バイエルン①
ファイル | 州名 | 州数 | 小計 | 市壁無 | ||
bd1 | GS | 大都市 | g1-5 | +1 | ||
BR | ブランデンブルク | b1-42 | +4 | |||
BW | バーデン・ビュルテンブルク | v1-50 | 97 | +14 | ||
bd2 | BW | バーデン・ビュルテンブルク | v51-w68 | 116 | ||
bd3 | BY | バイエルン | x1-99 | 99 | ||
bd4 | BY | バイエルン | y1-z17 | 116 | +14 | |
bd5 | HE | ヘッセン | h1-i12 | 111 | +10 | |
bd6 | MV | メルケンブルクVP | m1-32 | |||
NS | ニーダーザクセン | n1-49 | 81 | +5 | ||
bd7 | NW | ノルトライン・ヴェストファーレン | o1-101 | 101 | +25 | |
bd8 | RP | ラインラント・プファルツ | r1-76 | +3 | ||
SL | ザールラント | l1-4 | 80 | +2 | ||
bd9 | S | ザクセン | s1-54 | +9 | ||
SA | ザクセン・アンファルト | a1-62 | 116 | +2 | ||
bd10 | SH | シュレスヴィヒ・ホルシュタイン | k1-4 | +7 | ||
TH | チュービンゲン | t1-60 | 64 | +8 | ||
合計 | 981 | +104 |
表中の各町について、 その町の歴史・市壁・塔・見所を説明します。
Bayerun①
市庁舎 | マルクト広場 |
上門外 | 上門内 |
下門 | 南東壁 |
1045 アーベンベンベルク・バンベルクの貴族が城を建設、 1132 ハイルブロン修道院の基金、
1184 伯爵フリードリヒ2世は3次十字軍に参加1200死、1236 ニュルンベルク城伯が結婚し来た、
1296 アイヒシュタト司教は城と街を取得し壁を築いた、 1299 町は都市権を授与された、
1356 アイヒシュテット養育事務所が置かれた、 1590 アイヒシュテット司教の魔女狩り処刑、
16-17c 農民・シュマルカルデン・30年戦争で大被害、 17c レース織・製針・ガラス鏡の製造、
1803 世俗化でアンスバッハ公国へ帰属、 1806 パリ条約でバイエルン王国へ組込まれた。
丘の上の12cの城の麓に集落が形成され、1292アイヒシュテット司教が取得し都市権を
得て1297-1305にコンラット2世が城の円壁に接して瓦礫積みの市壁を築いた。市壁は
補修や更新が行われたが、19c後半には相当部分が撤去された。
OberesTor上門 (1300)4階建て尖塔付きの砂岩切石造の門塔で、道路中央に
立っている。
Unterestor (1300)3階建て木造切妻屋根構造の砂岩切石門造の門塔で、尖塔
アーチ通路のある門が道路中央に立っている。
MauerTurm門塔 ①Jaegersteig4(1300)
②Judengasse13(1300)居住棟として建てられた。
③Kirchgasse6(1300)残り。
④Kirchleite2(1300)始め住居棟として建てられ17cに木造納屋になった。
⑤Kirchleite10(1300)今は直方体の漆喰塗の近代的な個人住宅。
⑥Winfsbacher(1488)壁塔は後に禁固室で年号付いている。
BurgSuedwestTurm(1230-50)7階建て砂岩切石積の細長い塔で、小尖塔のある
花冠がある。
丘の上に城壁に囲まれて聳えるアーベンベルク城の麓に、街道に沿って街並が続き
街道の広がった場所がマルクトである。
市庁舎 Rathaus (1743)元はアイヒシュテット司教の救護局本部として建てられた2階建て
砂岩切石造マンサード寄棟屋根の堂々としたバロックの建物である。
アーベンベルク城 Burg Abenberg(1040-59)伯爵アダルベルト2世は主として木造で最初の城を
築いた。1130-40ラインポートは40×40m石造の城とした。1236ニュルンベルク城伯が来て部
分的に増築した。その後2倍の大きさに増築して南東端に城門と周壁を築いた。
1296アイヒシュタット大司教は正方形の高塔を建てた。1496東に新たな救護局を取り付
けた。1799チャペルが壊れて荒廃した。1806世俗化で所有することとなったバイエルン
王は城を販売した。1875ミュンヘンの美術商が取得して高さ33mの塔などを再建した。
1982町が取得して改修し博物館・古城ホテル・催物会場である。
聖ヤコブ教会 St.JakobusPfarkiirche (13c)13c前半に教区教会として建てられた。1294
に塔が15cに内陣が建てられ、本堂は西に1624-27と1854-57に拡張された。塔は
1769に今の形となった。
レース博物館 Stadtmuseum(19c)地元産業である伝統的なレース織物の歴史と製品が城建
物の中に展示されている。
自転車博物館 Farad Museum(19c) 2世紀にわたる200台の自転車と付属品として健康
ハンドル・アセチレンランプ・フェンダー・補助エンジンなどもある。ニュルンベルク製作所の歴史と製品
の説明もある。
市庁舎 | レーゲンスブルク門 |
西半円塔 | マーダー塔 |
税関 | 南西円塔 |
南隅塔 | 南円塔 |
1138 バーボ家がこの地を支配、 1134 最初の集落、1256 城の建設、
1400 都市権を授与され市壁の建設、 1485 領主が断絶し町はバイエルンに落ちた、
1296 アイヒシュタト司教は城と街を取得し壁を築いた、1299 町は都市権を授与された、
17c 30年戦争で大被害、城も大破。
13-14cの市壁は17cの30年戦争で壊され、1820-70にも取り崩されたが、半数
は残されている。
南西隅の城の要塞の接続して8隅塔と32壁塔が整備され、南側に壁塔が残る。
RegensburgerTor (1399)北東にある3階建の中世風の市門、唯一残ってい
る。レーゲンスブルク方向の入り口だった。
Maderturm (13-14c)南西の隅に4階建ての円塔が設けられた。
RunderTurm (13-14c)南に市壁と共に円塔がある。
旧カルメル会修道院を中心とした街で、城もあり南と西に市壁が残って、
小さなマルクトのまとまった町である。
市庁舎 Rathaus (17c)後期ゴシックの市庁舎は1926に再建・更新された。ルネッサンス
の切妻とバロックの波天窓付きで、鐘楼にはごく最近の飾りがある。
アーベンスベルク城 Burg Abensberg(1040-59)深い堀に囲まれた正方形の城がある。
中央の核に古い役所の両切妻の建物がある。北と西にバロックの翼がある。北
東の角に側面を守る塔がある。13-14cに南に後期ゴッシクの半円塔。30年戦争
で30年戦争で円城壁・側面塔・ツインガーが残った。16-17cに南に寄棟屋根の建
物・市堀・養魚場が作られた。
市教区バルバラ教会 Stadtpfarrkirche(1380)建設が始めれた後に独立の教区に昇
格し、1516三廊後期ゴシックのハレン教会が建てられた。1731ゴシックの塔は聖物保
管庫と共に落雷で焼け、1762バロックの改修が城跡の石材で行われた。
修道院教会と回廊 klosterkirche mit Kreuzgang (1389)バロックの三身廊柱聖堂で
1710-11に元カルメル会修道院協会であった。カルメル会修道院はこの町の誇であり
1389に設立された。1802世俗化により、修道院は強制的に溶解されられた。
回廊は、儀式や催物に使われている。
税関 Zollhaeus (1348)小さな3翼の建物で19cに改修された。碑文あり。
ハッツェ家 Von Hazzi haus()ベルク大公国機密院会員と農業後継者の家。
アフェンチウム Aventinum (1389-92)元カルメル会修道院の3階建ての建物で今は町の病院
を収容している。後期ゴシックの複雑な中庭を15-17cの回廊が囲む。
侯爵倉庫 HerzogKasten (15c)3階建ての堂々たる領主の両切妻の穀物蔵。1802
の世俗化後は改修され、観光案内所と町の歴史と産業を展示する博物館。
教区司教館 Pfarrhof(18c)入り口門のある両切妻の建物で、城壁の残りの部分
を含み、二つの殻塔を組み込んでいる。
宿屋と旧醸造所 Gasthof Ehem.Braurei(1861)細長い3階建の切妻の建物で1904
にルネッサンスの醸造所に更新された。
市庁舎 | 下門 |
上門 | 僧帽塔 |
オイアー塔 | マルクト広場 |
1078 聖ウルリッヒとアフラ修道院文書に最初の教会を初言及、
1115 ヴィッテンバッハ伯爵シェタルンは数世紀支配する城を置く、
1180 皇帝バルバロッサはバイエルン領として封土し1918まで支配、
1210 ルードヴィッヒ1世は町のドイツ騎士団に教会を贈呈、ドイツ騎士団は1806まで存続、
1331 最初の市壁をマルクト周辺に置いた、1418バイエルン・インゴルシュタット伯は市壁を強化、
1634 30年戦争で焼失、1704 スペイン承継戦争で城が壊された、
1796 仏軍は町に宿営し司令官が住んだ。
市壁は1331に設置され、1418に更新され1.14kmとなった。19cには殆どが取崩
され、残されているのは約1割である。
設置された10市壁塔のうち、半数は部分的に断片が残り、2市門も現存する。
下門UnterTor (1311-47)1418に強化後中世要塞の一部であり、30年戦争の1634
に壊され、1646に再建された外観を保持している。今はヴィッテンバッハ博物館
として、ヴィッテルバッハ家の生い立ち、町の発展、城の発掘品などを4階まで
に展示している。
上門OberTor (1126) 既に1126には、プファルツ伯の城は町に建設され、防備が固めら
れていたと思われる。町の発展に合わせて皇帝ルードビッヒは周構を改良しゴシック
の門を建てた。1634スエーデン軍に壊されたが、銘板と砲弾を使ってバロックで再構
築された。
キツツキ塔 Specht Turm (1330) 元の市壁円塔の一つで、ホテル:キツツキの中庭にあり、錫
の冠が残っていたが、1945の砲撃で錫冠は切り取られた。
僧帽塔 Koegel Turm (1330) 市壁塔で1997に基礎から健全化された。地階には、
30年戦争を示す錫の場面があり、他の部屋には美術品がある。
オイアー塔Auer Turm (1330) Auer Turm (14c) 北西の市壁塔として造られゴシックの胸
壁のある角塔で、30年戦争を生き残った。染物屋塔とも呼ばれ、
1806に市民が購入して堀と共に庭園として使っている。
小さな特徴のない町であるが、門・塔が良く残されている。
市庁舎 Rathaus (1291) 幅広い町広場の中央に立つ2階建の建物で、地階は市場
・肉屋台・消火機材・町計量所・小販売所を収容し、上階には市会議場・事務室
などがあった。1634には街も市庁舎も焼け落ち、スペイン承継戦争後の1704
にはバロックの今の姿で再建された。
市教区教会マリア昇天 Stadtpfarrkirche Marae Himmelfert (1153) 1210にはルード
ヴィッヒ・ケールハイム伯がロマネスクの教会をドイツ騎士団に贈った。1450には今の姿に
改築された。1709-71に二つの小礼拝堂が付け加えれれ、バロック化られた。
1961-63再びゴシックに直された。1906-08改装、1976-85補修。
聖霊養老院教会 Heilig-Geist Spital kirch(1354) バロックの2身廊の教会が養老
院と共に建てられ、今は老人ホームである。1418ヴィッテンバッハ伯爵は門と周壁で
都市化した。1704高さ27mの塔が建てられた。
ストイプの家 Steub Haus () 1812にルードヴィッヒ・ストイプがうまれた。ストイプは旅行作
家あるいは文化歴史記述家として、アルプスやギリシャの事情に詳しい。
旧市庁舎 | 下マルクト広場 |
下門 | 上門 |
鍛冶屋通 |
1129 初文書言及、 1281 地区はバイエルン帝国の管理下に、1299質入された、
1360 ニュルンベルク城伯アルプレヒトは市場として販売、1387 都市権授与・堀や壁の建設、
1504 ランツフート相続戦争で町はニュルンベルクに落ちて、 ニュルンベルクの救護局が置かれた。
1552-52 本格的な街の復興、 1553 第2次辺境伯戦争でアルブレヒトは焼き払った、
1631-32 テリー将軍の略奪、 1806 ニュルンベルクが独立を失いバイエルンとなった、
1818 市壁の取り壊しが行われた、 1871 最後の大火事、
1945-65 地区事務所が町に置かれた。
1387には堀の工事が始まり15cまで要した、市壁は1400には堀と共に作られた。
上門の南の防御壁は破壊後に1449に復元された。砂岩の残基が見られる。
UnteresTor (15-16c)4階建て砂岩切石造の角塔。
OberesTor (15-16c)西4階建て砂岩切石造の急な寄棟屋根の角塔。
Stadtturm 市塔(15-16c)旧傭兵塔、中世町防備の市壁円塔で、大砲が据えられ
火薬と軍事品が備えられた。上階は1747に砲台にされ、19cには町側に拡
張された。
ニュルンベルクの東24kmにあり、マルクト・市庁舎・市教会・14-18cの木組みの家並み・城
・門塔など古い建物が維持されている。
市庁舎 Rathaus (1565)幅広いマルクトの中央に立つ2階建てルネッサンスの砂岩の建
物で、火災の後1565に新築され、1860に修復保全された。今は文化市
庁舎である。
聖ラウレンチウス市教会 Stadtkirche St.Laurentius(1387)3廊ゴシックバジリカが町昇格
時に建てられ、内陣・塔の地下部分は今も残る。1753-55バロックで本堂を拡張
・再建し、新らしい塔も建てれれた。1527からは新教だった。
元大学の建物 Wichernhaus(1754)ニュルンベルク貴族の学校として建てられ1623に大学
となった。1909大学が終わり、1925病院に変換された。3翼勾配屋根の中央3
階・両翼2階建ての砂岩造の建物に6階建ての時計塔がある。19cに再開さ
れた植物園には、1656平屋切妻屋根の家がある。
旧養護宮殿 Ehem.Pflogschloss Altdorf(1754)半寄棟屋根3階建て砂岩造で、1558
からニュルンベルク擁護局が使用した。1808バイエルン地方裁判所、1945地区事務所、
1972警察署を収容した。
旧郡裁判所 Ehem.Amtgericht(1900)新ルネッサンスの演奏会場と大きな3階建てのバルム
ダッハの建物で、今は市立図書館と市庁舎である。
ローベンベルクの家 Robhenberger Haeusel(18c)マンサード屋根の細長い木組の建物は納骨
堂として使われ、被写体として好まれる。これは市庁舎と市教会の間にあり、
この小さな中世風の建物は、2010市の公文書館となった。
旧皮革水車 Ehem.LederesMuehl(1604)上階木組み2階建て切妻屋根の家で、1817に
部分的に更新された。
宿屋 Gasthaus(1550-1600)3階建て切妻屋根砂岩切石造の建物。
旧納屋 Ehem.scheune(18c)全木組み切妻の大きな納屋。
旧宿屋 Ehem.Gasthof(17c)マンサードと半寄棟屋根の2階建木組の家。
旧宿屋 Ehem.Gasthaus(17c)2階建の大きな木組の建物、19c切妻更新。
都市農民の家 Ackerbauerhaus(18c)2階建木組切妻屋根床木組の家。
新2教牧師館 Ev.2Pfarrhaus(18c)2階建て木組の建物。
新教集会所 Ev.Gemeindehaus(1733)上階木組みの長い建物。
住居 Wohnhaus(17c)2階建て切妻木組の家
旧農家の家 Ehem.Bauernhaus(11390)中世の核に大きな木組みの切妻・屋根、1529
屋根、1529再構築された。
住居 Wohnhaus(1673)2階建て切妻屋根の木組みの家。
旅館 Gasthof(18c)3階建上2階切妻木組の大きな建物。
住居 Wohnhaus(1758)2階上階木組の建物。
旅館 Gasthof(1553)2階建切妻木組の漆喰塗の建物。
市庁舎 | フィルス門内側 |
フィルス門外側 | 東壁 |
ナップブルク門 | 北西壁 |
南東壁 | 町の眼鏡 |
1034 バイエルン皇帝オンラット2世は市場権授与、1163 皇帝フリードリッヒは貿易権を授与、
13c 都市となり鉄鉱石・塩・穀物を取引、1269 ヴィッテルバッハ家の領地となった、
1294 都市権を確認した、 1326 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは市壁を外に拡張、
1329 ヴィッテルバッハ家のプファルツに移管、 1474 プファルツ選帝候はルイ9世の娘と結婚、
1628 プファルツ選帝候と争いバイエルン帰属、1945 第2次大戦の空襲からは免れた。
12cの市壁が町中のSpitalGrabenで見られる。
1326中世後期の市壁は、西のゲオルグと東の病院を囲んで楕円形で拡張された。
19c初めに要塞は撤去されたが、広い部分で市壁は残された。
14cの5門(Nabburger-、Ziegel-、Vils-、Georger-、Wingershofer-tor)の内、Georger
門は17cに南のNeu門に置き換えられ、1870に取り払われた。
Nabburger門 (1317)病院門として在ったが、1326に2次市街地拡大時に市門。
二つの円塔を繋いだ形の門で、1576ルネッサンスの門衛詰所が付けられ、門の上に2階建
の上部構造が構築され、塔は円塔の上に八角塔が5階建ての高さまで乗せられた。
Wingershofer門 (1580)1458に城の拡張で南東角に移され、改築された町で
一番小さいルネッサンスの塔。
Vils門 (14c)角塔に外堡として3門の武器庫で、1575に補強され、プファルツ州
と町の紋章で飾られている。跳ね橋のための木製のローラが見える。
Ziegel門 (14c) ゴシックの塔は1581に嵩上げされた。二つの半円型の砲塔が隣に
建てられ、1888には再度修理された。今は青年団が使っている。
窮屈な市壁に囲まれた旧市街には、通商で栄えた14-15cの邸宅が多く残っている。
眼鏡橋として要塞橋が川面に映っている。
市庁舎 Rathaus (1348)中心部は14cのゴシック旧礼拝堂による大広間である。
16cには大規模な拡張が行わ、後に中二階に円天井の文書庫が成立した。
19c南正面は改造で二階のバルコニィが取り付けられ、商業と産業の立像で全面は
飾られた。1989に再改修が行われた。
聖マーチン教会 St.Martin(14c)ロマネスクの建物を1421-52にゴシックの円天井が設置さ
れ、1456-83に身廊は取り壊し後に再建された。1509塔は鐘楼の上に付けられた。
長さ72m、幅28m、屋根の高さ40mは、バイルン北部で最大である。
1869-74内装はバロックからネオゴシックに変えられた。
聖ゲオルグ教区教会 St.Georg(1094)1359ロマネスクからゴシックのバジリカに置き換え
られた。15c塔が取り除かれた。イエズス会の大学教会として移管され、聖マーチン教会
が教区教会となった。選帝候マクシミリアン2世は1652バロック化した。1773イエズス会は解散
したが、マルタ騎士団が1808の世俗化まで使い、1923に再度教区教会になった。
町の眼鏡 StadtBrilla (1454)46mのヴィルス川上に架かる塔で、初め二つの
塔柱の1階建ての建物が、1580に真中が2階建てとなり、1698に現在の一つの塔
柱と3階建ての建物となった。
選帝侯行政庁 Kurfurstliche Regierungskanzelei(1544-47)選帝侯フリードリッヒ
2世は、3階建て切妻の砂岩の建物を法律事務所として建てた。1601に多角形の階
段塔が付けられ、18c後半には拡張が行われた。今は地方裁判所として使用。
選帝侯宮殿と武器庫 Kurfurstliches Schloss und Zeughaus(15c)選帝侯
フリードリッヒ3世は1417から新宮殿を建て、1474には既存の「大きい部屋」に並行し
て「アンベルクの結婚」の建物を建てた。1768古い部分を取り壊してバロックの公園を
造った。今は地区事務所となっている。
武器庫の東と北の翼は1512に建てられ、1607には南棟も完成した。
1778には機能を失い、1945には大火災に遭遇した。1994大規模改修を行い、
今は地区管理事務所となっている。
市庁舎 | 十分の一税倉庫 |
広場 | 緑の広間 |
734 ベネディクト会修道士による修道院、 1197 最初の文書言及、1200城の構築、
1253 都市権の授与、1272マインツ大司教が取得、1525 農民戦争で修道院略奪と城全焼、
1631-34 30年戦争でスエーデン軍の占領、 1660 僧院の設立、1724-29宮殿の建設、
1742-47 修道院教会の建設、 17483-86 修道院の建設、
1803 修道院の世俗化 大公家が継承、 1806 バーデン大公国に町は落ちた、
1810 町はヘッセンに帰属、 1816 バイエルンに帰属。
わずか残る
見当たらない。
旧市街地は、木組の家が可愛いい。
旧市庁舎 AltesRathaus(1479) 寄せ棟屋根・鐘楼付の2階建て木骨造の建物。
旧ワイン醸造所 Alteskellerei(1485)短い翼を持つ漆喰の建物に階段塔と出窓。入口門と中庭
があり、庭周壁と旧市壁の堀の残りがあり、今は博物館。
騎士団の家 Templerhaus(1200-91) まず石の株構造があり、その上に木組の上部工が付
けられ現存している。13cにはDuernの貴族が所有し、16cには市民の手に移った。
1981には町が取得して復元された。
聖ガンゴルト教会 Stadtkirch St.Gangolt(1751-53)二つの塔のある3身廊のホール教会。
ライニング宮殿 LeiningischesSchloss(1751-53)かっての主事務所、1796三翼への変換と延長。
二つの門と周壁のある庭園もある。
ベネディクト会修道院教会 Ehem.BenediktinerAbteikirche(12c)正面に階段のある双塔の建物
は、1745に3廊のバジリカとし前面はバロックに。1803からルーテル教会へ。
旧僧院 Ehem.Abtei 1494南の納屋、1660西翼、1674南翼、1783東翼。
旧宮殿工場 Ehem.Schlossmuehle(1448) 後期ゴシックの階段切妻の建物で、南側は中世修道
院の壁のままである。
十分の一税倉庫 ZehentScheuer(1488)マインツ選帝侯の貯蔵庫として建てられ1960大修復の後
に映画館となり、1991にはキャバレーとなった。
ジョーダン浴場 JordansBad(1833) 多くの疾病を治す浴場を開いた。
ティーポット博物館 TeekannenMuseum(1994)現代美術と500のティーポットを展示。
市庁舎 | 辺境伯宮殿門 |
ヘリダー門 | 辺境伯博物館 |
西壁 | 西壁 |
北壁 | 聖ヨハネ教会 |
市庁舎 | 宮殿 |
748 ベネディクト会修道院の設立、 1050 聖Gumberusの墓所、
1139 アンスバッハ教区の初言及、 1221 最初に町として言及された、
1363 ホーエンツオーレルン家は水城を建設、 1415 城伯フリードリッヒ6世が、町を取得、
1456 王室所有地となり帝国裁判所設置、 1486 フリードリッヒは辺境伯となった、
1563 Gunbertus修道院世俗化、1685 ユグノー教徒移住、1736 プロイセンの支配、
1806 バイエルン領となった、 1945 2次大戦を生き残った。
1314市壁が築かれ、15cアルブレヒト・アキレス辺境伯は町を拡大し市壁と門を南に移した。
市壁は、北のKasperHauser Platzに80mと西StadtGrabenに65mに残っている。
ヘアリーダ門 HerriederTor (15c)古い基礎の上に1750バロックの六角塔が建てられた。
時計と鐘楼があり、11時と17時に鳴る。
ホーエンツオーレルン家のフランケン系辺境伯の宮殿を中心に栄え、中世とバロックの佇まいが
残っている。
市庁舎 Rathaus(1623) 4階建ての入口アーチ上に紋章を並べた建物、その紋章はアンスバッハの
歴史の段階を示している。その前の広場では土曜日に市場が立つ。
辺境伯宮殿 MarkgraeflicheResidenz(14c) 前城塞をアンスバッハ辺境伯がバロック様式に(1705
-50)増改築させた。27の豪華な広間は素晴らしい。中でも2800枚のアンスバッハ産のタイルで
飾られた鏡の間、陶磁器の装飾品や金塗の木工細工のある鏡の間、居間にあるホーエン
ツオーレルン家の肖像などが見られる。
町の家 Radthaus(1532) 破風付3階建ての昔別荘で、その後皇帝の地方裁判所が置かれ、
今は市長と市会議員が居る。
聖グムバーツス教会 St.Gumbertus(748)11-18c中央教区教会、15cにゴシックに増築、18cバロック
説教講堂へ、白鳥騎士団礼拝堂が見所、今は新教ルター派の修道院。
聖ヨハネ教会 St.Johannis(15c)3廊階段広間、簡素な祭壇、外壁にプラムの雨のモチーフ。今は新
教ルター派の教区教会。
聖ルードヴィッヒ教会 St.Ludwigs(1834-43)カソリックのギリシャ風擬古主義の教会。17c末にユグノー派
の亡命者のために計画された。
辺境伯博物館 MarkgrafenMuseum 昔の防衛施設に、辺境伯時代の収集物を展示している。
王宮庭園 HofGaruten 噴水の上のオランジェリィに向かって右側の道は500m。オランジェリィは1726-
28にフランス風に建てられ、今は演奏会場として使われている。
市庁舎 | ヘアリーダ門 |
北壁 | 北東壁 |
北西壁 |
1229 町はアイヒシュタットに遺産贈与、 1319-1512 アイヒシュタット司教は町の財産を取得、
1454 町は市場を開催、 1500 町はフランク帝国サークルに属した、
1602 町にアイヒシュタット司教の管理事務所設置、 1803 バイエルン王国に属した。
市壁は1300に作成され、14-15cに強化された。部分的には瓦礫で構成された。
ヘアリーダ門 HerriederTor (15c)古い基礎の上に1750バロックの六角塔が建てられた。
時計と鐘楼があり、11時と17時に鳴る。
小さな町で目を見張るものはない。
市庁舎 Rathaus(18c) 2階建の小さなバルム屋根の簡素な漆喰の建物。
聖ブレイズ教区教会 Pfarrkirche(13c) 基本的には13C後半のゴシック広間教会。1709-10
翼廊と内陣を新設し、1936-37玉ねぎドームを持つ西塔を付けた。
アイヒシュタット営林局 Ehem.EichstaettischesForstamt(1794) 2階建て田舎風寄棟屋根の建
物に1531の紋章石が付いている。
旧学校 Ehem.Schule(1876)2階建て寄棟屋根の簡素な建物。
旧司教館 Ehem.Pfarrhaus(1481)2階建て切妻屋根の建物は、17cに改造。
教区納屋 PfarrRaum(17c)一部木造の切妻屋根の建物。
市庁舎 | 聖ニコラス教会 |
アルンスタイン城 | 東壁 |
北壁 |
1292 ヴュルツブルク司教はトリムベルク城を建て集落が形成、
13c トリムベルク伯爵に属した、 1333 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権を授与、
1585 王子司教ジュリアス・アウグストは宗教改革導入、17c ユダヤ人が住み貿易を主導、
1803 世俗化しバイエルンへ、 1805 ヴュルツブルク大公国へ帰属、
1814 バイエルン王国の支配下に。
13c後半に、城は160mの城壁を持ち、市壁はそれに接続して外側に位置した。
見当たらない。門は18-19cに更新されたが、20cに取り払われた。
マルクト通りを中心にバロックの公共施設や裕福な市民の3階建ての建物が中庭を持って並
び、南東の端にはバロックの病院がある。美しい木組みの住宅は少ない。
市庁舎 Rathaus(1521) 古いゴシックの市庁舎は1521に建てられ、1745には入り口門
上の紋章などが更新された。1945歴史的な庁舎が焼失し、1949-51に3階建て飾り
の多い寄棟屋根の市庁舎を砂岩切石の玄関の漆喰塗で再建した。
聖ニコラス教会 St.Nikolaus StadtKirche (1400)今の市教会は1722-31に建てられ、18
c後半に新古典主義の内装とし、1904-12に改修された。
アルンスタイン城 Burg Arnstein(1225) 1229にヴュルツブルク司教が取得し、廷史の座席を城に
構築した。14c前半から城壁都市壁は存在した。1738には跳ね橋を設けた。1525
農民戦争による破壊の後に1544に統治の城は再建された。1805の世俗化後は1912
迄地方裁判所となった。その後は個人所有となり改修された。
豚市場のチャイム Glockenspiel am Schweinemarkt 豚市場の銀行の前にある小さなチャイム
は、8.12.14-17毎時に鳴らされる。
看護師の家 Schwankernhaus(16-17c)2階建ての木組みの家で、現在は青少年施設が
併設されている。
バラ園 Rosengarten(1996)200m2の面積に美しいバラが咲く。
市庁舎 | ヨハニスブルク |
馬市場 | 修道院教会 |
ヨハニスブルク中庭 |
885 東フランク王ルードヴィッヒ3世未亡人は町を受取る、 975皇室文書に要塞化された集落、
1144市場権、1155鋳造権、1157フリードリッヒ1世の関税地、1220築城と市壁・堀・門塔で守る、
1304 市民は聖職者の家を略奪し課税を無視、 1321 市議会による町の憲法の導入、
1447 皇帝フリードリッヒ3世は諸侯会議を招集、 1552 辺境伯アルブレヒトは町を占領した、
1614 ルネッサンス様式のヨハニスブルク城を建設、 1631 スエーデン王グスタフに町は降伏、
1743 墺継承戦争で仏軍を破った、 1803 アッシャフェンブルク公国が形成された、
1814 バイエルンに帰属して王夫妻が滞在、 1818 バイエルン憲法を受けて公国は終結。
1944 空爆で大損害、 1945 4月米軍が進駐。
12c一次市壁は、Landing通を西南にStiftsKircheで西に転じ、Loher通の北斜面に
造られ、マイン川沿いの斜面上を城に向かった。14c二次市壁は、城から北西と西南側に
Friedrich通まで拡大し、Schoentalとの境を南下しSandkircheを過ぎて西に、Brenー
nofenGasseで一時市壁に合流した。その後、東のSchoental公園地域と南のKranenー
Gasse区域が市壁で囲まれた。市壁が残っているのは、東Schoental公園の370mと南
BrennofenGasseの130mである。
かっては9市門と多くの壁塔が在ったが、19cの都市計画で全ての市門とHexen塔
・Zent塔は取り除かれた。
幽霊塔 GespenterTurn(14c) 東北隅の正方形3階建ての石塔で、上層階は
警備員のための住居として使われ、そのため大きな窓が付いている。
第一次市壁の範囲内は、歴史的建物が復元され殆ど歩行者専用地区となっている。
城からマイン川を見下ろす景観は美しい。
市庁舎 Rathaus(1958) 2次大戦後の7階建ての建物で、歴史・文化・都市開発の催
物や展示会が開かれている。
ヨハニスブルク城 Schloss Jahannisburg(1605-18) 赤砂岩造ルネッサンスの大きな四角の建物
で正方形の中庭を囲む4階建てで四隅に防御塔が立っている。19cには古典様式
に改修され、2次大戦で大被害を受け最初の城の外観が復元された。
・城教会には、ルネッサンスの祭壇・説教壇・マインツ大聖堂からの聖具がある。
・城博物館には、3階2000m2に多くの芸術品や工芸品やコルクの建築模型を展示。
・バイエルン州立美術館には、マインツ選帝侯の美術品クラナッハやルーベンスの絵画がある。
ポムペヤーヌン Po mpejanum(1840-50) 城の北西の丘の上にローマヴィラの理想形をルード
ヴィッヒ1世が造らせた。2次大戦で被害を受け1960に復元され1994からローマの芸術品
が置かれている。
協同教会 StiftsKirche (12c)主体の部分はロマネスクと初期ゴシックであり、12cの身廊
アーケード、13cの回廊・翼廊・東後陣・西と北のポータル、15cの八角の塔。
修道院美術館には、初期の教会歴史や宗教美術品の展示がある。
教区の母教会 Mutter gottes PfarrKirche(12c) 聖母マリアの教会で八角形の塔は
1768-75に再建され、最も古い部分は塔の北ポータルの三角小間である。バロックの
天井が二次大戦で壊され、1967に大天井のフレスコ画を修復した。
砂の教会 SandKirche (1756)巡礼教会として建てられ、2次大戦を生き延びて
ロココの調度が残っている。、
町と修道院の公文書館 Stad und Stiffts Archiv Schoenborner家の館に歴史
的・文化的な豊富な情報を収容し、自然史博物館もある。
市庁舎 | 上門 |
南西壁塔 | 北東隅塔 |
東南隅塔 | ガイヤー天守閣 |
西南壁 | 南壁 |
西北壁 | 北壁 |
東南壁 | ブルガート教会 |
803 集落に最初の命名、 1000 ベネディクトの司教は聖母大聖堂と修道院を築く、
1009 皇帝ヘンリー2世はフランクフルト帝国教会領地に、1230 ホーエンローエ家が所有し城を守る。
1136 今の教区教会は集落の中心にあった、 1325 バイエルン・ルードヴィッヒは市場権授与、
1390 ホーエンローエ家ブラウンエック系は断絶、 1398 コンラッド・アンナは同盟者に町の半分売却、
1403 ホーエンローエ・スチュワードは領土をヴュルツブルク本山に提供し自分は領主司教として働いた、
1404 プファルツのドイツ王ルプレヒトは都市権授与、 1436 15塔・2門の市壁が完成、
1470 ローゼンベルク家はトルシェゼスの所有権を買う、16c 騎士戦争と農民戦争で略奪破壊、
1602 スチュワード家の断絶でヴュルテンブルが所有、1632 ローゼンベルク家断絶でビュルテンブルクへ、
1673 仏ルイ14世軍が略奪、 1668-1805 ドイツ騎士団が町を所有、城はヴュルツブルク、
1805 ヴュルツブルク大公国が支配、 1814 バイエルン王国の帰属。
旧市街は殆ど1404-36の瓦礫の石積による市壁で囲まれている。
かっての市壁の高さは11m、幅は1.5mであった。
かっては15の門や塔が在ったが、1862に下門は取壊された。幾つかの半円殻塔も
も含まれ、殆どは円形塔で木骨上層階が多かった。
上門 Oberes Tor (15c) 中央門とも呼ばれ、1613バロック・ランタン付の長方形切石
造で再建された。1841銃眼塔と半寄棟屋根扶壁柱構造に再構築された。1852
東部2階建別館は崩壊した。
下門 Unteres Tor (15c) ヴュルツブルク門とも呼ばれ、3階建ての角塔であり、
二階には守衛が住んだ。1862取壊されて現存しない。
円塔 Rund Turn (15c) 北側市壁の切石造円塔で、地階は豚小屋に貸した。
牧人塔 Hirten Turn (15c) 北側角市壁の見張塔で、BadTurmとも呼ばれた。
切石壁造の4階建正方形の切妻屋根木骨上屋の塔である。
リムパッハ塔 Rimpach Turn (15c) 東北市壁の石造円塔。
ゲイヤー天守塔 Geyer SchlossTurn (15c) 東のハールバッハ通にある城天守閣であっ
た3階建の円塔で、昔は拷問室や刑務所として使われた。
円塔 Rund Turn (15c) 東南市壁の石造円塔。
円塔 Rund Turn (15c) 南東市壁の半円殻塔で、付属建築物によって改造され
ている。
円塔 Rund Turn (15c) 南西の城の中の石造円塔。
半円塔 Halbrund Turn (15c) 西南にかって城の一部として建てられた円錐屋
根の円塔で石造の上に漆喰が塗られている。
殻塔跡 Rest Schalen Turn (15c) 西び殻塔の切株がある。
円塔跡 Rest RundTurn (15c) 西に円塔の切株がある。
円塔 Rund Turn (15c) 西北隅の3階建て見張り塔。
殆ど市壁に囲まれ、多くの塔が残され、マルクトは切妻屋根の建物に囲まれている。
16-18cの風格のある木組の建物がある。
市庁舎 Rathaus (1482-89) マルクトに面したハルバー通の真中に建つ2階石積の上に
木組の建物で、マルクト側に屋外階段がある。市庁舎は切妻屋根で覆われ、マルクト側に
タレット鐘がある。1671後期ゴシック様式の広範囲な改築が行なわれた。19cにも改修。
宮殿 Schloss (13c) ホーエンローエ家はロマネスクの城を築いた。1390ホーエンローエの絶滅で旧
市街の土地が分割され、半分がワインスベルク、1/4がローゼンベルク、1/4がトルヒゼッセンに
帰属した。1632ローゼンベルク家の絶滅によりヴュルツブルク司教座本山の所有となった。
中央に最も古い部分があり、3階建で階段切妻屋根の建物である。1456-74に2階建魔
女塔、1430北と東へ城を拡張、1624ルネッサンス建物を南へ、1595-1626北翼を建てた。
病院教会 Spital Kirche (1355) ホーエンローエ・ブラウネックのゴットフリート2世が設立した。
細長い身廊は別々の建物を繋いで、1595-1604に中世の内装に改装され、
1862-64に再度変換された。
聖ブルカード教区教会 PfarrKirche St.Burkard (13c) ヴュルツブルク教区教会で、
1275-80にピラミット屋根の3身廊の教会が建てられ、1752身廊・西部ポータル・内陣
塔を改修1951の戦災で壊れ改修された。
教区司教館PfarrHaus (17c) ピッチ屋根の2階建石造L字型の建物で、北翼は高い
台座の上に建てられている。
芸術品が置かれている。
旧税関 Ehem.Zollhaus (18c) 木組の上階のある2階建て不完全な寄棟屋根の建
物で、その後文法学校となり、今は住居である。
金の子ヤギ旅館 Gasthaus Goldenes Lamm (1493) 腰折れ寄棟屋根2階建の建物
で、アーチは漆喰塗りである。17cに中心部分、1800に腰折れ寄棟屋根に改修され、
20cに屋根はふき替えられた。
フランク病院博物館 Frankisches Spital Museum Aub 元の病院教会の隣に博物館
が整えられ、聖職者の生きた価値を印象深く展示している。
住居 Wohn Gaeude (1581) 地階砂岩切石造、上階木組の寄棟屋根の2階建で、
領主司教の紋章が付いている。18c上階木組部分は取り換えられた。、
金の獅子旅館 Gasthof Goldenes Loeven (1568) ローゼンベルク家の建物で、後に
ドイツ騎士団が入居した。19482次大戦後に再建された。今は宿屋で、サドル
屋根の石造漆喰塗の2階建の建物である。
市庁舎 | 駐車場壁 |
東北壁 | 聖ヨハネ教会 |
スエーデン塔 | 東南壁 |
1007 町は書かれた歴史に参加した、 1314 バイエルン王ルードヴィッヒは町に格上、
1390 独自の鋳造制作所を開設した、 1373 地方裁判所を設置した、
1400 プファルツ王の軍が町を征服した、 1430 フス軍に町は破壊された、
1520-56 宗教改革の導入、 1618-1648 30年戦争で繰り返し略奪、
1634 ペストの大流行、 1904-87 鉄鉱石の採掘。
北東側のStadtGabenに20mと、その北側路地の西側に古い家壁20mがある。
シュベート塔 SchwedenTurm(16c) 中世の要塞の一部として建てられ昔は腐敗塔と呼
ばれた。1796に競売され、まだ残っていた市壁の塔として所有者にちなんでシュベ
ートと呼ばれた。今も町の東北に高さ8mの円塔が見られる。
市庁舎とヨハネ教会を中心に町並みがある小さな田舎町。
市庁舎 Rathaus 幅広いOberMarktの中央に立ち、ピンク色の切妻付の3階建の建物。
急傾斜の屋根の上に鐘楼がある。
聖ヨハネ教会 PfarrKirche St.Johannes(1319)ゴシックの三身廊の教会として建てられ、
1442-45に新しい塔が付けられた。1687-87にバロック教会として新築され町の彫刻
家のアカンサス草飾りが付いた。
修道院施設とミカエルの草原教会 Klosterange und KircheMichelfeld (1119) 初めベディクト
派の修道院としてBambergから修道士が来て建立された。1690-95に教会はバロック
一部ロココでアザムによって全て新築された。1803の世俗化で修道院は廃止され、司教
館、学校、事務所として使われた。
市庁舎前広場 | 聖ウルリッヒ・アフラ教会 |
121 ローマ植民都市の州総督府が置かれた、 5C アルマン族の侵入、
600 聖アフラの墓に巡礼、 955 司教ウルリッヒがローマ壁南半分の市壁建設、
1251 課税権の授与、 1224 フドルフ王は独自法制定権の授与、
1316 帝国自由都市、 1368 ギルド職人の蜂起とギルド憲法の制定、
1555 宗教的平和都市として共存、 1632 スエーデンの侵攻と経済の衰退、
1805 バイエルンの占領と1806バイエルン帰属、 1944 第2次大戦の空襲で大打撃。
ローマ市壁は、約2.9kmでドームから北で卵形(1.0km×0.6km)で造られた。
中世後期の市壁は、6.3kmでローマ壁内の2/3を含んで、更に南と東に拡張された。
市壁の位置は、WallとかGrabenとかMauerの通りの名前で判別できる。市壁が
残っているのは、Rotertor、Jakobertor、Oblatterwallturm、SchwedenMauer
等である。
赤い門 Rotentor 南16C 市壁の一部である二重の門塔で、二つの丸屋根と
庭がある。1622に改修され、今は野外劇場である。
鳥門 Vogeltor 東南
ヤコブ門 Jakobertor 東中
魚門 Fischertor 北
Jakober wall turm 東中
Fuenfgrat turm 東中
Oblatter wall turm 東北
Wehrturm 中
Perlach turm 市庁舎の北角にロマネスクの見張塔が98mと高い。
南北に走るHoherWegーMaximilianStrasseを中心とする大きな町である。
市庁舎 Rathaus 1615-20建、ルネッサンスの大きな建物、丸屋根の八角塔。1944
の空爆で壊滅。1947-62に復元。内部には黄金の門がある。
大聖堂 Dom 10-11Cバジリカ風3身廊ロマネスクで建造。14Cにゴシック5身廊に改修さ
れた。聖母マリアの生涯図とロマネスクのブロンズ像。
聖堂 Muenster St.Urich&Afra 1500建、修道院付属教会の建物に直角に
新教教会を継足した。バロックの。
聖アンナ教会 St.AnnaKirche 1321建、旧カルメル会修道院、1487-97ゴシックで拡大
修道院付属教会の建物に直角に新教教会を継足した。1616塔を建てた。
フッガー家のチャペルが西端に1512-18独初のルネッサンス様式で追加された。
フッゲライ Fuggerei 1519建、フッガー家が貧民のために造った66戸集合住宅。
現在でも僅かな家賃で入居者が入っている。
市立美術収集館 StaedtischeKunstsammlung 1769建、シェッツラー宮殿にドイツ
バロックギャラリー、絵画館には15.16Cの絵画が充実。
モーツアルト家 MozartHaus モーツアルトの父の生家が記念館になっている。
市庁舎 | フルダ通市壁 |
旅館 | 井戸屋 |
1249 集落はフルダ市教区として初言及、 1260 フルダ市教区は城と防護壁の建設を許可、
1337 市壁の拡張、 14c 壁・許認可・市場・評議会・森林使用の権利を得て経済的に繁栄、
1597 石橋の架設 1960にコンクリートの橋となった、 17c 30年戦争での破壊を免れた、
1634 ペスト流行で人口激減、 1876 大火事で町は全焼し今の旧市街の郊外だけが残った、
1830 温泉治療施設の建設、 1970 バートの呼称が認められた。
13cの市壁が残っているのは、Kirchgasse.5-7の南壁で、高い荒石の壁面が見られる。
見当たらない。
今の旧市街地は、1876の大火事で焼け残った昔の郊外であった。主として16-17cの上階
木組で寄棟屋根の建物が並んでいる。1747に発見された癒しの泉により、ヘルスリゾートが始まり、
19-20cには大きなスパホテルが建てられた。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1923)傾斜した高基礎の上に2階建て寄棟屋根
の石造バロックの建物が建てられた。外階段と丸窓に特徴がある。
聖バーソロミュー教区教会 Kath.PfarrKirche St.Batholomaeus (1781-83)
タマネギドームのある西塔を前面に備えたホール教会。1876の大火事の後に外壁を利用して再建され
た。1877-78に塔は嵩上げされた。
牧師館 Pfarrhaus (18c) 2階建てから3階建てになった寄棟屋根の建物。
旧粉挽所 Ehem.Muehle(18c)寄棟屋根で上階木骨造の木組みの美しい大きな
建物。
旅館 Gasthaus(17c)半寄棟屋根の上階木骨造の建物。
元旅館</em> Ehem.Gasthaus(17c)装飾された持出枠組みのある2階建て切り妻屋
根のある宿。
旧電報局の建物 Ehem.Telegrafenamt(1930)正方形の石造寄棟屋根の頑
丈な建物。
旧市庁舎 | 市庁舎 |
火の塔 | 東北壁 |
北壁 | マルクト広場 |
801 フルダ修道院の文書に初言及、 1057 シュバインフルト辺境伯が成婚で町を所有、
1296 バイエルン王ルイス4世は町の憲章授与、 1317 ヴュルツブルク司教区も町を共有、
15-16c 見本市・貿易で栄え裁判所を置く、 1520 鉱泉スパの開発と塩の生産、
1525 農民戦争で城や修道院の破壊、 1611 ペスト流行で人口は1/3に減少、
1634-36 スウエーデ軍に金銭で町を守った、 1709-71 パン・石工・大工ナドギルド成立、
1737 スパ施設の拡充で入場者数急増、 1806 ヴュルツブルク大公国へ、
1814 バイエル王国へ、温泉治療に皇后・皇帝、 1945 戦災なく米軍占領。
13c後半から14c中旬に正方形の市壁が建設された。かなりの部分が19c前半に取
払われた。北東部の市壁25mの前には、ピーター救いの塔がある。これは1645スエーデン
軍に対して蜂の巣を投げつけて戦った故事の記念碑である。
13-14cの市壁には14の塔が在ったが、残るのは南東に立つ火事塔のみである。
火の塔 Feuer Turm(14c) 旧市街の要塞の前の角に立つ4階建ての円錐屋根の円塔は
砂岩の荒石壁造で、1850から火事監視塔として使われた。
古からの温泉町であり、正方形の旧市街は丘の上にある。
市庁舎 Rathaus (1709) 貴族のバロックの宮殿として建てられた3階建ての建物で、当
時の市長が町の取引の場所として取得し市庁舎とした。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1577) 鐘楼のある3階建ての建物で、マルクト広場に建てられた。
今は観光情報を提供し、様々の展示が行われている。
聖ヤコブ教会 St.Jakobs Kirche(18c)印象深いバロックの教会。
心のイエス町教区教会 StadtPfarrkirche Herz Jesu (19c) 聖ジェームス教会が狭いため、第2
の教会として建てられた。
クアハウス Kurhaus bad (1972) 開設時は欧州でも最も近代的な浴場だった。今はセラピーセンター
としてマッサージ・泥トリートメント・入浴を提供している。
君主建築 Regenten bau (1911-13)町のランドマークであり、スパ・ガーデンの中に位置し、コン
サートと集会が行われている。
アーケードとクアガーデン Arkade und kurgarten 閲覧室・演奏会場・カフェがある。
市庁舎 | 北壁 |
マルクト広場 |
741 町は初文書言及、 1314 都市権の付与、
1200 ヘネンベルク家が所有し相続した、1354 ヴュルツブルク司教は一部を買取り要塞を築く、
1631-35 30年戦争でスエーデン軍が占領、 1650 町は強力な要塞を拡充した、
1803 世俗化に伴いバイエルンへ、 1805 和平でフェルナントのヴュルツブルク大公国へ、
1814 ウイーン会議でバイエル王国へ、 1972 ケーニッヒス郡の溶解で近隣町と合併。
17-18cの市壁の遺跡がある。Maetin-rein-hard str.町の東の出口で裏壁、と
Sparkassen str.外北門の柱が残る。
見当たらない。
長方形の旧市街は、18cの大火災で古い建ての物多くを焼失し、後に漆喰上塗り又は
上塗りなしの木組みの2-3階建の建物が多く建てられた。
マルクト広場は18-19cの中産階級の家に囲まれている。
市庁舎 Rathaus (15c) 載冠角出窓のあるマンサード屋根の3階建ての上階漆喰塗ルネッサンスの建
物で、中核は15c・南ウイング1563-64・本館1573-75で、18cに改修された。
マリア昇天教会 StadtPfarrKirche Maria Himmelfaet(1302)最初は簡単な木造教会であ
った。1302から聖ペテロ教会が構築され、1442-96後期ゴシックの3身廊切妻屋根の教区
教会が建てられその碑文がポータルにある。1671-73ギャラリィが再建された。建物は25×
50mの大きさで、塔の高さは63mある。1967-68改修が行われ、上塗りされていた
ネオゴシックの装飾が削除された。
旧兵舎 Ehem.Kaseme (1767-71) マンサード屋根の3翼の大きな建物である。
都市在住農民の木組みの納屋 ackerbuerger Scheune (19c初) 2階建ての木組の納屋で、
Julius str.4 Kellerei str.55 などにある。
考古学博物館 Archaeologische Museum (1988) 旧修道院の穀物倉庫に開設された。ミュ
ンフェンの州立考古学博物館の分館として、先史時代からのこの地方の、特にRhon
の墓野原についての豊富な副葬品が展示されている。
市庁舎 | ホーン門 |
南東壁 | 塩小門 |
南壁 | 北壁 |
東壁 | マルクト広場 |
741 フランク王チャールズの聖マーチン教会への贈物に言及、742-1000 東フランク王国の支配、
1159 独でも大きい山上のザルツブルク城の言及、1200 最初の木製城壁の建設、
1232 町として初言及と都市権の授与、 1525 農民戦争で農民側で鎮圧・処刑、
1541 町に最初の宮殿を建設 、 1585 反宗教改革で町は再びカトリックへ、
1631-34 30年戦争で飢餓や疫病、 1640 スエーデン軍に帝国軍が対抗、
1680 1352からのカルメル会修道院は教会を設立、1805 世俗化の後にヴュッテンブルク大公国、
1815 町はバイエル王国に帰属。
市壁は13cに造られ、16cに拡張・更新された。全体的に市壁は保たれているが、
元の高さはない。ツインガーは北東角とKirchePfarteからSpoerleiesTorまで残る。
ホーン門 Hohn tor (1578-79) 西南 領主司教ユリウスの要望で建てられた6階
建て高さ34mの白い両切妻屋根の角門塔で時計が付いている。門塔には旧管理棟・
宿「ポスト」・宿「黄金獅子」の3つのバロックの建物が繋がっている。
シュペーラインス門 Spoerleins tor 北東 門の場所に1846花瓶置き場的な2本の
柱が建てられた。
教会小門 Kirch Pforte 北 教会の東から外に出られるアーチ小門がある。
塩小門 Salz Pforte 南 小門がある。
円塔 Runde turm 西南 狭間擁壁のある屋根のない細長い円塔。
円塔 Runder turm 西中 円錐屋根付の細長い円塔。
円塔 Runder turm 西北 狭間胸壁と銃眼のある屋根なしの細長い円塔。
円塔 Runder turm 北東 円錐屋根の細長い円塔。
半円殻塔 HalbrunderSchaelen turm 東 外壁に半円の殻塔。
円塔 Runder turm 東 ロスマルクト通りに円錐屋根の低い円塔。
ハート型の市壁は珍しい。広いマルクトには2つの泉があり、2-3階の切妻のある
木組みに漆喰塗または石造の建物に囲まれている。
市庁舎 Rathaus (1473) 意外に簡素な建物で、入口上の市の紋章で分かる。
カルメル会修道院教会 Karmeliten KlosterKirche ()歴史的な宝物として、
バロックの美しい木製祭壇と説教壇がある。1732のオルガンは今も維持されている。
黒い聖母の礼拝堂と綺麗な漆喰の天井もある。
町教区マリア昇天教会 StadtPfarr MariaHimmelfartKirche (1050)今の場所に
建てられ、1352の補修されたゴシックの目の教会が在った。1798宮廷建築家によって
28本のコリント円柱のある建物を計画したが、資金不足で1834までかかり、1836献堂
はヴュルツブルクとフルダの司教によってなされた。
塩城 Salzburg (1150) 1km東の山頂にプファルツ皇帝オットー3世はハンガリーの避難所
を設け、1250には拡充強化された。450mの城壁に囲まれ、城門を入ると広々とし
た中庭とかなりの建物が残されている。
旧市庁舎 | 市庁舎 |
市壁 | 市壁 |
ロイヤル クアハウス | 市壁 |
店舗住宅 |
8c バイエルン公に塩を献上した、 9c 町が建設され製塩所を独占して繁栄、
1144 教皇の文書に要塞の存在を記述、 1159 この町は都市として言及された、
12c 経済的・財政的に頂点にあり大建造物や市壁を建てた、 1196 ザルツブルク大司教侵攻、
13c 城を中心にバイエルン支配の拠点となった、 15c バイエルン公は製塩所を近代化した、
1786 塩水浴が始まり別荘が建てられた、 1834 大火事で旧市街の3/4が消失した、
1846 ルードビッヒ1世は製塩所やスパを更新した、 1890 国王の法令で「バード」の名を冠した、
1914 一次大戦で外国客を失い空港建設、 1934 山岳部隊の兵舎が建設された、
1945 鉄道施設が空爆された。
12c 経済的に裕福で市壁を建てた、1196 城や要塞施設はザルツブルク大司教に破壊された、
1218 バイエルン公は城を再建した。 1220 城と都市要塞はいくつかの塔で補強された、
1809 チロルの蜂起に市壁は耐えた、 1834 大火事で300戸中12戸しか残らなかった、防衛施
設も損傷を受け、町の近代化拡張の妨げにもなり、門・塔・壁の大部分は取壊されて、住宅・
道路・緑地となった。 1945 空爆で丸い塔が破壊された。残っているのは、火薬塔の北と
西、ピーターとパウエル塔の西と北、ニコラウス教会の北と南、等にある。
7門あったが、残ってはいない。アンガー門のアーチの壁の残骸が、イム・アンジルとインスブリッカーStr.
の角に見られる。
壁塔は14あったが、現存するのは火薬塔とピーターとパウル塔の二つである。
火薬塔 Pulver Turm (1275) 城の南300mにあり、4階建ての細長い角塔で、
低いテント屋根が付いている。現存では町で最古の建物である。近くに市壁と堀が残っている。
ピーターとパウル塔 Peter und Paul Turm (13c) レンガ造の防衛塔は世俗化で
払い下げられ、アパートとして拡張された。1800まで市壁外にあった二つの教会に由来して呼ばれた。
円塔 Rund Turm (1219) 城の南の壁は、かっては6搭で補強されていた。17cまで
監獄として使われ、1945の空爆で破壊され、中庭に壁の残骸が残っている。
旧市庁舎 Altes Rathaus (15c) 広場の西側にあった市庁舎は、1834の火事で
焼失し1849-51に再建された。フレスコ画が描かれたネオゴシックの3階建寄棟屋根の建物で、中横突
起の上に鐘楼がある。1920に焼け、1924に修復された。
グルッテンシュタイン城 Burg Gruttenstein (12c) 始め石造の砦があったが、1196
ザルツブルク大司教に壊され、1218にバイエルン公が城を再建した。13cにはバイエルンの看護裁判所の公
邸となった。残っているのは、南側の市壁の一部と門と中庭北翼に3階建ての居住部分がある。
2007に改修されて公開されている。
聖ヨハネ病院教会 Kath.SpitalKirche St.Johannes (780)ポスト通北端の市壁
に沿ってあり、この盆地で最古の木造教会と考えられる。1181にニコライ教会と呼ばれる石造の教会とな
った。1481近くに塩職人用の病院が建てられた。1834の大火事で破損し再建された。1911-12に
大規模改修が行われた。
聖エギヂィア教会 Kath.Kirche St.Agidien (1159) 15cにロマネスクのホール教会に
拡張された単通路教会。1529に北塔が付けられ、1834の火事の後ネオゴシックで再建された。1979-
80に塔は解体され、高さ44mで再建された。
聖ニコラス教会 St.Nikolaus Kirche (12c) ロマネスクの3廊バジルカで、12cの形を保って
いる。青い塔は市壁塔であった。1515-1808に先のとがったヘルメットを着けていた。1861に古い塔は壊
されて、1863-64に新しいネオロマネスクの角塔が高さ40mで建てられた。
旧製塩所 Alte Saline (1841-51) 3つの中庭の周りに4つの製塩所と補助建物が建ち
中央の中庭には噴水がある。建物内には機械が保存され、唯一の王室製塩所としてよく保存されている。
ロイヤルクアハウス Syadtliches KurHaus (1899-1900) ネオバロックの複合温泉施設で、
切妻のあるエントランス・オープン階段などがある。
住宅と店舗 Wohn und GEsehaeft Haus (15c) ボールトと前壁を備えた4階建ての大き
な建物。19cに古典主義の前面となった。
市庁舎 | 銅塔 |
城広場・半円塔 | 東壁 |
北東壁 | 北壁 |
南壁 | スタッテル屋根の家 |
800 ローダッハはフランク族墓地の下地区に属す、 899王の館ローダッハの命名が初言及、
1180 城とローダッハはヘネベルク家の領地に、 1300 市場町に自分の裁判所を創立、
1310 シュバルツベルク侯爵の都市権授与、 1353 この町を含みヴィッテン家が取得、
1362 マイセン辺境伯は町と市場権を確認、 1386 全体の集落は市壁で囲まれた、
1525 農民戦争で城は廃墟となった、 1531 市壁は拡張され地方の要塞に、
1632-38 30年戦争で略奪・焼払・疫病・飢餓、 1663-1734ザクセン・アルテンブルク公の繁栄、
1748 フランツ・ヨーゼフ侯爵は狩猟ロッジを建てた、 1825 町が焼け市壁材料で建築、
1826 ザクセン公国の統治下に、 1857コーブルク門と火薬塔間の市壁破壊、
1866 バイエルン軍が町を占領。
14cからの市壁は塔と堀で構成され、西側の市壁は1825の火事で家の建材とし
て取り壊して再利用された。北半分は殆ど現存し、南側は古い市壁の残片は建物
の基礎として使われている。
銅塔 Kuper Turm(14c) 5階建ての角塔で寄棟屋根に屋根天窓がある。
火薬塔 Pulver Turm(16c) 7階建ての殻角塔で四角錘屋根が付いている。
円塔 Rund Turm(14c) 2階建ての円錐屋根の円塔。
半円殻塔 Halbrund SchaelenTurm (14c) 2階建の半円殻塔で屋根はない。
半円塔 Halbrund Turm (14c) 3階建て平屋根の半円塔。
上部フランケンの温泉スパの町で、旧市街には歴史的建築物やフランコニア木骨の家がある。
市庁舎 Rathaus (1660) 2階建て両切妻屋根で、前面には屋根天窓がある。
1903新ルネッサンスで再構築された。
ゲオルゲン修道院 Kloster Georgenberg (1120)侯爵未亡人とその妹がバンベルク
司教に寄贈し、1149聖ゲオルク修道院が聖別された。世俗化で私有化され、1542町は
千ギルダーで買い取った。1550建物は取り壊され、建材は市壁に転用された。
狩猟宮殿 Jogd Schloss (1748-49) フランツ・ヨジアスは侯爵狩猟宮殿として3階建て
中央突起と両側の寄棟屋根の建物を建て、ゲストハウスで使った。その後小学校となり
1982地元の歴史博物館となった。
聖ヨハネ教区教会 Pfarrkirche St.Johannis (15c) 15cに建てられた塔と調度を
使って、1755-58ホール教を建てた。
旧郡裁判所 Ehem.Landgericht 2階建てルネッサンス切妻屋根の長い建物で、一時刑
務所として使われ、1900切妻が強化された。
旧郵便局 Ehem.Post (1690) 1690の年号を掲げているが、19cに再構築された
2階建ての差掛け屋根の建物で、地階に田舎風玄関があり上階は木骨造の偽装。
郷土博物館 Heimatmuseum SchlossPlatzにあり、地域の歴史だけでなく、
地域の経済関する展示がある。
木組みの家 Holz Haus
古い学校 AlteSchule (1696) 市壁に跨った美しい切妻屋根の木組の建物。
金のライオン GoldenerLoewen (17c) 上階屋根窓のある美しい模様の木組みの
建物で通り側の切妻は堂々としている。1986までガストホフ「金のライオン」であり、
その後住宅で使ったが、2014町が取得した。
角の家 Eckhaus (1905) 角に立つ2.5階の石造と木造の混合建築物で歴史
主義様式の角塔と切妻がある。
階段屋根の家 Staffeldachhaus (17c) 上階木組の家で地下室の上に建つ。
フリドリンの家 Fridolinhaus (1914) 中庭を囲んで美しい2-3階建の木組みの
上階や塔がある。
木組みの家 Fachwerkhaus (19c) 2階建て切妻屋根の木組みの家。
木組みの家 Fachwerkhaus (18c) 中庭への入り口のある2階建て切妻屋根
の木組みの家。
市庁舎 | マルクト広場 |
バンベルク門塔 | 東壁 |
西壁 | 西壁 |
東壁 | 東南壁 |
9c中 フルダ修道院が所有していた。 11c バンベルク司教が所有、
1130 皇帝ローター3世は市場・関税権を授与、 1418 4門を建設、
1422 バンベルク司教からアウフセス要塞の構築権を与えられた、
1633 スエーデン軍の略奪と破壊、 1634 ペスト流行、
1684 ほぼ全戸焼失する火災発生、 1719 修道院バンツの献堂、
1722 聖フォーティーン大聖堂の完成、 1804 町はバイエルン王国に帰属、
1975 50度Cの塩水が噴出、 1999 スパと製塩施設の開業。
2001 町名にBadを付けた。
15-16cの市壁は砂岩疎石で壁塔が配置され、堀を伴っていた。
市壁の上に家屋が建てられている。市壁は1880年代に取り壊された。
今は、東から南にかけて残されている。
4市門の内バンベルク門塔のみが残されている。
バンベルク門塔 Banberg TorTurm(1573) 16cに今の姿になり市塔とも呼ばれ
た。5階建て砂岩造の正方形の塔で、マンサード屋根の帽子は18cのもので
ある。
1684の大火災後の2階建てバロック切妻屋根の木組の建物が多い。
市庁舎 Rathaus (1684-87)中世後期の地階を使用して切妻屋根の木組の上
階を付けた3階建て鐘楼付きの美しい建物である。
聖キリアンとゲオルク教区教会 Pfarrkirche St.Kilian und Georg(14-15c)単塔3
身廊の教区教会で、16c 18cに改造されている。
聖アンナ礼拝堂 St.Anna Kapelle(15c) 1684の火災で焼失、1694に再建され
た。天窓・引込内陣切妻屋根。
聖ゲオルグ礼拝堂 St.Georg Kapelle(1727-29) 砂岩寄棟屋根の広間教会は
漆喰塗。
バンツ修道院 Kloster Banz(18c)対岸北の山頂にある大修道院。
旅館アダム・リーゼ Gasthof Adm・Riese(17c) 2階建て上階木組の美しい建物。
通り側は半寄棟。
旧バンベルク大聖堂章の事務所 Ehem.Amtshaus des BanbergerDomkapitals
(1717-20)2階建て寄棟屋根砂岩造の建物。
旅館黒熊と醸造所 Gasthof und Brauerrei Zum SchwarzenBaeren上階木組の
2階建、美しい切妻と地下室のある建物。
市博物館 StadtMseum (1870)切妻屋根の美しい元校舎に、市の歴史と文化
の展示がある。
市庁舎 | マルクト広場 |
西壁 | 北東壁 |
1133 市場伯ディーポルト3世はバルトザクセン修道院を設立、 1296 初文書言及、
1350-1405 ボヘミアンプファルツ州に属した、1343 皇帝ルードヴィッヒは村を町に昇格、
1351 カール4世は都市権を授与、 1351 市壁を強化した、
1405-99 バイエルン侯爵の上プファルツに、 1499-1621 プファルツ選帝侯領となった、
1621-1805 バイエルン侯爵領となり市壁の再建、 1806-1918 バイエルン王国領へ、
1839・1969 市壁内の殆どを焼失した。
1343の町への昇格で市壁は建設され、1622に一部再建された。市壁の
外側に堀の壁もある。
見当たらなかった。
1839の大火災後の2階建ての建物が多く残っている。
市庁舎 Rathaus (1892)歴史主義2階建ての寄棟と切妻屋根のL型平面でバルコニ
ィー・中央突起の入口のある石造建物。
聖ニコラウス教区教会 Pfarrkirche St.Nikolaus (1733-1808)石造3身廊ホール教会で
南の内陣に尖塔がある。1839-40と1872に火事の後の改修。
カソリック牧師館 Kath.Pfarrhaus(1840)切妻屋根に狭いアーチの窓枠と石造漆喰塗2階
建ての建物。
住家 Wohnaus(1801)2階建て切妻屋根の石造漆喰仕上げの建物で、角円塔があ
る。19cに再石膏作業。
聖ミカエル礼拝堂 Kath.FriedhofKapelle St.Michael (1590)広間作りの石造の建物。
1770の火事の後に構築され天窓のあるヒップ屋根がある。
共同醸造所 Ehem.Kommunbraueei(1840)平屋切妻屋根の石造漆喰仕上げの建物で
火事の後1840に屋根とアーチ窓が整備された。今は、ドイツボタン博物館であ
る。
カソリック礼拝堂 Kath.Kapelle MariaHilche(1834)3辺に切妻屋根と天窓のある建物。
カソリック巡礼教会 Kath.WallfahrtsKirche Zum Gegoifalfen (1763-68)北に5㎞に広
間造り凹んだ内陣の寄棟屋根の建物。1765の年号がある。西玄関・内陣・聖具
室を拡張。1818-19石造に漆喰仕上げ。石山教会とも呼ばれる。
旧市庁舎 | 旅館オブレイ館 |
聖オズヴァルト教区教会 | 南西壁 |
南西壁 | 南壁 |
802 初文書言及、823 ヴュルツブルク司教は新教会奉献、 1220 スタウヘンブルクの建設、
1244 アンデックス・ソラニアは城と町を取得 1260 侯爵トルヘン・ディンゲンは町を相続、
1270 百戸区を認証しヴュルツブルク猟場監督長事務所、1328 バイエルン皇帝は都市権授与、
1390 バウナハ百戸区はバンベルク司教の郡へ、 1435-48 バウナハはローテンハンに質入された、
1447 領主司教ローテンハンは町に封印と横印授与、1525 農民戦争で城は略奪・焼払れた、
1553 ブランデンブルク辺境伯は城を廃墟に、 1603 フルダ僧院は財産をバンベルクへ売却、
1631 町は30年戦争で略奪された、 1689-93 スタウフェンベルクは倉庫の館を建設、
1722 町の防備施設を新設、 1796 仏軍の侵攻と通過、
1802 バウナハ役所をバイエルンに引渡し地方裁判所設置、 1939 マイン川は架橋で舟運終了。
1328にバイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権を授与し、市壁が築かれた。1722に町の
防御施設が新築された。南西のAm stadtgrabenの内側に120mの市壁が残っている。
見当たらない。
16-18cの2階建ての木組みの家があり、マルクト広場は纏まっている。
旧市庁舎 AltesRathaus(1742-46) ロココ2階建て隅切石柱腰折れ寄棟屋根の建物で鐘楼
と天窓付きの漆喰仕上。1982市立図書館と郷土博物館を収容した。
新市庁舎 NeuesRathaus(18c) 旧市庁舎の南隣の学校を改修して1982から市庁舎とし
て使用した。
聖オズヴァルト教区教会 Pfarrkirche St.Oswald (18c)最初の教会はアングロサクソン王の聖オズ
ヴァルト捧げられて建てられた。1460残っている聖歌隊と4階建て尖塔が建てられ
1810バロックの祭壇は世俗化を通じてバンベルクの聖ステファン教会から来1970-72再建さ
れ、34レジスターのオルガンが付けられた。
旅館オブレイ館 Gasthof Obley Hof (18c)大きな中庭のある美しい上階木組2階建の半寄
棟屋根の建物。文節門入り口がある。
元納骨堂と墓地礼拝堂 Ehem.Beinhaus und FriedhofKapelle(1543)2階建て上階木組
の切妻屋根造後期ゴシックの建物。
宿屋 鹿 Gasthaus Zum Hirsch(1800)大きな2階建ての寄棟屋根の建物は1800に更
新された。
旧司教の保管庫 Ehem.Bischoeflicher Kastenhof(1689)バロックの2階建て細長い切妻
屋根の建物と3階建ての正方形の階段塔を、司教マルクアート・セバスチャンが建てた。1802上
級事務所は溶解し、1838-1932地方裁判所を収容、1982まで工場で使われ、今は老
人ホームとなっている。
十分の一税納屋 Ehem.Zehntstadel(18c)王子司教の紋章が付いた切妻屋根の納屋で、
十分の一税の物納を収容した。
マグデーレン礼拝堂 Kath.Magdelen Kapelle(1431-35)砂岩ブロック支柱の内陣と広間構造
の礼拝堂。前の広場には右屋外説教壇が置かれている。
テレメル工場 Tremel Muele (14c)今の建物は1705-06に建設され1989まで操業ししてい
た。2階建て切妻屋根の建物は、19c工場施設は博物館となっている。
市庁舎 | 新宮殿 |
旧宮殿 | 旧宮殿塔 |
辺境伯歌劇場 | 祝祭劇場 |
1194 バムベルク司教オットー2世の文書に初言及、 1199 村として、1231町として言及、
1200-30 町に都市権の授与、 1248 侯爵アンドレッセ・メラニーンが領主であった、
1260 ホーエンツオーレルン家ニュルンベルク城伯が遺産引受、 1361 皇帝カール4世は鋳造権を城伯に、
1430 フス軍は市庁舎や教会を焼き払った、1528 フランケン領主の指示で宗教改革を導入、
1603 辺境伯クリスチャンはバイロイトへ王宮移転、 1605 大火災で建物の過半が被害、
1620 ペスト、1621大火災、30年戦争で衰退、1683 辺境伯エルンストはトルコの包囲を解放、
1735-63 町の最盛期でバロック・ロココ建築多数、 1769 アンスバッハ辺境伯が継いだが困窮、
1791 プロイセンの州となった。 1806-10 仏の占領下で高額金を拠出、
1903-33 ワイマール共和国に参加、 1945 2次大戦の空爆、4月米軍進駐。
市壁は1750に各所で壊された。
市壁は、北部に100m残っている。
上門、下門、Muehl小門等は、交通阻害で18cに取り壊された。
18cに突然黄金期を迎えた町で、ブランデンブルク・バイエルン辺境伯の王宮が置かれて
建てられたバロック・ロココの建築物が良く残っている。1872からヴァーグナーが住んで活躍。
旧市庁舎 AltesRathaus(13c) 1430フス軍に壊された後再建、1605焼失、1679再建、1
722-27に3階建てルネッサンスの建物に再構築、1916官公庁は新庁舎に移転、1921旧市庁
舎は公共図書館を収容、1945-72新市庁舎の破壊で一時市庁舎として使用、1972-96
バイエルン警察署、1996-99大規模な改修の後に美術館となった。
辺境伯歌劇場 Markgraefliche Operhaus(1749-48) 美しいバロックの建物は世界遺産であ
り、72mの舞台を3階の客席が取り巻く。
新宮殿 NeuesSchloss(1753-54) 辺境伯フリードリッヒの宮殿で既存の建物を改造したり統合
して造られた。居住棟はロココのスコッタで飾られ、鏡の間、日本の間、音楽の間等がある。
北翼1階にはファイアンス焼き博物館がある。
城教会と城塔 SchlossKirche und Schlossturm(1749-48)辺境伯フリードリッヒの埋葬のた
めに明るいバラ色の塗装の単身廊のロココ教会を建てた。階上席の下に閉ざされた礼拝室
があり、辺境伯や娘たちの墓所がある。1565八角形の大きな鐘塔は町のシンボルであ
る。
聖三位一体教会 StadtKirche Heilig Dreifaltigkeit(1437-1495) 二つの高さ50mの塔
のある印象的な1668の建物で、塔はイタリア風フードに替えられた。北塔の地下室には1194
に献堂された昔の建物がある。
病院教会 Spital Kirche(1439) 初めのルネッサンスの教会はゴシックへの改修があり1577に奉
献された。1748礎石、1750奉献の今の新しい建物が建てられた。
祝祭歌劇場 FestSpielHaus(1872-76)ルードヴィッヒ2世がヴァーグナーのために世界最大のオペ
ラハウスを建てた。木造で音響効果が良い。
州立美術館 StaatGalelie(2007) 新宮殿に州立絵画コレクションの分館として開館された。
後期バロックの100点の絵画がある。17cオランダ絵画、18c風景画。
辺境伯と陶器博物館MarkgrafesPrankraeume und SammlungBaureutherFayance新宮
殿の辺境伯と妻の個室が公開されている。また1階にはバイロイト陶器工場が1720-33に
生産した陶器が展示されている。
ヴィルヘルミーネ博物館 Museum Bayreut der Wilhelmine 新宮殿に、辺境伯の妻であるプロイ
センの王女の文学・音楽・オペラの愛好家としての貢献の経緯を展示。
考古学美術館 ArohaeologischesMuseum(1759-60) 新宮殿の庭に建てられたイタリア風
の建物で、旧石器時代から新石器時代の豊富な展示物がある。
歴史博物館 HistorischesMuseum(19c)1996に新築の博物館になった。34の展示室に
町や地方の歴史・政治経済・文化生活・建築についての展示がある。
美術館 KunstMuseum(1727) 1996に改修後に美術館となった。主として20cのネオリアリ
ズムとシュールリリズムについての展示がある。
上フランケン自然史博物館 Urbelt Museum Oberfranken 500万年間の生命の歴史の古生物学
・地盤学に関する情報と展示。
フランツ・リスト博物館 FranzList Mudeum 音楽家フランツ・リストの人生と作品を展示。
ジャンポール博物館 JeanPaul Museum 詩人>ジャンポールの人生と作品を展示。
ドイツ・フリーメイソン博物館 DeutschesFreimauer Museum ドイツのフリーメイソン歴史と自然について
の最大の研究成果を展示している。
メイゼル醸造所と樽博物館 Msisel's Brauerei nmd Buettenerei Museum メイゼル醸造の建物
は2400m2の正方形でビールの世界を収容する。ギネス登録の世界最大ビール博物館である。
多くの種類の樽も展示されている。
ドイツ・タイプライター博物館 Deutsches Schreibmachinen Mudeum 400台の歴史的なタイプライター
の内約半数が展示されている。
ヷルキリー磁器博物館 Walkuere Porzellan Museum 磁器工場ワルキーレの100年の歴史(1899-
1999)を展示。
リヒャルト・ヴァーグナー博物館 RichardWagner Museumリヒャルト・ワーグナーの生涯と作品。
市庁舎 | 聖バルブルカ教会 |
魂の修道女塔 | 耕地塔 |
馬塔 | 水汲取塔 |
ザフュッター塔 | 市民塔 |
乞食廷史塔 | 東壁 |
南西壁 | 北西壁 |
1007 教区アイヒシュタットの場所として初言及、1050 都市権と通行料徴収権を得た、
1300 町は市壁と堀で守られた、 1525 農民戦争の被害は免れた、
1623-25 魔女裁判で死刑判決、 1633 ヴァイマールのベルンハルト軍に戦わず降伏、
1802 最後のアイヒシュタット司教退任しバイエルンへ、 1862 地方裁判所の開設、
1939 郡バイブリングリースの成立。
1300-1407切石や瓦礫積の市壁が築かれ、1487.1559.1601.1725.1784に改修
や拡大が行われた。18-19cに解体が行われた。1997-2007に市壁補修が行われた。
市壁と共に2門が築かれたが、1886と1887に取り払われた。1821-22には9壁
塔が付けられた。残された塔は南4、南1、西4、北1である。
BettelvogtTurm 乞食廷史塔(18c)東、中世後期の木骨造の塔、乞食を監督し、市内
長期滞在の乞食を収容した。
BadTurm 浴場塔(1524)東、中世後期の円塔で浴場をもうけたので、この名前がつけ
られた。塔には無料宿泊など他都市の助産婦が使用した。
SeelnonnerTurm 魂の修道女塔(18c)東、中世後期木造の塔に木製階段が付いてい
る。多くの死んだ自治体使用人の女性住まいだった。
FlurerTurm 耕地塔(16c)東、中世初期の木骨造の隅塔。森林や牧草地の使用違反や
木材窃盗犯人を収容した。
Turm 南、古い基盤の上に木組の塔上部工が建ち、18cに住居に変換。
RossTurm 馬塔(1524)西、隅塔、司教ガブリエルに預けれれ、騎士の宿泊所として使
われた。
StrohbauernTurm 麦藁農家塔(15-16c)西、中世初期の木組の塔で、藁農家が使い
ジュラスレート屋根であった。19c補修。
WasserschoepfenTurm 水汲取塔(15-16c)西、この塔の近くに水汲家が有るので
この名前となった。採水は自治体醸造所に供給された。この塔は15cの市壁
に接続した。
SauhueterTurm (1524)西、隅塔で4階建の四角錐屋根の角塔。この塔の所有者であ
るアイヒシュテット司教ガブリレルの紋章があり、教状見張人を収容した。
BuergerTurm 市民塔(17-18c)北、北東隅の四角塔で中世後期の基礎に17cの上部工
か置かれ、民事制裁金の塔とも呼ばれ、市民の逮捕者が収容された。
歴史的な市壁と市門はないが多くの塔が中世の姿を止めている。ロココ・バロックの
建物群も見事であるが、木組の家は少ない。
市庁舎 Rathaus(1740-42) バロックの市庁舎は、旧司教の地方管轄区庁として湾曲
した切妻のある3階建マンサード屋根で建てられ、1802まで地方裁判所も市庁舎内
に置かれた。町はセルシュタットに属したが、1972独立した市の行政を行うため、こ
の市庁舎に引っ越した。
聖バルブルカ教区教会 PfarrKirche St.Walberg(13c) ネオバロックの2階建急勾配屋根の
ホール教会。北塔は最も古く13cからの物で16cに尖塔が付けられた。南塔は1911
-13に建てられ印象的な双塔の姿になった。バロックの身廊は1912に建てられ、
主祭壇と二つの前祭壇は旧教会から引き継がれた。
旧フランシスコ修道院 Ehem.Franziskaner Kloster(1725-36) ベネディクト会ととの競合が
あり時間を要した。天窓付き急傾斜屋根の広間教会で、聖トリニタスにの捧げられ
た。1802の世俗化後に旧病院となり、玩具博物館となって、ブリキの玩具・人形
・錫フィギアー・人形部屋・模型等が飾られている。
聖マリエン教会 St.Marien Kirche(1678) 聖母教会とも呼ばれた。寄棟屋根と2重天
窓のある身廊で、1753-54に元の建物に基づいて再建された。
カイザーベック家 Kaiserbeck haus(16c) 2階建ゴシック切妻屋根の建物で、4階建ブラインド
アーケードリフト開口部のある裕福な市民の石造の建物。前面は美しい。
ゲストハウス Haus des Gastes(1450) 2階建の急傾斜屋根に、17cの正面階段切妻を
改造、1975内部を更新した。元は侯爵司教の穀物倉庫であったが、今は町
のゲストハウスである。
司教営林署 Bisschoefliches Forstamt(1751) バロックの正面入口の2階建寄棟屋根
の建物。
旅館ミリップ Gasthof Millipp(1458) 2階建の複雑な切妻の木組の家。16-17cに改
修された。
旅館王冠 Gasthof Krone (18c) 2階建の前段切妻と持送張出の建物で、18cに
再建された。
南門 | 市教区教会 |
東門 | 北門 |
西壁 | 西門 |
南西壁 | 屋根付市壁 |
射撃塔 | 東壁 |
穴熊塔 | 雇兵事務所塔 |
883 皇帝カルロス3世文書に初言及、 912 アイヒシュタット司教が所有し事務所設置、
1245 市場権を付与された、 1296 要塞化された場所となり1314町に、
15c 要塞改修で4門13塔に市壁を拡張、1525 農民戦争は市壁で無傷で守られた、
17c 30年戦争と疫病で人口減少、 1806 バイエルンの支配で事務所廃止・衰退、
1808 ナポレオン戦争でアイヒシュタット司教支配は終焉、1822 穀物や牛の市場を開設。
1465から拡張された市壁と街並みは、そのまま維持された。市壁上通路は東側
で部分的に通行できる。1685市壁の一部が破損したが、更新されて全延長が残る。
15cの門や塔は全て残されている。
Mittleres Tor東門。北隣に16c美しい3階建片持ち木組・急勾配屋根の建物。
Gredinger Tor西門。上門と呼ばれ13cに設置、15cに前門が付けられた。
NeuMarkterTor北門。昔はKrapfenTorと呼ばれ、古い通商路のあった場所。
BeilingerieserTor南門。昔はSiechenTorと呼ばれ、病室が置かれた。
Bettelvegt Turm乞食監督塔。昔は監獄があった。市壁通路に登れる。
Dachsen Turm穴熊塔。
Pulver Turm火薬塔。弾薬の貯蔵所であった。、コウノトリ塔とも呼ばれた。
Chinwsen Turm支那塔。仏塔の屋根に似ている。隣に飲み屋が建った。
Frauen Turm北西角、悪女の晒し台があった。
Biersieder Turm西北、
Schmidtweher Turm西、投石機を装備した円塔。
Amtskneht Turm西南角、雇兵事務所塔、昔は監獄。外に二重堀、小門付き。
Bildhauer Turm南、彫刻家塔。角塔。
Pfeiffenschnider Turm仕立屋塔、角塔。
Bad Turm南東角、風呂塔。円塔
Schiess Turm東、射撃塔。
Ziegel Turm東、レンガ円塔。
門や塔のある市壁に完全に囲まれ、古い町並みが残され、建物群も色とりど
りの漆喰が見事である。東側に中央に聖ロレンチィン教会のある一部市壁で囲まれた
旧市街地が存在する。
旧市庁舎 Ehem.Rathaus(1693) ワイン商人ゲオルグ・ペッテンコッハーが商館として
建てた。3階建マンサード屋根の建物で入口の戸には家の紋章が残っている。1795
から市庁舎として使われ、今は郷土博物館となっている。
古市庁舎 Altes Rathaus(1693) 2階建のサドルルーフ構造の古い市庁舎は、
改修され1785の梁がある。
マリア昇天教区教会 PfarrKirche Mariae Himmelfahrt (1488) 美しく贅沢
な建物。1519教会の改修が行われ、3つの新しい祭壇が奉献された。1755-60に
北入口は明るい空間となり、中央高祭壇画は空の聖母マリア像である。1974外装、
1992内装、2014屋根改修。
旧フランシスコ修道院 Ehem.Franziskaner Kloster(1725-36) ベネディクト会と
との競合があり時間を要した。天窓付き急傾斜屋根の広間教会で、聖トリニタスに
の捧げられた。1802の世俗化後に旧病院となり、玩具博物館となって、ブリキの
玩具・人形・錫フィギアー・人形部屋・模型等が飾られている。
聖ロレンツ教会 St.Lorenz Kirch(1062) 13cの力強い内陣塔を持つ、古い記録
によると883には礼拝堂が存在した。身廊の壁は11cに遡る。1519迄は教区教会
であったが、今は教区の副教会である。30年戦争で破壊されたが、1680-85初期
ゴシックで修復された。1980-81前面改修が行われた。
プランクシュッテン修道院 Plankstetten Kloster (1129) ヒルシュベルクの伯爵によって
司教修道院として設立された。15cに改革を実施し醸造所を設立したが、1525農
民戦争・17c30年戦争で大部分を破壊された。17c終わりにバロックの再建が行われ
たが、1806世俗化で解散され、1904再構築して農業学校を開設した。1925神学
校・1959中学校・1978ベルヒング市が所有した。市の3km南にある。
十分の一税倉庫 Zehentstadel(1464) 領主司教の十分の一税倉庫で、印象
深い階段切妻がある。地租の穀物を収容した。
郷土博物館 Heimat Museum (1979) 町の歴史・地域の手芸品・陶磁器・手
工業品・農機具などを展示。
市壁 | 南壁 |
バイロイター門 | プファール門 |
壁搭 | 北壁 |
1187 フリードリッヒ・ベテェンスタイン大臣の名前で初言及、 1131 バイエルン皇帝の支持者が城を建設、
1372 半分の領地はボヘミヤに分割統治された、 1347 ニュルンベルク方伯の領地となった、
1359 皇帝カール4世は市場と町に憲章を授与し、市壁で守る権利も与えた、 帝国自由都市となった、
1418 バイエルン・プファルツが城を所有、 1421 宮中伯ヨハン伯爵の妻が城を破壊、
1505 帝国自由都市ニュルンベルクへ移管、 1528 ニュルンベルクの300年間の支配で町は繁栄、
1533-38 市壁・市門・塔による防護施設の建設、 1543-49 深さ92mの深井戸で水を供給、
1806 事務所を解散してバイエルンへ、 20c ホップ栽培を振興、
14cの要塞に基ずいて1533-38に今日でも見える都市要塞が建設された。要塞の東部建設は
17-18cに行われ、南西部では都市要塞は城壁に接続している。
バイロイト門 Bayreuther Tor(1533-38)下門とも呼ばれ、2階建のアーチ門。
教区門 Pfarr Tor(1533)3階建ての主門と2階建ての副門がある。
ニュルンベルク門 Nurnberger Tor (16c)1809-10に崩壊の危険があり取壊された。
防御塔の残骸 Reste Werrenturm()城から南東部につながる市壁に円塔の切
り株がある。
旧市庁舎 Ehem.Rathaus(1663)2階 18cに更新された半木造の切妻のあ
る2階建ての建物。
ルーテル教区教会 Ev.Lutherricsche Pfarrkirche (1350) カール4世による教区
の設立後に建設された。1733-48に後陣に高さ40mの塔のある砂岩ブロック積のバロックホール教会が建
てられた。
旧牧師館 Ehem.Pfarrhaus(18c)2階建上階木組みの切妻のある建物。
ベッチェンスタイン城 Burg Betzenstein(1311)バンベルク大司教がコンラッド・シュルッセル
ベルクを封土し、1327に北の岩盤上に聖公会が砦を建て、南の岩盤上にはロヒテンベルク方伯が砦を築い
た。1505ランツフート承継戦争の結果ニュルンベルク領となったが、城は廃墟であった。1528にニュルンベルクが新
しい城の建設を行ったが、1550戦争で中断した。1557-17cにかけて新たに城の建設が行われたが、
18cには取り壊され北には1528からの十字型の寄棟屋根の平屋が残された。南には1630に建てられ
たテント屋根2階建ての丸い塔と、17cからの2階建ての建物と16cの周壁があり、城の複合体は現在
個人所有となっている。
旧ニュルンベルク養護局 Ehem.Nuerunberger Pflegeamt(1669-70)階段付き2階
建のスタッデル屋根の建物で、紋章のレリーフが付いて居る。2016にはホテルるとして開業した。
1670の紋付中庭と16c砂岩造スタッデル屋根の納屋ある。
旅館「ポスト」 Gasthof Zur Post(1800)2階建の石膏塗りの建物。
深井戸の家 Burunen haus(1543)車輪で引く井戸として建てられ、深さ92mの深井戸
は、長年に渡って町に給水した。上階木組寄棟屋根の建物。
住家 Wohnhaus (1800)2階建上階木組のシュタデル屋根の建物。
聖エギディウス教会 | 旧擁護局 |
744 ベネディクト会フルダ修道院の設立後の経路の集落、 13c 中心塔の建設、
1489 都市権の授与、 1512 町のは34の布工場があった、 1582 製鉄と圧延の工場設置、
1610 聖ゲオルグ教会の新設、 1612 ヴュルツブルクの税務裁判所と貨幣事務所の開設、
1639 スエーデン軍の占領と焼き払い、 1681-92 クロイツベルク修道院の発足、
1812 布製造に580人が従事し100人の熟練者が居た、 1814 ヴュルツブルク帝国を経由してバイエルンへ、
1972 周辺の町と統合、 19c 3階の大火事があり、ビーダーマイヤー後期の建物が多い。
市壁は13-14cに建設され、18cには切石で更新され、今でもその場所はわかる。
北西から、Am Muehlbach.5(50m) Faerberzinger.11.13.17(30m) Gerberzinger.
12.14.24.26.28.34.36(170m)1607の碑文 Ludwig str.27(10m) Hof Str.20.22.
24(40m) 1773の碑文石 PfarrGasse5.7.11.13(70m)1759の碑文。
中心塔 Zehntturm (13c)後期ロマネスクの高さ26mの教区教会の旧西塔で、石造
3階建の上に寄棟屋根の木製の上層階が乗っている。1586から東階段が付けられ、1936に復元された。
聖ゲオルグ教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Georg(1607-10) 切妻屋根の
ポストゴシックの3通路の大聖堂で、砂岩と漆喰の建物である。中央身廊全体の多角形の後陣、尖った
ヘルメットの6階建ての側面搭がある。1965-66身廊の延長。
福音ルーテル・キリスト教区教会 Ev.Pfarrkirche Christus(1902-03) 非対称平面の
切妻屋根の身廊、正面に開いた柱のポータル。側面通路を閉じるひし形屋根の塔がある。
ヴュルツブルク管理棟 Wuerzburger Amthaus(1611)旧ヴュルツブルクの事務所の建物で、
切妻屋根に多角形の階段塔のある大きな3階建ての頑丈な漆喰の建物で、地方裁判所でも使われた。
マルクト広場の噴水 Stadt Burunnen(1582)この噴水に錬鉄の六角形の細工で飾られた。
旧醸造所 Ehem.Brauhaus (17c)寄棟屋根の2階建て切り石造の建物。
旧救貧院 Ehem.Armenhaus (1847)2階建半寄棟屋根の頑丈な漆喰の建物。
旅館太陽 Ehem.Gasthof Stern(1550-72)2階建寄棟屋根の建物で漆喰塗り、
1800に更新された。
旧旅館 Ehem.Gasthaus(1850)2階建切妻屋根の上階木組漆喰仕上げの建物。
角に建つ大きな建物で、今は銀行が入っている。
元森林事務所 Ehem. (1594)13-14cの市壁に隣接してサドルと寄棟屋根の漆喰の2階建
の建物と、1594と記された入口のある2階建の建物との2翼の混合構成。
マルクト広場 | 半門塔 |
元介護事務所 |
1140 ブルージュで最初の文書化、 1343 市場町として記録された、
1345 ウルリッヒはプファルツ伯ルプレヒトに町を売却 、1396 ロイヒテンベルク方伯は町をローベンシュタインへ、
1468 評議会・公共の権利・市場権の授与、 1470 ローベンシュタインはプファルツ伯に権利委任、
1489 市壁建設権が授与された、 1527 プファルツ伯フリードリヒは市壁建設に着手、
17c スエーデン軍は町を完全に破壊、 1945 周辺の町を統合、
1972 シュバンドルフ地区に含まれた。
15cからのマルクトの市壁は高さ15ftで作られ、1897の火災後に取払わられた。
西南部と南にいくらか残る。
建設段階では3市門と12半円壁塔があったが、上門・浴場門・鍛冶屋門は壊され
西南2基と南1基の半円塔が見られる。
狭い三角形のマルクト広場には市庁舎はないが、古い建物は残っている。
聖エギディウス教区教会 Kath.Pfarrkirche St.Aegdius(1140) エギルバート司教によって
奉献され、14c前半から町教区教会となった。東の後陣・北の塔と聖杯の中核は
ゴシックの複合体である。バットレスと塔の下部階のゴシックの壁は中世の建物から来てい
る。身廊と倉庫は30年戦争の破壊の後に再建された。内装はバロックとゴシックであ
る。西への拡張は1855-80にネオロマネスクで、36mの尖塔ヘルネットと共に行われた。
旧養護局 Ehem.Pflegamt(14c)2階建ての上階木組の堂々とした建物で14cの中核
と円形のアーチ通路があり、17Cの欄干付き裁判所木製階段もある。
旧醸造所:桂馬旅館 Ehem.Brauhaus Gasthaus Roessel(1648)シンプルな石膏の二つ
の2階建の建物路地で、1879繋がった通路入口を石畳とした。その後1852-1900
は、Gasthus Zur Postとして郵便局であった。
旧旅館太陽 Ehem.Gasthaus Zur Sonne(16c)円形アーチ入口のある石造2階建の建物。
マッパハ博物館 Mappach Museum(1978)、マッパハの家に農民博物館が開設され、田舎
と農民生活について展示している。1階には、ワゴン・放牧馬・ソリ・カート・チェスト・洗濯室と
とどが置かれた。
北壁 | 城塔 |
西南山頂塔 | 城西側 |
ザルツアッハ川橋 | マルクト広場 |
マルクト広場 | 溝入口門 |
788 カロリング朝は川の関税城を構築、 1025 帝国財産として最初の文書言及、
1027 皇帝コンラッド2世はブルクハウゼン伯を置く、 1164 侯爵ハインリッヒは城と谷の町を所有、
1255 ヴィッテルバッハ家は都市権を与え塩貿易、 1307 バイエルンン皇帝は都市法を法典化、
1336-43 皇帝ルードヴィッヒは特権を授与、 15c16c 三代侯爵の下に最盛期、
1594 侯爵の塩の専売制創設で収入増、 1618-1745 30年戦争と承継戦争で荒廃、
1807 首都の名前を剥奪された、 1891 守備隊の引揚で田舎町へ、
1969-71 旧市街地の再開発と洪水防御。
市壁と城壁がくっ付いて町と城を守っている。北側にSalzach川とWoehr湖に達す
る防御壁260mがあり、城の南端までは山頂の壁が両側1.00kmと、南側の市壁500mが
ある。市壁の南端200mは残っていない。
山上の6城郭に20の門と塔が残り、IndenGruebenの入口に2アーチ、湖の出入り口に
2階建ての角塔、市街の西南角の山頂に大きな4階建ての円塔、その南に下った所に
2階建ての角塔が見られる。
城は山頂に、市街は山とSalzach川の間の平地に密集している。
城 Burg(8c) 世界で最長1.051kmの城で、AusserBurghofからInnerSchloss
hofまでに6区画に遮られている。初めは、侯爵の塩航路を守る砦であった。1164
まではブルクハウゼン侯爵、1169城の拡張、1180ヴィッテルバッハ家の再拡張、13c下バイエルン
侯爵による全新築、15c下バイエルン侯爵による主要建物の建設、1632スエーデン来襲に
備えて防備強化、1801仏軍に外堡を壊された、1860再建が行われた1891改造、部
分的に私有化。
いまは、市歴史博物館:市の歴史・周辺の考古学・城の統治・民芸・軍事・絵画・彫刻
・蝶の展示、美術館:美術の推移、国立城博物館:侯爵の住居・後期ゴシック美術品・展
望台・城礼拝堂、写真博物館:写真と映像技術の進展・町の古写真、ドイツ写真家。
町広場 StadtPlatz(16c)町の中心で4階建ての色とりどりのルネッサンス・バロック
・ロココの切妻建物が周囲を囲む美しくて大きい広場。
市庁舎(1307)1788改修、女子英語学校(1687) 1771改築、煙の家(16c)1762
ロココ切妻、塔が美しい。
木組の家 Grueben(13c)大部分が後期ゴシックの木組みの建物が並ぶ細い
路地で、職人が住んで工芸品を作ってきた。
税関宮殿 MautnerSchloss(16c)選帝侯の宮殿で塩の関税を扱っていた、
1912に改造され、1977に建て替えられた。今は市の教育と講演会場。ジャズケラー。
聖ヤコブ教会 PfarrKirche St.Jakob(1140)1353の火事の後仮設で再建、
1504の火事でも被害を受けた。塔は1470に基石が置かれ、1726に頭飾り付けら
れた。1781円天井が置かれ、1815-55南身廊の倒壊後に再建。その後ネオゴシックの
飾り付けとなった。
学校教会ヨーゼフ StudienKirche St.Joseph(1630)昔のイエズス会修道院の
教会で、後期バロックの美しい正面玄関がある。1781塔が付けられ、1863火事の後
1874奉献された。本祭壇は1720元イエズス会愛大講堂から来ている。
市庁舎 | マルクト広場 |
聖ハインリヒ教会 | 東城壁 |
西城壁 |
830 城の山麓に小さな集落があった、 1059 最初の文書は城伯を言及、
1160 バンベルク司教は交易路の城を確保、 1250 上の町は都市権を授与された、
1323 市場権・都市権を文書で与えられた 、 14c 町の防備を強化した、
1430 フス派来襲、1460バンエルク司教と辺境伯の争、1525 農民戦争で城・修道院略奪、
1553 第2次辺境伯戦争で略奪・放火、 1312・1348・1448・1626・1634 ペスト流行、
1632-35 スエーデン軍占領で荒廃、 1668-1880 醸造権を得てビール生産、
1802-03 世俗化でバイエルン王国へ、 1885 靴生産を機械化し大工場へ。
14c初め上の町の周辺の市壁は部分的に存在した。城のある上の町は1584に、
下の町は1640に焼失した。市壁は堀と土塁と共に約300m残り、2009には下の町北
側100mを91万ユーロで補修し石積をコンクリートで覆った。
1816に東のPenzerTor・1872に南のLendTor・北東のKronachTorが取壊された。
市庁舎 Rathaus (15c) 11cの城ミシャェル礼拝堂の場所に砂岩3階建の天窓屋根の建物
で、15c西翼と東翼の3階建住宅部、1689-90両切妻屋根の3階建装飾トラス。今の市庁
舎は市壁の一部を成長させた。
市教区教会:聖ハインリヒとカニグンデ Kath.Stadtpfarrkirche St.heinrich und Kanigunde
(1292) 前面単塔引込み聖歌隊に中世のコア、1783-86砂岩切妻屋根身廊の建設、
1812-13オルガン・内陣・身廊の整備。
牧師館 Pfarrhof(17-18c)2階建切妻屋根、1723切石造で前面にスレート屋根屋根の階が
ある。
旧司教事務所員の家 Ehem.Amtsmannhaus(15c)3階建寄棟屋根2翼のスコッタの建物で、
1695西へ砂岩ブロックの建物を拡張。
住家 Wohnhaus (17-18c)2階建切妻屋根の木組の家で装飾的な木組切妻。
住家 Wohnhaus(18c)2階建木組切妻屋根の家、前面切妻の木組が美しい。
元廷史の家 Ehem.Fuerstbischoefliche Vogtei(1720)2階建寄棟屋根造りで、玄関
に大きなアーチ門がある。1926に2階部分は更新された。
旧染屋 Ehem.Faeberhaus (17c) 2階建の角の建物で、寄棟切妻屋根角付柱露出の
木組の上階。
旧城 Ehem.Altenburg (830) シュバインフルト伯爵は城を建設して家系の絶滅の1003まで
所有した。1059バンベルク司教はこの城に廷史を置いて町を支配した。
1525農民戦争で破壊され、その後再建され、今は下水道局。
ドイツ靴職人博物館 DeuschesSchuster Museum 靴職人の製造の歴史と靴業界100年
の歴史を展示。
市庁舎 | 城 |
エルトル塔 | 西壁 |
西北壁 | 西北壁 |
北壁 | 聖ヴィーツ教会 |
7c初 入植地と列状埋葬地が出土、 817 町の位置をアルメンホフ集落と呼んだ、
900 今の名前となり城は侵攻された、 1091 城壁と上門が築かれた、
1123 エンスドルフ修道院の文書に言及、 1270 決済市場に昇格して市街地拡大、
1462 市場の2次形成と市壁の完成、 1542 町は都市権と紋章を授与された、
1702 町の名前が今のブルクレンゲンフェルトに、 1937 行政改革でシュバンドルフ郡に、
1972 ブルクレンゲンフェルト郡はバイエルンの上プファルツ県の一つの郡であった。
14cに市民の集落は高さ5mまでの防御施設を備えた。16c初めに屋根・壁上通路付
の市壁が建てられ、正方形で突出した塔が市場を囲んだ。1462山頂の城と平地の旧
市街を結ぶ斜面の市壁が築かれ、山腹を含めて市壁内となった。残っているのは、
城壁・山腹・Stadtgraben沿いなどである。
かっては5門があり、昼間の旧市街への出入り口であったが、全て取除かれた。
上門は、マルクト広場の南端にあった。橋門は、東の橋頭に在り塔内には守衛の住居が
あったが、1857に道路の拡張で除かれた。水門は、北方にありシュパンドルへの通りで
あった。クリンゲン門は、東南方向の城山への歩道に在った。エアディング門には、ナープ川
へのケラー路地にあり税関の建物があった。
エアトル塔 Oertl Turm (1505) 市壁の南西の角に在る見張塔で、マルクトの外側に拡
張された場所に、プファルツ・ノイブルクの時代に建てられた。この塔は戦乱を生き残り、
EUの資金で2009に復元された。その後催し物や町の展示に使われ、多数の記録や版
画から建物の変遷が分かる。
1970からバイエルン州の資金を得て、記念碑的な主要な建造物は修復されている。
市庁舎 Radhaus (15c) マルクトに建てられ、1585にルネッサンス様式で改造された。1424最古
の釣鐘が付けられ、1483左の塔にフスの鐘がある。前面は二つの六角塔に挟まれ
て3階建ての切妻がある。1542都市権の授与はノイブルクのプファルツ伯オットーハインリッヒに
よって行われた。筒形円天井と16cフレスコ画にゴシックの残りが見られる。1990から
全体的改修が行われて、外観は色鮮やかになった。
城 Burg (10c) 城は10cに始まり、11c末にはハンガリーの亡命者が天守閣を付け加えた。
1123-46ヴィッテルスバッハ・プファルツ伯オットーは大規模な城と宮殿の施設を拡充強化し今の
姿を形成した。全体の敷地は2.38haとなり、高さ7mの円城壁で取巻いた。
大事務局 Grosse Kanzlei (1255)バイエルン公爵家の遺産分配で、ドナウ左岸の広大な
ヴッテンバッハの領地を管理するため、この町が事務局の所在地となった。1329の分
割条約で、土地の分散を修復することが決まり、プファルツ・ノイブルク公国の組織が
1505まで続いた。プファルツ・ノイブルク公爵夫人の下で、大事務局への改造が行われた。
領主の会計局・地方裁判所・バイエルン王の役場・郡会事務局として使われた。
1987から上プファルツ民俗学博物館となった。
旧簡易裁判所 Ehem.Amtsgericht (16c)16cの重罪裁判のための裁判所は1803地方裁判
所となった。1806バイエルン王立地方裁判所、1878-1918王立バイエルン簡易裁判所と呼ば
れた。1911ユーゲントシュティールで新築された。2006町の所有となり、改造されて今は市
営企業が使っている。
アルメン館 Almenhof (9c)守り易い四角の館は817に初文書言及された。魅力的な木組の門
造りと筋違があった。1799-1808選帝侯の銃の火打石工場が置かれた。左側の建物
近郊の火打石の生産は、バイエルンの火打石式発火装置・ライター石の製造に繋がった。
新教キリスト教会 EV.Christus Kirche(1706)カプチン派の定住で成立した。1717教会が奉献
され、1720回廊と庭のある修道院となった。1765修道士は居酒屋のあるビール醸造
所を建て、今でも修道院酒場として残っている。世俗化に際しては、20人の修道
士と6人の本修士が去った。世俗化後の建物は貯蔵庫・消防器具庫・女性学校・眼鏡
工場として使われ、1993町の駐車場となった。修道院教会は1959新教のキリスト
教会になった。
聖ヴィート教区教会 PfarrKirche St.Vitus (1315)城の下で成長した集落のためにゴシックの
教会が建てられ、聖ヴィート・殉職者・14人救護聖人が守護聖人とされた。1537公爵フイリ
ップは鐘を寄進し、今でも使われている。1542-1617新教の教区教会、1748バロック風
に改装され、1891教会の塔は嵩上げされ、ロマネスクのポータルが造られた。
観測塔「鉛筆」 | 上門 |
城門 | 城庭 |
東堀 | カドルツ城 |
793 貴族が修道院を設立、 1157 ヴュルツブルク司教庁の支配、
1246 城伯は堀・市壁・門・塔で守った、 1293 ナッソーの王アドルフが滞在、
1375 城伯は町の守りを強化、 1388 町は燃やされた、1460城の拡張、
1450 城と市場を堀・市壁・柵で守った、 1473 皇帝フリードリッヒ3世が滞在、
1527 新しい城を同じ場所に建設 1606 ペストの流行、1632-34町の破壊、
1660 6年間の税免除で再建に努めた、 1792 プロシアのアンスバッハ公国へ、
1796 仏革命軍から逃れた王子の住居、 1806 バイエルン王国に帰属、
1945 第2次大戦は米軍の進攻で終わる。
城は堀込まれた城壁に囲まれており、宮殿は更に堀の橋を渡らなければ、
到達できない。1300町は堀・市壁・門塔で守れれたが、1388と1449の戦いで
焼き払われた。15c初めに市壁は再建した。城壁の部分580mと市壁の一部
80mが残っている。
上門 OberTor(14c) 1388と1449の戦争で壊された。1475に新設された。この
塔はBruselaと呼ばれ塔日時計の針は1本しかない。1824塔は交通障害で取り
壊された。
下門 Ehem.UnterTor(1490) 市民が塔を買って取り壊しを免れた。切通しを塞い
で右の門が19cの初めまで見張り塔とともにあった。住居は免税で日や門を
見張った。水飲み場と防火用水もあった。
見張り塔 AussichtsTurm(1893) 町の高台に遠くからの目印となる高い塔が立っ
ている。ミュンヒェン地方鉄道株式会社が果樹園の中に建てた。143段、143段、
゙25mの高さで見晴らしがよい。1924?夏のアガーデン。
城門 BurgTor 城の入口にあり、紋章や碑文で城の成り立ちが見てとれる。
城があるだけの小さな町。
カドルツ城 Cadolzburg(1157) 最初は795に修道院が設立され、12cには城となっ
た。15c辺境伯は王宮をアンスバッハに移し、ここは副王宮に留まり、狩りの
館に使われた。それで、城は郡庁・倉庫・代官事務所であり、最後に税務
署と簡易裁判所となり、1931解消され空いた空間は郷土博物館と青少年
センターとなった。1945に砲撃で炎上した。1980州が再建した。
郷土の家 HeimatHaus マルクトの旧市庁舎であった。15cには裁判所と
役所として使われ、30年戦争で壊され1670-74に再建された。今は郷土
の地学・近郊の先史・町と城の歴史を展示している。
市庁舎 RatHaus(1910)初め校舎として建てられ、1988から市庁舎となった。
辺境伯教会 MarkgrafenKirche(1750-51) 古い基礎壁の上の中世風教会である
説教壇と祭壇のある東側面は豊かにかざれられている。
新教教会 Ev.Kirche(1287) 聖ケシリアに奉献された。15cに北側に拡張され、婚
礼入口を追加した。
ピーゼンデル家 PisendelHaus 有名な音楽家ゲオルグ・ピーゼンデルが1755に生まれた
2階建ての木組みの家。
ランガウ郷土博物館 RangauHeimatHausu(1486)市庁舎として建てられ1522市民
の舞踏場とも言われ、会計計量所があり、裁判所の官史が住んでいた。
1632と34焼き払われた。1670-74に建て直され改造されて1988迄市庁舎
として使われ、1992に建て直されて博物館になった。
市庁舎・聖ヤコブ教会 | マルクト広場 |
ビール門 | 西南壁 |
739 ベネディクト修道院の建設、 976 皇帝の城の集落の成立、
10c 国境警備の要塞の城下町となった、 12c 町は今の場所に移された、
1204 領主の絶滅後ヴィッテルスバッハ家に、 13-14c 交通要衝で繁栄・税の減免、
1429 ドイツ騎士団はフス派に勝利、 1489 バイエルン侯爵への貴族同盟締結、
1657 町は大火災に見舞われた、 1705 スペイン継承戦争で占領された、
1742 墺継承戦争の7日間の略奪と放火、 1945 空襲による損傷を受けた。
〇内側市壁は、1250に花崗岩切石で傾斜を付けて補強された。家と庭の基礎の領
域にストラウビング通に露失している。断片としてはMeramWeg・SpitalPlatz・Stringer
Str.にあり、SpitalKircheは1913に市壁の出入口を設置した。
〇外側市壁は、1430に花崗岩切石で作られた。露出した断面としてはシュピタール通から
北にヨハンブルナー通・ウンターレーゲン通にある。
ビール門 BierTor (1430) 外壁の市門で車道と歩道の通路がある。2つの円錐
屋根3階建の円塔の間を寄棟屋根の門での繋いでいる珍しい構造。
雀塔 SpatzenTurm (1430)外壁の防衛塔で3階建円錐屋根の半円塔。
グラッスル塔 GrasslTurm (1430) 外壁の防衛塔で3階建円錐屋根の殻塔で背面は開い
ている。塔の所有者によって名付けられた。
防衛塔 WehrTurm (1430)外壁の防衛塔で切石粗面造のテント屋根の円塔で18cに庭
の家として改造された。
コウノトリ塔 StraubingerTurm (13c)内切妻屋根の上にはコウノトリの巣台が乗っている。
角切石粗面造。
エーデン塔 OedenTurum(13c)13c初めの周壁のある中世の城の塔で、住居と見張の
塔の残骸で花崗岩の切石造である。今でも壁厚3m高さ20mある。
マルクト広場を中心に旧市街地には18-19cの大きな3階建の建物が立ち並び、繁
栄した19cの事が偲ばれる。木組みの家は殆どない。
市庁舎 Rathaus(14-15) 2階建2翼の複合体で、最も古い東翼には聖ヤコブ市教区教会
のゴシック内陣があり、1765.70に切妻と2階部分が改装され1873-75に再ゴシック化
され1934-37に改修された。西翼は15cに増築され階段切妻と出窓に特徴があ
る。1765-70に後期ゴシックに改装され、1875再ゴシック化されて東翼とアーチ通路で
接合された。
聖ヤコブ教区教会 Pfarrkirche St.Jakob (13c) 13cの基礎の上の塔、14cのゴシック
内陣、1701-04壁柱造の身廊、1894-95改修された。
旧フランジスカーナ教会 Ehem.Franziskaner Kirche (1635) 凸部聖歌隊、尖った切妻
屋根とせいかたいエッジ塔、1866コアの更新、1913教会の延長。
旧ヴァイスビール醸造所 Ehem.Weiss bier Brauerei(18c) 2階建隅棟屋根。
住家・商店 Wohnhaus・Geschaeftshaus(1890) 2階建中折れ切妻屋根造の蛇腹構造
の家。
コードンの家 Cordonhaus (1530) 部分アーチの門入口、後期古典様式の2階建の建物で
ライネンバッハ修道院の旧Prostei。
アルメンの家 Armenhaus(16c) 内側壁に接して建てられた2階建切妻の後期ゴシックの大
きな建物で、18cに修正修復された。1987-89に屋根を今の姿にした。今は博物
館Spurである。
精霊救貧院教会 SpitalKirche Hl.Gaist (1514) 尖った屋根と聖歌隊エッジ塔の建物
で、1742ポーチによって拡張され凹部合唱団になった。1913寄棟屋根と庇ホ-ルの
建物になった。
旧塩蔵と穀物倉庫の階段塔Ehem.Treppenturm des Salzhaus und GetreideSpeichers
(16c) テント屋根付の円形階段塔。
旧ワインセラー Ehem.Brauereikeller(16c) 内側壁を含むゴシックのアーチ複合体。
旧旅館王冠 Ehem.Gasthof Zur Krone(15c) 平らな切妻屋根に肩出窓の頭飾の3階
建の家。
旧マリエン薬局 Ehem.Marien Apoteke(1750) バロックの腰折屋根3階建の建物で、1934
フレレスコ画で今の目的に建物の様子を合わせた。
市庁舎 | ケッション門 |
病院門 | ユダヤ門 |
壁塔 | 南西壁 |
市庁舎 | 市会館 |
エーレンベルク城 | 要塞門 |
マルクト広場 | エーレンブルク城 |
塔門 | 要塞 |
1056 ポーランド女王の贈与調書に初言及、 1217 町の教区権が確立された、
1331 王ルドヴィッヒは都市権と管轄権を授与、1353 マイセン辺境伯継承ヴィッテン家支配、
1524 町に宗教改革が導入された、 1542 侯爵エルンストは町に住み城拡張、
1586-1633 王宮と首都とし公国の独立、 1601 侯爵カシミールはルネッサンス建築群建、
1632-1648 30年戦争の略奪と破壊で半減 1680 侯爵アルブレヒトは再び王宮に、
1699 侯爵アルブレヒトの死後王宮移転、 1735 再びコーブルク・ザルフェルト公国首都、
1803 侯爵エルンスト1世は王宮・劇場・庭を拡張、1806-07 町は2回仏軍に占領された、
1826 侯爵エルンスト1世ザクセン・ゴーダ公国受領、 1918侯爵の辞任で君主制の終了、
1945 戦災で402戸全壊、639戸破損、4月米軍が占領。
13cの市壁はほぼ円形の内側と外側にあり、15cに追加変更された。Jugen
GasseとErnstPlatzに旧市壁が残り、MelzgerGassaでは住宅の壁に使われている。
病院門 SpitalTor 北 内側角門塔。
若い門 JugenTor 西 内側四角4階建門塔。
ケッチ船門 KetschenTor 南 内側角塔。
石門 SteinTor 東 内側角塔は取り壊された。
壁塔 MauerTurum 南KleineRosenGasseに円塔が残っている。
宮殿・モリッツ教会・マルクト広場に取り囲まれる町の中心部はヨハン・カシミール侯爵が
1600年代に建てさせたルネッサンスの建物が多く残っている。大要塞も見所。
コーブルク要塞 Veste Coburg(1225) ドイツでも最大でよく保存された要塞で町の
176m上にある。初め12cに築かれ、17cはじめに3重の城壁で囲まれた大要塞
に拡大された。高い屋根に小さな天窓の付いた城館が中庭を囲んでいる。
領主館は贅沢な侯爵家の居間や装飾・クラナッハの絵・16c-18cの工芸芸術品・武器
・象嵌細工などが展示されている。
市庁舎 Rathaus(1577) 3階建コーブルク出窓の長さ27m幅13mの大広間のある新庁舎
が建てられ1750と1903に大規模改修が行われた。
公会堂 Stadthaus(1601) マルクト広場の向かい側に侯爵カシミールがCantzleyとして建
てた。
エーレンブルク宮殿 SchlossEhrenburg(1543) 侯爵ヨハン・エルンストが礎石を置き、1623-29
に侯爵カシミールがルネッサンスの宮殿に拡大した。西翼には1701にバロック宮殿教会が建
てられ、19cに侯爵エルンスト1世は宮殿前面を英国風新ゴシックに直した。今は州立
図書館と博物館を収容している。
モリッツ教会 MorizKirche(1320-1586) 旧市街の最古の教会で町の中央教会である。
教会の古い部分は1330に東の内陣である。14020には不揃いの西塔が付けられ、
1530にはマルチンルターが説教した。
聖アウグスティン教会 St.Augustin Kirche(1855-60) カソリックの町教区教会で州劇場の
東にあるネオゴシックの礼拝堂で、王侯貴族の墓がある。
後門 | 陶工塔 |
マルフィッツ塔・後門 | 司祭館 |
東壁 | 壁 |
聖ヤコブ教会 | マルクト広場 |
1003 最初の文書言及、後の皇帝ハインリッヒ2世とシュバインフュート辺境伯の紛争、
1358 カール4世はニュルンベルク城伯の領土として町に昇格、1358-61市壁・市壁の完成、
1430 スフ戦争、1618-48 30年戦争で町は荒廃した、 1791 辺境伯が町を売却、
1791 町はプロイセンの所有となった、 1807-10 仏の支配の後にバイエルンへ引渡し、
1893 町の大部分は燃やされた。
1358-61に市壁は築かれた。市壁は殆どの部分で残されている。
ヘフナー門 HoefnersTor(14c) 西南、
ミュール小門 MuehlToerlein(1361) 西中、
後門 HinteresTor 北西(14c) ビアマグ博物館を収容。石造や陶器の水差・
ビアマグを多く展示している。
マレフィッツ塔 MalefitzTurm(14c) HungerTurmとも呼ばれ、刑務所にもなった。
円錐屋根の円塔。
マルクス塔 MarkusTurm(1477)
市壁に囲まれた旧市街地には小さいが、塔や古い建物が多く見られる。
市庁舎 Rathaus(1360) フス戦争で壊された後に、1477に新築された。
パン屋と肉屋の販売スタンドとして長い側石を使った。
聖ヤコブ教会 PfarrKirche St.Jakobus フス戦争による破壊の後に、1447
に再建された。1700に今の姿になり、室内装飾は大部分がバロックになった。
教会の塔は、昔の城の天守閣の基礎の上に立っている。
旧ラテン学校 Ehem.Lateeinschule 全盛期には町の外遠くまで名声が伝
わった。
司教館と旧公共醸造所 PfarrHaus und ehem.KommanBreuhaus マルクト
広場の司教館と旧公共醸造所(1806-1957)今は新教の教区会館となっている。
水差し博物館 KruegeMuseum 1950に後門の門衛の詰所に1950に開設さ
れた。隣接する死刑執行人の家に拡大展示された。石造や陶器の水差・マグカップ
が面白い。
旧市庁舎 | 西北壁 |
南東壁 | 市博物館 |
南東壁搭 |
1002 王ヘンリー2世の文書で町の聖堂を言及、 12c 旧市街の北東部で市場を開催、
1250 ヴィッテルバッハ家の侯爵が町に居住、 1316 オットウ3世未亡人の都市権で繁栄、
1544 下級裁判所の設置、 1618 30年戦争、1701承継戦争で荒廃、
1804 堀や壁は市民に販売された、 1822 大火災で町の1/4が焼失、
1859 ドナウ川鉄橋の開通。
楕円形の市壁は、昔高さ14m幅3.5mで市街地を囲んでいた。19cの初めに防衛
の意義を失い、町は市壁の一部をそのツインガーと共に新しい家や物置の建設のために
売却した。残っている市壁の位置は、表面に保護吹付がしてあるため、市壁かどう
か見分けにくい。WestlichZwingerGasseに、2か所20mは判別した。
病院門 SpitalTor 両側の建物をつないだ単なるアーチがある。
中央の広い通りを中心に市壁跡で囲まれる小さな町。広い通りの中央には見事な
市庁があり、南側には教会の高塔が張り出している。
旧市庁舎 AltesRathaus(1535) 上町広場の中央にゴシックの塔のある切妻付2階建て
の市庁舎がある。北階段切妻には中央小塔があり、南切妻には日時計と彫刻で飾
られている。
聖墓教会・聖ペーターとパウロ Hl.GrabKirche St.Peter unt Paul (1338-60)ゴシックの教会
で、広場へはみ出して立つ高い6階建ての塔は1727に出現した。この塔は南独で
も美しいバロックの塔として認められている。
マリア昇天教区教会 PfarrKirche MariaeHimmelfahrt(1656-57) 1240に火事で失わ
れたローマ教会の跡に、今の教会が17cに建てられた。バロックの壮大なバジリカとして
新築され、中には1747にアイヒステートの彫刻家が地元の大聖堂のために制作した物
を1891に購入した主祭壇の天蓋がある。
カプチン納屋 KapuzinerStadl (1637) 1803までカプチン派修道院があり、教会の身廊
のみが残っている。1990に文化の家となり公園や展覧会を開催。
市博物館 StadtMuseum (1900) 元男子校の建物に収容されている。地域の歴史・文
化・経済・社会の発展について展示している。伝統的な薬局が再現され、入植者・修道
女・市民・市場・貿易が説明されている。
工芸博物館 HandwerksMuseum 工芸教育の職人・徒弟・マイスター、木材職人とタンイング、音
と写真の収集。
市庁舎 | 蝶塔 |
北壁 | 南西壁 |
東壁 | 西壁 |
パン屋 | 聖アウグスティヌス教会 |
741 町の文書での初言及、 1484 領主・司教のヴルツブルクから都市権、
1503 聖教区教会の完成、5門52塔のある市壁を築いた、
1506 巡礼の始まりで通商が盛んとなる、 1618-1648 30年戦争、
1803 ヴルツブルク大公国となる、 1814 バイエルンに帰属。
北0.2kmと東0.3kmと西0.5kmに残っている。南は19Cに道路のために破壊。
昔5門と52塔があったが、今でも2門30塔が残っている。
橋門 BrueckTor 北 四角2階建門塔、三角屋根。
門 FulterTor 東北 四角4階建門塔、内に手工業博物館。
その他壁塔 Turum 高いのや低い防御塔が多数残っている。
旧市街地は、多くの塔のある市壁に半ば囲まれ、古い装飾の木組の家、
可愛い市庁舎や山頂の塔を繋いだ教会、などが見所の小さな町である。
市庁舎 Rathaus 1484-1512建、後期ゴシックの3階建で小川の上に建つ。
下階は図書館、上階は行政と学校、3階は大広間と市長室・市議会場に使用。
1986外階段付きの玄関塔を改修した。
聖アウグスティヌス教会 St.AugustinusKirche 1444建、騎士の館の跡に東
内陣と四角塔を建てて教会とした。16Cに118段の階段を持つ細い円塔を建て、
中空の木製の橋で四角塔と繋いだ珍しい景観がある。
木組家 HolzHaeuse
多くの木組みの家が残っている。古いパン屋の前には見事な看板がある。
マルクト広場 | ハウプト通 |
聖エギディウス市教会 | 亜鉛塔 |
ゴッガー塔 | ホレー塔 |
1144 文書での初言及、 1305 セルシュベルナー侯爵家の絶滅後ヴィッテルバッハ家へ、
1340 市場を開設した、 1450 侯爵アルブレヒトは門や塔のある市壁を建設、
1479 交通の要衝として繁栄、 1540 独立した教区になった、
1633 30年戦争でスエーデンと帝国軍侵攻、1666 フランシスコ会修道士の修道院建設、
1703 スペイン継承戦争で略奪と放火、 1724 教区教会をやっと復元、
18c 主として農家。
15c後半に石灰岩によろ市壁が築かれ、リングガッセ沿いに残る。
バイエルン侯爵アルブレヒト3世が15c後半に築いた市壁には、2門10塔ががあった。
鳥捕塔 VogelfaengerTurm (15c) 3階建切妻屋根の塔は1873販売、1925火
事になり、そのご使われていない。
ホレー塔 HollerTurm (15c) 5階建切妻屋根の正方形の塔。
乞食代官塔 BettelVogtTurm (15c) 4階建階段切妻の塔で乞食を監督した代
官が住んだ。
亜鉛塔 ZinkTurm 1460)4階建切妻屋根の塔で、最後の住民にちなんで名付
けられた。この塔は火薬塔として使われ、昔に姿で復元された。
ゴッガー塔 GoggerTurm (15c)最も高い6階建の切妻屋根の塔は住居として
使われた。名前は1851に住んだ芸能人の名前から来ている。その後
町の刑務所となり軽犯罪人を収容した。
シャウアー塔 SchauerTurm (15c)3階建切妻屋根の塔でかっての所有者の名前が付
けられた。
マインードナウ運河沿いの小さな町で、階段切妻屋根は多いが木組家は少ない。
市庁舎 Rathaus (1479)町の中心にある2階建切妻屋根の鐘楼付の大きな建物
で、1970-71に改修された。
聖エギディウス市教区教会 Stadtpfarrkirche St.Aegidius (1144)1408に同じ所に
ゴシックの新しい教会が建てられ、1732-34に現在のバロックの教会となったが、
部分的には15cの建物が残された。主祭壇にバイエルンロココ彫刻がある。
フランシスコ会修道院 FranziskanerKloster (1665)フランシスコ会修道院は2階建寄棟屋根
4翼の建物で、1717フランシスコ教会、1767西に拡張、1775ネオロマネスク内装の再構築、
1803世俗化で修道院は閉鎖され、町が改修して瞑想の家として使っている。
中空の木製の橋で四角塔と繋いだ珍しい景観がある。
町博物館 HollerHaus Museum (1989)町の博物館となり、地質・運河の歴史。
農村生活の文化史などが展示されている。
市庁舎 | 宮殿門 |
ライデン搭 | 中間塔 |
旧神学校 | 旧ポスト |
南東壁搭 |
10c ディリンゲン城は郡の中心の市場を形成、1220-50 ディリンゲン伯が支配、
1258 アウグスブルク司教区への贈り物、 1500 司教区はシュバーベン帝国に属した、
16c 司教区枢機卿は城を後期バロックに改装、1549-51 ディリンゲン大学を設立、
1563 イエズス会大学となった、 1574-1745 魔女狩りで64人が裁判にかけらえた、
1802-03 バイエルンに帰属した、 1862 地区事務所が置かれた、
1945 市壁と塔で囲まれた旧市街地は2次大戦を生き残った。
1220-50の市壁は、城を中心に長方形の中心市街地が形成され、市壁と門で
守られた。1343新市街地が西方向に追加され、15cに南にも拡張され、15cの終
わりにかけて市壁も拡張されて町を守った。切石の市壁で17cにも強化された。
残っているのは、WeberStr.12:20m、WeberStr.1:40m、KlosterStr.3:30m、
WeisenhausGasse:60m、SeelGasse:90m
中門 Mittel Tor(1500.1754) 中世の門塔で4階建て角塔の上に3階建の
6角塔が乗っている。
旧城門 Ehem.BurgTor(15c17c)橋門で 双塔2階建の城門。
アーチ門 Torbogen(18c)車道を跨ぐ2階建てのアーチ門。
北角塔NoerdlicherEckTurm(15-16c)北角の市壁の塔。
北東角塔NoerdOestlicherEckTurm(15c)北東角の市壁の塔。後に麦芽工場。
東市壁塔OstilcherMauerTurm(15c.1602)北角の市壁の塔。後に給水塔。
南東角塔SuedostlicherEckTurm(1500)南東角の4階建て市壁の塔。
南角塔SuedlicherEckTurm(1500)南角の円形市壁の塔。
南西角塔SuedwestlicherEckTurm(15c)南西角の円形市壁の塔。
北西塔NoerdwestlicherTurm(15c中)北西の円形市壁の塔。
郊外塔ForstadtTurn(1901)円錐屋根の円塔で内壁と外壁の交点にある。
給水塔WasserTurn(1901)5階建て円錐屋根の円塔。
市壁に囲まれた旧市街地には古い木造や石造の建物が多く並んでいる。
宮殿 Schloss(12.15.16.18c)旧市街地の南端の高いテラスにあり、多
角形の中庭をかこんで周囲に宮殿が建っている。4棟の3-4階建の翼の複合体で
中世の城の基礎の上に建てられた。
精霊カトリック病院教会 Kath.Heili-Geist Kirch(1486-1505) 長方形の門を
備えたホール教会。
カtリック市教会聖ペトロ Kath.Stadt PfarrKirch St.Peter (1619-28)単身廊の壁
柱構造の建物で、ドームのある楕円形の教会。旧修道院は2-3階の
旧司教領会計局 Ehem.Fuerbischofliches Rentamt (1597) 1597の年号が建
物にあり、1801に拡張されて二つの2-3階建てのサドル屋根の複合体となった。
旧修道院の家 Ehem.Stiftshaus (15c.17c)市壁に立っている3階建て切妻の
家と斜めに取り付けられた別館。今は町と教区本部博物館。
元修道院教会聖アンドレアス Ehem.KapuzinerKlosterKirche St.Andoreas(1695-
97) 樽型ヴォールトのあるシンプルな身廊の建物。旧修道院は南にある2-3階建の建物。
元イエズス会大学 Ehem.JesuiltenKolleg (15c.17c)
元イエズス教会(1610-17):単身廊の教会で、内部は1750-65に再設計された。
元イエズス会大学(1619-68):長方形の中庭に4翼の複合体。1732西翼の追加。
今は、教師養成のアカデェミーとなっている。
フッガー家 Fuggerhaus (16-17c) 4階建てサドル屋根の建物。後部に中庭と建物。
古い兵舎 Alte Kaserne (1839-44) 五つの2階建ての建物の複合体。円周方
向のアーケードを備えた中庭を囲んでいる。
元司教領庁舎 Ehem.FuerstBischofsRegiorungsGeboeude (1715)寄棟切妻屋
3階建ての2翼の建物で、アウグスブツク司教のために建てられた。
旧旅館「星」 Ehem.Gasthaus Zum Stern (15-16c) 多角形の角出窓のある
3階建て軒側の建物。
旧城醸造所 Ehem.SchlossBrauerei (1500)2階建て3棟の複合建物、1500南
棟,その他は17c始、1764東棟。
元都市農家の家 Ehem.AckerbuergerHaus (17-18c) 2階建切妻漆喰で覆わ
れたサドル屋根の建物。
9c アウグスブルク司教のベネディクト会修道院、 1286 町は都市権を授与された、
1313 アウグスブルク司教が町と修道院を支配、 1486-1505 高い城を夏の離宮で建設、
1618-48 30年戦争で町は荒廃、 1745 マクシミリアン3世は墺の相続権放棄、
1803 世俗化で一時バイエルンに所属、 1806 バイエルンに帰属した。
14cに旧市街を囲む市壁が築かれ、町の中東南部120mに残る。18cに東側に拡大
してフランシスコ会修道院の外側に見張り塔と市壁440mが残っている。
壁塔とアンダーパスがある。。
町中の歩行者道では壁の絵画や彫刻に魅せられた多くの人で賑わっている。高
い城のダマシ絵は見事に描かれている。
高い城 HohesSchloss (1290) バイエルン侯爵ルードヴィッヒが構築した城を、アウグスブルク
司教は購入して保護局を置いた。1498-1504アウグスブルク侯爵司教の夏の離宮と
して今の形に拡張し、外壁にダマシ絵を描いた。6階建ての時計塔からの眺め
よく、バイエルンになって税務署と博物館を収容し、1862-63には裁判所。
州立美術館 StaatGalerie 見事に彫られた格間天井の大広間や皇帝マクシミリアン
絵画が見られる。
私立美術館 StaedtischeGemaeldeGalerie フランツグラーフ フォン ボッツイのコレクション。
旧聖マング修道院 Ehem.Kloster St.Mang (760)ベネディクト会修道院が、ザンクトガレン
修道院の支部として聖マングの庵の場所に建てられた。18cにバロックに改修され
1803には世俗化された。以来修道院教会は教区教会となった。
町教区教会 StadtpfarrKirche St.Mang (1701-17) バロックで新築され、化粧漆喰
細工やフレスコ画で飾られ、中央階段前のロマネスク地下聖堂は1971に改修。
聖アンナ礼拝堂 St.AnnaKapelle 教会の玄関ホールの手前にある。1600の、「死の舞
踏」の絵とゴングの聖アンナ像を所蔵。
フランシスコ会修道院 FranziskanerKloster (1629) 反宗教改革時に設立され、修道院
には1763-65聖ステファン教会が設立され、南東側は市壁と見張り塔で
囲まれた。1803世俗化され1836に再設立された。
修道院の建物 (18c初) 渦巻模様の破風の正面は風格あるバロックの建物で、ヒュッセン
市博物館として王侯の間・食堂・図書館・が見られる。また修道院の歴史やバイオリン
制作の記録が展示されている。
魔女塔 | 粉挽塔 |
フクロウ塔 | 北壁 |
ミュール広場 | 北壁 |
聖ペーター・パウロ教会 |
1243 リーネック侯爵はヴュルツブルク司教と契約し城と入植地の半分の2/3の宗主権獲得、
1319 農業集落から町へ昇格、 1469 町は決定的にヴュルツブルク司教に属す、
15c末 シュレンベルクは町の買戻でヴュルツブルク本山へのプファルツ・バイエルンの権利放棄を確定、
1495-66 シュレンベルクはワイン貿易で町の最盛期に、1525 農民戦争の戦災はなかった、
17c 30年戦争のスエーデン軍被害は甚大、 1803 世俗化で一時バイエルンに所属、
19c 地域の木材が豊かで木組の家が多かった、1945 空爆で町の2/3破壊。
15-16cの市壁は3市門を有し町をほぼ正方形に囲んだ。30年戦争で一部の市壁
が失われ、その後復元された。川側の擁壁の上には民家の後壁が乗っている。
粉挽き門 Muehl tor (13-14c) 北の市門で、アーチ通路と寄棟屋根のある
3階建荒石積の四角塔で、昔の引落戸のための滑り溝と庇が前面にある。
1945に寄棟屋根になった。
魔女塔 Hexen turm (14-16c) 西の角の円塔で、片持ち式上階と尖塔を持つ
1945円錐形の帽子を再構築された。
フクロウ塔 Eulen turm (14-16c) 東南の角の円塔で、簡単な張出の上階尖塔を
持つ、1945円錐形の帽子が再構築された。
マルクト広場の周りは市庁舎・教会の他復元された木組みの家が囲み魅力的な景観
を与えている。ちょっと高いが旧城の中庭からはマイン川を見下ろす絶景がある。
市庁舎 Rathaus (1980) 1585-96その時の魚市場にルネッサンス3階建ての市庁舎が
建てられたが、2次大戦で全壊した。新しい建物の屋根はタレットと切妻ではあるが
尖塔・柱・入口は再現されていないし、前面の大きな長方形の窓も飾り気がない。
シェレンブルク城 Scherenburg (1243) リーネック侯爵が建てヴュルツブルクへ移行された。
1469ヴュルツブルクの領主司教の名が付けられ、1598までは公式の事務所を務めた。
18c末に放棄され1825から個人所有となった。残された円城壁に市壁が接続され
南東部に城門と天守閣が残されている。1965から町が所有し、1990から中庭で
祭りや野外劇場として使われている。
聖ペーターとパウロ教会 Stadtpfarrkirche St.Peter und Paul(1488)1945の爆
撃で古い聖ペテロ教会の壁と塔の一部が残され、1948八角形の尖塔と四隅の塔を持
ち市の紋章と時計のある意図的にシンプルにされた本堂が再建された。
中には三聖人の像がある。
フッテン宮殿 HuttenSchloss (13c) 川の西に在り、1243宮殿はゲミュンデンから離れ、
1317ゲミュンデンに戻り、1463-86アッシャヘンブルクに売却された。1711双塔が特徴の宮殿は
リーネック侯爵の廷史によって建てられ、1726フランクの貴族の持物となった。入口の紋章
で元の後主が分かる。1975のダム建設までは毎年洪水に浸かっていた。
会計局・住宅・食堂・交通博物館などに使われ、1999改造されて今は映画・写真・音の
博物館と自然公園の展示室となっている。
ロンクラッツの庭 Ronkarz Garten (1830-45) 王室地方博物館の医師ロンクラッツ夫妻は
OberTorStrasseに邸宅を購入した。ブドウ園であった家の裏斜面を赤砂岩の擁壁
や階段を設けてルネッサンスの庭園とした。長年の経過で石積に亀裂が発生し、1989町
が取得して2001から補強し記念物として保存公開している。
市庁舎 | フランキールング塔 |
フクロウ塔 | 白塔 |
北外壁 | 東外壁 |
南東隅塔 | 壁 |
市教区教会 |
750-79 フルダ修道院の贈物証書に初言及、 1296 ゲロルド2世は町として要塞化、
1345 ワイン市場が開設された、1357-59 バイエル王ルードヴィッヒの要請でユルツブルク司教都市、
1397 町は長方形の市壁と2門で守られた、 15c後半 外側市壁が構築された、
1525 農民戦争で大被害を被った、 1615-19 魔女裁判で261人を処刑、
1618-48 30年戦争・火事・飢餓・ペストで人口1/4、 1796 帝国軍と仏革命軍との戦い、
1805 世俗化でバイエルンに所属。
1397に旧市街の中心部を矩形に囲む市壁が築かれ、部分的に住宅内に残る。
15c後半から四方に拡張して外側市壁が築かれた。略図のように多くの外壁が残
されている。中心壁は残り810mで残存率0.68、外側壁は残り1.440m残存率0.73。
中心壁の2門は1871-77に取り除かれた。
フクロウ塔 Eulen turm (14-16c) 西 1830まで教区監獄で魔女を拘束したため
魔女塔とも呼ばれ、5階建ての角塔で玉ねぎ帽子が乗る。
白い塔 Weisser turm (14-16c) 東 20mの高さの円塔に南欧風ズキンが乗る。
1803まで監獄であった。古い北側入口は道路から5mの高さにある。
中壁塔 Mauer turm (16c) 南西角の3階建て円錐屋根の円塔。
中壁塔 Mauer turm (16c) 北西角の円塔の切株。
八角塔 Achteckiger turm () 南 2階建ての白塔。
ビブラ塔 Bibra turm () 西 紋章や碑文のある円塔。
外壁塔 Mauer turm () 西南 円塔の切株。家に構築されている。
外壁塔 Mauer turm () 西北 円塔で住宅に転換。
外壁塔 Mauer turm () 西北角 円塔。
外壁塔 Mauer turm (1489) 北西端 円錐屋根の円塔に3階建ての薄い住宅。
3外壁塔 Mauer turm (15c) 北 円筒の切株が3基ある。
シェレンベルク塔 Scherenberg turm (15c) 東北 円塔。
南東塔 Suedost turm (15c) 南東角 円塔。火薬塔として使われた。
外壁塔 Mauer turm (15c) 南東 円塔の切株。
二重の市壁と塔に囲まれた中都市で古い建物が残されている。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1475) 特殊なゴシック切妻の3階建で、1585南に裁判
所と市参事会員の祝賀宴会場の建物が付けられた。地階には昔常設市場で、今は
町の応接のための機器庫である。1984から市博物館であり、バイエルン学校博物館も
併設している。
市教区教会聖マリアとレギスビンド StadtpfarrKirche Hl.Maria vom Rossenkranz und
Hl.Regiswindis (1436-79) 1600徹底的に更新、1899-1902拡張された。急な
スレート屋根のゴシック3廊の大教会で、北壁にはリーメン・シュナイダー型の4mの高さの3ロザリオの
マドンナ像がある。
旧郡庁 Ekem.Oberamthaus (1580) 3階建てのルネッサンスの建物で、渦巻装飾の切妻が
ある。1738食堂を増築した。ヴュルツブルク領主司教は1525農民戦争で焼けた城の
館の跡に建物を建て、1732郡庁、1862地区事務所と地方裁判所、1936区庁、1979
市庁舎と行政共同体を収容している。
病院 Spital (1402)シュバインフュートの貴族が、貧しい人のために寄付した。
1600領主司教が新築した。今は市立図書館・公文書館・ワイン食堂付市民病院。
旧役所 Ehem.Amtshaus (1600) 渦巻き模様の切妻あるルネッサンス3階建ての
階段塔付の建物代官事務所であり、後にヴュルツブルク司教の夏の離宮であった。
1805バイエルン王国の会計局、1920税務署、1978国家営林局を収容している。
木組みの家 Fachwerkhaus Teusch (1566) 隅に出窓小塔のある美しい木組の家で、
聖アンドリューの十字架ギャラリィがある。1644代官屋敷、1768と1818市長の住家。
市博物館 Stadt museum 縫製の歴史とミシン進化の展示とバイエルン学校博物館。
市庁舎 | 聖トリニタス教会 | |
ヒルポルトシュタイン門 | エグロシュタイン門 | |
ニュルンベルク門 | マルクト広場 | |
北壁 | 南壁 |
1172 修道院からアボットへの文書に初言及、 1333 皇帝ルードビッヒは市場権を授与、
1371 皇帝カール4世は町に都市権を授与、市壁に着手、1520 堀・壁・塔・4門の施設完成、
1567 大火災で58戸が焼失、 1632 30年戦争で最悪の略奪と破壊、
1778 雹による大災害、 1806 ニュルンベルクの自由都市はバイエルン王国へ。
1370都市権の授与から天然石の市壁が構築され、1520には完成した。
場所によっては建物の一部として残されている。
4門の内3門が残るが、塔は見当たらない。
ニュルンベルク門 Nurnberger tor (16c) 南市門は谷門とか下門とも呼ばれる。3階建寄棟
屋根に狭い通路の門塔。
ヒルポルトシュタイン門 Hilpoltstein tor (1545) 東市門は坊主門とか美しい野原門とも呼ば
れた。3階建切妻屋根漆喰塗の門塔で、16152階建切妻屋根の建物が市壁に上に住
宅として築かれた。
エグロシュタイン門 Egloffstein tor (16c) 北市門は上門やバルク門とも呼ばれた。3階建切妻
屋根の門塔で、17cに市壁の上に木造トラスの建物を置いた。
山中にポツンとある小さな町。
市庁舎 Rathaus (1697) タマネギドームのある集会所として建てられた上階木組の2階建の
建物は、1870に大規模な2階建切妻屋根の市庁舎になり、多角形の出窓が付けられ
た。1965たいらな切妻屋根と鐘楼の屋根を更新した。
聖トリニタス教区教会 PfarrKirche St.Trinitatis(1300)旧聖ピータース教会で、切石積切妻
屋根ホール教会の正方形の塔の上にテント屋根の八角形の塔が乗っている。1462ゴシック
の内陣、1725北へ拡大。
牧師館 Pfarrhaus (1821-22) 砂岩切石造・2階建切石造のコーナー付ストリップ中央突起の建物。
いわゆる市民の家 Sogenanntes Buergerhaus (1732)大きな3階建寄棟屋根の建物で、
1877変更された漆喰塗の元学校である。
旧浴場門の門衛所 Ehem.Torhaus des BadTors (1650) 大きな2階建寄棟屋根・片持トラス
床の建物で製釘所として使われた。
旅館:ブドウ Gasthof Zum Traube (1567) 2階建木造切妻屋根の漆喰塗の建物である。
宿屋 Gasthaus (1754) 寄棟差掛屋根木組の建物は、宿屋とビール醸造所。
商店 Geschaeffshaus (1567) 2階建寄棟差掛屋根の大きな木組の上階、17-18cに改修
され1981木組を暴露した。
旧なめし屋 Ehem.Gerberhaus (1645) 高い地階の上に漆喰切妻屋根2階建の建物で1915
に2階建で建て替えられた。
旧宿屋:赤い雄牛 Ehem. Gasthaus Zum Roter Ocsen (1567) 2階建半木造漆喰塗の家
で、1626に改造され、今は商店になっている。
旧駅馬車の駅 Ehem.Posthalterei (1567) 2階建切妻屋根木組上階漆喰塗の家で、その
後Gasthof zum WeissenRoss となり、1927の改修され、今はホテル:AltePostとなっ
ている。
市庁舎 | カソリック教区教会 |
マルクト広場 | 南壁 |
北東壁 | 北壁 |
1274 前駆集落の初言及、 1361 皇帝カール4世は町に昇格、
14c 侯爵ロイヒテンベ゙ルククは59年間に4回質入、 1362 郊外の建設を開始、
1422 町を請出せなかったのでプファルツ選帝侯に所有権が移った、
1535 宗教改革でルター派に、 1598 城・15家屋・19物置が火災焼失、
1618-48 スウエーデン軍と帝国軍の略奪と放火、 1625 6回信仰変更してカソリックへ、
1701-14 スペイン継承戦争1741-48墺継承戦争被害、1708-1880 6度の火災で廃墟、
1756-63 7年戦争でプロイセン侵攻、 1796 仏軍による略奪、
1806 バイエルン王国へ帰属、 1838 オーパープファルツに。
14cの市壁は、東に狭く西に広がった形で、砂岩切石の空積みで築かれた。
東北部と南西部に残っている。
見当たらない。
小さな町の中央に、矩形20m×140mの大きなマルクト広場がある。1870の大火
事の後に広場の周囲は、殆どが2階建軒屋根で構成されている。装飾的には控え
めな建物である。マルクト広場の中央には、15c3階建切妻屋根の市庁舎があり、南
西隅には教区教会がある。
市庁舎 Rathaus (1462) 後期ゴシック3階建切妻屋根の建物には、鐘楼とコウノトリの巣
台がある。多くの用途を経験し、今は市長と市議会が使用している。西の前面
は1920に修復され、1982-86完全に改装された。
カソリック教区教会 Kath.Pfarrkirche (14c) 内陣と塔控壁・地下教会は14c、切妻屋根の
広間教会尖塔とクロス塔。1820落雷による身廊の損傷。1830火災後にネオゴシックの
身廊建設。
旧牧師会館 Ehem.Pfarrhof (1559) 2階建寄棟屋根の建物。
倉庫 Kasten haus (1532) 3階建急傾斜屋根切石造、丸アーチの入口。今は文化・軍事
博物館である。エルビスプレスビーが軍人としてここに駐留した。
町の家 Stadthaus (14c) 古い町の家。
市庁舎 | 侯爵門 |
侯爵門外側 | アイヒシュタット門 |
壁 | 壁道 |
壁塔 | 旧領主司教宮殿 |
1091 皇帝ヘンリー4世からアイヒシュタット司教への文書に初言及、
1311 アイヒスタト司教が最終的に所有、 14c 領主司教は市壁と塔を強化、
14c 領主司教は町を行政の拠点たした、 1503 町は大火災、
1633 30年戦争でスエーデン軍侵攻、ペスト大流行、 1699 市庁舎・バロック宮殿を建設、
1806 世俗化でアイヒスタット司教が終わりバイエルン王国に帰属した。
最初の市壁は14cに造られ、1535領主司教フリードリッヒ4世により3門3塔前堀な
どで強化した。南東部をのぞいて多く残っている。
伯爵門 FuerstenTor 東、2階建て前門塔付の階段切妻付3階建て四角塔で紋章が
あり、アイヒスタット王子司教が町の事務所訪問や狩猟で滞在した時にこの門を通った
ためこの名前が付いた。
ニュルンベルク門 NuerunbergTor 西、5階建ての四角塔で四角錘屋根が付いている。第1
壁と共に構築され、17cに鐘楼が付けられた。外側には教区と領主の紋章がある。
アイゼナッハ門 EichstaetterTor、南、2階建て前門付の階段切妻付3階建角塔で石の紋章
が付いている。
壁角塔 Turm 壁中の角塔が10塔ある。
三角形のマルクト広場を中心に、17cの家並みを市壁が囲んでいる小さな町。
市庁舎 Rathaus (14c)旧市庁舎は30年戦争の1633にスエーデン軍に焼かれ、1699に
再建された。正面には領主の紋章があり、三角屋根の2階建て鐘楼付の建物である。
旧領主司教宮殿 Ehem.Fuerstbischoefliche Schloss (1696)南に六角塔の付いた3
階建ての大きな建物は、領主司教の夏の別荘・狩猟の館として建てられた。1802
世俗化により領主司教は退位し、今はアンティーク店である。
旧領主司教営林署 Ehem.Fuerstbischoefliche FofstHaus (1741)狩猟小屋とも呼
ばれる領主司教の納屋として2階建てで建てられ、正面入り口の上にフォンフライ4世
の紋章がある。今はライフシゼン銀行である。
聖マーチン教会 St.martin Kirche (11c) アイヒスタット司教の単塔ロマネスク教会で、今の聖堂は
12cに建てられ、6アーチの入口は1965-67の改築の際に復元された。1480後期
ゴシック主祭壇、15c本堂のフレスコ画、1780聖マリア絵・聖ヨハネ絵。
聖ヤコブ教区教会 StadtpfarrKirche St.Jakob 1633に古い建物は焼失し1725-27再建
しイエズス会聖ゼームス教会であったが、1735に教区のために買収された。1741側壁に
はペストの絵、1875天井画、1951オルガン、1972-76改装。
納骨堂 Karner (12c) 聖ミカエルであった旧礼拝堂の地下にロマネスクの納骨堂がある。14c
に市壁内の墓地が不足したため、マーチン教会の敷地の中に設けられた。バイエルンに
3つしか残されていない。2500人の遺骨が納められている。
自然と人類の博物館 Museum Natur und Mensch 古い食堂・郵便局・醸造所であった
古い建物に収容されている。1992開設、洞窟・化石・先史時代の歴史、日常生活
・工芸品・農業をテーマとして展示している。
貯蓄銀行博物館 SparkassenMuseumu 古い貯蓄銀行のの事務室で、会計事務機・貨幣
・貯金箱等を展示。
旧市庁舎 | 聖ペーターパウロ教会 |
マルクト広場 | シュッピツアー門 |
ステンパー搭 | 魔女塔 |
780-799 フルダ修道院の文書にオストハイム初言及、 1278 マインツ選帝侯の支配下に、
13c マインツ大司教のグロスオストハイム出先事務所設置、 1803 アッシャヘンブツク公国に帰属、
1814 フランクフルト大公国に所属、 1816 パリ条約によりバイエルン王国へ、
1862 アッシャヘンブツク地方事務所に含まれた。
15-16cの不規則な切石積の市壁は、塔の前後と南の墓地壁の残る。
水車小門 Muel Pforte (15-16c) 旧市街を取巻く堀通りの西端に、
狭い尖塔迫持の門扉がある。
尖塔 Spitze Turm (15-16c) 堀通りの西南に、3階建の角塔が立ち、
頂上部に胸壁と尖塔がある。
切株塔 Stumpfer Turm (15-16c) 堀通りの西南端に、2階建の円塔があ
り、塔の入口には1606の年号がある。
魔女塔 Hexen Turm (15-16c) 堀通りの東北に、1階建胸壁のある円塔
で、隣接して家が建てられている。
16-18c半木造の住宅は、マルクト広場・マルクト路地・ガンゼル通・ハール通の中心部に集中
している。
旧市庁舎 AltesRathaus (1888) ネオルネッサンスの砂岩2階建切妻屋根の四角
の建物で長方形の建物が付いている。
聖ペテロとパウロ教区教会 PfarrkircheSt.Peter und paul (13c) 初め13cに
建てられ、1446通路や柱状アーケード、15cほぼ正方形の後陣と西塔、1771身廊や
ギャラリーの上部構造、1918塔の両側の補強、1935拡張。
カソリック聖十字架教会 Kath.St.Heilig Kreuz Kirch (1513) 切石造屋上小
塔のある教会。1743合唱団別棟によるハーフリーフ構成。
醸造所 Brauhaus (1901) 3階建フラットリーフ構造で木組を露出した建物。
ネーシッヒ館 Noethig hof (16-17c) 階段塔のある2つの3階建上階木組の建物
で、不規則な4翼に1571.1624.1629の年号がある。
都市農民の家 Ackeerbuerger haus (1567) マルクトに面した上階木組の2階建
切妻屋根の建物、腕木に1567の年号がある。
住家 Wohnhaus (1754) 2階建マンサード屋根の上階木組の建物で、中庭への
アーチ門がある。
住家 Wohnhaus (18c) 2階建切妻屋根で、高い基礎壁に勾配にある家。
マルクト広場 | 辺境伯宮殿・角塔 |
下門 | ウルズラ塔 |
牛塔 | 魔女塔 |
鉄の家 | 聖母教会 |
77 ドナウ南岸にローマ要塞があり、かなりの民間集落と重要な橋があった、
5c アレマニア族の定住、 8c フランク族来襲、 1265 ドイツ王ハインリッヒ文書に初言及、
1301 ハプスブルク家の所有に、 1307 ハプスブルク家は上の街を開発し市場開設、
1418 町に高等裁判所・病院・ラテン語学校の設置、 1579-80 城と教会の建設、
1609 辺境伯カールは宮殿を建て産業振興、 1625 30年戦争で町は破壊、
1701-14 スペイン承継戦争で城と住宅を破壊、 1740-80 マリアテレジアの下で全盛期、
1780 町は駐屯地になった、 1805 ナポレオン軍による占領略奪、
1806 ババリア王国へ帰属、 1872 町は帝国自由都市となった、
1945 2次大戦の終期に重爆撃を受けた。
14cの基礎の上に16c終わりに建てられた。多くの場所に構造物が残る。
下門 Unteres Tor (1436) 西門は市塔とも呼ばれ、下部は後期ゴシック
石造正方形で、上の町で最も古いまだ目に見える構造物である。火の見櫓・
詰所・住居などに使われ、上部は16cに再建され裕福な街の象徴として緑の尖
塔が付けれた。
牛塔 Kuh Turm (14c) 上の町の牧草地へ牛・豚・ガチョウを出入りさせる為
に北側に設けられた。古い正方形の下部の上に八角形の上部とボンネット屋根が
あり、1621の年号標識がある。
ウルズラ塔 Ursula Turm (14-15c) 鳥塔とも呼ばれ、北西の角にある正方
形の下部に17354階建マンサード屋根の上部が付けれた。
魔女塔 Hexen Turm (15c) 梟塔とも呼ばれ、北東の隅に正方形下部の
上に1735マンサード屋根の上部が付けれれた。
角塔 Eck Turm (14-15c) 南西正方形の下部にテント屋根の上部がある。
鉄の家 Eisen Haus (14-15c) 南東隅の大きな塔は、最初火薬庫であ
った。18cに州刑務所となり、鉄の家と呼ばれた。1858新しい刑務所が建て
られ、その後住居として使われた。
市庁舎 Rathaus (1764) ハプスブルク家の元鋳造所は、交通の便と水力
発電からこの地に置かれ、銀のコインを主として鋳造した。1767スピンドル機を
4基設置して、マリアテレサタール銀貨と銅コインを生産した。1805仏軍の進駐で終り、
1809バイエルンに移って市庁舎として使われた。
辺境伯宮殿 Markgrafen Schloss (1577) オーストリア大公フェルナンド2世はアウグ
スブルクの豪商の娘と結婚し、息子のオールはこの町に宮殿を置いた。壮大なインテリア
の宮殿は1703の火事や2次大戦の損傷で外観は変わった。今は税理士事務所・
地方裁判所などを収容している。また、1579ルネッサンスの王宮教会があり、コリント
柱列の様式で、1755から大学教会として使われた。
税関 Zollhaus (14c) 舗装された道の維持費を徴収するため、低い門
の小さな青い家である。料金は車と動物の数で増えた。
旧宿屋:王冠 Ehem.Gasthaaus (1559) オーストリア皇帝ヨーゼフ2世とバイエルン王
マックスが宿泊した宿屋で、中央窓の上に皇帝の碑文と金メッキのメタルを置いた。
聖母教会 FrauenKirche (1532) 1735の大火災でゴシックの教会は塔の下
の部分を除いて破壊した。1741ツインマーマンによる内陣が完成したが資金不足で
奉献は1780となった。
教育の家 Haus der Bildung (1780-81) 、 旧オーストリア兵舎で皇帝ヨヤフが
この地を駐屯地と定め兵舎を建てた。1805仏軍と戦い、1809バイエルンの支配
下となった。兵舎は1900高校、1979-2007小学校、2008教育の家となった。
郷土博物館 Heimatmuseum (1755-57) 旧ピアリスト学院はマリアテレジアの男子
教育のため建てられ、1978まで使われた。1982から620m2・14会場の博物館と
なった。考古学・歴史・絵画・家具・民俗学・ハプスブルク家・玩具などを展示。
市庁舎 | 聖マルチン教会 |
下門内 | 下門外 |
東壁 | 東壁 |
南壁 | 北屋根付壁 |
750 フルダ修道院への寄付調書に初言及、 1200 ホーエンスタウフェン朝による町昇格、
1226 町は資金を得て3門の市壁建設、1268 コンラッドの遺産からビッテルスバッハへ、
1462 アンスバッハ辺境伯は帝国軍の包囲に対抗、1505 ランツフート承継戦争でノイブル公、
1777 町は再びバイエルンの属した、 1808 バイエルン王国に所属、
1945 2次大戦でかなりの被害。
13cの市壁の位置には、15cの住宅が上に建てられた。
下門 Unteres Tor (13c) 東門は大きな5階建の門塔で、13cの柱脚、17cの上階、
18c四辺形頂塔に玉ねぎ帽子がある。18cに階段を増築。
旧市街の建物は主として16cト18cに建てられている。
市庁舎 Rathaus (13c) 1677古い市庁舎が焼失し、地元の大工や石工によって立
直された。1852第一次王政復古で改装され、2000に拡張された。
バラの城 Rosen Schloss (12c) 1270に礼拝堂が建てられて文書言及された。城はエッシ
ェンブルン大修道院長の下にあった。1462からの包囲に対抗した。1553と1560に
栽培地と城が建設され、礼拝堂は1554に取り壊された。17cに切妻屋根の翼が
建てられ、2001大改修で完成した。
聖マルチン教区教会 Pfarrkirche St.Martin (7c) バイエルンでも最古の木製教会が建てられ
た。8cに2番目の教会が長さ16.5m幅8.5mで建てられ、その後に祭壇が正方形
の教区教会となった。12-13cにロマネスクの長さ29m幅15m単身廊西塔となった。
宗教改革後15cに変換された。1679内陣、1682教会復元、1688塔損傷、1689
バロクの上部工に再構築、1687-98塔の完成。
聖母昇天教会 Kirche Maria Himmelfahrt (14c) 病院には初めから礼拝堂があった。
1418教会を設置。1720ルーテル病院教会は取壊された。1723新花崗岩造教会が建
られ、フレスコ画が描かれた。1945半壊したがそのご復元された。
市博物館 | アンスバッハー門 |
コウノトリ門 | 染色屋搭 |
北壁 | 北壁 |
南壁 | 西南壁 |
ブラス搭 |
90 ローマ軍は進出してヌメルス要塞を築いて241まで住んだ、 1200 ホーエンスタウフェン朝による町昇格、
1368 城伯フリードリッヒ5世が買収してホーエンツオーレルン家の所有となった、市場権・市壁建設権を得て発展、
17c カール・ヴィルヘルム・フリードリッヒはバロックの町を築いた、 1806 バイエルン王国に属した、
1862 地方事務所が置かれた、 1972ヴァイセンブルクに統合された、1945 100機の空爆で町は壊滅、
14cの市壁は切石積みで造られ、部分的に胸壁が付けられた。15c中に更新された。残っている
のは、南東の中庭に15cの市壁と防御塔、南西にAnsbacherTorの所に15cの市壁と防御塔、
中西に15cの市壁と防御塔、南西にも15cの市壁と防御塔、南に15cの曲がった市壁と防御塔、東
南に15cの市壁が残る。
アンスバッハー門 Ansbacher Tor (1446) 唯一残った門塔で高さは33mある。通路
のある2階建の下部構造は、15c前からのもので1578に崩壊したため1603に5階建で再建された。
塔は警備員の住居であり、防御通路付きの市壁が左右にある。
染色塔 Faeber Turm (1300) 泥棒塔とも呼ばれ、1827に取り壊されたWeissen
burger Torの一部であった。時計付き5階建ての円塔は、14cから市壁の一部の火薬塔であった。
塔は刑務所として使われた。
コウノトリ等 Storchen Turm (1450) テント屋根2階建の円塔で、一部が取り壊されて
1749に住宅用の建物となり、2階建ての家に接続された。
旧市街には、16cからの木骨造の美しい建物が残っている。
市庁舎 Rathaus (1621) 二つの1621の町家の組わせであり、切妻のある3階建の大
きな2翼の建物であった。1702と1761に拡張された。
聖母マリア市教区教会 Ev.Luthriche Stadt Pfarrkirche Maria Virginis
(13c)引き込まれた内陣のある3通路のホール教会で、尖ったヘルメットのある内陣塔の南に、13c初頭の
塔の地下室・1448-61の内陣・1469-96の塔の上屋階・1706-07西側切妻壁がある。1850ネオゴ
シックに改修。
旧牧師の家 Ehem.Kappanei Haus (1574) 2階建上階木組みのてて物で、1574の
年号が刻まれている。
ルーテル主席司教 Ev.Lutherisches Dekanat (1776-78) 角柱のある2階建ての寄
棟屋根の建物。
精霊病院教会 SpitalKirche Heiliger Geist (1353) 内陣のあるホール・ドー
ムとランタンのある内陣上の八角形屋根の砲塔がある。1353に奉献、1611にゴシックへの改修、1700-02
バロックへの改修。
旧ハイデナップ宮殿 Ehem.Palais Heudenab (1748-49) 2階建マンサード屋根の漆喰
の建物で、中央部分が突出している。前面の中央に外階段がある。
旧貴族アドレス宮殿 Ehem.Adels Palais (1706) ヨハン・ウイルヘルム大臣が自分のために
建てた素朴な前面の3階建て寄棟屋根の建物で、1816-1974は市庁舎として使われ、1984には市
博物館になった。
元旅館 Ehem.Gasthaus (1500) 大きな切妻屋根上階木骨造の2階建の古い建物。
工場貯蔵庫 Ehem.Speicherbau (1753) 3階建上2階は木骨造のサドル屋根の建物
で、1820に鞣し皮工場、1988に郷土博物館として使われ木骨は赤く塗った。
市庁舎 | 僧塔 |
風呂屋塔 | 番人塔 |
西壁 | 西南壁 |
南壁 | 南壁 |
716 交易路に侯爵領のハムロ要塞の初言及、741 聖マーチン教会はヴュルツブルクの教区に、
777 フランク領土を聖ボニファース教団に贈った、 8c 宗教上はヴュルツブルク教区とフルダ修道院
12c フルダはガートレック城を築いた、 1234 ヴュルツブルクはヘネブルクから奪った、
13c 3門11塔の市壁と堀で守られた、 1303 王アルブレヒトは都市権を授与、
1500 町は上ライン都市同盟に参加、 1604 新教徒追放の脅しでカソリックに戻った、
1797-03 町はフルダ第2大隊の駐屯地、 1803-06 世俗化でオレンジ・ナッソウに、
1806-10 ナポレオンの弟による仏支配下に、 1810 フランクフルト大公国に割り当て、
1813-16 墺太利バイエルンに、 1816 バイエルン王国へ帰属ランドウエ大隊駐屯、
1854 大火災で町の中心部は焼失、 1945 米軍が進駐。
1242最初の市壁が言及され、1256-60に完成された。市壁は厚さ1.5mまでの石積
で構成され、堀の壁はかなり狭い。中世の市壁とツインガー壁は、特に南側で3列残る。
13cの市壁には3門と11塔があったが、西の池門・東の上門・北の下門とも残って
いない。壁塔は下記の3塔と3塔の切株が見られる。
修道士塔 Moenchs turm (1242-60) 南 鐘楼屋根の6階建て円塔。
帽子塔 Hueter turm (1242-60) 南 4階建ての大きな四角塔で、1801マンサード屋
根を付けた。
風呂塔 Bader turm (1242-60) 北 5階建ての屋根のない円塔。
中世の町の中心部は1854の大火で失われ、殆どその後の建物である。
市庁舎 Rathaus (1524-26) 町の最盛期にルネッサンスの建物が建てられ、1529か
ら評議会が始まった。1854に火事の後、1859横の階段塔と地下室を残して
ゴシックリバイバルで切妻3階建ての市庁舎となった。
町教区教会聖洗礼者ヨハネJohannes der Tauefer (716) 1389-1461北に角塔の
ある珍しい形の大教会で、15cの壁画が見られ、1854の火災の後、新しい
床が建設された。
旧市街修道院 Kloster Altstadt (1649) 聖マリア聖別修道院はチューリンゲンの聖
エリザベスによって設立され、1655から病院も併設して世俗化を免れた。
1926フランシスコ神学校を収容、1931警察学校、1980バイエルン音楽アカデェミーも使
用した。修道院の隣にあるカルペリー礼拝堂は一見の価値がある。
ザーレック城 Saaleck (1030) 町の外の山上に残る。13cに城の堀や城壁を強
化したが、30年戦争で破壊された。16-17cに石造建築物を補修したが、
1867に大部分が焼失した。城門と天守閣は残り、1964ワイナリィを建設して
開業した。2011から市が管理している。
ワイン醸造宮殿 kellerei Schloss (1726) 777に建てられた城やワイナリィの基礎
の上に,大きな夏の離宮をフルダの司教アポントが建築した。
市博物館「領主粉挽所」 Stadtmuseum"Herren muehle 西南 中世の評議
会員が製粉工場を建てた。美しいバロックの前面の3階建ての建物に850m2の展
示場を構築し、1階にはワインの町としてブドウの歴史トワイナリーの蒸留工程、2階に
はパンの生成とザニレ谷の工場の歴史が展示されている。
旧市庁舎 | 上門 |
橋門 | 下門 |
南壁 | 聖キリアン市教会 |
1230 初文書言及、 1235 ヴュルツブルク領主司教ベルマン1世は都市権を授与、
1373 復活祭市場の継続、 1385-90 貨幣鋳造所を開設、
1397-1400 町は短期間の帝国都市、 1399 領主司教ゲルハルト5世7週間包囲、
1400 ゲルハルト5世に対する都市同盟に参加、 1525 農民戦争に参加、
1611 ペスト流行に苦しむ、 1630 スエーデン軍は火災税を課した、
1645 30年戦争の火災に見舞われた、 1745 2次シュレスビッヒ戦争で捕虜収容所、
1756-63 7年戦争で宿営地となった、 1803 世俗化でバイエルン選帝侯に落ちた、
1806 トスカーナ選帝侯国に属した、 1814 マックス・ヨーゼフ1世は王国事務所設置、
1862 バイエルン地方郡庁舎都市、 1945 2次大戦で空爆があった。
14cからの煉瓦と砂岩と混合材料の市壁があり、北Promnade20m・東Hinter
gasse50m・Ansfallsgraben20m・南Stadtmauer70mに見られる。
上門 Ober tor (1230) バンベルク門とも呼ばれ、ピラミット屋根の8階建て長方形の門塔
で、1540歩行者用アーチが付けられた。
橋門 Bruecken tor (1616) 旧マイン門で内側塔として建てられ、玉ねぎランタンの3階建
の門塔で、市立公文書館が収容されている。
下門 Unter tor (1230) ヴュルツブルク塔とも呼ばれ、ピラミット屋根の5階建てに154に
嵩上げられた角塔で、歩行者通路が造られている。2002改修された。
カエル塔 Froesch turm (1290) 2階建て中世風の円塔である。
多くの美しい木組みの家が並び中世の雰囲気のある町。
旧市庁舎 Ehem.Rathaus (1514-16) ヴュルツブルク侯爵司教ロレンツの統治期に後期ゴシック
石造の建物が完成した。18-19c四角形3階建ての建物に改築した。古典的な見
張は西側に、広間は3階にある。ゴシック小尖塔で飾った切妻・東前面に侯爵の
紋章・ハプスブルクの双頭の鷲・町の紋章がある。1994まで市庁舎、2004市民事
務室・戸籍局・地階に大広間。
市庁舎Rathaus (17c) 高等宗教財団の事務所の建物として建てられ、屋外階段の
上に大きな玄関入口のある3階建ての建物で、アーチ頂部に領主司教ヨハン紋章が
ある。1814バイエルン王室地方裁判所、1862バイエルン役所、1988まで郡会事務局、
1994市庁舎となった。
市公会堂 Stadthalle (15c) 旧領主司教セレンツの建てた十分の一税倉庫で・フイリップの
階段切妻のある3階建ての建物である。1627フイリップ・アドルフは階を継ぎ足した。
地方農業用貯蔵庫として3年間使われ、1988から市公会堂となった。
郡会事務局 Landratsamt (1300)旧城、領主の館、ヴュルツブルク事務所であった。近
年改装されて学校として使われ、西の部分は簡易裁判所・土地登記事務所とな
った。
町教区教会聖キリアン StadtpfarrKirche St.Killian (1350) 最初の地区教会は郊外に
在ったが、1350にマルクト広場の北に移設された。1390古い教会の南塔の低層部
と内陣を使って新教会を建て、1440古い塔を追加した。17cバロックの通路ギャラ
リィが追加された。1884-90リバイバルゴシックの内装となり、1960-66にも内装は改
装され、1990-92部分的に改修された。今は3身廊の疑似大聖堂で前面のみ白
漆喰が塗られている。
市庁舎 | 聖ヨハネス教会 |
牧師館 | マルクト広場 |
1192 騎士ハイデックは尾根の北斜面に城を建設、 1287 町の南西に新城を建設、
1288 谷に市街地が存在した、 1471 バイエルン・ランツフート侯爵は事務所設置、
1505 プファルツ・ノイブルク公国へ所属、 1542-35 ニュルンベルクが町を管理、
1800 町に7醸造所が存在、 1803 バイエルン王国に帰属、
1880 市壁と市門の取り除き、 1898 大規模都市火災で古い家屋を失う。
14cの市壁は、15cに補強され、18c初めに二つの堀が埋められ円形道路が誕生
した。市壁は7-8mの高さで壁厚1.8-1.9mであった。1880に殆ど解体され、二つ
の断片を残すのみとなった。
東西に下門と上門があり、道路の両端に2門衛所があった。両門塔にはには後
に前門が付けれて強化された。交通阻害で下門は1881に、上門は1886に取払われ
れた。1420-30建てられた壁塔は、南西の隅に火薬塔、北東隅に四角塔、北西にも
立っていたが何れも現存しない。
ホップの生産地として知られ、1800には町に7醸造所があった。1898に大火事
となり歴史的な建物は減少したが、まだ古い石造や木組の建物も残っている。
市庁舎 Rathaus (1481) ランツフートの穀物蔵として3階建切妻屋根の大きなを建物が建て
られ十分の一税の物納を収容した。1860-61町が建物を買収し、1865役所や学
校に改造した。1851にマルクト広場の旧市庁舎は使われなくなった。
聖ヨハネス教区教会 Pfarrkirche St.Johannes (1457) ロマネスクの内陣とゴシックの鐘楼があり
今の内部はロココである。ランツフート家は後期ゴシックのマドンナ像を寄贈。
聖母礼拝堂 Liebfrau Kapelle (1419) 聖体拝領教会としてフリードリッヒ2世が建てた。建
設時のフレスコ画がある。ゴシック砂岩の礼拝堂で2009に改修された。
住家 Wohnhaus (15c) 2階建切妻の家で1421西に拡張した。1544・1585・1796に改
造された。
市民の家 Buergerhaus (15c)2階建で長く伸びた簡単な側翼のある漆喰仕上げの木組
の家で16cにバロックの外装となった。
旧養育庁 Ehem.Pflegerhaus (1759) 2階建寄棟屋根の高い台座の建物。
市民の家 Buergerhaus (14c)2階建寄棟屋根上階木組で1384の木材を使用し、16-17
c改装され、市壁の残りがある。
牧師館 Pfarrhaus (1813) 2階建古典主義のテント屋根の家である。
宿屋:ポスト Gasthaus Zur Post (18c) 2階建マンサード屋根の建物。
市庁舎 | 北壁 |
北中壁 | 東壁 |
南壁 |
779 チューリンゲンのヘダン侯爵文書に初言及、1367 町は都市権を授与された、
1567 中ヴュルツブルクのユダヤ人定住地、 1630 30年戦争でスエーデン軍が占領、
1811 ユダヤ人墓地の始まり、 1930 ヴュルツブルクに併合された、
1803 世俗化後ヴュルツブルク大公国に、 1806 バイエルンに帰属した、
1945 2次大戦の空爆で町の85%が損傷した。
1368-15cの市壁は17cに補強され、土堤・水城・3門・16塔があり、ほぼ完全に
保全されている。19cに塔や市壁の一部が壊され、土堤は浸食され水堀は埋め
られた。1945の戦災で壊されたが、戦後1978-79に再建された。
ニコラス門 Nikolaus tor (1367) 西北の門塔 初めクラウス門とも呼ばれ、
建物の間にアーイ通路がありその上に階段切妻が乗っている。19cに部分
的に取壊され内壁が残った。
クリンゲン門 Klingen tor (1367) 元南西の門で、今は帝国の鷲とボヘミアの
紋章のみが立っている。
ドル塔 Doll turm (14-15c) 西 ドル路地の側の2階建の大きな半円塔で
昔は町の無宿者のための宿泊施設として使われた。塔の西に道路が
開かれアーチ門が造られている。
蓋塔 Doele turm (14-15c) 南中 防衛橋の上の木組みの橋家は、1795
産婆の住居として改造された。
ザルマン塔 Salmmans turm (14-15c) 南東角 かってソロモン塔とも呼ばれ、
存続した部分は良く保たれた円錐屋根付の円塔。
角塔 Eck turm 東北角 3階建ての隅円塔。
小道塔 Stegen turm 4階建・円錐屋根の円塔で、博物館の計画がある。
円塔 12Rund turm 円型の壁塔の残りが12基ある。
ヴュルツブルク市内の南部に在る中世の市壁と塔で囲まれた中都市で、
戦災で古い建物は残されていない。
市庁舎 Rathaus 両切妻屋根3階建ての窓の大きな建物で、今は市街区
図書館を収容している。
聖ラウレンチウス教会 St.Laurentius 切妻屋根の3身廊疑似大聖堂で時計塔と
低い塔が在る。元は2塔の防衛教会であり、今も周壁と防衛塔が残っ
ている。中には、ティルマン・リーメンシュナイダーの芸術品がある。
ロマネスク大聖堂へ大規模な再構築が行われた。
聖パウロ教会 St.Paul 切妻屋根の2身廊ホール式教会で前面に単塔が在る。
2次大戦は奇跡的に生き延びたネオバロック風のユーゲントシュティール要素もある建物。
ギオマウル Giomaul これは町の象徴で、市庁舎の側に1631スエーデンの不気味な
奴の肖像画が掛けられた。
軒先開口部 Speierloch 市壁と市壁の間の小川の上の防衛橋として建て
られた。
デューレンベルク Duerrenberg (1431)最も古い2階建ての市民の家で、13cに
はすでに基礎は存在した。
カエル粉挽所 Froschmuehle 昔ノカエル粉挽所の場所に古い石臼が見られる。
恐ろしい頭 Schreck kopf 館の乗り入れ口に恐ろしい頭と松笠が
1705に付けられた。このシンボルは家と中庭の災いを払うと言われている。
市庁舎 | 門 |
中央通 | 東壁 |
北東壁 | ガストホフ獅子 |
ミュンスター |
1132 シトー派修道士は独で最古の教会建設、 1534 修道院学校の設立、
1618-48 30年戦争で略奪された、 1791 プロイセン王国へ、
1806 バイエルンに帰属、 1945 2次大戦による被害。
修道院は、1751町を含めて内壁と外壁を巡らせた。主として東側と
西側に市壁は残っている。
1751の修道院の壁には、8壁塔が在った。
カタリン塔 Katharien Turm (1332) 唯一の塔として残った。
大聖堂を中心に修道院の大きな建物が並び市壁で囲まれていた。市庁舎は
珍しく西南の外れに位置し、町の成り立ちを伺わせる。
市庁舎 Rathaus (1578-1700) 市民の20の住宅があり18cに元裁判官が建物を建
てた。1806に町は買い取り、1901地方裁判所、1916からは市庁舎。
大聖堂 Muenster (1132) 400年間は修道院教会として、後にルター派教会として使
われた。13cにゴシックの東聖歌隊席を作った。14cは騎士団礼拝堂、フランク族貴
族の墓所でもあった。15c(1414-33)後期ゴシックの埋葬所を構築、19cロマネスク
大聖堂へ大規模な再構築が行われた。
修道院集会所 KonventHaus 1719までは修道院の穀物蔵が立っていた。1720に壊さ
れ1771貯蓄銀行が建てられた。1880-1929には古い税務署となり、1937から町
の所有になり、修道院と町の歴史の博物館となった。
修道士食堂 Refektorium (1240)修道士の食堂としてロマネスクの建物が建てられた。
1436ゴシックの塔が付加された。1884に国立ゲルマン博物館として購入され拡張さ
れた。1945爆撃に遭い補修された。1961新教の教会となった。
病棟 Infimitorium (1472-74)病棟として建てられ、1554から使用人の宿舎となっ
た。
新僧院 Neu Abtei(13c)僧院の建物に1487南翼・1517西文書塔が付けられ、修道院
長の住居となっている。
修道院寮 Dormitorium (1582)寮は、大聖堂の廊から北翼廊に移され修道院付属
学校になった。1736学校は解散し、今は宗教教育センターである。
修道院厩舎 Marstall (1505)修道院の客の馬を洗う場所であった。納屋は、今
食堂となった。
修道院管理所 Kloster AmtsverwalterHaus 大きい正方形5階建の木造穀物蔵があ
ったが、1621解体され、修道院管理人の家が建てられた。
修道院食肉処理場 KlosterSchlachtHaus 西の外れの川向に造られた。
修道院工場 KlosterMuehle (1336) 大聖堂の東に水車のある5階建の工場があり
大工・研磨の場所がある。1380からはパン工場も含まれた。
辺境伯の家 Castrum:Maekgrafen Haus 辺境伯の大きな住居であったが東翼と塔が
壊され、今は新教の牧師館である。
石の館 SteinHaus (16c) 石の館は、回廊の外に巡礼者のゲストハウスとして建てら
れ、いまはパブです。石造の地階の上に1680木組みの建物が乗った
病院礼拝堂 Spital Kapelle (1266)修道院のための礼拝堂は、病院の礼拝堂とな
り、1708管理所となった。石造の地階の上に狭い木組の上階が乗っている。
市庁舎 | 町広場 |
西壁 | 西北壁 |
1007-17 バンベルク司教が支配、 1109 ヴェネディクト修道院聖ゲオルクを創設、
1138 バンベルク司教はヘマウのMeierhofを修道院へ、1294 ヘマウはヴィッテルスバッハ侯爵へ、
1350 ブランデンブルク侯爵は都市権を授与、2門12塔の市壁と堀を築いた、
1470 ヘマウは主要税関となった、 1508 プファルツ・ノイブルク公国に属した、
1544 シュマルカルデン同盟に参加、 1615 バイエルン侯爵ウイリアム5世の勅令でカトリックへ、
1633 30年戦争で破壊と略奪、 1637 ペスト流行、 1669 スペイン承継戦争、
1779 大火事で家屋焼失、 1803 世俗化で修道院財産の売却、
1808 プファルツ・ノイブルクは独立を失う、 1810 バイエルン皇太子との結婚でバイエルンへ、
1945 2次大戦による被害は免れた。
1350以降に瓦礫の石積が作られた。西のクロップファール通に市壁が残る。
1350の市壁には、2門12塔があったが、今は見当たらない。
18c末の大火事で、古い建物は殆ど焼けたため、木組の家は見当たらない。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1471) 石灰飾板で覆われた3階建寄棟屋根に中央尖塔の
アーチ玄関のある後期ゴシックの建物。1779の火事の後に復元された。
市庁舎 Rathaus (1746-51) 元プレフェリンンガー修道院主席司教の所有する壁柱と列が
玄関にある3階建寄棟屋根の建物で、18c半ばの周壁がある。
旧十分の一税倉庫 Ehem.Zehentstadel (1615-17) 修道院プレフェリンングの十分の一
税倉庫であり、2階建切妻屋根に鎧戸と修道院の紋章が付いている。
旧醸造所 Ehem.Brauerei (17-18c) 平らな2階建切妻屋根の醸造所。
旅館:城醸造所 Gasthaus Schlossbraei (18c)3階建中央突出切妻屋根の建物。
新城 Neues Schloss (1600) バロック石造玄関のある寄棟屋根の建物で、中庭に壁が
ある。今はデジタル測量事務所。
聖ヨハネス教区教会 Pfarrkirche St.Johannes (1477)古い内陣は残され、1719-21横
礼拝堂・ダマネギドーム、1729前面塔と会館建物・オルガン、1913鐘楼。
旧牧師館 Alter Pfarrhof (1731) 2階建寄棟屋根の建物。
宿屋 Gasthaus(1830) 3階建石膏破風・寄棟屋根の家、1929に増築。
旧刑務所 Ehem.Gechaeftshaus (19c) ねじれた正面と傾斜した平面の2階建寄棟屋
根の建物。
旧消防署 Ehem.Feuerwehrhaus (1903) 階段切妻で庇のある家。
旅館:ポスト Gasthof Post (19c) 2階建側翼と分節アーチ窓のある半寄棟屋根の建物。
旧市教会 | コウノトリ塔門 |
南西壁 | 東壁 |
北壁 | 北西壁 |
782 シャルマーニュはベネディクト修道院を設立、888-1404 アイヒシュタット司教の荘園管理、
1122 城の建設、 1238 多くの抜け穴のある高い市壁で町を囲む、
1316 バイエルン王ルードヴィッヒが町を包囲、 1390 大火災で町は壊滅、
1618 30年戦争中の司教一時避難所、 1806神聖ドイツ帝国消滅後バイエルン王国へ、
切石と疎石壁造りの市壁は、元の屋根を除いて保存されている。市壁は1340
-44に新設され、15cに更新・強化された。ツインガーと堀の領域は判別でき、場所は
保たれている。
コウノトリ塔 Storchen Turm (13c) 市場に繋がる南門で、1316にバイエルン王ルードビッヒ
が破壊し、1340司教シェンクが3階建角塔で再建した。今の塔はいくつかの建物に
つながり、まだコウノトリの巣ある。
前砦 FronVeste (15c) 4階建の前面半円形の石造防衛施設で、大砲を据えて強化
された前砦である。近世には監獄として1901まで使われた。
アイヒシュテットの教区として、古くから修道院が置かれ、交通の要衝として栄えた
中都市である。市壁や歴史的な建物多く残り、コウノトリの営巣が見られる。
市庁舎 Rathaus (1901) バイエルン王立簡易裁判所として2階建の建物が建てられ、
1945から市庁舎で使われた。
牧師館 Pfarrhaus () 1806の世俗化までは主席司教の宮殿であった、今は牧師館
せある。
旧市教会 Ehem.Stadtkirche (1071) アイヒシュタット司教グンデンカー2世は、聖ヴィーツと
聖ディオカーに献堂した。1490-1533拡張され後期ゴシックへ変わった。18c中には
内装はバロック化された。2011教会は教皇のバジリカになった。
旧司教座司教の役所 StadtBuecherei (1492) 司教座司教の役所と住居として建て
られ、1988町は建物を入手して市図書館とした。
聖母教会 Liebfrauen Kirche (1474)旧修道院教会の場所に初め木製で新築され
た。1490火災で損傷し1493に再建された。1805世俗化で売られたが、1832には
教区に戻った。1997-2000全般的に改修され、内装も復元された。
ガブリエルの家 gabrielihaus (18c) 元は領主司教の3階建の役所で、この町の行政
の中心であった。その後地方裁判所・簡易裁判所・公証人役場会計局等で使
われ、1921迄は税務署であった。今は生活保護者の家である。
市宮殿 Stadt schloss (1122)地元貴族の建てた宮殿は、1316バイエルン王によって壊
されたが、1342に再建されて30年戦争中の司教の居所となったが、1633スエーデン
軍に破壊された。1686醸造所が置かれ、1866には民営化され、1999まで存続
した。
旧養老院 Alte Spital (1476) 養老院として建てられたが、1490に焼失した。1840
からコレラ検疫所となり、1884-1979町の病院であった。
木組の家 Fachwerk haus() 市壁の基礎の上に小さな木組の家が建てられた。これ
は、古い町の都市農民の状況を立証している。
薬師 Bader (1900) この家は、この時代の様式を代表している。その家では、この
町の薬師を営んでいた。
町薬局 Stadt Apotheke (1635) 昔からここで薬局が営まれていた。1786から町薬
局と呼ばれるようになった。
パン屋 Brot Haus () 2階建ての今の姿は1752からで、それまでの姿に沿って建てら
れ司教座司祭長の紋章がある。1835-1944町庁舎を収容していた。
倉庫 Kasten(1532) 領主司教ガブリエルの時代に収納倉庫として建てられ、地租支払
義務のある住民の納めた物納が収容管理された。世俗化後売却され
たが、今は司教館である。
アイヒシュタット司教区 Eichstaetter Bistum(1703) 領主司教は、ここでアイヒシュタット教区を
治めた。世俗化後1983まで醸造旅館「鹿」であり、今は貯蓄銀行。
市庁舎 | 旧養育宮殿 |
ニュルンベルク門内 | ニュルンベルク門外 |
水門 | 養老門 |
フライシュ塔 | 北東壁 |
976 侯爵未亡人はここに財産所有、 1000 バイエルン侯爵は架橋し通行料徴収、
1003 最初の集落について記録、 1057 既に鋳造権・市場権・徴税権を得た。
1297 プファルツ伯ルドルフは都市権を授与、 1313-29 町は壁や柵で守られた、
1353-73 皇帝カレル4世は新ボヘミア形成、 1444 侯爵オットー5世は町の防衛力強化、
1564 バイエルン承継戦後ニュルンベルクの領土へ、 1525 宗教改革の導入、
1806 バイエルン王国に帰属、 1945 米軍の進駐。
14cに要塞化され、15c拡脹され市壁は3門と多くの塔で強化された。17cに再
構築して存在した。市壁は高さ5-6m厚さ1.5m覆われた歩道付石灰岩切石造。
ニュルンベルク門 Nuernberger Tor (1444) 半寄棟屋根4階建の門塔で新
たな市壁の完成時に西に構築された。19cに改修された。
養老門 Spital Tor (1425) 半寄棟屋根5階建の東門塔で、17cに再建
された。1932住宅のために拡張され、今は美術館を収容。
水門 Wasser Tor (15c) 半寄棟屋根6階建の東南門塔で、1601-02に再
再建され、1690からペグニッツ川の橋で税関が置かれた。
フライシュ塔 Freisch Turm (15c) 両切妻屋根の上階は木組で3階建の塔で
ある。2階に役人のアパートと死刑執行人の部屋がある。監獄として使われた。
ゲンス塔 Gaens Turn (15c) 初め円塔として建てられ、ここで湧水を集
めて1537-1875木製管路で市内6井戸に給水された。上階アパートは木骨造。
市庁舎 Rathaus (14c) 14c初めの中核は何回か再構築て来たが1945には焼失し
た。1948-52に再建された建物には、町の紋章として16cからの鹿が付いてい
る。
聖エリザベス養老院教会 Spitalkirche St.Elisabeth (15c) 寝たきり患者会ロフトと上
階に聖職録聖職者の住居がある。1440正面入り口にエリザベート像、1670砂時
計、1688バロックの祭壇と段教壇、1730オルガン設置。
旧税関 Ehem.Zollhaus (1191) 平屋マンサード屋根の木組の建物で、柱廊に1191の年号
がある。
ドイツ乙女学校 Deutsch Plaegdlein Schule (16c) 聖職者の朝の祈りの場であった
が、1625からドイツ乙女学校となった。
旧養育宮殿 Ehem.Pflegschloss (1000)架橋を守る為の要塞として南に建てられ、
1360皇帝カレル4世が取得し、1517ニュルンベルク帝国自由都市によって城が新設され
た。1616-22には塔と横翼を付け3翼2階建となった。
旧宮殿醸造所 Ehem.SchlossBraeuerei (18c) 2階建急勾配屋根の地階石積上階と切
妻は美しい木組の建物。1982西部再構築。今は図書館と会議室。
旧牢獄 Ehem.Fronfest (1840)3階建砂岩造隅柱屋根。
旧早期礼拝の家 Ehem.Fruehmesspfruendhaus (1616) 3階建切妻屋根上塗の建物で、
1616の年号がある。今は地区の家庭裁判所である。
牧師館 Pfarramt (1611) 2階建半隅棟屋根の横向の家で、後方は18cに増築された。
住家と商店 Wohn und Geschaefthaus (18c) 2階建地階石積上階と切妻は美しい木組
の建物。
旧墓堀人の家 Ehem.Totengraeber haus(1533) 3階建切妻屋根の市壁基礎上の木組
の家。
旧骨格の家 Ehem.Gebein haus (1530) 町で最古の3階建上階木組の保存住宅。
住家と商店 Wohn und Geschaefthaus (1665) 3階建軒のある木組の家で梁に年号が
ある。1858横向きの家に変えられ、19c店の模様替え。
旧館 Ehem.Hofanlage (1822) 主な建物は2階建寄棟屋根の上階木組の家で、今は郷
土・羊飼博物館。
納屋 Scheune(1576) 2階建切妻屋根上階木組の納屋。
旧会計局 Ehem.Rentamt(18c) 市壁基礎の上の3階建寄棟屋根のマッシブな建物。1842
改造された。今は学校。
旧地方自治体羊飼の家 Ehem.Kommunales Hirtenhaus(1715) 市壁の上に2階建横
向2軒連続の家が上階木組で建てられ、19-20cに拡張された。
農場 Bauerhof(1587・1676) 2階建切妻屋根の建物で木材に年号がある。
旧市庁舎 | 市庁舎 |
役所宮殿 | 下門 |
上門 | ラームベルク塔 |
1002 皇帝ハインリッヒ2世は教会財産を贈呈、 1021 皇帝はバンベルク司教区に贈物、
1337 尼僧院長が司教館に来た、町には市壁と教会壁があった、
1348 町として言及、14c 都市権の授与、 14-15c 司教座参事会へ町を質入、
1488 バンベルク司教座本山に最終的に帰属、 1552 辺境伯は占領し免焼金を要求、
1632 ペスト流行と30年戦争で町は衰退、1641-87 略奪・占領分担金・免焼金負担、
1796-99 仏軍・墺太利軍の通過で損害、 1802 講和協定でバイエルン王国へ、
1803 プロイセンへ、 1806 仏支配下でバイエルン王国に帰属。
1300に最初の市壁は堀と共に構築された。1409バンベルク司教は拡張し、1450
第2の境界壁が形成された。戦争や略奪によって損傷したが、17cに再建された。
1802上門と下門に取り付けられた。
下門 Fohn Turm (13c) 正方形高さ28m5階建の門塔で、13cのコアに防御タレット・テント
屋根がある。内側の近くに低い塔がある。フエーン家の名が付けられ塔は一時監
獄として使われ、1908市博物館になった。
上門 Turmers Turm (1386) 見張人の塔で、内壁の上門側面擁護と跳橋で安全を図
った。4見張小塔があり、広く見張る事を可能にした。1386の核にピラミット屋
根の直方体で、1653の彫刻板がある。1724にボンネットが付けられた。
ネズミ塔 Maus Turm (15c) 北西隅の角塔である。
ラームベルク塔 Rahmberg Turm (15c) 北東隅の角塔である。
豚飼塔 Schweinehirten Turn (15c) 西の市壁にある角塔である。
封土塔 Lehens Turm (15c) 教会壁の西北隅にある角塔。
浴場通塔 BadGasse Turm (15c) 市壁塔にピラミット屋根角塔で住居。
市粉引塔 StadtMuehle Turm (15c) 西南の粉引通りの市壁にある。
火薬塔 Pulver Turm (15c) 屋根のない円塔である。
13cに色と市庁舎を中心に旧市街が囲まれ、次いで聖マリア教会も教会壁で囲ま
れた。15cには北・西・南西側に市壁が拡大され4門の町となった。この拡大期に
職人の家や工場が建てられた。17-18cの木組の家が残されている。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1407) 2階建切妻屋根上階木組の建物で、1781バロックに
改造され、1939-41屋根天窓の今の姿になった。
役所宮殿 Amts Schloss (13c) 4翼の宮殿は、バンベルクの役人が使い、水堀と天守
閣で守られた。侯爵司教は1720までにバロックで新築され、1967に修復された。
今は市の行政・市図書館・市観光案内所で使われている。
マリエン礼拝堂 Marien Kapele (1200) 天窓付き切妻屋根石造の礼拝堂で今は戦争記
念館である。地階は旧墓地礼拝堂であった。ベート像、1670砂時計、
1688バロックの祭壇と段教壇、1730オルガン設置。
聖マグダレナ教区教会 Pfarrkirche St.Magdalena (1314) ゴシック砂岩切石造のホール塔
と尖塔の教会で、1934-35バロック外観に改修された。
旧少女校舎 Ehem.Maedchen Schulehaus (1840) 2階建砂岩切石造浅い寄棟屋根の
中心投影背面2翼の建物。1625からドイツ乙女学校となった。1973からは音楽学校。
旧魂の家 Ehem.Seelhaus (1457-58)切妻と半寄棟屋根の木組の家。善意の寄付に
よって魂の家が成立し、中世には巡礼者の宿と街の貧困者のための宿泊所
として使われた。
聖職録病院 Pfrundner Spital (1508) 3階建の大きな半寄棟屋根の上階木組の建物
で、町の老人や障害のある人のための宿泊所。今は市博物館。
教区司祭館 Pfarrhaus (1843)2階建砂岩切石造寄棟屋根の家。
宿屋 Gasthaus Zum Roten Ochen (17-18c) 2階建切妻屋根漆喰トラス造。
牧師館 Pfarramt (1611) 2階建寄棟屋根の砂岩切石造の建物。
住家 Wohn haus (15-16c) 2階建地階石積上階と切妻は木組の家。
住家 Wohn haus (17c) 2階建地階石積上階と切妻は木組の家。
薬局 Beyschlagsch Apotheke(1831) 町で最初の薬局で、1850から町の郵便宿と
なり、1870電信局、1906電話局であった。
最古の民家 Altestes Buergerhaus (1447-48) 町で最古の市民の家は、2階建上階
木組で前面の木組み枠は湾曲している。1988正当な補修を実施。
旅館:鯨 Gasthaus Zum Walfisch (14c) 堂々とした都市農民の家で、14cからの
上階木組の家。
市庁舎 | デーデルライン塔 |
西壁・黒馬博物館 | 西壁 |
南壁 | 木組家 |
1280 貴族エスタイン家が創設し、ホーエンスタイン帝国の役員の地位を利用して町を拡張、
1354 町の地位を得た、 1385 ヴィッテルバッハ侯爵の手に移った、
1392 町は都市圏を授与された、 1505 ランツフート戦争でプファルツ公国ノイブルクへ、
1542 ニュルンベルクにより帝国自由都市へ、1606 城の最後の居住者侯爵未亡人入場、
1799 町はバイエルンに帰属、 1888 ヒルポルトスタイン郡庁舎が置かれた。
13cの市壁はあちこちで残されている。町の博物館「黒馬」には要塞化した回
廊の一部が見られる。
Doederleins turm (13c) 8塔の内唯一残ったこの塔は、1957迄
住宅で今は事務所で使われている。
千年の古い城の下に、魅力的な小さな町ががあり交易の経路で栄えた。郡庁所在地
として市庁舎・教会・城・事務所の建物が並び、美しく改装された木組みの家も見られる。
市庁舎 Rathaus (1417)商館として建てられ、中世には裁判所と最上階は協議室・宴
会場として建物はも使われた。1870地階には郵便局や商店が並んだ。建物は1955
-96に復元され、今の上階木組みの建物は市庁舎として使われる。
城 Burg (10c) 城は高台にあり22mの高塔が今も立ち夏には登れる。1385バイエルン侯
爵の重要拠点であった。1606最後の居住者の侯爵未亡人が入り、新しい階段塔な
ど近代化を行った。1700居住者がなくなり、城の一部は取壊さされた。
宮殿 Residenz (1618) 1619-24プファルツ伯は教会の隣に壮大なルネッサンスの邸宅を建て
、漆喰の天井には神話からの絵画を描いた。今日では改修で全く塗装され隠さ
れた。2011から観光部と市立図書館が収容された。
穀物倉庫 GetreideKasten (1473) 風格のある3階建ての納屋として何世紀も機能
した。1880-1972は地区事務所や郡庁であった。
聖ヨハネ教会 St.Johannes Kirche (15c) ゴシックの内陣と塔の日付は1473で、身廊は
1732となっている。内装はバロックで天井フレスコカ画はマリアの被昇天が描かれている。
高い祭壇・1758の説教壇・祭壇の東側の1460のマドンナは有名。
市立博物館「黒馬」 AnwesenSwarz Rross 木組みの平屋から2階建てが巧みに復
元されている。胸壁の高い中世の市壁、16cの木組みの家もある。歴史的な醸
造所宿「黒馬」で16cから醸造していた。博物館には、建築のための大工・石
工・煉瓦工等の職人を展示し、町の千年の歴史を遡る、地下は醸造所の遺跡で
1880に建てられた。
聖堂参事会の家 ChorStifts Haus(1385)聖堂参事会はⅡとⅣの家を寄贈し住居と
してきた。1491から町は聖堂参事会の6つの木造の家を立て直し細工工房の作業
場が数年前まで入っていた。
民家 Jahrsdorfer Haus(1523)ロマネスクの住宅として建てられ、個人所有として1980
に復元された。
市庁舎 | 昇天教会 |
南市壁ガッセ | 北壁 |
西壁 | 西南壁 |
1050 ヒルシュベルクの伯爵は水城を築く、 1205 婚姻で周辺のズルツバッハ郡を獲得、
1329 ヴィッテルスバッハ家プファルツラインに落ちた、 1353 ノイバーミッシュの領土の一部へ、
1367 都市権を授与された、 1373 ヴィッテルスバッハ家は町を買取った、
1621 30年戦争で焼かれた、 1627 ペスト流行、1750 二度の火事で7割焼失、
18c 町は戦乱の地となり疫病も重なって壊滅。
14cの市壁は、あちこちで住宅の基礎や外壁として残っている。
3門と半円形の壁塔があったが、今は見当たらない。
市庁舎 Rathaus (1490)階段切妻のある2階建切妻屋根の建物に鐘楼が付いている。
地階にはパン屋と肉屋の屋台があり、肥料工場と養豚場の悪臭を放っていた。前面
の両側に鉄の首輪のさらし台がある。
養育宮殿 Pfleg Schloss (13c) 町の東部にあり、13cからの水城を1474の火災後に1478
現在の姿に再建した。その後会議場・市議会の議場・醸造所などとて使われ、1987か
らは旅館と食堂となった。
修道院宮殿 Kloster (1845) 修道院に学校を開設し1883には新しい広間を増設した。
1923幼い子供たちのための研究所、1942ナチスによって除去され、1945難民のため
の補助病院となった。
マーチン昇天 Himmelfaht Martins (15c) 15cの初めに建てられ、1753西塔、1848ネオゴシック
再設計の身廊、1851オルガン、1910南側の聖マリアの列、1911北側にサルバトール列、1945
空襲の被害を修復、1988外装を含め全面改修。
宿屋:金の鹿 Gasthaus GoldenerHirsch (1360) 木製の旅館は1511には巡礼宿として
記録されている。1730バロックで再構築され、鹿の看板が復元された。1840隣の建
物を取得した。2010-1212建物を改修し宿泊に加えビヤホール・レストランを再開した。
住家 Wohnhaus (14c) 紋章石板と窓枠のある建物で、中心部は16cの住居。
市庁舎 | 聖ゲオルク教会 |
要塞宮殿 | シュラーク門 |
西南壁 | 西壁 |
1003 シュバインフュート伯爵エジロ5世は町をフルダ修道院へ贈った、
1015 皇帝ヘルリッヒ2世は町を取り戻してバンベルク・ミシャエルベルク修道院に贈った、
11c ポーエスラーテの伯爵は城山の上に城を築く、 1157 伯爵ヘルマンの未亡人は町を
バンベルク司教に取換えた、 1346 二つの市門があり町と呼ばれた、
1380 領主司教アンプレヒト5世は都市権と紋 章を授与し、木柵を水掘付市壁に換えた、
1525 農民蜂起に町も加わり城は残った、 1553 辺境伯アルブレヒトは町に火を付けた、
1633 スエーデン軍は略奪し虐殺した、 1710 ヨハンゲオルク5世はカプチン修道院とラウバー
山の巡礼教会を町に贈った、 1713 領主司教が選帝候のバロック宮殿を建てた、
1770-1820 町の防衛施設の一部は取壊された、 1806 町はバイエルンへ、修道院と巡
礼教会は世俗化で廃止された。 1972 郡庁所在地となった。
13c城山下の集落の防衛から拡張され、14cには要塞都市となった。15cに拡張
された市壁の一部がSpitalGasseに見られる。
シュラーク門 Schlag tor (14c) ニュルンベルク門とも呼ばれ、拡張の第2環状市壁に置かれた
市門である。砂岩造の4階建角塔でアーチ門とバロックの帽子があった。町側に3碑文、
東に2階建の前門を有し、北側に錬鉄の手摺の屋外階段がある。
歴史のある小さな町で、古い木組の家も見られる。ワインセラーとして砂岩に約2km
のトンエルがあり、400年前からのワイン工場が24か所存在する。19cの靴業界は産業記念
物として保存されている。
旧市庁舎 Rathaus (1870)2階建石造の小さな建物で前面に4階建ての時計塔がある。
新市庁舎 Rathaus (18c)旧会計局の2階建石造の大きな建物で、ピップ屋根のドルマー
と力強い壁棚配列飾りがある。
宮殿 Schloss (13c) 不規則な平面の北東に開かれた3翼の建物で、13c高い壁の南翼、
14-15c西翼、1580入口と出窓のある東翼、1713-15バロックの改装。
聖ゲオルク教区教会 St.Georg Pfarrkirche (13c)始めのバジリカは、14cの後半に南塔の低
層部と3身廊に拡張され、1551-71バロック化され身廊は延長された。1728-30
西の前面のヨーク設計で西に拡張された。
教区司教館 Pfarr Amt (1884) 古典主義中心軸様式の大規模石造2階建寄棟屋根の建物。
町粉挽所 Stadt Muehle (1775) 砂岩切石造の2階建で、角柱付けと文字列コースマンサード屋根
の建物。
旧刷毛工場 Elem.Pinsel Fabrik (19c) 記念物的な3階建の煉瓦外装の建物でネオクラシックの
寄棟屋根・壁柱と中心投影の形である。後に靴工場となり産業記念物。
旧宿屋王冠 Ehem.Gasthof Krone (18c) 2階建の木骨上屋の半寄棟屋の庇。その後部分
的に近代化されている。
旧醸造所 Ehem.Brauhaus (1771) 独立している砂岩切石造の2階建、広い寄棟屋根・壁柱
と呼ばれる平らなフレーム・バロックの文節アーチ窓。
旧地方裁判所 Ehem.Landgericht (1870)城山に在る後期古典様式の2階建寄棟屋根の建
物。
聖アンナ病院教会 St.Anna SpitalKirche (1512)小さな教会で1632と1668の火事の後に再
建された。
旧市庁舎 | 宮殿 |
搭 | マリア昇天教会 |
聖レイ教会 |
1081文書初言及、 1267 シュタウヘン時代の後にバイエルンに属した、
1505-1808 プファルツ・ノイブルク公国に属した、 1542 宗教改革でプロテスタントへ、
1616 反宗教改革でカトリックへ、 1704 スペイン承継戦争で損傷。
バイエルン侯爵は、古い集落の南を中心に再建した。都市の要塞は15-16cに完成した。
切り石積の市壁は、北・南東・西に残されている。
泥棒塔 Diebs Turm (15c) 2階建ての円塔で、1925に上層階とテント屋根を
改修した。
ガイガー塔 Geiger Turm (15c) 八角形の2層の塔が方形2階建ての上に載っている。
旧市庁舎 Ehem. Rathaus (1863) 2階建サドル屋根の建物で、1950に簡素化
され、21c初めに郷土博物館として使われた。
市教区教会マリア昇天 Kath.StsdtPfarrKirche MariaHimmelfahrt (1442-98)
後期ゴシックノの3通路階段式のホール教会で、1576-79に塔の上屋階は改修された。
牧師館 Pfarrhaus (17c) 3階建の破風のあるサドル屋根の建物で、西側市壁に建てら
れた。
カトリック病院教会 Kath.SpitalKirche Hl.Gaist Und Spital (1595) 切妻塔
のあるホール教会、教会の西側に切妻屋根と小屋屋根のドーマを備えた建物がある。
ヘッヘシュテート宮殿 Schloss Hoechstaedt (1589-1603) 階段砲台と4つの丸い隅塔
のある長方形の4翼3階建てのルネッサンス後期の宮殿で120室以上の部屋がある。1980と2004に修復さ
れ、常設展示のくわえて、会議場や催物会場として使われている。
宿屋 Gasthaus (17c) 2階建てサドル屋根の大きな建物で、1910に改修が行われた。
元収納庫の建物 Ehem.Kasten haus (1602-14) 渦巻切妻を備えた4-5階建ての
大きなサドル屋根の建物。
市教会 | 旧市庁舎 |
店舗と住居 | 聖マーチン教会 |
ハンザハウス | 市壁 |
市壁 |
1180 集落の出現、1214 聖ローレンツ教区へ、1230 要塞化した新市街地を北側に創設、
1292 フランシスコ会修道院の設立、1299 旧・新市街地は全焼、1319 都市権の証券化、
1348 クラリセン修道院の設立、1430 フス派による焼払い、1529 宗教改革の導入、
1553 辺境伯戦争で7週間の包囲、1625 大火災、1632-43 30年戦争の略奪と破壊、
1792 プロイセン王国に属した、1806仏領、1810 バイエルン王国に割当、
1823 大火事で建物の9割が焼失、1853 機械式綿布工場開設、1945 駅地区へ空爆。
13cの市壁は16cに強化され、主として北側に残る。
ルードヴィヒ通りの両端にあった門は、19c終わりに取り除かれた。
市庁舎塔 Rathaus Turm () 八角形6階建の塔は、頂上に張り出した展望室に
3-8月には登れる。152段を上ると素晴らしい景色が見られる。
旧市街と北のカロニネン通りは歩行者専用となっており、町の中心である。
市庁舎 Hofer Rathaus (13c) 1553の包囲で市庁舎は破壊され1560に大きさと
時計だけが異なるルネッサンスの市庁舎が、フリードリッヒ伯によって建てられた。地階に
はパン屋の屋台・職人の取引所・評議会・裁判所・拘置所があり、上階には社交空
間がある。
聖ローレンツ教会 St.Lorenz Kirche (1080) 市壁外に無防備に立つ最古の教会で、
度々被害を受けた。今の建物は19c初めの再建で、1822には大規模に古典主義へ
改築された。1553の戦争で焼失・略奪されたため、1557ミカエル教会の祭壇が移され
た。この教会は、公園に立つ開かれた教会であり、信徒が案内やカフェの経営をし
ている。
聖マリエン教会 St.Marien Kirche (1214) 大司教区の教会であり、1529宗教改革で
で終わるが、この地区のカトリックは250年間続いた。1810バイエルンに属しカトリック教徒が
増え、1864ねおごしっくの教会が建てられた。1885シュタインマイヤーのオルガンが置かれ
今も保全されている。
聖ミカエル教会 St.Michael Kirche (1230) 大天使ミカエル・聖十字架・マリアマグダレナに捧げ
られた礼拝堂として新市街地の建設時に建立された。1536宗教改革により、主要
のプロテスタント教会となり、1553の包囲攻撃で壊され修復された。中は広々とした内
装で、1823の大火事の後に円天井は木製で置換えられた。1782バイエルンでも美しい
形態のハイデライヒのオルガン演奏が聴ける時期がある。
病院教会と元病院 Hospital Kirche und Ehem.Hospital (1268) 聖ロレンツ教会の次
に古い教会で、老人と貧困者のためのホスピスが北門の外に建てられた。1511後期ゴ
シックの翼のある中央祭壇にはクリスマス物語の祭壇がある。1688-86旧約聖書と新約聖書
の90の木製格間天井絵画が描かれた。病院は今老人ホームになっている。
フランシスコ会修道院 Franziskaner Kloster (13c) 新都市の西北の隅に市壁に接して
フランシスコ修道院があったが、1529の宗教改革で解散した。修道院・修道院教会・醸造
所・修道士の夏の家のある広い荘園を構成し、その後学校として使われた。
クラリス修道院 Krarissinnen Kloster (1287) クラリス騎士団は1212に設立され、フランシスコ
修道院の近くに修道院を設立した。1348貴族の娘のための婦人財団となった。1430
スフ派が略奪し破壊した。宗教改革で解散し穀倉・塩貯蔵所・刑務所として使われた。
今は老人ホーム・画廊・カフェ・ホステルとして使われている。
バイエルンフォグトラント博物館 Museum Bayrriches Vogland (18c) 二次大戦後、東ヨーロッパ
からの大勢の引揚者の寄港地となった事から、19cに建てられた旧病院に、
フォークトランドの自然史・文化経済の歴史・市博物館の収蔵物も含めて展示てといる。
市庁舎 | マルクト広場 |
下門 | 上門 |
礼拝堂門 | 西壁・円塔 |
聖ヨハネス教会 | 東壁・円塔 |
東壁 | 南西壁 |
780-900 カロリング朝の防衛施設のある行政中心で交通の要路、 1231城初言及、
1298 コンラッド伯爵は城の半分をブンドルフに贈呈、 1343 城は男爵トルシュゼスが所有、
1525 農民戦争でウィッテンブルク城は焼払われた、 1576 領主司教エリウス・エクターは町に昇格、
1610 エルンスト・フックスの遺産はヴュルツブルク本山へ売却、 1704 ヴィットリンゲン裁判所の支配下、
1803 全ドイツ宗教上の国は世俗化されバイエルンへ、 1806-14 町はヴュルツブルク大公国へ、
1814 町はバイエルン王に帰属、 1862-1900 町は郡事務所になった。
市壁は1352の都市権授与により建設され、度々の戦争による破壊の後は再建さ
れなかった。そして石材は住宅に使われた。残った市壁は1984-96に復元された。
上門 Oberes tor (1715-16) 王子司教フイリップは2階建寄棟屋根上階木組
のアーチ門と守衛詰所を再建した。
下門 Unteres tor (1713) 2階建寄棟屋根上階木組の門と守衛詰所を再建。
礼拝堂門 Kapellen tor (1714) 王子司教フイリップは2階建寄棟屋根上階木組
の門と守衛詰所を再建。
壁塔 Mauer turm (18c) 18cの要塞塔で砂岩造テント屋根の円塔。
17-18c美しい模様の木組の家が多い。特にマルクト広場や地方裁判所通りは美
しい。
旧地方裁判所 Ehem.Amtsgericht (1832)古典主義3階建寄棟屋根の建物。
聖ヨハネス教区教会 Pfarrkirche St.Johannes (14c)739-40に再建された後
期ゴシックの広間教会に三角屋根と階段塔。1593の塔は近代化された。
旅館:フランキッシャー館 Gasthaus FrankischerHof (1685) 3階建地階砂岩上階木
組の大きなフラット屋根の建物。
旅館:金の鹿 Gasthaus Zum Goldener kirschen (1706) 砂岩切石造の2階建
上階木組の建物。
旅館:王冠 Gasthaus Zum Krone (18c) 2階建腰折屋根上階木組の建物。
住家 Wohnhaus (1700) 2階建切妻屋根上階木組の天窓付きの建物。
住家 Wohnhaus (1690) 2階建腰折屋根上階木組の枠構造の家。1900補修。
木組の家 Fachwerkhaus (1710)2階建切妻屋根全木組の建物。
旧市庁舎 | 古市庁舎 |
上門 | 青い搭 |
聖養老院 | マリエン広場 |
聖ガンゴルク教会 | マリア昇天教会 |
1017 ヴュルツブルクの司教が教会の十分の一税をバンベルク司教に譲渡、 1285 町に昇格、
1329 都市として言及、 1430 フス派の侵攻、 1552-53 辺境伯戦争で被災、
1630-32 30年戦争による略奪、 1634 ペストの流行、 1724 大都市火災で町は荒廃、
1803 帝国代表者会議でバイエルンへ帰属、 1818 市となった、 1919 地方事務所を設置、
1971-72 周辺町村を併合。
上の町は市壁に囲まれた広いマリエン広場に18-19cの軒と切妻の建物で構成されている。市壁は
中世後期から近世かけての構造で大部分が山腹に直立している。東から南を回って西に、市壁の痕
跡がある。
上門 Ober Tor (16-17C) 北東に上門が残っている。寄棟屋根上階木組
みの漆喰仕上げの頑丈な3階建ての構造。
旧市庁舎 | 旧市庁舎 |
袋塔 | ミュンツベルク門 |
西壁 | 西壁 |
南壁 | 十字門 |
博物館 | 新宮殿 |
806 帝国の分割証明書に記載された、 1200 都市権の付与により発展、
1250 貨幣の鋳造権授与された、 1280 最初の市壁があった、
1300 バイエルン公国の一部の首都となった、 1362 レンガ造の要塞を完成、
1400 87塔の都市拡大を開始、 1472 バイエルン大学の設立、
1537-65 要塞を拡大、 1632 スエーデン軍の包囲、その後も要塞強化、
1799 仏革命軍は要塞を取り壊し、 1828 要塞の再建強化。
13cに周壁で囲まれ、1363に煉瓦の壁と87の胸壁王冠塔と補強された門が造られた。
西側TaschenTurmとMuenzbergerTorの間は、市壁は中間壁塔を含め改造され、
住宅となっている。
十字架門 KreuzTor (14C) 西、石灰岩の四角小塔に飾られた六角形の
赤煉瓦塔を持つ市門。
KavalierHepp 東、緑地にある元稜堡。
KavalierHeysek
KavalierEibrach 東北、緑地に立つ元稜堡
口笛塔 PfeifTurm (14c) 中、マルクトにあるゴシックの旧見張り塔。
袋塔 TaschenTurm (14c) 西南、中世市壁の外に追加。
前要塞 FestungFronte79 西、堀の中島にある稜堡。
市庁舎 | ローデルゼアー門 |
水曜塔 | 市民塔 |
聖ヴィート教会 | 一位の家門 |
ヘンカース塔 | 十番塔 |
北門内側 | 北門外側 |
741 ヴユルツブルグ司教の文書に初言及、1293都市権を授与され、市壁があった、
1421 防御施設として堀を加えた、 1611-32 ペスト流行、
1620 30年戦争で占領され被害があった、1945 2次大戦の被害から免れた。
道路のため2箇所約10m切れているが、その他は完全に保存されている。
門 RoedelseerTor 1455-66建、北 15Cには珍しく外側石積・内側木造の
形の美しい門である。翼部には門が閉まった後に着いた人のための抜け
穴がある。また、MittegsTurumと二重門になっている。
門 MainbernheimerTor 1533-48建、西 門上に番人の住居があった。
門 EinersheierTor 16C建、東 四隅に小塔を持つ角塔、外側にはタールや湯
を注ぎかける出っ張りがある。
ペスト門 PestTor mit ZentTurm 14C建、南 昔に黒死病の死体を運び出した。
1596に壁で塞がれた。百戸区塔がある。
昼塔 MittagsTurm 北 内門としての石造塔が跳ね橋と落下柵を備えている。
市民塔 BuererTurm 1600再建、どっしりとした円塔に異国風の屋根が付き、
最上階には中世風便所がある。
梟塔 EulenTurm ほっそりした円塔に円錐屋根、見張り塔として建てられ、
重罪人の終身拘束牢となった。
死刑執行人塔 HenkersTurm 西 死刑執行人を隔離する住居であった。
羊飼塔 HirtenTurm 西
百戸区塔 ZentTurm 南
鍬塔 HackerTurm 東
国道から丸い市壁が見える小さな町。市壁と門塔が見所。
市庁舎 Rathaus 1716-18建、中 バロックの建物、7月第2週にはワイン祭りがあ
る。前面二重階段、司教像・紋章付き華麗な玄関、階段の左右に軽犯罪曝し窓。
聖ヴィート教会 KircheSt.Veit 1297建、北 現存の建物は1360建、1414-1612
の間の長期再建で各様式が混在する。リーメンシュナイダー作のゴシックのマドンナ・ヨハネ像。
養老院教会 SpitalKirche 1338建、西 病院と共に建てられ、リーメンシュナイダー
工房の彫像が2体ある。St.JohannBaptist:昔はカソリックだったが今はプロテスタント教会。
ブルツ教会 BultsKirche 1329建、西 旧巡礼教会、ゴシックの主祭壇は1892に
再建。リーメンシュナイダー工房の彫像がある。
ツマミ博物館 KnaufMuseum 1688建、宿屋として建てられ、古い会計局として
使われた建物に、主要な文化的時期の様々な展示物がある。
十分之一税地下倉 ZehntKeller 1486建、今はホテル。広い地下室は司教の
十分之一税のワインを置いたので、この名前が付いた。
記念館 Vinothek 2階建、地下室付きの建物で聖バイト教会の納室係が住ん
でいた。今は記念館となっている。
市庁舎 | 壁塔 |
上門 | 北東塔 |
粉挽塔 | 南壁 |
マイン門 | ルイ塔 |
1198-1202 司教のコンラッド1世は町を創立、1225村で最初のブドウ栽培、
1236 城と村はリーネッカーの不和で破壊、 1304 町は都市権を授与し防衛施設建設、
1400 町は短期間司教の造幣所であった、 1409-93 町は大聖堂参事会に質入れ、
1438 年4回の市場特権と毎週市場開催を確認、1475 ペストで700人死亡、
1493 司教ルドルフは聖堂参事会の町の質入れを解消、1525 農民戦争で城破壊、
1540 市民はルターの教えを大半が望んだ、 1579-00 司教ユリアス・エクターは反宗教改革を、
1631-34スエーデン軍の占領、 1784 マイン側の大洪水、
1802 世俗化で一時バイエルンに所属、 1806-14 新ヴュルツブルク大公国の一部に、
1814 最終的にバイエルンに帰属した、 1839-93 要塞の多くが取り壊された、
1945 米軍の砲撃で町は損傷、 1975 旧市街石膏の下に普及が開始された。
市壁は2段階に建設された。1次都心壁は、13c後半-1304に長方形で構築さ
れた。2次の展開は14-17cに行われ、拡張された石の壁に門や塔が築かれた。
19cに部分的に解体され、東側に堀や1544-58の堀の壁に沿って残されている。
上門塔 Obere torturm (1350) 南市門で猫塔とも呼ばれた。6階建砂岩
の角塔で警備員の住居を最上階に置き小さなラント屋根を乗せている。壁面はカラフル
な縁取りと壁画が描かれている。15c歩行者通路が付けられ、19cネオゴシックの2階
建の守衛所が南に建てられた。
前門 Foregate (1549) アーチ通路に上階住居の平たい構造で、砂岩に白
い漆喰塗り壁で、18cには中折れ山屋根に改造された。
下門 Unter tor () 北門の2本の柱が外側に立っている。
マイン門 Main tor (1567) 西 高水マークと呼ばれる上階が張り出した円塔あ
り、その横にアーチ門が開けられている。
粉挽塔 Roter turm (13.15c) 南西角 テント屋根の3階建て円塔で、19cネオ・
ゴシックで拡大された。粉挽き工場であった。
赤塔 Roter Turm (13.16c) 北西角 尖塔付4階建ての角塔。
半円塔 Halbrunder Turm (1544-55) 北東部に残された2階建て半円殻塔。
殻塔 Schaelen turm (13.16c) 東 ピラメット屋根4階建て四角塔。
主要道路に沿って市庁舎や教区教会の歴史的な建物と裕福な16-17cの3階建て
木骨造切妻の家が並び、持送床と豊かな装飾があり、バロック時の木組みは石膏の
下に置かれている。旧市街の西部は職人や商人の家が多く雰囲気がよい。
市庁舎 Rathaus (1422) 評議会と売買と舞踏の家として建てられた。
地階に3廊の市場広間があり、上階には大きな市民広間があり、ドイツ市庁舎の
原型を具現した。地階にはパン屋と肉屋の屋台があった。1486町の計量所を
設けた。1669に2方向の外階段が設けられた。
市教区教会聖アンドレアス StadtpfarrKirche (13c) この教会は小さな町の
ドームとして位置付けられ、最も古い教会の部分は町の創立時まで遡る。
この教会の中には、町の歴史の全ての世紀の宝物を隠している。例えば、
1380コワヤに聳え立つ砂岩の救世主キリストの彫像、1512ティルマン・リーメンシュナイダーの聖
ニコラス像、多くの祭壇画など。
病院教会 Spital Krche (1438) 聖ヤコブに捧げて建てられた。1269の創立
ら16cの末まで使われ、1612教会は改造され後期ゴシックの重厚な窓があり、小
鐘楼・ルネッサンス入口門のある今の形となった。この病院は町の老人を看護した。
領主司教ワイン事務所 Fuerstbischoflichen Amtskellerei (1717-1862)
バロックの建物は、ヴュルツブルクのBuelinhofの場所に建てられた。バイエルンに移され
地方裁判所務め、その後地区事務所となった。領主司教ヨハン・フイリップの紋章と
ロココの絵が入口頂点にある。
ユダヤ人学校舎 Hasu zur Judenschule (1440) 古い旅館Schenkstattから
複数の再構築で、双子のアーケードは道路線を越して伸び、罰金を払った。1559
ヴュルツブルク司教のユダヤ人追放令があった。19cに新たに造られたユダヤ人社会の
祈りの場所があった。
アデルマン館 Adelmann haus (1721) 商人で市参事会員のアデルマンは3つの建
物の跡に大規模な住宅兼商館を建てた。その後の所有者は、1930ワイナリィを経営
し、1955貯蓄銀行に売却された。店の入り口の上に錬鉄製の彫像がある。
領主司教事務所セラー主翼 HauptFluegel der Fuerstbischoflichen Amts-
keller (13c) 聖公会行政事務所として建てた最古の初期ゴシックの建物の一つ
である。地階は石造の建物は上階の暖炉のある建物に接続し、屋根は緊急時
に建物を守るための銃眼胸壁で囲まれている。バイエルンへ移行後、王室の会計
局と警察署として使われ、継続的に700年間官庁として使われた事になる。
高い邸 Hohe Kemenate (1200) 初めは初期家塔造りの建物で南のOber
tor付近の防衛の指揮を執ったヴュルツブルクの役人が住んでいた。1638仕立屋・
肉屋などの職人が住んで外観も劣化した。今は3階建て矩形の石造の建物と
なり、1994-99再構築されて市立図書館となった。
木組の家 Fachwerk haus
Fischer gasse4 (14c) 職人やワイン生産者が住んだ家は1603改修され
ヴュルツブルクまでの定期就航権を持った人が所有した。
Oehniger haus (1611) エーニンゲン家がマドンナ彫像を付けて建てた。角
角柱と豊かな装飾木組みが見事である。
Haupt strasse6 (1626) 北の主要道路沿いに17c裕福な家の美しい
木組みの家があり奥には中庭が見える。2階の角柱に建築年号がある。
大工WSの文字がこの建物を含め5つの建物に付けられている。
Haupt strasse8 (1675) 1階の軒蛇腹に家主の紋章がある。台座の
銘板に年号がある。
Haupt strasse10 (1605) 小さな家であるが、付近の比較的簡素な
構造トラスと対照的に高品質な装飾トラスが使われている。
Ehem.DeuschSchule (1560) 上階の木骨構造は地階の古い墓地の壁
の上に建てられている。ドイツの学校として18c終わりまで使われた。
市歴史博物館 Stadtgesxhichtliches Museum (1627) 博物館の建物は
隣の家と共に形成され、様々な紋章からこの建築複合体は貴族の所有であ
ったことが分かる。町で最初のビールがここで醸造された。1861市は買収し
て郡議員の宿舎とした。1985修繕後に市博物館とした。町の歴史・ワイン醸造
の経過・昔に住宅・オモチャ・考古学的発掘品などを展示。
ヨーロッパ配管工と銅細工博物館 Europseisches Klempner und Kupfer
Schmlode Museum 配管の古い機械・配管の古い伝統や働き方、銅細工の工
芸品などの展示。
南壁 | チボレン塔 |
壁 | 南壁 |
ナメシ皮塔 | 聖マーチン教会 |
740 バイエルン公国との国境に別荘建設、 1126 ホーエンシュタウフェンの文書言及、
1266 ハプスブルクの帝国自由都市、1802まで、1327 ルードビッヒ4世によって都市権を保つ、
1377 テック公爵、1388バイエルン公爵が包囲、 1648 30年戦争で殆ど町は壊滅、
1802 バイエルンに帰属。
1200に1.5kmの市壁を建てた。1420に壁を高く増強し屋根付き城壁通路を備えた。
市壁の残りは、西の山上と北に有り、多くは屋根付き城壁通路が付いている。
古くは3門と9防御塔があったが、5塔とMuenzTurmが残っている。
塔 SywollenTurm 1420建、円錐屋根の白い円塔は防御塔として建てられ、1249-1964
はここに聖霊病院があった。
鞣し屋塔 GerberTurm 1420建、防御塔として建てられ、鞣し革同業組合がこの部分の
市壁を守備した。
ブラシウス塔 BlasiusTurm 1420建、防御塔として建てられた。
五ボタン塔 FuenfknopfTurm 1420建、町の象徴となる建造物、92階段で今日まだ居住す
る塔内部屋に導かれる。第1次大戦の連合国の紋章が庇の上にある。
魔女塔 HexenTurm 1420建、防御塔として建てられ、以前の1階はもっと高かった。
ミュンツ塔 MuenzTurm 15C建、St.MartinsFridhofの門として造られ、15-16cは教会管理
の倉庫であった。塔内には聖用具があり、取り決めの後参観できる。
塔や市壁を除いて、30年戦以降に建てられた市庁舎より古い建物はない。
17c以降の建物が揃った中都市であり、中心地は賑やかである。
市庁舎 Rathaus 1870ー1881建 新ルネッサンス様式の3階建で建てた。1960に鐘楼の火事
の後に屋根と前面を改造した。階段室のガラス窓群と会議場の絵画が見所。
聖マーチン教会 Kath. St.MartinsKirche 1112-67建、貴族の城の廃墟の跡にロマネスクの
バジリカ(中央正門・洗礼盤)が建てられ、1403に68.25mの高塔が付けられ、1438
-43にゴシックに改造された。1480に本祭壇の聖遺物。17世紀にバロック化され、1843
-99にネオゴシックに聖堂は置き換えられた。
クレセンティア修道院 CrescentiaKloster 1682-1764建、聖クレセンティアの聖遺物箱が修道院教会
内にある。修道院山庭園・記念の修道院店がある。
聖マーチン教区館 Kath.Pfarrhof St.Martin 1630建、この建物は1773までイエズス会邸宅と
して使われた。
三位一体教会 Evang.Luth.DreifaltigkeitsKirche 1604に昔のKaiserhausを教会に改
造され、後期ゴシックの内装で飾った。1820-21に高さ44mの塔を建てた。
木組の家 Zollhaeuschen 昔の場内の小部屋の入口であり、1921まで舗装通行税徴収
係の住居であった。前門東側の角塔の基礎として保たれている。
木組の家 Feuer wehr Museum 火事防備技術と今までに構想された火災防備体制形態
の発達を展示。
市博物館 StadtMuseum 1879にシュバーベン最初の博物館は創設された。1901にアルゴイの民
族文化を収集し、1934に郷土博物館。1200からのアルゴイ木造彫刻、キリスト教十字架、
ステンドグラスなどを展示。
新旧市庁舎 | 中門 |
考古学博物館 | 研師塔 |
旧シュール門内側 | 旧シュール門外側 |
エラスムス塔 | 北壁 |
西壁 |
860 最初の文書言及、 879 ケルスガウ伯爵が所有した、
11c ヴィッテルスバッハ家の所有となる、 1181 バイエルン侯爵による都市権の付与、
13c 3市塔と市壁による町の防備、 14c ワイン・塩・魚・牛・石材・木材の交易、
1640 30年戦争で町は疲弊、 1705 スペイン承継戦争で墺が占領、
1846 ドナウ・マイン運河の開通、 1945 2次大戦は米軍の占領で終えた。
13cの市壁は、北側と西側に点在するのみ。西南BuergerTurmに5m、西MitterTorに
30m、西北の角に30m、北AltmuehleTorに30m、北東化角ErasmusTurmに30m、合計125m。
旧工場門 AltmhehleTor (13c) 4階建て角塔で、門前には1875まで守衛所があった。
門の南側には町の紋章が飾られた。
ドナウ門 DonauTor (13c) 5階建時計付の角塔で北側に最初1280の紋章がある。ここで15
cから関税が徴収された。門近くの4小塔はもうない。1913に2体の獅子像は修理された。
中央門 MitterTor (13c) 元々の切妻屋根は、1809に他の3塔と共に両切妻屋根となっ
た。市門の内側の壁画は1705墺占領時の肉屋のクラウスが描かれている。
研ぎ師塔 SchleiferTurm (1476) RoemerTurmとも呼ばれ、旧侯爵宮殿跡に建てられた
市壁の外の要塞であり、名前はナイフ研磨工場から来ている。1931戦争記念塔となった。
町召使塔 StadtknechtTurm (13c) 市壁の2階建て角塔で町の召使が住んだ。過ちを犯し
た男の市民は相当期間を塔の拘置所で過ごさなければならなかった。
エラスムス塔 ErasmusTurm (13) 北東、エラスムス教会が建てられ、市壁の塔が使われた。1803
に教会は塔を含めて住宅に改造された。
旧市庁舎 AltesRathaus (1548)バロック2階建破風付ピンクの建物は17cに再建された。1824に
解体復元されている。
新市庁舎 NeuesRathaus (16c)市民の商館を1879買収して市庁舎とし、1912建物は今の
階段切妻のある2階建てに復元された。
聖ヨハネ教会 StadtpfarrKirche maria Himmelfuhrt (15c) ネオゴシックの建物で1877-86に新塔
が付けられ内部も改装された。祭壇は彫刻で飾られ、左に大理石ピエタがある。
ヴィッテルバッハ宮殿 Witterbacher Schloss (1050)昔のケールハイム城の跡に、ヴィッテルバッハ家の宮殿
が建てられたが、ランツフートに1476移された。
聖マチウス教会 ST.MathaeusKirche (1888)新教ルター派のStadtPfarrKircheで、美しいステンドグ
ラスと絵画がある。昔ここには迎賓館別館があった。今は新教教区館。
旧フランシスコ教会 Ehem.FranziskaerKirche (1461-1506)修道院のゴシックの教会であり、1802
に修道院は世俗化され競売に付された。内陣には1490のバロックのフレスコ画が1953に発見さ
れた。今はオルガン博物館となり歴史的な3つのオルガンが演奏可能。
白ビール醸造所 Weissess BraeuHaus (1807)1838中央部分1901大ホールが火災に遭ったが
すぐに再建された。今も醸造所の大きな建物では小麦ビールが醸造され、美しい中庭には
ビアガーデンがある。
オットー礼拝堂 Otto Kapelle (14c)殺害されたルードヴィッヒ侯爵の死の場所に礼拝堂が建てら
れた。1490には病院も建てられ、1600には今の形の身廊が加わり、ロマネスクの病院教会
に成った。
考古学博物館 ArchaeologischeMuseum in HerzogKasten (1480) これは1850に市の
所有となった後期ゴシックの侯爵の倉庫の中にある。1981地下階の考古学部門が開設さ
れ古代からの周辺地域の歴史を紹介した。2階は川の町としての洪水・川運の展示が
ある。中庭には元の遺跡とケルトの壁がある。
旧市庁舎 | 東門 |
防護塔 | マルクト広場 |
西北壁 | 東北壁 |
1008 前駆集落の初文書言及、 1008 皇帝ハインリッヒ2世はバンベルク教区へ贈与、
1283 バイエルン侯爵はその場所を売却、 1329 プファルツ選帝侯ヴィッテルスバッハ家に落ちた、
1354-75 町は都市権を授与された、 1623-28 バイエルン・ヴィッテルスバッハ家の支配下へ、
1689-1801 バイエルンの拳銃製造工場、 1803 堀の水は排水され要塞は取壊し。
14c後半の市壁は、1572の火災後に再建された。町は門・塔と二重壁で囲まれ、市壁
は部分的に住宅に取り込まれ、半分近くが判別出来る。
外門の前に堀があり跳ね橋で守られた。14c後半の殻塔は半円形の石積、元守衛の
塔は瓦礫の石積、内壁の円塔や半円形の塔の切株、家に統合された円塔などの形で残
されている。
東門塔 Ostlich TorTurm (1849-51) カトリック教会の塔として東門の塔は使われ、アーチ門のあ
る角塔の上に八角形のネオゴシック鐘楼がある。1923-24に尖塔は更新された。
防護塔 Wehr Turm (14c) 南西市壁の防御角塔で円錐屋根が付いている。
防護塔 Wehr Turm (14c) 南東市壁の防衛角塔で山形屋根がある。
旧市街地の多くの建物は16cに遡るが、市民の建物は1848と1854の大火事の後に
多くが建てられた。中央のシュタット・プラッツには装飾的な前面の建物や噴水・像がある。
古市庁舎 AltesRathaus (1855)住居として建てられた2階建砂岩造3葉ヒップ屋根の建物で、
1898-1978の間市庁舎として使われた。今は市図書館。
旧市庁舎 Ehem.Rathaus (1857-58)3階建石造の多角形狭間胸壁を冠とした前面壁に時計
塔が最上部にある。1898からは地方裁判所。
市庁舎 Rathaus (1823)今の市庁舎はシュタットプラッツからちょっと南に、大きな建物に取り付
いた小さな建物。2階建勾配屋根で前面石積中央突起簡素な外観の建物。
旧正面 Ehem.Frontveste (14c) 14cの市壁と石材漆喰壁で、17cに3階建高寄棟の建物。
守衛詰所 Torhaus (1851)2階建切妻屋根の石積石膏仕上の建物。
旅館:金の冠 Gasthof Zur GoldeneKrone (16-17c) 3階建切妻屋根石積石膏仕上の建物。18
49に更新された。
共同醸造所 Kommun Brauhaus (1574)町の紋章の石板がある勾配屋根の石積漆喰仕上の建
物。1849に更新された。
旧牧師館別館 Nebengebaeude des ehem.Pfarrhof (14c)半円形の塔と市壁を統合したテント
屋根の建物は、18cに3階建切妻屋根石工漆喰仕上に拡張された。
元選帝侯倉庫事務所 Ehem.KurFuerstliches Kastenamt (15c)2階建切妻屋根石積塗装の
建物は、1572の火災後、3階建出窓付建物に1582に再建された。
カトリック教区教会 kath.Pfarrkirche (1448) 後期ゴシック3廊サドル屋根石工石膏仕上の建物で、
1697西廊、1849市壁の東門塔をネオゴシック八角塔高さ85mに改修し、1923尖塔部を更新。
主祭壇は1644に更新され、1739にロココ化された。
郷土とフェーダー郡博物館 Heimat und Ferderkreis Museum (1984)歴史的な刑務所の建物に
小型武器博物館を開設した。バイエルン銃の工場を再現。近代ドイツの火器の開発と先史
時代からの歴史や文化を展示。塔には鍛冶屋の設備が再現されている。
市庁舎 | 南西壁 |
南西壁 | イッラー門 |
広場 | 南東壁 |
南東壁 | 南東壁 |
市庁舎広場 | 聖マング教会 |
南壁 |
54 ローマの町の建設、 752 サンクトガレンの修道士が修道院設立、
940 ハンガリーの来襲で荒廃、 941 都市と修道院の復興、
1213 国王フリードリッヒ2世は町に投資、 1289 ルドルフ王は帝国自由都市とした、
1477 二つの製紙工場を設立、 1525 農民蜂起で大聖堂や修道院を略奪、
16C 司教区と併存から独立のため都市を買収した、1635 30年戦争で都市破壊、
1636 スエーデンとフランスに占領された。 1648 ヴェストファーレン平和条約で復興開始、
1796 仏革命軍による占領、 1803 バイエルンに帰属、
1944 2次世界大戦の被害は小。
HassenGasseとFreudenbergStrasseに市壁が残っている。その他旧市壁の位
置は通りの名前で分かる。
イラー門 IllerTor 東南角 3階建て角塔。
孤児門 WaisenTor 南 4階建て角塔。
北の宮殿Residenzから南の城Burghaldeまで600mもある。その間に市庁舎・教会
があり見所は広い。
町庁舎 Rathaus 1368建、初め木組建物であったが、1474に石造で再建され、前面壁画は
有名住民の伝説を表現。1601に記名柱の泉を造った。
宮殿 Residenz 1657-74建、バロックの広い庭園付きの大宮殿。豪華な広間や庭園の向う
にはオランジェリ。
トムシュタイン家 TumsteinHaus 1802建、美しい前面の市会議事堂。南市公園の芸術的な門扉、
ローマ博物館を収容。
ハイデ城 BurgHaide 1488建、南の丘の後期ローマの砦跡にゴシックの城塔と野外劇場がある。
聖ロレンツ会堂 St.LorenzBasilika 1652建、大きく綺麗な前面の二つの塔と内陣の上の強
大な円蓋ある大教会。内部は豊かな装飾と祭壇、彫刻のある聖職者席。
聖マング教会 St.MangKirche 1426-28建、ゴシックの教会、高さ66mのロマネスクの双塔。広場に
1905ユーゲントシュチールの泉、後ろに13-15Cの中世風家並がある。
穀物倉庫 KornHaus 1700建、4階建渦巻破風の穀物会館、今はアルゴイ博物館。
王室厩舎> Marstall 1730建、今アルプス博物館。太古から現代の山と人を展示。
歩行者道 FischerStr.と北のKlosterSteigeに18-19Cの記念物的な住宅と商家の家並みが
ある。ネオロココ前面の建物が目立つ。
市庁舎・マルクト搭 | マルクト広場 |
西壁搭 | 中壁搭 |
東壁搭 | マルクト搭 |
ファルター搭 | 要塞搭 |
市壁 |
746 ベネディクト会修道院の創設、 1040 王ヘンリー3世は壁に守られた町に整備、
1057 帝政修道院をバンベルクの監督権へ、 1300 マイン川橋の町として言及、
1336-1406 ホーエンローエ伯爵が支配、 1443 アンスバッハ辺境伯が再償還権を取得、
1469-96 外側の強化壁の一部構築、 1525 農民戦争で修道院を略奪・破壊、
1629 司教は町をヴュルツブルク本山へ、 1631-34 スエーデン軍は町を占領、
1683-92 旧ベネディクト修道院跡にウルフリン修道院建設、1792-1815仏軍の侵攻で被害、
1802 バイエルンの地域になった、 1803 バイエルンに帰属、1806-14ヴュルツブルク大公国、
1814 バイエルン王国に戻った 1936 駐屯地の町になった、1945 空爆で35%損傷。
13-14c長方形の内側市壁は、カプチナー通の上側に3円塔と共に60m残っている。
15cに郊外に拡張された市壁は、塔を除いて殆ど残ってない。
13-14cの内側市壁の塔門
①西南角の屋根なし円塔。②その東側に市壁でつながる円錐屋根の小塔。
③その東側に市壁でつながる六角屋根の円塔。④マルクト通のマルクト塔は地下部分14c
上階は1546に再建された壁塔。⑤南東に円錐屋根の壁塔。
15cの外側市壁の塔
⑥FulterTurm南の国道沿い5階建タカサ2mの帽子のある監視塔。⑦北の円形の壁塔。
⑧北西の2階建の円塔。⑨北西に1496の2階建要塞角塔。⑩北西に階建要塞塔。
⑪南東に3階建角塔。⑫南西に3階建円形の要塞塔。⑬東に円形の要塞塔。⑭東に
円形の要塞塔。⑮東南に3階建要塞円塔は建物の一部。⑯DeusterTurm(15c)ドイスター
城にあったが1845の爆撃で破壊され、後に学校の中心に保存された。今は160種
の展示会場。5階建ての角塔である。
1300には、古いマイン橋が石造で架けられ、交通の要衝としてヴュルツブルク本山の支配
下で発展した。15cからの木組の家も旧市内に散在する。
市庁舎 Rathaus (1561-63) ルネッサンスの市庁舎は、壁パネルのある歴史的な会議室を見所とし
ている。隣に立つ高さ39mのが立ち、かっては見張塔・刑務所で使われた。
ポガニーツの家 Poganietz Haus (16c) マルクト広場の古い木組の家で、RoesnerBackstubeの2階
に、製菓博物館がある。1722-1937の菓子会社の工芸展示がある。
古いマイン橋 Alte Main Brueke (1300) 中世初期の石造大橋梁で、内側の橋門は市壁の東門
でもあった。12アーチの構造は、舟運の円滑化ののために1955改修された。
旧シナゴーク Ehem.Synagoge (1882-83) かって重要なユダヤ人のコミュニティであった。1938水晶の
夜に壊され、1991-92再建されて、文化・教育的な行事に使われている。
ルイトポルトbau Luitpoldbau (1914) 豊かな食塩水が発見された後に、アールヌーヴォー2階建マンサード
屋根の建物が建てられ、長い間浴場で会った。今は市立図書館・成人教育センターとし
て使われている。
聖ヨハネ教会 St.Johannes Kirche (1402-63) バイエルン北部で重要な後期ゴシックのホール教会であ
る。豊かな石の彫刻で飾られた北と西の入口がある。1500リーメンシュナイダー工房のオリーブ山
がある。
新教市教会 Ev.Stadt Kirche (1686-97) バロックのホール教会は、初めウルスラ尼僧院教会として
奉献された。1803世俗化で尼僧院は解散され、軍病院として使われ、1817に市教会と
して再聖餐された。1945空爆で破壊され1950までに再建され三度目の奉献。
市博物館 Stadt Museum (16c) 19cに設立され町の文化と経済の歴史を展示した2階には歴
史的な薬局が再現されている。
ドイツ・カーニバル博物館 Deutsche Festnacht Museum () ドイツ全土からの印象的なメディア・ショー
や多数の伝統的な衣装がある。
住家 Wohn Haus (1898) 角の3階建マンサード屋根のヴィルムヘルム様式のレンガ造建物。
旧ベネディクト修道院 Ehem.Benediktinerinum Kloster (1582) 中庭の翼と階段塔のある3階
建サドル屋根に一部トラス構造のある建物。アーチ下には1582の年号がある。今は地方事
務所Landratsamtである。
住家 Wohn Haus (1764) ロココ・スコッタの3階建マンサード屋根の大きな木組の家。
住家 Wohn Haus (1525) 古い2階建サドルフーフの上階木組の家。
住家 Wohn Haus (1484) 3階建急勾配マンサード屋根の建物で18cに一部改修。
旧醸造所 Ehem.Brauerei (1800) 平屋マンサード屋根のある建物。大麦倉庫(1880)は石灰岩と
レンガ造の建物。
住家 Wohn Haus (16-17c) 装飾用のトラスを備えた4階建サドル屋根の家。
住家 Wohn Haus (1559) 3階建サドル屋根上階木組の上階迫り持出の家
住家 Wohn Haus (1588) 3階建屋根裏付きの家、入口上に年号がある。
旧地方裁判所 Ehem.Antsgericht (1878) 旧ライデンホフに3階建で建てられた。今は土地調査庁
として使われている。
住家 Wohn Haus (1563) 2階建サイドサドル屋根の上階木組の漆喰仕上の可愛い家。
宿屋 Gasthaus (16-17c) 2階建サドル屋根の上階木組みの装飾的な前面の家。
市庁舎 | 教区教会 |
教会通 | 泉門 |
南壁・城壁 | 路地門 |
1100 クリンゲベルクの貴族が支配、 1177 スタウフ家が建物を建設、
1250 スタウフ家の家族が町に移動、 1276 リング壁と教会で町の初言及、
15c末 ハーナウ・リヒテンベルク家が町に来た、 1504 町はマインツ選帝侯に落ちた、
1552 辺境伯戦争で町はほぼ壊滅、 1803 アッシャヘンブルク公国へ所属、
1814 バイエルン王国へ帰属。
旧市街は13cの市壁に囲まれて3門があり、15cには補修された。今では城と旧市街
をつないで壁が残っている。
泉門 BrunenTor (15c)正方形の6階建フード付きの門塔で、15cの下部構造・ルネッサンスの床
・16cバロックの屋根・18c石積の漆喰。
城の下のブドウ畑を城壁が囲み、その下にある台形の旧市街地には、古い木組の家が多い。
旧市庁舎 Altes Rathaus (1561) 美しい木組の市庁舎には、寄棟屋根と中央出窓は2001
に復元され、今は観光案案内所となっている。
クリンゲンブルク Clingenburg (1177) 1250からビッケンバッハー領主がこの城に住んだ。その後16c
までは城居住執行官が居た。1871市は城遺跡を取得し、20cにはレストランと展望台を開業した。
市宮殿 Stadt Schloss (1693) 1892までルネッサンスの宮殿に家族が住んでいたが、その後個
人所有となり中庭には1741からバラ園やフランス風の茶室があり、夏にはコンサートが開催される。
新教トニニチス教会 Ev.Trinitatis Kirche (1965) 三位一体教会。
ワインと遺産博物館 Wein Museum (1934) ワイン生産の全プロセスを再現し、村の鍛冶屋機能を
展示。3階には女性の役割を説明。
聖パンクラス教会 St.Pankratius Kirche (1407) 礼拝堂は1467に建てられ、1617に塔は拡張
され、1892に改築された。
市庁舎 | 未発見門 |
未発見門内側 | 西門 |
北壁 | 南壁 |
マルクト広場 | ライヒス城 |
マリア教会 | エドバルト通 |
1168 王フリードヴィッヒ・バルバロッチの城建設、 1180 侯爵メラニエン・アンデシスは城に居住、
1333 バイエルン皇帝ルードヴィッヒは都市権授与、 1358 自主裁判権と全都市権を保持、
1523 宗教改革の導入、 1584 ペスト流行、
1632 テリィー将軍占領と130戸焼失の大火災、 1633 ペストで172人死亡、1640大火災、
1648 30年戦争が終結し町は再建へ、 1675 チフス流行、
1732 町はプロイセンへ、 1805 ナポレオンによる仏支配、
1827 新領主エルンスト1世が町を訪問、 1918 ザクセン・コーブル・ゴーダ公国の飛地に、
1920 バイエルン共和国に帰属した。
1343最初の市壁が築かれ、15cに拡大した郊外の柵壁も組み込まれた。
Mauerwegと右側の上下の直線部には市壁が在ったと想定され、西南門付近と下直部
の殻塔に市壁がある。
射撃門塔 Schuetsentor (1514) 西門は戦争で壊され、1710木造2階建門に全面改築
した。1870小病院となった。
未発見門塔 Unfindertor (1552) 1703の改築でアーチ石門の上に木組の上階がマンサード
屋根で乗り、隣の楽長生誕の家と繋がった。
ハスヒューター門塔 hassfurtertor (1715) 3階建ての守衛詰所・石造アーチ・木組上階がある。
17c後半から18cの木組みの家が多く残り、美しい模様や彫刻が楽しめる。
市庁舎 Rathaus (1456) 地階・石積上階木組みの市庁舎は、30年戦争の1632に上階は
焼け1668に再建された。1981には復元され、市庁舎の前には太っ腹のローラント像が
1605授与の都市の権利の象徴として立っている。塔のカリオンは11.30と15.30にな
る。
聖マリア教会 Marien Kirche(1397-1432)3身廊ゴシックの教区教会で、高さ46mの塔は、
1446に完成した。1640の火事で焼けたが、1420のマドンア像が残った。1898-1904
改装され、2002-05に改修された。
ヴォルフガング・カール・ブリーゲルス生誕の家 Geburtshaus Wolfgang Carl Briegels (16c) ダルム
シュタットの楽長でバロック讃美歌の作曲をした。1604市長が建物を建て、息子が薬局を
開き、1621市長の娘が薬剤師と結婚し薬局を継ぎ、この家の住人から作曲家が生
まれた。
塩市場 Salz markt 2-3階建ての美しい木組みの建物が並び、バイエルン皇帝の都市権に塩
の特権を得て、塩市場を開いて交易を行った。
テリィの宿舎 Quartier Tillys (16c) テリィ将軍は1632に30年戦争で町を占領し火事で残った
上階木組のこの家を宿舎とした。
時計職人の家 Uhrmacher haus (1733) 彫刻が美しい2階建ての木組みの家を時計職人
が建てた。
帝国城 Reichsburg (1168) 1525の農民戦争で破壊を免がれたが、30年戦争では壊され
た。17c新たに城を建て要塞を強化した。1754ザクセン侯爵が所有し、1854個人に売
却した。今、城跡は良い環境を提供している。
822 皇帝のヴュルツブルク司教への寄付文書に、 1234 市場として言及、
1284 帝国都市の権利取得、 1295 司法権を得て最初の市壁を設けた、
1360 町と住民は経済力をつけた、 1424 市壁を外に拡張させた、
1525 自由帝国都市協議会による改革、 1596-97 魔女裁判で25人が焼かれた、
1618-48 30年戦争による占領・略奪、 1730 大火災で町は廃墟、直ちに再建、
1803 帝国自由都市時代の終わり、 1804-09 プロイセンが町を支配、
1810 バイエルン王国に帰属、 1891 鉱泉の発見、1906スパの開業。
13cの市壁は14cに存在し、1424-34に何回目かの市壁の拡張がなされた。
1876-83に市壁や門塔の解体があった。
見当たらなかった。
円形の旧市街に、見るべき建築物が多く残っている中型の町である。
市庁舎 Rathaus (1713-17)お城のようなバロックの建物。1730焼失、1732再建。
新市庁舎 NeuesRathaus (1858-60)郡裁判所のために建てられ、1879売却。
聖キリアン教会 Stadtkirche St.Kilian(1190-1216)伝統的な建物で、1730火災に遭
い、1731-33に帝国からの寄付で再建された。1738-44北塔の建設。
アウグスチン会修道院 AugustinerKloster(1291)寄付され1525解散されたが、教会
内陣は維持された。1620市立図書館として改造された。
礼拝堂 Bethaus (1710) 礼拝の施設として建てられ、1986に国際青年出会
いの場として再建された。
ビール醸造所 Bierbraueei(1765)かって30あったビール工場の内まだ現存する
建物。
武器庫 Zeughaus(1427)帝国都市の武器集積所と大砲鋳造所であり、1859
-1950牢、1953-70学校の生徒寮であり、今は住居。
市長住宅 Wohnhaus von Buergermeister 上級判事の家としても使われた。
石造の家 Steinhaus(1210)町でもっとも古い市民の家。
ロココの家 RokokoHaus(1743)豊かな装飾のあるロココの前面の建物。1997金の掛
かる復元が行われた。
海のマリア礼拝堂 Kapelle Maria am See(1402) 1986に改修、色瓦屋根は16c
に戻した。リーメンシュナイダー12使徒像の複製がある。
体育館 TurnHalle(1890) その横に1537の穀物蔵があり、今日では帝国都市
博物館「雄牛館」として市の歴史と民俗学の収集物。
精霊養老院 HeiligGeist Spital(1318) 初めは市壁の外にあったが外側に新市
壁が建てられた。1997建直されて擁護所。
工作所 Bauhof(1441-43) 大きくて綺麗なツィマーマンの工房。南独でも大きくて
大胆な中世の木組みの建物。
市庁舎 | 教会 |
湖のマリア礼拝堂 | 体育館 |
902 最初の文書言及、 973 皇帝オットー3世はバイエルン侯爵ラングラーに町を与えた、
1007 ヘンリー2世は大聖堂を建て新教区を設立、1430 フス軍に町お占領され略奪された、
1524-25 農民戦争で町は襲われた、 17c 30年戦争でスエーデン軍の占領、
17c 7年戦争で仏軍に占領された、 18c 侯爵司教フランクはバロックで町を復興、
1803 町は王宮を失いバイエルン州に帰属、 1945 2次大戦の爆撃被害は比較的軽微。
マイン・ドナウ運河から西に、丘上の宮殿までを囲む市壁と水堀・門塔があったが、
1083から壊された。1617の俯瞰図で位置は明確に分かる。
魔女塔 HexenTurm(15c) 北西20kmのZeilに立つ5階建ての角塔。17cの魔女狩
りの際の監獄として使われた。
小ベニスと言われた川沿いの平地と、西の丘の上の宮殿と大聖堂があり、中島に
川を跨いで旧市庁舎がある。2次大戦の被害を免れて古い建物が多く残り、ロマネスク
・ゴシック・ルネッサンス・バロックの建物が並んでいる。
旧市庁舎 AltesRathaus(15c) 初めゴシックで建てられ、18cにロココに改装された。伝説に
よると司教が市庁舎の建設場所を許可しなかったため、川に杭を打って市庁舎を建て
た。側面には見事なフレスコ画があり、中にはロココ広間とルードヴィッヒの収集物がある。
大聖堂 Dom(1190-1237) ゴシックの聖堂には二つの後陣がある。二つの内陣を挟んで4
本の塔が立っている。ドーム広場に面した君主の入口は美しい。東から西にロマネスクから
ゴシックへの変遷が見られる。ロマネスクの東内陣の地下には3廊の地下聖堂がある。西内陣
にはドイツゴシック彫刻の傑作が多く置かれている。
司教区博物館 DioezesanMuseum(11c) 大聖堂を通り抜けて南西にあり、彫刻・聖堂の
宝物・皇帝や皇后の衣装等が展示されている。
旧宮殿 AlteHofhaltung(1007) 16cには皇帝・司教の宮殿でルネッサンスの前面切妻・張り出し
窓・角塔がある。中庭が美しくゴシックの木組みの建物と回廊が囲んでいる。歴史博物館を
収容し、川と町の歴史や100点の絵画塔を展示している。
新宮殿 NeueResidenz(17c) 町で最大の4翼の建物は二段階で建てられた。1602後部を
ルネッサンスで、1697-1703前部がバロックで建てた。40室以上あり壁画天井画で飾られ、東翼
に州立図書館、2階にドイツ絵画の州立美術館がある。バラ園からからは東側の展望が
良い。
ゲイヤーベルト町宮殿 Rathaus Schloss Geyerswoerth(1585-87) 旧領主司教の町宮殿で、今
は講演会場で、美しい塔の眺めは閉じられている。
カルメル会修道院 KarmelitenKloster(12c) 13cからの後期ロマネスクの回廊が残る。1692-1701に
バロックに改修、修道院の入口では修道院の製品を売っている。
聖ミカエル修道院 kloster St Michael(1015) 旧ベネディクト会修道院は、1117の地震で壊れロマネス
クテで再建され、更に1610の火災の後にゴシックで再建され、18cには修道院はバロック化さ
れ。教会の中には、天の庭・花・薬草の天井画がある。バロックのテラス庭園や町の展望が
素晴らしい。
教区教会聖母マリア PfarrKirche zu unsrer LiebenFrau(1375) 唯一の純粋ゴシック外観の教
会で、3身廊の内部はバロック装飾されている。不適切なバロックの補修で構造的な問題を生
じている。
聖ヤコブ教会 Kieche St.Jacob(12c) 初め列バジリカとして建てられ、1711にバロックの前面
を得た。
聖マーチン教会 Kirche St.Martin(14c) 町で唯一のバロック教会で、1693イエズス会の大学教会と
して建替えられた。
聖ステファン教会 St.Stephans Kirche(1020) 教皇ベネディクト8世に献堂された。17cにギリシャ十
字の平面で今日の礼拝堂が建てられた。1628-29に後陣はバロックとなり、身廊はルネッサンス
とバロックの部分が存在する。1808プロステタントの教会となった。
自然史博物館 NaturkundeMuseum(1791) 大学の教室として1810使われ、1970劇場に改
修され、2010復元され鳥の展示室となった。地質・鉱物・古生・動物・植物の20万点の標本が
ある。
バムベルク降誕博物館 Bamberger KrippenMuseum(1791) 世界のキリスト降誕のクリスマス飾りの展
示。
ビール醸造博物館 BrauereiMuseum(1742) フランケンビールの醸造施設内に古文書・醸造機器・ボトル
・氷室等1300点の展示がある。
旧市庁舎 | 市庁舎 |
聖マーチン教会 | 大聖堂 |
大聖堂 | 旧宮殿 |
1229 侯爵オットー2世は市場村を設立、 1374 村に紋章が与えられ堀と4門設置、
1331 市民に自由と権利を与え下級裁判所設置、 15-16c初め 村は外観を獲得、
1530 市場教会はバロックの塔を付け下門を補強、 1632と34 スエーデン軍占領で被害、
1680 昇天教会巡礼が行われ市場は回復、 18c末 巡礼の最盛期、
1808 自治体憲法による市場の村、 1972 人口増で町となった。
小さな町に立派で大きな広場が4か所あり、市場が開かれた。UnterMarkt-、
Marien-、Rathaus-、Kirche-Platz。道路名Grabenの位置で、1890には水堀と柵
で町を囲んでいたが、市壁は残されていない。
中世には4市門があった。北Kirche-、東Unter-、南Haager-、西IsenーTor。
下門 UnterTor 後期ゴシックで町で最古の構築物。中世の市場防御施設。Altoetting
Torとも呼ばれた。
教会門とイゼン門 KircheTor・IsenTor 建物と建物を繋ぐ紋章付アーチ。HaggerTorは、
1879の火事で焼け1886に取り壊された。
ミュンフェンの北西30kmにある小さな町で、市場の開かれた4広場を囲んで2-3階の建
物が取り囲み、中央にマルクト教会が立っている。
市庁舎 Rathaus 市庁舎広場の西側に近代的な前面の奥に市庁舎があり会議室に16
86-90の絵画がある。
聖ヴィート教会 MarktKirche St.Viet (1390)下市場広場の中央にあった礼拝堂の跡に
ゴシック様式で建てられた。昔は家畜市場が1684-1950に開催された。今日でもこ
こで毎年11の商品市場が開かれている。
マリア昇天教会 PfarrKirche Meria Himmelfahrt (1450) 町の北の丘の上にあるマリア
昇天教区教会は、1679-1745に巡礼が盛んに行われた。
ヤコブメイヤー文化館 Kulturzentrum Jakobmayer 破風付2階建ての建物、中には50席
の映画館もあり、色々な催物や祝賀会が行われる。
パンの家 BrotHaus 市場教会の向かい側に。市場の全てのパン屋の昔の共通の販売
所があった。その家の南側には目立つ木製のバルコニーがある。
バッハメイヤー醸造所 Brauerei Bachmayer (1847) ビール醸造所として運営され、ユーゲン
トシュティールの建物は、1910ビール値上げによるビール戦争の騒動の目標となった。
市場教会 | 教会門 |
下門 | イーゼン門 |
880 伯爵ジークハルトはイノシシ狩りに来て礼拝堂と木造の城を築いた、
933 侯爵エーベルハルトは城を拡張し壁で囲み、 934聖セバスチャン教会を建て巡礼地に、
990 ベネディクト修道院を建て町は文化的・経済的に高い地位を得た、
1045 皇帝ヘンリー3世の帝国修道院が置かれた、 14c 下級裁判所が置かれた、
1595 修道院はイエズス会へ与えられ巡礼した、1618-48 30年戦争で修道院は荒廃、
1773 イエズス会からマルタ騎士団に引継ぎ、 1808 修道院は世俗化され解散。
市壁の跡も見当たらない。
見当たらない。
旧市街地も判然とせず、ただ修道院跡があるのみ。
市庁舎 Rathaus (1529) 元修道院の居酒屋の基礎壁の上に建てられ、中世で重要
な世俗的な建物であり、1873以来市庁舎として使われた。1994から市庁舎展示
場では常設展示や地元芸術家の展示会も開催される。
聖セバスチャン教会 PfarrKirche St.Sebastian (990)初めのベネディクト会修道院は13
05の大火の後に1472-1500にゴシックで再建された。1773の火災の後マルタ騎士団に
引き継がれロココに一新されて1783に再建された。創始者の大理石墓は教会のロビ
ーにあり美しい。修道院は世俗化され一部は民間に半分はバイエルン州が所有し今は
税務署となっている。
修道院建築の館 KlosterBauHof (1495) 元修道院の建築の館で、広い中庭があり
大きな建物が取り巻いている。入口には紋章と年号が表示され、建物は:地方学
校・音楽学校・アートギャラリィ・レストラン・バー使われ、町の建設部は旧牛舎
に入っている。
野原の十字架 FeldKreuze 様々な種類の46の十字架が町の畑に立てられ信仰されて
いる。町では、この十字架の記録を集めて出版・展示している。
町図書館 StadtBuecherei バエルン・ライブラリィの全ての本が借りされる。
墓十字架博物館 GrabkreuzeMeseum 17-19cの鍛冶屋で作った墓十字架を140本集
めて展示している。
市庁舎 | 聖セバスチアン教会 |
6-9c バイエルンの直列墓地、 1040 バイエルン町の初言及、
13c 侯爵グラーフィングは二つの工場を設け市場を開発、 1376 市場権の授与、
1632 スウエーデン軍による略奪と放火、 1766 町は大火災で焼失、
1945 米軍の進駐。
見当たらない。
見当たらない。
中央に家並みのあるマルクト広場には、市庁舎と教会がある小さな町で、旧市壁
の痕跡もない。
市庁舎 Rathaus (1632) 30年戦争でスエーデン軍に昔の市庁舎は焼失されたが、バイハ
ーディング修道院の居酒屋跡を市が取得して、新市庁舎を建てた。その建物は1766
の火災でまた全焼した。議場と記録保存所の大きな建物を含み、中には市場書記
の仕事場・市場計量所・肉屋・守衛部屋・学習部屋・小住居も在った。1889市場の側
に切妻が付けられた。1977構造の再構築と内装の近代化をした。
聖レオンハルト分教会 Filia St.LeonhardKirche (1300) ゴシック最古の建物で1408日付の
フレスコがある。30年戦争で半壊したが壁のフレスコ画の大部分は残った。1700教会は再
建され、17cのバロック主祭壇・1720塔が付けられた。
市場教会 MarktKirche zur Allerheiligten Dreifaltigkeit (1672) バロック教区教会は
美術史の宝庫で、ツイマーマンの天井画やスコッタの作品が見られる。1743-48ミュンフェンの銀行
家が教会の内装を飾った。1989外装を更新した。クリスマスには美しいキリスト降誕の像が
展示される。
教区教会聖アギディウス PfarrKirche St.Agidius (9c) 最古の教会は何も残されていな
い。11-12cのロマネスクの教会は塔の基礎だけが残る。15cゴシックの教会は祭壇後ろ
の立ち上がり壁が残る。30年戦争で壊され1692今の建物になった。1780大祭壇
・1787脇祭壇・1800説教壇・1902西側の拡張・1963建物の改修・2007内装。
農場 WildBraeugebaeude (973) バイエルン侯爵ヘンリー2世は妻のために農場を設けた。
その後異なる貴族の手を経て伍長の家とも呼ばれた。1499からは醸造所を持っ
ていた。1745にバロック3階建ての今の家になった。
リーパーディンガー家 Rieperdinger Haus (1871) 初め住宅として建てられ、外側の壁は
凝灰岩で囲まれ、その後大工工場として使われた。1963町に贈られて今は博物館
の本館である。
市場家具屋 MarktKistler Haus (17c) 平らな両切妻屋根と角出窓の家は、1585に
市場家具製作所を収容し、1771には更新された。
マルクト広場 | 上等兵の家 |
1121 バンベルク司教は市場を開設、 1189 皇帝フリードリッヒ1世に町を売った、
1268 ホーエンシュタウヘン遺産としてルードヴィッヒへ、 1369 マーカートはハーンバッハへ領地売却、
1375 皇帝カール4世はハーンバッハに帝国財産を授与、 1457 市場の上半分が焼失、
1582 ペストの流行、 1626 16cの改革後・反宗教改革で再びカトリックへ、
1632 町は30年戦争で崩壊、 1803 世俗化でバイエルン王国に帰属、
1918 壊滅的な大火災。
中世の市壁は、存在したような家の配置があるが、確認できない。
アムベルガー門 Amberger Tor (16c) 南門は砂岩切石造2階建寄棟屋根の門塔円アーチ通
路と屋根の上のコウノトリの巣がある。毎年コウノトリが営巣している。
上門 Oberes Tor (16c) 東門は1975に老朽化で取払われた。1990に交通に配慮し
て道路上空を結んで再建。上門の前には1994Radltraeger記念碑。
旧市街の建物は、1819の火災後に再建された。2階建漆喰の建物が美しく、
大きな旅館も多い。
聖ヤコブ教区教会 Pfarrkirche St.Jakobus (1430-64) 1434内陣完成、1467南側廊
がゴシックで建てられた教区教会である。1521西塔が付けられた。
住家 Wohnhaus (18c) 2階建切妻屋根の漆喰石工。
都市住民の家 AckerbuergerHaus (1800) 2階建切妻屋根の漆喰石工。
都市住民の家 AckerbuergerHaus (1841) 2階建切妻屋根の漆喰石工。
旧修道院 Ehem.KlosterGebaeude (1839) 西翼は2階建漆喰ヒップ屋根の石造の建物。
1908東翼の完成。
旧醸造所 Ehem.Bauerhaus (18c) 砂岩切石造2階建寄棟屋根の上階木組の木製レリーフ
のある建物。
聖ヤコブ教会 | アムベルガー門 |
1093 城が建設された、 1150 ハインリッヒ・コンラッドの所有となる、
1250 町は市場の開催権を得た。 1251 ホーエンシュタウフェンのコンラッド4世は所有、
1407 ルードヴィッヒ・エッティンゲン侯爵が所有、 1525 農民戦争の被害は軽微、
1576-47 シュマルカルデン戦争は中立、 1549 侯爵エッティンゲンは町に居住地を移す、
17c 30年戦争による衰退、 1731 エッティンゲンはOberamt・Fronfest設立、
1846 町はバイエルンに帰属、城に司法事務所と王侯ルール裁判所が置かれた。
昔木製門が5基あり、夜は閉じられたため、泥棒・強盗・浮浪者などの不要な人が
町に入れなかった。 家の壁で町がほぼ囲まれたため、市壁は不要であった。
城に通じるVestTor、橋のBruckTor、湖のEgelseeTor、NoerdlingerTor、Donau
woeftherTorの5門は1500には存在し、1961-63にも全門があった。その後維持費を
要するため解体されたが、元の位置に記念銘板が置かれている。
丘の上の城は保存状態が良く一見の価値があり、旧市街には古い木組の家がある。
市庁舎 Rathaus (15c) 石造の地階の上にレンガ床・上2階木組切妻トラス建物で、その後数
回の改装や拡張が行われた。1975-77に中庭のある3翼の建物を再使用の木材で新
築した。一部は倉庫・刑務所等としても使われ、公共のサラシ台もあった。1928-34貯
蓄銀行、1934公共図書館、1952建築学校となった。
聖バルバラ福音教区教会 Ev.Pfarrkirche St.Barbara (1420) 侯爵フリドリッヒ3世の支援で城
丘の麓に建てられた。1612今の教会は同じ敷地内に応急的に建てられ、1744侯爵フリー
ドリッヒ・エッティンゲンはZinnebergに改装した。1947-52内装の改修。
宿屋 Gasthaus (1584) 1957の国道トンエルの開通までは、ネルトリンガー通は交通渋滞がひどく、
角の家にはトラックが突っ込む状態であった。1584この通8番地廷史が2階建の家を建て
た。1748バロック化されコーヒーと菓子店となり、1926旅館になった。
聖心教区教会 Pfarrkirche HerzJase (1900-03) 町は1539に新教となり、その後カトリック教
会は存在しなかった。1926カトリック教徒の増加で聖心教会が献堂された。
旧農家 Ehem.Bauernhaus (19c) 小さな農場の老朽化した塔を獲得して住家に改造した。
ハールブルク城 Harburg (11c) 1295にエッティンゲン家が所有し、1731まで城は補修・拡張された。
丘の上に13cの外構があり、6塔と城壁で守られ、18cには城・教会・地下礼拝堂・管理
棟などが良く保存されている。
旧郡庁 Ehem.Amtshaus (15c) この石造床と4階建切妻屋根の建物で、コアは15-16cのもの
で後に福音牧師館として使われた。
市庁舎 | 聖バルバラ聖教会 |
12c カイスハイムは上級廷史事務所であり、 帝国設立時カイスハイム修道院に属した、
1133 伯爵ハインリッヒ3世と妻によって修道院は創立、1370 すでに帝国修道院であった、
1656 修道院は帝国直属となった、 1722 大修道院の建物となった、
1803 世俗化でバイエルンの地域になった、1818 バイエルン王国の改革で地方自治体成立、
1934 地方自治体カイスハイムはマルクト・カイスハイムとなった、 1970 刑務所が置かれた。
修道院の側面には550mの修道院壁があり、両側正面にも50mづつあり合わせる
と600mとなる。
門塔 Tor turm (1700) 3階建矩形の門塔で、円形アーチ・天井通路・テント
屋根・角に田舎風飾りがある。
帝国直属の修道院として栄え、1803の世俗化後もバイエルン王国からも保護された
見事な建物群が見られる。
市場 Markt Kaisheim (18c)
修道院 Kloster Kaisheim (1133) シトー派の大修道院には、14cの教会は1716-22に120
m×70mの二つの中庭を囲んで建てられ、中には壮大なカイザー・ホールはバロックからロココ
の壁や天井のスコッタ仕上げが美しい。1803世俗化後、修道院本来の役割に兵舎や拘
置所などに使われ、1965まで戦災復旧に使われた。
聖母大聖堂 Muenster Unserer Liebfrau (1183) 修道院の北側にある3廊80m×28mで
高さ24mのシトー派修道院教会であった。1183に献堂され、1286内陣の火災後改修
されたが14cに取払われた。1387聖マリアの栄光に今の巨大な十字型バジリカが献堂さ
れた。1459四角塔と部分的再構築、1798今の塔の姿になった。
修道院醸造所 Kloster Brauerei (1706) 2階建切妻屋根の建物で1803世俗化後も1951ま
で醸造業が営まれ、麦芽醸造は1980まで稼働した。今はガストハウス。
旧兵舎 Ehem.Kaserne (1786) 正門と入口門切石造、隅棟屋根の建物で18112階建に変
更した。
旧兵舎 Ehem.Kaserne (1659) 切石造の平屋から、19c2階建切妻屋根漆喰装飾に改造。
今はガストホフになっている。
カソリック司教館 Kath.Pfarrhaus (18c) 2階建切妻屋根の建物。19cに改修。
司法刑務所 Justiz Vollzugsanstalt (1803) 世俗化後に強制労働や刑務所の建物となり、
その後拘置所、1972刑務所となった。
住家 Wohnhaus (1711) 2階建切妻屋根の建物で修道院壁と一体である。
住家 Wohnhaus (18c中) 堅固な入口門のある2階建隅棟屋根の建物である。
北門塔 | 北壁 |