ファイル | 州名 | 州数 | 小計 | 市壁無 | ||
bd1 | GS | 大都市 | g1-5 | +1 | ||
BR | ブランデンブルク | b1-42 | +4 | |||
BW | バーデン・ビュルテンブルク | v1-50 | 97 | +14 | ||
bd2 | BW | バーデン・ビュルテンブルク | v51-w68 | 116 | ||
bd3 | BY | バイエルン | x1-99 | 99 | ||
bd4 | BY | バイエルン | y1-z17 | 116 | +14 | |
bd5 | HE | ヘッセン | h1-i12 | 111 | +10 | |
bd6 | MV | メルケンブルクVP | m1-32 | |||
NS | ニーダーザクセン | n1-49 | 81 | +5 | ||
bd7 | NW | ノルトライン・ヴェストファーレン | o1-101 | 101 | +25 | |
bd8 | RP | ラインラント・プファルツ | r1-76 | +3 | ||
SL | ザールラント | l1-4 | 80 | +2 | ||
bd9 | S | ザクセン | s1-54 | +9 | ||
SA | ザクセン・アンファルト | a1-62 | 116 | +2 | ||
bd10 | SH | シュレスヴィヒ・ホルシュタイン | k1-4 | +7 | ||
TH | チュービンゲン | t1-60 | 64 | +8 | ||
合計 | 981 | +104 |
表中の各町について、 その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。
Bayerun②
BY バイエルン州② 100-216
市庁舎 | 北塔 |
南塔 | 東塔 |
南西壁 | 南壁 |
北西壁 | マルクト広場 |
メルシアー・オットー広場 | ローゼンブルク要塞 |
旧市庁舎 | 市庁舎 |
ロゼンブルク要塞 | 城門 |
逆三角形の市壁の西側の一部が失われている。
魔女塔 HexenTurm 1444建、市壁の北東の角にあり、4階建直方形の塔で
17Cまで地下に刑務所が置かれた。
戦争の損害が軽微で歴史的な建物が多く残っている。
市庁舎 AltRathaus 1583建、中に宴会場や屋内市場がある。
聖ヨハネ教会 St.JohannesKirche 1634建 教会の北側にはフランケンゴシックの美し
い入口がある。中には1498のヨハネ像がある。
ローゼンベルク要塞 Rosenberg Fastun 1249建、バンベルク司教が初めに築いた23.6ha
の五角形大要塞である。15cの望楼と城壁は30年戦争のスエーデン軍の攻撃に耐えた。
要塞には、フランケン美術館(クラナッハの絵画)、ドイツ要塞博物館、フランケン森林博物館、
石工博物館がある。
市庁舎 | マルクト広場 |
聖ペトロ教会 | 学長の家 |
前要塞 | 牢獄塔 |
西壁 | 南壁 |
14cの市壁は、主として町の西南部に残されている。
白塔 Weisser Turm (14c) 北の5階建砂岩造の四角塔で1553に再建。
防御塔 Wehr Turm (14c) 北の3階建の円塔で、上階に多角形の台がある。
赤塔 Roter Turm (13c) 東の13cの要塞の一部である。5階建の角塔で最上部
は木組である。16c半ばに赤い尖塔が付けられた。今は町の音楽家の住居である。
牢獄塔 Fronfest Turm (14c) 4階建の四角塔で、尖った屋根を持つ。
壁塔 Mauer Turm (17c) 市壁から突出した4階建ての角塔。
神聖刀塔 Heiliing Schwert Turm (14c) 市壁から突出した半円形の殻塔
鹿塔 Reh Turm (1498) 東南の山中の見張塔で、1891にタカサ30mに嵩上げ。
山頂から大きな城が見降ろし、旧市街地には大きな建物が並んでいる。ツオーレルン
家の町として栄え、中世から近代までの各種建築様式の建物が存在している。
プラーセン城 PlassenBurg (1135) アンデックスのディペルト伯が初め城を建てた。
1340ホーエンツオーレルンのニュルンベルク城伯が城を取得し18c迄所有した。1553連邦身分戦争
で全壊した。16c末にルネッサンスで再建された。1791プロイセンの一部となり、1810バイエル
に帰属した。その後は戦争キャンプ・刑務所として使われ、1929に四博物館となった。
①景観博物館、②ドイツ錫人形博物館、③ホーエンツオーレルン博物館、④陸軍博物館。
バイエルン醸造所とパン屋博物館 Byerisches Brauerei und Baeckerei Museum
エジプトやケルトの製法を含め、ビール醸造機器とビアグラスの博物館を開設し、2008
からはパン屋博物館を併設した。
1.ロマネスク・ゴシック
聖ペトロ教会 St.Peter Kirche (12c) 東の丘の上に立つ要塞教会で、砲台を
尖塔として使った。1439フス派による破壊の後、1439後期ゴシックのホール教会として
再建された。
ホーエンツオーレルンの墓教会である。1878-80内側はゴシック・リバイバルとして再改装された。
市壁と塔 Stadtmauer und Turm (14c) 約1㎞の市壁の内280mと5塔が残る。
2.ルネッサンス
ルネッサンスの小宮殿 Renaissance Schlosslein (1571) 3階建切妻屋根の木造漆
喰塗の建物。
旅館 Gasthof WeisseRoss und Ratskller (16-17c) 2階建の木組の旅館。
プラーセン城 PlassenBerg (16c) 山頂のドイツでも大規模なルネッサンスの城。
風呂屋 Badhaus (1398) 初めの建物は1553-80に今の姿に拡張された。
19cまで浴屋として使われ、1999に改修され浴場と美術館として開業した。
住家 Wohnhaus (17c) 2階建切妻屋根上階木組の前面装飾の美しい家。
城財産 Burggut (1587) 3階建切妻屋根の上階木組の角の家。
旧城財産 Ehem.Burggut (1571) 2階建切妻屋根上階木組の屋根窓付の家。
今はルター派の子供学校である。
旧辺境伯夫人法律事務所 Ehem.Markgraeferich kanzelei (1562) 2階建軒
付の中央突出出窓の建物。1913からは地区事務所になった。
3.バロック・ロココ
Langheimer Amtshof (17c) この場所には礼拝堂があったが、1553の都市
破壊で消滅した。シトー派修道会は財産を管理するためAmtshofを置いた。旧修
道院の中庭には、今は職業訓練学校などの許育機関がある。
病院教会 Spital Kirche (1738-39) 中世にはエリザベス病院の礼拝堂であっ
た。
1738に新教病院教会となった。天井画はキリストの昇天が描かれ、17cの
祭壇や説教壇がある。
市庁舎 Rathaus (1752) 1520-30に建てられた市庁舎は1533に壊された。
3階建鐘楼付きの市庁舎で、ドーム状の曲がった破風のあるロココの前面で飾ら
れ、アンデックス・マラニアー・ライオンとホーエンツオーレルンの紋章が飾られている。
住家 Lohgerher haus (1750) 3階建片持ち上層階のあるなめし革屋。
新教学長の家 Ev.Dekanat (1730) 2階建寄棟屋根砂岩造の大きな建物。
4.歴史主義・アールヌーボー
市場噴水 Markt Burnnen (1896-99) アールヌーボーの噴水が置かれたが、1899
に解体され1994に再建された。
カソリック教区教会 Kath.Pfarr Kirche (1894) ネオゴシックで新設された。
サントラー・ビラ Sandlers Villa (1889) 2階建アールヌーボー寄棟屋根出窓付の別荘
で、1906-10に歴史化された切妻に改築された。
クラブハウス Verienshaus (1884) マルクト広場に突出した2.5階建寄棟屋根の家。
地方裁判所 Amtgericht (1900) 2階建寄棟屋根砂岩造2翼の大きな建物。
マリエン広場 | 広場 |
市庁舎 | マリア昇天教会 |
1110 アハウゼーの領主が城を建て麓に集落、 1224ヴィッテルバッハ家は水城を建設、
1233 バイエルン侯爵は事務所を置き裁判官を任命,1304侯爵オットーは都市権を授与し繁栄、
1504 ランツフート承継戦争で町は全焼、1563 18のギルドが結成されて都市生活は守られた、
1648 スエーデン軍に5千ターラーを払って略奪を免れた、1743オーストリア承継戦争で焼き払われた、
1750 皇帝マリアテレジアは復興のため600ドッカートを市へ寄付、1945落橋し、砲撃で町は破壊。
14cの市壁は1504のランツフート承継戦争で壊されて再建されたが、1743のオーストリア承継戦
争で壊され、残っているのは南西のKastenhofの南壁に40mとその東のStadtGrabenの
北側に60mに痕跡がある。
旧火薬塔 Ehem.PulverTurm(16c)市壁の南東の隅に市壁の丸塔の地覆部
分が建物に組込まれて円錐屋根で残されている。
市庁舎 Rathaus (1950) 1945の米軍の砲撃でそれまでの市庁舎は壊され、
新
市庁舎は1950に新築された。
聖マリア昇天市教区教会 StadtPfarrKirche St.Maria Himmelpfahrt (1224)
町が設立されたときに、侯爵の城の前にロマネスクの教会が建てられた。1480ゴシックの
後期に教区教会に拡張された。1713-26にプクライテン男爵は遺産を使って壮大なバロック
の教会を建てた。中の高祭壇と8側祭壇は金箔のクルミ材で装飾られ、西塔は中世の
塔の下部構造の上に建てられた。1945に砲撃を受けた。
牧師館 Pfarr Haus (1749) 突出した東翼を備えた2階建て漆喰マンサード屋根の
建物。
元旅館 Ehem.Gasthof (19c) 中庭門のある3階建て漆喰の庇側棟の建物。
宿屋 Gasthof (16c) 中庭付き東北部分は箱構造で、19cに再設計された。
寄棟屋根2階建て軒側の建物。後ろに厩舎と納屋がある。
旧収蔵庫 Ehm.Kastenhof (15c) 1504に破壊された宮殿複合施設の一部で、
現在は博物館である。急な切妻のある3階建ての堅固な建物で、中心部は15c南
翼は16cである。
1955にニーダーバイエルン考古学博物館が収容され、2019カステンホフーランダウー石器時代博物
館として再開。
元地区事務所 Ehem.Land Ratsamt (19c) マンサード屋根の素朴な2階建軒側の建物。
旧市庁舎 | ベッカー門 |
ザンダウアー門 | 魔女塔 |
シュマルツ門 | フェルバー門 |
961 オットー大皇帝は修道院に1/10税を寄付、 1156 デェートリッヒが権利を継承、
1160-80 丘の上に中庭に礼拝堂のある新城を建設、1291、ブランデンブルク辺境伯が所有、
1347 マイセン辺境伯が町を買戻した、 1509 帝国自由都市となる、
1514 城の破壊、 1534 ビール醸造の開始、 1579 州都市憲章が年10ペンスで許可、
1598 南に町を拡大し市庁舎の建設、 1618-48 30年戦争による略奪や放火、
1806-13 フランス軍との戦い、 1815 プロイセンに帰属、
1945 2次大戦爆撃の被害は些少。
東側と南側に塔・ツインガー・堀と共に市壁が残っている。
砂州門 SandauerTor 北の市門、30年戦争時にルネッサンス様式に更新。
バエルン門 BayerTor 1425建、東南の市門、改築当時のバイエルン領主の紋章のあ
る飾られた代表的な建物。高さ36mのゴシックの大きな塔。
パン屋門 BaeckerTor 東側の内門として建てられた。
染め屋門 FaerberTor 東側の外門として建てられた。
野鴉塔 DachlTurm 北東に防御塔として建てられ、ここに野ガラスの巣があっ
たためこの名前が付いた。
火薬塔 PulverTurm 北東の角に防御塔として建てられ、火薬庫にもなった。
娘跳び塔 JungfernsprungTurm 南西の防御塔、30年戦争の残虐行為からこ
の名前が付いた。
修道女塔 NonnenTurm 南西の角の塔。
脂塔 SchmalzTurm(SchoenerTurm) 15Cに改造、最も古い市壁の東門。
魔女塔 HexenTorm(FronvestTurm) 最も古い市壁の角塔。
母塔 MutterTurm 1884建、レッヒ川の対岸に凝灰岩の切石でアトリエとして建てた。
伝統博物館がある。
旧市街地内への道路は車で混雑している。中世に交易の中心地として栄えた
都市。旧市街の東側が高くなっており、川側の低地に石造の家並みが広がる。
旧市庁舎 AltesRathaus 1719建、ドミニクス・ティーマーマンによる化粧漆喰装飾の前
面の4階建建物。絵画とフレスコ画で大宴会場は飾られている。
市教区教会 StadtPfarrKirche 15C建、支柱バジリカとして建てられ、バロック
の装飾。中には、1440マドンナ、後期ゴシックのステンドグラスがある。
聖十字架教会 HeiligKreuzKirche 1752-54建、昔のイエズス会学院。フレスコ画。
旧ウルスリン修道院 EhemaligesKloster der Ursulinen 色付きの前面のあるロココ
の教会。
ヨハネ教会 JohanisKirshe ドミニクス・ツイマーマン設計による後期ロココの教会。
新町博物館 NeustadtMuseum 昔のイエズス会の高等中学校、地方山地芸術・
町の歴史・レッヒ川とアマー湖の絵画等を展示。
シュブ博物館 SchubMuseum 多くの地方や有名な人物の靴の収集品。
染物館 FaeberHof 昔の町の染め物工場。
市庁舎 | 地方門 |
レッケル塔 | 西壁 |
Hofberg | 旧市街 |
Trausnitz城 | 聖マーチン教会 |
Jesuiten教会 |
1204 バイエルン侯爵ルードヴィッヒ・ランツフートは城と町を築いた、 1250 町の一次拡大、
1253 硬貨の鋳造、1280 町の二次拡大、 1320 三位一体広場に町の三次拡大、
1338 町の第四次拡大 Freyungの町設立 新市壁はドミニコとフランシスコ修道院を守る、
1340 町の第五次最後の拡大、 1342 大火で112戸焼失して 石造が増えた、
1392 フラデリック侯爵が町に居住、 1536 侯爵ルードヴィッヒ10世は宮殿を建設、
1632.34.48 スエーデン軍等の占領略奪、 1704-15ス ペイン承継戦争で墺の占領、
1742-45 墺の支配下で墺継承戦争 1771 中世の市門撤去開始、Spital門解体、
1802 世俗化にとる修道院の解散、 1809 ナポレオン敗北し墺が町を占領、
1945 空爆による被害、米軍の進駐。
強力な防衛塔と頑丈な市壁と広い堀による要塞は、1232に記録が残っている。
13cから拡張と増強を行ったが、17cの30年戦争以降に破壊が始まり18cから取崩
された。市壁が残っているのは東側の山沿いである。
16cには、対岸の門を含め9門と30余の壁塔が在ったが、多くは破壊された。
城家門 BurghauserTor (1209) 城の入口の南にあり東方向の2階建の角
塔。塔の銘刻によると1209設立とあり、1447に装飾した記録もある。
地方門 LaendTor (13c) 東への一次市壁の3階建の門である。1812拡張
と運河開設で狭くなり門の側塔とツインガー壁は取り壊された。
壁塔 RoecklTurm (13c) 5階建ての大角塔、イザール川に面した中世の市壁
の前の要塞の一部であり、1990に修復され文学カフェとして使われる。
幅広い中心の歩行者専用道路Altstadtに市庁舎と聖マーチン教会があり、大きな
建物が並ぶ地方中心都市である。
市庁舎 Rathaus (1380) 市庁舎はゴシックの3つの尖った切妻が一つに纏ま
った前面を構成している。初めは中央の家を町の評議会が購入して使用した
が、1452に角の家を、1503に3番目の家を購入した。角の家は1570に張出窓が
整備された。繰り返された改造の後に1860にネオゴシックの前面となった。今は事
務所・展示場・2階の大会議室・地階の食堂がある。
郡庁舎 Landschft Haus (1225) 前面に模様のある4階建ての建物で軒が
ある。1255-90に新しく組織された下バイエルンをここで統治した。1796と1971に
前面塗装は再施工された。
トラウスニッツ城 Burg Trausnitz (1204) ヴィッテルバッハ王家の家系発祥の城バイエルン
のルードヴィッヒ1世によって創立された。1255-1503はこの町が下バイエルン公国の中心
であり、城は、宮殿と中央官庁所在地としての重要性があった。城の全盛期
は16cであり、バイエルンのお世継ぎがこの町で成長した。
聖マーチン StiftsBasilika St.Martin (1385) 町の教区と合議教団の教会
聖マーチンは、ハレン教会として始まり、1500にゴシックの珍しい垂直的な建築様式の教
会として完成した。塔は130.6mと世界で最も高い煉瓦の塔である。
精霊教会 Heiliggeist Kirche (1407) 後期ゴシックの壮大な3身廊ホール教会
で、北側に塔、南側に2階建ての聖具室があり、1464西入口が完成した。
聖十字架教会 HeiligKreuz Kirche (1698-1700) フランシスコ会の修道院教会
として建てられ、世俗化で1802女子修道院は廃止され、大学や神学校と教会
として教会として1999市が所有し、2002-04にバロックに復元された。今は、聖
職者文化の展示と音楽・催物の大ホールがある。
ロークス礼拝堂 Rochus Kapelle (1497) 後期ゴシックの単身廊煉瓦造の構造で、
市民や商人の寄付で建てられた。15cに霊魂の家と天然痘の家が礼拝堂に建
設され、前者は町の病院となり、後者は1808に民家になった。
彫刻美術館 Skulpturen Museum in Hofberg (1998) 東側の市壁に面して
あり、彫刻とアフリカ芸術等を展示。
回廊博物館 Museum in Kreuzgang (1999) 旧フランシスコ会修道院が1803に世俗
化の後、定期的に展覧会が開かれている。
市庁舎 | 南壁 |
西壁 | 北西壁 |
北中壁 | 北東壁 |
ライム塔 | 市教会・郷土博物館 |
954 町で帝国議会の開催、 1021 皇帝からの寄付でバンベルク大司教に、
1248 ホーエンツオーレルン家が町を購入、 1329 市場権を授与された、
1360 都市権を受け裁判所を置く、 1618-48 30年戦争で何回も占領された、
1720 大火災で市庁舎も焼失、 1791 辺境伯は町をプロイセンに売却、
1806 最終的にバイエルン王国に帰属、 1936 空襲、1945 数回の空襲で被害。
14Cに要塞が作られ、1875-91に一部分取り壊された。
主として北側と西南側に半分近く残っている。
残った市壁の近くに、聖門・書記門・下門・上門・があり、菩提樹塔と共に
1875-91に都市美化協会の諮問で全て取り払われた。1966には見張小塔また
は狐小塔も取り払われた。
菩提樹塔 LindenTurm (14c) 取り壊されたが、千年祝賀記念として
復元された。3階建て各屋根の円塔である。
修道院を中心として、木組みの家が残る細長い町。
修道院 Kloster (1409) 1460軍の侵攻で破壊されたが8年で再建。
1537修道院は世俗化された。1560-1801辺境伯の管理者事務所として使用
され、1797-1806はプロイセンの兵舎になり、その後教区司教館と校舎として
使用。
町教会 Stadt Kirche (1369) フデリック4世が寄贈した。1409からはれ、
1797-れ、1797-会となった。修道院回廊の南側に位置した。今は新教教会
である。
聖ゲオルク教会 St.GeorgsKirche (14C) 1407に文書言及された。1488
に入口は改修され、ゴシックの尖頭アーチと内陣がある。1936に15cの壁画発見。
15cの聖ゲオルク木像・1688の説教壇・1699の洗礼盤が有名。
市庁舎 Rathaus (1727) 1720の火災で焼失後に砂岩の建物を建設。
郷土博物館 HaimartMuseum (1622) 昔は旧墓地礼拝堂であった。
1957からは
博物館となり、石器時代からの町の歴史を展示。
市庁舎 | マルクト広場 |
下門 | 上門 |
砲台塔 | 宮殿 |
北壁 | 南壁 |
1243 エンゲルトハル修道院の文書で初言及、 1268 城と集落はバイエルンとなった、
1275 市場の開催に言及、 1464 工場で4研削ミル・4製材所・12ハンマーが稼働、
1353 皇帝カレル4世は町を購入、 1355 皇帝カレル4世は都市権を授与し要塞化、
1360 皇帝カレル4世は城を再構築、 1375 ヴィッテルスバッハ家に所有権が移った、
1504 ニュルンベルクの財産になった、 1553 2次辺境伯戦争で町は破壊、
1806 再度バイエルン領となった、 1908 町は区役所から地区事務所となった。
1945 2次大戦の大きな被害は免れた。
1430町と城との間の袖壁を構築、15-16cに砂岩切石積の市壁を建設。
一部防衛通路を含めて残っている。
ニュルンベルク門 Nuernberger Tor (1526) 下門とも呼ばれ、2階建長方形の切妻
屋根の砂岩切石造で、アーチ通路がある。
ヘルスブッヒャー門 Hersbucher Tor (1476)上門とも呼ばれ、4階建の尖塔付き四角
塔で、アーチ通路がある。
砲台塔 Betterie Turm (15c)ユダヤ塔とも呼ばれ、15cの柱廊と寄棟屋根付半円
3階建砂岩切石の塔で、3階部分は木組構造の屋根付き通路が付いている。
市壁・門・塔が残り、幅広く長いマルクト広場に面して、16cからの木組の上
階や切妻が連なって見事である。
旧市庁舎 AltesRathaus(1553) 細長い2階建の砂岩造の建物で、切妻屋根の上
には鐘楼がある。1603に再建された。
宮殿 Schloss (1356-60) 皇帝カール4世の下で切石造の建物は建てられた。16-17c
に三角形中庭を囲んで2-3階建に増築され、1801北と東に新宮殿翼、西は旧
建物、南には門塔が建てられた。
聖ヨハニス教区教会 Pfarrkirche St.Johanis(1350-60) 14cの核に1550の拡張と5
階建の塔の建設、1680八角形の塔とタマネギドーム、1689-1710内陣の更新。
聖サルバドール墓地教会 Grabstaette St.Salvader (1658-59) ネオロマネスクの砂岩造天
窓と尖塔のある建物。19c元霊安室を寄棟屋根とした。
旧校舎 Ehem.Schlhaus(1911) バロックの浅い寄棟屋根と接続階建ての大規模2階
建木造建物で正方形の塔を持つ本館は美しい。
旧税関 Ehem.Zollhaus (18c) 平屋腰折屋根上階木組の大規模な建物。
病院 GlockenGiesser Spital(16c) 1554-58の辺境伯戦争の後に再建された。17
-18c拡張の2階建上階木組の建物。今は市公文書館。
旧発電所 (16-19c) 発電所1(18c)2階建切妻屋根・上階木組の建物。発電所2
(19c)2階建切妻屋根レンガ造の建物。旧ミル(1544)砂岩切石造2階建。
元デュプレックス(1682)3階建基地妻屋根・上階木組の建物。
宿屋 Gasthaus (17c) 幅広い前面の2階建切妻屋根砂岩造の建物。
宿屋 Gasthaus (17c) 2階建切妻屋根・上階木組の建物。
宿屋 Gasthaus (17c) 赤い牡牛と呼ばれ、2階建切妻屋根・上階木組の建物で、
正面に1782の年号がある。
宿屋 Gasthaus (1627) 2階建切妻屋根・地階砂岩上階と切妻木組の建物。ヴィルデ
ィコンと呼ばれ、17-18c中庭を囲んで2階建でグループ化した。
旧森林官の家 Ehem.ForsterHaus (15c) 城に壁を取付けられた平屋切妻屋根の
家で、1800と1900に修復されれた。
住居と商店 Wohn und GeschaeftHaus (1556) 急勾配屋根と切妻は木組の2階建
の建物。梁に年号記入。18cに改造された。
住居と商店 Wohn und GeschaeftHaus (16c) 2階建切妻屋根・上階は豊かな木組
の建物。16-17cに改造された。
住居と商店 Wohn und GeschaeftHaus (18c) 2階建切妻屋根砂岩造の広い前面の
マッシブな建物。
住居と商店 Wohn und GeschaeftHaus (18c) 2階建切妻屋根・横向のの家で上階
は木組である。
住居と商店 Wohn und GeschaeftHaus (17c) 2階建切妻屋根上階木組の家。19c
に増築された。
旧都市農民の家 Ehem.Ackerbuergerhaus (18c) 2階建切妻屋根・上階切妻の家に
倉庫もある。
旧鉄砲屋 Geweherhaus (17c) 2階建切妻屋根・大規模な床と切妻トラスの建物。
手工業者の家 Handwerkerhaus (16c) 3階建切妻屋根の家。1812更新
手工業者の家 Handwerkerhaus (17c) 2階建切妻屋根・上階木組の家。
手工業者の家 Handwerkerhaus (18c) 2階建切妻屋根・上階木組の家。
住居 Wohnhaus (1580) 狭い2階建切妻屋根・上階木組の家。
住居 Wohnhaus (1799) 2階建腰折屋根・上階木組の家。
住居 Wohnhaus (1553) 市壁の上の2階建切妻屋根・大規模な床トラスの家。1553の
年号の梁がある。1660に2階建木組に家を延長した。
住居 Wohnhaus (1625) 市壁の上に構築された2階建切妻屋根・上階木組の家。
上市門 | 下市門 |
南西壁 | 南壁 |
Rupertus広場 |
748 バイエルン侯爵はザルツブルク司教に町の財産を贈る、826ザルツッハ川の塩舟運、
1050 ザルツブルク大司教は為替業務を町に、1160 大司教は町で教会会議開催、
1166 皇帝フリードリッヒ1世は城中で裁判、 12c末 町は市壁で守られた、
14c末 プッヒハイム大司教の船の拠点構築、 1417 全ての船27の権利を買収、
18c末 9800tの塩が町を通じて出荷、 1813 ザルツッハ川はバイエルンの国境に、
1866 鉄道の敷設で船は塩の運送を失う。
市壁は1251に言及されるが12c末には町を囲んでいた。凸凹のある市壁は
上部で0.7m下部で1.5mの厚さで12-13mの高さがあった。市壁は戦争の時代
に継続的に拡大強化されたが、今はAm Stadt Parkに僅か20mしかない。
上門 ObersTor (13c) ザルツブルク門とも呼ばれ、4階建四角塔で四角錐
屋根の上に鐘楼がある。前面は2mの厚みがあり、前には堀と架橋を備えザルツ
ブルク大司教の紋章がある。
下門 UntersTor (13c)橋門とも呼ばれ3階建ての四角塔である。川側
門で夜には閉めて唯一の鍵は市長が持っていた。門の左に1816の旧税関の建
物がある。今も右側に市壁の跡がある。
牢獄塔 Fronfeste (13c)市壁の一部として4階建て角塔は町の防衛施
設であった。17cには刑務所となり、1891-92に隣の建物は刑務所の容量不足
で建てられ1946女受刑者を収容した。1951宿泊施設に改造され、今は市公文
書館になっている。
サルツッハ川の湾曲して凸の場所にある小さな町で、宮殿から教区教会までの
大通りの両側に2-3階建ての」大きな建物が並んでいる。
旧市庁舎 AltesRathaus (1474) 4階建尖塔付の建物で1564-66に漆喰の
前面となり、1796に大規模な再構築が行われた。1862大規模改修が行われた
が、1975には新市庁舎に移った。今は文化的行事や祝宴を開催。
新市庁舎 NeuesRathaus (15c) 4階建てのハウンスペーパーの邸宅として建て
られ、1700まで大司教の役所、1862裁判所後に地区事務所で使われ1975から
新市庁舎になった。
宮殿施設 Schloss Anlage (8c) 初め要塞化された建物として記述され
1478-1702はザルツブルク裁判所が置かれ、1702大司教の夏の離宮と狩猟館に4階
建で再建された。1862-1930囚人収容所と短期兵舎になり、1970に改修され
てアパート・オフィス・診療所・店舗として使用された。
教区教会 Stifts Kirche (1330) 初めのロマネスクのバジリカから、塔だけを
残してゴシックの門と回廊アーケードを持つ教会に大改造された。1655主祭壇も1800
に改装され、唯一翼祭壇のみ古い。教区の芸術収蔵物が置かれた。
聖ミカエル礼拝堂 St.Michael Kapelle (14c) 東西の端が回廊で結ばれた地
下納骨堂の礼拝堂で、バロックの大理石祭壇カが19cに置かれた。回廊は16c貴族
の墓へ接続する後期ゴシックのアーチの柱廊として作られた。
カプチン修道院 Kapuziner Kloster(1655) カプチン修道士は1647から活動し、
1655に修道院の基石を置いた。1659聖ペテロ、1663修道院教会の奉献がなされた。
1887火災後に再建され、一次軍に接収されたが戦後1945に返還された。19
96からはバイエルン州の自然保護施設となり教育・宿泊施設となった。
市庁舎 | 病院教会 |
シッメル塔 | 侯爵宮殿外壁 |
東壁 | 南壁 |
750.802 フルダ修道院寄付目録に言及、 1200 皇帝バルバロッサは新都市建設、
1216 アウグスブルク司教は町に修道院を庇護、 1265 町をバイエルン侯爵に売却、
1301 ハプスブルク国王は町を征服、 1325 バイエルン王ルードビッヒ4世は町を承認、
1405 バイエルン・インゴルシュタト公は町を売却、1442皇帝フリードリッヒ3世は都市権を授与、
1504 バイエルン・ミュンフェン公まちを占有、 1546 皇帝チャールズ5世は町を取得、
1566 皇帝マクシミリアン2世は町の自由を確認、 1627 ペスト流行、1632スエーデン進駐、
1634 帝国軍占領でカトリック復活、 1640スエーデン軍が奪還して要塞強化、
1648 バイエルン軍が町を包囲、 1702バイエルン選帝侯は町を占領、
1704 スペイン継承戦争で町は荒廃、 1742 墺継承戦争で仏軍・ハンガリー軍駐屯、
1777 町はバイエルン選帝侯領となった、 1790 町を大火災が襲った、
1806 バイエルン王国領となった。
スタウフ時代(1152-54)の市壁は、西南と東にかけて残されている。胸壁市壁
100m、擁壁として50m。1307初めの拡張の市壁は、西南に擁壁として20m
東南に筋交いの繋がり20m、土台として100m、壁上通路付きで60m残っている。
1413第2回目の市壁の拡張は沼沢地を含めて行われた。1867-76市門と市壁の
除去が行われた。
飲物門 Trunk Tor (15c) 市壁の出入口として市壁と共に建設。
シッメル塔 Schimmel Turm (1478)市庁舎前広場の西南に、9階建角塔の
上に2階建の八角形塔更にその上に3階建南欧風ランタンが立つ全高54mの高
塔った塔からの展望はすば2階の北側には、地区の紋章がある。
壁塔 Mauer Turm (15c)市壁に立つ円塔である。である。
壁塔 Mauer Turm (15c)3階建レンガ造の塔である。19cの後半に、軒蛇
腹と登錫冠が付けられた。
市庁舎 Rathaus(1782) 火災の後に3階建新古典主義の新しい建物
が建られ、中央門上の扁額に碑文がある。地階のガラス絵と高貴な階段で
上階の祝宴会場へ至る。
侯爵宮殿 HerzogSchloss (1492) 侯爵ルードヴィッヒ9世が建設を始め、息
子の侯爵
ジョージ・リッチが両側に円塔のある2翼の宮殿を完成させた。その後用途に応
じて再構築され、1559-63は公爵パラティーノ・エリザベス未亡人が住んだ。18-19
cに荒廃し、塩・穀物の貯蔵庫として使われた。1868に町が取得し客室・体
育館・博物館となった。今はエリザベス財団が治療住宅・老人ホーム・ケアセンターとし
て近代的な施設を備え、広域で使われている。
聖アンドレアス教会 St.Andreas Kirche(1416) 30年戦争の損傷は町が修
復した。
1721-25内装のバロック化が行われた。教会は台形の本堂と三面内陣のアーチ
がある。1921-25天井画と祭壇画が描かれた。
病院教会 Spital Kirche (1270) 現在の建物は1869-70に建てられ、
デューラーの贖罪の祭壇画がある。
聖マーチン教区教会 Stadtpfarr Kirche St.Martin(16c) 1515-21古い建
物の上にゴシックのホール教会が建てられた。長方形のホールは長さ62m幅22mの
大きな身廊の建物で、1520の十字架、1768の西側フレスコ画、1881ネオゴシック
の説教台、高さ56mの鐘楼もある。
アウグスチン教会 Augstiner Kirche (1295) 修道院教会で聖ヴィラーノヴァ・トー
マスの聖体拝領された。切妻のある今の建物は、1716古い基礎の上に建
てられた。祭壇は古典的な様式で、1791天井フレスコ画が描かれた。
郷土館 Heimathaus (1783) 聖アグネス修道院元副院長の建物であった。
今は博物館として、地階には旧石器・新石器・青銅器・ローマ・アレマンの時代
の展示品があり、上階には近世の政治・民族芸術・屋根裏・工芸・農具な
どを展示している。
市博物館 Stadt museum (2002) 旧修道院宿舎に更新して開業した。
一般地質・岩盤からの鉱物・川の収集物・氷河期の化石・石器時代の遺物
等を展示。
市庁舎 | 聖ファイト教会 |
ライプハイム宮殿 | 家無し塔 |
コウノトリ塔 | 東壁 |
西壁 | 北東壁 |
南東壁 | 南壁 |
1063 騎士ヴィプラヒトの贈与証書に初言及、 11c、城はドナウ渡河を守った、
1225 法王ホメニウス3世はアイヒゲン修道院を所有、1270-1373 町をグエッセン家が支配、
1330 バイエルン皇帝は都市権を授与し、上の町の市壁の建設を許可、
1375 町はヴュルテンブルク伯爵に売られた、 1453ヴュルテンブルク伯爵は町をウルムに売却、
1453-1802 帝国自由都市ウルムは町を350年支配、1525 農民戦争で制圧された、
1566 皇帝マクシミリアン2世は町の自由を確認 、 1627 ペスト流行、1632スエーデン進駐、
1634 30年戦争で帝国軍が占領、 1816-19 町を大飢餓が襲った、
1818 行政改革の過程でバイエルンの自治体となった。
14-15cに造られた市壁は、今もほぼ全域に残されている。
門塔は全て壊され、南西と南東の隅塔が残っている。
家無し塔 Hauserles Turm (14-17c) 南東隅の角塔で、今は配水塔とし
て使われている。
コウノトリ塔 Storchen Turm (14-17c)南西隅の角塔である。
ドナウ川上流部の右岸にある小さな町で、市壁と市堀が良く残されて
いるが、その他の見るべきものはあまりない。
ライプハイム宮殿 Schloss Leipheim (1065) ホーエンシュタルフェン時代の建物は壊れ、
1559今の姿で再建された。初め貴族が後にウルムの代官が住んで町を支配し
た。
十分の一倉庫 Zehnt Stadel(1585) 中庭の端にあり、復元された建物
は市民ホールとレストランになっている。
博物館 Blaue Ente 30年戦争で破壊され、1647に部分的に再建された。
1987博物館を併設して、郷土・農民戦争の博物館として町と農民戦争の展
示がある。旧ビール醸造所はビール博物館として試飲ができる。
プロテスタント牧師館 Ev.Pfarrhaus(1580) 木組の家。
精霊病院 Spital Stift (1315) 市壁に直接に立つ木組の建物で、町の
貴族が寄贈した。
助祭社交宿泊所 Diaconul Sozialistation 旧病院の中庭にある2階建の
木組の建物。
聖ファイト教会 St.Veit Kirche (1330) 1448に高さ45mの塔を添加して、ゴシ
ックの教会は完成した。
マルクト広場 | 上門 |
下門 | 下門外壁 |
南壁 | 北壁 |
西壁 | 東北壁 |
1000 皇帝の別荘として狩証書に初言及、 12-13c 町に昇格した、
1318 城伯フレデリック4世に市壁の町を売却、 1407 フリードリッヒ6世は町に未亡人を、
1450 辺境伯アルプレスト・アキレスは、 1555 大火災で町の大部分を焼失、
1594 ほぼ150年間ゼクセンドルフ家が所有、 1627 ペスト流行、1629 略奪と占領、
1688 仏軍の進駐で町は疲弊、 1791 最後の辺境伯フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世、
1806 ホーエンツオーレルン家の終了でバイエルンへ、 1945 米空爆による深刻な被害。
1318市壁と二重堀を廻らせた楕円形の町を2門で守った。1407拡張され、外
側は漁業の外堀で囲まれた。1739部分的に上部が付けられた。1945大戦後にも
旧ツインガーのあるレンガ壁が残された。
上門 Oberes Tor (18c) 北門として切石の角塔で、腰折屋根。
下門 Unteres Tor (1525)南門として古い門塔には2階建の門家が18cに
に付けられた。内側に中世風の丸いレンガ塔がある。1970に改修。
歴史的な木組の家を市壁と2門塔で囲んでいる。マルクト広場は典型的なフランコニア
の景観を提供している。ドイツ航空先駆者博物館は一見の価値がある。
市庁舎 Rathaus (15c) 旧市庁舎は1555の火事で周辺の家屋と共に失れた。
その後の建物は30年戦争を生き抜いたが、1785に取壊された。現在の市庁舎
は地階に肉・パンの屋台があり、2階は法廷と祝祭広間、3階には会議室があっ
た。今は都市行政と街の古文書館となっている。
航空博物館 Plan Museum (1624) まず地域の裁判所が建てられ、穀物倉庫
として十分の一税が廃止となる1846まで使われた。1879バイエルンの終りまでは
地方裁判所が置かれた。1902先生の住居と守衛の部屋があり、戦後は宿泊所
となった。今は航空先駆者グスタフ・ボ-ルトの博物館となっている。
聖ペーター教会 St.Peters Kirche (14c) 初めの木造教会は14年間使われた。
1432に砂岩の塔と身廊に着手し、1605には更新された。1606-07の最初のオルガ
ンが置かれた。1719-21に2番目のオルガンに代わり、1807教会の大改修と共に今
のオルガンになった。
上市場路地 Ober Markt Gasse (1988) 旧市街地の上と下のマルクト路地は、都
市再開発に伴い復元された。
市庁舎 | 赤塔 |
下門 | 上門 |
西北壁 | 南西壁 |
東壁 | 市宮殿 |
市教区教会 | マルクト広場 |
1142 シュバインフルトの伯爵はバンベルク教区に町を遺贈した、寄付文書で初言及、
1231 アンデックス・メラニーアン公爵オットー1世は毎週市場権を授与、
1248-60 公爵オットー2世は町を支配、 1260 バンベルクが町を支配、
14c 3門5塔の市壁を建設、 1400 市庁舎と教会を建設、
1525 農民戦争で略奪と破壊、 13c-1802 バンベルク司教は600年支配、
1802 バイエルンに帰属。
14cに3門5塔の市壁が町を囲んでいた。17cに数回更新された市壁の多くは
1844-45の鉄道建設などで取払われた。今は僅か修復されて残っている。
下門(バンベルク門)、上門(クロナッハ門)、石臼門(コーブルク門)の3門と5塔が在った
が2門1塔しか残っていない。
上門 ObersTor (15c) 高さ41mの塔は15cに完成したが、1551に上部が壊
され、1802最上階と天蓋が新設され、地上階は監獄で使われた。1896まで
上階に守衛が住んでいた。
下門 UntersTor (14c)14c中に造られ、1618床や屋根は再建された。
1830-31守衛詰所を解体し交通のために通路を拡幅した。
赤塔 RoterTurm (13c)市壁の最高点に立ち、隣には市宮殿がある。
1681市壁と胸壁は更新された。
小さな町であるが、平らで広いマルクトが旧市街の中心である。
市庁舎 Rathaus (1400) 初めは木組の庁舎であったが、1740-45に今の姿
で新築された。家築主バンベルク司教の紋章が正面に飾られ、中央門上には
14cの古い町の紋章がある。
市庁舎Ⅱ RathausⅡ (19c初) 旧税務署・警察署の建物は、1970に補修さ
れ、今は市会計課・市建築課・市財務課・市図書館を収容している。
市宮殿 Stadt schloss (1555-56) 町のシルエットを形成する要素として高く
目立つ場所に建てられた。最近の貴族の所有者は1602バンベルク司教に売っ
た。30年戦争では兵舎として、後には穀物倉庫として使われた。1970町は
市宮殿として建物を買い、修復で16cの絵画が露出された。市宮殿は、今
は会議・セミナー・文化などの催し物に使われる。
カソリック教区教会 Katholische Pfarrkirche (14c) Maria Hinmelfartとして
古い鐘楼の部分に1483-87ゴシックの内陣を構築した。16c初に身廊は延長され
た。内部は主として18c前半に整備された。
聖ヤコブ礼拝堂 Kapelle St.Jakob (14c) 市壁外の山上の礼拝堂で、今は
ヤコブ巡礼の重要な地点であり、ヤコブの道のニュルンベルクへの出発点となる。
病院教会 Spital Kirche (1395) カソリック病院の教会で、30年戦争で破壊は
ヤコブ巡礼後1653に再建された。
旧営林署 Ehem.Forsthaus (1752-54) 旧営林署は3階建て砂岩切石造で建
てられ、今は書店である。
箱館 Kastenhof (16c) マルクトにある元市民の家で、その後基礎学校となり
1608から事務所、1804からは会計課で使われた。
市博物館 Stadt Museum (1753-54) 旧バイエルンビール醸造所の赤レンガの別荘
で、1962に市が取得し賃貸住宅となった。1998-99市博物館となり、市域・鉄
道・バスケット取引・市の歴史・Schneyer磁器に付いての展示がある。
市庁舎 | 市博物館 |
ステファン教会 | マング搭 |
湾口搭 | 歩行者ゾーン |
東壁 | 旧市庁舎 |
市教区教会 | マルクト広場 |
810-20 正教会の修道院設置、 882 ザンクトガレン修道院の寄付調書に初言及、
1079 市場は安全のため島に移転、1180聖ステファン教会・1224 フランシスコ会修道院設立、
1274ハプスブルク.ルドルフ1世は都市権確認・帝国自由都市、1496マクシミリアン1世は国会開催、
1500シュバーベン帝国に属す、1528宗教改革でプロテスタント、1646スエーデンの包囲に耐えた、
1728 大火事で中心部は焼失しバロックで再建、1803自由帝国都市の地位を失った、
1804 オーストリアに与えられた、1805バイエルン帝国へ割譲、1939独国陸軍の宿舎を設置、
1945 仏軍は戦わずに町を占領、 1956 バイエルン自由州に再統合。
島の要塞は12-13cに建設された。北東部に始まり、西部は13cに拡張され、
1500からは西半分に延長され、1508に西端に火薬塔が建てらた。17cには要塞の
強化が行われた。19c初めから市壁と門は取り壊されて、1853-56に石材は主と
して港の拡張に使われた。残っているのは、北側UnterMauerStr.に370mと旧市
壁の西北部に130mとHaidenMauerに20mである。別に西半分の湖岸線には17cに
塹壕道が築かれた。
泥棒塔 Diebs Turm (1370-80) 旧市壁の西側に在った円塔で八角形の先
のとがった円錐ヘルメットを持ち、ヘルメットの周辺に8小塔が取り巻いている。長い
間刑務所として使われたためこの名前が付いた。
マング塔 Mang Turm (12c)昔の灯台の一つで、5階建て高さ20mの塔は、正
方形の上に見張り塔と尖塔が乗っている。1180-1856まで灯台として使われ、
旧市壁の南側始点であった。
火薬塔 Pulver Turm (1508)西側の湖の中に2階建て6角屋根の円塔があり、
1897に改造された。
新灯台 Neuer Leucht Turm (1856)港の南西堤防の先端に、基礎から先細り
で最上部に灯台が張り出した、高さ36m基礎周囲24mの円灯台がある。
カールス要塞 Karls Bastion (16c)南西側湖岸に作られた塹壕小道の中ほどに、
カールス要塞があったが、今は基礎の上に記念碑が建っている。
ステルンシャンツエ Stern Schanze (17c)北西側鉄道堤防の湖岸西側に昔の要塞があ
った。
旧市街地には、狭い中に建て替えられて主要な建物が詰め込まれている。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1422) 初めはゴシックで建てられ、1567に階段切妻
のルネッサンスの3階建ての建物になり、北面は屋根付き階段が2階に達し、装飾され
た時計があった。19cに南側前面に市の歴史の絵画が描かれた。マクシミリアン1世は
この会議室で1406と1407に帝国議会を開催した。
新市庁舎 Neues Rathaus(1706-07) 旧市庁舎の側に立つ寄棟屋根切妻付きの
3階建ての建物で、1885に改修された。カリオンは毎日11時45分に鳴る。
カヴアツエンの家 Haus Cavazzen (1728) 寄棟屋根のバロック彫刻のある前面の絵
画の邸宅。1929-2018は市立博物館として使われ、かいそうちゅうである。
聖母大聖堂 Muenster Unserrer Lieben Frau (810) マルクト広場にある大聖堂の
起源は、810に遡り、千年間はカノネス修道院の教会であった。火事の後1728-41に
バロックで再建された。1922に全焼した教会の中にはバロックの天井画と赤と金で装
飾のあるロココのインテリアがある。
聖シュテファン教会 Kirche St.Stephan (1180) 始めマルクト広場の聖母大聖堂の南隣
に、ロマネスク3身廊の教会が建てられ、1506に現在の外観となった。1781-82に祭
壇と漆喰はロココで再設計された。タマネギドームの高さは58mである。
聖ペテロ教会 St.Peters Kirche (11c) この町で最古の漁師の教会として建
てられ、1180に新しく教区教会が建てられると重要性を失いった。13cには西
に6m拡張され、1802に世俗化された。1920には戦争記念碑となった。
バレフッサー教会 Barfuesser Kirche (1380) ゴシックの平屋の教会で、フランシスコ
会修道院使った。1528に地方公共団体に引き渡され、1641に学校として使われ
1887に市劇場として使われている。
旧修道院/地方裁判所 Ehem.Kloster/AmtGericht (1730-36) 、旧修道院は、
今は地方裁判所と地区事務所として使われている。
市博物館 Stadt Museum (1929) 15cからの絵画・彫刻・家具・手工業品・玩具
などの歴史的な文化が展示されている。
帝国都市図書館 Ehem.ReichsStaetsch Bibriotek 湖北岸最大の歴史評議会
市民図書館で、1528に解散したフランシスコ会修道院の蔵書に基ずき、15000冊を超え
る蔵書を有する.
旧市庁舎 | バイエル塔 |
西壁 | 東壁 |
壁 | 南壁 |
ガストハウス「クローネ」西壁 | 宮殿 |
1295 フランコニアに対する国境の城を初言及、 1333 バイエルン皇帝はリーネック侯爵を置く、
1363リーネック侯爵ゲルハルトは病院を設置、 1525 農民戦に加担の罪で10年間権利停止、
1559 リーネック家の断絶でマインツ・フイリップ3世へ、 16c マインツ選帝侯の町として繁栄、
1603-18 市民は反宗教改革に反対、 1611-29 魔女裁判が行われた。
1632 30年戦争でスエーデンが占領しペストも流行して、町の人口は半減した。
1803 マインツを脱しアッシャヘンブルク・ダンベルク公国へ、1810ナポレオンは町をフランクフルト大公国へ、
1814 バイエルン王国に帰属し地区事務所、 1875 旧マイン橋の開通、
1945 戦災は免れ戦後急発展。
14-15Cに市民の町と教会の地区を含めて二重壁が築かれた。市壁は19cに壊
され、北西 宮殿の裏や東南 教会の裏には残されている。
バイエルン門塔 Bayers Torturm (14c) 東南の角の門塔で、町塔とも呼ばれる。
周囲42m高さ90mの石塔で、146段の階段で警備員の住居へ登れる。塔の役目は
昼夜火災その他の危険を警告するために見張った。1979塔協会による毎年
のバイエルン塔祭りの収益で、新しい階段を付けて塔に登れるようにしたので、
夏の週末の午前中には美しい町の屋根と谷の景観が簡単に楽しめる。塔に
は町の紋章と町の色の黄と赤の旗で飾られている。
三角形の市壁が残る小さな町であるが、歴史的な建物や美しい木組の家も
よく保全され、落ち着いた雰囲気である。
市庁舎 Rathaus (1599-02) 地階には開かれたアーチのある3階建の建物に6角
形5階建の鐘楼がある。建設した石工の数は石のマークから21人と分かる。地階
のオープン市場は、市場広場と共に町の経済発展に寄与した。市庁舎の東には
砂岩の十字架が置かれている。1989市庁舎は移転んし、今は文化的な目的の
ために、音楽・講座・展示と図書館として使われている。
新市庁舎 Neues Rathaus (1985) 旧王室厩舎に在った地区刑務所の場所に
3階建の木造の建物が建てられ、1989から市庁舎となった。
宮殿 Schloss (1330-85) リーネック侯爵は、旧市街の北西の角に風格のある宮
殿を建てた。かっては堀と城壁に囲まれていた。1559マインツ選帝侯の領地とな
り、選帝侯の役人が来た。1872その後地区事務所となり、今はシューペッサート博物
館として多くの展示はスペッサー地方の人々の生活を表現している。鍛冶屋・陶芸
家・大工・ガラス屋・鐘屋の工芸品が展示されている。
旧市民の学校 Ehem.Buergerschule (1819) 2階建ての古典主義の家は市立
学校として建てられ、女子学校となった。 今は歌と音楽の学校とコミュニティ・
カレッジとしてコンピューター講習などが行われている。
旧マリア礼拝堂 Ehem.Marien Kapelle (14c) 教区教会の北の納骨堂で、1416
から旧聖マリア礼拝堂であった。上層階に1544-1603ラテン語学校があり、最初の
プロテスタントの牧師が居た。
旧地裁 Ehem.Amtsgericht (1842) 現在は警察の建物であり、旧修道院の
病院として古典的様式で建てられ、その直ぐ地裁として使われた。
旧商業学校 Ehem.Human Gymnasium (1904) 1902この町に商業学校が置かれ
後期ゴシックの建物を建て、今ゲオルグ・ルードヴィッヒ・レックス実業学校。
旧造林学校と森林局 Waldbauschule und Forstamt (16c) 城の敷地内に建
てられた2階建ての建物で、18cには造林学校と森林局として使われ、今は
町のコミュニティ管理所がある。
町教区教会聖ミカエル Stadt pfarrkirche St.Michael (11-12c) 古くからの東
教区の教会で、一時墓地礼拝堂であった。13c聖マーチンに捧げられ、ロマネスクの建
物から1460-1500後期ゴシックで再建され、高さ62mの塔が付き、1890-00に祭壇
が置かれた。教会自体が領主リーネブック侯爵家の墓であった。
木組みの家< /em> Fachwerk haus
旧ワイナリィ納屋 Ehem.Kellerreidcheune () 地階石積上階木組みの古い建物
で今は私立美術館と観光案内所となっている。
裕福な木組の家 Reiches Fachwerkhaus (1559) 地階はオープンな石積上階は
手の込んだ木組みの美しい建物。
二戸建の家 Spaetgotiisches Doppelhaus (1559-89) 後期ゴシックの二戸複合
の珍しい古い木組みの家で、上層階は美しい装飾的な木組みで覆われて
いる。
ガストハウス王冠 Gasthaus Krone (1587) 船員・商人・旅人の溜まり場であった。
地階は石積で王冠と呼ばれるブームがある、上階は美しい木骨造の切妻がある。
画家の角 Maler Winkel () 旧市庁舎の南に角に立つ3階建の木骨造りの大
きな建物で、宿屋「Zum Stern」を収容。
飾り木組家 Zier Fachwerkhaus (1589) 地階石積の上に2階建ての綺麗な木
組の上階がある。特にこの家は美しい。
市庁舎・市教会 | 下門 |
火薬塔 | 上門 |
東壁 | 東壁 |
壁塔 | 南壁 |
889 カロリング朝時代に入植地、1172 皇帝フリードリッヒ・バルバロッサは村に避難所、
1382 皇帝ヴュンツェルは町に昇格し都市圏を授与し堀と壁で囲った、1431市場開設、
1494 領主は町を何回も質入れされ騎士に略奪された、1525農民戦争時に売却、
1618-1648 30年戦争で生き残った、17-18c政治安定でワイン・手工業・貿易で繁栄、
1794 アンスバッハ辺境伯消滅でプロイセンへ、 1806 バイエルン王国へ所属、
1810-14 ヴルツブルク大公国へ属した、 1814 最終的にバイエルンに帰属、
1945 2次大戦の戦災は殆ど免れた。
1382の市壁はその後修正されたが、楕円形に近い長方形の市壁は、北東部
の一部を除いて多くが残っている。
中世に2門27塔のうち、2門19塔が残された。
下門 Unterestor (1400) 北西門 切妻屋根の切石積5階建ての外側と内
側に門の付いた塔。16cに2階建ての前衛門、17cに町側に2階建て寄棟屋根の
木造詰所が建てられた。
上門 Oberestor (1400) 南東門 尖頭アーチの入口には昔跳ね橋があった。
石積の角塔の上には八角形の塔とマンサード屋根が付いている。1648木製の梁に
碑文があり、改造されている。1930歩行者のための通路が開かれた。
火薬塔 Pulver turm (1400) 北東角 尖塔屋根の円塔で火薬庫として使
われた。
15壁塔 Mauer turm (1400) 東北1 屋根なし半円塔、東北2 尖塔屋根の
3階建て円塔、東北3 尖塔屋根の3階建て円塔、東北4 屋根なし半円殻塔、
東北5 円錐屋根付3階建て円塔。南東1 円錐屋根3階建て円塔、南東2 尖塔
屋根3階建て円塔、南東3 四角錐屋根角塔。西南1-2 円錐屋根2階建円塔。
西1 寄棟屋根2階建て角塔、西2 中折屋根角塔。北1-3 屋根なし半円塔。
田舎の市壁に囲まれた小さな町である。見るべき物は少ない。
市庁舎 Rathaus (1548) ルネッサンス3階建て切妻付の建物で、地階にはアーチの
オープン市場がある。1998地階の天井版は取り換えられた。
町教会 Stadtkirche Mainbernheim (1104) 元の教会を取り壊して、1732
基石に設置、1757祭壇が置かれた。身廊は寄棟屋根の長方形で簡素な前面と
なっている。入口と塔は身廊の横西側にある。
宿屋金冠 Goldene Krone (16c) 市庁舎の向かいあり、後の所有者である
ワイン商人の名前ポール家となっている。中世には君主の泊まる宿であり、1742
プロイセンのフリードリッヒ大王、1790プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世が宿泊した。
工場代表の家 Stammhaus Lebbuchenfabric (1480) 旧市街でも古い建物は
税関となり、自動車が道路使用のための納付金を受け付けた。1863フランケンで最
初のジンジャーブレッド工場が、この建物で創業し1902まで操業した。
修道院回廊 Klosterhof クロスター路地に目を引く紋章と入口があり、中には
シトー派修道院エグラレハの院長が住んだ建物がある。美しい中庭への入口は別にあ
い、中庭には階段塔もある。昔にはワイナリィがここに在った。
旧消防署 Ehem.Feuerwehr haus (1721) 市壁の外に位置する上階木組の
旧消防署で、今はクラブハウスとなっている。
市庁舎 | 教区教会 |
上門 | ニュルンベルク通 |
816 この村はトリューエンディンゲン家に所属、 1231 貴族ヘンネベルク家が支配、
1297 ホーエンローエの伯爵が村の所有者に、 1390 ヴュルツブルク司教は市場を獲得、
15c中 皇帝カール4世が町に市場権を授与、14-17c、ヴュルツブルク本山は何回も入質、
1802 世俗化でバイエルンへ、一時プロイセンへ、 1810 再度バイエルン王国へ帰属、
1794 アンスバッハ辺境伯消滅でプロイセンへ、 1806 バイエルンへ、
1810-14 ヴルツブルク大公国へ属した、 1814 最終的にバイエルンに帰属、
1862-79 行政と司法の場はシャインフェルトへ移された。
グラーベンなどの地名は、町の防衛施設の存在を思わせる。市壁らしき壁は
南西の角に30m見られる。
上・下2門の場所には、説明板が置かれているが、門の姿はない。
下門 Unterestor (14c) 下門の位置には、来客商売の「Zum Ross」まで
含まれる。
旅館の前の大きな砂岩の基礎が2001に発見された。この場所には13cにはヴュル
ツブルク司教が城を置いた。
上門 Oberestor (14c) 1864に市民の決定で取り除かれた。2014には、門
の家は復元され記念物として維持されている。
17cの2階建切妻屋根の建物と18cの木造腰折屋根の建物が、街並みを決定
している。近年リホームと新しい建物の出現で歴史的な景観が失われている。
市庁舎 GemeindeRathaus () 新しい2階建の庁舎が建てられた。
教区教会 Pfarrkirche (1614-16) 西階段円塔・ピラミット屋根の南側塔(高さ
60m)・北側入口に尖ったアーチ窓・切妻屋根の身廊。1770のオルガンがある。
旧会計局 Ehem.Rentamt (18c) 2階建腰折屋根切石造の建物は、その後
地方裁判所として使われた。
宿屋:馬 Gasthaus Zum Ross (1782) 2階建腰折屋根コーナー付け柱の建物。
住家 Wohnhaus (1723) 2階建寄棟屋根上階木組みの家。
住家 Wohnhaus (1723) 2階建切妻屋根木組フレームの家。
市庁舎 | マイン門 | |
堀 | 市壁 |
1266 初めての文書言及、 1496 簡単な防護壁が造られ始めた、
1557 フェルナンド1世は市場権を与えた、1594 門・塔を備えた市壁で守られた
1587-1600 市庁舎と市門を建設、 1806 バイルン王国へ数年後ヴルツブルク大公国へ
1814 最終的にバイエルンに帰属、 1919 都市権を獲得。
16Cには、高さ6mの市壁1.2kmが4門と11塔と共に造られた。市街の一部は
住宅の壁で構成される。通路以外の市壁は殆ど残っている。
1600建の4門は、1945の戦争で全て破壊された。
マイン門 MainTor 北 1600建、1945に戦争で破壊されたが、1946-47に復元。
白い塔 WeissenTurm 東 1601建、白い円塔に丸屋根。
壁塔 防御円塔に茶色トンガリ屋根の同型、FluersTurm南、StegTurm、
FallmeisterTurm、HenkersTurm西。
マイン川の南岸に中世の市壁に囲まれた小さな町である。古い町並みが残る。
市庁舎 Rathaus 1581建、階段破風とルネッサンス円柱で飾られている。
宮殿 SeinsheimerSchloss 1580建、17Cから領主の役所であった。
入口はローマ凱旋門風、東南に四角い塔。今1階はカフェとワイン酒場、その他は町
図書館・音楽学校・赤十字が使用。丘の上にそびえる。
ライオン宿屋 HotelLoewen 16C建、バイエルンで2番目に古い宿屋。
商店 WertheimerHaus1719 Haus zur Groe いずれもバロックの大商店。
博物館 MuseumMalerwinkelHaus 1600建、1991改修後に博物館、
ローマ人の部屋・女性の部屋等を展示。
クレーン 1784の洪水後にライン河畔に再建、直径9.2m高さ16mの木製クレーン。
旧市庁舎 | 聖ラウレンチウス教会 |
下門通 | 北壁 |
北東壁 | 南壁 |
南壁 | 通路 |
855 フルダ修道院付属修道院が土地所有、13c末 ホルツキツフェンが修道院を得て支配、
1397 町と呼ばれ市場を開設、 15c中 市長の選定、16c初 市庁舎を建設、
1522 ヴェルトハイム郡に宗教改革導入、 16c 町の黄金時代で商業の発展。
1556 ヴェルトハイムの断絶後シュトルベルクが継承、 1612ヴュルツブルク司教による反宗教改革、
1648-51 手工業・商業・建設業で町は回復、 1745 独初のスパーリング・ワインの生産、
1803 ヴュルツブルク大司教の世俗化でバイエルンへ、 1806ヴュルツブルク大公国へ、
1814 最終的にバイエルンに帰属、 1885 森林事務所の設置、
1945 橋の解体と米軍の侵攻。
1420には市壁は築かれた。北部と南東部に残っている。
1846に上門、1860に中央門、1863に下門が
取壊された。
美しい木組の家が多く残されている。川沿いの街並みは、18cに市壁が取
り除かれ、2-3階建の建物が見渡せる。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1865-66) 16cからの古い市庁舎から、1866に聖
ローレンス教会の校舎として建てられた建物に移され1960まで使われた。今
はコミュニティ・カレッジを収容している。
聖ラウレンチウス教会 St.Laurentius Kirche (14c) 旧教区教会の建物は700年に
わたり何度も立て直された。ロマネスク・ゴシック・バロックの様式を区分することが
できる。古い建物に時代の様式が調和して組込まれている。ヴュルツブルク司
教は1614に新装された教会を奉献し、18cには身廊が拡張され、バロックの前
面で完成した。
1690には人口増で第2の聖ヨーゼフ・カトリック教区教会が建設され、1982-83には
改装され祭壇や司教席が新しくなた。
フランクの館 FrankHaus (1745) フランツ・バレンティ・フランク(1702-83)は、幅広い貿易
とワイン生産者として裕福な市民で、この建物を建てた。建物の地階にはワイン
の生産貯蔵施設を中庭の周囲に配置し、上階は住居として使用した。建物
の中央にはアーチ門があり、中庭への入口であり、アーチの頂点にはライオンの像が
ある。1987に市が所有して改修し、文化の中心として宴会場・展示場・インター
ネットカフェ・住宅などに使わえている。
旧鍛冶屋 Alte Schmied (14c) 旧市庁舎の裏にあり、今はコミュニティ・カレッジ
として使われている。古い鍛冶屋で町の給水も行われた。
観覧鍛冶屋 Schauschmiede (1707) フランクの家の後ろの2階建の建物に、
歴史教会が常設展示している。旧納屋には古い鍛冶屋を再現している。
軒あり家 Traufseithaus (1778) 門アーチのある2階建全木組の家。
旧市庁舎 | 新市庁舎 |
旧市塔 | 旧市街南 |
聖ラウレンチウス教会 |
1140ヴァルトサッセン修道院の寄付調書で初言及、12cニュルンベルクの交易路に市場出現、
1339バイエルン皇帝はヴアルトサッセン修道院に譲渡、1340帝国都市エーガーに売却、1816まで、
1384エーガー市長から広範な自治権を授与、 1592 関税の収益で町は発展、
17c継承戦争や30年戦争で大被害、1560宗教改革で新教へ、1627カトリックへ戻った、
1788 鉱業と鉄鋼で町は復興、1703 ボヘミアの地方事務所設置、オーストリアカが駐屯、
1816 バイエルン王国へ、 1907都市へ昇格、 1918一次大戦後鉄のカーテンを外れた、
1919 自由のサークルになる、 1972 ゲンジージル地区へ組込まれて、地区内の町へ。
14cの市壁は強化されて、1551の攻撃を撃退した。17c30年戦争中も市壁
は更新・強化された。その後取り崩されて、今残るのはMarkt str.31の建物
に10mと、南東の壁塔に10mに市壁の残骸がある。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1384) 細長い南向きの2階建で、北向きの
サドル屋根・2塔・角出窓がある。16cに塗装された角の出窓が付けられた。
その窓の下に1592の年号がある。
新市庁舎 Neues Rathaus (1794) 風格のある古典様式の2階建て寄棟屋
根の建物で、中央は突起とスレートに覆われている。
聖バーソロミュー教会 Ev.St.Batholomaeus Kirche (1140) 2番目の建物は1384
にレッドウイック卿の城の礼拝堂として改築された。現在のゴシックの後陣は1480
から存在し1502にメインポータルの上に身廊が配置され、アーチ天井は1522にルネッサンス
で造られた。1534の火災で損傷し、塔は基部までしか再建できなかった。
1579-1607に教会は修理が行われ、1615には塔が完成した。
1822に火災で塔が壊れ1825に再建された。1922-26・1953・2010にも改修が
行われた。
聖ヨウゼフ教区教会 Kath.Stadt Pfarrkirche St.Joseph(1894-95) ネオゴシ
ックの3通路のレンガ造の建物で、尖ったヘルメットの聖歌隊側頭塔がある。
ルター派牧師館 Lutherlich Pfarrhaus (1840-41) 切妻の中央突起・ピラスター構
造・スレート屋根の2階建の建物。
家畜小屋付き住居 wohnstall Haus (1783) 2階建て切妻屋根の大きな建
物で、横方向に延長されスレートで覆われている。1783の年号の入ったドア枠
がある。
住宅と店舗 Wohnhaus und Geschaeftshaus (1623) 3階建て漆喰の軒側
の家。
住宅 Wohnhaus (1717) 2階建マンサード屋根で漆喰仕上げの建物で、年号が
入っている。
住宅 Wohnhaus (18C) 2階建て寄棟屋根の建物で、17cに後期バロックで更
新された。
市庁舎 | |
市庁舎 | |
12c カロリング王朝時のフランク王国であった、 1219 ヘネベルク侯爵は城を築いた。
13c ヴュルツブルク司教が所有、 13c 楕円形の町を市壁が囲み木塔が立った、
1273 町の最初の紋章に壁・塔・門を示す、 14-15c 今の市壁が構築された、
1803 世俗化でヴュルツブルク本山の地方管理事務所はバイエルンに移った。
1805 ビュルツブルク大公国に属した、 1814 最終的にバイルン王国に帰属した、
1972 これまでの郡庁所在地で無くなった。
14-15Cの市壁は、東北部を除いて殆ど元の姿で残されている。
上下二つの二重市門は、19cに破壊された。
旧下門 Ehem.UnteresTor (1340) 東南 市門は外側と内側の二重門で造
られたが、1865道路拡張で壊され、それぞれの側に円型の塔の穴とアーチ
門の残壁が見られる。門跡には1490と1607の領主司教の紋章が置かれた。
市民塔 BuergerTurm (14-15c) 北東隅 3階建の見張塔で、1723木造上
階とバロック玉ねぎ帽子付けられ、1985に改装された。
殻塔 SaelenTurm (14-15c) 東南 壁塔の切株がある。
泥地塔 SuhlesTurm (13-15c) 西南 外堀の壁に立つ見張り円塔で螺旋
階段がある。13cには木造で15cには今の石造となった。
半殻塔 HalbSchaelenTurm (14-15c) 西 半円の殻塔の切株が3基残る。
見張塔 WacheTurm (14-15c) 北西隅 円錐屋根の見張り円塔。
火薬塔 BuergerTurm (1356) 北 3階建ての円塔でかっては上門の一部
であった。重大犯罪の刑務所であったが1817壊された。1821上門塔と
ツインガー壁は取り払われた。
古い田舎の町で木組みの家並が残り、町の中央を狭い幹線道路が貫通する。
古い宮殿 Altes Schloss (11c) 1230ヘネベルク侯爵の城となり、1512
領主司教ロレンツが城を増築した。旧ヴュルツブルク本山の出先事務所となった。
今は管理機関と地方裁判所押して使われている。
城粉挽所 Burg Muehle (1303) 町で最古の粉挽所で、1780改築されて、
今も稼働している。
旧役務館 Ehem.Fronhof () 2階建て両切妻屋根の大きな住居で、城など
で働く貴族達が住んだ。
塩の家 Salz haus (1656) 塩はヴュルツブルク司教の重要な収入源であり、
生理食塩水から生産された塩は十分の一税として徴収され、この十分の一税
倉庫に保存された。1983博物館が置かれ、農業の町の生活と産業に付いて展
示されている。3階に地元の工芸品があり、収穫・耕作・庭・厩舎・納屋を再現。
教区教会聖キリアン Pfarrkirche St.Killian (1050) 初め教区教会として
聖別されたが破壊され、1162ヴュルツブルク司教が3身廊の教会を建て聖キリアンに捧
げられた。13二つの塔と内陣・3礼拝室が建設されたが、1496落雷で損傷、
1624後期ゴシックへ、1710-16後期ゴッシクの改修。
旧地区事務所 Ehem.Landrathaus (19c) 3階建ての大きな隅棟式屋根造
の建物。
旧病院 Ehem.Spital (1839) 2階建ての切妻屋根の建物で窓は半円が並
んでいる。1990-91ギャラリィーに改修、今はサークルのギャラリィー。
旧事務所宮殿 Ehem.Amtsschloss (1512) 3階建て2翼の東翼は階段切妻
がある。壁の紋章の石版には1512の年号がある。寄棟屋根の西翼階段切妻
は1712に建てられた。今は地方裁判所。
住宅商館 Wohn und Geschaeffshaus (17-18c) 2-3階建ての上階木組の
半寄棟屋根で美しい装飾トラス切妻も家である。
切妻の家 Gieber haus (1839) 木床・木組みの美しい上階が乗っている。
木組の住宅 Fachwerk Wohnhaus (16-17c) 2階建ての装飾的な切妻の木
組の建物。周囲に多くの木組みの家が見られる。
旧市街地 | マルクト広場 |
市庁舎 | ベッテル搭 |
リンダウ門 |
7c フランケンの宮廷が置かれ最初の教会が置かれた、1128 塩の街道の拠点に、
1286 ドイツ王が都市権を授与、14-16c 帝国自由都市の全盛期で建設・貿易が繁栄、
1445 新市門と新4塔と市壁は拡張した市街を囲った、1632 スエーデンが占領、
1702 バイエルン軍が町を包囲・占領、 1805 仏軍が町を包囲、1806 バイルン王国へ、
1945 2次大戦の空襲で町の30%が破壊された。
中世の市壁は2次大戦後も、北から西側に2kmの市壁が残された。
また古い堀は公園や緑地として残されている。
ウルマー門 Ulmar Tor 北
アインレッス門 Einless Tor 北東
ケムター門 Kemter Tor 南
リンダナー門 Lindaner Tor 西 (1371) 3階建て四角塔門方錐屋根、1647戦争で壊
され、ガーデンスタイルで再建された。
西門 Wester Tor 西
物乞塔 Bettal Turm 北東 (1471) 3階建ての円塔で円錐屋根。
魔女塔 Hoexen Turm 西南 。
シュマルツ塔 Schmanz Turm 北西 。
町の市門・壁塔・市壁と建物の切妻は中世の町の雰囲気を提供している。
15cゴシックのフラウエン教会の絵画と復元されたクロイッツヘレン教会のフレスコ画は見事である。
市庁舎 Rathaus (1589) 1765にロココに改造され、正面には湾曲した切妻があ
り、細かい漆喰のエレガントな3塔のある設計となった。地方政府の中心として使
われ、今は市長と市議会が使っている。
税務署 Steuerhaus (17c) 開かれたアーケードの建物で、18cに1階分継足され
た。1906-09現在の豪華なロココの3階建ての水平方向の建物に歴史主義の絵画が
描かれた。
大ギルド GrossZunft (1347) 別々のギルドがマルクトの東に建物を建て、切妻付
2階建ての大ギルドハウスがある。
青ソール BlauSoul 前面持ち出しの一部4階建ての建物で、西方向の角は町の
は七つのランドマークの一つである。
ハーマンの家 Hermansbau (1766) ベネティアの富豪ベネディクトはバロックの宮殿を建てた。
中庭を囲み4翼のハーマン造で、王や皇帝などの高位者を泊めた。今は市博物館。
聖マーチン教会 St.Martins Kirche 1499ウルムの建築家による凝灰岩の内陣には
美しい彫刻があり、南東の柱に作者の印が残る。八角形の塔頂部は1486に付
けられた。四角塔の文字盤は1524シュトリーゲルのよって作成された。
コロイッツヘレン教会 Kreuzherren Kirche (1210) 修道士が設立し14cには病院が
開設された。1617先端が八角形の鐘楼には洗練された装飾がある。1803修道
院が解散され修道院教会は1480-84に建てられフレスコカ画やスコッタが残されている。
フッガーの家 FuggerBau 城の様な3階建てのフッガー家の大きな建物で30年戦争
1630からバレンシュタイン将軍の本部となった。
金獅子 Goldener Loewe (17c) 塩や穀物のカートには、町の最も古いワインハウスで、
1階にワインバー「金獅子」が置かれた。古い内装とバーの様式が見られる。聳え
立つ切妻には1647の大包囲戦の砲弾が残っている。
七屋根の家 SiebendaecherHaus 3階建ての美しい木組みの建物で、ヒンジ付サイド
ハッチの高い切妻は革の効果的な乾燥を可能とした。1945の爆撃で屋根に損傷を
受けた。
劇場Theater ネオバロックの前面のエレガントな建物は、かってのエルザベス修道院の建
物である。宗教改革で世俗化され、武器庫などで使われ19c州立劇場になった。
織工ギルド Weber Zunft 町でも美しい木骨造の切妻付3階建ての建物で、良
い織
物を長年輸出した最強のギルドにより建てられた。このワイン広場には11ギルドが
多くの会館を建てた。
クレーマーギルド Kramer Zunft クレーマーは市壁内で商品は賞品販売を許された商人で
あり、42取引者はギルドクレーマーに組織され、薬剤師から菓子職人までをこの建物
に含めた。
市博物館 Stadt Museum (1766) ハーマンの貴族ベネディクトの建てた宮殿に、1996か
ら帝国の町の文化と歴史を展示している。
MEWO市美術館 MEWO Stadt Galerie (2005) 旧王立バイエルン郵便局に750m2の空間
に21世紀の美術品が展示されている。
アントニー家博物館 Antonierhaus Museum (15c) アントニー家の建物に、1996町の図書
館・博物館・広間・カフェを収容し、現代芸術が展示されている。2012シュトリーゲルの現
代アートと視覚文化も展示した。
上門 | 下門 |
東南壁塔 | 南西壁塔 |
西南壁塔 | 聖母市教会 |
郷土博物館 |
1249 村は文書言及された、 14c中 シトー派修道院の所有、
1398 ベンゼル王は防備を固め市場開催、 1506 皇帝マクシミリアン町を訪問、
1524 新教の説教が初めて行われた、 1618-48 30年戦争の略奪と疫病、
1640 8家族が生き残った、 1791 プロイセンとなり役所を競売、
1806 バイエルン王国に帰属、 1862 役所と地方裁判所を設置、
1928 野菜農民は協同組合設置、 1945 2次大戦の最後の戦闘で被害。
ベンガル王は1398に防衛権を与え、30年かけて町の防御施設は造られ、初めに
市壁・堀・3門と9塔が建てられた。南東の角に、水堀とに円塔が立ち、絵の様に
美しい。北西のわずかな部分を除き市壁は殆ど残っている。
3門9塔の内、今はまだ尖った兜の角ばった3つの角塔と尖がり屋根の5円塔
と1半円塔が見られる。そのた基部のみ残る塔もある。
上門 OberTor マンサード屋根の2階建四角塔、中心部は15cに元に戻され
18cにはバロックに改装された。
袋門 TaschenTor 平らな隅棟屋根の2階建四角塔で小さな窓がある。後
期中世風の中心部は1766改造された。回転する重々しい扉には鉄の車輪が
見られる。門の北には、以前守衛室と税関があった。
下門 UnterTor (15c)門衛所と一緒に町の象徴として建てられた長方
形の2階建て塔である。この門は1785に改造され、堀の背後の守衛所は、
外来者から舗装税を支払わせるためにあった。一度壊れ1980-81に復元された。
アンスバッハの市域に含まれる小さな町であるが、リング通りの内側に市壁と門塔に
囲まれ木組みの家の多い古い町がひっそりとある。
市庁舎 Rathaus (15c) 最初の市長と参事会の会議が1479に行われた。
1648焼失し1659-61に地階に薬局のある建物で再建されたが、町は穀物倉庫を国
から買い改修して行政はそちらに移し、1856市庁舎は競売した。競売された建物
は持ち主が点々としたが、町は1987に買戻し健全化して、1991に市庁舎として使
用した。
郷土博物館 HeimatMuseum (16c)旧十分の一税倉庫の建物に、1726に博
物館が開設された。屋上小塔付の4階建ての頑丈な石造の建物で、16c復元したが
1648焼失した。7つの展示室には、都市居住農民の町の昔の生活と仕事を展示。
地階が開かれたアーケードの家。
新教教会 Ev.StadtKirche Unser Lieben Frau (15c) 後期ゴシックの建物で
1528の塔が在る。1648教会は焼き払われ、1655仮屋根で再開された。1709-10内
陣・木製天井・聖歌隊席で身廊の拡張始め、礼拝堂の内装は1945簡素に直された。
され、美しい彫刻のある聖歌隊席がある。
司祭館 PfarrHaus (1897)昔の第二の2階建ての司教館は1996-97に改造
され今は教会救済事業所である。
旧役所 Ehm.AmtHaus マルクト広場の角地の家であり、1777-79 2階建ての寄
棟屋根で建てられ、1789まで辺境伯代官の役所であった。
旧パン屋 Ehem.ZinkenbueckerHaus (1747)赤い砂岩切石で飾られた2階
建てで、北の切妻に銘板がありパン屋の標識と年号が記されている。
旧市庁舎 | ホテル ライゼン |
新市庁舎 | マイン橋門 |
市博物館 | マルクト広場 |
ミルテンベルク | ヴュルツブルク門 |
1226 マインツ大司教の所有物で初文書言及、 1237 ブロンバッハ修道院文書に町として、
1240 マインツ大司教は都市を破壊、市民は城へ、 1300 町の門を拡張、
1346 特別税を課して防備の建設促進、 1354マインツ選帝侯は鋳造権を付与、
1367 皇帝チャールズ4世は市場権を付与、 1522 マインツ大司教は教区の改革を阻止、
1525 市民は農民戦争に参加、 1614-29 魔女裁判で69人が処刑、
1618-48 軍課金で町は破綻、 1631-34 スエーデン軍は疾病をもたらした、
1640-48 繰返し略奪され町は荒れた、 1682.1784.大洪水で浸水被害、
1803 町はライニンゲン大公家に来た、 1806 バーデン大公国、1810ヘッセン大公国へ、
1816 バイルン王国に帰属、 1866 プロイセン兵士によるコレラ流行、
1900 橋の開通、1909.1920 水害、 1945 マイン橋梁の破壊、1950 橋の再建。
南側の山腹に市壁が残されている。
マインツ塔 MainzerTor (1379)上部塔とも言われ、町の西端に建てられた
角塔で、胸壁の上に四角錐屋根の2階建小塔が乗せられている。この東西の塔の
間の長さは2.5kmもある。
刀鍛冶門 SchwertfegerTor()西の昔の入口塔の基部に塔を乗せた。塔の名
前は甲冑師に遡る。今は公立図書館を収容。
ヴュルツブルク門 EinlassTor (1379)町の東側の境界に建てられた5階建角塔。
頂上には 尖頭のほかに多くの飾りが付いている。
ツュックマンテル門 ZuckmantelTor(1351)ヴュルツブルク門の南に位置した3階建の円塔
南東部の町の守りを受け持った。
マイン橋塔 MainBruecke Turm(1900)1898に橋の建設が始まり、1900に開通し
た。防壁を兼ねた立派な橋塔にこの塔が残されている。1945戦争最後の日に爆
破された。
マイン川沿いの懐ろに多くの美しい木組みの家並みが残され、中世の雰囲気が感
じられろ。
旧市庁舎 AltesRathaus (1379)砂岩の建物は当時の規模で建てられたが、
狭くなり左右の建物を購入した。1979-83に改修され、今は催し会場である。
新市庁舎 NeuesRathaus ()3階建ての新しく大きな建物で窓には花を飾る。
巨人宿屋 Gasthaus zum Riesen (1590)石造地階の上に木組の上階が乗り
美しい装飾がある。何世紀もの間ガストハウスとして王や選帝侯などの要人が泊ま
った。
中央通り HauptStrasse 歩行者専用の長い町のメインストリートであり、様々な木
組や石積建物が並ぶ。通りの中ほどにマルクト広場があり、1583八角形の噴水を花
を飾った木組のった木組みの美しい家が取り巻いている。
ミルテンベルク Miltenberg (12c)最初の建物は12c末に建てられたが、30年戦
争で大損傷を受け1730に居住した守備兵も町に移動して空いた。1803城はライニン
グ家のの所有となり、1979に町が取得・改修して、2000に博物館を計画し2011に
開館した。
聖ヨハネ教会 St.Johannes Kirche (1897)新教の教会として建てられ古い教
会ではないが、良い建築のため町の文化財的になっている。
聖ヤコブ教会 St.Jakobs Kirche(13c)町の創成期からの身廊に14cに支柱が加
えられ、その後も繰り返し再建拡張が行われた。新古典主義の特徴は1830の塔で
確定され、内部には14003王の群像・1527砂岩十字架等見るべき作品がある。
フランシスコ会修道院教会 Franziskaner Kloster Kirche (1669) 市役所の向かい
のエンジェル広場のガストハウス・ツム・エンジェル跡地に宮廷建築家が堂々とした教会を建てた。
円アーチの中央入口・内部のバロック装飾は見事である。
旧郡庁 Ehem.Oberamt (1679) 3階建ての貴族の館であった。塔は警備と火
事の見張り人が置かれた。
旧ドーム・ケラーライ Alte Domkellerei (14c) 後期ゴシックの階段切妻付2階建ての建
物は、マインツのドームケラーの住宅として使われた。オリジナルの施設は市壁と堀で囲まれ、
所有権は1420にマインツのドーム・カピタルに与えられた。
町博物館 StadtMuseum (1541) マルクト広場に後期ゴシックの美しい木組みの家が
ある。1625にマインツの役人がワイナリィ事務所として購入した。今は町の博物館として、
町と周辺地域の文化史を飾る豊かな収集物がある。
市庁舎 | 上門・東壁 |
壁塔 | 上門 |
南東壁 | アインラス門 |
下門 | 東北壁 |
1046 最初の文書言及、 1250 町への昇格に成功、
1337 新たな市場や警察の権利をうけた、1413 ウルリッヒは領主として要塞都市の建設。
1467 金不足で町をチロルの騎士に売った、 1616 バイエルン公爵マクシミリアンは町を占領、
1636 30年戦争で占領された、 1705-14 英のマールボロ伯爵が支配、
1714 バイエルンに帰属、 18C終 ナポレオン戦争で貢ぎ物を求められた。
旧市街地は東西400m南北200mと150mの長方形で小さく、主として東側に市壁が残
っている。東南ImhofGasseには屋根付き市壁が復元されている。その他北側の入場
門の脇にも高い壁が見られる。
市壁には、5門塔と幾つかの壁塔があったが、6門塔が残っている。
上門 OberTor(HabernTor)1337建、東角塔、今の外形は1500に造られ、1870
までは町の東側は半円形の砦と水を満たした堀で閉ざされていた。
入場門 EinlassTor 北 1469建、角塔。門限後の市内への入場許可は入場料
を払わされた。塔の前面は絵で飾られている。
下門 UnteresTor(SchnaebelinsTor) 西 1263建、角塔、昔は火事の見張り
塔であり、今は教会塔として機能している。
向こう見ず塔 MalefizTurm(GefaengnisTurm) 東南 1350建 円塔、監獄と
して独罪者を収監した。
張り絵塔 CollagTurm 西北。
聖ステファン塔 Turm der St.Stephan 1409建、北東 昔は町の防御塔であったが
今は教区教会の塔となっている。角塔で最も高い。1851に帽子を付けた。
町は、東から見ると大要塞であるが、奥行き400mの小さな町である。
門塔が多く残り綺麗に彩色が維持されている。東北に高い壁通路、東南に低い壁
通路がある。
市庁舎 Rathaus 1897建、石造の3階建で、出窓塔が付き前面には切り妻が
あり窓が多く複雑になっている。
聖ステファン教会 PfarrKirche St.Stephan 1409建、古い町の東北の角に立ち高
い塔を有する。1862以降地区教会として幾つかの変更で時代に順応した。今日
では外観はバロックであり、ウルリヒと二人の妻の墓石が見事である。
聖霊病院礼拝堂 ehe.Hl.GeistSpital 1448建、テックの公爵によって設立され、
礼拝堂は古典的な前面にその後変更された。
郷土博物館 HeimtMuseum 旧Kloster Hl.Kreuz1739建 聖十字架フランシスコ会修
道院の南北翼に1948から入っている。貴族領主と町の歴史・町の文化・農村の生
活を展示。
塔時計博物館 TurmUhrenMuseum 旧市街地北西部のシルベスター教会は、公爵夫
人が設立した。鐘楼は高さ48mのゴシックの四角塔であり、1977-79大改修の後にシュ
バーベン塔時計の博物館が塔の3階に設けられた。
テキスタイル博物館 TexteilMuseum ehem.JesuitenKolleg1627建、旧イエズス会の教
会と学校は1618-1773に使用され、1820に世俗化され民間に売却されたが、1890
から町が所有しテキスタイルを展示した。
降誕博物館 JesuitenKirche 1264建、後期バロックのイエズス会教会。壮大な祭壇
とロココ調の礼拝所。最初は修道院教会として建てられ、1618にイエズス会が引継い
だ。1626初期バロック、1722後期バロクの新築と装飾がなされた。1986に降誕博物館、
1989に繊維博物館、1994に考古学博物館が併設された。
英国学校 EnglischesInstitut 1701建、バイエルン公と妻が設立した修道院の教
会はアウグスブルク司教の聖体拝領の住居のような教会であった。今日では中学校・教
会・修道院の寄宿舎として使われている。
市庁舎 | 聖ヨハニス教会 |
西南壁 | 東壁 |
北壁 | 西壁 |
1215 城の設置を初言及、 1250 マインツ選帝侯に属した、
1401 皇帝カール4世は独自の教区と教会を承認、15c マインツ大司教は町の憲章を授与、
15c 町は市場権を得て市壁を築いた、 1803-10 アッシャヘンブルク公国へ、
1810-13 フランク大公国へ、 1814-15 バイエル王国へ、
1862 郡庁オーベルンベルクの下となった。
市場の権利を得た町は、14cに砂岩の市壁を築いた。多くの場所に補修され
て残されている。
市門 Stadt Tor () 東部のシュヴァイムパート通に簡素なアーチ門が再構築されて
いる。片側は柱・もう一方は歩道のアーチ付きの壁で、屋根付きの形である。
旧市街では、主に17-18cの木骨造の建物を塗装している。静かな古い町。
ハウプト通には、多くの木骨造の建物が立ち並んでいる。
市庁舎 Rathaus (1607) 3階建装飾的な木組の切妻前面の大規模な建物で、
鐘楼は六角形。前面には1731の処刑台と十字架がある。
聖ヨハニス教会 St.Johannes Kath.Kirche (1749-51) バロックの広間教会で、八角
形の鐘楼は4階建で二重タマネギ・ドームが付ている。外壁は漆喰仕上である。
示されている。
牧師館 Pfarramt (1768) 2階建寄棟屋根の納屋付きの建物。庭を砂岩の塀
で囲み門が付いている。
市庁舎 | 聖ヨハニス教会 |
西南壁 | 東壁 |
北壁 |
870 ベネディクト会修道院の設立、 1340 エッチンゲン侯爵は都市権を授与、
1505 バイエルン侯爵支配し1808まで継続、 1523 町に地方裁判所を設置、
16c中 救護局のために北東端に城を置いた、1750 プファルツ・ノイブルクの行政中心、
1818 行政改革で今の町を形成、 1878 地区の地方裁判所。
14-15cの市壁は、東と北に残っている。
下門 Unteres Tor (14-15c) 北門で白塔とも呼ばれ、直接城に隣接し、
地上階は切石積で寄棟屋根や矩形天窓付きの3階建である。1806に改修された。
上門 Oberes Tor (15c) 南門でドナヴェルト門とも呼ばれ、階段破風の急勾配
屋根長方形4階建の建物で核は15cである。19cに2階建のポーチが付いた。
南北2門の間の幅広いマルクト広場は、昔からのアウグスブルクとニュルンベルクを結ぶ交易
要衝で、卵型の市壁で守られていた。都市農民は2階建の家に住み、18cからの収
益性の高い工芸品の生産で切妻のある2階建漆喰の家を建てた。
市庁舎 Rathaus (1714) 3階建の中央突出の外壁に水平の線の入ったすっき
りした輪郭の建物で、旧ユダヤ人の住宅を改造し、1747から市庁舎として使われた。
旧宮殿 Ehem.Schloss (1678)中央突出の上部切妻の3階建のL字型2翼の大
きな建物で、入口は田舎風の壁柱とバルコニィがある。
聖バルブルガ教区教会 PfarrKirche St.warburga (11c) 旧ベネディクト修道院の教
会であり、1500内陣と身廊の建設、1575塔の追加され、翼廊のある礼拝堂と3
身廊の後期ゴシックの広間と八角形の塔がある。
旧修道院 Ehem.Kloster (11c)ロマネスクの旧修道院の翼であり、16c初の後期ゴ
シックの2階建切妻屋根で、1574にベネディクト修道院は溶解され、残りの部分は地区
センターとなり、後に青少年センターとなった。
旧宿屋 Ehem.Gasthaus (18c) 2階建寄棟屋根の建物は、19-20cに2階建木造漆
喰仕 上となり、21c解体して4翼に拡張された。
宿屋 Gasthaus (18c)寄棟屋根と2階建て切妻屋根の建物で、18cに何回も改
修された。
住家と商店 Wohnhaus und Geschaefthaus (1699)丸アーチ切石の玄関・帯・庇・切
妻飾りは、中世の核であり、19cに新正面と2階建切妻屋根をまとった。
住家と商店 Wohnhaus und Geschaefthaus (16c)3階建切妻屋根の建物で、南
に昇降機の開口部とクレーン装置がある。
市庁舎 | 町広場 |
教会広場 | 東壁 |
東北壁 | 北壁 |
769 ベネディク会ト修道院の設立、 895 フライジング司教の所有権が確定、
10c ハンガリーの侵略で修道院を破壊 1027 フライジング司教は漁師に事務所提供、
1155 関税局の設置で都市開発、 1171 侯爵ヘンリーライオンは教会を設立、
1212 Kastulus Kircheを復元して再奉献、 1311 要塞都市として表示、
1331 町は都市権を授与された。 1632 30年戦争で町の半分が廃墟に、
1702 大火事に仏革命軍進駐で損傷、 1865 火災で町は衰退、
1930 工業化で人口増加、 1940-45 捕虜収容所に8万人を収容。
14cの市壁は、17cに拡張された。市壁は東と北東に残されている。
3市門は1867-99に全て取り払われた。
防御塔 BefestigungsTurm (17c) 市壁の防御塔で、Auf dem Greis 23にある。
火薬塔 PulverTurm (17c) 市壁の隅塔でRosenhof beg 6にある。
塔跡 Turm Rest (17c) 市壁の塔の跡でStadt Graben 41と51にそれぞれ長方形と
半円形の塔の基礎がある。
修道院の町で、宗教的な建物が多い。1702と1865に火災で中世の街並みに
バロック化の影響を与えた。
市庁舎 Rathaus (18c) 元百貨店のネオゴシック3階建の建物で、1867に時計塔が付けら
れた。
聖カスツルス教会 St.Kastulus Kirche (1170) ロマネスク3廊の回廊のある大聖堂1468後期ゴ
シックの多角内陣、1862バロック化と西玄関。昔は参事会教会から今はカトリックの教
会。
旧中央教会評議会 Ehem.Stiftsherrenhaus (16c) 山形の前面であったものを、19
49大改造して後期ゴシックの階段切妻とした。エレベータ・ハッチがある。
旧中央教会評議会 Ehem.Stiftsherrenhaus (15c) 2階建ての角の家で切妻屋根と
胸壁タレット階がある。17-18cに上階はスコッタ仕上げ天井となった。今は、市立
図書館として使われている。
旧簡易裁判所 Ehem.Amtsgericht (1207) 最初は公爵の城と呼ばれ、1207に建てら
れた。1551に城トウルンと呼ばれた。19cに3階建急勾配切妻屋根の翼が建て
られた。構内には切妻屋根の農場の建物がある。
旧市薬局 Stadt Apotheke (17-18c) バロック2階建切妻屋根の建物で、1900ネオゴシック
の鉄の手摺・ビーダーマイヤーの前扉・ポーチが付けられた。
旧家 Ehem.Properater Haus (1530) 広い2階建の建物は、1860-70に延長された。
旧水城アッシュ Ehem.WasserSchloss Asch (1541) 3階建寄棟屋根の建物。
旅館・醸造所: Brauerei-Gasthof Kirchammer (18c) 前の建物は焼失した跡に、
1838-40に2階建壁柱列スコッタ仕上げの細長い建物となった。
十分の一税納屋 Ehem.Zentstadel (1702) 2階建半寄棟屋根の倉庫。
市立市民の里 Staedtisches Buergerheim St.Elisabeth (1882) 3階建ネオバロック・マン
サード屋根の建物は、かってのカプチン会ホスピスの代わりに建てた。
ミュンフェン門 | 聖ニコラウス市教会 |
アルテェフィンガー門 | 司祭館 |
935 ザルツブルク大司教の土地売却確認文書に最初の言及、
1190 塩の権利はザルツブルクに取られた、初期城壁都市建設、 1285 大火災、
1239 都市権の授与、市壁・門塔の建設、 1322 独・墺の決戦、
1331 自由都市を目指し要塞の建設、 1364 バイエルンが町を包囲、銃器の使用、
1522 ザルツブルク教会会議の開催、 1640 大火で300戸以上焼失、
1648 スエーデン軍の占領、 1802 バイエルンへ帰属、
1809 ナポレオン軍の占領、 1945 2次大戦の2階爆撃で町の40%破壊。
10cには既に町の防備施設があり、14cにはレンガ造の周壁となり、1532には
多くの箇所で修復が行われた。1808大部分が取崩され、一部ではその上に建物
が建てられた。
HaberKastenにレンガ積みの市壁が40m、南の家の後に60m、西の家の後に70m、
西北の敷地境の後方に100m残っている。
ミュンヘン門 MuenchenerTor (1218) 1998-2000に改修、昔製釘の手工業者
は砦の
防御を任せられたため、NagelschmiedTurmとも呼ばれた古い塔
H29.55m。
アルテッチング門 AltoettingerTor 以前高さ26mで、兵隊を塔に泊めていた。
門躯体と外壁は変更されている。
4階建の建物に囲まれた中央のStadtPlatzは、幅15-35m長さ490mの
11,000m2の大広場で、テラス席や青空市で賑わっている。
市庁舎 Rathaus 15C建、地階は連続したアーチのアーケードがあり、広場に開
かれている。魔女の部屋は、1750の最後の魔女裁判以来そのままです。2階
には、1646イタリアルネッサンス調度の豪華な会議室がある。
郷土博物館 HeimatMuseum 15C建、旧HaberKastenは大司教が徴税や土地
管理のために建てた。1803からバイエルンの穀物倉庫であり、発電所でもあった。
1996に大規模な改修の後に郷土博物館となり、町の歴史.生活様式等を展示。
管理人城 PflegSchloss 1539建、領主マシューラングは管理のためのWellenburg
を築いた。今は税務署として使われる。
市庁舎 | 旧醸造旅館 |
旧区役所 | 市教区教会 |
10c 丘の上の集落が始まる、 1220-40 シュパルネック領主が村を所有、
13c 交易の拠点として栄え裁判所が置かれた、1298 法的な町として文書に言及、
14c ニュルンベルク城伯は周辺を所有地として買収、1364 シュバルネック卿は対抗して皇帝
カール4世は帝国自由都市の特権を付与、1369-81ニュルンベルク城伯は町と周辺も買収、
1397 ホーエンツオーレルン家のバイロイトに移され、 プロイセンを経て、 1816 バイエルンへ帰着、
1430-1837 フス戦争から1837まで6回の大火事で町は大損傷、16c 綿の加工が行われた、
1854 バイエルン繊維学校の設立。
プロテスタント牧師館の南側の厚い外壁と、その西のその下の堀にある市壁の残骸
があり、昔の下門の北側に位置していた。
1789に上門、1848に下門が取り払われた。上門は、外木製階段付きの四角形2
階建の構造であった。下門は2階建側建物付きの切妻屋根の建物で馬蹄形の門で
あった。
市庁舎 Rathaus (1488) 市庁舎は1488から所有したが、火事で何回も焼け
て再建された。1631の火事の 後に今の位置の2軒北に再建されたが、1729と
1837の火事に遭い、1840に拡張されて2階建7窓列の鐘楼付きの建物で再建され
た。1981地階砂岩造上階木骨造の建物が木造屋根が沈んだため、記念建築物と
して修復された。1987財務と建設部門は西側の拡張部分に移動した。
聖ピーターとパウル教会 Ev.Lutherische Stadt Pfarr Kirche St.Peter
und Paul (1867-72) 西塔のあるネオゴシックのホール教会。
牧師館 Pfarr Hof (16c) 中世後期の下部構造の上に16-18cの建物が建てら
れた。一部曲がった状態で2-3階建がある。
元地区事務所 Ehem.Landratsamt (1839) 2階建上階木組みの外階段のある大
きな建物。
旧醸造所と旅館 Ehem.Brauerei und Gasthaus (18c) 2階建寄棟屋根の建物
付属して19cの寄棟屋根切石造の麦芽製造所がある。
七人の兄弟の家 Sieben Brueder haus (1790) 旧市立病院の跡地にネオバロック
の2階建中央突起の寄棟屋根の建物が建てられた。
市庁舎 | マリエン広場 |
ティアヂーナ教会 | オディオン広場 |
王宮 | ニンフェンブルク宮殿 |
9C ベネディクト修道院のそばの集落が始まり、 1158 イザール川架橋で初文書言及、
1175 都市権を授与され最初の要塞建設、 1240 ヴィッテルバッハ公爵の居住地、
1328 ルードヴィヒ4世はローマドイツ皇帝となり居住して2番目の周壁を築いた、
1429 市壁の外側の周壁を補強した、 1503 バイエルンの首都となった、
1506 国を拡大し後期ゴシックの建物が建てられ、文化の黄金期となった、
1632 スエーデン軍の占領で破壊を避けるため身代金を支払った、その後ペストで人口2/3、
1648 30年戦争の終了後すぐに都市は回復、 1789英国庭園を作り、中世の要塞、
1806 王国に昇格、ライン連邦を結成、 1945第2次大戦空爆で旧市街地の90%破壊。
① 1175に最初の市壁は集落の周囲に、上流側に10mの堀を有する卵形500×
400mに市壁長1.4km(0.7ha)壁厚1.7-2m、壁高5-6m、5門、で築かれた。
②13-14cに2回目の拡張で全方向に堀を有するレンガ造4km(91ha)壁高8-10m、4市
門、6水門、65壁塔を建設した。15cにはツインガーで強化された。
③1619-1640に二重壁の外側に要塞が建設された。
④18cの終わりに要塞の解体が始まり、19cには門と塔との間の市壁が大幅に取り
壊された。イザール門とゼンドリンガー門とカールス門の正門のみが残され、クルブルク門は市
庁舎の塔として生き残った。
市壁が残っているのは、Burg Str.2-14に30m、Rinder markt.6に10mに最初の市
壁が建物ぬ含まれて残る。JungfrauTurm Str.の南壁に60mが2番目の市壁の分と
して残る。IsarTor北側に2番目の市壁の基礎がある。
イザール門 IsarTor (1337) 東側に4階建の八角塔を3アーチの2階通路で繋ぎそ
の後ろに5階建の角塔が備えている。2次大戦で壊され、完全に復元された。
カールス門 KarlsTor (14C) 西側に左右の3階建四角塔を高いアーチで繋いでいる。
使節門 SendlingerTor (1318) 西南の門で左右に3階建六角塔を高いアーチで繋
いでいる。
勝利門 SiegerTor (1813-15) 仏に対する解放戦争の勝利を思念して、バイルン
軍の凱旋門として建てた。四角形で16本の柱の上に飾りが付いている。
リオン門 LionTor (14C) 7階建てのレンガ角塔が残っている。5×6mの塔で頂上
に胸壁がある。
プリンゼス塔 Prinzess Turm (14C) 古い塔のレンガ積の残骸が中庭にある。
バイエルン王国の遺産と各種博物館など見るべきものは多い。
詳しくは、各ガイドブックにゆずる。
新市庁舎 NeuesRathaus 1867-1908建、ネオゴシック4階建の大建築物。グロッケンシュピール
は有名。高さ85mの塔にはエレベーターで登れる。1885に画家ヨーゼフ・ヴィンドマンの構想
を基に1972-75に画は描かれた。北側にも破風に壁画があり柱廊と共に美しい。
宮殿 Residennz 1385-建、ヴィッテルバッハ家の宮殿。中に、王宮博物館Residenz
Muzeum、宝物館SchantzKammer、旧王宮劇場Altes ResidenzTheater、王宮礼拝堂
HofKapelle等がある。
聖母教会 FrauenKirche 1468-88建、後期ゴシックの大ホール教会、西側に99mと100m
の塔が1525に建てられエレベーターで登れる。内部は白一色で大柱が立つ。1500の木
彫りの像がある。
ペーター教会 PetersKirche 13C建、ゴシックの3廊式バジリカ。18Cにバロック化。284段
の階段を塔に上れる。
古絵画館 AltePinakothek ルネッサンスの大建築物。14-18Cの絵画の宝庫。
新絵画館 NeuPinakothek ポストモダンの砂岩造りの建物、19-20Cの絵画。
ドイツ博術館DeutschesMuseum イザール川の中州にある各分野の広大な博物館。
市庁舎 | イエーゲン門 |
上門 | 壁 |
壁 | 壁 |
マルクト広場 |
770 フルダ修道院へ遺贈された、 800 東フランクは地方裁判所を設置。
1151 ヘルマン・シュターレックはシトー会修道院を設立、12c ハンスベルク侯爵は城を築き集落形成、
1230 市壁と4門・市場、1272市庁舎を整備、1371ヘネベルクヴュルツブルクは半分に売った、
1335 バイエルン王フリードリッヒは市場権を授与、 14c ヘネブルク侯爵は貿易・手工業を奨励、
1525 農民戦争で修道院は燃やされた、 1552 アンスバッハ辺境伯は町を略奪した、
1583 ハンスベルク家絶滅でザクセンの管理へ、 1631 30年戦争でスエーデン軍の占領、
1903 ナポレオンの世俗化でバイエルンに属す、 1806 ヴルツブルク大公国へ
1816 ウイーン会議で最終的にバイエルンに帰属、 1945 爆撃と砲撃で多くの建物は崩壊。
1251に粗石と切石を積んで築かれた市壁が、多くの場所で残されているが元の
高さより低い。また建物の壁として使われている部分もある。
上門 Oberes Tor (13c) 南 6階建て高さ35mの角塔で方形石材が使われ、
1380塔は住居となり、1570ルネッサンスの階段切妻が付けられた。
下門 Unteres Tor (13c) 北 19452次大戦時に米軍の戦車通行のために爆破さ
れ、現存しない。
ユーゲン門 Joergen Tor (1250) 東 5階建ての門塔に1508-09木組みの塔頂が付
られた。1380渦巻胸壁冠のある外門が残る。今はユースホステルとクラブを収容している。
太い塔 Dicker Turm (1240) 北西 直方体の基礎に円錐屋根の円塔で、1521
に門の入口が追加された。かっては刑務所で、そのご修道院・青少年センタ-。
多くの木組みの家と中世の街並みが残り、多くの保存された市壁に囲まれる。
市庁舎 Rathaus (1469) 地階がオープン市場の2階建て木組みの建物で、旧領主
紋章(ヘネベルク・ヴュルツブルク司教・バイエルン)が飾られ、入口玄関の北側に1820
追加階をを購入した。
ヘネンブルク博物館 Hennenberg haus (1250) 1621ボックス出窓と1611重量感のある
入口と階段のある中庭は18cに改造され、演奏会・演劇・映画室が開設され、
建物はヘネベルク博物館となった。博物館には、19cからの完全な薬局・セラミック・
貿易・習慣など地域の歴史的な展示がある。
聖マグダラノマリア教区教会 Pfarrkirche St.MagdelenaMaria (12-13c) ロマネスクの入
口ら西に1420壮大なステンドグラスの窓、1430オリーブ、1424-46ゴシックの内陣、
1490-92チィルマン・リーメシュナイダーマグダナの祭壇、1504キリアンの伝説による4パネルの絵
などがある。
地方裁判所 Landgericht (1349) バロックで建て替えられ1744-48ヴュルツブルク司教
廷史の事務所となり、その後地方裁判所として1973まで使われた。
ワイン醸造所 Kelterhaus (1469) 修道院のワイン蔵で、1351最初の旧町醸造所。
十分の一税倉庫 Zehntscheune (1648) 3階建階段切妻の大きな十分一税
倉庫。今は消防署・市の音楽学校・市の文書館である。
早ミサの家 Fruehmesserhaus (1827) 上階木組みの角バルコニィーの家で、アダムと
イブの彫刻がある。
市庁舎 | デハント塔 |
上門 | メーン門 |
東壁 | 西壁 |
東壁 | シュミーデ通 |
8C 初期の城の最古の痕跡がある、 10c カロリング重要拠点の大要塞の遺跡、
1100 ディポルディンガー支配による最盛期、 1146 ザルツバッハ侯爵が短期間支配、
1188 ヴィッテルバッハ家に属して帝国が所有、 1271 最初に都市として伝えられた、
1296 ルドルフ侯爵は以前の全ての特権を確認し全ての特権を17条の特権証書として授与、
1317 バイエルン皇帝が来て、町の特権を許容し、それを宣言した、
1420 フス軍が来て略奪し要塞完成を急いだ、 1433 フス軍の包囲に要塞は耐えた、
17-18c 30年戦争と7年戦争で町は衰退、 1945 第2次大戦空爆で郊外が破壊。
12cの市壁は15cに要塞として拡大強化され、1433のフス軍の包囲に耐えた。
西側の一部を除いて、殆ど市壁が残されている。
メーン門 MaehnTor (14c) 狭間胸壁冠付全部建物のある5階建て長方形の
塔である。外側の塔アーチに1532の建設年号がある。アーチ型の通路にはバロックの天井画
「マリアの昇天」の残りがある。御者の高さには「十字架の上のキリスト」「マーン門」の
の彫刻がある。1990交通量増大により大容量の通路を設けた。
上門 OberTor 北東の市門で、アーチの上に3階建の8角塔が立つ。外側壁に
落格子門の跡があり、その横に1565改造時点の年号がある。1913交通処理のため
大通路が設けられた。1955の改造で塔内に事務室が設けられた。
主席司祭塔 DechantTurm 南西角から2番目に残っている防御角塔で、市壁
が付近にある。
歴史的な旧市街とメーン門・上門とほぼ完全に無傷の市壁が中世都市の重要なランド
マークとなっている。
市庁舎 Rathaus (1417) 16cにルネッサンスの正門・階段・アーケード廊下・時計付塔を
付けた。中には小飲食店・町の標準秤・結婚式場がある。1995-98総健全化され、
再び市長執務室と市の行政共同体を収容した。
市民病院 BuergerSpital (1412)牧師は市民病院のための財団を設けた。
今は市が引き継ぎ、1970に改修され9戸の公営住宅となった。
保護宮殿 Pflegschloss (929)この場所に昔はナープ城があった。シュバインフート
とティボルディングの統治が絶滅した後に、ヴィッテルバッハ家の地方管理人が管理事務
所を置いて執行した。1750最後の改築が行われ、今は測量部が置かれている。
ラウレンティウス教会 Raurentius Kirche (1489) 初めは城の礼拝堂であった。
後期ゴシックの礼拝堂は、世俗化後に木材や石炭の貯蔵庫として使われた。1922
プロテスタント教会は礼拝所として取得した。
聖ヨハネ市教区教会 StadtPfarrKirche St.Johannes (1290-1349)ハイゴシックの
教会で、1536落雷で片方の北塔が焼失した。ネオゴシックノサイダン・石の洗礼盤・1470
三日月の上のマドンナ像が有名。
市博物館 Stadt Museum Zehentstadel (1547) ケルト時代からの自然・文化・
歴史を展示。
絵画館 Museum im Schmidt haus (17c) 画家カール・シュミットの家にられの絵画
が飾られている。
肉門とツインガー周遊路 Fleischtoeel und Zwibg (1420) ここに3つの歩道入口
の一つ「肉の門」があり、ここからツインガー道に達する。今でも現存の二重市壁
は、1420に築かれ町は守られた。
市庁舎 | 上門 |
南壁 | 南西壁 |
宮廷教会 | ヴェーヴェスト宮殿(市博物館) |
778-809 アウグスブルクの司教、その後パラティン伯の所有、
1505 プファルツ・ノイブルク公国に属す、 1542 プファルツ伯爵は新教とした、
1616-17 反宗教改革を行った、 1717-18 プファルツ選帝侯カール3世が居住、
1742 プファルツ・ノイブルク家の絶滅、 1777-1808 プファルツ・ズルバッハ家へ。
15cからの市壁は南側の庭園の上に見張塔と共に残っている。
上門 OberTor (1530)門の南に円塔と切妻、梁の上にはオットーハインリッヒとフイリップ
王子の紋章がある。
下門 UnterTor (16c) 宮殿の北翼の前に紋章のある塔が在る。
見張り塔 南東の角の見張り塔は四角で1990-92に再建され、中にクナイプ式の水浴
装置1928がある。 その西に円塔が二つ市壁にある。
1505に設置されたプファルツ・ノイブルク公国の首都であり、ドナウ川沿いに遠く
から見える2本の円塔のある壮大な王宮と一連の建物が見事である。
市庁舎 Rathaus (1603-09)ルネッサンスの建物に、風格ある階段・豊穣の神ケーレスと正義
の女神ユスティティア像のある入口玄関・その上に町の紋章。地階の広間には市の美
術館がある。
プファルツ・ノイブルク王宮宮殿 PfalzNeuburger ResidennzSloss (1530) 優れた早期ルネ
ッサンスの重要な建物で、1530にプファルツ伯が建てた。王宮礼拝堂は最古の新教教
会建築で1543のフレスコ画がある。二つの円塔のある記念碑的な東塔・北側の地階
には1665-68バロックの洞窟・1575ルネッサンス広間の騎士の間には石灰岩の円柱と美し
い木の床がある。
厩舎 MarstallPfalzgraf PilippLudwigs (1594) リブヴォールトのある3身廊の大広
間。
宮廷聖母教会 Hof Kirche UnserLiebeFrau (1607-09)後期ルネッサンスのの建物でバロ
ックの飾りつけがなされ、1624-27塔と西前面の完成。
研究教会 Studien Kirche (1700-01)旧ウルスラ会修道院教会で、ニコラス・ペトラのスコッタ
がある。隣接する旧修道院客室に展示がある。
聖ペテロ教区教会 PfarrKirche St.Peter (7C) 最初の教区教会。740-804司教教
会、1641-46現在の初期バロックの建物になった。祭壇彫像はフィッシャー
の作で、ディリンゲンから持ち込まれた。
鋳造所 Muenz (1200)先史時代とケルトの要塞・後期ローマの砦・1200代官の城・1462
騎士の家・16c鋳造所と鋳物工場の跡。
市博物館 WevelderHaus (1517)ヴェフェルド邸は貴族の邸宅で、地階はルネッサンスのフレ
スコ画、上階はバロック、建て増しの3階は豪華なスコッタで飾られている。今は市
博物館を収容。
管区長図書館 ProvinzialBibiothek (1731-22) 昔のカソリックの市民集会所で、初
期ロココの建物。1803上階のバロックの大広間に豪華な本棚のある管区長の図書館。
市庁舎 | 下門 |
修道院門 | 罪塔 |
西壁 | 西壁 |
聖母教会 |
1130 長距離貿易路上の街として成立、 1146 ドナウ川架橋、市場は防備、
1235 皇帝フリードリッヒ2世は取引免税状を発した、1239-1315 市庁舎と市場を周壁、
1301 ヴィッテルバッハ家の領土となった、 1410 選帝侯ルプレヒト3世の息子は築城、
1443-48 領主がデンマーク王となり役所設置、 1499 独立王国が終わり王宮を失う、
1520-43 新たな市場と宮殿を建てた、 1556 フリードリッヒ2世の未亡人が居住、
1628 バイエルン公国となった、 1806 バイエルン王国の帝国都市になった、
1903 独立した都市となった、 1945 2回の空爆と砲撃で市街地の92%破壊。
市壁と堀の跡は、旧市街地の周囲の緑地として残されている。
市壁が残っているのは、東側150mある。
上門 OberesTor (13c) 1871に取払われられ、白いアーチ門が置かれた。
下門 UnteresTor (13C) 以前はニュルンベルク門とも言われた。塔は1825に取
り払われ1859に再建され、1945爆破された。1989-90に再び再建され、今はそ
こに戸籍局と小会議室がある。
修道院門 KlosterTor かってのカプチン派修道院への小さな市壁通路で、
1858塔へ広<げた。
借金塔 SchuldTurm 一時的に刑務所として使われ、1945に壊された。
火薬塔 PulverTurm (13c) 昔の防御施設の一部。
パラティーノ侯爵フリードリッヒ2世は1544バイエルン全体のための政府と行政の中心として
この町で華やかな宮廷生活を送った。文化的な博物館が多く存在する。
市庁舎 Rathaus (1430) 後期ゴシックの建物は1945に破壊され、1956-57
に復元された。1999根本的に建て直された。
聖ヨハネ町教区教会 StadtPfarr Kirche St.Johannis (1404-1434)後期ゴシック
のハレン教会で、中に1230のロマネスク洗礼盤・後期ゴシックのマドンナ・バロックのキリスト像があ
る。塔は高さ72mでステンドグラスは1945空襲で壊され、1994に新デザイン。
宮殿宴会場 Festzaal der Residenz 昔は宮殿の大宴会場が、その後厩舎
となり、1983-86に改造され、今は展示と催物の場所になっている。
プファルツ伯宮殿 Pfalzgrafen Schloss (1410-43) ゴシックの宮殿は1530に焼失
し、1520-39ルネッサンスで再建された。
乗馬物置 Reitstadel (15c) 武器庫として建てられ、1520に焼失。1530
-35に再建、1851-1909駐屯軍の乗馬広間、1919から町の所有となり1945焼失。
1980-81町の展示ホールや演奏会場となる文化センターとして再建された。
宮廷教会 HofKirche Zum Unserer Frau (1418) 後期ゴシックの聖母教会。
1701-04身廊となり、中には後期ゴシックの宝物・1499大理石の墓標・マドンナの石像。
新教教会 Evang.Luth.Christus Kirche (1674-77) カプチン会の修道院教会。
1855から新教の町教会となった。
町博物館 Stsdt Museum 町の全盛期から2次大戦による廃墟そして再建
を展示してからのモペットとオートバイも見られる。
ロータルフィッシャー彫刻館 Museum Lother Fischer フィッシャーの人生と彫刻を展示。
マイバッハ車博物館 Auto Museum Maybach 車の歴史的博物館で、古い車と
2輪車が展示されている。
町醸造博物館 Neumarkter Glossner Brauerei Museum 内側と外側の市壁
の間に、1574以来の歴史的な醸造機器がある。
バイエルン子牛の白ソーセージ博物館 DeutschesWeisseWurstMuseum 肉屋に、まだ
動く精肉・挽肉・白ソーセージの製造機器と木製冷蔵庫がある。
市庁舎 | 旧聖ヨーゼフ教会 |
ハウプト通 | バッサーガッセ |
東壁 | ラーム通 |
1171 ベネディクト会聖ヴアイト修道院の設立、 1366 市場裁判所の設置、
1369 ベネディクト会聖ヴアイト修道院を閉じて地区裁判所を設置、
1504 ランツフート承継戦争で焼失、1803 バイエルンの地方裁判所設置、1970まで存続,
1934 NeumarktとSanktVietの合併、
1956 市の権利を取得。
上門 Ober Tor (13c) 旧舗装税関とも呼ばれ、4階建切妻屋根の住宅
搭で、16cに更新され、1905に屋根は火事の後に付けおされた。高さ3.0m
幅2.5mの車道の両側に19cに歩道が付けられた。
下門 Unter Turm (13c) 旧漆喰税関とも呼ばれ、3階建て階段切妻の住宅搭
で、地階はに高さ3.0m幅2.5mの車道がある。1542の年号が屋根木材にある。
旧市庁舎 Altes Rathaus(1484) 地階部分は後期ゴシックの頑丈な建物で、
上2階は、18cの木製切妻の建物で、1808・1970・2003に改築され、今は銀行で
ある。
聖ヨハネ・パプティスト分教会 Kath.Filialkirche St.Johanes Baptist (1454) 後期
ゴシックのピラスター教会で、1881に部分的に再ゴシック化の改修が行われた。時計付
の高い鐘楼がある。1725にバロック化の塔の再建工事が行われた。
旧城・現市庁舎 Ehem.Burg・ Rathaus(1269) 旧アドルドスタイン城は、寄棟屋根
の風格ある3階建ての建物で、1608ヒルポルドが取得し城として居住し、1753ノイハ
ウス家の所有となり、1759-1904クレシング家が居住した。1912自然療法の診療所と
なり、1938市が購入して使用した。2001改修後市庁である
舎となり、市文書館も収容した。
旧城礼拝堂 Burg Kapelle(1478) 戦争で1504に焼失し1509-1612に再建され
た。
旧地方裁判所 Ehem.Amtgericht (1870) 寄棟屋根で鉄格子の窓のある2階建
のレンガ造の 建物。別棟としてレンガ造平屋の建物もある。
元侯爵十分の一税倉庫 Ehem.Herzoglicher ZehntKasten (1495) 急勾配の寄
棟屋根の大きな税物納倉庫である。17-18c部分的に更新され、20cには映画
館となった。
旅館ポスト Gasthaus Zur Post (1850) 3階建風格ある軒先のシンプルな漆喰
の前面である。
市庁舎 | 旧聖ヨーゼフ教会 |
ハウプト通 | バッサーガッセ |
東壁 | ラーム通 |
900 新しい城を築き集落が発生、 1017 バンベルク司教は皇帝に教区を贈呈、
1261 ヴィッテルバッハ家の侯爵が町を購入、1289 市場権と裁判権を町に授与、
1322 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権を授与し、建設のために税金を8年間免除、
1354 町は市長・市議会・裁判所の権限保持、15c プファルツ伯は新宮殿・市壁建設、
1492.1641 大災害で中世の街並は変化、1634 スエーデン軍・帝国軍の戦災で人口減、
1705 スペイン継承戦争で墺軍が占領、 1742 町で墺承継戦争の戦闘、
1742.1746.1800.1876 大火災で町は焼失。
1322バイエルン皇帝ルードヴィッヒは、建設の費用として税金を8年間免除した。
14cに東側の堀を大規模に堀1426に完成し、周壁・ツインガー・塔が建てられた。
1634スエーデン軍が占領したように、17c初には要塞は維持されていなかった。
1641には市壁は修復された。1936に西と北の15cの市壁は一部更新された。
城門 Burg Tor (15c) 上部工の目立つアーチ門で、北西の通路の隣に古い
製釘所がある。
鐙塔 Buegel Turm (15c) 後期ゴシックの防御壁塔である。5階建切妻屋根の
角塔であり、今は住居になっている。
壁塔 Schiltenhilm (15c) 北東の2階建の市壁角塔である。
バイエルンのヴィッテルスバッハ家の支配下で栄え、町は大きな堀に囲まれた丘の上に
堂々と聳える。この町には、風格のある大きな建物が多く存在する。
市庁舎 Rathaus(1410-15) 後期ゴシックの2階建の頑丈な建物で、ハウプト通の
歩道と車道にアーチ門がある。ゴシックの矩形窓があり、ヴィッテルスバッハ家の紋章が
付いている。
城 Burg (900) 新城は西側の三角形の岩盤の上に、市場・町と共に建てら
れた。最初の塔は見張塔と言われ、14-15c後期ゴシックの5階建四角切石造の塔
で中世風の構造物である。16cに張り出している砂岩の上階が建てられ、
1938西の角の記念物に市壁と共に記念物となった。
旧宮殿 Altes Schloss (14-15c) 3階建の長い翼には、13254から100年間
プファルツ・ヴィッテルスバッハ侯爵とプファルツ伯の宮殿であった。後に役所の倉庫・地方と
郡の裁判所、1857郡裁判所のためにシンゴシックに改造。今は博物館と宮廷広間
のある音楽学校である。
新宮殿 Neues Schloss (15-16c) 15c中ツインガーと殻塔、16c2階建切妻屋根の
翼・宮殿中庭、1537領主の居所、「侯爵の階」はプファルツ伯フリードリッヒ2世が建て
た。遅くには、養育局と地方裁判官が使い、19-20c郡庁舎・群会事務局・教育
事務所となった。
旧聖ヨーゼフ教区教会 Pfarrkirche/Altbau (1433) カトリック聖ヨーゼフ教会は1967以
前は聖ゲオルク教会であり、旧城礼拝堂から成立した。15cプファルツ伯ヨハンの修道院
付聖堂はフス派に勝利して3廊後期ゴシックバジリカを建てた。17c側廊に円蓋・聖ゲオ
ルグと聖レオンハルトのフレスコ画・バロックの輝くマドンナ・聖餐の碑銘・記念額がある。古い
塔は高さ38mである。
新聖ヨーゼフ教区教会 Pfarrkirche/Neubau (1965) 1965に新築された二重教会
として、鉄筋コンクリートテで拡張された。後期ゴシックの内陣を使いプファルツ伯ヨハンの墓
所がある。
精霊病院教会 Spitalkirche Zum Hl.Gaist (1398) プファルツ選帝侯ルウプレヒト3世
が寄進した。単廊後期ゴシック砂岩造の教会。18c前面を変えた。1872-76古い
カトリックの聖堂。
聖ヤコブ教会 St.Jakob Kirche (1100) 町の最古の集落に立つ、町で最古の構
造物。前期ロマネスクの内陣塔教会。中世の自衛教会であり「古い牧師館」と呼ば
れた。1597まで墓地にあり、市民の墓銘板がある。中世の周壁が残る。
白醸造所 Weisses Brauhaus (1354) プファルツ伯ルプレヒト2世が授与した醸造権の
より選帝侯専用の修道院式早期醸造所が発足した。今の建物はバロック丸天井の
旧麦芽工場であり、1945に新築された。
修道院 Kloster (1722) 以前は乗馬兵舎があった。1722-1802フランシスコ会修道
院が大教会と共に存在した。1802世俗化で修道院は溶解。1833修道会救貧保
健師養成所設立。1927歴史主義様式の女子校。1934幼稚園設置。2002-08集会
所補修。2007託児所・幼稚園・保育所となった。
旅館:金の鹿 Gasthaus Zum Goldener Hirchen (17-18c) 半寄棟屋根と切妻
蛇腹構造の2階建バロック窓枠とアーチ通路がある。
旧市庁舎 | 修道院門・新市庁舎 |
エアランク門 | フェルヒハイム門 |
エアラインホフ門 | 北西壁 |
北中壁 | 西北壁 |
十分の一税倉庫 | 聖ミカエル教会 |
1247 司教ルドルフは農民の承認を文書言及、新しい教会を建て町の名前が発生、
1348 王ルプレヒト3世は都市権を文書再認、 16c 豊かな町は再洗礼派になった、
16c初 市壁と市門は良く残っていた、1537 ライン・ベファーゲンの代官は町教区を支配、
1587 スペイン兵は、国境のこの町を略奪、 1590 スペイン軍の略奪・30年戦争でも、
1731 マックスクレメンス運河の要港として飛躍、1803世俗化でバンベルク司教からバイエルンへ、
1858 初の機械化機織り工場が操業、 1899 聖アナ教会はネオゴシックで象徴的新築。
16cの市壁は、南に町が付加された形態で、珍しく凸凹が多い。主として
南側に市壁は残されている。
エアランゲン門 Erlanger Tor 南門 2階建角塔で、東側に市壁が残る。
エアラインホフ門 Eeleinhof Tor 西門 2階建四角錘屋根の角塔で上階は住居。
ホルヒハイマー門 Forchheimer Tor 北門 2階建切妻屋根の角塔。
修道院門 kloster Tor 中門 上階木組の修道院の建物の途中に通路が
開けられている。
平地に門で囲まれた木組の家が残る、中世の雰囲気の残る小さな町。
旧市庁舎 Alte Rathaus (1718)小さな2階建てバロックの石造の建物で、中
マルクトにある。
新市庁舎 Neue Rathaus (15c)古い修道院の学校に市庁舎を収容した。
右の建物は修道院の中庭の門である。
聖ミカエル教区教会 Pfarrkirche St.Michael (1615) 昔の修道院施設の一部
であり、内部には古くからの美術品が収蔵されている。
十分の一税倉庫 Zehnt Speicher (16c) 修道院の十分の一税の大きな収
蔵庫であり15cに改修されて、文化・展示に使われ、2階はFolix Mueller博
物館である。
羊の家 Schafhaus 大きな古い建物。
ルードヴィッヒ通西 | ルードヴィッヒ通東 |
西門 | 東門 |
階段小門 |
748 モントゼー修道院の財産として初言及、788 シャルマーニュ侯爵フランク管理所が支配、
9c 集落にカロリング朝の館を設置、 1200 税関の設置、中世交易路上の中心地、
1231 町として初言及、 1240-81 バイエルン侯爵による鋳造、
13c ヴィッテルスバッハ家による都市権の授与、 1316 都市権の再確認、
1347 皇帝ルイの毎週市場権と塩取引権の授与、1450 侯爵ルードビッヒの塩取引停止、
1637-49 ペスト流行、 1797 大火災で町の80%は焼失。
13cの市壁は、丘の上の旧市街地を囲んだ。
ランツフート門 Landshuter Tor (1230) 西市門は1949に崩壊し、今の姿で1953
-59に再建された。通路アーチをまたいで4階建の住宅の建物は、13c初めの古い
建物と塔の基部は組込まれている。
城の家門 Burghauser Tor (1794) 東市門は、中世後期のアーチ通路に後期ゴ
シックの5階建寄棟屋根の門塔がある。
女性小門 Frauen Pforte (16c) 南小門は女性通の終点に中世後期のアーチ門
がある。
有料小門 Maut Pforte (16c) 北小門は外階段につながるアーチ門である。
丘の上の細長い町で、中心に長さ450m幅30-40mのルードヴィッヒ通があり、バロ
ックや古典主義の前面で軒高の揃った3-4階建建物が立ち並ぶ。
市庁舎 Rathaus(16c) 現在の市庁舎の中核には16cからの部分があり、17
797の火災 後20c中に再建された。中世後期からの6階建の塔がある。東隣に
Traidstedtと呼ばれる15c初めに建てられた市の旧穀物倉庫があり、16cの外観
である。1967ルネッサンスの前面を残し内部を改修して市庁舎として使った。
聖ニコラス市教区教会 Stadtpfarrkirche St.Nikolaus (1410-1623) 後期ゴシック3
身廊のホール教会で、聖具室は1876に建てられた。レンガ造のテント屋根の建物の西
南の角に礼拝堂がある。
ビッテルの家 Bittl Haus (15c) かっての商人の家で、中核は15cの建物で古
典的な正面は1798-1912に修復された。楔石には1761の年号がある。
修道院教会 Kloster Kirche (1715-17) ルネッサンスのフランシスコ会聖ペテロ修道院教
会は、ホスピスでもあった。1799に更新され、1845にはカプチン会修道院、1786地
区センターと市図書館となった。
旧関税の家 Ehem.Maut Haus (16c) 旧侯爵の関税の家。3階建寄棟屋根の
家で、中庭と16cからの後ろ建物がある。
市博物館 Stadt Museum (13c) Tans Bamburgの元修道院で2階建寄棟屋根
の風格のある建物。南西外壁は市壁が含まれる。1996市博物館となった。
食堂と醸造所 Ehem.Gasthof und Brauerei (16c) 4階建前方壁と寄棟屋根
の建物で、1808取り囲まれた。
旧旅館:王冠 Ehem.Gasthof Znm Post (16c) 3階建ネオクラシックのシコッタ前面。
19c初めに切妻屋根になった。
狭い家 Enger haus (16-17c) 3階建地上階アーケードの2窓の狭い建物。19cに
前面は改装された。
旧旅館:ポスト Ehem.Gasthof Znm Post (16c) 4階建地階アーケードの建物。
市庁舎 | マルクト広場 |
南壁 | 南西壁 |
西壁 | 北壁 |
北東壁 | 東壁 |
950 皇帝オットー1世は対ハンガリーの城を築いた、 1119 ベネディクト会修道院を村に設置、
1281 ウリードリッヒ方伯は息子に誓約書、1370 皇帝カール4世は城伯に皇室都市の建設許可、
1413 ニュルンベルク城伯ヨハン3世はカルメル会修道院設立、1498 バイロイト公国は要塞施設を構築、
1527 ブランデンブルク辺境伯は改革導入、 1531 カルメル会修道院は溶解し焼失、
1552-55 2次辺境伯戦争で建物被害その後市壁強化、1630-35 30年戦争で町は全滅、
1650-60 アッパーオーストリアに組込まれた、 1676 ブランデンブルク辺境伯が支配、
1778 バイロイト公国の廷史が支配、 1791 プロイセンへ主権移転、
1803 バイルンへ帰属、1818自治体の勅令、1833.1836 大火災、 1945 空襲被害。
14c後半に市壁は建てられ、1430強化され3門が設けられた。砂岩切石の石積
目地は水平積層が見られる。1839中世の市壁は一部除去。
見当たらない。
長さ360m幅34mのやや曲がった広大なマルクト広場を囲んで、18-19cの2階建軒有の
建物が多く見られる。
市庁舎 Rathaus (1581) マルクト広場の中央に立つ2階建切妻の建物。1920に旧下
門の石板紋章が付けられた。
旧旅館 Ehem.Gasthaus (18c) 装飾的な形と中心軸を強調した2階建寄棟屋根
砂岩前面の建物。15cの市壁は東の納屋にある。
旅館:太陽 Gasthof Zur Sonne (1802) 2階建砂岩切石造中心軸のある建物。
居酒屋も併設。
市教区教会 Stadtpfarrkirche (1414-15) 主体は後期ゴシックの建物で、内陣と
柱基礎は1414-15、1708身廊天井は再設計。1846スコッタと塔頂を復元。
新教ルター教区教会 Ev.Luth.Pfarrhaus (17c) 2階建寄棟屋根砂岩切石造の建物。
18c窓枠改修、15cの市壁が含まれる。
軒有家 traufseithaus (1833) 2階建砂岩切石造の建物。
軒有家 traufseithaus (18c) 2階建砂岩切石造の装飾的な建物。北側に15cの
市壁がある。
都市農民の家 Ackerbuerger haus (19c) 2階建砂岩切石造の前面。格間木製
門納屋には15cの市壁の部分がある。
市庁舎 | 聖ヨハネ市教会 |
旧宮殿 | マシケルス塔 |
ニュルンベルク門 | 田畑塔 |
土工塔 | 雄豚塔 |
南屋根付市壁 | 西壁 |
1191 ホーエンツオーレルン家のニュルンベルク伯爵エルプベックが町に来た、
1285 ホーエンツオーレルン領主はアッシュの中心都市として町を育てた、
1330 皇帝カール4世は硬貨を町で鋳造、1361-72 金貨も鋳造、
1488 都市の拡張と整備が進んだ、 1553 辺境伯戦争で町は破壊した、
1631-32 30年戦争で町は大損害、 1673 ブランデンブルク・クルムバッハ・バイロイト公国、
1791 フランケン公国の郡委員会の席、 1806 プロイセン敗北後仏軍が支配、
1810 バイエルン王国へ統合、 1900 町技術革新と伝統工芸の発展、
1945 ズデーデン地方からの避難民の和解。
12cから市壁は何回か築かれ、15cに最終的な形になった。1450-90に長
方形となったが、新市街地へ拡張されて今の姿になり、大部分で残った。
全4門の家1門と全11壁塔の家7塔は残されている。
ニュルンベルク門 Nuerunberger Tor (15c) 5階建ピラミット屋根にランタンの門塔で
二つのアーチ門が並んでいる。1523石造2階建切妻屋根の側門が付けら
れた。上階はレンガと木造で、南に守衛がある。
マシケルス塔 Maschikels Turm (15c) 3階建円錐屋根に提灯のある円塔。19c
アーチ窓となり、今は展覧会場である。
雄豚塔 Sau Turm (15c) 市壁の外側に3階建ピラミット屋根の長方形塔。
田畑塔 Flurer Turm (15c) 突出した2階建ピラミット屋根の塔で、石材と木
組に漆喰仕上の構造となっている。
土工塔 Schaufler Turm (15c) 2階建円塔に八角形の尖塔が付ている。
火薬塔 Pulver Turm (15c) 突出した3階建の尖塔付きの円塔。抜穴付。
漂白塔 Turm a.d.Bleiche (15c) 2階建八角形の尖塔付き円塔。
羊飼塔 Hirten Turm (15c) 3階建平らなピラミット屋根の角塔。
長期間の交易路上の町であったため、3階建の歴史的な建物が多く残され
ている。市壁や塔も残され、中世的な雰囲気が残されている。
市庁舎 Rathaus(1711-15) 3階建砂岩切石の壁柱と寄棟屋根の建物で、
地階は開口アーケードである。1947の火災後1949-51に再建された。
地方裁判所 Amtsgericht (1840-42) 元監獄の3階建平らな寄棟屋根の四
角い大きな建物。1968と1987-90に変換された。
聖ヨハネ教区教会 Ev.Stadtpfarrkirche St.Johannes Baptista (15c)
6階建の高い南西塔にランタンとタマネギドームがある。3廊切妻屋根の聖堂。
1594通路、1604塔の追加があった。
旅館:太陽 Gasthaus Zur Sonne (1568) 3階建サドル屋根上階木組の風格の
ある家。
旧宮殿 Altes Scloss (15c) 初め八角形の構築。15c階段塔と付属の事務
棟。17c城と守衛詰所、今は博物館。
新宮殿 Neues Schloss (18c) 1906八角形の塔を焼失。1915中央学校の建
物としてアールヌーボーで再構築。
市庁舎 | 西壁 |
東壁 | 南壁 |
土堤 | 聖ラウレンティウス教会 |
11C 最古の文書言及、 1273 ルードヴィッヒ2世は町の憲章を授与、
1275 ヴィッテルバッハ侯爵は計画的な町を形成、 1277 ブルゲンラント州から言及、
15c 古いドナウ川沿いのWaerの町は中世貴族の本拠として土地登記所.銀行があった、
18c 戦争と洪水で度々町は破壊されたがサービスセンターとして再建された、
1945 第2次大戦でも破壊され、新しい建物で再建された。
四角な旧市街地は、土堤と散歩道の巨大な栗の木の緑に囲まれ、市壁も一部
140mが主として東側に残っている。
三門は19cに取り壊され、3塔のみが残っている。
円塔 Rund Turm 北西角 3階建て円塔に円錐屋根。
望楼塔 Lugaus Turm 南東角 3階建四角塔に小塔付両流れ方形屋根。
ザリガニ塔 Krebs Turm 西 4階建て白い6角形の塔に三角錐屋根。
侯爵ルードヴィッヒ2世は、1273ドナウ川の右岸に新しい四角の入植地を設け、
都市権を付与して振興した。今も四角い区画がそのまま残っている。
市庁舎 Rathaus (15c) ゴシック2階建て切妻付の大きな建物で、地階はアーチ
の回廊がある。1978に火災に遭った。
ローレンス教区教会 PfarrKirche St.laurentius (15c) 町の中心に壮大な5階
建の白い角塔のある黄色い教会。
聖アナ礼拝堂 Kapelle St.Anna (1715) 教会の西に建てられたバロックの礼拝
堂。
マルクト広場 | 宮殿 |
1217 オルデンブルクのヘンリー1世の都市権文書に初言及、
1329 ヴィッテルバッハ家のプファルツ伯へ国土分割、 1357 バイエルン王でローマ皇帝カール4世へ売却、
1575 町はロゴツヴィッツに売却され、それでバイエルンからボヘミアに組み込まれた、
1641 皇帝直轄の町の領主はレーゲンスブルク帝国議会議決権を有する伯爵位を授与された、
1806 最後のロゴツヴィッツ侯爵はバイエルン王国に町を売却した。
バロック庭園に僅か残る。
見当たらない。
昔の美しくカラフルな切妻の家と中世の旧市街が保存され、新旧宮殿の立つ広場
には、破風付の多くの建物が見られる。
市庁舎 Rathaus (1824) 2階建ての切妻付の小さな建物。
旧宮殿 Altes Schloss (1532-1620) 町広場に3階建ての外壁の厚い白色
の建物。
新宮殿 Neues Schloss (1698-1720) 旧宮殿の隣に窓枠を白く塗った3階
建の茶色の建物。
聖ゲオルク教会 St.Georg (1689) 市庁舎の隣にある5階建て単鐘塔の小教会。
バロック庭園 Barock Garten 旧宮殿の後ろにバロック庭園があり、中世の市壁
の残りがある。
町博物館 Stadt Museum 町広場に博物館はあり、町の歴史と文化を展示。
市庁舎 | 旧市街 |
1218 オルテンブルク家のに入質の文書に初言及、 1329 ヴィッテルスバッハ宮中伯へ移った、
1353 ボヘミア王と皇帝カール4世に売却した、1514 皇帝マクシミリアン1世の支配下に置かれた、
1575 町はロプコウィッツ家に売却、 1807 ロプコウィッツ家は支配権をバイエルン王国へ売却、
1891 ガラス工場の設立、 1946 ズデーデンとシレジアからの難民が流入、
1992 鉄のカーテン崩壊でチェコ共和国と交流、 2004 EUの東方拡大で景気回復。
市壁が残っているのは、StadtPlatzの南側斜面に市壁の跡60m、Am Schulbueh
の上り坂に50m、かっての城壁の跡70m。
防衛塔 Waren Turm () 南西の角にある四角錐屋根の四角塔。
切株塔 Schalen Turm ()角にある中世後期の石造塔の残骸。
ツインガー塔 zwinger Turm (1664) 円錐屋根のツインガー塔で、Stadtplatz34にある。
市庁舎 Rathaus (1824) 幅の狭い切妻の前面とStadt Platzに張り出した
関節式の長い側面のある古典主義2階建の建物。
カトリック教区教会聖ゲオルグ Kath.Pfarrkirche St.Georg (1340) マルクト広場の南西
に建てられ、1607に東側に新しい塔が建てられた。1702隣接の土地は購入した
が、30年間は放置されて1735に古い教会は取壊して今のホール教会が新設された。
塔は18cに5階建レンガ造でたてられ、1794にはタマネギドームが付けられた。1823市
庁舎の時計が教会に移された。
旧城 Ehem.Burg(1532-1630) 出窓のある後期ゴシックの2階建切妻の建物で、
ヌネッササンスの木製天井板が設置され、東に隣接する建物と地下室は中世のもので
ある。
新宮殿 Neues Schloss (1689-1720)3階建寄棟屋根の美しい前面の長い建物。
元総合事務所 Ehem.Kanzlei Komplex (16c) 南にある3階建て切妻の建物で、
2階に1665の礼拝堂がある。
切妻の家 Giebel haus (16c) 16c後半の中核となる切妻の家並みが並ぶ。
庇構造の家 Traufseit Haus (1681) 軒側の2階建横向きの石造の建物。
旧住居と家畜小屋 Ehem.Wohn stall haus (18c) 中庭への門と周壁がある。
市立博物館 Stadt Museum () 市の歴史と鉛クリスタルのガラスや手工芸品
が展示にされている。
旧市庁舎(旧地裁) | 旧城跡 |
市壁とシュパンチェン搭 | 聖マリア降臨教区教会 |
コウノトリ搭 |
1007 バイエルン皇帝ヘンリー2世はバンベルク司教に大森林保有の新教区 Nittauを与えた、
1313-1816 旧ニッテナウ貴族がBurggutに居所を置いて治めた、1345 市場開催があった、
1515 フス派の脅威に周囲の壁で対抗、1739大火事で町は全滅、
1805.1809 大火事。
北に広がった旧市街地に15cには市壁・堀・3市門が設けられた。今市壁が残さ
れているのは、UnterTorWeg28に10mと12に5mのみと見られる。
下門 Unter Tor (1793) 2階建切妻屋根の旧下門南側面の建物で、出窓が
ある。1860と1950改造された。
コウノトリ塔 Storchen Turm (15c) 旧教会を守る4階建の防衛塔で、通抜け道と階
段切妻がある。1779の火事で損傷を受けた。1805の火事の後に1808に3金物盾が
付けられた。
スズメ塔 Spatzen Turm (15c) 3階建の旧市壁の塔で、今は受託に取込まれ、隣
には融資壁が5mある。
ツバメ塔 Schwalben Turm (15c) 旧市壁の塔で改造段階で1832の年号が付けられ
た。
木組の街並みは1832の計画に基づき建てられたが、多くは近代化などで消滅し
て来ている。
市庁舎 Rathaus (1903) 旧地方裁判所のL字型の建物で、新バロック2階建マンサード
屋根である。半寄棟屋根の付属建物もある。
マリア降誕市教会 Stadtpfarrkirche MariaGeburt (15c) 古い教会は1799の火事で
損壊し1782バロックの拡張が行われた。2次大戦でひどく壊され、古いゴシックの内陣
を使い今の姿で再建された。1972-78に近代化された。
ゲスト旅館 Haus des Gastes (14c) 1313-1816教会広場のBurggutに旧ニッテナウ貴族
の居所であった。3階建寄棟屋根の建物は、1816学校となり、1959迄は市庁舎と
して使われた。1975改装されてゲストハウスとなり、催物や展示会に使われる。
市博物館 Stadt Museum (17c) 教会広場に町の歴史を展示している。
旧旅館 Ehem.Gasthof mit Austragshaus (17c) 配達家のある2階建切妻屋根漆
喰仕上の建物。19cに増築された。
市庁舎 | 聖ゲオルグ教会 |
ベーカー門 | バイデンリガー門 |
ディニンガー門 | ファイル搭 |
バークオッヘン搭 | 壁上通路 |
898 レーゲンスブルク司教区の文書に最初の言及、
1215 皇帝による都市権の授与で自由都市となり、 最初の市壁が築かれた、
1219 大市開催権が認められた。、 1238 火災で大部分を失うが交易で回復、
1327 昔の壁を置き換えて拡大壁の開始、 1589-98 魔女狩りで35人を処刑、
1634 30年戦争の各国軍が通過し略奪、その後交易路が海に移り中世の町のまま残る。
1802 バイエルン州に帰属、 1945 2次大戦の空襲で駅周辺のみ被害。
完全な円形で銃眼付きの胸壁と屋根付き壁上通路のある市壁2.6kmが中世の旧市
街を囲っている。1803に不要となった市壁の取り壊しを始めたが、1826バイエルン王
ルードビッヒ1世は壁の解体を禁止した。14-16cの壁がほぼ完全保存されている。
市壁上の通路は一周できる。
5門と8塔・1要塞がある。新要塞は1808-26に中止された。
ライムリンガー門 ReimlingerTor 14C建、東南 最古の市門塔、3階角塔。突出
銃台と塔防御室を備え、後で守り易い外壁を付けた。
バルディンガー門 BaldingerTor 1376建、北西 1階アーチ門に後で西側小入口を
加えた。前門部は1430に付け加えられた。
レプジンガー門 LoepsingerTor 1388建、北東 1592に6階建門塔に建て替え
られた。1837に日時計を付けた。今日は美術館を収容。
ダイニンガー門 DeiningerTor 東 LoepsingTorに似ているがややスリム。
現在の構造と12アーチの窓や曲線屋根は30年戦争の後で得られた。
山門 BergerTor 1436建、西南 1575に塔の上階を強化して今の姿になっ
た。石積にカノン砲の弾丸が突き刺さっているのを今でも見られる。
旧要塞 AlteBastei 1554-98建、南 防御要塞は2階に10門の大砲を収容で
きる。今は野外劇場がある。
売り塔 FeilTurm 14C建、4階塔。刑務所塔として使われた。
獅子塔 LoewenTurm 1535建、西 4階建の砲兵塔。堀の大砲胸壁の間に据え
付けられ、馬蹄形で町側に低い切妻を置き、外側に膨らんだ砲台である。
上水塔 ObererWasserTurm 1469-71建、西 6階角塔。エーゲル川の流入地点を
守り、堀へ水を配る給水塔。
オーブン塔 BackofenTurm 5階建角塔で外壁に付けられている。名前はその特
徴的な形から来ている。
トンガリ塔 SpitzTurm 15C建、北 六角形の尖屋根からその名前が付いた。
下水塔 UntererWasserTurm 15C建、北東 エガー川が町から離れる地点を
守る下部水塔。
引張塔 ReissTurm 1408建、東南 最初壁の外側に建てられ、1644に現在
の姿となった。
隕石の落下によって生じた盆地の中央に、市壁に囲まれた淡い色調の家が並
んでいる。町の中心マルクトには市庁舎と教会が立ち、16-17Cの木組みの家が多く残
されている。
市庁舎 Rathaus 1313建、初めデパートとして使われていたが、1382に市が
借りて市庁舎となった。1618にルネッサンスの階段を付け、大会議室には16Cの
フレスコ画が描かれている。
聖ゲオルグ教会 St.GeorgsKirche 1427-1505建、ゴシックの3身廊の長さ90mの
広いホールである。高さ89mの高い塔に登れば見晴らしはよい。15Cの説教壇には
優雅な階段がつき、本祭壇にはバロックの祭壇画がある。
クレータ-博物館 RiesKraterMuseum 興味深い隕石クレーターの映像とアポロ14号の月
の石の展示がある。
町博物館 StadtMuseum 町の歴史、古代ローマの笛吹き像、後期ゴシックの祭壇
1634ネルトリンゲン会戦のジオラマを展示。
カザルメン Kasarmen 市壁の内側に直接屋根を架けて、兵士を収容する2階建
の家を建てた。今も相当延長残っている。
旧市庁舎 | フラウエン教会 |
ジンベル塔 | カザーブルク城 |
白塔 | シュピトラー門 |
フェルト門 | 皇帝通り西門 |
ヘンゲル塔 | 南西壁教会 |
西壁外側 | 聖ロレンツ教会 |
1000-40 町を形成し城が築かれた、 1050 ハインリッヒ3世の証明書に言及、
1190 新城で行政と裁判が行われた、1219 帝国自由都市となり、両岸に市壁、
1320-25 両岸は共通の壁で囲まれた、1356金印勅書を採択し帝国市議会開催、
1427 ホーエンツオレルン家の東方進出でニュルンベルク伯城を市へ売却、
1470-1520 経済的全盛期、1649 30年戦争は終わり守られたが経済は弱体化、
1796-1806 プロイセンへ帰属、 1806 バイエルンへ帰属、
1945 2次大戦で旧市街地の90%が破壊した。
最初の市壁は、11Cに、ペグニッツ川の両岸にそれぞれの市壁が築かれた。
2番目の市壁は、1320-25に、両岸が壁で統合した。
3番目の市壁は、1400-1452に、東にずれた平行四辺形で延長約5kmとし、4門塔
を設けた。屋根付きの巡視路を持つ内側市壁の外に、もう一つの防壁
(ツインガー壁)があり、その前には幅20m深さ12mの空堀を1452に完成した。
市壁は空爆に晒されたが戦後修復され、北と東の一部を除いて3/4が殆ど2重
壁で残っている。
6門(Tiergaertner、Jakob、huebners、Kartaeuer、Faeber、Fuerther-Tor)が
残り、7門(Marien、Kasemalten、West、Max、Ludwigs、Koenigs、Stern-Tor)は
失われた。新4門(Laufer、Frauen、Spittler、Neu-Tor)と1小門(Tuerlein)
城に繋がるVestnerTorを追加。防御塔は67残っているが、その内4は16Cの大塔
DickeTurmであり、砲弾に耐えられるよう厚さは最大6mにも及ぶ。
中央を東西にベグニッツ川が流れ、延長5kmの市壁に囲まれた大きな町である。
城が北の丘にあり、その下に市庁舎や教会など、北側に集中している。
城 Burg 12C建、北 昔の城伯の城は1420に壊され、15-16Cにカイザーブルク
が付け加わって現在の形となった。高さ30mの主塔、深さ53mの井戸、宮廷礼
拝堂1170、国王宮廷、皇妃の間などがある。
デューラーの家 DuererHaus 北 画家デューラーが1509-28に住んだ木骨家屋。
複製絵と質素な家具が展示されている。
新旧市庁舎 Neues&AltesRathaus 1332-40建、新旧の市庁舎の大複合建物。
全部が2次大戦後の復元である。ゴシック・ルネサンスの部分も見られる。
聖セバルドウス教会 Neues&AltesRathaus 13建、14Cに拡大されロマネスクの西正面
となった。二重内陣のゴシック装飾は重厚である。
聖母教会 FrauenKirche 1352-61建、ゴシックの宮廷礼拝堂として建てられ、
殆ど正方形の広間に、1440の祭壇画がある。
聖ローレンツ教会 St.LorenzKirche 13-14C建、南 ゴシックの西正面はバラ窓に飾
られ15Cに付けられた内陣には16Cの木彫の天使の祝詞が置かれ、後陣に1487の
ステンドグラスがある。
町博物館 StadtMuseumFembohaus ルネッサンスの砂岩造の市民屋敷に、市の歴史
や貴族の家庭生活を展示している。
国立ドイツ博物館 GermanischesNationalMuseum 南 14Cの旧シャトル会修道院
に設立された。広大な建物に13-16Cの彫刻・14-15Cの絵画・15-19Cの装飾芸術・古
武具・銅版画・古楽器・民衆芸術等の展示。
市庁舎 | 上門 |
梟塔 | 魔女塔 |
托鉢塔 | グムペン塔 |
円塔 | 木組の家 |
1300 ビッケンバッハの領主はアッシャヘンブルクにオーベルンベルク村のadvocaciesを売却、
1313 マインツ大司教は村を領土に、1317 皇帝ルードビッヒは村を含み都市権授与、
14c 壁や門・塔の建設開始、 1342 洪水、 1350 黒死病流行、
1140 大司教デートリッヒ・シェンクはワインの家や3門・5塔・1.1kmの市壁を建設、
1508-14 選帝侯ウリルは市壁を5.5mの嵩上し木製壁上通路を設けた、
1525 農民軍は宮殿と修道院を略奪、 1631スエーデン軍の略奪と賠償金強奪、
1740-48 墺承継戦争で仏軍の強奪、 1796 ナポレオン軍の侵攻、
1814 バイエルン王国に帰属、 1938 郡庁所在地となった。
最初の市壁は、14cの市壁は15-16cに再建強化されたが、1860-90に西側部分
を取壊すなど、建築材料に転用した。そのため僅かしか市壁は残っていない。
残るのは、西南角30m、北50m、北東角20mである。
3門の内、上門は残されたがマイン門と下門(1838)は壊された。壁塔は、4隅と
西中央の5塔がポツンと残されている。
下門 Unteres Tor (1845) 1838に長方形3階建アーチ通路に4角錐屋根の塔は、
取払われたが、地方裁判所の命令で記念碑として1845に簡素にアーチで再構築さ
れた。
上門 Oberes Tor (14c) 長方形の3階建のアーチ門にルネッサンスの窓や中世の矢間が
ある。
西の市壁の内側にある階段で壁上通路に登れる。1586二重ステップドーム屋根
のランタンが付けられた。
カバン塔 Taschen Turm (14c) 西南隅、3階建長方形の塔で、頂上の胸壁はアーチ
フリーズで飾られている。
托鉢塔 Almosen Turm (14c) 南東隅、5階建長方形の胸壁付きの塔で、16cに
上部塔が取付けられた。
グムペン塔 Gumpen Turm (14.16c) 北東隅、2階建の壊れた長方形の塔。コウノトリ
巣塔とも呼ばれた。
魔女塔 Hexen Turm (14.16c) 北西隅、4階建長方形の塔で、頂部にアーチ型フリー
ズ胸壁がある。16cには守衛室が設置された。
円塔 Runder Turm (14.16c) 北側の中央部に、4階建円形の塔がある。塔頂
には円弧フリース胸壁がある。
マイン川の左岸に密集した街並みの中に、旧市街の境界として塔が孤立して
いる。外見が木組の家は少なく、16-19cの漆喰仕上の建物が多い。
市庁舎 Rathaus (15c) 前に傾いた段付き切妻アーチの2階建屋根窓のある瓦屋
根の建物。17c後期ゴシックの砂岩と漆喰仕上となり、19cネオゴシックの上階木組漆喰
仕上の古い階段塔の改修。
守衛詰所 Torhaus (1606) 2階建切妻屋根の地階アーチ石積、上階木組の建物。
アナ礼拝堂 Anna Kapelle (13c) 市壁の外の墓地の近くに建てられ、16cに拡
張された。1784の洪水で損傷したが改修した。
聖ピーターとパウル教会 kath.St.Peter und Paul Kirche (16c) 砂岩漆喰仕上の建
物で、7角形の計画を延長し、1964コンクリートの骨組みとなった。
聖ヨハン教区教会 Kath.St.Johanne Kirche (1401) ゴシック砂岩漆喰仕上の正方形
の教会。1748-50勾配屋根と身廊の東方拡張。1976寄棟屋根と広い翼廊に改修。
市庁舎 | 下門 |
太い塔・ニコラウス塔 | クリンゲン門 |
火薬塔・東南壁 | 上門 |
セント塔 | 鳩塔 |
中央通 |
740 キッジンガー女子修道院の小分館設立、1081 シュバーベン・ザクセン諸侯会議開催、
1103 マイン川の渡し船があった、 1133 マイン側に木橋を建設、
1301 独立した自治体として議会が機能、 1313 ヴュルツブルク司教の市壁建設開始、
14c 市域の拡大で東・南へ市壁建設、 1430-60 何度か町の入質・売却があった、
1440 ブランデンブルク辺境伯が町を攻撃 1512-19 マイン川に石橋を建設、
1525 農民戦争による損傷、 1612 ハプスブルク皇帝マティアスが在住、
1627-28 魔女狩りが行われた、 1631 30年戦争でスエーデン軍が占領、
1672 領主司教ヨハン・フィリップは市場権を付与、 1675-78 プロイセン軍が占領、
1758 7年戦争で仏軍が砲撃、 1795 仏軍による略奪、
1803 世俗化でバイエルンへ、1806 ヴュルツブルク大公国へ、1814 最終的にバイエル王国に、
1866 プロセン・バイエルン戦争、 1945マイン橋の破壊、1954新マイン橋建設、
14c歪み長方形(500*400m)の市壁が築かれ、その中に旧マイン橋もふくまれた。
4門のうち3門と多くの壁塔が残され、18cに多くの修理がなされた。
上門 Ober Tor (14c) 東南 1567改修、古い落とし格子門の止め石のある
どっしりとした角塔。
下門 Unter Tor (1572) 北西 通路のある2階建ての上に、切妻と守衛詰所の
木組み上屋が乗っている。
クリンガー門 Klinger Tor (1307) 西 5階建て角塔で、塔頂には1598ドーム屋根の
ある印象的な外形である。一時監獄があり、今ホステルで展示室もある。
鳩塔 Tauben turm (15c) 北西 市壁に在る細身の円塔で、1617ド-ム型帽子付
けられ、三重に保護された塔塁・防塁・歴史的鍛冶屋がある。
セント塔 Cent oder Schinders turm (14-15c) 北東角 円錐屋根のほっそりし
た円塔。1522床の改修。
白塔 Weisser turm oder Hirtenhaus (14c) 東 2階建て石造角塔の上に切妻
屋根木造壁塔で16c上階は改修された。羊飼の家とも呼ばれる。
火薬塔 Pulver turm (14c) 南東角 四角錘屋根の角塔。旧弾薬庫や刑務所
して使われ、小円塔を前に置いている。
ニコラス塔 Nikolaus turm (15-16c) 南西角 7年戦争の痕跡がある細身の円塔。
太い塔 Dicker turm (17-18c) 南西角の外側の重砲を据えた大きな円塔。
壁塔 Mauer turm (14c) 北 円錐屋根の円塔、北 円塔、北東角 外円塔、
南 円型壁塔が6基あり、内3基は建物の中に取り込まれている。
正方形の市壁と多くの塔に囲まれた小さな町に、木組みの家が多い。
旧市庁舎 Altes Rathaus (14c) 3階建ての切妻付の建物で、サラシ台・日時計
もある。以前は武器庫・常設市場として使われた。今は町図書館。
新市庁舎 Neues Rathaus (1515) ゴシック窓上飾りの屋外階段のある3階建の建
物で、小塔・日時計のある芸術的な形。
ヨーロッパ全土から5千人のメルセデスベンツ・クラブが集まり古典的なメルセデスベンツ車を展示。
町教区教会 StadtPfarrkirche St.Andress und Michaels Kapelle (14c)
華やかなルネッサンス本祭壇とチィルマン・リーメンシュナイダーのニコラス像がある聖アンドレアス教会があ
り、近くに15cの聖ミカエルの礼拝堂がある。
十字架教会と記念館 KreuzKirche und Ehrenhof (1499) 旧病院教会テンパンに
は聖エリザベスの描写がある。近くに記念館があり、木組みのアーケードに特徴がある。
歴史的箱の館 Histerischer Kasutenhof () 旧穀物と農産物の木組みの倉庫
で、今は中庭を含め商店と飲食店である。
古マイン橋 Alte MainBruecke (1200-1350) 石橋脚に木製上部工の橋が架けられ
1512-20石のアーチに架け替えられた。1945二次大戦の終りに中央径間が爆破された。
1957船の運航のために橋脚を除去して復元された。2007コンクリート梁の解体が行われ、
2010-12プレストレストコンクリートで歩行者と自動車の通行する橋として修復された。
郷土博物館 Heimat Museum (13c) 外市壁に沿った小宮殿の中にあり、多くの
洪水位の印がある。中には町の歴史・ギルド組織の変遷・歴史的ワイン生産の展示。
衣装博物館 Trachten Museum (1717) ヴュルツブルクの建築家が建てた老人の家
に衣装博物館がある。豪華な町の衣装の変化、花嫁の装飾品、洗濯手入れなど
の展示がある。また、衣装の試着もできる。
市庁舎 | シュロス通 |
王宮・北門 | ツインガー門 |
王門内 | 王門外 |
西南壁 | 西壁 |
1141 町はバイエルンに属し、エッティンゲン侯爵は宮殿を建て定住し、市場を開催、
13c 町は市壁で守られ首都として整備された、1242 ドイツ騎士団が拠点を置いた、
1414 エッティンゲン家は2系統に分割、 1539 エッティンゲン家は宗教改革を半導入、
1563 プロテスタント教区教会の設立、 1641-1782 イエズス会が聖セバスチャン教会を管理、
18c 街並みはバロックの建物で支配された、1806 独自公国の首都からバイエルン王国へ。
シュタウフ時代の市壁はほぼ円形で、13cの終わりに拡張の工事を始め、16cの初
めには強化され、壁上通路も置かれた。市壁は北側を除いて残されている。
13cからの市壁には3門があり。前面の堀には跳ね橋を架けた。
王門 Koenigs Tor (13c) 下門とも言われ、南口で13cからの残骸を持つ。
この門の外にも門があり、郊外があった。1594-96に6階建の新塔を構築。
旧刑務所も見られる。
小門 Torle (14c) 旧乗馬会館の脇の市壁に小さな出入口がある。外堀に
は橋が架かっている。
ツインガー Zwinger (13c) 旧土堤の前にある防御施設で、元ミドル門の直ぐ上
の外側ツインガー門が16cにはあったが、1815には除かれた。今はツインガーに建て
られた建物の下を道が通抜けている。
上門 Oberes Tor (17c) 新宮殿に含まれて建てられた。
南北に走る宮殿通りにマルクト広場があり、今でも金曜日に市が立っている。
広場の東側のバロックの木組の切妻は重厚である。
市庁舎 Rathaus (15c) 町役場は、シュバーベン有数の美しい木組の建物で、
正面入口の上に銘板が置かれている。右の階は1431に置かれた。上層階と印
象的な切妻の梁は1480に建てられ、販売所や備付け市場でもあった。1986-93
の改修以来、隣の木組の家と構造的に接続した。今地階には観光案内所とジ
オパークセンターがある。
聖セバスチャン教区教会 Pfarrkirche St.Sebstian (1467) 今のカトリック教区教会
で聖セバスチャンはペストに対する守護聖人である。伯爵クルリッヒが教会を拡張し礼拝室
を建てた。1563反改革導入でカトリックの教会となった。19c身廊が老朽化し、再構
築された。地下室には1470-80のゴシックのペストの絵画がある。
ドイツ騎士団 Deutschen Ordens (1242) 城の東にドイツ騎士団の建物がありか
なりの資産を保有していた。その後、年金受給者の税務署や裁判所として使
われた。1945の空襲で大部分が壊され、今は跡地開発して、博物館がある。
市民の家 Buergerhaus mit Storchennet (15c) コウノトリの巣のある家で、この
町のコウノトリは、100年来の営巣が確かめられている。
旧ラテン学校 Ehem.Latein Schule (1724) アルプレヒト・エルンスト2世がラテン学校を設立
し、1968までギムナジウムとして使われ、今は成人学校である。
王宮宮殿 Residenz schloss (17c) 新宮殿とも呼ばれ、17cからカトリック派の
宮殿となった。豪華な祝宴会場がある。
聖ヤコブ教会 St.Jakobs Kirche (18c) プロテスタントの教区教会で、漆喰のバロック
装飾がある。
旧レブキュッヘンの家 Ehem.Lebkuechener haus (1670) 1727まで、家を建てた家
族が住んだ。細長い入口から家に入る。
旧乗馬会館 Ehem.Reithalle (1680) 領主の乗馬会館として建てられ、1945
の空襲で破壊された。
下門 | 上門 |
ゾンゲナンテ城 | 南東壁 |
南壁 | 東壁 |
東北壁 |
838 最初の文書言及、
1286 第1砦としてエッティンゲン家のアイヒシュタット司教は半円形に要塞化した、
1317 第2砦として堀や堤が加えられた、1365-83 壁を補強して安全を図った、
1470-90 壁や塔で第3砦として、今も見られるように建設。砦の基石には紋章や
年号が残っている。
半円形の旧市街地には、全周の高い市壁が残っている。
上門 Ober Tor 2階建て3角屋根の後門のみ復元されている。
下門 Unter Tor 2階建て3角屋根の前門のある3階建て角塔であるが、
車の対向が出来るように、隣の壁が開けられている。
泥棒塔 DiebsTurum 円錐屋根の円塔。泥棒塔は監獄として使われた。
そのた、市壁には5以上の多くの円塔や角塔がある。
バイエルンで最も人口の少ない小さな町で、大教会には千年前の尖塔が残る。
古い校舎の煙突には何世紀にわたるコウノトリの巣があり今も子育てが行われる。
毎年ヨーロッパ全土から5千人のメルセデスベンツクラブが集まり、古典的なメルセデス
ベンツ車500台のパレードがある。
聖ヤコブ教会 PfarrKirche St.Jakobus 1053献堂、1967身廊の拡張さ
れたが、ロマネスクの砂岩の塔とゴシック内陣は残された。1502幕屋・1500マドンナ像・
1981バロックのピエタ像が礼拝堂から来た。2000祭壇の壁にガラス絵が飾られた。
旧水車橋 AltMuehlBruecke Altmuehl川に架かる旧町への古い石橋。
市庁舎 | 南市壁 |
要塞教会 | 旧新門円塔 |
ファル門 | 旧市門柱 |
525 フランケン人の入植地を設立、 836 皇帝ルードヴィッヒはフルダ修道院に移管、
1214 ドイツ貴族はフルダ修道院とチューリンゲン伯の領地を所有、 14c ロンネベルク郡の庁舎、
1586 都市権を取得、 17c30年戦争でブドウ畑が破壊される前は良質のワインを生産、
1660 ヴェッテン家の家系でヘンネブルク州を分割、1741ザクセン・アオゼナッハ公国が創設され属した、
1809 ワイマール・アイゼナッハ公国へ、 1815ウイーン会議で大公国になったが1867に北独連邦へ、
1903 ザクセン大公国を名乗った、 1920 チューリンゲン州の一部になる、
1945 バイエルンの飛び地として、オストハイムは米軍が統括した。
1450の要塞で強化された2重壁に守られた要塞教会を囲んで、16cに市壁は建
てられた。
村民の避難所として機能し、1663-64に要塞教会の北東と西に拡張された。
石造の環状の壁は、かっての5市門の跡・東出口・教会北の墓地で分断されて
いるが多くの部分で残されている。
新門跡 Ehem.Neutorturm(1664) 石積の塔の上に木骨造の居室があり尖っ
た屋根の付いた円塔。
ファル門 Ehem.Falltor(16c) 旧市壁ファル門の二つの円門塔が残っている。
旧市門柱 Pfeiler des Ehem.Stadttor (1825) 旧市門の門柱がある。
見張り塔 Ostheimer Walte(16c) 山の中に、高さ7m直径4mの円塔で外側
に階段がある。
殻塔 Schalen Turm(16c) 北東角に壊れかけた殻塔がある。
火薬塔 Purver Turm(16c) 西の市壁にある円塔。
学校塔楼 Schule Gloken Turm (16c) 南西の学校の鐘楼。
八穴搭 Achtloechriger Turm(16c) 北側の石積上にの見張台のある円塔。
計量所搭楼 Waagglocken Turm (16c) 北側の石積上に木製室のある円塔。
壁に囲まれた大きな村であり、良く保全された要塞教会や古い木骨造の建物
も残っている。
市庁舎 Rathaus (1587) 大きな石造の地階ホールと側門を備えた細長い2
であり階建、前面に1968の石造階段の木造の時計付き鐘楼が付いている。
1982改装した。その裏面の路地に観光センターがある。
旧ハンシュタイン城 Alten Stain Schloss (15-16c) 階段切妻のある3階建の石
造の建物で、①1430-50 ②1512 ③1599-1604の三段階で建設された。
旧馬旅館 Ehem.Gasthof Zum Ross (1608)中央出入門のある上階木造の
装飾的な外観の建物である。
要塞教会聖ミカエル教会 St.Michael kirche (1400-50) 5つの防御塔のある
2重周壁に囲まれ、壁の途中に6つの要塞で防御された四角い区画に、7つの植物
と66のアーチ地下室と1615-19cに建てられた聖ミカエル教会がある。ドイツで最大で最も
良く保全された要塞教会である。
市庁舎 | 上門 |
下門 | 東壁 |
城 | 宮殿 |
802 ザンクトガレン修道院に貴婦人レギンジントの財産を遺贈した文書に初言及、
9c 聖ガルス教会を城山の下に建設、 11c 最初の城の建設、
1193 帝国相続元帥の権限を持つ男爵の領地、1288ハプスブルク王ルドルフは都市権授与、
13c 市場と教会は市壁と門塔に囲まれた、 1372 アウグスチン会の修道院を建設、
1623 30年戦争でスエーデン軍の占領、 1703-04 スペイン承継戦争で仏軍占領、
1806 バイエルン領となった、19c 採石場・窯業・家具工場・精麦・醸造・ニット工場の開設。
城壁から東へ旧宮殿・市庁舎・新宮殿・修道院を囲んで北側まであった。
上門 OberTor (13c)
歴史的な旧市街地は、大部分が無傷で残っている。中世の市壁の一部に囲ま
れ、城の麓にロマネスクやバロックの教会や建物が中世の雰囲気を楽しませる。
市庁舎 Rathaus (1594-98) 渦巻装飾のある3階建て切妻屋根の建物は、
事務所ビルとして建てられ、1722に補修・改築が行われた。1812に町が購入して
市庁舎とし、1982改装した。その裏面の路地に観光センターがある。
旧宮殿 AltesSchloss (16c) 居住宮殿として建てられ、主宮殿は四隅に塔
と円形の窓はルネッサンスを示している。今も領主の家族はここに住んでいる。
新宮殿 NeuesSchloss (1819-22)古典的な前面の簡素な3目根の建物は数
戸の民家を取り壊して建てられた。内装はネオクラシックで行われたれた。
聖ガルス教会 St.Gallus kirche (9c) フランケン地方では古い教会で1060の壁の
上部と塔に狭い窓がある。13cの壁画、1520祭壇がある。
新教ルーテル市教会 Ev.Luthersche StadtKirche (1476) 華やかな屋根瓦の後
期ゴシックの教会として、シナゴークの基礎の上に建てられ、1539-40宗教改革で新教
のルーテル市教会となった。内装は簡素な心境のバロック教会である。
アウグスチン修道院教会 Kirche des ehem.Augustiner Kloster (1372) 元帥ヘン
リーによって修道院の教会として建立され、16cの宗教改革で修道院は解散され
私有物となった。1458内陣や墓の碑文は、私有のためガイドツアーでのみ訪問でき
る。
城 Burg 11c初めに築かれ、1633スエーデン軍に町と城を征服された。1704仏
軍に破壊され無人となった。1822再建された。植物園1300。歴史美術館は元武
器庫に領主家族と城の歴史・武具・肖像画・調度品を展示。自然と狩猟博物館は
ライフルと猟銃用品や動物標本の展示。
新市庁舎 | 旧市庁舎 |
学生教会聖ミカエル | 聖ステファンドーム |
歩行者ゾーン | 旧イエズス大学 |
旧司教王宮 |
739 司教座が設置された、740 ニーデンブルク修道院の竣工、1050聖ポール教会建設、
1161皇帝フリードリッヒ1世は司教にニーデンブルク修道院を寄贈、1217皇帝フリードリッヒ2世はパッサウ
を市教団に、1219 オーパーハウス要塞の建設、 13-14c 聖ステファン大聖堂の設立、
1612 イエズス会大学の設立、 1662 大火災発生、1677 聖ステファン大聖堂のバロック化、
1680 大火事発生、1683 2次ウイーン包囲時にレオポルド1世が避難、 1803 ナポレオンの世
俗化でバイエルン領に、 1978 パッサウ大学を創立、 1982 ローマ美術館の開館、
1985 ガラス博物館の開館。
イン橋門 Innbruck Tor (13c) 簡素なアーチ型のツインガーガッセ入口の門。
パウルス門 Paulus ArchTor (13c) パウルス・ボ-ゲンの入り口門。
セーベリンス入口門 Severins Tor (13c) 南岸のL字型西入り口。
セーベリンス塔 Scheiblings Turm (1250) 南岸の円錐形屋根とフレスコ画のあ
る丸い塔。
パイシャー塔 peicher Turm (1403) 丸い防衛塔、1983に拡張、南の西塔。
ペイシャー低塔 peicher Nieder Tor (15c) テント屋根の防御塔と急な寄棟屋
根の塔。
パイシャー上塔 peicher Ober Tor (1531) レンガ造の要塞クローバー状の平面。
三つの川の合流点で、バロックの教会や貴族の屋敷が集まり、17c末の大
火事の後、イタリア風バロックで建て替えられた。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1405) ベネチュア風に建てられた、ホールの建物は、
1446前面にフレスコ後が描かれ、1922に描き直された。高さ38mの市庁舎塔は1811
に壊され、1889-92に再建された。塔には19c末の大洪水の最高水位が記録さ
れ、1991にカリオンが付けられた。評議員会館には、1676のレオポルト1世の結婚式の
巨大な壁画が描かれた。
新市庁舎 Neues Rathaus (1851) 旧市庁舎の西に、醸造所を取り壊し前
面バロックの寄棟屋根4階建ての新市庁舎を1851に建設した。その新市庁舎の東に
古い建物を取り壊して1848-51に、旧主税関がレンガ造寄棟屋根3階建で建てられ
た。2004に主税関が廃止され、2007に市が取得して使用している。
聖ステファン大聖堂 Dom Stift St.Stephan (13-14c) 交差ドームのある3通路の大
聖堂で、1677に内装のバロック化、1897にオルテンブルク伯の八角形の埋葬礼拝堂が置か
れた。
カトリック聖ポール教区教会 Kath.StadtPfarrKirche St.Paul (15c) 最初の教会は聖
パウルに捧げられ、1512と1662に火事で壊れれ、1638に現在の建物となった。
バロックのホール教会で側面と西に塔を有する。1910には内部の修復が行われた。
聖ミカエル学生教会 StudenKirche St.Michael (1476) 旧イエズス会大学教会で、西
に二重の前面のある・バロックの樽状アーチの壁柱構造である。南の礼拝堂と後期バ
ロックの複合施設を集合して、1733にオルガンが付けられた。
聖ヨハネス病院教会 Spitalkirche St.Johannes (1390-1400) 3通路の建物で1478
に北の礼拝堂が拡張された。南西角の塔の中心部は16c初めに更新されてネオゴ
シックとなった。1864にオルガン設置。
旧聖公会宮殿 Ehem.Alte Bischoefliche Residenz (13c) 二つの中庭のある大
規模な複合施設で15-16cに拡張された。1662と1680の2回火事に遭い再建された。
1992-96に改造と修復が行われた。1493から統合されていた旧宮廷礼拝堂は、
1662に壊れ1693に修復されたが、1803に
世俗化された。西側にある3階建てのゼンカーホフは、現在は地方裁判所として使わ
れている。
新聖公会宮殿 Neues Bischoefliche Residenz (1707-30)二つの入口形象装
飾のある3階建ての後期バロックの建物で、1764-71に西ホールは再設計された。
旧イエズス会大学 Ehem.Jesuuiten Kallegium (1612) 中庭の周囲の4棟の複
合施設で、ルネッサンス4階建ての建物。1664の火事の後に再建された。17cに正方形
の土台の上に、ドームのある8角形の塔が付けられた。今まは、グラマースクー
ルとなっている。
旧聖職者の神学校 Ehem.Kierikalgeminer (1690-93) 1870に拡張され、1969
-72に図書館に改築された。中庭の周りにバロック寄棟屋根3階建3棟の複合施設。
今は州立図書館の教会として、シナゴークの基礎の上に建てられ、1539-40宗教改
革で新教のルーテル市教会となった。内装は簡素な心境のバロック教会である。
ハイリゲガイスト病院教会 SpitalKirche Heilig geist (1345) 始め単身廊で建て
られ、1442多角形の後陣と南屋根搭のある2通路のホール教会に拡張された。火事
の後1721に修繕とバロック化行われた。
旧フランシスコ会修道院 Ehem.Franziskaner Kloster () 1586-88に3階建切妻屋根
と回廊を有した4棟の複合施設として再建された。
旧大聖堂庁 Ehem.Domherren Hof()今は、地方管理事務所、バロック寄棟屋根
の3階建の建物。
1662の火事で大部分は再建された。1720拡張され、1980に改造された。
旧市庁舎 | 聖バ-ソロエテス教会 |
東壁 |
1119 バンバルク司教オットーはミフェルフェルト修道院で町を占有、 1313 村から市場に、
1347-55 ロイヒテンベルク方伯は城を建設、 1355 皇帝カレル4世は都市権を授与、
1357 ロイヒテンベルク方伯は新都市と要塞を販売、 1357-1402 ボヘミア王国へ属した、
1402 ホーエンツオーレルン家の城伯ヨハン3世が所有、 1792 プロイセン王は町を承継、
1807 フランスが支配、1810 バイエルン王国に属した、1876-1972 郡庁所在地であった。
14cロイヒテンベルク方伯は、新しい要塞都市を築いた。市壁は1347-57に築かれ、
壊れた後に1553に新築された。今市壁が残っているには、唯一Haupt Str.14の
建物の北側背面のみである。
見当たらない。
田舎の小さな旧市街地、ハウプト通の大きな建物と南のローゼン路地のささやかな
職人の家は対比している。17-18cの切妻屋根の家と18-19cの軒有の家が混在。
市庁舎 Rathaus (1844) 元地方事務所、砂岩切石造の2階建腰折屋根。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1347) 最初の建物は、1504ランツフート承継戦争で破
壊された。
1544に2階建切妻屋根の天窓付き木組で再建され、地階にはパン・肉の屋台があ
った。1686木組の破風は補修された。1708と1867内装の更新。この建物は郵
便局・消防機材倉庫・刑務所などに使われ、今は貯蓄銀行である。1929には徹底
的な補修が行われ、破風の木組を露出した。
聖バ-ソロエテス教区教会 Luth.Pfarrkirche Bartholomaeus (1899-00)ルネッサンスの
ホール教会で、内陣角に塔がある。バロックで内装補修。
牧師館 Pfarr Haus (1870) 2階建寄棟屋根の砂岩造の建物。
牧師館 Pfarr Haus (1825-29) 2階建半寄棟屋根の砂岩切石造の建物。
旧学校 Ehem.Schule (1836) 聖歌隊指揮者の家、2階建寄棟屋根砂岩造。
角の家 Eck Haus (18c) 2階建マンサード屋根片持トラス造の漆喰仕上の家。
角の家 Eck Haus (17-18c) 2階建切妻屋根の家。
小店 Laden (1702) 2階建切妻屋根の家。
小店 Laden (1851) 2階建寄棟屋根の砂岩造の店舗。
小店 Laden (18c) この建物の背後に、唯一の市壁の残りがある。
市庁舎 | 西北壁 |
南門 | 西南壁 |
南壁 | 中央広場 |
8C 町は存在し、12C 市場があった、 1140文書のよる最初の言及、
1388 戦争で町は殆ど焼失、1438都市として認定、1.5kmの壁と4門17塔で守った、
1632 30年戦争とペストで人口は40%に、 1745 オーストリア承継戦争でバイエルン敗北。
西南部等4箇所に、レンガの低い壁が残っている。
差押え塔 PfaenderTurm 15C建、空腹塔とも呼ばれる。3階建六角塔
に六角錐の瓦屋根。かっては17塔あった塔の内、唯一この塔が立っている。
瓶塔 FlaschTurum UnterStadtmauer通りの道路を跨いで建物があり、
2階部分には住宅がある。
小さな町の割合には中央の広場は大きい。旧市街地には古い家並みが残る。
市庁舎 Rathaus 中央塔は3階建ての石造建物。横40m縦300mのHauptPlatz
の東に立っている。
聖ヨハネ教会 StadtPfarrKirche St.Johannes 1393建、ロマネスクの教会は1388の
火事で焼け、ゴシックで建て直された。1531に77mの高塔を建てたが、1768
の落雷で燃えたが直ちに修復された。内部は1670-73にバロックになった。
館 Haus der Begenung 広場の西にある3階建ての旧女子校。
郷土博物館 HeimatMuseum 古い寺男の家に宗教的な絵画・彫刻を展示。
詩人博物館 DichterMuseum 詩人ヨーゼフ・マリア・ルッツの原稿・工芸品・書籍を展
示。
博物館車庫 MuseumsDepot HoissManning 農業機械・馬車・伝統工芸品を6
部屋で1500を展示。
旧市庁舎 | 市庁舎 |
北西壁 | 西南壁 |
市教区教会 |
9C 町の文書初言及は、教区としてなされ、教会の名に因んで名付けられた、
1262ヴィッテルスバッハ家のニーダーバイエルン公国に属す、1317ニーダーバイエルン公爵は都市権授与、
1862 町に昇格。
1588の町の防御は、市壁・堀・郊壁・前庭から成り、北東115mの池もかって
の堀である。近代兵器よる市壁の必要性が低下し、1803に365本の果樹の木を
植え、1828ポプラが加えられ、1876栗の木をうえ、堀を埋めて高等農業学校が
建てられた。
今は北側260m、西側220m、南側110m、合わせて590mの市壁が残っている。
北西の角に2階建て正方形の塔が在る。
リング通りに囲まれた300m×300mの旧市街地は、中心に市庁舎や教会の塔
が立ち景観を引き立てている。リングに沿って外にも構築物がある。
旧市庁舎 AltesRathaus (1500) 町広場の北西の角に立つ。ルネッサンス屋
根・バロック8角形の鐘楼付のゴシックの建物である。1787バイエルン選帝侯の紋章が
付けられた。今この建物は博物館として観光情報・宴会場・展示場・工芸品
・美術品を展示。
市庁舎Ⅰ RathausⅠ (1865) 町広場の中央のウイマー馬1966の前に3階建
てクリーム色の四角い庁舎があり、中には市行政の一部が入っている。
市庁舎Ⅱ RathausⅡ (1895) 旧市街の北にかっての男子校であった。
建物は2000に3階建ての四角い庁舎となり、市行政の一部と大評議会場を
収容。
新教市教区教会 StadtPfarr Kirche Kath.(13C) 初めの単身廊のロマネスク
教会は15cに3身廊67mのほっそりした塔のある後期ゴシック教会に変換された。
1970-73現座に姿に拡大改修された。主祭壇には銅銀細工の彫刻がある。
1648南塔は火災に遭って取り外された。
エラスムス礼拝堂 Erasmus kapelle (15c) 後期ゴシック8角形の3階建ての建物で
初め教会墓地にあり、後に学校・修道院として使用され、今は商用に用いら
れた。
市庁舎 | 聖レオンハルト教会 |
マルクト広場 | 牧師館 |
1007 ハインリッヒ2世はバンベルク司教座参事会へ贈呈、 1294 プフェリンク家が町を支配、
1318 バイエルン王ルードビッヒはプフェリンク家に市場権授与、 1367 ドナウ川を渡って橋渡し、
15c 市場を守る防御施設を設けた、 1560 バンベルク司教はグムペンベルクに資産売却、
1784 洪水で町は浸水、 1838-57 ドナウ川を改修して2km遠くに移した、
1858 バイエルの行政改革で自治体となった。
15cの市壁と塔は、RoemerGasseの南に高さは低いが130m残されている。
角塔 Eck Turm (15c) RoemerGasse28の2階建の角塔は、市壁から突出てい
る。そのご改修されて住宅となり、更に20cに部分的に修復された。
ドナウ川の左岸にある古い市場町である。特徴のある建物は少ない。
新市庁舎 Neues Rathaus (1985-86) ミュンフェンのテオドール・フッゲスの古い計画で建て
られた。地階には、エットリンク採石場の奇麗な化石が展示されている。
聖レオンハルト教区教会 Pfarrkirche St.leonhard (1180-96) 後期ロマネスクの2塔のあ
るカトリックの教会で、火災後の身廊は1554-57に再建された。その後1711-12と1903
に拡張され、1896-97に塔保大きく更新された。
聖セバスチャン礼拝堂 St.Sebastian Kapelle (1660) かっては小さな礼拝堂であ
ったが、1660カトリックホール教会に更新され、1735拡張され勾配屋根になったが1842
に廃止された。
旅館 Gasthof (13C) 勾配屋根と切妻屋根の二つの建物。
農家 Bauen Hof (18c) 切妻屋根にエレベータハッチのある2階建の建物で、納屋も
2階建である。
市庁舎 | 旧ギュトル城 |
市図書館(旧城宴会場) | マリア昇天教会 |
1118 初文書言及、 1216 教区の独立、 1311 堀城の建設と集落形成、
1322 ロイヒテンベルク方伯が移住して壁と塔で囲んだ、1481 町は大火事に逢った、
1497 都市権を取得、1597 フランシスコ会修道院の設立、
116-18c 両側に軒と切妻のある2階建の家並、800 大火事で136戸焼失。
1322 ロイヒテンベルク方伯が住居を移して、壁と塔で町を囲んだ、フス戦争と
1481の火災でいくつかの残骸を除いて市壁は残っていないが、14-15cの
市壁の位置は、長方形で判別できる。北側に城・教会・修道南側には市民
が住み手工業品を生産した。
旧防衛塔 Turmmauer haus (14c) 2階建円錐屋根漆喰の円塔は、1498
-99に住宅となっている。
旧防衛塔 Juden Turm (14c) 中世市壁の一部で、2階建寄棟屋根漆喰の
半円長方形の建物。
旧市塔 Ehem.Stadtturm (14c) 北西にあった市塔は、1854に老朽化で取
り壊された。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1580) かっての宮殿の宴会場の建物で、
一時市庁舎として使われたが、今は市図書館である。
市庁舎 Rathaus (1554) 3階建の飾り気のない5窓列の四角い建物で、
屋根の上にコウノトリの巣台がある。
聖マリア昇天市教会 Kath.Stadt Pfarrkirche Maria HimFarrt (1670-85)に
後期ゴシックの大教会が再建され、豪華に装飾された内装は美しい。ロイヒテンベ
ルク方伯の墓が置かれた。1681に後陣側面のドーム付きの塔が建てられ、1910
-12に修復された。
旧フランシスコ会修道院 Ehem.Kloster der Franziskaner und Kirche(1593)
かっての修道院の建物は、2階建寄棟屋根3棟の複合施設で、1600と1728に
拡張と改造が行われた。西側には3翼の住宅棟と2階建て漆喰の醸造所など
があった。聖ヨハネパプティスト教会は1593-94に、砂岩造ルネッサンスのホール教会で、タマ
ネギドームの北塔があった。
旧旅館 Altes Gasthof (16-17C) 2階建寄棟屋根で軒にコーニスがあり、アーチ
門のある漆喰の建物である。
旧旅館 Ehem.Gasthaus Nast (17c) 寄棟屋根に軒のユーニスのある、2階建出
窓のある漆喰の建物で、1910に改造された。
旧市庁舎 | 市庁舎 |
北東市壁 | マルクト広場 |
木組住家 |
918 初文書言及、1008 バンベルクの新教区として設置、1057-70 城の建設、
1070 ボト伯爵が城を所有、1325都市権を授与された、1348 町に7つの粉挽所、
14c末 市壁の外に病院教会の設立、1736 大火災の発生 1803 バイエルンへ帰属、
1945 4月米軍占領、1976 気候健康リゾートが承認された、1978 周辺と大合併。
14cの初めに都市権を得て、周壁を築いた。東西に走るメインストリートからフィッ
シャー.ガッセが北に分岐して、東西と北に3門があった。南側の市壁はハウプト通
18-42とキルヘプラッツ26の南背面に市壁の残骸が残っている。北東のフィッシャーガッセ
16とハウプト通43との間は高さ4mで川沿いにある。
北西部には-1583の市壁は、フィッシャーガッセ11とハウプト通7に残っている。
14cの3市門は、19c初めに取り壊されて残っていない。
18-19cのほとんどの家屋はレンガ造の地階の上に木骨造の上階が乗る形式で
ある。
旧市庁舎 Altes Rathaus (19c) 寄棟マンサード屋根の2階建の古い市庁舎は、
今は集会所として使われている。
聖バルトロメウス教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Batholomaeus (14c) 1380-1430
に引っ込み式の聖歌隊と身廊、1493身廊のアーチ、1690と1725に塔の上層階
1798にタマネギドームが作られた。1736の大火事の後1777までにバロツクで再建。
ポッテンシュタイン城 Burg Pottenstein (1057-70) 岩山の上にポト伯爵が城を建
て、1118-21に司教オットー1世が住んだ。1121にポッテンシュタイン家が所有し、
1227-28にはチューリンゲンの聖エリザベートが住んだ。1323-48にバンベルク事務所の本拠
地となった。14c城は下のVogteiHausに席を置いた廷史によって管理された。
1728にVogteiは市内の建物に移転した。1525城は農民戦争で略奪され、1553
辺境伯軍によって破壊された。1703軍が駐屯した。1803にバイエルン州に移管さ
れ城は荒廃、1878にニュルンベルクの薬剤師が取得し、1918ポッテンシュタイン家が取得し
て16cの城の複合体を修復し、博物館として公開している。
牧師館 Pfarr haus (1738) 2階建寄棟屋根の上階木組の建物。
旧聖歌隊指揮者宅 Ehem.Kantorei (19c) 2階建サドル屋根の上階木組の建物。
住家 Wohnhaus (1737) 2階建切妻屋根で地階レンカ造の上階木組の建物で年
号がある。
住家 Wohnhaus (1736) 2階建半寄棟屋根で上階木組の建物。角石に年号が
ある。
住家 Wohnhaus (1779) 2階建切妻屋根で地階レンカ造.上階木組の建物である。
処刑博物館 Schsrfichter Museum () 処刑について展示。
ビーハース城 | 郷土館 |
中央通 | 聖ゲオルグ教会塔 |
10c バイエルの決済エリアとして開発、 1008 バンベルクの新教区として設置、
1119 ロイヒテンベルク家の支配、 1283 ヴィッテルバッハ家バイエルの支配に移った、
1290 鞭打修行者により市場は破壊、 1410 市場権を確認、フス派の略奪、
1570 市場の周囲に3門3塔・市壁・堀建設、 1633 スエーデン軍の略奪と破壊、
1676.1692.1722.1759.1782 大火災で損傷、1845 王ルードビッヒは市場から町へ。
1470-1583の市壁は、1759の火災後に復元された。今は僅か残っている。
3門3塔の内、唯一北東隅の魔女塔(Hexenturm)円錐屋根の円塔が建物に
埋まって残る。
市庁舎 Rathaus (1554) 古い町役場は、1977に新しく建替えられた。
聖ゲオルク教区教会 Pfarrkirche St.Georg (13c) 今の建物は1759にタマネギドームと
ランタンの統合塔になり、西向き寄棟屋根の広間教会となった。1761-65に拡張。
聖母礼拝堂 Unser lieben Frau Kapekke (18c) 勾配屋根付の広間教会は三方
を開く。1754と1812の年号がある。
牧師館 Pfarr haus (1858) 2階建寄棟屋根の四角い建物。
旧学校 Alte Schule (16-17c) 2階建寄棟屋根に面取り窓枠のあるラテン語学校
の建物は、19cの補修された。
旧旅館 Gasthof (16-17C) 2階建寄棟屋根にアーチ門のある角の建物。18-19cの
碑文付き花崗岩のキロ程柱がある。
郷土館 Haus der Heimat (1900) 町牧師ラインベルトにより元女子学校として建て
られた。1973まで女子学校として使われ、1962在宅介護所併設され1989まで
使われた。1989博物館を開設し町の歴史・宗教慣習・農業を展示。
市庁舎 | 市塔 |
西門 | 耕地塔 |
フクロウ塔 | 南門 |
カールス広場 | 旧freihof |
1258 ホ-エンローエ貴族はヴュルュツブルク本山と争い、1266 戦後カステル伯爵ヘンリー2世が所有、
1353 町は独立した教区となった、 1366 皇帝カール4世は村を買って城・市場を築く、
1457 アンスバッハ辺境伯が所有者となった、 1463 アンスバッハ伯爵アルブレヒトが支配、
1469 郊外を市壁と西門で囲み拡大、 1525 農民戦争で城は損傷、
1632 町はバーレンシュライン軍の略奪で荒廃、 1791-06 プロイセンが支配、
1805-10 ナポレオンの兵士2,700人を泊めた、 1804.1815バイエルンに帰属した。
初め14cの市壁から15c東へ16c西へ郊外を取り込んで拡大された。一部建物の
外壁として使われた部分もある。
西門 West Tor (1584-87) 尖塔アーチ通路と守衛詰所があり、門は二つの
大きな円塔に尖った帽子が付けられた。西郊外の外側を囲み、郊外塔とも上門
とも呼ばれた。1861まで門は閉じられて必要な場合のみ開かれた。門衛が1933
まで運送業者や荷物から舗装税を徴収した。門に人が入居し、1895門は個人所
有となった。1955改修が行われた。
市塔 Stadt Turm (1419) 最初の市壁の西門として建てられ、西側への市壁
拡張で町中に残された。塔頂にはテント屋根・ランタン・風見が付けられた。その後塔守
に住居となった。1740塔の高さは47mに嵩上げされ、1881塔への入居は有料とな
り、1945-50塔への個人入居も可能となった。2003外装の大改装が行われた。
フクロウ塔 Eulen Turum (1597) 円錐屋根に疎石積円型防衛塔で、町の雇い兵
の住居となり、塔の両側には市壁が残っている。17cには監獄となり腐った塔と
も呼ばれた。塔の地下牢には上階からしか入ることはできなかった。
畑塔 Plurevs Turm (15-16c) この塔は元々防衛壁塔であったが、1754畑見
張りのための木組みの住居を上階に構築した。19c小不法行為の留置独房として
使われ、後に羊飼いの住居として役立った。
東壁塔 Oster Turm (14-16c) 東市壁の中の円塔で円錐屋根が付き、納屋が
付けられている。
2南壁塔 Sueder Turm (15-16c) 南に市壁の中に二つの円塔があり、住居塔
となっている。
市壁で囲まれた田舎の小さな町で、美しい木組みの家が多い。
市庁舎 Rathaus (1488) 開かれた地階広間のある初めの市庁舎に、地元肉屋
の屋台が置かれた。1682全体木組みの建物が建てられた。3階建て装飾木組みの
三角両切妻屋根の建物になった。1876地階の二つの入口の後に消火装置を入れ
た。1908ジーゼル発電機による電化を行い、1934-723階に町の書記の住居があり、
1972-79二階の行政室の改造、1980-86西側に登記所と公文書館が増設された。
2007-08主たる構造の健全化を行い、地階には開かれた応接広間が出現した。
新教教会 Ev.Kirche (14c) 元々墓地の小さな礼拝堂があり、14-16c今の外観
の町教会が成立した。教会の塔は元壁鐘楼である。1353カソリック母教会の教区に含
れていた。1528ルッターの教えを引き受け、1546最初の新教の教区を受け取った。
1709-10鐘楼を新設し、1725身廊を結合した。
木組の家 Fachwerkhaus (1579) 上階が装飾的な木組み切妻の民家で、1579
その建物は鞣し革工場になり、隣の家はワイン酒場であった。19c肉屋とワイン屋
の持主が定住した。1958最近の小さな改築が行われた。
旅館「古い鍛冶屋」 Alte Schmiede haus (1242) 2階建て切妻の木組の家で
この町でも古い保全された家である。その敷地に立つ礼拝堂は、教会が有料で借
りていた。16-17c市参事会員が住居とし、1705-1813商人の家、その後銅鍛冶屋、
1869-1990蹄鉄工の作業場、1990鍛冶屋と隣の木組みの家を旅館に改造した。
旧豪商の家 Ehem.Handelsherren (17c) 2階建て上階美しい木組み横長寄棟
屋根の建物で、1658まで独自の醸造権を持つ公衆酒場であった。1840まで豪商の
住家となり、1841-96二階に舞踏会広間のあるビール醸造所、1924料理屋「三王冠」
1951までバイスビールの瓶ビール屋であった。
旧ナメシ皮屋 Ehem.Gerber haus (1687) 参事会員は上階装飾木組みの鞣し皮屋
を建てた。入口扉の上には鞣し皮ギルドの紋章が見られる。1744この建物で2人の
鞣し皮マイスターが仕事をしていた。1917ワイン酒場のあるパン屋となった。今は革乾燥
アーケードと鞣革作業場が残されている。
湯屋 Bad haus (1749) この建物は薬局と外科医の湯屋として利用された。
この建物は、町の所有で無く領主の領土としてブランデンブルクy・アンスバッハに属した。
軒横の家 Trafseitingerhaus (17c) 上階綺麗な木組の2階建て両切妻屋根。
宿屋「コウノトリ」 AltMuehlBruecke (1658) 昔の建物は、1713新構築され、
1872旅館が開業し、1915大ビール醸造所が置かれた。1969旅館にワイン農園も併設。
市庁舎 | ラインアムレッヒ宮殿 |
シュバブ門 | 市教区教会 |
1248-53 バイエル公ルードビッヒ2世が関税町を建立、1257 バイエルン公オットー2世は要塞を設立、
1372 下級管轄権を与て地方裁判所開設、1394塩・ワイン・牛・鉄の再支払権を得て高収入、
1505 ランツフート承継戦争で3方国境となり孤立、 1600 国境を守るため再度要塞強化、
1632 30年戦争でスエーデンはテリー将軍を倒して進軍、 1803 要塞は放棄された、
1837 バイエルン王ルードヴィッヒ1世の改革で下級管轄権喪失,1862裁判所廃止で地方事務所へ、
1972 バイエルン州の地区改革でノルトリンゲン・ドナウベルト地区に属した。
旧市壁の小さな自立した遺跡は、西・北・南に残された。14-15cに建てられ、
1600に強化され、厚さ1.5m高さ8.5mあった。1803に要塞が廃止されて後に、大部
分は19cに取り壊され、建物に覆われたりした。
12の異なる守備等が市壁に建てられ、東西に2門が落とし格子付きで建てられた。
シュバブ門 Schab Tor (1494) 西北の門で、1973に交通障害解消のために改造さ
れた。丸い門塔の前にはレンガ造の強力な前門があり、その背後には広い堀が置かれ
ていた。門は中世に債務者の拘置所として使われた。
市庁舎 Rathaus (13c) 古いゴシックの市庁舎は、地階にパンと肉の屋台や刑務
所があり、上階には会議室・宴会会場・武器庫があった。1367の戦争で被害を受け
補修された。新しい市庁舎は1759-62に市の紋章と時計のあるロココの前面2階建
の複合施設となった。1886には、1600に建てられた3階建の旧ローズハウスに拡張され、
1914には改装された。
聖ヨハネ・パプテスト教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Johanes der Taeufer (1369)
1369-1784はシトー会修道院ニーダーシュネンフェルトがあり、避難の家と呼ばれたが、1784老
朽化で取壊された。教会広場の中心にあるカトリック教区教会は、14-15c後期ゴシックの教
会で高さ45m幅20mの3廊ホール教会になった。1994-95にインテリアを含めて改装された。
旧カトリック全聖人礼拝堂 Allerheiligen Kapekke (1471) 北西に細塔が立つ後期ゴシ
ックの旧ロッシュ礼拝堂は、1642バロックに改装された。1904-86に博物館のデポ。
侯爵宮殿 Schloss (15c) 町の北東にあるゴシックの公爵宮殿は、ヴュッテルスバハ侯爵
ステファン2世が町の南東部に以前あった城の破壊後に宮殿の建設を始め、息子の侯爵
ルードヴィッヒが1421に完成された。
その後大ホール・農場管理棟・住居棟・礼拝堂などが建てられた。1880-1932に地方
裁判所、1945-70に男子校と女子校、1979-78に改装されて幼稚園となった。
宮殿の北東の角には、かっての正方形の監視塔があり、刑務所として使われ、魔
女も収容されて、魔女塔とも呼ばれた。1920に取り壊されたが、城壁に記念プレ
ートが付けられている。
市庁舎 | 東門 |
ローマ塔 | ヤコブ塔 |
ヤコブ塔外 | 西中壁 |
東壁 | ローマ壁 |
鋤路地 | ポルタプレトリア東塔 |
黄金塔 | 大聖堂 |
79 ローマの砦が置かれた、 179 軍団駐屯地の建設、
7-8c バイエルン候の居住地となった、 826 フランク帝国の領土となった、
9c 東フランク・カロリング朝の城郭都市となった、1135-46皇帝バルバロッサから橋特権を得た、
12-13c 最盛期で東方貿易で栄えた、 1245 自由帝国都市となるが下降線、
1542 宗教改革の導入、 1633 30年戦争で何回か占領された、
1663 東フランク帝国の帝国会議を常設、 1806 市庁舎の帝国の間で帝国の終焉、
1809 仏軍が侵攻、 1810 バイエルンへの統合、
1943-45 第2次大戦 航空機工場が在ったため、20回も空爆された。
179:ほぼ正方形24haのローマ軍の城塞が完成、300:再度強化された周壁の跡は
辿ることができる、北門・近衛門のアーチが東南角のローマ周壁の一部が見られる、920:
バエルン大公アルヌルフは西に市壁を拡張した、13c:拡大し東と西の郊外が壁に囲まれた。
東門 Osten Tor(13c) 東に残されたゴシックの美しい塔で、5階建て門塔に
3階建て八角形の脇塔が通っている。南側の壁に1330の碑文があるが、これは
ツインガー壁の建設年である。
ヤコブ門 Jakobs Tor (13c) 中世市壁の西門で、二つの円塔が道路の両側
にある。ゴシックの胸壁と改装された赤茶色の外観を見せている。
ヘレネ門 Helenen Tor (13c) 中世市壁の南門で、二つの角塔が道路の西側に
立っている。
ポルタプレトーリア門 Porta Praetoria (179) ローマ時代の城門と東塔。
黄金塔 Golden Turm (13c) 中世に建てられた豊かな貴族の家がスティタスとし
て高い塔を建てた。9階建ての住居塔で50mの高さがある。印象的な中庭には
自由に入れる。
ローマ塔 Roemer Turm(9c) 7階建ての高塔を持つカロリング朝の王宮から、988
には大公宮廷とされ、12cには改築されてバイエルンの宮殿となった。上階には
後期ロマネスクの美しい広間がある。
ローマ駐屯地時代から神聖ローマ帝国会議場であった2千年の歴史が感じられる美し
い古都である。 聖ペテロ大聖堂の豊な装飾の西正面と南側面を見上げる角度が急
で圧倒される。1135の石橋の門塔越しにドナウ川の対岸からの夕暮れの景色は美し
い。見るべき歴史的な景観は多数に上る。
旧市庁舎 AltesRathaus (13c)初めに中央市場として建てられ、多くの
追加と変更の後に市庁舎となった。1250八階建ての塔が付けられた。皇帝の間を
含む西側部分は1360の帝国広間造りである。正面は張出窓で飾られ、美しい玄関
があろ。帝国議会博物館として、帝国の間には天蓋の下に皇帝の着座がみられ、
地下には囚人の取調室や拷問室がある。
聖ペテロ大聖堂 Dom St.Peter (1250) 3身廊ゴシックの大聖堂で翼廊の張出は
ない。1525に双塔(19c)を除いて完成した。正面は彫像や模様で飾られている。
内部には85m×32mの広い空間がある。13-14cのステンドグラスが美しい。必見。
古い礼拝堂 Alte Kapelle (200) ローマ時代まで遡る、バイエルンで最も古い教
会で、1014皇帝ヘンリー2世の戴冠式が行われた。1748にはロマネスクの身廊は後期
ゴシックの大聖堂とロココの祭壇に変えられた。天井のフレスコ画が美しい。
聖ヤコブ教会 Schotten Kirche St.Jakob (12c) かってのベネディクト会修道
院のショッテン教会でロマネスクの建物は双塔を失っている。豊かなロマネスクの石細工模様。
聖堂教区教会 Dom Pfarr Kirche Nieder Muenster (12c) かっての
女子修道院の木造の建物は、ローマ時代の遺跡であったが12cに聖堂の火災で
破壊され17-18cにバロックで再建された。
聖ブラシウス教会 DominikanerKirche St.Blasius (13c) 古い托鉢会の質素
な教会。
聖エメラム会堂 Basilika St.Emmeram (8c) カロリング朝時代に建てられ、18c
にバロック化された旧ベネディクト会修道院教会で、ゴシックの正門とロマネスクのポーチ
12cを通って中庭に入る。入口の彫刻は古い11cものである。
トウルン・タクシス城館 Schloss Thurn&Taxis (8C) 市街地の南端に壁に囲まれて
トウルン・タクシス城館がある。旧ベネディクト会修道院の壮大な建物は、1810世俗化で
郵便局のトウルン・タクシス家が所有し、今は博物館として城館・旧厩舎・回廊を見学できる。
塩倉庫 Salz Stadel (1611-20) 石橋右岸東にクレーン付の4階建ての大きな
塩倉庫がある。最近の改修で大きなオーク材の厚板と柱が使われ、今は宴会場。
ゴリアテ館 Goliath Haus (1260) 貴族ゴリアテ家の4階建ての館で。ダビデの
戦いに壁画が前面にある。ローマ砦の南の城壁の上に立っている。2階にレストラン。
市博物館 Staedtisches Museum (13c) 旧フランシスコ会修道院に石器時代から
の東バイルンの文化史・芸術史をたどる博物館を収容。179ローマ駐屯地の石版がある。
市庁舎 | |
西門 | 東門 |
市場防護塔 | 北壁 |
北東壁 | シュベーデン門 |
1248 バイエルン侯爵はドナウ左岸に市場開設、1335 伯爵レッヒ・ゲミュンドに市場権付与、
1342 バイエル王ルードビッヒはグライスバーへ移転、1818 バイルンの行政改革で自治体になる。
中世の市場は、よく守られていた。1864には、まだ堅固な周壁と4隅には防御
塔を備えていた。その後取崩され1/3しか残されていない。
東門 Markt Tor (1620) 東に残された2階建切妻屋根の門塔で、後に変
更されている。
西門 Markt Tor (1620) スエーデン門とも呼ばれ、正面三角形の2階建勾配屋
根の建物。
市場防護塔 Markt Befesting (1620) 西側の教区庭にある、壁の一部を含
む防御塔。
市場防護塔 Markt Befesting (1620) 北側の防御塔で周辺の市壁を含む。
メインのマルクト通沿いの建物のアンサンブル・東と西の門塔・歴史的な市場の壁に特徴。
市庁舎 Rathaus (1530)ルネッサンス2階建切妻屋根の建物で、北側に5階建多角
形の塔がある。
旧役所の建物 Ehem.Amthaus (1686) 2階建寄棟屋根の建物で、後に校舎に
なった。
聖ヨハネ教区教会 Kath.Pfarrkirhe St.Johannes der Toerfer (13-14c) 単
尖塔の広間教会で、1707-19バロックで改装された。
カトリック牧師館 Kath.Pfarrhaus (14c) 2階建切妻屋根の建物で、西に教区庭
園があり小さな塔も立つ。
旧聖職録受給者の家 Ehem.benefizaten Haus (17-18c) 2階建スクロール切妻に
入口の上に出窓がある。
市庁舎 | 市庁舎と市教区教会 |
南市壁 | 市壁 |
リーネック城 |
1168 リーネック伯が城に住んだ、1188 皇帝バルバローサの息子の結婚の贈り物となった、
1311 集落は町と呼ばれた、 1333 リーネナック・ローテンフェルスが町を承継した、
1559 伯爵の死後、マインツ選帝侯が町を部分所有、16734マインツの権利はノスティック家に売却、
1803 ノスチック家はユロレードマンスフェルト伯に売却、 1806 町はフランクフルト大公国に落ちた、
1814 パリ条約でバイエルン王国となった。
西側にリューネック城があり、城壁で囲まれている。13cに城の麓に町が出現し市壁
で囲まれた。15c初めに伯爵はローアに移転して、13cの市壁と都市が保存されること
になった。1807郡の事務所が置かれ、家並は2階建て半木造軒先の建物で構成され
た。市壁は、北東部分とHaag Gasseの北側に残されている。
3門と壁塔があったが、いずれも見当たらない。
市庁舎 Rathaus (1452-89)ゴシック上階木組の大きなルネッサンス2階建切妻
屋根の建物で、前面に有罪者をさらす鉄柵がある。今は博物館を収容している。
聖ヨハネ教区教会 Kath.Pfarrkirhe St.Johannes der Taeufer (13-14c)
両切り妻屋根のホール教会で、八角形5階建のドーム付き搭がある。。
リーネック城 Burg Rieneck (1170) 二つの山の上に城が建てられ、1559までリーネック
伯、その後マインツ選帝侯の席があった。1673にノステッツに売却されて徐々に衰退。
19cに細長い丘の上の城(北部の砦・上階が住宅の塔が拡充され、壁の内側には
3つの円錐形の礼拝堂があった)(西)八角形のレンガ塔1200は、1927にテント屋根
で再建された。(北)城の礼拝堂1200はロマネスクの丸い後陣のある長方形の建物
で、1860に前面砂岩階段破風になった。(南)住宅棟と入口棟は、1860ネオゴシック
で改修された。
住居 Wohnhaus (16c) 3階建サドル屋根の建物で、地下室がある。
住居 Wohnhaus (16-17c) 2階建サドル屋根の木骨造漆喰の建物。
住居 Wohnhaus (1597) 3階建マンサード屋根の上階持出の建物で、地階に木製アー
ケードがある。
住居 Wohnhaus (16c) 2階建切妻のある木骨造上階持出の建物で、入口に階段
がある。木組み枠の前面は美しい。
ラッティボア城 | ラッティボア城 |
ハウプト通 | 西北円塔 |
西南角塔 | 西中壁 |
東北壁 | 南壁 |
1060 司教グンデッカー2世の教会奉献で貴族ロスを言及、12c 市場の拡張を実施、
14c 有名な保養地に都市権を授与、1535 ブランデンブルク辺境伯は南西に城を建設、
18c ホーエンツオーレルン家の辺境伯は多くの建築物を建てた。1791 プファルツの管理下に、
1806 バイエル王国へ帰属、 1878 大火災。
14cの市壁は、約4割が各所に壁塔と共に残されている。
14cに多くの門や塔が建造され、1719に北の下門と南の上門は新築された
が、19cに交通障害で取壊された。 5壁塔は残された。
16-19cに2階建切妻木組の家が建てられ、一部の地階は砂岩造であった。
1878の大火災後には、バロック前面のマンサード屋根が建てられた。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1533)バロック2階建マンサード屋根の小さな建物で紋章が飾
れれている。以前の古い1533からの建物にブランデンブルクの鷲が付けられてい
る。
新市庁舎 Neues Rathaus (1758-59)ルネッサンス2階建切妻屋根・砂岩造の建物で、市民
が建てた。1878の火災後再建して市庁舎となった。1902-04再構築された。
ラッティボア城 Schloss Ratibor (1535-38) ブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯は、早期ルネッサンス
の宮殿を構築した。1791最後の辺境伯の退位後に工場になり、1858-92地方
裁判所、1942町の所有となって、博物館を収容した。旧厩舎は市図書館であ
る。
ゼッケンドルフ城 Schloss Seckendorf (1768) 郊外にゼッケンドルフの廷史が、ロココ3階建マン
サード屋根の長い建物を建てた。1828市が購入、1856使用人病院、1884-1937
市立病院、1980改修、1989成人教育センターとなった。
市教会 Kath.Pfarrkirhe St.Johannes der Toerfer (1511-13) 後期ゴシックの身廊に
ロマネスクの塔が立つ。1738辺境伯様式のホール教会になり、1837-38再構築された。
1926戦争記念館を収容した。
宿屋:ワイン酒場 Gasthaus Zur Weintraube (1529) ルネッサンス2階建切妻屋根の建物で、
ワインの居酒屋を併設した。
旅館 Gasthof (1536) 郊外の旅館で、1729にバロック2階建風格のあるマンサード屋根の
建物である。
旧聖職録受給者の家 Ehem.Riffelmacher (15c) 正面に小塔のある3階建切妻屋根の
豊かな装飾トラスのある上階木組の家で、所有者は裕福な都市農民。
工場博物館 FabrikMuseum (15c) 最古の工業団地にある製粉ハンマーと伸線の行われ
る工場で、1901から発煙所もあった。建物アッパーミル4は工場博物館になった。
市庁舎 | 市壁 |
クリンゲン門 | ブルク門 |
レーダー門 | ガルゲン門 |
ジーパー門 |
870 ヴルツブルク司教が10番目に認定の地区教会、1070ローテンブルク城の構築、
1170 マルクトと教会を中心に市壁で囲む、13C 古代都市壁、白塔・レーダー門・マルクス塔が残る
1274 ハプスブルク帝国の自由特権を与えた、1352ヴルツブルグ司教を解約し帝国都市へ、
1356 地震による城の崩壊、 1400 要塞強化と教会拡充、
1430 フス派を恐れて壁溝の防衛強化、 1525 農民戦争加わったが敗れた、
1544 宗教改革市長となり、 1559 新教の教会が生まれた、
1618-48 30年戦争でスエーデン軍と仏軍の略奪とペストで町は衰退、
1802 バイエルンに帰属、 1826市壁・塔と木組の家並みは保護された、
1945 2次大戦の爆撃を受けたが、戦後復元された。
第1次(12C)周長1.4kmの円形で、白塔・マルクス塔・城路地に沿った南西側の市壁部分
が残り、城公園の突出部にも門塔はないが700mの城壁が残る。
第2次(13・14C)周長2.5kmに、北・西・南に拡張され現存する。
第3次(15C)南の修道院を取り囲む形で0.4km突出し現存する。シュピタール門には1586
の年号が残っている。市壁には、防衛通路があり歩くことができる。
門塔が造られ門塔が残っている。
1.市庁舎塔 RathausTurm 14C建、ゴシックの高さ60mの塔、塔には約200段の階段
で登られ見晴らしがよい。
第1次市壁の塔
2.マルクス門 MarkusTor 12C建、高さ27mの高塔、屋根は後から付けれれた。
1844までは刑務所で使用され、南に昔の曝し台がある。
3.レーダーアーチ RoederBogen 12C建の位置に、14Cに二重門が造られた。
4.城門 BurgTor 14C建、1460-70塔部分、1555人一人がやっと通れる木製出入
口を設けた。外門は紋章で飾られ見張小屋の側面の前にある。
5.白塔 WeisserTurm 12C建、1945に焼失し、再建された。町で一番高い所に
立っている、標高435mの地点に高さ33.5mの角塔。
第1次で無くなった塔
青塔 BlauerTurm クリンガー路地との交点にあったが、1655に市域の拡大時に
壊された。
干し草塔 Heuluke ホイ路地にまだ塔の基礎を見られる。15C破壊。
ヨハン門 JohannisTor ヨハン教会に隣接して名付けられたが、1393の教会建設の
際に壊された。
旧城壁で無くなった塔
塔 PharamundsTurm 城突出部の南西の角にあったが、19Cの初めに破壊。
塔 MuesterTurm ブラシュウス礼拝堂の近くにあったが、1356の地震で崩れ、
1425に撤去された。
第2次市壁の塔
6.クリンガー門城 KlingenTorburg 13C建、15Cにヴォルフガング教会を東側に囲って
前門塔を設けた。今の石橋は、当時木橋で上に引き上げていた。
7.クリンガー門塔 KlingenTorTurm 1395-1400建、北 ランタン帽子の塔は旧市街地
の拡大を示し、1504から銅製の大ヤカンを組込んで町への配水塔となった。
守衛詰所と共に建てられ、高さ37mの角塔である。
8.火薬塔 PulverTurm 1408建、北の角塔、火薬保管所。
9.ヘンケルス塔 HenkersTurm 1408建、北の角塔、何度か火事に遭い1941に爆弾で
壊され1945に再建された。
10.悲しみ隅塔 KummerecksTurm 1330建、北東角、瓦礫とゴミの集積場の角
にある。
11.鵞鳥塔 GanserTurm 東北、市壁の側面の保護のための角塔、1618に火薬
保管所として使われた。
12.絞首台塔 GalgenTor 1388建、東北、近くに絞首台が在ったため命名。
また、ビュルツブルガー門とも言われる。バイエルンの帝国都市として統治権のシンボル。
13.トーマス塔 ThomasTurm 1340建、東中、絞首台塔と同型。
14.女塔 WeiberTurm 1410建、東中 女性監獄。
15.レーダー門城 RowderTorburg 14C建、15Cにヴォルフガング教会を東側に囲って
前門塔を設けた。今の石橋は、当時木橋で上に引き上げていた。1945に部分的に
壊され小さな変化で再建された。
16.レーダー門塔 RoederTorTurm 1385-1390建、東中、二つの尖塔のある塔の
後門となっており、可動橋と落し格子で守られていた。前橋の残骸は舗装の下
にある。関税と見張小屋を備え、内外に銃眼を付けて前門の側面を守る。
唯一の展望塔であり、2ユーロで登れる。中には2次大戦時の破壊状況を展示。
守衛詰所と共に建てられ、高さ37mの角塔である。
17.腐敗塔 FaulTurm 1385-1400建、東南 最重要罪人のための処刑塔。
18.篩い塔 SiebersTurm 1385建、東南、小麦粉の篩い製造者からの名前。
Spitalへの拡張で、塔から門になった。
19.コボルツゼラー門 KoboldzellerTor 1360建、南東角、谷底に通じる門。
増強のため長方型の前門を付けた。内側塔から防衛路で狭間胸壁のある見張
台に達する。外側塔のアーチに防衛と関税の小屋が置かれ、外側には紋章を飾
っている。
20.小塔 FuerbringerTuermlein 16C、東中 クリンゲン塔と火薬塔の間の小塔。
21.小塔 HohennersTurm 1385-1390建、東中、ローテンブルク一家の名前を付けた。
22.小塔 SchwefelTurm 1340建、東、名無し塔とか小塔と呼ばれる。
23.塔 RuckesserTurm 1390-1395建、南前面 帽子角防御で南前面に基礎が
第3次市壁の塔
24.大きい星 GrosserStern 1410-15建、西南 又は青い星と呼ばれ要塞建
設に必要。後から壁を付けた。
25.小さい星 KleinerStern 1410-1415建、西南 上記と同様。
26.病院門塔 SpitalTorTurm 1370-80建、南 シュピタール要塞とも言う3連門。
8の字の形に8門、落し格子門と跳ね橋で守った。横に古い税関と見張小屋が
ある。1631に焼かれ、1633に再建された。
27.雄豚塔 SauTurm 1400-05建、南西角、登り坂にあり南西の角に立つ。
跳び控えで結合した。
29.門塔 StoeberleinsTurm 1375-80建、西南、昔の門塔であったのは、
帝国と町の紋章で識別できる。
30.石灰塔 KalkTurm 1390建、西南、昔の町営資材置き場との結合で立つ。
31.魚塔 FischTurm 1390-1400建、西南、定期的に行われる魚市場から
名前は来ている。
32.キャベツ塔 KohlTurm 1385-90建、西南、コボルツェラー門との接点に立つ。
33.沼地の基礎壁の塔 Turm am BruehlGrundmauer 基礎壁が見いだされる。
34.二重橋塔 Turm auf Doppelbruecke 二重橋と共に作られたが、すぐ壊さ
れ、西の橋端で塔の残骸が識別可能。
第3次で無くなった塔
小塔 Turm vor Befestingung 北と東の外側に市壁に平行な前壁が残って
いる。そこに小塔も安全のため付けられていた。
冠毛塔 TopplerTurm 1404建、外側の新クロリゲン塔と呼ばれ、1573壊された。
湖塔 SeeTurm 1404建、橋建設で塔の残りは保たれたが、1573に壊された。
粘土穴塔 Turm bei Lehmgrube もはや存在しない。
レーダー門の前門 Turm vor RoederTor レーダー門の前門は存在しない。
前塔 Turm vorm Gebsattertor 何も残っていない。
珍しく全周で市壁が残り、多くの門塔や二重門が見られ、壁の内側の古い家並
みと見事な看板が見上げられる。
町庁舎 Rathaus 14C建、60mの塔と切妻のゴシックの部分が一番古い。東側の
八角形の階段塔を含めた部分はルネッサンスで付加され、マルクト広場の北側に15C切妻の
市会議員宴会場があり、一気のみ市長の仕掛け時計が正時には見られる。
聖ヤコブ教会 St.JakobKirche 14建、東内陣から着工されたゴシックの教会。
リーメン・シュナイダーの聖血の祭壇が西陣にある。
フランシクコ教会 FranziskanarKirche 15-16C建、左壁雁の上にクレークリンゲンの1400
の聖母像がある。
病院 Spital 16-17建、町の南端に、市壁に囲まれて病院の建物があり、
付近には美しい木組の家が多く見られる。
城公園 BurgGarten 西の突出部には、皇帝と伯爵の城があったが、聖フラー
ジウス礼拝堂が残っているだけで、公園となっている。
中世犯罪博物館 MittelalterlischesKriminalMuseum 聖ヨハネ騎士団の館に、
中世の犯罪の処刑道具や版画がある。
帝国都市博物館 ReichsStadtMuseum 13-16C建、旧ドミニコ会女子修道院に、
中世の生活や美術品がある。1616の市長ヌッシュの大盃を展示。
市庁舎 | 新Handsheim門 |
蝸牛塔 | ヤーコブ塔 |
粉挽塔 | 東壁 |
北壁 | 博物館 |
太陽時計 |
1103 文書初言及、 1275 町は都市権を得て市壁を作る、
14c ヴュルツブルク領主司教による支配、 16c ワインによる町の経済発展、
1328 ルードヴィヒ4世はローマドイツ皇帝となり居住して2番目の周壁を築いた、
1618-48 30年戦争で占領や略奪、 1803-14 ナポレオン後のフランケン小国個人主義、
1814 バイルン公国の融解、 1837 バイルン王国は上下フランケン分離した。
5か所の道路部分を除いて、ほぼ全周の市壁が残っている。
市壁には1640に16の塔があったが、今は7塔しか見られない。
旧犬家門 AlterHundHeimer TorTurm 長方形の3階建門塔。屋根は木造。
新犬家門 NeuerHundHeimer TorTurm 長方形の4階建門塔。屋根は木造。
豚飼い塔 Schweinehirten Turm 細長い4階建て円筒塔に円錐屋根。
ヤコブ塔 Jakobs Turm
蝸牛塔 Schnecken Turm
粉挽塔 Muehlen Turm
塔 Rippacher Turm
旧市街地には面白い木組みの家が並び、33種の様々な日時計が1984以降に設
置されている。
市庁舎 Rathaus (1750) バロックの3階建て入母屋屋根に鐘楼のある石造の
建物であり、20c末に改装されている。
バラティンスタイン宮殿 Schloss Brattenstein (1230) その後1345ホーエンローエ家に属
し、12-13cに核の部分が造られ、その後領主により様々な建物が加えら、17cに
大幅に変更された。初め城は市壁の外に建てられたが、その後市壁の一部となっ
た。1971城の一部が崩壊し、町はその後数年間で復元し、1984からは中庭で演劇
が見られる。地下には小さなワイン博物館がありワインの歴史が展示されている。
聖キリアン教区教会 PfarrKirche St.kilian (14c) 後期ロマネスクの単塔教会で
14c内陣の追加、1606-14改装、その後も変更があり、1923最後の拡張。
高い建物 Hoher Bau (13c) その後15c木組みの上層階はドイツ騎士団が建て
た。矩形4階建ての高い建物。
ジュリアス・エヒター救貧館 Julius-Echter Stift (14c) 細長いルネッサンスの2連棟。
今は老人ホーム。
市庁舎 | マリア昇天市教会 |
ハウプト通 | 上門外 |
上門下 | 南壁 |
12c シュバルツエンベルク城の建設、 1258 シュバルツエンベルク城の文書言及、
1415 皇帝ジギスハントは国内法と帝国自由都市の広範な権限を授与し市壁を築いた、
1421 貴族エアキングは共用物の城を購入、1433 貴族は城名シュバルツエンベルクを名乗る、
1525 改革でプロテスタントへ、 1627 反宗教改革でカトリックへ、
1598 皇帝ルドルフは1414の権限を再確認、 1630-34 スエーデン軍の占領 と略奪、
1805 ナポレオン戦争後バイルン王国に帰属。
1415の市壁は瓦礫積で建てられ、3門を有したが多くは19cに取崩された。
南西部には内壁も在ったらしい。
3門の内1門が残され、西南部の医療塔が防衛塔として唯一残っている。
上門 Oberes Tor (1462) アーチ通路のある正方形の塔で、テント屋根やランタンの
ある上層は
木骨造の3階建である。1605-06に改造された。
医療塔 Kranken Turm (15c) 2階建上階木骨造の円形塔。18-19c修復。
Haupt str,とKirche str.には、古くからの建物がある。
旧市庁舎 Rathaus () 旧裁判所で領主シュバルツエンベルクの代官がいた。2階建
ネオロマネスク一部切妻屋根の建物で、1860切妻などを改修して旧市庁舎に使った。
市庁舎 Rathaus (1906) 新ルネッサンス3階建の地方評議会事務所として建てら
れ、今は市庁舎である。
マリア昇天市教区教会 StadtpfarrKirche Mariae Himmelfert (1766-91) バロック
単塔前面柱の教会で、内陣は円形。
カトリック牧師館 Kath. Pfarr Haus (1570-80) ルネッサンス2階建切妻屋根上階木組
のカトリック牧師館。
シュバルツエンベルク宮殿 Schloss Schwarzenberg (1150) 東北1kmの山頂に建てら
れ、貴族エアキングが1405に城を取得し、シュバルツエンベルクを名乗って、1421シュバルツエン
ベルク小公国となった。城の守りは1516最新の設備を備え、1525農民軍をこの
地方で唯一追い払った。1607火災で南翼を焼失した。1616城教会、1670高い
46mの天守閣を築いた。17c南翼は元の状況に復元、今は大部分専門学校。
シュバルツエンベルク修道院 Kloster Schwarzenberg (14c) 宮殿の更に東400mに簡
単な木製の礼拝堂から始まり、1687マリアヒルフェ修道院が設立され、1732-35に修
道院教会が献堂られた。1960火災で屋根が破損したが、1962再構築された。
市庁舎 | 聖キリアン教会 |
東壁 | 西南壁 |
南西壁 |
1059 シュスリッツ教区はバンベルク教会会議記録に、 1178 マラコーン侯爵はフランケンを支配、
1230 侯爵オットー8世は城を強化、 1260 侯爵トルヘンディンゲンが男系承継した、
1421 貴族エアキングは共用物の城を購入、1433 貴族は城名シュバルツエンベルクを名乗る、
1525 改革でプロテスタントへ、 1627 反宗教改革でカトリックへ、
1598 皇帝ルドルフは1414の権限を再確認、 1630-34 スエーデン軍の占領と略奪、
1805 ナポレオン戦争後バイルン王国に帰属。
14-15cの市壁は、主として南側に残っている。
見当たらない。
ハウプト通をちょっと広げて中心として、マルクト広場はない珍しい町。
旧市庁舎 Altes Rathaus (18c) ネオバロック2階建切妻屋根の建物で、1900に改
修された。
新市庁舎 Neues Rathaus (1766) 旧Kastenhausとして建てられた2階建田舎
風腰折屋根の大規模な建物で、南の庭に旧市壁の周壁がある。今は市庁舎。
聖マリア教会 Kath.St.Marien Kirche (1880) ネオゴシック前面単塔の凹む内陣砂
岩造の教会。
聖キリアン教区教会 Kath. PfarrKirche St.kilian (14c) 後期ゴシック単棟塔3廊
後退内陣の教会。16cに改修された。
牧師館 Pfarr Haus (1776-80) 2階建マンサード屋根の内側壁柱・窓枠の多い砂
岩の建物。
旅館:金の錨 Gasthof Goldener Anker (1880) 2階建切妻屋根の建物で、
19cに上階木組は改修された。
醸造所:三つの王冠 Brauhaus Drei Kraun (1747) ロココ2階建の長い建物、
後ろの醸造所は2階建木組漆喰仕上。
住家 Wohnhaus (1716) 2階建半切妻屋根・上階木組の建物。
住家 Wohnhaus (1731) 2階建切妻屋根・全木組の建物。
市庁舎 | 聖ヨハネ教区教会 |
上門 | 北東隅塔 |
北西隅塔 | 南小門 |
西壁 | 南壁 |
1336 コンラット2世の集落設立証明書、 14c バイエルンのルードビッヒが権利行使、
1347 創設者コンラットの死後司教に落ちた、 1396 市場シュレッセルフェルトは都市権を確保、
1397 ヴュルツブルク司教は役所置いて支配、1480 ショーレンベルク司教は要塞町と見なす、
1590 ジュリアスエクターは市壁と塔を置いた、 15-16c 地域の文化・経済の中心で繁栄、
1631-38 30年戦争で多くの略奪と破壊、 1650 町は早くも復興期に入った、
1803 世俗化されバイエルンに属した、 1805 プレスブルク和平でヴュルツブルク大公国へ、
1810 バイエルン王国に再び帰属、 1886.1915 マルクトの南東部の火事で建物更新。
14cの市壁は、旧墓地を含めて築かれ、各所に多く残されている。
上門 Oberes Tor (1466-95) 15cの拡張時に西側に前門からツインガー壁後
門につないで改修された。後門は腰折寄棟屋根を漆喰で固め2階建横長の門
家の中央にアーチ門と15cの四角塔がある。1601と1654で前門に守衛所が付けら
れ1689-94塔の3階に守衛の住居が設けられた。1837最終の守衛が死亡し塔は
使われなくなった。1998に改修された。
南小門 Otzler Pforte (14c) 聖マリエン教会の西に狭い小門がある。
北東隅塔 Nordaestlicher Turm (14c) 2階建円錐屋根付き円塔で、上階部
分には壁がない。
北西隅塔 Nortwestlicher Turm (14c) 2階建円錐屋根付き円塔。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1723) 2階建寄棟屋根・天窓付砂岩造の建物
で、前面は漆喰仕上であった。1948に火事に会い補修されて1963から博物館
となりヨーロッパの磁器の展示もある。
市庁舎 Rathaus (1625-27) 切妻屋根の建物で最初は十分の一税倉庫であ
った。18cヴュルツブルクの役所に改造され、今は市庁舎として使われている。
マルクト広場 Markt Platz (1910) マルクト広場にはライムの大木が植樹され、緑
豊かな景観を示す。
聖ヨハネ教区教会 PfarrKirche St.Johannes der Tseufer (14c) ゴシックの教会
の内部には、ヴュルツブルク大学協会の祭壇がある。1702受胎告示の絵画とバロック
の祭壇画置かれた。
聖マーチン教会 Kath.kirche St.Martin (1484) バロックの教会は、1724に守護聖
人「キリスト教徒のメアリ-・ヘルプ」に捧げられた。1948祭壇・説教壇・オルガンは、バロ
ックの内装と共に完成した。
旧郵便局 Ehem. Postamt (19c) 2階建寄棟屋根・漆喰仕上の大きな建物。
旧校舎 Ehem.Schulhaus (1749) 2階建腰折寄棟屋根の建物。1983改修。後
ろの醸造所は2階建木組漆喰仕上。
牧師館 Pfarrhaus (1834-35) 古典的な2階建寄棟屋根漆喰仕上の建物。物
置は1800の木組切妻屋根。
市庁舎 | 東門 |
南東壁 | カッセル塔 |
警察本部塔 | 壁 |
女門 | 女門 |
牢獄 | 北壁 |
東壁 | 北棟 |
マリア昇天教会 |
2C ローマ人が段丘に居住、 1060 名付けられた、
1204 周壁で囲み都市権・鋳造権を得た、 1268 バイエルンの支配下に、
14C バイエルン公の証書に都市権の古文書、 1405 有力な大市を開き経済は上昇、
1490 行政上の中心となる、 1493 町の大火で壊滅的な損害、
1589-92 魔女狩りで63婦人を処刑、 1632 30年戦争で被害、
1704 戦争で15市塔の内9塔が破壊、 1800 ナポレオン戦争でチロルの反乱、
1977 旧市街地の再建開始、 1983 市壁再建、 1985城広場再建、
1987 マリエン広場再建、1989 BallenHaus・聖エラムス・博物館再建、1991修道院再建。
ドナウ以南の独語圏で唯一の、全長1.626kmの円形市壁がある。東側の駐車場から
修道院までは壁上の屋根付き防御路を通れる。南のLochTor跡20mとKasslTurmの
40mは、市壁が切れている。
昔3門と15塔があったが、2門と5塔が残る。
婦人門 FrauenTor 1392建 西 1695までは雄牛塔KuhTorと呼ばれた。
発掘された市壁は13Cのものだった。倒壊寸前の門塔は1695に取り払われた。
1986簡単に再建。外側のマドンナの像は1699製、1985にワイン酒場が設置された。
マックス門 MaxTor 1331建、西 城の前に昔の5階建て門塔、1704に壊され
1808に再建された。
旧レヒ門 ehem.LechTor 昔の3つの塔が1704に壊され、守りを固めて再建さ
れた門も1877に撤去された。
カッセル塔 KasselTurm 南東 対仏砲台。
警察使用人塔 PolizeidienerTurm 南門 19Cからこの名前で呼ばれる。
中世の歩行者の潜り戸であった。
旧魔女塔 ehem.HexenTurm 南西角 1704に爆破された。5階建ての砲台付
記念塔、1583から刑務所と地下牢で役立った。1589-92の魔女裁判で処刑。
小高い丘の殆ど全周に築かれた市壁が立っている。市門の多くは壊された
ままか簡単なアーチが置かれている。旧市街地の主な建物は復元されている。
旧市庁舎 AltesRathaus 1515建、後期ゴシックの先例に沿った建物。
最初宿屋として使われ、17Cは市民の館、1768天井画付きの礼拝堂。
1984-85改造して建て直し。
市庁舎 Rathaus 1926建、いわゆる郷土様式で建設された。
ションガウ城 SchlossSchongau 14C 昔の公爵領の管理宮殿、15-16Cにヴィッテル
バッハ家の支所、1490-93南前面に公爵のフレスコ画と宮殿建設。1771-72改造、
1876宮殿礼拝所を取除き、1914拡張建設、1945郡庁とされ政治的に進展。
聖霊病院教会 HeiliggeistKirche 1727-30建、昔のカルメル会教会聖アナであ
り、1125「聖女アンナとその家族」を大祭壇に飾る。1720-25カルメル会集会場。
舞踏会館 BallenHaus 1420建、昔の倉庫・参事会館、孤立した後期ゴシック
の階段と破風の西屋根。1493に大火を受け1515に改修増築して、後期ゴシック
の彫刻天井の大ホール。1989に改造と改修。
町博物館 ehem.Spitalkirche St.Erasmus mit StadtMuseum 1491受難の
連作、中世風床下暖房、町の歴史の良く備えた収集物、特別な貨幣収集。
市庁舎 | 塔 |
西壁 | 北西壁 |
クロッペン塔 | 塔 |
東壁 | レンバッハ通 |
790 フライジング司教への寄付で最初の言及、 887 不動産の司教への寄付、
12C 地方名門元帥の居住地、 1310 ヴィッテルバッハ伯がルードビッヒ4世へ売却、
1330 バイエルン皇帝ルードビッヒ4世は市場・裁判・市民事務・計量の特権を与え掘り・塔
を持つ最初の円型木製市壁を構築。
1338アウグスブルク軍が町は破壊、
1414 市街地と石造市壁・堀の拡大、 1447 バエルン・ランフート公の都市権授与、
17-18C 戦争やペストで略奪や人口減、 1806 バイルン公国に帰属、
19C 工芸品・製紙・エンジン・家具の生産、 1945 2次大戦の被害は些少。
全長1.44kmの土堤は全周が残り、市壁は半分近く主として西と東側に残る。
壁塔の名前は、町の住民名を連想させる。
PflastererTurmr SeelweibTurm Bemalter turm
南北に長い長円型の旧市街地であり、切れ切れに東西に市壁が残って
いる。大通りは縦に1本の小さな町。
郊外教会 VorstadtKirche 1437建、ゴシックの建物として郊外に聖サル
バトール教会を建てた。18Cにバロックで拡張され大天井画が描かれた。
新教市教会 LiebFrauenKirche 1409-16建、風格のある高い塔があ
る。1442に市民病院が付加され、18Cに教会は繰り返し変換された。
町教区教会 StadtPfarrKirshe St.Jakob 15C建、教区教会の大きな
塔はインゴルシュタットの大聖堂の影響力の元にあった。後期ゴシックのホール式公開
には1461のフレスコ画の祭壇がある。
教区教会聖ペーター PfarrKirche St.Peter 教区大聖堂はロココノ要素を
持った後期バロックの教会である。祭壇はアザムによって造られ、美しい教
会である。
ザイゼルマイアー家 ZeiselmairHaus 1478建、中世の職責の木組の家、
17c亜麻布織工の家族、19Cから靴屋の家族が入っていた。1990に大規
模改修の後に博物館として展示されている。
欧州アスパラ博物館 EuropaeischesSpargerMuseum 役所塔と呼ばれ、
15-18cは看護所や地方裁判所として使われ、1985にアスパラガス博物館が
開設され、1991に欧州アスパラガス博物館に拡大された。
町博物館 Museum in PflegShuloss 16C建、看護所や地方裁判所の
建物で20cに拡張された。2002に大改修の後に町の博物館となった。
レーンバッハ教会 LenbachMuseum レーンバッハの故郷の美術館には多くの絵
画が展示されている。
市庁舎 | 王広場 |
西壁 | 西壁 |
西南壁 |
1117 最初の文書言及、 1303 町で市場を開催、
1375 町は都市権を授与された、 1470 新しい字体による印刷、
1500 フランク王国のサークルへ、 1805 プロイセン公国のアンスバハ・バイロイトへ、
1806 バイエルン王国に所属、 1934 騎兵隊の駐屯地に、
1945 空爆による被災。
1365以来の4門と共に多くの防衛塔と胸壁を有する砂岩の市壁が一部残
る。市壁とレンガ造塔の大部分は1870-80に取除かれた。
防衛塔 Wache Turm (17-18) 北、拡張して3階建寄棟屋根の住家とな
り、上層階は張出している。中世後期に切石部に着色された。
防衛塔 Wache Turm (17-18) 南、2階建片流れ屋根、地階砂岩・上階木組
の家になった。付近に古い市壁がある。
防衛塔 Wache Turm (17-18) 南、拡張されて4階建寄棟屋根の家となり、
砂岩切石造に着色されている。
防衛塔 Wache Turm (18-19) 拡張されて3階建寄棟屋根の家となり、漆
喰仕上げされた。
長さ400m×幅400m広い旧市街の建物は、30年戦争などの戦乱で大きく破損
された後に、17-18cの様式で復興され、多くはバロック2階建切妻屋の木組の
建物である。
市庁舎 Rathaus (1528-29) 現在の市庁舎は、建てられた後に何度も拡張
や改修が行われ、例えば北翼は装飾トラスを配置することにより、1901-04に
木彫の模様が付けられた。2001-02の改修時には、市議会の二つの塔には黄
金の屋根が付けられた。2階大広間は1975の改修で黄金のホールとなり、更に
2002に復元。
聖ヨハネとマーチン市教区教会 Stadtkircche St.Johannes und St.Martin (1469-
95)身廊のゴシック3新教教会にはフランコニア守護聖人を奉り、町のランドマークである。
後期ゴシックの祭壇の間があり、1500祭壇に金箔の絵画が描かれ、今も残る。
病院教会 Soital Kirshe (1404) 病院の教会は、守護聖人聖アンソニーと聖エリ
ザベスに捧げられた。教会は何回か改修され再建された。1941の空爆で崩壊
し、1953に復元され再奉献された。
ユダヤ博物館 Juelisches Museum () ユダヤ人の生活・シナゴークの通り・仮庵・絵画
のどの展示。
フランス教会 Franzoesisch Kirche (1687) フランス宗教棄民ユグノーによって建てら
れた最初の教会であった。簡素なバロックの地味な建物で、1729二つのタペストリィ
が寄贈された。今は改革派教区教会である。
聖ゼバート教区教会 St.Sebald Kirche (1848-50) カトリック教徒の増加に伴いロマ
ネスク・リバイバル様式で建てられ、1926ネオバロックに改修された。2015大規模な改修
が行われた。
別邸 Villa (1899) 新ルネッサンスの角塔付きの別荘。
破風の家 GiebelHaus (18c) 2階建木造漆喰仕上の建物で、後ろ壁は市壁
に乗せている。
旧パン屋 Baeckerei (1738) 破風のある2階建で角地に立つ家。
旧醸造所 Ehem.Brauerei (1695) 3階建寄棟屋根の堂々とした建物で、骨
格は木組である。
旧税関 Ehem.Zollhaus (1744)
旧鋳造所 Ehem.Muenze (1734) バロック役所造寄棟屋根砂岩切石積の建物。
旧ビール醸造所 Ehem.Brauhaus (18c) 堂々たる後期中世風2階建切妻屋根
の大きな建物で、1846に改修され活動写真劇場に談話室のある広間を増築
した。
旧染屋 Ehem.Fabhaus (1735) バロック3階建腰折屋根の建物。
旧住居と商店 Ehem.Wohn-Geschaeftshaus (1506) 角の2階建地階石造上階
木組で装飾トラスのある大きな建物。18c改築、1892前面の再設計。
旧パン屋 Ehem.Baeckerei (1474) 2階建切妻屋根木組漆喰仕上の家。1727
バルコニィ付の裏の別館を建築。
旧世襲醸造所 Ehem.Erbbrauhaus (1525) 2階建上階木組寄棟屋根の建物。
旧辺境伯穀物倉庫 Ehem.Margraflicher Getreidekunsten (17c) 細い急勾
配の切妻屋根の倉庫は、19cに地階石積で更新された。
旧会計局 Ehem.Rentamt (1737) 2階建2翼の寄棟屋根の前面切石積の建物。
市庁舎 | ブラス塔 |
四角塔 | 東壁 |
西南壁 | 聖ヤコブ教会 |
610 スラブ族の占拠が始まり1000年にはナープ川の北からレーゲンスブルクに拡大、
1234 公爵の役所が置かれ行政の中心地に、1285 市場の町として防衛が先行、
1286 主席司教の居所と宗教上の中心地、 15c フス戦争に備え市壁を急ぎ建設、
1433 フス戦争で敗北したが町の都市権は維持、 1451 町の交易は発展した、
1505 ランツフート継承戦争後にプファルツ・ノイブルク公爵領に属した、 1542 宗教改革導入、
1617 公爵ヴォフローク・ヴィルヘルムは反宗教改革、 1796 仏墺戦争で仏軍が砲撃、
1919 第1次世界大戦で火薬庫爆発、 1945 鉄道拠点は空爆を受けた。
13cの市壁は東北・西南などに点々と残されている。
ブラス塔 Blas Turm (1494) ピラミット屋根と頂上ランタンのある3階建の大き
な正方形の塔で、市壁の最高地点に立ち見張塔でもあった。南には50mの
市壁が繋がっている。入口の門は無く、守衛は市壁の後ろの部屋に住ん
だ。その後官舎として使われ、取壊しを免れ1825ルードヴィッヒ1世により保
護された。今は小さな博物館として使われている。
四角塔 Vireck turm ワインバー通に白い四角錐屋根の付いた四角塔である。
東北の斜面に重要な建物は集中している。町は20cに大火事があり、古
い建物は少ない。
最初の市庁舎 Erste Rathaus (1447) 正方形に三角形のマルクトは1347に新
設され周囲に市民が建物を建て1380には完成した。最初の市庁舎はこの
マルクトの中に1447今はオープン建てられたが、1808に壊されその跡に1990カリオン
が建てられた。カフェの傘で覆われている。
旧市庁舎 Ehem.Rathaus (16c) 寄棟屋根の旧市庁舎は18cに他に移され
その後1986思い切って改築され、博物館を収容した。
古い市庁舎 Altes Rathaus (1857-2002) 歴史的な部分は旧救護所で、
その後何度の拡張され、行政の複合的な場所であった。2002には、フロンベ
ルク通の新市庁舎に行政の大部分は引き継がれた。
救護所 Pfleghof (1508) 1410の城は1504に焼失し、その跡地に新しく
救護所が建てられた。1857市の所有となり、1922-2002市庁舎や校舎に使
われた。2012増改築され、成人教育センター・観光案内所で使われている。
教区司教館 Pfarrhof (1491) 始めのゴシック牧師館の基盤の上に切妻付
3階建の教区牧師館が建てられた。1569と1670に改修され、今の建築文
字が描かれた。1991
に復元され保育園として使われている。
染物屋 Faerber Haus (1539) 町で最も古い建物と言われている。後期
ゴシックの建物で染物屋が使っていた。1995崩壊の恐れがあり、1996市民が
模範的な復元を行った。今はワイン酒場と住家である。
ヤコブ教会 Jakob KIrche (1400) 町教区教会として初めゴシックで建てられ
た。前面と窓は後期ゴシックの要素を示している。1678筒形円天井に細分化
交差リブアーチを組込んだ。1743バロック様式に改装、19c末に更新的改築が行わ
れ、ゴシックの特徴が再び顕著になった。
養老院教会 Spital Kirche (1657) 1443プファルツ伯ヨハンが臨終に際し創設し
た養老院に新しい教会が建てられた。1994養老院は新しい建物を建てて移
って行った。1999-2003それまでの養老院の建物は市庁舎のために改造され
た。2001残された養老院教会は世俗化され、、根本的に改修されて、今は
催し物会場として使れている。
町博物館 Stadt Museum (16c) このフライハウスの所有者は、1585以降知られ
ていた。1834-45町で最初の薬局が定住した。1862市庁舎が移ってきた。
1963小さな博物館となり、1986-89建物は完全に修復され、新しい展示が
なされた。
マルクト広場 | 精霊教会 |
791 フルダ修道院の贈り物文書に初言及、 1000 貴族ペーター・スティルンが所有、
1003 ヘチィロス家が支配、 1057 ヘチィロス家男系断絶娘が継承、
1112 男系子孫のアイヒスタット司教へ戻した 12c 皇帝フリードリッヒ1世は帝国城建設、
1240-50 侯爵と司教の争いで町は破壊 1254 オランダ王の手紙に町は帝国都市、
1397 町は工場・ダム・橋の建設権を獲得、 1415 王ジギスムントは市場権を付与、
1525 農民側で農民戦争を戦い町は破壊、 1554 2次辺境伯戦争で町は破壊、
1640 30年戦争で何度も占領され、スエーデン軍は要塞を造った、 1802 バイエルンへ、
1810-14 ヴュルツブルク大公国へ、 1814 バイエルンの支配下となる。
1943-45 15回の空爆で町はひどく損傷。
11Cから市壁は造られ、拡張強化されてきた。17cにはスエーデン軍によって中
島を含めて外側に星形要塞が造られた。その大半は19-20cに戦争と町の近代化
のために失われた。1980から防御施設の残りを復元し始めた。北東部Oberwall
と、東部のUnterwallとZwingerの二重壁が残った。
ビロード塔 Samt Turm (1564) 北東の角にある円塔。
白塔 Weisser Turm (15c) 町の第2の荒廃の後に1563-64に再建された
が、1805に取り壊されて、今は基礎しか残っていない。
草原見張塔 Wiesenhueter Turm (1564) 四角い塔の基礎が残っている。
北火薬塔 Noerdlichen Pulver Turm (1554) 3階建て円錐屋根の円塔。
町の破壊の後に1554に建設された。今はワイン居酒屋になっている。
南火薬塔 suedlichen Pulver Turm (1554) 北火薬塔と同様。塔から町
や市壁上に到達できる。
散弾塔 Schrot Turm (1611-14) ルネッサンスの家に階段塔として建てられた。
19cに散弾の生産に使われ、2次大戦で壊された後1988-90に旧市街地の再開
発で8階建で安全を回復された。
膨らみ塔 Bauschen Turm (1615) 町の医者が個人の家を建て、息子は16
52そこで科学的医療アカデェミィを設立した。5階建階段塔はその家が壊れても残
った。
13cからの帝国都市都市として、塔門・市壁・四角い旧市街地の建物等が残り、
その後産業都市として文化施設も多く見所は多い。
市庁舎 Rathaus (1570-72) 16cに百貨店のあった場所に後期ゴシック風世俗
ルネッサンス市庁舎が建てられた。30年戦争や2次大戦でも生き延びたが、1959の大
火災で上階の大部分が焼失し、1960に復元された。
精霊教会 Heilig Geist Kirche (15c中) 精霊病院教会とし建てられた
が、1554に全壊した。16c末にその場所にゴシックの教会が建てられ、1806-96
カトリックの教区教会となり、1897-1902取り壊されて新しく建て直された。
聖ヨハネ教会 St.Johannis kirche (12c) 15cにはゴシック後陣を備え、1542
からは新教の教区教会となった。1554・1945の戦災後は速やかに再建され、
中にはカトリック時代からの多くの芸術品が保存されている。
馬市場倉庫 Schranne an Rossmarkt (1560) 切妻付2階建ての大きな建物
倉庫として使われ、1935からは貯蓄銀行を収容している。
武器庫 Zeug Haus (1589-91) 16c中迄馬の碾臼があったが1554に焼失し、
兵器工廠と武器庫として2階建て切妻の大きな建物が建てられた。この建物の
北と東側は3倍1.1mの厚い壁で攻撃時には防壁とされた。1940-2009は新聞社や
編集事務所として使われた。
博物館 次の博物館がある:Museum Georg Schaefer,Kunsthalle,
Stadt geschichtliches Museum,Gunnar-Waster-Haus,NaturKundliche Sammlung,
Kunstlerhof Oberndorf,Museum Otto schaefer,Museum Service MuSe,Foederer-
der Kunst,Schueler Projektriearbeit,Schweinfurter Zeitzuengen Gespraeche.
市庁舎 | ローテンブルク門 |
ハッタースドルファー門 | ガイラースベルク門 |
西壁 | 北壁 |
西南壁 |
800 フルダ修道院の文書に初言及 837 アシス侯爵は町の所有地を贈物とした、
1244 アンデックス・メラニーンとヴュルツグルク司教の争で破壊、1335バイエルン王は都市権を授与、
1365 町は刑事裁判権を授与された、1400都市連合は司教軍にベルクハイム戦で敗北、
1525 農民蜂起に同調して自治を強化、1632 30年戦争で町は荒廃、
1803 世俗化でバイルンへ、1805 ヴュルツブルク大公国へ、1810 バエルン王国へ帰属、
1905 町は大火災に襲われた。
1135市壁は、市の法律と領収書で明らかなように築かれた。1573市壁は堀と
3門と共に、長さ300m高さ9-10mで砂岩ブロックで拡張された。 1848の火事で
ゲイヤースベルク方面の市壁の高さが削られたが復元され、全延長が残されている。
3門と4壁塔6壁塔切株が残されている。
禿鷹山門 GeiersbergerTor (1343) 南 4階建て砂岩造の角塔で1551に再
建され、18cにマンサード屋根が付けられた。
ローテンブルク門 Rothenburger Tor (14c) 西 4階建てテント屋根の砂岩造の各塔
で、1610に再建された。
ハッター村門 Hattersdorfer Tor (15c) 北 5階建て中折れ屋根の砂岩角塔で
16cに再建された。
小門 Pforte 上のツインガーに閉じられた防御用の周壁に閉じられた角塔の横
に北東の小門がある。
塔 南 正方形の壁塔の切株、 西 ツインガーの下に在る円塔、
西 3階建ての四角錘屋根の角塔、 東北 円錐屋根の円塔、
東北 3階建て多角形の塔、 東 壁の高さ出来られた円塔、
東 壁の高さ出来られた円塔。
門と市壁が完全に囲んでいる珍しい小さな町で、旧市街には17-18cの2-3階
建バロックの木組みの建物が多く、司教の記念碑的な建物と共に町の風格を表す。
市庁舎 Rathaus (16c) 半寄棟屋根小塔付も2階建ての木組みの家で。ラオイオン
像のある屋外階段を有し中心部は16cの建物で、1796.1818改修されている。
今は郷土博物館である。
教区教会聖ヨハネ PfarrKirche St.Johannes (15-19c) 後期ゴシックノ3身廊梯形配
置の教会で、4階建ての塔が在る。中には15-19cのバロックの調度があり、16c
片流れ屋根のキリスト昇天の地オリーブ山礼拝堂がある。
聖十字架礼拝堂 Hl.Kreuz Kapelle (1705-08) 昔の墓地教会の、引きこもっ
た内陣のある小塔付の広間教会で、貴重な調度がある。
角の家 Eckhaus (1906) 絵の様に一体化された2階建ての建物で、高い切妻
や角張出窓が付いている。
町粉挽所 Stadt Muehle (1574) 2階建て隅棟式屋根の木組上階は、18cに建
てられた。
旧領主司教役所倉庫 Ehem.Fuerstbischoefliches Amtmagasin und Schuett
boden (1714) ハンサムな3階建両切妻屋根の役所倉庫と穀物倉で、周壁に円型
門がある。今は図書館である。
旧領主司教役所 Ehem.Fuerstbischoefliches Amtshaus (1620) しっかりし
た3階建砂岩両切妻屋根の建物で、18c階段切妻と後方の多角形階段塔が改修
された。17cに南入口のある庭壁が付けられた。
木組の家 Fachwerk haus
宿屋「黄金の王冠」 Gasthof Zur GoldenerKrone (1906) 横切妻の2階建て
マンサードと両切妻屋根の建物で、火事の後1906郷土様式で再建された。
宿屋「赤い雄牛」 Gasthof Zum Roten Ochsen (16c) 上階が木組みの2階建
建物で、半寄棟屋根で19cに改装された。
住居と商館 Wohn und Geschaeffhaus (1905) 上階木組みの3階建て両切妻
屋根と横切妻の郷土様式の面白い建物。
両切妻屋根の家 Satteldach haus (1690) 木骨造2階建ての家で、中庭への
通路がある。
旧学校の家 Ehem.AltesSchulhaus (17c) 上階は斜材のある木組みの2階建
で、18cに建て直された。
半寄棟屋根の家 Halb Walmdach haus (1558) 上階木組の2階建ての建物で
中庭への出入り口・横樋があり、屋外階段には16-18cの錬鉄の欄干がある。
両切妻屋根の家 Satteldach haus (18c) 簡素な木組みの2階建ての家で、
横樋と中にをへの入口が付いている。
マンサード屋根の家 Mansarddach haus (1760) 木組切妻が美しい上階木組の
3階建マンサード屋根の建物。
いわゆる高級な家 Sogenannte Hoheshaus (1533) 風格のある上階木組3階
建の両切妻屋根横樋の建物で、屋根は1533に造られ、梁に1640の年号がある。
角の家 Eckhaus (18c) 上階木組みの2階建て斜材模様の美しい建物。
両切妻の家 Satteldach haus (1906) 上階木組みの2階建で切妻が美しい。
半寄棟屋根の家 Halb Walmdachhaus (1906) 2階建て木組みの建物で、
木組模様が面白い。
市庁舎 | ヴィンツアー塔 |
シュバルツ門 | マイン門 |
シュバルツ門 |
1075 ベェネディクト会修道院へのブドウ園寄付、 12c ベェネディクト会が支配、
1230 ヴュルツブルク司教区が支配した、 1306 修道院が村の多くを所有、
1461 辺境伯アルブレヒトは城を購入、 1553 改革の混乱でも修道院はカトリック、
1585 最後の門が完成、 16c 修道院は周壁を建てて守った、
1618-29 30年戦争が継続、ペストで42人死亡、 1674 北方戦争で軍隊占領、
18c 3人の領主が定着しブドウ栽培で繁栄、1803 ナポレオンの修道院の世俗化、
1814 バイエルンの支配下となる、 1868 ブドウは衰退、果物畑を開墾。
1462の略奪の後に、ミュンスター.シュバルツア゙ッハ修道院を統括したアボット.マーチンの下
で、堀とトゲ植栽の守りから、1466周壁の建設を開始した。4門と堀のある
周壁は1536に完成した。しかし17cには銃に耐えなくなり、1822から解体が
始まり、東部と北西部に残るのみとなった。1980年代には大幅な市壁の改修
が行われ、1987にもSchwarzachTorとZehnhof間が補修された。
シュバルツアッカー門 SchwarzacerTor(1486) 北東にあり、長い間救貧院と
して使われ、穀物蔵としても使われた。2階建の平らな寄棟屋根で瓦礫造
りで、1970に積荷で門が壊され、交通を迂回させ1980に改修された。
マイン門 Mein Tor (1585) 南西にあり、石工によって建てられた。
1831の火災後に、塔は低くされた。1985美術館が収容された。外形はシュバ
ルツアッカー門に似て瓦礫造で平らな寄棟屋根である。
フォルツアッカー門 Volkacher Tor(1536) 北東にあり、1868に解体のために
町に売却された。今は紋章の石のみが残っている。
リンバッハー門 RinbacherTurm (1504) 北西 長く修道院の管理下にあり
19c始め交通量が多かったが老朽化したので1822町は裁判所に取り壊しを
申請した。もう残っていない。
アパート塔 1866に靴職人は南西の角の塔を買収してアパートに改造した。
防御塔 BefestigenTurm 西北 円錐屋根付きの3階建て円塔。
市庁舎 | 東壁 |
ヴュルツブルク門 | マイン門 |
城 |
15C 中世にはマインで重要な集落、
1630 ヴルツブルク司教の支配下を外れて、カソリックのマインフランケンの中の新教の飛び地、
1814 バイエルンの支配下となる。
15C建設の市壁に殆ど囲まれ、堀の大部分には水がる。
ヴルツブルガー門 WurzbugerTor 北門 ドイツ最小の門塔劇場がある。
オクセンヒュート門 OchsenfurterTor 南門 時計付きの四角門。
マイン門 MainTor 西門 昔は川からの荷物で賑わい、関税があった。
門に洪水水位表示がある。
青塔 BlaueTurm 1607建、北東のスレート屋根の青色から名付けられた
円塔。地下に監獄があった。
赤塔 RoterTurm 東 屋根が赤レンガ。
喧噪召使塔 RumorknechtsTurm 西 昔召使いが近くに住み賑やか
だった。
Main側の右岸に全周を市壁で囲まれた旧市街地には、木組みの家屋
が多く、門塔も残っている歴史的な雰囲気の静かな小さな町。
昔町役場 AltOrtes 1558建、中央のマルクトに立つ階段切妻が前面の
建物。地階は観光局、上階の会議室は深い窓のある簡素な部屋。市民
広場では、ワインの試飲などの催物が開かれている。
バーソロミュー教会 BatholomausKirche 1341建、1666-72に再建され、
1739に身廊が崩壊して1740から建て直され、塔は1596に上層階と階段
を拡張した。説教壇には1620の彫刻がある。
宮殿 Schloss 1596建、伯爵所有の城で15Cの翼を持つ。1634に壊
され近年改修された。切妻飾り六角塔が付いている。今はレストラン。
木組み家 HolzHaus 旧市街地には多くの美しい木組の家がある。
市庁舎 | ハウプト通 |
輪塔 | 上門 |
上門 | ロクロ工塔 |
シュレンツガー家 | 西壁 |
810 聖サレバトール修道院の文書で初言及、1031 ベネディクト修道院の地元ワイン、
1494 アイイシュテット司教は町の代官権限獲得、1341 ホップの文書言及、町となる、
1366 堀のある最初の市壁を建設、 1422 2市門を完成、
1450 ニュルンベルクの侵攻でアンスバッハに組込、 1545-1632 町にはペストが蔓延、
1585.1598 魔女狩の処刑が行われた、 1632 30年戦争でスエーデン軍占領。
1297に市壁建設は始まり、14-15cに強化された。砂岩積の市壁は一部
分で補修または更新された。18cには市壁上に小さな木組の家が建てられ
た。北と北西に多く、南と東に少し残っている。
上門 Oberes Tor (1422) 南西市門、6階建マンサード屋根の砂岩切石
積の門と前門との間のツインガー壁が残っている。1767から住居が付けら
れ、18cに頭頂部は更新された。1821町の所有となり、1974に改修され
紅葉の部屋を収容した。
上門 Diebs Turm (14c) 市壁の防衛角塔で、20cまでは刑務所として
使われた。今は「郷土の部屋」としてクラブの部屋や民芸品の展示に使
われている。
輪塔 Reifen Turm (1446) 領主司教ヨハンが建てた4階建の砂岩円塔で円
錐屋根がある。横に2階建の建物が付いている。
悪者塔 Schaefer Turm (14c) 3階建急勾配切妻屋根の一方が半円形の
塔。
ロクロ工塔 Drechsler Turm (14c) 4階建テント屋根砂岩造の角塔。1862テント
屋根は平らにされた。長い間ロクロ工が働いていた。
ヘルクレス博士塔 Dr.Herkeules Turm (1350) 3階建切妻屋根砂岩造の円塔
は、1862に住居に増築改造された。ヘルクレスはパリアカデミー会員で、この町で
死亡した。
多くの市壁・門や塔・中世の木造や石造の建物などは、歴史的な雰囲気
を伝えている。古くからのホップの伝統もこの町では生きている。
市庁舎 Rathaus (1751-56)首席司祭のバロックの館として建てられ、
1818-1932は会計局と税務署として使われ、1933から市庁舎となった。
ワインの試飲などの催物が開かれている。
旧二重参事会員聖職者の家 Ehem.Doppel Kanorikatschaus (1753-56)
聖ニコラスと聖エメラム双方の参事会員用の食堂等として建てられ、1981学校
姉妹の修道院となり、今は町の消防署である。
穀物倉庫 Kornhaus (1457) アイヒシュテートの領主司教は十分の一税倉庫と
して長さ36m幅20m高さ13mの大きな建物を建てた。トラスの内部構造が印象
的である。1862から町が所有し、1897-1924はホップの店とホップ記念館とし
てホップビールの醸造やホップの歴史などを説明している。
聖ニコラウス St.Nikolaus (1294) 聖ニコラウス参事会員財団の建物が創立され
1302-13に聖ニコラウス旧修道院聖堂が建てられ、1767-71ドイツ騎士団建築マスター
が、バロックの教会を新築した。1906世俗化でバイエルンの所有となったが、
1863町に戻し1962-66に改修された。
聖エメラム教区教会 Pfarrjirche St.Emmeram (12c) 教区教会はベネディクト
修道院聖サルバトーレに戻った。元々ロマネスクの大聖堂は16-17cにバロックに改装
された。1976-82に教会は大改修された。
カトリック司教館 Kath.Pfarrhof (1738) バロックの司教館が建てられ、1819
迄使われた。1821町が所有し、1974改修され、今は手工業の作業場で
ある。
シュレンツガーの家 Schlenzgerhaus 西側市壁を巻込んだ奇形の2階建木組
の家である。
ホップ財団 Hoffen Gut (1746) ホップは昔からこの町の重要な商品であ
り、ホップ畑と巨大 な木組の屋根裏部屋があり、ホップの乾燥作業が行わ
れた。
小税関 ZollHaeuschn (18c) 平屋の木組切妻の小さな建物が、市壁に
接して建てられた。
市庁舎 | マルクト広場 |
聖ヨハニス教会 | 南西壁 |
南壁 |
794 最初の文書言及、 1484 司教ルドルフ2世は町・市場の管轄権を授与、
1520 町の紋章は憲章で定められた、 1563 市庁舎の新設。
1613-17 町の市壁を新しく構築、 1818 都市権は返還したが市場権は維持。
1613-17cに新しい市壁が構築され、北西に残り、南西に断片が残る。
1615に地区防備の塔の切株と南東隅の旧ワイン醸造所、1765に旧ハイン門の門柱
と接続の市壁がある。
ハイン門柱 TorPfeiler des Ehem.HainTors (1765) 北西のハイン門の位置に、門
柱が市壁に接続して立つ。
ガチョウ塔 Gaens Turm (1615) 南東の隅の旧醸造事務所の前に円塔の切株
があり、円錐屋根を付けて庭にある。
市庁舎をはじめ、16-18cの美しい木組の家が多く存在する。
市庁舎 Rathaus (1563) 2階建切妻屋根木組の大きな建物に広間がある。
17-18c2階 建切妻屋根木組のベーカーハウスは、今は市庁舎の一部であり、1982に
改修された。
聖ヨハニス・パプティスト教区教会 Pfarrkirche St,Johannes d.Teufer (1600)後期
ゴシック角塔が最初にあり、1731-32に身廊が付けられた。1972に拡張された。
牧師館 Pfarramt (1604) 2階建のコアに、1906木組の上部を拡張し漆喰仕上
の切妻屋根となった。
元聖職録受領者住宅 Ehem.Benefizaten Haus (1322) 2階建寄棟屋根の太
材枠組の四角い建物。
旧公式ワイナリー管理事務所 Ehem.Kellerei Amthaus (1606) ヴュルツブルク司教の
公式ワイン醸造所である。
管理事務所(1606)2階建石造半腰折屋根の建物。
十分一税倉庫(1606) 平屋切妻屋根の木組の大きな建物
公爵の館(1628) 2階建切妻屋根の石造の建物。
穀物蔵(1628) 3階建切妻屋根の細長い石造の建物。
都市農民の家 Ackerburgerhaus (1614) 2階建寄棟屋根の上階木組の建物
で、旧貯蓄銀行が使用した。
住家 Wohnhaus (18c) 2階建切妻屋根装飾的な上階木組の家。
市民の家 Buergerhaus(1686) 2階建切妻屋根に露出装飾トラスの上階木組の
家。
市庁舎 | 聖ミカエル教会 |
東南塔 | 西南壁 |
西南壁 | 南東壁 |
1151 司教エーベルハルトはヘンネベルク侯爵と土地を交換、14c 650年間の所属で発展、
1430 フス派・1464辺境伯アキレスの侵攻、司教シャンバーフは10年間の土地税を免除、
1525 農民戦争で城は破壊、町の公邸に住んで再建なし、1552 辺境伯の征服、
1634 30年戦争による占領・略奪、 1783 高炉 建設による鉄の生産、
1798.1866 大火災が町を襲った、 1803 ドイツ神聖ローマ帝国の終焉、
1616 町はバイエルン王国へ、 1972 大司教の地方事務所の存続、
1973 クルムバッハと併合
13-14cの市壁は荒石造で半分程度残された。西側斜面は二重壁構造である。
中世の3門は、何れも19cに取り払われた。
東南塔 OestSuedlich Turm (14-15c) 東南の隅の2階建円錐屋根の円塔。
北の旧要塞(16c)には宮殿と地方事務所、中央の四角いマルクトには商店と住宅
南にはネオバロックの教会がある。山の尾根に小さくまとまった町である。
旧市庁舎 AltesRathaus () 2階建腰折屋根木組の建物で、1821に砂岩に枠
組の天窓付きに改造。
市庁舎 Rathaus (18c) 2階建寄棟屋根・砂岩枠組の建物。かっては町の商
店員のアパートであったが、今は改修されて市庁舎として使われている。
聖マリア礼拝堂 St,Marien kapelle (13c) 切妻・天窓・後陣は13cで、1690に
塔と砂岩枠組の身廊が付けられた。
牧師館 Pfarrhof (1721-23) 2階建寄棟屋根の砂岩造の建物。
住居 Wohnhaus (1322) 2階建寄棟屋根・上階木組の建物で、今は博物館。
旧旅館:白馬 Ehem.Gasthof zum Weissen Ross (1737) 2階建寄棟屋根のL型
砂岩枠組の建物。今は郵便局である。
旧地方裁判所 Ehem.AmtsGerichtRathaus (16c) 北のFronfesteに属する3階
建切妻屋根の大きな建物で、18cに砂岩枠組となり、元地方裁判所と刑務所
今は警察署である。
旧カントリーハウス Ehem.Stadthaus (1755) 2階建寄棟屋根・砂岩枠組造の建物。
聖ミカエル教区教会 Stadt Pfarrkirche St,Micael () 古い部分を使用した砂
岩造の建物。1904-05ロココ装飾と漆喰塗。
旧役所 Amtshaus (1755) 2階建寄棟屋根の建物。1946からは郡会事務局
となった。
ステットハイマー門 | 上門 |
市塔 | 聖ヴィート教会 |
病院教会 |
70 ローマの砦があった、港と倉庫の跡、 897 初文書言及、市壁と堀がある、
1029 アウグスブルク大聖堂への贈り物、 1218 ヴィッテルバッハ家ケールハイム伯が新都市、
1316 見張塔として町の塔を建設、 1353-1425 独立のヴィッテルスバッハ侯爵領、
1536 侯爵の権利を市民に割譲、 1562・70 反宗教改革で新教市民の追放、
1633-34 30年戦争でスエーデン軍占領、 1704-14 スペイン承継戦争で墺が占領、
1778-79 バイエルン承継戦争で墺が占領、 1780 町を大火災が襲う、
1805-10 市壁と市内の解体、市街地拡大、1944-45 空爆の大損害、米軍の進駐。
9cからの市壁を15cに拡大して手工業地区を囲んだ。北西110mと北160mに
市壁が残っている。
病院門 Spital Tor (1628) 北の市街の門は、塔に王家の紋章とオリ
ベスクのある早
期ゴシックの前面が保存されている。その中にある市民病院にはゴシックの3広間が
り、聖三位一体病院教会は大火の後1780に新古典主義で再建された。
町塔 Stadt Turm (1316) 町の中心に、高さ68mの8階建の塔で火事と敵
を見張り、16cまで塔に住んだ。塔からはドナウ川とバイエルンの森が見渡せる。
塔には総重量2.1t・26鐘のカリオンがあり、300のメロディを10時と15時に鳴らされる。
火薬塔 Pulver Turm (14c) 町の北西の角に力強い円塔があり、昔火薬
今は世界大戦とナチス専制の犠牲者のための記念館となっている。
ドナウ川沿いの2千年の歴史ある町で、中世からの興味深い観光スポットがある。
ゴシックの市庁舎と教会、マルクトの商人による壮大でカラフルな塗装邸宅を見られる。
市庁舎 Rathaus (1382) 市民の建てた商館を市庁舎に改築した。3階建
にゴシックの窓枠が特徴的で、ネオゴシックの階段切妻には
町の紋章があり、1893
に小塔が付けられた。
旧侯爵宮殿 Ehem.HerzogsSchloss (1356) 北東のドナウ川沿いに低バイエルンの
ストラウビンク-オランダ公国の居住宮殿として建てられ、何世紀にもわたって選帝侯
の居住と町防御の砦として使われた。15cドナウ川沿いの騎士の広間は、ドイツで
最大で華やかな祝宴が開かれた。今は税務署・図書館・文書館を収容している。
聖ヤコブと聖ティブチウス教会 Kirch St.jakob und St.Tiburtius (14c) 後期ゴ
シックの3身廊ハレン教会で、西塔・礼拝堂花冠・回廊がある。教王のバジリカの内装は
美術様式の手本である。中に後期ゴシックからネオゴシックの本祭壇・中世墓標がある。
カrメル会教会 Karmeliten Kirche (1368) カルメル会修道士が町に来て、修道
院と教会を建て初めた。力強い煉瓦ゴシックの3廊ハレン教会で、18cに修道院とイラクサ
巡礼教会は上品にバロック化された。
ウルスリ教会 Urslinen Kirche (1691) ウルスリ修道会は町に女子教育学院を設立
した。1736-41にアザム兄弟は聖堂と修道院の改装し、建築術・彫刻・漆喰装飾・絵
画・複合造形の特徴ある調和から、美いバロックの宝石と言われる。
旧イエズス会教会 Ehem.Jasuiten kirche (1631) イエズス会は町に定住し、1683
ゴシックの上門の聖母礼拝堂を白いバロックのスコッタ飾りの壁柱広間に改造した。
博物館 Gaeuboden Museum (1845) 先史と古代の収集物があり、ローマ出土品
・バイエルン宝石類等を展示。町の宗教芸術・歴史的文化的な展示。展示場は火薬塔
から1908に今の場所に移り、1982に2つの民家を購入して展示を充実した。
聖アンナ教区教会 | 南門 |
北門 | 北壁 |
北東壁 | 南壁 |
1184 ルキウス3世の聖ペトロ修道院の記述、1456 選帝侯テオドリックはゾーデンの塩生産、
1623 個別の地区名と二重表示、 1772 ナポレオン時代には役所が置かれた、
1814 バイエルン王国に帰属、 1856 入浴療法の開始。
1500には約1kmの周壁が確認され、大砲の発達で市壁の有効性は低下したが、
泥棒と乞食から町を守るために長年にわたって市壁は保たれた。1787新たに開口
部が設けられ、1849からは市壁は壊され始めた。市壁の構造は、両側の砂岩石積
みの間に小石が満たされていた。22012-15に北と東は元の高さで復元され、南も
保存されている。
門 Tor (15c) 北西と南中の門に高さ45mの胸壁付半円塔で守られた前門
があり、ツインガーで壁引込まれた奥に門扉があった。半円塔を含めツインガーには
銃眼が設けられている。
塔 Turm (15c) 北門と南門に胸壁付の二つの円塔が立ち、南西の隅にも円
塔がある。
古い教会・保存された市壁・門の半円塔等が注目点である。
聖アンナ教区教会 PfarrKirch St.Anna (14-15c) 砂岩切妻屋根のホール教会。正
方形正面に1789網目模様の窓付三角破風の側面塔を付けた。
農場の門 Bauernhofes Tor (1368) 壁柱上の砂岩丸アーチ門。
市庁舎 | 聖マリエン市教区教会 |
街並 |
8c カロリング朝の貴族は城・要塞教会を築いた、 1015 伯爵ベルンザールの支配、
1253 市場として初言及、1305-53 ヴィッテルスバッハ家の女性が町を承継しバイエルンへ、
1348 鉱山の発掘を開始、都市権を授与、1353 皇帝カール4世は町を取得、
1395 ヴィッテルスバッハ家のプファルツラインに移す、1425 フス派の略奪、 1436 ペスト流行、
1505-1614 オットー・ハインリヒが城を築き住む、 1614-48 30年戦争と疫病で人口半減、
1649 宗教改革導入、1656 反宗教改革、1742 墺承継戦争で仏軍が占領、
1799 ヴィッテルスバッハ家ザルツバッハー公国消滅、1806 バイエルンへ所属、1810堀・堀壁売却、
1822 大火災で南半分焼失。
13cの後半には都市権を授与され、4門と市壁を建設し、14cに都市の拡大に対
応、1420-30ほぼ五角形の市壁・壁塔・堀を確保した。
1867ホグ門、1868ベン門、1871ローズ門が取り壊され、ローゼンベルガー門は解体
後1978に代替門が設けられた。
塔 Stiber Turm (1420-30) 半円形のツインガー塔。
塔 Zwinger Turm (1420-30) 五角形の上にテント屋根の塔。漆喰石工。
塔 Gruenthaker Turm (1500) 3階建寄棟屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
塔 Falken Turm (1500) 4階建切妻屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
塔 Deyerl Turm (1500) 4階建テント屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
塔 Thumann Turm (1500c) 3階建切妻屋根・切石漆喰塗の四角い壁塔。
塔 Ehem.Bastei (1600) 半円形突出・切妻屋根の塔で殻塔として建設。
塔 Befestinger Turm (1500) 半円形の塔。
塔 Ehem.BasteiTurm (16c) 3.5階建切石漆喰塗の塔、前面が円形で丸い
穴がある。19cに再開発され、東に広げて住宅と食堂になった。
塔 Pulver Turm (1388) 旧FlankierungsTurmで、円錐屋根の円塔。1822
住居に改造。
ズルツバッハ公国の都として栄え、ゴシック地区区とバロック地区に豪華で美しい建
物が多い。ローゼンベルク通にはバロック3階建切妻屋根の堂々とした建物が並ぶ。
旧市庁舎 Altes Rathaus (14c) ゴシック3階建寄棟屋根の漆喰石工。地階
はオープンアーチの広間。
市庁舎 Rathaus (1456-70) 旧市庁舎に接続して2階建で建てられ、地
階には肉やパンの屋台が置かれ、上階には市議会や祝祭会場があった。
ネオゴシックの破風のある全面は2004に復元されている。
聖マリエン市教区教会 StadtPfarrKirch St.Marien (1355) 教区教会の後陣に
1412-88 2階建家族礼拝堂を拡張し、広間と大聖堂の間の3身廊アーチの部屋
を構築した。1526に3廊の西回廊に二つの螺旋階段を付けた。1692-96
壊れた尖塔を建て、1710-11祭壇画と祭壇がアザムによって創られた。
宮殿 Sulzbach Schloss (11c) カロリング朝時代の領主貴族が建てた城は、
バイエルンでも古い物であった。1300年を中心に拡張され造形された。1582
にズルツバッハ・ヴィッテルスバッハ家の居所となった。17c北部の翼が閉じられた。
聖ヘディヴィック修道院教会 Klosterkirche St.Hedwig (1753-55) サレジオ会修道院
の基石を伯爵プファルツ・ヨハン・クリスチャンが1753に置いた。修道院はかっての王宮の
ボールハウスの領域に1755に完成した。修道院の教会は今の形で1762-65に建
てられた。室内にはズルツバッハとローゼンブルクの二重の紋章が見られる。
文学文書館 Liter Archiv (1905) 大きなネオルネッサンスの3階建の建物は、
王室の地方裁判所として建てられ、1976解散後に文学アーカイブとなり、
ドイツ語圏の戦後と現代の文学を揃えている。
ヴァイセンベックの家 Weissenbeck haus (1487-88) 美しく保存された後期ゴシ
ックの白い3階建石造漆喰仕上の建物である。
聖エリザベス病院教会 Spitalkirche St.Elisabeth (1733-38) 病院教会聖
エリザベスとして建てられ、単純な長方形の平らな身廊と曲がった内陣が
あり、四角い2階建の塔はタマネギ帽子をかぶっている。
ラテン語学校と高校 Latein Schule und Gymnasium Ellustre (13c) ラテン語
学校は13cに建てられ、1616には体育館を併設し、重要な学校となった。
今はカトリック教区センターを収容している。
学部長室 Ev,Dekanat (1252) 最も古い部分は2階建寄棟屋根、1400に拡
張され、1829にも増築。今は福音派のDeanery。
旅館:金冠 Gasthof Zur Goldner Krone (1368) 2階建切妻屋根石膏仕上
の建物には、有名人が多く泊まった。
印刷所 Drukerei (1862) 町の印刷の伝統は1664までさかのぼる。全国的
な出版社がここに印刷所を置いた。その後会計局となり、1939-70は
地方事務所を収容した。
中学校舎 Ehem.Realschule (1706) 4階建ヒップ屋根の石造建物。
旧将校の家 Ehem.OffiziersGebaeude (1893) ネオバロック3階建切妻屋根の
バルコニィのある漆喰塗の建物。
市庁舎 | フリーゼン門 | |
上マイン門 | 高い塔 | |
エルラッハ門 | 東南壁 | |
南壁 |
915 町は中世後期の要塞を今の規模で構築。1075 初文書言及、
1200 男爵ゲラーはラーフェンスブルク城を建設、 1525 宗教改革の導入、
17c シュマルカンド戦争でスペイン軍は村を略奪、1632 30年戦争でテリー軍に全焼、
17c スイスからの移民を受入れ、 1844-49 革命に参加。
15cの市壁は、16cの終わりに更新され、ほぼ完全な3門と18塔を持つ約
0.8kmの市壁を維持している。
上マイン門 Oberer Main Tor (1573) 東上門 階段切妻屋根のある天窓付
3階建の角塔。
フリーズ門 Friesen Tor (15-16c) 東中門 半寄棟屋根と横家造の2階建て角塔
で木製階段がある。
エルラッハ門 Erlacher Tor (15-15c) 西南門 台形屋根の3階建て角塔で、橋に
つながるアーチ門がある。
東角塔 OstlicherEck turm (15-16c) 東角 狭間胸壁付の2階建て円塔で、
住宅塔になっている。
カッコウの巣塔 Kuckcknest turm (15-16c) 東上 木造寄棟屋根の部屋が円塔に
乗っている構成で、要塞の2階建て塔。
小塔 Kleiner turm (15-16c) 東中 段付き円錐屋根の円塔の切株。
円塔 Ruender turm (15-16c) 東下 尖った高い円錐形の屋根の2階建円塔。
南角塔 SuedicherEck turum (15-16c) 南東角 3階建て円錐屋根の円塔。
円塔 Runder turm (15-16c) 南右 円筒の切株。
ロシア塔 Russen Tuermel (15-16c) 南中 低い円錐屋根の2階建て円塔で、
住宅塔に改築されている。
壁塔 Mauer turm (15-16c) 南左 変形コーン屋根と横向家の3階建て多角形の
塔で、住宅として使われている。
ヨックラー塔 Jockler turm (15-16c) 西下 四角い部屋が円塔の上に乗った形。
左官屋塔 Kleiber turm (15-16c) 西下 マンサード屋根の家が円塔に乗る。
監獄塔 Gefangnis turm (15-16c) 西中 大型円塔で監獄として使われた。
壁塔 Mauer turm (19c) 西中 円錐屋根の3階建の円塔で19cに追加された。
夜警塔 Nachwaechter turm (15-16c) 西中 半寄棟屋根の正方形3階建住宅塔。
壁塔 Mauer turm (15-16c) 西上 寄棟屋根の長方形3階建ての住宅塔。
高い塔 Hocher turm (15-16c) 西上 円錐屋根に横家を付けた3階建の円塔。
ニシン塔 Turm Herihg (15-16c) 北左 寄棟屋根の3階建て円塔。
シェダー塔 Turm Scheder (15-16c) 北右 寄棟屋根の2階建て円塔
マイン川沿いの小さな町で、殆どの市壁と多くの塔が残っている。旧市街に特筆
する建物は見当たらない。
新市庁舎 Neues Rathaus (20c) 2階建の新市庁舎は20c中頃に建てられた。
前の広場はブロンズ像が飾られ、新しい建物や店舗が囲んでいる。
城ラ-フェンスブルク Burg Ravensburg (930) 1212に改築された城は、殆ど無傷で
残り、今は丘の上の四角塔の城館と城壁があり、高級レストランとなっている。
市民の家 Buergerhaus (1870) 旧学校の建物は、町博物館と現代芸術家の
展示場になっている。
市庁舎 | 聖ミカエル教区教会 |
レッツスタット門 | ヴュルツブルク門 |
羊飼門 | 北東壁 |
南壁 |
530-700 最初のフランケンの集落、 1098 フランコニアワインの村として初言及、
1154 ブドウの木の植付、 1614 教区教会聖ミカエルの完成、
1803 町はフェルディナント大公国に属した、 1814 ヴュルツブルク大公国はバイエルン王国へ、
1870 ワイン輸送は舟運から鉄道に移った、1930 ブドウ栽培農家55は協同組合結成。
市壁は16c後半に砂岩瓦礫を石工が築いた。今は北西・北東と南に見られる。
門塔は4基の内3基が残されている。
羊飼門 Hirten Tor (1588) 南東門で、王の門とも呼ばれた。地階に歩道と
車道の石積アーチ門があり、その上にL字型の木組上屋が乗っている。1984広範
囲に改修が行われた。門塔は1982からカーニバルクラブが借りている。
ヴュルツブルク門Wuerzburger Tor (1604) 南西門で、プラン門とも呼ばれた。2階
建石造アーチ門にヒップ屋根がある。1723迄守衛所には鍛冶屋が同居していた。
1751に更新され司教カール・フイリップの紋章が付けれれた。1965大きなトラックが門に引
っかかった。上階にはワインの試飲室がある。
レッツスタット門 Retzstadter Tor (1609) 北東門で十分の一門とも呼ばれた。
地階石積アーチの上に2階建切妻屋根木組の守衛詰所がある。司教ジュリアスの紋章
が付けられ、近くに十分の一税倉庫がある。19c初めまで町がリースしていたが、
今は民間の所有物である。
マイン川右岸の木組の家のある小さな町で、上階木組の門が珍しく残っている。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1579-81) 2階建切妻屋根・上部木組の突出した建
物で、地階広間はスコッタ天井や印象的な窓が特徴である。建物は1981迄市庁舎
として使われ、その後幼稚園に一時使われ、今は蔵書3,400冊の図書館である。
市庁舎 Rathaus (1697-99) 校舎として建てられ、1828に装飾で外観を整え
大幅に建物を延長した。1906学校は市壁外の新校舎に移転し、1981町は建物
を大幅に改修して1982から市庁舎として使った。
聖ミカエル教区教会 Pfarrkirche St.Micsel (13c) 1593-1603に、13cの身廊を
地下室とし広い本堂を建て、尖塔を更新した。1696西内陣、1725内装とオルガン
設置、1979-86翼廊の延長・東塔建設・祭壇献堂。
旅館:熊 Gasthof Baeren (1729) 2階建寄棟屋根の上階木組の建物。
宿屋:古い星 Gasthaus AlterStern (1617-66) 2階建不揃い寄棟屋根・上階
木組トラス
床の建物で、中庭へのアーチ門がある。
旧司教館 Ehem.Pfarrhaus (1234) 2階建石造ヒップ屋根の建物。
木組の家 Fachwerk Haus 修復され復元されて見事な木組の家が多い。
市庁舎 | クレットナー塔 |
マリア昇天教会 | 旧厩舎 |
1134 Waldsassen修道院について初言及、1364 アボット・ジョン5世は都市権を付与
16c 修道院の皇帝直属が失われた後、地域はプファルツ領主の支配下に入った、
1623 バイエルン領となった、 1689 30年戦争でスエーデン軍の略奪、
1814 町は大火災で壊滅した。
北側に市壁らしきものは有るが、確信が持てない。
クレッテン塔 Klettners Turm (1330) 南東に唯一残っている防御塔。修
道院長アボット・ヨハン4世によって、Waldsasse修道院は南指摘の端にこの塔を建て
町はそれを防御塔として使った。町の治安判事はの命令で、1529に町は塔を
2階分の継ぎ足して33mの高さとなり、火の見櫓としても使われた。名前の
由来は1615から長い間塔に住んだ家族の名前から来た。1972からは人は住ん
でいない。
チェコ国境から数kmの距離にあり、森と湖の近くにある小さな町で、南に角塔
がポツンと立っている。
町役場 Rathaus (1582-83) ルネッサンスの一部出窓付3階建で建てられた。長い
間マルクト広場の中央に立っていたが、交通緩和のため広場の西の家並みに移さ
れた。1814大火時にルネッサンスの出窓のある主面だけ残り、1583市長の紋章が付
けられその後修道院とプファルツの紋章も加えられた。
マリア昇天町教区教会 StadtPfarrKirche Maria Himmelfahrt (1299)大きな
ゴシックの教会で、1519の祭壇が有名である。1475・1814に火事と戦争で壊され
再建され、1723に高さ46mの南塔が付けられた。未だにゴシックのコワヤであるが
残りの建物はバロックになっている。
ファティマ教会 Fatima Kirche(1855) 聖クニグント修道院の教会として建てら
れ、1957にナオゴシックに改装され、1987にオルガンを改修した。
博物館 Museum Quartier (1938) 元修道院の建物に水関係の博物館とし
て釣博物館・観光案内書・池と回廊庭園がある。博物館には、磁器・魚養殖・町
の歴史・ベビーベット・池と庭・言語の6テーマの展示がある。
市庁舎 | 北門 |
南門 | 北壁 |
西北壁 | 南壁 |
南西壁 | 市広場 |
城 |
788 ザルツブルク州の商品記録簿に初言及、1234 ザルツブルク大司教は貿易特権付与
14c バイエルンではなくザルツブルクの地域として裁判、15c 村は主として農産物の貿易、
17-18c 彫刻・絵画・建築・作詞・ロウ細工等の芸術が栄えた、1810 バイエルンの支配下。
市壁は14-15cの構造を、ほぼ保持している。大きな等辺三角形は旧市街地と城
を取り囲む。西側の頂点に城のある城山が位置し、途中の市壁は定かでない。
城家門 Burghauser Tor 北門 3階建てゴシックの角塔で、両側に歩道。
走る門 LaufenerTor 南門 5階建て時計付きのゴシックの四角門。改修済。
壁塔 角の四角塔や中間塔が3塔見られる。
広いStadtPlatzが中心にあり、門塔のある市壁で囲まれた小さな町で、丘の
上の城には多くの興味ある博物館がある。
市庁舎 Rathaus (15c) 1771にイタリア風の金の屋根状の出窓のある4階建鐘
楼付の壮大な前面に、ローマ皇帝の胸像を飾った。
城 Burg (12) 丘の上のかっての宮殿で西側からのみ跳ね橋で入れる。
地元の貴族が建てて住んだが、ザルツブルク大司教が1234要塞の城を建て、裁判
所と郡事務所を置いた。1324バイエルン王ルードヴィッヒによって占領され。 3年後に
ザルツブルクが買い戻した。1611塩戦争で被害を受け、ザルツブルク大司教により礼
拝堂を追加して再建された。1816バイエルン領となり、城は民間の手に渡ったが
1851にバイエルン州が買上げて1910歴史博物館となり、一時捕虜収容所となった
が、1953博物館が再
開され製革博物館とRuoertiwinkel博物館が加えられた。
町広場 Stadt Platz (1234)長さ300mの台形の広場で、北側60.3m南側
30mの幅がある。1571火災の後、イン・ザルツアッハ様式で再建された。17-19にバロック
や新古典の前面が生じた。
聖ラウレンティウス教区教会 StiftsPfarr Kirche St.Laurentius (1198) 初め女
性修道院建てられ、ザルツブルク司教館の特権を得て維持された。1410定礎、1514
内陣円天井、1534塔着工、1571火災後バロックで再建、1815内装と塔が焼け新古
典で2脇祭壇を付けて新古典で再建された。
万聖節教会 Kirche AllerHeiligen (1681) アウグスチン修道会の旧修道院教会
でマックス・ガンドルフ大司教がザルツブルク様式で建て、金・白・黒の色が支配的で院は
1806に世俗化で解散され、兵舎・刑務所・国民学校となった。
市庁舎 | 市壁 |
上門塔 | マルクト広場 |
ヤック搭 | 聖オズバルド市教区教会 |
郷土館 |
13cの市壁は、2門を備え広い市場を囲んで、長円形の市壁が築かれた。17cの
風景画によれば、右に城、左に要塞があり、前面に門がある。
市壁が残るのは、Schaumburger Str.6.8.29に20mと、東南部に建物の後部と合
わせ30mである。
アウベルク門 Auberg Tor (1824) 2本の四角い門中の上にライオンが座
っている。
ジャックル搭 Jackl Turm (1548) 1764と1851の火災で損傷し、1764に修理した
が1851の火災で取り払われた。156年後の1998-99に、広場整備に合わせて7階
建ての門塔が再建された。
上門塔 Brothers Turm (1541) 上門またはミュンヘン門塔とも呼ばれ、1541に取
り壊されて再建された。17c後半に、地階アパートを備え、18cに拡張され
た。今は郷土博物館のレンガ造の建物。
市庁舎 Rathaus (1857) ネオゴシック3階建の建物で、前面は1947-49 に縮
小され、1990年代後半に、前面は改造された。3階に3角形の出窓がある。
聖オズワルド市教区教会 Stadt Pfarr Kirche St.Oswald (12c) 始め中規模の
後期ロマネスクとして建てられ、1690ギャラリィが建てられゴシックで再建された。
1704と1851の大火災で損傷し、1772に高祭壇で完成した。1851の大火災で塔
の屋根と聖歌隊の金庫が壊れ、教会内部は1855に復興された。1885主入口と
塔が建設された。2018からは大規模に改装された。
カフェ要塞 Cafe’Festung (1816と1828) 3階建寄棟屋根の建物で、後部に中
世の市壁を含む。
住家と店舗 Wohnhaus und Geschaeftshaus (1876)3階建の木骨造の建物で、
1904に増築され再設計されて、アールヌーボーの絵画が前面に描かれた。
マリエンストック Marien Stock (1630) 3階建の細長いマンサード屋根の建物で、元は
製塩所のアパートであった。1926に同じ形で西に延伸された。
旧製塩所 Ehem.Sulzmuhlstadel (1870) かっての5つの鍋の背後にある平
屋のレンガ造の寄棟屋根の建物。
元カプチン会修道院教会 Ehem.Kapuziner Kloster Kirche (1687-90) 1803に世
俗化されて、穀倉として使われ、1857学校の教会となった。1978に再び世俗
化され、1986市が購入して市立ギャラリィとした。
市民の家 Buerger haus (1777) 3階建の高層階は片持ち梁の上にあり、壁
画には1777の年号がある。
元地方裁判所 Ehem.Land Gericht (1853-54) ビザンチン様式の前面と翼を備え
た3階建の建物で、1990に市庁舎の拡張に含まれた。
元王家中央塩事務所 Ehem.Koenigliches Haupt Salzamt (1852-53) 前身のバ
ロックの建物を使用して復元された3階建の建物で、1990の市庁舎拡張に含まれた。
カトリック教区事務所聖オズワルド Kath.Pfarramt St.Oswald (1851) 2階建寄棟屋根
の建物で、中央部は1907にゴシックで突出した。1914に北側は近代化された。
ヴュルツブルク門内側 | ヴュルツブルク門外側 |
アンスバッハ門内側 | アンスバッハ門外側 |
市民塔 | 西北小門 |
射撃塔 | 西南塔 |
拷問塔 | 西角塔 |
北壁 | 東壁 |
1103 初文書言及、1349 ホーエンローエ家の貴族は皇帝カール4世の都市権を保持、
1378 ホーエンローエ家からニュルンベルクの城伯に売られた、 1792-1806プロイセン領、
1806 バイエルン王国の支配下となる、 1945 2次大戦で被害。
市壁は、南と北西部以外で半分以上が残っている。1481堀に養魚場設置。
ヴルツブルガー門 Wurzbuger Tor 門塔は1696に頑丈な上階を完成させ屋根は
スレーット覆いの5階建て前門付四角塔。通抜け門の上にツオーレルンの紋章と1583
の年号のある銘版石がある。
アンスバッハ門 Ansbach Tor 5階建ての四角塔。1746-47に拡張・更新され、新し
い屋根を得た。
市民塔 Buerger Turm 北に置かれ、高く細っそりした化粧のない切り石の円塔
で、銃眼窓と円錐屋根がある。深い地下には牢があったが入れない。
急速塔 Schneller Turm 南東、
拷問塔 Folter Turm 東南、
町長塔 Schuzen Turm 南西、軽い張出上階と風見鳥のある8角形の角錐屋根の
荘厳な円塔。1909徹底的な改築。
ハインリッヒ塔 Heinrichs Turm 北西角、ここの市壁はよく保たれ、要塞に地下牢が
ある。1739壁に切れ目が造られ、壁に小さな家が並んでいる。
多くの門や塔のある市壁の一部が残り、旧市街地には多くの木組みまたは石造
の多くの古い建物が残っている。
市庁舎 Rathaus (18c) アンスバッハ建設事務所の設計に沿って建てられた市庁舎
は、1945に全壊した。原型に複製され、50年間職業学校として50年間使われ、
1974に町の行政共同体の場所となった。
宮殿 Schloss ホーエンローエ家は元の水城の位置に大きい城を建て、1378にツオーレルン家
の城伯に城を売った。1462焼け落ち次の年に再建された。1737-52に大規模
な北翼の拡張が辺境伯アンスバッハ建設事務所の指揮下に行われた。
今は税務署として使われている。
病院教会 Spital Kirche (1360) ホーエンロー家が礼拝所のある病院を設立した。宗
教改革でも病院の司教は、助祭として保持された。1691病院教会のそばの
倒壊寸前の2つの塔は新しく取り換えられた。1881塔前面に切妻壁が付けら
れた。1914大改修が行われた。中には、18c祭壇・1610説教壇・1720オルガン。
鋏館 Scheren Hof (1571) 中フランケン風の木骨造りの家。近年改修された。
切妻飾り六角塔が付いている。今はレストラン。
郡事務所 OberAmts Kanzlei(1702) アンスバッハ辺境伯が行政の館としてたてた。
今新しい部分には、Gollach Heimart museumを収容している。博物館に
は、町と手工業の歴史を展示している。
税関 Zoll Haus (1719) 1923まで舗装税を徴収していた。
旧市庁舎 | 北の町門 |
守衛塔 | 南東壁 |
東壁 | 南西壁 |
1117 城フェルブルクの初文書言及、 1217 ヴィッテルスバッハ家の所有、
1217-1452 バイエルン公国へ割当、 1505 プファルツ・ノイブルク新公国へ割当、
1507 帝国騎士ゲオルク・ヴィスペックは城と街を受領、
1574-1808 プファルツ・ノイブルク公国のフェルブルク教区を設立、
1410.1540.1533.1574.1644 大火災、 1564.1574.156-86.1713 疫病の流行、
1803 退職庁後に税務署の設立、 1862 バイエルン州は地方事務所を設置。
13cの石灰岩や砂岩の市壁は、1410に更新された。東と北に壁は残る。
北の町門 Nordlicher turm (14c) 2階建寄棟屋根の門塔は地階にアーチ
通路上階は守衛住居であった。14cの守衛詰め所があり、門の東西に2階
建木組フランケン造の建物が配置されている。16cに前門が付けられた。
守衛塔 Stadtwache Trum (13c) 3階建円錐屋根・壁スリットのある円塔。
森林の中にある歴史的な小さな町で、木組の家も漆喰が塗られ、火事の
多さが影響している。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1863-65) 2階建切妻屋根の建物で、前面ギザ
ギザの装飾的な模様がある。今は郷土博物館である。
聖ヨハン・パプティスト教区教会 Pfarrkirche St.Johann baptist (13c) 1574ゴ
シックの塔と通路、1717-21石造右身廊が造られた。1754の火事の後に3身廊
広間教会が再建され、タマネギドームと内陣が付けられた。
旧奉行所の建物 Ehem.Magistrats Gebaeude (17c) バロック2階建切妻屋根
の建物で中央にベイスタンドが付いている。
旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehentstadel (16-17c) 3階建切妻屋根の建物
で、アーチ開口部がある。今は老人施設。
市民の家 Buergerhaus (1651) 2階建切妻屋根の建物で、階段と床張出
がある。碑文版が見られる。
城跡 Burg Ruine (1127) ヴィッテルスバッハ家が城を建て、17c中から解体さ
れ、壁の一部・北門の基礎・天守閣の一部がある。
都市農民の家 Acherbuerger Haus (18-19c) 2階建切妻屋根の建物で、
バロック門のある中庭の壁がある。
旧薬局 Ehem.Apotheke (1876) 型ぐるしい2階建マンサード屋根の建物で石
膏仕上で角突起がある。今は貯蓄銀行である。
内構 | 入口 |
外構 | |
1406 帝国都市ニュルンベルクはフレデリック2世のリヒテナウ城を買って、前哨要塞とした、
1449 1次辺境伯戦争でアルブレヒト・アクレスは城を奪った、 1453 取り戻した、
1553 2次辺境伯戦争でアルブレヒト・アルシビアデスは明渡された城を完全破壊、
1630 ニュルンベルクはその復旧に取掛ったが長期間要した、 1631 政府軍に明渡、
1688 ルイ14世の仏軍に降伏したが要塞は破壊された、 1734 防衛施設建設、
1806 バイエルン王国に属し、砦は刑務所となった。
要塞の南に市壁で囲まれた町があった。町の防衛施設は1734-36に自然石積
で築かれた。両方の門は残され、ツインガーは部分的に上部工を備えた。
上門 Oberes Tor (1749) 南門。2階建腰折屋根の四角い構造である。
下門 Unteres Tor (1763) 北門。両側に立柱のある2階建腰折屋根構造。
西塔 West Turm (1724) 4階建の四角い西塔は、ルター教区教会に立つ。
要塞塔 Festungs Turm (16-17c) 要塞近くに高い4階建の円塔。
要塞リヒテナウは、ルネッサンス建築の輝ける作品であり、要塞造り軍国主義の完成
時点に相応しい。
司教館 Pfarrhaus (1636) 2階建寄棟屋根ドッシリした自然石造の建物。
18cに改造された。
新教ルター教区教会 Ev.Lutherische Pfarrkirche (1724) 聖三位一体教会
は、高い西塔のある広間造の建物で、クリトフの副室がある。
宿屋 Gasthaus (1653) 2階建切妻屋根の大きな木組の家。
住家 Wohnhaus (18c) 2階建腰折屋根の木骨造の家。
要塞施設 Festung Anlange (1558-1630) 堀・前面傾斜面・高い円塔のあ
る側翼宮殿・中庭を囲む3砲塔等が残る。
市庁舎 | マルクト広場 |
上門と病院教会 | 旧シュタムラー旅館 |
1000 この村を初言及、13c ヴィッテルスバッハ家は市街を整備・架橋・税関設置、
1308 初めて市場町の権利を得た、 1340 橋前の市場は門と周壁で防御、
14c後半.1504 大火災と戦争被害で壊滅、 1648 ペスト流行で人口減、
1760 ガイゼンハセン救護局が移って来た、 1818 バイエルンの行政改革で自治体へ、
1862 郡地方裁判所と公証人が置かれた、 1929 市場町は正式に町を宣言。
グロッセエイルス川の北の旧市街地にある15c馬蹄形の市壁は、上門の西に50m残る。
上門 Oberes Tor (15c) 旧市街地の北端に八角形の鐘楼を建てた。
1540にフードやランタンをつけた。15cの四角い基盤の上に4階が継ぎ足された。
旧市街地の中心Stadtplatzには、主に16-17cの中世からバロックの3階建で
あったが、1886-1914ネオバロックやネオゴシックの建物に建て替わっている。
新市庁舎 Neues Rathaus (1903) ネオルネッサンス3階建切妻屋根の建物で、
1903-05は市民の家だったが、1968からは市庁舎となった。
旧会計局 Ehem.Rentamt (11897-98) ネオバロック3階建寄棟屋根の左右対称
の建物。
市民の家 Buergerhaus (1683) バロック3階建木製バルコニィ付きの家。1717後
期ゴシック・1890歴史主義に、前面を改修した。
旧病院教会聖三位一体 Ehem.Spitalkirche Hl.Dreifaltigkeit (1400)後
期ゴシック・の隅塔3ベイを備えた台形ホールの病院教会。1476-77に2階建切妻屋
根1923-30内装改修。今は歴史博物館。
旅館 Gasthof (18c) 2階建切妻屋根・角地の長い建物。1983に再建。
マリア昇天教区教会 Pfarrkirche MariaeHimmelfahrt (1404) 広間教会で奇
麗な屋根 に西塔、内陣は古く後にバロック化した。1850塔にフードを付けた。
奇麗な屋根はゴシック化された。
牧師館 Pfarrhaus (1718-20) バロックの高いテール切妻2階建切妻屋根の家。
カプチン会修道院 Kapuziner Kloster (1827) 2階建切妻屋根の司教の家。
1851両翼に個人礼拝堂。
巡礼教会マリアヒルフ Wallfehrtkirche Mariahilf (1832-36) 階段の大聖堂、
1870通路、1874階段テラス、1880-85塔、1897-98西に教会を拡張、大規模改修
とネオロマネスク化。
住家 Wohnhaus (1903) 3階建切妻屋根の円アーチ破風とスコッタ。
市民の家 Pfarrhaus (16-17c) 2階建切妻屋根、1830-40前面扉。
住家と商店 Wohn nd Gaeschaefts Haus (1903) マンサード屋根に歴史主義のファサード。
市庁舎 | 聖アギディウス市教会 |
下門(鳥塔) | ハフナー門 |
フィルス塔 | 南外壁 |
南内壁 | 北東壁 |
930 城の建設、 1104 皇帝ヘンリー4世は城を破壊、
1185 最初の文書言及、 1188-1268 スタウフ家バンベルク司教は村を譲渡、
1190 新城と町の建設と成長、1269町に、1269-1802 バンベルク司教は町を支配、
1332-80 堀・周壁・3門・17塔と強化、 1380 バンベルク司教は町の紋章を授与、
1512 城は略奪や攻撃後に燃やされた、 1552 市庁舎など多くが焼失、
1620.1624.1634.1672 30年戦争の略奪、 1634 疫病で人工急減、
1745-65 バンベルク代表司教は城に住んだ、 1803 世俗化によりバイエルン王国へ、
1864 大火災で多くが焼け落ちた、 1909 大洪水で水没。
郊外は含まず。1332-1380に不規則な5角形の周壁は強化され、高さ9m・厚
さ1.8m・940mの市壁と堀の前に13の塔と4門が設けられた。1430に市教区教会外
側に墓地壁80mが設置され、16c西の外に郊外が設けられHafnerTorが置かれた。
上門 Oberes Tor (1375) 養魚池門とも呼ばれる旧正門、5階建塔ピラミット屋根
・石造漆喰塗で、バンベルク本山司教と司教ランバートの紋章が付られ、1436に町の
養魚場が設置された。1740に3階建の擁護局事務所が門の北側に置かれた。
1765-1802事務所は切妻屋根漆喰仕上で更新された。
黒門 Schwarzes Tor (11c) 旧上門であった。その11cからの構造の残りは黒い塔
と呼ばれ、1332-80の第1期防壁の位置にあり、新たな防衛施設に含まれた。
1767までにラウレンティウス修道院が取付けられた。
下門 Unteres Tor (1466) 鳥塔とも呼ばれ、5階建石工漆喰仕上半腰折屋根の市門
として市壁に組込まれた。1568に2階建切妻屋根の前門が取付けられた。2000
改修後ドイツ最初の「塔守博物館」となり、オーパープハルツの塔と塔守の歴史と文
化を説明している。
要塞塔 Wasion Turm (14c) 町の防衛施設の一部を形成し、1630迄塔に塔守の住居
があった。塔の東側にはバンベルク領主司教とマインツ侯爵の紋章が掲げられ、今は
紋章は塔守博物館に展示されている。1905交通障害で壊され、今は路上の
印と門柱がある。
ハフナー門 Hafner Tor (16c) 塔の名前は製陶所から来た、2階建切妻屋根の荒石石膏
塗の塔で、東側に鍵と銃口がある。西側にバンベルク本山と選帝侯の紋章があ
る。
広い旧市街地には、城・教会・門・塔・大きな建物など中世の面影が在るが、
グラーベン通の近代的な施設は統一性に欠ける。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1380) 3階建切妻屋根の建物で、マルクト広場の中の北に広
くなった所に建てられ、開催などで何度か立て直された。今の市庁舎は
、マルクト広場中ほどの東に大きな窓で建直された。
城 Burg Dagestein (12c) 周壁で囲まれたロマネスクの要塞で、天守閣からの展望は素
晴らしく、2階には絵画ある。今の建物は十分の一税倉庫と共に17cに改装さ
れた。城は東フランンクの要塞の一つで、代表的な門システムがある。1803から町は
バイエルン王国に属し城も所有したが、今は町の所有である。
税関 Zoll haus (17c) 平屋寄棟屋根石造漆喰仕上の建物が、前例に従って建てた。
関税手続は滞在を必要とし、近くに宿屋や食堂が置かれた。今でも「税関
ホテル」や「税関カフェ」がある。
城牧場 Baeren Hof (1591) 2階建切妻屋根と荒石漆喰造の旧城牧場であった。この
牧場は1830迄特権を保った。
市民病院 Buerger Spital (1475) 2階建ヒップ屋根の石工漆喰仕上の病院であった。
1725に新しい病院の建物が建てられ、1858に改造され後ろ壁は旧市壁に取り
付けられた。
旅館:小鹿 Gasthof Zum Hirschen (1577) 前面は歴史的な絵画で飾られた2.5階建寄
棟屋根建物で、十字陵丸天井が中にある。
なめし皮工の家 Rotgerber Haus (1404) 都市在住農民の家には16-17cの年号がある。
なめし革工は1531-1914にここで作業を行った。
ヴュンネンベルクの家 Wuennenberg haus (1598) 2階建切妻屋根の映画館で、豊かなルネッサンス
とバロックの豊かな前面装飾がある、18-19cの石工漆喰の建物にはロスナー家のバラ
を模様化した紋章が付いている。1632にはスエーデン王グスタフ・アドルフがここに泊
まった。
パン屋:ミッシェル Baecker Michl haus (1603) パン屋ミッシェルは1698にハマー家の所有となった。
見所は漆喰の窓枠・円アーチ入口・バロックの化粧漆喰。今エリザベス・ハマーは、5下宿
を経営している。
聖アギディウス市教区教会 StadtPfarrkirche St.Agidius (1407-12) 市教会はロマネスク
の身廊にゴシックの塔とゴシックの内陣を持っていた。1520翼祭壇の木の浮彫・1752
内陣のバロック化、この時代に身廊は新しい姿になった。2013大火災で焼け、
2015再建された。
旧司教館 Ehem.PfarrHof (15c) 建て増された聖堂付き牧師館は、1805から私的所
有物になった。
旧カプチン会修道院 Ehem.Kapuziner Kloster (18c) 1725-1803に修道院は存在した。
1985の新築は、今も市図書館と公文書館である。
旧オルガン奏者の家 Ehem.Organisten haus (16c) 旧パイプオルガン演奏家の家は、今も古
い部分が残され、ゴシックの砂岩の建物は中世の市壁を取込んでいる。
旧旅館 Ehem.Gasthof (17c) 旧旅館は1792に個人所有となり、帽子仕上屋が住んだ。
バロック2階建砂岩造の家。
染物屋 Faerberhaus (1825) 2階建の建物は、1948の火事の後に新しい屋根組となっ
た。
市庁舎 | 町通 |
市塔 | 西壁 |
南壁 | 北東壁 |
776 修道院モントゼーに初言及、 1100 パッサウ司教区なった、
1206 オルテンブルクのヘンリィ1世は町に昇格、 1236 町を整備、関税人・裁判官存在、
1241 バイエルン公オットー2世は町を支配、1300 パッサウ司教の領地へ国境関税徴収、
1320 ドナウ川の雪解け洪水、市壁の改修、1345 皇帝ルードヴィッヒは都市権授与、
1470 市場の日を授与された、 1504 ランツフート承継戦争では町は守られた、
1509 バイエルン公ヴォルフガングは市場権を確認、 1595 3.3mの最大雪解け洪水、
1627-28.ペスト流行、1634 黒死病流行、 1643 カプチン会は修道院に定住、
1745 墺承継戦争で町西部を焼失、 1794 旧市街地は大火災で損傷、
1802 パッサウ司教座世俗化により国境消滅、 1813 旧市街地中心で火災。
ドナウ川の右岸に、東の12cからの最古の集落と西の1206上前町の二つ
の旧市街地を市壁で囲み、二つの橋と橋頭保も守られた。
残っているのは、東の集落の市壁のみで、北東と南西の内側壁である。
市塔 Stadt Turm (1644) かっては1329マルクト広場を守る西側の上門
で、1543老朽化して1643-47に再建された。バロック9階建南欧風頭巾のミュンフェン
聖母教会の石造漆喰塔の様式。2001防火上外部階段を鉄製にした以外は、
床・壁とも原型に復元された。
1794の大火事の後に、建設または補修された家屋が殆どである。旧市街
地には、3-4階建の大きな建物が立ち並んでいる。丘の上の大きな建物は、
新しい大駐車場である。
旧市庁舎 Altes Rathaus (16c) 4階建隅棟屋根の建物で、1927火災後新
たにアーチ通路が付けられた。
市庁舎 Rathaus (14c) 1378に聖ヨハネス大学の事務所として建てられ、地
上階に倉庫があった。1577建物を取得して旅館を開業、1586-90所有者は
市長だった。1671梁に「金の鹿」を記入。1794建物の前面を改装ゲストハウス
として繁盛した。1987市が所有して改修し市立病院となり、2004更に改造
して市庁舎になった。
商家 Geschaefts haus (16c) 3階建隅棟屋根の建物で、19cに前面のみ改
修された。
宿屋:金の牡羊 Gasthaus Zum GoldenRamm (16-19c) 3階建半寄棟屋根の
建物で、1794前面と屋根を改修。
ヴィッテルスバッハ税関 Wittelsbacher Zollhaus (16-17c) 大きな四辺形の建物
は、19cに拡張された。東南と北西に3階建腰折屋根のZollhausがある。
市教区教会 Stadt Pfarrkirche St.Johannes der Taeufer (13c) 初の
ロマネスク教会の塔基礎部が残る15cのゴシック教会は1794の火災で崩壊し、1803-
04後期バロックレンガ造の簡素な今の教会となった。内装は派手なバロックで世俗
化で廃止となった修道院から宗教画・彫刻・オルガンが持込まれた。
旧市民病院 Buerger Spital (16c) 3階建寄棟屋根の東館から南翼を伸
ばしている。南翼は3階建切妻屋根の建物で1794に補修された。
市庁舎 | 旧養護宮殿 |
ウルリッヒ・シュタイン広場 | 城壁 |
小ドナウ門外 | 小ドナウ門内 |
895 城丘上の大きな要塞農場に言及、 911-1081 バイエルン貴族が城に常駐、
1104 ドイツ帝国ハインリッヒ4世は城を破壊、 1204 ヴィッテルスバッハ家が町を整備、
1316 バイエルン公の死後相続争いで城を破壊、 1414 バイエルン公エルンストは城を再建、
1641 30年戦争で住民は森やインゴルシュタットに逃れた、1704-15 墺軍が町を占領、
1809 ナポレオンが城に滞在。
城壁(13c) ほぼ完全に470mが保全され、高さ8mの石灰岩切石積の城壁で、
1986-90に改修された。市壁(15c) 今は、僅か跡石が残るのみ。北・西・南の3門
は残った。
大ドナウ門 Gross Donau Tor (1471) 北に2階建切妻屋根の石造漆喰塗の門で19
80バロクに改造。
小ドナウ門 Klein Donau Tor (1471) 南に3階建切妻屋根の石造漆喰塗の門で、20
08に改修されて町の文書館である。
大雷鳥門 Auer Tor (15c) 西に3階建切妻屋根の門で。かっての周壁の第3要塞で
あった。1627の落雷など何回か損傷を受け修復された。
小高い丘の上に城壁で囲まれた城が立ち、麓の北から東へ旧市街地が広が
る。3門はあるが市壁の位置は分からない。
城山 Burg Berge (10c) 小高い山頂に895迄守られた大きな農園があった。911
から城が築かれ、損傷・拡張・再建繰り返した。
旧養護宮殿 Ehem,Pfleger Schloss (1721) バロック2階建マンサード屋根石造漆喰塗の
宮殿で、1799役所は解散された。1884フランシスコ会の病院に改造され、1959
養老院になった。
城 Burg Tor (13c) 2階建の玄関門で、15c再建された。1891の火災後屋根と切
妻屋根の入口アーチを作った。1477にバイエルンの紋章が付けられた。
聖ペター教区教会 Pfarrkirche St.Peter (1697-98) タマネギドームの細みの西塔のあが
が広間教会である。1820-23内陣を拡張した。1980-83に補修されて、塔は
4m・4m・高さ28mで鐘は4基ある。
フンガー塔 Hunger Turm (13c) 12mの高さの円塔。
給水塔 Wasser Turm (1959) 2009まで飲料水を配水していた。水槽は9m・9m・25m
の大きさ。
市庁舎 | 聖ヨハネス教会 |
マルクト広場 | 東南壁 |
南西壁 |
1126 バンベルク司教オットーはこの地に教会聖別、 12c 伯爵スタウファーに属すした、
1189 シュタウフ家の私有財産となった。 13c 初市場システムの設立、
1212-42 一時ボヘミア王が所有、 1268-69 婚姻でニーダーバイエルンへ、
1378 都市として初言及、 1503-05 ランツフート戦争後フォーヘンシュトラウス家に割当、
1587 侯爵フレデリックの治世に町は繁栄、 1614 プファルツ・ズルツバッハの市場に、
1777 バイエルンへ統合された、 1870 大火災が発生。
9cの市壁は殆どに残っていない。
見当たらない。
広く長いマルクト広場があり、その周りには2階建の建物が並んでいる。
市庁舎 Rathaus (1909-11) 3.5階建・地階はアーチ窓で上階窓には緑のブラインド
付いている。中央破風と時計が前面にあり、切妻屋根の頂上にはタマネギ頭
の鐘楼とコウノトリの巣台がある。
フリードリッヒ宮殿 Schloss Friedrichsburg (1586-93) プファルツ伯フリードリッヒが建て
た風格あり美しいルネッサンスの宮殿である。4階建尖った円錐屋根の5円塔に
囲まれた、3階建装飾的な切妻屋根の大きな宮殿である。
聖ヨハネス教会 Ev.Kirche St.Johannes Baptist (1124) 13cにゴシックのコアは、南
側に内陣と塔を引込めた。5階建の四角塔には時計がある。
ルター市教区教会 Lutherische StadtPfarrkirche (15c) 1417には記録に記載が
ある。宗教改革導入後のルター派は1542に教会とした。1515にローマカトリックの
教会となり、30年戦争後1649には再びプロテスタントとなった。1652-1928
は超教派教会として使われた。1703と1839に焼失し、1845に外見は元
通りに再建された。カソリック派は1929新設のマリア教会へ移った。
マリア・カソリック教区教会 Kath.Pfarrkirche Maria Immacelata (1927-29) 新しい
カソリック教会が1929に献堂された。高さ44mの角塔にはタマネギ帽子が付けら
れて完成した。
郷土博物館 Haimat Museum 文化博物館として、昔の住居・作業所・ガラスと磁
器・農機具などの展示。
宝石博物館 Edelstein Museum 3000点の世界の宝石を展示。
市庁舎 | 上門 |
下門 | 西南角塔 |
西壁 | 聖バールトローメ市教会 |
宿屋ベ-リンガー | ソマーアッハー門 |
903 フルダ修道院の進出、 906 王ルイ4世は入植地を開発しワイン生産、
1254-58 皇帝は都市憲章を付与、 1258-1520 ヴュルツブルク司教とカステル伯爵の支配、
1520 ヴュルツブルク司教の支配下に、 1525 農民戦争で町は略奪ちされた、
1540-1600 豊かになり市壁を建設、 1631 30年戦争でスエーデン軍の占領、
1806 ナポレオンの支配、 1814 バイエルン王国へ帰属。
1945 2月空爆、4月占領。
14-15cツインガーと市壁の強化、16-17c市壁の補充・補強。西側に残り、下塔か
らの市壁の保存は、時計回りに進められている。
上門 Oberes Tor (13c) 門塔は、1597に改築されツインガーと側面防御塔
が備えられたが1875に壊された。13cに塔は監獄として使われ、泥棒塔とも
言われた。入口の上には領主司教ユリウス・エクターと町の紋章が掲げられた。1871
2階建の ツイガーは壊され、1911門衛所が建てられた。
下門 Unteres Tor (13c) 高さ15mの角塔で16cに改築された。中アーチの上の
砂岩版には1579の年号と市長などの名前が記されている。左の洪水位の印
は、1784.1.28の雪解け水で、1909.12.6までは最高洪水位であった。門の外
には漁夫の集落があった。
マリクト・門塔・古い建物は、それぞれに見栄えのする雰囲気のある物が多い。
市庁舎 Rathaus (1544) 今の建物は1544に建てらた、外階段に張出窓付の
木組2階建の建物であり、評議会事務所・集会所・裁判所を収容し、地階は取
引場所であった。19cには学校としても使われ、1972建物近代化された。
聖バルトローメス市教会 Stadtkirche St.Bartholomaeus (1413-1512)古い聖ゲオルグ
教会に場所に1413内陣、1472中堂、1512高さ54mの塔、1559ルネッサンス洗礼盤など
の内装、18cバロックの祭壇とロココのスコッタ、2006-08大改修が行われた。
フランシスコ会修道院 Kloster der Franziskanerinnen (1858) カロリング朝の代官の
館の上にフランシスコ会が建物を建て、1896-1942全寮制高等女子学校となり、1845
少女実業学校として引き継がれた。
旧ラテン語学校 Alte Latein Schule (15c) 木組み2階建の建物で、16cラテン語学
校、19c中までは若者の宿泊施設となり、今は教会堂守の住居となった。
会計局 Rentamt (16-17c) ルネッサンスの切妻の2階建で、昔はヴュルツブルク聖堂参事
会の聖職者会議場と十分の一税ワイン貯蔵所であった。その後バイエルン王の会計局・
警察署となり、今は商店として使われている。
旧ヴュルツブルク・ワイン事務所 (18c) ロココの領主司教のワイン事務所、19c王立郵便局
となり、今は商店になっている。
バロック大倉庫博物館 (1714) 2003人目を引くマンサード屋根の大倉庫で、博物館
として、町の模型・町の歴史・ワイン醸造・1716からのフランケンワインの瓶・手すき紙の作
業所等が在る。
市民の家 BuergerHaeser (1574) ガストハウス・ベーリンガーとして建てられた美し
い木組の3階建ての建物でマルクト広場に立ち、1892にガストハウスとして改築
された。
マルクト広場南 | マルクト広場北 |
聖ペーターとパウロ教会 | 南門 |
外科医の家 | 東壁 |
西南壁 | 南壁 |
東北壁塔 | 市壁 |
1203 村の存在を推測できる、1212 パッサウ司教が所有し町・市場を形成
1460-70 領主司教は市壁を建設、 1492 大火災が町を襲った、
1862 大火災で140戸を焼失、、 1945 砲撃で48戸を破壊。
領主司教ウルリッヒは、防備を進めさせ、1470には10防御塔・2市門・大砲
を整備した市壁を完成した。1720の最古の絵画には、防衛強化のために
部分的に再構築されている。今は西南と東北に市壁が残っている。
上門 Oberes Tor (15c) 市壁の最高点に立ち、1862の大火災で大障害物で
ある事が証明され、1865に取壊され、所有者には1200グルテンの補償がな
された。
下門 Unteres Tor (15c) 1637には多色の石の紋章が、隣の家の側面に付けら
れた。これが最古の町の紋章である。下門には塔守の住居と監獄があっ
たが、1862の消火作業の大障害となり、その後分解された。
カプラー塔 Kapler Turm (1460-70) 10の防衛塔の一つとして建てられた円塔で、
1803から領主司教の市場裁判の監獄が、塔に設けられた。その後住居
目的で多角形に改造された。
円塔 Rathaus (15c) 円塔は住居目的で拡張され、上階は多角形。
円塔 Rathaus (15c) 住宅目的で改造された。
円塔 Rathaus (15c) 住宅目的で改造された。
四角形塔 Rathaus (15c) 市壁の残りの部分を使って、1830に民家を拡張。
円塔 Rathaus (15c) 住宅目的で改造された。
チェコとの国境に近い山間部の標高472mの小さな町で、1862と1945の
火災で古い建物は少ない。
市庁舎 Rathaus (1907) 旧修道院と女子学校校舎の3階建寄棟屋根北西に中央
投影の建物を1985-86に新バロック市庁舎に改造。
聖ペーターとパウロ教区教会 Pfarrkirche St.Peter und Paul (1586-93)ネオゴシックの
3廊柱式聖堂と先細りの細身の塔がある。1945の戦災後に調度と共に再建
された。
カトリック教区司教館 Katholische Pfarr Zentrum (17c) 2階半の切妻屋根の建物
で、19cの火災後に石膏仕上げで再建された。
旧男爵の家 Ehem.baron Haus (19c) 2.5階建切妻屋根の建物で、中央門は擬
古主義である。
旧簡易裁判所 Ehem.Amtsgericht (1862) バイエルン司教となり、執行と裁判は分
離され、この町に簡易裁判所が建てれた。1975に解消され、1977-86に
は市庁舎として使われ、1986には労働代理店を収容した。
外科医の家 Steinflger Chirung (18c) 1762にパッサウ生まれの外科医カスパーは薬
師特権を与えられて招へいされた。1835まで弟子達が外科医としてここで
働いた。肖像などは、博物館にある。
駄馬の家 Steinglger Saemmer (18c)ここに18cまで山間地域に品物を運ぶ駄馬
が居た。16cの金の小道の駄馬商売は、1200の駄馬が動き。上り荷は塩パッ
サウへの帰荷は穀物であった。
金の小道博物館 Museum Goldener Steig 防衛塔の中に博物館がある。バイエルン
とボヘミヤ間の経済や文化の千年間の結付きを記録している。
赤塔 | 橋塔外側 |
橋塔内側 | 自由門 |
北西壁 | 北西壁 |
城 | 聖母教会 |
1085-88.1091-98 文書言及、 12c エンゲンベルト伯が居城とした、
1245 コンラート伯爵は古い形式の自治、 1247 ルードヴィッヒ2世は包囲・征服して、
ヴィッテルバッハ家の財産とした、 1252 第一市庁舎と町教会に建設、
1291 町は市場と課税の権利を行使した、 1334 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権授与
1415 市壁の拡張、1504 ランツフート承継戦争、 1634 疫病の流行、
1800 ナポレオン戦争のホーエリンデンの戦いで敗北、 1885 最後の大都市火災、
1984-86 旧市街地は洪水被害。
Ander Stadtmauerの市営墓地に沿って市壁が残っている。
橋門 Bruck Tor (14c) 入口の橋に立ち5階建て角塔は何度も再建され、
1568前面の壁にバイルンの町の紋章と2人の戦士・木星・百合・雷・鷲が描かれている。
西側には精霊病院が1338から何回か建て直された。
墓地門 Friedhof Tor (1544)旧市街地の市壁の間に墓地への装飾された門
が立っている。1855貴重な古い大理石を使って復元された。
赤塔 Roter Turm (14c) 残った市壁の西端に4階建ての角塔があり、壁上通
路へ階段がある。昔は同様な塔がTaenkGasse・GerblGasse・BauhofsPlatzの端に立っ
ていた。
空腹塔 Hunger Turm イン川横市壁の北に立つ8階建ての角塔で、市壁の中でな
く、町の債務者の刑務所であったため、債務者監獄とも言われた。
中世のイン川の塩等の舟運により町は栄えた。湾曲するイン川に囲まれた中に町は
はあり、南の橋塔の北側に平屋根と切妻壁の高い前面が生み出す眺望がある。
市庁舎 Rathaus (1252) 3階建切妻付の建物で、地階には店があった。
1339の火事の後で1457-59に後期ゴシックの建物となった。1970まで地階のパン屋は
焼き菓子を地元の菓子屋すべてに提供していた。今はカフェが入っている。上階の
評議会場には1806までバイエルンの郡庁があったが、今は祝宴会場である。1564のフレ
スコ画が天井に残っている。
聖ミカエル教会 Doppel Kirche St.Michael(13c)旧市街地の後期ゴシックのミカエル礼
拝聖堂で塔は世俗化で失しなわれた。旧墓地の地下室があり上階は不使用。
聖ヤコブ教区教会 Pfarr Kirche St.jakob (1255) 最初の教会の敷地に1410-78
に塔付きの教会が建てられた。内装はしばしば変更され、1634説教壇と外壁に多
くの市民の墓標がある。
フラウエン教会 Frauen kirche(1324) 現存する最古の教会である。ゴシックの要素は
大きく除去された。1753のロココに改装された。1420聖マリア像がある。1974-75の復元
時にバロックの様式が残された。65mの塔は昔の見張り塔であったため町の紋章
が付いている。昔は2階に住居があった。
城と城礼拝堂 Burg und BurgKapelle(1085) 古い水城で急な丘の斜面に深い溝
を掘って守もられた。1415バイルン王ルードヴィッヒは町と城を要塞化した。1531-37城に
にドッカーレ宮殿が再建された。礼拝堂は15cに今の姿にされ、今は老人ホームとなっ
ている。
核の館 Kernhaus (1738) 市庁舎の向かいの貴族の家で、2つの建物を集約し
て美しい前面を付けた。1795には市が裁判所として買い取った。1965-68再建され、
左は裁判所、右はホテルとして使われている。
市博物館 Stadt Museum 芸術と文化史の多様な収集物がある。イン川と貿易・手
工業・貿易・農村生活について、新石器時代から20cに至る歴史と文化。
市庁舎 | 旧水城 |
上門 | 西南壁 |
西北壁 | 北東壁 |
836 ローマから帰った僧の旅行記に記述、 1053 アイヒシュテット司教贈与調書に記述、
1242-1317 エッティンゲン侯爵が町を所有、 1362 アイヒシュタット司教の封土だった、
1362 エッティンゲン侯爵が再度所有しホーエンローエへ売却、1371ニュルンベルク城伯が町を取得、
1427 町はアンスバッハ辺境領となった、 1525 農民戦争の騒乱が起こった、
1634 帝国軍は略奪し全焼された、 1806 町はナポレオン支援のバイエルンを受入。
13-14cの市壁は、切石造で築かれ半分程度残っている。市堀は部分的に埋め
られたが、旧防衛堀はまだ見分けられ、水を満たした所もある。
上門 Oberes Tor (14c) 3市門の内唯一残った。元の構造に1752に1階
分と鐘楼を建て増した。1600にアンスバッハ辺境伯は、鐘を鋳造し寄進した。
1634.8.24の大火災後は、小規模・その場しのぎの建物が多く、石造の大きな
建物は1850以降のバイエルンが建てた。
市庁舎 Rathaus (1850) 古い木組の町役場に代わって、黄色い砂岩の建物を1849-50
に建てた。王ルードビッヒはミュンフェン様式を指示した。建物の費用は大部分をキルク付加
税で賄われた。大会議室には漆喰の格間天井ある。1987に最後の改修が行われ
た。今は近代的に改修されて市図書館となっている。
旧水城 Alte Wasser Burg (12c)3階建の建物で2方建物で残り2方は城壁で囲み堀橋で
入口に至る。アンスバッハ辺境伯の紋章があり、17cにはバロックで建替られた。19cに
城は王室バイエル地方裁判所となり、今は身障者施設である。
市教会 Stadt Kirche (15c) 1634の火災後教会が破壊され、30年戦争で再建出来なか
った。1652-54にやっと300人規模の教会が建てられた。墺からの流入者が多く、
1738-49にバロックの教会が建てられ、1755には720席に拡張された。1835には今
の外観となった。
日時計公園 Sonnen Uhr Park (2001) 1990に家具屋が西リングに商業地に移転した。そ
の跡地は2001に再開発され、石造の構造物を補修して日時計公園とし、2013に
再設計された。
旧校舎 Altes SchulHaus () 2階建の建物で、当時の聖歌隊指揮者学校に比べ明るく
て暖房付の先生の部屋を提供した。
市粉引所 Stadt Muelhaus (1322) 古い部分は粉引場として使われ、1649に寄棟屋根
の飾り気のない木組の建物になった。
最古の教会ミカエル礼拝堂 Alteste Kirche Michaelis Kapelle () かっての礼拝堂の核
は、中世初期からのもので、高い塔は火事の前からあった。旧礼拝堂は監獄と
して使われ、その後住宅に改造された。
旧穀物倉庫 Ehem.Schranne () 1864から町の穀物の取引と積替えの場所として使われ
た。
旧ルター主席司教管区 Ehem.Lutherichen Dekanat (1683)フランケン様式木組の家。
旧市庁舎 | 下門 |
上門 | 壁塔 |
南壁 | マルクト広場 |
聖キカエル教会 |
1241 王コンラード4世の文書で牧草地の言及、 1366 町の放牧地ザールバッハ、
1515 総人口2,140人、 1522 聖マイケル教区教会で新教の説教、
1634 30年戦争でスエーデン侵攻と疫病、 1663 戦争と疫病で総人口530人、
1863 鉄道建設で総人口3,059人、 1908 工業化で総人口9,959人、
1945 12,000人の難民で総人口38,941人。
小川の上に古い町の防御の南西の部分は、中央壁・ツインガー壁・角の砦・鞘塔を備
えている。皇帝カールス4世の命令書には、バイエルの市場を整備し防備を固めることを
求めている。遅くともこの時点には町は最初の市壁は保有し、既存の市壁の嵩上
や塔の改造で強化されたと思われる。南側の建物の外壁が市壁となっている。
上門 Oberes Tor (14c) 初めは2円塔の門で、1840までロータリーに面して
半円を持
っていた。通路を拡大するために取り壊され、1911に二重寄棟屋根で単純化さ
れた形で再建された。門の左に大きな要塞の家があり、プファルツ伯フリードリッヒは要
塞の家に1585-93に住んだ。
下門 Unteres Tor (14c)1635の火災の後今の角塔になった。前門と下
門を通ってシュロアー広場に行く歩行者道路は、塔が米戦車で損傷した後に1955に
作制された。
田畑塔 Flurer Turm 古い郊外市壁の最後の証人である。一度この外壁は
4門塔と二つの円塔(馬塔と田舎塔)があった。1634に町は包囲された時に砲
撃緩衝地帯を必要とし、郊外壁は取り壊された。この塔は単独の要素として
1694に再建され田舎塔と言われた。
小さな町に、上下市門を挟んで幅広いメインストリートがあり、その中央にルネッサンス切妻
の市庁舎が立っている。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1539-45) ルネッサンスの切妻の建物は1914-17に再建
され、1983にカリオンカが寄贈され、11.35と16.35に鳴らされる。地階には1981から
中世の様に店舗が置かれた。大会議室の天井梁に16cの手工業作品がある。
旧市庁舎は早くから管理のみならず演劇や舞踏が行われた。今も市議会・結婚式
・特別催物が行われている。
聖ミカエル教会 St.Michael Kirche (1448) 初めの簡素なホール式ゴシック教会は、
1536と1540の火災で後1561に円天井とされ、1627再宗教改革でバロック化された。
塔は1759に崩壊し1761に新設された。1787説教壇・多くのロココの彫像がある。
聖セバスチャン教会 St.Sebastian Kirche(1486) 新施産院礼拝堂が建てられ、
落雷と戦争で破壊され、1692教会は新設され再び聖セバスチャンに奉献された。
聖ヨゼフ教会 St.Jossef Kirche (1900-01) 中世以来レーゲンスブツク司教区で最大
のカトリック教会をアールヌーボ様式で18箇月で構築した。
音楽学校 Waldsassener Kasten (1739-42) 2階建の石造長大建築物で、1990
に再構築され国際セラミック博物館として使われている。
市庁舎 | 市博物館・精霊教会 |
西北門 | 東南壁 |
南東壁 | マリエン広場 |
城 | 北壁 |
北壁 | 東北壁 |
東北塔 | 東北内壁 |
1010 アンリ2世の文書に初言及、 1080-1321 エデルフライエン家の支配、
1176 既に市場権を保有、 1224 公爵の住居建設、
1238 城壁の最初の言及、 1314 最古の市壁に2門3塔建設、
1368 都市権による町議会、 1382.1436 大火で建物焼失、
1646 30年戦争でスエーデン軍侵攻、 1802世俗化でフランシスコ会の廃止、
1808 バイエルン王国の勅令で評議会、 1810 大火災で大部分を破壊、
1820 初めての病院の建設、 1870-74 市門の全てを取り払った、
1914 第1次大戦出征者の死亡、 1945 2次大戦後に米軍が進駐。
市壁は、四方に切れ切れに残っている。壁上通路はアーチの上にある。
門塔は見当たらない。
市庁舎 | マルクト広場 |
上門塔 | 南西壁 |
南東壁 | 北防衛塔 |
東壁 | 西壁 |
800 フルダ修道院の文書に初言及、 1190 今に残る形のマルクトを展開、
1248 オットー8世の断絶後バンベルク司教へ、1313 町の課金により市壁建設、
1410 ビール醸造販売の特権を取得、 1430 フス派の襲来で教会は被害、
1543 修道院ラングハイムの構築、 15-16c 経済の活況を呈した、
1632.41 30年戦争で町は荒廃、 1757 7年戦争で町は損傷した、
1802 バンベルク司教は終わりバイエルンへ、 1804 地方裁判所・会計局を設置。
市壁は14cのコアに始まり、15.18cに砂岩切石による拡張・再建され、
一部では壁上通路も残っている。1871北部の小範囲で門と市壁が取除
かれた。
上門 Ober Tor (14c) 南市門として2階建寄棟屋根・砂岩造の建物で、中
世後期の地下室があり、1885まで刑務所があった。18c後半に
2階は改修された。
上門塔 Ober Torturm (14-15c) 4階建テント屋根の四角い砂岩造の塔で門の北
西に接して立つ。1516に閉じ1763-75に再建された。
防衛塔 Wehr Turm (1515) 防御塔の砂岩円塔で、フードは18cに更新された。
市庁舎 | エリンガー門 |
病院教会鐘楼 | 南壁 |
西壁 | 北西壁 |
北東壁 | 聖アンドレアス教会 |
2c中 3.1haの石積要塞を造った、 253 アラマン族に町を破壊された、
7c メロヴィング朝に町と教会が建った、 1028 町は王室財産からホーエンスタウエン家へ、
12c 市壁の建造、上門・病院門に年号、 1262 城はバイエルン侯爵との戦いで破壊、
1296 城は再建され自由帝国都市となった、14c 皇帝は税特権と都市権1317を付与、
14c 南に第2市壁と堀を建設、 1490 金融危機で町の建設計画は遅延、
1530 宗教改革の導入、 1588-1610 アンスバッハ公国へ、大砲要塞、
1610-47 30年戦争で何回も略奪された、 1688 城の再建、18cナポレオン戦争で占領、
1804 プロイセンへ、1806最終的にバイエルン王国へ、 1863 地区事務所の廃止、
19c 壁・塔の取崩し:1814市壁一部・1825SchrekerTurm・1874OberTor・1878FrauenTor、
1945 2次大戦の空爆で被害、4月に米軍が戦いなしに進駐。
12-14cの市壁は、堀と共に殆ど残っている。12cの1次市壁は、14cに南に拡大し
ているため、1次市壁と堀の位置に緑地も残っている。
4門の内3門が壊され、唯一Ellingen門が残り、その美しさから切手になった。
数十の壁塔が在ったが、今は四角塔33、円形塔(リ-ド塔)1、五角塔1、計37塔。
エリンガー門 Ellinger Tor (14c) 北西にある壮大な門で、前門と胸壁は
15cに取り除かれた。高欄の網目模様ハルネッサンス、最初の都市の紋章は右側に、
1481武器の紋章は左、頂上には小塔に双頭の鷲がある。
リード塔 Lied Turm (14c)南、シャイプラー塔とも言われ、3階建ての円塔で
長い間刑務所があった。南のFrauen門は1878に解体された。
五角塔 Fuenfecker Turm 5階建の火薬塔で保存されたツインガー市壁に立つ。
病院教会塔 SpitarKirche Turm (15c) 4階建ての時計付の角塔で、
でなく、町の債務者の刑務所であったため、債務者監獄とも言われた。地階
にはアーチ門があるが第1市壁の門であったのでは。
ローマからの歴史的な多くの門塔のある市壁と緑地に囲まれた四角い中都市で
ある。風格のある旧市街には高い建物で埋められ見所も多い。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1430-40) 3階建破風付の石造建物で、頂塔は
1567に付けられた。ここで貿易取引が行われ、評議会場や裁判所としても使わ
れた。2002-04大改装が行われた。
新市庁舎 Neues Rathaus (1996-98) 17cにワイン酒場として建てられた。
18cに薬局から金銀細工工場になり、1828にスラード家が館を新築し、1920に新市
庁舎となり、1996-98に近代的な鉄骨ガラス造りの2階建農村納屋風になった。
ヴュルツブルク要塞 Bast Wuelzburg (1588) 11cからのベネディクト会修道院を
壊して、大砲要塞が築かれたが、30年戦争で略奪された。1882以来よく保存さ
ているルネッサンスの要塞であり、町が所有している。20cには刑務所や収容所とし
て使われ、1968からは国の文化財となった。
ローマ砦 Roemisch Kastell 多くの大小の砦跡が散在している。西端の
BiricanaKastellは1989から門や城壁が復元されている。
聖アンドリュー教会 St.Andreas Kirche (700) 初め聖マルティン教会として建て
られ、1182に壊された礼拝堂の基礎の上に1329聖アンドリュース教区教会が建てられ
1425-65三身廊となり、1534宗教改革の間は荒廃した。1863に元の後期ゴシックの
に戻された。塔の下の展示場には1995ガラスの宝物室があり、1185ローマ青銅祭壇・
15c行列の布などの宝物がある。
病院教会 Spital Kirche (1447) 第1市壁にあり1728-29にバロック化され
た。ユリアとキリストの生涯の絵画・貧しい人々の聖書壁画1480・天井画1729がある。
カルメル会修道院 Karumeliter Kloster (1325) カルメル会修道院のバロック教会
は、今文化センターとして使われている。
聖アウグスチヌス修道院 St.Augustiner Kloster (1238) 最古の修道院として
市壁の外に設立され1262の戦争で大被害を受け、イーグル山に移転した。1536に市
壁は拡大され町の中になったので、1331病院となりその後町の事務所が入った。
ローマ博物館 Roemer Museum (1980) ローマ時代の発掘の成果を、1階に「ローマ
ノーリメスと砦」「Birlcia他の軍事基地」「多くの砦」「Ellingen城」「大浴場」、
2階に「ローマ神々の像」「埋葬品」「碑文」を展示。
帝国都市博物館 ReichsStsdt Museum (1999) Koaden家の館に皇室と帝
国都市の歴史と文化を豊富な展示品で説明している。また、音楽・科学・商業・教
会・工芸品・ギルド・生活等を部屋別に展示している。
薬局博物館 Apotheken Museum (1767) 後期バロックの建物の地階に19cの
ウイリアム・コールの薬局が薬や器具と共に展示されている。回転錠剤や薬の形態・処方
上のワイン・錬金術・ハーブの混合の説明。
市庁舎 | 中央通 |
上門 | 下門 |
プリューゲル搭 | 市壁 |
1160 初文書言及 13c ノイフェンが領有、 1342 バイエルン王国が所有して貸出し、
1473 リッチ教皇ルードビッヒは法廷を開設、1504ランツフート承継戦争で皇帝マクシミリアン1世が所有、
1507 マクシミリアン1世はフッガー家に町を譲渡、 16c フッガーシュタットとして繁栄、
1525 農民戦争は守り抜いた、 1805 プラチスラバ和平の後に再びバイエルンとなった、
1862 地区事務所・地方裁判所が設置されて地区の中心になった、
1945 2次大戦は無傷で終わり、無事米軍に占領された。
13cには長さ300m・幅175mの旧市街地は、市壁と堀で囲まれていた。15c
の終りには市壁は更新強化された。1818-37に市壁は取壊され、1873には市
壁と堀は平準化された。残っているのは、東側に70m、城の前に市壁と堀
が再建され50m、北西角の市壁から西に60m。
上門 Obere Tor (1470) 2階建二つの円塔のある前門(1482)と、3階
建て六角屋根の時計付き後門(1470)が繋がっている。
下門 Untere Tor (1470-80) 4階建階段切妻の角各門塔、側面の丸柱を
備えた正門、東に歩行者用の通路が付けられた。
市塔 Pruegel Turm (1470-1500) 市壁の北西の角にあった壁塔で、2階
建漆喰の円塔で、軽犯罪者のための刑務所として使われ、Diebsturmとも
呼ばれた。
フッガー家の町としての建物もあり、戦災を免れたため古い建物が残っている。
旧市庁舎 Ehem.Schrauen (1356-57) 片持ちの上層階を持つ半木造の2階建
切妻屋根の建物で、地階には旧オープン市場があった。1584に上階広間の身
廊が延長されて評議会広間が設置された。1777に地階は広いレンガ造となり
、1872に新しいシュランスとして西に木骨造で増築された。
旧城 NeuffenSchloss (1460) 古い城とも呼ばれ、切妻の傾のある3階建
17cにバロック化され、2013に改装された。
新城 Neu Schloss (1513-14) 北東部に階段塔を備えた3階建のフッガー城が
16c末に改修され、1735にバロックに再設計された。2013には改装された。
接続棟 Mittel Bau (1735) 同一の敷地内に建てられた2つの城の間の接続
棟として3階建で建てられた。これら3つの建物は、2013から大改修されて
市庁舎として使われた。
カトリック聖マリア昇天教区教会 Kath.StadtPfarrkirche St.Maria Himmelfahrt
(13c) 1859にバロックの教会の一部が崩壊して、1862に取り壊され、1865-69に新
たに2千人を収容できる新ロマネスクの3廊・塔高70m・フレスコ画のあるホール教会が建
設された。中には高さ10mの祭壇と4側面のがあった。
旧精霊病院教会 Ehem.SpitalKirche Hl.Geist (1470) 多角形の合唱団と塔
を持つ、ホール教会は、1720-30にバロック化され、1729に塔が嵩上げされた。
フッガー醸造所 Fuggersches Brauhaus (1565) 南側に階段破2階建サドル屋根の
建物でメインファサードは豊かに構造化されている。1860に前面は変更された。
旧フッガー羊毛と計量所 Ehem.Fuggersches Waag und Wolhaus (1534) 上門に
追加され18c後半に改築された階段切妻のある2階建のサドル屋根の建物。今
は市元の歴史博物館。
旧フッガー家の庭園宮殿 Ehem.Fuggersches Garten Schloesschen (1600)
平らなピラミット屋根と多角形の隆起した階段塔のある4階建の建物。1690に改
造され、19-20cに数回拡張された。
旧十分の一税倉庫 Ehem.Zhent Stadel (1534) 細長い2階建の寄棟屋根の
建物。
旧旅館:天使 Ehem.Gasthof Zum Engel(16-17c)2階建中央突起の古典主義
の前面、1860前面は変更された。
旧旅館 Ehem.Gasthaus (17c)2階建サドル屋根の建物で、前面は18cに南への
拡張19cに行われた。
旧浴室 Ehem.Bad Stube (16c) 2階建サドル屋根の木骨造の建物。1875に改築
されて、消防署と劇場として使われ、1977に補修された。
住家 Wohnhaus (1430)2階建上階木造の古い建物で、16c前半に屋根構造が
更新され1640に南切妻が更新された。19cには台座の外壁の一部ガレンガ化
された。
住家と店舗 Wohn und Geschchtshaus (16-17c)2階建サドル屋根の漆喰の建物
で18cに近代化された。
市庁舎 | マルクト広場 |
南東壁 | 南東壁 |
1133 村と白い教会はヴェルトボッセン修道院に属す、 1299 ヒルシュの領主が所有、
1348 バイロイト辺境伯は町を取得・錫の採掘、 1429 フス派は城を放火後に破壊、
1462 ボヘミヤ軍の侵攻、1525 宗教改革の導入、1581 墓地の前に古い要塞墓地、
1618-47 30年戦争で町は衰退、1791 アンスバッハ・バイロイト家の断絶後プロイセンが支配、
1806-10 仏軍の占領、 1810 バイエルンへ帰属、 1812 堀の水を配水、
1823 大火災で町はほぼ焼失、195家屋・30納屋・75付属建物、
1986 都市保存と都市の再生を開始。
中世の市壁は、わずか礼拝堂小路22-23、教区小路3-5、城小路4に残る。
見当たらない。
1828の大火事の後の石造2階建の建物が多い。
市庁舎 Rathaus (1828) 2階建扶壁柱・隅柱配置・天窓付スレート屋根の建物。
聖ッヤコブ市教会 Stadtkirche St.Jakobus (18c) 18c初めに再建され、火事
の後に1823に復元された。ロマネスクの聖歌隊に後期ゴシックの長い身廊と4階建聖
歌隊側塔のある建物。
旧パン屋 Ehem.Baeckerei (1792) 2階建寄棟屋根の建物。
古い学校 Alte Schule (1822) 石造2階建寄棟自由端側サドル屋根の建物で
1866の火事の後に復元されている。
住居 Wohenhaus (1825) バロック前面の2階建天窓付軒有造りの建物で、花崗
岩の門アーチがある。
ルーテル牧師館 Ev.Pfarrhaus (1825-30) 上切妻中央突出前面と2階建寄棟屋根
の建物。要塞の残りの部分がある。
旧旅館:金獅子 Ehem.Gasthof Zum Golden Loewe (1826) 2階建軒有造の建物
で、錬鉄製の宿看板がある。
旅館 Gasthof (1696) 2階建半寄棟屋根・玄関アーチの建物で、1825改修され
ホテル・ポストである。
林業庁ヴィラ Forstamt Villa (1906-09) 2階建T字型隅柱のある建物で、
1906-08に半寄棟屋根にされた。
市庁舎 | アメールバッハ門 |
バロン塔 | ホイトバッハ塔 |
北壁 | 西壁 |
北外壁 | 聖エメラム教会 |
793 ゴスハイム伯爵から司教に4農場を贈与、 798 王チャールズ1世は修道院へ町を捧げた、
917 ネルトリンゲン貴族の女性は病人や貧者のための病院を設立し、女性小修道院を建てた、
935-1149 貴婦人の死後に町はドナヴェルトのベアド領主の所有地となった、
975 レーゲンスブルク司教は捧げられた聖エッマーアム修道院から領土を分割所有した、
1191-1305 ヒルシュベルクの伯爵はレーゲンスブルクの世襲封土として町を所有し騎士に管理させた
1306 売却証書でエッティンゲンの伯爵は町の領主となった、 1318 防衛施設の建設、
1449 町の温泉は初言及された、 1467 バイエルン帝国ルードヴィッヒ侯爵の所有となった、
1468-1799 死刑囚の裁判権を有する、 1556 ギルド制の証明書類、
1606 魔女狩りが始まった、 1632 30年戦争でスエーデン軍の包囲、
1654 旧市街地の大火災、 1701 スペイン承継戦争で兵舎・軍事貯蔵所設置、
1743 プロイセン王フリードリッヒ2世が滞在、 1808 自治を失い、アイヒシュタット州に含まれた、
1817 防御施設の取崩しが始まり、材料は家や道路に使われた、
1863 皇帝ルードヴィッヒは市壁や塔の取壊し禁止令を出した。
市壁延長は外壁で表示するが、内壁も280m残っている。1318エッティンゲン伯の下で周囲
の防御施設を建設した。町の全周に高さ8-9mの市壁を壁上通路を含めて建設するのに
約30年を要した。その間9万m3の土を掘り、4.3万m3の壁体を築き、煉瓦5千m3で門塔と
壁上通路に要した。堀には開戦前に水を満たした。19c初めに高い維持費用と大砲の発
達による軍事的重要性が減り、防御施設の取壊しが始まった。取外した材料は家や町
の建設に使われ、堀の地面は分割して競売されたが、数年後には町は再取得して余暇
と保全の平地として使った。
14cの市壁には3門と30壁塔があったが、アーマバッハ門のみがが残り十字架門は全体を
ノルトリング門は西側側面を取り壊された。30壁塔も4塔しか残らなかった。
アーマバッハ門 Amerbacher Tor (14c) 19cまでここにツインガーや連絡橋のある強力な
門城があったが、今では門塔が単独で市壁の前に立っている。
男爵塔 Baron Turm (14c)6階建ての角塔で高さは23.7mある。その東には昔の
主市壁の残骸が見られる。その西側の堀にはクナイプ式のペタル水浴施設がある。
ホイトバッハ塔 Haeutbach Turm (14c) 高さは23.1mあり外観は男爵塔に似る。
ノルディンガー塔 Noerdinger Turm (14c) 市門の内側の高さ32m・底面6.95*6.70の角
塔のみ残っている。スペイン承継戦争での砲弾が3つも石積の中にある。
拷問塔 Forter Turm (14c) 高さは10.3m幅10.2mの5角形の塔で、中には狭い部
屋と通路がある。ここで中世の拷問が行われた。
十字架門 Kreuz Tor (14c) 美しい塔だったが、1862に取り壊された。
周囲の緑地に内外二重の市壁が残され、中心部の広場は大建築物が並んでいる。
歴史的市庁舎 Historisches Rathaus (1551-52) 最初の建物は今のマルクト広場の
中に在ったが、今は北側に堂々としたルネッサンスの建物に小尖塔付の階段切妻で飾ら
れている。急傾斜の屋根の上に細い尖ったカブトの小塔がある。2翼の入口門は屋外
階段の上に紋章を付けて1610に置かれた。地階には西側アーケードに商店が並び上階に
は祝祭会場その上階には市参事会大会議室があった。
行政庁舎 Verwaltungs Gebaeude (1551) 町の肉屋はヨハネ教会の取り壊された跡
に建てられ1551に市庁の建物として改造された。1540東に拡張して旧ラテン学校を収
容した。下の階には、かっては非常時にパンと肉を配給場所だった。今は町の行政
と行政協同体を収容している。
市長の家 Buerger Meister Haeuser バロックの小さい別館のある二つの堂々とし
た館を建てた。富と力を表現した二つの建物に市長の家族が入った。
宮殿屋敷 Schloss Hof 町の騎士は、集落でも古い館の場所に宮殿の領域を拡
げ、宮殿・箱型の客の家・牢獄・納屋・小宮殿を強力な壁で囲ってを建てた。
聖エメラム教会 PfarrKirche St.Emmeram (1030-60) マンゴールト1世はコンスタチノープルから
の幸運な帰還の後に、教会を建設した。初めの3廊のバジリカは14cにゴシックの聖歌隊席
を貫いて拡張された。1559の火災の後に南塔は補修され、1619に二度目の塔建設
が始まり30年戦争の後に両塔とも新しくなった。1593-94二つの横の礼拝堂の建
設で拡大された。聖堂は参観できる。
教区館 Pfarr Hof (1611) 中世の教区館はきらびやかな建物で、通りの左側
の建物は録受領者の家である。
郷土博物館 Heimat Museum 客家Haus des Gastesの建物には町立図書館と郷土
博物館があり、地階には町の模型が展示されている。この博物館は1821に煙突掃除
夫の親方が初め、1957に町に移行された。手工業・日用品の説明。
市庁舎 | マルクト広場 |
市庁舎 | 聖マーチン教区教会 |
1122 フリードリッヒ1世バルバロッサが支配、 1200-25 城壁・堀・柵を設けて市場開設、
1278 バイエルンの支配で1297都市権授与、 1348 アウグスブルク貴族ランデンマンテルが120年間支配、
1388 シュバーベン戦争1462バイエルン承継戦争で町は破壊、 1467-1700 パッペンハイム家が支配、
1646 30年戦争でスエーデン軍に略奪された、 1704 スペイン継承戦争に敗れオーストリア軍が占領、
1714 バイエルン王国が地方事務所を設置、 1945 爆撃と戦闘の後に米軍が占領。
1200-25に城壁・堀・柵で守られた新しい市場の集落が開設された。1280から石積
で強化された。市壁は、3市門と補助門を備えた。1354に城の古い部分と北・西・南
東の3市門のある市壁を接続した。1868-72に門と市壁の大部分が取り壊された。市
壁が残っているのは、北西部と復元部分を含む北西部である。
城の4塔しか見当たらない。
ウェアティンゲン城 Schloss Wertingenn (1354) 領主となったバイエルンのランデンマンテルは、
1354に建てられた古い城をもっていた。1467にハッペンハイムに売却され、1500に3階建の
二つの円塔と南時計塔が追加された。1654にハッペンハイムは城の東に2つの隅塔のある3
階建の新城を増築した。1803-06に地方裁判所を城に収容した。2015に大規模に改
修されて市庁舎となり、郷土博物館を併設した。
聖マーチン教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Martin (1269) 2塔のロマネスクの大聖堂が
あったが、戦争で何回か壊された後に、1700に今のバロックの教会が建設された。
身廊と内陣の天井には
花輪の豪華なスコッタが描かれている。1577の洗礼盤は古い教会からのもので、
主祭壇には18cの最後の晩餐がある。
カトリック魂の礼拝堂 Kath.Seelen Kapelle (1760) 切妻と屋根の塔のあるバロックのホール
教会である。
ルルド礼拝堂 Lourdes Kapelle (1890) 教区教会の南東にある2階建て長方形の建
物であろ。
牧師館 Pfarrhaus (1729) 2階建切妻屋根の木骨造漆喰で角に多角形の出窓がある。
旧十分の一税倉庫 ZehntKasten Stadel (17c) 2階建サドル屋根の建物で、今は店
と舗住宅で使われている。
元地方裁判所 Ehem.Amtgericht (1904) 3階建寄棟屋根の建物で多角形の出窓と
ネオバロックの前面を持つ。
住宅 Wohnhaus (1683) 2階建庇切妻の建物で東に切妻のある上階木骨造の建物。
住宅 Wohnhaus (1555) 2階建切妻屋根の建物で、1555のコアに1680改修した。
住宅 Wohnhaus (1555) 2階建上階持出の切妻屋根の木骨造の建物。
旧旅館 Ehem.Gasthaus schwanen breu(18c) 中庭に面した2階建側庇の4-7窓
列の建物。
市庁舎 | 市塔 |
上門 | 下門 |
会計局 | 屋根付市壁 |
1138 ニュルンベルクとウルムの交易の要点と言及、 1278 都市権を授与された、
1292 ニュルンベルク城伯は町を領地とした、 1400 アンスバッハ辺境伯が所有した、
1500 辺境伯はフランク帝国サークルに属した、 1777 バイエルンへヴァルトバッセンは属した、
1806 バイエルン王国に帰属した。
13-14cの市壁800mは、一部に切石や荒石積の高さ3mで残っている。1818に
市壁は内側の地主に売却された。織屋の市民は長さ70mの市壁を漂白のために
使った。長年にわたり市壁は取崩され、今は市や市民が、市壁と取付いた木組
の家の復元に務めている。
13-14cの市壁には、2門4塔が備えられていた。
上門 Oberes Tor (13c) シュバーバッハ門ともよばれ、1728に今の姿になった。
1817に最後の門衛が死亡し、1893に門は閉じた。2001改修され15分の鐘が
付けられ、守衛詰所には歩行者階段があり、今は小博物館の展示がある。
下門 Unteres Tor (19c) 2階建の厚さのない門が新設されている。
市塔 Stadt Turm (13c) 旧ストラッセン城の望楼として中世には使用され、30年
戦争後に上階が木組で建てられ、漆喰で覆われた。その後住居となったが、
今は改修されて美術館で活用されている。
辺境伯の町として、中央の幅広い通りには、18cからの大きな建物や美し
い木組の家がある。
市庁舎 Rathaus (1748-52) 歴史的な町の中心に位置する3階建寄棟屋根
建物で、入口の上に市の紋章とホーエンツオーレルン裁判所の紋章がある。
市教会 Stadt Kirshe (900) アイヒシュテート司教は、木造町教会聖マルガレータ教会
について、1182に墓地の要塞教会と記述した。1556に溶解し、現在の場所
に新築して移され、今は教会の壁に住宅が建てられて周囲を飾っている。
教会はその後数回拡張され、1728に最後の大改装が行われた。
旧大司教管区 Altes Dekanat (1801) この2階建のロッジは、その後50年間
営林局が使かい、1968に買却された。
ベースの家 Bess'n Haus (1593) 小さな2階建上階木組の建物で、上門近く
の市壁の後に構築された。
ダウショーの家 Dauser Haeuser (16c) 2階建の美しい破風の建物は、1675に
宿屋の亭主が所有し、17-18cリキュール蒸留所を置き、その後レープクーヘン・ベ-カリィ
ととなり、1935には宿屋があった。
森の家 Forsthaus (1577) 狩場番人の家として2階建の家が建てられ、今
は個人所有である。
宿屋:太陽 Gasthaus Sonne (1688) 魅力的な破風を持つ2階建上階木組の
大きな建物は、食堂・醸造所・宿屋として使われた。
司教館 Pfarrhaus und Zehntscheune (1694-98) 教区司祭館であったが焼
失し、2年半後に大倉庫の横に建て直された。1855教会の十分の一税廃止後
に民間に売却された。1982まで消防署が使用し上の階に一時博物館を置いた。
会計局 Rentamt (1736-39) 荒廃した城の解体後に建てられ、1808税務署
の移転後に町が買収した。2階には医師が地階にはポストが1998迄使っていた。
2004市のコミュニティセンターとなった。
町薬局 Stadt Apotheke (17c) 30年戦争で焼失し、その後2戸住宅に再建
再建された。
旧市庁舎 | 市庁舎 |
モミ塔 | 上門 |
博物館(旧教会) | 市壁 |
宮殿主塔 | 市役所通 |
6c キリスト教布教の基地となった、 81-96 木柵の砦は石の砦に強化した、
13c ブロイベルク貴族がマインツ大司教の下で町を建設、1291 町の初言及、市壁を築く、
1513 木材交易の中心地となる、 1652 造船所が開設された、
1784・1882 大洪水で洪水防壁を築く、 1803 マインツ大司教の治世が終わる、
1806 バーデン大公国へ、同年ヘッセン大公国へ、 1816 バイエルン王国へ移行。
マイン川沿いに、小さな細長い市壁が砂岩瓦礫で築かれ、1/3程度残っている。
上門 Oberes Tor (1450) 西南部の市門で、アーチ型の通路に4階建ての石造
角塔であり、塔頂には木組の上屋がある。1573・1672・1751に補修された。
樅塔 Tannen Tuem (1672) 市壁の北東隅の胸壁付角塔で、1738には刑務所と
なり魔女塔とも呼ばれ、1957に更新された。
天守閣 Burgfried (1299) 大きく高い四角塔は城の天守閣として建てられ
19c城跡が工場となって、天守閣のみが工場の中心に残された。
忘れられたようなマイン河畔の木組の家が多い小さな静かな町で、市壁と塔が
佇んでいる。
旧市庁舎 Fruer Rathaus (1600) 旧市街に、ルネッサンス・ポータルを持つ2階建て木組
の建物で、今は市民の家である。1729-30ゴシックの塔を含め再構築された。
市庁舎 Rathaus (1885) 旧市街の外の西に、2階建て長方形石造の建物で元
の校舎に今の市庁舎が入っている。
舟運と造船は木物館 Schifffahrts und Schiffbau Museum (15c) 旧聖ヴォルフ
ガング教会と2階建て旧学校(1752)に収容され、1991博物館は開館した。
旧市庁舎 | 上門 |
南壁 | 西南壁 |
東北壁 | 北壁 |
北東壁 | 中央通 |
8c 木造教会、10c 小さな石造教会、 1212 ドイル騎士修道会の設立、
1250-1310 騎士団はゴシックの大聖堂を建立、1306 ニュルンベルク修道院の管理下になる、
1322 エッシェンバッカはバイエルン王の都市権えた, 1451 市民は町を管理費し市庁舎建立、
1632-33 30年戦争の疫病・飢餓・略奪、 1796 プロイセンがドイツ騎士団の支配終了、
1806 バイエルンに帰属。
1332-1440に堀と塔と壁は成立した。16c初めには市壁の南横に塔を建てて強化
された。全周の市壁が残り、西と南側は二重壁となっている。
上門 Oberer Tor (1361-75) 右にドイツ騎士団の紋章、左手にフイリップ
の紋章を掲げ、1361-75にドイツ騎士団長の事務所があった。
下門 Unter Turm (14c)1410焼失16c再建、外側の右手に1396-1416に
ドイツで最高位の騎士団長コンラードの紋章、左手に1047-19フランケンの騎士団長の紋章
が見える。
空腹塔 Hunger Turm
市民塔 Buerger Turm。
市壁・門塔・古く大きな建物・木組みの家と、中世の雰囲気のある綺麗な中ぐらい
の町。
旧市庁舎 Altes Rathaus 3階建バロック木組造りで建てられた。地階には
パン屋・肉屋・雑貨屋の常設市場があり、2階は集会・商売のための3広間、3階は
市会事務室・町公文書館があった。1995から博物館が置かれ、著作家・文芸作品
・舞台詩人の展示がある。
聖母大聖堂 LiebFrauen Muenster (1236) 1253最初の騎士団長が来て
大きな騎士団と教区のための教会を建てた。1250-1310に3階建てのゴシックの塔
が付けられた。1260-70初期ゴシックの内陣に、1270-1311身廊は変えられた。
15cに塔は63mに嵩上げされた。1956今の色塗りがなされた。
司教館 Pfarr Haus (1667) 西に移されて復元された。元の部分は
早期バロックの正門とドイツ騎士団領主の紋章である。
旧校舎 Alte Schulhaus (1598) この建物の配置は傑作である。西切
妻は墓地壁の上に乗っている。1886東に拡張された後に南にも拡がった。
中央通りの木組家 Haupt Strasse 破風が前に張出した木枠組造の建物
が美しい塗装をして並んでいる。1686KocherHaus,1416LammueirtsHaus,1410
StadtSchmiede,1410GasthausZurTraube,1410LexlHaus,1609Fuerstenherberg,
1623BenefiziatenHaus,16cVogteiamt。
マルクト広場の石造建物 Markt Platz 広場の立派な石造の建物が取巻く。
1596-97Zehntscheure,1623DeutschOrdensSchloss、1687AltesRAthaus。
高い家 HoheHaus (1439-40) エッシェンバッハ家の3階建ての木組みの家だが
17cに1階分が減された。
ドイツ騎士団宮殿 Deutsch Ordens Schloss (1623) 城の3階建の前面には
他にない領主の紋章がある。建物はルネッサンス建築美術の傑作と言われる。1856に
市庁舎が入り、1999-2001宮殿は十分の一税倉庫と共に、もう一度市庁舎とし
て改造された。
市庁舎 | コッペフェン門 |
北壁 | 北西壁 |
北西壁 | 西壁 |
フィヒテル山脈博物館 | 聖ヴィート市教会 |
1163 陪臣アルブレヒトの居住地として初言及、 1285 ハプスブルク王は城伯に領土維持、
1326 城伯フリードリッヒ4世は都市権を授与し、市壁が築かれた、
1328 バイエルン皇帝ルイは町の憲章を確認、 1430 フス軍との戦いに敗れた、
1250-1450 スズ鉱山とブリキ板・鍛造製品の生産で町は経済的に発展、
15c 2次市壁が一部二重で築かれた、 1613 ブランデンブルク辺境伯は首都とした、
1792-1801 プロイセン管理からナポレオン占領、 810 バイエルン王国に帰属、
1476.1547.1607.1644.1646.1657.1731.1834に火事、
1834 最後の大火で町の2/3が破壊し、町の復興で擬古典様式の都市景観を呈した。
14cに1次市壁が城から南東部で築かれた。1437-60に北と西に拡大され約4倍
の面積になった。1467-75には西南端部が一部拡張されてコッペテン門が設けられた。
市壁が残っているのは北に70m、西に10m+20mである。
15cの市壁は3門14塔1稜堡があった。今は1門1稜堡が残る。
コッペテン門 Koppeten Tor (1471) 市壁の拡大に伴って建てられ、4階建上
部八角形の塔で時計が付いている。
防塞塔 Turm in der Wahr(15c)防壁のある火薬塔であり円塔には砲弾の
みならず
敵への威嚇に使われた。その面立ちは重々しく見える。
旧市街地は、1834の大火の後に一斉に建てられた擬古典様式の建物が多く残
されている。
市庁舎 Rathaus (1853-37) 3階建時計付の石造建物には、3つの重々しい
表門あり、1834の大火の後に建てられた。窓の縁取りと戸の枠は、地元の花
崗岩が使われた。 1975と2007に表面の露出と改修が行われた。
ヴァィト町教会 StadtKirche St.Veit (1326) この場所には城礼拝堂があっ
たが聖マーチン教会となり、その後聖ヴァイトに奉献され、1326から町教会となった。
1476と1731に火災に遭い内陣を除いて焼失し、辺境伯様式で更新され、1769に
塔はやっと完成した。1903落雷があったが、1904-06に再建された。
聖マリエン教会 SpitalKirche St.Marien (15c) 養老院複合体の要素として教
会が建てられ、1731の火災ではゴシックの円天井は壊された。1785錫の十字架の
銘が見事である。
博物館 Fichtelgebirgs Museum (1451-68) この建物は養老院員財団のジ
グムンド・バンが平修道士の家として建てさせた。1840から北翼は女性の家として
使われ、1964からはバイエルン地方博物館となり、一見の価値のある広範囲な展示。
市庁舎 | レジデンツ | /tr>
ドーム | ノイミュンスター |
要塞 | 要塞門 |
704 文書による最初の言及、 788 最初の大聖堂建設、
1156 フリードリッヒ1世の結婚、 1525 農民戦争で襲われたが撃退、
1626-30 魔女裁判、 1631 30年戦争でスエーデン軍の占領、
1650-1750 シェーンボルン家の町造り、 1814 バイエルンに帰属、
1945 2次大戦の爆撃で町の90%破壊、 1970 旧市街地の大部分は再建。
マリエンベルク要塞の左岸側には公園内に城壁が残されている。マイン川の右岸側にも
かって旧市街を囲む稜堡があったが、今では通りの名前にRinngで位置が示
されるだけで、宮殿公園内にのみ僅かに残されている。
マリエンベルク要塞内には、本城への入口としてシェレンベルク門ScherenbergerTorがある。
また、外側の要塞入口には、新門とシェーンボルン門がある。
西側の丘の上のマリエンベルク要塞から古いマイン橋を渡って東の平地にある市庁舎・教会
を見て東のレジデンツまで約1.5kmの大きな町であり、見所も多い。
市庁舎 Rathaus 13C建の古いロマネスクの四角塔に、1659ルネッサンスの赤い建物が西側
に付けられている。西前面は彩色されている。
マリエンベルク要塞 FestungMarienberg 13C建、16Cにはルネッサンス様式に改造された。
長方形の中庭には円型の主塔と深さ104mの井戸がある。中庭の右手のマインフランケン博
物館1702-12元武器庫には、民芸・手工業・リーメンシュナイダー彫刻の展示。領主館博物館
には市の歴史・領主の礼服・金銀細工等がある。高低差があり登るのは大変だが、
要塞内の見所と展望はすばらしい。
古いマイン橋 AlteMainBruecke 1473-1543建、橋の欄干に戦後再建された12の聖
人像が立つ。
新大聖堂 NeuMuenster 1710-16建、バロックの西前面は堂々としている。18Cに丸
屋根が付けられ、中にはリーメンシュナイダーの聖母像がある。
聖キリアン大聖堂 Dom St.Killian 11-13C建、1945に復元された。翼廊の右手には、
1516家使途の祭壇の3体の彫刻、12-17Cの司教墓標、北の翼廊にはシェーンボルンの墓標が
集められている。
レジデンツ Residenz 1720-1744建、バロックの壮麗な大きな館。司教は要塞から移り
住んだ。正面階段の間には、丸天井に大きなノイマンのフレスコ画が描かれている。
市庁舎 | 上門 |
北壁 | 西壁外 |
西壁内 | 西壁・宮殿 |
西南壁 | 東北壁 |
聖ミカエル教区教会 |
1018 ヘンリー2世が買収してバンベルクのミッシェル修道院に与えた、
1250 城が築かれ礼拝堂と住居は存在した、 1379 都市権を得て市壁を構築、
1397 王から市場権を得た、 1400 公共施設や市壁が築かれた、
1554 第2辺境戦争で城は放棄された、 1616-31 魔女裁判で400人が焼かれた、
1631 30年戦争でスエーデン軍の略奪、 1650-89 ルネッサンス木造住宅を多く建設、
1705 バロックに狩猟宮殿が建てられた、 1790 フランス革命軍との戦闘、
1803 世俗化でヴィッテルバッハ家のバイエルンへ、 1806.1813< 仏軍の占領、
1814 バイエルン王国に帰属、 1945 2次大戦の空爆で町の70%被災。
三角形の旧市街地に1425-38造られ、特に南西に半円殻塔と共に残っている。
上 門 Ober Tor (1425-38) 5階建ての砂岩四角塔で玉ねぎドームがある。
半円殻塔 Halbrund Schalen Turum (1425-38) 南西の市壁に6基の半円殻塔
が在り、一番北の塔には円錐屋根が付いている。
マルクト市場を中心とした、木組みの家の多い、美しい小さな町。
市庁舎 Rathaus (1543) 早期ゴシックの3階建て両切妻屋根上階木組の建物。
聖ミカエル教区教会 StadtpfarrKIrche St.Michael (1379) 最も古い部分はゴシックの4階建
塔と内陣で、16c塔頂は付替えられ、本堂は1713-32建てられた。1713聖具室は
洗礼翼に改造され、ゴシックのフレスコ画が残る。1761天井画が描かれ、1957改装さ
れた。
旧城 Ehem.Fuerstbischoflich Bamberger Schloss (1695-1710) 初期のバロック狩猟
ロッジに代えて3翼の比較的単純な寄せ峰屋根2階建ての建物を砂岩で建てた。19c
中庭に階段塔が建てられた。今は税務署で使われている。
旧州修道院会館 Ehem.Prostenhof (1706) 上ファルツ州の修道院ミッシェルフェルトの祝祭会館で
、バロック2階建ての中央突起3広間の特徴ある前面である。今は住宅。
イエルク・ホフマンの家 Jaerg Hofman Haus (1689) バロックの豪華に装飾された木組の家で、
欄干にはグロテスクな顔と馬が飾られている。
写真美術館 Foto museum (1993) 250m2の展示場に、写真の歴史・700以上のカメラ・
2,500以上の写真が展示されている。
魔女資料館 Zeil Witch Hunt (2011) 塔とFron hausに、魔女狩りに関する取調記録・
写真・文献などを展示している。
9-14
1-3c ローマ時代の街道と交易路に位置、 1096 初文書言及、
1361 カレル4世による市場整備、 1407 町の紋章が付けられた、
1487-1679 ボルツアーノ市場として繁栄、その後強力ベニス商人が独とベニスの取引、
1679 ボルツアーノ市場を元の場所に戻したが、繁栄は戻らなかった。
1684 マチアスクロッツがバイオリン制作技術を持ち帰った、 1803 バイエルンに帰属、
1930 駐屯軍の訓練所を設置、 1945 2次大戦で米軍占領。
見当たらない。
見当たらない。
中心のOberMarktは賑やかで、オープン・カフェや土産物屋が立ち並び、北の教会か
ら南の銀行までの殆どの建物の壁面に宗教的・民芸的なフレスコ画が描かれ美しい。
上市場 Ober markt 広い通りの両側に宗教色の強いフレスコ画で飾られた店舗が並び、
歩行者専用となっていて安心して楽しめる。
バイオリン制作博物館 GeigenbauMuseum (1685)北のマルクトでも古い建物に、マチアス
クロッツ一族が住み、1684からのバイオリン制作の歴史と地元制作の200の楽器が展示
されている。
聖ペーターとパウロ教会 Kirche St.Peter und Paul (1315) 1713-49に多くの色鮮やか
なフレスコ画で飾られて建て直された。中には1500のマドンナがある。教会の脇には、
バイオリン制作の技術をもたらしたマチアスクロックの彫像が立っている。
Lueftlnalerei Obermarktの南端東側にバロック農村生活のフレスコ画によるダマシ絵が前
面の全部に描かれた2階建ての建物で、今はライヴァイゼン銀行と土産物屋である。
上マルクト | 聖ペーター・パウロ教会 |
1240 司教ルドルフは農民の承認を文書言及、新しい教会を建て町の名前が発生、
1348 王ルプレヒト3世は都市権を文書再認、 16c 豊かな町は再洗礼派になった、
16c初 市壁と市門は良く残っていた、1537 ライン・ベファーゲンの代官は町教区を支配、
1587 スペイン兵は、国境のこの町を略奪、 1590 スペイン軍の略奪・30年戦争でも、
1731 マックスクレメンス運河の要港として飛躍、1803世俗化でバンベルク司教からバイエルンへ、
1858 初の機械化機織り工場が操業、 1899 聖アナ教会はネオゴシックで象徴的新築。
フェルデンシュタイン城の城壁は立派に保持されているが、市壁は見当たらない。
市壁の門や塔は見当たらない。 城壁の塔は大小合わせて11基ある。
堂々たる城壁と壁塔は見上げる小山の上にあり、宮殿や天守閣も維持されてい
る。城以外には教会と醸造所ぐらいしかない、山中の小さな町。
城フェルデンシュタイン Burg Veldenstein (1269)13c内側の城、1400-03基礎と内輪の円塔
1476-79外側壁の6塔と高い胸壁、1502-03ツインガー壁、1863邸宅の再建。1268
バンベルク司教の城居住が初言及。1708融雪による損傷、その他所有者の変更によ
る改造があった。戦乱による被害はなかった。2017バイエルン州にによる大改修が
行われた。
聖ピーターとパウロ教区教会 Kath.Pfarrkirche St.peter und Psul (1494)初め身廊と
コア、1765内陣と4階建の塔、18c教会取付けと石灰岩。
皇帝醸造所 Keiser Brau (1615) 教会通を上がるとビール醸造所がある。
旧粉引所 Ehem.Muehle (18c) 2階建L型木組・切妻漆喰の工場と住居。
聖ピーターとパウロ教会 | 城フェルデンシュタイン |
城壁 | 南城壁塔 |
1242 最初の集落は直立石英岩上の城の周りに存在し、初言及された、
1391 西に市街地は拡張し楕円状の堀で囲む。1331 皇帝ルードビッヒは都市権を授与、
1395 聖ジギスムンド教区の創立、 1400 町はパラティン軍に占領された、
1420 町はスフ派の侵攻で3回破壊された、 1634 30年戦争クロアチア軍侵攻・疫病、
1848 火事で55戸焼失、 1899 11戸と12棟を焼失、 1901 大火災で多くを焼失。
14cの市壁は堀の後ろに造られたが、今は残っていない。
見当らない。
巡礼教会 Kath.Wallffahets Heiligkreuz Kirche (17c) 1738コロイツ山の鉱
山トンネルと階段
システムが造られた。1814に建てられた教会は1901に焼失し、1904に急傾斜屋根
と半円形後陣のネオバロックのホール教会の細長い北塔がある。
ザレジオ修道院 Salescaner Kloster (1901-03) 割目のある建物の複合体。
聖ジギスムント教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Sibismund (19c) 3身廊の聖堂
に五両面閉じである。
司教館 Kath.Pfarr hof (1902) 騎士道と鳥居のある騎士団屋根の建物。
軒有家 Traufseinhaus (19c) 2階建前面切石造で、木製アーチ扉の建物。
聖十字架巡礼教会 | 聖ジグミスグント教会 |
1238 昔はスタインハイムと言われ初言及、 断崖の上の城はフリードリッヒ1世の所有、
1250 エッティンゲン家に所有が移った、 13-14c 大きく勢力を伸展させた、
15c 断崖の下に宮殿を拡張し城をバラースタインと呼んだ、
1500 皇帝マクシミリアン1世は市場権を付与、1648 城はスエーデンに占領破壊された、
1774 エッティンゲン・ヴァーラースタイン伯は帝国侯爵へ昇進し、町も繁栄した、
18c エッティンゲン・ヴァーラースタイン侯国は文化的な頂点に達した、
1806 自治を失いバイエルン王国に編入された。
城壁と堀跡はあるが、市壁は見当たらない。
見当たらない。
市壁の気配のないまとまりのない形の町と、城と宮殿だけの小さな町。
宮殿/em> Schloss (15c) 1648宮殿がスエーデンに破壊された後に、住居塔をアーレン通
りに建てた。ここがエッティンゲン・ヴァーラースタイン侯国の定住宮殿となった。今の堂々た。
3翼の外見は1864から保たれている。ウイーン乗馬学校を1741-51に庭園の南に建て
1835には聖アナ礼拝堂とオランジェリ(TeeHaus)を建てた。
城 | 城壁 |
城壁 |
950 僧侶による聖エメラム修道院の設立、 1230 ロヒテンベルク方伯の家臣の座席に、
1509 3人のオランダ貴族が領地として所有、 1515 ヴァルドバッセン修道院の設置、
1553 今も使う市の紋章を授与された、 1605 この場所は市場に昇格、
1684 ハーディングのバロンズが領地を所有、 1777 バイエルンへヴァルトバッセンは属した、
1818 行政改革の勅令でバイエルンの自治体になった。
市壁の跡は見当たらなかった。墓地の壁は町の東側の外にある。HofMauerの
ある建物もある。
見当たらない。
新市庁舎 Neues Rathaus ()
カソリック聖エメラム教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Emmeram (15c) 後期ゴシックの3廊
バジリカで、5角形の閉じたコアヤ、尖った帽子のフランケン塔、急勾配屋根の教会。
1848の火災後に再建された。1934側廊の増築と内装のゴシックリバイバル化。
協同ビール醸造所 Kommum Brauhaus (1857) 平屋切妻屋根の建物で、一部は
漆喰の寄棟屋根。1928に改装された。
カトリック牧師館 Kath.Pfarrhof (1781) 北の中庭とラウンドアーチの通路と入口。
1784に2階建マンサード屋根のがっしりした建物。
三辺の館Dreiseit Hof (19c) 2階建寄棟屋根の建物。2階建付属建物を囲
んでアーチ門とHofMauerがある。
新市庁舎 | 聖エメラム教会 |
1003 王ヘンリー2世の証書に初言及、 1116 アンディックス侯爵が山上に城を建てた、
1280 市場の開設と地方裁判所の設置、 1632 30年戦争スエーデン1634スペイン軍破壊、
1734 城の火薬塔に落雷して12tの火薬爆発、 城跡の石材はミュンフェン宮殿に使用された、
1848 筏で石材をミュンフェンに運ぶ最盛期、 1870-71 プロイセン戦争で町は被害を受けた、
1874 上市場が火災で焼失、 1945 2次大戦で米軍が戦いなしに進駐。
見当たらない。
見当たらない。
千年の歴史のある町に、4つのコースの標板があり、川の右岸の通りにある上下
市場の間の特色ある職人の家、公共の建物の前面飾り、教会や礼拝堂の装飾、日本
庭園などが楽しめる。
市庁舎 Rathaus ルネッサンスの切妻のある3階建の建物で鐘楼がある。中庭には都市の
紋章にある青銅のオオカミ像がある。
聖アンドリュー教区教会 PfarrKirche St.Andreus (1484) カトリックの教区教会で町のランド
マークの塔を持つ。1484と1626に火災の後に再建された。二重の西部ギャラリーのあ
る3廊バジリカで、内部に1659-61華やかな工芸で飾られた高い祭壇。
聖ミカエル教会 Kirche St.Michael (1908-09) ネオロマネスクの建物で、聖歌隊席は半円形
と飾られたアーチ柱列に囲まれている。豊かな聖画はノイハウスが描いた。
旧筏置場 Alte Floesslaende 19cに城の石材をミュンフェンに筏で運んだ筏の置場。
日本庭園 Japanischer Garten 日本の姉妹都市入間市から贈られた水のある日本
庭園。
郷土博物館 Heimat Museum 千年の町の歴史とその住民の文化・習慣を展示して
いる。1003の町の証書、城の設置が市場の重要性を示している。市民の豊かさ
を示す工芸品・家具・宝石・楽器・地元絵画等を展示している。
市庁舎 | 聖アンドレアス教会 |