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ドイツの市壁のある町2

州別リスト

                               
ファイル 州名 州数 小計 市壁無
bd1GS 大都市 g1-5 +1
BR ブランデンブルク b1-42 +4
BWバーデン・ビュルテンブルク v1-50 97 +14
bd2 BWバーデン・ビュルテンブルク v51-w68 116
bd3 BYバイエルン x1-99 99
bd4 BYバイエルン y1-z17 116 +14
bd5 HEヘッセン h1-i12 111 +10
bd6 MVメルケンブルクVP m1-32
NS ニーダーザクセン n1-49 81 +5
bd7 NWノルトライン・ヴェストファーレン o1-101 101 +25
bd8 RP ラインラント・プファルツ r1-76 +3
SLザールラント l1-4 80 +2
bd9S ザクセン s1-54 +9
SAザクセン・アンファルト a1-62 116 +2
bd10 SH シュレスヴィヒ・ホルシュタイン k1-4 +7
THチュービンゲン t1-60 64 +8
合計 981 +104

 表中の各町について、 その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。

  Hessen 1-111 

 

      

ドイツの市壁市壁のある町

州別リスト

 ヘッセン州 Hessen 1-111

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各町の歴史と見所

 表中の各町について、その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。

⑩ ヘッセン州 HE

 アルスフェルト Alsfeld h1

写真

市庁舎 マルクト広場
壁円塔 木組家

1.歴史

 9-10c ヴァルギブス教会の祭壇に記述、   1069 最初の文書言及、
 1180-90 チューリンゲン方伯は城を築いた、  1222 町として証言された、
 1247 町はヘッセン方伯に属す、       1254 ライン都市同盟に参加、
 1395 ヘルマン2世は宮殿を建て時々王宮に、 1567 ヘッセン・マールブルクに属す、
 1604 ヘッセン・ダルムシュタットに属す、      1821-32 ヘッセン大公国に属す、
 1832-1972 町には地区事務所があった。

2.市壁  0.38km 0.27 

   14Cの市壁は通りの名前で判別できる。南のKloster Mauer Wegには、
防御塔と共に市壁160+90mと、北のOberGasse付近に130mが残っている。

3.塔  0門1塔

  かっては4市門あったが、今は見られない。
 レオンハルト塔 Leonharder Turm (1886) 旧市街の南端に市壁と共に立っ
ている7階建の円塔である。市壁に繋がる尖頭アーチの入口があり、
地上階には天井からしか入れない。頂上には胸壁高欄と小尖塔があ
    る。碑文には1386の年号。

4.見所  C

    交易路で栄えた町で、美しいマルクト広場の周辺には古い木組みの建物
     が再建されている。
 市庁舎 Rathaus (1512-16) 石像の地階の上に木骨造2階建て、前面
2小塔付の美しい建物で、地階部分は昔市場広場として使われた。
2階は市長室や市議会、3階は旧法廷1604であった。
 婚礼の家 Hochzeits Haus (1565) 石造の角出窓付3階建ての建物で
  初期ドイツルネッサンスの花網と渦巻の装飾が切妻壁に付いている。
 ワインの家 Weinhaus (1350) 町でも古い側面フレーム工法の木組みの家で、
  最も古い部分は1530である。1403.1464拡張や変換は部分的に壊し
     て
行われた。家の下に二つのパラレル・ボールト天井の地下室があり、
     切妻は町の創設時代からの物である。
 ヴァルギプス教会 Walpurgis Kirch (13c) 上記三つの建物の背後にある
教会であり、内陣は1393に再建され、塔は1394に崩壊後に1540ルネッサンス
     で八角塔で再建されたが、1836には1階分短くされた。ゴシックの身廊は
     1472既存のバジリカの通路を高め拡大して修正した。
 トリニティ教会 Dreifatigkeits Kirche (14c) 市街の南端に在る旧アウグスチン
  会修道院の教会で、2身廊非対称のハレン教会として1435を中心に構築
     された。
 旧アウグスチン修道院 Ehem.Augustiner Kloster (13c) 市壁と教会の間に
  修道院が設立され、1533から病院として使われた。レンガの壁は、ま
     だ修道院の配置を確認できる。
 地域博物館 Regional Museum (1897) 貴族の家のNeurathaus1688と
     Minningerodehaus1687に、古代からの町の歴史と文化を展示している。

5.町の略図

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 アメーネブルク Amoeneburg h2

写真

 
旧市庁舎 マルクト広場・教団学校
南市壁 西市壁
北市壁 西北市壁

1.歴史

  6c メロヴィング期に山上に砦が存在、 721 山上に要塞と小教会を築いて布教、
 732 城とミカエル教会が築かれた、     8c カロリング期に城の強化、9c城の衰退、
 1145 マインツ大司教と方伯は新城を築く、1165 チューリンゲン方伯が城を破壊 すぐ再建、
 1222 マインツ城代が城を占領、        1273 マインツ・アメーネブルクの廷史が管理、
 1427 ヘッセン方伯は飛び地の領土として所有、  17c 30年戦争で数回占領された、
 1621 ブランズヴィック軍が占領し要塞を強化、 1650-75 城は補強された、
 1762 ヘッセンと仏の激戦と休戦、       1803 ヘッセンとカッセルの統合、
 1866 プロイセンへ属した。

2.市壁  0.87km 0.61 

  小山の周囲には、大きく市壁が囲み南から東にかけて、半分以上の部分が良
   く残っている。市壁を楽しむためには、山腹のMauerRundwegから案内標識があり
   市壁が見上げられる。

3.塔  0門4塔

 ハイン塔 Hain Turm () 北東、円錐屋根の3階建の円塔。
 シュペンデン塔 Schwender Turm () 西、屋根のない円塔。
 円塔 Rund Turm () 北、円塔の切株が市壁の外に残っている。
 アメーネブルク塔 Amoeneburg Turm () 南、アメーネブルク城跡の外壁に2円塔がある。

4.見所  C

   山の上の市壁で囲まれた12haの広い旧市街地で、多くの木組の建物が修復され
  ている。山腹のMauerRundwegからの眺めは北側が良い。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1690) マルクト広場の北の3階建の木組の建物である。
 アメーネブルク城跡 Schloss Amoeneburg Ruhen (6c) 標高362m高台に、6cの砦・8c
   の要塞から城・1145マインツ大司教の城となり、その後も破壊と再建が繰返された。
   1839には城の建物は壊れた。今は建物の基礎と地下室、塔のある周壁の部分
   のみが残された。
 マルクト広場 Markt Platz 元の形状に従って、18cと1990-95に都市再生の一環
   として整備せれた。
 旧醸造所 Ehem.Brauerei () 今は市博物館と自然保護センターを収容している。
   地階には町の歴史と出土品が展示され、上階には1762の仏軍戦のジオラマがある。
 聖ヨハネ・パプティスト教会 St.Johannes der Taufer (14c) ネオゴシックの聖堂にバロック
   のドームを備えた教会塔がその北に立っている。
 城施設 BurgHof am Lintaur Tor (1543) 北に城の施設が建っている。
 マインツ館 Mainz Hof (14c) LanderTorの邸宅と納屋がある。
 プロテスタント礼拝堂 Ev.Kapele Amoeneburg () 東南の外れにある小さな礼拝堂。
 宗教法人学校聖ヨハネ Stiftsschule St.Johane () マルクトの南の大きな建物。
 教区施設聖ボニファチウス Pfarr heim St.bonifatius () 墓地の北に立つ。

5.町の略図

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 バーベンハウゼン Babenhausen h3

写真

旧市庁舎 市役所
魔女塔・市壁 市壁
牧師館 旧役所
宮殿塔 市教会

1.歴史

 1176 ミュンフェンベルクのクノー1世はフルダ修道院からアルトドルフ修道院を購入して、
    城を建てたが30年戦争で破壊され再建されなかった。
 1211 エーベルバッハ修道院寄付文書に初言及、13c ハナウ・リヒテンベルク侯爵が水城を建接、
 1295 ンッソー王アドルフは都市権を授与、    1458 ハナウ・バーベンハウゼン郡となった、
 1445 市壁は更新強化され2門7塔を築く、  15c 城は東翼を建てその後も拡充、
 1638 鋳造権を有し一時硬貨鋳造、     17c 30年戦争で何回も占領された、
 1647 ハウナウ事務所は去りヘッセンカッセルに落ちた、  1736 ヘッセン・カッセルと紛争1771まで、
 18c 仏が3年間占領、フランクフルト大公国ヘッセン・ダルムシュタットへ、 1901歩兵第61師団駐屯。

2.市壁  0.59km 0.76 

   ナッサウ王アドルフにより1295都市権が与えられ、裁判権・防衛権も含まれたため
    市壁築かれた。15c中に更新・拡充された。1890から解体が始まったが8割は
    残る。

3.塔  0門3塔

 破壊塔 Bresch Turm (14c) 西、3階建の角塔で、30年戦争のカトリック軍の
    大砲弾によって砕かれた。
 魔女塔 hexen Turm (14c) 西南、3階建の四角錐屋根の殻塔で中世終りに
    監獄と拷問に使われた。魔女狩が1580-1680に行われたが、カトリックの町でなか
    ったため少数に限られた。
 ハナウ塔 Hanauer Tor Rest (14c) その塔の跡にGasthaus Zum Hanauer Tor
    が2階建で1840に建てられた。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1605) 市庁舎には張出したアーケードがあり、その中で
     市場が開催された。1804に新築され、上階木組の建物となった。一次大戦
     の破壊の後に石造マンサード屋根2階建の建物となった。木曜日14-18時にマルクト
     広場に青空市が立つ。今は観光案内所がある。
 市教会聖ニコライ Ev.Stadtkirche St.Nikolai (1262) 何百年も経過するうち
     に、度々拡張・改造されてきた。1383内陣空間、1472身廊、。中には、彫
     刻祭壇・中世のフレスコ画・ハウナウ侯爵の信仰がある。2001-06ヘッセン州記念物保護
     局が修復した。
 旧薬局 Alte Apotheke (1774) 文化的記念碑として価値があり、木組の前
     面は薬用植物を彫刻した木製パネルが取付けられている。
 最古の木組の家 Altest Fachwerk Haus (1442) 。魔女塔の隣に、この町で
     最古の入口の上に1442の年号がある木組の家がある。1990修復されて、遺
     産修復作品賞を受賞した。
 裕福な家 Pateizier Haus (16c) 古い木組の家は裕福な市民が建てた。
     その後、FabrStr.24にGasthof ZumGalonenEngel、26にZumWeissenSchwan。
 城代の家 Burgmann Haus (13c) ネオゴシックの聖堂にバロックのドームを備えた教会
     塔がその北に立っている。
 市粉引所 Stadt Muehle (14c) 中世には既に製粉水車があった。19cの終
     に電力生産に換わった。今市粉引所は改築されて市民センターとなり、ビストロと
     牧歌的なビアガーデンもある。
 宮殿 Schloss (1188-89) 水城として造られ、最初の侯爵の住んだ宮殿であ
     った。今は私有で改築されて五つ星ホテルである。
 牧師館 Pfarr Haus(15c) 旧ワイン醸造所の跡に、1595に地階の上に見事な木
     組の上階を建て、侯爵の役人が住んだ。その後2牧師館になった。
 領土博物館 Territorial Museum (1555) 元役所の3階に250m2の展示場に、
     物語ギャラリーの領土博物館が開設され、研究図書館と朗読室も収容している。

5.町の略図

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バート カムベルク Bad Camberg h4

写真

  
旧市庁舎 市役所
旧役所 下門屋
上門塔 下門塔
市壁 マルクト広場

1.歴史

 1000 皇帝オットー3世は修道院に贈与、 1018皇帝ハインリッヒ2世の文書で修道院が所有、
 1281 ハプスブルク家ルドルフ1世は都市権を授与、1360-80 ディエス伯爵は13の塔の市壁を建設、
 1311 中央裁判所町は設置され1802まで存続、 14c アムトホフに廷史を置いて町を支配、
 1403 カッツエンエルボーゲンが支配、 1421 ナッソー伯爵が支配、1535 トーリア大司教が占領支配、
 1866 プロイセンのヘッセンナッサウ州へ属した、 1945 ヘッセン州へ、 1974 周辺町村を併合。 

2.市壁  0.30km 0.31 

   1360-80にディエス伯は、970mの市壁と13の塔門を建設した。1660には崩壊した部分
   もあったが、都市の要塞は18cまで存続した。1750には、大部分が荒廃して軍事的
   には機能を失われた。 残っているのは、上門の南に20m、kirche gasseには高い
   市壁が80m、Eichborn Str.には家の壁・基礎・外壁として200mある。

3.塔  2門3塔

  中世の町には13の門・塔があったが、残されているのは5門・塔である。
 上門 Ober Tor (1380) 高さ32mの4階建て角塔で、外側扉は落下式、内側扉
   は回転式であった。1630に塔楼のための床の上に急な屋根のある今の形状になった。
   1981に礼拝堂から133段の階段が付けられた。
 下門 Unter Tor (1365-80)残された後門は高さ32mで1.44mの傾斜がある。そ
   の基礎にはかっては3門が並んでいた。前門部とツインガー壁は壊されて残っていない。
   18cに4階建木骨造の付けられた。1945に塔のテント屋根は焼失して2001に新しい塔の
   ヘルメットが付けられた。
 半円塔 Halb Rund Turm Eichhorn Str.には、2半円塔がある。

4.見所  C

    旧市街地には、15-18c技巧的装飾の木骨造の古い建物が残っている。19cの
    防火規制で多くは漆喰が塗られている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (14c) マルクトの東にある2階建の建物。
 カトリック聖ペテロとパウル教会 Kath.Kirche St.Peter und Paul (1476) 前身の教会は
   1580に塔部が崩壊して再建された。1777-81に今の教会が建てられ、4つの天井フレ
   スコ画とスコッタの作品で飾られている。
 十字架礼拝堂 Kreutz Kapelle (1681) 十字型の礼拝堂で旧市街地の北東の332
   mの山の上に周壁に囲まれて立っている。1975に内装と外観が複元された。
   十字架礼拝堂に向かう道には7つの石碑が置かれている。
グッテンベルガーホフ Guttenberger Hof (1542) 貴族ハトシュタイン家の2階建の建物で、後に
     グランベルク家に引き継がれた。1816に競売されグッテンベルガーホフとしてホテル・レストランになっ
   た。2006に改造でゴシックの半木造建築に復元された。
 地区事務所 Amt hof (1605) 領主の事務所として使われ、左のハイデンバウは1605
   に3階建木骨造で建てられ、オーエントバウは1669に出窓があり豊かな彫刻で飾られた。
   シューツバウは1786に建てられ礼拝堂へ上階でつながった。1990年代に改築されて、市
   庁舎として使われている。
 古い事務所薬局 Alte Amtsapotheke (1492) ゴシック2階建木骨造で建てられ、
   1659にルネッサンスの建物に改装された。
 町と塔の博物館 Stadt-trum Museum (16c) 4階建の上門・納屋とホーエンフェルト礼拝堂
   に博物館がおかれ、町の歴史と塔の展示が行われている。3階には材木と大工作業
   に説明があり、4階からは町の展望が望める。礼拝堂はホーエンフェルト男爵家の礼拝堂と
   して1671に建てられ、納屋の東外壁は旧市壁である。

5.町の略図

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バート ヘルスフェルト Bad Hersfeld h5

写真

市庁舎 マルクト広場
北円塔 クラウス塔
西門 修道院塔
西市壁 木組の家

1.歴史

736 修道院の庵を建てた、  769 ベネディクト会修道院を設立、
 1142 市場の町、1170 都市として初言及、 1378 修道院と都市との権力闘争、
 1439 町の大部分は火事で焼失、     16c 修道院もヴェーザールネッサンスで再建、
 1525 農民戦争で町と修道院に被害    1648 ヴェストファーレン和平でヘッセ・カッセルへ、
 1761 7年戦争で修道院と大学教会が損傷、 1807 ナポレオン軍が占領、
 1945 平和的な占領が行われた、     1949 町の名前にBadの冠を付けた。

2.市壁  0.47km 0.23 

   中世の市壁は、北西に残され、西側の修道院壁に繋がっている。

3.塔  0門2塔

  中世の町には12塔あったが、北の1塔と修道院遺跡に四角のキャサリン鐘塔がある。
 クラウス塔 Klaus Turm (c) 北の3階建の円塔で当時は整備隊や刑務所として使か
   われた。1988塔は修復され帽子が付けられた。
 キャサリン塔 Katharinen Turm (16c) 修道院遺跡の東部に独立した鐘楼としてたて
   られた、塔には1038年の刻印があるドイツ最古のキャスト・ベルがあり、祭日に
   鳴らされる。

4.見所  C

    小山の上に修道院の広い遺跡があり、博物館が置かれている。その修道院遺
   跡の東に外周約1.7kmの大きな旧市街地が広がり多くの美しい木組の家がある。
 市庁舎 Rathaus (1371) ワイン街道の町のゴシックの市庁舎は、1612にヴェーザールネッサンス
   の4階建の建物となり、今でも市庁舎として使われている。市長や議員の
   事務室や市の人事・経理部門が建物内にある。
 市教会 St.Marien Kirche (11c) 旧市街地の真ん中に、防御塔のように大きな
   11cの四角い教会塔のある大きな教会である。16c半ばに今の姿になり、その
   後に拡張と改装がありロマネスクの教会になった。1760の大火事で元のゴシックの尖
   塔を失い、仮のバロックの屋根で長い間使われている。毎月第2と第4の水曜日の
   15時に定期的に222の階段を上って、頂上からの眺望を楽しめる。
 木組の家 Fachwerk Haus (16c) ドイツ木組の家街道の上の町であり、2000以上
   の木組の建物が修復されている。教会広場には、最も美しい木組のクラスター
   の家(1452)がある。

5.町の略図

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バート ホムブルク Bad Homburg vor der Horhe h6

写真

切株塔 マルクト広場
クアハウス 方伯宮殿

1.歴史

  872 ロルシュ・コーデックスの文書に初言及、 12c ホムブルク城は今の城の中庭に建った、
 1330 町は市場権と都市権を得た、1335 バイエルン侯爵ルードリッヒ4世も町の特権を確認、
 1486 ゴードフリード10世はハウナウ侯爵フイリップ1世に売却、1504-21 一時ヘッセン方伯領に、
 17c 方伯フイリップ1世の死後ヘッセン・ダルムシュタット家へ、1622 ヘッセン・ホムブルク方伯家に、
 1866 ヘッセン・ダルムシュタット家から墺普戦争後にプロイセンへ、19c カジノを開いて有名スパに、
 1888 皇帝ヴィルヘルム2世は町を東の離宮とした、 1945 2次大戦の爆撃による被害。

2.市壁  0.41km 0.40 

   西端にある旧市街の北110m、西140mm、南160mに市壁が残る。

3.塔  0門3塔

 市庁舎塔 Rathaus Turm (10c) 最初の市庁舎に立ち、1820老朽化で壊さ
   れた中壁の一部を形成した。1824中世風の円錐屋根の円塔が再建された。
 切株塔 Stumpfer Turm (1824) 基礎下部の上に冠付円塔として再建された。
 白塔 Weisse Turm (14c) 宮殿に白色で全高48mの塔がある。下部に直径10m
   の狭間胸壁、上部に直結する5.6mの頭部がある。脚部掘り込みの場所に、
   中世の武具を付けたフリードリッヒ4世の砂岩立像がある。

4.見所  C

   世界的な温泉都市であり、クアハウス・クアパークに様々な噴水がある。西端に小さな古
   い木組みの家が密集した旧市街があり、木組みの家に囲まれたマルクトと宮殿は一見
   の価値がある。
 方伯宮殿 Landgrafen Schloss (1180) 1354城を拡張、1680-85ヘッセン・ホムブルク家が
   バロックの宮殿を建てた。1867プロイセン王ヴィルヘルム1世が城に滞在し、1888ヴィルヘルム2世
   は夏形での住居として家族と共に住み温泉街に出かけた。宮殿は120m*100mの長
   方二つの中庭を囲み、一部西側は開けそこに白塔が立っている。宮殿の区画の
   南北の入口には不似合な古代様式の門が二つある。1441広大な庭園に大きな池。
 エアレーザー教会 Erloeser Kirche 西側はイスタンブール風で、中に、新ビザンチン様式の大
   理石の壁・全モザイクの壁掛・宝石で飾られた祭壇十字架がある。
 聖マリア教会 St.Marien Kirche (1765) バロックのカソリック中央教会で、1808バロック高祭壇、
   1839オルガンを設置。
 宮殿教会 Schloss Kirche (1697) 新教の身廊ホール式教会で、2階建てギャラリィは聖書
   のモチーフで飾られている。
 英国教会 Englische Kirche (1868) 英国王エドワード7世を初め英国人の温泉治療が
   増えたため英国教教会が建てられ、後に博物館や演奏会場として使われた。
 ロシア教会 Russische Kirche (1896) ロシアの湯治客のためロシア正教会を建てた。
 城博物館 Schloss Museum 17-19cの芸術・宮殿・室内装飾と家具・フリードリッヒ2世の銀
   の脚などを展示。
 ゴシック館 Gotisches Haus (1818) 中に帽子博物館・雑貨博物館・貨幣博物館。
 クアハウス Kurhaus (1841) 町の中央に温泉治療の中心として建てられた大きな建物で、
   火事で焼失後1863新築し、1945空爆で壊され1952シンプルな形で再建された。
   その後1952赤い砂岩の正面を更新した。

5.町の略図

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バート ケーニッヒ Bad koenig h7

写真

出納役事務 新宮殿
プロテスタント教会 エリザベス通
南東壁 東南壁

1.歴史

 820-822 王の使用する浴室として言及、12c 帝国所有から王国フルダ修道院へ、
 12c 町には事務所や裁判所を設置、   1477 町はコンラット・エアバッハに与えられた、
 16c エアバッハ伯は宮殿を中心に建設、   1747 役所はエアーバッハ・シェンブルクの所属に、
 1948 王は町を国家承認浴場と呼んだ、

2.市壁  0.15km 0.25 

   マルチン・ルター通に沿って250mの壁があるが市壁の位置とは思われない。その北に
  60mと南境界に90mが市壁であろう。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  

    宮殿広場に面して立つ高い建物達は、調和が取れて見事である。その南に
   バロック階段を上がると、堀が保たれている。
 新宮殿 Neues Schloss (1793) 旧宮殿の隣に2階建の新宮殿があり、1993ま
   では町役場を務めた。後期バロックの砂岩造上塗の切妻の建物。
 旧宮殿 Altes Schloss (1559) 宮殿広場の南の高い側に、エアーバッハ・シェンブルク
   伯の3階建宮殿が置くの広場に面して建った。右壁は16cからの物で、18cには
   後トラスを更新した。上階は新しく塗られ、中側に1793の漆喰ガーデンルームがある。
   1929までエアーバッハ・シェンブルク伯が古城を使用し、その後住宅などに使われ、1990歴
   史的建造物として改修され、歴史博物館と市議会が使い、1993から市役所へ。
 プロテスタント教会 Ev.Kirche (1479) 旧宮殿の後ろにあり、最も古い部分は3階
   建の後期ゴシックの塔で碑文によると1479の年号がある。身廊は1750-51の平らな
   天井の後期バロックのホールである。
 バロック階段 Barock Treppe (19c) バロック階段は、宮殿中庭と教会の後ろの
   「喜びの庭」を接続する鋳鉄製の手摺のある階段である。
 出納役事務所 Rentmmeisterei (1804) 宮殿広場を囲む偉大な風格の建物
   の内最も新しい2階建の建物で伯爵の厩舎であった。地階はアーチ入り口が強調
   され、1985に改装されて、催物会場となった。

5.町の略図

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バート オルプ Bad Orb h8

写真

市庁舎 マルクト
聖マーチン教会 流下式製塩
上門 南壁
北西壁 北壁
北東壁 東北壁

1.歴史

 1059 フルダ修道院文書にヘンリーヒ4世の贈与、1064 ヘンリー4世はマインツの教会へ贈与、
 1244 町は都市権授与と硬貨鋳造、   13c マインツ選帝侯に属し市壁や門の建設、
 1428-1566 ハウナウ侯爵に町を入質、16c ハウナウ侯爵の改革はマインツ選帝侯に戻り解消、
 18c 市内の銅ヤカン製塩所は市外の流水濃縮へ、 19c 製塩は不採算化しスパ開設、
 1806 アッシャヘンブルク大公国へ、  1814 バイエルン王国へ、  1866 プロイセン王国へ。

2.市壁  0.52km 0.66 

  13cの市壁は、町の豊かさを示して高く強力な姿を今に止めている。1838の大
  火事の後に、市壁・壁塔・胸壁は解体された。市壁の一部は北から西と東北に残る。

3.塔  2門8塔

  3市門の内唯一OberTorが残り、UnterTorとTorsTorは取り壊されたが、Unter
  Torの基礎は確認できる。半円形の壁塔は19基の内8基の中間塔が残された。
 上門 Ober Tor (13c) 6階建の角塔でアーチ門。

4.見所  C

  17-18cに建てられた2-3階建の木組の家が、マルクトや主要道路に多く残される。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1770) 3階建の時計台付きの大きな建物。
   今は観光案内所。
 バートオルプ城p Burg Bad Orb (13c) 北西の貴族が建てた古い城。1981-82
   ゲストの家として一部復元。十分の一税倉庫は、市博物館となり、町の歴史と文
   化を展示している。
 聖マーチン教会 St.Martin Kirche (14c) ゴシックのハレン教会で、17-18cに拡張。
   1983の火事で焼け、1984ネオゴシックのシンプルな建物にバロックの内装で再建。
 クアパーク Kur Park(2008-10)旧市街地の南に、木造建物と800m2のプール、
   ホテル、レストランが建てられた。2010広大な15haのクアパークが造られ、入口には1806の
   流下式塩水濃縮施設Gradierwerk155m×12m・H18mがある。

5.町の略図

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バート ゾーデン・ザルミュンスター Bad Soden Salmuenster h9

写真

市庁舎 フランシスコ会修道院
シュライフラス邸 西北市壁塔
西南壁 北壁
東壁 東南壁

1.歴史

  888 マイセン大司教フルダ修道院のザルミュンスター教区の設立、
 1150-68 フルダ修道院コーデックスに初言及、    1319 ザルミュンスター教区の整備、
 1320 バイエル皇帝ルードビッヒは町に昇格させて帝国都市並みの特権を備えた、
 1400 一次市壁の完成、   16-17c 宗教改革・反宗教改革・疫病・戦災で衰退、
 1666 30年戦争で女性はハチの巣を置き町を守る、1691-94 フランシスコ会修道院建設、
 1802 フルダ修道院の世俗化でオラニエンに属す、1806 ナポレオンに抗して町は破られた、
 1810 フランクフルト大公国に引き継がれた、    1813 ウイーン会議でヘッセン選帝国、
 1822 ハウナウ公国は州になった。

2.市壁  0.17km 0.23 

  1400の市壁は、四角い形でその後再建されて所々に残る。2009にも復元。

3.塔  0門2塔

 魔女塔 Hexen Turm 。
 十分の一塔 Zehnt Turm 。

4.見所  C

    高速道路から北側の山腹に長方形の旧市街地があり、城や教会の大き
  な建物と17-18cの木組の住宅と貴族の家や商店などが中世の雰囲気をかもす。
 市庁舎 Rathaus (1846) 古典的3階建石造の建物で、鐘楼のカリオンは1日
   に3回9.05、13.05、16.05に鳴らされる。
 シュライフラス邸 Schleifras Hof (15c) 角にある階段塔と付属建物は15cの
   年号がる。1564マインツ選帝侯が荘園として購入、1805の世俗化で国の財産と
   なり、営林署が置かれた。今は町の財産で結婚式場・幼稚園などがある。
   周囲の3階建ての木組の家と共に、美しいマルクト広場を形成している。
 聖ペーターとパウロ教会 St.Peter und Paul (1737-45) 1319からの町の教
   会は30戦争で荒廃した。1650の大修道院にフランシスコ会修道院と町の新教区
   教会が建てられた。バロックの5祭壇・説教壇がある。
 菩提樹館 Hutten Hof (1400) 最古の建物として市壁に直接隣接して
   立つ。
 フランシスコ会修道院 Ehem.Franzisker Kloster (17) 修道院の最も古い部
   分は17cで、2005まで修道士が住んでいた。今は、歴史博物館である。
 地方裁判所 Amtshof (1562) ナッサウアーホフとも呼ばれ、ルードヴィッヒ・ハッテンが
   建てたハッテン城は、階段塔と長方形の建物があり、今は地方裁判所である。

5.町の略図

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バート ゾーデン アレンドルフ Bad Sooden Allendorf h10

写真

アレンボルフ市庁舎 ソーダー塔
アドルフ旧市街 流下式製塩

1.歴史

  776-79 フランク王シャルマーニュのフルダ修道院への贈物の文書に初言及、
 1212-18 村には市場権があった、1218 町となり、市壁はあり後に塔を建てた、
 15c 生理的食塩水を藁に流下させて濃縮し焼成する食塩製法が行われた、
 1623 30年戦争で破壊回避のため、ティリー将軍に毎回金を支払った、
 1637 財源が底をつきクロアチア軍に侵略された。 17c 多くの大工が復興に集まり
    共通のトラス様式の木組の家が見られる、 1866 塩の専売廃止で生産低下、
 1881 塩水入浴療法が開始した、        1906 塩の生産は中止された、
 1794 塩の生産を始めた、           1929 ソーデンとアレンドルフの合併、
 1945 2次大戦の空爆で被害。

2.市壁  0.78km 0.53 

   13cには市壁は有ったが、ソーデンには位置が明らかにない。アレンドルフは北220m
   東290m、南150m、西120mの市壁が痕跡を留める。

3.塔  1門1塔

 石門 Stein Tor 南東の門で、両側の建物の間のアーチのみが残る。
 泥棒塔 Diebs Turm 6階建ての円塔で市壁が片側に付いている。

4.見所  C

   アレンドルフは1638-1906製塩業で、特に中世に繁栄し塩の取引者は裕福で壮大な
   木組みの館を建て残されている。貴族の木組みの家「ライオン」は最も美しい。
 市庁舎 Rathaus (17C) 4階建木組の建物で、四角い塔の上に円錐屋根が乗
   っている。周囲の3階建ての木組の家と共に、美しいマルクト広場を形成している。
 聖クルシス教会 St.Crucis Kirche (1218) チューリンゲンのルードリッヒ4世はアルテンドルフ
   Crucis教会を贈った。十字型の身廊は1386に完成し1424-76に塔は建てられた。
   1637帝国軍に破壊され、2身廊フラットオーク天井が設けられ、19c洗礼堂はラテン学校に
   なり、1906から結婚式場としても使われた。
 菩提樹 Linden Baum (1218) フランクフルとリューベックを結ぶ交易路の門にシナの木
   が植えられ、旅人に木陰を与えた。18c噴水が建てられ、シラーの詩にシューマンが曲を
   付けて有名になった。1827に馬が水を飲める噴水に変えられた。以前からの水
   鉢はそのまま残され、700歳の菩提樹は1912に新しく植え替えられ、小門は1997
   再建された。
 流下式製塩所 Gradier Werk 15cからの藁の流下式の塩水の濃縮場は1999-
   2000に取り壊され再建されている。
 国境博物館城教会 Grenz Museum Schifflersgrund (1991) ヘッセン州とチューリン
   ゲン州との間の国境にある博物館で、鉄条網と柵と見張台にヘリコプターがあり、国
   境管理小屋に歴史の展示がある。
 塩博物館 Salz MUseum (1974) 製塩所のSoedertorに製塩1000年の歴史と
   1906に閉鎖後に保管られた機材や工法が説明されている。

5.町の略図

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バート ヴィルデュンゲン Bad Wildungen h11

5.写真

市庁舎 市教会
リンデン通 キルヒ広場
ブルネン通 ロンデル
雄鶏塔 西市壁
南市壁 東市壁

1.歴史

  800 ハースフェルト修道院文書に小村と記載、1200 チューリンゲンの伯爵が城を構築、
 1242 旧村の反対側の丘に新市街を創設、  1258 都市権を得て新教会建設、
 1263 ヴォルディック伯が所有して発展、      1358 二つの町が言及された、
 1529-32 フイリップ4世が改革を導入、  1542 疫病で400人死亡、1552.1563も、
 1532-1664 魔女裁判で18人処刑、     1563 市庁舎の隣にワイン酒場開設、
 17c 30年戦争で各軍が略奪、   1696 最初の温泉とクアパーク建設、入浴治療、
 1706-14 城フリードリッヒシュタインの建設、      18c ユダヤ人コミュニティの成立、
 1940-90 スパの発展。

2.市壁  0.28km 0.32 

   13cの市壁は、西と南東に残っている。

3.塔  0門2塔

   3市門は大規模な内門と小さな外門がありツインガー壁でつなかっていたが、
   泉門1822、ベガー門1824、リンデン門1843に取除かれ、GrauerTurmは1787に除
   去された。
 赤雄鶏塔 RoteHahn Turm(1300)町の南東に立つ5階建の円塔で、1846
   尖塔部を失ったが、1967風見鳥の尖塔が再建された。雄鶏は警戒のシンボルで
   ある。赤は公開処刑に際し赤旗を掲揚することを意味する。
 大円形防衛塔 Rondell(13c)西の巨大円形防壁が最古の遺跡に含まれ
   ている。
   主塔と4小側塔のある上部木組の部分は、1705に取り除かれた。今の
   展望台に登ると、遠くまで見られる。

4.見所  B

   広大なクアパークには、ヘルスリゾートがあり、文化的行事が行われ、旧市街の中心
  には木組の家並みが絵のように連なり、歴史的なヴィラも注目である。
 市庁舎 Rathaus (1259) 中世の木組の前市庁舎は1850に壊され、2.5階の
   新古典の建物に建て替わった。1997建物は改修され木組の建物と結合され
   て拡張された。
 市教会 Sadt kirche (13c) 町の最高地点の丘の上に建てられ、遠くか
   らも見える。ヘッセンでも美しいホール教会であり、1403の祭壇画にはキリスト生誕が
   描かれている。
 フリードリッヒシュタイン宮殿 Schloss Friedrichstein (12c) 古いヴュルデュンゲンか
   らの中世の城が1940まで存在した。ヴュルデュンゲン伯爵は城を建て貴族の居城
   となった。1247伯爵夫人がマインツ大司教に城と町を戻した。マインツは、城と町を
   アドルフ・ヴァルテックに誓った。1526-30フイリップ4世は城刑務所のある大きな丸い建物
   をたてた。1640スエーデン軍の本部となり、その後何回も30年戦争で破壊された。
   18c初ヴァルテック・ヨシア2世は丸塔のみを残し城址を整理してバロックの宮殿を建てた。
   1976-80に改装しヘッセ・カッセル博物館として、狩猟・ヘッセ軍の歴史と収集物を展示。
 旧温泉ホテル Ehem.BadeHotel (1900-25) 栄誉あるドームや音楽ホールのあるBade
   Hotelは壮大に建てられた。2次大戦中に破壊され1951に再建され、今はマルティム
   ホテルがある。
 旧ライオン薬局 Ehem.Loeben Apotheke (1551) 初め3階建の木組の家は住宅し
   て建てられ、1630エリザベス・ヴァルディック伯爵夫人はライオン薬局を開業し1999まで営業
   された。
 領主ホテル Hotel Fuerstenhof (1902-03) この大きなホテルは、市を代表する
   高級ホテルで豪華な内装があり、100人のスパ入場が可能である。1911-12に改
   修され戦争中は軍病院で使われた。
 ハイナー館 Hainer Hof (1330) 3階建広々とした床の家と納屋を建てた。1832
   大統領に売却された。1870マイスターが所有し、故郷に貴重な知識をもたらし
   た。1903農場となり家や厩舎を建てた。
 レプストックの家 Haus Rebstock (1619) 片持ち張出軒構造の4階建の木組の家
   は、高さ2.5mの石積の上に25mの高さに建てられた。長さ19mの樫の梁が使わ
   れている。壮大で華麗な彫刻の外観がある。大工親方の名前が付けられた。
 クベレンホフ・ホテル Hotel Quellenhof (1930) ホテルを建てたが没収され軍病院の
   に改築された。1941解放され改装してホテルに戻した。数か月後再度没収されて
   ま終戦で軍病院であった。戦後は精神病の療養所として使われ、1993に建物
   を購入して、再度ホテルを開業した。
 孤児院 Waisenhof (1695-1703) エリザベス・ヴァルディック伯爵夫人は孤児院とし
   て4階建木組の家を寄贈した。ドイツで2番目に古い孤児院は1830まで使われた。
   1849建物は私有となり、1877-81二つの部屋が幼稚園となり、1890建物の一部
   がシナゴークで使われた。
 ソース博物館 Wamdel halle () スパパークの中心にあり、水の重要性説明し、
   鉱泉の歴史と温泉街の発展を展示する博物館。

5.町の略図

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バッテンベルク Battenberg Eder h12

写真

旧市庁舎 旧城
東壁 東壁

1.歴史

 1214 城が言及され、息子の名前とした、1224 町として名乗った、
 1296 マインツ大司教はこの町を譲った、 1464 町と役所はヘッセンとなった、
 1624 町はヘッセン・ダルムシュタットに所属、     18C 幾つかの重要な建設、
 1821 帝国都市となった。

2.市壁  0.12km 0.22

    Auf der Mauer通に山腹の石積が残っている。

3.塔  0門0塔

    残っていない。

4.見所  D

    小さな旧市街は山頂に在り、城と市庁舎を中心に木組の家も見
    られる。
 旧市庁舎 AlteRathaus 17C建 木造建築、今は町博物館と町図
     書館。
 新教教会 Ev.Kirche 13C建、早期ゴシックのホール式教会。
 旧城 AlteBurg 1314までバッテンベルク伯家の本拠地であったが、
    1780に取壊され、1880に牧師館として再建され、今は地区公会堂。
 新城 NeuBurg 18Cに狩の館として建てられ、1971から町庁舎
    となった。
 行政所 AmtHaus 17C建、ルードビッヒ6世が行政所として建て、
    1983私有物。
 木組の家 FachwerkHaus Haupt通の両側には2~3階の古い木
    組家が残る。

5.町の略図

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ベンスハイム Bensheim h13

写真

市庁舎 マルクト広場南
聖ゲオルク教会 水路門塔
赤塔 教会アーチ門
ニューベルンゲン通 ハウプト通南
北壁 南壁

1.歴史

 765 ドルシュ修道院文書に初言及、    773 ベンスハイムのロルシュ修道院に所属、
 956 皇帝オットー1世は市場権を付与、1232 マインツ大司教はロルシュ修道院と町を所有、
 1301 ライン関税戦争で町は破壊、        1315 より強力な要塞を構築、
 1320 マインツ大司教は都市権を確認、 1461 大司教は町をパレティン選帝侯に入質、
 1504 方伯ヴィルヘルムの11日間包囲に耐えた、1644スエーデン・仏占領をバイエルンが解放、
 1650 マインツ大司教が町の質入を買戻し、 1802-03 世俗化でヘッセン・ダルクシュタトへ、
 1939 周辺の町を併合、        1945 米軍の進駐。

2.市壁  0.09km 0.10

   13cの市壁は14cに強化された。

3.塔  1門2塔

 水路門塔 Rinnen Torturm (14c) 西市門は、アーチ門の両側に塔があった南塔
   のみが残された。1885開口部を造るために壁を崩した。現存の砂岩塔は
   下半分正方形の上に八角形の塔が繋がっている。南側は市壁に繋がり北
   側は市壁の切断面が見える。東側には独立した階段がある。
 赤塔 Roter Turm (13c) 東側の胸壁付き防御塔で、1514砂岩に赤色が塗られ、
   この名前が付いた。1800からは刑務所として使われ、1837に市壁は取り
   払われた。21c初めには給水塔としても使われた。
 ダル山塔 Dalberger turm (13c) 南市壁に4階建の塔がある。

4.見所  B

    マルクト広場には多くの3-4階の美しい木組の建物に囲まれ、中世からの堂
   々とした建物も散在する。建物の風格に昔の繁栄が現れている。
 教区教会聖ゲオルク Pfarr Kirche St.Georg (8c) 町にある4カトリック教会の内最
   古の建物である。12cからの教会は1826に取壊され。1830古典様式でモーラー
   教会となった。1945空襲で西塔を除いて壊れ、1949-50に二つの東棟のあ
   る身廊と祭壇室が聖別され、1953二つの西塔で再建か終わった。
 病院教会聖ヨーゼフ HospitalKirche St.Joseph (817) 前身は817に言及され
   14cに精霊病院の教会として古い教会の場所に再建された。1500聖書の窓を
   持つ内陣が付けられた。1869建物は改装された。
 旧旅館 Ehem.Gasthof Zur Armbust (1615) 3.5階建寄棟根屋根の木組の建物
   で、円形張出には市民の紋章と説明碑文がある。戦後化粧漆喰をはがし
   木組が露出させられた。
 住家 Wohnhaus (1600) 幅の狭い3階建切妻屋根の木組の家で、1891靴屋の親
   方は土地・建物を買取り、2年後に開業した。
 マルクト広場の誇り ZumZierde des MarktPlatz (1682) 3階建切妻屋根の木組の
   建物で、その後木組で建て替えられた。
 ダルベルガー館 Dalberger Hof (1586)北西部の市壁と塔を建物に統合している。
   農場所有者のダルベルク家は15cからこの町で勢力を持ち、この建物は何回
   も建て替えられた。1866町の税関となり、1950にはレストランのなった。
 ヴァルダッファー館 Walderffer Hof (1395) 巨大な館の所有者は1580貴族に売却し
   た。1630所有権が争われたが、結局市民が買取った。1964町の所有となり
   今地階はレストラン、上階は家屋組合が使用している。
 ホ-ヘネッカー館 Hohenecker Hof (1756) マインツ大聖堂首席司祭は中庭造の宮殿を建て
   た。1884薬剤師の一家が所有し1900ネオゴシックで包括的に改修をおこなった。
   西に階段切妻の2階建、東に3階建の木組の家である。
 ヴァンボルター館 Wambelter Hof (1732-33) バロック2階建上階木組腰折屋根の館建て
   た。1945空襲で円形塔は破壊された。1919町は農場を購入し歩兵大隊の兵
   舎として使った。その後事務所とアパートになったが、1975-76根本的に改修し、
   地方行政の諮問事務所とカフェに使っている。
 旧聖堂参事会工館Ehem.DomKapital Faktorei (1732) マインツ大聖堂の章の大規模
   な工場として建てられ、1803世俗化で工場は放棄され、地区協議会が使い
   1868町が買収して高校となった。20c地方博物館や警察署が入り、1983-87
   改修して市図書館となったが、1999市民事務所と観光案内所に換わった。
 マリアの家 Marien Haus (1597) 宿屋:黒熊が3階建寄棟屋根上階木組で建てられ
   た。1679ハッペンハイムの醸造所が移って来た。1783宿屋:金のバラが開業した。
   1862病院となってマリエン・ハウスと呼ばれた。
 ヨストの家 Haus Jost (16c) 古い3階建の上階木組の建物で、18cに木組の部分は
   更新された。
 フレックの家 Haus Fleck (1504) 3階建上階木組の美しい建物で、1717イタリア商人が
   住んだ。1923木組の家は昔の姿に復元された。
 市博物館 Museum der Stadt Bensheim (1591) バロックの入口正面は、ルイ14世様式
   の開き戸が見立つ。1960博物館となり、古くからの町の歴史・手工業・農業・
   ブドウ栽培・家内経済などを展示している。

5.町の略図

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ベッセ Besse (Edermuende市内) h14

5.写真

 
新教教会

1.歴史

 917 フルダ修道院の寄付メモに初言及、11c 旧市街の中心に要塞教会
 1081 カノニック僧院はベネディクト修道院へ、1457 地元の貴族は11cから継続、
 15c-1821 ヘッセ事務所が置かれた、  1821 フリッツラー郡に含まれた、
 1932 サークル・フリッツラーホムベルクへ、    1939 フリッツラーホムベルク郡に改名、
 1974 エーダーミュンデの町に併合。

2.市壁  0.14km 1.00

  町の中心の小山の上に昔の要塞教会があり、その山頂部に周壁が全周ある。
  山頂部を取り巻く集落の周壁は見当たらない。

3.塔  1門0塔

  教会の入口の教会門は、アーチ門に鉄扉がある。

4.見所  D

    山頂部の小さな集落は、教会を中心に古い木組の家が取り巻いている。
 新教教会 Ev.Kirche (11c) 1524の32mの高さの教会塔はゴシックの四角塔
  である。中には1517のキリスト像がある。19cに古典的なホールが建てられた。

5.町の略図

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ビショフスハイム Bischofsheim (Mainspitz) h15

写真

市庁舎 旧市庁舎
カトリック教区教会 北東壁

1.歴史

 1278 マインツ大聖堂本山に属した、  1288 教会代理人は町の財産をマインツ本山へ、
 1298 マインツのアグネス修道院は贈物受領、1597 マインツ裁判所はヘッセン・ダルクシュタトへ引渡、
 1806 ナポレオンは町をヘッセン大公国へ所属、1832-48 ヘッセン大公国のグロス・ゲラウサークルへ、
 1930-45 マインズに属した、         1945 爆撃を受け、戦後ヘッセン州へ。

2.市壁  0.01km 0.01

    堀の位置から市壁の場所は想定できる。その南東部にわずか市壁がある。

3.塔  0門1塔

    WasserTurm アールヌーボーの配水塔があり、今は使われていないが見学可能。

4.見所  D

    オペルの大工場があり、大きな町であるが、旧市街地は100×200mの楕
   円形で小さい。
 旧市庁舎 Altes Rathaus () 切妻屋根の2階建木組の建物で、今は郷土
   博物館で町の歴史と鉄道文化の展示がある。
 カトリック教会 Kath.ChristKoenigs Kirche () 初期のキリスト教会で1926近代的
   な教会となった。
 新教教会 Ev.Kirche () バロック単塔の教会。
 木組の家 FachwerkHaus Gasthaus Zur Krone 町で最古の切妻2階建木組
   の建物。

   

5.町の略図

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ブラウンフェルス Braunfels h16

写真

新門 破風の家
建築監督官の家 駐車場

1.歴史

 1246 町と城を初言及、             1260 ゾルムス城を住居とした、
 1384 城は破壊され新城建設、ライン都市同盟、   14C城の周りの町を前城に守る、
 1607 都市権を授与された、        1618-1648 30年戦争で5回占領された、
 1679 大火で町とバロクの宮殿は焼失、        宮殿は今の建物に拡大再建、
 1679 町は前面に市壁を置いた、     17-18C 多くの木組の家が再建された、
 1803 プロシア領となった。

2.市壁 0 

   山の城壁の部分は350m残っている。南の谷と前谷は市壁の内側にあり、北と
  東の後方谷は市壁の外にあった。

3.塔数 6門2塔

 上城門 OberesSchlossTor 正門、城の正面入口、大きな丸天井の上に
   城教会を1501に建てた。
 新門 NeuesTor 1662建、城の西門、今は公文書館の書庫。
 下門 UnteralsPforte 1360建、マルクト広場の城の入口門、住居と衛兵食堂を
   含む。遅い時代のマルクト広場では最古の建物。
 中間門 MittelarerTorTurm 1460建、下門の上の中間門塔。
 鐘楼付門 TorForte mit Glockenturm 15C塔と16C鐘楼建、1678に頂部が焼
   け、1682にバロックの帽子を付けた。下門の上の上の中間門塔。
 駄馬門 KlepperーRitter-oderTeufelsTor 騎士門・悪魔門とも呼ばれ、1851
   建、城の北門、木門の所へ外の衛兵詰所のために建てられた。
 会計局塔 RenteiTurum 1451建、防御塔として建てられた。城下の事務建
   物の中の
   塔、1845に屋根裏部屋を造った、1869-1900会計事務所であった。
 後谷塔 HintertaelerTurm 東南の後谷の塔。

4.見所  B

   旧市街地には、豪華な装飾の木組の家、花に囲まれたマルクト広場、山頂に門
    や塔が立つ城などが、見所である。
  Schloss 城の外見は中心部の中世的17Cバロック改築が決めている。1880
   にはネオゴシックの改築も試みられた。城にはゾルムス家の800年にわたる多数の手工芸
   品・オランダ絵画・生活文化等がある。城には子孫が住み、伯爵家博物館と宮殿教
   会は見ることが出来る。
 マルクト広場 MarktPlatz 1700-20建、1679の大火の後に再建された13軒の木
   組の家々が見事な景観を示す。
    1717建:昔の宮廷薬局、1709建:ヴォルフ家1888小売店、1710建:宿屋三つ
   の丸天井、1591建:塔ホテル、ホテルレストラン等。
 木組家 HolzHaeuse 
    1601建:建築監督官家.1710役所、1580建:破風の家.1658-1878消火ポンプ
   製造、 1550建:農家.大屋根の下に住居・家畜小屋・倉庫、木組ビール工場、
   納屋.1668役所に改築.1804法務事務所.1900会計局、 1578建:乗馬所、
   1590建:旧約聖書銘刻の家、 1582建:校舎、 1472建:書記の家、貴族の
   館.彫刻飾り、 1582建:伯爵役員の住居。

5.町の略図

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ビュディンゲン Buedingen h17

写真

宮殿・西壁 宮殿北壁
南中壁 南西壁
南西橋 粉挽門
西外壁 北西壁
北西外壁 上門
北館博物館 北壁

1.歴史

 1206 初めての文書言及、     1247 町の領主の男系が途絶え相続争い、
 1330 都市権を授与された、       1442 領主は伯爵に格上げとなった、
 1480-1510 伯爵は市壁を強化した、   1521 ルターは歓待された、
 1578 ルドルフ2世は祝賀市場を与えた、   1576.1632 ペスト流行、
 1590 町を大火が襲う、         1634 帝国軍がスエーデン軍を撃退、
 1532-1699 魔女狩りで485人が起訴、  1806 アイゼンブルク公国に併合された。

2.市壁  0.54km 0.95

  15Cの終わりに古い1350の市壁の前に強力な堤防を山側は堀込んで造った。
  1480-1510に伯爵は古い市壁の上に強力な壁の帯を築き、22の塔と半外皮を
  装備した。この壁は今もほぼ完全に保たれ、後期中世防御施設としてヘッセン
  のローテンブルクと呼ばれる。市壁は二重三重にあるので延長は測り難い。
   Kuechbachbasteiは、東側の市壁を台所川のそばで町の防衛をしている。

3.塔  2門11塔

 エルサレム門 JerusalemerTor 1530建、西 名前は伯爵の息子の巡礼旅行
    に負う。十字架橋とも呼ばれるのは、1755建の三つの十字架ホテルによる。
 上門 OberTor 東北から町に入る前に蛇行壁がある。この門の後ろに
    高い東門がある。なお、西門は交通障害で取壊された。
 粉引塔 MuehlTurm
 拷問塔 FolterTurm 16-17Cの魔女狩りの際、拷問が行われた。前に
    ある堀の側面にあり、近くの門の防御に役立っている。
 悪魔塔 TeufelsTurm 
 太い塔 DickerTurm 
 魔女塔 HexenTurm 市壁は4mの厚みがあり16大砲室と4階高さ20m塔。
    下の武器庫を通じて魔女牢に行ける。
 赤塔 RoteTurm 1500建、市壁を通じて台所川の足場を安全にする。
 緑塔 GrueneTurm 1500建、西側市壁の側面保護に役立っている。

4.見所  A

   市壁に囲まれた旧市街地には古い木造や石造の建物が多く並んでいる。
   宮殿・市庁舎や多くの博物館が興味深い。
 旧市庁舎 AltereRathaus 15C建、後期中世の木組の家。柱廊玄関と木
   組の多様な形の模様が描かれている。
 市庁舎 Rathaus 1458建、石造地下室付きで造られた。地階は売場、
   上階はブドウ室や宴会場がある。1490西階段破風が付けられた。
 マリエン教会 MarienKirche 1367建、1377石造でゴッシック前面建設、1476-91
   地元の工房で今の姿とした。
 レミギュウス教会 RemigiusKirche 9C建、初め領主の個人教会として建てら
   れ、11Cには後期ゴシックの壁画のあるホール式教会になり、15Cまでに墓地教
   会から母教会となった。
 宮殿 Schloss 16Cの外観を示している。公爵の家族はそこに住んでいる
   が、外の宮殿庭は自由に入れるし、博物館の部分は入場できる。
 宮殿博物館 SchlossMuseum 高いスレート屋根の建物は百年前に建てられた。
   窓上飾りのある破風と張出し窓が外側の飾りとなっている。宮殿の収集品
   が展示されている。
 ホイゾン博物館 HeusonMuseum in Rathaus 1458建の後期ゴシックの市庁舎に、
   1971に最初の地方博物館を開いた。KarlHeuson先生が1906に創立した収
   集物を基にしたため命名された。地階の大広間には、町と地方の歴史を
   展示。2階には、地域のローマ時代からの出土品や人々の生活を展示。3階は
   歴史的手工業を展示。
 肉屋博物館 MetzgerMuseum 14Cに町の南入口にある高い粉引水車出口に
   建てられた。1353の特権文書はこの施設を橋と閂で説明した。
 模型博物館 ModellbauMuseum in OberHof 船・トラック・自動車・ジオラマ等150以
    上の展示品がある。
 木組家 HolzHaus 旧市街地には何百年の古い木造家があり、主として
   1階は防火のため砂岩造りとなっている。
  15C建1593増築LuckischeHaus、15C建RektoratsHaus、1609建BurgmannenHaus、
    15C建LauterschesHaus、15C建HausWagner、17CHausPulver。
 石造家 SteinerHaus 1500建、もっとも古い全石造の家。守りに重要な
    角の橋頭堡であった。館の防御施設は、1544井戸.旧市壁に銃眼。
     Gasthaus zum Schwannen 1500建、古い内壁の上に建てられ、古い市門
    の残りが見られる。

5.町の略図

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ビュ-ラベルク Bueraberg Fritzlar h18

写真

Bueraburg跡 聖ブリギダ教会

1.歴史

  680 フランコニア帝国の大きな要塞城が建てられ、約8haの内部空間を市壁と3門と
    いくつかの塔で守った、
  700 要塞は新しく厚さ1.8mの壁によって補強され門は削除された、 聖ブリシダ
    教会は中央台地に建設、
  742 最初の司教ヴィッタは760の死まで住んだ、 1150 市壁はサクソン人侵攻に備えて
    幅2.7mに再補強、
  774 サクソン人の侵攻に住民はビューラベルク逃げて対抗、 804 サクソン人の降伏後は
    軍事的重要性を失い、
  804 集落の中心はフリッツラーに移った、 13c ビューラベルクの住民は居なくなった。

2.市壁 0.03km (0.02) 

   市壁跡の石積みは二重に30mは残っている。南東部の門の領域には要塞の
    壁に沿って砲台跡があった。

3.塔数 0門0塔

   見当たらない。 

4.見所  D

   フリッツラーの西南3kmの山中にあり、13cから無人であるため、その後建設さ
   れたブリシダ礼拝堂と僅かの墓地しかない。
 ブリシダ礼拝堂(8c)要塞の中心部に砂岩石灰モルタルの囲屋に木造の礼拝堂
    が9cには存在した。

5.町の略図

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ブッツバッハ Butzbach h19

写真

 
旧市庁舎 魔女塔・北壁
聖ミカエル礼拝堂 北壁
南壁 ゾルムス館
西壁 西壁
西北壁 西北壁
北西壁

1.歴史

 773 最初の文書言及、       1321 都市権が与えられた、
 1321-68 市壁の建設、         1609-43 ヘッセン・ブッツバッハが支配、
 1644 ヘッセン・ダルムシュタットに併合された。

2.市壁  0.83km 0.63

  1550頃に、二重の円市壁.3堀と土堤.防衛生垣柵.多重安全化出入道に守られた。
  屋根付き壁上防衛路4箇所0.38kmが残っている。Mauer通では、市壁に持たせて
  178の建物が建てられ、約半数が住居として使われている。

3.塔  0門4塔

  門塔は3つとも壊されて残っていない。
   魔女塔 HexenTurm 14C建 見張円塔は監獄としても使われた。
    門背中の切石は城の再利用である。1500木組の側面は閉じられた。時計の
   ある屋根頭部は16C、門は落し格子で閉め、横の歩行門は1930に付けた。
 城塔 SchlossTrum 市壁の線上に建物の上に塔が立つ。
    LandgrafenSchloss 1603建、2つの円塔。
    SolmerSchloss 1481建、1つの角塔。

4.見所  B

  地階部分が石積で、その上に木組を重ねた16Cの家屋が多い。特にマルクト広場に
  は市庁舎など大きな4階の建物も木組で残っている。
 旧市庁舎 AlteRathaus 1560建、3階建の美しい木組で切妻の上に張出塔
   がある。2002年まで市行政機関があった。1926-27に立派な前面はむき出
   しにされた。地階大広間には、ロマネスクの洗礼盤がある。
 方伯宮殿 LandgrafenSchloss 1200にはすでに城があった。その後宮殿
   に拡張され、ブッツバハ家の宮殿としては短く、後は兵舎になった。
   2002に建て直され今は市庁舎として使われている。
 マルクス教会 MarkusKirche 1321建、ゴシックのヘレン教会であり、1500に身廊と
   内陣を拡張した。
 聖ミカエル礼拝堂 St.MichaelisKapelle 1435建、後期ゴシックの破風付石造
   のカソリック礼拝堂である。1475後期ゴシックのフレスコ画がある。1907-91に郷土博
   物館が在ったが、今は博物館の書庫である。
 木組家 HolzHaus 旧市街地には、多くの4~5階建木組の建物が残って
   いる。18C.Haus der Familie Buff、16C.ZurEule、18C.WeidigHaus、1400.
   GsthausWerb、16C.FauerbacherHof。 特にマルクト広場は彩り良く圧巻である。
    1560.AlteRathaus、1600.AlterPost、1710.ZumGoldenenLoewen。

5.町の略図

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ダルムシュタット Darmstadt h20

写真

旧市庁舎 東壁
東市壁博物館 東北壁
市教会 宮殿
ヘッセン州博物館 宮殿北門
宮殿

1.歴史

 11c  侯爵ジーゲボドが小さな村を所有 1013 ヴュルツブルク司教の領地となった、
 13c  カッツェネルンボーゲン伯爵は水城と要塞化住宅を建設、
 1330 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権を授与、  14c 市壁は内側から建設を開始、
 15c中 までに何回も再構築された 1479 カッツェネルンボーゲン家断絶でヘッセン方伯が支配、
 1518 市壁と城は戦争で壊された、1547 防御を更新したが再び城と共に壊された
 1567 ヘッセンは息子4人に分割され方伯ジョージがヘッセン・ダルムシュタットとなった、
 1585 ペスト流行で人口減、   1633-39 仏軍による占領とペスト流行で町は荒廃、
 1647 再び仏軍が占領 1661-88 平和となり町は復活、1693 仏軍は市壁破壊、
 1806 方伯ルードヴィッヒ1世はヘッセン大公国として工業化を進めた、
 1940-45 空爆で町の99%が破壊された。   1946主要歴史的建造物の再建開始。

2.市壁  0.13km 0.03

   都市権の授与は、市壁の建設と市場開設など全ての権限を意味し、市壁は
内側から始まり外側迄の完成には100年を要した。内側市壁は厚さ1.0m高さ8mま
での高さがあり、外側市壁は約半分の厚さと高さであった。両方の壁には多く
の塔が在り、強固な町の防衛施設は16c終わりまでは有効であった。
残るのは僅かである。

3.塔  0門3塔

 ヘルンケル塔 Henkels Turm (14C) 残された市壁の中に在り、今は博物館。
 モーツアルト塔 Mozart Turm (1983) 駅近くの西側に円錐屋根のズングリした塔を
   建てた。元の名前はリヒトフォーヘン塔と呼ばれ、2次大戦後は展示場や演奏家場とし
   て使われている。
   結婚塔 SchlossTrum (1905) マチルダの丘にエルンスト・ルードヴィッヒ大公のご成婚を
   祝して建てられ、芸術村全体を見下ろしている。面白い形のユーゲントシュティールの塔。

4.見所  C

   ヘッセン方伯の居所として1919ヘッセン大公国の首都となって発展した町であるが、
   2次大戦で市街地は壊滅し、戦後は科学と文化の町として主要な建物は復元さ
   れた。
 旧市庁舎 AlteRathaus (1598) 14cからのマルクトは商業の中心地で、今でも毎
   週・水・土は市が開かれている。1546からの広場には噴水があり1996に改修され
   た。ラッツケラーではビールが醸造され屋外ビヤガーデンがある。復元市庁舎には登記所が
   ある。
 宮殿 Schloss (13c) カッツェネルンボーゲン家侯爵により水城が築かれ、1479ヘッセン方
   伯の手に移った。1546シュマルカルド戦争で大部分は焼失し、1567ルネッサンスの居住宮殿が
   建設された。
   これは大きな4翼の宮殿で資金不足で完成しない間に、1715大火で焼け、大きな
   規則正しいバロックの新宮殿が前面に建った。今は大学図書館・宮殿博物館などに
   使われている。
 ルイセン広場 Luisen Platz (19c) かっての首都の中央広場で、大公宮殿・州
   政府・国会の建物が並び、2次大戦まではヘッセン大国の政治の中心地であった。今
   は古い宮殿に市庁舎の一部が収容され、州政府の建物には大学本部が入ってい
   る。広場には全高39.5mルードヴィッヒ大公の大銅像が砂岩の柱の上に立つ。広場の
   北側の州政府の建物は、1777-1780に3階建で建てられ、1845-89東西の翼を建
   てた。
 科学会議場 Darmstadium 科学者のコンベンション・センターで、アイディアの交流・ 科学
   の知識・知的芸術品の中心的な場所。
 螺旋の森 Waldspiral (1998-2000) 高名な建築家フンデルト・バッサーの作品であ
   る森林スパイラルがある。カラフルで不規則な螺旋状のアパート群が自然に取り巻かれ緑
   豊か存在する作品である。
 マチルダの丘 MathildenHoehe (1899) エルンスト・ルードヴィッヒ大公は、この丘に芸
   術家村を建設し、ユーゲントシュティールの建築家・画家・彫刻家を住まわせた。ロシア風教
   会近くの住宅・アトリエ群は1901ドイツ芸術の花形であった。
 市礼拝堂 Stadt Kapelle (1995) 彫刻家トーマス・デュッテンドルファーによって、戦
   後50年の記念事業としてブロンズ像を、2次大戦で壊滅した墓地礼拝堂跡に設置
   して2次大戦の犠牲者への追悼とした。
 宮殿博物館 Schloss Museum 領主の公式馬車・家具・食器類などが展示絵
   画展示室には聖母子像がある。
 ヘッセン州立博物館 Hessisches Landes Museum 世界の祭壇画・美術工芸と宗
   教彫刻・フランドル.オランダの絵画・ドイツ絵画・地質学・古生学・ドイツ印象派を展示。

5.町の略図

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ディーブルク Dieburg h21

写真

市庁舎 教区教会
宮殿ヘッヘンバッハ 西北壁・工場塔
西壁 マルクト広場

1.歴史

  2c ローマ都市として栄えた、    260 アラマン族の侵攻でローマはライン右岸撤退、
 1169 ディーテリッヒ城が水城として言及、 1220 城と町を堀と壁で囲んだ、
 1239 ミュンツェンベルク伯が城を所有、1277 ハプスブルク家ルドルフに付与、既存憲章確認、
 1284-94 マインツ大司教は城や町を買った、 1310 マインツ選定候の町として管理、
 1525 農民戦争で城・選帝侯倉庫略奪、1527ブランデンブルク選帝侯は都市権取下げ、
 1582-86 新教市議会とカトリック司教の紛争、 1622 30年戦争と疫病で人口急減、
 1600-30 魔女狩りが行われた、    1806 仏ヘッセン公国の郡庁所在地、
 1977 ダルクシュタット郡と併合され郡庁になった。

2.市壁  0.19km 0.11

  1220に市壁は建立され、西北と西南に残っている。

3.塔  0門2塔

   塔は西北の角の防御塔と旧地方事務所の見張塔が残っている。
 防衛塔 Wehr Turm 市壁の北西角のに、円錐屋根付き5階建の円塔。
 工場塔 Muehle Turm 3階建の5角塔は旧西城の見張塔で、今は Muehle
   Turmと呼ばれている。

4.見所  B


  大きな町の北に堀で囲まれた小さな旧市街地があり、公の建物と16cから
   の古い木組の家が残されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1828) 旧グラッシュラーク市庁舎の敷地内に、大公
   建築家によって1828に建てられた。次に旧地区事務所が834に建てられ、こ
   れが町
   役場の一部となり、その背後に近代的な庁舎が接続して建てられた。
 宮殿ヘッヘンバッハ Schloss Fechenbach (16c) バロックのウルナー城は、ヴェヘンバッハ
   家となり、1861古典的に作り直された。今は博物館として修復され、地下
   の部屋に考古学・地階には16cの町の模型がある。
 アルビニ宮殿 Albini Schloss (1800) マインツ選帝侯フランツヨーゼフは単純対称形
   状の中世宮殿をが建てられ、1900郡庁の建物として拡張が行われた。20cに
   は行政の近代的な建物が2棟建てられた。
 マインツ選帝侯事務所 Kur Mainzer Amthaus (1515) 豊かな装飾の3階建の
   木組建物で、マインツ選帝侯教皇の事務所が置かれた。
 市教区教会 Stadt Pfarr Kiruche (16c) 旧フランシスコ会修道院教会は町の
   教会として使われ、古い教会から南塔のみが残され1893ネオゴシックの教区教会
   となった。
 カプチン会修道院 Neuhaus Kapuziner Kloster (1860) カプチン会修道院が
   1822に解散され、刑務所として使われた。その後1860に修道院の新館が郊
   外に、装飾的要素のない構築物として建てた。
 巡礼教会 Wallfahrfs Kirche (12c) 初めローマ遺跡の東に3廊ロマネウクの聖
   堂が建てられ、1350教会のホールはゴシックで再建された。1498献堂後巡礼が始
   まった。
1420からのピエタとパロックの祭壇は巡礼者の目標である。
 浴場 Badhaus (1579) 木造2階建の大規模な浴場が建てられ、入浴療法
   が行われた。入浴室・炉・ボイラー室などの施設があった。
 ローマ都市 Roemischen Stadt (2c) ヘッヘンバッハ宮殿博物館に出土品がある。
   旧市街の東に位置し、ローマ壁の近くにローマの遺品が出土した。神々の寺院地
   区に皿・ランプ・等が出土し、展示されている。
   木組家 FachwerkHaus
   Zucker Str.4 (1384)2階建木組の建物で、代表的な前面と窓のあるフレーム構
   造である。4連結木製窓が、上階の幅全面を占めている。町で最古の保存
   木骨造の家である。
    Loewen Gasse6 (1516) 2階建の小さな木組の建物で、彩色が美しい。
    Marien Str.23 (1905) かっての宿屋:Zum Reichsadlerで、木組のアールヌーボー
     とヴィルヘルム様式の華やかな切妻を飾っている。

5.町の略図

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ディーレンブルク Dillenburg  h22

写真

市庁舎 旧市庁舎
下門 市壁
製鉄広場 旧市街

1.歴史

 1130 ディーレンブルクの建設、1254初言及、1344 バイエルン皇帝から都市権を授与、
 13-14cナッソー家は山頂にディーレンブルク城を建設、1325破壊、16cディーレンブルク伯の居城建設、
 1634 30年戦争スエーデン軍の略奪、1538ラテン語学校の設立、1567-72 オラニエンは亡命闘争、
1723 大火事で町の半分は焼失、1760仏軍は城を破壊、1768再建のため20年間免税、
 1808 ナポレオンはベルク大公国の君主に、1813-15ナッソーオレンジ公国へ、 1826ナッソー公国へ、
 1867 プロイセン王国へ属した。

2.市壁  0.04km (0.01)

   市壁は、1588-1620に建設されて、わずか残っているのは、西側の上門から南
   へ40mである。

3.塔  0門1塔

 ティル塔 Til Turm (1597) 北の川岸に、2階建円錐屋根の円塔が、大きな木
   の下に、市壁の一部として残っている。
 下門 Unter Tor (1531-33) 1594と1737に改修されたが、その後撤去された。

4.見所  C

 

  城へ向かって傾斜のある旧市街地は、1723の大火事の後に建てられた多くの木組
   の家並みが美しく復元されて立ち並んでいる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus(1724)1723の火事の翌年に新築され、1930まで市
   庁舎であった。2階まで石積の上に木組の3階が乗っている。マンサード屋根の上には
   鐘楼があり、今は観光案内所を収容している。1919年には、11人で市政を行い、
   その他は警官2人と夜警2人だけであった。
 市庁舎広間 Rathaus Saal (16c) 大広間には1556のオランダの フランドル画家の
   描いたオレンジ伯の集合絵画の複製と直径1.7mの大シャンデリアが飾られている。
 スタットファーム Land Gestuet (16c) オレンジ・ナッソー家の王子のための農場とし
   て設けられ、今は馬の飼育と乗馬調整を行っている。馬車博物館は、オランジェリィ
  (1749)に収容されている。
 ハルディグハウス Hartig Haus (1723) 大火災の直後に、2階建木骨造の家が建て
   られた。ハルディグはドイツ林業学校を設立し運営した。
 古い牧師館 Altes Pfarrhaus (1531-33) 最初の新教の牧師のために、町教会
   の隣に領主伯爵が建てた。2階建木骨造の建物。
 古い地区事務所 Altes Amtshaus (1499) 最古の木組の建物で、中心部分は
   1528に追加され、南東部は1595に完成した。この建物には伯爵家の従業員が住ん
   でいた。石基礎の上に2階建の木造部分と3階建の木枠持出構造部分が明確に判別
   できる。1984に4年かけて復元された。
 ディレンブルク城 Burg Dillenburg (12c) ナッソー伯爵は山頂の石基礎の上に木組の
     城を築いたが、1325に破壊された。15c中に城は拡張再建され、15c終にナッソー家の
   居城となり施設が拡充された。
    16c中住居と要塞の近代化が行われ、1523-36に砲火に耐える高さ20mの防壁が
   300mに渡って築かれ、地下には大規模なケースメイトが供えられた。30年戦争には耐え
   たが、7年戦争1760に仏軍に砲撃されて焼け落ち、1768には廃墟となった。
 福音市教区教会 Ev.Stadtkirche (1290-91) 墓地にあった1454の聖マリア礼拝
   堂の所に建てられた。1530に宗教改革でプロテスタント教会となり、1594-97に身廊と
   西塔が改築され、1739までナッソー・ディレンブルク家の埋葬地であり、地下墓地が作られ
   た。1760の火災後1771-72に教区教会として再建された。1988-90に内装が、2014
   -16に屋根の修復が行われた。
 ウイルヘルム塔 Wilhelms Turm (1872-75) 高さ230mの城山の上にオレンジ家のウイルヘルム
   1世の記念碑が建てられた。正方形の建物の上に石造15mの角塔が建てられ、円
   塔形の螺旋階段で登ることができる。

5.町の略図

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ドライアイフェンハイン Dreieichenhain in Dreieich h23

写真

上門 上門内側
上門内側 北西壁・博物館入口
北西壁 下門
円塔 ローマ堤

1.歴史

  950 皇帝は石造狩猟小屋を建てた、1080 領主は5階建の住宅塔を建てた、
 1180 ハーゲン・コインベルク家は居城を拡張、 1255 ハーナウの領主が1286まで城を所有、
 1256 町と呼ばれ都市権を授与された、 1350 郊外拡張に新市門・市壁で防備、
 1418 シュタイナー家の絶滅後1486ヴァン侯爵が城を獲得、1549 宗教改革導入、
 1710 ヴァン侯爵は城を解体、1783 要塞保全に困窮した町は中門と要塞を取壊し、
 1816 町はオッヘンバッハ・ヘッセン大公国に併合された。

2.市壁  0.68km 0.70

   1170城は今の大きさに拡張され、狭間胸壁のある城壁で保護された。1180城
  の南西にロマネスクの市門と市壁に囲まれた臣下たちの町が成立した。1350町は西の
  郊外にゴシックの市壁と上門を築いて手工業者と商人を住まわせた。北側の守りと
  して城塔からサーベル塔までの356mが繋がって、市壁の合計は1.025kmとなった。
   12cからのロマネスクの土堤は、1440-46マインツ大司教機密顧問の侯爵エディ゙ター1世の時
  代に堤防と堀と横柵となり、下門から南西方向は直ぐ見分けられる。

3.塔  2門2塔

    市門は西の下門が1180に、北東の上門は1350に建てられた。そのた不規則な
   間隔で小塔が南市壁にあり、今も保たれている。半円形の防御塔が市壁の西の
   角に、正方形の塔が南の角に在る。市壁の中の小さな木組みの壁上塔は、
   Wiekhausと呼ばれる。
 上門 Ober Tor (1350) ゴシックの市壁と4階建の上門は同時に建てられ、以前は
   財政上から内側は開いた防衛塔だった。後に欠けた壁は閉じられ、中は3
   階建ての美しい木組みが填められた。1460-1790上門には堀と市壁で囲まれ、
   道とは跳ね橋でつなっがた前防塁が置かれた。上門には三つの鐘が付いた。
 下門 Unter Tor (1450) ロマネスクの町は、領主ハーゲン・ミュンツェンブルクによる城の拡張
   と共に成立した。この町には中小門と呼ばれる西からの入口門しかなかっ
   た。3階建ての下門は、ゴシックの町の拡張した時に跳ね橋付の前衛門と共に
   ロマネスク市壁と一体に造られた。下門は元は印象的な建物であったが、今は元の
   特徴と魅力を失っている。1805に2階建ての木組み構造と尖った急勾配の寄棟
   屋根が建てられた。南側に在る木造上階の建物は守衛の住居として使われた。

4.見所  C

  池に浮かぶ城跡と、市壁に囲まれた木組みの古い家のある小さな町。
 旧市庁舎 AlteRathaus 西側の入口近くに木組の建物がる。
  Burg (1060-80) 領主ハーゲン・エーベルハルトは湿地の小島に城の複合施設を構築
   した。1180ハーゲン・コインベルクは居城として拡張し、住宅塔は新城壁に囲まれた。
   1486ゼン侯爵フイリップサイヒは城を解体した。1931城跡は歴史民俗協会に売却され、
   常設展示は2015に再開の予定である。城跡には、高さ22mの西壁と円型の住居
   棟の残骸が残り、町博物館と城教会が存在する。
 木組家 FachwerkHaus () 旧市街には、コーナーポストと持送り枠に挟まれた鑑
   賞図形のある組み込み格子が家を飾っている。上門の西のザールガッセには貴族
   の館・病院管理人の家・トリアーの館があり、構造上の持ち送り突出梁がある。

5.町の略図

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エルティフィレ Eltville am Rhein (Stadt Wiesbaden) h24

写真

市庁舎 選帝侯城
城堀 セバスチアン塔
市塔 マナー塔
西北壁 西北壁
カソリック教会

1.歴史

 7c フランク王国の館が置かれた、 973 マインツ大司教はオットー2世の寄付で領土に、
 11c マインツ大司教は別荘を設けて滞在、13-14c 皇帝の都市権を受け町は全盛期、
 1301 関税戦争で城は破壊された、  1312 町は市壁で守られた、
 1332 バイエルン皇帝ルードビッヒはフランクフルトの特権を町にも授与し防御を義務付けた、
 1344 全ラインガウ唯一の官庁所在地、  1525 農民戦争で軍に占領略奪された、
 17-18c 繰り返し戦争で被害を受けた、1666 ペスト大流行、
 1866 プロイセン王国に併合された。

2.市壁 0.31 0.35 

   1332の市壁は、LeerGasseにまだ全高で聳え、他の場所にも残る。市壁の前に
  は幅20m深さ5mの堀が付けられ、1689市壁上の防衛通路は壊され家が建てられた。

3.塔数 1門5塔

   1332の市壁には、約80m間隔で半円型の防御塔が造られた。Kliansringと
   Gelbenhausにまだ二つの半円形鞘塔が残っている。
 マーチン門 Martins Tor (14c) 唯一残った市門で、この門を通ってビール樽を積ん
   だ荷車がライン河畔に通った。
 セバスチャン塔 Sebastians Turum (14c) 町の守護聖人である聖セバスティアンの立像が
   立ち、町の南西角の守りを固めている。塔の周りは昔の漁村であった。
 市塔 Stadt Turm 町の東を守ったSuele門の一部で、1753から町の監獄として
   使われ、19cには塔はゴシックに改装された。今は、町の歴史の中心として
   市の公文書館となっている。

4.見所  B

    ヴィースバーデン市内の西ライン河畔の選帝侯城を中心に400年の歴史のある町で
   木組みの家や中世の防備施設なども残っている。
 最古の市庁舎 Altestes Rathaus (1511) 地階石積上階木組で町で最も古い市
   庁舎で、地階には1511の年号が掲げられている。この建物は1827まで市庁
   舎とし使われた。向かいに古い共同風呂小屋があり、1512に文書言及された。
 選帝侯城 Kurfuerstliche Burg (14c) 不規則な長方形の城は、市壁の南東角
   に位置し、ツインガーが深い堀と高い壁に西と北を囲んでいる。1301の税関戦
   争で壊された城跡に再建され、14-15cマインツ選帝侯大司教が住んだ。30年戦争
   で破壊され1682東翼は修正された形で再建された。中庭・庭園・堀にはバラを
   初め多くの花が咲いている。天守閣からの眺めはよい。
 聖ピーターとパウロ教会 Katholische PfarrKIrche St.Peter und Paul (10c)初め
   ロマネスクの建物は、1350-1440に後期ゴシックの聖堂となり、1420塔が追加され
   た。落雷による塔頂の破損は1686バロックのフードで修復された。中に、優れ
   たゴシックの絵画と彫刻・1405-10塔の東壁の裁判の描写などがある。
   クラス城 Burg Crass (14c) 市壁街の最も古い建物で、マインツのコーデンス家の住居で
   あった。30年戦争で焼かれカルロ侯爵がネオゴシックの城を築いた。1873クラス家が
   城を引き継ぎ高級レストランを開いた。
 木組家 Fachwerk Haeuse (1550-1850) 特に1700前後の木組みの家が多く残って
   いる。マルクト広場の東側の曲がりくねった道にバロックからの木組みの家並
   が見られる。
 古い学校 Alte Schule (16c) 教会の丘の上に教区学校が建てられ、地階は石
   積上階は木組みの建物である。マインツ大司教がラテン語教えたこともあり、1584
   以降は全学校長の名前を郡の図書に記載された。

5.町の略図

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エアバッハ Erbach h25

写真

 
旧市庁舎 エアーバッハ宮殿
ルスト公園 町教会
西壁

5.町の略図

1.歴史

  150 ローマ軍の国境防備の櫓砦を築く、400 アラマン族が支配、500 フランク族が所有、
  773 シャルマーニュはロッシュ修道院に国境の土地を与えた、1095 ロッシュ修道院文書に言及、
 1200 ゲルハルト1世は天守閣のある水城を築く、       1321 城と町の初言及、
 1440 最初の堀と家屋に付いて言及、   1532 皇帝チャールズ5世は市壁で囲んだ、
 1545 市庁舎、1560 町の紋章、        1591 門と堀に架かる橋を造った、
 1618-48 30年戦争とペスト流行で人口減、スイスから移民、1667-68 仏ルイ14世の略奪、
 1672-79 仏軍占領、堀・壁・門・塔の修復、   1710 宮殿と公国オランジェリィの建設、
 1740-48 墺承継戦争で被害、       1775 侯爵フランツ1世は農畜産を振興、
 1806 ヘッセン大公国となり1852郡庁所在地、   1866 独墺戦争、1870プロイセン戦争、
 1945 2次大戦の空爆で被害。

2.市壁 0.06 0.01 

    16cの市壁はあったが、宮殿の裏のAm Schloss grabenには、堀の内側の位
置に低い石積が見られる。

3.塔数 0門0塔

    1591に建てられた市門は、1834に取り壊された。

4.見所  D

    旧市街地には、古い木組の家と大きな城のある小さな町。マルクト広場には、
宮殿・市庁舎など風格のある建物がある。
 エアーバッハ宮殿 Schloss Eberbach (12c) 初め、堀と壁が円型にあり、13cに
ゲルハルト1世は高さ67mの天守閣のある水城を建てた。16cにはルネッサンスの宮殿とな
り1736から改修され、1902ネオバロックの外観となった。ゴシックの尖頭は1497に置か
れ、中庭は付属建物で囲まれ、向かいに1540Kanzeleibau.1550穀物倉.厩舎が
あり、アーチ広場に面する側に1571Archivbau.1593守衛詰所がある。
 宮殿博物館 Schloss Museum ネオバロックの城の中にエバーバッハ伯フランツ1世(1754-
1823)のコレクションがガイドツアーで見学できる。武器庫では細工のある銃器・刀・鎧・槍
・南アジア.ギリシャ.ローマの陶磁器・伯爵一族の部屋が見られる。
 城壁 城の敷地内で閉じていて、町の周壁の中核を形成している。
 ハーババーマン城 Habermanns Burg (1427) 3階建てゴシック石造の城守家族の家で
城の奥壁に接続している。
 城守ペビィ家 Burgmannen Haus Pevey (1427) 中世の城の家で北西の背中に
置かれた石積の地階と木造の2階建ての建物。
 テンペルの家 Tempel Haus (1372) 3階建て階段破風付石造の騎士の家で、望
楼を務め、窓は後に挿入された。
 グリュック工場 Grueks Fabrik コジオルはユニークなデザインを生み出し生活に高品質
の製品を造りだした。コジオル博物館として、デザインの世界を提供している。
 独象牙博物館 Deutsches Elfenbein Museum (1966) 象牙彫刻美術品・作成
プロセスの説明・象牙取引と加工の歴史を展示。

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エシェヴェーゲ Eschwege h26

写真

市庁舎 木組家
州宮殿 ヴェーラ川

1.歴史

 10-11cフランク族の王の宮殿が置かれた、  1000皇帝オットー2世の文書で妻の遺産に、
 11c 妻の娘は町に女子修道院を設立、 1188 市場権を授与、1249都市権を授与、
 1264 ヘッセン伯ハインリッヒ1世は相続戦争で町を取った、 1292 ナッサウ皇帝アドルフは領土に、
 1385 チューリンゲン方伯バルタザールは町に来た、   1386 方伯バルタザールは城を築いた、
 1433 再度ヘッセン方伯領となり宮殿を築いた、1627-32 退位方伯モーリッツの老後の場所、
 1632-55 ヘッセン・エッシェヴェーゲ方伯フリードリッヒの王宮、 1637 クロアチア軍の略奪・火災で被害、
 1655 ヘッセン・ラインフェルト方伯エルンストが所有、   1731 ヘッセン・ベンスフェルトのクリスチャンは住んだ、
 1755 ヘッセン・ローテンブルク家へ移った、       1834 ヘッセン・カッセルの本家に戻った、

2.市壁 0 

  13cの市壁は、1867までは存在した。Botanには旧市壁の石が見られた。

3.塔数 0門3塔

 ヂュンチェバッハ塔Duenzebacher Turm (1322) 古い塔の場所に1531に施設が置
かれ,30年戦争の後に今の姿になった。1659魔女が投獄され、18-19c町の刑務
所として使われ、監獄塔とも呼ばれた。
 ニコライ塔 Nikolai Turm (1455) 昔はGodehardi教会の塔であったが、400年前
に壊された。塔の南側の碑文に年号がある。30年戦争で石積の上まで壊れ、
1733・4階建の塔が再建された。1736防火の見張り塔として使われた。1969古い
木の階段は鋼製に取り換えられた。
 ビスマルク塔 Bismarck Turm (1902) 東1.5km、ロイヒト山319mの頂上に、高さ26mの
四角塔でビスマルク・オットー侯爵に敬意を表して、古い見張り塔の形で建てられた。
    1階と頂上にプラットホームがあり、3-10月には登れる。

4.見所  C

  旧市街に、市庁舎をはじめ多くの装飾のある木組の家が、見事に並んでいる。
 市庁舎 Altes Rathaus (1578) 3階建ての木組みの家で、前面にはグロッケン・シュ
ピールが2004に付けられ、10.15時から1時間毎に6回鳴る。今は結婚式場である。
 方伯宮殿 Eschwege Landgrafen Schloss (1386) 初めの城は1433に3階建で北
   と南に翼のある宮殿に拡張された。1615-17建物の屋根の上の角塔には時計の下
   に町のシンボルとしてラッパを持つ像が立っている。1821地区事務所となり、北の下
   に町のの下に町の書館となった。
 聖ディオニイ市場教会 MarktKirche St.Dionys (1626) 侯爵の墓所としてヘッセン・
   カッセル方伯
   モーリックの求めで建てられた。方伯家は豪華な棺に埋葬されている。
 聖キャサリン教会 Ev.Kirche St.Katharina (1374-1509) 3身廊煉瓦造後期ゴシックの
   ハレン教会で、マールブルクのエリザベス教会を模倣している。中には、ハインリッヒが寄進した
   石の説教壇がある
 錫模型陳列室 Zinn Figuren Kabinett Eschwege 1.2万の錫フィギャーと200のジオ
   ラマで、世界の大きな出来事を紹介している。ミニチュアの世界史・錫の文化史・世界最
   古のミニュチュアと最少の船のモデル1.2mmもある。
 資料センターと文化遺産博物館 Dokumentations Zentrum und Heimat MUseum ドイ
   ツ戦後の歴史のための資料センターにドキュメント・ビディオ・目撃証言を集めている。
   また、ドイツの国境整備のモデル・町の歴史・水路の資料を展示している。
 市博物館 Stadt Museum 町の歴史と文化、1750の都市景観、古い町と工芸
   品、鉱物・地質と自然史を展示。近くに植物園。

5.町の略図

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フェルスブルク Felsburg h27

写真

 
市庁舎 木組家
州宮殿 ヴェーラ川
市壁

1.歴史

 1090 マインツ大司教が支配、      1209 フラッツラー・パウロ財団のリストに記載、
 1286 ヘッセンが岩城を建て、マインツがハイリゲン城を築いた、13c 町は市壁で囲まれた。
 1455-88 錬金術師クラウス・アーバッハ岩城で実験、1807-13 ナポレオン王国の州都に、
 1945 二次大戦では駅が爆撃された。

2.市壁 0.31km 0.46

  13cの市壁は、南の岩山に180m、南の平地に点々と130mが残り、別に城壁が
   140mがある。

3.塔数 0門5塔

  山頂の外壁に、北東から小円・半円・大円・小円の4壁塔と、城天守(Butterfoss
  turm)が立っている。

4.見所  D

  この町は、高さ200mの玄武岩の上に岩城が残り、交易路を見下ろしている。
  その城の南の麓に小さな木組の集落がある。その他にAttenburgとHeilipenburg
  があり、三つの城の町と呼ばれている。
 市庁舎 Altes Rathaus (1578) 3階建ての木組みの家で、前面にはグロッケン・
   シュピールが2004に付けられ、10.15時から1時間毎に6回鳴る。今は結婚式場。
 フェルスブルク Felsburg (1060) 今の入口階段は14cの入口塔のアーチ門と北部
   ツインガーに繋がっている。周壁・30mの円塔・南壁の城礼拝堂が残っている。
   改革の後に、粉の保管に使われ、1544砲兵が駐留。2005ヘッセン州による改修が行
   夏季の13-17時に開場している。2007からは、結婚式やパーティ会場として使われ
   ている。

5.町の略図

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フレアハイム Floerheim am Main h28

写真

 
旧市庁舎 ミンシュの家
マイン搭 見張搭

1.歴史

  828 フランク族の集落から生まれ初言及、922ケルン大司教ヘルマン1世は所有地と確認、
   1270 マインツ大聖堂の支部に売却、13c マイン川の水路管理のため強い要塞を築く、
 1595-1636 魔女裁判で、何十人が犠牲、 1631-36 30年戦争でスエーデン軍が占領、
 1765-1914 ファイエンス磁器工場開設、   1803 ナポレオンはナッソー・ヴァイブルク公国で支配、
 1806 ナッサウ公国に属した、 1867 プロイセン公国へ、   1917 一次大戦で戦災、
 1918-20 仏軍が占領、1942-45 二次大戦の空爆で大被害、1945 ヘッセン州へ。

2.市壁 0.03km (0.03)

   13cの市壁は、鉄道線路から南の旧市街地は、市壁で囲まれていた。今は
   マイン搭の東に僅か30mが残っている。

3.塔数 0門5塔

  郊外にある地方塔が再建されている。
 マイン搭 Main Turm (16c) 現存する最古の建物、市壁の一部として川運を
    制御するために役立った。2階建荒石積みの円塔の上に八角形の見張塔と
    八角錐屋根が乗っている。
 フロシェイマー・ヴァルテ Floersheimer Warte (15c) 西北2.2kmのウイーカー地区にマインツ
    大司教はライン右岸の北部国境に見張り円塔を建てた。1803の世俗化後に、必
    要性を失って荒廃した。1996に再耕作会社が残った基礎の上に以前の形状
    に基づき、高さ30mの石積円塔を復元して、レストランとして使っている。
 エルベンハイマー・ヴァルテ Erbenheimer Warte (1497) 北西6kmのマインツカステルの国境に、
   マインツラントヴェーアの一環として、尖った石屋根を備えた4階建の見張塔が建てられ
   た。今はカステル地方歴史教会が管理し、白く塗られている。
 バッハーバウアー・ヴァルテ BachgauerLand Warte (1492) これもマインツ大司教が堀と
   二重壁に囲まれた4階建高さ22mの円塔を建てて、フランクフルト見本市の開催中は関
   税収入を可能とした。
     ラードハイマー・ヴァルテ Radheimer Warte (16c) マインツ大司教が町の北の丘の上に、
   高さ22mの円錐屋根の円塔を建てた。マインツ選帝侯領内の貿易ルートを確保。
   1992に塔は復元され登れるようになった。

4.見所  D

 聖ガルス教会 st.Gallus Kirche () 単塔3廊のホール教会。

5.町の略図

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フランケンベルク Frankenberg(Eder) h29

写真

市庁舎 聖母教会
下マルクト 下マルクト

1.歴史

 1233 チューリンゲン伯が城と町を建て、間もなく強い市壁と25の門・塔で囲った、
 1335 町は北側に拡張され1556には旧市街地と統合された、
 1476.1507 大火で焼失、        1529-1611 ペスト流行、
 1618ー1648 30年戦争で町は損害甚大、  1655 町は再建した。
 1806 ヘッセン大公国。

2.市壁  0.01km 0.01

     

東側に僅かの市壁の名残を残すのみである。

3.塔  0塔

  5つの市門塔と20の見張塔があったが、今は東側に13Cの塔が唯一残る。
 魔女塔 HexenTurm 13C建、僅か残る市壁の近くにある。壁厚3m、
   高さ10m、町の刑務所として使われ、魔女狩りの時代にこの名前が付いた。

4.見所  B

   旧市街地は尾根の上にあり、16Cの木組の町並みが多くみらる。
  特に、上マルクトと下マルクトの広場には見事な建物が残っており、木組の市庁舎は
  大きくて荘厳である。
 上マルクト OberMarkt
 市庁舎 Rathaus 1476に焼失後1509に復元されたゴシックの木造2階建
   で破風に小尖塔とカリオンが飾られている。圧倒的な存在感がある。
 旧醸造所 AltesBrauhaus 1538建、大規模な庇家。尖ったアーチの入口
   のある前面を残したホテルになっている。
 石の家 Steinhaus 1420建、1476の大火に焼け残った一番古くて大
   きい世俗的な
   建物。1975の改修で昔のゴシックの切妻を復元した。
 下マルクト UnterMarkt
 荒野の上 Auf der Heide 16C建、南側に石塔のある木組の家。
 太陽の家 DieSonne 16C建、繊細なレンガ建築で、今はホテル。
 聖母教会 RiebfrauenKirche 1286建、マールブルクのエリザベス教会を模し
   てゴシックで造られた。1476の大火で焼失し、1963まで再建に要した。
   3千本のパイプのパイプオルガンが置かれている。

5.町の略図

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フランクフルト Frankfurt am Main h30

写真

 

1.歴史

 1c ローマ軍は大聖堂の丘に砦を築いた、 3c アレマン族の居住地となった、
  794 西フランク王国の王宮と大聖堂を築く、10c カロリング朝の王宮と要塞を築く、
 12c シュタウフェル朝は王宮を500m南に移した、1240 市場権、1337都市権の授与、
 13c中 帝国自由都市となった、 1356 金印勅書で国王選挙と戴冠式の町に、
 1480 レーマーで書籍見本市を開催、   1555 スペイン・オランダ・イタリアの新教徒受入、
 1631-35 30年戦争で何度も占領、 1714-19 二つの大火災で旧市街は壊滅、
 1759-63 ルイ14cの仏軍が占領、    1796-02.1806 仏革命軍の占領、
 1805-18 都市防御施設の解体で要塞は公園に、1860 フランクフルト大公国に、
 1866 墺プロイセン戦争でプロイセン領に、  1914-18 第1次大戦で空襲を受けた、
 1943-44 2次大戦の空爆で旧市街はほぼ瓦礫になった。

2.市壁 0.01km 0.01

   ①10c第1次市壁、カロリング朝の王宮を守る最古の要塞は発掘調査で判明。
   ②12c中第2次市壁、シュタウフェル朝は王宮を500m南に移し0.5haを市壁で囲んだ。
    シュタウフェル市壁は川沿いに見られる。③1343中世後期の市域は3倍に拡大し、
    第3次市壁が高さ6-8m厚さ頂上で2.5-3mで前面に堀を設けた。対岸のザクセン
    ハウゼンもドイツ騎士修道会を中心に市街地があり17cには市壁で囲まれた。
    16c市壁完成時には、既に時代遅れであったが、1552の包囲は守られた。
   ④ バロック要塞は1626-67に中世市壁の外に13星形要塞の大防衛施設を建設。
   ⑤19c仏軍の再占領1806の後に、防衛施設の撤去が始まり緑地が残された。
    2次大戦の爆撃でも破壊された。 残っているのは、2次の北東角に60mと
    北西に聖母教会の窓のない西壁40m、3次の北西60mと東60mである。

3.塔数 0門3塔

   2次市壁には、3市門と7小門があり、3次市壁には5市門と対岸に1市門と
   2小門があったが、今はない。 壁塔も42基あったが今は2塔しかない。
 エッシェンハイマー塔 Eschenheimer Turm (1428) 後期ゴシックの北門塔で小尖塔
   4と円錐屋根が塔頂にある。帝国自由都市の紋章があり、1階は暖炉付の守
   衛の部屋が見られる。
 レルテン塔 Rerten Turm (15c) マイン河畔の市壁沿いの建物に立つ円錐屋根
   の円塔である。
 白塔 Weisser Turm (1472) 後期ゴシックの2階建ての円塔で、頂上の胸
   壁に白い小尖塔が立っている。

4.見所  A

   旧市街は、2次大戦で壊滅したが、主要場所は復元されて、昔の雰囲気
   が感じられる。多くの博物館があり内容は充実している大都市である。
 レーマートレーマーベルク Roemer und Roemerberg (1405) ゴシック階段切妻の中世
   貴族の家を三つ繋いで市庁舎とした形を復元した。後にこの建物の2階皇
   帝の間で皇帝の選挙や戴冠式の祝賀会が行われた。レーマーの名前は、中央の
   のゴシックの建物の名前から付けられた。中庭にはルネッサンスの螺旋階段がある。
   レーマーベルクは、4階建て木組みの建物に囲まれ、正義の女神の噴水1543があ
   り、夏祭りやクリスマス市が開かれる。
 大聖堂 Dom Bartholomaeus Kirche (680) 初め礼拝堂があり、852に
   カロリング朝・後期ロマネスクのサルバトール大聖堂となり、1260今のゴシックの身廊と側廊
   を拡張し、1415西塔を構築した。戦後復旧として、95mの塔が復元され、
   4-10月には登れる。神聖ローマ帝国の国王選挙や戴冠式が行われた。
 聖パウル教会 St.Pauls Kirche (1833) 町のルーテル教会として建てられ、
   赤砂岩の大きな建物であった。1944空爆で全壊したが再建され、1948第1回
   民主議会が開かれた。1988-91に改修された。
 聖ニコライ教会 St.nikolai Kirche (1290) 宮廷の礼拝堂として建てられ
   戦災を免れた新教教会である。
 聖レオンハルト教会 St.Leonhards Kirche (13c) ロマネスクのバジリカは、16cに
   ゴシック化された。8角形の塔と彫刻家エンゲルト・ポーチの彫刻13cが残っている。
   後で二つの側廊が付けられ、内陣左手に聖母マリアの生涯を彫刻した祭壇と
   最後の晩餐1501の絵がある。
 聖母教会 LiebFrauen Kirche (14c) ゴシックのホール式教会として建てら
   れ、18c内部はロココに改装された。今はカプチン会修道院の教会となっている。
   南正面入口のタンパンのレリーフは三博士の礼拝である。
 古いオペラAlte Oper 後期イタリア・ルネッサンス風の建物は、パリのオペラ座を
   手本に建てられ、1944爆撃で廃墟となったが、市民の献金で2450席の大ホール
   と720席のモーツアルトホールが、1981には開演された。
 フランクフルト歌劇場 Oper Frankfurt 前面ガラス張の近代的な建物である。
 歴史博物館 Histrisches Museum 最初の集落から現在までの町の歴
   史を解説している。彫刻・磁器・ガラス・博物史上の物品・貨幣・版画・中世.大戦
   後.現在の都市模型などがある。その奥は皇帝の館の礼拝堂12cに通じる。
 シルン美術館 Kunsthalle Schirn 2千m2の空間で展示会が開催される。
 考古学博物館 Archaeologisches Museum 旧カルメル会修道院の復元され
   た教会に、旧石器時代からの考古学的研究の成果を展示している。
 ゲーテの家博物館 Goeth haus und Goethe Museum (17c) ゲーテの生家は
   爆撃で壊され復元された。居間・台所・客間にバロックの家具や装飾品ある。
   博物館には18-19c絵画や彫像・ゲーテの生涯や作品が展示されている。
 ドーム博物館 Dom Museum ゴシック回廊の残った場所に、中世やバロックの
   絢爛たる法衣や金細工が展示されている。
 モダアート美術館 Museum fuer Moderne Kunst 新築の4千m2の大きな建物
   にニューヨーク派の現代芸術家の作品が展示されている。
 ユダヤ博物館 Juedische Museum (1821) ロスチャイルド館に中世から現代の
   ユダヤ社会の歴史と日常生活を解説している。
博物館河岸(マイン川左岸)
 市立美術館 Staedtisches Galerie Liebieghaus (1909) リービック侯爵の
   館に文化史5千年の彫刻が世界から集められている。エジプト・ギリシャ・ローマ・極東
   からの作品が展示されている。
 シュテーデル美術館 Staedelsches Kunstinstitut/Staedtische Galerie
   銀行家の寄付で設立された絵画館である。中世から現代の独・伊・仏・蘭の絵画
   を広く集めている。ヂューラー.クラナッハ.ボッチィチェリ.アンジェリコ.ラファエロ.ルーベンス.レンブラント.
   フェルメール.ルノアール.モネ.クルーベなどの名画が見られる。
 コミュニケーション博物館 Museum fuer Kommuniketion (1958) 初め郵便博物館と
   して設立され、1990にコミュニケーション博物館となり、カンバン.電信.電話.ラジオ.テレビ.
   絵画.彫刻.写真.映像とうの収集・展示がある。
 ドイツ建築博物館 Deutsches Architektur Museum (1984) 1872と現代の
   建物を取り合わせて建築し、中には6階建ての「家の中の家」があり、建築図
   書や模型塔のコレクションがある。
 ドイツ映画博物館 Deutsches Film Museum 映画の初期の発明品・サイレントと
   トーキーの映画作成史、上映室の展示がある。
 世界文化博物館 Museum fuer Welt Kulturen/Galerie37 (1904) 世界の
   民族の歴史・民族史・写真・映画・多くの書類を有し、世界民族の文化を展示。
 応用工芸博物館 Museum fuer Angewandte Kunst (1877) デザイン.ブック
   アート.グラフィックアート.イスラム芸術.東南アジア芸術などについて展示。
 イコン博物館 Ikonen Museum (1988) 正教会のイコンを1千点以上保有し、ロシア
   からエチオピアにかけてのイコンを展示している。

5.町の略図

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フランクフルト ヘーヒスト Frankfurt Hoechst h31

写真

   
旧市庁舎 マイン門
市壁 ヘーヒスト城
錨の家 ユスチヌス教会
オクセン搭 ダルベルガーの家

1.歴史

  260 ローマはライン川の右岸を放棄、 830ドイツ最古のユスティヌス教会を建設、西には村が発達、
 10c マインツ大司教:マインツ選帝侯は町の権利付与、13c 関税を徴収するためマインツZollburgを建設、
 1355 チャールズ4世は町に権利を付与した、  1356 チャールズ4世は町に市場の開催権を付与した、
   1396 フランクフルトと共に町は破壊され直ちに再建、 15C町は2回拡張、1586 大火事で半分焼失、
 1662 30年戦争テリー将軍が勝利、  1632 スエーデン軍が占領、  1746-96 磁器工場の建設、
 1771 イタリア貿易商ポロンガロ家は貿易事務所・宮殿を建設、     1803 ナッソー公国に属した、
 1866 プロイセンに属し、ヘッセンナッソー州ヘキスト地区の郡庁に、 1918-30 一次大戦後仏軍が占領、
 1928 フランクフルトに統合、 1945-63 二次大戦で米軍が占領、被害は小。

2.市壁 0.47km (0.45) 

  1396-1432に町で最初に拡張された市壁は、その後の拡張で陸側の部分と2つの市門が取壊
     されたが洪水防御効果のある川側の高い市壁は残された。港の岸壁を建設するため市壁は
   2m埋められた。市壁は1976に改装された。

3.塔数 1門2塔

 マイン門 Main Tor(14c)関税門の外側にあり、アーチ壁が残っている。
 牡牛塔 Ochsen Turm (13c) 3階建石造の円形塔は、昔は独立望楼であったが14cの市壁
   の拡張で、市壁の南東の隅塔となった。
 関税塔 Zool Turm (1360) 関税門のある角塔は、14c中に設置され30年戦争で強化され
   た。1664に損傷したが再建され3階建の門塔はマインツ選帝侯によって使用され、1802からは税
   関検査官の事務所と住居になった。1866プロイセンによってフランクフルトと併合されて、関税はなく
   なった。1870に内部は改修され現在の屋根となり校舎として使用された。1898の小学校の
   移転後は、歴史協会の資料館となり、1899に市元の博物館となった。1955と1999に塔の改
   修が行われた。

4.見所  B

   1928まで独立していた旧市街地は、1396にフランクフルトとマインツ選帝侯との戦いで、教会を除
   いて破壊された。直ちに再建され、要塞が設けられたので1475までに旧市街地は左右に
   2倍に拡張した。1586と1778の大火事と30年戦争で町は荒廃したが、多くの古い建物が生
   き残った。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1594-95) 1586の火災で焼失した敷地にルネッサンス2階建の市庁
   舎が建てられ、1844まで市庁舎として使われた後は、老朽化で売却された。1874-75に2階
   建レンガ造の建物が再建され、1876にZurStadtとしてレストランとなったが、1880に倒産して
   売却された。次の所有者は改装してレストランZum Alteen Radhausを開業した。 1929連邦教育図
   書館となり、今は住宅となっている。
 最高の宮殿 Hoechst Schloss (13c) 前身のゴシックのヘーヒスター関税城は、周壁の掘削と
   城の建設で始まり、1355の都市権の授与でSchlossPlatzは市場として発展した。16-18に
   ルネッサンスの建物は、1586の都市火災と30年戦争で破壊されたままとなった。遺跡の石は1772
   ボロンガロ宮殿の建設に使用され、地下室のみが残された。1803城はナッソー公国の所有となり、
     1866にプロイセンに移った。1908アドルフ・ブルーニングス家が購入・改修して城跡を公開した。1945に
   米軍が接収してAFNの送信所とした。1961ヘキスト社は城跡を購入して、歴史博物館とし
   て公開した。
    堀の橋を渡ると、ルネッサンスの門衛の2階建ての建物がある。城の本館は長方形で北西角に
   丸塔と南西に6階建の塔が立っている。  新宮殿 Neues Schloss (16c) マインツ選帝侯のゲストハウスとして機能し、1803世俗化後ナッソー
   公国、1866プロイセンが所有した。1908にブルーニングス家が城を購入してアパートとゲストハウスとして使
   用した。1918-30仏軍、1945-66米軍が接収した。1962ヘキスト社は購入してゲストハウスとして使い
   2002ドイツ記念碑保護財団に売却して、高級レストラン・催物会場として使われている。
 ユスチニアス教会 Justinnus Kirche (830-50)マインツ大司教はこの町に教会を建てた。マインツ
   大司教は伊から聖ユスチニアスの骨を持ち帰り、850に奉献し、1090教会はベネディクト会に寄贈され
   た。1296に聖マヌガレートに奉献され。1419建物を拡張してゴシック3通路の大聖堂ん拡張された。
   北ポータルは
   豊かな装飾が1442追加された。1930-32構造が復元され、1980内装が復元され、2009屋根が
   修復された。聖アンテニター修道院 St.Anteniter Kloster (1441-43) 1802に世俗化で廃
   止され、2階建の一部分が残っている。
 ダルバーガーの家 Dalberger Haus (1582) ルネッサンス3階建で建てられ、1582マインツ大司教
   に売却された。1889にゼラチン工場となり、1926に市に売却された。1968老朽化で解体寸前に
     1777磁器工場が負担して改修された。今は宗教施設とアパートとなっている。
 グライフェン・クラムシュの家 GreiffenClamsches Haus (1590-1600) ルネッサンス切妻の3階建
   の家、1936内外とも大改修されて新しい屋根と石膏を付けられた。
 ツム・カッフェン Zum Karpfen (1500)ゴシック木造の家で30年戦争で壊され1633に新築された
   食堂で、1973実態調査で拡張再建の構造が明らかになり、昔の姿で再建された。
 クロンベルガーの家 Kronberger Haus(1577-80)1326に貴族が買収し、16cにルネッサンスで
   建替えた。 1862に市が所有し、1870-80にクラッシクな市庁舎に改装された。
   1909市庁舎はボロンガロ宮殿に移った。1919学校や図書館として使われ、1994に磁器博物館が
   置かれた。
 ツム・アンカーの家 Haus Zum Anker (1483) ゴシック3階建木骨造の建物は、旅館として建てら
   れ、1586の都市火災を生き延び、1973の大火事まで家屋として使われ、1975-76に被災後
   復元された。
 新市街 Neu Stadt (1768) 伊の貿易商がバロックのボロンガロ宮殿を建てるなど、特徴的な拡
   張が行われ、1908からは市庁舎として使われた。

5.町の略図

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フリードベルク Friedberg h32

写真

太い塔
西壁 東壁
広場 聖母教会

1.歴史

  69-79 ローマキャンプの場所にローマ砦を再建、260 その後拡張されたが撤退で放棄、
 1171-80 フデリック・バルバロッサが城を築いた、 1216-19 ホーエンシュタウヘン家が町を計画、
 1252 帝国都市として布の製造で発展、 1332 市場の開催、14c中型の町に3千人、
 1307.1447 大火災に見舞われた、   1455 帝国自由都市になった、
 1618- 30年戦争・7年戦争・仏革命戦争で略奪された、1806 ヘッセン大公国に帰属、

2.市壁 0.71 0.38 

  小高い丘の上に町が有り、城の周囲と町の西に市壁の石積が残っている。

3.塔数 1門3塔

 北城門 NoerdlichBurg Tor 城の北の急坂の上の門。
 アドルフ塔 Adolf Turm (1347) 城の北側の高さ58mの天守閣。
 デブ塔 Dicher Turm () 城の下の市壁とのつなぎの太い防御円塔。
 赤塔 Roter Turm (1296) 東南の円塔で、赤砂岩造の尖頭アーチと胸壁の
   付いた塔で、市壁の一部として造られ、刑務所も務めた。

4.見所  C

   丘の上の町で中央を旧国道3号線が通り、旧市街地には木組の家も残
  っているが、北の城が見所である。
  Burg () 1808に城教会は建てられたプロテスタントの教会である。城庭は18c
   中から19c初の造られ、音楽演奏会が行われている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1737-40) 2階建てのスコッタの建物で、マンサード屋
   根に尖塔がある。2001に2階には音楽学校が入った。
 聖母教会 LiebFrauen Kirche (1260-1410) 町教会で、ゴシックのハレン教会。
 マリア教会 Marien Kirche 町の東南の角に立つ。
 町図書館 Burg () 古い修道院の建物に開設され、4万冊以上の本・ビディオ
   ・カセット・CDなどが収められている。

5.町の略図

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フリッツラー Fritzler h33

写真

 
市庁舎 バラ塔
マルクト広場 ドーム
北西壁 西壁
南縦壁 南東壁
東壁 上南壁
堀塔 マルクト広場
木組み家

1.歴史

 724 最初の文書言及、        742 教区となり、782 修道院に昇格、
 919 国会議事堂となる、      1079.1232 町は破壊された、
 1238 要塞の強化、東側の壁を追加し7つの塔が建てられた、
 1483.1558.1611 ペストが猛威、  1621-48 30年戦争で占領され略奪された、
 1803 フリッツラー公国となる、     1945 アメリカ軍の砲撃で被害。

2.市壁  0.380km 0.72

  丘の上に、北側の円形と南側 の小さな四角がくっついた形に市壁があった。
  1184-96に最初の市壁が建てられ、新市街地は追加した角の壁に囲まれた。
  12-14Cに市壁と防御塔が強化された。今は、北東部分を除いて、ほぼ全周に
  残っている。

3.塔  0門15塔

   市門は、1823HospitalTor、1823WerkenTor、1834WerkenbornTor、
  1838HaddanarTorに、それぞれ19Cに取り壊された。
   23の塔の内10塔が残り、基礎のみ残るのは8塔である。
 グエーベン塔 GrebenTurm 北 12Cには馬蹄形の床で造られた。市壁の古い
   部分同様に玄武岩の瓦礫の下の部分にある。1232に基礎から円塔となる。
 バラ塔 RosenTurm 北 12Cには馬蹄形の床で造られ、上記塔と同様に円塔
    とされた。
 グレー塔 GrauerTurm 西 1274建、初めて大きな38mの塔を建てた。壁高は
   10.5m。19C末に大修繕がなされた。地下には1541以降監獄があった。
 女塔 FrauenTurm 西 1360建、塗装塔とも呼ばれた。外側の壁厚は1.2m
   あり、最上階はすべての方向に窓がある。塔の地下には、女刑務所があり
   この名前が付いた。
 冬塔 WinterTurm 西 高さ25mで、すべての階で別の方向に抜け穴がある。
   1397に円錐屋根が付けられ、1968に壊れた最上階は1984-86に改装され、
   壊れた窓が復元された。この門を通った南斜面はブドウ畑であったことか
   らこの名前が付いた。
 漂白塔 BleichenTurm 南 八面の錐体の屋根、塔の最上階は尖塔の窓と
   欄干として構成している。中世から2次大戦後まで洗濯物を漂白していたので、
   その名前が付いた。
 レギル塔 RegilTurm 南東 14Cの塔は、1883に円錐形の瓦屋根までほぼ完
   全に復元されている。抜け穴のアーチがある。
 ヨルダン塔 JordanTurm 東 1982に改修市壁の隣接部分と統合された。円塔。
 見張り台5 Warten 5   14C中に円形石造塔が7造られ内5が残っている。
   入口は地下深く、地上数mの高さで各方面を見張った。
   説教壇塔KanzelWarte西南、ObermoellrichenWarte、角線塔EckerichsWarte、
   晴塔 HellenWarte北、
基部又は柱部のみの塔 9
  パビリョン塔 PavillonTurm 西
  石下水塔 SteingossenTurm 南中
  針めど塔 NadeloehrTurm 南
  ペーター塔 PetersTurm 南
  古い塔 AlterTurm 北東
  カーラー塔 KalarsTurm 東
  短い外套 ZuckMantel
  2無名塔 ZweiNamenlosenTurm

4.見所  A

  西から町に近づくと、山上に多くの塔が林立している姿が遠望される。
  市街地には、15-18Cの古い木組の家屋が多く見られる。特に、マルクト.馬市場.
  Jestaedt広場は見事である。
 市庁舎 Rathaus 1109建、がっちりした石造地階の上に張出し木造建物を
   載せた長大な建物。マインツ大司教の役所として建てられ、11C末に町の所有と
   なった。1960-64に基礎の上に建て直され、東へ法王庁を包含し監督参事会
   員住居を拡張した。15C前半にその建物は火災で壊され、再建の際に拡張さ
   れ、多分1441には再建は終わっていた。この再建は古い石造は保たれ切妻と
   小角塔のあるゴシックの木組構造を載せた。地階には開かれた広間を加えた。
 フリッツラー大聖堂 FritzlarDom 1120-30建、723にオーク材礼拝堂があった。
   聖ペテロ大聖堂は2角塔の前面であり、ロマネスクの参事会教会であった。1232に
   ロビーを追加。2010-12内部の改修。
 ドーム宝物と美術館 DomSchatz&Museum ドームの回廊を通って内陣の右隣
   にある。典礼に使う道具や祭服を展示している。宝石をちりばめた十字架と
   12Cロマネスクの円盤聖遺物箱に注目。
 町教会 StadtMinoritenKirche 1237にフランシスコ会の修道院を作り始めた。
   14C初めに修道会は教会建設に着手し、1553宗教改革の時代に修道院は止
   められ、1619反宗教改革の後に立ち返った。ゴシックの教会はほっそりとし
   た姿の2身廊ハレン教会であった。17Cに内部はバロックに改装され、1844にフラン
   シスコ会修道士の死後に解体された。1817に教会は新教教団に引き渡された。
 ギルド館 GildeHaus 1475-80建、町で最も古い後期中世風の4階建木
   組の商館であり、ミヒャエル宗徒と遠方取引同業組合が使った。13C末にギルドは
   組織された。細長い建物は重々しい破風塔を持ち両隣の木組家を抜き出た。
 ザイベル家 HausSeibel 1480建、マルクト広場の北側の家並みに、典型的な
   台造りの赤く塗られた木組の4階建の家である。家は参事会委員の貴族が
   住居目的のみならず経済活動のために作った。高い尖頭アーチ入口門で馬車
   で中の売場に行ける。上の階の幾つかの小さい店には通路が整備され、
   下の石造の丸天井の中に食堂もある。
 ラムバート家 HausLambert 18C初建、4階建青い窓枠木組の家。その場所に
   14Cには鋳造所があった。フリッツラー・ペニッヒ銀貨の有名な刻印がある。その出土地
   は中世にいかに遠くと通商関係に在ったかが分かる。
 HNA家 HNAーHaus 1276建、ヘッセンに僅か保たれた13Cの世俗建物である。
   フリッツラー貴族の石造住居はマルクト広場にある。1994にディーリッヒ企業が入手し、
   翌年に模範的に建て直された。1420-1700に建築上の変化があった。即ち、
   梁天井の平らな地階は、15C遅くに丸天井の地階に取替えられ、17Cの終りに
   今日の石造の上に木組の2階と屋根階を載せた。今、HNAの地方編集局。

5.町の略図

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フルダ Fulda h34

写真

宮殿 パウル塔
軍門 ドーム
北壁 北壁

1.歴史

 744 ベネディクト会修道院の創設、聖ボニファーチウスの墓所として巡礼地となる、
 819 大聖堂が完成し職人や農民が定住、 1019 市場と鋳造貨幣、
 1162 町は市壁と5門12塔の要塞化、   1208 町に昇格、
 1315-20 領主は中心に第2の城を築く、 1525 農民戦争に参加、
 1640 30年戦争でスエーデン軍の攻撃、   1704 バロックの大聖堂と城を建設、
 1752 フルダの建国、         1806 一時 仏領となる、
 1815 ウイーン会議でプロイセンに帰属、    1944 2次大戦の爆撃で町の30%破壊。

2.市壁  0.17km 0.07

   旧市街地に市壁1.7kmの内、Psulus門の東側にオランジェリィの北側に宮殿公園
   までが残る。

3.塔  2門1塔

 軍門 HeerTor (1150) 宮殿の南側に門アーチのみ緑地に残る。市壁の
    町側に建てられた。
 パウロ門 PaulusTor (18c) この門は町の北側に、市ホールの側にある。
 ヘーゼン塔 HesenTurm ドームの南側にある西側壁塔。

4.見所  B

   旧市街地の中世の建物は、それほど残っていない。中心にはバロックの宮殿、
  鐘楼、大聖堂など、町はバロックに染まっている。
 旧市街地 AltStadt中世の要塞の残りと木組の家に古い教会もある。
 大聖堂 Dom (1704) バロック教会の建設に着手。1752以降はフルダ教区の
   大聖堂となった。中央祭壇下のボスファーティウス霊廟は、巡礼者の目当であり、
   墓と祭壇がある。祭壇の台座には18Cの浮彫がある。正面は珍しく東向き
   で、2つの塔間隔が塔の高さに対して狭く、不安定な感じを受ける。
 ドーム博物館 DomMuseum 聖ボニフェーティウス聖骨箱と短剣の聖遺物、バロックの
   装飾、銀の祭壇、修道院の歴史を展示。
 ミヒャエル教会 MichaelsKirche (822) ベネディクト会修道院の墓地礼拝堂として
   建てられ、その後堂々とした四角形の塔を持ち丸屋根を取り囲んで建てた。
 市宮殿 StadtSchloss 西に開いたコの字型の建物で、中央で歴史的な部
   屋に入ることができる。テラスから宮殿庭に出られる。庭は広大で向かい側に
   オランジェリ1724が立つ。
 大聖堂 Vonderan Museum 文化史学的に石器時代から現代までのフルダを
   展示している。修道院の歴史が中心となり、自然史的な説明もある。地方の
   芸術家の絵画と彫刻も展示されている。

5.町の略図

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ゲルンハウゼン Gelnhausen h35

写真

 
上マルクト 上マルクト
ペーター教会

1.歴史

 1170 皇帝フリードリッヒ1世はホーエンシュタイン帝国の首都を創設、古い3集落を計画的拡張、
 1180 帝国議会を町で開催、       12c 皇帝広場のある支配施設を建設、
 13c 町はフランクフルトに対抗する資金力があり市民課税免除で多数の商人は裕福だった、
 1333 バイエルンのルードビッヒは特権を与え、町は屋根付市場を建てた、
、1496 ラインハルト4世は持参金で再取得権を置き換えた、16c木組の家並が形成され残る、
 1618-48 30年戦争で何回も免焼金を取られた、17-18cホーエンシュタウエンの町で市壁あり、
 1803 ヘッセン・カッセルが終わり帝国直属になった、 1807-10 ハーナウ公国に属した、
 1810-13 町はフランクフルト大公国に含まれた、   1815 ヘッセン・カッセル選帝公国に併合、
 1866 プロシア領となった、          1945 新しいヘッセン州に属した。

2.市壁 1.85km 0.52 

  南東の王宮を囲んで12cの円壁と門塔が在り、城を囲む部分240mが残る。市街を
  囲む部分は中心に近い1220からの1次市壁とその外側の2次市壁があり、1次で北東
  360m+東南180m、2次で北東510m+東90m+南150m+西南240m+北西320mが残る。

3.塔数 4門5塔

    1220の石市壁には四角い殻塔で守られた。殻塔の外側は石造であるが、町
   側は木造で安く造られた。
 ハイツアー門 Heitzer Tor 東、3階建ての四角塔。
 マイン門 Main Tor 南東、四角の門塔であるが、地階部分がコの字型に残さ
   れるにみで、その上は失われた。
 魔女塔 Hexen Turm 東南、1447-79建、フス戦争の反省から建てられ、直径
   8mで高さ24m璧厚2.8m頂上に胸壁と小尖塔のある円塔で、入口の戸には地上4mの
   町側から木橋で達した。今の入口は19cに開けられた。1584-1633には魔女が投獄
   されたためにこの名前が付いた。地階と中庭には魔女迫害の歴史を展示。
 煉瓦塔 Ziegel Turm 南、6階建ての細長い角塔。
  Halb Monde 東北、外側二重半円塔。
 外木門 Ausseres holz Tor、北、3階建ての建物。
 内木門 Innnneres Holz Tor 北、煉瓦造4階建て四角塔に四角錐屋根が付い
   た建物で歩道のアーチがある。
 桶塔 Butten Turm 西、前面半円の4階建ての塔。
 船門塔 Schofftter Turm 南、6階建ての細長い四角の門塔で四角錘屋根。

4.見所  B

   日当たりの良い斜面の町で、上下二つのマルクトを古い建物が取り巻き、
   木組みの家も残されている。町は堡塁に囲まれている。
 市庁舎 Rathaus 上市場にある2階建ての四角い建物で、昔はロマネスクの商社。
 皇居 Kaiser Platz (10c) 壁に囲まれた内側に、宮殿のと皇帝の一次的な
   住居のある水城があり、12cには武器の発達に合わせて要塞は強化された。
   今は、城の入口の部分・柱列・礼拝堂・北棟外壁部分が残る。
 新教マリア教会 Ev.Marien Kirche (12c) 1151の元の建物は単身廊教会で、
   13cに3身廊で東塔のある十字型聖堂になり、15cゴシックの聖具室と礼拝堂が南東
   に追加された。1877と1945に主要な修復が行われ、1962にも改修された。
 聖ペテロ・カソリック教会 Katholische KIrche St.Peter (13c) 後期ロマネスクの3廊
   バジリカが建てられ、宗教改革でゼルボルト修道院は解散したが、聖ペトロ教会は町の
   所有となったが保全が行われず崩壊した。1830には商人に売却され、タバコ工場
   の中の建物として残された。1920カトリック教会として買収され、18年間で復元され
   た。1982-83全般的に改修された。入口翼廊南側に日時計がある。
 市博物館 Museum Gelnhausen 上マルクト北側ににある旧学校の建物に、町の
   歴史の全ての期間を展示している。
 グリマルスハウゼン博物館 Grimmelshausen Museum 町で生まれた作家ヨハン・ヤコブ・
   クリストフの人生と作品と生家を展示。
 塔時計博物館 Turmuher Museum (1990) 塔時計の歴史と1520からの塔時計
   ・部品・付属品・写真が展示されている。
   1590建:旧約聖書銘刻の家、1582建:校舎、1472建:書記の家、貴族の館.彫
   刻飾り、1582建:伯爵役員の住居。

5.町の略図

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ゲッツェンハイン Goetzenhein Dreieich h36

写真

旧市庁舎 新教区教会

1.歴史

 11c 農民の集落から発展、1200計画的な旧市街となり市壁・橋・堀を楕円形に設置、
   1418 イエーゼンブルク伯の所有に、1541 宗教改革を導入したが教会は100年以上閉鎖、
 1715 イエーゼンブルク伯は南1kmに宮殿と教会を建設、1754プロテスタント教区となり、教会建設、
 1810 ウイーン会議でヘッセン大公国へ属した、     1834 合併してドライアイッヒとなった、
 1937 周辺の町と合併して市となった。

2.市壁 0.88km (0.77)

  1200の市壁は楕円形に旧市街地を囲んだ。市壁は南側に多くの部分で残る。

3.塔数 0門0塔

  見当たらない。

4.見所  D

  北2.5kmにホフグート・ノイホフがあり、農場の敷地に大小の木骨造の建物や果樹園がある。
 市庁舎 Rathaus (14c) 旧校舎で上階木組の2階建の四角い建物。
 フィリップザイヒ宮殿 Schloss Philippseich (1675) 南西1kmにイエーゼンブルク伯は、2階建
   木造の狩猟小屋を所有し1715に宮殿と教会が建てられ、郡の中心の居住地となった。
    1794-00に、新しい宮殿が建てられ、1885には内部に装飾画や風景画英国彫刻や象
   牙細工で飾られた。
    1920に伯爵家が断絶して、イーゼンブルク・ビアスタイン家に移った。1941には私有となり20c
   後半には改築されたが、立ち入ることはできない。
 新教区教会 Ev. PfarrKirche (1776) カトリック領主のため、100年間なかった新教の
   教会は、1776にバロックで建てられ、1930にはガラス窓が付けられた。
 木組の家 Fachwerk Haus (17-18c) 町でも古い木組の家がある。

5.町の略図

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グレーベンシュタイン Grebenstein h37

写真

市庁舎 市教会
火薬塔 北西市壁角塔
フクロウ塔 ユングフォルム塔
リンデン塔 西南市壁

1.歴史

 1265ルドルフ5世がフェルシュテンシュタイン城を建立、1297ヘッセン方伯ハインリッヒは城・裁判所を買収、
 13c 計画的集落を建設、      1356 旧市街と城の間の谷に新市街を建設、
 14c 市壁の迅速な完成のために12年免税、1370 両市街の統合、1370-85要塞完成、
 1637 クロアチア人の占領で略奪と放火、  17-18c 美しい木組の建物が建設された。

2.市壁 1.22km 0.85 

  14cの新市街と旧市街を統合した長方形の市壁は多くの部分で残されている。

3.塔数 1門6塔

  14cの市壁には13塔あったが、5塔と少なくとも2つの切株が残されている。
 乙女塔 Jung Frau Turm (1300) 西、高さ40m直径8.65m厚2.2mの八角屋根
   に人魚の風見がある円塔で、刑務所としても使われた。
 梟塔 Eulen Turm (13c) 北西、尖塔付き4階建ての円塔。
 火薬塔 Pulver Turm (13c) 東、胸壁付きの高さ28mの円塔で、1779町が所
   有し、Isenacker Turm と呼ばれた。
 城門塔 BurgTor Turm (13c) 南、4階建の円錐屋根の円塔。
 リンデン塔 Linden Turm (13c) 西南、梟塔と同様な円塔。
 異端者塔 Katzer Turn (13c) 北東隅、大円塔で屋根が低い。

4.見所  C

   新旧の市街を統合したため市壁延長は1.5kmに及ぶ大きな町となった。特に
   南側の旧市街には、古い木組の家が多く残されている。
 市庁舎 Rathaus (14c) 1637中世の市庁舎が壊れ、1672今の市庁舎が構築
   された。長さ30mと大きく、白く塗られた上階木組の2階建の建物で、地階は
   1.5階分と高い。1726バロックの正面入口が付けられた。1987-89に健全化された。
 城址 Burg Ruine Trebenstein (1265) 旧市街の南の丘の上に、37m×12m
   の城の外壁が見える。1341方伯ハインリヒ2世はヘッセンの領主の家系で、この城で生ま
   れた。17cに壊され、そのまま放置された。町を見下ろす展望は素晴らしい。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1322-40) 防衛塔のある3廊のハレン教会は、
   1526に宗教改革でプロテスタントとなった。1637塔の先端の帽子が付けられ、備品が
   バロック化された。その横に14cと15cの二つの聖具室があり、700の席を備えた。
 木組の家 Fachwerk Haus (17-18c) 多数の古い木組の家があり、中世の
   地下室を持つ家もある。
 都市農民博物館 Ackerbuerger Museum (1731) 都市農民の木組3階建の
   haus Leckを改修して、収集品を展示し農業博物館を開設した。
 旧農場 Alte Meierei(1780) ヘッセン方伯の旧農場で、入場無料。

5.町の略図

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グリュンベルク Gruenberg h38

写真

市庁舎 マルクト広場
宮殿 泥棒塔

1.歴史

 12c 方伯フリードリッヒ3世は、マインツ大司教に対する南の守りとして町に城を築いた、
 1195 マインツ軍に壊されたが拡張再建された、 1222 町の裁判所が置かれた。
 1230 町で鋳造、1254ライン都市同盟に参加、1272 ヘッセン方伯ハインリッヒ1世は都市権確認、
 1304 市壁の外に新市街成立、      1324 新市街を含む新市壁を築いた、
 1370.1391 大火災で町は焼け野原に、  1419 60mの深さから揚水して給水、
 1481 皇帝フリードリッヒ3世は8日間の恒例市を、1527 宗教改革で修道院の解散、
 1648 30年戦争とペストで人口半減で農業、 1945 2回の爆撃で多くの建物が壊れた
 1969 町は素晴らしい木組家を復元した。

2.市壁 0.10km 0.10

   町のHPには「古い城の下の道に沿って、旧市街の市壁が幾つかの場所で見
   る事ができる。」とある。

3.塔数 0門1塔

泥棒塔 Diebs Turm (1300) 旧市街の市壁に在った唯一現存する円塔で後
   に監獄として使われたのでこの名前が付いた。1895-96給水塔となり、2次大
   戦中は弾薬庫となった。戦後に一部爆破された。復元の際に観測等に拡張
   され塔の中には塔の歴史の小展示がある。塔は高さ25mの壁塔で、昔は巡回
   用の壁上通路からのみ入られた。

4.見所  B

   曲がりくねった坂道の古い木組みの街並みは絵の様に美しい。1500からの古
  い木組みの家は修復され、片持ち床と半円形トラスパターンと彫刻ポータルの絵や文字で飾
  られている。
 市庁舎 Rathaus (1586-87) 代官ヘルマン・リューデガーが住居として建てた3階建て
   切妻付の木組みの建物で、1593市庁舎として2000タラーで町が買った。
      2階を通して南張出窓が付けられ豊かな装飾が隠されたが、1932に再び露出させ
   1966木組も目に見えるようになった。1980木組の装飾と出窓の復元が行われた。
 参事会酒場 RatsSchenke (1720) 市庁舎の隣の美しい3階建て切妻付の木組
   の建物は、かっては方伯裁判所の役人の家であった。
 市公会堂 Stadthaus (1606) 元は二つの3階建て切妻付の木組の家を、1806
   一つのマンサード屋根で統合した。古い方の建物は1606の町で最初の公共の薬局で
   あった。1979古典様式で公会堂になった。
 旧郵便局 AltePost (1668) 壮大なバロック前面の3階建ての郵便局であった。
   二つの隣接する家はゴシックの木組みの家で、角の家は1529に建てられた。
 町教会 STadt Kirche (13c) 13c中にゴシックの教会が建てられ1816まで存在。
   1846-52今の市教会の場所に建てられ、1964-67の改装がなされた。
 醸造所 Brauhaus (18c) 東のWinter広場に在る2階建て木組みの建物で、
   1921居住用に変換された。建物の前の噴水にはライオンがあり、旧市庁舎噴水のライオン
   のレプリカである。
  Burg (1186) 東の玄武岩ドームの最高点に城が建てられた。1533その場所
   に方伯の行政機関が置かれた。1810ヘッセン国は城を市民に売った。
    1969最後の所有者は貴重な建物を取り壊した。昔の城の下側の小道に沿って、
   まだいくつかの場所に旧市壁が見られる。
 宮殿 Schloss (1557) アンソニー修道院の世俗化の後に、まだ多くの修道院時代
   の構造物を持ちながら宮殿に改装された。木造の部分は全て世俗化後の方伯の
   ルードビッヒ4世が改築し、宮殿は妻への寡婦相続分となった。1500の厩舎もある。
 大学の建物 Universitaets Bau (16c) 北の斜面に上ヘッセン最高の2階建ての
   木組の建物で修道院の穀物庫として建てられ、1542マールブルク大学、1613ギーセン大
   学の宿泊施設として使われた。
 アンソニー修道院 Antonitor Kloster (1222) 北東に仏からの聖アンソニィー病院が
   1065に設立され、この町では1222にマクレンブルクの末修道院として設立した。
   東西の翼廊はかっての教会でストラット上の柱とゴシック聖具室の扉がある。
 洗足修道院 BarfuesserKloster (13c) フランシスコ修道士会のゴシックの建物は践足
   修道院とも言われた。1528修道院は世俗化され、修道士は他に移った。16c末ま
   でに殆どの建物が取り壊された。今は、修道院の残りと復元部分は、文化目的
   と結婚式に使われている。
 アウグスチーノ修道院 Augustinerinen Kloster (15c) 聖パウロ教会の近くに建てら
   れ16cからは町の病院になった。今は、修道院の長い木組みの建物を2007に大規
   模改修して、町の病院博物館となっている。
 木組みの家並 Fachwerk Haeuser
   Schloss Gasse: 狭い通りの両側に1634からの貴重な木組みの家が並んでいる。
   Markt Gasse: 狭い通りの上空に教会の尖塔があり、両側に美しい木組の家並。
   Rabe Gasse: ここには異なる時代の美しい木組みの家が混在している。

5.町の略図

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グーデェンスベルク Gudensberg  h39

写真

 
市庁舎 市教会
古いマルクト 東市壁
東南市壁

1.歴史

 1121 ヘッセン方伯ギッソ4世文書初言及、1122 ヘッセン方伯が山頂に城を建てた、
 1137 ギゾネンの絶滅で1147チューリンゲン方伯がきた、1232 マイセン軍の包囲は失敗、
 1254 都市権を得て繁栄、1270 初市壁の構築、1277 ヘッセ方伯はカッセルに転出、
 1324 再びヘッセンの拠点へ、1356新市街を設立、1385 マインツ軍は占領し焼払い、
 1587 都市火災が多発、     1640 30年戦争で占領され焼き払われた、
 1761 7年戦争で城は砲撃で大破、      1806 仏軍は城跡を徹底破壊、
 1807-13 ヴェストファーレン王国の行政中心のカントンだった、 1968 旧市街の健全化。
 1926 磁器生産の終了。

2.市壁 0.18km 0.22 

  Hinter deer MauerとObern burg等に散在する。別にObernburgの城壁が
  1280mある。

3.塔数 1門1塔

  中世の市壁には、5市門・5塔・6半円塔合わせつ16門塔があったが、交通の
  円滑化等の理由で1825までに取壊された。
 監獄塔 Gefangennen Turm (12c) 山上の2階建の円塔で監獄として地下牢
   が使われ修復された。中にはロマネスクの天井がある。
 城入口 Tor Eingang Obernburg (12c) 城への登り道のツインガー壁の内側に
   ある城への入口門である。上部の建物は崩れ落ち、城壁のアーチ門のみが
   残っている。

4.見所  B

  町の南側にある高さ306mの山頂に、Obernburgの遺跡があり、その西下の
  小さな丘の上にWenigenburgがある。山の市の四角い旧市街には、木組の建
  物と歴史的建造物がある。2015の火事でルネッサンスボーダーの大部分が焼失した。
 旧市庁舎 AltesRathaus (1829) この疑古典3階建の建物は学校として建
   てられ、1829-44は学校として使われた。旧マルクトの市庁舎は付近の建
   物を使って間に合わせていたが、学校の建物と交換して改造し、1845から
   市庁舎として使った。1867屋根の中央に時計塔を付けた。1975北の新築の
   市庁舎に行政は移転し、残った建物には郡貯蓄銀行が入いった。
 市庁舎 Rathaus (1915) 近代的な市庁舎は、旧市街の北側に旧市壁に接し
   て建てられた。
 オーベルンブルク Obernburg (1122) 初めチューリンゲン方伯の領主が城と防壁を築い
   た。1384マインツ大司教軍の攻撃を城は防いだ。1413-54方伯ルードヴィッヒ1世
   は城を更新した。1500ツインガーの北城壁を建設。1651新武器庫を建設、
   1761の7年戦争の砲撃で大破、1806仏軍は城を全壊、1850城門を設置、
   1900プロイセンは城の周壁を更新、1987-90ツインガーと半円殻塔の保全。
 ベーニゲンブルク Wenigenburg (1272) 北西の丘に市壁につながる要塞が設けら
   れた。1600塔を付け1650塔守の家が建てられた。1878音楽学校が開設、
   1900-73宿舎が置かれた。
 旧役所 Ehem.Amtshaus (17c) 上階木組2階建の建物で、長い間主務官の住居
   であった。その後1821まで方伯役人の役所であった。
 旧牧師館 Ehem.Pfarrhaus (15c) 狭い旧市街地に3階建木組の牧師館があっ
   た。南西の正門の周壁には1488の年号が掲げられている。30年戦争で全
   壊し、1692堂々とした3階建の木組の建物が建てられた。
 旧会計事務所 Ehem.Rent Hof (15c) 30年戦争で以前の建物は崩壊し、同じ
   場所に2階建木組の建物が建てられた。
 旧マルクト広場 Alter Markt(15c)代表的な市民の2-3階建の木組の家と市教
   会の威力あるテラス壁がある。1657広場の中心に市庁舎が建てられ、新マルクト
   広場に新市庁舎が建てられ1844に移転した後も、校舎として使われた。
 市教会聖マルガレータ Stadtkirche St.Margarethen (13c) この場所は市壁の内側
   の避難場所であった。13c内陣・15c北側八角形の宝物保管所・1736バロック
   のフード・1851-55オルガン設置。
 聖クルシス礼拝堂 St.Crucis Kapelle zum Hl.Kreuz (15c) 市教会の南東に石造
   後期ゴシックの礼拝堂が建てられた。1527-1824ラテン語学校、市学校として
   使われ、1830-1970住居として使われ、今は個人所有である。
 病院 Hospital (1692) 長く伸びた2階建木組の建物でその後増改築された。
   1981市によって健全化され、公営住宅10戸となった。
 病院礼拝堂 Hospital Kapelle Zum Hl.Geist (1365) 旧施療院は町で最古
   の石造の建物で、旧城の家臣がこの建物を寄進した。15cには東に近接して
   礼拝堂が建てられた。
 旧都市農民の家 Altes Ackerbuergerhaus(1596)町の西病院礼拝堂の向に、
   この町で最古の木組の建物がある。入口の上の梁には、銘文があり1596
   の年号がある。市壁の外のこの建物は、1640の大火災から逃れた。

町の略図

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ハイガー Haiger  h40

写真

市庁舎 郷土博物館
イザベル通 市壁

1.歴史

778 ロルシュ修道院への寄贈の記録、     9c 教会を中心に集落形成、
  914 コンラート1世はワルブルギュ修道院に市場権・十分の一税徴収権を授与、
 1159 貴族ハイガー家が支配、  14c ナッサウ家から司法権が与えられた、
 1457 製錬所を開設、 ナッソーの支配下で都市権なしで都市開発、 1603 ペスト流行、
 1623 スペイン軍の略奪と焼払い、1672 都市権を授与された、 1722 市壁内は全焼、
 1824 4門と塔のある市壁は火事の障害として撤去、 1945 空爆の被害を受けた。

2.市壁 0.01km (0.01) 

  旧市街の市壁は、1723の大火事の後に防火の障害として、1824に取払われ、
  北部HinternGrabenに一部区間が保存され、1980には復元された。

3.塔数 0門0塔

   中世の市壁には、4門と多くの壁塔があったが、1824に市壁と共に取払わ
   れた。

4.見所  D

  市庁舎 Rathaus () 新しい近代的な市庁舎がマルクト広場にある。
 福音教区教会 Ev.Pfarr Kirche (914) 始め礼拝堂が建てられ、1048に拡
   張されて教会が奉献された。西塔の下部はこの時代のものである。現在の後
   陣や壁画は15cに、身廊は16cに建てられれた。ロマネスクの塔は15cト18cに壊れて更
   新された。身廊上の屋根は1723に置かれた。
 フィッシュバッハの家 Haus Fischbach (1725)マルクト広場の角にマンサード屋根3階建半
   木造の木組の美しい建物があり、今は1978から郷土博物館として町の歴史と文
   化を展示している。
 牧師館 Pfarrhaus (1740) 2階建て半木造の木組みの美しい建物で、マンサード
   屋根がある。
 住居 Wohnhaus (1742) 2階建半木造の建物で、装飾的なフレーム構造がある。
 住居 Wohnhaus (1695-1705) 3階建切妻のある半木造の建物で、1700頃の
   芸術的な風格がある。
 住居 Wohnhaus (1801) 2階建漆喰半木造建物で、入口門上に部屋が並んで
   いる。
 住居 Wohnhaus (19c初) 2階建半木造の中央山形張り出しの建物で、19c
   初めの都市拡張の始まりの様式であった。

5.町の略図

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ハナウ Hanau Steinheim h41

写真

市庁舎 マルクト
東市壁 東市壁
東南市壁 旧市庁舎

1.歴史

798 修道院への寄贈の記録、 1234 城の文書言及、1243 ラインハルト1世が所有、
 1303ハプスブルク王アルバートは都市権.市場権授与.1320バイエルン皇帝ルードビッヒは都市権授与、
 1338 最初の要塞の完成、         1425 マインツ大司教は城と町を購入、
 1528-31 強力な多角形システムの防御施設を設置、   1555-72 シュタインハイム城の拡張、
 1595 フイリップ2世が領主に、1601 新市街の建設、  1620-48 30年戦争で略奪、
 1701-12 フィリップスルーエ宮殿の建設、             1756 仏軍の占領、
 1765 ウイリアム王子は新旧市街間の市壁を撤去、     1803-13 ナポレオンの占領、
 1866 プロイセンに帰属、                  1920 仏軍の占領、
 1944-95 2次大戦の爆撃で市街は壊滅。

2.市壁 0.11 0.05 

   旧市街の市壁がNordStrasse南端のバスセンターから80m、NordStrasseの北の緑地
  に2003に移転された30mがある。

3.塔数 1門0塔

 ニュルンベルク門 Nuernberger Tor 新市街の西門。

4.見所  B

    北側の木組みの家のあるアルテマルクトを中心とする旧市街と、南側のマルクトを中心
   とする。4角に区画された新市街から成る。ブレーメンまでのメルヘン街道の始点であり、
   新旧市街に見所のある中都市である。
 旧市街市庁舎 Alt Staedt Rathaus (1537-92) 後期ルネッサンス3階建木組の家で、
   オランダ金細工師の家(Gold Schmiede Haus)として建てられ、市庁舎で使われた後に
   学校や裁判所としてつかわれ、1770から金細工訓練所であり、1900市の博物館と
   なり、1942金細工の家となった。1945爆撃で壊され、1958に復元された。
 新市街市庁舎 Neu Staedt Rathaus (1723-33) バロック3階建ての屋根裏窓のあ
   る赤砂岩の風格のある建物である。町の守護聖人が飾られた鋳鉄のバルコニィの完成
   の年号がある。南の新市街の中心のマルクトに建てられている。
 グリム兄弟の像 Brueder Grimm-National Denkmal (1896) グリム・ヤコブ・ヴィルヘルム兄
   弟の国立記念碑が1896に青銅でメルヘン街道の始点である新マルクトに設置された。
 マリア教会 Marien Kirche (1234) 旧市街の中心に立つ赤砂岩の建物で、1485-
   92には小さな礼拝堂で、後に拡大されて領主の墓が置かれ、その内陣は今も残さ
   れている。天井のゴシック・リブボールトは美しい。身廊は1945の爆撃で破壊され再建さ
   れた。
 ワロン・オランダ教会 Wallon-NIederlaendische Kirche (1597) オランダの宗教難民の
   定住とワロン人のために建てられた。1608高い時計塔が付けられ、1945には壊され
   た。元の姿でオランダ教会は復元されたがワロン教会は廃墟のままである。
 ヒリップスーエ宮殿 Schloss Philipruhe (1701) 領主がフランス風バロックの宮殿を建て
   た。中央部は2階建ての居住部分で、両側に1階建ての翼がある。その後拡張さ
   れて工場・馬小屋なども付けられ、1723公園・オランジェリィが造られた。1736ヘッセン・カ
ッセル方伯に移り、公園は英国風に変えられた。1875-80ロココに改修された。今は、
歴史博物館・紙の博物館・農場博物館になっている。
 シュタインハイム宮殿 Schloss Steinheim (1222) 領主は内壁を備えた宮殿を建てた。
1425マインツ大司教が城と町を買い取った。教会は1802世俗化で失い、ヘッセン・ダルムシュ
タット大公が所有した。いまは、歴史博物館となっている。

5.町の略図

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ヘッペンハイム Heppenheim h42

写真

市庁舎 マルクト広場
上門 西壁
西壁 南壁
ケレライガッセ ケレライガッセ

1.歴史

 755 ロルシュ修道院のコーデックスに聖ペテロ教会初言及、 773ロルシュ帝国修道院が所有、
 1065 ロルシュ帝国修道院が城を建設、    1066 ロルシュ修道院は要塞を建てた、
 13c ロルシュ帝国修道院は終わった、       1229 マインツ大司教は城を獲得、
 1232 マインツ選帝侯の管理のためAmtshof設置、1369 大火災で焼失、14cに再建、
 1461-1623 町はプファルツへ質入、1621スペイン・1630スエーデン・1635疫病・1645仏軍占領、
 1689.1693 仏軍の占領と放火、      1803 世俗化でヘッセン・ダルムシュタットへ、
 1806 ヘッセン大公国へ。

2.市壁  0.18km 0.24

   13cの市壁の大部分は、19c初めに壊され、西南と南東にいくらか残る。

3.塔  1門0塔

 ヴォルムス門 Wormser Tor () 歩行者専用の門として下門の位置に、
   2階建の塔が新たに付けられた。

4.見所  C

   マルクト広場は、2-3階建の1693火事以降の木組の建物で囲まれ、地階部が
  16cの建物もある。Markt Str.にも16-18cの木組の建物が往時の雰囲気を残し
  ている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1551) 1705-06正面大鐘楼付き3階建バロックの
庁舎となった。1927-29南へ庁舎を拡張した。1958 上屋階は火災後復元さ
   れカリオンは一日に数回鳴らされた。2004市庁舎の前面は美しく改良された。
   今は観光案内所として使わている。
 旧リービッヒ薬局 Ehem.Liebiig Apotheke (1708) 市庁舎の向かいの旅館の
   跡地に、3階建の木組の薬局が建てられた。1817-18に肉エキス・ミネラル肥料・ベーキン
   グパウダーを発明し販売した。
 旅館:金の天使 Gasthaus Goldener Engel (1782) かっての服屋ギルドの
   跡地に建てられた切妻の美しい木組の建物。
 カソリック教区教会聖ペーター Kath.PfarrKirche St.Peter (755) 山道の大聖
     堂と呼ばれ、長さ51m幅31m高さ60mの前面双塔の堂々たる教会である。
    733-1232ロルシュ修道院僧院の監督下にあった。1698.1884に拡張改修が行わ
   れ、13cの北塔の6低層階は1900-04ネオゴシックの新教会に引き継がれた。
 マリーの家 Marien Haus (1908) 聖ペテロ教会の集会所で、旧市壁を含め歴
   史的様式で建てられた。
 マインツ選帝侯事務所 Kuermeinzer Amtshof(13c) 複合建物で、最古の部分
   は1369の選帝侯広間であり、1948主建物は礼拝堂や広間の連絡のためバロック
   ドームの階段塔がが建てられた。中庭に1719のKeller Hausが中世の建物を構
   成している。1904ワイン協同組合を設立した。王宮厩舎(16c)はユースホステルであ
   ったが今は、地方の歴史・民俗・東独文化の歴史文化博物館と宴会場である。
 高床の家 Stelzen Haus (17c) この地区に、ロルシュ修道院の管理者が住
   んだ。この建物
   は地階に柱しかない上階木組の建物であり雨でも馬を預ける事が出来た。
   奥の建物は鍛冶屋と言われている。
 宮殿学校 Schloss Schle (1700) 城伯と廷史男爵のための住居として
   2階建で建てられ入口の上に紋章が掲げられている。18c町宮殿は4階建の
   西棟を建てた。1824町が取得し、1996-97に拡張して病院や小学校として
   使い1956-60に改修された。
 ワイナリー事務所 Amts Kellerei (1551) 建物の最古の部分は、マインツ選帝侯
   ワイナリィー事務所であった。その後私的に使われ1821地方行政の場となった。
 小市場 Kleiner Markt () 旧市壁の外にあり、販売手数料なしで取引
   が行われた。KleinerMarkt5.には1804旅館:金のバラが木造で建てられた。

5.町の略図

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ヘルボルン Herborn Hessen y43

写真

 
市庁舎 靴市場
市壁と搭 市壁搭
市門 木組の家
市壁塔 魔女搭
市壁塔

1.歴史

 1048 初文書言及、         12c ナッソー伯爵は城と要塞を建設、
 1251 ドイツ王は市場権と都市権を授与、  1231 ドイツ騎士団が集落を建設、
 14c 毛織物の生産と輸出、 15c ギルドの形成、 1324 最初の町役場の建設、
 1548 高校と大学の設立、          1626 火事で214戸焼失、
 1836 ヘッセ・ナッソーは関税同盟に参加、      1866 プロイセン王国に併合、
 1945 二次大戦の被害は大きくなかった。

2.市壁  0.17km 0.26

   町の境界に13cの市壁は建てられ、今は周囲に僅か散在する。

3.塔  2門5塔

 町門 Stadt Tor (1250) 東、13cの市壁の矩形の門で、古い。側面
   は市壁に接続していた。
 町新門 Stadt Neu Tor (1562) レオンハルト門と呼ばれ、古い入口。
 ハイン小門 hain Pforte (13c) 町の要塞の壁の一部で、城山の下に位置
   し市壁の後部領域に通じる。
 魔女塔 Hexen Turm (1251) 南東の角に位置する4階建の円塔で、重罪
   犯の拘置所であった。
 脂塔 Speck Turm (13c) 円形塔でラウンドアーチ型市壁の開口部を守る。
 市民塔 Buerger Turm (13c) 急な円錐屋根の円塔。
 ディル塔 Dill Turm (1343) 北西の角を守った最初の要塞の一部。
   1904の火災後に再演された。
 境界柱 Grenz Zaeule () ナッサウ公国の境界ポストで、ディル地区の領主の
   歴史を示している。

4.見所  B

   最古は1445から17-18cの、装飾の美しい木組の家が70戸以上保存されて
  いる。多くの広場や大通も、3階建木組の建物で囲まれている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus () 1584までの市庁舎は、1588伯爵が買取り
   1588-1817高等学校を設立して使用した。
 市庁舎 Rathaus (1589) ナッソーのヨハン6世により、1587旧バター工場に新市
   庁舎を建てた。1626の火災で焼失した地階石積の上に新しい木製床を付け、
   新バロック4階建とし、八角屋根の塔を付けた。1629入口と階段が設けられた。
 宮殿 Schloss (12c) 周囲に堀が12cに構築され、1251に城は更新され
   14cには閉鎖された。1584伯爵ヨハン6世が高等学校を建てたが、数年後には旧
   市庁舎に移転した。石造の宮殿の構築は、1500を中心に行われた。そのご住
   宅で使われ、1806空き家となって荒廃した。1929-31に改修されて、今は神
   学校「ヘッセンとナッソーの福音教会」が使っている。
 旧牧師館 Alter Pfarr Haus (17c) 2階建木組漆喰仕上の寄棟屋根の建
   物で1818まで牧師館として使われた。
 牧師館 Pfarrhus (1840) 2階建マンサード屋根の建物で、南に教区の納屋。
 新教教区教会 Ev.Pfarr Kirche (1219) 西の高い所に立ち、1219ドイツ
   騎士団がロモネスクの教会を寄付した。1598-1609に今の身廊は建てられ、1822に
   ロマネスクの両塔が建てられた。
 死刑執行人の家 Scharfrichter Haus (16c) 木組3階建の東の角に多角
   形の出窓のある特徴のある建物。
 コルフィン印刷所 Corvinsch Drackerei (16c) 木組の建物で階段塔には1606
   の年号がある。一時裁判所として使われ、軍事を担ったナッソーの貴族の居所で
   高等学校の印刷・出版が行われた。
 木組の家/em> Fachwerkhaus
   Korn Markt (1200) 穀物と木材の重要な取引所であった。周囲には多くの大
    規模な木組の建物が華やかに15戸立並んでいる。
   Haupt Str. (1609-18c) 3-4階建の美しい木組の家が17cを中心に34戸ある。
   Holz Markt  3戸。 Markt Platz  6戸。 MuehleGasse 10戸。
Otto Str.   4戸。

5.町の略図

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ヘルプスタイン Herbsteim h44

写真

 
市庁舎 上門
上門 南壁
西塔 西塔
カソリック教会

1.歴史

 1258-71 城と防御施設の建設、   1262 都市権の授与、
 1540 大火災、            1804 ナッサウ公爵領、
 1810 ヘッセン領となった。

2.市壁  0.21km 0.51

   周囲を高さ5mの市壁で囲み、壁の内側に登れる。30年戦争による破壊
  の後にチロルから石工と積工が来て市壁を再建した。今でも市壁に登れる。

3.塔  1門2塔

 上門 OberTor 北 高さ15mの円塔に六角屋根。馬蹄形の門は幅
   1mしかない。前後の壁に登れる。南のUnterTorは1819に壊された。
 西塔 WestTurm 小門があり下に降りられる。 EelenTurmもある。

4.見所  D

   丘の上の小さな町であり、古い市壁と小さな塔が残っている。
 市庁舎 Rathaus 1910建、美しい3階建の木組建物。以前の市庁舎
   は1907の火災で焼失した。30年戦争の終わりまでは、ここに城があった。
 聖ヤコブ教会 St.JacobusKirche 14C建、最高地点に立つカソリックのハレン
   教会バロック風後期ゴシック。
 新教教会 KreuzherrnKloster 1210建東南病院、1480回廊式教会。
 新教教会 EvangelischeiKirche 1882建、北に新設。
 町博物館 StadtMuseum 市長部屋薬局部屋、昔の歴史写真を展示。
 祭博物館 FastnachtsMuseum 昔の簡易裁判所、祭りの衣装を展示。

5.町の略図

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ヘルマースハウゼン Hermashausen Bad Karlshafen h45

写真

市庁舎 クリケンブルク跡
防御円塔

1.歴史

  997 エックカルト伯が所有しベネディクト会修道院を設立、
 11c帝国修道院として市場・造幣権を得た、1017 皇帝ハインリッヒ2世は帝国の自由
  を排しパダーボルン教区の支配下に置いた、  1080 修道院は豊かになった、
 1220 山頂にクリケンブルクを建設、 1254 都市権の獲得、 1538 修道院の解散、
 1927 ヘルマースハウゼン市はホスガイスマー地区に属した、1963 大洪水は堤防で守られた、
 1972 地域改革でにハールマールスハウゼンに併合した。

2.市壁  0.12km (0.09)

  中世の市壁は、北のMauer Str.と南のMuhlen Str.に部分的に残っている。

3.塔  0門1塔

   中世の市壁の防御円塔が、西南に残っている。

4.見所  C

   旧市街地には16-18cの木骨造の家屋が残っている。最古の木骨造の家は
   1561(PostStr.56)  1585(PostStr.24)、1581(PostStr.36)、
   1564(SteinStr.18)、1645(SteinStr.52)、1668(SteinStr.16)など。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (15c)初めの鐘楼のある市庁舎は、1889に
   老朽化で取壊され、1892-12に鐘楼付きの2階建装飾された半木造の建物を
   新築した。この建物は1927に売却され、今は博物館となり地元の歴史や照
   明を展示している。
 新教市教会 Ev.Stadt Kirche(1126)修道院地区の東にヨハネに奉献さ
   れた教会は、ロマネスクの2通路の教会が1464.1797に大きく変更され、1895に側
   壁と天井が更新された。階段破風の切妻屋根があり1732にオルガンが置かれた。
 宮殿 Schloss (13c) 修道院の敷地の西側に修道院が解散した1540に、
   宮殿があったが現存していない。庭園のみが残る。
 修道院 Kloster (997) ベネディクト会修道院はロマネスクで997に設立され、
   1011に修道院教会が奉献された。1540に修道院は解散され、殆どの建物は
   11cに荒廃し、一部は小学校や幼稚園に使われた。
 クリケンブルク跡 Rhine Krukenburg (1220) 北側の山上に、まず1126エルサレムの
   墳墓教会をモデルに丸い教会が建設され、その周辺の修道院を守るため、
   1215-20に壁・門・砦がある城をケルン大司教エンゲルベルク1世が建設した。1338に城
   はパーデーボルン大司教区に移され、住宅棟が建設された。1425には城はヘッセンの
   支配下に置かれた。1617以降に徐々に荒廃し、大部分が砕石場とされた。
   1970になって再建が行われた。

5.町の略図

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ヘッシッシュ・リヒテナウ Hessisch Lichtenau h46

写真

教会広場 教区教会
南円塔 西南市壁
南市壁 西南市壁
東南市壁

1.歴史

 1283-89 ヘッセ伯ヘンリー1世は交易の要衝を確保、1289 都市の権利と管理権を所有、
 14c 堀と壁の周壁で守られた、 1490 ラインバッハ城の移転でヘッセ事務所となった、
 1637 30年戦争で占領・放火84戸焼失、1840-13 ヘッセン・カッセルに属した、
 1868 プロシア王国のヘッセ・ナッソー州へ、  1889 カッセル王国のヘッセン・リヒテナウと呼ばれた、
 1946 新設のヘッセン州に属した、     1936-38 空軍基地が置かれ兵舎建設。

2.市壁  0.35km 0.55

  14cに南北に長く、軸が東に傾いた長円の堀と壁が築かれた。今も高さの違
   う市壁が各所に残っている。

3.塔  0門2塔

 市壁円塔 Rund Turm (14c) 旧市壁の南西の入口の所に円錐屋根の円
   塔が残っている。
 城塔 Burg Turm () ユンカー館の屋根の上に、美しい色の木組の角塔が立つ。

4.見所  C

   メルフェン街道に位置し、旧市街地は小さな長円形である。大火事として
   1521(大部分)、1523(36戸)、1875(52戸)、1886(55戸)、
   1925があったので、比較的古い建物は少ない。
 市庁舎 City Council (20c)近代的な建物で、市行政と市民サービスを
   行ている。
 教区教会聖ヤコブ教会 Pfarr Kirche(14c)四角い単塔に祭壇のある高
   い身廊がある。
 ユンカー館 Junker Hof () マイセンブルク領主の元居所で、屋根の上には木組の
   塔がある。
 ホロイム Holleum (16c) 元市庁舎で、前面に小塔のある3階建の美しい建物。
 マリア礼拝堂 Marien Kapelle (1370-1410) 1889改修、1981改築。
 ウラウホル記念碑 Denkmal FrauHoll () フラウホル公国の記念碑。ホルおばさんの国
   への入口でドイツ・メルフェン街道にある。

5.町の略図

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ヒルシュホルン Hirschhorn (Necker) h47

写真

城・中央塔 南壁
東壁 東北壁
マルクト教会

1.歴史

773 ロルシュ修道院の文書に入植地の記載、 12c ヴォルムス教区に含れた、
 1391 王ヴァーツラフは壁の町を設け住民を移す、1404 王ルブレヒトは毎週市場権を授与
 1406 最初の町の紋章を文書化、カルメル会修道院の設立、1414 都市の最初の延長、
 11522-29 騎士団は新教に転換し、     1543 カルメル会修道院を閉鎖、
 1556 火災によって町は焼失、       1565 洪水で町は浸水、
 1618-48 30年戦争でスエーデン軍等の占領、  17c マインツ大司教の支配下に、
 1676 ヴェストファーレン侯爵ヴィルヘルムが支配、   1803 ヘッセン・ダルムシュタット大公国へ、
 1945 2次大戦の被害はなかった。

2.市壁  0.98km 0.92

   ネッカー川に沿った高い市壁・山の尾根から城を囲む市壁などで構成されている。
   市壁は殆ど残っている。

3.塔  2門1塔

 中門 MittelTor(1391)町の設立と共に建てられ、15cに都市防衛施
   設として拡張され、完全に保持されている。 外門は19cに取り壊されたが、
   中門はマルクト教会の鐘楼として残された。
 魚門 FischerTor (14c) 門は1875-76に取り壊されアーチのみとなったが、
   1497の洪水位が示された標識が市壁に残る。
 青塔 BrauenTurm 山と川の間の狭い空間を利用するため、市壁の上に家
   を青唐として築いた。

4.見所  C

   川沿いの山腹の市壁の中に、城・修道院・木組の民家が密集している。
 中世の市庁舎 mittelalterlisches Rathaus (14c) 旧地方裁判所の側に
   1786に拡張・改造された中世の市庁舎がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1594) 1860-1955に市庁舎として使われた。
   前面には1594の豊富な装飾トラスがあり、17cには砂岩基礎の上に角の部分を増築。
  Burg Hirschhorn (1250-60) ロマネスクの城が建てられ、14cに改造と増築
   が行われた。1591-15cに下の前城とツインガーの拡張が行われた。16c末にルネッサンス宮
   殿に改造更新が行われた。
 マルクト教会 Markt kirche (1628-30) プロテスタントの市教会としてフリードリッヒ・
   フォン・ハーシュフォンによって建てられた。
 カルメル会修道院と修道院教会 Karmeliter Kloster und Klosterkirche (1400)
   町の騎士はカルメル会修道院と修道院教会を建てた。1400騎士団に引き渡し、一門の
   墳墓教会として使われた。宗教改革中に売り払われたが、1635に買い戻され1803
   修道院の廃止までカルメル会の宗教活動が行われた。
 最も豊かな漁師の家 Haus des Reichsten Fischer (1620) 最も豊かな漁師
   が建てた伝統的な木組の家。
 美しい木組の家々 Schoenes FachwerkHaeuser (15-17c) Haupt Strasse
   に多く建ち並んでいる。
 バロックの市民の家 Rarockes Buergerhaus (1728) 町で唯一のバロックの民家。
 地方事務所と病院 Proviuzialat und Infiruerie (16c) 1556の大火災で町
   の背景の大部分は壊滅したが、一部1500の木組の家が残り1659カルメル会修道院が購
   入して地方事務所として使った。隣の家は1710に修道院が所有し病院として再建
   され、1860には救護所と幼稚園が設けられた。
 博物館 Museum (1606) 大公営林署として建てられた建物は、博物館と案内
   所を収容した。博物館には宿屋の主人カールライン・バインの自然史や古美術の取集物等
   を展示している。

5.町の略図

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ホッホハイム Hochheim am Main h48

写真

旧市庁舎 木組の家
十分の一税倉庫

1.歴史

  819 フルダ修道院の贈り物として初言及、1273 ケルン大聖堂からマインツ大聖堂支部へ
  村を売却、1484皇帝フリードリッヒ3世は年2回の市場開催権を与えた、1803ナッソーヴアイルブルク
  公国と合併、1806 中ナッサウ公国へ  1813ナポレオン軍の最終の敗戦、 1817 ホッホハイム
  はナッソー廷史の事務所が支配。1866 プロイセンがナッソー公国を併合、1945新設されたヘッセン
  州に割り当てられた。

2.市壁  0.04m (0.03)

   中世の市壁は、16cに建設され、南東のマイン門の周辺に再建され、1525-75に建
   てられRathaus34に残っている。
    南のブドウ畑を保護した町は、19c初めに市壁が撤去された後には、町は東西と
   北に拡張された。

3.塔  1門0塔

 マイン門 Main Tor (1746) 教会堂番人の家として18cに再建された。地階石
   積上階木骨造の建物で、東側にアーチ門があり、教会壁が南に市壁が東側に建設さ
   れた。

4.見所  C

   18cの木組みの建物が、復元されて多く残されている。
 旧町庁舎 Altes Rathaus (17c) 3階建レンガ造の建物は、今は音楽学校。
 元土地登記所 Ehem.KasterAmt (1745-55) 2階建7窓列の大きな建物。
 旧地方裁判所 Ehem.Amtgericht (1725) 1478からの地方裁判所は、1725に
   2階建の庁舎を建て、1867-2005に地方裁判所として使われた。1918からは、税関
   も収容した。
 聖ペテロとパウロ教会 Kath.Pfarrkirche St.Peter und Paul (1730-32)ヘッセンで唯
   一の後期バロック・フレスコ画の教会である。1896.1930.1970に修復が行われた。
 ダルハイマー館 Dalheima Hof (1625-75) 地階石積上階木骨造の建物。
 木組の家 Fachwerk Haus (1670) 2階建木骨造の古い建物。
 オットーシュラベ郷土博物館 Otto-Schcabe Heimat Museum () 個人コレクション基ついて
   構築された郷土博物館。
 ワイン造博物館 Weinbau Museum (1902) ブドウ園の設立からワインの瓶詰めま
   での行程と歴史を展示している。

5.町の略図

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ホッホシュタット Hochstadt (Maintal) h49

写真

市庁舎 ハウプト通
シティキリアン教会 上門
西南壁・半円壁塔 皮脂壁・角塔
北西壁・半円塔 東北壁・半円塔

1.歴史

  846 ホッホシュタットの名前が初言及、 1350町を囲む市壁の建設、1350 マインツ選帝
    侯が所有し世襲領主ハウナウに授けた、  1458 ハウナウ・ミュンツエンブルク侯爵領、
 15c 修道院(ロルシュ・フルダ・ハイナ).騎士団.貴族エスプタインなどが権利・財産を町に保持、
 16c初 主要産業は農業とワイン、        16c中 改革導入と反宗教改革、
 1736 ハウナウ家の断絶後ヘッセ・カッセル方伯が継承、     1806-10 ナポレオンが支配、
 1810 フランクフルト大公国の属した、          1821 ヘッセン選帝侯が支配、
 1974 マインタールに併合された。

2.市壁  0.44m 0.76

   1350の市壁半円壁塔は、南を除く多くの部分に残っている。

3.塔  1門3塔

 上門 OberTor (14c) 石造3階建四角錐屋根の角塔で、大きなアーチ通路が
   ある。北側に3mの市壁がある。
 半円壁塔 Halb Rund Mauer Turm (14c) 東に1基と北に2基ある。なお、西側
   に接して2階建木組の角塔があるが、市壁の外の木造であり、中世の塔で
   はないと判断した。

4.見所  D

   古い木組の家が残る特段の物の少ない小さな町で、残された市壁の割合は
  大きい。
 旧町庁舎 Altes Rathaus (17c) 2階建上階木組の切妻付きの建物で、
   南側に円塔がある。今は食堂として使われている。
 シティキリアン教会 Stikilian kirche (11c) 上門近くの要塞教会で、周壁で
   囲まれていた。元の鐘楼は存在せず、入口塔は4階建の角塔で六角錐尖塔が
   あり、鐘と時計の塔である。天井と壁は絵で飾られている。

5.町の略図

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ホフガイスマー Hofgeismar h50

写真

市庁舎 旧市教会
マルクト 西円塔
円塔 西市壁
西南市壁 北市壁

1.歴史

 1082 マインツ大司教区が所有、         1210-23 町の憲章を受けた、
 1290 石の家と市庁舎1の建設、      1234 旧市街の南にノイシュタット設立、
 1387 市庁舎2の建設、        1401 ヘッセンとブランズウイックが町を包囲、
 1462 方伯ヘッセン・カッセルへ町は誓約、    1529 町は宗教改革の導入、
 1639-1866 治療温泉の発見と療養、   1686 ユグノー教徒の定着と基盤整備、
 1701 方伯の兵士は駐屯した、1790 郵便局開設、 1868 プロイセン・ポストへ移行、
 1821 ヘッセン選帝国の郡都へ、 1841 新兵舎に駐屯隊収容、1993 駐屯隊終了。

2.市壁  1.01m 0.72

  13cの市壁は、西南部を除いて多くの部分が残っている。1234の南方拡大は
   グラーベン通から南である。

 

3.塔  0門4塔

  市壁から張り出した塔が、西に大きな3階建の円塔と、大小含めて3か所の殻
  塔がある。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1387-90) 14cの市庁舎は1856に全焼後、住宅・学校・工
   場で使われ、1977に改修された。市庁舎の前のマルクト広場は装飾された木組の
   16-20cの建物で囲まれている。
 旧市街教会Alt Stadt kirche (12c) 始まりは大学の聖母教会であった。
   ヘッセン州でも大きなホール教会で、ロマネスクの西塔のドアの引手はライオンの頭である。
   ゴシックポータルの年号は1330とある。1535旧市街のプロテスタント教会となった。
 石の家(薬局博物館) Stein haus (13c) 最古の保存建物で、1239迄は3
   階建の石室であり、地下には倉庫付きの居間があった。改修後、ドイツ独特の
   民間薬局博物館として薬局施設・医薬品・製薬装置・研究文庫・ハーブ園を展示。
 <em>市博物館
stadt Museum (16c) 2階建ての16cと19cの複合建物に、
   1875軍事目的に使われ、1990大博物館として使われ、14アーカイブへ国際的な部
   門を加え、展示を再編成している。
 聖ペテロ教会 St.Peter kirche (1897-98) 町の南門の前に、ネオゴシック・レンガ
   造の教会が、町と周辺のカトリック教徒のために新築された。
 シェーファーの家 Haus Schefer (1684) 3階建木組構造板張の建物で、裕福な
   都市農民が建て1684の年号がある。町と建物の宝物で、近年完全に復元。
 福音学長の家 Ev.Dekanat (1329) ゴシックのマーチン礼拝堂で、1329の年号が
   ある。今の建物は石造の地階の上に、16cに木組の建物が再建された。アーチ天
   井のワインセラーがある。今は福音学長の家。
 結婚式場 Hochzeits Haus (1620) 市役所の隣に旧市町村ギルドと結婚式
   として建てられ、火事の後に19c構造的に変更された。石の建築装飾は家の
   風化で消滅した。後期ルネッサンスの文化遺産。
 市学校 Stadtschule (1891)3階建レンガ造の建物で、市特別学校として建
   てられた。
 マルツフェルトの家 haus Malzfeld (1684) 都市農民の2階建の木組の家。縦板
      張のバロック彫刻装飾の建物は、火事を免れ1684の年号が刻まれている。
 ホフマン・カフェ Cafe Hoffmann (1528) マルクトで最古の大きな建物。1928改修。
 市公会堂 Stadthalle () 3階建クリーム色に白の線の入った大きな建物。

5.町の略図

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ホフハイム Hofheim am Taunus h51

写真

旧市庁舎 教会聖ペーターとパウル
魔女塔・ワイナリィ 旧水城ホフハイム
北壁 北壁
ヨハネス教会 壁搭
南壁 南壁

1.歴史

 1263 村の初文書言及、1352 皇帝カール4世は都市権を授与し門・壁・橋を構築、
 1354 水城・裁判所・絞首台・毎週市場、  1364-66 マインツ大司教は町を取った、
 1478-1559 ケムニッヒシュタイン伯爵は町を所有、      1540 宗今日改革の導入、
 1559 マインツ大司教は反宗教改革決定、    17c 30年戦争で度々略奪された、
 1717-19 マインツ大司教のワイナリィーの拡張、       1803 ナッソー・エージンゲンへ、
 1806 ナッソー・ヴァイルブへ、          1866 プロイセン公国はナッソーを併合、
 1945 エッセン州へ。

2.市壁  0.08m 0.11

  1352の都市権授与後に市壁が築かれ、戦争などによる破壊後に再建されな
  くなり、住民は切石として使った。北のMauerGasseに市壁は残っている。

3.塔  0門2塔

    14Cの市壁には上・下の2門があった。
 魔女塔 Hexen Turm (14c) 2階建の円塔で魔女が拘束されたのでこの名
   前が付けられた。1810まで刑務所として使われ、1820ワイナリィの管理棟が建て
   られ塔はその一部として組み込まれた。
 小塔 Turmchen (1352) 旧市壁の基礎上に建てられた半木造の構造物は
   壁塔の残り部分を取り込んだ。Buttel Turmとも呼ばれ、1983に隣接した木
   組の家屋とワインルームが開業した。

4.見所  C

   旧市街地には、多くの16cからの木組建物がある、古くからのワインの町。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1529) 百貨店として建てられ、1900切妻のあ
   る木組の建物に更新し市庁舎となった。1974市庁舎は移転して、今はAlte-
   RathausCafeである。新市庁舎は南東の町の外に中庭のある四角い建物にある
 教区教会聖ペーターとパウル Pfarr kirche St.Peter und Paul(1470-60) 初
   め後期ゴシックで建てられ、今日まで内陣と塔の大部分が残っている。
   1742拡張1742拡張され、1923塔先端はネオゴシックの帽子となった。
 市博物館 StadtMuseum Hofheim am Taunus (18c) 南西旧市街地内にあり
   2つの部分から成り、18cマインツ選帝侯管理人の家とマインツ大司教の大きな倉庫
   付の博物館がある、1993町の歴史・主要産業・考古学・表現主義・工芸品の展示
   がある。
 旧水城ホフハイム Altes Wasser Schloss Homheim (1356) ファアルケンシュタイン侯爵が,
   南側に堀と城壁で囲まれた水城を建てた。その後マインツ大司教の所有となり、
   1376フイリップ未亡人が所有した。1433マインツ選帝候の醸造所が建てられ、1560-70
   改修・拡張が行われ城ワイナリーの建物を建てた。1795仏革命軍に城は破壊され、
   1803-06世俗化によりナッサウ公国へ移された。1876-78城は町を購入。
 城の堀列 Burggrabenzeile mit Turmchchen (17c) 旧市壁の基盤の上に
   17c半木造住宅が建てられ、そこにBtelTurm 円塔があった。建物はシナゴークと
   して使われたが1938荒廃した。1980改装され、1983塔に隣接しでワイン酒場を開
   業した。
 エーリ邸 Hof Ehry (1881) 農家が醸造所の敷地に、倉庫と家畜小屋のある
住居をたてた。1979町はその農家を買収した。
 醸造所棟 Kellerei Gebaeude (1717-19) マインツ選帝侯は旧水城の一部に醸
造所管理棟を建てた。その後地方行政の場として使われた。1876町は建物を
   取得して学校とし、その後プロイセン歩兵、仏占領軍が使い、2010改修された。
 物置 Scheune in der Baerengassa (1618) 大門の上に年号が刻まれてい
   る。農家の実用建物で内に旧市壁を含んでいる。1981改修され芸術スタジオ・催
   物会場。
 旧旅館ランツベルク Ehem.Gasthof Landsberg (1584) 15cには旅館:Zum
   GoldenenHirschであった。2階建木組の建物は、何度も立て直され、歴史的建
   造物として維持され、1648に30年戦争の終結交渉が行われた。1997改修され
   た。
 フェルの家 Haus Foell (16c) 2階建木組の家は刃物師フエルが、1853から4世
   代にわたって居住した。記念建築物として1990に改修された。
 歴史的醸造所 Histrischekller Stephansberg (17c) 木造2階建の建物で
   地下室があり醸造に使われた。

5.町の略図

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ホムベルク Homberg (Efze) h52

写真

 
市庁舎 バル通
新塔 南東壁
山頂壁跡 マリエン教会
山頂城門

1.歴史

 1231 最初の文書言及、都市権の授与、上の古い町と下の新町とが在った。
 1356-1536 教会と行政の権利闘争があったが、 市壁や建物は 構築された、
 14C 火災で町は何度も焼失した、      1345 靴製造と皮鞣しのギルド、
 1404 桶造と車大工ノギルドの結成、     1428 亜麻布織工ギルドの結成、
 1536 上下の町は統合された、    1638.1640 30年戦争で城も町も破壊。

2.市壁  0.09m 0.09

   古い町の市壁は13Cに高さ6-8mで1.8km建てられた。14Cに厚さ2mまで状況
  に応じて高さ8-10mの地元産玄武岩の市壁で、統合された二つの町を囲んだ。
  二つの町は今も残る新門を通じて往来していた。
   市壁の残りは幹線道路の上にある。

3.塔  3門3塔

   14Cの門は上町3と下町1、防御塔は上町7と下町5を設けて守った。残って
  いるのは3門3塔である。
 上門 OberTor 役所に直結した角張った塔。
 木家門 HolzhaeuserTor 稜堡と門の構造物で強固にした。
 新門 NeueTor 
   建の角塔、1750に円塔を庭の家に改造した。
 西古里門 WestheimerTor 発掘調査で基礎が確認された。
  PulverTurm.TietenTurm.EhemaligenBachtenTurmが残る。

4.見所  C

   山頂に城の跡が残り、上ると町を一望の下に見下ろせる。町は城山の南斜
   面に広がる。多くの木組の家もあり、マルクトは水路が整備されて綺麗になった。
 町庁舎 Rathaus 1704建 15Cの建物は30年戦争で壊され、基礎壁の上に
   再建され、1767に塔を付け風見旗を立てた。1991にグロッケンシュピールを塔に付けた。
 聖マリエン教会 Stadtkirche St.Marien 13Cゴシックの大教会。
 木組の家 FachwerkHaus
   GotischesHaus1425建、最古の住家。EhgelApotheke1668建、大きな木組家
   で1701から薬局。Krone1480建、16C出窓増築、1721から宿屋。WeisserHof
   ルネッサンスの木組家、アンドレアス交差の装飾が注目。AltesSchulHaus1750建、
   ゴシック木組住家として建てられ、学校や兵舎として使用。HochzeitHaus
   1552建、木組4階建、火事の後市庁舎として役立ち、1952から博物館。

5.町の略図

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ホムベルク Homberg(Ohm) h53

写真

市庁舎 町教会
醸造所博物館 坂道
ホムベルク城 教会

1.歴史

 1065 最初の文書言及、           12C初 城があったと推論、
 1234 都市として言及、鋳造所が置かれ、すでに堅固な都市防衛施設があった、
 1554 都市権が与えられた、       1567 遺言によりマールグルクに属した、
 1587 地方事務所と地方裁判所を設置、      1607 ダルムシュタットに属した、
 1657 大火で殆ど焼失、   1635.1641.1646 30年戦争で町は破壊された。

2.市壁  0.04km 0.01

    BrauHausの前に、僅か残っている。

3.塔  0門1塔

 醸造塔 BrauTurm 13C建、市壁で唯一残った円塔で、今は博物館。

4.見所  D

    ホンベルク城の西に旧市街地があり、木組の家も見られる。
 町庁舎 Rathaus 1539建、石積の地階の上に2階の木組建物で屋根には
   小塔が付いている。地階は広間で木の柱で形成され、参事宴会場・舞踏会場・
   同業組合部屋があった。市庁舎は一時的に町と地方の裁判所だった。1554に
   ワイン酒場を建て、1965に前面を改修して木組みを露出させた。
 ホンベルク城 SchlossHomberg 13C建、概略四角形の施設であり、周壁の出
   口にあり、大部分は昔の高さを保っている。ロマネスクの橋台のある尖頭アーチ城門
   がそこに厩と穀物倉庫がある。城は30年戦争で壊され、1648に部分的に再建
   され、1836に更新され、今は個人所有となっている。
 町教会 StadtKirche 1220建、3廊式ロマネスク支柱のバジリカ。単塔。
 墓地礼拝堂 FriedhofKapelle 1583建、後期ゴシックの1階石造の上に木組
   の礼拝堂がある。。
 ホンベルク薬局 HombergerApotheke 16C建、後期ルネッサンス4階建木組の家、
   1715-1960に薬局として住んだ。
 旧ビール工場博物館 Museum in AltenBrauhaus 13Cに町防備の一部とし
   ての監視所を1571ビ-ル工場に改造した。1581には新ビール工場に言及された。
   その建物は塔を含めて博物館に使われている。地階は中世の水道施設・バンの
   形成・写真用具を、3階は町の歴史を展示している。

5.町の略図

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フンゲン Hungen h54

写真

 
マルクト広場 フンゲン城
フンゲン城 西壁
町教会 東壁

1.歴史

 782 皇帝チャールズのハーフェルト修道院寄付で初言及、   1320 地区教会の設立、
 1361 皇帝チャールズ4世は都市権を授与、    1419 フンゲンはゾルムス伯爵に継承、
 1469 皇帝フリードルッヒ3世は市場権付与、    1602-78 フンゲンは独立した郡、
 1693 フンゲン事務所はゾルムス・ランゲンフェルスが統治、1700 フンゲン事務所は村を統合、
 1705-19 フンゲン事務所は農民調整、   1806 ヘッセン大公国ヘッセン・ダルムシュタットへ、
 1841-48 フリートベルク行政区へ、      1852 行政区を解体しサ-クルを再現。

2.市壁  0.02km 0.01

   中世の市壁は多くが建物に取り組まれれ、東南部で僅か見える。その他
  市教会の周辺の教会壁と、宮殿の周壁がある。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   古い木組の家が残る小さな町。
 旧郡庁舎 Rathaus (18c) マンサード屋根2階建漆喰塗の木組の建物。
 フンゲン城 Schloss Hungen (1383) 初めの城は15cに建て直され、そ
   の後数回補修・拡張された。1974市に取得され、各種用途に使われた。
 旧町教会 Ehem.StadtKirche (12c) この町で最古の建物であり、外観
   にはロマネスクとルネッサンスを兼ね備え、12cの内陣・身廊・塔に下部はロマネスクであり、
   上2階は初期ゴシックの要素がある、後期ゴシックの内陣は1518の献堂であり、
   ゾルムス・フンゲン伯爵家の墓所を100年間務めた。本堂は1596-1608に延長された。
   1905-07修復されている。
 古い木組の家 Altes Fachwerkhaus
  Doppel wohnhaus (1465) 町で最古の木組の建物、2階建切妻屋根
   2009-13に復元。
  Amtshaus (1589) 2階建切妻屋根に木組の建物で、1938に解体られ
   野外博物館の管理棟として移築された。
  Gasthaus (1500) 近年の修繕でトラス構造が大幅に更新された。2階
   建切妻屋根に木組の建物で、今は食堂。
  Gasthaus Sterntaler (1661) 1763に更新された彫刻された梁の風
   格ある3階建の建物。
  Wohen haus (1604) 2階建の木組の建物。

5.町の略図

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イトスタイン Idstein h55

写真

市庁舎 門塔
アドルフ王広場 宮殿

1.歴史

 1102 最初の文書言及、      1238 ナッサウ伯が基盤整備し都市権授与、
 1480-1509 ナッサウの古いラインIdstein、      1634 城を拡張し再建した、
 1629-1721 ナッサウの若いラインIdstein、     1603-77 魔女狩りが行われた、
 1688 古い市街地を壁で囲み、外へ町は拡大、   1728 ナッサウはウスリンゲンへ、
 1728 町は首都の地位を失う、            1806 ライン同盟締結、
 1866 プロイセン公国が領有、    17Cの宮殿を学校にし城の下に新橋をした、
 18-19C 皮革産業が中心で栄えた。

2.市壁  0

   宮殿への堀割の石積は残っているが、市壁は見当たらない。
  鞣し革広場には、舗石で南北方向の壁の位置が示されている。マルクト広場に
  市壁があるとの記述があるが未確認。

3.塔  1門0塔

 説教壇門 KanzlerTor 1497建、昔の事務所の塔であり、町営の
   範囲である南部と、領主の区域である北部とを区分している。塔には警
   備.刑務所食堂.拷問部屋.穀物倉.職員宿舎が置かれた。
 魔女塔 HexenTurm 1497-1582建、現存する最古の建物。塔には1170.
   1240.1500.の各建設段階があり、幾つかの小さな改造や増築があって、
   今日の姿は1810のものである。この名前は17Cの魔女を捕まえたこと
   から来ている。

4.見所  B

   大きな石造の建物と古い木組3階建の家並みが、歩行者専用道路に混在
  して見所が多い。
 市庁舎 Rathaus 1698建、この建物は橋建設と同時に領主の財政的
   支援で建てられた。アドルフ王広場の一段高い所に、門塔と並んで石造2階建
   てオレンジ色の建物で、消防ポンプ.粉計量器.見張食堂.拘置所.使用人住居.穀
   物倉に使用。1928に崖崩れで1947に火事の巻き添えで、建物は壊れた。
 宮殿 ResidenzSchloss 1634建 ナッサウ家の居住宮殿として、1614-34
   にルネッサンス様式で旧建物を含め構成された宮殿。宮殿はナッサウ家が去った後、
   次々にナッサウ中央公文書館.療養所.予備病院.兵舎.地方学校.教育施設とし
   て使われ、戦後病院として改修された。1946からは上級学校となった。
 傾いた家 SchiefesHaus 1727建、市民兵の少佐が4階建の木組家を
   建てた。左の部分は1736-45は薬局として、その後商店と住居として使わ
   れた。
 キリングの家 KillingerHaus 1615建、裁判所書記キリング伯爵が建てた
   美しいネオゴシックの豊かな彫刻装飾の木組の家、2・3階の中央出窓がポイント。
   今は観光案内所と市博物館がある。
 アドルフ王広場 KoenigAdolfPlatz 町の中央にありナッサウ家からドイツ王
   になったKoenigAdolf(1250-1298)から名付けられた。ここで召集の集合と
   裁判がなされた。広場を取囲んで木組みの破風が美しい。
 旧城建物群 GebaeudegruppeBurganlage 1565建、市庁舎に繋がる長
   く伸びた昔の城の建物群。大きな地下室の上に、木組の階は張り出して
   おり、張出し窓と破風庇は装飾されている。
 旧簡易裁判所 AltesAmtsGereicht 1588建、木組の破風と階段塔の
   付いた大きな石造りの簡易裁判所は、地下室入口の上に年号が掲げられ
   ている。
 領主倉庫 HerrenSpeicher 1745建、この建物は伯爵の家畜飼育場
   の一部に建てられた。上方の両側の屋根裏に十分の一税が積上げられた。
   地階には王家の厩舎が置かれ、1977から青年音楽学校になった。
 消防団 AlteFeuerWehr 1927建、ホース塔のある最初の消防団機材庫
   の近くに1927の再開発で木組の消防所が建てられ、2004から醸造所とな
   った。
 ヘアー館 HoeerHof 1620建、宮殿建設業者が建てた。大規模な石台座
   の上に張出窓と南欧風帽子を持った木組館である。1992からホテル・レストランに
   なった。
 印刷所 DuckereiGrandpierre 1612建、建物の南の部分の戸枠に年
   号がある。ここは、1720まで料理屋「白鳩」であった。地階石造の上に
   木組が載っている。
 ストックハイム館 StockheimerHof 1599建、石地階の上に木組の2階建、
   ストックハイム家は14Cナッソウ城の人。2006から個人所有。
 鞣し皮の家 GerberHaus 1815建、30余もあった鞣し革屋の最後の
   建物。三段階屋根で吊して皮を干した。1920からガラス屋と家具製作所と
   なっている。
 市博物館 StadtMuseum  1615建、キリングの家にある。民俗学.宗教
   .都市.産業.の歴史と絵画を展示している。

5.町の略図

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イッメンハウゼン Immenhausen h56

写真

 
市庁舎 門塔
アドルフ王広場 宮殿
醸造所博物館 坂道
ホムベルク城

1.歴史

 1015 皇帝ハインリッヒ2世はイッメンハウゼンを支配、1123 城伯ドウドは城の廷史と認証、
 1298 都市権の授与、ヘッセン方伯は要塞を設けた、1363 要塞を更新し町を守る。
 15c 聖ジョージ教会を旧教会の跡に建てた。 19c 大火災で焼失、
 1909 町の病院に結核の発生、   20c、抗生物質で収まり肺クリニックになった、
 1996 ガラス工場の閉鎖。

2.市壁  0.44km 0.44

  13cの市壁は、保守が行われ一部では更新されている。1892西への市街地拡張
  のため梟塔と市公園との間の市壁を壊し、上駅通を置いた。

3.塔  3門2塔

 開口部 Mauer Bruck (20c) 1937の大洪水の後に、バッハ通の突き当りの
   壁を壊して通路とした。
 梟塔 Eulen Turm (13c) 4階建の角塔に四角錐屋根。
 馬蹄形塔 Hufeisen Turm (13c) 4階建の馬蹄形の塔は、2004に町の歴史に
   関するパネルが展示されている。
 旧人々の家門 Ehem.LeutenHaeuser Tor (13c) 周壁の一部として造られた
   3市門の一つで、1825-27に取り壊された。
 旧カッセル門 Ehem.Kasseler Tor (13c) 市壁と共に作られ狭い通路にアーチ門が
      置かれている。

4.見所  C

   町として700年以上の歴史があり、歴史的な旧市街地中心部には、美しく改装
  された家並がある。堂々としたゴシックのセイゲオルグ教会とバロックの市庁舎が焦点で、保
  全された建て物が多い。中世からガラス工芸品の生産が行われ、大きなガラス博物館は
  ドイツガラス美術館となっている。
 市庁舎 Rathaus (1354) 1385に火事で焼けて再建された。1631の火事で撤去され、
   1643病院の木材を使ってバロック3階建の木造庁舎を建てた。1662現在の外観
   に拡張し、両側屋外階段を設置した。1985-87隣接住宅Rodeと接続し、市
   庁舎内の展示場に、芸術家やアマチュアの作品を展示している。
 市教会聖ゲオルグ Stadt Kirche St.Georg (1100) 始めはロマネスク単廊の建物であった。
   1300解体され、3階建ゴシックの教会として新設された。戦争や火災で壊れ1409
   に再建され、15cに70の壁画を制作、1631内部火災、1848塔火災、1872根本
   的な改築、1967壁画の露出など大改修とインテリアの近代化が行われた。
 パッシェ城祉 Ruhin Pascheburg (13c) 13c方伯の城が建てられ、1385戦争の火災で
   壊された。1969に基礎と天蓋が発掘された。
   旧小学校 Ehem.Jungenschule (15c) 2連2階建の大きな建物で町と教区の学校であ
   った。1687この建物は少年の学校になった。今は私有財産で1941改修済み。
 教会聖クレメンス・マリア Kath.Kirche St.Clemens Maria (1952) 鐘楼付きの教会として建
   てられた。西側の大きなガラス窓は、この町でデザインされ寄贈された。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.ZehntScheune (1648) 領主の十分の一税倉庫として建てら
   れ、1839町は購入して教師の住居のある国民学校に改造した。1936住居と
   学校として根本的に改修した。
 ガラス博物館市庁舎 Glas Museum (1987) 旧発電所の建物を改造して中世から現代の
   ガラスの伝統と歴史を広く展示している。1890ガラス製品の開発と国際ガラスアート
   振興を図っている。

5.町の略図

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カッセル Kassel h57

写真

市庁舎 ヘrクレス城
フリードリッヒ美術館 レーベン城

1.歴史

  811 カール大帝はザクセンのベヌイットに土地を与えた羊皮紙の証明書に署名した、
 1008 皇帝ハインリッヒ2世は夫人にカッセル王宮を譲渡、1019 ハインリッヒ2世は市場認可、
 1189 町は都市権を有し毎日市場開催、1277 方伯ハインリッヒ1世は新居城建てた、
 1466 ルードヴィッヒ2世は新宮殿を構築、1517ペスト流行、1523方伯は市壁に着手、
 1596 方伯モーリッツはオランダ織器技術導入、 1685方伯カールはオランダ宗教難民を受入、
 1767-90 軍は要塞を建設、 1767 ヘッセン・カッセル王子と娘の結婚式にプロセン王参列、
 1803 ヘッセン・カッセル方伯は選帝侯に、、    1806 ナポレオン軍侵攻で選帝侯亡命、
 1813 亡命の選帝侯は帰還ヴェストファーレン王国、     1866 プロイセンへの併合、
 1943 空爆で木造住宅など80%が破壊。

2.市壁  0.04km 0.01

   13cに中心部の狭い市壁が築かれ、1523方伯フイリップは拡張強化を初め、
  1648には対岸の橋頭保を含めた星形要塞が築かれた。旧市街の東のWeser-
  tor地区に旧市壁が残り、2012に公園として整備され、一部は夜間照明も
  付けられた。

3.塔  0門2塔

 ドルゼル塔 Drusel Turm (1415) 市壁の5階建ての円塔であり、刑務所として
   も使われた。
 ツベーレン塔 Zwehren Turm (1330) ゴシックのフランクフルト方向の石道の終わりに在る門塔
   であり、1709方伯カールは回転ドームの天文機器を装備した展望台が付けられ
   た。塔の下の部分は刑務所としても使われた。1554紋章と18cの日時計が
   付けられた。

4.見所  C

   旧市街は戦災を受け古い建物は少ない。町の西の山に向かって広大な
  公園に宮殿・滝・立像などがあり、一見の価値がある。
 町庁舎 Rathaus (1539-09) 3階建てのネオバロックの建物で、2次大戦の爆撃で大被
   害を受け、簡素な形で再建された。地階には市場、上階には祝祭会場と
   同業組合部屋があった。市庁舎は一時的に町と地方の裁判所だった。
 ルッター教会 Luther Kirche (1839-97) ルーテル教会は高さ76m高塔を持つ最後のゴシック
   として建てられ、1943の爆撃で身廊が壊され1949に応急復旧された。19
   70塔の近くに集会所のあるクラシックの新しい教会が建てられた。2006から塔
   は夜間照明されている。
 国立劇場 Staats Theater (1603-05) 方伯モーリッツが初めに建てた建物はフリードリッヒ
   2世によって1765-69に新オペラハウスとなった。1943空爆を受け、1956-59国
   立劇場が新築され、オペラ・オペレッタ・演劇・バレーが公演されている。
 ヘッセン州立博物館 Hessisches Landes Museum (1805) 門内に二つの中庭のある3
   階建て5翼の建物に、1913博物館となり、地階は先史時代・中2階に天文学.
   物理学.天文時計・2階にドイツ・タペストリィ600点と装飾芸術を展示。
 新美術館 Neue Galerie (1871-77) ネオルネッサンスの建物に、巨匠の絵画を収容して
   いたが、空爆でヴィルヘルムスヘーレ宮殿に移された。1976新たに18cからのドイツ
   画家の作品を展示している。
 グリム文学博物館 Brueder Grimm Museum (1714) バロックのベルヴューの館を改修して
   1992から兄弟の肖像画・手書き原稿・手紙・挿絵などで、大学教授の作品・業
   績・生涯が展示されている。
 自然史博物館 Natur Kunde Museum (16c) 方伯ウイルヘルム4世の収集品に始まり、後
   継者によって展開され、1771-99コレクションとなった。旧オットーネウムのの中に植物
   学・地質学・動物学の標本がある。
 市立博物館 Stadt Museum Kassel 改装され2013に再開されて、町の歴史と文化
   を展示。
 フリードリッヒ美術館 Kunsthalle Fridericianum (1769-79) 方伯フリーソリッヒ2世は6本柱
   列のある古典建築に、王立図書館を置き1779に宝物を一般公開した。ヨーダ
   ンスの絵画や現代芸術もある。
 ヴィルヘルムスヘーレ Wilhelmshoehe
  庭園 Park (1701-1800) 町の西側350haに広大なバロック庭園には、800種の樹木
    ・建物・構築物があり、その後イギリス庭園に改造された。最高地点に
    は、ヘラクレスの像があり大落水の始点となり町の展望は良い。
  ヴィルヘルムスヘーレ宮殿 Schloss Wilhelmshoehe (1803) ヴェストファーレン王ジュエローム・ポナ
    パルトは1807-13ここに住んだ。ルイ15世様式の家具や絵画は城博物館とし
    て見学できる。城博物館には国立カッサル美術コレクションも収められている。地
    階の古代部門にはギリシャ.ローマ.エジプトの文物があり、2階には初期ドイツや
    17cフランドルの絵画、3階にはブリューゲルまでの風景画、4階にはイタリア・スペイン
    ・フランスの絵画を展示している。
  獅子山 Loewenberg (1793-1801) ロマン主義的な館で、内部には武器・甲冑・骨董
    品を展示している。

5.町の略図

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コルバッハ Korbach h58

写真

市庁舎 南市壁
市図書館 ヴェルヴェーバー塔
南西壁 円塔
西南塔 西南壁
西南通路 西南壁

1.歴史

 980 オットー2世の文書に言及、    1185 すでに都市権を持っていた、
 1377 南側の旧市街地は北側の新市街地を統合し、共用の市庁舎と二重の市壁
  の外側を築いた。         1505 防衛施設建設、
 1618-48 30年戦争・ペスト・大火災で町の豊かさは壊滅した、
 1893-1913 鉄道建設、       1908 タバコ工場の建設で復興。

2.市壁  1.65km 0.63

  北と東南部を除いて市壁は残っている。なお、二重壁のため、どちらか
  が残っていれば、市壁は有りとした。

3.塔  1門6塔

 エンザー門 EnserTor 南 1830-60に5つの二重門が取り払われた。
   前方の円塔に壁が付いている。
 毛織物塔 WollweberTurm 北西 1505建、羊毛織工同業組合が建てた円塔。
   1900に住居目的に窓を大きくして改造。
 ピレン塔 PylenTurm 南西 防御角塔、一時は刑務所。防御通路の残りが
   一部復元してある。
 赤塔 RoterTurm 西 死刑執行の赤旗から名前が付いた。1734-1850
    に刑務所として使われた。今は住宅となっている。
 円塔 Turm 南西 1936改修された円塔。FreilichtBuehneに野外劇場。
 円塔 Turm 北東と北西に 円塔がある。

4.見所  B

  壁の間の堀は埋まっているが、二重の市壁がここまで残っている町は珍しい。
  バロックの大きな建物の町並が残り、木組の家も彩り良く見れれる。
 聖キリアン教会 St.KilianKirche 1375-1450建、ロマネスク風ホール式教会。
 聖ニコライ教会 St.NikolaiKirche 1359-1450建、ヘッセン風ホール式教会。
 市庁舎 Rathaus 1377建、旧町と新町の境界に建てられた。北側の階段
   切妻は1664の火事で落ち、1930に代わりに塔をつけ、地階アーケード通路も
   取り付けられた。
 博物館 WolfgangBonhageMuseum 14Cの石の4貯蔵庫をまとめて、1924に
   市の博物館となった。1604には住居として使われ、1997に博物館拡張の
   ため新築された。町と教会の歴史、歴史的金山造り、出土化石等を展示。
 木組建物 FachwerkHaus 
   PatrizierHaus南1593建、3階建2面破風付木組家、1664の火事に生き残った。
   BunsenHaus西 3階建木組家、有名な外交官の生家。
   DiemelsaechsischesBauernHaus南1732建、2階建破風付木組家、今住家。
   StadtBuechcherei西17C建、貴族の家として建てられ、 結婚式場でもあった。
   HirschApotheke中1741創業、2階建木組家、1852高名外科医が生まれた。
   HartwigschesHaus中1720建、バロック前面の立派な木組家、正門や区切りは
   装飾で満たされている。

5.町の略図

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クロンベルク Kronberg im Taunus h59

写真

市庁舎 門塔
市壁 宿屋「新築」

1.歴史

782 ロッシュコーデックスに初言及、    12c クロンベルク城が建設され騎士が町を支配、
 1330 皇帝ルードヴィッヒは城の中腹の旧市街地に都市権を与え、 一次市壁が築かれた、
 1367 皇帝チャールズ4世は市場権と裁判権を与えた 1389 騎士はフランクフルトに支配権を譲渡、
 1390 NeuStadtを南東に拡張して建設、   1532 ヘッセン方伯フイリップは城と町を占領、
 1541 フイリップは城と町をハルムートに返還した 1704 マインツ大司教は事務所を設け町を支配、
 1801 マインツ大司教は世俗的領土を失いナッソーが支配して、    市壁と門塔を撤去した、
 1866 ドイツ戦争の結果プロイセンが所有、 1891皇帝ヴィルヘルムは母へプロイセンから城を買収、
 1945 米軍に無血開城して、米軍の占領区域に。

2.市壁  0.36km (0.49)

   山頂の城の城壁は12cに、旧市街地(AltStadt)の市壁は1330に、南東の新市街
   地(NeuStadt)の市壁は1390に、谷(Tal)の市壁は1450に、それぞれ建設された。
    旧市街地の市壁の残存は、MauerStr.の南に40m、東のDoppelStr.の南に40mと東
   北の城へ向かって90m、谷の西南に60m、東に50m、が残っている。

3.塔  1門4塔

  旧市街地の3門4塔のうち、1門4搭が残り、新市街地の4門2塔、谷の2門2塔は残っ
   てない。
 カエノキ門 Eichen Tor (1333) 西市門として3階建テント屋根の四角い3階建の門塔
   で、町側面は木造であった。
 壁搭 Mauer Turm (14c) 北東の角の直径4mの円塔が残っている。
 ブルックヘルト搭 Burkhart Turm (1390) 南に建てられ18cまで監獄として使われ、
   1821に住宅の土台となり、2006に更新された。市壁に置かれた2階建の建物は、乾
   燥小屋として使われた。
 ハッセン門跡 Ruin Haa'schenTor 地階石積み上階木組の3階建て建物で、門の遺
   跡がある。
 ペターバイエル搭 Peter Byers Turm (1370) 市壁塔として建てられ、1804に詩人
   で学者のヨハン・イサックは塔の基部の上に2階建ての増築を行い。住んだ。

4.見所  B

   古いも木骨造の建物と郊外に多くのヴィラ別荘が散在している。
 市庁舎 Rathaus (15c) 20cには、各所に市庁舎が置かれた。
    1922 {Villa Bonn}NeuStadtの南の市壁の外に立つ、ボン家のVillaで1860に
   典型的な様式で建てられ、ボン家のイギリス移住に伴い市が1922に取得して、
    市庁舎で使用した。
 市教会聖ヨハン EV.Stadt Kirche St.Johann (1440) マインツ大司教ヴェルラッハは
   新しい教会に聖壇を奉献した。1437の大火事の後に外陣は残り、1440が身廊が建
   てられた。1617に天井画が描かれ、1898教会は復元され、12使徒の大壁画が描か
   れた。1965-67に改修された。
 教区教会聖ペターとパウロ Kath.Pfarrkirche St.Peter und Paulus (1870)
   ネオゴシックのホール教会でバットレスが外へ出ている。東に四角い塔が立つ。1959聖具室が
   外陣に追加。
 カトリック牧師館 Kath.Pfarrhaus (19c) カトリック教区教会の敷地内の2階建の建物。
 紛争教会 Streit Kirche (1737-39) バロックの教会は、マインツ選帝侯の指示によ
   り1737の第三カトリック化のため、Ev.教会のすぐ南側に、124年間に建った市庁舎を
   採る壊して、建てられた。しかしEv.の反対に遭って奉献されることもなく鐘楼
   は取壊され建物は倉庫として使用された。1876には教会は他の場所に建てられ
   ることになった。1860この建物は市民が取得して、3階建の店として使い、改装
   された後に1977-79に売却され、店舗・会議場・教室などとして使われている。
   フリードリッヒ宮殿 Friedrich Hof(1889-94)夫フリードリッヒを偲んで皇后ヴィクトリアが
   ネオゴシック・チューダー様式でたてた。石造の荘園の翼と木造のビジネスの翼は明確に分離
   して建てられた。1945米軍が接収して、将校クラブと将軍の住居として使った。
   1954に五つ星の高級ホテルになった。
 クロンベルク城 Burg Kronberg (1170-505) 標高285mの丘の上に中世の上城と近
   世の中城で構成される。上城の3塔は1170-1200に建てられ、城壁は塔の後ろに接
   続した。城門は15cに建てられ、城礼拝堂は1342に奉献された。城から町への通
   路は地下にあったが埋められた。
    現在も見られる城の複合体は、1170-1200に建てられ、17cの始め中城の再建、
   1875-1912上城と塔の間の通路改善、ビクトリア皇后は中央の城複合体の改修、
   2000城全体の改修。
    1992に市はヘッセン家財団から城を取得して、1994に財団を設立し管理している。
   今は博物館。
 旅館 Gasthaus ZumNeuenbau () 2階建腰折れ屋根木骨造の古い旅館。
 旧旅館 Ehem. ZumLoewen () 2階建屋根裏部屋のある木骨造の古い旅館。
 十分の一税倉庫 Zehent Scheune () 2階建木骨造の大きな建物。

5.町の略図

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ランダウ Landau (Bad Arolsen市内) h60

写真

市庁舎 ラッツケラー
市教会 南アーチ門
城門 城門内側
東市壁 西南市壁

1.歴史

 13c ヴァルデッカー侯爵オットーは要塞都市を設立、1290 文書初言及、
 1294 小さな町は都市権を授与された、1397-1495 居住地が外側に置かれた、
 1550-97 ヴァルデッカー侯爵の居所がたてられた、16c-1933 ユダヤ人が居住、
 19c 町の全体像は変化しなかった、、 1974 アロルゼンに併合された。

2.市壁  0.25km 0.25

   小さな町は旧城複合体の市壁が1.75km全体であり、北と南の2か所に門が
   あった。また、別の壁で仕切られていた町と城との間は別の門があった。
   今は、市壁の西南・東南と城の後ろに残っている。

3.塔  3門0塔

 旧市街アーチ門2 Watter谷につながる東北と東南の二つの坂道に木製の
   屋根付のアーチ門が造られている。東南門のたもとには元鍛冶屋の建物があり、
   魔女の家とも呼ばれ、尋問や拷問の刑務室が置かれた。
 城門 旧市街から城への入口に上階木組の2階建アーチ門を1563にヨハン・ラウダウ
   伯が建てた。守衛詰所何世紀にわたって努めたが、1750改修中に焼失した。
   上階は、ユースホステル、賃貸アパート、として使われた。

4.見所  D

   山の上の城の南側に半木造の町がる。木造のアーチ門は珍しい。
 市庁舎 Rathaus () 2階建の大きな木組の建物。
 ラッツケラー Ratskeller 淡いクリーム色の小さな2階建の建物で「Rathaus
   (Ratskeller)」の看板がある。旧市庁舎で今はレストランである。
 市教会 Stadt Kirche (13c) 初期ゴシックの教会で、伯爵家族の埋葬の礼
   拝堂であった。16cゴシックのホール教会が西側に建てられ、かっての礼拝堂は
   教会の内陣となった。1550に塔が付けられた。2002-03に高さ34mで完全に
   復元された。
     ランダウ城 Schloss Landau (13c) 旧伯爵城は1330に再建され、1397-1495
   は使われた。1550-97はヴァルディック伯爵ランダウ家が新たに住んだ。城は16c-2012
   は、ヴァルディック高齢者住宅であった。今はホテル。

5.町の略図

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ランゲン Langen  h61

写真

 
旧市庁舎 市街
シュピッツアー搭 シュトウンツアー搭

1.歴史

  834 王ルードヴィッヒからロルシュ修道院への贈物証書に初言及、 13c交易路の交点
であった、 1338 町の要塞を建設、   1532 宗教改革を導入、
1550 ファールガッセは舗装された、 1600 ヘッセンダルムシュタットの墓所として売却、
 1720 ヴォルフスガルテン宮殿を狩猟のため建設、1800ヘッセンダルムシュタットから市場権を得た、
 1818 郵便局の開設、 1883 都市権を与えられた、1848 鉄道が開通した、 
 1918-30 仏軍が町を占領、ワイマール共和国へ、1945米軍が無血占領、難民の流入。

2.市壁  0.07km (0.02)

   14cの市壁は、StumferTurmの南側に僅か残っている。

3.塔  0門2塔

 切株搭 Stumpfer Turm (14c)円塔と養魚池の平原の風景は美しい。
   14c初めに町の防御のために直径6mの円塔が切株搭として建てられた。500年
   遅れて市壁の開口部として扉付きの養魚池小門が設けれれた。
 トンガリ搭 Spitzer Turm (14c)昔の市壁の防御塔として直径6mの円塔が
   高さ20m壁厚1mでが建てられ、八角形の赤い帽子が付けられた。一時この
   塔は刑務所となった。

4.見所  D

   見所は、旧市街地の中心に集まっている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1826) 古典主義的な建物に建て替えられた。
   屋根の中央に鐘楼がある2階建の建物で、1974に新市庁舎に移り、建物は市
   立博物館となり、後期印象派の画家ヘルマン・ハーマーの豊富なコレクションがある。
 市教会 Stadt Kirche (1883) ネオゴシックの教会は、ヨハン・ホルストによって建て
   られた。1959 内部は当時の様式に改装された。1997身廊はネオゴシックで改装。

5.町の略図

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ラウバッハ Laubach h62

写真

 
マルクト広場 宮殿
北壁

1.歴史

789 フェルト修道院の所有帳に言及、   1052 城の隣に地区教会を言及、
 1341 城を買い1559までに防御施設を築く、1405 町として認められた、
 1418 城をゾルムス・ラウバッハ伯爵が取得し今も居住、1507皇帝マクシミリアン都市権授与、
 1548 ゾルムス・ラウバッハ帝国が成立、     1555 ラウバッハ図書館の設立、
 1609-11.1635 ペスト流行で人口半減、   1761-62 7年戦争で仏軍占領、
 1806 ゾルムス・ラウバッハ伯爵領の独立は終わり、ヘッセン大公国に統合たれた。
 19c 門・市庁舎・町醸造所は取り壊された、 1936 町は定評ある転地療養所に。

2.市壁  0.21km 0.18

   旧市街の上西部に残りが見られる。

3.塔  0門1塔

   下市門は1808に、上門は1865に取り壊され残っていない。
 耳飾り石塔 Klipstein Turm (15c) 4階建ての角塔で、旧市街唯一の見
   張塔で、木材部は1500からの物である。多くの内容のある博物館がある。

4.見所  D

    東側の宮殿や教会はやや高い所にあり、坂道は玄武岩の舗石で囲まれて
   ていた。狭い路地には16cからの古い木組みの家が残っている。1853旧市庁舎
   や町醸造所は取り壊されマルクトには残っていない。
 ラウバッハ宮殿 Schloss Laubach (13c) ゾルムス・ラウバッハ侯爵の豪勢な宮殿は13c
   に成立し、16.18cに拡張されて今の姿になった。18c宮殿群は英国風の宮殿庭
   園に囲まれた。公園は市壁の外にあるため、防衛のために7つの池を設けた。
   宮廷公園内には歴史的な氷室があり、宮殿には1721-1873醸造所があった。
 宮殿図書館 Privat Bibliothek in Schloss (16c) 宮殿の図書館には、
   1800アルンスブルク修道院の図書など12万冊の貴重な図書があり、ヨーロッパでも有数
   の規模である。侯爵の家族法では、この図書館からの売却を禁止している。
 宮殿博物館 Schloss Museum (2003) 宮殿での昔の生活や宝物をゴシックの
   部屋に展示されている。
 町教会 Stadt Kirche (12c) 最も古い部分は、12cのものであり、18cに
   増築と内部装飾が行われた。バロックのオルガンは復元されている。
 下粉挽場 Unter Muhle (16c) 簡素なルネッサンス建物であり、1588-89の西側
   の切妻の切妻には、二つの紋章がある。
 フリードリシアヌム博物館 Museum Frdericianum (1980) ソルムス伯爵のかっての狩
   猟のロッジで、2階建て寄棟屋根の建物である。30年前から博物館として、石
   器時代から戦後までの工芸品・民族・祭り等について展示されている。
 魅惑的人形の家 Faszinierrend Puppen Stuben 2011) 城の近くの木組の
   納屋に魅惑的な人形やミニチュアで偉大な世界を現す貴重な人形のコレクションである。
 木組みの家 Fachwerk Hoeuser 木組みの家は1965-80に復元されている。
  Grener Meer1 (1450) 靴下製造工の家、2階建ての壁台枠造の最古の住宅。
       14(1667)彫刻のある枠台造の家。
       28 (1600) 枠構造の家。
       30 (1550)
  Markt Platz5 (1738) 3階建で切妻のある家。
        8 (1635) 3階建軒の続いた建物で、18c出窓を追加。
  Ober Gasse14 (1617) 年号が木材に付いている。
  OberLangGasse12(1500) 17.18cに改造された。
        6-8(1560) フクロウ旅館で、1651に増築された。
         26(1625) 軒樋のある家、年号がある。
  WildemannsGasse9 1969に解体され、未開人の男と女の角柱は7番地の
      家に転用された。

5.町の略図

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ラウターバッハ Lauterbach h63

写真

市庁舎 街並
アンカー搭 ハイニッヒ搭
旧市街 川の飛び石
マルクト 醸造所

1.歴史

 12c フルダ修道院の領土であり、世俗的管轄は執行官が行った、
 1266 都市権が授与され城と市壁が築かれた、その後繰返し入質された、
 1427 マインツ大司教と貴族ヴァルドウイックが1/2支配、15-16c 貴族クーデビルが支配、
 1684 独立した小さな国となる、       1806 ヘッセン大公国に属した、
 1852 郡庁所在地から共同体の発展、    1972 フォーゲルスベルク郡の中心に。

2.市壁  0.01km 0.01

   1266の都市権授与の後に、市壁は城と共に建てられた。市壁の場所は
  Am Grabenの内側と想定されるが、10mの石積しか見当たらない。

3.塔  0門1塔

 錨塔 Anker Turm (13c)市壁の防御塔として4階建円塔が階段の上
   にある。フードは木組の8角形になっている。一時的に刑務所として使われ
   今は料理屋:Zum Anker Turmである。

4.見所 B

   旧市街の街並には、多くの古い木組の建物が保存され、広場は木組
  で美しく飾られている。また、南側を流れるラウター川は常に一定の水量が確
  保され、ステップ石で川を渡る事ができる。
 市教会 Ev.Stadt Kirche (1768) バロックの外観とロココの内装の教会は、
   1768献堂され、塔は1820に付けられた。1400のゴシックの教会からマドンナ像な
   度が置かれている。鐘楼には1699-1950の5鐘がある。
 ステップ石 Schritt Stein (1596) ステップ石は川の中の井戸に到達するた
   めに置かれ
   た。現在も水流の阻害減少のために置かれている。
 高い家 Hoh Haus (1769-73) ゲオルグ・ハイアットが町に建てたバロックの宮殿
   で、両翼のある3翼の建物である。後期ゴシックのマリア祭壇のある広間は郷土
   博物館として使われている。
 町の工場 Stadt Muehle (1398) 石造2階建の陶芸家の工房であった。
   2004に観光案内所となった。
  Burg (1266) 壁に囲まれ中庭のある建物で、西に厩舎がある。
   1580-8117cの建物は拡脹されルネサンスのポータルがある。
 黄金のロバ Gueldener Esel (16c) 注目に値する木製の大きな建物で
   1530からレストランが使っている。
 古い醸造所 Alte Brauhaus (1667) 醸造権を獲得し、古い木組の建物
   で、今でも伝統のある醸造所として「Lauterbach Pils」を醸造している。
 木組の家 Fachwerk Haus (1707) 貴族の家として建てられた、古い木
   組の4階建の切妻のある建物。今はカフェ・シュッテルを収容している。

5.町の略図

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リッヒ Lich  h64

写真

市庁舎 市塔
北西壁
北東壁 西壁
宮殿 上の町

1.歴史

790 カロリング朝の入植地はロルシュ文書にある、9c ロルッシュ修道院はマインツ司教区へ、
 12c ハーゲン・ミュンツェンベルクの遺産ni,水城があった、1273フランンケンシュタインのヴェルナ1世に、
 1300 墺王アルブレヒト1世はファルケンシュタインの家来フイリップに昇格した町を管理させた、
 16c ラインハルト1世の下に町は今も残る姿に、1618-48 30年戦争での被害は些少、
 1945 2次大戦も大きな被害はなかった。

2.市壁  0.38km 0.31

   15cの市壁は、切れ切れにAmWallの南に180m、SchlossGasseの西に200m。
   西南の厩舎跡付近の市壁の上には更新された2階建ての宿泊施設がある。

3.塔  0門1塔

 市塔 Stadt Turm (16c) 町の紋章のある堂々たる高さ48mの角塔で、左右に
、    市壁が残り東側には車道のアーチがある。2010には新たに塔に上る階段が
   付けられ、町の歴史の展示と小劇場があり、頂上の展望は良い。

4.見所  C

   市壁と切妻のある木組みの家が残り、城は公開されていないが、中世の
   雰囲気の残る小さな町である。
 マリア修道院聖堂 Marien Stift Kirche (1316-17) フイリップ3世により創立され、
   1320聖母マリア・聖マルティン・聖エリザベスに献堂された。1510後期ゴシックの教会に
   変換され、ゴシック・リブヴォールトは1594に完成した。中には1333絵画・1500
   ルネッサンス十字架・1775彫刻説教壇・墓標がある。
 侯爵ゾルムス宮殿 Schloss der Fuerten zu Solms-Hohensolms Lich (13c) 初め
   長方形の宮殿と4塔が堀で囲まれていた。17cルネッサンスで再建され、18cには
   バロックに変換された。1836裁判所の前面と1911タペストリィが付けられた。宮
   殿には今でも侯爵の末裔が住み、公開されていない。
 旧アルンスブルク修道院 Ehem.Kloster Arnsburg (1097-1246) シトー会修道院の教会は
   ロマネスクからゴシックへ変遷し、南翼廊からの広い階段は聖具室や僧侶宿泊所へ
   繋がる。30年戦争後には礼拝のための教会として使用された。17c醸造所が
   建てられ、今ではレストランとなっている。
 ゼーアルシュ美術館 Galerie Seharsch 旧シトー会修道院に、画家ピーター・ゼーハルシュの作
   品を展示している。
 テクストアーの家 Textor haus (15c) 豪華な彫刻と碑文のある木組みの家で、初め
   保管庫として建てられた。19cには半分の長さになり、今は郷土博物館と
   なり、町の歴史を展示している。
 リッヒ醸造所 Licher Privat Brsuerei (1854) 最初からこの私設醸造所は人気
   があり、1960からは樽・缶・瓶に「ライヒ・ビール」として提供され、このブランド
   は国境を越えて流通した。1988ヘッセン州のビールブランドの第1位になった。
 木組の家 Fachwerk Haeuser
   街には多くの古い木組の家があり、特徴ある切妻と装飾で美しい景観がある。

5.町の略図

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リムブルク Limburg an der Lahn h65

写真

大聖堂 魚市場
新市庁舎 市壁

1.歴史

  760 浅瀬を守る城が築かれ入植地を開設、910王ルイは侯爵コンラッドに荘園を与え、
  940 聖ヨハネ修道院の開設、    1160 木橋の架設、1227 関税が掛けられた、
 1230 最初の市壁の建設、町は市場・紋章を持った、  1279 都市権の授与、
 1315 石造のラーン橋を建設、     1406 イーゼルブルク家断絶でクアテリィが領主に、
 1529 宗教改革の導入、     1631 スエーデン軍の略奪、1632 仏軍の占領、
 1635 帝国軍の占領、      1706 スペイン継承戦争でハノーハー大隊が占領、
 1721-28 ラーン川渡し船で司教区と争い、  1801 火災で木造家屋の7割焼失、
 1803 ナッソー・バイルブルク侯爵ヴィルヘルムは町を統治、1818 塔や市壁は解体のため販売、
 1827 リンブルク教区を設立し初司教即位、1886 郡庁所在地となった、
 1939-45 空爆で木造家屋150戸が壊れた。

2.市壁  0.29km 0.23

    13cの市壁は、1818から解体のため切り売りされ、DiezerTorも1871に解体
   を始めた。市壁が残されているのは、EschhoeferWegの北に140m、大聖堂の北
   の石積150mがある。

3.塔  0門2塔

 外橋塔 Aeussere Bruecken Turm レッヒ川橋の対岸にある外側橋塔で、道路を
   跨いで四角塔が立っている。
 猫塔 Katze Turm 石積の円塔で頂上に小円錐塔がある。市壁塔の一つで1623
   の文書に記載され、市公文書館が収容されている。猫塔に刑務所が移
  され、公文書は市庁舎に移動した。今は海洋博物館である。

4.見所  C

   小高い岩山の上に大聖堂と城が立ち、中腹からの旧市街には花網模様の木
  骨造りの美しい家が多く、中世の雰囲気の残る小さな町である。マルクトは小さ
  く、木組みの建物が囲んでいる。
 大聖堂 Dom (13c) 過渡期ゴシックの典型的な様式であり、外観はロマネスクのライン川
   沿いの大聖堂に似ている。内部は仏のラン大聖堂の影響を受けたゴシックの
   構造である。壁面は補修塗装を取り除いて当初の多彩装飾に修復した。
   聖堂北側斜面の中腹の墓地テラスからの展望は見下ろす角度が美しい。
 リムブルク城 Schloss Limburg (13C) 岩山の上にイーゼンブルクのゲルラッハによって建て
   られた。城壁の塔の残りであるHuttigも残っている。1712木材の水道管
   を敷設して配水した。1802城はナッソーの所有になり、1866プロイセンに移り、
   1883望易学校、1945ヘッセン卸売市場、1965工業学校、1995州は城を売却、
   2000市が引受け2003から市博物館として改修に着手した。
 カソリック教区教会と聖公会 Kztholische StadtKirche und Bischoefliches
Ordinariat 旧フランシクコ会修道院の重要な残基と修道院教会:聖
   セバスチャンには、ルネッサンスとバロックの墓碑銘や1686のオルガンがある。
 司教区博物館 Dioezesan Museum (1544) 10cビザンチンの真の十字架を収めた
   聖遺物箱は宗教芸術の至宝であり、1410キリストの死の哀悼の彫刻も有名。

5.町の略図

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リンデンフェルス Lindenfels  h66

写真

市庁舎 プロテスタント教会
上城壁 上城壁
ツヴィンガー内側フルス門 城門
下城壁 市民塔
南東壁 西北壁

1.歴史

 1077城は存在し、1123リンデンフェルス城と呼ばれた、1123ロルシュ修道院文書初言及、
 12-13c 所有者はシュタフなど何度も変わった、1277 プファルツ伯は城と町を購入、
 1336 ルードヴィッヒ4世は都市権・市場権を授与、14c 都市権で商人・職人の定住、
 1544 プロテスタントの初礼拝、        1563 大火災で多くの家が焼失、
 17c 30年戦争で要塞は生き残ったが重要性を失う、1648 飢餓と疫病で和平、
 1688-97 プファルツ承継戦争、1701-14 スペイン継承戦争、住民は北米に移住、
 1698 プファルツ選帝侯はローマカトリックへ反宗教改革、  1732 住民は81人残った、
 1803 世俗化でヘッセン・ダルムシュタットへ、     1820 ヘッセン大公国へ。

2.市壁  0.44km 0.80

    14cの城を守る部分と上の町を守る部分は、明らかに存在するが、下の
   町を守る部分は見当たらない。頂上の円形城壁130m、中腹の市壁310m、
   上町の市壁130mは残っている。

3.塔  3門1塔

 市民塔 Buerger Turm (14c) 東南隅の円塔で、市壁の列に組込まれ天守
   閣の機能を持っていた。高さ19m直径8m壁厚2m。1645に塔の帽子と
   して5小塔が側面に建てられた。保存の作業は100年間継続された。
 ツヴィンガー内側フルス門 Zwinger Inneres Fuerther Tor (14c) 最古の部分の
   ツヴィンガーにあり、狭められた連結路に介在する。内側門は瀝青流し掛
   け出梁にプファルツ・バイエルンの紋章が掲げられている。
 ツヴィンガー外側フルス門 Zwinger Ausseres Fuerther Tor (14c) 内側門の70m
      南西に外側門があり、魔よけの獣頭が付けられている。
 城門 Burg Tor (13c) 中腹に取るけられた城壁は取り崩されて、2階建の
   城門だけが建っている。

4.見所  C

   城は小山の頂上にあり城壁と城門で囲まれ見晴らしがよい。旧市街地は
   その東斜面にあり、博物館や古からの建物が城への登路に沿って立つ。
 市庁舎 Rathaus (18c) 代官ヨハン・フランツ・シュルンカードによって建てられ、1768
   プファルツの会計局に移行した。その後出先事務所となり、1802ヘッセンの行
   政機関も収容した。1953リヒテンフェルスは町を獲得して市庁舎として使った。
 プロテスタント教会 Ev.Kirche (16c) 古い教会の跡に今の教会が建てられた。
   ダルムシュタットの建築家が設計した簡素な建物で、1564の最初の宗
   教改革導入の時期と重なる。1837オルガンが付けられた。
 リンデンフェルス城 Burg Lindenfels (1080) ロッシュ修道院の僧院長がリンデンフェルス城を
   立した。城の支配者は貴族が続いた後、1277ヴィッテルスバッハ家のプファルツ伯
   ルードヴィッヒ2世が統治権を買戻し、600年間プファルツ選帝侯が所有した。1779
   老朽化で倒壊し、取払われた。1880修復が始まり、今は時代祭の会場。
 カソリック教会聖ペーターとパウル Kth.Kirche Peter und Paul (1745) 今は
残された最古の教会となった。城の礼拝堂はカトリック教徒の聖堂として
   使われ、四角形の身廊と5辺の後陣から成る。1757入口の上にオルガン設置。
 十分の一税倉庫 Zehentscheune (1781-84) リンデンフェルス郡の十分の一税収蔵
   のため城の資材を使かって建てられた。農産物や租税の収蔵庫ととし
   て使われ、1979市博物館として町の歴史・農業生活・手工業などを展示。
 防塁 Bollwerk (14c) 3辺の搭状の防塁は、市壁の増強施設である。
 ドラゴン博物館 Drachen Museum (18c) 牧師館として新設され、1872Baur家
   の住宅、幼稚園、養老院などとして使われ、今はドラゴン博物館。
 プファルツ選帝侯事務所 Kurpfaelzisches Amthaus (1723) 上城通で最古の建
   物で、1821-32リンデンフェルス郡庁、1852-74郡役場が置かれた。1873-1910
   教員検定準備と教員セミナーの研修施設。

5.町の略図

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マールブルク Marburg  h67

写真

市庁舎 マールブルク大学
マルクト広場
エリザベート教会 エリザベート教会隣の塔

1.歴史

 700 堡塁の上に立つ守られた宮殿近くに入植、9-10C 城施設の最初の出土、
 1222 最初の言及、           1227 独立した最初の教区を認めた、
 1228 チュービンゲンのエリザベス伯爵夫人が、未亡人の居所として選んだ、
 1235 聖人となったエリザベスの教会建設を始めた、 1260 城壁の拡張完成、
 1248-1604 ヘッセン伯の王宮は、僅かな中断はあったが存続した、
 1527 プロステタント大学の創立、       1647 30年戦争での包囲と略奪、
 1773-76 城要塞の破壊、        1815-52 城は刑務所として使用。

2.市壁  0.51km 0.35

  1260年に、強い壁に囲まれた城の周りに、半円形の4つの市門をもった壁に拡張
  された。今は、西側のKalbsTorの前後、頂上付近、東側に、市壁が残っている。

3.塔  1門0塔

 子牛門 KalbsTor 1230-35建、西 幅3mの市壁の出入り口。
   この門は、30年戦争の1618-48は閉鎖されていた。

4.見所  B

   城山の南斜面の旧市街地には大学が置かれている。城山に上る道は急勾配
  であるが、見下ろす眺めは良い。エリザベス教会は旧市街地から離れて東にある。
  木組の古い家並が残っているのは、マルクト広場の高い方Obermarktだけである。
 市庁舎 Rathaus 1512-27建、ゴシック石造3階建破風付の建物で、1581にルネッサ
   ンスの時計付塔が付けられ、人形仕掛け時計は正時に鶏の声を聞ける。階段
   小塔の入口の上に、ヘッセンチューリンゲンの紋章を持つ聖エリザベスの彫刻がある。
 聖エリザベス教会 St.ElisabethKirche 1235-83建、ゴシックのホール式教会。
   聖エリザベスの埋葬場所であり、1235に巡礼教会になった。内部に、見るべき
   彫像.祭壇画.ステンドグラスがある。
 方伯城 LandgrafenSchloss 1493起工、この5階建の城は13-17Cにヘッセン
   方伯の居城であった。9Cの古い城の遺跡は西棟の地下にあろ。北には13Cの
   ゴシックのホールがある。中には、方伯執務室.ゴシック礼拝堂.騎士の間がある。
   15C翼棟には文化史博物館が置かれ、中世の盾や芸術品が見られる。
    東側のチャペルは1290に建てられた。
 砲郭 Kasematten 1478建、城の西側地下に17Cの砲床があり、最初の砲塔
   は刑務所として使われ、今、魔女の塔として知られている。

5.町の略図

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メルズンゲン Melsungen  h68

写真

市庁舎 宮殿
オイレン搭 町並

1.歴史

 802 最初の集落の部bb所言及、 1189 市壁・門・塔のある小さな町と言及、
 1267 最古の町の紋章の制定、   1427 ヘッセ伯ルードヴィッヒは塩鉱山を開発、
 1550-57 城の建設、        1825-68 ヘッセン林業研究所を設置、
 17c 30年戦争と7年戦礎で町は衰退、1825-1974 独立郡庁として行政の中心。

2.市壁  0.09km 0.09

    古い町に中心は、タカサ8mの周壁が取り囲み、塔・門・銃眼・屋根のない壁上通路
  が見える。市壁の残りはいくらか見られ、部分的は建物に組込まれている。

3.塔  門2塔

 梟塔 Eulen Turm (1387) 南西の角にあり。尖塔のある元の高さで残る唯一の市
   壁塔である。17cには、刑務所として使われ、その際塔の上半分は住居であっ
   た。21c完全に修復された。
 円塔 Rund Turm (1400) 宮殿公園の南側に、帽子のない円塔がある。

4.見所  C

    木組の市庁舎を含むマルクト広場は美しい。宮殿も最上階木組で面白い。
 市庁舎 Rathaus (1562-68) 旧庁舎が大火事で焼けた後に、3.5階建で建てられ、今で
   はドイツで最も美しい木組の市庁舎の一つである。3つの飛び出した塔と多角形の
   コーナータレットを有し、全ての面が美しい。1928に改修時に古いフレームワークトと埋没して
   いたラッツケラーが再発見された。今は本部と人事部がこの庁舎に留まっている。
   12時と18時に市庁舎の塔にBartenWetzerga表示される。
 方伯宮殿 Land Schloss (1550-57) 方伯フイリップ・マグナニモスは狩猟宮殿を建てた。1627
   -32方伯モリッツ・ゲレセテンは居所として使った。1733-1825方伯ライターの守備隊が駐留
   し、1825-68ヘッセン林業アカデェミーを収容した。今は簡易裁判所と税務署として機能
   している。見所は、古い木・城の池・市壁のある宮殿庭園であり、夏にはビヤ
   ガーデンとなり、文化行事がある。
 王宮厩舎> Maarstall (1577) ヘセン・カッセル方伯ウイリアム4世が建てたが、30年戦争で一時的
   に50頭の馬を受け入れた。建物は色を取り除き、大きなヘッセンの紋章を掲げた。
   今は簡易裁判所である。
 市教会 Stadt Kirche (13c) ロマネスクの教会の下にあるゴシックの教会は段階的に建てられ
   た。1200最も古い部分のボザンチン様式とドイツ騎士団・1220身廊・1225塔の設立・13
   50聖歌隊・1400サイド屋根の交換が行われた。
 マルクト広場 Markt Platz (13c) 中世の交易の中心であるマルクト広場が置かれ、マルクとは歴
   史的な木組の市庁舎が支配し、復元された木組の店舗が囲んでいる。東側橋通の
   角には、マーケット・マスターの建物があり、柱彫刻が表示している。
 病院礼拝堂 Hospital Kapelle (1303) セイゲオルク礼拝堂は、町でも古い建物で、ロマネスク
   の塔のある木組の教会でである。礼拝堂は1967-68に完全に修復され今は教会の
   役割を果たしている。1789病院が建てられた。
 郷土博物館 Heimat Museum (1986) 橋の所にある旧発電所に博物館が置かれ、町の発
   展の様子を展示している。
 貴族の家 Patrizier Haus (1600) 堂々とした3階建の木組の建物で、建主の豊かさは
   共済なオーク材の梁に示されている。富と幸運の模様が建物を取巻いている。入口
   は豊富な木彫り彫刻で飾られている。
 最古の木組の家 Alsten Fachwerk Haus (1423)(1426) 町で最古の簡素な3階建の木組
   の建物で、家の間に軒高の台があり、中世の台枠床造りである。
 市民の家 Buergerhaus (1622) おびただしいバロックの彫刻で装飾されている。4階建の
   木組の家は、30年戦争の初期に建てられ、1722調教師が買取り、広く美しい玄
   関ドアを取り付けた。
 石造の家 Steines Haus (14c) Kemanate小部屋と言い、防御倉庫造であり町の中心で
   も古い頑丈な建物である。

5.町の略図

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メンゲリングハウゼン Mengeringhausen Bad Alolsen h69

写真

郷土博物館

1.歴史

 1234 既に都市権を有し文書で初言及、     13c 城はヴァルデック伯が所有、
 1239 ドナースベルク裁判所の管轄、       1502 カンスタインノラーベは城と町を略奪、
   16c 聖セバスチャン・ライフル協会が発足、   16c その後市壁の強化、
 1689-1728 最初のヴァルデカーラント首相の居所、1925-37町に上級地区訓練学校が存在。
 1929 プロイセンのナッソー州に属した、  1974 ヘッセンの地域改革でアロルセンへ併合された。

2.市壁  0.23km (0.27)

   13cの市壁は、16cに強化された。16c その後市壁の強化、
市壁の一部は、いくつかの場所で見つけることができる。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   小さな町で、美しい木組の家と狭い通りが残っている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (13c) 3階建切妻の古い建物。今はレストラン。
 メリングハウゼン城 Schloss (13c) Burg Menringuhausen(13c)城は1382に初言
された。ヴァルデック伯による中世の堀のある城の防御施設は、今は殆ど見当たら
   ない。1696-1728に城はヴァルデック行政の本根拠地であったが、アロルセンに併合され
   て移転された。2018まではホテルやレストランに使用され、2019には売却され改装
   された。
 聖ジョージ教会 Kirche St.Georug Kirche (13c) 中世後期のゴシックのホール教会
   は1347の火事で焼失し、1423に再建された。中には1680のバロックの祭壇や最後
   の晩餐の絵画がある。
 市公会堂 Stadt halle (1312) 平屋の広面のある建物。
 新教教区事務所 Ev.Pfarramt (13c) 古い2階建の木骨造の建物。

5.町の略図

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メンゲルスキルヘン Mengerskirchen  h70

写真

野外博物館

1.歴史

 1307 町として初文書言及、1321 都市権を授与され市場権も追加された、
 1313 メンゲルスキルヘン城が築かれた、  1481 皇帝フリードリッヒ3世は町で裁判を開催、
 1343-1561 町はナッソー・バイルシュタインの支配下に、14c 交易の拠点として税関設置、
 1771 ハマダー公国、    1806 ベルク公国、    1813 ドイツ連邦ナッソー公国、
 1867 北ドイツ連邦プロイセン王国、        1949 ドイツ連邦共和国ヘッセン州。

2.市壁  0.02km 0.01

   14cの市壁は、1973にハウプト通68.のZehntscheuneに道を作る際に、南側に
  壁を復元して保存した。その他リング通5.や城の周辺にも残る。

3.塔  0門1塔

   シュロス通に道路に張り出した建物と仕切りの壁が見られる。

4.見所  D

   小さな町で、木組の古い家もあるが、町の景観はそれ程でもない。
  Schloss (1312) デーレンブルク家が城を建て住居とした。1628-35伯爵
   ナッソー・ハダマーは狩猟小屋に変換、1662北翼を建設、1711-1806オレンジ・ナッソーへ、
   1811-13城は兵舎に、1818町は城を買収、1819-1973城の建物を住宅へ、
   1983町役場に改造、1990塔は歴史博物館開設。
 カトリック教区教会聖マリア・マグダレナKath.Pfarr Kirche St.MariaMagdalena (1958)

5.町の略図

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ミッシェルシュタット Michelstadt h71

写真

 
市庁舎 泥棒塔
マルクト泉
オモチャ博物館

1.歴史

  741 フランケン候爵カーロマンは城と荘園をヴュルツブルク司教の贈った、初文書言及、
  791 侯爵の死後個人的な贈り物であったため、町はフランク王国に戻った、
  815 カール大帝は息子ルードビッヒに町を与えた、819 ルードビッヒはロッシュ修道院に遺贈、
  840 ルードビッヒの死後ロッシュ修道院に移った、 17c 市壁の外に初めて家が建った、
 1773 3番目の門が新設されたが19cに壊された、1806 ヘッセン大公国のエアバッハ郡に、
 1945 戦災は無かった、        2009 エアバッハと合併した。

2.市壁  0.38km 0.75

   14cの市壁は、攻撃に遭うことはなかったが、17cには大砲の発達で効用を
  失い、北から南にかけて東側が残され、西南部は欠けている。

3.塔  0門1塔

   3市門は、交通障害のため次第に全部壊されたが、壁塔の後は幾つか残る。
 泥棒塔 Diebs Turm (13c) 西側古い城の一部であり、5階建ての円塔に
1798八角形の塔頂室が付けられた。塔の周囲に市壁上の通路が復元された。
   中世に刑務所として使われたためこの名前が付き、窓のない地階に囚
   人をロープで降ろした。

4.見所  B

    旧市街には3-4階の木組みの家が多く、中心のマルクト広場には面白い屋根の
   市庁舎が可愛い。戦災を免れて、中世の雰囲気の残る小さな町である。
 市庁舎 Rathaus (1484) 後期ゴシック2階建ての美しい木組の建物で、地階は
   吹き抜けの市場として使われ、屋根は急傾斜で高く、切手にもなった。
   1743-1903は木皮葺き屋根であった。ブラジルのブルメナウにはドイツ移民が多く、
   1970この市庁舎のレプリカが建てられた。
  Burg Michelstadt (8c) 古くからの城の地に、10cロッシェ修道院長が石造
   の城を築いた。1307プファルツ伯ルドルフ1世との戦いで壊れた。13cワイン工場が増
   設され、14c城が再構築された。1517エアーバッハ伯ジョージ1世はルネッサンスの建物を
   新築した。16c南本館は市壁を背中に住居として使われた。16c西側倉庫が
   増築され、北側事務棟は数回1501.1549.1621再建された。1970市が買収し
   て改修して、オーデンの森とオモチャ博物館となっている。
 町教会 Stadt Kieche Michelstadt (1490) カロリング朝時代に町教会の代替と
   して石造の教会を建てた。身廊と南・北の通路の壁の柱は1475に建てられ、
   内陣は1491にさかのぼる。鐘楼には貴重な図書がシュパイヤーから来た。
 オーデンの森とオモチャ博物館 Odenwald und Spielzeug MUseum (20c) オーデンの森の
   生活と文化と人形や紙製のオモチャの展示に加えて、地元20cフリッツ・クレーデルの
   グラフィック・デザインとイラストの収集物もある。
 工場博物館 MuseumsMuehle Michelstadt (1426) 歴史的な工場を展示。
 私立象牙博物館 Burg Michelstadt (8c) 象牙彫刻職人のウルリッヒ・ザイデル-ベルク
   が自身の作品や世界の象牙芸術品を展示している。

5.町の略図

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ミュンツェンベルク Muenzenberg  h72

写真

市庁舎
牧師館 ミュンツェンブルク城

1.歴史

12c コンラッド2世はフルダ修道院から交換で土地を取得し,新しい城を建てた、
 12c 城と臣下・職人・商人の集落があった、1165 集落はミュンツエンベ゙ルクと呼ばれた、
 1244 町となり周囲に市壁を建設、 1255ミュンツエンベ゙ルク家の断絶でファンケンシュタイン伯へ、
 1304 ファンケンシュタイン伯はフランクフルト市内法を授与、1418 ファンケンシュタインの絶滅後ゾムス家へ、
 1500 城は最後の拡張が行われた、  1906-10 ヘッセン・ダムヌシュタット大公国に併合。

2.市壁  0.35km 0.78

   町の北部に、城壁と市壁が残されている。

3.塔  0門2塔

  市門は、交通障害のため19cに全部壊された。
 泥棒塔 Diebs Turm (13c) 北西の角に直径5mの円塔があり、一時刑務所
   であった。
 コウノトリ塔 Storchen Turm (13c) 町の東に直径6mの屋根なし円塔がある。

4.見所  C

  丘に聳えたつ城壁の迫力は大きい。旧市街地には17-18cの木組の家が多い。
 市庁舎 Rathaus (1551-54) 細長いマルクトの南側に立つ切妻のある上階木組
   の建物で、屋根の上にコウノトリの巣台がある。中央のアーチ門には屋外階段がある。
  Burg Muenzenberg (1165) 12cのロマネスクの部分は、内輪壁・東天守閣・南
   部宮殿・外輪壁です。12cの宮殿東門は、ゴシック後期に再建された。13c中火事に
   会い部分的に破壊されたが再建され、西天守閣が建てられた。1255ミュンツエンベ゙ルク
   家の断絶で、13c終わりにハナウ1/6,ファルケンシュタイン5/6に分割された。1500までは最
   後の最後の拡張期で礼拝堂・台所・第2周壁がつくられた。ソルムス伯から城の南側
   に出て定住した。1806ヘッセン・ダルムシュタット大公国へ、1937ソルムズ伯からヘッセン州に所
   有者が変わった。
 プロテスタント教区教会 Ev.Pfarr Kieche (1490) 旧墓地の古い壁に
   囲まれた教会は、町の創成期からのロマネスクの建物であった。13c中に小さな礼拝
   堂は中世の塔と身廊が建てられた。13c洗礼盤・15cゴシックの十字架・バロックの説教
   壇が内部にある。
 木組の家 Fachwerk Haus(17-18c)火事で焼けて17-18cに再建が続いた。
   街並みは精巧な木組と漆喰仕上で美しく整備されている。

5.町の略図

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ナウムブルク Naumburg(Hessen) h73

5.写真

市庁舎 南壁
南壁 クレッセンティウス教会
エルゲンベルガー搭 ラッツケラー

1.歴史

 1170 マインツ大司教の文書で初言及、    1207 地元の領主による城の建設、
 1260 都市権が授与され市壁を建設、1266公爵ポッポは城・町をマインツ大司教に売却、
 1384 レアテノングスハウゼンの騎士に町を契約、   1402 強力な要塞でロシア軍に抵抗、
 1544 短期間ヘッセン方伯によって新教に、 1588 マインツ大司教に返され再びカトリックへ、
 1626 ブランズウイック侯爵に征服され廃墟に、 1684 この世紀3度目の大火事で全焼、
 1807-13 ナポレオンのヴェストファーレン王国の中心に、      1866 プロイセンに帰属。

2.市壁  0.13km 0.15

   1260に都市権を得て市壁が建設された。市壁の南部の An der Mauerには、
  風格のある高さに保持されている。

3.塔  0門0塔

   市壁には、要塞3市門と5防御塔が在ったが、交通障害のため1825に市門と
  幾つかの防御塔がこわされ、今は見当たらない。

4.見所  C

    旧市街は1684の大火事の後に建てられた、彩り豊かな木組の家並みが良
   復元・保存されている小さな町である。
 市庁舎 Rathaus (1911) 町の自治の体現してマルクト広場に歴史的な市庁舎が
   あった。その古い木組の建物は1883に取り壊され、1884守衛所付の消防用具置
   場がその敷地に建てられた。1911にカトリックの国民学校が新築された。
   1968学校制度の再
   編の後で、市庁舎は再び歴史的な場所に戻った。
 選帝侯会計局 Kuafuerstliche Rentei (1386) 教会と城門の間に、1386か
   ら自由市民会館があった。1517領主の前砦となった。1682ヴァルディック侯爵の所
   有となったが火災で失われた。1682選帝侯の会計局として3階建の建物が新築
   されたが2年後には焼失し、その後今の4階建で再建された。1773に城通りに門
   アーチが建てられた。1802マインツ大司教区の世俗化によって廃止され、その後簡易
   裁判所が収容された。
 カソリック司教区教会 Katholische Stadt Pfarr Kieche (14c) 建物の最も古い
   部分は14c初頭からの物がある。塔地下の外部石積みにはマインツ大司教の紋章と
   碑文がある。1512に今のバロック様式となり、1684大火事の後に聖体拝領3身廊教
   区教会が建てられ、1692ネオゴシックへ改装、1992内部改装が行われた。内部には
   1340のマドンナ像が有名であり、1577まで埋葬された教会墓地には、16-17cの墓石
   が立っている。
 郵便駅 Post Station (1903) 1870以来隣接都市との郵便が開設された。
 新教教会 Evangekisch Kieche (19c) 19c後半に新教徒が流入して、新教の
   教区を1340に設立し、1879に単身廊の教会が建設された。
   1875に運送店は郵便局3クラスに昇格した。1903帝国郵便局は新管理棟に移転し、
   1967に施設は近代化された。1904狭軌鉄道の開通で駅馬車は終わった。
 木組の家々 Fachwerk Haeuser
  Unter Strasse 5 (1904) 道側に広い切妻を持ち屋根裏を含め3階建の角
    構造の建物で、1826にガストハウス・天使、その後ヘッセン・ホフで使われた。
  Unter Strasse 9 (1684) 交差梁を投影する3階建の建物は、1684の火災
    の後に建てられた。交差梁と隅柱には彫刻がある。
  Unter Strasse 29-35 (19c) この町の木組家の最も美しい手本である前
    世紀に建築の制限を示す木骨切妻の統一的な様式を良く保持している。
  Haeuser am RotenRain 絵の様に美しい路地に簡素な小市民ヤギ農家の家
    が並ぶ。
  Aelteste Haus (16c) 最も古い家。1684の火事を唯一生き延びた市壁の
    側の家。
  Burger strasse 20 (1836) ヘッセン選帝侯国は4階建の木造刑務所を建て1843
    側方に増築した。道路側の敷地の壁に元の城門の側の市壁にあった町の紋章
    のある石版がある。
  Burger strasse 18 (19c) 木組の建物は梁構造と窓群の明白な重要性が
    あり、左右対称に積み重ねられている。この地方の19cの擬古主義木組造の
    非常に少ない手本である。一時的に市庁舎として使われた。
  Am Markt 5/em> (1687) マルクト広場に立つ3階建ての木組の家は、角の支柱に彫
    刻されたバロックの支柱があり、家の後部の倉庫造りの横切妻は19cに改良。
  Im Kloster 1 (1685) 1685の直後に3階建で建てられ、旧家畜小屋は地下
    に在る。2翼の表玄関の扉のある彫刻はツタ状の実り豊かな象徴や太陽の車輪
    による民芸の模範である。19c天窓が填められ地階の窓は改造された。
  Kirche Strasse 11 (16c) 3階建木組の建物は、町の醸造所「石道」と
    して1564には初言及された。1819その建物が売られて住家となった。都市再
    開発の一環として側面の増築部分を外して、母屋は修復された。
  Kirche Strasse 美しい木組の家の多い地区で、支柱・垂木の頭・横梁に
    豊かな装飾文様や色付の彫物がある。

5.町の略図

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ネッカースタイナッハ Neckarsteinach  h74

写真

市庁舎 旧役所
シャーデック城 Ev教会

1.歴史

  1142 シュタイナー家の修道院を設立で初言及、  12c後半-1260に4つの城を建設、
 1214 地域はバイエルンのヴィッテルバッハ家に授与された、1219 皇帝フリードリッヒ2世がが所有、
 1330 プファルツへ、   1377 市場権・市壁建設権を授与され、3門の市壁を建設した、
 1527 宗教改革導入、 15c 造船・水運業で栄えた、 1653メッテルニッヒ伯爵が買収、 
 1801ナポレオン軍が占領後、バーデン大公国へ、
 1803 ヘッセンへ、

2.市壁  0.09km (0.31)

   1360-70に市壁と3市門を建設した。市壁が残っているのは、Haupt Str.24-33
に60mと、Haupt Str.5のRindenScheuer東南に30mである。

3.塔  0門0塔

  門塔は見当たらない。1370の市門は、1800まではあったが、すべて撤去された。
    北門はKirchenStr.の石壁には、門の刻印がある。 南門は、HirschGasse.3に
   あった。

4.見所  C

  町の西の山腹にあった4つの城は、シュタインナッハの貴族が1120-1230に建て、ネッカー
   河畔の5km遊歩道で巡ることができる。
 鷹巣城 Burg Schdeck (1230) 切り立った岩山の上に二重の壁に囲まれた塔の
   ある城が、築かれた。1428にマインツ大司教の所有となり、1657メッテルニッヒ家が買い取っ
   て所有した。1753修道院が所有、1803 ヘッセン州の所有となり、今も州所有で19cに
   北塔は八角形になった。
    後城 Hinter Burg (1100) 岩山の上に立つ5角形の複合体で四角い塔が立ち、
   石壁で周囲を囲んでいる。最古の城で、1142に領主は城を拡張した。
   1272にシュペイヤー司教が所有し、1344に放棄した。1426ヘルムシュタット家が所有し改修した。
   1630に30年戦争で破壊され、1803にヘッセン州の所有となった。14cの2岩目の城の遺跡
   が残っている。
 中城 Mittel Burg (1165) シュタイナッハ家から1382ヘルムシュタット家に、1482ヒルシュホルン家に、
   1550シュタイナッハ家が、1803ドリース家がは多くを所有、1910廃墟を国に。最初の城はネネッサンス
   に拡張し、1820-30ネオゴシックで再建され、今も人が住み訪問することはできない。
 前城 Vor der Burg (1200) 1200シュタイナッハ、1407ヘルムシュタット、1625ランドシュット家、1803
   ドーリス家、1910ドーリス家は後部の城を放棄、元天守閣の3階建の城は大部分が住宅に
   なった。1825以降も居住可能で、森林行政の本部の貸与されている。
 市庁舎 Rathaus (1381) 最初の市庁舎はゴシックで建てられ、2番目は1591に、
   3番目は1751にルネッサンスで建てたが、1833蜂の巣の燻製時に全焼し、1835-37にクラシックで
   2階建望楼付きの建物となった。
   プロテスタント教会 Ev.Kieche (1481-83) 10cの最初の小さなロマネスクの教会は、1142に
   シトー派修道院の設立に関連して言及された。教会は丘の上に立ち墓地を含めて高い
   壁で囲まれた。1483にゴシックで 1662-1908はプロテスアントトカトリックの同時教会として使わ
   れた。1777身廊は西に延長され、入口は新しい西の切妻に移された。中には多くの
   碑文と1488のステンドグラスがある。
 カトトリック教会 Kath.Kirche (1908)カトリック教徒の増大に対応してカトリックのネオバロック教
   会が建てられた。1961の塔には4つの鐘があり、1710-20にオルガンが付けられた。
 リンデン納屋 RindenScheuer (18c) ハーフテンバーの切妻の建物で、東側は市壁の古い
   胸壁の高さに合わせている。この納屋ではオークの樹脂が粉砕乾燥され、20年前まで
   ソールと牛皮の鞣しに使われた。
 レストラン・アムプトマン Fachwerk Haus Zum Ambtman(1587)貴族の家で、1900まではトルン
   タクシスの郵便宿であった。1938まで造花工場として使われ、1934-72私有ユースホステルであ
   った。1978個人所有となり、レストランに改造された。
 軒の家 Trufenhaus(1755)書記の家としてバロックで建てられた。貴族風の切妻
   の家。
 レストラン Restaurant Zum Schff()大通りの3階建のホテルレストラン。

5.町の略図

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ノイキルヘン(クニュル) Neu Kirchen im Knuell  h75

写真

旧薬局 市壁
旧防衛塔
マルクト 木組の家

1.歴史

1124 ハースフェルト修道院の文書に初言及、  1254 村の教会はハイネア文書に言及、
14c中 伯爵ヨハンは事務所を開設、        1360 村から町に昇格の文書、
 1368 都市権が授与され、1396 市壁の完成、  1533 大火災で町の2/3が焼失、
 17c 30年戦争の略奪や火災で町は損傷、1807-13 ヴェストファーレン王国の州に属した、
 1971-74 周辺の町を併合。

2.市壁  0.31km 0.49

   1396市壁の完成。貿易と流入で市壁を越えて市街地は拡張した。町の粉引所
   は4ヵ所とも市壁の外にある。南半分に多く市壁が残る。

3.塔  0門1塔

   3市門は、交通障害のため19cに全部壊された。
 泥棒塔 WestTermerstuebchen (16c) ニコライ教会の4階建の四角い西塔は、高
   さ36mで132段の階段を上がると塔守の部屋があり、家族の生活が覗ける。この
   部屋の眺めは素晴らしく、この部屋での結婚式は100ユーロでできる。

4.見所  C

   赤ずきんちゃんの町として、おとぎ話の家もあり、まだ年配女性は民族衣
   装を着用している。マリクト広場とその周辺の歩行者ゾーンは美しく修復された木組
   の建物が立ち並んでいる。
 聖ニコライ教会 St.NikolaiKirche (1142) ハースフェルト修道院の文書に言及された。
   数年後に後陣が建てられ、1350頃都市権が授与されて、左右対称2身廊と塔の
   下に後陣が付けられた。1497に3階建ゴシックの拡張と再形成され、南戸の上に年
   号が刻まれている。1526ヘッセン改革導入以来強力な防衛塔が構築された。
 郷土博物館 Heimart Museum (1768)木組の旧ラテン語学校に、街の歴史・古い教
   室・先史収集物・製粉所・石工作業場・シュバルムの衣装等を展示。
 おとぎ話の家 Maerchen Haus (16c)3階建の木組の建物に150年前から、お
   とぎ話の場面やおもちゃを見せている。

5.町の略図

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ノイシュタット(ヘッセン) Neustadt (hessen)  h76

写真

市庁舎 旧市庁舎
教区教会 スンカーハンゼン塔
南市壁 北西市壁

1.歴史

 1250 ツイハーゲン家ニーダ伯がノイシュタットを創設、  1270-71 ニーダ伯は城を建てた、
 14c この町はヘッセン方伯とツイーゲン伯爵領地の真中にマインツの飛地として横たわった、
 1294 ニーダ伯は城と町と事務所をマインツ大司教区へ、1464 町は質入れを拒否した、
 1500 オーバーヘッセンの領主の死後ニーダーヘッセン(ヘッセン・カッサル)へ統合、
 1802-03 町はヘッセン・カッセル方伯領となり、旧選帝侯領を統合した、
 1806-13 ヘッセン・カッセルに属しナポレオンのヴェストファーレン王国の行政の場であった、
 1866 プロイセンの一部となった。

2.市壁  0.06km 0.11

   中世の市壁は殆ど残っていない。

3.塔  0門1塔

 ユンケル・ハンセン塔 Junker Hansen Turm (1480) 2階建石造円塔の上2階は木
   造で、世界最大の木枠構造である。直径16m高さ50mの大きさで、外側に多く
   の小尖塔のある屋根が付いている。軍の建築家により、市壁の要塞塔として
   建てられた。
 旧モンベルク門 Ehem.Momberger Tor (13c) アルスフェルト方向の市門として付随す
   市壁があったが、1830門は取り壊された。

4.見所  C

   周囲500mばかりの小さな町で、木組の家が混在している。市庁舎と塔が
   有名である。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (13c) 町の創設時からの基礎の上に建てられ
   た2階建の木組の建物で、1950まで市庁舎として使われた。
 市庁舎 Rathaus (1260) 元城として建てられ、16cには拡張された。豪
   華な修復が行われた3階建上階木組の建物は、1950から市庁舎として使われ
   ている。
 カトリック教区教会 Kath.Pfarr Kirche (1506) 焼けた聖ヨハネ教会の基礎の上
   に建てられた。 宗教改革でカトリックとプロテスタントの双方の礼拝の場となった。
   戦災会い部分的に破壊されたが再建され、西天守閣が建てられた。
 ブルジック (1545) Reinhard Schenek Zu Schweinsbergの城跡に2-3階建石
   造上階木組の複合建物が建てられた。
 ブルジック・ラーヘナウ () 中央から来たヘッセンの貴族で3階建木組の建物を建て、
   ラーヘナウの城代が住んだ。
 リンシンゲン城 Burg Rinsingen () 元リンジンゲン家の城として2階建の木組の
   建物が建てられ、その後他の貴族が住んだ。
 エルン・テヌスに家 Ern Tennes Haus (1700) 2階建木組の建物で、一つの屋
   根の下に居住区域と納屋区域が一体化されている。
 小学校 Schule (1890)この町で最初の大きなレンガ造の建物で、木組の
   建物が付けられ、長年にわたって学校として使われた。

5.町の略図

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ニッダ Nidda   h77

写真

旧市庁舎 市庁舎
マルクト広場 マルクト広場
市教会聖霊 北壁

1.歴史

 1104-1206 ニッダ伯爵の治世にフルダの代官となり城を築いた。
 1206-1450 ツイ-ゲンハイン伯爵の治世、    1273 ニッダは町として記述された、
 1311 ニッダの都市特権をツイ-ゲンハイン伯爵が確認、1450 伯爵の死後ヘッセン方伯領へ、
 1604 ニッダはヘッセン・ダルムシュタットへ、 水城はルネッサンスの宮殿へ、
 1622 30年戦争で大被害、       1756-63 7年戦争で仏軍の占領被害、
 1806 ヘッセン・ニッダ大公国の創設、       1822 ニッダに郡庁舎が置かれた、
 1848-52 行政改革で短期間城に地区事務所、1852 ニッダ郡の新設、
 1870 ゼーリンゲン郡に併合された。

2.市壁  0.04km 0.07

   14cの市壁は北の市図書館の北に残るのみである。

3.塔  0門1塔

 ヨハニッター塔 Johanniter Turm (1491) 8cのヨハニッター騎士公管区の残りであ
   る。この塔はその後のヨハニッター教会のロマネスクの身廊に1491に建築された。塔に
   は古くて美しい3つの鐘がある。1780教会は最終的に破壊された。

4.見所  C

   マルクト広場には、前面切妻木組の2-3階て美しい建物が並んでいる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1811) 3階建古典主義の寄棟屋根の飾り気の
   なのない鐘楼のある建物。地階には3アーチが並ぶ。1982新市庁舎が宮殿通に
   建てられ移転した。
 ニッダ宮殿 Schloss Nidda (1104) ニッダ侯爵ベルトルトは水城を築いた。
   1450ヘッセン方伯の所有となり、16c中にルネッサンスの城が建てられた。その後城は
   行政区や郡の事務所を務め、1874解散され、地方裁判所となり2010迄使わ
   れた。
 旧町の旅館 Ehem.Stadtwirtshaus [ZumSteru] (1632) マルクト広場にある
   印象的な3階建上階木組の切妻屋根の建物で、町のゲストハウスであった。隣の
   市庁舎が1811に古典主義で建て直され、1983迄使われた。今は旧市庁舎と
   旧町の旅館は歴史博物館となっている。
 市教会聖霊 StadtKirche Zum Heiligen Geist (1321) ヘッセン最古のホール教
   会は礼拝堂として建てられ、1615-18にルネッサンスで建て直された。完成後まも
   なく、塔と教会の石工の部分は更新せざるを得なかった。
 古い病院 Altes Hospital (1680) バロックの豊かな装飾の全木組の2階建
   の大きな建物は、文化遺産である。
 住家 Wohnhaus (17c) 3階建切妻屋根全木組の美しい建物。

5.町の略図

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ニーデンシュタイン Niedenstein  Windecken h78

写真

市庁舎 牧師館
魔女塔 ヴィッテン城内門

1.歴史

 1254 ニーデンスタイン城を初言及、        1259 ニーデンスタインの新町の設立、
 1554 400人87所帯が居住、1578方伯ヴィルヘルム4世は年2回の市場開催権を付与、
 1631 30年戦争の略奪と焼払い      1648 戦後住んだのは4人だった、
 1807-13 ナポレオンのヴェストファーレン王国に属す、    1834 住民は630人だった、
 1880 人口の22%はユダヤ人が住んだ、 1775-83 アメリカ独立戦争に兵士が参加、
 1816 ヘッセ・ナッソーはプロイセン王国に併合、         1939 住民630人。

2.市壁  0km 

   旧市街地を取り巻くWall通辺りに、防御施設が在ったと思われるが、
  見当たらない。土堤で守ったかも知れない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  B

   山腹の斜面に小さな町が静かに佇んでいる。自然探索の基地の町。
 市庁舎 Rathaus () 旧市街の外に立つ屋外両階段の高い石基礎の2
階建木組の建物で、屋上にコウノトリの巣台がある。

プロテスタント市教会 Ev.Stadt Kirche (1777) 塔のある小さなネオゴシックの
ホール教会で、1830のオルガンがある。
 ニーデンスタイン城 Burg Niedenstein (1728) コンラッド2世が城を建て、1387
マインツ大司教アドルフ2世は軍隊で城を破壊した。その後部分的に再建されさ
れたが、放棄され1631には完全に破壊され、何も残っていない。
 市博物館 Stadt Museum ()町の歴史的な発展経過を展示。

5.町の略図

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オーバーウアゼル Oberursel taunus h79

写真

市庁舎 病院教会
マルクト広場 アッカー路地

1.歴史

 791 ロルシュ修道院の文書に男爵寄付の言及、  1444 男爵は都市権を付与、
 1446 市壁の完成、1481 東市壁の拡張、 1535 シュトルベルク侯爵の支配下へ、
 1557 ヘンリックスが印刷会社を創立、  1581 マインツ選帝侯の郡となり反宗教改革、
 1622.45 30年戦争で2回の略奪と焼払い、 1803-06 世俗化でオーパーウルゼルへ、
 1866 プロイセンに併合された、1858 綿貿易工場の設立、1945 米軍占領ヘッセンへ、
 1837 住民は610人、 1880 人口の22%のユダヤが住んだ、 1939 住民630人、
 1975 旧市街の修復を開始。

2.市壁  0.13km 0.11

   1446の市壁完成後に町は発展し、1481東側の谷へ約3倍の広さを囲んで
  新市壁を設置した。古い市壁の部分にわずか残る。

3.塔  0門0塔

  見当たらない。

4.見所  B

   1970から崩壊しそうな建物の復元が行われ、絵のような中世の家並みが
  再現されている。毎年復元住宅の中で優秀な建物を選んで表彰している。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1479) 新市街のマルクトに面して、地階アーチ上
階木組の市
   庁舎が建てられ、30年戦争で1622に焼失し再建したが、町と共に再び焼失
   した。1659縮小して再建され、階段の下には20人の拘置所が置かれた。17
   02日時計が付けられた。1933-24に修復され、評議員室は町の催物や結婚式
   場にも使われた。南東の市壁外に新市庁舎は1985に移転した。
  教区教会聖ウアゼル Pfarr Kirche St.Uraula (876) 聖アウルステ修道院が言
及され、1160-80に教区教会を建てた。鐘楼には4つの鐘がある。
 病院教会 Hosoital Kirchen (1728) カトリック病院の教会は、マインツ大司教に
よって聖バーバラに奉献された。
 フェアタウヌス博物館 Vertaunus Museum (1500)ケルトの初期からの歴史として小
城や砦を展示している。1500最古のアーチ天井のセラーがある。1705この不動産を
購入し18cには長い建物が建てられ、19cには旅館や石鹸製造所に使われ、
1826醸造所が中庭の南西部に建てた。1912町が購入し博物館にした。
 バロック宮殿 Pfeiff Barok Plais (1722) 石造腰折れ屋根建物の建物は裁
判所評議員Pfeiffの家として建てられ、後にゲストハウス、今はレストランである。
 宿屋:鷲 Gasthaus Zum Adler 2階建・屋根に小切妻のある大きな建物。
 下工場 Unter Muekle (1538) 2階建の不規則な屋根の工場で、石工工場
とも呼ばれ、1962まで稼働した。今は住宅。
 旧病院 Altes Hospital (1668) 2階建の木組の建物で、市民団体が建て
た。1851増築され1976改装された。
 旧学長の家 Ehem.Rektonathaus (17c) 2階建木組の家で、1820まで学長
の家とラテン語学校であったが、今は住宅である。
 住宅と納屋 Wohnhaus und scheue (17c) 2階建切妻屋根の木組の家。
 館施設 Hof Anlage (1656) 30年戦争後に建てられ、その家族が所有し
た。家は18c以来大きな変化を受けていない。2013に改装された。
 ウルゼル川の水車 Muehlen am Urselbach () タウヌス山からフランクフルトのニーダ川ま
での11.4kmに42ヵ所の水車があり、今でも20基の水車小屋が建っている。
   この動力で各種産業が動いた。水車巡りのパンフレットがある。

5.町の略図

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オルテンベルク Ortenberg Oberhessen  h80

写真

市庁舎 旧市庁舎
マルクト 上門
円塔 南西壁
南東壁 東北壁
西壁 西壁

1.歴史

 10c グラウブルク辺境伯領のオルテンブルク裁判所設置、 1166 地元貴族の支配、
 13c 城が建てられ、都市権と市場権を付与、1266 市民が証明され、市壁建設、
 13c末 町は市壁と門・塔の完成、  裁判所の管区、  3人の領主の共同統治、
 1422 町の会計にKalteMarktが出現、  1601 共同統治から分裂した、
 1634 30年戦争で町と城は破壊された、1736 ハウナウ侯爵の死後ヘッセン・カッセルが継承、
 1622 30年戦争で大被害、     1756-63 7年戦争で仏軍の占領被害、
 1810 ヘッセン大公国に属し、1832ニッダ郡に含まれた、1842 門と架構は除去された。

2.市壁  0.53km 0.61

   13cの市壁は主として北東に残っている。

3.塔  1門0塔

 上門 Ober Tor(1266) ゴシック4階建四角錐屋根の角塔で北東の山頂に位
   置し、接して市壁がある。

4.見所  C

   山腹の斜面にまちがあり、最上部に城と教会がある。18cからの多くの木組
   の建物が旧市街地に存在する。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1500) 2階建上階木組切妻屋根の角鐘楼付きの
   建物が階段の上に立っている。1605-08に壊され、1980に復元された。
 オルテンベルク城 Burg Ortenberg (13c) 1624-27に城は再建されたが、30年戦
   争で壊され、1775に古典主義で再建された。
 新教教区教会聖マリア Ev.Pfarr Kirhe St.Marien (13-14c) ゴシック3廊のホール教
会で、1368塔・1385-1450身廊に建てられた。花の天井画、15c3部構成の祭壇画
(本物はダルムシュタット地方博物館に展示されている) 。

5.町の略図

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ペッターヴァイル Petterweil Karben  h81

写真

旧公民館 歴史博物館
Ev牧師館 ゾルマー館

1.歴史

 780-802 フルダ修道院が所有、 801文書初言及、 1253上ペッターヴァイル村は消滅、
 1390フルダ修道院から村を取得して城を築く、1390村に堀で要塞化された城を建設、
 1419 カイン伯爵が村を所有、1461 ゾリチス伯爵が所有、 1816 ヘッセン大公国に属した、
 1821-53 グロース・カルベン地方裁判所の管轄に、  1972 州法でカンベン市に併合、 

2.市壁  0.05km (0.07)

   

   1390村は上下の2門と3塔と堀によって守られていた。Alteheer Str.-Am
   DikenTurm AlteHaiinGasseの交点は中世の村の要塞の南端であった。
   1934下水道工事中にOberTorからPickenTurmまでの地下道が発見された。
   市壁の基礎部分らしき構造物が見られる。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

 旧市庁舎 Ehem.Gemeidehaus (19c) 1865-1970は市庁舎として使われた。
   旧城の門の外に建てられ、評議会室・整備室・刑務所・として使われた。
   1970カルベンの統合された後は、地域のボランティアの消防控室として使われ、1994に
   消防署となった。建物は2階建の長方形で平らなテント屋根が乗っている。
 聖マーチン教会 St.Matin Kirche (9c) 800に最初の礼拝堂が木造で建てられた。
   フルダ修道院が所有していたこの修道院礼拝堂は周辺の町と共に教会として機能
   していた。1200-50に礼拝堂はロマネスクの建物になった。西側のアーチポータルは今も存
   在し聖水盤も保存されている。宗教改革でプロテスタント教会となり、30年戦争で壊
   滅した。1653に前の教会を偲んで細長いホール教会として再建された。
 新教牧師館 Ev.Pfarr Haus (18c中) 2階建の牧師館は聖マーチン教会牧師の住
   居として西の端に建てられられ、今は教区の集会場である。
 ゾルムス館 Solmsscher Hof (13c) かっての農場の中庭に立ち、フルダ修道院か
   ら1352にアルンスベルク修道院に引き渡された。

5.町の略図

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ラウシェンベルク Rauschenberg  h82

写真

市庁舎 市教会
林務事務所 宮殿門
クラフト門 西市壁
南西市壁 南市壁

1.歴史

 1260 フルダ修道院の城を建てた、      1266 火事で集落はほぼ全焼、
 1266 ツイーゲンハイン伯爵は憲章を授与し町を再構築、 1450 ヘッセンの郡に含まれた、
 15c 城は狩猟用ロッジに拡張、      1594-97 伯爵の城となり拡張された、
 1639 30年戦争でスエーデン軍が略奪、             1649 城を破壊、
 1806-13 ナポレオンのヴェストファーレン王国の統治本部が置かれた、1932まで地方裁判所、
 1971 ヘッセン州の改革で町は合併。

2.市壁  0.19km 0.35

   古い連続背面アーチの高い市壁は、町の南西に残っている。

3.塔  2門0塔

 宮殿門 Schloss Tor 北、アーチの上に石造1階建が乗った簡素な門。
 クラフト門 Kraft Tor 裏側アーチの市壁に、出入りの門が開けられた。

4.見所  C

   市庁舎周辺の旧市街地には数百年前の多くの木組が立並んでいる。
 市庁舎 Rathaus (14c) 3階建木組切妻の建物で、屋上に大きな鐘楼と
   コウノトリの巣台が乗っている。
 市教会 Stadt Kirche (13c) 最も古い部分は13cの西側の地下部分であ
   る。1450ゴシックの内陣を含めて延長された。ゴシックの祭壇画・15c北壁の三日
   月母子像は有名。
 大司教館 Metropolitanei (16c) 市教会の下の斜面に、3階建木組の大
   きな旧牧師館の建物がある。
 城家来の家 Burgmsnnen haus (16c) 18cまで城の家来の居住地であっ
   た。6窓軸の大きな建物でコーナーには、2-3階に出窓がある。裏側には2階建と
   3階建の建物が立っている。
 ラウヘンベルク城 Schloss Rauschenberg (11c) 1271伯爵の死後は未亡人が住
   んだ。1450ヘッセン方伯が所有し、狩猟ロッジとした。1594-97ヘッセ伯の城となり拡
   張された。1639スエーデンが占領し1646に破壊された。1830放置され、僅か建物
   の基礎が見える。
 旧林務官事務所 Alte OberFoerstorei () 2階建の木組の建物に納屋が
   付いている。

5.町の略図

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ライシェルスハイム Reichelsheim   h83

写真

教区教会聖ラウレンティウス 東北壁・魔女塔
防御塔 東壁

1.歴史


 817 入植地として初言及、          中世後期 ハウナウ貴族の支配、
 15c 堀・壁・塔で町は守られた、1566町はナッソーの飛地でヘッセンダルムシュタットに囲まれた、
 16c その後町はナッソー・バイルブルク伯爵領に属した、   17c 30年戦争で町は崩壊、
 1627 疫病が再流行、         1653-59 魔女裁判で58人が処刑された、
 1665 伯爵フリードリッヒは都市権を買取り、 1668新しい都市権を授与した、
 1787 ライフェルスハイム事務所が町に置かれた、   1866 ナッソーはプロイセンに併合された、
 19c 事務所はヘッセン大公国に追加され、ヘッセン・フライベルク郡に位置付けられた。

2.市壁  0.05km 0.06

   15cには町は市壁と堀に囲まれ、市門と7壁塔で守られた。今は殆ど市壁は
  は見当たらない。

3.塔  1門3塔

 西門 Westlische Tor(15c) 西に石積アーチ門があり、近接してコウノトリ塔が
    ある。
 コウノトリ塔 Storchen Turm (15c) 西に石造4階建の大円塔で屋根がない。
 防御塔 Wehren Turm (15c) 東南隅に屋根のない円塔がある。
 魔女塔 Hexen Turm (15c) 東北隅の屋根のない円塔である。

4.見所  D

   木組の建物は残っているが、特徴のある家は見当たらない。
 市庁舎 Rathaus (1578) 2階建腰割れ屋根の建物で、6角形の階段塔がある。
 教区教会聖ラウレンティウス Ev.Pfarr Kirhe St.Laurentius ()

5.町の略図

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ローゼンタール Rosenthal  h84

写真

 
市庁舎 教会堂
教会

1.歴史

  959オットー大王は息子ヴィルヘルムにヘッセン州を与えた 1327マインツ大司教はマインツの都市を建設、
 1343早期に都市権を授与、14c ヘッセン伯との戦いで村の住民はローゼンタール城に逃げ込んだ、
 1464 ローゼンタールはヘッセンに移り市場開設 1495 火災で全焼、30年戦争中も何度も焼けた、
 1655 市教会の再建、1658 市庁舎再建の資金を調達、688 ヘッセンで最後の魔女火刑、
 1806-13ヴェストファーレン王国はローゼンタール郡を管理、1866ヘッセン選帝侯全体がプロイセン王国に編入、
 1970 州改革で周辺を統合。

2.市壁  0.04km (0.07)

   1340のローゼンタールには、城と市壁があり、上門・魚門・ダム門の3市門があり、通り
名で残っている。長方形の市壁は14cに築かれ、17cには姿を消した。一部市壁の基礎
が残っている。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

    ヘッセンで2番目に小さな町であり、多くの木骨造の角のある建物や古く狭い路地
が残っている。
 市庁舎 Rathaus (14c) 3階建中央突起の腰折屋根市庁舎は、火災や戦争で壊さ
れ、1657から資金を集め、19cに中世の形で再建された。20cにも復元されている。
 市教会 Stadt Kirche (14c) 1495に火災で焼失し1518に再建されたが、30年戦争
   で破壊された。現在の教会は,14cの後陣に赤砂岩の身廊と尖った搭の外観で1655に
再建された。
 ローゼンタール城 Schloss Rosental (14c) 1327マインツ大司教は、ヘッセンとの境界に町を
   設立し城で守り、1343には都市として初言及された。町と城は拡張され、1464ヘッセンの
所有となった。
    1495の火災や30年戦争などで損傷を受け、1647には一部が崩壊し、1690からヘッセン方
伯の下で城跡に事務所管理棟が建てられた。17cには、城は城壁と共に姿を期し、残
骸しか残らなかった。
    今は1699のヘッセン時代の管理棟のみがHofreiheとして残されている。1831に建てられ
た校舎は、Alte Schle Rosentalとして博物館となり、昔の城の歴史を展示している。

5.町の略図

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ロスドルフ Rossdorf Amoeneburg市内  h85

写真

市庁舎 教会

1.歴史

 12c マインツ大司教は山に要塞を築いて周辺支配、  17c 30年戦争で数回略奪、
 1621 ヴォルフェンビュッテルが占領し防御修復、1640帝国軍が 1646 スエーデン軍が征服、
 1756-63 7年戦争で仏軍が占領支配、      1803 ヘッセン・カッセル郡となった、
 1866 プロイセンが併合。

2.市壁  0.17km 0.09

   教会を取巻く古い壁がある要塞の村であった。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   アメーネブルク市内の南西にある村であり、バロックのカトリック・マリア降誕教会が、創設
  275周年を迎えた。
 マリア降誕とヨハネ教区教会 Kath.Pfarrkirche MariaGeburt und Johanes der Faeufer
    (732) 教会の周囲は古い壁で囲まれ要塞教会であった。1732バロックに改装され
   た。1762仏は7年戦争で多くの墓を建てた。
 旧学校 Alte Schule (13c) 2005に再建された。24地区のカトリックの衣装のコレクションが
   ある。

5.町の略図

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ローテンブルク Rotenburg a. Fulda  h86

写真

マルクト広場 教区教会
上門の壁 魔女塔
市民塔 西壁

1.歴史

 769 ハースフェルト修道院にアボットが贈与、1074 ヘンリー4世はサウソン人に対し軍隊派遣、
 1150 山にローデンブルク城の建設、1180-30ルードビッヒ方伯は市場・鋳造・税関権を付与、
 1212 オットー4世は町を破壊、   1219 町は都市の全権利と義務を文書で言及、
 1290 町は市壁と門を更新、   1340 新しい町を独立した自治体として創立、
 1478 大火災で町・城は焼けた、1570 方伯ヴィルヘルム4世は宮殿に南翼・厩舎を増設、
 1601 堰を設けフルダに舟運開始、       1607 旧市壁と新市壁を結んだ、
 1627 30年戦争中に君主の住居となった、  1648 人口は男54人女18人に減少、
 1750 コンスタンチン方伯は宮殿をバロックで再建、    1859 637人の住民が住んだ、
 1945 鉄橋破壊、米軍進駐。

2.市壁  0.30km 0.50

   12-13cの市壁は 主として西と東側に残っている。

3.塔  0門2塔

   かっては4門6塔があったが、2塔は残っている。
 魔女塔 Hexen Turm (13c) 東、3階建五角錐屋根の円塔で、一時刑務所と
して使われた。1668塔の中に1年間最後の魔女が住んでいた。囚人は床の穴を
   通じてロープで降ろされた。
 市民塔 Buerger Turm (13c) 魔女塔と同じ構造で同じ用途に使われた。
 上門 Ober Tor (1200) 1290に改築されたが1830に壊され、今は市壁に説
明板があるだけ。

4.見所  C

   古い市街地である北西部に対して、1340南側に新市街地が創設され、個別
   に統治された。1687双方が一体化された。フルダ川沿いの3階建の木組の建物は
   見事である。
 市庁舎 Rathaus (1597-98) 古い建物に代わって3階建の市庁舎が建てられ
   たが30年戦争で完全に焼失し、1637木組切妻の庁舎が建てられた。その後
   ルネッサンスのポータルとなり、2重バロック階段が付けられた。
 ローテンブルク宮殿 Scholes Rotenburg (1470) 方伯ルードヴィッヒ2世はBurgの近くに
   ロマネスクの宮殿を建て、1478に焼けすぐ再建された。 1570-1607に新たに
   南翼と厩舎など付属建物と宮殿公園を建設した。1790には再構築された。
 聖エリザベスとメアリー教区教会 Pfarr Kirhe St.Elisabeth und Marien (1371)新
市街
   のエリザベス病院に、1371-79の最初の教会から2合唱団・塔の下部・2身廊のベ
   ース壁が残っている。1484-1501の次の教会は3身廊の教会ホールがたてられた。
   1651の方伯の墓は北塔の1階にあった。1822-92に西の半円形後陣・高架南
   塔・ゴシックリバイバルの教会ホ-ルが建てられた。
 フルダ川の堰 Fulda Wehr und Schleuse (1600) ヘッセ・カッセル方伯モーリッツは堰と水門
   を構築して、1601からフルダへの舟運を開始した。発電所やロックもある。
 王宮厩舎 Marstall (1612) 1619には早くも木組の改築が行われた。簡素な
   2階建の砂岩ルネッサンスの門が付き、馬小屋・公爵事務所・職員住宅があった。
 宮廷薬局 HofApothke (1684) 3階建の大きな木組の薬局は、1776宮廷薬局と
   改名した。

5.町の略図

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リューデスハイム Ruedesheim am Rhain  h87

写真

ツグミ横丁 ホテル・リンデンバート
鷲塔 クルンクハーズ邸

1.歴史

  983 ヴェロネ-ゼの寄付でマインツ大司教が支配、 1074 ブドウ栽培と木材ラフティング、
 14-15c 戦いが無くワイン販売と舟運で繁栄、 1803 マインツ選帝侯からナッソー公国へ、
 1818 都市権の授与、         1867 プロセンが併合して地区の中心へ、
 1877-83 山頂にニィーダーヴァルト記念碑建設、    1944、2次大戦の空爆で被害、
 1977 自治体改革により周辺を合併、      2002 ユネスコの世界遺産に認定。

2.市壁  0.06km 0.01

   15-16c円型の市壁の壁は、LoehrStrasseから西へSteinGasseに拡張された。
  西Klumkhards hofの東壁は古い市壁を使用。 北RingMauerに市壁の跡。

3.塔  0門1塔

 鷲塔 Adlerturm (15c) 後期ゴシックの旧市壁の角塔で高さは20.5mある。
   地下に牢があり上部開口部からのみアクセス可能であった。前世紀には旅館「ツム・
   アドラー」として使われ、ゲーテも宿泊した。

4.見所  B

   ワインの町リューデスハイムにはツグミ横丁に代表される賑やかなワイン酒場があり、
   山頂のニーサーヴァルト記念碑やロープウエイからのライン川の眺めは素晴らしい。
 リューデスハイム館 Rudesheim hof (19c) OberStrasseにはフランケンホフ・リッターホフ・
   ベッゼンハイマーホフなどの農場がある。貴族の屋敷として最も美しいのはBroemser
   Hof(1292)であり、ゴシックの礼拝堂や壮大なフレスコ画の広間がある。今は機械的
   楽器の博物館で多くの古い音楽機械がある。
 クルンクハーズ邸 Klunkhards Hof (16c) 美しい2階建の木組の家で、大規模な
   後壁は古い東市壁である。この建物は旧修道院長が、後にはクルンクハード家が所
   有し、この町の古い最高級の建物である。
 ブレムザー城 Broemaer Burg (10c) 以前はライン川近くに位置し、ライン中流で
   最古の城
   であった。12cマインツ大司教が取得し2m以上の厚い壁とアーチで強い城を造った。
   1803大司教が売却し1937まで住居であった。1941町が買い取り、ラインガウ・ワイン
   博物館として豊富な収集物を展示している。
 ボーゼン城 Boosenburg (9c) ロマネスクのタカサ38mの四角い塔だけが残る。この
   城は個人所有のワインセラーで公開されていない。
 エーレンフェルス城跡 Burgruine Ehrenfels(1220) 町の南のワイン畑の中に、通行
   税を有利に取るためにマインツ大司教が建設し、1689に仏軍に破壊された。
 ネズミ塔 Maeuse Turm (10c) この町とビンゲンとの間の中洲にマインツ大司教に
   よって築かれ、上流部を見張って通行税を徴収した。仏軍に破壊されたが、
   1855プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世が再建した。黄色いナズミ塔は1935まで舟航
   通信所所として使われた。
 ニーダーヴァルト記念碑 Niederwald Denkmal(1877-83) 皇帝ヴィルヘルム1世により
   独仏戦争(1870-71)後のドイツ帝国の再確立を象徴する記念碑を建てた。女神
   像は右
   手に帝国の王冠、左手にゲルマニア帝国の剣を持って頂上に立つ。
 カリヨン Glocken Spiel(1684) ドロッセルガッセ城の塔から毎時鐘が聞こえ
   る。元のマイセン磁器の鐘は半時間毎に鳴らされる。
 聖ヨハネ教会 St Johannis Kirche (14c) マルクト広場にブレムガーによって構築
   された。1944空爆で全壊し、1953ライン地方ドライ石積で再建された。中には中
   世の貴族の墓石に肖像画がある。
 中世拷問博物館 Mitte;alterliches Foltermuseum 中世の法の歴史と
   ドイツ魔女狩に付いての展示がある。
 つぐみ横丁 Drossel Gasse 144.5mしかない路地に、古風な家が軒を並
   べ、ワインの造り酒屋とレストランが連なり、大勢の人々で立て込んでいる。
 ホテル・リンデンヴァルト hotel lindenwirt (1610) 3階建でAmeselStrasseを跨い
   で建てられ、中央の階上に時計がある。中にはワインの大樽で造られた部屋。

5.町の略図

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リュセルスハイム Russelsheim  h88

写真

 
市庁舎 マルクト
要塞

1.歴史

 

 6c フランコニア人の入植地となる、       840 ロッシュ帝国の資産となった、
 1275 ミュウレゼンベルク家のヴェルナーが支配、 1323 クロンベルクの騎士ハルトルートへ資産売却、
 1355 カッツネルボーゲン伯ウイルヘルム2世は収入の一部を遺贈, 1399 要塞の建設開始、
 15c  カッツネルボーゲン伯の全権を取得し公邸を置く,1437皇帝シギスムントは都市権を授与、
 1474 侯爵家の消滅後ヘッセンが引き継ぎ、 1547 皇帝カール5世は敗戦後要塞を撤去、
 1560 要塞を再建、1635 ペスト流行、1686 ヘッセン伯により都市権が再更新された、
 1688 仏軍が占領して要塞を爆破,     1862 オペル自動車工場建設、
 1945 空爆被害は受けたが戦後は急速に回復、1976市の博物館を要塞施設に収容。

2.リュセルスハイム要塞 (Festeung) 0.08km  (0.08)

   1399にカッツネルボーゲン伯により要塞が建設された。城壁・堀・5防波堤で旧城の
   周囲に4翼の要塞が1546-47のシュマルカルデン戦争時に完成した。17cの30年戦争中も
   維持されたが、1689のプファルツ承継戦争で仏軍が占領して破壊した。1976に東ロン
   ドルを発掘整備して産業博物館を置いた。

3.オペルヴィレッバートセンター(Opel Villa) 

   要塞の西南にあるオペルの別荘に美術・文化財が展示されている。

4.ベルナ公園 (Verna Park)

   公園の北西の隅には、胸壁のある二階建ての円塔があり、西南にはAlte
  Muehleがある。

4.ベルナ公園 

   

 Ⅾ  今はオペルの大工場を有し、オペルの城下町である。

5.町の略図

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ルンケル Runkel  h89

写真

ルンケル城 城壁

1.歴史

 1159 封土文書で貴族ジークフリート・ルンケル言及、      1230 城に礼拝堂を設立、
 1288 家族紛争の後に領地分割、           1440-48 ラーン橋の建設、
 1543 客としてヨハン4世を城に住まわせた、        1568 宗教改革の導入、
 1622 家族分裂で領土と城から弟を追放、   1634 30年戦争で町と城は破壊、
 1649 城の住宅棟を再建、          1791 最後のヴィート・リンケルの家系、
 1796 町に仏革命軍との戦いが及んだ、         1806 ベルク公国に帰属、
 1806 ウイーン会議でナッソー公国へ、        1824 ヴィート・ルンケル家の支配は終焉。

2.市壁  0.19km  0.40

   記録には:1270市壁の外に共用水車を建設したとあるので、市壁は1270以前
   に築かれた。ルンケルの防御壁(シティリンクは)1900から市壁と呼ばれる東南方向の鐘楼
   と接続している。

3.塔  2門1塔

   東南の四角搭、城内門、城外門はある。新教教会の鐘楼は、昔の市壁の塔が
   使われている。

4.見所  C

   ラーン川を渡ると岩山に上に城がそそり立っている。坂を登ると小さな城広場が
  あり建物が取巻く、通りには17-18cの古い木組みの家が並んでいる小さな町。
 ルンケル城 Burg Runkel (12c) 14c拡張され、1634に30年戦争で壊されたが再建
   され、1718ヴィート侯爵の所有になった。城門は二つの円塔を繋いだ形で入口を固
   め、新教城教会の鐘楼は年戦争中は34と1700に焼失し、1725に付けられた。
 市庁舎 Rathaus (1883-87) プロイセンの郡裁判所として建てられ、1966市庁舎
   となった。
 旧市庁舎 Alte Rathaus (1596) 城広場に、ヴィート・ルンケル伯ヴィルヘルム4世が建て
   後に宮廷医師の事務所となった。1634の火事の後1691に医師事務所が再建され
   た。1787-1965町役場として使われ、今は個人所有である。
 十分の一税納屋 Zehnthaus (19c) 城広場に十分の一税の事務所と倉庫の
   大きな建物が
   のこり、今は消防署とクラブハウスがある。
 新教教会 Protestantische Kirche (1641) 1511の構築され、1634焼失し、
   その場所に新教の教会が建てられ、時計付の鐘楼は古い璧塔が使われた。

5.町の略図

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シャーフハイム schaafheim  h90

写真

 
市庁舎 防御搭
市壁 市壁
醸造所

1.歴史

 817 フルダ修道院の品物リストに初言及、    中世 ハーゲン・ニュツエンベルク家が支配、
 1326 フルダ修道院長は村の一部を、世襲封土としてハウナウのウルリッヒ2世に授けた、
 1368 皇帝カール4世は町に都市権を授与、町は市壁で四角に守られた、
 1404 プファルツ王アルブレヒトは都市権を確認、  1458 ハウナウ領の分割でハウナウ伯爵領に、
 1618-48 30年戦争で略奪・破壊・疫病、          1648 都市権を喪失、
 1736 ハウナウ伯爵の断絶後、方伯フリードリッヒ1世相続、 1806-20 ヘッセン大公国に属した、
 1832-1938 クライス・ディーブルクへ、              1938 ディーブルク郡へ。

2.市壁  0.20km  0.28

   15-16cの市壁は、北の城の付近のシュロス・グラーベンと西のツルム・ガッセに抜け穴のあ
  る市壁があり、1991には一部復元された。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   旧市街地には、市庁舎を中心に多くの木組の建物がある。
 市庁舎 Rathaus (1684) 30年戦争で15cの市庁舎が焼失し、2階建上階木組
   の鐘楼付の市庁舎に建て替えられた。
 旧プロテスタント教区教会 Ehem.Ev.PfarrKirche (1515) 地下部分はその前の1272
   の建物から来ている。1545宗教改革の導入。1570町で最初の学校として使われ
   た。
 プロテスタント教区教会 Ev.Pfarr Haus (1839-41) 新古典派の簡素な建物である。
 シャーフハイム宮殿 Schloss Schaafheim (14c) 最初の城には裁判所と絞首台があ
   った。1404拡張されハウナウ伯爵の住居となった。30年戦争で壊され1625迄は住んだ
   が放棄された。城の遺跡は物見櫓や兵舎として使われた。19cに2塔と外壁が残っ
   た。刑務所と事務所として使われ、1820事務所の廃止で1825には取り壊された。
 旧聖歌隊管理者の家 alte Schalgushaus (1601) 高基礎の上の2階建木組の家
   で、切妻美しい。
 夏の家 Garten Haus (17c) 2階建木組の建物で、前面に石積がある。
 農家 Bauern Haus (1500) この町で最古の建物で、2階建上階細かい木組の建
   物。
 農家 Bauern Haus (16c) 2階建マンサード屋根の全木組の建物。

5.町の略図

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シュリッツ Schlitz  h91

写真

 
市庁舎 フォルダー城
後塔 東壁
木組家

1.歴史

  812 ヘッセン・シュリッツの城として初言及、 1404 領主はフルダ僧院を設立、
 1546 宗教改革と30年戦争の後にフルダに、1677 帝国直属となり、1726帝国伯爵に、
 1806 セッセン・ダルムシュタットの領地になった、 1823 リネン産業は栄え176の織屋があった。

2.市壁  0.30km 0.57

   丘の上に、城・教会・市庁舎・貴族の館があり、石積が周囲を囲んでいる。昔の
  市壁は、壁上通路と稜堡を装備し、水を満たした外堀があった。町の住民は集落に
  分離され、集落は壁や包囲罠を配置していた。その後戦術の変更に伴い、防備施設
  の重要性を失って壊され、一方都市権に伴う市場の拡大が求められた。

3.塔  2門1塔

 上門 Ober Tor 城への正門として建てられ、この門は馬車や2頭立てでは通
   れなかった。門の側面端は市壁に造りこまれた。
 下門 Nieder Tor 南坂道の入口門で、今在る砂岩アーチは1930に造られた。1600
   には2つの張出部で守られたツインガーとした。内側ツインガー壁の上に1300醸造所が
   造られ、生産された。
 後塔 Hinter Turm (14c) 城の天守閣として高さ36mの塔が造られ、1906古い
   ひな形に沿って石に蔦を付けて修復された。17cからバロックの側面の蓋が付けられ、
   伯爵の衛兵が詰所として使った。塔はエレベーターで登れるため展望に人気がある。

4.見所  B

   塔のある城が崖の上に造られ、南に接して多くの木組みの家のある旧市街が丘
   の上にあり、ヘッセンのローテンブルクとも言われ、急坂の多い小さな町。
 市庁舎 Rathaus (16c) 16cの石造りの上に後期ゴシックの化粧仕上げの部分がある。
   3アーチの正門と1757のランタンのあるがっしりした屋上小屋がある。市庁舎には市長
   の執務室と大会議室と交通観光局がある。
 新教町教会 Ev.Stadt kirche (816) 昔の聖マルガレータ教会であり、3身廊のロマネスク
   柱バジリカはフルダ僧院長が建て、マインツ大司教が812に聖別した。12c西の四重の船着入
   口は組み入れ、12c塔は嵩上げされ14c八角形になり、17cには30mの高さの塔の頂蓋
   は
   木製であった。13cシュタウヘン家の中央地下墓所と聖器保管室が造られた。
 前方城 Vorder Burg (1181) 6階建てロマネスク住居棟は、1181基礎が置かれ3階建
   て東翼と同じく中世に建てられた。1600西翼、1812バルコニィと階段塔が付けられた。
   両翼の細長い裏側の建物にルネッサンスの切妻がある。今は郷土博物館と町の大宴会場で
   ある。
 後方城 Hinterburg (1493) 元の城壁の一部であった。今の4階建ての建物は
   1561-65に建てられ、1647に改造された。ルネッサンス様式の建築集団が施工し、壮麗な
   破風と八角形の木組み構造の階段塔で飾った。この城は歴史の過程で多くの用途
   となったが中央の建物は1950までゲッツ伯爵財団の老人施設であった。
 後方城の住居棟 Wohnbau der Hinterburg (1553) 住居用建物は1553後方の階
   段塔と共に建てられた。1653木造の床は更新された。
 シャヒツ城 Schachtenburg (1557) ヘッセン軍事顧問の未亡人が建て、17c砂岩の地階
   に2階建の南棟が付けられた。
 オットー城 Ottoburg (1653) 中世の城壁の上に建てられたバロック前面の石造の建
   物で、昔の城壁は地下室に見分けられ、床に石の記念額があり、製造年と製作者
   が分かる。
 ハレ城宮殿 Schloss Hallenburg (16c) 侯爵が居住する2階建ての石造宮殿。耕
   地上の防備されたハレ荘園にあり、16cに拡張された。1706-12フランスの建築家による
   腰折屋根のバロック宮殿が建てられた。1755火災になり1800新しい階を乗せて改築さ
   れた。1954オットー伯爵は城を町に贈った。
 貯蔵所 Benderhaus (1600) 領主の花床と貯蔵所として開設され、公課や農産
   物が貯蔵された。1820まで十分の一税を取り立て、2次大戦後には一部住居に改造
   された。
 醸造所 Brauerei Haus (1585) 1585設立のビール工場は門付の石造の地階に木組
   の上階が乗る建物で、1788に改造された。1876に醸造長の住居になった。
 新教司教館宮殿 Ev.Pfarr haus (1610) 木組の建物の西側が市壁の上に乗る。
   建設者の教区長はフルダの反宗教改革時に3回も司教職を離れた。1647の穀物倉庫
   は1926-27教区会館に改造され、1977には新教教区センターに改造された。
 赤いシリングの家 Rot-Schilling Haus (1772) 亜麻布織と通商で裕福な市民であ
   るシリング家が建てた樫の木組み家で、コケラ葺き化粧付となっている。この豊かな家
   系は、赤・青・白の3系統で18-19cに存続した。
 大雷鳥醸造所 Auerhahn Brauerei (1725) 大雷鳥醸造所は1585別の場所で創立
   され1725に新しい中央醸造所を小川水車の跡に建てた。
 高い家 Hohes haus (17c) 居酒屋。

5.町の略図

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ゼリングスタット Selingstadt  h92

写真

 
市庁舎 マルクト
ベネディクト僧院 ローマ宿
防御搭 防御塔
市壁 防御塔
スタインハイマー門

1.歴史

 815 アインハード修道院寄付証書に初言及、 1000 ベネディクト修道院は40の収入源、
 1028 カトリック教会が市場を開設、    1063 マインツ大司教アンリ4世が修道院を所有、
 13c 皇帝バルバロッサは都市権を与えた、   1346 9都市でマインツ新都市連盟設立、
 1527-28 大司教命令で自治体の解散・権利制限、1631 修道院は略奪・破壊された、
 1803 世俗化で修道院は解散し事務所はヘッセン・ダルムシュタト大公国へ、
 1832 ゼリンゲン・シュタット地区はオッフェンバッハ地区へ編入。

2.市壁  0.34km  0.33

   12cの市壁は、15cに拡脹強化された。Wallとmauer通に市壁の残りがある。
   19cに大部分の市壁は取り除かれた。他に修道院壁590m、墓地壁300mがある。

3.塔  1門3塔

   元は4市門、6壁塔あった。
 スタインハイマー門 SreinheimerTor (1600-04) 4門の内唯一の下門で、4階建アーチ門
   のある角塔で、町側にマインツ大司教の紋章が、外側には1605都市の紋章
   が付いている。
 火薬塔 PurverTurm (1462) 北の隅の2階建塔頂胸壁付きの円塔。
 防塁塔 Bollwerk (1462) 南東の隅の2階建尖塔付きの円塔で、墓地に建て
   られた。
 切株塔 Stumpfaute (16c) 南西の町中のある。3階建円錐屋根の円塔。

4.見所  C

   旧市街地には、古くは15cからの多くの美しい木組の家がマルクト周辺をとり巻
   いている。
 市庁舎 Rathaus (1823) 新古典の2階建の建物に大きな四角の鐘楼がある。
 アインハルト聖堂 Einhard Basilika (830) 修道院教会で、11cの初の建物の西双
   塔に、1240中核が建てられ、18c全半にバロック化された。
 旧ベネディクト僧院 Ehem.Benediktiner Abtei (11c) 最古の建設部分は11cの2
   翼の回廊がある。1200釣瓶井戸が庭にある。1730夏の修道院会堂に11cの部分
   が残る。11cの基礎の上の16cの病院、1685の集会所に1750の漆喰塗がある。
   1686旧僧院・1699新僧院・1547粉挽場があり、周囲には570mの周壁がある。
 パラティウム Palatium (1462) ウタウファー・プファルツの宮殿跡で、市壁が含まれる。
 初等国民学校校舎 Erstes Stsedtischs Schulhaus (1703) 3階建の頑丈な建
   物であるが、床は木造である。学校として建てられた。

5.町の略図

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スパンゲンベルク Spangenberg  h93

写真

市庁舎 聖ヨハネ教会
北壁 フクロウ塔
北市壁 教会通

1.歴史

 1150 最古の教会を建設、    13c トレッフュートの貴族が支配、
 1235 城の建設開始、町と事務所は発展、  1261 町の指定、市庁舎の着工、
 1309 リップシュタット憲章の都市権付与。  1350 トレフューターは城と町をヘッセンに販売、
 1357 カルメル会修道院の設立、     1421 市庁舎の完成、15c 市庁舎建設、
 1530 ヘッセン・リヒテナウの役所を設置、17c 30年戦争の略奪・焼払、18cリネンの生産地、
 19c 製靴工場の発展、        1821 役所はメルズンゲン郡に含まれた、
 1945 空爆で火薬庫と城は破壊。

2.市壁  0.20km 0.21

   旧市街地は、門と塔が9基ある市壁で囲まれていた。

3.塔0門1塔

 梟塔 Eulen Turm (14c) 唯一残った防御塔は、根本的に改修された。
   木製の階段が付けられ、鍵を借りて眺めの良い展望台に登る事ができる。

4.見所  C

   中世の美しい3階建木組の建物が狭い通りに並んだ景観は見事である。い
   くつかの戸はルネッサンスとロココの網で注目される。
 市庁舎 Rathaus () 屋外階段のある、3階建の四角い建物である。
 スパンゲンブルク城 Schloss Spangenberg (1235) Tfeffurt騎士団は最初の城
   を北西の山頂に建て、1350ヘッセン方伯ヘンリー2世に渡した。ヘッセン方伯は狩猟ロッジ
   として250年にわたって増築した。30年戦争時に方伯ヴィルヘルム5世が完成し、
   7年戦争で仏軍が1回だけ占領した。要塞・戦争キャンプ・刑務所などに使われ、
   20cには林業学校となった。19452次大戦の爆撃で破壊され、1960ヘッセン州が再
   建した。今は私所有物として、ホテル・レストランを営業している。
 旧町宮殿 Alte Stadt Residens (1791) リネンの卸売業者ヨハン・ルーカス・シュレーダー
   が店舗兼住宅として建てた。1階はサロン付きポールルームで、2006-08階段改修した。
 教区教会聖ヨハネ Pfarr Kirche St.Johanne (13c) パプティスト・プロテスタント教区
   教会で、13-15cロマネスクからゴシックで建てられた。
 聖エリザベス病院と教会 Ev.Stadt Kirche (12c) 礼拝堂は十字架のフレスコ画が
   描かれ他ゴシックの教会である。守護聖人はチューリンゲンのエリザベスである。
 郷土博物館 Heimart Museum 博物館は城の二つの部屋に収容され、15室
   366m2 に方伯の生活・生活と仕事・鍛冶屋・大工・靴工房・洗濯室等で構成されて
   いる。

5.町の略図

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スタイナウ  Steinau a.d.Strasse  h94

写真

 
市庁舎 宮殿
城門 グリム兄弟の家
マルクト

1.歴史

  

  900 シュタイナウ周辺はフルダ教会が管理、   1273 マインツ大司教はリーネフ伯に勝った、
 1290 ウルリッヒ1世は町に都市権を授与、    1339 マインツ大司教は世襲封土を主張、
 1458 ハナウ伯爵領となり、ミュンゼンベルク伯爵が支配、  1597 宗教改革の導入、
 1736 ハナウ伯の断絶で町はヘッセン・カッセル伯領に、1806ナポレオン軍政下に.1807-10ハナウ侯国に、
 1810 フランクフルト大公国ハナウ県に、        1813 ヘッセン選帝侯国に戻った、
 1866 独・墺戦争後にプロシア領に併合、    1945 2次大戦の空爆で被害。

2.市壁  1.14km 0.76

   14cハナウ領ウルリッヒ2世は、拠点となるシュタイナーのために市壁を建設した。15c急増大
する人口を収容するため市壁を拡張した。残っているのは、1次市壁700m残存率
   0.85と2次市壁1.140m、残存率0.76である。

3.塔  0門6塔

   14cの市壁の塔に加えて、1430外側警戒システムとして4Wartを設け、今も部
   分的に当時の姿が見られる。城門はあるが市門は残っていない。見張塔らしき
   塔が8基見られる。

4.見所  D

   木組みの市庁舎の前のグリム兄弟通りには、木組の家並とグリムの家があり、
   丘の上の城(グリム博物館)とマリオネット劇場があり、見てみたい。
 シュタイナウ宮殿 Schloss Steinau (13c) 中世の城塞のあった丘の上に、16cイタリア
   風初期ルネッサンスの5角形の砦をフイリップ3世が建設を始めた。閉じられた八角形建物か
   ら南翼を開き、門塔が付けられた。1525-28西翼ホールや外部装飾・出窓を構築し、
   1551-53北と東翼は改築された。1571階段塔が最後に建てられた。今は、内部は
   グリム博物館として公開されている。
 厩舎 Margtall (1557-59) 城の正面に在る王立厩舎は、1924人形劇場となり
   グリム童話のマリオネット公演が行われている。
 グリム兄弟の家 Amt Steinau (1562) 地域行政本部として1642-85ハナウ郡、1685-
   1736ヘッセン・カッセルの郡としての行政と裁判が行われた。グリム兄弟の父は、1751-96こ
   の役所に勤務勤務し5人の子供を設けた。1998グリム兄弟の博物館が設立され、グ
   リム兄弟の生い立ちからの生活と業績が展示されている。
 聖キャサリン教会 St.Katharinen Kieche (9c) 最初の奉献は886に行われ、1100頃
   2番目の石造の教会となり、1273塔は据えられた。3番目の教会は1290から既存の
   内陣を中心により高くロマネスクで建てられた。4番目の教会は矩形の内陣を引き継ぎ
   初期ゴシック建築であった。5番目の教会は1481-1511に後期ゴシックで一部古い建物を
   使って再建され、南の通路が追加された。1965教会の機能は、新しく復元された
   教会に戻し、文化的な催しに使うため1981に改装された。
 ラインハルト教会 Reinhards Kirche (1725-31) ヨハン・ライハルト3世の時代に、砂岩で建て
   られた。1929に放棄され、倉庫として使われ、2次大戦で屋根や塔が破損し1962
   -65に修復され、聖キャサリン教会に代わって再度教区教会となった。
 市博物館 Museum Steinau 旧Amtの穀物倉に、町の歴史・住んだ人・陶器製造・
   旅行道具などの展示が、グリム兄弟の家の隣に在る。

5.町の略図

 

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タン Tan Rhoen  h95

写真

市庁舎 野外博物館
市門 宮殿
宮殿 宮殿

1.歴史

 11c終 タン家の最初の城が建てられた、1116 貴族タン家の発言及、1197 町として
  フルダ修道院文書に記載、1541 年2回の市場権を取得、 1656 フランケン騎士団が支配、
  17c 30年戦争で荒廃、 1806 バイエルン王国に属した、 1860 プロイセンに併合、 
  1897 大火災、 1946 ヘッセンに属した。

2.市壁  0.10km (0.12)

   1557-63に、タン家は市壁を強化した。Am Grabenに50mとBrunenGasseに50m残る。

3.塔  1門0塔

  市門 Stadt Tor (1557) 両脇に2階建の釣り鐘帽子の円塔が立ち、中央
   のアーチ門の上に平屋の壁がある。警備室と刑務所があり、門や市壁の歴史・タン家の有
   名人・町の名所などの展示がある。また、結婚式場にもなる。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus (1850) 地階は壁の多い石積で、その上に2階建の事務棟が
   乗っている3階建の建物。
 宮殿 Schloss Tann (1558) 赤、(1574)青、(1699)黄、タンの3家族を示す3
   色の3階建ての長い建物で、構成され町側に八角形の塔がある。宮殿は今でもタン家
   の所有であり、週1回のツアー以外では見学できない。
 十二使徒の家 Elf.Apostal haus (1500) 町で最古の上2階木組の建物で豊な彫
   刻で、地球と拾人の使徒を持つキリストが描かれている。2019に修復が行われた。
オクセンバーカーの家 Ochsenbaecker haus (1529) 扇型のフォトブレースを備えたこの家は
   ニーダーザクセンの影響を示している。石工のマークと碑文がある。この建物はパン屋と
   精肉屋として使われ、20c終わりに修復されて、図書館・インターネットカフェ・書店として使
   われている。
市教会 Stadt Kirche (1886-89) プロテスタント教会は、1879の大火事で焼け、ネオゴシ
   ックで再建されれて塔高は72mとなり町のシンボルとなった。大きな色付きガラス窓
   には、キリスト教のモチーフに加えて、タンに宗教改革を導入したエーベルハルト.タンとマルチン・ルターが左
   側に描かれている。音響効果が良いためコンサートが良く行われている。
 聖ニコラス教会 St.Nikolsus Kirch (1741-46) 古い老朽化した半木造の教会は、
   1741-46にシンプルなバロックに建て替えられ、長い間病院教会であった。2015から芸術
   家の作品が祭壇のニッチに飾られれいる。
マルクト広場 Markt Platz () 中心にはバイエルンのラッケンハウゼン将軍の記念碑と1710砂岩
   の丸い噴水がある。広場の周囲には、18cのタン森林行政の税務署と1877に小学校の後
   に建てられた市庁舎がある。
 野外博物館と自然史博物館 Rhoen Museum Villege und Natural Histry Museum
   野外博物館は、3面の中庭と2面の小道の間に地元の伝統の建物が昔の集落を形成し
   ている。自然史博物館では、ジオラマテで植物園保護区の典型的な風景を紹介している。
   また、魔女狩りの展示もある。
 城門展 Ausstellung StadtTor 側塔にあった刑務所の後に、図解の門と市壁の
   建設の歴史とタン家の有名な人物と町重要な建物、ユダヤ人の歴史についての展示が
   ある。
 <em>鉱物部門と古い鍛冶屋
SteinReich und AlteSchmiede  城の近くの歴史的な
   木骨造の建物に、多くの鉱物や化石が展示されている。建て物の地階には古い鍛冶
   屋と馬蹄鉄や古い工具がある。

5.町の略図

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トレンデルブルク Trendelburg (kassel)  h96

写真

マルクト 城壁

1.歴史

 13c 城はヘッセン郡の国境を守った、1249-1311 コンラッド3世の建てた城に裁判所を設置、
 1303 マインツ大司教コンラッドに援助要請文書、 1306パーダーボルン教区とヘッセン郡カッセルに属した、
 1443.1456 城と町は焼失し再建した、1464 ヘッセン伯ルードビッヒ2世は城を有し都市権授与、
 1648 30年戦争の破壊とペスト流行で人口半減、 1676 方伯カールは城を拡張し狩りの館へ、
 1703 荘園を設立しシュトックハウゼン家が城に住んだ、1756 北方戦争で仏軍との激戦闘地に、
 19c プロイセンの役所が城に置かれた。    1901 シュトックハウゼン家は城を買収して住んだ、

2.市壁  0.10km 0.20

   13cに城の正面の堀に二つの門があり、小さな尾根の東端に城は建ち城壁で囲ま
   れた。城の城壁は残っており、市壁らしき構造物が南側に見られる。旧市街の建物
   は1868に殆ど壊されれたが、町のレイアウトや市壁の跡は当時まま残る。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   丘の上に城と旧市街があり、城は良く保存されているが旧市街に残された古い建
   物は少ない。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1582) ゴシックの入口のある3階建ての木組みの建物は、
   今も市の行政の一部を担っている。2010から大幅な改修が行われた。
 福音協会 Ev.Kirche (14c) 旧聖マリア教会の創成期から左壁部は、1443と1456の火
   災にも残り、3廊ホール式教会として再建された。1789のランタンフードは2007に改装され、
   1889正面玄関は西に移された。聖具室はシュトックハウゼン家の金庫として使われた。2007改
   修で壁画が復元され床が直された。
 トンデンブルク城 Burg Trendelburg (13c) 最高の地点に城は建てられ、歴史に示すよ
   うに城は変遷したが良く保存され、1949ホテルとレストランとして開業している。
 方伯ディーメル工場 Landgraflische Diemel Muehle (1455) 上と下の施設があり、パ
   ン工場が含まれ、水車と配水で水を上に供給していた。今は郷土博物館とカフェに使わ
   れ、キャンプサイトでもある。

5.町の略図

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トレイザ Treysa im Schwalmstadt  h97

写真

市庁舎 市教会
旧マーチン教会跡 魔女塔
西市壁 西南市壁
東市壁 北市壁

1.歴史

 1144 シーゲンハーゲン伯はこの地区を支配、 1186 伯爵の支配で強化、
 1230 方伯トレイザスは聖マーチン教会を設立、 1229-70 都市権を付与され市壁建設、
 1450 シーゲンハーゲン伯の断絶後ヘッセン方伯の領地となった、1640 大火事で被災。

2.市壁  0.54km 0.68

  13cの市壁は、東側を除いて丘の上に残っている。

3.塔  0門3塔

 魔女塔 Hexen Turm (14c) 町の北西の入口にほぼ完全に保存された唯一
   4階建の円塔がある。昔は1階が監獄、門の守衛所で使われた。19cの終わりまで
   屋根が付けられた。
 円形塔 Rondell (13c) 町の北東のトッテン教会のの外側の市壁に大円塔があり
   スタインガッセの門は昔上下の町を隔てていた。門の周りに16-17cの古い家がある。
 殻塔 Schalen Turm (13c) 町の西南部の市壁に半円形の殻塔の切株がある。

4.見所  C

   歴史的な構造物・博物館・木組の町・フェスティバル・周辺の自然などが見所の町。
 市庁舎 Rathaus (13c) 30年戦争のコロアチア軍の攻撃で、1640に2階建の市庁舎
   は火事で焼けた。アーチで装飾されたレンガ造の市庁舎が1651に完成した。その風見
   は町の紋章と完成年号を示している。
 旧教会遺跡 Toten Kirche (12c) 旧聖マーチン教会の遺跡は、ロマネスクからゴシックへ
   の過渡期に建てられ、修復後の堂々たる教会の骨格を示している。広々とした
   教会跡地は催物会場として使われている。すぐ後ろに12cの市壁があり、市壁の
   塔から東の展望が良い。
 精霊病院礼拝堂 Hospital Kapelle (1367) 聖霊教会は中世の貧困者と病人
   のための施設として建てられ、その礼拝堂は小さな六角形の屋根のある単純な
   石造建物である。1560に病院の翼は閉じられた。今は催物や結婚式に使われて
   いる。
 プロトスタント市教会 Ev.Stadt Kirche (1906) プロテスタントの市教会は、修道院とし
   て奉献された旧聖マリアであった。旧ドミニコ修道院は教会の北西に広大な規模で存
   在した。

5.町の略図

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ウージンゲン Usingen  h98

写真

市庁舎 市壁
木組のカルター家 マルクト

1.歴史

  802 フルダ修道院の文書で初言及、1207ディエズ伯爵はマインツ砦と引き換に町を取得、
 1326 ナッサウ家は城を取得、     14c 都市権を取得し5門の市壁が町を守った、
 1659-1744 ナッサウ家ウジンゲンの王子たちが城に住み、宮殿と庭園を拡張した、
 17c 3階の火事で衰退したが、ユグノー教徒を移住されて新しい町を建設。
1817
    ラテン語学校、1851-1927教師養成大学、1886までは公式の席、1972までは地区の町、

2.市壁  0.20km (0.13)

  14cの後半に城と5門を含む市壁が建設された。ヘッセン州記念碑保護法に基ずく州記
   念碑登録の市防御強化のリストは、次の場所に存在する。Wilhelm Str8,
   Kreuz Gasse11,Unter Gasse9,11,Wilhhelm3a,その他教会に南側に市壁を構成する石
   積もある。

3.塔  0門0塔

  見当たらない。

4.見所  B

 旧市庁舎 Altes Rathaus (14c) ゴシック木骨造の元の建物は老朽化し、1687
   にバロック3階建の市庁舎となった。地階は小麦粉の保管庫として使われ、上階は市
   長室・評議会場・事務室として使われた。今は改修され、地下には深さ20mの井戸が
   あり、地下室は博物館となり、地階に市民事務室がある。市庁舎のオーク材の木
   組みはナッソーの赤に塗られている。
 旧宮殿 Ehem.Residenz Schloss (14c) 14cの宮殿は16cに拡張されルネッサンス
   に改装された。周囲の広大な庭園は多くの記念碑がある。ナッソーの住宅宮殿は教師
   養成大学の校舎に使われたが、1873の火事で焼失し、その場所にレンガの校舎が再
   建された。1922にクリスチャンワークスクールとなり、今は国民学校である。
 ラウレンティウス教会 Ev.Laurentius Kirche (1190) 南西の斜面の上にあり、高い市
   壁で守られている。13cの教会は拡張して改修され塔が付けれれた。塔は町の防
   衛塔として設計され、旧市街地の守りに寄与した。1635に全焼し、1651-58に再
   建された塔には、バロックの帽子が付けられた。
 フーグノット教会 Hugunot Kirche (1563-1702) 1692の火事で上町が焼失し、ヴァル
   フート王子の命令で旧マルクト広場を中心に対照的なパターンで再建された。その広場の北
   側にラロシュル教会に類似した形で教会が建てられた。1817には宗教的な役割をやめ
学校に改築された。今は市立図書館と上階の会議室が使われている。
 王子宮殿 Prinzen Palais (1768) フリードリッヒ・アウグスト・フォン・ナッサウ・ウジンゲンは、1768
   2階建のハット・シュナイダー・ホフを買収して、2階建の切妻の家に王子になる1803まで住み、
   その後ワイン商人に売却した。2000までは地区の事務所として使われた。
 元醸造所 Ehem.Brauhof (1664) 前の建物の基礎の上に1740に2階建で建てられ
   た。1855に分割され、長さ38mの西の大きい部分に18cの多くの設備がそのまま保存
   されている。
 リーフリンクの家 Liefrink Haus (1698) 木組みの美しい2階建の建物で、2012からは
   市が所有している。
 旧税関 Ehem.Zollhaus (1735) 1692に全焼した上門の跡地に建てられた税関で
   1900に拡張されネオバロックに再設計された。
 元王宮厩舎 Ehem.Marstall (17c) 他の農場の建物と一緒に、城の南側の中庭
   に面して建てられた2階建ての建物。
 カーターの家 Karter Haus (1540) シトー派修道院スロンの管理者が右の建物と
   共に建てた切妻のある美しい木骨造の建物で、2階の角に人物の像がある。

5.町の略図

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ヴェヒターズバッハ Waechtersbach  h99

写真

   
上門通 宮殿・マルクト
プロテスタント教会 西南壁
南東壁 南壁

1.歴史

 1236 帝国の森監視のため水城を設置、1245家来のチュビンゲン貴族は森を管理、
 1354 ドリンベルクのコンラートは礼拝堂を寄贈、   1404 ヨハニス2世は都市権を授与、
1458 イーゼンブルクのアールズ伯爵は城と町を所有、  1564 魔女裁判が行われた、
 1687 イーゼンブルクのブーディンゲン伯爵はルネンサンス城を拡大再構築した。
 1578 城に醸造所を設置、        1787 エルツシュタット・マインツ大教区へ、
 1866 プロイセンに併合、        1945 2次大戦で宮殿や橋は壊された。

2.市壁  0.19km 0.36

   15-16cの市壁は、町の周囲に建てられたが、今は町の真ん中にあり町は
  大きく発展した。今は南の新墓地と東側の旧墓地の境界に残っている。

3.塔  0門2塔

 ベッツエン穴 Betzenloch (15c) 市壁には小さな円塔が残されている。
 鐘塔 Glocken Turm (1514) 。市壁にあった4階建の四角防御塔は、今
   水城を新教教会の時計塔として使われている。

4.見所  B

   小さな旧市街地の、中心に美しい木組の建物がある。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1495) 2階建切妻屋根の建物で高基礎の上に
   ある。今は郷土博物館で、マルクトでは週市が開かれる。
 旧守衛衛詰め所 Ehem.Pfoertener Haus (16c) 2階建の守衛詰め所で、今
   は交通商工組合が使っている。
 旧イーゼンブルク・ビュディンゲン宮殿 Ehem.Ysenburg-Buedingen Schloss (1236)
   4翼3階建の大きな石造の建物で、両隅に円塔と入口がある。
 王女の家 Prinzessinner Haus (1745) 石造2階建腰折れ屋根の建物で天
   窓が付いている。
 王室厩舎 Marstall (1718) 背の高い平屋の建物。
 会計局 Rentkammer (1735-36) 2階建腰折れ屋根天窓付きの建物で時計
   塔がある。
 旧見張り所 Ehem.Waecher haus (1669) 2階建切妻屋根の木組の建物。
 プロテスタント教会 Ehem.Kirche (1354) 1519の見張塔を教会の時計塔として
   使い、身廊は木造構造である。
 郷土博物館 Heimart Museum (1495) 旧市庁舎に収容され、2005新家屋が
   建てられ、一部分離された。
 元病院 Ehem.Hospital (1537) 寄棟屋根の2階建の木組の建物。
 元裁判所薬局 Ehem.Hof Apothke (1821) 高基礎の上に切妻屋根の2階建
   大きな木組の建物。

5.町の略図

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ヴェアハイム Wehrheim  i1 

写真

町役場 旧市街
下門博物館 市壁
市壁

1.歴史

 1046 皇帝ハインリッヒ3世は妻アグネスに村の資産を遺贈、後にフリートベベルク城伯が所有、
 1243 ディーツ伯から修道院を寄贈、13c ディーツ伯が町を所有、 1372都市権を取得、
 16c 町はナッサウ・ディレンブルクが所有し宗教改革導入、1564町の主権はナッサウとトリアーに分割、
 1814 都市権を失う、 1971 ヴェールハイム市は周辺の地域を統合。

2.市壁  0.05km (0.06)

   市壁として、Auf der Mauer.12 に残っている。

3.門 塔  1門0塔

 下門 Unter Tor(1778)下門は屋根付きのアーチで、上階木骨造の衛兵
    詰所が近接していた。 今は改修されて市門博物館となり、1983から歴史協
    会が博物館を運営している。

4.見所  C

 

   旧役場と市門との間中心部は、一連の木組みの家を改装して美しく、中央
   広場の周りは2011に再開発されて商店と住宅が新しくなった。
 旧役場 Altes Rathaus(1859)ドイツ北部の古典主義レンガ造の2階建L型の
    建物で3階建の風見鳥のある鐘楼が付いていた。1944に鐘が付けられた。
 プロテスタント町教会 Ev.Stadt Kirche mit Kirchhof (1780-82)中世の旧教
    会の敷地に、バロックの町教会として建てられ。1783にオルガンが付けられた。
 カトリック町教区教会 Kath.Pfarr Kirche(1712-13)城の遺跡にトリアー大司教
    により建設され、1744大天使ミカエルに奉献された。1899-1902ネオゴシックの窓と
    聖具室のある後陣が追加された。1955改修され内部も再設計された。
旧ナッソー・オレンジ事務所 Ehem.Nassau-Oranischer Amthof(1711)3階建石造
   の大きな建物。元蒸留所であった。
旧校舎 Alte Schule(19c)2階建ての簡素な建物。
 旧トリアー選帝侯事務所 Ehem.KarTrier Amthof (1622) 2階建木骨造の建物
   で、今は Hofgut Etzel である。
 木組みの家 Fachwerk Wohnhau (18c)高基礎2階建の木骨造の建物。
 弾薬庫 Koeppern Munitions Depot(1949)米軍により森の中に弾薬庫
   が建設された。

5.町の略図

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ヴァイルブルク Weilburg  i2

写真

 
市庁舎・宮殿教会 宮殿
東壁

1.歴史

  906 要塞として初めて言及、        912 教会と僧院を設立、
 993-1062 全町をヴォルムス司教区に贈呈、1225 ヴォルムス司教はナッソー伯に質入、
 1295 同じ都市権をフランクフルト市に貸した、1355 ナッソー伯は宮殿と町防御を建設、
 1359 石橋をラーン川に架けた、     18C 宮殿拡張.公園整備.住宅更新、
 1866 プロシア領に併合、        1945 2次大戦で宮殿や橋は壊された。

2.市壁  1.00km 0.56

   市壁として地上部分は見当たらないが、山腹の石積は東側と西側の斜面
   に約1km残っている。

3.塔  1門2塔

 地方門 LandTor 14C建、南下の入口に、門上に円塔が立っている。
 町笛吹塔 StadtPfeiferTurm 宮殿入り口に立つ。
 町塔 StadtTurm 南のオランジェリの西に立つ塔。

4.見所  C

  ラーン川が湾曲した小山の上に旧市街地があり、古い町並と宮殿が見所である。
 宮殿 Schloss 1533-72建、ラーン川湾曲した小山の尾根に4翼から成る
   ルネッサンスの宮殿が建てられた。18C初めに宮殿教会など多くの別棟を建てて堂々
   とした宮殿となり、バロックの庭園とオランジェリを南側に加えて完成した。
    北端はホテルとして使われ、宮殿は1935から案内見学のみの博物館である。
 採鉱と町博物館 Bergbau&StadtMuseum 18C建、宮殿前の元高官の館、
   町の歴史.採鉱機械.中国の100の紙切芸術等を展示。
 船トンネル Schiffstunnel 1847建、ドイツで唯一の船トンネルが造ら
   れラーン川を短絡した。幅5.6m、高さ6.3m、長さ195mに3重水門が付いている。

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ヴァインハイム Weinheim  i3

写真

市庁舎 旧市庁舎
宮殿門 市教会
赤塔 旧ユダヤ塔
下礼拝堂 北壁
西南壁 マルクト広場

1.歴史

  755 ロルッシュ修道院記録簿に初言及、     764 地元設立修道院が部分所有、
 790 ロルッシュ修道院に寄付され部分所有、1000 皇帝オットー3世はロルッシュ修道院に市場権、
 1100 東の山にウインデェック城を建て修道院を守った、 1232 マインツ大司教の支配下に、
 1250 プファルツ伯ルードヴィッヒは新市街を設立、 1262 仲裁で町と新市街はプファルツ伯へ、
 1454 旧市街と新市街を統合、         17c 30年戦争で町は破壊された、
 1676 仏軍が占領し城を破壊、  1698 プファルツ選帝侯ヴィルヘルムは一時この町に転居、
 1808 バーデン大公国に属した。

2.市壁  0.16km 0.24

  13-14cの市壁は、残されている塔をつなぐ線上に、いくつかの断片が残る。

3.塔  2門4塔

 宮殿門 Schloss Tor (14c) 東側の上門として建てられた。
 粉引の里門 Muehlheimer Tor (1604) 南側の市門の東側に、砂岩の銘板が置
   かれている。 1882に取壊されたが、銘板とアーチは保存され、今は公園の入口を
   形成している。
 赤塔 Roter Turm (14c) 北に位置する円塔で頂上に胸壁がありその上にピラ
   ミット塔があり、この赤瓦から名前が付けられた。19cまで刑務所として使われた。
 魔女塔 Hexen Turm (13c) 南西角を流れるグルンデル川に位置し半分の高さが
   3階建に位置し、頂上に胸壁のある円塔である。
 青い帽子 Blauer Hut (1250-1300) 南西角に位置し、要塞の最も古い部分の
   円塔である。元はスレート屋根であったが今は青色の帽子が付いている。8mの市壁の
   上からしか入れないので、監獄として使われた。
 旧ユダヤ塔 Ehem.Juden Turm (14c) 北東の隅に位置し、ユダヤ通6の家の中庭に
   強大な四角塔の基礎がある。

4.見所  B

   古城街道にあり、プファルツ選帝侯の二つの城と歴史的な旧市街地が訪問者を引
  付けている。山の上の旧市街地は郡庁所在地としては意外と狭い。マルクト広場
  には、壮大な17c初めの3階建木組の建物で囲まれ、噴水とジャスティア像がある。
 旧宮殿・新市庁舎 Ehem.Schloss Heute Rathaus (1400) 異なる時代の建物
   から構成されている。1400の上家門は、17cには防御の効用を失い、1537から
   北にプファルツ選帝侯のルネッサンスの宮殿が建てられ、選帝侯の家族はここで長い時間
   を過ごした。1868ネオゴシックの塔が建てられ、19c後半にはベルクハイム家家によっ
   て再建され城の一部が継続して、市庁舎となっている。上門の南にウルナー・
   ディールパーク家によってバロックの宮殿が建てられ今はレストランとなっている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1557) 初め地階は開かれた広間として百貨店と
   して建てられた。豊かなルネッサンスの絵画が市民広場に描かれ、前面の階段切妻に
   市の紋章と時計が飾られている。この建物は一次大戦から1752まで市庁舎とし
   て使われ、1861-62に階段切妻と木製バルコニィは元の姿で復元された。1997-2002
   抜本的にに修復され、2013観光案内所となった。
 プロテスタント市教会 Kath.Stadt Kirche (1731-36) 簡素なバロックの教会であるが
   古い教会に椅子が使われている。
 住家 Wohnhaus (19c) この角の建物に、教育者で作家のアルバート・ルードヴィッヒ・
   グリムが1818-38に住んで、白雪姫を独語で発刊した。2階には、18cの豊かな漆喰
   細工の「王子の部屋」がる。
 ナメシ川地区 Gerber Bach Viertel (16-19c) 小川に沿って木組のなめし皮屋が
   並んでいる。曲がりくねった路地や2-3階建の古い木組の建物が絵の様に美しい。
 ケルベの家 Kerwehaus (1559) 上階木組の3階建の建物は1970からKerwe協会が
   所有し山道でも大きい。
 ウルナー礼拝堂Ulner Kapelle (1350) ヒリデガルト病院の礼拝堂として建てられ、裏
   側からは後陣・身廊・塔の先が見えるが、マルクト広場からは3階建の住宅や商店の入
   口しか見えない。
 ビューディンガー邸 Buedinger Hof (16c) この3階建木組の建物は、一時ナメシ革屋
   ギルド集会所であった。1512階段塔が建てられ施工主の名前が付けられた。
 旧ドイツ騎士団の家 Deutschordins Haus (1710) プファルツ高等ドイツ騎士団長が、
   豪華な団長の紋章に飾られた正面玄関の2階建の建物を建てた。今は市博物館と
   なり町の歴史・前史古代出土品・青銅の犬・13-14cのフレスコ画・城の歴史的模型を展示。
 モリトアの家 Molitorsches Haus (1344) ライン・マイン・ネッカーで最古の上階木組3階建の
   建物で、切妻に1344の年号がある。古い豊穣の館でウルナー家の所有であった。頑丈
   な下部構造と八角形の階段塔は1557-58に成立した。
 旧カルメル会修道院 Ehem.Karmeliter Kloster (1720) 旧カルメル会修道院の3階建の
   建物は1802の修道院の廃止後にカトリックの牧師館となった。

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ヴェッター  Wetter(Hessen)  i4

写真

 
市庁舎 小門塔
僧門 泥棒塔
南西市壁 新市庁舎
南市壁

1.歴史

 1223 ヘッセンでも古い市場町となった、 1235 都市圏が授与され市裁判所設置、
 1372 マインツ軍は戦争で町を破壊、      1567 ヘッセン方伯の事務所を設置、
 1604-47 ヘッセン戦争でダルムシュタットとカッセルが争った、 1636 町はスエーデン軍が占領、
 1803 ヘッセン選帝侯の領地となった、      1807-14 仏ヴェストファーレン王国へ、
 1815 ドイツ連邦ヘッセン選挙区に、     1821 ドイツ連邦ヘッセン選挙区アールブルクへ、
 1866 プロイセン王国・ヘッセ・ナッソー・マールブルク地区へ、  1971 ヘッセン州改革で周辺統合。

2.市壁  0.25km 0.29

   それまで土堤と木柵で守られていた町は、14c末にやっと市壁が築かれた。
  今残っているのは、西南と南東である。

3.塔  1門2塔

   3市門・2小門・5塔が設けられたが、19cに門はMoenchTorの一部を残して全て
   取壊され、塔は泥棒塔と小門塔の2つが残った。
 僧門 Moench Tor (14c) 1529に改造され旧修道院の門にある。1823取壊され
   たが、その一部が北側に残された。
 上門 Ober Tor (1361) 南門は1759の7年戦争でプロイセンと仏軍の砲撃で壊され、
   1846塔が壊され、簡易裁判所が1846-48に建てられた。反対側の壁には
   この門の絵が描かれている。西側には守衛所1783があった。
 下門 Unter Tor (1361) 北門は1823に取払われた。
 南小門 Suede Pforte (1361) 19cに取払われた。
 グックス小門 Gux Pforte (1400) 畑に通じる小門で19c前半に取払われた。
 監獄塔 Diebs Turm (14c) 監獄として使われ、19cには軽犯罪者を上階に収容
   した。その後宿なしの避難所、市民の倉庫、19c屋根が壊れ、1916変圧器、
   1945に焼け2009塔は修復され小ドームが復元された。
 小門塔 Pforte Turm (1400) 19cの前半に部分的に壊された円塔が、子供の遊
   び場に残された。
 その他の塔 北のMarfs turm(1361-18c)、北西のMoench Turm(1400-1752)
     東南のTurm beim Bruch(1361-19c)。

4.見所  C

   丘の上の修道院教会が町の中心で、マルクト周辺には16cの木組の建物がある。
 市庁舎 Rathaus (1450) 1649の大火災で焼け、1680に同じ建物を建てて現在に
   至る。小さい上階木組の建物である。
 市民の家 Bruegerhaus (16c) マルクト広場の7と9番地の建物には、1525と1570の年
   号の碑文がある。
 会計事務所 AmtsRentereihaus (1768) 3階建の建物で税金を受け取った。1821
   解散後は薬局となった。
 ローマ広場Roemer Platz (1239) ここには、ギルド特権のある店舗が集まり、パン
   屋・毛皮屋・靴屋・肉屋・仕立屋・鍛冶屋・ビール店などが並んでいる。
 旧醸造所 Ehem。Brauerei (1502) 醸造権は中世では大きな特権であった。この
   町ではこの会社が全体を独占していた。
 カノン財団 Kanonissen Stift(1615)高貴な女性が共同生活をする修道院で入学
   時から高価な支払いを要した。この修道院は中世には100の農場を所有した。
   1528の宗教改革で修道院は解散となり、土地は騎士団に移された。丘は学校に。
 修道院の丘と古い学校 Stift Kirche (13c) 13c-15cラテン語学校があり、1550修道
   院の解散後学校が建てられた。16cに病院財団は貧困者に施設をたてた。
 大学教会 Staats Theater (1892-94) ロマネスクの前身の敷地内に4段階で建てられた。
   1240-80 東の内陣・身廊、16c高い100mの西塔が付けられた。中には13cの
   マタイ像・洗礼盤・木製の祭壇画、18cのオルガンがある。修道院の解散後に教会は、
   プロテスタントの礼拝の場となった。

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ベッツラー Wetzlar  i5

写真

木組家 ハウザ緑地
北壁 北壁
南西壁 東南壁
南西壁 ゾイ塔
マルクト広場 公会堂
大聖堂 ロッテの家

1.歴史

 8C 町は成立していたらしい、   897 教会への文書が残る、
 1180 帝国自由都市、        1250 要塞の建設で長さ1.7kmの市壁。
 1350 中世の都市開発が概成、  1689 神聖ローマ帝国最高裁設置、
 1796 仏革命軍が占領、      1806 帝国の解体、
 1822 プロシア領となる、    1945 2次大戦の爆撃で大聖堂を除いて破壊。

2.市壁  0.60km 0.35

  1250-1300に町側の壁上に銃眼胸壁付きの防御通路のある延長1.7kmで
  高さ11mの市壁が建てられた。19Cには町の膨張で壁の一部が取壊された。
   今は、北側.西側.南側に、幾らかの市壁は残っている。また、旧橋南
  の1716の建物は、市壁の上に切妻を建てている。

3.塔  0門1塔

   市壁には、5門塔と幾つかの出入り口と、少なくとも9壁塔があった。
 雄豚塔 SaeuTurm 13C建、仕立屋組合がこの壁の部分を守るため建て
   たので、中世は仕立屋塔と呼ばれた。1745市壁外に豚の放牧がこの
   塔を通って行われた。1914に今日の飾らない形に改修された。

4.見所  B

   町は、川の東の丘の上に大聖堂を中心に壁に囲まれてある。古い木組
  の家並が坂道に繋がっている。勤めた最高裁判所や恋人ロッテの家など、
  ゲーテの昔も偲ばれる。
 大聖堂 Dom 10C創立、1170-1190外観をロマネスクに変えて再建し北塔が
   残っている。14Cにゴシックの赤砂岩の南塔のみ建てたが未完成。内陣と身
   廊はゴシックで見事、1561に落雷した塔頂はバロック屋根で補修した。
 下町教会 UntereStadtKirche 1300建、ゴシックの教会。
   1826再建、1877拡張。
 古ラーン橋 AlteLahnBruecke 13C建、1288には存在が言及されている。
   6経間の石橋。両方の岸に橋塔が在ったが、19C後半に壊された。
 市産業博物館 Stadt&IndustrieMuseum 1287建、ドイツ騎士団館。
   1976再建、町と騎士団の歴史.鉱業鉄鋼光学真空技術の展示。
 エルサレムの家文学記念館 JerusalemHaus 1987改修、歴史的な家屋と
   文学書類を展示。
 ロッテの家 LotteHaus 1863建、シャロッテ生家記念館、家具調度や「若き
   ヴェルテルの悩み」30箇国語の初版本を展示。
 帝国最高裁博物館 ReichskammergerichtsMuseum 18C建、アベマンシェの
   家神聖ローマ帝国最高裁判所博物館。法律古書や裁判記録.肖像等の展示。
 木組の家 FachwerkHaus
   鉄市場EisenMarkt:1599の木組宿屋.1500のゴシック3階建。
   シラー広場SchillerPlatz:1694のビンクラー家.1742の木組エルサレム家1826の教会。
   穀物市場KornMarkt:1769のバロック劇場.1767の飲屋ローマ王.1607飾窓の木組家。
   Brodschirm:1356の最も古く典型的な4階建の木組家。

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ヴィースバーデン Wiesbaden  i6

写真

 
旧市庁舎 新市庁舎
クアハウス

1.歴史

 1c ローマ駐屯地があり温泉が使われた、  370 ローマ皇帝が異教徒の壁を築いた、
  6c アラマン族に代わりフランク族が支配、  1170 侯爵ナッソーは帝国からこの地を獲得、
 1296 ナッソー王アドルフはクラレンタール修道院を寄付、 13c 町はナッソー・ヴィースバーデン家が支配、
 1567.61 古い建物の殆どは火災の後に建てられた、 1609-10 古い市庁舎建設、
 1744 ビーブリッヒ宮殿はナッソー家の主宮殿に、 1771 カジノ権を授与、1810カジノ開設、
 1806 ナッソー公国の首都となった、      1766 普・墺戦争後にプロイセンに併合、
 19c スパ・会議場・行政の場として新建築物、 1918大戦後仏は占領し賠償取り撤退、
 1925-30 英軍の占領、         1945 2次大戦の被害なしで米軍占領。

2.市壁  0.02km 0.01

   異教の壁はヴィースバーデンの市壁に含まれ、唯一の現存部分である。

3.塔  1門0塔

 ローマ門 Roemer Tor (1903) 異教徒の壁にトラヤヌス時代(103)屋根付木橋がローマ
   門としてローマ門としてアーチ門・木製の頂楼と共に建てられた、1979に谷側に階段が
   付けられて野外博物館として整備された。2012木造部分は改装され、ローマ門の横
   にあるコピィはローマ時代の石版でヴィースバーデンで発見された物である。

4.見所  C

  19cに世界湯治都市となり、王候貴族の社交場となり、ナッサウ公国の首都となった
  事と重なり、湯治施設・大街路・豪華な建物などが建設され今に残る大都市。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1609-10) 町で最古の建物で、地階は建設時の後期
   ルネッサンス、上階は1828ロマン歴史主義の様式になっている。
 新市庁舎 Neues Rathaus (1886-87) ミュンフェン市庁舎を建てたゲオルク・ハウベッサーが建
   てたドイツ・ルネッサンスの建物で、張出窓とリザリートエプロンで構成されている。比較的簡単
   な造りで、砂岩による均整のとれた美しさがある。
 宮殿 Schloss (1837-41) かってのナッサウ侯爵家の宮殿で、簡素な擬古典主義で
   建てられ、正門は斜の位置に在り円形の建物である。今は、ここにヘッセン州議会が
   置かれている。
 マルクト教会 Markt Kirche (19c) 煉瓦造の教会で、ベルリンノのリードリッヒスヴェルダー教
   会を手本として建てられた。仕掛け時計が、毎日9.12.17.時に動く。
 皇帝フリードリッヒ温泉 Kaiser Friedrich Bad (20c) ユーゲントシュティールの豪華な建物で
   玄関ホールにはユーゲントシュティールのフレスコ画とマジョリカ焼きのタイルが見られる。
 熱温泉 Koch Brunen 15の鉱泉から成り、鉄分を含む塩水は、髪を赤く染める
   のに用いられた。1854八角形のアズマ東屋が建てられた。
 クアハウス Kur haus (1967) 皇帝ヴィルヘルム2世が美しいと言った緑地帯・列柱廊・絢爛
   豪華な内装がある。
 国立劇場 Staats Theater (1892-94) ルネッサンスからロココの美しい建物。
 クアパーク KurPark (1852) 広大な庭園がクアハウスの背後の東に広がっている。

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ヴィッツェンハウゼン Witzenhausen  i7

写真

市庁舎 聖母教会
泥棒塔外 泥棒塔内
フクロウ塔 西南市壁
南市壁 キルヒ広場

1.歴史

 1144 ヘンリー・ライオンの領地となった、 1152 ヴィッチェンベルク侯爵の手に落ちた、
 1180 チューリンゲン方伯が制御した、    1225 チューリンゲン方伯は市場権を授与、
 1232 チューリンゲン方伯はマインツの包囲に勝つ、1247 チューリンゲン方伯は都市権を授与、
 1263 ヘッセン方伯ハインリッヒ1世が所有、   1335 二重市壁化は80年を要して完成、
 1479 市庁舎を含む225戸が焼失、   1599 疫病流行900人死亡、人口半減、
 1627 30年戦争の略奪と疫病で人口流失、1821 ナポレオン支配後選帝侯行政改革、
 1744 ビーブリッヒ宮殿はナッソー家の主宮殿に、1771 カジノ権を授与、1810カジノ開設。
 19c 大学都市として800人の学生が居た。

2.市壁  0.30km 0.35

  13cの市壁は、14cに2重壁化された。主として西と南に市壁は残っている。

3.塔  0門3塔

  全体で12塔建てたが、3塔しか残っていない。
 殻塔 Schslen Turm (15c) 東、屋根なし半円形の殻塔がそのままの高さ
   で残っている。
 梟塔 Eulen Turm (15c) 南、屋根なしの円塔。
 泥棒塔 Diebes Turm (1413) 西、胸壁付の円塔で監獄として使われた。
   下部に登れる木製階段が付けられている。

4.見所  C

   珍しく4階建の大きな古い木組の建物や堂々たる公共の建物が建て並ぶ中
  都市で、昔の繁栄が偲ばれる。
 市庁舎 Rathaus (13-14c) 石造で1479と1809の火事の後に再建され、1993
   -97に健全化された。入口の上の紋章はヴェルツェル家の物である。中央に4階
   建六角形の塔がある。
 プロテスタント聖母教会 Ev.Liebfrauen Kirche (13c) 部分的には13cに遡り、1225
   に3廊になり後期ロマネスクバジリカに、15cゴシックにハレンキルヘに建て直され、2004に
   修復された。中には石造説教壇・墓石・1731オルガン・16cモーツ家の碑銘・がある。
 マルクトの全景 Rundblick ueber der Markt (16-17c) 広場の真ん中に市庁舎があ
   り左側は1809の火事を免れ、16-17cの華やかな4階建木組の市民の家で飾
   られている。
 赤い家 Rotes Haus (1600) 4階建切妻の木組の家で、赤く塗られた横梁があ
   るため、この名前が付いた。
 グラウの家 Grau'sches Haus (1606) 町長の娘のエリザベス・グラウが3階建切妻の木
   組の家を建てた。
 ドイツハウス Deutsches Haus (1480) 町で最古の3階建の木組の建物で、1478の火
   事の後にゴシックで建てられた。
 旅館:王冠 Gasthaus Zum Krone (1610) 4階建ルネッサンスの2つの切妻のある木組
   の建物で、旧郵便局としても使われた。
 ゾマーマンの家 Sommermann'sch Haus (1511) ヘッセンで最も優れて保全された3階
   建ゴシックの木組の建物で、石の台座の年号は1511であり、今は町の図書館。
 ペルシェの家 Persches Haus (1480) 2階建ゴシックの桁送り構造の木組の建物で、
   1959の火事で損傷し、1995-96に再建された。
 ヴェデェキント・マイハートの家 Wedekind Meinhard'sches Haus (1579)建築主は町長の
   娘の既婚者のマルガレーテで、3階建の木組の建物を建て貧困者へ贈物とした。
 旧ヴェルヘルム修道院 Ehem.Wilhelmiten Kloster (1275) 初めシトー派修道士が修道
   院を建て、1289から活動を始めた。1291ヴィルヘルムの修道士が来て、1527
   の宗教改革まで存続した。1898ドイツ植民学校が開設され、今はカッセル大学
   の農業経済生態学科が置かれている。
 民俗博物館 VolkerKunde Museum () 旧修道院カウフンゲンの農業住宅の中に旧
   ドイツ植民学校の学生の収集物の対展示があり、興味深い。

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ヴェルファースハイム  Woelfersheim  i8

写真

プロテスタント教会 白塔
黒塔 西壁
南壁 南壁

1.歴史

 11c マインツ大司教はこの地を所有、  1331 町の都市権は封印で確認した、
 14c ファルケンシュタイン・ミュンツエンブルクが所有、  1408 4門と市壁で町の防御施設完成、
 1418 ファルケンシュタイン家は断絶した、     1419 ヴォルムス家が後継者となった、
 1423 ブラウンズフェルス家は相続を分割、 1436 ブラウンズフェルス家は周辺を含め支配、
 1806 町は世俗化でヘッセン・ダルムシュタット大公国が管轄。

2.市壁  0.12km 0.25

   15cの市壁は、4haの市街地を800mの市壁と4門で守った。今西から南に残る。

3.塔  0門4塔

 白塔 Weisser Turm (1408) 高さ27m直径8.5m壁厚1.6-2.2mの円塔で尖塔
   が付いている。入口はタカサ10mの市壁の上となっている。上階の守衛詰所には古
   い暖炉がある。
 黒塔 Schwarzer Turm (14-15c) 正方形の5階建の塔で、今はバロックの帽子が
   付いている。開いた背中には、木組の3階建の建物があり、19cから貧しい人の
   住宅となっている。
 教会塔 Kircher Turm (15c) 元要塞の塔は今は教会の塔として尖塔が付い
   ている。
 愚者塔 Narren Turm (15c) 塔の切株が、納屋に囲まれて、部分的にしか
   見えない。

4.見所  D

   町の中心部には、歴史的な古い木組の家が並んでいる。
 地方自治体 Gemeinde Woelfersheim (20c) ウェルファースハイム共同体庁舎。
   プロテスタント教会 Ev.Kirche (1717-48) 大きなバロックのホール教会で、今の教会
   塔の基礎は中世の守備塔であった。教会らしくない四角い建物である。
 動力博物館 Energie MuseumHaus () 地域鉱業と発電所の展示。褐炭によ
   ル発電エネルギーの説明もある。

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ヴォルフハーゲン  Wolfhagen  i9

写真

tr>    
市庁舎 旧市庁舎
ミッテル通 聖アンナ教会
猫塔 北西市壁

1.歴史

 7c アイルランドとスコットランド宣教師による布教、 752 エルツプリスター教会は中心地に、
 1200 北ヘッセンは貴族が勢力争い   13c チューリンゲン方伯は境界の丘に町を創設、
 1264 町に都市権を授与、 1286小学校の開設、 1302 町の防御施設の創設、
 1376 町の大部分は火事で焼失 1420 再度の大火事1464.65 パーダーボルンが攻撃、
 1527 宗教改革の導入、1576ペストの流行、17c 30年戦争で370→81人(1646)、
 1699 仏ユグノー教徒の流入、17567年戦争で仏軍が占領、1807-13ヴェストファーレン王国、
 1821 ヘッセ・カッセル選帝侯領に、1866 プロイセン王国へ、 1945 ベルギー軍占領ヘッセン州へ。

2.市壁  0.02km 0.01

   14cの市壁は北東端にわずか20mが高さ0.5mで残っている。

3.塔  0門1塔

   18cには4門7壁塔あったが、今は唯一猫塔が残る。
 猫塔 Catten Turm (14c) 北東端に半円形の監視塔が残されている。南側
入口は地上3mの市壁の上に位置する。最上階は中空の角塔にオフセットされ、以前
の窓は今のパラペットである。市壁や門塔は武器の発達で無意味となって取払わ
   れ石材を建設資材として利用した。塔の鍵は市庁舎と観光案内所で借りる事
   ができる。

   

4.見所  C

   この町はドイツメルヘン街道とドイツ木組街道に属している。「狼と7匹の小鴨」噴
  水「グリム童話セラー」食堂がある。多くの美しく修復された木組の家が曲がりくね
  った路地に並んでいる。旧守衛所は今カフェである。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1657-59) 30年戦争後に中世の石造地階の上に
   市民がオーク材を提供して、併せて3階建寄棟屋根の木組の建物を建てた。
    地元の博物館にはトラスの模型を見る事ができる。方伯モリッツの紋章石は、
   門塔が壊れて、市庁舎の壁に取り付けられた。1967城通33に市庁舎を移転し
   て、内外装工事を行いホテルレストランとなった。2002丸天井の広間は、おとぎ話・子
   供劇・結婚式場に使われている。グリム兄弟はこの町で童話を集めた。
市教会聖アンナ Stadt Kirche St.Anna (1235) パーダーボルン司教ベルハルトは、ゴシック
   の長さ51m幅22m高さ25mの教会を建てた。14c塔が付けられたが、1496と1533の
   落雷で1649に塔は高さ55mとなった。1957-58改修され、2009-11内装が更新さ
   れた。最初の教会の鐘は博物館に納められている。
 旧守衛室 Alte Wache (1667) 市壁の外に新しい墓地が設置され、守衛室
   が建てられ
   緊急時にはガードハウスとして使われた。1930地元の博物館として整備された。
   1981Cafe Alte Wacheとなった。
 病院礼拝堂 Hospital Kapelle (1332) 墓地の礼拝堂使われた。近くに病
   院が建てられ、その礼拝堂として使われた。砂岩ゴシックの単一身廊の建物で、
   1904-05に拡張され鐘楼が付けられた。1988-92修復が行われた。
 地方博物館 Regional Museum (1980) 博物館はウスラー広場に立つヴォルフハーゲン
   城のRenthofに収容されている。石器時代からの地域の歴史を示し、恐竜・鳥
   や鰐の先祖・町の模型・城エルマースハウゼンなどを展示。
 水城エルマースハウゼン Schloss Elmarshausen (1123) 14c貴族グーデンベルクに続い
   てマールスブルクは1563迄の城をルネッサンスで拡張した。1800改造され様式が混在する姿
   になった。ここで種馬の飼育が行われている。

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ツィーゲンハイン  Ziegenhain im Schwalmstadt  i10

写真

   
侯爵宮殿 ホテル:バラの園
穀物倉庫 市教会
武器庫門 大物塔
ラング門塔 東壁

1.歴史

 1144 シーゲルハーゲン伯はこの地を支配、1274 町は都市憲章を授与された、
 1450 最後のシーゲルハーゲン伯の死後ヘッセン方伯ヨハン2世が所有、
 1470 ヘッセン方伯フイリップ1世は城を建設、1537-48 星形水要塞として城を強化。

2.市壁  0.18km 0.30

   水堀で囲まれた星型要塞の中に、An der StadtMauer の道路名があるので、
    そこに市壁が在ったと思われる。その東側には一部市壁が残る。北側には大きな
  刑務所が有るので昔の構造物は見当たらない。DrachenWegの入口には門塔が残り、
  その南側には市壁の上の19cからの建物が建っている。

3.塔  2門2塔

 武器庫門 Zeughof Tor (17c) パレード広場側は両端の石柱の上に木組の
   要塞が乘り、外側には石造のアーチ門がある。水要塞の3番目の通路に建てられ、
   今は個人所有の複合建築物である。
 リューダー門 Lueder Tor (1537) この門アーチは1537に新要塞建設に際し置換え
   られた。門には、最初の要塞司令官Luederの名前が付けられた。
 住居塔 Wohn Turm (1450) 伯爵ツイーゲンハインの旧城の南側に4階建の住居円塔
   があり、上2階は銅板で飾られている。
 リンゲン塔 Rangen Turm (17c) 中世の市壁で唯一残っている門塔である。

4.見所  B

   星形要塞の外堀はそのまま残り、県道が東西に中央を横切っている。その
  北半分に見所はあり、パレード広場の周囲に由緒ある構築物が並んでいる。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1664) 旧市庁舎として建てられ、今は店舗とな
   って肉屋Bochtelとなった。
   新守衛所 Neuen Wache (1769) 平屋後期バロックの漆喰の建物は、入口の上
   にヘッセン方伯ハインリッヒ1世の紋章石が埋め込まれて、今は観光案内所である。
 旧宮殿 Ehem.Schloss (10c) 宮殿には、初め伯爵ツイーゲンハイン、後にヘッセン方伯
   が住んだ。1824から刑務所となり、今はJVAシュバルムシュタットが使い、近づけない。
   宮殿の施設は不規則な五角形の後期ゴシックの建物で、中には10cからの住居塔が
   ある。パレード広場側には3階建の総合翼が伸びている。
 市教会 Stadt Kirche (1665-67) 初めその場所にプロテスタント説教教会として
   建てられた。それが駐屯軍と市民の教会となり、要塞司令官達の聖墓教会にも
   使われた。
 首席司祭の家 Dekanat (1650) ツイーゲンハインのメトロポリタンは、3階建木組の牧師
   館を建てた。1884からツイーゲンハインとホムベルク地域の地方監督事務所となった。今は
   ツイーゲンハイン教会管理のDekanatである。
 公文書館 Artiv (1540) 2階建の建物は、旧ヘッセンの町公文書館であり、今
   のヘッセン国立公文書館の前身であった。要塞建設との関連で、1540に最初の貯
   蔵が行われた。1870公文書館は、マールブルクの新設された建物に移された。
 要塞調理所 Ehem.Festungs Kueche (16c) 大きな切石で建てられ、破風の
   所に14cの石のレリーフが置かれ、それは古い城教会に由来している。
 乗馬会館 Reithalle (1800) 仏占領兵の訓練のために建てられた。その建
   築上の特殊性は、広い間隔の片持ち屋根構造である。
 要塞薬局 Festungs Apotheke (1655) 彫刻飾りのある2階建木組の建物で、
   背後には旧市壁がある。その向かいには、旧土地登記所がある。
 穀物倉庫 Fruchtspeicher (1577-79) 大きなレンガ造2階建の建物で、要塞の
   新穀物倉庫として建てられた。長く伸びた北側には、建築主を示す紋章を付け
   ている。
 ホテル:バラ庭 Hotel Restaurant Rosen Garten (1620) テント屋根の4階建木組の
   建物には、3階建のコーナーベイがある。1876からホテルとして使われている。
   間がある。1988-95に都市再開発され復元された。
 シュバルム博物館 Museum der Schwalm (1363) 城の財産としてSteinerne Haus
   を建て、城の住人が住んだ。1938 シュバルム博物館を収容した。

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チィーレンベルク Zierenberg  i11

写真

   
市庁舎 カッセル門跡
北壁 南東壁
南西壁 南壁
西壁 教会

1.歴史

 1278 既にヘッセンの集落がああった、1293 市教会の塔広間の銘板に町の成立、
 1293 ヘッセン方伯ハイリッヒは市教会に着手、1293 町の防御の創設、
 1298 都市権の付与で町は中心地に  13-14c 周辺の住民は市壁の中に移住、
 14c ヘッセン方伯の敵はマインツ大司教の町・ダッセル侯爵の城・ヴェルデック公爵の町が在った、
 1436 聖霊降臨祭後に新教会身廊に着手、1530 エッシッシェベルク宮殿はマールスブルクの家。
 1538 大火事で町は全部焼け落ちた 1618-48 30年戦争で何回も焼け78人が残った、
 1707 大火事で焼け教会・石造の家だけが残った。

2.市壁  0.67km 0.67

  初め町は土堤と堀あるいは垣根・灌木の植込等の入れ込めない藪で防備を固め
   た。1293から市壁が建設され、狭い場所に市街が導かれ、大部分の家が木造で
   建てられ、藁とコケラ葺きの家が多く大火事が心配された。

3.塔  0門0塔

  昔は3門あったが、今は見当たらない。

4.見所  D

   標高600mの谷間に在り、木組の家が残る小さな町。
 市庁舎 Rathaus (1450) 後期ゴシックの木組の建物はヘッセンでも古く、入口の東
   切妻と隅の小塔が在る。19cに木組は化粧仕上とされ1925-28に修復されて美しさ
   が蘇った。
 市教会 Stadt Kirche (1293) 西塔のある大きなゴシックのハレン教会で、方伯
   ハインリッヒ1世により建設が始められた。教会の最も古い14c部分はコワヤと塔の下の部分
   で壁画が残されている。1430現存の本堂の建設が行われ、1738現存の塔が高さ
   45mで再建された。20-21cに改修された。
 石造の家 Sein haus (1300) 町で最古の建物で、石の会議所・石の穀物倉・石
   の工作所とも呼ばれ、1707大火事を生き延びた。家の開口部の窓は、市壁の完成
   前は町の防衛施設の一部であった事を示している。円天井の地下室の入口は中世
   のままである。
 最古の木組の家 Haus Mittelstrasse 39 (1369) 現存する最古の木組の家で
   1567古い建築用材で建て直された。襷十字の木材に日付けがあり、レストランの上に居
   間がある。1988-95に都市再開発され復元された。
 古い墓地 Alte Friedhof (1563) 1563までの墓地はKirchPlatzに在ったが、
   町の領主の命令で町に接した外側に、疫病で増えた死者を葬るため新しい墓地が設
   けられ、1876まで町の墓地であった。

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ツヴィンゲンベルク Zwingenberg (BurgStrasse) i12

写真

   
市庁舎 旧市庁舎
西壁 ライオン旅館
南壁 東北壁/td>

1.歴史

 1012 ロルッシュ修道院の贈与狩猟地簿に、1138 カッツェネルンボーデンのハインリッヒが所有、
 1259 マインツ大聖堂区の許可で教会を建設、1274 王ルドルフは市場権・都市圏を授与、
 1330 バイエル皇帝はウイルヘルム公に都市権を確認、 1479町はヘッセン・ダルムシュタット方伯へ、
 16c 地域の上級事務所を置いた、  1611 ヘッセン方伯は市街地外に市場を新設、
 17c 30年戦争で略奪・破壊・疾病・飢餓に、    1693 仏軍は町を焼き払った、
1803 世俗化時にベンスハイムに併合された。     1806 ヘッセン大公国へ
 1938 古城街道に属した。

2.市壁  0.28km 0.45

  上の町の市壁は13cに、下の町と南西の城の市壁は17cに築かれた。西と南に多く
  残っている。

3.塔 0門1塔

 アウル塔 Aul Turm (1345-55) 上町の市壁の西北の角にある円塔で、瓦礫積
   みの2階建の上に、尖った円錐屋根がある。この塔の東のMauer der berg
   通には砂岩造のアーチ門がある。

4.見所  C

   山の奥の小さな町で、上の古い町と下の新しい町がある。木組の家もあるが、
  大きなものはない。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1838) 2階建寄棟屋根鐘楼付きの建物で、1969
   市図書館となった。
 宮殿 Schloss (1520) 南東の市壁の外に、堀に囲まれた宮殿が建てられ、
   1969市庁舎として使われている。
 旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehenthaus (13c) 最高点の要塞基礎の上に建て
   られ、今はホテルになっている。
 山教会 Ev.Berg Kirche (1258) 旧市街地の中央の高台に立ち、砂岩漆喰
   塗り切妻屋根の簡素な教会で、正方形の塔に八角形の尖塔がある。1300後陣や
   身廊の拡張が行われ、15c西塔が付けられた。1693仏軍に破壊され、1701-06に
   再建された。

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ヘッセン州で市壁の見つけられなかった町 10

バート アロルぜン Bad Arolsen HE1

1.歴史

 1030 パデルポート司教に贈られた、  1131 領主未亡人がアウグスチナ女子修道院設立、
 1155 伯爵フォルクヴィン2世は修道院代官を継承、1526 修道院の廃止後伯爵フイリップ3世へ、
 16C ルネッサンスの翼を増設しバルデック侯爵家の王宮とした、 ビール醸造は修道院から継続、
 1622 30年戦争で城は要塞化された。  1634 要塞が完成し奇襲や略奪から守った、
 1668 伯爵ゲオルグ・フリードリッヒは宮殿建築、1677 古い宮殿を更新し伯爵家族が移った、
 1717 伯爵アントン・ウルリッヒは帝国侯爵に昇進、    1717 アロルゼン新市街に王宮を建築、
 1731 3市場開催の特権が授与された、1868 ヴァルデェック公国は同盟主権をプロイセンに、
 1871 ヴァルデック軍の兵舎が町に置かれ、    駐屯都市としての歴史が始まった、
 1929 ヴァルデック公国はプロイセンに併合、      1945 第2次大戦の被害は免れた。

2.市壁  0.0km 0.0 

   1634の記述によると市壁が築かれたように思えるが、今は全く見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   東のバート・アロルゼン・ヴァルティッツ公国の居城は、オランダ女王エマが生まれ、歴史的雰囲気
   に中で演奏会や展示会が開かれる。西の市教会までの町並みはバロックで纏まった町
   で、バロックフェアが開催される。スパ治療の街でもある。
 市庁舎 Rathaus (1914-15) 新庁舎として建てられ、1929ヴァルデック公国のプロイセン
   併合まで使われた。1929-34は国の郡会計事務所・高等建築事務所・郡学務課だった。
 王宮 Residenz Schloss (1710-1810) バロック3翼の宮殿で、侯爵フリードリッヒ・アントン・
   ウルリッヒが居城として建築し、未完の1720から使用された。資金不足で完成には100
   年を要した。2階には天井画のある大宴会場がある。宮殿の背後には白鳥の池の
   ある公園施設が1770に形成された。
 新宮殿 Neues Schloss (1764-78) 侯爵クリスティの未亡人のために建てられ、中に
   は、ロココ
   の家具調度がある。1852内装は古典主義に一新された。南の公園には、針葉樹が植
   えられ、果物と野菜の畑もある。1970の火災で内部は焼け、同年に南拡張から再
   建が始まり、1974ホテル新宮殿となり、1992耳鳴りクリシックを収容し、1998新館が建て
   られた。
 外陣 Vorhof 、新築の建物と一緒に歴史的な建物は、今は4星のホテルである。
   Orangere・Remisc(18c)伯爵時代の温室と馬車庫、
   Gaerrtuerhaus (1819-21) 侯爵ゲオルグ・ハインリッヒは時計塔付の庭師の家を造らせた。
   Alte KlosterSchenne 旧修道院の納屋は火事の後に1723と1824に再構築された。
Fuerstliche Reitbahn (1822-24) 侯爵乗馬学校は、今は劇場・演奏・祝賀会場。
 侯爵厩舎 Fuerstlicher Marstall (1749-58) 侯爵カールは入口の切妻に半円浮彫
   の3つの馬が付けられたが、資金不足で全体計画は完成しなかった。今博物館。
 市教会 Ev.Stadt Kirche (1749-58) 簡素なバロックで擬古主義も含まれる。教
   会の塔は宮殿からの見通しの終点に位置する。
 聖ヨハネ教会 Katholische Kirche St.Johannis (1896) 1897に聖別され、その更
   新されている。中には顕示台・キリストの絵画などがある。
 カウルバッハの家 Kaulbach Haus (1721) カウルバッハ家は1790に家と作業場を引取り今
   は、家具職人の作業場をそのまま見られる博物館である。
 旧郵便局 Ehem.Postamt (1905-07) バロックの代表的な建物で、今は健康と温泉
   の案内所である。
 大通り Grosse Allee 東西1.67kmの大通りに880本の樫の大木が6列に茂り緑
   の空間を提供している。1725に取払われた西のCharlotten宮殿と繋がっていた。
 クリスチャン・ダニエル・ラーハ美術館 Christian Daniel Rach Museum (2002) 侯爵厩舎
   町で生まれた彫刻家クリスチャン・ダニエル・ラーハの美術館が収容された。擬古派には、この
   の彫刻家達の貴重な彫刻の展示がある。

5.写真

市庁舎 宮殿

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バート カールスハーヘン Bad Karlshafen HE2

1.歴史

 1699 ヘッセン方伯カールによってヴぇざーがわに港が造られた。1717 町はカールすはーフェンに改名、
 17c末 ユグノー教徒が移住し美しいバロックの街を築いた、     1730 塩水の発見、
 1835 塩水から塩の生産、           1838 塩水温泉の医療スパを設立、
 1955 町の名前にBadを冠した。

2.市壁  0.00km 0.0 

    見当たらない。

3.塔  0門1塔

 ユグノー塔 HUgenotten Turm (1913) 港の上の100m高い山の斜面に、3階建の円
   塔が建てられた。登ると町の眺望が素晴らしい。

4.見所  C

    17c末に仏のユグノー教徒を受け入れてバロックの白亜の街並みが残されている。
   18c塩水が発見され温泉保養地になった。
 市庁舎 Rathaus (1715-18) 初め梱包と倉庫のために建てられた2階建バロックの建
   物で、2階には方伯の裁判所が置かれた広間がある。今は市庁舎として使われ2階は
   議会場である。鐘楼のカリオンは1日に4回異なる曲を奏でる。
 バロック都市計画 Barocke Stadtanlage 掘り込まれた港を囲むようにバロックの建物
   が120戸建てられ、幾何学的な美しさ呈している。
 傷病兵の家 Invaliden haus (1704-10) ヘッセン軍の元兵士のための老人ホームとして
   建てられた。1708礼拝堂は、礼拝の場として3改革派教会を務め、今は神の家とし
   て新教徒の使われている。
 塩水と製塩所 Sole und Gralierwerk (2005) 200年前から塩水は汲み上げられ
   て使われているが、今は深さ1150mから濃度23%の塩水を汲み上げて、46度の温水
   はスパで使われている。高さ8m長さ30mの滴下式エアゾル発生器で高湿度・豊塩粒子の空
   気が造られている。
 ドイツ・ユグノー博物館 Deutschs Hugenotten Museum (1989) かっての葉巻工場の中に
   ユグノー教徒の移民の歴史と文化が展示され、2006に拡張された。

5.写真

 
市庁舎 白塔
木組の塔

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バート ナウハイム Bad Nauheim HE3

1.歴史

 5c ケルトは塩源から塩を得た、    900 フランク族が移住し、修道院の建設、
 1489 塩のギルドが組織された、     16c 薪の高騰で塩の生産は困難に、
 1585 ハウナウ式製塩施設の導入、   18C初 濃縮製塩法を導入して利益増大、
 1733 ヘッセン・カッセル方伯が支配、          1848 温泉療養施設の設置、
 1900 スパ・リゾートの全盛期、ロシア・墺の皇后が滞在、アールヌーボーの建物が並ぶ。

2.市壁  0.0km 

   昔、町を囲んだ円形の市壁の位置を示す掲示板が、元墓地の跡の公園に立
  っているが、市壁らしい構築物は見当たらなかった。

3.塔  1門0塔

 上小門 Ober Pforte 旧市街の西門である。

4.見所  B

   温泉保養地であり、城・旧市庁舎・教会のある小さな旧市街がある。温泉街
  のアールヌボーの建物と公園があり、塩水濃縮施設も復元されている。
 旧市庁舎 Altes Rathaus (1788) 木組みの市庁舎で1903まで使われた。
 ヴィルヘルム教会 Wilhelms Kirche (18c) 今は、新教の教区センターと礼拝所と
   なっている。
 ラインハート教会 Reinhards Kirche (1732-33) まだ残っている古い教会で、
   今は、ロシア教会となっている。
  Burg 古い城壁の残りと古い城の穀物倉が残っている。
 ユーゲントシュティール Jugendstil (1902-12) ヘッセン大公エルンスト・ルードビッヒはユーゲント
   シュティールの建物や噴水・庭園などを、貴族等の療養者のために整えた。
    Sprundelhof1912、Kuahaus1862、Therme,Erstes Kur
   und Bad haus1835、Trinkkur Anlange1911.
 塩水濃縮装置 Gradier Bau (1788) 珍しい霧水流下式塩水濃縮施設が
   復元されている。設備としてはⅠからⅤまである。
 ケルト製塩所 Keltische Saline 5cのケルトの製塩所。
 中世製塩所 MIttelalteriche Saline 中世の製塩所。

5.写真

市壁表示板 城門

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ゲダーン Gedern  HE4

1.歴史

 780 初めての文書言及、    1356 都市権を持ち、ウイーン会議まで続いた、
 1852 Nidda郡に入った、   1874 Niddo郡が分解してSchotten郡となった。

2.市壁  0

   見当たらない。

3.塔  1門0塔

   石造の東門が残っている。

4.見所  D

   山の上に作られた町であるが、纏まった町並みは見当たらない。
 宮殿 SchlossGedern 17-18C建、宮殿の建物は壁基礎の上に建っている。
   最近は崩壊の恐れがあり、町の資金で復元された。今は、レストラン付きホテル、戸籍
   局・弁護士事務所と行政が入っている。
 宮殿博物館 KulturHistrischesMuseum 古い生活用具と城の歴史を展示し、
   観光案内も行っている。

5.写真

ゲデルン城門 ゲデルン城

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グロッス・アルメローデ Gross Almerode HE5

1.歴史

 12c 陶器の生産開始、              1386 最初の文書言及、
 1466 ガラスの生産開始、  1503 磁器の生産、  1537 ガラスメーカーの合併、
 1573 明礬の発掘、       1755 方伯フリードリッヒ2世は都市権を授与、
 1926 磁器生産の終了。

2.市壁 0km  

   見当たらない。

3.塔数 0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   マルクト広場を中心とした旧市街の形は、まとまりがなく市壁も見当たらない。
 市庁舎 Rathaus 北。
 教区教会 Pfarr Kirche (16c) ネオバロック・ネオゴシック・それ以降の要素も混在し
   ている。聖歌隊は1913-16にゴシックの教会塔に追加された。最古の碑文が壁上の
    アーチ天井に1497とあり、墓地の壁には1775とある。石碑の年号は1514が古い。
 木組の家 Fachwerk Haus  ベルリン通に目印の付いた木組の住宅がある。
 ガラス・陶器博物館 Glas und Keramik Museum 美しい3階建木組の建物内に
   ガラス・陶器・磁器が展示されている。
 ビルスタイン塔 Museum Gelnhausen (1881)164mの山頂に見晴らしの良い展望
    塔と山の宿屋がある。1960に展望台は7m高くなって92の階段がある。

5.写真

市庁舎 西ポータル

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ケニッヒスタイン Koenigstein HE6

1.歴史

 12C バルバロッサ皇帝は城を築き、フランクフルトとケルンを結ぶ重要交易路保護のため
  要塞を設けた、
 1215 最初の文書言及、     1239 最初の領主は貴族ハーゲンであった、
 1313 都市権の授与、            1581 マインツ郡に組み込まれた、
 17C初 大規模な城の拡張、      1796 革命戦争で仏軍は砦を壊した、
 1851 温泉保養地の開発、               1866 プロイセン領。

2.市壁  0km 

   山頂の城址にある城壁しか、見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   木組の家は旧市街地のあちこちにある。
 旧市庁舎 AlteRathaus 木造2階建ての旧市庁舎は、今、郷土博物館と
    なっている。

 元城山 BurgRuine Koenigstein 山頂の城跡には、高い角塔と3階建の
    外壁があり、町を見下している。

5.写真

旧市庁舎 ケーニッヒシュタイン城址

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ロッケンベルク Rockenberg HE7

1.歴史

 1191 城中心の村を初言及、        1317 貴族ベルサーハイムは村を建設、
 15c 村が強化された後に城を拡充、 1525 ミュンツエンベ゙ルクからヴァルケンシュタインへ移る、
 1537 シュトルベルク伯爵のケニッヒシュタインへ所属、 1581 マインツ選帝侯にロッケンベルクは属した、
 17c まで城主は何回も変わった、城に詰所・馬小屋を増築、
 1803 ナポレオンはマリエン修道院を世俗化、   1806 町はヘッセン・ダルムシュタット大公国へ、
 19c 城にはヴィーセンフュッテン男爵が1915迄住んだ、 1811 元マリエン修道院は刑務所に、
 1945 3月空爆、4月米軍占領。

2.市壁  0km 

   道路網から旧市壁の位置は推定できない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

 市庁舎 Rathaus () 2階建腰折屋根の大きな石造の建物、地階アーチ門が
    左端にある。
 旧マリエン城修道院 Ehem.Marien Schloss Kloster (1338) 旧シトー派の修道院
   ロックとロココで再建された。マリエン教会と主門付の修道院で、女子修道院で、1749バ
   設立時の建物が残っている。
 牧師館 Pfarr Haus () 2階建。
 旧プロテスタント教会 Ehem.Ev.Kirche (1908) 旧墓地の教会で簡素な切妻の教
   会に、屋根の端の鐘楼がある。
 マリエン薬局 Marien Apothke () 2階建石造切妻屋根の建物。
 城と旧会計局Schloss und Ehem.Rentamt (1191) 1317住宅が建てられ、
   15c村の要塞を含め拡張、17c一時放棄されたが、18cに改築して会計局とな
   った。1719マインツ選帝侯のワイン醸造所が城の中に建てられた。
 旧旅館:星 Ehem.Gasthof Zum Stern () 中庭の大きなアーチ門の西に2階建
   切妻屋根の旅館がある。
 住居 Wohnhaus () 2階建の美しい切妻の木組の建物。
 カトリック教会聖ガルス Kath.Kirche St.Gallus (1754) 4小塔が乗った中世風な
   塔がある。

5.写真

マリエン教会

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ゾントラ Sontra HE8

1.歴史

 775 フランクの管轄で初言及、     8c ゾントラは都市特権を受け1368に確認、
 1499-1950 銅・コバルトの採掘が行われた、1558 中世の町の中心部は大火事で焼失、
 1623 30年戦争と疫病流行で人口減、    1634 クロアチア人は町の半分を焼いた、
 1639 スエーデン軍、1647 帝国軍が略奪、          18c ユダヤ人が定住、
 1821 町の2/3が火事で焼けた、1936-38 古い銅頁岩採掘が復活し治金工場設置、
 1955 洪水で採算が悪化し治金会社は清算。

2.市壁  0km  

   通りの名前に、Hinter der MauerとかHinter der Waldmauerがあり、市壁
  で囲まれたと思われるが、市壁は見当たらない。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  D

   町の見所は、3階建木組の家が並んだ中心地と、12cからの市教会・1634再建
  の風格のある市庁舎である。
 市庁舎 Rathaus (14c) 1664に30年戦争で破壊された基礎の上に風格のある
   2階建の市庁舎が建てられた。市庁舎では市議会だけでなく、会議の開催、高
   等裁判所審理、一部学校事業などが行われた。
 プロテスタント市教会 Ev.Stadt Kirche (12c) 最初は守護聖人に因んで聖ジョージ
   教会と名付けられた。今は聖メアリー教会と呼ばれ、1483-93ゴシックのホール教会として
   再建された。身廊は3つのアーチ型ヨークで構成され、合唱団は2つのヨークを持っている。
   外観は赤砂岩の切石で建てられ、力強い屋根を持ち、北側に大きく尖ったアーチ
   入口がある。

5.写真

市庁舎 市教会

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フォルクマーゼン Volkmarsen HE9

1.歴史

 1155 コルフェイヤーのティースリストで初言及、       1200城と教会が建てられた、
 1233 教王グレゴリー7世の保証状で町へ、 1277 町は鋳造し市場権・管轄権を保有、
 1304 ケルン大司教は町を修道に贈った、 1507 町と城は修道院が買い戻し権を放、
  棄して、ヴェストファーレン公国に属した、  1632 町は30年戦争でヘッセ軍に焼かれた、
 1802 ヘッセン・ダルムシュタットはヴェストファーレンを占領、1807 ナポレオンが来てヴェストファーレン王国へ、
 1814 ウイーン会議後プロイセンへ、            1821 カトリック・フルダ教区へ、
 1945 ヘッセン州へ。

2.市壁  0km 

   13cの市壁は、今は通の名前として残るのみである。南西部には市壁の外側の
  堀の対岸の石積らしき物がある。

3.塔  0門1塔

 半円塔 Halb Rund Turm (13c) 北部の市壁の位置に3階建半円形の防衛塔
   が、木組の建物の中に組込まれている。

4.見所  D

 市庁舎 Rathaus () 町の中心の広場に向かって教会と共に立つ、石造2
   階建中央突出の建物で、時計塔・トコウノトリ巣台・片側屋外階段がある。
 聖マリア教会 Marien Kirche (1260) 石造単塔の教会で、その前に聖ロレンスに捧
   げられた教会があった。かって1499の教会礼拝堂の遺跡が残る。1632ヘッセン軍に
   教会は焼き払われた。1669市民の拠出で修復・再建は行われた。
 郷土博物館 Goschschts und Heimart Verein Museum () 地元の歴史と生産
   ・ユダヤ人の生活等を展示。
 クーゲルス城 Kugelsburg (1200) 東の山頂に建てられ、7年戦争で破壊された。

5.写真

市庁舎 マリエン教会
半円塔 北西壁

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バンフリード Wanfried HE10

1.歴史

  813 ヘッセンとチューリンゲンの国境に位置した、    1264 ヴェツライン・チューリンゲンに割当、
 1306ヘッセンのヘンリー1世はチューリンゲン方伯から購入、 14c 最終的にヘッセン方伯に渡った、
 1608 ヘッセン方伯は市場権を買い取った、 1626 町は貿易の主要中心地となった、
 1626 30年戦争で帝国軍の略奪と放火、 1667  ヘッセン・カッセル方伯の居所であった、
 1755 ハッセン・バンフリートに落ちた、            1834 再びヘッセン・カッセルへ、
 18c 交易の中心として壮大な建物が建てられたが、 舟運から鉄道へシフトして衰退、
 19c 商業都市から色褪せて、市壁塔は壊された。

2.市壁  0km 

   町の防衛施設は、旧市壁や木柵を補強強化して、1665に新市壁が完成した。
  19cには町は衰退して市壁や塔は取り壊された。

3.塔  0門0塔

   見当たらない。

4.見所  C

   美しい木組の建物が残る元貿易港があった町である。
 市庁舎 Rathaus (1550) 初め公開市場ホ-ルとして建てられ、17c中から町役場と
   して使われた。1600警報ベル、1612時計が付けられた。1648旧市庁舎は応急修理
   された。1860商店を買取って新しい市庁舎を建て、風見鳥・時計・旧市庁舎か
   らの鐘を付け、旧市庁舎の跡地は販売された。新市庁舎は、3階建木組の美
   しい建物で、中庭を有しアーチ門があり、別館は上階木組の2階建の建物。
 宿:白鳥 Zum Swan (1655) アーチ型の地下室の上に、2階建で建てられ、30年戦
   争を生き延びた。400年前には市庁舎のホテルと呼ばれていたので、当時から泊まれ
   たと思われる。今も旅館である。
 旧ポスト Alte Post (1650) この風格のある建物は、旅館・郵便局・郵便馬車駅
   として1634-1902に使われた。中庭で馬を変え各地へ走った。1904私有。
 方伯宮殿 Landgrahen Schloss (1015) 市内に残る古い中世の建物で、初め王
   家の財産であった。16cの宮殿は30年戦争で破壊されたが再建された。北端はホテルと
   して使われ、宮殿は1935から案内見学のみの博物館である。
 プロテルタント教会 Ev.Kirche (1884-88) 砂岩造ゴシックリバイバルの教会で、長さ37m幅
   25m身廊の高さ25m塔高52mである。装飾はキリスト教のシンボルのオーク・ツタ・ワイン・バラで統一
   的に飾られ、オークの木工品と調和している。
 カトリック教会 Kath.Kirche (1907-09) 南の町の外にネオゴシックの教会がある。
 貴族の家 Herrenhaus (1678) 港の近くの農場の邸宅で、30年戦争の後に建て
   られた木組の建物。
 貴族の家 Herrenhaus (17c) 代表的な木組の家で、控梁の下で充填剤の上に
   鉋の溝があり、木材には彫刻がある。

5.写真

 
市庁舎 ニコラス教会
方伯宮殿

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