
    Wohn und Geschaefthaus (1700) 地階石積上階木組持出式3階建。
    Wohn und Geschaefthaus (16-18c) 地階石積上階木組3階建の家。
    Wohn und Geschaefthaus (16-18c) 風格のある3階建チューダー様式の家。

5.町の略図

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ヘエアースタイン  Herrstein  r32

写真

時計塔 市壁
グロッケン搭

1.歴史

 1279 ヘルシュタイン城は初言及された、    1428 町と市場の権利を与えられ市壁を築いた、
 1792 ナポレオン軍の占領後都市権は失われた、   1677 市壁は放棄され、町は周辺に拡張、
 1970 修復キャンペーンで古い木骨造の建物や市壁は部分的に更新された。

2.市壁  0.11km (0.28) 

  

   1428の市壁は、1677には放棄され、20c後半に一部再建された。市壁は城の西と東の角に
  接続して、半円形で中心部を囲んでいる。 文化財リストによれば、Schloss Weg3.5.6.10.13,
  Pfarr Gasse5.Uhrturm strasse3.4.6.8.13,に市壁は残存する。

3.門塔 1門3塔

 時計門 Uher Turm (1449) 南門として、3階建後期ゴシックの石門塔で高い寄棟
   屋根がある。
 ヘルシュタイン城の3隅塔 Burg Herrstein 3Turm (13c) 四隅の円塔の内3棟が残され
   ている。北の隅には、1958から福音派教会の鐘楼となったStumpfe turm、東の隅には16c
   から再設計されたSchinderhannes Turm、西の隅には、屋根の無い Dicker Turm がある。

4.見所  D

 市庁舎 Rathaus (1915) 旧市長室で高基礎と外階段のある2階建寄棟マンサード
   屋根の石膏の建物でバロック2階建寄棟屋根木組の建物で、建て直された。
 福音城教会 Ev.Schloss Kirche (13c) ゴシックとバロックの混在する単身廊の建物で
   13cからの内陣と南壁の東部、1416の5/8の聖歌隊、1437の拡張された身廊、1766の年号が西
   壁にある。
 ヘルシュタイン城 Burg Herrstein (13c) シュッポンハイム伯によって建てられ、周壁の一部を構
       成する4塔のある城壁があった。15cの教区教会以来の城礼拝堂に1742に建てられた。
 十分の一税納屋 Zhent Scheune (1526) 寄棟屋根の2階建石造の倉庫。今はガストハウス。
 木組の家 Fachwerk Haus
    Wohn (1478) 地階石積上階木骨造の2階建の住宅。
    Wohn (1547) 地階石積上階持出木骨造の2階建漆喰塗りの建物。
    Wohn (1595) 地階石積上階木組2階建の家で19cに改造。

5.町の略図

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イーダー・オバースタイン Ider-Oberstein  r33

写真

公会堂 旧マルクト学校
ドイツ宝石博物館 鉱物博物館

1.歴史

 1075 シュタインテで最初の騎士えを言及、     1197 シュタイン家はポッセルシュタイン城を建設、
 13c  オーバーシュタイン家の誕生、       1320  オーバーシュタイン家は オーバーシュタイン城を建設、
 1375 メノウなど宝石の採掘、       1497 領主は原石の輸出禁止で宝石産業を興す。
 1520 メノウ加工所建設、 1745 金細工職人の王室ギルド、 1766 ライニンゲンハイデスハイム家断絶、
 1791-93 仏革命軍が占領、 1815 ナポレオン敗北後プロイセンの属した、 1865 市の権利取得、
 1817 ウイーン会議でオルデンブルク公国へ。     1933 自治体統合でイーダー・オーパーシュタインへ、
 1983 駐屯地となった。

2.市壁  0.03km (0.01) 

   1400を中心にに構築された市壁の残りは、今でも見ることができ、建物の階段には
  旧市壁の名残がある。ハウプト通432.468.470.に残る建物は、旧市壁の上または正面に直接
  配置され、年代は15c前半から16cに遡る。また468.470.の建物は最古の木骨造の家とし
  て指定されている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

 

  マルクト広場の周囲には、古い木組みの建物が多く存在する。1809に市壁が取り壊され
   た後に、1854-55にマルクト周辺の12棟が取り壊されてマルクト広場は拡張された。
 市庁舎 Rathaus (1908-11) 元シラー学校に後方に中庭が開かれた壮大なバロック4階建
   の市庁舎が建てられた。
 プロテシタント教区教会 Ev.Pfarrkirche (1751) 元は聖ピーターとパウル教会として、十字
   型のホール教会であった。1894-95に延伸され、1955-56に改宗された。ロマネスクの西塔は1114
 とと古く
   1712にバロックのドームが付けられた。
 店舗 Geschaefts Haus (1856-57) 元校舎の3階建寄棟屋根の建物で、オルテンブルク
   後期の古典主義の建物。1900に三角形の切妻、1933バルコニィ付き玄関が付けられた。
 店舗 Geschaefts Haus (1888) 3階建の住居と店舗で、1922に前面は漆喰で改装
   された。
 オーパーシュタイン城 Schloss Oberstein (1330) ナーエの岩盤の上にオーパーシュタインの領主は
   城を建て、15cには栄えたが1855に全焼した。1980に城教会よって部分的に再建された。
   屋根付きのテラスのある中庭からの眺望は素晴らしい。
 ボッセルシュタイン城 Schloss Bosselstein (1150) 1600まではシュタインの領主が住んで居
   その廃棄され、今では1つの塔の切株といくつかの外壁が残っているだけです。
   オーパーシュタイン城からは徒歩4分の位置にある。
 フエルゼン教会 Felsen kirche (1482-84) 岩の洞窟の中に組込まれた後期ゴシックの教
     会で、1742に後期ゴシックの丸天井を改修、1742搭屋根の改修、1858大改修が行われた。
   14cの祭壇画がある。
   宮殿塔の遺跡がある。1687パラティン戦争で城は破壊され、スポンハイム家は終わった。
   1990-93城と城壁は改修され、1999一番目の建物が、2005に番目の建物が再
   建された。2007地域の歴史の家が設立された。
 ドイツ宝石博物館 Deutsche Edelstein Musum (1894) 代表的なネオルネッサンスの2-3階
   の別館に宝石が飾られている。
 ドイツ鉱物博物館 Deutsches Mineralien Museum () ウイルヘルム様式の建物に宝石と鉱
   物のコレクション4フロア24室に展示している。世界最小のカメオ.歴史的なダイヤモンドのレプリカ.ジュエリー
   製品.デポン期の三葉虫などに展示がある。
 ハーシュタイン博物館 Herrstein Museum () 地質学上の初期からの地域の歴史の展示が
   あり、宝石産業.市の権利.1868の自転車、精錬所なども説明している。
 住居 Wohnhaus (15c後半) 3階建の柱のない木骨造の建物で、旧市壁の上に立っ
   ている。

5.町の略図

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カイザースラウテルン    Kaiserslautern   r34 

写真

市庁舎 市壁
市壁

1.歴史

 1186 皇帝フレデリック1世は滞在てた、  1322 バイエルンのルードヴィッヒはボヘミヤ王に就任、
 1357 町は皇帝から選帝侯ルプレヒット2世に譲渡、   1571 ヨハン・カシミールは城を建てた、
 17c 30年戦争、1688承継戦争、1703スペイン承継戦争で占領された、
 1801 ナポレオン戦争後に仏準州の所在地として支配された、 1816 ウイーン会議後にバイエルンに、
 1930 まで仏占領下に置かれた、    1944-45 空爆で大部分が破壊、米軍が占領。

2.市壁  0.11km 0.05 

   1295-1330の市壁は、部分的に残る。 Allee-St.10m、Matzen-Str.10m、
   Schmiedeturm.10m、Fackel-Str.10m、Gau-Str.10m、GruenerGraben.10m、
   Kloster-Str.5m、Ludwig-Str.10m、Stein-Str.5m、Willy-Braand-Platz.10m。
   文化財として残されている部分は、砂岩の切石で造られている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

 聖マーチン教区教会 Kath.pfarrkirche St.Martin (1300) ゴ゙シック2通路のホール教会。
   砂岩切石造で1629バロックの屋根に階段塔が付けられた。
 聖マリエン教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Marien (1887-92) ネオゴシックの砂岩方石積
   3身廊で、ステンドグラスの窓がある。かっての修道院からの樽型の地下室を有し、西正面に18cの砂岩彫刻
   がある。
 福音教会 Ev.Kirche (1250) 旧聖マルチン・マリア教会であり、風格のある砂岩ブロック構造で塔が
   乱立する。初期ゴシックの内陣に18cの塔が追加された。16cの西塔1818の北ポーチが追加された。
 旧王立税関庁 Ehem.Koeniigliches Zollamt (1897) 今は財務局で、3階建て寄棟屋根
   の砂岩切り石造の大きな建物。
 バイエルン王立第23歩兵連隊兵舎 Kaserne des Koenniglich Bayerischen23 (1913-14)
洗練された兵舎で、1937に拡張された。高いドーム屋根に時計塔のある城のような3棟の建物。
 元ヴォルスト羊毛紡績工場 Ehem.Kasmngarnspinnerei (1860) ネオルネッサンスの旧発電所。レンガ
   造のボイラーハウス・L型管理棟があり、今は、市の文化センターと大学の一部として使われている。
 穀物会館 Furcht Hall (1843-46) フレンテェの貴族の宮殿で、ロマネスク3階建て紋章や彫刻の付い
   た大きな建物。
 プハルツ美術館 Museum Pfalzgalerie (1875) 旧プファルツ商業博物館で、ルネッサンス大理石造の
   建物で、1915に3階建に増築された。
 ゲストハウス「紬車」 Gasutohaus Zum Spinnrsedl (18c初) 部分的に木組みの2-3階建ての
   宿屋。
 ヴァガッサー館 Wadgasser Hof (13c) ヴァガッサー僧院の館で、13cの二つの樽型地下室がある。
   15cの壁画があり、16c.1733.19cに木組みで拡張された。

5.町の略図

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カステルアウン    Kastellaun   r35

写真

パイドリッヒ家 コルデックの家

1.歴史

 1226 スポンヘイム伯爵は城を建てた、  1301 スポンハイムのサイモン2世が城に住んだ、
 1305 皇帝ヘンリー7世は町に地位を付与、   1309 トリアー大司教は市場権を授与、
 1340 スポンハイムのガルラムは居所をクロイツナッハへ移した、  1560 ツバイブリュッケンが支配、
 1594 バーデン辺境伯はこの町の城に避難、 1618-48 30年戦争と疫病で人口減、
 1687 仏軍の占領でスポンハイムの支配終了、    1689 仏軍による町と城の破壊、
 1794 仏革命軍が征服し仏領となった、  1815 ウイーン会議でプロイセン公国ライン県へ、
 1884 町は市壁を改修した、   1946 町は新設のラインラントプファルツ州に含まれた、
 1969 再び都市権を受け1990-93城と壁が修復された。

2.市壁  0.06km 0.08 

   丘の上の城壁が260mあり、その城壁から東に向かって、斜面に60mの市壁が
  残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   丘の上の城の北東側に、小さな旧市街地があり、市庁舎を中心に17-18cの街
  並がある。
 市庁舎 Rathaus ()
 プロテシタント教区教会 Ev.Pfarrkirche (1318-58) 町で最古の建物は1689のパラティン戦争
   に生き残り、領主スポンハイム家の埋葬教会としてシモン2世と妻と息子の彫刻墓碑が
   ある。
 カトリック教区教会聖十字架 Kath.PfarrKirche St.Kreuz (1899) ネオゴシックの3廊大聖堂で
   丘の中腹にある。
 カステラウン城 Burg Kastellaun (13c) 町の南西にある高さ20mの丘の上に建てられ、堀
   によって守られた。13cゴシックの建物と天守閣の胴体部分がある。14c初め領主
   スポンハイムの数十年の邸宅となり、礼拝堂と広間が建てられた。16cの旧住宅棟と
   宮殿塔の遺跡がある。1687パラティン戦争で城は破壊され、スポンハイム家は終わった。
   1990-93城と城壁は改修され、1999一番目の建物が、2005に番目の建物が再
   建された。2007地域の歴史の家が設立された。
 歴史博物館 Haus Mmaull (1755) マルクト広場の東端に、2階建切妻屋根の建物が建て
   られ、樅ノ木で補強された。1850外科医の風格のある建物となり、その後相続
   者が使った。最後の所有者Rolf Maullは1976に死亡し、市が取得し改修して、
   2015都市歴史博物館が開館した。
 住居と商店 Wohn und Geschaefthaus (1780) トウルン・タクシスの郵便駅舎。
 住居と商店 Wohn und Geschaefthaus (1820) ユーゲントシュティールのコルディックの家で、今
   は観光案内所。
 住居と商店 Wohn und Geschaefthaus (1723) 砥石販売の店。
 住居と商店 Wohn und Geschaefthaus (1689) 旧宿屋:白鳥。
 住居 Wohnhaus (1689) ケルト研究者ハインリッヒ・ツイマーの生家。
 住居 Wohnhaus (1708) 教会歴史家フリードリッヒ・バックの家。
 学校 Gehaichnis (1485) 旧カトリック国民学校。
 住居 Wohnhaus (1300) 旧カトリック牧師館。
 バーデン醸造所 Badische Kellerey (1670) 旧バーデン醸造所の倉庫、今は美術館:農家。
 司教館 Sponheimer Amtshaus (1691) 今はカトリックの司教館。

5.町の略図

"

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カウプ  Kaub am Rhein  r36

写真

市庁舎 太い塔
マインツ塔 関税記録事務所
聖ニコラス教会

1.歴史

  983 マインツ大司教文書にオットー2世の贈物、 1257 この町でラインの関税徴取、
 1275 防衛通路付市壁で囲む、1277 フイリップ2世はプファルツ伯に城・町・関税権を売却、
 1326-37 川中にプファルツシュタインベルク城を建て、町は関税徴税事務所に、
 15c バイエルン王ルードヴィッヒは都市権を授与し、市場とパン屋の地区も市壁で囲んだ、
 1485-87 南に位置する税関地区の守り強化、1504ヘッセン伯は城を包囲したが奪取失敗、
 1618-48 30年戦争で多数回略奪とペスト、 1663 プファルツは庁舎など大建築物の復興、
 1803 カルブ公国の終了、1804 ナッソー家の領土に、1806 ナッソー公国となりプロイセンに併合、
 1846.48.1910 火災で古い建物は焼失、  1876 大洪水と大地滑り。

2.市壁  0.15km 0.03 

   13-14cに旧市庁舎とマインツ門塔の間の小さな通路が保存されアーケードで覆われ
  た市壁の通路はまだ通れる。この通路には17-18c住宅建設が行われた。
   DickerTurmの所に昔の粘板岩採掘に坑口があり、壁で囲まれている。

3.塔  1門4塔

 マインツ門 Mainz Tor Turm (1275) 中心部は13cのままで数回改修されている。
   木骨造小塔冠付きの四角塔で、今はホテルのレストランとして使われている。
 泥棒塔 Diebs Turm (1485-87) どっしりした4階建ての円塔に十角屋根が付い
   ている。付近に、石屋と船の入る木組みの建物がある。
 教会塔 St.Trinitatis Kirche 聖トリニティ教会角の白色四角塔で、5階建の高さ
   に4角錐屋根が付いている。一時観測塔としても使われた。
 税関書記塔 Zoll Schreiberei Turm 3階建ての四角塔で中庭に立ち屋根はない。
   建物の前面には守りのための入口塔と3階建ての六角塔がある。
 水位計塔 Pegel Turm 白色の4階建て円形塔に尖塔が付いており、側面には
   過去の洪水位の表示板がある。

4.見所  C

   ライン川の右岸に位置し中島に城を設けて関税を取った。見所は上流側にある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (15c) 木組みの上階は30年戦争で全焼したが、
   1655-63に元の建物が復元された。
 グーテンフェルス城 Burg Gutenfels (13c) 1277フイリップ2世はプファルツ伯ルードヴィッヒに
   城を売却した。1504ヘッセン方伯は城を39日間包囲したが奪取に失敗した。
   2006までホテルとして使用された。
 三位一体教会 Dreifaltigkeits Kirche (12c) この教会と高さ27mの塔は市壁の
   一部であった。1440に身廊が再建された。1560から新教教会として使われ、
   1772聖ニコラスのカトリック教会として後期ロココ様式の改修を行った。
 税関署 Zoll Haus (1813-14) 木組みの2階建て小塔付の建物。
 税関書記所 Zoll Schreibeberei (1552) 旧市街に建てられ、1801までプファルツ州
   の事務室であり、その後個人所有となった。1485から伯爵の紋章が壁に在る。
 ブリュハー博物館 Bluecher Museum (18c) 1764からワイン商人が住んだ。

5.町の略図

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キルヒべルク  Kirchberg(Hunsrueck)  r37

写真

市庁舎 マルクト広場
聖ミカエル教会 郷土博物館
給水塔 西南壁
西壁

1.歴史

 7c ローマの木造教会を受け取り新集落を、 995 ベゼリン伯爵が王の財産を管理、
 12c 分割で町はスポンハイム伯爵に落ちた、 12c スポンハイム家と相続人が町を振興、
 1259 都市権を授与し堀と土堤のある市壁を築く、13c 町に郡の事務所を設置、
 1437 スポンハイム家の断絶でプファルツ選帝侯に移った、1689 仏軍は町と要塞を破壊、
 1708 分割でキルヒハイム・バーデン選帝侯が所有、1898-1814 仏占領下でカントンが管轄、
 1816 プロイセン王国に属した、    1940 新設のラインラントプファルツ州に含まれた。

2.市壁  0.13km 0.17 

   13c後半に既に市壁は町を取巻いていた。1633スエーデン軍に壊されたが17c後半
  には再建された。1689更に壊され次第に弱体化し、1737にはいくつかの部分で
  取り崩され、石材は新しい建物に使われた。今は北西に2カ所、東に1カ所残る。

3.塔  0門1塔

 配水塔 Wasser Turm (1899) 町の南西に配水塔は建てられ、1900に水道の全施設
   を構築した。配水塔は高さ36m容量は120m3であった。2000に上水道は新設
   され配水塔は不要となり、町の水力発電所に使われている。

4.見所  C

   小さい町であるが、立派なマルクトと歴史的な建物が見所である。
 市庁舎 Rathaus (17c) 地階石造上階木組3階建のマンサード屋根の建物で、1746に再
   建され、1983に前面を改装した。隣には1698地階石造上階木組切妻の建物は
   Haus Weberであり、今は観光案内所として使われている。
 カトリック聖ミカエル教会 Kath.Kirche St.Michael (700) 初めの建物は後陣のある小さなる
   広間教会であった。2番目は850年2倍の大きさで建てられ、入口に洗礼所とギ
   ャラリィがあった。3番目1250半円形の後陣の3廊の大聖堂となった。現在の塔は、
   1200に建てられその後増築された。今の建物は1466-85に古い基礎の上に2倍
   の規模のゴシックホール教会が建てられた。1688同時教会としてミカエル教会が使用許可
   された。
 プロテスタント自由教会 Ev.Kirche Friedens (1965) 1km東に、コミュニティセンターと共に建てら
   れた。基礎石はミカエル教会の入口の壁から取られた。また、ミカエル教会の地下室の
   ローマの石で構成された洗礼盤がカトリック教会から贈られた。
 カトリック牧師館 Kath.Pfarrhaus (1765) バーデン辺境伯の旧領主の推進した修道院とし
   て建てられ、修道の内装として聖像と歴史的絵画が残されている。
 旧税関 Alte Zoll (18c) バーデン内膳事務所の古い税関で、平屋の小さな小屋。
 アイッヒ宮殿 Burg Haus von Eich (1578) 元貴族アイヒ家の3階建の宮殿で、階段塔があ
   る。
 白鳥薬局 Schwanen Apotheke (17c) 17cの典型的な木骨造の薬局で、1752にバー
   デン辺境伯の特権が付与された。この地方で最古の地階石造上階木組の薬局で、
   隣には2階建のガストハウス:JagerHofが1930に建てられ、今は薬局である。
 地方史博物館 Heimat Museum (1732) 2階建の木組の家で、郷土博物館。アルター・マルクト
   の北側に3階建の石の家を取得した。この建物は美しいルネッサンス前面の切妻の建物
   で、その後旅館となり、ドイツでも最古の石造の旅館である。
 バーデン林業事務所・地方治安警察 Badische Forsterei und Gendarmerei (1735) 2
   階建の建物は1904に改修された。

5.町の略図

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キルヒハイム ボーランデン  Kirchheim Bolanden  r38

写真

上門 上門外
下門 火薬塔
灰色塔 赤塔
西壁

1.歴史

 774 キルヒハイムは初言及ボランデンが領主に、1368スポンハイム・ボランデンの居所の町に、
 15c フイリップ1世はナッソー家の終わりまで町を所有、1737 ナッソー家のアウグストは転入、
 1755 ナッソー家クリスチャンは歩兵連隊駐在、 1792 仏革命軍が占領し1797仏へ併合、
 1793 ナッソー家ヴィルヘルムは仏革命でバイロイトへ、 1798-1914 仏領の中心的な町に、
 1815 ウイーン会議でバイエルン公国へ、 1818 バイエルン・ライン地区の主要な町、
 1849 プファルツ蜂起後にプロイセンへ、1900 郡庁の町へ。

2.市壁  0.60km 0.70 

  1368建設が始まった直後に,上流のツインガーと堀を付加した。1431から北部郊
  外に周壁を建設した。1740-77に大部分が壊された。1971と77-78にGrauerTurm
  とAmWehrgangの間の西と南の広大な部分が高さ8mで修復・再建された。

3.塔  2門6塔

 上門 Oberes TorTurm (15c) StadthausTurmとも呼ばれドームとランタンの付
   いた4階建石膏塗りの角塔でゴシックのコアにバロック塗装があるアーチ門。一時刑務所。
 下門 Unter TorTurm (15c) VorstadtTurmとも呼ばれ、小さなバロックの
   ドームとランタンの付いた5階建の石膏仕上げの角塔でゴシックのコアにバロックの塗装が
   あるアーチ門。かっては、250m前にあった堀に跳ね橋の前門で正門を守った。
 赤塔 Roter Turm (15c) 南西通路アーチが片側に付いた中世の壁塔で、3階
   建六角屋根の円塔。一時殆ど壊され通路が広げられたが、18cには塔は復元さ
   れた。
 グレイ塔 Grauer Turm (15c) 西側市壁の中央にある3階建長方形のレンガ造
   の塔で、一時は旅館であった。塔に上ると展望がよい。木製屋根がある城壁
   通路を復元したので壁に上に上れる。
 監獄塔 Gefaengnis Turm (15c)西北の2階建の大きな円塔で窓がなく、
   この切株は監獄として使われた。死刑執行人が住んでいた。
 望楼 Wart Turm (1431) 西南の外れに立つ、旧見張り塔で切石造の胸壁
   付4階建の円塔。
 火薬塔 Pulver Turm (1899) 町の北西の角にある市壁の旧防御塔。

4.見所  C

  南向きの斜面に、16-19cの建物で構成され、主に18cバロックの建物が占める。
 旧市庁舎 Stadt Haus (1551) 建物には1551の銘板がある。19c初に3階建
   の建物が建てられた。
 聖パウル教会 St.Pauls Kirche (1739) プロテスタントの市教区教会は塔のない
   寄棟屋根造りの建物で、側面に建て増しされた。1745オルガンが行けられた。
 聖ピーター教会 St.Piter Kirche (12c) 12-17cプロテスタントの教区教会で、
   ロマネスクの内陣があり、コアはゴシックである。1932に塔上層階とヘルメットを付けた。
 旧カトリック牧師館 Ehem.Kath.Pfarrhaus (1753) 後期バロックの部分的に木造
゙    の漆喰塗。
 プロテスタント牧師館 Ev.Pfarrhaus (18c) 元プロテスタント長老の脇宮殿、1800か
   ら執事家が住んだ2階建部分木組の家。
 旧鋳造所 Ehem.Muenze (18c) バロック4翼複合建物で上階木組の漆喰仕上。
 白鳥薬局 Schwanen Apotheka (1725) 元王室薬局で1823から白鳥薬局と
   なった。堂々としたバロック石膏仕上の建物で、部分的に木骨が露出している。
 元役所 Ehem.Anthaus (16c) 2階部分に出窓が張り出した建物。
 元郵便局 Ehem.Posthalterei (1816) 古典的な石膏の建物。
 旧裁判所 Ehem.Amtsgericht (16c) 16-19cに裁判所二つの中核は後期
   バロックの部分的に木組の建物で、1830に古典主義に変更された。
   キャバリア邸 Kavaliers Haus (1777) マンサード屋根7軸ロココの建物。
 地獄の家 Hoellringlich (16c) ハンサムな3棟の不規則屋根建物で、1600延
   長され、1830円形階段塔、1981-82後部は部分的に木骨造となった。
 住宅 Wohnhaus (1600) 荘厳な2階建の建物で、18c前半に上階木組を更新
   した。元鍛冶屋の建物。
 旅館 Gasthaus Zum Donnersberg (1780) 後期バロックの2階建の旅館。
 住宅と商店 Wohnhaus und Geshuefthaus(1717)2階建上階木組の大き
   な角張ったバロックの建物。

5.町の略図

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クロスターシュタット ホルンバッハ  Klosterstsdt Hornbach  r39

写真

市庁舎
  

1.歴史

  741 聖ピルミンはホーンバッハに修道院を設立、 753 聖ピルミンはこの修道院に埋葬、
 8c 多くの巡礼者で長さ72m5塔の大聖堂へ、   865 聖遺物受領でさらに繁栄、
 1087 皇帝はシュパイヤー司教に支援指示、1230 皇帝ハインリッヒ5世は修道院に都市権授与、
 1237 市壁の建設、1352 ザールブリュッケン選帝侯と紛争 、1352 皇帝は都市権確認、
 1548 世俗化で修道院には修道士3人に、1559 ザールブリュッケン公は学校・高校・大学設置
 17-18c 30年戦戦争と仏戦で大被害、 1786-1931修道院はカトリック教会へ、

2.市壁  0.55km 0.95 

  1237の市壁は、上下2門と5塔ツインガー壁70mと修道院壁80mがある。全周の殆どの区
  間で巣壁は残されている。

3.塔  2門0塔

 旧上市門 Ehem.Oberes Stadt Tor (14c) 旧市街地の南側最高地点に上門
   がある。1785歩行者用門と新古典派アーチに置換えられた。戦後歩行者用門は除去さ
   アーチのみが残された。
   修道院門 Kloster Tor (13c) 下門から入って直ぐの修道院の壁に、修道院
   の中庭に入るアーチ門がある。

4.見所  B

   8cからの高名な修道院を中心に発展した町で、市壁の中には様々な時代の建て
   が含まれている。
 市庁舎 Rathaus (1580) ルネッサンスの入口の上に鐘楼のある2階建の建物は旧市民
   教会であった。1580収穫物市場として建てられ、1631改革派教会に変換し、1786-
   1931はカトリック教区教会、1948から町役場で、市議会は別の建物で行われている。
 旧市庁舎 Ehem.Rathaus (14c) 3階建赤く塗られた石造の建物で、上門の場所
   にある。
 プロテスタント修道院教会 Ev.KlosterKirche (1785-86)広間造りのプロテスタントの修道
   院教会で、塔が1844に付けられ、旧ロマネスク大聖堂に1895-96の牧師館を含め、全体の
   修道院の複合体である。
   ミカエル礼拝堂 Michael Kapelle (12c)外側の輪郭と東の壁の内側に12cの3後陣
   がある。二次大戦前は、農民の納屋で地下室があった。
 聖ファビアン施設 St.FabianStift(865) ファビアスの遺跡が古くからあり、1149には
   教会が存在した。1540王家の学校教会となった。今の教会は両宗派によって復元献
   堂された。
 スパイサー城 Steisser Hof Burg(12-13c) ツバイブリュッケンの城は南市壁に統合されて
   いる。
 モルンバッハ修道院 Kloster Mornbach (11c) 旧修道院の教会で、4つの身廊のアーケー
   ドの下部・回廊の一部・旧ベネディクト会修道院の更新で後期ゴシックの遺跡。
 学校の建物 Schulgebaeude (12c) 3階建の大きな建物。

5.町の略図

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コブレンツ  Koblenz  r40

写真

北東壁 聖イエズス教会
聖カストア教会 聖母教会

1.歴史

 1C ローマは要塞都市をここに建てた、     5C ローマ軍の撤退でフランク王国に、
  843 ヴェルダン条約でフランク王国分割、    1018 トーリア大司教に市場権を付与、
 1276-89 市壁の拡大、       1786 トーリア選帝侯の常住都市となった、
 1798 仏支配の中心都市、              1815 プロイセンに帰属、
 1890 戦争技術の発展で不要の要塞撤去、 19C 市壁を殆ど壊して定住圏拡大、
 1945 2次大戦の爆撃で町の87%壊滅。

2.市壁  0.08km 0.05 

   ローマ軍の駐屯地が在ったところへ中世の城が築かれ、後年拡張されてトーリア
  選帝侯の城館となった。聖母教会を中心とする旧市街地は、1276-89に拡張
  しイエズス教会は市内に入った。今も北東角の聖カストール司教座教会の北側に市
  壁らしき壁が残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  B

   AlteBurgStadtの北西に始まり、町は東に広がった。それそれの時代を象徴
  する建物が残っている。
 古い城 AlteBurg Balduin橋のすぐ下流右岸にローマ円形塔の上にロモアネスクの住宅を
   1185に建てた。1277に古い城を旧市街地に建て、1806に建物の中の住宅を
   に錫製品の工場を移転、1877に市に売却された。2次大戦の被害後に1962に
   今の姿に復元された。
 イエズス会広場 JesuitenPlatz 今のイエズス会の教会は1613-17に建てられ、ゴシックと
   ルネッサンスのポータルのバラ窓が見られる。1694-1701建のイエズス会学校は1895以降
   町役場として使われた。広場は学校の中庭であった。
 聖カストール教会 BasilikaSt.Kastor 817建、トーリア大司教は教会建設を始め今の建物は
   主として12Cに造られた。
 フローリン教会 FlorinsKirche 1100建、二つの塔を持つロマネスクの身廊を建設し、1350
   にゴシックの祭壇を置いた。1467に二つの塔の門を建て、1794仏軍の占領で
   物置となった。1820に新教の教会になった。
 聖母教会 LiebfrauenKirche 13C建、ロマネスクの建物に、15Cゴシックの内陣を付け加え、
   17Cにバロックの鐘楼が付けられた。旧市街地の中心にある。
 ドイチェ・エック DeutschesEck ラインとモーゼルの合流点に107段の台上に皇帝ヴィルヘルム1世の
   騎馬像があり、対岸のエーベンシュタイン要塞が眺められる。
 中部ライン博物館 MittelRheinMuseum 旧百貨店に中部ラインの歴史や文化.絵画を展示。

5.町の略図

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キルブルク  Kyllburg  r41

写真

旧選帝侯会計局 シュティフト通
城天守 参事会教会

1.歴史

 1239 トリアー大司教は司教区北国境に城構築、 1256 トリアー大司教は城・町を囲った、
 1789 仏革命軍の侵攻、1797 皇帝フランク2世は左岸を仏領に、1798 ザールに属した、
 1956 ラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.27km 0.30 

   13cに城と集落の周壁が築かれ、部分的に市壁が残っている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   大きく蛇行するキル川に挟まれた山頂に旧大学と教区教会があり、18-19c山頂
  向かう道路の両側に商業施設と住居の集落がある。山の中の静かな町。
 市庁舎 Rathaus (20c) 町の北西側の外にある、近代的な2階建の建物。
 キルブルク城 Burg Kyllburg (1239) トーリア―大司教ディートリッヒは城を築いた。今は天守閣
   と東の見張り小屋が残っている。
 フライハイト教団 Stifts Freiheit (1279) 城の南の台地の上は教団の管理地で、ここに
   元聖マリア大学の施設・教区教会・管理棟がある。
 旧聖マリエン大学 Ehem.St.Marien Uni (13-14c)1296-1353にゴシックの教会は完成した。
   西と東の内陣は漆喰仕上、14c2階建の延伸、16c塔の鐘楼、1534硝子窓とオル
   ガン。今は教育と余暇の本部である。
 教団教会 Stiftskirche (1900) ネオルネッサンスの建物で1930に拡張と変換。

5.町の略図

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ラーンシュタイン  Lahnstein   r42

写真

旧市庁舎 魔女塔
火薬塔 クルース塔
北東壁 北西壁

  369 ラーン川口にローマ軍の砦建設、      950 ヨハネ教会の建設、
 1018 トーリア大司教がローマ砦を支配、      1220 銀鉱山の開発、
 1256 トーリア大司教が町の管轄権を取得、 1298 国境の税関城の建設、
 1324 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは自治権を与え要塞を建設、1332町に憲章授与、
 1381-90 貨幣ラーンスタイナーの鋳造、   1408.36.39.57 選帝侯会議の開催、
 1462 コブレンツ・トリアーが町を攻撃、    1463-75 マインツ大司教が町に常駐、
 1542 ペストの流行、     1632-46 30年戦争で数回占領され町は衰退、
 1688 仏軍によるラーンエックの破壊、    1744 仏軍による町の破壊、
 1795-1800 墺.プロセン.ロシア.仏軍による占領、1803 ナッソー公国になる、
 1866 プロイセン公国へ併合、       1918-29 仏軍による占領、
 1944-45 5回の空爆で町はほぼ破壊、4月米軍・7月仏軍の占領。

2.市壁  0.35km 0.27 

   16の塔と1.28kmの市壁でほぼ長方形に囲み、高さ8mの市壁には屋根付通路と
  前面の堀があり、ツインガー部は低い壁であった。OberLahnstein駅の東に、
  市壁350mが残っている。

3.塔  1門5塔

  昔は跳ね橋と前門の在る6市門と16塔があったが、1門5塔しか残っていない。
 クラース門 Klhrs Tor (14c) 胸壁・タレット・階段のある粗石積の四角い塔で、唯一残っ
   た市門である。1882.1988の洪水位の印がある。1862鉄道の敷設時には市
   壁203mがライン川堤防上にあった。
 マーチン塔 Marthins Turm (1298) マーチン宮殿に在る高さ28mの古い塔は、旧市壁の塔
   であった。
 火薬塔 Pulver Turm (1411) 高さ26mの王冠付の円塔で西市壁に立つ。塔の入口
   は高い市壁の胸壁の上に梯子を掛けて入ることができた。塔の内側には十字
   架とマインツ大司教の砂岩のレリーフある。現在は個人所有でラーンシュタイン・ビール醸造所
   が使っている。
 魔女塔 Hexen Turm (1324) 旧市街の北東の角に高さ26m石積塔で、長さ97mの市
   壁で囲まれている。地階は町の刑務所として使われ、螺旋階段で2階の陪審
   員室に登れる。船乗組員の旧詰所は、今は市の行政と結婚式のために使われ、
   塔には古代.ローマからの町の歴史・遺物・紋章・古文書のある市博物館がある。

4.見所  C

   ライン川の右岸でラーン川の合流点の下流側にあるまちで、崖の上の城の下の平地に
  狭い旧市街あり、市壁や古い木組みの建物が多く残されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (15c) 地階のゴシック石造のホールにライン地方の木組の1-2階
   を乗せている。内部には中世とバロックのスコッタ絵の天井画維持されている。
   前面には古い火事に遭った鐘を飾ったバラックの尖塔がある。展示ホールでは
   絵画や王ヴァツラーフの遺物がある。
 ラーンエック城 Burg Lahneck (1245) マイン大司教の後期シュタウヘンの城はラーン川の河口を守
   るため山頂に築かれた。城は長方形の塔のある城壁で囲まれ、中に聖ウルッヒ
   専用礼拝堂がある。30年戦争でスエーデン軍と仏軍によって1689に破壊され、
   1774にはゲーテが廃墟に立った。1852-1937民間の手によってゴシックで再建さ
   れレストランとして使われている。
 ザール館 Salhof (937) 地階はアーチ広間の2階建ての建物で、市壁に囲まれたザールホフ
   広場に立つ、現在の建物の最古の部分は1150-70に造られ、1688拡張され
   バロックに変えられた。1969改装されて市の催物会場として使われ、壁に挿
   入されたタンバンのレリーフと12cからの石灰岩のレリーフがある。
 マーチン宮殿 Marthins Schloss (1298) マインツ大司教・選帝侯の宮殿は、14c北翼には
   胸壁と日付のある門壁があり、1498南翼が建てられた。聖バーソロミュー城教会は
   最初の新教教会である。今は、個人所有で南小塔のある4階建の角塔で、古い
   衣装や450のメタルが見られる。
 家の壁 Haeuser Msuer (1700) HinterMauer Gasseに、市壁に張り付いた2階建の
   建物と市壁上の部屋がある。住居として使われ1900年代には夫婦と8人の子供
   が住んでいた。その後夜警のための宿泊所を務め、今は市博物館と成っている。
 聖マーチン教会 St.Martinus Kirche (1190) 教会の最古の部分は、1190古代のバジリカ
   に属し、1332塔に隣接する後期ロマネスク内陣とゴシックの内陣は建てられ、1775-77
   2つの交差ヴォールト・身廊・ホールはバロックで建てられ、1896-99横の聖歌隊は追加さ
   れた。1742オルガンが付けられ、鐘楼では136t総重量の鐘が鳴る。

5.町の略図

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ランダウ  Landau in der Pfalz  r43

写真

新市庁舎 旧市百貨店

1.歴史

 1260 公爵エミッヒ4世は町創設し城を築く、1274 ハプスブルク都市権を授与し要塞化、
 1291 王は帝国都市とした、       1324 シュパイヤー司教の支援。
 1521 アルザス十都市同盟に参加、壁補強   1645 30年戦争と火災で人口6割に、
 1680 独領地の中の仏の飛び地、     1688-91 仏は近代的星型要塞を構築、
 1702 大規模土塁を築き星形要塞拡張、  1815 バイエルンの要塞となる、
 1816 八角形壁と堀に水を満たして守る、 1871 要塞を廃止して都市の拡大、
 1892 野砲連隊と歩兵連隊の兵舎建設、    一次二次大戦後に仏軍が占領、
 1911-27 最後に残った壁も破壊、 1945迄バイエルンに属した、 1999 独に復帰。

2.市壁  3.66km (0.29) 

  

  中世の市壁と星形要塞があったが、残っていない。17c末の旧市街は、北東の
  DentschesTorから南西のFranzoesischesTorの範囲内であった。1688-91に仏王ルイ14世は
  旧市壁を解体して近代的なベルフォールの要塞を郊外に造った。1700-1800に築かれた北西の大星形
  バロック要塞には、北と西と東に要塞の壁900mがある。1816にバイエルン王国に属し、多くのアウトワークが
  建設されて、旧市街地は敵の砲兵の射程から逃れた。1849プロイセンに所有者が移った。
   198点の遺跡が今も保存されているが、公開されているのはごくわずかである。

3.塔  2門3塔

 ドイツ門 DeutschesTor (1688-91) Vauban要塞の北側の門で、フランス門と同様
   な形態である。
 フランス門 FranzoesischesTor (1688-91) Vauban要塞の南西側の門で、中央壁
   の中で外側正面に凱旋門。門を通り向けて両側に二つの高い台座がある。
 ガレー船塔 GaleerenTurm (17c) 4階建角塔、多分1315に取壊された帝国城の塔、
   1688まで帝国都市市壁の北西門の塔、1732に軍事捕虜のための拘置所と
   して整備された。捕虜はガレー船で運ばれたので、この名前が付いた。
 北門塔 Nussdorfer Turm () 北Fortの北門として残されている。
 要塞塔 Lunette41 Turm () 南西の公園にはLunette41の円塔を再建。

4.見所  C

   大きな町であり、交通量が多く、マルクト広場まで到着しにくい。大きなアールヌーボー
   や歴史主義の建物が多いい。
 新市庁舎 NeuesRathaus (1827) バイエルン軍の司令部として古典様式で
   建てられた。
 アウグスティン教会 Augustiner Kirche (15C) カソリックの教区教会、3身廊ゴシック
   バジリカで初は建てられた。1794の世俗化による修道士追放の後に演奏会や
   展示場で使われたが、1893に再びカソリックの教区教会となった。
 聖マリア教会 St.MariaKirche (1908-11) カソリック教会は後期ロマネスク・ゴシックで
   建てられ、2塔式前面のフランス式大聖堂である。
 教区教会 StiftsKirche (1281) プロテスタント教区教会、3廊式ゴシックバジリカ、
   1349に塔を付けた。1897に身廊室の窓に飾りと新しい丸天井を組み込んだ。
 旧市百貨店 Ehem.StaedtischesKaufhaus (1415) 中世と近代に百貨店とし
   て貿易取引の管理と課税を行った。1838-39に地下食堂付き演奏会や劇場
   の建物に改造された。
 市図書館 Stadt Bibliothek (1892-94) ネオゴシックの食肉、処理場に、1998
   に開設した。管理棟・水槽塔・処理広間などを、市図書館とした。
 歴史的市博物館 Historischer Stadtmuseum und Stadtarchiv (2009) 鉄道
   ポストをユーゲントスチールに改装し、市歴史博物館と市公文書館として公開した。
 市シトレシウス美術館 Stadtische Galrrie Villa Streccius (1892) ルネッサンス砂岩
   造の2階建の二つの部分からなる邸宅に、市の美術館を置いた。
 マウルベーバウムの家 Haus Zur Maulbeerbam (1488) 旧クリンゲン修道院は古く、中
   庭に17cバロック3階建のコアのの建物、レンガ積みの階段塔、道側翼があり、1888改修。
 カトリック礼拝堂 Kath.Kapelle (1344) 旧カトリックのゴシック広間造の教会で、1713か
   ら刑務所・枯草倉庫となり、1791ワイン商人が買取った。1872町は建物を取得して改
   修を行い、1960から福音ルーテル教会として使われている。
 フランク・レービュシュの家Frank Loebsches Haus (16-19c) 旧旅館:Zum Blumとして
   地階石積上階木組の3階建4翼の建物で、アーチには1602の年号がある。
 アウグスチン修道院 Augustiner Kloster (1827) 旧アウグスト修道院の後期バロックの
   複雑なマンサード屋根の建物で、15c後期ゴシックの回廊、1405-13ゴシック3廊の修道院教会
   と聖堂アーチ、1448宝石細工のある後期ゴシックの門、18cに拡張。
 事務所・地方裁判所 Amts und Landgericht (1900-03) 2翼ネオバロックのマンサード
   屋根2階建の堂々たる記念碑的な建物。
 元町会館 Altes Stadthaus (1742-68) 細長いバロックの寄棟屋根の建物で、
   1815と20cに拡張・改造。

5.町の略図

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リンツ アム ライン  Linz am Rhein  r44

写真

市庁舎 ブルグ広場
カイザー山市壁 ライン門
リンツ城 新門

1.歴史

  874 リンツ女子修道院の文書で初言及、 1198 町の東部はオットー4世に壊された、
 1206 教区教会聖マーチンの建設、      1250 ケルン大司教管区でメヒトヒルトは成功、
 1320 町となり防衛施設の建設開始、   1365 都市権を得て税関・根城を築く、
 1391 町の1/3以上を焼失、        1462 市場広場に礼拝堂を奉献、
 1475 ノイス戦争で皇帝軍は町を包囲、    1543 ヘルマン大司教の下で宗教改革、
 1548 反宗教改革、1583ケルン戦争で占領、  1626 カプチン派の定住、1632スエーデン占領
 1796 仏軍占領、1803ナッサウ・ウージンゲン公国、 1815 プロイセンへ、
 1822 リンツ郡はノイヴィート郡に併合、     1861 町の防衛施設の取壊し開始、
 1945 町の南部は空爆で被災、米軍後に仏軍が占領。

2.市壁  0.24km 0.19 

  1320からの市壁は、主に北西部と西北部に見られる。

3.塔  2門1塔

 新門 Neu Tor (14c) 大火災後の1391に5階建角塔が言及された。門に続く
   ノイ通りには美しい木組の家並みがある。門アーチには、リンツの鳴子少年が青
   銅彫刻で描写されている。
 ライン門 Rhein Tor (1329) 天蓋の4隅に小塔のある4階建の角塔で、側に昔の税
   関がある。門には洪水位記録票とケルン選帝侯エルンスト1599の紋章がある。
 火薬塔 Pulver Turm (14c) 岸辺に沿った昔の西南側の防衛塔であった。バロック
   と擬古主義の外見をした3階建の胸壁付角塔である。

4.見所  B

   対岸の西側からの国道266は、橋ではなくフェリーとなっており、風情のある
  船上からのアプローチとなる。賑わいのある観光地であり、ライン川東岸の高台に旧市
  街が広がり、風格のある門塔・歴史的な建物に囲まれた広場・木組の家並がある。
 市庁舎 Rathaus (1517-27) 1401からの民家の跡に建てられた建物で、市長室と
   観光案内所がある。階段の間にはラッツケラーの時計がある。市庁舎の鐘は、
   12.15、15.15、18.15に毎日鳴らされる。
 マリア教会 Marien Kirche (15c) 内陣側壁に芸術的に優れた1463の3翼のマリア祭壇が
   あり、これは昔の町礼拝堂からの物である。15cケルンで描かれた後期ゴシックの宗
   教画は、1998に完全な修復が行われた。今の大きな建物は1967に完成された。
 聖マーチン教区教会 Pfarrkirche St.Martin (1206-14) 初のフランケンの教会として建
   てられ、3身廊に柱聖歌隊席があり、後期ロマネスク・早期ゴシック・後期ゴシックの影響が合
   わせ見受けられる。1230の壁画が有名で、墓地には5cからの古い墓石がある。
 ゼルフィテス教会    フ1872ランシシスコ会女子修道士は新ゴシックの建物を建て、1983まで病院として使われ、
   今は市公文書館である。
 リンツ城 Burg Linz (1365) 税関と根城として建てられ、円型角塔と土台は建設当
   時からの物である。1984-85根本的な健全化と改装が行われた。今は拷問部
   屋・ローマ風ガラス制作所・騎士の広間・人形部屋などがある。
 ゲロリツ館 GeroltsHof (1747) モンレアムの封土の一部であったため、1475に壊され
   たレーエンの城を所有した。19c中にロールスハウゼンの領主が所有した。
 ジオンの家とインゼンブルク館 HausSion und IsenburgerHof (13c) 13cからシオン伯爵
   メヒットヒルトの所有であった。1628-29イーゼンブルクの参事会と町長が新築した。
   世俗化まで選帝王の役人が住んでいた。1727建物の左にバロックの切妻と
   代表的な階段施設が設けられた。1945爆撃で大破損した。
 市公会堂 Stadt Hall (1645) 1642-45にバロック木造ホール教会として建てられた。
   昔のカプチーナ教会は1817以降ギムナジュームの教会となった。最初から入口の上に
   三日月の上のマドンナがあった。この市公会堂の近くに、古いギムナジュームが在った
   が1891-93にそこにカプチィーナ会の修道院が建てられ、今は町の多目的ホールである。
 マルクト広場 Markt Platz (14c) 旧市街の中心で、市庁舎・マリア記念柱・町の噴水・
   があり、15cの家の冠が取り巻いている。
 バター市場 Butter markt (14c) 1642-1930この市場で売っていたおばさんの像の
   噴水がある。1853まで町を縦貫して流れていた水車用水路の跡に白い舗石が
   ある。貯蓄銀行の向かいにバロック木組の家があり、大型十字・ライン風装飾がある。
   近くのAuf der Donauには、1400の木組の家がある。
 城広場 Burg Platz (14c) 広場からのRhein通り・Muehle通りの眺めは良い。
   1500の重要な木組の家には、洪水時に脱出できる開口部が2階にある。

5.町の略図

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マインツ  Mainz  r45

写真

大聖堂 グーテンベルク博物館
選帝侯宮殿 アイゼン門
ガウ門 南壁

38 ローマ軍団の砦を設置、 89 州都が500年続く、408 交易地、アラマン人の略奪、
  782 マインツは教区に昇格した、    11c マインツ大司教ヴィリギスはマイン大聖堂を建立、
 12c ザールブリュッケン大司教アルバート1世が市民特権を授与、12c皇帝フリードリッヒは市壁破壊、
 1212 皇帝フリードリッヒ2世はマインツ大聖堂で戴冠、1244ジークフリート3世は包括都市権を与えた、
 1462 アドルフ2世は特権を奪い自由都市は終焉、16c要塞は町を囲み、20cまでこの市域、
 17c 30年戦争で戦わずスーデン軍占領、 18c 新興バロックの建物が多く建てられた。
 1797 仏軍の占領で貴族は姿を消した、1816 ヘッセン大公国に帰属、
 1945 空爆で町の80%は破壊、仏軍が占領。

2.市壁  0.05km 0.01 

   150州都として後期ローマ時代に壁・門・塔のある町の防御施設があった。260リーメースの
  没落後町の周壁が築かれた。350市壁は拡大強化され、その後フランク時代は維持された。
  1160中世初期の防備施設は維持されなかった。1200都市防衛施設の再建許可。13c
  独立した郊外ゼレンホーヘンを統合して要塞化された都市防御を築いた。1655選帝候は
  町全体を近代化された仏式要塞で固めた。18c外側星形要塞はまだ残ったが、市
  壁は壊されて建物が建てられた。昔の市壁はまだ残されているが見付けるのは難
     しい。Schloss Gasse に50mは残っている。

3.塔  1門5塔

 風景門 Gau Tor (1462) 塔の強化によって作られた石壁の下の要塞の一部
   であった。選帝侯の防衛施設拡張の際に通路のある煉瓦造の水平壁が造られた。
     1896門と壁は壊され前の堀は埋められた。百年経過して復元され、1998には元の
   位置に移された。
 鉄塔 Eisen Turm (1240) 鉄市場への門からこの名前が付いた。15cロマネスク6階建の
   四角塔となった。18c軍刑務所として使われ、1905町は塔を取得し改修した。
   1945空襲で破壊され家と接続して再建された。川側にホーエンシュタインのライオン像がある。
 木塔 Holz Turm (15c) 木材市場への門から名前が付いた。ゴシック6階建ての四角塔
   はライン川への門で、屋根には4小塔が付いて、元の門のレベルは3m下であった。
   中世には刑務所として使われた。破損した塔は位置をずらして1961に復元された。
 石の家 Steinhaus (12c) WeinTor通りに立つ貴族の住宅棟である。市壁の一部を構
   成して壁厚は1.4mもある。今も何人かの個人がこの塔を所有して住んでいる。
 アレキサンダー塔 Alexander Turm (350) ローマ市壁の北西角の塔であった。15cに今の円錐
   屋根付円塔となり、19c火薬塔として使われ、1860アレクサンダー兵舎が建設され給水
   塔となった。今はアレクサンダー公園内となり近づけない。

4.見所  B

   選帝侯の司教座が置かれ1949州都となり行政の中心の中都市である。大聖堂を
   中心とした旧市街に古い木組みの建物があり、多くの博物館も見所である。
 市庁舎 Rathaus (1970-74) 1462旧市街に市庁舎は有ったが、2次大戦後には選帝
   侯宮殿に市庁舎は入った。ライン川沿いにショッピングモールと共に再開発された。
 城郭 Zutadelle (1050) ベニディクト会ヤコブ修道院として極わずかな城壁と囲み土堤
   の中で始まり、1620-27町の要塞の丘に変換された。1655選帝侯の町を囲む近
   代要塞の一環として今の姿になった。1793包囲攻撃でヤコブ修道院は破壊され、
   軍事用のみの使用となった。1914兵舎の建設、1次2次大戦では捕虜収容所にな
   った。1945-55は仏占領軍が接収した。今は、1990からMuseum Castellenとして
   ローマ駐屯陣地の歴史と文化と砦の部屋の展示がある。

 選帝侯宮殿 KUrfuerstlisches Schloss (1478-80) 初めの建物は1554に戦争で壊さ
   れルネッサンスで再建された。1580事務所と城教会を増築した。しかしナポレオンは道を
   造るために1798-1814に取り壊した。1627に4翼の新宮殿を建てたが、2次大戦
   で壊され大破したので1950北翼と東翼は復元され、ローマ・ゲルマン中央博物館を収
   容している。Roemisch-Germanisches-Museumは、地中海沿岸の諸文明・先史時
   代・未開部族などに関する膨大なコレクションが展示されている。
 大聖堂 Dom (4c) 複雑に入り組んだ建物の建設年は明らかでない。ロマネスクの巨大な建
   物には内陣が東西二つあり、ゴシックとバロックの要素が混じる18cの塔頂が付いてい
   る。2次大戦後に建て直されて居る。中には、ロマネスクの柱に取り付けられた大司
   教達の墓碑、地下にはマインツ大司教区の聖遺物を収めた金製の箱がある。内庭回
   廊がありマイスタージンガー・ハインリッヒの浅浮彫が見られる。
 旧市街 Alte STadt (17c) アウグスチーナ通・キルヒガルテンの周辺には、ほぼ無傷で木骨造の建
   物が残されている。
 聖イグナツ教会 Kirche St.Ignaz (1200) 市街の外東南に、聖イグナティウスの砂岩の彫像が
   前面にある教会がある。内装は何回も変えられ、古典主義とバロックの組合せの漆喰
   と聖イグナティウスの生と死に付いての絵画・キリスト磔刑の群像がある。
 聖シュテファン教会 St.Stephans Kirche (13c) 2次大戦で大破し13cゴシックで残るのは外壁と
   柱だけ。西側壁に接して中庭回廊があり、東内陣にはシャガールのステンドグラスがある。
 新武器庫 Neues Zeughaus (1738-40) 宮殿広場のバロック2階建ての建物で、地階にには
   武器の軍事装備が格納されていた。
 聖堂病院 HeiligGeist Spital (1236) 2階建て後期ロマネスクの礼拝堂病院33m*19mである。
   市門の閉鎖後も入院できた。1804仏が病院を廃止し、教育施設とした。1883醸
   造所がレストランをぁおせつしたが、1945空爆で被害を受け、1950ダンスバーだった。
 グーテンベルク博物館 Gutenberg Museum 地階は様々な印刷工房の複元が行われ、グーテン
   ベルクの手押印刷も可能である。2階には16-19cの本や出版物を展示し、3階には
   グーテンベルク聖書の初版本が金庫室に展示されている。4階には外国彩色木版画や
   印刷物を展示している。
 州立博物館 Lands museum 古代文物部門は、ラインラント文明の内マインツ地方文化が見
   られる。

5.町の略図

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マイエン  Mayen  r46

写真

旧市庁舎 新市庁舎
円塔 円塔
西塔 南壁
壁上通路
北塔

1.歴史

 1041 最初の文書言及、       1280 城と壁.塔の建設、 
 1291 都市権の授与、      1689 仏軍は要塞を壊して焼き払う、
 1794 仏革命軍の占領、        1815 プロイセン領になる、
 1945 2次大戦の空爆で町の90%破壊。

2.市壁  0.53km 0.19 

  13Cに高さ12mの市壁に多数の半円形と円形の塔が組み入れられて町を
 守った。西南の城からHerzJesu教会の間0.35kmに高さ12mの壁と壁上通路は
 復元されている。その他は点在する塔に付随して市壁が僅か残っている。

3.塔  3門1塔

 ヴィットベンデ門 WittbendeTor 北 高さ7mの角塔が残る。
 壁塔 MauerTurm 北西 高さ6mの半円形塔が残る。
 本門 BuecherTor 東 高さ15m円錐屋根の3階建円塔。
 上門 Obertor 西 1326建、1902復元。今結婚式場として使っている。

4.見所  C

   広いマルクトに旧市庁舎が目立ち、西南の小高い丘に城があり登るとマルクトを
  見下ろせる。城から市壁上の通路に出て、HerzJesu教会で降りられる。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1717建、時計塔付き2階建、2次大戦に生き残った。
   前面のマルクト広場には、椅子とパラソルが並び、落ち着いて休める。
 ゲノフェーファー城 Genovevaburg 1280建、ゴシックの建物、1689仏軍略奪放火、
   1700バロックで再建、1830修復。西南に道路上の橋を渡った向こう側に城公
   園がある。城の今は、博物館。
 聖クレメンス教会 St.ClemensKirche 北東 1Cに木造礼拝堂、12Cにロネスクマ・
   バジリカ、15Cにゴシック教会、1976再建。捻れた塔が付いている。
   内部には重要な美術品があり、1752以降巡礼の聖マリアの順路とされた。
 心のイエス教会 HerzJesuKirche 西南 1911建、1945に爆撃により、内陣の
   の一部を除いて壊滅した。1259に高さ43mの双塔を持つバジリカが、長さ
   50m幅29m高さ15mの身廊に拡大された。
 聖ファイト礼拝堂 St.VaitKapelle 壁外東 9C建、小教会、1718に中世の改修、
   1953に礼拝堂の側に教区教会の建設。中に紫貝のバロック祭壇が美しい。
 城博物館 BrugMuseum 城の中に、博物館があり、Eifel文化、粘板岩地下
   鉱山の展示があり、エレベーターで地下の粘板岩掘削跡を見られる。
 オーブンと織物博物館 Ofen&TexteilMuseum 木組の家に、70のオーブン.家具.
   台所用具.歴史的な織物を展示。

5.町の略図

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マイセンハイム  Meisenheim  r47

写真

市民塔 北壁
下門内側 下門外側

1.歴史

 1127 ナーエガウ伯爵親子は財産を共有、1154 ヴュデンツ伯爵は城を本部とした、
 1315 ルードヴィッヒ4世は都市権を授与・要塞の建設、1321 聖ヨハネ騎士団が来た、
 1479-1504 後期ゴシックの城建設、15c-1794 ヴィッテンバッハ家のツバイブリュッケン公国、
 1526-69 町は最初の全盛期となった、     17c 30年戦争で人口半減、
 1648 ヴェストファーエン和平で仏王国へ付与、 1697 リエヴィックの和平で仏から帰還、
 1798 仏革命軍の占領で仏共和国へ、    1804-14 ナポレオン帝国に属した、
 1815 ウイーン会議でバイエルンに帰属、1849プロイセン軍が占領、1871ドイツ帝国の創設、
 1945 3回の空爆と米軍の無血占領、その後仏軍が占領。

2.市壁  0.33km 0.32 

   1315に都市権を授与され、要塞の更新強化を行った。保存状況は良くな
  いが、建物となった市壁が各所に確認できる。

3.塔  1門4塔

   1315の市壁には3門と多くの壁塔があった。1822にOberTorとKlankerTor
  は取壊された。壁塔は刑務所として使われたBuergerTurmは残され、他は住
  居となっている。
 下門 UnterTor (1315)市壁と共に造られた3階建四角塔で、尖塔が付い塔の
   左側には階段があり最上階には門番が住み、夜中の来客は、市に連絡し
   て吊橋を下ろし小門を開けた。
 市民塔 BuergerTrum (14c) 4階建の大口径円塔で刑務所であった。
 住宅路地塔と TurmWohnweg (14c)3階建屋根付きの円塔で、2階建の建物に
   囲まれている。
 円塔 RundTurm (14c)3階建の円塔で倉庫に取込まれている。
 小口径塔 Turmchen (14c)その他少口径の塔がある。

4.見所  B

   グラン川沿いの古い壁に囲まれた小さな町。塔は5つしか残っていないが
  15-16Cの古い木組の家が今日でも多数見られる。
 市庁舎 Rathas (1508) 後期ゴシックの石造3階建の建物で、その姿は町の繁栄
   を示す。地階の大アーチの大広間はオープン市場として使われ、兵器・防
   火梯子・革バケツ・の保管場所であり、上階は評議会室であった。
   ルネッサンスの入口には1580の螺旋階段が置かれた。1934近隣の土地を取
   得して増築した。今も最上階は結婚式場として使われ、上階には市
   長室・会議室・公共図書館が、地階は催物会場がある。
 市場会館 Markt Halle (1550-60) 6二重窓列のある細長い2階建の美しい
   木組の建物は、商品貯蔵所として建てられた。1764守衛所・刑務所・
   アパ-トへ用途変更された。1939新しい砂岩の柱が付けられ、地階は店
   舗、上階は多目的室として使われている。
 カトリック聖アントニィ教区教会 Kath.Pfarr Kirch St.Antonius (1685-88) 教区
教会として建てられ、1902バロックの塔が付けられた。
 プロスタント城教会 Ev.Schloss Kirche (1479-1504) 旧城の唯一の残存遺跡であ
   る。3通路広間教会は、八角形の巨大な尖塔を持ち、正方形の後陣は埋
   葬礼拝室と2階聖所がある。初めは領主の埋葬と墓礼拝堂であったが、
   1523改革によりカトリック教徒が居なくなった。1766-70プロテスタント教会に再設計
   され、バロックの新説教壇とオルガンが付けられた。1962-68内外とも改修された。
 タインの家 Thayn'sche Haus (16c) 町でも美しい上階木組3階建の邸宅。タインは
   水銀と銀の抽出の専門家として、この町に来た。中庭側にはラセン階段塔
   がある。1775正面玄関が付けられ、1919町で最初のカフェを開店した。
   1939に改造して地下はレストラン、地上はパン屋とカフェとなった。
 黄色の家 Gelbers Haus (1497) 町で最も古い木組2階建の一つ。ヨハネ騎士団
   長は、修道士のために建て、ここで物品管理をした。1532改修後パラティン
   ・ツバイブリュッケン公国のルードヴィッヒ2世に寄贈され、土地登記所が収容された。
   18cヴェルザー家に売却され、城教会までの屋根付き廊下が付けられた。
 騎士の宿 Ritter hergerg (1580) 出窓付き上階木組の北半分2階建、南半
   分3階建の切妻のある建物で、おそらくは外国の貴族のための宿泊所
   であった。20cの終わりまで木組は石膏の下にあった。
 公爵ヴェルダー館 Fuersten Wartscher Hof (1672-1711) 公爵ヴェルダーが領主
   として所有したゴシックの建物。1855新古典の前面に改修され、亡命中に
   一時住んだ元ポーランド王マタニスラウスの備品や美しい内装がある。
 ヴァルデェックの館 Waldeck'scheHof von Boos (1400) ヴァルデェックのボーゼ家が
   1423-1806に所有した。1822再建では新しい階段のある3階建の北正面
   玄関がつくられた。今はイベントハウスと中庭蒸留所が使われている。
 モーレン薬局 Mohren Apotheke (1550-60) ルネッサンス石造の建物。
 木組の家 Fachwerk Haus
   RitterHerberge (1580) 最古の旅館、木造2階建て。
   ThaynischesHaus 3階建の美しい市民の家。
   MarktThalle (1550-60) 3階建ての市場広間。

5.町の略図

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モンレアル  Monreal   r48

写真

市庁舎 上門通
市壁

1.歴史

 1193 クニスベルクとして入植地集落を形成、 1220 ヴィルネブルクのヘルマン3世は城の建設開始、
 1306 都市と市場の権利を得て毎月曜日の市場開催、 1545 トリアー大司教からケルン大司教へ、
 1615 市壁を建設、 1632 城はスエーデン軍が破壊、 1648 30年戦争後羊毛布産業隆盛、
 1689 パレタイン承継戦争で仏軍が破壊、       1815 世俗化の過程でプロイセンが所有、
 19c 布の生産は外国へ移った、 1970 保全作業開始、  2003-05 歴史的建造物整備、

2.市壁  0.38km (0.30)

   東ライオン城址には、北と西の城壁310mと円形天守閣と半円形の塔が残り、西の小城フイリップ
   スベルクには方形天守閣と50mの城壁が残っている。南のエルツ川沿いの市壁の、西AlterPfarrhaus
   に20mと東Wohnhausに10m残っている。
  19cから市壁は次々に壊されたが、南に点々と残っている。

3.塔  0門1塔

 防衛塔 Stadtmauer Turm (1615) 南のグラーベン通の手前に、残っている。
 上下城橋 Brucke Turm (1615) 市壁と同時に防衛施設として建てられ、現存する。

4.見所  C

   北側の山腹にある二つの城に守れれた南の狭い平地には、古い木骨造の家並が残されている。
   現在は旧市街地の南に、グラーベン通が開通している。
 聖ジョージ礼拝堂 St.Georug Kapelle (1460) 西側の墓地に単搭ゴシック教会が
   建設され後陣はそのまま残り、身廊は1887に建て替えられた。1482の十二使徒の祭壇がある。
   1618と1799の墓の十字架がある。
 聖三位一体教会 St.Dreifaltigkeits Kirche (1459-60) 単搭のホール教会。
 木骨造の建物 Fachwerk Haus (1452) 切妻の2階建の建物。2004に復元された。
                    (1691)2階建の建物で18cに改築された。
                    (18c)切妻付2階建の建物。

5.町の略図

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モンタバウアー  Montabaur VG   r49

写真

市庁舎 城北面
城南面 オオカミ塔
市壁 木組家

1.歴史

 959 トリアー大司教は聖ピーターとヨハネに教会を奉献、 1018コブレンツ・トリアー大司教区に、
 1227 大司教は町に城を築いて税金を管理、1291 ハプスブルク王ルドルフは憲章授与、
 13c 市場を囲む市壁が構築された、1359 市民が存在、1442市議会が置かれた、
 14-15c 川と布の貿易で豊かな町となった、  1359.1491.1534.1667 大火災、
 16c 魔女狩りが行われた、    1631 スエーデン軍が占領、その後何回も占領、
 1802 ナッソー公国へ、1866 プロイセンへ併合、   1945 戦後仏占領地域となった。

2.市壁  0.22km 0.12 

   13cに丘の麓の町役場に中央市場と小市場が開かれ、市壁で守られた。
  19cから市壁は次々に壊されたが、南に点々と残っている。

3.塔  0門2塔

   13cの市壁には多くの塔と13の門があったが、1491の大火で中世の建物や
  塔や門の殆どは破壊された。
 オオカミ塔 Wolfs Turm (13c) 城が見えるように高さ23m六角塔が建てられた。1491.1534
   の火災で損傷したが修復し、1628-31刑務所の一部として使われた。1774再度塔は
   補修されたが、1814崩壊の恐れがあり解体された。1970無かったクラウンの銃目を付加
   して復元して、世の批判を招いた。
 壁塔 Turm (13c) 東側の駐車場の所にある。

4.見所  D

   尾根の上に町が広がり、高い所に城がある小さな町。
 市庁舎 Rathas (1866-68) ネオゴシックの3階建ての建物で、前面に時計塔と小塔が並び、2階
   の張出台が突出した奇妙な形である。
 モンタバウアー城 Burg Montabaur (1227) 尾根の上に築かれ、1520大司教により4翼のルネッサンス
   の宮殿になり、1676-1711トーリア大司教が支配した。1687-1709に大司教の下で改造され、今の
   バロックの姿になった。今は4星ホテルであり、独の最高会議が開かれる。中庭の騎士のホールでは演
   奏会や催物が行われる。
 美術館 Galerie 元NATOの兵器庫が芸術と文化の中心となっている。現代美術の展示も
   ある。
 聖ペテロ牧師事務所 St.Petorin Pfarramt カソリックの教区教会。

5.町の略図

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ミュンスターマイフェルト  Muenstermeifeld  r50

写真

下門 北壁
フクロウ塔 南中壁
南中壁 古い城
南東壁 大聖堂

1.歴史

  580 トリアー大司教はマーチン大聖堂を置く、 956 イタリアの聖遺物を移して巡礼地、
  965 市場権を授与された、      13C 都市権の授与、
 13C中 市壁の建設開始、       14C 壁は拡張強化されて完成。

2.市壁  0.30km 0.22 

   建物の基礎とか壁体として残っている物も含めて、南東のOberTorと西の
  EulenTurmの周辺に市壁が残っている。

3.塔  1門1塔

  昔は11の門と塔があったが、今は1塔しか残っていない。
 下門跡 UnterTor 14C建、西北 西側側塔の地階部分の上に木組の
   小屋が載せて説明板がある。門とまでは言えない。
 梟塔 EulenTurm 14C建、西 3階建円錐屋根の細長い円塔。南側に
   市壁がある。

4.見所  D

   戦災に会わず古い家並みが残り、老朽化で崩れて更新の時期に来ている。
  木組の家は坂道のあちこちに見られる。
 聖マーチン大聖堂 St.Martin&SeverusMuenster 11-12C建、町で唯一の見所。
   ゴシック木彫りの黄金主祭壇、古代の壁画。
 郷土博物館 HeimartMuseum 2003建、1900-50の地元産業の展示。

5.町の略図

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ノイライニンゲン  Neuleiningen (Grunstadt市内)  r51

写真

東壁 南壁
   

1.歴史

1238-41 ライニンゲン伯爵は城を築いた、1238-50 伯爵は町を設立し発展させた、
 1308 ヴォルムス教区の財産権はライニンゲン伯爵へ、14c 都市権付与・仏革命軍で失う、
 1525 農民戦争は無傷で過ぎた、   17c 30年戦争も生き延びた、
 1690 9年戦争仏軍の破壊、 1742 ヴォルムス王子司教に町所有権の半分を移した、
 1767 ライニンゲン伯爵は町・城をヴォルムス司教に売却、1794 仏革命軍が占領し城売却、
 1816-1945 町はバイエルンに含まれた、  1874 城は個人所有となり修繕された、
 1941 城は町の所有となった、     1946 ラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.70km 1.00 

  3市門と4塔を持つ市壁は、13cの城の後に建設され、15cに拡張・更新された。
  州でも保存状態のよい市壁で、ほぼ全周に残っている。

3.塔  1門7塔

 

 上門 Ober Tor () 西門、市壁のアーチ門で、上部は壊れている。
 泥棒塔 Diebs Turm () 南東の胸壁付き5階建の半円塔。
 鶴塔 Kranich Turm () 西の円塔で、今はワイナリィRudiRuettgerである。
 4城塔 4Burg Turm (13c) 旧城の4隅に崩れかけた大口径の円塔がある。
 東北塔 Ostnord Turm () 東北の隅に小さな円形がある。その東にも崩れ
      た塔の跡らしき形跡がある。

4.見所  B

   ワイン街道の丘の上の市壁に囲まれた小さな町があり、ドイツでも古い防御様式
   を示し、古い建物が残る。城の展望台からは、東のライン渓谷と西のプファルツの森
   の素晴らしい展望が眺められる。
 市庁舎 Rathaus (14-15c) この建物は、カルメル会の聖十字架修道院に教会
   と同様に属していた。宗教改革で修道院が溶解した。1902複合体の建物を町が
   取得し今の姿に改修した。
 ノイライニンゲン城 Burg Neuleiningen (1240) 伯爵フリードリッヒ3世が仏風の城を
   独の初期要塞城として建てた。1690の9年戦争で仏軍が破壊し石塔を閉じた。
   1767ヴォルムス司教に売却した。1803仏軍が競売に掛けて民間が所有。1941町が取
   得した。今は四隅に崩れた大きな円塔のある外壁のみが残る遺跡である。
 教区教会聖ニコラス PfarrKirche St.Ninikolaus (13c) 城礼拝堂として、
   城と共に荒石造で建てられた。聖マリア生誕祭のためのゴシックの像がある。15cに
   公人が拡張され塔が追加された。聖ニコラウスのバロックの彫像も加えられた。
 新教十字架教会 Ev.Kreuz Kirche (1555-82) 1555ルター派の教会たなり、
   1582-1902はシナゴークとして使われ、1957再度新教の所有となった。
 ワイナリィ Weingut Rudi Ruttger (16c) 町の南西の市壁の外に、半円形の塔
   を含め元ヴォルムス本山の醸造事務所であり、ルネッサンスの管理所(1594)と荒石造の
   schaffenhausがあり、今もワインを造っている。
 牧師館 Pfarrhaus (16c) 城の外辺の旧城守衛所の建物で、城の旧執事が
   詰めていた。
 木組の家 Fachwerk Haus (16-17c) 良く修復された木組の建物が、中心
   部の上・中・下の狭い通りにきれいに並んでいる。
    中通17.Wohn Haus (1567) 2部構成3階建の建物で、1733に改修。
    中通22.Wohn Haus (1600) 2階建バロックの前面の模様が美しい建物。
    中通30.Wohn Haus (15-16c) 3階建切妻の建物で最上階は木組の建物。
    中通32.Wohn Haus (16c) 3階建の住宅で、上階は木組で18cに更新。
    中通38.Wohn Haus (1565) 1505の地下室の上に建てられ16-18cの建物。
    上通11.Hofanlage (14-17c) 3階建の建物で19cに建て替えられた。
    教会通4.Hofanlage(1876) 後期バロックの2階建石膏塗りの建物。

5.町の略図

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ノイシュタット  Neustadt an der Weinstrasse  r52

写真

修道院教会 聖マリア教会

1.歴史

  774 村への修道院文書初言及、   1155 ビンツィンガー城は既に存在、
 1275 都市権を授与、         1346 課税権や裁判権を得た、
 1578 大学の設立、     1600 古い木造家屋が壊され石造とした、
 1465-1515、1540-16C ハンザ同盟で繁栄、  1604 スペイン・オランダ軍占領、
 30年戦争で6回の占領、      1622スペイン.1631スエーデン.1635帝国軍、
 1638ワイマール.1639.1644仏、      1722 余計な北側市壁が壊された、
 1778 市壁と堀の競売、             1816 バイエルンに帰属、
 1945 2次大戦による被害は少なかった。

2.市壁  0.01km (0.01) 

   僅か残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   日本語HPあり。ワイン街道の中都市。古い町並みの旧市街地らしき所は見当
  たらない。
 司教区教会 StiftsKirche 1368建、1383ゴシックの内陣奉納、1489両塔完成。地
   元の赤と黄色の砂岩を使い、4階の角塔を西側に置き、天井や窓には絵画があ
   る。土曜日には57mの南塔に登ることができる。64mの北塔には皇帝の鏡が
   置かれる。創立者ルドルフ2世の墓がある、
 聖マリア教会 St.MarienKirche 1860-62建、カソリックのゴシック教会。1974身廊の窓を
   改造、北翼廊のベルンハルト祭壇。
 元大学 Cusimrianm 578に大学を開いて、ハイデルベルク大学のカルビン派の教授と学
   生を引受けた。
 ビラ・ベーム市博物館 StadtMuseumVillaBoehin 北 9の部屋に8百年の町の歴史
   を展示。
 オットー・ディル博物館 OttoDillMuseum 中 20C中頃の風景画家の芸術と生涯を、
   150の油彩画と水彩画を展示。

5.町の略図

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ニーダー・インゲルハイム   Nieder Ingelheim  r53

写真

市庁舎 市壁

1.歴史

  6-7C フランク族による占拠と定住、  Nieder-.OberーIngelheimの創設、
  788 カール大帝の帝国会議開催、最初のカイザー広場の建設、
  800 宮殿は建設された、  12C 宮殿は拡大され、城壁と4塔を建てた、
 1375 カール4世はプファルツの抵当にした、1488 皇居や王の住居として栄えた、
 1648 30年戦争で被害、           1802-14 仏軍による占領、
 1815 ヘッセン大公国領となる、       1945 2次大戦の被害を免れた。

2.市壁  0.05km 0.01 

   カロリング朝の宮殿から皇帝の城へ拡張され要塞化された。12Cに高さ10.5mの
  壁が築かれ、今は局部的に残っている。

3.塔  2門1塔

 野里門 HeidenheimerTor (12C) 780に脇道路と共に門として建てられたが、中世
   初期には防御壁になった。
 砂糖山門 ZuckerbergTor () 南側の防御壁にあり、要塞の出入口であった。防御壁
   には小さな建物が付いている。
 半円造碑 HalbkreisBau (14C) 半円形の宮殿の起源説明碑として、中世要塞の前通
   りの東側に立った。
 ボランダー塔 BolanderTurm (1160) この塔は皇居の南西の角に位置した四つの防御
   塔の一つである。

4.見所  C

   この場所は800頃に宮殿として建設され、中世後期には皇帝や王の居城となり、
  12Cにフリードリッヒが帝国の城に拡大した。1356からはプファルツのシャルル4世の宮殿となった。
  発掘調査と一部復元が行われ、宮殿.礼拝堂.防壁.塔等が見られる。
 アウラレジア Aularegia 宮殿ホール、8C後半-9C前半の装備が見られる。壁の北の端に説
   明板がある。
 教会広間 KircheSaal 900建、元パラタイン教会の東の部分、大鐘楼に1861の年号が
   ある。身廊は1964に元の基礎の上に再建された。

5.町の略図

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ニーダー・オルム   Nieder Olm  r54

写真

カトリック教区教会 北東壁
墓地壁

1.歴史

 899 マインツ大司教が集落を所有し皇帝の妻に不動産を与え、 994大司教に戻った、
 11c末 集落に聖ヨハネ教会を建てた。    12c、市壁・掘・4門の最初の要塞を建設、
 13c末 市壁内に貴族の城を建設、    15c この町にマインツの収容所が置かれた、
 1503 大司教ベルトホルトは城を火器に応じ増強し、 城はSt.Laureziburgと呼ばれた、
 1510 要塞と城は何回も壊された。        17c 30年戦争で略奪と破壊、
 1692 仏軍の占領略奪、 1792 マインツ自由共和国へ、 1798-1814 仏帝国の州都、
 1816 ヘッセン大公国ラインヘッセン州に属した、19c初 要塞は取払われたが墓地壁は残った、
 1919-29 仏軍占領、、             1946 ラインラントプファルツ州に属した。

2.市壁  0.34km 0.28 

   12cの市壁は、北側に墓地壁などとして残っている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1827) マルクト広場に南側に旧市庁舎と平和裁判所の新古典的な
   2階建の建物。マインツの地方建設長が建てた。
 新教聖グスタフ・アドルフ教会 Ev.Kirche St.Gustav Adorf (1861-65) 北側単塔前面アーチ門のホール
   教会。
 カトリック教区教会 Kath.Pfarr Kirche St.Johannis (12c) 騎士団がロマネスクの教会を12cに建て、
   1837のローマ式鐘楼。1400ゴシックのコアヤ礼拝堂。1778-79後期バロックの広間身廊を建てた。
 住居 Wohnhaus (1831-32) クラシックな2階建の青いホテル。1890-1900木製支柱のバルコンニィと、
   広大な庭園。
 住居 Wohnhaus (1810) ネオバロックの広いホテル所有地。2階建上階木組の建物。1910木組屋
   根の取換えた。
 住居 Wohnhaus (1817) 新古典主義の2階建上階木組の建物で、上階は1900に改修され
   た。大きな庭がある。
 牧師館 Ehem.Pfarrhaus (1765) 後期バロックの寄棟屋根2階建の大きな建物。

5.町の略図

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オパー・インゲルハイム  Ober Ingelheim  r55

写真

       
城門外 城教会
聖ニコラウス教会 城門
マラコフ塔 南東壁

1.歴史

  6-7C フランク族による占拠と定住、 Nieder-.OberーIngelheimの創設、
  788 カール大帝の帝国会議開催、   11c 自由都市となる。
 15c 市場を中心に堀と市壁に囲まれ、町の修復が行われた。
 1648 30年戦争で被害、         1802-14 仏軍による占領、
 1815 ヘッセン大公国領となる、     1945 2次大戦の被害を免れた。

2.市壁  0.53km 0.26 

   15cの市壁は、高さ8m厚さ2mの狭間付きの壁で、前面に堀を置いた。
  市壁には580mの壁上を通行できる。

3.塔  4門4塔

 ウッハフ門 Uffhab Tor () 南東にある石造2階建アーチ門で、名前は「巨大納屋」
   の方言か。
 スチ-ゲル道門 Stiegelgasser Tor ()2連の円塔の間を通路が通り、木製の
   扉材で開閉していた。
 牛川門 Rinderbach Tor () 中世の2連塔門の残骸が、19cの建物の中間の
   壁として残っている。
 オ-ヘン橋 Ohfen Bruecke (1381) 2連の半円塔の間を入口としている。ゴシック
   の門には石落が残っている。
 マラコフ塔 Malakoff Turm () 教会の周囲の壁の南西端に当たり、高さ19mの
   円塔で、名前はクリミア戦争時に付けられた。
 ホアランゲ塔 Vorlange Turm (15c) 石造2階建の円錐形白屋根の円塔。
 尖頭塔 Spitz Turm () 石造2階建の円錐形白屋根の円塔。市壁は残る。
 カタツムリ塔 Sehnbecke Turm (14c) 石造2階建の円錐形白屋根の円塔。

4.見所  D

    小高い丘の南西斜面に、マルクトを中心に建物が散在している。BurgKirche
   の南側は、市壁や門塔の復元作業が進んでいる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1608) 1828にケラーポータルの古典的様式で再建され、
   時計塔と破風屋根の組み合わせが見事である。1939の町村合併までは、
   裁判所として使われた。
 城教会 Burg Kirche (12c) 12cからのロマネスクとゴシック様式が混在し、様々な屋
   根の高さがあり、15c半分の外側が造られ、要塞化された西側が造られて
   完成した。城側はステンドグラスや装飾楔模様の壁画で飾られている。
 聖ミカエル教会 St.Michel Kirche (1721) バロックの内陣・屋根の天窓・3廊ホール教
   会として建設された。1964西に身廊を延長して新しく鐘楼をつけた。

5.町の略図

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オパーモシェル  Obermoschel  r56

写真

   
市庁舎 ピーター小門

1.歴史

 12cヴォルムス司教からフェルデンツ伯に支配が移った、1349 チャールズ4世は町の地位と市場権を授与、
 1444 フェルデンツ伯の死後プファルツ公国へ、  1798-1814 仏の支配下に 後にナポレオン帝国へ、
 1818-62 バイエルン公国に移された、 1900 ロッケンハウゼンの地区事務所に属し水銀鉱物の発見、
 1945 仏の占領下でラインラントプファルツ州の一部となった。

2.市壁  0.01km (0.01) 

   14-15cの市壁は築かれ、Peterstumchenのみが残された。
  

3.塔  0門1塔

 ペーター小門 Peter Stuermchen (1373) 東の教会の南に切り石造円錐屋根3階建の
   外階段の砲塔が建てられ、1527に嵩上げされた。

4.見所  D

    旧市街地には、1510頃に建てられた市庁舎・古い刑務所・旧地方裁判所・ルネッサンスの古い旅館の
   ラッツケラーがあり、州で最古の家シュックシュハウス1583もある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1510-12) 後期ゴシックの2階建木組漆喰の建物、前面に木組
   の切妻のある鐘楼がある。
 プロテスタント教区教会 Plot.Pfarr Kirche (1789) 4階建の大きな角形の西塔がある初期
   古典主義の寄棟屋根の教会。
 琥珀城 Dernsteinsches Schloss (1552) ピラミット屋根の階段塔のある、2階建て漆喰
   の建物は19cに改造された。
 州最古の家 Schuck’sch Haus (1583)ウイルヘルス通18にあり、2つのルネッサンスの上階木骨造の
   建物である。   

5.町の略図

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オーパー・オルム   Ober Olm  r57

写真

市庁舎 カトリック教会聖マーチン
北壁 東壁

1.歴史

 994 マインツ大司教が裁判所を確認、  11-12c シスターシアン修道院が町の財産を所有、
 1370 オーパーベーゼル修道院が町の財産を所有、1446 教会による男子学校の運営、
 1582 火事で町の半分を焼き、翌年ほぼ全焼、  1790 仏革命伴う暴動は鎮圧、
 1792 マインツ共和国の発足、            1793 ゲーテはこの町に滞在、
 1816 ヘッセン・ダルムシュタット大公国に属した、          1945 米軍の侵攻。

2.市壁  0.04km 0.01 

   市壁は、ObergazsseとUntergassaの間にあったと思われるが、殆ど見当たらない。

3.塔  0門0塔

  見当たらない。

4.見所  C

   静かな小さな町で、細い道と古い建物がある。
 市庁舎 Rathaus (1550) 最初の建物は、建物学術調査で1550と判明した。小さく簡素な2階
   建バロックの外観は、1722に内装も新しくなった。2006-08に改修された。
 カトリック教会聖マーチン Kath.Kirche St.Martin (900) 教会の最古の部分は、塔の下の階のロマネスクの
   部分であり、15cに尖塔が付けられた。身廊は1879-81の新ゴシックであり、1899後陣と
   天井付き側廊を拡張した。墓地の古い部分は周壁が有った。教会庭の壁にはマインツ聖
   堂参事会の紋章石板が埋めてある。
 旧飲食店 Ehem.Wirtshaus (17c) この飲食店にヨハン・ヴォルフガング・ゲーテが1793.3.26に宿泊した。
   仏の包囲時には、プロイセンとオーストリアの軍が駐留した。
 旧町パン屋 Ehem.Gemeinde Backhaus () 言い伝えでは、古い町のパン屋の場所に決められ、
   職人の印として家の正面に「プレッツェルとシュビックヴェッツ」が置かれた。また、町の中心からパン
   屋までの道は「BackhausGasse」と名付けられた。今も石積に「プレッツェルとシュビックヴェッツ」
   の標識がある。
 旧牧師館 Altes Pfarrhaus (16c) 元も古い家の一つで、1870からカトリック牧師館として使われた。
   その後個人所有に移っている。
 旧十分の一税館 Ehem.Zehnt Hof(1810) マインツ聖堂参事会の旧十分の一税館は通り名は残るが、
   1803の世俗化で競売に付された。
 聖ヴァーレンチウス礼拝堂 St.Valentius Kapelle (1342) メロヴィング時代の中心地で、聖ヴァーレンチウスの
   巡礼教会とされた。今の建物は、1720にバロックで拡張され、1803の世俗化で溶解された。

5.町の略図

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オーパー・ヴェーゼル   Ober Wesel  r58

写真

市庁舎 病院塔
オクセン搭 市壁

1.歴史

 5c 馬を替える駅として存在、 966 フランク国王は村をマグデブルク大司教に与えた。
 1237-1309 帝国都市となる、   1391 トリアー大司教の支配下に入った、
 14c中 市壁・2教会・2修道院の建設、1689 仏軍による破壊、1794 仏革命軍の占領、
 1815 プロイセン領となった。

2.市壁  1.84km 0.70 

  13-14cに市壁は造られた。所々欠けた部分はあるが7割は残されている。東側の
  AmPlanからSchaarPlatzまで580mは通行できる。ユネスコ文化遺産え保存状況は良い。

3.塔  3門15塔

 略図に示すように18の門塔が残り、失った塔は8ぐらいであろう。
    ①Zehner Turm(Eselstor)、②Haagus Turm(Roter Turm)、③Schoenburger Turm、
  ④Hospitalgassen Turm、⑤Steingassen Turm、⑥Katzen Turm、⑦Ochen Turm、
  ⑧Beckbomer Turm、⑨Koblenzer Turm、⑩Felsen Turm、⑪Niederburger Torturm、
  ⑫Koelner Turm、⑬Muehlen Turm、⑭Michelfeld TurmⅠ、⑮Michelfeld TurmⅡ、
  ⑯Kuhhirten Turm、⑰Purver Turm、⑱Gelber Turm(Villa Nova)。

4.見所  C

  ライン川左岸の川沿いの国道・鉄道・川側市壁と、山側のAmSchuetzenGraben・山側市壁と
  の間に旧市街が密集している。
 シェーンブルク城 Schoenburug (1149) 南側の木が茂った丘の上に、居城を建てた。1689
   仏軍が城を破壊したが、1885アメリカ人ラインランダーが城を復元した。1950町が所有し、ホテル
   とレストランとして使われている。門塔には塔博物館があり、700年の城の歴史と古い部屋
   があり、ラインの土産や騎士と乙女の本がある。塔頂からの渓谷の眺めは素晴らしく、
   4-12月の10-18時には塔に登れる。
 聖母教会 Liebfrauen Kirche (1213) 南の市壁外に1331-1375ゴシックの教会として
   新築した。赤砂岩の身廊は印象的な高さであり、中には3翼の壮大な黄金の祭壇・聖歌隊
   の巧妙なレットナー・中世の25の壁画・19cの大学教会としての19祭壇は1330マドンナ天蓋の下に
   ある。1515騎士夫妻の古い墓標。
 聖マーチン教会 St.Martin Kirche (1303) トリーア大司教は、ロマネスクの教会で共同財団を設立。
   1350に防御塔のあるゴシックの防御修道院教会に着手し1500まで要した。1802に仏軍に
   修道院が解散させられた。教会には15-16cの壁画とゴシックのマドンナがある。1962-68修復。
 母バラ礼拝堂 Mutter Rosa Kapelle(1300)市民の基盤として東の市壁近くに、精霊病
   院があり、14cに病人の施設が設けられた。1689ルイ14世の戦争で教会と病院は破壊され、
   1700内陣が礼拝堂としてバロックで再建された。。
 市博物館 Stadt Museum (19c) 資産家の邸宅に、ライン川での生活と町の歴史を展示。

5.町の略図

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オッペンハイム  Oppenheim  r59

写真

市庁舎 ガウ門
マルクト西 聖カソリネン教会
ワイン生産博物館

1.歴史

 1152-54 シュタウヘン朝の皇帝城と臣下が町に、  1182 最初の市壁が築かれた、
 1225 フリードリッヒ2世は帝国自由都市とした、1278 侯爵エバーハート1世は町の代官、
 1291 代官はマインツ大司教の攻撃を阻止、    14c マインツ選帝侯は町を入質、
 1398 プハルツ選帝侯の領土に属した、  1688 仏軍はプファルツ承継戦争で占領、
 1689 仏軍は城と町を破壊、     1797 プファルツ選帝侯から仏オッペンハイムへ、
 1816 ヘッセン・ダルムシュタット大公国に帰属、   1945 ヘッセンからラインラントプファルツ州へ。

2.市壁  0.01km 0.01 

   12Cの市壁は、西のGau門の近くに残るのみ。

3.塔  1門2塔

 ガウ門 Gau Tor (1182) 市壁の西側のアーチ門で3階建の角塔がある。
 時計塔 Uhr Turm (13c) 白い塔とも呼ばれる円塔で、昔の市壁の角に立ち、1232税
   関としても使われた。13cの瓦礫石積13.2mと14cの紋章のある上部タワー18.1mで
   構成され、直径4.9m、璧厚0.7mである。時計のチャイムを鳴らし、洪水の警報を
   行い、消防署としても使われた。
 ルプレヒト塔 Ruprechts Turm (15c) 城址の北東の角に残る円塔と角塔を組合わされた
   石造の5階建の塔。

4.見所  C

   ライン川から線路を越えて山側の細長い町に、市壁に囲まれて古い町がある。
 聖母教会 Liebfrauenirche 1213建、初めは聖マリア修道院として建てられ、今の建
   物は1331-75にゴシックの教会として新築され、14Cの主祭壇、15Cの壁画が古い
   が美しい。
 聖マーチン教会 St.MartinsKirche 1322建、ロマネスクの前身に基づき、1350にゴシックの教
   会とした。1500の壁画がある。
 町博物館 StadtMuseum Kulturhausの中にあり、町の歴史文化を展示。

5.町の略図

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オッターベルク Otterberg (Otterbach-Otterberg) r60

写真

市庁舎 市公会堂
南壁

1.歴史

 1145 今の城山にシスター派修道院を設立、   1169-1254 修道院教会の建設、
 1225 フリードリッヒ2世は帝国自由都市とした、1278 侯爵エバーハート1世は町の代官、
 1291 代官はマインツ大司教の攻撃を阻止、    14c マインツ選帝侯は町を入質、
 1504 ランツフート承継戦争で修道院を略奪、1556 改革の導入、1561 修道院は無人、
 1579 信仰の自由となりスペイン・オランダから宗教難民が流入、
 1581 プファルツ伯の都市権を授与されて成長、18c スイスからメノナイト家が来て定住、
 2014 合併してOtterbach-Otterbergとなった。

2.市壁  0.26km 0.21 

   12-13cの市壁は、Lauer str. Johannis str. Fabrik str.に修道院の壁とし
  て存在した物に、1520に拡張した。今残されているのは、家の擁壁として使わ
  れるか、道路の耐力壁に統合されている場合が多い。

3.塔  0門0塔

  見当たらない。

4.見所  C

   12cからの修道院の町であり、木組の建物が多く残されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1751) 後期バロックのこじんまりした四角い2階建のマンサード
   屋根の建物で、鐘楼と屋根裏部屋がある。部分的には元の16cの建物が残され
   ている。今は歴史博物館である。
 市庁舎 Rathaus (1886-90) いわゆる城で、元紡績と撚糸工場アロスト合資会社の支店管
   理棟であった。角塔のある3階建の四角い建物は、今は都市行政の行われる場
   である。
 修道院教会 Abtei Kirche Otterberg(1145) 修道院教会は、オッターベルク領主から周辺
   のシスター教徒への贈り物として建てられた元修道院の一部である。修道院教会
   は、1168-1254に後期ロマネスクの十字教会として建てられた。修道院は1340経済
   活動の頂点に達した。1556の宗教改革後、1561には修道院は無人となったが
   教会は引継がれた。
 シラー学校 Schiller Schule (1900) 旧地方裁判所で、赤砂岩の破風付きの大きな建
   物。
 旧薬局 Alte apotheke (1608) 3階建の美しい木組の建物。
 旅館:王冠 Gasthaus Zur Krone (1778) 細長い2階建バロックの美しい木組の建物。元農
   場の建物。
 木組の家 Fachwerkhaus (18c) 3階建バロックの美しい木組の別荘である。
 青い家 Blaues Haus (1612) 3階建前面木組の美しい建物で、1848改修。
 住宅 Wohnhaus (1773) バロック2階建の住家。
 牧師館と集会所 Pfarrhaus und Kapitalsaal (12c) ロマネスクの騎士団の広間と1732バ
   ロック平屋建の牧師館。

5.町の略図

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プファルツェル Pfalzel im Trier  r61

写真

市壁 プフェルゼル城

1.歴史

 4c宮殿城の名前が地名となる、  7c 城内に尼僧院を建て1027に改装、
 11c トリアー大司教の城と尼僧院に、門屋・回廊・礼拝堂の建物を追加、
 12c モントルイユのアルベロ大司教は西のパラティナーデェ城を強化してトリアー大司教に対抗 
 13c 城の近くに農民集落を開発し市壁で守った、1346 都市権の授与、
 1539 要塞の完成 16c迄 城には裁判所・鋳造所・製粉所が壁に仕切られて存在、
 1673 仏ルイ14世はトリアーを占領しプファゼル要塞を破壊した、1815 プロイセンに属した、
 1969 プファゼルはトリアーに併合された。

2.市壁  0.63km 0.78 

  1530年代の市壁は、1674仏軍によって破壊されたが、1990-92修復された。
   二重市壁の間と外側には、今は庭園や墓地が多い。
 陵堡 Bastion
   町の西南部のモーゼル河畔に、張出した二重の石積が90mがある。

3.塔  0門7塔

  市壁の門や塔は、見当たらないが、北側ミュンフェン通の外壁と内壁に、それぞれ
  アーチ門がある。モーゼル要塞には大口径の砲台跡が6基ある。西門の跡の建物の中に
  1944に取壊された西門の残りがある。

4.見所  B

   4cからのプファゼルには、ローマ時代の宮殿城と修道院が建ち、町の核には古く
  からの居住地から税関と公の住居となった。
 プフェルゼル城 Burg Pfalzel (1131-52) アーチピスコパル城は、15cに再建された。
   16c初に火災に会い、1673-74に仏軍に破壊された。北西隅の多角形の階段塔の
   切株、3階建の四角い門塔、教会広場4の残りは、かっての宮殿の残りである。
 聖マリアとマーティン教区教会 Kath.Pfarr Kirch St.Maria und Msrtin (700)
   元大学教会で、ローマ時代の教会が改装された。教会の建物は十字架の形で、繰
   返し拡張され大きな教会となった。
 教区の家 Pfarr Heim (1773) 元カトリックの聖マーチン教区教会で、1894に西塔
   のあるホール棟は延長された。1962教区の家へ改造された。
 修道院居酒屋 Kloster Schenke (13c) 元修道院の建物で、荘厳な屋根付
   きの建物。地階は7回廊があり、16cの墓碑・平屋の農場もある。
 カトリック・マリエン礼拝堂 Kath.Marien Kapelle (1860) 前庭を持つ小さなサドル屋
   根構造の建物。19cバロックへ改装。
 十分の一税倉庫 Zehnt Scheune (1592) アーチーピスコパル城のかっての倉庫。
   19c西側を塀で囲まれた交差点のある建物に改造された。屋根は板石。
 トリアー選帝侯事務所 Kurtrieersches Amthaus (1544) 元トリアー選帝侯の事務
   所で、洗練された装飾のある堂々たる建物。1577八角形の階段塔を付けた。
 住宅 Wohnhaus (15c) 塔のような階段ポーチを備えた中世後期の建物。
 ロスポートの家 Rosportsches Haus (1579) 堂々たる大きな建物で、この町
   で最も古く最も保全状況のよい建物。
 住宅 Wohnhaus (17-18c) 1944に取崩された西市門の残りを持つ3軸
   バロックの建物で、西アーチがある。
 住宅 Wohnhaus (1587) 小さな長屋で、19cにマンサード屋根のバラックの建物
   に改装された。
 住宅 Wohnhaus (18c) 円塔のある平屋の建物。
 住宅 Wohnhaus (15c) 元修道院の建物で、ローマと中世後期の壁が残る2
   階建石造の建物。
 住宅 Wohnhaus (1561) ドイツでも最古の人が住んでいる石造の建物で、
   元大学の治療院で、石膏塗りの2階建の建物。
 住宅 Wohnhaus (1445) 部分的にレンガ造の2-3階建のゴシックの建物。
 鍛冶屋 (19c) 鍛冶屋の設備を備えた小さなサドル屋根の保全された建物。
   間と1732バロック平屋建の牧師館。

5.町の略図

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プファダースハイム  Pfeddersheim (Worms市内)  r62

    Worms市内の西にある

写真

市庁舎 市民塔
半円塔 レンハード塔
ヨハネス塔 ホーハー塔
赤塔 西壁
東壁 教会

1.歴史

  753 修道院への献金で最初の文書言及、1300 ハプスブルク都市権を得て要塞、
 1302-08 帝国自由都市となり自治と裁判権を有した、
 1381 ライン川同盟に加入、水堀と市壁を設け3門.10全塔.幾つかの半塔を設けた、
 1465 プファルツ州へ、 1525 農民戦争で処刑、 1618-48 30年戦争で3回破壊、
 1689 継承戦争による破壊、 18C 仏革命とナポレオンによる仏占領。
 1815 ヘッセン大公国へ帰属、  1874 人口減少で都市権を棄権した、
 1969 ヴォルムスに併合。

2.市壁  0.08km 0.12 

  市壁は塔に付属して数カ所に僅か残っている。

3.塔  0門14塔

  全塔9と半塔5の14の塔が残っている。この内改修済みは円塔5と半塔3である。
 市民塔 BuergerTurm 南 1611建、1999復元、4階建六角屋根の円塔。
   キッチン.バス.ラウンジ付きで、2人までの宿泊可能。
 レンハート塔 LenhardsTurm 西 1500建、町長の名前からスプレガー塔とも言う。
   4階建六角頂塔の円塔。各階には人が住んでいたが、1997の再建以降北側
   の残った壁と繋いだ。
 隅塔 EckTurm 南東 市壁の角の四角塔。崩れていて上部はない。付近に
   幾らかの市壁が残っている。
 イナゴ塔 JohannisTurm 北 特徴ある2階建て防御塔、1525の農民戦争では
   重要な役割を演じた。市壁の中にあり壁上通路に接続。近く再建される。
 戸塔 TuerTurm 北 1500建、1983-84に天井を含めて改修された。後期
   ゴシックの2階建円塔。市壁が付いている。
 高塔 HohenTurm 北西 1500建、町の最高点にある2階建の角塔。両側の
   半塔に市壁で固めた。19Cに居住され、1995に改修された。
 セミ塔 Mauer mit HalbTurm 1500建、西 入口の西の市壁は1500に建てら
   れ木製の壁上通路のために町側の半円アーチ擁壁が見られる。半塔は上部が
   欠けている。
 赤塔 RoterTurm 東 1500建、市壁の隣接部分と共に2004-05に改修された。
 火薬塔 PulverTurm 北東 1554建、2階建円塔。中世の火薬庫であった。
   1996に復元された。
 アウル塔 AulTurm 北東角 3階建円塔、中世の防御塔で、監獄としても使わ
   れた。今日は人が住んでいる。

4.見所  C

   市壁の全長650mの小さな古い町である。多くの塔が立ち修復が進めら
  れている。
 市庁舎 Rathas 1760-70建、オーブ家の2階建事務所として建てられた。
   19C以降市庁舎として使用されている。
   改修、参事会宴会場には火事の銘板があり、今は結婚式場と博物館。
 非宗派別教会 SimultanKirche 西の部分は1708-21建、ゴシックの教会の身
   廊基礎の上に福音派の教会として建てられた。1789に内陣の東側は
   カソリックの祭壇が置かれた。
 学校博物館 ScluleMuseum 1900-1960は学校として使用され、1989に
   最初の学校博物館として古い教室を公開した。

5.町の略図

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レンス  Rhens  r63

写真

旧市庁舎 ホーフ通
教会門 ピーエ門
隅円塔 ライン門
西北壁 西壁
西南壁 東壁

1.歴史

 643 ケルン大司教は王ボ-ベルト1世からレンスを取得、874 ケルン・ボーベルトの財と言及、
 1174 ケルン大司教はレンスを伯爵に販売、  1272 ドイツ王選挙のために会議開催、
 1314 王ヘンリー7世の死後選挙人はレンスに集合、1338 ドイツ王選挙の帝国法を制定、
 1346 チャールズ4世はレンスで選挙された、    1370 レンスは都市権を授与された、
 1376 レンスに王の椅子を設置・保持を決めた、1400 ルプレッヒト3世をドイツ王に選出、
 1530-1620 自由帝国都市で比較的に平穏、1618-48 30年戦争は要塞で守った、
 1410 王ルプレヒトの次の選挙はフランクフルトに移り、アーヘン戴冠式の途中に椅子に座った。
 1486 レンスでは都市法の改定、     1575-1667 レンスで魔女狩りが行われた。
 1794-1801 仏軍の占領時代も町の地位は維持、1815 レンスはプロイセン帝国に割当、
 1830-1984 コミュニティの地位を持ち市法は適用されなかった。

2.市壁  0.91km 0.91 

   市壁は1400頃に町を台形で囲んだ。北東側・ライン川沿い・山側には大分部が残
  されている。

3.塔  5門9塔

   市壁には5市門9塔がある。
 ヴィーエ門 Vieh Tor (1396-1428) 南西の門で山側にあり、門の内側アーチと
   石ヒンジのみが残る。
 教会門 kirche Tor (15c) 南東門で外側に教会があり、市側は2重門で10
   mの高さの塔が昔はあった。今は門壁の跡が在るだけ。
 ライン門 Rhein Tor (18c) 北東門でライン川への下りの門と、中世の3階建の
   建物複合体である。昔は税関であった。
 ヨーゼフ門 Josefs Tor (18c) 北西門でライン川への通路である。川側の市壁
   の間に2階建のアーチ通路付きの角塔がある。
 コブレンツ門 Koblenzer Tor (15c) 北門は歩道アーチと基礎部のみがある。
 3隅円塔 3Wcke Rund Turm (15c) 市壁の北西、南東、南西の隅の大きな
   円塔が3基ある。
 6壁塔 6Mauer Turm (15c) 北側半円殻塔、西側中間塔、西南長方形小塔、
   西南半円塔、南東半円塔、南東上部張出塔。

4.見所  B

    ライン川の左岸に、川側と山側の市壁に囲まれた小さな市壁地があり、美しい
  木組の建物も残っている。山上には川側から移された歴史的な王の椅子がある。
 旧市庁舎とマルクト広場 Altes Rathaus (1500) 1500の地階部分に1600の切妻の
   上階が美しく構築された木組の建物で、1514から市庁舎として使われた。マルクト広
   場の西側にも17c美しい青色の木組の建物が修復されている。
 聖ディオニシウス教会 Kirche St.Dionysius (1200) 市壁の外の南に建てられた教
   区教会で、12cロマネスクの西塔、15c後期ゴシックの身廊と後陣、1700内装のバロック化。
 王の椅子 Koenigsstuhl (1598) 1273からドイツ王の選挙人がレンスに集まって議
   論を行い、1346-1400ドイツ王の選挙がレンスで行われた。1376の戴冠式の後に、王の椅
   子の屋敷を建てる事が決められ、その費用と維持のために関税特権が与えられた。
   1398の王の椅子は、1624ヘッセン方伯ゲオルク2世によって復元されたが、1795仏軍は、市
   民に石材として販売し、1806に取壊された。1826プロイセン王フレデェリック・ウイリアム4世の支援
   を受け、1843に再建された。1929王の椅子は、ライン川沿いから、ライン川を見下ろせる
   現在の場所に移設された。今の王の椅子は、八角形の基盤の上に、7つの外側アーチが
   付けられ、17段の階段の上に置かれ、ライン川が見下ろされる。ライン側の外壁には、神
   聖ローマ帝国の双頭の鷲の紋章がある。
 ドイツの家 Deutsches Haus (1566-1570) 3階建の木組の家で、川側市壁の
   上に建てられライン門に直接接している。見晴らしの良い部屋に19cに画家が住んだ。
 赤いライオン Dom (16c) 最古の木組の家の一つで、おおきな斜めの支柱が典型
   的な生んでいる。窓は殆ど元のままである。
 革なめし屋 Lohgerberhaus () 旧革ナメシ地区にある建物。

5.町の略図

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ロッケンハウゼン  Rockenhausen  r64

写真

郵便局

1.歴史

 1332 都市権を授与された、    1457 ラウ伯爵の下でプフアルツ州に属した、
 17c 30年戦争で町はほぼ壊滅され、1792 仏革命軍が占領、1797 仏に併合、
 1798-1814 仏ドナーズパーク局の中心に、1815 ウイーン会議でバイエルン王国に属した、
 1818 バイエルン王国のキルヒハイム地区に割当、
 1945 終戦後仏占領下の新設のラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.04km 0.04 

   この町は、直径300mの円形の市壁で守られ、所々に市壁が残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1848-49) 簡素な後期古典主義の2階建の建物。1949屋根工事を
   行った。
 連合共同体事務所 Verband Gemeinde verwaltung (1901) 元地区事務所。今は共同体行
   政所。マンサード瓦屋根3階建のネオバロック砂岩切石造の建物。
 地方裁判所 AmtsGericht (1900) 地方裁判所は初め市庁舎にあったが1879用地を確保して
   1900建設。マンサード屋根のネオバロック切石造の建物。
 プロテスタント教区教会 Ev.Pfarr Kirche (1780-84) 後期バロックの建物に、バロックドームの4階建の角
   塔がある。1788のオルガン。
 カトリック教区教会聖セバスチャン Kath.Pfarrkirche St.Sebastian (1915-17) 3通路アールヌーボー砂岩バ
   ジリカに4階建の円塔。1900の火事で壊れ1917に再建。
 カトリック牧師館Kath.Pfarrhaus (1899) 元カトリックの牧師館で、バロックレンガ造のマンサード屋根の建物。
 商店 Geschaefts haus (1696) 年号が付いた2階建木組の建物で、木製の螺旋階段がある。
     商店 Geschaefts haus (1739) 装飾的なバロックマンサード屋根の木組の建物。
 革ナメシ工場 (1848-49) 年号表示のある一部木造の不揃いの建物。
 宮殿 Schloss Rocken Hausen (1234) 初めの水城に1399城代が住んだ。1504破壊され、
   1571選帝侯は住居円塔・螺旋階段・バロック寄棟2階建の建物を建てた。30年戦争で壊さ
   れ、1713-38地下室・納屋を含む複合建物を再建した。1797仏支配下で競売に付さ
   れ、1959町が取得して、市庁舎・図書館として使われ2000に改修された。
 塔時計博物館 Pfalzisches TurmUhren Museum (1979) 50の塔時計があり、最大で3mの大
   きい時計もある。その他、壁時計・天文時計・日時計・砂時計・小時計・等
   37,000の時計がある。
 北プファルツ遺産博物館 NordPfalz Heimat Museum (1904) 北プファルツの城・町・鉱山・昔の職人
   の鍛冶屋・靴屋・仕立屋・大工・石工等の生活を展示。

5.町の略図

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ザールブルク  Saarburg an der Saar  r65

写真

入口門 側壁
中庭 穀物倉(博物館)

1.歴史

  964 ルクセンブルクのジークフリート伯は山を買収し要塞建設、 1291 ハプスブルク皇帝ルドルフは都市権授与、
 1391 市場の設立、    1522 キッシンゲンのフランツが要塞を砲撃、     1636 ペスト流行、 
 1671 選帝侯カールは城壁を改修、 1698-1760 ハプスブルク家と仏が所有権争い、 1793 仏の州都へ、
 1816 ウイーン会議でプロイセン王国へ、 1850-60 旧市街地の市壁と門塔取壊、 1860 市は城跡を取得、
 1944 空爆でザール橋とローレンティウス教会の破壊、 1987 洪水防護柵の完成、 2010 仏軍の撤退。

2.市壁  0.14km (0.30)

   14cの市壁は、Hosen gasseに40m、Leuk Flussに50m×2、Kuno TurmとKauten Tuermchenの
   間100mに残っており、別に洪水堤防があちこちに見受けられる。

3.塔 1門2塔

 クノ搭 Kano Turm () 旧市壁の現存する四角錐屋根の防衛角塔。
 カウテン小塔 Kauten Turmchen () ザール川側の市塔で料金所として機能していた2階建の小塔。
 ロネンニウス小塔 Laurentius Pforte (17-18c) 市壁と隣接した家屋の地階に渡されたアーチ門。

4.見所  D

 新町役場 Neues Rathas (1906) 寄棟屋根の切妻付き3階建の中央突出の大きな建物。
 旧郡庁 Ehem.Amtshaus (1901) 後期歴主主義の2階建切石造の建物。
 聖ラウレンティウス教区教会 Pfarrkirche St.Laurentius (1855-56) ネオゴシック3身廊のホール教
   会。1563のゴシックの塔がある。  カトリック牧師館 Kath.Pfarramt (1856) スレート石造の2階建ネオゴシックの建物。
 新教教区教会 Ev.Pfarr Kirche (1892-93) ネオゴシックのホール教会。
 ザールブルク城 Saarburg (10c) 大司教の城で、13-14cに拡張され、18cに廃城となった。1890
   に一部再建され、上下に二つの中庭があり、城壁で囲まれている。ロマネスクの塔の家と14cの城の
  家がある。

5.町の略図

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ザンクト ゴアール  Sankt Goar  r66

写真

聖ステファン教会 聖ヨーゼフ教会
マルクト通 フュル通
シンダーハウネス塔 北東壁
北西壁

1.歴史

  550 修道士が定住しホスピスや礼拝堂を建設、     575 修道士の死後アールの墓が巡礼地に、
  765 ベネディクト修道院が置かれた、    1190 カッツネルンボーゲン伯フイリップ2世の管轄下に置かれた、
 1194 伯爵の死後ヘッセン方伯に渡された、 1567 息子ヘッセン・ラインヘルス方伯はフィリプ2世は城と町を受取った、
 1580 ペスト流行で175人、1598に142人、1635に200人死亡、  パラティーノ継承戦争で仏軍の包囲を撃退、
 1794 仏革命軍に城を破壊された、 仏は1813まで占領、    1815 ウイーン会議でプロイセン王国に割当、
 1918 一次大戦後仏が占領、 1945 米軍占領後、7月に仏支配、 1946 ラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.17km (0.22) 

   14cの市壁は、北側に、鉄道線路の山側に2基の壁搭と共に残る。

3.塔  1門2塔

  鉄道線路の山側の道路沿いに、2つの壁塔が残り、いずれも住居として使われている。
  魔女塔 Hexen Turm (14c) 3階建て6角屋根の塔で最上階は再建されている。東側に小塔
   が付いている。
 事務局塔 Kanzelei Turm (14c) 3階建て6角屋根の多角形の塔で屋根裏部屋の窓がある。
 アーチ門 Bogen Tor (14c) 市壁の東端にアーチ門があり、外に降りられろ。

4.見所  C

    旧市街地のHeer Str.やOber Str.には、古い木組の町並のある小さな町。
 市庁舎 Stadthaus (1880) 高基礎レンガ造隅石積のゴシックとルネッサンスのリバイバル混合様式。
 ラインヘルス城 Burg Rheinfels (1245) カッツネルンボーゲン伯がザンクトゴアールの税関城を構築した。
   ラインフェルス城は1255に完成し行政の場として使った。ヘッセン伯がルネッサンスの宮殿に拡張した。1996-97に仏軍
   は外堀と城を破壊した。1812に競売に付され、1843にコブレンツのエーレンブライトシュタインの再構築のための採石
   場となった。
 聖エリザベス教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Elisabeth (1887-91) ゴシックリバイバルの切
   り石造のバジリカで、1923にバロックの鐘楼を組込んだ。
 住家 Wohnhaus (1682) 古い3階建の木組の住宅。
 ホテル銀のバラ Gasthaus Silberne Rose (17c) 3階建の木組の旅館の建物。

5.町の略図

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ザンクト・ゴアースハウゼン  Sankt Goarshausen  r67

写真

旧市庁舎 聖ヨハネ教会
山南門 四角搭
円塔 通り
ガストハウス

1.歴史

 1222 文書初言及、 1298 カッツエネンボーゲン郡に属した、 1324 皇帝ルードヴィッヒ4世から都市権授与、
 1330 バイルン皇帝ルードビッヒは都市権を授与、    1371 トリアー大司教のマウス城に対抗してカッツエル城を建設、
 1583-1806 ヘッセン・カッセルの一部で関税を確保、      1626 30年戦争と1644ヘッセン戦争で包囲された、
 1806-13 仏の管理下に置いた、 1813 ウイーン会議でナッサウ公国に属す、 1866 プロイセンはナッサウ公国を併合、
 19646 ラインラントプファルツ州に属した。

2.市壁  0.05km (0.02) 

   1324の都市権の授与の後に、市壁が築かれた。市壁は17cに壊されが、東側RheinStr.29-31に30mと
  BurgStr.33に20mに市壁の痕跡が残る。

3.塔  0門2塔

 丸型市塔 Runder Turm (14c) MarktPlatz2にある市壁塔で、3階建円塔の上に八角形の
   見張室塔と八角錐屋根に煙突や小塔がが付いている。
 四角市塔 Virekiger Turm (15c) BurgStr.35にあり、螺旋階段付きの6階建の円塔で、テント
   屋根には一部小塔が立っている。今は、ローレライ市塔博物館として使われている。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1532) 地階石積上階木組持出の2階建6窓列の大きな建物。
   プラテスタント聖ゴアースハウゼン教会 Ev.Kirche St.Goarshausen (1860-63) ホール教会で西塔が高
   い教会で、2006に改修された。
 カトリック教区教会聖ヨハネス Kath.Pfarrkirche St.Johannes(1923-25) 1821から幾つかの教
   会があった場所に、バロック切石造の教会が建てれれた。
 ネズミ城 Burg Maus (1353) 切石造で建てられ、今は外殻が残っている。
 ネコ城 Burg Katz (1371) Neu Katzen Bogen Burg は、山頂に建てられた山城で、1806に
   ナポレオンは円形の主塔を破壊した。主塔を除いて修理されている。
 住家 Wohnhaus (1674) 2階建上階木組の古い建物。
 宿屋 Gasthaus (1790) フェリーハウス、2-3階建の上階木組の5軸の建物。

5.町の略図

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ジマーン  Simmern (Hunsruek) r68

写真

聖ステファン教会 聖ヨーゼフ教会
ジーマン宮殿 旧学校
シンダーハウネス塔 北東壁

1.歴史

 1072 ローマ居留地遺跡を文書言及、  1323-30 ルクセンブツク郡からトリア大司教領へ、
 1330 バイルン皇帝ルードビッヒは都市権を授与、  14c 市場開設、市壁建設の実施、
 1377 ヴィッテルスバッハ家パラティーン伯が支配、 1410 プファルツ・ジマーン・ツバイブリュッケンが相続、
 1509-57 プファルツ・ジマーンのビジョン2世芸術振興、1585 ジマーン家からプファルツ選帝侯へ、
 1688 プファルツ承継戦争の仏軍は要塞破壊、 17c末 街の復興始まる19cにレンガ造、
 1789-1814 仏ラインモーゼル郡の郡都に    1815 ウイーン会議でプロイセン王国に割当、
 1930まで 一次大戦後仏が占領、 1945 米軍占領後仏支配、ラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.17km 0.15 

   14cの市壁は、1689に壊されが、北側ミューレン路地の南の崖に高い市壁が残さ
  れ、東側フェル通りにも石積がある。

3.塔  0門2塔

 シンダーハウネス塔 Schinderhaunes Turm (14c) 東側フール通り南側広場にレンガ造の円
   塔は1750にバロックの新しい円錐屋根が付けられた。火薬庫や刑務所として使
   われ、1799義賊を逮捕したが逃亡された。
 円壁塔 Rund Turm (14c) 北側シューレン路地の市壁端にある円塔で屋根はな所として
   使所として使に改修された。

4.見所  C

    1689仏軍による町の壊滅が行われ、再建は17c末から19cに行われたため、
   古い建物は少なく、その時期の建物が多い。
 プラテスタント聖ステファン教会 Ev.Kirche St.stephan (1486-1510) 伯爵ジョン1世の下でゴシック
   の教会を建てた。南側通路にはジマーン伯爵の葬儀用記念碑がある。1776オルガンが
   付けられた。教会の後には、旧市壁の北側に隣接する聖十字架礼拝堂があった。
 カトリック教区教会聖ヨーゼフ Kath.Pfarrkirche St.Josef (1749-52) プファルツ王の許可を得
   て、バロックのローマカトリックの教会が建てられた。前庭は1703に建てられた元カルメル会
   修道院と隣接している。天井フレスコ画は、マンハイム宮廷画家が描き、1753オルガンが付
   けられた。
 ジマーン城 Burg Simmern (1311) 初めの城は1358パラティーン伯爵に引渡された。1410
   パラティーン・ジンアン公爵の所有となり、1410-1588と1708-13に公爵が住んだ。1689
   に町と共に破壊された後に、中世の城は、1708-19オーパーアマトンの管理棟として建
   てられ、町に寄付された。今は、フンスリュック美術館である。
 フンスリュック美術館 Hunsrueck Museum (1921) 歴史博物館としてシンダーハウネス塔に開設され、
    1930新城に移設された。1966城の改修に合わせて展示内容は再設計された。歴
    史・文化・民間伝承・出土品などが展示されている。
 校舎 Schulhaus (1846) ロマネスク荒石造3階建の旧校舎。
 牧師館 Pfarrhaus (1704) 旧カルメル会修道院で、2階建8軸漆喰塗の建物で、中央のポータル
   に聖ヨウゼフ像がある。
 木組の家 Fachwerk Haus (17c) 歴史的な木骨造の建物で部分的に重建築。
 県政庁 Kreisverwaltung (1910) ネオバロック3翼マンサード屋根の建物。
 レーフェンスブルク修道院 Kloster Ravengiersburug (1094) 南西5kmにあり、初めアグネス修道
   院設立され、次いでマインツ大司教ジーク1世が承認し、1410新教公爵領のプファルツ・ジマーン
   に移された。修道院は大地主であったが、1564世俗化で修道院は解散された。
   今の身廊は1718-22にカール7世によって建てられた。1920大学設立。
 レストラン・シュバルツアドラー Gaststaette Schwarz Adler (19c) 1689の破壊を免れ町で最古の
   建物の一つである。

5.町の略図

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シュペイヤー  Speyer  r69

写真

旧保険会社 ポスト広場
歴史博物館 大聖堂
アルテポルテル 市壁

1.歴史

 BC58 ローマ軍の征服、                 496 フランコ王国の支配、
 964 都市権を授与された、             1493 ライン川同盟に参加、
 1525 農民戦争勃発、          1256-1629 帝国会議で宗教改革を、
 1530-1620 自由帝国都市で比較的に平穏、1618-48 30年戦争は要塞で守った、
 1689 仏軍の占領と破壊、         1792-1815 仏の支配下に在った、
 1815 バイエルンに帰属、           1945 2次大戦の爆撃により被害。

2.市壁  0km  

   10Cに造られた市壁は大聖堂の周りの狭い範囲で在ったが、12Cにはホーエンシュタウ
  ヘン期の北への拡張があり、14Cに北と西を南に拡張された。今市壁は見当
  たらない。

3.塔  1門0塔

 旧門 AltPoertel 1176建 12C市壁の西門であり高さ55m、1512-14に東の上階
   が追加され、1708に急な屋根とランタンが付けられた。1689の仏軍の破壊には生き
   残った。

4.見所  B

    とにかく大聖堂は必見である。そこから西にアルトペルテルまでの大通りに見所が
   並ぶ。
 大聖堂 Dom 1030創建、11C末に手直しされたロマネスクのバジリカ大会堂である。4塔と
   2つの丸屋根を持つ。1957の大修繕で後世の改造を多く除去して復元された。長さ
   134m、幅37.62m、高さ33mの大きさで、東塔71.2m、西塔65.6m高さがある。
   地下室も、東西の長さ35m、南北46m、高さ6.2-6.5mである。
    地下聖堂には、美しい最大の地下聖堂があり、4人の皇帝と4人の国王の石棺が
   ある。南の庭には、Olberg1502-12があり、かっての修道院内庭園回廊の中心で
   あった。
 ドーム博物館 Domschutzkammer ドーム地下霊廟の副葬品や豪華な祭服が見られる。
 三位一体教会 DreifaltigkeitsKirche 1701-17建、広大なバロック教会、内部には、2
   層の回廊に取囲まれ、欄干は絵で飾られている。祭壇と説教壇の上の木彫は見事
   である。
 プハルツ歴史博物館 HistorischesMuseum der Pfalz 12Cの金の帽子.美術品.工芸品
   .磁器等を展示。
 ユダヤ風呂 JudenBad  12C建、ユダヤの家の中庭に造られ、宗教上の沐浴に使われ
   た。
 旧造幣局 AlteMuenze 1748建、中世のコインを展示している。

5.町の略図

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トラーベントラルバッハ  Traben-Trarbach  r70

写真

市庁舎 EV教会
ワイン倉 ワイン酒場

1.歴史

  830 ルードヴィヒ1世はアーヘンの牧師に村を贈呈、 1557 シュポンハイム伯領であり改革が導入、
 1815 プロイセンへ編入、 1818 トラーバッハ教会会議を設立、 1857 大火事で町の8割は焼失、
 1898 最初の橋が架けられたが1945に爆破、 1904 トラーベンとトラーバッハは合併。

2.市壁  0.05km (0.08)

   14cの市壁は、城を含め前堤が築かれ、1581に拡張された。南側の高い市壁が残っている。

3.塔  1門2塔

 橋塔 Bruecken Tor (1898-99) モーゼル橋の兄弟と門であり、二つの円柱を橋門でつな
   いでいる。
 白塔 Weisser Turm (14c) 市壁の北西の角の4階建も円塔で、カリオンと円錐屋根が付いて
   いる。
 殻塔 Schalen Turm (14c) 西4塔の内唯一残る半円塔である。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1833) 3階建で中央入口の上にベランダが張り出し、屋上に時計塔
   付きの建物。
 グレ^フェン城 Burg Greven (1350) 元基礎の上に拡張して城が築かれ、1687に居所が再
   建された。
 プロテスタント教区教会 Kath.PfarrKirche (14c16c) 不規則な2身廊の教会でロマネスクの西
   塔がある。
 カオザーの家 Haus Kayser (1762) ロココ石造の3階建の5軸の建物。
 ワイナリィ Kellerei Hof (1364) 古い地下室のある3階建のワイナリィ、2アーチの地下室がある。
 町粉挽所 Stadt Muehle (1688) 2階建木組の粉挽場の建物。
 住居と旅館</em> Wohn und Gasthaus (1763) 3階建上2階木組のマンサード屋根の建物。

5.町の略図

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トリアー  Trier  r71

写真

中央市場 フランケン塔
大聖堂 ポルタニグラ
南門 カスティル門

1.歴史

 BC16-13 アウグスト帝のローマ軍平坦地、1-3C 植民市に昇格した、
 314 大司教座聖堂が置かれた、  4C アルプス以北で最大都市285haとなった、
 459 フランク族が支配、       882 ヴァイキングの略奪で壊滅、
 958 市場権を得て8haを市壁で囲む、12C ローマ材を使って中世の市壁で囲む、
 15C 帝国自由都市となった、   1580 選帝侯の領有となった、
 17C 30年戦争と仏軍侵攻で衰退、 1815 プロイセン領となる、
 1944 2次大戦の空爆。

2.市壁  0.53km 0.11 

   4Cのローマ砦は、285haを壁を囲み、6万人の人口があった。12Cには、ローマ駐
  屯地の北西に100haを中世の壁4.7kmで囲み、今も一部530mが西南部に残り、
  北西部には射撃堀SchiessGrabenがある。

3.塔  1門4塔

 黒門 PortaNigra 2C後建、ローマ壁の北門として白い石で造られた。汚れ
   て黒くなったので中世には黒門と呼ばれた。2連のアーチ門の西側に4階建
   の塔が立っている。1階には守りのために窓がない。11Cに教会に改造
   されたが、1804に元の建物に戻された。
 フランケン塔 FrankenTurm 11C建、3階建の四角塔で、ローマ時代の典型的な疎石と
   レンガを交互に重ねた構造である。1308に建物は継ぎ足され三角の屋根
   が付けられ、2007に塔は改修された。
 エルサレム塔 JerusalemTurm 11C建、PaleiWalderdorffの中庭に、中世の要塞の
   塔がある。元は5階建だったが、今は3階しかない。今、登記所と老人
   事務所が置かれている。
 赤塔 RoterTurm 17C建、宮殿の北側に立っている。
 教会塔 St.GangolfKircheTurm 16C建、かっては見張り詰所であったが、教
   会の塔になっている。

4.見所  A

   ローマ時代と中世の見るべき遺跡が多くあり、中世の町とは、千年の差があり
  雰囲気が相当に違う。
 大聖堂 Dom 4C建、初期ロマネスクの重要な建物は中央部分で、11Cロマネスクの
   左右後陣が加えられ、18Cに丸屋根のバロック礼拝堂が付け加えられた。
 バジリカ Basilika 310建、皇帝のための宮殿の広間、19Cに創建当時の外観
   に戻った。1954に改修されて、新教の礼拝堂として使われている。
   バジリカに沿って17Cの選帝侯宮殿の主要部部が残り、今、役所や博物館。
 聖母教会 LiebfrauenKirche 1235-60建、中庭回廊でドームに繋がる最古の
   ゴッシック教会。ほぼ円形の建物の中央交差部に、1773まで大祭壇があった。
 司教座博物館 BischoeflichesMuseum 4Cのフレスコ画、聖母教会の西正面を
   飾っていた彫刻等を展示。
 中央市場 HauptMarkt 美しく古い広場の中央に市場の十字架が立ち、周囲
   にはルネッサンスやバロックの切妻屋根の4階建の建物が建っている。
 市博物館 StaedtischesMuseum ロマネスクの聖ジーメオン修道院の建物に、市の歴史
   収集物が展示されている。
 ラインラント博物館 RheinischesLandesMuseum 先史時代と古代ローマ部門が有名。
 円形闘技場 Amphitheater BC100頃造営、その後2-3百年で整備拡張され、
   長径75m短径50mの楕円形で3万人の収容能力があった。18Cには採石場。
 皇帝浴場 KaiserThermen 4C建、大規模なローマ浴場の跡、長さ360m幅140m。
 レーマー橋 ローマ時代に黒玄武岩の橋脚の上に木橋が架けられていた。1717に
   2本は取替えられたが、5本はローマ時代から残っていた。
 カール・マルクス館 KarlMarxHaus カール・マルクスの生家である。今は記念館になった。

5.町の略図

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ウンケル  Unkel  r72

写真

市庁舎 フォルツ路地門
監獄搭 南市壁

1.歴史

 11c ケルン協会の所有となる。 1072 アンノ2世はケルンノのリアアドグラドウス修道院に町を寄付、
 1475 リング・アイントラハトを形成し1640まで存在、 1553 市壁を構築、ライン側には強力な壁を設置、
 1578 ウンケルはケルンの町のリストに掲載、  1583 ケルン戦争、 1633 スエーデン軍の被害を受けた、
 1803-15 ナッサウ・ウイジンケン公国に属した、   1815-1948  ウイーン会議でプロイセン王国に割当、
 1945 2次大戦で破壊され、仏の占領下に置かれた。

2.市壁  0.45km (0.39) 

   1553に市壁が完成した。ライン川沿いは強力な壁があり、刑務所の塔とフロンホフの塔で守られた。
  東側の堀の要塞は埋められ道路として残されている。ライン川沿いの市壁は大部分が残され、1802に
  改修された。

3.塔  1門2塔

   町へのアクセスは2門と幾つかのライン沿いの小門によって守られたが、1823に取壊されて競売に
   かけられた。  刑務所塔 GefaengnisTurm (15-16c)2階建の石造の円塔で、バロックのタマネギ帽
   子が1700に付けられ、1986からは博物館を収容した。
 アーチ門 Rundbogiges Tor(15-16c)都市要塞の丸いアーチ門である。
 フロンホフ Fronhof (14c) 聖マリア・アドグラドウスのケルン修道院の元農奴裁判所で北側に四
   角の塔がある。1803にネオゴシックで完全に再建された。

4.見所  C

   古い木骨造の多くの建物が残されている。
 市庁舎 Rathaus (1855) 2階建切石造の5軸の一部漆喰の建物。
 カトリック教区教会 Kath.PfarrKirche St.Panraleon (16-17c) 3通路クラシックの
   ホール教会で、ロマネスクの塔・バロックの高祭壇・聖パンタレオンの生涯を描いたテンペラ画がある。
 牧師館 Pfarrhaus (1696)元救難聖人代理区、4切妻上階木骨造の2階建で、年号
   が見える。後に平屋の建物が増築された。
 フライリグラスの家 FreiligrathHaus (1760) 風格のあるバロック5軸マンサード屋根の建物
   で詩人が住んで居た。
 ヘレスドルフの家 Herresdorfisches Haus (1699) ウンケル城の2-3階建の3棟の建物で、
1699に拡張され、1757に北棟が建てられた。
 住宅 Wohnhaus (1730) 2階建切妻の木骨造の建物で、農場と中庭のある複合施設。
 鉄の家 Buegeleisen Haus (1650) 上階が半円形に突出した2階建木骨造の建物。
 シュバルツエンベルガー館 Schwarzenberger Hof (16-17c) 風格ある寄棟屋根の上階木
   骨造の建物で、中庭への門がある。
 ウンケル館 Unkeler Hof (1732) ケルンウルスリンのかってのワイナリィーで、19cに旅館に改装され
   た2翼2階建の木骨造の建物。

5.町の略図

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ヴァッヘンハイム  Wachenheim ad.Weinen Strasse  r73

写真

市庁舎 市壁搭
市壁 鋳造所

1.歴史

 766 ロッシュ修道院の寄付文書初言及、1035 皇帝コンラット2世は新修道院を寄贈、
 1341 皇帝ルードヴィッヒはバイエルン都市権を授与、1436 王ルプレレヒットは硬貨を鋳造、
 1525 農民戦争や継承戦争では無傷、 17c 30年戦争で略奪と破壊、
 1688-97 継承戦争で町はほぼ壊滅、  18c 再建後仏革命軍の占領破壊、
 1794 仏軍の占領その後仏に併合、  1816 バイエルン王国に属し統治された、
 1870 仏墺戦争・一次大戦は無傷、   1918-30 一次大戦後仏が占領、
 1945 2次大戦の空爆で司令部は破壊、1946 仏占領下ラインラントプファルツ州に。

2.市壁  0.82km 0.68 

   1341都市権後に、1.2km高さ9m壁頂通路幅1.5mの市壁が造られた。今は
  市壁は殆ど建物に合体しており、部分的にしか見えない。

3.塔  0門3塔

 壁塔 Mauer Turm (14c) 南東の角の長方形の塔で、復元された頂上に
   木造屋根付き防衛通路がある。
 壁塔 Mauer Turm (14c) 東北の市壁塔は、外に壁の殻は切り離された。
 泥棒塔 Diebs Turm (1341) 北西角に位置する2階建の大口径の円塔で、
   建物の中に埋もれている。

4.見所  C

   ワイン街道の町で、西の外れの丘に城跡があり天守閣や円塔が残っている。
  市壁で囲まれた旧市街には、古い木組の建物・貴族の邸宅・教会などがある。
 城跡 Ruin Wachtenburg (12c) 15cに大部分が破壊され再建されたが、1689
   仏軍に半壊された。1984から遺跡の保全が始まり、城の居酒屋が再開。
 ヴァッヘンハイム宮殿 Schloss Wachenheim (1839) 英国風景観公園にある大規模
   な後期バロックの宮殿。1903-04に大広間を追加した。
 旧貴族の家 Ehem.Adelshof Dalberg (1717) 3翼の貴族の館で寄棟屋根12
   軸の長い建物。16cの地下室がある。
 鋳造所 Muenz Hof (16c) 元城の門と守衛の家。1754後期バロックの寄棟屋根
   の建物で、16cの核に18cの建物が上付けされている。
 旧ルーテル教会 Ehem.Pfarrkirch (1748) 旧ルーテル教区の鐘楼付き後期バロックの
   ホール教会。
 十分の一税館 Zehnt Hof (16c) 2翼の大邸宅、1595の扉、16cの絞り機18c
   に更新。
 ウルフ・葡萄園 Weingut Wolf (1845) ワイン農園の大邸宅と作業場。
  St.Georg Kirche (12c) 古い千鳥の絵がある。15c後期ゴシック
   の内陣、1441横礼拝堂、15c聖具室・ネオゴシックの身廊、1686-1712拡張され
   塔が付けられた。1861再拡張。
 カトリック教区司教館 Kath.Pfarrhaus (1736-38) 元カトリックの大きな教区の家。1818
   に改装。
 ワイン館 Weinzer Hof (1606) 元ワイナリィで主に平屋のスコッタ建物は、1782にバロック
   に改修された。

5.町の略図

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ヴェストホーフェン  Westhofen   r74

写真

マルクト 南西壁

 1324 都市権が授与され市壁と堀を建設、16-18c上プファルツ・アルファイ選帝侯所属、
 18c 仏の占領下に置かれた、       1815 ウイーン会議でバイエルンへ割当、
 1816 ヘッセン大公国ラインヘッセン州に属した、 1835 ヴォルムス・サークルに1969迄属した。

2.市壁  0.03km 0.01 

   1354の市壁は南西のAn der Letze52に断片がある。

3.塔  0門1塔

 防衛塔 Wehr Turm (14c) 南西の角に防衛円塔がある。

4.見所  C

   787haのワイン畑があり、その70%が白ワインである。マルクト広場は木組の家や教会
  で美しく飾られている。
 市民の家 Buerger Haus (1755) 1588の元住宅で、1755にバロックで改修され市民の家
   となった。2階建10窓列の建物で、中央に中庭への入口がある。
 カトリック教区教会聖ペーターとパウル Kath.PfarrKirche St.Peter und Paul (1711) バロック
   のホール教会で、角塔が屋根に乗っている。
 新教教区教会 Ev.Pfarr Kirch (12c) 以前の聖ペーターとパウル教会で、核はゴシックの
   ホール教会。1574と1607に変換されている。1604北ポータルと4階建の角塔、1663
   -30と1701に再建、1864身廊の改修。
 住宅 Wohnhaus (1600) 町の中心にあるルネッサンスの建物は1756バロックで改装された。
 旧メッケンハイマー邸 Ehem.MeckenheimarHof (1554) 4翼の風格ある木組邸宅。
 聖母教会 Liebfrauen Kirche (14-15c) 元聖母教会でゴシックのホール教会。
   1851にアンナ・キャサリンの墓所となった。
 元旅館:鹿 Gasthaus Zun Hiesch (1750) 元旅館で、16cの階段塔と1750バロック石膏
   の建物。
 元旅館:ドイツハウス Ehem.Gasthaus Deutsche Haus (1600) 元旅館は1600のバロックの
   玄関のある2階の建物で、1579アーチ屋台の大きな木組の建物。
 学校 SchuelerHof (1580) 寄棟屋根の建物で、1592ルネッサンスの階段塔がある。1779に
   地下室とバロックの改装。
 住家 Hof Anlage (1567) 1567と1576の年号が刻まれている。ルネッサンスの一部木組の建
   物は、1708バロックに改装された。
 Kath.Pfarr Haus (1760)2階建上階木組の大きなバロックの建物。

5.町の略図

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ヴォルムス  Worms  r75

写真

市庁舎 西壁
西壁 西南壁
西南壁 ローマ通

 2C ローマ都市があった、       6C フランク帝国の王宮の一つであった、
 1122 都市の憲法の制定、         1184 帝国自由都市となる、
 1495 マクシミリアン1世の永久ラント平和令、    1521 帝国会議でルターの追放、
 18C スエーデン軍・仏革命軍の占領、      1815 ヘッセン大公国となる、
 1945 2次大戦の空爆で町はほぼ破壊。

2.市壁  0.96km 0.31 

   ローマ市民のキヴィタスは、大聖堂を中心に南北1.3km東西0.5kmの楕円型であった。
     中世の市壁は大聖堂を中心に3.1kmあったが、今は960mが残っている。

3.塔  2門2塔

   昔は全部で24門塔があったが、4門塔しか残っていない。
 ラッシィ門 RaschiTor 唯一残る北東門。
 門塔 Torturm 東 公園の中に市壁と共に残る。
 市民塔 BuergerTurm 東。
  Mayfels 東 残った市壁の端の塔。

4.見所  A

   大聖堂を中心に古く大きい建物が多くある。
 聖ヘー゚ター大聖堂 DomSt.Peter 1000-25建、ヴォルムス大聖堂、後期ロマネスクは東塔
   65mと西塔58mが残っている。1125-1300のゴシックは西の身廊、1117-81
   は西の内陣、1300は南身廊の装飾品。15C後期ゴシックの回廊、1689バロック
   の祭壇の組合せである。聖堂は、長さ110m幅27m柱廊の高さ26mと大きく、
   主祭壇は豪華である。NikolausKapelle1280-1315は、大聖堂南側のゴシック
   の礼拝堂である。
 三位一体教会 DreifaltigkeitsKirche 18C建、元にまま残っているのはバロック
   の前面と塔だけである。内部にはルターの宗教改革の記念館がある。
 聖パウロ教会 KircheSt.Paulus 1002建、始め修道院として建てられ、ビザンチン
   様式である。1689に火事で壊され、1717に復元されバロックのホール教
   会となった。1880に一時博物館となり、1945に破壊され、1947に再建。
 ルター記念碑 LutherDenkmal 1868建、中央にルターの像が置かれ、周囲に宗教
   改革を進めた人々の像が置かれている。
 市博物館 StaedtischsMuseum 旧修道院に先史から有史の収集品が展示さ
   れている。
 ハイルスホフ美術館 KunsthausHeylshof 15C-19Cの絵画.ステンドグラス.磁器.クリスタル
   ガラス等を展示されている。

5.町の略図

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ヴェアシュタット  Woerrstadt  r76

写真

市庁舎 郵便局
防御塔 市壁

 772 ロルシュ修道院へ農場・ブドウ園・森林の寄贈、  1150 村の堀を建設、
 1230 ワイン栽培の振興、二重壁と3門設置、  1587 大火事で130戸焼失、
 1590.1612 戦争と火災の後に教会再建、1639-49 皇帝軍の占領で荒廃、
 1748 ル-マニア・ブラジル・アメリカへ移住、    1798-1814 仏に併合された、
 1815 オーストリア・バイエルンの政権下に、      1817 ヘッセン大公国となる、
 1919-30 一次大戦後仏軍の占領。

2.市壁  0.02km (0.01)  

   12cの市壁は、市の文化財リストによれば、町の西北側のWallStr.の外側に二重溝
   がありその中に旧要塞の遺跡がある。

3.塔 0門1塔

 防衛塔Wehr Turm (1624)以前の墓地要塞の切石造の円塔。

4.見所  C

 町役場 Rathaus (1890) 2階建レンガ造の建物。
 カトリック聖ラウレンチウス教会 Kath.St.Laurentius (1835)新古典の簡素な建物。6階
   建の細長い四角塔。
 プロテスタント聖ラウレンチウス教会 Ev.St.Laurentius (12c)初めの後期ゴシックの建物を12
   26に復興し、コアの3身廊の聖堂を1530と1854に改修した。
 薬局 Apotheke (1718) バロック2階建ての漆喰塗りの建物で、1886上階木組は
   元の形で復元された。
 地方裁判所 Amtgericht (1840-50) 前地方裁判所、後期古典様式の2階建砂岩
   造の建物。
 プロテルタント牧師館 Ev.Pfarrant (18c) 堂々たるバロックの木製屋根。
 旅館:金獅子 Gasthaus zum GoldenenLoewem (1798) 後期バロックのマンサード屋
   根の建物。
 住宅 Wohnhaus (1589) 漆喰塗り2階建寄棟屋根の建物。
 アーチ入口 Potal und Torbogen (1609)後期ゴシックのアーチ入口。
 住宅 Wohnhaus (1609) 大規模な2階建半木造の漆喰塗り寄棟屋根のの建物。

5.町の略図

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ビットブルク  Bitburg  r77

写真

市庁舎 市壁

 330 コンスタンチヌス帝の時代に街路要塞として集落は拡張された、8c フランク王の別荘建設、
 1239 ルウセンブルク伯は町の要塞着手、 1262 ルクセンブルク伯は市の権利を認めた、
 1443 ビットブルク公国はブルゴーニュ家に陥落された、1586-1714 スペイン領ネーデルランドに属した、
 1676 仏軍に占領されしへきをはかいされた、   1714 オーストリア領ネーデルランドに属した、
 1794 仏の統治下に置かれ州都として栄えた、    プロイセン王国に属し郡都であった、
 1944 空爆で85%が破壊され、仏の占領下に置かれた、 1985 仏軍が撤退しNATO空軍へ、
 1994 NATO空軍撤退。

2.市壁  0.88km (0.26)  

   4cのローマ時代の市壁の上に、中世の市壁が建てられた。中世に市街地は南の拡
  張され、市壁も拡張された。

3.塔 0

 門や塔は見当たらない。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1953-55) 4階建寄棟屋根の建物、城壁の塔の跡に増築された。
 カトリック聖ラウレンチウス教会 Liep Freuen Kirch (14-15c)1860に後期ゴシックノ西塔のある
   3身廊のホール教会へ拡張。
 ホテル Zur Post (1718) 3階建てバロック前面の7軸の漆喰塗りの建物。
  

5.町の略図

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ラインラントプファルツ州で市壁が見つからなかった町 

 ツバイブリュッケン Zweibruecken RP1

1.歴史

 1170 最初文書言及、すでに市壁や市門があった、   1352 都市権の授与、
 1385 城や町をヴィッテルバッハ家へ売却、   1410 ツバイブリュッケン独立公国となる、
 1488 活版印刷機の導入、             1635 30年戦争の占領、
 1677 仏軍による町の破壊、          1698-1718 スエーデンの領地、
 1720-25 領主城の建設、1945に破壊、      1793-1814 仏軍の占領、
 1816 ウイーン会議でバイエルン領となる、   1945 2次大戦の空爆で町の90%破壊。

2.市壁  0km 0 

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   Schloss広場を中心に大きな建物が建ち、バラ公園が有名。戦災後の建物が殆
  どである。
 公爵宮殿> HerzogSchloss 1725建、ヴィッテルバッハ家のバロック宮殿、1867司教宮
   殿、1945空爆で破壊、再建され1965から高等裁判所。
 旧市庁舎 AltesRathaus 1372建、1677仏軍の破壊、1699新しい建物で再建、
   1952から市庁舎。
 市塔 StatTor 1170に造られた城は壁や門で守られていた。バス発着所への入口
   に市門が立っている。
 カールス教会 KarlsKirche プロテスタント教会、1711に完全に改廃された。2次大戦で破壊
   され、1970元の設計に基づいて再奉献された。
 アレクサンダー教会 AlexandersKirche 1493建、後期ゴシックのプロテスタント教会、1806に新
   たに建設、1945に空爆でアレクサンダーの墓が壊され、2001にここに埋葬。
 バラ公園 RosenGarten 1539開園のバロック公園、ヨーロッパ最大のバラ園、季節には2千
   種6万本のバラの花を見られる。

5.写真

アレックス教会 宮殿

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ラウネン Rhaunen RP2

1.歴史

  8c ロッシュ修道院が所有、         841 フルダ修道院の文書に言及、
 1271 教区となり1227聖マーチンに教会が捧げられた、14c ラウネン高等裁判所を設置、
 1560 改革の導入、 17c 30年戦争で人口減、 1685 仏占領でカトリック教会開設、
 1801 神聖ローマ帝国の終焉と共に  中世の行政単位であった高等裁判所の解散、
 1815 プロイセン王国へ属した、      1901 一次大戦後に地方裁判所を設置。

2.市壁  0km  

   見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   小さな旧市街地のマルクト広場でなく、その南の広場に町役場・地方事務所・大
  きな商店等が集まり、数多くの古い建物がある。
 町役場 Rathas (1723) 不完全な寄棟屋根の上階木組の3階建の建物。地階はオープ
   ンスペースで、鐘楼がある。
 旧郡庁 Ehem.Amtshaus (1901) 後期歴主主義の2階建切石造の建物。
 カトリック教区教会聖マーチン Kath.Pfarrkirche St.Martin (1887-88) フランシスコ会のホール教
   会。町の中心から東にある。
 新教教会 Ev.Kirche (1277) 初め聖マーチンに捧げられ、1560に改革が導入され、
   1888の同時教会を経て、2004新教ラウネン教区となった。荒石の広間教会は
   漆喰塗りで、13cの塔のある長さ19.6m幅16.1m高さ4.3mの教会で、15cに
   3面非対称の後陣、1700身廊が建てられた。南翼に後期ゴシックのフレスコ画が
   東には1772の多角形の木製説教壇がある。
 ヴィルトグレーフの家 Wildgraeflicher Hof (18c) マンサード屋根2階建化粧造の長い建物。
 地方裁判所 AmtsGericht (1899)
刑務所と庭を持つ、元王立地方裁判所。城
   のようなネオゴシック石造2階建の建物。
 校舎 Sclulehaus (1862) 元カトリック学校、円形アーチ型窓の2階建の建物。

5.写真

市庁舎 城壁

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スタットエッケン Stadteken -Elsheim RP3

1.歴史

 12c スタットエッケン城の建設から名付た、      1276 楕円型集落の初言及、
 1301 城の保護の下に小さな村に発展、 1301 皇帝アルブレヒトは都市権を授与、
 1632.39.1725.35 略奪・破壊で村は廃棄、   1733 プファルツ選帝候が所有、
 1814 ヘッセン・ダルムシュタット大公国に、          1816-71 ドイツ帝国へ、
 19c末 町は経済発展、      1969 エルスハイムと合併、マインツ・ビンゲン地区に。

2.市壁  0km  

    楕円形の旧市街地の南城壁付近に、市壁らしき物があるが。

3.塔  0門0塔

    見当たらない。

4.見所  C

    城壁に囲まれたスタデェック城とその周辺が町の中心部で、市庁舎や教会がある。
 市庁舎 Rathaus (1771) 後期バロックの2階建寄棟屋根の広い石膏の建物で、城内の
   Amtshausとして再建され、今は市庁舎。
 スタデェック城 Burg Stadeck (12c) 18c初めに壊された部分は修復された。
   城郭:(1760)周壁と隅塔を有する大規模な2階建の本館。
   城倉庫:(18c)2階建寄棟屋根の大きな建物で、展示会・講演会・文化行事の拠
       点で、150人収容のホールがある。
   役所:(1771)今の会議場である古い建物と、寄棟屋根石膏の建物があり今は
      市庁舎。
 新教聖ペ-ター教会 Ev.Kirche St.Peter (1735) 後期バロックの建物は1735、西前面は
   1850、3階建の東角塔は1770。
 新教牧師館 Ev.Pfarrhaus (1732) バロック平屋マンサード屋根の建物。
 小納屋 Kleine Scheune (18c) 屋根裏部屋のある旧納屋で、改修されてクラブの保管
   庫や展示会に使われた。
 住家 Wohnhaus (18c) バロックの上階木組の2階建の大きな建物。
 アーチ門 Tor Bogen(1681)入口アーチ門はバロックで木の角と左側に紋章がある。

5.写真

聖ペ-ター教会 東城門
南城壁 北城壁
ランデン通

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各町の歴史と見所

 表中の各町について、その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。

ザールラント州 SL

オットヴァイラー  Ottweiler  l1 

写真

市庁舎 ツインガー壁
ツインガー壁 西壁
古い塔 新教教会
北壁 市庁舎広場

1.歴史

  871 修道院の建設、    1260-80 修道院保護のためベイリー城を建設、
 1393 書面での最初の言及、      1550 カール5世から都市権の授与、
 1553 仏軍による略奪と破壊、      1634 30年戦争で仏軍の占領、
 1728 磁器工場の設立、町の再建、      1815 バイエルンに帰属した、
 1947 2次大戦後ザールラント州の郡庁所在地となった。

2.市壁  0.13km (0.18) 

   15Cから中世の市壁が町を囲っていた。古い円形市壁の残りは、北のZwinger/
  Stadtmauerと西のAlteTurm付近である。

3.塔  0門2塔

 古い塔 AlteTurm 1410建、天守閣として建てられ、今は時計鐘楼や展望塔として
   使われた。
 門塔 NeuMuensterTorTurm 15C建、南のEngGassの町並みの中に、ノイミュンスター門の
   名残がある。

4.見所  D

   旧市街地の中心である城広場とマルクト広場に主要な建物があり、木組の家
  も残り市壁も見られる。
 ヘッセの家 HesseHaus 1590建、2階建破風付きルネッサンスの建物、伯爵の行政の本拠地とし
   て建てられ、後には住んだ商人の名前が付いた。
 旧市庁舎 AlteRothaus 1717建、木組3階建の建物で屋根上小屋がある。裏に、建物で
   囲まれた小さなフォルナール広場が隠れている。
 新教教会 Ev.Kirche 昔の礼拝堂は、1756に新教の教会に改修された。
 教区教会 PfarrKirche 1832-34建、古典的な四角形の広間教会であり、内陣は1898
   の火事の後に付け加えられた。
 町博物館 StadtMuseum 町の歴史や1550町の憲章授与.市民生活.修道院.教会塔の収
   集品を展示。。
 学校博物館 Schulmuseum ザールラント州体験博物館。1850-1910に使われた学校の家具
   や設備を3階に再現している。
 薬局博物館 MuseumsApotheke 1911建、昔の薬局のユーゲントシュティールの調度が保たれ、
   貴重な寄木象眼細工が見られる。

5.町の略図

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ザールブリュッケン   Saarbruecken  l2 

写真

市庁舎 市壁

1.歴史

  999 皇帝オットー3世は城をメッツ司教に提供、 1171 ザール川沿の岩の上に城を再建、
 1321 伯爵ジョン1世は集落と漁村に都市権授与、1546 ザールブリュッケンと漁村間に架橋、
 1604-17 侯爵ルードヴィッヒはルネッサンスの新橋を架橋、 17c 戦争の略奪と破壊で人口減、
 1677 仏ルイ14世軍は町を焼き払った、     1741 鉄鉱石と石炭産出で発展、
 1745-54 バロックの宮殿・市庁舎・教会・邸宅の建設、 1793 仏革命軍の略奪と破壊、
 1797-1801 仏ザールブリュッケン郡となった、   1918 1次大戦後ザールラントは仏に併合、
 1945 2次大戦後町は壊滅、仏が併合支配、   1955 住民投票で独連邦に帰った。

2.市壁  0.07km (0.09) 別に城壁0.40km 

   城壁は0.40kmあるが、川沿いでは壁が高い。

3.塔  0門0塔

   門塔は見当たらない。

4.見所  A

   左岸にある古いザールブリュッケンに加えて、右岸のザンクトヨハン地区にも都市の集積
  のある大きな都市である。左岸の宮殿付近を記述するが、2次大戦の傷は深い。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1748-50) ステンゲルのバロックの建物で、切妻には橋の紋章が
   ある。上階に冒険博物館があり、異民族と遠方諸国の展示がある。
 宮殿 Schloss (10c) 中世の城砦に続いて、17c南にルネッサンスの宮殿が建てられ、1738
   バロックの宮殿が新築された。戦災と老朽化で1982中央に近代的なガ
   ラスのパビリオンのある古典主義の3翼の宮殿たなった。
  ザール歴史博物館
    右翼の南にガラスと鉄鋼の新しい建物が建てられ、ザールの戦乱と生活を展示。
  宮殿広場
    色の異なる中央の敷石2146枚には、裏に全国のユダヤ人墓地の名前が刻まれて
   いる。北支部にはバロックの衛兵所を抽象化した建物がある。
  世子の館 (1760-66)
    宮殿の南側に3つの古い建物を改修して世子のための館を建てた。仏革命後
   鉱山監督庁・鉱山管理局・警察署などに使われ、今は市の諸機関が入っている。
 先史・初期史博物館 Museum fuer Vor und Fruegeschichte (18c) 宮殿広場の西に
   あるバロックの旧地方身分制議会の議事堂内にローマ時代からの展示がある。
 宮殿教会 Schloss Kirche (15c) 1683大火事の後に後期ゴシックで建て直され、1956-
   58二次大戦後の再建された。
 ルードヴィッヒ広場 Ludwigs Platz (1762-75) 広場の北・西・南をバロックから初期擬古主義
   の美しく壮大な8つの建物が囲んでいる。
 ルードヴィッヒ教会> Ludwigs Kirche (1775) バロック十字型の教会は豪華に建てられた。二
   次大戦の戦災は忠実に再現された。

5.町の略図

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ザールルイ   Saarlouis  l3

写真

市庁舎 市壁
聖ルードヴィヒ教会 要塞門

1.歴史

 1458 この場所はワードガッセン僧院が所有し管轄した、    1679 ナイメーヘンの和平で仏領へ、
 1680 仏王ルイ14世は国境の要塞と要塞都市を置いた、 1687-88 要塞都市へ住民を強制移住、
 1683 ザール県の首都になった、  1815 ウイーン会議でフロイセンへ、プロイセンによる要塞強化とケースメイト配置、
   1848 仏革命軍の武器庫襲撃、  1889 要塞の取り壊し、  1918 一次大戦後に仏が占領、
 1935 国民投票の結果ドイツ帝国へ、 1938 西壁の一部を建設、 1940 独仏戦争で領地拡大、
 1945 空爆と砲撃で町に中心部は大被害、 7月仏軍が占領、  1955 独連邦に帰った。

 

2.市壁  0.28km (0.16)  

   中心の六角形の都市部の周辺は星形の砦で囲まれ、6つの砲台が配置された。その外側には浸
   水要塞があった。要塞は1887に解体され、中心部の北には市壁や堀が残され、ヴォーバン島・デメルーソ
   ・ケースメイト・兵舎も残っている。1968からは要塞の修復が行われている。

3.塔  1門0塔

 ドイツ門 Deusches Tor (17c) 町に北西に当たるこの門は、ドイツに向いていた。1886
   交通量の増加によって解体された。1970に通りは拡張された際に、ケースメイトの頭が復元され、歩行者
   通路が左右に付けられた。ドイツ門の前の大砲は1970年代初めに配置された。
見当たらない。

4.見所  B

   旧市街は、主として歩行者ゾーンとなり、おおくの店舗が並び、要塞時代の2階建の職人の家も残
   り、狭い家・木製シャッター・マンサード屋根が特徴である。
 市庁舎 Rathaus (1951-54) 第2次大戦でれ壊され、柱列を巡らせた古典的な窓軸シス
   近代的な6階建高さ27mの塔にはカリオンが付けられ、1日4回鳴らされる。
 タペストリー・ホール Gobelin Saal () 歴史的なタペストリーを収容するために新市庁舎内に設けら
   れた。貴重なタペストリーは1687ルイ14世が王室工房から大統領裁判所に飾った。加えてルイ14世のバ
   ロックの椅子も置かれている。市庁舎の開業中は訪問できる。
 大市場 Grosser Markt (17c) 要塞の中心にあり、樹木に囲まれたパレード広場として作
   くられ、南北と東西方向に軸は向いている。城門から城門が450mで1万m2の特大の面積を有する。
    市場の4隅の噴水は、プロイセン時代のもので1832まで市民に飲み水を供給していた。
 ルードビッヒ教会 Ludwigs Kirche(1685)当初のバロックに教会は、1864に身廊がネオゴ
   シックに置き換えられ、搭も1864に火事に遭いネオゴシックで統一された。1965に地下水位の低下により、
   身廊は解体され、1970にコンクリートの一体構造となった。二つの角の家は元のバロック時代からの遺産で
   ある。
 司令部 Kommandantur (1680-83) 政府の建物としてバロックで建てられ、総督が住んだ。
   プロイセン時代には指揮所・陸軍管理本部であった。1960年代復元不能となって解体され、バロックでか
   っこう良く再建された。
 プロテスタント教会 Ev.Kirche (1906) バスティオン5世はドイツルネッサンスの教会を建てた。
 北部緑地 Saar Altarm und Stadtgarten (1928) 小道のネットワークで1889に要塞
   が壊された後も残った要塞の幾つかを含む地域が公園として、1928に今の形で整備された。
    ザールアムタールは、1972の洪水対策を水辺の小道で結んでレクレーション地域として整備した。
 兵舎Ⅰ KasameⅠ(1683)創設時から唯一の歩兵兵舎として建てられ、プロイセン時代には
   第八野戦砲兵連隊を1897まで収容した。1984-85に修復されて3階建となり、地階には店舗上階に
   は住宅となった。
 兵舎Ⅵ KasameⅥ(1866-69)元仏兵舎の代わりにプロイセンが古典主義で、長さ185mの
   兵舎を建てた。1918まで第30歩兵連隊の兵舎であった。1970年代に修復され、警察・市博物館・ルー
   ドウィッヒ美術館を収容した。
 ケースメイト Kasamstten(1824-29)プロイセン要塞が強化される過程で、主壁の位置に砲弾
   を防ぐ防御システムを建設した。土で覆われた保管庫は防御時の兵士と馬を避難させ、指揮所として機
   能し平時には武器や食料が保管された。1970年代に私的にドイツ通り東側が修復され、その後市も
修復して上品な内装の店舗がが出現した。
 バスティオン兵舎Ⅵ BastionⅥ(17c)ヴォーバン島から今も保存状態の良い石積のバスティオン
   Ⅵが眺められる。
 ルードウィッヒ美術館 Ludwig Galerie (1989)2017に兵舎Ⅵに移り、古き良き芸術と現代
   の作品を融合させる展示と、コレクター・ルードウィッヒの取集物を展示している。
 地方裁判所 Amtsgericht(1907)旧ラヴェリンスの跡地にネオゴシックで建てられ、広い階段と
   広々とした木張の廊下の待合室を備えている。
 実験室 Laboratoriium (1821)プロイセンの要塞の北西部に、火薬と手りゅう弾を格納す
   る建物が建てえられた。一時私有となるが、1987に市が買い戻して復元した。今はザールラント現代美術
   研究所が置かれている。
 コッホの家 Haus Kock (1737)最古のバロックの民家の一つである。住宅として建てられ、19
   77-94地区事務所、1894-1904は貯蓄銀行、1904-45はモーベルハウス・コッホであった。1848に町の所有
   となり、歴史的建築物として修復された。

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ザンクト・ウェンデル  St.Wendel  l4

写真

旧市庁舎 市庁舎
ドーム 市壁

1.歴史

 

  7c中 ベルダン司教ポールグが購入して何世紀か支配、 9-10c 巡礼教会を建て聖遺物を保管、
 11-12c 城が建てられ聖ウェンデルの巡礼が行われた、 1326 トリアー選帝侯とルクセンブルク大司教が城と村
    を買収し、中世の町へ発展させた、         1328 執行官ヤーコブは新しい城を建設、
 1388 ヴェルナー大司教は1門と周囲650mの市壁を築く、 1440 トリアー大司教は教区を与え市場を開く、
 1522 キッシンゲン軍が砲撃して占領した、 1514-89 町は大火事で大部分を焼失、 17c 町は壊滅、
 1677 仏軍は町を破壊し焼き払った、       1701-14 スペイン承継戦争で占領し略奪された、
 1733-36ポーランド承継戦争、1741-48オーストリア承継戦争、1756-63七年戦争、 1792革命戦争で消耗、
 1819 リヒテンシュタイン公国に属した、  1834 侯爵は国をプロイセンへ売却、  1859 周辺の町と合併、
    1868 地区の司令部となった、 1945 二次大戦で米軍が占領、7月に仏に移管。

2.市壁  0.02km (0.01) 

  14cの市壁は、戦争で壊され補修されて来たが、18cの終わりになると姿を消した。僅かにHospital
   Str.81.83.85に建物の裏側に20m残っている。

3.塔  0門0塔

  見当たらない。

4.見所  C

 旧市庁舎 Altes Rathaus (1802-03) 2階建バロック漆喰の建物は正方形に平面で建
   てられた。正面5窓列の中央に入口がある。
 ヴォンドリュウス バジリカ Wondalinus Basirika (14c) 大聖堂は後期ゴシックノホール教会とし
   て建てられ、1370の聖ヴォンドリュウスのトウンバは内陣の中央に立っている。守護神ニコラウスの紋章で飾られた
   石の説教壇が有名。聖ヴォンドリュウスの骨のある高い墓は祭壇エリアにあり巡礼者はその下を歩いている。
 ミア・ミュスターの家 Mia Muenster Haus () 地階に市と地区の図書館があり、上階に市立博物
   館が入っている。
 ミッションハウス Missions Haus (1898) 宣教民俗学博物館があり、主として宣教師が外国から
   持ち込んだ外国文化が展示されている。
 彫刻通り St.Wendelからポスタル湖までの17kmに、現代的な彫刻が展示されている。1771に14
   の作品が「彫刻の道」として始まり、以降継続されている。
 ゾーモルの家 Sohmollsches Haus (1875) ネオルネッサンスの素朴な2階建の建物で、バルコニィ付き
   の入口が中央にある。かっては商業学校であったが、今は市立図書館である。
 学校 Schule (1876-77) 2階建の風格のある砂岩の建物で、ギムナジュウムとして使われた。
   その後州立研究センター・女子高校になり。1937には要塞の建設者が使用した。
 聖ヴェンデラー病院 St.Wendeler Hospital (1455) 貧しい高齢者の宿泊と介護のための
   2階建で建てられ、1800に世俗化したが、19cに財団が再び育児と青少年のケアを行っている。

5.町の略図

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ザールラント州 で市壁が見つからなかった町

ブリースカステル Blieskastel SL1

1.歴史

 1098 初の文書言及、          1273 修道院Graefinthalの設立、
 1284 司教が城と支配権を持った、          1337 トーリアが領有、
 1522 トーリアとの争いで城は破壊された、   1661-64 新しく宮殿を建てた、
 1792 仏革命軍による占領、          1815 バイエルンに帰属した。
 1947 2次大戦後仏へ独立した、     1955 住民投票で独連邦に帰った。

2.市壁  0km  

   城壁は0.80kmあるが、その他は見当たらない。

3.塔  0門0塔

   門塔は見当たらない。

4.見所  C

   川の左岸沿いの下の町と、崖の上の城のある上の町とがある。
 旧城 EhemaligesSchloss 1661建、1793の仏革命時に破壊された。1953に
   古い城の上に女教師寮が建設された。今日は高等中学として使われている。
    まだ17Cの城壁が800m残っている。印象的な建物と高価な内装は1793
   の時代を示している。
 市庁舎 RathausⅢ 1726建、孤児院として建てられ、マンサード屋根の2階建長
   方形の建物で、南側に開口部があり、側面には高く聳える三角ペディ゙メントを
   有する。今は市庁舎となり、多くの芸術と歴史の展示と上映がある。
 新教教会 ProtestanischeKirche 1669建ハレン教会、1767-69廊の増設、1767
   四角塔が付けられた。
 修道院と十字架礼拝堂 Kloster&HeiligkreuzKapelle 1682-83建、修道院は
   丘の上に礼拝堂と共に建てられた。
 城教会> SchlossKirche 1776-81建、フランシスコ会修道院の教会は、城に取り込
   まれ、仏革命によって失われた。1806に聖セバスチャン教区教会となった。
    内部には広々とした広間、西正面はイタリア風バロックの壁柱がある。
 城山と職員住宅> Schlossberg&BoamtenHaeuser 1770-77建、コブレンツから
   ヴォンデア・ライエンが移動するために、役員と家族が入る職員住宅を建てた。
 オランジェリー Orangerie 1670建、かっての広大な宮殿の残りの部分、2階建の中
   世の城壁の背面として使われた建物。1956にバロックの庭園が造られた。

5.写真

ベンダー通 旧城

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メットラッハ Mettlach SL2

1.歴史

  676 公爵フランクは修道院を設立、 990 アボット・リオフィンは創始者の墓教会建立、
 18c 今の修道院を建て、1801世俗使用され、会社の本部を収容、1921火災被害、
 1886 最初のザール川の橋が架けられ通行料を徴収、
 1930 橋は近代化された。  19362次大戦で破壊、  1951再架橋。

2.市壁  0km  

  見当たらない。

3.塔  0門1塔

 古い塔 AlterTurm (990-994) 最古の宗教的な建物で、オスマン帝国墓礼拝堂
   として建てられ、1247ゴシックの螺旋階段が付けられた。

4.見所  D

 教区教会 PfarrKirhe St.Lutrius。
 旧修道院 Villeroy und Boch Outlet (18c) 旧修道院の建物。

5.写真

旧修道院工房 古い塔

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<以上>

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